機動兵器のある風景
Scene -22







 当初予定では、シンジの入院は2週間あれば十分とされていた。そこにエステルとヴェルデのおいたで、入院期間がプラス1週間されたのは有名な話だった。それから大人しくなったエステルのお陰というか、シンジの若さが勝ったというか、最終的には当初予定通りの期間で退院することができた。

 現実問題、治療に時間を要したのは両腕の筋肉だけだった。従って、起き上がって動き回ることには支障はなかったのである。もっとも両腕が固められて使えないので、できることと言えば歩き回ることだけだった。
 ただ、固めていると言ってもギブスとはちょっと違う方法が採られていたりした。ブレイブス、特にラウンズともなれば、早々休んでいるわけにはいかない。従って、退院即現役復帰するための措置が執られたのだ。つまり本人の意志とは関係なく、固められた両手も間断なく筋トレが為されていたのだ。

「とりあえず、慣らしから入ってください。
 入院の理由となったような無茶をしない限り、断裂の恐れはありませんよ」

 ケーシーと言う外科医は、笑いながらシンジから治療用の固定機を外した。そして重たそうな固定機を横のテーブルに置きながら、いきなり大変ですねととても心のこもった慰めの言葉を口にした。

「ええっと、大変って……具体的に何がですか?」

 晴れて退院するのだから、こう言ったときには「おめでとう」が相応しいはずだ。だがケーシーがシンジに言ったのは、「大変」と言う慰めの言葉である。しかも問題なのは、シンジにも心当たりに類するものがあったことだ。従って、シンジは少し顔を引きつらせて病室のドアを見た。もしも大変なことがあるとすれば、その理由は間違いなくあのドアの向こうにある。そしてケーシーも、そんなシンジの予感を肯定してくれた。正確には、ドアの向こう側にいる人物を教えてくれた。

「ドアの外には、エステル様がお待ちになっていますよ。
 あとは、レピス様、メイハ様、フェリス様、マシロ様がお待ちのようです。
 おやおや、ドーレドーレ様と、シエル・シエル様までお出でになったようですよ」
「何でドーレドーレ様とシエル様まで……ラピス、何か情報はあるかい?」

 エステル以下は、関係から行けば来ていてもおかしくない顔ぶれだった。そして大勢揃えば、逆に安全になると言う不思議な組み合わせでもある。だがドーレドーレとシエルの組み合わせは、はっきり言って顔を出す理由が思い当たらなかったのだ。あるとしても、レグルスあたりが殴り込んでくるぐらいだろうと考えていた。

「情報の前に、シンジ様の想像は正解です。
 アルテーミス様とレグルス様もお出でになったようです。
 あら、ヴェルデ様とサラ・カエル様もお出でになりましたね」

 どことなく楽しそうなラピスラズリに、何かあるなとシンジは身構えた。本来電子妖精というのは、まじめでなければいけないはずの存在である。だがどこをどう考えても、エステルと一緒に遊んでいるように見えてならないのだ。きっと今日のことも、裏で誰かと繋がっているのに違いない。退屈しなくて良いのだが、そろそろ実害が出ないか心配になってきた。

「これで治療は完了しましたから、皆さんをお通しすることにします」

 しかもケーシーまで、どことなく楽しそうにしてくれるのだ。ここまで来ると被害妄想も否定できないが、無事では済まないだろうとシンジは腹をくくった。

 主を迎えるのに、ベッドに座ったままというわけにはいかない。立ち上がって直立したのと同時に、ケーシーは運命の扉を開いてくれた。その時入って来た空気は、まるで春の風のようにシンジののど元をゆっくりと撫でていった。そして同時に漂ってきた香りは、女性特有の華やかなものだった。それにもかかわらず、シンジの喉がゴクリと鳴ったのはどう言うことだろうか。

 ただ、この場において、ドーレドーレの存在は、秩序を保つ意味で非常に大きな意味を持っていた。そのお陰というか、カオスを覚悟した割には、非常に落ち着いたものとなってくれた。やけにエステルが神妙な顔をしているのは、きっとドーレドーレの存在が理由だとシンジは考えた。
 一同顔を揃えたところで、「すまんな」と一言を置いて、なぜか最初にシエルが話し始めた。

「ラウンズともなると、のんびりとしている時間は与えられないのだ。
 とは言え、今から任務に戻すのはさすがに酷だろう。
 従って、明日から任務に復帰することを通達しておく。
 後からエステル様から伝えられると思うが、明日はドーレドーレ様のところに顔を出すように。
 お前が寝ている間に決まったことをそこで伝えることにする」
「それを言うために、ドーレドーレ様とシエル様がお出でになったのですか?」

 驚いたシンジに向かって、シエルは珍しく口元を歪めて見せた。さすがにその目的ならば、電子妖精経由で通達すればことが足りると考えていたのだ。

「いや、この場の秩序を保つために必要だと考えたからだ」

 その場合、秩序を乱すのはエステルやヴェルデであり、さもなければレグルスなのだろう。それを予見して顔を出したというシエルに、シンジもまた苦笑混じりに「感謝します」と答えたのだった。

「ところで、祭りのやり直しはどうなりましたか?」
「それだが、今後の予定を考えて取りやめることとなった。
 これもまたエステル様から沙汰があると思うが、お前には一度テラに行って貰う。
 それと並行して、私と一緒に訓練を行うことになっている」
「シエル様と訓練……?」

 はてと首を傾げたシンジに、「ヘル対策ですよ」とエステルが代わって答えた。

「次の戦いはシンジの初陣になりますからね。
 シンジはシエルさんの下に付くことになったので、そのための特訓と言う事です」
「私たちが、シエル様の部隊に組み入れられたと言う事ですか。
 確かに、足を引っ張らないようにするためには特訓が必要ですね」

 通常ラウンズは、下級ブレイブス時代にヘルとの戦いを経験している。そこで全体の規律を覚え、指導者として成長していくことになる。だがシンジの場合、僅か1年しかブレイブスの経験が無い。しかも先の進攻時には、まだ出撃できるレベルには達していなかったのだ。従って、ラウンズになったくせに出撃経験を持っていなかった。その意味でも、特訓が必要というのは理解できることだった。そしてシエルも、エステルの言葉を肯定して見せた。

「そうだな、最低限の部隊運用は覚えて貰いたいところだ。
 ただお前の場合、それだけでは済まないから私のところに来ることになった」
「トロルス対応だけではないと言う事ですか?」
「それだけであれば、メイハでもことが足りただろう」

 小さく頷いたシエルは、小さく一つ咳払いをした。

「それも含めて、明日話をすると言うことだ。
 とりあえず私たちの用向きは済んだので、この場を退散することにする。
 それからレグルス、立場を考えほどほどにしておくことだな」
「これでも、礼儀は弁えているつもりだ」

 神妙な顔をしたレグルスに、それで良いとシエルは頷いて見せた。そしてドーレドーレに、「帰りましょうか」と声を掛けた。

「そうですね、とりあえず秩序を保つのには成功したようですし」

 少なくとも、初期状態の混乱を避けるのには成功したのだ。ここから先は、誰かが爆弾に火を付けない限りは大丈夫だろう。不安がないというと嘘になるが、あまり世話を焼きすぎるのもよろしくない。

「ではエステル、後のことは任せますよ」
「はいドーレドーレ様、シンジは無事連れて帰ります!」

 その顔が嬉しそうなのは、お預けが解除されるからだろうか。ただそれもヴァルキュリアの正当な権利と考えれば、目くじらを立てるようなことではないはずだ。だからもう一度「任せました」と言い残し、ドーレドーレとシエルはその場を去ったのである。

「アルテーミス様、ヴェルデ様、お見舞いいただきありがとうございます」

 二人を見送ったシンジは、次に礼を示す相手に挨拶をした。この場合同僚ではなく、その主に対して礼を言うのが決まりだった。ちなみにドーレドーレの心配した秩序は、アルテーミスが居るお陰で保たれていた。この場における年長者という意味もあるが、唯一レグルスを押さえられる存在というのが大きかった。

「いえ、私の場合レグルスが迷惑を掛けるといけないと思っただけですから。
 そうでなければ、エステルやヴェルデの邪魔をするつもりはありませんでしたよ」
「レグルス様が迷惑を……」

 どんなとシンジが考えたとき、「考えるな」とすかさずレグルスが口を挟んだ。

「その話は、シンジが復帰してからゆっくりとするつもりだ」
「レグルスったら、あなたに“勝った”あとずいぶんと荒れたんですのよ」

 ほほほと口元を隠して笑うアルテーミスに、「言わないでください」とレグルスは懇願した。すでに2週間経ったお陰で、十分にレグルスの頭も冷えていたのだ。そうなると、激情に駆られた行動は恥ずかしく思えてしまう。だったら何故来たのかと言う事になるのだが、気がついたら来ていたというのが正直なところだった。まあシンジが弟分なのだから、それを見舞うのはおかしなことではないのだろう。

「とにかくだ、俺はお前の顔を見に来ただけだからな!」
「お心遣いいただきありがとうございます」

 少し顔を赤くしたレグルスは、そう言い残すとさっさとその場から消え失せてしまった。主と行動を共にしないのは、カヴァリエーレとしては褒められたことではないだろう。だがアルテーミスは、レグルスの行動を気にするそぶりを見せなかった。そしてレグルスがいなくなったのを幸いと、「近いうちに遊びに来てくださいね」とシンジにだけ誘いの言葉を掛けたのである。

「アルテーミス様、どうしてシンジだけ誘うんですか! ぷんぷん!」

 頬を膨らませて文句を言うエステルに、「決まっているでしょう?」とアルテーミスは少しうっとりとした顔をした。

「レグルスとシンジ、二人の若い男を侍らせるのよ。
 ヴァルキュリアとして、これ以上の贅沢があると思って?」

 どう? と聞かれれば、さすがにエステルも答えに詰まってしまう。しかも「想像してご覧なさい」と言われれば、確かに素敵だと思えてしまうのだ。見た目で言えば、双方甲乙付けがたいと評判である。しかも二人は、全く違ったタイプのいい男なのだ。贅沢と言えば、確かにこれ以上の贅沢はないだろう。しかもこれができるのは、アルテーミスの他にはエステルしか居ないと言うのも魅力だった。
 もっとも、それをシンジの前で言うのは非常に問題のある行為である。だからこそ、アルテーミスもレグルスがいなくなるのを待っていたのである。ラピスラズリの忠告にそれを思い出したエステルは、たっぷりと時間が経ってから「私はシンジだけです!」と力強く、ある意味誤魔化すように答えた。結構な間が空いたこと、そして素敵かもと思ったことは、全くおくびにも出していないと自分では思っていた。もちろんそんなことは、エステル一人の思いである。従って、これを幸いとヴェルデがちょっかいを掛けてきた。

「シンジ、主を変えたくなったら私に相談しなさい」
「ヴェルデ様、私はまだ引退には間があるのですが……」

 ちなみにサラは、まだ24の女盛りである。通常28程度が平均的引退年齢と考えると、まだ4年ほど時間があった。それなのにと、サラは主の言葉に肩を落としたのだった。

「別に、サラを蔑ろにするつもりはないわよ。
 あなたがシンジの補佐に回れば、より確かな組織になると思わない?
 それにエステルのところは、フェリスがカヴァリエーレになれば良いんだから」
「すみませんが、人の去就を勝手に決めないで貰えますか……
 アルテーミス様も、煽るだけじゃなくて……はぁっ、煽るだけ煽ってもう居ないよ」

 とてもおかしな方向に話が向いたため、シンジはなんとか正常状態に引き戻そうとした。だから大本の責任者に話を振ろうと思ったのだが、どこを捜してもアルテーミスの姿は見つからなかった。そうなると、もはやエステルとヴェルデの二人を止める者は居ない。シンジの目の前で、きゃんきゃん、にゃんにゃんと子猫と子犬の言い争いが始まってしまった。

「サラさん……僕はこう言うときどうすれば良いんでしょうね」
「どうすればって……できることは数少ないと思うわよ。
 たぶんお腹がふくれれば、喧嘩なんてしないと思うから」
「やっぱり、そっちの話になるんですね……」

 他にはメイハを見たら、苦笑を浮かべながら肩をすくめてくれた。そうなると、誰も頼れる相手はいないことになる。ちなみにフェリスやマシロ、そしてレピスはこの場合全く役に立ってくれないのは分かっていた。

「だから、後悔するって言ったんですよ」

 しかも頭の中では、ラピスラズリが得意げにしてくれている。それを綺麗さっぱり無視したシンジは、「スカーレットは大丈夫か?」と聞き返した。

「ええ、スカーレットも私と同じ意見です。
 それでシンジ様、ヴァルハラ宮がよろしいですか?
 それとも、サンスーシーがいいですか?
 お勧めは、大きなお風呂のベルヴェデーレ宮ですね」
「ラピス……楽しそうだね」

 声を弾ませたラピスラズリに、シンジは精一杯の皮肉を言った。だが彼の電子妖精は、「そりゃあもう」と皮肉を真っ正面で受け止めてくれた。

「私の忠告を聞かないシンジ様が困られていますからね。
 こう言ってはなんですけど、ざまあみろと言う所でしょうか」

 ラピスラズリの答えに、なんて人間的な電子妖精なのかと呆れていた。それだけをとってみれば、とても凄い技術に違いない。だが現実を考えると、技術の無駄遣いとしか思えなかったのだ。しかも目の前では、二人のヴァルキュリアが口から泡を飛ばして言い合いをしてくれている。そしてサラやメイハからは、何とかしろと目で迫られていた。

「ラピス……とりあえずお勧めに従うことにするよ」
「やっぱり後悔したでしょう!?」

 勝ち誇った声を出したラピスラズリは、シンジの命令通り3人をベルヴェデーレ宮へと飛ばした。そこでシンジが一頑張りすれば、二人の中などあっという間に元通りになるだろう。
 ただざまあみろとは言われたが、実のところシンジはさほど後悔などしていなかった。シンジにしたところで、2週間ほど禁欲生活を送ったことに違いなかったのだ。そのあたりは、電子妖精も若い男の欲求を理解していなかったと言うことだ。



 その翌日、ドーレドーレの館を訪ねたシンジは、「昨日は大変だったようですね」と言う同情の言葉を最初に貰うことになった。最初の秩序こそドーレドーレのおかげで保てたのだが、最後はアルテーミスがかき乱していってくれたのだ。普段大人しいアルテーミスなのだが、ただ大人しいだけの女性ではないと言うことを思い知らされた。

 病院には白のワンピースで来たドーレドーレも、シンジを迎えるため濃紺のホルターネックのドレスを着ていた。背中の大きく空いたドレスに、雪のように白い肌と長い銀色の髪の組み合わせは、ドーレドーレの美しさを引き立て、とても魅力的に見せていた。「こちらへ」と招き入れられるまで、見とれたシンジはその場を動けなかったほどだった。
 一方シンジは、ラウンズの制服とも言える、赤と黒そして緑色のラインで構成された上着を着ていた。それに黒いズボンを合わせ、シャープさを強調する出で立ちをしていた。このあたりの見立ては、失礼の無いようにとエステルとヴェルデが考えたものである。

「ところで、昨夜はエステルから説明を受けましたか?」
「残念ながら、ヴェルデ様とお二人、それどころではありませんでした。
 ところで、シエル様はご一緒ではないのですか?」
「シエルは、ちょうどシャワーを浴びているところです。
 今日ぐらい軽めにすればいいのに、続けてこそ鍛錬は意味があると譲りませんの。
 たぶん、今日も2、3人犠牲になっているのではありませんか?」

 ふふふと口元を隠して笑ったドーレドーレは、シンジを自分の正面に座らせた。そして彼女の電子妖精に命じて、お茶とお菓子を用意させた。

「お酒と食事は、話が終わってからにいたしましょう。
 まずは、あなたを呼び出した理由から説明しないといけませんね」
「私が離脱している間に決まったことと言うことでしたね」

 柔らかく微笑んでから、ドーレドーレはエメラルドグリーンの瞳をシンジに向けた。円卓会議で顔を合わせていても、こうして一対一で顔を合わせるのは特別である。しかも普段とは違い、ドーレドーレもおしゃれをしている。そうなると、磨かれた美しさがいっそう際立ってくる。やっぱり綺麗だと、シンジはしっかりと感動したほどだった。
 そうして感動していたら、ラピスラズリから「シエル様がお出でです」と囁かれた。ようやくシャワーも終わったと言う事だろう。

 いくらアースガルズでも、屋敷内の移動には組紐は使わない。ラピスラズリのささやきから少し遅れて、小部屋のドアが遠慮がちに叩かれる音が響いてきた。普段のシエルからは想像できない小さな音に、側仕えと勘違いしたのかなと、シンジは小さな疑問をだいた。ドーレドーレがお茶を用意すると言ったのだから、側仕えが来てもおかしくない場面だったのだ。

「シンジ、一つ頼まれてくれないかしら?
 私の代わりに、シエルを迎え入れてあげて欲しいの」
「畏まりました」

 自分の主ではなくとも、ヴァルキュリアとラウンズの関係には変わりはなかった。静かに立ち上がったシンジは、ゆっくりと扉のところに歩いて行った。そして二度目のノックが行われたのと同時に、シンジは扉を開くことになった。それは、ドーレドーレのちょっとしたいたずらが成功した瞬間だった。ばったりと顔を合わせた二人、シエルとシンジはその場で固まってしまったのだ。
 シンジが固まった理由は、ひとえにシエルのしていた格好だった。シンジにしてみれば、てっきり制服を着用していると思っていたのだ。だが目の前のシエルは、初めて見る淡いグリーンのドレスを着ていた。しかもボートネックの首元には、パールのネックレスが輝いていた。こう言っては失礼に当たるのかも知れないが、普段のシエルからは想像できない出で立ちだったのだ。この際似合っているかどうかは、シンジにとって大きな問題ではなかった。念のために言うと、少し逞しいところに目をつぶれば、ヴァルキュリアと言っても通るほど似合っていた。

「よく、お似合いですね……」

 いち早く現実に復帰したシンジは、めかし込んできたシエルを褒めるという行動に出た。このあたりは、レグルスの薫陶よろしくというところだろう。女性がおしゃれをしてきたときには、とにかく褒めろと言う教えに従ったのである。
 その教えが効果を発揮したのか、普段のシエルからは想像付かない小さな声で、「ありがとう」と言う言葉が返ってきた。首筋まで真っ赤になっているのは、嬉しいと言うより恥ずかしいと言うのが正しい観察だろうか。

「まさか、ドレスを着ていらっしゃるとは思いませんでした」

 エスコートのために手を差し出すのは、この場合の礼儀として正しい行為に違いない。相手がバリバリの戦士というのは、記憶の奥底に封じ込める筋合いのものだろう。礼儀に従ったシンジに対して、なぜかシエルも手を差し出し、「ドーレドーレ様のいたずらだ」と恥ずかしそうに答えたのだった。

「ニンフに命じても、着替えがこれしか出てこなかったのだ。
 だから仕方が無くだし、今でもとても落ち着かないのだが……」
「でも、お世辞抜きでとてもよく似合っていますよ」

 さあとドーレドーレの隣までエスコートしたシンジは、シエルを椅子に座らせてから自分の席へと戻った。丁度そのタイミングで、側仕えが飲み物を用意して現れた。

「では、お話しを始めることにしましょうか。
 まずシンジから出ていたテラへの渡航申請ですが、問題ないと許可することに致しました。
 補助としてフェリス、マシロの同行も許可致します。
 また各々の専用機の搬出も許可することに致しました。
 日程は、申請通り1週間と言う事に致しますが、それでよろしいのですよね?」
「ご配慮いただきありがとうございます」

 立ち上がって礼をしたシンジに、「座っていて良いですよ」とドーレドーレは微笑んだ。

「あなたも、およそ5週間後にヘルとの戦いがあるのは承知していますね。
 そのため、あまり長期のテラ訪問は許可できない状況にあります。
 とは言え、テラの戦力増強が急がれるのは、私たちにとっても大きな課題となっています」
「ですから、フェリス達の渡航も許可されるのですね」
「そうですね、いくらあなたが指導しても、わずか1ヶ月で技量は伸びるものではありません。
 そうなると、どれだけ武装を充実させることが出来るのかが鍵となります。
 それもあって、マシロを連れて行くのがよいと判断しました」
「技術供与をしたのは槍の製法でしたね……」

 運命の日、暴走状態に入りかけた初号機を葬ったのが、アースガルズで使用していた“槍”だった。通称グングーニルと呼ばれる槍は、機動兵器が使用することで、トロルスを仕留めることが可能になっていた。

「彼らが作った槍のできあがりをマシロに確認させます。
 同時に、彼らが独自で用意した武器についても確認させるつもりです。
 効果があれば、こちらで小形化をして採用することも考えています」
「それも含めて、確認してこいと言うことですね」
「私たちにとって、テラは緩衝地帯となっていますからね。
 そこがヘルに浸食されると、私たちは全方位からトロルスの攻撃を受けることになってしまいます。
 さすがにそうなると、いくら頑張っても支えきることは出来ないでしょうね」

 白磁のティーカップに口を付けたドーレドーレは、琥珀に輝く液体をゆっくりと喉に流し込んだ。小さく二度動いた喉に少し濡れた唇、それを舐めるように少し覗いた舌は、なぜかとてもいやらしくシンジを刺激したのだった。

「トロルスを撃退してからにはなりますが、
 テラのパイロット……ですか、その育成を私たちでも行うことも検討しています。
 そのための候補を、シンジの目で選出して欲しいと思っています」
「確かに、こちらの環境の方が実力を伸ばすことが出来るでしょうね。
 その役目、確かに承りました」

 パイロットの強化は、直ちに人類にとっての利益に繋がる。そして実力が上がることで、カヲル達も生き延びる可能性が高くなってくる。その裏にどのような思惑があるのか知らないが、シンジも今はそれを考えないことにした。
 よろしいと小さく頷いたドーレドーレは、「それが中長期の対策です」と説明した。

「もう一つの課題は、次の戦いでテラが無事でいられるのかと言う事です。
 今の観測精度では、数十程度のトロルス発生を予測することはできません。
 私たちの場合、その程度ならばレグルス一人出動させるだけで乗り切ることができますからね。
 ですが今のテラの場合、その程度のトロルスでも致命傷となってしまうでしょう。
 彼らが独り立ちできるまでの間、私たちが直接手を貸すことも考えなくてはなりません」
「その話を私にされると言う事は、私が行くことが決定されたと言う事ですね」
「主力を出すわけにはいかないと言う事情がありますからね」

 すなわち、現在のアースガルズにとって、シンジ達は主力ではないと言う事だ。面と向かってそう言われるのは、シンジにしてみればプライドに関わる問題だった。ただ現実を見た場合、ドーレドーレの言葉は何一つ間違ったことは言っていなかった。何しろシンジは、主力と言われるような実績を持っていない。そしてエステルの擁するブレイブス達も、前回の戦いでは14名しか参戦していなかった。全体で600程度参戦したことを考えると、誤差と言っていい戦力だったのだ。
 そうは言ったが、事情が変わっているのをドーレドーレも承知していた。5位のレグルスに実質勝利した以上、ラウンズとしてのシンジは「主力」として扱われるべき存在なのだ。だから生かし方を考える事にしたのだ。その際配下の数が20と少ないことは、逆に機動性を生かすにはむしろ好都合と受け取られた。

「もちろん、私たちはあなたの実力を正当に評価していますよ。
 レグルスなど、自分は負けたのだと今でも主張しています。
 それもあって、あなたにはシエルの補佐について貰うことにしました」
「私が補佐……ですか?」

 大役という意味で「補佐」を口にしたシンジに、実力なら十分とドーレドーレは保証した。

「テラでトロルスと戦った経験があるでしょう?
 ですから、あなたならば十分に能力があると思っていますよ。
 それに、補佐と言う事にすれば一緒に居る口実になるでしょう?」

 ふふふと口元を隠して笑うドーレドーレだったが、隣に座ったシエルは神妙な顔をしたままだった。そしてシンジは、何のための口実かが全く理解できていなかった。

「ドーレドーレ様、なぜそのような口実が必要になるのですか?

 従って、シンジとしては当然の疑問を口にすることになった。だがその疑問に答える代わりに、「すでにエステルには指示が出してあります」とドーレドーレははぐらかした。

「テラでトロルスの発生が確認されたとき。
 エステルには配下を率いてテラに遠征して貰います。
 そのための作戦を考えるよう、先日指示を出したところですよ。
 支援艦ヒルデガルドの使用も許可してあります」

 いきなり話を変えられたことに、シンジは答えるつもりがないのだと理解した。だからそれ以上聞き直すことはせず、「ご配慮に感謝します」と礼を言った。だがドーレドーレは、「それは勘違い」と微笑みながら訂正してくれた。

「一応、テラを守ることは私たちにとっても利益となりますからね。
 だから単純な善意からとは言い切れないのです」

 だから感謝の必要は無いというのである。だがシンジは、それでも感謝するとドーレドーレに伝えた。

「どんな思惑があろうと、私の故郷が守られることには違いありません。
 ドーレドーレ様の決断がなければ、2年前のあの日に私自身命を落としていたことでしょう。
 ヘルの浸食が避けられない以上、私の故郷も戦わないわけにはいかないのです。
 そのための手助けをしていただけることに、私は感謝をさせていただいているのです」
「ならば、あなたの感謝の言葉を素直に受け取ることにしましょう」

 そう言って微笑んだドーレドーレは、これからの予定をシンジに訪ねた。有り体に言えば、泊まっていけるかどうかを尋ねたのである。

「エステル様から、今日は帰ってこなくて良いと言われていますが……」
「でしたら、まだまだ十分にお話しをする時間があると言う事ですね」

 良かったと安堵したドーレドーレは、次にシンジの訓練を問題にした。そしてこの話題に関しては、シエルが説明役を買って出た。

「先日の戦いで、お前自身自分の足りない部分を自覚していると思う。
 従って、早急に弱点を解消すべしと言う意見が強くなった。
 それとは別に、レグルスとの戦いが私たちの興味を引いたのだ。
 私とサークラがギムレーで追試を行った結果、お前の採った方法を検証すべしと言うことになった。
 それもあって、検証がてら私がお前を鍛えることとなったのだ」
「私の取った苦肉の策が、そう言った方面に行ったのですね?」
「お前にとっては苦肉の策だろうが、あのレグルスが圧倒されたのは間違いのない事実なのだ。
 もちろん、その事実だけで有効だと決めつけてはいけないことは承知している。
 従って、明らかになったデメリット以外に問題がないかを検証することになる。
 そしてもう一つ、お前以外が活用する方法も考えなくてはいけないのだ」

 綺麗なドレスを着ていても、話し方は普段のシエルのままだった。そこに違和感を感じるのと同時に、シンジは安堵も感じていた。似合っているかどうかではなく、やはりシエルは颯爽としていた方が格好良い。

「つまり、私の訓練とは別に、思考コントロールの活用方法を探ると考えてよろしいでしょうか?」
「うむ、あのときの動きは、この私ですら驚かされたからな。
 当事者のレグルスが冷静になれなかったのも仕方のないことだろう。
 ただ、確かにすばらしい動きには違いないが、課題も数多くあるようだな」
「そのうちの一つは、マシロが救済策を考えてくれましたけどね」

 それぐらいの説明は、朝の内に聞かされていた。機体側の対応では完璧とは行かないが、前回のようにいきなり行動不能となることはないのだろう。

「そのあたりは、先日エステル様も仰有ってたな。
 シンジよ、マシロはお前に尽くしているのだ、ちゃんと応えてやるのだぞ」

 つまり相手の望むものを与えてやれと言うことである。よくもまあ、自分のことを棚に上げられるものだと、シエルの電子妖精ニンフが呆れていたりした。

「ところでシンジ、そのうちの一つと言うことだったな。
 つまり課題は、まだ他にもあると言うことだな?」
「そうですね、結構大きな課題が残っています。
 あれをやると、特殊能力に一切手が回らなくなってしまうんです」
「確かに、お前の特徴は豊富な特殊能力にあるからな。
 それが失われるのは、確かに大きな課題に違いない」
「それからもう一つは、まだ攻撃が未熟と言うことですね。
 本当なら、エステル様に止められる前に勝負が付いていなければいけませんでした」

 「圧倒的に早い素人」とシエル達が定義したことを、シンジもまた問題と考えていたのである。その認識に対し、大きな問題でもあるようでないとシエルは答えた。

「トロルスと戦うときには、あまり影響がないことだからな。
 ただこれからお前が順位を上げていくためには、克服すべき課題には違いない」
「そうですね、引退される前にはシエル様に勝ってみたいですからね」

 戦う者同士、しかも相手が絶対的強者となれば、超えてみたいと考えるのはおかしなことではないだろう。シンジにしても、シエルが絶対的強者だからそう言ったまでである。ちなみに勝ってみたい相手のリストには、レグルスからカノンまでの上位者が並んでいた。
 もっともシンジに他意はなくとも、言った相手が今回は悪かった。何しろシエルは、シンジのいないところで散々からかわれたという背景がある。だからシンジの言う「勝ちたい」が、シエルには「抱きたい」に聞こえてしまったのだ。そのおかげで、全身真っ赤になるという珍しい状態になってしまった。

「し、シンジよ、本当にお前は私に勝ちたいのか?」
「そうですね、すぐには無理でもシエル様が引退される前には」
「わ、私は、引退を延ばすつもりはないからな!」

 そこでなぜうつむくのか、シンジには理解できなかった。ただ観察してみると、ドレスから見えている部分が赤くなっているようだった。

「ニンフが言うには、シエル様が発情しているらしいです」

 そしてシンジの疑問に対し、親切な彼の電子妖精が答えを与えてくれた。まさかと笑ったシンジに、「今日はだめよ」とドーレドーレが割り込んできた。

「今日は、私のために来て貰ったんですからね。
 これから楽しくお食事とお酒をいただいて、それからは大人の時間を過ごすことにしましょう」
「私が、ドーレドーレ様とですか……」

 ゴクリと喉を鳴らしたシンジに、「私では不満かしら?」とドーレドーレは笑みを浮かべた。

「い、いえ、とても光栄です……」

 経験があると言っても、シンジが相手をしたのはいずれも10代、しかもシンジが初めてという相手ばかりだった。それに引き替え、ドーレドーレは女も盛りの27である。漂う色香は、エステル達とは比べものにならなかった。その魅力に、まだ若いシンジが太刀打ちできるはずがない。簡単な誘惑なのだが、すっかりその気になっていたのだ。
 綺麗という意味なら、隣に控えるシエルも遜色はないのだろう。だがヴァルキュリアとラウンズでは、体から発散する色香が全く違っていた。その意味でも、やはりヴァルキュリアは特別と言うことだった。

「まあ良かった!
 時間もほどよくなりましたから、早速晩餐と参りましょう」

 若いそしていい男が自分に落ちるのは、女として至上の喜びに違いない。早速陥落したシンジに気をよくし、ドーレドーレはニンフを通じて晩餐の準備を命じたのだった。







続く

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