機動兵器のある風景
Scene -17







 棄権をした方が良い、それがラピスラズリからの進言だった。シンハとの戦いから使用したモードが、シンジの体に大きな負担を掛けているというのがその理由である。しかもシンジは、レグルスと戦う準備に、更にゲインを上げる指示を出したのだ。今でも負担が大きすぎると忠告したのに、更に負担を増すのは以ての外だとラピスラズリは憤慨した。

「そんな真似をするのなら、エステル様にちくりますよ。
 ヴァルキュリア命令があれば、機動兵器……ギムレーを停止できますからね」
「そこを何とか、黙っていて欲しいんだけどな。
 せっかくレグルスとガチで殴り合いが出来るんだ。
 悔いの残らないようにさせてくれないか?」

 シンジは両手を合わせ、「神様仏様ラピスラズリ様!」と拝んで見せた。もちろん、アースガルズで作られたラピスラズリに、その言葉の意味など通じるはずがない。すぐさま、「なんですかそれ?」と言い返してきた。それでも気持ちは通じたのか、「黙っていればいいんですね?」と少し不機嫌そうに聞いてきた。

「この戦いだけでいいから、黙っていてくれないかな」
「エステル様にちくったところで、意味を理解してもらえるかと言う問題もありますが……」

 もう一度お願いと言われたラピスラズリは、仕方がないとシンジの頼みを承諾することにした。これまでの戦力分析では、今のままではレグルスに敵わないことは分かっていたのだ。そして離れての特殊攻撃は、シンハによって攻略可能だと証明されている。

「一度だけですよ」

 そう答えながら、甘い決定だとラピスラズリは自分を責めたのだった。

 どうしてあんなに動けるのか。シンジの戦闘データを見たマシロ・フーカは、示された値との矛盾をそこに見つけていた。本来慣熟を続けることで、調整値の誤差は小さくなるべきなのである。だが現実は、シンハの時から無視し得ないほど大きくなっている。得られたデータが正しければ、まともに動かせるはずがないというのがマシロの下した結論だった。

「だがシンジ様は、一段と鋭い動きをするようになっているぞ!」

 マシロに相談されたフェリス・フェリは、考えすぎではないかと答えた。フェリスの目からは、戦いを続けることで、機体の振り回しが格段に良くなっているように見えたのだ。そう思っているところに、マシロに調整のずれが大きくなっていると言われたのだ。結果を見れば、そうかと信用するのは難しかった。

「ですが、あなたたちのデータは全くおかしいところはないのですよ。
 シンジ様だけ、はっきりとずれたデータが出ているんです」
「だが、それを言われたところで、私にはどうすることも出来ないぞ。
 先ほどシンジ様に会ったが、普段と全く変わった様子は見られなかった。
 それは、調整に立ち会ったお前にも分かっていることだろう?」

 調整がずれた状態を続ければ、何らかの障害が体に表れるはずだ。だがフェリスの言うとおり、マシロの目からもシンジからは変調を起こしているように見えなかった。

「確かに、シンジ様は普段と変わった様子はありませんでした」
「シンジ様のような方は、これまで例がないと言うことだ。
 良かったなマシロ、研究という面でも良きお方に巡り会えたのではないのか?」

 前向きなフェリスの言葉に、マシロもその通りかと思い始めていた。色々と自分の常識が通用しないのを見せつけられているのだから、今度のこともきっと大丈夫なのだろうと思えてきたのだ。

「そのあたりの答えは、明日のレグルス様との戦いではっきりとするのではないのか?
 純粋な殴り合いなら、間違いなくレグルス様は最強だろう。
 だが今のシンジ様なら、きっと正面から立ち向かってくれるに違いない!
 それだけでは勝てないのかも知れないが、シンジ様にはレグルス様を圧倒する特殊能力もある!」

 誇らしげに胸を張るフェリスに、有りがたい性格だとマシロは考えることにした。こういう時に、ミユは話し相手になってくれない。必要なことには答えてくれるが、人と話をするような機能を持たせていなかったのだ。だからマシロは、ユーピテルへの接続と感情素子を追加することを真剣に考えたのだった。



 そして翌日、レグルスは9日ぶりにシンジと向かい合うことになった。そのときと違うのは、場所がテラの施設ではないこと、そしてシンジの機体が青から金色に変わったことだった。そして自分もまた、乗り慣れた愛機、ガンメタ色をしたプラズマに搭乗していたことだった。

「さあシンジ、今日はレベル制限なしの殴り合いが出来るな!」

 通信に出たシンジに対して、レグルスは先制口撃とばかりに、接近しての格闘戦(殴り合い)を持ちかけた。シンジが乗ってこないのは分かっているが、こうしてプレッシャーを与えておくのも重要な事だと理解していたのだ。そしてレグルスが予想したとおり、シンジからは「戦い方を考える」と言う答えが返ってきた。

「サークラ様の戦いを分析させて貰いましたよ。
 おかげで、いくつか有効そうな罠があるのかなと思えてきました」
「そんな物を用意する暇を、お前に与えてやると思っているのか?」

 にやりと笑ったレグルスは、口元からとがった犬歯が覗いていた。そしてさも嬉しそうに、何もさせないで倒してやると宣言した。

「フォトン・トーピドーなど準備できると思うなよ。
 あれは、カノンの姉御ぐらい強いから間合いを作ることが出来るんだ。
 ファントムだって、シンハのおじきに破られただろう?」
「一応、ミラージュも使えるんですけどね」

 戦う前から、二人はすでに神経戦へと入っていた。レグルスとすれば、シンジの特殊能力は厄介この上なかったのだ。一つでも多く潰しておかないと、本当に足をすくわれる結果になりかねなかった。そのためにも、言葉で牽制をしておく必要があった。
 そしてシンジにしてみれば、レグルスの突進を止めることが第一になっていた。そのためには、罠があるのを匂わすことが、最も有効な手段だと考えていたのだ。アーロンのミラージュにしても、まともにいけば通用しないはずだが、うまく使えば牽制ぐらいにはなってくれるだろう。そしてもう一つの意図を隠しておく必要もあったのだ。

「とにかくだ、高くなったお前の鼻をへし折ってやらないとな」
「僕の鼻は、レグルス様よりずっと低いと思いますけど?」

 ほらと言って、シンジはレグルスをはぐらかすように顔に手を当てた。普段とは違うシンジの反応に、レグルスは口元をにやりと歪めて見せた。

「なんだ、俺を前にしてずいぶんと余裕があるじゃないか」
「余裕なんて物は全くありませんよ。
 どうやって最初の突進をやり過ごすのか、知恵を思いっきり絞っているんですから」
「なんだ、最初さえ乗り切れば、何とかなると思っているのか?
 つくづく、考えが甘いのか、俺のことを舐めてくれているのか」

 ふっと笑ったレグルスは、心配するなと断言した。

「今回は、一気に勝負を決めさせて貰うからな」
「僕に負けた人のためにも、そうさせないように知恵を絞っているんです」

 シンジが言い返したところで、準備はできているのかという問い合わせが入った。その心は、何時までも待たせるんじゃないというところだろうか。その問いかけに、シンジとレグルスは「万端だ」と答えたのである。

「さて、アル、シンジはどんな作戦をとってくると思う?」
「常識的に行けば、レグルス様から距離をとってくるのかと。
 どの技を使うにしても、多少の準備時間が必要となってきますので」

 アレクサンドライトの分析は、レグルスの考えと完全に一致していた。常識的に考えて、シンジが勝機を掴むためには、特殊能力に頼るしかなかったのだ。そのためには、僅かな時間とは言え準備時間を確保する必要がある。従って、レグルスは、その時間を与えないことを第一にすることにした。

「アル、シンジが準備をしているように見えるか?」
「エネルギーの集中は見られません。
 今できることと言えば、ドゥリンダナとファントムぐらいでしょう。
 加えて言うなら、ミラージュも使用可能かと思われます」
「飛び道具は、せいぜいドゥリンダナぐらいと言うことか。
 だったら、そのタイミングを与えなければいい」

 賢人会議議長の合図を待ちながら、レグルスはバネのような体をぐっと縮めた。開始の合図と同時に、ため込んだ力を解放し、一気に接近戦に持ち込む腹だった。

「シンジに変化は?」
「今のところ、ありません!」

 アレクサンドライトの答えと同時に、議長から開始の合図が発せられた。待ちに待った合図に飛び出そうとしたレグルスだったが、その一瞬でシンジの姿を見失った。それでも何と思う前に、体が勝手に反応した。ぞくりと言う悪寒を感じたレグルスは、すぐさま感じた気配に防御の態勢をとったのだ。そして防御と同時に、激しい衝撃を左腕に感じることになった。想定もしていない、シンジからの直接攻撃を受けたのである。それこそが、シンジからの格闘戦を挑んできたことを知った瞬間だった。

「裏を掻きやがったな!」

 僅かな可能性として、接近しての格闘戦も考慮されてはいた。だがシンハとの戦いで、驚異になる物ではないと判断していたのである。だが現実は、自分よりも早くシンジは動き、自分は勘に頼らなければ防御することもままならなかったのである。レグルスとしては、有ってはならない失態だった。
 くそっと口汚く吐き出したレグルスは、劣勢を挽回するため、逆に自分から距離をとろうとした。

「逃がしませんよ!」

 だが距離をとろうとしたレグルスを、逆にシンジが追い詰めた。レグルスが逃げるのと同等以上の動きで追い迫り、両拳を雨あられと浴びせかけた。体勢を立て直すことも出来ず、レグルスは防戦一方に追いやられることになった。

「なぜ、シンジの方が速いんだっ!」
「不明です!
 ですが損傷箇所増加、回復が間に合いません!
 このまま攻撃を受け続けると、2分以内に行動不能となります!」

 切羽詰まったアレクサンドライトの報告に、分かっているとレグルスは怒鳴り返した。まさかの展開に対して、彼自身軽いパニックに陥っていたのである。そしてそのパニック症状が、レグルスの戦闘力を更に低下させていた。逆転のきっかけも掴めぬまま、レグルスは一方的に攻撃を受け続けることになった。

「稼働率低下が始まりました。
 限界突破まで、あと30秒!」
「俺が、殴り合いでシンジに負けるのか!」

 受け入れられないと叫んでも、現実は冷酷に事実をレグルスに突きつけたのである。たとえシンジの攻撃が緩んだとしても、愛機プラズマは逆転できるほど動いてはくれないだろう。アレクサンドライトのカウントダウンに、レグルスは敗北を受け入れることにした。

「鼻が高くなっていたのは俺の方ってことか……
 アル、シンジに降参を伝えてくれ!」
「畏まりましたレグルス様……いえ、その」

 電子妖精にあるまじき反応に、何が起きたのかレグルスは一瞬理解できなかった。そしてそれ以上に理解できなかったのが、降参もしていないのにシンジからの攻撃が止まったことだった。

「どうしたアル!
 こちらの意図が伝わったのか!」

 レグルスからすれば、すでに降参を受け入れているのだ。だから攻撃が止んだのも、それが理由だと思っていた。だがアレクサンドライトのやりとりは、しっかりと途中で止まっていたのだ。だから分からないと、レグルスは叫ぶことになってしまった。

「状況を確認、ラピスラズリから戦闘停止の通告がありました。
 停止理由は、エステル様の強制介入と言う事です!」
「なぜ、エステル様が介入してくるのだ!?
 シンジの奴が圧倒していたんだ、介入する理由がないだろう!」

 おかしいと言うレグルスに、それ以上の情報がないことをアレクサンドライトは伝えてきた。ただその中で一つだけはっきりとしていたのは、この戦いの勝者はレグルスになったと言うことである。

「強制介入に伴う停止措置のため、ギムレー回収にリュートが出るそうです」
「プラズマは、戻ることができるのか?」
「損傷率は高いですが、徐々に回復してきています。
 歩いて帰るぐらいなら、十分に可能です!」

 アレクサンドライトの報告に、レグルスは「そうか」と小さく呟いた。そして思い出したように、シンジと連絡が取れるのかと聞き返した。

「申し訳ありませんが、強制介入措置によりシンジ様との通信は制限されています」
「ならば、戻ってから問い詰めることにする!」

 賢人会議議長からは、レグルスが勝者と紹介されていた。だがレグルスにしてみれば、その宣言は屈辱以外の何ものでもなかったのである。たとえシンジが自滅をしたとしても、自分はただ一方的に殴られ続けていたのだ。何もしていない自分に、勝者を名乗る価値など無い。憤懣やる方のない気持ちを抱いて、レグルスはゲートへと戻っていったのだった。
 そしてレグルスが動き出すのと同時に、すみれ色の機体がラウンドコロシアムに現れた。そしてその機体は、シンジのギムレーに肩を貸す形で、反対側のゲートへと進んでいったのだった。

 こうして後味の悪すぎる形で、兄弟分の戦いは終了することになったのだった。



 シンジの先制攻撃は、見る者全てが信じられないほど見事な物だった。まさか格闘の天才レグルスを、それ以上の力で圧倒するとは誰も考えていなかったのだ。それもあって、賢人会議議員やヴァルキュリア達から、驚きの声が観覧室にあふれかえることになった。
 そしてエステルも、予想もしないシンジの攻撃に、我を忘れて熱狂することになったのである。今までの鬱憤を考えれば、そうなるのも仕方の無いことだった。自分の地位とかそんなことを忘れ、エステルは純粋に格好の良いシンジを喜んだのである。ラピスラズリの緊急警告を受け取ったのは、エステルが両手を上に突き上げ、「いけぇっ!」と叫んだときのことだった。

「エステル様、ヴァルキュリア権限に従い、緊急介入を行うことを提言します。
 このまま戦いを続けさせると、シンジ様が長期離脱することになります!」
「ち、ちょっとラッピー、シンジは圧倒的に勝っているじゃない!」

 すぐに止めろと言われても、エステルが事情を理解できるはずがない。聞き直したエステルに、緊急事態ですとラピスラズリは繰り返した。

「最初の攻撃で、シンジ様の両腕上腕筋が断裂しかけています。
 また大腿筋にも、深刻なダメージが発生しました。
 このまま行きますと、数ヶ月単位で戦線離脱することになります!」
「そ、そんなっ!
 それでシンジは大丈夫なのですか!!」
「大丈夫でないから、止めてくれと言っているんです。
 エステル様の承認がないと、私からギムレーを停止させることができません!
 早くご判断いただかないと、取り返しの付かないことになります!
 さっさと命令してください!」

 まともに考えれば、電子妖精が悲鳴を上げるなどと考える事はできない。だがエステルは、ラピスラズリが悲鳴を上げているように聞こえていた。だから細かな判断の全てを飛ばして、ラピスラズリに「緊急介入」の命令を発した。

「直ちに、ギムレーを停止させなさい!」
「命令確認、ギムレーを停止させます!」
「ラッピー、すぐにシンジに繋ぎなさい!」

 戦いの最中に緊急停止をしたのだから、レグルスからの反撃も予想されていた。だが相手のレグルスは、緊急停止を理解したのか、何の反応も起こしていなかった。それに安堵したエステルは、直ちにラピスラズリにシンジとの通信確保を命令した。だが返ってきたのは、「今は無理」と言う答えだった。

「停止と同時に、意識を失われました。
 ギムレー回収のため、フェリス様の派遣を提案致します!」
「フェリスはどうしています?」
「リュートに、強制転移してあります!」

 そちらの方は、エステルの判断を待たなくても実行することができる。全ての支度を調えたラピスラズリに、よろしいとエステルは頷いた。

「直ちに、フェリスを回収に向かわせなさい!
 それから、シンジの詳しい情報を私に転送すること!
 私は、これからドーレドーレ様に事情を説明してきます!」

 短めのスカートを翻し、エステルはドーレドーレに説明すべく行動を始めた。すでにドーレドーレも、説明を求めるように自分の方を見ていたのだ。非常事態に直面して、エステルの顔からは甘えたような影は消えていた。



 観戦を見守っていたラウンズ達にとっても、二人の戦いは予想外としか言いようが無かった。これが攻めるのがレグルスであれば、いつもの通りと考える事ができた。だがシンジが一方的に攻めているとなると、何が起きたのかと言いたくもなる。

「まるでど素人なのだが……」
「圧倒的に速いど素人ってことね。
 あのレグルスを速さで上回るだなんて、未だに信じられないわ」

 シエルが漏らした言葉に、自分もそう思うとカノンも同調した。格闘戦だけをとってみれば、最強はレグルスと言うのが彼女たちの一致した考えだったのだ。そのレグルスに対し、速さだけでシンジが圧倒したのだから、自分の目を疑うのも仕方の無いことだった。

「しかも、レグルスの奴はパニックを起こしているな」
「それは、この私でも信じられないぐらいだからな。
 テラでも戦っているレグルスが、受け入れられないのは仕方が無いだろう」
「ただ、このままだとレグルスが負けることになる!」

 マニゴルドの重い言葉に、そうだとシエルも頷いた。距離をとるなり、反撃するなりできれば、頭を冷やして対処を考える事ができるだろう。だがそうはさせじと、シンジがラッシュを続けている。そうなると、機体損傷が積み重なり、すぐにでも動けなくなるのは明白だったのだ。強くなっていたとは考えていたが、これはそのレベルを超えているとシエルは考えた。

 だが二人の戦いは、見ていたラウンズ達の想像とは違う形で決着した。これで決着かと思った瞬間、シンジのギムレーが停止したのだ。それだけを見れば、レグルスが降参した、もしくはとどめを刺さずに降参を迫ったとも考えられる。そしてそれを裏付けるように、レグルスからは反撃は行われなかった。その事実を持って、シンジの勝利と誰もが考えたのである。
 だが続いて賢人会議議長から、レグルスが勝者と宣言されたのである。さすがに、ラウンズ達にも想定外すぎる出来事だった。

「ニンフ、何が起こったのか報告しろ!」

 議長が勝者を判断したと言うことは、すでに情報がユーピテルに上がっていると言うことになる。それを自分の電子妖精に求めたシエルは、返ってきた答えに自分の耳を疑うことになった。

「エステル様が、二人の戦いに強制介入を掛けただと?
 なぜ、エステル様がそのような真似をされたのだ?」
「ログを検索したところ、ラピスラズリからの進言と言うことになっています。
 いずれにしても、エステル様の強制介入により、シンジの敗北と決定されました」

 電子妖精ニンフからの報告に、シエルはもう一度何故だと首を傾げることになった。強制介入自体の理由は分からないが、あとコンマ何秒か介入が遅ければ、シンジの勝利で決着が付いていたはずなのだ。よほどの緊急事態がない限り、それを待っても結果は変わらないはずだった。
 だがさらなる電子妖精ニンフからの情報に、よほどのことが起きたのだとシエルは理解した。シンジを回収するため、フェリスが機動兵器で出ると知らされたのである。そこから分かるのは、パイロットのシンジ自身に重大な問題が起きたと言うことだ。

「ニンフ、追加の情報はないか?」
「エステル様の手配で、外科医が緊急招集されています。
 シンジ様に、外科的処置が必要と言うことになります」
「いったい、何が起きたのだ……」

 二人の戦いを見る限り、シンジが深刻なダメージを受ける状況は見られなかった。それにもかかわらず、外科医達が招集されたというのである。ならば戦い以外に、その原因を求めることになる。

「シンジのメディカルは、常にチェックされているのだな?」
「ラウンズとして、観察対象に入っています。
 少なくとも、チェック結果に問題は報告されていません」

 ますます分からんとシエルが呟いたとき、まずい事になったとマニゴルドは声を掛けてきた。

「まずい事、シンジのことを言っているのか?」
「確かにシンジの問題は大きいが、レグルスのケアも必要になる。
 すっきりと負けたのならいざ知らず、こんな戦いで勝ってあいつが納得できると思うか?」
「納得できるかどうかに、いちいち関わり合っていられるか!」

 吐き捨てるように言ったシエルに、少し落ち着けとマニゴルドは忠告した。

「シンジは分からんが、レグルスは心に傷を負った可能性があるのだぞ。
 俺たちラウンズは、ここまでぎりぎりの戦いをしていいものではないはずだ」
「確かにそうだが、だからと言って私たちに何かが出来るわけではない!」
「だから、まずい事になったと言っているのだ」

 結局、マニゴルドにも打つ手がないと言うことになる。それを確認したシエルは、気を落ち着けるように小さく深呼吸をした。

「まず、私たちが落ち着くことから始めなければいけないか。
 予想外のシンジの戦い、そして思いもしない決着に、私たちも平静さを失っていたな」
「それは、確かにシエルの言うとおりなのだろう」

 冷静さを失っているという指摘は、マニゴルドも認めざるを得ない物だった。それを認めたマニゴルドは、シエルに倣って大きく深呼吸をすることにした。

「ニンフ、シンジの機体データを出すことは出来るか?
 同調率、トレース誤差、調和誤差を出してくれ」
「今の戦いのデータでよろしいのですね?」

 それを確認したニンフは、ユーピテルから該当データを検索し、すぐにシエルへと提供した。一目で異常と分かるデータに、シエルは「でたらめだ」と思わず零すことになった。

「どういうことだ?」
「何もかもでたらめすぎると言うことだ。
 モーショントレースがモーションをトレースしていない。
 なぜ体の動きより、機体の方が先に動いているのだ。
 思考制御のゲインはめちゃくちゃだし、体の動きとの誤差も……もはや誤差というレベルじゃない。
 どうしてこれで、あのような動きをすることが出来る!?」

 もう一度めちゃくちゃだとシエルが繰り返したとき、同じデータを見たサークラが、仮説が成り立つと口を挟んできた。

「このデータで、どんな仮説が成り立つというのだ?」
「う〜ん、かなりこじつけに近いんだけどね。
 ほら、この戦いでシンジは全く特殊能力を使っていなかっただろう?
 それから、シンハ小父との戦いでも、最後の方は特殊能力を使わなかったじゃないか。
 しかもあのときは、いきなり動きが良くなったという事実があるんだ。
 そこから、ボクは一つの仮説を立てることにしたのだよ」

 いいかいと言って、サークラはシエルやマニゴルド、そしてカノンに向かって声を潜めた。

「ボクの立てた仮説はそう、シンジは思考コントロールで機体を動かしていたんだよ。
 ほら、ボク達も経験があると思うけど、体が頭に付いてこないことがあるよね。
 それを克服するため、ボク達は小さな頃から格闘の訓練を受けてきているはずだ。
 だから、よほどのことがない限り、頭で考えた動きと体の動きは一致するんだ。
 だけどシンジは、そっちの方面では全く素人だろう?
 だから、ぎりぎりの状態では思った通りに体が動いてくれないんだよ。
 それが、シエルの言った思考制御とモーショントレースの誤差……と言うことになるんだ。
 本来その誤差は、誤差とならないように調整する性質の物なんだけどね。
 だけどシンジは、敢えてその誤差に目をつぶって機動力を上げることを選んだんじゃないかな?
 でも、そんなことをしたら、体の動きはブレーキになるよね?
 しかも誤差が大きくなればなるほど、強いブレーキを掛けた状態になるだろう。
 それを振り切ってあれだけの動きをしたら、今度はブレーキが壊れることになるんじゃないのかな?」
「だが、思考コントロールでそこまで動ける物なのか?
 皆も練習したことがあると思うが、体を動かした方がずっとマシな動きが出来るぞ。
 単純な動きならいざ知らず、格闘戦を思考コントロールだけで乗り切れる物じゃない」

 サークラの説明は、確かに仮説としては妥当な物だったのだろう。だがそこに含まれる問題を、すぐにシエルは指摘することになったのである。そしてサークラは、シエルの疑問に同意しつつも、それが原因ではないかと自説を展開した。

「そのあたりは、まさしくシエルの言うとおりだと思うよ。
 だからシンジは、ブレーキを掛けたまま思考コントロールのアクセルを踏み続けたんだ。
 そうしないと、殴り合いをする感覚が掴めなかったんだろうね。
 そしてもう一つ、そんな真似が出来るのはシンジだけと言うことだよ」

 凄いねと苦笑するサークラに、シエル達も同じように苦笑を浮かべた。サークラの仮説が正しいとすると、シンジのしたのは確かに凄いことに違いない。そして未熟な格闘技を補うために、精一杯知恵を使ったと言うことにもなる。凄いことは凄いことなのだが、ラウンズ同士の戦いを誤解しているとシエルは考えたのである。ラウンズ同士の戦いは、あくまで訓練の延長線上にある物なのだ。

「シンジは、我らの戦いをはき違えているのではないのか?」
「必ずしも、そうとは言い切れないだろう」

 従って、シエルはシンジの戦い方への疑問を口にしたのだが、マニゴルドはそれも早計だと反対意見を口にした。

「なぜだ、そこまで無理をして戦う物ではないはずだ。
 これで大けがなどしようものなら、本来の役目に支障を来すことになるのだぞ!」
「そうは言うが、俺たちが戦うのは、お互いの限界を知るためではなかったのか?
 だとしたら、許される範囲で限界ぎりぎりまでの戦いをするのはおかしくないはずだ。
 少なくとも、シンジの攻撃はレグルスを殺すための物ではなかっただろう。
 シンジが限界を探ろうとして、少し行きすぎただけと考える事もできる。
 元を正せば、祭りのやり直しを主張したのは俺たちだというのを忘れてはいけないぞ。
 それがなければ、シンジもここまで無理をする必要がなかったのだからな」

 2ヶ月前の戦いに納得がいかないと言われれば、それ以上のことをしなくてはいけなくなる。そのプレッシャーを与えたのは、ヴァルキュリアを含め、円卓会議の全員なのだ。それを棚に上げるのは、責任のある立場の者がすることではないとマニゴルドは主張した。

「確かに、そう言われればそうなのだが……」

 マニゴルドの反論に、文句を言っていたシエルも黙らざるを得なかった。それが建前であることは分かっていても、どちらが正論かと言われればマニゴルドの方が正しかったのだ。そしてアースガルズに来て2年、そしてラウンズになって4ヶ月足らずのシンジに、空気を読めと言うのがそもそも無理な要求だった。

「いずれにしても、憶測で話をしても意味はない。
 問題があるのなら、落ち着いたところで改めていけば良いだけのことだ。
 幸い、ヘルへの対応までは時間が残されているのだからな」
「確かに、マニゴルド殿の言う通りだな……」

 駄目だとシエルが頭を振ったとき、「情報が入ったよ」とサークラが割り込んできた。

「シエルの思い人のことだけどね。
 おおよそボクの仮説通りの事が起こっていたようだね」
「ちょっと待て、私の思い人とは誰のことを言っているのだ!」
「ちなみに、招集された外科医は、現在手術に入っているとのことだよ。
 ユーピテルから得た情報によると、両上腕筋が断裂寸前。
 大腿筋他は、重度の肉離れ状態らしいね。
 後は数カ所に筋肉痛が起きるぐらいだろうけど、まあ他の痛みに隠れちゃうだろうね」

 シエルの抗議を無視したサークラは、凄いねと言って新しい情報を披露した。

「ラピスラズリからの申告で、急遽エステル様が強制介入を行ったと言う話だったね。
 正確には、ラピスラズリは戦闘開始直後にエステル様に依頼をしたらしいよ。
 ただ、そうは言われてもすぐに理解できる話じゃないだろう?
 だから強制介入は、あれだけぎりぎりのタイミングになったと言うことさ。
 そう言う意味では、レグルスも運がなかったね。
 もう少し遅くなれば、すっきりと負けることができたんだよ。
 それにしても、よくもまあ、シンジは戦い続けることができたものだよ。
 シエル、なかなか良い根性をしているとは思わないかい?」
「それは認めるが、なぜ私の思い人になっているのだ!」

 話を聞いて貰えると思っての抗議だったが、再びサークラはシエルの抗議を無視した。そしてもう一つの情報と言って、勝者となったレグルスのことを持ち出した。

「マニゴルドの心配したレグルスだけどね。
 どうやら心配するような状態じゃなかったようだね。
 プラズマから降りてすぐ、シンジのところに怒鳴り込みに行ったという話だよ。
 もっとも、今の状態で会わせて貰えるはずがないから、門前払いを食らったようだよ。
 その後は、アルテーミス様が引き取りに来たと言うことらしい。
 その前には、かなり暴れたという話が伝わってはいるけどね。
 たぶん、取り押さえるのには苦労しただろうねぇ」

 しししと笑うサークラに、マニゴルドは微苦笑を返した。あまりまじめに肯定するものではないと思っていても、その場の光景が目に浮かんでしまったのだ。

「だから、アルテーミス様が引き取りに来たと言うことか」
「まあ、レグルスはアルテーミス様にベタ惚れだからね。
 心配して駆けつけられたら、暴れるわけにはいかないだろうさ」
「ああ、アルテーミス様に任せておけば心配ないだろう。
 それに、納得がいかないと暴れるぐらいだ、心に傷を残すこともないだろうな」
「うんうん、なかなか元気で良いじゃないか!」

 満足そうに頷いたサークラは、口元をにやけさせてシエルへと向き直った。その表情に潜む邪悪さに、さすがのシエルも一歩下がってしまっていた。

「な、なんだサークラ?」
「いやぁ、なにね、シエルの悪あがきに付き合ってあげようかなと思ったんだよ」

 にやぁと笑ったサークラは、「そんなに心配かい?」とシエルをからかった。

「な、なぜ、私がシンジを心配しなくてはいけないのだ!」
「ボクは、一言もシンジとは言っていない……と言うお約束はさておき。
 いつもは冷静沈着なシエルが、どうしてそこまで動揺しているのかな?
 シエルの言う暗黙の約束だけど、これまでも祭りで大けがすることは珍しくなかったはずだよ。
 どうして今回だけ、そんなにヒステリックに叫ぶのかな?
 そのあたりの説明を、キッチリしてくれると嬉しいんだけど?」

 どうと迫られたシエルは、答えに詰まり視線を宙に彷徨わせた。そんなシエルに、マニゴルドが助けにならない助け船を出してきた。正確には、足を引っ張ると言うのが正しいのだろう。

「サークラ、24になってもシエルはお子様だというのを忘れるな。
 お前の質問に論理的に答えたら、それはもうシエルではなくなるだろう」
「うん、確かにマニゴルド兄の言う通りだね。
 うんうん、お子様のシエルには難しい話だったか!」

 ごめんごめんと謝られても、からかわれているようにしかシエルには思えなかった。そしてその感想は、極めて正しい認識だったのである。実際マニゴルドやサークラは、「ようやく色気づいてきたかと」感心していたほどだった。もちろん、二人ともそんなことを口に出して言うはずは無かったのだが。







続く

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