機動兵器のある風景
Scene -18







 体が軋んで目を覚ますというのは、目覚めとしてはあまり上等な物とは言えないだろう。それでも救いだったのは、ベッドが比較的硬かったことだろうか。おかげで変な形で体が固まらずに済んでいた。
 そして余りよいとは言えない目覚めを迎えたシンジは、目を開いたとたん自分をのぞき込むエステルの顔に迎えられた。それ自体、丁度1年前の繰り返しのようだった。ただ、その時と違ったのはエステルの目に涙が浮かんでいたことだった。

「僕は、死んだんですか?」

 その時シンジが発した言葉は、それも1年前の繰り返しとなるものだった。それは、シンジにしては質の悪いブラックジョークに違いなかった。そしてその言葉を聞いたエステルは、笑う代わりに「バカ」と言ってシンジの胸に顔を埋めた。
 ちなみに今のシンジは、全身筋肉痛の状態にあった。そこにそんな真似をされれば、当然苦痛に悶え苦しむことになる。エステルとしては悪気はないのだが、とても効果的なシンジへの責め苦となったのである。

「え、エステル様、もの凄く痛いんですけど……」

 うめき声はさすがに押さえ込んだが、シンジの顔には苦痛から脂汗がにじみ出ていた。感じた苦痛から行けば控えめなシンジの苦情は、当然エステルに受け入れられるはずがなかった。

「バカな事を言った罰です!
 それから、あんなバカな真似をした罰でもあります!
 ぷんぷん、どうしてあんな無謀な真似をしたんですか!!」
「無謀な真似……」

 何がと一瞬考えたシンジは、ああと自分のしたことを思い出した。ちょうど記憶が復活する直前の光景、自分はレグルスと戦っていたのだと。
 ラピスラズリの忠告に従わず、無謀にも思考制御のゲインを上げて戦いに臨んだのだ。その結果、過負荷に耐えられずに体中の筋肉が悲鳴を上げることになった。その後のことを覚えていないと言うことは、結構酷いことになっていた証拠でもある。

「もう少しで、レグルス様に勝てたんですけどね……」
「あんな犠牲を払って勝っても、少しも嬉しくありません! ぷんぷん!!」

 そう言って頬を膨らませたエステルは、えいとシンジの胸を叩いた。当然苦痛が襲うことになり、再びシンジは悶え苦しんだ。エステルとしては、たいした事がないつもりでやっているのだろう。だがシンジにしてみれば、地獄の苦痛を味わうことになっていた。悪いことに、体中が固定されているため、逃げることも避けることも、そして苦痛に身もだえることも出来ないのだ。できることと言えば、うめき声を上げること、脂汗をにじませること、そしてエステルに文句を言うことだけだった。

「で、ですから、もの凄く痛いんです」
「私を、こんなに心配させた罰です!!
 ラッピーも、早く止めてくれと悲鳴を上げたぐらいなんですよ!」
「ラピスが悲鳴をですか……」
「ただの電子妖精が、あんな声を出すとは思いませんでした!」

 驚きとエステルが口にしたのと同時に、ラピスラズリが二人の聴覚に割り込んできた。

「ただのとは失礼な、私には感情素子が組み込まれているんですよ。
 単なる機械と思って貰っては困ります!
 それなのに、シンジ様は無謀な真似をするし、エステル様はちゃんと理解してくれないし。
 本当にもう、心配でしょうがなかったんですからね!」

 そして二人に向かって、真剣に文句を言ってくれたのだ。それだけ心配してくれたという意味にもなるのだが、電子妖精がそこまでの感情を持っていることも驚きだった。だがその驚きを口にする代わりに、シンジは少しだけフォローと言う名のちょっかいを掛けた。

「ラピス、心配してくれるのは有り難いけど、エステル様に理解を求めるのはちょっと酷だよ……
 って、エステル様、もの凄く痛い……くぅぅぅっ!!」

 動けないように固定されているため、シンジは身を守るすべを持っていなかった。そこにエステルが、バカと言って胸を二度三度叩くものだから、今まで以上の苦痛に悶絶することになった。

「シンジ、自分の置かれた状況を理解できないのは、ラウンズとして失格ですよ!! ぷんぷん!」
「も、申し訳ありませんエステル様。
 た、ただ、ことあるごとに胸を叩くのをやめて貰えませんか。
 気を失いそうなほど痛いんですけど……」
「だったら、もう少し私を敬いなさい!
 私が命令を出さない限り、ラッピーはシンジを止められなかったのですよ!」

 顔を赤くして、ぷっくりと頬を膨らませたエステルは、怒っているのだろうが、とても可愛らしかった。もちろん、そこまで冷静に観察できるほど、今のシンジに余裕はなかった。しかも悪いことに、そしてたぶん無意識のうちだと思うのだが、エステルはシンジの胸板をぽんぽんと叩いていたのだ。

「だ、だから、胸を叩かないでくださいっつつつ!」

 失神しそうな痛みに耐えたシンジに、「バカなことをした罰です」とエステルは繰り返した。罰といいながら、シンジが悶える様を、おもしろななどと思っていたりした。

「シンジは、ラッピーに感謝しないといけませんよ。
 あと少し停止が遅ければ、両腕の上腕筋が断裂していたんです!
 もしもそんなことになったら、3ヶ月は使い物にならないところだったんですよ!
 いくらアースガルズの医療が優れているからと言って、無茶をしていいって意味じゃありませんからね」
「僕としては、そこまで無茶をしたつもりはなかったんですけど……つつつつ痛いんです」
「口答えはしない!!! ぷんぷん!」

 どうやら、何を言っても痛い目に遭いそうだと理解して、シンジは黙ってエステルの話を聞くことにした。さもないと、二三度気絶してもおかしくない目に遭わされる気がしてならなかった。

「それで、僕はいつまでこうしていればいいんですか?」
「私が良いと言うまでです!!」

 いつまでというのに対して、エステルの答えは答えになっていないと思っていた。だがそれを指摘するのは、さらなる苦痛を呼び込むことになる。これまででしっかり学習したシンジは、いつなら許してもらえるのかと聞き直した。それでも返ってきた答えは、実際答えになっていない物だった。

「私のこの怒りが収まるまでです!
 もう、本当にかんかんになっていますからね、当分許してなんて上げません!」
「そうですか……はぁっ……」

 これだけ苦痛を味わっているのだから、簡単に直るとは思っていなかった。それを理解した上で、シンジは大きなため息を吐いて見せた。このあたりはちょっとした演技なのだが、案の定「どうかしたの?」とエステルは少し心配そうに尋ねてきた。このあたりは、怒っていても優しいと言う所を利用したのである。

「自業自得というのは分かっているのですが……
 せっかくエステル様と二人きりなのに、抱きしめることが出来ないのが辛いんです」

 レグルスの薫陶よろしく、シンジはエステルのご機嫌取りに掛かった。そのためには、目の前にちょうどいい餌をぶら下げる必要がある。抱きしめるとか、更にその先のことを持ち出せば、エステルにとっておいしい餌に見えることだろう。
 本当に深刻そうに言うシンジに、ちょっと可愛そうかなとエステルは思い始めていた。シンジが言うとおり、ようやく二人きりになれたのも間違いない。お祭りのやり直しは中止となったのだから、ドーレドーレとの約束もご破算になっている。しかもヴェルデがいないのだから、誰に遠慮する必要も無かったのだ。

 だが今のように全身拘束しては、お楽しみをすることは難しいのだろう。だが、やり方によっては何とかなるのではと考えた。さすがに両腕を使わせるわけにはいかないが、痛みさえ紛らわせば、肝心な部分を使うことも出来るだろう。きっとそうだと、エステルは自己完結をしたのである。

「両腕は、筋肉の安定まで2週間は我慢しなさい。
 ですが、それ以外の所に関しては鎮痛剤を投与すれば、悶え苦しむことはなくなりますよ」
「どうして、鎮痛剤が切れているのですか?」

 そんないい物があるのなら、最初から使っておくべきだろう。と言うか、使っていない理由に理解が出来なかった。その意味もあってのシンジの疑問に、「罰ですから」と間違いようの無い答えが返ってきた。

「私を心配させた罰だと最初に言ったはずです!!」

 そんなことを聞いた覚えはないのだが、それを突っ込むのは命知らずと言うことになる。だから大人しく矛盾を突くのをやめたシンジは、どうしたら鎮痛剤を投与してもらえるのか聞くことにした。

「それで、いつ鎮痛剤を投与してもらえるのですか?」
「私の怒りが収まるまでです!」
「じゃあ、僕はどうすればいいんですか?」

 堂々巡りになったため、シンジは回りくどい話はやめることにした。その質問に対して、エステルはどもりながら「簡単なことです」と答えた。シンジには言えないが、欲望に忠実になることにしたのだった。

「わ、私を愛してくれればいいんです」
「エステル様を愛するんですか?
 それを認めることは吝かではありませんが……
 まさか、エステル様は僕のことを疑っていたんですか?」

 カヴァリエーレにとって、己の主を愛する……と言うのは常識だったのだ。ただその愛というのは、尊敬や服従と紛らわしいのも確かだった。

「え、ええっと、別にシンジの気持ちを疑っている訳じゃなくてですね。
 その感情的なことを言っているのではなく、それを示す行為を問題としていると言うのか。
 もちろんヴァルキュリアとラウンズなんですから、お互い深い愛情と尊敬が必要なのも確かです。
 ただ、私が言っているのは、そう言う制度的な話でもなくてですね……
 その、態度で示すことと言うのか、その……」

 あまり首を動かすことも出来ないので、エステルがどんな表情をしているのかは見ることは出来なかった。だが朧気ながら、何が言いたいのかは想像をすることは出来た。しかもエステルには聞こえないように、ラピスラズリが「発情しているんです」と聴覚に流し込んできた。

「つまりエステル様は、女性器と男性器の結合を希望しているのですよ。
 碇様が動けないのは分かっているくせに、何を考えているんでしょうね。
 しかもここが、治療施設と言うことを忘れているようですね」

 聴覚では、ラピスラズリが呆れているのははっきりと分かった。ただ、「何を考えている」と言うのは、電子妖精にしては愚問に違いない。「何も考えていない」とか、「欲望に忠実」と言うのがこの場合正しい答えになる。

「エステル様、態度で示そうにも全く動くことが出来ないんです。
 それに動かなくても、筋肉に刺激を与えるだけで耐えられない苦痛に苛まれます」

 再度置かれた状況を説明したシンジに、エステルは「心配いりません!」とすぐさま答えを返した。

「特別に鎮痛剤を投与してあげますし、シンジは動かなくてもいいようにしますから」
「いやっ、さすがにここではまずいでしょう」

 エステルの答えに、朧気だった物がはっきりと形になってくれた。やはり電子妖精の観察は正確だったと言うことだ。ただ形になった物は、病院のベッドで行うにはモラルが厳しい物だった。
 もっとも、その常識を持っているのはシンジとラピスラズリだけのようだった。「別にまずい事など有りませんよ」と言い切ったエステルは、最初の日を忘れたのかとシンジに迫った。

「円卓会議議場で、口づけまでしてしまったのですよ。
 それに比べれば、ここにはベッドがあるだけ準備が出来ています!」
「いえ、このベッドはそんな目的であるわけではなくてですね……ぐぐぐぐぐ……」

 冷静にさせようと反論を試みたのだが、エステルは物理攻撃でシンジを黙らせた。攻撃と言っても、筋肉痛の胸を軽く叩くという行為である。動けないシンジに対して、非常に効果的かつ効率的な攻撃だったのだ。

「大丈夫です。
 シンジはじっとしていればいいんですからね!」

 そう言いきったエステルは、短いスカートの中に手を入れ、穿いていた下着をゆっくりと脱いだ。そしてまだぬくもりの残ったそれを、動けないシンジの顔にかぶせたのである。

「エステル様、さすがにこれははしたないでしょう!
 そ、それに、僕にはこんな趣味はありません!」
「あら、正直に嬉しいと言えば良いんですよ。
 くんかくんかと、わんちゃんみたいにしても怒りませんよ」

 さあと言ってエステルがシンジの足下に移動し、そして寝間着の下に手を掛けたとき、圧縮された空気の音共に病室のドアが開いた。このあたり、ドアロックをしない迂闊さもエステルらしいと言えた。そして開いた扉から、赤い髪をした女性が嬉しそうに声を掛けてきた。

「シンジ、意識が戻ったそうですね……これはいったいどういう状況なの?」

 そこにいたのは、知らせを聞いて駆けつけたヴェルデだった。その彼女の目に飛び込んできたのは、頭から女性物の下着を被って寝ているシンジと、病院着の下を引きずり下ろそうとしているエステルの姿だった。この状況を分析したヴェルデは、どうするのが自分のためになるのかを計算した。

「スカーレット、入り口をロックしなさい。
 私が良いと言うまで、誰も中に入れてはいけません」

 そしてヴェルデもまた、スカートの中に手を差し入れ、穿いていた下着ををゆっくりと脱いだ。もちろんエステルに倣って、それをシンジかぶせたのは言うまでもない。

「エステル、だめとは言わないわね?」
「その代わり、私が先ですよ」

 すぐさま妥協点を見つけた二人は、仲良くシンジの病院着を脱がせに掛かった。当然二人の電子妖精に、偽装工作を指示するのは忘れていなかった。その結果、シンジの入院期間が一週間ほど延び、二人のヴァルキュリアは、仲良くドーレドーレに叱られたと言うことである。



 単に新米ラウンズが自爆したのなら、特に問題となることはなかっただろう。だが自爆した新米ラウンズが、第5位を圧倒したとなると、話は微妙に変わってくる。当然のように、原因の追求が必要となったのだ。
 元来機動兵器の操縦は、モーショントレースと思考コントロールの複合だとは言われてきた。だが現実は、基本的な動作はモーショントレースに頼っていたのである。その場合の思考コントロールは、動作を加速させるための補助的な役割しか持っていなかったのだ。さもなければ、フォトン・トーピドーとかファイアーリングとかの、特殊能力発現に使われていたのである。
 その常識は、ラウンズ達の間で広く認められた物だった。その共通認識があるが故、シンジの戦い方は大きな驚きを持って受け止められたのである。もしもシンジがとった方法が有効ならば、その使い方を考える必要もあると考えられた。

 従って、円卓会議の総意として、ギムレーを使用した追試験が行われることとなった。もちろん病院送りとなったシンジが、実験に立ち会えるはずがない。そのためシンジの代役として、一番タイプの似ているサークラが実験に当たることとなった。
 「よしよし」とギムレーに乗り込んだサークラは、まず最初にわざとらしく鼻をうごめかした。

「くんくん、シンジの……匂いがする」

 くんかくんかと操縦台で鼻をうごめかし、サークラは少し口元をにやけさせた。そしてシエルに向かって、「悪いわね」とからかいの言葉をぶつけた。どうやら、本人が認めるかどうかに関わらず、シエルがシンジに気があることにしたいようだ。そのあたりは、面白いおもちゃを見つけた子供の気持ちなのだろう。火のないところに煙は立たないと言うが、サークラは火種を自分で用意しようとしていたのだ。言い方は悪いが、放火犯と似たような存在だった。
 その程度のからかいならば、相手にしないで無視をすれば良さそうなものだった。それを律儀に反応するからいけないと、カノンやマニゴルドは考えていた。もちろんそれを口に出して忠告しないのは、親切と言うより、面白いからと言うのが一番正しかった。そしてサークラのからかいに、予定通りシエルが「何故私に謝る」と反応してくれた。

「だってぇ、私の後に乗ると別の女の匂いが混じっちゃうでしょう?」
「実験の予定では、サークラ以外は搭乗しないことになっている。
 どうして、私がお前の後にギムレーに乗らなければいけないのだ?」

 それでも真面目な答えを返すあたりは、シエルの面目躍如という所だろう。もちろんそれでは面白くないと、サークラはさらなるちょっかいを掛けてきた。

「別に、実験のためとは言っていないわよぉ。
 たださぁ、なかなか他人の専用機に乗る機会っていないんだよ。
 だからシエルも、この機会にシンジの匂いに包まれてって……
 そうか、ベッドに潜り込むという直接的な方法があったか」
「どうして、私がシンジのベッドに潜り込まなくてはいけないのだ!」
「でもさぁ、共用機と違って、専用機ってやっぱり匂いが違うねぇ。
 なんか、シンジの匂いが強くて、くらくらとして来ちゃうよ。
 このまま帰ったら、リシャオに嫉妬されるかも知れないねぇ」

 シエルの反論を無視したサークラは、実験を始めようかと勝手に話を進めた。そのため彼女の電子妖精に、設定値の変更を命令した。当然通信機の向こうでは、「無視するな」とシエルが叫んでいた。

「エルメス、最初はゲインを4つばかり落としてくれるかい」
「それでも、ゲインが高すぎますかよろしいのですか?」
「ログからすると、シンジが普通に使っていたレベルだろう?
 それぐらいだったら、ボクにでも扱えると思うんだよ」

 サークラが大丈夫と笑ったので、エルメスも意見を言うことを諦めた。そして言われたとおりのゲインに設定し、準備が出来たと伝えてきた。

「んじゃまあ、ちょっと動かしてみようか」

 もの凄く軽いのりでギムレーを動かしたサークラは、最初の動きで首を傾げることになった。

「なんか、ゲインが高い割に凄く普通って言うのか……
 ボクって、実はあまり思考制御を使っていなかったのかな?
 だったら、カノン姉の真似でもしてみますか!」」

 通常なら使い物にならないのだが、真似だけならサークラでもフォトン・トーピドーを使うことは出来た。ゲインの高い機体を使えば、それがどうなるのかをやってみようと考えたのである。だがその結果は、集中がうまく行かなくて失敗と言うことになった。

「だめだねぇ、反応が敏感すぎて制御が全く出来ないよ。
 じゃあ、初歩も初歩のアクセルでもやってみようかな」

 たんなる加速なら、特殊能力のような細かな制御は必要ではない。これぐらいなら大丈夫だろうとアクセルを試したサークラだったが、すぐにその結果に後悔することとなった。ほんの少しだけ加速するつもりだったのだが、全く手加減が効かずにヘッドスライディングすることになってしまったのだ。体の動きに対して、予想外の加速が掛かってしまったと言う事だ。
 転んだ拍子に鼻を打ったサークラは、赤くなった鼻を押さえながら、「使い物にならない」と切って捨てた。何かをしようとする度に、効果が予定以上に発揮されてしまうのだ。これでは、おちおち特殊能力を使うことも出来ない。適度な鈍さがなければ、結局使いづらいだけのものになってしまう。

「ボクは、これでも器用な方だと思っていたんだけどね。
 いくらボクでも、ぶっつけ本番でこれを動かす自信はないよ。
 と言うか、多少練習したぐらいでは、使いこなすのは不可能だと思う」
「だがシンジは、それを使いこなしていたな」

 サークラの感想に、マニゴルドは事実を口にした。ユーピテルに残されたログを見る限り、最初の3戦は今の設定で使用されていたのだ。そして3人のラウンズを、戦いで圧倒したのである。

「まったく、どこまで器用な坊やなんだろうね。
 さて、今のゲインでこれだとすると、4つもゲインを上げたら何が起こるのだろうね」

 そう言って口元を歪めたサークラは、電子妖精エルメスにゲインを上げるように命令した。

「まあ、ボクの体はシンジほど柔じゃないから大丈夫だと思うけど……」

 自分にそう言い聞かせて、サークラはとりあえず右手で正拳を突く真似をした。特に加速をしていない拳は、ごく普通の正拳突きの威力を示した。
 そして次に、サークラは思考コントロールを頭の中で優先することにした。体の動きに合わせ、頭の中でも強く拳を突き出すことを思い浮かべたのである。だがかなり強く考えた割には、結果は前と全く変わらなかった。普通の威力を持った拳が、単に空を切っただけだったのだ。

「やっぱり、思考コントロールとモーショントレースの両立は難しいね。
 と言うか、頭の動きが体の動きを完全に追認しているんだ。
 だから、シンジのように機体が先に動くというのは起きていないね」
「言い換えると、イメージと体の動きが一致していると言うことか?」

 マニゴルドの質問に、少し考えてから「そうだね」とサークラは答えた。

「そう言う意味では、シンジの“頭の”反応速度はボクよりも早いことになるね。
 そして、残念なことに体の方は一歩も二歩も頭の考えたことから遅れていることになる。
 う〜ん、単純に考えれば凄いことなんだけど、使えないって意味じゃ使えない力だね。
 しかもシンジの場合、反応速度が速いだけだからね」
「速いだけのど素人だったな」
「圧倒的に速いど素人だったね」

 シエルの言葉を訂正したサークラは、「由々しき事態だ」と深刻そうに口にした。

「才能があることは認めるけど、物になるのにかなりの時間が掛かることになるね」
「確かに、肉体の鍛錬は一朝一夕では出来ないからな。
 しかもど素人を達人の域にまで持って行くには、5年や10年では足りないだろう。
 だがサークラ、どうしてそれが由々しき事態と言うことになるのだ?」

 すでに、シンジが戦力として使える目処は立ったのである。そしてシンジが完成するまでには、まだ少なくない時間が掛かると言うことが確認されたのである。シエルは、ただそれだけのことだとシエルは思っていたのに、サークラは由々しき事態と言ってくれた。ヘルとの戦いを考えれば、確かに残念なことには違いないだろう。だが由々しき事態とまで言うほどではないとシエルは考えていた。
 だが自分の隣では、マニゴルドとカノンが、サークラに同調するように「由々しき事態だ」と言ってくれたのだ。そうなると、一人自分の認識がずれているのかと不安になってしまった。

「マニゴルド殿、カノン、何か私は考え違いをしているのか?
 私には、どうしても由々しき事態とは考えられないのだが?」

 そう質問してきたシエルに、ギムレーに乗ったサークラから、もう少し自分のことを心配した方がいいと忠告された。それでぴんと来たシエルは、「勘弁してくれ」と3人に懇願したのである。

「真面目な話をしているとき、そうやって茶化すのはやめてくれないか。
 私だって、ちゃんと現実は認識しているのだ。
 だから若いときのように、いつまでも自分を負かした相手でなければなどと言うつもりはない」
「だったらシエル、いつまでも引っ張るのはやめた方がいいぞ。
 そうしないと、年齢に焦ったと結果と周りから見られるからな」
「だめよマニゴルド兄、主張を取り下げた時点で“焦った”と周りは受け取るから」

 真面目な顔で話をするマニゴルドとサークラに、「無性に腹が立ってきた」とシエルは応じた。ここのところ、何かにつけて自分の貞操がからかいの種にされている。しかもその相手が、いつもシンジと言うのはどう考えたらいいのだろう。もしかしたら、全員がよってたかって質の悪い刷り込みをしようとはしていないか。そう考えると、お腹の中がぐつぐつと煮えたぎってくるのだ。

「みんなして私をからかうが、カノンだって処女ではないか。
 しかもカノンの方が、私よりも一つ年上なんだぞ!」

 自分から話を逸らすためには、新たな生け贄を供すればいい。そのためにシエルは、一つ年上のカノンに狙いを付けた。だがせっかくの試みも、すぐさまカノンに反論されてしまった。

「べっつに、私はおかしな拘りを持っていないしね。
 最初は誰にしようかって、現在選考中なのよ。
 マニゴルド兄とも父親が違うから、シエルみたいに悩む必要はないしね。
 ねえマニゴルド兄、今晩とか時間がとれるかしら?
 私も、いちいちシエルに引き合いに出されたくないのよ。
 それに、私がしちゃえばシエルも逃げ道が無くなると思うし」

 どう? と聞かれたマニゴルドは、少し考えてから「明日ならば」と答えを返した。

「本当なら明後日と言いたいところだが、早い方が良いと言うのなら明日の夜だな。
 今晩は、メイハ・シーシーが来ることになっている」

 マニゴルドの挙げた名前に、ああとカノンは頷いた。

「メイハか……確かに、いい加減子供を作ってもいい年よね。
 でもさぁ、メイハがいなくなるとシンジが苦労するんじゃないのかな?
 メイハの次って、フェリス・フェリでしょ?
 エステル様とフェリスに挟まれたら、シンジの神経が擦り切れる可能性もあるわよ」
「確かにそうなのだろうが、俺が心配してやることではないな。
 そもそも、シンジがいるのに俺で良いのかと言う方が問題として大きいと思うのだが?」

 自分の所に、男性のラウンズがいるのである。だったら最初の子は、自分のところで種を貰うのが筋だとマニゴルドは答えたのだった。マニゴルドの言葉に、確かにそうかとカノンは頷いた。

「それに、シンジが入院しているんだしね。
 メイハも、のんびりと子作りしている暇は無いのかも知れないわねぇ。
 じゃあ、メイハのキャンセル待ちをしても良いのかな?」
「ならば、俺からメイハに聞いてみることにしよう」
「と言うことで、残るはシエルだけ……あれ、なんでサークラが?」

 せっかくからかおうと思ったのに、いつの間にかシエルの姿が消えていた。そしてその代わりに、ギムレーに乗っていたはずのサークラがそこにいたのだ。なんでと首を傾げたカノンに、「強硬手段を執った」とサークラは笑った。

「エルメスに指示をして、ボクとシエルを入れ換えたんだよ。
 だからシエルは、今はギムレーの中にいるよ。
 どうだいニンフ、シエルはしっかり発情しているのかな?」

 エルメスではなく、サークラはシエルの電子妖精に問いかけた。このあたりを見ると、ニンフもぐるになっているのかもしれない。マニゴルドとカノンにも聞こえるように接続したニンフは、「微妙」という答えを返してきた。

「やっぱり、ウブなねんねですから……
 でも、プチパニックにはなっていますね。
 ここ数日で、シンジ様も急激に“男”になったみたいですから」
「つまりシエルは、シンジの男に当てられているってことかな?」

 しししとサークラが笑ったところで、「いい加減にしろ」と切れたシエルの声が聞こえてきた。

「文句があるんだったら、こっちに戻ってくればいいだろう?
 それとも、こちらに戻ってこれないわけがあるのかな?」
「そちらで組紐の制御をブロックしておいて何を言っている!」

 ぎゃーぎゃー吠えるシエルに、サークラは「煩いなぁ」と両手で耳を塞ぐ真似をした。

「せっかくギムレーに乗ったんだから、シエルも試してみればいいのにねぇ。
 そうすれば、他人の話やデータよりも現実が見えると思うんだけど?
 それともなにかい、シンジの匂いに酔って、それどころじゃないって言いたいのかな?
 ボクじゃ駄目でも、シエルだったらうまく実験できるかも知れないじゃないか!」
「な、なんで、この程度で酔わなくちゃいけないのだっ!!!
 う、動かすぐらいなら、べ、別に難しいことではないからな!」

 動揺がありありと見えるのは、意外にサークラの言っていることが当たっていたのかも知れない。事実シエルは、コックピットに充満したシンジの匂いに、頭がくらくらしていたりした。もっとも、それが色っぽい方向かというと、必ずしもそうではなかった。
 それでもサークラが言う通り、ギムレーを動かしてみようとは考えていた。すでにサークラが実証しているが、ゲインの高さがどう影響するのかを見てみようと考えたのだ。

「確かに、歩きにくい気がするな……」

 そしていざ実験を行うとなると、色々なことは気にならなくなってくる。それだけ、シエルの集中力が優れていると言うことだろう。

「サークラが失敗した、アクセルをやってみるか……
 しかし、たかがアクセルをするのにこんなに意識することになるとはな。
 10年前は、こんなだったかな……」

 体の動きに対して、心の力がサポートを行う。それがアクセルの基本だったと、シエルは一からやり方を思い出した。そして狙いを決めて、アクセルを使って瞬間移動を試みた。

「っ、タイミングがずれる……」

 体の動きに対して、アシストのタイミングが明らかに早くなっていた。しかも掛かる力が大きくなったため、シエルは前につんのめってしまった。頭から地面に突っ込まなかったのは、それだけシエルの方がうまく機動兵器を扱えると言う事だろうか。天才と言われたのは、伊達ではないと言うことだった。
 そしてもう一度と手加減をしてみたら、今度はまともなアクセルにならなかった。

「加減が難しいなんてものじゃないぞ。
 必要とされるコントロールが繊細すぎて、まともに戦いで使える物じゃない。
 はまれば、反応速度を加速できるのだろうが、バランスがとれなければ意味がないな」
「でも、ボクに比べればまともに動いているんじゃないのかなぁ。
 しかしシエルも、まだ体の鍛練が足りなかったってのは驚きだね」

 体の反応より、心の反応の方が僅かに速いのが確認された。最強と言われるシエルがそれなのだから、実験には意味があったとサークラは指摘した。

「だが、それは当たり前のことではないのか?
 現実の体の動きは、必ず質量による慣性の影響を受けるだろう。
 だが心の動きには、重さが存在していないのだからな」
「つまり、シンジの採った方法は、ちゃんと意味があったと言う事だよ。
 もちろん、誰にでも使える物じゃないし、やり過ぎるとマイナスばかりが目立ってしまうけどね。
 思考コントロールによる初期動作タイミングの改善は、今後の強化テーマにできるんじゃないのかな」

 サークラの提案に、そうだなとシエルは素直に同意した。それがどこまで必要かという問題はあるが、機動兵器の性能強化並びにブレイブスの能力向上の手段となり得る。

「で、そっちの検討はシエルがやってくれるんだよね?」
「筆頭として、ブレイブス強化の責任があるからな。
 万人に適用できる方法ではないが、確かに強化には使えそうだ」

 自分がやるとシエルが認めたところで、サークラは見えないように口元を歪めた。これで、「シエルをシンジにくっつけてしまおう作戦」の第二弾が発動されることになる。うまいことに、本人はその企みに気付いていないようだった。

「当然、シンジと共同することになるのだな?」
「シエルは、そのことに気付いていないようだけどね」
「男ができれば、もう少し丸くなるのかしらねぇ」

 おもちゃが無くなるのは惜しいが、いい加減鬱陶しくなってきていたのだ。そして堅物を何とかして欲しいと言うのは、シエルの主ドーレドーレからも頼まれていたことだった。そのドーレドーレにしても、配下のブレイブスに泣き付かれたという実情があった。シエル・シエルの潔癖さは、周りも持て余していたと言うことだった。

「しかし、シンジが居てくれて良かったよ。
 これがレグルスだと、「私を超えない限りは絶対に許さん!」って事になるからね。
 あの二人って、そう言う暑っ苦しいところがそっくりじゃない。
 シンジだったらさぁ、シエルも保護欲をくすぐられるんじゃないのかな?」
「しかも、今回はあいつなりに意地を見せただろう。
 けっこうシエルのツボを突いているんじゃないのか?」
「後はシンジに因果を含めた方が良いのかなぁ?
 シエルがその気になるように仕向けないと、結局進展がなさそうな気がするのよ」
「そのあたりは、それとなくにしておいた方が良いんじゃないの?
 シンハ小父も、色々とシンジには言ったようだしね」

 ギムレーの操縦並みにデリケートな問題だと、トップの3人は顔を見合わせて問題点を確認した。この問題に関しては、シエルは全く当てにならないというか完璧な当事者だった。いい歳をして世話が焼けるというのが、3人に共通した思いだったのだ。







続く

inserted by FC2 system