機動兵器のある風景
Scene -15
マニゴルドに対して、フラン・フランはお気楽な答えを返していた。だからと言って、勝負に拘りがないかというと、話は微妙に異なってくる。負ける事をよしとするつもりもないし、勝った方が気持ち良いと考えているのも確かだった。だからシンジとの対戦前には、色々と作戦を練っていたりした。
「まったくぅ、技のデパート状態だね。
となると、私の必殺技も使えると見るのが賢明ということね」
彼女の電子妖精、ピローの手を借りて分析したのだが、定説以外にこれと言った対応策は出てこなかった。技の豊富さから言って、離れての戦いは圧倒的に不利と出たのだ。
「やはり、フォトン・トーピドーは厄介と言うことです」
「つまり、最初から必殺技を乱発するしかないと言うことか……」
さもなければ、負けた二人と同じ接近戦に持ち込むことだろう。罠さえ気をつければ、それも一つの手に違いない。だが似たような実力を持つ二人は、まともに触れることもなく蹴散らされてしまった。そうなると、裏を掻くのも一つのやり方に違いない。
「そうなると、気が進まないけど空牙の威力を上げるか」
「しかし、一歩間違うと搭乗者を危険に晒しますが?」
いかがなものかというピローの指摘に、そのときはそのときとフランは割り切ることにした。これまでの戦いを見る限り、それぐらいしないと通用するとは思えなかったのだ。
「空牙で先制攻撃を掛け、後は接近戦に持ち込んでシンジを仕留める」
「確かに、今のところ有効な手段はそれぐらいでしょうね」
ピローが同意したことで、フランの作戦は決まったことになる。後はどこまで、必殺技の威力を高めて良いのかと言うことだった。そしてどれだけ連発すればいいのか。フランは、シンジとの戦いをシミュレートしたのだった。
そして現実と向き合ったとき、フランはどうしようもない理不尽さを味わうことになった。3日目の戦いで、フランは作戦通り空牙で先制攻撃を仕掛けたのだ。これまでの2戦では、誰も飛び道具を使っていない。だからシンジの出鼻をくじくには、遠隔攻撃空牙は有効だと考えたのだ。
だが拳を繰り出して放たれた空牙は、シンジが軽く右手を振るだけでかき消されてしまった。そして空牙を消したシンジの攻撃は、地面を切り裂きながら自分に迫ってくる。軌跡が見えるおかげで避けることは出来るが、自分の攻撃が通用しないのだけははっきりとしてくれた。
「これって、本当にドゥリンダナ?」
「技の威力が、微妙に増していると出ています」
マニゴルドの技なら、空牙と相打ちになって消滅するはずなのだ。だが現実は、空牙だけ消えてシンジの攻撃は自分に襲いかかってくる。
「まったく、こう言うのって反則じゃないの!」
地面を切り裂いてくれるお陰で、技の軌跡は見えている。それを利用して攻撃を避けたフランは、空牙での攻撃を諦め接近戦に活路を求めることにした。シンジの技が見えている内に、打開策を求めなければ手遅れになる。その思いを込めた接近戦なのだが、すでに追い詰められた事実は変わりようがなかった。
シンジの攻撃を避けながら接近したフランは、突然真っ正面に巨大な光球を見せつけられることになったのだ。つまりシンジの攻撃は、この罠に誘い込むためのおとりと言うことになる。避けようもない場所に現れた光球に、フランはとっさに負けを宣言した。このまま巨大なフォトン・トーピドーに晒されたら、自分の身は大丈夫としても愛機リンネが深刻な打撃を受けることになる。
「ドゥリンダナは、私を誘い込む罠ってことね」
「そうですね、避ける方向を制御することで、フランさんの行動を制限させて貰いました」
「それで、敢えて見えるように攻撃してきたと言うことか……」
その罠に、フランはまんまと填ってしまったことになる。舐めてかかったわけではないのに、完全に手玉にとられてしまったことになる。自分の完敗を認めたフランは、シンジの成長を褒めたのだった。
「でも、本気にさせられなかったのは悔しいかな?
私程度じゃ、近づくことも出来ないってことか」
「まあ、うまく作戦が当たったせいだと思ってください。
自分オリジナルの技で勝っている訳じゃありませんから、まだまだだと思いますよ。
今は何とか、接近してガチの格闘戦になるのを避けている段階ですから」
実力的にはまだまだと苦笑するシンジに、高望みをしすぎだとフランは窘めた。機動兵器に乗ってまだ1年だと考えると、ここまで出来る方がむしろおかしいのだ。格闘の天才レグルスでも、ラウンズ就任直後にここまでの実力は出せていなかった。唯一匹敵するとしたら、いきなり第二位になったシエル・シエルぐらいだろう。それにしても、その前には長い訓練期間があったのである。
「私程度じゃ役に立たないかも知れないけど、練習したくなったら声を掛けてくれ。
何のかんの言って、強い男が生まれるのは嬉しい事だからな」
「では、近いうちに胸を貸してもらいに行きます」
「貸すのは、胸だけで良いのかしら?」
ふふふと笑ったフランに、シンジはすぐさま「ごめんなさい」と謝った。フランが冗談を言っているのは分かっているが、連夜のおつとめのおかげで、女性に対する恐怖が芽生え始めていたのだ。いくら綺麗で可愛くても、際限なく求められれば辛くなってしまう。
過剰に反応したシンジに、「あのね」とフランはほおを膨らませた。いくら何でも、断るのが早すぎるし、しかもごめんなさいは無いと思うのだ。フランの文句は分かるが、シンジはシンジで結構切実だったりした。
「でも、今晩も呼ばれているんですよ」
そう言って情けない顔をされると、どう答えて良いのか分からなくなる。二人の顔を思い出したフランは、変われば変わるものだと感心していた。特にエステルは、いったい何が起きたのかと思えてしまうほどの豹変ぶりだ。だからフランは、からかう代わりに「精の付くものを食べることね」とアドバイスにならないアドバイスをした。
「それから、それとなくルミネ様から注意して貰おうか?」
「もしもお願いできるのなら、是非ともお願いします……
この調子だと、明日も明後日も、その次も寝かせて貰えなさそうですから」
切実なシンジの叫びに、考えておくとフランは答えたのだった。このままだと、自分が恩恵にあずかれなくなってしまうのだ。
シンジを寝かせていない張本人、エステルはその日も絶好調だった。シンジが寝ていないのなら、その原因であるエステルも寝ていない、と考えるのが普通なのだが、残念ながらエステルにその普通は通用しなかった。シンジが朝の調整に出て行ってから、お昼までの時間でしっかりと睡眠をとっていたのである。その分メイハにしわ寄せが行くのだが、主のためですと全部仕事を押しつけていた。
「私にしわ寄せが来るのは構いませんが……」
観覧席で喜んでいるエステルに、メイハはシンジを酷使しすぎだと忠告した。メイハの目から見ても、シンジに疲労の色が見て取れるのだ。いくらラウンズがタフだと言っても、世の中限界というものが存在する。しかも二人がかりで毎日となると、その限界も簡単に超えてしまうだろう。
「ええ、でもですよ、毎晩シンジはギンギンになっていますよ」
「ギンギン……ですか、はぁ。
良いですかエステル様、これから男性のデータをお見せしますから、
ご自分のなさっていることを考えてみてください」
そう前置きをしたメイハは、ラピスラズリに各種データを整理して見せるようにと指示を出した。ラピスの示したデータには、性交渉中に死亡した男性の死因まで含まれていた。それを見せなければいけないほど、メイハの目からは深刻な状況に見えたのだろう。
「いくらシンジが若いからと言って、過ぎれば体に良くないのは間違いないのですよ。
ヴァルキュリアの務めとして、ラウンズの健康管理があるのをお忘れ無く。
今のシンジは、毎日ほとんど寝ていないのではありませんか?」
「寝ていないって、毎日私と一緒に寝ていますけど?」
「寝るというのは、ギシギシアンアンではなく、グーグーという意味です!」
少し切れ気味のメイハに、エステルは言い方が悪いと言い返した。
「でしたら、睡眠が不足していると言ってください。
それになんですか、ギシギシアンアンって……少し卑猥じゃありませんか?」
「それをよく口にされていたのは、いったいどこのどなたでしょうか!?」
本当に切れかけたメイハだったが、相手は主と何とか気を静めることに成功した。と言うか、エステル相手に切れたら負けだと思い出したのだ。
「そんなに、シンジは眠っていないのですか?
確かに、私は少し睡眠不足になっていますけど……
だって、シンジが寝かせてくれないんですもの」
怒ったら負けだと思っていたが、この脱力感はどう表現したものだろうか。だがいくら疲れても、ここでシンジを守れるのは自分一人だとメイハは再確認した。そして同時に、まだまだ引退できないのだと、シンジの置かれた環境を理解した。もしも自分の代わりにフェリスが補佐に付いたなら、エステル達と一緒にシンジに迫ることは疑いようもなかったのだ。
「事情はどう有れ、どちらがせがんだのかもどうでも良いことです。
ラピスラズリは、はっきりとシンジの生体データに不調の兆候を検出しています。
このまま行くと、エステル様にとっても好ましくない事態を引き起こすことになります。
シンジが過労で倒れても良いと仰有るのですか!」
「それは……そんなことを言うつもりはありませんけど……
で、でもですよ、どうして同じことをヴェルデに言わないのですか?
毎日シンジにせがんでいるのは、ヴェルデだって一緒じゃありませんか!」
やっぱりせがんでいるのだなと、メイハはエステルの言葉で確信することになった。そして他人にも責任を押しつけるあたり、まだ自覚が足りていないのだと嘆いたのである。
「カヴァリエーレに対する責任は、エステル様にあることをお忘れ無く。
もしもシンジが倒れでもしたら、エステル様には酷いペナルティが来ることになりますよ。
それからヴェルデ様ですが、サラ・カエル様が同様の忠告をすることになっています。
それでエステル様、シンジのことをどうなさるおつもりですか!」
メイハがどんと机を叩いたのに、エステルは反射的に背筋を伸ばしてしまった。そしてすぐに、申し訳なさそうに「明日からでは駄目ですか?」と条件闘争に移ってくれた。
「エステル様は、なぜ私が強く申し上げているのかおわかりではないようですね」
ぎろっとメイハに睨まれ、エステルはもう一度背筋を伸ばして「はい」と答えた。
「で、でしたら、一緒に眠るのは大丈夫なのですよね?」
「そこでおねだりをなされなければ、問題は無いでしょう。
もちろん、命令するのは以ての外ですよ」
「やっぱり、駄目なんですか……」
そこで残念そうな顔をするところを見ると、おねだり、若しくは命令するつもりが満々だったと言うことだろう。これまで何を聞いていたのかと言う怒りを込めて、「駄目です」とメイハははっきりと言い切ったのだった。
そして同じ頃、ヴェルデもサラにこんこんと説教をされていた。一日二日は微笑ましいと見ていられたのだが、三日四日と続けられると、さすがに口を挟まなければいけなくなる。しかも主だけでなく、エステルと二人がかりで搾り取っているとなると、さすがにシンジが哀れに思えてしまうのだ。それにラウンズとして、いくら非公式戦でも戦いを疎かにさせるわけにはいかなかった。
「お食事へのご招待までは大目に見ましょう。
ですが、それ以上のことはしばらくお控え願いたい」
すでにこんこんと説教されたこともあり、ヴェルデはサラの前ですっかり萎れていた。もっとも、心の中では「寝かせないエステルが悪い」と責任をしっかり転嫁していたりした。そしてもう一つ、「おねだりに応える方も悪い」とシンジにまで責任を振っていたのである。
もちろん、そんなことを持ち出せば、サラのお説教が続くことになるのは分かっている。だからしおらしく、サラの話を聞いていたのである。
「ええっと、キスして貰うのとか、抱きしめて貰うのは、駄目?」
それでもどこまで良いのかを探る質問をしたのだが、とても冷たい声で、「それだけで我慢できないでしょう?」と言い返されてしまった。我慢できないことは承知の上で、そこからなし崩しを考えていたヴェルデだが、サラの視線に諦めざるを得ないことを理解した。
「エステルと相談して、日にちを空けることを考えてみます」
「厳しいように聞こえるかも知れませんが、それがヴェルデ様の為にもなるのですからね」
分かればよろしい。そう言って、サラはヴェルデを解放したのだった。ちなみに、今回3連勝したことでシンジの株は上がっている。若い男性ラウンズが貴重と言う事もあり、女性ラウンズとしても保護に掛からなければならなかったのだ。従って今回メイハとサラが指導の役目を行ったが、そのあたりの指示はシエル達から出ていたのである。
次に何時生きの良い男性ラウンズが誕生するのか分からない以上、共有財産として長持ちさせなければいけないと考えたというのが実態である。
お互い説教をされたこともあり、ご機嫌という意味ではたいそう斜めになっていた。そして説教を受けた原因を、お互い相手になすりつけることにしたのだ。ヴェルデにしてみれば、エステルがちゃんと眠る時間を確保すれば問題ないのである。だから夜遅くならないように帰していると思っていたのだ。自分との時間から計算すれば、短くても睡眠をとる時間は確保できると考えていた。
だがエステルにしてみれば、シンジは自分のカヴァリエーレなのである。だからヴェルデが遠慮をすれば、説教されるようなことにならなかったと考えていた。従って、責任の所在は遠慮をしないヴェルデと言う事になる。ラウンズ推挙の後見人と言う事情は、この際考慮の枠から綺麗さっぱり外れていた。
その二人がばったり顔を合わせたのだから、お互い内心穏やかであるはずがない。すでに心の中で責任転嫁をすませているだけに、戦闘準備も万端、調っていたのだ。
「あらエステル、丁度良いところで会いましたね」
「これはこれはヴェルデ様、私も丁度お会いしたいと思っていたところですわ」
微妙に口元を引きつらせ、目元もひくひくと動いているのだが、ヴェルデとエステルは正面から向かい合った。その様子を見る限り、極楽とんぼとも言われたエステルの面影はどこにも見あたらない。そしてお子様とバカにされていたヴェルデの面影も見つけられなかった。
「年上として、あなたの非常識さに指導が必要だと気がつきましたの」
「あら、ヴァルキュリアとしては私の方が先輩ですのよ。
先輩として、非常識な後輩に指導するのは義務だと思っていますわ!」
ほほほと顔では笑っているが、二人とも背中に炎をしょっていたりする。ただ漫画的表現をするのなら、ヴェルデは三毛の子猫が顔を洗っているし、エステルは柴の子犬がボールと戯れていると言うところか。おどろおどろしさの割に、実は締まらないにらみ合いだったりした。
もっとも、その場に居合わせたのはヴェルデとエステルの二人だけではなかった。二人のヴァルキュリアがいるのだから、どうして他のヴァルキュリア達がいないと考えられるだろうか。そして同席したヴァルキュリアのうち、筆頭だろうと責任を押しつけられたドーレドーレが、バカらしくもにらみ合いをしている二人に声を掛けることとなった。
「ならば私は、筆頭として二人を指導しなくてはいけませんね」
突然声を掛けられたことで、にらみ合っていた二人は飛び上がって驚いた。しかもその相手が、ヴァルキュリア筆頭ともなればなおさらである。背負っていた子猫は毛を逆立て、子犬はキャンキャンと吠え立てて居た。
「ええっと、ドーレドーレ様、何かありましたでしょうか?」
恐る恐る、そして上目がちに質問してきたヴェルデに、ドーレドーレは口元を少し緩め、すっと目を細めて睨み付けた。そして同じように怯えているエステルにも視線を向け、少し口元をつり上げて笑って見せた。年齢的に女盛りを迎えたドーレドーレだけに、その分しっかりと迫力があった。
「何もないのなら、どうしてあなたたちはにらみ合っていたのかしら?」
「に、にらみ合ったりなんて、し、してませんよね。
ね、ねえ、エステル、あ、あなたもそう思うでしょう?」
「そ、そうですよドーレドーレ様。
私とヴェルデは、竿姉妹なんですからにらみ合うはずがありませんよ」
怯えていても、エステルのあさってぶりは健在だった。一瞬気の遠くなる世界のずれを感じたドーレドーレは、すぐに気を取り直して「ヴェルデ、エステル!」と二人の名を呼んだ。
「私は、ヴェルデが後見人となった、エステルのカヴァリエーレのことを問題としています。
聞くところによると、ここ数日まともに睡眠をとらせていないようですね。
それは、私たちのカヴァリエーレの実力など取るに足りないと思ってのことですか?」
「め、滅相もありません。
し、シンジは、前の祭りで一勝もできませんでした」
「でしたら、この戦いを舐めていると言うことですか?
まさか、円卓会議で決定された戦いを、疎かにしているとでも言うのですか?」
最後の方にドスを込めたドーレドーレに、「欲求不満?」などと相当ずれたことをエステルは考えていたりした。もちろんそんなことを口に出せるわけが無く、ただひたすら恐縮している振りをした。
「そ、そんなことは考えていません……」
「でしたら、どうすればいいのか分かっていますね?
分かっていますよね!」
敢えて繰り返し、ドーレドーレは二人をじろりと睨み付けた。その視線の剣呑さに震え上がった二人は、こくこくと首を縦に振ったのだった。
「では、どう分かったのか説明して貰いましょうか?
そうですね、最初はヴェルデから教えて貰いましょう」
「は、はい、この戦いが終わるまで、自宅への招待は差し控えることにします」
望まれるであろう答えをしたつもりだったが、ドーレドーレは「それだけですか?」とまだ不足していると指摘してきた。もちろん、ヴェルデの逃げ道を塞ぐためである。
「その、私から押しかけるのも控えます……」
つまり、この戦いが行われている間は、私的にシンジに合うことは差し控えると言う事になる。さすがに辛そうな顔をしたヴェルデに、それで良いのよとエステルは勝ち誇った顔をしていた。ヴァルキュリアとカヴァリエーレの関係にあるのだから、自分にはそのような制限は及ばないと高をくくっていたのである。
もちろん、それはエステルの勝手な解釈であり、ドーレドーレがエステルを見逃すはずがなかったのである。従って、ヴェルデの応えに満足したドーレドーレは、次の標的であるエステルに「あなたは?」と答えを求めてきた。
「ヴェルデ様が、しばらく私的に会うことを差し控えてくださるのですから、
私は特に何もしなくて良いのかと考えています。
何しろシンジは、私のカヴァリエーレなのですから、
毎日の戦いを労う義務が私にあると思っています」
「確かに、シンジはあなたのカヴァリエーレでしたね。
それで、あなたはどう労おうと考えているのですか?
その中身を、可能な限り詳細に教えてはくれませんか?」
「詳細に……ですか」
そうですねと考えたエステルは、最初に食事を一緒にとることを取り上げた。
「そうですね、それぐらいなら主として許される範囲でしょう。
それで?」
「それでと言われても……その、お風呂で背中を流してあげるとか……」
「流すのは、背中だけですか?
それ以上のことをしたり要求したりはしませんか?」
「そ、それは、その場の雰囲気と言うことで、ここでは保証はできません」
ぽっと頬を染めたエステルに、ドーレドーレは迷うことなく「不許可」と裁定を下した。
「ど、どうしてです、一日の努力に対して私が感謝の気持ちを表すだけですよ!」
「それだったら、食事の場で労えば終わりでしょう。
それで、他に何を考えているのですか?」
とりつく島もなく却下したドーレドーレに、これは良いだろうとエステルはその後のことを持ち出した。
「お風呂から上がったら、一緒に寝ようかと思ったのですけど」
「それは、“寝る”のですか、それとも“眠る”のですか?」
言葉の曖昧さを指摘したドーレドーレに、エステルは少し拗ねながら「眠るです」と答えた。
「大人しく眠る保証はどこにありますか?
そして、そうすべき理由はどこにありますか?
そもそも、大人しく眠るつもりはあるのですか?」
ぎろりと睨まれたエステルは、渋々同衾はしないとドーレドーレへ答えた。
「それで良いのです。
ラウンズ同士の戦いに専念させるべきなのですよ。
第9位までの対戦が終わったのですから、残りはたったの8日でしょう?
その間を、万全の体調で臨ませるのがヴァルキュリアの努めではありませんか?」
「……仰有る通りです」
逃げ道を塞がれてしまったため、さすがのエステルも認めないわけにはいかなかった。そして相変わらず嫌そうな顔をしているヴェルデも、渋々ドーレドーレに従うことを約束した。
だがドーレドーレの話は、それだけでは終わってくれなかった。ただそこで持ち出されたのは、予想もしていなかった他のラウンズの去就だった。
「クルグルとミレーヌから、それぞれのカヴァリエーレの引退届が出ています。
この戦いが終わった後、円卓会議で後任に関する審議が行われる事になるでしょう」
「シンハ様とアーロン様が引退されると?
ですが、なぜ、私たちにそのお話をされたのですか?」
もともと二人のラウンズは、すでに40を超えていたのだ。戦いの激しさを考えると、後進に道を譲ってもおかしくない年齢だったのである。だからヴェルデは、驚きはしたが意外とは思っていなかった。ただ、この場で出される話題とも思っていなかったのである。
だがドーレドーレにしてみれば、関係が大ありの問題だったのだ。何しろ二人が引退することで、男性のラウンズが3名となってしまうのだ。男性ラウンズに求められる役割を考えれば、二人に対して、特にエステルに対して釘を刺しておく必要があったのだ。
「アーロンの後任として、ミレーヌはシエスタを申請しています。
シンハの後任として、クルグルはローザを申請しています」
「ええっと、二人とも次のカヴァリエーレは“女性”と言う事ですか」
挙がった名前に、ヴェルデは何となくドーレドーレの言いたいことを理解できた気がした。つまり新たに女性ラウンズが増え、男性ラウンズは3位のマニゴルドを筆頭に、5位のレグルス、そして12位のシンジだけと言うことになるのだ。しかもマニゴルドの年齢が34と言う事を考えると、レグルス、シンジの二人の意味合いは非常に大きなものとなってくると言う事だ。そのことをちゃんと理解しろ。ヴェルデは、ドーレドーレの持ち出した話題は、それを暗に言っているのだと理解した。そして理解したのと同時に、回りくどい話は駄目だと、ドーレドーレは「甘い」と考えていた。
そしてヴェルデが考えた通り、エステルは何も考えていない答えを返したのだった。
「シエスタさんは、確かうちのフェリスと似たタイプでしたね。
これで、フェリスのやる気も更に出てくれるでしょうね。
ローザさんは、確か……シンハ様のお子様でしたっけ?
親子二代でラウンズになるのって、とっても素敵ですね!」
「エステル……今のラウンズの多くは、ご両親のどちらかがラウンズだったのですよ。
ごく普通にあることを、何を今更素敵だなんて……」
はあっと呆れたドーレドーレに、「そうでしたっけ?」とエステルは首を傾げて見せた。
「あなたの父親も、今はラウンズから引退されたアクロマート様でしょう?」
「そうですよね、ドーレドーレ様もヴェルデも、お父様はラウンズでしたね」
てへっと笑って、エステルは自分の頭を軽くげんこつでこづいた。それ自体可愛らしい仕草なのだが、この場においてはとてもずれた反応でしかなかった。思わずこめかみを押さえたドーレドーレに、「ですから」とヴェルデが口を挟んできた。
「ドーレドーレ様、エステルに対して、遠回しの言い方は通用しませんよ!」
「ええ、つくづくその通りだと実感したところです」
「なんです、私がバカみたいな言い方をしないでください! ぷんぷん!!」
頬を膨らませて文句を言うエステルに、「男性ラウンズは3人になったのだ」とドーレドーレは強調した。
「マニゴルド様とレグルス様、そしてシンジの3人ですよね。
それぐらいのことは、私も分かっていますよ!」
バカにするなと唇を尖らせたエステルに、本題はここからだとドーレドーレは話を続けた。
「私たちヴァルキュリアは、ラウンズの子供を産む義務があるのですよ。
その子が女なら、次のヴァルキュリアとなるべく教育を施す。
男だったら、第一にブレイブスにすることを考えると言う事です」
「別に、今更確認される話ではないと思いますけど?
私も、近い将来シンジの子供を沢山産むつもりでいますから」
ぽっぽっぽと頬を染めたエステルに、その認識は正しいとドーレドーレは頷いた。そしてそれを認めた上で、そこに含まれる深い……意味を口にしたのである。
「とても良い心がけだと思いますよ。
ただ、その立場にあるのは、あなただけではないと言うことです。
そして女性ラウンズの多くは、妊娠を機に引退をしています。
その時も、男性ラウンズの子を身ごもることが一般的なのですよ。
そして繰り返しますが、男性ラウンズは3人しかいないのです」
「そりゃあ、メイハはマニゴルド様にお願いすると聞いていますけど?
それにしても、取り立て問題となるお話しではないと思いますけど?」
もう一度頷いたドーレドーレは、正しく理解されていればと付け足した。
「そうね、それ自体は私たちの一般常識ですからね。
ただ、あなたのシンジも、その役目を負うことをちゃんと理解していればね」
「もちろん、シンジは私のカヴァリエーレですから……ええっ!!
ドーレドーレ様も、シンジとギシアンをするのですか!?」
「また不思議な擬音を……」
とは言え、何が言いたいのかは雰囲気から理解できた。だからドーレドーレは、「おかしなことが有りますか?」と逆に聞き返した。
「私には、なぜあなたが疑問を持つのかが逆に分かりませんけど?
それともエステルには、私がシンジに抱かれてはいけない理由があるのですか?」
「ええっと、言われてみれば確かに、何もおかしいことはないのですけど……
それに、ヴェルデはシンジとギシアンをしていることですし……」
口では認めてみても、何故か釈然としないものをエステルは感じていたりした。だが、これまでの習慣を思い出せば、ドーレドーレは一つもおかしな事は言っていないのも理解できた。現にエステルの父親は、母親のカヴァリエーレではなかったのである。ヴェルデを認めたのに、ドーレドーレを認めないという理由はどこにも無かったのだ。
「そしてもう一つエステルに忘れて欲しくないのは、あなたのシンジが特別と言う事です」
「シンジが、特別……なのでしょうか?」
特別と言われても、何が特別かなど思い浮かぶはずがなかった。だから不思議そうな顔で、エステルは続く言葉を待ったのである。そんなエステルに、ドーレドーレはもう一度「特別」と口にした。
「男性ラウンズが減っていることにも関係するのですが、
今のヴァルキュリアとラウンズは、その父方の遺伝子を分類すれば5種類程度に収斂してしまいます。
それの意味するところは、近親交配を繰り返していると言うことになるのです。
他のブレイブスから頭角を現す者が居ればいいのですが、なかなかそうは都合がよく言っていません。
そこに、全く異なる遺伝子を持つシンジという存在が現れたのですよ。
こう言えば、いくらあなたでもシンジが特別という意味を理解できるでしょう?」
「いくら私でもと言うのは言いすぎだと思いますよ!」
バカにされたことに腹を立てたエステルは、特にブレイブスに顕著な問題を答えとして用意した。
「それは生まれる子供の、男女比率が女性に偏っている原因と言われています。
だから、賢人会議でも新しい血を導入することが検討されていたのも知っています。
ただ、遺伝的に強者でない血を導入することの是非が議論の中心になっていたかと」
「そこに、全く私たちとは違う遺伝子を持ち、ラウンズに取り立てられた男性が現れたのですよ。
それがどれほど大きな意味を持つのか、まさか理解できないとは言いませんよね?
しかもシンジは、十分な実力があることをこの3戦で示しました」
「一応、私の手柄なんですけど……」
引き取り手の無かったシンジを、エステルが進んで配下に加えたのである。そこから先の育成に問題はあっても、ブレイブスに取り立てたことは大きな手柄に違いない。エステルが配下に加えた理由はどうであれ、それは誰もが認めるところだった。
「心配しなくても、そのことは誰も否定していませんよ。
その意味だけでも、あなたをヴァルキュリアに推挙してよかったと思っているぐらいです」
「その意味だけでもって……他にもよかったと思うことがあるんですか?」
一応褒められたこともあり、エステルは目を輝かせてその先を促した。だがドーレドーレは、深い意味を持って話していたわけではない。だから「他にも」と大きな瞳で見つめられ、答えに困って視線を逸らしてしまった。
「どうして、そこで目を逸らすのですか?」
ぷんぷんと頬を膨らませたエステルに、「少し考えさせて」とドーレドーレは更に傷口を広げる真似をした。そしてヴェルデは、横から「無理をしない方が」と傷口に塩を塗り込んできた。
「まさか、他にないとは言いませんよね?」
更に頬を膨らませたエステルに、ドーレドーレの口から出たのは苦し紛れの言葉だった。
「そ、そうね、あなたのお陰で円卓会議にほどよい緊張感が生まれましたね。
あなたの豊かな発想からの意見には、私たちは本当に驚かされることが多いのよ。
だから議論が終わった後には、すっかり疲れてしまうのよ」
「そうですかっ!
私は、会議の時にとんちんかんなことを言っていないか心配していたんです。
でもドーレドーレ様のお言葉で、今まで通りで良いんだって安心しました!」
認められていると喜ぶエステルの横で、ヴェルデは「そんなことを言っていいんですか?」とドーレドーレに冷たい視線を向けた。今まででも、散々疲れさせられていたのに、これから輪を掛けておかしくなったらどうしてくれるのか。そんな意味をたっぷりと、ヴェルデは視線に込めたのである。
ヴェルデに向けられた視線の意味ぐらい、ドーレドーレもしっかりと理解していた。だから喜ぶエステルに背を向け、小声で「言いたいことは分かる」とヴェルデに話しかけた。そしてその上で、「結果は変わらないでしょう?」と身も蓋もない答えを返した。
「気をつけたぐらいで、エステルが変わるとは思えませんからね」
「確かに、今まででも野放し状態でしたね」
ドーレドーレの決めつけに、確かにそうだとヴェルデも影響のないことを認めたのだった。
続く