機動兵器のある風景
Scene -08







 「恨みますよ」、それがシンジのレグルスに対する第一声だった。抜け駆けしないと約束をしたのにもかかわらず、二度までも勝手なことをしてくれたのだ。しかも二度目の時にはホテルのドアの前には、テーブルやら椅子やらでバリケードまで作ってくれた。その上ユーピテルの通路は、アレクサンドライトが塞いでくれた。周りの迷惑を考えていないし、そこまでやるのかとシンジも呆れたほどだった。しかもそれが解除されたと思ったら、更に事情は複雑なものとなっていたのだ。しかも解除した理由が、手が付けられなくなったというのはどう考えればいいのだろう。

「いやぁ、おれは、こいつらを励ましてやろうとしただけだぞ。
 それは誓ってもいい、なあお嬢さん、俺は間違ったことを言っていないよな」

 あまりにもシンジの視線が剣呑だったため、レグルスは思わずセシリアに助けを求めることになった。そしてレグルスに頼られたセシリアも、シンジの剣幕にびびりながら、レグルスの言葉を裏付けたのだった。

「レグルス様は、コツさえ掴めば短期間でレベルが上昇されることを説明されただけですわ。
 ただその引き合いに碇様を持ち出したので、少し時間的な問題が出ただけですの」
「時間的な問題?」
「そ、そのですね、アースガルズに渡られてから、機動兵器に乗られるまでのお時間です」

 言いにくそうにするセシリアに、シンジは事情が飲み込めた気がした。そしてその裏付けの答えを、ラピスラズリ経由でアレクサンドライトから受け取った。

「そう言う人に教えたくない過去をばらしますか?」
「そ、そのつもりはなかったのだが、話の弾みで、ほら、
 まあ、なんだ、ここの奴らが、お前がどうなっていたのか知らずに恨んでいたからな。
 だからちょっと疑問になったというのか、その弾みで出てしまったというか」
「アルからデータを引き出さなかったことには感謝しますよ」

 ふうっとため息を吐いたシンジは、青い顔をして震えているアスカを見た。恨んでいた相手と、現実の相手にギャップがあったことに、かなり大きなショックを受けているように見えた。かと言って、シンジは自分にできることはないと考えていた。アスカが憎んでいるのは、目の前に居る自分ではなく、心の中に作り上げた碇シンジなのだから。
 だからレグルスがお茶を濁した部分、誰も知らない治療についてシンジは話し出した。

「僕だって、詳しいことを教えては貰っていないよ。
 断片的には記憶が残っているけど、つなぎ合わせても意味のある物になってくれないんだ。
 僕の心が、安全弁として忘れるという選択をしたのかも知れないし、
 本当に何も覚えていない、覚えていられる状況ではなかったのかも知れない。
 何度も死を願い、そしてその度ごとに生きることを強要されてきた。
 そしてその後には、更に悪いことが僕を待っていたんだよ。
 まともな記憶として繋がり始めたのは、目の前にエステル様がドアップで現れた時からだね。
 白くて明るい世界に、とても綺麗な人が現れたものだから、ああ天国に来たんだなと思ったなぁ。
 僕は死んだんですかと聞いたら、エステル様に思いっきり笑われたのを覚えているよ。
 それから僕の時間は戻り、ようやく周りの事も分かるようになったんだ。
 ただ、アースガルズって言うのは、しばらく冗談だと思っていたよ。
 しばらく暮らしてみて、ようやくそれを受け入れられるようになったというのか。
 そうなると、昔有ったことは全て夢じゃないかと思えてきた。
 機動兵器に乗ったのは、もともとはリハビリにいいと勧められたからだね」
「なんでエステル様は、お前の面倒を見ることになったんだ?」

 当時のアースガルズに、テラの人間を配下に加えるという考えはなかった。それを考えれば、確かに不思議なことに違いない。ただそれを聞かれても、シンジにも理由など分かるはずがない。レグルスの質問に、さあとばかりにシンジは肩をすくめた。

「エステル様は、本当に何を考えているのか分からない人だからね。
 どうしてですかと質問したら、どうしてなんでしょうねと平気で呆けられたよ。
 どうして僕がここにいるのかと聞いても、意味のある答えは返ってこなかったなぁ。
 頭の中が混乱していたって状況を差し引いても、説明になっていなかった気がするよ」
「説明が擬音だらけだったんじゃないのか?」

 的確な指摘に、シンジは苦笑と共にそれを肯定した。

「どう聞いても、あまり良いときには使わない擬音だったけどね。
 ぐちゃとかぐちゅとか、けらけらって、いったいどう言う状況で使うんだろう。
 本人は色々と教えてくれたつもりらしいけど、それ以上聞くのを僕は諦めたぐらいだから」

 シンジの説明に、レグルスはうんうんと大きく頷いた。美しいという意味では、ヴァルキュリア達の中でも目を引く存在なのは間違いないだろう。だがそれ以上に、話をしていると疲れるというのがエステルの評価だった。一番親しいはずのヴェルデにしても、時々金切り声を上げているのが目撃されているぐらいだ。無意識のうちに、相手の切れる部分だけ選んで踏んでいるという、とても希有な才能を持っているようだ。

「それでも覚えているのは、アスカや綾波が大変なとき、僕は何もすることが出来なかったことだ。
 暗がりで怯え、周りの世界、そのすべてを恨んでいたことだったよ。
 何度も死にたいと思ったし、頭に銃を突きつけられたときにはようやく楽になれると思っていたよ。
 まあ、今だから平気そうに話すことの出来る話なんだけどね」
「なんで、あんたはそんなことを平気に口に出来るのよ!」

 死に直面したことを口にしたシンジに、アスカはおかしいと大きな声を上げた。そしてシンジも、「おかしいよね」と薄く笑って見せた。

「たぶん、エステル様の毒に当てられたんじゃないのかな。
 あの人といると、深刻に考えるのがバカらしくなるんだ。
 後は、あのときよりも酷いことにはなりようがないと思えるって言うのも理由だろうね。
 それに、そうだな、責任を感じることが出来るようになった……
 違うか、責任を受け止めることが出来るようになったと言うのが正しいかな。
 自分がやらなければいけないことを、自分で見つけたからって言うのが一番大きいと思う。
 ああ、それから、目標となる兄貴分が居るって言うのも大きいかな」

 いつも自分で言っていることだが、改めて相手に言われるとさすがに恥ずかしいらしい。シンジに頼れると言われたレグルスは、浅黒い顔を少し赤くして、明後日の方向へと顔を逸らした。
 ちょっといい話に、その場の雰囲気は暖かい物へと変わっていた。だが「やめて!」と言うアスカの叫びに、再び空気は凍り付いた。

「なによそれ、だったらあたしはなんだったのよ!
 あんたのことが殺したいほど憎いのに、ずっと手が届かないと諦めていたのよ。
 殺したくて殺したくて殺したくて、そればっかりがぐるぐると廻って頭がおかしくなって。
 それなのに、やっと手が届くところに来たと思ったら、それは殺したいあんたじゃない。
 私の中にいる、絞め殺したいほど憎い碇シンジは何者なのよ!
 どうして、あんたは碇シンジじゃないのよ!」

 心の底からの叫び、アスカの心の奥底にあったものを吐露したものなのだが、そんなことを言われてもシンジにどうにかできるはずがない。

「何者って言われても……僕は僕で、アスカが見ているのは僕の一部でしかないんだけど?
 それに、碇シンジじゃないと言われても、僕も碇シンジに違いないし……
 それに、アスカに殺されてあげるわけにはいかないんだ」

 こまったなと顔をしかめたシンジに、よろしいでしょうかとセシリアが割り込んできた。そして話を聞いていて、色々と考えることがあったのだと前置きをした。

「ええとですね、私は初めアスカさんが碇様のことを好きだったのではと考えたのです」
「ああっ、それは、綺麗さっぱり無いと思うよ。
 アスカの好きなのは、もう亡くなられたけどずっと大人の人だったからね」

 すぐさま否定したシンジに、話は最後まで聞く物ですとセシリアは人差し指を立てた。

「ですから、初めはと申し上げましたの。
 今でもそれも外れてはいないと思っていますが、実は少し違っているのかなと思いますわ。
 私が推測するに、アスカさんは理想の男性を心の中で作り上げていたのだと思います。
 優しくて頼りになって、いつだってアスカさんのことを守ってくれる男性。
 それを碇様の姿を借りて、理想という形で心の中にずっと大切にしていたのですよ。
 その信頼が裏切られたと思ったから、激しく憎んで殺したいと思ったのではないでしょうか?
 気も狂うほどの激しい憎悪は、それほど信頼していた、愛していたことの裏返しなのではありませんか?」
「なるほど、それは納得のいく説明には違いないな。
 理想の男性なんて心の中に作っちまったら、そりゃあ、どんどん美化されちまうだろう。
 そんな奴に裏切られたら、かわいさ余って憎さ百倍、いくら殺しても飽き足らないだろうな」

 それは良いと手を叩いたレグルスを、シンジは睨み付けることで黙らせた。話が重苦しくならないのは良いが、あまり茶化されるのも気分が良い物ではない。ただシンジにも心当たりがあったのは、夢に逃げ込みたくなるほど心が悲鳴を上げていたと言うことだ。誰かに助けて貰いたい、それはシンジもずっと切望していたことだった。それがシンジにとって、綾波レイと言う存在であり、彼女が怖くなってからはアスカという存在だった。だがその逃げ道も失われ、シンジ自身壊れていったことになる。

「だからと言って、アスカにとって僕が理想の男性になる事はないと思うんだけどなぁ。
 少なくとも、好意的なことを言われた事は一度もないんだよ」
「そのようなものは、何か小さなきっかけがあればいいと思いますわ。
 一緒に戦っていたんですから、格好良いところとか、命を助けられたこととか。
 ほんの些細なきっかけが、理想の男性に投影されることはおかしくありませんもの」
「シンジは……あたしを助けるために……」

 セシリアの言葉に思うところがあったのか、アスカはシンジの格好良かったことを思い出そうとした。そんなアスカに、まずい兆候だとシンジは話を強引に打ち切ることにした。問題が解決したわけではないが、わだかまりのいくつかは解消したはずなのだ。ここから先は、人間関係を複雑にする以上の意味は持っていない。
 それにここで時間を使っていては、予定の2時などあっという間に訪れてしまう。しかも腹の立つことに、そして都合が良いことに、隣でレグルスが「腹が減ったなぁ」などとほざいてくれていた。

「ほら、そろそろ昼食をとらないと、午後のスケジュールにも影響するから。
 機動兵器で格闘をすると、もの凄くお腹が空くんだよなぁ」

 同意しろと目で迫られたレグルスは、「そうそう」とわざとらしくシンジの言葉を肯定した。

「お、俺は育ち盛り食べ盛りだからな、さっきから腹の虫が催促してたまらないんだ」
「と言うことで、レグルス様、早速レストランへ行きましょう!」
「お、おうっ!」

 今度ばかりは、レグルスもお節介はしなかったようだ。シンジと同時に電子妖精に命令を出し、不審な物を見る目をしたセシリア達の目の前から同時に消えてくれた。「逃げましたわね」と言うセシリアのつぶやきが、一番事情を正確に言い当てていたのだった。



 ランチブレークを入れたぐらいで、厄介ごとから逃げ切れると言うのは甘い考えに違いない。そのこと自体シンジ自身理解していたが、おかしな空気を一度断ち切っておくことは必要だと考えた。そうしないと、間違いなく思いもよらない方向に飛び火しそうだったのだ。そしてその考えはある意味正しく、そしてその程度で収まりが付くほど簡単なものではなかった。それは、2時に研究所に戻ってから、はっきりと思い知らされることになった。いくらレグルスに釘を刺しても、問題の中心はすでにそこになかったと言う事だ。

 「質問はまとまりましたか?」と話を切り出したシンジに、「提案があります」とカヲルが切り返した。一度間を置いたお陰で、その時は再びラウンズと特区代表の関係に戻っているように見えた。もちろん、あくまで“見えた”という意味である。

「提案ですか?」
「あれから考えてみたのですが、なかなか感覚的なものを質問するのは難しいという結論に達しました。
 ですから、より効果的に理解を深めるためには、実習の時間を増やすのが良いだろうと考えました。
 質問にしても、実習後の方がより具体的なものができるかと思います。
 それから夜のことですが、是非とも懇親会を開催したいと思っていますがいかがでしょうか。
 第5位が見えたと言うことは、公式に準じると考えてよいかと思います。
 でしたら、是非とも懇親会を開き、双方の交流を深めたいと思っています」

 いかがでしょうかと聞かれれば、駄目と言うような筋合いの話ではなかった。確かに実地指導した後の方が、質問も具体性を増して良いのは間違っていない。せっかくの機会をより有効に活用するのは、提案の方向の方が好ましいに違いない。そしてこれだけ人の組織に口を出したのだから、休暇中というのは懇親会を拒む理由にはならないだろう。

「確かに、実地で訓練をした方が理解を深める助けになりますね。
 それで、訓練を受ける候補者を教えてください」
「私に惣流アスカ・ラングレー、綾波レイ、そして鈴原トウジの4名になります。
 できれば、前者2名は碇様、後者2名はレグルス様のご指導を頂きたい」

 とてもあからさまな組み合わせのだが、特区第三新東京市の事情から考えると、人選自体は妥当と言えるものだった。そして妥当に見えると言う事は、断る理由もないと言うことである。しかも特区セルンに関しては、すでに昨日指導済みと言う事情もある。人数のバランスをとるか、一人一回ずつと考えるか、それを問題とするのは、特区間の問題だった。そしてセシリアから疑義が呈されない以上、シンジが関与する問題ではなかったのである。

「了解しました。
 では、僕達が使用する機体ですが」
「碇様には、是非とも私の機体を使っていただきたいですわ」

 すかさず申し出たセシリアに、何があったのかなとシンジはちょっと考えた。だが断るほどでもないと、その申し入れを受け入れることにした。

「では、午前に引き続き同じ機体と言うことで宜しいでしょうか?」
「そうだな、特に問題となることはないだろう」

 レグルスも受け入れたのだから、これで使用する機体の話はお終いとなる。後は訓練の順番なのだが、「俺からやる」とレグルスが主張した。

「と言うことで、直ちに準備に掛かるとしよう」
「まあ、良いですけど……」

 ふっと小さくため息を吐き、シンジは順番の確認をカヲルにしたのだが、それはあくまで話の取りかかりでしかなかった。

「順番はレグルス様が先で良いかな?」
「こちらはお願いする立場ですから、アースガルズの都合を優先します」
「そう、それからもう一つ、いったい何を企んでいるのかな?」

 カヲルとアスカの二人が、シンジの相手をすることになる。午前中の話と合わせれば、そこに何らかの意図があると考えるのが当然だった。
 しかもカヲルも、「企み」と言うシンジの疑問を否定しなかった。出て行くレグルスに頭を下げたカヲルは、にやりと口元を歪め、色々と解決したいのだと物騒なことを言ってくれた。

「レグルス様には、色々と問題があることを強く指摘されましたからね。
 だからこの機会に、その問題を解決しようと考えているんですよ。
 そのためにも、この組み合わせである必要があったと言うことです」
「その余所余所しい言い方を見ると、僕に何かさせようと思っているんだね。
 一応釘を刺しておくけど、明日帰ったら、いつこちらに来るのか分からないんだよ。
 そしてもう一つ、次の訪問は特区セルンに行くことを約束しているからね。
 僕が顔を出すことを前提とした計画には乗ることができないからね」
「別に、“後々”碇様のお手を煩わせようとは考えていませんよ。
 ただ問題解決に、少しだけご協力いただければと考えているだけです。
 その協力にしても、特に特別なことをしていただこうとは思っていません。
 この後、僕達二人を指導してくださればそれで結構です」

 いかにも、何かあるような顔をして言ってくれるのだ。それを考えると、とてもではないが安心することができるはずがない。それを確認するため、シンジは早速セシリアを呼び寄せた。午前中というのか、朝からのことで今更関係は隠しようがない。だったら開き直って、それを利用すれば良いだけだった。

「何でしょう、碇様?」

 シンジに呼ばれ、満面の笑みを浮かべてセシリアは近づいてきた。そしてくっついた際に少し密着度が高いのは、関係を隠す必要がないことも無関係ではないだろう。もしかしたら、カヲル達との間で何か取引があったのかも知れない。そしてシンジは、その何かをセシリアに尋ねることにした。

「何か、カヲル君達と取引していないだろうね?」
「いやですわ碇様、渚様とアスカ様には、先ほどのことを謝罪していただいただけですの」
「他には?」

 それだけとは思えないこともあり、本当にそれだけかとシンジは追求した。だがころころと笑ったセシリアは、「それ以上は野暮というものですわ」と答えた。

「そんなことより、懇親会が終わった後はお尋ねしてよろしいのですよね?」
「それは構わないというか、喜んでと言うか……」

 綺麗な子が自分に好意を寄せてくれるのは、立場に関係なく嬉しいものだ。しかもその好意に基づく行為が、やみつきになるほど気持ちよかったとなればなおさらである。アースガルズに帰ったらどうするのかを、シンジは真剣に悩んだほどだった。そのくせ「ヴェルデ様では胸が……」などと鬼畜な事を考えていたりした。

「でしたら、最前列でレグルス様の雄志を拝見致しましょう。
 よろしければ、解説していただけると皆さんも嬉しいと思いますの」

 そうですよねと話を振られたパイロット達は、セシリアに向かって力強く頷き同意を示した。結局何も聞き出すことはできず、シンジは最前列に座らされることになった。その時の驚きと言えば、自分の隣にアスカが座ったことだろうか。

「ぜ、是非とも、い、碇様のお話を伺いたいと思って……」

 不思議そうな視線を向けたシンジに、アスカはうつむきながら言い訳をした。その言葉のぎこちなさは、使い慣れないことを言おうとしているからだろう。だが気になるのは、午前中には有った棘が、綺麗さっぱり抜け落ちていることだ。それどころか、声自体女らしく、とても可愛く聞こえてしまった。
 だが誰が隣に座るのかに、目くじらを立てるわけにも行かない。それにアスカの立場なら、最前列で説明を受ける権利を持っていた。だからシンジは、細かなことを気にしないことにした。この後開かれる懇親会にしても、仕掛けをされても大したことは無いと高をくくっていたのである。

 それとは別に、どうしてレベル4が基準になるのか、レグルスの設定にシンジは疑問を感じていた。そんなシンジに、どう言う訳かアスカから回答が返ってきた。

「午前の模擬戦で、私たちのレベルがレベル4の入口程度だと思いました。
 ですから、レベル4からやり直す意味で、今回の設定とすることにしました」
「特区の判断は尊重するけど……
 あまりラウンズを基準にするのはよくないと思うよ」

 数多いるアースガルズのパイロットの中で、ラウンズの存在は特別な物になっている。それは、ただ単にレベル10を突破しただけでは選ばれないことが証明している。他のヴァルキュリアが後見人になることからも、単にレベルだけの問題ではないと言うことが分かるだろう。

「ですが、レベル4であそこまでできることを示していただきました。
 事実をありのまま申し上げると、レベル7の私たちではあのようなことはできません。
 ですから私たちも、もう一度レベル4に立ち戻ってみようと言う話になりました。
 碇様が使われた特殊能力は理解できませんので、レグルス様の戦い方を学びたいと思います」
「確かに、特殊能力は感覚的なものだから伝えにくいんだけど……
 アスカ……惣流さんなら、ATフィールドの使い方が分かっているから、覚えやすいと思うよ」

 昔の癖で、つい呼び捨てにしてしまったが、すぐに馴れ馴れしすぎたかと反省して言い直した。だがそんなシンジに、アスカは顔を赤くして「呼び捨てにしていただいて結構です」と小さな声で答えた。

「その、その方が私も嬉しいですし……」

 恥ずかしそうに体を縮めるアスカに、何故こうなったとシンジは心の中で自問していた。午前中にしたことは、自分に対する誤解を解いたこと、それだけに過ぎないはずだった。少なくともこんなに乙女乙女した反応をされるようなことをした覚えは、シンジ自身全く身に覚えがなかったのである。しかもアスカの中にあった理想とは、全くの別人であることを示したはずだった。
 解けない疑問の中、それでもただ一つ言えるのは、周りの視線を含めて、とても居づらい空間ができあがったと言うことだった。早く実地指導が始まってほしい。シンジは、心の中で切に願ったほどだった。

 もっとも感情的にそれだけかというと微妙なところだった。どこか、悪い気持ちがしないと言うところもあったのだ。一緒に戦っていたときには、アスカからは軽蔑のまなざしで見られたことはあっても、憧れられたことなど一度もないはずだ。自分に向かって頬を染めるような真似をしたことは一度もないし、こんなに素直になってくれたことも一度もなかったはずだ。

(もしも、あの頃のアスカがこんなだったら……)

 もしもそうだったら、自分達はどんな関係だったのか。こんな彼女を守るために、自分は強く生きられたのだろうか。
 そう考えてみたが、それはないとすぐに考え直した。アスカに対して守ろうという気持ちになったことはない、と言うと言いすぎかも知れないが、少なくとも守るべき相手と考えたことはなかったはずだ。だが相手が綾波レイだとしたらどうだろう。守ってあげたいという気持ちになったことがあったはずなのだ。だがそんな気持ちを持っていても、結局自分は強くもなれず、何も出来ないまま終息を迎えてしまった。結局アスカが可愛くて、そして守ってあげたい存在だったとしても、自分が情けないことには変わりがないと結論づけたのだ。

(それに、アスカが強くなければ出会うこともなかったんだろうな)

 一人異国の地に来た、エヴァンゲリオン弐号機のパイロット。優しくて弱いパイロットでは、絶対にそんな関係にはならないだろう。そもそもそんなアスカが、パイロットになっていたかも疑わしい。つまり、今の状態のアスカと出会うのは、苦しんだ過去があるから実現したことなのである。ただ、それが分かっていても、もしもそうだったらとシンジは夢想してしまった。そしてもしも自分が、最低でも今ぐらい強くなれていたら。そんなifが重なったら、恋人の関係になれたのだろうか。

 そんなことを考えていたら、なぜかとても楽しい気持ちになってしまった。だからつい口元を緩めてしまったのだが、すかさずそれをアスカに見つけられてしまった。

「あの、私が何かおかしな事を言いましたか?」

 見つけられはしたが、その理由を勘違いしてくれたらしい。それがおかしくて、つい「そう言う事じゃないんだ」とシンジは答えた。よくよく考えれば、思い出し笑いをするのは不気味な行為に違いない。

「いや、僕に向かって、まさかアスカがこんな態度をするとは思っていなかったんだよ。
 僕の記憶にあるアスカは、僕を怒っているか、さもなければ上から目線で何かを言っているぐらいなんだ。
 そう考えたら、なにか現実感がないというのか、何処か楽しいというのか。
 まあ、それ自体、僕の勝手な思いなんだけどね」
「その、昔のことは言わないでください」

 そう言って恥ずかしそうに俯いたアスカは、昔とは違うのだと小さな声で答えた。

「その、碇様はとても素敵な方だと思っています」
「アスカが心の中に作り上げた、理想の僕に多少は近づいたかな?」

 その問いかけは、アスカにとって思いがけないもののようだった。自分の中にある理想の姿、それを問いかけられたことに目を見開き。そしてすぐに目を伏せて、「それも、言わないでください」と懇願した。

「なぜ、比較をしたら殺したくなるから?」

 その先を聞こうとしたシンジだったが、反対側からセシリアに強く突かれてしまった。なにかと振り向くと、にっこり笑いながら、こめかみを引きつらせたセシリアがそこにいた。漫画的表現を用いるのなら、こめかみに井桁マークが浮かんでいるというところだろうか。鈍いと言われたシンジでも、さすがにそれぐらいの感情は理解することが出来た。

「な、何かなセシリア?」
「碇様、衆目監視のなか女性にそのような質問は失礼ですわよ。
 そう言う事は、お二人きりの時にしていただけませんか?
 それに、隣に私がいることを忘れないでいただきたいのです」
「そ、そう言う事なのかな……ああ、そろそろ実地訓練が始まりそうだね」

 都合が良いことに、練習場に3機の機動兵器が射出されてきた。これ幸いに話題を逸らしたシンジに、「知りませんわよ」とセシリアは不吉な事を言ってきた。

「知りませんって、何のことかな?」
「さあ、ご自分で考えてみてくださいませ」

 そう答えたセシリアは、すぐに機動兵器同士の訓練へと視線を向けた。そこではレグルス一人で、同時に2機を相手にする訓練が始まっていた。朱色の機体に青い機体と黄色と黒の虎縞の機体が挑んでいたのだ。訓練されるのは、当然レイ達の乗った機体の方である。
 午前の動きに比べれば、手抜きとしか言いようのないレグルスの動きだった。それにも関わらず、レイとトウジは手も足も出せずにいた。いたぶられていると言うのが、一番その状況を適切に表しているのだろう。とてもではないが、同じレベル4同士の戦いとは思えなかった。

「こらぁ、そんな動きでレベル7をやっていたのかぁっ!」

 しかも聞こえてくるのは、レグルスの怒号だけなのである。具体的に何をしろと言うアドバイスが無いのだから、本当に役に立つのか疑問の残る訓練だった。そのあたりに疑問を抱いたシンジだったが、別に構わないとアスカは答えた。

「少しずつですけど、レイ達の動きも良くなってきています。
 動きがぎこちないのは、今はまだ理論に体と思いがついて行けていないせいだと思います。
 今まではそれでも通用したのですけど、レグルス様には全く届きませんから。
 目標としては高すぎる気もしますけど、全力で当たれて良いと思いますよ。
 レグルス様のやり方については、色々なアプローチがあると言うことではないでしょうか。
 みんなが同じやり方でやるより、色々なアプローチをした方が結果が出ると思います。
 わ、私は、い、碇様には、是非手取り足取り教えていただきたいと思っています」

 両手の平を股の間に挟み、頬を染めてうつむいている。とっても女の子らしい恥じらいの姿なのだが、どうしてもシンジの中にいるアスカと結びつかない行動だった。それがとても不思議で、シンジは目の前の模擬戦闘どころではなくなっていた。ただ幸いなことは、比較的分かりやすい展開のため、あまり説明の必要がなかったことだ。

 そうやって見ているうちに、アスカの言う通りレイとトウジの動きが良くなってきた。ただそれにしても、レグルスのレベルからは遙かに見劣りをしている。昨日のセシリアと比べても、まだまだぎこちないとしか言いようが無かった。だが観察をしているうちに、次第にその理由もはっきりとしてきた。

「どうも、思考によるアシストがうまく行っていないようですね。
 一番の理由は集中できていないことだと思いますが……
 あとは、まだ疑心暗鬼というところもあるのでしょうね」
「集中でしょうか、レイと鈴原は訓練に集中できていると思いますけど?」

 シンジの解説に、すかさずアスカがその意味を尋ね返した。その質問を利用する形で、シンジは集中の意味を説明することにした。

「レグルス様の動きに振り回されて、自分の動きがイメージできていないという意味です。
 慣れてくれば、周りに影響されないようにできると思うのですが、
 今はまだ、手足の動かし方から考えないと思考によるアシストができないのだと思います。
 それからもう一つの理由ですが、本当にそんなことができるのかと思っているようですね。
 これもまた、レグルス様に弄ばれている……うまく行かない原因の全てがレグルス様ですか」

 はぁっとため息を吐いたシンジは、電子妖精を呼び出すことにした。このまま行くと、時間だけ無駄に経ってしまう気がしてならなかったのだ。

「ラピス、レグルス様に、もう少し相手に余裕を与えるように伝えてくれ。
 それから、機動兵器のコントロールに割り込むことは可能かな」
「テラの機体ですから……少し調整に時間をください。
 それから、アルには碇様の伝言を伝えました」
「何をなさろうとしているのですか?」

 コントロールに割り込むという言葉に、アスカはその目的を尋ねることにした。言葉の意味自体は分かっていても、それができると言うのは知らないことだった。

「少し手助けをしようと思ったんだよ。
 難しいことはできないから、体当たりの一つでもして貰うんだけどね。
 それでアル、割り込みはできそうかな?」
「思考アシストであれば、割り込み可能となりました。
 それで、どちらの機体から割り込みを実行しますか?」

 その質問に、ちょっと考えてから「男性のほう」とシンジは答えた。

「どうも、トウジの方が動きが単純だからね。
 ちょうどレグルス様も動きを遅くしてくれたようだしね」

 シンジの言うとおり、見た目でもはっきりと分かるほど、レグルスの動きがスローになった。さすがにここまで来ると、遊んでいるのかと言いたくなるほどの動きだった。

「惣流さん、トウジに手助けをすると伝えてくれないかな?」
「分かりました、ではすぐに鈴原に伝えます」

 展望台に設置された通信機のところに行き、アスカはトウジとの通信を開いた。

「いいこと鈴原、碇様が少し手伝ってくださるそうよ……」

 それでと、自分を見たアスカに、「普通にやってくれればいい」とシンジは答えた。

「僕がアシストをするから、その感覚を覚えて欲しいんだよ」
「碇様がアシストをしてくださるから、その感覚を覚えて欲しいと言う事よ」
「ラピス、僕が手伝うことをレグルス様に伝えてくれ」

 急に動きが良くなると、さすがのレグルスでも対応が難しくなりかねない。そのための予告を、シンジはラピスラズリに頼んだのだった。







続く

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