機動兵器のある風景
Scene -23







「生身で強くなくて、どうして機動兵器同士の殴り合いに勝てると思う!」

 シエル・シエルは並んだ生徒達に向かって熱っぽく力説した。ちなみにその相手は、シンジを含めたエステル配下の100名である。ラウンズトップの指導は貴重と言う事で、シンジが聴講させることを頼み込んだ結果だった。その中には、ブレイブス見習いも多く含まれていた。
 訓練と言う事もあり、シエルはオレンジっぽい髪はトレードマークのポニーテールに纏め、上下ともジャージのようなえんじ色をしたトレーニングウエアを身に纏っていた。色気も何もない格好なのだが、だからこそシエルらしいと全員が感じるものだった。

 その動きやすい格好をしたシエルは、シンジを前に立たせて熱弁を振るった。もちろん主題は、「生身」での鍛錬である。

「例えば、このように相手の懐に潜り込む。
 そして息も吐かせぬ拳の嵐を浴びせかける!
 その一つ一つが、日々の鍛錬から作り出される芸術なのだ!」

 手本を見せると言ったシエルは、シンジを相手に懐に飛び込み、言った通りのパンチの雨を降らせた。さすがに芸術と言うだけのことはあり、全く無駄な動きのない見事な攻撃の流れだった。寸止めしてくれなければ、シンジはなすすべももなく血だるまにされていただろう。

「そして機動兵器は、生身の動きを更に加速してくれる。
 だが加速にだけ頼ると、体が付いてこないのは皆も承知していると思う。
 そして体を無視して加速を続けると、先日シンジが陥った失敗をすることになる。
 まああれについては、興味深い方法として研究を行うことになったのだが……」

 意味が無いと言い切れないため、シエルの言葉も尻すぼみになってしまった。それを恥じたのか、「とにかく」と大声を張り上げ、「不確かなものに頼ってはいけない!」と主張した。

「トロルスとの戦いは、奴らを滅ぼすまで続けなければならない。
 長時間に及ぶ戦いで頼りになるのは、己の身につけた技量のみと知ることだ。
 小さなミスの一つ一つが、己や仲間の死に繋がるのが戦いなのだ。
 だから戦いには、より高い確実性が求められることになる。
 そしてそれをなしえるのは、日々繰り返される鍛錬のみと知ることだ!」

 「良いか!」と問われれば、「はい」としか答えようがない。しかも声が小さければ、何を言われるのか分かった物ではない。あらかじめシンジに言い含められたブレイブス達は、大声を上げて「はい」と答えた。

「よぉし良い答えだ!
 ではまず、私が見本を見せてやることにしよう!
 初日から地味だとつまらないだろうから、模範試合を見せてやろう!
 し……フェリス、私の相手をしてくれるか!」

 シンジを指名しかけたシエルだったが、すぐに重要な事実に気がついた。そう、シンジの場合、機動兵器に乗らなければ、そこいらのブレイブスにも負ける実力しかなかったのだ。達人同士の格好良さを見せるには、シンジ相手では不足しすぎていたのだ。従って、生身ではピカイチの実力を持つフェリスに、相手を切り替えたのだった。
 そしてフェリスにしても、稽古を付けて貰うのは願ってもないことだった。このあたり、真面目になったと言うより、目標が間近になったと言う理由の方が強かった。

「望むところです!
 ところで、剣を使ってもよろしいのでしょうか!」

 ちなみに、剣を使わない状態では、フェリスの戦闘力は2ランクぐらい低下する。それでもシンジよりは十分強いのだが、見本とするには不十分に違いない。だが剣を使っての立会は、さすがに危険度が高くなってしまう。しかも素手とでは、圧倒的に剣を使った方が有利になってしまうだろう。
 それを心配したフェリスに、「案ずるな」と言ってシエルも剣を取り出した。

「フェリスは初見か、我が愛刀カリヴァーンだ。
 祭りでは使わないが、トロルスとの戦いでは剣を使用しているのだぞ」

 シエルの取り出した剣は、ロングソードに分類されるものだった。刀身はおよそ1m、まっすぐ伸びた刀身の両側に刃が付いていた。そしてシエルの性格を表すように、柄からは一切の装飾が排除されていた。もともとはなめした皮の色をしていたのだろうが、今は手垢ですっかりと黒くなっていた。
 一方フェリスが取り出したレーヴァンティン(小)は、シエルのカリヴァーンよりも二回り以上大きなロングソードだった。特に大柄とは言えないフェリスには、いささか不釣り合いな長さの剣でもある。シエルの剣と同じく、まっすぐに伸びた刀身はおよそ1.5mはあるだろうか。そして金色に飾られた柄には、邪魔にならないように赤い石の飾りも入っていた。

「では、怪我をせぬようにお前達は離れていろ。
 それからフェリス、あくまで訓練であることを忘れるなよ。
 ちゃんと防具を着けて、身を守ることも考えるのだぞ」
「それぐらい心得ています」

 さすがのフェリスも、シエル相手に刃向かうわけにはいかない。言われた通り、大人しく防具を装着した。そして最後に長い髪を後ろで縛り、フェリスの準備も調った。一方シエルは、すでに防具を着け終わっていた。
 シエルの戦闘スタイルは分からなくても、フェリスの戦闘スタイルなら全員が嫌と言うほど知っていた。それもあって、シンジを含む全員が離れていろと言うシエルの言葉にとても忠実に従った。

「いやお前達、離れろとは言ったがそこまで離れなくても良いのだぞ」

 かなり遠巻きにされたことに戸惑うシエルに、「必要な措置です」とシンジは聞こえるように大きな声で答えた。

「そうか、つまりフェリスの戦闘スタイルに従ったと言うことだな」

 承知したと、シエルはフェリスに向かってカリヴァーンを構えた。一方のフェリスは、レーヴァンティン(小)の剣先を自分の右側の地面に付いた状態でシエルに向かい合った。そして「いざ」と言う掛け声と共に、体を回してレーヴァンティン(小)を振り回した。

「噂通りに、早いのだな」

 その剣筋を見切ったシエルは、僅かに体を後ろに動かしてフェリスの攻撃を避けた。そして攻撃の直後にできた隙を利用し、フェリスに上段から斬りかかった。並の剣士ならば、防御は間に合わない踏み込みである。だが鋭いシエルの切り込みに、隙を作ったはずのフェリスはしっかりと対応していた。振り回したレーヴァンティン(小)を引き戻し、打ち込んできたシエルのカリヴァーンを力任せに跳ね上げた。
 強い力で跳ね上げられたのだが、シエルはそれをがっちりと受け止めた。金属と金属がぶつかり合う鋭い音が、練習場となった広場に響き渡った。

「なるほど、早いし重いのだな」

 シエルが感想を口にした瞬間、フェリスは体の軸をずらし、支えていた腕から力を抜いた。支えを失ったことで、シエルの剣が少し滑った。
 だがバランスを崩したのはそこまでで、すぐさまシエルは体制を整えた。そして横から飛んできた蹴りを避け、逆にレーヴァンティン(小)を持つフェリスの腕に蹴りを返した。それを剣から手を放して避けたフェリスは、避けながらもシエルの方へ踏み込み、反対の腕でレーヴァンティンの柄を掴んだ。そしてもう一度体を回して速度を付け、レーヴァンティンを胴薙ぎになぎ払った。

 その重量感たっぷりの攻撃を、あろう事かシエルはカリヴァーンで打ち落とした。再び鋭い音が広場に響き、そして木霊が帰ってきたときには二人は距離をとって向かい合っていた。

「確かに、剣技ならばラウンズに並ぶ実力を持っているな」
「ですが、機動兵器に乗ればシンジ様には敵いません!」
「なるほど、お前の場合はもう一段階上が必要と言う事か」

 フェリスのレベルに納得したシエルは、「続けるか?」と聞いた。とりあえず剣を合わせたことで実力は分かったが、これではまだ不足だろうというのだ。
 そして続けるかと水を向けられたフェリスは、「喜んで」と剣を構えた。ここのところめっきりまじめになったとの評判は、いわゆる評判倒れではないと言うことだろう。一説によると、ぶら下げられたにんじんが効いているとの話もあったのだが。理由の如何に関わらず、シンジにとって好ましいことだった。もっとも、全てがそうかと言うと、必ずしもそうではないところに問題があった。

「あーあ、シエル様と波長が合っちゃった。
 フェリス様もタフそうだから、ああなると長いですよ」

 それを見守っていたシンジの耳に、なぜか電子妖精ニンフが囁いてきた。それに驚いたシンジに、「しっかりしてくださいよぉ」と切実な声でニンフは頼んできた。

「せっかく昨夜は、シエル様に自分が女だと言う事を思い知らせたんですよぉ。
 悶々とストレスを溜めさせたのに、こんな形で晴らさせてどうするんですか。
 熱血モードに入っちゃったら、元の木阿弥になるんですよ……はあぁぁぁぁっつ!」

 ニンフの態度を見る限り、砕けすぎているのはシンジのところだけではないようだ。背中に羽の生えた妖精の姿を投影したニンフは、なっていないとシンジを糾弾したのだ。ここで発散させては、ここまでの仕込みが水の泡になってしまうと言うのだ。

「そうは言うけど、僕にあれを止められると思うかい?」
「そりゃあ、ああなったシエル様は誰にも止められませんけど……
 どうして、フェリス様なんておいしそうな餌を与えますか」

 訓練自体を否定するニンフに、「おいおい」とシンジは突っ込みの言葉を入れた。そもそも配下のブレイブス全員を呼んだのはシンジだし、自分では不足なフェリスの訓練に丁度良いと喜んでいたのだ。それを別の、そして不純な理由で否定されると、さすがに違うだろうと言いたくなるのだ。
 だがシンジの側に事情があるように、ニンフの側というか、ドーレドーレの側にも事情という奴があったのだ。もともと堅物で有名なシエルなのだが、その熱血指導に対して配下が根を上げていたのだ。しかも融通の利かない性格に磨きが掛かったため、ドーレドーレの意見も聞かなくなったという。「何か間違ったことを言っていますか?」と言い返されると、ドーレドーレでも反論が難しくなる。何とか性格を丸くしたい、それがドーレドーレたっての願いだった。
 そしてその為の方法が、「男を作る」である。どうせ相手は決まっているのだから、早いか遅いかの違いしかないと考えていたのだ。だったら早めに……すでに早いとは言えないが……男を教えて丸くしようと言うのである。ちなみに「決まっている相手」と言うのは、シンジのことを指していたのである。

「いいですか。
 シエル様とレグルス様は、異母姉弟の関係になるのですよ。
 ヴァルキュリアやラウンズの血の濃さが、色々と問題になってきているんです。
 ですから、シエル様はシンジ様に抱いていただくのが誰もが納得する形なんです。
 本人もまんざらでもないのですから、さっさと雰囲気を作ってやってしまえば良いんですよ。
 別にシエル様に勝つ必要なんて有りません。
 あれで年の割にお子様なんですから、優しい言葉を掛ければころりといってしまいます!
 ドーレドーレ様配下のブレイブス達、全員がシンジ様にすがっているのをお忘れ無く!」

 なんでそんなことで頼られなくてはいけないのか。くどくどと耳元で囁くニンフに、半ばシンジは困り果てていた。だがラピスラズリに入れ替えようにも、優先権を手放さないのか、何をやっても入れ替わってくれない。それどころか、「聞いていますか!」と逃げられないのを知っているくせに、くどくどと話を続けてくれた。

「いいですか、このことはエステル様もご承諾されているのですよ。
 あのエステル様に、乙女チックなことは卒業しろとまで言われているのですよ。
 主の言葉を実行するのがカヴァリエーレの務めなら、エステル様の言葉を実行してくださいよ。
 筆頭に居るくせに余裕がないんだから、もう少し周りを見る余裕を作ってあげてください。
 ドーレドーレ様以下、結構切実な願いになっているんですよ」
「抱かれたからと言って、そんなにがらりと変わるものじゃないよ」
「そんなもの、やってみなければ分かりません!
 いいですかシンジ様、潔癖症というのは、この際誰のためにもならないんです。
 早くおかしな拘りを卒業させて、新しい目標を作ってあげるべきなんです。
 その為には男性のラウンズに頑張って貰わないといけないのに、
 マニゴルド様もレグルス様も、軟弱というか、力不足というか……
 もう頼れるのはシンジ様だけなんですから、ここはシエル様を助けると思って口説いてあげてください」

 いくらうるさいと思っても、耳を塞ぐわけにはいかない。と言うか、直接聴覚に干渉しているせいで、耳を塞いでもなんの役にも立たないのだ。ほとほと困り果てたシンジは、最終手段である「聞き流す」作戦に出ることにした。相手が疲れることは期待できないが、言うだけ無駄と知ればそのうち大人しくなってくれるだろう。

「……雑音だと思おう」

 今は色事よりも、訓練に集中するときだ。チャンバラごっこに熱中する二人の動きを、良いサンプルだとシンジはじっくりと観察することにした。ニンフの愚痴をBGMに、シンジは頭の中で分析することにした。

 シンジが半熱血モードに移行しているのは、別にシエルのそれがうつったわけではない。シンジはシンジなりに、トロルスへの対策を考えなければいけない立場にあったのだ。その一番大きな理由は、テラへの支援がほぼ単独支援になると言うことだった。自分を含めて全21名、その中でレベル10を超えるのは2名にレベル9が1名という状況である。残りの18名が7と8では、心強い戦力とは言えなかったのだ。しかもシンジ自身、機動兵器でトロルスと戦った実績を持っていなかった。

「ところで、ご自身の強化は良いのですか?」

 真剣に目で二人の動きを追っていたら、隣からメイハが小声で囁いてきた。シエルが機嫌良く剣を振り回しているのは、本来の目的から外れているとメイハは言いたかった。

「一応、この後予定されているよ。
 ただその前に、シエル様のガス抜きをしておかないと身が持たないと思ってね」
「仰有りたいことは分かりますが……まだシンジ様も甘いですね。
 シエル様が、フェリスの相手程度でばてるとは思えません」
「それでも、ガス抜きが必要なこともあるんだよ」

 相変わらず、聴覚にはニンフの文句が聞こえている。シンジの言うガス抜きは、主にその方面を指していた。もっともそのあたりの理由は、メイハの与り知るところではない。だから「やはり甘いですね」と、シンジの思いとは違う指摘をしてきた。

「そのあたりは、僕にも色々と思惑があるんだよ」
「シンジ様がそう仰有るのなら、仕方が無いのでしょうね……」

 はあっとため息を吐いたメイハは、「ところで」と言ってフェリスのことを話題にした。

「シンジ様、フェリスに何を言ったのですか?
 あの子がこんなにまじめに訓練に取り込むなんて信じられないのですが?」

 普通ならば、自覚が進んだと考えるところなのだろう。だがフェリス相手に、それは無いとメイハは決めつけていた。そうなると、何かおいしそうなにんじんをぶら下げられたに違いない。そう考えたシンジは、唯一それができるシンジに聞いたのである。
 その質問に、シンジは「大したことはしていない」と答えた。

「本当に大したことを約束はしていないんだよ。
 フェリスがレベル10になったら、僕の補佐に付けるつもりだと言っただけだよ」
「レベル10って……もうフェリスは……」

 メイハの言葉を、シンジは人差し指をメイハの唇に当てて遮った。ぱっと頬に朱を走らせたメイハに、「それは内緒」とシンジは囁いた。

「僕の権限で認定を止めてあるんだよ。
 テラから帰ってきたら、そこでレベル10の認証を行うつもりだ。
 それに補佐にしちゃうと、僕の留守を預かる義務が生じるだろう?
 そうなると、テラ行きの思惑が少し狂ってしまうんだよ」
「そうやって、フェリスの女心を弄んでいるんですね?」

 熱心に訓練に取り組んでいるところを見ると、真剣にレベルを上げたがっているように見えるのだ。それをわざと遅らせているのだから、見方によっては意地が悪いとも言えるだろう。しかもメイハにとっても、フェリスが補佐になれば肩の荷を下ろすことができるのだ。それを先延ばしにしているのだから、こちらも意地が悪いと言いたくなることだった。

「遅らせるって言っても、たった2週間のことじゃないか。
 フェリスだってテラに行きたいと思うから、必ずしも悪いことじゃないと思うんだけどな」
「では、私にとってはどうですか?
 早くお役ご免になりたいと思っているんですけど?」
「補佐の任は解かれても、まだブレイブスを引退できる訳じゃ無いだろう?」

 しかも引退理由は、シンジが鍵を握っている。マニゴルドにドタキャンを食らったメイハは、恨めしそうにシンジの顔を見た。ちなみにドタキャン理由は、「自分のところで解決しろ」と言うものだった。

「それで、シンジ様はいつ私を引退させてくださるんですか?」
「本当なら、しばらくフェリスの様子を見てと言いたいところなんだけどね……
 たぶん、それはメイハさんへの甘えになるのは承知しているんだよ。
 それに付け加えると、僕自身の覚悟が必要なのもあるしね」
「フェリスを補佐にすることにですか?」

 常識的な意味で質問したメイハに、「そっちじゃない」とシンジは苦笑を返した。

「そこまで言うのは、さすがにフェリスに申し訳ないよ。
 僕の言っている覚悟というのは、子供を作ることへの覚悟を言っているんだ。
 アースガルズのと言うより、ヴァルキュリアシステムのことは勉強しているよ。
 男性ラウンズの負う義務というのも、一応頭では理解しているつもりなんだけどね」
「そのあたりは、テラとはかなり考え方が違うのでしょうね」

 意外に理解を示したメイハに頷き、シンジは実感を伴わないのだと付け加えた。

「アースガルズだって、ヴァルキュリアシステムから離れた人達とは全く違うだろう?
 それはさておき、僕の子供ができるということに実感が伴わないんだ。
 そして、そんなことをして良いのかという疑問もあるんだよ。
 そう言う意味では、まだまだ心構えができていないことになるんだろうけどね……」

 少し離れたところでは、二人の剣士が嬉々として剣を振るっている。その動きを目で追いながら、シンジはメイハに「申し訳ない」と謝った。

「僕が未熟なせいで、メイハさんに迷惑を掛けていると思っているんだ」
「そのあたりの割り切りは、なかなか難しいことなのでしょうね……
 でも、シンジ様のお話を伺って、一つだけ私にも分かったことがあります。
 と言うより、結構新鮮な気持ちになれたという方が正しいのかも知れませんね。
 子供を作ると言うのは、とっても大きな意味を持つのだなぁって。
 ただ漫然と、時期が来たら誰かの子供を作って引退するのだと思っていました。
 それが、ずっと私たちの常識になっていましたからね」

 「分かりました」と言って、メイハは相変わらず決着の付かない戦いへと視線を向けた。

「それが、特殊なシステムを維持するために必要なことだったのだろうね」
「必ずしもそうとは限らないと思います。
 システムを維持することは重要ですけど、それと個人の感情は別のところにあると思います。
 実のところ、私はマニゴルド様に断られたときには不満を感じていました。
 でも今になってみると、断られてむしろよかったのだと思っています……
 ところで、無駄話はここまでにして、そろそろ止めた方がよろしくありませんか?」

 話を無理矢理変えたのは、さすがにメイハも恥ずかしかったのだろう。その証拠に、白い肌が全身ほんのりと赤くなっていた。

「そうだね、すでに手本の域を超えているんだろうけど……
 でも、どうやって止めたら良いんだろう」

 双方全く疲れた様子を見せていないのは、きっと凄いと感心するところなのだろう。だがこのままでは、いつまでたっても決着は付かないし、チャンバラごっこも終わりそうもない。そして周りを見てみれば、見学している配下の面々もだれ始めていた。

「僕まで離れると拗ねられるから、後はメイハに任せて良いかな?」
「あまり気ばかり遣っていると老け込みますよ」
「一応相手は筆頭だからねぇ。
 だから、お座なりな扱いをするわけにはいかないんだよ」

 苦笑を浮かべたシンジに、すかさずニンフが「言った通りでしょう!」と割り込んできた。今まで無視していて気付かなかったのだが、途中で文句を言うのをやめていたらしい。

「シエル様は、確かにまじめで立派なお方に違いありません!
 ですが、往々にして周りが見えなくなってしまうんです。
 そのあたり余裕がないというか自覚がないというのか……
 是非ともシンジ様のお力で、シエル様を変えていただきたいのです!」
「じゃあ、メイハ全員を集めて別メニューで進めてくれないか」
「はい、確かに承りました」

 そのあたりは、すでにルーチンとして回るようになっていたこともあり、二人の間で細かなやりとりは不要となっていた。何事もなかったようにシンジから離れたメイハは、全員に対してこの場を離れる指示を出した。それに従って、およそ100名がぞろぞろと動き出したのだが、当然チャンバラに熱中している二人は気付いていなかった。
 さてと二人の視線を戻したら、すかさずニンフが文句を言ってきた。ぱたぱたと羽を動かしシンジの左側に浮かんだニンフは、「そうやって無視をしますか」と言ってきた。

「ぐれちゃってもいいんですか?」
「ぐれちゃうと言われても……ニンフは僕の電子妖精じゃないだろう?」

 たとえぐれられても、実質的には何も困ることはない。そう答えたシンジに、「確かにそうですけど」とニンフのイメージは唇を尖らせた。そしてぱたぱたと羽を動かし、シンジの左側から右側へと位置を変えた。

「でしたら、たまにフェリス様を貸していただけますか?
 見ていて分かったんですけど、シエル様の餌にちょうど良いんです」
「フェリスのためにも、あればっかりというのは良くないと思うんだけどね。
 彼女の場合、生身よりも機動兵器の扱い方を覚える必要があるんだよ」
「うちの悩みも、結構切実なんですけど……」

 両手両足をだらりと垂れ、ニンフはいかにも落胆したようにシンジの前で浮いていた。その人間くささ……人間には羽がないが……に呆れながら、シンジは時期が悪いと言い返した。

「僕自身、色々なことに目途が付いていないんだよ。
 だからシエル様のことは、次のトロルス撃退が終わるまで待ってくれないかな?」
「確かに、今はそれどころじゃないのは理解できますけど……」

 はああっと大きなため息を吐いたニンフは、仕方がありませんと答えて目の前から消えた。そしてその代わりに、シンジの目の前を元気いっぱいにラピスラズリのイメージが飛び回った。

「ニンフの真似をしてみたんですけど、これって結構良いですね」
「話をするには良いと思うんだけど……でも、普段は結構鬱陶しいよ」
「シンジ様は、私のことが鬱陶しいんですねっ!」

 ガーンと言う擬音が聞こえそうな反応をしたラピスラズリは、いきなり肩を落としてゆらゆらとシンジの前を浮遊した。なんて人間くさい……繰り返すが、アースガルズの人間にも羽はない……とシンジを呆れさせた。しかもどう言うつもりなのか、ニンフと二人(?)で目の前にゆらゆらと浮いてくれた。

「それって、嫌がらせかい?」
「まあ、そんなところだと思ってください」

 声を合わせて言い返す二人に、どんなシステムなのだと、シンジは、それを作った者のセンスを疑ったのだった。



***



 シンジの訪問予定は、どう言う方法か分からないが、特区セルンの情報サーバーへと届けられた。普通にメールアドレスが付いているところを見ると、ネット経由だとも考えられる。だがそこに書かれたドメインは、どう調べてみても未知のものだったのだ。これでどうして届いたのかと、担当者一同首を傾げるメールだった。
 もっとも配達方法は、この際大きな問題でないのは確かだった。すでに特区第三新東京市から予告されていたこともあり、そのメールは直ちに責任者、トマス・ライツィンガーへと届けられた。

「来週の月曜に、ラウンズ一行が来るというのだな?」

 四角い顔をしたライツィンガーは、難しい顔をしたまま手元のカレンダーへと視線を移した。すでに火曜だと考えると、大急ぎで日本から関係者を呼び戻す必要がある。様々な手続を考えると、日程的にはぎりぎりになってしまうだろう。しかも今回は、特区第三新東京市からも客を呼ばなければならない。それを考えると、もう少し早くと文句の一つも言いたくなると言うものだ。

「すでに、日本に行っている者たちへは帰還命令を出してあります。
 あちらにも、至急適任者を派遣するよう要請を出してあります」

 必要な手続が終わっていることに満足したライツィンガーは、次に通達の中身を問題とした。

「それで、先方はなんと言ってきているのだ?」
「滞在期間は今のところ1週間。
 訪問者は、ラウンズ1名とその補佐1名、それに技術者1名と言う事です。
 ラウンズはシンジ・イカリ、そしてその補佐はフェリス・フェリ……性別は不明です。
 技術者は、マシロ・フーカと記載されていました。
 ちなみに技術者も性別は不明です。
 あとは、機動兵器2体も運び込むとの連絡が来ています。
 初日に、観光できればとも書いてありましたが……」
「ヴァルキュリアは、来ないというのだな?」

 ふうむと唇を歪めたライツィンガーは、こちらの受入体制を確認した。

「事務総長は、最優先で都合を付けることになっています。
 あとは、EUの首脳もスケジュールの組み替えを行うことになるでしょう。
 さいわい、大きな政治スケジュールは組み込まれておりません」
「そうではなく、警備を含めた警戒態勢のことを言っているのだ」
「それでしたら、EU軍の準備はできています。
 事前に話は来ていましたので、部隊配置のシミュレーションも完了しています。
 ただ、機動兵器の持ち込みは想定外でしたが……
 まあ、セルンの敷地内に限りますから、特に変更はないかと思われます」

 うんと重々しく頷いたライツィンガーは、「非常に重要な意味を持つのだ」と口にした。

「アースガルズ相手に、僅かなミスもあってはならない。
 たとえ相手がシンジ・イカリだとしても、気を抜くようなことがあってはならない。
 せっかくセシリア・ブリジッドが個人的に親密になるのに成功したのだ。
 我々は、そのアドバンテージを利用しなくてはならないのだよ」
「世話役は、当初予定通りセシリア・ブリジッドと言う事でよろしいのですね」
「過去の人物観察がどこまで役に立つのかは分からないが、
 シンジ・イカリのご機嫌を取るにはそれが一番の方策だろう。
 できるだけ多くのものを引き出すためには、彼の機嫌を損ねるわけにはいかないからな。
 何をして良いのか分からない以上、知っている者に任せるのが一番安全だ。
 観光がしたいというのなら、セシリアを同行させる口実も立つことになる」
「非常に賢明なご判断かと思いますが……またぞろ騒ぎ出すところがありそうですな」

 悩ましいと吐き出したフィリップ・ヤコブセンに、「知るか」とライツィンガーは吐き捨てた。日本へセシリアを派遣した際にも、各国からいかがな物かと言うクレームが入っていたのだ。ここでラウンズの接待にもセシリアを利用すると、またぞろ大量のクレームが飛んでくることになりかねない。
 それを面倒がったライツィンガーに、「言葉には気をつけてください」とヤコブセンは苦笑を返した。

「代表のお気持ちは良く理解できますが、ここも微妙なポジションにあることをお忘れ無く。
 まあ、それ以上に微妙なのがアースガルズとの関係と言うのも確かですが。
 それから、特別訓練候補の選出は完了しています。
 彼ら……彼女たちはまだレベル3になったばかりですが、
 適切な指導を受ければすぐにレベルアップできるかと思われます」
「なぜ、全員女性なのかね?」

 彼らを彼女たちと言い直したのに気付いたライツィンガーは、すぐにその理由を尋ねた。世話係にも絡んでくるのかと疑ったのだ。
 だがヤコブセンは、「何故でしょう」と言う一見ふざけた答えを返してきた。

「何故と言われても、説明できないと技術局からは言われています。
 適切な技能を持つ者を選出したところ、全員女性になったと報告されています。
 どうやら鳴り物入りで集まった格闘家や少年兵は役に立ってくれなかったようです」
「モーショントレースを使っていても、必ずしもそれだけではないと言う事か」
「そのようです……としか答えようがありません。
 生身では圧倒できる技能があっても、機動兵器に乗せるとさっぱり発揮できていません。
 その傾向は、特に男性パイロットに顕著に表れています」
「つまり、シンジ・イカリやカヲル・ナギサは特殊と言う事か」

 小さく唸ったライツィンガーに、ヤコブセンは「そのようです」と同意した。

「その事情は、どうやらアースガルズにも共通することのようです。
 聞くところによると、ラウンズ12名中7名が女性らしいと」
「ならば集めた女性格闘家は役に立っているのかね?」
「男よりは、まだマシというレベルでしかありませんな……」

 はっきりと苦笑を浮かべたヤコブセンは、選出の方法を変えないといけないと答えた。

「どうやら、優先すべきは機動兵器への適性のようです。
 ならば元々の肉体技能より、機動兵器への適性を優先してパイロット候補を選出すべきでしょう。
 肉体的技能は、そこから高めれば間に合うでしょうから」
「エヴァンゲリオンよりは敷居は下がったが、やはり特殊な癖を持っていると言うことか。
 ブラックボックスの解析ができたところで、状況が変わるとは思えないな」

 任せるとヤコブセンに答えたライツィンガーは、手元に置かれたメモに視線を落とした。

「どうかされましたか?」
「いや、アメリカがな」

 それだけで通じたのか、ああと大きくヤコブセンは頷いた。

「やはり、彼らも必死と言う事ですか?」
「機動兵器のスキームに乗り損なったからな。
 挽回の意味もあるのだろうが、パイロット候補を送り込んでくるとの連絡があった。
 それ自体は歓迎すべきことなのだが……おまけのように付いていたレポートがちょっとな」
「レポートですか?
 汚染物質濃縮に関わるものなら、こちらの学者達は否定していますが?」

 汚染地域の海水サンプルは、公平になるようにと各国に分配されていた。従ってアメリカの分析は、特区セルンと同じサンプルを使用したのものである。

「濃縮の有無より、使徒発生の可能性と言われると無視するわけにもいかないだろう」
「しかし、使徒発生と言われても、過去のデータがあるわけではありません。
 それにレポートを見させていただきましたが、かなりこじつけが強いように思われます」
「確かにこじつけは感じられたが……だからと言って、相手を考えると無視をするわけにはいくまい」
「そうは仰有りますが、我々にできることはほとんどありませんが……」

 明らかに困った顔をしたヤコブセンに、できることはあるとライツィンガーは言い切った。

「我々にデータが無くとも、アースガルズならばデータがあるはずだ。
 せっかく技術者が来るというのだから、それをぶつけてみれば良いだけのことだ」
「技術者と言っても、機動兵器関連だと思われますが……」

 畑が違うだろうと言うヤコブセンに、それでも意味があるとライツィンガーは言い返した。

「それ以上にあるのは、我々の常識を当てはめるなと言う事だ。
 何を目的として技術者を連れてくるのが分からない以上、
 ぶつけるものをできるだけ用意するのも必要なのだよ」
「まあ、仰有ってることに間違いはありませんな。
 では、アメリカからのレポートを渡す準備をしておきましょう」

 「他には?」と質問したヤコブセンに、今はこれだけだとライツィンガーは答えた。

「これだけでも、盛りだくさんだと言えるのだがな」
「確かに、まだ我々も手探りの状態を抜け出せていませんからね」

 そのためには、やることは山積みになっている。それにしたところで、使徒との戦いに十分かと言われれば疑問ばかり感じてしまうのだ。手応えという意味では、極めて希薄というのがヤコブセンの実感だった。







続く

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