機動兵器のある風景
Scene -09







 ヴァルキュリア末席エステルは、テラで言う所まだ18歳の少女だった。ヴァルキュリアへの就任は、通常より早い14歳の時だった。先代ヴァルキュリアのノアが、急逝したことが早期就任の理由となっていた。当初配下のパイロット数が少なく、しかも有力なパイロットがメイハ・シーシーしか居ないという状況に、賢人会議からは時期尚早の声が上がったほどだった。
 そんなエステルを推挙したのは、今も筆頭に居るドーレドーレだった。その理由について、ドーレドーレは、「思いつき」と言う冗談のようなことしか語っていない。だが定説となっていたのが、エステルがとても美しい少女だからと言うことだった。

 今でこそラウンズの過半数を女性が占めているが、もともとラウンズは男性の役目とされていた。そしてその忠誠を勝ち取るためには、ヴァルキュリアには他を圧倒する女性的魅力が求められたのである。その価値観から、エステルこそヴァルキュリアに相応しいと噂されたのだ。
 だがいくら見目が良くても、ヴァルキュリアの任は14の少女には荷が重かった。そして当初は残っていた配下のパイロットも、次第に彼女の元を離れていくことになった。その理由として囁かれたのは、彼女の指導力に対する疑問である。ただ美しいだけではついて行けない、パイロット達の忠誠心をつなぎ止めることはできなかったということだ。更に女性パイロットが多くなると、能力の査定がシビアに行われたというのもある。

 シンジを配下に加えたのも、それぐらいしか連れてこられなかったとまで言われたほどだった。だがシンジを配下に迎えたことが、エステルにとっても転機となったのである。

 その日のエステルは、屋敷に帰ってからもぶつぶつと不満を言い続けていた。せっかくシンジに休暇を与えたのに、一方的な都合で取り消されてしまったのだ。だったら自分で迎えに行こうとしたのだが、それも全員で引き留められてしまった。休暇を取り消した理由にしても、祭りの結果が気に入らないという、きわめて身勝手な理由なのである。いくら自分以外全員の一致した意見とは言え、なぜ脅されてまで従わなければいけないのか。しかも自分の役目まで、レグルスに横取りされてしまったのだ。

「こういう日は、早くお風呂に入って休むのに限ります!」

 それが良いと自分を慰め、夕食が終わったところでエステルはお風呂に入ることにした。そしてすぐにふて寝をしてしまえば、目が覚めた頃にはシンジが帰ってきているだろう。そこで土産話の一つでも聞けば、多少は気が紛れるというものだ。その考えに基づき、彼女はその日の仕事をすべてすっぽかすことにした。

「ラッピー、私はお風呂に入ることにします」

 彼女の電子妖精、ラピスラズリに着替えの準備を命じて、エステルはさっさと裸になった。周りに誰も居ないとは言え、年頃の女性には慎みが求められるのは言うまでもない。ラピスラズリは、「はしたないですよ」と当然のように注意してきた。

「別に、誰も見ていないのですから問題はないでしょう!」
「誰かがいたら、それこそ論外の行動です。
 そもそも私は、誰かが見ていると言うことを問題にしているわけではありません。
 女性としての心構え、そのことを申し上げております。
 エステル様は、ヴァルキュリアとしてラウンズを魅了する役目があります。
 そのためには、常々女性らしさに気を配っていただかないと困ります。
 奔放さというのは変化球であって、すぐに飽きられてしまう性格のものですよ。
 そうでなくても、普段のエステル様の行動は奔放すぎます。
 せっかくお美しくいらっしゃるのに、あのレグルス様ですら敬遠されているのですよ。
 今はシンジ様がいらっしゃるとは言え、そのシンジ様に相手にされなかったらどうするのですか」

 よほど言いたいことが溜まっているのか、電子妖精のくせにラピスラズリはくどくどと説教してきた。一つ一つはもっともなことなのだが、だからと言って素直にそれを聞くエステルではない。「うるさいうるさい」と一方的に接続を切り、次の間にある浴室へと逃げ込んだ。

 ヴァルキュリアとかラウンズとか賢人会議とか、物々しい名前こそ並んでいるが、アースガルズの生活は、きわめてテラと似た物となっていた。だからエステルの屋敷も、テラで言う所の館のような作りをしていた。そしてエステルが逃げ込んだ浴場は、広い敷地の中に円形の湯船が設けられた、ヨーロッパの公衆浴場を想像させる物となっていた。

「まったくラッピーまで私を虐めるんだから、ぷんぷん!」

 文句を言いながら、スポンジで体を洗い上げ、長い黒髪はシャンプーとコンディショナーで丹念に手入れをした。綺麗にすることなど、今更言われるまでもないことだった。小さな頃からの習慣なのだから、怠ったことなど一度もないと主張したかった。「それなのにそれなのに」と、エステルは煩いラピスラズリへの文句を言い続けた。その中で一番気に入らないのは、自分の相手がシンジ以外にいないと決めつけられていることだった。

「だいたい、どうしてシンジが前提になっているの。
 シンジは、私の弟のような物なのに……
 そりゃあ、最近精悍な顔つきをするようになりましたし、
 ヴェルデがメロメロになっているのは知っていますけど。
 でもでも、私の中では、シンジは捨てられた子犬のように可愛い男なのですよ。
 びしょびしょになって、くんくんと泣いている弱い男の子なんです。
 だから私が、姉として守ってあげなければと思っているのに」

 体についたシャボンをシャワーで流し、どぶんと大きな湯船にエステルは飛び込んだ。接続されていれば、きっと「はしたない」とラピスラズリに言われたことだろう。だが、今のエステルは一人である。ますますラピスラズリへの文句に熱が籠もっていった。

「シンジとギシギシ、アンアンするのなんて想像できないわ。
 ちゅぱちゅぱしてきたら、可愛い赤ちゃんみたいだし……
 だいたいシンジは、あのヴェルデの気持ちに気づかない奥手の朴念仁なのよ」
「だとしたら、エステル様は初心でねんねのお子様ですね」

 突然ラピスラズリに割り込まれ、エステルは湯船でお尻を滑らせてしまった。おかげでお風呂でおぼれるという、新たな武勇伝を作りかけてしまった。しばらくお湯の中でバシャバシャと暴れてから、何とか湯船のヘリにつかまった。

「けほけほ、誰が繋いで良いと言いましたっ! ぷんぷん!!」

 無礼でしょと怒るエステルに、ラピスラズリは機械的に用件を伝えた。

「メイハ・シーシー様がおいでです。
 腹を立ててお仕事をサボられると、その分メイハ様が忙しくなるのをお忘れ無く」
「メイハでしたら、待たせておけばいいでしょう!」
「放っておきますと、エステル様はここからが長いですから」

 ああ言えばこう言う。ラピスラズリの対応は、電子妖精のくせにとても人間らしいものだった。だがこの件に関しては、ラピスラズリに分があったようだ。「ここからが長い」に思い切り心当たりのあるエステルは、「分かりました」と唇をとがらせ、大浴場を出て乾燥室へと向かった。
 いくら急いでいるからと言っても、おざなりな格好で部下の前に出ることは出来ない。相手が女性であっても、ヴァルキュリアの体面を保つためには、身だしなみを整える必要がある。乾燥室に飛び込み、体についた水気を飛ばしてから、最後に髪を整えるまでの時間はおよそ50分。急いでこれなのだから、言葉通りに待たせておいたのならいったいどうなったことなのか。ラピスラズリの忠告は、きわめて正鵠を射たものだったのだ。おかげでメイハ・シーシーは、屋敷に来てから1時間という待ち時間を過ごすことになったのである。

 もっともそのあたりはメイハも心得た物で、待ち時間を有効に活用すべく、報告に関する整理をその時間を使うことにしていた。その分早く屋敷に来られるし、待ち時間でいらいらすることも避けられると言うことだ。そして報告がまとまってほっとしたところで、ようやくエステルの支度が調い謁見の間……というか、応接タイプの会議室というのが一番ぴったりとした部屋に現れた。
 長い黒髪は、白色のリボンでポニーテールにまとめていた。少し胸元の開いた白のブラウスの上に、黒のアンサンブルを着た姿は、テラの世界に行っても全く違和感はなかっただろう。しかも白のソックスなど履いているから、どこかの女子高生かと思えてしまう出で立ちだった。その女子高生に見えるエステルは、一人用の肘かけソファに座り、20代半ばの女性、メイハ・シーシーに少し青みの入った黒い瞳をまっすぐに向けた。

 こうしていると、どこにもおかしな所はないし、とても美しいと思えてしまう。エステルの正面に座ったメイハは、世の不条理を少し感じていたりした。ちなみにメイハの姿は、黒が少し混じった金色の髪を短めに切りそろえ、赤と緑の模様が入った制服を着ていた。下は短めのスカートに見えるのだが、中に同系のズボンを穿くことで、見た目と動きやすさを両立していた。

「それでメイハ、用向きはなんですの?」
「はい、エステル様が放り出されていかれました、訓練状況他の報告です」

 放り出したというメイハの言葉に、エステルは少し目元を引きつらせた。だがここで怒ってはだめと奇跡的な自制心を働かせ、「それで」と報告を促した。

「このたびフェリス・フェリがレベル9認定となりました。
 レベル7認定間近のレベルに、アーク他5名が達しております。
 そのすべてがレベル7に認定されれば、7以上が20名を超えることになります。
 これで、ようやく形が整ったという所でしょうか」
「ようやくフェリスも、真面目に精を出すようになったのですね」
「そうですね、ようやくという所でしょうか」

 二入の脳裏に浮かんだのは、生意気な顔をした美しい少女の姿だった。濁ったところのない金色の髪をストレートに伸ばした彼女は、エステルやメイハにとって手の掛かる問題児だったのだ。なかなか言うことは聞かないし、訓練での手抜きも目立っていた。しかも訓練に出てくればまだマシで、サボって食べ歩きをすることもしょっちゅうだった。シンジが来る前は、メイハに代わってカヴァリエーレになることを期待された逸材なのだが、そのおかげで伸び悩んでいた……というか、正当にドロップアウトしていたのである。

「剣に限っての戦闘なら、間違いなく私やシンジよりも彼女の方が強いかと思います。
 ただ剣に頼りすぎているため、なかなか壁を越えられなかったのですが……」
「あとはやる気の問題ですね」
「そのあたりは、私の不甲斐なさに責任も有ったかと」

 問題だったやる気も、半年ほど前に解決してしまった。心を入れ替えた理由を考えると、ため息というか苦笑が漏れ出てしまう。エステルですら苦笑するぐらいだから、よほどあからさまだったと言うことだろう。

「フェリスも、女の子だったと言うことですね」

 当然それだけではないことをメイハは知っていた。パイロット達が離脱していった理由と、フェリスがサボタージュしていた理由は重なっていたのだ。そこにシンジが来て実力のかさ上げがなされたことで、他のパイロット達の実力も伸びていったのである。おかげで離れていったパイロット達も戻ってきて、今は先代を超える体制を作り上げることが出来た。全体の理由を言えばそれが最大の物に違いないが、個々人となると複雑な物が関わり合ってくるのは今更のことだった。そしてフェリスの場合、比重はそちらの方が大きかったようだ。

「本人は、絶対にそれを認めませんが。
 ただフェリスが成長してくれたおかげで、ようやく私も引退することが出来そうです」
「でも、あと1年は待たなくてはいけないと思いますし、やはり相手という物が必要だと思いますよ。
 メイハは、マニゴルド様にお願いをしていたのでしたっけ?」
「ええ、ご承諾は頂いていますよ」
「結構、渋い趣味をしているのですね」

 うふふと口元を隠したエステルに、それを言うかとメイハは目を少しだけつり上げた。だがそれに気がつかないように、というか全く気にせず、エステルは唐突にヴェルデのことを持ちだした。相手という繋がりで、素直でない同僚のことを思い出したのだろう。だがその時にヴェルデに着けた形容詞は、かなり悪意というか、偏見が混じったものだった。

「人のカヴァリエーレに色目を使っているくせに、素直になれずに悪態を吐きまくり、
 かえって引かれてしまい、全く気づいてもらえないお子様のヴェルデはどうしています?」
「なぜヴェルデ様の名前を出すのに、そこまで悪意に満ちた形容詞をつけられるのですか?
 まあ仰有りたいことは分かりますし、事実と対比して間違っていることはありませんが……」

 まったくと主の言葉に肩を落としたメイハは、ご想像の通りと言う答えを返した。

「サラ・カエルから言づてがありました。
 テラから戻ってきたら、すぐにでも顔を出すようにとのことです」
「もしかして、何か感づいたのでしょうか?」
「と言うか、レグルス様がちくったと考えるのが妥当かと」

 エステルから、「ちっ」と舌打ちする音が聞こえたのは気のせいだろうか。このあたりの情報は、二人の間で共有されていたと言うことだ。

「ばれていたら、驚かす楽しみ無くなってしまうではありませんか。
 予備知識を与えずに会わせて、ヴェルデがじゅんじゅんと濡れまくるのを見たかったのに」
「結果は変わらないと思いますが……」

 相変わらず意味のない擬音を使うと考えたメイハは、「よろしいのですか?」と主の考えを尋ねた。

「よろしいのかと言われても、ヴェルデはシンジの後見人になって貰っている人ですよ。
 それにカヴァリエーレはサラですから、シンジとギシギシ・アンアンしても問題はないでしょう?」
「私は、制度的なことを申し上げているつもりではないのですが?
 ヴェルデ様が先で、本当によろしいのかとお尋ねしているのです」
「シンジは私の弟のような物ですからね。
 弟相手にさかったりはいたしませんよ」

 余裕を見せたつもりのエステルに、それはいかがな物かとメイハは異を唱えた。

「ですが男のカヴァリエーレを持つのに、他のラウンズと関係するというのは……
 シンジの名誉にも関わることになりますが?」

 なんのために男をカヴァリエーレにしたのか。そしてどうしてそんな主に仕えているのか。二つの意味で、周りに疑問を持たれることになる問題である。そしてそれは、主従の間の信頼関係を損なうことにもなりかねない問題でもあった。名誉という言い方をしたが、カヴァリエーレの離反を招く原因にもなりかねない重大事なのだ。もしもカヴァリエーレに離反されよう物なら、ヴァルキュリアの資格を失うだけではなく、末代まで恥として語り継がれることになりかねなかった。
 そんなメイハの追求を、あっさりとエステルは話を変えて逃げ出した。

「そのことは追々考えることにしましょう。
 そんなことより、今回のことはフェリスにはばれていないでしょうね?」
「今のところは……ただ、黙っていても時間の問題かと」
「いっそのこと、ばらした方が面白いかしら……」

 そうしたら、荒れ狂うフェリスを見ることが出来るかも知れない。もしかしたら、シンジが帰ってきたとくってかかる様が見られる可能性もある。それを考えると、うまくばらした方が面白いだろう。

「メイハは、これから宿舎に戻るのですよね?」
「あまり、フェリスをいじるのはやめておいた方が良いかと思いますが……
 あの子も、エステル様と同じくまだまだお子様なんですから」
「メイハ、主に対する侮辱は大罪ですよ!!
 どうして私が、お子様なんですかっぷんぷん!!」

 ラピスラズリに続き、メイハにまで「お子様」と言われてしまった。それに腹を立てたエステルに、何を今更とメイハしっかりと呆れて見せた。

「エステル様は、今年で18になられたのですよ。
 それなのに、殿方の話が全く出ないのはどういうことでしょう?
 それだけお美しくいらっしゃるのに、レグルス様ですら言い寄ろうとなさらない。
 綺麗なだけでは、殿方を魅了するには不足しているのですよ。
 成熟された殿方は、未成熟、つまりお子様には興味を持たないものです」

 毎度引き合いに出されるところを見ると、よほどレグルスは精力的に声を掛けまくっているのだろう。そのことはさておき、旗色が悪いと見たエステルは、自分には男のカヴァリエーレがいることをその理由とした。

「わ、私には、シンジがカヴァリエーレで居ますから……」
「そのシンジが、エステル様に言い寄ったことはございますか?」
「し、シンジは、奥手の朴念仁ですから」

 慌てて言い訳をしたのだが、それは墓穴を掘る結果にしかならなかった。そして一番クリティカルな問題を、メイハは突きつけた。

「故郷に帰って開放的になった、そのほかにも色々と思うところがあったのかも知れませんが、
 シンジを誘惑したのは、エステル様よりお若い17歳の女性なのですよ。
 会ったその日に関係を結んだと言うことは、シンジも女性を受け入れる準備が出来ていたのです。
 言い換えれば、エステル様はやりたい盛りの男にすら手を出されなかったと言うことですよ」
「そ、そこまで主を悪し様に言いますかっ!」
「悪し様ではなく、事実だとご認識ください!」

 ぴしゃりと文句をはねつけられ、エステルは「どうせ」といじけて見せた。そんな仕草をする主に、「それがお子様の証拠だ」とメイハは指摘した。

「今日明日というのは無理でも、エステル様も真剣に考えられた方がよろしいかと。
 お子様のように遊ばれていると、レピス様の教育にもよろしくありません!」
「れ、レピスはまだ子供ですから……」
「しっかりと、エステル様を見て育たれていることをお忘れ無く。
 エステル様には、次のヴァルキュリアを育てる義務があるのですよ。
 レピス様が憧れるような関係を是非ともお結びください」

 くどくどと繰り返されるお小言に、今日は厄日だとエステルは我が身を呪うた。しかも質が悪いことは、ラピスラズリと違って、接続を切ることが出来ないことだ。従ってメイハが飽きるまで、黙ってお小言を聞かなければならなかった。本当に運が悪いと、エステルはここにいないシンジを呪うことにした。暇を出したのは自分なのだから、結局自業自得に違いなかったのだが。



***



 シンジが助けを出したおかげで、綾波レイと鈴原トウジは、機動兵器操縦のきっかけを掴むことが出来たようだ。それは戻ってきたときの二人の興奮具合を見れば、比較的簡単に理解することが出来た。思考による動作の加速(アクセル)体験は、二人にとって目の前が開けるような経験となっていた。
 そして続いて行われた渚カヲル、惣流アスカ・ラングレーとの訓練でも、シンジの指導は的確に行われた。「教え上手だな」と言うレグルスの評価を待たないでも、二人の動きが目に見えて良くなるのが分かったのだ。特にアスカは、1時間ほどの訓練の中、シングルとは言えアクセルを完璧に決められるようになっていた。

「後は、今日学んだことを繰り返すようにしてください」

 戦闘とは違い、訓練はすべて全力で行っていた。ペース配分も何もないのだから、1時間も乗り続ければ、足腰も立たなくなってくる。二人の疲労具合を読み取ったシンジは、そこで訓練の終了を告げた。それに対して、二人からは「もう少し」と言う、予想通りの答えが返ってきた。

「疲れているけど、まだまだ出来ます!」
「それは、僕からもお願いしたいよ。
 僕たちにとって、今日この時間はとても貴重なものなのだよ!」

 二人揃ってのお願いなのだが、それでもシンジは受け入れるつもりはなかった。二人のやる気は買えても、体の方が着いてきていないのが分かるのだ。その状態で訓練しても、結局何も身につくことはない。それを分からせるため、シンジはアクセルを使って二人の前に瞬時移動をした。そして軽く触れるか触れないぐらいの力で、二人の機動兵器を後ろに押した。たったそれだけのことで、二人の乗った機動兵器は簡単に後ろに倒れたのだった。

「やる気は買えるけど、もう体が着いてきていないんだよ。
 この状態で訓練を続けるのは、事故の可能性を高めるだけでしかないんだ。
 そう言う意味では、もう少し基礎体力を付けなければいけないね」

 午前中に全力の一戦、そして午後には二人相手の訓練までこなしている。それなのに、シンジからは全く疲れを見ることが出来なかった。その一方で、地面に転ばされた二人は、簡単には起き上がれないほど疲労が足腰に来ていた。それを見る限り、シンジの言う「基礎体力」の差が如実に表れていた。

「で、でも、次に訓練してもらえるのはいつか分かりません」

 それでも食い下がったアスカに、今日の訓練自体がイレギュラーだとシンジは返した。

「特区セルンに行くときには、事前に日程を連絡しておくことにするよ。
 そのときには、合同で訓練すれば良いんじゃないのかな?
 そう遠くないうちに、たぶん今回の用件が終われば休暇の取り直しが出来ると思うからね。
 その時までに、今日分かった課題を解決してきてくれないかな?」

 基礎体力の他にも、様々な問題が抽出されている。その解決だけでも、自力では多大な時間を使うことだろう。次の機会がいつになるのか分からないが、場合によっては間に合わないことも大いに考えられた。特に基礎体力の向上には、時間が掛かることが予想された。
 いくら気持ちがはやっていても、起き上がれないのでは従うしかない。シンジに助け起こされた二人は、しぶしぶ訓練の終了を受け入れた。色々と成し遂げたことへの高揚はあったが、それ以上にあったのはふがいない自分への失望だった。ここで体力が尽きなければ、もっと新しい世界が開けたのにと言う後悔である。

「じゃあ、戻って反省会をすることにしましょう」

 両脇に機動兵器を抱え、シンジは回収口へと歩いて行った。

 それからおよそ30分の時間が経過したところで、展望室へと3人は戻ってきた。その時シンジを迎えたレグルスの第一声は、「教える方に適性があるな」と言う物だった。

「と言うことで、お前、うちにも指導に来ないか?」
「そうやって、カヴァリエーレの義務を蔑ろにしますか?」

 すかさず義務を持ち出したシンジに、「それはそれ」とレグルスは笑い飛ばした。

「それは半分冗談としても、エステル様麾下の実力向上が目覚ましい理由が分かったな」
「まあ、あちらはやる気の問題が大きいと思いますけどね。
 それに、アルテーミス様麾下とは比べものになりませんよ」

 軽口をたたき合いながら、シンジはレグルスの隣、窓を背にして全員に向かい合った。ここから先は、最初に宣言した通りの反省会と言う名の質問タイムである。

「全員が揃ったようですから、これからは皆さんの質問を受け付けることにします。
 どんなつまらないことでも、質問を受け付けますから安心してください」

 どうぞと話を振られたパイロット達は、顔を見合わせてから全員が一斉に手を挙げた。このあたりは、トップの空気が変わったお陰でもある。

「渚さん、申し訳ありませんが仕切って貰えますか?」
「では、今日の時間を譲ってくださったことに感謝の意を込めてセシリアさんからどうぞ」

 カヲルに指名されたセシリアは、スカートの裾に気をつけながら立ち上がった。

「その、たぶん皆さんが疑問に感じてらっしゃることだと思いますが、
 どうしてお二方は、そんなにタフなのですか?」
「なんでと、言われてもなぁ……」

 話を引き取ったレグルスは、まず最初にどう答えるべきかを考えた。どうしてと言われたら「訓練してきた」としか答えようがないのだが、それでは答えとしてあまりにも不親切だと考えたのである。だがその答えを封印してしまうと、他に適切な回答が見あたらなくなってしまう。お陰で答えに詰まったレグルスは、迷うことなく回答をシンジへ丸投げした。

「いきなり回答を振らないで欲しいんですけどね。
 セシリアさんのどうしてに対しては、なかなかぴったりと来る答えが無いと言うのが現実です。
 身も蓋もない言い方をするなら、訓練をしたからと言うことになります。
 今日の場合は、普段やらない方法で機動兵器を動かした関係で、余計に疲れたのではないでしょうか。
 だから今日と同じことを繰り返していけば、自然と体力が付いてくることになります。
 あとは、どう体力を温存すればいいかのコツを掴むことですね。
 どこまで頑張っても、体力に限界があるのは変わりませんから、いかにうまく力を使うのか。
 それをいつも考え、効率的な使い方を実践することです」
「うちの場合は、とにかく走れ、戦えだからなぁ……」
「そんなことが通じるのはレグルス様だけですよ」

 シンジの苦笑に合わせるように、会場からは忍び笑いが起きていた。

「それでは次の人、そうですね、アスカさんお願いします」
「はい、アクセルを覚えるときに気をつけることは何ですか?」
「それは簡単だな、まず最初は止まることだ。
 そして次に、目を慣らすことが大切と言う事だ」

 あっさりとしたレグルスの答えに、もう一度苦笑を浮かべたシンジが補足を加えた。

「止まることと言うのは分かりやすいと思いますが、目を慣らすというのも説明すれば簡単なことです。
 まず最初に、自分が何をしているのかをしっかりと目で確認することです。
 えいやっで移動するのではなく、ここに来たから良いとか、危険だから途中で止めようとか。
 目で判断をして、アクセルを使いこなすという意味が一つ目です。
 そしてもう一つ、相手もアクセルを使えると言うことを忘れてはいけません。
 加速された相手の攻撃が見えなくては、その攻撃を避けることもできません。
 従って、速さに付いていけるように目を慣らすというのが大切と言う事になります。
 説明を補足しましたが、これでよろしいですか?」

 全員が小さく頷いたのを確認したシンジは、他にはと質問を求めた。その時少し遠慮がちにあげられた手の主をカヲルが指名したことで、質問の方向性が変わり始めた。

「ヨナ・サンスクリットさん」
「はい、ちょっと本質からずれているのかも知れませんが……」

 少し長い黒髪に少し黒い肌をしたヨナは、機動兵器が格闘戦を行う意味を持ち出した。

「私たちが戦うのは、使徒と呼ばれていた存在だと思います。
 その前提に立った場合、機動兵器同士で格闘戦をする意味がもう一つ理解できないのです。
 レベルを上げることで、攻撃速度が上がる、防御力が上がる、特殊な攻撃を行えるようになる。
 それが、それがどうして同じスケールの機体同士の格闘戦に繋がるのか分かりません。
 まともに考えて、使徒と格闘戦をするとことは無いと思えるのですが……」

 ごめんなさいと腰を下ろしたヨナに、「構いませんよ」とシンジは笑みを返した。

「ある意味、とても本質的な疑問だと思っています。
 私たちが所有する機動兵器は、全高でおよそ10m程度です。
 それに引き替え、使徒の全高は50m程度有ります。
 まともに考えれば、これだけ大きさに差があれば格闘戦をすることはあり得ません。
 格闘戦を前提とするなら、エヴァを使う方が現実的なのは間違いないでしょう。
 ですから、分かりやすい答えは、個人の技量を上げる一番手っ取り早い方法と言う事です。
 機動兵器同士なら、技量を高めるための戦闘訓練が容易に行えます。
 従って、レベルを上げるためとヨナさんが言った通りの目的が一つあります」
「他にもあるという事ですね?」

 座ったまま確認したヨナに、「もちろん」とシンジは即答した。

「次に分かりやすいのは、常日頃格闘戦をすることで、仲間の技量を理解できると言うことです。
 こう言う動きに付いてこられるか、ここまでいっても大丈夫かというのを肌で感じることができます。
 その面で、格闘戦でぎりぎりの戦いをすると言うのは、とても役に立ってくれます。
 攻撃の回避、自分への支援攻撃、そう言った技量の一つ一つが格闘戦に生かされてきますからね。
 ここまでの説明は、効果としておそらく異論のないものと思います」

 そうですねと聞かれれば、そうだとしか答えようのない説明だった。だからシンジは、答えを待たずに最後の理由をせつめいした。

「ここまでが、比較的皆さんの常識に沿った説明だと思います。
 そしてここから一つ思い出して欲しいのは、機動兵器はエヴァを超える兵器だということです。
 皆さんは、それを聞いたとき「なぜ」と言う事を考えましたか?
 それを考えた人は、きっと機体の運用、そして準備が容易だというのを理由にしませんでしたか?
 それは機動兵器を採用した理由として、説得力はありますが本質ではありません。
 私はまだ実戦で戦ったことはありませんが、今のラウンズの皆さんなら1対1で使徒には負けません。
 それどころか、よほど油断をしない限り、どれだけ押し寄せてきても負けないでしょうね。
 レグルス様、これでもまだ控えめな言い方でしたか?」
「どれだけって言われてもなぁ、さすがに限界はあると思うぞ。
 ただ今までは、その限界に達したことは一度もなかったがな。
 俺が強いというのは当然だが、戦うときは必ずこちらも集団で臨むからな。
 レベル4じゃさすがに難しいが、レベル8ぐらいになれば単独で勝つのは難しくない」

 それが訓練の先にあるものだと言われると、誰もが夢を見てしまうに違いない。しかも訓練の究極状態にいるのが、目の前に居る二人のラウンズなのである。今まで尊敬しつつも、普通の人だなと出席者達が思っていたところがある。だがその話を聞かされると、急に遠い存在になった気がしてならない。まともに聞けば、眉に唾をつけたくなる大風呂敷なのかも知れないが、かつてエヴァのパイロットをしていた碇シンジがいることで、途端に信憑性が増してくるのだ。

「それでも、ヘルでしたっけ、その浸食を止められないんですね」
「一度汚染されると、それを回復するのにもの凄い労力と時間が必要となる。
 そして回復作業中にも浸食が行われるため、結局浸食を食い止めるので手一杯になってしまうんだ。
 しかも“ヘル”の名前の通り、相手はつきることなく化け物を供給してくれるんだ」
「だったら、いくら頑張っても無駄としか……」

 誰かの小さなつぶやきだが、そのつぶやきは確実に全員の耳に届いていた。化け物じみた、この場合神といった方が良いのか、その力を持つ者が居るにもかかわらず、いくら頑張っても浸食の広がりを止める事ができない。それは間違いなく、絶望を周りに振りまくことだろう。だからその小さなつぶやきに対しても、誰もはっきりと非難すら向けることができなかった。そしてその絶望は、レグルスも常々感じていたことだったのだ。
 その絶望に対して、シンジは「そうかな?」と小さな問いかけをした。そしてその問いかけこそ、パイロット達の心に希望の明かりを点すものとなるものだった。

「最後には浸食されて全てが終わってしまう。
 だから、僕達の努力は意味のないことだ……
 確かに、結果を見ればそう言いたくなる気持ちも理解できるよ。
 でもちょっとだけ見方を変えてくれないかな?
 そうだね、例えばだけど、ヘルの浸食を人間の死と考えてみて欲しい。
 人として生を受けた以上、遅い早いはあっても必ず僕達は死ぬよね。
 だとしたら、僕達が今生きていることに意味はなくなるのかな?
 死が待っているのだから、頑張って生きなくても良いと思うのかな?
 そう問いかけられたとき、ここにいるみんなはそんなことを答えないよね?
 それと同じことが、ヘルとの戦いにも言えると思うんだよ。
 もしかしたら、将来汚染地域を浄化する画期的な方法を見つける可能性もあるだろう?」
「確かに、諦めてしまった時点で全てが終わってしまうな」

 自分の言葉に頷くレグルスに、そう言う事ですとシンジは微笑んだ。

「諦めなくても、結果は変えられないかも知れません。
 でも変えようとする努力を続ける限り、僕達は前向きに生きていくことができるでしょうね。
 そのことが、僕達にとって生きていると言うことになるんじゃありませんか?」

 ヘルのことを聞いたときには、絶望が頭の中で大きく鎌首をもたげていた。それがパイロット達全員に共通する認識に違いない。だがシンジの言葉を聞いたことで、間違いなくその場にいた全員が戦う意味をもう一度考え直すことになった。すなわち、自分達の戦いは、最後の悪あがきとは全く違う物だと言う事だ。自分達が頑張ることで、次代へと繋ぐことが可能となる。そしてその次、そしてまた次へと引き継がれていく。それは悪あがきとは根本的に異なる、未来への希望を繋ぐという行為だと理解できた。
 それは、希望というむず痒い感情を胸の中で高ぶらせるものだった。それは、隣でシンジの話を聞いていたレグルスも例外ではなかった。自分達の戦いが、次代へ希望として引き継がれていく。そして自分達が頑張れば頑張るほど、繋がれる希望は大きな物となっていく。それは今まで考えたことのない、そして本質を言い当てた考えだとレグルスは確信した。そしてそんな重大なことを、弟分はこともなげに言ってのけてくれたのだ。

 面白い奴だ。レグルスは、ブレイブス以外の姿があるのではないかと、シンジのことを見直したのだった。







続く

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