機動兵器のある風景
Scene -10







 シンジが休暇から帰ってきたら、どんな文句を言おうかとエステルは考えていた。もともとシンジに責任はないはずなのだが、色々と責められたエステルにすれば、全ての責任はシンジにあることになっていたのだ。だから色々な無理難題を用意して、シンジの帰りを待ち構えていたのである。
 だがいざ休暇から戻ってきたシンジを見たら、そんなものは全て吹き飛んでしまった。そしてその代わり、エステルは心臓が大きく飛び跳ねるのを感じていた。しかも心臓は、どきどきと激しく鼓動を刻んでくれるのだ。そこはかとなく顔が熱い気がするし、何処か息苦しさまで感じてしまう。たった3日しか離れていなかったのに、シンジは見違えるほど格好良く見えてしまった。従って、本人は自覚したくないのだが、しっかりとシンジ相手にときめいてしまったのだ。

 もっともそんなことを正直に口に出来るはずがない。そして自分がときめいたなどと言うのは、姉として負けだとエステルは強く思っていた。だからエステルは、シンジに向かって精一杯の虚勢を張って、「お楽しみだったようですね」と皮肉をぶつけた。

「そうですね、レグルス様も合流したので、なかなか楽しめたと思いますよ」
「結構、羽目を外したと聞いていますが?」
「カヴァリエーレとして許される範囲だと理解しています。
 私の忠誠は、エステル様だけに向けられるものです」

 エステルが何を言っているのかなど、確認するまでもなくシンジにも分かっていたことだった。何しろ彼の電子妖精ラピスラズリは、エステルの電子妖精とクローンの関係にある。データベースの共有まで行っているため、シンジに起きたことは筒抜けになっていたのだ。
 皮肉を真っ正面から受け止められ、精悍な瞳で見つめられるとくらっとしてしまう。しかも自分にだけ忠誠を向けるなどと言われてしまうと、エステルでもそれ以上何も言えなくなってしまう。エステル的表現を行うのなら、“じゅん”と来てしまったのだ。だからと言って、それを認めるほどエステルは素直ではない。このあたりは、ラピスラズリが「お子様」と決めつける所以になっていた。

「な、なにを、当たり前のことを言っているのですか。
 そ、そう言えば、ヴェルデ様がすぐにでも顔を出すようにと仰有ってましたよ。
 一休みをしたら、ヴェルデ様の所に行ってきなさい!」
「ヴェルデ様が、ですか……」

 レグルスが色々とちくったのだから、こうなることは予想はしていた。予想はしていたが、それでも今日明日のこととは思っていなかったところがある。だがその読みは、少しばかり甘かったというところだろう。
 主が行けと言うのだから、カヴァリエーレとしては大人しく従っておけばいい。だがシンジは、自分の役目として、先に部下の訓練に顔を出すと主張した。

「僕の不在時に、フェリス・フェリがレベル9認定を受けたと聞きました。
 フェリスを褒めてあげるのと、今後の訓練の方向を指導する必要があります。
 ヴェルデ様の所を訪問するのは、フェリス達に会ってからでよろしいでしょうか?」
「し、仕方がありませんね。
 ヴェルデ様には……どうせ用があるのは夜ですよね。
 でしたら、夕食時にでも参上すると伝えておきます」
「ありがとうございます。
 では、時間も惜しいですから早速トレーニングセンターに行くことにします」

 立ち上がって頭を下げ、シンジはすぐにエステルの元から立ち去った。早く追い出そうとしていたエステルだったが、それが現実のものとなると何故か寂しくなってしまう。だが寂しいと口にする代わり、「主への尊敬が足りない」と文句を口にした。

「構ってくれなくて寂しいの間違いではありませんか?」

 それを聞きとがめたラピスラズリは、すかさずからかうような言葉を言ってきた。このあたりの対応を見ても、とても人間的で、なおかつヴァルキュリアに対する敬意が薄いようにも見えてしまう。そして当然のように、エステルはラピスラズリの決めつけに反発した。

「ち、違いますわ!
 な、なんで、私がシンジに構って貰わなくてはいけないのです!」
「そのくせ脈拍が上がり、血圧の上昇、発汗作用の活性化が起きていましたね。
 一般的に異性の前でこのような現象が発生するのは、相手に対して強い好意、
 さらには欲情したときかと思われますが?
 とうとうエステル様も、シンジ様相手に発情されたのですね」

 きわめて失礼な、そして的を射た決めつけをするラピスラズリに、「失礼な!」とエステルは大きな声を出した。

「ど、どうして、私がシンジ相手に発情しなくてはいけないのですか!」
「シンジ様は弟のようなもの、でしょうか?」
「そ、そうよ、弟相手にさかるはずがないでしょう!」

 その通りと自分の言葉に乗ったエステルに、ラピスラズリは「はいはい」と軽くあしらった。あしらいながら、ようやく色気づいてくれたかと喜んでも居た。これで普段のおかしなところが、幾分でも直ってくれたら、そんな切実な願いを電子妖精のくせにしているラピスラズリだった。



 エステルの元を辞したシンジは、その足で少し離れたところにあるトレーニングセンターへと移動した。円卓会議とか賢人会議とか大時代的なことを言っていても、ベースとなる技術はテラより遙かに進んでいる。だからパイロット、アースガルズではブレイブスと呼ばれる者達の訓練は、ちゃんと科学的裏付けのとれが施設で行われていた。そしてトレーニングセンターと言うのは、機動兵器に乗らない状態での鍛錬を行うための施設の総称となっていた。
 そこでラウンズの正装からトレーニングウエアに着替えたシンジは、部下達が訓練しているエリアへと歩くことにした。

「たぶんフェリスは、エリアSに居るはずだな」

 ラピスラズリに確認すると、予想通りフェリス・フェリはエリアS、すなわち剣術関係のトレーニングエリアに居るとの答えが返ってきた。その答えに満足し、シンジは足をエリアSへと向けた。

「レベル9に昇格して、ますます自覚が出てくれたかな?」

 初めてフェリス・フェリに会ったとき、彼女はレベル5のブレイブスだった。その頃のシンジは、レベル1の駆け出しである。ずっとフェリスの立場が上のため、たまに顔を合わすと使い走りに出されたものだった。ちなみに買いに行かされたのは、100パーセントお菓子の類だった。そしてシンジにご苦労と労いもせず、人目に付かないところでお菓子をぱくついていたのだ。まあ見た通りの、とても不真面目なブレイブスと言うことだった。もっとも、彼女の存在のお陰で、シンジもアースガルズに対して、おかしな期待を持たなくなったという効果があったのだが。
 フェリスの態度には、メイハ・シーシーも何度かお小言を食らわしていた。それどころか、あのエステルですらお小言を言っているのを見たことがある。それにもかかわらず、フェリスの訓練態度は改まることはなかった。むしろエステルやメイハをなめたような態度をとることもあった。

 それでもフェリスが放逐されなかったのは、ひとえに彼女の戦闘力の高さが理由になっていた。剣を使っての戦闘ならば、メイハでは全く歯が立たないほどの実力を持っていたのだ。直接指導されたことはないが、生身で剣を使った条件なら、ラウンズに互する戦いが出来るだろう。それを本人が自覚しているため、メイハ達をなめていたのかも知れない。そしてエステルやメイハにしても、フェリスが次のカヴァリエーレだと考えていたため、あまり強いことも言えなかったのだ。
 そんなフェリスを、シンジはわずか2ヶ月で追い越すことになった。その時点で、シンジはメイハ・シーシーに次ぐ、エステル配下のナンバー2となったのである。その時点で、エステル達の希望はシンジへと向けられるようになったと言う事だ。

「これで、僕の弱点強化が出来るだろう」

 シンジ自身、剣術を含め、格闘戦に弱点があることを理解していた。そしてその理由が、ひとえに経験不足にあることも理解していた。何しろテラに居る時は、護身術程度しか習ったことがなかったのだ。従って、ブレイブスになって初めて、まともに対人の格闘技を経験したのである。その程度の経験で、訓練を続けてきた相手に、まともに戦えるはずがない。しかも相手は、訓練を受けた中から選りすぐられたラウンズなのだ。

 レベルが上がってからは、メイハに集中的に訓練を受けることになった。おかげでカヴァリエーレとしての体裁は整えることは出来たが、どうしてもレグルスのような天才と戦うとぼろが出てしまうのだ。そして格闘戦の技量を上げるためには、ただ適切な訓練を続けるほか無かったのである。その相手として、剣の達人フェリスは願ってもない相手だったのだ。願ってもない相手のはずなのだが、フェリス個人を思い出すと、色々と問題を感じてしまう。

「しかし、どうして同年代の女性は口が悪いのが揃っているのかな」

 その代表格が、これから会うフェリスなのである。初めて会ったときには、いきなり「クソムシ」と言われて目を丸くした覚えがある。そして2ヶ月後にレベルで追い抜いてからは、「クソムシ」が「色欲魔神」に代わってくれた。それでも虫から人になったのだと感心していたのだが、いずれにしてもあまり気持ちの良いものではない。しかもラウンズに任命されてからも、他にブレイブスが居ないと「色欲魔神」と呼ばれ続けていた。こうなると、他の意味があるのではと悩んでしまうほどだった。

「結局、フェリスもお子様と言うことだったんだな……」

 カヲルから色々と教えて貰い、ヴェルデを理解できるようになったら、同時にフェリスの態度も理解できてしまった。そしてそこから、フェリスは「お子様」だと言う結論を導き出したのである。ちなみにこんなことを言えるのも、自分が先に大人になったと言う優越感がそこにあったからである。
 そんなことを考えながら歩いていたら、いきなり後ろから首筋に剣を突きつけられてしまった。接近を気付かなかったことは、ラウンズとしては責められることに違いない。同時に、それだけ相手の技量も高いと言う事だろう。
 ただ、そのとき漂ってきた匂いに、誰だろうとシンジは首を傾げることになった。たぶんフェリスだろうと当たりをつけたのだが、普段フェリスから漂ってくるのとは違う香りを感じていたのだ。だからフェリス以外の可能性も考え、シンジは言葉を選んで相手に語りかけた。

「いきなりこんな真似をして失礼じゃないのかな?」
「色欲魔神が、顔をにやけさせて歩いているからいけないのだ!」

 その答えに、シンジは驚かされることになった。確かに声を聞けば、正真正銘フェリスに違いない。だとしたら、なぜ体に付けている香水を買えたのか。また一つ、解かない方が良い疑問をシンジは抱えてしまった。

「別に、顔をにやけさせているつもりはないんだがなぁ」
「嘘を吐くな、立場を嵩に着て、私にとても口では言えない破廉恥なことをしようと考えていたのだろう。
 残念だが、私はテラの女性と違って、簡単に騙されたりはしないぞ」
「……いったい、誰が言いふらしているんだ」

 さすがのレグルスも、ここにまではちくりに来ていないはずだ。そうなると、フェリスに耳打ちをしたのは、レグルス以外の誰かと言うことになる。一番考えられるのは、エステルの指示を受けたメイハあたりだろうか。いずれにしても、何を考えているのかと小一時間問い詰めたいことだった。そしてこの調子だと、いったいどこまで広がっているのだろうか。

「テラで味を占めて、可憐な私を手込めにするつもりだったのか。
 ああっ、か弱い私は、色欲魔神の毒牙に掛かって花びらを散らすことになってしまうのか。
 いくら私が強くても、無理矢理押し倒されて結局ピーに負けてしまうのだろう。
 弱みを握られた私は、なし崩し的に愛欲に満ちた生活を送ることになるのか」

 剣を引いたフェリスは、よよとシンジの後ろで崩れ落ちた。なぜ無理矢理で意志に反したことのはずなのに、愛欲に満ちることができるのか。色々と突っ込み処があるのだが、ノリの良いのは確かだろう。そのノリの良さに呆れながら、シンジは上位者としての役目を口にした。

「フェリス、レベル9への昇格おめでとう」
「口先だけなのか、お祝いを言うのなら、当然何か手土産があってしかるべきだろう」

 気の利かない奴と吐き捨てたフェリスに、「おいおい」とシンジは突っ込みたくなった。

「ラウンズからのお褒めの言葉は、普通は名誉と考えるものなんだけどね」
「お褒めの言葉では、腹はふくれないからな。
 それから一つ釘を刺しておくが、お前の何かで「お腹がいっぱぁい」などと言うつもりはないからな」

 そこでどうしてシモネタに振る。せっかくの美人なのに、下品なシモネタを言ったらぶち壊しではないか。そのあたりを、シンジはこんこんと説いて見たくなった。だがそれを言っても無駄と、トレーニングルームを指さした。だがそれでさえも、フェリスは下ネタへと持っていった。

「と、トレーニングルームで組んずほぐれつ汗を掻こうというのか。
 さすがは色欲魔神、すべてを色欲に生かそうとするのだな!
 だ、だが、私は色欲魔神の毒牙に掛かるつもりは毛頭無いぞ!!」
「レベル9になったから、新しいプログラムの説明をしようと思ったんだよ。
 ほら、無駄口を叩いてないで、さっさと僕の後を着いてくるんだ!」
「口ではそう言うが、実は連れ込んでしまえば勝ちだと思っているのだろう!?」

 さんざん人のことを色欲魔神と罵っておいて、どうしてそこで不満そうな顔をするのか。しかもよくよく見てみると、普段に比べて可愛らしい格好をしているではないか。普段はズボンを履いているくせに、今日に限ってはしっかりと短いスカートにしている。しかもそのスカートから生足が覗いているとなると、真面目に訓練するつもりがあるのかと聞きたくなる。しかも腰のあたりまで伸びた金色の髪も、普段よりも念入りに手入れされているようだ。その上コロンまでしっかりと振りかけている……いささか匂いがきつい気もする……のだから、まるでデートでもしようとしているようだった。
 いったい何を期待しているのか、いや「ナニ」と言うのは想像が付くが、そうそうあちこちに手を出して良いものではない。それに、ここに来てそれは無いと思うが、自分の勘違いと言うこともあり得るだろう。

「今日は無理だけど、お祝いに何処かおいしいお店に連れて行ってあげるよ。
 早くレベル10を超えて貰いたいから、ちゃんとした訓練計画を立てないといけないんだよ」
「そうか、おいしいお店に連れて行ってくれるのか。
 だが、どうして今日では駄目なのだ?
 私ならば、ほら、いつでもいいように準備ができているぞ!
 しかも、その候補となるお店もいくつかリストアップしてある!
 ユーピテルにデータをあげたから、一度見てくれないか!」
「今日は、ヴェルデ様の呼び出しを受けているんだよ……
 ラピス、フェリスの言っているデータを見せてくれないか?」

 個人用電子妖精が与えられるのは、役職者に限定されている。そのためフェリスは、ユーピテルの端末を経由しないと各種の恩恵を受けられなかった。ちなみにエステル配下で個人用に電子妖精が与えられているのは、カヴァリエーレのシンジと、その補佐役をしているメイハのみだった。

「相変わらず、お菓子屋さんが多いんだね……
 まあ、これぐらいなら今から行っても大丈夫なんだけど……
 ああ、もう少し高級なところがあるのか。
 ええと、カップル限定宿泊プランつき高級ディナーってって」

 お泊まり前提のプランがいくつもある、と言うか、ディナーの全てが宿泊パックという事実に、シンジは思わず絶句してしまった。しかも宿泊プランを口にした瞬間、フェリスの剣が首筋に突きつけられたのだ。

「そ、それは、高級ディナーのサンプルとしてリストに入れただけだ。
 だ、だれが、色欲魔神のお前とお泊まりなどするものか!!」
「だから勘違いなんかしないから、いちいち剣を突きつけるのをやめてくれないかって、痛いじゃないか!」
「ほほう、勘違いはしないのだな?」

 そう言って更に剣先を突きつけられ、「痛い痛い」とシンジはフェリスの手首を掴んだ。それをきっかけに、フェリスは自分からシンジの胸に飛び込んできた。正確には抱きついてきたのだが、そのくせ口から出るのは、行動とは全く違う言葉だった。

「よ、よすのだ、なんて破廉恥な真似を、やっぱりお前は色欲魔神なのだな。
 わ、私を抱き寄せて、とても口では言えない破廉恥なことをするつもりなのだろう。
 わめき散らす私の唇を塞ぎ、そのまま床に押し倒すつもりなのだな!」

 抵抗が口だけなところを見ると、これからそうしろと言っているように聞こえてしまう。しかしそれでは、自分が本当に破廉恥漢にでもなった気がしてしまう。さもなければ、おかしな趣味と言えばいいのか。いずれにしても願い下げのシンジとしては、そのままフェリスの期待に応えるつもりはなかった。だからシンジには珍しく、少し厳しい調子で「フェリス!」と耳元で呼び掛けた。
 途端に体を固くしたところを見ると、シンジに対して“怖い”と言う気持ちがあるのかも知れない。一対一ではシンジより強いことを考えると、受け入れられないことを恐れているのだろうか。それを推測したシンジは、少し優しく「フェリス」と再び呼び掛けた。

「君には、早く僕の背中を預けられるようになって貰いたいんだよ。
 だから早く、レベル10なんて突破して貰いたいんだ。
 それぐらい君のことを信頼し、大切に思っているのにそれを分かってくれないのかな?」
「う、うるさい……色欲魔神のくせに生意気な……」

 ふうっとため息を吐いたシンジは、掴んでいたフェリスの手を放し、ラピスラズリを呼び出した。

「ラピス、予定を繰り上げてこれからヴェルデ様のご機嫌伺いに行くことにするよ。
 スカーレットに、ラウンズの制服で良いのか確認して貰えるかな?」

 自由になったにもかかわらず、フェリスはシンジから離れようとはしなかった。だがシンジの予定を聞かされ、どう言うことかという目をシンジに向けてきた。だがその視線を無視し、シンジは更にラピスラズリへの命令を続けた。

「とりあえず、僕一人を部屋に運んでくれないか?
 そこで指定された時間まで、のんびりとすることにしたよ」
「これから、お菓子屋さんに連れて行ってくれるのではなかったのか!」

 不安に揺れる青い瞳を向けられると、なかなかぐっと来るものに違いなかった。だがシンジは、それを振り切るようにラピスラズリに移動を命じようとした。
 ただ単にくっついているだけなら、シンジ一人を移動させることは難しくなかった。だがしっかりと両手を回されしがみつかれると、さすがに一人だけ移動させるのは困難になってしまう。「フェリスから離れて貰えますか」とラピスラズリが言ってきたのは、システム上当然のことだった。

「フェリス、その気がないのなら色欲魔神から離れてくれないか。
 一緒に甘いものを食べに行きたいのなら、そうはっきりと言って欲しい。
 ただ一つ理解して貰いたいのは、僕はカヴァリエーレとしてエステル様の命令を守る義務がある。
 だからフェリスと一緒に居られるのは、夕食前の短い時間だけなんだ」
「それは、絶対なのか……」
「ラウンズとしても、ヴェルデ様の顔を潰すわけにはいかないからね」

 小さく「そうか」と呟いたフェリスは、ぱっとシンジから離れた。そして顔を赤くしたまま、「アジオネ」に行きたいと口にした。

「だ、だがな、これはあくまでご褒美の手付けに過ぎないのだぞ。
 も、もしも私に、その、背中を守って貰いたいと思うのなら……
 ちちちちちち、ちやんと、ふふふ、深い信頼関係を結ばないと、その、いけないんだからな」
「ちゃんと、フェリスのリストを参考にお店を探すことにするよ」

 その際「宿泊込み?」と聞かないのは、その分大人になったと言うことだろうか。それとも、すでに双方合意ができあがっていたと考えるべきか。そこを曖昧にしたまま、「一度着替えに戻る」と言って、シンジは自分の部屋へと移動した。
 それを見送ったフェリスは、服装と化粧の乱れを直すため、パウダールームへと急いだのだった。



 甘味屋「アジオネ」で、フェリスは時間いっぱいまでシンジを解放しなかった。そこから慌てて自室に戻り、シャワーを浴びる間もなくラウンズの制服に着替えた。それでも指定時間ぎりぎりとなったため、確認もそこそこにヴェルデの館に移動した。

「まさか、あんなこっぱずかしい真似をさせられるとは思ってなかったよ……」

 遅刻しなかったことに安堵したシンジは、アジオネでのフェリスの豹変ぶりを思い出していた。まさかフェリスに、「食べさせて欲しい」などとお願いされるとは思ってもいなかったのだ。しかも隣にぴったりとくっつき甘えられた時には、思いっきり周りの視線を気にしたほどだった。
 それでも普段とは違い可愛らしく、そして見せつけられた胸元の谷間に、ヴェルデをすっぽかしたくなったのも事実だった。その誘惑をラウンズの義務感で振り切り、なんとかヴェルデの館までたどり着いたと言うことである。

「フェリスを思い出すのは、ここまでにしてくださいね。
 そうしないと、取り返しの付かないことになりますよ」

 いざノックをしようとしたところで、ラピスラズリから貴重な忠告が行われた。いきなり何をと思ったが、確かに重要な事だとシンジは表情を引き締めた。これからエステルのラウンズとして、後見人のヴェルデの元を訪問するのである。その立場を頭の中で繰り返し、最後の扉をノックしたのだった。
 にやけた顔をまじめな顔に作り替えたのには成功したが、扉を開けたサラ・カエルにいきなり耳元で「舐めたことをしてくれる」と囁かれてしまった。凛とした声でヴェルデに挨拶をしながら、「何のこと?」とシンジは小声で尋ね返した。

「ヴェルデ様の前に来るのに、他の女の匂いを付けて来たことだ。
 その香水は、エステル様のものではないのだろう?」

 ひくひくと鼻を動かしたサラに、女は怖いと今更ながらシンジは思い知らされた。だがその程度で怯んでいては、この危機を乗り切ることはできない。ぎりぎりまで部下を指導していたため、その移り香が残っているのだろうと言い返した。

「つまり、フェリスと言う事だな?」
「相変わらず、色欲魔神と罵られましたよ」

 シンジの言っていることに、一つも嘘は含まれていない。ただ説明していない部分が、本来問題とされるべきところだったと言う事だ。だがサラも、ここで時間を使うつもりは毛頭無かった。ここから先重要なのは、いかに主のご機嫌を損ねないかと言う事なのだ。移り香の指摘にしても、その対策を考えろと言う意味でしかなかった。もっとも、舞い上がっているヴェルデに、そんな心配が必要なのかはサラにも疑問が残るところだった。

「シンジ、レグルス様と一緒にずいぶんと羽目を外してきたようですね。
 すっかり噂が、私たちの中に広まっていましてよ!
 まったく、お前の後見人として恥ずかしいったらありゃしない」

 頬を染め、上から目線でヴェルデはテラでのシンジの行状をあげつらってくれた。そんなヴェルデの前で、片膝を突いたシンジは、顔を上げずに「ラウンズとして、許される範囲を心得ています」と答えた。

「それも、レグルス様のご指導だと理解しております」

 そう言って顔を上げたシンジに、ヴェルデは思わず見とれてしまった。もともとシンジは好みのタイプだったのだが、テラから帰ってきたら、更に自分の好みにぴったりとあってくれたのだ。だから無様にも、「ヴェルデ様?」とシンジに呼ばれる事になってしまった。

「そ、そうですか、全くレグルス様にも困ったものですね」

 見とれていたことに気づき、ヴェルデは更に顔を赤くし、そして狼狽えながらシンジに答えを返した。それを見る限り、サラの指摘は間違いなく杞憂に終わりそうだ。

「確かに色々と困ったことをしてくださいますが、私のことを気にしていただいています。
 ヴェルデ様ほどではありませんが、私の恩人には違いないでしょう」
「わ、私は、エステルが困っていたから助けただけのことです!
 お、お前がいると、空気が悪くなって息苦しくなるのは変わっていませんからね」
「それでも、ヴェルデ様は私にとって恩人であることに変わりありません。
 場合によっては、主であるエステル様に優先してお守りすべきお方と考えています。
 それがヴェルデ様に頂いた恩に報いる私の義務だと考えております」

 もう一度頭を下げたシンジを前に、ヴェルデは更に顔を赤くしていた。その様子を観察したサラは、危険領域というスカーレットの忠告に従い、二人の会話に割ってはいることにした。ここで卒倒でもされようものなら、ヴァルキュリアの中で笑いものになってしまうだろう。シンジが黙っていても、エステル経由で噂が広がることは目に見えていたのだ。

「シンジ殿は、エステル様をお守りすることに集中していただきたい。
 ヴェルデ様をお守りするのは、カヴァリエーレである私の役目です」
「確かに、サラ様がいらっしゃるのに、出過ぎたことを申し上げました。
 ヴェルデ様、平にご容赦願います」
「そ、そうです、私にはサラが付いていますからね」

 サラの介入により、ヴェルデはほんの少しだけ持ち直したように見えた。ただこの状態では、いつ何時レッドゾーンに突入するのか分かった物ではない。本当の目的を考えたなら、余計な手順をすっ飛ばした方がどれだけマシか。真剣に晩餐の省略をサラは考えたほどだった。
 もっとも、そのためだけに人のカヴァリエーレを呼びつけたとなると、それはそれで主の恥をさらすことになる。今にも崩れそうな積み木を積み上げる思いで、サラはこの先の手順を勧めることにした。この後の食事と、そして床入りするまでの1時間、いざとなれば、その1時間をすっ飛ばすこともあるだろう。それさえ乗り切れば、後は成り行きに任せてしまえばいい。

「ところでシンジ殿、今日は夕食に付き合って貰えるのだろう。
 ならばその席で、是非ともテラの土産話を聞かせて貰いたい。
 聞くところによると、すでにレグルス様と一戦を交えたそうではないか」
「土産と仰有っても、予定を繰り上げたため大したことはありません。
 ですから、レグルス様とのお遊びの報告をさせていただきましょう」

 そう言って立ち上がったシンジを、「こちらに」と言ってサラは食事の用意してある部屋に案内した。そしてシンジを席に着かせて、たっぷりと時間をおいてからヴェルデを迎えに来た。

「ヴェルデ様、立てますか?」
「あ、主をバカにするものではありま……どうして立てないなんて……あれっ」

 バカな事を言うなと立ち上がろうとしたヴェルデだったが、腰が砕けてすぐにサラに支えられてしまった。その上サラは、ヴェルデが座っていた椅子が濡れているのを見つけた。椅子がこの様子なら、ドレスのお尻がどうなっているのか確認するまでもないだろう。すぐさまスカーレットを呼び出し、シンジに対して少し遅れると連絡を入れることにした。

「ヴェルデ様が、お召し替えをするから待つようにと伝えてくれ」

 そう言づてをして、サラはヴェルデを抱き上げた。これで少し頭を冷やせば、食事中ぐらい持ちこたえることができるだろう。全く世話が焼けると、舞い上がってしまった主を思いやったのだった。

 大急ぎで私室に戻り、軽くシャワーを浴びさせ着替えをさせた。そこまで要したのは、およそ30分、少し遅れると言うには、いささか長すぎる時間でもあった。
 だがようやく顔を見せたヴェルデを、すぐさまシンジは感謝の言葉と共にその服装を褒めた。

「私のような者のために、わざわざお召し替えまでしていただきありがとうございます。
 先ほどのお召し物も素敵でしたが、
 その薄いイエローのお召し物は、よりヴェルデ様の美しさを引き立てています」

 普段のシンジからは信じられない言葉に、相当レグルスに仕込まれたのだとサラは想像した。この調子で他の女性にも接したら、いったい何人堕ちることになるのだろうか。質の悪い兄弟分だと、シンジを見ながらサラはレグルスの顔も思い出していた。
 もっとも褒められた方は、言葉の背後に何があったのかなどどうでも良かった。何しろ好きな男性に、面と向かって綺麗だと褒められたのだ。せっかくシャワーまで浴びて頭を冷やしてきたのに、元の木阿弥、完璧に舞い上がってしまった。

「な、なにを今更、私が美しいのは決まり切ったことです。
 さ、さあ、テラでは食べられないようなご馳走を食べさせてあげましょう!」

 それでも主の役目を果たしたのは、それだけヴァルキュリアとしての教育が良かったのだろう。まずは第一段階と、サラが安堵したのは言うまでもない。
 ヴェルデが言う通り、3人の為に用意された食事は、かなり立派なものだった。ただテラでも、最高級ホテルで贅沢を尽くしたため、料理に対する感動は薄かった。それでも、こう言うときにはお世辞が必要になるのは理解していた。だからシンジは、過分なもてなしだと感謝の言葉を捧げた。

「私のように卑しい舌で、どこまで理解できるのか不安になります」
「し、シンジ、お前もラウンズに名を連ねているのです。
 その名を汚さぬよう、最上級の味を覚えることです。
 も、もしも、エステルでは駄目と言うのなら、いつでも私を頼って良いのですよ」

 本音は最後かと感心しながら、必死の主をサラは生暖かく見守った。すでにスカーレットからの報告を見ているサラは、シンジがテラで何を食べてきたのか承知していた。それと比べたら、こちらの方が豪華だとは言い切れないなと分かっていたのだ。そしてそれ以上に、今は主の方が味など分からないだろうと思っていた。

「では、ヴェルデ様に感謝していただくことにします」
「え、ええ、それは良い心がけです」

 シンジに合わせて料理に手を出したのだが、ヴェルデは動揺をはっきりと表に出していた。このままだと粗相しかねないと、少し早いと思いはしたが、サラはテラでのお遊びを持ち出した。

「レグルス様との手合わせ、私たちにも見せては貰えぬか?」
「あまり食事中にお見せするようなものではありませんが、お望みとあらば……
 ラピス、スカーレットに映像情報を転送してくれ」

 そうすれば、スカーレット経由で臨場感たっぷりの映像を見せることができる。シンジの指示に従い、ラピスラズリは直ちに映像をスカーレットに転送した。そしてサラの狙い通り、戦闘の映像は、ヴェルデの性的興奮を抑える役に立ってくれた。

「ほう、これはカノン様のフォトン・トーピドーですか?
 いつの間に、このような技術を覚えたのですか?」
「ほんの真似事ですよ。
 前の祭りで、カノン様にはこてんぱんにのされましたからね。
 次はどうしたらいいかの対策として、こっそりと勉強したものです。
 それでも、私程度ではレグルス様に通用しませんでした」

 まだまだと笑うシンジに、「どこがだ」とサラは突っ込みを入れたかった。双方レベル4に設定されているのだから、本来カノンの技が使えるはずがなかったのだ。それを小規模とは言え、有効に使って見せている。恐ろしいほどの才能だと、改めてシンジのことを見直したほどだった。

「やはり、レグルス様の格闘技術はずば抜けていますね」

 そこからしばらくの間は、レグルスの一方的な攻撃が繰り広げられることになった。レベル4に制限したお陰で、すぐに勝負が付くことはなかったが、さすがはレグルスと改めて感心したほどだった。
 そしてサラのレグルスに対する論評を、自分もそう思うとシンジも肯定した。

「もう、あそこまで来ると飛び道具は必要ないんでしょうね。
 レベル4にしていなかったら、瞬殺は間違いなかったでしょう」

 そう言ってシンジが笑ったとき、目に飛び込んできた映像に、思わずサラは腰を浮かしてしまった。カノンの技を真似しただけでも恐ろしいのに、こともあろうかシエル・シエルのファントムまで使って見せたのだ。

「まさか、ファントムまで身につけていたのか?」
「手の内をバラしてしまいましたね……」

 失敗したと頭を掻いたシンジは、不足している部分を補うためだと説明をした。

「格闘戦では、部下のフェリスにも及びませんからね。
 だからその弱点を補うため、シエル・シエル様のファントムを身につけました。
 これを使えば、ぎりぎりのところで攻撃を回避することができます。
 さすがに、シエル・シエル様のように、これを利用しての攻撃までには到達していません」
「それでも、私は十分恐るべきことだと思うぞ」

 レベル4に制限されているとは言え、二人の戦いを見たサラは、シンジに勝てる気が全くしなかったのだ。数ヶ月前には簡単にあしらうことができたのだが、今では完全に立場が逆転しているように思われた。それでも分からないのは、どうしてシエル・シエルと引き分けられたのかということだった。あの時の戦いでは、フォトン・トーピドーもファントムも、シンジは使用していなかったのだ。
 だがその追求をすることを、サラは断腸の思いで放棄することにした。スカーレットからの忠告で主を見たら、恨めしそうな視線に迎えられてしまったのだ。よくよく考えなくとも、戦いに熱中してシンジとの会話を独占してしまっていた。主の楽しみを奪ったのだから、恨まれても仕方が無いというものだ。だからサラは、邪魔者としてこの場から去る口実を口にした。

「今の映像を見ていたら、居ても立ってもいられなくなりました。
 ヴェルデ様、体を動かしたくなりましたので退出をお許しください」
「え、ええ、せいぜい技量を磨いてくるのですよ」
「ヴェルデ様の名誉のために……」

 立ち上がって頭を下げたサラは、シンジとすれ違うときに「公式の顔はこれで終わりだ」と耳打ちをした。つまりここから先は、シンジとヴェルデは二人きりと言う事になる。「存分に可愛がって差し上げてくれ」と言うのは、さっさとヤレと言う合図でもあったのだ。
 サラと入れ替わりに立ち上がったシンジは、まっすぐヴェルデの元へと歩いて行った。そして座ったまま見上げるヴェルデの首筋に、シンジはそっと手を当てた。

「ようやく、二人きりになれましたね」
「や、優しくするのですよ」

 軽くロールの入った赤い髪ごと、シンジはヴェルデの頭を自分の方へと引き寄せた。そしてヴェルデが目を閉じたのに合わせ、そっと唇を重ねたのだった。







続く

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