x機動兵器のある風景
Scene -12







 日程こそ間に合いはしたが、専用機を使うのにぶっつけ本番と言うわけにはいかなかった。その観点から行けば、初戦が翌日に延ばされたのは、調整の面では有り難いことだった。午前中のかなりの時間を別目的に使ったと言っても、午後一に試合をすることに比べれば、使える時間が大幅に増えたのである。
 そしてエステルとの……が午前中というのも、結果的にはシンジを助けることになった。前夜から連続という辛さを忘れれば、昼食を理由に時間に制限を付けることができたのだ。激しい運動というのは、一方の欲が満たされれてしまえば、余計に食欲を喚起してくれた。そしてその事情は、エステルも変わらなかったのだ。

 ヴァルハラ宮のレストランで昼食を取りながら、シンジはこれからの予定をエステルに説明した。エステルの知らないところで、シンジにはラピスラズリから多くの情報が提供されていた。

「サラ・カエルとの対戦は明日の午後一に順延されました。
 ですから、それに備えて私も準備に入ろうかと思っています。
 マシロ・フーカから専用機の準備ができたとの連絡が入っていますので、
 これからフェリス・フェリに協力して貰って調整作業に入ろうかと思っています」
「もう、お仕事モードなんですかぁ?」

 スープを口に運びながら、エステルは少し甘えたように聞き返してきた。せっかく結ばれたのだから、今日一日は余韻を楽しみたいと思っていたのである。つまりエステルは、円卓会議で自分が言ったことを綺麗さっぱり忘れていると言うことだ。このあたりの性格は、簡単には変わらないのだろう。
 誰のせいと言えば、円卓会議で強行日程を主張したエステルのせいなのである。ただ、シンジもさすがにそのことを指摘するわけにはいかなかった。せっかくご機嫌が良いのだから、しばらくそれを継続して貰わなければいけない。だからシンジは、「エステルのため」と言う殺し文句を使うことにした。

「エステル様のカヴァリエーレとして、前のように10連敗をするわけにはまいりません。
 さすがに全勝はできないと思いますが、その意気込みで戦いに臨みたいと思っています」
「でも、あまり無理をしなくても良いのですよ。
 末席と蔑まれることは、我慢すれば良いだけですから。
 それに序列をつける以上、誰かが末席になるのは仕方が無いんですからね。
 しかもシンジは、機動兵器に乗ってまだ1年ではありませんか。
 ラウンズに取り立てられ、しかも再戦を要求されるまでになったのですから、
 主としてはもう十分だと思っていますよ。
 だ、だから調整も早めに切り上げてですね……」

 「続きをして欲しい」とエステルは消え入りそうな声でシンジに言った。さすがにおねだりするのは恥ずかしいと思ったのだろうが、静かな環境で言われれば、大声だろうが小声だろうがしっかりと聞こえてしまう。
 主の願望を正面から受け止めたシンジは、「いずれも疎かに致しません」と言い切った。

「私をカヴァリエーレにして良かったと、エステル様に思っていただけるように努力致します」
「でしたら、直ちにそれを示して見せてくださいね」

 そう言ってにっこりと微笑むエステルを、「可愛いなぁ」とシンジは感動などしていた。もともと美人と言う評判の高いエステルなのだが、自分に見せる無防備なところは、「綺麗」と言うより「可愛い」と言うのがぴったりだったのだ。それを思うと、調整を早めに切り上げるというのは、シンジも強く同意するところだった。
 それに最初の相手が、サラ・カエルと言うのはシンジにとって都合が良かった。サラには失礼かも知れないが、戦いを機体の調整に向けることが出来るのだ。これがレグルスあたりだと、調整以前に戦いが終わってしまうだろう。

 しかしと、エステルと話をしながら、シンジはヴェルデのことも思い出していた。二人同時にとか、もう別のことを考えていると言うことではなく、ヴァルキュリアの資質と言えばいいのか、彼女たちの魅力を考えたのだ。
 その二人に共通するのは、男の庇護心を強くくすぐる存在と言うことだった。身体的にはいささか貧弱なヴェルデなのだが、逆に守ってあげたいと言う強い感情を抱いてしまう。同じ感情は、当然主であるエステルに対しても感じているものだった。その理由がどこにあるのか、シンジはそれを考えてしまったのだ。
 だがセシリアに対してどうかというと、ここまで強くは感じていないというのが正直なところだった。いったい何が理由となっているのか、さすがにそこまでは理解できなかったが、ヴァルキュリアが特別だということだけは十分に理解できた。

「そう言えば、シンジがスカウトしてきたマシロですけど、ユニバシオーネから文句を言われましたよ。
 シンジ、彼女を連れてくるのに正規のルートを使わなかったでしょう?」

 くすっと笑ったエステルは、「先方はお冠ですよ」言った。

「どうやら彼女、研究を途中で放り投げて来ちゃったみたいなんです。
 彼女の代わりが効かないから、その研究は無期限凍結になったと言う話ですよ。
 もっとも、キンコンカン……ええっと、チンプンカンじゃなかった……
 まあ大した研究じゃないみたいですから、実害はないと思いますけどね」
「リシル環アデノリボゾール相互作用の加速効果継続に対する研究ですね。
 一応、こちらに来ても研究自体は続けているみたいですよ。
 機動兵器の性能向上に使えると言う話なので、たまに実験を手伝っています。
 それで、先方が激怒しているって……」

 少し考えたシンジは、どうして自分に責任が来るのかと聞き直した。

「僕が専用機の打ち合わせに行った時にはすでにいましたよ。
 だから、もともとエステル様の関係者だと思っていたんですけど……」

 困った顔をしたシンジに、エステルはスプーンを置いて、右手で口元を隠して笑った。

「研究所に、探さないでくださいって置き手紙があったと言うことですよ。
 これからは、研究ではなく愛に生きるとそこには書いてあったそうです。
 だから相手は誰だと、ユニバシオーネでは、かなりの騒動が起きたと言うことです。
 当然探さないわけにはいかないので捜索したら、私の所に来ているのが判明したと言うことです。
 こうしてみると、シンジはずいぶんともてるんですね」

 面白そうに笑っているところを見ると、今朝のように嫉妬していることはないようだ。ただその感情もまた理解しにくいため、「嬉しそうですね」とシンジは控えめな質問をした。

「そりゃあ、自分のカヴァリエーレが誰からも相手にされないようではイヤでしょう?
 私が一番だと分かっているんですから、嫉妬なんてする必要がないとは思いませんか」
「……そう言うものですか?」

 まだテラでの常識が残っているため、シンジにはエステルの言葉に疑問を感じていた。だがエステルにしてみれば、小さな頃から教えられてきた常識でしかなかった。

「ヴァルキュリアと違って、男のラウンズは、一人だけというわけにはいかないんですよ。
 そもそも強い雄に雌が惹かれるのは、生物学的に言ってもおかしなことではありません。
 そしてあなたは、アースガルズで5人しかいない、最強の雄なんです。
 たぶんドーレドーレ様からも、近々お呼びが掛かるんじゃありませんか?
 だって年若い男のラウンズは、シンジとレグルス様の二人だけじゃないですか。
 その上二人ともタイプが違うから、皆さん迷う必要がないんですよ」
「好みが分かれると言う事ですか?」
「いえ、両方相手にすることに疑問を感じなくても良いと言うことです」

 あっけらかんと言われると、さすがにシンジにも着いてはいけなかった。これでは二股三股したときの、背徳感がないなとも思えてしまう。それを惜しがるのはどうかと思うが、何か大切なものを失った気がしてならなかった。もっとも、この場でそれを主張することに意味はない。それもあって、話を強引にマシロのことに引き戻した。

「それで、マシロはどうするんですか?」
「どうするって、それはシンジの問題ではありませんか?
 私やヴェルデのことが疎かにならなければ、あとは何をしても構いませんよ」
「いえ、僕が聞いているのはそう言うことじゃなくて……」

 手を出すお墨付きを貰うというのは、どこか違うとしか思えない。それ以前に、シンジが問題にしたのはユニバシオーネとの関係だった。

「その、ユニバシオーネは良いんですか?」
「いいもなにも、ヴァルキュリアのところで働くこと以上に重要な事はありませんよ。
 それが分かっているから、あちらも文句を言う事しか出来ないんです。
 それだって、直接ではなく人づてに伝わる程度の言い方ですよ。
 うるさいことを言っておけば、次からは多少遠慮してもらえることを期待しているんでしょうね」
「多少、ですか?」
「必要なことでしたら、遠慮することはないと思いませんか?
 それが、私たちヴァルキュリアの役目なんですからね。
 だいたい、ユニバシオーネでする研究なんて、私の所でも同じことができますから」

 自慢げに胸を張ったエステルは、遠くから聞こえてきた鐘の音に手元の時計へと視線を転じた。

「本当はもっとゆっくりとしたいのだけど……夜は我慢したくないから調整に移りましょうか」
「確かに、マシロとフェリスが待ちくたびれているでしょうね」

 このままエステル時間を過ごしてしまうと、あっという間に日が暮れてしまう。暗くなってはやりにくい調整もあるのだから、さっさと食事を済ませた方が良いのだろう。

「では、私は着替えをしてからドックへ行くことにします。
 シンジは、先に行って調整を進めておいてくれますか?」
「そうですね、エステル様がいらしたときには、模擬戦をご覧いただけるかと思います」

 シンジの合図に、ボーイ達が二人の所に近寄ってきた。そしてエステルが立ち上がるのに合わせて、とても背もたれの高い椅子をすっと後ろに引いた。

「そう言えばシンジ、自分のことを“僕”と呼んでいましたね」
「えっ、申し訳ありません、以降気をつけることとします」

 畏まったシンジに、エステルは少し口元を緩めた。

「いえ、私の前では“僕”でも構いませんよ。
 むしろその方が、可愛らしくて良いと思います」
「恐縮です……」
「ではラッピー、私を屋敷に連れて行ってください」

 「畏まりました」二人に聞こえるように答えたラピスラズリは、命令通りエステルを彼女の屋敷にある、彼女の私室へと移動させた。そしてシンジを、機動兵器建造ドックのカヴァリエーレ専用の部屋へと移動させた。主がこれからヴァルキュリア、ラウンズとしての役目を全うするのである。主に仕える電子妖精は、求められる役目を忠実に果たしたのだった。



 訓練用の戦闘服に着替えたシンジは、ラピスラズリに命じてマシロのいるドックへと移動した。ただシンジが移動したときには、そこにいるはずの二人の姿が見あたらなかった。それを奇異に思ったシンジは、自分より年配のスタッフの一人に二人の居場所を尋ねた。

「お二方とも、その、準備をされています」
「準備って、ここ以外で何かすることがあるのかな?」

 首を傾げたシンジに、準備と答えたスタッフは、シンジの耳元で「お化粧直しです」と小さな声で囁いた。

「シンジ様がいらっしゃる前、お二方にはいろいろとあったようです」
「シャルル、それはあまり深く突っ込まない方が良いことのようだね」

 それはもうと大きく頷かれたので、シンジはそれ以上何も聞かないことにした。そんなシンジに、シャルルは「変わりましたね」とシンジに指摘した。

「変わりましたか?」
「ええ、以前比べて余裕が出来たように思えます」
「そうですか……まだ、そんな自覚はないんですけどね」

 その落ち着いた受け答えに、本当に変わったとシャルルは変化の大きさに驚いていた。そしてシンジの示した変化に、彼らのチーフがどのような反応を示すのか、とても興味深く感じていた。

「し、シンジ様、お、お待たせして申し訳ありませんでした!」

 戻ってきたのは、予想通りフェリスの方が早かった。そのあたりは、パイロットと技術者の違いと言うことだ。ただ急いだせいで、せっかく整えた髪が乱れてしまったのはフェリスにとってマイナスだった。
 そしてそれから5分遅れて、マシロがミユに抱えられて現れた。そのおかげか、さもなければ特別の仕掛けがあるのか、マシロの方はヘアスタイルに全く乱れが感じられなかった。

 だがせっかく髪型や服装に気を遣ったのだが、シンジの前に出たとたん顔を真っ赤にしてマシロは沈没してしまった。

「マシロ、どうかしたのかい?」
「い、いえ、その、何でもありません!
 さ、さ、早速、調整に入りましょう!!」

 動揺を隠すように、マシロはすぐさま調整に入ろうとシンジに提案した。だがその行為自体、はっきりと動揺を現したものだった。

「そうだね、僕はどうすればいいのかな?」
「そ、そのですね、まず思考周波数の微調整を行います。
 ですから、その、碇様の新しい機体に乗り込んでいただきたいのですが……
 その、すでに搭乗ケージに移動してありますから、いつでも乗り込んでいただけます」

 顔を赤くして早口でまくし立てたマシロに、シンジは微笑みという褒美を与え、「乗れば良いんだね」と確認をした。

「は、はい、コックピットは、すでに碇様用に調整してあります。
 ですから、碇様がご自身で、微調整いただければと思っています」
「では、早速乗り込むことにするよ。
 ところで新しい機体は、何か名前が付いているのかい?」
「そ、その、開発コードしか有りませんので……
 い、碇様に、お名前を付けていただけたらと……」

 小柄な体を更に小さくしたマシロは、もじもじしながらシンジを見上げた。

「じゃあ、早速搭乗ケージに行くことにするよ。
 ラピス、搭乗ケージへ連れて行ってくれ!」

 その命令と同時に、シンジの姿はドックから消えた。そしてそれを待っていたように、マシロは貧血を起こしたようによろめいた。

「大丈夫か?」
「え、ええ、ありがとうございます……」

 それを支えたフェリスに、マシロは素直に感謝の言葉を口にした。そしてその口で、「反則ですわ」と正直な気持ちを言葉にした。

「もう、格好良すぎです。
 どうしてフェリスさんは、平気でいられるんです!?」
「私は、昨日お会いしているからな。
 だが正直なところ、私も結構危なかったぞ。
 昨日よりも、更に素敵になられている」

 ほっと小さくため息を吐いたフェリスに、「全くです」とマシロもため息を吐いた。

「と、とにかく、私は自分の役目を果たさないといけませんわ」
「そうだな、私もリュートの準備をすることにしよう」
「そうですわね、シンジ様の調整が終わればすぐに稼働試験ですから……」

 まだどきどきの収まらないマシロは、少し気を落ち着けるように深呼吸をした。そしてミユから渡された端末を使って、“百式”に搭乗したシンジとの回線を開いた。

「シンジ様、私の声が聞こえますでしょうか?」
「ああ、各種機器は正常に動作しているようだね。
 ところでマシロ、この機体のカラーはどうして金色なんだい?」
「ええっと、その、ですね、レーザー系の武器に対する防御力を強化した結果なんです。
 け、計算上はですね、カノン様のフォトン・トーピドでもしばらくは耐えられます」
「理由があってのカラーリングと言うことだね。
 ちょっと派手というのは、この際我慢すべきことなんだろうね」

 キンキラキンと言うのは、さすがに派手すぎるとシンジは思っていた。その派手さは、もともと派手好みのラウンズの中でも、とびっきりと言って良いものだった。それもあってカラー変更を言いかけたシンジだったのだが、理由があると言われれば引き下がるざるを得ない。

「それでシンジ様、機体の適合性はいかがでしょう?」
「動きは、まだ固いところがあるようだね。
 こればかりは、テストで馴染ませる他はないんだろうね。
 逆に、思考制御の方は正常にマッチングできてるかい?」
「そちらは、ただいま微調整中です……あと、5分ほどお待ちください」

 各種パラメータを、完全にシンジ向けに調整することになる。そうすることで、汎用機とは違うラウンズのワンオフ機体が完成する。手足以上に体にフィットし、超高速戦闘を可能とした究極兵器の誕生と言うことだ。

「それで、フェリスの準備どうなっている?」
「すでに、リュートに向かわれています。
 シンジ様の微調整が終わる頃には、フェリス様の準備も整っているかと。
 それから私は、コントロールセンターに移動します」
「ああそうしてくれ、それから、そろそろエステル様が到着される頃だと思う」

 エステルの名前を聞いたとき、マシロはほんの少しだけもやっとするものを感じていた。だがそれを気にすることなく、シンジに告げたとおりコントロールセンターへと移動することにした。

「ミユ、私を運んでくれますか?」
「はい、ご主人様……」

 マシロの命令に従ってミユは彼女を抱き上げ、移動用のキャリア並の速度でドックの中を疾走していった。

 マシロがコントロールセンターに到着したときには、すでにシンジは訓練用フィールドに移動を始めていた。もともと居た場所から考えれば、多少の遅刻は仕方のないことである。だが先にエステルが来ているとなると、話はとたんに変わってくる。
 ヴァルキュリアの衣装から着替えてきたエステルの出で立ちは、薄いピンクのブレザーに、紺のプリーツが付いた短めのスカートというものだった。ピンクのブレザーは、アクセントのためにカラー部分が臙脂色になっている。そして足には、膝上までの黒いソックスを穿いていた。少しかかとの高い黒の靴は、背の高いシンジに合わせるためのものか。普段はポニーテールにしているのだが、会議の続きのためか、おろしたままのストレートになっていた。以上を総合すると、シンジに言うところの「どこかの高校生」と言いたくなる格好だった。

 マシロが入ってきたときには、すでにエステルはシンジとのおしゃべりに夢中になっていた。話題の中身は、専用機体のネーミングだった。

「やっぱり、色からしてスカラベ(コガネムシ)が良いと思うわよ。
 それがイヤだったら、そうね、ハロとかオレオールとかはどう?」
「その、エステル様……」

 今更格を持ち出すまでもなく、エステルは遙か上位にいる存在だった。フェリスと張り合うことは出来ても、さすがに対等に話すことは出来ない。だが遠慮がちに声を掛けても、夢中になっているエステルに聞こえるはずがなかった。

「名前は保留ですって?
 主の権限で、テスティクルにしてあげましょうか?
 ええっと、マシロが来てしまったみたいね……残念」

 マシロの声は聞こえなくとも、親切なラピスラズリが忠告をしてくれた。さっさと調整を終わらせることを第一とするのなら、邪魔をするのは以ての外だった。少し残念がりこそしたが、エステルにしてはあっさりとその場をマシロに譲った。

「マシロ、邪魔をして申し訳ありませんでしたね。
 速やかに、シンジの機体……ええっと、名前は後にしますが、テストに入ってもらえますか?」
「畏まりましたエステル様……」

 また少しだけ、マシロは胸がもやっとするものを感じていた。もともと綺麗だとは思っていたが、今日のエステルは更に輝いているように見えたのだ。そもそも張り合う相手でないことは分かっていても、つい比較してしまう自分がいた。そして女としてすべて負けていることを思い知らされ、マシロは一人勝手に落ち込んでだのである。
 だが落ち込んでいても、調整を続ける必要がある。反対側にフェリスの機体、すみれ色をしたリュートが現れたところで、シンジに訓練開始前の設定を訪ねた。

「で、ではシンジ様、これから実戦訓練に移ります。
 フェリス様のリュートはレベル9に設定されていますが、同じレベル9でよろしいでしょうか?」

 マシロの質問に、シンジは少し考えてから「双方レベル8」にすることを指示した。その理由は至って簡単、フェリスの訓練を目的としていないことだった。

「と言うことでフェリス、始める前に言っておくけど、この機体はまだ慣らしが終わっていないからね。
 最初はゆっくりと入る……って、やっぱり無理か」

 レベル設定が終われば、戦いの準備が整ったことになる。それを待ち構えていたように、フェリスは彼女の愛剣、レーヴァンティン(大)を大上段に振りかぶって飛び上がった。そしてまっすぐ、シンジの機体頭部に向かって振り下ろした。太陽を背にしたのは、戦士としての習性なのだろう。

「うまく動いてくれなかったら、真っ二つになっているところだよ」

 その攻撃を軽く片手で流し、シンジは飛び込んできたフェリスから距離をとろうと地面を蹴った。だがフェリスも、逃してなるものかと、着地と同時に大地を蹴った。ドンと言う大きな音と同時に、フェリスの後に土煙が立った。そしてレーヴァンティンを腰に構え、シンジとの距離を一気に詰めた。

「だから、最初は慣らしだって言っているのに……」

 その攻撃をわずかに体を動かすことで避けたシンジは、通り過ぎようとしたフェリスの背中をぽんと押した。これでバランスが崩れてくれれば、少しだけ時間的余裕が出来ると考えたのだ。だがその程度のことで、バランスを崩すような鍛え方はしていなかった。力強く大地を蹴って方向転換をし、フェリスはレーヴァンティンを胴のあたりで横薙ぎにした。空気を切り裂くような攻撃は、これもまた、まともに食らえば胴体が離ればなれになっていただろう。

「だからフェリス、最初はゆっくり入ろうって言っているんだよ」
「ですが、すべて余裕で避けられているはず。
 それに慣らしというのは、正しく性能を出さなければ意味のないこと」

 まっすぐ後ろに下がったシンジを、フェリスは更に踏み込む事で追い詰めた。ここでまっすぐ下がることが、シンジが武芸の素人と言われるゆえんだった。
 だが振り払った反動で剣を振ろうとしたフェリスに対し、後ろに下がったシンジは、強く大地を蹴って間合いを詰めてきた。そして振り切る前の剣の束を右手で押さえ、ようやくフェリスの先制攻撃を食い止めた。とその時のシンジは考えたのだ。

「とにかく、慣らしだから確認しながら……言っても無駄か」

 柄を押さえることでフェリスの動きを止めたつもりだったが、あいにくその程度で止まってくれる相手ではなかった。とっさにレーヴァンティンから手を離し、押さえたシンジの右手を掴もうとした。だがその動きも、すでにシンジの手の中にあった。フェリスがレーヴァンティンを放すのと同時に、シンジは柄を押さえる手を引っ込め、掴みかかろうとしていた左手を逆に捕まえた。だがフェリスは、放したはずのレーヴァンティンを右手で持ち直し、ぐるりと体を回し、その切っ先でシンジの胴を貫こうとした。
 変幻自在、型に囚われず、そして誰よりも早い攻撃は、フェリスのもっとも得意とするところだった。己の特徴を最大限に出したフェリスは、確実にシンジを追い詰めていると思っていた。ここまでの経過で、一度もシンジの攻撃を許していない、一方的にフェリスが攻撃を仕掛けていたのだ。

「まったく、壊れたらどうしてくれるんだよ……というか、そこで一巻の終わりなんだけどな」

 背中から迫る剣を、体を捻ることで躱したシンジは、そこで自分から攻撃に出た。ちょうど背中合わせになったこともあり、今度はお尻でフェリスをどんと突き飛ばしたのだ。その際フェリスの右手も抱えていたため、軽く体を持ち上げることになった。

「その程度のことで、私を止めることは……」

 出来ないと叫ぼうとしたとき、フェリスは目の前に無数の光球が浮かんでいるのに気がついた。もしもこれがフォトン・トーピドーならば、至近距離からの集中攻撃を受けてしまうことになる。両腕を抱えられた状態では、逃げ出すことも叶わない。つまりこの時点で、フェリスの負けが確定したことになる。

「い、いつの間に……」

 驚いたフェリスに向かって、「たった今」とシンジは涼しい顔をして答えた。これで調整用模擬戦の第一戦は、シンジの勝利で決着が付いた。ゆっくりとフェリスを解放したシンジは、配置したフォトン・トーピドを消滅させた。

「確かに、思考コントロールの精度が上がっているね。
 ゲインがかなり上がっているのか、応答速度もかなり改善しているようだ。
 ただ気をつけないと、やり過ぎるというかコントロールが効かなくなりそうだ」
「それ以前に、どうして素手で私の剣を押さえることが出来るのですか?
 普段の訓練では、簡単に私に捻られているのに……」

 シンジがレベルを駆け上ったのは、類い稀な思考コントロールの適正だとフェリスは信じていた。だから今のような純粋武術の戦いでは、自分が上回れると考えていた。だが現実は、自分の攻撃の一つ一つは、シンジを追い詰めるところに至らなかったのである。それどころか、フォトン・トーピドを用意する余裕まで与えていた。生身の訓練に付き合っているからこそ、フェリスにはその理由が理解できなかったのだ。思考コントロールで動きを加速したところで、こちらも加速しているのだから有意差はない。そして動きつ一つの精度、早さでは自分の方が遙かに上回っているはずだった。

「どうしてって、これでも一応ラウンズだからね。
 レベルを落としたからと言って、下位者に実力で負けるわけにはいかないんだよ」
「シンジ様、それは全く理由になっていません!」

 はぐらかされたと思ったのか、フェリスは少しむくれた顔をシンジに見せていた。そんなフェリスに、種明かしは後と言って、シンジは再び正面から向かい合った。

「次は、違うパターンを試してみよう。
 今のでこつは掴めたから、遠慮無く掛かってきて良いよ」
「ならば、遠慮無く!」

 フェリスがそう答えて斬りかかろうとしたとき、シンジは無造作に右手で手刀を作って振り下ろした。いったい何をと思った瞬間、得も言われぬ悪寒を感じ、フェリスはレーヴァンティンを横にして手刀の軌跡を遮った。そのタイミングで感じた衝撃に、何かの攻撃を受けたのだと理解した。

「これは、まさか……」

 似たような技は、ラウンズのナンバー3、マニゴルド・エルシドが使うのを見たことがある。ドゥリンダナと言う意志の力で作り出された剣は、何物にも勝る切れ味を持っていると言われていた。

「だが、あのような大きな動きでは実戦には役にたたん!」

 すかさず間合いを詰めたフェリスは、上段からシンジに向かってレーヴァンティンを振り下ろした。ここまでの戦いでは、防御技を使って剣筋を逸らしてくるだろう。それならば、それを利用して体技を駆使して裏を掻いてやろうとフェリスは考えていた。
 だが剣筋を逸らすと言うフェリスの予想は、シンジによってあっさりと覆されてしまった。先ほどは攻撃に使った手刀が、今度はフェリスの攻撃を受けるために使われたのだ。まともにいけば、右手の防御で止まる剣ではない。それにもかかわらず、何か固い刃にぶつかったようにがっちりと止められてしまった。そしてそのタイミングで放たれた左のボディーブローが、フェリスの鳩尾直前で止められた。これで、第二ラウンドもシンジの勝利となった。

「だいぶ堅さがとれてきたかな?」
「これでだいぶなのか?
 同じレベルにしているのに、手も足も出ないではありませんか……」

 特殊能力を絡めているとは言え、純粋に武術で後れをとっていたのだ。いくらシンジが相手とは言え、否、シンジが相手だからこそフェリスは自信を無くしかけていた。

「まあ、フェリスは僕の手の内を知らないからね。
 見よう見まねだけど、僕は大抵のラウンズの技は使えるんだよ。
 だからいざとなったら、ファントムで逃げる事もできるんだ」
「ラウンズとは、そこまで凄いものなのか……」

 私生活ではなく、ブレイブスとして今は向かい合っている。機動兵器から降りれば、素敵と舞い上がることもできただろう。だが同じブレイブスとしてその差を見せつけられると、どうしてという思いの方が強くなってしまう。いくらサボっていた時期があったとは言え、機動兵器の訓練はフェリスの方が遙かに早く始めていた。
 しかも前の祭りでは、シンジは10連敗を喫している。それを思い出せば、いかにラウンズが飛び抜けた存在か分かると言うものだった。

「だけどフェリスも、二度と同じ手には引っかからないだろう?
 だから入り方さえ用心すれば、もっと良い勝負になると思うんだけどね。
 たぶんだけど、本当の速さなら僕よりもフェリスの方が速いと思うよ。
 と言うことで、第三ラウンドに入ろうと思うんだけど大丈夫かな?
 これが終わったところで、一度ドックに調整に戻ることにしよう」
「では、ご指導の通り、もう少し慎重に入ってみます!」

 その言葉とは裏腹に、フェリスはいきなりシンジとの間合いを詰めてきた。その素晴らしい速度に感心しながら、最初と同じように僅かに移動してその攻撃を避けた。そしてこれもまた最初と同じように、体勢を崩すことを目的に、少し強めにその背中を押そうとした。
 だが感じた悪寒に、シンジはその手を引っ込めると同時に、慌ててファントムを使用した。初めから避けられることを予想していたフェリスは、シンジが避けた瞬間体を反転し、短い動作でレーヴァンティンを横薙ぎに払ってきたのだ。あまりにも短い時間だったため、シンジも回避動作が間に合わなかった。

 ファントムのお陰で、フェリスの剣はシンジの胴をすり抜けた。だがそれも予想の範囲と、くるりと回ってフェリスは剣を加速させた。だがその攻撃は、シンジが下がることで回避された。そして下がったシンジに対して、シンジ以上の速度でフェリスは踏み込み、肩から体当たりをしていった。
 体を捻って躱そうとしたのだが、さすがにフェリスの踏み込みは鋭く、躱しきる前に体を捕らえられてしまった。しかも躱すことで体勢が崩れていたため、鈍い音と共にシンジの体は後ろにはじき飛ばされた。それを好機と見たフェリスは鋭いターンを見せ、シンジの懐に飛び込んだ。もう一度体当たりをして、はじき飛ばしてやろうと考えたのである。だがフェリスの突進は、岩のような固いものに受け止められた。そしてがっちりと捕まえられ、フェリスは身動き一つとれなくなってしまった。

「第三ラウンドはここまでと言うことかな?
 まあ、予想はしていたけど、やっぱりフェリスに追い詰められてしまったよ」
「ですが、最後まで攻めきることはできませんでした……
 しかも最後は、やはり押さえ込まれてしまいました」

 悔しがるフェリスに、シンジは笑いながら「ラウンズのプライド」と答えた。

「純粋に技能で掛かってくるフェリスに、こちらは特殊能力なんて反則をしたからね。
 それを含めてブレイブスの能力と言えば聞こえは良いけど、まあずるには違いないね」
「ですが、私には真似ができないし、真似ができる者はどこにも居ないと思います」

 フェリスだって、使おうと思えば特殊能力を使うことは可能だ。だがそれを使うと、むしろ身体的技能を落としてしまう問題があったのだ。それだけ特殊能力と身体技能の併用は、レベルが上がっても難しいとされていたのだ。しかも状況に応じて適切な能力を使い分けるのは、更に高い技能が必要となってくる。その意味で、真似ができないとフェリスは口にしたのである。

「と言われてもね、武術のスキルが低すぎるのを補っているだけだからねぇ。
 フェリスが特殊能力を使いこなしたら、今の僕では歯が立たなくなるよ。
 まあ、そうなったら代わりにラウンズになって貰うんだろうね」

 そうやってフェリスを持ち上げたところで、シンジは調整の第一弾が終了したことをコントロールセンターに連絡した。ここまでの調整では、特に機体の異常は見つかってはいない。だが微妙な感覚とのずれは存在しているのだ。ずれを意識しないように調整しないと、ストレスの関係で長時間戦えなくなる。

「マシロ、調整用のデータは採れているかい?」
「はいシンジ様、ただ分析まで少しだけお時間を頂けないでしょうか?
 振れ方がかなり特殊なので、計算方法を見直す必要がありそうです」

 開始前は色々とあっても、マシロも今は技術者の顔になっていた。そして技術者としてシンジの示したデータを見たとき、今までの常識が通用しないことを思い知らされたのだ。従って、解析手法を含め、かなりの見直しが必要になると答えることになった。

「当面の微調整であれば、30分程度で良いのですが……
 根本的解決に関しては、少しお時間を頂きたいとしか申し上げられません」
「だったら、当面実害が出ない範囲で調整してくれるかな?
 僅かな問題だったら、使う側で工夫することにするよ。
 と言うことなので、エステル様一度そちらに戻ることにします」

 主が見学しているのだから、礼を尽くすのがカヴァリエーレとしての努めである。だから戻ると言ったシンジに向かって、「そうでした」とエステルは嬉しそうに手を叩いた。

「いっそのこと、エステルと言うのはどうでしょう。
 シンジと一心同体になって戦うのですから、私の名を冠するのも良いとは思いませんか?」

 隣でその言葉を聞いたとき、マシロは自分のいた空間がねじ曲がる錯覚を覚えてしまった。ずっと静かにしていたのを見て、それだけ真剣に見守っているのだろうと、反発しながらもマシロは感心していたのだ。だがその静けさが、ずっと名前を考えていたとなると話は変わってくる。
 エステルが変わっているというのは、噂レベルでは何度も聞かされていた。そしてマシロは、今それを目の当たりにしたと言うことである。命名の理由を含め、なるほど常識が通用しないと、少しだけ反発する気持ちも収まってくれた。こんな相手を目の敵にしても、結局自分が疲れるだけなのだ。

 ふうっとマシロが小さくため息を吐いたところで、シンジから「却下」と言う、勘違いをしようのない答えが返ってきた。

「なぜですか、シンジは私と共に戦うのが嫌なのですか! ぷんぷん!!」
「ではエステル様、エステルがぼろぼろにされても我慢できますか?
 いくら私が努力をしても、数年で機動兵器はお払い箱になってしまうんですよ。
 その時に、「エステルをお払い箱にする」と言われても我慢できますか?
 嫌ですよね?」

 そう言われると、確かに思いっきり嫌だという気がしてきた。他のラウンズに「エステル」が殴られるのも嫌だし、整備員達が「エステルを綺麗にしようね」と清掃するのも考えてみたら気色が悪い。だからシンジに向かって、「再考します」と答えて、再び長い沈黙へと入っていったのだった。







続く

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