機動兵器のある風景
Scene -03







 両特区を公平にしたいという口実は、カヲルを二人から引き離すのに都合が良かった。ダシにセシリアを使う事への罪悪感は、後で食事でも誘って埋め合わせをすればいいと割り切ることにした。シンジの立場ならば、命令という形をとるのも難しくはない。だが余計な詮索をさせないためには、適当な口実をこしらえる方が都合が良かったのだ。
 その口実を使用し、シンジは両特区代表の渚カヲル、セシリア・ブリジッドの二人を呼び出した。そのときつけた口実は、テラ出身のパイロットとして両特区の訓練に助言をすると言う物だった。人数を絞ったのは、双方に公正を期すと言うことにした。

 シンジが使用したのは、市内にある最高級ホテルのインペリアルスイートだった。このあたりは、体面を考えた中田市長の差配と言うことになる。そこで用意されたのは、広さにして200平米、ベッドルームが3つある、一人で泊まるのには過剰な広さを持つ部屋だった。リビングエリアにグランドピアノを置いて、いったいどうしろと言うのか、そのあたりを聞いてみたい気持ちになった代物である。
 最高級ホテル、しかも最高級のスイートと言うことに、仰々しいとシンジは苦情を言った。だが警備を含め、必要な措置だと中田は譲らなかった。確かに安ホテルというのは論外なのだが、だからと言って一人のために広すぎるスイートは意味がないとシンジは言い返した。それに対して、そこが一番警備がしやすいと中田は主張した。シンジとしては気に入らない部屋なのだが、最終的にラピスラズリに忠告を受けて引き下がることになった。本質でないことで相手のメンツを潰すと、あとあと面倒なことになりかねないというのである。

 カヲルが緊張したのは、別にホテルの格式に臆したと言うことではない。ホテルに入る前から無言で歩いたカヲルとセシリアは、そのまま黙って専用エレベータに乗り込むことになった。地球を征服したアースガルズ、そしてそこで重要な位置を占める相手に呼ばれたのは、さすがに構えていかなければいけないことだったのだ。二人の立場の差は、知らない間柄ではないという関係程度では解消できるものではなかったのだ。
 パイロットの立場には、礼服と言う物は規定されていなかった。それもあって、二人は研究所で着用している制服を使用した。普段改造制服を着用していたセシリアも、公式の場と言うことで規定の制服を使用した。

 エレベータに乗り込むまで、二人の間に会話はなかった。だが静かな空間で、さすがにセシリアが緊張に耐えられなくなった。そこで声を掛けようとしたのだが、意外と話すことがないのだと気がついた。その結果、「渚さんも緊張されているのですか?」と言う、あまりにありきたりな言葉を掛けることになってしまった。あまり意味のある呼びかけではなかったのだが、おかげで重苦しい沈黙からは解放されることとなった。
 セシリアにきっかけを貰ったカヲルは、少し口元を歪めて「さすがに」と口を開いた。

「別れてから2年以上も立つのだから、さすがに気楽には行かないという物だよ。
 しかも相手が、ラウンズともなると昔通りとはいかないものさ。
 そう言う君こそ、すでに手合わせして貰った時に話しているのだろう?」
「さすがに、それとこれとは別という物です……」

 そう言って頬を染めたセシリアに、カヲルはなるほどねと彼女の緊張の意味を理解した。盛んに髪を触っているのを見ても、少し緊張の方向が違うのが分かるのだ。もしかしたら気を利かせた方がいいのか、そんなことを考えていたら、ようやく目的の最上階に到着した。
 そのままエレベータを降りた二人は、更に緊張を高めながら赤い絨毯の上を目的の部屋へと向かった。そしてたどり着いた立派な扉の前で、どちらが呼び鈴を押すのかで顔を見合わせた。

「こ、こう言うときは殿方がエスコートしてくださるのではありませんか?」
「た、たぶん、いや、きっとそうなんだろうね」

 少しぎこちなく頷いたカヲルは、ゆっくりと手を伸ばしてドアの呼び鈴を押した。それに少し遅れ、部屋の中から重々しい鐘の音が聞こえてきた。もはや引き返すことは出来ないと、カヲルとセシリアはゴクリと唾を飲み込んだのだった。
 そしてますます二人の緊張が高まる中、ガチャリとロックの外れる音がして、ゆっくりと扉が開かれた。そして普段着と言うのは、アースガルズの事情が分からないため難しいのだが、少なくとも第三の町中でよく見かけるような格好をしたシンジが現れた。

「わざわざ呼び出したりして悪かったね。
 ちょうどお茶を用意したところだから、中に入ってくれないかな?」

 カヲル達の緊張に比べ、シンジの方は至って普段通りだった。ようこそと二人を招き入れ、自分はミニキッチンへと歩いて行った。

「そろそろ来る頃かなと思って、お茶を用意しておいたんだよ」
「お茶……ですか?」
「お酒の方が良ければ、話が終わった後に用意をするよ。
 ああ、もしも良ければだけど、夕食を招待させて貰えないかな?」
「ご、ご命令とあらば……」

 背筋を伸ばしたカヲルに、ティーセットを運びながらそれはいけないとシンジは人差し指を振った。

「そう言う堅苦しい真似は無しにしようよ。
 僕はカヲル君と呼ぶから、昔のようにシンジ君って呼んでくれないかな?」
「し、シンジ君……で良いのでしょうか?」
「もう少し砕けた話し方をしてくれると嬉しいな。
 それからセシリアさんだけど、どう呼ぶのが良いのかな?」

 特区で使用しているスカートは、結構丈が短くなっていた。そこに来て低めで、且つ沈み込むソファに座ったため、気をつけないと前に座った相手に下着が見えてしまう。ぴっちりと両膝を締めたセシリアは、スカートの裾を押さえながらシンジの顔を見た。

「よ、よろしければ、セシリアとお呼びください」

 はっきりと顔を赤くしたセシリアは、蚊の鳴くような小さな声で自分の願望を口にした。

「セシリアで良いんだね。
 だったら僕のことは、シンジと呼び捨てにしてくれて構わないよ」
「そ、そんな畏れ多い……碇様を呼び捨てにするのだなんて」

 願望はあっても、さすがにそこまではやりすぎだと思っていた。だから顔を赤くしたまま、できませんとセシリアは答えた。そんなセシリアに、気にしすぎるのは良くないとシンジは注意をした。

「セシリア、そうやって壁を作らないでくれないかな?
 立場上アドバイスなんてことをするけど、それ以外は同じ人なんだよ。
 公式の場で無理を言うつもりは無いけど、プライベートの時は気楽にしてくれないかな?」
「ですが、今日は公式の場のはずです……私たちは、両特区を代表してお邪魔したわけですし……」

 だから図に乗ってはいけない。そう抗弁したセシリアに、「ああ」とシンジは笑って、単なる口実だとバラして見せた。

「カヲル君だけを呼び出すのは不自然だから、口実として利用させて貰ったんだ。
 そのためにセシリアを利用したことを謝っておくよ」
「そ、そんな、碇様……碇さんのお役に立てるのなら光栄です……」

 ますます恐縮するセシリアに、さてとシンジは手を小さく叩いた。

「と言うことで、今日は半分プライベートなんだよ。
 だから、さっさと公式部分を終わらせてしまおうか」

 そう言ってシンジは、ホテルのマークが付いた封筒を二人に差し出した。

「中には、機動兵器に関する訓練指標のデータが入っているよ。
 アースガルズでのレベル認定基準や、各レベルにおける訓練内容、到達目標が記された資料だよ。
 このことは賢人会議でも承認された、正当な技術支援に当たるから心配しなくても良いんだ。
 正直なところ、アースガルズも自分のことで手一杯なんだよ。
 だからこの世界がヘルからの浸食を防ぐのを、テラ自身でやって貰いたいと考えているんだ。
 それもあって可能な限りの技術支援を行う、それが賢人会議の方針なんだよ」

 指導方法に問題を認識した今、特区にとって目の前にあるデータは宝物に違いなかった。それを惜しげもなく提供する気前の良さに、カヲルとセシリアは目を丸くして驚いた。
 それに二人とも、自分の世界は自分で守る。それは当たり前のことだと思っていた。

「こんな物を貰って、本当にいいのかい?」
「言ったように、アースガルズ側にも事情があると言うことだよ。
 テラに手を貸す余裕はないけど、テラが浸食を受けると自分達にも影響が出る。
 かと言って、テラに技術を渡しすぎるのはよろしくない。
 そのジレンマの中、ここまでならと妥協したのがそのデータだよ。
 もちろん、これを最終段階まで履修できても、それだけではラウンズには歯が立たないけどね。
 ラウンズは、通常のカリキュラムを超えた力を持つ者だけが選ばれる立場なんだよ」

 つまり目の前にいる碇シンジという存在も、その特別な存在と言う事になる。アースガルズに渡った時期を考えると、目の前にいる存在は尋常でないのが分かる。二人が知らないことだが、きわめて短期間でのラウンズへの抜擢は、アースガルズの中でも異例と言われることだった。

「アースガルズには、シンジ君の敵わないラウンズが11人もいる……」

 それがどれだけ途方もないことなのか、さすがに簡単には想像できなかった。何しろ通常の最上位に位置するレベル10でも、単独で複数の使徒と渡り合うことができる。そしてラウンズは、そのレベル10を寄せ付けない実力を持っていると言われていた。

「それでも世界を守りきるのは難しいのが現実なんだよ。
 だからカヲル君達には、今以上に頑張って貰わないといけないんだ。
 浸食されたエリアを浄化するのは、浸食の速さを考えれば現実的な答えではない。
 だから最初に考えなくてはいけないのは、浸食されないようにこの世界を守ることなんだよ。
 そのためには、僕たちが使徒と呼んでいた存在を倒す必要がある。
 しかも今までのように一体ずつじゃない、1000以上を一度に始末する必要がある。
 そこまでしてもなお、世界の浸食は止まらないんだ」
「それしか、人類に残された道はないと言うことかい?」
「非戦闘員は、他の惑星に逃がすという案もあるよ。
 事実アースガルズは、大勢の人たちを宇宙空間に待避させている。
 ただ組紐が、そこに繋がっていないという保証がどこにも無いんだ。
 だから宇宙への脱出が、危機から逃れる決定的な方法とは誰も言えないんだよ。
 ただ少しだけ、時間的猶予を作るだけなのかも知れないんだ」

 だからこそ、組紐で繋がった世界をヘルの浸食から守る必要がある。それが間接的に、自分の世界を守ることにも繋がってくる。シンジの説明は、アースガルズの好意にも裏があると説明していた。ただその裏にしても、テラに住む人類にとって文句を言う筋合いのものではなかった。

「と言うことで、特区に少しだけ手助けをしようとしたんだよ」
「確か、休暇を取ってお忍びだと聞いた気がしたんだけどね」

 聞かされた話と貰った物のつじつまが合わない。カヲルの指摘に、何も間違っていないとシンジは答えた。

「僕に休暇をくれたのは、ヴァルキュリアの一人であるエステル様だよ。
 エステル様は、僕がカヴァリエーレとしてお仕えする人でもある。
 ただ、その、なんて言って良いのか、とっても希有な才能を持っているというのか。
 まあ、あまり深く考えない方が良い性格をしているんだ。
 だからあの人は、単純に僕に休暇をくれたつもりだと思うんだけどね。
 ただ、せっかくの機会だから、賢人会議に掛け合って、このデータを持ち出してきたんだ。
 特に公式訪問にしていないから、お忍びというのは間違っていないと思うよ。
 公式訪問にしなかったのは、堅苦しい儀式が嫌いってのもあるんだけどね」

 そのあたりは、式典が開かれなかったのだから成功なのだろう。

「と言うことで、このデータを渡したことで公の目的は達成したことになるんだ。
 従って、これからはプライベートな時間と言うことになるんだけど……」

 言いにくそうに自分を見るシンジに、セシリアは自分がいてはいけないのだと理解した。これで帰るというのは残念なのだが、貴重なデータを貰うことも出来たのだ。このデータと自分がいれば、特区セルンが日本を追いかけることが出来る。無理をして日本に来た成果としては、十分すぎる物に違いなかった。それにここでシンジの不興を買うのは、のちのちを考えると得策ではないと考えた。
 だからセシリアは、後につなげる意味でも身を引くことを持ち出した。

「せっかくお久しぶりにご友人とお会いなされたのです。
 私は、気を利かせて席を外すことにいたしますわ」
「べ、別に、追い出すつもりはなかったんだけど……
 さすがにセシリアには聞かせられない話をするから」

 言い訳をするシンジに、セシリアはにっこりと笑って立ち上がった。

「殿方のお邪魔をするのは、淑女のすることではございませんよ」

 それを追いかけるように立ち上がったシンジは、下心を持って一つの提案をした。

「埋め合わせと言っては悪いけど、夕食を招待させてもらえないかな?
 もしも良ければ、今晩あたりはどうだろう?」
「ラウンズ様にご招待いただけるなんて光栄ですわ」

 優雅に会釈したセシリアに、だったらとシンジは時計を見た。

「8時に訪ねてきてもらえないかな?」
「8時でよろしいのですね?」

 時計を見れば、まだ3時間ほど時間がある。身支度を調えることを考えれば、いささか短すぎる時間と言えただろう。それでもヘアサロンを諦めれば、準備できない時間ではなかった。それにしても、急がなければいけないのは確かだった。

「それでは、8時に伺うことにいたします」
「ああ、楽しみに待っているよ」

 セシリアを送り出したシンジは、よしとばかりに小さく拳を握りしめた。その様子に目をとめたカヲルは、「彼女が気に入ったのかな?」と軽口を叩いた。セシリアが、お誘いを承諾したことに喜んでいる。見たまま素直な指摘に、シンジは本筋から離れた答えを返した。

「そうだね、セシリアさんは可愛い女性だと思うよ。
 そんなことより、カヲル君に教えて貰いたいことがあるんだ」
「僕にかい?」

 そんなことで片付けられたセシリアに同情しながら、いよいよ本題かとカヲルは身構えた。今日一日一緒にいて、シンジの口から綾波レイ、惣流アスカ・ラングレーの名前が一度も出ていなかった。それはあまりにも不自然なことだったのだ。反省会でも話をしていないのだから、避けていたのだとカヲルは考えていた。
 そもそも自分一人を呼びつけるために、セシリアまで協力させたこと自体不自然だったのだ。そしてカヲル自身、二人のことには大いに関わりがあった。

「僕に分かることなら、なんでも聞いてくれて良いんだよ」

 来るものが来たと覚悟を決めたカヲルだったが、シンジの言葉は遙か斜め上を行ってた。

「だったら遠慮無く聞くけど……カヲル君は、セックスをしたことがある?」
「はっ、はぁああっ!!」

 あまりにも真面目に、そしてあまりにも予想外の問いかけに、カヲルはすぐにはその意味を理解することが出来なかった。だから普段のカヲルからは想像できない、とても間抜けな反応をしてしまった。
 だがカヲルの反応は、シンジには不満そのものだったらしい。少し拗ねたように唇をとがらせ、そんなに驚かなくても良いだろうと文句を言った。

「い、いやっ、あまりにも予想外の質問だったんだよ。
 まさかシンジ君から、性の悩みを相談されるとは……時が流れたのを痛感したんだよ」
「そこまでしみじみとされるのも、とてもイヤなんだけどね……
 それでカヲル君、質問の答えを貰っていないんだけど?」

 それでと促されたカヲルは、鼻の頭を掻きながら「一応は」と答えた。この手のことは、真面目に聞かれるのはやはり恥ずかしい物だった。

「誰とというのは、さすがに勘弁して貰えるかな。
 それで、セックスがどうかしたのかい?」
「別に、誰とというのは問題じゃないんだけど……
 そのどうやってセックスをしたらいいのか、それを教えて貰いたいんだ」
「もしもし、シンジ君!?」

 またまた予想外の質問に、カヲルはパチパチと目を瞬かせた。

「それは、どうやって相手を探すのかという意味かな?」
「別に、相手を探しているというわけではないんだけど……
 と言うかカヲル君、実は困ったことになろうとしているんだよ!」

 身を乗り出したシンジに、カヲルは少し引きながら「落ち着こう」と声を掛けた。機動兵器に乗っているときの落ち着き具合と比べて、まるで別人と言いたくなるほどシンジは落ち着きを無くしていた。

「どう困ったことになろうとしているのか、そのあたりを教えてくれないか?
 そうすれば、少しはシンジ君の役に立てるかも知れないよ」

 まあまあと宥められたシンジは、ゆっくりと腰を落としてソファにもたれかかった。そして少し気持ちを落ち着けるように深呼吸をし、ゆっくりと問題の所在を話し出した。

「カヲル君も、ヴァルキュリアとラウンズの関係の噂ぐらい聞いたことがあるだろう?」
「ラウンズは、ヴァルキュリアの伴侶という奴のことかい?
 それから類推するに、それは噂ではなく、真実だったと言うことだね。
 そこから導き出されるのは、シンジ君がエステル様とセックスすることで悩んでいると?」

 いかにもありがちな話だと納得したカヲルに、外れてはいないが正解でもないとシンジは答えた。

「ヴァルキュリアは12名いるんだけど、男のラウンズは僕を含めて5名なんだよ。
 そのうち一人は、30代半ばで、二人は40歳を超えているんだ。
 レグルス様……ええっと序列5位のラウンズの人なんだけど、
 年若い男のラウンズは貴重だから、女性達が放っておかないって言うんだ。
 しかも12人のラウンズの内、7名は女性なんだよ」
「そのお相手もさせられるというのかな?」
「強い男の遺伝子を残すため……らしいよ」

 困ったように肯定するシンジに、なるほど特殊な世界なのだとカヲルは感心した。ただそれにしても、悩むようなことではないと思っていた。確かに男女の関係と言うのは、神話の時代からのテーマでもある。だが世界中で広く行われている営みでもあったのだ。

「問題の所在は理解したけど、それがどう相談に繋がるのか分からないんだよ。
 いくらシンジ君でも、セックス自体を知らないと言うことは無いのだろう?」

 純粋培養された子供ならいざ知らず、目の前の男性は普通に地球で生活をしていたのだ。色々なところで目の敵にされた性教育も、ちゃんと学校のカリキュラムに組み込まれていたはずだ。

「ええと、その、一応知識は持っているつもりだよ……
 それに、中学の時には、トウジ達にその手の雑誌も見せて貰ったから」
「ああ言うのは、多少歪んではいるんだけどね。
 とは言え、必要な知識を持っているのは確かなのだろう?
 もしかして格好を付けて、リードしたいと思っているのかい?」
「その気持ちがないとは言わないけど……
 ほら、本の知識って、あくまで紙の上のことだから……
 お互い初めてだと、うまく行かないことが多いとも書かれていたから……」
「なるほど、セシリアが居るときにはできない話というのはよく分かったよ」

 こんな話をセシリアがいるところでしたら、間違いなく話はおかしな方向に向かっていただろう。それ以前に、女性がいるところでする話ではなかったのである。それが本題なら、セシリアを返した理由にも納得がいくという物だった。
 ほうっとため息を吐いたカヲルは、難しく考えすぎだと断じることにした。

「通常は感情の高まりから、行為へと発展していくものだよ。
 だからお互い、その時の感情を大切にすれば良いだけのことなんだ……と本当は思うんだよ……」
「カヲル君、どうかしたのかな?」

 自分で自分の言葉に疑問を投げかけたカヲルは、シンジの疑問に「ああ」と曖昧な答えを返した。

「ただちょっと、自分のことを思い出しただけだよ」
「なにか、触れない方が良さそうだね」

 急に重い空気を纏ったカヲルに、シンジは話題を変える選択をした。自分もそうなのだが、人には触れて欲しくないことの一つや二つはあるものだ。そしてカヲルが触れたくない理由は、うすうすだがシンジも気がついていたのである。

「その場の雰囲気に任せるしかないというのはよく分かったよ。
 それから、変に格好を付けようとするのも良くないということだね」
「僕がシンジ君にできるアドバイスは、せいぜいその程度だよ」
「それでカヲル君、経験前と後で世界は変わった?」

 世界が変わるというのは、雑誌などでは書かれていることだった。せっかくの経験者だからと質問したのだが、それもまた地雷だとシンジはすぐに理解することになった。何しろ普通ならにやけてくる話なのに、カヲルはしっかりと難しい顔をしてくれたのだ。

「変わったと言えば変わったのだけど……
 シンジ君、僕のことはあまり参考にならないと思ってくれた方が良いよ」
「……ごめん、僕の配慮不足だったようだね」

 それ以上突っ込むと、本当に余計なことを暴き出してしまいそうだ。そう判断したシンジは、話をがらりと変えることにした。もっともそれにしても、個人的には非常に微妙な問題を含むものだった。そしてそれこそが、最初にカヲルが考えていた呼び出された理由だった。

「僕が居ない2年と少し、こちらの様子はどうだったんだい?」
「今は一応落ち着いてはいるけどね。
 感情的な問題を言うなら、アースガルズに対してはさほど悪くはないんだよ。
 ただシンジ君に対しては、ごく一部だけどとても悪いというのが現実だね」
「やっぱり、僕は裏切り者なんだよね」

 ふうっとため息を吐いたシンジに、カヲルはもう一度「ごく一部」と言うところを強調した。

「アースガルズに渡ったのが、シンジ君の意志ではないことは分かっているんだよ。
 それでも見捨てられたとか、一人だけ良い思いをしたという妬みは押さえることはできないんだ。
 ただ一人別の世界に行くことが、どれだけ大変なことか想像できないんだろうね。
 ただラウンズに任命された事実だけで、妬むには十分な理由となっているんだ」
「どうして僕なんだというのもあったんだろうね……」

 その時シンジの頭に浮かんだのは、赤い髪をした少女の顔だった。常に自分より優れていると主張していた彼女なら、きっとそう考えてもおかしくはない。そしてカヲルは、そのことを否定しなかった。

「ただ、それだけだと考えられるほど単純な問題ではないのだけどね。
 本人は気付いていないようだけど、見捨てられたという気持ちも強かったんだよ。
 ただ最後に残ったプライドが、どうしてシンジ君なんだという妬みに逃げ込んだんだろうね。
 それも含め、最初の半年は、本当に色々なことがあったというのが正直なところだよ」
「それは、今も継続していると考えて良いんだね」
「反省会の時、シンジ君も気がついたんじゃないのかな?」

 そう言って確認したカヲルに、シンジはゆっくりと頷いた。明らかに女性二人からは、触れられるのを拒む空気を感じていたのだ。

「古くから僕を知っている人達、その人達の感情が問題と言う事だね」
「そうだね、新しく入った人達にとって、シンジ君は憧れの存在になっているんだよ。
 そのあたりは、アースガルズへの感情が悪くないこととも関わっているよ。
 全く知らない世界で、ただ実力だけで自分の存在を認めさせた。
 過去のわだかまりがなければ、十分に憧憬を集める存在に違いないんだ」
「カヲル君にとって、僕はどう言う存在なんだい?」

 難しいことは分かっていたし、その答えによっては自分が傷つくことは分かっていた。だがシンジは、その質問をぶつけないではいられなかった。そしてその質問に、カヲルは少し考えてから答えを口にした。

「シンジ君を憎めたら、どれだけ楽だったろうと思うことはあったよ。
 ただそれをしたら、僕は自分が最低の人間になってしまうと自分を諫めたんだ。
 それは、自分が楽になるために悪者を仕立て上げることになるんだ。
 だけど偏見のある中に一人残されたシンジ君が、楽をしているはずがないじゃないか。
 そのことは今日、セックスの相談をされて再確認したよ。
 シンジ君は、僕達の代表として本当に小さなことまで気を遣っているんだとね」
「さすがにそれは、僕のことを買いかぶりすぎだと思うよ。
 しかも悩みがセックスじゃ、苦労しているとはとても言えないじゃないか。
 確かに苦労はしたけど、仕方が無いと割り切れる筋合いのものだったしね。
 辛いという意味なら、ネルフにいたときの方が遙かに辛かったからね」

 その時には、自分の消滅すら願ったことがある。それを思い出せば、どんなことでも耐えられたとシンジは笑った。

「パイロットというのが良かったんだろうね。
 あの世界は、実力さえあれば周りも認めてくれるんだ。
 まあ時々というか、約一人というか、空気が悪いといつも文句を言うヴァルキュリアも居るけどね。
 ただその人にしても、僕をラウンズにするときの後見人になってくれているよ」
「それはぁ……ええっと、その人のカヴァリエーレだったかな、それは男性なのかい?」
「確か……女性だったよ」

 その答えに、なるほどねとカヲルは頷いた。

「シンジ君、それは微妙な女心という奴だよ。
 たぶんシンジ君の努力次第で、180°態度が変わるんじゃないかな?」
「僕の努力って……そう言う事なの?」

 神妙な顔をしたシンジに、小さく吹き出し笑いをしながら、そのとおりとカヲルは頷いた。

「だから、微妙な女心と言ったんだよ。
 ところで、その微妙な女心に関わる事なんだけどね。
 セシリアへの接し方は気をつけた方が良い。
 個人的な問題に口出しをするつもりはないけど、
 あまり特別扱いをすると、本人にとって不幸なことになりかねないからね」
「それは、忠告として心に留めておくよ。
 確かに、個人的な招待はやり過ぎだったのかも知れないな。
 ちょっと、開放的な気持ちになっていたのは否定しないよ。
 よく考えたら、次はいつテラの地を踏めるのか分からないからね。
 だから僕が責任をとることも難しいね」

 まかり間違えば、二度と戻ってこられないこともある。それがパイロットとして最高位にいる意味にも繋がっていた。それを前提にしたわけではないが、カヲルの忠告にシンジはゆっくりと頷いたのだった。

「ただ僕から言えるのは、シンジ君はあまりこちらの責任まで背負い込まないで欲しいと言うことだ。
 そうじゃなくても、ラウンズなんて重要な役目に就いたのだろう?
 テラ、僕達の世界まで面倒を見るほどの余裕はないはずなんだよ。
 それに初めは問題のあった人間関係も、今はずっと落ち着いたものになっているよ」
「そう言って貰えて、少し気持ちが楽になった気がするよ。
 確かに、いくら気に病んでも僕にはどうにもできないことがあるんだね」

 ふうっと息を吐き出したシンジは、カヲルの目を見て「ありがとう」とお礼を言った。

「もう少し、無責任に生きてみるよう努力をするよ」
「それも、程度問題にして貰えると嬉しいよ。
 君の存在は、僕達にとってとても大きなものになっているんだからね」

 お手柔らかにと笑いながら、カヲルは右手をシンジへと差し出した。その差し出された手を握り、こちらこそととシンジは笑って見せた。

「セシリアを招待したのだから、シンジ君も身だしなみを整える必要があるね。
 だから僕は、ここで帰らせて貰うことにするよ。
 せっかく貴重なデータを貰ったのだから、アスカ達と中身を確認させて貰うよ」
「ラウンズとして、恥ずかしくないもてなしをさせて貰うよ」
「それも、お手柔らかにと言うところだね。
 あまりやり過ぎると、セシリアが嫉妬されることになりかねない」

 目の敵にされると言わないのは、カヲルの優しさだったのかも知れない。自分に対して良い感情を持っていない層、それを考えると確かに気をつけなければいけないのだろう。カヲルの言葉を、シンジはそう言うことだと理解した。

「とにかく、こちらのことを気に病む必要は無いんだよ。
 アースガルズに言われるまでもなく、自分達の世界は自分達で守る必要があるんだ」

 だから気楽に構えて欲しい。そう言い残して、カヲルはシンジの部屋を出て行った。その姿を見送ったところで、初めてラピスラズリがシンジに接触してきた。「ずいぶんと控えめな表現でしたね」と前置きをしたラピスラズリは、カヲルを中心とした人間関係をシンジの頭に流し込んできた。確かにそれは、かなり生々しく、そしてかなり酷いものだった。
 だがラピスラズリの報告は、行き過ぎた行為としてシンジの逆鱗に触れることになった。

「ラピス、いつ僕がそんなデータを要求した!」

 余計なことをするなと、強い口調でシンジはラピスラズリを叱責した。その口調の厳しさは、電子妖精にすぎないラピスラズリが怯えたほどである。それもあって、すぐさま「申し訳ありませんでした」とラピスラズリは必死に謝罪の言葉を聴覚に流し込んできた。ラピスラズリにとって、初めて見るシンジが激怒する姿だった。
 それを受け止めたシンジは、小さく深呼吸をして気を落ち着け、着替えを用意するようにラピスに命じた。叱責こそしたが、これ以上引きずっても何も良いことは無いのは分かっている。そして問題の本質は、ラピスラズリではなく、自分にこそ有るのも分かっていた。

「ラウンズの制服を用意してくれないか」
「大至急用意致します……シャワーを浴びている間にクローゼットに転送しておきます。
 それで、レストランの予約はどう致しましょうか」
「そうだね、クリヨンをとってくれないかな」

 そう言い残し、シンジは勧められた通りシャワーを浴びることにした。間違いなく、セシリアはめかし込んでくることだろう。だとしたら、自分もまた正装で迎えるのが礼儀というものだ。その時汗臭いようでは、礼儀として失格に違いないと。



 個人的なご招待なのだから、制服で行くのは以ての外だと思っていた。かと言って、あまり華美な格好をするのは、勘違いを笑われそうで嫌だった。だからセシリアは、悩み抜いた末にシンプルなライトグリーンのドレスを選択した。胸元の切れ込みが大きいし、背中も大きく空いているが、シンプルにするにしてもこれが限界だと思ったのだ。その代わりコロンは、専用に調香して貰ったお気に入りを使うことにした。

「これで、空振りをした目も充てられませんわ」

 セシリアの考える空振りは、誘惑に失敗するという意味ではない。ホテルのレストランではなく、街の食堂にでも連れて行かれたらどうしよう。記録にあったシンジのプロフィールに、どうしようもない不安を感じたのだ。
 だがその不安も、シンジがドアを開けるまでのことだった。セシリアの目の前に現れたシンジは、先ほどとはがらりと装いを変えていたのだ。赤とグリーンと黒をベースにした服は、何処か彼女の故郷を思い出させる配色だった。そしてその胸には、剣と盾が記された、見たことのない紋章が付いていた。大礼服に似たシンジの装いに、セシリアは簡素に纏めたことを後悔していた。

「何処かおかしなところはないかな?」

 目の前でセシリアが固まったため、シンジはその理由を自分の格好に求めた。当然似合っているという意味ではなく、何処かおかしい、勘違いをしていないかというものだ。そんなシンジに、セシリアは慌てて首を振って賛美の言葉を口にした。

「いえ、とってもお似合いでしたので見とれてしまって……
 それは、ラウンズの制服なのでしょうか」
「セシリアさんに失礼がないよう、大急ぎで取り寄せたんだよ」

 そう言って微笑んだシンジは、セシリアの背中に手を当てた。お世辞でも似合っていると言われれば、自信の一つも着くと言う物だ。しかも相手は、自分のためにドレスまで着てくれていた。後は雰囲気を付くって最後まで、そんな邪なことをシンジは考えていた。

「フレンチを予約したのだけど、セシリアはそれで良かったかな?」
「はい、全ては碇様にお任せ致します」

 全てを任せるという意味で、セシリアはシンジにそっと体を寄せた。相手の立場も見た目も、そして自分への気遣いも満点以上だと。後はいかにしてこの幸せな時間を長く続けるのか、自分に与えられる時間が有限なことは、セシリアも良く理解していたのだった。







続く

inserted by FC2 system