機動兵器のある風景
Scene -28







 終わるに終われない晩餐会は、夜の11時過ぎまで行われた。ゆっくり食事をし、ゆっくりと会話をする。その目的から行けば、別におかしな時刻ではないのだろう。だが翌日にも仕事を控えているとなれば、あまり遅くまでの拘束は好ましくない。たかだか11時でお開きとなったのは、そのあたりの配慮があったと思われる。
 誰かの配慮のお陰で、シンジは11時半にホテルに戻ることができた。だが一日は、それで終わりというわけではない。シンジにしてみれば、晩餐会というのはあくまで付き合いでしかない。特区の顔を潰さないための、必要コストだと考えていたのだ。だから今日の目的というと、これからが本番と言うことになる。特に相手の立場、おかれた境遇を考えると、今日中に決着を付けておかなければならなかったのだ。いささか夜が遅いというのは、今だけは考えないことにした。

 立派な車でホテルに案内されたシンジは、まず最初にホテル従業員一同の出迎えを受けることになった。車から降りるところには、専用の赤い絨毯が敷かれ、その両側には男女大勢の従業員達が勢揃いしていた。そして車から降りたシンジに向かって、全員が一斉に頭を下げたのだ。何かの嫌がらせかと言いたくなる対応に、シンジは顔を引きつらせることになった。
 そして恭しく渡された鍵は、ホテルの最上階にあるエンペラースイートとかの物だった。誰の配慮か知らないが、フェリス達には別の鍵が渡されていた。エレベータを上がって分かったのだが、そのフロアにはシンジの部屋以外存在していなかった。

 大した荷物もないため、エレベータから降りたときには、セシリアと二人きりになっていた。そこでようやく気を抜いたシンジは、「嫌がらせ?」とつい零してしまったのだ。どう考えても、二人で使うには広すぎる部屋が用意されていたのだ。
 そしてそのシンジの思いは、部屋に入って確信に変わることになった。やたら広い共用のリビングがあるかと思うと、そこからいけるベッドルームが5つもあったのだ。しかもそれぞれにパウダールームまで付いているのだから、誰が泊まるのだとシンジは言いたかった。しかもメインとなる寝室には、更に次の間まで付いていた。シンジの感覚から行けば、これだけで十分だと思える広さだった。

「やっぱり、何かの嫌がらせ?」

 再び零したシンジに対して、セシリアはとても分かりやすい説明をしてくれた。

「おそらく、日本への対抗心からなのでしょうね。
 格式ならこちらの方が上だと、きっと示してみたかったのでしょう。
 ただ碇様にとって、それが意味のあることかというと難しいところですわ」

 日本でのシンジを見ているだけに、セシリアのコメントは的を射た物になっていた。「だよね」と頷いたシンジに、早く着替えた方が良いのではとセシリアは本題に移った。そして頷いたシンジに、もう一つと言って身だしなみのことを持ち出した。

「目的が違っていても、これから女性の部屋を訪ねるのですよ。
 汗とたばこの混じった匂いをさせていては、エチケットに反することになりますわ。
 女としての私のプライドが、そのようなことを許すことができませんの!」

 つまり、着替える前にシャワーぐらい浴びて行けと言うことである。そのセシリアの指摘に、シンジは肘のあたりの臭いを嗅いでみた。確かにたばこの匂いはしてくるし、それに混じって汗の臭いも感じられた。朝からの時間を考えれば、相当汗を掻いているのは間違いない。

「確かに、シャワーを浴びてきた方が良さそうだね」

 当然と頷いたセシリアは、次にシンジの格好を問題とした。

「それで、シンジ様はどのような格好でチフユさんのところに行かれるのですか?」
「ラウンズの格好は避けたいから、観光していたときの奴かなぁ」
「そうなると、フェリスさんはどうなさるのですか?」

 バランスを考えると、フェリスも私服と言う事になる。だがシンジは、式服で良いとバランスを否定した。

「フェリスには、アースガルズのブレイブスとして顔を出して貰うからね。
 だから格好は、それっぽい方が好ましいと思うんだ。
 と言う事でラピス、フェリスにはそう伝えておいてくれるかな?」

 電子妖精に指示を出したシンジに、すぐさまフェリスから質問が返ってきた。一緒には行かない手はずになっていたため、自分の準備は何時までにできればいいのかというものだった。

「そうだね、1時間後を目途にしてくれないかな。
 こちらの時計で、12時30分を目安にしてくれ」

 シンジの指示に対して、「了解」の答えがすぐに返ってきた。それを横で聞いたセシリアは、本当に一人で大丈夫なのかとシンジに聞き直した。

「チフユさん、生身だととてもお強いですよ。
 シンジ様が一人で行ったら、酷い目に合わされないか心配ですわ」

 つまりシンジは、一人では身を守れないと心配されたと言う事である。いくら心当たりはあっても、それを持ち出すのはさすがに勘弁して欲しい。しかも相手が同い年の女性だと考えると、さすがに情けない話だと考えた。だからシンジとしては珍しく、セシリアに向かってそれはないだろうと零したのだ。

「そこまで、弱くないつもりなんだけど……」
「それほど、チフユさんは強いと言っていますのよ。
 しかもシンジ様は、チフユさんのプライドを傷つけていますから」

 きっと容赦がないと指摘したセシリアに、シンジは少しこめかみあたりを引きつらせた。言われてみれば、セシリアの言うことに心当たりがあった。何もしないでお金だけ置いてきたのは、相手のプライドを傷つけることに違いない。それでも言わせて貰えば、体を売る時点でプライドなど持ちだして欲しくないというところだ。
 ただ何時までも議論していては、時間の無駄でしかないだろう。だからシンジは、セシリアとの話を切り上げ、シャワーを浴びようと“大きな”シャワールームへと行こうとしたのだが、何故かその後をセシリアが付いてきた。

「セシリア、僕はこれからシャワーを浴びるんだけど?」
「承知していますけど、何か?」

 そこでにっこりと笑われても、答えに困るというものだ。それにこれからの予定を考えたら、一緒に入るのは自殺行為に違いない。

「ごめん、一緒に入ったら我慢できそうもないんだ」
「そう言う事でしたら、我慢することにしますわ。
 本当のことを申し上げると、もう相手にしていただけないのかと思っていましたの」

 それは、セシリアが感じていた不安だった。前日一人で来たにもかかわらず、自分には何の連絡もしてくれなかった。事情が有るのだと納得しようとしても、やはり棘のように心に刺さっていたのだ。しかも引き合わされたエステルには、ものが違うと思えるほどの美しさを見せつけられた。同行してきたフェリスにしても、目を引く美女に違いない。それを考えると、自分の出番は無くなったと思えて仕方が無かったのだ。

「この問題は、今晩片付けるつもりだからね。
 そうしたら、明日からはセシリアのために時間を使うことができるよ」

 軽く抱き寄せキスをしたシンジは、だからと言って一人でシャワールームへと入っていった。そして扉を閉めたところで、「後で身だしなみを整えるのを手伝ってくれるかな?」と中から声を掛けてきた。そのお願いに、セシリアが喜んだのは言うまでもない。「喜んで」と、セシリアは本当に嬉しそうに答えを返したのだった。



 霜月チフユにとって、その日は最悪の一日だった。朝出頭したら、いきなり解雇を通告され、帰ってみたら大家に退去を迫られたのだ。1週間と滞留期限を切られた以上、チフユには長居するつもりは毛頭無かった。だからと言って、すぐに出て行けるかと言うのは話は別だ。なんとか航空券が取れるまでの譲歩は取り付けたものの、相手の勢いは明日にでも出て行けと言うものだった。そして格安航空券を調べてみたのだが、どう頑張っても日本まで繋がってくれなかった。

「かと言って、この金に手を付けるわけにはいかないだろうな」

 テーブルに置かれた札束は、数えてみたら1万ユーロ近くあった。つまり一緒におろしたお金の内、使った分を除く全部と言う事になる。これだけあれば日本に帰ってもおつりは来るが、だからと言って意味の分からないお金に手を付けるわけにはいかなかったのだ。

「だが、返すに返せないというのはどうしたら良いんだ?」

 名前こそ聞いたが、連絡先は教えて貰っていない。だから突き返そうにも、どうすれば会えるのかが全く分からないのだ。しかも腹が立つことに、結局何もしないで帰ってしまったのだ。キスだけで気を失った自分も情けないが、それ以上に何もされないというのはプライドに関わる話だ。体を売るとは言ったが、物乞いをするつもりなど毛頭無かった。キスの代償にしては、残されていたお金はあまりにも多すぎたのだ。

「だとしたら、これは借りたことにしておくしかない。
 今度会ったときに、利息を付けて突き返せば良いんだからな!」

 返す方法が分からないこと、そして背に腹は代えられないことから、チフユは「借りる」と言うことで自分自身に折り合いを付けた。その折り合いが付けば、後は日本に帰る準備をすればいい。格安に拘らなければ、航空券の手配も難しくないだろう。だとしたら、さっさと荷物を詰め込めばいい。クローゼットの奥からスーツケースを引っ張り出したチフユは、少ない荷物をそこに詰め込むことにした。

「この服は……買って貰ったものだから、貰っても問題ないだろう。
 それに、返されても困るものだろうからな」

 クローゼットに掛かっていたワンピースは、前日ナンパされたときに買って貰ったものだった。その心は、さすがに制服はないだろうと相手に言われたのが理由になっていた。セーラ服以外はジャージと特区の制服しかないチフユにとって、貰ったワンピースは一張羅になっていた。

「これは、明日以降着るから詰め込んでは駄目だな」

 それをもう一度クローゼットに掛け直し、細々とした荷物をスーツケースへと詰め込んでいった。大して高級なものではないので、使っていた食器は捨てていくことにした。そうすると、荷物は本当に少なくなり、大きなスーツケースの半分も埋まらなかった。

「これが、私の一年半の結果と言う事か……」

 最後に写真立てを割れないように下着の間に詰め込めば、これでパッケージングは終わりと言う事になる。自分と一緒に写る弟の笑顔に目を落としたチフユは、「すまん」とその写真に向かって謝った。入口のドアが叩かれたのは、丁度その時のことだった。

「……また、大家か?」

 来客ならば、まず最初に入口のインターホンが使われるはずだった。それがないから、チフユは大家が来たのだと当たりをつけた。だが時計を見れば、すでに夜の12時を過ぎている。いくら大家でも、女性の部屋に来るのに非常識な時間に違いなかった。
 だが相手の機嫌を損ねたら、すぐにでも追い出されることになってしまう。退去延期と引き替えに体を求められたらどうしよう、身の危険を感じながらチフユはドアの覗き窓を開けた。そしてその先にあった顔に、盛大に驚くことになった。覗き窓の向こうで、シンジが「よっ」と右手を挙げていたのだ。

「お、お、お前は……」
「とりあえず、中に入れてくれないかな?」
「あ、ああ、そうだな、私も色々と聞きたいことがあるからな」

 思いがけない相手に動揺したチフユは、少し手間取りながら入口のドアを開けた。ジャージを着ていたことに気付いたが、今更着替えるというわけにはいかなかった。それに着替えと言っても、前の日に買って貰ったワンピースしかなかったのだ。まさか、首になったところの制服を着るわけにはいかないだろう。
 何とか鍵を開けたチフユは、最初にシンジに対して文句を言った。

「いったい、今は何時だと思っている!」
「いやぁ、時間ができたから顔を出したんだけど?」

 だがその文句は、あまり意味が通じていないようだった。ごめんと謝るシンジに、チフユは小さくため息を吐いた。謝られはしたが、少しも申し訳なさそうに聞こえなかったのだ。

「相変わらず、つかみ所のない奴だな」
「それは、褒めて貰っていると思って良いのかな?」
「褒めているわけでも、けなしているわけでもない。
 ただ単に、正直な感想を口にしたまでだ!」

 チフユの言葉に、シンジは「そう」と笑いながら頭を掻いた。そんなシンジに向かって、「いったい何の用だ」とチフユは問いただした。どうやってここまで来たのかは忘れるとしても、何をしにここまで来たのかは非常に重要な意味を持っていた。

「き、昨日の続きをしに来たのか?」

 女性の部屋に、夜遅く訪ねてきたのだ。真っ当に考えれば、下心があると思うのが当然だった。しかも金銭の支払いが済んでいるのだから、元を取ろうと考えるのもおかしなことではない。そう言われたとき、今更断れる立場にないのはチフユ自身理解していた。
 少し身を固くしたチフユに向かって、ないないとシンジは手を振った。そして広げられたスーツケースを見て、「旅行?」とのんきな質問をしてきた。

「い、いや、これは、別に……
 それより、ないないと言うのはどう言うことだ!」

 荷物のことを誤魔化したチフユに、シンジはのんきな顔をして部屋の中を見渡した。

「う〜ん、そろそろ正直に話しても良いのかなぁ。
 ところでチフユさん、「私を買ってくれ」って話は成立したと思って良いんだよね?」
「そ、それは、昨日はそのつもりで部屋に入れたのは間違いない……のだが。
 だがお前は、何もしないでお金だけを置いていったじゃないか!
 あ、あれは、私をバカにしているのか!!」
「何もしないでって……」

 急に腹を立てたチフユに、シンジは呆れながら「それを言う?」と言い返した。

「キスしただけで、いきなり気絶してくれたじゃないか。
 その状態でそれ以上するほど、僕は変態さんじゃ無いんだよ。
 だから、お金だけおいてひとまず帰ることにしたんだよ。
 それから、あのお金は手付けだからね」
「そ、そのことは申し訳ないと思っているが……
 わ、私だって、どうして気絶したのか記憶にないのだ。
 と、ところで、手付けというのはどう言うことだ?」

 キスだけで気絶したと言われると、さすがにチフユは何も言い返せなくなる。しかも手付けとか不穏なことを言ってくれるシンジに、どういうことだとチフユはすぐに噛みついた。
 そんなチフユに、「君を買ったんだよ」とシンジは言い直した。

「だとしても、あまりにも多すぎるだろう!」
「そうかなぁ、人一人買うんだから少なすぎると思うんだけど?」

 酷い話の食い違いに、はあぁっとチフユは首を傾げた。

「い、言いにくいが、処女だからと言って、さほど高く売れるものではないぞ」
「こう言っちゃ何だけど、そう言う相場観を持っているんだ」

 凄いと茶化したシンジに、チフユは思わずきつい視線を向けた。今まで話をしていると、どうもからかわれている気がしてならないのだ。
 その視線にわざとらしく背筋を伸ばし、「君を買ったんだ」とシンジはもう一度繰り返した。その言葉に反発したチフユに、ちょっと待てとシンジは手で制したのだった。

「あまり時間を掛けるのもなんだから、そろそろ本音の話をすることにしよう。
 霜月チフユさん、僕は君が何者で、どう言う境遇にあるのかを知っているんだよ。
 それを前提に、君をスカウトすることにしたんだ。
 だからあのお金は、契約金の手付けだと考えて欲しい」
「わ、私には、お前が何を言っているのか分からないのだが……」

 急に変わった空気に、チフユは怯えながらもシンジに警戒をした。はっきりと分かるその様子に、シンジは苦笑と共に、自分の持っている情報を口にした。

「霜月チフユ、今日の朝までは特区セルンにパイロットとして所属していたね。
 そして今朝、昨日のサボタージュを理由に解雇されている。
 懲戒解雇だから退職金はないし、EU圏からの退去期限も切られている。
 口座残高に、日本に帰るほどの残金がないのも調査済みだよ」

 パイロットをしているというのは、彼女の負う守秘義務に関係する話だった。どこでそれを知ったのかと疑問に感じたチフユだったが、気絶後にクローゼットを漁られれば、特区との関係ぐらいは知ることが出来るだろうと考え直した。そうすれば、年齢から言ってパイロットと推測するのは難しくはなかったのだ。
 だが今朝付けで解雇されたと言われれば、どこからの情報だと聞きたくなる。しかもEU圏からの退去命令となると、知っている者は本当に限られてしまう。それを知っているシンジに、何者だとチフユははっきりと警戒を露わにした。

「チフユさん、僕は君に人生の選択肢を提供することにしたんだ。
 その一つは、君が僕の物になると言う選択肢だよ。
 それを選んだとき君は、弟のワカバ君と一緒に暮らすことが出来るんだ。
 その代わりと言ってはなんだけど、君の人生のすべては僕の手の中に握られる。
 そしてもう一つは、僕の物になるのを拒絶するというものだよ。
 そのとき僕は、手付け金を回収してこの場から消え失せることにする。
 君はほとんど無一文で、ジュネーブの街に放り出されることになるんだろうね。
 不法滞在者として捕まるか、さもなければどこかの裏町で本当に体を売ることになるんだろうね」
「つまり、お前の愛人になれということか!」

 睨み付けてきたチフユに、まさかとシンジは肩をすくめた。

「そう言うのは、有りがたいことに間に合っているんだよ。
 だから僕の物というのは、本当に物としての意味を言っているんだ。
 とうぜん、結婚とか恋人とかを誤魔化した言い方じゃないよ。
 って、まあ本当のことを言うと、ちょっとした実験に付き合って欲しいという所なんだけどね。
 たぶんというか、間違いなく君にとって悪いことじゃないと思うんだけどなぁ」
「それが、信じられるとでも思っているのかっ!」
「でも、追い詰められた君に、選択の余地はないと思うよ」

 こうやって迫っていると、自分がまるで悪者になったようだ。おかしな快感を味わいながら、シンジはチフユに対して選択を迫った。細かな説明というか、本当のことを言わないのは、チフユの覚悟を試す意図もあったが、それ以上に面白いという不真面目な理由があった。

「わ、私にだって、誇りはあるんだ!!」
「選抜から外されたぐらいで、やけになってサボったパイロットがそれを言うのかい?
 しかもそのしっぺ返しで、パイロットを首になったんだろう?
 しかも昨日は、僕に体を売るとまで言った君なんだよ。
 その君が、僕に対して今更プライドを持ち出すのかい?」

 ちゃんちゃらおかしいと笑うシンジに、チフユは言い返す言葉を持たなかった。お金を条件にシンジを家に連れ込んだのは、紛れもない自分自身なのだ。それだけ恥ずかしい真似をしておいて、誇りを持ち出すのは筋違いと言われても仕方がなかった。
 言い返されて黙ったチフユに、シンジは悪い話じゃないと繰り返した。

「悪いようにはしないから、僕の物になることを認めるんだ。
 そうすれば、弟のワカバ君と一緒に暮らせるようにしてあげよう。
 写真を大切に持っているぐらい、本当に大切に思っているんだろう?」
「お前の物になれば、本当にワカバと一緒に暮らせるのか?」

 そこで真剣に悩むところを見ると、弟のことを本当に大切にしているのだろう。それを理解したシンジは、これ以上は可哀相かと、全てを説明することにした。

「そう言えば、名前しか教えていなかったね。
 僕の名前は碇シンジ、特区に居た君なら、その名前に心当たりがあるだろう?」

 碇シンジと言う名前には、さすがにチフユも驚かされることになった。だがすぐに、相手が本物かと疑うことにした。今日アースガルズから碇シンジ一行が来ているのは、世界的に有名な話になっていたのだ。自分がパイロットを首になったことを知っているのだから、相手がそれを知っていてもおかしくないと考えた。

「その名前は知っているが、それがお前だという証拠はあるのか。
 それに、お前が本当に碇シンジなら、どうして私の身柄を欲するのだ!」
「僕が碇シンジであることの証明は後からさせて貰うよ。
 そしてどうして君の身柄を欲するのかというと、そこはとても微妙なところがあるんだ。
 後付けで良ければ、いくつか理由を付けることができるんだけどね。
 偶然君に知り合い、そして君が特区を首になったというのが本来の理由なんだ」

 自分が目的ではないという答えに、軽い失望を覚えたチフユだったが、だから逆に信憑性が高いとも考えた。いずれにしても、まだ相手を見極めるには不足だと考えた。

「私でなくても、良かったと言う事だな?」
「はっきり言えば、その通りだね。
 ただ弟が居て、しかも機動兵器に乗った経験があるのは都合が良かったんだ」
「弟が居ることがだと」

 弟を理由にされたことに、チフユは激しく反応した。目の前で碇シンジと名乗る男は、自分だけではなく弟までも巻き込もうとしている。自分のことは半分諦めていても、弟だけは守らなければいけないと思っていた。その弟を持ち出されたことで、チフユはとっさに身構えた。
 からきし格闘はだめでも、相手がどのくらい使えるかぐらいは見れば分かるようになっていた。なるほどいい身のこなしだと感心したシンジは、「フェリス」と待機していた部下を呼び出した。いよいよ、ここからが本番だと考えた。

 シンジに対して警戒をしたチフユだったが、急に感じた殺気にその場を飛び退いた。そしてチフユが動くのと同時に、赤と金をした何かが風のようにその場を駆け抜けた。

「な、何者だっ! どこから入ってきた!」

 入口は、シンジを招き入れたときに鍵を掛けてきた。たとえその鍵が壊されたとしても、ここまでそれに気がつかないわけがない。それを考えると、目の前の女性は、何処かから沸いてでたとしか思えなかった。だが、どうすればそんなことが出来るのだろうか。しかもにらみ合った相手には、一分の隙も見つけることはできなかった。目の前に現れた女性は、金色の髪がとても似合う、とても美しい女性だった。

「フェリス、もう良いよ」

 ゆっくりと立ち上がったシンジは、チフユとフェリスの間に割って入った。それを合図に、フェリスはレーヴァンティン(小)を背中に背負った鞘へと収めた。

「紹介するよ。
 僕の片腕、帰ったらレベル10認定されるフェリス・フェリだ。
 ああ言葉は通じないから、無理に挨拶しようとしなくても良いからね」
「レベル10だと!」

 そんなレベルを持つ者は、特区を捜してみてもどこにも居ない。それが本当のことかどうかは分からないが、目の前の女性からはただならぬプレッシャーを感じさせられた。

「フェリス、君の目から見て彼女はどうだい?」
「うむ、良く鍛えられているのではないだろうか。
 少なくとも、身のこなしはシンジ様より遙かに様になっているな」

 チフユを褒めたフェリスに、だったら合格だとシンジは答えた。確かに言われた通り、二人のやりとりはチフユに理解できなかった。

「さて、これから僕の身の証を立てることにするよ。
 ちょっと場所を移動するけど、チフユさんはその格好で良かったかな?」
「わ、私は、ここを動くつもりはないぞ!」
「別に、チフユさんの同意が無くても動くことができるんだよ。
 君の知っている女性に会うんだけど、その格好で良かったかなと聞いているんだよ」
「だから、私はこの場を動くつもりなどない!」

 大きな声で言い返したチフユだったが、その瞬間目の前の景色が一変してくれた。今まで居たのは、古くさくて小さなアパートの一室だった。それがいつの間にか、広くて綺麗な部屋に居たのである。しかも目の前の男の横に、もう一人良く知る顔の女性が加わっていた。

「お、お前は、セシリア・ブリジッド!」
「チフユさんお久しぶりです。
 相変わらず、飾り気のない格好をされていますのね」

 チフユの目の前には、高級そうな上下を来たセシリアが立っていた。そしてセシリアに指摘されるまでもなく、チフユはジャージ姿のままだった。飾り気どころか、色気すらない格好だった。それを指摘されると、さすがに恥ずかしくなってしまう。

「彼女は、荷造りの最中だったからね。
 それよりもセシリア、僕が碇シンジであることを証明してくれないかな?」
「私が居ることで、すでに証明は終わっているのではありませんか?」

 そうですよねと同意を求められたチフユは、信じられない物を見るようにシンジの顔を見た。

「あ、あなたが、本当にラウンズの碇シンジなのか……」
「そうだけど?
 ところで、これで僕の身分証明は終わったかな?
 だとしたら、話の続きをしたいのだけど構わないだろうか?」

 チフユに椅子を勧めたシンジは、セシリアにお茶を用意するようにお願いした。そして使いだてしたことの礼をフェリスに言って、彼女には部屋に帰って貰った。出かける前の餌が聞いているのか、テラに来てからのフェリスはとても従順だった。
 チフユの正面に座ったシンジは、「君たちの身柄を預からせて欲しい」と、最初の話を言い直した。

「君と弟のワカバ君を、アースガルズに連れて行こうと思っている。
 そこで君たち姉弟は、僕の配下のブレイブスとして訓練を行って貰う。
 チフユさんを買ったというのは冗談で、あれは支度金の一部だと思ってくれればいい」
「なぜ、私なのだ……私は、未だにレベル4にもなれないパイロットなのだぞ!
 私を連れて行っても、大して役に立てるはずがないだろう!
 セルンにとっても、首にしても困らないパイロットに過ぎないんだ」

 アースガルズに行くなら、能力を認められたもので無ければならない。その意味では、自分は不適格だとチフユは主張した。
 だがチフユの主張に、シンジはまじめな顔で「行きたくないのか?」と聞き返した。

「そ、それは、分からない……
 本来とても光栄なことなのだろうが、私に勤まる自信がないのだ」
「少なくとも、生身での身のこなしはフェリスが合格を出してくれたよ。
 あとは機動兵器の使い方なんだけど、それを僕が重点的に教えようと思っている。
 そこでうまく行けば、その結果をテラでの育成に役立てることができると思うんだ」
「そんな重要な役目なら、なおのこと私などでは……
 どうして、セシリアを連れて行くのではいけないのだ?」

 役目に怯んだチフユに、シンジは「セシリアには別の役目がある」と答えた。

「セシリアには、特区で指導する役目があるからね。
 彼女まで連れて行ったら、特区のパイロット強化ができなくなる。
 日本のアスカと、セルンのセシリアが、僕の考え方を一番理解していると思うんだよ。
 だから二人を、アースガルズに連れて行くわけにはいかないんだ」
「だから、組織からはじき出された私なら良いのだと……」
「首になってくれたお陰で、断らなくてはいけない相手もいなくなったからね」
「私は、とても良いお話しだと思いますわよ」

 セシリアは、そう言ってシンジの後押しをした。それでも、返ってきた答えは「分からない」と言うものだった。

「確かに、私にとってはとても有り難い話だと思う。
 だが弟まで巻き込んで良いのか、それが私には分からないのだ。
 普通の世界に生きている弟を、戦いの世界に巻き込んで良いものなのか……
 そして弟を、全く新しい世界に連れて行って良いものなのか……
 アースガルズに行くと言うことは、それまで作り上げてきたものを捨てていくと言う事になる」

 それだから分からないというのは、シンジにも理解できる理由だった。だからシンジは、チフユに一つの解決策を示すことにした。

「だったら、一度ワカバ君と話をしてみたらどうだろう。
 その上で、一緒に来るのかどうかを決めればいいと思うよ。
 チフユさんさえ良ければ、ワカバ君の生活の面倒は僕が見てあげることも考えるよ」
「碇様、それはチフユさんがアースガルズに行くことが前提ですわね。
 そうじゃないと、とても誤解を招きそうな申し出になりますわ」
「ん〜」

 すぐに理解できなかったシンジだが、少し考えてみたらセシリアの言う通りだと気がついた。だからもう一度じっくりと考えて、言葉を選んで言い直した。

「チフユさんが、アースガルズに来る来ない。
 そしてワカバ君が一緒に来る来ないの選択があると思う。
 もしもチフユさんだけ来ると言う事になるのなら、給料を支払うことを考える。
 残念ながら、アースガルズに給料の考えがないから、僕のポケットマネーが使われる。
 チフユさんがブレイブスで居る限り、給料を支払い続けると言うことでいいのかな?」

 それをチフユでなく、セシリアの顔を見てシンジは言った。それを見たチフユは、二人の立場との乖離を感じたのだった。どう見ても、常識をセシリアに頼っているように見えたのだ。
 シンジの言葉にセシリアが頷いたことで、その説明がこの場の正式見解と言う事になる。「そう言う事だから」と省略したシンジに、「一つ教えてくれ」とチフユは口にした。

「ブレイブスで居る限りと言う事だが、ブレイブスで居られなくなるのにはどう言うことが有るんだ?」
「ブレイブスで居られなくなる場合か……」

 いきなり聞かれても、全てが思い当たるわけではなかった。だからシンジは、過去女性ブレイブスがどのような退役の仕方があったのかをラピスラズリに聞いた。そして返ってきた答えを、そのままチフユに伝えた。

「能力的に不適と見なされた場合。
 トロルスとの戦いで戦死した場合。
 さもなければ、不慮の事故等で命を落とした場合。
 これが、引退ではなく退役する場合の理由になっているね。
 そして引退の場合だけど、おおよそが妊娠が理由になっているようだ。
 その場合、年齢的には20代後半が大半を占めているね」
「つまり、長くても10年程度しかブレイブスでは居られないと言うことか」

 そして弟の年齢を考えると、その頃は二十歳になっているはずだ。今の自分の年齢を超えているのだから、そこまで面倒を見るというのは思い上がった考えかも知れない。
 そう考えたチフユは、思いの外良い条件であることに気がついた。それにこのまま日本に帰っても、生活できるという当てはなかったのだ。それを考えたら、少なくとも自分については断る理由が見つからなかった。弟に会えないというのも、今でも大差ないと気がついたのだ。

「好意に甘えて、弟と話をしてみる。
 だがそれとは別に、私はこの話を受けることを決断した。
 どう考えてみても、今よりは悪くなるとは考えられないからな」
「そうなるように条件を付けたつもりなんだけどね。
 これからトロルスとの戦いがどうなるか分からないから、安全だと保証もできないし……
 まあ不適格で突き返すときには、日本で雇って貰えるように働きかけても良いか。
 とりあえず、アースガルズのことを知る人は貴重だと思うからね」

 これで話は決まったと喜ぶシンジに、「お金は良いのですか?」とセシリアが聞いてきた。一応支度金は渡っているようだが、それで十分なのかと言うのである。

「とりあえず、1万ユーロぐらいは渡してあるけど?」
「また、とても微妙な金額を渡されたのですね」

 少しお待ちをと言って、セシリアはベッドルームへと入っていった。そしてしばらくしてから、少し大きめのハンドバッグを手に戻って来た。バッグの横の部分には、チフユも知っている有名なロゴが付いていた。
 それをチフユに、セシリアは「餞別ですわ」と言って差し出した。

「私の、お気に入りの一つですのよ。
 それから、中には特区から巻き上げたお金が入っていますわ。
 それも、餞別として差し上げますわ」
「そ、そんな物を貰う筋ではないはずだ……」

 バッグの中に入っていた封筒に、チフユは目を剥いて驚いた。シンジに貰った札束でも多いと思ったのに、こちらはその遙か上をいっていた。

「碇様の接待用にと渡されましたけど、結局ほとんど使いませんでしたから。
 それに、足りないと言えばまだまだ用立ててくれるそうですから」
「なんで、そんなに気前が良いの?」

 贅沢をさせても、ありがたがるような性格をしていない。申し訳ないという気持ちはあっても、だから何かの便宜を図ることもないと思っていた。それぐらいの分析はされていると開き直ったシンジは、セシリアが受け取ったお金の意味が分からなかった。
 シンジに聞かれたセシリアだったが、あまり答えたい気持ちのお金ではなかった。だから「さあ」としらを切り、持って行っても良いのだとチフユに繰り返した。

「ところで、これでお話は終わったともってよろしいのですわよね?」
「僕はそのつもりだけど、霜月さんはそれで良いのかな?」
「あ、ああ、明日にはこちらを立って日本に帰るつもりだが……
 と、ところで、どうやって連絡をしたらいいのだろうか?」

 相談しに帰るのだから、相談結果を伝える必要がある。そしてそれ以前に、どうやってアースガルズに渡るのか、その話自体を聞かされていなかった。少なくとも連絡が付かなければ、何をやっても意味が無くなってしまう。

「チフユさん、携帯電話はお持ちですか?」
「持ってはいるが、どこに連絡をしたらいいのだ?
 話の中身から行くと、セシリアに連絡するのも良くないだろう」

 特区の携帯の場合、通話記録が残ることになっている。それを考えると、チフユの言う事は間違っていなかった。だからシンジは、一つの妥協案としてチフユの携帯番号を聞くことと、どこに帰るのかの住所を聞くことにした。

「霜月さんを連れて帰ることが前提だけどね。
 どうせ一度は行かなくちゃいけないんだから、住所と連絡先さえ分かれば十分だよ。
 こっちの仕事が終わったら、一度そちらに顔を出すことにするよ」

 だったらと、チフユはホテルのメモ帳に、弟の居る家の住所と電話番号を書き込んだ。それを確認したセシリアは、電子妖精に覚えさせて欲しいとシンジに頼んだ。

「それは構わないけど、と言うか、もう覚えさせたけど?」

 それが何かと訪ねたシンジに、証拠隠滅だとセシリアはメモ帳のページを纏めて破り取った。そして置かれていた灰皿の上で燃やし、その上燃えかすをトイレで流してくれた。

「そこまでしなくちゃいけないの?」
「用心に越したことはありませんわ。
 あの人達は、どんなことをしてでも碇様の首に鈴を付けたがっていますのよ」

 その鈴の一つが、自分という存在でもある。それを隠したセシリアは、細心の注意が必要なのだと繰り返したのだった。







続く

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