街を空けていた2年と少し、たったそれだけの時間で第二の故郷は大きく姿を変えていた。ただ鼻につく排気ガスの臭い、そして思わず目をつぶりたくなる砂埃、自分の横を大型トラックが通り過ぎていったときには帰ってきたんだなと複雑な気持ちを味わっていた。と言っても、彼の原体験にそのような景色があったわけではなかった。
 だが彼が2年ほど居た世界には、行き交う大型トラックとか、巻き上げられる粉塵というものが存在していなかった。唯一似たものがあるとすれば、ヒトガタの化け物、その世界では「機動兵器」と呼ばれていたものが格闘する際に巻き上げる大量の土砂ぐらいだろう。それを除けば清浄この上ない世界なのだが、その世界では、機動兵器が格闘することは、日常的であり、かつ非日常の出来事な物となっていた。それにしても、非常に限られた場所のことだった。

 暑いなと長袖のワイシャツの袖をまくり上げ、碇シンジは顔に浮かんだ汗をハンカチで拭った。その白いハンカチを見ると、拭った汗と巻き上げられた砂埃が付いていた。

「まだ、再開発は終わっていないと言う事か……」

 その灰色の模様を見つめ、シンジはどうでも良いことを確認するように呟いた。その内心を覗いてみると、しっかりと後悔していたりしたのだ。自分はどうしてこんな所を歩いているのだろうかと。

 建築中を示すフェンスの向こうには、真新しい高層ビルがいくつも建ち並んでいる姿を見ることができた。彼の記憶が正しければ、その場所には大穴があったはずだ。こうして高層ビルが建っていることを考えると、その大穴も塞がれていることになる。ただ、一見大発見のように見えることも、すでに事前知識で与えられたものでしかなかった。

「特区第三新東京市……ね。
 ラピス、地図を出してくれないか?」

 自嘲するように呟いたシンジは、居場所を確認するために、彼の電子妖精……パーソナルアシスタントシステムに地図を要求した。その命令を受けた電子妖精ラピスラズリは、言われたとおりに地図情報をシンジの視神経に流し込んだ。

「まいったなぁ、入口まで2キロも歩かないといけないのか……」

 与えられた情報に、シンジは思わずうなり声を上げてしまった。なにしろその情報に間違いがない限り、というか、絶対に正確な情報なのだが、シンジは目的地まで炎天下の砂埃の中を2kmも歩かなければならないのだ。何がうれしくて、ここまで来てそんな意味のない苦行をしなくてはいけないのか。当然のようにそれを嘆いたシンジに、ラピスラズリは、「物好きですね」と聴覚に皮肉を送り込んできた。その皮肉に、シンジは半ば切れ気味に喚き散らした。

「確かに、少し街を見て歩きたいと行ったのは僕だよ。
 だけどもう少し、適当な場所があったと思うんだよ。
 確かに、ここの現状を見る上で特徴的であるのは否定しないけど……」

 そうやって喚き散らすのは、はっきり言って危ない人に見えたことだろう。だが危ない人と彼を避ける人も、おかしな奴と言って笑うような人も、あたりには全く見あたらなかった。それどころか、歩いている人影すら見つけることができなかったのだ。唯一接触するのは、砂埃を上げて走り抜けていくトラックだけである。シンジでなくとも、どうしてこんな所にと文句を言うのは自然なことだった。
 だが文句を言ったシンジに、ラピスラズリは「指示通りですよ」と少し楽しそうに話しかけてきた。確かにシンジは、故郷の様子が一番分かる場所に連れて行くようにと指示を出していた。

「ああ、そうだね、考え無しに言った僕が悪かったんだよ。
 この程度のことは、報告資料を見れば確かに分かったことだよ。
 そうだそうだ、ラピスの言う事はいつも正しいよ」

 少し拗ねたような声を出したシンジは、「ゲートに移動してくれ」と命令を出した。つまり、歩いての“視察”は諦めたと言うことだ。

「不法侵入にならないように、ちゃんと来客ゲートに連れてってくれよ」

 ふと不安を感じたシンジは、彼の電子妖精に向かって念押しをした。普通なら適切な判断をするはずの電子妖精なのだが、置かれた状況を考えると信用できなくなる。だが彼の電子妖精は、その確認に答えず唐突にシンジを“指定”の場所へと移動させた。それは、“彼女”が最初に提案した、特区第三新東京市の中枢エリアだった。







機動兵器のある風景
Scene -01







 特区第三新東京市、それはテラと呼ばれる世界に2つだけ作られた特別な場所だった。そこで機動兵器と呼ばれる兵器の開発運用、そして搭乗者の訓練が許されていたのである。
 地上に作られた近代的な都市は、あくまで特区を支える経済基盤でしかなかった。特区を特区たらしめる施設、その本体は、かつて黒き月、ジオフロントと呼ばれた大空洞の中に作られていた。そしてその大空洞に、機動兵器の研究および訓練用施設が設けられていた。機動兵器とは、かつてエヴァンゲリオンと呼ばれた兵器よりも遙かに小型で、そして高性能と言われる新しい技術だった。

 球を真ん中より少し上ぐらいで切ったのが、大空洞の形状だった。その平らな部分の中央に、1km四方の訓練用フィールドが設けられ、そしてその周囲に研究棟が散在していた。かつてあったピラミッドのような建物は、すでにその姿を消していた。

 その訓練用フィールドの中央に、1機の機動兵器が姿を現していた。10mを少し超えた巨人は、全身に濃い水色の鎧のような装甲を持っていた。形としては人型をしているが、人よりは遙かにずんぐりとして、ある意味とても力強そうな姿をしていた。

 その人型から少し離れた研究棟では、フィールドを観察するように大勢の人々が集まっていた。その中の一人、赤い髪をした女性は、端末を操作しながら大したものだと感心していた。

「さすがはセルンの秘蔵っ子って所かしら?
 とてもじゃないけど、レベル4の実力だとは思えないわね」

 グレーで縁取りされたベージュの上下は、人型起動兵器搭乗者の制服とされていた。そしてその左胸には、7つの星が輝いていた。その星の数が、階級にも等しい到達レベルを示すものだった。特区第三新東京市のトップスリーの一人、絶対的エース、惣流アスカ・ラングレーその人である。
 長い赤茶のポニーテールを揺らしながら席に戻ったアスカは、隣にいた青い髪の女性に話を振った。

「今日の相手は誰だっけ?」
「同一ランクだから、イ・ソンね」

 アスカに質問された女性、綾波レイの胸にも、同じように7つの星が光っていた。つまり彼女も、トップスリーの一人と言うことになる。綾波レイから対戦相手を聞いたアスカは、背もたれにもたれかかって対戦相手の技量不足を指摘した。

「イかぁ、確かに同一レベルだけど……実力的に相手は厳しいんじゃないの?」
「この訓練で勝利したら、彼女のレベルを5に上げると言う話よ。
 そうすれば、もう少し実力者を当てることが出来るわ」
「一足飛びに、鈴原が相手をしてあげたら?
 結構良い勝負になるんじゃないの?」

 そうアスカは、後ろに座る男性、鈴原トウジに声を掛けた。その問いかけに、トウジは少し不機嫌そうな表情を浮かべた。彼の胸に光るのは、アスカよりも少ない5つの星だった。星の数が実力を示すのなら、彼はアスカよりも下にいることになる。

「そうやな」

 トウジにしてみれば、アスカが自分をからかっていることは分かっていた。だが彼の立場上、言い返すことは許されていなかった。そこで不機嫌そうな顔をするのは、彼にとってせめてもの抵抗だったのかもしれない。ただその抵抗にしたところで、昔なじみと言うことで大目に見られているだけだった。

「アスカ、そうやって鈴原君のプライドを傷つけるのは良くないよ。
 残念ながら、彼女の実力ではまだ鈴原君の相手は出来ないよ」

 トウジの気持ちを代弁するように、その場にいたもう一人の男性渚カヲルが仲介をしてきた。彼の胸に光る星の数は7、つまりアスカやレイと同じレベルにあることを示していた。

「このまま行けば、鈴原君も来月にはレベルを6に上げることになるんだよ。
 訓練ならいざ知らず、レベル4との対戦は今更キャリアのプラスにならないんだよ」
「べ、別に、単なる冗談だから……」

 カヲルに責めるよう目で見られ、アスカは少し首をすくめて言い訳の言葉をした。そんなアスカに、レイが横から茶々を入れてきた。

「アスカは、レベル8になれないから苛ついているのよ」
「レイっ、余計なことを言わないでも良いの!」

 レイの言葉に気勢をそがれたのだろう、ふんと鼻息荒く椅子にもたれたアスカは、苛ついたようにその話題を打ち切った。

「今は、セルンの秘蔵っ子、セシリア・ブリジッドの戦いを鑑賞しましょ」
「その意見には賛成するのだけど……」

 アスカの言葉を肯定したカヲルだったが、その中にあった多少の手違いに言及することとなった。

「でも、イ君はなかなか出てこないね……
 何か手違いでもあったのかな?」

 すでにセシリアの機体が出てから、5分以上の時間が経過していた。対戦訓練を行うときには、ほぼ同時に射出することになっていた。それを考えると、カヲルの言う通り何かの手違いが生じたことになる。
 おかしいとカヲルが首を傾げたとき、レイが状況の変化に気がついた。

「今、射出信号が出たわ」
「イの奴、ようやく覚悟を決めたのかしら?」

 その言い方は、これから戦う仲間に向かって失礼なものに違いない。つまり戦うことを渋ったため、出撃が送れたと行っているのだ。

「確かに、実力的には覚悟が必要なのだろうねぇ。
 初めからここにいたら、彼女はとうの昔にレベル5になっていただろうからね」
「セルンの体制がまだ整っていないって事でしょ。
 それを考えたら、あの子はエリートだったと言う訳ね」
「おやっ、天才とは言ってあげないんだね」

 そう言って口元を歪めたカヲルに、アスカは少し不機嫌そうに顔をしかめた。

「未だレベル4に居るようじゃね……
 あたし達に追いついてきたら、天才って言ってあげても良いんだけど」
「おしゃべりはそこまで、ようやく対戦が始まるわ」

 上位レベルにある者の義務として、対戦終了後に指導を行うことが課せられていた。そのためには、戦いをじっくりと分析する必要があり、無駄話をしている暇はなかったのである。レイの言葉に、義務を果たすべくアスカも目の前の戦いに集中しようとした。だがいざ戦いを見ようとしたとき、彼女たちはシステムの異常を見つけてしまった。

「機体の調子がおかしいのかしら?
 コックピットの映像が出ないわ」
「技術部がたるんでんじゃないの?
 まっ、それ以外に問題が無いんだったら良いんじゃない……
 って、名前が文字化けしているわね」
「なにか、他の数字も微妙におかしくないかい?
 パーソナルデータを見ると、イ君とは微妙に違っているよ」

 不可思議な状況に、3人は揃って首を傾げることになった。だがまさに戦いが始まろうとしているため、その疑問は棚上げすることにした。

「でも、レベルは4になっているから大丈夫じゃないの?」
「まっ、今日は引き立て役だから細かなことは良いか」

 小さくため息を吐いたアスカは、視線を新しく現れた朱色の巨人へと向けた。その機体で出撃したのだから、乗っているのは専従パイロット、イ・ソンに違いないのだろう。大勢に影響ないと考え、アスカはマイクを持って、戦いの開始を両者に告げることにした。

「じゃあ、両者持てる力のすべてを発揮してちょうだい!」

 その言葉を合図に、水色と朱色の巨人が、彼らのフィールドの中をゆっくりと動き始めたのである。



 濃い水色の機動兵器、セシリアはその巨人を「ウンディーネ」と名付けていた。もちろんそれはセシリアの心の中だけのことで、公式に使用される名称ではない。ちなみに正式名称はMW0A−3、開発コードはガリバーだったりした。
 戦闘中邪魔にならないよう、長い金色の髪は後ろで縛られていた。そしてその魅力的な体は、濃紺のボディースーツで守られていた。

「私が乗るのに、ガリバーなんて美しく無いと思います!」

 思考コントロールとモーショントレースを融合させたこともあり、ウンディーネのコックピットにシートは無かった。その代わり、体を支えるためのサポートステーが用意されていた。万一の場合でもパイロットがコックピットの壁面に叩き付けられないようにと言う配慮からである。

「もっと早く、日本に来るべきでしたわね」

 そうすれば、もっと早くレベルを上げることが出来た。同じレベルと教えられた日本のパイロットの実力に、セシリアはキャリア選択の失敗を悔やんだのだった。特区セルンと言っても、所詮は特区第三新東京市に比べて後発でしかなかった。そこでいくらトップを張っても、別格と言われる3人の足下にも及ばないのだ。
 それでもセシリアは、自分のレベルはこんなものではないと思っていた。さすがにレベル7の3人には敵わなくても、8人のレベル5ならば十分に勝負になると思っていたのだ。そして今日勝利することで、そのことを証明する機会を得ることになる。そのためにも、今日の戦いは速やかに、そして華麗に勝利を収めなければならなかった。

「可哀相ですけど、あなたには引き立て役になってもらいますわ!」

 少し口元を歪め、青く澄んだ瞳で朱色の機体を睨み付けた。ここまでの対戦で、すでに日本にいるレベル4が相手ではないことは分かっていた。勝利するだけでもレベルアップできるのだが、それでは不足だとセシリアは考えていたのだった。

「ブラッドクロス、キャストオン!」

 右腕に慣れ親しんだ武器、片刃の大剣の中心部に持ち手が着いた武器を装着し、セシリアは相手の準備が整うのを待った。ちなみに、このブラッドクロスと言うのも、セシリアだけに通じるネーミングだった。
 セシリアに合わせるように、相手は短めの棒状の武器を手に持った。情報と違うことに少し驚きはしたが、悪あがきだろうとセシリアは気にしないことにした。テコンドーをベースとした素手での格闘では、武器を有効に利用した相手に勝てるはずだ無いのだ。

「そんな付け焼き刃が、私に通用すると思いまして!」

 アスカの開始の合図を聞いたセシリアは、先手必勝と朱色の機体に襲いかかった。この時点では、勝負は一瞬、そして華麗に美しく付くと信じて疑っていなかった。
 だが必殺の一撃を、目の前の機体はするりと躱してくれた。それは全く予期せぬ動き、今まで戦った相手とは次元の違う動きだった。

「やられるっ!」

 一瞬相手を見失ったことで、セシリアは己の敗北を覚悟した。だが予想した反撃もなく、自分の後ろをとったはずの朱色の機体はゆっくりと正面に回り込んできた。真剣勝負に相応しくない、相手を見下した行動だった。

「私を、バカにしているのですかっ!」

 一瞬で頭に血が上ったセシリアは、相手の力量を計りとることなく、再び無警戒に斬りかかった。だがそんな攻撃が通用するはずも無く、捕らえたと思った瞬間、刃の軌跡を横に逸らされてしまった。ここでも大きな隙を見せたのだが、本来有るはずの反撃が行われなかった。

「いったい、どういうつもりですのっ!!」

 大きな声で叫んだセシリアは、ブラッドクロスを持った右手を高く振り上げた。この二つの接触で、相手の実力が遙かに高いところにあるのは明白だった。そんな相手に対して、いかにも不用心な攻撃である。だが頭に血が上ったせいで、そんな簡単なことにも頭が回らなくなっていた。
 だがそれまで黙って攻撃を受け流していた相手が、今度は自分から攻撃に出てきた。目にもとまらぬ早さで繰り出されたロッドが、セシリアの目の前に突きつけられたのである。その攻撃で、セシリアは身動き一つとれなくなってしまった。

 そしてセシリアの動きが止まったところで、目の前の通信ウインドが突然開かれた。そこに現れた顔に、セシリアは目を大きく見開いて驚くことになった。そこに居たのは、対戦相手と紹介されたイ・ソンではなかったのだ。

「な、なんで、私は通信を許可した覚えはありません事よ」

 目の前に突きつけられたロッドに、セシリアは指一本動かすことが出来なくなっていた。その代わり、目の前の知らない男性に対して大声で不条理を訴えたのだった。そんなセシリアに、「冷静になろう」と男は呼びかけた。

「悪いと思ったけど、こちらから通信に割り込ませて貰ったんだ。
 ああ、心配しなくても、このことは他の人にはばれていないからね」
「あ、あなたはいったい誰ですの!
 こんなことは、レベル4のパイロットにできることじゃありませんわ!」

 レベル4の中では、誰よりもシステムを使いこなしているという自負があった。そしてセルンでトップという実績が、起動兵器開発により深く関わることを許していた。だがそんな自分でも、相手のシステムに割り込むことは出来なかったのだ。否、レベル7でもそんなことが出来るとは聞かされていなかった。だからセシリアは、少しヒステリックに相手の正体を問い詰めた。
 だがセシリアの詰問に、相手は少し口元を緩めて「今は内緒」と言うふざけた答えを返した。

「この訓練が終わったら、ちゃんと説明をしてあげるよ。
 だから今は、君の実力をちゃんと見せてくれないかな?
 噂通りの美人なんだから、あとは噂の実力も見せてくれないかな」
「わ、私が美しいのは、あ、あなたに言われるまでもありませんわ!」

 美人と言われ、あまつさえにっこりと微笑まれたことで、セシリアは別の意味で頭に血が上ってしまった。相手を意識したお陰というのか、そこでようやく相手の顔をまともに見ることができた。何処かで見たようなと考えたセシリアは、すぐにただならぬ相手だと気付いてしまった。何処かで見たことがあると言うには、あまりにも有名な相手だったのだ。

「も、もしかして、ラウンズの……でも、どうしてこんな所に……」
「レベルは、君に合わせて4にしてあるよ。
 従って、条件としては対等と言う事になるね。
 だから、本気で集中してかかってきてくれるかな?」

 己の正体を否定も肯定もせず、つまり肯定したことになるのだが、男はロッドをおろしセシリアから距離をとった。

「最初の踏み込みは良かったけど、もう少し相手の動きを見た方が良いよ。
 それから一撃で決まると思わず、二の手、三の手を考えながら攻撃をするんだ。
 そうすれば、いきなり後ろをとられることは無くなるからね」

 これを同レベルの相手に言われたのなら、反発する気持ちも湧いてこよう。だが雲の上の存在に言われれば、反発よりも感激が先に立ってしまう。しかも相手がラウンズなら、稽古を付けてもらえるだけでも名誉なことだ。無様なところを見せてはいけない、受けた指導を頭の中で反芻し、セシリアは果敢に攻撃を仕掛けたのだった。



 一連の不自然すぎるやりとりは、「展望台」で観戦しているアスカ達の知るところになっていた。もっとも彼女たちに分かったのは、2機の行動が不自然なことぐらいで、通信が交わされていたことまでは知るよしもなかった。
 それでも、彼女たちの目は節穴ではない。短時間の動きだけで、パイロットがイ・ソンで無いことは分かっていた。とてもではないが、経験の浅いレベル4にできる動きではなかったのだ。それどころか、最初の攻撃を躱した動きは、アスカ自身背中に冷たいものが走ったぐらいだった。

「いったい誰が乗っているのよ!!」
「今、技術部に問い合わせをしているわ」

 イ・ソンの専用機体に乗っている以上、技術部が何らかの関与をしているはずなのだ。冷静に確認作業を続けるレイだったが、「凄いね」と言うカヲルの言葉に作業の手を止めた。

「凄い、正体不明のパイロットが凄いのは最初で分かっているはずよ」
「違うよ、正確には違わないのかも知れないけれど、
 僕が言っている凄いというのは、セシリア・ブリジッドのことだよ。
 何がきっかけか分からないけど、見違えるほど動きが良くなったよ。
 あの動きは、すでにレベル5を超えているんじゃないのかな?」
「設定はレベル4のはずよね……」

 そのあたりの見方は、アスカも同じだったのだろう。わめき散らすのを止め、繰り広げられている戦いへと視線を戻した。相手の正体なら、この戦いが終わってから確認すればいい。ならば今は、目の前で起きている事に集中すべきだと頭を切り換えた。

「だんだんセシリアの動きが速くなってきているわね。
 攻撃の速さ、正確さも次第に上がっている……」
「彼女の才能を引き出しているとするのなら、相手の技量も予想が付くというところだね」
「つまり、私たち以上のパイロットと言う事ね……アスカ?」

 ペンの折れる音に、レイはタブーに触れたことを思い出した。だが一番の問題は、その禁忌が目の前に突きつけられたと言うことだ。もはや口をつぐむだけでは済ますことのできない、非情な現実がそこに突きつけられたのである。そしてその現実は、セシリアが彼女たちですら獲得していない能力、アクセルと言われている技術を使ったことで確かなものとなったのだった。



 もともと機動兵器に乗ることで、自分の優秀さを示すことができると思っていた。そして特区セルンに居たときは、思った通りずば抜けた成績を示すことができた。その成績が認められ、遙か先に進んだ特区第三新東京市に派遣して貰うことができた。これで自分の優秀さを、更に示すことができると喜んだのだった。
 だが日本に来て、いきなり彼我のレベル差というのを思い知らされることになった。レベル7同士の戦闘もそうだし、指導を受けたときにも違いを実感させられたのだ。レベル7とレベル4、その間には埋めがたい差が横たわっていた。そしてその差を埋める努力は、いくら頑張っても遅々として進んでくれなかった。その焦りを、セシリアは毎日感じていたのだ。

 だが今は、そんな焦りは何処かに消えてしまっていた。的確な指導を受け、そして自分の能力が花開いていく。それを実感することは、この上もない幸せなことだった。この瞬間セシリアの頭からは、レベルとか家のこととか全てが消え失せ、機動兵器に乗るのが純粋に楽しいと感じていた。

「心と体を一つにする、それが機動兵器に乗るこつなんだよ。
 体の動きを心が後押しをする、心の力が現実の力となるのが機動兵器なんだ」
「心が、現実の力になる……」
「そう、ブラッドクロスだったかな?
 腕だけで振ると、どうしても重さに負けてしまうだろう?
 だからどうしたいのか、それを強くイメージするんだよ。
 そのイメージが強ければ強いほど、現実の力として働かせることができる」

 簡単なアドバイスなのだが、今まで一度も聞いたことの無かったアドバイスだった。思考コントロールとモーショントレース、それはいずれかを使うものであって、同時に使える物だとは知らされていなかったのだ。だが言われた通りにやってみると、重いはずのブラッドクロスを軽く振り回せるようになった気がする。

「そう、良い調子だね。
 あとは、もっと想像力を働かせることが重要なんだよ。
 そうすると、物理法則を曲げたような動きもできるし、
 移動するのももっと素早く移動することができるようになるんだ」
「移動も、でしょうか?」

 新しいことを教えて貰えるのは良いが、どうしても意識の集中が疎かになってしまう。そのあたりはまだまだと反省しながら、さすがはラウンズだとセシリアはますます相手に対する尊敬を高めていた。そしてその素直な心のおかげで、教えられたことの吸収も早かった。おかげで振り下ろしたブラッドクロスを、そのままの勢いで方向を変えることも出来るようになっていた。

「初めてでここまでできれば上出来だね。
 だったら最後は、アクセルに挑戦してみようか」
「アクセルでしょうかっ!」

 日本に居るレベル7でも、アクセルができるとは聞かされていなかった。それを僅かレベル4の自分が達成できるのか、さすがにそこまでする自信はセシリアにも無かった。

「本来、シングルのアクセルはレベル4で達成すべきスキルなんだよ。
 セシリアさんはだいぶコツを覚えたようだから、試してみても良いんじゃないのかな?
 危ないことはないから大丈夫、いざとなったら僕が受け止めてあげるからね」
「受け止めて頂けるのでしょうか……」

 もしかしたら、自分は抱きつくことになるのだろうか。機動兵器同士のはずなのに、なぜかセシリアの頭の中では恋人同士のじゃれ合いの光景が浮かんでいた。自分の想像に顔を赤くしたセシリアに、「遠慮無く」とモニタ越しに微笑んできた。

「やり方は、そうだなダッシュしたとき、更に突き飛ばされるのを想像して貰えばいいかな?」
「突き飛ばす……のでしょうか?」
「勇気が出るように、背中を押すのでも構わないよ。
 その時は、手加減せず思いっきり押す事を考えてくれればいいんだ。
 できるかな?」

 そうやって言われて、できないなどと答えられるはずがない。そしてセシリアも、そんな答えを返すつもりはなかった。男の人の胸に飛び込む……経験はないし、恥ずかしいと言う気持ちもある。だけど少しも嫌ではないし、むしろ嬉しいと思っていた。その背中を押すというのは、イメージとしてとても良く理解できた。

「受け止めてくださるのですよね?」
「君を受け止められるぐらいは強いつもりだよ。
 ああそれから、ブラッドクロスは危ないから置いてからやってね」

 さあと両手を広げられ、セシリアは迷わずその胸に飛び込むことにした。とても勇気が必要なのだが、その勇気は目の前の男性が与えてくれた。だから自分は、思いっきり背中を押してやればいいのだと。「行きなさい」と心の中で背中を押した瞬間、セシリアの乗るウンディーネは、爆発的な加速をして本当に胸に飛び込んでいった。
 機動兵器同士の抱擁は、傍から見ればとても異様な光景に見えただろう。そして示された現象にしても、異様としか言いようのないものだった。一瞬姿を見失うような加速をしたウンディーネを、朱色の機動兵器は微動だにせず受け止めて見せたのだ。しかも巨大兵器同士のぶつかり合いのくせに、なんの被害も出た様子は無かった。

 だが受け止められたセシリアにしてみれば、衝撃がなかったのはどうでも良いことだった。大丈夫と言ってくれたことが、ただ本当のことになっただけのことなのだ。それ以上に重要なのは、本当に“アクセル”ができたことだった。まさに飛ぶような感覚、目の前の景色が変わったように思えたのだ。

「ほら、ちゃんとできただろう?」
「これが、そう、なんですね……」

 自分自身初めての、そしてテラでも初めてのアクセルに、セシリアはどうしようもなく興奮していた。ある意味自分は、日本の3人を超えたことにもなるのだ。遙かに上の存在に導かれたとは言え、自分がやったことに変わりはなかった。

「今日は僕が受け止めたけど、次からはちゃんと止まることを考えないといけないよ。
 そうしないと、間違いなく自爆することになるからね。
 それができるようになったら、ようやくレベル4は卒業だよ」
「レベル4って、そこまでできないといけないものなんですね……」
「実際にセシリアさんは、レベル4でアクセルを成功させただろう?」
「はっ、はい……そうですね」

 どうせなら、もっと親しく「セシリア」と呼び捨てにして貰いたい。そうセシリアは強く願ったのだが、同時に叶えられない願いだとも分かっていた。何しろ相手は、ラウンズと呼ばれる特別な存在なのだ。生きたままアースガルズに招かれた戦士、ヴァルキュリアの伴侶と言われていた。

「止まるのは……そうだね、今日のことを思い出してくれればいいかな?」
「今日の、こと、ですよね……」

 絶対に忘れるはずはない。それほどセシリアにとって、今日の経験は強烈な記憶として残っていた。

「わ、私、絶対に忘れません!」
「じゃあ、今日の訓練はこれで終わりにしようか。
 僕達が戻るのを、首を長く待っている人達が大勢いると思うよ。
 きっと僕は、つるし上げを食らうことになるんだろうね」

 それを楽しそうに言うのは、いったいどう言うつもりなのだろう。それを不思議に思ったセシリアだったが、それ以上に不思議なのは、ラウンズをつるし上げられる人がここにいるのかと言う事だった。
 だがそれを聞くのも、出過ぎた真似に違いない。そう考え直したセシリアは、大人しく後に続いて格納庫へと向かったのだった。



 相手の素性が分かった以上、粗略な扱いなどできるはずがなかった。なにしろ粗相があろうものなら、特区の存続に関わる問題にもなりかねないのだ。だから特区第三新東京市の主立った幹部は、急の知らせを受けて格納庫に集まっていた。
 特区の構成は、市長をトップとした組織が作られていた。すなわち一つの行政区が、ただ一つの目的のため存在していると言うことである。そのせいもあって、本来選挙で選ばれるべき市長職も、国によって適任者が派遣される仕組みとなっていた。そしてかつてネルフ副司令を勤めていた冬月は、副市長として特区運営に関わる事になっていた。

「ラウンズのおいでを賜り、光栄に存じます」

 そして集まった幹部を代表し、市長の中田が深々とお辞儀をした。それに合わせ、総勢で100名を超える関係者がシンジに対して頭を下げた。立場上仕方が無いと諦めていても、シンジにしてみれば勘弁して欲しい出迎えだった。

「ええっと、一応お忍びと言うことなので余り仰々しくしないでください。
 とりあえず、頭を上げてくれないでしょうか?」

 お願いの形をとっているが、ラウンズからの依頼は直ちに命令に繋がる。シンジの言葉に従い、全員が頭を上げることになった。

「それで、本日おいで頂いた目的は何なのでしょうか?」
「これと言った目的はなくてですね、本当にお忍びというか……
 休暇を無理矢理取らせられたので、骨休めをかねて第三に来たんですよ。
 それにここなら、知っている顔も大勢いますからね」
「では、あの演習の意味は……」
「ああ、あれですか……」

 いたずらを見つかった後のように、シンジはばつが悪そうに頭を掻いた。

「たまたま顔を出したら、なにかトラブルがあったようでしたからね。
 だからちょっと手伝いをしようかなぁって……
 その程度の乗りですから、余り気にして頂かなくて結構ですよ」
「そうは、言われましても……」

 言葉を濁した中田に、本当になにもないのだとシンジは繰り返した。

「特区の運営は、テラが独自に行える取り決めだったと思います。
 だから大きな問題がない限り、アースガルズが口を出すことはありませんよ。
 それに僕は、あくまで休暇できているだけですからね。
 だからここでのことを、報告しなければいけない義務もないんです。
 せいぜいエステル様に土産話をせがまれるぐらいですよ」

 そう言って笑ったとき、着替えを終えたセシリアが最後尾に並ぶのが見えた。セシリアとしては、身だしなみを整える必要が合ったのだが、遅れてきた彼女に対して周りは厳しい視線を向けたのだった。その視線にセシリアが身を縮めたとき、注意を逸らすようにシンジは大きな声を出した。

「これからの予定ですが、
 セシリアさんと行った訓練の反省会をしようと思っています。
 外部からの分析に、僕から技術的補足説明を行うことにします。
 興味のある人は是非参加してください……
 ええっと、申し訳ありませんけど場所を用意して貰えますか?」
「なにか、ご指定はありますでしょうか?」
「そうですね、希望者全員が入れることぐらいですね。
 後は、必要なデータを映し出すことができれば良いですよ」
「でしたら、至急手配させて頂きます」

 そう言って頭を下げた中田に、これで話が終わったことをシンジは告げた。

「この場でお願いするのは、これぐらいでしょうね。
 反省会まで、僕は何処かで時間を潰すことにしますよ」
「でしたら、私の方で部屋を用意させて頂きます」
「そう、畏まられても困るんですけどね……」

 そうだなとあたりを見渡したシンジに、セシリアは期待を込めた眼差しを向けた。一瞬それも良いかと思ったシンジだったが、別の問題を起こしそうな予感に、一番無難な冬月を指名することにした。

「パイロットの皆さんと親睦を図ろうかと思いましたが、
 反省会に備えて質問を纏める時間を作った方が良いでしょう。
 ですから、申し訳ありませんが冬月副市長にご迷惑をお掛けすることにします。
 ご公務でお忙しいところ申し訳ありませんが、少しだけ面倒を見て頂けないでしょうか?」
「そのお役目、確かに引き受けました……」

 過去の経緯はさておき、今はシンジの方が遙かに立場が上になっていた。しかも今は、公式の場に準じる形となっていた。だから冬月も、立場を弁えた答えをシンジに返していた。そしてその事情を承知していることもあり、簡単に「よろしくお願いします」と場所を変えることを提案した。

「では、早速場所を変えることに致しましょう」
「こちらのことを、色々と教えてくださいね」

 シンジが了解したことで、これ以降の予定が決まったことになる。それではと姿勢を正し、冬月が先に立ってシンジを別室へと誘導したのだった。







続く

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