機動兵器のある風景
Scene -26







 「色欲魔神」と言う呼びかけに、シンジが最初に感じたのは「懐かしさ」だった。だがすぐにそれはおかしいと頭の中で否定して、言われ無き決めつけをした相手の姿を探すために振り返った。そしてすぐに自分の遙か後ろの方から、「ずんずん」と言う擬音が相応しい勢いで近づいてくるフェリス・フェリの姿を見つけることができた。
 それを認めたシンジは、フェリスが追いついてくるのをその場で待つことにした。フェリスが「色欲魔神」と自分を呼ぶ以上、周りに誰もいないと考えたのである。だとしたら、早く用事を済ませるべきだと判断したのだった。

 脇目もふらずシンジに近づいてきたフェリスは、いきなり詰め寄って昨日の行動を問題とした。

「ラピスラズリに聞いたぞ!
 昨日は、またテラでいたいけな少女をその毒牙に掛けたのだろう!」
「ラピスって……ああ、そう言えばそうだったね。
 どうだい、自分専用の電子妖精を持ってみて?」

 自分の補佐としてテラに連れて行くため、フェリスに電子妖精使用の許可を出したのである。そこで本人の希望をとったら、自分やエステルのクローンが良いと言う答えだった。
 それを利用して話をはぐらかしたのだが、残念ながら脇道にはそれてくれなかった。

「そんなことより、どういうことか説明しろ、この色欲魔神め!」

 フェリスの顔を見ると、それなりに怒っているようだ。その理由は分からないが、ご機嫌取りというか、はぐらかす方法ならいくらでも思いつくことが出来た。だからシンジは、有無を言わさず詰め寄るフェリスを抱き寄せた。この場合取り得る、一番手っ取り早い方法を選んだのである。

「な、なにを、ついに本性を現したな!」

 シンジとフェリスの力関係は、生身の時はフェリスに傾いている。だからこうして抱きしめたぐらいなら、フェリスの実力を持ってすれば、簡単に振り払うことができるはずだった。もちろんそれを、本人が望んでいたらなのだが。
 そして振り払うことを望まないフェリスは、いつものように言葉だけで拒絶の言葉を吐いた。そしてその両手を、当然のようにシンジの体に回してきた。

「フェリス、君にとってテラ行きが最後の試験になるんだ。
 そこで僕の満足する結果を出してくれたら、晴れて補佐に任命することが出来るんだよ」
「そ、そんな餌で、私を自由にしようというのか、この色欲魔神め!」
「それがイヤだというのなら、今からでもメイハに代わって貰うことにするんだけど?」

 どうかなと尋ねたシンジに、「監視が必要なのだ!」とフェリスは言い返した。

「色欲魔神を野に放てば、更に犠牲者が増えることになってしまう!
 だから、私が補佐となって目を光らせなければならないのだ!」

 つまり自分がついて行くと主張したわけである。だったら良いと笑ったシンジは、少し優しく、そして区切りを付けるために「フェリス・フェリ」と呼びかけた。

「これからマシロを伴い、テラを訪問することになる。
 テラでは自分の立場を弁え、僕の補佐として働くように!」
「立場を弁えろと言うのか……
 それは、色欲魔神の餌食になれと言っているのか!」
「たぶん、と言うか間違いなく、テラではセシリア・ブリジッドが相手をしてくれるよ。
 だから言っただろう、テラがフェリスに対する最終試験だって」

 このあたりは、メイハが聞いたら「鬼畜」と言ってくれるだろう。彼女からは、フェリスの気持ちを利用し、良いように利用していると責められていた。

「あと1週間我慢しろと言うことなのか?」
「僕が、1週間我慢するんだよ」

 シンジの殺し文句に、フェリスの心はいきなり快晴の空のように晴れ渡った。このあたりの言い回しは、完全にレグルスの薫陶が生きていた。言っていることは同じでも、この方が機嫌をとるには都合が良いのは確かだった。
 「分かった」とシンジから離れたフェリスは、シンジに対してすべての命令に従うと宣誓した。

「このフェリス・フェリ、シンジ様の片腕と認めてもらえるよう努力する」
「ありがとうフェリス、じゃあマシロと合流してテラに渡ろうか?」
「その前に教えてもらいたいのだが、どうしてチフユとか言う女を抱かなかったのだ?」

 色欲魔神とか毒牙に掛けるとか言ったが、シンジが手を出すこと自体不思議だと思っていなかった。だから部屋にまで行ったのに、キス程度で帰ってきたことを不思議に思ったのだ。

「そのあたりは、色々と思うところがあったんだよ。
 たぶん今回のテラ行きで、フェリスの疑問に答えが出るんじゃないのかな?」
「つまり、それを見極めろと言うのだな?」
「そこまでは言わないけどね……
 ラピス、僕とフェリスの移転座標を固定次第転送してくれ」

 シンジはラピスラズリに命令を出すと、フェリスの肩を強く抱き寄せた。そしてシンジが動いたのと同時に、ラピスラズリは二人をマシロの元へと移動させた。
 来ると分かっていたから、突然現れたぐらいではマシロも驚くことはなかったはずだ。だがシンジがフェリスの肩を抱いているとなると話は別である。何でという驚きに、マシロは大きく目を見開いた。そしてフェリスは、驚くマシロに軽い優越感を抱いたのだった。

「それではエステル様、テラへと出発いたします」
「私のカヴァリエーレとして、恥ずかしくない振る舞いをしてくださいね」

 深々と頭を下げたシンジに対し、エステルはあまりにも必要性に薄い忠告をした。当然返ってくる答えなど分かっていたから、それよりも先にシンジが望む答えを先に返した。

「シンジから上申のあったことですが、ドーレドーレ様の承認が降りています。
 その姉弟に限り、連れ帰ることを許可すると言うことです。
 他の3名については、シンジが一緒なら、私が会っても良いと言うお許しが出ました」
「意外と早い決定でしたね」
「そのあたりは、お泊まりしたのが効いているのではありませんか?
 お互いの信頼関係を深めれば、この程度のことなら簡単に許可されると思いますよ。
 まあシンジは、私と違って皆さんに信用されていますから……だからシンジがいれば……
 何か、自分で言っていて無性に腹が立ってきましたわ……ぷんぷん」

 本気で腹を立てはじめたエステルに、シンジは自分のいる空間がぐにゃりと音を立てて曲がった錯覚を覚えた。それは隣にいたマシロも同じなのか、少しうつむき、こめかみのあたりをせっせとマッサージしていた。フェリスまで目が泳いでいるところを見ると、エステルの頭の中はやはり特別仕立てと言うことだ。
 今更ながらそれを確認したシンジは、ご機嫌を収めるため、この場において最も効果的……かつ、フェリス達の目が厳しくなる方法をとることにした。なんのことはない、エステルの前に進み出たシンジは、「失礼」と断って彼女の唇を強引に奪ったのである。ヴァルキュリアの伴侶と言われるラウンズなのだから、本来問題とされる行為では無いはずだった。

「僕にとって、エステル様こそ最高の女性ですよ」
「あ、ありがとう……でもですよシンジ、あまりレグルス様の真似をするのは良くないと思いますよ。
 そうしないと、あなたは至る所で身動きできなくなるほど約束してきそうで……
 そう言うことは、私だけにしておいてくださいね」

 「至る所」とか「身動きできなくなる」とか、エステルの鋭い指摘になぜかラピスラズリも同調してきた。しかもそのとき霜月チフユを持ち出すから、さすがにシンジも言い訳が難しくなる。

「セシリアさんに、彼女のことをどう説明なさるんですか?」
「だ、だから、何もしなかったつもりなんだけど……」

 多少ディープになっても、キスだけなら挨拶の内に違いない。きっとそうだと、シンジは建前を押し通すことにしたのだった。



 気が乗らなくても、パイロット候補生の義務として、特区に顔出しをしないわけにはいかなかった。特にアースガルズからラウンズ一行が来るとなれば、誰一人として欠けるわけにはいかない事情があったのだ。特別訓練に選ばれなかったその他大勢であったとしても、形だけは整える必要があったのである。
 だが特区に出頭したところで、チフユはいきなり別室へと連行されることになった。そして普段顔も見たことがない事務官に、いきなり解雇を通告されたのである。

「アースガルズから重要な客が来る前日にサボタージュを行った。
 これは立派な解雇理由となるのだよ。
 チフユ・シモツキ、何か申し立てをすることはあるかね?」
「し、しかし、いきなり解雇というのは……それに退職手当がないというのは」
「懲戒解雇なのだから、退職に対する便宜がないのは当然だと思うが?
 いきなりというのは、確かに同情の余地はあるのかも知れないのだろう。
 だが君もパイロットとして、ラウンズ一行が来訪する意味、その重要性を知らないわけはないはずだ。
 そこでサボタージュをしたと言うことは、組織に対する反逆行為と見なされたのだよ。
 もしも地位保全をしたいのなら、自分で裁判を起こすことだね。
 ただし訴訟費用を、君が支払うことができると言うのならだが」

 事務官、トーマス・ヘッセの言い分は、組織としては間違ってはいないのだろう。罰則の厳しさに差別が影響していたとしても、チフユ自身は処罰理由自体に反論の余地がなかったのだ。無届けで休み、その上見知らぬ男と街をぶらついていたのだ。それをサボタージュと言われても、さすがに申し開きようがなかった。

「解雇に伴い、君の特別滞在許可も取り消されることになる。
 一週間以内に、EU圏から退去することを命じる」
「い、一週間以内だと!」
「君がここにいられたのは、パイロットという身分があったからに他ならない。
 それを失った以上、当然の措置でしかないはずだ」

 厳しく言い放ったトーマスに、チフユは自分の短気が招いた結末に知らされることになった。処罰の軽重はあったとしても、処罰されることをしてしまったのは間違いない。その上引っ張り込んだ男にも逃げられたのだから、泣きっ面に蜂とはこのことを言うのだろう。かなりのお金が置いてあったのも、チフユのプライドを打ち砕く意味しか持っていなかった。
 くそっと汚く吐きだしても、すべては自分の責任なのである。そしていくら悔やんでみても、すでに手遅れでしかなかった。立場を考えれば、大人しく従っていなければいけなかったのだ。小さな反抗をした結果、それ以上のしっぺ返しを受けることになったのである。徹底的に打ちのめされたチフユは、力なく特区を後にしたのだった。



 特区セルンとしては、今更使えないパイロットに時間を割いている余裕はなかった。チフユが厳しいと思った処分にしても、本来ならば更に厳しく行われるのが規定となっていた。ただラウンズ一行が来訪するごたごたが、正式な手続きを行う時間を制限したのである。ある意味チフユは、ラウンズが来ることに救われてもいたのだ。
 その頃特区セルンは、発足以来初めての、そしてもっとも重要な客を迎えていた。お忍びで来た日本とは違い、初のアースガルズからの正式訪問だったのだ。その重要さは、各国特使が勢揃いしたことで知れるだろう。

「両特区を代表して、ラウンズ殿のご光臨に歓迎の言葉を述べさせていただきます」

 恭しく頭を下げたライツィンガーに倣い、その場に出席した全員がシンジ達一行に頭を下げた。予想もしない対応に、フェリスとマシロは目を丸くして驚いた。このあたりは、レグルスも過去に通った道だった。

「こちらこそ、突然の申し出を承諾いただきありがとうございます」

 一方シンジは、軽く頭を下げただけだった。フェリス達は慌ててシンジに従ったのだが、頭を下げたままの人たちはそれに気づくことはなかった。

「申し訳ありませんが、頭を上げてくれませんか?」

 シンジの言葉を合図に、全員が揃って頭を上げた。そして全員が、一斉にシンジの顔を見つめたのである。体育館ほどもあるホールに、およそ1千人の人たちが集まっていた。それを考えると、一種異様な光景でもあっただろう。
 さすがにプレッシャーを感じたシンジだったが、それを顔に出さないように気を取り直した。

「ヴァルキュリア筆頭、ドーレドーレ様はテラへ十分な支援を行うべしと仰有っています。
 その方針に従い、私のテラ訪問が許されることになりました。
 私の今回の訪問は、二つのことを目的としています。
 まず第一に、セルンと日本のパイロットを訓練することがあります。
 前回日本で指導いたしましたが、まだまだ伝え切れていないと思っています。
 また公平のため、セルンのパイロットも指導すべきと考えています。
 その為の助手として、間もなくレベル10に認定される私の補佐を連れてきました。
 そこで模範試合、そして個別の指導が出来るものと思っています。
 そしてもう一つが、供与した技術の確認があります。
 その為に、エステル様配下から優秀な技術者マシロ・フーカを連れてきました。
 マシロには、私とは別行動をとり、あなた方の開発状況を確認して貰います。
 場合によっては、日本に移動して槍の出来映えを確認させて貰います。
 すでに手配はすんでいると考えてよろしいのですよね?」

 そのあたりは、すでに特区に対して通告が行われている。その重要性を考えれば、手配されていないと言うのはあり得ないことだった。そしてシンジが考えたとおり、ライツィンガーは「必要な準備は整っている」と答えた。

「ドーレドーレ様のご高配に深く感謝いたします。
 なお、今晩は歓迎の晩餐会を用意しています。
 簡単ではありますが、私たちの感謝の意をお伝えしたいと思っています」
「個人的に大げさなのは好みませんが、代表の立場を尊重することにいたします。
 だからと言うわけではありませんが、もう一つのお願いの方はどうなっていますか?」

 視察という名の観光を持ち出したシンジに、ライツィンガーはにやりと口元を歪めた。

「ここは世界的に有名な観光都市となっています。
 是非とも、碇様ご一行にその素晴らしさを堪能していただきたいと思っていますよ。
 その為に、必要なガイドも用意しております。
 セシリア・ブリジッド、前へ!」
「はいっ、セシリア・ブリジッドですっ!」

 普段にない緊張した面持ちで、セシリアはライツィンガーの前に進み出た。それに頷いたライツィンガーは、彼女を案内役に任命したとシンジに告げた。

「すでに、彼女のことはご存じかと思います」
「そうですね、代表のご配慮に感謝いたします。
 ただ我が儘ついでに、もう一つお願いしたいのですがよろしいでしょうか?」
「必要な手配があれば、何なりとお申し付けください!」

 何でも聞くと言うライツィンガーに、それは良かったとシンジは破顔した。

「勝手なことを言って申し訳ないのですが、僕の友人にも同行して貰って良いでしょうか?
 前回特区第三新東京市では、ゆっくりと話をする時間がとれなかったんですよ」
「二人には、私の権限が及ばないのですが……」

 ちらりと見られたカヲルは、一歩前に進み出て「光栄です」と承諾の意を伝えた。

「では、直ちに車の手配をいたしましょう」
「それですが、出来るだけ放置していただけないでしょうか?
 宿泊先と何時に晩餐の場所に行けばいいのかを教えてくだされば、こちらから顔を出すことにします」
「それがお望みと言うことであれば私たちはそれに従うまでです。
 必要な情報はすべてセシリアに伝えてあります」
「重ね重ね、ご配慮に感謝いたします」

 そう言って軽く頭を下げたシンジは、これからの予定をライツィンガーに尋ねた。

「もしもたいした事がないのなら、これから友人達と“視察”をしたいと思っています。
 必要な挨拶があるのなら、先にそれを済ませるのも吝かではないのですが……」
「各国特使は、今夜の晩餐に出席することになっております。
 従って、この場で紹介しなければいけない者はいないと言うことになります」
「つまり、最初の式典はこれで切り上げることができると言うことですね?」

 嬉しそうに言うシンジに、そう言うことになるとライツィンガーは答えた。

「最大限の配慮をすべしと、国連から指示を受けております」
「出来るだけ、迷惑をおかけしないように気をつけますよ」

 少し口元を歪めたシンジは、もう一度「感謝します」と言って右手を差し出した。それをしっかりと握ったライツィンガーは、「双方の繁栄のために」と答えた。

「代表のお言葉は、ドーレドーレ様にお伝えしておきます」

 それではと、シンジはカヲルとアスカに手招きをした。そしてセシリアを呼び寄せ、期待されているとおりに彼女の腰に手を当てた。ちょっとフェリスの空気が変わったが、この際敢えてそれを無視することにした。

「セシリア、最初はどこに移動すればいい?」
「そうですわね、コルナバン駅がよろしいかと思いますわ」
「ラピス、コルナバン駅の座標は確認できたか?」

 敢えて聞こえるように自分を呼び出したシンジに、ラピスラズリもわざとホログラム映像を出し、「準備は出来ています」と答えた。その際に使用した姿は、ニンフが好む妖精の姿を使用した。

「い、碇様、そ、それは?」

 驚くライツィンガーに、「電子妖精です」とシンジは笑った。

「アースガルズを統べる、ユーピテルというコンピューターシステムがあります。
 電子妖精というのは、その端末を役職者個人に割り当てたものです。
 誰の趣味か分かりませんが、どういう訳かいたずら好きで毒舌家なんですよ」
「それも、アースガルズの技術と言うことですか……」

 感心したライツィンガーに、「そう言うことです」とシンジは小さく頷いた。そして集まった特使達に、「夜まで失礼します」と断りその場から姿を消した。現れるときもそうだったのだが、突然の消失は居合わせた者達の度肝を抜くには十分な効果を示した。シンジ達が消えても、しばらくざわめきは収まることはなかった。

 コルナバン駅を指定したのだから、間違いなくその場に連れて行かれるのだとセシリアは思っていた。だが連れて行かれた先は、見たこともない白い部屋だった。広さで行けば、少し広めの会議室という所だろうか。真ん中にガラス製のセンターテーブルがあり、その周りには少し低めのソファーが並べられていた。それだけをとってみれば、どこかの応接室かと当たりを付けた。
 だがセシリアは、次に入ってきた女性に、それが自分の知る世界で無いことを知らされた。ノックもなく入ってきた女性は、年齢的には自分と同じくらいだろうか。長い黒髪を白いリボンでポニーテールにまとめ、黒地に白の縁取りのワンピースを着ていた。綺麗という意味ならとびきり綺麗なのだろうが、その女性は、あまりにも普通の格好をして現れてくれた。しかもその女性に対してシンジは直立の姿勢をし、うやうやしく頭を下げたのである。

「碇様、このお方はもしかして……」

 勘違いでなければ、相手はとんでも無い大物と言うことになる。そしてシンジは、セシリアの想像を肯定し、「エステル様ですよ」と紹介してくれた。
 驚くセシリアに、「あなたなのね」とエステルは遠慮無く近づいてきた。そしてセシリアの手を取り、「感謝しているんですよ」と身に覚えのない礼を言ってくれた。

「申し訳ありませんが、感謝していただく理由が理解できませんの」
「あなたがシンジを男にしてくださったおかげで、それはもう、私を含めて皆さんが喜んでいるんですよ」

 つまりどういうこと? ますますセシリアの頭が混乱したところで、「エステル様」とシンジが責めるような声を出した。

「でもですよシンジ、あのヴェルデもお礼が言いたいと言っていたほどなんです。
 セシリアさんがいなければ、素直でないお子様のヴェルデが思いを遂げることも出来なかったんです!」

 エステルの決めつけに、シンジの後ろでカヲルが小さく吹き出していた。シンジから相談を受けていたのが、こういうことなのかと納得させられたのである。

「べ、別に、それはお礼を言われるようなことではありませんわ。
 わ、私は、自分の気持ちのままだったと言えばいいのか……」

 あまり直接的な言葉を使うのは、さすがにはしたないとセシリアは考え直した。その結果、いささか曖昧な言い回しをすることになった。それでも一応通じたのか、「そんなことは関係有りません!」とエステルは言い返してくれた。

「いいですかセシリアさん、シンジと言うのはとっても奥手の朴念仁だったのですよ。
 それはもう、大勢の人たちが、その朴念仁さにやきもきしていたんです!」
「エステル様、そろそろ本題に移りませんか?」
「これが本題ですけど、何か問題でも?」

 しれっと言い切られたシンジは、本当にがっくりと肩を落としたのだった。そしてすぐに、期待した自分がバカだったと気を取り直した。わざわざ連れてこいと言われたのだから、いったい何事かと考えていたのだ。しかもヴァルキュリア筆頭のお許しまででたのだから、シンジは自分のいる組織を疑ってしまったほどだ。

「では、挨拶もすみましたからテラに戻ることにします。
 街で目立ちたくありませんから、みんな私服に着替えることにします!」
「私は、この格好で良いですよね?」

 さりげなく自分も行くと主張したエステルに、期待通りにシンジはだめと答えた。

「心配しなくても、エステル様はロックされていてテラには行けませから」
「ぶうぶう、どうして私だけだめなんですか!」

 唇を尖らせて文句を言うエステルに、「僕に言ってもだめです」とシンジは言い返した。

「テラに行きたかったら、ドーレドーレ様の許可を取ってくださいね。
 そうしないとユーピテルのロックは外れませんからね」
「ぶうぶう、シンジのくせに生意気だわ!」
「だから、そう言うことじゃないって言っているでしょう」

 はあっと相変わらずのエステルに呆れたとき、すかさず「後悔したでしょ」とラピスラズリが割り込んできた。今度はシンジにだけ見えるように、ニンフの真似をして目の前をぶんぶんと飛び回ってくれた。

「アヤセ様はおきれいで、とても常識的ですよぉ。
 今からでも遅くありませんから、さっさと引退させてしまいましょう!」

 エステルだけでも厄介なのに、ラピスラズリまでうるさくはやし立ててくれる。ほとほと困り果てたシンジは、その場から逃げ出すことを選択したのだった。挨拶だけが目的なら、長くとどまる必要はない。

「ラピス、予定の座標に送ってくれ!」

 真面目な命令には、さすがにすぐに従ってくれた。シンジが瞬きをしたのに合わせて、全員がばらばらの場所に飛ばされた。観光するのに、シンジの言うとおり制服ほど都合の悪いものはなかったのだ。



 辺りの景色を見たフェリスは、最初に旧式すぎる建物だと言ってくれた。そのフェリスの論評は、目の前の建物だけを考えればとても正しいものに違いない。伝統的建物として保存された駅舎なのだから、旧式という指摘はまさに目的を正しく反映したものとなっていたのだ。ただこの場合、過去の遺産を「旧式」だと指摘してくれたところに問題があった。それは各自平服に着替えた後、旧市街を歩いているときのことだった。

「フェリス様、ここは歴史的景観の保存地区になっているそうですよ。
 だから旧式というのは、そう作ってあるのだから当たり前と言うことになりますね」

 言葉を追えば丁寧なものなのだが、そこにバカにした空気を混ぜれば、立派にフェリスを挑発することになる。それを狙ったマシロの答えに、フェリスは予定通り食ってかかった。そのあたりは、出かける前の小さな出来事に対する、マシロからのちょっとした報復だった。フェリスが恥ずかしい真似をすれば、それだけシンジの顔に泥を塗ることになる。だからと言って、フェリスの責任問題にまでは発展しない。せいぜいシンジの見る目が変わるぐらいで、報復としては適度だとマシロは考えたのだった。
 ちなみにこの二人は、アースガルズの言語で喋っていた。従って、シンジ以外の人間には、二人が何を言い合っているのか全く分からなかった。ただ逆に分からないおかげで、見えてくるものもあった。

「なるほど、確かに男性ラウンズというのは、アースガルズの女性にとって特別な存在なんだね」
「別に、アースガルズと断る必要はないと思うわよ。
 セシリアにとっては特別すぎる存在だし、あたしにとっても特別な存在だからね。
 あまり余裕を見せていると、あたしも参戦してくるわよ」

 前を歩く4人を論評したカヲルに、アスカは口元を隠して「シンジ様ぁ」と小さな声を出した。もちろん、カヲルにだけ聞こえるように計算したのは言うまでもない。

「そう言うわざとらしい真似はやめてくれないか?
 僕たちは、“視察”などと言うお遊びの意味を考える必要があるんだよ。
 敢えて一緒に行動すると言うことは、同衾するセシリアだけではだめという事情があるはずなんだよ」

 アスカへの答えを、カヲル敢えて日本語で行った。そうすることで、話に付いてこられるのは3人だけとなる。名前が出たセシリアにしても、どうして自分の名前がとしか理解できなかった。そしてカヲルの想像通り、シンジが日本語で答えてきた。

「さすがはカヲル君という所だね。
 実は、色々と聞いておきたいことがあるんだよ」
「僕たちに分かることなら、何でも聞いてくれるかな?
 守秘義務なんてものは、シンジ君に対して有って無いようなものだからね。
 特区の秘密に関わることでも教えることが出来るよ」

 かなり危ないことを言うカヲルなのだが、アスカはそのことに何も口を挟まなかった。そのあたりは、すでに二人の間で合意が出来たことでもあったのだ。

「じゃあカヲル君達の好意に甘えるとして、特区同士の関係は良好なのかな?」
「表だっての対立はしていない、それではこの場における適切な答えではないのだろうね。
 日本側はあまりないのだけど、セルン側はかなり敵視しているのが実態じゃないかな?
 ライバル視ではなく、敵視という所に微妙なところがあると思ってくれ」
「パイロットは、どうやって選出されるんだい?
 セルンはヨーロッパにあるのだから、こちらの人が選ばれるのが普通だと思うんだけど?」

 シンジの質問は、霜月チフユを念頭に置いたものだった。家族が日本にいるにもかかわらず、特区第三新東京市ではなく特区セルンに所属している。その事情をカヲルに尋ねたのだった。

「発足時には、パイロット候補生を取り合いになったんだよ。
 それでも一応の地域分けはあったのだけど、優秀と見られた候補に関してはその限りじゃなかった。
 スカウトに際し、それなりにお金が積まれたという噂も聞いているよ」
「日本でも、それをやったのかな?」
「無いと言い切れるほど、僕も事情に詳しい訳じゃない。
 ただ日本には、4人のチルドレンがいたからね。
 その点で、セルンは最初から出遅れていたんだよ」

 その答えは、間接的に日本ではお金が動いていなかったと言っていた。ただシンジは、その真偽にはあまり拘りはないようだった。

「次に質問、敢えて名前を出さないけど、セルンに日本人のパイロットがいるね?
 彼女がこちらにいると言うことは、優秀だと認められていたと言うことかな?」

 名前を出さないというシンジの言葉に、カヲルはセシリアにも知られてはいけないことだと理解した。だから同じように名前をぼかし、「そう言われている」と答えた。

「セルンでは、二番手だと言う噂だったね。
 だから今回選抜されていないことに、僕たちも驚いているんだよ。
 流派は知らないけど、剣に関してかなりの使い手だという話だよ」
「その彼女だけどね、本日付でパイロットを解雇されているよ。
 どうやらサボタージュが、その理由になっているようだね」

 情報収集能力という意味では、人類はアースガルズの足元にも及んでいなかった。だがカヲルは、彼我の力の差ではなく、シンジがそのパイロットの動向を持ち出したことに興味を持った。

「ずいぶんと回りくどい聞き方をしてくれたけど、その日本人女性パイロットがどうかしたのかな?
 僕の推測が間違っていなければ、シンジ君はその女性を個人的に知っているようだけど?」
「個人的……確かに、個人的に知っているよ。
 正直に言うけど、僕だけ1日早くジュネーブに来ていたんだ。
 そこで偶然サボっていた彼女と知り合って、人身売買の契約が成立したんだ」
「人身売買の契約って……それは、女性が体を売るという意味で言っているのかな?」

 人身売買というのは、いくら何でも大げさな言い方である。日本的な言い方をするなら、「売春」が一番適当なはずだ。そしてカヲルも、そのつもりで言葉を言い直した。

「ああ、本人もそのつもりで「私を買って欲しい」って言ったんだろうね。
 だから買うことに同意を示し、手付け金を置いてきたんだよ」
「もの凄く曲がった伝わり方をしていないかな?
 シンジ君は、性的な目的で女性を買う必要など無いだろう?」
「それは相手によると答えておくよ。
 事実、その彼女はかなり魅力的に見えたのは確かだね。
 でも、売買という意味では、カヲル君の推測が正解だよ。
 ただ、ここからはセシリアにも仲間に加わって貰おう」

 そこで会話を英語に切り替えたシンジは、セシリアに対して「霜月チフユ」を知っているかと問いかけた。

「チフユさんならよく知っていますわ。
 ですが、どうして碇様からチフユさんの名前が出るのでしょう?」

 驚いた顔をしたセシリアに、色々とあったのだとシンジは言い訳をした。

「実は、事前調査のために昨日ジュネーブに来ていたんだ。
 セシリアさんに連絡を入れるとばれるから、一人で有名スポットを回ろうとしたんだ。
 ただいきなり両替で躓いて、そのとき霜月さんに助けて貰ったんだよ」
「それは、昨日の何時頃のお話ですか?」

 いつの間にと驚きはしたし、どうして声を掛けてくれないのだとも思っていた。だがその気持ちを抑え、セシリアは客観的事実を確かめることにした。

「正確には覚えていないけど、たぶん10時ぐらいだと思うよ」
「ですが、その時間ならチフユさんは特区にいなければおかしいはずですわ。
 パイロットとして、訓練を行う時間になっていますのよ」

 おかしいですわねと考えたセシリアに、サボタージュをしたようだとシンジは伝えた。

「ですが、チフユさんは真面目に訓練に取り組んでいましたわ。
 それが急にサボるだなんて、私にはちょっと想像が……」

 できないと言いかけたが、本当にそうかとセシリアは数日前の態度を思い出した。そしてそこで教えられた話に、可能性としてはあると考え直した。

「なにかやけを起こすような事件はなかったかい?」
「碇様に訓練をしていただくパイロットの選抜から外されましたわ。
 実力的には十分ですから、その背景に差別があったのは間違い有りませんわ」
「それを、本人も感じていたと言うことだね?」

 それを認めはしたが、それでも信じられないとセシリアは答えた。

「ですが、たとえそうでもサボるとは思えませんわ。
 チフユさんは、石にかじりついてもセルンにいなければいけない理由がありましたから」
「その理由というのは、ワカバ君と言う弟さんのことかな?」
「養うために、お金がいるという話を聞いていました。
 だから、契約金の良いセルンに来たと言われたことがありますわ」

 それを考えれば、サボるというのは考えられない。もう一度繰り返したセシリアに、事実だから仕方がないとシンジは答えた。そしてセシリアにも、彼女が首になったことを伝えたのだった。

「どこでそれをお聞きなったのかは分かりませんが、チフユさんがサボったのは事実と言うことですね。
 それで、チフユさんのお話をされたことに、何か意味があるのでしょうか?
 差別的な待遇に問題があるのなら、私からライツィンガー代表に伝えておきますわ。
 ただ明確な証拠がありませんから、否定されたらそれ以上追求できませんけど」
「別に、代表に抗議をする必要はないよ。
 そして、そんなことをしても、僕にはなんのメリットもないんじゃないのかな?」
「でしたら、どうしてチフユさんのことを?」

 ますます分からないと首を傾げたセシリアに、シンジは小さな爆弾を落とした。それはセシリアだけでなく、黙って聞いていたカヲル達も驚かせるものだった。

「前提から言えば、アースガルズはテラの戦力強化方法を色々と考えている。
 その一つが、今回僕がマシロを連れて訪問したことだと思って欲しい。
 槍の技術を供与したのも、その方針の延長にあるのは間違いないよ。
 そしてそれとは別に、いかにパイロットを育成するかと言うことも考えている。
 たぶん僕の成功がきっかけだと思うんだけど、アースガルズで訓練することを考えているんだ。
 これは次のトロルス……使徒襲撃を撃退したら正式な議題として円卓会議に諮られる」
「僕たちを、アースガルズで訓練してくれるというのかい?」

 驚いたカヲルに、その方法は未定だとシンジは答えた。

「今の僕には、あり得ないことではないとしか言えないね。
 そこで話を戻すけど、カヲル君達には教えたけど、僕と彼女の間で人身売買の契約が成立している。
 お金を目的とした売春のつもりなんだろうけど、敢えて僕は彼女を買うと伝えたんだ。
 お金の授受をしたから、一応契約は成立したことになるんじゃないかな?
 だから僕は、所有者として彼女をアースガルズに連れて行くことにした。
 彼女の同意が得られれば、彼女の弟も僕が身柄を預からせて貰うことにするつもりだ。
 だから首になったと言うのは、むしろ都合が良いと言えるのだろうね」

 投げかけられたのは、とても大きな爆弾だった。だがその大きさの割に、カヲルだけではなく、セシリアも大して驚いたそぶりを見せなかった。そして驚く代わりに、セシリアは「どうしてチフユさんなのですか」と聞いてきた。

「一番適当な答えは、偶然と言うことになるね。
 ただ一つだけ断っておくけど、本命は霜月さん……チフユさんじゃないんだ」
「チフユさんではない?」
「ああ、彼女の弟、ワカバ君を仕込んでみようと思っているんだよ。
 ただ、初めは僕のところで訓練するけど、目処が付いたところで別のラウンズに預けるつもりだ」
「つまり、そう言うことなんですね」

 ほうっとため息を吐いたセシリアは、「何を望むのか」とシンジに問いかけた。今の話を自分達に聞かせ、いったいどうしようとしているのかと。

「そのあたり、色々と協力して貰いたいと思っているんだ」

 そう答えたシンジは、ラピスラズリに命じてこれからの会話を翻訳させることにした。ここから先の話には、フェリスやマシロの協力が必要になる。それを理解したカヲルは、この視察の理由を理解したのだった。







続く

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