機動兵器のある風景
Scene -06







 シンジの元を辞したカヲルは、予想通りの顔を研究所入り口で見つけ暗い気持ちになっていた。さりげなさを装い、レイとアスカの二人が身の入らない雑談をしていたのである。そしていかにも偶然のことのように、カヲルを見て驚いてくれた。なぜ彼女たちがそんな真似をするのか、痛いほどカヲルはその理由を承知していた。

「二人とも、それはいかにもわざとらしいとは思わないかい。
 それで、どのくらいここで僕のことを待っていてくれたのかな?」
「別に、あなたのことを待っていたわけではないわ」
「そっ、レイと立ち話をしていたらあんたが帰ってきただけよ」

 それでも待っていたことを認めようとしない二人に、カヲルは小さくため息を吐いた。そして少しわざとらしく、「ちょうど良かった」と大きな声を上げた。そして声を出しながら、この後どうすべきか、いくつかの答えを頭の中で考えていた。

「今、中々貴重なデータを入手することが出来たんだよ。
 是非とも、その中身を一緒に見たいと思っているのだがね」
「あなたが、そう言うのなら」
「まっ、カヲルが言うのなら仕方がないわね」

 いかにも渋々という顔をして、二人はカヲルの前を歩き始めた。ただ平静を装っている二人のうち、特にアスカの声が微妙に震えていたのにカヲルは気づいていた。それが悪い方向へと向かわないことを、後ろを歩きながらカヲルは願ったのである。そのためには、シンジが行動を自重する必要があるのだが、はっきり言わなかったことが失敗かと後悔をしていた。だがそれ以前に、シンジが現れたこと自体が大きな問題だったのだ。過去の亡霊は、手の届かないところにいてくれればそれで良かった。

「そ、それで、貴重なデータってなに?」
「ああ、アースガルズにおけるレベル判定基準と言うことだよ。
 それに加えて、各レベルにおける訓練内容、到達目標が入っているらしい」
「ずいぶんと気前の良いことね」

 冷たい声を出すレイに、こちらも問題だとカヲルは理解した。元気に帰ってきたことは、むしろ二人の感情を悪化させる意味しか持たなかったようだ。そもそも二人と話をしていて、シンジの名前が出たことは一度もなかった。避けていると言うより、はじめから頭の中に入っていないような態度なのだ。それが分かっているから、カヲルもシンジではなくアースガルズという相手を主語に話し出した。

「アースガルズは、僕たちが自力で使徒の浸食を阻止することを期待していると言うことだよ。
 彼らとしては手を出している余裕がないから、僕たちに手を貸すという話らしい。
 つまりあれほどの力を持つ世界が、そこまで追い詰められていると言うことだ」
「あ、あたし達の体たらくを見てられなくなったと、い、言う事かしら」

 だがいくら名前を出さなくても、すぐそこにいるというのが問題だったようだ。自分を見て安心したのか、それが引き金になってアスカの様子はみるみる不安定さを増していた。
 少しまずい状態に陥っているのは、話をしていてすぐに分かることだった。少し声がうわずり、視線が不安定にあたりをうろつく。これが酷くなると、アスカは大声を上げて目に着くものすべて、自分を含めて傷つけようとする。それはこれまで何度もあったこと、そしてそのたびごとにしてきたことをカヲルは繰り返すことにした。もはや時間の猶予がないことは、誰よりもカヲルが一番理解していたのだ。
 人目のないことを確認したカヲルは、隣を歩いていたアスカの手を取った。そして研究所の壁にその体を押しつけ、いささか強引にその唇を奪った。

「か、カヲルっ……んんっ」

 突然の事に驚きはしたが、アスカはカヲルを拒むことはしなかった。そして隣にいたレイも、何でもないように二人の行為を見つめていた。
 初めはカヲルからの一方的な行為だったが、次第にアスカの方が積極的に唇を求めるようになっていた。両手をカヲルの首に回し、むさぼるように何度も唇を重ね続けた。そしてそれを5分ほど続けたところで、急に熱が引いたように「ごめん」と言ってそっとカヲルの体を押しのけた。

「アスカが悪い訳じゃない。
 いくら頑張っても、自分ではどうしようもないことはあるんだよ」
「だ、だからと言って、あんたが一人で背負い込む道理はないわ」

 カヲルに背中を向けたアスカは、そのまま少し上を見上げるようにして言葉を続けた。

「だけど、もう少しだけ我慢してくれないかしら。
 もう少し、あと少しで自分で何とか出来るようになるから」
「僕は、自分一人で背負っているだなんて思っていないよ。
 僕たち3人は、3人で支え合って生きていると思っているんだよ。
 僕だって、アスカとレイがいてくれなければどうしたらいいのか分からないんだよ」

 アスカに並んだカヲルは、右手でその細い肩を抱き寄せた。そして今はストレートに伸ばされた、赤い髪に顔を埋めた。そのとき少しだけ、アスカの体が震えた。

「な、なによ、こんなところで欲情したの?」
「そうだね、アスカをよがらせたくなったんだよ。
 服を破り、そしてうつぶせに組み伏せて、犬のように後ろから犯すんだよ」

 自分にかこつけて、アスカは自分の感情を表に出す。それを知っているから、カヲルは少し直接的な言葉を投げかけた。優しくするのが、この場合一番いけないことだと分かっていた。それが一時しのぎだと分かっていても、何もしなければ、そこで破滅が訪れてしまうことになる。

「データを見る時間なら、この後いくらでも作ることは出来るんだよ。
 今は、この昂ぶりを収めることの方が優先度が高いんだよ」

 アスカの耳元で囁いたカヲルは、次に横にいたレイの顔を見た。普段以上に表情を無くしたレイは、カヲルの視線を受け止め、ほんのわずかだけ頷いて見せた。

「だから、行き先を僕の部屋に変えたいのだが、それでいいかい?」
「あ、あんたのしたいようにすればいいじゃない。
 あ、あたしは、カヲルには逆らえないんだから」
「そうだよ、アスカは僕に逆らうことは出来ないんだからね」

 先ほどより少し強く肩を抱き寄せ、カヲルはアスカを少し引きずるように歩き出した。そこには恐怖に怯え、涙を浮かべたアスカがいる。その恐怖の理由を知るだけに、カヲルは己の無力さを呪うのだった。そしてその呪いは、アスカ以上に自分の心を壊していることに気がついていなかった。



 二日続けてラウンズが来訪するのは、さすがに想定していないことだった。しかも最初のラウンズとは違い、もう一人は特区第三新東京市に縁もゆかりもない、アースガルズの住人である。予想もしていないという以上に、扱いにも困る相手だったのだ。
 だがいくら相手に困ると言われても、礼を失しては重大な問題になりかねない。連日の緊急呼び出しに、市長の中田は特区の中枢、研究所へとはせ参じたのである。

「ラウンズ第5位のご光臨賜り誠に光栄に存じます」

 再び勢揃いした関係者を代表し、中田はレグルスに対して90度腰を折って歓迎の言葉を口にした。そしてそのままの格好で、ただ静かにレグルスの言葉を待ったのである。

「ああ、俺も一度テラに来てみたいと思っていたんだ。
 そこに来て、丁重な歓迎に感謝するぞ」

 少し横柄な言い方なのだが、レグルスの立場を考えればおかしなものではなかった。だがその後の展開は、レグルスをしてどうしたらいいのかと悩ませるものだった。そもそも90度も腰を折ることも異常だが、未だに顔を上げないというのは異常すぎることだった。それに引いたレグルスは、どういうことだと他人には聞こえないようシンジに耳打ちをした。

「詳しいことは後で説明します。
 ここは横柄に、頭を上げろと命令してください」
「命令すればいいのか?」

 敬意を示すことと隷属することは違う。テラの自治に関わり合うつもりのないレグルスにしてみれば、ここまで敬われる理由が思いつかなかった。それでもこの場を納めるべく、シンジの言葉に従い「頭を上げろ」と命令した。それでようやく、百名近くが頭を下げ続けるという異常事態は収束した。このままだと話がおかしくなると、ここから先はシンジが引き取ることにした。

「レグルス様だが、円卓会議の使者としてお出でになったと言うことです。
 僕が特区に協力することになっていたため、連れ戻すに当たって礼を尽くすとの理由だそうです。
 申し訳ありませんが、僕は明日アースガルズに戻ることになりました」
「お心遣いいただき、誠に感謝いたします。
 碇様には、特区運営に重要な意味を持つ資料を頂戴したと聞いております。
 そのうえこのようにお心遣いいただき、感謝の申し上げようもありません」

 もう一度頭を下げた百名に、今度はシンジが「頭を上げてください」と命令した。

「明日帰る代わりと言ってはなんですが、レグルス様も本日の訓練に協力してくださることになりました。
 もし宜しければ、ラウンズ同志の模擬戦闘をご披露できます」
「最高峰の戦いをですかっ!」

 思いも寄らない言葉に、集まった者達の間にどよめきが起きた。遙か雲の上の存在の戦いを、まさかこんな間近に見られるとは思ってもいなかったのだ。

「ただし、ラウンズが本来の力を発揮したら、ここの施設を破壊してしまいます。
 ですから、使用するレベルを昨日と同じ4に設定します。
 レベルとしては低いですが、極めればレベル4でもここまで出来ることをお見せできると思います。
 それから希望者がいればレグルス様が直接ご指導くださると言うことです。
 レグルス様は、次のラウンズ筆頭候補と言われているお方です。
 そのレグルス様にご指導いただけるのは、まず二度と無い機会だと思いますよ」
「それは、誠に持ってありがたいお申し出です。
 では、私どもより選りすぐりのパイロットをご指導いただきましょう」

 もう一度頭を下げた中田は、カヲルを呼び寄せすぐに人選をするように指示を出した。

「それで一つお願いがあるのですが、模擬戦闘に機動兵器をお貸し願えませんか?」
「それはもう喜んで。
 パイロット訓練生の機体から自由にお選びください」
「と言われても、どの機体が誰のかも分かりませんから……」

 ふむと口元に拳を当てて考えたシンジは、昨日の機体を借りられるかと中田に尋ねた。

「イの機体ですか?」

 どうかと見られたイ・ソンは少し慌てて首を縦に振った。市長命令というのもあるが、ラウンズから直々指名されたのである。断るという考えは、端から有るはずがなかった。

「一機は特区第三新東京市から借りましたから、もう一機は特区セルンからお借りすることにします。
 セシリアさん、あなたのウンディーネをお借りしてもよろしいですか?」

 昨日は最後尾にいたが、今日は最前列に移動していた。そんなセシリアに、シンジは機体借用のお願いをした。もちろん、断られないのは承知の上のお願いだった。そしてセシリアも、断るという考えなど全くなかった。ただ一つ口に出して言えないのは、シンジに使って欲しいと言うことだった。

「喜んで、是非とも存分にお使いくださいませ」
「ありがとうセシリアさん、では市長、早速模擬戦に掛かることにしましょう」
「休憩されなくてもよろしいのですか?」

 二人に気を遣って中田は言ったのだが、それはラウンズに対して余計無い心配だった。気遣い無用とシンジは真面目な顔をして、すぐに掛かりましょうと繰り返した。

「ラウンズは、いついかなる時もすぐに戦えるように準備をしていますよ」
「では、早速準備を命じます!」

 四度深々と頭を下げ、中田は冬月に準備をするように指示を出した。そして自ら先頭に立って、レグルスとシンジを機動兵器の格納されている場所へと案内することにした。

「すぐにエアカーを準備いたしますので、それまで別室でお待ちいただけますでしょうか?」

 そう言って手を差し出した先には、簡単な休憩室が設けられていた。すぐに車が来るとは言え、ラウンズを立たせておく訳にはいかない。そんな配慮をしたと言うことだろう。

「そうですね、急がせるような真似をして申し訳ありませんでした。
 あそこで大人しく待っていますので、準備が出来たら声を掛けてください。
 ではレグルス様、ひとまず休憩室に参りましょうか」
「別に、自力で移動できるのだがな……」

 それぐらいのことは、シンジも出来ることだった。だから面倒くさがりはしたが、レグルスはシンジの言葉に従うことにした。郷に入っては郷に従え、頭を下げ続けられたことに、下手に口を出すと面倒なことになると予感していたのだ。

 それから10分、レグルスとシンジの二人は機動兵器に乗り込むことになった。レグルスとしては、セシリアの機体を選びたかったのだが、有無を言わさずイの機体へと案内された。それはないだろうと文句を言おうとしたのだが、シンジの冷たい視線にそれも出来なくなってしまった。自分の方が立場が上なのにと主張したかったが、シンジの視線に抗いがたい物を感じてしまったのだ。

「シンジよ、お前が乗ったら機体が壊れるだろう」

 実力差は明らかなのだから、シンジが一方的に攻撃を受けることになる。美しい女性の機体を傷つけるのは気が進まない、レグルスは一人そうごちたのだった。もちろんそんな物がシンジに届くわけが無く、ただ電子妖精アレクサンドライトの呆れたような突っ込みだけが返されたのだった。

「実力が迫っているから、再戦を設定されたのではありませんか?
 それにレベルを4にまで落としていますので、簡単には勝負が付かないと思いますよ」

 レベルを落としたことで、双方の機動性は格段に落ちている。従って、いくら格闘戦に優れているとは言っても、防御が比較的容易になってくる。動きが鈍くなっても、それを見る目には影響がない。それがこれまで蓄積されたデータからの答えだった。
 だがアレクサンドライトの指摘に、にやりとレグルスは口元を歪めて見せた。そしてなされた指摘に対して、いつも正しいわけではないと答えた。

「攻撃に対してどう回避するか、それを読んで次の手を打つ。
 そしてそれがどう回避されるかを読んで、更に次の手を打つ……
 そこまでなら誰にでも出来ることだが、俺なら更にそれ以上のことが出来るんだよ。
 どう回避するかではなく、どう回避させるかと言うことが重要なんだ。
 それをコントロールしてやれば、すぐにでもシンジの奴を追い詰めることが出来る」
「それは、格闘戦に限ったことではありませんか?」

 格闘戦に限れば、レグルスの言うことは正しいのだろう。だがラウンズ同士の戦いともなると、双方もてる限りの特殊能力を使ってくる。それを利用すれば、格闘戦の不利をひっくり返すことも可能だった。そしてレグルスも、アレクサンドライトの指摘を肯定した。そして肯定した上で、特殊能力にも問題があると言い返した。

「特殊能力を使えば、確かに罠をかいくぐることも出来るんだろうがな。
 だがレベル4ともなると、使える能力にかなり制限が出る。
 使えないとは言わないが、使うためには長い準備の時間が必要になるだろう。
 この俺が、シンジにそんな余裕を与えると思っているのか?」
「そんな、簡単な話ならばいいのですが……
 碇様の機体、ウンディーネの準備が出来たようです」

 双方の準備が出来たなら、後はお遊びに毛の生えた戦いを楽しめばいい。レグルスは、頭を戦闘に切り換えることにした。自分が高見に上るためには、相応しい好敵手が必要となる。それが同じ男となれば、なおさらやる気が出るというものだ。

「ここでシンジを鍛えておけば、あいつもすぐに俺を追いかけてくるだろうな」
「追い越されませんことを願っていますよ。
 訓練空間に射出されます!」

 アレクサンドライトの言葉通り、レグルスの目の前に夕暮れよりは明るい空間が広がった。そして前方に目を向けると、青い機体が自分と対峙していた。

「勝手に始めて良いと言う話だったな」

 にやりと口元を歪めたレグルスだったが、すぐにその顔は驚きに取って代わられた。特殊能力はすぐに使えないはずなのに、青い機体の後ろにいくつか光球が浮かび上がっていたのだ。まさかシンジが、人の技を使えるだなどと考えていなかった。

「数は少ないですが、カノン様のフォトン・トーピドーのようですね」
「数を減らして、チャージを早くしやがったか!」

 先手を打って仕掛けようとしたのだが、まず先制攻撃を避けなければいけない。威力が落ちているとは言っても、まともに当たったら格段に不利な状況になってしまう。うかつに飛び込むわけにはいかず、回避にレグルスは精神を集中した。

「けっ、女が出来たとたん、えげつない真似をするようになったな」

 それでも、レグルスは追い詰められたとは思っていなかった。レベルが制限されたせいで、カノンに比べて光球の数が桁違いに少なくなっていたのだ。あの程度の数ならば、避けるのも難しくないと思っていた。そしてすぐに、その自信は実績によって裏付けられることとなった。先手をとったシンジの攻撃は、アクセルで加速したレグルスに振り切られていたのだ。虚しく空を切ったフォトン・トーピドーの光球は、レグルスの通った後に爆煙を上げただけだった。

「この俺を捕らえるのには、数が少なすぎたな。
 カノンの姉御ぐらい、身も蓋もない攻撃をしないと俺には通用しないさ!」
「通用しなくても、牽制ぐらいは出来たでしょう!」

 通信を開いたレグルスは、残念だったなとシンジに声を掛けた。だがシンジにしても、この程度の攻撃が役に立つとは考えていなかった。それでも出足を止められたのだから、意味としては十分だと思っていた。

「そんな牽制が、俺様に意味があると思うなよ」

 アクセルを駆使し、ジグザグに加速しながらレグルスは接近してきた。それを同じようにアクセルで避けたシンジは、再びフォトン・トーピドーで攻撃を仕掛けた。だがそのことごとくは、レグルスの張った防御フィールドにはじき飛ばされた。集中が短い分、エネルギーの収束が不足していたのである。

「バカの一つ覚えか、そんな攻撃が俺に通用するはずが……のわっ!」

 するはずがない。そう言いかけたところで、アレクサンドライトから警告が発せられた。その瞬間、それまでとは比べものにならない出力の攻撃が、ただ一条レグルスに届こうとしていた。だがその攻撃も、人間離れした反射神経でレグルスは躱して見せた。のけぞって攻撃を避けたレグルスは、危ない危ないと冷や汗を拭った。
 出力の低い攻撃で油断を誘ったシンジだったが、土壇場のところでアレクサンドライトにばれてしまったのである。レグルスをいきすぎた光球は、反対側の壁に到達して爆発していた。

「さすがに、今の攻撃はひやっとしたな。
 だが、これで手品の種も尽きただろう!」
「やっぱり、アルは誤魔化しきれませんね」

 再び迫るレグルスを、今度は避ける代わりにシンジは迎え撃つことにした。アクセルで動きを加速し、自分の有利なポジションへと移動する。そして相手の動きを読んで、わずかな動きでそれを意味のない物にする。それと同時に、相手めがけて拳を繰り出すのだが、その攻撃もまた躱すなり、受け止められてしまっていた。その度に巻き上がる土埃は、うっすらと機動兵器を覆っていた。
 こうして模擬戦は、特殊能力を排した巨大な機動兵器同士の格闘に進んでいったのである。



 展望所では、全員が窓から見下ろす形で戦いを観戦することになる。だが、それだけでは得られる情報が少ないと、窓際にいくつかディスプレーが設置されていた。そこにはそれぞれの機体データ、およびパイロットの映像情報、そして遠景を含む、いくつかの画像データが表示されていた。そしてそのデータのうち、パイロットのレベル指定は双方とも4となっていた。

 外泊したのは隠しようがないのだから、周りに意識されるのは仕方がないと思っていた。むしろ意識されることは、自分の優位さを示すのに役に立つとも考えていた。だからパイロットの女性達のみならず、男性達にまで羨望のまなざしを向けられるのは、セシリアとしては願ってもないことだった。
 だがそれでもどこにでも例外という物がある。その例外が特区第三新東京市のトップスリーともなると、話は微妙な問題を含むことになる。

 研究棟の一番高いところに設けられた展望所の最前列に、特区セルン代表と言うことでセシリアの席も設けられた。そして誰の配慮か分からないが、セシリアから少し席を離し、渚カヲル、綾波レイ、惣流アスカ・ラングレーの順に腰を下ろした。昨日ホテルであったときとはとは違い、渚カヲルはセシリアに声を掛けてこなかった。そのせいか、展望所は咳一つない微妙な沈黙が包み込んでいた。

(なんですの、このよそよそしさは!)

 渚カヲルを含め、3人のトップパイロット達は、まるで自分がいないかのように振る舞ってくれるのだ。そこまで無視をされる心当たりもあるはずがなく、異常な緊張状態にセシリアは首を傾げることになった。日本に来る前に調べたところ、トップ3人は深い関係にあると言うことだった。それならば、自分がラウンズと関係したとしても、反感を買う理由はないと思っていた。
 だが自分を見ようともしない相手に、それを問い質すことも出来なかった。所属する特区が違うとは言え、ランクが上の方が立場は強くなるのだ。同じ特区ではないため、上下関係まで響いてこないのは幸いだった。それでも予想外の環境は、セシリアのフラストレーションを溜めることになったのだった。

 だがそんなセシリアの不満も、ラウンズ同士の戦いが始まるまでのことだった。いきなり発揮された特殊能力に、思わず目が釘付けになってしまったのだ。まさかレベル4で、あんな攻撃が出来るとは思っていなかった。たとえラウンズが特殊だとしても、それを自分の機体を使って成し遂げているのである。ますます凄いと、セシリアはシンジのことを尊敬したのだった。
 ラウンズの戦いに目を奪われたのは、何もセシリアだけではなかったのである。それまで水を打ったように静まりかえっていた観測所も、シンジの攻撃の衝撃にざわめきが収まらなくなった。そしてとてもレベル4とも思えない高速戦闘に、どうしたらあんなことができるのかと、至る所で小さな議論が巻き起こっていた。そしてそれは、トップ3も例外ではなく、少し身を乗り出して双方の戦いを見つめることとなたのだった。

「アクセルを掛けながら、別のアクセルも行っているね」
「もう一二段、アクセルを掛けているんじゃないかしら?
 それにレグルスだっけ、恐ろしく戦い慣れているわね」
「いずれにしても、レベル4でそこまで動ける物なのね」

 レベル7として行う戦いよりも、遙かに高度な戦いを見せてくれている。この戦いには、自分達では入っていけない。ラウンズが特別というシンジの言葉を、カヲルは今更ながら見せつけられた気がしていた。

「だけど、この戦いを参考にするのはさすがに厳しいね」
「レベル設定だけがすべてじゃないことを知らせる意味にはなると思うわよ。
 昨日のデータにあったこと、早く特区の中に展開した方が良さそうね」
「だとしても、それを指導できるパイロットが特区にいないんだよ。
 今日一日で、どれだけ吸収することが出来るのか……」

 機体運用の高度さを考えると、一朝一夕で理解できるものではない。個人的に抱えた問題を忘れれば、当初の予定通りシンジにいて欲しいと思ったほどだ。

「いずれにしても、認定基準を見直す必要があるね」
「あれがレベル4でできることなら、私たちは、レベル4の入り口にしか立っていないわね」

 冷静なレイの言葉に、カヲルとアスカは小さく頷くことで同意を示した。はじめの動きで分かっていたが、自分たちではレベル4に制限したラウンズには太刀打ちできない。そうなると、すべての制限を外したとき、ラウンズはどのような力を見せてくれるのだろうか。施設が保たないと言うのは、誇張した表現ではないのかも知れない。駄目だと言われても、一度見てみたい気持ちになっていた。

「カヲル、この戦いはやっぱりラウンズ5が勝ちそうね」
「次第に、自力の差が出てきているようだね。
 それにしても、飛び道具を使わないでこれだけ強いというのも脅威としか言いようがないね」

 一方のシンジは、押されながらも飛び道具、フォトン・トーピドーを使用している。それが出来るだけ凄いというのか、格闘戦に集中していない分押されていると言えばいいのか、いずれにしても戦いはラウンズ5、レグルスの優勢が次第にはっきりとしてきた。カヲルの言う自力の差というのは、ここに来てはっきりと出始めていた。

 自力に差があるというのは、シンジも十分承知していることだった。特殊能力のように感覚的なことならいざ知らず、格闘となるとセンスと経験が物を言ってくる。そうなると、生まれたときから戦士だったレグスルに敵うはずがないのだ。だからその差を埋めるべく、知恵を使って罠を貼っているのだが、そのことごとくを力任せに乗り越えられてしまった。

「やはり、レベルが低い分罠の威力が落ちてしまうか……」
「その分、レグルス様の速さも落ちていますけどね」

 ラピスラズリの指摘に、そんなことは分かっていると苦笑を返した。分かっていても、何とかしないと埒があかない。まともに殴り合っては勝てないことは分かっているので、すぐに次の手を考えないわけにはいかなかった。もっとも、いくらシンジでもそんなにポケットをもっているわけではなかった。

「シエル・シエルの真似をしてみるか……」
「シエル様は、格闘のセンスにも優れていらっしゃいますよ」
「それは分かっているけど、レグルスに隙を作るにはこれ以外の方法が思い浮かばないんだよ」

 すでに、レグルスの攻撃を捌くので手一杯になっていた。このままいけば、自分が根を上げるのは分かっていた。だからその前に、起死回生の策を行う必要があったのだ。だがその起死回生の手を使うにしても、レベル4では準備に時間が掛かりすぎた。

「まったく、非常識なほどの格闘バカだよ……」
「今のは、聞こえないようにフィルターを掛けておきました」

 そのまま聞こえたら、対戦が終わったときになんと言われるのか。ラピスラズリの配慮に感謝はしたが、だからといって状況が好転したわけではない。そして奥の手を仕掛ける準備も、今のところ目処が付いていなかった。やりにくすぎると、格闘命のレグルスのことをシンジは呪ったのだった。

 一方レグルスは、簡単に勝負が付かなくなったことに感心していた。前回の祭りでは、ここまで手こずる前に勝負が付いていたのだ。レベル4と機動性が落ちたことを差し引いても、シンジは健闘していると思っていたのだ。だがその健闘にしても、そろそろ限界が近いと手応えを感じていた。

「アル、これからシンジは何かを仕掛ける余裕があると思うか?」
「現実的には、不可能としか言いようがありませんね。
 カノン様のフォトン・トーピドーには驚きましたが、他にはあまり有効な手段がないかと思います」

 それに頷いたレグルスは、仮定を考えて欲しいと依頼した。

「だったらアル、一つ仮定の話をして欲しい。
 もしも他のラウンズの力を使えるのなら、お前はこの場合誰の力を使いたい?」
「誰のでしょうか?
 それはシンジ様の置かれた状況と言うことで宜しいのですね」

 アレクサンドライトの確認に、それ以外あるのかとレグルスは言い返した。自分は戦いを圧倒的有利に進めているのだから、人の手など借りる必要はない。

「でしたら、シエル・シエル様のファントムがよろしいかと。
 あれでしたら、レグルス様にカウンターを当てることが出来るのではないでしょうか?」
「ファントムか、確かに厄介な技なんだが……
 シエルの姉御ぐらい強くないと、結局カウンターにならないんじゃないのか?」
「それは否定しませんが、この場において有効な方法を考えました。
 シンジ様が出来るのかどうかは、この際考慮に入れていません」
「あいつが、どこまで出来るのか分からないからな……」

 カノンの技を使うこと自体、かなり驚かされたのだ。この様子だと、他のラウンズの技も使えるのかも知れない。だとしたら、シエル・シエルの技を使うことを想定した方が良さそうだ。ただレベルと本人の技量があるから、どこまでシエル・シエルに迫るのかは疑問はあったのだが。

「まったく、この前戦ったときとは大違いじゃないか。
 シンジの奴、どこにこんな力を隠していやがったんだ?」
「ラウンズとの戦いで、実力を身につけられたのではないでしょうか?
 ヴァルキュリアの皆さんが、エステル様の依頼を受けられていたらどうなっていたでしょう」
「メイハじゃ、練習相手には不足していたと言うことか」

 相応しい者が居ないと言うことで、しばらくメイハ・シーシーがエステルのカヴァリエーレを努めていた。一応ラウンズの資格を持ってはいたが、あくまで経過措置に過ぎなかった。

「それにしても、あの程度の戦いで技量を上げるとは恐ろしい奴。
 俺がいなければ、筆頭に就く可能性もあったということか」

 先の先が効いてきて、シンジの動きは次第にレグルスの思惑通りとなってきた。よく頑張りはしたが、これが限界かとレグルスは感じていた。自力と経験の差は、結局特殊能力だけでは埋めきれなかった。

「今回、ふたつみっつぐらいは、序列を上げることは出来るだろうな」
「しかし、そうなると分からないのは、シエル・シエル様と引き分けたことですね」
「ああ、シエルの姉御は、確実に俺よりは強いからな……」

 アレクサンドライトの疑問に答えていたレグルスは、答えの中に何か引っかかるものを感じていた。シエル・シエルとシンジの戦いは、自分たちもしっかりと観戦していたはずだ。そして自分たちの目の前で、両者決着が付かないまま引き分けとされたのである。戦い自体は、シンジの言うとおりシエル・シエルが圧倒していたのは間違いない。だがその攻撃のことごとくが、決定的な打撃に至らなかったのだ。その中には、レグルスをしとめたファントムも含まれていた。

「考えても分からないのなら、考えないことにしておくか。
 アル、そろそろシンジの奴をしとめるぞ!」
「特にエネルギー集中は認められません」

 つまり、罠の兆候はないと言うことになる。ならば仕掛け時だと、ダブルアクセルを用いてレグルスはシンジの懐に飛び込んだ。そしてガードの上から、機動兵器のボディーを打ち抜いた。ガードをしていても、これで顔面への防御が疎かになる。その見込み通り、シンジの機体は体を前に折り曲げ、無防備な顔面をレグルスの前に晒すことになった。
 その危険性に気がつき、とっさにシンジも拳を放ってきた。だがレグルスから見れば、それはいかにも遅い対応だった。シンジの拳が届く前に、自分の拳は機動兵器の顔面を打ち抜くことが出来る。これで勝負あった、会心の一撃を放つべく、レグルスは体を捻りながら右拳を伸ばしたのだった。

「これで終わりだ!」

 そう考えた刹那、レグルスはどうしようもない恐怖を肌に感じた。そしてその恐怖に反応するように、もう一方の手でシンジの攻撃へのガードを試みた。その直後、自分の拳が機動兵器の顔を通り抜け、とっさに差し出した左手がシンジの攻撃を受け止めることとなった。まさかと思った特殊能力、幽霊のごとく実体を隠すファントムを、シエル・シエル以外のラウンズが使った瞬間だった。

「ここまでやるようになったとはな……」

 溜めていた息を吐き出したレグルスは、それ以上の攻撃を思いとどまることにした。相手の手札を出し切らせた以上、自分が負けることはないだろう。だがレベルを制限した模擬戦だと考えれば、無理をして決着を付けることはない。それに思う存分力を出す機会は、すぐに用意されることになっていたのだ。ならば決着は、その時に付ければ良いだけのことだ。

「やっぱり、通用しませんでしたね」
「さすがに、肝が冷えたがな」

 戦いの終了を宣言しながら、面白いことになったとレグルスはほくそ笑んだのだった。







続く

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