機動兵器のある風景
Scene -19







 ジオフロントに設けられた訓練用のフィールドでは、2機の機動兵器が格闘訓練を行っていた。そのうちの1機、濃い水色をした機体は軽快な動きで相手を牽制していた。そしてもう一機、黄色と黒の虎縞をした機体は、濃い水色の機体の動きを最小限の動作で追いかけていた。そのあたりは、同じ土俵での勝負は不利との見込みがあったのかも知れない。ちなみに濃い水色をした機体は、セシリア・ブリジッドの愛機「ウンディーネ」、もう一方の黄色と黒の虎縞は、鈴原トウジの愛機「虎鉄」だった。
 その動きだけを見ると、トウジがセシリアをいなしているかのようだった。だが現実は、セシリアの動きにトウジがついて行けていないだけだった。

「絶好調とは、このことを言うんやな……」

 初めは、セシリアに対して、同じように機動力で迎え撃ったトウジだった。だが明らかに相手の方が早いとわかり、耐久戦に戦い方を切り替えたのである。こうして最小限の動きをすることで、相手の攻撃を見極めやすくなり、そして反撃の糸口を掴めると考えたのだ。だが現実は、ついて行くのがやっとという体たらくだった。

「シンジの奴、エッチ以外にもこんなことも仕込んどったのか!」

 他人に聞かれたら、ちょっと無事で済まないようなことを口にしたトウジは、愉快なことでもあったのか、少し口元を緩めていた。
 セシリアが日本に来たときは、高慢ちきとまでは行かなくても、かなりプライドの高さを見て取ることが出来た。まあセルンで一番ということが、プライドの高さの裏付けだったのだろう。ただその実力も、まだまだ自分には遠く及んでいないと思っていた。
 だが運命と言うには大げさかも知れないが、それに近い出来事のおかげで、口が勝っている少女が化けてくれたのだ。そしてそれに引きずられるように、日本の問題も解決を見ることになった。アスカに「ごめん、それにありがとう」と言われたときには、トウジも耳を疑ったほどだった。

「なんて回想をしておると……っと、言わんこっちゃない!」

 ほんの少し集中が切れただけで、すかさずのその隙を突いてくれるのだ。そのあたりの実力は、この数日で確実に磨きが掛かっているように見えた。実際、トウジでもセシリアの相手をするのが難しくなっていたのだ。

「つじつまを合わせ、姑息な手を使わんと対等に持っていけんとは。
 ほんま、シンジは何を仕込んだんや」

 それを才能と言わないのは、トウジにしては珍しい意地だった。だがいくら意地を張っても、圧倒的なスピード差は埋めがたいものがあった。移動速度だけではなく、一つ一つの攻撃の速さも負けていたのである。唯一勝っているところがあるとすれば、パワーと言うところか。それにしても、相手を捕まえられなければ意味のない優位さだった。

「ほんま、難儀なこっちゃな……
 降参や、今日の訓練はこれでお終いや!」

 攻撃をさばききれなくなったところで、トウジはセシリアに対して白旗を揚げることにした。結果は、トウジの完敗と言うことになる。そしてこの勝利で、セシリアはレベル5に認定されることとなった。見直しを受けたレベル認定制度において、4人目のレベル5の誕生である。トウジ自身レベル4なのだから、僅か1週間で追い抜かれてしまったことになる。

「ほんま、絶好調やな」
「ありがとうございます。
 でも、まだまだイメージ通りには行っていませんの」

 トウジの賛辞に対して、セシリアはにっこりと微笑んで見せた。先日の一件以来、特区第三新東京市の空気も変わってきた。しかも訓練を離れれば、結構トウジとセシリアは仲が良かったりした。花が咲いたような笑顔で聞かれると、ついついシンジの昔話もしてしまうトウジだったのである。少しでもシンジのことを知りたいセシリアにとって、トウジというのは良い情報源でもあったのだ。

「なんか、可愛い彼女が欲しくなったなぁ……」

 硬派を自認するトウジなのだが、ここのところセシリアに付き合わされていた。それもあって、周りから散々「後釜狙いですか?」とからかわれていた。トウジ自身なかなかいいとは思っているのだが、同時にそれだけは絶対にないなと諦めていた。
 何しろ「碇様のことを教えてくださいますか?」ときらきらと目を輝かせるセシリアを見れば、自分など碇シンジの昔を知っている友人にすぎないと分かってしまうのだ。眼中にもないというのは、結構堪えることだとひしひしと実感したりしていた。それもあって、トウジは真剣にガールフレンドが欲しいと考えるようになっていたのだが、セシリアといることが多いため、なかなか女性に声を掛けにくくなっていた。

 一方セシリアと並んでと言うか、それ以上に絶好調なのが惣流アスカ・ラングレーだった。いち早くレベル5に突入したアスカは、訓練においてカヲルやレイを圧倒しまくっていたのだ。今では1対1では辛いと言うことで、カヲルとレイの二人がかりで相手をするようになっている。それにもかかわらず、あっという間にアスカが優位に立ち始めたのだ。技能的にもダブルのアクセルに手が届いていることもあり、そろそろレベル6と言う声も聞こえていたのである。

 セシリアが終わると、次はアスカ達が訓練する番になる。レイに声を掛けて立ち上がったアスカは、丁度戻ってきたセシリアと顔を合わせた。よっと手を挙げたアスカは、早速セシリアにちょっかいを掛けた。

「お疲れ、相変わらずセシリアはエロイわね」

 顔を合わせたとたんこれである。セシリアは、一つため息を吐いてアスカに抗議した。

「アスカさん、お願いですから人の顔を見る度に“エロイ”というのはやめてくださいませんか?
 最近、どうも他の人の視線がお尻に来ている気がしていけないんですよ!」

 繰り返し言われているので、セシリアの抗議も何度も繰り返されたものだった。最初のうちは実害はなかったのだが、最近になってどうも“性的”な視線を感じるようになってしまったのだ。それもあって、「やめてください」と懇願したのだが、「事実だから仕方が無いでしょう?」と言い返されてしまった。
 そして今回の抗議もまた、にやにや笑いながら同じ答えを繰り返された。

「だってぇ、本当にセシリアってエロイんだもの。
 特にお尻のあたりの肉付きなんて、女の私でも鷲掴みにしたくなるぐらいよ。
 しかも顔は綺麗だし、スタイルも全体的に調っているでしょう。
 だから注目を集めるのは仕方が無いと思うのよね」
「だからと言って、私の顔を見る度に“エロイ”ということはないと思いますわ!」

 それだけは我慢ならないと文句を言ったら、横からレイが「仕方が無いわ」と口を挟んできた。

「あなたがエロく見えるのは事実だし、アスカがやっかんでいるのも事実だもの」
「レイさんも、そんなことを認めなくても良いと思いますわ。
 アスカさんも、私をからかっても意味がありませんことよ」

 もうと、セシリアは頬を膨らませた。ただ言葉ほど怒っていないところを見ると、お互いの関係は悪くはないのだろう。その証拠に、アスカはごめんと謝りながら、セシリアのお尻を触ってきた。
 当然のように避けたセシリアは、「女同士ですよ」とアスカの手を軽く叩いた。

「だってぇ、とってもおいしそうなお尻がそこにあるのよ」
「そんなことを言っても駄目です。
 私の体は、碇様専用なんですからね!」

 以前ならば、微妙すぎて口にできる話ではなかった。それをさらりと言えるあたり、たぶん二人の関係は良好なのだろう。そしてそれを受け取ったアスカも、やっていられないとばかりに頭を掻いた。

「いやぁ、そこまではっきりと言い切るかなぁ。
 まあ、そんなことを言うから、余計に“エロ”くなるんだけどね。
 みんなセシリアを見て、シンジとどこまでしたんだろうって想像しているのよ」

 渋々手を引っ込めたアスカは、“碇様”ことシンジのことを話題にした。

「そのシンジ……碇様だけど。
 そう言えば、今頃祭りとかのやり直しをやらされている頃よね」
「予定から行けば、確かそうでしたわね。
 ただ、アースガルズのことはこちらからは分かりませんから」

 こちらからの連絡手段がないため、ただ待つことしかできなかったのである。このあたりは、アースガルズが不干渉を決めた弊害が出ているとも言えた。せめて占領府でも置かれていれば、そこを通して連絡することも可能だったのだ。だが現実は、勝手にやっていいと連絡先さえ置いてくれなかった。国連の方にも、たまに行政官が出張してくる程度だった。

「祭りが終わったら、機会を見てセルンに来るんだっけ?」
「その前には、連絡をくださると言うことになっていますわ。
 そのときには、日本からもおいでになれるように連絡を入れますわ。
 私の実家からは遠いですけど、是非ともヨーロッパにいらしたら遊びに来てくださいませ。
 一族を上げて歓迎させていただきますわ!」

 セシリアのお誘いに、アスカは素直に「ありがとう」と返した。そしてそれがいつ実現することになるのかと、日程の予想をすることにした。

「でも、11戦ガチで戦うってことは、それなりに時間が掛かるのよね?」
「間に二日ほど入れると、およそ1ヶ月と言う事になりますわね。
 その後を考えると、その機会は2ヶ月ほど先になるのではないでしょうか?」

 指を折って数えたセシリアは、次にカレンダーを見た。

「丁度、バカンスのシーズンに当たっていますわね。
 実家ではなくて、リヨンあたりでパーティーを開きましょうか」
「でもさ、実は私の実家も近かったりするのよね」

 ふっと息を吐き出したアスカに、セシリアは「そう言えば」とぽんと手を叩いた。

「アスカさんはドイツの出身でしたわね。
 それで、ドイツはどちらになりますの?」
「ベルリンよ。
 その西側の地域なんだけどね」
「お互い、近そうで遠いところにありますわね」

 近いと言ったが、実際にはそれぞれ直線で800kmと1000kmほどの距離がある。あくまで、日本よりは近いというレベルでしかなかったのだ。掛かる時間を考えると、そうそう簡単に行き来できる距離ではなかったのである。それを確認したアスカは、もう少し現実的なプランを考えることにした。

「家のことは良いから、近場で良いところはないの?」

 良いところと聞かれたセシリアは、少し考えてから首を横に振った。

「意外と、ジュネーブには良いレストランはありませんのよ。
 少し足を伸ばして、ローザンヌとかリヨンに行った方がよろしいかと思いますわ。
 買い物でしたら、駅前の通りにそれなりにありますが……
 でも、観光客向けがたくさんあるだけですし、同じ店がこちらにもありますから」
「ホテルは、それなりにあるんでしょう?」
「一応観光地ですし、国連関係の施設も揃っていますわ……」

 セシリアの答えに、それだったら問題は無いとアスカは返した。たぶんというか、間違いなく第三新東京市に居るよりはマシに思えたのだ。少なくとも、歴史的景観とかはジュネーブに行けばそれなりにあるはずだ。
 それで我慢すると答えたアスカに、それが現実的だとセシリアは返した。アスカ達が来るだけなら、騒ぎとしては大きくならないのだが、アースガルズから客が来るとなると、特区の対応も変わってくるのだと。

「アースガルズからラウンズがお見えになるんですから、きっと特区上げての歓迎になるでしょうね。
 連日連夜歓迎の式典が開かれるでしょうから、あまり出歩いている時間はないと思いますわ」
「まあ、今回みたいなお忍びとは訳が違うからね……
 でもさぁ、私の知っていたシンジは、歓迎とかあまり好きじゃないと思うんだけどなぁ」

 アスカの決めつけに、「自分もそう思う」とセシリアは答えた。たった二日の付き合いだが、結構落ち着いた雰囲気が好きだと言うことは理解できたのだ。とはいえ、自分のために最上級のレストランを確保してくれたり、わざわざラウンズの制服を取り寄せてくれたのも確かだ。相手の立場を考えて、行動してくれるのは想像に難くなかった。

「きっと、疲れたと愚痴を仰有るでしょうね」
「しかも、セシリアはそれから疲れることをさせるつもりでしょう?」

 にやりと口元を歪めたアスカは、そのあたりはどうなのだと突っ込んできた。そんなアスカの突っ込みに、セシリアは少し頬を染めて、「そのつもりは大いにありますわ」と返したのだ。

「碇様との思い出は、私の中でとても大切な物になっていますのよ。
 私にとって、理想を超えた初体験でしたから……」

 きゃっと恥ずかしがったセシリアに、アスカは暑いとばかりに右手で顔を扇いだ。

「そうやって幸せそうにされると、なんか意地悪をしたくなったわ。
 どうせパーティーがあるんだから、シンジの奴を酔い潰してやろうかしら?」
「そう言う意地悪をされるのなら、私は渚さんを酔い潰して差し上げますわよ。
 特区セルンが私のホームグラウンドだと言うことお忘れ無いように

 そう言って口元を歪めたセシリアに、「降参」とアスカはあっさり引き下がった。カヲルが酔い潰されても困りはしないが、完全アウェイでバカな事をするものじゃない。

「そのあたりは、大人しくしておくことにするわ。
 それからセシリア、レベルが上がったら相手をしてあげるわよ。
 と言うか、あんたの相手をするのが楽しみだったのよ」
「是非とも、お手柔らかに願いたいですわ。
 アスカさんが本気になったら、渚さん達と手を組んでも敵いそうもありませんもの」
「でも、ラウンズの二人はレベル4でもずっと凄かったわよ」

 自分が強くなったという実感はあるが、それでもまだまだだとアスカは思っていた。そこでアスカの理想としたのは、模範試合で見せてくれたレグルスの動きだった。何度もその映像を見直しているのだが、見る度に凄いと感心していたのだ。もうすぐレベル6になるのだが、それでもあんな動きはできないと思っていた。
 ラウンズが凄いというのは、セシリアも認めるところだった。そしてセシリア自身、イメージとしてレグルスの動きを持っていたのだ。このあたりは、目に見て分かりやすいというところが大きかった。

「そう言う意味では、模範試合をしていただいたのは財産ですわね」
「できたら、祭りという奴も見てみたいわね」

 そうすれば、もっとハイレベルの戦いを見ることができる。それがすぐに参考になるのかは分からないが、目指すべき将来像が分かっている方が有り難かった。
 祭りを見たいというアスカに、大いに賛成だとセシリアも同調した。従って二人の間で合意を得たのは、次にシンジに会ったときお願いしてみようと言う事だ。直接の指導も有り難いが、そう言った一つ一つのデータも欲しいと二人は考えたのである。

「じゃあ、そろそろ時間だから体を動かしてくるわ。
 それからセシリア、あんまり鈴原の理性を信用しないようにね。
 エロイあんたと一緒に居たら、いつかは理性が切れるかも知れないわよ」
「鈴原様は、とても紳士的なお方でいらっしゃいますわ。
 でも……仰有ることは理解できますから、今後気をつけることに致しますわ。
 ああっ、この体は髪の毛一本まで碇様のものなのに、
 美しすぎるのは、本当に罪なことなのですわね!」

 胸に右手を当てて大げさに嘆くセシリアに、はいはいとアスカは右手をぱたぱたと振った。そして過熱気味なセシリアに対して、少しだけ効果的なブレーキを踏むことにした。

「あんたは、全部シンジのものだと思っているのかも知れないけど。
 その逆は残念ながら真だと思わないようにね。
 ラウンズの若い男が少ないってことは、それだけ引く手あまたって事になるんだからね」
「それぐらいは、一応承知していますわ……
 でもですよ、こちらに来たらヴァルキュリアもラウンズも他に居ないんですからね!」

 少なくとも、こちらにいる限りは独占することができる。そのつもりで主張したセシリアに、アスカは不敵な笑みを浮かべ「そうかしら?」と答えた。その笑みに感じるところのあったセシリアは、目を大きく見開いてアスカの顔を見た。

「あら、どうかしたのかしら?」
「ふ、不道徳ですわ!
 あ、アスカさんには、渚さんがいらっしゃるじゃありませんか!」
「でも、別れれば問題ないわよね?」

 そうすればフリーになるのだから、道徳的な問題は生じない。そもそもセシリア自体、約束を交わした間柄ということもなかったのだ。
 さすがにそれを持ち出されると、セシリアも返す言葉に困ってしまう。相手を考えると、恋人というのも持ち出せないと分かっていたのだ。さすがに困った顔をしたセシリアに、アスカはにかっと笑って見せた。

「まあ脅かしはしたけど、私が参戦することはないから安心して。
 参戦したところで、セシリアの方がずっと有利だってのも確かなんだけどね。
 それに、いくら格好良くなったと言っても、シンジと寝るのは生々しすぎるのよ」
「そんなに、簡単に割り切れるものでしょうか?」

 引かれると、逆に確認したくなるのはどうしてだろう。そこで割り切れないと言われたら、逆に自分が困ることになるのは分かっていたはずだ。それでもセシリアは、アスカに確認せずには居られなかったのだ。
 だが確認されても、アスカにも答える言葉は無かった。今更無いと言うのは本心だし、生々しいというのも偽らざる気持ちだったのだ。だがそれ以上のことは、その場になってみないと分からないというのも事実だった。そしてもう一つ言えるのは、シンジから自分を求めることはないだろうと言う事だ。それがある限り、セシリアが心配するようなことはないと断言できたのである。

「セシリアの言いたいことは分かるんだけどね。
 でもさ、そう言う事ってここでいくら言ってもどうにもならないことでしょ?
 シンジにしても、こっちに来てしたくなったらセシリアを第一に考えると思うわよ。
 と言うことで、あまり待たせると悪いから、ちょっとカヲルとレイを捻ってくるわ!」

 アスカはそう言うと、じゃあと手を振って小走りに走っていった。両手を腰に当て、フンと鼻息を荒くしたセシリアは、「口では何とでも言えるんです!」と文句を言った。

「私の好きになった人は、アスカさんが我を忘れるほど格好が良いんですからね!」

 呟くように吐き出された言葉は、どう受け取ればいいのか疑問に感じる物だった。果たしてのろけなのか、さもなければこの先訪れる事態を示唆したのだろうか。いずれにしても、無事では済まないとセシリアも考えていたのである。



 12人のラウンズを頭に、アースガルズには千を越えるブレイブスが存在している。ブレイブス見習いまで含めれば、その数は万に届くぐらいだ。テラでは一人もいないレベル7以上も、アースガルズ全体では600人を数えていたのである。だがそのアースガルズでも、ヘルとの戦いは均衡を保つのが精一杯だった。そこから自動的に導き出されるのは、テラにおける絶望的な戦力不足と言う事実だ。
 パイロットの強化は、継続的に行っていく他はない。それが、両特区における共通的な認識だった。そしてもう一つ共通する認識が、能力不足を補うには武装の強化が必要と言うことだった。そこで両方の特区は、それぞれ機能分担を行うことになった。そこで分担されたのは、テラ独自の技術開発と、アースガルズから提供された技術の実用化である。

 分担として、特区セルンは、大型ハドロン衝突型加速器の実績を持って、可搬型ハドロン砲の開発を行っていた。そして特区第三新東京市は、アースガルズから供与された技術を元に槍の製造に入っていた。勝利をもたらすことへの願いを込めて、その槍は光槍ブリューナクと名付けられることになっていた。
 光槍ブリューナクのプロトタイプは、特区第三新東京市地下の素材研で開発が続けられていた。アースガルズから技術こそ供与を受けたが、テラの科学力では完全な解釈に至らなかったことにその理由がある。素材自体の製造技術が、テラでは制御不能というのも大きかった。

「ここまでたどり着くのに、2年掛かったか……僅か2年と言うか、2年も掛かったと考えるべきか」

 冷却された金属の固まり(インゴット)の前に、一人の痩せた老人が立っていた。その髪は、染めるのを諦めたためか、ほとんど真っ白になっていた。そして日に焼けた顔には、深いしわが刻まれていた。その老人、天国(アマクニ)イッコウは、インゴットを前に小さく呻いた。試作数で行けば、1000を超えるだろう。その苦労の果てに、ようやく納得の出来る材質を得ることが出来たのだ。
 アースガルズとの技術差を考えれば、驚くほど短期間で得られた成果と言えるのかも知れない。だがかなり詳細な技術資料が有ったことを考えれば、なぜそれほど時間が掛かったのかと言われても仕方がないと思っていた。そして天国の仕事は、ここからが本番なのである。

 アースガルズによるテラへの干渉は、その後、審判の日と呼ばれるようになった。そのときアースガルズは、9機のエヴァンゲリオン量産機とともに初号機を破壊した。そのときに使用されたのが、天国が開発しているブリューナクなのである。この槍を使うことで、レベルの低いパイロットでも、彼らの言うトロルス、テラで言う使徒を倒すことが出来ると言う。未だレベル6に達したパイロットのいないテラでは、生命線とも言える必殺の武器だった。

「これから、鍛造工程に入るのだが……ルーク、鍛冶屋は目を覚ましているか?」
「はい親方……チーフ、しっかりと火が入っています……ですが……」

 弟子……部下のルーク・エドワースは、責任者の判断に疑問を感じていたのだろう。答えにいつもの歯切れがなかった。

「なんだルーク、同じ話を蒸し返したいのか!」

 それに気づいた天国は、「鋳造ではだめなのだ」とはっきりと言い切った。

「ですが、鋳造の方が量産に向いています。
 それにアースガルズの資料も、鋳造による製法しか記載されていません」
「あちらさんはあちらさん、俺たちには俺たちのやり方があるんだ。
 この俺が納得できない物を、パイロット達に持たせるわけにはいかないだろう!
 今は時間が惜しいんだ、さっさと鍛造工程に回せ!」

 首に日本手ぬぐいを巻いた天国は、まるで大工の棟梁と言いたくなるような出で立ちだった。一方ルークは、ぴっちりとグレーの作業着を着込んでいた。職人と技術者、見た目を考えると、きわめてアンバランスな組み合わせとなっていた。
 さっさとやれとお尻を蹴飛ばされ、ルークは慌ててインゴットの移動に取りかかった。槍鍛造専用に作られた大形ハンマーが、この先に大小合わせて20ほど用意されている。そこで槍の穂先が鍛造される手はずとなっていた。

 叩いては折り曲げ、何度もそれを繰り返すことで強い素材を作ることが出来る。天国はその必要性を、本能的に感じ取っていたのである。確かにアースガルズの資料では鋳造が書かれていたが、それではだめだと漠然と感じたのである。その裏には、技術的に遅れているのは、素材を生成する技術だけではないという自覚があったのだ。アースガルズの技術があれば、おそらく鋳造でも問題はないのだろう。だがテラの技術では、間違いなく使い物にならないと確信していたのである。

「だから、俺たちは最高の技術を使う必要があるんだよ」

 そしてもう一つ天国が考えたのは、槍を使うパイロットの能力である。もうすぐレベル6こそ誕生するが、アースガルズでは戦いに出してもらえるレベルではなかったのだ。それを考えると、彼らと同じ武器ではだめだと言っていたのだ。もっとも、どんな武器でも、使う側が未熟では宝の持ち腐れとなる。それはパイロットの育成状況を見た、すべての者に通じる思い出もあった。

「とにかく、俺たちは俺たちに出来ることをやる他はないんだ。
 あとは、パイロットの嬢ちゃん達が頑張ってくれるのを祈る他はないんだよ」

 この試作が成功すれば、ブリューナクの量産に移ることが出来る。ただ天国にとっての問題は、何を持って成功と定義するのかと言うことだった。ブリューナクの威力は、使徒を相手にしなければ確認することは出来ない。ただ槍の鍛造ができたからと言って、それが成功というわけにはいかなかったのだ。だからこそ、やれることはすべてやっておかなければならないと天国は考えたのだった。

 天国と同じ焦りは、セルンの技術者ロイド・アスブリンドも感じていた。すでに彼の設計で、可搬型ハドロン砲の製作に入っている。机上計算では、使徒戦で用いられた陽電子砲を超える性能がでるとされていた。だが使徒戦での失敗、射程距離に関しては類似の弱点を持っていたのである。
 白衣に身を包んだロイドは、シミュレーション端末に新しいパラメータを与えていた。地磁気、大気の状態、プラズマ化した大気が、連射時にどのような影響を与えるのか。そして集束レンズの設計値の見直し、兵器として実用化するには、いくつか超えなければいけない条件が横たわっていたのだ。従って、ごく一部から不真面目という評価を貰うロイドも、身を粉にして設計に勤しんでいたのである。

 そしてその頃、ロイドの共同研究者セシル・クルーミーは、珍しく努力する同僚のために、飲み物などを用意していた。と言っても作っていたのはコーヒーだし、しかも有名メーカーのインスタントでしかなかった。もっとも彼女がそれ以上のことをしようとしたら、きっとロイドは命がけで止めようとしただろう。
 少し大ぶりのマグカップに、インスタントコーヒーをティースプーンでキッチリ2杯入れた。そして5グラム入りのコーヒーシュガーを4本取り出し、躊躇うことなくそこに投下した。後はパウダークリームをスプーン大盛り3杯入れて、お湯を注げばできあがりである。プラスチック製のマドラーで撹拌したセシルは、それをトレーにおいてキッチンから出て行った。

「ロイド、コーヒーを持ってきたけど?」
「砂糖とミルクをたっぷり入れてくれたかい?」

 ロイドに声を掛けた女性は、「たっぷり」と笑って白いマグカップを彼の前に置いた。

「ただ、私としてはあなたの味覚を疑うけどね?」
「味覚については、君にだけは言われたくないねぇ。
 良いかいセシル、君の手料理にはNATO軍の兵士達も逃げ出したという実話があるんだよ」
「それでも、コーヒーに、砂糖を20グラムも入れる感覚は私にはないわ」

 セシルの反論を聞く限り、二人の味覚は五十歩百歩と言うことになる。だがその反論に対して、ロイドは意味のある甘さだと言い返した。

「僕ぐらいになるとだねぇ、通常の方法では脳への栄養補給が滞ってしまうのだよ。
 だからブドウ糖の原料を効果的に摂取する必要があるんだなぁ。
 それからもう一つ言うのなら、コーヒーはカフェインを摂取する手段でもあるんだよ」
「そんなもの、全部タブレットで片付くことじゃないの?」
「タブレットぉ?」

 縁なしの眼鏡に手を当てたロイドは、なっていないとセシルに向かって首を振った。

「僕に、『ファイトォ〜!』なんてものを期待してはいけないんだよ。
 そしてタブレットは、栄養ドリンク以上に味気ないものなんだな。
 いいかい、人というのは、目からも栄養をとる生き物なんだよ。
 だから僕に必要な栄養は、コーヒーという飲み物が必要なんだよ」
「まあ、私もタブレットとかアンプルは好きじゃないけどね……」

 ふっと笑ったセシルは、机にもたれかかって自分のコーヒーを口に運んだ。そしてロイドの叩いていた端末に目を向け、まだ終わらないのかとその進捗を俎上に上げた。

「たぶん僕は、いつまで経っても終わらない課題に取り組んでいるんだよ。
 いや、なに、終わらせるつもりは十分以上にあるんだよ。
 使徒戦のように、4〜5km程度で使うのなら、とっくの昔にパラメーター設定は出来ているんだよ。
 だけど今度の場合は、決まった位置で使うわけにはいかないだろう?
 しかも使用する距離は、数十キロに伸びる可能性が大なんだ」
「ハドロン砲という選択が間違っていたんじゃないの?
 実態弾……そうね、たとえばレールガンが使えるんじゃないの?
 そうすれば、地磁気の影響を排除することが出来るわよ」

 課題となっているのが、磁場による擾乱と反発による拡散なのだから、その影響のない素材を武器に使えばいい。単純明快なセシルの直言に、ロイドは「確かにそうだけど」と唇を尖らせた。

「そっちの方は、日本で考えているよ。
 アースガルズから提供された技術があるだろう?
 あれを槍だけじゃなくて、砲弾の弾頭にするという発想だそうだよ。
 そうすれば、より機動性のある戦闘機で使用することが出来るからね。
 もっとも、初速と運動エネルギーを考えると、戦闘機の機銃では役に立たない可能性もあるね。
 実際使徒相手では、劣化ウラン弾では役に立たなかった実績がある」
「だから、アースガルズから提供された素材を使うんじゃないの?」

 十分な運動エネルギーと特殊な素材があれば、兵器として機能するのではないか。セシルの指摘は、その一点に尽きていた。それに対して、ロイドも「一般的にはそうだけど」と同意した上で、それが成り立つのか疑問だと口にした。

「だとしたら、なぜアースガルズがその方法を採らないのだろうねぇ。
 僕は、そこに機動兵器を使うキモがあると思うんだよ」
「浸食を止められていないんだから、美学と言う事はなさそうね」

 ふむと口元を握り拳で隠したセシルは、特区第三新東京市で行われた訓練のデータを引き合いに出した。

「ほら、人類からただ一人選ばれたラウンズ……ええっと」
「シンジ・イカリかい?」
「そうそう、そのシンジ・イカリがうちのセシリアに指導しているでしょ?
 その中に、思考で体の動きをアシストするというものがあったじゃない」
「確かに、そう言った指導があったと言う記録があるね。
 そしてその指導後、ガリバーの動きが格段に良くなったというデータもある。
 デュノアのところでは、そのデータ解析に掛かりきりになっていると聞いているよ」

 セシルの言葉に補足を加えたロイドは、それでと先を促した。それを受けたセシルは、「同じことが考えられない?」と機動兵器を使うことの意味を定義した。

「そもそも使徒が難敵なのは、ATフィールドってバリアがあるからでしょう?
 大きなエネルギーがあれば破れるのは分かっているから、ハドロン砲なんて私たちが作っているわけで。
 日本でやっているのは、その別アプローチってことでしょう。
 大きなエネルギーと言うより、ATフィールドを無効化する方向だと聞いたわよね」
「槍に、使徒を倒そうという意志が載ることが重要と言いたいのかな?
 そのあたりは、大いに考えられることだね。
 そしてその前提に立つと、戦闘機の機銃ではその意志が薄れてしまう。
 もしもそうだとすると、厄介すぎるとしか言いようが無いね。
 つまりなにかい、ヘルとか言うのとの戦いは、
 種として生き残ろうという意志の戦いと言う事になるのかな?
 だとしたら、優れた兵器を開発するのもその意志だと思って貰いたいのだがねぇ」

 そう言って文句を言ったロイドに、自分に文句を言うのはお門違いだとセシルはすかさず言い返した。

「世の中が、道理で全て割り切れるものじゃないでしょう?
 それを主張するほど、あなただって若くはないと思うんだけど?」
「確かに、君の言葉でそれを理解することができたよ。
 この世の中ほど、不条理で満ちた物は無いのだと言うことにね」

 その第一は、セシルに対して年齢で言い返せないことだ。絶対に口に出しては言えないことを、ロイドは心の中で呟いていたのだった。







続く

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