隻眼の王と戦乙女(ヴァルキュリア) −4 〜〜  9時預かりにこそなっているが、今の千博はブレイブスですらない一般人でしかない。本来なら、ドーレドーレは千博に会うことはない筈だった。したがって、千博との面会認めたことは、ヴァルキュリアシステムにとってイレギュラーなことだった。千博がこれまでに上げた功績、たとえば8体のアクアス異性体を倒し4体を退けたことも、前例を曲げる理由にはならないのである。千博がどこのオーラにも属さず、カヴァリエーレの資格も持っていない以上、筆頭が会う理由が付かなかったのだ。  それでもドーレドーレは、千博との面会に当たり周りの反対を押し切った。その時付けた理由が、テッラ支援に大きな影響を与えると言うものである。すなわち、千博の立場をテッラ側の代表として扱ったと言う事である。ことテッラの支援と言う意味では、これまで無視のできない実績を上げていたのだ。  そして千博との面会に、ドーレドーレはシエルを同席させて臨んだのである。  千博の前に現れたドーレドーレは、白のブラウスの上に山吹色のセーターを纏い、下には白と茶色、それに黄色の混じったチェックのロングスカートと黒のブーツと言う出で立ちをしていた。そして首には、セーターと同系色のスカーフを巻きつけていた。ゴージャスに飾ったと言うより、普段着にも近い装いをしていた。そして同時に、露出する部分のきわめて少ない出で立ちでもある。それでも元の良さもあり、どこかのファッション雑誌の一ページと思わせる美しさを誇っていた。  その一方ドーレドーレに従うシエルは、白のブラウスに紺色をした厚手のジャケットと厚手のパンツと言う格好をしていた。首元の詰まったジャケットなど、何を警戒したのかと聞きたくなるほどだった。ドーレドーレと比較しても、明らかにガードの固さを示すものになっていた。 「新堂様。ようこそ0時へ。先日はご挨拶もせず、失礼をいたしました。私は、筆頭ヴァルキュリアのドーレドーレと申します。カヴァリエーレのシエルは、今さら紹介の必要はありませんね」  千博を迎えたドーレドーレは、立ち上がって優雅に頭を下げた。柔らかく微笑むドーレドーレの美しさは、さすがは筆頭と感心させるものである。一方シエルは、警戒からか普段以上に硬い表情をしていた。  一方ドーレドーレの前に座った千博は、普段とは違い真面目な顔をしていた。そしてシエルではなくドーレドーレの顔をまっすぐ見据えていた。今日の千博は、タートルネックの臙脂色をしたセーターに、ビンテージのジーンズを合わせていた。靴はいつものデッキシューズなのだが、普段とは違い黒の革製の物を履いていた。  ドーレドーレの言葉に、千博は小さく首肯した。 「そうだな、シエルさんの紹介は必要ない。新堂千博。9時の副カヴァリエーレをしていたこともある男だ」  千博の自己紹介に、存じ上げていますとドーレドーレは微笑んで見せた。 「それで、本日は0時への売り込みと思って宜しいのでしょうか?」  冗談を口にしたドーレドーレだったが、その前に言わなくてはいけないことを思いだした。 「そう言えば、シルフがお世話になっていましたね。おかげさまで、あの子もアクアス異性体の撃破実績が出来ました。これも、新堂様のご指導のおかげと理解しております。それに、I市でも助けていただいたお礼もしていませんでしたね」 「ああ、あれは俺が勝手にやったことだ。別に、礼を言われるようなことじゃない」  そっけなく答えた千博は、ドーレドーレの冗談に対して真面目な答えを口にした。 「確かに売り込みは考えているのだが、どこに売り込むべきかは熟慮中だ。それも含めての、今日の相談と言う事になる。まあ、過去の経緯を考えれば、売り込む先は9時なのだろうがな」 「ミネアとメイアが躍り上がって喜びそうですね」  そう言って口元を隠して笑ったドーレドーレは、それでと先を促した。 「別にあいつらの為ってことではないんだが……それに、俺はお前たちの機動兵器には乗ったことが無いからな。9時の方針からすると、こちらでは役立たずと言う事になる。それもあって、今日ここに訪ねてきたと言う事だ」  そう答えた千博は、一息おいて「エステリアのことだ」と切り出した。 「俺は、あいつを守ると約束をした。そしてその約束通り、初めて逢った時からあいつを守ってきた。そしてこれからも、俺はあいつを守っていくつもりだ」  決意を口にした所で、千博は正面からドーレドーレの目を見据えた。そして千博は、そのまま自分の考えを口にした。 「その目的だけなら、13時のカヴァリエーレになれば用が足りるだろう。だがあいつは、2年もすれば9時に復帰することになるはずだ。そしてその時には、あいつについて9時に戻ればいいだろう。さもなければ、9時の副カヴァリエーレになって、13時に派遣して貰う方法もある。ただ、それがイレギュラーだと言うのは理解しているつもりだ。9時は、親父さんを含めれば3人ブレイブスを派遣しているし、ほいほいとオーラを異動して良いものではないだろう」 「4人も派遣するとなると、9時の負担が重すぎることになりますね。それに、好き勝手にオーラを異動するのは好ましくありません」  建前を口にしたドーレドーレに、千博は少しだけ口元を歪めた。 「負担の問題だったら、派遣されているブレイブスを連れ戻せば数だけは合うことになる。異動にした所で、13時の成り立ちを考えればさほどおかしなことではないだろう。ただ、問題はそんな所にはない筈だ。その程度で良いんだったら、ここに来ないでミネアやエステリアに任せていたからな」  違うのかと見られ、ドーレドーレは「さあ」と白を切った。 「私は、特定のオーラのことには干渉しないことにしていますよ。後はそうですね、この時点で派遣人員を見直す必要もないと思っています。何しろ、まだテッラ支援は始まったばかりで、まともな戦闘も一度きりですからね。しかも、戦闘自体目的を達成しています。それを考えると、見直す理由は無いと思います」  深読みをするなら、千博の口にした逃げ道は認めないと言うことになる。ただ千博の目から見れば、隙のありすぎる答えだった。 「見直す理由が無い……か。確かに戦闘では、目的は達成できたのだろう。だが、本部襲撃に対処できなかった以上、体制に問題があるのが明確になったんじゃないのか?」  冷静に事実を指摘した千博に、ドーレドーレは真剣な表情のまま自分の考えを口にした。 「それは、問題の所在が違っていると思いますよ。まともに本部も守れないくせに、ブレイブスを出動させた責任者のミスです」  ドーレドーレの立場からすれば、正論を持って言い返したつもりだった。それが建前であっても、千博には反論できないと思っていたのだ。だが千博は、その程度の正論であれば論破するのは難しくなかった。そして正論と言うには、あまりにも穴が多すぎた。 「ならば、今の体制でどう本部を守れと言うのだ? 貧弱な戦力ではあるが、派遣されたブレイブスは立派に責任を果たしているぞ。それでも本部を守れと言うのなら、これからは出撃できないことになるはずだ。だとしたら、お前達は何のためにテッラにオーラを作ったんだ? 今のままでは期待だけさせておいて、結局何も出来ないってことだろう。頼りの組紐にしたところで、これまでお前たちの組紐制御が役に立ったことは無いはずだ。役に立ったのは、せいぜい親父さんのギムレーぐらいじゃないか」  組紐制御にしても、ことごとくヴァナガルズに遅れをとったと言う事実がある。そして直接迎撃に出られないのなら、千博の指摘は正当なものとなる。そしてこの指摘に対して、ドーレドーレの反論もまた、千博は予想したものだった。 「テッラと共同して体制を整えるのはエステリアの仕事ですよ。そこには、本部の防衛も含まれているはずです」  予想通りの答えを口にしたドーレドーレに、千博はもう一度馬鹿にしたように鼻で笑った。 「アースガルズにできないことを、どうしてテッラでできると考えられるんだ? そもそもテッラでできないから、支援と言う話になったんじゃないのか? しかもテッラでの襲撃パターンは、お前たちの想定とは違っているんだろう? いったいアースガルズの誰が、アクアス異性体との直接対決を指導できるんだ? 筆頭のシルフにした所で、俺が手を貸してようやく撃破の実績ができた程度だ。そのあたりはどうなんだ? 直接対決から逃げ出したクアドランテ筆頭様よ」 「あなたは、テッラの住民ですよね。それならば、あなたが汗を流すべきではないのですか?」  その切り返しもまた、千博の予想した通りのものだった。だから千博は、わざとらしく大きく首肯して見せた。 「同じことを繰り返すが、だとしたらお前達は何をしにテッラまで来たんだ? 偉そうなことを言いながら、しょっぱなから支え切れていないじゃないか。しかも、支援計画にしたところで行き当たりばったりじゃないか。その上、直接対決が主になっているのに、指導一つ出来ないって言うのか? それどころか、お前達のブレイブスまで俺に指導させやがって。それならそれで、手伝ってくださいって頭の一つぐらい下げてみせろ。なんだったら、こっちの奴も俺が手伝ってやろうか?」  どうだと口元を歪めた千博に、ドーレドーレは「特に必要としていませんよ」と千博の支援を否定した。 「だとしたら、俺はシルフに指導なんかしちゃあいけなかったんだな。あいつに同情して手を出した俺が馬鹿だったようだ」  酷いものだと嘲笑した千博は、さらにドーレドーレを挑発した。 「それにしても、お前の所はまともな指導もしないで人を派遣してくるんだな。違うか、あれで指導したつもりになっていたんだな。ブレイブスが食われまくっているのは、お前達の指導とか言う奴に原因があったと言う訳だ。偉そうなことを言っているくせに大したことはないんだな」  そこで挑発したのは、ドーレドーレではなくシエルの反応を引き出すためだった。シエルの顔が赤くなったところ見れば挑発に効果があったことになる。ただ、爆発しなかったところを見れば、まだ挑発としては不足していたのだろう。  そこで二人が乗ってこないのを確認し、千博は大きく肩をすくめた。 「オーケー、帰ったらエステリアに忠告をしておこう。次に襲撃があったとしても、お前達はベスティアが出てこない限り出動の必要はない。プレダトレとアクアス異性体対応は、すべてテッラでやるとな。大人しく本部にこもって、手足を引っ込めて丸くなっていろと。ああ、組紐だけは利用させてもらおうか……もっとも、こっちも役に立った試しはないか」 「それが、テッラの意見であればどうぞとしか言いようがありませんね」  少しも動揺を顔に出さないのは、さすがは筆頭と言う所だろう。そしてそこまでは、千博の予想した通りのものだった。ただこの時点で、ドーレドーレは重大な失敗を犯したことになる。ほとんど売り言葉に買い言葉のやり取りなのだが、その中に千博は罠をちりばめていた。 「ところで、ヴァルキュリアシステムの掟を教えて欲しいのだが?」  良いかと言う千博に、どうぞとドーレドーレは返した。 「ヴァルキュリアが、カヴァリエーレでもないものに体を許した場合の罰則だ」 「資格の剥奪。そして放逐と言う事になりますね」  即座に返された答えに、「例外なくか」と千博は聞き返した。 「例外なく、ですね。もちろん、体を許した相手が副カヴァリエーレ以上になれば別ですよ。それにした所で、1週間程度の猶予でしょうか」  その答えに、大きく千博は首肯した。 「だったら、エステリア、テュカ、エレクトラの3人を首にしてくれ。それに加えて、9時の筆頭ミネアも首だな。ついでにクスクスとケイティも首になるようにしてやるか」 「テッラの人間が、テッラ支援の体制を崩壊させると言うのですね?」  少し口元を歪めたドーレドーレに、それがと千博はそっけなく言い返した。 「言ったはずだ。プレダトレとアクアス異性体なら、アースガルズに頼らなくても対処できると。しかもお前達は、身を守るために本部から出ることが出来ないんだろう? だったら、居てもいなくてもあまり変わらないじゃないか。付け加えるのなら、俺達が食われるのはお前達にとっても都合が悪いはずなんだがな」  そしてと、千博は口元を歪めた。 「9時以外も、現時点で2人程巻き添えになるってことだ」 「それで、人質をとったつもりですか?」  まったく顔色を変えずに、無駄ですよとドーレドーレは答えた。 「愚かな真似をした者は、相応の報いを受けることになります」 「なるほど、それは道理だな」  にやりと千博が口元を歪めた所で、0時のオーラに警報が鳴り響いた。そしてポップアップしたサポートAIレーシーが、ヴァナガルズの襲来を報告した。緊急事態が発生した以上、これで千博との会談はお開きということになる。 「話はここまでですね。新堂様、それでは係の者に送らせます」  そう言ってその場を去ろうとしたドーレドーレだったが、千博は「待て」と呼び止めた。 「俺は、話が終わったとは言っていないぞ」 「私には、これ以上話すことはありませんよ。シエル、出撃の準備を」  千博を無視して出ていこうとしたドーレドーレを、待てともう一度千博は呼び止めた。 「相手は、ベスティアを出してきていないはずだ。慌てて出て行っても、お前達ができることはないだろう」 「なぜ、ヴァナガルズがベスティアを出してきていないと言えるのですか?」  見る限り、千博が情報を得る手段を持っているはずがない。それなのに、ヴァナガルズの襲撃方法を指摘してくれたのだ。ハッタリと言う可能性もあるのだが、この場でハッタリを言うとは思えなかった。 「そちらの方針に合わせ、あっちも攻め方を変えるとは考えないのか? あいつらは、お前らが楽な方向に逃げるのを許さないはずだ。それを考えたら、俺ならばグラニーを使えないように工夫をしてやるな。そうすれば、お前達は直接戦闘をしない訳にはいかなくなるだろう。さて直接戦闘から逃げたクアドランテ筆頭様よ、どうするつもりなのかな?」  揶揄するような千博の言葉だったが、今度はドーレドーレは立ち止まることはしなかった。そしてシエルを連れ、そのまま会見場となった会議室を出て行ったのである。結局会談は失敗に終わったのだが、不思議なことに千博は気にした様子を見せていなかった。  作戦司令室に入ったドーレドーレは、そこで千博の言葉が正しいとを知らされた。そしてそれは、恐れていた事態が現実となったことでもある。  殆どの住民を宇宙に退避させているアースガルズだが、それでも多くの人びとが地上に残っていた。それは、そうしないと社会自体が維持できないと言う事情からである。農業と言った分野は、未だに地上でなけれならない部分が多く残されていたのだ。  そして今回の襲撃は、その中でも人口が集中している地域が狙われたのである。そしてヴァナガルズは、今回の襲撃にはベスティアを持ち出してこなかった。すなわち襲撃は、アクアス異性体とプレダトレによって行われたのである。  ベスティアが居なければ、グラニーを出す理由に欠けていた。しかも人口が集中しているため、グラニーでの戦闘は人的被害を拡大することに繋がってくる。少しでも被害を押さえるためには、ブレイブスによるアクアス異性体の直接迎撃が求められていた。 「襲撃の数自体は少ないけど……」  敵の襲撃ポイントを見ると、人の集まったエリアを虫食い状に襲撃されている。まるで、個別撃破をしてくれと言っているような布陣だった。しかも箇所箇所の襲撃数が少ないのだから、まるでこちらをおびき寄せているようだった。 「誘われているような気がしますね……」  たとえ誘われていたとしても、ブレイブスを派遣しないわけにはいかない。さもなければ、多くの住民を見殺しにすることになってしまう。それは、ヴァルキュリアシステム自体の存続に関わることだった。 「レーシー、各オーラに出撃の指示と分担を伝達しなさい」  わずかな遅れが、多くの住民の命を失う事態となる。初めてのパターンなのだが、ドーレドーレの指示に遅滞は無かった。そして彼女のカヴァリエーレ、シエル・シエルも出撃準備を整えていた。 「察知が遅れた理由は?」  襲撃への手配を終えたところで、ドーレドーレは後手に回った理由を問いただした。これまでの襲撃では、組紐の状況を見て警告が発せられていたのだ。だが今回の襲撃では、時空間管理局からは何の警報も発せられていなかった。  ドーレドーレの問いに対して、局員は襲撃規模を理由として挙げた。 「襲撃自体がごく小規模と言うのがその理由です。この程度の侵入規模だと、極小の組紐接続でも可能と思われます。そのため、こちらの探査に掛からなかったかと思われます」 「つまり、ヴァナガルズは進攻のパターンを変えたと言う事ですか」  テッラと同様の襲撃が行われると、今までの対処方法では対処しきれなくなってしまう。いきなり襲撃方法を変えてきた理由は気になるが、今はそんなことを言っている余裕はなかった。 「襲撃箇所数は12カ所ですか……本当にこちらを見透かしたような布陣ですね」  これで、各オーラの個別対処が要求されることになる。1箇所あたりの襲撃規模は小さくとも、厳しい戦いになることをドーレドーレは予感していた。  各オーラが独自に出撃準備を進める中、9時だけは少し周りとは違う状況になっていた。黄土色をしたオーラの制服に身を包んだブレイブス達の中に、見慣れない格好をした集団が混じっていたのだ。明らかにブレイブスとは異なる格好、すなわち濃紺の戦闘服を着た24人の集団がそこに混じっていたのだ。 「諸君には、初の実戦と言う事になる」  そしてその中の一人、アラン・クレイトンが隊員達の前に立っていた。部下達の顔を見渡したアランは、これからのミッションを説明した。 「9時の分担地域には、アクアス異性体は5体いると言う事だ。それを、9時のブレイブスと連携して撃破し住民を守るのが今回のミッションとなる。ちなみに教官殿は、遅れて参戦されると事だ。これは、諸君の力を信用してのことでもある。教官殿が来る前に殲滅するのもよし、親切にも獲物を残しておくのもいいだろう。諸君に注意することがあるとすれば、この戦いは諸君にとって命を賭ける場ではないと言う事だ。全員無事に帰還するのが、諸君のミッションとなる」  以上と声を上げたアランは、チームフォーメーションを読み上げた。 「我々は、2体を受け持つことになる。そして2体の殲滅が終わったところで、我々のミッションの第一段階は終了する。その後は武器を換装し、プレダトレ殲滅に当たる。アルファーからチャーリーが第1班、デルタからフォックスロットが第2班、ゴルフは各班のサポートに入る」  普段の訓練では、3人で1チームを組んでいた。今回のミッションでは、さらにその3チームを1つのチームに纏めたのである。受け持ちが少ないこともあり、数的優位を保つためのフォーメーションだった。  そこで言葉を切ったアランは、「ミッション開始」と全員に告げた。サンダーバード・プロジェクトが、場所を変えアースガルズで活動を開始したのである。  そして9時には、もう一つ新しい戦力が加わっていた。研修生として来ていた北斗が、今回の出撃メンバーに加えられたのである。そして北斗は、アラン達とは別の集まりでメイアの指示を聞いていた。 「本当に、出撃させても良かったのですか?」  それを見守っていた姫乃に、近づいてきたミネアが声を掛けた。メイアの報告では、かなりの改善は見られたが、それでもまだ不十分とされていたのだ。その意味で、死傷率の高い直接戦闘への参加は、少なくとも研修のカリキュラムではないはずだ。リスクが高すぎるとミネアは考えていたのである。  良いのかと言うミネアに、姫乃はこれ以上なくはっきりと首肯した。 「ええ、新堂君が絶対に出せと言っていましたからね。それに、私も大丈夫だと思っていますよ。北斗の実力は、あんなものではないと信じていますから」  それにと、姫乃は口元を隠して笑った。 「お節介な新堂君が助けてくれるのではありませんか?」 「確かに、新堂様が手助けしてくださると言っていましたが……あの方は、見た目以上にあくどい方ですね」  ミネアには、すでに襲撃のからくりは教えられていたのだ。その際しっかり文句を言ったのだが、逆にぐうの音も出ないほどに言い返された事情がある。しかも共犯者にまでされたのだから、文句の一つや二つでは割に合わないと思っていた。  そんなドーレドーレに、姫乃は苦笑を浮かべながら「新堂君ですよ」と答えた。姫乃にしてみれば、それこそ千博らしいと言う事になる。 「それで、新堂君はどうしてます?」 「ドーレドーレ様を罠に掛けに行っていますよ」  はあっとミネアがため息を吐いたのは、千博の行動に呆れてのことに違いない。 「エステリアのために、そこまでしますか? と言いたいところです」  ミネアの言葉に、姫乃はもう一度口元を隠して笑った。 「私は、新堂君らしくていいと思いますよ。彼は、目的のためには手段を選びませんから」 「私としては、手段を選んで欲しかったと思います。これで、多くの住民の命が失われることになります。出撃するブレイブス達も、無事でいられる保証はありません。クアドランテの立場なら、厳重に抗議をしてもおかしくないはずです」  人の命が掛かっていることを考えれば、9時の筆頭として間違ったことは言っていない。人の死を認められないと言うのは、それだけなら姫乃も異論を挟めないものだろう。だが姫乃が口にしたのは、地球の住人としての容赦のないものだった。 「テッラでは、先日100万人以上の方が命を無くしています。それに比べれば、まだまだ少ないと思いますよ。そうでなくとも、アースガルズは救えたはずの命を救っていません。中国の10万人は、アースガルズなら救えたはずの命です。そして私の故郷、I市でも襲撃があるのを待っていましたよね。もしも新堂君が居なければ、I市も壊滅していたと思いますよ」 「あなたも、彼同様かなり容赦のないことを言いますね」  そのあたりは、ヴァルキュリアとしては合格なのだろう。姫乃を評価しつつも、勘弁して欲しいと言うのがミネアの正直な気持ちだった。だが姫乃は、これでも優しい方だと考えていた。 「アースガルズ同様、新堂君は将来を考えて行動を決めています。人の命に拘れば、逆に被害を拡大することにもなります。これでも、0時を粛清しないだけ優しいと思います」 「そんなことになったら、もう一度泥沼の戦いになってしまいます!」  勘弁してくださいと吐き出したミネアに、「甘えてますよね」と姫乃は言い返した。 「喧嘩は、相手を見て仕掛けるべきだと思いますよ」  それは、誰のことを言っているのか。姫乃の言葉に、「可哀想に」とミネアはドーレドーレに同情したのだった。  12に分かれた戦場では、12種類の戦いが繰り広げられていた。意外なことに、一番安定した、そして損耗の少ないのが9時のオーラの戦いだった。しかも12ある戦場の中で唯一、アースガルズ側優位で戦いが推移していたのである。 「チーム1、絶対に深追いはするな。敵が逃げるのなら、無理に追いかける必要はない。機動力は、間違いなく奴らの方が上だ。敵の撤退を確認後、プレダトレの掃討に移れ」  テッラ側の指揮は、すべてアランが採っていた。刻一刻と集まる情報では、アルファーからゴルフまでの小隊は、一人の脱落もなく安定した戦いを続けている。そしてチーム1は、敵を撤退させると言う戦果をあげていた。チーム2の方にしても、戦い自体全く危なげのないものになっていた。 「確かに、恵まれた戦いではあるか」  戦場を俯瞰したアランは、そう小さく呟いた。本来アクアス異性体とは、3人で作ったチームで戦うことが想定されていたのだ。それがこの戦いでは、3チームが組んで1体と戦っている。数的優位が得られるのだから、戦いが不利になるはずがなかったのだ。しかもアクアス異性体との戦闘経験までできるのだから、地球側としては願ってもない状況だったのである。そしてその戦いをアレンジしたのは、まだ20歳にもなっていない日本の少年だった。 「しかし、奴は本当にハイスクールの生徒だったのか?」  損耗が無い本当の理由は、数的優位だけにある訳ではない。数的有利だけが理由ならば、100名のグリーンベレーは食われなかっただろう。むしろ、これまでの2週間の訓練で、徹底的に対策を叩きこまれていたのが大きかったのだ。そしてそのカリキュラムを作ったのが、まだ17歳の少年なのである。UCLAでは優秀な成績を収めてきたアランなのだが、そのアランをして千博の能力には舌を巻いていたのだ。頭の作りがどこかおかしい。けなしているように聞こえるが、それがアランの正直な気持ちだった。  そんなことを考えていたアランの元に、チーム2から敵撃破の吉報が届いた。 「チーム2のアクアス異性体の排除を確認した。予定通り武器を換装し、チーム1とともにプレダトレ掃討に移れ!」  確かに恵まれた条件ではあるが、アクアス異性体排除の実績ができたことには違いない。これでベスティアを除けば、地球での戦いに目途が付いたことになるのだ。そしてこの結果をもたらしたことで、米軍での千博の立場は絶対のものになる。恐ろしい子供だと、アランは素直に千博を認めたのだった。  一方メイアの部隊は、予想通りアクアス異性体相手に苦戦していた。唯一メイアだけが互角に戦っていたのだが、数で臨んだそれ以外の2カ所は、明らかにアクアス異性体に押されていたのだ。それでも犠牲が出ていないのは、千博にくどいほど言われたことが効いていた。  そこまでは予定通りの戦いなのだが、問題はプレダトレへの対策に手が回らないことだった。人員のすべてをアクアス異性体との戦いに向けたため、プレダトレの自由を許したのである。作戦自体を聞かされた時には、まずそのことをメイアは問題として挙げたのだ。だが、千博から「身の程を弁えろ」の一言で黙らされてしまった。そのため、敵を退けられない戦いに、ずっと焦りを感じさせられていた。そしてメイアが恐れた通り、動けなくなった住民がプレダトレに食われていった。  だがその状況も、地球側がアクアス異性体を退けたことで新しい局面を迎えることになった。アランの指示で武器を換装した7つのチームが、町中に散ったプレダトレに攻撃を仕掛けたのである。そしてその容赦のない攻撃で、次々とプレダトレを殺して行った。的が大きく鈍重なおかげで、対策して掛かればプレダトレ排除は難しいことではなかった。 「対策をしてきたとは言え、こっちは怖いほど順調だな」  アランの元には、次々と排除されていくプレダトレの情報が集まっていた。彼らが動き出す前には、100体近くのプレダトレが発生し、住民の被害は2,000名にもなろうとしていた。ただそのプレダトレも、すでに半数以上が排除されていた。このペースで排除が進めば、プレダトレの排除には1時間も要しないだろう。大きな被害こそ出ているが、これ以上の被害の拡大は押さえられそうな見込みになっていた。順調すぎるとアランが考えるのも、ごく自然な状況だったのだ。 「なるほど、I市モデルの次と言うことか」  物量さえ投入できれば、プレダトレ排除は難しいことではない。その場合の問題となるのは、同じ個所にアクアス異性体が居る場合だ。その対策も、今回の戦いで見えてきたのだ。自分達でアクアス異性体が押さえられるのなら、プレダトレは無人機、もしくは遠隔操縦の兵器で殲滅すれば良い。残る問題は、敵巨人、ベスティアへの対策だけだとアランは考えた。 「さて、他の戦場はどうなっているのやら」  余裕が出たところで、アランは他のオーラのことを考えられるようになった。そして貸与された端末で、他の戦場の状況を確認した。それをすることで、アースガルズの考え方、レベルを知ることができる。その情報もまた、これから戦っていく上で重要な意味を持つものだった。  その頃他の11の戦場は、ヴァナガルズの蹂躙を許すものになっていた。それはシエルの出撃した戦場も例外ではなく、多くのブレイブスがアクアス異性体に食われて命を落としたのである。そのため、プレダトレ排除に充てていた人員まで直接戦闘に回さざるを得なくなってしまったのだ。  だが直接戦闘を想定していない戦力には、たとえ牽制とは言えアクアス異性体と対峙するのは荷が重すぎた。それもあって、ブレイブスの犠牲はさらに積み上げられることになった。跋扈するプレダトレに、次々と失われていく戦力。迎撃が崩壊するのも、時間の問題となっていた。 「なぜ、僅か5体にここまで翻弄されるのだっ!」  圧倒的な戦闘力を誇るシエルなのだが、ここまでの戦いでは1体も仕留めることができなかった。まともに勝負をしてくれれば、間違いなく敵を瞬殺することができただろう。だが狡猾な敵は、戦力としてのシエルの無効化だけに的を絞ってくれたのだ。そのためシエルは他のブレイブスの支援にも回れなくなくなり、多くの配下のブレイブス達が食われていったのである。  その事情は、他のオーラにしたところで大差はなかった。絶対的なカヴァリエーレが居るオーラにしても、敵に翻弄されている事情は変わりはなかった。そしてカヴァリエーレの能力が劣る戦場では、撤退しなければ全滅と言う状態にまで追いやられていた。  ただ順調と言われた9時にした所で、すべてにおいて問題が無いと言う訳ではなかった。撤退したはずの1体のアクアス異性体が再度参戦したため、チーム1が対処に戻らざるを得なくなったのだ。そのため、プレダトレ排除の戦力不足が露呈したのである。順調だったプレダトレの排除も、そのせいで遅々として進まなくなっていた。  そして他のオーラの影響は、互角に戦っている9時も無視のできないものになっていた。他のオーラが敗走状態になった影響で、被害がこちらに及ぶ恐れも出てきたのだ。そして戦線の崩壊のせいで、撤退命令が出されるのも時間の問題となってしまったのである。もしも撤退に遅れでもしたら、9時は60もの敵に囲まれる恐れもあった。  そして個別の戦いに目を向けても、時間と共に情勢が不利になってきたのだ。一人奮戦しているメイアだったが、時間と共に疲労の色が強く表れていた。それ以外のブレイブス達は、死人こそ出ていないが怪我人の山が積み上げられていた。 「さすがに、これはきつい」  千博はできると断言したのだが、現実の戦いでは、1対1でもメイアは苦労をしていた。そのあたり、千博が嘘を吐いたと言うより、メイアが集中しきれていないのが理由なのだろう。目の前の戦いに集中するのも大切なのだが、メイアには配下に対する責任もあったのだ。いまだ9時が総崩れになっていないのは、メイアが指示を出し続けているのも理由だった。 「なかなか、頑張っているなっ!」  ネレイドと名乗った大柄の男は、少しも疲れたそぶりも見せていなかった。そしてここまで戦ってきたメイアを、珍しくも誉めてくれた。メイアが肩で息をしているのを見れば、どちらが優勢なのかは明白だった。 「他のオーラ、だったか。総崩れの中よく頑張っている」 「うちのオーラは、教育が行き届いているからな」  切りかかってきた相手を跳ね飛ばし、メイアは意識を配下達へと飛ばした。上がってくる情報では、怪我人こそ多数出ているが食われた者はまだ一人も出ていない。これまでの戦いを考えれば、特筆すべき成果と言う事ができるだろう。  だがこのままでは、敗北と言う結果も見えていた。時間を稼ぐことはできても、敵を倒すことができていないのだ。1体倒した地球側の実績こそあるが、後が続かない以上ジリ貧なのは間違いない。  しかも戦場全体では、すでに負けが確定していると言えただろう。いつ撤退命令が出されてもおかしくない状況にまで、アースガルズ側は押し込まれていたのだ。それでも撤退命令が出ないのは、ここで撤退をしたら十万近い住民を見捨てることになるからだった。  蹂躙を許したことへの憤りはあるのだが、それを打開するだけの力をメイアは持っていなかった。彼女にできることは、目の前の敵を自由にさせないことでしかない。悲しいことなのだが、それが9時の実力でもあったのだ。  その事情は、目を北斗に転じても変わりはなかった。そこで特筆すべきことがあるとすれば、北斗が一人で支えていることだろう。初めは複数で迎撃に当たったのだが、一人また一人と脱落して言った結果、今は北斗一人を残すだけになったのである。初陣だと考えれば、功績としては非常に大きなものなのは間違いない。これまで散々メイアに甚振られたことも、これを見る限り無駄ではなかったと言うことだ。 「見ない顔だけど、結構頑張っているわね」  そして北斗と向かい合ったアクアス異性体、見た目の年齢は20代ぐらいだろうか。マーガレットと名乗った女性は、偉いわよと上から目線で北斗を誉めた。そして誉めながらも、瞬間移動を駆使して北斗を弄んでいた。かろうじて支えていると言うのが、北斗にとっての現実だった。 「千博は、こんな奴と戦ってきたのかっ」  なんとか対処はしているが、それでも受け止めるのが精一杯と言う状況に変わりはない。歯を食いしばった北斗は、なんとか反撃の糸口が掴めないか、必死に頭を働かせていた。  残るアクアス異性体は4体、そのうちの1体をメイアが押さえ、そしてもう1体は仲間が5人がかりで押さえていた。残りの1体は、テッラのチームが対処していた。戦力と言う意味では、すでに18人が負傷退場を余儀なくされていた。出撃したのが25名なのだから、すでに7割以上が戦力外になったのである。このままだと、9時の敗走も時間の問題となっていた。  派遣部隊を統括していたアランは、次第に悪くなる状況に歯噛みをして悔しがった。十分な戦力と訓練で臨んだ自分達は、少なくとも互角以上の戦いを続けている。だが肝心のアースガルズが、総崩れになっていたのだ。かろうじて9時は踏みとどまっていたのだが、それ以外のオーラの状況が惨憺たる状況だった。そして踏みとどまっている9時にした所で、長くは持たないと言うのがはっきりしていた。そしてその事情は、自分達も同様だった。 「このままだとジリ貧だな……こちらが有利なうちに撤退すべきなのだが」  撤退を決めることは、この地域の住民10万を見捨てることと同義になる。いくら自国民ではないと言え、民間人を見捨てるのは軍人の矜持に関わることだった。意識のある者の退避は完了しているのが救いとは言え、残りの住民はプレダトレの餌となってしまう。しかも知らなければ気にしなくて済んだのだが、アラン自身アースガルズに関わってしまっていた。その意識が、さらに見捨てることを躊躇わせていた。  危なくなったら撤退しろとは言われていたが、それが実行できるとは思えなかったのだ。 「そろそろ、潮時か?」  どうした物かと考えていたアランは、後ろから聞こえてきた声に慌てて振り返った。そしてようやく現れた千博に、心からの非難の言葉をぶつけた。 「今まで、何をしていたのですかっ!」  千博ならば、こうなることは分かっていたはずだ。戦況を考えれば、エースの遅刻は非難されても当然のことだった。  だが千博は、アランの非難を気にもしなかった。 「戦況は?」  その余裕が気に障ったが、ここは憤懣を晴らす場ではない。すぐに頭を切り替え、アランは全体の状況を伝達した。 「良くないですね。9時は何とか持ちこたえていますが、他は総崩れになっています。撤退判断も時間の問題と思われます。ここに長居をすると、我々が袋叩きにされそうです」  その答えに首肯した千博は、迷うことなくアランに撤退を命じた。 「だとしたら、俺達は何時までも付き合う必要はない。これは、アースガルズ自身の問題だからな。当初の予定通り、すぐに全員を撤退させろ」  元々の予定通りとは言え、何の躊躇いもなく撤退を口にできるのだ。その感覚に呆れながら、アランは新たに発生する問題を上申した。 「そんなことをしたら、9時も壊滅することになりますが?」  協力関係にあることを考えれば、9時を見捨てる訳にはいかないはずだ。そして他より早い撤退は、後々責任問題へと発展することになる。物事には、必要な口実を用意しなくてはいけない。  その上申を受けた千博は、「だったら」とすぐに命令を切り替えた。 「命令を9時全体の撤収に切り替えることにするか。9時の責任範囲だけを片づけて撤収するぞ」  いかにもあっさりとした答えに、アランは一瞬その意味を掴みかねた。 「それも、簡単ではないと思われます。すでに、9時のブレイブスの7割以上が戦線を離脱しています。何とか持ちこたえていますが、敵を倒す決め手に欠けています」  それができるぐらいだったら、さっさと敵を片づけていただろう。実際は、すでに責任範囲を片づけること自体不可能となっていたのだ。  アランの答えに小さく首肯し、千博は首をほぐすように動かした。こくっと言う音が、アランの耳にも聞こえてきた。 「だったら、俺が手助けをしてくるか」  木刀を取り出した千博は、行ってくると言い残して戦場へと飛ばされていった。まるで散歩にでも行くような軽さに、アランは酷い眩暈を感じていた。 「あいつ、本当にハイスクールの生徒だったのか?」  絶対に違う。戦況を注視しながら、アランは力一杯否定の言葉を吐き出したのだった。  千博が最初に加勢したのは、互角以上の戦いを繰り広げているチーム1だった。ただ敵を圧倒してはいるのだが、同時に仕留めきれてもいなかった。その意味では、既に敵の思うつぼにはまっていることにもなる。このまま倒せなければ、疲労か弾薬不足で形勢が逆転する恐れもあったのだ。 「お前ら、当てずっぽうは駄目だと教えただろう」  接近戦は複数で防御し、離れたところからの攻撃で仕留めると言うのがチームのフォーメーションとなっていた。だがショットガンで広範囲を吹き飛ばしても、敵のとどめを刺すことができていなかった。 「教官、それは無理な注文と言う奴ですぜ!」  ぶらりと現れてダメ出しをした千博に、カイル・セルバンテスはすかさず文句を言い返した。だが千博にしてみれば、どうして倒せないのか不思議だったのだ。 「なんで、あの程度の奴が倒せない?」 「あの程度って……あいつ、全身を吹っ飛ばしても復活してきやがるんですよ。いったい、どこに核があるって言うんです」  嫌だと悲鳴を上げながら、カイルはショットガンを連発した。確かに全身をハチの巣にしたのだが、次の瞬間何事もなかったように復活してくれた。 「そろそろ、残弾数が心許なくなってきたんですけどね」  何とかしてくださいと言う悲鳴に、千博は仕方がないと小さくため息を吐いた。 「まあ、ここまで頑張ったんだから、初戦としては上出来だろうな」  肩に木刀を担いだ千博は、にらみ合っている中へとのんびりと歩いて行った。そして教え子たちに、下がっていろと言ってまだ若そうに見える敵と向かい合った。 「セラが潤沢にあるから、いくらぶっ飛ばされても困らないってことか」 「助っ人が来たと思ったら、なんだ、まだガキじゃねぇか」  人材不足だなと笑った敵に、千博は笑いながら指摘された通りだと答えた。 「俺が出張った時点で、そう言われても仕方がないな。おい、お前はなんて名だ?」 「なんで、俺がお前に名乗らなくちゃいけねぇんだよ」  まったくと憤慨しながら、男はプロテウスだと名乗った。文句を言いながらも名乗るあたりは、意外に律儀だとも言えるのだろう。 「それで、お前はなんて言うんだ? 食う前に聞いておいてやるぞ」 「ああ、俺か、俺は新堂千博って言うんだよ。まあ、覚えておくことに意味はないがな」  じゃあやるかと、千博は木刀を担いだままプロテウスと間合いを詰めた。 「お前、俺のことを舐めてるだろう」  とっさに腕を剣にして切りかかったプロテウスだったが、気が付いた時には背中から地面に叩きつけられていた。そして起き上がる間もなく、臍の上に木刀を突き付けられ形状を失った。接触から僅か5秒も掛けずに、千博はプロテウスを排除したのである。 「どうだ、参考になったか?」  振り返って問いかけてきた千博に、全員が整列して「無理です」と声を合わせた。あれだけ手こずった相手が、瞬く間に形を失って崩れ落ちたのだ。核を破壊したと言うのは理解できても、どうして場所が分かるのだと言いたかった。 「たく、どうしてこの程度のことが分からないんだ。いいから、残ったプレダトレを始末して来い!」  そう言って頭を掻きながら、千博は別のグループの方へと向かっていった。そして千博の参戦から10分も経たずに、9時の分担した敵は完全に排除された。時間が掛かったのはプレダトレの排除で、アクアス異性体の排除だけなら5分も掛かっていなかった。 「よし、責任は果たした。全員撤収するぞ!」  すべての敵を排除した以上、誰からも文句を付けられる言われはない。ぐるりと辺りを見渡した千博は、全員に向けて撤収を指示した。その結果、9時のオーラが最初に戦場を離脱したのである。戦いだけを見れば完勝なのだが、ブレイブスたちを含め、千博の戦いは大いなる不条理を彼らに感じさせたのだった。  千博が9時に顔を出した時、ミネアの姿はどこにも見つけられなかった。ヴァルキュリアの役目として、戦いに勝利したブレイブスを迎える物があるはずだ。それを疎かにしたミネアに、いったい何事と千博は驚いた。そんな千博に、それはと言ってヘルセアが駆け寄ってきた。 「その前に、ミネア様に代わってお礼を申し上げます」  大きく腰を折って頭を下げたヘルセアに、千博は小さく首肯した。 「エステリアの復帰先だからな、俺が手助けしてもおかしくないだろう。それで、ミネアはどうしたんだ?」  何があったか予想はできるが、それでも千博はヘルセアにミネアの居場所を確認した。そしてヘルセアが口にした理由は、まさに千博が予想した通りのことだった。 「はい、ドーレドーレ様からの呼び出しがありました。どうも、命令が出る前に撤退したことへの事情聴取があるようです」  その答えに、ああと千博は首肯した。 「さっそく責任の押し付け合いが始まったのか? まったく、ろくな組織じゃないようだな」  なあと言って、遅れて入ってきたアランに声を掛けた。その問いかけに、アランは小さく首肯した。 「これ以上ない負け戦です。責任の追及が行われるのは、健全な組織と言えるでしょう」  もちろんと、アランはそこに順番があることを追加した。 「その前に、立て直し策を検討するのが必要なのは言うまでもありません」 「だから、ろくな組織じゃねぇって言ったんだよ。それで、うちの奴らは全員無事か?」  苦笑した千博に、とりあえずとアランは答えた。確かに、誰一人として死人は出ていない。それどころか、重傷を負った者もいないぐらいだ。 「チーム1は、かなりの疲労状態にあります。チーム2は……こちらも、早急に休息が必要でしょう。さすがに、100体を超えるプレダトレの排除は大変でした。ただ、その程度で済んだのは幸運だったと言えるでしょうね」  他のオーラの状況を考えれば、アランの言葉に間違いはないのだろう。ただ千博にしてみれば、予想通りの結果に過ぎなかったのだ。そこには、運の入り込む余地はないと思っていた。  アランの答えに首肯した千博は、ヘルセアに「住民は?」と確認をした。 「9時の分担箇所は、かなり救えたと言うのが答えになりますね。ただ、他のオーラが分担した箇所は、ほぼ全滅と言うのが実態です。居住データーから推測すると、およそ9万人が食われたと思われます」 「それで、こっちの被害は?」  ブレイブス側の被害を確認した千博に、酷い物ですとヘルセアは息を吐き出した。 「9時の被害は、軽微と言って差し支えないでしょう。入院の必要な怪我人が18名、軽傷が5名、休息が必要なのが2名と言う事です。北斗様は、今姫乃が付き添っています」 「とりあえず、誰も食われなかったと言う事か」  千博の言葉に、はいとヘルセアは首肯した。 「これも、すべて新堂様のおかげです。さも無ければ、他のオーラと同じことになっていたでしょう」 「まあ、こいつらが頑張ったと言うのも理由だがな」  そう言ってアランを指さした千博は、他のオーラの状況を確認した。 「それで、余所はどうなっているんだ?」 「それは、もう、惨憺たるものです。各オーラからは、それぞれ40名ほどのブレイブスが出撃しています。そのうちの約半数が食われ、さらに半数が重傷を負い病院に収容されています。残った者にしても、無傷なのは数名と言う所でしょうか。待機要員は残って居ますが、再度襲撃があれば対応できないと思われます」  惨憺たるものとヘルセアが言う通り、壊滅状態と言うのが各オーラの状況だった。さすがに酷いと苦笑した千博は、肝心の戦績のことを確認した。 「それで、アクアス異性体はどれだけ倒せたんだ?」  シエルが居るのだから、それなりに倒しているだろうと思っていた。だがヘルセアの答えは、千博の考えを否定するものだった。 「9時を除けば、0と言うのがお答えになります」 「よくもまあ、俺の前で偉そうなことを言ってくれたな」  はあっと息を吐き出した千博は、アランの顔を見て「休め」と命令した。直接戦闘はしていなくても、抱えたプレッシャーは並ではなかったはずだ。 「いえ、私は報告書作成の任務が残っています。それよりも、教官の方が休まれたらいかがでしょうか? 一応、4体のアクアス異性体を倒した功労者でいらっしゃいます」 「一応……か?」  戦闘時間が僅か5分と考えれば、急いで休息をとる必要もないのだろう。だからアランも、「一応」と言う余計な言葉を付けたしたと言う事である。  思わず苦笑を浮かべた千博は、期待するようなヘルセアの顔を見て「やめておく」と答えた。 「なんか、休息が休息にならない気がするからな」  落胆したヘルセアを笑いながら、暇つぶしならと千博はペーパーバックを取り出しだ。 「私では、不足なのでしょうか?」  はっきりと不満を漏らしたヘルセアに、疲れるから嫌だと千博は答えた。  その頃北斗は、無事医療部へと運ばれていた。頭部打撲と言うのが、医療部へ運び込まれた理由である。その他にも怪我があると主張したのだが、軟膏でも塗っておけと放置されてしまった。そして当然のように、北斗の治療に姫乃が駆けつけていた。 「さすがは北斗、よく生き残れましたね」  そして姫乃は、治療を受ける北斗を見ながら上から目線でお褒めの言葉を口にした。 「いえ、少なくとも9時では死者は出ていませんから」  その意味で、9時のブレイブスは全員お褒めに与れることになる。思わず口元を歪めた北斗に、あらと姫乃は驚いた顔をした。 「せっかく誉めて差し上げたのに、北斗は何か不満があるのですか? しかもあなたは、最後には一人で敵と戦ったのでしょう? 新米の功績と考えれば、十分称賛されることだと思いますよ」  それができたのは、9時ではメイアただ一人なのである。十分と姫乃は言ったが、特出した功績をあげていたのだ。  ただ姫乃の言葉に、北斗ははっきりと苦笑を顔に出した。 「後から来た千博が、一人で全部倒していかなければですけどね……分かってはいましたが、あいつどこか異常だと思います。なにか、努力の方向が違っているのではと思えてきました」  はあっと大きく息を吐き出した北斗に、姫乃はお腹を押さえてころころと笑った。 「新堂君を基準にしてはいけませんよ。でも北斗、良い傾向になってきましたね」 「なにが、ですか?」  理解できないと首を傾げた北斗に、姫乃は今のことだと答えた。 「新堂君と張り合おうとしたことです。今までの北斗なら、ただ凄いで終わっていましたからね」  確かに、今までの自分なら「ただ凄い」と感心して終わっていただろう。それを認めはしたが、だからと言って思う所が無いとは言えなかった。 「あれを見せられると、さすがに凄いとばかりは言っていられませんよ。少しは近づけたと思ったのに、背中が見えないほど置き去りにされた気がしました」  それほどの差があったのだと主張した北斗に、姫乃は小さく首肯して見せた。 「そうですね。でも、あなたなら追いついてくると新堂君は考えているんですよ。だから、あなたの目標を設定してくれた。そう考えればいいのではありませんか?」 「目標が遠すぎて、気持ちが萎えてしまいそうな気もしますが……」  ちょうど患部を医者に触られ、「いてっ」と北斗は漏らした。 「ずいぶんと酷くやられたのですか?」  それを心配した姫乃に、いえと北斗は口元を歪めた。 「これ、千博にやられたんです。「何をてこずっている」って後ろからぽかりと……」 「新堂君らしいですね」  そう言って、姫乃はもう一度お腹を押さえて笑った。そして笑いの衝動が収まったところで、処置室の入り口をちらりと見た。 「戻ります」  そして唐突に、そう言って立ち上がってくれた。 「千博の所ですか?」 「今更何を言っているんですか?」  おほほと口元を押さえて笑った姫乃は、「頑張りなさい」と言い残して医療部の処置室を出て行った。頭の中には、すでに北斗のことは残っていない。そう思わせるほど、あっさりと姫乃は消えてくれた。 「嬉しそうだな……いや、いつものことか」  苦笑を浮かべた北斗は、「頑張れ、か」と姫乃の言葉を思い出していた。 「どれだけ頑張ったら、千博の背中が見えるんだろうか」 「そのためには、まずここから出ることから始めるんだな」  処置は終わったと宣告され、北斗は気まずげに立ち上がった。メイアとの稽古で馴染になったのだが、ぶっきらぼうな物言いは変わっていなかった。 「いつもありがとうございます」  とは言え、彼が北斗の生命線であるのは間違いない。大きく腰を折って頭を下げた北斗に、さっさと行けと追い立ててくれた。 「いや、すぐに行きますけど……」  どうして追い立てられなくてはいけないのだ。そんな不満を抱えながら、北斗は医療診察室のドアを開けた。そしてそこで、理由と言うものにぶち当たった。ドアを開けたら、隠れていたアーセル見つけたのだ。なるほどそう言うことかと、そそくさと出て行った姫乃の事情も理解することができた。  ここに来た以上、自分が目的であるのは疑いようはない。さすがに無視するのは可哀想だと、北斗はアーセルに近づいて行った。 「どなたか、お探しですか?」  北斗に声を掛けられ、アーセルは顔を赤らめ狼狽えてくれた。戦闘があったからと言って、候補生の生活に変化が出ることはない。姫乃と言う例外はあるが、アーセルには直接関係のない筈のことだった。その証拠に、アーセルは普段通り候補生の制服を着ていた。 「い、いえ、その……」  さっさと見限ったこともあり、さすがにばつが悪いと言う顔をしていた。それがおかしくて、思わず北斗は吹き出してしまった。 「な、なにか、私がおかしなことを言いましたか」  その態度が癪に障ったのか、顔を赤くしたままアーセルは詰め寄ってきた。 「いえ、あなたに気にしていただけたのだなと」 「ほ、北斗様は、お一人でアクアス異性体と戦われたと伺っています……ので」  見どころが無いと見捨てたのは、本当に最近のことだった。それを考えれば、人を見る目が無いと言われても仕方のないことだ。そして功績を上げた途端すり寄るのは、身勝手と言われても仕方のないことだろう。その気持ちが、物陰から顔を覗かせると言う行動に繋がったと言うことだ。  ああと首肯した北斗は、まだまだですよとアーセルに笑ってみせた。 「千博の奴は、一人で全部倒していきましたからね」  それに比べればと自嘲した北斗に、そんなことはありませんとアーセルは大声を出した。さらに前に進んだため、手を回せば抱き寄せられる距離になっていた。 「あの方は、少し異常だと思います。ええっと、それが言いたい訳ではなくてですね。北斗様が支えなければ、9時のオーラも壊滅していました。それに9時だけが、立派に務めを果たすことができたんです。北斗様の功績が大きいことは間違いありません!」  大声で自分の功績を主張してくれたアーセルに、ありがとうございますと北斗は一歩下がって頭を下げた。 「あなたの期待に応えるためにも、もっと僕は努力をしないといけませんね」  にっこりと笑った北斗に、アーセルはさらに顔を赤らめた。 「そ、その、少しお話をいたしませんか? 霧島様のことを、色々と教えていただきたくて」  少し俯き加減で、アーセルは北斗に右手を差し出した。だが北斗は、差し出された右手をとらなかった。 「僕は、まだ研修期間中ですからね。候補生でも、ヴァルキュリアに触れる訳にはいきませんよ」  だからですと微笑んだ北斗は、行きましょうかとアーセルを誘った。その言葉に顔を輝かせたアーセルは、「こちらです」と二人でいても問題の無いカフェへと北斗を誘った。全オーラ共通のカフェに行けば、自分達は周りから注目されるのが分かっていたのだ。  予想すらしていない壊滅的打撃に、クアドランテは重苦しい空気に包まれていた。出撃したブレイブスの約半数が食われたとなれば、それも当たり前のことだった。そしてその空気の中、ドーレドーレはミネアを見て問いかけの言葉を発した。 「ミネアに聞きたいのですが、なぜ勝手に撤退をさせたのですか? 他のオーラに影響するため、私が撤退の指示を出すルールになっていたはずです」  受けた打撃を考えれば、勝手な撤退は重大な背信行為となる。したがってルール違反を持ち出したドーレドーレなのだが、ミネアは少しも気にしたそぶりを見せなかった。 「撤退ではありません。任務を完了したので、撤収させただけです。すべてのアクアス異性体とプレダトレを排除したのですから、現場にとどまる意味はありません。任務完了による撤収は、通告を行えばいいと言うルールのはずです」  ルールを持ち出したドーレドーレに、ミネアも同様にルールを持ち出した。すべてを倒したと言うミネアの言葉に、他のヴァルキュリア達からは信じられないと言う声が漏れ出ていた。  だが事実を持ってルール違反でないと主張された以上、ルールを持ち出すわけには行かなくなる。だからドーレドーレは、身勝手ではないかと理論を展開させた。 「ですが、他の戦場はどこも苦戦をしていました。支援を考えないのは、身勝手ではありませんか?」 「弱小オーラに、何を期待されているのでしょうか……」  もっとも、この程度のことでミネアが困るようなことはない。それどころか、突っ込みどころが満載の追及でしかなかったのだ。撤収であることを認めさせた時点で、ドーレドーレの筋書きは破たんしていたのだ。  はあっと息を吐き出したミネアは、ドーレドーレに憐れんだような視線を向けた。 「言葉は正確に使う物です。苦戦ではなく、壊滅状態と言うべきではありませんか? その状態で、どこを支援すればいいのでしょう? 能力を超えた要求に対して、拒否できるのもクアドランテのルールのはずです。それに、みなさんも直後に撤退を始めたはずです。それを考えると、支援が無いと言うのは言いがかりとしか思えません」  正面から言い返したミネアに、ドーレドーレはそれ以上の追及を行わかなった。 「あなたの答えを認めます」  そう言って撤退の問題を取り下げたドーレドーレは、次にと戦闘に出たブレイブスの問題を取り上げた。 「なぜ、9時にテッラの兵士が居たのですか?」  こちらの方は、責任と言うより疑問の解消と言う意味を持っていた。そしてこの場合の問題は、自分に対して通告が無かったことだ。  もちろん、ミネアはドーレドーレが何を問題にしているかぐらい承知していた。そして承知した上で、肝心の問題から離れた答えを口にした。 「テッラの兵士が居たのは、エステリアから依頼を受けた結果です。テッラの体制を整えるために、アースガルズの見学が必要だと頼まれました。昨日から受け入れていたのですが、今回の戦闘に際して新堂様から出撃の依頼がありました。すべての責任はテッラでとるので、実戦経験を積ませて欲しいと言うことです。9時の戦力が手薄なこともあり、渡りに船と戦力提供を受け入れました。これが、ドーレドーレ様の、なぜに対するお答えになります」  それで答えとして十分なのだが、ミネアはドーレドーレを当てこするような言葉を口にした。 「ドーレドーレ様、新堂様は必要なことを考え手配されています。体制構築に必要だと、ちゃんと汗を流されていますよ。エステリアを送り出した責任もありますから、9時として可能な助力を与えたと言う事です。ですが結果的には、新堂様に助けていただくことになりました。おかげで、5体のアクアス異性体すべての撃破に成功しました。加えて申し上げるのなら、うち4体は新堂様が倒され、1体はテッラの兵士が倒しました」  そして他のヴァルキュリアも、同様に当てこすってくれたのだ。11のオーラを合わせて撃破数が0だと考えれば、9時の戦績は特筆すべきものになっていた。それを、支援したはずの地球の戦士が成し遂げたのだ。間違いなく、クアドランテの面目は丸つぶれになっていた。 「エステリアは、テッラと協力して体制を整えつつありますよ」  それからと、ミネアは千博の伝言を口にした。 「出撃前に新堂様は、クアドランテに手を貸すつもりはないと仰いました。一応理由をお尋ねしたのですが、ドーレドーレ様に聞いてくれとのことです。ドーレドーレ様、何か心当たりはございますでしょうか?」  本来優先すべきは、壊滅状態の体制を再構築することなのだ。それを後回しにして難癖を付けられたことに、ミネアはしっかりと切れていた。おかげで慇懃無礼な態度で、ドーレドーレに逆襲をしたと言う訳である。 「私には、心当たりはございません」  動揺を見せずに断言したドーレドーレに、なるほどと大きくミネアは首肯した。 「では、新堂様に抗議をしておきます。ドーレドーレ様には、心当たりがありませんでしたと。ただ、強制できませんので、支援については問題にしないことにします」  そう言い放ったミネアは、さらに逆襲を続けた。 「それで、今回の不始末について、ドーレドーレ様はどのように責任をとられるのですか?」 「今は、責任を問うよりも態勢の立て直しを考える時だと思います」  正論を振りかざしたドーレドーレだったが、それこそミネアの狙い通りだった。 「でしたら、なぜ最初にその話をされなかったのですか? 私は、責任追及を優先したのだと思いましたよ」 「私は、9時の責任を問うたつもりはありません。必要な確認を行い、そして誤解の元を取り除いた。ただ、それだけのことです」  すぐに言い返したドーレドーレに、ミネアは負けずに反論した。 「でしたら、私も同じ主張をさせていただきます。態勢の立て直しを議論するリーダーに、ドーレドーレ様は相応しくありません。それが、先ほどの責任と言う指摘になる訳です。それから、もう一つ新堂様からドーレドーレ様に伝言があります。「愚かな真似をした者は、相応の報いを受けることになる」のだそうです。ドーレドーレ様なら、この伝言の意味を理解できるのではありませんか?」  そう言うことですと言って、ミネアは立ち上がった。 「ドーレドーレ様の責任問題が明確になるまで、私はクアドランテに出席いたしません。幸いなことに、私のオーラは立て直しの必要がありませんからね」  それではと言い残し、ミネアはさっさと議場を出て行った。当たり前だが、残された11人の間に言葉は無い。ただ重苦しい沈黙だけが、クアドランテの議場を包んでいたのである。  オーラに戻ってきたミネアは、千博の顔を見るなり「スッキリした」と言ってくれた。そしてなにと聞く前に、抱きついてその胸に顔を埋めてくれた。 「おいおい、ヴァルキュリアがカヴァリエーレでもないものに抱きついちゃ駄目だろう」  苦笑交じりの千博に、「何を今更」とミネアは言い返した。 「散々私を弄んだくせに」 「人聞きの悪い事を言うな。誘惑してきたのはそっちの方だろう。それに、その時は副カヴァリエーレだったはずだ」  しっかりと苦笑を浮かべた千博は、どうだったんだとクアドランテでの首尾を確認した。 「ええ、上げた足をしっかり取ってきました。今頃ドーレドーレの進退問題になっているでしょうね。最近あの子も鼻持ちならなくなってきましたから、いい薬になったのではありませんか」 「怖いな。女同士の確執か」  怖い怖いとわざとらしく身を震わせてから、千博はとりあえずミネアのおでこにキスをした。 「まあ、ご褒美のようなものだな」 「子供ではないのですから、それはご褒美とは言いませんよ」  だからと言って、ミネアは千博の首に手を回してしっかりと口づけをしてきた。 「せめて、この程度はしていただかないと」 「繰り返すが、俺はカヴァリエーレじゃないんだがな。お前達の掟はどうなっているんだ?」  呆れた千博に、何を今更とミネアは繰り返した。 「散々私を弄んだ人に言われたくない言葉ですね」  そう言って笑ったミネアは、軽やかな足取りで千博から離れた。 「そんなことより、これからのことを話しませんか?」 「ああ、確かにこれからのことを話す必要があるな」  小さく首肯して、千博は近くにあった椅子に腰を下ろした。そして反対側に腰を下ろしたミネアに、エステリアのことを持ちだした。 「知っていると思うが、俺はあいつを抱いたぞ」 「ええ、エステリアから報告がありました。ついに千博を夢中にさせたと、それはもう自慢気に報告してきましたよ」  ふふふと口元を手で隠して笑ったミネアは、「良かったのですか」と尋ねてきた。 「その点については、俺の勝ちだと思っているんだが。まあ、あいつに惚れたのは確かだな」  だからだと、千博は少し身を乗り出した。 「俺は、あいつを他の誰にも渡すつもりはない」  だからこそ、協力するにしても立場が問題となってくる。その認識は、ミネアとも共通したものだった。 「それだけだったら、9時のカヴァリエーレになっていただけば解決しますね。13時に派遣された中に、男性の副カヴァリエーレは居ません。ですから、13時でエステリアの貞操が問題となることはないでしょう。今後新たにブレイブスが派遣されたとしても、多分問題とはならないでしょうね。何しろ、全オーラを探しても、あなたに喧嘩を売れる男のブレイブスは限られています。しかも直接迎撃をしないという方針は、今回の戦闘で否定されてしまいました。そうなると、あなたの力は無視できないものになります」  ミネアの言葉通りならば、千博は9時のカヴァリエーレになれば良かったのだ。今回の実績を含め、9時のオーラで反対する者は居ないはずだ。それどころか、なぜカヴァリエーレに任命しないのだと、身内のブレイブス達から突き上げを食らいそうな勢いだった。ただその場合、千博が地球に派遣されると言う話にはならないだろう。その意味で、問題自体は解消されないことになる。そして千博には、エステリア以外にも面倒を見なくてはいけないことがあった。 「確かに、9時のカヴァリエーレになればほとんど解決するんだが……テッラのことを放置する訳にはいかないからな。それをあの女、駆け引きのつもりかもしれないが、つまらない真似をしやがって」  そこで千博の口元が歪んだのは、目の前の結果のせいなのだろうか。「怖い人ですね」とミネアが言うのも無理も無いことだった。 「9万人を超える民間人と、200余名のブレイブスが犠牲になりました。そのブレイブスの中には、4人のカヴァリエーレも含まれているんですよ」  それが駆け引きの結果だとすれば、犠牲になった者は浮かばれない。だが千博は、お互い様だとミネアに言い返した。 「そっちの言うテッラでは、すでに100万人以上が死んでいるんだ。お前達なら、全部とは言わなくてもかなりを救えたはずだろう。それを見捨てた時点で、どっこいどっこいと言う事だ。それからブレイブスの犠牲だが……それもお前達の責任だろう。一つのオーラ辺り5人の受け持ちだと考えたら、大した数じゃないはずだ。その程度の敵に対処もできないくせに、偉そうな顔をするなと言っていい立場だと思うがな」  少し手を貸しただけで、9時のオーラは犠牲を出さずに乗り切ってみせたのだ。それを考えれば、千博の主張も間違っては居ないのだろう。ただ手を貸して貰った方としては、どうしても苦笑が浮かんでしまう物言いだった。 「耳に痛いお話ですね。9時だけなら、間違いなく全滅していましたよ」  千博の支援が無ければ、最初に押しつぶされていたのは間違いなく9時のはずだった。 「誤解されているようだが、俺は女に優しいんだよ」  ふっと口元を歪めた千博に、「女にだけですか」とミネアは聞き返した。 「霧島様にも、随分とお優しくされていると思いますが?」  そんなミネアの指摘に、ああと千博は頭を掻いた。 「まあ、あいつは小さな頃から一緒に居たからな。さすがに、幼馴染を見捨てる訳にはいかないだろう。ところでどうだ、随分とましになったとは思わないか?」  倒すことは出来なかったが、アクアス異性体と1対1の戦いを繰り広げてくれたのだ。北斗が支えたことも、9時が総崩れにならなかった一因になっていた。 「ましどころか、すぐに副カヴァリエーレに任命してもいいぐらいです。初陣のブレイブスが、アクアス異性体と1対1で渡り合った。過去の例を見るまでもなく、とても大きな功績なのですよ。ただ相変わらずメイアには勝てませんが……もしかして、メイアも強くなっていませんか?」  だとしたら、北斗が勝てないのも無理もないのだ。それを指摘したミネアに、多分とその考えを肯定した。 「恐らく、前任の指導が良くなかったんだな」  千博の指摘は、ミネアにはとても納得のできる物だった。 「ユーストス様は、直接の戦闘はからっきしでしたから」  はあっと息を吐き出したミネアに、自分も似たようなものだと千博は笑った。 「俺は、グラニーだったか、手を触れたこともないからな。そちらの基準で言えば、役立たずと言う事になるだろう」 「どちらが貴重かといえば……今は、生身の戦闘の方ですね。ただユーストス様のおかげで、ヴァナガルズを押しこむことが出来たのも事実です。私が筆頭を務められたのも、ユーストス様のお陰ですからね」  もう一度息を吐き出したミネアは、どうしますかと千博の意向を尋ねた。 「霧島様ですけど、副カヴァリエーレに任命いたしますか?」 「それは、9時の筆頭ヴァルキュリアが決めることだろう? どうするかは、メイアあたりに相談してみればいいんじゃないのか? あとは、まあ、本人の意思次第じゃないのか?」  手順としては、メイアに確認するのが理に適っている。そして北斗が地球人だと考えれば、本人の意思と言うのも間違っていない。そうすればいいと言う千博に、ミネアは小さく首肯した。 「では、メイアに確認をしてみます。そしてその上で、霧島様の希望を伺うことにいたしましょう」  少しホッとしたような顔をしたミネアに、千博は少し意地悪な質問をした。 「それで、お前はあいつと寝るのか?」  男を副カヴァリエーレに任命すると言うのは、男女の関係を築くと言う意味も含まれてくる。9時に他の男性副カヴァリエーレが居ない以上、北斗が望めばミネアも体を許さなくてはならなくなる。 「新堂様は、そう言う意地悪を仰るのですね」  そう言って拗ねたミネアに、それがシステムだろうと千博は言い返した。 「俺は、事あるごとにしきたりの話を持ちだされたからな」 「確かに、それが私達のしきたりであることは認めます」  はっとため息を吐いたミネアは、千博の気持ちが分かったと口にした。 「だから、あなたはエステリアだけのカヴァリエーレになろうとしたのですね?」 「ああ、あいつが他の奴に抱かれるのは許せないからな。言っただろう、俺はあいつに惚れたんだよ」  そう嘯いた千博に、ミネアは疑念のこもった眼差しを向けた。 「その惚れたと言うお言葉。どうも、軽く感じられてしまうんですけど? シエル様にも同じことをいいそうな気がします……」  どうですかと見られた千博は、気まずげに視線を逸らした。どうやら、図星を突かれたようだ。 「やはり新堂様は、生まれる世界を間違われたと思います」  ふうっと息を吐き出したミネアは、「いいですけど」とそれ以上の追求をしてこなかった。9時からは犠牲が出なかったとはいえ、今回の出来事はヴァルキュリアシステムを揺るがす一大事なのだ。それを考えれば、全体のことを考える必要があった。 「今回の問題、どこに落とし所があるのでしょうね」  その意味で、落としどころと言うのか、これから先の落着点は大きな問題となるものだった。 「俺は、9時の副カヴァリエーレに任命して貰って、そこから13時に派遣して貰えばいいのだがな」  ドーレドーレに言ったことを繰り返した千博に、ミネアはため息混じりに問題点を指摘した。 「これだけ大きな被害が出てしまうと、そんな簡単な話ではなくなります。立て直しのため、13時に派遣したブレイブスを呼び戻すと言う話も出てもおかしくありません。もっとも、それだけでは焼け石に水ですから、根本的対策を取らないといけないでしょう。もう一度同様の襲撃があれば、ヴァルキュリアシステムは壊滅することになりますよ」  それほどの危機だと口にしたミネアに、「だったら大丈夫だ」と千博は答えた。 「奴らは、ヴァルキュリアシステムの崩壊を望んでいないはずだ」 「そうなのかも知れませんが……」  ヴァルキュリアシステムの成立した経緯を考えれば、千博の指摘はいいところを突いているのだろう。だが今回の襲撃を考えると、安心していられないのも確かだった。ここで壊滅させておいて、新しい組織を作ると言う考えもあり得たのだ。  それを気にしたミネアに、千博は別の意味での保証を口にした。 「それに、あの程度の攻撃なら対処の方法はあるからな。まあ、住民に多少の犠牲が出ることに目をつぶれば、返り討ちにもできるし、犠牲者を少なく抑えることもできるだろう」 「でしたら、是非ともその方法をご教授願いたいですね」  このままだと、本当にシステムが崩壊してしまう可能性がある。そうなると、被害のなかった9時まで吹き飛ばされる可能性があったのだ。そうでなくとも、周りの9時への反発が強くなってくれるだろう。ドーレドーレに喧嘩を売れても、すべてのオーラに喧嘩を売る訳にはいかなかった。 「その方法を教えるかどうかは、すべてお前達の態度次第なのだがな? 少なくとも、俺はドーレドーレに腹を立てている。それに、助力は不要とも言われているからな。まあ、体で償うっていうのなら……冗談だ。本気にするな」  急に怖い顔をしたミネアに、千博は慌てて冗談だと誤魔化した。 「少しも冗談になっていない気もしますし……それでは、彼女が得をしてしまう気がします。謝罪と言う意味では、あまり適当な方法とは思えません。むしろ、シエル様を差し出す方が謝罪になるのではありませんか?」  ミネアの指摘に、なるほどと千博は膝を打った。確かにシエルを差し出してくれれば、自分に対して誠意を見せたことになるのだ。 「うん、それはいい考えだな」 「なにか、浮かれているエステリアが可哀想になりました」  小さくため息を吐いたミネアは、サポートAIレーシーにクアドランテの様子を探らせた。結論が当分出ないようなら、すぐにでも自分の欲求を満たそうと考えたのである。 「はいミネア様。予想通り、ドーレドーレ様の責任問題になっています。ただ、どう責任を取らせるべきか……未だ0時がオーラとして最強なこともあり、意見が纏まっていないようです。ただ単にやめさせるだけだと、後継に問題が出ることになります。流石にミネア様の再登場は無いと思いますし、エステリア様を連れ戻す訳にはいかないでしょう」  レーシーの報告に、ミネアは小さく首肯した。 「13時は、あくまで暫定のオーラですからね。その筆頭を、クアドランテ筆頭にする訳にはいかないでしょう。それに、まだ9時の筆頭を渡すわけにはいきませんからね」  筆頭を続ける気満々のミネアに、「おい」と千博はツッコミの言葉をかけた。 「早く、エステリアに筆頭を譲って引退したいと言っていなかったか?」  何度も聞かされ、そう言って泣かれたこともあったはずだ。それなのに、いけしゃあしゃあと続けると口にしてくれたのだ。千博でなくとも、突っ込みの言葉を言いたくなると言うものだ。 「おかげさまで、すっかり元気になりましたからね。だから、引退はもう少し先でもいいかなと思えるようになりました。それとも、新堂様は今すぐ私に子供を授けて下さいますか? そうなったら、私はエステリアに後を任せて引退することになりますよ」  無理だろうと見透かされ、千博ははっきりと苦笑を浮かべていた。姫乃との関係を知っていれば、千博の弱みも理解できるのだ。  千博から一本とったミネアは、機嫌良さそうに手を叩いてみせた。 「新堂様の希望を叶えるには、それも一つの方法ですね。エステリアは9時に戻りますから、そのままカヴァリエーレになれば丸く収まります」  これからいかがですと微笑まれ、千博は口元を歪めたまま「いや」とだけ答えた。このままだと、ベッドに連れ込まれそうな気がしていたのだ。それも悪くはないのだが、色々な問題を置き去りにする訳にもいかなかった。 「これから人目につきやすい所に行こうと思っている。共通棟に、共用のカフェが有ったよな」  そこでお茶でも飲むと言う千博に、ミネアは大きなため息を吐いた。 「やはり、新堂様は女性に優しいのですね」 「そう教えたはずだがな」  だからと言って立ち上がった千博は、ミネアに案内をして欲しいとお願いをしたのだった。  人目につきやすい場所と言うリクエストに、ミネアは中央棟の50階にあるカフェへと千博を案内した。ただ分かっていたことだが、普段は賑やかなカフェが、今日に限っては人影が少なくなっていた。当たり前だが、惨敗の後にのんびりとお茶を飲んでいられる状況ではなかったのだ。そのせいで、閑散としたフロアは見渡せば誰が居るのか簡単に確認できるぐらいだった。 「当たり前ですが、他のオーラの者は見当たりませんね」 「居るのは、行政府の奴らばかりってことか?」  ミネアに言われて、千博は首を巡らせて辺りを確認した。確かに、事務系の制服を着た者の姿が目立っていたのだ。そしてその理由は、今更考えるまでもないことだった。 「いきなり屋台骨にがたが来たってことだな」 「もう少し、手加減をして欲しかったですね」  はあっと息を吐き出したミネアは、あそこと言って窓際の眺めのいい場所を指定した。 「ここは、候補生時代によく座っていた席なんです」  ミネアの説明に、なるほどと千博は窓の外へと視線を向けた。視線を高くしたことで、周りを森に囲まれているのがよく見えたのだ。そして確認した範囲で、周りに湖も存在していなかった。 「徹底的に、水から離れているんだな?」 「アクアス異性体の脅威を排除するためです。もちろん、彼らは組紐を使うことも出来ます。ただその場合、出現を察知することが出来ますからね。ですが、水を使われると察知が出来ません。だから、リスクの高い水辺から離れているのです」  ミネアの説明を聞く限り、地球における仮設本部の位置は、安全面では問題があることになる。なるほどと、エステリアがテキサスの内陸部を選んだ理由が分かった気がした。 「ところで新堂様は、具体的に何をなさったのですか? チタニアに指示を出したとは聞かされましたが、何をと言うところまでは教えていただいていません」  今回の襲撃に、裏で千博が糸を引いていたところまでは聞かされていた。ただ、どこまでしたのかまでは知らなかったのだ。そんなミネアに、大したことはしていないと千博は笑った。 「アースガルズを襲うんだったら、ベスティアなんか使わない方が面白いと言ってやっただけだ。後は、戦力を小分けにして分散してやれば、間違いなくガチの直接戦闘をしてくれるだろうとな。やるんだったらそうしろと、チタニアに伝言しただけだ。そこから先は、あいつらが知恵を絞ったのだろう。あのタイミングで襲ってきたのは、単なる偶然と言うことになるな」 「その程度の助言で、私達は大きな打撃を負ったと言う事ですか。こうしてみると、いいようにヴァナガルズにされていますね。しかも偶然……ですか。私のオーラとしては、運が良かったと言うことですね」  千博もテッラの戦力もいない時ならば、間違いなく9時も大打撃を負っていたはずだ。それを考えれば、ミネアの言う通り運が良かったことになる。 「まあ、俺としても都合は良かったな。おかげで、あいつらに実践訓練をすることが出来た。あいつらのスキルが上がれば、人員の増強も可能になってくれる」 「それが実現したら、是非ともアースガルズに派遣していただきたい所です」  そうすれば、大量に失ったブレイブスの補充が可能となるのだ。しかも、肉弾戦に長けているとなれば、アクアス異性体との戦いも変わってくる。アースガルズにと言ったが、是非とも9時にと言いたかった。 「そうしてやりたいのは山々なんだが……実のところ、地球の方も人手が足りていないんだ。絶対数だけで言えば、アースガルズの方が遥かに人員が多いんだよ。それに俺が手を貸すことは、必要ないとあの女が否定してくれたしな」  すべてのオーラを合わせれば、まだ300名ほどの人員が在籍していたのだ。訓練中の予備役まで含めれば、さらに200ほど積み上がってくれる。わずか24名しか居ない地球と比べれば、千博の言うとおり人材は潤沢なはずだった。  ただ数の面ではアースガルズの方が多いのだが、質の面では微妙になるところもあった。9対1と言う圧倒的有利の立場で戦ったとは言え、地球の戦士はアクアス異性体と五角以上の戦いをしてくれたのだ。9時のブレイブスが敵を倒せなかったことを考えれば、人材の面でも優っているとは言い難かった。  しかも筆頭自ら助力を否定したのだから、千博が手を貸す理由が無かった。 「やはり、霧島様には9時の副カヴァリエーレになって頂く必要がありそうですね」  もともとの約束は、6ヶ月の研修と言うことになっていたのだ。つまり、一定期間がすぎれば地球に帰ることになる。約束通り訓練を履行すると、北斗はあと5か月しかアースガルズに留まらない。 「その辺りは、本人と話をしてみることだな。たぶん、心を動かされることになるんじゃないのか?」  そう言って笑った千博は、見てみろと別の一角を指差した。 「あれは霧島様とアーセルですか?」  自分達とかなり離れた所に、見慣れた候補生の制服を見つけることが出来た。 「たしかアーセルは、霧島様を見限ったはずでしたね」  嘆かわしいと嘆くミネアに、千博は苦笑を浮かべてアーセルの行動を肯定した。 「別にいいんじゃねえのか。北斗のやつも、特に気にしていないようだしな。それに、一頃の北斗は見捨てられても仕方がない体たらくだっただろう」 「ですが、姫乃の対応と比べると見劣りしてしまうのです……やはり、制度がマンネリ化してきているのでしょうか? どうも、候補生達に覚悟が足りていない気がします」  もう一度嘆かわしいと嘆いたミネアに、「だからかな」と千博は小さく呟いたのだった。 「だからと言うのは?」 「奴らが地球に手を出してきたことだ。奴らにとって、お前達との戦いに刺激が無くなったんじゃないのか。チタニアの言葉が正しければ、セラ……の保有量は数万年レベルに達しているらしい。だとしたら、大量のセラを集めることに意味はないことになる」  千博の説明に、ミネアは今までで一番大きなため息を吐いた。何気なく千博が口にしたことには、非常に大きな意味が含まれていたのだ。 「どうして、私達も知らないことをご存知なのですか。チタニアと言うアクアス異性体も、ペラペラと内情を話し過ぎだと思います」  ただ内情を知ることは、自分達にとっても有益なことに違いない。それを認めたミネアだが、情報を得る方法が気に入らなかっただけだ。全くと少し憤慨してから、ミネアはぐるりとカフェを見渡した。 「ドーレドーレは、来そうにありませんね?」  見ている範囲で、オーラの者がお茶を飲みに来ていないのだ。今の状況を考えると、筆頭がここに顔を出せるとも思えなかった。千博が居ることは伝わっているのだろうが、優先すべきことではないと考えたのだろう。 「俺の話どころじゃないってことだな。自分達だけでなんとかできると考えているのか、さもなければまだ右往左往しているだけか」  そう言って口元を歪めた千博に、「後者でしょうね」とミネアは即答した。 「自分達だけでどうにかなるほど、今回の問題は簡単ではありませんよ。議会に諮って、宇宙から人材を連れてくることも考えないといけません。これは、ヴァルキュリアシステム始まって以来のことなんですよ」  だからドーレドーレは来ないとミネアは断言した。問題の大きさに比べて、千博への謝罪は優先度が大きく下がるのだ。しかもドーレドーレは、千博に打開の方法があることを知らなかった。 「それに、これだけ惨敗すると、議会への報告も必要となりますからね。今頃、体がもう一つあればと考えているのではありませんか」  「いい気味」と言って笑ったところを見ると、実は仲が良くなかったと言うことになる。女は分からないと、つい千博は口元を歪めてしまった。  ただ、それに拘ってもろくなことがないのは確かだ。だったら、もっと有意義なことに時間を使った方がいいだろう。だから千博は、行くぞとミネアに声を掛けた。 「私の部屋にですか?」  素直に欲望を口にしたミネアに、千博は「違う」と首を横に振った。 「いや、北斗達をからかいに行くんだ。ああ初々しい奴らを見ると、ついからかってやりたくなるんだ」  そう言って笑った千博を、「悪趣味ですね」と言ってミネアは笑った。 「だがな、高校に居た時の北斗は、結構手広くやっていたんだぞ。人の女に手を出すから、結構仕返しをされていたんだ。その仕返しに、どう言う訳か俺も巻き込まれたぐらいだ。それを考えると、今は随分まじめにやっていると言うのが正直な気持ちだな」  自分の知らない北斗の素行に、ミネアは素直に驚いていた。 「霧島様が手広くされていたとは……今からでは想像がつきませんね」  千博は同感だと首肯した。 「だから、結構いい組み合わせだと思えるんだよ。それに、守りたい女ができれば、もっとあいつも強くなるだろう。まあエステリアに比べたら、アーセルなんざ可愛いものだろう」 「新堂様に比べたら、霧島様も可愛いものだと思いますよ」  どっこいどっこいだと笑ったミネアに、心外だなと千博は文句を言った。 「俺は、学校では品行方正にしていたんだよ。ただ、あいつに巻き込まれて喧嘩ぐらいはしたがな」 「ですが、結構女性に慣れてらっしゃいましたよね?」  話が違いますねと笑ったミネアに、「学校では」と千博は繰り返した。 「大学生とかOLと遊んでいたからな」 「そう言えば、新堂様は年上好みでしたね」  忘れていましたと手を叩いたミネアは、「年上はどうですか」と自分を指差した。その誘いを、千博はきっぱりと無視をした。 「だから、北斗をからかいに行こうと思っているんだ。どうする、ミネアも付いてくるか?」  その誘いに、ミネアははっきりと首を横に振った。 「私が居たら、間違いなくアーセルが萎縮します。ですから、行くのでしたら新堂様お一人の方がいいと思います。私は、そうですね、部屋で新堂様をお待ちするのはどうでしょう?」 「どうって言われてもな……この後の予定が立っていないんだ。それに、地球から連れてきた奴らとも話をしないといけないしな。今日の戦いの総括に、9時のブレイブスと交流会を開く必要もある。こう見えても、結構やることが沢山有るんだ」  千博の立場を考えれば、一つも間違ったことは言っていないのだろう。教官として生徒たちに指導をする必要もあるし、9時のブレイブスとの交流も必要なことだった。特に地球の兵士に助けられたこともあり、交流会を開くのは9時としても必要なことに違いなかった。  千博の答えに、「確かにそうです」とミネアはため息を吐いた。ヴァルキュリアとしてなら、色事を優先するのは責められることではない。普段の戦いで有れば、それを持って不見識と言われることは無い筈なのだ。だが今回の戦いを考えた場合、ヴァルキュリアの事情より優先するものがあっただけだ。 「そうですね、新堂様の仰る通りかと思います」  小さく息を吐き出したミネアは、ヴァルキュリアとしての職務に戻ることにした。 「総括の話、私が手配いたします」  立ち上がって頭を下げたミネアに、「任せる」と千博は対応を一任した。そして自分も、コーラに似た飲み物の入ったコップを持って立ち上がった。 「俺は、適当に遊んでからそっちに戻る。さっきの副カヴァリエーレの話、北斗の奴に聞いておいた方が良いか?」 「アーセルが、積極的になりそうですね」  面白いですと笑ったミネアは、「お任せします」と頭を下げた。 「霧島さんはテッラの方ですから、色々と条件を考えないといけないのでしょうね」  地球に家族を残してきているのだから、アースガルズに来たきりと言うのは許されないだろう。家族を呼び寄せる、もしくは家族の渡航を許可する等、個人的な便宜を考える必要があるはずなのだ。ただ地球から人を連れて来るのは、色々とハードルが高いのは確かだった。定住となれば、なおさらハードルが高くなる。 「やはり、味方を作っておく必要がありますね」  そのためには、他のオーラに便宜を図っておく必要がある。何をすべきかと考えたミネアは、面白いことを思いついたと邪悪に口元を歪めた。 「9時の立場を明確にする必要がありますね」  退いたとは言え、元クアドランテ筆頭は伊達ではない。ドーレドーレに揺さぶりを掛ける方法など、山ほど考え付いていたのだ。そのためには、時間を無駄にはしていられない。お任せくださいと言い残し、そそくさとミネアはカフェを出て行った。  ミネアがカフェを出た1時間後、千博は100を超えるブレイブス達を前にしていた。そのブレイブスの内、30名が9時に所属する者達である。ただ18名が入院したこともあり、9時の構成人数的にはかなりさびしい物になっていた。その上正確には9時に属さない、アランをはじめとする、地球から連れて来た24名もその中には含まれていた。北斗まで含めると、地球は一大勢力と言うことになる。  一方ミネアが陰で動いたこともあり、0時を除く他のオーラからもブレイブスが参加していた。各オーラから顔を出していたのは、平均して5名ほどぐらいだろう。その結果、部外者の方が多いと言う集まりになったのである。  参加者の構成を見た千博は、なるほどねとミネアの考えを理解した。0時を排除することで、9時の意志を示すのと同時に、味方を増やそうと言うのである。それならば、対応も考えなくてはいけないのだろうと。 「今日の振り返りをしようと思ったのだが……」  第一声を発した千博は、「予定を変える」と全員に宣言した。 「もちろん、今日の振り返りも行うがな。その前に、今日の戦術の意味から説明することにする。もちろん、質問は随時受け付けるので遠慮はいらない。と言うか、質問が無いのはあり得ないと俺は思っている」  質問の下りの際には、千博は部外者となる他のオーラのブレイブスの方を見ていた。一人の例外もなく、彼らは真剣な眼差しを千博に向けていた。最弱と言われる9時が、最大の戦績を上げたのだ。売出し中の千博が居るとはいえ、彼らの常識からは外れていた。ならばその秘密を探る必要があるはずだった。 「最初に、俺の立場を明確にしておこう。こうして9時を手伝っているが、俺は9時に属していない。お前たちの言う、テッラの一般人と言うのが公式の立場だ。そして非公式な立場として、地球で発足したサンダーバード・プロジェクトの教官をしている。もう一つ付け加えるのなら、13時の筆頭エステリアの守護者だ。従って、これ以降の説明は、その立場から行われるものだと思って聞いて欲しい。はい、そこ」  早速上げられた手に、千博は一人の女性を指名した。茶色の短い髪の一部を伸ばし、三つ編みにして後ろに垂らしているのは、間違いなくおしゃれからだろう。ただ立ち上がった姿に、小さいのだなと言うのが千博の感想だった。そしてその女性の自己紹介に、年齢不詳だと心の中でこぼすことになった。 「1時のカヴァリエーレ、サークラよ」  記憶に間違いがなければ、1時のカヴァリエーレは自分より3つは年上のはずだ。それなのに、見た目は妹と同じぐらいにしか見えなかった。そんな千博の思いに関係なく、最初に自己紹介したサークラはその立場に疑問を呈した。 「確かキミは、9時の副カヴァリエーレに任命されたのではなかったのかな? それなのに、どうして9時に属していないと言う話になるんだろう」  その問いに、ああと千博は大きく首肯した。確かに、以前そんな立場を受け入れたことがあったのだ。 「あれは、ミネアに対して妥協してやっただけのことだ。任命権は与えたが、拒否権およびやめる権利も貰っている。そして正当な権利を行使して、9時の副カヴァリエーレの立場を返上しただけだ」  それでいいのかとの確認に、サークラは小さく首肯した。 「もう一つ重ねて聞くけど、なぜここにシエルが居ないのかな? 一頃噂になったことを考えると、君がシエルを無視するとは思えないのだけどね?」  その点はとの問いに、千博ははっきりと苦笑を浮かべた。 「もともと俺は、内輪だけで振り返りをするつもりだったんだ。他のオーラを呼んだのは、ミネアが自分の考えでやったことだ。だから0時が居ない理由は、ミネアに聞いてくれと言うのが俺の答えなのだが……それでは、不親切な答えなのだろうな」  そう言って笑った千博は、「ペナルティだろう」と自分の考えを口にした。 「俺の立場にも関わる話だが、俺は9時の副カヴァリエーレになってもいいと思っていた。ただそこには、13時に派遣すると言う条件が付いている。最初に説明したと思うが、俺はエステリアの守護者だからな。アースガルズに居ては、その役目を全うすることができないだろう。加えて言うのなら、そこにいる地球の奴らの教官役もしている。俺が地球人だと考えれば、どちらを優先するかは自明の理のはずだ。だから妥協点が、カヴァリエーレではなく副カヴァリエーレとなることだった。そして人員入れ替えをして、地球に派遣して貰えばいいと思っていた。ただ人員入れ替えについては、9時の判断だけでは実行できないだろう。だからクアドランテ筆頭様に相談に行ったのだが……人の足元を見てくれたのか、認められないと言ってくれたよ。従って、俺はクアドランテ筆頭様に協力などする気はない。それにあちらからも、協力はいらないと言われているしな。エステリアのために9時には協力するが、それ以外についてはミネアが考えるだろう。そしてミネアは、0時を呼ばないと判断した。それがここにシエルが居ないと考えた理由なのだが、理解して貰えたか?」  そう言って見られたサークラは、千博に向かって少し肩をすくめて見せた。 「ありがとう。とりあえず事情は理解したよ」  サークラが座ったのを確認して、千博は説明を先に進めた。 「なぜここに地球の奴らが居るのかと言う所から始めるが。これは、俺が13時の筆頭に依頼したのが理由になっている。地球では、アクアス異性体との戦いがメインになるのが予想されていた。だからアースガルズに連れてきて、9時のブレイブスとの交流を企画した。アクアス異性体との戦いについては、こちらにノウハウがあるはずと言うのがその理由だ。もちろん研修なのだから、直接戦闘をすることは予定していなかった。ただ、たまたま機会が訪れたので、9時の筆頭にお願いをして出撃させてもらった訳だ。おかげで、ここにいる24名は貴重な経験をすることができたことになる。そして今回の戦いで、アクアス異性体とプレダトレによる襲撃に対抗する目途が付いたことになる。実際にはまだまだ未熟なところばかりだが、1体を倒し、1体を牽制し続けたことを考えれば、十分な成果と言えるだろう」  地球への支援と言う観点からすれば、千博の言葉におかしなことは含まれていない。そして各オーラも、地球に身内を派遣していたのだ。その観点からしても、地球の兵士が力を付けるのは好ましいことだった。そのせいもあり、誰からも異論・疑問は挟まれなかった。 「前置きが長くなったな。では、9時がとった今日の作戦の考え方を示すことにする。まず大原則からだが、可能な限り大勢の住民を守ると言う事だ。たぶん、この考えは他のオーラも同じだと思う。したがって、違いはその実現方法だけに絞られるだろう。他に地球の兵士を加えたことによる制限として、彼らに命を賭けさせないと言う物もある。彼らにとっては、この戦いはあくまで実戦経験を積むものであって、それ以上のリスクを冒させる訳にはいかないからだ。もちろん、現場の判断を否定するつもりはないし、勝手に死ねと言うつもりもない。加えて言うのなら、弱小の9時を見捨てるつもりもなかった。だから、適当なところで助け船を入れることも予定していた」  そう言ってから、千博は会場となった会議室をぐるりと見渡した。 「その大前提の元に俺が考えた作戦は、アクアス異性体排除を優先すると言う物だ。5体の敵がいたため、そこでチームを5つに分けてアクアス異性体排除を行わせた。そしてアクアス異性体排除に成功したチームから、プレダトレ排除に掛かることにした。やったこととしては、ただそれだけのことだ。はい、そこ」  何人か手が上がったのだが、千博はその中で特に目立つ女性を指名した。赤い髪を頭の上で結んだ、美人だが変わり者と言うのがその女性に対する千博の印象だった。 「結果を見れば、その判断が正しかったのだろうけど。どうして、プレダトレ排除に人を当てない判断をしたのかしら? ああ、自己紹介がまだだったわね。6時のカヴァリエーレ、カノンよ」  他のオーラは、プレダトレ排除に相当数のブレイブスを当てていたのだ。そして千博は、大勢の住民を守ると宣言したのである。それを考えれば、千博の判断に疑問を感じるのはおかしなことではなかった。 「理由としては簡単だな。アクアス異性体を排除しない限り、すべての住民が食われるからだ。その意味は、9時以外の結果を見ればわかるだろう。だから、住民を守ることへの障害となる、アクアス異性体排除を優先した。他に理由をあげるとしたら、9時が弱小と言うのもあるだろうな。人手を割けるのなら、グラニーの1機でも持ち込んでいたからな。そうすれば、多少の犠牲は出てもプレダトレをまとめて吹き飛ばせる」  結果だけを見れば、千博の考えは正当化されるのだろう。現実に、9時の受け持った地域の犠牲が極端に少なかったのだ。ただ、そのままそれを受け入れられるかと言うのは全く別の話だった。 「あーっ、物凄く乱暴な方法だと思うのだけど。もしかして、君って住民に被害が出ることを認めてない?」  頭を掻いて質問したカノンに、千博はニコリともせずに「それが?」と聞き返した。 「それがって言われてもねぇ。私達は、住民に被害を出さないことを目的として戦っている訳だし」  同意を求めるように仲間達を見たカノンに、「はあっ」と呆れたように千博は吐き出した。 「言いたいことは分かるし、その意思は尊重したいとは思うがな。だが、できないことを無理にしようとするから、今日みたいなことになるんだぞ。プレダトレを優先したために、アクアス異性体に当てる戦力が不足したはずだ。そしてその結果、アクアス異性体の蹂躙を許すことになったんだ。まともに戦って勝てないから、直接迎撃を棚上げにしたんじゃなかったのか?」  できないことの決めつけに、カノンは反論することはできなかった。千博に指摘された通り、自分達は直接迎撃から避ける決定をしていたのだ。勝てないというのは言い過ぎでも、発生する被害が大きすぎたのだ。 「もちろん、9時にした所でぎりぎりだったのは事実だ。俺が加勢に入らなければ、結果は他のオーラと同じだったろうからな。結果論は好ましくないのは分かっているが、同時に結果を無視できないのも確かだろう。9時の受け持ち部分が最も住民に被害が出ていないし、出撃したブレイブスの被害も怪我人どまりになっている。そして受け持ち分のアクアス異性体の殲滅にも成功している。この結果の前には、どのような崇高な意志も意味を持たないと思うのだが?」  違うのかと問われたカノンは、「認めます」と答えて腰を下ろした。それに首肯した千博は、さらに説明を続けることにした。 「次にアクアス異性体への対処だが。大きく分けて3つの対処を行った。その一つが、カヴァリエーレの単独戦闘だ。メイアの実力ならば、1対1なら負けないと言う確信があったのがその理由だ。そしてもう一つが、数を当てると言う物だ。ただし、数だけ当てれば何とかなるほど甘い相手ではないのも確かだ。だから、こいつらの研修と同時に、9時のブレイブスにも対策を教育した。そこで消耗戦になったのは、まだ実力が不足していたと言う事だろう。嬉しい方の誤算は、俺の親友が一人で持ちこたえたことだな。そして3つ目は、地球から連れて来た奴らの使い方だ。本来3人で1チームを組み、それぞれがアクアス異性体と戦うことを想定していた。ただ実力と経験が不足しているので、今回はその3チームをさらに組み合わせて1つのチームに纏めた。将来的には近接戦闘で倒せるようにするつもりだが、今はその段階に達していないのは分かっていた。だから、遠距離からの攻撃と、その防御を徹底的に仕込んである。その結果が、1体の撃破に繋がったと言う訳だ。まあ撃破自体は偶然だが、持ち堪えたのは必然と言うことになる。はい、そこの色男」  そこで千博が指さしたのは、まだ年若い金色の髪をした男だった。わざわざ色男と付け加えるだけのことはあり、とても整った顔立ちをしていた。 「色男は余分だと思うが……持ち堪えるだけでは、結果は変わらないと思うのだが? 悪いな、2時でカヴァリエーレをしているシリウスだ」  シリウスの言葉に、千博はしっかりと首肯した。 「確かに、持ち堪えるだけでは何も変わらない。だが9時は、俺が支援しているのを忘れて貰っては困る。それぞれが持ち堪えてくれれば、俺が個別撃破していけばいいだけのことだ。そして、この戦いではその通り俺が個別撃破してやった」 「つまり、アクアス異性体を倒せるカヴァリエーレが居るオーラなら、同じことができたと言うのだな?」  自分の意図を読み取ったシリウスに、その通りと千博は大きく首肯した。 「まあ、俺の名前が売れてなかったのも成功した要因なんだろうな。明らかに、あいつらは俺のことを舐めていたからな。馬鹿正直に正面からぶつかってくれたから、簡単に倒すことができたんだ。シエルが戦果を挙げていないことを考えると、うまく牽制されたのだろう。俺に対しても同じことをされたら、結果は違ったものになっていただろう。ただ、こっちでもシエル以外は、警戒されていないのだろう?」  どうだとの問いに、シリウスは端正な顔を歪ませた。そんなことは無いと言い返したいところなのだが、現実は千博の指摘した通りだったのだ。 「認めにくいことを言ってくれるな」  そう答えたシリウスは、参考にすると言って腰を下ろした。結果論ではなく、自分達の作戦よりはマシに思えたからだ。  そして腰を下ろしたシリウスに代わり、別の女性が手を挙げて立ち上がった。銀色の髪を捩りアップした、千博好みの年上の女性だった。 「はい、そこの俺好みの女っ」  余計なひと言に、一部から苦笑が漏れ出た。 「あら、嬉しいことを言ってくれるわね。と、自己紹介がまだだったわね。8時のカヴァリエーレ、ジルよ。それで質問なんだけど、アクアス異性体を倒せないカヴァリエーレのいるオーラはどうしたらいいと思う?」  今回の戦いでは、4人のカヴァリエーレが戦死していた。それを考えれば、ジルの疑問は当然の物となる。そしてジル自身、アクアス異性体を倒した経験がなかった。  小さく首肯した千博は、答える前に疑問を一つ呈した。 「俺でも倒せるのに、どうして俺より強いお前達が倒せないんだ?」  おかしいだろうと言う千博の主張に、身内からヤジの形で否定の言葉が上がった。 「教官殿は、間違いなく異常です」  その言葉に吹き出したのは、地球から連れて来た兵士と9時のブレイブス達だった。 「おい、人のことを異常って言うんじゃない。事実、殺し合いをしたらお前達に勝てないだろう?」 「それは否定しませんがね。だから、余計に異常ってことになると思うんですがね」  言う事は言ったと、カイル・セルバンテスは腰を下ろした。小さくため息を吐いた千博は、異常と言われたことをそれ以上触れなかった。 「基準にして悪いのだが、メイアより強い奴なら間違いなくアクアス異性体を倒せるぞ。ただ、頭を使うことは必須になっているがな。そうじゃなきゃ、俺みたいな経験もないガキが倒せるはずがないだろう」  千博の言葉は、ジル達が頭を使っていないと言っていることになる。癪に障るのだが、それもまた実績が物を言う事になる。 「思いっきり言い返したい所なんだけどなぁ……そちらは努力するけど、すぐには無理だと思うのよ。だから、さっきの質問への答えが欲しいんだけどな?」  どうかしらとウインクをしたジルに、千博はにやりと口元を歪めた。 「あんたの所だったら、俺が助けに行ってやるぞ」  とても問題の大きな発言と言うこともあり、私がと言ってアランが補足説明をした。 「つまり、能力のある者が支援に行けばいいと言う事です」 「アラン。もう少し空気を読んでくれないか。人がせっかく口説いているのに……なぁ」  ジルを見ながら不満を漏らした千博に、アランは容赦のない反論をした。 「この場に於いて、不適切だと申し上げます。加えて言うのなら、もう少し節操があっても宜しいのかと。私は、13時の筆頭に睨まれたくありません」 「節操無しが、男のカヴァリエーレの隠語だと聞かされた気がするんだが……まあ、俺はカヴァリエーレじゃないからな」  まあいいと議論を終わらせた千博は、アランの説明を認めた。 「特定のカヴァリエーレの負担が重くなるが、まあアランの説明した通りだ。ちゃんと協力関係ができていれば、そのあたりはうまく回せるだろう。はい、そこのおっさん」  ジルはまだ立っていたのだが、千博は別の男性を指名した。黒い髪に白い物が混じったところを見れば、礼儀は別として「おっさん」と言う決めつけは間違っていないのだろう。もちろん、言われた方がどう受け取るのかは別の話だった。 「おっさんか、確かに俺の子供はお前より年上の奴がごろごろいるな」  ふっと口元を歪め、男はキャパと名乗った。そして千博の顔を見て、非常に微妙な問題を口にした。 「なぜ、今回の戦いで他のオーラを支援をしなかったのだ? お前が支援をすれば、被害を押さえることができただろう」  いつかは出る問題だと予想した問題が、今ここで提示されたと言う事である。それに頷いた千博は、聞く者……アースガルズ側の出席者の神経を逆なでする言葉を吐いた。 「どうして、支援が出来るんだ? 9時には、支援するだけの能力は無いぞ」  あまりにも予想通りの答えだったのか、メイアの顔がはっきりと引き攣っていた。そして質問したキャパは、予想外の答えに困惑の表情を浮かべた。 「いや、9時ではなく、お前のことを言っているのだが」 「それこそ、なぜって奴だな。なんで、見も知らない奴を支援しなくちゃいけないんだ? 俺には、そんな義理はないはずだ」  挑発しすぎだと顔を引き攣らせ、アランが割り込んできた。 「我々が今回の事例を終わらせたのは、皆さんが撤退を決める直前です。そしてその時の状況を言わせていただけば、すでにどのオーラも手の付けようがなくなっていました。それが、なぜと言うキャパ殿への答えになります」 「だとしたら、もう少し言い方を考えてもらいたいものだ」  さすがに憤りを隠すことができないのか、キャパの声が少し震えていた。だが続いた千博の言葉は、さらにキャパの神経を逆なでするものだった。 「言い方を変えたところで、事実は何も変わらないぞ。そもそも、そっちが地球を支援したのも、自分達の都合から出たものだろう。だとしたら、俺が自分の都合を優先してどこが悪い。しかも筆頭様から、助力はいらないと言われたんだぞ。たぶんで悪いんだが、次に同じことがあったら俺はジルさんの所を優先的に支援するな」  再び険悪な空気が流れ始めたので、失礼と言ってアランが立ち上がった。 「そのあたりは、オーラ同士の協調関係に関わってくるのかと思います。ミネア様に頼まれれば、教官も無碍にはしないはずです」 「と言う事なので、優先順位は付けるが、今日集まってくれたオーラには支援をするつもりだ。だが言っておくが、俺の体は一つしかないんだからな。あまり甘えないで欲しいものだ。もう一つ言わせてもらえば、こちらから押し売りをする真似もしないぞ」  ひとまず支援の言質を取り付けたこともあり、キャパは「感謝する」と言って腰を下ろした。ただその表情を見る限り、抑えきれない怒りが蓄積しているようだ。  他に質問が無いことを確認し、「以上だ」と戦術の説明を終わらせた。 「次に今日の振り返りだが。それは、俺よりも実際に戦った奴の方が良いだろう。まずアラン、お前の方から説明してくれ」  ここからは想定したルーチンと言うこともあり、アランは文句も言わずに立ち上がった。そして前に進み出て、地球人の目から見た戦いについて総括した。 「今回の我々は、非常に恵まれた条件で戦わせて貰ったと思っています。何しろ、予備要員を含めて23人で2体のアクアス異性体と戦ったのですからね。その意味で、結果自体に参考になる部分は少ないかと思います。従って、我々のアクアス異性体に対する印象と申し上げたいと思います……はっきり言って、関わりたくないと言うのが正直な気持ちです。もともと我々は、敵として人間を想定した組織です。SFに出てくるような、化け物を相手にすることは考えていませんでした。しかも相手が高い知性を持っていると言うのは、悪夢以外の何物でもないでしょう。ですから新堂教官の、頭を使うと言うのは良く理解できます。相手が高い知性を持っていると言うことは、こちらの攻撃に対する備えもできると言うことに繋がります。従って、闇雲に吹き飛ばすと言う乱暴な方法は、撃破の成功率が低くなるのでしょう。事実1チームは運よく倒せましたが、もう一つのチームは有利なように見えて、追い詰められていました。ただ、接近戦を避けたおかげで、何とか互角に戦えたと言う所でしょう。最後にヒアリングをした者全員の意見をお伝えします。「教官殿は絶対におかしい」と言う事です。以上」  頭を下げたアランに、他のメンバーたちから盛大な拍手が巻き起こった。そのあたり、最後のコメントに意味があったと言う事だ。  そして次に前に進み出たメイアもまた、千博をやり玉に挙げてくれた。 「新堂殿がおかしいと言うアラン殿の意見を、私は積極的に肯定したいと思っています」  そう前置きをしたメイアは、戦いにおける自分の印象を話し出した。 「今回の戦いにおいて、互角に戦えたのかなと言うのが私の印象です。その意味で、以前に比べてマシになったように思えます。そのあたりは、新堂様のご指導と、霧島殿を指導することが役に立ったのかと思います。ならば倒せたのかと言う疑問に対しては、まだまだ不足する部分が多いと言うのが答えになります。何しろ私の目の前で、新堂殿は魔法のように簡単に敵を倒してくださいました。はっきり言って、私にはどうやったのかわかりません。それが、「おかしい」と言う意見に賛同する理由となっています」  そこで言葉を切ったメイアは、9時ではなく他のオーラの出席者の方を見た。 「これで終わっては不親切かと思いますので、私なりの分析をしたいと思います。まず、これまでの戦いとの違いは、私自身の意識の変化が大きかったかと思います。そのあたり、新堂様に意識改革させられた所が大きいのでしょう。そこで言われたのが、ほとんどのアクアス異性体は「大したことは無い」と言う事です。伸縮自在、間合いが変化する攻撃や、瞬間移動と言うのは確かに脅威に違いありません。ただ、それを除けばさほど鍛えられていないはずだと言うのが新堂様の意見です。そして鍛えられていないがために、先ほどの特徴にしても対処ができるはずだと言うことになります。落ち着いて相手を観察すれば、次の行動が比較的容易に推測できるのです。新堂様のアドバイスで一番腑に落ちたのは、「駆け出しのブレイブスが反則技を使っていると思え」と言うものでした。瞬間移動と間合いの伸びる武器は厄介ですが、それ以外は確かに駆け出しのブレイブスレベルです。もちろん、奴らにも個人差があるのは認めますが……」  そこで顔を見られた千博は、自分の考えを言う前に次の順番に回すことにした。 「俺の講評は、全部終わってからにする。次は、カランコフ、お前が感じたものを言ってくれ」  千博の指名で立ち上がったのは、30近い男性ブレイブスだった。今回の戦いで、複数人で当たったとは言え、最後まで支えた一人である。身長はさほど千博と違わないのだが、横方向の逞しさが違っていた。 「では、新堂様に指名されましたので」  そう言って立ち上がったカランコフは、最初にと言ってお約束の言葉を口にした。 「新堂様は、はっきり言って異常だと思います。我らは、5人がかりで必死になって戦っていたんです。それなのに、ぶらりと来てあっさりと倒されていかれました。何かが間違っていると言うのが、正直な気持ちです」  おそらくカランコフと一緒に戦っていたのだろう。9時の側では、何人かのブレイブスがしっかりと首肯していた。そして振り返りを終えたメイアもまた、力強く首肯してカランコフの考えを肯定してくれた。 「メイア様が仰った、駆け出しのブレイブスの下りは同意させていただきます。そして付け加えるのなら、スタミナに際限の無い化け物と言う所でしょうか。従って、奴らは我々の力が尽きるのを待っていたきらいがあります。5人がかりで倒せなかったのは……と言うのか、倒せる気がしなかったと言うのが正直な気持ちです。色々と切り刻んでやったのですが、私達には核の場所はさっぱり掴めませんでした。従って、新堂様が異常だと繰り返させていただきます」  そこだけは譲るつもりはないとの決意で、カランコフは千博が異常だと繰り返してくれた。そしてその上で、アドバイスが役に立ったことを説明した。 「新堂様のアドバイスのおかげで、我々は生き残ることができました。それでも、アドバイスが身に付くまでに、多くの仲間が傷ついて行ったのは間違いありません。従って、次はもっとうまくやれると言うのが私の振り返りと言う事になります」  以上ですと締めくくり、カランコフは自分の席へと戻って行った。そして最後に、一人で支えた北斗が前に進み出た。 「テッラから来た霧島北斗です。最初にお断りしておきますが、千博がおかしいのは昔からです。僕からしたら、信じられないことを平気な顔でしてくれます。千博を基準にして物を考えてはいけないと言うのが、小さな頃から付き合ってきた得た教訓です」  そう言って千博を見て口元を歪めた北斗は、前に出た本題へと話を進めた。 「ほとんどのことは、メイア様とカランコフさんが言ってくださいました。その意味で、僕から補足することは無いのですが……相手が素人と言うのは同意できると思います。だから、最初さえ乗り越えられれば、支えるだけなら可能だと思います。ただ倒すとなると、もう一つ必要なのは確かだと思います。千博のように、核を見つけてつぶすのか、さもなければ核ごと消滅させる攻撃をするか。テッラでシルフさんが敵を倒したのは、後者の方法になります。敵を切り刻んでいって核の位置を絞り込み、最後に核ごと切り捨てたのだと思います。シルフさんの戦い方は参考になりますが、千博の戦い方は絶対に参考になりません」  最後の所を強調した北斗に、9時の全員から力強い拍手が送られた。その反応を見る限り、北斗は無事仲間と認められたと言う事になる。以上だと振り返りを終えた北斗は、千博の顔を見てにやりと口元を歪めてくれた。 「まったく、お前らいい加減にしろよ。あまり異常だ異常だと繰り返すと、温厚な俺でも切れるからな」  ひとまず言う事は言ったとので、千博は全員の顔を見てから偉そうに講評を始めた。 「まあ、間違ったことを言っていないのは認めてやる。全員、俺のアドバイスを理解してくれたと思っている。そしてその上で“なぜ”に関する部分を説明することにする」  そう言って言葉を切った千博は、ぐるりと全員の顔を眺めて行った。自分に向けられた視線を信じるなら、全員がこれからの話を重要だと感じてくれているのだろう。 「メイアが口にした個人差だが、あって当たり前のことだと俺は思っている。アクアス異性体と言うのは、普通に生活していた奴が、ある日突然精神体に近い存在に代わったものだ。完全な精神体でないのは、奴らが核と言われる本体を持つからに他ならない。奴らには時間の概念が薄く、必要な栄養さえ補給されれば、死ぬことも成長することもなく時間を過ごしていく。したがってヴァナガルズで漂っている奴らは、ただぼうっとあるだけの存在に近いことになる。そして人間を収穫に来ている奴らは、ある意味趣味で動いていることになるな。とにかく今の奴らは、収穫しなくてはいけない切実な理由は無い。チタニアと言う協力者から得た情報だと、100万人分収穫すれば、1年は収穫の必要はないそうだ。それでも収穫行為を行うと言うことは、別の目的が存在することになる。まあ、元が人間だと考えれば、色々な奴がいるのも不思議じゃないだろう」  100万人と1年と言う定量的な話が出たことで、その場にいた全員が信じられないと言う顔をした。特にアースガルズ側の者は、過去の犠牲者数を知っていたのだ。だから良いかと質問が出るのも、事情を考えれば不思議なことではないはずだ。 「なんだ、サークラ?」  そこでサークラを指定したのは、近くに居たと言うだけの理由だった。 「いや、その話が正しいのなら……いやいや、ボク達はすでに80億も食われているんだよ。だとしたら……ええっと」 「8千年分だと言いたいんだろう?」  千博の答えに、そうそうとサークラは首肯した。 「質問を先取りする形で答えるが、奴らは同胞60億も食らっている。従って、1万年分以上のセラを蓄積していることになるな。もちろん、これはチタニアからの情報による推測だ。どれだけ正しいのかは、裏付けはとれていない。ただ、さほど間違っていないと考えるのが妥当だろうな」 「それだけ、別の目的の信憑性が増すと言うことだね」  確認したサークラに、千博ははっきりと首肯した。 「新鮮な方が良いと嘯く奴もいるし、グルメだとふざけたことを言う奴もいる。プレダトレが収穫したのは、病院食だと言っている奴もいたな。その意味で、アクアス異性体が俺達と戦うことには別の意味があるんだろう。そのあたり色々と疑問があるのだが、今はその場ではないのでこの話はここまでにする。個人差の話に戻すが、もともとそこいらに居たやつがアクアス異性体になったんだ。戦闘に素人と言うのは理解して貰えるだろう。同じ条件で戦えたらと仮定すれば、間違いなくここにいるお前らの方が強い筈だ。当然個人差ってものがあるから、中には素で強い奴も交じっている。そしてヴァナガルズでも、軍のようなものはあったはずだ。そんな奴らが出てくれば、間違いなく強敵に違いない。ちなみに今まで俺が戦った中では、それに該当するのはパックぐらいだろう。それ以外は、程度の差こそあれ素人ばかりだった」  自分の言葉が浸透するのを確認して、千博はさらに説明を続けた。 「基本的に、奴らには向上心と言う物が欠けている。まあ、自分達が究極の存在になったと自惚れているんだと思う。そんな奴らが、切磋琢磨してスキルを向上させようと考えるはずがない」  もう一度言葉を切り、千博は自分の言葉が浸透するのを待った。 「そして相手が素人なら、こちらが先制攻撃を仕掛けるのが有効だ。それが、先ほど言った対等の同じ条件と言う話に繋がってくる。間合いの変わる武器にした所で、特徴を生かしているとはとても思えないからな。それに接近してしまえば、間合いの問題は関係なくなってくれるだろう。馬鹿みたいな移動速度にした所で、2点間を飛び越える以上の意味を持っていない。一つ一つの動きを見れば、逆に遅いと言うのが俺の意見だ。もちろん、これも個人差のある話には違いない。ただ、今日倒した4体は、いずれも大したことは無かったな。後は、アクアス異性体の倒し方だが……」  そこで少し考えた千博は、もっとも分かりやすい方法を説明することにした。 「精々切り刻んでやれと言うのが答えだ。そこで一つ助言をするのなら、核から切り離された部分はセラの形に分解される。従って半分に切り裂いてやれば、核の無い方が形態を失って崩れ落ちる。相手が復活する前にそれを繰り返せば、核の位置を絞り込むのも可能だろう。以上が、今日の振り返りに対する俺のコメントだ。俺の理論に経験からの補正を加えたから、さほど間違ってはいないと思う。以上で俺のコメントは終わりだ」  そこで言葉を切った千博は、質問が無いのを確認して「解散」と全員に告げた。 「疲れているだろうから、今日はゆっくり休んでくれ。ちなみに言っておくが、俺達地球組は明後日には帰ることになっている。もしも話があるのなら、今日明日の内にお願いする」  そう言い残し、千博はさっさと会議室を出て行った。そのあたりのあっさりとした態度は、千博ならではの物だろう。そしていい加減慣れたのか、アランは気にせず部下達に解散を命じていた。  そして千博の性格を知らない他の者達は、あっけにとられていたと言うのが一番正確な状況だろう。その中で例外なのは、堂々と追いかけたサークラだった。千博が部屋から出たのを見たサークラは、仲間にウインクをしてその後を追いかけたのである。  ブレイブス達を招待したこともあり、ミネアは各オーラの筆頭を呼び寄せていた。多数派工作と言うより、どちらかと言えば印象操作と言う所だろう。ドーレドーレとの確執は、あちらが悪いと言う印象を持たせる工作をしたと言う事だ。  もちろん、捻くれて底意地が悪いのが筆頭ヴァルキュリアの資質である。口と腹の中が違うのは、自分も同じだとミネアは割り切っていた。だからここで稼いだ評判も、すぐに役に立たなくなるのは理解していたのだ。ただ千博とうまく連携すれば、敵対するのは不利だと思わせることはできると考えていた。  そして千博の行った振り返りと質問会は、集まった筆頭達に有意義なものだと認められた。とりあえず、ミネアの意図したことは達成できたことになる。  ただ、すべてうまく行ったとばかりは言えなかった。それは、振り返りが終わった所で表に出てきた。 「ドーレドーレ様のこと、もう少し上手くできませんでしたか?」  ブレイブスの解散と同時に散会した打ち合わせなのだが、一人ハイドラだけは席を立たなかった。そして見送りから戻ったミネアに、はっきりと不満を顔に出して声を掛けた。カヴァリエーレのカノンと対になるのを意識しているのか、ハイドラの綺麗な金色の髪は頭の上でお団子になっていた。 「それは、私に言うことなのですか?」  喧嘩を吹っかけてきたのはあちらと言うのが、ミネアの主張だった。それだけだと、反発を買うので必要な情報開示を行ったのである。反発を抑えると言う意味では効果があるのだが、なおさらドーレドーレとの反目が目立つことになった。  弱小ですよと笑うミネアに、どこがとハイドラは笑い返した。 「弱小オーラが、無傷で5体のアクアス異性体を排除できるはずが無いでしょう? 最大最強の0時ですら、1体も倒せなかったのですからね」 「ですが、カヴァリエーレはミネアですし、ブレイブスの数も一番少ないんですよ。しかも筆頭ヴァルキュリアがポンコツですから、弱小と言ってもいいと思うんですけど? ブレイブスの候補者達にも、相手にされていませんしね」  違いますかと笑ったミネアに、もう一度ハイドラは否定の言葉を吐いた。 「新堂様と言う隠しカヴァリエーレに、霧島と言う隠し玉まで持っていてそれを言います? しかもテッラの戦力まで使えるんでしょう? 今回の実績を見れば、どう考えても弱小とは思えないわ」  そう決めつけたハイドラは、好ましくないのだとクアドランテの意見を代弁した。 「元筆頭と現筆頭が対立するのは好ましくないのよ。これが、なにもない時ならまだ許せるわ。でも、今回の惨敗で屋台骨にがたが来ているの。そこに二人の対立を持ち込んで欲しくないというのが私達の総意。そこの所、善処してもらえると嬉しいんだけど?」  ハイドラとしては、正当な抗議に違いなかった。だがそれを受け取ったミネアは、筋違いだと言い返した。 「それにしても、責任を持ってきて欲しくありませんね。こちらとしては、礼を尽くしたと言う意識があるのですよ。それを無下にされたから、新堂様も引き下がる訳にはいかなくなりました。その上、落ち度のない私のことを糾弾してくれましたからね。こちらから引くというのは、普通に考えればあり得ないと思います。こちらから矛を収めることで、何か得るものがありますか?」  あり得ませんと言い切ったミネアに、ハイドラは疲れたようにため息を吐いた。 「ドーレドーレ様は、何をして新堂様を怒らせたの? と言うか、何に礼を尽くしたのかしら。大方エステリアのことだとは想像がつくけど」  ミネアとの対立だけが表に出ていて、その原因までは誰も知らなかったのだ。ハイドラの質問は、ようやくそこまでたどり着いたと言う意味になる。 「別に、大したことをお願いして居ないのですけどね。新堂様の身分をどうするのか。たった、それだけのことなんですよ」 「新堂様の身分?」  小首を傾げたハイドラに、ミネアは「新堂様の身分」と繰り返した。 「9時の副カヴァリエーレに任命して、そこから13時に派遣して欲しいとお願いしただけです」 「エステリアとの関係を考えれば、別に不思議なことではないと思えるわね。あまり、対立することでもないと思うんだけど?」  もう一度首を傾げたハイドラに、普通はそうだとミネアは返した。 「でもドーレドーレは、人員を入れ替える理由がないと突っぱねてくれました。そこからは売り言葉に買い言葉とでも言えばいいのか、新堂様の誘導に乗って墓穴をたくさん掘ってくれましたよ。私が当てこすりましたので、何をしたのかは想像がつくと思いますけど?」 「策士策に溺れたって所? そんなことで、元筆頭と現筆頭が対立するって……」  はあっと息を吐き出したハイドラは、いい加減にして欲しいと文句を言った。 「そんなことのために、うちは18人もブレイブスを死なせたの?」 「その責任をもって来られるのは心外なのですけど? 新堂様は、手伝ってやろうかと言ったのですよ。それを不要と切り捨てたのは、ドーレドーレの方なのですからね」  こちらの責任はどこにもない。そう主張したミネアに、事実でしょうとハイドラはきつい視線を向けた。 「新堂様がもっと早く参戦していたら、戦いはもっと違うものになっていたわ。あなた達の確執は分かるけど、私達まで巻き添えにして欲しくないのよ」 「ですが、新堂様はどこのオーラにも属していないのですよ。新堂様の立場は、テッラの住人でしか無いのです。ですから、私では出撃を命じることはできません。9時の副カヴァリエーレにすると言う話は、ドーレドーレが潰してくれました。繰り返しますが、ドーレドーレは新堂様の助力を断ったのですよ。ならば文句を言うのなら、まずドーレドーレに対してではありませんか? エステリアの戻り先と言う理由で、9時は助けて貰っただけですからね」  それからと、ミネアは終わったばかりの「振り返り」のことにも触れた。 「新堂様の持っている情報、ノウハウは公開したはずです。9時として、振り返りに招待したことで義務は果たしていると思います」 「それでも、死んだ200名は戻ってこないの。対立するなとは言わないけど、影響を考えなさいと言っているのです。元筆頭のあなたなら、それぐらいのことは分かっているはずです」  声を荒げたハイドラに、ミネアは変わらぬ調子で「だから?」と聞き返した。 「9時の戦力は、メイアを筆頭とした50名程度しか居ないのですよ。新堂様にお願いすることは出来ますが、今の私には命令することは出来ないのです。だからハイドラさん、あなたの言っていることは大きな前提を間違えているんです。せっかく新堂様を取り込もうとしたのに、ドーレドーレが邪魔をしてくれましたからね。新堂様を動かせる者がいるとしたら、テッラに送り込んだエステリアぐらいでしょう」  仲立ちはできるが、強制力を働かすことは出来ない。ミネアは、原理原則を繰り返した。 「それに、9時は皆に馬鹿にされるほどの弱小オーラなのですよ。ハイドラ、あなた達が笑っていたこと、私が知らないとでも思っていたのですか? 9時を笑った以上、頼ろうとするのは身勝手だと思いますよ。しかも立て直しのために手を差し伸べたのに、そうやって人の厚意を裏切ってくれるのですか?」  「呼ばなきゃ良かった」とミネアは大仰に嘆いて見せた。 「呼んでくれたことには感謝します……が」  確かに、ミネアの言うことはいちいちが正論だったのだ。そして今日行われた振り返りは、とても大きな意味を持つものだった。それを認めたハイドラは、ためていた息をふうっと吐き出した。  そしてハイドラは、「ごめんなさい」とミネアに謝罪をした。 「確かに、私達は9時を笑っていたわね。そのくせ支援してくれなかったと文句を言うのは、身勝手だと言うのも理解できる。それでも私は、死んだ18名、そして命を掛けてくれている60名のためにも、最善を尽くさなくちゃいけないのよ」 「私を糾弾するのが、あなたの言う最善なのですか?」  冷静に答えたミネアは、9時の行動をおさらいをした。 「今回の襲撃にあたって、ドーレドーレが各オーラに分担を指定して出撃命令を出しました。その命令に従い、9時は最大限の人員を派遣しています。ただ弱小オーラですから、派遣できたのは25名と他よりも15名少なくなってしまいました。少なくとも、6時を含め他のオーラから支援の話はありませんでしたね」  ハイドラを当て擦ったミネアは、だからと言って話を続けた。 「新堂様がテッラの兵士を出してくださると言うのは、9時にとって渡りに船と言うものでした。つまり、9時はテッラの支援を受けたと言うことです。その時の新堂様は、支援はあくまで教育の一環だと仰りました。だから、自分は出撃するつもりはないと仰ったのです。そして危なくなったら、すぐに兵を引き上げるとまで言われました。それでも良いかと確認された私は、背に腹は代えられないためその條件を飲んだのです。そして戦いの終盤、新堂様は撤退を部下の方に指示されたそうです。ただ部下の方が、それだと9時が壊滅すると反対してくださいました。だから新堂様は、撤退を撤収に変え、9時の責任範囲を肩代わりしてくださいました。5体のアクアス異性体、そして発生したプレダトレは、新堂様を含めたテッラの勢力によって駆逐されたんですよ。そしてその経験を、振り返りの席で皆さんに展開してくださいました。ハイドラさん、これでも責任を果たしていないと言うのですか?」  静かに説明するミネアは、さすがは元筆頭と言う迫力があった。そして支援と言う意味では、これまで誰も9時を支援していなかったのだ。代行のヘルセアから依頼はあったが、各オーラが握りつぶしたのが実態だった。それを考えれば、ハイドラにはミネアを非難する資格が無いことになる。  どうですかと問われたハイドラだったが、言い返すだけの言葉を持っていなかった。そのため黙りこむことになったのだが、それ以上ミネアは追い詰める真似はしなかった。 「元とは言え筆頭が、今の筆頭と対立するのは良くないと言う意見は理解できます。だからと言って、私が折れることの理由にはならないと思いますよ。それでも私に折れろと言うのであれば、何らかの見返りが有って然るべきです。予め言っておきますが、新堂様を副カヴァリエーレにしてテッラに派遣すると言うのは、見返りになりませんからね」  ミネアに対して、ハイドラには提供するだけの見返りを持っていなかった。そしてその事情は、他のオーラにしても大差はない。ドーレドーレにした所で、提供できる見返りはないはずだ。千博の申し入れを認めるだけでは、見返りと言う意味では不足していたのだ。  それを考えれば、折れるのはドーレドーレでなければならないはずだ。小さく息を吐き出したハイドラは、良く分かったと疲れたように吐き出した。 「どちらの言い分が正当かを検分した結果、あなたの方が正当だと判断します」  そこでもう一度息を吐き出したハイドラは、ドーレドーレに通告することを約束した。 「あなたへの謝罪と、新堂様の申し入れを認めること。それで、矛先を収めてもらえますか?」 「筆頭職を返上して、後をハイドラさんに任せると言うのは……嫌がられそうですね」  そうでしょうと聞かれ、ハイドラはしっかりと首肯してみせた。 「この時点でクアドランテ筆頭になるのは、間違いなく罰ゲームです」 「私も体を壊しましたから、ハイドラさんの言う事はよく理解できますよ」  そう言って笑ったミネアは、千博が言っていたことを持ちだした。 「新堂様は、ドーレドーレに体で償わせるかと笑っておいででした。もちろん、私は反対しましたよ。それでは、逆に褒美になってしまいますからね。それぐらいなら、シエルさんを差し出す方が罰になると言っておきました。もっとも、シエルさんとのことは、自分で努力をすることだと思いますけどね」 「それぐらいの手土産はあってもいいと思うけど……でも、新堂様はシルフさんにも手を出しているんですよね。はっきり言って、生まれる世界を間違えていませんか? アースガルズに生まれていたら、間違いなく歴史に残るカヴァリエーレになられていると思います」  千博が聞けば、恐らく思いっきり文句をいうことだろう。だがミネアは、我が意を得たりとばかりにハイドラの言葉を肯定した。 「私は、今からでも遅くはないと思っていますよ」 「だったら、いっそのこと9時のカヴァリエーレにしてはどうです。シエル様を派遣するという話もあったぐらいですから、新堂様を派遣しても問題はないでしょう。副カヴァリエーレでは、私達が手を出せませんからね」  いかがでしょうと言うハイドラに、ミネアは力強く首肯してみせた。 「9時としてはさほど差がないのですが、エステリアをクアドランテ筆頭にするためには必要なことだと思います。新堂様にシエルさんを堕としていただければ、条件は整うのかと」 「溺れるシエル様と言うのも、見てみたいような見たくないような……」  視線を宙に彷徨わせたハイドラは、はっと我に返って表情を引き締めた。 「次席として、本件はドーレドーレ様の非を認め謝罪をさせます。その代わり、ミネアさんには新堂様のことをお願いします……そうですね、ドーレドーレ様に悪あがきをさせましょうか」 「カヴァリエーレなら、テッラ派遣を認めると言う悪あがきですか?」  それならいいと笑ったミネアに、性格が悪いとハイドラは彼女のことを褒めた。 「さすがは、筆頭を務めただけのことはありますね」 「それが、語られないヴァルキュリアに求められる資質だと思っています。ただ、相手を見誤るのは愚かですけどね」  それが何のことを言っているのか、ハイドラはしっかり理解していた。だからミネアに、「追い詰め過ぎないように」と注意をして、会議室を出ることにした。 「それは、ドーレドーレ次第だと思いますよ」 「ババを引き受けてくれるのですから、少しは立ててあげてくださいな」  ごきげんよう。言うだけのことは言ったと、ハイドラはミネアの元を辞した。後はドーレドーレに決定を伝え、謝罪をさせれば一つの課題は解決することになる。ただもう一つの問題は、相変わらず残っているのが悩ましかった。それもあって、去っていくハイドラの後ろ姿は、必ずしも軽快と言うことはなかったのだ。  長い一日だった。振り返りを終えた千博は、これからのことを考えながら9時のオーラを歩いていた。とりあえず腹を満たすことを優先するのだが、その後どうしようかと迷っていたのである。ただ迷っていた中身が、誰の部屋に行くのかと言う「節操なし」を地で行くものだった。  とても鬼畜なことで悩みながら歩いていた千博は、目的地の手前で誰かが立っているのに気がついた。どこかで見た顔だと思い出そうとして、それが振り返りの席のことだと思いだした。そして自分の後ろを一度確認してから、無視して通りすぎることにした。 「いやぁ、分かっているのなら無視をしないで欲しいんだけどな」  はっきりと苦笑を浮かべたサークラは、酷いんじゃないかと文句を口にした。 「いやっ、今夜のことなら間に合っているしな。ジルさんだったら迷ったが……俺は、子供っぽいのは相手にしないことにしているんだ」 「ボクも、キミみたいに生意気な子は好みじゃないんだけどね」  年上に向かって子供っぽいというのは、見た目を言っているのならハラスメントになるものだった。その意味で、サークラの言葉も負けず劣らずのものだろう。ただ、千博はありがたくその言葉を利用させて貰った。 「なんだ、だったら双方の見解は一致したと言うことだ」  じゃあなと手を振った千博に、「いやぁ」とサークラは苦笑をして引き止めてくれた。 「だから、色っぽい方には関係のない話をしたいんだよ」 「俺は、お偉い1時のカヴァリエーレ様と話すことなんかないんだがな」  もう一度「じゃあな」と手を振られ、ちょっと待てとサークラは実力行使に出てくれた。もちろん千博を失神させると言う乱暴なものではなく、ただ引き止める程度のものでしかなかった。もっともそこはクアドランテ有数の実力者だけのことはあり、千博の左腕をとって後ろ手に捻り上げてくれた。 「なるほど、生意気なガキに礼儀を教えようって言うのか?」  それなりに痛いはずなのだが、千博は全く顔色を変えなかった。そして痛いと文句をいう代わりに、買ってもいいんだぞと喧嘩の方向に持って行こうとした。 「いやいや、これは条件反射のようなものだよ。別に、君を痛め付けようとか思ったわけじゃないんだ」 「条件反射で関節を決められては堪らないんだがな」  離せと反対の腕で叩いたのだが、サークラは極めた左腕から手を離さなかった。 「その代わり、少しボクに時間をくれるかな?」 「それをして、何か俺にメリットがあるのか?」  平然と言い返す千博に、流石だねとサークラは賞賛の言葉を口にした。 「これ以上、痛い目に遭わないと言うのはどうだろう?」 「随分と乱暴な言い草だな……まあ、嫌いな展開じゃないんだが」  そう言って笑った千博は、いきなり背筋を伸ばしてサークラに背中を預けるような体勢をとった。そしてそのままサークラの体重の軽さを利用し、自分の体ごと後ろの壁に突進した。予想外の反撃に対処が遅れたサークラは、手を離すことも出来ずに壁に叩きつけられた。しかも千博に体を預けられたため、ひどく圧迫される形になってしまった。  そして体をぶつけた反動で手が離れたのを利用し、千博はくるりと反転をした勢いそのままサークラの鳩尾に右拳をめり込ませた。かなり容赦のない攻撃なのだが、鍛えているから大丈夫だろうと言う軽い気持ちからの攻撃である。もっともうまくハマり過ぎた攻撃は、千博の思った以上の威力を発揮してくれた。ごふっと胃液を吐き出したサークラが、そのまま失神してしまったのだ。 「たく、結局こう言うことになるのかよ」  男なら捨てて帰ったのだが、流石に女性を捨ててはおけなかった。妹のような見た目も、そのまま捨てて行けない理由になっていた。鍛えすぎたかと頭を掻いた千博は、仕方がないと小柄なサークラを抱え上げた。 「思ったより、可愛い顔をしているんだな……確か、俺より年上のはずなんだが」  じっくり観察すると、妹と同じ年代としか思えないのだ。しかも鍛えられているため、女性的魅力には欠けている気がしてならなかった。それでもヴァリエーションとしてはいいかなどと、節操無しなことを考えてもいた。  目的地を自分の部屋に変更し、サークラを抱き上げたまま9時の廊下を歩いて行った。そこで千博が幸運だったのは、誰にも顔を合わせなかったことだろう。もしも誰かに見られていたら、節操なしの評判がますます高まっていたはずだ。  自分の部屋に戻った千博は、とりあえずサークラをベッドに寝かせることにした。裸にするのは流石に抵抗があったので、上着を脱がせる程度ですませた。オーラの制服なのか、紺の上下のブレザーの胸の辺りには、金糸で時計の刺繍が入っていた。そこに示された時刻は1時、彼女の所属するオーラを示すものだった。ブレザーの上を脱がせたので、ベージュのニット・セーターに濃紺のズボン姿になっていた。 「飯でも持ってこさせるか……後は、ミネア達に部屋に来ないよう釘を差しておかないとな」  誰かに踏み込まれでもしたら、とたんに話がおかしくなってしまう。用心をした千博は、手元の端末から必要な通達を回したのだった。  何かとても良い匂いがした。サークラが目を覚ましたのは、デリバリーが千博の部屋に来たのが理由だった。ただ目が覚めた途端にお腹の辺りに痛みが走ったため、ついうめき声が漏れでてしまった。 「ようやくお目覚めか?」  その声に、サークラは自分がどこにいるのか知ることが出来た。通路に捨て置かれなかったことを考えれば、かなりましな扱いに違いないだろう。そこで着衣を調べたのは、寝ているのがベッドだと考えれば不思議なことではないはずだ。 「特に、乱暴をされた形跡はないようだね」  気絶をしてベッドの上に居たのだから、確認の目的としては不思議なものではないはずだ。それぐらいのことは千博も分かっていたが、それでも文句の一つも言いたくなる言葉だった。 「乱暴されたのは、俺の方だと思うんだがな」  少し口元を歪めた千博は、「食うか」と言ってテーブルを指差した。指差された先には、どこでも変わらない夕食のセットが置かれていた。二人分が置かれているのを見ると、自分に気を使ってくれたのは確かだろう。 「乱暴だと思ったのだけど、結構優しいところがあるんだね。その辺り、見なおしたと言うところかな?」  ベッドから降りたサークラは、ありがたくと言ってテーブルに付いた。そして千博に構わず、さっさとスープを啜ってくれた。 「いやぁ、実はお腹が空いていてねぇ。何しろ、今日は一日とてもハードだったんだよ」  そう言って笑いながら、パンのようなものに齧り付いた。通路でのやり取りを考えれば、ずいぶんあっけらかんとしたものだった。 「文句ぐらいは言われると思ったんだがな」  そう言って苦笑し、千博も自分の夕食に手を付けた。 「いやいや、先に手を出したのはボクだしね。返り討ちに遭った訳だから、文句も言えないと思ったんだよ。しかもベッドに寝かせてくれるなんて、紳士的な扱いをしてくれたじゃないか。ただ、キミが口にしているより強いと言うのは分かったよ。ところで、左肩は大丈夫かな?」 「これか?」  そう言って左肩を回した千博は、「慣れている」と言ってスープに手を伸ばした。肉のようなものが、しっかり煮こまれてホロホロになっていた。 「それで、俺に何か話があるのか? 飯の間だったら、相手になってやってもいいぞ」 「時間としては十分ってところだね」  もう一度パンのようなものを齧ったサークラは、振り返りでは避けられた話を持ちだした。 「振り返りでは、セラは足りていると言っただろう。それなのに、奴らは捕食をやめていない。だったら君は、奴らの目的はどこにあると思っているのかな?」  千博の説明を聞けば、当然生まれる疑問に違いない。ただ質問をされても、答えに困るものでもあった。 「中々難しい話だな。俺が相手にしているのは、チタニアだけだからな。しかもあいつも、数のことには気づいていなかった。結構中核に居るらしいんだが、政治的な素養には欠けているしな」  もう一度難しいと繰り返した千博は、サークラの顔を見て「着いてこられるのか?」と失礼なことを口にした。ここの所脳筋のブレイブスばかり見ているせいで、難しい話をするのに抵抗があったのだ。 「そう言った話は、ヴァルキュリアの受け持ちだと思ったのだが?」 「確かに、ブレイブス向けの話じゃないね。ただね、別の目的があると言われれば、気になるのもおかしくないだろう?」  その答えに、千博は小さく首肯した。一度気になったことは、すぐに解消しておく必要がある。そのために行動すると言うのは、我が身を省みてもおかしなことではない。それに、一人で食べる夕食は味気ないと思っていた。 「まあ、放置しておくのは気持ちが悪いのは認めよう」  付け合せに手を伸ばしながら、千博は一つの戦いのことを持ちだした。 「これは、ウラヌスとの戦いで感じたことだ。奴はチタニア、俺の協力者のことだが、その裏切りを気にしていなかった。俺が死ねば、チタニアは元に戻ると言うのがその理由だと聞かされたな。それを聞かされた時、俺が殺されることを考えたんだ。だがそいつは、俺の寿命を持ち出してくれた。俺が長生きをしても、あと70年と言うんだ。つまり俺にとって一生分の時間も、奴らにとっては僅かな時間でしか無いと言う意味になる。その程度の時間なら、奴らにとってちょっとした気まぐれ程度と言う事だ。ただ、その時はそう受け取ったのだが、今は違う目的があると思うようになった」  そこで言葉を切った千博は、正面からサークラの顔を見据えた。その瞳を見て、綺麗だなとサークラは感心していた。知性の輝く瞳は、自分の周りの男たちと明らかに違っていた。 「アクアス異性体と言うのは、限りなく精神体に近い存在と言うことだ。その良し悪しは保留するが、事実としてはさほど間違っていないと思う。そしてそいつらが人の形をとった時、どうやら精神体になる前の形態が影響して来るようだ。奴らと話をしてみれば、確かにその形態からの影響を強く受けているのが分かる。やけに人間臭くなると言うのが、俺がそう考えた理由だ。そっちにも、心当たりぐらいはあるだろう?」  千博の問いかけに、サークラはしっかりと首肯した。何度も戦ってきて、相手から個性のようなものを感じていたのだ。 「確かに、戦っている時の彼らは、とても人間臭いことを言うね。色々なアクアス異性体と戦ったけど、確かに個性と言う物を感じるよ。君は、そのことを言っているのかな?」  サークラの答えに、少し違うと千博は返した。 「精神体だって、個性ぐらいあってもおかしくないと思っている。俺が言いたいのは、どちらかと言えば肉体的欲求が表に出てきていることだ。時間を超越した存在になったのに、やけに目の前のことに拘るようになっている。味とか戦いを楽しむと言うのは、間違いなく刹那を求めているものだ。それが、俺の言っている肉体の影響と言う意味だ」 「中々難しいことを言ってくれるね」  分からないと苦笑したサークラに、少し千博は落胆を感じていた。カヴァリエーレと言うことで期待したのだが、それが過剰な期待だと理解したのだ。  それもあって、千博は話のレベルを落とすことにした。 「お前は、アクアス異性体が完全な存在だと思うか?」  突然変わった話に驚き、サークラは少し考えてから「分からない」と言う答えを口にした。 「そもそも、完全な存在の定義が不明と言うのもあるね。それで、アクアス異性体が完全な存在であるかどうかが、今の話にどう関わってくるんだい?」  まだましな答えに、千博は口元を歪めて「そこがポイントだ」と指摘した。 「奴らは、何を求めて精神体に近い状態になったのか。そして、今の状態に満足しているのかと言うのが問題なになる。確かに、完全の定義は分かっていないのだろう。それでも言えるのは、奴らが完全な存在からは程遠いと言う事だ」 「なぜ、完全な存在からほど遠いと考えたのかな?」  そこが話の肝となるため、サークラは千博の話に割り込んだ。そしてその質問は、千博の待っていた物でもあった。だから千博は小さく首肯し、自分の考えを口にした。 「俺の目から見たアクアス異性体は、ただ変化を否定しただけの存在としか思えないんだ。その証拠に、奴らは何百年も変わらないでいる。死という概念があるくせに、個体数を増やす方法を持っていない。俺達との戦いを続けることで、奴らは個体数を減らしているんだ。だから、そのまま戦いを続けて行けば、奴らは敗北を味わうことになる。奴らの勝っていると言う技術にしても、逆転するのもそう遠いことじゃないだろう。それぐらいのことは、奴らも気づいているはずだ」  千博の説明に、サークラはフォークをテーブルに置いた。そして手で口元を隠し、説明された意味を考えた。千博の説明に、色々と考えさせられるものがあったのだ。 「アクアス異性体は、変化がないことを問題だと考えている。キミの説明は、そう受け取ればいいのかな?」  慎重に考えて吐き出された言葉に、千博は「少し違う」と答えた。 「総体としてのアクアス異性体がどう考えているのか。その意味での答えなら、そんなこと気にもしていないと言うのが俺の答えだ。ただすべてがそうかと言うと、違うのではないかと思えるようになった。そうすると、チタニアの行動を許容することにも、違う意図を考えることができるんだ」 「その意図とは?」  身を乗り出したサークラに、フォークを置いて「さあ」と千博はとぼけてみせた。簡単な夕食パックだから、さほど時間を掛けなくても平らげることができたのだ。トレーに蓋をして、千博は冷たい飲み物で喉を潤した。 「酷いね、ここまで話した癖にお預けかい?」  色々と教えてはくれたが、その中身が中途半端なことは否めない。その意味で、サークラの抗議は正当なものと言えるだろう。ただ千博の側からすれば、すべてを教える義理などなかった。 「もともと、夕食の間は付き合ってやるって話だからな。飯を食い終わったら、そこで終わりでもおかしくないだろう。これから俺は、今晩誰のところに行くのか決めなくちゃいけないんだよ」  そう言って立ち上がった千博は、食べた物をケータリングのトレーに押し込んだ。 「それから悪いんだが、あんたに話すことの意味が感じられないんだ。そもそもあんたは、俺の話に着いてこられていない。この手の話は、ヴァルキュリアと話さなくちゃいけないと言うのがよく分かったってとこだ」  千博の決め付けに、サークラはムッとしたような顔をした。だがムッとしながらも、その決めつけを否定出来ないことは認めていた。結局自分は、ただ聞くだけで何の意見や情報を提供できていなかったのだ。いつでも見返りが必要とは限らないが、一方的に情報を提供することの理由がなかった。 「そうだね、確かに君の言うとおりだ。ボクは、君の好意に甘えていたと言うことか」  悪かったと謝ったサークラは、「帰る」と言って立ち上がった。反撃を受けて失神させられたが、先に手を出したのは自分の方だった。そんな相手を介抱し、夕食にまで付き合ってくれたのだ。そして一部とは言え情報を教えてくれたのだから、十分に親切にして貰ったと言えるだろう。  そんなサークラを、千博は「教えてくれ」と呼び止めた。 「ボクに、教えられるようなことは無いと思うのだがね。アクアス異性体のことなら、余程キミの方が知っているよ。ボク達ブレイブスは、難しいことを考えないようにしていたからね」  そう自嘲したサークラに、少し違うのだと千博は言い訳をした。そして常々気になっていた、メイア達の態度のことを質問した。 「あんたからは、他の女のブレイブスと違う感じを受けたからな。メイアもそうだが、俺の周りには盛っている奴が多すぎるんだ。それをあんたから感じなかったから、その理由を教えてもらおうと思ったんだよ。ついでで良ければ、メイアやシルフ達が盛っている理由も教えてくれ」  構えていただけに、千博の疑問は拍子抜けのものだった。「そんなことか」と呟いたサークラは、「簡単なことだよ」と千博に笑ってみせた。 「今日のことが、ほとんどその答えになっているんだよ。ブレイブスなんて、本当に明日の事が分からないからね。ボクでもそうだけど、欲望に正直に生きているんだ。今日生き残った者は、今頃は多分相手を求めて慌てているんじゃないのかな。そうしないと、生きていることが実感できないと言う気持ちもあるんだ。メイアの場合は、そうだね、君が魅力的と言うのも大きいんじゃないのかな」  サークラの説明に、そこまでなのかと驚く気持ちが千博にはあった。ただ500名近く出撃して、今日の戦闘では約半数が死んでいたのだ。それを考えれば、サークラの説明には頷ける所があった。明日のことが分からないと言う不安を鎮める方法を、彼女達はそれ以外知らないと言うことだ。  本当なら、将来の展望を語ると言う物もあるのだろう。だが長い時間続けられた戦い、そして先の見えない戦いは、展望を語ることを許してくれなかったのだ。 「だから、歴代男性カヴァリエーレは節操無しでなければならなかったんだ。だってそうだろう、女性ブレイブスにとって男性カヴァリエーレは眩しい存在なんだよ。強くて自分を守ってくれて……惚れないほうがおかしいと思わないかい。だから男性カヴァリエーレは、可能な限りその気持ちに答えているんだよ」  そう言って少し寂しげに笑ったサークラは、だからと言って千博の意味を説明した。 「男女を問わず、9時のブレイブス達にとって君は特別な存在なんだよ。何しろ君のおかげで、弱小オーラが最大の戦果を上げたんだからね。しかも、誰一人として犠牲者が出なかったんだ。君がいれば大丈夫と言う気持ちが、そのまま君への思慕に繋がるんだよ。ボクのことは……」  そうだねと、サークラは少しさびしく笑った。 「ボクには、恋人が居たからね。だから、他の女性ブレイブスとは違っていたんだと思うよ」  一度腰を下ろしたサークラだったが、これで終わりと言って立ち上がった。そして千博が止めなかったこともあり、そのまま部屋を出ていこうとした。 「明日だが、もう一度話をしないか?」  扉を開けた所で、千博はそう声を掛けた。だがサークラは、何も答えず千博の部屋を出て行った。 「恋人が居た……過去形かよ」  サークラがカヴァリエーレをしている1時は、21名の犠牲者を出していたのだ。それを考えると、犠牲者の中に恋人が居たと考えても不思議ではない。くそっと千博が吐き捨てたのは、誰に対しての気持ちだったのだろうか。  その夜は、千博は誰の所にもいかなかった。だからと言う訳ではないのだろうが、翌朝早々不機嫌なミネアの強襲を受けることになった。千博の所に現れたミネアは、顔を見るなり「待ってたのに」と文句を言ってくれた。 「悪いな、昨日はそんな気持ちになれなかったんだ」  珍しく真剣に謝った千博に驚いたミネアは、「仕方がありませんね」と矛先を収めた。そして朝一に現れた理由を説明した。 「ドーレドーレが折れました。謝罪を兼ねて、これから会えないかと言ってきたのですが……どうします?」 「なんか、どうでもいい気がしてきたんだが……」  昨夜のことが尾を引いていたのか、千博は心が沈み込んでいた。ひょっとして、後悔という物をしていたのかもしれない。 「だが、会っておいた方がいいんだろうな」  任せると、千博はすべての差配をミネアに任せることにした。 「だとしたら、すぐに手配をする必要があるのですが……」  明らかに、今までとは千博の空気が変わっている。少し口ごもったミネアは、「どうかしたのですか?」と思い切って理由を尋ねた。 「別に、俺だってセンチになることもあるさ。そうだな、昨日の戦いで死んでいった奴らを悼んだとでも思ってくれ」 「でしたらいいんですけど……」  怒っているわけではないのに、千博は人を寄せ付けない空気を纏っていた。理解できない千博の変化に、少しミネアは怯えていた。だがそれ以上問いただすことも出来ないと、ドーレドーレとの話を優先することにした。こう言う時は、あまり構わない方がいいと考えたのである。  そしてミネアが部屋に来てから1時間後、9時の応接にシエルを連れてドーレドーレが現れた。前日とは違い、千博の側にはミネアとメイアが付き添っていた。9時として受けた以上、立ち会いをする必要があったのだ。  この日のドーレドーレは、黒一色のドレスを纏っていた。喪服のような格好は、失った命を悼んでいるようでもある。それに付き添うシエルも、首の詰まった黒の制服を身に着けていた。  一方ミネアは、薄い緑のワンピースを纏い、メイアは刺繍の入った紺の制服を着ていた。そして遅れて入ってきた千博は、いつものパーカーに、ビンテージのジーンズを履いていた。  千博が入ってきたのを認めたドーレドーレは、椅子から立ち上がって頭を下げようとした。だが千博は、ドーレドーレが謝罪の言葉を口にするのよりも早く、「謝罪はいらない」とぶっきらぼうに告げた。 「それから、俺が9時の副カヴァリエーレになって、13時に派遣されると言う話も忘れてくれ」  謝罪を否定したのは驚きこそすれ、千博らしいと思うところもあった。だが副カヴァリエーレになる話を否定したのは、ミネアですら考えていないことだった。どう言うことですかと声を上げようとしたのだが、先に千博に手で止められてしまった。 「クアドランテ筆頭への要求を変えることにした。基本的に、俺の扱いはあんたに任せることにする。ただ俺には、地球の奴らへの責任がある。あいつらが独り立ちができるまで、手を掛けてやらないといけないだろう。それから、俺にはエステリアとの約束がある。それさえ許してくれれば、それ以上身分について要求はしない。ミネアのところでも、あんたのところでも構わない。適当なのを考えてくれればそれでいい」  以上と言って千博はドーレドーレをまっすぐに見た。流石に事情を理解できないのか、ドーレドーレは唖然と言うのが一番ピッタリとくる顔をしていた。 「いえ、その、考えていたのとは違いましたので……ええっと、少し考えさせてくださいませんか?」  突き詰めていけば、要求としてさほど変わっていないのが実態だった。ただ違ったのは、地球とアースガルズを両立させる方法を考えることをドーレドーレに任せたことだ。付けた条件こそ多いように感じられるが、それにした所で元々ドーレドーレが意図した役割分担だった。 「ああ、後から教えてくれればいい。細かなことは、そちらに任せることにする」  それだけだと告げて千博が立ち上がった時、ドーレドーレとミネアに同時に非常事態が知らされた。昨日と同じ規模の襲撃が、別の地域で発生したのである。深刻なダメージが残っていても、各オーラは出撃しなくてはならなかった。 「申し訳ありません。私達は、これから戦闘に入ります。ですから、今の答えはこの戦いが終わるまで待っていただけないでしょうか?」 「今のままで、無事に乗り越えられると思っているのか?」  昨日と同じことをすれば、待っているのは手痛い敗北の繰り返しである。それを指摘した千博に、ドーレドーレは沈黙を答えとした。同じ戦いを繰り返せば、結果が同じになるのは明らかなことだった。  それでもヴァナガルズと戦うことが、彼女たちのレゾンデートルなのである。戦いに出ないと言う答えは、持ち合わせていなかった。 「では、後ほど……」  シエルに目配せをして、ドーレドーレは会談の場となった応接を出ていこうとした。そんな二人を、「待て」と千博は呼び止めた。 「これは、アースガルズの問題です。そしてアースガルズの問題は、クアドランテ筆頭である私が責任をもっているのです」  失礼しましたと去っていこうとしたドーレドーレに、もう一度千博は「待て」と命令した。 「俺の言うことを聞けば、一番被害の少ない方法を考えてやる。それでも、俺の言うことは聞けないか?」 「被害を抑える方法があると言うのですか!?」  最悪の事態を想定していることもあり、一も二もなく千博の言葉にドーレドーレは食いついてきた。その問いに、千博ははっきりと首肯してみせた。 「ああ、ゼロとは言わないが、最低限に抑えてやる。それで、俺の言うことを聞く気になったか?」 「……時間がありません。手短にお願いします」  自分に策がない以上、千博にすがるのは間違った判断ではない。ただ、いたずらに時間を浪費すれば、それだけ住民の被害が拡大することになる。昨日と同規模の被害を出せば、心理的に地上世界が成り立たなくなる。 「まずひとつ。すべてのオーラで、直接戦闘は行うな。機動兵器を出して、プレダトレだけを叩き潰せ。プレダトレがなければ、住民の被害はほとんど発生しない」 「ですが、アクアス異性体を自由にさせては、直接住民が食われることになります」  その程度の事なら、今までで何度も考えてきたことだった。そして結果が変わらないため、直接迎撃を行ってきた事情がある。  だが意味が無いと決めつけたドーレドーレに、千博はもう一つの対処を持ちだした。 「機動兵器がプレダトレを潰している間に、俺とシエルでアクアス異性体を叩く。サポートに何人かカヴァリエーレクラスを付けてくれれば、12箇所ぐらいさほど時間を掛けずに片付けることができるはずだ」  できるなと、千博はドーレドーレではなくシエルの顔を見て問いかけた。そしてドーレドーレの答えを待たずに、行くぞとメイアに声を掛けた。 「この戦いにも、北斗の奴を連れて行くぞ」 「まだ、早い気もしますが……」  だが、この状況では千博の言葉が絶対的な意味を持つ。分かりましたと首肯し、メイアは北斗に招集の連絡を入れた。そして他の配下には、グラニーでプレダトレを叩くように命令した。 「今日は、すべてのアクアス異性体を叩くからな」 「普通は無理と言う所なのですが……」  ふうっと息を吐き出したミネアは、微苦笑を浮かべて千博の顔を見た。 「あなたの場合、本当にやってしまいそうな気がします」  ご武運をと言って、ミネアは千博に勝利の口づけをした。 「いくぞ、シエル。グズグズするな!」  迷っている暇など無い。千博の命令に、シエルは覚悟を決めて首肯した。  シエルの決断を認めたミネアは、「すぐに行動を」とドーレドーレに助言した。 「ドーレドーレ様、必要な指示を各オーラに伝達してください。そして補助として、直接戦闘を行うカヴァリエーレを集めてください。グラニー隊は先行して出撃させます」  レーシーとサポートAIを呼び出したミネアは、ヴァルキュリアとして千博の指示を9時のブレイブス達へと伝えた。これで相手がベスティアを出してこない限り、プレダトレ殲滅に時間が掛かることは無いだろう。そしてベスティアを出してきてたとしても、グラニーならば互角以上に戦うことができる。巻き添えで命を落とす住民が出るかもしれないが、全滅するよりは遥かにましな選択に違いなかった。  ミネアの言葉に、ドーレドーレはため息を返した。 「まったく、どちらが筆頭か分かりませんね」  もう一度ため息を吐きかけたドーレドーレは、漏れ出る息を飲みこみサポートAIを呼び出した。 「レーシー、各オーラに出撃を命じなさい。基本はグラニーによるプレダトレの殲滅とします。なお、以下の者は、9時に集合しアクアス異性体撃破に当たって貰います。0時カヴァリエーレ、シエル・シエル。1時カヴァリエーレ、サークラ。2時カヴァリエーレ、シリウス。6時カヴァリエーレ、カノン。9時カヴァリエーレ、メイア。それ以外のカヴァリエーレは、ベスティア襲撃に備えてください。各自迅速な行動を期待します」  必要な指示を出し終わったドーレドーレは、「私は」と言ってミネアの顔を見た。 「このまま9時で、全体指揮を執ります」  宜しいですねと確認されたミネアは、小さく首肯し「こちらに」とドーレドーレを案内した。  9時の会議室に千博が入った時、すでに北斗は準備を終えて待っていた。ただ意外だったのは、アラン以下24名も集まっていたことだ。今回千博は、彼らに出撃命令を出していなかった。 「アラン、これはどう言うことだ? 俺は、お前達を呼んでいないぞ」  教官こそしているが、彼らの身分は合衆国にあったのだ。そして今日の出撃は、明らかに研修の範囲を超えていた。それを考えると、彼らを巻き込むのはやり過ぎと言う事になる。しかも昨日の戦いのせいで、弾薬は底をつきかけていたのだ。  暗に帰れと命じた千博に、アランは直立して抗弁の言葉を口にした。 「いえ、これも研修の一環だと考えています。昨日は3チームを一つのグループとしましたが、本日は2チームを一つのグループとすることを考えています。条件の良い実戦経験は、可能な限り積んだ方が好ましいかと考えております!」 「弾薬の補給もなく出撃するのが、条件の良い出撃か?」  違うだろうとの指摘に、アランははっきりと否定の言葉を口にした。 「撃破を目的としない場合、弾薬の消費は最小限となります。それに少しの時間支えれば、教官殿が始末してくださるでしょう。それからこれは私の推測になりますが、支援の数は多いほど良いのではないでしょうか。我々が個別撃破に打って出た場合、敵を引き寄せることになるかと思います」 「だから、お前達には荷が重いと言っているんだが……」  ふうっと息を吐き出した千博は、「感謝する」とアランに頭を下げた。これで、一番懸念していた数の問題も解決する。いくら策があっても、10倍の敵と相対するのは、さすがに千博でも大丈夫と言う事はできなかった。  千博が頭を下げてすぐ、各オーラから指定されたカヴァリエーレが集まってきた。前日色々とあったが、全員がすでに十分猛っていた。そこで意外だったのは、シエルがシルフを連れて現れたことだ。戦力としては頼もしいが、13時の守りを考えた場合には問題のある行為である。  だが千博が問題を指摘する前に、「エステリア様のご指示です」とシルフが先手を打った。 「チタニアが協力してくれるので、手伝って来いと言われました。千博様とシエル様の戦いを学んで来いとも仰ってましたので」  そう言うことですと頭を下げられ、千博は小さくため息を返した。確かにチタニアならば、エステリアの安全に不安は無いのだろう。だがヴァルキュリアが、敵に頼ると言うのは問題となる行動のはずだ。 「ヴァルキュリアを、アクアス異性体が守るのか?」 「先日のこともあり、チタニアを信用されたと言う事です」  そこまで言われれば、千博もシルフの参戦を否定できない。エステリアなりに考えたのだと思えば、尊重してやらなければとも考えていた。 「時間が惜しい。すぐに作戦を伝達する」  プレダトレさえ押さえてやれば、住民への被害拡大速度は押さえることができる。それでもアクアス異性体を自由にさせては、無駄に被害を積み上げることになる。 「アクアス異性体は、俺とシエルで始末をつける。諸君に期待するのは、俺とシエルの背中を守ることだ。役割に不満はあるだろうが、これが一番安全かつ早くアクアス異性体を排除する方法だと考えている。なんだシリウス?」  言ってみろと指名されたシリウスは、少し挑戦的な視線を千博に向けてきた。そしてカヴァリエーレとしてのプライドからの言葉を口にした。 「なぜ、俺達が倒してはいけないのだ?」 「俺が、お前達の力を知らないからだ。状況を見て撃破に切り替えるかもしれないが、それまでは俺達の背中を守ってくれ」  頼むと頭を下げられれば、シリウスも引き下がらざるを得なくなる。まだ納得できないと言う顔をしていたが、「理解した」と引き下がってくれた。 「では、これ以上は時間の無駄だ。最後に一つ注意をしておく。絶対に無理をするな。危ないと思ったら、俺とシエルに獲物を回せ。指示は以上だ。直ちに全員出撃する! シエル、人口密度の高い所を最初の迎撃ポイントにするぞ!」  そこを優先することで、住民の被害を最小限に抑えることができる。千博の指示に首肯し、シエルはサポートAIを呼び出した。 「レーシー、全員をウマニに移動させろ。順番は私を先頭に、新堂殿を次にしろ」  不意打ちを避けるためには、自分が一番で突入するのが好ましい。その指示に、千博は異論を挟まなかった。自分が一番手と主張する、シエルの矜持を尊重したのである。  ウマニと言うのは、アースガルズ本星における穀倉地帯の一つだった。超大規模農営により、コロニーにも食料を供給する重要地帯となっていた。人口密度自体は低いのだが、それでも5千人ほどの人々が生活を営んでいた。同時に襲撃を受けた他地点と同様に、アースガルズの屋台骨を支える地域の一つでもある。そこをヴァナガルズは、第二弾の襲撃地点として選んだのだった。 「やはり、直接戦闘は避けてきたか」  出動したグラニーを見たタラッサは、つまらんとため息交じりに漏らした。前日のこともあり、必死になったブレイブスと戦いたいと思っていたのだ。それほどまでに、前日の戦いは刺激的なものになっていた。ただ一方で、自分でも少しやり過ぎたかと反省もしていた。あそこまで叩き潰すのは、もともとの予定にないことだったのだ。それでも攻撃指示が出された以上、真面目にアースガルズを攻めなくてはならなかった。 「ネレイド達を殺した奴と遣り合いたかったのだが……」  次々と駆除されていくプレダトレに、タラッサはもう一度つまらんと息を吐き出した。ベスティアを出して相手にをしてもいいのだが、それは彼の望む戦いではなかったのだ。  そんなタラッサの元に、ブレイブス出撃の知らせが入ってきた。ようやくかと喜んだのだが、その喜びもつかの間、天敵とも言えるシエルが姿を現した。 「ちっ、学習能力が無いのか奴らは……」  シエルが来た場合は、直接相手にせずはぐらかすのが方針として伝えられていた。その効用は、前日の戦いで確認されたものだった。おかげでこちらの被害はゼロで、0時のブレイブスを大勢食らうことができたのだ。今日もまた、その方針で行くかとタラッサは考えた。 「プサマテ、ラリッサ、デスピナ、ガラテア、シエル・シエルをまともに相手にするなっ」  全日と同じ方針を伝えたタラッサは、芸が無いとアースガルズの対応を笑った。 「よりにもよって、シエル一人を送り込んでくるとはな」  遊んでやるかと考えたところで、新たな人影が彼らの目の前に現れた。白のパーカーにビンテージのジーンズ、それに紺のデッキシューズと言う、場所を間違えたとしか思えない格好をした男だった。そして右手には、特徴的な赤樫でできた木刀が握られていた。伝え聞いたのと同じ特徴に、タラッサは歓喜の表情を浮かべた。 「アースガルズも、なかなか気の利いたことをしてくれるじゃないか」  そう言って口元を歪め、仲間達への指示を変更した。 「プサマテ、ラリッサ。シエルを自由にさせるな。俺とデスピナ、ガラテアで奴を始末する!」  売出し中の若手を始末するのは、アースガルズのさらなる混乱を招くことになるだろう。しかもなかなか強いとの評判なのだから、自分達も十分に楽しめると考えたのだ。「行くぞ」と仲間に声を掛け、タラッサは千博を仕留めに掛かったのである。 「また、足止めかっ!」  単独で来たのに、アクアス異性体の戦い方は消極的なものだった。自分との距離を間違えず、時折接近しては離れると言う、双方決定打とならない攻撃を始めてくれたのである。その結果がどうなるのか、シエルは前日の戦いで嫌と言うほど思い知らされていた。  それにシエルが歯噛みをした時、少し離れたところに千博が送り込まれてきた。少しでも減らしておこうと言うシエルの考えは、いきなり頓挫したことになる。しかも敵が、明確に千博を的と捉えてくれたのだ。さすがにまずいと支援に入ろうとしたのだが、巧みな牽制でそれもできなくなってしまった。この辺りの対応も、前日の繰り返しとなってしまった。 「ふん、予想通りと言うことか。舐めて貰って助かったと言う所だな」  いきなり3人に取り囲まれた千博は、木刀を握る右手に力を込めた。シエルが弄ばれるのは、初めから計算の内だった。 「いいのか、たったの3人で?」  誰がリーダーなのか分からないこともあり、千博は適当に挑発の言葉を吐いた。 「ああ、これで十分だろう。シエル・シエルの支援を当てにしても無駄だぞ。お前は、シエルが来る前に食われるのだからな。ちょっと顔が売れたからと言って、いい気になった報いだと思うことだ」  そこで仲間に目配せをし、タラッサは瞬間移動で千博に迫ろうとした。だがその動きを見せる前に、逆に千博が目の前に現れてくれた。何をと言う間もなく、タラッサの体は宙を舞っていた。  そしてタラッサが背中を地面に打ち付けられた時には、すでにデスピナの体が崩れ落ちていた。たった一撃、木を削っただけの武器で、仲間の一人が殺されたのである。そしてタラッサが起き上がった時には、ガラテアの首が飛ばされ、わき腹に木刀が突き刺されていた。 「言っただろう、良いのかって?」  そのまま木刀を担いで、千博はゆっくりとタラッサとの間合いを詰めた。3対1と圧倒的に有利だった戦いが、あっという間に1対1に変えられてしまったのだ。しかも、とても対等とは思えない状況に追いやられたのである。さすがにまずいと振り返ったタラッサは、残ったプサマテとラリッサに「引くぞ」と命令を出した。  予想外の出来事に、他の二人も動揺を隠せなかった。シエルがその隙を突くべく突進したのだが、レヴァントが彼らを切り裂くのよりも一歩早く、その姿は組紐の向こうへと消えて行った。追加人員が送られてきたのは、アクアス異性体が消えたのと同じタイミングだった。 「なぜ、敵を見逃してやったっ!」  敵が消えたのを確認したシエルは、いきなり千博に詰め寄ってきた。自分が相手にしていた二人は無理だが、敵のもう一人は仕留めることができたはずなのだ。シエルの目には、敢えて見逃したように映っていた。 「なんでって、一網打尽にするために決まっているだろう。ちまちまと、12カ所で個別撃破なんかやっていられるか」 「だけど、一カ所に集まられると敵は数的有利な状況となるんだけどね」  口を挟んできたサークラに、「それぐらいのことは分かっている」と千博は答えた。 「そこに、敵の油断が生まれるんだ。なぁに、その対策ぐらいはすでに打ってある」  なあと顔を見られたメイアは、小さく首肯して敵の集合位置を報告した。 「総数58が、クラピに集まっているようです」 「と言う事なので、全員クラピに移動するぞ。今度は、順番を付けるような真似をするなよ」  千博の言葉に、ちょっと待てとシエルが反対をした。 「58も待ち構えているのだ。そこに飛び込んでいくのは、自殺行為だとサークラが言ったはずだ」  承服しがたいと主張したシエルに、うるさいなぁと千博は顔を顰めた。 「だから、策ぐらいあるって言っただろう。つべこべ言わずに、俺達をクラピに移動させろ。今度余計な真似をしたら、この場でひん剥いて犯してやるぞ!」  さっさとやれと命令され、しぶしぶシエルはサポートAIを呼び出した。 「レーシー、全員をクラピに移動させろ」  そう命じたシエルは、今までになく厳しい顔で千博を睨み付けた。 「大言壮語した以上、できなかったでは済まさんぞ!」 「その時には、似て食うなり焼いて食うなり犯すなり好きにしてくれ。そんなことより、さっさと俺達を飛ばせ!」  千博に急かされたシエルは、サポートAIに組紐制御を実行させた。こうして、千博を含む32名が決戦の地クラピへと飛ばされていった。  絶対にあいつは性格が悪い。機動兵器グラニーに乗ったキャパは、記憶の中の千博に悪態を吐いていた。自分を直接戦闘に出撃させなかったかと思えば、こんなおいしい役目を回してくれたのだ。彼のヴァルキュリア、ルサルカ経由で伝えられたのは、戦いの帰趨を決める重要な役割だったのだ。 「しかし、頼もしい存在であるのは否定できないか」  彼の愛機、ジルベットはサポートAIから敵の集結地点の情報を得ていた。そこで凄いと感心したのは、教えられたとおりに敵が密集していたことだった。あれだけ密集してくれていたら、周りの被害を気にせず攻撃することができる。 「ジルベット。威力を絞って、ファイアーボムを実行する。ターゲットは、アクアス異性体だ」  自分に言い聞かせるようにしたキャパは、目をつぶってファイアーボムのイメージを作った。必要なのは、破壊力ではなく回避を不能とする速度だった。それをイメージし、キャパは比較的小さな……人の体の大きさからすれば十分大きな火球を目の前に作り上げた。これをぶつけられれば、さしものアクアス異性体も蒸発すると言う代物である。 「多少は残しておけ……か。むしろ全滅を指示されたらどうしようかと思ったぞ」  火球が十分な熱量に達したところで、キャパは攻撃先を示すように右手でアクアス異性体の集合地点を指差した。そしてその動きから少し遅れ、目の前の火球が消え目差した地点で小さな爆発が起こった。 「やはり、打ち漏らしが出たか」  ふんと鼻から息を吐き出したキャパは、恐ろしい奴と改めて千博のことを見直した。そして同時に、アクアス異性体に対して溜飲を下げた気持ちになっていた。昨日は何もできずに蹂躙されたのだが、今日はこうして仕返しをすることができたのだ。これで部下の仇を討てたと言う気持ちになったのも確かだった。 「新堂千博……か」  生意気な顔を思いだしたキャパは、やはり気に入らないと顔を顰めたのだった。  クラピに飛ばされた一同は、何事が起きたのだと焦げ臭い辺りを見渡した。そして一人平静を保つ千博に、説明しろと詰め寄ったのである。  だが千博は、説明ではなく残ったアクアス異性体の方を指差した。 「お前ら、まだ敵は残っているんだからな。説明とかは、後回しにするぞ」  ざっと確認した範囲で、アクアス異性体は15体ほど残っていた。戦力的には敵の方が上回っているのだが、だからと言って圧倒的不利と言うほどでもなくなっていたのだ。  作戦開始と全員に命じた千博は、自分の受け持ちに行かずにサークラの所に駆けよって行った。 「おいおい、ここはキミの受け持ちじゃないだろう」  最初から作戦を無視した千博、サークラは苦笑交じりに注意をした。そんなサークラに、確認だと千博は口元を歪めた。 「1体だけ、お前に任せてやろうと思ってな。希望があれば、最大限叶えてやるぞ」  千博の言葉に目を大きく見開いたサークラは、顔を伏せて「敵わないな」と吐き出した。 「全部、お見通しってことかい」 「俺は、女性には優しいんだよ」  そう嘯いた千博に、サークラは小さく溜め軌を吐いて見せた。 「じゃあ、お言葉に甘えて」  そこでサークラは、あいつと言って女性形態のアクアス異性体を指差した。 「あいつの名はアリエル。僕のリシャオを食ってくれたんだ」 「オーケー。だったら、あいつの始末はお前に任せる」  それだけだと言い残し、千博は自分の受け持ちへと向かっていった。その背中を見つめたサークラは、もう一度「敵わないな」と吐き出した。そしてアリエルを一度睨んでから、自らの戦いへと向かっていった。 「リシャオ、一緒に行こうか」  彼女の両手には、愛用している2本の剣はない。代わりにあったのは、鈍い光を放つ長めの剣だった。それは、彼女の恋人が生前愛用していた、オウカと言う銘を持った剣だった。  相手が悪かった。それが、戦いを俯瞰していたアランの感想だった。圧倒的多数を集めたつもりが、逆に罠に嵌ることになってしまったのだ。戦いを有利にしようと考えたことが、逆に墓穴を掘る結果となったのである。動きやすいようにと開けた場所を選んだのも、千博の注文通りだと理解することが出来た。  この戦いにおいても、彼のチームは正常に機能していた。そのあたりは、敵の動揺を差し引く必要はあるのだろう。それでも、一人一人が期待通りの動きができているのは間違いない。これで、2チームでもアクアス異性体と渡り合えることが確認できたのだ。自分を含めれば、最大4体と渡り合うことが出来る。そこに13時のブレイブスを加えれば、エンゼルススタジアム襲撃程度なら、余裕で撃退することができるだろう。 「今更だが、認めるしかないのだろうな」  戦いを有利に進めている立役者は、現在一人で5体のアクアス異性体を翻弄していた。もう一人のエースが3体だと考えると、すでに力関係は逆転しているように見えた。 「奴は、本当にハイ……いや、その先入観が間違っていたのか」  他のカヴァリエーレ達は、目先の戦いをこなすので精一杯に見えたのだ。だが一人千博だけは、周りに気を配りながら指示も飛ばしていた。そのおかげで、アランは何もすることが無いと言うのが実態だった。これならば、自分も戦いに出た方がましだと思えたぐらいだ。  ただアクアス異性体の数は、当初より1体も減っていなかった。そのあたりは、千博が仕留めていないのが大きな理由だろう。さすがに5体は無理かと考えた時、千博から「状況報告」の指示が飛んできた。 「はい、現在互角と言う所です。各班は、ほぼ互角に敵と渡り合っています。撃破できていないことを除けば、当初の作戦通りかと思われます」  アランの想定は、千博が自分の部分が予定外だと考えることだった。だが千博から来た指示は、自分ではなくシエルに向けられたものだった。 「はい、シルフ様への指示を変更されるのですね。目の前の奴を撃破し、シエル様への支援を行えと。ところで、教官への支援は必要ないのですか? そちらは、1対5になっていると思いますが」  支援が必要だとしたら、むしろ千博の方だと思っていた。だが返ってきたのは、余計なことをするなと言う答えである。アランでなくても、ため息の一つも吐きたくなる答えだった。  そうは言っても、正式な指示であるのは間違いない。アランの指示は、サポートAIを経由してシルフへと伝えられた。 「霧島北斗も、完全に独り立ちをしたと言うことか」  よほど女性に縁があるのか、北斗は女性型のアクアス異性体と戦っていた。アランが観察した通り、危なげなく敵を抑え込んでいるように見えた。 「さすがは13時の筆頭……いきなり敵を始末してくれたか」  そしてシルフにも、千博は大きな影響を与えていたのだ。それは、指示が出た途端敵を撃破したことが証明していた。  感心していたアランに、もう一度千博から連絡が入った。流石に支援の依頼かと思ったら、他のカヴァリエーレの状況確認だった。 「はい、特に変化はありません。サークラ様ですか? どうやら、苦戦しているようですね」  それでと確認したアランに、千博は放置を命じた。 「はい、危なそうなら教えろと……ですが、教官もギリギリではないのですか?」  ずっと一人で5体を相手にしているのだから、本来他人を気にしている余裕はないはずだ。そのつもりで聞いたアランに、「別に」と普段通りの答えが返ってきた。 「ですが、一番支援が必要なのは教官ではありませんか? ゴルフをそちらに回しましょうか?」  現状で支えられていることを考えれば、少しの支援で状況は好転するはずだ。そのつもりで支援を口にしたアランだったが、「余計なことをするな」と叱られてしまった。そしてあろうことか、そろそろ始末をつけるとまで言われてしまった。 「いや、ですが……」  千博が屋台骨を支えていることを考えれば、あまり危険な目に遭わせるわけにはいかない。それを気にしたアランに、千博はもう一度「黙って見ていろ」と命令してきた。  アランを黙らせた千博は、5体のアクアス異性体と向かい合っていた。戦いが始まって10分以上経過したのだが、千博にしては珍しく1体も仕留めることができていない。5体がうまく連携しているのが、手こずっている理由に見えた。 「我ら5人相手に、良く頑張っていると褒めてやろう」  ハリメデと名乗った男は、上から目線で千博の奮闘を褒めた。ここまでの戦いで、千博にまともに攻撃をさせていなかったのだ。圧倒していると言う意識が、ハリメデには有った。 「それは、俺のセリフなんだが……まあ、退屈をしないで済んだと言うところだな」  木刀を肩に担ぎ、千博は首を2、3度左右に傾けた。こきっと言う音が、首のあたりから聞こえてきた。 「ただ、そろそろ頃合いだな。ここまで付き合ってもらって悪いが、お前達を始末させて貰う」 「なにを寝ぼけたことを言っている!?」  今まで手も足も出ていなかったくせに、言うに事欠いて「始末させて貰う」なのだ。ハリメデが嘲笑するのも、これまでの状況を考えれば不思議なことではなかった。  戯れ言をと笑ったハリメデは、仲間のナイアド、ネソ、ラオメディア、サオに合図をした。膠着した戦いを打開するため、そろそろ千博を始末するかと考えたのだ。その意を受けた4人は、高速移動を繰り返しながら千博の間合いへと入っていった。そしてハリメデは、飛び上がって上から千博を狙った。四方+上からの同時攻撃は、回避不能の攻撃と思われた。 「ふっ、甘いな」  だがその攻撃は、千博の予想を超えるものではなかった。接近するナイアドに逆に近づき、懐に潜り込んでその体を跳ね上げたのである。そして跳ね上げられたナイアドの体は、上から襲いかかるハリメデと衝突した。  そのままバランスを崩して地面に激突した二人は、崩れ落ちていくネソとラオメディアを目撃することになった。いったい何がと驚く間に、今度はサオの体が形をなくして崩れ落ちていった。 「な、何が起きたのだっ!」  まさか助っ人がと辺りを見渡したのだが、自分達の近くには千博以外の敵は居なかった。そんなことはあり得ないと千博から距離を取ろうとしたのだが、ハリメデが動くのよりも早くナイアドが悲鳴を上げて崩れ落ちていった。その時ハリメデが見たのは、木刀がナイアドの胸に突き立てられる光景だった。 「まあ、お前達はよく頑張ったほうじゃないか?」 「お、お前は、化け物かっ!」  あり得ないと逃げようとしたハリメデだったが、千博の動きの方が一歩早かった。瞬間移動しようと意識が反れたちょうどそのタイミングで、千博の木刀が右脇腹を抉ってくれたのだ。狙ったように繰り出された攻撃は、たった一太刀でハリメデにとどめを刺してくれた。その結果、千博の周りにはアクアス異性体だったものが積み上げられることになった。 「アラン、こっちは始末をつけたぞ。それで、他の状況はどうなっている?」  特に汗を掻いた様子もなく、千博はぐるりと辺りを見渡した。シルフを投入した効果か、シエルの方も始末が付いたようだった。これで、シルフと併せて9体のアクアス異性体を始末したことになる。残りは6体と考えれば、撃退は時間の問題になっていた。 「これから順番に潰していくので、始末をつけられる奴は始末をつけていいと通達してくれ」  これで、やるべきことはほとんど終わったことになる。さてと小さく呟き、千博はサークラが戦っている方に向かうことにした。 「さて、手助けぐらいはしてやるか」  あくまでアリエルを倒すのは、サークラでなければならない。どうするのが一番いいのか、その方法を千博は考えながらサークラの方へと向かった。  単独でアクアス異性体を倒せる力を持つサークラだったが、今日の戦いではむしろアリエルに押されていた。アリエルが強いと言う事情はあるが、それ以上にサークラはいくつか問題を抱えていた。その一つが、使い慣れない武器を使っていることだろう。普段のサークラは、ケルベーロスとユエと言う2本の剣を使いこなしていたのだが今日の戦いは、亡くした恋人の形見オウカを使っていたのだ。男性用と言うこともあり、オウカはかなり重いものだった。その重さが、サークラの特徴である早さを消していた。  だがそれ以上の問題は、サークラの精神状態だろう。恋人の敵と言う思いが、必要以上に彼女を力ませていたのだ。そのせいで、さらに彼女の特徴を消していたのである。しかも冷静な対処ができないため、あらゆる局面で後手を踏むことになってしまった。 「まあ、気持ちは分からんでもないが……」  その程度の事なら、戦いを見ればすぐに理解することはできる。アーセルとメイアから聞かされた評判とは、あまりにもサークラの戦い方が違っていたのだ。気持ちが入りすぎていること、武器の扱いが上手く言っていないこと、それがすべて一つの理由に帰結していたのだ。  すでに作戦としては、千博とシエルが遊撃的に撃破していく部分に移っていた。だが千博は、当初の予定を履行しなかった。この敵だけは、サークラに始末させようと考えたのだ。だが多少遅らせたぐらいでは、サークラは敵を討つことは出来なかった。  ここで自分が出て行けば、一瞬で勝負がつくのは分かっていた。そしてこれ以上時間を掛けると、敵が逃げ出すのも同様である。昨日の負けを精算するためには、アクアス異性体を全滅させなくてはならない。だからと言って、サークラの気持ちを蔑ろにしていいわけではないと思っていた。  普段の千博ならば、サークラに関係なくアリエルを始末していただろう。だがサークラに対する同情が、手を出すことにブレーキを掛けていた。 「だが、仕留められないとさらに悪い事になるな」  自分に対するもどかしさか、サークラの動きは更に悪くなっていたのだ。ここで敵を取り逃がそうものなら、精神的に立ち直れなくなる可能性もある。  幾つかのプランを検討しては否定し、千博はどうするべきかを猛烈な勢いで考えた。そして辿り着いた結論に、行くかとゆっくりサークラの戦場へと歩き始めた。 「おや、売出し中の坊やってのはあんたかい?」  サークラと遊んでいたアリエルは、千博を見てニヤリと口元を歪めた。倒しきることは出来ないが、サークラは敵ではないと思っていたのだ。そこにもっと美味しそうな獲物が現れたのだから、乗り換えない手は無いと思ったのである。 「なんだ、俺も随分と有名になったものだな」  そう答えて口元を歪めた千博は、下がっていろとサークラに命じた。そして背中越しに、「がっかりした」と告げた。 「リシャオだったか、あの世でがっかりしているだろうな。愛したカヴァリエーレが、こんな弱虫だったとは」  アリエルの攻撃を躱しながら、さらに千博はサークラに語り掛けた。 「それとも、リシャオとやらの後を追ってこいつに食われるつもりだったのか? それこそ、あの世でリシャオとやらががっかりするだろうな」  切りかかってきたアリエルを、千博は木刀を使わずに避けてみせた。すでに動きが手の内にあるのか、アリエルの攻撃はかすりもしなかった。 「お前、カヴァリエーレは眩しい存在とか言っていなかったか。今のお前の姿が、部下にとって眩しい存在に見えると思うか? 自分で手足を縛って、頭に血を上らせた無様なお前が眩しいか?」  お笑いだと言い放った千博は、いい加減目を覚ませとサークラを叱った。 「今のお前は、リシャオが憧れたお前なのか? 自分のスタイルを捨て、使い慣れない剣を振り回すのが憧れの存在なのか?」  サークラを叱りながら、千博は木刀のお尻でアリエルのおでこを突いた。あうっとのけぞったアリエルは、瞬間移動して千博の後ろをとった。そこで食おうとして手を伸ばしたのだが、後ろも見ないで振られた木刀に切り落とされた。  とっさに手首から先を復元させたアリエルは、千博から距離を取ろうと瞬間移動しようとした。だがそれよりも早く動いた千博は、手慣れた様子でその体を放り投げた。そして止めも刺さずに、「飽きた」の言葉を残して二人に背中を向けたまま別の戦場へと歩き始めた。 「随分と人のことを舐めてくれるじゃないか」  敵に無防備に背中を見せるのは、食ってくれと言っているようなものだ。しかも、さんざん自分のことをコケにしてくれたのだ。舐められたと感じたアリエルは、絶対に許さないと千博を追いかけようとした。だが瞬間移動しようとしたアリエルは、目の前に突き出された一本の剣に動きを止められた。その剣には、持ち手の所に赤い宝石が付けられていた。 「なんだ、まだ居たのかい? 悪いけど、あんたの相手は面白く無いんだよ」  あっちへ行けと追い払おうとしたアリエルだったが、脇腹をざっくりとえぐられ慌てて距離を取った。 「おや、武器を変えたのかい? それぐらいでどうにかなるなんて、私も舐められたものだね」  ふふっと嘲笑ったアリエルは、先にサークラを始末することにした。周りを見てみると、殆どの仲間が討ち取られていたのだ。そうなると、いつまでも長居をする必要も無い。とっとと撤退すべきなのだが、このまま逃げるのも癪に障ると考えたのだ。  そしてアリエルは、今までの戦いと同じく高速移動を繰り返してサークラの隙を伺った。 「可哀想に、仲間に見捨てられたんだね。それとも、恋人の後を追わせてやろうって親心なのかい? だったら、私も願いを叶えてあげないといけないねぇ」  後ろを取ったと、アリエルは一気呵成にサークラに襲いかかった。両手を剣に変え、ハサミで切るように挟みこむように振り下ろした。  今まさにサークラの首が切り落とされる。そう見えた瞬間、アリエルはサークラの姿を見失った。振り下ろした両手は盛大に空を切り、勢い余ったアリエルは前につんのめった。 「何がっ!」  予想外の出来事に、アリエルは慌てて体勢を立て直そうとした。だがその瞬間煌めいた光に、その体はナマスに刻まれた。 「何が……」  唯一残った頭には、信じられないと言う驚愕の表情が浮かんでいた。そしてその頭が地面に落ちる前に、再び光が煌めいた。アリエルが最後に見たのは、両手に剣を持ったサークラの姿だった。 「なんだ、やれば出来るじゃねぇか」  終わったとサークラがへたり込んだ所に、追加で1体を始末した千博が戻ってきた。上から見下ろすような態度の千博に、苦笑を浮かべながらサークラは文句を言った。 「キミは、女性に優しいんじゃなかったのかい?」  苦笑したサークラに、「優しいさ」と千博は嘯いた。 「だから、アリエルとかを倒さないで残してやっただろう?」 「違うよ。どうしてボクを抱き起こしてくれないんだい?」  だから優しくないと主張したサークラに、そう言うことかと今度は千博が苦笑した。 「確かに、手を貸すぐらいはしないといけねぇな」  ほらと言って、千博は右手をサークラに差し出した。そしてサークラがしっかり握ったのを確認し、ぐいっと力を入れて小さな体を引き起こした。 「抱き起こしてはくれないんだね」 「言っただろう。俺は、子供っぽい女は趣味じゃないんだって」  にかっと笑った千博に、「酷いね」とサークラは半泣きの顔で文句を言った。 「せっかく、キミのことを見直したのに」 「俺も、お前のことを見直したんだから合子だろう?」  手を離した千博は、「帰るぞ」とサークラに声を掛けた。そして戦いが終わった仲間の方を指差した。すでにすべてのアクアス異性体とプレダトレは排除され、2日目の戦いはアースガルズ側の完全勝利に終わっていた。それでも住民の被害は出たが、前の日に比べれば桁違いに小さなものだった。 「ああ、流石に2日連続は辛いね。早く帰って、ゆっくりと休みたい気持ちだよ」 「俺も、ゆっくりと休みたいんだがなぁ……流石に、今日は許して貰えそうにないな」  困ったものだと、少しも困った顔をせずに千博はぼやいた。その態度がおかしくて、サークラは口を抑え体を屈めて笑った。 「やっぱり、キミは稀代のカヴァリエーレになれるよ」 「あまり、褒められた気持ちがしないんだがな」  まあいいと笑った千博は、「シエル!」と大きな声で筆頭に声を掛けた。 「全員撤収だ。希望があれば、簡単な反省会をやってもいいぞ!」  千博の命令に、「ああ」とシエルは大きく首肯した。 「そうだな、色々と教えて貰いたいことがある。やはり、反省会は必要だろう」  そう答えたシエルは、サポートAIに帰還を命じた。 「レーシー、全員を9時に運んでくれ!」  本来戦いが終われば、それぞれのオーラに帰るものと決まっていた。だがシエルの指示に、誰も異論を挟むことはしなかった。その場に居たすべての者が、今日勝利が出来た理由を理解していたのだ。その感謝をするためにも、9時に集まらなければと考えていた。  前日の惨敗は、翌日の完勝で心の埋め合わせは出来たのだろう。それでも体勢の立て直しは、待った無しとなっていた。体制を立て直すためにも、千博の話を聞かなければと全員が感じていたのだ。  ドーレドーレが居たこともあり、クアドランテのメンバーは9時に集まっていた。そして無事戦闘が終了したことに、全員が大きく安堵の息を漏らしたのである。それほどまでに、彼女たちは酷い不安を抱えていたのだ。そして今日の勝利は、とても大きな意味を持っていた。 「まだ、被害状況の把握はできていませんが……」  そう口にしたドーレドーレの顔にも、どうしようもないほど安堵の表情が浮かんでいた。絶望を乗り越えただけでなく、示された結果は最善に近いものだったのだ。 「住民の被害は、かなり少ないのは確かでしょう。農耕地への被害も、格段に小さいと期待できます」  適切なグラニーの派遣による迅速なプレダトレの排除は、人的被害を最小限に抑えるものだった。巨大兵器の活動による農耕地への被害は出たが、それにした所で限定的な物でしかなかった。考え得る中での最善と言う思いは、集まったヴァルキュリア達に共通したものだった。しかも前日の戦いとは違い、ブレイブスの被害は発生していない。その上大怪我をした者もいないと言う、戦い自体は完勝に近いものとなっていた。集まったヴァルキュリア達が安堵しているのも、状況を考えれば当然のことなのだ。  ただ筆頭の立場を考えれば、これで終わりと言う訳にはいかない。今後の体制、および迎撃方法についての確認が必要となる。だからドーレドーレは、臨時のクアドランテ開催を提案した。 「それは、今すぐでなければいけないのですか?」  次席として確認したハイドラに、ドーレドーレはしっかり首肯した。 「はい、皆さんと意識を共有したいと思っています」  そう答え、ドーレドーレは勝利の立役者となった千博の名を挙げた。 「私の責任問題ともなった新堂様のことですが、この戦いの前にお話をさせていただきました。そこで新堂様は、テッラとエステリアへの責任が果たせれば、ご自身の身分は私に一任してくださると仰ってくださいました。間もなく新堂様が戻られるかと思いますので、皆さんのご意見を伺いたいと思っています」  宜しいですねとの問いかけに、ミネアが挙手して意見を求めた。 「これまでの経緯を考えれば、9時のカヴァリエーレになっていただくのが宜しいのではないでしょうか。そもそも最初の要求は、9時の副カヴァリエーレとなりテッラに派遣して貰う事でした」  千博が取り下げたとは言え、要求条件として一度口から出されたことには違いない。それを持ち出したミネアに、ドーレドーレは首肯してみせた。 「そうですね、この戦いの前までは私もそう考えていました。ですが、今回の戦いでそれでは不足だと考えるようになったのです。ですから、皆さんにご意見を伺おうと考えた訳です」 「9時のカヴァリエーレではないと?」  驚いた顔をしたミネアに、ドーレドーレは「はい」と言って首肯した。 「そのために、ヴァルキュリアとブレイブスの役割を考えてはみてくれませんか? 新堂様の果たした役割は、はたしてブレイブスの物でしたでしょうか?」  そう問いかけを発したドーレドーレは、答えを待たずに自分の考えを口にした。 「確かに、新堂様はアクアス異性体との戦いで顕著な功績を上げられています。今回の戦いで、一番多くの敵を倒したのは新堂様です。その功績は、シエルの代わりに筆頭を任せても良いものだと思っています」  ですが、と。ドーレドーレはそれだけではないと話を続けた。 「ブレイブスの役割は、武を突き詰めていくことです。ですが新堂様は、智の面でも秀でていらっしゃいます。大きな被害を受けたヴァナガルズの作戦でしたが、新堂様のおかげで無事乗り切ることができました。そしてこの戦いの結果で、ヴァナガルズも同じ作戦を選択することは無くなったかと思います。ヴァナガルズの作戦を、それ以上の作戦で叩き潰す。それは、ブレイブスに求められるものではなく、ヴァルキュリアに求められるものだと思います。しかも新堂様は、アクアス異性体を冷静に分析し、その結果を多くのブレイブス達に展開しています。さらに付け加えるのなら、ヴァナガルズの意図にも迫ろうとしています。それもまた、私達ヴァルキュリアに求められるものでしょう」  そう口にしたドーレドーレだったが、すぐに首を横に振って自分の言葉を否定した。 「それが本来私たちの仕事であるのは確かですが、実際にはアクアス異性体の分析に踏み込んでいませんでした。ヴァナガルズの意図も、決めつけを行い思考停止していました」  自嘲気味に話したドーレドーレは、だからと言って千博の身分に触れた。 「新堂様には、カヴァリエーレの立場ではなく、もっと自由に意見を言っていただこうかと思っています。ヴァルキュリアシステムも、すでに成立から400年が経過しています。組織の硬直化、そして意識の硬直化が私達の中で起きているのでしょう。それを打開するためには、新堂様のようなお方に先頭に立っていただきたいと思っています。はい、ミネア?」  ドーレドーレに指名されたミネアは、「基本的には賛成です」と表明した。そしてその上で、問題となる感情を指摘した。 「そのためには、エステリアとの関係を整理する必要があると思います」  もともとこの話がこじれたのは、千博がエステリアのことに拘ったからに他ならない。それを蔑にすれば、同じ轍を踏むことになる。ミネアの指摘は、それをドーレドーレに思いださせるためのものだった。  ミネアの指摘に、ドーレドーレは刹那困ったような表情を浮かべた。ただその表情はすぐに掻き消え、自信ありげな物へと変わってくれた。 「ヴァルキュリアの掟に、追加事項を設けることにしましょう。議会を刺激しないよう制限を掛ければ、うるさいことも言ってこないかと思います」  それにと、ドーレドーレは少し声を潜めた。 「みなさんにも、メリットの多い話だと思いますよ」  それを言う時ミネアを見ないのは、ただ一人だけメリットを享受できないからに他ならない。正確に言うのなら、ミネアの場合は分け前が減る事になるのだ。9時のカヴァリエーレならミネアに話を通す必要があるが、クアドランテから独立すれば、了解は本人から直接取ればいいことになる。  その一言でミネア以外を味方に付けたドーレドーレは、いかがでしょうと全員に意見を求めた。 「私としては承服しがたい所もあるのですが……」  取り分が減るのだから、本来強硬に反対しても良い筈のことだった。ただ、味方を得られない反対は、結果的に自分の首を絞めることになる。そしてヴァルキュリアとしてのメリットを忘れれば、ドーレドーレの考えには賛成をしていた。 「新堂様を、一段高い地位に置くことには賛成いたします」  一番の抵抗勢力が折れたのだから、後は確認する必要もないだろう。ミネアが折れたことで、全会一致が決定したことになる。必要な賛同を得たことに、ドーレドーレは顔に満面の笑みを浮かべた。そして次なる課題、議会対策を考えることにした。仕組みを変えることは、それだけ守旧派から反対されることに繋がってくる。それを緩和させるためには、必要な口実を作っておかなければならなかった。 「では、さっそく細則作りに取り掛かることにいたします。ただ、これは急ぎませんので別途クアドランテに諮ることにします。皆さんは、各自のオーラに戻り、頑張ったブレイブス達を誉めてあげてください」  最後に悪あがきをさせるつもりが、千博のせいでおかしな方向に曲がったことになる。会心の笑みを浮かべたドーレドーレに、やはり性質が悪いとミネアは小さくため息を吐いたのだった。  軽い気持ちで口にした振り返りは、前日とはがらりと空気の違うものとなっていた。そのあたり、千博を見る出席者達の目の色が変わったと言うのが一番大きなことに違いない。それに比べれば、その場に0時が加わったのは大したことではないだろう。全体の空気も、前日とは打って変わって明るくなっていたのだ。 「二日連続の振り返りだ。余計な前置きは必要ないだろう」  ぐるりと全員を見渡した千博は、「今日の作戦だが」といきなり本題に入った。 「昨日話したことにも繋がるのだが、住民保護を第一とした。従って、住民にとって最大の脅威となる、プレダトレの排除を優先した。ただ昨日諸君がとった方法と違うのは、もっと効率的な方法を採用したことだ。プレダトレの排除を目的とするのなら、火力は大きい方が好ましいからな」  千博の説明は、すでに戦いで証明されたものだった。“多少”の被害に目をつぶれば、グラニーの出撃によって、きわめて迅速にプレダトレが排除されたのだ。その分耕作地に被害が出たが、人的被害に比べれば大したことではなかった。 「そして機動兵器を使用したことには、もう一つ意味がある。機動兵器であれば、アクアス異性体が手を出せないと言うことだ。ベスティアを使うと言う手はあるが、それならばこれまでの戦いと同じレベルに落ちてくれる。多少の被害拡大はあるが、昨日のような体たらくにはなっていないだろう」  そこで言葉を切った千博は、質問が無いかを確認するように顔を動かした。 「では、特に質問が無いようなので、次のポイントに移ることにする。もう一つは、アクアス異性体との戦い方だ。これは、人的被害を抑えるため、可能な限りこちらが有利な状況を作ることを考えた。それが、能力のある者だけでチームを作ると言う事だ。今回のように敵が分散した場合、局地戦では数的有利を作ることができる。しかもシエルのようなエースが居れば、確実に敵を倒すことができるだろう。他の地区のアクアス異性体を無視したのは、単独では住民に対する被害が小さいからに他ならない。もう一つ付け加えるのなら、奴らはお前達との戦闘を望んでいることだ。だから住民捕食は、プレダトレに任せると考えたんだ」  これが第一と、千博は指を一本立てて見せた。 「こちらが個別撃破に走れば、敵が数を集めて来るのは予想ができていた。そして予想通り、俺達を迎え撃つため不用心にクラピに集まってくれた。そこで心理戦になるのだが、数的優位を作るためには、奴らはまとまっている必要がある。分散していては、集まっていても個別撃破は可能だからな。その予想の元、集まった奴らを一網打尽にすることを次に考えた。おっさんの乗った機動兵器に攻撃をさせたのは、作戦が見事当たったと言う事だ。つまり、奴らはまんまと罠に嵌ったことになる。これで、奴らの考えた数的優位が崩れたと言う訳だ。そこから先は、諸君も知っての通り、アクアス異性体を倒すだけだった」  言葉にすれば、とても簡単なことに違いない。だが、発想の転換が必要なことは間違いなかった。そしてその領域は、これまで誰も踏み込んでいないものだった。 「諸君は、そんな簡単なことがと思うだろう。確かに、俺も簡単なことだと思っている。だが、それができなかったから、昨日の惨敗があったと言う事だ。倒せないのなら、倒せる形に持って行く。少し頭を使えば、これぐらいはできると言うことだな」  そう締めくくった千博は、「質問は」と全員の顔を見た。その声に反応したように、アランが右手を高く上げた。 「珍しいな、アラン」  昨日黙っていたことを考えれば、アランが発言を求めたのは不思議なことだろう。そして彼の立場を考えても、質問が出るとは思っていなかったのだ。 「はい、クラピの戦いについて伺います。なぜ教官は、わざわざ敵を倒すのに時間を掛けたのですか?」  始末の付け方を考えれば、戦闘に入った直後に倒せたように見えたのだ。だが千博は、始めの10分は相手の動きを見るだけだった。全体を俯瞰してみていただけに、千博の行動が不可解に見えていた。 「そのあたりは、細やかな気配りと言う奴だな。せっかく昨日の振り返りで、敵についての情報をやったんだ。だとしたら、直接目で確かめる時間があってもいいだろう。実際に戦ってみて、ただ移動速度が速いだけの素人と言うのは理解して貰えたと思うが?」  どうだと、千博はシリウスを指名した。指名理由は、昨日の振り返りが理由だろう。大勢居たカヴァリエーレの中で、一番挑戦的な態度をとっていた者を選んだのだ。  どうして自分を指名する。明らかに不満そうな顔をしたシリウスだったが、周りの視線を受けて大人しく立ち上がった。 「倒そうとしなかったのが、今回は役に立ったのは確かだ。おかげで、相手が素人と言うのを理解できた」  そう言って座ったシリウスに、千博は口元を歪めながら首肯した。そしてどうだとばかりに、少し自慢げな態度でアランの方を見た。 「ひょっとして、俺が遊んでいたとでも思ったのか?」 「いえ、どちらかと言えばサークラ様に気を使われたのかと。「女性に優しい教官」ですから、お節介をしたのではないかと推測した次第です」  そこでにやりと口元を歪めたのは、一本取ったと言う気持ちからだろう。その後の行動も見ていたのだから、誤魔化しても言い返す準備はできていた。 「そうやって、俺の評判を落として何がしたい?」  つまり、アランの指摘は正鵠を射ていると言う事になる。してやったりと口元を緩めたアランは、地球における常識を持ち出した。 「10代のうちから、女性にだらしないのはどうかと思っただけです。それに、私としては13時の筆頭に睨まれたくはありません。ましてや、痴話喧嘩を見せられるのはまっぴらごめんです」  そこまで言って、「失礼しました」と敬礼をしてからアランは着席をした。アランの態度に笑いが漏れたのだが、そのすべてが地球から連れてきた兵士たちだった。  その逆に、アースガルズ側は意味が分からないと言う顔をしていた。その空気を代表して、カノンがちょっといいかと手を上げた。 「なんだ、カノン」  どうせろくなことはないと、少し投げやりな態度で千博はカノンを指名した。 「13時の筆頭がエステリア様のことを言っているのなら、どうして睨まれることになるのでしょうか? ヴァルキュリアならば、カヴァリエーレに求められる物をご存知のはずです」  「それは」と千博の顔を見てアランは立ち上がった。 「ヴァルキュリアの心掛けは分かりませんが、私は「事実」を申し上げています。しばらくお二人を観察させていただきましたが、それはもう、とても面倒なカップルだったかと思います。ようやく落ち着いたのですから、これ以上波風を立てていただきたくないと言うのが私の希望です」  アランの答えに、「だとしても」と今度はカノンが立ち上がった。 「新堂様が、身持ちを固くされては困る者が沢山出ることになります。例えば真面目くさった顔しているシリウスでも、ほぼ毎晩誰かの相手をしているぐらいです。シリウス、あなたの子供は何人居ましたっけ?」  どうして自分に振ってくれる。ますます不機嫌さを増したシリウスは、座ったまま「20人」と答えた。 「と言うことなので、テッラの常識を持ち込んで欲しく無いと言うのが切実な思いです。アランさんと仰りましたね。ヴァルキュリアシステムを敵に回したくなければ、余計なことを言わないほうがいいですよ」  顔は笑っていたが、どう見ても目が笑っているようには見えなかった。背中に悪寒を感じたアランは、「失礼しました」と立ち上がって詫た。否定してはいけない世界を、自分が無自覚のうちに否定した事に気がついたのだ。 「お前ら、純情な高校生を捕まえて何を言っているんだ?」  なあと北斗に同意を求めたのだが、あいにく小さな頃からの親友も優しくはなかった。 「千博は、僕に嘘を吐けと言っているのかい?」 「ああ、お前はそういう奴だったな」  もういいと息を吐いた千博は、ぐいっと話を振り返りに引き戻すことにした。 「俺達は、明日には地球に帰るからな。質問があるのなら今のうちだぞ。なんだ、サークラ?」  控えめに手を上げているサークラに気づき、千博はしぶしぶ指名した。また今の話を蒸し返してくれるのか。明らかに千博は警戒をしていた。 「いやいや、警戒をしなくてもいいんだよ。ボクが、キミに感謝をしているのは確かだからね。と言う話は置いておくけど、結局キミはどう言う立場になったのかな? 確か、ドーレドーレ様が折れたと聞いているのだけどね?」  サークラの質問に、確かに重要な話だと全員が気がついた。そして千博が何を口にするのか、固唾を呑んで見守った。  だが全員の注目を集めた千博は、その期待を裏切るように「知らん」と一言口にした。 「いやぁ、いくらなんでも自分のことだろう。「知らん」は無いと思うのだけどね」 「知らんものは知らん。詳しいことは、ドーレドーレに聞いて……そう言えば、シエルが居たな」  あまりにも静かだったので、千博はシエルが居るのを忘れていた。ドーレドーレとの話の時には、その場にシエルも居たのだ。ならば、シエルの口から答えて貰うのが確かだと考えても不思議ではない。  だがシエルは、千博の言葉に反応をしなかった。何を考えているのか、ぼうっとした顔で千博の方を見ているだけだった。 「おい、人の話を聞いているか?」  シエルと大声を出したのだが、それでも反応をしなかった。 「シルフ、構わん一発頭を殴ってやれ」 「宜しいのでしょうか?」  今は13時のカヴァリエーレをしているが、もともと0時の次席と言うのがシルフの立場だった。それを考えれば、筆頭の頭を殴るのは恐れ多いことに違いない。 「構わん、この場合は殴られる方が悪い」 「では、遠慮無く……」  本当に良いのかと、シルフはかなり手加減をしてシエルの頭を叩いた。正確には、叩いたと言うより撫でたと言う所だろう。少なくとも、それは千博の期待したものではなかった。  それでも体に触れられたことには意味があったようだ。そこまで反応するかと言いたくなるほど慌て、シエルは勢い良く立ち上がった。 「な、何かあったのか?」  キョロキョロと辺りを伺う所は、居眠りがバレた生徒のようでも有った。普段の厳格さを知っているカヴァリエーレ達は、口元を抑えて笑いを堪えていた。 「目を開けたまま寝るとは、器用な奴だな」 「し、失礼なっ! わ、私は居眠りなどしていないぞっ! た、ただ、少し考え事をしていただけだ」  首の辺りまで赤くなっているのは、それだけ恥ずかしいことをしたと言う証拠だろう。 「つまり、人の話を聞いていなかったと言うことだな。さすがはクアドランテ筆頭カヴァリエーレ様と言うことか」  はあっと息を吐き出した千博は、もう一人証人となるメイアを指名した。 「メイア、俺の言っていることは間違っていないよな?」 「はい、確かに新堂様は、ドーレドーレ様に身分のことは一任されました」  こちらは、特に普段と代わりのない態度をとってくれた。その御蔭で、ますますシエルのおかしさが目立ってしまった。そのせいで、アースガルズの出席者達は笑いを堪えることが出来なかったようだ。至る所から、押さえたような笑い声が聞こえてきた。  前日の通夜のような雰囲気に比べれば、遥かにましと言う事はできる。だが各オーラが壊滅状態と言うのは変わっていないはずだ。そんなことでいいのかと、千博は小一時間問い詰めたい気持ちになっていた。ただ、それをしても自分には何一つとしていいことはない。だから緩んだ空気を正すことをしないで、大きな声で解散を宣言することにした。 「と言う事で、俺は自分の身分のことは知らん」  そう言って全員の顔を見た千博は、大きな声を張り上げた。 「2日連続の戦闘だ。多分諸君も疲れていることだろう。明日できることは明日に回して、今日はしっかり休んでくれ!」  以上と大きな声を上げ、千博はさっさと会議室を出て行った。なんのかんの言って、千博も結構疲れていたのだ。これからもっと疲れることを考えると、少しでも体を休めておいた方が身のためだった。もちろん、それが甘い考えなのは、今更言うまでもないことだった。  アースガルズが臨戦態勢に入っていても、仮設本部は普段と変わりは無かった。筆頭であるエステリアの元には、山のような決済書類が置かれ、カリフォルニア州知事からは何度も面会の依頼が入っていた。その上テキサス州知事からも、スケジュールを確認したいと面会の依頼が入っていた。  そして合衆国政府からは、もっと情報公開をして欲しいとの陳情が繰り返されていた。そろそろ、アースガルズが表に出てもいいのではと、政府の意を受けメッセンジャーが日参したのである。 「あなた、随分と忙しいのね?」  万が一のこともあってはならないと、エステリアの警護にチタニアが付いていた。それで良いのかとブレイブス達に反対されたのだが、絶対に大丈夫と押し切った結果である。 「そうね、何もかも初めてづくしだからやることばかりなの」  美の化身であるはずのヴァルキュリアが、髪の毛を逆立てて書類処理に没頭している。それを興味深げに観察していたチタニアは、「変わったわね」とエステリアを評した。 「あなた、ずいぶんと丸くなったように思えるわ」  普通に人当たりのことを言っているのだが、エステリアは別の意味で受け取っていた。決裁書類を確認するため下を向いていたのだが、慌てて顔を上げ「太っていません!」と大きな声で言い返した。そのあたり、心当たりがあるのか、余程気にしていると言う事になる。 「あなた、太ったの?」  驚いたような顔をしたチタニアに、エステリアはさらに大きな声で「太っていません」と言い返した。 「だとしたら、なぜいきなり太っていることを否定したの?」  訳が分からないと言う顔をしたチタニアに、エステリアは小さくため息を吐いた。 「あなたが、丸くなったと言ったからです」 「私は、人当たりのことを言ったつもりなのだけど?」  おかしい所はどこにもない筈だ。普段通りの黒ゴス姿で、チタニアは不思議そうに首を傾げた。その仕草が可愛くて、エステリアは言い返す気力が消えうせてしまった。 「そう言うあなたも、随分と変わったと思うわよ」  そして意外に穏やかな声で、チタニアに話しかけた。エステリアの言葉に、チタニアは小さく首肯した。 「この体を見れば、そう言われるのも無理もないと思う」  いつの間にか5年分ほど年を取ったと考えれば、変わったと言うのは当たり前のことだった。その意味で答えたチタニアに、いえいえとエステリアは首を横に振った。 「確かに、そちらも大きく変わりましたけど……」  さすがに見た目の変化は否定できないが、エステリアの言いたいことはもっと別のことだった。 「まず、私に対する態度が変わったでしょう? それに人のことを丸くなったと言うけど、あなたも随分丸くなったと思うわよ?」 「私も太ったのだと?」  驚いた顔をしたチタニアに、エステリアは「違う!」とすぐさま言い返した。 「なんですか、私もと言うのは「も」って言うことは、あなた以外も太ったと言う意味になるわよ!」 「あなたが気にしているようだから、少しからかっただけ」  あっけらかんと言われ、エステリアは諦めたようにため息を吐いた。 「そう言う所が変わったと言うの。話をしていて、他の候補生の子達と違いが分からないもの」 「私自身、変わったと言う自覚は無いのだけど?」  不思議ねと首を傾げたチタニアに、多分とエステリアは自分の考えを口にした。 「私達を馬鹿にしたような感じが無くなったからかしら?」  そのせいで、受ける感じが大きく変わったのだと。エステリアの指摘に、「ああ」とチタニアは大きく首肯して見せた。 「そのあたりは、大人になったと言う事ね。思っていても、態度に出さなくなったから」 「お腹の中では、笑ってるって言いたい訳?」  すかさず不機嫌そうな顔をしたエステリアに、「冗談よ」と言ってチタニアは綺麗に笑った。その顔を見て、エステリアは今までで一番大きなため息を吐いた。 「以前は、そこに飾ってあるようなお人形だったわ。綺麗な造形をしていたけど、血の通った生き物には思えなかった。でも今は、本当に私達と見分けがつかなくなっているの。それに、冗談を言えることも以前とは違っていると思う。だから、変わったと言ってあげたの。もちろん、これは誉めているんですからね」  そこまで言って、エステリアは再び決裁書類に目を落とした。そして書類に問題点を見つけ、否決のボックスに放り込んだ。  それから10通ほど書類を処理したエステリアは、疲れたと言って大きく伸びをした。 「仕事、大変そうね」  真面目に心配してくれるのは嬉しいが、目の前にいるのはその理由を作ったうちの一人なのだ。エステリアとしては、文句の一つも言いたいところだった。  もっとも、それを言うのはとても不毛なことに違いない。それに、千博のいないところで喧嘩をしたら、間違いなく自分の命に関わってくるだろう。言い返したい欲求を押さえ、エステリアは淡々と事実だけを口にした。 「許認可の申請書類が多いのよ。特に、環境関係がうるさくなっているわね。後は労務契約書とか、特別高圧関係の使用申請とか……本来アメリカが処理するものばかりなのよ。こっちが要求を飲まないから、嫌がらせのつもりなんでしょうね。「表向きは民間団体ですから」って、連邦政府の役人がほざいてくれたわ」 「つまり、舐められていると言うこと?」  1か0かで決めるのなら、チタニアの言う通りなのだろう。対応に疲れていたエステリアは、首肯して「ええ」と認めた。ただ、その答えは迂闊と責められるものだった。 「だったら、私が舐められないようにしてあげましょうか? ニューヨーク辺りで暴れれば、背に腹は代えられなくなるのではなくて?」  そんな真似をしたら、間違いなく犠牲者は100万のオーダーに届くだろう。全世界人口で考えれば大したことはないが、後始末を考えたらとんでもないことになりそうだ。 「それが、私の為と言うのならやめてくれるかな。かえって、自分の首を絞める気がするから」 「別に、あなたの為ばかりではないわ。むしろ、あの人のためと言う方が大きいかしら。あなたが追い詰められると、結局あの人が心配することになるの。そうなると、あの人の時間があなたのために使われることになる」  結局チタニアは、千博だけを見ていると言うことだ。分かってはいたが、釈然としないのも仕方のないことだった。小さく息を吐き出したエステリアは、疲れた顔をしてチタニアに忠告した。 「そんなことをしたら、千博の時間がさらに無くなるわよ。千博が一番暇になるのは、あなた達が人類の捕食をやめることなの。そうすれば、こんな面倒なことをしなくても済むわ」  正直なエステリアの言葉に、チタニアは腕を組んで少し考えた。 「あなたが、一切の食事をやめて、なおかつあの人に抱かれないと言うのなら考慮してもいいわね」  どうと聞かれ、「死ぬから」とエステリアは即座に否定した。そこで気になったのは、抱かれることを食事と同列に扱ったことだ。ただ、それを口にすることは危なくて出来なかった。 「それは、私達も同じこと。人を捕食しないと、私達も死ぬことになる。人を食うことは、私達にとって生きることと同義なの」 「なんで、そんな面倒な体になってくれるかなぁ」  生きるために動物を食べるのは、エステリア達も同じだったのだ。その意味で、チタニア達を一方的に非難をすることは出来ないだろう。それでも、どうしてと文句を言いたくなるのも、エステリアとしては正当な権利だのはずだった。 「そうね、私も面倒な体だと思っているわ」  面倒を認めたチタニアは、言いたいことがあるのか身を乗り出しエステリアに迫った。ただ口から出たのは、いささか方向性の違う言葉だった。 「あの人と同じものが食べられないし、同じ時間の経過を過ごすことができないのよ。でも一番の問題は、彼を満足させてあげられないこと。だから、いつも彼からは文句を言われるの……私だって、好きで排泄物になりたい訳じゃないのに」  はっきりと萎れたチタニアに、エステリアは心から同情していた。思いと言うのは、一方的な物であってはいけないのだ。自分が幸せを感じているのなら、相手にも幸せを感じてもらいたかった。そうすることで、もっと幸せになれるのだ。ただ気になったのは、面倒の中に捕食を含めていない事だった。 「そうね、それって不幸なことだと思うわ……」  そう言ってチタニアに同情したエステリアは、返す刀でデリカシーが無いと千博の悪口を言った。 「女の子に向かって、排泄物は無いと思うわよ。私にもそうだけど、そう言う所のデリカシーが無い男ね」  憤慨するエステリアに、チタニアは大きな身振りで首肯した。 「そう、あの人はとても酷い所があるの。排泄物と言われて、どれだけ私が傷ついているのか。それを、いつか思い知らせてやりたいわ」  力説するチタニアに、余程酷いのだとエステリアは同情した。愛する人のために、仲間を裏切って協力までしてくれているのだ。それを考えれば、もう少し優しくしてあげてもおかしくない。 「ねえ、私達って仲良くできると思わない? 一度千博をぎゃふんと言わせてあげましょう」  協力しましょうと呼びかけたエステリアに、チタニアは大きく首肯して見せた。 「だったら、あの人の前であなたを排泄物にしていい? きっと、かなりのショックを受けると思うの?」  目を輝かせて近づいてくるチタニアを、ちょっと待ったとエステリアは手で制止した。なにか、とても悪い予感がしてならなかったのだ。 「あらかじめ聞いておくけど、排泄物って……なに?」  そのことだけは、しっかりと確認しておく必要がある。恐る恐る尋ねたエステリアに、論より証拠とチタニアは「排泄物」へと変わって見せた。具体的には、体を構成するセラのコントロールを手放したのである。その結果、エステリアの目の前には茶色の物体がうず高く積み上げられた。  確かに排泄物だ。心の中で同意はしたが、それを口に出した結果が恐ろしい。それもあって、エステリアは復活したチタニアに、「絶対に無理」と答えた。 「絶対に、元に戻れないでしょう?」  そうなると、自分はエステリアだったものに変わることになる。それを確認したエステリアに、「そうね」とチタニアはあっさりと答えた。 「あなたは、私達と違うから」 「それって、食われるのとどう違うのよ!」  だから却下と、エステリアは目を逸らしながら答えた。もしも残念がられたらどうしよう。さもなければ、悪魔の笑みを浮かべていたらどうしよう。おかしな話に振ったことに、酷い後悔と言う物を感じていたのだ。  やはりアクアス異性体は、考え方が違っている。少し後悔しながら、エステリアは他の方法を考えることを提案したのだった。  最終的に勝利こそしたが、連日の戦いの爪あとは大きかった。全12のオーラで、約200名以上のブレイブスを失ってしまったのだ。全オーラでブレイブスの数は700名程度しか擁していない。その倍の候補生が居るとは言え、200と言う数字は大きなものだった。しかも失ったブレイブス達は、オーラの中でも主力に数えられていた者達ばかりだった。そして3時、4時、7時、11時では、カヴァリエーレを失っていた。それを考えれば、立て直しが困難を極めるのは想像に難くないだろう。  そしてその事情は、最強と言われた0時でも例外ではなかった。出撃した40人中18名が死亡したため、体制の立て直しが急がれたのだ。ただそれだけなら、事情は他のオーラと大差は無かった。それでも0時には、最強と言われるシエル・シエルが健在だし、地球に送り込んだシルフも順調に力をつけていたのだ。被害こそ大きいか、屋台骨を揺るがすほどではないと思われていた。  だがここに来て、大黒柱となるシエルが変調をきたしたと言う報告が上がってきたのだ。置かれた状況を考えれば、感化し得ない問題に違いなかった。 「私に休息をとれと? この非常時にですか?」  それが目に余ると言う配下からの陳情に、ドーレドーレは重い腰を上げることになった。そしてシエル・シエルを呼び出し、直々に休息を命じたのである。もちろん、本人から反発があるのは予定のうちである。 「ええ、あなたのアクティビティが極端に低下しているのを認めました。医療部と相談した結果、適度な休息をとらせるようにと勧告されたのです。異論はあるのでしょうが、戦闘時を除き医療部の勧告を無視する訳にはいきません」  余計なことを言うと、それだけで厄介なことになりかねない。だからドーレドーレは、制度として医療部の勧告を利用した。ルールを重んじるシエルには、反発を抑えこむ一番良い方法だったのだ。 「とても、休んでいられるような気分では無いのですが……」  人一倍責任感の強いシエルだと考えれば、その反応も予想の範囲である。全オーラの一大事ともなれば、シエルには筆頭としての働きが求められていたのだ。それ自体疑問を抱くようなことではないし、ドーレドーレとしても困ったというのが正直な気持ちだった。  だが他の配下からおかしいと言われれば、彼女も対策を取らなければならなくなる。ぐずるシエルに、ドーレドーレは規則を盾にした。 「医療部の勧告に従わなかった場合、何かがあった時には私の責任となります。そうでなくとも、従わない正当な理由を説明する責任が生じます。ルールから外れたことをするのは、それほど大きな意味を持つと言うことです。あなたは、クアドランテ筆頭カヴァリエーレなのですよ。そのあなたがルールを破って、他の者に示しが付くと思っているのですか?」  ルールを盾に畳み込まれれば、さすがのシエルも折れるしか無かった。ただ顔には、不満がありありと浮かんでいた。 「では、明日から休暇を取ることにします」  それは、間違いなくシエルの抵抗なのだろう。だが明日からと先延ばしにしたシエルに、ドーレドーレは厳しい表情を返した。 「私は、すぐに休息を取るようにと命じたのですよ。あなたは、正当なヴァルキュリアの命に従えないと言うのですか?」 「しかし、仕事を中途半端にすると落ち着かないのですが……」  普段に無いドーレドーレの厳しい表情に、抗弁しかけたシエルは「分かりました」と休息に入ることを了承した。そんなシエルに、ドーレドーレはさらに追い打ちをかけた。 「では、これより1時間後から120時間は、0時に居ることを禁じます」 「0時に居てもいけないのですかっ!?」  流石にそれはと抵抗したシエルに、ドーレドーレはもう一度厳しい表情を浮かべた。 「0時に居たら、結局仕事をするのではありませんか? したがって、レーシーにも機能制限を掛けることにします。私が許可しないかぎり、0時の業務を行うことを認めません。残り時間は59分ですよ。すぐに出立の準備をした方が良くありませんか?」  あと58分と言って、ドーレドーレはシエルを追い立てた。理屈っぽい相手には、とにかく勢いが必要だと考えたのだ。  そんなドーレドーレの作戦が当たり、シエルはしぶしぶ執務室「光の間」を出て行った。レーシーの機能も制限したので、悪あがきも封じ込められていた。 「ではシエルの仕事は、ディータに任せましょうか」  実力はまだ不足しているが、面倒見の良いと評判のディータである。几帳面な性格も、組織再編を任せるのには適任だった。特に体制立て直しの仕事は、事務的なものも多くなってくる。その意味では、シエルを外しても大きな影響は出なかったのだ。 「後は、どうするのかですけど。エステリアの所に行かせるのがいいのですが……そうすると、新堂様と顔を合わせてしまいますね」  シエルが千博を意識しているのは知っているが、それと同じくらい苦手にしているのも分かっていた。それを考えると、迂闊に引き合わせるのも問題に思えてしまうのだ。だが生真面目が融通の効かないという服を着た存在であるシエルが、アースガルズにいてまともに休暇を過ごせるとは思えない。宇宙に上げるという手もあるが、組紐使用を制限しているため、あまりにも時間がかかりすぎると言う問題があった。 「やはり、エステリアに相談してみますか。レーシー、エステリアに連絡を」  一緒に地球で羽根を伸ばした仲なのだから、こう言う時に役に立ってくれるだろう。良心の呵責を感じること無く、ドーレドーレはエステリアに面倒を押し付けることにした。  一方一番被害の軽かった9時は、すでに日常へと復帰していた。重傷だった18人も、すでに退院し多少の制限付きとは言え訓練に復帰していた。そして連日の戦いは、9時に自信と言う大きな財産を残してくれた。  一日の休息を置いてから、北斗はメイアとの訓練を再開した。せっかく戦いの感触を掴んだのだから、それをメイア相手に確認したいと考えたのである。その事情はメイアも同じで、全力を出せる相手として北斗重宝していた。  防具と一体になった練習着は、メイアは赤と白の上下で、北斗は黒の上下となっていた。どこかジャージを思わせる恰好なのは、形態の制限と考える所だろう。用意が整ったところで、目を保護するため透明のサングラスのような物を装着し、二人は模造刀で斬り合いを開始した。決まった型の無いメイアに対して、北斗は薩摩示現流を基本としたスタイルで応戦した。  大した進歩と言うのが、メイアの正直な気持ちだった。ヴァナガルズの襲撃があってから、まだ1週間も経過していないのだ。それなのに、北斗は襲撃前とは別人と思える鋭さを見せるようになっていた。間合いの取り方にしても、大胆なほど無駄がなくなったのだ。そのあたり、厳しい戦いを乗り越えたことで壁を一つ乗り越えたのだろう。真剣になった自分でも、勝てるかどうか分からない程実力が接近していた。  下から跳ね上げるように切り上げられたメイアの剣を僅かに下がって避けた北斗は、そのままメイアの剣をさらに跳ね上げてみせた。その反動で大きく開いた懐に飛び込み、反動で振り上げた剣を打ち下ろした。  受けるのも回避も間に合わないととっさに判断し、メイアはそのまま北斗に抱きつくかのように体をぶつけた。そして片手を剣から離し肘を跳ね上げ、剣を振り下ろそうとする北斗の手首を打った。そしてがら空きになった胴に膝を入れようとしたのだが、さらに接近されその動きは邪魔をされてしまった。それでも体を回転させ、肘で北斗の胴を狙った。  それを体を離すことで避けた北斗は、止められた剣をもう一度メイアに向けて振り下ろした。それをメイアは剣を使って頭の上で受け、すべらせるようにして北斗の右側に回り込もうとした。そして北斗の剣が離れた反動を利用し、ぶんと音をさせて剣を薙ぎ払った。これが真剣で防具がなければ、首が跳ね飛ばされるような攻撃である。それを北斗は身をかがめて避け、再び上段からメイアに斬りかかった。だがこの攻撃も、メイアによってがっしりと受け止められた。 「大した進歩です。簡単には勝てなくなりました……」 「と言われても、まだ一太刀も入れられないんですけどね」  ぐっと剣を押し込んでも、がっしりと受け止めたメイアは微動だにしなかった。それをさすがと認めた北斗は、突き飛ばすようにしてメイアと距離をとった。そして距離を取りつつ、面を打つように剣を振り下ろした。剣道で言われる、引き技を使ったのである。  だがこの仕掛も、メイアの体勢を崩すことが出来なかった。北斗の攻撃を受けるのではなく、身を捻って躱しその反動で片手で剣を横薙ぎにしてきた。それを剣で受けるには、あまりにも遠回りをしなければならなくなる。とっさに体を預け、体格差を活かして北斗はメイアを押し倒そうとした。それを足を踏ん張って耐えたメイアは、剣を反対の手に持ち替えもう一度体をくるりと回した。  だが初撃を押さえて余裕の出来た北斗は、下からメイアの剣を跳ね上げようとした。それをもう一度メイアが耐えたので、二人は肩越しに見つめ合う形となった。 「やはり、強くなりましたね……」 「それでも、まだまだ目指す所からは遠いと思っています」  体重をかけてメイアを押し、そしてフェイントを掛けるように反対側に体重を移した。北斗の力に耐えようとしたメイアにしてみれば、肩透かしを食らったようなものだろう。だがそのフェイントも、地面を蹴ってメイアが体制を立て直したため次の攻撃には繋がらなかった。  こうして二人は、決着の付かない戦いを続けることになったのである。  普段ならば、北斗の訓練にギャラリーが付くことはない。始めの頃は、アーセルがくっついていたのだが、途中から見限ったのか、姿を見せないようになっていたのだ。だが連日の戦いで北斗が功績を上げたことで、アーセルが北斗に再接近をしてきた。それもあって、一番練習の見やすい場所に、アーセルはタオルを持って陣取っていた。そしてメイアとの戦いを、手に汗を握って見守っていたのである。  そしてアーセルとは別に、高い場所から姫乃も北斗の訓練を見守っていた。ただこちらには、ミネアかヘルセアが一緒に居ることが多かった。そして今日に限っては、二人が揃って姫乃の横にいるだけでなく、何故か0時のカヴァリエーレであるシエルまで顔を出していた。 「そうですか、ドーレドーレ様に休暇を取らされましたか」  大変ですねと笑ったミネアに、「ええ」とシエルは首肯した。そして剣を切り結ぶ二人を見て、強くなりましたねと賛辞を送った。 「9時のカヴァリエーレには失礼な言い方となりますが、メイアの腕が上がったように思えます。そしてテッラから連れてきた霧島北斗でしたか、十分な実力を持っていると思います。さすがは、先の戦いで一角を一人で支えただけのことはあります」  本気で二人を褒めるシエルに、ミネアは筆頭として感謝の言葉を返した。 「シエル様にそう言っていただければ、二人はきっと大喜びをするでしょうね」  ミネアの言葉に、シエルは小さく首を横に振った。 「私は、事実を口にしただけです。しかしメイアは、良き後継者を見つけましたな。彼は、まだ17でしたか。これからますます強くなってくれることでしょう。これで、9時も安泰と言えますな」  9時に居るのだから、当然9時のカヴァリエーレになるものだとシエルは考えていた。そんなシエルの決め付けに、ミネアは苦笑にも似た笑みを浮かべた。 「何か、問題でも?」  それに気づいたシエルに、「いえ」と言ってミネア反対側に立つ姫乃の方を見た。 「霧島様は、姫乃さんと同じで6ヶ月の研修で来ていますからね。約束では、あと4ヶ月ほどでテッラに戻ることになるんです」  ミネアの答えに、シエルは刹那きょとんとした顔をした。だがすぐに事情を思い出し、そう言えばと当初の話を思い出した。 「確か、エステリア様からの依頼で受け入れをしたのでしたね」  自分で口にしてから、ううむとシエルは唸ってしまった。 「どうかなさいましたか?」 「いえ、惜しいなと思ったのと、少し不思議だなと思ったのです」  そう答えてから、シエルは少し答えを探すように視線を宙に彷徨わせた。 「そ、その、男のブレイブスのことを考えたのですが……私達の世界では、中々優秀な男のブレイブスが出てきません。それなのに、どうしてテッラでは簡単に見つかったのかと。深く考察をしたというのではなく、ただ漠然と不思議だなと感じただけです」  シエルの答えに、敢えて避けたのかとミネアは千博のことを考えた。鉄壁の処女と言われるシエルには、刺激の強すぎる相手だったのだろう。ただのナンパ男ならば、今頃忘れてしまうことも出来たはずだ。だが先日の戦いでは、直接戦闘だけでもシエルを凌ぐ戦績を上げていた。その上、起死回生の策を提示したのだから、もはや無視の出来ない相手になっているはずだ。そしてミネアの目には、シエルが敢えてその話題を避けているように見えていた。  そろそろ引導を渡すべきかしら。蜘蛛の糸より細く頼りない糸でぶら下がったシエルは、風が吹けば今にも落ちてしまいそうだった。そうして上げた方が親切なのかと、少し疲れた顔をしたシエルを見てミネアは考えた。 「そう言われてみれば、確かに不思議な事ですね。新堂様と言い、偶然で片付けるには出来すぎている気もします。テッラに何か秘密がある……そう考えたくなるのも無理は無いと思います」  そこで少し口元を緩めたミネアは、シエルにサークラが言ったことと同じことを口にした。 「でしたら、シエル様の目でテッラを確認されてみてはいかがですか」 「て、テッラには、2ヶ月ほど滞在しています。い、今更、行くことに意味があるとは思えないのですが」  明らかに動揺を見せたシエルに、ミネアは見えないように口元を歪めた。 「ですが、その時とは事情が違うのではありませんか? 以前テッラに行かれた時には、ヴァナガルズが侵入していないか探るのを目的としたはずです。今度は、テッラの男性に特異な部分があるのかを探るのですよ」  いかがですと真面目な顔をしてシエルを見たミネアは、すぐに「ごめんなさい」と謝った。 「い、いえ、別に謝られるようなことは……」 「確か、シエル様は休暇を取るように命じられたのですよね。ですから、仕事の話をするのはどうかと思ったんですよ。でしたら、温泉と言う所で骨休めをするのはどうですか。あのエステリアが、私も行ってみた方が良いと勧めてくれるぐらいですからね。多分、とても骨休めになるのではありませんか?」  いかがですと顔を見られ、シエルは少しだけ頬を赤く染めていた。確かに骨休めになったような気もするのだが、それ以上に強烈な印象が残っていたのだ。  その反応にますます気を良くしたミネアは、どうでしょうとかと提案を追加した。 「いくら体調が良くなったと言っても、ここの所無理をしすぎた気もします。ですから私も、そろそろ休息を取ろうと思っているのですよ。よろしければ、ご一緒させていただけませんか? シエル様と一緒なら、アクアス異性体への備えも出来ますからね」 「私と、テッラに行こうと?」  目をぱちぱちと瞬かせたシエルに、顔いっぱいに笑みを浮かべてミネアは首肯した。 「温泉は気持ちいいし、お寿司が美味しかったとエステリアに自慢されました。それから、温泉は体にもいいと言う話ではありませんか。ですから、私も試してみたいなと思うんです。シエル様と一緒なら、ドーレドーレ様の許可も取りやすいかと」  自分の主ではないとは言え、相手は筆頭も務めたことのあるヴァルキュリアなのだ。そのミネアに頭を下げられ、ついシエルは慌ててしまった。 「い、いえ、ミネア様に頭を下げられるようなことでは。実の所、私もどう休暇を過ごして良いのか困っていました。一人では暇を持て余してしまうので、ご一緒いただければ幸いです」  こちらこそと頭を下げたシエルに、ミネアは良かったといささか大げさに喜んだ。 「では、早速手配をいたしましょう! レーシー、ホテルの手配をお願いね」  こう言った時の行動の早さ、迷いの無さはさすがは元筆頭と言うところか。ミネアは、さっさと宿の手配を済ませてくれた。 「では、1時間後に出発することにしましょう」  それではと頭を下げて出ていこうとするミネアを、「お待ちを」と慌ててシエルは呼び止めた。 「テッラに行かれるのであれば、ドーレドーレ様の許可が必要かと」 「今のドーレドーレが、私に逆らえるとでもお思いですか?」  ふふふと口元を歪めて笑うミネアに、ですがとシエルは食い下がった。明らかに困った顔をしたシエルに、冗談ですよとミネアは笑った。 「一緒に、テッラ行きの申請を出しておきました。準備をしている間にでも、許可が出ることでしょう」  そう言うことですと笑ったミネアは、逆にシエルに注文を出した。 「ですから、シエル様も準備をお願いしますね」 「え、あ、はい……」  何か勢いで押し切られてしまった。苦笑をしたシエルは、目的地を聞いていないことに気がついた。だが肝心のミネアは、さっさと準備のために戻ってしまった。 「なに、日本と言う国なら、温泉地は沢山有るだろう」  いくらなんでもI市ではないだろう。そんな甘いことをシエルは考えていた。その辺り、ドーレドーレやミネアを甘く見ていたと言うことだ。  地球に帰ったら帰ったで、千博が多忙であることに変わりはなかった。米軍の方は落ち着いたのだが、13時のブレイブス達に対する指導が回ってきたのだ。激戦の経験は、一日でも早く伝えた方が良いと言う、エステリアのありがたい言葉のせいだった。しかもシルフにまで頼まれれば、流石に嫌とは言えなかった。  そして帰ってきてまもなく1週間という所で、千博は「いい加減にしろ」と爆発した。その対象は、目の前に居るいささか年齢が不詳の所のあるとても美しい女性である。手入れの行き届いた黒い髪は艷やかに輝き、澄んだ湖水のような青い瞳がキラキラと輝いていた。シミひとつな白い肌に、すっきり通った鼻梁に赤く濡れた唇。絶妙にバランスの取れた顔は、年齢を超越した美しさを誇っていた。すなわち、13時の筆頭、エステリアに千博は詰め寄っていたのだ。  今日のエステリアは、白のブラウスの上に、胸元にワンポイントの入った少し大きめのカーディガンを纏っていた。カーディガンの色は紺、そしてワンポイントは赤い馬。それにチェックの入ったグレーのスカートを合わせたものだから、まるで日本の女性学生を思わせる出で立ちだった。 「人のことを、これみよがしにこき使うな!」  どんと叩かれた執務机では、置かれた決済書類の束が浮かび上がった。それをさり気なく手で抑えたエステリアは、涼しい顔をして千博を挑発した。 「ですが、私も忙しいのですよ。千博だけ働かせているわけではありません」  忙しさだけを見れば、確かにエステリアの方が忙しいのだろう。ただお互いの立場を考えれば、千博の主張に分があるはずだった。 「俺は13時に所属していなんだぞ。今の所、立場としては米軍の教官だ。だから、お前が忙しいことに俺の責任はない」  千博としては、正当な要求をしたつもりだった。だがエステリアは、とても深いため息を返してくれた。 「千博、あなたはドーレドーレ様に身分は任せると言ったのではありませんか? それなのに、どうして13時に所属することを否定するんです?」 「俺はまだ、何も伝えられていないからな」  だからだと胸を張った千博に、エステリアはもう一度ため息を返した。 「愛する私を助けようとは思ってくれないのですか? それとも千博は、愛する私を置いて一人で遊びに行くと言うのですか?」  「愛する」を強調したエステリアに、何のことだと千尋は白を切った。 「確か千博は、私とずっと一緒に居るために、ドーレドーレ様に談判しに行ったはずですよね?」  それが重要と確認したエステリアに、「だからなんだ」と千博は平坦な声を出した。 「俺を束縛しようとするなと言ったはずだが?」 「愛というのは、何らかの形で相手を束縛するものですよ」  言い返してきたエステリアに、千博は「違うな」と即座に答えた。 「少なくとも、お前達の常識は違っているはずだ。カノンも、全員の前でそう言っていたぞ」 「ですけど、テッラの常識は私の言うとおりだと思いますよ?」  違いますかと聞き返され、千博は「知らん」と言い返した。そして口元を歪め、軽い脅しの言葉を口にした。 「これから、ずっと一人で寝ることになっても知らんぞ」  その脅しが効いたのか、エステリアは小さくため息を吐いた。 「つまり、休ませろと言うのですね?」 「そう、聞こえなかったか?」  それでと答えを求められ、エステリアはもう一度ため息を吐いた。それからデスクのカレンダーを見て、もう一度ため息を繰り返した。 「休暇を取ると言う話は分かりました。ところで千博がこちらに来て、もう1ヶ月以上経ちますね。でしたらどうです、たまには里帰りをすると言うのは?」 「なんで、急に里帰りなんて話が出てくるんだ?」  唐突に里帰りを持ちだされ、千博は胡乱なものを見る目をエステリアに向けた。 「だって、千博はご家族に連絡をしていないでしょう? きっと、心配されていると思いますよ」 「余計なお世話と言ってやろう!」  少し不機嫌そうな顔をした千博だったが、待てよと口元を右手で押さえた。人に言われて気づくのも問題なのだが、確かに実家に連絡をしていなかったのだ。居なくなった時の状況を考えれば、間違いなく親不孝と言っていいだろう。 「確かに、里帰りをするのも悪くないな」  せっかく深まった家族の絆なのだから、それを大切にしてもおかしくはない。考え直した千博は、里帰りを認めることにした。 「でしょう!」  そう言って喜んだエステリアは、書類を横に避けて立ち上がった。 「どうかしたのか?」  自分の休みのことを話していたのに、どうしてエステリアが仕事をやめたのか。今ひとつ理解できない千博に、「私も行きます」とエステリアは宣言してくれた。 「お前、自分の立場が分かっているのか?」  13時の筆頭ヴァルキュリアなのだから、地球にとっては最重要人物となっている。そんな重要人物が、ふらふらと出歩いて良い訳がない。それぐらいのことは、以前I市に来た時に思い知らされたはずだった。しかも仕事は、目の前に山積みになっていたはずだ。 「自分の立場ぐらい分かっていますよ」  却下されたのが不満なのか、エステリアは少し頬を膨らませて言い返した。 「ですが、あなたと一緒なら誰も文句を言わないと思います。だって、どこに居るのが一番安全かを考えたら、千博と一緒に居るのが一番安全なんです。それを持ち出せば、誰も反対できないと思います!」  安全を強調したエステリアに、千博はもう一つの、そして本質的な問題を指摘した。 「だとしてもだ。お前には、山のような仕事があるだろう? 本部建設の話はどうなったんだ?」  今が正念場だと考えれば、遊んでいる訳にはいかないはずだ。もう一度立場の違いを持ちだした千博に、エステリアは勝ち誇ったように胸を張った。 「何のために組織を作ったと思うのですか? 2ヶ月も経てば、組織も正常に機能するんですよ。ですから、責任者の私も休暇を取る事もできるんです。ただ千博が居ないと安全上の問題が出るので、帰ってきてくれるまで我慢したんですよ」  これでどうだと勝ち誇ったエステリアに、千博は「もう一つ」と確認を口にした。 「お前、俺と一緒にいればと言ったよな? 俺は家に帰るつもりなんだが、お前の宿はどうするんだ? 前と一緒で、秀水苑にでも泊まるのか?」  すっかり馴染みとなった旅館を思い出した千博に、「違います」とエステリアははっきりと否定した。 「当然、千博の家に泊めてもらいます!」 「お偉いヴァルキュリア様を泊められるような広い家じゃないんだがな」  やはりそう来たかと、千博は思いとどまらせようと家の広さを問題とした。だがその気になったエステリアには、家の広さなど障害とはならなかった。そもそも、そんなことにまで頭は回っていなかったのだ。何しろエステリアが経験した中で、一番狭い部屋は秀水苑の和室だった。 「大丈夫ですよ。寝るスペースさえ確保できれば、後はどうとでもなります。その寝るスペースにしても、千博と一緒に寝ればいいだけですからね。どうせくっついて寝ますから、スペースはさほど必要ありません」 「日本の常識を持ちだしていいか?」  もう一度思いとどまらせようとした千博に、「却下です」と嬉しそうにエステリアは言い返した。 「千博のご家族にご挨拶をしていませんからね。末永くお付き合いするためにも、礼を欠いてはいけません」  一緒に行くことを譲らないエステリアに、千博は小さくため息を吐いた。 「また、優実に痛い人って言われるぞ……」  そしてもう一度ため息を吐いて、仕方がないとエステリアの同行を認めた。 「朝の9時か……」  時計で日本の時間を確認した千博は、おもむろに支給品のスマホを取り出し家に連絡を入れた。 「ああ、俺だ……いや、細かな話は後にしてくれ。だから、今まで連絡をしなかったことは謝るから……それで用件と言うのは、これからエステリアを連れてそっちに行くと言う事だ。ああ、寝るところなら客間を用意してくれればいい。だから、俺のベッドを使うのは無しだっ。あ、ああ、今か、今はロサンゼルスの少し南にいる。いや、だからすぐにそっちに顔を出すんだって……とにかく、そう言うことだと思ってくれ。土産を買ってこい……ああ、だったら欲しい物のリクエストを送ってくれ。その代り、帰るのが少し遅くなるからな。いや、昼飯には間に合うと思う。食い物か、寿司でも食わせておけば文句を言わないだろう」  じゃあと電話を切った千博は、用意をしろとエステリアに命じた。一度行くと決めた以上、ぐずぐずするのは彼の信条に合わないのだ。 「その間、俺は土産を買ってくるからな」  千博がそう口にした途端、持っていたスマホから着信音が聞こえてきた。さっそく彼の継母が、お土産リストを送ってきたのだろう。「げっ」と千博が吐き出したところを見ると、それなりに面倒なことになっているようだ。 「私も、買い物に付き合いましょうか?」  エステリアとしては、親切のつもりの申し出に違いない。だが千博は、一言「断る」と返した。 「ぶうぶう、その言い方は無いと思います!」  すかさず文句を言ったエステリアに、千博はまごうことのない正論を突き付けた。 「お前を連れていくと、無駄に時間が掛かるからな。それよりも、お前は自分の準備を終わらせろ。実家に帰る俺とは、持っていくものが違うはずだ」  だからだといい残し、千博はさっさとエステリアの執務室を出て行った。無理なリクエストに応えようとするのは、間違いなく親孝行だと言えるだろう。  出て行く千博をふくれっ面で見送ったエステリアは、ドアが閉まった所で急に口元を歪めて見せた。これで、千博に疑われること無くI市に同行できるし、ドッキリの仕掛けも整ったことになる。後は、どうやって顔を合わせればいいのか、ミネアと示し合せれば仕掛けは完了である。 「どうやらうまく行ったみたいですね」  千博が出て行ったのを確認し、テュカが別の扉から入ってきた。ドーレドーレの依頼があった時点で、13時全員が共犯者となっていたのだ。 「ええ、千博は少しも疑っていませんでした。いくら千博でも、ドーレドーレ様と示し合せているのは気づかないでしょう」  それが出来たら、凄いではなく怖いになってしまう。さすがに無いとテュカも笑って見せた。 「ですからテュカさんには、私の留守を任せることになります。面倒な話が降ってきたら、責任者不在で逃げていただいて結構ですよ」 「カリフォルニア州知事にはそうしておこうかと思っていますよ」  しれっと答えたテュカに、それでいいとばかりにエステリアは大きく首肯した。 「では、私はホテルに戻って時間をつぶすことにします」 「すでに準備が出来ているのがばれたら困りますからね」  そう言って、二人は顔を見合わせ口元を歪めあったのだった。  一方エステリアを残してショッピングモールに向かった千博は、買い物のお供にチタニアを呼び出していた。どうしてと言う文句をキスで黙らせた千博は、情報を寄越せとチタニアに迫った。 「なんの、情報ですか?」  余韻が冷めやらないのか、チタニアは少し熱に浮かれたような顔をしていた。そんなチタニアに、千博はにこりともせず「組紐」と答えた。 「アースガルズから、誰かが来ていないか?」  ああと首肯し、チタニアは千博の期待した情報を提供した。 「ミネアとシエル・シエルが来ていますね。ちょうど、シュースイエンでしたか。日本時間の昨夜チェックインしています」  その答えに大きく首肯した千博は、もう一つとヴァナガルズの動きを確認した。 「またぞろ、誰かが襲ってくると言うことは無いか?」  アースガルズの要人が来ているとなると、またぞろ騒ぎが起きる可能性がある。それを懸念した千博に、チタニアは少し考えてから「無いでしょう」と答えた。 「ペルディータは何も言っていませんね。先日の件がありますから、慎重になっているのではありませんか。あなたやシエルに喧嘩を売るのは、失う物が大きすぎると考えているようですよ」  目の前であっさりと3人が始末されたこと。そしてアースガルズでの戦いを考えれば、チタニアの答えは納得のできるものだろう。ただ千博は、それだけで納得するほど素直な性格はしていなかった。 「たぶん、俺の見極めが終わったからだろうな。だとしたら、お前達の言うテッラへのちょっかいの掛け方を考えているはずだ。たぶん、次はヨーロッパあたりで騒ぎを起こすんじゃないのか?」  自分の考えを口にした千博に、チタニアははっきりとため息を返した。 「やはり、どう考えてもあなたは異常だと思います」  つまり、千博の予想は正解だったと言うことだ。なるほどねと納得した千博は、どうしたものかと対応を考えた。だが「どこ」と言うことが分からなければ、時間的問題でアメリカからは間に合わない。できることがあるとしたら、被害を抑える方策を提示するぐらいだ。そしてその程度のことなら、他人に任せても済むことだった。それぐらいの布石は、すでにいくつも打ってあったのだ。 「確か、アランが新しいモデルを考えたと言っていたな」  それを考えれば、自分が手を出さなくても大丈夫だろう。その程度には、千博もアランのことを信用していた。そして千博は、なんでも口を出すべきではないと考えてもいた。自分の能力には限界があるのだから、道筋さえつければ人に任せた方がうまくいくのが決まっていたのだ。 「組紐が使えない以上、俺達にできることは無いからな。まあ、対処さえうまく行けば被害を抑えることもできるだろう」 「私が手伝わなくてもいいの?」  つまり、組紐なら自分が用意すると言うのである。ちょこんと首を傾げたチタニアに、千博は「いや」と小さく首を横に振った。 「それをすると、逆に厄介なことになるからな。組紐を使うのは、アースガルズが表に出てからでいいだろう。それまでは、地球側で知恵を絞って貰うことにするさ。その方が、お前達の考えにも合致するのだろう?」  ヴァナガルズ側の事情を指摘され、チタニアは驚くのではなくため息を返した。 「やはり、あなたは異常だと思います」 「この程度のことは、常に考えてなくちゃいけないんだよ」  右手を伸ばしてチタニアの頭をポンポンと叩いた千博は、プレミアムモールの入り口に入っていった。広大な敷地に広がる駐車場。この景色は、どう頑張っても日本では見られないものだった。 「お前にも、ご褒美に何か買ってやりたいのだがな……」  大人しく横に並んだチタニアを見て、千博は小さくため息を吐いた。食事をする必要が無く、着る物も自前で用意できるとなると、本当に買ってあげるものが見当たらないのだ。綺麗なアクセサリーにした所で、移動の邪魔になるのは目に見えていた。それを考えると、排泄物のことは我慢しなくてはいけないのだろう。  だがチタニアの考えは、千博とは少し違っていたようだ。「ご褒美」と言う言葉が嬉しかったのか、満面の笑みで「いいの?」と千博の顔を覗きこんできた。 「ああ、人を食いたいと言わなければな。後は、金額的に限度を弁えてくれればいい」  千博の答えに嬉しそうに首肯したチタニアは、だったらと欲しいものを口にした。 「この格好に似あうアクセサリーが欲しい」 「それはいいが、移動の時に持っていけないだろう?」  常識的と言うのか、年相応のおねだりに千博は驚いた顔をした。ただ買ってあげることの問題はないし、むしろ望むところと言う所があるのだが、「物」を上げるのは別の問題を解決する必要がある。  セラを利用した移動の場合、異物を運ぶことが出来ないはずなのだ。つまり、アクセサリーを持って移動できないことになる。それを指摘した千博に、チタニアは少し自慢げに胸を張った。おかげで、エステリアより豊かな胸が強調された。 「アクセサリーは、あなたの前以外では必要が無いと思う。だから、あなたの所に預けておくわ」  少し頬を染めて自分を見るチタニアを、とても綺麗だなと千博は感心していた。出会った頃の姿からは、今の姿はとても想像することができない。成長した姿と言うことを除いても、本当に人間と区別がつかなくなっていたのだ。  今は余計なことを考えず、チタニアと居ることを楽しもう。黒ゴス姿の背中に手を当て、千博はモールの中へと入っていった。  秀水苑にチェックインをしたミネアは、さっそく大浴場に入っていた。その辺りは、エステリアから勧められていたと言う事情がある。もっとも、お風呂好きと言うのはヴァルキュリアに共通した特徴でもあった。 「エステリアの言う通りですね。とても、気持ちがいいと思いますよ」  お風呂の作法をシエルから習い、ミネアはサラサラのお湯の中で両手を伸ばした。その隣では、シエルもまたミネアと同様両手を伸ばしていた。 「やはり、旅と言うのいいですね。周りを気にしなくてもいいと言うのが最高です」  9時の筆頭とか、クアドランテ元筆頭と言う立場が、常に緊張を強いていたのだ。その緊張から解放されたっだけでも、旅に出てよかったと思えてしまうのだ。  そしてシエルも、心の中ではミネアの言葉に同意をしていた。それでも口から出たのは、さすがは堅物と言われるものだった。 「ですが、他人の目があるのはここも同じです。我々は異邦人ですから、余計に周りの視線を集めることになります。緊張する必要はありませんが、周りの目を気にした方が宜しいかと」  固いことを言うシエルに、「それはそれ」とミネアは笑って見せた。 「クアドランテにいることを思えば、気の使い方も違っていますよ」 「確かに、気分が開放的なことは認めます……」  うっと伸びをしたシエルに、「開放的と言えば」とミネアは声を掛けた。 「どうです。シエルさんも、エステリアのように出会いを求めては?」 「わ、私がっ、ですか?」  浴槽でお尻を滑らせたシエルに、「あら」と言ってミネアは口元を抑えて笑った。 「そんなに慌てることは無いと思いますよ。シエルさんも、24になったのですよね。でしたら、男の方と関係をしてもおかしくないと思います。それとも、シエルさんは男の方が嫌いですか?」  反応の仕方を見れば、男が嫌いと言う話にはなりようがない。それを分かっていたが、敢えてミネアは逆方向の疑問を口にした。 「い、いえ、別に男性が嫌いと言うことは無いのですが」  熱いお湯のせいなのか、茹で上がったシエルの顔は真っ赤になっていた。ただミネアの変化と比べれば、いささか劇的な変化と言うことになる。 「でしたら、どなたか意中の方がおいでになるとか?」  その辺りすべて分かった上での言葉なのだが、敢えてミネアは何も知らないと言う態度を通した。 「べ、別に、意中の男性が居ると言うことはありません」 「そうですか。でも残念ですね。シエル様は、とても綺麗ですし、その上とても恰好が良いと思います。きっとシエル様に懸想する殿方が大勢おいでになると思いますよ」  さりげなくちょっかいを掛けるミネアに、シエルは次第に追い詰められていった。そしてこのままではいけないと、シエルは反撃に出ることにした。 「わ、私のことは良いのですが……ミネア様は、すっかり元気になられたのですね」  健康を理由に引退を口にしていたのは、わずか半年前のことだった。その時には、シエルも仕方がないと思うほどミネアの顔色は悪かった。だがこうして一緒に温泉に浸かってみると、主と比べても遜色のない美しさを見せている。これがわずか6か月、正確に言うのなら4か月の変化なのだから、わざわざシエルが口にする意味もあることになる。  そしてシエルの言葉に、ミネアは笑みを浮かべて首肯した。 「やはり、心の問題が大きかったのだと思います。それほどユーストス様の引退が、私にとっては大きな意味を持っていたと言うことです。失意と後悔、そして殿方の癒しが無くなったことが、心だけでなく、体も蝕んでいたのでしょう。新堂様と出会わなければ、今頃は本当に引退していたと思います。やはりヴァルキュリアは、たくましい殿方なしでは成り立たないのだと気付かされました」  その辺りが、女性ブレイブスとは違っている。究極の女なのだとミネアは口にした。そしてその言葉を、シエルは自分ではなく主のこととして受け取った。 「それは、ドーレドーレ様も同じなのでしょうか?」 「ドーレドーレ様は、シリウス様を招かれていると聞いていますが?」  だとしたら何も問題は無いはずだ。そのつもりで口にしたミネアに、シエルは小さく首肯した。そしてその上で、考えたのだと自分の考えを口にした。 「それが悪いと言うつもりはありません。ですが、ミネア様とユーストス様の関係とは違っているように私には思えます。同性ではありますが、ドーレドーレ様の愛は私に向けられています。シリウスは、たまたま年頃の男と言う以上の意味がないように思えるのです」 「シエルさんの言いたいことはよく分かりますよ」  そう答えたミネアは、「ですが」と自分の考えを口にした。 「確かに私達の関係が理想なのかもしれませんが、一方で失った時の問題も大きいのですよ。その証拠に、ユーストス様を失った私は体を壊してしまいました。組織のことを考えれば、ドーレドーレ様の方が正しいように思えます」 「だとしたら、ミネア様と新堂様の関係はどうなのでしょう?」  失う恐怖を知ったのなら、踏み込むことへの恐れがあってしかるべきなのだ。それを気にしたシエルに、ミネアはあいまいな笑みを浮かべた。 「その辺りはどうなのでしょうね。それでも一つだけ言えるのは、新堂様は私からユーストス様を消してくださいました。10代の娘のように、新堂様との逢瀬に心を躍らせているのが今の私です」  そう答えたミネアは、返す刀で「新堂様はどうですか?」と正面から切り込んできた。 「ど、どうと言うのは?」  途端に落ち着きを無くしたところは、それだけ千博の影響が大きいと言う所だろう。ここが攻め手かと、ミネアは一気呵成に行くことにした。 「当然、シエルさんのお相手に相応しいのかと言うことです」 「わ、私はっ……私より強い男に抱かれたいと思っています」  最後の方の声が小さいのは、羞恥心が勝ったからなのだろうか。シエルとしては千博を否定したつもりなのだが、ミネアは正反対の意味で受け取った。 「でしたら、新堂様は合格と言うことですね。何しろ先日の戦いは、新堂様が居なければ勝利することはできませんでした」  すなわち、ブレイブスとして千博の方が上だと断言したのである。さすがにシエルも反発しようとしたのたが、自分を見て微笑むミネアにその言葉を口にすることはできなかった。今更言われるまでもなく、この戦いは千博抜きでの勝利はありえなかったのだ。 「シエル様。優れたカヴァリエーレに求められるものは理解されていますよね? その意味で、新堂様とシエル様。どちらがカヴァリエーレとして優れているのでしょうか?」  カヴァリエーレに強さは必要だが、それだけで良いと言う訳ではない。それを持ち出したミネアに、シエルは答えを口にしなかった。そしてそれが答えなのだとミネアは理解した。 「そろそろ、肩から力を抜いてもいいのではありませんか?」 「そう言われても、まだ自分の中で折り合いがついていません……」  明らかに困惑を顔に出したシエルに、ふふふとミネアは笑って見せた。 「こう言ったことは、ご自身が納得できることが一番なのでしょう。24なら、まだ慌てる必要はありませんね」  もう一度笑ったミネアは、大きく伸びをしてから「出ましょうか」とシエルに声を掛けた。 「この後、エステも予約してありますよ。これも、エステリアが一度は体験した方がいいと進めてくれたものです」 「確かに、あれは気持ちのいいものでした……」  少しほっとした表情を浮かべたのは、その前のやり取りが負担となっていたのだろう。明日からが楽しみだと思ってはいたが、ミネアはそれを顔に出さなかった。すでにエステリアを含め、必要な根回しは終わっていたのだ。 「でしたら、夕食の前にエステに行くことにしましょう。明日は砂蒸し温泉でしたか、それも体験してみようと思っているんですよ」  息抜きに来てよかった。本心から微笑むミネアに、シエルは小さく首肯し返したのだった。  継母からのリクエストに応えたら、荷物は大きな紙袋2つ分になってしまった。それを両手で下げた千博は、チタニアと別れてホテルへと入っていった。自分の荷物は心配する必要が無いので、すぐにでも日本に向けて出発することを考えていた。今からなら、昼食前に実家にたどり着くことが出来るはずだ。 「エステリアの準備は気にする必要が無いな」  アースガルズからミネアが来ている以上、その連絡が行っていなければおかしいのだ。それを考えれば、突然持ち出された里帰りも、彼女たちの計画の一つなのだろう。まんまと乗せられた気もするが、別にこだわることは無いと割り切っていた。それにシエルが一緒と言うのは、自分に協力してくれると言う意味にも繋がっている。どこに連れ込むべきか、その目星を付けなければと千博は考えていた。  千博がフロントの前を通り過ぎようとした時、「新堂様」とフロントの女性が呼び止めてくれた。何ごとと振り返った千博に、まだ若い女性は「メッセージがあります」と言って小さな封筒を手渡した。差出人を見たら、エステリアと書かれていた。 「たぶん、いつでもいいと言う誘いなのだろうな」  荷物を抱えてエレベーターに乗り込んだ千博は、エステリアの居る階のボタンを押した。着のみ着のままで出発しても、実家なのだから一通りそろっていたのだ。  千博が呼び鈴を押したところで、待っていたかのように扉が開かれた。目の前では、旅支度を終えたエステリアが微笑んでいた。 「千博の準備はいいのですか?」  持っているのが、大きな紙袋二つなのだ。それを考えれば、エステリアの疑問も正当なものだろう。それに首肯した千博は、苦笑交じりに「必要ない」と返した。 「俺は、実家に帰るんだからな。必要なものは、あっちに揃っているさ」 「でしたら、時間を置く必要はありませんね。日本は朝の10時過ぎですか。さっそく千博の実家にお邪魔いたしましょう」  少し浮かれながら、エステリアは「レーシー」とサポートAIを呼び出した。 「私達を、千博の実家まで運びなさい」  エステリアの命令から少し遅れ、二人の姿はホテルの部屋から消失した。ヴァナガルズの邪魔が入っていないので、組紐による移動も順調そのものだった。  瞬きするほどの時間の後、二人は洋館風の家の玄関前に立っていた。いきなり家の中に踏み込まなかったのは、エステリアと言うよりレーシーが常識を働かせたおかげである。 「さて、待っていると言うことだったな」  レーシーの常識に感謝した千博は、玄関横にあったチャイムのボタンを押した。鍵ぐらいは持っていたが、帰ってきたのを知らせておくべきだと考えたのである。  そしてチャイムのボタンを押したのに少し遅れ、どたどたと走ってくる音が中から聞こえてきた。その音が玄関前で止まったかと思うと、がちゃりと音を立てて玄関のドアが開いてくれた。 「ヒロ君、久しぶりぃ〜」  両手で荷物を下げたままの千博に、継母の朱美が抱きついてきた。いささか過剰なスキンシップに閉口した千博は、「おい」と朱美に声を掛けた。 「まずは、お客を迎えるのが先だろう」  「ん〜」と声を上げながら顔を擦り付けていた朱美は、一度両手に力を込めてからぱっと千博から離れた。そして隣で驚いているエステリアに、「お久しぶりですね」と頭を下げた。 「こちらこそ、ご無沙汰しています」  そうやってエステリアが頭を下げ返したところで、二人の挨拶は無事終わったことになる。千博からお土産を取り上げた朱美は、こちらにどうぞとエステリアを家の中に案内した。エステリアのスーツケースは、当然のように千博に任されていた。 「それは、底を拭いてからヒロ君の部屋に運んでね」 「……客間じゃないのか?」  モラルを考えたら、エステリアの荷物は客間に運ぶべきなのだ。常識を主張した千博だったが、残念ながらその常識は朱美には通用してくれなかった。少し冷たい視線を向けて来たかと思ったら、「何を今更」と冷たく言ってくれた。 「どうせ、一緒に寝るんでしょう?」 「それを、デフォルトのように言ってくれるな。おれはまだ、17なんだぞ」  常識を持ち出した千博に、「でも」と朱美は反撃してくれた。 「しょっちゅう無断外泊をしておいてそれを言う? お母さん、ヒロ君がドーテーじゃないのを知っているわよ。エステリアさんともしちゃったんでしょう?」  お土産を玄関の隣の部屋に置き、朱美は雑巾を持って戻ってきた。そして千博が抱え上げたスーツケースの底を、手際よく雑巾で拭ってくれた。 「だとしても、一応部屋は別に用意しておくものだろう?」 「いやよ、掃除の手間が掛かるから」  あっさりと千博の抗議を切って捨てた朱美は、こちらにどうぞとエステリアを案内した。旅館での経験のおかげで、エステリアは靴を脱いで朱美について居間へと歩いて行った。  それを見送った所で、千博は小さくため息を吐いた。二人の顔合わせがどうなるのかと心配していたのだが、それが杞憂だと分かったのである。それどころか、やけに馴染んでいるように思えてしまったのだ。 「まあ、ぎすぎすするよりましだな」  もう一度息を吐き出した千博は、力を込めてエステリアのスーツケースを持ち上げた。何が入っているのかと言いたくなるほど、そのスーツケースは重かった。  自分の部屋に荷物を置いた千博は、その足で二人の居る居間へと向かった。飛んで火にいる夏の虫と言う気もしたが、里帰りをしたのに顔を出さない訳にもいかなかったのだ。それに、家に居ては暇すぎて時間をつぶすのにも苦労をしてしまう。さすがに蔵書を抱えて部屋に籠っている訳にもいかなかったのだ。  果たして千博が居間に入った時には、二人は歓談真っ最中と言う所だった。どうして打ち解けていると驚きながら、千博は冷蔵庫からコーラを持ってきた。自分以外に誰も飲まないことを考えると、デッドストックになっていたのだろう。 「ずいぶんと話が弾んでいるんだな?」  缶から直接コーラを飲んだ千博は、楽しそうに話す二人に声を掛けた。今まで接点がなかったことを考えると、話が弾むことは無いと思っていたのだ。 「ええ、ヒロ君の悪口が止まらなくて」 「仮にも母親が、息子の悪口で盛り上がっていいのか?」  あきれ顔の千博に、朱美は「母親だから」と言い返した。 「赤の他人が言ったら、間違いなく取っ組み合いの喧嘩になるわよ」 「だったら、こいつが言うのはいいのか?」  赤の他人と言う意味なら、間違いなくエステリアは他人のはずだ。それを主張した千博に、朱美とエステリアは揃ってため息を吐いてくれた。 「ヒロ君、男としてそれはどうかと思うわよ。それに、こうして家にまで連れてきているのでしょう?」  もう一度ため息を吐いた朱美は、「迷惑をかけていますね」とエステリアに謝った。 「もう、慣れたと言うのか……気にしたら負けだと思っています」  そう答えて、エステリアは千博の顔を見てため息を吐いた。 「ただ、私達の関係はテ……こちらの考え方とは少し違いますし。千博が真面目に取り組んでさえくれれば、私は我慢するしかないんです。何といえばいいのか、耐えるのにも慣れてしまいましたから」  ほうっと大きくため息を吐いたエステリアに、朱美は「ごめんなさい」と頭を下げた。 「おい、頭なんか下げなくてもいい。そんな真似をすると、こいつが付け上がる」 「ヒロ君、恋人に向かって「こいつ」は無いと思うわよ。こんな素敵な人なのに、もっと大切にしないと罰が当たるわよ。逃げられちゃったらどうするの?」  ねえと自分の顔を見た朱美に、エステリアは「慣れました」と繰り返した。 「そう言う物だと思えば、気になりませんから。それに、それが千博の照れ隠しだと私は思っているんです」 「あらあら、冬だと言うのに熱いわね」  継母のわざとらしさに呆れた千博は、「出かけるぞ」とエステリアに声を掛けた。 「あら、疲れていないの?」 「多少、一日が長くなった程度だな。それから、昼飯は外で食べてくる」  時計を見たら、すでに11時になろうとしていた。今から出かければ、家で食べると言うことは無いのだろう。エステリアが反対しなかったので、お出かけは確定と言うことになる。 「じゃあ、晩御飯は家で食べるのね。ねえエステリアさん、何か食べたいものはあるかしら? お寿司が好きだと聞いているけど、お刺身とかでもいいかしら?」 「はい、日本のお刺身はおいしいと思いますっ!」  目を輝かせたエステリアに、それならばいいと朱美は頷いた。主菜が決まったのだから、後はお吸い物とか茶わん蒸し、炊き込みご飯を作れば形になってくれるだろう。久しぶり、しかも息子が恋人を連れてきたのだから、今日はご馳走にしなければと内心張り切っていた。 「だったらヒロ君、遅くならないうちに帰ってきてね。きっと、優実も喜ぶと思うわよ」  行ってらっしゃいと手を振られた千博は、どうしてこうなると少しだけ天を仰いだ。だがそれは現実逃避だと、すぐに割り切って出かけることにした。自分を騙したつもりの女に、逆襲をしなければと考えていたのだ。  初めてエステリアに逢ったのは、まだ夏休みも初めの頃だった。その頃はうだるように暑かったのだが、今は吹き抜けて行く風が冷たかった。そのせいだけではないのだろうが、家の外に出た所でエステリアがぴったりとくっついてきた。 「……動きにくいんだが?」 「でも、離れると寒くて……」  「だからです」と腕を抱えたエステリアは、千博の顔を見てにやりと口元を歪めてくれた。 「なんだ、気持ちが悪い」 「いえ、お義母さまからいろいろと教えていただいたんです」  何をと言わないのは、千博を悩ませる意図に違いない。その辺りは、さすが腹黒いヴァルキュリアの本領発揮と言う所か。ただ千博にしても、素直さからは対極の所に立っていたのだ。その程度のことで、気にしたりするほど軟な神経を持っていなかった。 「何をとは聞かないのですね?」 「聞いたところで、まともに答えてくれるとは思っていないからな」  その程度だと切り捨てられ、エステリアは小さく息を吐き出した。 「本当に、あなたは捻くれているんですね」 「その捻くれた男に惚れたのはどこの誰だったんだ?」  すかさず言い返した千博は、「なあ」とエステリアに声を掛けた。 「俺に隠していることは無いか?」 「隠していること……ですか?」  なんだろうと小首を傾げた所は、眩暈がするほど可愛らしいしぐさだった。ただ千博は、その程度のことに反応するほど素直な性格はしてなかった。そしてエステリアも、千博の反応の無さには慣れっこになっていた。 「特にないと思いますけど?」 「だったら、いいんだがな」  ふっと口元を歪めた千博は、「あっちだ」と海側に行く道を指差した。 「ところで、どこに行くのですか?」  景色は見覚えがあるのだが、だからと言って目的地は分からなかった。それを考えると、千博との出会いが道に迷ったと言うのは、ある意味素の所もあったのだろう。  そんなエステリアに、千博は口元を歪めて「秀水苑」と答えた。 「どうして、今更温泉旅館に行くのですか?」  今日は千博の部屋に泊まるのだから、今更温泉旅館に用は無いはずだ。ミネア達のことがばれているとは考えてもいないため、エステリアには目的地の意味が分からなかった。 「もしかして、秀水苑でお昼を食べるのですか?」 「あそこは、昼飯をやっていないな。なに、これから人に会おうと思っただけだ」  にやりと笑った千博に、エステリアは背中に冷たいものが走ったような気がした。情報はしっかり管理したはずだから、ミネア達が来ていることはばれているはずがない。だが普段の千博の異常さに、もしかしたらとエステリアは考えるようになっていた。 「ど、どなたかと約束されたのですか?」  なんとか動揺を抑え込んだエステリアに、千博はもう一度口元を歪めて「なあに」と笑って見せた。 「ミネアとシエルが居るんだろう?」  その答えに、エステリアは大きく息を吐き出した。 「千博、前から言っていますが、あなたは異常すぎます。どうして、ミネア様とシエルさんが来ているのを知っているのですか?」  情報管制を掛けた以上、アースガルズの動きが千博に伝わるはずがないのだ。それなのに、千博は当たり前のように二人の来訪を知っていた。それがおかしいと主張するのは、状況からすれば変なことではないはずだ。  だが千博にしてみれば、ばれてないと考える方がおかしかった。 「俺にばれていないと考える方が迂闊なんだ。お前達が示し合せていることなど、とうの昔にお見通しなんだよ。その程度のことなら、チタニアに確認しなくても分かることだ」  なあとエステリアの反対側に声を掛けた瞬間、黒ゴスを来た少女が湧いて出てきた。そして千博のポケットから、ガラスでできたペンダントを取り出し首元を飾った。 「私達の動きは、ヴァナガルズには筒抜けと言うことですね」  そこにチタニアが現れたことより、ミネア達のことがチタニアにばれていたことの方が問題だった。困ったものだとこめかみに手を当てたエステリアは、「どうして」と言う意味のない問いかけを発した。 「そんな重要なことを教えるとでも思っているのですか?」  おほほと口元に手を当てたチタニアは、「ポンコツですね」と同意を求めるように千博に言った。 「ああ、それを否定する理由は無いな」  しかも千博にまでポンコツと言われ、エステリアは不満げに頬を膨らませた。 「それで、お前達はどうすることにしたんだ?」  千博の問いに、チタニアは小さく首肯した。 「とりあえずペルディータは脅しておきました。手を出すのなら、全滅を覚悟することねと」 「それで、何と言っていたんだ?」  間違いなく全滅させるつもりなのだが、千博にはペルディータの答えが気になった。 「まだ死にたくないから遠慮すると言っていました。先日の戦いで、あなたを敵にすることの意味を理解したようですよ」  おほほほともう一度笑ったチタニアは、帰りますと言っておねだりをするように背伸びをした。そして千博にキスをしてもらい、嬉しそうな表情を浮かべた。 「では、私は帰りますね?」 「ああ、呼び出して悪かったな」  じゃあなと千博が答えた瞬間、チタニアの姿が消えうせてくれた。服に付けたペンダントは、千博の手のひらに残されていた。  それを見送ったエステリアは、わざとらしく大きくため息を吐いてくれた。 「私の目の前でほかの女性にキスをするのはどうかと思うのですが……それ以上に、あの子がアクアス異性体とは思えなくなってきました。どう考えても、ここで会った時とは別人すぎます」 「その辺りは、俺も否定が難しいんだが……だが、あれがチタニアなのは間違いないぞ」  チタニアの変化に驚かされたのは、何もエステリアだけではなかったのだ。むしろ日常的に接していた分、千博の感じた驚きの方が大きかった。 「それぐらいは分かっていますが、それでも疑問を感じてしまうんです。恐怖のチタニアがあんなになるとは、絶対に誰も想像もしていなかったと思います」  全くとため息を吐いたエステリアは、辺りを伺うように首をきょろきょろと動かした。そして誰にも見られていないのを確認し、チタニアを真似て目を閉じ千博に向って背伸びをした。だがいくら待っても、千博はキスをしてくれなかった。  そうやってはぐらかしますかと目を開けたら、目の前には誰も立っていなかった。驚いて姿を探したら、千博は20m程先を歩いていた。  絶対に自分には優しくない。慣れたと朱美には言ったが、それは単に強がりにしか過ぎなかった。涙が流れそうになるのを我慢して、エステリアは小走りに千博を追いかけて行った。  急襲が成功したのは、ミネアの顔を見れば一目瞭然だった。しっかり落胆しているところを見ると、自分に対してドッキリを仕掛けたつもりなのだろう。ただシエルの顔を見ると、彼女もこのことを知らなかったようだ。唖然と言うのか、信じられないものを見る目で自分のことを見てくれたのだ。 「新堂様。さすがに、私達が来ているのを察知するのは異常だと思いますよ」  はっきりとため息を吐いたミネアに、迂闊だったなと千博は口元を歪めた。 「こいつが里帰りを持ち出さなければ……そうだな、一緒に来ると言わなければ騙されていだろう。それからもう一つ、俺はいつも細心の注意を払っているんだよ。俺とこいつが一緒に動けば、アクアス異性体を引き寄せることになる。こいつを守ると言った以上、リスクに注意を払うのは当然のことなんだよ」 「千博、せめてそこは名前で呼んでくれませんか? こいつと呼ばれると、どうでもいいことのように聞こえてしまいます」  すかさず抗議をしたエステリアなのだが、千博はきれいさっぱり無視をしてくれた。 「それで、こんな片田舎まで何をしに来たんだ? 地球に来るんだったら、こいつの居るアメリカに行くのが筋だろう?」  常識を持ち出した千博に、いえいえとミネアは首を横に振った。 「仕事で来た訳ではないので、アメリカに行く理由はありません。シエルさんは、ドーレドーレ様に休暇取得を申し渡されたんです。私は、少し疲れて来たので骨休めをすることを考えました。以前エステリアに温泉が良いと勧められたのを思い出して、I市に来たと言うことです。後は、おいしいお寿司とかも食べてみたかったですしね」  そう言って笑ったミネアは、「すべてエステリアのせいです」と責任をエステリアに押し付けてくれた。 「もう、散々温泉とお寿司のことを宣伝されましたからね。だとしたら、一度試してみたいと思っても不思議ではないと思いますよ」 「だとしても、良くドーレドーレが許可を出したな?」  9時の筆頭だと考えれば、のこのことアースガルズを離れていいとは思えない。シエルにした所で、体制を立て直すと言う仕事が残っていたはずなのだ。休暇を強制されたとしても、緊急に備える義務があるはずだ。これまで組紐の移動が邪魔されたことを考えると、アースガルズから離れていいとは思えなかった。  ただ千博の指摘は、想定した範囲に収まっていたようだ。千博に向って、ミネアは少し勝ち誇ったような顔をしてくれた。 「今のドーレドーレが、私に逆らえると思いますか? それに、あの子にも思惑があったようですしね」  だから反対されるはずがない。思わせぶりな表情を、千博ではなくシエルに向けてくれた。  それで事情を理解した千博は、「だそうだ」とすべての前提をすっ飛ばした言葉をシエルに投げかけた。 「だそうだと言われても、私には何を言っているのか理解できないのだが?」  明らかに困惑をしたシエルに、これからのことだと千博は口元を歪めた。そして自分の隣、エステリアとは反対側を見て「チタニア」ともう一人の恋人の名を呼んだ。 「さすがに、私もシエル・シエルの前に出たくは無いのですが……」  文句を言いながら現れたチタニアに、あろうことかシエルはあっけにとられた顔をしてくれた。 「新堂殿、確かチタニアと言われなかったか?」 「ああ、確かに俺はチタニアを呼び出したぞ」  それが何かと首を傾げた千博に、シエルはまっすぐチタニアを指差した。 「格好は確かにチタニアなのだろうが、見た目の年齢が違いすぎる!」 「だから、アイデンティティとなるものが必要だと言ったのです」  I市の戦い以来と考えれば、シエルが信じられないのも不思議なことではない。その頃のチタニアは、本当に子どもの姿をしていたのだ。纏った空気も、その頃とは別人と言っていいものだった。  黒ゴスに隠された豊かな胸を張ったチタニアは、シエルに向かって「本物ですよ」と笑って見せた。 「私は、この人に女にされてしまいましたからね」 「それが本当のことだとしたら……」  はあっと大きく息を吐き出したシエルは、軽蔑したような視線を千博に向けた。 「かつてない節操なしと言うことだな。まさか、アクアス異性体にまで手を出すとは」 「残るのは、鋼鉄の処女だけと言うことです」  おほほほと口元を隠して笑ったチタニアは、千博の顔を見て小さく首肯した。 「しばらく、私はこの二人を守ればいいのですね?」 「ああ、これから俺はシエルさんとしっぽり行くからな。お前なら、たいていの奴から二人を守れるだろう」 「ちょっと待て、どうして私がお前としっぽりと行くことになるのだっ!」  すかさずシエルが抗議の声を上げたのだが、千博はきれいさっぱりそれを無視した。 「大丈夫と保証したいところですが、助っ人を呼んでもいいですか?」 「信用できる奴ならな……」  下手をしたら、盗人に蔵の鍵を預けることになりかねない。それを心配した千博に、大丈夫ですよとチタニアは笑った。 「一度、面接をしておきますか?」 「その方が、無難そうだな……」  鬼が出るか蛇が出るか。千博が身構えたその時、どこかで見たむさくるしい大男が現れた。しかも千博の顔を見て、大男は「やあ」と気安く手を挙げてくれた。殺し合いをした間柄と考えたら、本来ありえない態度に違いない。  その相手を見た千博は、これまでにない大きなため息が出てしまった。 「おっさんが、ここまで親ばかだとは思っていなかったぞ」 「可愛い娘のために、親が骨を折ってどこが悪い?」  ああんと睨み返して来たのは、千博をして戦いたくないと言わしめるパックだった。ただ今日は、格好を気にしたのか、上下とも紺系のスーツを着ていた。 「しかもそのスーツ、少しも似合っていないし……」 「ヴァルキュリアの前に出るのだ。多少のお洒落は必要だろう」  だからだと言い返したパックに、千博はもう一度小さくため息を吐いた。 「確かに、おっさんなら信用して良さそうだな」 「ああ、大船に乗ったつもりでいてくれ」  そう保証したパックは、ところでと千博の耳元で囁いた。 「そちらの妙齢の美女なのだが、別の意味で食ってもいいか?」 「無理やりじゃなければな……いくらおっさんでも、俺とシエルを同時に相手にはできないだろう?」  そこでシエルの顔を見たパックは、確かにと肩をすくめて見せた。 「色っぽい方なら歓迎なのだがな」 「言っておくが、あれは俺の女だからな」  そう言うことだと拳でパックの胸を小突き、千博は「万全の体制だ」とミネア達の方を見た。もっとも、シエルの目からはアクアス異性体が増えたとしか見えない。それで大丈夫と言われても、少しも安心できるものではなかったのだ。しかも目の前のアクアス異性体には、尋常ではない迫力を感じていた。 「新堂殿、もう一人増えたのは誰なのだ?」  とりあえず相手を確認したシエルに、千博は「パックだが」とあっさり答えた。その名前に、シエルだけではなく、ミネアも驚いて腰を浮かした。エステリアが腰を浮かさなかったのは、すでに顔を知っていたからだろう。もっとも、心の中が穏やかでいられるかは別の問題だった。 「大丈夫だ。こいつは俗物だが、信用はできると思う……ぞ。多分だけどな。まあ、チタニアが目を光らせているから、不埒な真似はしないだろう……これも多分だが」  保証をしているように聞こえるのだが、千博の言葉はむしろ不安を煽るものだった。 「まあ、この二人が居る限り、ウラヌスでも来ない限り大丈夫だろう」  それぐらいの陣容だと千博が保証した時、少し離れた所から抗議の声が聞こえてきた。 「ふむ、君は大きな誤解をしているようだね。私には、君達に手を出す理由が無いのだよ」  聞き覚えのある声に、千博は思わず右手で顔を覆ってしまった。今更振り返らなくても、ウラヌスが出てきたのは理解できた。  そして現れたウラヌスは、少しくたびれた若草系のチェックのスーツに、褪せた茶色のポーラーハットと、水族館に現れた時と全く同じ格好をしていた。 「麗しきヴァルキュリアよ、お初にお目にかかる。ウラヌスと呼んでくだされば結構だ」  近づいてきたウラヌスは、少し芝居がかった身振りで帽子をとってミネアに頭を下げた。 「こちらこそ、9時の筆頭ミネアです」  そこで慌てなかったのは、さすがはクアドランテ筆頭を務めただけのことはある。ゆっくりと立ち上がったミネアは、ウラヌスに向って優雅に頭を下げた。 「ふむ、さすがは筆頭を務めただけの器量をお持ちだ」  にかっと笑ったウラヌスは、今度は千博の顔を見てくれた。 「君の名前は、畏怖を持って語られるようになったよ。どうやら、私の目は間違っていなかったようだな」 「一応感謝をしておけばいいのか?」  口元を歪めた千博に、いやいやとウラヌスは首を横に振った。 「私が何かをしたと言うことは無いからね。だから、感謝をしてもらう必要もないな。あの時生き残れたのは、君の知恵が私に勝った結果だよ。いやいや、君の往生際の悪さと言った方がいいかな? 君の生に賭ける執念が、私の想像以上だったと言うことだよ」  そう言って千博を褒めたウラヌスは、ミネアの顔を見てもう一度頭を下げた。 「麗しきヴァルキュリアと語りたいことが沢山あるのだが……生憎今日は、その日ではないのだろう。私が居ると、この集まりが別の物に変質しかねない。だから今日は、挨拶だけと言うことにしておこう」  それではと頭を下げたウラヌスは、現れたのと同様唐突に姿を消してくれた。 「何か、思いっきり興が殺がれた気がするが……」  小さくため息を吐いた千博は、「行くぞ」とシエルに声を掛けた。 「どうして、私がミネア様達を残していかなければならないのだっ!」  顔色が赤くて青いと言う不思議な状態なのは、きっとウラヌスの登場が影響しているのだろう。そしてシエルの言葉は、彼女の立場からすれば正当な抗議に違いない。ただ、あまりにも空気を読まない言葉と言うのも確かだった。  はっきりとため息を吐いた千博は、「空気を読め」と文句を言った。 「ウラヌスまで来て、二人の安全を保障したんだぞ。だからお前は、大人しく俺の物になればいいんだ」 「百歩譲ってミネア様達が安全なのは認めよう。だが、どうして私がお前の物にならなければいけないのだ! 私は、まだお前のことを認めた訳ではないのだぞ!!」  顔を赤くしているのは、怒りからかはたまた羞恥からなのか。今にも噛みつかんがばかりの勢いで、シエルは千博に文句を言った。もちろん、その程度のことで千博が怯むようなことは無い。いかにも「煩いなぁ」と言う顔をしてから、ミネアとエステリアの二人に行ってくると声を掛けた。 「しっかり、引導を渡してきてくださいね。このことで便宜を図るのは、これで最後ですからね」 「悪いな、面倒を掛ける」  それからと、千博はパックの顔を見た。 「おっさんなら、心配はいらないと思うが……」  そこでチタニアを見た千博は、小さく息を吐き出した。 「娘に軽蔑されるような真似は慎んでくれよ」 「なあに、大人の魅力を発揮させるだけだ」  がははと豪快に笑ったパックは、後は任せろと娘の肩を抱いた。 「だから、私を無視して話を進めるなっ!」  すかさず噛みついてきたシエルだったが、次の瞬間ミネア達の前から姿を消失させた。いい加減鬱陶しくなったチタニアが、組紐を使ってシエルを飛ばしてくれたのだ。 「本当に、面倒くさい女ですね」  チタニアに見られたエステリアは、しっかりと首肯し同意を示した。 「で、どこに飛ばしたんだ?」 「少し頭を冷やしてもらおうと、すぐそこの海です」  その答えに、千博は「あー」と大きく天を仰いだ。そして内心、「同じところに」と言うのを思いとどまった自分を誉めていた。下手をしたら、自分も冷たい海に飛ばされていたことだろう。 「ミネア、貸切風呂を予約しておいてくれ」 「部屋にも、露天風呂が付いていますよ?」  そう言って鍵を差し出され、「悪い」と言って千博は鍵を受け取った。そしてシエルを迎えに行こうとしたところで、振り返ってチタニアに忠告をした。 「シエルが戻ってくる前に、どこかに行った方がいいぞ。さすがに俺でも、シエルを止める自信が無い」 「そうですね。怒りに狂った筆頭を相手にしたくありませんね」  本気で顔を青くしたチタニアは、パックの顔を見て小さく首肯した。 「では、適当なところに二人を連れて行きます」 「繰り返しておくが、絶対に食うなよ」  その千博の忠告に、あろうことかパックはウインクを返してくれた。絶対に似合っていないと呆れたとその時、4人の姿は秀水苑のロビーから消え失せた。これだけのことをして騒がれなかったのは、チタニアがアッソリュータの応用技を使ったからだろう。 「さて、シエルを迎えに行くか」  ご親切なことに、千博の手元にはバスタオルが一枚転送されていた。一枚で足りるのかと言う疑問はあったが、無いよりはましと割り切り千博はシエルを迎えに行くことにした。  ホテル前の道路を渡れば、海は目と鼻の先に広がっている。砂浜に降りる小道を通り過ぎた所で、千博はシエルを探すために入り江の方へと視線を向けた。そしてすぐに、目指す姿をそこに見つけた。 「なんで、溺れているんだ? あいつ、泳げないのか?」  さほど深くは無いし、しかも海だから体が浮かんでくれるはずなのだ。だが千博の視線の先では、泳ぐこともできずにシエルが海の中で暴れていた。  それは無いだろうと呆れた千博だったが、すぐにエステリアから教えられたことを思い出した。 「そうか、あいつらは海に馴染みがなかったのだな」  さすがにまずいかと、千博は着ていた厚手のパーカーを脱ぎ捨てた。そしてビンテージのジーンズも脱ぎ、冷たくなった海の中へと入っていった。浜辺に誰もいないのは、シーズンオフだからなのだろう。 「結局、俺も濡れることになるのか」  抜き手を切って泳いだ千博は、すぐにシエルのことろへとたどり着いた。ただ飛ばされてから時間が掛かったことで、シエルには持ちこたえるだけの体力は残っていなかったようだ。千博がたどり着いたときには、ぐったりとして俯せになって浮かんでいた。 「たく、あいつ加減を知らないのか?」  もう少し浅瀬に放り込めば、ここまで溺れることは無かっただろう。限度を考えろと文句を言おうとしたところで、本当にそうかと千博は自分の居る場所を考え直した。 「確か、ここはあまり深くなかったな……」  ためしに泳ぐのを止めてみたら、かろうじて足が付く深さと言うのは分かった。あと少しだけ岸に近づけば、泳ぐ必要もないぐらいだ。パニックにならなければ、溺れることもなかっただろう。 「無理もないか。海どころか、水なんかはお風呂以外に知らないだろうからな」  気を失ってくれたのは、救助するのに好都合と言うことが出来た。顔を上にして少しだけ泳いだところで、千博は泳ぐのをやめシエルの体を引っ張った。そしてしっかりと浅くなったところで、お姫様抱っこの形でその体を抱え上げた。  そしてそのまま砂浜に上がり、地熱で暖かくなった砂にシエルの体を横たえた。 「典型的な要救助者だな」  溺れた人間相手に必要なのは、まずは飲み込んだ水を吐かせることだった。救命講座を思い出した千博は、膝を立ててシエルのお腹を膝の上に置くようにした。そのまま背中を押して、飲み込んだ水を3回に分けて吐かせた。 「心臓は動いているから、後は呼吸を復活させればいいだけか」  もう一度砂浜に体を横たわらせ、首の下に砂を盛って気道を確保した。そして鼻を摘まんで、開いた口から息を吹き込んだ。 「色気のないキスだな……」  本来人工呼吸は、キスに含めるものではないはずだ。そんなバカなことを口にしながら、千博は人工呼吸を繰り返した。持ってきたバスタオルは、結局自分のために使うことになってしまった。  迅速な救助が功を奏したのか、シエルが息を吹き返したのは1分後のことだった。激しく咳をしたシエルは、焦点の定まらない目をきょろきょろと動かした。 「ようやく、気が付いたか?」 「お、お前は、新堂千博っ!」  慌てて起き上がったシエルは、もう一度むせたように咳を繰り返した。 「まあ、慌てるな。お前は溺れていたんだからな」 「まさか、こんな手で私を亡き者にしようとするとはっ!」  まだダメージが残っているのか、立ち上がった足元は少しふらついていた。 「まあ、なんだ、あまり無理をするな。それからチタニアに代わって弁解するが、まさかこの程度で溺れるとは思っていなかったんだよ」  笑いながら立ち上がった千博は、ふらつくシエルの体を支えた。 「とにかく、ホテルに戻って温まるぞ」 「あ、ああ、いつまでもこの格好でいる訳にはいかないからな」  まだ状況を掴めていないのか、シエルは素直に千博の言葉に従った。そして引きずられるようにして、シエルは砂浜を後にした。濡れた体には、冬の風は冷たすぎたのだ。  シエルの初々しさは、ヴァルキュリアとは違った意味で新鮮だった。備え付けの露天風呂に入る時には抵抗したのだが、その抵抗にしても口だけの所が多分にあったのだ。そしてシエルの抵抗も、一緒にお風呂に入る所までだった。散々お風呂で弄ばれたシエルは、布団に入ってもなすが儘になっていた。そして意外な従順さで、千博の求めに何度も答えてくれた。 「結局、口実を求めていただけじゃないのか?」  自分の腕の中で丸くなったシエルに、千博はそう語りかけた。 「……言ってくれるな。私にも覚悟が必要だったのだ」 「だったら、もう大丈夫だな?」  オレンジ色の髪に顔をうずめ、千博はそうシエルに語り掛けた。問いかけに答えは無かったが、千博はシエルが首肯したように感じていた。 「俺としてはやりたらないのだが……まだ、大丈夫か?」 「わ、私はっ……お前の物になったのだ。だ、だから、好きなようにしてくれて構わない」  腕の中で、シエルが緊張したのが感じられた。年上なのに、そして戦士なのにどうしてこんなに可愛いのか。千博の中の嗜虐的な部分が頭をもたげてきてくれた。 「お前は、どうなんだ?」 「わ、私は……」  シエルが口ごもったので、千博は掛かっていた布団を跳ね上げた。その途端、冷たい空気が肌を刺してくれた。 「はっきりと聞かせてくれないか?」  そう耳元で囁いてから、両手を押さえるようにシエルを仰向けにした。窓から差し込む光に、無駄な脂肪の無い鍛えられた体が浮かび上がっていた。  真っ最中には気にならないのだが、こうして冷静になった時には恥ずかしくて仕方がない。千博から顔を背け、シエルは「恥ずかしい」と恥らって見せた。  唇を塞いでその言葉を封じた千博は、「どうして欲しい?」ともう一度シエルに問いかけた。 「はっきり言ってくれないと、もっと恥ずかしい目に遭わせてやるぞ?」 「だ、だから、私は……」  威勢が良かったのはそこまでで、最後の言葉は風の音にかき消されるような小さなものだった。それでも千博の耳には、「可愛がって欲しい」とはっきり聞こえていた。 「ああ、納得のいくまで可愛がってやるさ」  もう一度キスをした千博は、布団をはだけたままシエルに覆いかぶさっていった。  場所を変えた4人は、そのまま寿司屋の暖簾をくぐっていた。チタニアとパックは食事の必要はないのだが、真似事ならと同意した結果でもある。そこで特上寿司を4人前注文し、4人は奥の座敷に席を確保した。 「まさか、私があなた達とこんな風に食事をとるとは思ってもみませんでした」  出されたお茶をすすりながら、不思議ですねとミネアは二人に語り掛けた。 「ああ、俺もまさかこんなことになるとは想像もしていなかったな」  真似事とは言え、パックも熱いお茶を啜って見せた。それからエステリアを見て、「変わったな」と声を掛けた。 「先日見た時より、ずっと魅力的になったぞ。あの坊主に抱かれたと言うことか」 「ええ、おかげさまで」  何がおかげ様と言うところなのだが、だからと言ってこれ以上何かを語ることもない。そのせいで、エステリアの答えもあいまいなものになっていた。 「まあ、うちの娘も似たようなものなのだが……どうしたチタニア?」  話の最中に、心ここに非ずと言う顔をしてくれたのだ。父親として、そんな娘の変化が気になってしまった。 「い、いえ、その、特に何もないのですが……」  慌てて言い訳ををしたチタニアだったが、続いて出た言葉は何もないと言う言葉とは対極の物だった。 「お茶と言うのですか。それがおいしいと思えたことに驚いただけです」  それをあっさりと聞き流したミネアとエステリアだったが、パックはそう言う訳にはいかなかった。自分も同じものを飲んだのだが、何かを飲んだと言う感触だけで、味などさっぱり伝わってこなかったのだ。それなのに、娘はそれをおいしいと言ってくれた。 「これが、おいしいと思えたのか?」  驚く父親に、チタニアははっきりと首肯して見せた。 「私も、不思議なんですけど……あったかくていい香りがして、おいしいと思えました。ただ、少し苦いところもありますね」  娘の言葉を信用するなら、5百年以上前に捨てた味覚が復活したことになる。それを認めたパックは、確認のために桶に入った寿司を娘に差し出した。 「だったら、こっちも食べてみろ」 「あまり、食べることに意味があるとは思えないのですが……」  それでも父親の命令だからと、チタニアは玉子焼きをぱくりと食べた。 「……どうだ?」 「甘くて? おいしいと思いますよ」  それが何かと問いかけた娘に、パックは顔に手を当て天を仰いだ。 「何かじゃないだろう。俺達は、経口摂取の習慣を捨てたのだぞ。こんなものを食べても、味など感じるはずがないんだ。ましてや、充足感など感じるはずもないのだが……?」  その点はどうなのだと、真剣な顔でパックは問いかけた。 「充足感ですか……そう言えば、何か満たされたような気もしますね。ただ、もう少し食べてみないと分からないかもしれません」  そう言ってすし桶に手を伸ばし、チタニアはぱくぱくと寿司を口に運んだ。そしてちょうど一人前食べきった所で、ずずっとお茶を啜ってくれた。 「これを充足感と言うのかは分かりませんが、満足をしたと言う気持ちになりました」 「目の前にいるヴァルキュリアを食べたいと言う気持ちは湧かないか?」  物騒なことを口にされ、思わずミネアとエステリアは緊張から体を固くした。 「いえ、特にそんな気持ちにはなりませんね」  それがと首を傾げた娘に、それならばいいとパックはその場をごまかした。 「ところで、これはできるか}  そう言って、パックは天井に向かって指を伸ばした。ただ何か目当てがあったわけではなく、伸ばした指はすぐに元の場所に収まっていた。 「これ、ですか?」  同じように指を伸ばしたチタニアは、「これが何か?」と父親に問いかけた。 「い、いや、できるのなら問題は無いんだが」  慌てて取り繕ったパックは、「急用を思い出した」と言って立ち上がった。そして挨拶もそこそこに、3人の前から姿を消してしまった。残されたのは、事情を理解できない3人だけだった。 「一体、どうしたんでしょう?」  首を傾げたチタニアに、ミネアとエステリアの二人は肩をすくめて見せた。何かが引っ掛かったのだが、それが何かは二人には分からなかったのだ。  こうしていると、普通の女性と全く違う所が無い。自分に抱かれて眠るシエルに、千博はそんなことを考えていた。全ブレイブス筆頭の鎧を脱ぎ捨てたシエルは、まるで10代の少女のように幼いところを見せてくれたのだ。その面で行けば、よほどエステリアの方が捻くれていると感じたぐらいだ。自分の好きな年上とは違うが、これはこれでいいものだと千博は考えていた。  よほど気持ちが良かったのか、さもなければそれだけ気を許したと言うことか。少しぐらい揺すったぐらいでは、シエルは目を覚ましてくれなかった。これが夜ならそのまま朝まででも良かったのだが、時計を見たら3時を少し過ぎたぐらいでしかない。このままぐたぐたとするのは、里帰りの目的を果たしていないことになる。  もう一度シエルの肩を揺すった千博は、仕方がないと一人起きることにした。慎重にシエルの下から左腕を引き抜き、転がるように布団から抜け出した。千博が居なくなったせいなのか、少しだけもぞもぞと動いたシエルは、温かみを求めるように体を丸くしてくれた。 「ひとっ風呂浴びてから着替えることにするか」  汗をしっかりと掻いただけでなく、シエルの臭いもしっかり染みついていた。このまま人前に出るのは、さすがにマナーとしてはなっていないだろう。そう自分の中で完結させ、千博は備え付けの露天風呂に入っていった。もちろん、のんびりとするつもりは無く、ただ汗と匂いを落とす程度だと考えていた。 「これで、シエルとすることの障害は無くなったな」  一番抵抗していたのは、誰でもないシエル本人だったのだ。それを乗り越えた以上、これからはフリーパスと言うことになる。次はいつアースガルズに行こうかなどと、千博は鬼畜なことを考えていた。 「後はエステリア達に合流すればいいんだが……あいつら、どこにしけこんでいるんだ?」  エステリアにしても、I市に土地勘があるとは思えない。だとしたら、別行動をとってから3時間以上、どこで時間をつぶしているのだろうか。 「とりあえず、ロビーにでもいればいいか」  目につく所に居れば、帰ってくればすぐに分かることだろう。そう考えて、千博はロビーで3人を待つことにした。  果たして千博が予想した通り、それから30分ほどして3人が現れた。楽しげに話をしているところを見ると、とても仇敵同志とは思えないだろう。それほどまでに、チタニアはヴァルキュリア達に溶け込んでいた。しかもいつの間に着替えたのか、チタニアの格好が黒ゴスから赤のスカートに白い首の詰まったセーターに変わっていた。しかも黒タイツまで履いているのだから、イメージチェンジにもほどがあるだろうと言いたかった。 「あら、シエルさんは?」  千博だけ居るのを見たエステリアは、首を振ってシエルの姿を探した。 「ああ、部屋で寝ているぞ。俺は、お前達を迎えに降りて来ただけだ」  エステリアの問いに答えた千博は、次に普通の格好をしたチタニアを見た。 「確か、黒ゴスはアイデンティティを示すものじゃなかったのか?」 「私一人だけ浮いていたので、二人に恰好を合わせただけです。ただ、人目を集めたのには閉口しました。鬱陶しいので、よほど食ってやろうかと思ったぐらいです」  美女3人が連れ立って歩いているのだから、人目を集めるのは仕方がないだろう。特にI市のような田舎では、こんな美女にお目にかかることはまれなことなのだ。その意味で、余計に人目を集めることになったのだろう。ただその程度のことで食われていたら、3人の周りには誰もいなくなってしまう。 「お前らが綺麗だからだよ。こんな田舎だと、お前らみたいな美人にはめったにお目に掛かれないからな」 「さすがの千博も、私達が美しいことを認めるのですね」  えへんと胸を張ったエステリアに、千博は「はいはい」とお座なりの答えを返した。 「それで、今までどこに行っていたのだ?」 「千博のよく行くファミレスでお茶をしていました。と言うより、おしゃべりがほとんどでしたね」  楽しそうな顔をしているところを見ると、きっと話に花が咲いたのだろう。この組み合わせでかと言う疑問はあったが、悪いことではないと割り切ることにした。ただ気になったのは、3人がお茶をしたと言うことだ。 「チタニア、お前もお茶を飲んだのだな?」 「ええ、普通においしいと思いましたよ?」  それが何かと首を傾げたチタニアだったが、大きく目を見開いた千博にもう一度聞き返してしまった。 「私がお茶を飲むことが不思議ですか? あなたも、真似事ぐらいはできるようにと言っていたはずです」  少し不満げに唇を尖らせたところは、掛け値なしの美少女と言っていいだろう。だが今の千博にしてみれば、チタニアの美醜はどうでもいいことだった。 「お茶を、おいしいと思ったのだな?」  噛んで含めるように聞いてきた千博に、チタニアは「ええ」とはっきり首肯した。 「お昼には、お寿司もいただきました。玉子焼きがおいしかったと思います」  期待以上の答えに、千博は「ああ」と天を仰いだ。チタニアの変貌やウラヌスの意図、それがここに来て理解できた気がしたのだ。 「千博、何を大げさに驚いているのですか?」 「大げさに驚くべきことだからな」  ただ、この場で話をするには登場人物が不足していた。かと言って、ウラヌスを呼び出したい気持ちも起きなかった。 「ところで、お前の親父さんはどうした?」 「私がお寿司を食べた後、慌ててどこかに行ってしまいました」  その答えを聞く限り、パックと問題の共有はできているようだ。だとしたら、このこともウラヌスに伝わっていると考えていいだろう。厄介なことになったと考えながらも、千博は3人に向かって別のことを口にしていた。 「それで、これからだが……俺は、こいつと一緒に家まで帰るつもりだが?」  お前達はどうするとの問いかけに、チタニアは少し考えてから「帰る」と答えてから姿を消した。 「私は、そうですね、シエルさんの面倒を見ることにしましょう。後は、温泉に入っておいしい晩御飯をいただこうかと。今日の献立は昨日と変えてくださるそうなので、何が出るのか楽しみですね」  本気で楽しそうにするミネアに、「食べてばかりだな」と言う突っ込みをしたくなっていた。その言葉を飲み込んだ千博は、「任せる」と一言残してエステリアに「行くぞ」と声を掛けた。 「千博、私に優しくしてくれないのですね?」  ぐれていいですかと膨れたエステリアに、好きにしろと千博は突き放した。 「じゃあミネア、シエルのことは任せたぞ」 「シエルさんがどう変わったか、とても楽しみですね。これで、ここに来た目的のほとんどは達成できました。ところで新堂様、私はいつ可愛がってもらえますか?」  今からでもと言う勢いのミネアに、勘弁してくれと千博は本気で懇願した。いくら若くても、ものには限度と言う物がある。 「そうだな、今度9時に行った時ぐらいだろう。北斗の様子を見に行く必要もあるからな」 「でしたら、来週あたりはいかがでしょうか。姫乃も待ち構えているでしょうから、日程に余裕を持っていただければと思います」  大切なスケジュールを、そんな理由で決めていいのか。理不尽なものを感じはしたが、敢えてそれを指摘する真似はしなかった。そしてこれ以上約束しないように、もう一度「行くぞ」とエステリアに声を掛けた。 「なにか、おまけの扱いに思えてしまうのですが……私の気のせいですか?」 「心配するな。気のせいじゃないぞ」  まるでいじめっ子だと、ミネアは千博の態度を笑っていた。そして笑いながら、エステリアが羨ましいと感じていた。本気で気づいていないようだが、エステリアにだけ千博の態度が違っていたのだ。姫乃の時とは違った意味で、年相応の顔を千博は見せていた。その理由を考えれば、自分が“特別”と言うのが理解できるはずなのだ。  妬けますねと心の中で呟きながら、さようならとミネアは手を振った。 「明日もご一緒させてくださいね」 「ああ、9時過ぎには顔を出せると思う」  まだ平日だから、妹もまとわりついてこないだろう。その意味で、土曜となる明後日からが一番忙しいことになる。その時はその時と、千博は頭の中を切り替えた。  ミネアに手を振り返した千博は、隣で膨れているエステリアの顔を見た。そして可哀そうだが、今晩はお預けだと考えていた。エステリアの期待は分かるが、今はそれ以上の問題を教えておく必要がある。確実に、この問題は将来に影響を及ぼすはずなのだ。  だから千博は、「拗ねるな」と言ってエステリアの頭に手を置いた。 「そこは、肩を抱く……もしくは、腰を抱き寄せるところではありませんか?」  扱いが良くないと文句を言うエステリアに、「歩きにくいから嫌だ」と千博は言い返したのだった。  朱美が連絡をしたのか、今日の夕食は家族全員が揃っていた。おかげでダイニングが狭くなったのだが、文句を言うのは筋違いだと千博は黙っていた。そして義妹の優実は、大好きなお兄様を放置し、エステリアを構ってくれた。 「それで、エステリアさんって何をしている人なんですか?」  大きな目をきょろりと動かし、優実は無邪気な質問をぶつけてきた。それまで散々「痛い人」扱いされたのを思い出し、エステリアは慎重に言葉を選んで自分の立場を説明することにした。 「優実さん、アメリカの大統領の演説は知っていますか?」 「アメリカ大統領の演説って……いろいろとあるんだけど?」  最初のボタンを掛けそこなったエステリアは、もう一度言葉を選んで取り掛かりから説明することにした。 「霧島姫乃さん、北斗さんがアメリカに行くことになった演説ですよ。その中で、巨大ロボットを持つ謎の組織と言うのが出てきましたよね。アメリカの大統領は、その組織に対して協力を呼びかけたと思います」  そこまで言われれば、優実にも何を言っているのか理解することが出来る。姫乃と北斗が招請されたことを含め、I市ではかなり話題になった演説だったのだ。 「まさか、その謎の組織の人とか言いませんよね?」  そう言って先手を打った優実に、「そうですけど」とエステリアははっきり言い切った。 「あのロボットは、グラニーと言うんです。そしてもう一つ、最初にやられたロボットはアリオンと言います。ただ、アリオンはかなり旧式なので、今の主力はグラニーですね。ちなみに、I市に現れたグラニーはギムレーと言う名前が付いていて、私のお父様が乗っていたんですよ」  千博の理解では、エステリアは何一つ間違ったことは言っていない。ただ何も知らない一般人が、それを正しく理解できるかは全く別物だった。そして優実は、何も知らない一般人だった。  いかにも可哀そうな子を見る目をした優実は、大きくため息を吐いて大好きなお兄様の顔を見た。 「お兄ちゃん、エステリアさんって……やっぱり痛い人なの?」  その問いかけに苦笑を浮かべた千博は、エステリアにとって不本意な形で弁護の言葉を口にした。 「痛い所はあるが、大筋で間違ったことを言っていないぞ」 「確か、病院では別の星から来たとか言っていたよね? でもさ、どう見ても普通の人だよね。そりゃあ、とびっきり綺麗ってのは認めるけど……だからこそ、余計に痛いって気がするんだけど」  どうしても痛い人……と言うよりエステリアの出自を信用しない優実に、そうだなと千博は説明の方法を考えることにした。 「なあ優実、俺の左目のことは知っているよな?」 「もの凄く精巧な義眼が入ったってこと?」  それがと言う顔をした優実に、千博は小さく首肯した。 「まず、今の日本の技術ではこんな義眼を作ることはできないんだ。と言うことで性能を少し証明すると、優実ちょっと立ち上がって跳ねてくれないか?」 「それって、食事中にすることかな……」  とは言え、大好きなお兄様の命令なのだ。しぶしぶ立ち上がった優実は、本当に軽く飛び上がって見せた。 「それで、飛び上がることに何か意味があるの?」 「ああ、優実の体重が分かったな。服の重量を引くと、43.2kgと言うところか。もう少し肉付きをよくした方がいいんじゃないのか?」  千博の指摘に、優実は瞬時に頬を紅潮させた。つまり、千博の指摘は正解だったと言うことだ。 「な、なんで、お兄ちゃんにそれが分かるの?」 「簡単に言うと、この左目の機能だな。お前の運動エネルギーを分析し、質量を導き出してくれるんだよ。ちなみに部屋の温度とか、今食べているものの成分とかも簡単に分析してくれる優れものだ。おかげで、テスト会場に持ち込めないものになっているがな」  凄いだろうと聞いてきた千博に、優実は素直に首肯した。 「この義眼ひとつとっても、宇宙人と言うのが現実味を持ってくれるんだよ。そもそも、あんな巨大ロボットや管虫見たいな化け物が出てきたんだぞ。宇宙人が居ると考えないと、説明がつかないだろう?」 「そうかもしれないけど……」  そうやって一つ一つ説明されれば、宇宙人の存在を認めないわけにはいかない。ただそれならそれで、優実にも色々と言いたいことがあった。  そこで優実に見られ、「なんですか?」とエステリアは小首を傾げた。 「どう見ても、私達と違うように見えないわ。もしかして、これは仮初の姿で中身はエイリアンみたいなのが入っているとか……」  そう言って眉間にしわを寄せた優実に、千博は「惜しいな」と言って笑った。 「襲ってきた奴らなら、まさしくお前の言う通りだぞ。優実を襲ったあいつらは、それこそまともな形を持っていないからな」 「確かに、何か触手のようなものが伸びて来た記憶がある……」  その時のことを思い出したのか、優実はぶるっと身を震わせた。あの時は両親とも意識を失い、自分はまさに殺されそうになったのだ。黒ゴスを着た女の子が助けてくれなければ、本当に自分は死んでいただろう。  その時のことを思い出した優実は、「そう言えば」と右手をぽんと叩いた。 「そう言えば、黒ゴスを着た可愛い子が居たと思うんだけど。あの子も、エステリアさんの仲間なの?」 「ああチタニアか。あいつは、どちらかと言ったら敵の側だな。俺のこの目は、チタニアにやられたからな」  笑いながら答える千博に、優実は驚きから目を大きく見開いた。 「どうして敵だった人が私達を助けてくれたの……?」  その疑問自体は、とても素朴で、そして本質を突いたものだろう。そして疑問を口にした優実は、千博が答える前に中二病かと言いたくなることを口にした。 「それって、愛のために味方を裏切ったってこと?」 「……たぶん間違ってはいないんだが。お前も、結構痛いことを言うんだな。真正の中二病真っ盛りってことか?」  優実は中二なのだから、中二病でもおかしくないだろう。そしてそれを指摘された優実は、悪びれることなく「中二だから」と答えた。そして話を、ずいっとエステリアのことに引き戻してくれた。 「お兄ちゃんは、エステリアさんが宇宙人だと言うのね?」 「地球の人間でないと言う意味なら、宇宙人には違いないな」  いろいろと証拠を出された以上、そして大好きなお兄様が言う以上、エステリアが宇宙人と言うのを信用しない訳にはいかないだろう。だがそれならそれで、いろいろと優実にも言いたいことがあった。 「お兄ちゃんがそう言うのなら信用するけど……だとしたら、かなりがっかりしたと言うところかな」  そう言って、エステリアの顔を見て大きくため息を吐いてくれた。 「何か痛い人から、残念な人にクラスチェンジをした気が……」 「ずいぶんと酷いことを言ってくれるのですね」  痛い人呼ばわりも気に入らないが、残念な人と言うのはもっと気に入らない。不満げに唇を尖らせたエステリアに、「それよ」と優実は脱力して答えた。 「だって、一つ一つのしぐさが私達と変わらないんだもの。宇宙人なら宇宙人らしく、もっと違うことをしてほしかったと言うのか。これでお兄ちゃんと普通にエッチをしていたら、それでいいのかと説教したくなると言えばいいのか……何か、裏切られた気がするのよ」 「勝手に期待しておいて、裏切られたと言うのは違うと思いますよ」  いろいろと気に入らないことを言われたが、そこは年上の余裕を見せるべきだとエステリアは考えた。しかも自分は、13時の筆頭ヴァルキュリアなのである。年下の子どもと同レベルでは沽券に関わるのだ。 「つまり、お兄ちゃんとエッチをしたんだ……なんかなぁ、現実って本当に夢が無いのね」  そこでもう一度千博を見た優実は、止めておいた方がと本気で忠告してくれた。 「お兄ちゃん、私は霧島のお姉様の方がいいと思う」 「千博は、姫乃さんにも手を出していますよ」  あっさりとばらしたエステリアに、「お兄ちゃんって」と優実は軽蔑したような視線を向けた。 「二股男ってこと? そう言うのって、女の子に嫌われると思うよ」 「普通はそう思うよな……普通は」  はあっと息を吐いた千博は、「普通はそうだよな」と言ってエステリアの顔を見た。 「千博は、私に何を言わせたいのですか? カヴァリエーレでもないくせに、そこらじゅうに手を出しているあなたが」  そう言って口元を歪めたエステリアは、「ねえ」と更なる暴露話を口にした。 「優実さん、千博が手を出したのは姫乃さんだけじゃないんですよ。間違いなく、片手では足りないぐらい手を出していますよ」 「お兄ちゃんって……そんなに節操なしだったの!?」  がっかりと吐き出す優実に、悪かったなと千博拗ねた顔をした。 「それで、エステリアさんが本妻ってこと?」  だから、こうして家にまで連れてきているのだろう。そのつもりで聞いた優実に、「さあな」と千博はとぼけて見せた。 「俺達は、そう言う約束とは無縁の関係だからな」 「それって、我が兄ながら最低だと思うよ」  そう言って自分を責めた義妹に、何を言っていると千博は言い返した。 「俺はまだ17歳なんだぞ。男はまだ結婚できる年じゃないんだ。それに、北斗が言うには恋愛は自由だそうだ。結婚とか言うのは、もっと年を取ってから考えればいいことだ」 「まあ、エステリアさんがそれでいいと言うのならいいんだけど」  そう言って矛先を収めた優実は、複雑な気持ちと千博に零した。 「エステリアさんがお姉さんになるんだったら、甘えてみたいなって思ったのに……それに、どうしたらそんなに綺麗でいられるのかも教えて欲しかったなって。科学技術が進んでいるんだったら、綺麗になるいい薬があってもおかしくないと思うし……」  その当てが外れたとため息を吐いた優実に、エステリアはつい苦笑を浮かべてしまった。 「綺麗でいるには、毎日の努力が必要だと思いますよ。どうしたら綺麗でいられるのか、肌のケアとか心を豊かにするとか……本当にいろいろとすることがありますからね。整形することはできますけど、心が綺麗でないとすぐに醜くなってしまいます」  残念でしたと苦笑され、優実はがっくりと肩を落とした。そして娘の話が終わったと、待ち構えていた朱美が次なる審問官として登場した。 「ところで、アースガルズって言ったっけ。それって、地球の北欧神話と関係があるの?」  アースガルズにヴァナガルズ、しかもヴァルキュリアと言う役職まで出てくるのだ。朱美が北欧神話との関わりを考えても不思議ではないだろう。 「たぶん、何も関係ないと思いますよ。私達の言葉を翻訳する際に、偶然同じになっただけだと思います」  そこで少し考えたエステリアは、「やはり関係ありません」と繰り返した。 「北欧神話におけるヴァルキュリアと私達では役目が違っています。私達は、戦士を統括する役目を負っているんです。ですから、北欧神話とは関係が無いと言えますね」  ふーんとエステリアの話を聞いた朱美は、次にとアースガルズの位置を問題とした。 「地球の人じゃないと言うことは、あなたの生まれた星があると言うことよね。それって、お空のどのあたりにあるの?」  宇宙人だと考えれば、朱美の質問は的外れのものではないだろう。だが空間的概念が違うと、どのあたりと言われても困ってしまうのだ。だから困った顔をしたエステリアは、「分かりません」と答えた。 「もしかしたら、この空のどこかに私達の星があるのかもしれません。私達は多元宇宙と言っているのですが、特異点に対して組紐と言う空間で繋がっているのが私達の星なんです。その中には、私達がテッラと呼ぶこの星とか、地球を襲ってきたヴァナガルズとか、今は滅びてしまったミズガルズとかがあるんです。だから星の間を移動するには、宇宙船ではなく組紐と言う特異空間を操作する必要があります。ちなみに組紐は、星の間を移動するだけではなく、たとえばここからアメリカに行くと言うこともできます」 「だから、連絡があってすぐ帰ってこられたと言う訳ね」  なるほどと大きく首肯した朱美に、「理解していますか?」とエステリアは聞き返してしまった。嘘を言っているつもりはないが、すんなりと受け入れてもらえるとも思っていなかったのだ。 「細かな原理とかは分からないけどね。まあ、SF的なものだと考えれば受け止めることはできるわ。ヒロ君の義眼は、もっと文明の進んだ世界が無いと話が合わないもの。でも、不思議よね……」  そう言って、朱美はエステリアに近づいて顔を覗きこんできた。 「ものすごく綺麗ってことを除けば、優実の言う通り私達との差が無いのね」 「その辺りは、私達の中でも謎とされていることなのですが……過去に交流があったと言うより、同じ特異点に繋がる特異性で、同じように進化をしたのだろうと今は考えられています」  少し引いたエステリアは、朱美の疑問に対してアースガルズでの定説を口にした。 「それで、ヒロ君との間で子どもはできるの?」  いつか出ると思っていた質問だが、それを朱美は本当に口にしてくれた。千博は飲んでいたお茶を吹き出し、エステリアは真剣に朱美の問いに答えた。 「40年ほど前に、私達の下級戦士がテッラに流れ着いたそうです。その戦士はアメリカに保護され、5人の子供を儲けたと言う話です。その事実を鑑みれば、たぶんできると言うのが答えになると思います」 「ヒロ君とエステリアさんの子供かぁ……きっと可愛い子が生まれそうね」  明らかに先走った継母に、千博は「おい」と突っ込みの言葉を掛けた。 「どうして、そんな話になる?」 「別に。ただ可能性の話をしただけよ。このまま一緒にいれば、そのうち子供と言う話も出るんでしょう?」  朱実はそれを千博ではなく、エステリアの顔を見て言ってくれた。 「そうですね。私の就いている役目は、30前に引退することになっています。引退のほとんどは、妊娠が理由になっていますね。このままいけば、10年後ぐらいに私は千博の子供を身ごもって引退することになると思います」  それがヴァルキュリアの常識と言うこともあり、エステリアは平然と妊娠を口にしてくれた。そしてその相手は、千博だと言い切ってくれたのだ。千博が拗ねて反対を見たのは、どう見ても照れ隠しが理由なのだろう。 「そうか、ヒロ君の子供は後10年は抱けないのか」  常識的なことを口にした朱美に、何も考えずに「違います」とエステリアは答えた。 「ミネア様が今27歳ですから。あと、2年ほどで引退されることになると思います。千博の子供を産む気満々ですから、3年も待てば子供を抱けると思います」  そう答えたエステリアは、「違いますね」と自分の言葉を訂正した。 「その前にヘルセア様が居ましたね。たぶん、2年ほどで子供を抱けると思いますよ」  エステリアとしては、小さな頃から教えられた常識を口にしたに過ぎなかった。だが教えられた方の常識とは、はるか彼方に離れた世界である。少し厳しい顔をした朱美は、「エステリアさん」と居住まいを正した。 「何か、私にはとても爛れた世界に思えるのですけど?」 「そう言われても、400年近く続いた伝統なのです。もともとヴァルキュリアに触れることのできる男性は、カヴァリエーレと呼ばれる筆頭戦士だけでした。今は多少事情が変わって、副カヴァリエーレまでは許されるのですが……ちなみに、それぞれの組織には7人のヴァルキュリアが居るんです。でも、副カヴァリエーレを含めて男性の数がとても少なくなっているんです。だから、一人の男性が、多くのヴァルキュリアと関係する必要があります。良い悪いと言う話ではなく、そう言う習慣を続けてきたのだと思ってください」  少し困った顔で、エステリアはヴァルキュリアシステムのことを説明した。 「霧島姫乃さんは、今アースガルズでヴァルキュリアになる教育を受けています。そして霧島北斗さんは、同じくアースガルズでブレイブスの訓練を受けているんです。北斗さんは、先日大きな功績をあげましたから、間もなく副カヴァリエーレに任命されるかと思います」  いろいろな秘密をばらしまくりなのだが、相手は千博の家族と言うことでエステリアは開き直っていた。 「だとしたら、ヒロ君も副カヴァリエーレとかになったの?」  いつの間にと驚く朱美に、「いえ」とエステリアは首を横に振った。 「一度は副カヴァリエーレになってくれたのですが……すぐに、嫌だと放り投げくれました。だから、今の身分はとても微妙なのですが……私とのこともありますから、今はクアドランテ……ヴァルキュリアの意思決定機構なのですけど、そこで千博の扱いは協議中です。間もなく、答えが通達されると思います」  本当なら、対ヴァナガルズが理由の話になっているはずなのだ。だが話の流れだけからすると、千博の不始末が問題となっているように聞こえるから不思議だ。好きにしてくれとそっぽを向いた千博だったが、にやけた父親の顔に帰ってきたことに後悔していた。 「そっかぁ、ヒロ君に沢山子供が出来るんだったら、老後の楽しみはいっぱいあるわね」  そう言って笑った朱美に、そんな問題かと千博ははっきり呆れていた。バリバリの理系……しかも研究者の癖に、どうしてお花畑のことを口にしてくれるのだろう。実の父親を含め、両親のことがますます理解できなくなっていた。  そして老後が楽しみと言う朱美に、エステリアは肯定しつつも“過酷”な現実を告げた。 「それにしても、程度問題だと思いますよ。多分ですけど、子供の数は二桁を超えますから」 「二桁を超えるって……ラグビーチームが出来るぐらい?」  ラグビーと言われて、エステリアにその数がピンと来るはずがない。大きな目をきょろりと動かしたエステリアは、「ラグビーチーム?」と首を傾げて見せた。 「15人と言うことだ」  横から千博が助けを入れたのだが、それはあまり意味のあることではなかったようだ。 「15人って……」  そう口にして、エステリアは天井を見上げて何かを数えるように指を折った。 「再来年には達成しそうな数ですね」 「何を、既定の事実のように言ってくれるんだ?」  俺は種馬じゃないと抗議をした千博に、ですがとエステリアは自分の父親のことを持ち出した。 「私のお父様は、25年の間に200人を超える子供を儲けているんですよ。千博だったら、それを超えてもおかしくないと思います。北斗さんが副カヴァリエーレになれば、多少は分担できるかもしれませんが……それにしても、限度があると思います。現時点でも、クアドランテ全体で90名弱のヴァルキュリアが居るんですからね。引退され方を含めれば、その数は2倍ぐらいにはなります。それを考えたら、200人でも控えめなのかも知れしないし……」  そう言って真剣に数字を数えるエステリアに、千博はがっくりと項垂れた。そして朱美は、苦笑を浮かべながら二人のやり取りを見守ってくれた。 「今の反応を見る限り、ヒロ君の望んだ世界ではないようね。良かったわ、高2の息子が中二病に罹ってなくて。いくらなんでも、孫が何百人もいるのは想像できないし……」  いくら孫が可愛くても、小学校一つ分となると限度を超えている。一族が全員集合しようと思ったら、体育館ぐらいの広さが必要になってしまう。アラブの王様でも、ここまで子だくさんの人はいないだろう。 「ねえ万博さん、男の人が憧れるハーレムなんだけど。羨ましいと思う?」  そこでいきなり話を振られた万博は、小さくため息を吐いて息子の顔を見た。 「いくら美人ばかりと言われてもなぁ……世の中には、限度と言う物があると思うんだ。千博、どう考えてもお前は長生きが出来そうもないな」  その時の死因は、腎虚あたりだろうか。父親の笑えない冗談に、千博ははっきりと顔を引きつらせた。 「そうかもしれませんね。私の父も体を壊していますから」  突っ込みどころ満載の言葉なのだが、千博は敢えて聞いていないことにした。ミネアに教えられた話では、エステリアの父親が体を壊したのは、グラニーからのフィードバックが理由と言うことだ。 「ところで千博、お前はどれだけの事件に関わっているんだ? 異星人からの侵略と言えば、ここの前に3か所ほどあったよな。ここの後なら、そうだな鹿児島市の水族館とか、エンゼルススタジアムとかサウジアラビアとかあったじゃないか」  父親として息子のしていることを気にするのは、ある意味当たり前のことだろう。そして家族からされる質問と考えれば、とてもまっとうなことに違いない。 「そうさな、俺が関わったのはI市からなんだが……」  そう答えて、千博は自分の関わった事件を並べあげた。 「その次が、台風の日にこいつが襲われた時だな。台風の夜に帰って来た時があっただろう、それがその時のことだ。そして次が、水族館の事件だ。そして次が、エンゼルススタジアムが襲われた時だな。その時は、エンゼルススタジアムだけじゃなくて、こいつらの本部も襲われていたんだ。だから俺は、本部の方で敵を相手にした。後は……こいつとロスでデートしていた時にも襲われたな。後は、アースガルズに行った時も、2回ほど事件に巻き込まれているな」  ここで襲われたことを除外したのは、家族全員が知っているからに他ならない。 「……知らないうちに、よくもまあ、そんなに関わっていたものだ」  はあっと息を吐き出した万博は、大丈夫なのかと息子の顔を見た。 「左目以外に、どこかけがをしたとかないのか?」 「おかげで、今の所これ以外におかしなところは無いな」  はっきりと言い切った息子に、万博は安堵の息を漏らした。 「だったらいいのだが……今更、抜けられると言うことは無いのだろうなぁ」  それを息子とエステリアの顔を見ながら言ってくれたのだ。もはや息子一人の勝手にできないことを理解しているのだろう。 「ああ、こいつを守ってやると約束をしたしな。まあ、死なないように努力はしているつもりだ」 「異星人に襲われた以上、今までのような平穏な日と言うのは望めないのは分かっているが……」  やはり複雑な気持ちだと万博は吐き出した。 「それで、お前は今何をしているんだ?」 「何をか……」  ふんと考えた千博は、「いろいろ」と答えにならない答えを口にした。 「まあ、米軍に協力しているのがそのうちの一つだな。いつの間にか第一人者にされちまったから、教官なんてものをやっている。後は、アースガルズ側でも似たようなことをしているな」 「マスコミに売り込んだら……大騒ぎになりそうなことだな」  千博の口にしたことは、すべてマスコミにも出ていないことばかりだったのだ。それどころか、日本政府でも知っているかどうか疑わしい所がある。こうして庶民の知らないところで、世界は大きく動くことになる。つくづく謎に満ちた世界だと、万博はエステリアの顔を見て感心していた。 「ところで、私達もアースガルズに行けないの?」  異世界、しかも文明的に進んだ世界があるのなら、一度行ってみたいと考えるのは人間の性だろう。その辺りはどうかと、朱美はエステリアに問いかけた。 「そうですね。両者の交流を制限しているのですが……お父様達なら、特別にご招待することはできると思います。多分ですけど、定住して欲しいと言われるのではありませんか?」 「それって、ヒロ君の本拠地をアースガルズにするため?」  正しく事情を理解した朱美に、エステリアははっきりと首肯した。 「霧島北斗さん、姫乃さんの所も同じ事情になっているようです。北斗さんは、メイアさんの次のカヴァリエーレに、そして姫乃さんには、9時のヴァルキュリアになって欲しいと言う声が出ています。そのためには、ご家族を納得させる必要があるんです」 「だから、私達ごと取り込もうってことか」  今一つ反応の薄い朱美に、だったらとエステリアはおいしそうな餌を差し出すことにした。 「アースガルズは、居住区を宇宙にも広げていますよ。衛星軌道上に人の住めるコロニーを作っていますし、近傍の惑星も人が住めるように改造されているんです。アースガルズに来れば、そう言った場所に旅行をすることもできます」  地球人が、宇宙への夢を持っているのは知っている。その意味で、差し出された餌は魅力的に映るだろうと思っていた。ただこの餌は、朱美よりも万博に有効に働いたようだ。「本当か」と詰め寄られて、エステリアは思わず後ずさってしまった。いくら千博の父親でも、異性との接触には変わりがなかったのだ。 「ええ、それぐらいの便宜なら安いものです。ただコロニーなら1日も掛かりませんが、近傍の惑星までだと1か月ぐらいの時間が掛かりますね」 「そうか、宇宙旅行が出来るのかぁ……」  遠い空を見るような目をした万博に、エステリアは小声で千博に問いかけた。 「お父様……けっこう乗り気ですか?」 「ああ、根っからの宇宙オタだからな」  なるほどと首肯したエステリアは、「一度いかがですか?」と万博を誘った。 「ドーレドーレ様に許可をいただく必要はありますが……許可が出るまでには、さほど時間は掛からないと思います」 「う〜ん、宇宙旅行か……触れて回れない……と言うか、言っても誰も信じてくれないだろうな」  仕事を休む理由が、「宇宙旅行」なのである。現在の科学水準を考えれば、信用しろと言うのが無理な相談だった。  とはいえ、魅力的な誘いであるのは間違いない。だから万博は、素直に「お願いしていいのかな?」とエステリアに尋ねた。 「ええ、許可を取るのはさほど難しくないと思います。では、私の方から申請を出しておきますね」  そう答えたエステリアは、サポートAIを呼び出そうとした。 「ところで、お母様と優実さんもご一緒されるのですよね?」  歓迎しますよと微笑まれ、優実は少し顔を赤くした。どうやら、痛い人から綺麗なお姉さんに扱いが落ち着いてくれたようだ。正確に言うのなら、義理のお姉さんの立場を勝ち取ったと言うことだろう。 「そうね、行けるんだったら行ってみたいわね」  つまり、家族全員が参加すると言うのだ。それに首肯し、エステリアはサポートAIを呼び出した。 「レーシー、千博のご家族へのアースガルズ渡航申請を出しなさい」 「はい、エステリア様っ!」  突然現れた擬人化されたインタフェースに、万博たち全員が驚いた顔をしてくれた。 「初めっかれこれを見せてくれれば、痛い人って言わなかったのに……」  論より証拠。言葉で説明するだけでは、やはり説得力にはかけていたと言うことだ。優実の指摘に、これからは気を付けますとエステリアこめかみを引きつらせたのだった。  嫁とは違うと言う説明だったが、エステリアは新堂家に嫁として扱われた。そのおかげで、千博の両親どころか妹の優実まで、二人が同じ部屋で寝ることを問題にしなかった。さも当たり前のようにと言うのか、エステリアが千博の部屋に入っていくのを気にしなかったのだ。 「何か、とても新鮮な気持ちですね」  千博のベッドに寝転がったエステリアは、さっそく裸になろうとパジャマのボタンを外しにかかった。両親へのご挨拶も終えたのだから、ここから先は誰はばかる必要もないと思っていた。  ただエステリアがその気になったのに、千博の反応は芳しくなかった。「そんなことより」と言うのは、その気になった恋人に言うことではないだろう。 「せっかく二人きりになれたのに、そんなことより……ですか? やっぱり千博は、私には優しくないと思います!」  ぷんぷんと頬を膨らませたエステリアに、何を今更と千博は口元を歪めた。 「お前のことを買っているからこそ、情報共有をしようと思ったのだが……馬鹿な女の扱いでいいと言うのなら、今すぐにでも抱いてやるぞ」 「だ、だとしてもですよ。物事には言い方と言う物があると思います。絶対に、千博は私をいじめて楽しんでいると思います。楽しんでいると思いますっ!」  それだけは譲る訳にはいかない。頬を膨らませたまま文句を言うエステリアに、それでも構わないと千博は突き放した。 「で、どうする? 何も話をしないで今すぐやるか?」  千博の言葉に、エステリアははあっと息を吐き出した。 「私と共有すべき問題があると千博が考えたのですよね。でしたら、その話を聞く方が先だと思います」  いじめっ子ではあるが、だからと言って嘘をつかないのが千博だとエステリアは信じていた。だからこそ、共有すべきと言われれば、それだけ重要な話だと信じられるのだ。そして彼女の役目は、すぐに確認することが求められていたのだ。 「それで、千博は何を私に話したいのですか?」  ベッドから起き上がったエステリアは、そのまま千博に向かい合った。ボタンが外されて開いたパジャマからは、形のいい白い胸が顔を覗かせていた。 「ああ、結構重要な話をすることになる。ただ、その前におさらいをしておこうか」  もったいをつけた千博は、最初にとアクアス異性体のことを持ち出した。 「チタニアから聞いた話を纏めると、500年以上前のことだが、ヴァナガルズには120億の人が暮らしていたと言う。そのうち20億がアクアス異性体となり、60億が食われたそうだ。残りの40億の消息は不明だが、戦って死んだのと宇宙に逃れたのが半々ぐらいだと思う。そしてこれはチタニアの情報ではないが、アクアス異性体と言うのは人為的に作られたものだと俺は思っている」  それは良いかと確認した千博に、エステリアは小さくため息を吐いてから首肯した。 「いろいろと言いたいことはありますが、今は千博の話を優先しましょう」  感謝すると返した千博は、そのまま話を続けた。 「どこまで正確なのかは分からないが、それだけ食らえば6千年近くは人を食らう必要はないはずだ。それなのに、アクアス異性体は500年ほど前にアースガルズに手を出した。第一の疑問は、そこにあると俺は思っている。そして奴らは、アースガルズで80億もの人を食らった。これで、1万年以上は捕食をしなくても済む計算となる。しかもミズガルズで60億食らっているのだから、単純計算で2万年と言う気の遠くなるほどのストックがあるはずだ。それなのに、奴らはお前達の言うテッラ、地球にまで手を出した。これが、第二の疑問と言うことになる。なぜ奴らは、必要以上のセラを集める真似をしているのか。第一、第二の疑問を纏めると、奴らが求めているのは本当にセラなのかと言うことになる。それは、いいか?」  千博の確認に、エステリアは少し考えてから首肯した。 「お前達は、アースガルズでの戦いが不利になったから、テッラに手を伸ばしたと考えたのだろう?」  その問いに、はっきりとエステリアは首肯した。そのあたりは、以前千博とも話をした事だった。 「だが、先日の戦いで、それが大きな勘違いだと思い知らされたはずだ。それどころか、テッラへにちょっかいを掛ける過程で、奴らの方が組紐制御に長けているのが証明されてしまった。まあ、こっちはこっちで仮説はあるのだが、今は本筋ではないので触れないでおく。そうなると、不利になったからと言う理由が否定されることになる。そうなると第二の疑問、なぜテッラに手を出したのかと言うことへの答えだが……こう言うと思いあがりに聞こえるかもしれないが、俺と言う存在がその答えのヒントかもしれない」 「つまり、これまでの関係を変える何かを求めていたと言うことですね?」  正しく理解したエステリアに、さすがはヴァルキュリアと千博は満足していた。このあたりが、サークラのようなブレイブスとは違う所だったのだ。  小さく首肯した千博は、もう一人の鍵となる名前を持ち出した。 「ただ、俺が居るだけでは、今までとは何も変わらなかったのだろう。だが、そこにチタニアと言う存在が加わることで、新たな意味が生まれることになる。もう少し正確に言うのなら、奴らが求めたのは俺ではなく今のチタニアと言う存在だと思う」  チタニアの名前を出され、エステリアは自分の中で腑に落ちるものを感じていた。そしてそれが何かを考えた所で、千博の言いたいことが理解できた気がした。 「ちょっと待ってください。千博が言いたいことが理解できた気がします……」  眉間にしわを寄せても、エステリアの美しさは少しも損なわれていなかった。それどころか、真剣に考える姿は、普段よりもずっと美しく感じたほどだ。さすがは筆頭を窺える素質だと、千博は素直に感心していた。 「確か千博は、アクアス異性体に大した存在ではないと言ったことがありますね」 「まあ、似たようなことはな……」  それでと先を促され、エステリアはアクアス異性体の存在そのものに触れてきた。 「永遠に近い寿命を持ち、ほとんど精神体だけと言うのがアクアス異性体と言う存在です。ですが彼らは、中途半端にも私達を捕食する必要があります。捕食の目的は……肉体の維持は必要ないのですから、精神体の維持と言うことでしょう。そうしないと維持できない時点で、彼らは中途半端な存在と言うことです。そしてもう一つ中途半端なのは、死ぬくせに個体を増やすことが出来ないことだと思います。そこから考えられるのは、彼らはまだ出来損ないと言うことですね。そしてそのことを、彼ら自身が理解をしているのだと」  自分で口にした言葉に首肯しながら、エステリアは「だから」と話を続けた。 「彼らがアースガルズを襲ったのは、より完全なものへと昇華するためなのでしょう。だから、科学の粋を極めた殺し合いではなく、より人間臭い殺し合いを求めることになった。ボタンを押したり、無人兵器での戦いでは、人は成長することはできません。お互い知恵の限りを尽くし、相手を出し抜き勝利を収める。その努力が、新たな変化のきっかけになると考えたのではないかと思います。だから、その役に立たないミズガルズは、食い尽くされることになったのでしょう。そしてテッラは……多分、彼らは私達とは別の可能性を感じたのだと思います。そして彼らの賭けは、チタニアと言う可能性を勝ち取りました。成長するはずのないアクアス異性体が、わずかな時間で成長をしたのです。間違いなく、彼らはその変化を好ましいと考えたはずです」  違いますかと問われ、千博は「その通り」と満足げに答えた。やはりエステリアは、特別な存在だったのだ。自分とチタニアの関係に、エステリアが加わることで、新たな変化が導き出される可能性が生まれてくるのだと。 「そして今日、チタニアは味覚を取り戻しました。人を捕食しないで、充足感を得ることに成功しています。これもまた、彼らが予想もしていない、そして望んだ変化なのではないでしょうか。それに気づいたから、千博は私にこうして話をしてくれたのですよね?」  どうですと胸を張ったエステリアに、千博は拍手でそれに答えた。 「さすがは、俺が見込んだだけのことがあるな」  そう言ってエステリアを褒めた千博は、「これが取り掛かり」と言って口元を歪めた。 「さて、おさらいが終わった所で本題だ」 「えっ、今のはおさらいだったのですかっ!?」  目を丸くして驚いたエステリアに、千博は小さくため息を返した。 「今話した程度じゃ、何も意味がないだろう? チタニアの変化が好ましいと感じた奴らが、これから何をしてくるのかが重要じゃないのか?」 「ええっと、パックとかウラヌスから話を聞くと言うのはだめなのかしら……だめですよね」  千博の冷たい視線に、エステリアの言葉は尻すぼみとなっていた。 「奴らに現れた重要な変化だ。だから、それを育てていこうと考えるのは間違いない。ただな、奴らにもチタニアがどこに向かうのかは分かっていないはずだ。そして、どうやったら新たなステージに移るのかも分かっていないはずだ。いや、分かっているかもしれないが、必ずしも俺達にとって望ましいこととは限らないし、その方法が受け入れられるかも分からない。奴らのことだ、お前とチタニアを融合させることもやりかねないぞ」  可能性を指摘した千博に、エステリアはぶるっと身を震わせた。個体数を増やせないと口にしたのだが、反則技を使えばそれが可能だと気づいたのだ。 「私達を融合させるって……」  もしかしてと自分の顔見たエステリアに、千博ははっきりと首肯した。 「お前を、アクアス異性体に変えるんだよ。そしてその上で、チタニアに取り込ませ融合させる。まあ、ウラヌスと似たような存在になると言うことだ」  予想が違っていなかったと、エステリアはもう一度身を震わせた。 「だから、受け入れられないと言ったんだ。それを考えたら、ウラヌス達が正直に教えてくれると思っているのか? それに正直に教えられて、お前はチタニアと融合することを受け入れられるか?」  嫌だよなと問われ、エステリアは何度も首肯して見せた。 「そして融合と言う意味なら、俺が対象になることもあり得るんだ。まあ極端なことを言ったが、実の所奴らだってどうしたらいいのか分かっていないと思う。それにやり方を相談したら、期待した変化が起こらない可能性があるだろう。と言うことなので、俺達が自分自身で考える必要があるんだ。そして、俺達にとって都合がいい方向に誘導する必要がある……まあ、最後のはできたらと言うところだがな」  いいかと確認されたエステリアは、真剣な表情で首肯した。 「そこで考えなければならないのは、チタニアが変わった理由だ。すべてが、そこから始まっていると考えても間違っていないだろう」 「千博が、いやらしいことをしたからですか?」  素直に理由を口にしたエステリアの頭に、千博はすかさず軽く拳骨を食らわせた。 「愛する人に暴力を振るうのは良くないと思います!」  文句を言ったエステリアに、千博はもう一度拳骨を食らわせた。 「壊れているようだから、叩いて直してやったんだ」  まったくと小さく息を吐いた千博は、もっと頭を使えと文句を言った。 「いやらしいことをするだけで変わるんだったら、ペルディータ辺りで試してやるぞ。それがどんな意味を持つのか、何が理由なのかを考えろと言ったんだ」 「少しぐらい優しくしてくれてもいいのに……」  ぷうっと頬を膨らませたエステリアに、千博はもう一度考えろと命令した。 「チタニアの変化なら、お前もずっと見てきたはずだ。最初に会った時でも、戦っているうちに変わってきていただろう?」 「それって、精神が体の影響を受けるって言っていたことかしら?」  エステリアの答えに、千博は小さく首肯して見せた。 「でも、今のチタニアは、むしろ体が精神の影響を受けている……」  小さく呟いたエステリアは、自分の言葉に納得したのか「ひょっとして」と千博の顔を見た。 「精神と肉体の相互作用が起きている……つまり、何も感じなかった精神が、肉体の影響によって感受性を取り戻した。そして感受性を取り戻した精神が、今度は肉体に影響を及ぼした……と言う事かしら?」 「まあ、現象自体はそれで説明できるだろうな」  ちゃんと気づくところが、千博の評価する部分だった。ただそれだけでは不足だと、千博はさらなる考察を求めた。  「それで」と先を促され、エステリアは腕を組んで答えを考えた。 「チタニアって……もとは結構幼かったですよね。千博と戦った時にしても、お気に入りのおもちゃを相手にしているところがあったし……でも今は間違いなく恋をしていると思うし、ここの所の変化の理由に大きく関係していると思うんだけど……だとしたら、おもちゃとしての興味から恋に変わる理由がどこにあるのかと言う事なんだけど」  うんと頭を悩ませたエステリアは、「何かしましたか?」と千博に問いかけた。 「そもそも、どうしてチタニアが千博と関わることになったのかも疑問ですが」  I市で殺し合いをしただけなら、そんな関係になるはずがないと思ったのだ。それどころか、再度殺し合いになるのが普通の関係だと考えたぐらいだ。それなのに、気づいた時にはチタニアが千博に協力するようになっていた。その過程に至るまでの出来事は、エステリアの与り知らないことだった。 「今思えば、私達がお風呂で襲われた時……その時千博が助けに来たのも、チタニアの協力があったと考えれば辻褄が合いますね」 「ああ、俺が本を読んでいたらチタニアが教えに来てくれたな」  自分の考えを肯定され、やはりそうかと千博は首肯した。 「戦いの後、千博は病院に収容されましたよね。だから私がアースガルズに帰るまでの間、チタニアと接触があったとは思えません。その状態でいきなり協力をしてくれるとは思えませんから、途中で何らかの接触があったと考える方が自然ですよね?」 「正解だ。あの後俺は、ボロボロになったチタニアと会っている。そしてそこで、俺はチタニアを助けてやった……正確に言うのなら、殺し合いをするのではなく、ただ海に連れて行ってやっただけだがな」  千博の答えに、エステリアは小さく息を吐き出した。自分達の常識なら、とどめを刺していたはずだ。 「そのあたりが、千博のおかしなところですね。たぶん、チタニアもあなたのおかしなところに興味を持ったのでしょう。ほとんど恋と言っていいのですが、多分そのことに気付いていないと思います」  そう口にしたエステリアは、「分かったような気がする」とチタニアの変化の理由を口にした。 「精神が体に影響を及ぼすぐらいですから、余程強い思いがあるのだと思います。千博に恋をすることで、チタニアが精神的に成長をした。その影響を受けて、体も年頃に成長をした……それが見た目の変わった理由でしょう。そう言えば、あの子、前に千博と同じ時間を過ごせないとこぼしていたのを思い出しました。同じものを食べることもそう。千博を満足させてあげられないとも言っていたわね」 「だがお茶や寿司をうまいと感じたのだろう?」  千博の指摘に、うんとエステリアは首肯した。 「あの子の強い欲求が影響してきているんだと思う」  自分からは見えにくいチタニアの姿を聞かされた千博は、ヒントを掴んだような気がしていた。 「その時、他に何か言っていなかったか?」 「その時……ですか?」  う〜んと腕を組んで考えたエステリアは、そう言えばと言って手を叩いた。 「さっきの千博を満足させてあげられないと言う話なんだけどね。排泄物と言われて傷ついているみたいなのよ。いつか仕返しをしてやりたいって私に言うぐらいに」 「で、俺の目の前でお前を排泄物に変えるのか?」  すかさず返ってきた答えに、エステリアは千博に呆れることになった。毎度毎度呆れさせられているのだが、事情を察する能力が異常すぎるのだ。  一度小さくため息を吐いたエステリアは、千博の顔を見てもう一度ため息を吐いた。 「ええ、冗談だとは思うけど……そう言ってくれたわね」 「それぐらい気にしていると言うことか……」  ふんと腕を組んだ千博は、「難しいな」と小さく呟いた。 「また節操のないことを考えてない?」 「人のことを、節操なしと言うんじゃないっ!」  すかさず注意をしたのは、色々な人にさんざん言われたことが影響しているのだろう。そのあたり、まだ開き直りができていないと言う事だ。 「あいつの体は、他人から集めたセラでできているんだ。そのセラが、核の制御で人の形を作っているんだよ。だから、制御が及ばなくなる状況では、セラが元の形に戻ってしまうんだ。それがどうなるかは、散々お前も見て来ただろう?」  一瞬何のことかと考えたエステリアは、それが敵を倒した後のことだと気が付いた。千博が核を破壊したことで、アクアス異性体の体が形態を失いセラの塊に崩れていたのだ。 「……あれって、そこまで行くものなんだ」 「よく分からんが、結果を見ればそう言うことになるな」  なぜか二人は声を潜め、お互いの顔を突き合わせた。 「ウラヌス達の意図は別として、チタニアは何を理想としていると思う?」  そこで持ち出された命題に、エステリアは「それは」と口にしてから長考に入った。そしてしばらく考えてから、「もしかして」と自分のことを指差した。 「私と千博の関係……かしら?」 「具体的には?」  まじめに中身を聞かれ、エステリアは少し視線を宙に彷徨わせた。少し顔が赤くなっているのは、何を考えた結果なのだろうか。 「そ、その、千博といちゃつけること……かな?」 「いちゃついていると言う自覚がある訳だ」  なるほどと小さく首肯した千博は、「お前はマゾだったんだな」と口にした。 「やはり、いじめられて喜んでいたのか?」 「な、なんで、やはりと言うことになるのですか。よ、喜んでなんかいませんっ! そ、それに、いじめてってなんですか。やっぱり千博は、私をいじめていたんですね!」  顔を赤くして文句を口にしたエステリアに、「はいはい」と千博はお座なりの言葉を口にした。 「だとしたら、チタニアがどう変わっていくのか想像もできるな」  一転真面目な顔をした千博は、どうしたものかと長考に入った。  チタニアの変化の方向が、エステリアを模倣する形になることは想像できる。だが、その先に何があるのかが千博には想像がつかなかった。味覚を取り戻し、そして性交渉もできるようになる。その先にあるのは、子供を作ることだろうか。  そこまで想像するのは難しくないのだが、それがどのような結果を導くのか分からなかったのだ。そしてそれ以上に分からないのが、それが期待された変化なのかと言うことだ。アクアス異性体が精神体に近い所まで昇華したと言うのなら、人に戻ることを良しとするのか。それ自体が分からないし、どんな意味を持ってくるのか想像が出来なかったのだ。 「やはり、意義が分からんな……」  千博の言葉に、エステリアも小さく首肯した。 「確かに、チタニアの変化の方向は想像できると思います。ただ、その変化が何をもたらすのか分かりませんね」  エステリアの言葉に、千博は小さく首肯した。 「だとしたら、慎重に構えないといけないことになるのだが……」 「でも、何をしたらいいのかも分かっていませんよね」  立ち止まることが本当にいいのか。それすら分かっていないのが実態なのだ。良かれと思ってしたことが、逆に強い反発を招くことにもなりかねなかった。それを考えれば、慎重にと言うのも方向性が難しかったのだ。 「だとしたら、今まで通り接することになるのか……」  そこでエステリアを見た千博は、どうしたものかともう一度考えた。 「どうかしましたか?」  その視線が気になったのか、エステリアは千博の顔を見て首を傾げた。 「事情を考えれば、お前が一番影響を与えることになるんだろう……だとしたら、これからどう接したものかと考えたんだ」 「チタニアに、ですか?」  悩まなければならないのは、チタニアに対する接し方のはずだ。そのつもりで口にしたエステリアに、「いやっ」と千博は口元を歪めた。 「お前にどう接するべきかと考えたんだ。まあ、今まで通りでいいはずなんだが……」 「今まで通りって……」  そこで“今まで”がどうだったかを考えたエステリアは、少し表情を険しくした。被害妄想ではなく、本当に蔑にされていると思っていたのだ。 「そこは、心を入れ替えて私に優しくするべきだと思いますよ」 「俺は、優しくしているつもりだが?」  違うのかと千博に驚かれ、エステリアは唇を尖らせて文句を言った。 「はい、絶対に違います! 千博は、私には少しも優しくありません!」 「俺は、優しくしているつもりなんだがなぁ」  天井を見上げた千博は、不思議だと小さく呟いた。 「だとしたら、今日は大人しく寝ることにするか。アメリカとの時差もあるし、俺はシエルさん相手で疲れているからな。何よりも、お前の体を労わってやらないといけないだろう」  千博の言葉に、「そんな」とエステリアは情けない顔をした。 「話が終わったら、私を愛してくれるのではありませんか?」 「夜も遅くなったからな。今日は大人しく寝た方がいいだろう」  だからと、千博はリモコンで部屋の明かりを消した。そしてごろりと、ベッド下の床に寝転がった。 「俺は床で寝るから、お前はベッド全部を使っていいぞ」  優しいだろうと嘯いた千博は、「お休み」とエステリアに声を掛けた。 「い、いえ、お休みでは無くてですね……もしもし、千博?」  ねえと声を掛けても、千博からはなんの答えも返ってこなかった。それに焦れてベッドから降りて肩を揺すったのだが、千博は頑なに反応してくれなかった。 「ぐすっ、やっぱり優しくないです」  他の人にはお預けにしないのに、どうして自分だけはお預けされなくてはいけないのか。絶対におかしいと腹を立てたエステリアは、布団を被って丸くなったのだった。  休暇を取った千博とは違い、アランはアースガルズからの帰国以来多忙を極めていた。千博自身あまり意識をしていないのだが、アラン達は千博以外で初めてアースガルズに足を踏み入れた地球人なのだ。そこでブレイブス達と交流したのみならず、アクアス異性体とまで戦闘を行った。その際一般住民の居住エリアにまで立ち入ったのだから、上から報告を求めれるのは当然の成り行きだった。  そしてそれぐらいの事情は、アランも初めから承知していたことだった。したがって行く前から必要な情報収集を行うための準備を行い、アースガルズでも積極的に情報を収集していたのである。その辺りが、休めと言われても休めない理由になっていた。そして同行した隊員たちとともに、分厚い報告書をまとめ上げたのである。そこには9時だけとはいえ、オーラの映像情報が含まれていたし、戦闘記録として居住エリアの映像情報まで含まれていた。  そこまで用意して地球に帰ってきたアランは、弟達を集めて記録に対する考察までまとめ上げた。そして場所と対象を変えて行われたヒアリングに、万端の準備の上臨んだのである。ちなみにこのヒアリングは、アラン以下23名の部下達まで行われた。  そして1週間にも及ぶヒアリングは、この日のヒアリングで終りを迎えることになった。ただ最後のヒアリングは、本命とも言えるペンタゴンで行われた。そしてそのヒアリングには、当然のように国防長官であるローズウッドも加わっていた。  一介の大尉が、国防長官に報告をする。立場を考えれば、それはとても光栄な事だろう。普段以上に緊張したアランは、一つ咳払いをしてから報告を開始した。 「まずアースガルズの組織について……ですが」  そう切り出したアランは、アースガルズの人口配置を投影した。 「アースガルズ自体、およそ100億の人口を有しています。そしてそのほとんどは、アクアス異性体との戦いを避けるために、宇宙空間へと移住をしています。その移住先は、近傍の惑星から空間に構築されたコロニーと多岐に渡っております。ただ宇宙空間だけでは生活が成り立たないため、本星上で大規模農業が営まれています。またアクアス異性体を宇宙に上げないための迎撃組織が運営されています。その迎撃組織こそが、ヴァルキュリアシステムとなっています」  そこで一度間をおいたアランは、資料を本星の組織図に切り替えた。 「本星上には、およそ2億の住民が生活をしています。その住民と迎撃組織を統括するため、中央行政機構が設置されています。その長官職には、現在イシバと言う男性が就いています。通常任期は4年とされているのですが、現長官は就任してから5年が経過しているとのことです。その理由を受け入れオーラ……すなわち、組織図のここに当たるヴァルキュリアに尋ねた所、苦笑とともに「どうしてでしょうね」と答えられました。その状況を鑑みると、あまり人気のある立場とは言えないようです。ちなみに現在こちらに滞在されているワイゼナー氏は、前任の長官であられたようです。以前13時筆頭に伺った話では、我々との交渉が円滑に進むよう年齢の高い男性を用意したとのことです」  その辺りのことは、基本知識に類することだろう。そのせいもあって、誰からも疑問の声は上がらなかった。そしてそれを受けたアランは、次にと言って行政機構の上位組織のことを持ち出した。 「この組織の上位として、議会が設置されているとのことです。議員は移住先となった惑星およびコロニー、そして地上の代表者から構成されています。ただ今回の訪問では、議会の詳細を調査することはできませんでした。したがって、今の情報にした所で教えられたものをそのままお伝えしているだけとなります」  これも問題が無いだろうと、アランはヴァナガルズ迎撃に関わる組織を説明した。 「ヴァナガルズに対する迎撃組織は、中央管理機構の下に置かれています。それぞれ受け持ちに従い、科学局、時空間管理局、そして戦闘局とされています。名前の通り、科学局では必要な技術開発を行っています。巨大機動兵器、彼らの呼称ではグラニーと言うのですが、その開発は科学局で行われています。また必要な分析業務も、同様に科学局で行われています。ちなみに科学局の局長は、エドモン・ダンテスと言う男性とのことです。ただ今回の訪問では、面会することは叶いませんでした。年齢は、およそ40歳と言うのが得られた情報です」  「そして」と、アランはもう一つの主要部門である時空間管理局をポイントした。 「ある意味ヴァナガルズとの戦いにおける最前線が、こちらの時空間管理局となります。我々には理解できない概念なのですが、アースガルズ、地球、そしてヴァナガルズは「組紐」と呼称される特異空間のシワで特異点に繋がれているそうです。この「組紐」と呼称される空間のシワは、すでに承知の通り特異空間経由の移動に利用することが出来ます。なおこの組紐は、人による制御以外に、自然に発生することもあるそうです。ただ自然発生した組紐は、状態が不安定なため移動には利用できないとのことです。そしてヴァナガルズが地球に侵入してきたのは、人工的に制御された組紐を経由してのことです。したがって空間管理局は、ヴァナガルズとの組紐接続を監視し切断するという作業を行っています。すなわち、水際でヴァナガルズの侵入を防ぐ役目を負っております。テキサスに設置される本部には、組紐制御の装置が運び込まれると聞いております」  重要な技術と言うこともあり、アランは何らかのコメントがなされるだろうと予想した。そしてその予想通り、国防長官ローズウッドが「その組紐だが」と口を開いた。 「大統領の指示で、物理学者を集めて検討を結成した所だ。今後本部設営を通して、組紐の原理に迫るのを目的としている」  ヴァナガルズとの戦いは、人類存続という意味では非常に大きな意味を持っていた。だが合衆国の利益と言う意味では、組紐の解明の方が重要だと言えたのだ。だからこそ、大統領の勅命で研究チームが結成された訳である。組紐の利用が可能となった時点で、人類は革命的技術を手に入れたことになるのだ。 「報告が遅れましたが、現在の時空間管理局局長は、デロリアンと言う男性です。ちなみに地球に派遣されたテハヤと言う女性は、前局長だったと言う事です。以上が、簡単ではありますが時空間管理局についての報告となります」  そこでブレークしたアランは、本命となるヴァルキュリアシステムについて説明をした。 「最後の部局が、ヴァルキュリアシステムと称されるシステムで構成された戦闘局となります。先ほどの時空間管理局が水際でヴァナガルズを食い止めるのに対し、戦闘局は侵入したヴァナガルズの迎撃を目的としています。戦闘局の配下に、オーラと呼ばれる12の下部組織があります。それぞれが0時から11時までの名前がつけられていますが、機能としては全く同じものを持っています。それぞれのオーラには、組織を統括するため7人のヴァルキュリアが存在しています。7人の役割は、1人が筆頭となり残りがその筆頭の補佐を行っています。組織として特異な点を上げるなら、ヴァルキュリアはすべて女性と言うことでしょう」  そこで言葉を切り、アランは水を飲んでから説明を続けた。 「そしてオーラには、実際の戦闘を行うブレイブスが配置されています。各オーラには、70から90名のブレイブスが所属しており、全体ではおよそ700名のブレイブスが存在します。そしてその下には、候補生として約2000名のこどもが訓練を受けています。同じように、ヴァルキュリアも多くの候補生が教育を受けています。我々が派遣したヒメノ・キリシマは、候補生として教育を受けています。これは補足となりますが、ヒメノ・キリシマの評価はかなり高いとのことです」  もう一度言葉を切り、アランは出席者をぐるりと見渡した。 「独立した12のオーラがあると説明しましたが、当然それを統括する仕組みも存在しています。それが各オーラの筆頭で構成された、クアドランテと言う調整機構となります。13時筆頭のエステリアと言う女性は、9時の候補生をクアドランテが派遣を決めたものです」  そこでローズウッドが手が上げたため、アランは一時説明を中断した。 「前長官が派遣されたのは納得がいくのだが、なぜヴァルキュリア候補生が筆頭として派遣されたのかね? それだけを取り上げれば、我々が軽く見られたと思えてしまうのだよ。加えて言うのなら、明らかに経験不足と思われる人選ではないのかな?」  ローズウッドの問いに、アランははっきりと首肯した。新しい組織を立ち上げるという意味なら、むしろ熟練者を当てる必要があったのだ。その意味で、前任の時空間管理局局長の派遣は納得の行くものだった。 「実際、私も同様の疑問を抱きました。そして探っていくうちに、いくつか理由らしきものが掴めたと思っています。エステリアと言う少女と言って差し支えの無い年齢の女性が選ばれた理由として、まずチヒロ・シンドーとの関係があげられます。現在は恋人同士と言って良いのかと思いますが、関係を進める? 深めるために、地球への派遣が必要と考えられたのでしょう。ただ、それだけならヴァルキュリアの一人として派遣すればよく、筆頭である必要はないかと思われます。そして現地に行って分かったことですが、エステリアと言う少女は9時の次期筆頭として期待されている才媛と言うことです。現筆頭が体調を崩していたため、経験を積ませたうえで筆頭として戻すと言う話が出来上がっていたとのことです。そしてゆくゆくは、クアドランテ筆頭に就任させると言う筋道が出来ていました。その意味で、彼女はエリート中のエリートと言うことになります。長官も、見た目とは違った手強さをご理解されているものと思いますが?」  アランの決めつけに、ローズウッドは僅かだが口元を歪めていた。今更指摘されるまでもなく、エステリアには手を焼いていたのだ。それを考えれば、エリート中のエリートと言うのは納得できる答えだった。 「年の若さ、見た目の美しさに惑わされるなと言うことだな」  ふんと鼻で笑ったのは、これまで振り回されたことを自嘲したのだろう。分かっていても、相手の美しさと若さに油断をしてしまうのだ。 「口を挟んで悪かった。報告を続けてくれたまえ」  小さく首肯し、アランは分析報告を続けた。 「12のオーラは、ちょうど時計の文字盤に相当する配置がとられています。その中で有力なのは、現筆頭の居る0時と、次席の居る6時と言うところでしょう。配下となるブレイブスの質、量ともこの二つは他に比べて優れていると言うのが聞き取りをした結果です。そして私達を受け入れてくれた9時ですが、残念ながら一番の弱小オーラと言うところでした。筆頭の健康問題が影響したのか、ブレイブスの質、量とも全オーラの中で最低となっていました。ただ現筆頭は、5年前までクアドランテ筆頭をしていた実力者でもあります。またその時のカヴァリエーレは、一時代を築いた実力者と言うことです。同時に、現在エリアZに収容されている機動兵器ギムレーのパイロットでもあります」  ヴァルキュリアのことは分かりにくいが、ギムレーの実力はI市の戦いで開陳されたものだった。そのパイロットが派遣された事実に、出席者の中に小さなざわめきが起こったぐらいだ。 「つまり、サポートする者に経験者を配したと言うことかな?」  ローズウッドの問いに、アランははっきり首肯した。 「そしてこれも追加情報ですが、ユーストス氏、ギムレーのパイロットなのですが、氏は現筆頭エステリアの父親と言うことです」  その事実に、出席者の間にもう一度小さなざわめきが起きた。ただ新たな問いかけは無されなかった。  それが収まるのを待ったアランは、次にと各論へと入っていった。 「今回幸運にも加わった戦いで、各オーラトップの実力を見ることが出来ました。明らかに図抜けているのが、0時のカヴァリエーレであるシエル・シエルでしょう。追加の情報となりますが、彼女はエステリアと二人で先遣隊として地球に来ていました。そしてI市の戦いでは、8体のアクアス異性体を倒しています。名実ともに現クアドランテ最強と言われています」  アランが提示した年若い女性の姿に、会議室のいたるところからうめき声に似たものが上がっていた。鍛えられた戦士と言われても、彼らの知る女性兵士とは全く印象が違っていたのだ。  その気持ちを理解したのか、アランはブレイブスに対しての補足情報を提示した。 「直接シエル・シエルと手合わせはできませんでしたが、9時のカヴァリエーレとは我々の隊員が手合わせをしています。剣に類する武器を使用する条件では、試した5人が5分以内に失神させられました。幼いころから科学的トレーニングを積んでいる事実と合わせて、戦闘力はかなりのものがあると思われます。ただチヒロ・シンドーの言葉を借りるのなら、彼女たちが強いのは“綺麗な殺し合い”ならばと言うことです」 「その綺麗な殺し合いとはどう言うことだ?」  ローズウッドの問いに、それはとアランは説明を続けた。 「正々堂々、正面から技量の限りを尽くして殺し合いをすると言う意味です。戦いの本質が違うと言うのが、一番分かりやすい説明でしょう」  ローズウッドが首肯したのを確認し、アランはそのまま説明を続けた。 「そして実力的にナンバー2と思われるのが、地球に派遣されたシルフ、1時のカヴァリエーレ、サークラ、3時のカヴァリエーレ、シリウス、6時のカヴァリエーレ、カノンと言う評価です。全員に共通するのは、生身での技量に優れるだけでなく、機動兵器を使っての戦闘にも長けていると言うことです」  そこでもう一度手を挙げたローズウッドは、地球におけるキーパーソンの名前を挙げた。 「その中に入れて、チヒロ・シンドーの実力はどの程度なのだ?」  当然予想された質問なのだが、同時に難しい質問だとアランは理解していた。それもあって、慎重に答えを口にした。 「アクアス異性体と倒すと言う意味であれば、シエル・シエルと同格と言っていいでしょう。ただ肉体的には、先ほど上げた実力者には及ばないと思われます。日本で言うところの剣道と特殊な柔術を扱い、アースガルズのブレイブスを超える戦績を上げています。そして彼の戦闘は、シエル・シエルとも一線を画した洗練されたものです。一人だけ違うルールで戦っている……全体を俯瞰してみていた私は、そう感じさせられました」  もう一度会議室の中を、うなり声に似たものが包み込んだ。まだ年若い少年が、最高の戦力であることへの驚きを全員が感じていたのだ。 「剣を持って戦うと言うスタイルに騙されがちなのですが、アースガルズは非常に高い科学技術を保持しています。見学と言うことで彼らの要塞に似た兵器を見せて貰ったのですが、全長1kmにも及ぶ巨大な浮遊要塞と言う物でした。その巨大要塞は、大気中をマッハ5で飛ぶことが出来るそうです。そして彼らの機動兵器グラニーも、マッハ2程度の速度で飛行が可能と言うことです。生身の訓練にしても、非常に科学的に行われていました。医療技術が優れているため、かなりの怪我をしても翌日にはほとんど回復をしています」 「ワルキューレに誘われた戦士のごとくか……」  誰かの呟きに、アランはその通りと大きく首肯した。 「彼らは、日がな肉体の鍛錬に勤しんでいます。それでもアクアス異性体と倒すのは難しいとされていました。したがって、アースガルズは戦いの主体をグラニーによるベスティア撃破に移していました。その背景には、直接戦闘により優秀なブレイブスを数多く失ったと言う事実があります。その分住民の被害が増えるのですが、迎撃システムの破たんを防ぐためには仕方がない措置と考えられていたのです」 「だが、君の報告ではヴァナガルズが戦い方を変えたとあるな?」  アッカーマン准将の指摘に、アランは小さく首肯した。 「その結果、アースガルズは多大な損害を被っています。出撃した400名を超えるブレイブスのうち、約半数をその戦いで失ったのです。それだけ損害を出しながら、倒したアクアス異性体は9時が倒した5体だけと言う体たらくです。その9時が頑張れたのは私達の力があったからと言いたいところですが……チヒロ・シンドーが居なければ、9時もほかのオーラと同じ目に遭ったでしょう」  繰り返し千博の名前が出されたことに、会議室の中には困惑に似た気持ちが広がっていた。すでに千博のプロフィールは共有されているのだが、それにした所で少し変わったティーンエイジャーにしか過ぎなかったのだ。ヴァナガルズとの戦いの鍵となる要素は、プロフィールから見つけることはできなかった。 「そして翌日の戦いでは、チヒロ・シンドーが全体の作戦を伝授しています。その結果、前日とは正反対の戦いが繰り広げられました。出撃したブレイブスの損害はゼロ。そして敵アクアス異性体60体を殲滅しています。そして報告書にも記しましたが、この戦いはI市モデルの次に来るものだと思っております」 「その話ですが……」  そこで手を挙げたワズワースは、アランの説明を訂正した。 「私には、それが真のI市モデルのように思えます。敵の巨人、確かベスティアと言いましたか。確かにI市の戦いでは、ベスティアが存在していました。しかしながら、ベスティアは全体の戦いに影響を与えていません。プレダトレと言う管虫を強力な武器で叩き、アクアス異性体を有効な戦力で封じ込める。実は、I市モデルはいまだ有効だと言うのが私の考えです」  ワズワースの指摘に、アランは唇をかみしめその意味を考えた。 「確かに、仰る通りかと思います。避難計画を含めて、まだI市モデルは有効でしょう」  アランの答えに首肯し、ワズワースは自分の席に腰を下ろした。そしてその代りに、ローズウッドがキーとなる少年の扱いを口にした。 「一連の報告を聞く限り、キーパーソンは地球側にいることになる。チヒロ・シンドーの扱いはどうなっているのかね?」 「彼は……」  そこでアランとワズワースが揃って苦笑を浮かべたのは、その扱い難さが理由となっていた。 「適度な責任感を持ってくれていますので、今は自由にさせていると言うのが実態です。個人的な感想を言わせていただくなら、扱い難いことこの上ない子供と言うところでしょうか。おだてに乗らず、こちらの嫌なところをしっかりと突いてくれます。プロフィールから見えてこない、特殊な能力があると私は思っています。だからこそ、アースガルズも彼を特別な存在として扱っているのでしょう」  その説明だけで不足するのは理解しているので、アランは続けて千博に対する考察を報告した。 「個人的にこだわりがあるのは、家族および霧島北斗、姫乃ぐらいでしょう。霧島北斗、姫乃の二人は既に巻き込まれていますので、今は家族の保護に力を入れています。これは、家族の安全を背景に、彼の行動に制限を加えていると考えていただいて宜しいかと」 「アースガルズが、チヒロ・シンドーの家族を取り込む可能性は?」  当然予想される質問に、アランは小さく首肯した。 「十分にあり得ることだと思っています。アースガルズにおける二度の戦いで、チヒロ・シンドーは確固たる地位を築いています。したがって、彼女達は彼の本拠地をアースガルズに置くことを考えているでしょう。そのための方策として、家族の招聘は十分に考えられます。我々として悩ましいのは、それを止める手段がないと言うことです。もっとも、あまり心配していないと言うのも事実としてあります」 「それは、なぜかね?」  ローズウッドの問いに、アランは「比較的簡単な理由ですが」と前置きをして自分の考えを説明した。 「物見遊山に行くには良いのでしょう。しかし移住するとなると、生活のすべて、こちらで構築した人間関係のすべてを精算する必要があるからです。当たり前ですが、両親には両親の、妹には妹の生活があると言うことです。したがって、家族が理由でチヒロ・シンドーの本拠地がアースガルズに移ることは無いでしょう」  とりあえず納得がいったのか、それ以上の問いをローズウッドは発しなかった。それを先に進めと言う指示と受け取り、アランは報告を継続した。 「アースガルズの戦力分析ですが……残念ながら、真の姿は探ることが出来ませんでした。したがって推定をする以外は無いのですが……先ほど報告しました軌道要塞の攻撃力は絶大なものがあります。開示された情報では、ニューヨークを廃墟にするには5分も掛からないでしょう。大型の電磁投射砲……レールガンの一種ですが、半径10kmのエリアを消滅させる威力があります。それに加え、中型、小型の電磁投射砲も備えられています。VVF0とは比べ物にならない強力なバリアーを備えており、核を用いてもこちらの攻撃は通用しません。その機動要塞が、各オーラに2機配備されているのです。同じく40機配備されたグラニーの攻撃力を考えれば、敵対した際に我々の勝利はありえないでしょう」  アースガルズの持つ圧倒的な火力は、さすがに脅威と言って差し支えの無いものだった。だが実際の戦争は、火力だけで決まるものではない。当然そのことを、アッカーマンは持ち出した。 「飛びものだけでは、実際の戦争は戦えないと思うのだがね?」  そしてその認識は、アランにも共有されたものだった。真面目くさった顔で首肯したアランは、「現状では」と説明を追加した。 「ヴァルキュリアシステムが、あくまでヴァナガルズと戦うことを目的としているからでしょう。したがって、地上部隊にしても、兵士と言うより戦士と言うのが相応しい構成となっています。総数自体も少なく、地上戦となれば間違いなく戦力不足となるでしょう。ただ宇宙に進出している科学力を考え合わせれば、その気になれば地球を消滅させることも可能かと思われます。また彼らの利用している人工知能の能力を考えれば、必要数の無人兵器をコントロールするのも容易でしょう。彼我の科学力の差を考えれば、敵対した時点で我々に未来は無くなるのかと思われます」  予想されたことを、予想通りにアランは口にしたに過ぎない。それでも合衆国は、地球上で強者として君臨してきたのだ。自分以上の強者を受け入れるのは、心情的に難しい所があった。 「彼らの技術は、どこまで導入できそうなのか?」  その問いを、ローズウッドは別の担当者に向けて発した。 「その点はあまり芳しくないかと。組紐と呼ばれる移動方法並びにグラニーと呼ばれる機動兵器については、当初利用のみと言う制限が掛けられています。グラニーについては、将来的に整備を任されることになるのですが……組紐については技術公開の予定はありません」 「核心技術は保護すると言うのだな……」  自分達の安全のためには、新たな敵を作る訳にはいかないのだ。その考えに立てば、公開される技術が限定されるのも不思議なことではないだろう。それを残念と考えたローズウッドだったが、一方で共通した価値観に安堵も感じていた。価値観が似通っていれば、この先の行動も予想することが出来るのだ。 「それで、新本部の建設計画はどうなっている?」 「今からだと、6か月後に利用可能になるのかと。時間的制限は、こちら側の建設が理由となっています」  カリフォルニアからテキサスに候補地を変えたことで、およそ1か月の時間が無駄になった訳である。それを難しい顔で受け取ったローズウッドは、期間短縮の可能性を持ち出した。 「急がせた場合、どれだけ短縮は可能だ?」 「やり方によりますが……半分にするのは可能と思われます。ただ、そこまで短縮した場合、アースガルズ側の準備を確認する必要があります」  その答えに首肯したローズウッドは、日程の短縮を担当者に指示した。サウジアラビアの惨劇からの時間を考えれば、そろそろ次の襲撃が予想されたのだ。大統領が計画を打ち上げたこともあり、いつまでも進捗を示せないのは政権運営に関わってくることになる。 「後は、いつアースガルズの存在を公のものにするのかだが……」  タフな交渉を続けているのだが、相変わらず色よい返事を貰えていない。手強すぎる相手に、ローズウッドは思わず顔を顰めてしまった。経験不足の少女と言ったのだが、その少女を攻めあぐねていたのだ。  そんなローズウッドに、ワズワースは打開策を提案した。 「長官。チヒロ・シンドーを利用するのはいかがでしょうか?」  千博の名前を出したワズワースは、その理由を全員に説明した。 「唯一彼だけが、アースガルズの決定に影響力を保有しています。アラン大尉の報告通りであるなら、クアドランテに対する影響力も期待できるでしょう。議会の決定を盾に取られないだけ、彼の方が説得しやすいのではないでしょうか? エステリア嬢に対する影響力を含め、彼を利用するのが得策かと思われます」 「そこまで、その少年を信用していいものかね?」  一国の施策に関わる問題を、自国ではない日本の少年に託すと言うのだ。ローズウッドでなくとも、二の足を踏む考えに違いない。そしてその程度のことは、提案したワズワースも考えていたことだった。 「多少捻くれたところ、扱い難い所もありますが、信用には足ると思っています。何より、意外に常識的なところがありますからね。こちらの窮状を伝えれば、落としどころを考えてくれますよ」  その程度の保証では、普通ならばゴーサインは出すことはできないだろう。ただこれまでの交渉が、完全に手詰まりになっているのも確かだった。そして新たな手札が出せない以上、違う観点からの攻略が必要なのも確かだった。 「あまり日本に借りを作りたくは無いのだが……」  そこで渋るのは、ある意味彼らの常識に従ったものだった。そんなローズウッドに、「大丈夫でしょう」とワズワースは頼りにならない保証を口にした。 「彼は、それを貸しだとは考えませんよ。意外に義理堅い所がありますから、対価に対する必要な仕事と考えてくれると思いますよ」  もっともと、ワズワースは苦笑交じりにアランの方を見た。 「こちらの予想もしない話に広がる可能性はありますが」 「それを聞かされると、なおさら許可が出しにくいのだがね」  はっきりと苦笑を浮かべたローズウッドは、仕方がないと千博を利用することを認めた。 「その役目は、君に任せればいいのかな?」 「彼の首に鈴をつけるのは……私の役目でしょうな」  立ち上がったワズワースは、ローズウッドに向けて敬礼をした。それに首肯したローズウッドは、アランの顔を見て追加の報告を求めた。 「君のチームは、どこまで戦力として当てになるのかね?」  巨人……ベスティアはアースガルズに任せる以外にないのだが、アクアス異性体は自分達で抑え込む必要がある。I市モデルを利用するには、その目算が必要だったのだ。そしてそのカギとなるのが、アランを含めた24名の隊員たちだった。 「アクアス異性体の自由を許さない程度……と言うところでしょうか。幸運に恵まれれば、撃破も可能かと思われます。ただ現時点では、チヒロ・シンドーおよびシルフのサポートが限界と言うところでしょう。更なる訓練及び今後の人員追加が必要と思われます」  小さく首肯したローズウッドは、例えばとエンゼルススタジアムの事例を持ち出した。 「エンゼルススタジアムの件、今なら我々だけで対処は可能か?」 「我々だけと言う条件であれば、かなり運任せになるといえるでしょう。ちなみにエンゼルスタジアムの場合、襲撃してきたアクアス異性体は1体でした。したがって、倒せないまでも抑えることは可能でしょう。ただそこから先は、敵の出方次第と言うことになります。諦めて帰ってくれなければ、待っているのは我々の敗北と言う事になります。余程の幸運に恵まれないかぎり、撃破は出来ないものとお考えください」  そしてと、アランはそこに千博を加えた場合を続けた。 「チヒロ・シンドーを加えて良いのなら、さほど苦労をせずに対処可能でしょう。彼ならば、ごく短時間にアクアス異性体を排除してくれます。もちろん、我々が現地に到着するまでの被害は抑えようがありませんが。その点、対策の周知徹底が必要かと考えられます」  その説明に首肯したローズウッドは、「気に入らないが」とI市の対応を持ち出した。 「その点でも、日本の事例は見るべきところがあったと言うことか」 「次は自分達だと言う危機意識、そして明確な対処方法の立案・伝達。そのいずれが欠けても、あそこまで見事な避難は実現しなかったでしょう」  その辺りは、これまで散々分析され、報告されてきたことでもある。その認識を共有しているローズウッドは、だからだと関係者の招聘を持ち出した。 「その意味でも、チヒロ・シンドーの関係者を巻き込んだのは正解と言うことか」 「全く持って、その通りと言うところかと思います。ただこれからは、我々が自分達の地域に応じた対策に展開する番だと考えております」  大きく首肯したローズウッドは、報告書の中にある避難計画に目を落とした。 「昼間の時間帯が襲われやすいと言うことか」 「時間帯に関係なく、対象が建物の中に居ると管虫の効率が落ちることになります。したがって、先日襲われたようなスタジアム、ホール、遊園地等有名観光地がターゲットになりやすいと考えられます。また政治集会等も、格好のターゲットかと思われます」  襲撃を避けるためには、人が集まらないようにする必要がある。当たり前のことを提示したアランだが、それが難しいことは重々承知していた。エンゼルススタジアム、サウジアラビアの襲撃があったおかげで、様々なイベントがキャンセルされたのだ。その結果、すべての経済指標が大不況並みに悪化していた。これから年末に向けてのイベントがキャンセルされたとき、どれだけの経済損失が発生することになるのだろう。解決のめどが立っていないことを考えると、世界経済の破たんも真剣に考えなくてはならなくなっていた。 「次にどこかに大きな被害が出た時には、世界経済がもたなくなるな」  ただのテロリストと違い、防ぎようがないのが問題となっていた。ローズウッドが漏らしたように、このままだと世界中で人の活動が停止しかねなかったのだ。 「やはり、アースガルズに表に出てもらうしかないのだが……」  その効果にした所で、実力を考えたら限定的と言うのも分かっていた。困ったものと言うのが、ローズウッドの正直な気持ちだった。  ペンタゴンでの会議を終えたワズワースは、その足でロサンゼルスへと移動していた。目的は、千博の助力を得てアースガルズを表に出すこと。会議の中でも、緊急課題として取り上げられたことへの対応である。  そしてワズワースの隣には、なぜか仏頂面をしたアランが座っていた。その心の中を推測するなら、巻き込んでくれるなと言うところだろう。しばらく報告に時間を使ったこともあり、日常業務の多くが置き去りにされていたのだ。 「彼は、仮設本部に日参していると言う話だったね」  千博の所在を確認したワズワースに、現時点ではとアランは意味ありげな答えを口にした。 「何か、問題でもあるのか?」 「いえ、アースガルズが絡むと、スケジュールはあって無きがものとなります。したがって、現状ではとしか言いようがありません」  その答えは、とてもワズワースに刺さってくれるものだった。確かにと心から同意をしたワズワースは、急いだ方がいいなとアランの顔を見た。 「ええ、そろそろあちらが我慢できなくなるでしょう。今回アースガルズに行って分かったのは、ヴァルキュリアを含めてとても性的にオープン……違いますね、特定の男性に対する執着が強いことでしょう。9時の筆頭がチヒロ・シンドーに執着していますから、そろそろ強引な招待があっても不思議ではありません」  カノンとのやり取りを思い出し、アランは内心で千博に同情したりしていた。一見男にとって楽園に思えるのだが、その実ついてくる義務が半端ではなかったのだ。意外に常識的な少年だと考えれば、この状況を苦痛に感じているはずだと。 「違うか、彼は主導権を奪われるのを好まないだけか……」  アランの小さな呟きに、「なに」とワズワースは聞き返した。 「いえ、男女関係で思い出しただけです。彼は、主導権を人にとられるのを嫌っているのだと」  その答えに首肯したワズワースは、「誤解がある」とアランに指摘した。 「別に、それは男女関係に限った話ではないだろう。これまでどれだけ我々が振り回されたかを考えれば、対ヴァナガルズにおいても同じだと考えるべきだ。だから彼には、主導権を握らせたと思わせておくことが重要なのだよ」 「主導権を握っていると思わせる……ですか」  ワズワースの言葉は、非常に腑に落ちるものであるのは確かだった。だが現実は、本当に主導権を握られていたのだ。それもあって、アランの顔にははっきり苦笑が浮かんでいた。 「こちらとしては隙を突いたつもりなのに、すぐに主導権を取り戻されてしまっていますが?」 「……確かに、それは否定できないな」  ここまでどれだけ千博に驚かされたことか。その都度主導権を握られてきたのだから、アランの言う通りなのは間違いない。それを考えれば、今回も似たようなことになるのは間違いないだろう。胃に悪いなと、ワズワースはロスについてからのことを考えたのだった。  だがロスの空港に降りた所で、やはり振り回されるのだとワズワースは思い知らされた。まさに一足違いと言うところなのだが、千博がエステリアと供に休暇に出たとの報告を受けたのだ。 「やはり、我慢の限界が来ましたか……」  可哀そうにと同情の眼差しを向けられたワズワースは、くじけそうになる気持ちを奮い立たせた。 「どうやら彼は、筆頭ヴァルキュリアを連れて里帰りをしたようだ。そして追加の情報だが、9時の筆頭ヴァルキュリアと0時のカヴァリエーレがI市に来ているそうだよ。合流すると考えるのが妥当なようだ」  だからだと苦笑して、ワズワースは「同行するように」とアランに命じた。そしてはっきりと嫌そうな顔をしたアランに、「命令書はすぐに発行させる」と言って口元を歪めた。 「今からチケットを手配すれば、明日の昼には合流することが出来るだろう」 「拒否権はありませんか?」  すかさず出された質問に、「無いな」とワズワースは言ってのけた。 「君も、腹を割って彼と話す機会が必要だろう?」 「ヴァルキュリアに、邪魔をしたと睨まれたくないのですが……」  その程度の理由では、逃がしてくれるとは考えられない。仕方がないとため息を吐いたアランは、同行することを承諾したのだった。  ロサンゼルスを深夜に出ると、日本には早朝に到着することになる。そこから国内線を乗り継いだ二人は、10時にはI市にたどり着いていた。 「こうしてみると田舎なのだが……」  その田舎のI市が、今や世界で知らない者がいないとまで言われるほど有名になっていたのだ。すでに視察バブルは終焉していたが、それでも「聖地巡礼」と称した観光客が大勢集まっていた。 「さて、ヴァルキュリアとカヴァリエーレは秀水苑に宿泊しているそうだ」 「だとしたら、チヒロ・シンドーも秀水苑に現れると言うことですか」  アランの疑問に、「正解だ」とワズワースは笑った。 「すでに、13時の筆頭達を連れてホテルを出たそうだ。どうやら、歩いて砂蒸し温泉に向かったようだな」 「だとしたら、我々には少しだけ休息の時間が与えられますね」  いくら軍人とは言え、強行軍はさすがに体に堪えるところがある。ほっと息を吐き出したアランに、ワズワースは苦笑とともに“いつもの”但馬屋を指差した。安っぽい物しか置いていないが、時間をつぶすには好適な場所だった。  他にいい所を知らないこともあり、アランもその提案を受け入れた。そこでレンタカーから降りた二人は、あまり愉快とは思えない表情で但馬屋の駐車場を歩いた。だがあと少しで入り口と言うところで、「止まりなさい」と後ろから女性に声を掛けられた。その声に聞き覚えがあった二人は、そこまでするかと言うほど体を硬直させた。 「大人しく、ここで私に飲み物をご馳走しなさい。さもなければ……そうですね、私に食われると言うのはどうですか?」  ぎぎぎと音でもするような動きで振り返った二人は、そこに黒いゴスロリ姿のチタニアを見つけた。おかげで二人の顔からは血の気が引き、恐怖から歯がカチカチと音を立てた。 「答えが無いと言うことは、私に食べて欲しいと言うことですね?」  それでは遠慮なくとチタニアが笑ったその時、「待ってくれ」とワズワースは大声を上げた。 「奢る、なんでも奢るから命だけは助けてくれ!」 「でしたら、もったいつけずにそう言えばいいのです。そうですね、今日はパフェと言う物に挑戦してみようと思います」  行きますよと薄く笑みを浮かべたまま、チタニアは但馬屋の扉を開けて中へと入っていった。  本当ならば、アクアス異性体と同じ場所になど居たくはない。だがここで断れば、間違いなく自分達は食われて消滅することになるだろう。拒否権は自分達にはないと諦め、ワズワースとアランの二人はチタニアについて店の中へと入っていった。そして何も知らない店員に、窓際の席へと案内されたのである。  そこで店員にフルーツパフェを注文したチタニアは、にっこりと笑ってワズワースとアランの顔を見た。とても機嫌が良さそうに見えるのだが、二人にしてみればそれどころの話ではなかった。千博の居ないところでチタニアと向かい合うと言うのは、自分の命が強風に吹かれたろうそくの炎と同じ状態と言うことなのだ。対策チームを指揮するアランにしても、単独でアクアス異性体には敵わない。しかも丸腰なのだから、抵抗するのも無理な相談となっていた。アースガルズで作戦に参加したからこそ、アクアス異性体への恐怖は骨身にしみていたのだ。  そんな二人を前に、チタニアは嬉しそうにフルーツパフェを突いてくれるのだ。事情を知らなければ、とてもその姿は愛らしく見えたことだろう。実際に、店内に居た若い男達は、ちらちらとチタニアの顔を窺っていたのだ。  この状況で何も話さないと言うのは、あまりにも辛すぎる苦行に違いない。お互いけん制し合ったワズワースとアランだったが、仕方がないとワズワースが「一ついいかね」と口を開いた。 「あら、分けて欲しいのですか?」  仕方がありませんねと、チタニアはフォークをメロンに突き刺しワズワースの目の前に差し出した。年若い、そしてとても美しい女性だと考えれば、感激に身を震わせるところだろう。だが目の前にいるのは、グリーベレー102人を食らったアクアス異性体なのである。別の意味で身を震わせたワズワースは、ごくりとつばを飲み込んでから差し出されたメロンを口に含んだ。本当なら甘いはずなのだが、ワズワースには味が全く感じられなかった。 「い、いや、その、少し違うのだが……」 「こちらの黄色いのが良いのですか? 結構贅沢なのですね」  文句を言いつつ、チタニアは黄桃にフォークを突き刺した。ただ今度は、目の前に差し出される前に「違うのだ」とワズワースは声を上げた。 「それが欲しいと言う意味ではなく、教えて欲しいことがあるのだが」 「でしたら、言い方が紛らわしいですね」  突き刺した黄桃を口に含んだチタニアは、「それで」とワズワースに促した。 「話したいこと、聞きたいことがあるのですよね?」 「あ、ああ、まず疑問を解消したいのだが……どうして、あなたが私達の前に現れたのですか?」  これまでのことを考えれば、自分達がアクアス異性体に特別に扱われるとは思えない。それを考えれば、わざわざ自分達の前にチタニアが現れる理由がなかったのだ。  それを気にしたワズワースに、チタニアは「簡単なことですよ」と笑って見せた。 「あの人に、相手にしてくるようにと言われましたから」  チタニアの言うあの人とは、千博以外にありえないだろう。事情は分かったが、それでも少しも安心できないとワズワースは考えていた。一方で余計な気を使うなと、心の中で思いっきり文句を言っていた。 「それで、彼は君に何か言わなかったかな?」 「あなた達を食べてはいけないと注意はされましたよ?」  それでと首を傾げた所は、とても可愛らしいしぐさに違いない。もちろん、それを受け止める冷静さが二人に有ればの話である。 「そもそも、彼はなぜ私達がここに来ていることを知ったのだ?」  特に連絡をしていないことを考えれば、自分達が追いかけてきたことを知るはずもないのだ。一番の疑問を口にしたワズワースだったが、期待した答えはチタニアから帰ってこなかった。 「そんなこと知らないわ。私は、ただ彼に頼まれただけよ。砂蒸し温泉に入っている間、あなた達の相手をしていて欲しいと……後は、可能な限り質問に答えてやれとも言われたわね」  そう答えたチタニアは、にっこりと笑って「聞きたいことはありますか?」と二人の顔を見た。とても綺麗な笑みに違いないのだが、二人にはそれを感じる余裕は存在していなかった。  質問に答えてくれると言うのは、願ってもない機会に違いない。もっとも何が相手の気に障るか分からない状況で、迂闊なことを口にする訳にもいかないのも事実だった。しかも質問をしていいと言うのに何も聞かないのは、それはそれで相手の気分を害する可能性がある。何を質問すべきか、ワズワースは命がけの問いを考えることになった。 「君は、君達は人類をどうしようと言うのかな?」  そこで紡ぎだされたのは、とてもストレートな問いかけだった。ある意味、決死の覚悟から絞り出された問いでもある。だがそれを受け取ったチタニアは、「さあ」とあっさりとしたものだった。 「さあ、なのかね?」 「別に、あなた達がどうなるかに興味は無いから。そうね、私達はテッラから継続的に収穫を行うことを決定したわ。だから取りすぎないよう注意をして、収穫をすることになると思う。後は、もう少し精神的に熟成させることを考えているぐらいかしら。精神的な熟成を求めるのは、その方がおいしいからと言う理由よ」  それが答えと言いきられ、ワズワースとアランは立場の違いを理解させられた。今の自分達の立場もそうだが、圧倒的強者と弱者の関係が崩れることは無く、対等とは程遠い関係におかれていたのだ。 「ただ、あの人はそのことに疑いを持っていたわね。他の目的があるのではないか、その可能性を探っているようよ」 「彼、がかね?」  こくりと首肯したチタニアは、「ごちそうさま」と言ってフォークを置いた。 「ヴァルキュリアと二人で、いろいろと頭を悩ませているみたいね」  そう答えたチタニアは、「ほかには?」とアランの方を見た。 「き、君達は、次はどこを襲うつもりなのだ?」  その問いに、チタニアの答えは「知らない」と言う素っ気の無いものだった。 「それを考えるのは、ペルディータの役割だから。そしてそれを予想して対策を取るのは、あなた達の役割のはず……ですよね?」 「確かに、我々の役目なのだが……機動力が違いすぎると言う問題がある」  アラン達だけで対処するには、あまりにも世界は広すぎたのだ。そして世界を相手にするには、アラン達の装備は貧弱すぎるのも確かだった。 「確かに、あなた達では移動に時間が掛かりすぎるわね。だから、こっそりと対策をするのは愚策だと言ってあげたのに……」  ねえと同意を求められ、思わずワズワースとアランの顔には苦笑が浮かんでしまった。 「そのことについて、我々は彼に相談しに来たのだがね」 「狙いどころは正解だと思うわ。でも、彼を忙しくしたら……そうね、あなた達をおいしく食べてあげましょうか?」  食べるとチタニアに言われ、二人は思わず背筋を伸ばしてしまった。冗談だとは想像できるのだが、いつその冗談が冗談でなくなるのか分かったものではなかったのだ。 「し、しかし、どうあっても彼は巻き込まれるのではないのかね?」 「あ、ああ、彼は第一人者だっ。も、もちろん、可能な限り私が代行する覚悟はあるが……」  ごくりとつばを飲み込んだアランを見て、チタニアはにっこりと笑みを浮かべた。 「そう、できるだけ彼を忙しくしないでね。お願いを聞いてくれたら、あなた達を手伝ってあげるから」 「わ、私にできることなら、ど、努力する……」  一応約束をしたアランに、良かったとチタニアは安堵の息を漏らした。ただその次にとった行動は、二人の目から見て奇異に映るものだった。ピクリと背筋を伸ばしたと思ったら、きょろきょろとあたりを窺うようなそぶりを見せたのだ。 「どうか、したのかね?」 「いえ、誰かに見られたような気がして……」  もう一度辺りを伺ったチタニアだったが、すぐに「気のせいだったようです」と小さく息を漏らした。 「それからあなた達に教えることが出来ました。あの人たちが、砂蒸し温泉を出たと言うことです」  そこで二人の顔を見たチタニアは、「どうしますか?」と分かりにくい問いかけをした。 「どうするとは……我々は彼に会いに来たのだが?」  それがと逆に首を傾げたワズワースに、「違う」とチタニアは移動方法を持ち出した。 「奢って貰ったお礼に、あなた達を彼の所に連れて行ってあげようと思っただけ」  もう一度どうすると聞いたチタニアに、二人は顔を見合わせお誘いを断った。 「い、いや、そこまで甘えるのは良くないだろう。我々は、自力で彼の所に行くことにしよう」  顔を見合わせ頷き合った二人に、だったらいいとチタニアは返した。 「先にあの人の所に行くから。それから、パフェはおいしかったわ」  ありがとう。そういい残し、チタニアの姿は二人の前から消失した。その途端、二人の全身から汗が吹き出し、過呼吸を起こすのではないかと言いたくなるほど浅く早く呼吸を繰り返した。チタニアは終始機嫌が良かったはずなのに、二人は生きた心地がしなかったのだ。それほどの圧迫感から、ようやく解放されたと言うことだった。 「アラン大尉、すぐに動けるかね?」 「できれば、心を落ち着ける時間をいただきたいと」  顔が土気色をしているのは、自分も同じだろうとワズワースは想像した。チタニアが現れてからずっと、本当に生きた心地がしなかったのだ。よく二人揃って失神しなかった。本気で自分を褒めてやりたい気持ちになっていたのだ。 「今更だが、私には彼が異常だとしか思えない……」 「大丈夫です。その認識は、アースガルズのブレイブスとも共有したものです」  小さくため息を吐いたアランは、力いっぱい千博の異常さを主張した。ブレイブス達の同意も得たおかげか、さもなければよほど溜まっていたのか、アランの口から流れるように千博への批判の言葉が紡ぎだされたのである。  しばらくして自分を取り戻した二人は、レンタカーを飛ばして秀水苑へと移動した。色々と文句を言おうと構えていた二人だが、千博の顔を見てどうしようもない安堵を感じてしまった。その事実に、自分達がこの少年に依存していることを思い知らされたのである。そして同時に、どうしようもないほど異常な世界に巻き込まれたのだと理解した。  駐車場から現れた二人に、千博の掛けた言葉は優しくなかった。「待ちくたびれた」と言うのは、死の瀬戸際にいたものに掛ける言葉ではないはずだ。 「そ、そのことについては謝罪するが……精神的に立ち直るのに時間を要したのだ」  まだ顔色が優れないこともあり、その理由は千博には今更のことだった。仕方がないなと小さく息を吐いた千博は、とりあえずミネアとシエルを紹介することにした。 「確かおっさんは初めてだったよな。こちらが9時の筆頭ミネアだ。そしてこちらが、全ブレイブス筆頭のシエル・シエルだ」  普通ならば、美人を前にした反応が現れるところだろう。だがワズワースは、受けたダメージから回復できていなかった。それでも頑張って……とてもぎこちない笑顔を浮かべることには成功した。 「お目に掛かれて光栄です。情報局に所属しているワズワースと申します」  ヴァルキュリアに対する礼儀は承知しているので、ワズワースはぎこちない笑みを浮かべたまま頭を下げた。そしてシエルに対しては、握手をしようと右手を差し出した。シエルの顔は映像では見たことはあるが、こうして現物を見るのは初めてだった。そして感じたのは、ブレイブスは兵士と違うと言うことだ。している格好も理由なのだろうが、目の前のシエルは最強の戦士には見えなかったのだ。  初冬と言うこともあり、暖かいI市とは言え3人はワンピースの上に薄手のコートを羽織っていた。まるでファッション雑誌から抜け出たようなと言うのは陳腐なたとえなのだが、そうとしか言いようのないほど見事に着こなしていたのだ。その事情はヴァルキュリアではないシエルも同じで、ヴァルキュリアの一人と言われても信じてしまいそうだった。ただ握手して分かったのは、やはり戦士なのだと言うことだ。 「じゃあ、昼飯でも食いに行くか。話はそうだな、飯でも食いながらにしよう」  時計を見たら、もうすぐ12時になろうとしていた。チタニアと別れた時間からすれば、遅いと言われても不思議ではない時間になっていた。 「だとしたら、こちらでご馳走させてもらっていいだろうか?」  このメンバーが集まったのなら、接待しないと言う選択肢はない。すかさずそれを持ち出したワズワースに、「高くつきそうだ」と千博は笑った。 「まあ断るほどのことは無いのは確かだな。じゃあ、店まで移動することにするか」  そこで後ろを見た千博は、頼めるかと一人の少女に声を掛けた。今まで気づかない方が迂闊なのだが、そこにいたのは普通の格好をしたチタニアだった。それを認めた途端、ワズワースの顔からさっと血の気が引いた。 「私も一緒?」  そんな事情などお構いなく、チタニアは可愛らしく首を傾げた。 「ああ、お前も一緒に食べよう」  その答えに顔を輝かせたチタニアは、うんうんと何度も首肯してから6人を目的地へと飛ばした。そして目の前の景色を見たワズワースは、なぜチタニアなのかを理解することが出来た。 「ここは?」  ただI市ではないことは分かるが、ここがどこかまでは分からなかった。そんなワズワースに、千博は笑いながら「鹿児島市だ」と答えた。 「地元にはまともな焼肉屋が無いから、わざわざこっちまで来たと言うことだ」 「バーベキューハウスと言うことか」  まだ顔色は復活していないが、それでも少しは気持ちを落ち着けることには成功した。ただ千博から離れなかったのは、恐怖が身に染み付いたからに他ならない。  予約がしてあったのか、店に入ってからの案内はとてもスムーズだった。少し離れた個室と言うのは、ワズワース達に気を使ったと言う所だろう。ここならば、他人を気にせず話をすることが出来る。英語を使えば、店員を気にする必要もなさそうだった。 「飲み物だが……おっさんたち二人はビールだな?」  焼肉にはビールだと父親の言葉を思い出し、千博はワズワースとアランにビールを勧めた。その辺り、緊張をほぐすと言う優しさからかもしれない。そして現れた店員に生ビールを二つ注文し、自分達はウーロン茶を注文した。 「まあ、肉はこっちで適当に頼むか」  そう小さく呟き、メニューの高い方から適当に頼んでいった。もちろん、健康のために野菜を頼むのも忘れていない。おまけに言うのなら、車海老とかのシーフードも注文していた。 「さて、ここからは言葉を英語に変えるぞ」  一度エステリアの顔を見た千博は、ワズワースに向って「何をしに来たのだ?」と訪問の目的を尋ねた。 「できれば、君とだけ話をしたかったのだが……」  二人のヴァルキュリアの顔を見たワズワースに、なるほどと千博は事情が掴めた気がした。ただ問題としては、簡単ではないと思っていた。 「アースガルズの情報を公開したいと言うことか。そしてアースガルズ側の了解を取り付けるのに、俺の協力が必要と言うことだな」  そのものずばりを指摘され、ワズワースは小さくため息を吐いた。 「やはり、君の頭の構造はどこかおかしいのではないか?」  もう一度ため息を吐いたワズワースは、その通りと千博の言葉を認めた。こうして先回りをすることで、主導権を手放すことが無いのだと感心した。 「力を貸して欲しいのなら、そう言うことは言わないものだぞ」  そう言って口元を歪めた千博は、「ミネア」とエステリアの隣に座る女性に声を掛けた。 「ドーレドーレは引っ張り出せるか?」  つまり、アースガルズの情報公開の場に、ドーレドーレを引きずり出すと言うのである。それに驚いたワズワースの前で、「無理ですね」とミネアは返した。 「もちろん、私ではと言う意味ですよ。新堂様が直接話をされれば、ドーレドーレも断れないと思います。もしも言うことを聞かなければ、どちらが主か体に教え込めばいいと思います」  本来なら、ドーレドーレの前にはシエルと言う絶対の防御が立ち塞がっている。ただその防御壁も、千博の前には役に立たない。ミネアがシエルの顔を見たのも、それを確認するのを目的としていた。 「それは、俺のキャラクターじゃないんだがなぁ」  はあっと息を吐いた千博に、「嘘ばっかり」と言ってミネアは笑った。 「新堂様は、私に何をなされましたか? まさか、忘れたとは言いませんよね?」 「あれは、双方合意のことだと思ったのだがな」  これ以上突っ込むと、自分が傷つく気がしてならなかった。もういいと追及を棚上げした千博は、ワズワースにとても不穏な質問をした。 「公開については、ドーレドーレにうんと言わせる。それでおっさん、どう言った演出が好みだ?」 「演出……かね。それは、何のことを言っているのかな?」  千博が引き受けてくれたことに安堵をしたのだが、演出と言われてワズワースは顔を顰めた。まともに考えれば、発表の方法、もしくはその時に公開する情報だと考えるところだろう。だが目の前の少年が、そんなありきたりの質問をするとは思えなかった。 「ただ単に情報を公開したぐらいじゃ、どう考えてもインパクトに欠けるだろう。だから、アクアス異性体と戦った実績、もしくは目の前で戦いすることを考えたのだが?」 「目の前で戦うと言うのは……もしかして、発表の場を襲撃させようとでも言うのか?」  目を大きく見開いて驚くワズワースに、必要なことだと千博は言ってのけた。 「そこで撃退すれば、アースガルズの存在が大きな意味を持つことになる。今のままでは、謎のロボットを保有する謎の組織に過ぎないからな。別の星と言っても、簡単には信じて貰えないだろう」  そこで千博が思い出したのは、なかなか妹が納得してくれなかったことだった。目の前で見ても信用しないのだから、テレビ越しともなればもっと信用されないように思えたのだ。 「だ、だが、発表の場で混乱が起きるのは好ましくない。しかも、無事撃退できたとして、大勢の犠牲が出ることになる。それだけで、政府の責任問題になりかねない」 「つまり、発表会は派手にしなくていいと言うことか」  つまらんなと零した千博に、ワズワースとアランは顔を顰めていた。 「だとしたら、公開は次の襲撃があってからだな」  そこで一瞬だけチタニアの顔を見た千博は、アランの顔を見て「覚悟はできているか」と問いかけた。 「戦う覚悟はできているつもりだが……具体的に何の覚悟を求められているのだ?」  用心から身構えたアランに、「大したことは無い」と千博は笑った。 「少しばかり、さらし者になってもらうだけだ」  そう答えた千博は、チタニアに手伝ってくれるかと問いかけた。 「私は、何をすればいいのですか? ニューヨークとか言う所を襲えばいいのですか?」  もしもそんな真似をされたら、何万人と言う人々が犠牲になることだろう。それをあっさりと口にしたチタニアに、やはりアクアス異性体は脅威だとワズワースとアランの二人は思い知らされた。 「いや、ペルディータがフランス辺りを襲った時に情報をくれればいい。もしも組紐が邪魔されたら、移動も任せるかもしれないがな」 「正面から戦おうと言うのね」  面白いわと笑ったチタニアは、「ベスティアは?」と千博に聞いた。 「何体か出した方がいい?」 「そうだな、その方がアースガルズの存在を際立たせることが出来る」  良い提案だと褒められ、チタニアは花の咲いたような笑みを浮かべた。 「だったら、ペルディータを脅しておくわ。ただ取引材料が必要なんだけど、多少は手心を加えてくれる?」 「手心か……具体的には、何をすればいい?」  立場が逆だなと思いながら、千博は手心の中身を確認した。 「そうね、私達を全滅させないこと……と言う所かしら。降参したら、見逃して欲しいの」 「出来レースに見えないぐらいなら考えないでもないな」  そんなことでいいのかと、ワズワースは二人の話に心の中で文句を言っていた。もちろんチタニアが居る以上、口に出して言えるはずがない文句でもある。  そしてその横では、別の意味でアランは頭を抱えていた。千博がやろうとしたことを理解したのもその理由だが、アクアス異性体相手に交渉しようと言う考えが分からなかったのだ。しかも交渉の手札が、自分が手心を加えると言う物なのだ。まともに考えれば、立場が逆と言いたくなるものだった。  ただ千博の考えは、アランの想像を超えていたようだ。少し考えるそぶりを見せたと思ったら、「自分は出ない」と口にしたのだ。 「適当に戦った所で逃げてくれるのなら、こいつらだけでやらせよう。そうすれば、お前達も全滅を心配しなくても済むだろう」 「さすがに、そこまでは保証できないわね。あなたの言いたいことはよく分かるけど……」  そこで少し考えたチタニアは、「やっぱり無理」と千博に答えた。 「先走りしそうなのが大勢いるから」 「だったら、俺がそいつらを始末するか」  頼むとチタニアに告げた所で、千博は隣に居たエステリアの頭を殴った。 「痛いです。どうして、千博は私に優しくないのですかっ!」  すかさず文句を言ったエステリアに、お前のせいだと千博は言い返した。 「俺達が重要な話をしている横で、どうして黙々と肉を食っているんだ? 13時を公開する話は、お前にも関わって来るんだぞ」 「だって、おいしいんだもの……うそ、嘘だから叩かないでっ!」  慌てて手で頭を守ったエステリアは、「千博が悪い」と逆切れをしてくれた。 「どうせ聞いていたって、私の意見なんか無視するじゃない!」 「そんなことは無いぞ。たまには、参考にするかもしれないからな」  そう言い返した千博は、エステリアが焼いていた肉に箸を伸ばした。 「あっ、それは私が焼いていたのっ!」 「話に加わってこなかった罰だな。肉が足りないのなら、もっと注文すればいいだろう。どうせ、ここはアメリカさんの奢りだからな」  そこで顔を見られたワズワースは、小さく息を吐いてから「確かにそうだ」と認めた。 「この程度では、奢った内には入らないだろうね」  得られた譲歩を考えれば、そして効果的なお披露目方法まで考えてくれたのだから、焼肉への招待ぐらいではコスパが良すぎたのだ。フランス辺りで被害が出そうと言う話は、気にするだけ無駄だと頭の中から葬り去っていた。こんなことなら、さっさと千博に相談すればよかったと思ったぐらいだ。  そう言うことだとエステリアの肉を攫った千博は、それをチタニアの皿に置いた。話に集中していたのか、さもなければ食べ物と思っていなかったのか、チタニアは焼肉に手を出していなかったのだ。 「これは?」 「動物の肉だな。広く世界中で食べられているものだ」  食べてみろと言われ、チタニアは恐る恐る特上カルビに手を付けた。  フォークで突き刺して口に運んだチタニアは、手で口元を押さえて「不思議な味」と感想を言った。 「甘くて辛くて……いろいろな味が混じりあっているわ。嫌いではないけど……よく分からないと言えばいいのか……」  不思議と言いながら、チタニアは焼かれていない肉に手を出そうとした。 「まて、肉は焼いて食う物だ。まあ、生で食べるメニューもあるにはあるのだがな」  だからこちらを食えと、自分が焼いていた特上カルビを差し出した。  それを受け取ったチタニアは、千博の真似をしてご飯を食べながらカルビを口に入れた。 「やはり不思議な味だと思う……でも、悪くは無いと思うわ。それに、あなたと同じものが食べられてうれしいと思うし……」  少し俯いて頬を染めた所は、間違いなく美少女と言っていいだろう。千博のおかげでプレッシャーから逃れた二人は、信じられないものを見る目でチタニアのことを見た。こうしてみると、本当に恋する少女そのものだったのだ。  そこでワズワースが迂闊だったのは、以前千博に言われたことを忘れていたことだろう。以前ロスのホテルで会った時には、味は分からないから水でいいと言われていたのだ。だが今のチタニアは、焼肉を食べて「複雑な味」と言ってくれた。もしも以前のことを覚えていたら、その変化を疑問に思ったことだろう。  それから小一時間ほどで、焼肉パーティーと言う名の打ち合わせは終了した。一番高いメニューを集中して攻めたため請求額はそれなりの物になったのだが、それでも高級レストランで食事をするよりは低い請求額だった。情報公開の助力が得られたこと、なおかつ重要な情報が取れ9時のヴァルキュリアと近づきになれたことを考えれば、安過ぎる買い物だとワズワースは考えていた。 「それで、これからI市に戻るのかな?」  一緒に焼肉を食べたと言う仲間意識ではないのだが、ワズワース達のチタニアに対する恐怖心はかなり薄らいでいた。その辺り、千博が一緒にいると言う事情がものを言ったのだろう。  I市に帰ると言うワズワースに、そうだなと言って千博はチタニアの顔を見た。それからエステリアの顔を見て、別行動を持ち出した。 「お前達だけでI市に帰れるか?」 「組紐の制御は正常のようですね。だったら、大丈夫でしょう。それで、私達はアランさん達と一緒に帰ればいいですか?」  あっさりと別行動を認めたエステリアに、「頼む」と千博は後を任せた。そしてチタニアに向って、「デートをするか」と持ちかけた。 「デートをしてくれるのですか!」  驚くチタニアに、「ああ」と千博は首肯した。 「最近ゆっくりデートをしていないからな。特に面白い所もないが、たまにはのんびりするのもいいだろう」  嫌かと聞かれ、チタニアは音がするほど首を横に振った。 「でも、いいの?」  そこでエステリアを見たのは、誰が一番かを理解しているからだろう。だがエステリアは、どうしてと不思議そうな顔をした。 「この人が、私が文句を言ったぐらいで考えを曲げると思います?」 「そこで、諦めるのはどうかと思うけど……」  釈然としないものを感じながら、チタニアはエステリアの気配りを受け入れた。 「それで、どこに行くのですか?」 「そうだな……」  そこでじっくりとチタニアを観察した千博は、「ショッピングだ」と人ごみの方を指差した。 「着替えのバリエーションを増やすのもいいだろう」 「買ってくれるの?」  可愛らしく首を傾げたチタニアに、「任せておけ」と千博はポケットを叩いた。千博の答えに顔を明るくしたチタニアは、「ありがとう」とエステリアの顔を見てお礼を口にした。 「千博、明日は私とデートをしてくださいね?」  チタニアとデートをするのだから、次は当然自分の番だと考えていた。だが千博は少し驚いた顔をしてから、「忙しい」と言い返した。 「たぶん、優実が放してくれないぞ。だから、出かけるとしても3人でだな」  そんなと文句を言おうとしたエステリアだったが、その言葉を口にはしなかった。昨夜の食事の時など、千博の妹が自分に興味津々だったのだ。今朝にしても、帰らないでねと何度も言い残して行ったぐらいだ。それを考えれば、学校が休みとなる明日に付きまとわれるのは覚悟をしておく必要があったのだ。3人で出かけると言ってくれたのは、まだ優しいのだと考えなおした。  「仕方ないですね」と理解を示したエステリアに、そう言うことだと千博は笑った。そしてかなり緊張のほぐれた二人連れ、ワズワースとアランにこれからのことを伝えた。 「細かな話は、帰ってからだな」 「現時点で、どこまで報告していいのかな?」  送り出された目的、そして許可をした人物を考えれば、速やかな報告が求められたのだ。それを気にしたワズワースに、千博は少しだけ答えを考えた。 「そうだな、俺がアースガルズを説得すると言う程度でどうだ? 細かなことは、決まってから教えればいいだろう。ただアランには、内々に動いてもらう必要があると思うがな」  どうだと顔を見られたアランは、「確かに」とはっきり首肯した。次の襲撃地点が同盟国と言うのなら、出撃するためのハードルは限りなく低くなるのである。そしていざ出撃するとなると、その前に様々な準備が必要となるのだ。 「チームに、必要な指示を出しておく」 「任せたぞ、キャプテン」  そう言って笑った千博は、「行こうか」とチタニアの背中に手を当てた。それに嬉しそうに首肯したチタニアは、エステリアを真似るように千博の左腕に自分の腕を絡ませた。 「……甘い物も食べたいかな」 「ああ、おいしそうな店を見つけてやるぞ」  じゃあなとエステリア達に手を振り、千博はチタニアを連れて人ごみの中へと消えて行った。それを見送ったところで、ミネアが少し難しい顔をしてエステリアの顔を見た。 「あなた達が何をしようとしているのか。少しですが、それが分かった気がします。ただ、その話は場所を変えてからにしましょう。ワズワース様、アラン様、ご一緒いただけると考えて宜しいですか?」  ワズワースが見惚れたのは、チタニアの恐怖が去ったことだけが理由ではないだろう。完全復活がなったこともあり、ミネアは成熟した美しさを見せていたのだ。 「ワズワース様?」  理由など分かりきっていたが、それでもミネアはわざと不思議そうな顔で声を掛けた。そこで気を取り直したワズワースは、顔を赤くしてミネアに謝罪をした。 「失礼しました。お誘いについては、是非ともと言うのが私の答えになります」  少し感激した様子のワズワースに、良かったとミネアは満面に笑みを浮かべた。 「では、場所を変えることにいたしましょう」  「レーシー」とサポートAIを呼び出したミネアは、5人をI市に運ぶよう命じた。ただチタニアのようにアッソリュータを使えないため、ミネア達の移動は多くの目撃者を生んでしまった。おかげで小さな騒ぎが起き、その結果新たな都市伝説が一つ加わることとなったのである。  2度の戦いの経験は、9時にとって他に代えがたい贈り物だと言う事ができるだろう。その一番は、直接戦闘に参加したブレイブス達に自信を与えたことだ。千博の指導が実戦と結びついたことで、勝てないまでもアクアス異性体と渡り合えることが分かったのだ。次はもっとうまくやれると言う意識が、日常の訓練を活気のあるものに変えたのである。  そして2度の戦いでの活躍は、9時における北斗の地位を確かなものとした。千博やメイアの特別扱いも、すべて実績が正当性を証明してくれたのだ。そうなると、逆に若い北斗に対して期待する声が強くなってきたのだ。副カヴァリエーレに任命すべきという突き上げが、留守を預かるヘルセアやメイアの所にも届くようになっていた。  突き上げの激しさに音を上げたヘルセアは、問題を解決するため姫乃を呼び出した。なぜ本人では無く姫乃を呼び出したのかと言うと、外堀から埋めることを狙ったものだった。 「それで、私に相談というのは何なのでしょうか?」  候補生の制服で現れた姫乃は、優雅に会釈をしてからヘルセアに向かい合った。その所作の美しさは、ヘルセアを大いに感心させた。もともと素性が良かった所に、ヴァルキュリアとしての教育が生きたのだ。ブレイブス達の評価が高いのも、今の姫乃を見れば頷けることだろう。そろそろ引退を考えているヘルセアだから、姫乃を後継者にと考えるのも自然なことだったのだ。  もっとも姫乃を呼び出したのは、それを頼むことではなかった。自分にとって後継者問題は切実なのだが、それ以上に北斗の問題は先送りできなくなっていたのだ。だから姫乃を前にして、ヘルセアは北斗のことを切り出した。 「あなたも気づいていると思いますが、北斗さんを副カヴァリエーレにすべきという声が抑えきれなくなっています。ですが北斗さんは、半年の研修と言うことでお預かりしているお方です。勝手に、副カヴァリエーレに任命して良いものではないでしょう。ですから、あなたに相談することにいたしました」  ヘルセアの言葉に、姫乃は小さく首肯した。確かに、姫乃の耳にも北斗に対する期待が聞こえていたのだ。姫乃を愛でに来たブレイブス達は、同時に北斗のことを褒めていたのだ。 「それは、私に北斗を説得して欲しいと言うことでしょうか?」 「いえ、良い解決策が無いかとの相談です」  ヘルセアの答えに、姫乃は小さく首を傾げた。姫乃してみれば、解決すべき問題があるとは思っていなかったのだ。 「なにか、おかしな所がありましたか?」  首を傾げた姫乃に、ヘルセアはその理由を尋ねた。そんなヘルセアに、姫乃は小さく首を振ってから答えた。 「解決策も何も、解決が必要な問題は無いと思います。北斗が承諾をしたのなら、誰も反対は出来ませんよ」 「ですが、半年という約束が……」  送り出されてきた時の条件を持ちだしたへルセアに、姫乃はどうでもいいことだと答えた。 「もともと半年と言うのはエステリアさんの出した条件です。行ったきりになることへの不安を、半年という期限を切ることで解消したのでしょう。北斗がヴァナガルズと戦う道を選んだ以上、カヴァリエーレを目指さなくてはいけないと思っています。その第一歩だと考えれば、断ることはあり得ないと思います」 「ですが、テッラの事情を考えれば彼はテッラに帰るべきではありませんか?」  そのことを気にしたへルセアに、姫乃は小さく吹き出した。 「それは、ヘルセア様が頭を悩ますことでは無いと思いますよ。それを考えるのは、新堂君とエステリアさんの役目ではありませんか。筆頭ではないヴァルキュリアは、自分のオーラのことを第一に考えるべきだと私は思います」  そう答えた姫乃は、ヘルセアに楽に考えていいと言う助言を与えた。そしてその上で、話を持って行った時の問題を口にした。 「当然、北斗は霧島の事情を気にするでしょう。私を守るようにと、ご両親、そして私の父からもきつく言われてきましたからね。それを理由に、尻込みをするかもしれませんね。小さな頃からの教育もありますから、北斗には絶対の使命と考えているかもしれません。ただ私のことが断る理由なら、私は北斗を突き放してあげます。北斗は、もっと自由に生きていいと思っていますからね」 「本当に、それで良いのでしょうか?」  義務を課せられると言うのは、別に北斗に限ったことではない。義務の種類は違っても、自分達にも似たようなことが有ったのだ。それを考えると、軽々に扱って良いものではないだろう。北斗の立場を気にしたへルセアに、姫乃はもう一度大丈夫と繰り返した。 「アーセルさんとの関係もありますから、頭を悩ませるのではありませんか? そのあたり一度メイアさんに、探らせてみたらどうでしょう?」  本人の希望が一番と繰り返した姫乃に、ヘルセアは小さくため息を吐いた。そんなことで良いのかと言う気持ちはあるのだが、他に解決策は思いつかなかった。だったら、一番北斗のことを知っている姫乃の助言に従う方が前向きだろう。  そんなヘルセアに、ところでと姫乃は微妙な問いかけをした。 「北斗が副カヴァリエーレになったら、ヘルセア様は体を許されるのですか?」  予想もしていなかった問いに、ヘルセアはぱちぱちと目を瞬かせた。その反応に、少しだけ姫乃は口元を歪めた。その反応だけを見れば、ヘルセアが何も考えていなかったのが分かるのだ。 「驚くような話ではないと思いますよ。ただ、今更確認するようなことではありませんね」  姫乃の指摘に、確かにその通りだとヘルセアは首肯した。副カヴァリエーレに任命することは、ヴァルキュリアが愛を捧げる相手だと認めたのと同じである。だとしたら、その先には当然肉体関係もついてくるはずだ。 「もしかして、新堂君のことを考えていました?」  驚いた理由を千博に求めた姫乃に、ヘルセアはため息という答えを返した。 「そうですね、新堂様のことを否定は出来ませんね。ただ、私は新堂様に抱かれたことはありません。ですから、さほど抵抗を感じていないと言えば良いのか。ただ、考えていなかったことを指摘されたので、少し戸惑ってしまっただけです。抵抗があるのは、むしろミネア様ではないでしょうか」  その辺り、普段の執着ぶりを考えれば不思議なことではない。ヘルセアの指摘に、姫乃は小さく首肯した。そしてその上で、心配はいらないと答えた。 「北斗は、誘惑されないかぎり手を出してはきません。それどころか、私などはそれとなく誘惑しても手を出してもらえませんからね。どうも、私の相手は新堂君でなければならないと決めているようです。あれで結構頑固なところがありますから、簡単には考えを変えません。ですからヘルセア様、北斗に抱かれたければ積極的に迫らなくてはいけませんよ。新堂君と違って、北斗は節操がありますからね」 「ですが、新堂様から手広くしていたと伺いましたが?」  高校時代の話を持ちだされ、姫乃は「ああ」と首肯した。確かに千博の目から見れば、北斗は手広く遊んでいたように見えただろう。 「それは、新堂君が事情を知らなかったからでしょう。北斗が手を出したのは、すべて新堂君に遊びで言い寄ろうとした子だけなんです。私のためという事情もありますが、それ以上に北斗が我慢がならなかったと言う理由ですからね。北斗は、本当に新堂君のことが大好きなんですよ」 「なかなか、分かりにくい関係なのですね」  姫乃の説明を聞いても、二人の関係を完全には理解することは出来なかった。それでも分かったことがあるとすれば、本人さえ承諾すればいいと言うことだ。だったら姫乃の助言通り、メイアに意思を確認させれば良いのだ。もうすぐミネアが帰ってくることを考えれば、早いうちに意思を確認しておく必要がある。 「あなたの助言通り、メイアに意思を確認させます」  そこで安堵の息を漏らしたのは、問題解決の目処が立ったことが理由だろう。後は姫乃を口説き落として自分の後継者に据えれば、9時のオーラは安泰だと考えた。 「ところで、姫乃は9時でヴァルキュリアになるつもりはありませんか?」  その意味で、姫乃の意思を確認するのは不思議なことではない。そして姫乃も、その問いかけは予想していたものだった。以前にも、ヘルセアからは自分の後継者にしたいと言われていたぐらいだ。 「そうですね、その辺りは新堂君次第というところでしょうか。私は、新堂君の居る所に居たいと思っています。その邪魔になるのなら、どこでもヴァルキュリアにならないと思います」  自分の意思をはっきり口にした姫乃は、「多分」と言って言葉を続けた。 「13時のオーラより、9時のオーラの方が私の希望の沿うことになるのでしょう。北斗は私とエステリアさんに遠慮をしますから、望まぬ相手に体を許さなくても済みますからね。私は、家のためにも新堂君の子を生まなければと思っているんですよ」  そう答え、姫乃はヘルセアの問に「保留」と言う答えを返した。 「付け加えるなら、私はまだまだヴァルキュリアとして必要な知識が不足しています。ですから北斗と違い、すぐにと言う話にはならないと思いますよ。恐らく、アーセルさんの方が先にヴァルキュリアになられるのではありませんか?」 「アーセルですか……確かに、必要な資質は備えているようですね。北斗さんを虜にできれば、ヴァルキュリアとしても合格なのでしょう」  姫乃の指摘に、その通りだとヘルセアは首肯した。そして小さく溜め気を吐き、姫乃のことは保留にすることにした。 「あなたが、前向きに考えてくれることを確認できただけで良しとしましょう。では、北斗さんのことは、メイアに確認させることにします」  優先度としては、間違いなく北斗の方が高くなっていたのだ。それを再度確認したヘルセアは、メイアに指示を伝えることにした。  2度の戦いの後に変わったことと言えば、北斗が指導する立場に立ったことだろう。そのあたり、アクアス異性体との戦いで活躍したと言う実績が物を言っていたのだ。半ば趣味とも思えるメイアとの稽古も、北斗の実力を認めさせるものになっていた。  そしてもう一つの理由が、気絶をして医務室に担ぎ込まれなくなったことがある。指導を行うためには、時間と言うものが必要なのだ。  そして後進の指導に当たった時点で、北斗は周りから副カヴァリエーレとして認められていると言う意味にもなる。それもあって、未だに役職なしと言う北斗の立場に対して、おかしいだろうと言う声が上がるようになったのだ。  そんな事情も露知らず、北斗は今日も見習い達の指導に当たっていた。彼が受け持ったのは、10代前半から半ばまでの6人の見習い達である。男1人に女5人と言うのは、北斗の希望を慮ったわけではなく、ただ9時の構成だけが理由だった。そのあたりは、9時の現状を如実に表したものだった。活躍の場を求めるブレイブス、特に男子達は、評判の良くない9時を選ばなかったのだ。  その裏には、強くなるには9時は不適当だと言う評判があった。まだユーストスが現役の頃は良かったのだが、引退が近づいた辺りから男子候補に避けられるようになったのである。  そのことを考えれば、9時に集まったのはどこか変わった考えを持つ子供と言うことになる。さもなければ、落ちこぼれの吹き溜まりと言うところだろうか。その分一癖も二癖もある子供が、9時には集まっていた。  北斗の指導を受ける6人のうちの一人に、エスデスと言う栗色の髪をした少し痩せぎすの少女がいた。6人のうちのリーダー格と言うこともあり、はっきりと気の強そうな顔つきをしていた。  指導を始めた当初、エスデスは北斗に反抗的な態度を取っていた。その辺り、北斗がテッラ出身と言う事情が影響していたと言えるだろう。さらに言うのなら、依怙贔屓をされていると言う妬みもあったのだ。だが6人がかりで挑んで返り討ちに遭った所で、エスデスの態度は綺麗に裏返ってくれた。そしてその後のエスデスは、いささか過剰に北斗にまとわりつくようになっていた。  そんなエスデスの実力に対して、北斗の下した評価は「そこそこ」と言う物だった。 「北斗様は、副カヴァリエーレになられないのですか?」  一通りの指導が終わった所で、駆け寄ってきたエスデスはそう北斗に質問した。20センチ近く背が低いこともあり、少し伸びをして見上げるような格好をしていた。  その無邪気な質問に、北斗は少しだけ苦笑を浮かべた。そして、少しだけ考えてからこれまでに何度も繰り返してきた答えを口にした。 「僕は、テッラから研修に来ている身だからね。だから研修期間が終われば、テッラに帰ることになっているんだよ。それを考えたら、9時で副カヴァリエーレになると言う話はないと思うよ」  その期間も、残り4ヶ月程となっていたのだ。9時にお世話になっているが、責任のある立場につくには短すぎる残り時間だった。  だがエスデスは、体全体を使って北斗の言葉を否定してみせた。 「ですが、9時のオーラには北斗様が必要だと思います。ゆくゆくは、メイア様の後を継いで、カヴァリエーレになっていただきたいと思っているんです」  大きな声で主張したエスデスに、北斗はもう一度苦笑を浮かべた。 「その時は、エステリアさんと一緒に、千博が9時に来ることになるんじゃないのかな」 「新堂様、ですか?」  全体的に痩せぎみなこともあり、エスデスは大きな目が際立っていた。その特徴的な目をくるりと動かし、ですがとエスデスは反論した。 「新堂様は、その、なんと言って良いのか……カヴァリエーレと言うタイプに思えません。確かに、とてもお強いと言う評判ですが……何かしっくりこないというのか。いえ、けして新堂様を否定しているわけではありません。先の戦いで9時が実績を挙げられたのも、新堂様のお陰と言うのも理解しています。ですが、なんと言えば良いのか、どうしてもしっくり来ないというのか……」  胸に手を当てて俯いたエスデスは、ぱっと顔を上げて北斗に迫った。 「やはり私は、北斗様こそ9時のカヴァリエーレに相応しいと思っています!」  いけませんかと迫るエスデスに、北斗は小さく微笑み「ありがとう」と答えた。9時に来て日の浅い自分を、こんなにも高く評価してくれるのだ。それだけでも、来て良かったと思えたぐらいだ。 「それに、アーセル様も北斗様がカヴァリエーレになられることを願われています。こんなことを言ってはいけないのでしょうが、私はエステリア様ではなくアーセル様に筆頭になっていただきたいと思っています」  この辺りの意見は、もともとエステリアの受けが良くなかったことが影響している。高慢で周りを見下していると言う印象を、9時のブレイブス達はエステリアに対して持っていた。エステリア自身大きく変わっていたのだが、それは地球に渡ってからの事だった。 「エスデスは、エステリアさんのことが嫌いなのかな?」  その辺りをぼかしたエスデスに、北斗は単刀直入に切り込んできた。別に不見識を責めるつもりはなく、ただ単に聞いてみたかっただけの事だった。もともと北斗にしても、さほどエステリアのことを知っているわけではなかった。ただ冷静な目で比べてみて、アーセルでは敵わないことは理解していた。 「その、嫌いと言う、訳では、あの、ありませんが……」  エステリアが次の筆頭になると言われているだけに、迂闊なことを言うわけにはいかない。それもあって口ごもったエスデスに、大丈夫だよと北斗は笑った。 「僕もあまりエステリアさんのことを知らないんだ。だから、エスデスに教えて欲しいんだ」 「ですが……」  本当に困った顔をしたエスデスに、なるほどと北斗は事情を理解した気がした。つまり、それだけエステリアの印象が宜しくないと言うことだ。だとしたら、これ以上の無理強いをしては駄目だろう。  「悪かったね」と謝った北斗は、話を自分のことに引き戻した。 「エスデスの気持ちは嬉しいと思っているよ。ただ、僕には副カヴァリエーレになると言う実感が沸かないんだ。それにテッラの出身者として、テッラを守る義務があると思っている。僕にどこまで出来るのかわからないけど、アランさん達だけに任せておくわけにはいかないだろう?」  もしも立場を変えれば、エスデスも同じように考えていたはずなのだ。自分の生まれた星を守ると言う答えは、エスデス程度では反対のしにくいものだった。 「確かに北斗様の仰る通りなのですが……でしたら北斗様、北斗様はアーセル様の思いに答えられないのですか? アーセル様は、北斗様を伴侶にとお考えなのですよ!」  自分では魅力に欠けるし、副カヴァリエーレになる理由づけに乏しいことは理解していた。それもあって、エスデスは北斗と仲が良いと評判のアーセルの事情を持ち出した。アーセルの様子を見れば、確実に北斗に入れ込んでいたのだ。そしてアーセルの望みを叶えるためには、北斗が副カヴァリエーレになる必要がある。北斗がまんざらでもないように見えたのも、アーセルを持ちだした理由だった。  それを持ち出された北斗は、はっきりと困ったような表情を現した。アーセルのことを考えれば、確かに9時での身分をはっきりさせておく必要がある。そして、アーセルに魅力を感じているのも確かだった。 「アーセル様、最近ますます美しくなられましたよね?」  ここが勘所と考えたのか、エスデスはアーセルの変化を持ち出した。よほど鈍感でもなければ、アーセルの変化ぐらい気付いているはずなのだ。 「ごめん、僕だけでは決められない問題なんだ」  北斗の気持ちは、すでにアースガルズに残る方に傾いていた。だが口にした通り、自分の一存では決められないことが多すぎたのだ。そして自分の身に降りかかる責任を考えれば、勝手をしていい物でもない。アーセルにしがらみがあるように、北斗も多くのしがらみに縛られていたのだ。  北斗の気持ちを理解したエスデスは、これ以上の追及を諦めることにした。本人の気持ちだけでは解決できない問題がある以上、これ以上いくら迫っても無駄だと分かったのだ。 「北斗様のお気持ちも考えず……申し訳ありませんでした」  だからエスデスは、謝ることでこの場を治めることにした。アーセルのことも大切だが、自分の気持ちも大切なのだ。その意味で、北斗に避けられるような理由を作る訳にはいかなかったのだ。  そして北斗に謝ったエスデスは、己の欲望を満たす言葉を口にした。こちらの方は、しきたり上の問題が無いのも大きかった。 「北斗様、今夜北斗様のお部屋に遊びに行ってもいいですか? もちろん、私一人で」 「あーっ」  エスデスが何を望んでいるのかぐらい、北斗も理解できていた。ただ理解はできていても、それに応えるのかと言うのは別の問題である。別に嫌いと言うつもりはないが、まだエスデスに対して女性的魅力を感じていなかった。わざわざ「夜」と強調したのだから、部屋で何をするのかなど疑いようもなかったのだ。  大きく天を仰いだ北斗は、小さく息を吐いて慎重に言葉を選んでエスデスの誘惑への答えを口にした。 「ごめん、まだ自分自身踏ん切りがついていないんだ……」  つまりエスデスの問題ではなく、自分自身の問題だと言うのである。そのあたりは、生まれ故郷の常識が邪魔をしていたのだ。「恋愛は自由であるべき」と千博に言っていたのは、あくまで方便と言うことだった。  その答えに、エスデスはふと思いついた人物のことを口にした。そしてそれは、とても効果的な反撃となっていた。 「そのあたりは、是非とも新堂様を見習うべきかと思います」  「稀代のカヴァリエーレになれる」とまで言われた千博の行状を思い出し、北斗はエスデスへの答えに詰まったのである。  それでもメイアとの訓練を口実にすれば、エスデスの追及を逃れるのは難しいことではなかった。だが前門の虎後門の狼と言えばいいのか、北斗は同じ話題を蒸し返されることになってしまった。 「あなたには、是非とも私の後継者になって貰いたいと思っています」  今日も決着のつかない戦いを終えたところで、メイアは汗を拭きながら北斗に声を掛けた。ただここまでならば、エスデスの意見とさほど変わったところが無いだろう。自分の立場を持ち出せば、容易に先延ばしのできる誘いにしか過ぎなかった。  だがメイアの場合、ヘルセアの命を受けたと言う背景がある。そしてヘルセアは、北斗の逃げ道を防ぐために姫乃の言質もとっていたのだ。 「多分あなたは、家のことを気にしているのかと思います。ただこの事は、姫乃様から本人の希望に任せるとのお言葉を貰っていますよ」  姫乃の言葉を付け加えるだけで、途端に北斗の逃げ道が塞がれることになる。そしてさらに追い打ちをかけるように、地球のことも付け加えてくれた。 「そして姫乃様は、テッラのことはエステリア様と新堂様が頭を悩ませればいいと仰ってました。ですから、私はあなたの考えを聞くことにしたのです。北斗さん、あなたはカヴァリエーレになることを否定されますか?」  家の事情、地球の事情を否定することは、北斗の逃げ道を無くすことに繋がっている。こうなると、本人の希望が一番の理由となってくれるのだ。  そこまで北斗を追い詰めたメイアは、とどめとばかりにアーセルのことを持ち出した。ただエスデスのように、本人の気持ちではなく、周りの見方、そして資格のことに絡めたのである。 「そしてこの問題は、アーセル様の資格にも関わってくることを忘れないように。責任と言うやむを得ない事情があるならばいざ知らず、北斗様が望まないと言うのは……」  そこで言葉を切ったのは、すべてを口にするより効果的だと考えたのだろう。  エスデスなら誤魔化せたが、さすがにメイアの追及を誤魔化すことはできそうになかった。だが北斗自身、本当にカヴァリエーレになることを考えていなかったと言う事情がある。そして考えていなかったのだから、踏ん切りをつけるのも難しかったのだ。  だが予想もしていないアーセルの責任を持ちだされると、流石に否定の言葉も難しくなる。 「なぜ、この事がアーセルさんの資格に関わってくるのですか?」  それでも納得出来ないと、北斗はその訳を尋ねた。その問いに少し驚いたメイアは、まだまだだと小さく首を振った。 「北斗さんの実力が十分なことは、シエル様も認めてくださいました。ですから、私達の側では何の障害もないことになります。そしてテッラのことも、姫乃様が障害にならないことを保証してくださいました。故郷に将来を約束された方が居ないのも分かっています。その意味で言うのなら、あなたに一番近い女性はアーセル様なのですよ。そしてアーセル様が執着されているのは、9時では知らない者の居ない話となっています。それなのに、あなたはカヴァリエーレになろうとしていない。アーセル様の資質が疑われても仕方がないと思いませんか?」  仲の良いブレイブス一人虜に出来なければ、ヴァルキュリアとしての資質を疑われることになる。9時で訓練を続けている以上、以前の千博とは事情が違っていたのだ。  だがその話をされても、まだ北斗の中で決心は固まらなかった。もともと副カヴァリエーレになることに抵抗は無かったのだが、それでも最後の一歩が踏み出せないでいたのだ。その理由が、北斗自身理解できていなかった。  言葉を失くした北斗に、メイアは肩をすくめ小さくため息を吐いた。北斗の表情を見れば、困惑しているのを見て取ることが出来るのだ。こんな所も違うのだと、メイアは千博と比べていた。千博ならば、答えの決まったことにいつまでも悩んでいないはずなのだ。  どう見ても、最後の一押しが足りていないのだろう。ただ最後の決め手が何であるかまでは、流石に理解することは出来なかった。それを理解したメイアは、誰が最後の一押しに適任なのかを考えた。姫野の言葉を伝えてこれなのだから、もっと影響力のある人でなければ意味が無いだろう。 「やはり、新堂様ですか」  小さく呟いたメイアは、ミネアに相談することを考えた。彼女ならば、己の実益を兼ねて千博を呼び寄せてくれるはずなのだ。そして北斗との関係を見れば、一番影響力の大きいことも理解できる。 「とは言え、これ以上ここで答えを迫るのは好ましくありませんね。ただ、真剣に副カヴァリエーレになることを考えていただけないでしょうか? 9時のブレイブス達は、あなたが副カヴァリエーレになるものだと考えているのですよ。その意味を理解してください」  答えを失くした北斗を、メイアはそう言って解放することにした。本人に踏ん切りが付かない以上、これ以上迫っても逆効果になりかねないのだ。だとしたら、影響力のある人に最後の一押しをさせればいいだけのことだ。そのための方策を、ヘルセアや姫乃と相談すれば良いのだ。 「殻を破れない理由……意外に、これなのかもしれませんね」  ここまで来て自分を追い抜けない理由。メイアは、精神的なものに理由を求めたのだった。 続く