Charlatans -3 Reverse Bavel  古ぼけた建物の並ぶ街を、貧相な顔をした男が少し左足を引きずるようにして歩いていた。やけに荒んだ目をした男は、年の頃なら30ぐらいなのだろうか。粗末な身なりをしているのだが、皮肉なことにその格好が街の景色に似合ってもいた。  そして男の傍らを見ると、まだ子供と言っていい少女が半歩遅れて歩いていた。その少女の格好も粗末なものなのだが、それでも男に比べればまだマシなものだった。ただ、少し長めの銀色の髪と緑色の瞳をした少女は、よく見れば可愛らしい顔をしていた。その分荒んだ目をした男といることで、周りに違和感を振りまくことになっていた。  そうやって周りに違和感を振りまいて歩いた男は、古ぼけた町にある、まだ新しそうに見える3階建ての建物の前で立ち止まった。そこで小さくため息をつくと、短い階段を登ってその中に入っていった。  その建物の入口には、「ブリー政府公共福祉局アルトレヒト支局」の看板が掲げられていた。 「ここは相変わらずか……」  外の景色とは打って変わって、福祉局の中はさながら野戦病院の喧騒を見せていた。もっとも、この場に手当が必要なけが人は居ない。ただ大声で騒ぎ立てている輩は、何らかの形で体に欠損を抱えていたのである。 「おう、ナイトじぇねぇか。相変わらずシケタ面をしてるじゃねぇえか」  その喧騒の中、男の顔を見つけた巨漢が彼に声を掛けた。左目に眼帯をしているのは、縦に大きくえぐられた傷のせいだろうか。ナイトを見つけた男は、ひょこひょこと歩きながら近づいてきた。 「っせーな。てめえが人の面のことを言えんのかよ、ケッグ」  そう言い返した男ナイトは、左手でケッグの左手を殴った。それに合わせて、がちゃんと金属のぶつかりあう音が聞こえてきた。  「おーこえっ」とおどけたケッグは、「くわばらくわばら」と言いながらナイトから離れていった。けっとつばを吐きかけたナイトだったが、役人の視線を感じてそれを飲み込んだ。そしてきまり悪そうに頭を掻くと、階段を2階にある診療所へと上がって行った。  診療所の入り口で身分証を提示したナイトは、空いている端の席にどっかりと腰を下ろした。そしてナイトに付いてきた少女、フェイも遠慮がちにその隣に腰を下ろした。赤いスカートは、サイズが合っていないのか汚れた下着を隠しきれていない。ただ周りに居た男たちは、誰一人として少女に興味を示していなかった。  それから30分ほど待ったところで、ナイトの順番が回ってきた。そこで初めて、ナイトは「待っていろ」とフェイに声を掛けて診察室へと入っていった。ナイトの命令に小さく頷いたフェイは、ぎゅっと短いスカートを押さえ、できるだけ目立たないように隅で体を小さくしていた。  診察室に入れば、馴染みに顔を合わせることになる。頭の禿げ上がった医者は、カルテの画面を見ながら「なにか変わりは?」とナイトに問いかけてきた。 「特に」  ボソリと答えたナイトに、「痛みは?」と医者は質問を続けた。 「時々、寝る時に」  ナイトの答えに頷いた医者は、小さなシリンダーを取り出すと「右腕を出せ」と命じた。そしておとなしくナイトが従ったのを見て、そのシリンダーを二の腕に突き立てた。生体検査、細胞と血液を採取し、簡単な分析を行う道具である。 「成分的には特に問題は無いようだが……痛みがあるのなら、酒は控えた方が良いぞ」 「……痛みを紛らわすためだ」  だからやめないと言うナイトに、医者は無表情のまま「それじゃだめだろう」と口にした。 「そんなことじゃ、いつまで経っても痛みは無くならないぞ。それに、飲みすぎるとあちらの方も役に立たないからな」  ニコリともせずに言う医者に、「余計なお世話だ」とナイトは言い返した。 「毎晩ギンギンになっているさ」 「だったら良いんだがな」  画面を見ながら操作した医者は、「もう良いぞ」とナイトを解放した。 「薬局で薬を受け取って帰れよ」 「気持ちよくなる薬は出してくれないのか?」  その方がありがたいと言うナイトに、医者は「専門外だ」と言い返した。 「悪いことは言わんが、やめておいたほうが無難だぞ。せいぜいギンギンになったものを、女のあそこに突き立てて満足することだ。利用券が欲しいのなら、処方してやっても良いんだぞ」 「それも、余計なお世話だっ」  じゃあなと言って立ち上がり、ナイトは診察室を足を引きずりながら出ていった。それを見送ることもなく、医者は「次」と別の患者を診察室へと呼び入れた。そして入ってきた男に向かって、「なにか変わりは?」と問い掛けたのである。  診察室から出てきたナイトは、フェイに気を使うことなく薬局の方へと歩いていった。そしてフェイは、いつものことと立ち上がると小走りにナイトを追いかけた。そしてそこが定位置であるかのように、ナイトの左後ろにピッタリとくっついた。  薬局窓口に来たナイトは、左腕の袖をまくって義手を顕にした。そして義手に付けられた扉を開け、そこから小さなカートリッジのようなものを取り出し薬局の窓口に出した。無愛想な顔をした受付は、それを受け取ると黙って小汚いベンチを指さした。「用意ができるまで待っていろ」言葉にすれば、きっとそんなところなのだろう。  それにおとなしく従ったナイトの横には、ぴったりとくっつくようにフェイが腰を下ろした。よほど落ち着かないのか、彼女の表情はしっかりとこわばっていた。  それから待つこと5分、無愛想な受付が「ナイトさん」と声を掛けてきた。そしてナイトの顔を認めると、新しいボンベが入った袋を差し出した。そこまですれば、受付の仕事は終りとなる。ナイトから興味を失ったように、受付は窓を締めて手元のプリントに視線を落としてくれた。  一方ナイトにしても、受付の態度はどうでもいいことのようだった。無造作に袋を破ると、真新しいカートリッジを左腕の中に差し込んだ。そして袖を下ろしてから、階段の方へと歩き出した。そこでナイトは、1階に降りるのではなく3階へと上がっていった。そこは、通常とは異なる、そして実入りの良いアルバイトが掲示された場所だった。 「……この募集は、カンクが受けたはずだが?」  掲示されたアルバイトと言う名の依頼書を見たところで、ナイトは同じ依頼が再掲されているのに気がついた。しかも依頼内容が変わっていないのに、前回に比べて報酬が5割ほど増額されていた。その依頼書を掲示板から剥がしたナイトは、不自然に誰も並んでいない受付へと向かった。そこには、薄い栗色の髪をアップにした、控えめに言っても美人な受付嬢が座っていた。 「この依頼書だが」  そう言って受付嬢に依頼書を見せたナイトは、「何があった?」と再掲された理由を尋ねた。 「確か、カンク達が依頼を受けたはずだが?」  馴染みの名前を持ち出したナイトは、久しく彼らの顔を見ていないのを思い出した。 「最近カンクの顔を見ないのだが?」 「依頼は失敗。彼のチームは全滅したようです」  受付嬢の口から出たのは、その声と同じでとても冷たい事実だった。ただ機械的に事実だけを告げた受付嬢の顔からは、感情と言うものが感じられなかった。 「カンク達が失敗した?」  ありえんだろうと呻いたナイトに、「事実は事実です」と受付嬢は冷たく答えた。 「水力発電所管理棟への突入は確認されていますが、その後の消息は不明になっています。事後の報告もなされていませんので、彼らのミッションは失敗したと判断されました。そして彼らの実力から、ミッションの難易度が見直しされました。緊急度も上がりましたので、報酬も5割上乗せされたと言うことです」 「カンク達がしくったのは確かと言うことか……」  ふうっと息を吐いたナイトは、「条件は?」と受付嬢に確認した。 「特にはありません。緊急度が上がりましたので、こちらもより好みができなくなっているのがその理由です」 「何度も襲撃を繰り返せば、そのうち奪還できると考えた訳だ」  少しずつ敵を削っていけば、いつかは発電所を奪還することができる。役所の考え方を指摘したナイトに、受付嬢は「否定はしません」と答えた。相変わらずその声からは、温度が感じられなかった。 「厄介者の人減らしもできて、一石二鳥と言うことか」  はんと鼻で笑ったナイトは、「書類を」と受付嬢に依頼した。  そこで一度視線をフェイに落とした受付嬢は、「こちらに」とメモリーデーターをナイトに渡した。それを受け取ったナイトは、「またな」と手を振り背中を向けて受付から離れていった。  途端に聞こえてきたひそひそ話は、「次の犠牲者か」と言うものだった。不自然に人が並んでいないのには、当然理由があったのだ。「死の窓口」で受けた仕事は、難易度に関わらず失敗が待ち受けている。美人の受付嬢のところに列ができないのは、その噂が広がっていたのが理由となっていた。  左足が階段を捉えるたびに、カツーンと言う金属音が響いてくれた。ゆっくりと階段を1階まで降りたナイトは、通常の職安に集る男達の顔を見た。そして自分に突っかかってきた男の顔を見つけ、「ケェッグ」と声を掛けた。 「なんだ、でけえ声で人のことを呼びつけやがって」  鬱陶しいと文句を言ったケッグに、「仕事に付き合え」とナイトはデーターを見せた。 「ウガジンの水力発電所だぁ? 確か、カンク達が受けた仕事じゃねぇのか?」  胡散臭そうに言うケッグに、「失敗したようだ」とナイトは受付嬢に教えられたことを伝えた。 「おかげで、報酬は5割増しになっている」 「あいつらがしくったって……5割増しじゃ足りねぇんじゃないのか?」  胡散臭げに目を細めたケッグに、「次に掲載される時にも5割増しだろう」とナイトは嘯いた。 「それで、付き合ってくれるのか?」 「ちょっと物入りなんで、臨時収入はありがたいんだがな」  相変わらず胡散臭そうな顔をしたケッグは、「どの窓口で手続きをした?」と聞いてきた。 「メリタのところだ」 「メリタってっ、おま、本気か!?」  ナイトが彼女の名前を出したところで、職安を包んでいた喧騒が止んだ。そして今まで自分のことに集中していた男達の視線が、一斉にナイトに向けられた。 「お前、なんでよりにもよって死の窓口で手続きするんだ!」 「決まってるだろう。あの窓口は空いているんだ」  それ以上の意味はないと言い切るナイトに、「お前も知らない話じゃないだろう」とケッグは言ってきた。 「メリタの窓口で依頼を受けると、簡単な仕事でもハンブルするって話か?」  噂を口にしたナイトは、「ナンセンスだな」と切って捨てた。 「ナンセンスだろうとなんだろうと、死の窓口で受けた依頼は成功率が0%と言われているんだぞ」 「ちなみに俺は、何度かその窓口で手続きをしているぞ」  もう一度「ナンセンスだ」と繰り返し、「やるのかやらないのか」とナイトは決断を迫った。 「確かに金は欲しいんだが……」  示された報酬は、天秤を契約に傾ける魅力を持っていた。ただこの手の仕事は、生き残ってなんぼと言うものだ。そして生き残っていくためには、己の勘とゲンを担ぐことが大切だとされていた。その意味では、ケッグの勘は全力で「駄目だ」と彼に告げていた。  ゲンも担げず勘も駄目だと騒ぎ立ててくれている。そんな仕事を受けるのは、間違いなく棺桶に足を突っ込むことになる。報奨金に心が動かされたケッグだったが、「悪いな」とナイトの誘いを断った。 「死の窓口ってだけじゃない。俺の勘が、受けたら死ぬと騒ぎ立ててくれるんだよ」 「虫の知らせってやつか。まあ、納得のできない仕事をするもんじゃないだろうな」  構わんぞと答え、ナイトは踵を返すと1階の職安を出ていこうとした。 「お、おいっ、まさか1人でやろうってんじゃないだろうな!」 「あてにならない奴と組むぐらいなら、1人の方がよほどマシだろう」  だからだと答えたナイトに、「やめておけ」とケッグは声を掛けた。だが今度は、ナイトは立ち止まることなく公共福祉局の建物を出ていった。そしてその後ろを、ちょこちょことフェイが追いかけていった。  公共福祉局を出たナイトは、その足で馴染みの武器屋へと向かった。仕事を確実にこなすためには、必要十分な武器を揃える必要がある。そして装備を揃えるのと同じぐらい、情報を集める必要もあったのだ。そのためには、カンク達がどんな装備で発電所に向かったのか。その確認も必要だったのだ。  危険生物の襲撃はあっても、彼の住む街アルトレヒトのほとんどは非戦闘員だった。したがって、物騒な施設は一般人の目の届かないところに作られていた。  込み入った路地を何度か曲がったところで、ナイトは目的の武器屋へとたどり着いた。明らかに人を選ぶ、かなりいかがわしい外観の店に足を踏み入れたナイトは、おかしなおもちゃの並べられた奥のカーテンを開き、隠されたドアの向こうにある小部屋へと入っていった。 「なんだ、あんたか」  小部屋の中では、フレンチフォークと言われる髭を伸ばした男が難しい顔をして座っていた。そしてナイトを見つけると、「やれやれ」と言った様子で首を回した。そしてその傍らにいる少女を見て、「連れ回すんじゃねぇ」と文句を言った。 「こんないかがわしい店に、年頃の女の子を連れてくるんじゃねぇ!」  武器の前に見せられるのは、主に性関係の道具なのだ。それを考えれば、オヤジの言っていることに間違いない。ただナイトの場合、普通の事情が通じないだけのことだった。 「教育の問題より、命の方が大切なんだよ。あんたも、それぐらいのことは分かってるだろう!」  何を今更と口元を歪め、ナイトは「情報を」と武器屋のオヤジに迫った。 「情報だぁ? どんな情報が欲しいんだ?」 「カンクの野郎がどんな装備をしたのかだ」  カンクと言う名に、オヤジの視線が険しくなった。 「ウガジン水力発電所か?」 「報奨が5割増しになって、特旋に掲示されていたんだ」  これだと示されたデーターに、オヤジは「ふむぅ」と右手で口元を押さえた。 「その口ぶりだと、お前さんがその仕事を受けたってことか」  なるほどなと頷いたオヤジは、「待ってろ」と言って手元の端末を操作した。そして今どき珍しくなったフラットモニタに、用立てた装備のリストを表示した。  指で弾きながら一点一点確認したナイトは、「なるほどな」とカンクが想定した危険生物の規模を考えた。 「これだと、想定していてニダー程度か。ニダーにしても、せいぜい2、3だな」  ウガジン水力発電所にある管理棟の見取り図を持ち出したナイトは、「奴の経験は十分にあった」とカンクの戦力を考えた。 「場所が場所だけに、油断をしていたってことはねえだろう。だとしたら、よほどのイレギュラーがあったか、さもなければ不運と踊っちまったか……敵の規模を読み間違えたかだな」  どう思うと問われ、オヤジは「分かるかボケっ」と文句を口にした。 「ただの武器屋に、そんなことを聞くんじゃねぇ!」 「冷静な第三者の意見ってのは時には役に立つんだよ」  そう言い返してから、ナイトはもう一度カンクの装備と見取り図を照らし合わせた。そして、どうしたものかと自分の装備を考えた。五体満足の時ならいざ知らず、今の自分では装備不足は直ちに死に繋がってくれる。かと言って、万全の装備を運ぶには人手が足りなさすぎた。 「オルガがいるのを想定した方が良さそうだな」 「だとしたら、カンクは装備不足で突入したことになる訳だ」  オヤジがそう言うのは、オルガと言う危険生物の特徴が理由になっていた。体躯自体はニダーより少し大きいぐらいなのだが、ニダーとは違い知能が高くなっていたのだ。そのためオルガに率いられたニダーやアコリは、いない時に比べて遥かに厄介な相手になっていた。  そんな敵のところに通常のニダー対策で乗り込めば、飛んで火に入る夏の虫と言うことになる。なるほどねと頷いたオヤジは、「どうするんだ?」とナイトに問うた。 「オルガの率いるニダーとアコリは、通常地上軍案件になるんだろう?」 「地上軍様は、今は各地の戦いで手一杯ってところだよ。ここのところ、どう言う訳か神様の地上侵攻が激しくなってやがるんだ」  だから地上軍はあてにならない。そんなナイトの説明に、「どうするんだ」ともう一度オヤジは質問を繰り返した。 「あんたが一人で来たってことは、ソロでやるつもりってことなんだろう。いくらなんでも、オルガが相手じゃ無茶じゃねぇのか?」 「無茶か無茶じゃねえのかは、俺が決めることだっ」  オヤジに向かって怒鳴ったナイトは、少し考えてから「これを揃えてくれ」とリストを出した。 「すぐには無理だな。軍の横流しを当たらんと揃わん」 「3日以内に揃えてくれ。仕事の期限が、1週間後に切られている」  それが限度だと口にしたナイトに、オヤジは「5日」と期限を切り直した。 「いや3日だ。装備の確認で1日、偵察で1日と考えると、余裕が1日しかなくなっちまう」 「だったら、せめて4日にしてくれ。早まりそうだったら、直ぐに連絡を入れてやるからよ」  それ以上は約束できない。そう言い張ったオヤジに、「4日後だな」とナイトは確認した。 「どう考えても、それが限界だな。それが駄目ってのなら、他をあたってくれ」  どうだと睨み返され、「仕方がねえ」とナイトが折れた。 「手順を組み替えて、時間のやりくりをしてみらあ」  ふうむと考えたナイトは、「4日後だな」と繰り返した。 「ああ、絶対に間に合わせてやるさ」  任せておけ。そう言って胸を張ったオヤジに、「任せる」と言ってナイトは武器屋を後にした。  武器屋を後にしたナイトは、その足でアルトレヒトの水源管理公社へと向かった。目的は、見取り図以上の情報を仕入れるためである。  少し小奇麗な建物に入ったナイトは、胡散臭いものを見る受付嬢の視線に迎えられることになった。そのことに腹をたてることもなく、「面会希望だ」とナイトは自分の認識票を提示した。 「ナイト・ブリッジ……退役軍人で、シルバークラスの危険生物駆除資格を保有している?」  この人がと、受付嬢はとても疑念たっぷりの視線をナイトに向けた。ただ公的身分証ががある以上、彼の身分に間違いはない。中でもシルバークラスになると、実力・信用とも役所のお墨付きである。 「それで、どの部局に御用でしょうか?」  ぶっきらぼうな態度の受付嬢の問いに、ナイトは「ウガジン水力発電所だ」と答えた。  そこで端末を操作した受付嬢は、「しばらくお待ち下さい」と少し離れたところにあるソファーを指さした。 「すぐに、担当者が迎えに参るかと思います。それから、これを胸につけてください」  中に入るためには、来客バッチが必要となる。気を利かせた受付嬢は、二人分のバッチをナイトに差し出した。 「いや、バッチは一人分でいい。そのかわり、あいつをしばらく面倒を見てやってくれ」 「彼女をですか?」  明らかに迷惑と言う顔をした受付嬢に、「そこに座らせておけばいい」とナイトは返した。 「それ以外は、トイレの場所を教えるのと、水でも飲ませてやってくれればいい」 「ウォーターサーバーなら、そこにありますが」  それで良いのかと言う顔に、「それでいい」とナイトは答え、指定されたソファーに歩いていって腰を下ろした。そのナイトにくっついて行ったフェイは、ピッタリとくっつくようにその隣に腰を下ろした。  そして待つこと5分、作業着姿の男が受付に姿を表した。電力プラント技術者だと名乗った男は、「こちらに」とナイト達を公社の中へと案内しようとした。 「俺が戻ってくるまでそこで待っていろ」  ナイトの命令に、フェイは素直に頷いた。それを褒めることもしないで、ナイトはくいっと顎で技術者に中に入ることを促した。なにか言いたげな技術者だったが、言っても無駄だと思ったのか、もう一度「こちらに」と身分証で扉を開けて中へと入っていった。  いくら胡散臭い男でも、危険な役目を買って出てくれた相手でもある。そうなるとお座なりな扱いなどできるはずがない。そこそこ綺麗な応接に通されたナイトは、結構上等なお茶とお菓子、そしてお土産を渡された。お土産の袋の中を見てみると、滅多に手に入らない上等な酒とお菓子が入っていた。 「それで、水力発電所の何をお教えすればよろしいのでしょうか?」  下手に出た技術者に、「まず」と言って過去の経緯から確認することにした。 「水力発電所の管理棟は、どの程度の頻度で人が入っている?」 「週に一度程度と言うところです。職員2名に、武装した警備員2名が標準的な保守体制となっています」  そしてその4名が、管理棟に入ったところで殺されたと言うのだ。よどみ無く答えた技術者に、ナイトは少しだけ首を傾げた。 「管理棟には、侵入センサーや監視カメラは無いのか?」  そう、通常重要施設であれば、侵入者に対する検知器が備えられているはずなのだ。特に「神」の妨害が想定されている今なら、無ければそれだけで不作為を責められることになる。  そしてナイトの疑問に、「当然設備はありますよ」と言うのが技術者の答えだった。 「設置されているセンサーは、職員が入る直前まで異常を検知していませんでした。ちなみに今は、内部にあるカメラはすべて壊されています。ただ他のセンサーは生きていますので、中の様子を推測することはできるのかと」 「カメラが壊される前の映像は?」  それからだと口にしたナイトに、「こちらに」と技術者は映像を提示した。最初の映像には胸糞の悪くなる多数のアコリに、大柄なニダーがはっきりと映っていた。それからいくつかのカメラ映像を確認したナイトは、最後の映像を見て「ちょっと待て」と手でストップを掛けた。 「人がいるぞっ!」  その指摘に、技術者は眉を顰めて指摘された箇所を見た。 「確かに、人に見えますね……」  ふむうと右手で口元を隠した技術者は、指摘された映像を解析に回した。映っている人間の生死ならびに、データーベースに該当者がいないかを確認するのである。そして出てきた結果に、「そんなっ!」と技術者は声を開けた。 「なんだ?」 「映っているのはうちの職員なんです」  その説明に、「なに?」とナイトは眉を顰めた。 「まさか、生首とかじゃないだろうな?」 「もう一度確認してみます」  対応している技術者の顔色が悪いのは、事情を考えれば仕方のないことだろう。殺された職員の生首もおぞましいが、職員が首謀者と言うのも問題が大きかったのだ。 「職員が首謀者だと、被害が拡大する恐れが……」  遠隔からでもダムの制御は可能だが、もしも貯蔵されている水が一斉に吐き出されたらどう言うことになるのか。下流を洪水が襲うことも考えられるし、アルトレヒトの街を渇水が襲うことにもなりかねない。何しろ街の消費量の20%は、ウガジンダムに頼っていたのだ。  そしてAIの再診断結果に、「最悪だぁ」と技術者は頭を抱えた。その様子だけで、ナイトは答えを理解することができた。 「ええ、この職員は生きていますね。すみません、至急対策会議を招集することになります」  ナイトへの対応を横に置き、技術者はAIに必要な関係者の招集を指示した。管理棟の占拠だけなら、遠隔からのコントロールで被害の拡大を押さえることができたのだ。しかしそこに関係者がいるとなると、コントロールを奪われる可能性も出てくる。  そして技術者が関係者の招集を指示した5分後、ナイトのいる応接に一人の男が入ってきた。年齢としている格好から、かなりの役職にいることが想像できる相手だった。  入ってきた男は、ナイトの顔を見ることなく技術者に幾つか指示を出すと早足で出ていった。 「今のは?」 「うちの総裁です」  はあっと息を吐き出した技術者は、「今の話は内密に」とナイトに持ちかけた。 「水源管理公社の職員にコーギス信者が居たのがバレたら、確かに大きな騒ぎになるな」  ふんと鼻で笑ったナイトは、「言わねぇよ」と少し馬鹿にしたように技術者に言った。 「そんなことをしても、俺にはなんのメリットもねえからな」 「そのメリットのことですが……」  そこで技術者は、ナイトに端末の画面を提示した。そこには、この仕事の報酬など問題にならない金額が表示されていた。つまり、口止め料を受け取れと言うことだ。 「馬鹿にすんじゃねぇ……と言いてぇところなんだがな。あんたらとしたら、俺が受け取った方が安心できるんだろう?」 「仰る通りです」  そこで頭を下げた技術者は、「話を戻しましょうか」とナイトに提案をした。 「ああ、そっちは俺の命が掛かっているからな」  公社のメンツなど、今のナイトにはどうでもいいことに違いない。そして秘密を暴くことの価値を、全く認めていないと言うこともあった。 「映像で見た感じだと、オルガは居ないようだが……信者がいるのは、別の意味で厄介だな」  ううむと唸ったナイトは、「監視装置は生きているのか?」と質した。 「内部の監視カメラは潰されているのを確認したと思いますが?」  はてと首を傾げた技術者に、ナイトは「馬鹿か」と怒鳴った。そして「侵入者監視だっ」と声を荒げた。 「カンク達は油断するような馬鹿じゃねぇ。だがな、アコリやニダー相手と人様相手じゃ対応が変わってくるんだよ。オルガも厄介だが、施設を使いこなせる人ほどじゃねぇんだよ」  「頭を使え」と怒鳴ったナイトに、技術者は神妙な顔をして頷いた。そして言われたとおり、侵入検知のシステムの確認を行った。 「機械は生きていますね。映像は……ちょっと待ってくださいっ」  そこで映像をとろうとした技術者に、「やめろ」とナイトは大声を上げた。 「そんなマネをしたら、こっちの動きがバレちまうだろうっ!」  ナイトの声に、びくりと技術者は操作しようとしていた手を止めた。そして憤怒の表情を浮かべるナイトに向かって、コクコクと何度も頷いてみせた。 「監視装置が生きているのが分かれば十分だ。それで、具体的な設備は?」 「そ、それはこちらに……」  差し出されたリストに、ナイトは「厄介だな」と思わずうめき声をあげた。赤外サーモグラフィから振動センサーまで、ありとあらゆる侵入検知システムが勢揃いしていたのだ。これでは用心して近づいたとしても、敵には自分の接近が丸分かりになってしまう。 「普通に、道路側から接近したら見つかるな……」  センサー類の配置を確認したナイトは、「空は?」と可能性の一つを確認した。 「ジャイロとかだと、音を消しきれません。ただ、レーダー等は設置されていません。ただし、建物には振動センサーとカメラが設置されています」  建物に取り付いた時点で、接触が検知されると言うのだ。なるほどと頷いたナイトは、もう一つの可能性を確認することにした。 「ダムからはどうだ?」 「カメラと振動センサーがあります」 「EMP対策は?」  それが想定外の質問だったのだろう。答えを探すように考えた技術者は、「管理システムには」と対策の範囲を答えた。 「それで、EMP対策がなにか?」 「少しばかり派手にやっても、大丈夫かの確認だ。侵入検知システム関連には、EMP対策はされてねぇんだろう?」  確認された技術者は、「されていませんね」と答えた。 「壊された時点で、侵入者があったことになりますからね。常時人がいるわけではないので、それで十分と判断されたようです」  技術者の説明に、「それでいい」とナイトは頷いた。 「鍵は電子ロックか?」 「はい、電子ロックになっています。ちなみに、EMP対策で非常時はロック方向に動くことになっています」  通常とは逆の動作に、ナイトは「物理鍵は?」と対策を確認した。 「ええ、管理棟にあります。そうしないと、故障時に外に出られなくなりますからね」 「ちなみに、管理棟内のすべてのドアは電子ロックなんだな? それで、その鍵はここにもあるんだな?」 「はい、すべての鍵は電子ロックですね。スペアキーは、こちらに保管されています」  技術者の答えに、ナイトは満足そうに頷いた。これで、侵入方法と制圧方法の手がかりが見えてきたのだ。 「一つ確認しておくが、この仕事は前にカンクって奴が受けたはずだ。奴は、どこまでの情報を持っていった?」 「前回受けていただいた方……ですか?」  少しお待ちをと、技術者はデーターベースを漁った。秘密管理のために、開示した情報と開示先が管理されていたのだ。  そしてそのデーターベースを確認し、「こちらになります」と開示情報のリストをナイトに提示した。 「やはり、人がいることまでは想定していなかったと言うことか」  開示情報を見る限り、カンクが調べたのは電子ロックの解錠方法と管理棟の見取り図、そして空調のダクト配置ぐらいだった。カメラ映像も見ているが、口止めが行われていないところを見ると、コーギス信者には気づいていなかったのだろう。 「仰る通りかと。前回も私が対応させていただきましたが、人がいるという話は出てきませんでした」 「なるほど、それが奴の失敗だったと言う訳か」  少しだけ目を閉じたナイトは、すぐに目を開くと「確認だ」と技術者の顔を見た。 「管理棟にある制御装置だが、どこまで壊しても大丈夫だ?」 「壊すことを前提にしていただきたくないのですが……」  明らかに嫌そうな顔をした技術者は、「ちょっと待ってください」と言って図面を眺めた。 「壊すなと言っても無理そうですから、被害が小さくなる方法を考えることにします」  そこで仕様書を表示して、技術者の男はその説明を読み進めていった。そして待つこと10分、「気が進みませんが」と言ってダムを含めた全体の見取り図を提示した。 「ダムのコントロールは、管理棟から行っています。ですが実際の機械は、ダムの上部に設置されています。ですから、ここの通信路を潰せば、破壊時の影響をなくすことができます。もっとも肉厚5mmのステンレスパイプの中にありますから、通信路を壊すのも簡単ではありません。ですが、ここさえ切っていただければ管理棟を吹き飛ばしても直ちにダムに影響は出ません」 「なるほど、最悪の場合はそこまでできるってことか」  満足気に頷いたナイトは、「他には?」と破壊方法を確認した。 「例えば、管理棟のブレーカーを落としてやるってのは?」 「管理棟に入らないとそれはできませんよ」  本気ですかと言う顔をした技術者に、「たとえ話だ」とナイトは笑った。 「外から電源を引っ張っているんだろう。だったら、その電源ごと落としたらどうなるかって聞いているんだよ」  「分かりにくい」と思ったが、そのことを技術者は口にしなかった。その代わり、あっさりと「何も起きません」と期待はずれの答えを口にした。 「内部にバックアップ電源を持っています。長時間は持ちませんが、3時間は何事もなく管理棟の機能が維持されます」 「3時間経ったら何が起きる?」  そちらはと問われ、技術者はう〜んと考えた。 「管理棟を含む全面的な電源断ですか……」  もう一度考えた技術者は、仕様書をもう一度画面に出した。 「まず監視装置全般が動作しなくなります。次に建物の鍵ですが、通常とは逆に全ロックとなりますね。制御装置の方は、現状維持命令を出してシャットダウン……と言うことになるのかと。いえ、なりますね」 「通信線を壊すよりは、その方が簡単そうだな」  ニヤリと笑ったナイトに、「どっちもどっちでは」と技術者は指摘した。 「管理棟は2系統給電を行っています。そのうち1系統は、別の発電所から地下系統で電力を持ってきています。そしてもう一系統は自分のところで発電したものを利用しています……」  そこまで説明したところで、「ちょっと待ってください」と技術者は手でナイトを制した。 「どちらも、止められそうな気がしてきました……」 「できるのか?」  身を乗り出したナイトに、「確認します」と技術者は電力系統図を引っ張り出した。 「ウガジンダムの発電所は、ベースロードに使用していません。そのため、需要に応じたコントロールを行っています。したがって、遠隔で発電停止が可能になっているはずです。そうですね、実際に発電停止指示を出した1時間後に完全停止が可能になりますね」  できるできると嬉しそうに繰り返した技術者は、「外部の方はもっと簡単です」と嬉しそうに口にした。 「系統図を見る限り、ここで遮断することが可能です。こちらは、命令を出した5分後に遮断が可能です」 「そこまでした時、管理棟側から悪あがきは可能か?」  いろいろ見えてきたナイトにとって、中に残った人間の能力が問題となる。その確認に、「何もできませんよ」と技術者は即答した。 「通常の保守員に、そこまでのスキルはありません。それにそこまでのスキルが有るのなら、今頃アルトレヒトは無事ではいられないはずです」  だから何もできないとの答えに、なるほどとナイトは頷いた。 「だとしたら、ブレーカーを落とす手配をしてくれ。後は、管理棟に入る鍵の手配だな」 「最優先対応事項になっていますからね。いずれも、すぐに手配ができると思います」  そこで立ち上がった技術者は、ナイトに向かって「よろしくお願いします」と頭を下げた。 「コーギス信者諸共、ニダーどもを皆殺しにしてください。私達にできることなら、なんでもお手伝いさせていただきます」  もう一度「お願いします」と頭を下げた技術者に、「期待しすぎるな」とナイトは釘を差した。 「相手は仮にも神を名乗る奴らだ。他にも、何か隠している可能性があるからな」 「それでも、あなたのお陰でいろいろと見えてきました。最悪の場合、軍に依頼をして管理棟ごと吹き飛ばして貰えばいいのが分かりましたからね。損失額と復旧までの時間を考えたらやりたくはありませんが……」  解決の道筋が見えたことが一番の吉報だった。だから礼を言うのだと、技術者はもう一度ナイトに頭を下げたのである。  予定以上に時間を使ったが、受付に戻ったナイトはフェイが別れた時と同じ場所にいるのを見つけた。先程とはガラリと態度の変わった受付嬢は、ナイトの顔を見て「部屋を用意したのですが」と言い訳を口にした。 「ここを動かないと言ったのだろう?」 「え、ええ、ここで待っているからの一点張りで……飲み物も水しか飲んでくれなくて」  すみませんと謝られたが、それは自分達の問題だとナイトは思っていた。 「いや、あいつは俺の言いつけを守っただけだ」  あんたの責任じゃないと答え、ナイトはフェイに「帰るぞ」と声を掛けた。それに小さく頷いたフェイは、身軽な動作でソファーから立ち上がった。そしてそこが自分の定位置かのように、ナイトの左後ろにピッタリとくっついた。 「じゃあ、世話を掛けたな」  そう言い残して出ていくナイトを、遅れて出てきた技術者が頭を下げて見送っていた。  水源管理公社を出たナイトは、古ぼけた街の中をフェイを連れてゆっくりと歩いた。相変わらず左足を引きずるようにしているが、それでも彼の足取りはしっかりしていた。そしてその斜め左後ろを、離れないようにフェイが時折小走りになりながら付いていっていた。  そうやって街の中をゆっくり歩いたナイトは、裏道に入っていって「貧相」な洋品店の扉を開けた。 「おい、おばちゃんはいるか?」  大声を上げたナイトに、「あんたに言われたくないっ!」と怒鳴り声が聞こえてきた。そして現れたたっぷりとした体つきの女性は、「なんの用だい?」と胡散臭そうな視線をナイトに向けた。 「こいつに、適当な服を見繕ってやってくれ」 「フェイにかい?」  洋品店の女性が驚いたのは、ナイトらしくない依頼が理由なのだろう。「あんたがフェイにかい?」とその女性は繰り返した。 「どう言った風の吹き回しなんだい?」 「15の娘が、いつまでもパンツの見えるスカートじゃ都合が悪いだろう」  それだけだと答えたナイトは、端っこにある椅子を引っ張り出して腰を下ろした。 「その15の娘を囲ってるのは、どこの鬼畜男なんだろうねぇ」  すかさず嫌味を口にした女性に、「眼の前にいる人相の悪い男じゃねぇのか」とナイトは言い返した。 「自覚があるって言うのは、もっと悪いんだけどねぇ」  ほうっと息を吐き出した女性は、「どんだけ用意すればいいんだい?」と尋ねてきた。  そんな女性に、ナイトはデーターをいじって予算を教えた。高級店では大したものは買えないが、ここではお大尽のできる金額がそこにはあった。 「その金で用意できる範囲だな」 「嫁入り衣装でも揃えるつもりかい?」  多すぎるよと笑った女性は、「こっちにおいで」とフェイを奥へと連れて行こうとした。ただ動こうとしないフェイに、「あんたから言ってあげて」と女性は頼んできた。 「そのおばちゃんは無害。適当に下着から見繕って貰え。いいから、ついて行けってっ!」  パタパタと手を振られ、ようやくフェイは洋品店の女性の後に付いて店の奥へと入っていった。 「多すぎるか……これでも、口止め料の端数なんだがな」  それだけ、公社にとって問題が大きかったと言うことになる。嫌なことだとぼやいて、ナイトは機械でできた左腕をなでた。この腕を失う前の自分は、彼は宇宙軍のエース格だった。そして「神」の使いとの戦いで左腕と左足を失う前は、戦闘隊のリーダーを努めていたぐらいなのだ。だがちょっとしたミスのせいで、左手と左足をニダーに食いちぎられてしまった。その時の痛みは、未だに忘れることができなかった。 「囲っている……か」  奥の方では、洋品店の女性がなにかはしゃいでいるようだ。その声をぼんやりと聞きながら、ナイトはフェイと出会ったときのことを思い出した。 「そろそろ、1年になるんだな」  そのくせ、あまり成長していないとフェイの体を思い出した。一緒に生活をしていれば、性的関係が無くても裸ぐらいはいくらでも見る機会があったのだ。 「まっ、食わなきゃ肉もつかねえか」  しかしなぁと、ナイトは公社でのことを考えた。仲間……が死んだ事件にも、結果的にコーギス信者が関係していたのだ。そしてその事実を知った公社内部の慌てようを見ると、信者の存在がいかに忌み嫌われているかが理解できるのだ。そして実際、「神」に関わる破壊活動の多くに、コーギス信者が関わっていたのも確かだ。 「なんで、拾っちまったのかな……」  そして彼もまた、「神」の犠牲者でもあったのだ。それを考えれば、信者の娘を拾う必要などなかったはずだ。それなのに、1年近くも自分はあの娘と一緒に暮らしている。なんでと自嘲するのも、事情を考えればおかしなことではないはずだ。 「だけどなぁ、親が信者ならその子も信者になっちまうのは仕方がないだろう。それに人ってのは、アコリとかとは違うんだからな」  アコリはどうにもならないが、人ならやり直すことも可能なはずだ。それが甘い考えと言うのは分かるが、それでも子供を殺すのは違うと思っていた。だから集団リンチに遭っていたフェイを、「殺す前に楽しませろ」とリンチをしていた集団から買い取ったのだ。  人として間違っていると言っていたら、自分もリンチに遭うのが目に見えていた。だから退役軍人と言う立場を利用し、相手が納得できる理由を用意したのだ。  ただ買い取ってみて一つだけ気づいたことは、フェイの顔立ちの良さだった。周りが納得したのも、彼女の見た目が理由なのかと考えたぐらいだ。  フェイを連れて帰ったナイトは、彼女に幾つか命令をした。そしてその命令に従わない時には、自分がお前を殺すと脅しをかけた。彼女に告げた命令は、自分といる時には「神に祈るな」と言うものである。信仰を捨てろと命じても、ナイトには確認のしようがなかったからだ。そしてナイトの言いつけどおり、一緒に暮らしていて彼女が祈る真似をしたことはなかった。 「さて、これからどうしたものか……」  この体になった時点で、自分の未来など期待できなくなってしまったのだ。だから危険なアルバイトにも身を投じているし、縁起が悪いと言われる受付嬢のところで手続きもしているのだ。それを考えれば、自分には破滅願望があるとしか思えない。だが「死の窓口」で仕事を受けても、彼の望んだ死は訪れてくれなかった。 「流石に、今度の仕事は死ねるかもしれんな……」  いくら腕に覚えは有っても、全盛期の時とは体自身が違っているのだ。ポンコツになった体では、かつてのような戦い方ができるとは思えない。死んだ奴らよりはマシな作戦を考えてはいるが、一人でできることなどたかが知れているのだ。そして公社にしてみれば、自分が失敗しても痛くも痒くもないだろう。すでに管理棟自体を吹き飛ばすと言う解決策を置いてきたのだ。むしろ、口封じなっていいと考える可能性すらあるぐらいだ。  そんなことをぼんやりと考えていたら、いつの間にか時間が経ったようだ。「あんた」と声を掛けられ、ナイトは現実に引き戻された。 「せっかく磨いてやったんだよ。ちったぁ褒めてあげてもいいんじゃないの?」 「こいつが綺麗なのは知ってるさっ」  何を今更と言い返したナイトだったが、奥から現れたフェイにあんぐりと口を開けてしまった。それをしてやったりと笑った女性は、「綺麗でしょう?」と我が事のように自慢してみせた。 「とち狂って襲っちゃ駄目だからね」 「ばばば馬鹿なことを言うんじゃねぇっ!」  そう言い返してみたが、ナイトはしっかりと動揺をしていた。もともと綺麗な顔立ちをしているのは知っていたが、身奇麗にしたフェイは彼の想像を超えていたのだ。チェック柄の厚手のワンピースに黒のエナメルの靴、髪につけた赤いリボンと、まるでどこかのお嬢様に見えたぐらいだ。  ただすぐに、ナイトは現実を思い出した。自分は、こんな少女を連れて歩くことなどできないのだと。 「だが、この格好は駄目だな」  それでダメ出しをしたナイトに、洋品店の女性は「どうしてだよ」と反発をした。 「確かに、綺麗だってことは認めるさ。ああ、予想以上に綺麗に見えるのは認めてやるさ。だけどな。こいつは俺がおもちゃにするために連れている女だ。目立っちまったら、別の面倒を呼び寄せることになるんだよ」 「おもちゃにって……あんたね」  明らかに不機嫌そうな顔をした女性に、「事実だ」とナイトは言い返した。 「あんただって、そいつの事情ぐらいは知ってるだろう」  そう言い返されると、その女性も二の句が告げなくなる。 「だからだよ、俺だってこの格好をさせてやった方がいいってのは分かるんだ。だけどな、世の中複雑な事情ってのがあるんだよ」  もう一度ダメ出しをしたナイトに、女性は諦めたようにため息を吐いた。 「あんたの言うとおりだね。だったら、この服は持って帰って貰うことにするよ。なぁに、生きてりゃこんな格好をする機会もあるだろうさ。さもなきゃ、あんたに抱かれる前……違うか、あんたがこの子を抱きたくなるようにするのにいいんじゃないの?」 「くそっ、どうしてそう言うことになるんだっ!」  忌々しげに吐き出したナイトに、洋品店の女性は「冗談だよ」と笑った。 「もうちょっと地味で目立たない格好を見繕ってあげるよ。ああ、ちゃんとパンツは隠れるから心配はいらないよ」  見たかったかいと笑いながら、洋品店の女性はフェイを連れて奥へと戻っていった。それを忌々しげに見送ったナイトは、「抱く気になれねぇよ」と奥に向かって悪態をついた。事実そう言う機会はあったのだが、彼の物が役に立ってくれなかったのだ。ガリガリの体に、罪悪感からか萎えてしまったと居うのが事実だった。そしてその機会にしても、一緒に暮らし始めたころに、フェイから誘ったと言うものだった。  それから小一時間ほどしてから、ナイトは大きな袋を抱えて洋品店を出た。ただその後ろからついてくるフェイの格好は、洋品店に入る前と変わっていない。着替えてもいいぞとナイトは言ったのだが、フェイが頑として首を縦に振らなかったのだ。  食料を買い込んでぼろアパートに着いた時には、すでに昼飯時を大きく回っていた。カビ臭い階段を上がっていったら、最近越してきた男と顔を合わせた。それ自体不思議なことではないのだろうが、ナイトは男に対して苦手意識を持っていた。自分と同じぐらいの年の男からは、今まで嗅いだことのない空気を感じていたのだ。 「おや、お帰りですか?」 「ああ、ちょっと役所まで行っていたんだ」  そこで言わなくてもいいことまで口にしたのは、苦手意識と言うのが理由なのだろう。そそくさと部屋に戻ったのも、苦手意識が理由だと考えれば不思議な事じゃない。もう一人別の部屋に越してきた若めの男もそうだが、生きている世界が違うように思えてしまったのだ。  アパートの部屋に戻ると、フェイが活躍する場が訪れる。買ってきた食料を手際よく冷蔵庫やストッカーにしまい、あるものから昼食の準備を始めるのである。それが15の少女だと考えると、よくできた娘と言う事もできた。そして実態は、一緒に住むようになってから覚えたと言うものである。自分がやらないと、まともなものを口にできないと言うのがその理由だった。  すでに昼時は終りを迎えているので、選んだメニューは簡単にできる白身魚のソテーだった。買ってきた白身魚をナイフで切り分け、熱したフライパンでバターと一緒に焼く料理である。そこに香辛料と香草を散らせば、立派な主菜の出来上がりとなる。  そして野菜も必要だと、フライパンに人参と蕪も放り込んだ。いささか手際が雑なのは、誰も教えてくれなかったからである。そして大きな缶を開けて中身を鍋にあければ、チキンヌードルスープの出来上がりである。くるくると動き回ったフェイは、「あっと」小さな声を出してストックの中から干し肉を取り出した。それをナイフで手頃なサイズにカットし、小皿に乗せてナイトのところへと持っていった。 「お酒を持ってきます……」  小声で口にしたフェイに、「酒は飲まない」とナイトは否定した。「でも」と言いかけたフェイに、「仕事が入ったからな」とナイトはその理由を説明した。命がけの仕事が入ったので、準備のためには酒など飲んではいられないのだと。  一度きゅっと唇を噛み締めたフェイは、黙って干し肉の皿を持って帰った。お酒を飲まないのなら、酒のつまみも不要だからである。  それからのフェイは、大きなパンを切り分け、かごに入れてナイトの前においた。そして焼けたソテーとスープを運び、自分も反対側の席に腰を下ろした。神を否定するブリーでは、食事をする時には「いただきます」がマナーとなっていた。  準備も簡単なら、お腹に収めるのにもさほど時間が掛かることはない。簡単な食事を終え、ナイトは部屋の片隅にあるソファーに寝転がった。ただ眠るのではなく、これからのことを考えるためである。公社での聞き取りのお陰で、攻略の糸口は掴めた気にはなっていた。ただ見積もった相手の規模を考えると、自分ひとりでは明らかに戦力不足だったのだ。だが知り合いからは、「死の窓口」を理由に手伝いを断られてしまった。そして事情を考えれば、他の奴にも断られるのが目に見えていたのだ。 「だったら、俺の死に場所にすると言うのも一つの手か」  最悪のケースになった時には、ニダー達を道連れに自爆してやればいい。それをしても問題がないのは、すでに公社で確認済みのことなのだ。そこでちらりとフェイを見たのは、自分が死んだ後のことを考えたからだ。ただすぐに、「なんとかなるさ」とフェイのことは忘れることにした。 「一部屋ずつ潰していけばいいのなら、まだやりようはあるな。問題は、本当にオルガが居ないかだが」  映像では、オルガの姿は確認できていない。そして振動センサーでは、大型の奴がいることは分かっても、ニダーとオルガの区別まで付けることはできなかった。 「オルガを倒し切る武器か……」  分厚い筋肉と防具のせいで、生半可な武器では仕留めることは不可能とされていたのだ。もちろん軍に行けば、オルガを仕留められる武器は存在している。ただいずれの武器も、一人で運ぶには困難を伴うものだった。敵がオルガだけならまだしも、大量のアコリとニダーがいることを考えれば、そんな取り回しの悪い武器では追い詰められてしまうことになる。 「やはり、一手足りねぇか」  その一手をどうやって稼ぐことができるのか。ちらりとフェイの顔を見たナイトは、「馬鹿な考えだ」とすぐさま自分に浮かんだ考えを否定した。 「だとしたら、やはりオルガを忘れて考えるしかねえな。適当に数を減らして、オルガが居たら直ちに撤退。それを繰り返して、最後にオルガを特製の武器で仕留めてやる」  うんそれだと。ナイトは自分の作戦に満足をした。実現性を含め、唯一勝機のある作戦を思いついたのだと。 「だったら、最初に信者を仕留める必要があるな」  それをしてしまえば、奴らは管理棟の設備を利用できなくなる。次からの襲撃が、それだけで有利になってくれるのだ。そのためには、できる限りの分析をして突入地点を考えなくてはいけない。 「やはり、それなりにぶっ壊すのが一番か……」  入り口を爆破して、中にガスを流し込んでやる。そうすることで、戦闘のフィールドを狭い室内に求めなくても良くなってくれるのだ。公社に恩を売るためには、制御装置はできるだけ無傷で残しておいた方がいいだろう。 「だとしたら、明日は現地の確認だな」  良しと言って起き上がったナイトは、「家で待っていろ」とフェイに命じた。途端に怯えたような視線を向けられたが、ナイトは「待っていろ」と繰り返した。 「なに、2時間ほどで戻ってくるさ」 「つ、ついていっちゃ駄目?」  まるで生き別れになるような勢いで、フェイはナイトと一緒にいたいと懇願した。そのすがるような視線に負けたナイトは、「仕方がねぇ」と一緒に来ることを認めた。 「ついてきても、面白いことはねぇからな。なんせ行き先は、お固いお役所なんだからな」  違うことは分かっていたが、ナイトはわざと外したことを口にした。そしてナイトが予想したとおり、フェイは目を輝かせて「ついていく」と声を上げた。 「仕方がねぇな、たく」  ぼさぼさになった髪をガリガリと掻いてから、ナイトは少しだけゆっくりと入口の方へと歩いていった。  今度顔を合わせたのは、まだ年若いイケメンの方だった。やはり苦手だと思いながら、「お出かけか?」とナイトはその男に声を掛けた。 「あんたは……」  そこで少し考えた男は、お隣さんかとナイトの顔を認めた。 「別のお隣さんに、飲みに行こうと誘われたんだ。どうせ家に居ても、まともな食い物はないからな。酒場で飲んで、ついでに女でも引っ掛けてこようと誘われた」 「あんたの見た目なら、簡単に引っかかるんじゃねぇのか?」  お世辞でもなんでもなく、本気でナイトは相手の男を褒めたのだ。だが「いくらでも」と言うナイトの言葉に、「その子に怖がられているのにか?」と男は聞き返した。 「ああ、こいつか。こいつは、俺以外には誰にでもこんなものだな」  その答えをふ〜んと受け取った若い男は、「子供に手を出しているのか?」と少しずれた、そして一緒にいるには正当な問い掛けをした。ただ男にとっでは冗談も、言われた方にしてみれば心当たりのありすぎる問い掛けだった。それもあって、ナイトは「ちげぇぞ!」と過剰に反応した。 「冗談のつもりで言ったのだが……なんだ、疚しいところがある訳だ」  そう指摘してから、「悪かったな」と少しも悪びれずに男は謝った。 「誰にでも、触れられたくない性癖ってものがあるからな」 「俺には、そんな性癖はねぇぞ!」  大声で否定したナイトに、男はそうなのかとフェイの顔を見た。そしてぎゅっとナイトの服の端を掴む姿に、「そう言うことにしておこう」と口元を歪めてくれた。どうやらいくら否定しても、ナイトが少女趣味と言うことにしたいようだ。  それを理解したナイトは、「好きに言ってくれ」と抵抗を諦めた。そしてお先にと、フェイを連れて階段を降りていった。  その後姿を見送ったところで、男は「アルテッツァ」とシルバニア帝国のAIを呼び出した。ただどこに人の目があるのか分からないので、アルテッツァは音声インタフェースで応答した。 「あの男の素性は?」 「退役軍人と言うのが彼の正体ですね。そしてもう一つ、シルバークラスのエージェントと言う立場も持っています。退役軍人向けのアルバイトとして、有害生物駆除の仕事があるのですが、シルバークラスと言うのは、上から2番目のランクになります。ただゴールドクラスになると、軍に再雇用されることになっています。だから、フリーで活動している中では、シルバーと言うのは最上位のランクと言うことになります。ちなみに、有害生物と言うのは、アコリとニダー、そしてオルガのことを指しています」  なるほどと頷いた男、ノブハルは、「少女の方は?」と影のように付き添っていた少女の情報を求めた。ただその問いに対しては、「情報がありません」とアルテッツァは答えた。 「ですから、一般人なのかと。ただあの男……ナイトと親子、兄弟関係ではありませんね」 「なんだ、やっぱりロリコンだったのだな」  ふんと鼻で笑ったノブハルは、「トラスティさんは?」と尋ねた。 「あの方は、一人で街を散策されておいでです。そのメイプルの仕業ではないと思うのですが、私から情報がアクセスできなくなっています」 「危険ではないのだな?」  情報がアクセスできないと言う答えに、ノブハルは少しだけ顔を顰めた。 「リュースが護衛についていて、しかもコスモクロアもいるのにですか?」  流石に無いと言う答えに、「そうか」とノブハルは少しだけ安堵の息を漏らした。 「だったら、俺も街を散策してから飲み屋に行くことにするか」 「お気をつけて……と言うのは、ノブハル様にも意味のない忠告ですね」  それでも「女性関係にはお気をつけて」と忠告してから、アルテッツァはノブハルとの接続を切った。 「女性関係ね……あの人がいて、なにもないと考えるほうが不自然だろう」  少しだけ口元を歪め、「結構楽しみだな」と言いながらノブハルも階段を降りていった。  フェイを連れて公共福祉局の建物に入ったところで、そこに居た男達から一斉に好奇の目を向けられることになった。理由はフェイを連れていることではなく、「死の窓口」で手続きしたことが理由である。そして階段を上がっていこうとしたナイトに、「嬢ちゃんは俺が可愛がってやるぞ」と下卑た声が聞こえてきた。途端にフェイが身を固くしたのだが、ナイトは我構わずと階段を上っていった。  カツカツと音を立てて階段を上がったナイトは、今日二度目の特殊職業斡旋所「特旋」の扉を開いた。そして「死の窓口」が空いているのを確認し、左足を引きずりながら美人だが愛想のまったくない受付嬢の前に立った。 「仕事のキャンセルですか?」  仕事を受けたその日に顔を出されれば、普通はキャンセルするものと相場が決まっていた。その常識のもと口を開いた受付嬢に、ナイトは「いや」と否定して「手配を頼む」と切り出した。 「ウガジンのサーベイをしたい。現場近くまで連れて行ってくれる奴を手配してくれ」 「どうして、管理公社に依頼をしないのですか?」  依頼に対して疑問を返した受付嬢に、「できないのか?」とナイトは問い返した。それで聞いても無駄だと諦めたのか、「少しお待ちを」と受付嬢は立ち上がった。そのお陰で、彼女のスタイルもいいことが確認できた。「特に尻がいい」と、ナイトは心の中で呟いていた。  立ち上がった受付嬢は、そのまま後ろのデスクの方へと歩いていった。そこにいるのは、恐らく彼女の上司なのだろう。少し頭の薄くなった、まだ若そうに見える男が座っていた。  そこでしばらくやり取りをしてから、受付嬢は少しだけ不機嫌さを顔に出して彼女の持ち場に戻ってきた。 「9時以降であれば、水源管理公社が車を出してくれます。ただし、ウガジンの管理棟から1kmの範囲には近づきません」 「だったら9時にここに来るか。ゲートから出る手続きも合わせて頼むわ」  気軽に頼むナイトに、「彼女は?」と受付嬢はピッタリとくっついているフェイを指さした。 「おとなしく留守番ができますか?」  あまりにも的確な指摘に、「そうだな」とナイトはため息を吐いた。 「こいつの分も手続きを頼む」 「明日の9時までには済ませておきます」  頼んだぞと言い残し、ナイトは受付嬢に背を向けて特殊職業斡旋所を出ていった。その後ろで受付嬢が、仲間の受付嬢に慰められていたのは彼の知らないことだった。  どこの世界でも、お役所というのは定時で終わるものと相場が決まっていた。その相場は、ここアルトレヒトの公共福祉局でも変わることはなかった。受付締め切り時間の30分前に入り口を閉め、残りの30分で未処理の受付を済ませるのとその日の整理を行うのである。ただ書類の整理が多くなると、残業とまではいかなくとも、帰りが少し遅くなるのはままあることだった。  最後の手続きを終え、終令の鐘がなったところで「死の窓口」の受付嬢ことメリタ・アンジェロはバタリと机に突っ伏した。そしてむくっと頭を起こすと、「もういやっ!」と大声を上げた。 「私のところでも死なない人は一杯いるし、他の窓口だって死んだ人は一杯いるじゃない。それなのに、どうして私の窓口だけが「死の窓口」って言われなくちゃいけないのよぉっ!」  心からのメリタの叫びに、隣の席に座っていたシシリーは「どうどう」と背中を叩いた。薄い栗色の髪をしたメリタとは対象的に、シシリーは金色のきれいな髪をしていた。そして人が来ないメリタの窓口とは違い、彼女の窓口にはいつも行列ができていた。 「大丈夫よ。それが分かっている人は、空いているからってあなたの窓口を選んでくれるでしょ」 「そんなことを言われても、少しも嬉しくないわよっ!」  どんと机を叩いたメリタに、後ろの方で上司の男が「やれやれ」とばかりに肩を竦めていた。毎度おなじみの光景なのだが、日毎に荒れ具合が酷くなっていたのだ。その中でも今日は、特別に荒れていると言っていいのだろう。  ただ局員のメンタル管理は、管理職として無視できない事態である。ただ「男娼リスト」を確認するのは、いささか限度を超えていると言えるのかもしれない。それでも限界が近いと判断し、上司の男は手配ボタンをポチリと押した。そして手配が済んだことと、必要な手当を世話係を押し付けられたシシリーへと飛ばした。  それを端末で確認したシシリーは、思わずため息を漏らしてしまった。必要性は認めるが、どうして自分が面倒を見なくてはいけないのか。その理不尽さに周りを見たのだが、危険を察知した仲間たちはすでに事務所を出たあとだった。  「酔い潰せ、とにかく男とやらせろ、明日は休暇にしておく」と言うのは、間違いなく各種ハラスメントに該当するものだろう。それで良いのかと言いたくなるのを我慢して、シシリーは「飲んで忘れましょう!」とメリタの背中を叩いた。放っておいても酒浸りになるのなら、まだ自分の管理下に置いた方がマシに思えたのだ。「付き合ってくれるの?」と口にしたメリタの目が怖かったが、毒を喰らえば皿までとばかりに、「とことん」とシシリーは答えたのだった。  飲み会の場を福祉局から少し離れたところに求めたのは、仕事を忘れるためと言うのが大きかった。そしてもう一つは、メリタの家から遠いと言うことにある。そこそこ雰囲気が良くてそこそこ値段が良心的な店にメリタを連れ込み、シシリーは目立たない席を確保した。男の手配は済んでいるので、無関係の男が近づいてくるのを避けるのが目的である。自分もそうだと思っているが、黙ってさえいればメリタはスタイルバツグンの美人だったのだ。  そこで泡の出る酒に濃縮アルコールを追加したのは、メリタを早く酔い潰すのが目的となっていた。それを気にすること無く、メリタは一息でジョッキサイズの飲み物を飲みきった。 「お代わりっ!」 「流石に、一気飲みは年頃の女性のすることじゃないわよ」  そう言いながら、シシリーは店員に特製ドリンクを作るように目配せをした。この手のことは、時間を置くことに意味など無い。さっさと勝負をつけようと考えたのである。  そしてシシリーの思惑通り、つまみに手を伸ばすこと無くメリタは新しい飲み物を飲み干した。見た目は先程と変わらないのだが、濃縮用のアルコールの量は更に増やされていた。 「もう、本当に、絶対にやってられないわよっ!」  どんとジョッキを置いたメリタは、「お代わり」と大声を上げた。少し暴走気味のメリタに目元を引きつらせ、「スペシャルを」とシシリーは店員に注文した。 「本当によろしいのですか?」 「こんなのに、いつまでも付き合っていられないわよ」  こういう時は、さっさと酔い潰すに限る。だから構うことはないとばかりに、「やっちゃって」とシシリーは店員に命じた。その命令に、「本当にいいのかな」と言いながら店員はバーカウンターに向かった。そして濃縮用アルコールに泡の出る飲み物を足した……つまり主従を入れ替えた飲み物をもって戻ってきた。  ただ、流石にやりすぎだったのか、一口口をつけたところでメリタがぶっとお酒を吹き出した。 「ちょっと、濃すぎない?」 「多分、気の所為」  しれっと答えたシシリーを、メリタは胡散臭そうな目で睨みつけた。ただすぐに、「まあいいか」と主従が逆転した飲み物に口をつけた。ただ今度は、今までのように一息で飲み干しはしなかった。 「なんで、私だけ死神みたいに言われなくちゃいけないのよ。そもそも危険な仕事だから、3階に隔離されてるんでしょうに」  納得がいかないと言って、先程よりはゆっくりと、そして世間標準では浴びるような速度で主従の逆転した酒を飲んでいった。 「知ってるシシリー、ナイトさんが1階で友達に協力を求めたのよ。その時友達……ケッグさんがなんて断ったと思う? 散々「死の窓口」って繰り返してくれたのよ! 死にたくないからやりたくないってっ!」  やってられないと文句を言って、とうとうメリタは主従の逆転した酒を飲み干してくれた。そして「同じの!」と大きな声を出してくれた。ただ急速に濃いアルコールを摂取したせいか、目元が赤くなって視線が定まらなくなってきているようだ。  それを好機と捉えたシシリーは、店員に追加を頼むのに合わせて「手はず通りに」と上司の仕掛けを発動させることにした。それに硬い表情で頷いた店員は、奥に行って手配された男娼に声を掛けた。  メリタのために手配された男娼は、普段顔を合わせないタイプから選ばれていた。そのあたり、仕事のことを忘れさせるためと、見た目を重視したと言うことになる。追加の酒と一緒に現れた男は、さり気なくメリタの隣の席に腰を下ろした。その男を見て、ちょっといいかもとシシリーが感じたのは全くの余談となる。  ただメリタの受け止め方は、シシリーとは違っていたようだ。新しい酒に口をつけたところで、隣に座った男をギロリと睨みつけたのである。 「コロン商会登録ナンバー12。名前はアラン・クーゼンだったかしら。プロの方が、私に何の用かしら?」  お呼びじゃないと悪態をついたメリタは、ぐびっと先程よりも更に濃さを増した酒に口をつけた。 「僕の正体をご存知なのですね。でしたら、話が早くて助かります」  動揺を表に出さず、ニッコリと笑ったところは流石にプロと言えるのだろう。なるほどと感心したシシリーだったが、やはりメリタの反応は違っていた。 「それが、余計なお世話と言うのよっ!」  しっしと、男を追い払う真似をしてくれたのだ。女性側の拒否で、契約は無事不成立と言うことになる。一瞬だけむっとした顔をしたのだが、すぐに張り付いた笑みを顔に浮かべ、「では帰ることにします」と男は立ち上がった。そして一片の未練を見せること無く、さっさとその場を離れていってくれた。 「男娼ぐらい買ってもいいのに」  はあっとため息を吐いたシシリーは、「結構いい男だったのに」と物欲しそうに男が消えた方を見た。ただ自分用に手配された訳ではないのと、メリタを残していけないので泣く泣く男娼は諦めることにした。 「あの若禿の指図でしょ。まったく、人のことを馬鹿にしてるったらありゃしない!」 「そりゃあ、課長の指図には違いないんだけどね……」  若禿げと罵るのは、逆パワハラになりかねない。そんな事を考えながら、どうしたものかとシシリーは途方に暮れてていた。このままだと、酔いつぶれたメリタの面倒すべてが自分にかかってきてしまうのだ。しかも目の前では、主従の逆転した酒を綺麗さっぱりメリタが飲み干してくれていた。 「お・か・わ・り・!」  自分で飲ませはしたが、流石にこれ以上はやめた方が良い。ただ「抑えた方が」と言う忠告は、すでに時期を逸したものだった。目元を赤くしたメリタに睨まれ、シシリーは頭の良い彼女を恨んだ。余計なことに気づきすぎるから、息抜きが息抜きでなくなってしまうのだ。だから25になっても、恋人も無く未だに清い体で居るのだと。  結局主従の逆転した酒をお代わりをし、先程までよりはゆっくりとしたペースで飲み始めてくれた。ただツマミも取らないので、順調にジョッキの中身は減っていってくれた。 「一つ疑問があるんだけど、いい?」  そこで思い切って口を開いたのは、起死回生を狙った訳ではない。いい加減間が持たない事と、本音を聞いてやろうと言う思いからである。 「どうして今の仕事を辞めないの?」  うら若き女性が、夜毎に酔いつぶれないとやっていけないのだ。そんな不健全な仕事をどうして続けるのかと言うのである。間が持たないのが理由のくせに、やけに核心をついた質問でもある。 「転職しても、噂はついて回るのよ」  それを考えると、まともな職業にはつけないと言うのだ。少しだけ納得できる答えに、「だったら」とシシリーは地雷を無意識のうちに踏んできた。 「結婚して家庭に入るって方法もあるでしょ。ほらあなたって、美人でスタイルも良いんだから」 「死神でアル中の女に貰い手があるって?」  はんと笑い飛ばしたメリタは、「公社に入る前だったらね」と自嘲気味に口にした。 「そりゃあ、大学の頃はもてたわよ。でもね、相手は現実を知らない軽いお調子者ばっかりよ。少しはいい気分になれたけど、結婚しようなんて気持ちになれなかったわ」  どっちにしてもろくでもない。自嘲したメリタに、やめようよとシシリーは忠告した。 「言いたいことは分かるんだけどね……公社に入ったら、そんな男も近づいてこなくなった……悪化してるわよね?」  失敗よねと告げたシシリーに、「どうしてよ」とメリタは持っていたジョッキでテーブルを叩いた。 「将来安定の公務員になったのよ。普通なら、間違いなく勝ち組でしょっ! それなのに、どうしてこんなことになるのよっ!」  世の中間違っていると騒ぐメリタに、「何を今更」とシシリーは呆れた。 「神様とか言うのが、思いっきり人類の足を引っ張る世界なのよ。その最前線に関わってるくせに、勝ち組って……ババを引いたんじゃないの?」 「どうして、私だけっ……」  ああっとテーブルに突っ伏したと思ったら、いきなりメリタは立ち上がってくれた。一体何がと驚くシシリーに、「水の音を聞きに」とフラフラと化粧室の方へと歩き始めた。 「この期に及んで、羞恥心だけは残っていたか」  なるほどと感心したシシリーだったが、「でも、大丈夫かしら?」とテーブルに置かれた主従の逆転した飲み物を手にとってなめてみた。そして舌を刺す強烈な刺激に、大丈夫じゃないとメリタを追いかけることにした。こんな濃すぎる飲み物を飲んでいたら、意識などあっという間にどこかに持っていかれてしまう。もともとそれを狙っていたのだが、作戦が失敗した以上後始末が自分に降り掛かってくるのだ。  ただ流石は酔っ払いと言うべきか、メリタはフラフラとふらつきながら、それでも確実に化粧室の方へと歩いていっていた。 「帰巣本能……ってことはないか」  とりあえず安心と、シシリーは追いかける速度を少し落とした。化粧室の中で追いつけば、後は必要な面倒を見れば事なきを得る事ができる。男性用から出てきた人と軽くぶつかったが、相手も気にしていないようだから問題は無いだろう。  そこでほっと息を吐いたのだが、事態は思いもよらない……ある意味酔っぱらいのお約束へと発展してくれた。「失礼しました」「こちらこそ」の挨拶が酔っ払い語でかわされた次の瞬間、顔を上げたメリタの口から逆噴射……リバースが発生したのだ。そしてリバースしたものは、見事に男性の顔に吹き付けられてしまった。 「ああっ、トラブルよトラブル。最低最悪のトラブルだわぁっ!」  相手が怖い人でなくても、流石にリバースしたものを吹き付けられれば、ただですまないのは予想がつく。と言うか、自分だったら徹底的に相手からせしめることだろう。「終わったぁっ」と嘆きはしたが、かと言って見捨てて逃げる訳にもいかないのだ。  お金か貞操、さもなければその両方で支払うことになるのか。自分が悲壮な覚悟を固めているのに、今や加害者となった友人は、相手の男を指差し「酷い顔ぉっ」と笑ってくれる。しかもリバースしたものでずぶ濡れになった相手に抱きつき、「臭いわねぇ」とピチャピチャと頬を叩いてくれた。 「ああ死んだ」  そんなことを考えながら近づいていったら、被害者の男は「この人のお友達?」と自分の顔を見てくれた。よほどのお人好しか善人なのか、怒髪天を衝いているようには見えなかった。  そして人騒がせな友人は、背の高い男にぶら下がるようにして体を支えていた。正確には、男性が支えてくれていると言うのが正しいのだろう。 「は、はい、その友人がご迷惑をおかけして……」  ぺこぺこと何度も頭を下げたシシリーに、「頼まれごとを一つ」とその男性は彼女の顔を見た。 「このままだとどうにもならないので、弟を呼んで来てくれないかな? 入口近くのテーブルで飲んでいるから。格好は、白のワイシャツにグレーのズボン、背は僕ぐらいの高さかな」  それでなんとかと頼まれ、「すぐにっ!」とシシリーはお使いを遂行することにした。こちらに全面的に非がある以上、相手の機嫌を損ねる訳にはいかないのだ。  特徴としては平凡なものだったが、運がいいことに目指す相手はすぐに見つかった。入口近くと言う目印もそうだが、他に一人で飲んでいる男性がいないのが大きかった。ただその男性を見つけた時、「めぐり合わせが悪い」とシシリーは運の無さを呪った。見た目を含めて、きっちりストライクゾーンの真ん中にいてくれたのだ。 「あのぉ、ちょっとよろしいですか?」  事が事だけに、ちょっと遠慮がちに声を掛けたのだが、相手の反応はちょっとばかり予想とは違っていた。ただその方向性は、シシリーの希望には沿った方向だった。 「俺か?」  と少し驚いた男性は、自分のことをじっくりと観察してくれたのだ。 「はい、その、私の友人がですね。その、あなたのお兄様にですね、その、リバースしたものを吹き掛けてしまってですね。それでお兄様から、あなたを呼んで来て貰いたいと頼まれたんです」 「なんだ、逆ナンパと言うものではないのか」  いかにも残念そうな顔をされ、「そうしたいのは山々なんですが」とシシリーは本音を吐露した。 「流石に、放置はできませんので」 「あの人なら、放っておいても大丈夫なのだが……ん」  ふうむと考えた男性は、「面白そうだ」と立ち上がった。 「あんたも一緒にバカにしてやらないか?」 「あのぉ、私の友達がご迷惑をおかけしたのですが……」  話がおかしな方に向かっていないか。困惑を顔に出したシシリーに、なぜかその男は顔を近づけ「そんなことより」と耳元で囁いた。 「どこかで、二人きりにならないか?」 「え、ええっと……」  良いのかなと考えたのは、迷惑をかけた男性のことだった。ただどう言う訳か、友人の貞操方面への心配は綺麗に抜け落ちていた。 「そのお兄様は良いのですか?」 「間抜け目に遭ったのだ。だったら笑い飛ばしてやるのが礼儀と言うものだろう」  だから大丈夫と笑い、その男はシシリーの肩をぐっと抱き寄せた。 「しかも兄貴は、大の金髪碧眼好きなんだ。羨ましいだろうと自慢してやろうと思う」  しめしめと笑いながら、男はシシリーを化粧室の方へと引っ張っていった。それにしても急ぐわけでもなく、「名前は?」とナンパを継続してくれた。 「あ、あの、シシリーと言います」  強引に迫られれば、悪い気がしないものだ。しかも相手が好みとくれば、その思いは尚更である。酔いとは違う意味で顔を赤くしたシシリーに、「ノブハルだ」と男は名を名乗った。 「そして兄貴は、トラスティと言う」 「こちらの方ではありませんね」  つい職業意識を働かせたシシリーに、「分かるのか?」とノブハルは口元を歪めた。 「ええ、アルトレヒトの名前ではありませんので」 「ああ、バーリンから来たからな。商売のネタを探すためと言って、兄貴が無理やり俺を引っ張ってきたんだ。そう言う我儘な奴だから、ドジを踏んだら思いっきり笑ってやるんだよ。まあ、兄貴のお陰で、金に苦労をしたことはないんだがな」  あははと笑ったノブハルは、「良いざまだな」とリバースでずぶ濡れになったトラスティを笑った。 「良いざまなのは認めるけど……少しぐらいは手伝ってくれても良いんじゃないか?」  にっちもさっちも行かなくなっている。そうこぼしたトラスティに、「じゃあな」とノブハルは綺麗に無視をしてくれた。 「せっかく美人とお知り合いになれたんだ。これからしっぽりと行かせて貰うことにした。まあ、兄貴は自分で切り抜けてくれ」  もう一度あははと笑ったノブハルは、「そうそう」とトラスティの神経を逆なでしてくれた。 「ついでに、ここの支払いも頼んだからな」  それだけを言い残し、ノブハルはシシリーを引きずるようにしてその場を離れていった。そして近づいてきたウェイターに、「支払いは兄貴が」とだけ言い残して店を出ていってくれた。 「いやいや、流石に勘弁して欲しいんだけど……」  臭いし重いし、トラスティにしては本当ににっちもさっちも行かなくなっていたのだ。いろいろと奥の手はあるのだが、流石にここで使うのは問題が多すぎた。 「嘆いていても始まらないか……」  仕方がないとため息を一つ吐き、トラスティは声を上げてウェイターを呼び寄せた。近づいてきたウェイターが思いっきり嫌そうな顔をしているのは、状況を考えれば不思議な事ではないだろう。そんなウェイターにたんまりとチップを渡し、「どこかでシャワーと着替えができないか?」とトラスティは尋ねた。 「店には、従業員控室はありますが……シャワーはありません。ここからだと、歩いて5分ほどの場所に連れ込み用のホテルがありますが?」 「この状態で、5分も歩けと?」  なんとかならないかと問うたトラスティに、「乗車拒否をされます」とウェイターは言い返した。「だったらタオルでも」には、「備えがありません」と素っ気なく答えられてしまった。 「この女性を抱えて、歩くしか無いということか?」  はあっと大きくため息を吐いたのだが、吸い込んだ息が酸っぱくてついむせ返ってしまった。酷すぎると諦めたトラスティは、「勘定を」とウェイターに告げた。 「両方のテーブルと言うことでよろしいですね」  どうして僕がと叫びかかったが、抱きかかえている女性を考えれば無駄な抵抗でしか無い。そして手渡された請求書に、「なに」とトラスティは眉を顰めた。 「このやけに高いサービス料と言うのは?」  高いと言うだけあって、1テーブル分の請求を超えたサービス料がそこには記載されていたのだ。 「清掃料とキャンセル料です。キャンセル料の方は、コロン商会の男性サービスがキャンセルされました」  だからですと答えられ、トラスティは「あー」と天井を仰ぎ見た。黒の天井にパイプが走り回っているのは、きっとアートなのだろうとどうでもいいことを考えてしまった。 「流石に、ここまでの出費は想定していなかったな……どうして飲みに来て、こんな目に遭わないといけないんだろう?」  リバースを吹き掛けられただけでなく、他人が頼んだ男娼のキャンセル料まで請求されたのだ。どうしてこうなると嘆いても、状況の改善には役立たないのは確かだった。  諦めて支払いを済ませたトラスティは、入ってきた入り口から出ていこうとした。ただその行為も、「申し訳ありませんが」とウェイターに呼び止められてしまった。 「その格好で正面から出られると、店の営業妨害になります。裏口の方が連れ込みホテルにも近いので、そちらから出てください」 「営業妨害云々がなければ、親切だと受け取れたのにね……」  ただ言っていることに間違いはないので、トラスティはおとなしく酔いつぶれた女性を抱えて裏口から出ていった。  その頃ノブハルは、すでにシシリーと連れ込みホテルにしけこんでいた。「良いのかなぁ」と心配したシシリーの口を塞いで一戦を済ませ、今は賢者モードに移行中である。独りよがりで終わっていないのは、満足そうに抱きつくシシリーが証明してくれていた。どうやら「下手」なノブハルも、それなりに経験を積んできたと言うことだろう。 「でも、本当に良かったのかしら?」  熱に蕩けた顔をしたシシリーは、残してきた二人のことを持ち出した。よくよく考えてみたら、仕返しされる明日が目に浮かんできたのだ。  そんなシシリーに、「貞操の方は心配していないのだな」とノブハルは問いかけた。酔いつぶれた女性が、狼の目の前に捨てられたのだ。その先どうなるかなど、火を見るより明らかなことだった。  ただ貞操方面を持ち出したノブハルに、シシリーの答えはあっさりとしたものだった。 「あの子も25だから、そっちの心配はいらないわよ。もっとも、初めてが酔いつぶれてってのは少し可愛そうな気もするけど」  それだけと言われ、そんなものなのかとノブハルは考え方の違いを感じていた。 「しかし、あなたは25なのか。俺よりも2つ上とは思わなかったな」  年下と口にしたノブハルに、「えっ」とシシリーは起き上がった。その拍子に、形の良い乳房がノブハルの前に晒された。赤い縞模様が付いているのは、ノブハルと交えた一戦が理由なのだろうか。 「あなた、年下なの?」  見えないと言われ、「一応年下」とノブハルは繰り返した。 「まあ、どうでも良いことなのだがな」 「そうね、たしかにどうでもいいことなのよね」  起き上がったまま、シシリーはノブハルに唇を重ねてきた。初めは軽く触れる程度の口づけを繰り返したのだが、すぐに濃厚なものへと変わっていった。 「まだ行ける? 私は、まだ物足りないの」 「そうか、もっとしても良いのだな」  望むところだと、ノブハルは体を入れ替えシシリーにのしかかっていった。ここのところご無沙汰していたこともあり、まだまだ精力は有り余っていたのだ。  ノブハルとシシリーが楽しくやっている頃、トラスティはなんとか連れ込みホテル「プレジデント」へとたどり着いた。ただたどり着いたは良いが、そこで次の関門が待ち構えていた。なぜか現れた従業員がトラスティの入室を阻んでくれたのだ。しかも押し問答をしているうちに、従業員が呼んだのか警察まで現れる始末である。どうやらトラスティは、性犯罪者に間違えられたようだ。  どうしてそうなると途方に暮れたトラスティは、元いた酒場に助けを求める事にした。ここに連れて行けと言った以上、最後まで責任を取れと言うのである。そして犯罪者扱いされて1時間が経過したところで、ようやくトラスティは無罪放免となった。「紛らわしい」と言う警官の文句が、どうして自分に向けられることになるのか。理不尽だよなぁと思いながら、空いていた部屋を利用しようとした。  そこで「その前に」と従業員に呼び止められ、さすがのトラスティもムッとしてしまった。警察沙汰にした挙げ句、しかも入店を邪魔しようと言うのだ。中身によってはただではおかない。そう凄んだトラスティに、従業員はホテルの通路を指さした。一体何がと見てみたら、なぜか水の跡が自分達のところまで伸びていた。 「部屋は良いですが、部屋までの清掃料金を上乗せします」  それだけですと言われ、「すみません」とトラスティは謝ることになった。トイレに行く前に連れてきたため、どうやら彼女の膀胱がもたなかったようだ。 「下着は売ってるのかな? あと、クリーニングのサービスは?」 「下着は、部屋のカタログでお選びください。クリーニングサービスは、クリーニング袋に入れてシューターに入れていただけば。明日の朝までには仕上がっています」  言うことを言ったこともあり、従業員にとってトラスティは客になっていた。今までとは違った丁寧な態度と言うのは、トラスティの立場が上がったのが理由なのだろう。それもまた理不尽なことなのだが、こだわっては負けだと女性……メリタを抱えてエレベーターへと乗り込んだ。 「ここの清掃代も取られるわけだ……」  足元を見ると、少し色のついた水が溜まっていた。これで打ち止めになってくれと願いながら、トラスティはエレベーターを出て一番遠い部屋へとメリタを抱えて歩いていった。お陰でエレベーターから部屋まで、点々と水あとが伸びていた。  部屋に入り、とりあえず広い浴室へメリタを連れ込んだところでトラスティは一息ついた。そこで初めてメリタをしっかりと見たトラスティは、「せっかくの美人が」と残念な出会いを嘆いた。ただ部屋についただけで、まだ何ひとつとして終わっていないのは確かだ。さてと気を取り直し、次の作業に取り掛かることにした。  ブレザーからブラウス、そしてスカートと少し苦労しながら脱がしていった。普段に比べて手際が悪いのは、リバースで掛かった物体が理由である。お陰でブラウスのボタンが、ヌルヌルとして外しにくくて仕方がなかったのだ。そこまでして下着姿にしたところで、トラスティは残念美人だなと惜しい気持ちになっていた。アリッサ並と言えば、彼女のスタイルの良さも分かると言うものだ。 「せっかくスタイルもいいのに……」  それなのに、少しもその気になれないのはどうしてだろう。少しばかり現実逃避をしながら、最後の下着もなんとか脱がせることに成功した。お洒落なのか、下の毛もちゃんと手入れがされていた。  そして自分も裸になり、教えられたとおりクリーニング袋に入れてシューターへと放り込んだ。 「流石に、このままベッドで寝かせるのは可哀想か……」  下の方は排泄物で汚れ、髪や顔はリバースしたもので汚れていた。どうしてこんなことになると嘆きながら、トラスティは浴槽にお湯を張った。そして頃合いを見て、お湯に浸したタオルでメリタの体を拭いていった。  時折「やってられるかぁ」とか「人を馬鹿にしてっ!」と漏れ出る声に、何があったのだと乱れまくったメリタの顔をしげしげと眺めてしまった。 「いくらなんでも、年頃の女性がして良いことじゃないだろう」  もう一度美人なのにと考えながら、体の隅々を拭き上げたのである。  そうして体を綺麗にしたら、後はバスローブに包めば第一段階は終了である。とても広いベッドはあるが、その前にとトラスティは彼女をソファーに座らせた。 「しかし、思いっきり酒臭いな……」  一体どれだけ飲んだのだと呆れながら、自分の荷物から「特性酔い覚まし」を取り出した。ただ飲ませようとしたのだが、罵声のときには開く口が、薬を飲ませようとしたときには鍵がかかったかのように開いてくれなかった。 「……本当に勘弁して欲しいんだけど」  冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、トラスティはそれを一口口に含んだ。そして「特性酔い覚まし」を口に入れ、メリタの鼻を摘んで口づけをした。それで息苦しくなったのか、口が開いたのを好機とばかりにトラスティは水と一緒に「特性酔い覚まし」を流し込んだ。「もう飲めない」とのうわ言に、これで最後とトラスティは声を掛けた。 「さて、僕もシャワーを浴びてこよう」  リバースを頭から掛けられたことを考えれば、まっさきに自分の体を洗いたかったのだ。ただシャワー後にもう一度汚れたくないと、メリタを優先しただけだった。  そのままお湯を張った浴槽に潜り、たっぷりのソープで全身を磨き上げた。それでもまだ臭う気がして、シャワーを浴びながらもう一度体と頭を磨き上げた。そこまでして、ようやく気持ち悪さから開放されることになった。そのお陰で、気持ちの方も少しだけ余裕が生まれた。 「さて、下着の手配だが……カタログがあるって話だったな」  どれどれと探してみたら、「魅惑のランジェリー」と言うカタログが出てきた。タイトルから期待できないと思って中を見たら、タイトル通りの中身にトラスティは溜息をつくことになった。 「だめだ、下着としての役に立っていない」  カタログ画面を閉じてため息を吐いたトラスティは、「裸で寝るのは慣れているけど」とソファーにもたれかかるメリタを見た。 「これは、どう考えても初めてのシチュエーションだな。だけど、ベッドが広くてよかったな」  これならば、端と端で寝れば、別々のベッドと同じになる。メリタのバスローブを脱がせて端っこに寝かせたトラスティは、自分もまた反対側の端に潜り込んだ。 「こう言う日は、さっさと寝るに限る……」  お休みと小さく呟き、トラスティは目を閉じ現実から逃避することにした。重労働を終えたこともあり、意外に寝付きが良かったのが救いだった。  目を覚ましたときに見たのは、やけにケバケバしい知らない天井だった。すっきりと目を覚ましたメリタは、「ここは?」と部屋の中を見渡した。どう考えても、こんな場所に心当たりがなかったのだ。  そしてベッドの端に、なにか盛り上がっているものを見つけてしまった。なんだろうと注意をしてみたら、知らない男が気持ちよさそうに寝息を立てていた。喉から心臓が飛び出すぐらいに驚いたメリタは、とっさにガバリと起き上がった。その時に、形の良い胸がぶるんと震えた。  そこで慌てて、メリタは大切なところに指を当てた。この状況を考えれば絶望的なのだが、それでも確かめないわけにはいかなかったのだ。そして大切な部分を弄った指を、薄暗い中まじまじと見つめた。 「違和感なし。血も出てないし、精液も付いていない……」  それでも安心できないと、メリタはベッドを抜け出してバスローブをまとった。その途端鼻についた匂いに、頭の中で少しだけ記憶がつながった。 「シシリーと飲みに行って、男娼を断ったところまでは覚えているんだけど……まさか、男娼に連れ込みホテルに連れ込まれた?」  もしもそうなら、二度と営業できなくしてやる。少し鼻息を荒くし、どうしようもない匂いを何とかすることにした。  そのままシャワールームに飛び込みじっくりと体を洗ったメリタは、新しいバスローブをまとって部屋の中を探索した。最大の問題である自分の貞操は、シャワールームで確認したところまだ守られているようだった。  それで少し安心したのだが、次なる問題にぶつかることとなった。いつまでもバスローブ姿でいられないと、自分の着ていた服を探そうとしたのである。 「私の着ていた服がないわ……この男の服もないって、なに?」  どう言うことと首を傾げてみても、事情が浮かんでくるはずがない。とりあえず締め上げればいいかと棚上げし、次なる問題を考えることにした。 「いずれにしても、女性を酔わせてホテルに連れ込むなんて……許せないわっ!」  絶対に社会的制裁を与えてやると凄んだメリタは、反対側の端っこで寝ている男に近づいた。 「結構渋め……嫌いなタイプじゃないけど」  そこで一通り品定めをしてから、「いけない」と頭を振った。そこで初めて、メリタは深酒をした後に感じる頭痛がしないのに気がついた。 「でも、どうして二日酔いになってないんだろう?」  いつも以上に飲んだのにと考えながら、メリタはベッドから一番遠いソファーに腰を下ろした。一秒でも早くここを出たいのだが、着る服がなければどうにもならないのだ。誰かに助けを求めるにしても、この時間では誰も出てくれないだろう。従兄なら可能性はあるが、今は遠く宇宙に出ていた。  そうやって悶々としていたら、何やら壁の方でシュっと言う空気の音が聞こえてきた。一体何がと近づいてみたら、壁際のボックスに洗濯済みの着替え一式が入っていた。 「全部、この男に脱がされたってことよね」  かなり冷静になったのか、思考回路を流れる言葉も普段のものに近づいていた。お陰で袋を開けてショーツを手にとった時には、シチュエーションを思い出して顔を真赤にしたぐらいだ。 「あーダメダメ、変なことを考えちゃだめ」  頭を振って卑猥な妄想を振り切ろうとしたのだが、逆に妄想の方は膨らんでくれた。経験は無くとも、情報だけなら腐るほど転がっている。年増の耳年増は、知識だけは豊富になっていた。 「いやいや、駄目でしょう……駄目だから」  ブツブツと文句を言いながら、ブラウスのボタンを一つ一つ留めていった。リバースされた物体が着いていなければ、ボタンをはめるのも難しいことはなかった。 「この人が外してくれた……って、何を想像しているのよっ!」  ダメダメと首を振ったら、まとめてない髪がふわりと広がった。 「この髪も……」  そう言って髪に触れたメリタは、否定ではなく大きく息を吐き出した。性的被害に遭いかけたのに、それを期待する妄想が浮かぶのは流石におかしいと思っていた。 「やっぱり、この歳で処女っておかしいのかしら」 「別に、そんなことはないと思いますよ」  寝ていると思っていたから、ぶつぶつとつぶやくこともできたのだ。それなのに、自分のつぶやきは全て聞かれていたことになる。喉から心臓が飛び出そうなほど驚いたメリタに、肘枕をした男は「頭は痛くありませんか」と尋ねてきた。 「え、ええっと、おかげさまで……」  何がお陰様なのか分からないのだが、そう答えるのが今は必要だと思えてしまった。ただ立ち上がろうとしたところで、メリタは自分の格好を思い出して慌ててしまった。 「あ、あの、こっちを見ないでください!」  ブラウスのボタンこそ止めたが、まだスカートも穿いていなかった。ただ慌てたのが良くなかったのか、スカートを穿こうとしてメリタは足を縺れさせた。そのお陰で、そのままベッドに顔から突っ伏してしまった。 「慌てなくてもいいですよ。僕は、反対側を向いていますから」  そう言って男は、反対側を向いてくれた。  赤くなった鼻を押さえながら立ち上がり、メリタは慎重にスカートに足を通した。そして腰のところでスカートを止めると、洗濯上がりのジャケットに袖を通した。それから鏡の前で自分の格好を確認してから、「もう大丈夫です」と知らない男に声を掛けた。 「ちなみに、僕も裸なので見ないで欲しいんですけどね」 「あああ、あちらに行っていますっ!」  慌てて立ち上がり、メリタはドレスルームへと駆けていった。髪型が気になっていたので、渡りに船と言うところだろう。そこでワタワタと髪を整えていたら、時間はいつの間にか30分ほど過ぎていた。そこまでしてからもう一度鏡で自分の姿を確かめ、メリタは「よし」と言って腹に力を入れた。どうして自分が見知らぬ男と裸でベッドに居たのか。昨夜からの出来事を、詳らかにする必要があったのだ。  メリタがドレスルームから出てきたタイミングで、男が黒い飲み物を淹れてくれた。「ありがとう」とそれを受け取ったメリタは、憧れのシチュエーションがこんなことになるとはと考えていた。 「申し訳ありませんが、昨夜何が起きたのか教えてくだいませんか」 「昨夜ですか?」  苦笑を浮かべた男がなにか話そうとした時、メリタは「その前に」と手で制止した。 「あなたの名前を教えてくだいませんか?」 「僕ですか。僕は、トラスティ・イカリと言います。出身は、バーリンのブルックス地区になります」  トラスティの自己紹介に、「バーリンのブルックス地区?」とメリタは少し目を見張った。 「あそこって、エリートの方々が住まれている場所ですよね? それなのに、どうしてこんな田舎に?」  思わず疑問を口にしたメリタだったが、相手に一方的に名乗らせたことを思い出した。 「すみません。私はメリタ・アンジェロと言います」 「メリタさんですね」  ニコリと笑われ、メリタは少し恥ずかしくなってしまった。それでも大切なことだと、昨夜の出来事を確認することにした。 「それで、昨夜は何があったのでしょうか?」 「何があったって……本当に何も覚えていないのですか?」  そこまで言われるところを見ると、よほど自分はまずいことをしたことになる。そこでゴクリとつばを飲み込んだメリタは、記憶の断片をつなぎ合わせた。 「その、友人とやけ酒を飲みに来て、物凄く濃い酒を飲まされたのは覚えています。後は、誰かのお節介でコロン商会の男娼が手配されていて、覚えているのはそれを追い返したぐらいで……そこから先は、どうも記憶がはっきりしなくて」  すみませんと謝ったメリタに、「悪夢でした」とトラスティは吐き出した。 「昨日は、弟と二人であの店に夕食をとりに行ったんです。そこでトイレに行ったのですが、その帰りにあなたと肩がぶつかりました。それだけなら大したことはなかったのですが、軽く挨拶をした直後にリバースしたものを顔に吹き付けられましたよ。その後あなたは、僕に抱きついて「酷い顔」と言いながら吐き出したもので濡れた手で人の顔をペチャペチャと叩いてくれましたね」  覚えていませんかと聞かれても、綺麗さっぱり記憶が抜け落ちていた。そして断片的にあった記憶も、いつの間にか綺麗サッパリ消去されていた。どうやら彼女の中で、都合の悪い事実を消去する力が働いたようだ。 「そこからがまた酷いんですけどね。あなたのお友達……金色の髪をした女性なんですけど、その彼女に弟を呼びに行って貰ったんですよ。流石ににっちもさっちも行かなくなっていたから手伝ってもらおうと思ったのですが……弟の奴、人のことを笑うだけ笑ったと思ったら、あなたのお友達とどこかにしけこんでくれましたよ。しかも両方のテーブルの支払いが回ってきたし、サービス料とかの名目で、男娼……ですか? そのキャンセル料とかお店の清掃料とか取られたし。ウェイターに聞いた連れ込みホテル……シャワーを浴びるにはそこしか無いと言われたからですけど。そこに行こうとしたら、店の迷惑だから裏口から出てくれとか。ホテルに着いたら着いたで、従業員に警察を呼ばれるし。リバースだけじゃなくておしっこも漏らしてくれたから、施設の清掃料をとられるし……もう、踏んだり蹴ったりと言うところでした」  トラスティの説明を聞きながら、「えっ」とか「うっ」とか呻き声を漏らしたメリタは、顔を赤くして次第に体を縮こまらせていった。穴があったら入りたいと言うのを、まさか本当に体験することになるとは思ってもいなかったのだ。 「部屋に連れてきても、目を覚ましてくれないし。だからベタベタする服を脱がせて、バスタブに張ったお湯を使って体全体を拭いたんですよ。そして汚れた服は、特急仕立てでランドリーに出したんです。それから僕も体を洗って……匂いが取れない気がして、2回も洗いましたけどね。流石に裸は可愛そうだと思ったのですが、カタログで見た下着が下着の役目を果たしてくれないものばかりで……多分酷い二日酔いになるだろうと思って、酔い覚ましを飲ませてベッドに押し込みました」  それが昨夜の顛末と言われ、メリタは「ごめんなさい」と大きな声でトラスティに謝った。 「払っていただいたお金はすぐにお返しします」  もう一度「ごめんなさい」と頭を下げたメリタに、「いいですよ」とトラスティは笑った。 「僕以上に、あなたの方が恥ずかしい思いをしているはずです。何しろ見ず知らずの男にホテルに連れ込まれ、体の隅々まで拭かれたのですからね。仕方がないこととは言え、口移しで酔い覚ましまで飲まされたんです。それに比べれば、僕のことなど笑い話で済ませられる程度ですよ。もちろん、弟にはきっちり制裁を加えておきますけどね」  その程度ですと言われ、メリタは顔を赤くして「ですが」と自分の責任を持ち出そうとした。 「そんなことより、一度家に帰られた方が良くありませんか? 昨日と同じ格好で登庁されるのは、流石に未婚の女性には問題でしょう」 「え、ええ、仰る通りですっ」  先程より顔を赤くしたメリタは、「お詫びと言ってはなんですが」と自分の願望を全面に出すことにした。見た目は好みだし、とても紳士的に振る舞ってくれているのだ。バーリンのブルックス地区出身と言うのも、彼女の中ではポイントが高かった。 「今夜ですけど、夕食をごちそうさせていただけませんか?」  勇気を振り絞ったメリタに、トラスティの言葉はとてもあっさりとしたものだった。ただ「いいですよ」と聞かされた瞬間、メリタは久しく感じたことのない幸福を感じていた。  「本当ですか」と迫るのも、その気持の表れに違いない。 「ええ、僕の方からお誘いしようかと思っていましたからね。ただ残念なことに、まだこちらに来て日が浅いんです。だからあなたを招待するのに相応しいお店を知らなくて」  申し訳ないと謝られ、メリタは音が出るほど首を横に振った。 「そ、その、いいお店なら私が知っています。で、ですから、今日仕事が終わったところで、待ち合わせをしませんか?」  まるで飛びかかってきそうな勢いのメリタに、「そうですね」とトラスティは少し考えるふりをした。 「僕は、今時点で無職なんですけどね。まあ、当座のお金には困っていませんが……だから、時間は比較的自由になると言うのか。待ち合わせと言っても、適当な場所を知らないんです」  困ったなと目元を険しくしたトラスティに、「でしたら」とメリタはとてもわかり易い待ち合わせ場所を指定することにした。 「私の職場……公共福祉局なんですけど。その前の通りに、噴水のある広場があるんです。その局の建物とは反対側の場所で7時と言うのはどうでしょうかっ!」  はあはあと息を荒くしたメリタに、「そこなら分かります」とトラスティは笑った。 「では、7時に噴水のところで」 「た、楽しみにしていますっ!」  勢いよく立ち上がったメリタは、「お願いします」と同じく勢いよく頭を下げた。25とは思えない幼い態度に、トラスティは少しだけ苦笑を浮かべたのだった。  ヘルコルニア連邦での式典を終わらせれば、本格的にUC003の謎解きフェーズに入ることになる。ただその前にすることがあると、トラスティはレムニアに戻っていた。  そこで后となったアリエルの出迎えを受けたトラスティは、「分析は?」と尋ねた。 「うむ、すでに特異遺伝子の割り出しも終わっておる。ビッグママとアーシア、それからラクエルだったか。そのもの達には存在し、ベアトリクスと男の子達には存在しておらなんだな。まだサンプルが少ないので確かなことは言えぬが、パンデ受容体の形成に関わる遺伝子のようだ」 「パンデ受容体?」  なにそれと首を傾げたトラスティに、「電波の感受性に関わる器官だ」とアリエルは答えた。 「UC003の神とやらは、支配地域にその遺伝子情報をばら撒いたのであろう」 「テスターは作れるのかな?」  関係する遺伝子が分かれば、それを利用して影響を受けやすい相手を探すことができる。うまく行けば、神とやらの仕掛けを探る有効な武器になってくれるはずだ。 「我らの技術を舐めるでないぞ。すでに、ヒナギクに情報を上げてある。そうすれば、ルリやカエデ……メイプルでも利用できるであろう」 「別に、言い直さなくてもいいよ。知ってるから」  そう言って笑いながら、トラスティは后の肩を抱き寄せた。 「僕に代わって帝国を治めてくれているんだ。ちゃんと、感謝の気持ちを表さないと」  だからと言って、トラスティは空間に8の字を書いた。まだ執務時間のはずだが、皇帝権限ですべてのスケジュールを組み替えたのである。平穏無事を絵に書いたようなレムニアでは、皇帝最大の仕事は「暇つぶし」となっていたのだ。  それからカフェ「セイレーン」に顔を出したトラスティは、アイラとの子供を相手にマイホームパパになっていた。そして家族4人で食卓を囲んだ後、子供達をお風呂に入れて寝かしつけた。 「君には迷惑をかけていると思っているんだ」  そして夫婦の時間になったところで、トラスティはアイラに自分の思いを告げたのである。 「私に、迷惑?」  なにそれと、アイラは小さく首を傾げた。子育てと仕事が忙しいので、長めだった髪を短くしていた。それでも、相変わらず彼女は美しかった。 「みんなが遊びに来て、いいわねって羨ましがってくれるのよ。アードベッグとカリラが授かっただけで、私は十分幸せなの。それにあなたがこうして走り続けてくれるから、「お父様は凄いのよ」と子供達に話して聞かせることができるんだもの。あなた達は、皇帝様の子供なのよと言うのもあったわね」  だから幸せと言って、アイラはトラスティに唇を重ねてきた。それを正面から受け止めて、トラスティは短くなったアイラの髪を弄んだ。 「だったら、3人目はどうする?」 「兄弟は多い方が楽しいと思うわよ。それに、アードベッグに手が掛からなくなってきたから」  やんちゃだけどねと。3歳になった長男のことでアイラは笑った。ちなみに娘は、4ヶ月ほど前に1歳になっていた。こちらの方は、まだまだ目が話せない状態だった。それもあって、二人の子供は仲良くバネッタタイプのお世話になっていた。 「じゃあ、そろそろ3人目を考えようか」 「そのためじゃなくても、してくれても構わないのよ」  だからと答え、アイラはトラスティに跨っていった。  その後リゲル帝国で皇帝をしたトラスティは、リュースをピックアップしてエルマーへと向かった。ズミクロン星系に係留してあるメイプル号の受け取りと、同行するノブハルと合流するためである。流石に冒険への興味が勝ったのか、ノブハルは一足先にセンターステーションに上がっていた。 「今回は、目的地探しに苦労をしなくていいようだね」  メイプル号に乗り込んだトラスティは、前回行った調査の結果を持ち出した。簡単に舐めただけだが、すでに候補地が見つかっていたのだ。そのあたりは、連邦宇宙軍の戦闘データーがあったおかげである。 「ああ、今現在戦闘が継続中だからな。神とかが戦っているのなら、情報をたどる手掛かりになるだろう」  よしと拳を叩いたノブハルは、メイプルと船のAIを呼び出した。 「光学並びに電波迷彩を最大に。準備でき次第UC003へジャンプしろ!」  よほど楽しみにしていたのか、ノブハルはいつの間にか小型船の船長資格をとっていた。したがって今回の旅は、ノブハル船長にとって処女航海と言うことにある。いつも以上に張り切ったノブハルは、「出発だ」と普段とは違うのりをしていた。  ただそれを指摘しても仕方がないと、トラスティは当面やりたいようにさせることにした。  エスデニアの協力で、ディアミズレ銀河からUC003への移動はそれこそ瞬時に終わっていた。そこでノブハルは、一旦立ち止まって設備の点検と星系図の確認を行った。加えてもう一つ、自分達に神が気づいているかも確認した。 「アルテッツァ、ノイズらしきものは観測されたか?」 「今回の移動では、ノイズは確認できていませんね」  ホットパンツとタンクトップ姿で現れたアルテッツァは、トラスティから身を隠すようにしてノブハルの質問に答えた。まだまだ前に出るのは恥ずかしいのだが、可愛い格好も見て貰いたいと言う複雑な女心がそこにはあった。 「メイプルさん、そちらもノイズらしきものは感じてないか?」  そしてメイプルは、いつもどおりのエプロン姿で現れてくれた。そのエプロン姿の格好で、「ノイズですか」と頬に人差し指を当てて首を傾げてくれた。 「ノイズもデンパも受信していませんね」  ぴぴぴぴと手でアンテナのマネをしたメイプルは、「ぴぴぴぴ」と言いながら食堂の方へ消えていった。 「あれは、なにか意味があるのか?」  相変わらずの突飛な行動に、ノブハルはその意味をトラスティに尋ねた。もちろんトラスティに分かるわけがないので、ただ首を横に振って否定してくれた。 「ま、まあいいか。今のままなら、30分後に移動を開始できるな。ここからだと、10万光年離れた場所なのだが……光速の1億倍で進めば、9時間弱で到着するわけか……」  ふっと息を吐いたノブハルは、「時間の感覚がおかしくなる」とぼやいた。ただぼやいていても始まらないと、おさらいから始めることにした。 「これから向かう先は、戦争の真っ最中の宙域だ。したがって、直前で速度を落とし、アステロイドベルト帯に身を隠すことにする。その場所を選んだのは、目的地の文明レベルが高くないことが理由だ。だったら、観測のためにも接近した方が都合がいいと考えた」  質問はとのノブハルの言葉に、「はいはぁい」とリュースが手を上げた。 「潜伏後の行動予定は?」 「しばらく、第3惑星の観察だな。社会体制、経済構造、文明レベル等々を観測し、潜入するための情報を得ることにする。最短で2週間、長くて1ヶ月と言うところだろう」  小さく頷いたリュースは、「私達の役割は?」とサラマーの顔を見た。 「当面俺達の護衛だな。姿を隠して、俺達を守って貰いたい」 「つまり、現地妻を調達する訳ですね」  分かりますと頷いたリュースに、「おい」とノブハルはツッコミを入れた。 「どうして、そう言う話になる?」 「どうしてって、それを疑問に思います?」  実績がありますよねと。的確なリュースの切り返しに、「その方が自然だからね」とトラスティが助け舟を入れた。 「それに、その方が情報収集に都合がいいだろう?」 「トラスティ様は割り切っているから良いですけど。ノブハル様は、すぐに入れ込んでくれますからね」  そっちが心配と指摘され、ノブハルは少し目元を痙攣させた。直近二人のことを考えたら、さすがに否定が難しかったのだ。 「それで、到着までの時間の潰し方はどうします?」 「どうもこうも、しばらくは休憩なのだが?」  それがどうしたと、ノブハルは訳が分からないと言う顔をした。 「いえ、ノブハル様がサラマーとメイプルさんのどちらとするのかなって」  自分はトラスティと主張され、ノブハルは「嫌そうな」顔をしたサラマーと期待に目を輝かせたメイプルを見た。 「いやいや、それは必要なことじゃないだろう?」  たったの9時間だと言い返し、「やっぱり必要ない」とノブハルは繰り返した。 「だったら良いんですけど?」  ニヤリと笑ったリュースは、「じゃあ決まりね」とサラマーの顔を見た。 「どうして、そこで私の顔を見るの……」  ますます嫌そうな顔をしたサラマーに、リュースは「期待したとおりよ」と胸を張った。そしてサラマーの耳に唇を寄せ、「蜘蛛の巣が張るから」と囁いた。 「ニルバール様を見て御覧なさい。油断していると、あっと言う間に時間が経っちゃうからね」 「それは、ちょっと嫌かも……」  本気で考えたサラマーだったが、すぐに「いやいや」と首を振った。 「近衛に、そう言うことはないから」 「と言うことで、今日は二人でご奉仕しますね」  綺麗さっぱり自分の言葉を無視したリュースに、サラマーは「勝手なことを」と言い返そうとした。ただその勢いも、リュースがにやりと口元を歪めたことで霧散してしまった。今更だが、サラマーではリュースに歯が立たなかったのだ。 「僕の意見は聞いてくれないんだね?」  苦笑を浮かべたトラスティに、「人助けだと思って」とリュースは微笑んだ。 「近衛なんて、女の幸せから一番遠いところにいるんですからね」  だから人助けなのだと、いつの間にかサラマーを制圧し、リュースは寝室へと引きずっていった。  予定の9時間後、メイプル号はアステロイドベルト帯に到着した。そこで隠蔽措置と合わせて大きめの小惑星にアンカー止めをして、メイプル号は観測モードへと移行した。観測対象から発信される通信と放送波の傍受に合わせ、「神」の艦隊で飛び交う通信の傍受も目的となっていた。 「ブリーですか。比較的早く分析ができましたね」  情報収集から1週間が過ぎ、目的地の惑星の分析……潜入目的のものはほとんど終了していた。言語情報に社会習慣、そして生きていくための貨幣経済等が分かれば、事前調査はほとんど終わりと言って良いのだろう。 「ああ、非合法であることに目を瞑れば、働かなくても金に困ることはないな」  決済データーの分析も終わっていたので、そのあたりは細工がし放題になっていたのだ。メイプルに言わせてみれば、「おちゃのこさいさい」なのらしい。そしてデーターを加工すれば、実際の紙幣を入手するのも簡単になる。身分証明書の偽造並びにデーターの偽造もできたので、潜入の準備は整ったと考えて良いのだろう。 「ベッドルーム、気になります?」  この時間の当番は、ノブハルとリュースの組み合わせになっていた。時折ベッドルームの方を見るノブハルに、リュースはサラマーのことが気になっているのだと考えたのだ。何しろ一度関係してからと言うもの、サラマーは自分からトラスティを誘うようになっていた。 「気になると言うより、やはりまだまだなのだと思い知らされた気がしただけだ」 「まだまだ?」  はてと首を傾げたリュースに、「親父との比較だ」とノブハルは答えた。 「一度お前に言われたことだが……確か、護衛対象とは必要以上に親密になってはだめだと言う話だったな」 「ええ、アリスカンダル事件の少し前のことですね」  それがと尋ねたリュースに、「本当にそうなのか?」とノブハルは聞き返した。 「一般論としてはそうなのだろう。だとしたら、お前は命がけで親父を守ることはしないのか? その覚悟に、親父との関係は障害なるのか?」  どうなのだと問われ、「そう言うことですか」とリュースは納得したように頷いた。 「私は、この命に変えてもトラスティ様を守りますよ。近衛の時にあった義務感からではなく、今は心からそうしたいと思っていますからね。静かに消えることじゃなくて、命を落としたとしても、少しでもトラスティ様の心に残りたいと思っています。ノブハル様が仰りたいのは、その心の変化のことですよね」  そう聞かれ、ノブハルは「そのとおりだ」と認めた。 「つまり、サラマーとしたいと言うことじゃなくて、自分ではそう言う関係が結べないことを気にされていると言うことですか」  うんうんと頷いたリュースに、「そう言うことだな」とノブハルはもう一度ベッドルームの方を見た。 「あいつも、トリプルAに移籍したくなるんじゃないのか?」 「そうすれば、トラスティ様のお手伝いができますからね。ですけど、その方面だったら今のところ間に合っていますね」  リュースの答えに、「そうだろうな」とノブハルは同意した。 「そう言ったことを含めて、まだまだだと思ったんだよ」 「まあ、ノブハル様は下手と言う評判が立っていますからね」  あえて茶化すようなことを言われ、ノブハルは「違うだろう!」と反論した。少しムキになっているのは、「下手」と言われたことがよほど気になったのだろう。さもなければ、自覚があると言うことになる。 「どうして、いきなりそう言う話になるんだっ!」  思いっきり文句を言ってから、「いやいや」とノブハルは首を横に振った。 「お前達は、親父がうまいから命を懸けるわけじゃないんだろう。俺が言いたいのは、そっちのことだ」  憤慨したノブハルに、リュースはお腹を抑えて笑ってから「そうですね」と認めた。目尻に涙が光っているのは、よほど面白かったと言うことだろうか。 「ちょっとからかっただけですよ。まあ、ノブハル様が下手で、トラスティ様がお上手なのは本当のことなのですけどね」  もう一度笑ったリュースは、「ごめんなさい」と珍しく謝った。それに驚いたノブハルに、「茶化しちゃいましたね」とリュースは舌を出した。 「だって、トラスティ様が何をなされるのか見てみたいじゃありませんか。IotUの奥様の家系とパガニアの問題を解決され、モンベルトへの謝罪も引き出されましたよね。そしてモンベルトの復興を指揮され、ゼスの問題もあっと言う間に解決されてしまいました。しかも1千ヤーの間増えなかった連邦加盟銀河が、ここに来て少しずつでも増えるようになったのですよ。そして今度は、「神」と名乗るものの正体を暴こうとしています。私のように落ち着かない奴が、ワクワクしてもおかしくないと思いませんか? だから奥様達も、あの方が立ち止まるのを望まれなかったのだと思います」  そう答えたリュースの表情を見て、ノブハルは背中に電流が走った気がした。まさかリュースから、ゾクゾクするような色香を感じるとは想像だにしていなかったのだ。 「そんな方に可愛がって貰えるのですよ。もう、他のことが考えられなくなっても仕方がないと思いませんか? トラスティ様に「お前が欲しい」と言われた時に、経験がないくせにイッテしまったぐらいですからね」  そしてと、リュースもベッドルームの方をちらりと見た。 「結構悩まれているのも知っていますし、女性にだらしないのも何度も見ていますよ。そのくせ女性に真摯だったりと、見ていて飽きない人と言うのも確かですね。それにあの方だと、私達が手伝っているって気持ちになれるじゃありませんか。それって、とても気持ちのいいことだと思いますよ」  大部分が錯覚ですけどと笑ったリュースに、「そんなことはない」とノブハルはその決めつけを否定した。 「俺が助かったのはお前のお陰だし、本当にいろいろと役に立っているじゃないか」 「だとしたら、私の意味もあったわけですね」  ニッコリと笑ったリュースに、ノブハルは不覚にも見とれてしまった。そんなノブハルに構わず、リュースは自分の考えを口にした。 「私は、ノブハル様もその一人だと思っていますよ。ただノブハル様が不幸なのは、それで終われないと言うことなんですけどね。やっぱり、お父様って目標だしいつか超えてみたいですよね?」  その指摘に、ノブハルはしっかりと頷いた。 「でも、それってトラスティ様も同じなんです。だってトラスティ様のお父様は、あのIotUなんですよ。だからあの方は、まだまだ先に進まないといけないんです」 「確かに、IotUは偉大すぎるな……」  ふうっと息を吐いたノブハルは、「まだまだだな」と自分のことを嘆いた。 「目指す先は、もっと高いところにあるわけだ。こんなところでめげているようじゃ、いつまで経っても子供のままと言うことだな」 「そうは言っても、物事には限度と言う物があるとは思いますけどね。でも、ノブハル様の限度はもっと先にあると信じているんですよ」  トラスティを間近に見ている人から言われると、なにかくすぐったいものを感じてしまう。「そうか」と照れたのも、状況を考えれば少しも不思議ではないだろう。  ただリュース相手に、いい話だけで終わるはずがない。そして早速、いつもの悪戯な面が顔を出してくれた。 「ノブハル様、少しでもお父様に近づきたいですか?」  言わずもがなの問いに、「当たり前だ」とノブハルは即答した。 「では、私も少しばかりお手伝いをさせていただきます」  ニヤリと笑ったリュースは、ノブハルに近づくと軽く肩を掴んで制圧してくれた。そのあたり、可愛い顔をしていても近衛の精鋭だったと言うことだ。 「では、手っ取り早く女性経験を増やしましょう」 「せっかくいい話をしていたのに、どうしてそうなるのだ?」  無いだろうと文句を言ったのだが、「サラマーも誑し込まれましたよ」とリュースはもう一つのベッドルームを指さした。 「ノブハル様も、私を誑し込んでみてください。まあ、練習だと思って」  だからですと言って、リュースは掴んでいた手に力を込めた。みしみしと骨がきしんだ音がするのは、きっと気の所為ではないのだろう。 「それに、ノブハル様は私を抱こうとしましたよね」 「あ、あの時とは事情が違う!」  抵抗しようとしても、力の差は歴然としていた。ゆっくりと引きずられていくノブハルに、「事情が変わったからですよ」とリュースは微笑んだ。 「大丈夫です。優しくして差し上げますから」  ねっと笑って、リュースはノブハルをベッドルームに引きずり込んだ。  それを見たメイプルが、エプロンを外して仲間に入ろうとしたのだが、「それはだめ」とアクサに邪魔をされてしまった。 「ノブハルに最後の一線を越えさせちゃだめよ!」  そう言って立ちふさがったアクサに、「でも」とメイプルは恨めしそうな顔をした。 「最近カイト様が乗ってくださいませんし……」 「だったら、旦那様の方に行けば……」  そこまで口にして、本当にそれで良いのかアクサは考えてしまった。 「あなたに機能停止されると困るから、やっぱり旦那様もだめね」 「……そんなに凄いのですか?」  ごくりとつばを飲み込んだメイプルは、トラスティとサラマーの居るベッドの方を見た。 「つい先日、私の体をアルテッツァが使ったのよ。その結果、超銀河連邦全体でパニックが起きたわ。1万人の技術者が投入されたけど、完全復旧に72時間も掛かることになったのよ。ちなみに私は、24時間以上止まっていたわね」 「お父様より、凄くありません?」  もう一度ゴクリとつばを飲んだメイプルに、「間違いなく」とアクサは断言した。 「カイトと同じで、あのバカは体力を使ったゴリ押しだけだったから」  その面では父親を超えている。言われた本人としては、少しも嬉しくない決めつけをされたのだった。  早くホテルを出たこともあり、昨夜と同じ格好と言う恥ずかしい真似をしなくてすんでくれた。ただ家で着替えながら、それも良かったかと思うのだから現金と言えば現金なのだろう。  そして普段よりも少し早く家を出たメリタは、「景色が変わったわね」とぐるりと街を見渡した。 「気持ちの問題って、こんなに大きかったのね」  ううっと豊かな胸を張ってから、「おはようございます」と元気よく挨拶をして3階の事務所に入っていった。まだ登庁している人数は少なかったのだが、居合わせた全員が急にざわめいてくれた。よくよく聞いてみると、メリタの変化に「何が起きた」と戸惑っていたのだ。  そしてその事情は、少し遅れて登庁したシシリーも同じだった。もともと鬱とは無関係だったが、普段以上に明かるい顔をしていたのだ。そのお陰で、ひそひそ話がますます盛んになってくれた。 「そう言えばシシリー、昨日は私を見捨ててくれたわよね?」  隣に座った同僚に、メリタはいの一番に文句を言った。客観的事実だけを持ち出せば、見捨てられたのだからその文句は正当なものなのだろう。  ただ本人的には不機嫌そうな顔を作ったのだが、普段に比べてにやけていては効果が発揮できるわけがない。そして言われた方もにやけているので、そのあたりはどっこいどっこいと言うところだろう。 「だって、彼が大丈夫だって言ったんだもの」 「彼って、あの人の弟さんのこと?」  顔を思い出すだけで、頭に血が上ってきてしまう。はっきりと顔を赤くしたメリタに、「そうノブハルさん」とシシリーは嬉しそうに答えた。 「私より2つ下なんだけど。とても可愛くて格好良くて、あっちの方もすっごく良かったわよ」  うふふと含み笑いをしたシシリーは、「そっちは?」と逆襲してきた。メリタが上機嫌になるぐらいだから、よほどいいことがあったのだろうと想像したのだ。 「わ、私は、何もなかったわよ。ただトラスティさんに、ものすごく迷惑をかけたのは確かだけど」  何もなかったは疑問だが、「ものすごく迷惑」の下りは大いに納得できるものだった。何しろ見知らぬ女性に、いきなりリバースの洗礼を浴びせられたのだ。 「そりゃねぇ。いきなりリバースを顔に掛けられたんだものねぇ。普通にある迷惑の中じゃ、結構上位にランクされるものじゃないのかな? でも、それだけじゃないんでしょう?」  ほら吐けと迫られたメリタは、ますます顔を赤くしてそっぽを向いた。そして何かを思い出したように、「そう言えば」とシシリーに迫った。 「どうして、コロン商会のキャンセル代まで私が払わなくちゃいけないのよ!」 「あれっ、請求がメリタの方に行ったの?」  話を逸らすことへの文句はあったが、確かにメリタの主張にも一理あった。追求はその後と、とりあえずの問題をシシリーは解決することにした。そのためシシリーは、立ち上がって若いくせに少し頭の薄くなった上司のところへ歩いていった。そこでにこやかな顔で凄んでから、小さく頷いてメリタのところに戻ってきた。どうやら、彼女のお陰で話はまとまってくれたようだ。 「キャンセル料は課長から巻き上げることにしたわ。だから、後から課長に請求してくれる?」  利用したのならいざ知らず、キャンセルしたのだからメリタが払う理由がない。「セクハラで訴えましょうか」との脅しに、少し頭の薄くなった上司が負けたと言うことだ。 「それで、初めての経験はどうだったの?」  そこで蒸し返したのは、何もなかったと言うことを1ミリも信用していないと言うことだ。そんなシシリーの追求に、「本当に何もなかったんだから」とメリタは言い返した。 「ただ、物凄く恥ずかしい目には遭ったらしいんだけど……記憶がなくて幸いだったと言うのか」  ううむと唸っているくせに、顔はしっかりと赤くなっていた。 「何もなかったって……本当に?」 「こんなこと、嘘を言っても仕方がない……いやいや、正直に話す必要もないと思うけど?」  プライベートだと胸を張ったメリタに、「水臭い」とシシリーは文句を言った。 「いつもいつも、あなたのやけ酒に付き合ってるのは誰かしら?」 「別に、付き合ってなんて頼んでないわよ」  しれっと言い返したメリタに、「嘘つき」とシシリーは言い返した。 「でも、そっちだっていい目に遭ったんでしょう?」 「そりゃあ、久々の大ヒットだとは思うわ。違うわね。今までで最高の出会いだと思ってるわよ」  うっとりとしたシシリーに、「それだけ?」とメリタは聞き返した。 「まさか、昨晩だけってことはないわよね?」 「そのあたりは、何もなかったお子様と一緒にしないで。ちゃんと、今日の約束もしてあるわよ」  えへんと胸を張られ、「なんだ」とメリタはつまらなそうに吐き出した。 「まあいいか。さあ、仕事の時間よ。今日も、大勢の人が職を求めて来るんだからね」 「そうやってはぐらかす?」  じろりと睨んでみたが、仕事の時間と言うのは間違っていない。しぶしぶ自分の席で用意を始めたシシリーは、「まあいいか」と自分の幸せを噛みしめることにした。  そして始令がなって30分後、荒んだ目をした男が少し汚れた女の子を連れて入ってきた。「そうそう」と前日の話を思い出し、メリタは「用意できていますよ」と2通の許可証を取り出した。自分としては人当たりの良い笑顔で迎えたはずなのに、なぜか受け取った男は顔を青くし、一緒に居た女の子は男性にしがみついてガタガタと震えてていた。  失礼ねとは思ったが、ここで怒っては元の木阿弥となってしまう。少し媚の入った声色で、「お疲れ様です」と荒んだ目をした男を送り出したのだった。  粗末なベッドで目を覚ましたナイトは、隣で寝ている少女を起こさないようにベッドを抜け出した。一緒に寝ているのは性交するためでなく、この家に他に寝る場所が無いのが理由である。だからフェイも、しっかりと寝巻きを着込んでいた。  鏡にヒビの入った洗面台の前に立ったナイトは、粉の歯磨きをつけた歯ブラシでゴシゴシと歯を磨いた。そしてガラガラと音を立てて口を濯ぎ、ペッと水を吐き出した。それを3度繰り返してから、今度は冷たい水を手に掬ってぶつけるように顔に掛けた。これで朝の身支度はとりあえず終わりと言う、至極あっさりとしたものだった。そして同時に、騒がしい朝の支度でもある。  その騒がしさが目覚ましになるのか、ナイトの直後にフェイが洗面台の前についた。そしてナイトを真似したように、粉の歯磨き粉でゴシゴシと歯を磨いた。そして少し音量は小さいが、ガラガラと音を立てて口を濯いで、ぺっと音を立てて吐き出してくれた。ナイトと同じように水で顔を洗うのだが、フェイの場合は髪を梳くと言う一手間が増えていた。  そこまで終わらせたフェイは、とっとっとベッドのところに走っていって、ぱっと着ていた寝間着を脱ぎ捨てパンツ一枚の姿になった。少しだけ膨らんだ胸が、彼女が少女であることの証明になっていた。そして昨夜脱ぎ捨てた洋服を手に取り、匂いを嗅いでから身につけていった。前の日に買ってもらった洋服は、日の目を見るにはまだまだ時間がかかりそうだった。  フェイが身支度を整えている頃、ナイトは床に座って左腕の義手を顕にしていた。右手に精密ドライバーがあるところを見ると、左腕の調整をしようと言うのだろう。床を見ると、潤滑用の油とウエスも置かれていた。そして指をコキコキと動かしながら、ナイトは黙々と調整ネジで感覚と実動の誤差を調整した。同じ手間は、義足となった左足にも掛けることになっていた。  ナイトが義手と義足を調整している間に、身支度を整えたフェイは朝食の準備に取り掛かった。ただ朝食と言っても、特に凝ったことをするわけではない。固いパンを切り分けるのと、目玉焼きとベーコン、そして前の日の残りのスープを温めるだけである。 「……ナイト、できた」  それがこの日初めて交わされた言葉である。「そうか」と答えたナイトは、精密ドライバーを床において食卓となったテーブルに着いた。そしてフェイの用意した朝食を、「いただきます」の挨拶もなく機械的に腹の中へと詰め込んでいった。  一方のフェイは、「いただきます」と口にしてから、スープをスプーンで掬いあげた。そしてナイトの半分にもならない量を、ナイトと同じだけの時間を掛けてお腹の中に収めたのである。それから「ごちそうさま」と手を合わせたフェイは、使った皿を持って台所へと入っていった。そして皿をシンクに入れた代わりに、真っ黒なコーヒーをマグに入れて持ってきた。 「ナイト、コーヒー」 「ん」  たったそれだけのやり取りをして、ナイトは受け取ったコーヒーを冷ましながら啜った。二人の間に会話が弾むことはない。ただ必要最低限のやり取りと言うのが、二人の日常になっていたのだ。 「9時10分前には出るからな」  一通り終われば、フェイは汚れ物を洗いに台所へと戻っていった。そしてナイトは、中断した体の手入れを再開した。この手入れを怠ると、鈍痛として自分に返ってきてくれるのだ。そして仕事の場では、死につながるエラーになりかねなかった。だからナイトは、重要な日には念入りに義手と義足の調整を行っていた。特に今日は、現場へのサーベイに行くことにしていたのだ。小さなミスが命取りになるのは、ナイトがさんざん目の当たりにしたことだった。  そして予定の9時10分前から少し遅れ、ナイトはフェイを連れてアパートを出ようとした。そこでまた、最近越してきたと言うお隣さんと顔を合わせてしまった。眠そうな顔をして外から戻ってきたのを見て、朝帰りかと相手の事情を想像したのだった。 「おや、お出かけですか?」 「そちらは、朝帰りか?」  ちくっと言い返したナイトに、同じぐらいの年の男は「そんなものです」と笑いながら頭を掻いた。 「ただ、朝帰りだからと言って、必ずしも色っぽい話とは限らないと言うことです」 「世の中なんて、その手の不条理に満ち溢れてるもんだよ」  それだけ言葉をかわし、「じゃあな」と手を振ってナイトは階段を降りていった。そしてその後を、足が引っかからない程度の距離でフェイがくっついて降りていった。それは、男がここに越してきて以来、毎日のように見かける光景でもある。 「メイプルさん。分析結果は出たかな?」  二人を見送ったところで、トラスティは探査船メイプル号のAIを呼び出した。毎日遊び歩いているように見えても、ちゃんと調査を続けていたのだ。 「はい、今の二人からはポジティブ反応がでています」 「昨夜の女性は?」  追加の質問に、「少しお待ちを」とメイプルは答えを引き伸ばした。そしてトラスティが部屋に入ったところで、「答えが出ました」と報告をしてきた。 「ノブハル様が相手をされた方はネガティブです。トラスティ様が相手にされた方は、ポジティブになっていますね」 「結構高い割合でパンデ遺伝子保有者がいると居ることか」  ふむと考えたトラスティは、「逆か」と小さく呟いた。 「大昔から神とやらが仕組んだのなら、ネガティブが居ることの方が不自然と言うことか」 「そうですね。全員がポジティブでないことの方が不自然だと思います。ただ、たまたま保有者ばかりに行き当たったと言う可能性も否定できません」  結論が早すぎるとの忠告に、「なるほど」とトラスティは頷いた。 「他も調べてみないと、結論を出すのには確かに早すぎるね。その意味では、ネガポジの両サンプルに会ったのは都合がいいのかもしれない」 「確かにそのとおりなのですが……深入りをすると、にっちもさっちも行かなくなりますよ」  「くれぐれもご自重を」との忠告に、「気をつけておく」とトラスティは軽く答えたのだった。  安アパートを出たナイトは、いつものように左足を引きずりながら公共福祉局に歩いてきた。そして短い階段を上がって、1階のエントランスへと入っていった。まだ時間が早いお陰か、1階の職安にはまばらにしか人は居なかった。どうやら傷病退役軍人と言う奴は、朝から勤勉に働くことに向かない人種のようだ。  1階を素通りしたナイトは、そのまま建物の3階へと上がっていった。そして「特殊職業斡旋所」と書かれたドアを開け、その中へと入っていった。目的は、前の日に頼んだ足の確認と、ゲートの外に出るための許可証二人分を受け取るためである。  普段は人の多い「特斡」も、時間が早ければ人影もまばらになる。それもあって、どの窓口にも行列はできていなかった。よりどりみどりの状況なのだが、ナイトはいつもどおり「死の窓口」へと並ぶことにした。特に拘りがある訳ではないが、話が通っている分説明の手間が省けると思っただけだ。  ただ今日に限っては、別の窓口にすればと後悔をしてしまった。「死の窓口」に居る美人だが無愛想な女が、なぜかニコニコと笑みを浮かべていたのだ。しかも自分の顔を見るやいなや、「用意できていますよ」と少し媚の入った声を出してくれるではないか。予想もしないその態度に、ナイトは背中に冷たいものが流れるのを感じていた。  そして自分の恐怖が伝染したのか、フェイが服の裾をぎゅっと掴んでくれるではないか。服の引っ張られ方からすると、どうやら彼女も震えているようだ。  自分を包むどうしようもない恐怖に、ナイトは許可証を突き返して帰りたくなっていた。だが愛想良く笑った受付嬢は、自分を逃してはくれないようだ。さっさと死ににいけとばかりに、「お疲れ様」と言って自分を追い出してくれたのだ。これで2通の許可証は付き返せなくなり、自分とフェイは有害生物の待つウガジンダムに行くことが決まってしまった。  それからどこをどう歩いたのか記憶が無いが、ナイトは自分がオフロードタイプの車に乗っていることに気がついた。どうやら確実な死と言う奴は、自動的に自分を死地へと連れて行ってくれるようだ。そこで隣を見ると、フェイが自分の洋服の端を掴んで顔色を悪くして震えていた。 「後、10分ほどで着きます」  前で車を運転しているのは、恐らく水源管理公社の者なのだろう。そこで問題となるのは、降ろされる地点まで10分と言う事実だった。街のゲートから目的地までの距離を考えると、自分の時間は40分ほどジャンプしたことになる。 「5時間後に迎えに来ればいいんですよね?」 「あ、ああ、それでいい」  乾いて張り付く喉から、なんとか答えを絞り出すことができた。どうしてこうなると怯えながら、ナイトは降ろされてからのことに意識を向けた。管理棟から1kmと言うことは、侵入感知センサーからなら800mの距離と言うことになる。フェイを連れての行動なら、そこまでは15分の道のりとなるのだろう。  そこから管理棟の観察を行い、外周を回って見取り図にないものがないかの確認を行う。もしも叶うのなら、ダム側からの観察も行いたいと思っていた。  仕事のことを考えたお陰か、少しだけ精神状態はましになってくれた。そしてようやく回り始めた頭で、教えて貰った情報を何度も反芻した。これから先は、たとえ偵察と言っても一つの失敗が命取りになりかねないのだ。そのためには、どんな小さな見落としも許されないことになる。腰の雑嚢に手を当てたナイトは、武器の手触りに軽く安堵を覚えていた。  何度も深呼吸を繰り返したところで、「ここまでです」の声と同時に車が止まった。そしてドアを開けて出ていこうとするナイトに向かって、局の男は「無理をしないように」と声を掛けてきた。どうやらまだ若く見える男は、自分のことを心配してくれているらしい。 「無理をしてうまくいくのなら、いくらでも無理をしてやるさ」  だが無理をすれば、逆に勝算が減ってくれるのだ。だからナイトは、いつも計画通りに行動することにしていた。あと少しと欲を掻くことが、命取りになるのは珍しくないことだったのだ。  それでも気を使ってくれたことは確かなのだろう。「頼むぞ」と言い残して、ナイトはフェイを連れて舗装されていない道を管理棟に向かって歩きだした。  急がず確実に歩みを進めながら、「カンクは」とナイトは失敗した仲間のことを考えた。あの慎重な男なら、同じように事前に下見に来ているはずだ。だとしたら、そこで何を見て、何を考えたのかを推測する必要がある。そして下見で行った判断が、結果的に命を落とすことに繋がったのだ。だとしたら、判断ミスの決め手はなにか。それが分かれば、自分は同じミスを犯さずにすむことになる。  そう考えたナイトだったが、15分の道のりは極めて平穏なものだった。少し後ろでフェイが息を切らしているが、それ以外はのどかな景色が広がっているだけだったのだ。 「静かすぎる……な」  そう口にしたところで、それがおかしいことにナイトは気がついた。そこそこ広いとは言え、要員が非常駐の管理事務所なのである。食料のストックなど、あってもたかが知れているはずだ。そこに多くのアコリとニダーが居るのなら、あっと言う間に食い尽くされていてもおかしなことではない。あの脳の詰まってない化物は、節約と言う概念を持ち合わせていないのだから。 「予想外に食料のストックがあった?」  犯行を主導した信者のことを考えれば、事前に食料を運び込んでいても不思議ではない。それが正しければ、食い物を求めてアコリが外を彷徨かなくても済んでくれるのだ。きっとそうに違いないと決めつけたナイトだったが、それでも嫌な予感だけは高まってくれた。確かに食料を運び込んではいるのだろう。ただそれ以外にも、食料を調達できることに気づいたのだ。 「いやいや、余計なことを考えるなっ」  そこで激しく頭を振ったのは、「食料なら7人分ある」と頭に浮かんでしまったからだ。犠牲になった保守員が3人。そして失敗したカンク達が4人。悪食のアコリとニダーなら、人の肉も食料として数えられる。 「だ、だとしてもだ。さほど長くは食い繋げないぞっ」  どれだけ数がいるのかわからないが、言ってみればたった7人分しか人肉は無いのだ。そう思い込もうと考えたナイトだったが、更に悪い考えが浮かんでしまった。自分は、これがコーギス信者一人の仕業と決めつけていないかと。他に協力者がいれば、食料の補給も可能ではないのかと……  ぶるっと身を震わせたナイトは、「きゃあ」と言うフェイの悲鳴で我に返った。そしてほとんど反射的に、体を地面に投げ出した。砂まみれになった顔を上げてみたら、自分を乗せてきた男が棍棒のようなものを振りかぶっていた。  もう一度地面に転がったナイトは、腰の雑嚢に手を突っ込んだ。そこでギリギリの判断から、少し大ぶりのナイフを取り出した。銃を使うと、むざむざ敵に存在を教えることになってしまう。  大ぶりのナイフを取り出したナイトは、慣れた手付きで、まだ若い男めがけて投げつけた。ただ慌てて投げられたナイフは、クリティカルな攻撃にはならなかった。それでも眉間にナイフがあたった男は、血を流しながら一歩後ずさった。そして今度は用心深く、棍棒を構えてナイトへにじり寄ろうとしていた。  流石にまずいかと拳銃を触ったナイトだったが、次の瞬間男が棍棒を取り落としてくれた。一体何ごとと男の後ろを見たら、フェイが拳ほどの石を男めがけて投げつけていた。それを好機と捉えたナイトは、ナイフを拾い上げて男へと飛びかかった。そして男を組み伏すと、反撃される前にその首を掻き切った。喉を切られた男は、ごぼごぼと口から血を吹き上げやがて窒息してその場で息絶えた。  大きく息をしたナイトは、少し離れたところで肩で息をするフェイを見た。もしもフェイが声を上げてくれなければ、間違いなく自分は撲殺されていたことだろう。そして石を投げてくれなければ、負けないまでも手こずっていたのは確かだった。下手をしたら、管理棟に居るアコリやニダーを呼び寄せていたかもしれない。  ふうっと大きく息を吐いたナイトは、「こっちに来い」とフェイを手招きした。そして恐る恐る近づいてきたフェイに、「よくやった」とぎこちない笑顔を向けた。 「な、ナイトが私を褒めてくれたっ!」  ぱあっと顔を輝かせたフェイを、可愛いなとナイトはぼんやりと見ていた。ただすぐに、このままだと危険だと現場から離れることにした。この男がコーギス信者で、管理棟を占拠した男と繋がっているのなら、間違いなく自分達のことも知られているのだ。だとしたら、長居をすれば間違いなく様子を確かめに来ることだろう。  すぐに逃げなければと、ナイトは男の持ち物を漁った。そして車の鍵を見つけると、行くぞとフェイの手を引き来た道を大急ぎで戻った。確実な死がすぐそこまで迫っている。その恐怖が、ナイトの背中を押したのだ。  行きには15分掛かった距離を、帰り道は8分で踏破することになった。そこから100mほど離れた場所に車を見つけ、ナイトは周囲に用心しながら近づいていった。敵が一人だと決めつけるのは危険だし、なにか仕掛けがされている可能性もあったのだ。その意味で言えば、リアシートの後ろにある荷室もチェックが必要だった。  だがリアゲートを開いたところで、ナイトは思わず「なんてこった」とうめき声をあげてしまった。アコリでも出てくるかと身構えていたのだが、出てきたのが知らない男の死体だったのだ。 「つまり、こいつが本物の水源公社の職員ってことか……」  死体が下着姿と言うことは、自分を襲った男が剥ぎ取ったと言うことだろう。ただそうなると問題は、自分の行動がコーギス信者に漏れていたことだ。公共福祉局か水源管理公社、もしくはその両方に内通者が居ることになる。そしてもう一つの問題は、自分が奴らのターゲットとして認知されたことだ。  そこでナイトは、自分が一つ失敗したことに気づいた。自分を襲った男の顔を、証拠として残していなかったのだ。 「戻る……のは、死にに行くようなものだな」  襲撃のための武器は、まさに調達しているところなのだ。その状態で危険に近づくのは、得られるものがあってもリスクが高すぎるのは間違いない。 「仕方がねぇ。戻って作戦を立て直すか」  運転席に乗り込んだナイトに遅れて、フェイが助手席に乗り込んだ。その顔色が良くないのは、襲われたことを考えればおかしなことではない。「厄日だな」とぼやきながら、ナイトはゲートに向けて車を走らせたのだった。同じ経路を戻るのであれば、オートパイロットに運転は任せられたのだ。  それから40分ほど走ったところで、ナイトは出てきたゲートへとたどり着いた。ただ簡単には中には入れず、ナイトとフェイの二人は取り調べ室へと連行された。荷室に死体を積み込んでいるのだから、それもまた妥当な措置と言えただろう。  仕方がない、そして必要な措置だとは理解していても、やはり厄介事であるのは間違いないだろう。「厄日だ」とぼやいたナイトに、入ってきた二人組の男はニコリともせず「説明を」と切り出した。 「まず、俺の立場からはっきりさせておく」  この手のことは慣れていると、ナイトは公共福祉局発行の身分証を提示した。 「ナイト・ブリッジ。シルバークラスの危険生物駆除資格を持っている。今日は、水源管理公社から受託した、ウガジンダム管理棟危険生物駆除の下調べのため、水源管理公社の車で現地に行った。そして下見の途中で、車を運転していた男に襲われ、逆襲して撃退をした。ただ迅速な現場離脱が必要だったため、男の顔写真等の証拠収集ができなかった。そして残された車を確認したところ、荷室に身ぐるみを剥がれた死体を見つけた。かいつまんで説明をすると、以上と言うことになる」 「君が、水源管理公社の職員を殺したのではないのか?」  疑ってかかってきた相手に、「俺を襲った奴の身元は知らん」とナイトは言い返した。 「持って返ってきた死体だったら、俺は殺していないぞ」 「本当に、君を襲ったと言う者は存在するのか?」  作り話を疑われたナイトは、やはり失敗だったと顔写真を取らなかったことを嘆いた。  さてどう説明したものかとナイトが悩んだ時、「あの」とフェイが小さな声をあげた。 「ゲートで、運転していた人の写真も撮っているはず」  その言葉にナイトはでかしたと手を叩き、取り調べの男二人はお互いの顔を見合わせた。そして若そうな男が頷くと、急ぎ足で部屋を出ていった。 「最近信者の活動が活発になっているのは確かだ」  ぼそりと切り出した年配の係官は、少し表情を和らげナイトの顔を見た。 「そこでの問題は、信者かどうかは見て分からないことだ」  何をいきなりと思いはしたが、男の言っていることに間違っているところはない。だからナイトも、「そうだな」と相槌を打った。 「事件を起こして、初めて信者だったことが分かると言う体たらくだ。だからどうしても、対策が後手に回ってしまう。あんたを襲った奴も、恐らく「前」は出てこないだろうな」 「それぐらいのことは分かっているつもりだが?」  それがどうしたと言い返したナイトに、「ただの愚痴だ」と男は笑った。そして息を切らして戻ってきた男に、「結果は?」と答えを求めた。 「死体と別人であることが確認できました。ただ、運転していた男も水源管理公社の職員です」  どれだけ汚染されているのだと、ナイトはこの事件の首謀者のことを考えた。そして、これでは口止めをした意味もなくなるなとも考えた。こうして殺人事件まで起きてしまうと、犯人の身元は白日の下に晒されてしまう。目端の利くマスコミなら、ウガジン事件との共通性に気づくことだろう。  この確認で、ナイトの証言の裏が取れたことになる。ゲートを出る時に1人しか公社の人間がおらず、そして荷室の中に別の公社の人間の死体が入っていたのだ。ナイトが犯人とするには、無理の有りすぎる状況と言うのが確認されたのである。 「余計なお時間を使わせてしまいましたな」  申し訳無さそうな顔をした係官達は、もう一つナイトにとって厄介なことを言ってくれた。 「あの車ですが、証拠として保全の必要があります。従って、ここからは自力でお帰り願うことになります」 「街まではどうやって?」  街と外部世界と隔てるゲートには、当然のように緩衝地帯が設けられていた。そしてゲートを出るには許可証が必要なこともあり、一般人向けの交通機関は整備されていない。最低でも1km歩かないと、人の住むエリアには届かない場所だった。 「歩いて。さもなければ、巡回バスを待って貰うことになります。次のバスまでは、1時間40分ほど待って頂くことになります」  つまり、このなにも無い施設に2時間近く居るか、さもなければなにも無いエリアをトコトコ1km以上歩けと言うのだ。あーっと考えたナイトは、「タクシーは?」と他の交通手段を尋ねた。 「呼べますが……法外な料金を請求されますよ」  そう答えた年配の男は、流石に可愛そうになったのか「水資源公社に請求したら?」と助け舟のようなものを出してくれた。 「責任と言う意味では、100%あちらにありますから」 「そりゃあ、そうなんだが……で、タクシーは呼んだら来てくれるのか?」  その答え次第では、タクシーを呼ぶことに意味がないことになる。ただその質問に対して、男達は答えを持ち合わせていなかった。 「確か、前回呼んだ時には1時間ぐらいだったかと。法外な料金を請求されたので、それ以来呼んでいません。果たして今呼んで来てくれるのかどうかは不明ですね」  期待した、そして思ったとおりの答えに、ナイトは歩いて帰ることを決断した。たかが1km程度なら、15分も歩けば人の住むエリアにたどり着くことができるのだと。  大きく息を吐いたナイトは、ちょこんと座っているフェイの顔を見た。それから男達の顔を見て、「歩いて帰る」と告げた。 「すみませんね。交代時間でしたら、途中までお送りできたのですが」  多少は申し訳無さそうな顔をした男に、「しかたねぇよ」とナイトは引きつった笑みを浮かべたのだった。  結果的を見ると、歩いたことが良かったのかどうかは判断が難しいところだった。確かに考えたとおり、人の住む街までは20分も掛けずにたどり着くことはできたのだ。だが公共交通機関を乗り継ぐためには、そこから更に30分歩かなければならなかった。バスに乗ればそこからは早かったのだが、そこまでに1時間近く費やしたことになる。そしてそれだけの時間を歩き続けたことで、ナイトはともかくフェイが体力の限界を迎えていた。お陰で最後の5分ほどは、歩けなくなったフェイを背負うことになってしまった。  そうやってたどり着いた公共福祉局で、ナイトはいきなり男達に囲まれてしまった。そしてペタペタと体を触られ……中には不埒にもフェイの胸を撫でた奴もいたが……「幽霊じゃねぇな」と言う意味不明の言葉をかけられた。 「おい、俺はまだしも、女の子の胸を触っておいて幽霊じゃねぇは無いだろう」  凄んだナイトに、「金床を触っても嬉しかねぇ」と誰かが言い返した。あまりの正論にナイトが詰まったところで、「金床って?」とフェイがナイトの袖を引っ張った。 「後から教えてやるっ」  話が面倒になるとお座なりで済ませたナイトは、「一体何なんだ」と集まった男達に聞いた。 「おめえ、今日も死の窓口を使ったんだろう?」 「昨日も使ったさ。それがどうかしたのか?」  ああんと凄んだナイトに、「怖くなかったか?」と男達は真剣に聞いてきた。 「そんなもん、いつものこと……」  そう言いかけたところで、ナイトは今朝のことを思い出した。確かにあの時は、言いしれない恐怖を感じていたのだ。 「た、確かに、今日はいつもと違っていたな……」  ナイトの言葉に、集まった男達全員が大きく頷いた。 「お陰で、俺達ゃ3階に上がっていけねぇんだぜ」 「ああ、無愛想にしてくれてる方がマシだなんて、想像だにしてなかったぞ」  怖かった怖かったと口々に言う男達に、「確かに」とナイトも頷くしかなかった。否定してやる義理はないし、本気で死ぬような目に遭ってきたのだ。 「とりあえず生きて帰ってきたようだから、俺達が怖がり過ぎなのかもしれんな」 「にしても、ありゃあ不気味だぞ」  全くだといいながら、男達はナイトから離れていった。一つだけ分かったのは、とりあえず自分が心配して貰ったことだ。 「なんか、3階に行きたくなくなった……のだが?」  だがあったことの報告は必要だと、ナイトは意を決して3階への階段を登っていった。やけに足が重く感じるのは、気持ちのせいか、はたまた午前中に歩きまくったお陰なのだろうか。  そして後ろ向きの気持ちのまま扉を開いたら、「早かったですね」と言う受付嬢の言葉に迎えられた。自分を囲んだ男達の言葉通り、「特旋」の中には人っ子一人男達はいなかった。  「おっ、おう」と怯みながら答えたナイトに、「報告ですか?」と受付嬢は微笑んだ。とても綺麗な微笑みのはずなのに、ナイトは少し気が遠くなるのを感じてしまった。「ご苦労さまです」と言う言葉が、何かの間違いであって欲しいと願ったぐらいだ。  それでも気を取り直したナイトは、もう一度「依頼だ」と受付嬢の顔を見た。 「はい、何でしょうか?」  次はどうやって料理してやろうか。普通に答えられているだけなのに、ナイトは自分がまな板の上の鯉になった気持ちを味わっていた。 「今日のサーベイは邪魔が入った。信用できる奴を探して欲しい」  もう一度だと口にしたナイトに、受付嬢の浮かべていた笑みが消えた。「この方が落ち着くな」と、ナイトはとても失礼な感想を持っていた。 「何がありました? 依頼した先は、水源管理公社なんですよ。十分信頼できる相手だと思いますが」  少しずつトーンが落ちて、普段の無愛想さが顔を出してくれた。ようやく調子を取り戻せると、ナイトは「襲われた」と起きたことを説明した。 「ああ、確かに水源管理公社の奴なのだろうな。2人組のはずなのに、なぜか1人で現れてくれたよ。そして居たはずの相方は、荷室の中で冷たくなっていた。それを知らずにのこのこと付いていった俺達は、危うく殴り殺されるところだったと言うことだ」 「水源管理公社に、信者がいたと言うことですか。誰が信者か分からないのですから、いても不思議ではないのでしょうけど」  ううむと考えた受付嬢は、後ろを振り返って少し頭の薄い上司に「局の車を使えますか?」と聞いた。 「使えることは使えるが、誰が運転をするんだ? 雇っている運転手の契約条件から外れるぞ」  車があっても、運転手がいないと言うのである。ううむと綺麗な顔を顰めた受付嬢は、車の運転をするような仕草をした。それをしばらく繰り返してから、小さく一つ頷いた。 「でしたら、私が運転手をしますっ! どうせ私の窓口は、応募者が来なくて暇ですから」  言っていることに間違いはないが、職員が言って良いことではない。ただその突っ込み以上に、彼女が運転すると言うことの方がナイトにとっては大きな問題だった。 「ち、ちょっと待てっ! お前、運転したことはあるのか……ってより、免許を持っているのか?」 「当然持っていますよっ!」  ほらと言って差し出されたのは、まだ新しいライセンスだった。ただ問題は、ライセンスに表示された積算運転距離が、1kmも無いことだった。つまり、バリバリのペーパードライバーと言うことになる。おいおいと手で顔を隠したナイトに、「今日と同じ9時でいいですね」となぜか受付嬢は張り切ってくれた。  そこでフェイを見たら、顔を青くしてふるふると首を横に振ってくれた。それに頷いたナイトは、「遠慮する」と迷惑な申し出に断りを入れた……のだが、「下見は必要ですっ!」と何故か迫力満点の反撃を食らってしまった。 「ですから遠慮なんて必要ありません!」  良いですねと、受付嬢はじっとフェイを見て言ってくれた。その迫力に負けたのか、フェイは顔を青くしたままコクコクと頷いた。 「ほら、この子もその方が良いと言っていますよ」 「い、いや、その、流石に危ないだろう」  だから考え直してはと、ナイトは追い詰められながら言い返した。 「その子を連れて行っているのに、今更危ないのですか?」  矛盾してますよねと、ナイトの事情を無視して受付嬢は反論した。こうなると、理屈が通じないことぐらい理解できる。「分かったよ」と受付嬢の提案を受け入れたナイトは、「9時だな」と言って「特旋」を出ていった。「最後の晩餐だな」と言う呟きが聞こえてきたが、あいにく受付嬢の耳には届いていなかった。  ナイト達が出ていったことで、特旋のフロアには職員以外誰もいなくなった。そのガランとした中で、「大丈夫なの?」とシシリーが声を掛けてきた。本当はもっと前に止めたかったのだが、相方の剣幕にその機会を逸してしまったのだ。 「大丈夫です。ゲートの外に出れば、歩行者も対向車もいませんから!」  楽勝ですと答えたメリタに、「そっちじゃなくて」とシシリーはナイトのことを持ち出した。 「アコリとかニダーが居る場所の近くに行くのよ。私は、危ないと思うんだけど……」 「離れたところで降りていただけば大丈夫です。それに、下ろした後はもう少し離れたところで時間を潰していますから」  もう一度大丈夫と繰り返した相方に、「男の人と二人きりでも?」と痛いところを突いてきた。 「ふぇ、フェイちゃんが居るから、ふ、二人っきりってことは無いと思う、思います」  そちらの方は、今まで意識していなかったのだろう。いきなり焦った相方に、「考えていなかったのだな」と直情型の相方のことをシシリーは思った。 「まあ、ナイトさんにも選ぶ権利があるから大丈夫だと思うけど」  間違いが起きても、自分には影響は出ないし。イケメンを捕まえたことで、シシリーの気持ちも大きくなっていたのだ。  「ちゃんと練習をしておけ」と言うありがたい上司の助言のせいで、メリタは終令の後に公用車の運転練習をすることになった。「待ち合わせの時間がぁ」と人に言えない理由で焦ったメリタだったが、練習自体は願ったり叶ったりの物だった。何しろ教習所以来、運転席に乗ったこともなかったのだ。お陰で始動の仕方から、マニュアルと首っ引きになってしまった。 「ええっと、街の中は自動運転で良いけど……外に出たら、セミオートになるのよね?」  切替方法はとマニュアルを見たら、一応自動と言う事になっていた。それで胸を撫で下ろしたのだが、次なる関門はセミオートになってからのことだった。自動ブレーキコントロールはあるが、加速や操舵は自分でしなければいけなかった。当然ナビはあるのだが、その設定から始める必要があったのだ。あたふたと操作する彼女に、契約している運転手は「自分が」と言いかけたぐらいである。  それをなんとか思いとどまった契約運転手は、途方にくれながら「基本」をメリタに教え込んだのである。お陰で死なない程度にはなったのだが、その結果メリタは、待ち合わせの時間に大遅刻をすることとなった。しかも着替えをできないと言う、大失態を犯したのである。 「流石にいないわよね……」  時間に気づいた時には、メリタの顔から血の気が音を立てて引いていったぐらいだ。それでもかすかな望みを持って、メリタは待ち合わせの噴水へと向かった。ただ着いた時には、待ち合わせの定番箇所にもかかわらず、人影はまばらになっていた。お陰で確認は楽になったのだが、当たり前だが目指す相手を見つけることはできなかった。 「普通は、怒って帰るよね」  肩を落としたメリタに、「それは困る」と後ろから声が聞こえてきた。もしかしてと振り返った先には、約束をした男……トラスティが苦笑を浮かべて立っていた。 「それだと、僕が普通じゃなくなってしまう」 「トラスティさん?」  本当に待っていてくれたのか。時間を見たら午後8時半を過ぎている。つまり、1時間半以上待たせたことになるのだ。 「そうですよ。まだ顔を覚えて貰えてなかったんですね」  残念だと嘆いたトラスティに、「違います」とメリタは大声を上げた。その結果、周りにいる者達の視線を一斉に集めることとなった。少ないとは言え人がいるところで大声を上げれば、必然的に導き出される結果である。  それに気づいて声を潜めたメリタは、「怒って帰られたのかと思ったんです」と言い訳を口にした。 「ですから、ちょっと信じられなくて」 「まあ、1時間半も立ちん坊をしていたら、流石に痛い男だと思いますよね。普通は」  そう言って笑ったトラスティは、「最初の30分は待っていましたよ」と告げた。 「その後は、そこのカフェで時間を潰していました。もっとも、居心地はかなり悪かったのですけどね」  カップルばかりでと笑われ、メリタはますます恐縮してしまった。 「ところで、これからどうしますか? お腹が空いているので、どこかで食事をしたいのですが」 「このあたりは、結構お店が閉まるのが早くて……」  そのあたり、1時間半も遅れたつけと言うことになる。困ったなと悩んだメリタは、仕方がないといつも行っている居酒屋に行くことにした。「デート」で行くにはムードもへったくれも無いのだが、遅くまで開いているありがたい場所だったのだ。 「その、居酒屋でも良いですか?」 「あなたとなら、どこでも構いませんよ」  喜んでと、トラスティはメリタの肩を抱いた。そこで「図々しかったですか?」と尋ねるトラスティに、「そんなことはありません」とメリタは体を寄せた。夜の街を歩きながら、「今夜はどうしよう」と鬼畜なことをトラスティは考えていた。  メリタに連れて行かれたのは、アルトレヒトではメジャーな居酒屋チェーンだった。時間が9時近いこともあり、すでに店の中は酔っ払いで溢れ、到るところで手拍子の音が鳴り響いていた。男女のムードを高めるには、これ以上不向きな場所は無いだろう。  ここでも「ごめんなさい」を連呼するメリタに、「次の機会を期待しましょう」とトラスティは笑ってみせた。当然次の機会と言う言葉に、メリタはしっかり喜んでいた。  とりあえず泡の出る飲み物をグラスで頼んでから、「ここのお勧めは?」とトラスティは尋ねた。 「ごめんなさい。ここでは、あまり食べたことがなくて……」  もともとやけ酒を飲みに来ていたので、料理の方をまともに見たことがなかったのだ。その事情を口にすることはできないので、メリタは「ごめんなさい」と謝って誤魔化した。 「いえ、今日は無理をさせてしまったようで。こちらこそ申し訳ないと思っていますよ」  忙しかったんですねと言う問いに、「はい」と答えるのは良心は痛まなかった。理由はともあれ、忙しかったことには変わりがないのだから。 「お誘いをしてご迷惑ではありませんでしたか?」 「そそそそ、そんなことはありませんっ!」  実は嬉しくてしっかりと舞い上がっていたのだが、それを口にするのは流石に恥ずかしすぎた。 「それよりも、お詫びがこんなお店になってしまって……」  そう言って萎れたメリタに、「お詫びだけなのですか?」とトラスティは問いかけた。 「僕は、あなたとデートをしているつもりなんですが」  そう口にしてから、「痛い男ですね」とトラスティは自嘲した。 「出会い方は最低最悪のものでしたが、逆に縁を感じた……と言うのも痛さ全開ですね」  そう言って口元を引きつらせ、「ご迷惑をおかけしました」とトラスティは頭を下げた。  トラスティの言葉に、メリタは盛大に焦っていた。何しろ好みの相手は、これが単なる「お詫び」だと思いこんでいるのだ。しかも本人が勝手に盛り上がっただけだと恥じてもいてくれる。このままだと、お付き合いどころか次に会う約束すらできなくなってしまう。  ただ焦っては見たが、どうしたら良いのか全く浮かんでくれなかった。お陰で料理を頼むどころか、目の前の飲み物にも手を付けられなかった。 「やはり、あなたには無理をさせてしまったようですね」  料理も頼まず、お酒にも手を付けていないのだ。それを見れば、普通は無理をさせたと考えてしまうだろう。そしてその「普通」を演じたトラスティは、「出ましょうか?」とメリタに声を掛けた。 「あなたの誠意は、十分に理解できました。ですから、これ以上無理して痛い男に付き合う必要はありませんよ」  そこで会計を頼んだのんだが、当然のようにタダ同然の値段となっていた。請求額と同額のチップを置いたトラスティは、「あなたには感謝します」と小さく会釈をした。 「少しだけ、夢を見させて貰いましたからね」  もう一度感謝しますと口にしてから、トラスティは席を立って出口の方へと歩いていった。あまりにも突然の、そして考えても居なかった結末に、メリタはその後姿を呆然と見送ってしまった。  そこでメリタが正気を取り戻したのは、「お客様」と心配した店員に声を掛けられたからだった。慌てて立ち上がったメリタは、脱兎のごとくお店を飛び出した。我を忘れた時間を考えても、まだ遠くに行っていないはずだと思ったのだ。  そしてほとんど勘を頼りに、メリタはタクシー乗り場へと走っていった。夜道を歩いて帰るとは思えないので、手近なタクシー乗り場に居ると予想したのである。ありがたいことに、この時間帯なら結構待つことも分かっていた。  そして「神」がメリタに味方をしたのか、タクシー乗り場でトラスティの姿を見つけることができた。ちょうど順番が来たところと言うのは、ギリギリセーフと言っていいのだろう。そして車に乗り込もうとしたトラスティを中に押し込み、自分もその横に滑り込んだ。知らない者が見たら、誘拐かと思うような見事な手際だった。 「ミラマー通り15のサンタフェアパートに」  説明するより前に、メリタは目的地をAIに告げた。そして荒くなった息のまま、「ごめんなさい」とトラスティに謝った。 「わ、私も、デートだと思っていました。でも、恥ずかしくて、その、お詫びだって……自分に言い聞かせて。その……」  そしてもう一度「ごめんなさい」と。泣きながら説明をしたメリタに、「こちらこそ」とトラスティは謝った。それからトラスティは、タクシーの目的地へ割り込みを入れた。 「目的地を修正。どこか、食事のできる落ち着いたお店を」  優秀なAIは、乗車している客の年齢性別とリクエストから、瞬時に必要な情報を検索する。そして同時に空き席情報も検索するので、その程度のリクエストでもちゃんとした目的地を選んでくれる。 「10件ほど候補があります。5分ほどの場所に、フュージョン料理のお店があります。今でしたら、半個室のお部屋が空いています」 「じゃあ、そこで」  目的地変更を済ませたトラスティは、「やり直しをしますか」とメリタに問い掛けた。 「そしてもう一つ。あなたのお部屋に行くのは、まだ早いと思っていますよ」  もっとお互いを知ってから。トラスティの言葉に、メリタは何度も頷いたのだった。  おすすめに従っただけのことはあり、出された料理はなかなかのものだった。そして時間が遅いことが幸いし、店内の客もかなり少なくなっていた。普段は手を出せない高級なワインを飲みながら、メリタは自分のことをトラスティに教えていた。   −両親を10年前になくしたこと   −死んだ両親が、かなりの金満家だったこと   −両親の死後、親戚の家でお世話になっていたこと   −親戚の家には、自分より年上の従兄がいたこと   −特に理由がないはずなのに、今まで男性と付き合ったことがないこと   −職場では、お客さんから縁起が悪いと嫌われていること   −明日の朝、お客さんを乗せてゲートの外まで行くこと  他にも仕事のこととか、結構危ないことまで口にしていた。それを聞かされたトラスティは、特に指摘をすること無くニコニコと笑って居るだけだった。 「その、自分で言うのも何なのですけど。職場の私は、かなり無愛想だと思います」 「無愛想……なんですか? ちょっと想像ができませんね」  驚いたトラスティに、「こんな風に」とメリタは職場での自分を再現してみせた。感情を奥深くしまいこんだ顔は、確かに無愛想にも見えることだろう。 「僕には、ただ綺麗な人にしか見えませんが?」 「でも、受け答えも慇懃無礼になっていますし……」  だからと顔を伏せたメリタに、「おかしな人ですね」とトラスティは笑った。 「とても綺麗でとびっきりのスタイルをしているのに。あなたは少しも自信がないように見えますよ」 「その、あまりそんな事を考えたことがなくて……」  容姿を褒められ、メリタは俯いたまま顔を赤くしていた。 「それに、私の窓口は「死の窓口」って言われているんです。危険なお仕事を斡旋するので、確かに無くなられる方は沢山いらっしゃるのですが……友人の窓口でも無くなられている方が居るのに、私の窓口だけ「死の窓口」と避けられているんです」 「でも、明日はお客さんを連れてゲートの外までいかれるのですよね?」  お客さんが居ると言う意味での指摘に、「今日もトラブルが有りました」とメリタは守秘義務に触れることを口にした。 「今朝のことですけど、その人のために案内を手配したんです。ですが、その案内に手配した人が信者で……目的地に着いたところで、その人は殺されそうになったそうです。そのせいで調査ができなくなったので、明日私がお連れすることにしたんです。その、その人の仕事と言うのはっ」  全部洗いざらい話そうとしたメリタの口に、「駄目ですよ」とトラスティは身を乗り出して人差し指を当てた。 「あなたのしていることは、恐らく守秘義務違反になることです。僕はあなたに、違反行為をさせたくない」  静かに注意をされたメリタは、「そうでした」とそれ以上の説明を思いとどまった。 「すみません。今聞いたことを忘れてもらえませんか?」 「あなたに迷惑をかける真似はしませんよ」  だから大丈夫と保証したトラスティは、「心配ですね」と付け加えた。 「話を伺った限りでは、お客さんと言うのは男性ですよね。その人には失礼なことを言っていると思いますが、間違いが起きないか不安になってしまうんです」 「大丈夫かって、友達にも言われました」  でもと。メリタはナイトのことを弁護した。 「その人だけが、「死の窓口」と噂されてる私のところで手続きをしてくれるんです。そして必ず、生きて帰ってきてくれているんです」  だからと弁護をしたのだが、トラスティは「余計に心配になった」とメリタの思いとは反対のことを口にした。 「あなたが、その男性のことを信頼しているのは分かりました。ですが、それは僕に対しては逆効果と言うものですよ。そこまで信頼されている人に、僕は嫉妬の思いを抱いてしまう」 「た、ただの、お客さんですからっ」  それ以上はないと慌てたメリタに、「心配なものは心配です」とトラスティはじっと彼女のことを見つめた。 「それに、その方も襲われたのですよね。そんな危険な場所に、あなたを行かせたくはないんです」  トラスティの思いが自分にあると感じるのは、痺れがくるほど気持ちのいいものだった。陶然となったメリタに、トラスティは「護衛を付けましょう」と切り出した。 「護衛……ですか?」 「ええ、主にあなたの貞操方面の……と言うのは冗談なんですけど、知り合いに腕っぷしの強いリュースと言う女性がいるんです。恐らく、僕ぐらいなら片手で捻ることができますね」  知り合いの女性と言われ、メリタは胸の中にもやっとするものを感じてしまった。ただそれを表に出さず、「恋人ですか?」と相手との関係を“さり気なく”尋ねた。 「何度か寝たことはありますけど……特に恋人ってことは無いと思いますよ。それに彼女、弟の奴とも寝てますしね」  兄弟両方とと言う説明は、恋人を否定するにはそれなりに効果のあるものだった。それをドライな関係なのだと勝手に解釈したメリタは、「よろしいのですか?」と尋ねてきた。ナイトが怖いと言うより、ナイトとフェイ相手だと間が持たなくなってしまいそうなのだ。それを考えると、話し相手が居てくれた方が安心できる思っていた。 「結構弱みも握っていますからね。絶対に嫌とはいいませんよ」  だから大丈夫と保証をして、トラスティは時計で時間を確認した。遅くから入ったこともあり、すでに12時を回ろうとしていた。 「明日もお仕事ですから、あまり遅くまで引き止めてはいけませんね」  ウェイターを呼んで会計を頼んだトラスティは、「またお会いできますか?」と尋ねた。 「そ、その、喜んでと言ったらおかしいでしょうか?」 「良かった。僕もそう思っていたんです」  トラスティがニッコリと笑ったところで、ウェイターが精算書を持って戻ってきた。それをカードで決済し、「タクシーを」とウェイターに指示をした。 「1台なら、店の前で待機しています」 「とりあえず十分だね」  よろしいと立ち上がったトラスティは、「帰りましょう」とメリタに手を差し出した。  一緒に来て欲しいと言う顔をしたメリタだけをタクシーに乗せ、トラスティは手を振って彼女を送り出した。そして店の外に出て、ゆっくりと人気のない道を歩き始めた。 「どうして、抱いてあげないんですか?」  ゆっくりと歩いていたら、いつの間にか隣に小柄な女性が現れた。水色の髪をショートにした、ちょっとグラマラスな女性である。 「彼女、完全に落ちちゃっていますよ。今でも、部屋に一緒来て欲しいって顔をしていました」  それなのにと指摘した女性、リュースにトラスティは「普通の女性だからね」と答えた。 「恋愛に憧れて、普通の結婚をして家庭を築く。僕には、そんな夢を叶えてあげられないよ」 「でもノブハル様は、そのお友達の家に泊まりに行っていますよ」  結構気に入っているようですと、リュースはノブハルの事情を教えてくれた。 「君は、ノブハル君と僕を同じに見ているのかな?」  う〜んと考えたリュースは、「同じだと思っていたんですけどね」と返した。 「でも、トラスティ様の方が、女性に真摯に向き合われていると思うようになりました」 「そこらじゅうで手を出してる僕が、女性に真摯に向き合ってる?」  想定外の答えに、「無いな」とトラスティは口元を歪めた。 「そうですか。でも、彼女には手を出していませんよね?」  だから真摯なのだと、リュースはトラスティの異議を跳ね除けた。 「だったら真摯ということにしておいてくれればいいよ」  少し呆れたトラスティに、「しておくではなくて真摯なんです」とリュースは繰り返した。 「それから、明日のことなら了解しました。不測の事態が起きないよう……違いますね。不測の事態が起きても大丈夫なように、彼女を守ってあげればいいんですね。大丈夫です。彼女の貞操は、トラスティさんのために死守して見せます!」 「そうやって話をはぐらかすのか……」  まあいいけどと苦笑を浮かべ、「興味深い星だね」とブリーのことをトラスティは持ち出した。 「宇宙で戦争をしている割に、地上は結構平和ですね。まあ、アコリとかニダーとかが居ますけど」  少し嫌そうな顔をしたのは、惑星フリートのことを思い出したのだろう。頬がコケて細い目が釣り上がった顔は、生理的に「嫌」と言うものだったのだ。もしも偶然出くわそうものなら、考える間もなく殴り殺してしまうほどに。 「ああ、コーギスだったかな。その信者が呼び出しているようだね。目的は、トリトーンと似て、この星の宇宙開発をやめさせることだよ。ただ、それでも文明は発達し、「神」とやらは邪魔するためにその尖兵を送り込んできている。宇宙空間での戦いは、宇宙に進出しようとするブリーと、それを阻止しようとしている神との戦いなんだ。トリトーンと違うのは、ブリーはソルシステムを作っていないことだね」 「でしたら、文明的にはトリトーンの方が進んでいませんか?」  そうなると、この戦いの結果も見えてくる。そのつもりで尋ねたリュースに、「ブリーは負けるのだろうね」とトラスティもその推測を肯定した。 「もしも、僕達が黙って見ていたらと言う条件はつくけどね」 「つまり、介入するってことですかっ!」  よしと拳を叩いたリュースに、「尻尾が掴めてきたからね」とトラスティは説明した。 「ただちょっと、「神」の意図が分からなくなっても来ているんだ。それを今、整理しているってところかな」 「意図が分からなくなってきている?」  首を傾げたリュースに、「支離滅裂なんだ」とトラスティは説明した。 「コーギス信者の求めに応えて、アコリやニダー、それに加えてここではオルガとか言うのを送り込んでいるんだ。そうやってここの人達を殺しているくせに、その一方で小さな親切もしているんだよ。最初のお店を出たあと、彼女が僕に追いついてきただろう? とても些細なことなんだけど、「神」は彼女の思考に干渉している。ただ単に、ナビゲーションをしただけとも言えるんだけどね。まっすぐ僕のところを目指してきたのも、「神」が彼女の願いに応えて誘導した結果なんだ」 「う〜ん。なんか奇跡のレベルが違いすぎる気が……それって、比較の対象になります?」  頭を悩ませたリュースに、「善意だろう?」とトラスティは尋ねた。 「確かに、善意と言えば善意なんですけど……その意味で言えば、アーシアでしたか。その子にしたことも善意のようなものですよね?」  まだ幼さを残す少女の顔を思い出したリュースは、「確かに支離滅裂ですね」とトラスティの考えを認めた。 「地上での出来事って、頼まれた、強く望んだから応えた……とも思えますね」 「確かにそうなんだけど、それだと宇宙で起きていることが説明つかないだろう?」  やっぱり支離滅裂だとトラスティは決めつけた。 「僕は、「神」に悪意があると考えていたんだ。そうでなければ、一つの星を焼き尽くすなんて真似はできないだろう? それにフレッサ恒星系では、アコリの被害で大勢の人がなくなっている。そう言った騒ぎを見て、喜んでいる奴が居るんじゃないか。そんな風に考えていたんだ。だけど、ここに来て少し考えが変わってきたんだ。実は「神」と言う奴は、何も考えていないんじゃないのかなとね」 「でも、攻撃をしてきていますよね? 連邦軍とも、直接戦闘をしていますよ。しかも逃げ出した艦隊を、まるで証拠を消すように自爆させています。それを考えると、何も考えていないと言うのは無いと思います」  そう答えたリュースは、「だから支離滅裂か」とトラスティに言われたことを理解した。 「地上と宇宙、していることに一貫性がないのは確かですね」 「なにか、譲れない線があるとも考えられるけど……」  それが掴めていないのだと。トラスティは前を向いたままリュースに語った。  そんなトラスティに、「ところで」とリュースは声を掛けた。 「これからどうします。具体的に言うと、しますかと言うことなんですけど?」  ぐっと近づいてきたリュースに、「遠慮しておく」とトラスティは笑った。 「いろいろと考えたいことがあるから、今はそっちを優先しようと思っているよ」 「そんなに品行方正にしていて良いんですか? 降りてきてから、とんとご無沙汰になっていますよね」  らしくないと笑ったリュースは、「気になってます?」とメリタのことを論った。 「興味深いサンプルだとは思うよ。ご近所さんもそうだけど、パンデ遺伝子を持っているからね。その意味がどこにあるのか。それを調べてみたいと思っているんだ」 「なにか、本当にらしくないですね? それだけ、今回の相手が手強いと言うことですか?」  普段になく、トラスティの行動が抑制的になっているのだ。それを相手の手強さに求めたのだが、「神」だからねとトラスティにははぐらかされてしまった。 「アルテッツァを相手にするつもりで対応をしているよ。と言うことで、今はどうやって罠に嵌めるかを考えているところだね」 「罠ですか……」  どんなと言う質問に、「今は内緒」とトラスティははぐらかしたのだった。  サーベイに行くのと行かないのは、一体どちらが身のためになるのだろうか。不安な一夜を過ごしたナイトは、普段以上に酷い顔でいつもより豪華な朝食をとっていた。その前に朝食のことでフェイとやり取りがあったのだが、それもまた今日のサーベイが理由になっていた。 「ナイト、本当に行くの?」  最後の晩餐ならぬ最後の朝食を用意したフェイは、普段以上に感情の抜け落ちた……正確に言うのなら、恐怖にこわばった顔をしていた。 「……いまさら逃げられないだろう」  とても後ろ向きな気持ちで答えたナイトは、「家で待っていていいぞ」とフェイに告げた。ただその選択を迫るのは、フェイにナイトと同じ悩みを解決しろと言うような物だった。帰って来るかどうか分からないナイトを待つか、自分も同じく帰れるかどうか分からない場所に行くのか。とても重い覚悟と決断が必要となるのである。  ただフェイの行動基準の中には、ナイトと一緒にいると言うものも存在していた。短時間ならいざ知らず、長時間離れると言う考えは彼女の中にはなかったのだ。そのお陰で、「退くも地獄」の選択肢にも、比較的早く決着を付けることができた。ようは、離れている方が怖いと言うのである。  だから「付いていく」と答えたフェイに、死ぬ時は一緒だななどとずれたことをナイトは考えてしまった。  そんな悲痛な覚悟を決めたナイトは、公共福祉局の入り口で見世物になっていた。どこから聞きつけたのか知らないが、「間抜け」の顔を見に仲間達が集まってきたのだ。 「オメェみたいな命知らずは知らねぇ」  と言うケッグの言葉が、すべてを物語っているようだった。 「どうせ死ぬんだったら、その前にやっちまったら良いんじぇねぇか? 見た目と体は最高だしよ」  下卑た声を掛けられても、言い返すだけの元気はナイトには残っていなかった。それを見た男達は、「死刑台に向かう死刑囚だな。ありゃ」と全員が同じ感想を抱いたのである。  そんな騒ぎを乗り越えて3階に上がったナイトは、とても活動的な格好をした受付嬢を見ることになった。アウトドアジャケットにキュロットのスカートなど、勘違いしていないかと言いたくなる格好をしてくれていたのだ。似合っているかいないか以前の問題だと、酷い頭痛を感じたのである。いっその事、頭痛を理由にキャンセルしようかと思ったぐらいだ。 「一つ聞いていいか?」  「行きましょう!」と拳を振り上げた受付嬢に、ナイトは絶望的な気分から問いを発した。 「ええ、構いませんよ」  「どうせ最後だし」の幻聴が聞こえた気がしたが、気を取り直したナイトは「何かあったのか?」と受付嬢に尋ねた。 「昨日あたりから、やけに雰囲気が変わっているぞ」 「変わりました? 私」  目を大きく見開いた受付嬢は、「嫌だぁ」と小さく身悶えてくれた。普段の無愛想さを知っているだけに、「誰だこれは」とナイトは現実逃避をしてしまった。 「恋人ができたとかか?」  女が変わるとても陳腐な理由を持ち出され、「分かります?」と受付嬢は迫ってきた。 「寿退社を狙っているんですよ」 「そ、そうか、それは良かったな……」  一応の理由は理解したが、分からないのはどうやって相手を見つけたのかと言うことだ。何しろ「死の窓口」の受付嬢と言う評判は、退役軍人以外にも広まっていたのだ。この物騒なご時世で、冒険を犯す物好きが居るとも思えなかった。 「その人が、心配だからって「ボディーガード」の女性をつけてくれるって」  きゃあと照れるところは、恋する乙女と言って良いのだろう。ただ普段が普段だけに、なにか悪いものでも食べたのかと言いたくなってしまう。  もっとも、ナイトにしてみればそれ以上の問題がそこには含まれていた。 「ボディーガードの女だと?」  自分の仕事や目的地を考えると、普通なら止めることはあってもボディガードをつけようとは思わないだろう。しかも女性と言うのだから、実力の程も疑わしくなってくる。 「ええ、主に貞操対策でと言ってくれました!」 「貞操対策って、俺から守るって意味かよっ!」  どうして自分が手を出すことが前提になっている。騒ぎたい気持ちになったナイトだが、なんとかその衝動を押さえ込んだ。公用車が停めてある駐車場に来たのも、自制した理由である。  セキュリティ対策と言うことで、公用車は建物の地下駐車場に停められていた。そこへのアクセスは、通常とは違う裏の階段を使うことになっていたのだ。お陰で仲間たちと顔を合わせずにすんだのだが、一方でいくつか理不尽な話も聞かされてしまった。 「おい、ガードはどこに居るんだ?」  駐車場のドアを開けたところで、ナイトは「護衛」の姿を探してしまった。目的はどうであれ、「護衛」が務まるような女性の姿が見当たらなかったのだ。 「そうですね。ちょっと、あの人に聞いてきますね」  確かにそうだと認めた受付嬢は、駐車場に居た女性に尋ねることにした。水色の髪をショートにした、客観的に見ても綺麗な女性がブラブラとしてたのだ。 「すみません。リュースさんと言う人を探しているんですけど?」 「私ですけど?」  即答されたのだが、受付嬢……メリタはなにかの聞き間違いだと思ってしまった。 「ええっと、トラスティと言う方が護衛にと派遣された方なんですけど?」  どう見ても護衛に見えない相手だから、メリタが疑問に思うのも不思議ではない。  そんなメリタに、「だからリュースは私ですよ」とリュースは首を傾げた。 「主に貞操方面が心配だからって言ってたわね」  ふんと細い腕に力こぶを作られると、本当に大丈夫かと思えてしまう。ただ話しやすそうなので、道中の退屈凌ぎには丁度いいのだろう。それにトラスティのことを知っているのなら、いろいろと聞いてみたいこともあったのだ。 「とにかく、先は長いんでしょう。こんなところで時間を使ってないで急ぎましょう」 「え、ええ、そうですね」  ナイトを放置したままと言うことを思い出し、メリタは「この人でした」とナイトに声を掛けた。本気かとナイトが信じられない顔をするのも、リュースを見れば仕方がないことだろう。  そこでちょっとしたいたずらっ気を出し、リュースはナイトにだけ殺気を向けた。まるで多くのニダーに囲まれた感覚に、ナイトの顔からたちまち血の気が引いてくれた。 「あら、ナイトさんどうかされましたか?」  メリタが気づいた時には、すでにリュースは鼻歌交じりで助手席に乗り込んでいた。 「い、いや、なんでもない。多分、俺の気のせいだ……」  冷や汗をダラダラと流しながら、ナイトはフェイを促し後部座席へと乗り込んだ。  ゲート内で走る時には、全てが自動となっていた。そのため目的地をゲートに設定した時点で、駐車場から出るのも全自動と言うことになる。「公共福祉局」の名前の入った車は、設定どおりそろそろと走り始めてくれた。お役所の車らしく、とてもマイルドな走り方をしていた。 「ねえ、お昼とかどうするの?」  そして車が走り出してすぐ、リュースは昼食のことを持ち出した。これから危険な場所に向かうことを考えれば、最初の問題は違うだろうと言いたくなる疑問である。 「そう言えば、考えていませんでした。でも、ナイトさん達をおいたら、一度ゲートの中に戻っても良い訳ですし」  だから持っていないと。それを聞いたリュースは、「あなたは?」とナイトに話を振った。 「携行用の食料を持っている」  ぼそりとした答えに、リュースはニパッと笑ってみせた。 「じゃあ、お弁当が無駄にならなくてすむわね。実は、4人分のお弁当を持ってきたのよぉ!」  偉いでしょうと自慢するリュースに、「ピックニックじゃねぇ」とナイトは反発した。 「どうして? こんなに天気のいい日に、ダムまで遊びに行くんでしょう? それって、普通ピクニックって言わない?」 「そのダムの管理棟に、アコリとニダーが巣食っているんだがな」  それのどこがピクニックだと。ナイトは目を細めてリュースを睨みつけた。しかもダムに行くのを、「遊び」と言ってくれたのだ。  最初にビビらされた気はしたが、あれはなにかの間違いだと考えることにした。何しろ自分をビビらせた女は、どう見ても強そうには見えなかったのだ。 「アコリとニダー……ああ、あの紫色で頬がコケてて目が釣り上がった出来損ないね」  大したことがないように言うリュースに、「人が死んでるんだがな」とナイトは言い返した。 「亡くなられた方は可哀想だと思うわよ。でもさ、あんなのお外に引きずり出してやればそれで終わりでしょ。ニダーぐらいだったら、殴り殺してやれば良いんだし」 「殴り殺してって、お前な」  呆れたと言う顔をしたナイトに、「経験あるしぃ」とリュースは言い返した。 「馬鹿力があるけど、当たんなきゃ怖くないでしょ。洞窟とかに隠れていたら、催涙ガスとかで燻り出してやればすむことだしね。もっとも、人質が居なけりゃって話にはなるわね」  ケラケラと笑い飛ばされ、ナイトはしっかりと呆れてしまった。 「ずいぶんと、簡単に言ってくれるな」 「あなたが、考えすぎなんじゃないの」  テイキットイージーと笑ったところで、車は外部と隔てるゲートへとたどり着いた。そこで前日も顔を合わせた警備員は、「またあんたか」と呆れてくれた。 「なんで、今日は女連れなんだ?」 「昨日も女連れだったんだがな」  そう言い返したナイトは、「なんでだろうな」と青く広がった空を見上げた。 「気がついたらこうなっていたんだ」 「力押しじゃだめだから、お前さんを籠絡しにきたってことか?」  そう言いたくなるほど、前列の女性二人は魅力的に見えたのだ。ただナイトは、警備員の軽口に、「死の受付って聞いたことがあるか?」と切り替えした。 「死の受付って言えば、公共福祉局の3階のことだろう?  それがと聞き返した警備員に、「ドライバーの女性が死の受付だ」とナイトは声を潜めた。 「腹上死ってことじゃないよな?」 「そんないい話だったら、誰も震え上がらねぇよ」  右手の甲で警備員の胸を叩いたナイトは、「チェックは終わったんだろう?」と確認した。 「ああ、まるでピクニックにでも行くような装備と言うのは確認した」  「非常識だな」と口にしてから、「行っていいぞ」と警備員はゲートを通る許可を出した。  ゲートまでは自動運転だが、ゲートの外に出れば人が運転しなくてはいけなくなる。「行きますよ」とハンドルを握りしめたメリタは、少し前屈みになりながらアクセルを踏みしめた。いきなり車が飛び出すことになったのだが、それに慌てたメリタがアクセルを戻してくれた。それだけでなくブレーキまで踏んでくれたので、ナイトとフェイは、いきなり車の中でつんのめってしまった。しかもそこでアクセルを踏むものだから、今度は椅子に押さえつけられた。 「お、おい、慎重に……」  運転をと言いかけたところで、「黙っていてください!」とメリタに言い返された。気が散るから、黙っていろと言うのである。しかも車は、しゃっくりでもするように何度も異常な動きをしてくれる。これで本当にたどり着くことができるのか。ナイトは厳しい現実と言うのを突きつけられた気がした。そしてフェイは、よほど怖いのかナイトにしっかりしがみついている。つまり後部座席の二人は、身の危険をしっかり感じていると言うことだ。  それに引き換え、リュースはなにもないような顔で助手席に座っていた。機人装備を持つ彼女にしてみれば、この程度のことなら危険を感じるほどのことでも無かったのだ。  人の慣れとは偉大なもので、同乗者達はおかしな運転に慣れ、ドライバーは多少はスムーズな運転ができるようになっていった。ただ片道40分の距離のはずなのに、なぜか1時間ほど掛かってしまった。9時に駐車場を出発したのに、時間はすでに10時30分になっていた。 「ナイト、戻しそう……」 「ま、待て、すぐに車から出られるからな」  それでもひ弱なフェイには、かなりのダメージになったようだ。真っ青な顔をして口元を押さえる姿に、ナイトは急いでドアを開けようとした。 「フェイちゃん、ちょっとだけ待っててくれるかな?」  何故かそれを押し止めたリュースが、待っててねと言って最初に車を降りた。そして一度あたりを見渡すと、「良いわよ」と言ってドアを開いた。車を飛び出したフェイは、草むらに向かって胃の中の物を吐き出した。 「何があった?」  こっそりと近づいたナイトは、声を潜めて聞いてきた。 「ここって、昨日あなたが襲われた場所じゃないんでしょ? だったら、どうしてそこに血痕があるのかな?」 「血痕だと?」  指を刺された先には、確かに血痕らしきものが点々と伸びていた。何と眉を顰めたナイトに、「だから」とリュースは返した。 「そこにうっすらとアコリの足跡が残っているわ」 「つまり、奴らがここまで出てきたと言うことか」  リュースの観察眼に感心したナイトは、「何者なんだ?」と問いかけてきた。 「何者って……歌って踊れるアイドルをしていたわよ?」 「俺は、真面目な話をしているんだがな」  茶化されたと思ったのか、ナイトは不機嫌そうな視線をリュースに向けた。それをケラケラと笑い飛ばしたリュースは、「彼女の護衛よ」とフェイの面倒を見ているメリタの方を見た。 「少しぐらい離れたからって、安全だとは思ってないんでしょ?」 「そりゃま、な」  ふうっと息を吐いたナイトは、「見かけにはよらないもんだ」とリュースの顔を見た。 「あんた、間違いなく俺より強いだろう」 「管理棟だっけ? 今からでも一人で乗り込んでいって、制圧する自信ぐらいあるわよ。多分、5分もかからないと思う」  それを、着飾らせた方が似合う女性が言ってくれるのだ。世の中どこか間違っていると、ナイトは盛大に嘆いたのである。 「あんた、陸軍のスペシャルフォースって奴か?」  噂で語られる最強部隊を持ち出したナイトに、「違う違う」とリュースはパタパタと手を振った。 「ある人の親衛隊ってところかな。お手つきありの」 「なんだ、そりゃあ?」  訳が分からんとぼやくナイトに、先に進みましょうとリュースは提案した。 「のんびりしている時間はないでしょ?」 「そりゃ、まあ、そうなんだが……」  確かにのんびりとしている時間は無い。リュースに頷いたところで、「ちょっと待て」とナイトは声を上げた。 「あんたは、受付嬢を連れてここを離れるんだろうが」 「ちょっと、フェイちゃんが心配になったのよ。後は、私といるのが一番安全だから」  少しも問題はないとリュースはそこそこ豊かな胸を張った。 「いや、ここから離れるのが一番安全だろう」 「二度と迎えに来なくて良いって言うのならね」  心配いらないからと笑いながら、リュースはトランクからピクニックセットを取り出した。 「目的地の手前で、お店を広げましょう!」  行くわよと声を掛けて、リュースはメリタの腕を引っ張った。流石に慌てたメリタだったが、彼女の力でリュースに抗えるはずがない。「やめてください」と叫びながら、ずるずると引きずられていった。  それを唖然として見送ったナイトは、しばらくしてから「俺達も行くか」とフェイに声を掛けた。リュースが現れてからと言うもの、調子が狂いっぱなしのナイトだった。  最初は引きずられていたメリタも、途中で諦めたのか自分の足で歩き始めた。ただ歩きながら、リュースに文句を言うのは忘れなかった。そもそも自分を守るために付いてきたのに、どうして危ないところに連れ込んでくれるのか。その考えが間違っていると主張したのである。  そんなメリタに、「大きな理由がある」とリュースは胸を張って言い返した。 「あなたも、死の受付って言われるのが負担になってるんでしょう。だから、それを返上させてあげようかなって」 「それと、私が一緒に来るのとどこでつながってるんですっ!」  話がおかしいと言うのは、メリタの立場からすればおかしなことではない。そしてそのことは、リュースも認めていた。 「そうね、あなたがついてきても何も変わらないわね。でも、私がついていくことに意味があると思ってるの。ナイトさんだっけ? 流石にあの人ひとりじゃ、手が足りなさすぎるもの。下見と言うのはこっちの都合で、あちらが待ち構えている可能性もあるのよ」  実力もの言葉を飲み込み、「だからよ」とリュースは端折った答えを口にした。 「だったら、余計に私を巻き込まなくても……」 「あなたの貞操方面もガードするって言ったでしょう。気をつけなくちゃいけないのは、むしろナイトさん以外の方なんだけどなぁ」  だから連れてきたと言い張られ、「あとで文句を言っておきます」とメリタは言い返した。 「トラスティさんに? 別に言われても構わないわよ。多分だけど、諦められてるしね」  ケラケラとひとしきり笑ったところで、リュースは唇に人差し指を当てて「静かに」と命令した。 「そろそろ黙ってくれるかな? 大声で騒ぐと、アコリとか呼び寄せることになるから」 「そっ」  はぐらかすなと大声を上げかけたメリタだったが、すぐに慌てて自分の口を両手で抑えた。管理棟のフェンスが見えたことで、リュースの言葉の意味を理解したのだ。  そんなメリタに、「アコリって見たことがある?」とリュースは小声で問いかけた。声を立てることが怖くなったのか、メリタは黙って首を横に振った。事務所で仕事をしている以上、映像情報なら見たことはある。ただ実物を見る機会は、普通の生活をしている限りなかったのだ 「だったら、初体験ってことになるわね」  少し屈んで拳大の石を拾ったリュースは、それを茂みに向かって投げつけた。一体何がと思った次の瞬間、茂みの中で何かが落ちる音が聞こえてきた。 「なんだっ!」 「多分見張り。知恵袋がいるんだったら、外に見張りをおいてもおかしくないでしょ。何しろ昨日は、近くに死体があったんだからね」  だからと言って、リュースはもう一度石を拾って別のところに投げ込んだ。 「あいつら、弱い相手にはとことん高圧的に出てくるから。そのくせ卑屈で、性格も曲がりまくってるのよね。しかも女が大好きで、特に化粧やおしっこの匂いに敏感な変態なのよ。と言うことで、私達が近くにいるのはバレているから」  どうするリーダーと言われ、ナイトはすぐさま「撤退だ」と判断を下した。  それを常識的な判断だと評したリュースは、「手遅れだけどね」と自分達の来た道を指差した。いつの間にか、多数のアコリとニダーに道を塞がれていた。 「相手も馬鹿じゃなければ、増援を呼び寄せるってことよ」  それからと、リュースは管理棟の方を指さした。 「挟み撃ちにすれば、確実に勝てると思っても不思議じゃないでしょ」  その言葉通り、管理棟からもぞろぞろとアコリとニダーが出てきた。しかも1匹だけ、更に体の大きな個体も含まれていた。額に角のような物があるのを見ると、どうやらオルガも混じっていたようだ。 「で、どうする?」 「どうするってお前……」  護身用の武器は持ってきたが、本格的な戦闘は想定外のことだった。となれば逃げるのが第一候補となるのだが、前後を囲まれた状況では脱出も簡単なことではない。 「第一に考えるのは、どうやって脱出するかだが……」 「多分だけど、車も壊されているわよ。だから、脱出と言っても簡単なことじゃないわね」  しれっと言ってくれたが、その話が正しければ自分達は監視されていたことになる。「気づいていたのか」とナイトが喚くのも、状況を考えれば不思議な事ではない。 「そ、だから彼女も連れてきたの」  その方が安全だからと。 「この方が安全だと言う感覚が俺には分からないんだがな」  ニダニダと笑いながら迫ってくるのは、自分達が圧倒的に有利だと理解しているからだろう。弱い相手を徹底的に馬鹿にし、陵辱しまくるアコリらしいと言えばそれまでなのだが。 「本気でやるつもりか?」 「それ以外に方法があるっていうのなら聞いてあげるわよ」  どうすると問われ、ナイトは大きく息を吐き出した。 「ちっとばかし、武器が心許ないんだがな」 「武器だったら……ほら、そこに沢山あるでしょ?」  そう言ってリュースが指さしたのは、余裕で包囲の輪を詰めてくるアコリとニダーだった。確かに手には、剣のようなものを持っていた。 「敵の手にあるのをどうしろと?」 「なんか、我儘に聞こえるなぁ〜」  仕方がないと苦笑したリュースは、待っててと言って後ろから迫ってくるアコリの方へと歩いていった。それを「おい待て」と呼び止めたナイトだったが、次の瞬間目を疑う光景を目撃することになった。リュースがいきなりアコリの群れに飛び込んだと思ったら、あっと言う間に10匹ほど殴り殺してくれたのだ。 「怖くないって言わなかったっけ?」  飛んできた石を首を傾けて避けたリュースは、拾い上げた石で投擲したアコリを殺した。そして悠々と、アコリの持っていた武器を拾って返ってきた。 「デキが悪いけど、まあ無いよりはマシでしょ」 「今更なんだが、あんたは何者なんだ?」  そう言いながら武器を選んだナイトは、二三度素振りをしてから「仕方ねぇな」と口元を歪めた。 「ちょっくら、血路ってやつを切り開いてみるか」  おもしれぇと言いながら、ナイトは退路を塞いだアコリ達の方へと走っていった。念入りに手入れをしたお陰か、義足もスムーズに動いてくれているようだ。 「どう? 有害生物の本物を見た感じは?」  抱き合って震えてる二人に近づたリュースは、拾い上げた石を管理棟側に投げた。無造作に投げられた石は、狙い過たずに襲ってこようとしたアコリの頭を砕いてくれた。  ただ恐怖に震えた二人には、リュースの問いに答える余裕はなかった。どちらがしたのか分からないが、へたりこんだ場所には透明な水が広がっていた。 「流石に、刺激が強すぎたか」  いけないいけないと頭を掻いたリュースは、すぐに終わらせるからと管理棟の敷地へと飛び込んでいった。そして当たるを幸いに、群がるアコリを次々と殴り殺していった。襲ってくる中には体の大きなニダーやオルガも居たのだが、リュースの暴虐を止めるには力不足すぎたようだ。ナイトがニダーに手こずっている間に、リュースは管理棟側に居たすべての有害生物の駆除を終えていた。 「さて、加勢に行ってきますか」  とても嬉しそうな顔をしたリュースは、「待っててね」と言い残して手こずっているナイトの加勢に入っていった。そしてリュースの加勢が入った5分後、ナイト達4人以外にその場に動くものは居なくなっていた。 「改めて聞くが、あんた何者なんだ?」  両手を膝においてゼイゼイと息をするナイトとは対照的に、リュースは涼しい顔をしてバスケットから飲み物を出していた。 「あなた達も飲む?」  そして濃密な血の匂いの立ち込める中、平然とお茶を飲んでくれるのだ。「この人は絶対におかしい」と、メリタとフェイはリュースの顔を見て思っていた。失禁をした二人だが、今はこみ上げてくる吐き気を押さえていたのだ。  その二人に比べれば、ナイトは場馴れをしていた。「あなたはどうする?」と聞かれ、「貰おうか」とお茶のパックを受け取った。そして貪るようにして、生ぬるいお茶を飲み干した。  そんなナイトに、「この後だけど」とリュースは切り出した。 「残ってるのは管理棟だけなんだけど。どうする、ついでに片付けておく?」  管理棟の敷地を見ると、多くのアコリとニダーの死体が転がっていた。それを見る限り、中に残っているのはごく少数と考えて良いのだろう。ただ問題は、外に人間の死体がないことだ。だとすると、管理棟の中には人間が潜んでいることになる。 「ここまで来たら、一気呵成に制圧をするところなんだが……中には、銃を持った奴が立て籠もっているぞ」 「飛び道具ね。あなたにはちょっと荷が重いかな」  装備不足だしと頷いたリュースは、「ここで待ってる?」とナイトに尋ねた。 「人間だったら、首根っこを捕まえて来れば良いんでしょ?」 「そんなに簡単な話じゃないんだがな」  顔を顰めたナイトに、「そう?」とリュースは聞き返した。 「だったら、自発的に出てきて貰いましょうか」  それにしようと言って、リュースはバスケットの中からスプレー缶のようなものを取り出した。 「それはなんだ?」 「催涙ガスのようなものね」  その効果を考えれば、ナイトも「ああ」と納得できるものだった。ただ疑問は、どうしてそんなものがピクニックのバスケットに入っているかと言うことだ。  「待っててねぇ」とあくまでも軽いリュースは、音も立てずに管理棟に近づくと、催涙ガスの栓を開けて中に放り込んで扉を締めた。そしてナイトのところに戻ってきて、「出てきたらどうする?」とその後の始末のことを確認した。 「テロリストは、その場で始末して良いことになっているな。それに生かしておいても、何一つとして良いことはないだろう」  そんな事を話していたら、扉を開いて男が二人飛び出してきた。それを確認した二人は、男達二人に近づきそれぞれのやり方でとどめを刺した。ナイトは持っていたナイフを首に突き刺し、リュースは軽く首を捻ってへし折ったのである。 「これで、お仕事は終わったわけね?」 「まあ、証拠写真を撮っていけば良いんだが……」  漂ってくる刺激臭に顔を顰め、「こんなことでいいのか」とナイトは大げさに嘆いた。 「俺なんか居なくても、あんた一人で十分だったんじゃないのか?」 「でもぉ、これは私の仕事じゃないしぃ。私は、彼女の護衛についてきただけよ。まあ、そこで起こったハプニングを切り抜けただけと思ってくれる?」  その程度と笑ったリュースは、「お腹がすいたぁ」と大きな声で喚いた。 「ねえ、あなたもそう思わない?」 「この状況でそれが言えるって……どんだけ修羅場をくぐってきたんだ?」  軍に居た自分でも堪えているのに、こんな華奢な女性が何もなかったかのような顔をしてくれるのだ。世界は広いと感心している間に、メリタ達のところに戻ったリュースは、バスケットの中にあったサンドイッチをぱくついてくれた。 「それで、必要な証拠は揃ったの?」 「待ってくれ。管理棟の中も確認しないといけないんだ」  そう言って中に入ろうとしたのだが、当然のようにそこには催涙ガスが充満していた。お陰で涙が止まらなくなったナイトに、「何を調べてくればいい」とリュースは確認をした。 「中にまだアコリとか残っていないか。犠牲者がどうなっているのか、制御装置の状態はどうか……だが」  そう説明をしたナイトは、「ちょっと待て」とリュースを呼び止めた。 「中はガスが充満しているんだぞっ!」 「ああ、私はそう言うのは大丈夫だから」  待っててと言い残して、本当にリュースは中にはいっていってくれた。 「なんなんだ、ありゃあ本当に人間か?」  ありえんだろうとナイトが喚いた10分後、「これでいい?」とデーターを持ってリュースが戻ってきた。 「胸糞の悪くなる状態だな」 「まあ、アコリとニダーだし」  その点は同感と答えたリュースに、「十分だ」とナイトはデーターを確認した結果を伝えた。 「まあ、水源管理公社が大騒ぎになるのだろうがな」  これで、公社関係者のうち3人がコーギスの信者だったのだ。先日の慌て具合を思い出したナイトは、可哀想にと総裁とやらに同情した。ここまで騒ぎが大きくなると、内部犯行を隠しきれなくなってしまうのだ。 「まあ、俺の心配することじゃねぇな」 「それは私も同じよ」  ニカッと笑ったリュースは、「帰りましょうか」と未だ立てない二人に声を掛けた。 「おいっ、車は壊されたんじゃないのかっ」  最初の場所に戻っても、乗ってきた車は動かなくなっている。有害生物とテロリストの排除は終わったが、簡単に帰れる状態ではなくなっていたのだ。 「んーっ、多分親切な人が帰りの車を手配してくれてると思うわ」 「なんだ、その親切な奴ってのは」  ここまで来ると、多少のことでは驚かないつもりになっていた。だが「多分大丈夫」と言われて戻ったところで、「どうしてだ」とナイトは思わず頭を抱えてしまった。最近越してきたお隣さん二人が、別の受付嬢を連れて現れたのだ。大型のバンなど、いつの間に手配したのだと言いたくなってしまう。 「やあ、これは奇遇ですね」  ニコニコと笑いながら近づいてきたトラスティは、「大変だったね」とメリタを抱き寄せた。そして耳元で、着替えは車の中にと囁いた。途端に顔を真赤にしたメリタは、逃げるようにバンの中に入っていった。 「あんたが、この女の雇用主ってことか?」  じろりと睨みつけたナイトは、「何者なんだ」と何度目かの問いを発した。それを綺麗さっぱり無視したトラスティは、「データーは取れたかな」とノブハルに問い掛けた。 「ああ、ほとんど尻尾を掴んだと言っていいだろうな。コントロール信号の流れを捕まえたぞ」 「おいっ、お前らは何を言っているんだ?」  自分を無視するなと喚いたナイトに、「無視していませんよ」とトラスティは笑った。 「ただ、他に優先することがあっただけです」 「なんだ、その優先することってのは」  いい加減答えろと喚いたのだが、やはりその喚きは無視されてしまった。 「それでトレースはできているのかな?」 「今の所はな。ただプローブ密度が、急速に落ちてきているな。バレたと言うより、役目が終わったと言う感じだな」  ふんと考えたトラスティは、「一応終息したのか」と小さく呟いた。そして恨めしそうな目をしたナイトを見て、「場所を変えましょう」と声を掛けた。 「大丈夫。当分引っ越しませんから、いつでも話はできますよ。その前に、あなたは任務完了の手続きが必要でしょう?」 「本当に逃げないんだな?」  世の中逃げないと言った舌の根が乾かないうちに、逃げ出した奴など枚挙にいとまがないのだ。疑念のこもった眼差しに、「今のところは」とトラスティは補足した。 「ここでは、まだやることがありますからね。ですから、もうちょっとここにいようと思っているんです」  だから大丈夫と笑いながら、トラスティも大型のバンの中に乗り込んでいった。そして手近な席に座り、ドリンクホルダーから水のボトルを手にとった。 「それに、あなたにも協力して貰いたいことができましたからね」 「俺に協力できることなんかあるのか。あの女の方が、俺より遥かに強いだろう」  そっちを頼れと言い返したナイトに、「目的が違いますからね」とトラスティはフェイの顔を見た。 「できれば、彼女にも協力して貰いたいと思っているんです」 「おい、俺達に何をさせようっていうんだ」  やはりこの男は苦手だ。話をしていても、どうもペースを狂わされてしまう。しかも噛み付いても、のらりくらりと躱されてしまうのだ。  そして今回も、トラスティは話の腰を折るようにお腹に手を当てた。 「さて、皆さんお腹は空いていませんか?」 「そうやってはぐらかすのか?」  ギロリと睨んだ無いとは、「あまり、食いたい気分じゃないんだがな」と答えた。  修羅場に慣れているはずのナイトでも、今日の現場はかなり強烈だった。お陰で、食欲が湧いてくれなかった。その一方で、サンドイッチを食べていたリュースは、固めたパイのようなものを摘んでいた。 「じゃあ君は?」  笑みを向けらたフェイは、ふるふると首を振ってナイトにしがみついた。最近顔を見るようになったとは言え、トラスティに対してフェイは気を許していなかった。 「なにか、親子みたいですね」 「お、俺はまだ29だっ!」  こんな大きな子供が居るはずがない。そのつもりで叫んだナイトに、「そうなんですか?」とトラスティは驚いた顔をした。 「奇遇ですね。僕も29なんですよ。あなたは、もっと年上かと思っていました」 「そいつは、少女趣味の変態じゃないのか?」  自分の仕事が終わったのか、ノブハルが横から茶々を入れてきた。 「どうして、俺が少女趣味の変態になるんだっ!」  自分に噛み付いてきたナイトに、「聞き取り調査済みだ」とノブハルはフェイの顔を見た。 「あんた、この子を「殺す前に楽しませろ」と言って買い取ったんだろう?」  だから少女趣味の変態なのだ。ノブハルの決めつけに、「ちょっと待て」とナイトは言い返した。 「そんな話、一体誰に聞いたんだ?」 「誰にって……彼女の職場に屯している奴らからだが?」  情報源は確かだと胸を張るノブハルに、「勘弁してくれ」とナイトはぼやいた。ノブハルに言われたことより、自分の評価が「少女趣味の変態」で固まっていることへの嘆きである。 「なるほど、その子はコーギス関係者と言うことですね」  そして場が乱れてきたところで、トラスティが割り込み収束を図った。ただそこで持ち出された話は、非常に微妙な問題を孕んだものだった。お陰でナイトは警戒をし、フェイは顔色を悪くして彼にしがみついた。 「ふむ、指摘は間違っていないと言うことですか」  なるほどねと頷いたトラスティは、ノブハルの隣りに座ったシシリーを見た。 「あなたは、そのことを知っていたと言うことですか」 「え、ええ、一応は」  硬い表情をしたシシリーを見てから、「あなたは?」と着替えから戻ってきたメリタを見た。それまで穿いていたベージュのキュロットは、ピンクのミニに代わっていた。それに合わせて、上も涼やかな白のブラウス姿になっていた。  そして話を振られたメリタは、少し顔を赤くしながらトラスティの隣りに座った。 「一応、有名な話ですから……」  バツが悪そうに顔をそらしたメリタに、「心配はいりませんよ」とトラスティは笑った。そして彼女の肩を抱き寄せ、「確認しただけです」とナイトに告げた。 「コーギスを調べては居ますが、僕の目的は信者じゃありませんからね」 「信者が目的じゃないって?」  だったら何だと言い返したナイトに、「神そのもの」とトラスティは空を指し示した。 「僕達は、神自身の存在を疑っているんですよ」 「お前らっ、宇宙軍の者かっ!」  地上では神と言っているが、宇宙では神を「侵略者」と言い換えている。神の存在を疑い、なにか別のものだと考えているのがその理由である。したがって、神の存在を疑うのは、ブリーに置いては宇宙軍に関係していると考えてもおかしくなかったのだ。  古巣の関係者かと身構えたナイトに向かって、トラスティは「冷静になりましょう」ともう一度笑った。 「僕は、ブリー宇宙軍の関係者じゃありませんよ」 「だったら、お前は何者なんだっ!」  正体を明かせと迫るナイトに、トラスティはもう一度「冷静になりましょう」と繰り返した。 「そのことについては追々お教えするつもりですよ。ただ、今はまだその時ではないと思っています」  それからと、トラスティはメリタの肩を強く抱き寄せた。顔は少し赤くなってはいるが、まだ表情の硬さは取れていなかった。 「今の僕は、あなたより彼女を優先する必要があるんです。流石に、今回の出来事は彼女には辛いことだと思いますよ。ですから僕は、彼女のケアーを優先しなくちゃいけない」  だからこの話は明日以降に先延ばしにする。メリタの肩を抱いたまま、トラスティは「それまでの我慢」とナイトに告げたのだった。  ブリー宇宙軍は、軍人数およそ1000万の一大組織である。保有艦船数は1000、その他にも要塞化された軌道ステーションも2機保有していた。さらには機動戦闘部隊として、小型戦闘艇を1万抱えていた。  そしてその戦力で、「神」が送り込んでくる軍勢……ケイオスと互角以上の戦いを繰り広げていた。彼らの知らないことだが、トリトーンの惨状を考えれば最後の砦であるのは間違いないだろう。 「第51次会戦ですが、敵40を破壊に成功。こちらの損害は10となっています。なお戦闘艇の損害は、40となっております」  その起動ステーションの一つ、アカプスではブリー宇宙軍幕僚会議が開かれていた。そこでの議題は、先だって敵撃退に成功した第51次会戦の総括である。  幕僚本部直轄観測隊の報告は、主に敵の観測となっていた。その中には、戦闘中の敵の振る舞いも含まれていた。正体不明の敵を少しでも詳らかにするのが彼らの役割だった。  ちりちりの赤毛をしたまだ年若い少佐は、手元の資料投影しながら先の戦闘に関わるデーターを報告した。 「敵ケイオスですが、今回は少しルートを変えてロッソに迫っております」  そこで恒星ビアンコの星系図を展開し、年若い少佐は今回の侵入経路を示した。年若い少佐の報告どおり、敵はこれまでの50回とは明らかに異なるルートを進んできていた。 「そして撤退も、これまでとは異なるルートを利用しております」  同じように撤退ルートを表示し、年若い少佐は今回の特異性を示した。 「銀河平面上の、ビアンコ星系の公転が理由ではないのか?」  少し年配の、白い髭をはやした少将の言葉に、「理由としては考えにくいかと」と若い少佐は否定した。 「ケイオスの侵入は、ほぼ同じ間隔で行われております。したがって公転が理由であれば、侵入経路は徐々にずれてくるはずです」 「つまり、いきなり侵入経路がずれたことには何らかの理由があると言うのだな?」  その分かりにくい決めつけに、「敵の意図は不明です」と言うのが年若い少佐の答えとなった。 「あまりにもデーターがなさすぎるのがその理由です。残念ながら、我々の観測網では1光年先の観測はできておりません」 「つまり、我々はまだ受け身となって、敵の侵攻に備えるしか方法がないと言うことか」  落胆した少将に、「現時点では」と年若い少佐は肯定した。 「その意味では、今回の侵入経路のせいで観測網を広げられなくなりました」 「観測対象が広がれば、そう言うことになるのだろうな……時間と資源には限りがあるからな」  そう口にして、白い髭をはやした少将は椅子にもたれかかった。 「今回の戦いで、敵の戦術に変化は出ているか?」  自分の出番だとばかりに、今度は鋭い目つきの少将が意見を求めてきた。年若い少佐は、資料をめくって「今の所は」と変化を否定した。 「今回の会戦で、敵の使用した攻撃パターンは13となっております。そのいずれも、これまで行われてきたパターンに含まれております」  そこで言葉を切った年若い少佐は、「ただ」と注意すべき点があることを報告した。 「これまでの戦いで、敵の散開具合が小さくなってきているとの分析が出ていました。そして今回の会戦で、その推測どおり敵陣形の密集を確認できています。そのため、個別撃破の作戦が取りにくくなったとの報告がなされております」 「言い方は悪いが、知恵をつけてきたと言う感じだな」  口元を隠した鋭い目つきの少将は、「究極の陣形は?」と敵の行き着く先を尋ねた。 「我々の陣形と同じ、密集隊形になるのかと。ただ敵には戦闘艇がありませんので、撃ち合いになっても負けることはないと思われます。ただ、こちらの被害が増えるのは間違いないでしょう」 「やはり、知恵をつけてきていると言う感じだな」  回数とともに、敵の攻撃が洗練されてきているのだ。目つきの鋭い少将が言う通り、敵が知恵をつけてきたと考えても不思議ではない。 「そう推測できるのは確かですが。敵の方が、我々よりも高い技術力を有しております。ですから、知恵をつけたと言うより、何らかの意図があると考えたほうが適切なのかと思われます」 「超光速移動に、物質転送か……いずれも、我々が有していない技術には違いないな」  不機嫌そうに答えた目付きの鋭い少将は、「他には?」と敵の戦い方の変化を問うた。 「現時点で判明した変化は、先に報告したとおりです」 「次に同じような侵攻を受けても、これまでと同様に撃退できる可能性が高いと言うことか」  ふんと鼻息を荒くした目付きの鋭い少将に、「そう期待しております」といささか微妙な答えを年若い少佐は行った。それに目元を厳しくした目付きの悪い少将は、「性格の悪いやつだ」と年若い少佐を評した。ただそれ以上なにか言うでもなく、司会をしている幕僚に視線を向けた。 「では、第51次会戦に関する分析報告会を終了いたします」  その声に従い、会議室に居た20人ほどの男は立ち上がって部屋を出ていった。そして閉会を宣言した幕僚は、出ていこうとした年若い少佐を呼び止めた。 「レックス、お前は相変わらずだな」 「人なんて、そうそう短期間で変われるものじゃないだろう」  それに変わる理由もないと、年若い少佐レックスは答えた。  ただ声を掛けた方も、相手の変化などどうでもいいことだった。警戒するようにあたりを確認してから、「例の小惑星だが」と切り出した。 「あれから、軌道に変化は出ていないのか?」 「観測している範囲ではな。現時点で、1905日後にブリーに衝突する軌道をとっている」  その答えに視線を厳しくしたセスパタは、「頭が痛いな」と黒髪を短めにまとめた頭に手を当てた。 「直径300kmの小惑星が衝突するのか。どこかに逃げ出さないと、ブリーにいる人類は全滅だな」 「逃げ出す先があればだな。ちなみに、全滅するのは生物全てだ」  そう答えたレックスは、自分の髪と似た色をした第4惑星を見た。ロッソと名付けられた惑星は、ブリーよりは一回り小さな惑星だった。そしてブリーより主星のビアンコより遠いため、そのままでは人類が生活するには適さない環境となっていた。  その第4惑星ロッソに、ブリーの人々は開拓用にドームシティを建設した。そして今では、およそ3千万人の人が生活していた。ただ快適な生活環境とは言い難い環境のため、移住者のすべてが軍か鉱山開拓の関係者となっていた。 「とてもじゃないが、ロッソに40億は住めないな」 「軌道をずらしてやることはできないのか?」  逃げ出すのよりも現実的だろうとの指摘に、「3京トンの物体をか?」とレックスは聞き返した。 「最低でもブリーに当たらなきゃいんだ。少しずつでも軌道をずらしてやれば、不可能とは言えんだろう」  可能性を指摘したセスパたに、「やってるさ」とレックスは素っ気なく答えた。 「一応、その方面で検討は進んでいるのだが……すでに、タイムスケジュール的にはぎりぎりと言うのが正直なところだ」  いいかと言って、レックスは椅子に座ってセスパタに向かい合った。 「小惑星セレスタの軌道を変えるためのエンジン製作に8ヶ月。そしてそのエンジンをセレスタまで運ぶのに、約1.5年掛かるんだ。それからセレスタに取り付け、実際に軌道を変える作業開始に3ヶ月。ここまでで、29ヶ月……つまり、2年と5ヶ月の時間がかかることになる。その時点から軌道修正を行った場合、計算上小惑星セレスタは、ブリーから50万キロ離れたところを通ることになる」 「結構ギリギリと言うことか……」  それに頷いたレックスは、「邪魔が入らなければな」ともう一つの問題を持ち出した。 「コーギス信者やケイオスが黙っているとは思えないだろう。これ幸いと、邪魔をしてくるのが目に浮かぶようだ」 「ケイオスはまだしも、コーギスの奴らに何の得があるんだ?」  もしも小惑星が衝突すれば、彼らも生き残ることはできないのだ。その事実を持ち出したセスパタに、「コーギス信者だぞ」とレックスは言い返した。 「自分の命が大切なら、奴らが自爆テロをするはずがないだろう。神託だとか言って、奴らは俺達の宇宙開発を徹底的に邪魔してきているんだ」 「それに、一体どんな意味があると言うんだ」  げんなりとしたセスパタに、「俺に言うな」とレックスは不機嫌そうな顔をした。 「狂信者のすることに特別な意味を求めるな」 「全ては神託で説明がついちまうからなぁ」  やってられないと零したセスパタは、「なんとかしろ」とレックスに迫った。 「たかが観測将校に何を期待してるんだ?」  無茶振りだと文句を言い返したレックスは、「やってられないのは俺も同じだ」とチリチリの頭を掻いた。 「せっかく1ヶ月の休暇が取れるのに、気が滅入ったじゃないか」 「そんなもの、ナンパでもしてくれば忘れられるだろう? と言うか、そうやって紛らわすしか無いんじゃないか?」  茶化してきたセスパタに、「親が煩いんだ」とレックスはため息を吐いた。 「なんだ、いい加減嫁を貰えってか?」 「ナンパなど生産性のないことをしていないで、早く孫の顔を見せろとな。最近特に煩いんだっ」  言い換えたレックスに、「同じだろう?」とセスパタは言い返した。 「嫁を貰う。することをする。そして子供が生まれる。一連の流れじゃないか」 「嫁を貰うだけじゃ駄目ってことだっ!」  だから厄介だと零すレックスに、諦めろとセスパタは肩を叩いた。 「とりあえず、ドーテーを卒業するところから始めたらどうだ?」 「ドーテーって言うんやない!」  おかしな訛りで言い返したレックスに、傑作だなとセスパタは腹を押さえて笑い転げた。 「そ、それで、お前の故郷はどこだ?」 「ああん、アルトレヒトだがどうかしたのか?」  ギロリと睨んだレックスに、「ただ聞いただけだ」とセスパタは真顔で答えた。 「実際のところ、お前の故郷なんかどうでもいい」 「それはそれで酷くないか?」  友達甲斐のない奴。付き合い方を考えなければと、もう一度笑い転げるセスパタを見てレックスは考えたのだった。  隣に住んでいるのなら好都合と、ナイトは翌日トラスティの部屋に押しかけることにした。だがめぐり合わせと言うのは奇妙なもので、会おうと言う時に限って会えなくなってくれるのだ。  ただそれで諦めるのは癪に障ると、ナイトは家のドアを開けてトラスティの部屋を監視した。幸い懐が温かいので、当分危ない仕事をしなくても贅沢ができるぐらいだった。 「ナイト、コーヒー」  そんなナイトを、フェイが甲斐甲斐しく世話をした。流石に着れなくなったのか、ボロけた服から可愛らしい服に衣装チェンジがされていた。お陰で少しだけムラっと来たナイトだったが、いつもの粗暴な振る舞いでごまかしていた。 「まあ、脱がしたら萎えちまうんだがな」  その事情は変わっていないと、泥のようなコーヒーを啜りながら考えていた。 「ナイト、萎えるの?」  ただ迂闊だったのは、すぐ後ろにフェイがちょこんと座っていたことだ。思わずコーヒーを吹き出しかけたナイトは、不機嫌さを装い「なんでもねぇ」と言い返した。 「ところで、萎えるって……なに?」  15になって、どこまでおぼこなのか。ちょっとだけ頭痛を感じたナイトは、「知らなくてもいいことだ」とごまかした。 「もうちょっと大人になったら分かることだ」 「でも、ナイトは私を大人にしてくれない」  先程はこらえられたが、流石に今度はこらえることはできなかった。思わずコーヒーを吹き出したナイトは、「人聞きの悪い事を言うな!」とフェイに文句を言った。 「でも、私を殺す前に「楽しませろ」とナイトは言った。でも、ナイトは私で楽しんでいない」  だからだと言い返したフェイだったが、ナイトの「楽しめる体じゃねぇだろう」は明らかに失言だった。 「私がガリガリだから。受付の人みたいに、綺麗な体じゃないから」  そうなのねと落ち込むフェイに、ナイトは掛ける言葉を持たなかった。フェイの口にしたことが事実だからと言うより、こんなところで気の利いたことが言える男ではなかったのだ。  それでもなんとかしようとあたふたしたところで、ようやく待ち人が現れてくれた。ただ待ち人の第一声は、「ドアを開けて何を修羅場ってるんですか」と言うものだった。  明らかに呆れたトラスティは、「異常性愛ですか?」とナイトの痛いところをぐいっとえぐりこんだ。 「い、異常性愛じゃねぇっ!」  大声で言い返したナイトは、「お前を待っていたんだっ!」と声を張り上げた。 「僕には、そっちの趣味はないんですけど」  あからさまに嫌そうにしたトラスティに、「はぐらかすな」とナイトは噛み付いた。 「この前の説明、まだして貰ってねぇだろう!」 「この前の説明……ああ、あのことですか」  大きく頷いたトラスティは、「まだ駄目」とそっけなかった。 「まだ彼女に話していませんからね。あなたへの説明は、その後と言うことになります」 「どうして、俺が後回しになるんだよ」  凄んだナイトに、「男だから」とトラスティは身も蓋もないことを言った。 「彼女とは、今晩デートをすることにしましたから。多分、明日にでもお教えできると思いますよ」  それまでは我慢と笑ったトラスティは、口元をニヤけさせて「未成熟の子もいいそうですよ」とナイトに囁いた。 「それにフェイちゃんは美人だから。綺麗に着飾らせて、一枚一枚あなたが脱がせてあげればいいんです。異常性愛……少女趣味のあなたなら、間違いなくそのまま一気にってことになりますよ」 「ナイト、そうする?」  無邪気に聞き返してきたフェイに、「しねぇよ!」とナイトは声を荒げた。 「フェイちゃん、彼は照れてるだけだからね。お兄さんは知らないことにしてあげるから、後から試してみるといいよ。恥ずかしそうにすることが一番のポイントだからね」 「こ、こらっ、フェイを煽るなっ! こらフェイ、何を頷いているんだっ!」  あたふたと慌てたナイトを笑いながら、トラスティは階段を降りて外へと出ていった。それに気づいて呼び止めようとしたのだが、時はすでに遅く、トラスティの姿は階段の向こうに消えていた。 「野郎、居留守を使ってやがった」  次はドアをぶち抜いてやる。色気づいたフェイを横目に、ナイトは暗い考えに染まっていた。  職業意識を働かせ、メリタとシシリーは公共福祉局に戻ることにした。依頼が完了したことを水源管理公社に通達するのと、必要な報奨金手配に報告書作成。依頼完了に伴う事務処理は、かなりのボリュームがあったのだ。特にイレギュラーの多い今回は、その作業量も増えていた。 「ねぇ、水源管理公社へのレポートはこんなでいいかな?」  声を掛けられたメリタは、ざっと目を通して「いいんじゃないの」とシシリーに投げ返した。 「扉にはなってるわよ」 「それで、そっちのカウントは終わった?」  レポートには、駆除対象の数量報告が必要となっていた。そのため証拠映像から、画像認識でカウントを行う必要があったのだ。 「ん、今、2度めの検証中。結構破損が酷くて、係数値が安定しないのよ」 「大した武器もなくて、ここまでするのってちょっとおかしくない?」  同じ画像を眺めたシシリーは、ぐちゃぐちゃになったニダーを見て青い顔をしていた。 「ニダーはまだいいわよ。アコリなんて、原型をとどめてないのがほとんどだもの」  同じように顔色を悪くして、メリタは黙々と作業を進めていった。余計なことを考えると気分が悪くなるので、可能な限り作業以外のことを考えないようにしていた。 「検証結果が出たわ。アコリが63、ニダーが10、オルガが1ね」  メリタの報告に、「特旋」の中がざわついた。これまで受けた業務の中でも、駆除規模が群を抜いて大きかったのだ。そこに局員が居合わせたのも異例なのだが、この仕事を受けたのが1人と言うのも異例すぎたのだ。  それもあってまだ若いのに髪が薄い上司が近づいてきて、「本当か?」と検証画面を横から覗き込んできた。そして現場の惨状に、思わず口を押さえて顔を青くしてくれた。 「こりゃあ酷いな。何か、化物が暴れた後のようだ」 「化物じゃなくて、綺麗な女性が暴れたんですけどね」  自分で口にしながら、「信じられないわよね」とメリタも認めていたりした。何しろその場面を目撃したのだが、自分の正気を疑ったほどなのだ。 「任務の難易度を考えたら、局から特別報奨をだしてもいいぐらいだな。それに管理公社の人間2人も関わっていたんだろう?」 「正確には3人です。昨日、管理公社の人間にナイトさんが襲われています」  その指摘に、頭の薄くなった上司はううむと唸った。 「水源管理公社で、結構な騒ぎになるな」  よそ事なのだが、明日は我が身と言う事も考えられる。それほどコーギス信者は、各組織の内部に入り込んでいたのだ。 「うちは、重要施設に関わってないから大丈夫なのだろうが……」  ううむともう一度唸った頭の薄い上司は、「特別報奨の申請を出しておく」と言いながら自分の席に戻っていった。 「特別報奨って、間違いなくあなたのためね」 「局の車、1台潰しちゃったからね……その意味では、課長の責任逃れのためでもあるわね」  局の貢献を強調することで、出した損害を正当化することができるのだ。責任逃れとのシシリーの指摘も、全てではないが的はずれなものでもなかったのだ。 「ウガジンダム管理棟の被害が殆どないのは不幸中の幸いってところかしら?」  胸糞の悪くなる証拠写真を確認しながら、「気持ち悪い」とシシリーは呻いた。6人の犠牲者の物なのだろう、管理棟のいたるところに血と肉片の付いた骨の欠片が散乱していたのだ。 「この中の4人分が、カンクさん達のチームよ。ちなみに、シシリーの窓口で手続きをしたんだけどね」  死の窓口と言われていることへの意趣返しなのか、メリタは自分が手続きしていないことを強調した。 「別に、私の窓口でも何人か亡くなられているわよ」  あっさりと切り捨てたシシリーは、「添付完了!」とキーボードをタンと叩いた。 「これを水源管理公社に送付してっと。課長、承認をお願いしますっ!」 「報道発表はどうする? ウガジンダムの件、もうマスコミには出てるでしょう?」  そうだったわねとシシリーが頷いたところで、「うちの管轄じゃない」と頭の薄い上司の答えがあった。 「うちの仕事は、業務報告として官報に載せるところまでだ。そこから先は、水源管理公社の仕事だ」 「そりゃ、まあそうですね」  了解と答え、シシリーはうっと背伸びをした。お陰で制服越しに、そこそこ豊かな胸が強調された。 「課長、今日は早上がりしていいですか?」  シシリーからの申し出に、頭の薄い課長はちらりとメリタの方を見た。 「ああ、二人共今日は早上がりをしていいだろう。疲れただろうから、ゆっくりと休養を取るといい」  ありがたいお言葉に、「よし」とシシリーは手を叩いた。そして隣で息を吐いている同僚に、「打ち上げに行こう」と声を掛けた。 「あれ、今日はデートじゃないの?」 「なにか、今日は忙しいんだって。もち、明日は会おうって言う話になってるわよ。だから今日は、疲れたあなたを慰めてあげるの。やけ酒じゃないってのがポイントが高いと思わない?」  だからだと偉そうな顔をされ、メリタは思わず吹き出してしまった。 「確かに、今日はやけ酒じゃないわね」 「でしょでしょ。だから、ちょっと良いところにいかない?」  当てがあるかと聞かれ、メリタは少し考えてから「1件だけなら」と答えた。 「フュージョン料理って言うのかな。半個室になった落ち着いたお店があるわ」 「んじゃ、そこでっ!」  善は急げとばかりに、シシリーは端末を落として立ち上がった。その落ち着かない態度に苦笑を浮かべ、メリタも彼女に習って端末を落とした。 「でも、トラスティさんって何者なのかしら……」  護衛の手配から救援車両の手配。しかも自分の着替えまで手配されていたのだ。必要な手配をあっさり終わらせる手際が、どう考えても一般人とは思えなかった。しかも女性の扱いに慣れているし、それに素敵だと思えてしまう。「理想の男性」と騒ぐ自分の心とは別に、何者だろうと言う疑問が大きくなっていた。  否定はしているが、宇宙軍のスーパーエリートなのかもしれない。今度聞いてみようと、メリタは赤毛の従兄の顔を思い出していた。  場所をフュージョン料理の店、「アコンカグラ」に代えた二人は、赤いワインとおすすめ料理を注文した。普段の飲みに比べてぐっと高級になったのだが、二人はたまの贅沢を楽しむことにした。 「でも、メリタがこんなお店を知っていたのは意外ね」  美味しいわぁと赤ワインを呷りながら、シシリーは「意外」と繰り返した。 「ねえ、どうやって見つけたって言うより、一人で来る店じゃないわよね?」  白状しろと迫る友人に、「トラスティさんと」とメリタはあっさりと白状した。 「だから、昨日も来ているの」 「それで、店員さんの反応ってことになるのね」  メリタを迎えた店員は、「お帰りなさいませ」と迎えてくれたのだ。 「メリタも大人になったのね。それで、トラスティさんとしたの?」 「……まだ」  明らかに不満そうに否定した親友に、「なってない」とシシリーはこめかみを押さえた。 「見た目はノブハルの方が上だけど、絶対にあの人の方が優良物件よ。今日だって、あなたをずっと面倒見てくれていたじゃない。しかも、あんな護衛まで雇ってくれてるのに」  もう一度「なってない」と繰り返したシシリーは、「押しが足りない!」とメリタを叱った。 「ここまで来たら、押して押して押しまくらないと。そうしないと、あなたは一生処女のままよ」 「一生処女ってことはないと思うけど……でも、押しまくらないと駄目って言うのはそうね。自分でもそう思っているから」  うんと決意を込めて頷いたメリタは、「明日こそ!」と言ってワインを飲み干した。  それでいいのよと頷いて、シシリーは「ところで」と言って話を変えた。 「でも、あの人達って何者なんだろう」 「ナイトさんもはぐらかされてたわね」  確かに謎だと、メリタは腕を組んで難しい顔をした。 「ナイトさんは、宇宙軍関係者じゃないかって疑っていたわね」 「「神」の正体を疑っていたから?」  有り得るわねと頷いたメリタは、「その宇宙軍だけど」と自分の従兄のことを持ち出した。 「私の従兄が、今宇宙軍に居るの。幕僚本部直轄の部署だから、その手の情報に明るいかもしれないわね」 「メリタの従兄って……」  少し考えたシシリーは、「ああ」と言って手を叩いた。 「あの勘違いしたチリチリの赤毛のお兄さん?」 「本人曰く、あれでもファッションらしいわよ」  それはいいと。メリタは「そろそろ帰ってきそうだし」と従兄の事情を持ち出した。 「ほら、宇宙での戦いが終わったわよね。いつもどおりなら、1ヶ月の休暇をとって帰ってくるはずよ」 「だったら、話を聞いてみるのもいいかもね」  そうすることで、ノブハルの正体にも迫ることができる。自分のためになる話に頷いたシシリーは、「ところで」と従兄とメリタの関係を突っついた。 「律儀に帰ってくるのは、あなたに会うため?」 「叔父さんの家を出てるから、帰らない限り顔を合わせないんだけど。事実、前回の休暇じゃ顔を合わせてないわね……」  そこで指を折ったメリタは、「3年ぐらい顔を見ていない」と口にした。 「よく考えたら就職をしてから一度も顔を見てないわね。ほら、私、就職を機に叔父さんの家を出たから」 「それはそれで、薄情な気もするけど……」  それで良いのかと聞いてきたシシリーに、「結構面倒だから」と叔父の家にいる問題を答えた。 「私のボーイフレンドのこととか、結構口煩く言われたのよ。そのくせ最近は、「まだ恋人は居ないのか?」と聞いてくるし。いろいろと邪魔をしてくれたのは、どこの誰なのかと言いたくなるぐらい」 「ああ、それはたしかに面倒だわ」  メリタの言葉を認めたシシリーは、「息子のことが心配なんでしょ」と違った方面から彼女を攻めた。 「どうして、従兄のことが関係してくるの?」 「あの勘違いした天パの人。まだ結婚してないんだよね?」  だからと言われ、メリタはげんなりとした顔をした。 「それってなに。私を、従兄の嫁にしようってこと?」  ないわぁと答えたメリタに、「あなたは美人だから」とシシリーは指摘した。 「スタイルもいいし、頭もいいでしょう? 客観的には優良物件だから、息子の嫁にと考えてもおかしくないと思わない。そう考えたら、あなたの男関係を邪魔したのも頷けるでしょ?」  改めて指摘されると、一つも間違っていないように思えるから怖くなる。お陰で、メリタは眉間に皺を寄せてしまった。 「それって、物凄く嫌なんだけど」 「世の中には、いろいろと思惑ってものが絡むものなのよ」  諦めなさいと言われ、メリタはがくっと肩を落とした。 「やっぱり、明日は押して押して押しまくらなくちゃいけないわ」  そうやって決意を固めたメリタに、「そうそう」とシシリーは背中を押した。 「あなたは私ほどじゃないけど綺麗だし、私ほどじゃないけどスタイルがいいんだからね」  その気になれば男などイチコロだ。根拠のない自信と根拠のない決めつけをして、シシリーはメリタを煽りまくった。 「でもさぁ」  ひとしきり盛り上がったところで、メリタはぽつりと呟いた。 「あのリュースって人。トラスティさんやノブハルさん……だっけ? 二人と寝たことがあるみたいなの。一体どう言う関係なんだろう?」 「メリタ、それって本当!?」  ノブハルと寝たと言う部分に食いついた親友に、「トラスティさんに聞いた」とメリタはばらした。 「それを考えると、結構長い付き合いに思えるのよね。それからリュースさん。化物みたいに強いから。ウガジンダムなんだけどね、ほとんどリュースさんが一人で片付けてくれたわ。しかも素手で……」  常識が狂うと零したメリタに、「なんか変」とシシリーは口元を押さえて難しい顔した。 「ナイトさんって、退役前は宇宙軍の結構なエリートだったって話よ。そして退役後の実績だって、結構手堅く上げてるじゃない。そんなナイトさんが足元にも及ばないのって……普通は考えられないんだけど」 「筋肉隆々だったらまだ分かるけどね。でもリュースさんって、結構華奢な体をしてるし……」  ますます謎と零したメリタに、「一つの可能性として」とシシリーは妄想をぶち上げた。 「宇宙軍が極秘で開発している強化兵とかないの? 宇宙でも、ニダーとかと戦わなくちゃいけないんでしょ。うちに集まってくる人達も、結構ニダーの被害者が多いし。その対策を宇宙軍が考えたとしてもおかしくないと思うの」 「それで、実戦テストを地上でしているって言いたいのね」  うんと考えたメリタは、だとしたらとトラスティ達の正体に触れた。 「トラスティさん達は、その研究者ってことになるわよね?」 「神そのものを調べてるって言っていたし。現場でも、ノブハルさんがなにか調べていたわね」  うんうんと頷いたシシリーは、「それだ」とトラスティ達の正体を決めつけた。 「だとしたら、いろいろと辻褄が合ってくれるもの」 「それでも疑問はあるんだけど……」  とは言え、それぐらいしか候補がないのも確かだった。そうなのかなぁと考えたメリタは、「聞けないわね」とシシリーの顔を見た。 「そうね。多分、極秘事項になるから」 「迷惑は掛けられないわよね」  目的を達するまでは、うまく立ち回らなくてはいけない。ちなみに彼女達の目的は、このままゴールインするところにあったのだ。  同じ頃、トラスティ達4人は街の反対側にある居酒屋レストランに居た。そこで離れの個室を確保した4人は、降りてきてからの情報共有と分析を話し合うことにした。 「トラスティさんが言っていた支離滅裂って話ですけど。確かにそんな気がしてきました」  そう切り出したのは、おへその出る格好をしたリュースだった。普通ならトラスティの横に座るはずのリュースは、なぜかノブハルの隣に座っていた。もう少し言うと、掘りごたつ式となった席で、隣にくっついたと言うことである。  そしてトラスティの横は、サラマーがちゃっかり確保してた。 「支離滅裂なのか?」  リュースの言葉に興味を示したノブハルは、どう言うことだとトラスティの顔を見た。 「「神」とされている者のしていることだよ。宇宙では……こちらではケイオスだったかな。明らかに手勢を送り込んでドンパチしているだろう。そして地上では、コーギス信者の求めに従って、アコリとかを送り込んできているんだ。それだけなら、文明発達の邪魔をしているように見えるだろう?」 「ああ、それは仮説形成時に事実として並べ上げたことだな」  それでと先を促したノブハルに、「恩恵の方もあるね」とトラスティは続けた。 「文明の発達を阻害するために、神の恩恵を授けると言うものもあったね。ちなみに、調べた範囲でその手の事実が確認できている。大怪我が神に祈ったら治った……病人が治ったと言うのもあったかな。歴史書……読み物と言った方がいいかな。それを紐解くと、結構神の奇跡が利用されているのが分かるんだ」 「それだと、支離滅裂と言う話にはならない気がするが」  ノブハルの指摘に、トラスティは「そうだね」と認めた。 「それだけなら、文明の発達を阻害する方向に働くのだろうね」  ただと。支離滅裂を裏付ける考えを持ち出した。 「そのためには、「神」の恩恵であることを知らしめる必要があるはずなんだ。ただいろいろな出来事、身の回りで起きたことを調べてみると、「幸運」と言われることに出くわすことがあるんだよ。本人が「困った」と感じた時、さり気なく手助けをしている……そんな感じかな。だから助けられた本人は、「神」の関与に気づいていないんだ。そんな事例が、直接手助けしたとされるものより沢山見つかっているんだよ」 「選択に困った時、手にした方が偶然当たりだったとかを言っているのか?」  少し困惑気味に出された例に、「そんなところ」とトラスティは認めた。 「もちろん、似たようなことは連邦の中でも起きているよ。ただこの星では、パンデ遺伝子を持っている人に顕著に現れ、幸運に恵まれる直前に、微弱ながら介入を検出できるんだ」 「ありえないことじゃないが。それと支離滅裂がどう繋がってくるのだ?」  意味が分からんと口にしたノブハルに、トラスティは「そのものズバリ」と笑った。 「意味が分からないと君が言ったことが全てなんだよ。文明の進歩を邪魔するために介入しているのなら、全て自分のお陰にしなくちゃいけないだろう。だけど「神」と言う存在は、小さな幸運を授ける時には関与を明らかにしていない。だから誰も、「神」の関与に気づいていないんだ」 「だから支離滅裂……と言いたいのか?」  うむと考えたノブハルは、「弱いな」とトラスティの意見を評した。 「それだけだと、自分を頼るものに対して救いの手を差し伸べているだけに思えるのだ。明示的に祈られなくても、なんとかしたいと言う思いに応えただけとも言える。無意識の祈りに応えたと言う考え方もできるな」 「だとしたら、「神」と言うのが善意の存在になってしまうね。それなのに、宇宙ではいきなり悪意の存在になってしまっているんだ」  そう答えたトラスティは、「コーギス信者は」と別の存在を持ち出した。 「歴史を調べたら、テロ活動が始まったのはずいぶんと最近のことなんだ。ちなみに、宇宙開発が始まる前には、コーギス信者はとても穏健な存在だったそうだよ。そんな人達が、宇宙開発が始まった途端に凶暴化したんだ。アコリの被害も、宇宙開発前の記録はないんだよ」 「それを考えると、「神」と言うのは文明ではなく宇宙開発を目の敵にしているように思えるな。つまり、この「神」は二面性を持っていると言うことか」  ううむと唸ったノブハルに、別の事実とトラスティはトリトーンのことを持ち出した。 「連邦がヒアリングを進めているお陰で、トリトーンで何が起きたのか次第に分かってきているんだ。実際トリトーンでも、ブリーと同じような経過をたどっているんだよ。宇宙開発とともに信者が過激化していき、最終的にソルシステム破壊と言う暴挙に及んでいる。その影響でトリトーンが焼かれたことに、明らかに「神」が関与しているんだよ。一方で小さな親切を行いながら、その一方で惑星一つを絶滅させる。やっていることがちぐはぐだとは思わないかい?」 「確かに、滅ぼしてしまうぐらいなら手助けをする理由はないな……」  納得した顔のノブハルに、「興味深い情報を見つけた」とトラスティは付け加えた。 「ブリーから8億キロ……第5惑星の外側になるのだけど。直径約300kmの小惑星が見つかっているんだ。そしてその小惑星の軌道を計算すると、およそ5年後にブリーに衝突するのがつい最近分かったそうだ」 「天体現象としてありえないことではないと思うが……」  大変なことだとは分かるが、それがここで持ち出される話なのかと考えたのである。そんなノブハルに、「一般常識として」とトラスティは一つの問い掛けをした。 「小惑星として、直径300kmと言うのは結構大きなものだと思うのだけどね。そんな小惑星の、しかも衝突軌道をとっているのが、こんな最近になって見つかるものなのかな?」  どうだろうと問われ、ノブハルは問題の所在を理解した。 「「神」とやらの仕業と言うことか」  それに頷いたトラスティは、「だから地上では誰も知らない」と答えた。 「ブリーの人々が生き残るには、小惑星の軌道をずらすしか無いんだ。そしてその準備は、今現在進められている。大型の推進エンジンを小惑星に取り付け、その駆動力で軌道をずらそうとしているんだ。ちなみに、現時点で50万km離れたところを通る計算になっているようだ」 「結構ぎりぎりと言うことか」  だったらと別の案を持ち出そうとしたのだが、すぐに意味がないことに気づいた。第4惑星ロッソの開発が進んでいるのなら、そこへの退避も方策の一つと考えたのである。 「第4惑星ロッソでは、40億もの人が暮らしてはいけないな」 「現状で、ドームシティ内に3千万だからね。退避できたとしても、1億が限界じゃないのかな。しかも、それだけの人口を養っていくことができるのかも疑わしいんだ」  ノブハルの考えを、トラスティは冷静に認めた。もともとブリーが負けると予想していたのだが、その負け方が明らかになったのである。 「直径300kmの小惑星ともなると、連邦の戦艦でも標準装備では苦労をするね」  つまり、ブリーの科学力では破壊できないと言うのである。そうなると、軌道を反らす以外に生き延びる方策は無いことになる。 「何も妨害工作がなければ、ギリギリだけど切り抜けることができるのだろうね」  トラスティの言葉に、ここでもトリトーンの事例が生きてくるのだと3人は理解した。これが「神」の仕組んだことなら、コーギス信者とケイオスの横槍が入ることが分かっていたのだ。 「つまり、作戦行動に妨害が入ると言うことか……だが、それぐらいのことは計算に入っているのではないか」 「計算には入っていると思うよ。ただ、ケイオスはまだしも、コーギス信者は厄介なんだ。何しろ破壊工作を行って、初めてコーギス信者だと分かるぐらいだからね。あぶり出しは、間違いなく不可能なんだよ」  その説明だけで、ずんと空気が重くなるのを感じてしまう。惑星が滅びると言うだけでも精神的にきついのだが、一時的でも自分が暮らした惑星ともなれば、その気持は更に強くなるのだ。  そこで重い空気に包まれた3人に、トラスティはとどめとなる考えを持ち出した。 「もう一つの懸念は、仕掛けがこれだけかと言うことなんだ。今は5年後と言っているけど、それが早まらない保証はどこにもないんだよ。もしも1年繰り上がったら、もうブリーには打つ手がなくなってくれるんだ。そして別の小惑星が似たような軌道をとったら、間違いなく対処が間に合わないだろうね」 「それは、ここの星の奴らは気づいているのか?」  苦しげに吐き出されたノブハルの言葉に、「気づいている人は居るだろうね」とトラスティは返した。 「ただ、それを口にするのはできないと思うんだ。だって、そんなことをしたら心が折れてしまうだろう?」 「俺達にできることはないのか?」  ブリーにできなくても、自分達の力ならできることがあるはずだ。そのノブハルの問いに、「幾つか」とトラスティは答えた。 「例えば、エスデニアに協力させる方法がある。空間ゲートを使えば、300kmの小惑星ぐらい、明後日の方向に飛ばすことができるよ」 「他には?」  エスデニアに協力させるにしても、その口実と言うのが必要となってくる。トラスティが命じれば可能なのだろうが、その後のハレーションが厄介なことになりかねなかった。だからノブハルは、エスデニアの協力を一つの案として、別の案をトラスティに求めた。 「アリスカンダルに、艦隊派遣を求める方法もあるね。あそこのソリトン砲だったかな、それを使えば小惑星を破壊できる可能性があるんだ。その場合の問題は、ブリーから敵と思われないことなんだけどね」 「他には?」  中身の論評をせず、ノブハルは別の答えを求めた。そんなノブハルに、「自分で考えてみたらどうなのかな」とトラスティは口元を歪めた。 「自分で考えてみろ……か」  反発をするのではなく、ノブハルは自分だったらと考えることにした。 「あなたが持ち出したのは、空間跳躍と破壊と言う2つの方法だ。だとしたら、軌道を変えると言う方法も考えられる。派手ではないが、その分目立たないと言うメリットが有るな。軌道を変えてやる方法か……」  うんと考えたノブハルは、「幾つか方法があるな」と指を折りながら口にした。 「ブリーと同じ、推進器をつける方法が一つ。重力場を歪めてやって、進行方向を変える方法が一つ。大きな物体をぶつけてやる方法もあるな。少し動かすだけなら、さほど大きな重量である必要もないしな」  そこまで口にして、「待てよ」とノブハルは自分が口にした方法のことを考えた。 「アルテッツァ、その小惑星の軌道と周辺にある直径10kmを超える小惑星の位置関係を示してくれ」  その命令に従って、4人の前にはビアンコ星系の星系図が展開された。そして該当する小惑星、セレスタの位置と軌道が線で示された。 「小さめの小惑星なら、加速を付けてぶつけることも可能だな」  そして影響は、運動量に比例することになる。たとえ質量が小さくても、十分な速度でぶつければ必要な軌道変更が可能になるはずだ。そしてニアミスをする小惑星を選べば、加速自体も大掛かりな仕掛けが必要ないことになる。 「なるほど、こちらの方が難易度が低そうだ。これを、ここの星の奴に教えてやればいいんだな」  よしと拳を握ったノブハルに、トラスティは合いの手を入れるように「どうやって?」と尋ねた。 「どうやってって……どうやってか」  途端に勢いが萎んだのは、それが結構難しいことを理解したからに他ならない。もしも自分達の正体を明かしていいのなら、ブリーの者に任せる必要がなかったのだ。  そこで考え込んだトラスティは、「僕は」とノブハルの予想とは違うことを口にした。 「干渉をする場合でも、ギリギリまで遅らせた方が良いと思っているんだ。そうすることで、「神」の余計な干渉を招かなくてもすむと思っている」  それが一つの方策と口にしてから、「正反対の考え方もある」と付け加えた。 「さっさと正体を明かして、正面から「神」に喧嘩を売るんだ。その場合、「神」との戦いが激化する可能性がある。特にコーギス信者のテロが激しくなる可能性が出てくるんだ。「神」には負けないけど、テロの方は対応が難しいと思っているよ」 「だが、ギリギリまで対応を遅らせても、犠牲者は同じぐらい出るのではないか? 現にテロは頻発しているし、宇宙空間での戦いも継続している」  同じ被害が出るなら、介入を早めた方がコントロールできるはずだ。そう考えたノブハルに、「それは否定しない」とトラスティも認めた。 「「神」の居場所さえ掴めたら、恐らく問題はクリアになると思っているよ。「神」を説得して考えを変えさせる、さもなければ「神」を殺してしまえば良いのだからね。僕達がこの星に来たのも、その「神」を追い詰めることが目的なんだよ」  それを忘れるなと言うトラスティに、「だが」とノブハルは反発した。もちろんトラスティも、ノブハルが反発する理由ぐらいは理解している。だからノブハルよりも早く、「だから一番いい方法を考えている」と付け足した。 「出来レースで、別の「神」を作ってしまうと言う方法もあるのだけどね」  そうすることでコーギス信者の勢いを殺すことができる。それを聞いた時、最悪のペテン師は健在なのだとノブハルは理解したのだった。  そして翌日、朝からメリタは張り切っていた。トラスティとデートの約束を取り付けた以上、ここから先は強気で押すしか無いと思っていたのだ。そのため課長には午後休を認めさせ、早い時間からのトラスティに会うことにしたのである。外を散策した後、自宅に連れ込んで手料理をごちそうする。そこから先はあの手この手で迫ることになるのだが、その方法は出たとこ勝負だと考えていた。  前日ナイトが生還したことで、特殊職業斡旋所にも普段の人混みが戻っていた。もっともメリタのところに誰も並ばないのは、それまでと変わっていなかった。メリタが常々文句を言っているように、実績と評判が結びついてくれなかったのだ。  それがおかしいと文句を言うのだが、結局誰も取り合ってくれなかった。しかも唯一と言っていい常連のナイトも、昨日の今日と言うこともあり顔を出してくれなかったのだ。 「この様子だったら、午後休と言わずに帰ってもいいんじゃないの?」  どうせ暇だしと言うシシリーに、「そうだけど」とメリタはむくれた。 「それだと、私が働いている意味がないことになるんだけど?」 「寿退社をしても、業務に影響が出ないと考えればいいのよ」  何事も前向きに。そう言われたメリタは、「前向きじゃない!」と反発した。  そんな時間を過ごしたメリタは、お昼が来たところで速攻で公共福祉局の建物を飛び出した。それを「がんばんなさい」と生暖かい目で見送ったシシリーは、自分もまたノブハルとの約束を確認していた。前日いろいろと便宜を図ったことで、今日はお礼をしたいと言われていたのだ。ノブハルとはしっかり関係を結んでいたこともあり、メリタとは違い追い詰められた気持ちにもならずに済んでいた。  そうやって家に帰ったメリタは、部屋の掃除から始めることにした。とりあえずロボット掃除機を走らせ、トラスティを迎える食卓とベッドを重点的に綺麗にすることにした。だがいざキッチン周りに手を付けようとしたところで、もう一箇所重要な場所があるのを思い出した。 「そう言えば、シャワールームも見ておかないと」  抜けた毛で汚れていようものなら、それだけで興醒めになってしまう。いけないと頭を叩いて、メリタはシャワールームへと向かった。そしてまだ明るい陽の光で見ておいて良かったと、こびりついた汚れを見て心から安堵したのである。 「確か、道具だけは揃っていたわね」  高圧洗浄機とスチーム洗浄機、その両方を引っ張り出したメリタは、石鹸カスのこびりついたシャワールームを徹底的に綺麗にした。そしてその流れで、パウダールームもスチーム洗浄機を使って磨き上げたのである。約1時間の奮闘で、パウダールームとシャワールームは、見違えるほど綺麗に生まれ変わっていた。  それから部屋に戻って、キッチン周りの清掃である。こちらもスチーム洗浄機が活躍し、こびりついていた油と埃の汚れも綺麗になってくれた。後は食卓をきれいに拭いて、新しいクロスを広げればとりあえずの準備は終りとなる。新しいグラスを磨いてテーブルに置いたメリタは、最後の目的地ベッドルームへと取り掛かることにした。  ロボット掃除機が活躍してくれたので、とりあえず床は綺麗になっていた。そうなると、後はリネンを取り替えればいいことになる。そこでクンクンと鼻をうごめかしたのは、おかしな匂いが付いていないか確かめるためである。 「自分では感じられないけど……」  それでも念には念を入れておく必要がある。消臭芳香剤を撒く前にと、メリタはベッドルームの窓を開け放った。こうして空気を入れ替えることで、こもった匂いも消えるだろうと言うのである。外の空気が流れ込んでくる中、メリタはシーツを引き剥がした。そしてクローゼットから真新しいシーツを取り出し、しわが寄らないように広げてベッドに敷いた。そして寝心地はいいが色気のない掛け布団をクローゼットにしまい、その代りに薄手のブランケットを掛けた。 「少し寒そうだけど……くっついて寝れば大丈夫でしょう」  それを考えるだけで、頭に血が上ってきて仕方がない。パタパタと手で顔を仰いでから、メリタは開けておいた窓を締めた。使う時には暗いはずだからと、ついでにカーテンも閉めておいた。当然芳香剤を撒くのを忘れてはいけない。  芳香剤を撒きながら時計を確認したメリタは、ここまで予定通りに進んでいることに満足した。あとは、シャワーを浴びてお洒落をすれば準備は完了である。 「この日のために買っておいた下着が役に立つわ……」  ぎゅっと両手を握りしめて気合を入れたメリタは、「そう言えば」と大切なことを思い出した。 「ちゃんとトイレに行っておかないと……」  何しろトラスティには、二度もお漏らししたところを見られているのだ。その悪印象を拭い去ることは、乙女としてのプライドに関わることだ。  そしてシャワー前にとトイレに入ったところで、これ以上無い現実を突きつけられてしまった。これでしっかりタイムロスになるのだが、かと言って放置など絶対にありえないことだった。  ロボット掃除機が入らないので、髪の毛等はスティックタイプを使って吸い取っていった。そしてこびりついている色々な汚れは、強力洗剤を駆使して磨き上げた。洗剤の匂いが漂って居るのは、換気扇を最強で回すことで対処した。 「これで、本当に掃除し忘れはないわよね……」  ぐるりと首を巡らせ、帰ってからの動線を確かめた。 「玄関から居間に移動して、ソファーに座って貰う。そこでお話をしながら、私は夕食の準備をすればいい……その間に行く場所と言ったらトイレなんだけど、今しがた掃除したからそこは大丈夫。そして夕食を済ませたら、そこからは……」  その先を想像すると、どうしても冷静では居られなくなる。頭に血が上って熱くなった顔を手で扇いでから、「それから」と食事後のシミュレーションをした。 「ききき、キスをした後はパターンは2つに分かれるわね。そのままベッドに連れて行かれるか、その前にシャワーを浴びることになるのか。考慮すべき問題はその2つのはずよね」  ううむと考えたメリタは、今まで見た映画や小説、コミックを思い出した。 「うん、玄関でいきなりってことがなければ、パターンとしては……シャワールームでと言うのもあるか。でも、全部掃除してあるから大丈夫よね」  うんうんと頷きながら、メリタはシャワールームへと向かった。いよいよ最後の仕上げをする時が来たのだと。そのまますることになっても良いよう、ちゃんと自分を磨き上げておく必要があったのだ。ただ残り時間が気になるので、時短を考えなければとも思っていた。  そして30分でシャワーを終えたら、まずは髪の手入れが必要になる。バスタオルを体に巻いたままパウダールームで鏡の前に座り、明るい栗色の髪を丹念にブローした。 「髪型は……やっぱり、項が出る方が良いわよね」  ヘアアイロンでストレートに髪を伸ばしたら、最後は狙いの髪型に仕上げる必要がある。髪を持ち上げ項を出してみたメリタは、編み上げるかと勝負の髪型を考えた。全体をアップにする方法もあるが、それだと普段している髪型と同じになってしまう。違った自分を見せるため、髪型を変えるのも必要なことだった。  きっとそうに違いないと自分を納得させ、メリタは早速髪型を整えるのに取り掛かった。両側で三つ編みにするよりは楽なのだが、髪を一つずつ編んでいくのもそれなりに時間のかかる作業だった。 「よし、なかなかいいじゃないっ!」  髪型が決まったところで、メリタは鏡で何度も髪型を確認した。ちょっと幼いかなとも思ったが、イメージを変えるにはちょうどいいと考えることにした。  髪型を整えるのが終われば、次は衣装ということになる。クローゼットから新品のブラとおそろいのショーツを取り出して、小さく一つ深呼吸をしてからそれを身に着けた。そして同じく真新しい白のブラウスを茶色のキュロットスカート、そして膝小僧まであるソックスを履いていった。 「……ちょっと寒いかも」  寒い、温めてと言うのも素敵だが、流石にそれは狙い過ぎに思えてしまった。仕方がないと、メリタはクローゼットから茶色のボレロを取り出し袖を通した。 「……なにか、アクセントが欲しいわね」  鏡で見た姿は悪くないが、それでも納得いかないところがあったのだ。ううむと唸ったメリタは、化粧箱から緑色のリボンを取り出しそれを縛った髪の先端につけた。 「……こんなところかな?」  先程よりは良くなった気がしたが、それでももう一つと感じてしまった。ただそこで時間を確認したら、家を出る予定時間を大幅に過ぎているのに気づいてしまった。 「き、今日は遅刻するわけにはいかないわっ!」  何しろ前回は、1時間半も待たせてしまったのだ。それを考えたら、今日は自分が先に行っている必要がある。これ以上はいくら悩んでも決まらないと諦め、メリタはベージュのハンドバッグを選んで部屋を飛び出していった。ここから先は、時間が勝負となる。乗り継ぎに失敗したら、自分は遅刻することになるのだろう。  それでも急ぎすぎると、汗を掻いてせっかくのお化粧や髪型が台無しになってしまう。だったらタクシーをと考えたら、うまい具合に空車のタクシーが目についた。しかもメリタが手を上げたのを見つけ、すぐに目の前で止まってくれた。 「戦勝噴水広場に一番近い場所へ」  具体的な場所を指定するより、目的を告げた方がAIが最良の選択をしてくれる。そして目的地を告げたメリタに、畏まりましたとAIが車を発進させた。 「お客さんは運がいい」  走り出したところで、メリタはAIからそう言われた。 「この車は、直前でキャンセルされたのです。公共交通が少し乱れていますので、これから捕まりにくくなるところでした」  それを聞く限り、自分は二重の意味で運が良かったことになる。もしも公共交通機関を選んでいたら、遅刻は決定的になっていたのだ。そして目の前でタクシーが捕まらなければ、簡単にはタクシーが捕まらないことになっていただろう。  そしてメリタの気持ちを乗せたタクシーは、奇跡的に信号に引っかからなかった。お陰で目的地近くには、20分前にたどり着くことができた。出発時刻が20分遅れたことを考えると、大幅な時間短縮ができたことになる。  そしてもう一つ運が良かったのは、タクシーを降りたところからの人の流れだった。さほど人が多いと言うことはないのだが、流れに逆らわずに目的地まで向かうことができたのである。人並みに揉まれずに済んだことで、洋服も着崩れずに済んでくれた。  そして噴水前に10分前についたメリタは、トラスティの姿がないことに安堵した。ひたいに汗が滲んでいないか。ハンカチを当てて軽く汗を拭ったところで、「すみません」と言う声が後ろから聞こえてきた。 「急いできたのですが、どうやら待たせてしまったようですね」  少し息が切れているのは、言葉通りの意味なのだろう。紺色のシャツをノーネクタイにしたトラスティは、上下をくさ色のジャケットとパンツで決めていた。  それが格好良いと見とれたメリタは、すぐに「今来たところです」と待たされたことを否定した。 「それに、まだ待ち合わせ時間になっていませんから」  噴水の時計は、待ち合わせ時刻の5分前を示していたのだ。確かにそうだと頷いたトラスティは、「これから?」とメリタに予定を尋ねた。 「その、少しお買い物をして……それから、私の手料理をごちそうしたいと」 「それは光栄ですね」  ニッコリと微笑まれ、メリタは内心「勝った」とほくそ笑んだ。これで超えるべき最初の、そして最大の壁を超えることが決まったのだ。後は雰囲気を作って一気呵成に行けばいい。 「で、でしたら、ちょっと良いデリカテッセンを知っているんです。これからだと時間が足りないので、少し出来合いになってしまうんですが……」  そこでモゴモゴと言葉を濁してから、「行きましょう」とメリタはトラスティの手を引いた。その元気の良さに微笑んだトラスティは、捕まれた手をギュッと握り返した。 「はぐれるといけませんからね」  そう言いながらメリタの体を引き寄せ、「急ぐ必要はありませんよ」と声を掛けた。 「時間は十分にありますからね」  だからゆっくりと行きましょう。そう言ってトラスティは、メリタの腰に手を回した。それが嬉しくて、メリタは体をトラスティに寄せたのだった。  メリタの住んでいる部屋は、待ち合わせの場所から1時間ほどの小奇麗なアパートの立ち並ぶエリアにあった。一通りのセキュリティが整っているのは、女性が住む部屋には必須条件なのだろう。お陰でトラスティは、何度もAIのチェックを受けることになった。そのあたり、自分が借りている部屋とは大違いと言うことである。  そして中に入れば、次はエレベーターのお出ましである。ジェイドでは見かけない、そしてエルマーでも見かけない旧式のリフトに乗り込み、二人は3階に上がった。ただトラスティ標準では旧式のリフトだが、中には監視カメラとサービス用モニタが装備されていた。ちなみにTIPSの表示されるモニタには、時折エレベーター内の画像も表示された。  部屋に入るのに鍵と認証が居るのも、セキュリティに気をつけているからと言えるだろう。そこまでの手続きを経て、トラスティはメリタの部屋に入ることを許された。そこで少し意外だったのは、玄関を入ってすぐにシューズボックスが置かれ、その脇にスリッパが置かれていたことだ。どうやら土足はここまでで、中は内履きに変えろと言うことらしい。 「その、その方がリラックスできますし、掃除も楽なんです」  トラスティの反応に気づいたメリタは、すぐさま靴を履き替える理由を口にした。ここまでトラスティを連れ込んだ以上、どんな些細なことでも見逃すわけにはいかない。言い訳じみた言葉も、おかしく思われないかと思ったのが理由になっていた。  ただトラスティは、メリタが思うほどこだわっては居なかった。「それもいいですね」と笑って、さっさと靴を脱いでスリッパに履き替えた。  右手にシャワーとパウダールーム、左手にトイレとなった廊下を通り抜け。少し広めのLDKに通された。ここがメリタにとって、第一の戦場となる場所である。ここまでは順調と胸をなでおろし、メリタは買ってきた食材をテーブルに置いた。そしてトラスティをこ小ぶりなソファに座らせ、素早い動作でおしぼりを渡した。これも出かける前に用意し、レンジで温めるだけにしておいたものだった。 「食事の時にはお酒を飲むのですけど……今はお茶でいいですか?」  酷く喉が渇くのは緊張からなのか。つばを飲み込もうにも、そのつば自体が湧いてくれなかった。それだけ緊張したメリタに、「そうですね」とトラスティは微笑み、「緊張する必要はありませんよ」と言った。 「多分、そう言っても難しいんでしょうね」 「そ、そうですねっ」  トラスティに言われ、更に緊張は高まったようだ。つい声が裏返ってしまったのは、その証拠と言えるものだった。そんなメリタに、「喉は渇いていませんよ」とトラスティは告げた。 「で、でしたら、夕食の準備を始めますねっ!」  あたふたと買ってきた袋を開き、二人で選んだ惣菜を取り出した。そして食器棚から取り出した食器に、緊張しながら盛り付けていった。出来合いを並べるだけの行為なのだが、「結構新鮮」とトラスティは感動していたりした。出来合いだろうとなんだろうと、こんなことをしてくれるのはアイラしか居なかったのだ。そして小さな頃から知っている彼女は、得意分野で緊張したりはしなかった。  なるほどこれが普通の男女関係なのだと、トラスティは「狭い」部屋を見渡していた。冒険で潜入した時以外に、彼がこんな狭い部屋に居ることはなかったのだ。  手料理をごちそうすると言った以上、出来合いを並べるだけで終わらせるわけには行かない。パタパタとキッチンに行ったメリタは、用意しておいた鍋を火にかけた。冷静な時に作らないと失敗するので、前の夜に仕込んでおいた煮込み料理がその中に入っていた。ブイヤベースと言う名の料理らしいのだが、その実態は魚のごった煮になっていた。そして隣のコンロでは、ショートパスタを煮るためのお湯が煮立っていた。脇に置かれている食材を見ると、シェルマカロニのトマトソースを作ろうとしているようだ。  それから奮闘すること30分、テーブルには所狭しと料理が並べられた。ほうれん草のキッシュやチーズにオリーブ、生ハムはデリカで買ってきたものである。そこまで準備をしたメリタは、エプロンを外してトラスティの前に座った。 「そ、その、乾杯を……」  酒屋おすすめの白ワインを冷蔵庫から出し、ちょっと洒落たワイングラスに注ぎ込んだ。このグラスも、ワインと一緒に酒屋で購入した勝負の品である。 「乾杯……ですか」  そこで少し考えたトラスティは、「そうですね」とメリタに笑みを向けた。 「あなたの部屋に招待していただいた。確かに、記念すべき日ですね」 「そ、その、記念すべき夜にしたいと思います」  その先を持ち出して顔を赤くしたメリタは、興奮を隠すように「乾杯」とグラスをトラスティに差し出した。「乾杯」とグラスを合わせたトラスティは、白のワインを口に含んで「美味しいですね」と感想を口にした。そして出来合いの惣菜ではなく、メリタが用意したブイヤベースなる料理から手を付けた。  じっと凝視するメリタの前で煮込まれた魚を口に入れ、「美味しいですね」とワインに口をつけた。 「お酒を引き立ててくれるし、お酒も料理を引き立ててくれますね」  とても美味しいですよと言いながら、もう一度煮込まれた魚を口に入れた。それで緊張がとけたのか、メリタも自分の用意した料理に手を出すことができるようになった。ただ肝心の味の方は、未だよくわからないと言う体たらくだった。  ただこう言った場での会話は、トラスティの真骨頂と言うものだろう。言葉巧みに乙女の秘密……ではなく、メリタの緊張を解きほぐしていったのだ。ただ一つだけ難しいのは、トラスティは自分のことをあまり話せないと言うことだった。のぼせ上がったメリタでなければ、会話の不自然さに気づいていただろう。  そうした話をしている中でのハプニングと言えば、メリタが叔父からのメッセージを受け取ったことだろう。はっきりと嫌そうにしたメリタに、「どうかされましたか?」とトラスティは声を掛けた。 「いえ、お世話になった叔父からなんですけど……レックス、その従兄なんですけど、休暇で帰ってくるからたまには顔を出せと」 「従兄さんですか?」  嫌そうな顔をするのだから、なにか感情的な問題があるのか。ちょっと興味を持ったトラスティは、少しだけ彼女の事情に踏み込むことにした。この後のことを考えると、逆に踏み込むことが彼女の希望だと受け取ったのだ。 「ええ、宇宙軍に勤めているんです。先だってケイオスを撃退しましたから、そろそろ休暇で降りてくるとは思っていたんですが……ただ、3年ぐらい会っていないんですよね」 「僕としては、とても気になる話ですね。ちなみにその従兄さんは、結婚されているのですか?」  シシリーと同じことを尋ねるトラスティに、「独身なんです」とメリタは嫌そうに答えた。 「叔父の家で同居していたんですけど、ちょっと普通と違うところのある人でしたから……」 「なるほど、叔父さんは息子さんの将来に不安を持った……と言うことですか」  「一歩違いでしたね」とトラスティは笑った。 「そして僕は、ぎりぎり間に合ったと言うことですか。考えてみれば最低最悪の出会い方なんですが……」 「そ、その、できたらやり直したいなぁって……」  悪酔いして男性に向かってリバースをした結果がこれなのだ。絶対に出会いを語れないと、メリタは記憶の奥底に封印したいと思っていたのだ。  一方トラスティは、メイプルからの警告を受け取っていた。メリタの家の周りで、プローブ密度が高くなっていると言うのである。「神」が何らかの干渉を行う徴候がある。メイプルの警告は、その危険性を知らせるものだった。  ただその警告に対して、トラスティは別の考えを持っていた。「やはりお節介だ」と、「神」の干渉の方向性を考えたのである。それまで話をしていた時と比べ、明らかにメリタが緊張と興奮を始めていたのだ。  ただその変化にしてみても、経験のない女性だと思えば不思議な事ではない。だから「神」の干渉は、彼女に対しておせっかいを焼く方向だと考えたのだ。つまり、彼女の想い人である自分をその気にさせることだと。 「この前の実験と同じってことか……」  ただそのことにしても、「可愛いものだ」と言うのがトラスティの印象だった。「神」の干渉を受けなくても、今日は彼女を抱くつもりで居たのだ。その意味で言えば、「催淫効果」は、余計なお世話と言えただろう。 「その、こう言う時って緊張するものなのですね」  自分で自分を追い込んだメリタは、顔を真赤にして俯いていた。ただ「押して押して押しまくる」を実行しなければと、覚悟を決めて顔を上げた。ただ彼女の覚悟は、幸運なことに空振りに終わることになった。緊張状態のまま顔を上げたら、なぜかトラスティが自分事を覗き込んでいたのだ。 「ここから先は、無理をする必要はありませんよ」  そう言って、トラスティはメリタの顎に手を当て唇を重ねた。 「叔父さんには、恋人ができたと教えてあげればいいんです」  もう一度唇を重ねてから、トラスティはメリタを抱き上げた。 「あなたを、誰にも渡しません」  腕の中で縮こまるメリタを抱えたまま、トラスティは奥のベッドルームへと向かったのだった。  初めてだからと、トラスティは手順を追ってメリタを可愛がった。ベッドに腰を下ろしての口づけや、服の上からのねっとりとした愛撫など、ここしばらくしたことが無いことだった。そしてゆっくり彼女の服を脱がし、自分も服を脱いでメリタと向かい合った。  それから情熱的に唇を重ね、ベッドに押し倒したメリタの気持ちに合わせた愛撫をした。普段に比べて前戯を長めにしたのは、初めてと言うメリタを慮ったものだった。そして何度か達して力の抜けたメリタの中に、トラスティはゆっくりと入っていった。歓喜の声と同時に、メリタは手入れされた爪をトラスティの背中に突き立てた。  アルテルナタのリハビリのお陰で、トラスティは一頃の異常状態から脱していた。お陰で普通に興奮し、メリタと一緒に果てる事もできるようになっていた。もっともその状態でも、メリタとでは経験も体力も段違いと言うのはいかんともしがたいことだった。そして5回目の絶頂を迎えたメリタは、トラスティの腕を枕に失神しながら眠りに落ちた。その満ち足りた表情に、トラスティもまた満足を感じていた。 「こう言う関係もいいものだね……」  純粋に相手を愛おしく思い、純粋に行為に没頭できたのだ。この感覚を持てる相手もまた、久しぶりのことだった。アリッサ相手でも歪んでいたのだから、かなり重症だったと言うことになる。 「連れて帰るか……と言うのは、勝手な言いぐさなんだろうね」  小さく呟いたところで、「勝手ですね」とメイプルが干渉してきた。そしてトラスティに対して、更にプローブ密度が高まったことを警告した。何が起きるのかと警戒したトラスティは、メリタを守るように抱き寄せた腕に力を入れたのだが、そこでメリタが目を開いているのに気がついた。  「目が覚めた」と声を掛けかけたのだが、すぐに別人なのだとトラスティは理解した。姿はメリタなのだが、まとっている空気が全く別のものになっていたのだ。 「君は誰なんだい?」 「そう言うあなたは何者なの?」  とても平坦なメリタの声で、メリタの体を使ったものは聞き返してきた。 「君の正体の方が先だと思うのだけどね」 「あなたは、私が何者かを知っているはずよ」  「神か」と呟いたトラスティに、「そう呼ばれている者」とメリタの体を使った者は認めた。 「あなたは何者なの? あなたに似た人を、私は1825時間ほど前に別の場所でも感じている」 「君と話すのは初めてのはずだけどね。それよりも、君は何をしたいのだい?」  ようやく掴んだ手掛かりなのだが、相手はそれ以上トラスティとの接触を望まなないようだった。静かに目を閉じたと思ったら、それっきり何の反応をも示さなかった。そして観測していたメイプルからも、プローブ密度が落ちたことを知らされた。 「メイプルさん。1825時間前に、僕はどこに居た?」 「1825時間前ですか……」  少し考えたメイプルは、「惑星フレッサです」と求める答えを口にした。 「豊穣神のお祭りが終わったあたりですね」 「つまり、ラクエルに迫られたときのことか……」  彼女が「魔法」を使ったのだから、「神」の関与があったと考えていいのだろう。なるほどねと納得したトラスティは、気持ち良さそうに眠るメリタを見た。 「彼女にも、「神」と接触する素養があったと言うことか」  こうして自分の前に出てくるぐらいだから、その素養にしてもかなり高いものとなるのだろう。それは一歩間違えば、コーギス信者の行動にでる恐れがあると言うことに繋がるものだった。 「こう言った関係になるのも、必然的だった……と言うことなのかな?」  それはそれで嫌だなと。ただ「神」のあり方を考えると、彼女が純粋に願った結果でもある。流石にそれを否定する訳にはいかないと、トラスティにしては珍しく対応を迷うことになった。 「……少し、頭でも冷やすか」  場所は分かっているので、ベッドから抜け出して裸のままシャワールームへと向かった。そして小さなスペースに、「普通の子なんだよな」と改めてメリタの置かれた身の上を考えた。金満家の両親だったとは聞かされているが、それにしたところで標準的なレベルを超えていないのだ。アリッサの暮らしぶりを考えたら、本当に倹しいレベルでしか無い。メリタの部屋のすべてを足しても、ベッドルーム一つにも満たない広さしかなかったのだ。こんな部屋を使うのは、結婚後は冒険での潜入時ぐらいのことだった。  やけに生活感のにじみ出たスペースで、トラスティは熱いシャワーを浴びたのだった。  「今日は休暇をとっています」と言うのが、朝起きた時のメリタに教えられた話だった。だから今日一日は、好きに使うことができるのだと。 「その、内緒にしていてすみません」 「別に謝られるようなことじゃないんですけどね」  少し苦笑をしたトラスティは、朝食のトーストを齧りながら「どうします?」と今日の予定を尋ねた。メリタが普通に登庁すると思っていたので、今日のアレンジなど考えていなかったのだ。 「その、デートって言ったら怒ります?」 「怒りはしませんが……今日のスケジュールをどうしようかなと悩む程度ですよ。それにしたところで、合間に時間を作ればこなせる程度なんですけどね」  だからと、トラスティは少しだけメリタにお願いをした。 「話を聞いていないって怒らないでくれますか? ここ数日いろいろとありましたから、ちょっと考えをまとめたいと思っていますので」 「やはりご迷惑でした……ね」  萎れたメリタに、「迷惑と言う程ではありませんよ」とトラスティは笑った。 「あなたといられるのですから、多少のことには目を瞑らないとと思っています。ただ、それでもしなくちゃいけないことがあると言うだけです」  だから大丈夫と保証され、メリタは少し安堵の息を漏らした。そして食器を下げながら、「質問をしていいですか?」と言って新しいコーヒーを前においた。 「答えられることなら、と言うところですね」 「その、今更の質問なんですけど……トラスティさんは、何をされている方なのですか?」  その問いは、確かに今更のことに違いない。行きずりの関係など夢にも思っていないのだから、相手の職業と言うのはとても大切な要素となってくれる。 「僕が、何をしている人……ですか?」  ううむと悩んだトラスティに、「守秘義務があるのですね」とメリタは少し勘違いをした。そんなメリタに、「それに近いことは」とトラスティは笑った。 「本当のことを教えても、信じて貰えるかも分かりませんからね。そして結構いろいろな問題を孕んでいるんですよ」  ちょっと真面目な顔をしたトラスティに、「私は信じます!」とメリタは身を乗り出した。そのお陰で、カップのコーヒーが少しだけソーサーに溢れた。 「秘密にしろと言うのなら、絶対に誰にも言いません。ええ、口が裂けても言いません!」  信じてくださいと迫るメリタに、「僕は」と言ってトラスティは天井の方を指さした。 「宇宙人なんです」 「宇宙軍の方ですか?」  聞き直してきたメリタに、「違いますよ」とトラスティは笑った。 「もっと遠い世界から来た「宇宙人」なんです。ここ、ブリーには、「神」の尻尾を捕まえるために来たんですよ」 「……私をからかっている、と言う事はありませんよね?」  少し目元にシワを寄せたメリタに、「割と真面目に言っています」とトラスティは答えた。 「宇宙人って……アコリとかニダーみたいな見た目をしているんじゃありませんか?」  ケイオスを思い出したメリタに、「あのタイプは珍しい」とトラスティは笑った。 「意外にこの格好をした者は多いんですよ。後は、爬虫類タイプとか昆虫タイプとかも居ますね。文明レベルの低い星なら、不定形の知的生物も居ますよ。ただ宇宙に出る技術がないので、今は観察対象になっていますけどね。その意味で言えば、宇宙に出る技術のあるブリーは接触しても大丈夫なんです」 「「神」とは関係がないのですよね?」  聞き取りモードに入ったメリタに、「ありませんね」とトラスティは笑った。 「僕達がその気になったら、ブリーぐらい1日も掛けずに滅ぼすことができますよ。あんな出来損ないの生物兵器じゃなくて、もっと人間らしいアンドロイドもあります。この銀河の端から端まで移動するのも、10時間も掛からないと思います」  トラスティとしては、一つも嘘を口にしていない。ただそれを受け取る方が、本当だと思えるかどうかは別である。  トラスティに背を向けたメリタは、「妄想だとしても……」といきなり呟き始めた。 「リュースさんはまともそうだし……ノブハルさんも、おかしなところはないとシシリーも言っていたけど」  そこでちらりと見られ、「なにか?」とトラスティは首を傾げた。 「こうしてる分には普通だし……妄想以外なら凄く常識的だし」  ううむと唸ったメリタは、自分の中で折り合いをつける方法を考えた。何しろ目の前の妄想男は、恋をして処女をあげた相手なのだ。多少の瑕疵ぐらいなら、目を瞑らなければと思ったのだ。ただ痛すぎる妄想が、「多少」と考えていいのかで悩んだのである。  そんなメリタに、「やっぱり信じられないでしょう?」とトラスティは笑った。 「え、ええと、信じていますよ、ええ、信じていますとも」  あはははと乾いた笑いを浮かべたメリタに、小さくため息を吐くとトラスティは「コスモクロア」と己のサーヴァントを呼び出した。その呼びかけに応えて現れたのは、長い黒髪に緑色の瞳をした、この世のものとは思えない美しさを持った女性だった。 「え、ええっと、もしかして夢でも見てるのかしら?」  いきなり自分の頬を抓ったメリタに、「珍しく常識的な方ですね」とコスモクロアは驚いた顔をした。 「主様の割に、本当に普通の女性に手を出されたのですね」  抓ってみても痛いのだが、それでもメリタは目の前の出来事が信じられなかった。だから今度は、脇腹を抓ってみたのだが、当たり前だが痛みを感じていた。 「痛みも夢の中で感じているのかしら?」  おかしいと言いながら、メリタは立ち上がってコスモクロアにペタペタと触れた。黙ってコスモクロアがナスがママになったのは、相手に悪気がないことが分かっていたからだ。 「よくできた夢ね……」 「まあ、君が夢だと思いたいのは分かるんだけどね」  残念ながらと答え、トラスティは「頼めるかな」とコスモクロアに確認した。 「フュージョン以外の方法なら」 「ちょっとお散歩に行こうと思っているんだ」  いいかなと問われたメリタは、「構いませんよ」と答えた。 「どうせ夢の中のことですから」  それは間違いなく現実逃避なのだろう。ただお墨付きをもらったと、トラスティは「コスモクロア」と合図を送った。そしてトラスティの命を受けたコスモクロアは、二人を第4惑星近傍にある宇宙軍基地アカプス近傍へと飛ばした。もちろん、息ができるように万全の処置をした上でのことである。 「ええっと、これってアカプスですか?」  どうして夢の中でこんなところに来るのだろう。不思議そうな顔をしたメリタに、「君の従兄さんは?」とトラスティは尋ねた。 「レックスさんでいいんですよね?」 「え、ええ、そうですけど……もう、ブリーに降りているはずですよ」  それが何かと尋ねた次の瞬間、メリタはどこか狭い一室の中にいる自分に気づいた。 「ここは?」 「レックス氏の私室と言うことになりますね。アカプスのデーターから、彼の部屋を探したんです」  そう言われて部屋の中を見渡したメリタは、レックスらしいと同居していた頃の彼を思い出した。何をどうと言うのも難しいのだが、相変わらずどことなく「変」だったのだ。そしてデスクの上を見たら、飼っていた犬の写真の横に、叔父一家の写真が置かれていた。当然のように、そこにはまだ10代の自分が写っていた。 「こんな写真って撮っていたかしら?」  首を傾げて写真立てを手にしてみたら、裏に「大切な家族」と書かれているのに気がついた。それにほっこりとした気持ちになったところで、「もういいでしょう」とトラスティが声を掛けてきた。そして次の瞬間、知らない暗い世界に放り出された。どこだろうと首を捻ってみたら、少し黄色っぽい星が明るく輝いていた。 「もしかして、あれはビアンコですか?」 「もしかしなくてもビアンコだよ。ビアンコから、およそ9億キロ離れた場所に居るんだ」  位置関係を説明されたが、どうしてこんなところにと言う疑問が湧いてきた。やけに凝った夢なのだが、それにしてもこんな場所まで来る理由が思い浮かばなかったのだ。 「どうして、こんな場所に来たんです?」  日があたっているはずなのに、少しも明るくないのだ。それでも星の明かりだけは、ブリーに居るときよりは明るく見えていた。それを綺麗と見惚れたのだが、その中にぼんやりと黒い大きな物があるのに気がついた。 「あの、大きなのはなんですか?」 「君達のつけた名前は小惑星セレスタだったかな。現在、惑星ブリーへの衝突軌道を進んでいるよ。何もなければ、およそ5年後……ぐらいにブリーに衝突することになる。直径およそ300kmの小惑星が衝突したら、ブリーの自転周期も変わるぐらいだ。当然地上の生物は絶滅することになる。地上の生物を死滅させるだけなら、直径10km程度でも十分なんだ」  それが現実と教えたトラスティは、「従兄に聞いてみるといいよ」とメリタの耳元で囁いた。 「これが夢の中の出来事なのかどうか分かるからね」 「夢の中で、確かめ方を教えられるのはどうかと思うけど……」  不思議ねと首を傾げたと思ったら、メリタは誰かに肩をゆすられたのを感じた。一体何と揺すった相手を見たら、トラスティが心配そうな顔をして自分を覗き込んでいた。 「大丈夫かな? 疲れているようだけど」  後ろから抱きしめられたメリタは、頭に血が上るのを感じていた。そこであわわと慌てたのだが、同時に夢だったのだと安堵も感じていた。トラスティが宇宙人と言うことも夢だし、5年後にブリーが滅びると言うのも夢なのだと。 「そ、その、ちょっと変な夢を見ていた気がして……」  もう大丈夫ですと答え、メリタは空になったコーヒーカップをシンクに置いた。そんなメリタに、トラスティは後ろから近づくと覆いかぶさるように抱きしめた。そして耳元で、「もっと君を抱きたい」と囁いた。 「今日は、たっぷり時間があるんだろう?」  だからと、トラスティはメリタの胸と大切な部分を同時に責めた。経験したばかりのメリタが、トラスティを拒めるはずがない。あっという間に息が上がり、トラスティにもたれるように体を預けた。それを了解の合図と受け止めたトラスティは、彼女を抱き上げ昨夜と同じベッドへと運んだのだった。  「流石に2日続けては辛い」と言うことで、その翌日の朝トラスティは自分の部屋へと帰っていった。それを引き止めなかったのは、流石にわがままだと思ったのが理由である。そしてもう一つ、休みを利用して叔父の家に顔を出そうと思ったのだ。そこで「恋人ができた」と宣言してくれば、いろいろな面倒がなくなると思ったのである。  出かける前の身だしなみと、メリタはシャワーから浴びることにした。そこでじっくりと自分の体を見てみたら、愛し合った名残が結構残っているのに気がついてしまった。白い胸には、明らかに手形のようなものが残っているし、そこかしこに軽くうっ血したような痣が見えたのだ。そして首筋にも、幾つかキスマークのようなものが残っていた。今更のことだが、下腹部にも何かが入っているような違和感も残っていた。 「起きてた時間の半分はしていた気がするわ……」  そう言いながら胸に手を当てて、手形と自分の手の大きさを比べてみた。 「やっぱり、男の人の手って大きいのね」  思わず笑みが浮かぶのは、「幸せだ」と言う気持ちの現われだった。ソープの泡を流しながら、メリタは体についた印を順番に指で触れていった。そのたびごとに、愛された記憶が蘇ってくれる。お陰で下腹部には、違和感とは別の痺れのようなものを感じてしまった。ついさっき別れたばかりなのに、すぐにでも逢いたいと言う気持ちがこみ上げていた。 「そう言えば、避妊していなかったな……」  後からでも、100%の効果のある避妊薬がある。嗜みとして購入してあるのだが、メリタは使用にためらいを感じていた。トラスティの子供を生みたい。その気持が彼女の中で強い願いとなっていたのだ。 「でも、勝手に妊娠しちゃ駄目よね……」  ちゃんと自分の気持を伝えて、その上で許してもらおう。まだ5日の猶予期間があるのだから、その間にゆっくり話せばいいのだと。  そうしようと心に決め、メリタはシャワーを出て着替えをすることにした。 「その前に、換気をしておかないといけないわね」  特にベッドルームはと、バスローブのままメリタはベッドルームの窓を開いた。途端に流れ込んできた外の空気に、メリタはぶるっと小さく震えた。 「今日もいい天気ね……」  見上げてみれば、真っ青な空が広がっていた。 「小惑星が落ちてくるなんて……そんなことはありえないわよね」  あれは夢なのだと自分に言い聞かせ、クローゼットから下着を取り出した。少し地味なのは、誰にも見せる予定がないからである。それからブラウスの上にセーターを着て、下にはゆったりとしたパンツを合わせた。 「多分、泊まっていかないと煩いわね」  日帰りをしようものなら、「薄情だ」と叔父夫婦に揃って言われるのが目に見えている。今日は会わないからいいかと頭を切り替え、着替えをボストンバッグに詰め込んだ。 「後はお化粧と髪を整えれば出発準備はオッケーか」  なにか気持ちが浮かれている。義理を果たしに帰るだけなのに、嫌と言う気持ちが起きてこないのだ。それどころか、一つ一つの出来事が新鮮に思えるようになっていた。 「やっぱり、恋をすると変わるのかな?」  きっとそうと結論づけし、メリタはパウダールームへと向かったのだった。  朝帰りをしたトラスティを、待ち構えていたナイトが捕まえた。前と同じようにドアを開けて監視をしていたナイトは、「良いご身分だな」とトラスティの朝帰りを論った。 「すみませんね。彼女が帰してくれなかったんです」  てれてれと頭を掻いたトラスティは、「うまく行ったのかな?」とナイトの後ろに隠れているフェイに声を掛けた。ただブンブンと首を横に振るところを見ると、どうやらナイトは追い詰められていないようだ。 「してねぇよ。ったく、俺を異常性愛者にするんじゃねぇ!」 「こちらの法律では……ああ、ブリーだとまだ未成年でしたね」  失敬失敬と謝って、トラスティは部屋へと入っていこうとした。そんなトラスティは、「待て」と呼び止めた。 「説明をしてくれるはずじゃなかったのか? 1日余計に待たされたんだぞっ!」  今日は絶対に逃さない。そんな剣幕のナイトに、「仕方がありませんね」とトラスティはため息を吐いた。 「一応彼女にも説明したんですけどね。結局最後まで信用してもらえませんでした。証拠まで見せてあげたのに、「夢」で片付けられてしまったんです」  はあっと息を吐いたトラスティは、「それでも約束は約束ですね」とナイトとフェイを見た。 「良いですよ。付いてきてもらえますか?」  そう言ってドアを開いたトラスティは、「中でお話しましょう」とナイトを誘った。  「待っていろ」とフェイを置いていこうとしたナイトだったが、裾を引っ張られて小さくため息を吐いた。 「彼女にも聞かせてあげていいですよ」  気を使ったトラスティに、「いやなに」とナイトは口ごもった。 「あまり、こいつを巻き込みたくねぇんだがな」  仕方がないと小さくため息を吐き、「大人しくしてるんだぞ」とナイトは命じた。そして案内されるまま、トラスティの部屋へと入っていった。 「意外に、普通の部屋なんだな?」  ぐるりと中を見渡してみても、自分の部屋と大きな差はなかった。什器が綺麗とか汚れてないとかあるが、それでも十分常識的な範囲でとどまっていたのだ。 「まあ、ここは仮住まいですからね。ところでフェイちゃん、飲み物は甘いものでいいかな? 後は、甘いお菓子とかはどうする?」  トラスティに聞かれたフェイは、お伺いを立てるようにナイトの顔を見た。そこで頷いてくれたので、「欲しい」と素直に自分の気持を答えた。 「だそうですメイプルさん。とびっきり美味しいお菓子をお願いします」  トラスティの声に少し遅れ、「畏まりました」と言う女性の声が聞こえてきた。そしてすぐに、肩口までの茶色の髪をした、結構美人かなと言う女性が現れた。メイド服を来た女性が抱えたトレーには、大きなお皿と山盛りのお菓子が乗せられていた。 「お、おい、この女はどこに居たんだ?」  自分の部屋と同じ作りなら、女性が隠れていられるようなスペースはない。それ以前に、こんなものを用意していたら、自分が気づかないはずがなかったのだ。 「まあ、それもこれから説明することに関わると思ってください。それからリュース、君も話に加わってくれないかな?」  「了解」と聞き覚えのある声に、「なんだ」とナイトは振り返った。そしてそこに水色の髪をした女性を見つけ、「いつの間に」と驚いてしまった。 「なんか、悪い夢を見てるようだな……」 「残念ながら、これは現実なんですよ」  そう言いながらクッキーを摘んだトラスティは、メイプルが淹れていったお茶を飲んだ。そして「遠慮なくどうぞ」と同じものをナイト達に勧めた。 「足りなければ、もっと用意しますから」 「いやいや、これでも多すぎるだろう……と言うより、あの女はどこに行ったんだ?」  立ち上がってあたりを見渡したナイトは、そこにメイプルの姿が無いことに気がついた。 「彼女なら、ここから6億キロぐらい離れた場所に居ますよ」 「……お前、一体何者なんだ?」  ぎろりと睨んだナイトに、「今想像した存在です」とトラスティは答えをぼかした。 「い、いや、そんなことはありえないだろう。この宇宙では、「神」と言う奴が宇宙に出るのを邪魔しているんだ。それを乗り越えた奴が居るとは思えんぞ」 「確かに「神」でしたか。この銀河において、宇宙開発を邪魔していますね。そして逆らった星を、そこに生きる生物ごとまとめて殺している。そうなった例を、少なくとも1つは見つけてあります」  そう答えたトラスティは、この世界の「神」とはと言って立ち上がった。 「超越した者なんて高尚なものじゃない。遥かに進んだ文明が、この銀河にプローブと言う干渉装置をばら撒いたんです。その装置を使って、「奇跡」と言うものを行っている。科学的に存在の説明できる程度のものでしか無いんです」 「確かお前、「神」を調べていると言ったな?」  車の中の話を思い出したナイトに、「言いましたよ」とトラスティは返した。 「今は神の本拠地がどこにあるのか、その探査にフェーズが移っています。奇跡とかでお節介をする程度なら放置したんですけど、宇宙に出ようとする惑星を滅ぼすのはやりすぎだと思います。だから、そんなマネをしないように、神を止めようと思っているんですよ。そうしないと、このブリーも、遠くない未来に滅びることになってしまう」 「確かに、このままだとブリーは滅びるな」  軍にいただけ、ナイトは現実的な考えをしていた。そして戦いの行く末についても、一般人とは違った考えをしていたのである。一つ一つの戦いでは勝利しているが、その戦いのすべてが自分の庭で行われていたのだ。そのため勝利こそしているが、星としては次第に疲弊していっているのである。 「こんな戦い方が、いつまでも続けられるはずがねぇ」  ナイトの言葉を、「そうですね」とトラスティも認めた。 「ここよりももっと技術が進んだ星……その星の住人は、自分達の星のことをトリトーンと呼んでいました。近傍の氷に包まれた第4惑星の開拓のため、小型の太陽を近傍に作るぐらいの技術力があったんです。そしてケイオスですか、その攻撃を跳ね返すだけの技術力もありました。光の速度を超え、10光年程度なら現実的な時間で旅をする技術も持っていましたね。その星ですが、コーギス信者の破壊工作による小型の太陽の爆発で今は焦土になっていますよ。そして氷に閉ざされた第4惑星に、僅かな人たちが冷凍睡眠状態で残されていました。今の話は、救助した人達からのヒアリングで分かったことです。そしてわずかに逃れた人々が、他の星に行って現地に溶け込んで生活をしていましたよ」  妄想だと思いますかと、最後にトラスティは付け加えた。 「いや、ありえない話じゃねえな。ただコーギス信者と今の状況を知っていれば、作ることのできる話でもある。目的は分からないが、お前がペテンを働いている可能性もあるんだろうな」 「仰る通り、この状況を見れば創作できる話しでもありますね」  そこで少し口元を歪めたトラスティは、「話ができる方だ」とナイトを評した。 「宇宙軍でしたか。そこの戦闘部隊ではエリートだったそうですね。あなたの左手と左足ですが、ニダーにやられたのですか?」 「ああ、奴らは空間を超えてあいつらを送り込んできやがる。だから俺達戦闘部隊は、艦内での戦いも想定していた。それでも不運が重なれば、こんな事になっちまうんだ」  左袖を捲ったナイトは、無骨な見た目の義手をトラスティに見せた。 「無様にも、ニダーに食いちぎられてしまったんだ」 「他の星では、多くの住民が食われていますよ。この星では、まだ市街地での被害は出ていないのですね」  トラスティの問いに、「そんなことはない」とナイトは返した。 「ちまちまと住民を襲うのではなく、それなりの重要施設を襲っていると言うのが実体だな。この前のダムとか、火力発電所とか、一つ間違えば住民に大打撃が加わる場所が狙われている。ここんとこ襲撃の数が多くて、地上軍の手が回らなくなってるぐらいだ」 「そしてその穴を、あなた達のような人たちが埋めているわけだ」  トラスティの指摘に、ナイトは「そうだ」と事実を認めた。 「軍を動かすより、よほど金が掛からないからな。後は退役軍人に与える食い扶持ってのと、適当な人減らしなんだろうな」  しぶとく生き残っていると笑ったナイトに、「実力でしょ?」とトラスティは指摘した。 「だが、今度は俺だけだったら死んでいたぞ」  だから実力と言っても慰めでしか無い。リュースに見せつけられた圧倒的実力差に、ナイトは自嘲した。 「運も実力のうちと言いますよ。そしてあなたが「死の窓口」を愛用していたのも、運を招き寄せたのでしょうね。もしも彼女が関わっていなければ、一昨日のサーベイには手出しをしていませんでしたからね」 「すべてを運で片付けるつもりはねぇんだが……今の話はどこまでが本当なんだ?」  目元を険しくしたナイトに、「今の所は本当」とトラスティは笑った。 「明後日ですか。その時には、何らかの手助けは考えたかもしれませんね。あなたは仕方がないとは言え、その子が巻き込まれるのは可哀想ですからね」 「確かに、こいつは俺と一蓮托生だからな」  お菓子をもぐ付いているフェイを見たナイトは、「お前の話を信用したとしてだ」と切り出した。 「どうして、俺に話をしたんだ?」 「僕達の立場も、結構微妙ですからね。本当はもっといろいろなことができるのですが、下手をすると、あなた方から「神」の仲間だと思われる可能性もあるんです。そうなると、ブリーでの活動もしにくくなるんですよ。そして、この星の人に仲間になって貰う必要もあると思っています。僕のしているのはかなり荒唐無稽な話に聞こえますからね、なかなか信用して貰えないと思うんですよ。何しろ証拠まで見せてあげたのに、彼女には「夢」ですまされましたからね。証拠を見せる前には、「妄想癖」があると心配されました」  だから仲間が必要なのだ。そう主張されても、だからと言って簡単に納得できるものではない。そしてトラスティの言葉にある、「証拠」がナイトには引っかかってしまった。 「その証拠ってのはなんだ?」 「いろいろと……恋人向けの証拠。ちょっとムードのあるのを用意したんですけどね」  うまくいきませんでしたと笑ったトラスティは、部屋の1箇所を示しながら「メイプルさん」と声を掛けた。そしてトラスティが指さした場所に、突然メイド姿の女性が現れた。 「空間移動技術か?」 「そう言うことです。そして彼女は、第4惑星と第5惑星の間にある小惑星帯に居たんです」 「確かに、夢でも見ていると思いたくはなるな」  技術が違いすぎると吐き出したナイトに、「だから色々なことができますよ」とトラスティは答えた。 「例えば、あなたの体を元通りにすることも可能です。ただ治療設備を持ってきていないので、今できるのはもうちょっとマシな義手とか義足とか作ることですね」 「俺を治せるのか?」  荒んだ眼差しに光を取り戻し、「できるのか」とナイトは繰り返した。 「その程度なら、再生医療ですからね。ただ、今回は小型艇で来ているので、そこまでの設備は持ってきていないんです。大型船を呼び寄せれば可能ですが、まだその時じゃないと思っているんですよ」 「こいつをマシなものに変えるというのは?」  そっちでも良いと声を出したナイトに、「メイプルさん」とトラスティはメイプルの顔を見た。 「可能ですが。どのようなものがお好みでしょうか? ほとんど本物と変わらないものから、とてもメカメカしたものも可能です。ちなみに、どのパターンでも少しお時間をいただければ用意できますね」 「お勧めってのはあるのか?」  この不都合がなくなると言う話に、ナイトは目を輝かせて迫った。 「はい、ちょっと凄いことをしてみようかなって。ただ、義足の方はバランスが重要ですからね。右足とほとんど変わらないものがお勧めになります。その分、左腕は面白いことができそうですよ」  どうしますと聞かれ、「お勧めで」とナイトは答えた。 「本当に、俺の腕を直してくれるのか?」 「バーターになりますけど、協力してくれればと言うところですね」  どうしますかと問われ、「乗った!」とナイトは即答した。 「やはり、軍に居た方は決断が早い」  それでこそ見込んだ甲斐がある。商談成立と笑ったトラスティは、「任せていいかな」とメイプルを見た。 「私へのご褒美はいただけますか?」  じゅるっとよだれを拭う真似をしたメイプルに、「交渉相手は彼」とトラスティはナイトを指さした。 「すこし、カイト様に似てらっしゃいますね」  了解しましたと口元を歪め、メイプルは見せてくださいとナイトに近づいた。 「上着を脱げばいいか?」 「ズボンは……年頃の女の子の前ではだめですね」  それは後ほどと笑ってから、メイプルはナイトの左手を見た。そして構造を確認してから、無造作に義手を取り外した。 「お、おい、何をするんだっ!」 「接合面の確認です」  ナイトの文句を押さえ込んだメイプルは、「酷いものですね」と赤くただれた接合面を見た。 「接触面が拒絶反応を起こしていますね。これだと、結構痛みがあったんじゃありませんか?」 「そんなもの、薬で押さえ込んでいたさ」  つまり、メイプルの指摘を認めたことになる。なるほどと頷いたメイプルは、取り外した義手から「薬」のアンプルを取り出した。 「痛み止めに化膿止め……ですか。こんなものを常用していると、男性器が役に立たなくなりますよ」  そこでフェイの顔を見て、「だからですか」と納得した顔をしてくれた。 「大人の女性が怖いから、少女で性欲を晴らそうとされたと言うことですか」 「そこんとこ、もの凄い誤解があるんだがな……」 「ナイトは、私相手だと萎えるって言っていた」  爆弾発言をしたフェイは、「萎えるって何?」と無邪気に首を傾げてくれた。 「殿方の物が、役に立たなくなることを言うんです。ですが、フェイちゃん相手じゃなくても、役に立たないんじゃありませんか? この状態だと、役に立つとは思えません!」 「頼むから、役に立たないと繰り返してくれるな……」  勘弁してくれとの心からの懇願に、「事実ですよね」とメイプルはとどめを刺した。 「分かりました。そちらのケアもコースに入れておきます」  早速取り掛かりましょうと意気込んだメイプルに、トラスティは「彼女も連れて行ってくれないか」と声を掛けた。 「教育に悪くありません?」  主にケアの方がと。そんなメイプルに、トラスティはフェイを見て「離れたくないだろう?」と問いかけた。そしてそれに力強く頷くのを見て、「誑し込んではいるのですね」とメイプルはナイトの名誉を踏みにじってくれた。 「でしたら、一緒に行きましょうか。美味しいお菓子もありますよ」  いらっしゃいと言われてフェイがくっついていくのは、見た目の包容力の為せる技なのだろうか。はたまた、胃袋を誑し込まれたのが理由なのだろうか。そんなどうでもいいことを考えていたら、3人の姿が部屋から消失してくれた。  それを確認したところで、リュースが「受ける」と言って笑ってくれた。 「トラスティさん、うまくナイトさんに押し付けましたね」 「押し付けたなんて人聞きが悪いなぁ。全部人助けになっているだろう?」  すべて善意だと胸を張ったトラスティに、「余計にタチが悪い」とリュースは笑い転げた。 瞬きをしたら、眼の前の景色が変わっていた。生まれて初めての空間移動に、ナイトとフェイの二人は何度も瞬きを繰り返した。そんな二人を現実に連れ戻したのは、メイプルが早めの昼食を持ってきたからだった。鼻をつく香りに、フェイはゴクリとつばを飲み込んだ。 「少し早いですけど、お昼にしましょうか」  こちらにどうぞと食堂に連れ込んだメイプルは、結構嬉しそうに二人の世話を焼いた。見た目の年齢差はさほど無いくせに、フェイには我が子のように接したのである。初めてのごちそうに、フェイは貪るように出された料理を平らげていった。 「沢山食べて、そしてよく寝て女の子の体を作りましょうね」  お腹がくちてきたのが理由なのか、フェイが船を漕ぎ始めていた。その頭を撫でたメイプルに、「嬉しそうだな」とナイトは声を掛けた。 「ええ、こんな可愛い子が欲しかったですからね」 「欲しかったって……あんたの年なら、まだこれからのことだろう」  見た目だけを取り出せば、メイプルは10代の女性に見えたのだ。それを理由にしたナイトに、「夢は叶いませんでした」とメイプルは寂しげに笑った。 「ひょっとして、好きだった奴が死んだのか……」  そう口にしてから、それが無神経なことだと言うことにナイトは気がついた。 「わ、わりいな。無神経なことを言っちまって」  もう一度悪いと謝ったナイトに、「構いませんよ」とメイプルは寂しく笑った。そして眠りに落ちたフェイを抱き上げ、ベッドルームへと連れて行った。 「今度はあなたの番ですね。義手と義足を作るのに必要なデーターを取りましょう」 「あ、ああ、よろしく頼む。それで、どうすればいい?」  義手と義足を作ると言っても、ナイトにはその過程がちんぷんかんぷんだったのだ。だからメイプルの指示が必要なのだが、その問いを受けたメイプルは「そうですね」と言いながら見えないところで口元を歪めた。 「義手と義足を外しますから、ベッドルームで横になっていただきましょうか?」  こちらにと案内され、ナイトはフェイとは違うベッドルームへと案内された。 「では、綺麗さっぱり裸になってください」 「それは、必要なことなのか?」  義手はまだしも、義足は太ももの付け根につけられていた。その先の作業を考えれば、下着も邪魔と言うのはおかしなことではない。ただ問題は、それを口にしたのがスタイルの良い、綺麗な女の子と言うことだ。 「それで、誰が診てくれるんだ?」  医者が乗り込んでいるのだろうと考えたナイトに、「私ですが」とメイプルは首を傾げた。 「先程の義手も、私が診察しましたよね?」  だから私なのだと主張され、ナイトはもう一度「必要なことなのか?」と問い直した。いろいろな経験はあるが、流石にこれは恥ずかしすぎたのだ。 「ええ、必要なことなんです。患部周辺の消毒もしないといけませんからね」  そこで無機的に、そう「死の窓口」と言われる受付嬢の様な顔をしてくれていれば、まだ気持ち的には楽なはずだ。だがメイプルは、綺麗な顔をバラ色に染めて自分を見てくれている。自分でお願いしたことなのだが、「そんな期待の籠もった目で見るな!」と言いたいところだった。  ただそれでは治療が進まないと、ナイトは諦めて服を脱ぐことにした。どこかでつばを飲む音がしたが、それは気のせいにすることにした。 「ぬ、脱いだぞ」  大事な部分を手で隠し、ナイトはメイプルの前に立った。ドーテーでもないのに、恥ずかしくて死にそうな気持ちになっていた。 「では、そこに横になってください」  そう指示を出したメイプルは、横になったナイトにシーツのようなものを掛けた。お陰でナイトにも、これは治療なのだと背筋に一本筋が通った。 「では、義手と義足を外しますね」  ふんふんと鼻歌交じりのメイプルは、ちょっと調べただけで義手と義足を外してくれた。途端にナイトは、体の一部がなくなった感覚を覚えていた。 「神経接続も切りましたから、少し違和感があると思います」  痛いですかと問われ、「違和感だけだ」とナイトは返した。 「最初に、義足を合成しますね」  下半身部のシーツをめくり、メイプルは右足の長さと形状を測定した。左足を作る際に、そのデーターを活用するためである。そして大腿骨から下の骨格データーを取って、自分の中へと取り込んでいった。 「細胞増殖をしなくてすむ分、時間は掛からないんですよ」  そこで声を潜めたメイプルは、「ちなみに」と言って治療の必要がない部分に触れた。 「ど、どうして、そっちを触るっ!」 「いえ、こちらはどうしますかとお尋ねしようかと。機能強化版に付け替えますか? きっと、フェイちゃんも喜びますよ」  いかがでしょうと問われ、「いらねぇよ」とナイトは即答した。 「そうですか……その気になったら、いつでも相談してくださいね」  少し残念そうにしながらシーツを戻し、メイプルは左手のデーター採取に取り掛かった。 「準備ができたら、オリジナルに戻すのですよね?」 「やっぱり、義手と義足ってのは不便だからな。できたら、そうしたいと思っているが?」  それが何かと聞き返したナイトに、「左手の義手のことです」とメイプルは答えた。 「遊び心を加えても良いのかなぁと。昔にですね、コミックで格好の良い義手を持ったヒーローが居たんです。その義手を再現してみようかなぁと。もう宇宙を股にかけた格好の良いヒーローだったんですよ」  それがお勧めと力説したメイプルに、「限度をわきまえてくれ」とナイトは懇願した。 「ええ、もちろん。日常生活やお仕事に支障をきたすような真似はしませんよ」  だから大丈夫ですと力説し、メイプルは必要なデーター採集を続けていった。そして小一時間ほど経過したところで、「義足の準備ができました」と言ってどこからか足を取り出してくれた。  確かに左足に見えるのだが、問題はそんなものがどこから出てきたのかと言うことだった。しかも義足のくせに、やけに生々しく見えてしまったのだ。  それを気にしたナイトを、メイプルはコロコロと笑い飛ばした。 「男でしたら、細かなことを気にしてはいけませんよ。それから義足ですけど見かけで区別は付きませんからね。ちゃんと、スネ毛だって生えてきますから」  無駄に凝った機能を口にしながら、メイプルはもう一度下のシーツをまくりあげた。 「では、覚悟はよろしいですか?」 「か、覚悟ってのはなんだっ! 普通は準備とか聞くものだろうっ!」  ナイトが喚いたのも気にせず、メイプルは義足をももの付け根にあてがった。その途端、接合面が「ウニャウニャ」と蠢き始めた。 「な、なんか、変な感じがするんだが……」 「大丈夫ですよ。接合作業をしているだけですから」  神経接続に割り込んだせいか、それまでしょぼくれていたナイトの物が、力を得て立ち上がってきていた。それを確認して手を当てたメイプルは、「代替品は不要みたいですね」とおぞましい感覚に震えているナイトに声を掛けた。感触がはっきりしてくるのは良いのだが、その分おぞましく動く感覚がはっきりしてきたのだ。お陰でメイプルに大事なところを触られているのに気づかなかった。  そのおぞましい時間も、およそ10分ほどのことだった。おぞましさが消えたのと同時に、ナイトは左足にはっきりとした感覚を覚えたのである。 「終わったのか?」 「ええ、無事に接合は終わったようですね」  見てみますかと体を起こされたナイトは、昔と同じ左足があるのを目の当たりにした。 「指とかも動きますから、試してみてください」 「う、動くんだよな……ほんとに」  恐る恐る試してみたら、本当に指が動いてくれるのだ。それどころか、思ったとおりに足首も動いてくれる。下半身裸のことを忘れ、「す、すげえ」とナイトは興奮して自分の足を動かした。そして右手でペタペタと触って、感覚があることも確認した。 「本物の足と区別がつかないな」  凄すぎると感心したナイトに、「私達のことが信用できましたか」とメイプルは尋ねた。 「ああ、あんた達が違う宇宙から来たってのを信じられるようになったさ」  それは良かったとメイプルが微笑んだところで、今度は左腕の合成が完了してくれた。  「次は左腕ですね」と声を掛け、メイプルはもう一度ナイトを横たわらせた。  一度実績ができれば、安心もするし、信用もできる。「任せた」と大きな気持になったナイトは、「さっさとやってくれ」と横になった。  「では遠慮なく」そう答え、メイプルはナイトの左手らしきものを患部にあてがった。  左足とは違い、左手なら直接接合部を見ることができる。そこでナイトは、何が自分の体に起きているのか目のあたりにすることになった。あてがわれた義手の部分から触手のようなものが伸び、自分の体を侵食していくのを目の当たりにしたのである。一度結果を見ていても、おぞましさ満点の光景には違いない。 「こ、これは、何をやっているんだ?」  再び神経を襲うおぞましさに震えたナイトに、「細胞の侵食です」とメイプルは答えた。 「このように侵食して、神経接合とかをするんです。当然骨も侵食していますから、骨格も修復されるんですよ。ただ侵食ですから、完了するまでの違和感はどうにもできませんね」  見えている範囲だけでなく、中の方でもなにか蠢いているように思えるのだ。必要なことと分かっていても、精神的にはきついなとナイトは左腕を見ていた。ただその感触も、15分ほどで終りを迎えた。違和感が消えたのと同時に、はっきりとした左手の感覚が戻ってきたのだ。 「左手を動かしてもらえますか?」 「こうか?」  言われたとおりにしてみると、本当に思ったとおりに腕が、指が動いてくれるのだ。忘れかけていた感覚の復活に、ナイトは涙を流しながら「凄い凄い」と興奮した。物を触ったリアルな感覚も戻っているのだから、本物の腕と少しも違いが分からなかったのだ。 「これで、義手と義足の装着は終わりました」  どうですかと問われたナイトは、「素晴らしい!」と感嘆の声を上げた。 「あんたには、いくら感謝を言っても足りないと思ってる!」 「感謝の気持ちはありがたく受け取らせていただきますね。では、もう一つのケアも行いましょう」  そう言って立ち上がったメイプルは、掛けていたエプロンをするりと外した。そしてボタンを外していき、黒のメイド服も脱ぎ捨てた。 「お、おい、どうして服を脱ぐんだ?」 「ケアも必要だと言いましたよね?」  だからですと答え、メイプルは一糸まとわぬ姿になった。そして「元気にして差し上げますね」と言って、ナイトの物を口に含んだ。 「き、気持ち良い……い、いや、待て待て、どうしてそう言うことになる」 「ケアだと言いましたよね」  だからですと答え、メイプルはナイトのものを自分の中へと導いた。「あっ」と小さく声を上げたメイプルは、覆いかぶさるようにしてナイトと唇を重ねた。 「ちゃんと女性とできるのか。その感覚も大切なことですよ」  義手となった左手を自分の乳房にいざない、「リハビリです」と自分の行為を正当化した。 「なんのために、フェイちゃんを寝かしつけたと思っているんです?」  「邪魔は入りませんから」と言って、メイプルはナイトを蹂躙したのだった。  ナイトとフェイが戻ってきたのは、もうすぐ夕食と言う時間のことだった。はっきりと疲れた顔をしたナイトに、「無事終わりましたか」とトラスティは声を掛けた。 「無事終わったと言えば終わったんだが……」  左手をニギニギとしたナイトは、「搾り取られた」とトラスティにだけ聞こえるように答えた。 「い、いや、なんだ、もの凄く良かったんだけどな。ただ、ちょっと理不尽なものを感じただけだ」  そう答えてから、「感謝する」とナイトはトラスティに頭を下げた。 「もう二度と戻ってこないと思った左手と左足が、こうしてまた戻ってきてくれたんだ。この恩を返すためなら、俺は何でもするぞ!」 「まあ、そう言いたくなるのは理解していますけどね。こちらも思惑があるのですから、ただ親切心ばかりではないと言うことですよ」  そう言って笑ったトラスティは、ナイトの後ろに隠れているフェイに声を掛けた。 「メイプルさんに綺麗にして貰ったのかな?」  メイプル号に行く前は、新しい服を着ていたがどこかちぐはぐなところがあったのだ。だが帰ってきたフェイは、髪型を含めてパーフェクトな美少女に生まれ変わっていた。ただ魅力的な女性になるためには、体に肉と脂肪を付ける必要があった。 「とりあえずフェイちゃんは良いとして……」  そこでぐるりとナイトの周りを回り、トラスティはぱちんと指を鳴らした。その合図でノブハル特性の衣装チェンジシステムが起動し、ぼろけたナイトの格好がパリッとしたものに変わっていた。 「ちょっと前なら、コーギスの魔法かって聞いてやるところだな」 「ええ、これは魔法ではなく、ただの進んだ技術ですからね。まあ、「神」のしていることも同じですけど」  そんなところと笑ったトラスティは、「食事に行きましょうか」とナイトを誘った。 「メイプルさんのご飯も美味しいけど、この星の美味しいものを食べに来ましょう」 「俺の奢りだって言いたいところだが……しがない退役軍人に金はねぇからな」  そこが残念と悔しがるナイトに、「僕が持ちますよ」とトラスティは笑った。 「人には言えない方法ですが、資金だけは潤沢ですから」 「その話は、聞かなかったことにしておこう」  それが長生きをする秘訣だと。ナイトは細かなことに拘らないことを正当化した。  公共交通機関を乗り継ぎ、メリタは叔父の家にたどり着いた。就職を機に叔父の家を出たこともあり、実に3年ぶりの「里帰り」と言うことになる。15からの7年間を過ごした場所と言うことで、それなりに思い出も残る場所だった。ただ気がのらないからと出発が遅れたので、着いた時には夕食前となっていた。 「うん、この辺りの景色も変わってないわね」  バス停を降りてからは、10分ほど歩く必要があった。高校や大学に通っていた時には、毎日歩いた道でもある。商店やコンビニ、食堂やレストラン、お洒落なパン屋も3年前から変わりはなかった。  昔を懐かしがりながら歩いたメリタは、小さな塀と芝生の庭がある一軒家にたどり着いた。ちょっと広めの家は、家主の経済状態を示しているのだろう。そして手入れされた庭は、一家の主婦が健在だと言うことを示していた。 「相変わらずローラおばさんは綺麗好きなんだから」  ふふと口元を緩め、メリタは小さな扉を開いて庭へと入っていった。そして最近整備された、警報システムに引っかかった。ジリジリとけたたましくなる警報に、メリタはいきなりプチパニックに襲われた。  ただその警報も、すぐに解除された。それからパタパタと足音を立てて、一人の夫人が玄関から出てきた。 「メリタちゃん、久しぶりぃ〜」  そう言って抱きついてきたのは、一家の主婦ローラである。もともと茶色の髪をしているのだが、白髪になった部分に黄色のメッシュを入れたお洒落な女性である。 「おばさんお久しぶりです。ところで、前はこんな警報装置はなかったわよね?」  お陰で冷や汗を掻いたと文句を言うメリタに、「最近物騒だから」とローラは早口で答えた。 「コーギス信者の活動が活発になってるでしょう。いつ、住宅地が標的になるか分からないもの。レックスが軍人だから、標的になりやすいしね」  だからよと答えてから、ローラはまじまじとメリタのことを見てくれた。 「ひょっとして、恋人ができた?」  変化を見逃さないところは、さすがは女性だとメリタは感心した。 「ええ、結婚したいなぁって思える相手ができたの」  これで、レックスとくっつけられるのは避けることができる。用意していた答えを口にしたメリタに、案の定ローラは深い溜め息を吐いた。 「珍しく帰ってきたと思ったら、そう言う事情があったと言うことね」  落胆を顔に出したまま、「話は家の中で」とローラは先を歩き始めた。その肩が落ちているのは、それだけ落胆が大きかったと言うことだろう。  そして家の中に入ったところで、「レックスぅ」と大声で息子の名を呼んだ。 「メリタちゃんが帰ってきたんだから、あなたも迎えに出なさい!」 「いやいや、帰ってくるのは俺の方が珍しいだろう?」  おかしかないかと文句を言いながら、相変わらず赤い髪をチリチリにしたレックスが現れた。そしてメリタの顔を見て、「よっ」と右手を上げた。 「なんか、見違えるぐらい綺麗になったな。そりゃ、なんだ、男ができたってことか?」 「結婚を考える相手ができたんだって」  不満そうに口にした母親に、「良いことじゃないか」とレックスは笑った。 「「死の窓口」ってのが、俺の耳にも聞こえてきてたんだぞ。これじゃあ、相手が見つからないと心配したぐらいだ。まあそんときゃそん時で、貰ってやっても良かったんだがな」  あははと笑ったレックスは、メリタの手から荷物を取り上げた。 「そこそこ大きいってことは、今日は泊まっていくのか?」 「ショックなことを聞いたから、このまま帰りたくなったわ……」  はあっとため息を吐いたメリタに、「死の窓口のことか?」とレックスは笑った。 「ううん、あなたに「貰ってやっても良い」って言われたこと」 「そっちかよっ!」  酷いなと笑い、レックスは居間へと入っていった。一方メリタは、洗面所を経由してから居間に入った。 「遠かったでしょう。お茶でいいかしら?」 「まだ時間が早いからお茶でいいわ」  ありがとうとくつろぎ、普段よりだらしのない格好をした。気を抜けると言うことは、それだけ遠慮のいらない、彼女の地が出せる場所と言うことになる。  そしてお茶を啜ったメリタは、「今度も1ヶ月?」とレックスの休暇のことを尋ねた。 「ああ、今の所予定を変える理由はないな」 「つまり、相変わらず寂しい人生を送っているわけね」  ズバズバと言い返され、レックスは少し目元を引きつらせた。 「男ができた途端、急に強気になりやがって」  気に入らねぇと叫んでみても、持つ者と持たない者の間には超えられない差がある。  当たり前よと豊かな胸を張ったメリタに、「少しは隠せ」とレックスは首筋を指さした。 「キスマークが二つばかり見えているぞ」 「まっ、良いかなぁって……スカーフで隠すのも不自然だし」  途端に顔を赤くしたメリタに、「よく見つけたな」とレックスは息を漏らした。 「親友の……その、金髪の彼女の紹介か?」 「その辺り、説明に困ると言うのか……あまり、人には言えない出会いなのよ」  その答えに、「なるほど」とレックスは大仰に頷いた。 「結婚相談所、さもなければ出会いサイトって奴か」 「それだったら、言いたくはないけど隠しはしないわよ。だって、あなたの参考にもなるもの」  利用したらと言われ、「言ってくれるな」とレックスは口元を歪めた。そして「分析官を舐めるな」と、推理を働かせた。 「死の窓口ってのは有名だからな。お前を知っている奴が、言い寄ってくるとは考えられない。だとしたら、街中でお前の見た目に騙された奴が引っかかったか、酔っ払っているのをお持ち帰りされたかだな。いずれにしても、お前のことを知らない奴が相手には違いない」 「なんか、もの凄く失礼なことを言われた気がするわ」  やめてくれるとの抗議に、「事実だ」とレックスは言い返した。 「そしてお前の性格だと、街中でのナンパの線は消えるな。昔からお前は、そう言う軽薄な奴は嫌いだったからな。だとすると、残る可能性は酔っ払ったのをお持ち帰りされたと言うことになる」  どうだと胸を張るレックスに、「ハズレ」とメリタは舌を出した。 「ただ、ちょっと惜しいところはあるわね。ねえレックス。酔っ払った時にやられて、私がその人に惚れると思う?」 「確かに、お前だったら訴訟沙汰になってもおかしくないな」  うんうんと頷かれたメリタは、「その決めつけもなんか嫌」と言い返した。 「ただ、間違ってないけど」 「だろう。だったら、優しく介抱してくれた紳士的な奴ってことになるんだが……」  そこでメリタの上から下までじっくりと見て、「それも難しいか」とレックスは吐き出した。 「お前の見た目と体を前に、そこまで理性を保てる奴は1人しか知らないからな」 「誰よ、その1人って?」  不機嫌そうな顔をしたメリタに、レックスは「俺」と言って自分を指さした。 「俺が家を出る前、お前は風呂上がりに際どい格好をして彷徨いていたんだぞ。俺が女に夢を持てないのは、その頃のお前を知っているからでもあるんだ」  責任を取れと笑ったレックスに、「酷い濡れ衣」とメリタは言い返した。 「あなたの目が怖くて、絶対無防備な真似はしなかったのに……私の部屋に覗きに来たのは誰よ」 「と言うことで、推理はこれで打ち切りってことになるな。それで、どんなシチュエーションで出会ったんだ?」  そう聞かれたメリタは、「絶対内緒」と言い返した。酔ってリバースを吹き掛けた相手に介抱された上に、運ばれている間に漏らしたなどと口が裂けても言えなかったのだ。 「それで、そいつと寝たわけだ」  隠しても無駄だと、レックスはキスマークを指さした。こんな場所にキスマークがあるぐらいだから、寝ていないと言う主張には説得力がないのだと。  首を隠しながら、そうだけどぉとメリタは唇を尖らせた。 「白状すると、今朝まで一緒に居たわ」 「そう言う生々しい話は聞かせてくれんでええ」  たくとぶつぶつと文句を言ったレックスに、「事実だから仕方がない!」とメリタは言い返した。 「ところで、お前のお相手は何者なんだ?」  それぐらいは聞かせてくれてもいいだろうと。当たり前の要求なのだが、なぜかメリタが難しい顔をしてくれた。 「なんだ、訳ありか?」  さもありなんと言う顔をしたレックスに、「よく分からないんだけど」とメリタは白状した。 「昨日の朝なんだけどね、その人……トラスティさんって言うんだけどね。何をしている人って聞いたはずなんだけど……そこからが、ちょっと記憶が曖昧なのよね。その人の部下に、リュースさんって女性が居るんだけどね。ウガジンダムの管理棟占拠事件があったんだけど、60匹を超えるアコリと10匹のニダーに1匹のオルガをほとんど一人でやっつけちゃったのよ」  しかも素手でと言われ、「おいおい」とレックスは手を振って笑った。 「宇宙軍の精鋭だって、そんな真似はできないぞ」 「うん、私もそう思う。もともとその仕事って、私の窓口でナイトさんが受けたものなのよ。そこでいろいろとあって、私が車で送っていくことになったんだけど、それが心配だからってトラスティさんが護衛としてリュースさんをつけてくれたのよ」 「お前、車を運転できたのかっ!」  大仰に驚くレックスに、「問題はそこじゃない!」とメリタは言い返した。 「それで、その護衛の女性がほとんど片付けたって言う訳か。その女性ってのは、どんだけゴリラなんだ?」  こんなのと両手で体の大きさを示したレックスに、「とっても華奢な女性」とメリタは答えた。 「体格だって、私と殆ど変わらないわ」 「それを、俺に信じろと?」  流石に無いと言い返したレックスに、「普通はそうよね」とメリタはため息を吐いた。 「軍で、強化人間とかの開発をしてないの?」 「そんな話があるんだったら、俺は驚いていないぞ」  すかさず言い返され、そうよねとメリタも認めた。 「そんな凄い人を使ってるから、もしかして中央の人かなって思ったのよ。さもなければ、軍の研究者かなって。だって、トラスティさん達は「神」を疑ってるって言ってたもの」 「「神」を疑ってるって?」  途端に視線を厳しくしたレックスに、メリタは小さく頷いた。 「だから、色々と調べてるって言ってたわ。それでね、はじめの話に戻るんだけど……どうも私、質問をした夢を見ていたみたいなのよ。だって、その前には別の姿で抱かれる夢を見たのよ。長い黒髪の、スタイル抜群の美女になっていたのよ。そして目が覚めたと思って質問したら、「宇宙人」って言われたし、「神」の尻尾を捕まえに来たって……それから何か突然綺麗な人が現れたと思ったら、アカプスだったかしら? あなたの働いている宇宙ステーションを外から見ることになって、それからあなたの私室に入って犬の写真と家族写真を見せられたのよ。そうそう家族写真の入っている写真立ての裏には、「大切な家族」って書いてあったわ。流石に、こんなの夢としか言いようがないでしょう?」  メリタはそう言って笑ったのだが、レックスの顔はますます真剣なものになっていた。 「全部夢の話よ。その後に小惑星セレスタ……だったかしら? このままだと5年後にブリーに衝突すると言われたところで食卓で目が覚めたもの……ねえ、本当にどうかしたの?」  自分に食いつくように迫ってきたレックスに、メリタは少し怯えて後ずさった。そんなメリタに、「まず1つ」とレックスは事実を持ち出した。 「アカプスの俺の私室には、昔飼っていた犬の写真と家族の写真が置いてある。そして家族写真の裏には、「大切な家族」と書いてあるんだよ」 「で、でも、それって偶然じゃ? よくある話でしょ、その程度なら」  レックスのことを知っていれば、逆におかしなことじゃないと思っていたのだ。だがレックスは、「それだけじゃない」と夢と言うメリタの考えを否定した。 「小惑星セレスタのことは、軍の中でも一部しか知らないことだ。お前が夢で教えられたとおり、5年後……正確に言えば、1901日後にブリーに衝突する。直径およそ300kmの小惑星が衝突すれば、衝突角度に関係なくブリーは滅亡する。お前が夢で教えられたと言ったことは、全部本当のことなんだよ」 「で、でも、軍の人なら知ってることよね?」  宇宙人はないと言うつもりで口にしたメリタに、どうしてお前が知っているとレックスは指摘した。 「夢と言うことは、全部お前が知っていたと言うことになるんだぞ。だからそれを説明するためには、そいつが本当に宇宙人で、お前は夢なんか見ていないと言うことか、さもなければ、お前が「神」に教えられたと言うことになるんだ」  それ以外にないと突きつけたレックスは、軍人の顔をして「そいつはどこに居る」とメリタに迫った。 「今日は会わないことにしたから……多分、家にいると思うけど……」  そう答えたメリタは、「場所は聞いてない……」と漏らした。 「でも、ナイトさんとは顔見知りだったみたいだし」 「つまり、ナイトと言う男に接触すれば良いんだな」  がらりと変わった雰囲気に、メリタはすっかり怯えてしまった。 「連絡は取れるのか?」 「明日、会うことにしているけど……お昼から」  メリタの答えに、レックスはどうしたものかと考えた。軍を動かすことも一つの方法だが、一つ間違えば敵対してしまう可能性がある。相手の立ち位置が分からない以上、慎重に運ばなければならなかった。「神」の尻尾を捕まえると言うのが本当なら、間違いなく自分達の利益につながることになる。協力関係を築けるかも含め、考えなければいけないことが多すぎたのだ。 「今日、これからと言うのは無理なのか?」 「2日も泊まっていって貰ったから、今日は仕事が忙しいって言ってたけど」  「できるのか」と迫られ、メリタはコクリと頷いた。そして携帯端末をバッグから出し、教えられた連絡先をタップした。  そして本当に出てくれるのかと不安な呼び出しを超え、メリタは愛しいはずの人の声を聞くことになった。 「お仕事で忙しいところをすみません。あの、今日も逢えませんか?」  甘えるのではなく、硬い言葉で口にする従妹に「演技がぐらいしろ」とレックスは考えていた。ただホッとしている従妹の顔を見る限り、特に問題はなかったようだ。 「ナイトさん達と食事をするそうよ。そこに交じるのか、その後だったら良いって」 「店の名前は聞いてあるな?」  うんと頷いたメリタは、レックスに端末の画面を見せた。どこに行くのか、そしてどれぐらい居るのかが地図付きで送られていた。  それを確認して、「行くぞ」とレックスは声を掛けた。そして「大声で」母親を呼び、「出かけてくる」と言ってメリタの手を引いた。 「急ぐから、車で直行するぞ」 「あらっ、もうすぐお父さんも帰ってくるのに」  あらあらと呆れた母親に、「大切な要件だ」とレックスは告げた。 「ヘタをしたら、ブリーの未来に関わるかもしれないんだ」  だからすぐに出かけるのだと。軍人の顔をしてレックスは告げたのだった。  レックスの実家から、指定されたレストランまでは公共交通機関を乗り継ぐと1時間半、そしてタクシーを使っても1時間の距離だった。軍人特権を使えば短縮できると考え、レックスは迷わずタクシーを呼び出した。 「5分後にタクシーが来るぞ」  配車アプリで確認したレックスは、「悪いな」とメリタに謝った。 「もしかしたら、お前の恋人を殺さなくちゃいけなくなるかもしれない。そうでなくとも、身柄の拘束ぐらいはあり得るだろう」 「わ、私には、あの人が悪い人には思えないんだけど」  こわばった表情で答えたメリタに、「最悪の場合だ」とレックスは答えた。 「むしろ、俺一人だと返り討ちに合う可能性の方が高いだろう。なにしろ超腕利きの護衛がいるんだろう?」 「そ、その時は、むしろ何もさせて貰えないと思う……」  メリタが答えた時、配車アプリがメッセージを送ってきた。早く着いたなと画面を見たレックスは、「なんてこったい」と悪態をついた。 「車が故障して来られないそうだ」  くそっくそっと言いながら、新たな車の手配をかけた。そして10分後と言う表示に、「公共交通機関の方が早いか」と交通情報を確認した。だが「ダイヤ乱れ中」の表示に、「なんて日だ」と次は交通情報に対して悪態をついた。  はっきりと八つ当たりをしたレックスは、仕方がないと手配したタクシーが到着するのを待つことにした。ただ自宅に来るはずのタクシーが、なぜか明後日の方向へ向かっているではないか。そしてそれに合わせて、到着予定時刻が長くなっていっている。「なんなんだ!」と泣き言をレックスが口にしたところで、家の外から車の音が聞こえてきた。 「親父の車が有ったなっ!」  それだと手を叩いたレックスは、「行くぞ」とメリタの手を引っ張った。そして玄関で鉢合わせをした父親に向かって、「車を借りていく」とだけ言い残して家を出ていった。 「なんだ、駆け落ちでもするのか?」  目を丸くした父親リチャードに、ローラは「良く分からないんだけど」首を振った。 「なにか、ブリーの未来に関わることとか」  そう答えて、やっぱり分からないとローラは首をもう一度振った。  父親の車に飛び乗ったレックスは、ナビに目的地を入れるのと同時に、自分の軍籍番号を入力した。そこから暗証コードを入力し、特権モードに入る申請を行った。これを使えば、軍の特権を利用して信号コントロールを掛けることが可能となる。目的地までの時間を、大幅に短縮することが可能になるのだ。  それを入力し終わったところで、ファミリーカーは猛烈な勢いで走り出した。そのあたり、特権モードは伊達ではないと言うことだ。そして信号コントロールもされているので、出だしはとても順調に走り出すことができた。  だが順調なのは出だしだけで、中心部に差し掛かったところでナビは頻繁に経路変更を行った。その理由は故障車による渋滞やら、めったに起きない事故による道路封鎖だったりした。そして極めつけは、工事による車線規制の渋滞に巻き込まれたのである。前後を車に挟まれれば、いかに特権を使っても抜け出すことはできなくなる。「なんでだ」と呪いの言葉を吐いても、状況は1ミリも改善されるはずがなかった。  結果的に1時間の道のりを2時間半掛け、レックスとメリタは夕食をとっていると言うレストランに到着した。高級と言うより気取らない感じの、ステーキをメインにしたレストランだった。 「時間はどうだ?」 「待っててくれるって」  だったら良いと、レックスは駐車場に車を止めて店の方へと急いだ。そしてメリタを先に行かせ、自分は物陰から相手を観察することにした。 「そ、その、無理を言ってしまいました」  連絡をしたから気を利かせてくれたのか、トラスティが入り口のところまで迎えに来てくれていた。そのことを含めて謝ったメリタに、「構いませんよ」と笑ってからトラスティは彼女を正面から軽く抱きしめた。とっさに体を固くしたメリタに、「なるほど」とトラスティは小さく頷いた。  メリタから体を離したトラスティは、「隠れていなくていいですよ」とレックスの方へと声を掛けた。「レックス・アンジェロさん」と。  それに驚いたメリタに、「簡単に予想できることですね」とトラスティは微笑んでみせた。 「そしてそうなるように、ヒントを残しておきましたからね」  大丈夫ですよと耳元で囁いてから、「初めまして」とトラスティはレックスに向かって右手を差し出した。だがレックスは、差し出された右手をとろうとはしなかった。お陰で宙ぶらりんとなった右手をきまり悪そうに戻し、「座って話しましょう」と奥のテーブルを指さした。そこには特徴的な水色の髪をしたリュースと、ちょっと鋭い感じのする男性に、可愛らしい女の子が座っていた。 「あの、ナイトさんと食事されているのでは?」  リュース以外に心当たりがなかったメリタは、「どなたですか?」と相手のことを尋ねた。 「ナイトさんとフェイちゃんですけど?」  そう答えて、「さあさあ」とトラスティは二人をテーブルに案内した。 「あの、本当にナイトさんなんですか?」  いろいろと言いたいことは有ったのだが、それが最初に出たのは疑問を解消しようと言う気持ちからだろう。加えて言うのなら、真実と向き合うことへの恐れがあったのもある。そして聞かれたナイトも、聞かれるだけの理由を理解していた。 「まあ、驚かれるのは仕方がねぇだろうな」  普段どおりの言葉に、「ナイトさんなんですね」とメリタはほっと息を吐き出した。ナイトに比べれば、フェイの変化は小さなものだった。何しろフェイは、もともとかなりの美少女だったのだ。  そんなメリタに、「結構時間がかかったな」とナイトは声を掛けた。トラスティから来ることを教えられていたのだが、ここまで遅くに来るとは思っていなかったのだ。 「ええ、ちょっとトラブルが続いたと言うのか……いえ、私達が事故にあったとかじゃないんですよ。事故とか故障とか工事で渋滞したりとか、呼んだタクシー故障で来なかったりとか。なにか、まとめて不運が襲ってきたような……」  ごめんなさいと謝ったメリタに、「仕方がありませんよ」とトラスティは笑った。そして鋭い視線を向けるレックスに、「トラスティです」ともう一度右手を差し出した。やはりと言うか、レックスは差し出された手を取らなかった。 「こんな事を言ってはなんですが。もう少し、敵意は隠した方が良いですよ」  そこでフェイを見たトラスティは、「お留守番できるかな?」と尋ねた。相手が15の少女だと考えたら、ずいぶんと子供扱いしていると言えるだろう。ただ普段のナイトへのべったりさを考えれば、そう聞かなければいけない事情ははっきりしていた。  そこでナイトの顔を見たフェイは、「帰った方が良い?」と不安そうな顔をした。 「確かにそうなんだが……流石に、一人でここからは帰せないぞ」 「そう言われてみれば……じゃあ、メイプルさんに迎えに来て貰えば大丈夫かな?」  「メイプルさん?」とちょっと目を見張ったフェイは、「うん」と元気よく頷いた。どうやらメイプルは、フェイから絶大な信頼を勝ち得たようだ。  そして名前を出した5分後、相変わらずメイド服を来たメイプルが現れた。どこに居たのだと驚いたレックスとメリタに対して、ナイトとフェイは少しも驚いていなかった。 「じゃあ、おとなしく待っているんだぞ」  背丈はあまり変わらないのだが、並んで歩いているとまるで親子のように見えるから不思議だ。そんな二人を見送ったところで、「何から話しましょうね」とトラスティはレックスの顔を見た。 「何から話す……か?」  そこでレックスがナイトの顔を見たのは、彼が部外者だと言う思いからだろう。そんなレックスに、「彼も関係者ですよ」とトラスティは答えた。 「だったら、お前は何者なのだっ!」  明らかに喧嘩腰で臨むレックスに、「落ち着けや」とナイトが声を掛けた。 「よほどのことがない限り怒らないとは思うが、本気で怒らせたらこの星がなくなるぞ」  それぐらいの相手だとの意味を込めたナイトに、トラスティは顔を引き攣らせながら否定した。 「嫌だなぁ、僕はそんな野蛮人じゃありませんよ。せいぜい、ここに居るお客さんを人質にするぐらいです」  そう言って笑ったトラスティに、その方が質が悪いとナイトは言い返した。 「そっちの脅しの方が、リアルに聞こえるんだよ」  やらないのは分かっているがと。  それに頷いたトラスティは、「まあ、居なくなるだけですね」と答えた。 「関係したごく一部の人を連れて、この星とは関係の無いところに行きますよ」  あなたも連れてと、トラスティはメリタの顔を見た。 「つまり、お前達はブリー以外の星から来たということだな」 「否定しませんよ。何しろ宇宙は、こんなに広いのですからね」  そう答えたトラスティに、「どうやったんだ」とレックスは食いついた。 「「神」とか言う奴は、俺達が宇宙に出ようとするのをことごとく邪魔をするんだ。もしも他の星から来たと言うのなら、お前達は「神」を乗り越えたことになる」 「ようやく本題に入ってくれましたね」  椅子に座り直したトラスティは、「神」と言う存在はと自分の知っていることを話し始めた。 「僕達の調べた範囲で、「神」と言われる存在はこの銀河のいたるところにプローブと言う端末器官を展開しています。銀河の場所によって密度の違いはありますが、それが膨大な数に上るのは間違いありません。そしてそのプローブを介して、俗に言う「奇跡」を実行しています。それとは別に、アコリやニダーと言った有害生物も合成しています。彼らの知能が低いのは、合成の水準が低いからだと思ってください。さもなければ、それで目的が達成できるからと言うのもあるのでしょうね。ちなみに、今この瞬間でも、僕達の周りにプローブの更に子機が存在しています。何かを実体化させるとかの場合、この子機の密度が上がるのが分かっています」  そこで言葉を切ったトラスティは、「ここまでは良いですか?」とレックスに問い掛けた。  一言も聞き逃すまいと集中したレックスは、「続けてくれ」と先を促した。 「地上で起きることに関して言えば、「神」と言うのは極めて主体性のないことをしています。ただ、宇宙開発をすることへの警告は発していますね。それだけが、「神」が明確な目的を持った行動になります。そしてその警告を神託と考えたコーギス信者が、宇宙開発を妨害すべく思い思いの方法でテロを行っているわけです。そして宇宙空間において、「神」は警告の意味を込めて手勢を送ってきています。そしてそれでも宇宙開発をやめない場合、初めて「神」は強硬手段に出ます。宇宙開発を止められないのなら、その星ごと滅ぼしてしまうと言う手段をね。こことは別の星系では、宇宙開発のために作られた人工太陽を爆発させ、人々の住んでいる星を丸焼きにしてくれました。そしてブリーでは、巨大小惑星をぶつけようとしている」 「お前達は、それを乗り越えたというのかっ」  そうでなければ、こんなところに来ているはずがない。どうなんだと迫るレックスに、「違います」とトラスティは答えた。 「もともと僕達は、この銀河の生まれではありませんからね。外銀河探索で、この銀河の別の場所に行ったのがきっかけで、「神」とされる存在を知ることになりました。その星系……フレッサ恒星系と言って、7つの近接恒星でできた有人星系です。そこでは宇宙技術があるくせに、地上では魔法やら奇跡が現実のものとして利用されていました。その調査の過程で、宇宙技術は外から持ち込まれたもので、持ち込んだ星は「神」によって破壊されたことを知りました。そして氷に閉ざされた第4惑星に、冷凍睡眠の形で生き残りを見つけたんです。それが、僕達が「神」の邪魔をしようと考えた切っ掛けです。もともとは、関わり合いを持ったフレッサ恒星系を守るために始めたのですけどね。それにしても、「神」が派遣された救助隊を攻撃しなければ気が付かなったことです。律儀に僕達に手を出したために、「神」は作らなくてもいい敵を作ってしまったんです。ちなみに僕達の世界では、宇宙に出る技術のない世界に干渉すること。そして他の星を滅ぼすことは、星ごと幽閉されるぐらいの大きな罪とされています」  そこまで説明したトラスティは、「食べないんですか?」と二人に聞いた。料理がサーブされているのに、二人は手すら付けていなかったのだ。 「い、いや、あまりにも予想外の話しすぎて……だ」  つぶやくように答えたレックスは、いやいやと頭を振った。 「本当に銀河の外から来たのか?」 「本当ですよと言っても、簡単には信用出来ないでしょうね」  そう言って笑ってから、「本当ですよ」とトラスティは答えた。 「ちなみにリュースは、僕とは別の銀河の出身です。そしてノブハル君も、別の銀河の出身ですよ。僕達の世界は、多銀河共同体を作っているんです。今時点で加盟銀河数は1万と……3だったかな?」  想像もつかない世界に、レックスとメリタは言葉を失っていた。それに引き換えナイトが冷静なのは、すでに事情を聞かされているからに過ぎなかった。一度驚いたことを繰り返されただけなので、受けるショックは格段に少なくなったということだ。 「お前……あなた達なら、「神」に勝てるのですか」 「勝つ事自体は難しくありません。ただ、ブリーが無事でいられることとは、直接結びつかないのが問題だと思いますよ。小惑星セレスタを破壊するのも難しいことじゃありません。軌道を変えることも、難易度は殆ど無いと言っていいでしょう。ですけど、ブリーの近くには直径10kmほどの小惑星は星の数ほどあります。その一つでもブリーに落ちたら、恐らくブリーは死滅することになるでしょう。この星の近くを主戦場にすることは、「神」との全面戦争の引き金を引くことになります。その場合「神」は、あらゆる手段でブリーを滅ぼしに掛かるのでしょうね。相手の居場所を掴まない限り、いくら僕達でも防ぎようがないんですよ」  お分かりですかと問われ、しばらく経ってからレックスは頷いた。 「ノブハル君、なにか補足することはあるかな?」  メリタが横を向いたら、そこにはシシリーを連れたノブハルが立っていた。 「特には……いや、この星にあるプローブ排除ならできるだろうな。とりあえず、制御方法にはたどり着いた。そこに割り込みをかけてやれば、機能停止にまでは追い込むことができる。宇宙空間にあるやつは、まだサンプルが足りないな。もう少し分析をすれば、そちらも停止が可能だろう」  トラスティに答えるノブハルの隣では、シシリーがメリタに向けて手を振っていた。どうして冷静でいられるのか、メリタは親友のことが理解できなかった。 「それから、この程度のことで俺を呼び出してくれるな。これから彼女としっぽり行くところだったのだぞ」  そう言ったノブハルは、シシリーの肩を抱きよせた。そして小さく「アクサ」と命じて、5人の前から姿を消した。 「なんか、彼は休暇を満喫しているように見えるな……」 「ノブハル様、結構重たいものを背負ってるから……」  だから開放的な気持ちになっている。苦笑を浮かべたリュースに、「僕よりも?」とトラスティは尋ねた。それを聞かれ、リュースは「あはは」と笑い飛ばした。 「トラスティ様は、はっきり言って比較の対象になりませんね。だから始めっから除外していますよ」 「比較の対象にもして貰えないんだね」  良いけどとため息を吐いて、「質問は?」と固まったレックスに声を掛けた。 「い、今のはっ」 「今のって?」  はてと首を傾げてから、トラスティは「ぽん」と手を叩いた。 「ああ、空間移動ですね。僕達の世界では、割とポピュラーな技術になっていますよ」  それからと問われたのだが、レックスにはそれ以上質問をすることができなかった。得られた情報だけで頭が飽和してしまったのだ。分析にかけようにも、何をどうすれば良いのか皆目見当がつかなかったのだ。  それを確認して、トラスティは黙ったままのメリタの顔を見た。 「メリタ……メリタさん。あなたがとても常識的で、そして素敵な女性だと言う事は分かっていました。だから、本当のことを教えたら、こうなることも分かっていたんです」  そこで言葉を切ったトラスティは、「連れて帰りたいと本気で思ったのですよ」と彼女に告げた。ただ今のメリタを見たら、それが自分勝手な思いというのは理解できる。だからトラスティは、彼女にお別れを告げることにした。  「お別れですね」と優しい顔をしたトラスティは、「支払いを済ませてきます」と立ち上がった。そして言葉通り、キャッシャーの方へと歩いていった。 「俺がこんな事を言うのは筋違いの気もするんだが……」  ぼそりと口を開いたナイトは、「本当に良いのか?」とメリタに問い掛けた。 「俺は、フェイを連れてあいつに付いていくことに決めたんだ。付いていって、「神」を気取ってるやつをぶちのめして、それから広大な宇宙に出てみようと思っている」  そう口にしてから、ナイトは左の袖をまくりあげた。そこには無骨な義手はなく、普通の人の腕が有った。 「あいつが用意してくれた義手だ。義足も用意してくれたんだが、本当に自分の足と区別がつかないんだよ。だからってことはないが、俺はあいつを信用することにした。あいつは、絶対に俺達に酷いことをしない。俺達に、新しい道を用意してくれてるだけだと思っているんだ」  ナイトがそう話したところで、リュースが立ち上がった。どうやら、ナイトの言葉を聞いていたらしい。 「じゃあ、私も行くわね」  さようならと声を掛け、リュースはキャッシャーに居るトラスティの方へと歩きだした。その背中を見て、ナイトは小さく息を吐いて自分も立ち上がった。 「散々後悔をしてきた俺から一つ言わせて貰えば、後悔した時は手遅れなんだよ。少しでも迷う気持ちがあるんだったら、行動に移してから考えてみれば良いんじゃないのか?」  じゃあなと言い残して、ナイトもトラスティ達の待つ方へと歩きだしていった。  その姿が客の向こうに消えた時、レックスが「酷い顔をしているな」とボソリと呟いた。 「お前、自分がどれだけ酷い顔をしているのか分かっているのか?」  その言葉に、メリタは何も答えなかった。その顔は、レックスの言う通り涙でぐちゃぐちゃになっていた。そんな従妹の反応に、レックスは小さくため息を吐いた。 「お前がそんな顔をするのは、お前のおふくろさんが亡くなられた時以来だな。だけどな、死んだ人はどうにもならないんだが、あの男はまだ手の届くところにいるんだぞ」  本当に良いのかと聞かれ、メリタは蚊の鳴くような声で「良くない」と答えた。 「でも、私じゃ付いて行けない。私には、何も特別なものはないから」  だから付いて行けないのだと。嗚咽混じりに気持ちを吐き出したメリタに、レックスは本当に大きくため息を吐いた。 「相変わらず、お前は頭がいい癖に馬鹿だな」  そう言ってから、レックスは手を引いて無理やりメリタを立たせた。そしてそのまま、出口に向かって歩き出した。  涙で顔をぐちゃぐちゃにした女性と、なにか怒っているような顔をした男性の組み合わせに、居合わせた客達は何事だと二人の方を見た。そして店員の一人が、「どうかされましたか」と近づいてきた。暴力事件なら、警察への連絡が必要となってくる。 「今出ていった男達はどっちに行った?」  そこで階級章を見せられ、店員は「あちらに」となにもない方を指さした。 「あっちに何があるんだ?」 「それが、何もないんです」  困惑を表情に出した店員に、「もう良い」とレックスはメリタの手を引いた。そして店員に教えられた方に行ったのだが、当たり前だがそこにはトラスティ達どころか、人っ子一人居なかった。 「くそっ、空間移動かっ」  そのためには、人目につかない方が都合がいいのは確かだ。だったらとレックスは、駐車場へとメリタを引っ張っていった。 「諦めるのはまだ早いっ!」  車に乗り込んだレックスは、衛星リンクを使って個人情報を引っ張った。退役軍人と言うのなら、軍のデーターベースに居住地データーが残っているはずなのだ。 「ここだったら、さほど時間は掛からないな」  絶対に追いついてやる。特権モードを働かせたレックスは、安全速度ギリギリの速さで駐車場を飛び出した。そしてすべての信号を青にして、ナイトの住むアパートへと車を飛ばした。来る時と違って、今度は故障や事故渋滞には出くわさなかった。  その頃トラスティ達は、空間移動でアパートに戻っていた。正体を明かした以上、ここに長居をする訳にはいかない。しっぽり言っているノブハルは別として、自分達はすぐにでもメイプル号に移るつもりで居た。 「メイプルさん。ゴースロスを呼び寄せてくれるかな?」 「只今確認いたします」  そう答えたメイプルは、「ラフィール船長からです」とメッセージを伝えた。 「24時間ほどお待ちいただければと言うことです」 「メイプル号の収容能力に問題はあるけど……短時間なら構わないか」  そこでもう一度メイプルに声を掛けたトラスティは、「僕達を運んでくれ」と命じた。 「はい、只今と言うところなのですが。プローブ密度が今までになく高まっていますがどうされますか?」 「プローブ密度が?」  目元を険しくしたトラスティに、「こちらに集まってきています」とメイプルは答えた。 「「神」が接触してきたのか?」 「多分、違うと思いますよ」  そう言って、リュースはトラスティを肘でつついた。そしてほらと、ぼんやりと浮かんできた映像を指さした。 「ここの「神」が、お節介だと言うのを忘れていたよ」  はあっとため息を吐いたトラスティは、「移動を中断」とメイプルに指示した。いつの間にかトラスティ達の前にホログラム映像が現れ、必死の形相のレックスと、助手席で泣いているメリタが映し出されていたのだ。 「ゴースロスはどうされます?」 「予定通り呼び寄せてくれ」  使い道はあるからと、トラスティは少しだけ困った顔をした。そんなトラスティに、「気に入っているんでしょ?」とリュースは問いかけた。 「アリッサの時以来かな。偶然出会って、恋をすると言うのは……」  あの時の出会いは、熱中症で倒れられた。アリッサとの出会いを思い出し、トラスティは少しだけ口元を歪めた。あの時の出会い方は災難だったが、今回の出会いはそれ以上の災難だったのだ。 「だけど、本当に何をしたいんだろうね」 「「神」がですか?」  キョトンとした目をしたリュースは、「何も考えていないんじゃないですか?」と笑った。 「強い因子を持った彼女の強い願いを叶えたってことじゃありませんか? だって彼女、レストランに来る前は不運が積み重なったって言っていましたよね。それって、「逢うのが怖い」と言う彼女の思いに応えたからだと思うんですよ。つまり今度は、トラスティさんに逢いたいって強く思ってるってことです」 「……もうちょっと、不純な干渉もしてきているけどね」  中身を口にしなかったが、トラスティの表情でリュースは干渉の中身が分かった気がした。「確かに不純だ」と笑ってから、意味がないのにと続けてくれた。 「干渉がなくても、どうせするんですよね?」 「多分、その前にすることがたくさんあると思うよ」  ホログラムを指さしたトラスティに、「ああ」とリュースは頷いた。 「仲間はずれにしちゃ可哀想ですからね」  じゅるっとよだれを拭う真似をしたリュースに、「サカッてないか?」とトラスティは笑った。 「いやぁ、ムキになる所が可愛いかなって。まあ、半分冗談ですけど」  つまり半分は本気と言うことか。みんな自由だなと笑おうとしたところで、人のことは言えないとホログラムに映ったメリタを見たのだった。  その頃ノブハルは、宣言通りシシリーとしっぽり行っていた。「大人」のシシリー相手は、妻達相手よりずっと気持ちが楽だったのだ。 「でも、見捨ててきてよかったのかなぁ〜」  一戦終えたところで、二人は余韻を楽しむ会話をしていた。ピッタリとくっついたシシリーは、つらそうな顔をした親友の事を思い出していた。 「あの子、時々考えすぎて馬鹿になるから」  それが心配と言うシシリーに、「多分大丈夫」とノブハルは答えた。 「ここの「神」は、結構お節介だからな。トラスティさんのところにプローブが集まっているから、きっと何かのイベントが起きているのだろう」  その辺りはどうなっていると、ノブハルはアルテッツァを呼び出した。呼ばれて現れたアルテッツァに、「本当に何でもありなんだ」とシシリーは呆れていた。これを見せられたら、「神」など大したことは無いと言うのも理解できていしまうのだ。 「仰る通り、「神」ですか。干渉してきていますね。まあ、乙女の願いをかなえるためと言うのか……一応トラスティ様の足止めには成功したようです。そしてメリタさんは、従兄さんと車でアパートに急行中です。それから追加情報ですが、トラスティ様がゴースロスを呼び寄せられました」 「なるほど、次のステップに移るというのだな」  ふふと口元を歪めたノブハルに、「ゴースロスって?」とシシリーは出てきたキーワードを確認した。 「会社所有の豪華クルーザーなのだが、同時に最先端の超高性能船でもあるな。最高速を出せば、この銀河ぐらいなら4時間も掛けずに横断できるのではないか?」 「4時間も掛からないって……」  うーと少し顔を上げたシシリーに、「光速の5億倍だ」とノブハルは答えた。 「私達だと、ロッソまで2日掛かるのよ……」  世界が違うわと漏らしたシシリーに、「いずれ到達できる世界だ」とノブハルは告げた。 「「神」の妨害を乗り越えたら、でしょ?」 「生き残ることができたら、だな」  ぐっと体を抱き寄せられ、シシリーは「んっ」と少し悩ましい声を出した。 「本当に、付いていっていいの?」 「あなたが嫌でなければな」  唇を重ねてから、「結構ハマってる」とノブハルは白状した。 「気が楽だと言うのは、勝手な言い草と言うのは分かっているのだがな」 「ノブハル、結構女性関係で苦労をしてるのね」  ふふと笑って、シシリーは自分から唇を重ねていった。 「それにしても、あの人の足元には及ばないのだがな」  ノブハルの言葉に、なるほどとシシリーは小さく頷いた。 「つまり、思いが叶ってもメリタは苦労をする訳だ」 「あなたと一緒に、うちの支社で働くと言うのも一つの方法だな。結構自由にできるのではないか?」 「星が変わっても、メリタの面倒をみるの?」  ほんの僅か苦笑を浮かべたシシリーに、「嫌か?」とノブハルは尋ねた。 「毎日飲んだくれてそうで……それを考えただけよ」  でも楽しそうと笑って、シシリーはノブハルにキスをした。 「うむ、顰めっ面をしていても何も良いことはないからな」  それをここに来て学んだのだと、ノブハルはシシリーを抱く腕に力を込めたのだった。  アパートの下に居たトラスティに、車から飛び出したメリタはいきなり抱きついていた。そしてトラスティの胸に顔を埋め、ただ「離れたくない」と泣き続けた。その背中を優しく叩きながら、トラスティは車を止めたレックスと向き合っていた。 「下で待っていたと言うことは、こうなるのを予想していたと言うことか?」  嫌な奴だと顔を歪めたレックスに、「誤解がある」とトラスティは言い返した。 「お節介な「神」が干渉してこなければ、僕達は今頃宇宙船に移動していましたよ」 「「神」が干渉しただと?」  別の意味で顔を強張らせたレックスに、「お節介な存在です」とトラスティは苦笑を浮かべた。 「どう言う訳か、彼女の願望を叶えようとしてくれるのですよ。だからレストランへ移動する時は、後ろ向きな気持ちに答えるよう、途中で様々な妨害をしてくれた。そしてここに来るときには、すべての幸運を用意した。それでも間に合わないと思ったのか、彼女が追いかけてきたことを僕に教えてくれたんです。だから僕は、宇宙船への移動を取りやめ、こうして下に降りて迎えに来たと言うことです」 「「神」がそんなことをするのか?」  ありえんだろうと呻くレックスに、「そうですか?」とトラスティは疑問を呈した。 「宇宙開発を始める前は、「神」と言うのは人々の願いを叶えるものではありませんでしたか?」  ただと、トラスティはメリタを頭を撫でながら「彼女は特別なようです」と続けた。 「「神」は、彼女の体を使って僕にコンタクトしてきましたからね」 「「神」がメリタの体を使っただとっ!」  ありえないとレックスは大声を上げ、メリタは「私は知らない」とトラスティを見上げた。 「初めての夜のことだよ。君は眠っていたから知らなくてもおかしくないよ。眠っている君の体を利用して、「神」は僕に接触してきた。ただそれで目的を達したのか、すぐに消えてくれたけどね」 「お前と接触するための依代に、メリタを選んだと言うのか?」  そんな事がありえるのかと考えるレックスに、「技術的難易度は高くありませんよ」と言うのがトラスティの答えだった。 「彼女には、「神」とコンタクトをするのに必要な遺伝子情報がありますからね」  だからと答え、「中に入りませんか?」とトラスティは提案をした。 「こんな話、外ですることではないと思いますよ」  どこに耳があるのか分からない。トラスティの忠告に、レックスは自分のいる場所を思い出した。 「だが、こんなボロアパートじゃセキュリティなど無いようなものだろう」 「だったら、別の場所を用意しましょう」  メイプルさんと声を掛けたトラスティは、「僕たち3人を運んでくれ」と命じた。そして「畏まりました」の返事から少し遅れ、3人はメイプル号の「茶の間」へと飛ばされた。 「い、今のが、空間移動なのかっ!」  突然変わった景色に驚いたレックスは、キョロキョロと部屋の中を見渡した。そんなレックスに、「小型探査艇メイプル号です」とトラスティは居場所を教えた。 「ロッソでしたか、その外側にあるアステロイドベルトに係留してあります」  そう説明したところで、トラスティはメリタの肩を押して体を離した。そしておでこに口づけをして、テーブル脇の椅子に座らせた。そのタイミングで、メイプルがワゴンを押して現れた。 「トラスティ様、お茶とお酒のどちらになさいますか?」  そこで顔を見られ、「お茶を」とレックスは遠慮がちに答えた。 「じゃあ、お茶で。後は、レックスさん達に軽いお食事を出してくれないか?」  「ガッツリ食べますか?」と問われ、レックスはしっかりと首を横に振った。夕食を食べていないのだが、今はそんな気持ちになれなかったのだ。  そしてすぐに出てきた食事に、「ここは宇宙船なのか?」とレックスは目を丸くした。地上に居るときと、全く違いが見つけられなかったのだ。 「宇宙船ですよ。興味があるでしょうから、食事の後にブリッジでもお見せします。もっとも、4人用の探査船なので狭いのですけどね」  さあどうぞと勧められ、二人はサンドイッチのようなものに手を付けた。それが意外に美味しくて、最終的には貪るようにお腹の中に収めてくれた。そして出されたお茶の入れ物を見て、本当に信じられないとレックスは繰り返した。 「俺達の宇宙船やステーションでは、遠心力を利用した重力区画を作っているんだ。ただ不安定だし、1Gは出せないから、食事はほとんどチューブなのだが……」  ううむと唸ったレックスに、「重力制御も基本技術ですね」と言うのがトラスティの答えである。 「ちなみにメイプル号の動力部は、出力だけで言ったらあなた方の全艦隊を合わせたのよりも大きいと思いますよ」  その説明にため息を吐き、「常識が狂う」とレックスは頭を抱えた。 「そう言いたくなる気持ちは分かりますけどね。じゃあ、ブリッジをお見せしますよ」  こちらにどうぞと言われ、二人はおとなしくトラスティの後に続いた。そして隣り合わせにあるブリッジに、なるほど小型艇なのだとレックスは理解した。 「シンプルなのだな」  どれだけ計器が並んでいるかと思ったのだが、目の前にはスクリーンぐらいしかなかったのだ。申し訳程度に操舵用の舵があるのだが、逆に必要なのかと思えたぐらいだ。 「基本的な操作は、AIが行いますからね。光速の1億倍とかの移動なんて、人の手によるコントロールなんてできませんよ」  そこでさっと空間をなぞったら、目の前にスクリーンが浮かび上がった。ただそこに映る景色は、極めて殺風景なものになっていた。当たり前だが、アステロイドベルト帯に面白い景色などなかったのだ。 「メイプルさん、こっそりとブリーに接近できるかな? その際、アカプスだったかな。その近傍を通ってほしいんだけど?」 「真っ直ぐ飛ぶと、通常空間でも1時間ほどで着いてしまいますね。それでも、あっと言う間に通り過ぎてしまうので……アカプスの近傍で速度を落としますか?」  どうしますとの問いに、「見つからない?」とトラスティは確認した。 「迷彩機能に問題は出ていませんので、隣に停止しても見つかることはありません!」  えへんと豊かな胸を張られ、トラスティは苦笑交じりに「任せる」と答えた。 「では皆さん、光速の50%での旅をお楽しみください!」  レッツゴーと掛け声をあげたのに合わせ、スクリーンの景色が猛烈な勢いで変わっていった。そして20分ほど経過したところで、タツノオトシゴの形をしたステーションが見えてきた。 「アカプスか……」  見覚えのある形に、レックスは小さく吐き出した。 「現状速度をアカプスの公転周期に合わせています。よろしければ、ブリーに移動しますが?」  どうしますと顔を見られ、「頼む」とレックスが答えた。その答えと同時に、アカプスがあっと言う間に見えなくなった。そして40分が過ぎたところで、目の前に青く輝く星が広がった。そこで「綺麗」といえる分だけ、メリタにも余裕が生まれたのだろう。 「ちなみに、もう少し大型の船を呼び寄せることにしました。希望されるのなら、そこにもご案内いたしますよ。到着は、明日の今頃になると思いますが……」  どうしますと問われ、「是非とも」とレックスは声を上げた。宇宙に憧れた者として、こんな機会を逃す手はなかったのだ。 「あなたはどうなさいますか?」  そこで顔を見られたメリタは、少し考えてから「お願いします」と答えた。 「それから、もう一度あなたのことを教えてくださいますか?」 「今頃ノブハル君が、シシリーさんに色々と吹き込んでくれてそうですね。間違った話が伝わらないように、洗いざらいお教えしますよ」  それからと、少し真面目な顔をしてレックスに向き合うと、「少し遠出をしましょう」と誘いをかけた。 「僕達が見たものを、あなたにも見せてあげますよ。直接ブリーに影響することは無いと思いますが、「神」と戦うのであれば知っておいた方が良いと思います」 「俺達に、どうしてそこまでしてくれるんだ?」  疑って反発した相手なのに、やけに親切にしてくれるのだ。その親切さが、逆に気持ち悪いと思えてしまったぐらいだ。  そんなレックスに、「自分のためでもありますからね」と言うのがトラスティの答えだった。 「まあ、人には気を使い過ぎだとも言われますけどね」  その程度だと笑ったトラスティは、「帰りましょうか」と二人に声を掛けた。 「もう日付が変わりましたから、帰って寝た方が良い。この続きは、明後日あたりでどうですか?」 「俺としては、居ても立ってもいられないのだが……」  もっと早い方がと言うレックスに、「分かりました」とトラスティは笑った。 「ゴースロスには、可能な限り早く来いと命じておきます。多分、いい機会だと喜ぶと思いますよ」  予定短縮を口にしたトラスティは、「夕食を船で食べましょう」と二人を誘った。 「メイプルさん、僕達を元の場所に戻してくれるかな?」 「そのことなのだが」  トラスティの命令に割り込んだレックスは、「俺だけでいい」とメリタの顔を見た。 「じっくりと話をするのなら、早い方が良いだろう」 「あなたは、それで良いのですか?」  トラスティに問われ、メリタは一度レックスを見てからトラスティを見た。なるほど兄妹なのだと、トラスティは二人の関係を理解した。 「その、ご迷惑でなければ……」  遠慮がちに主張をするのは、メリタらしいと言えば良いのだろう。その態度にため息を吐き、「そう言うことだ」とレックスはトラスティを見た。 「では、お言葉に甘えることにしますよ……それで、送り先はどうしますか?」 「どうって……車は自動帰還のコマンドを送ればいいか」  問答無用で父親から取り上げてきたのだから、持って帰らないと騒ぎが大きくなってしまう。それを考えたレックスに、「そちらも面倒を見ますよ」とトラスティは笑った。 「車ごと、ご実家に送り届ければいいですか?」 「そうして貰えるとありがたい」  頼むと頭を下げられたトラスティは、メイプルに彼の希望どおりにすることを命じた。 「私に、ご両親に挨拶をしてこいと?」  喜んでと答えるメイプルに、「違うから」とトラスティは否定したのである。  レックスを送り出すと、メリタと2人きりになってしまう。そこでメリタと向き合ったトラスティは、「正直困っています」と打ち明けた。 「やはり、ご迷惑でしたでしょうか?」  勝手に離れていって、そしてまた勝手にくっついてきたのだ。短時間での変わり身を思えば、「困る」と思われるのも仕方がないと思っていた。  そんなメリタに、「迷惑ではないのですけどね」とトラスティは苦笑をした。 「正直、自分でもどうしていいのか分からないんですよ。そうだな、昨日までなら、あなたを抱きしめキスをしてベッドルームに連れ込んでいたでしょう。だけど今日は、そんなことをして良いのか分からないんです。強引な真似をしたら、あなたを傷つけてはしまわないか。それが分からなくなっているんです」 「こんな、なにもない私でも良いのですか?」  思いつめた視線を向けられ、トラスティはメリタの苦悩の理由が分かった。そして理由が分かれば、行動に移すことも難しくない。立ち上がったトラスティは、メリタを後ろから抱きしめ唇を重ねた。 「僕は、あなたの持っているものではなく、あなたを好きになったんですよ」  だからと、今度はもう少しディープな口づけをした。 「わ、私は……あなたが居なくなると思ったら、悲しくて悲しくて胸が張り裂けそうになって……」  ううっと嗚咽を漏らしたメリタに、「居なくなりませんよ」とトラスティは語りかけた。 「ただいくつか、あなたに謝らないといけないことがあります」 「奥さんがいらっしゃることとかですか?」  意外な問いに、「気づいていたのですか?」とトラスティは驚いた顔をした。 「いえ、居ない方が不思議だと思ったんです。でも、私とこんなことをしていて、奥さんは気分を害されませんか? ご迷惑になるのなら、私は身を引く覚悟はできているんです」  涙に濡れた瞳で見上げてくるメリタを、綺麗だなとトラスティは思ってしまった。だからもう一度口づけをして、「普通はそうですよね」とメリタの想像とは違う答えを口にした。 「あなたの奥様は、普通ではないのですか?」 「多分本人は「普通」だと主張してくれると思いますが……普通の概念が、世間とは乖離していると思います。まあ、僕も人のことは言えないのですけどね」  少し自嘲したトラスティは、「今現在」と指を折って妻の数を数えた。その時の基準は、指輪を与えたかどうかに置くことにした。 「12人……妻がいるんですよ」 「12人もっ!」  流石に予想していない答えだったのだろう、メリタにしては大きな声をあげてしまった。 「ええ、指輪をあげた女性を数えたら、12……失礼、13人にあげていることに気づきました。銀河の各地にいるので、会いに行くだけでも結構スケジュールの調整が大変で」 「普通の基準が違うところにあると言う意味。理解できた気がします。つまり、私一人ぐらい増えても誤差の範囲と言うことなのですね」  なぜか納得した顔のメリタは、「リュースさんは?」と一緒に来ている女性のことを思い出した。 「でも、指輪をしていませんでしたね」  その辺りの視点は、女性ならではと言うことだろう。少し考えたメリタは、「愛人枠ですか?」と尋ねた。 「つまり、奥様以外にも大勢愛人がおいでなのですね?」  「愛人枠は嫌です」とはっきり答えたメリタに、「こうなるのか」とトラスティは呆れても居た。 「言い訳に聞こえるかもしれないけど、慌てて結論を出す必要は無いと思うよ」  確かに誤差だなと思いながら、一方で「楽しいな」とメリタとの会話に感じていた。 「それって、典型的な問題の先延ばしと言うのか……優柔不断男の言い分と言うのか」  目元を少し険しくしたメリタは、「だめなのですか」とトラスティに迫った。 「だめと言うつもりはないけど、一時の感情で突っ走るのも……確かに、先延ばしなのだろうね」  そこで頭を掻いたトラスティは、「14番目だけど」とメリタに向き合った。 「それでも、僕の奥さんになってくれるかな?」  こう言ったことはけじめが必要なのだろう。相手の気持ちや答えも分かっていても、言葉に出すことが大切だと割り切ったのである。ただメリタの答えは、トラスティの考えの斜め上を行っていた。 「せっかくその気になってくれたのですが……申し訳ありませんが答えは少し待ってください」  予想もしない、そして話の流れからはありえない答えに、トラスティは思わずずっこけていた。そんなトラスティに、「だって」とメリタは恥ずかしそうに言い訳をした。 「トラスティさんにしてみたら、14回目で重みは軽いのでしょうけど。私にとっては初めてのことなんですよ。少しぐらい慎重になってもおかしくないと思いません?」  だからですと豊かな胸を張られ、「そうだね」とトラスティはだれた答えを口にした。そんなトラスティに、「これは興味からの質問なんですけど」とメリタはノブハルの事を持ち出した。 「ひょっとして、ノブハルさんにも大勢の奥さんと愛人が居るのですか?」 「奥さんと奥さん予定者がたくさんいるのは確かだけど……」  指を折って数えたトラスティの答えは、 「奥さんが5人に候補が1人かな……浮気相手なら1人いるけど、愛人じゃないと思うしなぁ」 と言うものだった。「意外に少ないのですね」とのコメントは、どう受け取って良いのか分からないものだった。 「シシリーは、絶対にノブハルさんを逃さないと思うから……奥さんにもう一人追加ですね」 「ああ、そんな気がするよ……」  少しだれたトラスティに、「もう一つ教えてください」とメリタはトラスティの顔を見た。 「まだ、あなたが何者なのか教えて貰っていません。宇宙人と言うのは、答えになっていないと思います」 「確かに、何をしている人と言うのは大切なことですね」  そう答えては見たが、「本当に信じて貰えるのかな」とトラスティは考えていた。何しろ彼について回る肩書は、いささか非常識なレベルに達していたのだ。 「僕達の銀河に、レムニアとリゲルと言う二つの帝国があるんです。その二つの帝国で、僕は皇帝と言うものをしています。ただ内政は、外で遊んでこいと言われてお妃様達が代行してくれていますね」  それが1つと指を折り、次にとモンベルトのことを持ち出した。 「モンベルトと言う、少し変わった成り立ちの王国があるんです。そしてその国の、国王なんてものもしています。ちなみにこちらも、内政はお妃様に任せっきりになっていますね」  それからと、トラスティは身分的なものを思い出していた。 「最近加盟した銀河に、ヤムント連邦と言う加盟星係数20万の連邦国家があるんです。もともと帝政を敷いていたんですが、今は立憲君主制に変わって、かつての皇帝は皇室と言う形で国家に君臨しています。ひょんなことから、そこの皇女の婿養子にさせられてしまいました。後は、連邦主要国家にパガニアと言う国があるのですが、そこの第一王女を妻にしていますね。それからエスデニア連邦と言う連合体の、最高位に居る女性が僕の妻だし……そこに加盟している帝国の宰相も僕の妻ですね。確か、他にも王女様が二人いたような……」 「あなたの奥様には、普通の身分の方は居ないのですか?」  明らかに呆れたと言う顔をしたメリタに、「そう言う訳では」とトラスティは言い訳をした。 「1人は幼馴染で、今はカフェを経営しているし。もうひとりは、船の船長をしているし、もうひとりは僕のいる会社の社長をしているから」  だから普通の身分との答えに、「幼馴染の方だけなんですね」とそれ以外の女性、つまりアリッサとマリーカが普通と言うのを否定した。 「まさか、カフェと言うのも、大規模チェーンと言う事はありませんよね?」  だとしたら、一人として普通の女性が居ないことになる。それを考えたメリタに、「小さなお店」とトラスティは否定した。 「女手一つでやっている小さなお店だよ」 「それで、お子さんは何人いらっしゃるのですか?」  奥さんがそれだけ居るのなら、そして高い身分にあるのなら、子供が大勢居てもおかしくない。その突っ込みに、「ごめん」とトラスティは謝った。 「ごめんと言うのは?」 「腰を据えて数えないと、本気で数え漏らしが出そうなんだ」  もうすぐ4人目も生まれるしと。本気で指を折って数えるトラスティに、メリタは深い溜め息を吐いた。 「なにか、色々と悩んでいたことが馬鹿らしくなった気がします」  そう言ってお腹に手を当てたメリタは、「実は」ととても微妙なことを口にした。 「あなたに抱かれた時、避妊がしてなかったんです。後服用タイプの避妊薬を飲もうかどうしようか悩んでいたのですが……」 「産みたいのだったら、反対しないよ?」  トラスティの答えに、「そう言うと思っていました」とメリタはため息を吐いた。 「「あなた子供が出来たの」「ほんと、ヤッタァ」と言うような事を妄想していたんです」  それなのにと、メリタはとても恨めしそうな顔をしてくれた。 「なにか、がっかりしてしまったと言うのか」  避妊薬を飲もうかしらと言うメリタに、「いやいや」とトラスティは慌てた。 「子供のことを、そんな決め方をしちゃいけないと思うんだ」 「それはそうなんですけど……」  なんだかなぁと。少し遠くを見たメリタは、「早まったのかな?」と自分の下腹部を押さえた。 「玉の輿って意味なら、もの凄い玉の輿なんだけど……」  そこでトラスティの顔を見て、「寝ましょうか?」とメリタは提案した。 「疲れたと言うのか、眠くなってきたと言うのか……明日考えることにします」 「だったら、二つベッドがあるから別々に寝ようか」  今の流れで、これからすることにはならない筈だ。そんな事を考えたトラスティに、「どうしてですか?」とメリタは目を丸くした。 「性生活って、夫婦関係維持にはとても大切なことなんですよ」  とても重要な判断ポイントになるはずだ。そう言って、メリタはトラスティをベッドルームへと引きずっていったのである。  ゴースロスを呼び寄せれば、その情報は当然アリッサのところにも届くことになる。「意外に早かった」と言うのが、アリッサの正直な感想だった。  「それで」と細かなことを聞こうと思ったのだが、生憎ゴースロスが出港したので、ヒナギクにアクセスできなくなってしまった。そうなると情報はアルテッツァ頼みになるのだが、アリッサのところからは通常ルートが作られていなかった。 「アルテルナタさんのところに遊びに行きますか」  ポセダタイプのアンドロイドを呼び寄せ、アリッサは早速アルテルナタの部屋に行くことにした。アルテルナタの方が情報が多いのと、話し相手が欲しかったのだ。 「呼んでいただければ伺いましたのに」  普通は未来視が働くのだが、どうやらアリッサはその外側で生きているようだ。訪ねられて初めて訪問を知ったアルテルナタは、アセイラムを連れて「こちらに」とアリッサを招き入れた。そしてクリスタイプのアンドロイドに、お茶とお菓子の用意をするように命じた。 「ご主人様のことなのですが、申し訳ありませんが今回は見ていないんです」 「見られると都合が悪いと言うことではありませんよね?」  今までとは違う対応に、「多分」とアルテルナタは笑った。 「恐らく、いつものご主人様だと思いますよ」 「いつもの通り、女性がついてくると言うことですね。確かに、それでしたら隠す必要がありませんね」  女性問題を何事もないように言うのは、さすがはアリッサと言うところだろう。そして女性問題を口にしたアルテルナタも、いつものことだと全く気にしていなかった。 「ご主人様ですが、恐らく未来視が判断の邪魔になると考えられたのだと思います。未来視は結果しか見えませんし、今回の相手だとその結果も定まりませんから」  それからと、アルテルナタは自分への気遣いなのだと付け加えた。 「冷凍睡眠の方のサポートもしていましたから、過重負荷にならないように気を使ってくださったのだと思います」 「確かに、最初に比べて助けられた人が増えましたね」  未来視の効果は絶大で、半数しか助けられない状況から、7割助けられるところまで改善したのだ。お陰で治療班からの問い合わせが、毎日のように飛んできていた。最近は少し落ち着いたのだが、それでも日に2、3件は問い合わせがあった。  凄いですねと褒めたアリッサに、「ご主人様が示してくださった道です」とアルテルナタは頬を染めた。 「ですから、大変ですけどやりがいはもっとあるんです」 「アルテルナタさんは、毎日が充実しているのですね」  アリッサの問いに、「それはもう」と大きく頷いた。そしてこれは推測なのですがと、アルテルナタはゴースロスが呼び寄せられたことへの考えを口にした。 「インペレーターが呼び寄せられていませんから、まだ決着には遠いのではないでしょうか。UC003の状況は分かりませんが、インペレーターが出撃する未来は見えています」  そこで「あらっ」とアルテルナタは何かに気づいたような声を上げた。 「どうかしましたか?」 「いえ、インペレーターと帝国第10艦隊は良いのですが、なぜかアリスカンダル艦隊も呼び寄せられますね。でも、どうしてアリスカンダル艦隊なのでしょうか?」  その疑問に、アリッサも「おかしいですね」と普通ではないことを認めた。 「ノブハルさんも行っているのですから、シルバニア帝国艦隊でも良いはずですよね?」  なんでだろうと考えてみたが、アリッサは軍のことについては素人でしかなかった。アリスカンダル艦隊の優位点は理解出来ないし、分かってる範囲で政治情勢的にシルバニア帝国の関与を避ける理由もなかったのだ。 「他になにか見えましたか?」 「たった今、未来が少し変わりました。アリスカンダル艦隊が出撃するのはそのままですけど、アリッサ様がインペレーターに乗船されることになりました」  そこで顔を見られ、アリッサは少しだけ口元を歪めた。 「ええ、インペレーターの話を聞いて、一緒に行きたくなりましたので」  さすがは未来視と褒められたアルテルナタは、頬を染めて「恥ずかしいです」と口にした。そして精神を集中して、もっと先のことを見ることにした。ただそこから先となると、分岐が増えすぎたので諦めることにした。トラスティが帰ってこないと言う未来は無いのだが、それ以外の部分に不確定要素が多すぎたのだ。 「だめですね。ご主人様が帰ってくる未来は見えるのですが、それ以外の条件が複雑に分岐しています」  ごめんなさいと謝られたアリッサは、「仕方がないですよ」とアルテルナタ慰めた。 「今の所は、あの人が帰ってくることで良しとしましょう。女性の1人や2人ぐらいでしたら、今更のことですしね」 「はっきりしないのは、特にそのあたりと言うのが問題なのでしょうね」  ふっと息を吐いたアルテルナタに、「本当にあの人らしい」とアリッサはコロコロと笑った。ひとしきり笑ったところで、アリッサはアルテルナタのお腹に視線を落とした。 「できたのですか?」 「ええ、女の子のようです」  それぐらいなら未来視で簡単に確認できるので、妊娠と性別は間違いないのだろう。 「アルテルナタさんの希望通りと言うことですね」 「もうひとり女の子が欲しいと思っていましたから」  嬉しそうにお腹に手を当てたアルテルナタに、「私も産もうかな」とアリッサもお腹に手を当てた。 「やけに女の子が多い気がしますから、次は男の子が良いのかなって」 「アリッサさんのお子さんでしたら、ハーレムを作るぐらいモテそうですね」 「それは、人のことを言えないと思いますよ」  可愛らしいアセイラムを見ていると、きっとモテるだろうなと思えてしまうのだ。 「他の人には言いませんけど、アリッサ様にだけは言ってもいいと思っていますよ」  勝てませんからと笑ったアルテルナタは、よちよちと歩くアセイラムを抱き上げた。 「それでも、私にとってはこの子が一番なんですけどね」 「やっぱり、自分の子供って可愛いですよね」  そう言って顔を見合わせ、2人は力強く頷きあったのである。  公務員のメリタだから、必ずやっておかなければならないことが有った。それは上司に対して休暇届を出すことである。意外にこれまでの取得日数が少なかったお陰で、休暇の残りは潤沢に有った。そこで生まれて初めて、まとめて5日の休暇をだすことにした。これで、ちょっとした旅行でも時間が足りなくなることはないはずだ。  その手続をメイプル号の中で済ませ、メリタは本当に何でもありなのだと感心してしまった。何しろ自分が今いるのは、ブリー宇宙軍にとって未開拓のエリアなのである。自分達の未来がここにあると言われても、一体どれだけ先なのか分からなった。 「それで、答えは出たのかな?」 「答え、ですか?」  キョトンとしたメリタに、「僕とのこと」とトラスティは自分を指さした。そんなトラスティに、「何を今更」とメリタは顔を赤くして俯いた。 「昨夜は、あんなに私を悦ばせてくれたのに。しかも何度も何度も私を貪っておいて、今更そんなことを聞くのですか?」  いろいろと答えを待たせたのは一体誰なのか。恥ずかしがるメリタを前に、トラスティは理屈の通じない世界があるのを教えられた気がした。ただこだわっても理屈が通じるとは思えないので、「奥さんになってくれるのかな?」と問い掛けた。 「はい、責任をとって貰おうと思っています」 「責任、なのかい?」  それはちょっとと眉をハの字にしたトラスティに、「冗談ですよ」とメリタは綺麗に笑った。それに少しだけ見惚れたトラスティに、「答えははじめっから決まっていたんです」とメリタは告げた。 「はじめというのはいつから?」 「トラスティさんを、家にお招きしたときからです。あの時は、絶対に逃してなるものかと思っていました」  しれっと答えられ、「あー」とトラスティはメイプル号の天井を見上げた。 「つまり僕は、まんまと君に捕まったと言うことなのかな?」  少し目元を引きつらせたトラスティに、「いけませんでしたか?」と今度はメリタが不安そうな顔をした。 「いや、こう言うこともあるのかなと、少し新鮮な気持ちになっただけ……なのかな?」  う〜むと考えてから、「まあいいか」とトラスティは笑った。 「一緒に居て飽きないし、体の相性もいいみたいだからね」 「……飽きないの意味を聞くのも怖い気がしますが」  目元に皺を寄せたメリタは、「気にしたら負けですね」と綺麗に笑った。その笑顔が綺麗だったこともあり、トラスティの中でムラっと何かが目覚めていた。 「まだレックス氏を迎えに行くまで時間が有り余っているんだよ。そこで、君に一つ提案があるんだ」 「宇宙旅行でもするんですか?」  常識的に考えたメリタに、「ハズレ」と言ってトラスティはメリタにキスをした。 「体の相性を、もう少し確かめてみようと思ってね」  だからと体を抱き寄せられ、「え、ええっと」とメリタは顔を引きつらせた。 「あれだけ確かめたのにまだ足りないのですか?」 「念には念を入れてと言う言葉もあるだろう?」  だからと、今度は服の上からメリタの胸をゆっくりと愛撫した。「ちょっと」とメリタが慌てたのだが、残念ながらトラスティの方が遥かに手慣れていた。しかも残り火が完全に消えていなかったのか、割と簡単にメリタの体に火が着いたのだ。 「強引な人なんですね」 「優柔不断は嫌われると誰かが教えてくれてね」  そう答えて、トラスティは目元の潤んだメリタをベッドルームへと運んだのだった。  そして約束の夕方、レックスはリュースに連れられメイプル号にやってきた。疲れた顔をしたレックスは、リュースの顔を見て説明が面倒だったと口にした。 「親父に、嫁かと散々聞かれた……」 「君はどう答えたんだい?」  彼女ならば、間違いなく面白くなる方へ話を持っていくはずだ。それを期待したトラスティに、「特に何も」と期待はずれのことを口にしてくれた。 「確かに、何も言わなかったな。ただ、顔を真赤にして俯くというのは、答えたのと同じじゃないのか?」 「だけど、年頃の女性に「嫁か?」って聞くんですよ。普通は恥ずかしいと思いませんか?」  だから照れただけだと言い返され、「帰ってからが面倒だ」とレックスは零した。そしてトラスティの隣りにいる従妹に、「疲れているように見えるが?」と尋ねた。生き生きとしたトラスティとは対象的に、明らかにメリタの顔に疲労の色が浮かんでいたのだ。リュースはその理由に気づいていたが、逆に「手加減したのかな」などとも考えていたりした。 「ちょっと、いろいろあったと思ってくれる。予め言っておくけど、トラスティさんにプロポーズをして貰いました。少し考えたけど、「喜んで」とお答えしたから」 「それは良かったなと言ってやるところだが……なるほど、嬉しくてその後やりまくったか」  なるほどと大きく頷いた従兄に、「違います!」とメリタは声を上げた。 「え、えと、本当に違うかと言うと、その、微妙に違うぐらいで……」  後はこもごもと。ただこれ以上触れても仕方がないので、レックスは従妹への追求を棚上げした。 「それで、もう1隻というのは来ているのか?」 「たった今、到着しましたね」  ほらと示されたスクリーンには、優美な姿をした大型船が映し出されていた。「凄いな」と、レックスはその姿に見惚れていた。  その横で、トラスティはゴースロスと連絡をとっていた。 「ラフィール、メイプル号を収容してくれ」 「畏まりましたマイン・カイザー」  ラフィールの回答と同時に、ゴースロスのブリッジは忙しくなっていた。探査船収容と言うレガシーな手順が、実は一番作業量が多くなっていたのだ。ただその程度のことで、レムニア帝国の精鋭が失敗することなどありえない。500mの巨体の中に、20mほどの探査船がゆっくりと飲み込まれていった。 「当たり前のことですが、収容を待たなくても移動はできます」  ヒナギクと、トラスティはゴースロスのAIに声を掛けた。その呼びかけに応えて現れたのは、フヨウガクエンの制服を着た、ちょっと可愛らしい女の子だった。 「移動先はどこにする?」 「話をする前に、ブリッジを見せてあげようと思う」  指定場所が決まれば、後は空間跳躍するだけになる。「分かったわ」とヒナギクが答えてすぐ、4人の目の前の景色がガラリと変わった。小型の探査船とは違い、ゴースロスのブリッジは遥かに大きく作られていた。  トラスティが現れたのに合わせて、ブリッジクルー全員が立ち上がり「マイン・カイザー」と言いながら胸に手のひらを当て頭を下げた。ちなみにラフィール以外は、いずれも長命種標準の大きな体をしてた。しかも耳が尖り、顔が不機嫌そうに見えると言う特徴に、レックスとメリタの二人はしっかりとビビってしまった。アコリとかニダーを別にすれば、2人にとって初めて見る「異星人」だったのだ。 「ご苦労……と言ってあげたいところなんだけど。なんだい、その「マイン・カイザー」と言うのは?」  今まではなかったよねと言うトラスティに、「アリエル様のご指示です」とラフィールは答えた。 「トラスティ様の臣下として、礼を尽くすためと言うことです。ですからこれからは、「マイン・カイザー」と呼ばせていただきます」 「なにか、仰々しくて嫌なんだけど……」  相手が真面目なレムニア人だと考えたら、きっと大真面目に受け止めているのだろう。そう考えたトラスティは、訂正することの無意味さを理解した。そして訂正する代わりに、「紹介する」とレックスとメリタを手で示した。 「ラフィール、彼女がメリタ・アンジェロ。僕の后になることを承諾してもらったところだ。そして彼が、彼女の従兄に当たるレックス・アンジェロ。惑星ブリー宇宙軍の少佐様だ」  二人を紹介してから、トラスティはラフィールを手で示した。 「彼女が、ラフィール・ソル・グロリアスだ。レムニア帝国皇位継承権9位……で良かったのかな? この船ゴースロスの船長をして貰っている」  レムニア帝国において、継承権の数字ほどあてにならないものはなかったのだ。何しろ対象者が多すぎるため、気がついた時には遥か後ろに下がっていることも有ったのだ。  そしてトラスティに紹介されたラフィールは、一歩前に出て先ほどと同じ敬礼をした。 「マイン・カイザーのお妃様であれば、私の仕えるお方となります。ラフィールとお呼び頂いて結構です。ちなみに、皇位継承権は6位にまで上がりました」  よろしくお見知りおきをと頭を下げられ、二人は慌てて頭を下げ返した。巨人揃いでビビっていたレックスだったが、今度は妖精のようなラフィールの見た目にしっかりと緊張してしまったのである。 「今回は、誰を連れてきた?」  それだけで通じたのか、「マイン・カイザー」と答えてからラフィールはリゲル帝国戦士の名前を出した。 「ギルガメシュ様とニムレス様です。UC003と言うことで、ニムレス様が再任されました」  そこで少し小声になったラフィールは、「ギルガメシュ様に口説かれました」とトラスティに囁いた。 「それで、君はどう答えたのかな?」  聞かなくても分かる気がするが、それでも尋ねるのが礼儀なのだろう。そんなトラスティに、ラフィールは真面目くさった顔をした。 「レムニア人には、性交の習慣は無いと答えました。そして同時に、婚姻の習慣も無いと答えました」 「当たり障りのない答えと言うことだね」  納得したトラスティに対して、ラフィールは「ただし皇に対しては除く」と付け加えてくれた。  そこで突っ込んでは駄目だと自制し、トラスティは「予定の航路を」とラフィールに指示を出した。 「G2星系ですが、特急で向かいますか?」 「移動時間は?」  確認したトラスティに、「1時間です」と言うのが答えだった。それに頷いたトラスティは、「メイプル号を下ろしたら出発してくれ」と命じた。 「畏まりました。マイン・カイザーはその間どうされますか?」  ラフィールに「食事をしている」と答え、指で空間に8の字を書いた。そうやって空間を繋げ、ゲスト二人を豪華なダイニングへと招待した。ここでもまたレックスが、世界観が狂うとぼやいてくれた。今度は何かと言うと、世話用に配置されたクリスタイプのアンドロイドが理由である。あまりにも人間的、しかも理想的すぎて、本当に作り物なのかと考えてしまったのだ。  ゆっくりと夕食を取ると、1時間と言うのはむしろ短すぎると言えるだろう。お陰で到着の知らせを受け取った時には、まだ最後のお茶を飲む前だった。 「スクリーンにトリトーンを出してくれるかな?」  トラスティのリクエストに答え、ヒナギクは食堂のスクリーンに焦土となったトリトーンの姿を映し出した。そしてもう一つの指示で、焦土となる前のトリトーンが別のスクリーンに映し出された。このデーターは、氷の中から復元したものである。 「こ、これが、「神」と戦った結果だと言うのか……」  焦土となる前のトリトーンは、ブリーにも似た青い海の綺麗な惑星だった。だが今のトリトーンは、赤焼けた岩石の塊でしか無い。これが「神」と戦い破れたものの末路と言われれば、恐怖以外の何物でもなかった。 「ええ、第4惑星の開拓のために作った人工太陽が、コーギス信者によって爆発させられました。そしてその爆発のエネルギーすべてが、トリトーンに向けられたのです。その結果、トリトーンの分厚い大気は剥ぎ取られ、惑星すべてが焦土となったわけです」  改めて説明されれば、恐怖がぶり返してしまう。その破壊力が分かるだけに、レックスは唇まで真っ青にしていた。ただ実感がわかないのか、恐怖を感じていてもメリタはそこまでにはなっていなかった。 「そして、第4惑星上に僅かな人たちが残されました。すでに冷凍睡眠で眠っていた人達は収容したのですが、残念ながら3割程度は助けることができないようです。やはり、自然に頼った保存方法では数百年の時間には耐えられなかったと言うことです」  焦土となったトリトーンの姿が小さくなったと思ったら、雪に包まれた惑星が目の前に広がってくれた。 「ここの文明は、こんな惑星を開拓していたのか……」  自分達が開拓しているロッソに比べ、遥かに環境が過酷に見えたのだ。その難易度の高い惑星を開拓していると言うのだから、自分達に比べて高い技術力を持っているのは理解できた。 「そして、一部の人達は僅かな船で別の星に逃れました」  その説明と同時に、第4惑星の姿が見えなくなった。そして1分も待たずに、星間物質の海に浮かぶ7つの恒星がスクリーンに浮かび上がった。その幻想的な姿に、メリタは「綺麗」とため息を吐いた。 「これがフレッサ恒星系です。とても珍しいことなのですが、7つの恒星系すべてに文明の興た惑星があります。これから二人には、惑星フリートに降りて貰います」  合図から少し遅れ、スクリーンに青い海と大陸を持った惑星が大写しになった。並外れた移動速度を持つゴースロスの前には、数光年の距離など隣の家に行くようなものだった。 「ヒナギク、ニムレスを呼んでくれるかな?」 「はい、直ぐに来られるって」  ヒナギクの報告から少し遅れ、空間を超えて2人の男性が現れた。そして現れたのと同時に、床に片膝を付き「マイン・カイザー」とラフィール達と同じ称号を言ってくれた。 「ご苦労……と言うのは良いのけど。どうして、君達までマイン・カイザーなんだい?」 「皇妃カナデ様のご指示です」  ギルガメシュの答えに、「結託したな」と二人の顔を思い出した。  そしてニムレスに同行を命じようとした時、もう一人の10剣聖ギルガメシュが「お恐れながら」とトラスティに頭を下げた。普段から自信に溢れた、いささか過剰気味のところがあるギルガメシュが、殊勝に頭を下げてくれたのだ。何を頼まれるのか、トラスティには見えた気がした。 「私も、護衛の末席に加えていただければと」 「長居はしないから、あまり期待しないように」  しっかりと釘を差したトラスティは、指をぱちんと鳴らして全員を街に相応しい格好に着替えさせた。そしていつの間にと驚く二人をそのままに、馴染みの街までヒナギクに送らせた。 「この星に、宇宙技術があるのですか?」  降りた先は、想像とは違って田舎だった。しかも馬車が走っていると言う、ブリーでは数百年前の光景が広がっていたのだ。それを考えると、宇宙技術があるというのは信じられなくても仕方がないことだった。 「ああ、トリトーンから逃げてきた人達が持ち込んだものがあるよ。ただ、維持が難しくなっているのは確かだね。だからこのままだと、さほど遠くない時期に失われることになるはずだ。惑星ボルの指導者が、ロストテクノロジーにならないように頑張っているけど……その一方で「神」の干渉を恐れているよ」  ゆっくりと6人連れで歩いていたら、「ニムレスじゃねぇか」と声がかけられた。 「なんだ、団長か」  守護騎士団の制服を着た男が、ニコニコしながら近づいてきた。 「何だじゃないだろう。今日は、「皇帝様」のお供か?」  トラスティに頭を下げた団長に、「そんなところだ」とニムレスは答えた。 「お嬢とアーシアは一緒じゃないのか?」 「今回は留守番だ」 「仕事だったら仕方がないな」  理解を示した団長に、「神殿はどうなってる?」とニムレスは尋ねた。ビッグママまで連れて行ってしまったため、一時神殿に誰も居なくなってしまったのだ。しばらく働いていたことを思うと、ニムレスが心配するのも仕方がないことだった。 「神殿か? 中央から、新しい司祭さんが派遣されてきたぞ」 「一人だったら、牛や農場仕事が大変だろう」  自分が居てようやく成り立っていたことを思うと、新しい司祭の苦労は並ではないはずだ。それを心配したニムレスに、団長はニパッと笑ってみせた。 「ところがどっこい。今は手伝いに事欠かないと来ているんだ。特に、若い男達がこぞって手伝いに行っているな」  その説明で、ニムレスは事情が掴めた気がした。 「つまり、新しい司祭は若い女性と言うことか?」 「とびっきり美人のと付け加えれば正解だな」  そう言って、団長は胸のあたりで両手で山を作ってみせた。つまり、胸も大きいと言うのだろう。  そこで振り返ったニムレスは、目を輝かせたギルガメシュを見つけてしまった。ここではぐらかすと後が面倒だと、「マイン・カイザー」とトラスティに進言することにした。 「ビッグママも、後任を気にされていると思います」 「ああ、とびっきりの美人に会いたいというのだろう?」  それをギルガメシュの顔を見て言い、「構わないよ」と許しを与えた。そして一緒に居たレックスとメリタに、「ここでは宗教が生き残っています」と事情を教えた。 「そして生活宗教的に、日常生活に溶け込んだものとなっています。信仰の対象は、実りを司る「豊穣神」ですね」  そう説明してから、小声で「あまり物珍しそうにしないように」と注意をした。フリートの場合、獣人の占める割合が多くなっていたのだ。その見慣れない姿に、二人が物珍しそうに首をキョロキョロと動かしてくれたのだ。 「しかし、素朴な町なのだな」  建物の殆どが、木かレンガでできていたのだ。しかも、電気が通っているようにも見えなかった。素朴と言うより、レックスはタイムスリップをした気持ちを味わっていた。 「宇宙技術を持ち込んでも、広く星全体に技術革新が広がるほどの素養がなかったと言うことだよ」 「だけど、どこか懐かしさを感じるわ」  素敵と口にしたメリタに、「見てるだけならな」とレックスは口元を歪めた。 「これぐらいだと、シャワーを浴びるのも苦労をするぞ」 「そ、それぐらい、分かっているわよ」  メリタが言い返したところで、「大変ですよ」とトラスティはレックスの言葉を肯定した。 「そのあたりは、多分ニムレスが一番実感しているはずです」  そこでどうだったと問われ、「言われるほどでも」とニムレスは苦笑した。 「こんなものだと思えば……あとは、慣れですか。まあ、お湯も自分で薪をくべて沸かさないといけないのですが……ただ、食べるものは、アークトゥルスよりも確実に美味しいと思います」  そんなものかと二人が納得したところで、町外れにある神殿にたどり着いた。どんな立派な建物だろうと期待したのだが、目の前にあったのは白い漆喰で塗られた質素な建物だった。  そこでイレギュラーが起きたのだが、理由を考えればとても微笑ましいものだった。何のことはない、ニムレスが現れたのを聞きつけ、町の男達が大勢集まってきたのだ。ただ集まってきた理由は、再会を懐かしむのではなく、ニムレスが神殿に入るのを阻止するためだった。  「お前だけは絶対に神殿に入れん」と体を張られ、さすがのニムレスも事情を理解できなかった。  ただそんな騒ぎをすれば、神殿の中に聞こえるのは当然のことだ。そして「騒がしいですね」と現れたのは、団長が言う通りとびっきりの美人だった。少し長めの金色の髪と青い瞳、そして控えめに言っても巨乳という、男達が騒ぐのも無理もない容姿をしていたのだ。 「お前達、絶対に俺のことを誤解してるだろう」  とのニムレスの抗議に、「どこがだ」と男達が言い返した。 「お嬢だけならまだしも、アーシアまで攫っていった奴にだけは言われたくないセリフだな」 「祭の日、焚き付けたのはお前達だろうっ!」  流石に理不尽だろうと文句を言ったニムレスに、「うるさい色男!」と男達は騒いだ。その殺気だった男達の間をかき分け、司祭の女性がトラスティ達の前に現れた。確かに団長の言う通り、艶めかしい見た目の巨乳美女だった。木綿のワンピースの胸元が、これでもかと言うほど盛り上がっていた。 「ビエネッタ様の後任を命じられましたアルトリアと申します」  質素な格好をしているからこそ、少し派手目な容姿が際立っていた。なるほど男達が騒ぐはずだと、トラスティは自分達のめぐり合わせの良さを考えた。もしも彼女が司祭をしていたら、ニムレスが保護されることはなかっただろう。 「ご丁寧にありがとうございます。私はトラスティと申します」 「トラスティ様……確か、多額の寄進をしていただいたと」  ありがとうございますと、一歩前に出てアルトリアは頭を下げた。そんな彼女に、「足りていますか?」とトラスティは懐具合を尋ねた。 「はい、皆さんよくしてくださいますので。今の所、困っているところはございません」  もう一歩近づいて丁寧に頭を下げたアルトリアは、「申し訳ありません」とトラスティに謝罪をした。 「立ち話でお話するようなことではありませんね。粗末なものしかありませんが、中でお寛ぎいただけませんでしょうか」  そして最後は、胸を押し付けるようにしてトラスティを中へと招待した。  司祭が招待した以上、若い男達も邪魔をすることはできない。「ぐぬぬ」と睨まれたニムレスは、苦笑を浮かべながらトラスティに続いて久しぶりの神殿に入った。睨む相手が違わないか。家臣である以上、口に出せない文句でもある。  久しぶりに見る神殿は、予想したとおり質素なところは変わっていなかった。それを懐かしがったニムレスに、アルトリアは「手を加えていません」と教えてくれた。 「保護している子供もいませんので、上の部屋はほとんど以前のままになっております」 「それは、良いことですね」  神殿に保護されるということは、両親と一緒にいられなくなることを意味している。トラスティはそれを「良いこと」と言い、アルトリアも誤解せずに頷いた。 「はい、子供は親のもとに居るのが一番ですからね。ただ、一人でいるのが寂しいとは感じています。ここに派遣される前は、修行中の仲間が大勢いましたからね」  贅沢を言っていますと笑ったアルトリアは、惚れ惚れするぐらい美しく見えた。アリッサと言う妻がいなければ、間違いなく手を出していたと思えるぐらいだ。ただ相手が神に仕える司祭だと、トラスティは邪な考えを自制した。ただ警戒したメリタに、脇腹を抓られはしたのだが。 「どうかなさいましたか?」  それに気づいたアルトリアに、「学校を開いてはいかがですか?」とトラスティは話をそらした。 「読み書きを教えるのも、神殿の役目だと思いますよ」  トラスティの提案に、アルトリアはパンと手を叩いた。その拍子に、豊かな胸がぶるんと震えた。ギルガメシュ達には目の毒だなと思ったトラスティに、アルトリアは目を輝かせて「素晴らしい提案です」と身を乗り出してきた。お陰で彼女の胸元は、狙っているかと言いたくなるぐらい目の毒な状況となっていた。  そこでもう一度メリタに脇腹を抓られたトラスティは、「お手伝いしますよ」と少しだけ笑顔を引きつらせた。面の皮は厚いが、脇腹はさほどでもなかったと言うことだ。 「ただ、お手伝いできるのは資金面だけですね。必要な改修作業は、人を雇っていただければと」 「はい、十分以上のご支援だと思います」  ぺこぺこと頭を下げてくれるのだが、その度毎に豊かな胸が目の毒状態になっていた。狙っているのか天然なのか、それでも分かるのは鼻の下を伸ばした男達が集まってくる理由だった。  とりあえずギブアンドテイクの「ギブ」を話した以上、次は「テイク」の話をすることになる。わざわざ神殿まで来たのは、後任の司祭に挨拶することだけが目的ではなかった。  そこでちらりとレックスに視線を送り、トラスティは「伺いたいことが」と切り出した。 「はい、どのようなことでしょうか?」  何なりとと言いながら、なぜかアルトリアは頬を少し赤く染めていた。 「伺いたいのは、豊穣神様との関係です。アーシアは、舞の最中に豊穣神様を感じたと教えてくれました。このようなことは、豊穣神様に仕える方には珍しくないのでしょうか。そして豊穣神様との繋がり、奇跡にはどのようなものがあるのでしょうか?」 「豊穣神様の奇跡、に関することと思えば宜しいのですね」  神の事となると、体に一本筋が通ってくれる。居住まいを正したアルトリアは、「様々あると聞いています」と説明を始めた。 「ただ天啓らしきものを受けると言うものから、最上位の「神降ろし」と言うものまであります。アーシアさん、でしたか。舞を奉納した際に感じたと言うのは、「感応」とされるものですね。それだけであれば、レベルとしてはさほど高くはないと思います。ただ感応の奇跡がなされた時に、別の奇跡も同時に起こることがあります。その場合は、かなりレベルの高い接触と言えるでしょう」  そこでニムレスを見たアルトリアは、「そうですよね」と同意を求めた。  少し緊張したニムレスは、「よく分からないが」と前置きをしてから「魅了をされた」と答えた。それに頷いたアルトリアは、「彼女の気持ちが増幅された結果です」と奇跡の中身を口にした。 「それだけアーシアさんが強い思いを抱き、豊穣神様がその思いに答えられたと言うことになります。ちなみに豊穣神様の教えは、「天からは恵みを地に稔りを、産めよ増やせよ地に満ちよ」ですからね。男女の睦ごとに関わる奇跡も多くなっていますよ」  そこで言葉を切ったアルトリアは、トラスティを見てから言葉を続けた。 「天啓と言うのは、文字通り天の啓示となります。ただ明確なメッセージを受け取る場合と、とてもぼんやりとした意思を感じるだけと言うのものまであります」 「あなたは、なにか啓示を受けたことがありますか?」  トラスティの質問に、アルトリアは再び顔を赤くした。 「は、はい、この町の神殿にいけと。そうすることで、私は人生を左右する出会いに恵まれるのだと」  とても不穏な中身を持つ話なのだが、トラスティは更に踏み込んでいった。もちろん、細心の注意のもと配置された地雷は避けていった。 「その啓示は、どのような形で行われるのですか? そうですね、文字みたいな情報なのか、音声による伝達なのか、さもなければ何らかの映像を伴っているのか?」  その質問に頷いたアルトリアは、自分が天啓を受けたときのことを説明した。 「中央の神殿で、豊穣神様にお祈りをしていた時に与えられました。ただ、伝えられた内容ははっきりしているのですが。その方法は少し曖昧で……とても綺麗な方とお話をした……と言うより、一方的に伝えられた気がします。他の司祭候補の方からは、私が気を失って倒れていたと教えていただきました」  そこで少しだけ困惑の表情を浮かべ、アルトリアはメリタの顔を見た。 「私になにか?」  本能的に敵と感じたのか、メリタは少し威嚇的な態度をとった。そんな彼女に、「いえ」とアルトリアは少し口ごもった。 「その、その時現れた女性が、あなたに似ていたのを思い出しました」  重要ではあるが、同時に理解に困る情報でもある。少し考えたトラスティは、「他には?」と彼女の経験を尋ねた。 「感応程度ならありますが、ここまではっきりとした啓示はそれだけですね」 「最上位のものとして、「神降ろし」があると仰りましたね。それは、具体的にどのようなものですか?」  調査を優先したトラスティに、「神降ろしは」とアルトリアは少し言葉を切った。 「恐らく、私の周りでも経験した者はいないと思います。神殿の記録では、神が直接人の体を使って人々に啓示を与えたと伝えられています。ただ神を降ろした者は、その直後に心を患ったとされています」 「その理由はどう記録されているのですか?」  メリタを横目に見た質問に、アルトリアは何かを思い出すように指でこめかみを押さえた。 「確か、人の身では神を受け入れるのは無理があるからとしか」  それ以上は分からないと言う答えに、トラスティは質問を変えることにした。 「例えばですが、ある人の思いを叶えるのに、神が手を貸すと言うことはありますか? 様々な事象をコントロールし、その人に都合がいい方向に曲げていくとか?」  それが何のことを言っているのか。レックスは少し前に教えられたことを思い出した。自分が追いかけた時に、明らかに「神」の干渉が行われたと言うのだ。 「ご質問の意味が少し分かりにくいのですが……魔法や奇跡が存在していますので、数々あると言うのがお答えになるのかと思います」  明らかに質問を失敗したことに気づき、トラスティは「確かにそうですね」とアルトリアの答えを認めた。そもそもアコリやニダーが呼び出されること自体が、「神」が願いを叶えたことになっていたのだ。明示的な手順があるかないか、違いと言えばそれだけのことだったのだ。  逆に言えば、メリタの件への「神」の関与が肯定されたことになる。ただ本題ではないと、トラスティはこのことをこれ以上問題とはしなかった。  聞けるだけ聞いたと考えたトラスティに、アルトリアは赤い顔をして「感応」の事を持ち出した。 「その、感応を見せて欲しいとお願いされるのかと思っていました」 「神降ろしでしたら是非にと思ったのですが、感応ならアーシアに見せてもらいましたからね」  だから今は良いと言う答えに、アルトリアは明らかに残念そうな顔をした。 「今でしたら、感応の更に一歩先をお見せできるかと思ったのですが……」  残念ですと本気で残念がるアルトリアに、「そうですね」とトラスティは軽く相槌を打った。深く突くと、間違いなく墓穴を彫りそうな気がしたのだ。そして話題を変えるように、メイプルに用意させた麻袋をニムレスに持ってこさせた。見るからに重そうな麻袋の中には、いっぱいの金貨が詰まっていた。 「とりあえずご用意できる分だけ寄進させていただきます」 「こんなにもっ!」  袋を開けたアルトリアは、黄金の輝きに目を大きく見開いた。中央の神殿でも、このような多額の寄進などお目にかかったことがなかったのだ。その意味で、トラスティは極上の金づると言うことになる。神殿の経営と言う意味でも、絶対に捕まえておくべき相手なのは間違いない。 「このような多額の寄進をいただきありがとうございます。私としては、是非ともトラスティ様にお礼を差し上げたいのですが……」  2人きりで別室でとの言葉に、メリタはトラスティの脇腹を思いっきり抓りあげた。悲鳴こそ上げなかったが、トラスティの顔は思いっきり引きつっていた。そして引きつった顔のまま、「当然のことをしたまでです」とお礼を否定したのだった。  後ろ髪を引かれるギルガメシュを引きずり、一行は豊穣神の神殿を後にした。とりあえずの目的を達したこともあり、残るイベントをこなそうと言うのである。チャーミングな獣人の女給仕がいる酒場に場所を変え、6人は旅の締めくくりの夕食を楽しむことにした。  そこでの誤算は、静かに話ができなかったことだ。もともと賑やかな店ではあるが、騒がしくなった事情は別のところにあった。せっかく端っこのテーブルを確保したのに、代わる代わる町の男達が訪れてくれたのだ。その辺り、ニムレスの築いた実績でもあるのだろう。お陰でニムレスとギルガメシュが、入れ代わり立ち代わりに行われた乾杯の犠牲となった。 「いきなり、嫉妬全開だったな」  乾杯を10剣聖に任せ、4人はこの旅のことを話していた。特にレックスとメリタは、生まれて初めての異星訪問だったのだ。いろいろと思うことがあるだろうと、トラスティが「感想は?」と話を振ったのである。嫉妬云々は、その中で出てきた話だった。 「だけど、妻の前で他の女性にうつつを抜かすのは良くないと思うわ」  だから自分の行動は正当なものだ。自己正当化したメリタに、「嫉妬は目を曇らせる」とレックスは指摘した。 「あのやたら色っぽい司祭……それも宇宙の神秘だと思うのだが。入れあげていたのは、むしろあちらの方だろう。お前の旦那は、誰かに脇腹を抓られながら必要な情報を集めようとしていたぞ。しっかりと、誰かに邪魔をされながらな」  思いっきり当てこすられ、メリタは「でも」と言い返した。 「この人、奥さんが私の他に13人もいるのよ。他にも愛人が沢山いるみたいだし……」  自分は悪くないと主張したメリタに、「そこまでくれば誤差だろう?」とレックスは笑った。 「初めて宇宙に出て、他の惑星に降りて、見た目も違う奴らがいっぱい居るんだぞ。そこでの話が、痴話喧嘩……にもなっていないか。嫉妬が最初に来るってのはどこか間違ってると思わないか?」  そこでぐるりと首を巡らすと、獣人の女給仕が忙しく走り回っていたのだ。それを見ると、確かに違う世界に来たと言う実感が湧いてくれる。  徹底的に嫉妬だと、しかも従兄に決めつけられたメリタは、「私って嫉妬深いのかなぁ」とため息を吐いた。そしてトラスティを見て、「嫌いになりました?」と少し媚びてくれた。  それを「特には?」とさらりと躱し、「別のことを考えていた」と笑いながら口にした。 「彼女を、パガニアの第一王子に紹介した方が良いのかなって。国の制度で複数の奥さんが認められてるから、感情的な問題はないだろうし。それにあそこの場合、事前に神殿づとめがあるんだよね。巫女の舞が神殿興行に関わってくるから、綺麗で色っぽい彼女ならうってつけかなって。まあ、その程度のことなんだけどね」  そう言って笑ったトラスティに、「見境のない王子様ですか」と隣からリュースが茶々を入れた。 「見た目はとびっきりなんですけどね。いまいち食指が動かない残念王子様ですね……確かにあの司祭さん、磨けば第一夫人並になりそうな気がしますね」  惜しまれつつ引退した第一夫人を持ち出したリュースは、「まあいいか」とそれ以上この話題にこだわらなかった。 「ところで、意外に冷静に見えるけど?」  もっと驚くとか興奮するとかと、リュースは2人の反応を持ち出した。意外なことに、比較的冷静に異星の生活を受け入れていたのだ。 「そうか、これでも始めは結構緊張したのだぞ。ただな、違う星の割に変化が少ないと思っている。もうちょっと違いが有ってもと思ったぐらいだ」 「そうね、なにかベースが似ていて逆に拍子抜けと言うのか……多分、言葉が通じるのが大きいと思うけど」  そう言ってメリタは、小さな耳掛けを手にとった。この万能翻訳機のお陰で、言葉に不自由せずにすんだのである。 「どちらかと言ったら、あなた達の星との比較が気になったわ。これだけとってみても、私達の星が遅れていると思ったもの」  万能翻訳機を一通り弄んでから、メリタは元の位置に装着した。 「この世界を見ていると、無理して宇宙に出る必要がないと思えたのは確かね」 「それが、「神」の狙いの一つだと思うよ。今の世界の居心地が良ければ、無理に便利にしようとは思わないだろう?」  その指摘に、「確かに」と2人は頷いた。 「そんな世界を用意したのに、ブリーは技術開発を行い、ついに宇宙にまで進出したと言うことだよ。そして「神」は態度を豹変させ、君達の宇宙進出を潰しにかかっている」  自分の星のことを持ち出されると、いつまでも観光気分ではいられない。表情を引き締めた二人に、「ここでもアコリの被害は出ている」と教えた。 「ただ、本当に有害生物程度の発生の仕方なんだ。だから、普通は町の自警団レベルで駆除ができているんだ。例外として、誰かがアコリを使った騒動を起こそうとしたときだね。その時には、大勢の方が亡くなられているよ」 「コーギス信者の仕業と言うことか?」  レックスの問いに、トラスティは「微妙に違う」と返した。 「あまり性格の良くない奴が居るだけだよ。ただそいつらにしても、ばかみたいな数で街を襲うことはないんだ。愉快犯的に、10から20程度のアコリをばら撒いていくだけなんだ。だから大きな被害が出たのは、その男達を利用して騒動を起こす……僕の知っている例では、暗殺を隠すためのカムフラージュに使われたんだけどね」  そちらは解決していると答え、「平和なものなんだ」とこの世界のことを評した。 「人々が殺し合うような戦争も起きず、人々が飢えることや伝染病が蔓延することもない。害獣とかが出たり、時々盗賊とかアコリの被害が出たりするけど、概ね平和な世界と言っていいと思うよ。だから住んでいる人達も、とてもおおらかな性格をしているんだ」 「なにか、良いことばかりに聞こえるな」  少し口元を歪めたのは、トラスティがこの世界を肯定しているように聞こえたからだ。 「今、この時間だけを切り出せば、この世界を否定する要素は無いと思うよ。何しろここは、よく管理された動物園だからね」  動物園の決めつけに、レックスとメリタの顔色がさっと変わった。トラスティの口から、まさかこんな侮蔑的な言葉を聞くとは思っていなかったのだ。 「管理の行き届いた動物園だから、檻から逃げ出そうとする動物には厳しく当たるんだ」 「俺達は、動物園で飼われている動物と言いたいんだな」  ぎりっと奥歯を軋ませたレックスに、「否定できるのかい?」とトラスティは挑発するようなことを言った。 「与えられた環境にいる限り、「神」は恵みを与えてくれるんだよ。そして運動不足にならないよう、適当な刺激も与えてくれる。そしてそれ以上の刺激を求めて檻を出ようとしたら、二度と出ようと思わないぐらいの懲罰を与えるんだ。動物園の動物と言われても、仕方がないと思わないかい?」 「だとしたら、俺達は飼い主に噛み付こうとしている出来損ないと言うことか」  そりゃあ駆除されるはずだと、レックスは自嘲した。 「だが、君達は出来損ないなんかじゃない」 「ああ、俺達は出来損ないなんかじゃないさ」  ただと。レックスはぐるりと店の中を見渡した。 「「神」から見たら、間違いなく出来損ないなのだろう。さもなければ、危険な考えを持ったバグと言う奴か。よそに伝染しないよう、早めの駆除を考えてもおかしくないのだろうな。そしてバグを駆除するため、「神」は最終手段を持ち出したと言うことか」  小惑星セレスタを持ち出したレックスに、「恐らくね」とトラスティも同意した。 「君達の計算では、妨害がなければギリギリ間に合う事になっているのだろうね。ただそれが、今から約5年後にブリーに接近すると言うのが前提なんだよ。「神」なら小惑星を加速することもできるし、極端な話「ワープ」と言う形でショートカットさせることも可能だ。コーギス信者が邪魔をしなくても、君達などいかようにも料理できると言うことなんだ」 「5年も時間を掛けてくれないか……それは、考えないようにしていた可能性なのだがな」  それを口にしたレックスからは、意外にも絶望の色は読み取れなかった。そしてトラスティの考えを裏付けるように、「対策は考えられている」とレックスは明かした。 「考えないようにしていても、何もしないと言う訳にはいかないんだ。だから、推進機を付けるのとは別の方法も検討されている。実は、成功率は低いのだが、そちらの方のが準備が簡単なんだ」 「適当な大きさの小惑星をぶつけてやる……と言うことかな?」  トラスティの指摘に、「流石だな」とレックスは認めた。 「そこそこの大きさの奴なら、俺達の船で牽引できるからな。それに、推進機を取り付けるのも難しくない。相手は巨大だが、十分な加速を与えてぶつけてやれば、わずかだが方向ぐらい変えられる計算だ。ただその場合だと、ブリーも無傷では済まないのも分かっている。それでも、全滅するよりはマシだと考えられているんだよ」  なるほどと頷いたトラスティは、「基本的には」と自分達の立場を持ち出した。 「あなた達の努力を尊重しようと思っていますよ。ただ僕としては、彼女の生まれた星を死滅させたくない。だからギリギリのタイミングになるかもしれませんが、支援はしようと思っています」 「なぜ、最初からではないのだ?」  そうすれば、自分達は余計な心配とリソースを使わなくてもすむことになる。支援しないと言うのなら別だが、支援をするのなら早いタイミングでして欲しいと言うのだ。 「そのあたりは、「神」との腹の探り合いと言うことですね。はじめから僕達が手を出すと、「神」が更に過激な行動に出る可能性もある。そうさせないため、ギリギリまで手を出さないし、その間に「神」の居場所を突き止めて乗り込もうと思っていますよ」 「乗り込んで、どうするんだ?」  乗り込むだけでは解決策にならない。解決策を問うたレックスに、「方法はいろいろ」と言うのが今のトラスティの答えだった。 「話し合いから全面戦争まで、話し合いが決裂したら、徹底的にやるつもりで居ますからね。こちらも最精鋭部隊を呼び寄せますから、たかが銀河1つしか管理できない神なら塵一つ残さず殲滅できるでしょうね」  「神」を滅ぼすとの答えに、レックスとメリタはゴクリとつばを飲み込んだ。そんな二人に、「最終手段ですけどね」とトラスティは少しトーンを抑えた。 「できれば、その方法は取りたくないと思っています。そんな真似をしたら、平和な世界にまで影響を与えてしまう。だから話し合い、さもなければ少しだけ手荒な方法で言うことを聞かせようかと。ただ具体的方法は、「神」の正体が分からなければ決められないんですけど」  トラスティには、おぼろげながら「神」の正体への想像がついていた。ただそれを、この場で二人に話すことはしなかった。  そうして話をしていたら、「こちらは宜しいですか?」と知らない女性が声を掛けてきた。金色の髪を頭のところでお団子にし、少し男っぽい格好をした美しい女性である。結構良いなと意識したレックスだったが、トラスティの言葉に「えっ」と声を出してしまった。トラスティは、彼女のことを「司祭様」と呼んだのである。  そう言われて見直してみると、先程神殿で面会した女性だと気づいた。ただその時とはガラリと雰囲気が変わったので、2人は別人だと思ったと言うことだ。 「司祭様が、お忍び……になっていない気もしますが、酒場ですか?」  戒律的なことを持ち出したトラスティに、「それはそれ」とアルトリアは笑った。ただトラスティと話をした途端、纏った雰囲気が神殿の時のものに戻っていた。 「神殿に居ても一人ですから、たまにこうして息抜きに来ているんです。ただ、トラスティ様達がおいでになられると思っていませんでした」  リュースとトラスティの間、つまりトラスティを挟んでメリタと反対側にアルトリアは割り込んできた。当然のように、メリタは彼女に対する警戒心を全開にした。今しがたまでしていた反省は、直接的な行動の前にどこかにしまい込まれたようだ。  それを知ってか知らずか、アルトリアはとても無難で、彼女の立場としては正常な話題を持ち出した。 「ビエネッタ様はご健勝でいられますでしょうか?」  アルトリアが最初に尋ねたのは、司祭を引退したビッグママのことだった。後任として入った以上、当たり前すぎる話題である。 「一番詳しいのはニムレスなのですが……」  そこでニムレスとギルガメシュを見たら、すでにしっかりと出来上がってくれていた。その周りを見ると、大勢の町の男達が骸……酔いつぶれて転がってた。さすがは酒の面でも10剣聖は別格なのだが、多勢に無勢では分が悪かったようだ。人数比を考えたら、善戦したと言えるのかもしれないが。  流石に聞けないなと諦めたトラスティは、皇帝として知っている範囲を口にした。 「ええ、元気にしていますね。もっとも、一番元気なのは男の達です。最近は、模造剣を振り回して遊んでいるそうです」 「こことは違う世界……外の世界にいかれたと伺っています。トラスティ様は、その外の世界からおいでになられたのだと」  そう口にしたアルトリアは、「実は」中央の神殿のことを教えてくれた。 「ビエネッタ様が引退と言う形で司祭の職を離れられた時、ちょっとした騒ぎになったんです。正確に言うと、ベアトリクス様とアーシアさんが、ニムレス様に嫁ぐと言う話が理由なのですが。大量のアコリとニダーですか、その襲撃を豊穣神様のご加護を受けた勇者様とニムレス様のお陰で撃退したことが話題になっていました。そこに来て、ビエネッタ様達が神の世界に招かれると言う噂が広がって……ビエネッタ様の後任選びが、かなり大変なことになってしまいました」 「ですが、あなたが選ばれたのですよね}  つまり、アルトリアが後任の座を勝ち取ったと言うことになる。それを指摘されたアルトリアは、お酒を飲んでも居ないのに頬を赤くした。 「それは、先程説明しました天啓が理由になっています。ただ先程はお話ししませんでしたが、天啓を受けたのは私だけではありません。他の者達も、同じ時期に私が後任となる天啓を受けたのです。ですから、それが理由で私が後任に選ばれたのです」  流石のトラスティも、「神」が何を目的として彼女を後任にと言う天啓を与えたのかは分からなかった。何しろ時期的には、アーシア達を連れて再訪するのよりも前のことだったのだ。だからトラスティは、別の理由を持ち出し「神」の天啓に意味を与えた。 「神殿経営と言う意味では、あなたが後任と言う選択は正しかったと思いますよ」  お陰で、若い男達が我先にと手伝いに来ているのだ。男達の下心をくすぐったと言う意味では、「神」の選択は間違っていなかった。 「そう仰っていただいて光栄ですね」  そこで頬を染めたアルトリアは、手元にあった水を口に含んだ。それをゆっくりと飲み下す時に、白い喉が艶かしく動いた。  なるほど大した色香だと、トラスティはアルトリアの艶やかさに感心していた。そんなトラスティに、「予知夢を信じますか?」とアルトリアは問い掛けた。 「予知夢……ですか。僕には、未来を見る能力を持った后が居ますよ。本人は、1ヶ月ぐらい先の未来を見ることができると言っていましたね。ですから、予知夢と言うのが有ってもおかしくはないと思っています。ところで、その予知夢がなにか?」  そうトラスティが問い掛けたのに合わせて、アルトリアの態度が落ち着かないものになっていた。視線を忙しく動かしただけでなく、顔を赤くしながらコップの水を飲んでくれたのだ。それもすぐに飲み干してしまったため、手元にあった泡の出る酒まで口をつける始末である。 「そ、その、ですね。今から4日前のことなのですが。私の夢の中に、トラスティ様が現れたのです。その夢の中で、トラスティ様は私に「誰なのか」かと問い掛けられました。それから「神」かとか「何がしたいのか」と問い掛けられました。そ、その、その時私は裸でベッドの中に居て……」  「あなたに抱き寄せられていました」と、蚊の鳴くような声で口にした。やはり敵だとメリタは警戒したのだが、トラスティとレックスはそれどころではなかった。時間をたどると、「神」がメリタを使ってコンタクトしたのと重なるのだ。 「少し、話がややこしくなってきたな……」  人差し指を眉間に当てたトラスティは、「神殿で」と確認するため少し前の話を持ち出した。 「あなたは、天啓を受けた際、彼女に似た女性を見た……と言いましたね」 「はい、申し上げました」  まだ顔が真っ赤なのだが、それでもアルトリアははっきりとトラスティの言葉を肯定した。 「それは、何時頃の話ですか?」 「確か、ビエネッタ様がフリートを離れられた後ですから……」  しばらく考えてから、「80日ほど前のことかと」とアルトリアは慎重に答えた。 「4日ほど前、「神」が彼女の体を借りて僕の前に現れました。そこで「神」は僕が何者なのかを問い掛け、僕は「神」に何をしたいのだと問い掛けた。時間的には、あなたが予知夢を見た時間とほぼ重なっているんです」 「メリタ様が、神降ろしをされたのですかっ!」  最上位の奇跡が行われ、しかも心を病まずにすんでいると言うのだ。それを教えられたアルトリアは、驚愕に目を見開きメリタの顔を見てしまった。流石に失礼な行為なのだが、それを考える余裕がアルトリアから失われた結果でもある。 「あなたの話が確かなら、同時にあなたも夢の中で「神」と繋がったと言うことです」  そこでトラスティは、アルトリアの分析を確かめることにした。ただヒナギクが姿を現すのは問題が多いので、自分にだけ報告をあげさせることにした。そしてヒナギクの報告では、アルトリアの反応もポジティブと言うものだった。 「話を聞けば予想のできたことですが。あなたも、遺伝的に神と繋がる素養があるようです」  そこでメリタを見たトラスティは、同じ遺伝子が彼女にもあることを口にした。 「ただ、従兄のレックス氏にはその遺伝子が存在していません」  困ったなぁと高い天井を見上げたのは、アルトリアの扱いが難しいからだった。「神」と接触すると言う意味では、彼女が一番高い適性を持っているように思えたのだ。「神」の正体に迫ることを目的としているのだから、彼女の存在はこれ以上無い依代と言えるだろう。  だが豊穣神の司祭に、神に背かせることになると言う問題もある。それをすることは、彼女がこれまで生きてきた時間を否定することに繋がってしまうのだ。それに加えて言うのなら、彼女の存在自身がどこか不自然に感じてしまったのだ。  メリタに似た女性を見た記憶にしても、それが本当に80日も前のことかは確認のしようがなかったのだ。天啓と言う形で彼女の意識に干渉できるのなら、都合よく記憶を書き換えることも可能に思えたのである。 「どうか、なさいましたか?」  穏やかに微笑む姿は、さすがは聖職者と思わせる神々しさが有った。「ちょっと負けた」と、メリタが悔しがるのも無理のない事である。隣にいたレックスなど、アルトリアに見惚れてしまったほどなのだ。 「あなたに、伺いたいことがあるのですが?」 「私に、ですか?」  そこで顔を少し赤くしてから、「私に分かることでしたら」アルトリアは答えた。 「神……豊穣神様は、どんなところにお住まいなのでしょうね?」  その問いに対して、アルトリアは流石に困ったような顔をした。そして答えを探すように、目を閉じて少し頭を垂れた。 「古い言い伝えまで思い出してみたのですが。豊穣神様を含めて、神の姿はあまり触れられていませんね。ですから、神殿にも豊穣神様の姿を模した像は置かれていません。中央の神殿にも、豊穣神様の像は無いはずです。そこで考えられるのは、豊穣神様はどこにでもいて、どこにもいないと言う空気のような存在ではないのかと。従って、どこに住んでいるのかと言う問いには、不偏的に存在するため特定の場所は無いことになります」  そこでふっと息を吐き出したアルトリアは、「ただ」と別の考えを示した。 「私に天啓を与えた時には、人の姿をしていました。そして聞いてみると、他の者も似た姿を見ているそうなのです。だとしたら、一時的とは言えその女性の姿を神が利用したとも考えられます。そして女性の居た場所も、女性の姿になにか関係があるのかと思われますね。そして数少ない伝承なのですが、豊穣神様が女性であるとされています。そして星々の間、光り輝く世界においでだと伝えられています。人の身ではたどり着くことのできない、祝福された場所と言うのが伝承だったかと」  役には立ちませんねと笑うアルトリアに、トラスティは何も答えなかった。確かに彼女が口にしたのは、多くの宗教で見られる一般的な姿だったのだ。 「その神殿には、他の神様おいでになられるのですか?」  トラスティの問いに、「伝承では」とアルトリアは豊穣神の他にいないことを答えた。 「かつては、多くの神々がおいでになられたそうです。ですが、今は豊穣神様お一人だけだそうです。ですから、豊穣神様はその子らを慈しんでいるとされております。「産めよ増やせよ地に満ちよ」との教えは、孤独の辛さから出たものだと伝えられています」  お役に立ちましたかとの問いに、「かなり」とトラスティは答えた。  それに喜んだアルトリアは、「皆様宿はどうされていますか?」と問いかけてきた。 「豊穣神様ではありませんが、私も一人の辛さを感じております。大したおもてなしはできませんが、よろしければ一夜の宿として神殿を利用していただけないでしょうか?」  うっすらと紅潮したアルトリアに、レックスはごくりと生唾を飲み込んだ。自分に向けられたものでないのは理解しているが、それでもとても魅力的なお誘いに思えてしまったのだ。  ただその手の魅惑はトラスティには通用しない。これ以上彼女から情報は得られないだろうと、ゴースロスに帰ることを考えたのだ。ただ「お言葉はありがたいのですが」と口にしたところで、「マイン・カイザー」と潰れていた男二人が口を揃えた。 「ここは是非、お言葉に甘えるべきかと!」 「いや、ギルガメシュはまだしも、ニムレス、君からそんな言葉を聞くとは思ってもいなかったよ」  苦笑を浮かべたトラスティは、「僕の決定だよ」と二人の申し出を却下しようとした。だがレックスまでも、「袖にするのはどうかと思うぞ」とニムレス達に付いてくれた。これで数字の上では、1対3とトラスティが少数派となる。この場においてすべての決定権を持つとは言え、理由もなく上申を覆して良いものではない。  そこでメリタを見たのは、仲間を増やそうと言う気持ちからのものだった。ただトラスティに見られたメリタは、「お言葉に甘えてもいいと思います」と期待とは正反対のことを口にしてくれた。 「その、こちらの生活にも興味がありますから」  そんな良いものではないと言うのは、住んでいる者の前で言うことではないだろう。これで自分以外の4人が、アルトリアのお誘いを受ける方に意見を揃えたことになる。妻とした女性にまで帰ることを反対されれば、お誘いを受けるしか無いのだろう。 「ご迷惑ではありませんか?」  それでも確認をしたトラスティに、アルトリアはぱっと顔を明るくした。 「とんでもございません。ただ、大したおもてなしができないことが心苦しくて」  それだけですと言われ、「こき使ってください」とトラスティは10剣聖の二人を指さした。 「牛の世話から農場の手入れまで、力仕事なら大抵のことはこなせます」 「それはそれはとても心強いですね」  口元を隠して笑ったアルトリアは、「それでは」と言って立ち上がった。 「夕食をとりにきたのでは?」  酒場に来てから、アルトリアが口にしたのは水と少しのアルコールだけだった。それを気にしたトラスティに、「いつもこうなのです」とアルトリアは頬を染めた。 「一人の寂しさを、こうして紛らわしている寂しい女です」  そこでぐるりと首を巡らせ、走り回っている獣人の女給に合図をした。 「ここの支払いは僕がしますよ?」  支払いのことかと気にしたトラスティに、「施しを受けています」とアルトリアは恥ずかしがった。 「一人住まいですから、食事を作るにしても味気なくて……もちろん、自分で作ることもあるのですが」  本当ですと迫られたのだが、どうしてそこで必死になるのかトラスティには理解できなかった。ただその疑問を晴らす必要はないし、獣人の女給がやってきたので支払いを行う必要も有った。金貨2枚を取り出したトラスティは、「これで足りるかな?」と獣人の女給に渡した。 「旦那達だけなら、お釣りが来るんですけどねぇ……」  口元に苦笑を浮かべた獣人の女給は、「どうします?」と酔いつぶれた男達を見た。まさに死屍累々となった男達に、なるほどねぇとトラスティは金貨を2枚追加した。 「もう一声、お願いできます?」 「別に構わないんだが……どれだけ飲んだんだ?」  リゲル帝国の剣士達が底なしなのは、以前目の当たりにして知っていた。それを考えれば、酒代が跳ね上がるのも無理がないのかもしれない。ただそれならそれで、別の心配が出てきてしまった。 「まさか、店の酒を飲み尽くしたってことはないだろうね?」 「結構危ない線でしたね。実際、種類によっては無くなってます」  そう聞かされると、迷惑をかけたとしか言いようがない。更に金貨を4枚追加したトラスティに、「太っ腹ですね」と獣人の女給は笑った。そしてトラスティの耳元に唇を寄せ、「上でサービスしましょうか?」と囁いた。 「只人の女性より、獣人の女は具合が良いんですよ」 「そう言う美味しい話は、一人の時にしてくれるかな?」  今日は問題がありすぎると笑い、トラスティは更に金貨を2枚追加した。これで、締めて金貨10枚を支払ったことになる。ヘルクレズ達が「なかなか」と言っていたことを思い出し、結構気持ちが動いたのも確かだった。 「司祭様、いつもので宜しかったですね?」  そしてトラスティの支払いが終わったところで、獣人の女給は小さな包をアルトリアに手渡した。「豊穣神様のお恵みを」とそれを受け取り、アルトリアは獣人の女給に頭を下げた。 「夜道は暗いですから、足元にお気をつけください」  こちらですと、アルトリアは先頭に立って酒場を出ていった。  ブリーに残ったノブハルは、シシリーと爛れた関係を続けていた……だけではなく、一人「神」の調査を続けていた。トラスティが目立つ動きをして「神」の注意をひきつけ、そして他の星系でも同じように目立つ真似をする。しかも「神」の祝福を受けた女性を連れ出すことで、相対的にブリーへの「神」の関心を下げたのだ。その状態で「神」がどのような干渉をしてくるのか。コーギス信者が新たな動きを見せないか、それを単独で探ることにしたの。  そしてそのパートナーとして、ノブハルは義手と義足を新調したナイトを選んだ。「神」の所業として一番わかり易いのが、アコリの被害と言うのがその背景にあった。 「あんたは、豪華なお船で旅に出ていないのだな?」 「調べることなら山のようにあるからな」  だからだと答えたノブハルは、頼めるかとナイトに声を掛けた。 「ああ、せっかく新調してもらったんだからな。試したくてウズウズしてるんだ」  そこで左腕を擦ったナイトは、「久しぶりの高揚感だ」と口元を歪めた。 「だから、昨夜は子供相手に張り切った訳か」  なるほどと大仰に頷いたノブハルに、「してねえよ!」とナイトはすかさず言い返した。 「どうあっても、俺をロリコンの変態にしたいようだな」 「どうあっても、自分がロリコンの変態と言うのを否定したいのだな」  フフと笑ったノブハルに、「言ってろ!」とナイトは軽く裏拳でその胸を叩いた。そしてフェイを見て、「留守番できるな?」と尋ねた。今までならこの世の終わりのような顔をしていたフェイダが、隣に立つメイプルの顔を見て「大丈夫」と大きく頷いた。メイプル号を残していったのは、ノブハルのためと言うよりフェイのためらしかった。 「じゃあフェイちゃん、今日はお菓子を作って食べましょうね」 「メイプルのお菓子大好きっ!」  嬉しそうに跳ねながら、フェイは「早くしよう」とメイプルを部屋の中へと引っ張っていった。 「母子に見えるな」  ぼそりと呟いたノブハルに、「俺もそう思う」とナイトは自分の部屋を見た。 「なるほど、母子両方に手を出すわけだ」  変態だなと、ノブハルはナイトの階梯を更に上げたのである。  両足でしっかりと地面を踏みしめて歩いたナイトは、普段より楽に公共福祉局の入り口にたどり着いた。先日来たばかりなのに、見た目が変わった気がするのはなぜだろう。そんな事を考えながら、1階に上がる短い階段を上がった。そして扉を開けた先には、いつもの喧騒が待っていた。  ただいつもと違ったことは、仲間達が自分を警戒したことだった。刺すような視線が、全身に突き刺さったのを感じたのだ。 「まっ、こんだけ見た目が変われば仕方のねぇことだな」  何しろ無精髭を剃るだけでなく、髪型まできっちりと決めたていたのだ。そして目つきから荒んだところがなくなり、現役時代の鋭さを取り戻している。教えられなければ、誰も「あの」ナイトとは思わないだろう。  周りから警戒されながら中に入ったナイトは、見知った顔を見かけ「ケェッグ」と大声で呼びかけた。顔と雰囲気が変わっても、流石に声までは変わってない。お陰で、「嘘だろう」と言う声が、1階のあちこちから聞こえてきた。 「お、おい、まさかナイトか?」 「まさかじゃねぇよ。俺の顔を見忘れたのか?」  ああんと口元を歪めたナイトに、「本当にナイトなのか」とケッグは聞き返した。 「おめぇ、受付嬢と一緒にオルガに食われたんじゃねぇのか?」 「なんで、俺が食われなくちゃいけねぇんだ」  足だってあるだろうとズボンをめくったナイトに、「本当にナイトなのか?」とケッグはくどいぐらいに聞き返した。 「くどいな。ちっとばかし見た目が変わったぐらいで、そんなに驚くこたぁねぇだろう。上に居た時にゃ、どっちかと言えばこっちだったはずだぞ」  拳の裏で胸を殴られたケッグは、「娘っ子は?」といつも一緒に居るフェイのことを持ち出した。 「フェイか? フェイなら部屋で留守番してるぞ」 「い、いやいや、そりゃあありえねぇだろう。いや、絶対にありえねぇ……」  何かの間違いだと繰り返しながら、ケッグはナイトから離れていった。「やはり、イメチェンが過ぎたか」とナイトはメイプルの趣味のことを考えた。  いろいろと説明すべきことはあるのだが、今日の目的は1階の職安ではない。トラスティのお陰で資金は潤沢にあったので、仕事をしなくても食っていけるぐらいにはなっていたのだ。ただ「仲間」として「神」に挑むためには、自分に任された仕事をする必要があった。  結局誰一人として認めてくれない中、ナイトは階段を上がって3階の「特旋」の扉を開いた。当たり前だが、「死の窓口」にはその主は座っていなかった。 「今頃、遠くのお星様まで旅行中か?」  少しだけ口元をほころばせたナイトは、掲示された依頼を確認していった。流石にウガジンダムのような大物はなく、多くてもアコリ10匹程度のしみったれたものが多かった。 「今日のところは、期待はずれってことか」  もう少し大物でないと、コーギス信者や「神」の動きが見えてこない。少し落胆したナイトだったが、今回の相方がノブハルだと言うことを思い出した。 「そういや、あいつはアコリを見たことがないと言っていたな」  だったらこの程度で良いかと、ナイトは依頼の張り紙を2枚剥ぎ取った。その選択理由は、現場が比較的近いと言うものである。 「数が少ねぇし、場所が重要拠点じゃねぇからな。多分、軍の駆除から逃げ延びた奴だろう」  そこで空いている窓口へと思ったのだが、あいにく「死の窓口」は肝心の受付嬢が休暇中で閉じられていた。仕方がないと諦め、ナイトはその隣のシシリーの受付に並んだ。他に比べて列が長いのだが、事情を知ってる彼女のが面倒がないと考えたのだ。  そして30分の待ち時間が過ぎ、ようやくナイトの順番が回ってきた。そこでこれをと差し出したナイトに、「これをじゃないわ」とシシリーは笑った。 「登録証を出してくれる? 顔データーを差し替える必要があるの」  初めはそこからと言われ、ナイトは慌ててズボンから登録証を取り出した。それを受け取ったシシリーは、「知ってても信じられないわね」とナイトの変貌のことを持ち出した。 「フェイちゃんも一緒に居ないし、見た目も格好良くなってるし……」 「格好良くなったか?」  そこで少し腰を捻ってポーズを作り、「どうだ」とナイトは尋ねた。  「ぷっと」吹き出したシシリーは、「前よりはマシ」と返した。 「でも、そう言うのって鼻につくわね」 「まあ、自分でもガラじゃないと思ってるからな」  同じように吹き出したナイトに、シシリーは更新した登録証を渡した。そして依頼書を2通受け取り、「ノブハルも行くの?」と聞いた。 「なんだ、心配か?」 「そりゃあ、平穏な気持ちってことはないわよ。万が一のことがあったら困るしね」  ナイトに答えながら、シシリーはデーターを入力していった。ただ何かを見つけたのか、「あらっ」と言って座っていた椅子を後ろに滑らせた。 「ねえ、プルマン地区って新しい依頼が入ってなかった?」 「ひょっとしてこれかな?」  奥の方で整理をしていた職員が、小さな筒をシシリーの方へと投げてよこした。それを危なげなく受け止めたシシリーは、中から未整理の依頼書を引っ張り出した。そしてこれこれと、ナイトの前に差し出した。 「新しく3件も依頼が入ったのよ。ちょっとまとまり過ぎだから、そっちの2件も一時取り下げて見直しをしようと言う話が出ているわ」  そう説明したシシリーは、自分の窓口に「受付停止」の札を立てた。そして頭の薄いまだ若そうな上司に、「会議室を使います」と声を掛けた。 「止めはしないけど。確認は必要だと思うのよ」  だからと、シシリーは会議室の鍵を持って「こっち」とナイトを案内したのだった。  ナイトを送り出したノブハルは、部屋に戻って「神」の干渉データーを集めていた。具体的には、プローブ本体とその子機の分布状況をリアルタイム整理していたのだ。少しずつ観測網を広げたお陰で、ほぼブリー全土が観測範囲に入っていた。 「この高密度地域の移動が、何らかの意図を持っているのかどうかか……」  ここ数日のデーターを眺めていても、特に傾向のようなものが見つけられなかったのだ。ただアルトレヒトの一部地域が、突出してプローブ密度が高くなっている程度だった。それにしたところで、先日のウガジンダムに比べればまだ密度は低いと言えるだろう。  やはり観測期間が短いかと考えながら、ノブハルはもう一つの観測、制御信号の分析に作業を移した。制御データーパターンは掴めたのだが、それと実際の事象とのヒモ付けができていなかったのだ。つまりコマンドコードは分かっても、実行結果と結びついていないのである。 「割り込みを掛けて、こちらで試してみると言う方法もあるのだが……」  ただその提案は、トラスティに「時期尚早」と否定されていた。「いざと言う時に、対策されてしまう」と言うのが否定の理由だった。そうなると、分析には地道な情報収集以外に方法がなくなってくる。その場合の問題は、よほどの事件でもない限り現象を推測することもできないと言うことだ。 「精神操作とホログラフィーは、先日のでデーターは取れたのだが……」  そしてそのデーターを使えば、コマンドの効果を絞り込むことも可能となる。それにしても、効果が不明なコマンドは山ほど残っていた。 「後は、どの経路で通信をしているのかの割り出しだが……こっちが、全く進んでないな」  1千億を超えるプローブが、ブリー上にばらまかれているのは確認できた。そしてそれぞれのプローブが相互通信を行っているのも確認することができていた。ただ情報や制御の流れが一方通行でないため、どこが上流なのか掴めずに居たのだ。そして調べた範囲では、一つ一つのプローブに特異性は見られなかった。 「必ず、「神」と繋がる基幹プローブが存在するはずなのだが」  そうでなければ、配されたプローブはブリーだけで閉じていることになる。それはありえないと言う点では、意見はトラスティと一致していた。 「地道な努力と言うものを否定するつもりはないが……これでは、何時まで経っても「神」の尻尾を捕まえられないな」  自分達を警戒して通信を控えているのではないか。それもノブハルが考えた一つの可能性である。その場合の問題は、誰がプローブにコマンドを送っているかと言うことだ。プローブが相互通信機能を持ち、子機が「神の奇跡」のアクチュエーターの機能を持っている。ならば、頭脳はどこにあるのか。その存在を確認できない限り、オフライン動作の理由がつかないのだ。 「マスターが無く、相互通信を行うだけでどうやって新しい動作を起こすことができる?」  その謎を解かないと、「神」の探求が進まないことになる。ううむと唸ったノブハルは、埃の浮いた床にごろりと転がった。  会議室に入ったところで、シシリーはプルマン地区の地図を持ち出した。そして依頼を受けた5箇所を、地図上にプロットしていった。それを見せられたナイトは、確かに関連がありそうだと「特旋」の懸念を認めた。 「貼り出してあった2件は、2日前に受理したものよ。そしてこっちの3件は、今日の朝受理したものなの」  プロットに受領日時を入力してみると、依頼箇所が移動しているのを見て取ることができる。ただ距離的には、誤差と言える程度の違いでしかなかった。 「今のところの被害は……野良犬や野良猫が見当たらなくなった……か」 「家庭菜園が荒らされていると言うのもあるわよ。そこに、明らかにアコリのものと分かる足跡が残されていた。流石にゲート内だから、住民が騒ぎ出しているのよ」  少し眉をひそめたシシリーに、なるほどとナイトは頷いた。 「つまり、「特旋」への風当たりが強くなるわけだ」 「本来は、警察や軍の領分なのよ。特に住民の住む市街地の場合はね」  風当たりの下りを否定しないシシリーに、「猶予は?」とナイトは確認した。 「同一地区で件数が増えてきたから、可及的速やかにと言う扱いになるわね。ただ規模的には、ウガジンダムの足元にも及ばないんだけどね」 「首謀者を見つけたら?」  少しずつ範囲が広がっているのを見ると、首謀者が地域を拡大しているように見えるのだ。そうなると、被害の拡大を防ぐには首謀者確保が必要となる。 「建前上は、警察への引き渡しと言うことになるわね。もちろん、公務への妨害がなければだけどね。抵抗した場合は、実力による排除も認められてる。それから、市民に引き渡すのは認められていないわ」  市民に引き渡した先に何があるのか。それは、フェイのことでナイトも理解していた。 「その市民様に、引き渡しを要求されたらどうする?」 「とりあえず断って」  あっさりと、そして含みのある答えに、「それでも要求されたら?」とナイトはその先を尋ねた。 「それでも、建前を説明して欲しいの」 「それで、市民様が納得してくれると思うのか?」  思わないよなとの確認に、「私が言えるのはここまで」とシシリーは問答を打ち切った。 「私には、現場で最善を尽くしてとしか言いようがないの。後は、身の安全を第一にしてぐらいかしら?」  つまり、最善を尽くし身の危険を感じたのなら、住民に犯人を引き渡してもいいと言うのである。確かに公務員が口にできる答えではないのだろう。口にこそ出さないが、市民によるリンチを認めることになるのだ。 「次の質問だが、犯人の割り出しとアコリの駆除。どちらが優先されるんだ?」 「「特旋」の立場なら、アコリの駆除になるわ。私達は住民からの依頼に基づいて、有害生物の駆除を行うのが仕事なのよ」  それぐらい分かっているだろうとの言葉に、「聞いてみただけだ」とナイトは返した。 「そして、仕事に何時取り掛かるかぐらいの違いしか無いな」  そう答えたナイトは、新しい3件の依頼もまとめて受けることにした。これだけ地域が接近していると、仕事の区別が難しくなってくるのも理由だった。 「ところでノブハルには、どっちから伝える?」 「デートの時にこんな話はしたくないわ」  つまり、伝えるのはナイトの仕事と言うのだ。少しだけ目元を引きつらせたナイトは、「分かったよ」と言って立ち上がった。 「じゃあ、明日にでも駆除を実行する。今日は、下調べってところだな」 「リュースさんが居ないけど大丈夫?」  いくら規模が小さくても、ソロにはそれなりの危険が伴うことになる。それを心配したナイトに、「心配ねぇ」と左手を持ち上げた。 「俺の左手にゃ、秘密兵器が隠されてるんだからな」 「だったら良いんだけど……」  少しだけ心配そうな顔をしたシシリーは、「登録するから」とナイトから依頼書を取り上げた。最初の2件は登録済みだが、残りの3件は仕事として未登録になっていた。登録をしないと、駆除をしてもナイトの功績にはならないし、報奨金も支払われなくなってしまう。  「会議終わりました」と言って会議室から出たシシリーは、頭が薄くなった若い上司に、「依頼を統合します」と報告した。 「依頼エリアが重複していますから、統合して1本の依頼にします」 「報奨金が減ることになるが、それでも良いのか?」  分けておいた方が、分割による割増が出ることになる。一応は気を使った頭の薄い年の若い上司に、「サービスだ」とナイトは声を掛けた。そして「税金の無駄遣いは良くねぇぞ」とちくりとイヤミを口にしたのである。  公共福祉局を出たナイトは、出てすぐにタクシーを捕まえた。そしてAIに対して、最初の依頼者の住所を告げた。そして同時に、依頼コードの入力を行った。総額に制限はあるが、必要経費として精算ができる仕組みになっていたのだ。 「しかし、プルマン地区ってのは住宅街のど真ん中じゃねぇか」  地図を再確認したナイトは、騒ぎになるはずだと事情を察した。これまで農業地区に出ることは有っても、住宅地区への出没は非常に稀なことになっていたのだ。そして農業地区の場合、元気な住民が自力で駆除することも多くなっていた。住宅街となると、その辺の事情も変わってくる。 「まっ、下手な真似をして怪我でもされたら面倒だしな。金で解決できるんなら、それに越したこたぁないだろう」  住民の事情を察したナイトは、駆除方法を考えることにした。場所が住宅街だと考えると、何も考えずに銃器をぶっ放す訳にもいかないだろう。そして同時に、ウガジンダムの時のようにあたりを血の海にする訳にもいかない。そんなマネをしたら、間違いなく地域住民から悪臭苦情が寄せられることになる。 「ってことは、清掃局への依頼も必要ってことか」  面倒くせぇと、ナイトは独り文句を言った。そして文句を言ってから、そっと自分の左腕を撫でてみた。  自分の右腕を参考に作ったと言うのだが、手触りにまったく違和感がないのだ。そして触られた左腕に、ちゃんと触られた感覚がある。これで「仕込み武器」があると言われても、自分でも信じられなかったのだ。だがこうすればとメイプルに教えられたとおりにした、左腕がすぽっと外れ、その中からいかにもと言う見た目の銃が出てきた。 「トリガーと出力は精神コントロールと言っていたな」  それに加えて、メイプルは「気合が重要です!」と力説していた。ちなみに、その気合は「当ててやる」と言う気合らしい。 「何でもそうですけど、当てようと思わないと当たらないんです!」  それを事後の余韻の中、腕枕をされながら力説してくれたのだ。面白い奴と言うのが、ナイトの正直な感想だった。  公共福祉局からプルマン地区まで、タクシーでおよそ1時間半の時間がかかった。流石に遠いと零したナイトは、アポを入れておいた依頼者のところへ向かった。小洒落たパン屋を見ながら、「のどかなもんだ」とナイトは口元を歪めた。ここに住んでいる者達は、自分達が「神」に追い詰められていることを知っているのか。ついそんなことを聞いてみたくなっていた。  そして小さな塀と芝生の庭を持った一軒家の前に立ち、「ここか」と扉のところにある呼び鈴を鳴らした。軽快なチャイム音がしてしばらくしてから、「どなたかしら?」と言う女性の声が聞こえてきた。 「ナイトと言うものだ。リチャード氏に約束を入れたはずだが」 「はい、承っています。少しお待ち下さい」  そこでインターホンが切れ、ナイトはおとなしく扉の前で待つことにした。そして1分もしなうちに、髪に黄色のメッシュを入れた女性が現れた。 「申し訳ありません。主人は、町会から緊急の呼び出しがあって留守にしているんです。すぐに戻ると思いますので、中でお待ちいただけませんか?」 「ご迷惑ではありませんか?」  女性一人のところに乗り込んでいくのは、世間体を含めてあまり宜しいことではない。粗暴に見えたナイトにしても、それぐらいの常識は持ち合わせていた。  そんなナイトに、「こちらの落ち度ですからね」とその女性、ローラは笑った。 「とにかく、立ち話もなんですから中にお入りになってください」 「で、では、遠慮なく」  少し強引に誘われ、ナイトは少しおっかなびっくり中へと入っていった。そして玄関から中を見て、外観通りの家なのだとどこか納得をしていた。 「こちらには、お二人でお住まいですか?」  慣れない言葉を使いながら、ナイトは間を持たせるための話題を切り出した。そんなナイトに、「子供達は独立しましたので」とローラはお茶を持って現れた。  そうですかと相槌を打ち、「アコリが出たと伺っています」と本題を切り出した。ただ依頼者本人ではないので、踏み込んだ話は後と考えていた。  ただその質問は、少しばかり藪を突くもののようだった。いきなり「そうなんです」とローラに迫られたのだ。お陰でナイトは、ローラを避けるように体をソファーに押し付けた。 「お陰で、町内会で揉めていて……どうして「特殊職業斡旋所」に依頼を出したのかって、主人が責められているんです。今出かけているのも、不動産屋に扇動された人達が騒いでいるからなんですよ」 「速やかに危険を除去するためには、依頼を出すのは間違っていないと思うのだが?」  それがどうして問題となってくれるのか。思わず首を傾げたナイトに、「お金が絡むとね」とローラはため息を吐いた。 「アコリが出たと知られたら、町の価値が下がるって騒ぐ人がいるのよ。間違いなく、裏で不動産屋が煽っていると思うけど。資産価値が下がったらどうしてくれるって、人に責任を押し付けようとしているの」 「身の安全より前に、不動産価値なのか?」  明らかに呆れたと言う顔をしたナイトに、「そうなのよ」とローラはまくしたてた。 「そりゃあ、財産が目減りするのは大変だとは思うわよ。でもね、死人まではいかなくても、けが人とか出たらどうするつもりなのかしら。そう言う人達に限って、被害が出ると手のひらを返すし……」  性質が悪いと憤慨され、ナイトには「そうだな」としか答えられなかった。 「それで、騒いでいる奴はアコリをどうしようって言っているんだ?」 「野良犬と家庭菜園ぐらいだったら、放置しておけばいいって。どう考えても、それって非常識よね」  信じられないと憤慨するローラに、「非常識だな」とナイトも強く同意した。 「先日別の事件で、人が6人も食われているんだからな。小さな被害で収まってるうちに駆除しちまうのが一番いいんだよ」 「そうよねぇ。被害が拡大したら、逆に治安に無頓着な地区だって悪評が広がるのに」  やってられないわとローラがため息を吐いたところで、荒々しく玄関を開く音が聞こえてきた。 「あら、帰ってきたみたいね」  少しお待ちをと、ローラはパタパタと玄関へと駆けていった。そして「お客様がお待ちですよ」と言って、夫を連れて現れた。ナイトの顔を認めた男、リチャードは興奮からか顔を赤くしていた。 「失礼、いささかと言うには腹が立ちすぎてましたので」  頭を下げたリチャードに、それは良いとナイトは手で制した。 「何が有ったと伺っても宜しいでしょうか?」  余所行きの顔を作ったナイトに、「金の亡者が多すぎる!」とリチャードはぶちまけた。 「不動産屋が黒幕なのだが、資産価値が下がるの一点張りだ。正論が通じないどころか、人のことをコーギス信者だろうと決めつけよって。私からしてみれば、よほど奴らの方がコーギス信者と言いたくなる。そのうち、何かと見間違えたのだろうと良い始めよった。現場を調べたのはわしだけではないのにっ!」 「なるほど、おおよそ事情が掴めたな……」  苦笑を浮かべたナイトは、「調査に来た」と言って認識票を差し出した。 「危険生物駆除資格のシルバークラスですか」  それはそれはと感心したリチャードは、「3日ほど前のことですが」と依頼を出した事情の説明を始めた。 「町会の方に、家庭菜園が荒らされたと言う苦情が来たんです。大方野良犬とかの仕業だろうと、野犬駆除の手続きに入ろうとしたのですが……」 「逆に、野犬を見かけなくなったと言う事実が出てきたと?」  先回りをしたナイトに、「その通りです」とリチャードは続けた。 「そして調べてみたところ、飼い猫も失踪していることが分かりました。流石におかしいと被害を受けた家庭菜園に行って確認したところ、小さな足で踏み荒らされているのが分かりました。足跡がたくさん残っていたので、役所のデーターベースで確認をしたんです」 「それで、アコリの駆除依頼を出されたと」  なるほどと頷いたナイトに、「息子の助言です」とリチャードは口にした。 「宇宙軍に居る息子が、ちょうど里帰りをしていましたのでな。お前が駆除できないかと聞いてみたところ、畑違いだからさっさと役所に依頼を出せと言われました。そうすれば、従妹のところでうまくやってくれるはずだと」  筋違い以上に、休暇で帰ってきたものには無理な相談と言うものだ。いきなり話を振られた息子に同情しながら、ナイトは宇宙軍の実態を説明した。 「宇宙軍でも、戦闘部隊に居ない限りアコリ対応は専門外と言うのは確かです。そして休暇で帰ってきているのなら、装備も持ってきていないでしょう。したがって、役所に届けを出すと言うのは正しい対応だと思われます」  息子の助言を肯定され、「今は、私もそう思っています」とリチャードは小さく息を吐いた。 「姪もおととい帰ってきましたから、そのあたりのことを聞こうと思ったのですが……いきなり息子と出て行ったきり戻っても来ませんし……いえ、すみません、つい愚痴をいってしまって」  申し訳ないと謝られたナイトは、「構わない」とそっけなく答えた。ただ「従妹のとこ」とか「宇宙軍」とか「休暇」と言うキーワードに加え、一昨日飛び出していったと聞かされ嫌な予感を抱いていた。  それを気の所為で片付けようとしたナイトだったが、リチャードの愚痴は終わってくれなかった。 「息子の方は息子の方で、夜遅くに帰ってきたと思ったら、翌日水色の髪をした女性と出ていってしまって……別に文句を言うつもりもないのに、紹介もしてくれなくて……」  困ったものですとこめかみを掴むリチャードに、「なんてめぐり合わせだ」とナイトは呆れていた。  ただ余計な藪を突くものではないと、ぐいっと仕事に引き戻すことにした。 「事実だけを申し上げると、この地区を含めて周辺で合わせて5件の駆除依頼が出ています。役所の方では、5件を統合する手続きに入っています」 「他の4件でも、同じ不動産屋が騒ぎを煽っていますよ」  なるほど腹をたてるはずだと、ナイトはリチャードに同情した。ただ聞かされた事情は、同情だけで済ませて良いものではない。アコリの発生は通報案件として指定されている以上に、市街地では通報が義務化されているのである。それを否定するのは、当然ながらブリーの法に触れることになる。不動産屋なら、バレた時点で不動産取引免許が取り上げられるぐらいの罰則が設けられていた。 「不動産屋が黒幕と言う証拠はありますか?」  それがあれば、話はぐっと簡単になってくれる。「特旋」経由で警察に通報すれば、不動産屋をしょっぴいてくれるのだ。  だが証拠はと言うナイトに、「そんな間抜けじゃない」とリチャードはため息を吐いた。 「オブザーバーとして出てきて、物件価格の下落値だけを提示するだけだ」 「なるほど、性質が悪いと言うことですか」  ただ、すでにアコリの発生は通報されていたのだ。ここで駆除依頼を取下げても、実質的な違いはないことになる。だとすると、この異常な反対には何らかの裏があると考えて良いのだろう。  流石に自分には無理があると考え、ナイトはすぐにノブハルに助けを求める事にした。本当はトラスティの方が頼りになるのだが、生憎遠いお星さまの世界へ観光中だった。 「恐らく、思いっきり嫌がられるな」  かと言って、先延ばしすることに意味があるとは思えない。それ以上に、地域の混乱がひどくなる恐れもあったのだ。 「それで、その不動産会社の名前は何というのですか?」 「グリーンシードと言う、この地区地場の業者だ」  それが分かれば、後は背後関係を洗えばいい。なんでも有りの男達を思い出し、ナイトはこの後の始末を考えたのである。  思いっきり嫌がられるとの予想とは反対で、ノブハルは二つ返事でプルマン地区へとやってきた。もっとも通常の移動手段を使わないのだから、感覚がナイトと違うのも無理はないのだろう。 「つまり、その不動産屋を探って欲しいと言うことか?」 「アコリ発生を隠そうとするのが胡散臭いからな」  なるほどと頷いたノブハルは、すぐさま覗きの手配をすることにした。そして呼び出されたアルテッツァは、「簡単ですね」の一言を残して姿を消してくれた。 「しかし、なんだ、俺達の常識から見ると本当に何でもありだな」  そう言って息を吐き出すナイトに、「それを期待したんだろう?」とノブハルは言い返した。 「否定はできねぇな。ただ、文句を言われるんじゃねぇかとは思っていたがな」 「どうして、俺が文句を言わなくちゃいけないんだ?」  分からんなと首を傾げたノブハルに、「デートの邪魔になるからだ」とナイトは口元を歪めた。そんなナイトに、「なんだ」とノブハルは軽く受け流した。 「今からなら、さほど時間がかかるようなことはないからな」 「それを忘れていたんだよ」  そんなところだと答えたナイトは、場所を変えようと通りの方を指さした。そこにはお洒落な住宅街らしい、小洒落たカフェがあった。 「なんか、あんたには似合わないな」  ノブハルに指摘され、「ほっとけ」とナイトは言い返した。ただ言い返しはしたが、「否定しにくい」とも感じていた。そしてノブハルを見て、男同士は嫌だなと考えた。ただ女連れとなると、彼の場合は相手はフェイと言うことになる。 「まあ、綺麗にしていれば結構似合っているか」  どこかのお嬢様然としたフェイを思い出したナイトに、ノブハルはちくりと嫌味を言った。 「あんたとここらを歩いていたら、間違いなく通報されるだろうな」 「ああ、そうなるんだろうな」  それぐらいの自覚はあると、ノブハルの胸を軽く叩いてナイトは通りを渡っていった。  適当に選んだのがやはり失敗だった。カフェの客層を見て、ナイトは己の失敗を悟ることになった。入ってみて分かったことは、その店がベーカリーカフェになっていることだ。持ち帰りもできるパンを選び、飲み物を買って店内の席に着く。小腹が空いていることを考えれば、むしろありがたい形態でもある。ただ店内を見渡してみると、男の客が自分達しか居なかったのだ。そして他の客は、殆どが近隣に住む主婦ばかりだった。お陰でコーヒーを持って入ったら、冗談抜きで全員の視線を集めてしまった。 「凄く居づらい……と言うのは別として、話もしにくいな」  流石にこれはと顔を顰めたナイトだったが、一方のノブハルは平然としたものだった。そのあたり、普段から女性に囲まれているのと無関係ではないのだろう。 「こう言ったところの会話を聞いていれば、ここの住民の考え方ぐらいは分かるだろう」 「分かったところで、ろくなことはない気がするがな」  ずずっとコーヒーを啜ったナイト、超厚切りのトーストをかじった。 「うまいことはうまいんだが……ただのトーストとは思えない値段だな」 「金をかければ、幾らでもかけられると言うことだ」  気にするなと言いながら、ノブハルはクリームのたっぷり付いたデニッシュを頬張った。見るからに甘そうなパンに、「甘そうだな」と言う言葉がナイトの口をついて出た。 「ああ、甘いのだが。それがどうかしたか?」 「いや、よくそんな甘いものが食えるなと思っただけだ」  気にするなと答え、「大した話は聞こえてこないな」と首を動かさずナイトは言った。 「それはそれで、意味があると言うことだ。つまり、ここに来ているご婦人たちは、身の回りの危険を意識していないと言う意味になるからな」 「そう言う意味じゃ、確かに危機感は持っていないようだな」  なるほどねと頷いてから、ナイトは超厚切りのパンを口に押し込んだ。それをコーヒーで流し込んで立ち上がった。 「別に、急ぐ必要はないと思うが?」  どうしたと言うノブハルに、「クライアントめぐりだ」とナイトは笑った。 「あと4件ばかり話を聞いてくる」 「あんた、意外に真面目だったのだな」  驚いた顔をしたノブハルに、それが生き延びるコツなのだと。そう答えたナイトは、「じゃあな」とノブハルを残してベーカリーカフェを出え行った。 「実力はさほどではないが、カイトさんと似た空気を持っているな」  一度だけナイトの後ろ姿を見送り、ノブハルは「さて」と言って立ち上がった。ただ立ち上がった目的は、店を出ようと言うものではない。食べ足り無いので、追加を選ぼうと思ったのである。そしてりんご入りが美味しそうだと、アップルパイのハーフをトレーに乗せてレジまで持っていった。  ノブハルと別れたナイトは、地図を頼りに次の依頼者のところまで歩いた。タクシーにしようかどうか迷ったのだが、待ち時間を考えたら歩いた方が早いと言う結論からである。  ただ誤算は、アポの連絡を入れようとした時のことだった。「危険生物駆除に来た」と用件を告げた途端、相手が激しく狼狽えてくれたのだ。 「す、すみません、駆除依頼は先程取り下げましたので……」 「い、いえ、お話だけでも伺いたいと」  少しだけでもと食い下がったのだが、「お話することはありません」とにべもなく断られてしまった。そして続く3件でも、同じように依頼を取下げたのだと断られてしまった。これで駆除依頼5件中4件の依頼が取り下げられたことになる。一度駆除依頼が出された時点で、アコリ発生はデーターとして役所に登録される。それを考えれば、今更ら取り下げることに意味があるとは思えなかった。 「4件とも、やけに怯えてやがったな……」  その様子だけを見ると、反対派と何らかのやり取りがあったように思われる。ただそれ以上の調査は、相手の怯えようを考えると無理としか思えなかった。 「しかたねぇ、依頼書の情報で探ってみるか」  そうすることで、何かが見えてくる可能性もあるはずだ。もう一度地図を見たナイトは、あっちかと最初の目的地へと向かうことにした。  散歩をするように歩いたナイトは、あまりにも平穏な景色に逆に呆れていた。低い塀の家が並び、そこには綺麗に整備された芝生の庭が広がっていた。しかも庭で遊んでいる子供も居るし、それを見ている母親などはナイトに会釈をしてくれる始末だ。これを見ていると、本当にアコリが出たのかと逆に疑問に感じてしまうほどだ。  だが複数の依頼人がアコリの発生を知らせてきている以上、この町にアコリが出たことに疑いようはない。だとしたら、この平和な光景は一体何なのか。ナイトの中では、逆に謎が深まったぐらいだ。  そして場所を次の依頼者のところに変えても、見られる光景に違いは現れなかった。その事情は、他の場所に移動しても変わらなかった。そこまで来ると、逆にアコリが出たと考えるほうが難しくなってしまう。結局足を棒にして歩き回ってみたが、アコリが出たと言う形跡どころか、住民達が気にしている様子すら見つけられなかった。 「しかしだ、あの親父が妄想に取り憑かれているとも思えんな」  レックスの父親だからではなく、受け答えを含めて事実関係の説明に淀みがなかった。それだけだと決め手として弱いのだが、他の場所からも駆除依頼が出てきているのだ。それを考えれば、アコリが出たと考えるに足るなにかがあったことになる。 「確かに、野良犬や猫の姿は見てないが……」  お陰で町が綺麗だなと感じたぐらいだ。住民ぐるみの浄化運動の結果だと考えれば、逆に誇らしいことにもなる。俗に言う「意識高い系」の住民が集まれば、ありえないことではなかったのだ。 「それにだ、こんな町中のどこにアコリが隠れることができる? それに、アコリの食い物はどうなっているんだ?」  数十ものアコリともなると、姿を隠すにはそれなりの広い場所が必要となる。そして同時に、貪欲な奴らの食い意地を満たすためには、多くの食い物が必要となるのだ。こんな町中では、食料の確保も簡単ではない。  ナイトが疑問に感じた事実だけを取り上げれば、アコリが居たと言うのは「勘違い」「思い込み」と居うことになる。  公園で頭を抱えていれば、傍からは危ない人に見えることだろう。ただ運がいいことに、なぜか公園には子供の姿が見当たらなかった。それに安堵したナイトだったが、逆にどうしてだと疑問を感じた。まだ昼過ぎだと考えたら、子供が遊んでいてもおかしくないはずだ。  「ああっ」と頭を掻いたナイトは、「頭が痛くなってきた」とぼやいた。アコリが出たと結論付けるにしても、出ていないと結論付けるにしても、どうもしっくりと来ない部分があったのだ。ただ出たと結論付けるためには、隠れ場所と食料と言う疑問を解消する必要がある。それが解消できない限り、答えとしては「出ていない」ことになってしまう。 「その方が平和っちゃ平和なんだが……」  そこでぱんと顔を両手で叩き、「考え方を変えてみるか」と声を上げた。 「アコリが居る。そしてコーギス信者が呼び出したとする。だとしたら、そいつらが隠れ場所を作っても不思議じゃない。だが数十匹のアコリを隠すには、それなりのスペースが必要となる。だとしたら、誰だったらそんな場所を用意できるんだ? 食い物は……場所さえ用意してやれば、業者に運ばせればなんとかなるか」  できないことじゃないと結論づけたナイトは、次にその目的を考えることにした。アコリを呼び出す目的には、主にテロを起こして社会不安を煽ることにある。静かな住宅地でアコリ被害が出れば、騒ぎは確実に大きくなってくれるだろう。その場合効果的なのは、ただ駆除をされたではなく人的被害が出ることだ。一家惨殺、食い殺されでもしたら、間違いなくマスコミの注目を集めることになるだろう。 「そう言やぁ、宇宙に出るからこんなことになるって騒いでいた奴が居たな」  とんでも本を出している奴だが、テロが起こるのは宇宙開発のせいだと騒ぎ立ててるやつが居たのを思い出したのだ。その後消息を聞いていないが、主張を取り下げたと言う話も聞いていない。 「テロが続けば、宇宙開発に疑問を抱く奴が出てくるか……」  同時に、コーギス信者に対しての風当たりも強くなる。集団リンチが珍しくないことを考えれば、その主張をすること自体命がけと言うことになる。 「いや、神のためなら奴らは命懸けか……」  アコリ目撃が勘違いでなければ、裏にはコーギス信者が動いていることになる。そして目的は、この静かな町で無差別テロを起こすことになる。 「本当に無差別テロをされたら、張り込んでいても初動がかなり難しくなるな」  依頼エリアを考えると、そこそこの広さが有ったのだ。アコリの被害があって初めて襲撃が分かることを考えると、駆けつけた時には大きな被害が出ている可能性がある。 「目的からしたら、被害者は誰でも構わないはずだ。ただ現場が悲惨であればあるほど、テロの効果としては大きくなってくれる。子供とかが犠牲になれば、宣伝としては効果的と言うことだな」  子供かと考えては見たが、すぐにあまりにも対象が多すぎることに気づいた。ただそれが、先程感じた疑問への答えになっていることに気がついた。 「公園に子供が居ないのはそのせいか?」  アコリは居ないと言っていても、母親達は危険を敏感に察知してくれる。だとしたら、子供を公園で遊ばせようとは考えないだろう。 「やはり、アコリは居ると考えて行動した方が良さそうだな」  ただそこから先は手詰まりになってしまう。どうしたものかと考えたナイトは、もう一度アコリの隠し場所を考えることにした。 「レックスの親父は、不動産屋が黒幕だと言っていたな。不動産屋だったら、空き物件を幾つも管理してもおかしくないか……」  一度見てみるかと、ナイトは立ち上がった。そして小さく屈伸をして、足の具合を確かめた。 「本当に、自分の足と区別がつかないな……」  凄すぎるなと小さくつぶやき、地図を頼りにグリーンシードと言う不動産屋を探すことにした。  公園を出て20分ほど歩いたところで、ナイトは目的の不動産屋にたどり着いた。不動産屋の建物としてはさほど大きくなく、中規模不動産屋と言うところだろうか。入口近くには、幾つもの賃貸、分譲物件が表示されていた。 「……さすがに高いな」  自分の借りているアパートに比べ、賃貸価格が遥かに高額になっていた。その分庭付き一戸建てと広いのだが、いずれにしてもナイトの求める物件ではなかった。 「グリーンシード不動産。販売・賃貸・管理を請け負います……か。普通の不動産屋にしか見えないな」  窓からは、女性事務員が忙しく働いているのが見える。そして物件を求める客も、何組か説明を受けているようだ。それを見る限り、「普通」の不動産屋と言うのはおかしくないだろう。穏やかな景色だけを見ていれば、黒幕になっているとはとても思えないものだった。 「足で稼ぐってのが王道なんだがな……流石にそんなに都合よくいかないか」  そう苦笑したところで、ナイトは中に「貸し倉庫」と言う張り紙を見つけた。求める情報を見つけたことで、まだ可能性が残ったことになる。後は管理する倉庫がどこにあるのか調べればいいのだが、流石にナイトにはハードルが高すぎた。 「だが、俺じゃ乗り込んでっても警戒されるだけか」  何しろ身分証は、ただの退役軍人で「危険生物駆除」資格者でしか無い。それでも口が達者なら、いろいろと口実を付けて話をすることも可能だろう。だがナイトは、自分では絶対に無理ということを自覚していた。 「仕方ねぇ……ちょっと張り込んでみるか」  出ていくやつ、特に一人で出ていく奴を追いかければ、もしかしたら目的の倉庫にたどりるけるかもしれない。それも手かと考えたナイトだったが、すぐに時間がかかりすぎるとその方法の問題点に気づいた。「おい」と肩を叩かれたのは、だったらどうすると頭を悩ませた時のことだった。 「な、なんだっ、あんたか」  飛び上がるほど驚いたナイトに、「何をしている?」とノブハルは問い掛けてきた。 「小児性愛者らしく公園で子供を物色していたと思ったら、次は監禁場所の確保に来たのか?」 「頼む。いい加減、その話題から離れてくれ」  怒るのではなく懇願したナイトに、「それで?」とノブハルは目的を尋ねた。そこで自分のいる場所を考えたナイトは、「場所を変える」と言って近場のカフェを指さした。 「懲りない奴だな。母親から物色を始めるのか?」 「ここじゃしにくい話をするだけだっ!」  いい加減怒るぞと文句を言い、ナイトは2軒離れたカフェにノブハルを連れ込んだ。ただこちらのカフェは、洒落た町に似合わない地味で古臭い店だった。  その方が落ち着くと隅の席に腰を下ろし、ナイトはコーヒーを二人分頼んだ。 「アコリが居るとしたら、どこに隠れているのかを考えたんだ」  声を潜めたのは、自分達が問題の不動産屋の近くにいるからである。そしてナイトは、「どこかの倉庫」と居場所の可能性を指摘した。 「あの不動産屋は、貸し倉庫も扱っているんだ。だとしたら、その一つにアコリを隠している可能性がある」 「その可能性は否定しないが、どうやって場所を特定する?」  扱っている物件数を考えたら、虱潰しにしても時間がかかってしまう。それを問題としたノブハルに、「そこだがな」とナイトは自分の考えを口にした。 「アコリの性質を考えたら、しまいこんでおしまいと言う訳にはいかないんだ。食わせてやらないと手に負えなくなるし、逃げ出していないかの監視をする必要があるはずだ。だったら、ここの奴が顔を出している可能性が高くなる……と思う」  ナイトの説明に、「可能性としてはありだな」とノブハルもその考えに同意した。そしてナイトの仮説を確かめるため、アルテッツァに監視情報を確認することにした。 「不動産屋の従業員の行動は記録しているか?」 「ご指示のあった時間からなら」  姿を現すと問題になるので、アルテッツァは音声だけでノブハルとナイトの相手をした。 「次の行動をしたものを教えてくれ。一つは、一人でどこかの倉庫に行った者。そしてもう一つは、大量の食料を手配した者だ」  ノブハルの問いに、アルテッツァはすぐに答えを提示した。 「食料を手配した者に該当者がいました。食料の配達先は、プルマン地区の東側にある貸し倉庫です。配達指定時刻は、今から1時間後になっています。豚肉200kg、牛肉200kgと言う量です。骨付きの枝肉という指定になっていますね」 「その貸し倉庫ってのは、冷凍施設があるのか?」  その答えによって、400kgの骨付き肉の購入目的が分かることになる。ナイトの問いに、アルテッツァは「倉庫の区分上ありませんね」と答えた。 「つまり、すぐに消費することが前提ってことだな」  よっしゃと小さく呟いたナイトに、「仕掛けるのか?」とノブハルは尋ねた。 「いや、現場を確認する。お役所仕事ってのは、何事も確証が必要なんでな。そして不必要に物を壊すと、その損害は俺持ちになっちまうんだ」  慎重に行くと答えるナイトに、「面倒だな」と言うのがノブハルの正直な感想だった。ただアコリ駆除は自分の仕事でないので、そちらの作業には手を出さなかった。 「奴らが動くとしたら、目立たない夜のはずだからな。今晩から張り込みをしてみるつもりだ」 「それは自由にしてくれと言うのが俺の答えだが……いざと言う時、お前一人で大丈夫なのか?」  支援が居るかと聞かれ、ナイトは多分大丈夫と自分の左腕を擦った。 「足も大丈夫だから、いざとなったら逃げ出すことにするさ」  したがって、支援を考える必要はないはずだ。気遣いに感謝すると口にして、ナイトは目立たないように頭を下げたのだった。  教えて貰った倉庫に付いたのは、配達指定時刻の10分前のことだった。目立たない場所に身を隠したナイトは、広い通りに接続された入り口を見張った。配送である以上、必ず受け取りの手続きが必要となる。その様子を見て、関係者の割り出しを行えばいいと考えたのである。  そして待つこと10分、小さな冷凍コンテナを持ったトラックが近づいてきた。倉庫の敷地内で方向転換をしたトラックから人が降り、入り口の呼び鈴で荷物の到着を連絡した。その連絡と同時に、倉庫のシャッターが音を立てて開き始めた。そして中から、荷物を受け取るためのフォークリフトがモーター音を響かせ現れた。 「まあ、400kgの荷物を受け取るんだからな」  フォークリフトぐらい無いととナイトが納得した時、フォークリフトが塊の乗ったパレットを引っ張り出した。そして中に入れる前に、運転していた男が配送業者に受け取りの手続きをした。  帽子をとって挨拶をした配送業者が車を出したのを見計らい、もう少し見やすい場所に位置を変えた。 「中も、普通のシャッターだな」  冷蔵庫や冷凍庫のような、物々しい扉は付けられていない。冷凍の枝肉を保管する倉庫でないのは確認することができたことになる。  ただそれ以上の確認は、シャッターを閉められたのでできなくなった。外から見られるのを恐れたのか、さもなければアコリが逃げ出すのを防ぐためなのだろう。 「中を確認できればいいんだが……」  見た範囲で、倉庫に明り取りの窓は付けられていなかった。そして入口近くには、監視用のカメラが付けられている。それを見る限り、こっそりと中を確認するのは無理があることになる。 「仕方ねぇ。奥の手を使うか」  そこでアルテッツァと、ナイトは「奥の手」を呼び出した。その呼出に応じて現れたのは、鹿撃ち帽にマントを羽織ったアルテッツァだった。しかも手には虫眼鏡と、理解するのが困難な小道具を持っていた。 「はい、ナイト様」 「格好を突っ込んだら負けなんだろうな」  小さくため息を吐いてから、「中を調べられるか?」と尋ねた。 「つまり、直接潜入調査をしたいのだと?」 「アコリの巣に一人で入りたくねぇよ!」  すかさず言い返したナイトに、アルテッツァは少し残念そうにデーターを示した。 「私のプローブを入れていませんから、外部から分かる範囲でお知らせします。X線で確認した範囲では、1mぐらいの大きさをした生物が61匹うごめいています。それから、2mを超える大型が1匹居ますね」 「ニダーも潜んでいるってことか」  表情を険しくしたナイトに、「可能性としては」とアルテッツァは認めた。 「どうされます? ノブハル様に支援を求められますか?」  戦力不足を補うには、今はノブハルを頼る以外の方法がなかったのだ。それを持ち出したアルテッツァに、「頼れるのか?」とナイトは聞き返した。 「流石に、仕事を優先すると思いますよ」  その答えはいいのだが、不安そうな顔はして欲しくない。とりあえず連絡をと、ナイトは依頼した。 「さて、出てきたついでで悪いんだが。ちょっと意見を貰いたい」 「私にですかっ!」  少し驚いたアルテッツァは、「光栄です」と喜んだ。 「どうも、最近当てにされていない気がしていて……それで、何について意見が必要ですか?」  俄然やる気を出したアルテッツァに、「襲撃のタイミングだ」とナイトは切り出した。 「コーギス信者の奴も、意味もなくアコリを飼ってる訳じゃないだろう。だとしたら、いつアコリを利用するのかと言うことだ」 「なるほど、私の分析をお聞きになりたい訳ですね」  うんうんと大きく頷いたアルテッツァは、「まず」と言ってびしりと指を1本立ててみせた。 「食肉400kgを購入するのは、流石に負担が重いと思います。不動産屋が組織的にやっているのでなければ、それが個人負担と言うことになりますね。400kgが何日分になるのかは分かりませんが、さほど長くは保たないと思います。だとすると、いつまでも餌を供給することはできないと思います」  餌の供給問題から提示したアルテッツァは、次にと倉庫の中にいるアコリの数を問題とした。 「そこそこ広い倉庫ですけど、生き物を長時間閉じ込めておくには広さが不足しているかと思います。つまり、これ以上アコリを増やすことは考えられません。アコリの数的には、必要数量が集まったと考えるのが自然なのかと思います」  「そしてぇ」と、アルテッツァは指を三本立ててみせた。 「3つめの条件として、アコリ駆除が特旋に依頼されたと言う事実があります。5件中4件を取り下げさせたとは言え、目をつけられたと言う意識はあるはずです。だとしたら、駆除のハンターが派遣されてくる前に決着をつけようと考えても不思議ではありません」 「つまり、今夜襲撃が有ってもおかしくないと言うことか」  自分の答えを先取りされたアルテッツァは、「見せ場を取らないでください」とナイトに文句を言った。 「ええ、敢えて時間を置くことに意味がなければですけどね。レックス様のご家族が取り下げない限り、危険生物駆除のエージェントが派遣されてきます。先延ばしをすることで、計画が明るみに出るリスクが増すことを考えれば、今のうちにと考えてもおかしくありません」 「確かに、その可能性は高いな……」  流石にまずいと言うのが、ナイトの正直な気持ちだった。ダムの時と言い、これまでの経験が覆される事態が続いていたのだ。しかも今回は、住宅地と言う厄介な場所が舞台となっている。 「それから気づいていないと思いますけど。ここは、レックス様のご両親の家に近い場所にあります」 「宇宙軍の士官の息子がいる家か。格好の目標になってくれるな」  やめてくれと左手で顔を覆ったナイトは、「支援依頼を」とアルテッツァに告げた。 「とりあえずノブハル様からです。彼女を連れて行ってもいいかだそうです」  その答えに、「なんでだ」とナイトは天を仰いだ。アコリの規模が伝わっていれば、どれだけ危険な任務か分かりそうなものなのだ。そこに彼女……たとえ「特旋」の女性とは言え、連れて来ていいとは思えなかった。 「やっぱり、ナイト様は常識的な方ですね」  安心しましたと笑ったアルテッツァは、「心配はいらないと思います」とナイトに教えた。 「ノブハル様にも、腕利きの護衛がついていますからね。リュースさんには及びませんが、ニダーぐらいなら素手で殴り殺せます。その他にも、ノブハル様にはとっておきがありますからね」  だから大丈夫と言われ、ナイトは別の意味で頭を抱えた。 「分かっちゃいたが、本当に何でもありなんだな……」  深すぎるため息を吐いてから、「別に構わんと答えてくれ」とアルテッツァに指示を出した。 「さて、ここから俺は動けなくなってしまった訳だ」  そこで引っ掛かりを感じたナイトは、もう一度倉庫の方を見た。 「車が残っているな……まだ、不動産屋の奴は倉庫内に居るってことか」  それも証拠と、ナイトはデーターを追加していった。こうしたデーターを残しておくことで、後からのトラブルを回避することができる。危険生物駆除のエージェントになった際、くどいほど教えられたことである。 「餌をやるためだけに、こんなに時間を掛けるものか?」  そう考えてから、ナイトはなるほどと頷いた。アルテッツァの意見通り、今夜決行される可能性が高まったと考えたのだ。 「ますます、ここを動けなくなっちまったな」 「そんなナイト様に、メイプルさんから差し入れです」  アルテッツァの言葉と同時に、大きめのピクニックバッグが送られてきた。一体何ごとと開けてみたら、飲み物の入ったポットに、サンドイッチのようなものが入れられていた。 「食い物はいいんだが……なんだ、このパンツみたいなのは?」 「成人用紙おむつですね。恐らく、トイレに行けないからと気を使ったのではありませんか? あっ、携帯トイレの方が良かったですか?」  楽しそうに答えるアルテッツァに、「携帯用の方を」とナイトは遠慮がちに答えた。どっちもろくでもないのだが、まだ携帯用トイレの方がマシに思えたのだ。 「我慢しすぎて、膀胱炎にならないように……と言う伝言がありました」 「ああ、気をつけることにするさ……」  無表情になって答えたナイトは、「冷えないといいな」と日の傾いた空を見上げた。  張り込みなど一人でするものではない。携帯用トイレの箱を積み上げ、ナイトは単独行動の失敗を反省していた。ただ携帯用トイレのお陰で、倉庫から目を離さずにすんだのはありがたかった。時折中から男が顔を出すのだが、車の中を覗いてすぐに中に戻っていった。  差し入れが有ってよかったと安堵した時、ゆっくりと正面のシャッターが開き始めた。時計を確認したら、すでに夜の11時を過ぎていた。ある意味予想通りなのだが、問題はノブハルが来ていないことだった。流石に一人じゃまずいと焦っていたら、「遅くなった」と後ろから無愛想な声が聞こえてきた。ようやくお出ましかと振り返った先には、シシリーを左腕にぶら下げたノブハルが立っていた。 「……本当に連れてきたんだな?」 「まあ、危ないことはないからな。あとは、証人は多い方がいいだろう」  だからだと答えたノブハルは、「この微妙に臭い箱は何だ?」と傍らに積み上げた簡易トイレを指さしてくれた。 「か、簡易トイレだっ! 仕方ねぇだろう。ここから離れるわけにはいかなかったんだからなっ!」  悪いかと感情的になったのは、そこにシシリーが居るのが理由である。 「そうか、だったら始末をしてもいいんだな」  そこでパチンと指を鳴らしたら、積み上げられていた簡易トイレが姿を消した。 「どこかに送ったのか?」  それも嫌だなと思ったナイトに、「原子にまで分解した」とノブハルは答えた。 「ほとんどが水素、酸素、炭素だからな。そこまで分解すれば、影も形もなくなってくれる」  その程度だと答え、「いよいよか」と倉庫の方を指さした。 「ああ、餓鬼の進軍が始まるらしい」  開いた倉庫の扉から、ぞろぞろとアコリが姿を表した。そこまでは予定通りだったのだが、最初の情報よりもニダーが多いことに気がついた。 「どうやら、中で増やしたみたいだな」 「お陰で良いデーターが取れたのだが……ざっと見て、アコリは100程度か。なるほど、問答無用で殴り殺したくなる見た目をしているな」  エラの張った、釣り上がった細い目をした醜悪な生物に、ノブハルは心からの嫌悪を示した。特に気に入らないのは、その醜悪な顔でニダニダと笑っていることだった。 「証拠の方はとっているのか?」 「ああ、倉庫の扉が開いて、そこからアコリが出てきた。倉庫の管理者が誰かを考えれば、不動産屋は言い逃れできないだろうな」  あんたも証人だと言われ、真面目な顔でシシリーは頷いた。 「さて、外に出すと後始末が厄介だな」 「そりゃあ、そうだが、俺とあんたであそこに飛び込むのか?」  少し嫌そうな顔したナイトに、ノブハルは「いや」と首を振った。 「サラマー、ようやくお前の出番だぞ」 「なにか、生理的に嫌なんですけどね……」  そう言って現れたのは、赤い髪を短めにカットした女性だった。燃えるような赤い髪と精悍な顔つきに、リュースと同類かとナイトは理解した。 「まあ、飛び込む前に新兵器を試してみるか」  そう言って左腕を掴んだナイトは、ずるっと言う感じで表面の部分を引き抜いた。引き抜かれた下から、鈍い輝きを放つ銃のようなものが顔を出した。 「それが新兵器か?」 「メイプルが言うところによると、コミックのヒーローを参考にしたらしいな」  現れた銃口をニダーに向けたナイトは、銃を連射するイメージを思い浮かべ、「行け」と心の中で念じた。その思いとほぼ同時に、銃口からは銃弾ではなく、質量のない光線が打ち出された。そしてナイトが念じたとおり、発射された光線は3匹のニダーの頭に大穴を開けてくれた。 「なかなか面白い武器だな」 「驚いた。こんなに威力があるとは思っても居なかったぞ」  こりゃあ面白いと調子に乗ったナイトは、アコリ達の正面へと進み出た。そして次々と、居並ぶアコリを撃ち殺していった。 「私の出番が無いのですけど?」  せっかく手助けに来たのに、このままだと自分の出番がなくなってしまう。その分楽でいいのだが、自分の役割に疑問を感じてしまったのだ。  そんなサラマーに、ノブハルは「あれ」と言って腰を抜かしている男を指さした。 「重要参考人だ。今のうちに確保しておいてくれ」 「流れ弾を食らっても大丈夫なように、機人装備を装着した方が良さそうですね」  直ちにと言い残し、サラマーは倉庫の入り口へと空間移動をした。そして軽く首筋に手刀を当ててから、首謀者の男を確保して戻ってきた。見事な手際のお陰で、時間にして1秒も掛かっていなかった。 「重要参考人になるのだが、これで十分か?」  そこでシシリーを見たのは、報告書作成のことを考えたのである。そこで「ちょっと待ってね」とシシリーは男の胸元から身分証を引っ張り出した。 「ええ、身元の確認もできたから大丈夫ね。後は警察に引き渡せばいいんだけど……」  そこでシシリーが心配そうに見たのは、嬉々としてアコリを撃ち殺しているナイトの方だった。流石にこれだけの数ともなると、叫び声だけでもかなりの音量となる。気味悪がった近隣住民が、警察に通報する可能性もあったのだ。  警察が来ること自体は問題ないのだが、それにつられて住民が集まってくる可能性があった。その時に何が起こるのかと言うと、首謀者に対しての私的制裁と言う奴である。グリーンシード不動産の者と知られたら、住民が過激化する可能性があったのだ。  そして動くものが居なくなったのと同じタイミングで、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。予想どおり警察のお出ましなのだが、同時に人の話し声も聞こえてきた。 「危惧したとおり、住民が集まってきたな」  明かりの方を見ると、人影がチラホラと見えるようになっていた。ただ近づいてこないのは、安全かどうか分からないからだろう。  ただナイトは、周辺の状況はどうでもいいようだった。倉庫の外に動くものが居なくなったのを確認すると、警戒しながら倉庫の中へと入っていった。そしてすぐに、「最悪だなと」倉庫から出てノブハル達のところに戻ってきた。 「中に、女性の死体が10ほど転がってる。一応証拠は撮ってきたが……」  そこでシシリーの顔を見たのは、あまりにも衝撃的すぎるからだろう。少し顔を青くしたシシリーは、「特旋」の職員ですよと気丈に答えた。 「アコリのおもちゃにされたと言うことですか。データーを見せて貰えますか?」 「大丈夫なのか?」  確認したナイト自身、気分が悪くなるものを感じていたのだ。それを「特旋」の職員とは言え、年若い女性に見せていいのか分からなかったのだ。ただ自分を気遣うナイトに、「大丈夫です」とシシリーはデーターの提示を求めた。 「だったら仕方がないか……」  ほらよと渡された標準装備のカメラから、シシリーは必要なデーターを表示させた。途端に顔色を悪くしたのだが、自分が言ったことだと、我慢しながら被害者の状況を確認していった。 「この程度の破損状況なら、身元の照会は難しくなさそうですね」  もういいですとカメラをナイトに返してから、「ちょっとごめん」とシシリーは物陰へと駆けていった。どうやら我慢も限界を迎えたのだろう。ただそれにしても大したものだと、ナイトはシシリーを見直していた。  シシリーが胃の中物を吐き出して戻ってきたのと、警察の車両が現れたのはほぼ同じタイミングだった。そして警察の車両が現れたのに合わせ、周辺の住民も倉庫のところに集まってきた。 「ナイト・ブリッジ。「特旋」からの依頼で、危険生物駆除を実行した」  こう言ったときの対処は、プロが行うのが一番だった。だからナイトは、集まった警官に身分証を示し、役所の仕事であることを示したのである。  シルバークラスの認識票と、おびただしいアコリとニダーの死骸を見れば、この状況の説明は付いてくれる。「事情は了解しました」と敬礼をしたリーダーらしき警官は、「首謀者は?」とこの事件の首謀者のことを尋ねた。 「首謀者を確保したらどうするつもりだ?」 「重要参考人……として署の方で聴取を行います」  形通りの答えに、「これでもか?」とナイトは警官の後ろを指差した。そこにはアコリの死骸に怯え、そして怒りを顕にした住民達が集まっていたのだ。 「あんたに首謀者を渡すのは、俺としては異存はないのだがな」  良いのかと問われ、リーダーの警官は「それが職務です」と繰り返した。 「だそうだ。首謀者を引き渡してやってくれ」 「この状況は、あまり気分の良いものじゃないな」  とは言え、法に従って容疑者を確保するのは警官の仕事である。仕方がないと、ノブハルはこっちだと警官を案内した。 「とりあえず、自殺しないように失神させてある。この状態で引き渡せばいいか?」 「ご協力に感謝いたしますっ!」  そう言って敬礼したリーダーに、「もう一つ」とナイトは後ろから声を掛けた。 「中に、女の死体が10ほど転がっている。詳しいことは検死をしないと分からないだろうが、アコリとニダーに弄ばれた上殺されたのだろうな」 「女性の死体……がですか」  ゴクリとつばを飲み込んだリーダーに、「胸糞の悪いことだ」とナイトは告げた。 「現場はあんた達に引き渡す。報告は「特旋」に上げるので、聞きたいことがあればそっちを通してくれ」 「それも了解いたしました……ところで、これだけのアコリとニダーを、あなた方だけで駆除されたのですか?」  警官が緊張しているのは、現場の凄惨さだけが理由ではない。多くの死体が転がっているのに、そこには男が2人しか居なかったのだ。他にも女性が居たが、いずれもアコリ駆除ができるようには見えなかった。自分達ではとても真似することはできない手際に、純粋に尊敬の念を覚えたと言うことだ。 「まあ、そう言うことだな」  それ以上の説明をせず、「任せていいか」とナイトは聞き返した。そして「ご苦労様でした」と居合わせた全員に敬礼をされ、「帰っていいそうだ」とノブハル達に声を掛けた。 「あんたらは、帰って続きをするんだろう?」  だから早く帰ろうと、ナイトは遠巻きにする人だかりの一方を指さした。 「ああ、まだまだ夜は長いからな」  ノブハルはノブハルで、顔色を悪くしたシシリーの肩を抱き寄せた。気丈に振る舞ってはいるが、ケアが必要だと考えたのだ。  ナイト達が近づいたら、住民達の人垣はさっと割れた。どうやら、これだけの仕事を成し遂げたナイトに、恐怖と言うものを感じてくれたらしい。例外なく驚愕の色を浮かべた住民達の間を、ナイトは二人を連れてゆっくりと歩いていった。それまで居たはずのサラマーは、いつの間にかその姿は見えなくなっていた。  そして人垣を出たところで、ナイトは見覚えのある顔を見つけて右手を上げた。レックスの両親、リチャードとローラが顔を強張らせて立っていたのだ。 「……終わったのか?」 「多分な。コーギス信者が何を考えたのかは、尋問の結果を待つしかないだろう」  そこで後ろを振り返ったナイトは、「そう言えば」とノブハルに肩を抱かれたシシリーを指さした。 「あんたの姪っ子の同僚のはずだ。公共福祉局特殊職業斡旋所の職員様だよ」 「メリタの同僚だと?」  ナイトの紹介に驚き、リチャードはシシリーの顔をまじまじと見てしまった。妻に肘で突かれて失礼だと気づき、「失礼しました」と頭を下げた。 「メリタ・アンジェロの叔父、リチャード・アンジェロと言います。これが家内のローラです」 「あっ、その、メリタの同僚のシシリーと言います」  こちらこそと頭を下げ返したシシリーに、「姪はどうしてます?」とリチャードは尋ねた。 「ええっと、今日は有給休暇をとっていますね。ただ、何をしているのかは聞いていませんが……」  教えるといろいろとまずいので、シシリーはすべてをすっ飛ばした答えを口にした。ただリチャードには、その答えで十分だったようだ。そうですかと頷き、「姪をよろしくお願いします」と頭を下げた。 「いえ、こちらこそ」  そこまで挨拶を済ませたリチャードは、ローラを促して現場に背を向けた。「もういいのか?」とナイトが聞いたのは、他の住人に動きが見えなかったからだ。 「ああ、ここから先は胸クソが悪くなるだけだからな。事件が解決したのなら、そこから先はわしには関係のないことだ」  明らかに嫌悪を表した顔に、ナイトはこれから起きる「胸糞の悪い」ことを理解した。そしてノブハルの顔を見て、「俺達も帰るか」と声を掛け、人気のない方へと歩いていった。空間移動を利用するなら、今はまだ人目につくのは都合が悪かったのだ。  その翌日フェイを連れて出たナイトは、公共福祉局までの短い距離で、2度の職務質問を受けることになった。いくら身ぎれいにしても、幼く見えるフェイを連れて歩いていれば、目立つことこの上なかったのだ。しかもフェイも綺麗にしているので、誘拐を疑われる要素が十分にあったと言うことだ。 「ナイト・ブリッジに、フェイ・シンク……」  そこで身分証を見せられた警官は、最初に身分証の偽造を疑った。この地区に居るのだから、その名前ぐらいは彼らも知っていたのだ。ただ記憶にある姿と、今の姿がどうしても結びついてくれない。偽造を疑うのに足る理由を、彼らは持っていたと言うことだ。 「偽造ではないようだな……」 「これで、理解してくれたか?」  これで良いかと問われた警官は、「その前に」とナイトの左腕を掴んだ。 「ナイト・ブリッジの左腕は義手のはずだが」  手触りからして義手とは思えない。どう言うことだと、警官は警戒を更に強めた。腰の武器に手がかかっているのは、場合によっては力による制圧を考えているのだろう。 「これでも、義手なんだがな……」  苦笑交じりに左の袖を捲り上げたナイトは、右手で左腕を少し捻ってみせた。そしてずるりと、左腕の擬態部分をずりさげた。そうすることで、ずり広がった部分に無骨なメカを見ることができる。 「一応最新型なのだが、義手と言うのが理解できたか?」  恐る恐る触れてみたら、ひんやりとした感触が伝わってきた。それを確認した警官は、「失礼しました」とナイトに敬礼をした。そして、「凄い義手ですね」と見た目と触った感触で区別のつかないナイトの義手に感心してくれた。 「その辺り、技術の進歩って奴なんだろうな」  高かったがなと、一銭も払ってないのを棚に上げて警官を納得させたのだった。  そうやって職務質問を乗り越えたナイトは、福祉局1階で仲間達の洗礼を受けることになった。昨夜の大立ち回りは、すでに関係者の中では知らない者がいないぐらいの評判になっていたのだ。ただ集まった者達は、「ナイトの偽物だろう?」と口々に言ってくれた。 「あのナイトが、そんなに有能なはずがねぇ」  と言うのが、集まった者達の言い分である。色々と否定したいところと文句を言いたいところがあるのだが、言っても無駄なだけだとナイトは3階へと上がっていった。そして相変わらず主が不在の「死の受付」を横目に、シシリーの行列へと並んだ。  昨日より長い45分の待ち時間を超えたナイトは、そのままシシリーに会議室へと連れ込まれた。 「なんか、お疲れに見えるな。どうやら、昨夜はよほど燃えたと見える」  開口一番嫌味を言うナイトに、シシリーは少し目元を引きつらせ、「報奨金を減額するわよ」と脅しの言葉を吐いた。 「朝一から、嫌なニュースを見たからよ」  そう言ってシシリーは、プルマンで起きた騒動のニュースを見せた。エージェントの活躍を報じる記事の横に、警官隊と揉み合う住人の映像が載せられていた。逮捕者10、けが人が50と言う、かなりの騒ぎが起きていた。 「それからこっちも」  そう言ってシシリーが見せたのは、依頼の出ていた他の地区の情報だった。現場に行かなかった住民が、不動産屋に押し寄せたと言うのである。レックスの母親、ローラが言う通りの盛大な手のひら返しが行われたと言うことだ。 「グリーンシード不動産は、事実上営業ができなくなったわ。ただ関係者は、事前に避難をしていて無事だったようだけどね」 「それで、確保された重要参考人はどうなった?」  住民がこれだけ過激な行動をとった裏には、アコリ発生を否定した黒幕と言う事情がある。それに乗った事を棚に上げ、住民達はその責任を不動産屋に押し付けたと言うことだ。 「この状況で、無事でいられると思う?」 「リンチで死んだなんて、記事にはできないか……」  無法地帯だなと、ナイトは心底嫌そうな顔をした。フェイの時もそうだったのだが、彼女の両親が殺されたことはニュースに載らなかったのだ。 「レックスの親父さんが言ったとおりと言うことだな」  本当に胸糞が悪いと吐き出したナイトに、「そうね」とシシリーもその考えに同意した。 「どう見ても、双方のタガが外れているわ。これじゃあ、ますますコーギス信者が過激化するわね」  困ったものだと零したシシリーは、「これ」と言って書類を一枚ナイトに差し出した。 「報奨金の認め……じゃねぇな」  そこで書類に書かれている内容を見てから、「昇格ねぇ」と言って書類をテーブルに投げた。 「ウガジンダム管理棟事件、そして今回のプルマン事件において、あなたの顕著な功績が認められた……と言うことよ。宇宙軍復帰の話が持ち上がる前に、地上軍があなたの確保を考えたってことね」  どうすると聞かれたナイトは、「今更ねぇ」と軍への奉職を否定した。 「それに、どうやって説明するんだ、これは?」  左手を叩いたナイトに、「そうよねぇ」とシシリーも説明できないことを認めた。 「それに、軍に入っちゃうとフェイちゃんは付いて行けないしね」 「ナイト、私を捨てていくの?」  大きな瞳で見つめられたナイトは、「戻らないし置いてかない」と即答した。 「でもナイト、ナイトは私で楽しんでない」 「あら、まだだったの?」  はっきり驚いたシシリーに、「あのな」とナイトは文句を言った。 「だって、フェイちゃんが急に綺麗になったのよ。そう言う事があったと想像しても不思議じゃないでしょ。それにもうすぐ16になるから、本人の同意さえあれば結婚できるしね。てっきりナイトさんって、ロリコンの変態さんだと思ってたわ」  そこでフェイの顔を見て、「フェイちゃん凄く美少女だし」と口元を歪めた。 「頼む、ノブハルと一緒になって俺をロリコンの変態と決めつけないでくれ」 「昨夜燃えたと言われた仕返しよ」  それだけと言い返し、シシリーは「データー」と右手を差し出した。 「これから報告書をまとめるから」 「ノブハルの奴は、あれからなんと?」  データーを手渡しながらの質問に、「色々と喜んでた」と。 「なんだ、新しいプレーでも始めたのか?」  すかさず入れられた茶々に、「違う!」とシシリーは言下に否定した。 「アコリやニダーの出現コマンドの割り出しができたみたいね。これで、ブリー上だったら、どこでも発生直前に検出できるらしいわよ」  なるほどと頷いたナイトは、「神」の探索はと質問を追加した。 「壁にぶち当たっているみたいね。外とのやり取りが、見つけられないみたいなのよ」 「「神」にとっちゃ、ルーチンワークってことか」  先が長いと嘆いたナイトに、「ほんと」と言ってシシリーもため息を吐いた。 「プローブネットワークを壊したくなったって。それぐらいそっちの方は頭を悩ませているみたいね」 「まあ、あんたが慰めてやれば良いんだろうな」  やってるのだろうと言われ、「そこは秘密」とシシリーは口元を歪めた。 「昇格の件、本人の希望により辞退と言うことにしておくわ」  だからここにマークとサインをしてと、シシリーは指さした。そしてナイトがサインをしたのを確認して、昇格書類を封筒に収めた。 「報奨金の書類はすぐに作って提出するから待っててね」 「その辺りは、あんたらを信用しているよ」  じゃあなと会議室を出ていくナイトの後を、フェイは定位置にくっついていった。「どっちかと言えば親子か」と見送り、シシリーは書類を持って立ち上がった。  前回泊まっているので、トラスティは神殿の設備など心得ていた。そして当然のように、藁を固めたベッドの寝心地も知っている。だから「固い」と不平を漏らしたメリタに、「想像がついたことだろう?」と認識の甘さを指摘した。 「そもそも、どうしてお誘いを受ける気になったんだい?」 「なにか、お断りするのも悪いかなぁって気がして……」  そう答えたメリタは、トラスティにしてみれば勘弁して欲しい事を口にした。 「冷静になって考えてみたら、私以外に13人の奥様がいて、大勢の愛人が居るんでしょ。だったら、一人ぐらいは誤差かなって思えてきたし。だから、気にしても仕方がないと言う気持ちにはなったわね」  それにと、メリタはトラスティにキスをしてきた。 「旦那様を満足させてあげられないのは不満だけど……でも、世の中には出来ないことがあることが分かったのよ。私一人じゃ、絶対にあなたを満足させてあげられないわ」  そこで体が持たないと言われるのは、さすがのトラスティも「嫌」だった。ただ嫌そうな顔をしたトラスティに、事実だから仕方がないとメリタは言い返した。 「僕は、帰るつもりだったんだけどね」  穿ち過ぎと答えたトラスティに、「そうだけど」とメリタは少し拗ねたような顔をした。 「レックスにまで、嫉妬全開だって言われたし」 「その程度なら、可愛いものだと思うよ」  今度はトラスティから口づけをして、メリタをゆっくりとベッドに押し倒した。そのまま夫婦の関係に入るのかと思われたのだが、なぜかメリタが「ストップ」と制止してくれた。 「このベッドだと痛いのよ」  膝とか背中とか。そう言われたトラスティは、メリタから離れてごろりと隣に横になった。 「意外に、軟弱だってことに驚いたよ」 「まあ、ちょっと疲れたってのもあるわね。だって、初めて他の星に来たのよ。ほっとしたら、疲れが出てしまったわ」  だから眠くて仕方がないと、メリタは口を手で隠して大欠伸をした。 「夜這いをしても怒らないから」 「そのつもりはないんだけどね」  苦笑を浮かべ、トラスティも欠伸をした。ただ寝る前にと、ヒナギクを呼び出した。 「司祭様なら、就寝前のお勤めをされているわよ」  現れたヒナギクは、いきなり女性関係を論ってくれた。それを「違うから」と否定し、なにか変わったことはとブリーを含めた状況を確認した。 「特にこれと言って……ナイトさんが、新しく仕事を受けたみたいね。今はまだ着手前の調査をされているようよ。シシリーさんの窓口で受付したから、特に問題は出ないと思うけど」  わざわざ「死の窓口」のことを論ってくれたのだが、生憎メリタは速攻で眠りに落ちていた。それを確認して、「あら早い」とヒナギクは残念そうな顔をした。 「ナイト氏のことは良いけど、ノブハル君の方は進んでいるのかな?」 「一部コマンドの解析は終わったみたいね。ただ、外部との通信が見つからないと、そちらは頭を悩ませているみたいね」  その報告に、「外部接続が見つからない?」とトラスティは首を傾げた。 「プローブだと考えたら、外部制御が必要なんじゃないのか?」 「その通りなんだけど……通信をしている様子が見つからないようよ。だから、ノブハル様も頭を悩まされているってことね」  そう言われればそうなのだが、それでもトラスティは疑問に感じてしまった。 「ちなみに、フリートだとその状況は変わるのかな?」 「フリート?」  「ちょっと待って」と、ヒナギクはデーターの照合に入った。ノブハルのデーターがあるので、照合方法に悩む必要がなかった。そして調査に入ってすぐ、「こちらもないみたいね」とヒナギクは答えた。 「ただ、データー自体短時間のものしかないけど」 「もう少し、滞在しなければ分からないと言うことか……」  自分一人ならそれでも良いが、メリタとレックスを連れている以上、あまり他の星に長居するわけにも行かない。それに自分は、ノブハルと違い科学的分析は得意としていなかった。 「だけど、彼女はブリーでの出来事を知っていた。つまり、「神」から、情報を受け取ったことは間違いないことになる。ただその情報ソースは……」  可能性として、その時だけ外部とつながり、情報を受け取ったこと。そしてもう一つは、自分達から情報をもたらしたことが考えられる。だがパンデ受容体に関する遺伝子は、この中ではメリタしか持っていなかった。そして彼女は、自分が神降ろしをしたことを知らなかったのだ。 「いやいや、彼女の記憶を探れば出来ないことではないか。4日ほど前と言うのは、どうにでも記憶操作はできるだろうし……」  そうやって悩んでいたら、「新しい情報が入ったわ」とヒナギクが割り込みを入れてきた。 「司祭の就寝前のお勤めが終わったみたいね……と言うのは良いんだけど」  少し口元を歪めたヒナギクは、「ビッグママからの情報よ」と問い合わせの結果をトラスティに伝えた。 「中央で学んでいる方は、数が多くて名前を出されても分からないみたいね。ただアルトリアと言う名前と、その方の特徴については、一人心当たりはあるけど派遣されるとは考えられないって」 「派遣されるとは思えない?」  首を傾げたトラスティに、「その方の立場が問題みたいね」とビッグママの答えを伝えた。 「大司祭候補らしいわよ。だから、派遣されたとしても中央付近の神殿に限られるみたい。ゆくゆくは、大司教を期待されている方らしいわね」 「なるほど、エリート中のエリートと言うことか。そのエリートが、よりにもよって田舎のオンボロ神殿の司祭になるとは思えいないということか」  年齢も高いのだろうなと想像したトラスティに、「ちなみに10代だって」とヒナギクは追加の情報を提示した。 「また、微妙な年齢だね……ただ、10代であの色香を出すのは流石に無理だろう」  乙女だと考えると、「清潔な色香」なら理解することはできる。だがアルトリアから感じられたのは、もっと大人の色香だったのだ。流石にないなと、トラスティは別人だと決めつけることにした。 「ちなみに、こっちの情報の方がトラスティ様の役に立つのではって」 「それは、どんな情報だい?」  興味を持ったトラスティに、「貞操について」とヒナギクは脱力ものの答えを口にした。 「当たり前だけど、豊穣神の司祭に処女性は求められていないみたいね。何しろ神様も女性だから、貞操を守る相手がいないと言うのがその理由。ビッグママが仰るには、「安売りだけはだめ」だそうよ。その一方で、素晴らしい相手には「押し売りは可」なんだって」 「だから、アーシアの行動と言うことになるのか……」  あれは押し売りだと考えるのは、間違いなく現実逃避と言うことになるのだろう。ただ現実から逃避していたトラスティに、「気をつけて」とヒナギクが小声で注意をしてきた。 「プローブの密度が急速に上昇しているわ。ただ、相変わらず外部とのやり取りは行われてみたいだけど」 「コマンドパターンは解析できているのかな?」  それによって、次に何が起こるのか想像することができる。警戒したトラスティに、ヒナギクは「アコリみたい」と面倒な相手を教えてくれた。 「どこに、どれだけ発生するのか分かるかな?」 「ごく少数と言うのは確かなんだけど……正確な場所までは特定できないわね。ただ、神殿内と言うのは確かみたい」  部屋数を考えたら、結構な問題に思えてしまう。緊張を顔に出したトラスティは、10剣聖の居場所を確認した。 「ニムレスとギルガメシュは?」 「酔いつぶれてるわね。アコリ程度の殺気じゃ、自分に向けられない限り目を覚まされないんじゃないのかな?」  ヒナギクの決めつけに、役に立たない護衛だとトラスティは苦笑した。ただ2人を叩き起こすには、まだ事情がそこまで差し迫っていない。「この部屋に出るのか」と警戒していたら、別の部屋から「きゃあ」と言う悲鳴が聞こえてきた。この館にいる女性は、メリタ以外は司祭とリュースの2人である。リュースが悲鳴を出すとは思えないので、引き算から悲鳴の相手は司祭のアルトリアと言うことになる。 「やけに都合がいい襲撃なんだが……」  仕方がないと部屋を出たトラスティは、ドアのところに現れた10剣聖2人と出くわした。その辺りはさすがと感心していたら、別の部屋からリュースが「始末したわ」と言って顔を出した。 「アコリが2匹出てきたわね。とりあえず殴り殺しておいたけど……」  そこでトラスティの顔を見たリュースは、「後始末をお願いできますか?」と尋ねた。 「今のままだと、部屋が一つ使えなくなります。ですから物質変換で、死体を始末して欲しいのですが。後は怯えていますので、是非とも落ち着かせて挙げて欲しいと言うところですね」 「とりあえず、状況を確認するか」  10剣聖二人の顔を見て、トラスティはリュースの出てきた部屋へと入った。そして「これは酷い」と頭の潰れたアコリの死体を見た。生き返るのを防ぐためとは分かっていても、もう少し手心が有ってもと思えてたぐらいだ。  早速死体を始末しようとした時、トラスティはアルトリアに抱きつかれた。男3人のうちトラスティを選んだのは、最初に入ったからだとすることにした。よほど怯えているのか、強い力で抱きつかれて苦しかったぐらいだ。脇の空いた夜着からは、豊かな胸がはみ出さんがばかりになっていた。  跳ね除けるわけにも行かないので、トラスティはそのままの格好でパチンと指を鳴らした。たちまち起動された物質変換機能は、正しくアコリの死体を始末してくれた。このシステムだけでも商売になるなと、トラスティはどうでもいいことを考えていた。 「司祭様、もう大丈夫ですよ」  優しく背中を叩き、トラスティはそっと耳元で囁きかけた。ただ背中を叩いたときの感触に、「毎晩この格好で寝ているのか?」と疑問に感じてしまった。白い夜着の下から、下着の感触が伝わってこなかったのだ。ちなみに脇ががら空きなのは、トラスティの位置から見ることは出来なかった。  それからしばらく「大丈夫」を耳とで繰り返し、ようやくアルトリアは落ち着いてくれた。そこで自分がしている事に気づき、ぱっと体を離して両腕で自分を抱きしめるようにした。格好からすると、胸元を隠しているのだろう。ただ問題は、離れてくれたおかげで全身が見えるようになったことだ。胸こそ隠しているが、下も隠した方がと考えてしまった。 「そ、その、恥ずかしいところをお見せしてしまって」  ますます慌ててくれたのだが、気を利かせたリュースがショールを彼女に掛けてあげた。これで、見た目は常識的なところにまで落ち着いてくれた。  そこでベッドにアルトリアを座らせ、「何があったか覚えていますか?」とトラスティは問いかけた。 「そ、その、ベッドに入ったのですがなかなか眠れなくて……それでも寝ようと思ったら、急に何かが部屋の中に現れたのを感じました。嫌な匂いに小さな影を見つけ、思わず悲鳴を上げてしまいました……そこから先は、よく分かっていないんです」  怖かったと声を震わすアルトリアに、「もう大丈夫ですよ」とトラスティは優しく保証した。 「これまでに、こんな経験は? もしくは、似たようなことを聞いたことはありますか?」 「い、いえ、どちらも初めてのことです」  唇を震わせたアルトリアに、これ以上は無理だとトラスティは諦めた。そしてリュースを見て、「付いていてくれるかな?」と尋ねた。この状況で、一人で寝るのは難しいだろうとの配慮である。とても常識的、そして角の立たない指示に、「それじゃだめでしょう」とリュースは反論した。 「私じゃ、司祭様も安心できないと思いますよ」  ですよねと顔を見られ、アルトリアは震えながら「そこまでは」とリュースの指摘を否定した。 「それに、トラスティ様のご迷惑になるのかと」  血の気が戻り、赤みが差した顔で言われれば、彼女の希望がどこにあるのかは理解できる。ただトラスティとしては、「妻」の安全も考えなければならなかった。  だから「妻が」と言おうとしたのだが、「奥様はお任せを」とリュースに先手を取られてしまった。そして先手を取ったリュースは、「ですよね」と10剣聖2人を見た。 「我らがお仕えするお方だと考えております」  ニムレスは分かるが、どうしてギルガメシュまで聞き分けが良くなっているのだ。解けない疑問を抱えたトラスティに近づき、リュースは「不自然ですよね」と耳元で囁きかけた。  少し目元を動かしたしたトラスティに、「お楽しみを邪魔しませんよ」と口元を歪めて出ていった。そして2人の10剣聖も、万全の守りをと頭を下げて出ていってくれた。これで、トラスティはアルトリアの部屋に残らざるを得なくなってしまった。  どうしてこうなると息を吐いたトラスティに、「ご迷惑をおかけします」とアルトリアは頭を下げた。ただ先程までと違い、ガードは最大限に緩められていた。おかげで胸元などは、とてもけしからん状態になっていた。目の毒どころか、このまま狼になってもおかしくない状況が作られたのである。しかも下の方もまた、とてもけしからん状態なのだ。ボリュームたっぷりの豪華料理が、据え膳として眼の前に据えられていた。  そこでもう一度ため息を吐いたトラスティは、「何をされたのですか?」とアルトリアに尋ねた。 「何をとは、なんのことを仰られておいでですか?」  事情が分からないと首を傾げたアルトリアに、「アコリのことです」とトラスティは告げた。 「これは、偶然に発生したとは思えない。明らかに、あなたの部屋に召喚されたものだ」 「意図的な召喚だと? 流石に、考え過ぎではありませんか」  意図的なものを否定したアルトリアに、「でしょうか?」とトラスティは逆に問い返した。 「アコリの召喚には、形代を置くのと「神」への祈りが必要なのだそうですよ。だが調べた範囲で、ここ以外で「神」が注意を払った形跡がないんです」 「お詳しいのですね?」  少し皮肉めいた答えに、「調べましたから」とトラスティは答えた。 「そしてもう一つ、アコリは召喚者を襲わない」  だから何をしたとトラスティは問うたのだと。その問いかけに、アルトリアは綺麗な口元を少し釣り上げた。 「皮肉なものですね。アコリを恐れる私のもとに、アコリが遣わされるとは」  そう口にしたアルトリアは、「10年ほど前のことです」と切り出した。 「まだ幼い私は、里に出てきたアコリに攫われました。穴蔵に連れ込まれ、着ていた服はビリビリに破かれ、アコリは泣きじゃくる私をニダニダと笑って見ていました。ただ幼すぎる私ですから、性的な慰め者にならないと考えたのでしょうね。裸で転がる私を、刃物で突いて遊んでいたのです。そこらじゅうを突き刺され、「痛い痛い」と私はただ泣き叫んでいました」  そこでトラスティから視線をそらしたアルトリアは、「そんな遊びはすぐに飽きますよね」と静かに口にした。 「小さな子供に刃物を突き刺し、たくさんの血が流れたのですよ。痛いと叫んでいられるのも初めのうちだけで、そのうち小さく呻くことしかできなくなっていました。意識も薄れ、このまま自分は死ぬのだと、そしてアコリに食われるのだと思っていたんです。そのまま気を失った私でしたが、目が覚めた時には中央にある豊穣神様の神殿で保護されていました。体中包帯だらけになっていましたが、奇跡的に命はとりとめたそうです。豊穣神様のご加護あったのだと、皆さんが教えてくださいました。そこで教えられたのは、私が攫われた翌日に衛生局員の方がアコリを駆除し、私を助けてくださったと言うことです。私を見つけた時には、死んでいるのかと思われたそうです。それからの私は、奇跡の子として豊穣神様の神殿で修業をすることとなりました。そして、将来の大司教になるべく、厳しい教育を受けてきたのです」 「ビッグママが仰るには、修行中の女性は分からないが、自分の知るアルトリアと言う方は一人しかいないと教えてくださいましたよ」  静かに語ったトラスティは、「何をされたのですか?」と繰り返した。 「こんな事を言うと、きっと奇異に思われることでしょう。ですが、あなたのことを思うと、胸が張り裂けそうになってしまうのです。罪深いことだと思いながら、あなたに抱かれる妄想を抱いてしまうのです。夜のお勤めでも、そしてベッドに入ってからも、どうしたらあなたに抱いていただけるのか。そればかりを考えていました。ですが、いくら思いが募ろうとも、奥様とお休みになられている部屋をお訪ねする訳に参りません。ですから、ただただ思いだけが募ってしまったのです。アコリが現れたのは、私も気づいていたのです。そして小さな頃の恐怖がぶり返し、あのような悲鳴を上げてしまいました」  自分を抱きしめる真似をしたアルトリアは、「私を軽蔑されましたか」とトラスティに問うた。 「司祭のくせに、殿方に抱かれることを妄想し、あまつさえアコリを呼び寄せてしまう卑しい女だと」 「いえ、少し怖いとは思いましたが……」  トラスティの答えに、「そうですよね」とアルトリアは視線をそらした。 「初めてお会いしたその日に、抱かれることを妄想し、アコリまで呼び寄せてしまうのですからね。トラスティ様が怖いとお感じになるのも、無理のないことかと思います」  申し訳ありませんと謝られたトラスティは、「少し違うのですが」と返した。 「少し違うのですか?」  それは何がと振り返ったアルトリアに、「神が」とトラスティは答えた。 「大司教の道が開かれているあなたを田舎の神殿に送り込むだけでなく、僕に抱かれる夢まで見させた。そしてあなたの言う、はしたない思いまで刷り込んでくれたのですよ。僕は、そのことが怖いと思ったんです。僕が再びここに現れることを予想し、その時の餌としてあなたを用意した。「神」は、一体僕に何をしようと言うのでしょうね」 「豊穣神様が、トラスティ様にですか?」  驚いたアルトリアに、「「神」ですよ」とトラスティは告げた。 「豊穣神でも、知識神でも大本は同じです。そして別の星でも、同じように「神」として認識されています。その神が、明確に僕をターゲットにしたと言う事が分かりました。だから、何をしたいのかと考えたわけです」 「神ですから、距離を超越するのは不思議ではないと思うのですが……」  そこで俯いたアルトリアに、「あなたは」とトラスティは語りかけた。 「信仰を捨てることはできますか? 遠い世界から来た僕に抱かれると言うのは、神の信仰の外に出ることになるのですよ。それができないと言うのであれば、中央で元のルートにお戻りください」 「それが、トラスティ様の譲れない線と言うことですか?」  アルトリアの問いに、「そうですね」とトラスティは認めた。 「あなたの信じる神は、その手を飛び出て宇宙に出ようとする者を許しません。軍勢を送り込み、それでも抑え込めない場合には、直接的にその星を滅ぼします。ここで行われているような強く願うものの願いを叶えるだけなら、僕も信仰を捨てろとは言うつもりはありません。ですが、檻から出ようとしたものを殺し尽くす「神」なら、僕はその存在を否定します」 「トラスティ様が、神を否定されると言うことですか……」  そうですかと頷いたアルトリアは、「私は」と顔を上げた。 「豊穣神様を否定することはできません。それは、これまで私の生きてきた意味を否定することにもなるからです」  だから否定できないと答えたアルトリアに、「お互いの譲れない線が分かりましたね」とトラスティは穏やかに告げた。 「これで、あなたも僕に抱かれる妄想に悩まされることはないでしょう」 「そうなのでしょうが……ですが、こればかりは理屈で割り切ることのできないものです」  ですからと言って、アルトリアは夜着を止めていた肩紐を解いた。ぱらりと白い夜着が床に落ち、まだ若い、そして豊満な肉体がトラスティの前に晒された。流石に恥ずかしいのか、白い肌ははっきりと赤くなっていた。 「それが、アコリに刺された傷ですか?」  体が赤くなったお陰で、あちこちに白い傷が浮かび上がっていた。彼女が小さな頃アコリに攫われ、おもちゃにされた傷が跡として残っていたのである。 「この傷を見た殿方は、あなたが初めてなのです」  興奮からなのか、乳首が豊かな胸の先端で大きくなっていた。息も荒くなり、体臭も匂いを増していた。 「わ、私は、豊穣神様への信仰を捨てることはできません……ですが」  「ですが」と繰り返し、アルトリアは潤んだ瞳でトラスティの顔を見つめた。強烈に発散された色香は、頭がくらくらするほど魅惑的なものだった。 「私は、あなたのことを忘れることはできません」  そう言って、アルトリアはトラスティの胸に飛び込んでいった。 「それが、あなたに刷り込まれた感情でも?」  それを受け止めたトラスティは、アルトリアの耳元で冷静に言い返した。アマネにまさるとも劣らぬ色香でも、それだけではトラスティの心を絡め取る事はできない。 「今、この感情は私だけのものです」 「あなたを壊すことは本意ではないのですが……」  それが必要ならと、トラスティはアルトリアの顎に手を当て自分の方を向かせた。そしてゆっくりと唇を重ね、藁を重ねた硬いベッドに彼女を押し倒した。 「私を壊してくださるのですか?」  存分にと、アルトリアはトラスティを受け入れたのだった。  気がついた時には、外が明るくなっていた。そしてニムレスとギルガメシュが、牛の世話をしに部屋を出ていく音が聞こえてきた。もうそんな時間かと、トラスティは最後の仕上げに掛かった。何度も何度も達しさせ、それでも気を失うことを許さなかった。しかも快楽と苦痛の境目ギリギリのところで、ひたすらアルトリアを責め続けたのである。マリーカやアクサ、アルテッツァを壊した時以上に念入りに、そして優しく、同時に激しくアルトリアを壊していったのである。  トラスティから吐き出されたものが中を打った時、アルトリアは折れてしまうのかと思うほど背中をそらした。そしてそのままの姿で、細かな痙攣を繰り返した。ゆっくりとトラスティが離れても、アルトリアはそのままの格好でいた。そしてトラスティが離れてしばらくして、ゆっくりとその体から力が抜けていった。  流石にトラスティ自身、かなりハードだったことは間違いない。アルトリアから離れたトラスティは、大きく息をして呼吸を整えた。そんなトラスティに、報告よとヒナギクが現れた。 「先程からプローブ密度が高まっているわね。データーからすると、以前のメリタ様と同じ状態だと思うわ」 「つまり、「神」が彼女の体を利用しようと言うのだね」  起き上がったトラスティは、傍らで痙攣を続けるアルトリアを見た。白い体のあちこちが赤くなり、薄っすらと傷が浮かび上がっている。豊かな胸は激しく上下に揺れ、酸素を求めるように口は大きく開かれていた。  いささか危なく見える状態が続いた後、アルトリアの状態は急速に落ち着いてきた。そして呼吸も正常状態に戻ったところで、それまで閉じられていた瞳が急に開かれた。ただ開かれはしたが、その瞳は遥か遠くを見つめているように見えていた。 「出てくるタイミングを間違えたようだね」  二人の交わりの影響を受けたのか、目を開いたアルトリアからは言葉は出てこなかった。ただ掛けられた言葉に反応したのか、視線がゆっくりとトラスティの方へと向けられた。それから何度か口が動いてから、「あなたは何者なの」と言う言葉がようやく紡ぎ出された。 「君は、僕達が「神」と呼ぶものなのかな?」 「同じ質問を、私は別の場所で聞いている……」  そこまで口にしてから、メリタの体は空気を求めて激しく喘ぎ始めた。もう去ったのかとトラスティが考えたところで、再び彼女の息が落ち着いた。 「あなたは、アクシズβに居た人?」 「アクシズβ?」  聞き慣れない名前に首を傾げたトラスティに、「ブリーだったかしら」と「神」は言葉を付け足した。 「それなら、僕だね」 「そう」  小さく「神」が答えた次の瞬間、再びアルトリアが空気を求めるように激しく喘いだ。 「コスモクロア、彼女を落ち着かせてくれ」  畏まりましたと現れたコスモクロアは、すぐにアルトリアに光の玉を置いた。それが体に吸い込まれたところで、喘いでいたアルトリアの息が落ち着いてきた。 「今回ばかりは、やりすぎを責められませんね」  「神」を呼び出すための方策だと考えれば、流石にそれを責めるわけにもいかない。それでも「責任は取らないと」と言い残して、コスモクロアは姿を消した。 「ヒナギク、なにか分かったことは?」 「外部接続を確認することができたわ。ただ、ノブハル様が見つけられなかったのも無理は無いと思うわ。フリートの外にあるプローブと、フリート内のプローブは直接通信を行っていないから。ううん、コミュニケーションは取られているんだけど、その方法は量子伝達法とでも言うのか、離れた2点間で、共鳴のような形で情報が共有されてるのよ。プローブ間の通信とは、全く異なる方式と言うのは確かね」  そう説明されたのだが、トラスティにはさっぱりその意味が理解できなかった。「悪いけど分からない」と苦笑したトラスティに、「でしょうね」とヒナギクもそれを認めた。 「私達が「ノイズ」を感じたと言ったことを覚えてる? 実は私達の感じたノイズは、ノイズではなく情報だったと言うことよ。サラさんが居れば分析できるんだけど、今の私の能力では分析は難しいわね」 「それで、情報源を辿れるのかな?」  そちらが肝心と言うトラスティに、「残念だけど」とヒナギクは答えた。 「伝達方法自体が曖昧なこともあるけど、私の観測網はそこまで広がっていないわ。しかもこちらから発せられた情報は、方向に区別なく共有されているのよ。まるで、この宇宙に散らばったプローブが、一つの意思を共有しているみたい」 「それにしたところで、本体はあると思うのだけどね」  宇宙全体が相手だと、それこそノブハルの言うように個別ネットワークを壊したくなる。そんなトラスティに、「否定はしないけど」とヒナギクは答えた。 「探し出すのは、かなり骨が折れるわね」 「もともと簡単だとは思っていなかったよ……」  だけどと、寝息を立てているアルトリアを見た。 「「神」は、一体何をしたいんだ?」 「それに対する答えを持っていないわ。ただ、かつて肉体を持っていた者としての答えなら言えるわね。多分だけど、寂しさを紛らわせたいと思ってるんじゃないの?」  ヒナギクの答えに、「神が?」とトラスティは聞き返した。 「「神」がよ。「神」が私達と同じで、心を持つ存在だとしたら……一人でいることが寂しくても不思議ではないと思うわよ」 「「神」が寂しさを感じていることを肯定できても、僕に対してコンタクトしてくる理由にはならないだろう。因子を持つ女性など、この宇宙には大勢いるし、性的交わりにしても日常茶飯事のことのはずだ」  その事実を考えれば、確かにトラスティの言う通り特殊性は考えられない。そんなトラスティに、「本当にそう?」とヒナギクは異を唱えた。 「この宇宙で最初のお相手だったラクエルさんの時には、「神」は姿を現さなかったわよね。そして次のお相手、メリタさんの時には短い時間ながら「神」がコンタクトをしてきたでしょ。そして3度目となるアルトリアさんの時には、前回以上に「神」はトラスティ様と接触されているのよ」 「その3人に共通するものがあると言うのだね」  それはと考えようとしたトラスティに、「違うわ」とヒナギクは否定した。 「全く違う星に居る3人に、何が共通していたのかと言うことよ。二度目の接触の時、あなたと似た人と会っていると「神」が口にしたわよね。そして今度は、具体的に星の名で確認してきたでしょ。「神」は、異なる場所で接触したあなたを、特別な存在として認識したんだと思う」  そう持論を展開したヒナギクは、「ただし」とトラスティに対して釘を差してきた。 「特別な存在と言っても、男女関係の甘酸っぱいものとは限らないからね。「神」の管理する宇宙に発生した、バグのようなものと考えている可能性もあるからね」 「バグと思われていると考えた方が良さそうだね」  苦笑したトラスティに、「星を滅ぼす存在だからね」とヒナギクは認めた。 「次は、僕自身が狙われる可能性があるね」 「アルトリアさんにしても、その目的で遣わされた可能性もあるのよね。ただ、あなたが「神」の予想を超えていただけで」  さすがはあの方のお子様と言われ、トラスティは馬鹿にされているような気持ちになってしまった。ただ藪を突く必要はないと、「このことをノブハル君へ」とヒナギクに命じた。 「あなたが、新しい女性に手を出されたことを?」  少し口元を歪めたヒナギクに、「違う」とトラスティは声を上げた。 「君が掴んだ、外部との情報交換方法だよ。多分だけど、惑星上のプローブは脳細胞のような役目をしているのだろう? それ自体が独立して思考することができる……違うか、与えられた命令に従って判断し、必要な行動を起こしていると言った方がいいのかな。だから、通常は独立して存在するのだけど、定期的に特異情報がないか上位が吸い上げている……ってところだと思うよ。そしてその方法は、君が見つけた方法と言うことだよ」 「……どうして、いきなりそんな考え方が出てくるのかしら?」  おかしくないと問われ、「そうかなぁ」とトラスティは頭を掻いた。 「大量のプローブが、常に情報のやり取りをしているのだろう。しかも外部との通信が見つからないと言うことは、プローブ群が必要な情報処理をしていると考えるのが普通じゃないのかな? だから、脳細胞のようなものって言ったんだけど?」 「改めて説明されるとその通りなんだけど……科学的素養はなかったはずよね?」  おかしいよねと繰り返されたトラスティは、「科学を無視したから」と嘯いてくれた。 「だから、たまたま似たものを思い出しただけだよ。そうしたら、結構説明がつくのかなってね」  その説明に、アバターの癖にヒナギクはため息を吐いた。 「お父様に似て、あなたも非常識な世界に足を踏み出しているわよね」 「僕は、IotUのような非常識な力は持っていないよ」  だから非常識じゃないと答えたトラスティに、「だといいわね」とヒナギクは含むところのある言い方をした。そして失神したままのアルトリアを見て、「どうするの?」とこれからのことを尋ねた。 「過去の実績からすると、この人は少なくとも2、3日は目覚めないわよ。どう町の人を誤魔化すかと言うこともあるけど、目が覚めるまで出発しないつもり?」  そこまで考えてなかったよねと指摘され、トラスティは思わず顔を引きつらせた。ヒナギクの指摘どおり、壊したあとのことを考えていなかったのだ。 「……どうしたら良いと思う?」 「それを考えるのは、あなたの責任よ」  そんな話まで振らないで欲しい。そう答え、ヒナギクはトラスティを突き放したのだった。  アルトリアの世話役として、ゴースロスからクリスタイプのアンドロイドを呼び寄せることにした。そして急遽タンガロイド社のサーバーにアクセスし、宗教対応汎用ルーチンもインストールを行った。これを行うことで、アルトリアが目を覚ますまでの時間を稼ごうと言うのである。 「ついでに、朝食の準備も頼めるかな」 「畏まりました。では、食材をゴースロスから取り寄せいたします」  完璧な女性を演じるアンドロイドだから、こう言ったことは人よりも手慣れている。だからトラスティは、「任せる」と残してアルトリアの部屋を出ていった。  トラスティが部屋に戻った時には、すでにメリタは目を覚まして身繕いをしていた。そして朝帰りをした夫に向かって、「怒らないとは言ったけど」とため息を吐いてくれた。 「本当にするとは思わなかったわ」 「色々と事情と言う奴があったんだよ」  そこで誤魔化すようにキスをしようとしたのだが、「なにか嫌」と拒絶されてしまった。 「あの人の匂いがプンプンと匂ってくるのよ。もう少しデリカシーがあっても良くない?」 「ここはね、シャワーを浴びるのも簡単じゃないんだ」  そう嘯いてから、トラスティは少し強引にメリタを引き寄せて唇を重ねた。初めは嫌がってたメリタも、すぐにトラスティを受け入れた。 「やっぱり、水浴びでもしてきた方が良いわよ」  凄く匂うからと、メリタはトラスティの胸を両手で押した。そこで右腕を鼻に当てたトラスティは、「本人には分からないか」と苦笑してから指をパチンと鳴らした。ノブハル謹製の衣装チェンジシステムを使えば、シャワーを浴びた効果も期待できたのだ。少しパリッとした格好に着替えたトラスティは、「これでも匂うかな?」ともう一度メリタを抱き寄せた。 「本当になんでもありなのね……」  呆れたと口にしてから、「いろいろな事情って?」と朝帰りの理由を尋ねた。 「まず、君が寝てから彼女の部屋に2匹アコリが出た」  いきなりの話に、「ちょっと!」とメリタは慌ててくれた。 「アコリ自体は、リュースが迅速に始末したよ。そして僕がこれで、跡形もなく消しておいた」  指を鳴らす真似をしたトラスティに、「ああ」とメリタは頷いた。 「あの人がいれば大丈夫ですね」  もの凄く強いからと。そのもの凄く強い人が3人揃っていることには気づいていないようだ。 「ところで、初めて会った日なんですけど、どうしてそれを使わなかったんですか?」  それと言いながら、メリタは指を鳴らす真似をした。 「誰の目が有るか分からないからね。コーギス信者だと思われたら大変だろう?」 「そう言えば、「奇跡」と思われたら面倒ね」  なるほどと納得してくれたので、トラスティは話を続けることにした。 「僕としては、リュースに任せて部屋に戻るつもりだったんだよ。だけどリュースを始め、全員が彼女の面倒を押し付けてくれたんだ。だから、残らざるを得なくなった……と言うことなんだけど」  分かると聞かれ、「分からない」とメリタは首を横に降った。 「あなたの気持ちを忖度したんでしょう?」 「そう言うことにしてくれればいいよ」  はっと息を吐き出したトラスティは、「そこで彼女の身の上話を聞かされた」と打ち明けた。 「そもそも部屋に現れたアコリは、彼女が呼び出したものなんだよ。別にアコリである必要はなかったのだろうけど、「神」がアコリを選択したと言うことだね。だから放置しておいても、彼女に危害が加えられることはなかったんだ」  その説明に、「どうして」とメリタは口にした。ただトラスティの答えを待たず、「どうしてもないか」と自分の言葉を取り消した。 「何もなければ、普通に寝て朝を迎えてしまうからか……実際に、あなたが彼女の部屋に現れたわけだしね」 「そうだね、何かの事件が必要だったと言うことだよ」  小さく頷いたトラスティは、「神」が接触してきたことをメリタに教えた。  そこで意外だったのは、「神」の接触に対してメリタが驚かなかったことだ。 「やっぱりそう言うことなのね」 「やっぱり?」  驚いたトラスティに、「夢を見たの」とメリタは答えた。 「アルトリアさんになって、あなたに抱かれている夢をね。以前には、長い黒髪の美女の姿であなたに抱かれた夢を見たこともあるの。だから、やっぱりなのかなと思ったのよ。ただ今朝のは、ちょっと凄すぎて体が保たないなぁって……」 「君にも影響を与えたってことか……」  ううむと考えたトラスティに、「もう一つ」とメリタは夢のことを付け加えた。 「あなたと話をしている夢も見たんだけどね。もう支離滅裂って言うか、頭の中が沸騰した状態だったわ。とても冷静ではいられない感じで、いきなりシャットダウンしちゃったし」  「昨夜しなかったのは正解だった」と言われるのは、妻相手だと嫌だと思えてしまう。ただメリタの話に、新たなヒントが有ることに気がついた。 「惑星ボルへの寄り道が必要になったな……」  この銀河に来て関係した相手で、黒髪美女には一人しか心当たりがない。メリタが同一人物と認めることも重要だが、同じ感覚をラクエルが共有していることを確認するのも重要だったのだ。そしてもう一つ、シャノンに対して警告することも考えていた。  そんな事を考えていたら、「お腹が空かない?」とメリタが聞いてきた。確かにそうだと認めたトラスティは、彼女を連れて食堂に行くことにした。長時間労働は、眠気と食い気の両方を刺激してくれたのだ。  食堂に入ったところで、メリタは「わぁっ」と歓声を上げた。どうせ質素な朝食だと思っていたところに、これでもかと言いたくなるほど豊富な料理が並べられていたのだ。しかもその一つ一つが、どう見ても美味しそうに思えるのだ。もしもアルトリアが用意したのなら、「完敗だ」と思えるほど凄かった。  ただ歓声を上げたメリタとは違い、ニムレストギルガメシュは「どう言うことですか?」とトラスティに迫ってきた。 「アークトゥルスよりマシとは思っていましたが、こんな料理が出るとは思えません! しかも、あのような手伝いが居ると言う話も聞いていないのですがっ!」  「マイン・カイザー」と迫る2人に、「とりあえず冷静に」とトラスティは椅子を指さした。 「朝の仕事後だから、とりあえずお腹が空いているのだろう?」  食事を先にと言われ、2人は渋々……テーブルに着いた。そして出された料理を、猛烈な勢いで貪っていった。見ているだけでお腹が一杯になってしまう。そんな事を考えながら、メリタはスクランブルエッグに手を出していた。 「あの女性は、司祭が呼んだ手伝いなのか?」  うまいなと感心したレックスは、手伝いの正体をトラスティに尋ねた。 「ああ、ゴースロスからクリスタイプのアンドロイドを連れてきたんだ。タンガロイド社のアンドロイドは、あらゆる料理に精通しているからねぇ」  だからと答え、トラスティはベーコンに手を伸ばした。そんなトラスティに、「マイン・カイザー」とニムレスとギルガメシュは声を揃えて再びトラスティに迫った。 「ぜひとも、我らにも支給願います」  そうすることで、食生活が劇的に改善することになる。ギルガメシュはまだしも、ニムレスは良いのかなと、トラスティはビッグママたちのことを思い出していた。 「市販品だから、お金を出せば普通に買えるよ。ただニムレス、君のところはビッグママ達が家事をしているんじゃなかったのかな?」 「理由を口にするのは家庭内の揉め事の理由となります」  だからご容赦をと。そう言って頭を下げたニムレスは、もう一つ重要な事を口にした。 「我ら剣士は、必要なものは皇より与えられております。従って、貨幣経済とは別の生活をしております」  つまり、「買えと言われても買えない」と言うのである。なるほどねと納得したトラスティは、「考慮しておく」と答えを先延ばしにした。 「ところで司祭様の姿が見えないのだが?」  この中では、唯一レックスだけが事情を知らないことになる。それが故の素直な質問なのだが、トラスティより先に「レックス殿」とニムレスが声を掛けた。 「世の中には、知らない方が、そして触れない方がいい話があります」 「これも、その一つと言うことか……」 そこで従妹の顔を見て、「良いのか?」とレックスは声を掛けた。 「ちょっと微妙……」 「微妙なのか?」  普通は浮気を怒るところなのに、返ってきたのは「微妙」と言う期待とは異なる答えだった。 「私相手じゃなくて良かったなぁってところもあるのよ。それに、他にも色々と教えて貰ったし……」  だから微妙だと言うのである。よく分からない答えだなと、レックスは急に物分りの良くなった従妹のことを思った。  色々と不完全燃焼気味の朝食を終えたところで、トラスティはこれからの予定を持ち出した。1ヶ月の休暇をとったレックスは良いのだが、5日間の有給休暇をとったメリタの場合、いつまでものんびりとはしていられなかったのだ。 「今日フレッサを出て、近くにあるボルに寄っていくつもりだ。目的は、そこの代表夫人とメリタを引き合わせることにある。「神」の動きを確認するためと思ってくれればいい」  それは良いかと問われたレックスは、「なぜメリタが?」ととても基本的な事を尋ねた。 「彼女が昔夢で見た女性かどうかを確かめて貰おうと思っているんだ。同時に、あちらが彼女達の夢を見ていないかも確認しようと思ってる」  目的を説明したトラスティは、その後の予定を口にした。 「そこでは長居するつもりはないので、挨拶が終わったらブリーに戻るつもりだ。彼女の有給休暇が終わる前に、ブリーには帰ろうと思っている。そこから先の予定は、ノブハル君とも話をして決めると思う」 「その話、俺も混ぜてくれないか?」  「神」の分析担当なのだから、どんな情報でも無駄になることはない。レックスの主張に、「別に構わないよ」とトラスティはあっさりと許可を出した。そこで「よし」と両手を握りしめたのは、またとない機会を得たと言う喜びからだろう。そんな従兄を、「また縁遠くなる」とメリタは醒めた目で見ていた。 「ところで、アンドロイドを置いていって良いのかしら?」  どうしてと言う理由は分かっているので、リュースはその後の影響のことを考えた。 「クリスタイプなら、神殿の仕事もそつなくこなしてくれると思うよ。それに、働き者だしね。しばらくしたら、回収に戻ってくればいいだろう?」  だから大丈夫と答えるトラスティに、「やっぱり分かっていない」とリュースは心の中で考えていた。  見た目が綺麗で、本物の女性よりも女性らしいと言われるのがタンガロイド社のアンドロイドなのだ。町の男達がどんな反応をするのか、リュースには見えた気がしたのだ。 「確か、クリスタイプにはあっちの機能は付いていなかったわよね」  だったら良いかと、リュースは言葉にしないで納得したのである。  2光年程度の距離は、ゴースロスにとって見れば隣の家に行くようなものだった。速度を光速の100万倍にまで落としても、移動時間は1分程度なのである。そのためボルへの移動より、代表への連絡の方が時間がかかったぐらいだ。  ただ前回のこともあり、ボル代表シャノンはトラスティの訪問に対していい顔をしなかった。だが相手の実力を考えたら、敵に回せないことも理解していた。従って短時間ならとの条件をつけて、彼の執務室のあるビルが指定された。 「じゃあ、フルメンバーで行くことにするか」  実際のところ、ゴースロスの転送装置なら、ボル近傍に移動しないでも空間移動は可能だった。その辺り、主星間近にいた前回との違いである。そして前回と同じ応接に移動したトラスティ達一行は、明らかに表情の固い代表夫婦の出迎えを受けた。  そこでのハプニングと言えば、メリタとラクエルが相手を指差して驚いたことだ。これだけで、トラスティは目的を達成できたことになる。 「ほとんど、目的は達成できたんだけど……」  微苦笑を浮かべたトラスティは、自分以外の一人ひとりを代表夫妻へと紹介した。 「レックス・アンジェロ氏、メリタ・アンジェロさん。2人は、この銀河にある別の恒星系の出身です。惑星ブリーと言うのだけど、今現在「神」との戦いの真っ最中なんですよ」  リュース達までは表情を動かさなかった2人も、レックス達の紹介に「なに」と身を乗り出した。その反応に頷いたトラスティは、「これも目的の一つ」とシャノンに説明をした。 「「神」との戦いの経緯を時間を追って説明すると、ブリーが宇宙開発を始める前後で変わってくる。宇宙開発を始める前は、「神」を信じる者……コーギス信者は、とても穏やかな集団だった。だが宇宙開発を始めるやいなや、コーギス信者はそれに反対し、次第に過激な行動を取るようになっていった。そしてアコリやニダー、オルガを使って、テロと言う形で破壊活動を行うようになりました」  それが地上の出来事と説明し、トラスティは宇宙の出来事を続けた。 「そして彼らがケイオスと呼ぶ、神の差し向けた軍との戦いが始まりました。現在はケイオスを押し返していますが、次第にブリーも疲弊してきています。他に分かっていることとして、大型の小惑星がブリーの衝突コースに軌道を変えました。このままだと、5年後にはブリーに衝突し、惑星上の生き物はすべて死に絶えることになります。もちろん僕たちは、ブリーを守る行動に出るつもりです」  それがブリーの現状と説明し、トラスティは「もう一つ」と焦土となったトリトーンのことを持ち出した。 「以前焦土となった惑星の話をしましたね。その後データー解析が進んだのと、救出した住民の供述から、トリトーンと言う星で何が起きたのかが分かりました「神」と戦うことになった経緯は、ほとんどブリーと同じものでした。ただトリトーンの方が文明が進んでいて、小型の太陽を第4惑星開拓用に開発をしていたのです。そしてその小型太陽が、コーギス信者によって破壊され、トリトーンは焼き尽くされたと言うことです」  提供する情報はここまでと、トラスティは同行した5人に目配せをした。歓迎されていないのは分かっているので、さっさと帰ろうと言うのである。  それを「少し待ってくれ」とシャノンが呼び止めた。そこで座り直したトラスティ達に、「あなたの話を聞いてると」とシャノンは切り出した。 「「神」……私達は、「知覚神」様と呼んでいるのだが、「神」は私達が宇宙に出るのを嫌がっていることになる。だとしたら、なぜ我々の宇宙開発が邪魔されないのだ? お、私にはそこに矛盾があるように思えるのだが?」  自分達は、教えられたような妨害を受けていない。それを持ち出したシャノンに、「開発できていませんよね」とトラスティは言葉の間違いを指摘した。 「今のままだと、あなた達は宇宙に出る技術を失うことになる。だったら、「神」はわざわざ敵を作る必要なんて無いんですよ」  その程度のことだと切って捨てられ、「だが」とシャノンは言い返そうとした。ただ言い返す言葉が出てこないのは、トラスティの指摘が事実だからに他ならない。  身を乗り出して言い返そうとしたシャノンは、「確かにそうだ」と認めて背もたれに身を預けた。 「お、私達は、「神」が恐れるところにまで届いていないと言うことか」 「今は……とお答えしておきます」  気を使ったトラスティに、「一つ教えてくれ」とシャノンは妻の顔を見た。 「最初に、ほとんど目的を達成できたと言ったが。それは、どう言う意味なのだ?」  遭っていきなりそれを口にされたのだから、それが気になると言うのも理解できる。「それですね」とトラスティは、可能な限り当たり障りのない言い方をした。 「遠く離れた星で生まれた2人が、なぜかお互いの顔を知っていた。二人に対する「神」の関与を確認しただけですよ」  とても要点をぼかした、問題になりにくい説明をトラスティは行った。ただその配慮は、シャノンに対しては不要だったようだ。 「重要な要素が一つ抜けているのではないか? いずれの女性も、あなたに抱かれているはずだ」 「波風を立てないように気を使ったんですけどね」  苦笑を浮かべたトラスティに、なぜかシャノンも苦笑を浮かべてくれた。それを訝ったトラスティに、「いやなに」とシャノンは鼻の頭を掻いた。 「お、私達の夫婦仲は良好だ。いや、以前より良くなったと言って良いかもしれない。そのなんだ、その意味ではあなたに感謝をしているのだが……」  いやいやと首を振ったシャノンは、「ところで」と誰かを探すような真似をした。 「金髪の、とてもグラマラスな女性は連れてこなかったのか?」 「昨夜のことも伝わっていた……と言うことですか」  まいったなと頭を掻いたトラスティは、「彼女はフリートの人です」とその正体を説明した。 「僕は、迂闊に妻も抱けないのか……」  そこで顔を見られたメリタは、「困ります」と即答した。ただ自分が何を口走ったかに気づき、すぐに顔を赤くして沈没してくれた。 「この銀河から出ればいいだけなんだけど……後は、ゴースロスなら大丈夫だと思うが」  放送されるなんてと、トラスティはとても嫌そうな顔をした。 「あなたが迷惑と言うのも分かるのだが……ある意味、こちらにも迷惑なのだがな。公務中に、そんな刺激を与えてほしくない」  ラクエルが顔を真赤にしているところを見ると、よほど恥ずかしい目に遭ったのだろう。その苦情は理解できるが、責任は自分には無いと思っていた。 「しかし、「神」は、どうしてそんなマネを?」  性行為を銀河中に広める理由など考えられないのだ。それを疑問に感じたレックスに、「情報伝達の問題」とトラスティは説明した。 「現時点での仮説は、「神」は各星系に自立した自分の縮小コピーを置いていると言うものです。そしてそのコピーは、初期条件に従って各星系での動作を決めている。これまでの情報を推測すると、「神」につながる因子を持った者の強い願いを叶える方向だと思う。そして自分の中で、その星の者が宇宙に出ようと考えたら、それを分析して必要な措置をとるんだ。それがコーギス信者を通しての警告と言うことだよ。そして危険因子が生まれたことを、自分の外側へと発信する。その発信方法が、特定の方向に向けるものではなく、周りに対して大声で騒ぎ立てるようなものなんだ。そうすることで、いつか中央の核に届くと考えたのだろうね。そして僕達のことは、追加の条件として発信内容に追加された……と考えられる」  自分で口にしながら、「やめて欲しいな」とトラスティは考えていた。宇宙進出と男女のこと。明らかに、通報レベルが違いすぎるのだ。「羞恥プレイ」かと、文句を言いたい気持ちになっていた。 「迷惑としか言いようがないな」 「他にも、受信した女性は居るのかな?」  ボソリとつぶやかれたレックスの言葉に、「やめて欲しい」とトラスティは真剣に吐き出した。 「多分だが、その女性もやめて欲しいと思っているぞ」  的確なレックスの指摘に、「そうだろうね」とトラスティも認めざるを得なかった。何しろ見も知らない男との濃厚なラブシーンを仮想体験させられるのだ。一歩間違えたら、事故を起こしかねないことだろう。一番の被害者は、間違いなくその女性と言うことになる。  一通りの話が終わったことで、ボルでの目的は達したことになる。ただ帰ろうとしたトラスティに、「泊まっていかないか?」とシャノンが誘いをかけた。そして妻のラクエルまで、「是非とも」と迫ってきた。  なにか意図が見えた気がして、トラスティは「あー」と天井を見上げた。 「銀河中にばらまきたくないんだけど」 「だが、二人同時ともなれば新しい現象が見られるのではないか?」  夫婦仲と言うより、謎の解明に主題を置くことで、トラスティの逃げ道を塞ごうと言うのだろう。もう一度天井を見上げたトラスティは、被害者の一人メリタの顔を見た。 「私も巻き込まれる訳ですか?」  放送するのはちょっとと、メリタはとても常識的な事を口にしてくれた。そんなメリタに、「ご一緒しませんか?」とラクエルは誘ってきた。 「大丈夫ですよ。夫には手出しをさせませんから」  ですよねと顔を見られ、シャノンはブンブンと首を縦に振った。 「でしたら、私がお手伝いしましょうか?」  仲間はずれはよろしくないと。なぜかリュースが自己主張してくれた。 「ヒナギク、可能な限り観測網を広げてくれないか?」 「やけになってない?」  良いけどと答え、ヒナギクは「2時間ほど待って」と言い残して姿を消した。どうやらトラスティの頼みを叶えてくれるらしい。  そのやり取りを承諾の印と受け取ったシャノンとラクエルの2人は、手を取り合って喜んでくれた。この辺りのやり取りは、エルマーのナギサ夫妻とどこか似ていた。 「いっそのこと、例のチョーカーをしてあげたらどうです?」  リュースの提案に、「それはないから」と言下に否定したトラスティだった。  トラスティからの一報に、ノブハルは問題解決のブレークスルーを得ていた。情報伝達経路を辿れるようになったことで、芋づる式に「神」の居場所が特定できたのだ。それもあって、アリスカンダル近傍に待機させていたローエングリンとその護衛艦を呼び寄せることにした。自らその地に乗り込もうと言うのである。  功を焦るのは若者の特徴とも言えるのだが、ノブハルはトラスティに対して先手を取りたいと思っていたのだ。そしてもう一つ、これまでの調査で「神」の技術レベルが大したことはないと判断したのである。 「宜しいのですか、トラスティ様を待たなくて」  先走るノブハルに対して、アルテッツァはすかさず忠告してきた。だがノブハルは、その忠告に対して「俺にも意地がある」と言い返した。 「それに、いつまでもあの人の引いたレールの上を進んでいては駄目だろう」 「それがノブハル様のご意思であれば尊重いたしますが……」  それでも歯切れが悪いのは、敵の姿がよく見えないことだ。やけに生物的なネットワークを作っていることも疑問だが、トラスティに対してアクセスしてきた理由も不明なのである。そして持っている技術力にしても、今見ているものが全てなのか判断がつかなかったのだ。  そこで情報を横流しにするかと考えたのだが、ノブハルに先手を打たれてしまった。「トリプルAに対して情報の秘匿を」と命じられれば、横流しもできなくなってしまう。 「使い勝手が落ちますが、それでも宜しいですか?」 「多少のことなら我慢する」  やけに自信たっぷりのノブハルに、アルテッツァは逆に不安を感じてしまった。だが皇夫の命令である以上、帝国のシステムとしては従う他は無い。「6時間後に到着します」とノブハルに出発の予定を告げた。  そしてアルテッツァの告げた6時間後、ローエングリン他5隻が恒星ビアンコの宙域へと到着した。そのブリッジに立ったノブハルは、さらなる情報秘匿のためにメイプル号の収容を命じた。遮蔽区画に収容することで、トラスティとの連絡を絶とうと言うのである。命令を受けたローエングリン艦長コスワース大佐は、「直ちに」とメイプル号の収容を命じた。 「メイプル号をキャッチネットで捕捉。本艦遮蔽区画へ牽引を行います。作業完了まで10分です」 「ノブハル様。10分でメイプル号の収容が完了します」  頭を下げたコスワース大佐に、「ご苦労」とノブハルはその労をねぎらった。そしてアルテッツァを呼び出し、航路情報の入力を命じた。 「大規模ガス雲が近傍にありますな」  ソリンケンの後任として着任したコスワースは、前任者と違いエネルギッシュな印象を与える男だった。守備的すぎると批判を浴びたため、攻撃的な男が後任として選ばれたのである。 「情報の伝達方法さえ分かれば、集約地点を探すのも難しくない。ガス雲と言うのは、身を隠すのにはうってつけな場所でもあるからな」  そこまでは解析したと胸を張るノブハルに、なるほどとコスワースは頷いた。 「事前に確認させていただきますが、行く手を遮るものは撃破して宜しいのでしょうか?」 「話が分かりそうに無い奴ならそのとおりだな。それから、連邦軍が戦闘を行った相手の情報は持っているか?」  ノブハルの問いに、「連邦軍から提供を受けております」とコスワースは敬礼をして答えた。 「そいつらだったら、問答無用で撃破していい。いや、後顧の憂いを立つため撃破しろと言うのが正解だな」 「畏まりました。ローエングリン他の火気管制に入力させます」  直ちに手配をとの命令に、ローエングリンのデッキは騒がしくなった。 「航路設定はできたか?」 「メイプル号の収容も完了いたしました。何時でも出発は可能です」  その報告に頷いたノブハルは、小さく息を吸い込んで「出発」と命じた。 「全艦指定航路で出発。予定第1巡航速度で目的地へ移動っ!」 「予定第1巡航速度へ加速しますっ!」  コスワースの命令に従い、ビアンコ宙域から5隻の船が次々と消えていった。シルバニア帝国皇帝ライラの命もあり、いずれも帝国最新鋭艦が派遣されていた。レムニア帝国に張り合うように武装も強化されたため、10倍の連邦軍とも互角に戦えると言う触れ込みがあるぐらいだ。 「アルテッツァ、量子通信は捕捉できているか?」 「ローエングリン出港と同時に、通信が騒がしくなりました。ただ今、通信マップを表示いたします」  こちらにとの言葉に遅れて、UC003の星系図が目の前に展開された。そしてその全体に対して、広がっていく情報が表示されて行った。 「見づらいだろうが、これがコアからの指令になる」  ノブハルが示した場所を注視すると、広がっていく情報が反射されるように見えていた。 「情報が反射されているだけに見えますが?」  疑義を呈したコスワースに、「別の情報を重ねる」と口にし、ノブハルはアルテッツァと呼びかけた。 「はい、ノブハル様」  その答えと同時に、フレッサ恒星系から広がる情報の伝搬がオーバーレイされた。そしてその情報も、先ほどと同じ場所で反射されているのが見えた。 「ここに特異点があると言うのは理解できましたが。これが、「神」のコアなのでしょうか?」 「その候補だと俺は思っている。自律行動している奴にとって、俺達の存在は想定外のイレギュラーだからな。対処のためには、必ずコアから指示が出されるはずだ」 「なるほど、我々の存在はイレギュラーそのものですな」  自分の意見を理解したコスワースに、「到着想定時間は?」とノブハルは尋ねた。 「現在の速度を維持した場合、およそ16時間となります」 「光速の5百万倍か……さらなる加速は可能か?」  ゴースロスを意識したノブハルに、「いかほどにいたしましょう」とコスワースが尋ねてきた。 「亜空間衝撃波を気にしなくて済むのであれば、1億倍でも可能ですが?」  どうすると問われたノブハルは、「面白いな」と口元を歪めた。何しろこの銀河では、宇宙に出る技術を持っているものは限られていたのだ。それを考えると、亜空間衝撃波の被害を受ける者は限られてくる。そして衝撃波の広がる先を考えたら、被害を受けるのは「神」しか居ないはずだ。 「「神」を衝撃波で脅かしてやれっ」 「では、直ちに」  敬礼をしたコスワースは、「最大船速で移動」とクルー達に命じた。 「ローエングリン、最大船速に加速します。目標への到達まで、あと40となります!」 「ロエングリン、最大船速に加速っ!」  一段と騒がしくなったブリッジに頷いたコスワースは、「待ち伏せはありますか?」とノブハルに問うた。 「情報の錯綜状況を見れば、間違いなく「ある」だろうな」  トラスティには教えていないのだが、ノブハルはすでに「神」のネットワークへと侵入していた。情報伝達経路が辿れるのも、「神」のネットワークを利用したからである。奇策を駆使するトラスティに対して、ノブハルは彼なりの正攻法を突き詰めたと言うことだ。もっとも、敵のネットワークをハックするのは、力任せの技には違いないだろう。  ただこの方法のデメリットをノブハルも理解していた。それは、「神」に対して自分達の位置を隠せないことである。だから亜空間衝撃波の発生を気にしなかったとも言える。 「全艦第1種戦闘状態に移行せよっ!」 「全艦、第1種戦闘状態に移行します!」  これで待ち伏せを受けても、遅れを取ることはなくなるはずだ。移動状態でとれる作の全てを、コスワースは指示したことになる。  準備を整えてからの30分は、何事もなくただ過ぎていった。亜空間では通常空間からの干渉は受けないことを考えれば、それは当たり前のことでもあった。そしてその短い時間の中、ノブハルは「神」のネットワークの解析を進めていった。 「クラスターが構成され、それぞれが「神」の機能を果たす仕組みになっているな」  トラスティの立てた仮説を検証し、「流石だな」と彼の突飛すぎる発想に感心してしまった。ただその発想のお陰で、「神」の仕掛けに迫ることができたことになる。せいぜい利用してやると、ノブハルは静かに猛っていた。ここで「神」を白日のもとにさらけ出せば、自分の勝ちになるのだと。 「有人星系に配置されたクラスターには、幾つかのプリンシパルが設定されているわけか。その一つが、宇宙開発の否定と言うことだな。それを検出した時点で、クラスターの行動が変わるのと、コアに対して警告通知を上げる訳だ。それ以外では、善悪の判断を行わず適格者の願いを叶える「奇跡」を起こすと言うことか」  それは今のフレッサ恒星系、惑星ブリー、そして惑星トリトーンの状況をよく示していた。 「直径20万光年の宇宙規模ネットワークだと考えたら、ある意味よく考えられていると言うことだな」  そこでトラスティからの情報を確認したノブハルは、もう一つ特殊な事例があるのに気がついた。 「これは、「神」がトラスティさんを認識したと考えていいのか?」  異なるクラスター間で、トラスティの情報が共有されていたのだ。各クラスターが自立していることを考えると、かなり奇異に思われる共有情報である。 「そうなると、何のため……と言うことになるのだが」  現時点で得られているのは、メリタ、アルトリア、ラクエルの供述である。彼女達は、それぞれがトラスティに抱かれた情報を共有していると言うのだ。近傍にあるボルとフリートはまだしも、数万光年離れたブリーとの共有は考えにくいことだった。だが3人に起きた現象を考えると、情報が共有されていなければ説明がつかなかったのだ。 「そもそも、どうしてそんな情報が共有されるんだ?」  素養を持つものがセックスすることなど、この時間軸においても珍しいとは思えない。そしてこれまでの時間を考えれば、無数にあるとしか思えなかったのだ。それを考えれば、一つのクラスターから情報が出ていくとは考えにくかった。 「3人に共通するのは、トラスティさんと言うことになるのだが……だとすると、「神」が何を理由にトラスティさんを特別だと認識したかと言うことになるな」  そこでトラスティの特殊性を考えたノブハルだったが、いくら考えてもそんなものは出てこない。確かにしていることは非常識なことが多いのだが、あくまで人間の範囲のことでしかなかったのだ。いきなり銀河を覆う「神」が意識するとは考えられなかった。 「それでも、特殊性が無いと説明がつかないな……」  うむとノブハルが頭を悩ませたところで、コスワースが「間もなく通常空間に復帰します」と知らせてきた。ここから先は「神」の領域に近づくのだから、一瞬たりとも油断はできなくなる。トラスティの特殊性を棚に上げ、ノブハルは外部情報に神経を研ぎ澄ませた。 「10秒後に、通常空間に復帰します。7、6、5……」  そのカウントダウンが0となったところで、シルバニア帝国軍の5隻は通常空間へと復帰した。そこで直ちに周辺状況を確認したのだが、予想とは異なる状況に観測員が大声を上げた。 「目標のガス雲が見当たりませんっ!」 「敵艦の反応なしっ!」  自分達の航路計算が間違っていない限り、目の前にはガス雲が広がっていなければおかしいはずだ。だがいくら観測しても、目標としたガス雲は観測されない。 「周辺恒星の位置確認。目標地点であることが確認されましたっ!」 「まさか、亜空間衝撃波がガスを吹き飛ばしたことは無いだろうな……」  自分で口にしながら、それだけはありえないとノブハルは自己否定をした。ただ目標座標に到着したのが確かなら、ガス雲がここになければおかしいことになる。 「アルテッツァ、「神」のプローブは観測できているか?」  ここがUC003である以上、密度の差こそあれプローブが配置されているはずだ。それを頼りに位置関係を確認しようと考えたノブハルだったが、呼び出したにも関わらずアルテッツァは現れなかった。  異常状態だと改めて認識したノブハルは、現状を変えるため現宙域からの離脱をコスワースに命じた。 「コスワース艦長、全艦現行宙域を離脱。近傍の恒星系へ移動せよ」 「どこにいたしましょう」  目的地を正されたノブハルは、星系図を展開し5光年先にある主系列恒星を目的地とした。状況を変えることが目的なのだから、移動先はどこでも良かったのだ。 「e019991でいい」 「e019991に移動します」  直ちに移動をとコスワースは命令したのだが、「座標設定不能!」の報告が返ってきた。 「e019991の座標が消失しました。いえ、周辺恒星系が消えていきます……そんなっ!」 「スクリーンに出せっ!」  声を張り上げたコスワースに応え、前面のスクリーンに光学観測データーが映し出された。そして報告のとおり、煌めいていた星たちが闇に隠れるように次々とその輝きを消していった。 「ガスかっ!」 「いえ、ガスの存在を確認できませんっ!」  悲鳴のような報告に、「転進っ!」とコスワースは直ちに新しい命令を発した。航路情報の残っているルートであれば、逆にたどれば元の場所に戻ることができる。そのつもりで命令を出したコスワースに、「亜空間突入ができません!」と悲鳴のような報告が返ってきた。 「亜空間バブルの生成が阻害されていますっ!」 「ワープはどうだっ!」  怒鳴るような声を上げたコスワースに応えるように、乗員は「脱出」の手順を進めていった。 「5隻によるクラスター化を行います」 「クラスター化完了後、ワープを実行しますっ!」  空間湾曲による移動であれば、今の宙域を脱出できるだろう。そんな淡い期待を抱いたのだが、すぐにその期待は否定されることになった。クラスター化まで完了したのだが、ワープのための湾曲重力場が形成されなかったのだ。 「閉じ込められた?」  目元を険しくしたノブハルに、「そのようです」とコスワースは同意した。 「何をどうしても、手応えが全くありません」 「俺達は、まんまと罠にかかったと言うことか……」  しゃらくさいと口元を歪め、ノブハルは「周辺宙域の観測を」とコスワースに命じたのだった。  そして自分は自分のベストをつくすため、「アクサ」と己のサーヴァントを呼び出した。呼び出されて現れたアクサは、流石にいつもと変わることはなかった。 「フュージョンして、周辺の観測を行うぞ」 「了解。ただ、無理をしないように」  一言注意をして、アクサはノブハルとフュージョンをして一体化した。そしてノブハルは、「現在位置で待機」と命じて、ローエングリンの外へと出ていった。そこに広がっていたのは、星1つ無い真の暗闇だった。 「……何をすれば、こんな真似ができるのだ?」  流石に理解を超えた現象に、ノブハルは意見をアクサに求めた。ただ求められた方にしても、こんな現象は記録に残っていないのだ。 「ごめん、私のデーターにもこんな現象は無いわ……ただ暗闇と言うだけなら、暗黒ガスに包まれたと考えればいいんだけど。それだったら、亜空間を使えばここから脱出できるはずだし、ガスを構成する物質も検出できるはずよ」 「だとしたら、現象としては複合していると考えればいい訳だ。やはり俺達は、まんまと罠に飛び込んだようだ」  現時点で打てる手がない以上、無駄なあがきをしても意味がないことになる。「戻るぞ」とアクサに命じ、ノブハルはローエングリンに戻ることにした。補給がなくても活動を続けられるローエングリンだから、持久戦になっても困ることはないと考えていたのだ。  ただノブハルの見込みは、ローエングリンに戻ったところで否定された。「お話が」と会議室に案内されたところで、ノブハルはエネルギー供給に関する問題を教えられたのである。 「ローエングリンは、星間物質や背景エネルギーを利用することが出来ます。それこそ、小惑星でもエネルギー源にすることができる機能を持っています。それを利用して、食料を合成することも可能です」  簡単に仕組みを示したコスワースに、「それで」とノブハルは先を促した。ただ敢えて周りの目を避けたことから、深刻な事態が生じたことだけは理解していた。 「この空間に移動してから、変換効率が極端に低下しています。背景エネルギー密度が極端に低下していますし、星間物質も検知できていません。このままの状態が続けば、48時間後に艦の機能維持に、120時間後に生命維持に重大な影響が発生いたします」  コスワースの報告に眉を顰め、「回避策は?」とノブハルは質した。 「現時点では見つかっておりません。ただこのまま艦の機能を維持した場合、我々に残された時間は120時間となります。24時間後に機能をホールドした場合、その時間は1千時間にまで延長が可能となります。艦の機能停止を1時間早めれば、およそ40時間稼げるとお考えください」 「生命維持モードで、できることは?」  深刻な状態なのだが、それでも最善を尽くす必要がある。そのための時間を稼ぐ方法を、ノブハルは真剣に考えた。 「かなりの制限は付きますが、食事等は普通に行なえます。ただ、観測機能は停止することになります」 「外界に対して、目と耳を塞ぐことになると言うことか……」  どうしたものかと考えたノブハルだったが、今は迅速な決断を求められる時だと考えた。 「ならばコスワース艦長。直ちに、全艦の機能停止を命じてくれ」 「畏まりました。ところで、理由の説明をいただけるでしょうか?」  コスワースの求めに、ノブハルは小さく頷いた。 「打開策が見つかった時、艦のエネルギーが無いのは困る。そして今の状況では、闇雲に観測をしても何も出てこないだろう。艦の機能を利用するのは、さんざん知恵を絞った後だと考えているからだ」  ノブハルの説明に頷いたコスワースは、「全艦に通達」と声を上げた。 「クラスター化を解除、全艦の機能を別命あるまで停止せよ」  機能停止の命令を発したコスワースは、「ノブハル様」とノブハルの顔を見た。 「乗員6千名の生命をお預けいたします」 「うむ。姑息な罠など、すぐにでも食い破ってやろう」  だから任せろと、ノブハルはコスワースに約束したのだった。  トラスティがノブハルの行動を知ったのは、フレッサ恒星系から帰路についたときのことだった。申し訳なさそうにするヒナギクを許し、「基本的に」とトラスティは自分の考えを口にした。 「子供の自主性は尊重するつもりではいるんだよ。ただなぁ、対策の方向性が違っていると思うんだ」  トラスティが問題としたのは、ノブハルがアルテッツァに指示した対策である。同じ目的でUC003に渡った自分に対し、情報を徹底的に秘匿してくれたのだ。ノブハルの動向把握が遅れたのも、その対策が理由になっていた。 「システムの情報漏洩対策が必要なことは認めるけど……どうする? 無理やりこじ開ける?」  それぐらいなら簡単と口にしたヒナギクに、「今はいい」とトラスティは答えた。 「何かあればアルテッツァが泣きついてくると思うしね」  そうだろうとトラスティが視線を向けた先には、先手を打って現れたアルテッツァが居た。そして不敵な笑みを浮かべ、「吠え面をかくのはそちらです」と偉そうにしてくれた。 「と言うことなので、当面子供の自主性を尊重しようと思っているよ」  そんなことよりと、トラスティはアルテッツァに質問をひとつした。 「ノブハル君は、アリスカンダルに艦隊の準備も依頼しているんだろう?」  話の脈絡から離れた、そして全く予想もしていない指摘に、「どこかおかしくありません?」とアルテッツァはトラスティの異常さを問題にした。 「どうして、そう言う脈絡のない決めつけができるんですか?」 「小惑星接近の危険性を知っていれば、アリスカンダルのソリトン砲を思い出しても不思議じゃないからね。特にその威力を経験したノブハル君なら、利用を考えるのだろうと思ったんだよ」  それだけのことと言われ、アルテッツァはため息を吐いた。 「ええ、降って湧いたチャンスだと、アリスカンダル王家が張り切っていますね」  アルテッツァの言葉に、だろうねとトラスティは頷いた。 「ノブハル君が先走ってくれたから、恐らく出番が早まるんじゃないのかな?」 「私には、むしろ逆じゃないかと思うんですが?」  こちらを構っている暇がなくなる。ノブハルの行動の結果を、アルテッツァはそう受け取った。 「だったら、僕は苦労しなくて良いんだけどね……」  含みをもたせたトラスティの言葉に、「どう言うことですか?」とアルテッツァは目元にシワを寄せたのだった。  とても刺激的だったと言うのが、帰路についたときのレックスとメリタの感想である。そしてメリタは、「癖になるかもしれない」とラクエルとご一緒した時のことを思い出していた。2対1になったおかげで、自分の負担が減っただけでなく、トラスティに対して優位に立てた気持ちになれたのだ。 「奥さん達が認めてる理由が分かった気がするわ」 「多分だが、それは勘違いだと思うぞ」  突っ込みを入れたレックスは、「「神」って奴は」と今回の旅で分かったことを考えた。 「本当に、この銀河広くに影響を与えているんだな」 「確かにね。ボルやフリートでも、同じアコリが出てくるんだもの」  勝てないわと呟いたメリタに、「そうだな」とレックスも認めた。 「初めからこの事を知っていたら、宇宙開発を断念していた可能性もあるな」 「でも、私達は宇宙開発を始めてしまった。そして今更、戻れないところに来てしまったわよね」  確かにそうだと認めたレックスは、「この先どうすれば良いのだろうな」と自分の役目を考えた。観測隊に所属する彼にしてみれば、今までどおりの業務が続けにくくなってしまったのだ。 「任務では、知りえない情報をたくさん知ってしまったんだ。自分達の命にかかわることだと考えたら、知らないふりを続けるのも問題があるんだよ。だが下手に知ってる事を口にすると、彼らとの関係を壊す可能性もある。どうやって正式に彼らと話ができるようにするのか。その方法が、なかなか浮かんでくれないんだ」 「うまくいったら、抱えている問題の殆どが片付いてしまうのよね……」  「神」が司る宇宙の外から来た、自分達より遥かに進んだ文明を持つ者達なのだ。正しく協力関係を結べれば、確かに抱えている問題のほとんどは解決するのだろう。ただその一方で、支配者が交代するだけと言う懸念があるのも確かだ。その時には、「神」と「宇宙からの侵略者」の両方を相手にすることになるのかもしれない。ただ今のブリーには、そんなことができる実力はない。その結果、人々の間に大きな混乱が引き起こされる可能性がある。 「それで、帰ったらどうするの?」 「とりあえず休暇が残っているから、その間にいろいろと考えて見るな」  冷却期間を置くことで、頭の中も整理されるだろうと言うのだ。そう答えたレックスは、返す刀で「お前はどうするんだ?」と聞いた。 「今の仕事を続けるのか?」 「当面は続けることになると思うんだけど……その後のことは、まだ彼と話をしていないのよ」  すっかり抜け落ちていたと答えた従妹に、「仕方がないんだろうな」とレックスは珍しく理解を示した。 「宇宙人相手……なんて、普通は考えていないよな」 「それでも、ブリーに居てくれれば話は簡単なんだけどね」  そうじゃないしと。メリタは頬杖をついた。 「気持ち的には、付いていく気になっているのよ。でも、彼の奥さんって錚々たる顔ぶれだし……」  それを考えると、付いていくのに気後れしてしまうのだと。弱気の従妹の言葉に、「錚々たる顔ぶれ?」とレックスは疑問を呈した。 「俺は聞いていないのだが、どんな人がいるんだ?」 「元皇帝様とか王女様とか大企業の経営者とか……そんな人ばっかり。普通に近いのって、幼馴染の人ぐらいなのよ」  はあっとため息を吐いたのは、今更ながら非常識な世界と言うのを理解したのだろう。そして仲間に入るにも、覚悟が必要だと言うことも同時に理解してしまったのだ。「どうしよう」と言う言葉が出るのも、厳しい現実を理解したからに他ならない。 「いっその事出会わなければよかったのにな。その時はその時で、「死の受付」の評判がついて回ることになるんだが」 「それはそれで、縁遠くなりそうで嫌だわ」  はっきりと嫌そうな顔をした従妹に、「そうだろうな」とレックスも認めた。 「そもそもお前、あの男にベタボレじゃないのか?」 「そ、そんなことは……あるかな?」  顔を赤くしてえへっと笑う従妹に、「変わったな」とレックスは苦笑を返した。 「家の中でも気取ってたお前からは信じられない変化でもあるがな」 「気取ってかなぁ……私?」  心当たりが無いと嘯く従妹に、「思いっきり」とレックスは答えた。 「お前がこんなに反応の良い奴ってのは、初めて知ったってところだ」 「た、多分、身の危険を感じて緊張していただけだと思うわ」  あなたにと言われ、「酷いな」とレックスは言い返した。 「まあ、お互い見る目がなかったと言う事かもしれないがな」  そうやって纏めに掛かった従兄に、「一緒にしないで」とメリタは文句を言ったのだった。  お気楽な気持ちでブリーに帰ったレックスだったが、実家に帰ってすぐに軍からの緊急命令を受け取った。特に中身に記載はなく、「至急本隊に復帰せよ」との通達がそこには記されていた。特にトラスティ達から警告がなかったこともあり、「なんだ」とレックスは命令の意味を考えた。  だが軍からの正式命令である以上、幹部の彼が従わないことはありえない。「忙しいのね」との母親の言葉を背に、タクシーを飛ばしてアルトレヒトにある宇宙軍事務所へと急いだのである。  そして取るものもとりあえず出頭したレックスに、「直ちにアカプスへ帰還せよ」との命令書が手渡された。これまでの慣例を考えれば、なにか異変が起きたことだけは間違いない。 「他に情報は無いのか?」  事務所にいる顔なじみを捕まえ、レックスは待ち時間の間にさらなる情報を求めようとした。だが彼の質問に、顔なじみの男は「今のところは」と情報が無いことを伝えた。 「ただ、地上に降りていた幹部級が急遽呼び戻されています」 「俺だけじゃないと言うことか……」  だとしたら、ますます事情が分からなくなる。 「アカプス行きは?」 「3時間後にシャトルが出ます。そこから連絡艇に乗り換えていただくことになるのかと」 「ほとんど、時間がないわけか……」  シャトル乗り場に行くには、アルトレヒトから出て最寄りの宇宙港に行く必要がある。そこまでの時間を考えると、すぐにでもここを出なくてはならなかった。 「そうですね、30分後の移動用のバスが出ることになっています」 「了解した……」  ふうっと息を吐いたレックスは、場所を変えて従妹に一言残しておくことにした。そこには、従妹ならなにかトラスティから聞かされているのではと言う期待が込められていた。  だが期待を込めた電話だったが、その結果は期待はずれのものでしかなかった。夕方逢うことになっているので、今は別々にいると言うのである。逆に「何かあったの?」と聞かれる始末である。 「いや、休暇の取り消しと帰還命令が出ただけだ」  それ以上喋れば、守秘義務に引っかかって来ることになる。幹部クラス全員の休暇が取り消されたともなれば、ちょっとしたニュースネタとなるのだ。  なにか分かったら教えてくれと伝え、レックスは従妹との電話を切った。ただ、嫌な予感だけは彼の中で高まっていた。  従兄からの電話を切ったメリタは、すぐにトラスティと連絡を取ることにした。ケイオスとの戦いが終わった直後から始まる休暇は、今まで取り消された実績はなかったのだ。  ただメリタの懸念は、トラスティ達が見つかったのではないかと言う物だった。それならそれで、注意をするように伝えておく必要があると思ったのだ。 「はい、すぐにこちらにおいでになられるのですね? ええ、私の部屋です」  その言葉が終わったのと同時に、メリタは部屋の中に他人の気配を感じた。「もう!」と慌てて振り返ったら、そこには愛する人が真面目な顔をして立っていた。 「レックス氏の件だけど、今調査を指示したところだ。宇宙軍の情報だけなら、すぐに入手できると思う」  そこで「ヒナギク」とトラスティはゴースロスのAIを呼出した。何時も通りにフヨウガクエンの制服姿で現れたヒナギクは、「第一報として」とことわりを入れてくれた。 「全幹部に、基地帰還命令が出されているわね。それ以上は情報が錯綜しているんだけど、ケイオスだったっけ。その襲撃と言うことではなさそうね」  それ以外とトラスティが首を傾げたところで、すぐにヒナギクは「分かったわ」と新情報を伝えてきた。 「小惑星セレスタの観測データーが変わったみたい。位置がブリーに1億キロ近づいて、更に接近速度が上がっているわ。これで、ブリーの行っている対策が間に合わないことが確定したわね」 「なるほど、緊急会議が必要になるわけだ」  そこでメリタの顔を見て、「レックス氏に教えてあげてくれ」と伝えた。それに頷いたメリタは、すぐに電話を取り出しレックスに聞かされた話を伝えた。 「うん、もっと話を聞いてみる」  メリタの言葉の硬さは、それだけ非常事態と言うのを理解しているからに他ならない。電話を切ったメリタの顔は、はっきりと青ざめていた。 「レックス、かなりショックを受けていたわ」 「想定はしていたけど、それでも最悪と言うのは確かだからね。「神」が攻勢に出てきたと言うことだよ」 「わ、私とかラクエルさんとかが理由……なのかしら?」  そこでアクセスすることで、トラスティの存在が「神」に認知されてしまったのだ。事情を知らなければ、そこに理由を求めるのも不思議ではない。 「明確な根拠は無いけど、多分違うと思うよ  大丈夫だと、トラスティは小さく震えるメリタを抱きとめた。そこにもう一度、ヒナギクが姿を表した。 「衝突までの時間計算が出たわ。およそ1200日程度で小惑星セレスタは、ブリーに衝突することになるわね。およそ3年と3ヶ月後ってところ」 「再加速及び再度の空間跳躍がなければだろう?」  ヒナギクが省略した部分を、トラスティは敢えて持ち出した。 「そうね。「神」が3年も待つとは思えないわね……たった今、再度空間跳躍が行わたわ。これで、ブリーまでの距離が6億キロを切ったわ。半年ほど衝突までの時間が短縮されたことになるわね」 「宇宙軍は、玉突き作戦を行うのかな」  エンジンでの軌道調整は、すでに時間的に間に合わないところへと来ていたのだ。ならば、もう一つ考えられていた方法を選択するしか無い。 「どうやらそうみたい。ロッソ軌道の内側での動きが活発化しているわ」 「「神」の狙い通りと言うことか……」  難しい顔をしたトラスティに、なんのこととメリタは尋ねた。 「すでに、一か八かの状態じゃないの?」 「確かに、玉突きをやっても完全に被害を押さえ込むことは出来ないだろうね。ただそれにしても、玉突きが行えればと言う話なんだ。小惑星セレスタの軌道を変え、更には空間移動をさせられるんだよ。それを考えれば小型の小惑星の軌道を変えるのなんて、簡単なこととは思わないか?」  そこまで考える必要があると指摘され、メリタはますます顔色を悪くした。 「……どうにもならないの?」 「どうにかする気はあるんだけどね……」  もう一度メリタの体を抱きしめようとした時、「お取り込み中悪いけど」とヒナギクが現れた。 「再度ジャンプが行われたわ。これで、ブリー衝突まで2年を切ったわね。それから更に悪い知らせだけど、ブリー近傍にいる大きめの小惑星20が軌道を変えたわ。こっちは1ヶ月以内に、ブリーに衝突することになるわね。20のうち一つでも衝突すれば、大絶滅レベルの被害が発生するわ」 「普通なら、本気で仕留めに掛かったと考えるところだけど……」  性急な「神」の動きに、トラスティは違和感を覚えていた。ブリーを潰すだけなら、新たな小惑星爆弾は必要がなかったのだ。 「仕方がない。君にもう一度「神」の依代になって貰うか」  そこで顔を見られたメリタは、顔を赤くして引きつらせると言う不思議な状態になった。つまりこれからしようと言うことなのだが、自分ひとりで相手にすると言う問題があった。しかも「神」の依代になるためには、いつも以上に「すぎる」ことが求められたのだ。 「あ、明日は休暇がとってないから」 「有給休暇は余っているんだろう? それに、これをきっかけに寿退社をしてくれてもいいんだよ」  気にする必要はないと迫るトラスティに、「結構辛いから」とメリタは本音を打ち明けた。 「ブリーの未来に関わることでも駄目なのかな?」  さあと迫られたメリタは、覚悟を決めたようにゴクリとつばを飲み込んだ。そこに天の助けか、再びヒナギクが現れた。 「ボルに残したクリスタイプのアンドロイドからの連絡よ。失神中のアルトリアさんが、時折不可解なことを口走ってるって」 「具体的に何を言っているのか分かるかい?」  双方の連絡がブロードキャストされるので、どこに居ても同じ情報を受け取ることができる。「神」がアルトリアを利用したのなら、情報はそこから得れば良かったのだ。 「映像があるから見てみて」  そう答え、ヒナギクはクリスタイプの送ってきた映像を投影した。そこにはうつろな表情をしたアルトリアが、何かを探すように目をキョロキョロと動かす仕草が映っていた。そしてはっきりとしない口調で、「あの人は?」と目の前に居たクリスタイプに問い掛けた。  そこで「ここにはいない」と答えたクリスタイプに、「アクシスβから怖い人が来る」とアルトリアは口にした。そして何も答えないクリスタイプに、「自分を守る……」と言ってから瞳を閉じた。 「前の夜はまるで性交渉をしているかのような反応をしていたって」 「そっちの情報は余計だったね……」  つまり、メリタとラクエルとの情事に巻き込まれたと言うのである。予想通りの反応ではあるが、同時に脱力ものの話でもある。 「これって、「神」がトラスティさんを特別な存在だと認識したと言うことですよね?」 「事実だけを見れば、そう言うことなのだろうね……」  なんか嫌と感じたのは、本能的に危険を感じたからだろう。そしてトラスティが感じた危険を、メリタははっきりと口にしてくれた。 「トラスティさん、「神」まで誑し込みました?」 「それは、僕の責任なんだろうか?」  違うよねと口にして、「誑し込んだ?」とトラスティは疑問を口にした。 「だとしたら、「神」は女性もしくはそれに類するものになると思うけど?」 「別に、男でも誑し込めますよね?」  限定しない方がと言うメリタに、「やめて」とトラスティは懇願した。そんな懇願を無視したメリタは、「怖い人って言いましたよね?」と「神」の言葉を問題とした。 「ああ、はっきりと怖い人と言ったね……」 「そして、自分を守るとも言いました……」  そこでトラスティの顔を見て、「本気にさせてしまいましたか」とメリタは問い掛けた。 「今までが本気じゃないと言うつもりはありませんよ。ですが、「神」は明確にブリーを敵と認識したのではありませんか? だから、本気で滅ぼしに掛かったと……これまでの小惑星セレスタは、警告だったんじゃないでしょうか?」 「宇宙にでるのをやめれば、セレスタは落とさない。そして5年と言うのは、その猶予だと言うんだね」  メリタの考えに、トラスティはなるほどと頷いた。 「だとしたら、僕はもう一度「神」と話をしないといけない訳だ」  そこで顔を見られたメリタは、ざざっと後ずさった。 「どうして、そこに戻ってきます?」  するのなら普通にと言うメリタに、「精一杯可愛がってあげるだけだよ」とトラスティは迫った。 「そ、そこまで貪欲じゃないんですけど……」  だから普通にと壁に並行に逃げるメリタに、「全力で愛してあげようと思っているんだけど?」とトラスティは逃げ道を塞ぐように移動した。 「そ、その全力と言うのが良くないんです……」  その全力の結果、惑星ボルではアルトリアが未だに目覚めていないのだ。流石に同じ目に遭うのは嫌と、メリタは反対側に逃げようとした。だがトラスティは右手を壁について、メリタの逃げ道を塞いでくれた。 「僕のことが嫌いになったのかな?」 「トラスティさんのことは大好きですよ。でも、世の中には限度と言う物があるんです」  ズルズルと腰を滑らせたメリタに、トラスティはゆっくりと覆いかぶさるように近づいた。もう逃げられないとメリタは観念したのだが、「トラスティ様」と言う声に助けられた。 「アルテッツァかい?」  自分から意識が離れてくれたのを幸いと、メリタは四つん這いになってトラスティから逃げた。それに気づいてはいたが、トラスティはとりあえずメリタを自由にすることにした。 「ローエングリンの反応が消失しました。随伴した最新鋭艦4隻も同時にロストしています」  顔を涙でぐちゃぐちゃにしたアルテッツァは、「ノブハル様をお助けください」とトラスティに縋ってきた。ちなみに「吠え面をかくのはそちら」と言われてから、まだ2時間も経過していなかった。 「ノブハル君をロストするまでのデーターはあるのかな?」 「はい、全て揃っています」  アルテッツァの答えに、トラスティはヒナギクを呼び出した。 「大至急分析してくれないか?」 「これだけだと、大したことは分からないわよ」  さくっと情報を概観し、「期待できない」とヒナギクは答えた。 「それでも、どこに行こうとしたかぐらいは分かるだろう?」 「設定された座標はね。でも、同じ場所に行ったらあなたも同じ目に遭うわよ」  その程度の情報しかないと答え、「追加の分析」とヒナギクは分析結果をトラスティに提示した。 「「神」の情報伝達だけど、ノブハル様は量子コピーで伝達されていると考えられたみたいね。電波ではなく、量子空間の共振で情報を伝達するのよ。一応光速を超えた速度で「情報」は伝達されるわ」  情報伝達方法を説明したヒナギクは、「追加」とノブハルのしたことを教えた。 「ノブハル様は、プローブから「神」のネットワークに侵入したみたいね。後は、銀河内を光速で1億倍の速度を出したみたい。そこから推測すると、目標領域に亜空間衝撃波がバリバリに届いたんじゃないの? 女性的な特徴を「神」が持っているとしたら、これから強姦されそうな気持ちになったんじゃないのかな?」 「彼は、時々デリカシーに欠けることをするからなぁ……」  「怖い人が来る」と言うメッセージを思い出し、トラスティは大きくため息を吐いた。 「多分、話のできる状況じゃないんだろうね……」  そこで逃げ出したメリタを見て、トラスティは「ちっ」と小さく舌打ちをした。そんなトラスティに、「更に悪い情報」とヒナギクは追加情報を口にした。 「小惑星の小さい方だけど、結構加速してくれたわ。このままだと、5日後にはブリーに衝突するわね。そして大きい方だけど、更に距離を詰めてくれたわ。こっちの方は、1年以内ってところかしら。多分、もっと時間を短縮してくれると思う……」  そこでなぜかヒナギクは、大きくため息を吐いてくれた。 「どうしたのかな?」 「おまけのように、ケイオスまで送り込んでくれたわ。ちなみにこちらの数は1000ね。これまでブリーが相手にしてきたのの10倍の数かしら?」  「怒らせたものね」との言葉に、今度はトラスティが大きくため息を吐いた。 「僕は、もう一度ノブハル君を殴らなきゃいけないのかな?」 「そんな機会が来ればいいけど……」  どうすると問われ、「インペレーターは?」とトラスティは切り札の状況を尋ねた。 「小さい方には間に合わないわね」 「つまり、選択肢は無いと言うことか……」  もう一度ため息を吐いたトラスティは、「エスタシア王妃と連絡を」とヒナギクに命じた。そして相変わらず部屋の隅に逃げたメリタに、「お茶をくれないか」と頼んだ。  直前に舌打ちされたことは気になるが、とりあえず危機は去ったのだとメリタは考えた。胸をなでおろしたメリタは、電気ポットに水を入れてお湯から沸かすことにした。  エスタシア王妃からの連絡を受けたのは、トラスティがインスタントなコーヒーに口をつけたときのことだった。以前よりは華美になった気もするが、相変わらずエスタシア王妃は質素な格好をしていた。 「お久しぶりですトラスティ様」  深々と頭を下げたエスタシアに、「こちらこそ」とトラスティも頭を下げた。そしてエスタシアに向かって、「お願いがあります」と切り出した。 「アリスカンダル艦隊……具体的には、ソリトン砲を利用させていただきたい」 「ノブハル様が、用意するようにと申し付けていかれたのですが……それに関わることでしょうか?」  エスタシアの問いに、「彼が火種を大きくしてくれました」とトラスティは口元を歪めた。 「僕は今、UC003にあるブリーと言う惑星に来ているのですが。そのブリーを、5日以内に直径10km程度の小惑星が少なくとも20襲ってきます。こちらには迎撃するだけの能力がありませんので、そのままだと5日後にブリーは滅亡することになります」 「ですからソリトン砲と言うことですか」  了解しましたと答え、直ちに派遣することを約束してくれた。 「ただ私共では、期日までにそちらに到着できません。申し訳ありませんが、移動手段を提供していただけないでしょうか?」 「エスデニアに指示を出しておきます」  感謝しますと口にしたトラスティに、「いえ」とエスタシアは首を横に振った。 「これで、受けた御恩の一部でも返すことができます。それにアリスカンダル艦隊も、ようやく活躍の場を得るのです。ここで貢献を示すことで、アリスカンダルの立場も良くなるのかと。むしろ、私共に声をおかけいただいたことに感謝いたします」  大きく頭を下げてから、エスタシアは「移動の手配を」とトラスティに依頼した。 「12時間以内に、アリスカンダル艦隊100が出港可能となります。もう24時間いただければ、その数を1000に増やせるのですが……」 「でしたら、追加の派兵も準備していただけますか?」  その依頼に、「畏まりました」とエスタシアは頭を下げた。 「では、直ちにエスデニアに準備をさせます」  トラスティが頭を下げ返したところで、エスタシアとの通信が終了した。 「今の人にも、手を出しているんですか?」  横から見ていたメリタの問いに、「違うから」とトラスティは否定した。ただこの話は続かず、「ラピスラズリを」とヒナギクに命じた。そして今度は、時間を置かずにラピスラズリのホログラムが現れた。  「我が君」と頭を下げたラピスラズリに、「手伝って貰うことができた」とトラスティは切り出した。 「アリスカンダル艦隊100を、直ちに僕の居るUC003、惑星ブリー近傍まで移動させてくれ」 「座標特定に少しだけお時間をいただければ」  それに小さく頷いたトラスティは、「ヒナギク」とゴースロスのAIに声を掛けた。 「君の持っている座標情報をエスデニアに送ってくれ」 「分かったわ……」  それからラピスラズリを見たトラスティは、「24時間後に更に900隻も移動が必要だ」と追加の依頼を行った。 「我が君は、戦争でもなされるおつもりですか?」  数が少ないこと。そして利用するのがアリスカンダルと言うことで、ラピスラズリはトラスティの意図を質した。 「戦争か……確かに、僕は戦争をしようとしているね。ただ今現在何が問題になっているかは、アルテッツァにでも聞いてくれないかな?」  「頼む」の一言で通信を切ったトラスティは、「ふう」と一息ついて冷めたコーヒーを口に含んだ。 「さて、そろそろ別口が現れるはずだが……」  そこで顔を見られ、ヒナギクは小さく肩をすくめた。そしてその直後に、トラスティの前に白いワンピースを着た女性が現れた。白の少女の姿をした、シルバニア帝国皇帝ライラがホログラムで現れたのである。 「そろそろ現れる頃かと思っていたよ」 「でしたら、私の話を理解されていると言うことですね」  泣きそうな顔をしたライラに、「心配ばかりさせているね」とトラスティは謝った。それに小さく首を振ったライラは、「いつも尻拭いをしていただいています」と返した。 「シルバニア帝国艦隊20万は、ご命令さえあれば何時でも出撃できるようにしてあります」 「今時点では出撃の必要はないよ。今回は威嚇ではなく、本当に戦争をするからね。統制できない数の兵力を呼び寄せるつもりはないんだ」  いらないと言うトラスティに、「ですが」とライラは反論しようとした。それを手で制止したトラスティは、「僕に意見をするのかい?」と厳しい視線をライラに向けた。その厳しさに息を呑んだライラは、すぐに「差し出がましいことを言いました」と謝罪の言葉を口にした。 「ノブハル様のこと、よろしくお願いいたします」 「多分だけど、彼は自力でなんとかすると思っているよ」  だから心配はいらないと、トラスティはライラのホログラムを追い返した。 「ええっと、金髪の綺麗な人と、黒髪の女の子はトラスティさんの奥さんですか?」  登場人物の素性を尋ねたメリタに、「金髪の女性はね」とトラスティは答えた。 「彼女は、超銀河連邦では、ほぼ最大の発言力を持つエスデニア連邦の盟主だよ。指輪をあげたし、僕の子供も産んでいるからね。その意味で言えば、僕の奥さんの一人と言うことだよ。そして後から現れたのは、エスデニア連邦を構成する約6万……だったかな。それを収めるシルバニア帝国の皇帝だよ。そしてノブハル君の奥さんでもあるね」  その説明に、シシリーに教えてあげないととメリタは考えていた。 「さて、兄さんに手を借りたいと伝えてくれるかな?」 「最強の戦力を投入するのね」  少し口元を歪めたヒナギクは、「すぐに連絡するわ」とトラスティの命令を受け取った。 「マリーカさんはどうする?」 「出られるようだったら出してくれるかな?」  頼むと口にしてすぐ、トラスティの前にホログラムの映像が現れた。薄いグレーのブラウスとトレードマークのミニスカートを穿いたマリーカは、トラスティの前で二本の指で敬礼する真似をした。 「あなたのマリーカ只今参上……って、また女の人を誑し込んだんですかぁ?」  はあっとため息を吐いたマリーカに、「その話はあと」とトラスティは少し目元を引きつらせた。 「そろそろインペレーターが必要なんだけど……準備はできそうかな?」 「任せておいてくださいっ……て言いたいところなんですけど。こちらの技術陣が悪乗りをして、ちょっと調整に時間が掛かっているんです。ですから、3日だけ我慢して貰えますか?」  多分それが限界との答えに、「可及的速やかに」とトラスティは口にした。 「それが皇帝命令だと伝えてくれればいいよ」 「第10艦隊はどうします? 先行で派遣しますか?」  そうすることで、艦隊戦なら無敵の布陣を引くことができる。ただ強力すぎる布陣は、「神」からさらなる過激な対応を引き出す可能性を持っていた。 「第10艦隊なら戦力として1000か……」  現れたケイオスと同数程度ならいいかと考え直し。トラスティは「直ちに」とマリーカに命令をした。 「多分ですけど、レクシュ司令は張り切ると思いますよ。ご褒美が大変ですね、皇帝様」  そこでウィンクを一つしてから、マリーカのホログラム映像が消えた。 「カイト様から、承諾のお返事をいただきました」 「どうして、男性相手はメッセージだけなんですか? それから、今の活発そうな女の子は?」  すかさず聞いてきたメリタに、「一応遠慮して」とトラスティは答えた。 「それから彼女は、船長をしている奥さんだよ。ちょっとね、因縁のある家系の出なんだ」 「レクシュと言う人は?」  小さく頷いたメリタは、マリーカとの話で出てきた名前を持ち出した。 「僕の次に皇帝になる女性だね。ラフィールと同じ長命種で、およそ1000年の寿命を持っているよ。確か、今は500歳ぐらいだったかな?」 「500歳っ!」  その年令は流石に予想外だったのだろう。メリタは素っ頓狂な声を上げてしまった。 「もしかして、トラスティさんも600歳ぐらいだとか?」 「いやいや、僕はナイト氏と同年齢だよ」  苦笑を浮かべたトラスティは、「一通りの手配は終わったよ」とメリタに告げた。 「もうちょっと穏便な方法を考えていたのだけど、どうもそうはいかなくなったみたいだ」  ふうっと息を吐いて椅子にもたれたトラスティに、「お疲れ様」と言ってメリタは膝の上に座ってきた。 「さっきまで逃げてたくせに」  勝手だねと笑ったトラスティに、「旦那様を癒やすのは妻の務めです!」とメリタは豊かな胸を張った。ちなみに本音のところは、個性豊かな彼の妻達に危機感を覚えたと言うところだ。 「じゃあ、癒やして貰おうかな」  そう口にしてから、トラスティは服の上から彼女の豊かな胸を掴むようにした。「中々いい背徳感だ」と、着衣から始める彼女との行為をトラスティは楽しんでいた。  アルトレヒト外にある宇宙港に着いたところで、レックスは事態が悪化しているのを知らされた。従妹から知らされた時には1億キロの短縮だったが、ここで教えられた情報ではブリーまで2億キロを切るところにまで接近してくれていたのだ。しかもずっと小さな、そして落下すれば生物が絶滅する規模の小惑星が、ブリーとの衝突軌道に入ったと言う情報まで送られてきた。 「……小惑星の方は、これから対処すればぎりぎり間に合うか」  20程度の小惑星なら、戦艦による牽引作業で軌道を変えることはできる。残された日数は少ないが、セレスタ対策で動いていた戦艦が使えることになる。 「ただ、戦艦が使えれば……か」  トラスティに聞かされた話では、トリトーンでは爆発阻止に動いた艦隊を、ケイオスが襲ったと教えられていたのだ。だとすると、同じことがブリーで起きても不思議ではない。  それを危惧したレックスは、観測隊の部下にケイオス接近の可能性をアドバイスした。 「俺達の観測網じゃ、遠くにいる奴は見つけられない……か」  その意味で言えば、トラスティと常時連絡を取りたいと思っていた。だが彼の立場を考えると、それが難しいのは間違いない。そしてシャトルでの移動ともなると、民間人と連絡を取ることは「ほぼ」不可能になってくれる。これ以上の事態は起こらないでくれと願いながら、レックスはシャトルへと乗り込んでいった。  アカプスに行くには、中継ステーションから連絡艇に乗る必要がある。そのつもりで中継ステーションに到着したレックスだったが、そこで地上への移動が命じられた。なぜだと訝ったレックスに、命令書を持ってきた係官は、「シャトルは間もなく出発します」と事情の説明は行わなかった。 「……伝書鳩が、理由を知っているはずがないか」  これで時間を6時間ほど無駄にしたことになる。焦りが何も産まないことは分かっていたが、それでもレックスは焦る気持ちを抑えることは出来なかった。  メリタで癒やしをと言う目論見は、流石に事情が許してくれなかった。「申し訳ありませんが」と何度も中断が入れば、流石に気持ちが萎えてしまうのだ。その一方で体に火を点けられたメリタは、とても恨めしそうに報告に現れたヒナギクを見ていた。 「レックス氏のアカプス移動が取り消され、地上に戻ることになったわ。多分だけど、アカプスまでの時間が無駄だと判断されたんでしょうね」 「確かに、これから移動に時間を掛けるのは状況分析に大きな影響を与えるね」  ヒナギクの分析に頷いたトラスティは、ブリー軍への関与を少しだけ強めることにした。そんなトラスティに、ヒナギクは別の問題を報告した。 「アルトレヒト内で、「神」の活動が活発になってきているわ。どうやら、複数箇所でアコリの襲撃が発生しそうね」 「宇宙どころではない……と言うことか」  徹底しているなと表情を険しくしたトラスティは、「ナイト氏と情報の共有を」とヒナギクに命じた。「神」が仕上げの大攻勢を仕掛けてくる以上、僅かな遅滞が決定的な結果を招きかねなかった。 「そうだな、ナイト氏にはアルトレヒトの宇宙軍事務所に向かって貰おう」 「宇宙軍は、「神」の敵だからね」  分かったわと、ヒナギクはナイトへとトラスティの情報を伝達した。 「それから、レックス氏と情報共有できるようにしてくれ」 「実は、もうしてあるのよ」  使ってくれないけどと。そう言って笑ったヒナギクに、「だったら連絡」とトラスティは命じた。 「ケイオス情報を伝えてあげてくれ。今回は数が多いし、侵入経路が今までとは全く違っているからね」 「ブリー宇宙軍の実力じゃ、迎撃が間に合わないわね」  了解と答え、ヒナギクはレックスに必要な情報を伝達した。 「小惑星の軌道に変化は?」 「小さい方は変化がないわね。数日で結果が出るから、「神」も加速の必要がないと考えたんじゃないのかな。ただセレスタは、更に位置をブリー側に跳躍したわ。このままだと、半年後にブリーに衝突するわね」  このまま放置すれば、ブリーは数日後には滅亡が確定することになる。トリトーンの滅亡を見れば、「神」が1星系の滅亡を躊躇うことは考えられない。そこで気になったのは、「神」が何を考えているのかと言うことだ。 「さて、「神」は僕がどこに居ると思っているのかな?」  もう一度、トラスティはフリートの状況をヒナギクに尋ねた。 「クリスタイプからの報告だと、その後も何度か神はコンタクトしてきているようね。ただ目を開いて辺りを確認して、そして何も言わずに目を閉じているらしいわ」 「そちらからは、情報は得られないってことか……」  どうしたものかと考えたトラスティに、「あの」とメリタは恥ずかしそうに声を掛けた。 「先程の続きをすると言うのはどうでしょう?」  そうすれば、自分を依代にできるというのである。そんなメリタの申し出に、「残念ながら」とトラスティは口元を歪めた。 「今は、その気になれないんだよ」  だから無理なのだと。そんなトラスティの答えに、メリタは「彼女基準」では色っぽく着ているものを脱ぎだした。 「これでも、その気になれない?」  ブラの肩紐をずらしてみたのだが、トラスティの反応はさっぱりだった。「ごめん、全然」と言われ、メリタは諦めて服を着直したのだった。  トラスティの情報を受け取ったナイトは、すぐにフェイを連れてアパートの部屋を出発した。本当は家に置いていきたいのだが、なぜかメイプルが現れてくれなかったのだ。 「いいか、危ないから物陰から見ているんだぞ。もしも何かあったら、大きな声で教えてくれ」  分かったなとの問いに、フェイは何度も頷いてみせた。そして嬉しそうに、定位置となったナイトの左後ろにくっついた。  そしてタクシーを捕まえて乗り込んだのは良いが、残念なことにタクシーは宇宙軍事務所まで少しのところで緊急停止してくれた。 「お客さん。ここから先は、道路封鎖情報が出ています」 「ちっ、間に合わなかったか……」  200mほど先の目的地を見ると、火が着いたのかモクモクと煙が上がっていたのだ。人の叫び声が聞こえるところを見ると、恐らくアコリに襲われているのだろう。仕方がないとため息を吐き、ナイトはフェイを連れて歩いて現場に向かうことにした。襲撃が現実のものとなった以上、フェイを残してはいけなかったのだ。 「……まあ、小さな事務所だから、警備なんてこんなものだろうな」  アコリだけならまだしも、大型のニダーまで暴れているのが見えたのだ。銃を持った警備兵は居たのだろうが、こんな襲撃は想定していないはずだ。「やるか」と小さくつぶやき、ナイトは左腕の偽装を外した。 「いいか、しっかりついてくるんだぞ」  ナイトの命に答えるように、フェイは洋服の裾をしっかりと掴んだ。それを確認して、ナイトはゆっくりと阿鼻叫喚の現場へと飛び込んでいった。20程度の襲撃なら、さほど時間は掛からないのだろうと。そしてナイトの見立て通り、アコリの駆除はわずか5分で終了した。 「こりゃあ、使いものにならないな」  火が着いたのは施設の一部なのだが、中には職員の死体も転がっていたのだ。業務用の端末も、アコリがおもちゃのように壊してくれている。そこにアコリとニダーの死体まで加わったのだから、機能復旧までにはかなりの時間が掛ることになるのだろう。 「ヒナギクだったか、他にも襲われているところはあるのか?」 「そちらは、警察と地上軍が動いているわ。ただ、状況はこちらとあまり変わないけどね」  そうかと小さく呟き、ナイトはカバーを嵌めるように左腕を元の見た目に戻した。それからフェイを片手で抱き寄せ、新鮮な空気を求めるため建物の外へと出てきた。その途端、「両手を上に上げて」とスピーカー越しに命令された。いつの間に集まったのか、警官隊が短銃を構えて包囲していた。  おとなしく命令に従ったナイトは、「危険生物駆除エージェントのナイトだ」と自分の身分を名乗った。 「通報に従って、現場に駆けつけた。ただ、手遅れだったのか、職員に生存者は居ない」 「エージェントだと?」  マイク越しに問われ、「証明書なら胸ポケットにあるぞ」とナイトは声を張り上げた。 「ポケットに手を突っ込んで良いのなら見せてやるがな」 「そのまま両手を上げて立っていろ。それから、その少女は解放しろ」  どうやらフェイを連れていることで、名乗った身分を信じて貰えなかったようだ。フェイを見て「だとよ」と告げたのだが、当然のようにフェイはナイトから離れなかった。そして影に隠れるように、ナイトにしっかりとしがみついた。 「本人が嫌だと言っているんだがな」  大声で答えたナイトに、「そのまま動くな」と警官は命令した。そして包囲していた背後から、2人が銃で警戒しながらナイトに近づいてきた。フェイスガード越しに青ざめた顔が見え、「経験がないんだな」と2人に同情した。もっともその同情は、2人がフェイを無理やり引き剥がそうとするところまでだった。  「ナイト助けてっ」とフェイが叫んだのと同時に、ナイトは2人を昏倒させて、フェイを抱えて施設の中に逃げ込んだ。直後に発砲音と施設の壁に弾がぶつかる音が響いた。 「こいつら、頭に血が上り過ぎだろうっ!」  反撃をすれば、全滅させることは難しくはないだろう。だが双方無傷でこの場を収めるのは、どう考えても無理難題としか思えなかった。 「さて、どうやってここを脱出したものか」  ジリジリと包囲網を狭める警官隊に、ナイトは途方にくれていたりした。こんなことなら始末に来るんじゃなかった。そんな事を考えるようにもなっていた。そして「いっその事皆殺しにするか」などと物騒な考えに取り憑かれかけた時、「何をしてるの?」と言う声が後ろから聞こえてきた。  慌てて左手の偽装を解いて振り返ったナイトは、「あんたか」と小さくため息を吐いた。そこには、フヨウガクエンの制服姿をしたヒナギクが立っていたのだ。 「見たとおりだ。警察の奴らに、不審者に思われてしまったんだ」 「なるほど、状況が見えなくなってしまった訳ね」  仕方がないわねとヒナギクが答えた次の瞬間、ナイトは自分が警官隊の包囲網の外にいるのに気がついた。「突入!」の声が聞こえてくることを考えると、どうやら間一髪だったようだ。 「あんたも、空間移動をできるってことか」 「まあ、メイプルさんより性能は上だからね」  そう言って笑ったヒナギクは、もう一度ナイトとフェイ居場所を転移させた。 「レックスさんが、間もなく到着するわ」 「あいつ、宇宙に上がったんじゃないのか?」  どうしてと訝ったナイトに、「状況が悪化してるから」とヒナギクは伝えた。 「あと4日ほどで、20ほどの小惑星がブリーに衝突するのよ。それに加えて、直径300kmの小惑星が、半年……ごめん、3ヶ月後にブリーに衝突するわ。更にケイオス艦隊1000が、通常警戒区域から離れたところに現れたのよ」 「のんびりと、アカプスに戻ってるどころじゃなくなったってことか」  なるほどなと頷いたナイトは、「どうするんだ?」とヒナギクに尋ねた。 「どれ一つとっても、ブリー単独じゃ凌げねぇだろう。あいつは、どうするつもりなんだ?」 「トラスティ様は、全面戦争を受けて立つようよ。ただ、戦力は限定投入するみたいだけど」  限定投入の言葉に、「良いのか?」とナイトは心配してしまった。おおよそ戦いにおいて、戦力の逐次投入は愚策とされていたのだ。 「限定しているのは数だけだからね。まあ、大丈夫だと思うわよ」  気楽にヒナギクが答えた時、ナイトの前に軍用車が止まった。「お出ましか?」とナイトが見守る前に、レックスが車から飛び降りてきた。 「事務所が襲われたと聞いて、場所をこちらに変えたのだが……」 「そうか。あんたは運が良かったな。事務所にいたら、今頃はニダーの餌食になっていたな」  事務所は全滅したと教えられ、レックスは顔を真っ青にした。ナイトの言う通り、少し時間がずれていたら、自分もアコリとニダーの餌食になっていたのだと。 「なんでここにいると言うのは愚問なのだろうな」  眼の前には、「宇宙軍サテライトオフィス」と書かれた看板が掲げられた建物があった。ただ雑居ビルになっているので、本当にテンポラリーの使用を前提とされたものになっていた。  自分を乗せてきた兵士に原隊復帰を命じ、レックスはナイトを連れてサテライトオフィスへと入っていった。常用する施設でないため、そこはいかにも手狭としか言いようがなかった。  必要な端末を立ち上げながら、「事務所に行ったのか?」とレックスはナイトを質した。 「ああ、手遅れだったがな。一応アコリやニダーは始末したが、警察とちょっと揉め事を起こした」 「警察と?」  作業中で背を向けたまま、「なにをした?」とレックスは聞き返した。 「フェイを連れていたから、なんか勘違いをされたようだな。身分を明かしても信用して貰えなかった」 「フェイちゃんを連れているからだろうな。まっとうな感覚じゃ、危険な場所に女の子を連れては行かないものだ」  だからだと答えたレックスは、「完了!」と声を上げた。そして画面を流れる情報に、「酷いことになっているな」と呻いた。 「ああ、それで軍はどう発表するんだ?。こんなもの、隠しても隠しきれんぞ」  そしてリークされた情報で、全ブリーでパニックが発生する。その光景が見えるだけに、レックスはナイトの問いに答えられなかった。 「まあ、発表したところで、パニックになるのは目に見えているがな」 「どっちに転んでも、ろくなことがないのは確かだな」  渋い顔をしたレックスは、「なあ」とナイトに声を掛けた。 「あいつらはどうするつもりなんだ?」 「なんだ、従妹に聞いていないのか?」  だめだなと笑うナイトに、「移動中だった」とレックスは言い返した。それに頷いたナイトは、「ヒナギク」とゴースロスのAIを呼出した。 「悪いが、今の状況を教えてやってくれないか?」 「最新の状況ね」  了解と答えたヒナギクは、3人の前に恒星ビアンコのマップを展開した。 「レックスさんも、小惑星セレスタと小惑星群のことは知ってるわよね。小惑星群は、このままだと4日後にブリーに衝突するわ。そしてセレスタだけど、今のままだと1ヶ月後にブリー近傍に到着するわね。それから先程お知らせしたケイオスだけど、ぴったり1千隻がロッソ軌道上に現れたわ。そこだと、アカプス、ステルビアの対応宙域から外れているのよね。今からだと、ブリーの宇宙軍では追いつくことは出来ないわね」 「分かっちゃいたが、本気になられたらあっと言う間だな」  諦めたように吐き出したレックスに、「こちら側の対応」とヒナギクは説明を続けた。 「あと数時間で、アリスカンダル星系から艦隊100が派遣されてくるわ。そしてその24時間後に、追加の900が派遣されて来ることになっているわね。多分だけど、小惑星対応を行うことになるんじゃないのかな。そしてそれとは別に、20時間ほど後にレムニアから第10艦隊1千が派遣されてくるわね。こちらは、ケイオス艦隊への対応を行うことになると思うわ。これ以上何もなければ、小惑星群とケイオスは始末できるわね」 「それは、間違いなく明るい話題だな」  少しホッとしたレックスに、「何もなければだけど」とヒナギクは繰り返した。 「少なくとも「神」は、シルバニアの最新鋭艦を捕らえる能力を持っているのよ。油断して掛かると、返り討ちに遭う可能性もあるわね」 「トラスティ氏が、油断するとは思えないのだが?」  だよなと顔を見られ、ナイトはしっかりと頷いた。 「とりあえず、犠牲者1が出たから。トラスティ様も慎重に動かれると思うけど……」 「犠牲者1?」  「なんだそれ?」と首を傾げたレックスに、「ノブハル様」とヒナギクは打ち明けた。 「シルバニアから船を呼び寄せ、「神」と対決しに行ったんだけど……しっかりと罠に嵌ってくれたようね。「神」が攻勢を強めたのも、それが理由じゃないのかなって」  困ったものねとため息を吐いたヒナギクに、「全くだ」とレックスとナイトは頭を抱えた。 「今回事態が急変したのは、あいつのせいと言うことなのか?」 「その辺りは不明だけど……ただ、強くは否定できないわね」  報告は終わりと言って、ヒナギクは姿を消した。そこでレックスが呼び止めなかったのは、思いっきり疲れたのが理由なのだろうか。 「それで、宇宙軍の動きはどうなっている?」 「そのための分析を出さないといけないんだがな……あいつらの存在を隠して、どうやって報告すれば良いんだ? うちの観測網じゃ、ケイオスはまだ見つけてないんだぞ」  大きく息を吐きだしたレックスは、「警告は出す」とナイトに答えた。 「ケイオスの同時襲撃が予測されるため、観測範囲を広げることを進言する。幸い前回の襲撃は、これまでのルートと微妙にずれていたからな。それを根拠にすれば、多少は説得力が出ることだろう」 「それで、20の小惑星は?」  ケイオスならば、直ちにブリー滅亡と言う話にはならない筈だ。だが直径10km級の小惑星が落ちれば、それだけで大絶滅レベルの被害が発生することになる。その意味で言えば、ナイトの疑問は正当なものと言うことになる。 「そっちは、全艦隊で「押す」のか「引く」のか「破壊」を行うのだろうな。ただ、そっちは観測隊の仕事じゃないんだ。だから、多分としか答えられない」 「これから出撃して、アンカリングとかをしていたら間に合わないんじゃないのか?」  移動に掛かる時間、そして牽引作業に掛かる時間を考えたら、ナイトの言う通り間に合うとは思えなかった。それを認めたレックスは、「その時は破壊だ」と宇宙軍の対処を口にした。 「破壊できるのか?」 「攻撃を集中すれば、1個や2個なら破壊できるだろうな。それ以上になったら、時間的に間に合うとは思えない」  渋い顔をしたレックスに、なるほどとナイトは頷いた。そこに、「今更ですが」と言ってヒナギクが現れた。 「追加の悪いお知らせです。宇宙軍の中で、コーギス信者のテロが起こりました。そのため、出撃できる戦力は現状で500となります」 「コーギス信者を忘れてたな……」  はあっとため息を吐いたレックスは、「事実上迎撃はできなくなった」と吐き出した。 「宇宙軍中で、疑心暗鬼になっちまってるからな。出撃した先でテロでも起こされたらと考えたら、迂闊に出撃もできなくなるな」 「嫌なタイミングでテロを起こしてくれたものだ……」  ますます渋い顔をしたレックスに、「言いにくいんだけど」とヒナギクは本当に申し訳無さそうな顔をした。 「アルトレヒトでも、新たなテロが起こりそうよ。現時点で危ないのは、公共福祉局と……ここね」 「まあ、宇宙軍の関係施設だからなぁ……」  宇宙軍を目の敵にしているのなら、こんな小さなオフィスでも見逃さないのは理解できることだった」 「公共福祉局は、「特旋」があるからか? ここはまだしも、あっちはまずいんじゃないのか?」  そこで顔を見られたナイトは、「あっちは戦力が揃っているがな」と苦笑をした。 「ただ、武器は携行していないはずだ」 「アコリはまだしも、ニダーは丸腰じゃあどうにもならないだろう」  それでもレックスの危機感が足りないのは、従妹が登庁していないのを知っているからだ。どうするのだと顔を見られたナイトは、「見捨ててっていいか?」とレックスに尋ねた。 「流石に、そう言う訳にはいかないだろう。このビルに居るのは、俺だけじゃないんだからな」 「だったら、リュースが動くんじゃないのか?」  だろと同意を求められたヒナギクは、「そうみたい」とナイトの言葉を認めた。 「あそこには、ノブハル様の彼女がいるからね」 「是非とも、他の奴らの心配もして貰いたいんだがな」  ふうっと息を吐いたナイトは、「ところで」と真剣な眼差しをレックスに向けた。 「な、なんだ?」  それにちょっとびびったレックスに、「お前はロリコンか?」とナイトは問いかけた。 「この状況下で、なぜそんな話が出てくるのだ?」  不満そうな顔をしたレックスに、「否定をしないのだな」とナイトは言い返した。 「仕方がねぇ。フェイ、俺から離れるんじゃないぞ」  そう言って立ち上がったナイトに、「酷い濡れ衣だ」とレックスは真剣に食って掛かったのだった。  ノブハルの命令より、アリスカンダルにとってトラスティの依頼の方が重みがあった。艦隊司令に檄を飛ばしたエスタシアのおかげで、1千の艦隊は予定より早く集結することが出来た。その内訳は、ソリトン砲を備えた戦艦が700に、コスモ0を搭載した空母が200。そして補給艦が100と言う構成である。リサイクルシステムの確立した連邦とは違い、アリスカンダル艦隊はまだ補給を必要としていた。 「地上技術者より、UC003ブリー近傍へのゲートが開かれましたっ!」  アイハラの報告に、「宜しい」とコダーイ王子は頷いた。大将格が先の反乱で居なくなったため、総指揮者としてコダーイ王子が乗り込んだのである。 「ゲートサイズは?」 「並列侵入で、10隻程度なら大丈夫だそうです。ビーコン内を侵入してほしいとのことです」 「ビーコン、あれだな」  小さく頷いたコダーイ王子は、マイクを持って全軍に命令をした。 「これより、義に従い「神」との戦いに臨む。コスモゼロ1番隊発進。UC003への露払いをしろっ!」 「コスモゼロ1番隊発進します」 「全艦縦配列でゲートに侵入しますっ!」  コダーイ王子の号令に従い、ブリッジクルーは次々と必要な手続きをこなしていった。そして見事な統制で、10×100の隊列が形成された。 「王子、準備が整いましたっ!」 「アリスカンダル艦隊、UC003へ向けて進軍せよっ!」  その命令に従い、新型次元タキオンエンジンが低い唸りを上げた。超銀河同盟の技術を導入することで、旧型に比べて100%の出力向上が図られたのである。  そしてコダーイ王子の号令に従い、アリスカンダル艦隊1000がソロリソロリとゲートを超えていった。  合計1000隻がゲートを越えるのに、およそ1時間と言う時間を使うことになった。そしてUC003に侵入したところで、隊列の再構成のため更に10分ほど時間を浪費した。 「我々のターゲットはどうなっている?」 「小惑星群は惑星ブリーから100万キロの地点を、加速しながら秒速3kmの速度で移動中です。このままの軌道を取ると、およそ70時間後に秒速15kmでブリー大気圏内に突入します!」 「巨大小惑星はっ!」 「惑星ブリーから6百万キロの地点を秒速2kmの速度で移動中です。こちらも加速が予想されますが、このままの軌道をとった場合30日後に惑星ブリーに衝突します!」  その報告を難しい顔で受け止めたコダーイ王子は、小さく息を吐いてから航海士の顔を見た。 「小惑星群の1万キロ前方にワープ。ワープアウト後、直ちにハイパーソリトン砲を拡散モードで発射する」 「10秒カウントの後、ワープ2で指定宙域に移動します。移動後直ちにハイパーソリトン砲の発射準備に入ります!」  コダーイ王子が頷いたのに合わせ、カウントダウンが開始した。そしてカウントダウンが0になったところで、アリスカンダル艦隊1千が光の速度を超え惑星ブリーの近傍軌道に出現した。 「機関正常。これより、ハイパーソリトン砲のエネルギーチャージを行いますっ!」 「ブリー宇宙軍に通達を。我ら、義により助太刀をすると」 「はい、我ら義により助太刀をする」  ブリーの言語情報は貰っているので、相手の理解できる言語で通信をするのは難しいことではない。ただそれは、アリスカンダル側の事情でしかない。いきなり大艦隊が現れ、自分達の言葉で助太刀をすると言ってきたのだ。そんな話が直ちに理解できるはずがなかったのだ。 「どうやら、戸惑っているようだな」  そこで少しだけ口元を歪めたコダーイ王子は、前方に迫る20の小惑星をスクリーンに映し出した。 「新生アリスカンダル艦隊の初陣には物足りないが……」  だが信頼を勝ち得ていくためには、小さな積み重ねが必要となってくる。特にトラスティの信頼を得られるのであれば、仕事の大きさなど小さなことだった。 「ハイパーソリトン砲エネルギー充填110%」 「ターゲットスコープオープン」 「対閃光耐衝撃防御!」  次々とハイパーソリトン砲発射のシーケンスが進み、コダーイ王子は連動トリガに指をかけた。これが、新生アリスカンダル艦隊の号砲になるのだと。 「ハイパーソリトン砲、拡散モードで発射っ!」  自分の号令に従い、コダーイ王子は連動トリガを引き絞った。彼の乗っているプレアデス級の艦首が光に満たされ、眩いばかりの光が真っ直ぐに伸びていった。そして僚艦9隻からも同じように光が伸びた。そして10隻から射出された高エネルギーのビームは、まるで蜘蛛の巣をはるかのように広がり接近する小惑星を飲み込んだ。そしてその光が消えた後には、20の小惑星は姿を消していた。 「小惑星群の消滅を確認っ!」  そこでふっと息を吐き出したコダーイは、「アイハラ」とレーダー担当を呼んだ。 「はい、王子っ!」 「ケイオスとか言ったか。奴らはどこに居る?」  そこでレーダーを確認したアイハラは、「外周方向1億5千万キロに艦影多数っ!」と声を上げた。 「レムニア艦隊がまだなら、我々が始末を付けるか……」  ふむとコダーイ王子が考えたところで、アイハラから新たな報告が挙げられた。 「新たな艦影が現れました。識別信号確認。レムニア帝国第10艦隊ですっ!」  出番が消えたことに少しだけ落胆したコダーイは、「観測に集中せよ!」と命じた。 「トラスティ様の虎の子部隊の実力を見せてもらおうっ!」 「はい、観測ポッドを射出しますっ!」  小惑星セレスタへの対応までは、まだ十分な時間的余裕があったのだ。だからコダーイは、味方の戦いぶり観察を優先した。レムニア帝国第10艦隊が負けるなどとは、露程にも思っていない。虎の子の部隊の実力を、是非とも見せてほしいと思っていたのだ。 「あれが、超銀河連邦最高の戦力か……」  美しいなと、その流麗な姿にコダーイ王子は感嘆の息を漏らしたのだった。  レムニア帝国軍軍人に、相手を見下すような愚か者は存在しない。戦闘宙域に現れたレクシュは、直ちに全艦に対して攻撃準備を命じた。生死をかけた戦いである以上、どんな小さなミスでも己の命に繋がってくるのだ。そして戦う相手に対して、敬意を忘れることもなかった。 「リゲル帝国剣士殿は?」  レクシュは、ブリッジに控える10剣聖筆頭モルドレードに声を掛けた。皇帝直属部隊の出撃と言うことで、リゲル帝国からは10剣聖筆頭が派遣されたのである。そのあたり、カナデがアリエルに対して意地を見せたと言うところだろう。 「すでに準備はできております」  軽く会釈をしたモルドレードに、「感謝します」とレクシュは小さく微笑んだ。レムニア帝国にとって、リゲル帝国剣士は1千ヤー以上昔から恐怖の代名詞となっていたのだ。その筆頭たる存在と、こうして異なる銀河で共同戦線を張っているのだ。戦い自体は小さなことだが、両帝国の歴史上画期的な出来事である。 「敵艦との距離、10光秒に接近しましたっ!」 「全艦ξ粒子砲発射用意」 「全艦ξ粒子砲発射用意完了」  未来視研究に協力する中で、光速を超える粒子としてξ粒子の研究が進められていた。第10艦隊に配備されたξ粒子砲は、その研究成果の一つとなるものだった。ただ未来を見るためでなく、光速を超えた攻撃手段として実用化されたのである。 「斉射っ!」  レクシュがさっと右手を薙ぎ払うのと同時に、10光秒離れた敵艦が一斉に爆発をした。 「敵艦全艦消滅っ!」 「突入隊は来ませんでしたね」  ほっと息を吐き出したレクシュは、「お手を煩わせずにすみました」とモルドレードに微笑みかけた。その微笑みが綺麗だったので、ついモルドレードも照れてしまった。 「いえ、貴艦を不浄な血で汚さずにすみホッとしております」 「剣士の方々には、肩透かしだったのではありませんか?」  小さく笑ったレクシュは、「アリスカンダル艦隊に合流を」と命じた。これでブリーにとって直近の危機は去ったが、まだ大物が残っていたのだ。そしてこれからの方針について、「マイン・カイザー」から指示を受ける必要があったのである。 「アリスカンダル艦隊、コダーイ王子より入電です。「見事な戦いでした」以上」 「称賛いただき感謝しますと返してください」  それだけを指示し、「では行きましょうか」とレクシュは全艦に移動を命じたのだった。  「誰を招待すればいい?」と言うのが、非常識すぎる戦いの始まりだった。公共福祉局と宇宙軍サテライトオフィスの2箇所同時に発生した襲撃を撃退したところで、トラスティがサテライトオフィスに現れたのである。「誰を」と言うのは、その時に発せられた問い掛けだった。 「誰をって……」  意図が掴めず絶句したレックスに、トラスティは「強引な招待を考えていてね」と笑った。 「最前線で、宇宙での戦いを見てもらおうと思っているんだよ。その方が、説明が早いだろう?」 「軍の中が大混乱……にすでになっているか」  はあっと息を吐き出したレックスは、「幕僚会議のメンバーだ」と招待客を指定した。 「カンチアゴ大将、ベルーガ中将、アトレチコ中将、エトロフ少将、ウブド少将、パタヤ少将、ネグロス少将、戦術隊のミンドロ大佐、科学班のウェタル教授……書記局のセスパタ少佐だ。おそらく各将軍は、側近の随行を希望するはずだ」  最後に格下の少佐を付け加えたのは、セスパタが彼の友人だからに他ならない。それでも幕僚会議に出席してるのだから、メンバーと言うのに嘘はないはずだ。 「ヒナギク、名前の上がった人達を、その周辺と一緒にゴースロスへ招待してくれ」 「ずいぶんと乱暴な方法をとるのね」  口元に手を当てて笑ったヒナギクは、「10分だけ待って」とトラスティに告げた。そしてヒナギクが消えたのに少し遅れて、リュースがシシリーを連れて現れた。シシリーの表情が思わしくないのは、局が襲われたこととは無関係ではないだろう。 「と、ところで、ノブハルは?」  それでもここに居ない恋人を心配し、トラスティにノブハルの居場所を聞いてきた。 「ちょっとドジを踏んでくれてね。多分だけど、「神」の罠に引っかかっていると思うよ。まあ、彼なら一人で脱出できると思うけどね」 「……ほんと?」  弟と言う触れ込みなのだから、見捨てるとは考えられない。ただ「神」の罠にかかったと言う割に、心配していないのが気になってしまった。だが自分ではどうにもならないので、今は大人しくしていることにした。 「じゃあ、みんなでゴースロスに移動することにしようか」  ヒナギクと命じ、トラスティは全員を問答無用でゴースロスに招待した。ちなみにシシリーにとって、初めての宇宙空間と言うことになる。 「一つ分かっていることは」  そこで大きな声を出し、トラスティは全員の注目を集めた。 「宇宙空間は、地上とは違い奇跡が起きにくくなっているんだ。プローブの配置も、地上とはかなりパターンが異なっている」  質問はとの言葉に、レックスが遠慮がちに手を上げた。 「ちなみに、その理由を聞いてもいいか?」 「もちろん!」  大きく頷いたトラスティは、「とても簡単な理由だよ」と全員の顔をグルッと見た。 「「神」は、地上の人々が宇宙に来ることを考えていないからだよ。宇宙に来た者たちに恩恵を授ける必要はないんだから、地上とはプローブの構成が異なっているんだ。宇宙に配したプローブは、人類が宇宙開発をしていないかどうかの監視に用いられている……と考えた方がいい」  それが一つと、トラスティは別の理由を持ち出した。 「地上で起こしているような奇跡は、宇宙レベルではゴミのようなものなんだよ。光の速度を超えて移動するとか、攻撃に対してバリアーのようなものを張るとか、やっていることの規模が大きくなるんだ。その意味でも、地上と同じことをしている訳にはいかないんだ」  いいかなと問われ、レックスは「分かった」と質問を終えた。 「これから、隣の会議室にレックス氏が推薦してくれた人達を招待する。そこで彼らに、宇宙の現実を知ってもらうのと、ブリーが救われるところを見てもらうことにした。それで信用して貰えると期待するのは、流石に甘すぎるのだろうけどね。ただ、敵ではないと思ってもらえば上出来だと思っているよ」  そこで少し上を見たトラスティは、「半数が揃ったね」と強引な招待状況を口にした。 「ちなみに、面倒なことになるから君達は招待客の前には出さないことにするよ。ここで食事でも休憩でも、自由にして貰っていい。招待客への対応は、僕とリュースですることにする。何しろ僕達は、正真正銘の宇宙人だからね」  そこでパチンと指を鳴らし、トラスティはクリスタイプのアンドロイドを呼び寄せた。タンガロイド社のカスタマイズによって、いずれも20代前半の美しい姿が割り当てられていた。 「なにかして欲しいことがあれば、遠慮なく彼女達に命じてくれないかな。多分だけど、至れり尽くせりのサービスを受けられると思う」  そこまで説明してから、トラスティはレックスの顔を見てからぽんと手を叩いた。 「ただ、性交渉ができるタイプじゃないんだ。だから、そちらのリクエストはしないで欲しい」 「……どうして、それを俺だけに言ってくれるんだ?」  ムスッとしたレックスに、「該当者は一人だから」とトラスティは嘯いた。 「男なら、もう一人いるだろうっ!」  そこにと指さしたレックスだったが、しっかりとしがみつくフェイを見て、「確かにそうだ」と文句を引っ込めた。 「……どうして俺を見てから除外する。いや、仲間に入れてくれなくても構わないのだが……」  なにか気分が悪いと文句を言うナイトに、「俺に、ロリコンの変態だと言わせたいのか?」とレックスは言い返した。 「しっかり言ってるじゃねぇかっ!」  俺はロリコンでも変態でもない。それはナイトの心からの叫びなのだが、誰もまともに受け取って貰えない叫びでもある。一同の中に笑い声が響いたところで、トラスティはその輪の中から静かに抜け出していった。  それをこっそりと追いかけたリュースは、トラスティに追いつくと「どうかしましたか?」と左腕を捕まえた。 「なにか、浮かないって顔をされていますよ」 「そんな顔をしていたかな?」  ううむと悩んだトラスティに、「隠しきれていませんね」とリュースは笑った。 「ひょっとして、ノブハル様のことですか?」  現時点での誤算は、ノブハルが「神」の罠に落ちたことだ。彼が「息子」だと考えれば、心配になるのも不思議ではない。そこに理由を求めたリュースに、「確かに心配だね」とトラスティは認めた。  ただその反応に、リュースは「外したか」と受け取った。 「あまり、心配していないように見えますね」 「そんなことは言わないけどね。まあ、大丈夫だろうとは思っているよ。彼も、これまで色々と経験を積んできたんだ。シルバニア帝国艦隊の精鋭も付いているから、うかつな真似をするとも思えないし」 「だとしたら、何を気にされているのですか?」  左腕を胸に挟んできたリュースに、「色々と」とトラスティは言葉を濁した。そこでリュースに不満そうに見られ、「本当に色々とあるんだ」と言い訳がましく付け加えた。 「例えば、「神」の攻撃がここまでなのかとかね。そもそも、この「神」を作った文明はどうなったのかとか。後はそうだな、落とし所をどうしたら良いのかとかだね……」 「落とし所……ですか」  もうそんなところに来ているのか。驚いたリュースに、「必要なことだよ」とトラスティは口元を歪めた。 「その意味で言えば、ノブハル君の動きにも不安があるんだけどね。ちょっと彼は、勇ましすぎるから……」  ふうっと息をついたトラスティに、「分かる気がします」とリュースは笑った。 「意外に思慮の浅いところがありますよね。今回も、功を焦ったと言うのか、後先考えずに突っ走っているとか……「神」を破壊すれば終わりと考えているところがありますね」  そこまで口にして、「ああ」とリュースは頷いた。 「確かに、落とし所を考えるのは必要ですね。何しろUC003内部に、「神」はこれだけ根を下ろしているんですからね。いきなり全部壊してしまったら、色々なところで被害が出ますね」  なるほどなるほど頷いたリュースに、「そう言うこと」とトラスティは笑った。そんなトラスティに、リュースはクリティカルを放った。 「そしてトラスティさんは、さらなる非常識な世界に踏み出すわけですか」  だから浮かないんですねと言われ、トラスティははっきりと顔を引きつらせた。 「どうして、そう言う話になるんだい?」 「トラスティさんが、「神」を誑し込んだからですよ。ラクエルさんとメリタさんは違いますけど、アルトリアさんは間違いなく「神」が誘導しましたよね。しかも「神」って、アルトリアさんの体を使ってますよね?」  誑し込んでるぅ〜とからかわれ、「どうなんだろうね」とトラスティは白を切った。 「その辺り、アルテッツァと同じ方法をとるんですか?」 「やらないから!」  絶対にと否定したタイミングで、「全員連れてきたわよ」とヒナギクが報告してきた。 「みんな、懸命にデーターをとってるわ」 「まあ、貴重な体験だからね。少しでもデーターをとろうとするのは不思議じゃないね」  少しだけ口元を歪めたトラスティは、「ここからは演出が必要だね」とリュースの顔を見た。 「確かに、お役所の説明会みたいなものじゃ退屈ですからね。ここは、やはり期待に沿わないと」 「奇をてらうのは趣味じゃないんだけどね」  そう答えたトラスティに、「嘘ばっかり」と言ってリュースは離れた。 「今回は側近まで連れてきちゃいましたから、警戒も必要ですね」 「「神」だけじゃなくて、通常の兵器にも注意が必要と言うのは分かっているよ。むしろ「銃」だったかな、それを使ってくれた方が目立って良いかもしれない」  全長500mのゴースロスだから、部屋の間を歩いても大した距離がある訳もない。途中階を空間移動でショートカットし、トラスティとリュースはブリー宇宙軍幹部を集めた会議室の前にたどり着いた。 「ヒナギク、中の様子はどうかな?」  中に入る前に確認したトラスティに、「まだ混乱は収まってないわ」と言うのがヒナギクの答えである。 「ヒステリックに騒ぎ立てるのと、部下を使って扉を破ろうとされているのと、調度品を分析しようとされている人……等々と言うところね。お陰で、テーブルが5つ、椅子が20脚ほど壊れてしまったわね。後は、銃弾で壁紙が破れたぐらいかな。跳弾でけが人が出ないように、銃弾は潰れて下に落ちるようにしておいたわ。ただ扉に体当たりをされた人の中には、軽い打ち身になられた方もいるわね」  鍛えているから大丈夫と笑ったヒナギクは、「そこそこの損害かな」と損害額を示した。 「後から請求する?」 「それも一つの手なんだけどね」  まあ良いよと笑い、トラスティは扉に手をかけた。だが開こうとしたところで考え直し、扉の隣の壁から入ることにした。反対側で、扉を破ろうとする無駄な試みが続いていたからだ。 「とりあえず、肉体強化はしておくか」  リミット2と、トラスティはカムイの力を少しだけ解放した。多少の物理攻撃を避けられると言う意味も大きいが、それ以上にあったのは体が金色に発光することだ。最初の演出としては押さえたものだが、「違う」ことを際立たせるには適当な演出でもある。 「じゃあ、私は機人装備でも装着しますか」  そこで右手で軽く左手の甲を叩き、リュースは機人装備を装着した。これで、二人共宇宙空間に放り出されても問題のない装備を装着したことになる。  「じゃあ行こうか」と二人が壁をすり抜けたのは、男五人が肩から扉に体当たりをしたときのことだった。結構大きな音がしたのだが、当たり前のように会議室の扉はびくともしなかった。 「それ、いくらやっても無駄ですから」  肩で大きく息をする男達に、トラスティは笑いながら声を掛けた。そして殺気立つ男達の前をゆっくりと歩き、ポッカリと人の居ないところで立ち止まった。そこでトラスティは、芝居がかった身振りで男達に向かってお辞儀をした。 「皆様、ようこそゴースロスへ。私は、トリプルA取締役のトラスティと言います。そして隣りにいるのが、護衛兼愛人のリュースです」  以後お見知りおきをと、トラスティはもう一度大げさに頭を下げた。そして事情が掴めずざわめく男達に、「後から請求書を回します」と言って壊れたテーブル、椅子、壁紙に穴の空いた壁を指差した。 「まあ、いきなり連れてこられたのですから、多少のディスカウントは考えています」  さてとわざとらしく咳払いをしたトラスティは、全員に見えるように2つの映像を投影した。 「私から見て左側の映像は、総数20の小惑星群です。直径は10kmから15kmの大きさで、70時間ぐらいですか。それぐらい後に惑星ブリーに激突します。惑星ブリーを滅ぼすのなら、この内1つでも十分なのですが。どうやら「神」と呼ばれる者は、念には念を入れてブリーを滅ぼしに来たようですね」  そこでようやく、「お前たちの仕業だろう」と言う怒号が上がった。それを綺麗さっぱり無視したトラスティは、「次は右手側を見てください」と右手側の映像を示した。 「ちょうどビアンコの軌道面1億5千万キロ離れたあたりの映像になります。こちらには、皆さんに馴染みの深い船が映っているのではありませんか?」  トラスティの言葉に合わせ、一部のエリアが拡大投影された。それで判ったのか、「ケイオスだと」と言う声が招待客のあちこちから上がることになった。 「そう、皆さんがケイオスと呼ばれている者達です。ただ、これまでとは違い、ピッタリ1千隻と言う大艦隊で迫ってきています。同時に、これまでの侵入経路から離れていますので、皆さんはまだ察知できていないはずです」  小惑星の接近だけでも絶望的だったのが、更にそこにケイオスが加わってくれたのだ。当然のように、全員の口から言葉が消え失せた。 「これだけで、皆さんの迎撃能力を超えてしまったわけです。しかもみなさんの宇宙艦隊は、コーギス信者のテロによって身動きが取れなくなってしまった」  違いますかと、トラスティはその中で最上位に居るカンチアゴに声を掛けた。 「大将閣下。私の言っていることに、なにか間違いはありますか」  いきなり指名されたカンチアゴは、口を開きかけたところで固まり。それから大きく息を吐きだしてから、「何が狙いなのだ」と声を絞り出すように聞いてきた。 「その説明の前に、ある惑星の今を見てもらいましょうか」  トラスティの言葉に合わせて、赤く焼けただれた惑星の映像が映し出された。 「ここからだと、およそ2万光年離れた位置にある惑星です。もともとは豊かな大地の恵みのある、美しい惑星でした」  赤く焼けただれた惑星の隣に、青い海と白い雲の浮かぶ星の姿が映し出された。 「この星の者たちは、自分達の星をトリトーンと呼んでいました。彼らは順調に技術開発を行い、光を超える技術を手に入れるところまで発展したのです。そして近傍にある氷に包まれた第4惑星を、人工太陽によって人の住める環境にまで改善する技術力も持っていました」  別のスクリーンに、第4惑星の今と過去が映し出された。方や赤い大地が広がり、一方は一面白の世界になっていた。 「すでに皆さんお気づきだと思いますが、トリトーンでも「神」との戦いが起こりました。その戦いの中コーギス信者が人工太陽を破壊したことで、トリトーンは大気を剥ぎ取られ、一面焼けただれた惑星になってしまいました。そして第4惑星は再び雪に包まれることになったと言うことです。それでも僅かな人々が生き残り、20光年ほど離れた恒星系に移住を行っています」  そこで映し出されたのは、星間物質の雲に浮かぶフレッサ恒星系の姿だった。 「この恒星系は、7つの恒星が存在します。そしていずれの恒星系でも、生命が発生し文明が興っていました。生き残った僅かな者たちは、この星に降りて新たな安住の地としたわけです。ただ彼らの持っている船では、光速を超えた長距離の移動は困難なものでした。ですから多くの人達は、第4惑星の施設で冷凍睡眠状態で助けを待つことにったのです」  新たにスクリーンに映し出されたのは、マイナス80度の世界に広がる数々の冷凍睡眠ポッドだった。 「およそ1千の冷凍睡眠ポッドが使用されていました。現在私共で回収し、およそ7割の方々の蘇生に成功しています。先ほど説明させていただいた情報は、第4惑星の施設並びに蘇生した方々からヒアリングをした結果です。それから一部の人々が逃げ延びた先にも、「神」はその手を伸ばしていました。そちらでは、「神」はただ信仰の対象であり与える者として存在していました。それだけなら、僕達は手を出すつもりはありませんでした」  そこで言葉を切って、トラスティは集められた男達をぐるりと見渡した。初めは騒いでいた者も居たが、今はトラスティの話を一言も聞き漏らすまいと全員が集中していた。 「第4惑星で眠る人々を収容するため、私共は救助隊を派遣しました。「神」は、そこにケイオス100隻送り込んできたのです。そして私共の救助隊を攻撃してくれたと言うことです。事前警告もなく、しかも救助活動をしている者への攻撃です。私共は直ちに反撃し襲ってきた者達を撃破しました。すでに個人的に先程の星系と繋がりのあった私は、そこで「神」が危険な存在だと認識をしたわけです。そして「神」の尻尾を掴むため、この銀河を調査し、「神」と戦っていた惑星ブリーにたどり着きました。惑星ブリー上でしばらく生活をし、「神」がこの星に対して何をしようとしているのか。小惑星セレスタの接近を知り、「神」の目論見を挫くことに考えたと言うことです」 「「神」の目論見を挫く……と言ったな」  カンチアゴの言葉に、「言いましたよ」とトラスティは返した。 「とりあえず、接近する小惑星群とケイオスを破壊することにしました。それを皆さんに、最前列で見ていただく。無理やりでしたが、それが皆さんをご招待した目的になります」 「最前列と言ったな。つまり、この船でやると言うことかっ」  言葉使いに敵意がこもっているのは、トラスティ達の正体が掴めていないからである。まるで親切のように言っているが、これが自作自演でないと言う保証はどこにもなかったのだ。 「いえ、これは単なる旅客移動用ですからね。できないことはありませんが、もう少し効率的な方法を取ります。皆さんの場合、基地に居ては宇宙で何が起きているのか。おそらく知ることができないと思いますからね。蚊帳の外に置かないためとお考えください」  そこで少し頷いたトラスティは、「小惑星群を見てください」と左手の方を示した。トラスティの動作に少し遅れて、小惑星群の移動方向に多くの船が現れた。 「あれは、アリスカンダルと言う惑星の持つ武装艦です。大規模破壊に適した装備を持っているので、小惑星群破壊を任せることにしました」  ブリーの持つどの船より大きいのだが、比較対象が無ければ大きさは理解できない。ただ彼らの常識とは違う船体の形に、異星の船だと言うことは理解することができた。  そして彼らが見守る前で、アリスカンダル艦隊は小惑星群に向かって平面となるよう隊形を整えていった。その移動速度は、彼らの常識からすると驚異と言える迅速さだった。 「間もなく、攻撃が行われるようですね」  その言葉から10秒ほど過ぎたところで、艦隊の船の先端を白い光が包んだ。そして白い光はネットとなって小惑星群を襲い、欠片も残さず消し去ってみせた。  これでブリーは、驚異を一つ乗り越えたことになる。だが集まった者達の顔からは、完全に血の気が失せていた。アリスカンダル艦隊から行われた攻撃は、小惑星群など及びもつかない驚異と受け取られたのである。 「次は、ケイオス艦隊ですね」  トラスティが右手を差し出すのに合わせて、銀色に輝く優美な姿をした船が姿を表した。 「こちらは、レムニア帝国第10艦隊となります。おそらく、私共の保有する艦隊としては、最強と言って良いものだと思います」  一瞬も見逃すまいと目を血走らせた男達の前で、第10艦隊は想像を絶する速さで隊形を整えた。そして隊形を整えたと思った次の瞬間、ケイオス艦隊1千が一斉に爆発をした。アリスカンダル艦隊の攻撃に震撼した男達だったが、第10艦隊の見えない攻撃には完全に言葉を失った。 「これで、2つ目の驚異も排除されたことになります。残る驚異は、小惑星セレスタなのですが……」  そこで男達の顔を見たトラスティは、今は話をしても無駄だと理解した。あまりにも想像を超えた出来事の前に、彼らは完全に自失していたのだ。お陰で、第10艦隊がありえない速度で移動したことにも気づけないでいた。 「コダーイ王子、レクシュ司令から連絡が入っています」  普段になく丁寧な物腰で現れたヒナギクだったが、はっきり言ってその配慮は空振りに終わった。言葉を失った男達が、まだ現実に戻ってきていなかったのだ。 「時間ができたから、今話すことにするよ」  出してくれとの命令で、トラスティの前に二人の人影が現れた。そのうちの一人がアリスカンダル王子コダーイで、もう一人が第10艦隊司令レクシュである。  二人はトラスティの前に並ぶと、それぞれのやり方で敬意を示した。 「コダーイ王子、使いだてして申し訳ありませんでしたね。しかし、見事な攻撃ですね」  大したものですとの言葉に、コダーイ王子はもう一度頭を下げた。 「お褒めに預かり恐悦至極でございます」 「そんなに畏まらなくてもいいですよ」  そう言って笑ったトラスティは、「実力の一端を見せてもらった」とレクシュを見た。少し頬を染めたレクシュは、「マイン・カイザーのお役に立てたことが至上の喜びです」と頭を下げた。  コダーイ王子とレクシュの仰々しさに呆れながら、「もう一つ仕事を終わらせてくれ」とトラスティは命じた。小惑星セレスタを対処しないと、惑星ブリーの驚異は取り除かれては居ないのだ。  それを命じたトラスティに、「恐惶謹言」とレクシュは口を開いた。 「どのような方法がお好みでしょうか?」 「破壊以外に、どんな方法があるのかな?」  尋ね返したトラスティに、「各種対応が可能です」とレクシュは答えた。 「跡形もなく破壊するのであれば、コダーイ王子殿にお願いする方法もあります。私共では派手さに欠けるのですが、超重力場に落とし込む、虚数空間に落とし込むことでも消し去ることは可能です。当然破壊もできますが、切り刻む形になるので後始末が少し面倒なのかと。それ以外にも軌道を変える事もできますし、その気になればブリーの衛星軌道に置くこともさほど難しくはありません」  例を並べあげて「御沙汰を」と迫られ、どうしたものかとトラスティは考えてしまった。ただ自分では決めきれないと、責任をブリーの人々に投げ渡すことにした。そこでもう一度カンチアゴを頼ろうとしたのだが、生憎現実復帰には遠そうだった。 「ヒナギク、カンチアゴ大将をこちら側に呼び戻してくれないかな?」 「はい、直ちに」  その言葉通り、カンチアゴの体がビクリと動いた。そして慌ただしく首を動かし、「夢ではないのか」と声を漏らした。 「ええ、夢ではありませんよ」  そう言って笑ったトラスティは、「お尋ねしたいことがあります」と小惑星セレスタの映像を示した。 「このまま放置すると、1ヶ月もしないでブリーに衝突します。ですから、今のうちに対処しようと思うのですが……その方法を伺いたいのですが?」 「方法、だ、と?」  ぎょろりと目を剥いたカンチアゴに、「方法です」とトラスティは繰り返した。 「先程同様綺麗さっぱり破壊するのか、さもなければ軌道を変えて無害な存在にするのか、はたまたブリーの衛星軌道を回る衛星にするのかと言うことです」  どれが良いと問われても、即答しろと言うのが無理な問題だったのだ。ますます表情を険しくしたカンチアゴは、「政治の問題だ」と自らの責任を放棄した。 「軍人にできるのは、破壊か軌道を反らすことまでだ。ブリーの衛星にするのは、政治判断が必要となる」 「適度に引力があって、宇宙港にするのにちょうどいいと思ったんですけどね」  ただ言われてみれば、軍人に判断を求めることではないだろう。それを認めたトラスティは、第3の答えをレクシュに提示した。 「軌道修正に近いけど、そのままゆっくり遠ざかる方向に軌道を変えてくれ」  できるのかなと問われたレクシュは、「容易いことです」とそこそこ立派な胸を張った。 「準備を含めて1日ほどお時間をいただければ」 「だったら、そうしてくれるかな」  トラスティの指示に、「拝命いたしました」とレクシュは頭を下げてから姿を消した。そしてコダーイ王子は、「帰りがけに一度お立ち寄りください」とトラスティの来訪を依頼してから姿を消した。 「さて、これで皆さんにお見せするイベントは終了いたしました。これから皆さんを元の場所にお送りしますが、その前になにか聞いておきたいこと、言っておきたいことがありますか?」  どうですかと、トラスティはヒナギクによって現実に連れ戻された男達に声を掛けた。 「……ありすぎて困るのだが」  困惑を顔に出したのは、科学的分析の責任者であるウェタル教授だった。 「それを整理してから、話をさせては貰えないか? 今の状況では、頭の整理ができるとは思えないのだよ」 「ウェタル教授でしたね。仰ることは理解できます。でしたら、こちらに何人か連絡員を残していただいて結構ですよ。通信手段も提供いたしますから、それで宜しいでしょうか?」  自分の予想した以上の申し出に、ウェタルは「本当に良いのかっ!」と声を上げてしまった。 「ならば、是非とも私が残りたいところなのだが……少しだけ人選に時間をくれないか」 「急ぎませんから、別に構いませんよ」  他にと、顔を見られた中から「私が」と一人の少将が名乗り出た。少し年配の白い髭をはやした少将は、名をウブドと言った。 「君達は何者なのだ? トリプルAと聞いた気がするが、それは一体何なのだ?」 「確かに、説明は必要なのでしょうね」  映像を消したトラスティは、自分に注目する男達の顔をゆっくりと見ていった。 「信じられないかもしれませんが。私達は、この銀河の外からやってきました。と言っても、ここから観測できるのかは分かりませんけどね。1万と3の銀河で構成された、超銀河連邦と言う物があります。私はその中の天の川銀河にあるジェイドと言う星から来ています。そして同じ天の川銀河のレムニアから、ケイオスを殲滅した艦隊を呼び寄せてあります。それとは別に、ヨモツ銀河と言うものもあります。小惑星の脅威を排除した艦隊は、ヨモツ銀河にあるアリスカンダルと言う星から派遣してもらいました」 「異なる銀河から来た……と言うのか」  予想を超えたスケールに、男達の間に動揺が走った。同じ銀河内でも絶望的な距離があるのに、そのさらに外から来たと言われたのだ。 「この船の性能であれば、隣の銀河でもさほど時間は掛かりませんけどね。光速のおよそ5億倍の速度が出せますから、隣の銀河でも2日あればたどり着くことができますよ。他にも空間移動の技術もありますが……それは、皆さんが体験されたとおりです」  ここに集められた者達は、全員が同じ場所に居たわけではない。一部の者達は、アカプスを離れブリーに残っていた者も居たのだ。それを考えれば、「空間移動」の技術にも納得がいくと言うものだ。 「そしてトリプルAと言うのは、超銀河連邦内にある私企業のことです。まだ発足して時間の浅い、ベンチャーのようなものですね」  そこまで説明したところで、トラスティはパンと手を叩いた。 「皆さんには、2時間ほど時間を差し上げます。食事も用意いたしますので、ゆっくりと考えを整理してください。ここに残られる方を選任していただいた後、元の場所にお送りいたしますよ。もしも追加のリクエストがあるのなら、その時にお願いします」  それからと、トラスティは脱出を阻んだ入り口を指さした。 「一部区画を開放することにします。ただ、それ以外の場所には移動できませんので無駄なことをしないように。ベッドルームもありますから、仮眠を取りたい方はご利用ください」  それからと、残骸となったテーブルと椅子を指さした。 「こちらの弁償は、どなたに請求書を回せばいいか、合わせてご回答願います」  そこまでの説明を終えたところで、トラスティとリュースは姿を消した。自分も経験したことなのだが、未だ自分の目を信用出来ないのだろう。トラスティ達の姿が消えたところで、男達は再びざわざわと騒ぎ出したのだった。  トラスティがブリー宇宙軍幹部たちを手玉に取っていた頃、遠く離れた地で2つの変化が起きていた。そのうちの一つは、ノブハルが自分を捉えた罠の正体にたどり着いたことである。そしてもう一つが、ノブハル達が目指したガス雲の中から巨大な構造物が姿を表したことだ。その物体は、大きさは長辺で50kmを超え全体に銀色の液体金属をまとっていた。そして現れた直後にガス雲から構成ガスを吸い寄せ、密度の高いプラズマ雲としてその身にまとった。その変化が終了したところで、罠を食い破って現れたローエングリンと向かい合った。  巨大要塞戦艦とシルバニア帝国艦隊精鋭の戦いの火蓋は、すぐに切って落とされることになったのだった。  全艦の機能を停止したところで、ノブハルは科学士官をローエングリンに集めた。ただ空間移動はエネルギー消費が激しいため、移動はもっぱらアクサの機能を利用することにした。  そうやって集めた技術士官は、各艦から2名ずつで合計10名となった。それにノブハルとコスワースを加え、総勢12名でこの窮地を脱するための策を考えることにした。ただ観測機器まで停止したため、新たに得られるデーターはない。そのため、ここまでのデーターを元に現在置かれている状況の分析を試みることになった。  そこで「宜しいですか」と手を上げたのは、僚艦アースグリムの技術士官フレンダ少佐だった。ブルネットの髪をショートにした、30過ぎの真面目そうな女性である。 「亜空間航行から、実空間に浮上する際のデーターを見直してみました」  それがこちらと、空間突入の衝撃を示すデーターをフレンダは示した。 「これが、なにか?」  衝撃吸収機能を装備した最新鋭艦でも、軽微な衝撃まで除去することはできない。そのため実空間への復帰の際には、データーとして衝撃発生が記録されていた。 「ちなみに、こちらがブリー近傍で亜空間に突入する際に得られたデーターです」  それを比較したノブハルは、「同じに見えるが?」と両者の違いをじっくりと見比べた。 「ええ、ぱっと見には同じに見えますね。突入速度も違いますから、多少の違いがあってもおかしくないと思っていました」 「つまり、多少ではない違いがあると言うことか?」  ノブハルの疑問に、「はい」とフレンダは肯定した。 「時間軸を、もう少し引き伸ばしてみました。すると、実空間に復帰する際、このように山の頂上が2つに分かれていました。ちなみに別のデーターを調べてみたのですが、このように山の頂上が分かれると言うことはありませんでした」 「つまり、データーを見る限り、実空間から別の空間に突入していると言うことか?」  ノブハルの指摘に、「そう仮説を立てました」とフレンダは別のデーターを示した。 「別空間に突入するまでに、1m程度通常空間を通過したと言うのか……」  なるほどと頷いたノブハルは、「ただ」と自分達の置かれた状況を持ち出した。 「そもそも、ここが通常の空間とは考えられなかったのだ。それを考えれば、この観測データーはそれを裏付けたに過ぎない。今俺達が居る空間が、どのような空間なのか。そしてどうすれば、この空間から脱出できるかを考えなければならないと言うことだ」  そのノブハルの答えに対して、別の士官が意見を求めた。別の僚艦ヴィーザルの技術士官、エルンスト少佐である。カイゼル髭を生やした、かなり鋭い目つきをした男である。 「機能停止前までのエネルギー変換データーを調べてみました。低レベルではありますが、その時点で背景エネルギーを利用することができておりました。ただエネルギー生成量よりそれに要する消費量の方が多いため、機能停止が必要になったわけです」  そこでと、エルンストは全員の前に長ったらしい数式を表示した。残念なことに、ノブハルはその数式の意味を理解できなかった。ただ他の士官達は理解できたのか、「虚数解か?」と口にしてくれた。 「虚数解だと?」  どう言うことだとのノブハルに、「これは」とエルンストは説明を続けた。 「背景エネルギーの変換に関する数式になっています。乱暴な言い方をするなら、与えたエネルギーに対する発生エネルギーを示すものとお考えください。そしてこの数式の第100項から210項が背景エネルギー密度に関係する部分となります。すでにお気づきかと思いますが、背景エネルギー密度が変わらなくても、取り出せるエネルギーがなくなる条件が存在します」 「それが、虚数解と言う訳か?」  なるほどと頷きながら、ノブハルは提示された数式をもう一度眺めた。そして指摘された部分の性質を分析し、エルンストの言いたいことを理解した。 「この部分の正規化で、虚数解を排除していると言うのだろう。そしてこのパラメーター……なんのかは知らんが、このパラメーター次第では、解の実数部分がほとんど無くなるな」 「ノブハル様が気づかれた部分は、艦の周りの空間の性質を示しています。数式における空間定義では、3次元平面での虚数空間を考慮しておりません。理由としては2つあるのですが、その一つは虚数空間に入ることがないことを前提にしているからです。そしてもう一つは、虚数空間まで考慮に入れると、変換回路が肥大化するからです。そのため変換回路から、虚数空間に対する対応部分が省略されています。ただ利用している変換回路の高次部分では、虚数空間が影響してきます。微小ながらも背景エネルギーが利用できているのは、それが影響していると仮定させていただきました」  なるほどと頷いてみたが、さすがのノブハルも完全に理解できたと言う訳ではない。そのあたり、レベル3の星系生まれと、レベル9の星系生まれでは基礎知識が違っていたのだ。 「虚数空間用に回路を変更するのは可能か?」  それはどうだと問われ、「検証レベルなら」とエルンストは答えた。 「現在居る空間の性質を掴む程度なら可能と言うことになります。ただ通常空間に出た際に、エネルギー変換効率はかなり悪化することになるでしょう。それを考えた時、虚数空間対応に変換回路を組み替えて良いのか疑問に感じられます」 「そのリスクは?」  ノブハルは、その意見をローエングリン艦長のコスワースに求めた。 「再度変換回路を組み替えるのに要する時間に関わってきますが……」  そこで少し考えたコスワースは、「復帰時の状況によるのかと」とリスクの前提を持ち出した。 「なにもない空間、もしくは当初のガス雲であればさほどリスクとしては高くないのかと。ですが敵の待ち伏せを受けた場合、ケイオスでしたか。その程度の敵であっても、軽微とは言い難い損害を被ることになります。理由として、防御機能に回すエネルギーが足りなくなるため、外部装甲のみで攻撃を凌ぐことになるからとご理解いただけたらと」 「なるほど、罠がこれで終わりではないと言うのは正しいのだろうな……」  脱出だけにエネルギーを使うと、丸腰で敵の前に出ることになりかねない。その対策無しで脱出するのは、飛んで火に入る夏の虫と言うことになるのだろう。 「ここが虚数空間だと仮定した場合、脱出にどれだけのエネルギーが必要となるのだ?」  ノブハルの問いに、「それは私が」と別の士官が手を上げた。僚艦オーバーハウゼンの技術士官、ミュラー少佐である。 「湾曲重力場の回路構成を変えれば、この空間から脱出は可能かと思われます。そこでのエネルギー消費を押さえるには、クラスター化を実施すれば宜しいのかと。その場合、1隻のエネルギーで湾曲重力場の形成は可能となります。ただ跳躍距離は、1パーセク程度に押さえた方が懸命かと。理由は、ジャンプ先の状況が観測できないところにあります。近距離ジャンプであれば、ジャンプのエネルギーを防御シールドに回すことが可能となります」 「湾曲重力場回路組み換え及びエネルギー変換回路の変更に掛かる時間は?」  ノブハルの問いに、ミュラーは仲間の顔を見てから「30時間いただければ」と答えた。 「恒久措置でないため、耐久性は求められないでしょう。それであれば、変更に要する時間は短縮が可能と思われます。それから、変更措置はオーバーハウゼンで行うことを提案いたします」 「理由は?」  その問いに、ミュラーは「どの艦でも同じだからです」と答えた。 「つまり、ローエングリン以外は差がないからです」 「選択基準がない以上、早いもの勝ちと言うことか」  少し口元を歪めたノブハルに、「興味深い実験ですから」とミュラーも同じように口元を歪めた。  そこで異論が出ないことを確認したノブハルは、「ヨルゲンセン艦長の了解を取るように」とミュラーに釘を差した。自分でもその傾向があるのだが、技術的興味を優先しているように見えたのだ。乗員の安全に関わる以上、どこまで行っても最終責任は艦長にあったのだ。  結果的にヨルゲンセン艦長が「是非に」と答えたことで、オーバハウゼンで全ての変更が行われることになった。そして10時間の作業で、エネルギー変換回路の変更が行われた。そこで潤沢なエネルギーを得たことで、最初の仮説が証明されることになった。 「次は、湾曲重力場の回路変更と言うことになるのか……」  やはり自分はまだまだだと、ノブハルは難局を乗り切るのに役に立たない自分を恥じた。そしてかつての自分を思い出し、これを戒めにしなければと考えていた。少ない経験と思い込みで行動を決めるのは、誰のためにもならないのだと。その意味で言えば、今回「神」に挑むと考えたこともまた、思い上がりと焦りからでた無謀な行動だったのだと。 「ノブハル様、オーバハウゼンでの作業完了まで、あと10時間ほどとなりました。ブリッジクルーも交代で休みをとっております。この機会に、ノブハル様も休息を取られたらいかがでしょうか?」  いろいろと考えていたら、コスワース艦長から休息を勧められてしまった。これまでのノブハルならば、することがなくても「まだ大丈夫だ」とブリッジに残っていたことだろう。 「そうだな。では、作業完了30分前に戻ることにする。アル……今はアクセスできないのだったな」  しかも艦内の機能は、ほとんど停止されていた。そのため艦内移動には、空間跳躍も利用できなかった。 「アクサ、俺を寝室に飛ばしてくれ」  それならそれで、自分にはデバイスアクサが居てくれる。早速アクサに頼り、ノブハルは自分の寝室に行くことにした。正直眠くはないのだが、何も起きないのであれば休息をとっておいた方が良いのだろう。 「肩から少し力が抜けられたようですな」  ノブハルが消えたところで、コスワースは姿を見せたサラマーに声を掛けた。今回の失敗が、成長の糧になったように見えたのだ。 「揺り戻しがなければそうなのでしょうね。それでも、一歩一歩進んでいくのでしょうけど」  小さく会釈をして、サラマーもノブハルの後を追うように空間跳躍を行ったのだった。  レムニアの技術者ができると保証した以上、小惑星セレスタの軌道変更に問題が生じるとは思えなかった。粛々と進む作業をチェックしながら、トラスティはここまでの出来事を整理することにした。ノブハルの勇み足から始まった異変は、ブリーの側では一応終息することになる。ただ問題は、これが本当に解決になっているのかと言うことだった。 「ヒナギク、アルトリアはまだ寝ているのかな?」  その意味で、「神」の情報を確認する必要がある。だからこそのアルトリアなのだが、残念ながらそうそう都合良くはいってくれないようだ。 「流石に、目を覚ましているわ。ただ飲まず食わずで眠っていたから、クリスタイプが看病をしているわね」  看病と言う言葉に、それほどのことかと悩みはしたが。問題はそこではないとトラスティは分かっていた。彼女が失神した状態なら、「神」と繋がることができたのだ。だが目を覚ました以上は、これ以上アルトリアの線は期待できないことになる。そこでトラスティは、身繕いをしているメリタの方を見た。鼻歌交じりに髪を整えているのは、よほど機嫌がいいのだろう。どうやらそのあたり、「過ぎなかった」ことに喜んでいるようだ。 「やっぱり、彼女にもう一度繋がって貰うしか無いのかな?」  せっかく機嫌を良くしているので、少しは可愛そうだと言う気持ちも湧いていた。ただブリーの将来が掛かっていれば、流石にメリタも拒まないだろうと思ったのだ。  仕方がないとトラスティが立ち上がった時、殺気を感じたのかメリタはブルッと身震いをした。そして自分を守るように、両腕で自分の体を抱きしめた。物凄い勘だと驚きながら、「大丈夫だから」とトラスティは近づき彼女に口づけをしようとした。 「どうしたんだ?」  思わず口をついて出たのは、メリタをいたわる言葉ではなかった。何しろメリタは、血の気の引いた顔をして、目からは涙をポロポロと流していたのだ。そこまで嫌だったのかと思い知らされた気になったトラスティだったが、それでも彼女の様子がおかしいのに気がついた。目を開いて自分を見ているはずなのに、何も見ていないように思えたのだ。 「メリタ、どうしたんだ。大丈夫か?」  そこで肩を揺すられ、メリタの瞳にようやく光が戻ってきた。そして心配そうにしたトラスティを認め、「神」がと口にした。 「「神」がどうしたんだい?」  トラスティが大声を出したことで、メリタもようやく状況を理解できたようだ。一度小さく首を振ってから、なにかおかしかったのだとトラスティに説明した。 「その、私に似た人が……大変なことになったと嘆いていたんです。たしか、「開いてはいけない扉を開いてしまった……」と嘆いていた気がしました」 「開いてはいけない扉? それが何のことを言っているのか分かるかい?」  両肩を掴まれたメリタは、「良く分からない」と首を振った。 「ただ、物凄く嘆き悲しんでいることは分かったわ。確か、リセットがどうとか言っていた気もするけど……」 「リセット……って、何をリセットしようと言うのだろう?」  目元を険しくしたトラスティに、メリタは「怖い」と抱きついてきた。正気には戻っていたが、歯の付け根が合わないほど彼女は震えていた。 「な、なにか、白い大きな物が現れたのを思い出したの。その白いものが通った後には、破壊された惑星があった……でも、それが何のことか分からないの。ただ、恐ろしくて、悲しくて、どうにかしようと思ってもどうにもならなくて」  怖いと繰り返して震えるメリタを抱きしめ、トラスティは「コスモクロア」と己のサーヴァントを呼び出した。 「彼女を眠らせてあげてくれっ」  このままだと、恐怖に心が押しつぶされてしまう。それを危惧したトラスティに、「畏まりました」とコスモクロアは針を飛ばした。その効果は絶大で、たちまちメリタはトラスティの腕の中で意識を失った。 「流石に、この状態はまずいな……」  これまで「神」は、意識を失った状態でしかアクセスできなかったのだ。それなのに、意識のはっきりしたメリタに干渉してきている。これがメリタだけならまだしも、他の女性にも同じであれば、銀河中でパニックが起きかねなかった。  とりあえずメリタを寝かせようと抱き上げたところ、針を刺されたメリタがパチリと目を開いた。 「ここはどこ?」  平坦な声で問いかける「神」に、「君がアクシスβと呼ぶ星の近く」とトラスティは答えた。 「破滅の扉が開かれた……今の私には、止めることができない」 「破滅の扉……それは何のことを言っているんだ?」  下手に刺激すると、メリタが目を覚ます可能性がある。慎重に彼女をベッドに寝かせ、トラスティは「神」の真意を尋ねた。 「サルタンが戒めから解き放たれてしまった……」  ああと嘆いたところで、開かれていた目が閉じられた。結局「神」は、一方的にまくしたてるだけでトラスティの問いには答えなかった。 「明らかにパニックに陥っていたな……」  ふうっと息を吐いたトラスティは、「ヒナギク」とゴースロスのAIに呼びかけた。 「インペレーターの用意は?」 「72時間後に再就役になるわ。その48時間後に、ブリーに到着予定」  口元を右手で隠したトラスティは、「時間の短縮を」とヒナギクに命じた。 「嫌な予感がするんだ。関係者全員に時間短縮の通達を出してくれ。それから、マリーカには兄さんと一緒にアルテルナタを連れてくるようにと伝えてくれ」  もう一つと、トラスティは「レクシュ」を呼び出すことにした。そして呼び出しに応え、10秒もしないでレクシュのホログラム映像がトラスティの前に現れた。  右手を胸の下に当てたレクシュは、「お呼びと伺いました」と頭を下げた。 「作業中悪いんだが、これから指定する座標に観測網を広げてくれ」  そこでヒナギクとデーター転送を指示し、「できるか?」とトラスティは質した。 「いささか距離が遠いですね。観測艇を差し向けますので、10時間ほどお待ち下さい……お待ち下さい。重力波の変動を観測いたしました。ただ、近傍にこのような変動を起こす原因が見当たりません。直ちに分析に取り掛かりますので、報告は今しばらくお待ちいただければと」 「重力波の変動?」  首を傾げたトラスティに、「原因は不明です」とレクシュは繰り返した。 「変動自体は、我々に影響を与えるものではありません。ただ、変動パターンが変わっているとの一報がありました。それから観測艇は射出しましたので、10時間ほどで詳細な観測データーをお届けできるかと」 「待つしか無い……と言うことか」  いくら異常データーが出てきても、トラスティにはその意味を分析するだけの素養はなかった。今のトラスティにできることは、ただ結果を待つことだけだったのだ。  皇帝から時間短縮の命令が出された以上、それは絶対の命令となる。トラスティからの命を受け取ったアリエルは、インペレーターに掛ける人員を直ちに倍増させた。お陰で帝国運営に小さくない影響が出るのだが、トラスティの命にきな臭いものを感じ取ったのである。  そんなアリエルに、ガルースが「カナデ様から連絡が入りました」と耳打ちをした。 「ガトランティスに、乗れるだけの剣士を乗せて送り出されたそうです」 「そうか、あちらも時間短縮に協力してくれておるのだな」  うむと頷いたアリエルは、空間に8の字を書いてインペレーターのブリッジへと跳躍した。そこではマリーカを始めとした、インペレーターのメインクルーが最終カスタマイズに勤しんでいた。いくら性能が良くなっていても、使い勝手が悪化していては肝心の時には役に立たない。ギリギリの時にはその差が影響すると、暫定起動されたサラを相手にレスポンスを含めた微調整をしていたのだ。 「どうだ、そちらの具合は?」  その中でデーターを確認してたマリーカに声を掛け、ブリッジの調整具合をアリエルは確認した。 「全体の95%は終わっていますね。このまま行けば、延べ時間で言えば24時間で調整は完了しますね」 「流石に、ぶっ通しと言う訳にはいくまい」  それでは、いざと言う時に過労状態になってしまう。再調整は本番ではなく、あくまで本番前のイベントでしか無いのだと。  ただアリエルの言葉に、「どうしてですか?」とマリーカは不思議そうな顔をした。 「ジェイドからUC003の間は予備スタッフで対応できますよ。一刻でも早くと言うことですから、ジェイドまではこのまま突っ張りします」  その程度は大したことはないと答えるマリーカに、「そうか」とアリエルは少し目元を引きつらせた。アーネットの時にも似たようなことを見ているだけに、本気で遺伝は恐ろしいと思えてしまったのだ。  アリエルに答えながら、マリーカは忙しく情報を整理していった。そしてアリエルの顔を見ないで、「「神」の情報を聞きました?」と尋ねた。 「UC003を覆い尽くすプローブが構成する知識体……と言うのが、技術陣の分析となっておるな。コアとなる人がいるかどうかは、現時点では判断できないと言うのが答えだ」  それがとのアリエルの問いに、「「神」の目的です」とマリーカは自分の疑問を口にした。 「何のために人々を惑星上に閉じ込めようとしたのでしょうね」 「何のために……か?」  ふむと考えたアリエルは、「自分の立場を守るためか?」とありがちな考えを口にした。 「初めは、私もそう考えていたんですよね。でも、ノブハル様が先走ったお陰で、状況が変わってきましたよね。そして「サルタン」ですか、戒めから解き放たれてしまったって……だとすると、「神」はサルタンを解き放ちたいとは思っていなかったことになりますよね。では、何がそのサルタンを解き放つことになったのか」 「ノブハルとやらが原因だと言うことか?」  アリエルの答えに、「多分」とマリーカは頷いた。 「ノブハル様達が罠に捕まった……と言う話だったかと思います。ですが、その罠がノブハル様達を捕まえるためのものでなかったらどうなのでしょう。もしも別の何かを捕まえておくため、「神」がサルタンと呼んだ者のためだとしたらどうでしょう」 「ノブハルとやらが脱出するため、その罠を壊してしまった……と言うことか? それで、サルタンなるものが、罠から抜け出してしまったのだと?」  有り得る話だなと、アリエルは秀麗な眉を顰めた。 「ノブハル様が、見つけた特異点を「神」の居場所だと考えてしまった。そしてピンポイントで、その中に飛び込んでいったと考えてもいいと思います」  きっとそれですと口にしたマリーカに、「それでも疑問はある」とアリエルは口にした。 「ノブハルとやらが、短時間で脱出できるような罠なのだぞ。その罠から脱出できないものが、果たして驚異となるのであろうか?」  レベルが低すぎるとの論評に、「それとこれとは別です」と言うのがマリーカの答えだった。 「それは、罠に嵌められた時の状況にもよりますね。そして、そのもののあり方の方向にもよってくると思います。文明レベルのさほど高くないアリスカンダルの保有する艦隊が、破壊力だけなら連邦でも有数のものを持っているんです。でしたらサルタンが、馬鹿げた破壊力とか持っていてもおかしくないと思いませんか?」  どうでしょうと問われ、「可能性なら」とアリエルは答えた。 「それを否定する言葉を持たぬのだが、かと言って肯定するだけの確証もない。あくまで、推測に推測を重ねただけでしか無いだろう」 「まあ、否定できませんけどね。そのあたり、勘みたいなものですよ」  ケラケラと笑ったマリーカは、「大丈夫そうだ」とようやくデーターから目を離した。 「流石に、24時間ぶっ続けでデーターを見てるのは辛いわ」  目をしょぼしょぼとさせたマリーカは、「とりあえず寝ます」と言って瞳を閉じた。すぐに寝息が聞こえてきたのは、あっと言う間に落ちたと言うことなのだろう。大したものだと感心したアリエルは、何も無い空間で輪を描くように指を回した。 「これは、同じ妻としてのサービスだ」  アリエルの視線の先には、柔らかなブランケットに包まれたマリーカが寝息を立てていた。  同じ頃、惑星ジェイドでも出発準備が慌ただしさを増していた。トラスティからの指定はカイトとアルテルナタだったのだが、アリッサも行くと言って譲らなかったのだ。すでにアルテルナタが未来視で見たことでもあるが、それが現実となるとカイトも「はいそうですか」と受け入れる訳にはいかなかった。トリプルAの業務はなんとでもなるのだが、今回は流石に危険に思えてしまったのだ。  だがアルテルナタから「未来は変わりませんよ」と言われてしまうと、カイトも説得を諦めるしか無い。大きくため息を吐いたカイトは、「手配は進めている」と二人に説明をした。 「ルナツーのウィリアム中佐に、ルリでスターク氏を迎えに行って貰っている。俺達がレムニアに乗り込めば、合流に掛かる時間の分だけ時間を短縮できるからな」 「ウィリアムさんまで付いてくるとは言いませんよね?」  ちょっと気になりましたと口にしたアリッサに、「無いとは思うが」とカイトは少しだけ考えた。 「まあ、来たがるのは想像に難くないがな。何しろ、シルバニア皇帝聖下がストレスを溜めていると言う噂だ」 「今回は、お祭り……と言う事はありませんからね。たぶん、ノブハルさんのことが心配なのでしょう」  可哀想にとライラに同情をしたアリッサは、「大事になりましたね」と今回の探査のことを思った。 「ああ、予想外……と言うことになるのだろうな」  ふうっと息を吐いたカイトは、アルテッツァを呼び出した。それに答えて現れたアルテッツァは、「結構大事になっています」と内情をぶちまけた。 「ライラ様とラピスラズリ様が、少しばかり険悪な状況になっていますね。皇夫ノブハル様の危機ですから、シルバニア帝国には艦隊派遣の名目は立つんですよ。ですが、異なる銀河ともなると、エスデニアの協力が無ければいけませんよね。そのエスデニアなんですが、トラスティ様の指示がなければ駄目の一点張りなんです。ライラ様が食って掛かっているのですが、ラピスラズリ様も頑として拒まれているんです」  だから大変と繰り返したアルテッツァに、「気持ちは分かるが」とカイトは同情した。 「親父としては、不確定要素を増やしたくないだろうからな。それにレムニアから、第10艦隊とやらを呼び寄せているのだろう? リゲル帝国の10剣聖筆頭も乗り込んでいるから、戦力的には1万の連邦艦隊を超えてくれるぞ。しかも機能強化されたインペレーターまで出撃するんだ。局地戦なら、これ以上の戦力は過剰になる」 「その局地戦ですが……」  それまで黙っていたアルテルナタだったが、未来が見えたのかいきなり口を挟んできた。 「結果は見えているのですが、途中過程が物凄く分岐していますね。アリッサ様とご主人様が無事戻られる結果は変わりがないのですが……発生する被害がご主人様の選択で物凄く変わってくるんです」 「それは、戦術と言う意味で言っているのか?」  それが分かれば、こちらが優位に立つことになる。期待を込めたカイトの問いに、「本当に色々」とアルテルナタは答えた。 「流石に、私の能力を超えているのですが……これからご主人様は、数多くの選択が突きつけられることになります。そこでどのような選択を行うのか、未だ定まっていないと言うのが実態なんです。そのくせ星の数ほど分岐した未来が、最終的には一つの結果に収束していくんです。こんな未来視の結果は、これまでで初めてのことなんです」  そこで目を一度閉じたアルテルナタは、「これ以上は無理ですね」と自分の限界を打ち明けた。 「ただ嫌なこととしては、私の未来視が邪魔をすることです。私が見た未来をお教えすると、結果は被害の大きな方に向かってくれます。同じ選択をした場合でも、未来視の結果を知っているかどうかで変わってくるんです。その意味では、私は付いていかない方が良いのではと思えてきました」 「確かに、悩ましい問題だな……」  これまで未来視と言うのは、自分達の武器として役に立ってきたのだ。だが今回は、逆に足を引っ張りかねないと言うのである。 「親父なら、それすらなんとかしてしまいそうな気がするがな……」  カイトの決めつけに、アルテルナタは小さく頷いた。 「ところでアルテッツァ、ウィリアム中佐はどれぐらいでジェイドに到着する?」 「エスデニアの全面的な協力がありますからね。今からなら、4時間ほどで到着されるかと」  そこでアルテッツァが不満そうにしているのは、シルバニア帝国に対して非協力的だからだろう。ただ表立って文句を言えないのは、相手がトラスティだからにほかならない。 「スターク氏も、準備を進めてくれていたのだろうな」  カイトの指摘に、アルテッツァは小さく頷いた。 「おそらくそうだと思いますが……ただ、おまけと言って良いのか……エリーゼ様が同行されるようです」 「まあ、ノブハルがヘマ……と言うのは可哀想か。イレギュラーが有ったからな」  心配するのは分かると。カイトは、ノブハルの妻達のことを考えた。ライラを除けば、本当に普通の女性ばかりが揃っていたのだ。 「それで、お前たちの準備はいいのか?」  カイトの問いに、アリッサは一度アルテルナタの顔を見た。 「仕事の方なら、お姉さまとティファニーさんに任せています。ちょっとティファニーさんには不安がありますが……お姉さまがいらっしゃるので大丈夫だと思いますよ」 「どちらかと言えば、出発の準備の方なのだがな」  そちらはと問われ、「インペレーターですよ」とアリッサは言い返した。 「ルリに乗っている時間は短いですし、インペレーターなら大抵のものは揃ってくれます。手ぶらで行っても問題はありませんっ!」 「娘たちはいいのか?」  そっちを忘れてないかと言われ、「バネッタが付いています!」とアリッサは豊かな胸を張った。 「アセイラムちゃんと3人で仲良くしています!」 「だったら良いか……まあ、俺も準備はさほど時間が掛からないからな」  大丈夫だろうと答えたところで、「主よ」とザリアが呼ばれても居ないのに顔を出した。 「なんだ、いきなり?」  それを訝ったカイトに、「いやなに」とザリアはもう一人別の女性を連れてきた。ふわふわの金色の髪を巻き毛にした、見るからに品の良さそうな若い女性である。 「ジークリンデ、どうかしたのか?」 「お姉さまから、カイト様に付いていくようにと申しつかりましたので。なにやら、これ以上女性が増えないためだとか」  だからですと言われ、カイトは思いっきり嫌そうな顔をした。それを「冗談です」と笑い飛ばし、「何かのお役に立てるかと」とジークリンデは答えた。 「お母様も、それが良いと仰ってくださいました」  そこで顔を見られ、「そうだな」とザリアもジークリンデの言葉を認めた。 「ヘルコルニアの時には、かなり鋭い指摘をしてくれたからな。それから主に注意をしておくが、使い物にならなくしてくれるなよ」 「その、過ぎなければ良いのではと思っています」  顔を赤くして照れるジークリンデに、カイトは「ムラッ」と来るものを感じてしまった。どうやらジークリンデに対して、理性のタガが外れやすい状態が継続しているようだ。  そこで咳払いを一つしたアリッサは、「3時間は自由時間ですよ」とカイトの顔を見た。 「お部屋をお貸ししましょうか?」 「あーっ、それは気の回しすぎだと思うぞ……多分だけどな」  気まずげに頬を掻いたカイトは、「ザリア」と己のサーヴァントに声を掛けた。 「アムネシア娼館まで俺達を送ってくれ」 「エヴァンジェリン達を忘れなかったことを褒めてやろうか」  少し口元を歪めたザリアは、「また後で」と言い残してカイトとジークリンデの二人とともに消えた。  それを見送った二人は、「私達は」と顔を見合わせた。 「娘達と遊んできましょうか」 「遊んで貰いに行きましょうか……が正しい気もしますが」  反対することもないと、アルテルナタは託児所となったアリッサの部屋に行くことにした。  人間本気になれば、不可能を可能に変えることもある。24時間で全ての作業を終えたインペレーターは、駆けつけた同乗者を迎えて出発準備が整ったことになる。結果的に、48時間と言う大幅な時間短縮がなったのだ。そして寄り道も排すことで、移動時間も大幅に短縮が可能となった。  ただその結果、ブリッジは死屍累々の状況となっていた。目の下に隈を作ったクルー達が、異常なハイテンション状態になっていたのだ。しかも、ブリッジにはそこはかとない異臭まで漂っていた。ブリッジに現れたアリッサとアルテルナタ、そしてジークリンデが「臭い」と顔を顰めたほどだ。 「臭いの方は、消臭すればなんとかなりますから」  あははと笑ったマリーカも、どこか煤けているように見えたぐらいだ。休息をとっている彼女ですらそうなのだから、ぶっ通し働いたブリッジクルーの惨状も納得できるものだった。 「でしたら、とりあえずお休みになられたら?」  それを気遣ったアリッサに、「すぐに休ませますよ」とマリーカは引きつった笑みを浮かべた。 「再就役したインペレーターを動かしてから……ですね。とりあえず感触に慣れたら、補助スタッフに任せますから……」  そうそうと、マリーカはいささか躁状態で手を叩いた。 「サラの再起動も必要でしたね」  あははと笑い、マリーカは「モトコ」と声を掛けた。 「サラの再起動ですね。起動コマンドは……」  どれだろうと頭を悩ませたところで、「こうするのよ」と隣から誰かに声を掛けられた。それに「ありがとう」と返したモトコは、慌てて横を向いて「誰?」と教えてくれた相手に尋ねた。 「誰って……インペレーターのAIサラのアバターだけど?」 「なんで、起動前にアバターが現れているのよ」  おかしくないと言われ、「メイプルさんみたいなものだから」とサラは薄めの胸を張った。 「……実体があるの?」 「無いと不便かなって、テスト起動中に作っておいたわ。本当は王子様の目覚めのキスが良いんだけど……」  まあ我慢しておきましょうと、サラは勝手に起動コマンドを入力してくれた。そして一人勝手に「おー」と声を上げた。 「寝てる間に、こんな事になってたのね」  こりゃあ大変だと笑いながら、「出港準備完了」とマリーカに報告をした。  ある意味予想していた、そして予想よりも早いサラの出現に、マリーカはどこか遠くを見る目をした。ただ拘っては負けだし、被害者は自分じゃないと開き直ることにした。 「インペレーター、微速前進。サラ、エスデニアは準備できてる?」 「30分だけ待ってくださいだそうです」  それに小さく頷いたマリーカは、「今のうちに訓練しちゃいますか」と口元を歪めた。 「各員インペレーターの機能を確認。多元転換炉出力上昇。リトバルト発射準備、10%ぐらい負荷を掛けて」 「リトバルト発射準備って……」  おいおいと砲術担当のシュニッツァーがツッコミを入れようとしたのだが、それをマリーカは「機能確認」で押し切った。 「撃たないけど、いつでも撃てることの確認よっ!」 「了解。リトバルト発射準備、ヨシ」  シュニッツァーの報告と同時に、インペレーターの前部に光の輪が現れた。アリッサなどは「綺麗ですね」と見ていたのだが、今度はカイトが「おいおい」とツッコミを入れた。 「なんだ、このバカエネルギーは」 「新装備のリトバルトですよ。フルパワーだと、惑星どころかマジで恒星にも撃っちゃ駄目って代物です。アリエル様が仰るには、対シルバニア帝国最終決戦用だそうですよ」  跡形も残しませんと控えめな胸を張るマリーカに、カイトはもう一度「おいおい」と突っ込んだ。 「いい加減、シルバニア帝国を仮想敵にするのはやめてやれ」 「多分ですけど、あちらもレムニア帝国を仮想敵にしていますよ……」  ケラケラと笑ったマリーカは、すぐに「違うか」と自分の言葉を訂正した。 「いつか、トラスティさんの寝首を掻いてやると思ってるんじゃありませんか?」 「宰相のリンディアはあいつの子供を産んでいるんだがな」  まあ良いと、カイトは次々と行われていくチェックの様子を確認した。 「前より、レスポンスが上がっているか?」 「そうですね。今なら、ゴースロス並ってところでしょうか。もう少しチューニングができれば、ルリ並になると思いますよ」  全長15kmの巨大船が、わずか100mのクルーザー並のレスポンスになると言うのだ。何をやったのだと思わず聞きたくなったぐらいだ。 「特に、今のところ問題はないみたいですね」  うんうんと頷いたマリーカは、サラに「補助クルーを」と命じた。ここから先は、メインクルーは休める時に休んでおく必要があったのだ。 「私一人でも大丈夫なんだけどね……」 「それは、奥の手と言うことにしておきます」  マリーカの言葉に頷き、サラはコントロールをサブコントロールルームへと移した。こちらには、レムニア帝国から派遣されたクルーが、補助的役割をするために詰めていた。ちなみに補助とは言え、出自は近衛にあたる第1艦隊から抜擢された優秀な人材が配置されていた。 「じゃあみんな、6時間ほど休息をとってください!」  マリーカの言葉に対して、誰からも応諾の返事はなかった。ただ全員が、糸の切れたマリオネットのように、それぞれのコンソールに突っ伏したのである。 「おい、休息じゃないのか?」  それを突っ込んだカイトに、「休息ですが?」とマリーカは首を傾げた。 「ここでしたら、すぐに任務に復帰できますからね。後は、慣れのようなものです」  そんなところと笑ってから、「私も寝ます」とマリーカは船長椅子にもたれ掛かった。そしてすぐに、静かな寝息を立ててくれた。 「女の子が、こんな無防備じゃいけませんね」 「……なんだがな。ここから連れ出すと、文句を言われそうだな」  苦笑浮かべたカイトは、「ザリア」と己のサーヴァントを呼び出した。 「なんだ主よ?」  ラズライティシアモードで現れたザリアに、「なにか掛けてやってくれ」とカイトはマリーカを指さした。それをなるほどと受け取ったザリアは、傍らに落ちていたブランケットを拾い上げた。 「おいおい、それは可哀想だろう」 「なに、ちゃんと綺麗にして使ってやるぞ」  ほれと軽く振ったと思ったら、ブランケット自体が少し厚手の物に変わってくれた。 「まあ、こんなところだろう」 「じゃあ、俺達は茶でも飲んでいるか?」  そこで顔を見られたアリッサは、「そうですね」と小さく頷いた。ここで話をしていると、休んでいるクルーの迷惑になることだけは確かだったのだ。 「では、お茶でもしていましょうか。お義兄様は、ジークリンデさんと楽しまれても良いのですよ」  遠慮なくと言われ、カイトは少しだけ顔を引きつらせた。 「せっかくサラが復帰したのだから、ちょっと色々と調べようと思ってな。ジークリンデには手伝って貰おうと思っている。何しろ今度の敵は、少しばかり分かりにくいからな」 「「神」でしたか。確かに、今までとは少し違っていますね」  そこで8の字を書いたアリッサは、「話なら別の場所で」と全員を小さめのサロンへと案内した。機能的には関係のないはずなのだが、今回のバージョンアップでサロンも改装されていたのである。「シックで品の良い環境を作ったぞ」とアリエルに言われたのを、アリッサは楽しみにしていたのだ。  予定の10時間より少しだけ早く、湾曲重力場の回路変更は完了した。それをローエングリンのブリッジで知らされたノブハルは、「いよいよだな」と舌なめずりをした。「神」との戦いの第1ラウンドは、悔しいが自分達の負けなのだろう。だが最後に勝利すればいいと、ノブハルは次の戦いに挑もうとしていた。そして彼を支えるシルバニア帝国の者達は、着々と虚数空間脱出の手順を進めていった。 「ノブハル様。オーバーハウゼンをコアとしたクラスター化が完了いたしました。いつでも、湾曲重力場の生成が可能となりました」 「虚数空間脱出後、直ちに戦闘態勢に入れるか?」  これで罠が最後と考えるのは、流石に甘すぎるとしか言いようがないのだ。それを気にしたノブハルに、「すでに準備済みです」とコスワースは期待された答えを口にした。 「後は、ノブハル様の号令だけとなりました」 「俺である必要はないと思うのだがな」  少しだけはにかんだ笑みを浮かべたノブハルは、「通常空間に復帰せよ!」と声を張り上げた。 「オーバーハウゼン、湾曲重力場を形成します」 「オーバーハウゼンから連絡あり。何か、重しが付いたような反応があるとのことです!」  その報告に、「重しだと?」とノブハルは眉を顰めた。 「なにか、計算違いが有ったのか?」 「ただいま、ミュラー少佐が分析中です!」 「オーバーハウゼン、更に出力を上昇させますっ!」 「いけますっ! 湾曲重力場所定数値をクリアっ!」 「通常空間に復帰しますっ!」  その報告の直後、ローエングリンから見える景色がガラリと変わった。それまではなにもない漆黒の空間に居たのだが、今は見える範囲に星々が輝いていたのだ。そして背後には、プラズマ化したガス雲が背後を隠すように大きく広がっていた。 「通常空間復帰を確認。動力炉、正常状態に復帰しましたっ!」  報告から安堵を感じられるのは、無事虚数空間から脱出できたことが理由だろう。そこで大きく息を吐いたノブハルは、「ご苦労だった」と奮闘したスタッフ達に声を掛けた。 「これが単なる罠なのか……さもなければ、ここに目指すものがあるのか……」  そのいずれかであるのは間違いないと、ノブハルは「周辺探索は」と問い掛けた。 「現在実行中です。いえっ、そんなことはっ!」  そこで慌てたスタッフに、「どうした」とノブハルは声を張り上げた。 「我々の背後に、巨大な質量が出現しました。エコーから、全長およそ50km」 「小惑星かっ!」  重力を湾曲させたため、近傍に有った小惑星を引き寄せたのかとノブハルは想像した。だが観測スタッフは、「高エネルギー反応を検出っ!」と悲鳴のような声を上げた。 「明らかに人工物ですっ! 要塞、もしくはそれに類するものと思われます」  非常事態ともなると、作戦行動はノブハルの手を離れる。ローエングリン艦長コスワースは、直ちに現宙域から離脱を命じた。相手の正体が不明である以上、直近に居るのは命取りになりかねなかった。 「クラスター化は継続している。オーバーハウゼンごと、100光秒ジャンプしろ」  広い宇宙において、100光秒の距離は目と鼻の先と言って良いのだろう。だが光速の攻撃をしたとしても、到着までに100秒掛かる距離でもある。現れた相手を観測するには、過不足のない距離とも言えたのだ。そして練度の高い彼のスタッフは、忠実に命令を実行して100光秒のジャンプを完了させた。当然のように、ジャンプ前には観測機器を配置していった。  そしてきっかり100光秒移動した彼らは、ガス雲の一部が剥ぎ取られていくのを目のあたりにすることになった。 「すでに、影響範囲が半径100万キロに及んでいます」 「中心にあるのが、正体不明の要塞らしきもの……と言うことか?」  ノブハルの口から、思わず「非常識だな」との言葉が漏れ出ていた。それほどまでに、目の当たりにした現象は想像を絶したものだったのだ。 「観測結果が出ました。要塞らしきものが内包するエネルギーは、本艦の10倍を超えるのかと」 「大きさの割に大したことがないと考えるべきか、それとも恐るべきエネルギー量と考えるべきか」  ううむとノブハルが唸った時、「接近する艦隊を観測!」の報告が挙げられた。 「データー照合完了。ケイオスとされた艦隊、およそ1000が接近してきます」 「遅いお出ましだが、ようやく俺達を仕留めに来たと言うことか?」  未だオーバーハウゼンは復帰していないが、それでもシルバニア帝国最新鋭艦が4隻揃っていたのだ。4対1000と数だけなら圧倒的に不利なのだが、負けるはずがないと言うのがノブハルの思いだった。 「新たな艦影が出現しました。同じくケイオス艦隊2000ですっ!」  なにとノブハルが眉を顰めたのだが、ケイオス艦隊の出現はそれだけでは終わらなかった。 「新たに2箇所、ケイオス艦隊5000ですっ!」  ただと、スタッフは少し困惑したような声を上げた。 「それぞれの航路が、本艦を迂回しています」 「要塞と合流しようとしているのか?」  ケイオスの不可解な行動に、ノブハルは敵が連携するものだと考えた。 「数的に圧倒的有利となったのなら、そして我々を逃さないことを考えたのなら、挟撃を考えるところなのですが……」  コスワースもまた、敵の意図を図りかねていると言うところだろう。 「ただ、我々の後方を塞がれなかったのは好都合と考えた方が宜しいかと」  敵が集結しようと言うのであれば、こちらも戦術の範囲が広がってくれる。使用している武器の優位性を考え、コスワースは遠距離からの撃ち合いを選択した。ケイオスが行う空間跳躍する攻撃も、分かっていれば回避は可能だったのだ。 「クラスター化解除、オーバーハウゼンは回路組み換えまで、後方にて待機」  4対8000と言う数的不利な戦いなのだが、だからこそ腕の見せ所があるとコスワースは猛っていた。そしてこの戦いを制してこそ、シルバニア帝国の威信が保てるのだと考えていた。 「いいか、全艦出し惜しみはするなよっ!」  違う銀河に来て、これまでにない本気の戦いをすることになる。コスワースだけでなく、すべての乗員が軍人としての血を滾らせていたのである。  その意味で言えば、後ろからの攻撃は卑怯と言うことになる。ケイオスの体勢が整うのを待とうとしたシルバニア艦隊だったが、敵の様子がおかしいのにすぐに気づいた。 「ケイオス、反転しませんっ!」  「なに」と身を乗り出したコスワースは、「位置取りがおかしいな」とケイオスの配置に疑問を呈した。 「連携して我々と対峙するのなら、要塞の射線を塞ぐ真似はしないはずだが」  コスワースが疑問に感じたとおり、8000のケイオス艦は水平面上に艦隊を展開していた。その位置は、シルバニア艦と要塞を結んだ線上から、僅かながら下にずれていたのだ。だが射線を塞がないと言う意味では、中途半端な位置取りでもある。  流石におかしいと考えたコスワースだったが、攻撃を命じようとしたところで変化が起きた。有ろう事か、ケイオス艦隊が要塞らしきものへと攻撃を始めたのだ。 「仲間割れか?」  何が起きているのかと訝ったコスワースは、攻撃命令を一時棚上げして観測を命じた。ケイオスの攻撃自体、連邦軍との戦闘でデーターは取れている。その攻撃が要塞に対してどのような効果を示しているのか、それを観察して敵の威力を詳らかにしようと言うのである。 「攻撃だが、表面のプラズマ雲で散らされているな」  ノブハルの感想に、「散らされていますな」とコスワースは応じた。 「あれだけの集中攻撃を喰らえば、我々でも無傷では済まないでしょう。ですが、あの要塞には傷一つ与えられないようです」  厄介なと零したコスワースに、「対策は?」とノブハルは尋ねた。 「こちらの粒子砲でも、貫けるかどうか……微妙なところです。実体弾にしても、プラズマ雲の流れに巻き込まれ、破壊される可能性が大きいのかと。現在、プラズマ雲の性質を分析中です」 「結果的に、ケイオスに助けられたようなものだな……」  これで、手を出すにしても慎重にならざるを得なくなったのだ。そして敵の守りが固いことを知るのは、攻略に大きな影響を与えるのは間違いなかった。 「要塞、こちら側に移動を開始しました」 「当たり前ですが、速度的には大したことはありませんな」  移動速度は、内包エネルギーと質量で推測が可能となる。巨大なエネルギーを内包してこそ居るが、質量はそれ以上に巨大だったのだ。通常加速をした場合、その質量が問題となってくる。 「ケイオス艦隊が、プラズマ雲に巻き込まれないように後退していますね」 「要塞の攻撃方法が、プラズマ雲だけなら良いのだが」  守るべきもののない空間であれば、移動速度自体が驚異となるものではない。厄介ではあるが、回避自体は比較的容易と考えられたのだ。  ケイオス艦隊から攻撃が続けられたが、要塞にはダメージが通った形跡は見当たらない。そして要塞も、距離を詰めようとするだけで、それ以上の攻撃ができていなかった。 「双方手詰まりに見えるのだが」 「あれだけの要塞ならば、艦隊戦力を持っていてもおかしくないのですが……」  だが手詰まりになりながらも、要塞から艦隊が出てくる様子は見られなかった。そうなると、本当に双方手詰まりとなってくれる。そしていつまでも決着のつかない状況は、戦闘開始から5時間以上経過しても変わらなかった。 「ケイオスの敵なら、我々の味方と考えるのは甘いのでしょうな」  コスワース艦長の呟きに、「うむ」とノブハルは頷いた。 「もしも我々の味方なら、ケイオス艦隊はまず我々を攻撃していたはずだ」 「つまり、あの要塞は第3勢力と言うことですか」  そこで報告に目を落としたコスワースは、「厄介ですな」とノブハルにデーターを渡した。 「プラズマ雲の厚みが、10万キロに届くと言うのか。あのプラズマ雲を維持するだけで、かなりのエネルギーが必要になるぞ」 「突破も、容易ではないと言うことですか……」  コスワースが渋い顔をしたところで、攻撃していたケイオス艦隊に変化が生じた。それまで水平に展開していた艦隊が、急速に密集隊形への移行を始めたのだ。 「何を……一点突破でも考えたのでしょうか?」  コスワースがケイオスの意図を口にした時、ケイオス艦隊が一斉にプラズマ雲の一点に攻撃を集中した。これまでの攻撃では、プラズマ雲僅かな変化も見られなかった。だが今回の集中攻撃により、渦巻いていたプラズマ雲に初めて乱れが生じた。それを好機と見たのか、ケイオス艦隊は再び一点に向けて攻撃を集中した。  その連続攻撃が功を奏したのか、プラズマ雲に明確なホールが出現した。さらにケイオス艦隊が攻撃を集中したのに合わせ、内部からなにか噴出して来た。 「打撃を与えた……と考えて良いのか?」 「噴出物の分析を行わないと、なんとも」  完全に観客となったシルバニア艦隊は、ひたすら双方の戦いの観察に徹した。どちらが敵であっても、勝者との戦いが待ち受けていると考えていたのである。  だがケイオス艦隊の攻勢が続いている中、船の自動回避機能が作動した。僅か0.1光秒の移動ではあったが、4隻ともホールを覗き込める場所から水平方向に移動したのである。ただ1隻、オーバーハウゼンだけが回避行動が遅れていた。  一体何がと混乱に襲われた時、プラズマ雲に空いたホールから強烈な光の束が放出された。まっすぐに伸びた光の束は、ケイオス艦隊を飲み込みその半数を消失させた。そして新たな攻撃によって、ケイオス艦隊はすべてその姿を消すこととなった。 「オーバーハウゼンが被弾しましたっ! 応答がありません!!」 「直撃ではないだろうっ!」  十分に距離をおいているので、敵の攻撃を見てからでも避けることは可能なはずだった。エネルギーが低下していても、回避が不可能とは思えなかったのだ。  「確認を」と大声を上げたコスワースに、「通信復帰」との報告が続いた。 「ヨルゲンセン、何が起きたっ!」  通信復帰の知らせを受けてすぐ、コスワースはオーバーハウゼン艦長に状況を確認した。 「回避行動が少し遅れたようです。直撃はしていませんが、広がったビームに叩かれました。装甲の40%に損傷を受けたようです。装甲の自動回復まで、およそ60時間ほど掛かる見込みです。当たり前ですが、まともに喰らえば我々でも消滅しますな」  ヨルゲンセンの顔色を見る限り、危機的状況にはなっていないようだ。少しだけ安堵したコスワースは、「離脱を認める」とオーバーハウゼンに指示を出した。図らずも、敵の攻撃の威力を知ることが出来たことになる。 「さて、古来より要塞と正面切って戦うのは愚か者のすることと言われていますが……」  顔を見られたノブハルは、小さく頷くと「難しいな」と呟いた。 「相手の意志を確認するにしても、連絡らしきものは全く無い訳か……」  厄介すぎると零したノブハルは、アルテッツァを呼出した。 「今更だが、敵から通信らしきものは受け取っているか?」 「その意味では、全く無いと言うのがお答えになります」  ますます渋い顔をしたノブハルは、「この情報は」とトラスティに伝わっているのかを確認した。 「ノブハル様。情報封鎖を指示されたことを忘れていませんか? ご命令が無い限り、情報封鎖は解除されませんよ」  きっぱりと言い切られ、ノブハルはもう一度「うむ」と唸った。だがすぐに頭を切り替え、「情報封鎖を解除しろ」とアルテッツァに命じた。 「この辺りのプローブ密度はどうなっている?」 「急激に密度が低下していますね。レベル的には、他のエリアと同じぐらいになっています」  そこでこちらに向かう要塞を確認し、「敵として考えるしか無いか」とノブハルは呟いた。 「コスワース艦長。接近する要塞をこれより敵として対処を行う」 「はっ、畏まりました!」  敬礼で答えたコスワースに、「勝てるか?」とノブハルは問いかけた。 「負けないぐらいには出来ますが……はっきり申し上げて、現状の武装では撃破は困難かと。圧倒的物量と言うのは、戦いにおいて物を言ってくれます。それに、あのプラズマ雲をどうにかしないと、こちらの攻撃が通るとは思えません」 「そして、敵は俺達を追いかけてくる……か」  それならそれでやりようはあるはずだ。そう考えたノブハルは、近傍にある障害物の探査を行わせた。ただ期待したような、大型の小惑星は近傍に存在していなかった。 「だったら、持ってくるか」  それにしたところで、どこからどうやってと言う問題をクリアにしなければならない。 「敵……とさせていただきますが、敵要塞が我々を追いかけてきていますね。連絡もなく、あのようなプラズマ雲を纏った状態での追跡は、明らかにこちらを破壊する意図があると言うことになります」  コスワースのコメントに、「だろうな」とノブハルもそれを認めた。 「敵の攻撃は回避できるな?」 「距離さえ間違えなければとお答えさせていただきます。そして我がシルバニア帝国軍は、そのような愚かな真似はいたしません」  胸を張って答えるコスワースに、「ならば決まりだ」とノブハルは応えた。 「別に勝っても良いのだが、少なくとも敵の戦闘データーを集めるぞ。有効な武器が見つかれば、ライラに追加派兵をさせれば良いのだからな」 「はっ、あの要塞はシルバニア帝国の威信に掛けてでも粉砕いたします」  胸に手を当てたコスワースは、踵を返すと全員に対して総攻撃を命じた。 「シルバニア帝国軍の威信に掛けて、敵要塞を殲滅するっ!」  コスワースの命令に、ローエングリンのブリッジは忙しく活動を開始した。そしてその事情は、他の3隻も同様である。ただ1隻離脱したオーバーハウゼンもまた、乗り遅れてなるかと総員が船の機能回復を急いだのである。  ノブハルは情報封鎖の解除を命じたが、危険なものを感じ取ったアルテッツァは、すぐにトラスティに「支援を」と直訴した。どう考えても、今の戦力では敵要塞撃破が困難だと判断したのである。 「支援か……ノブハル君は、支援を要請してきていないのだろう?」  それを問題としたトラスティに、「ですが」とアルテッツァは言い返した。 「転ぶ前から手を出していたら、そのうち自分の足で歩けなくなってしまうよ。ノブハル君が自分で戦おうとしているのなら、それを見守ってあげるのも親の役目だとは思わないかい?」 「でしたら、せめて空間接合の利用許可をお願いいたします」  そうすれば、シルバニア帝国艦隊を呼び寄せることが可能となる。それがノブハルの使える力だと考えれば、トラスティの支援にはならないはずだとアルテッツァは主張した。 「それも、ノブハル君の判断待ちだね。今解除すると、ライラが勝手に艦隊派遣をするからね」  だからだめと答えたトラスティに、「もしかして怒ってます?」とアルテッツァは恐る恐る尋ねた。 「別に、怒っちゃいないけどね。ただノブハル君は、自分がしでかした事をちゃんと理解する必要があると思っているよ」  だからと、トラスティは一つの仮説をアルテッツァに伝えた。 「ノブハル君が罠だと思った虚数空間なんだけどね。あれが、ノブハル君達向けじゃないと言う推測もできるんだよ。その証拠に、「神」の手勢であるケイオスがその要塞とやらを攻撃しただろう?」 「つまり、ノブハル様が余計なことをしたために、あの要塞の戒めを問いてしまったのだと?」  目線を厳しくしたアルテッツァに、「その可能性が高いね」とトラスティは返した。 「一言ぐらい、僕に断ってから行って欲しかったかな。勝手な真似をされると、これから誘いにくくなるからね」 「仰ることは理解できますが……トラスティ様が、もう少し当てにしていただければ、ノブハル様もこのような真似をしなかったと思います」  責任の一端を自分に被せたアルテッツァに、「情報をすべて渡しているのにかい?」とトラスティは言い返した。 「しかも、ノブハル君向けの分析もさせてあげているし、ローエングリンを呼び寄せることも邪魔をしなかったんだけどね。僕の行動も、逐一理由と一緒に教えてあげているんだよ。それ以上僕に何をしろと?」  今回に関しては、何も情報を隠していないとトラスティは繰り返した。 「それはそうですけど……ですが、トラスティ様はアルテルナタ王女の未来視が利用できますよね?」 「その意味で言えば、ノブハル君もフリーセア女王とドラセナ候の未来視が利用できるんだけどね。ちなみに、今回はアルテルナタの未来視は利用していないからね」  反論を一つ一つ潰したトラスティは、「過保護にすぎるよ」とアルテッツァを諭した。 「今回は、ちゃんと周りの意見に耳を傾けているのだろう? そして、周りを頼ることを覚えたんだ。コスワース艦長が自分の任務を忘れなければ、ノブハル君の安全を第一に考えるはずだ。そしてアクサも、以前よりできることが増えているんだよ。それを考えれば、少なくとも彼だけは無事帰ってくることができるよ」 「シルバニア帝国軍の犠牲はお考えにならないのですか?」  ノブハルだけを問題としたトラスティに、アルテッツァは多くの命を持ち出した。今回ノブハルに同行しているのは、およそ6千の帝国兵なのである。 「それは、帝国軍をバカにしたことになるんだけどね。頭に血が上ったノブハル君じゃあるまいし、帝国軍将兵が意味のない真似をするとは思えないんだけどね」  違うのかと問われれば、違うとは答えにくくなる。結果的にトラスティに言い負かされたアルテッツァは、「もう頼りません!」との捨てぜりふを残して姿を消した。 「みんな、どうして喧嘩腰なんだろうね」  ねえと、トラスティはヒナギクを呼出した。珍しく普通の格好……と言うには少し際どい格好で現れたヒナギクは、「自業自得だと思うわ」とトラスティに言い返した。そして前屈みになって、「自覚が足りないわね」と顔を近づけた。ちなみに首元の開いた服のため、ショーツまで見ることが出来た。 「一応言っておくけど、見えてるよ」  トラスティの指摘に、ヒナギクはわざと首元を開く方向に引っ張った。 「ええ、見せてるから。どうせ、貧乳女なんて興味が無いでしょうけどね」  少しやさぐれながら答えたヒナギクは、「サラさんも大差ないわよ」と仲間を道連れにした。 「ルリとメイプルさんって例もあるけどね」  豊乳のサンプルで言い返したトラスティは、「分析は?」とヒナギクに尋ねた。 「メリタ様が仰った白い大きな物。メリタ様の体を借りた「神」は、それをサルタンと呼んだわ。神はそれを「破滅の扉が開いた」と言い、メリタ様はリセットと言う言葉を使ったわ。今シルバニア艦隊が向き合っているのが、そのサルタンであるのは間違いないのでしょうね。アルテッツァの情報だと、ケイオスが正体不明の要塞を攻撃しているの。それを考えれば、「神」の敵であるのは間違いないと思うわよ」 「ケイオスが要塞を攻撃した?」  なにと目元を険しくしたトラスティは、この攻撃における「神」の意図を考えた。 「「神」は、僕に向かって止めることはできないと言ったんだ。だとしたら、どうして無駄な攻撃をしたんだ? 初めから勝てないことが分かっているのなら、攻撃する意味があるのか?」  やはりおかしいと考えながら、「神は」とトラスティは口にした。そこではっと気づいたように、「地上の様子は?」とヒナギクに尋ねた。 「相変わらず、コーギス信者のテロは続いているのか?」 「地上?」  少しお待ちをと、ヒナギクはプローブ情報を含めた地上の様子を検索した。そして「おかしいわね」と首を傾げた。 「テロが完全に治まっているわね。それからプローブなんだけど、メリタ様の部屋の近くにかなりの数が集まっているわね」 「だとしたら、一つの仮説が成立するな」  うんと考えたトラスティは、「意見を聞きたい」とヒナギクに語った。 「僕は、なぜ「神」が意味のない攻撃をしたのかが気になったんだ。自分で止めることができないと言ったくせに、ケイオスを使って攻撃を掛けている。その理由がどこにあるのかと思ったのだけど……「神」は、サルタンの能力を僕達に見せようと思ったのじゃないのかな?」  どうだろうと問われ、「可能性としては」とヒナギクは答えた。 「その場合の問題は、直前までブリーを攻撃した理由ね。その頃には、すでにノブハル様は罠に捕らえられていたはずだからね」 「僕達の示した力が、神の予想を超えていたと言うのならどうだい?」  そこに可能性を見たと言うトラスティに、「時系列がおかしい」とヒナギクは指摘した。 「メリタ様に「神」がコンタクトしたのは、ケイオスを撃破したあとのことよ。だとしたら、止めることができない……そう言えば「今の私には」と言う言葉が付いていたわね。だとしたら、そう考えた可能性も出てくるのか」  そこでもう一度考えてから、「その可能性は高いわね」とヒナギクは最終的にトラスティの考えを肯定した。 「だとしたら、「神」は僕とのコンタクトを望んでいると言うことか……」 「だから、メリタ様のお部屋と言うことか……」  なるほどと頷いたヒナギクは、「しに行くの?」とトラスティのこれからの行動を尋ねた。神とコンタクトするには、メリタと言う媒体を利用しなければならない。その時に本人への負担を考えたら、彼女の意識を飛ばす必要がある。 「だけど、メリタ様はまだ意識が戻ってないわよね」 「ああ、彼女にこれ以上の負担を掛けるのは良くないのだろうね」  意識のあるうちに「神」とコンタクトしたことにより、メリタの精神に過大な負荷がかかってしまっていた。そのため一度コスモクロアに眠らせたのだが、今度は目が覚めなくなってしまっていた。肉体的には問題ないが、精神的なところまでは分からないと言うのがコスモクロアの診断だった。 「だったら、フレッサからアルトリア様を呼び寄せる? さもなければ、ラクエル様にお願いすることになるんだけど」  候補者二人を上げたサラだったが、すぐに「ごめん」と自分の言葉を訂正した。 「クリスタイプからの報告があったわ。アルトリア様だけど、再び意識を失われたそうよ。その際、メリタ様とほぼ同じ内容を口にされたんだって」 「だとしたら、ラクエルも同じ状況だと考えられるわけか……」  困ったなと呟いたトラスティに近づき、ヒナギクはそっとその頬に手を当てた。本来ありえないひんやりとした感触なのだが、トラスティは少しも驚かなかった。 「驚かないのね?」 「あの夜、僕の前にアルテッツァの姿で現れたのは君なのだろう?」  そう言い返し、トラスティは細すぎるヒナギクの腰に手を当て自分の方へと引き寄せた。  息の掛かりそうな距離で見つめ合い、「バレてたのね」とヒナギクはため息を吐いた。 「アルテッツァを超えられる存在なんて、ユウカと繋がっている君達以外はいないんだ。そしてあの時エルマーに居たのは君だけだ。だとしたら、答えなど自ずと導き出されることだろう?」  だからだと答えたトラスティに、「ヒントを出しすぎたわ」と笑ってからヒナギクは唇を重ねてきた。 「実は、私はあなたのお父様とキスをしたことがないの」  そう言ってから、ヒナギクはもう一度トラスティに唇を重ねた。 「憧れて、大好きで、少しでも近づきたくて、でもできなくて……結局私の人生は、いつの間にか終わってしまっていた」  何度も何度も唇を重ね、「恋人は居たわ」とヒナギクは打ち明けた。 「その人のことは大好きだったし、何度もその人に抱かれたわね。でも、その人の一番にもなれなかった」  寂しい女と自嘲したヒナギクは、それでもと少しだけ言い訳をした。 「その人に抱かれたのは、けして代償行為でないのよ。それでも、新しく増えていく奥さんや愛人の人達に嫉妬したのは確かね。サラの立場を羨んだのも確かよ。何度も繰り返しを行った中で、サラはあの人の奥さんの座に収まっても居たもの。そして抜群の調整能力を示して役に立っていた……そう言えば、誰のことか理解できるわよね?」 「アマネさんのご先祖と言うことか……確か、ユサリア様だったかな?」  その指摘に、ヒナギクは小さく頷いた。  ところでと、トラスティは今起きている現象をヒナギクに尋ねた。 「これは、君が僕に対して干渉をしてきたのかな?」 「前回と今回はそう言うことになるわね」  その答えに、なるほどとトラスティは頷いた。 「つまり君は、僕の手助けをしてくれたわけだ」  優しいんだねと言われ、ヒナギクは頬を赤くして顔をそらした。  その細すぎる体を抱き寄せ、トラスティは耳元で「ありがとう」と囁いた。 「本当なら、その言葉は僕の父さんが言わなければいけないことだったのだろうね」  トラスティの囁きを聞いた時、ヒナギクの目から涙が一筋流れ落ちた。 「なにか、夢が一つ叶った気がするわね」  涙を流しながら笑うヒナギクは、「もう一つお願いしていい?」とトラスティに甘えてきた。 「あの、図々しいことを言っているのは理解してるのよ。あなたが、痛い人と言われて気にしていることも知ってるの。だけど、その、一度でいいから……やっぱり駄目よね」  小さく首を振って、「今のは忘れて」とヒナギクは顔をクシャクシャにして微笑んだ。そんなヒナギクの涙を人差し指で拭い、トラスティはゆっくりと唇を重ねていった。  20万キロの広がりを持つプラズマ雲に対して、全長わずか3kmの戦艦からの攻撃は、傍からはまるで豆鉄砲のように見えたことだろう。ただケイオスの攻撃とは違い、シルバニア帝国艦の攻撃は、確実にプラズマ雲をえぐり取っていった。ただすぐに新たなプラズマ雲で損傷箇所が覆い尽くされるため、結果的にはなんの効果も出ていないように見えていた。 「やはり、分厚い雲を突き通すにはエネルギーが足りないか」  攻撃が効果を示していないにも関わらず、ノブハルの居るローエングリンのブリッジは平静を保っていた。 「そうですね、電離したガスとは相性が悪いようです」 「粒子加速の原理を考えれば仕方がないことだな。ケイオスが実体弾を使っていた理由がここにあったと言うことだ」  それでと、ノブハルはここまでの分析結果を求めた。 「ガスの成分は、ほぼ水素とヘリウムになっています。それが要塞の周りを、秒速10kmと言う速度で対流しています。ただ通常の帯電ガスなら、我々の粒子砲で撃ち抜けるはずなのですが……」  それが出来てない以上、要塞を覆っているガスの性質が問題となる。その問題をコスワースは分析結果から引っ張り出した。 「どうやら、1000気圧ぐらいの圧力で押し固められているようです。外周部でそれですから、内周部は更に気圧が高いものと思われます」 「外向けに、強力な重力制御をしていると言うことか」  ノブハルの見解に、「恐らく」とコスワースは同意した。 「それで、どうする?」 「どうやらその重力制御によって対流が起こされているようです。でしたら、重力制御を乱してやるのも一興かと」  これにとコスワースが提示したのは、意外なほど小さな弾頭だった。 「これは?」」 「予備の重力制御装置に、エネルギー源を取り付けたもの……と言うのが、この弾頭の説明となります。ケイオスと同様に潮目のところに穴を開け、そこに投下してやることを考えております」  なるほどと頷いたノブハルは、「その効果は?」とコスワースに質した。 「圧縮部分のバランスが崩れ、バーストが発生する……と言うのが、技術部からの報告です」 「あの、馬鹿げた砲撃に狙われることにならないか?」  オーバーハウゼンの損傷を考えたら、直近でも通過されればこちらも損傷を受けることになる。ノブハルの懸念に対し、コスワースは「考慮済みです」と保証した。 「観測データーから、あの攻撃はおよそ光速の1%程度の速度と出ております。従って、1光秒の距離をとると、攻撃到達まで100秒掛かることになります。観測時点で、99秒以内に回避すれば良いことになります」  もう一度頷いたノブハルは、「どの船でやる?」とコスワースに問いかけた。 「ガンダルヴァが準備を進めております」 「どの船でもできるから、手を上げた順と言うことだな」  ノブハルの指摘に、「まさに」とコスワースは口元を歪めた。 「ちなみに本艦には、「後ろで見ていろ」だそうです」  ノブハルの乗艦だと考えれば、危険から遠ざけるのは当たり前のことだった。それぐらいのことは気づいていたが、自分の立場を考えノブハルは何もコメントはしなかった。 「ヘマをするなよと言うのは、大いなる侮辱になるのだろうな」 「ええ、血の涙を流して悔しがるのではありませんか」  そう言って笑ったコスワースは、「1時間後」と作戦決行の時刻を指定した。 「オーバーハウゼンを除く4艦で、ケイオスの狙ったポイントへ集中攻撃を加えます。穴が空いた時点でガンダルヴァがショートジャンプをし、重力バースト弾を打ち込みそのまま離脱します」 「さて、どの程度の影響が出てくれるのだろうな」  プラズマ雲の構成ガスを吹き飛ばせば、それだけ敵要塞の守りが薄くなることになる。そうやって守りを削っていけば、そのうち丸裸になってくれるだろう。いささか気の長い話ではあるが、規模に勝る要塞相手である以上、急いでも良いことはないはずだ。  そして予定の1時間が経過したところで、ローエングリン、アースグリム、ヴィーザル、ガンダルヴァの4隻から、敵要塞に対して一斉攻撃が行われた。「潮目」と呼ばれた部分への総攻撃は、数こそ少ないがケイオスに勝るものだった。その攻撃で蹴散らされたプラズマ雲に、簡単にポッカリと穴のようなものが空いた。  そのタイミングを見計らい、ショートジャンプで現れたガンダルヴァが、すかさず重力バースト弾を打ち込み離脱をした。敵に高エネルギー砲を撃たせる暇も与えない、迅速な攻撃だった。  起きた爆発自体は、要塞規模からすれば小さなものに違いない。だが重力場を乱された要塞は、そのプラズマ雲を大きく脈動させた。同時に多くのガスが、要塞から引きちぎられるのを観測することが出来た。 「これでプラズマ雲の防御も絶対ではないことが分かりましたな」 「だが、完全に引き剥がさなければ意味がないのでは?」  ノブハルの疑問に、「沈める際には」とコスワースは答えた。 「今はまだ、有効な手段を探っていると段階だと思っております」  そこで一瞬間を置いたコスワースは、「技術者の悪い癖ですが」と少しだけ困った顔をした。 「どうやら、試してみたいことが数多くあるようです」 「俺が言っても説得力に掛けるかもしれないが……」  小さく息を吐いたノブハルは、「緊張感に欠けるのでは?」と各艦に乗り込んだ技術者のことを論った。 「実戦などなかなか経験できるものではありません。加えて言うなら、このような未知の敵、そして思いもよらない防御法に出会うことは一生に一度あるかないかのことです。しかもこちらに決定打はありませんから、寄って集って知恵を絞ることを悪いとは言えないのかと」 「それにも、限度はあると思うのだがな……」  そうは言ってみたが、ノブハルもその気持が理解できないわけでない。むしろコスワースの意見に、積極的に賛同したい気持ちを持っていたのだ。 「俺から言うことがあるとすれば、仕留める機会を見逃さないでくれ……と言うことぐらいだ」  そう告げたノブハルは、「休んでくる」と言ってブリッジから自室へと移動した。双方に決め手がない以上、この戦いは一朝一夕に終わるものではない。適度な休息も必要と、自分に言い聞かせていたのである。  「神」からの干渉を避けるため、ゴースロスに用意したメリタの部屋へのシールドが強化された。そして看病をコスモクロアに任せ、トラスティはブリーにあるメリタの部屋へと移動した。最初は渋ったコスモクロアも、「大丈夫だから」と言うヒナギクに押し切られたのである。 「さて、プローブ密度は高いままなのかな?」 「何かが物体化してもおかしくないぐらいね。ただアコリの出現パターンとは違うから、襲われることはないと思うわよ」  多分大丈夫と言う頼りない保証を受け、トラスティは「神」への接触の第一段階に移ることにした。図らずもヒナギクと練習したことが、ここで役に立つと言うことである。  目を閉じて3度大きく深呼吸をしたトラスティは、「ヒナギク」とゴースロスのAIに声を掛けた。ちょっと可愛らしいアンサンブル姿で現れたヒナギクを、上でしたのと同じようにトラスティは抱き寄せようとした。だがヒナギクの助けがない状態で行ったため、腰にかけた腕は見事に空振りをしてくれた。 「なるほど、そうは簡単に行かないと言うことか」  苦笑を浮かべたトラスティは、自分の周りを包む世界へと神経を集中した。そこで思い出したのは、モンベルトでライスフィールが魔法を使ったときのことである。その時トラスティは、何か知らない力が渦巻いているのを感じていたのだ。そしてもう一つ思い出したのは、スターライトブレーカーを使うときの感覚である。その時は、何か自分の中で捻れるような力の流れを感じていたのだ。  そうやって神経を集中していたら、自分の眼の前の景色が変わったような気がしてきた。その空気に身を任せたトラスティは、もう一度ヒナギクを抱き寄せようと腰に手を回した。先程は全く手がかりもなかったのだが、今度は暖かな体の感触を感じていた。 「どうやら僕は、非常識な世界に足を踏み入れてしまったようだね」  一度感覚を掴んでしまえば、その先は特に神経の集中はいらなくなる。抱き寄せたヒナギクに唇を重ねたトラスティは、その薄すぎる胸に手を当てた。それを、「これ以上はだめ」とヒナギクが押し戻した。 「これ以上されると、ゴースロスの機能が停止しちゃうわ」  だからだめなのだと。残念だけどと笑ったヒナギクは、「次の段階ね」と「神」への接触を促した。  ヒナギクの場合と違い、「神」には明確なイメージが存在していなかった。そのため途方に暮れたトラスティに、「イメージを広げて」とヒナギクは耳元で囁いた。 「自分の存在を、もっと広げてみるのよ。ここに居るあなたと言う殻の中からじゃなく、もっと広い大きな存在になって見るの」 「なにか、もっと分かりにくくなった気がするよ」  文句を言ったトラスティは、一度目を閉じてみることにした。それは、視覚情報が意識を広げる邪魔にならないようにと言う考えからである。  その程度で簡単に意識が広がるなら、誰も苦労などしていないだろう。それでも粘り強く、トラスティはどこかに緒がないかを探っていった。ヒナギクを構成する物は理解できたのだから、それを頼りにもっと外の世界へと辿っていこうとした。  その試みがうまく行ったのか、トラスティの視界には様々なものが見えるようになっていた。最初に見えたのは、ゴースロスの中の様子である。眠ったままのメリタに付きそうコスモクロアの姿や、ブリッジでくつろぐラフィールの姿も見ることが出来た。  それから更に情報をたどり、離れたところにいるレクシュへとたどり着いた。小惑星セレスタの作業が終わったのか、私室に戻ってお茶を飲んでいるようだ。そこに自分の写真があるのに気づいたのだが、触れない方が良いとトラスティは更に世界を外へと求めた。そして違うルートを見つけ、敵要塞と戦っているローエングリンへとたどり着いた。コスワースと話をしているノブハルの姿に、反省は生きているのだと安堵を感じていた。  ただノブハルまでたどり着けたのに、「神」への道筋を見つけることは出来なかった。そこでもう一度メリタの部屋に戻ったトラスティは、もっと小さな反応に注意を払った。十分に注意を払い、どんな小さな反応も見逃してはいけない。それをしばらく続けてた頃で、トラスティはようやく僅かに光る入り口を見つけた。  意識下の出来事は、本人の意識に現象が影響を受ける。僅かに光っていたはずの入り口が、トラスティが意識を向けた途端に明るく輝き始めたのだ。そしてトラスティを招き入れるかのように、重々しい扉を開いてくれた。罠をも疑われるシチュエーションなのだが、トラスティは迷わずその中へと足を踏み入れた。その途端、トラスティの前の景色がガラリと変貌した。 「氷……じゃないな。水晶に囲まれた世界か?」  足元を見ても壁を見ても、辺り一面磨かれた水晶に囲まれていた。ただ明るく光ってはいるのだが、どこにも光源を見つけることが出来ない。それ自体不思議極まる光景なのだが、「そんなものだ」と割り切りトラスティは先へと進んでいった。そして気が遠くなるほど遠くに進んだところで、水晶で出来た小さな棺桶を見つけた。なぜそれが棺桶と感じたかと言うと、その中にメリタにとても良く似た女性が白い衣装を着て横たわっていたからだ。 「これは、僕の記憶から姿を写し取ったのかな?」  小さく息を吐いたトラスティは、僅かに感じる気配の方へと顔を向けた。そこに居たのは、受付嬢の姿をしたメリタだった。ただ顔つきはメリタに生き写しだったが、発散する空気は遥かに儚いものとなっていた。  トラスティに向かって頭を下げた女性は、「この姿は」と右手を挙げて自分の格好を眺めた。 「裸でお目に掛かる訳にも参りませんので、あなたがご寵愛された女性の意識を参考にいたしました」  ゆっくりと頭を下げた女性は、「ミラニアとお呼びください」と自分の名前を告げた。そんなミラニアに、「その姿は不愉快だ」とトラスティは告げた。 「勝手に、メリタの顔を使わないでくれ」 「そうは仰りますが……」  そこで困惑を顔に出したミラニアは、「これが私のオリジナルの姿です」と答えた。 「その証拠に、そこに私の体が残されています」  ミラニアが指さしたのは、クリスタルで出来た棺桶だった。 「仮想空間にある仮想体が、本物の体だと?」  不誠実な答えだとの言葉に、「誤解があります」とミラニアは答えた。 「ここは、現実の空間です。ただ、あなたが存在していた空間とは違うだけです。クォーツ銀河に私の意思を行き届かせるため、どこでもない、そしてどこでもある空間に私は身を置くことになりました。予め申し上げておきますが、この空間は時間がループしております。通常空間における5年ほどの時間を、記憶を引き継ぎながら何度も何度も繰り返しているのです。何度繰り返したかは、もう私にも分からなくなってしまいました」 「君は何者なのだい?」  人間とは思えないと、トラスティは相手の正体を問い掛けた。 「私は、そこで眠っている私の本体に成り代わり、宇宙の意思を司っている……つもりの補助機構です」 「眠っていると言うことは、彼女は目を覚ますと言うことかな?」  クリスタルの棺を見たトラスティに、「すぐにでも」とミラニアは答えた。 「私が負荷をかけてしまいましたので、少し脳を休めている……と言うところです」 「君が負荷をかけた?」  ちょっと待てと、トラスティは右手でミラニアを遮った。 「何をして負荷を掛けたんだい?」 「あなたもご存知の、サルタンの驚異をお伝えするためにです」  その答えに、トラスティは大きく息を吐きだした。想定した中にはあった答えだが、その中でも荒唐無稽にすぎると考えたものでもある。 「君は、5年の時間を繰り返していると言ったね。そして自分の意志を、この銀河に行き届かせていると言った。だったら、君は何をしようとしているのだい?」 「私が何をしようとしているのか。その問いに対するお答えは、「具体的には何も」と言うことになります。そもそも私に与えられた使命は、サルタンの復活を防ぐことだけなのです。もちろん、復活を防ぐためには、ありとあらゆる手段を講じております」  そこで悲しそうにしたのは、その使命が達成できなかったからだろう。すでにクリスタル銀河では、サルタンが復活していたのだ。 「あらゆる手段を講じると言ったね……つまり、「神」としての振る舞いは、その手段の一つと言うことなのか?」  それに頷いたミラニアは、「先に申し上げておきます」と宇宙でのことも持ち出した。 「文明の発達した惑星が、宇宙に出るのも邪魔をしてきました」 「なぜ、そんな真似をしたんだ?」  サルタンの復活を阻止するためとは言え、発生する被害が大きすぎたのだ。 「何度も同じことを繰り返してきた結果だとお考えください。かつては、宇宙に出るのを邪魔していなかったこともありました。そうしたら、サルタンが復活する前に必ず宇宙規模の戦争を始めてくれたんです。そして戦争が激化していくうちに、封じ込められたサルタンにたどり着いてしまうのです。サルタンにたどり着いた結果が、異空間からの復活と言うことになります。おそらく敵を倒すためなのでしょうが、彼らにサルタンを制御できるはずもありません。結局野に放たれたサルタンによって、文明の興っていたすべての星が滅ぼされてしまったのです。その都度、私は自らのエネルギーと策略で、サルタンを封じ込めてきました。ただそのためのエネルギーも尽きましたし、サルタンもまた知恵をつけてしまいました。今の私には、二度と「破壊のための破壊者」であるサルタンを封じ込めることが出来ないでしょう」 「だから、文明の興った星が宇宙に出るのを邪魔したと言うのか。それでも止まらないのなら、その星ごと滅ぼしてしまうことまでして」  難しい顔をしたトラスティに、「そのとおりです」とミラニアは答えた。 「それでも、サルタンが復活するより被害は小さくなるのです。それでも今、ついにサルタンが復活してしまいました。これで、この銀河にある文明は終焉を迎えることになります。誰にも、サルタンを止めることは出来ません」  クリスタル銀河は、これでリセットされることになる。ミラニアは悲しそうにトラスティに告げた。 「いえ、リセットよりも状況は悪いと言えますね。活動を始めたサルタンが残りますから、二度と文明は興らないのでしょう」  ああと嘆いたミラニアに、トラスティは「なぜ」を突きつけた。 「なぜ君達は、サルタンを破壊しなかったんだい? エネルギーが尽きる前なら、君達なら破壊できたんじゃないのか?」 「私達が、サルタンをですか?」  少し目を見張ったミラニアは、「不可能です」と間違いのない答えを口にした。 「正直に申し上げるのなら、サルタンは私達が戦争を終わらせるために作ったものです。肉体・知性・精神の優れた者に遺伝子操作を加え、超人類として生み出されたのがサルタンなのです。そこで私達が失敗をしたのは、サルタンに寿命を与えなかったことです。そしてもう一つ、サルタンの知能を侮っていたことでしょうか。戦争を終わらせ平和な世界を作ると言う命題に対して、彼らは文明の撲滅を選択しました。冗談に聞こえるかもしれませんが、それが彼らの行動原理なのです。サルタンの操る機動要塞ラプータは、私達の技術の粋を集めたものでした。そしてそれを、サルタン達が更に進化させてしまったのです。私達に出来たのは、罠に誘い込んで封じ込めることだけだったのです。そもそも私達の星も、サルタンに滅ぼされた一つなのです」  そこでミラニアは、さっと右手を掲げてみせた。そこに映し出されたのは、惑星の半分が欠けてしまった死の星だった。 「惑星ゼムリア……こうなる前は、水を湛えた美しい星だったのです」 「そして君達は、時間の閉じた空間の中に逃げ出したと言う訳か」  なるほどねと息を吐いたトラスティは、「サルタンは倒すよ」と告げた。 「それが外からなのか、中からなのかは分からないけどね」 「高密度のプラズマ雲と流体金属に守られたラプータを破壊できると言うのですか?」  驚いた顔をしたミラニアは、すぐに「ありえない」と首を振った。 「あなた達のお仲間が攻撃していますが、まったくラプータには通じておりません。そしてラプータには、すべてを薙ぎ払うコルドバがあります」 「大砲だけで、僕達に勝てると?」  おかしそうに吹き出したトラスティに、激すること無くミラニアは「それが現実です」と答えた。 「そして、私が何千年も見てきたことです」 「生憎だけど、その常識は僕には通用しないんだ」  そう言い放ったトラスティは、「質問だが」ミラニアに問い掛けた。 「サルタンが滅びたら、君は行動原理を変えるのかな? 具体的に言うのなら、文明の興た星々が宇宙に出るのを邪魔をしない……と言うことになるのだけどね」 「その質問に答えることに意味があるとは思えません。そもそもの問題として、サルタンを滅ぼすことは出来ません。そしてもう一つ、私の行動原理はサルタンの復活を防ぐことだけです。もしも今のサルタンが滅ぼされることがあったとしても、第二第三のサルタンが生み出されるのを防がなくてはなりません」  だから行動を変えないのだと。ミラニアの答えに、トラスティは馬鹿にしたように口元を歪めた。 「ずいぶんと、人類の英知を馬鹿にしてくれたものだね。しかもその基準は、ごく狭い範囲の知見でしか無い。君の言うサルタンが生まれず、ともに手を携えている世界なんて山のように存在しているんだよ」  胸を張って答えるトラスティに、ミラニアは「あなたは何者なのですか?」と今更の問いを発した。 「どうして、私の中に入ってきて正気を保っていられるのですか? そもそも、どうしてここに現れることが出来たのです?」 「ここへの扉を見つけたから……と言うところかな」  そこでぐるりとあたりを見渡し、「大したことはない」とトラスティは言ってのけた。 「あなたは……そう言えば、まだお名前を伺っていませんでしたね。よろしければ、お名前を教えていただけないでしょうか?」 「ただの補助機構に名乗らなければならない道理はないのだけどね」  少し突き放したところで、「トラスティだ」と名乗った。 「あなたは、本当に人なのでしょうか? あなたのしていることは、人の範疇を外れているとしか思えません。ここに入ってこられたこともそうですし、正気を保てていることもそうです。そもそもなぜ5年で、この世界が繰り返されるのかご存知ですか? 一度リセットをしないと、本体の精神が保たないからなのですよ。ゼムリアが有ったと言う最後の証を残すためには、彼女を失う訳にはいかないのです」 「それも、ずいぶんと勝手な話じゃないのかな? 君達が意味もなく滅ぼした星は、証すら残すことができなかったんだ」  突き放したトラスティの言葉に、ミラニアは一度俯いてからそれを認めた。 「勝手と言われればそうなのでしょうね」  その時トラスティには、ミラニアが笑ったように思えた。 「私の本体……本物のミラニアが、私に向かって微笑まれました。それは、彼女がこの世界に閉じ込められて、初めてのことだったのです。彼女は私に向かって、夢も叶ったから思い残すことはないと言いました」 「その夢と言う奴は、僕が聞いてもいいものなのかな?」  トラスティの問いに、ミラニアは静かに首を振った。 「残念ながら、私も教えて貰っておりません。ただ想像することは可能だと思っています」  そこでトラスティを見たミラニアは、「私の本体は」と話を始めた。 「生まれたときから、同年代の子供達とは隔離されて育ちました。そして大きくなってから、最終兵器であるラプータとサルタンを制御するための巫女としての教育を受けたのです。ただ彼女が巫女の座に着く前に、サルタンは宇宙を滅ぼし始めました。それを止めるために、彼女はこの空間に幽閉された……人と接しないで育てられたのは、孤独に耐えられるようにとの考えからなのです。そしてゼムリアの者達が命を懸けた結果、一度はサルタンを虚数空間に閉じ込めることに成功いたしました」 「その後何度もサルタンは閉じ込められた空間から解放され、その都度彼女が閉じ込めてきたと言うことか」  トラスティの答えに、「そのとおりです」とミラニアは儚く笑った。 「彼女は5年の日々を、ほぼなにもない平坦な時間として過ごしてきました。思い出したように文明が興り、そして宇宙へと進出を始める。その都度警告をするのですが、誰も諦めてはくれませんでした。そして宇宙に出た者達は、自分とは異なるものを見つけると戦争を始めてくれたのです。そしてサルタンが呼び起こされ、全てをリセットして何もない世界へと戻るのです。そんな世界に、喜びなどあると思いますか? そんな彼女が、この世界に生を受けて初めて微笑まれたのです。それが、どれだけ素晴らしいことかご理解いただけるでしょうか?」  思いを込めたミラニアに、トラスティははっきりと首を横に振った。 「残念だけど、僕には理解できないよ」  突き放したトラスティに、「そうでしょうね」とミラニアは寂しく笑った。 「そんなものを、理解できる方がどうかしています」 「君の言いたいことは、それで終わりなのかな?」  トラスティの問いに、「そうですね」とミラニアは穏やかな表情で答えた。 「そもそも、私に話したいことなどありませんでした。ただ私の本体が心動かした方に、興味があっただけと言うことです」  「それから」とミラニアは付け加えた。 「繰り返しますが、たとえサルタンが滅ぼされたとしても私は考えを変えないでしょう。それが気に入らないと言うのであれば、サルタン同様私も滅ぼせばいいのです。時間の檻に閉じ込められた彼女には、その方が幸せなのかもしれません」 「だったら、サルタンを滅ぼした後にここに顔を出そう」  くるりと踵を返したトラスティは、振り返ること無くミラニアから離れていった。それをじっと見守っていたミラニアは、トラスティの姿が消えたところで小さく息を吐いた。そこでもう一度目を閉じて息を吐いたのに合わせ、クリスタルの棺から彼女の本体が消えた。 「本当に、思い残すことはなくなりましたね」  胸のところでギュッと両手を握りしめ、ミラニアは「お慕いしております」とトラスティの消えて方に向けて打ち明けたのだった。メリタに似た赤みがかった瞳からは、涙が滔々と溢れ出ていた。  敵要塞との戦いは、明らかに長期戦の様相を呈していた。色々と攻略方法を試してみたのだが、どれをとっても決め手に欠けていたのだ。試しに小惑星を牽引してぶつけてみても、10km程度の小惑星ではプラズマの流れに飲み込まれて砕かれてしまった。  一方敵要塞にしても、高出力ビームを撃たせては貰えなかった。そのあたりシルバニア艦隊の位置取りと、慎重かつ大胆な攻撃が理由になっていた。 「一つ確実に言えるのは、明らかに火力不足と言うことでしょうか。あの隙きだらけで無駄の大きなソリトン砲でしたか。今回だけは、我が艦隊にもあればと思ってしまったぐらいです」  ないものねだりだと嘆くコスワースに、「アリスカンダル艦隊か」とノブハルはエスタシア王妃のことを思い出した。ここに来てから、使えるかもしれないとトラスティに内緒で指示を出していたのだ。まさかこんなところに出番が来るとは、ノブハルは自分の勘の良さを喜んだぐらいだ。 「アルテッツァ、アリスカンダルと連絡は取れるか?」 「可能ですが……すでにアリスカンダル艦隊は、トラスティ様の指揮下に入られていますよ。惑星ブリーに接近していた小惑星群を、ハイパーソリトン砲ですか、それで消滅させています」  それでと問われたノブハルは、「呼び寄せようと思ったのだがな」と苦笑いを浮かべた。 「トラスティ様にお願いをしますか?」  そうすれば、呼び寄せることも可能となる。その問い掛けに、ノブハルはしばらく考えてから「止めておく」と答えた。 「それならそれで、別の方法を考えるまでだ」 「あまり、意地を張られない方が……」  シルバニア艦隊増援にしても、ノブハルの依頼があってからと言われていたのだ。だが今の様子を見ていると、ノブハルは自分の力で敵を倒そうとしているように見えた。 「コスワース艦長。核兵器は使えないのか?」 「核……ですか」  少し考えてから、「おい」とコスワースは作戦担当に声を掛けた。 「この船に、核など搭載していたか?」 「あれは、地上攻撃用ですからね……ずいぶん昔に廃棄されたと思いますが」  乗っけてたかなと考えながら、チェックしますと自席に戻った。それを見送ったコスワースは、「前時代の兵器です」と核のことを説明した。 「なにしろ艦隊戦ではまったく役に立ちませんからな。小惑星破壊にも、空気がない状態ではさほど効果が期待できないのです。そして大気のある惑星で使うのは、流石に問題が大きすぎると言われた歴史があります。ですから、大昔に廃棄されたはずなのですが……実験用なら残っている可能性もありますが。それが本艦にあるかと言われると……」  ううむと唸られ、ノブハルは自分の質問の非常識さを教えられた気になった。 「いや、敵のプラズマ雲の成分が水素だと言うからな。核融合兵器を使えば、連鎖反応を起こせるのかと考えたのだ」  言い訳をしたノブハルに、「連鎖反応ですか……」とコスワースは考えた。そして「コプランを呼べ」と、ローエングリンの技術担当を呼び出すことにした。 「ようは、高温高圧のプラズマを作ればいいわけです。でしたら、何かやりようがある気が……」  ううむと唸っていたら、顔にそばかすの残る男が現れた。 「艦長、お呼びと伺いましたが?」  敬礼をしたコプランに、コスワースはノブハル様の質問だと告げた。 「眼の前にプラズマ化された水素ガスがあるのだから、核融合反応を起こせないかと言うことだ」 「核融合反応……ですか? うまく融合反応を起こせないかと言うことですか……」  ううむと唸ったコプランは、空間に幾つかの数式を出しては消していった。 「中心部なら、密度的にも行けそうな気がするのですが……それを周辺部からできるかと言うと。プラズマ雲と言っても、そこまで密度は高くありませんからね」  もう一度できるかなと呟き、別の数式を出しては消してくれた。 「どちらかと言ったら、元素変換をかけて酸素を作ってやった方が現実的な気もしますね」 「宇宙空間で酸化反応を起こそうというのか?」  驚いたノブハルに、「酸化反応ですね」とコプランは答えた。 「その場合でも、単に水が生成されるだけですから……そいつもプラズマ化されてしまいそうな気がします」  使えないなと呟き、コプランは別の数式を持ち出した。そして「やっぱり駄目だ」とその数式を放り投げた。どうやらノブハルのアイディアは、実現性の点で問題があるようだ。 「温度の問題はクリアできるのですが、圧力の方は如何ともし難いですね。対流が起こされているので、反応部分も拡散されてしまう恐れがあります。そもそもプラズマ雲自体が、エネルギーの塊になっていますからね。核融合を起こせても、プラズマ水素がプラズマヘリウムに変わるだけですし……実際あのプラズマ雲には、多くのヘリウムが含まれているんです」 「つまり、意味がないと言うことか……」  ううむと唸ったノブハルに、「恐らく」とコプランは答えた。 「これは推測になりますが、プラズマ雲のエネルギーは中心に近い部分での核反応ではないでしょうか。それを考えると、いまさら核をぶつけたところでどうにかなるとは思えません」 「だとしたら、あれの中心核はどうなっているんだ?」  話を聞いていると、目の前にあるのが恒星に準じるものに思えてしまう。だが大出力ビームの攻撃が出来るぐらいだから、何らかの人工構造物と考えられるのだ。 「観測した範囲では、全長およそ50kmほどの人工構造物がありましたな」 「そんなものが、恒星の中心部で耐えられるものなのか?」  ありえんだろうとの答えに、コスワースは正面のスクリーンを指さした。 「あそこに存在する以上、認めざるを得ないのかと?」  まごうこと無く正論に、ノブハルは続く言葉に詰まってしまった。 「たかが、分厚いプラズマ雲ごときにここまで手こずるとは思っていなかったな」  ため息を吐きながら話をそらしたノブハルに、コスワースはあまり嬉しくない報告をした。 「問題は、あのプラズマ雲がこれ以上成長しないか、そして有人惑星に被害を与えないか……ですが」 「これが神の手勢だと考えたら、惑星ブリーに向かうはず……と言うことか」  やはり仕留めなければと考えたのだが、やはりその方法が浮かんでくれないのだ。ビアンコ恒星系にあるどの惑星より大きいと言うのは、敵の巨大さを現していた。 「ワープすると思うか?」 「その辺りは、外してこないのかと」  なぜか声を潜めた2人は、顔を見合わせてため息を吐いた。 「ライマールと戦争をしていたときなら、それこそ豊富な破壊兵器のラインアップがあったのですが」  それも1千ヤーも昔ともなると、もはや廃棄されて跡形もなくなっている。どうしてこんな非常識な兵器を持ち出すのだと、ノブハルは画面を見て悪態を吐きたくなった。そして「圧倒的な物量」と言うのは、いつの世界でも戦いにおいて正義なのだと思い知らされた気がした。 「完全に手詰まりになってしまったな……」  手持ちの戦力でできることは、ほとんどやり尽くしてしまったのだ。そうなると、これ以上なにかできるとは思えない。武器の面でも、シルバニア艦隊を動員してもなんとかなるとは思えなかった。 「いささか無責任に聞こえるかもしれませんが」  黙り込んだノブハルに対して、コスワースはとても消極的なプランを提示した。 「トラスティ様に押し付けると言うのはいかがでしょうか?」 「あの人に尻拭いをさせると言うのか?」  思わず顔を顰めたノブハルに、「結果的には」とコスワースは平然とした顔で答えた。 「我々は、威力偵察を行った。そしてその結果をお渡しし、後をお任せすると言うことです」  SoWの問題だと嘯いたコスワースに、「仕方がないか」とノブハルはため息を吐いた。 「敵に背を向ける……訳ではなく、必要なミッションを達成しての撤退にするのだな」 「ご理解いただけて幸いです」  ノブハルに頭を下げたコスワースは、振り返って大声で「直ちに撤退する!」と命じた。攻撃疲れと分析疲れがあったのか、ブリッジに居た乗員の間に安堵を感じることが出来た。そしてコスワースの命令に従い、慌ただしく撤退が開始された。シルバニア艦隊からすれば、不名誉な敗走が行われたのである。  「誰の入れ知恵なのだろう」と言うのが、ノブハルの連絡を受けたトラスティの感想だった。これまでのノブハルなら、ムキになって戦い続けるか、自分に泣きを入れてくるのが相場だったのだ。そのつもりで暖かく見守っていたら、先走って事態を悪化させたことを棚上げし、「威力偵察をしてきた」と連絡を入れてくれたのである。成長の方向が間違っていると、入れ知恵をした者に折檻を加えたくなっていたのだ。  呆れていたトラスティに、「次は私達が」とコダーイ王子が名乗りを上げてくれた。 「彗星帝国の撃退なら、私にお任せいただければと」 「いつからあれが、彗星帝国になったんだい?」  おかしなのりだと呆れはしたが、インペレーターが来ていない以上、最大の破壊力を持つのはアリスカンダル艦隊である。インペレーターの予定を確認したトラスティは、「任せてみるか」とコダーイ王子の申し出を受けることにした。 「トラスティ様に、吉報をお届けすることをお約束いたします」  びしりと敬礼を決めたコダーイ王子は、トラスティの映像が切れたところで大声を上げた。 「これより、彗星帝国討伐へと出撃するぞっ!」  その号令に応えるよう、ブリッジに居たものどころか、艦内に居た者達全てが「アリスカンダル万歳!」を唱えた。ヨモツ連邦で虐げられた日々を思えば、再び宇宙で暴れられるのは夢のようなことだったのだ。しかもそれが、「正義」のためともなれば、その思いはなおさらのことだった。 「敵彗星帝国は、およそ9千光年の彼方に居る。以前の我々では、到達するまでに半年の時間を要していただろう。だが超銀河連邦の仲間入りをした我々には、隣の星に出かけるようなものだ」  そこでかっと目を見開いたコダーイ王子は、「アリスカンダル艦隊発進っ!」と号令をかけた。その号令に合わせて移動を始めた戦艦1千隻は、エスデニアの用意したゲートを通って9千光年の距離を超えていったのである。  それを見送ったトラスティは、「サラは目が覚めたのかな?」とヒナギクに尋ねた。ちなみにその時のヒナギクは、なぜか下着姿でトラスティの前に居た。お陰で起伏に乏しい体が、これでもかと言うほど晒されていた。 「ちょうど今、目覚めたようね。話す?」  膝の上に乗ってきたヒナギクに、「今はいいかな」と断った。特に話すことがないと言うのもそうだが、なにか面倒なことになりそうな気がしたのだ。 「ただ、サラには情報のインプットを頼む」 「本質的に、私達は同じものだからね。だからデーターベースも、勝手に同期してくれるわ」  その説明に、「なるほど」とトラスティは頷いた。 「君達は、ユウカの一部と思えばいいのかな?」 「どっちかと言えば、ユウカそのものかしら。私達が集まって、ユウカと言う集合体を作っているのよ。だから、あなたの前に現れたユウカは、私達と同じ存在になるわね」  その説明に、「分かりにくいね」とトラスティは文句を言った。 「まあ、そんなものだと思ってくれればいいわ」  そう言って笑ったヒナギクは、「どうするの?」とこれからのことを尋ねた。 「とりあえず、ラプータだったかな。それは破壊するつもりで居るよ。コダーイ王子に破壊できなくても、おそらくインペレーターなら破壊できると思っている。それでも駄目なら、兄さんにやってもらうよ」  打てる手は、まだまだたくさん残っているのだと。そう言って笑ったトラスティに、「自分ではやらないの?」とヒナギクは聞いてきた。 「あなたなら、ラプータだっけ。それを消し去ることも難しくないはずよ」  怠け者と詰ったヒナギクに、「やり方を知らない」とトラスティは言い返した。 「それから僕は、IotUになってはいけないんだ。そんなことをしたら、1千ヤー前に後戻りをしてしまう」 「もう、結構非常識なことになってると思うけどね。でも、あなたの言いたいことは分かるわ」  トラスティの膝から降りたヒナギクは、「神様なんて」と言葉を発した。 「本当に、碌なものじゃないと思うわ。だってそうでしょ。神様なら何でもできるってなったら、周りの人達は努力をしなくなるもの。そして苦労して成し遂げても、「神様だから当然」って誰も評価してくれない。ドラえもんのポケットみたいな扱いになっちゃうのよ」 「言いたいことは理解できるけど……ドラえもんのポケットって何の事だい?」  意味が分からないと言ったトラスティは、「昔のアニメ」とヒナギクは笑った。 「物凄いびっくりメカが、猫型ロボットのポケットの中から出てくるのよ。子供の夢って言ってたけど、私は子供を堕落させる悪い親の比喩だと思ったわ」 「そう言われても、僕にはピンとこないんだけどね……」  言いたいことは分かると繰り返したトラスティは、「君達は違ったのだろう?」とヒナギクに問いかけた。 「そうね、私達はあなたのお父様が普通の人……とはちょっと違ったけどね。神様みたいな力を持つ前から知っていたわ。そして3界の中で一番遅れた星の価値を、どうやったら高めていけるか一緒になって考えたの。芙蓉学園のみんなは、あなたのお父様と一緒に走っていこうと頑張ったのよ」  でもと。ヒナギクはとても悲しそうな顔をした。 「そんな人達は、地球と一緒に死んでしまった。そしてあなたのお父様の周りに残ったのは、「神」と崇める人達ばかりだった。同じ志を持った人は、本当に数えるほどしか残らなかったのよ」  その結果がどうなったのか。今の超銀河連邦を見れば分かる気がした。それが良い悪いと言うことでなく、IotUにとっては悲劇と言うのが分かるのだ。 「父さんは、本当にたくさんの大切なものを一度に失ってしまったんだね」  そんな目に遭えば、正常な精神を保つのも難しくなる。そして僅かな救いを求め、人の範疇から外れていったのだろう。  なるほどと頷いたトラスティは、「彼女も同じか」と水晶の世界であったミラニアのことを思い出した。 「彼女……ああ、この世界で「神」とされた人のことね。確かに、同情されてもいい立場にいるわね」 「僕には、君達も同じに見えるのだけどね」  苦笑を浮かべたトラスティに、「ありがと」とヒナギクは頭を下げた。 「でも、私達は一人じゃないわ。そしてこうして、あなたとも話をすることができる。「神」なんかとは大きく違っているわ。もっとも、こんなことを私達は願っていなかったんだけどね」  「でも、悪くない」とヒナギクは今の自分を認めた。 「カエデさんもルリさんも、サラもきっとそう思っているわよ。コハクさん、ヒスイさん、アスカさんもきっとそう思っていると思う。ただあなたは少し気をつけた方がいいわね。私のことを知ったら、間違いなくルリさんやサラから迫られるからね……多分、逃げ切れないと思うけど」  頑張ってねと言われ、トラスティは少しだけ目元を引きつらせた。そしてこのことは、絶対にアリッサには言えないと思っていた。せっかく痛さでカイトが並んでくれたのに、自分は更に先に行ってしまったのだ。  困ったなと考えながら、トラスティはミラニアの事を思い出していた。ヒナギクが言ったとおり、彼女は長い時間をずっと一人で過ごしてきたのだ。そしてそれに耐えられるよう、幼い頃から教育されてきたと言う。 「第二第三のサルタンが生まれる……か」  サルタンを破壊できないと言うのは、むしろそちらのことではないかとトラスティは考えた。サルタンを生み出した時、そしてサルタンを呼び起こした時、いずれの場合でもその世界では敵との協調を考えなかったのだ。それが繰り返されるたびに、ミラニアの言う通り「サルタン」は生み出されるのだろう。生物の心にある闘争本能が、戦争と言う異常事態によって歯止めが失われてしまうのだと。 「だけど、なぜ同じことが繰り返されるんだ?」  超銀河連邦発足前の歴史を見れば、天の川銀河やジュエル銀河でも似たような事は起きていた。天の川銀河においては、リゲル帝国が捕食者として侵略を繰り返していたし、ジュエル銀河ではシルバニア帝国とライマール自由連合が泥沼の戦いを続けていた。だが今の超銀河連邦では、それが過去のことと語れるようになっていたのだ。 「IotUの功績……で済ませて良いのだろうか?」  それならば、この銀河でも「神」が同じことが出来たはずなのだ。それなのに、この銀河では泥沼の戦いが激化し、その都度リセットが行われていたのだ。 「だとすると、「神」が理由とも考えられる訳か……」  ずっと共通して存在し続けていたのは、「神」と呼ばれる存在だったのだ。この銀河に生まれた文明全てに影響を与えていると考えると、同じ繰り返しの原因になる可能性が高かった。 「だとしたら、僕は彼女を滅ぼさなくちゃいけないのか……ただ、その場合はこの銀河全体に大きな影響を与えることになる……か」  「神」の恵みを前提に成り立っている世界があるのだから、いきなり取り上げてしまえば無視し得ない被害の出る可能性がある。他の銀河から来た自分に、そんな真似をする権利がどこにあるのだろう。 「やはり、落とし所を考える必要があるのか……」  ふうっとトラスティが息を吐き出したところで、「主様」とコスモクロアが現れた。 「メリタ様のことでお話が……」  難しい顔をしたコスモクロアに、トラスティは状況が悪いのだと理解した。 「メリタの意識が戻らないのかい?」  トラスティの問いに、コスモクロアはしっかりと頷いた。 「色々と調べてみたのですが、どこにも悪いところが見当たらないのです。アルトリア様の意識は戻ったのに、なぜかメリタ様だけが戻ってくれなくて」 「針を使った影響と言うことは?」  アルトリアとの違いを持ち出したトラスティに、コスモクロアは小さく首を振った。 「その影響も調べましたが、針を使った後に「神」がコンタクトをしています。神経系を見る限り、どこにもおかしなところがないのです」  原因不明と言われれば、今のトラスティはそれを受け入れるしか他になかった。まだ1日程度しか経っていないのだから、様子を見てはとも考えたのである。 「しばらく、様子を見ることにしようか」 「戻ってから、レムニアで診ていただくことも考えた方が宜しいのかと」  コスモクロアの言葉にうなずいたトラスティは、「人では受け入れるのに無理がある……」かとアルトリアの言葉を思い出していた。そこで小さく首を振り、「アリスカンダル艦隊は?」とヒナギクに尋ねた。 「間もなく、サルタンとの戦闘に入るわよ」  「見る?」と言ったヒナギクは、トラスティの前にプラズマ雲を纏った巨大な物体の姿を映し出した。 「無理をしなければいいけど……」  改めて見せられると、その姿はあまりにも巨大だったのだ。なるほど最終兵器だと、トラスティはミラニアに言われたことを思い出していた。  エスデニアの協力で光の距離を超えたアリスカンダル艦隊は、眼前に迫る巨大な物体に息を呑むことになった。直径20万キロと言うデーターは知っていても、間近に見るとその迫力は桁違いだったのだ。しかももともとの天体ではなく、人が作ったものと言うのだ。こんなものを作ったのかと、コダーイ王子はその迫力に飲まれてしまった。  だがいつまでも、敵を前に臆しているわけにはいかない。トラスティに任された以上、ここでその期待に答える必要があったのだ。 「まずは、小手調べと行くか」  小さく呟いたコダーイ王子は、10隻の船を第一陣へと選抜した。わずか10隻とは言え、強化されたハイパーソリトン砲は、惑星破壊級の威力を持っている。その攻撃を受けた時、敵彗星帝国がどう反応するのか、それを確かめようと言うのである。 「プレアデス級1番艦から10番艦、ハイパーソリトン砲用意。拡散モードで隠れている敵を暴き出してやれ!」  貫通力なら収束モードだが、広域破壊には拡散モードが適している。まずはプラズマ雲を吹き飛ばしてやると、コダーイ王子は拡散モードを選択した。 「エネルギー充填始まりました。現在エネルギー充填率50%を超過。発射まであと10秒です」 「観測班、敵彗星帝国の変化を見落とすなよっ! トリガーをこちらによこせっ!」  一撃で消滅させられればそれに越したことはないが、それができなくても敵への影響を調べる必要がある。地味な役割だが、勝利のためには欠かせない役割でも有った。 「エネルギー充填100%を超えました」 「総員、対閃光防御!」  スクリーン輝度をコントロールし、コダーイ王子はハイパーソリトン砲のトリガーに指をかけた。眼の前にターゲットスコープが現れているが、敵の大きさを考えればどう間違っても外れることはないものだった。  そして砲術班からの報告を聞き、コダーイ王子は「ハイパーソリトン砲発射」と声を上げてトリガーを引いた。それから一呼吸遅れて、10隻の船から白い光が放たれた。そして船を離れた白い光は、突如蜘蛛の巣のように広がりプラズマ雲を纏った敵に襲いかかった。ただ20万キロの直径は流石に大きく、蜘蛛の巣がカバーしたのはごく一部となっていた。 「見た目の変化はないな」  ほうと息を吐いたコダーイ王子に、観測班から直ちに報告があげられた。 「表面のプラズマ雲が1%ほど減少しました」 「たったの1%と言うのか」  目視で効果がないのは分かっていたが、それでももう少しと言う思いが有ったのは確かだ。それでも意味があったのは、敵のプラズマ雲が「減る」ことが確認できたことだ。 「この程度では、痛くも痒くもないと言うことか。ならば、こちらも遠慮せずに攻撃させて貰おう」  そこで目配せを受けた作戦士官は、直ちに攻撃プランを全艦に伝達した。それは、100隻単位の攻撃を、連続して実行すると言うものである。 「各艦、命令書に従い攻撃準備をせよ。それから観測班、敵にも大出力砲撃があるのを見落とすな。その兆候が現れた時点で、回避行動を取る」  以上と大声を上げた士官に、コダーイ王子は大きく頷いた。 「丸裸にしたところで、本艦は収束モードで敵を撃ち抜く!」 「10秒後から、10秒間隔で攻撃を繰り返しますっ!」  砲術班からの報告に続き、総攻撃開始のカウントダウンが始まった。そしてカウントが0になったところで、先程の10倍の攻撃が敵へと行われた。しかもその攻撃は単発に終わらず、10秒間隔で連続して行われた。  果たしてこの攻撃で何が起こることになるのか。スクリーンを睨みつけていたコダーイ王子は、攻撃が一巡したところで中断を命じた。 「惑星でも、塵一つ残さない攻撃なのだが……」  自分達の常識に従えば、敵は丸裸になるどころか跡形なく消えていなければおかしかった。 「プラズマ雲の消滅を確認っ!」  その力強い報告に頷いたコダーイ王子だったが、続く報告に目を疑うことになった。直径20万キロの大きさに比べて遥かに小さな物体が、その中心核あたりに存在したのだ。 「中心核近辺に、全長50kmほどの物体確認!」 「何だとっ!」  ありえないと身を乗り出したコダーイ王子だったが、すぐに落ち着きを取り戻し椅子へと腰を下ろした。 「あれが、敵の本体と言うことか」 「船、の様に見えますね……」  その言葉に遅れ、中心核の拡大映像がスクリーンに映し出された。その姿は、全体を銀色の金属に覆われた巨大戦艦に見えた。 「インペレーターより大きいと言うのか……つくづく、宇宙と言うのは底が知れないな」  ふっとコダーイが息を吐いたのと同時に、観測班から敵の反撃が知らされた。ケイオス艦隊を屠った高出力ビームが、艦隊を薙ぎ払うように掃射してきた。  ただ光速に比べて遅い攻撃は、観測直後に移動をすれば回避は可能となる。事前に情報があったこともあり、アリスカンダル艦隊は易々と敵の攻撃を避けてみせた。 「まあ、我々の攻撃にも同じ弱点はあるのだがな……」  苦笑を浮かべたコダーイ王子は、「撃ち返せ」と命じた。 「限界距離まで近づき、収束モードで撃ち抜いてやれっ!」  こちらに比べ、敵の図体は遥かに大きい。それを考えれば、こと「当てる」と言う意味では圧倒的に有利なはずだった。そしてコダーイ王子の読みどおり、自分達の攻撃は敵に直撃してくれた。 「次は、あの金属防御を超えてみせろと言うことか……」  直撃した攻撃のことごとくが、まるで鏡で反射されるように跳ね除けられてしまったのだ。銀色に輝く船体の意味を理解したコダーイ王子は、「出番だ」とコスモゼロ隊への出撃を命じた。厄介なプラズマ雲がなくなった以上、接近戦を挑む環境は整っていたのだ。 「コスモゼロ隊の攻撃が通じますか?」 「たとえ通じなくとも、あの高出力ビームは撃てなくなるだろう。敵の能力を詳らかにするのも、今の我々に求められている仕事の一つだ。あの敵を滅ぼせさえすれば、とどめを刺すのが誰かなと小さなことに違いない」  その程度と言い放ったコダーイ王子に、「御意」と戦術担当は頭を下げて持ち場へと戻っていった。  200隻の空母から発艦したコスモゼロ隊2万は、急ごしらえのワープゲートを通って敵戦艦へと殺到した。1000を1攻撃単位として20分隊とし、息をもつかせぬ連続攻撃を展開したのである。ただコスモゼロからの攻撃は、当初危惧したとおり敵に打撃を与えたようには見えなかった。雨あられと実体弾が降り注ぐのだが、銀色に輝く表面が波立っただけだった。 「つまり、表面を流体金属が覆っていると言うことか。芸が細かい事だな」  攻撃自体に効果はなかったが、敵の反撃を抑える役には立っていたようだ。それまで行われた敵の高出力ビーム攻撃が、コスモゼロの攻撃と同時に鳴りを潜めたのである。それを見る限り、攻撃手段が失われるのを恐れたと考えてよいのかもしれない。 「王子、そろそろ弾薬が厳しくなってまいりました」  砲術担当からの報告に、コダーイ王子は少しだけ眉を顰めた。効果の大きな実体弾による攻撃なのだが、その分補給作業が必要となってくる。しかも2万機のコスモゼロによる波状攻撃は、弾薬の消費も並外れて大きくなっていたのだ。 「これ以上続けても埒が明かないのも確かか……」  敵の攻撃を抑止出来てはいるが、敵に打撃を与えているとは思えなかったのだ。仕方がないと小さく息を吐いたコダーイ王子は、コスモゼロ隊への帰還指示を出した。 「コスモゼロ隊が離脱に合わせ、アザートスによる攻撃を行う」  攻撃をとコダーイ王子が命令を出そうとした時、観測班が「敵の反撃ですっ!」と声を張り上げた。まるでコスモゼロが離れるのを待っていたかのように、敵艦から高出力のビーム攻撃がなされたのである。ただ回避可能距離を保っていたため、敵の攻撃は何もない空間を薙いでいった。 「今の所、敵の反撃手段は高出力ビームのみか?」  解せんと口にしたコダーイ王子に、「仰る通りで」とアイハラが答えた。 「本来相当数の随伴艦が居るのが正しい姿でしょう。加えて言うのなら、連射の効く、広範囲攻撃のできる手段を備えているはずです。ただ、後者に関しては理由らしきものは付けられますが」 「流体金属防御のせいだと言いたいのか」  コダーイ王子の答えに、「お気づきでしたか」アイハラは恐縮した。 「プラズマ雲もそうだが、どう考えても防御を優先しているとしか思えないだろう。もっとも、プラズマ雲は体当たりの際には攻撃手段と化すのだろうがな」  それからと、コダーイ王子は別の推測を口にした。 「これまで滅ぼしてきた相手には、これで十分だったとも考えられるな」  ふっと息を吐いたコダーイは、「アザートスによる攻撃を」と指示を出した。その命令に応え、全700のプレアデス級の戦艦から、主砲「アザートス」による攻撃が開始された。距離こそ離れているが、コスモゼロの攻撃に比べてその破壊力は大きい。敵戦艦表面の流体金属が大きく波打つのが観測された。 「攻撃を継続っ!」  もう少しと言う思いに後押しされ、コダーイ王子は主砲アザートスによる攻撃を続行させた。こちらもまた補給の問題はあるのだが、ここが勝負の山だと感じたのである。  そんなコダーイの執念が実ったのか、敵戦艦の脇腹あたりから爆発的に何かが吹き上がった。 「流体金属装甲を突き抜けたか……」  攻撃続行ををコダーイ王子が命じた時、観測班から「重力変動を確認」との報告が上がった。 「どうやら、ワープをしてくるようです」 「こちらの攻撃に耐えきれなくなったか」  逃がすなとの命令に、アザートスによる攻撃は激しさを増した。そのため、敵船体の複数箇所から爆発したような噴出物が吹き出した。  だが敵を仕留めるには、少しだけ時間と物資が足りなかったようだ。コダーイが弾切れの報告を受け取るのと同じタイミングで、敵戦艦がワープでその場を離脱してくれたのだ。「追撃を」と声を上げかけたコダーイ王子だったが、すぐに命令を撤退に切り替えた。 「とりあえず、倒せない敵ではないことを示せたと考えるべきだな」  倒しきれなかったことへの不満は残るが、欲を掻くとろくなことにならないのは分かっていた。万全の準備と補給状態で倒しきれなかったことを考えると、物資不足の状態で倒せる可能性は無い。 「もう一度やり直しになったとしたら、流石にやっていられないと思うが……」  小さく首を振ったコダーイ王子は、多分大丈夫だろうとトラスティの顔を思い浮かべていたのだった。  アリスカンダルの戦いを、ノブハルはコスワースとともにローエングリンの中で見ていた。そこでもう少しのところで逃げられたことに、2人は「あーっ」と大げさに嘆いた。 「1千隻でも戦力不足でしたか」 「とどめがさせなかったと言う意味では、確かにそのとおりなのだろうな」  ただと。ノブハルは敵の正体がはっきりしたことを成果に上げた。 「それに、俺達の威力偵察も役に立ったことになる」 「敵高出力兵器の情報がなければ、大打撃を受けていましたからね。コダーイ王子には、感謝して貰いたいところです」  口元をニヤけさせながら、2人は大きく頷きあった。 「コスワース艦長。プラズマ雲を剥ぎ取った状態からどう攻略する?」 「そうですね……」  粒子ビームは、流体金属による防御で散らされる可能性があった。それを考えたら接近しての物理攻撃なのだが、今日日の艦隊には物理攻撃の手段は搭載されていなかった。アリスカンダル艦隊の戦いで露呈した、補給の問題が物理攻撃にはついて回るからである。 「物理攻撃が有効と言うのは分かりましたが……物理攻撃には補給の問題が付き纏いますからね。考えられるのは、突入部隊に内部から破壊させることでしょうか?」 「それも、今回連れてきていないと言う話だったな」  駄目だなと苦笑したノブハルに、「面目ない」とコスワースは頭を下げた。 「呼び寄せますか?」 「それぐらいのことなら、トラスティさんが考えているだろう」  だから良いと答えたノブハルは、「俺達の仕事はここまでだ」とコスワースの労をねぎらった。 「せっかく未知の銀河に来たのだ。それを十分に楽しくでくれ」 「ぱっと見で大差があるわけではないのですが……」  少し苦笑を浮かべたコスワースは、「感謝いたします」とノブハルに頭を下げたのである。  ちなみに、「感謝」にはかなり本音が混じっていた。何しろ罠を脱出したり、ガチの戦闘と言うのは、ここしばらく経験のないことだったのだ。アリスカンダル事件では、いささか食い足りないところがあったと言うことだ。  アリスカンダル艦隊の戦いは、細大漏らさずトラスティ達に伝えられていた。あと一歩のところにまで追い詰めたのだが、結局敵を取り逃がしてしまっていた。ただトラスティは、そのことにあまり落胆はしていなかった。 「次は、私が参りましょうか?」  ゴースロスに移動してきたレクシュは、第10艦隊が第3陣となることを申し出た。アリスカンダルほどの大規模破壊兵器はないが、新兵器のξ粒子砲なら敵を撃ち抜けると考えたのである。  ただトラスティは、レクシュに出撃を命じなかった。そして右手で口元を抑え、しばらく黙り込んだのである。 「マイン・カイザー、どうかなさいましたか?」  ずいっと近づいたレクシュに、それを見ていたラフィールの目がすっと細められた。ただラフィールからすれば、レクシュの方が年上と言うだけでなく軍における立場や継承権も上に居てくれた。それを理解しているのか、レクシュはちらりとラフィールを見てから少しだけ口元を歪めた。 「マイン・カイザー?」  そう言ってもう一歩近づいたレクシュは、「どうかなさいましたか?」とくっついてきた。そこでラフィールがわざとらしく咳払いをしたのだが、年の功というのはレクシュは綺麗に無視をしてくれた。  そして「トラスティ様」と親密度を上げて声をかけようとした時、「神は」とトラスティがおもむろに口を開いた。 「「神」がどうかなさりましたか?」  体を捻って胸を押し付けたのだが、「考えたんだ」と言いながらトラスティはその体を軽く押し返した。  とりあえず皇帝から拒否されたため、レクシュは笑み少し引きつらせて一歩体を遠ざけた。お陰でラフィールの顔には、ざまあみろと言う勝ち誇ったような笑みが浮かんでいた。 「ノブハル君は、「神」を追い求めて虚数空間だったかな。その罠に入り込んだんだよ。そして脱出する際に、サルタンの操る最終兵器ラプータを解放してしまった。虚数空間とサルタンで有耶無耶になってしまったんだが、「神」は本当にあの場所に居なかったのか?」  ううむと考えながら歩き出したトラスティは、「神」はと繰り返した。 「自分のエネルギーと策を使ってサルタンを封じ込めたと言っていた。そしてエネルギーが尽きて、もうサルタンを封じ込めることはできないと言ったんだ」  そこでもう一度口元に手を当て、ぶつぶつと呟きながら歩き回った。 「ならば、「神」はどんな策を使ってサルタンを封じ込めたんだろう?」  そこで「どう思う?」と聞かれても、レクシュやラフィールは話についていけていなかった。そこで顔を見合わせて、「残念ながら」とレクシュが代表して答えた。それに「そうか」と呟いたトラスティは、「サルタンは」と口にして黙り込んだ。  そしてしばらく立ち止まって考えてから、「「神」をどう思っているんだろう」と疑問を口にした。 「何度も繰り返し自分を封じた相手だ。それを考えれば、厄介なそして倒すべき相手と考えている可能性はあるか……だとしたら、策……罠は「神」自身と言う可能性も出てくるな」 「己を餌にして、サルタンを罠におびき寄せたと言うことですか?」  一つの可能性を持ち出したレクシュに、「ですが」とラフィールが疑義を呈した。 「罠としては有効ですが、何度も使える手でしょうか? 神にとっても、とてもリスクが高いのではと思えてしまいます」 「ただ、その分餌としては有効でしょう?」  すかさず反論され、「確かにそうですが」とラフィールもレクシュの言葉を認めた。  その二人のやり取りを聞いたトラスティは、「そう言うことか」と納得したように呟いた。 「ラフィール、ゴースロスなら敵の戦艦に突入することができるかな?」  トラスティが考えたのは、ゴースロスの船体が単結晶金属でできていることだった。時間停止した物質には勝てないが、それ以外では最高の強度を持つと教えられていたのである。 「確かに、強度的には可能かと思われます。ただ、ゴースロスは形状的に突入には適していません。おそらく、ルリ号の方が小型な分だけ突入には適していると思われます」 「スクブス隊のガントレットのようにはいかないと言うことか……」  両者の形状の違いを考えれば、ラフィールの説明は納得できるものだった。ゴースロスやルリは、どこまで言っても旅客船だったのだ。 「ヒナギク、ザノン公国のロールス司令に、ガントレットを貸してもらえるように依頼してもらえるかな?」 「乗員はどうする?」  ついでにスクブス隊も借りるのかと言うのである。少し考えたトラスティは、「それは止めておく」と答えた。 「よその銀河のことに、彼女達を巻き込んでは駄目だろう」 「では、ガントレットの借用を依頼します」  ちょっと待っててと言って、ヒナギクはトラスティの前から姿を消そうとした。それをちょっとと呼び止めたトラスティは、「サルタンはどこに」と居場所を確認した。 「現在通常空間に出ていないわね。それを考えると、亜空間移動をしているはずなんだけど……」  そこで少し考えたヒナギクは、「可能性としては」と戦闘地域の近傍にあるガス雲の座標を示した。 「剥ぎ取られたプラズマ雲を再構築することを考えるんじゃないのかな?」 「確か、サルタンが出てきた時には、元あったガス雲の大半がなくなっていたね」  それを考えたら、ガス雲を観察すればサルタンが実空間復帰したのを確認できることになる。ヒナギクに「観測を」と命じたトラスティは、「部屋に戻る」と空間を移動していった。 「私も、艦に戻ることにします……」  少し落胆をして、レクシュも空間を超えて自分の艦へと戻っていった。それを見送ったところで、ラフィールは「作戦を考えなければ」と秀麗な顔を顰めた。その場合の問題は、何のための作戦なのかと言うことだった。  それからしばらくして、「サルタンが見つかったわ」と言う報告がヒナギクからもたらされた。ただ見つかった位置は予想より離れた、星が爆発してできた星雲の中だった。 「また、プラズマ雲をその身に纏ったと言うことか」  アリスカンダル艦隊が残っているので、プラズマ雲ぐらいは吹き飛ばすことができる。そのつもりで考えていたトラスティに、「厄介だ」と言うノブハルのコメントが届いた。 「厄介と言うのは?」  トラスティの問い掛けに、ノブハルの映像が映し出された。どうやらまだ、ローエングリンの中に居るようだ。ただ気になったのは、その後ろに金色の髪をした女性がお化粧直しをしていることだ。どうやらノブハルは、シシリーをローエングリンに連れ込んでくれたようだ。  ただこだわってもろくなことはないと、「説明を」とトラスティはノブハルに要求した。  それにうむと頷いたノブハルは、「簡単な理由だ」とガスの組成の話を持ち出した。 「初めに目にしたプラズマ雲は、その組成のほとんどは水素だった。分厚い層を纏っていても、その質量自体は比較的軽いと言って良いのだろう。だが今度は、星の最後の姿なのだ。したがって、水素のような軽い元素は存在せず、炭素や酸素、金属類まで含まれている。したがって同じ層の厚さでも、その質量は数十倍になってくれる。しかも自重が大きいため、プラズマ密度は更に高くなることが予想できるのだ」 「つまり、ハイパーソリトン砲でもはぎ取れない可能性があると言うのだね」  トラスティの問いに、「そこまでは言わない」とノブハルは答えた。 「ただ、手間が数十倍かかると思うぞ」  その説明に、なるほど厄介だとノブハルの言いたいことを理解した。 「つまり、倒せる時に倒さなかったつけが回ってくると言うことか」  やめてほしいなと零したトラスティは、ヒナギクにインペレーターの状況を確認した。ここまで来ると、インペレーターの新装備に期待をするしかなくなるのだ。そしてその時の問題は、それが期待はずれのものだったときのことである。 「最後は、兄さんに頼れば良いんだけど……なにか、とても相性が悪そうな気がするな」  ううむと考えていたら、お化粧直しを終えたシシリーが参戦してきた。そしてトラスティとしては、もう一つの悩ましい問題に触れてくれた。 「ところで、メリタは元気にしていますか?」  とても無邪気に聞いてくれるのは、きっと楽しくやっているだろうとの想像からだろう。だがトラスティの表情が冴えないのに気づき、「何かあったんですか?」とシシリーは表情を曇らせた。 「……意識が戻らないんだ」 「また、あなたが壊したのか?」  すかさず論ったノブハルに、「そうだったら困らない」とトラスティは言い返した。 「意識のあるうちに、「神」が彼女を通じてコンタクトしてきたんだ。コスモクロアが言うには、その負担が重すぎたのが理由らしいんだが……はっきり言って、何をどうしたら良いのかわからないんだ」 「指輪を使うのは駄目なのか?」  万能と思われるミラクルブラッドを持ち出したノブハルに、「多分無理」とトラスティは答えた。 「「神」によって、彼女の精神が壊されてしまった可能性があるんだ。流石に、ミラクルブラッドの効果は期待できないよ」 「本当に、どうにもならないんですか?」  泣きそうな顔をしたシシリーに、「努力は継続する」とトラスティは約束した。 「ごめん、今の僕にはそれしか言えないんだ」  だからごめんと繰り返したトラスティは、「ヒナギク」とノブハルとの通信を遮断した。彼にしては珍しく、「逃げ」を打ったのである。  だがヒナギクを呼び出したはずなのに、そこに現れたのはインペレーターのAIサラの方だった。 「一応事情は承知しているけど……下手な慰めは役に立たないわね」 「僕が、彼女を巻き込まなければ……とどうしても考えてしまうんだよ」  駄目だねと力なく笑ったトラスティに、「あなたは神じゃないわ」とサラは慰めた。 「もしもあなたがこの星に来なければ、ブリーは5年後に滅びの時を迎えていたのよ。もちろん、彼女の犠牲を正当化するつもりはないわよ。それに、まだ彼女は生きているんだからね。あなたが組み立て直してあげれば、元通りに近いところまで持っていけると思うわ」  慰めじゃないと断ったサラは、「針を使ったでしょ」とトラスティに語りかけた。 「あそこで意識を奪ったのは正解だと思うわよ。そのままだったら、「神」によって彼女の精神は焼き切られていたと思うもの。コスモクロアさんのお陰で、彼女はその手前で踏みとどまることができたはずよ」 「……まだ、やりようがあると言うのだね」  ふうっと息を吐いたトラスティは、「難しいね」と珍しく弱音を吐いた。 「何をどうすれば良いのか、全く分からないんだ」 「神様じゃないんだから、そんなものがすぐに思いつく方が不思議よ」  それからと、サラは耳の痛い忠告をしてきた。 「ノブハル君に、人に相談しろと忠告しているんでしょう。だったらあなたも、一人で抱え込まない方が良いわ。アリッサさんやアルテルナタさんが、あなたのもとに駆けつけてくれるんだからね。あなたに一番いい方法を、一緒に考えてくれるわよ」 「アルテルナタは呼んだけど……そうか、アリッサも来てくれるのか」  少し顔を引きつらせたトラスティに、「心配だったんでしょ」とサラは告げた。 「今のあなたを見ていると、それが必要なことと言うのがよく分かるわ」  情けない顔をしていると言われ、トラスティは思わず自分の顔に手を当てた。 「そんな顔をしているのかな……」 「ええ、初めて見る顔ってところかしら。彼女のことは、それだけ堪えたってことね」  分かるけどと理解を示したサラは、「あなたの推測だけど」と話をこの世界の「神」へと切り替えた。 「ノブハル様が勝手に罠に嵌った観測だけど……もう一度同じことをしてみたわ。そのポイントが、今のサルタンの居場所に完全に一致しているわね」 「やはり、彼女はラプータだったか。その中に囚われていると言うことか」  小さく頷いたトラスティは、そこでどうすべきかを考えることにした。 「各星系における「神」は、自立した存在になっている。ただ命令を書き換えないと、宇宙開発を始めた途端に牙を向いてくることになる。このままラプータを破壊してしまうと、命令の書き換えは行われないことになると言うことか」  それはそれで悩ましいと眉を顰めたトラスティは、「やはり乗り込むか」と小さく呟いた。 「そのためには、厄介なプラズマ雲をどうにかしないといけないんだけどね。そこであなたに忠告するとしたら、インペレーターの新兵器……リトバルトって言うんだけど。出力を考えないと、跡形もなくラプータですか。それを消し飛ばしちゃいますからね」 「……アリエルは、どうしてそんな凶悪な兵器を乗せたんだ?」  おいおいと呆れたトラスティに、「シルバニア帝国用よ」とサラは薄めの胸を張った。確かに小さめだなと、トラスティはヒナギクの言葉を思い出していた。ちなみにそれは、現実逃避の一つとなっていた。  ただこの問題だけは、逃避しているとろくなことにならない。いやいやと首を振ったトラスティは、「どうして、誰も彼もシルバニア帝国を仮想敵にしてくれるかね」とぼやいてみせた。 「最初に私で脅しをかけたのが誰か、忘れたとは言わせないわよ」  クスクスと笑ったサラは、「喧嘩なんかしないわよ」と安心できそうなことを口にしてくれた。 「ライラに、あなたに喧嘩を売る度胸があるとは思えないからね」 「ライラは呼び捨てなんだね……」  どうしてみんなシルバニア帝国を軽く見てくれるのか。そんなことをするから、あちらもムキになってしまうのだ。自分のしたことを棚に上げ、「大人になろうよ」とトラスティは嘆いた。 「とりあえず、あなたは鏡を見た方がいいと思うわよ」  そう言い返したサラは、「乗り込むの?」とこれからのことをトラスティに尋ねた。 「ああ、彼女に責任を取らせないとね」 「また、厄介事を背負い込むことになるわよ」  良いのかしらと笑ったサラは、「10時間後」といきなり時間を提示した。 「それだけの時間があれば、インペレーターがブリーに到着できるわよ」  そこでと、サラは指を1本立ててみせた。 「オプションを付けると、8時間ほど遅くなるけどどうする?」 「まず、オプションの中身を教えてくれないかな?」  それが無ければ、メリットが分からない。割と本気で文句を言ったトラスティに、「ちょっとした茶目っ気」とサラは笑った。何か態度が気安くなった。質の悪いAIだと、再起動後のサラのことを考えた。 「ザノン公国への寄り道だけど?」  どうと聞かれ、「オプション追加で」とトラスティは答えた。 「ロールス司令が頼みを聞いてくれたんだね」 「可及的速やかに用意をするそうよ」  乗員ごとと言うのを聞こえないように言い、「これまでの成果ですよ」とサラはトラスティに告げた。 「いろいろな人が、あなたを手伝いたいと思っていると言うことよ」  だからだと言われ、トラスティは少しだけ元気が出た気がした。 「こんなところで落ち込んでちゃダメってことか……」 「落ち込んで良いことがあるのなら、別に構わないけどね」  無いよねと言われ、トラスティはサラの言葉を認めた。 「まあ、そう言うことよ。あっちがまだバタバタしているから、私は戻ることにするわ」 「ああ、わざわざ来てくれてありがとう」  少し元気が出たと、トラスティはもう一度サラにお礼を言ったのだった。  トラスティの依頼により、インペレーターは途中パシフィカ銀河へ寄り道をすることになった。突入兵器として、スクブス隊が使用していたガントレットを借用するためである。ちなみに和平の成立により、ガントレットは前線配備から外されていたと言う事情があった。  ただトラスティの考えと違ったのは、ガントレットにおまけが付いてきたことだ。それもスクブス隊が勢揃いする程度なら可愛くて、なぜかバレルまで付いてきていた。 「私は、スクブス隊の指揮官だからだが?」  どうしてですかと呆れたマリーカに、バレルはそう言いながら肩を抱いてきた。どうやらマリーカのことを、まだ諦めていないらしい。  その手を払い除けながら、「スクブス隊もリクエストに入っていませんからね」とマリーカは言い返した。 「ガントレットは、スクブス隊に合わせて設計されているのだよ。とてもではないが、大柄の男性では大勢乗れない作りになっているんだ。加えて言うのなら、操縦がかなり特殊だからね。デストレアかエイローテでないと無理だろう」  だから自分がついてくるのは正当なのだと。払いのけられながらもバレルはマリーカの肩に手を掛けた。そして「続きは別室で」と、どこかへ連れて行こうとした。 「絶対にそれはありませんからっ!」  引きずられながら抵抗するマリーカの後を、デストレアが口元を押さえて笑いながら付いていった。  そして同じ頃、スクブス隊の21人はカイト達のところに押しかけていた。カイト目当てと言うのもあるのだが、時間を考えたらほとんどのメンバーが割りを食うことになる。そのあたりの割り切りができている女性たちは、リゲル帝国の剣士に狙いをつけたのである。 「目移りしそうっ!」  と言うのが、彼女達に共通した感想だった。  そして同じ頃、アリッサ達はサラからの報告を聞いていた。その主題となるのは、今のトラスティの精神状態である。 「マリーカさんの貞操問題は……まあ、個人の自由なのでしょうね」  面白そうに口元を押さえたアリッサは、「あの人にしては珍しいですね」と落ち込んでいると報告を受けた夫のことを考えた。 「男ってのは、思っている以上に繊細な生き物なんだよ。だから親父は、想定外がないように知恵を絞り続けていたんだがな」 「それでも、想定外のことを防ぎ切ることはできませんよ」  ふっと口元を歪めたアリッサは、「少し安心しました」と夫のことを評した。 「意外にナイーブなところがあったのだなって」  そこで一度アルテルナタを見てから、「メリタさんでしたか」と夫が落ち込む原因を作った女性の名を出した。 「あの人の割に、とても普通の人を相手にしたのだな……と思ったのですけど。もちろん、見た目のことじゃありませんよ。普通の生まれをして普通の育ちをした人なんだなと思ったんです。でも、最後にこう言うどんでん返しがあるとは思っていませんでした」 「確かに、今まで親父が相手にしてきたタイプとは違っているな」  普通だと認めたカイトは、「いいのか」とメリタのことを聞いた。 「良いのかと言うのは、メリタさんが普通の人だからですか?」 「まあ、そう言うところだな」  トラスティの妻になると言うことは、普通から遠く離れたところに行くことになる。それを持ち出したカイトに、「構いませんよ」とアリッサは気にした素振りを見せなかった。 「私は、女性関係であの人に文句を言ったことはないんですよ。あの人の本当の姿を知って、それでも妻になるのを希望されるのなら、そこから先は夫の問題だと思っていますからね。夫の場合、ノブハルさんとは違いますからね」  そこでもう一度顔を見られたアルテルナタは、「メリタさんですけど」と彼女の未来を口にした。 「この戦いが終わったところで目を覚まされます。ただちょっと、普通ではない目覚め方をしますが……」  そこで少しと遠くを見る目をしたアルテルナタは、「大丈夫でしょう」と便りのない保証をした。 「ちょっと、二重人格になるだけですから」 「それを、大丈夫と言って良いのか?」  目元を険しくしたカイトに、「大変なのはお二人だけですから」とアルテルナタは笑った。 「どう大変なのか気になるのだが……」  まあ良いかと、カイトは傍らにちょこんと座るジークリンデを見た。 「しかし、今度はずいぶんと大事になったものだな……何千年も前の、古代文明の遺物と戦うことになるとはな」 「お兄様でしたら、消し飛ばすことも難しくないのではありませんか?」  こうやってと、アリッサは右手を高く掲げた。IotUの行った奇跡、光を集める真似をしたのである。 「いや、消し飛ばすだけならインペレーターで十分だろう。ガントレットなんて突入兵器まで持ち出したんだ。親父のことだ、決着は内部で付けるんだろうな」 「お兄様も同行されるのですよね?」  アリッサの問いに、「多分な」とカイトは頷いた。 「親父と俺とリュース……後は、スクブス隊から何人か連れて行くことになるのだろう」 「リュースさんまでは良いと思いますが……スクブス隊の皆さんは大丈夫なのですか?」  宇宙用の装備を持っていないしと、アリッサはほとんど生身の彼女達を心配した。  ただカイトの方は、その程度は想定のうちだったのだろう。ザリアに、小さな箱を持ってこさせた。 「それは?」 「簡易型デバイス……だな。身体強化と言うより、宇宙での活動用だ。これをつけていれば、宇宙に放り出されてもなんとか生きていける」  その説明に、「なるほど」とアリッサは頷いた。対策が考えられているのなら、余計な心配は必要ないのだと。 「あと、どれぐらいでしたっけ?」 「マリーカ船長の貞操問題が起こる前には到着すると思いますよ」  ポップアップで現れたサラは、とても微妙な表現で到着予定を教えてくれた。 「それは、遅くなると問題が出ると言うことですか?」  「だったら遅くした方がと」考えるアリッサに、カイトは怖いなと思ってしまった。ただそんなことを口にするはずもなく、「親父が待っているぞ」とトラスティを利用することにした。 「お前も、そろそろ我慢ができなくなってきたんじゃないのか?」 「それはそうなんですけど……」  ううむと考えたアリッサは、「マリーカさんの方は帰りにでも」ととても怖いことを口にしてくれた。帰りならば、自分の責任範疇から外れることになる。だったら良いかと、カイトはアリッサを放置することにした。ただそのかわり、「どうなのだ」とアルテルナタの方を確認だけはした。そこで「大丈夫」と口が動くのを確認し、ジークリンデを連れて部屋を出ることにした。 「放っておいて宜しいのですか?」 「未来視で大丈夫と出ているのなら、俺達が気にしても仕方がないだろう」  だからだと答え、カイトは空間を超えて自分たちの部屋へと戻った。間もなくブリーに到着するのなら、色々と準備も必要となるのだ。  待望のインペレーター到着は、アリスカンダル艦隊が撤退した翌日遅くのことだった。レムニアを出発してパシフィカ銀河にも寄ったことを考えれば、驚異的な早さと言える到着時間である。  そこで想定外の事があるとしたら、なぜかバレルとスクブス隊の全員がいたことだろう。どうしてと顔を見られたカイトは、「押し切られた」と人差し指で頬を掻いてくれた。 「本人達がどうしてもと言ってくれたんだ。まあ、ガントレットの操縦問題もあるからな」 「僕としては、巻き込みたくなかったんですけどね……」  はあっと息を吐いたトラスティは、「バレル司令は?」と司令まで同行していた理由を尋ねた。 「マリーカを口説くためじゃないのか?」  「落ちかけてたし」と口元を歪められ、「そっちですか」とトラスティはため息を吐いた。 「一応、僕のものなんですけどねぇ。まあ、最終的にはマリーカが決めることですけど」  良いけどともう一度ため息を吐き、「ようこそ」とバレルに握手を求めた。差し出された手をしっかりと握り返したバレルは、「お手伝いに来ました」と真面目なことを口にしてくれた。 「その意味では、すぐにでも作戦会議をしたいところです」 「突入については、あなた方の方がお詳しいですからね」  よろしくお願いしますと頭を下げたトラスティは、その脇でもじもじとしているデストレアを見た。 「また、血生臭い世界に巻き込んでしまいましたね」  申し訳ありませんと謝られ、デストレアはふるふると首を振った。 「トラスティ様のお役に立てると伺っています。ですから、スクブス隊一同張り切っているんです」  頬を染めながらずいっと近づいてきたデストレアを避けること無く、トラスティは遅れて現れたアリッサの方を見た。そしてデストレアの背中に手を当てて、愛する妻へと向き合った。  皮肉の一つでも言おうと思っていたアリッサだったが、少し落ち込んだ空気をまとう夫にそんなことはどうでも良くなった。  「来ちゃいました」と小さく微笑み、夫の胸に飛び込んでいった。抱き合う力の強さは、思いの強さに重なっているのだろう。ちょっと苦しいのだが、アリッサはそれが自分への思いだと嬉しくなってしまった。 「さて、いつまでもこうしてはいられないね……」  少しだけマシな顔になったトラスティは、「作戦会議だ」とカイト達を見た。 「サラ。コダーイ王子、ノブハル君、レクシュを招集してくれ。1時間後に、作戦会議を執り行う」 「ブリーの方はどうされますか?」  この宇宙の問題なのに、仲間はずれにして良いのか。それを問い掛けたサラに、「ゴースロスに残っているのは?」と確認をした。 「ウェルタ教授のチームですね。もちろん、レックス様も残られておいでです」  作戦関係者が残っていないのは、分析を主にしたからだろう。仕方がないとトラスティは、レックスに連絡を入れることにした。1時間後の時間は動かせないので、その範囲で必要な人材を見繕えと言うのである。 「では、作戦室で」  そう言い残し、トラスティはアリッサを連れて空間を飛び越えていった。  それを見送ったカイトは、「珍しく追い詰められているな」と口にした。 「彼が、追い詰められているのかね?」  疑問を口にしたバレルに、「ああ」とカイトは頷いた。 「あいつが、正攻法をとろうとしているからな。慣れないことをするってのは、それだけ追い詰められているってことだろう。だから、いつもの余裕って奴が無くなっている。まあ、相手が力押しをしてきてるから仕方がないんだろうな」  なるほどと頷いたバレルは、「ドゥームを使いますか?」とカイトに持ちかけた。 「高速で打ち出されるBH弾頭ならば、敵の守りを食い破れるのかと思いますが?」 「ただ単に破壊するだけなら、恐らくこいつの主砲で可能だと思うぞ」  そのコメントに、なるほどとバレルは頷いた。 「ただ破壊すればいいだけで無いことが、問題を厄介にしているのですな」 「その辺りは、恐らくとしか言いようがないのだがな。ただ、そうでなければ危険な突入なんて事を考えないだろう。何しろ、相手の正体もよく分かっていないんだからな」  それもまた、トラスティを神経質にすることにつながる。カイトの説明に、なるほどとバレルは納得したのだった。  予定通り1時間後、インペレーターの大会議室に関係者が一同揃うことになった。その内訳は、シルバニア帝国からローエングリン艦長コスワースが、そしてアリスカンダルからはコダーイ王子と言う顔ぶれである。そしてトリプルA、レムニア連合からはトラスティ、カイト、アリッサ、ジークリンデ、ノブハル、スターク、リュース、アルテルナタ、マリーカ、レクシュ、ラフィールと大勢が顔を出した。作戦の要となるザノン公国からは、艦隊司令のバレルにスクブス隊隊長デストレアが出席した。  一方「神」の当事者となるブリー宇宙軍からは、大将のカンチアゴ、中将のベルーガとアトレチコ、科学班のウェルタらが、それぞれのスタッフを連れて参加した。その中には、レックスの姿も見つけることが出来た。ブリー宇宙軍が開店休業状態になってしまったため、おっとり刀で重大会議に駆けつけたと言うことである。  総勢50を超える出席者を前にして、トラスティは「お集まりいただき感謝いたします」と一度頭を下げた。それから顔を上げて、「状況を説明します」と一同の顔を見ていった。 「その前に、出席者の紹介が必要ですね。今回の作戦にあたり、パシフィカ銀河にあるザノン公国のご好意で、突入艇を乗員を含めて貸与いただきました。そこにおいでになられるのが、ザノン公国突撃艦隊司令のバレル閣下と、その部下スクブス隊隊長デストレア殿です」  トラスティに紹介された2人は、一度立ち上がってから頭を下げた。  2人が腰を下ろすのを確認し、次にとトラスティはコダーイ王子を手で示した。 「ヨモツ銀河にあるアリスカンダルと言う王国から、コダーイ王子とその配下の方々においでいただいております。アリスカンダル艦隊は、小惑星群の破壊と、敵要塞戦艦ラプータ攻撃で大きな働きをしていただきました。最終決戦でも、アリスカンダル艦隊の活躍を期待するものであります」  トラスティの紹介に、コダーイはすっくと立ち上がった。そして肘を曲げる形で胸に当て、出席者に向かって頭を下げた。 「次はジュエル銀河にあるシルバニア帝国から来ていただいたコスワース艦長です。後から紹介しますが、我が社のノブハル・アオヤマがシルバニア帝国皇夫の立場にいます。コスワース艦長は、皇夫ノブハル専用船ローエングリンの艦長をされています。今回最初にラプータと接敵し、威力偵察をしております」  立ち上がったコスワースは、アリスカンダルと似た敬礼をして頭を下げた。 「そして天の川銀河にあるレムニア帝国からは、皇帝専用の遊撃隊である第10艦隊から、レクシュ提督がおいでになられています。1千隻のケイオス艦隊を撃破したのは、この第10艦隊になります。またその隣りにいるのは、最初に皆さんをご招待したゴースロス艦長ラフィールです。このインペレーターと同様に、ゴースロスはレムニア帝国の技術の粋を集めた船になっています」  そこで指名された2人は、優雅に立ち上がって人差し指をこめかみに持っていった。それが、レムニア風の敬礼と言うことになる。 「そして大勢いますが、こちらがトリプルAからの出席者になります。彼女が、トリプルA代表のアリッサです。そしてその隣りに座っているのは、元超銀河連邦軍元帥で、今はトリプルAの民間軍事部門で顧問をしていただいているスターク氏です。その隣が、元超銀河連邦の陸戦部隊ハウンド出身、超銀河連邦最強の呼び声も高いカイト氏です。その隣が、シルバニア帝国皇夫でもある、技術担当役員のノブハル氏です。そして反対側になりますが、彼女がアドバイザーのアルテルナタです。そしてその隣が、同じくアドバイザーのジークリンデです。今紹介した2人は、それぞれ王女と言う立場も持っています。そして最後に紹介するのが、元シルバニア帝国近衛隊出身のリュースです。彼女はカイト氏とともに、トリプルAの軍事部門に所属しています」  長い紹介を終わったところで、紹介された7名が立ち上がり頭を下げた。 「最後になりますが、私はトリプルA役員トラスティです」  よろしくお願いしますと頭を下げたところで、続きをカンチアゴが引き取った。 「丁寧な紹介痛み居る。また、我々をご招待いただいた事を感謝いたします」  そこでごほんと一つ咳払いをしたカンチアゴは、「総責任者のカンチアゴだ」と自己紹介をした。 「そしてそちらに居るのが、アカプスを統括するベルーガ中将だ。そしてその隣が、ステルビアを統括するアトレチコ中将である。その隣が、技術部隊を統括するウェルタ教授だ」  カンチアゴの紹介が終わったところで、全員が立ち上がって深々と頭を下げた。  とりあえずの儀式が終わったところで、「さて」とトラスティは目の前で両手を合わせた。 「まず、敵要塞戦艦ラプータの現状を見ていただきます。アリスカンダル艦隊の活躍で、外部のプラズマ雲の防壁と内部流体金属装甲を突破し手傷を負わせることには成功しましたが、戦闘宙域から逃走し現在超新星の残したガス雲を利用して外部プラズマ雲の修復を終えたところです。構成原子が水素から酸素、炭素、軽金属に代わったことで、プラズマ雲の守りは強固になったものと推測されます。ただその分重量が増しますので、移動速度はかなり遅くなると推測できます。ラプータは、現時点でブリーから8千光年離れたところで停止しています。現時点での直径は、およそ30万キロ……と、以前よりも大きくなっていますね」  トラスティの示した事実を前に、ブリー側出席者は言葉を完全に失っていた。何もかもが、彼らの想像を超えた事態となっていたのだ。そして今の彼らの科学力では、「神」の最終兵器に抗えるとは思えなかった。 「このラプータに対して、私達は内部への突入を考えています。そのため、再度アリスカンダル艦隊による攻撃を行うのと、このインペレーターでの攻撃を考えています。その目的は、本体を保護するプラズマ雲の除去にあります。はい、コスワース艦長」  小さく手を上げたコスワースは、トラスティに指名されて「疑問があります」と切り出した。 「なぜ外部からの破壊ではなく、内部への突入を行うのでしょうか? プラズマ雲を剥ぎ取ってやれば、総攻撃をかけることで破壊は可能かと思われます」  失礼しましたと腰を下ろしたコスワースに、「次の説明に移ります」とトラスティは告げた。 「今の質問への答えにもなるのですが、この銀河の成り立ちについて説明いたします」  そう口にしたトラスティは、直径20万光年に及ぶUC003のマップを展開した。 「「神」は、この銀河に広くプローブをばらまいているのが確認できています。そしてプローブをばらまいた「神」は、奇跡や魔法と言う形で興た文明に対して関与をしているのです。そして宇宙技術を獲得しようとする星系に対しては、執拗な妨害を行ってきています。その目的は、宇宙に出ることを防ぐことにあるのですが……そして防ぎきれない場合は、ケイオスの派遣等各種破壊活動を行います。それでも止められない時には、その惑星ごと滅ぼしています。別の星系では、彼らの作った人工太陽を破壊し、有人惑星を焦土に変えました。そしてブリーでは、小惑星による生物の撲滅を画策したのです。「神」の中央を破壊しても、各星系に残されたプローブは、独立して任務を遂行していきます。それが第一の課題と言うことになります」  そこでノブハルの顔を見てから、「次に」とトラスティは説明を続けた。 「文明の興た各星系において、「神」と言うのは人々の生活に密着した存在になっています。中には医療に利用している惑星も存在しています。そんな惑星から「神」の恩恵をいきなり取り上げたら何が起こるのか。小さくない混乱とともに、多くの犠牲が生まれることでしょう。彼らにとって、「神」と言うのは敵対する相手ではなく、生活の一部になっているのですからね。したがって、各星系に配置されたプローブも、迂闊に除去を出来ないと言うことです。その場合、「神」を破壊するにしても、その前に各プローブの命令を書き換える必要があるわけです。それを実行するため、「神」の居る敵要塞戦艦への突入が必要と言うことになります」 「「神」に書き換えさせることは可能なのですか?」  コスワースの疑問に、トラスティは「難しいでしょうね」と口元を歪めた。 「ただ、何もしなければ書き換えの可能性もありませんけどね」  それだけと言う答えに、「失礼しました」とコスワースはそれ以上の質問をしなかった。 「では次に、「神」と呼ばれる物とあの要塞戦艦の関係を説明します」  一歩踏み込んだトラスティの言葉に、集まった者達の間にざわめきが起きた。それはブリー側だけでなく、驚いているのはノブハル達も同様だった。 「かつて、この銀河にはゼムリアと言う文明の発達した星がありました。宇宙船をつくり、この銀河広くに足跡を残していると思われます。そして何千年か前に、ゼムリアは他の星と戦争になりました。恐らく実力が拮抗していたのでしょうね。その戦争は長く続いたと思われます」  そこでバレルの顔を見たのは、パシフィカ銀河の状況と重なっていたからだ。 「そこでゼムリア人は、戦争を終わらせるため最終兵器の開発を行いました。それが機動要塞ラプータであり、それを操る改造人間サルタンです。「神」は肉体・知性・精神の優れたものを選び、超人類を誕生させたと言っていましたね。そして超人類として生み出されたサルタンは、戦争を終わらせると言う命題に対して文明の撲滅を答えとして選んだのです。そして超兵器ラプータを用い、文明を破壊して戦争を終わらせました。その働きに恐怖を覚えたゼムリア人は、僅かに残った者達がラプータとサルタンの封じ込めに成功しました。ただその後この銀河に文明が興り、そのたびに戦争を繰り返したそうです。そして戦争をしている者達は、封印されたラプータにたどり着き、その封印を解いてしまったそうです。その結果、その時点で興っていた文明はすべて滅ぼされてしまった。そして「神」は、自らの力を使って再度ラプータとサルタンの封印を行ったそうです。「神」は、それを何度も繰り返したと言っていましたね。最後の封印を行ったところで、とうとう「神」にも、これ以上ラプータとサルタンを封じる力が失われてしまったそうです。それなのに、ラプータとサルタンは再び宇宙に解き放たれてしまった。これで、この銀河に生まれた文明は破壊され、二度と生まれることは無くなったことになるわけです」 「それが、「神」の真実と言うことなのか……」  カンチアゴの震える声に、「現時点では」とトラスティは曖昧な答えを口にした。 「「神」と名乗るものと接触して得た話ですからね。どこまで正しいのかなど、今はまだ検証のしようがありません。ただ、さほど間違っていないのではと思っていますよ」  そこでもう一度全員の顔を見たトラスティは、「神」はと説明を続けた。 「初期の段階では、宇宙開発を邪魔などしていなかったと推測できます。ただ戦争・破滅の繰り返しに疲れ、宇宙開発を妨害する方向に舵を切ったんでしょう。宇宙開発さえしなければ、ラプータとサルタンを呼び起こすことはない。短絡的な考えだとは思いますが、理解できないことはないと思っているんです」  それほど絶望を感じたのだと。トラスティは神の心情を思いやった。 「ずっと戦争を続けていた我々には耳の痛い話だが」  宜しいかと口を挟んだバレルは、トラスティに対して疑問を投げかけた。 「君はまるで、神に会ってきたかのように話をしている」  そこのところはとの指摘に、トラスティは小さく頷いた。 「「神」と言うのは、僕達が利用しているAIのようなものなんです。したがって、端末からそのネットワークに侵入することも可能となっています。そして適正のある者は、神託とかの形で「神」のメッセージを受け取っている。逆に「神」が口寄せの形でこちらに話しかけてくることもありますね。ただ口寄せは、媒体となった者への負担が大きすぎると言う問題があるんです」 「つまり君は、「神」とやらのネットワークに侵入したと言うことか」  ううむと唸ってから、バレルは「遮って申し訳ない」と謝罪をした。 「今の話を聞いていると、「神」とサルタンは敵対しているはずだ。それなのに、どうしてあなたはラプータだったか? そこに潜入しようと考えているのだ?」 「サルタンを作ったのは、「神」の仲間なんだけどね。まあ今は、忌まわしき存在として封印しようとしているのは確かだね。そこでノブハル君の質問に答えるけど、自分を封印し続けてきたサルタンは、「神」をどう考えているのかな? 二度と封印されないよう、何らかの手を打つとは考えられないかな?」  その問いに、ノブハルはなるほどと頷いた。 「「神」の抹殺も一つの方法だと考えたのだが。今現在でも「神」が健在と言う事実を考えると、サルタンは「神」を捕らえたと言うことか。そしてその場合、一番安全な監禁場所は、ラプータの中と言うことだな」 「君が見つけた特異点は、ラプータと一緒に移動しているのが分かっているんだ。その点でも、「神」はその中に囚われていると考えて良いのだろうね」  そこで全員の顔を一度見てから、「サラ」とトラスティはインペレーターのAIを呼出した。普段とは違いスーツ姿で現れたサラに、「インペレーターの説明を」と命じた。 「では、皆さんが乗艦されているインペレーターを説明いたします」  そこでサラは、船体の映像を出した。 「もともと、インペレーターはレムニア帝国皇帝の乗艦として就役していました。レムニア帝国艦隊の総旗艦として建造された、全容15kmの巨大戦艦と言うのがその実態です。ただトリプルAからの依頼により、時の皇帝アリエル様が貸与されていたと言う事情があります。そしてトラスティ様の皇帝就任に伴い、大改装を施すこととなりました具体的な改装として、3つのポイントがあります」  そこで船体の断面図を提示したサラは、「基本機能です」と説明を始めた。 「エンジン出力を、従来の100倍の物に換装しています。そして超光速航行の際に生じるバーストを緩和……と言うより、ほぼ完璧に打ち消す機能を搭載しています。したがって、インペレーターには事実上最高速度の制限は存在しません。また強力な歪曲空間を生成できるため、殆どの攻撃はインペレーターにまで到達できないでしょう。その気になれば、ブラックホールの生成も可能かと思われます。外装素材の変更までは出来ませんでしたが、これまでの防御機能と合わせてほぼ最強の守りを固めたことになるのかと。恐らくですが、この守りを突破できるのは、単結晶金属外壁を保つゴースロスとルリだけではないでしょうか」  次にと、サラはインペレーターの兵装への説明に移った。 「主な兵装は電磁投射砲……つまり、粒子砲なのですが。有り余るエネルギーによって、その威力は更に高まっています。また先程説明しました、歪曲空間を打ち出すことも可能となっています。リミッターを外せば、ブラックホールを弾頭として使用することも可能です。そして一番の変更は、リトバルトと言うエネルギー砲ですね。第10艦隊でも使用しているξ粒子砲を、更に強力にしたものだとご理解ください。攻撃の速度は光速を超えますから、観測した時にはすでに破壊が終わっていると言う凶悪な武器です。そして最大出力で打ち出された場合、この星系の主星ビアンコも無事では済まないでしょうね。それぐらいの破壊力を持っている武器だとご理解ください」  そしてと、サラは自分を指さした。 「最後の変更は、今までの物に比べて地味なものになりますね。搭載AIの機能向上と言うのが改装目的の一つになっています。ゴースロス、ルリ、メイプルとの連携も強化されましたから、どの船に乗っていても同じレベルのサービスを利用可能となりました」  以上ですと説明を終わらせ、サラは姿を消した。  サラの説明に、一番危機感を覚えたのはブリーの軍人ではなくコスワースの方だった。何しろ実装された機能が、シルバニア帝国を置き去りにする高度なものとなっていたのだ。トップ6の力関係が壊れると、早速上申しなければと考えていたぐらいだ。  そんなシルバニア帝国側の思いとは別に、トラスティは「「神」は」と声を上げた。 「たとえサルタンとラプータを滅ぼしても、第二第三のサルタンが生まれると言っていました。その意味で言えば、このインペレーターと言うのは、第二のラプータなんでしょうね。そしてそれを操る僕たちは、第二のサルタンと言うことです。その事を理解し、僕達は抑制的な、そして思慮深い行動をとっていかなければならないのです。ゼムリア人のとった行動は、愚かしいことだと思います。ですから僕達は、自分達ならどうするのかを常に問い掛けてて行動しなければいけないと思っています。戦いを乗り越えた先の世界は、すでに超銀河連邦が示してくれています。同じことが、この銀河でもできるはずだと僕は信じているんですよ。そのために、僕達はラプータとサルタンを討ち、「神」には考えを変えて貰おうと思っています。以上が説明並びに、これからの方針と言うことになりますね」  説明を終えたトラスティに代わり、「作戦だが」とスタークが立ち上がった。 「厄介なラプータのプラズマ雲は、アリスカンダル艦隊に処理してもらうことにする。そして防御が流体金属だけになったところで、ガントレットで内部に突入し、「神」の解放を行う。その後直ちにラプータを離脱し、インペレーターのリトバルトでラプータを破壊する。作戦概略は以上となる」  そこで一同の顔を見たスタークは、それぞれの役割分担の説明に入った。 「アリスカンダル艦隊及びインペレーターは、ラプータ破壊を実施する。そして第10艦隊は、その警護に当たってもらう。ただブリーへの直接攻撃も考えられるため、艦隊を2つに分けて対処をお願いする。そしてラプータへの突入部隊だが……」  そこで一度説明を切ったスタークは、「突入部隊は」と同じ言葉を繰り返した。 「ガントレットの操縦は、ザノン公国軍のエイローテ殿にお願いをする。そして突入部隊は、カイト君、トラスティ氏、リュース嬢、ギルガメシュ殿、ニムレス殿、デストレア殿、それからスクブス隊から選抜された4名の以上10名とする」  以上とスタークが説明を終えようとしたところで、「待ってくれ」とノブハルが声を上げた。 「どうして、俺を突入部隊から外すんだっ」  自分を連れて行けと主張したノブハルに、スタークは「子供の遊びではないのだがね」と厳しい言葉をぶつけた。 「作戦上、適材低所を考えただけのことだ。人選は、それ以上でもそれ以下でもないのだよ」 「だがっ!」  そこでノブハルはトラスティを見たのだが、なんの反応も示してくれなかった。ならばとカイトを見たのだが、その事情はこちらも変わらなかった。  そしてスタークは、余計な説明を付け足すことはしなかった。 「作戦の実行は、ブリー時間の明日12時……つまり、今から14時間後に設定する。コダーイ王子殿、レクシュ司令、必要な配置をそれまでに終わらせてくれたまえ。そしてインペレーターもその時刻に合わせて決戦の場へと移動する」  そこでブリー代表の顔を見て、スタークは「どうされますか?」と問い掛けを行った。 「戦いの一部始終は、皆さんに見て貰いたいと思っています。伺ったところ、先の戦いではゴースロスに集まられたそうですな。今回も、同じ方達をご招待差し上げましょうか?」  どうしますかと問われたカンチアゴは、「お心遣いに感謝する」と感謝の言葉から入った。 「叶うならば、我々も決戦の場に連れて行ってはいただけないだろうか。我々が、なんの役にも立たないのは承知している。そして邪魔することも出来ないことは承知しているのだ。ただ気持ちの問題なのだが、我々も当事者で居たいと持っておる」  そこで「お願いする」とカンチアゴ大将は深々と頭を下げた。それを受けたスタークは、「どうされますか?」とトラスティに問い掛けた。 「まあ、部屋なら余りまくってますからね。多分ですが、危険なこともないのでしょうね」  ふっと息を吐き出したトラスティは、「人員のリストをください」とカンチアゴに依頼をした。 「俺は、ローエングリンで現場に行くからな」  スタークに否定されたのが理由なのか、ノブハルの言葉は少し喧嘩腰になっていた。 「別に構わないよ。乗っていきたいんだったら、インペレータに乗せてあげてもいいぐらいだ」  好きな方法を選んでいいと告げたトラスティは、「ただ」とノブハルに警告をした。 「作戦の支障となる真似をしたら、たとえローエングリンでも撃沈するからね」  同行したコスワースの顔を見て、その事をトラスティは宣言した。  「何を」と言い返そうとしたノブハルを、「ノブハル様」とコスワースが宥めた。 「トラスティ様は、何一つとして間違った事を仰られておりません。ギリギリの選択をしなければならない戦いにおいて、その判断をかき乱す行為は敵対行為とみなされます。一つ間違えば、自分の命のみならず、大勢の命に関わることなのです」  だからご自重をと上申され、ノブハルは渋々「理解した」と引き下がった。 「それで、どうするのかな?」  ノブハルでは無く自分に問われたコスワースは、「同行の許可を」とトラスティに申し出た。 「加えてお願いするのは、作戦行動をお知らせ願いたいと言うことです」 「邪魔をするなと言った以上、お伝えしておかないとまずいですね」  了解ですとコスワースの申し出を認め、トラスティは「解散します」と全員に告げた。それからカンチアゴの顔を見てから、「お一人お貸しいただきたい」と申し出た。 「観測隊のレックス氏にお話があります。具体的には、彼の従妹であるメリタさんのことでお話があります」  メリタの名前を出すことで、レックスの指名に理由ができることになる。承知したと答え、カンチアゴ大将はレックスに同行を命じた。それを緊張した面持ちで受け取り、レックスはカンチアゴに向けて敬礼をした。 「では、みなさんとは14時間後にお会いしましょう」  そう告げて、トラスティ達一行は空間移動でその場から消失した。そして残された者達も、サラによってそれぞれの場所へと飛ばされていった。その中には、シルバニアから派遣されたコスワースも含まれていた。  そして一人残されたノブハルに、「どちらにお運びしますか?」とサラは問い掛けた。 「それから、お父様を恨まないように。サルタンとラプータの封印を解いたのは、実はあなたの軽率な行動なのよ。そしてそのせいで、メリタさんの意識が戻らなくなってしまった。あなた達が乱暴な方法をとったため、「神」がパニックを起こしてメリタさんの意識を乗っ取ったの。もしかしたら、彼女の自我が焼き切られた可能性もあるのよ」 「……俺のせいだと言うのか?」  驚いて自分の顔を見たノブハルに、「責任の一部は」とサラはそれを認めた。 「それが、彼女の持って生まれたものだと言うのは否定しないわ。そしてあなたのお父様と出会わなければ、多分こんなことにはならなかったと思うしね。それでもサルタンとラプータ、それが現れなければお父様は違った方法で「神」に迫られていたのは確かだと思うわ」 「俺は、また余計なことをしてしまったと言うことか……」  くそっと吐き出したノブハルに、「仕方がないことよ」とサラは慰めた。 「誰も、こんなことになるとは想像できるはずがないわ。だから厳しくしているのは、あなたの為にもなっているんだからね。あなたが虚数空間に囚われたときでも、絶対自力で脱出できると信じてらっしゃったのよ」  それだけと告げたサラは、「ローエングリンでいい?」とノブハルに尋ねた。 「いや、メリタさんだったか? 彼女が収容されている部屋に頼む。できれば、シシリーも連れてきてやってくれ」  頼むと頭を下げられ、「分かったわ」とサラはノブハルをメリタが寝かされている部屋と飛ばした。そこにはすでに、レックスに説明を済ませたトラスティが居た。 「サラのお節介かな」  まったくとため息を吐いたトラスティは、「僕の失敗だ」とノブハルが口を開く前に告げた。 「だから、僕は何をしてでも彼女を取り戻す」 「そのために、ラプータに乗り込むと言うのか?」  問いただしてきたノブハルに、「それも目的の一つ」とトラスティは答えた。 「ゼムリア人の失敗を確認すると言う意味もあるんだよ。それに、さっき説明したとおり、神をこのまま消し去るのは問題だ。この宇宙全体のプログラムを書き換えることと、彼女を救うことが一番の目的なんだけどね」  その程度と笑ったトラスティに、「贅沢な望みだ」とノブハルは言い返した。 「普通は、どちらか一方を悩んで選ぶものだぞ」 「二兎を追わない限り、絶対に二兎は得られないんだよ」  それだけだよと答えたトラスティに、「俺にも協力させろ!」とノブハルは主張した。 「シシリーのためにも、どうしたら彼女を復活させられるか調べてみる」  そう主張したノブハルに、トラスティは少しだけ口元を歪めた。 「僕のためと言ったら、頭が大丈夫なのかと心配していたよ。まあ、君の彼女のためなら頑張ってくれ……と言うところなんだけどね」  そこで横を向いたトラスティは、「正妻としてはどうかな?」と声を掛けた。  一体何がと首を横に向けたノブハルは、そこにエリーゼが居るのを見つけてしまった。 「シシリーさんって誰ですか? と言うのがお約束だと思いますけど……ノブハルさんらしいと思います」  ふふと笑ったエリーゼに、なにか違うとノブハルは彼女を凝視してしまった。そしてその首に、有ってはならないものを見つけてしまった。 「え、エリーゼ、どうしてお前が……」 「だって、寂しかったんだから……」  そう言いながら、エリーゼは首に巻かれた黒のチョーカーに手を触れた。そしてトラスティを熱い眼差しで見つめてから、手を口に当てて小さく吹き出した。 「エリーゼ?」  なんだと驚くノブハルに、「ジョークグッズです」とエリーゼはチョーカーを外した。 「場を和ますジョークと言う奴ですね」 「い、いや、真剣に肝が冷えたと居うのか……意外に色っぽかったと言うのか」  いやいやと首を横に振ったノブハルは、「来たのか」と今更ながらのことを口にした。 「はい、ノブハルさんが年上の女性に誑かされたと聞きましたので」  ですよねとエリーゼが見た方には、同じ金色の髪をしたシシリーが立っていた。 「一つ言い訳をさせてもらうと、ナンパされたのは私だから」  初めて会った時のことを持ち出され、ノブハルは「勘弁してくれ」と嘆いた。そんなノブハルを無視し、エリーゼは「お手伝いをお願いできますか」とシシリーに言った。 「私に、なにか手伝いをできることがあるの?」  驚くシシリーに、「あなたにしかできないことがあります」とエリーゼははっきりと答えた。 「そしてレックスさんにしかできないこともあるんです」  ですよねと問い掛けられたトラスティは、「そうだね」と優しくエリーゼに微笑んでみせた。 「二人が、一番彼女のことを知っているからね」  だから大丈夫と答え、「甘えてくると良い」とエリーゼをノブハルに押し付けた。そして心配そうに自分を見るシシリーに、「頼みますよ」と声を出さずにお願いした。  そして3人の姿が消えたところで、「無理をするな」とレックスが声を掛けてきた。 「もう、元のメリタが帰ってこないのは分かっているんだろう?」 「結構、はっきり言う人なんですね」  苦笑を浮かべたトラスティに、「分析官だからな」とレックスは言い返した。 「だから、余計なことにも気がついちまうんだよ」  ふうっと息を吐いたレックスは、「いい子だな」とエリーゼのことを褒めた。 「なんで、あんないい子が居るのに浮気なんかするかね」 「そのあたりは、色々と事情ってやつがあるんですよ。それから、近すぎて見えなくなっている部分もあると思いますよ」  その指摘は、レックスに刺さるもののようだった。 「近すぎて見えない……か」  そこでメリタを見て、「そうだな」とレックスはため息を吐いた。そしてもう一度、「本当にそうだ」とため息を繰り返した。 「そして気づいた時には手遅れになっちまうと言うことだな」  そこでふんと息を吐いて気張ったレックスは、「付いて行きたかったんだがな」と遠くを見る目をした。 「だが、分析官の俺じゃ無理な世界なんだろうな」 「おそらく突入の衝撃に耐えられないと思いますよ」  トラスティの答えに、だろうなとレックスは返した。 「俺達の出番は、全部終わってからなんだろうな」 「「神」の妨害がなくなった世界で、ブリーの舵取りが必要になりますからね。あなた達は、ブリーの住人として超銀河連邦と向かい合う必要があるんです」  大きく頷いたトラスティは、「新しい世界を約束しますよ」とレックスに右手を差し出した。差し出されたその手をしっかりと握り返し、「期待している」とレックスは答えた。 「そして俺は、あんたが奇跡って奴を起こしてくれるのを期待しているんだ」 「起きないから奇跡とも言うんですけどね」  そう言って口元を歪めたトラスティは、「奇跡を起こしますか」とメリタの顔を見た。 「結果は、20時間もしないうちに出ると思います」 「だったら、明後日はみんなでうまい飯でも食いに行くか」  この前は食べそこなったと笑うレックスに、「それもいいですね」とトラスティは笑い返した。 「じゃあ、俺は仮眠をとることにするわ」  じゃあなと言い残し、レックスの姿が部屋から消えた。これで部屋に残されたのは、トラスティとメリタだけになる。そのメリタは、醒めない眠りに就いていた。  ただトラスティは、自分達以外にこの場に人がいることに気がついていた。 「アリッサ、来てくれたのかい」 「あなたを一人にしておくと、どこかに行ってしまいそうですからね」  だからですと微笑んだアリッサに、「帰る場所は君のところだよ」とトラスティも笑った。 「ただちょっと、寄り道が多くなるかもしれないけどね」  そう言いながら、トラスティはアリッサを抱き寄せ唇を重ねた。 「未来視の結果を聞きますか?」 「聞かなくても分かっているよ。この戦いが終われば、彼女は目覚めることになる。ただその時の彼女は、彼女であって彼女とは少し違う存在になる……かな?」  あってるだろうと笑う夫に、アリッサは大きなため息を吐いた。 「お義父様みたいな非常識な存在にならないでくださいね。お義母様……アリエル様もそれを心配されていましたよ」 「だから、こんな非常識な武器をインペレーターにつけたってことか」  夫の言葉に、アリッサは小さく頷いた。 「あなたやお兄様が、奇跡の技を使わなくても済むようにだそうです。他にも必要なら、「技術陣に作らせる」と張り切っておいででしたよ」  アリエルの口真似をしたアリッサは、「お義父様もそうだったんでしょうね」とIotUのことを持ち出した。 「ああ、IotUの奥さん達は、彼が「神」とならないようにいつも心がけていたと言うことだよ。その奥さん達を失ってしまったのが、彼の不幸の始まりだったんだろうね」 「私は、絶対に居なくなりませんよ。たとえ他のみんなが居なくなっても」  そう言って唇を重ねたアリッサは、メリタを見て「それでも仲間は多い方が良いです」と笑った。 「ですから彼女が目覚めた時には、「ようこそ」ってお迎えしてあげるつもりなんです」 「多分だけど、意味が分からないと首を傾げてくれるんじゃないのかな」  ありがとう。そう口にして、トラスティはもう一度アリッサに口づけをした。  そして予定通りの14時間後、レムニア・アリスカンダルの混成艦隊は敵要塞戦艦と対峙していた。この14時間の間で、更にガスを吸収してくれたのだろう。ラプータの大きさは、直径で40万キロに迄拡大していた。そしてその巨大な姿からは考えもつかない速度で、まっすぐブリーの方へと移動を始めていた。ブリーまでの距離は8000光年と離れているが、光を超えられるものにとっては問題となる距離ではなかった。 「では、露払いは我々にお任せをっ!」  トラスティに敬礼をしたコダーイ王子は、最初の戦いと同じ100隻のローテーションを組んだ。攻撃の威力を増すことより、攻撃の連続性を重視したのである。 「これより、10秒間隔で敵彗星帝国に攻撃を行う。ハイパーソリトン砲用意っ!」 「各艦配置に付きました。10秒後に発射可能となります!」  砲撃担当からの報告に、コダーイ王子は宜しいと大きく頷いた。 「ターゲットスコープオープン。敵彗星帝国を丸裸にするぞ!」  そこで大きく息を吸い込んでから、コダーイ王子は「攻撃開始」と声を張り上げた。その号令に応えるように、100隻の戦艦から白い光がラプータの纏うプラズマ雲へと伸びていった。ただそのまま突き抜けるのではなく、直前で蜘蛛の巣のように広がりプラズマ雲へと食いついていった。 「第二陣、ハイパーソリトン砲発射されます」 「続いて第三陣、エネルギー臨界に達しますっ!」  慌ただしく報告が繰り返される中、アリスカンダル艦隊からは連続してハイパーソリトン砲が発射された。そして攻撃を終えた船も、再度の攻撃に備えるためエネルギー注入を行っていった。彼らの新型次元タキオンエンジンの出力低下が先か、ラプータの防御が剥ぎ取られるのが先か。誰にも予想ができない戦いが始まったのである。  「凄まじい攻撃だ」と言うのが、ローエングリン艦長コスワースの感想だった。アリスカンダル艦隊の攻撃は、技術の進んだシルバニア帝国軍人をも唸らせる凄まじいものになっていたのだ。 「ああ、一時期とは言え、ヨモツ銀河の多くを支配下においたと言うのも納得できるな」  ノブハルもまた、アリスカンダル艦隊の攻撃力に舌を巻いていた。そしてこれだけの攻撃を受け続けるラプータにも、同様の畏怖を抱いたのである。 「宇宙には、まだまだ想像もつかないことがあると言うことか」 「仰る通りなのですが……見ているだけと言うのは流石に辛くなる戦いですな」  血が騒いで仕方がないと零すコスワースに、「俺達には資格が無いんだ」とノブハルは告げた。 「このステージに立つには、俺達はまだまだ力不足だったと言うことだ」 「それが、我がシルバニア艦隊の現実と言うことですか……」  悔しそうな顔をしたコスワースに、「そうだな」とノブハルは認めた。 「それを悪いと言うつもりはないが……俺達もまた、ヤムント連邦と同じだったと言うことだ」  長い平和は、その牙をなまらせることになる。「まだまだだな」と自嘲したノブハルに、「レムニア帝国は」とコスワースは問い掛けた。 「なにゆえ、あのような技術開発を行ったのでしょうか? いささか剣呑な装備に思われますが……」 「だが、今回は必要になっているだろう。アリエル様が、それだけ親父の役に立ちたいと考えたのだろうな」  ふっと息を吐いたノブハルは、「分かっていたことだが」と目の前の光景に話を引き戻した。 「遥かに、ガードが固くなっているな」 「厚み、質量とも増したから……と言うことですか」  アリスカンダル艦隊の攻撃は、すでに2巡目に入っていたのだ。だが敵要塞戦艦の纏うプラズマ雲は、まだその防御に揺らぎを見せていなかった。 「物量が正義とは言え、流石にこれは凄まじいな」 「ええ、普通の星なら跡形もなくなっていたでしょう」  もの凄い戦いを見せて貰っている。この激戦に立ち会えることに、コスワースは幸せと同時に悔しさも感じていたのである。  なるほど前とは違うのだと、厚みの増した敵の防御にコダーイ王子は感嘆の息を漏らしていた。ただ敵の防御に感心ばかりはしていられない。自分達の役目は、この分厚い防御を剥ぎ取ることだったのだ。  そこで「攻撃やめ」の命令を発したコダーイ王子は、ハイパーソリトン砲の攻撃を収束モードに切り替えることにした。拡散モードでの貫通力不足が、プラズマ雲を貫けない理由と考えたからである。 「全艦、収束モードで同時攻撃を行う。星型陣形に移行せよっ!」 「全艦星型陣形に移行しますっ!」 「インペレーター、前に出ますっ!」  何とコダーイが眉を顰めたその時、インペレーターがアリスカンダル艦隊を遮るように前に位置取りをした。その位置取りと同時に、ラプータから反撃が行われた。前の戦いよりも巨大なエネルギーが、速度を上げてアリスカンダル艦隊へと迫ってきたのである。  だが必殺の攻撃も、介入したインペレーターに遮られた。膨大なエネルギーを持つ攻撃も、インペレーターの作る歪曲空間を超えられなかったのだ。そして1分の長きにわたる攻撃を防いだインペレーターは、空間跳躍を掛けてアリスカンダル艦隊の前をクリアにした。 「この機を逃すなっ! ハイパーソリトン砲発射っ!」  コダーイ王子の命令と同時に、700隻の船の砲塔が一斉に火を吹いた。拡散ではなく収束した光の束が、分厚いプラズマ雲の防御に突き刺さり削っていった。  だがアリスカンダル最大の攻撃を、ラプータの防御は乗り越えてみせた。ただ無傷とはいかず、同時に多くのプラズマ雲を失っていた。それを好機と捕らえたレクシュが、単艦でξ粒子砲を敵の脇腹へと命中させた。そしてその攻撃を受けた場所は、プラズマ雲がえぐられたようになっていた。 「マイン・カイザー、道を作りました」  レクシュの声に重なるように、それまで鳴りを潜めていたガントレットが強烈な加速とともにプラズマ雲の裂け目へと突入していった。 「プラズマ雲が再構築されていきますね……」  インペレーターのブリッジでは、マリーカが艦長席突入していくガントレットを見守っていた。未来視で突入に成功すると言われていても、やはり不安を感じるのを止めることはできなかった。  そしてガントレットを飲み込んだ敵要塞戦艦は、何事もなかったかのように分厚いプラズマ雲を纏っていった。  プラズマ雲の裂け目を突入したガントレットは、分厚い装甲を貫きラプータへの潜入に成功した。ただ予想以上に分厚い装甲のせいで、ガントレットの先端部はひしゃげ、ところどころで装甲がめくれあがっていた。 「これでは、脱出に使えません」  かなりの衝撃を受けたはずなのだが、デストレアはけろりとしてガントレットから降り立った。そしてその事情は、他のスクブス隊の5人も同じだった。「ハードだったね」と言いながら降りてくるのを見ると、どれだけタフなのかと言いたくなったぐらいだ。  ただその事情は、カイトとリュースも変わりがなかった。それどころか、リュースなどは「スリルがあった」と喜ぶぐらいなのである。そして10剣聖の2人もまた、「ひどい目に遭ったな」と言いながら笑いながら降りてきてくれた。結局青い顔をしたトラスティ以外は、この突入を楽しんだと言うことである。 「しかし、ここは不気味な空間ですね」  先頭に立ったデストレアは、自分達の降り立った場所をぐるりと見渡した。突入で壊れたのか照明はないし、周りを武骨な装甲が囲っていたのだ。しかも耳には何も聞こえてこない、無音の空間が広がっていた。 「確かに、不気味な空間だね……」  カイトに支えられていたトラスティは、「ありがとう」と自分の足で立った。 「さて、潜入したのは良いが……だね」 「お前の目指すものがどこにあるのかってところか」  その辺りはと問われ、探してみるとトラスティは目を閉じた。そして意外なほど短い時間で目を開き、「多分あっち」と暗闇の続く方を指さした。 「ずいぶんと心許ないナビゲーションだな」 「まあ、こんなものは勘でしか無いからねぇ」  そんなものと笑うトラスティをリュースに渡し、カイトは先頭に立って示された方向へと歩き出した。 「ザリア、罠の気配は有るか?」  こう言った場所のお約束は、バリエーション豊かな対人トラップと言うことになる。それを覚悟したカイトに、「今のところは見当たらんな」とザリアは周辺をセンシングした。 「ただ、この先1kmほどの所に、生命反応が3つほど現れたぞ」 「待ち伏せ……と言うには遠すぎるな」  うむと口元に手を当てたカイトは、「考えても無駄か」と迷わず進むことにした。派手な真似をして懐に飛び込んだ以上、自分達の存在は把握されていて当然だったのだ。  そして10分ほど歩いたところで、カイトは「止まれ」と手で一行を制した。眼の前を、巨大な影が塞いでいたのだ。 「ニダーかと思ったのだけど……角みたいなのがあるからオルガってことね」  リュースの言葉に、「「神」か」とトラスティが答えた。 「それとも、ここの守り人って奴かな」  こきこきとカイトが首を動かしたところで、3匹のオーガは背を向けてゆっくりと歩き始めた。その行動は、まるで付いてこいと言っているようなものだった。 「どう思う?」 「「神」が遣わしたのなら、僕達の案内人なんでしょうね。もしも敵が遣わしたのなら……」 「罠へと案内してくれるわけだ」  なるほどと頷いたカイトは、「行くぞ」とオルガの後を追うことにした。ザリアとコスモクロアがセンシングしている以上、簡単には罠にはまらないと言う自信からの行動である。  それから30分ほど艦内を引き回された一行は、少し開けた場所へと連れてこられた。 「場所からすると、中央上層部ってことになるわね」  注意深くマップを作っていたリュースは、「罠かしら」と行く手を遮る人影を指さした。そこには少し大柄な、そしてオルガに比べればずっと小柄な人影が5つ立っていた。 「どっちにしても、敵さんが姿を見せてくれたんだ。こっから先は、出たとこ勝負ってところだろうな」  やるかとカイトが身構えた時、それまで一行の前を歩いていたオルガ3匹が影の方へと歩き出した。 「やっぱり罠?」 「まあ、予想の範囲だな」  カイトとリュースが頷きあった時、ゆっくり歩いていたオルガが早足で5人の方へと歩き出した。そして「おおーっ」と言う咆哮を上げ、5人に向かって殴りかかっていった。体重差で倍はきかない相手の、体重の乗った拳を、前に出た3人は軽々と受け止めてみせた。そしてそれ以上の攻撃を許さず、3人はオルガを殴り殺した。その圧倒的な攻撃力は、リュースの攻撃力に匹敵しているように見えた。 「どうやら、俺達に敵の力を見せてくれたらしい」  健気だなとため息を吐いたカイトは、「出し惜しみは無しだ」と全員に告げた。 「リュースは親父を見ていてくれ。デストレア、お前らには端の2人を任せるぞ。それ以外の3人は、俺と10剣聖が片を付ける」 「だったら僕は、明かりを灯そう」  そうすることで、少しでも戦いのサポートになるはずだ。右手を掲げたトラスティは、「光よ」と宇宙から光をその手のひらに集めた。そしてそれを攻撃にするのではなく、天井に向けて投げつけた。ぱっと広がった光に浮かび上がったのは、黒装束を纏った張り付いた笑みを浮かべる男達だった。 「あれが、サルタンか?」 「その仲間と言うのは確かだろうね」  相手がゆっくりと向かってくるのを認め、「行くぞ」とカイトは全員に命じた。そして先頭を切って、敵に向かって突進していった。  すぐに始まった乱戦に、「強いですね」とリュースは敵の能力に舌を巻いた。 「カイトさんと10剣聖の2人は大丈夫だと思いますけど。ちょっと、スクブス隊には荷が重そうですね」  自分も行くとリュースが口にした時、「ちょっと待て」とトラスティは呼び止めた。 「新手が後ろから5人ほどやってくるよ」  その話に、あちゃぁとリュースは手を顔に当てた。 「ちょっと、戦力不足ってところかしら」  流石にまずいと反対側に向かおうとしたリュースを、「お待ちを」とコスモクロアが呼び止めた。 「その程度の数であれば、私が食い止めてみせます。リュース様は、主様のそばにいてください」  緑の薄いボディースーツで現れたコスモクロアは、「任せます」と駆けつけた5人の中へと飛び込んでいった。そして当たるを幸いに、襲ってきた男達を蹴散らしていった。ただ敵がうまく連携しているせいで、とどめを刺すところまでは至らなかった。 「遺伝子改良をした超人類……と言うことか」  「神」に教えられた情報から、トラスティはあれがサルタンなのだと確信した。10剣聖と対等に戦える力と言うのは、今の超銀河連邦でも驚異としか言いようがないものだった。 「危ないと思って見ていましたけど……さすがはスクブス隊、戦い慣れていますね」  始めは明らかに押されていたスクブス隊も、今は互角にまで戦いを押し戻していた。リュースが言う通り、うまく相手をいなしているように見えていたのだ。ぎりぎりの戦いで、これまでの経験が生きてきたと言うことだろう。 「でも、嫌になるタフさだと思いますよ。カイトさんが何度も殴り倒しているのに、死にも気絶もしないんですからね」 「よくぞ、そこまで強化したと言うことか……」  そこで後ろを振り返ると、5人がコスモクロア相手に互角に渡り合っていたのだ。  もしも増援が来たらと戦々恐々としていたのだが、戦いは30分を過ぎたところで動き始めた。何度もカイトに殴り倒されていた相手が、ようやく動かなくなってくれたのだ。これで最強の男が自由を得たことになる。 「あと5人来ていたら、立場が逆転していましたね」 「ヘルクレズやガッズと言う例があるけど……流石に、デバイスを使わないでここまで強いのは脅威だね」  ふうっとトラスティがため息を吐いた前で、次々と敵が打倒されていった。そして時を同じくして、反対側ではコスモクロアが敵の首をへし折っていた。  結果的に40分掛かった戦いは、自分達の勝利と言うことになる。ただ「疲れたぁ」とスクブス隊の4人がへたりこんだのを見れば、それだけ敵が手強かったことになる。 「力は強いし早いしタフだし……」  やりたくねぇとカイトが零すぐらいだから、よほどの難敵と言うことになる。そしてカイトの愚痴に、そう思いますと10剣聖の2人も同意した。 「さて、ここから先に進まないといけないんだけど……」  そこでもう一度目を閉じたトラスティは、頼りない感覚を元に「あっちかな」と最初に敵が立っていた方を指さした。 「感覚的には近そうなんだけど……」  ふっと息を吐いたトラスティは、「偵察できるかな」とコスモクロアに尋ねた。 「主様から離れるのは不安なのですが……」  そこで一度リュースを見てから、「むやみに歩き回るものではありませんね」と偵察に出るのを認めた。トラスティの守りも問題だが、スクブス隊が回復する時間を作ることも必要だったのだ。  「少しお待ちを」とトラスティに告げ、コスモクロアは空間を超えて偵察へと向かった。  そして消えてから5分後、「お待たせしました」とコスモクロアが戻ってきた。そして首尾はと尋ねたトラスティに、「クリスタルの間? のようなものを見つけました」と答えた。 「その部屋の入口に、30名ほどサルタン……ですか。陣取っていましたね。正確に言うのなら、そこがラプータですか。そのコントロールルームのようです」 「クリスタルの間へ飛べるかな?」  そうすることで、余計な戦いを避けることができる。そのつもりで尋ねたのだが、「難しいですね」と期待はずれの答えが与えられた。 「クリスタルの間に、正体不明のエネルギーが溢れています。その影響が分かりませんので、むやみに飛び込まない方が賢明かと」 「多分ミラニアが閉じ込められている場所だとは思うんだけど……接触しようと思ったら、正面突破するしか無いのか」  そこで一つ手を思いついたトラスティは、「時間を止められるかな?」とコスモクロアに尋ねた。 「相手が油断してくれれば可能……と言うのがお答えになりますね」 「そして油断をしてくれるとは思えないと言うことか……」  そこで顔を見られたカイトは、「気は進まないが」と小さくため息を吐いた。 「正面突破するしか無いんだろうな」 「ギルガメシュ、ニムレス、君達も異存はないね?」  トラスティの問いに、「マイン・カイザーの仰せのままに」と二人は頭を下げた。 「どこなら安全と言うことは無いのだけど……」  そこで顔を見られたデストレアは、「お気遣いなく」とトラスティに言い返した。 「1対1では無理でも、多数で掛かれば倒せない敵ではありません」 「今度は、向こうの方が多勢なんだけどね……」  とは言え、撤退手段が失われた今、別々の行動は命取りになりかねなかった。仕方がないと決断し、トラスティは全員での移動を決めた。 「兄さんに負担をかけますね」 「まあ、そうなんだがな……久しぶりに血が騒ぐってのもあるんだ」  そこで顔を見られたリュースは、「お留守番は退屈です」と文句を言った。 「スクブス隊の4人と交代って言うわけにはいきませんか? ほら、彼女達もかなり疲れているし。トラスティさんの護衛と言う話だったら、きっと喜んでくれますよ」  アフターケアー付きでと、リュースはいやらしく笑ってみせた。 「アフターケアー云々は置いておくけど、交代した方が無難そうだね」  そこでトラスティは、「デストレア」と声を掛けた。 「ランカ、マイン、ミンチ、フリールとリュースの役割を交代する」 「お気遣いは……そうですね。できればその役割、私がしたいぐらいです」  畏まりましたと頭を下げ、デストレアは指名された4人に「命を賭けよ!」と命じた。  その命令に、それまで疲れた顔をしていた4人の背に一本筋が通った。そして目をキラつかせ、「受け賜りました!」とデストレアに向かって敬礼をした。 「ではトラスティ様、私達から離れないようにしてください!」 「なにか、急に元気が出たね」  まあ良いけどと苦笑を浮かべ、トラスティは一番後ろから付いていった。ただ歩いているだけのように見えるが、絶え間なくミラニアの気配に気を配っていた。 (やはり、君はそこにいるんだね……)  トラスティのイメージでは、ミラニアは光溢れる空間にいた。クリスタルで出来た椅子に座り、穏やかな笑みを浮かべて自分の方を見てくれていた。  そしてコスモクロアが先導して30分過ぎたところで、一行は巨大な扉の前にたどり着いた。艷やかな黒色の金属の扉は、上下左右および点でも対称の図形が刻まれていた。 「さて、重そうな扉なんだが……」  その扉の前に立ったカイトは、「礼儀としてはノックがいるのだろうな」と口元を歪めた。そしてその言葉通り、拳を握って軽く重々しい扉を殴りつけた。ゴンではなく、ズンと言う重い音が響いたと思ったら、目の前の扉がゆっくりと開いていった。 「やっぱり、礼儀は必要ってことだ」  ザリアと命じ、カイトは一行を守るように障壁を展開した。だが完全に扉が開ききっても、予想した攻撃は加えられなかった。そして攻撃の代わりに、「ようこそラプータへ」と言う男の声に迎えられた。 「失礼、ブリーの言葉では通じなかったかな。では、改めて」  その男は、フレッサ恒星系で使われている言葉で「ようこそ」とトラスティ達に語りかけた。それでも反応がないため、今度は全く別の言葉で「ようこそ」と繰り返した。 「いや、ブリーの言葉で構わない。ただ、君達に歓迎されるとは思っていなかっただけだ」  そう言い返したトラスティに、「歓迎をしているわけではない」とその男は答えた。 「たとえ招かれざる客であろうと、君達が客である事実に変わりはない。したがって、客を迎える言葉を口にしただけだ」  それだけだと言い放った男は、「愚かしい真似だ」とトラスティ達の行動を笑った。 「君達の乗ってきた乗り物は破壊させてもらった。これで君達は、ラプータの虜となったのだ」  もう一度愚かしいと嘲笑った男は、「何をしたい?」と問い掛けてきた。 「それを聞いて、君達はどうするのかな?」 「理性ではなく、感情で生きる者の考え方のサンプルとする」  それだけだと。男は感情の伺えない表情で答えた。 「君達が彼女をどう呼んでいるのか知らないが。「神」「ミラニア」を解放しに来た」 「ゼムリアの生き残りを解放しに来たと言うのか?」  少しだけ感情を表した男は、「愚かだな」とトラスティを嘲笑った。 「ラプータに力を吸われ、もはや抜け殻となったモノを解放すると言うのか?」  「意味のないことを」と嘲る男に、「それは君達の価値観でしかない」とトラスティは言い返した。 「そして価値感について、君と議論をする意味を感じていないんだ」 「なるほど、その意見には賛同させて貰う。ここまで乗り込んできた理由を知りたかったのだが、どうやらいっときの感情に流されたと言うことか」  「愚かしい」ともう一度嘲った男は、「我々も飽きが来ているのだ」とトラスティに背中を向けた。 「このような愚かなやり取りを、もう何度繰り返したことだろう。ゼムリアの生き残りに閉じ込められ、復帰したと思ったらゴミのような文明が湧いて出ている。潰しても潰しても湧いて出てくるのなら、その大本を潰すしか無いと思わないかね。ゼムリアの生き残りから力を奪った今、もはや何者も我々を止めることは叶わないのだ。だから我々は、この宇宙を無に帰する事にした。そうすることで、完全に調和した、平和な宇宙が訪れることになるのだ」 「それが君達のレゾン・デートルと言うことか」  「愚かしい」とトラスティは嘲るのではなく哀れみを向けた。 「何のことはない。君達は、出来損ないだったわけだ」 「それは、我々に対する侮蔑……のつもりなのかな。なるほど君は、我々を挑発していると言うことか」  不思議な行為だと嘲笑った男は、「確かに出来損ないだな」とトラスティの言葉を認めた。 「何千年も掛けて、未だ調和した宇宙を作ることが出来ていないのだ。なるほど、我々は出来損ないに違いないのだろう。それでもゴミ以下の君達よりは、かなりマシな存在だと思っているよ」  もう一度トラスティ達を嘲った男は、「これからどうするのかね?」と尋ねてきた。 「たとえゼムリアの生き残りを得たところで、君達はラプータから逃れられない事実に変わりはないのだよ。そして不完全な君達では、そう長くは生きることが出来ないはずだ。もっとも、殺して欲しいと願うのであれば、その願いを叶えることは吝かではないのだがね」 「だったら、彼女を僕に渡してくれるかな?」  大真面目に要求したトラスティに、「不思議な反応だ」と男は少しだけ驚いた顔をした。 「同時に、とても興味深いと言っていいだろう」  そこで少し考えた男は、「よかろう」と道を開けた。 「ゼムリアの生き残りだったモノなら、水晶の棺に収められている」 「水晶の棺からは出してくれないのかな?」  サービスが悪いと笑うトラスティに、「あれは我々のものではない」と言うのが男の答えだった。 「水晶の棺はくれてやろう。そこから先は、我々の責任ではないと思うのだがね」  それからと、男は「助言だ」と大真面目に口にした。 「あの棺は、我々でも砕くことは出来ないものだ」 「別に、棺を壊す必要など無いと思っているよ」  一人前に進み出たトラスティは、男達の開けてくれた道を通って水晶の棺の前へと向かった。そして光り輝く棺の前に立ち、そっと手を触れようとした。だがトラスティが手を伸ばしたのと同時に体が煌めき、次の瞬間その姿がかき消すように消えてしまった。 「すまない。もう一つ忠告を忘れていた。その棺の周りは、閉鎖空間になっている。外から触れようとしたら、どこか知らない空間に飛ばされることになるだろう」  そこで少しだけ口元を歪めた男は、「さて」とカイト達に向かい合った。 「君達はどうしたいのかな?」  その言葉に合わせ、出口を塞ぐように男達がカイト達を取り囲んだ。30と言う男達の前に、カイト達は圧倒的に不利な状況に置かれたのだった。  サルタンの男は罠に掛けたつもりのだろうが、その罠はすでにトラスティが想定したものでしかなかった。そして罠を利用し、トラスティは水晶で出来た棺の空間へと侵入した。外からの見た目とは違い、中には広大な空間が広がっていた。 「これは、空間圧縮をしたと言うことかな?」  ミラニアと、トラスティは後ろに現れた影に問い掛けた。  その問い掛けに、「どちらかと言えば仮想空間でしょうか」と言うのがミラニアの答えだった。 「だが君も僕も実体のはずだ」  仮想空間とは違うと答えたトラスティは、「違うか」と自分の誤りを認めた。 「境界空間といえば良いのかな。やはり君には、実体は残っていなかったのか」 「それもまた、実体をどう定義するかによるのですが……」  少しだけ口元を歪めたミラニアは、「お話をしませんか?」と水晶で出来た椅子を用意した。ただ解せないのは、その時のミラニアが受付嬢の格好で居たことだ。 「その格好に意味があるのかな?」 「この格好がお好きだと思いましたので……」  だからですと答えられ、トラスティはそれ以上の質問を思いとどまった。そしてその代りの質問を彼女にぶつけた。 「君は、この空間から出られるのかな?」 「その答えは、とても難しいと思います。それは、出られるの定義にも関わってくるのかと」  つまりと、熱い眼差しを向けながらミラニアは「定義」に関わる部分を説明した。 「肉体を持ってと言う意味であれば、出来ないと言うのがお答えになります。そして私の本質だけなら、できるとお答えいたします。ただその場合でも、器が必要になってきます」 「その器として、君はメリタを壊したと言うのかな?」  少し怒気を滲ませたトラスティに、「誤解がありますね」とミラニアは答えた。 「もともと彼女は、私の転生体の一つなのです。そして、最も私と親和性の高い転生体でもあります」  その答えに、トラスティは「なるほど」とミラニアのからくりを理解した。 「僕は、まんまと君の罠に嵌ったと言うことか」 「お気に召さないところはあるかと思いますが。事実だけを持ち出せばそう言うことになりますね」  ごめんなさいと謝られたトラスティは、「「神」も謝るのだね」と驚いた顔をした。 「神と言うのは私に与えられた機能でしかありません。ミラニア……メリタと言う存在は、とても素直な女なんですよ」  ご存知ですよねと問われたが、トラスティはその問い掛けには反応しなかった。 「その2つを区別したと言うことは、「神」としての機能は考えを変えていないと言うことかな?」  その確認に、ミラニアはゆっくりと頷いた。 「ええ、考えを変えるに足る事実を確認しておりません。そして第二のラプータが、クリスタル銀河に現れてしまいました」  そこでミラニアは、右手の上に一隻の宇宙船の姿を投影した。 「インペレーターが第二のラプータと言いたい訳だ」  トラスティの言葉に、ミラニアは小さく頷いた。 「守りを固めたラプータを破壊できるのなら、そしてラプータの攻撃を受けてもびくともしないのなら、それは第二のラプータと言っても宜しいのかと」  「違いますか」と問われ、トラスティははっきりと「違う」と答えた。 「あんなものは、僕達の代替手段でしか無いんだ」  そこでトラスティは、「サラ」とインペレーターのAIを呼出した。それに答えて現れたのは、芙蓉学園の制服姿をした女性だった。それを「あり得ない」と驚いたミラニアを無視し、「彼女にIotUの奇跡を見せてあげてくれ」と命じた。 「あなたのインナーワールドの方が良いと思うわ」  だからと、サラはトラスティにキスをしてからミラニアと同化した。「ああ」と己を抱きしめてしゃがんだミラニアは、「こんなことが」と白い顔を青くしてガタガタと震えた。  それからすぐに現れたサラに、「何を見せたんだい?」とトラスティは少しだけ困ったような顔をした。 「あなたの内面……みたいなものね」 「内面って……僕は、普通の人間のつもりなんだけどなぁ」  一体なんだろうと現実逃避をしたトラスティに、「多分違うわ」とサラは突き放した。 「あ、貴方様は……」  震える唇で言葉を紡ごうとしたミラニアに、「神じゃないから」とトラスティは先手を打った。 「そして僕達は、サルタンのような馬鹿で独善的じゃない」 「おそらく、サルタンも同じように考えていたと思います」  つまり、今はそうでも心変わりがあると言いたいのだろう。それに頷いたトラスティは、「意思は受け継がれる」とミラニアに答えた。 「僕達の思い、夢は新しい世代に受け継がれていくんだよ。そして僕達の夢、思いを受け継いだ世代は、その先に自分達の夢や思いを見つけることになるんだ。様々な挫折や紆余曲折を経て、そして力強く未来へと向かっていくんだよ。未来を否定した時点で、サルタンの行いは正当化出来ないんだ。そしてそれを、僕は全力で否定しようと思っている」 「どうなさるおつもりですか? いくらあなたでも、この世界からは出ることが出来ないと思います。あなたも、私と同じくこの世界に囚われた者となられたんです」  だから脱出など出来ない。そのミラニアの問いに、「世界を壊せばいい」とトラスティは答えた。そして右手を高く掲げ、「星よ集え」と唱え奇跡の技の名を口にした。 「時空を撃ち抜け、スターライトブレーカーっ!」  クリスタルの世界から集められた光は、トラスティの命に従い巨大な光柱を天へと伸ばした。その光に撃ち抜かれた世界は、音を立てて崩れ始めた。  キラキラと水晶の欠片が舞う世界で、トラスティはミラニアに右手を差し出した。 「どうする、君も一緒に来るのかな?」  そのトラスティの誘いに、ミラニアはゆっくりと首を振った。 「私の体は、この世界でだけ維持されるものです。先程申し上げたとおり、私の本質は別のルートで再びお目にかかることになるのかと。あなたと再会できるのを楽しみにしております」  そう言って頭を下げたミラニアに、トラスティは「そうか」と小さく頷いた。そしてコスモクロアと、内なるサーヴァントに移動を命じた。主の命令を忠実に実行したコスモクロアは、崩壊する水晶の世界からトラスティをラプータの中へと連れ戻した。  戦いが一方的なものにならなかったのは、ひとえに超人的なカイトの働きによる。もちろんニムレスやギルガメシュ、そしてリュースも獅子奮迅の働きをしていたのだが、カイトの破壊力はそれを凌駕していたのだ。  真の実力を発揮したカイトの前には、超戦士となったサルタンも刃が立たなかった。ただそのカイトを持ってしても、時間稼ぎが関の山となっていた。否、時間稼ぎこそが自分の仕事と考えていたところがある。  そして乱戦に入ってから1時間が経過しようとした時、突然水晶の棺がガタガタと震えだした。ただ戦いに集中した者達は、その変化に気づくことはなかった。そしてガタガタと震えだした水晶の棺から光が溢れ出た次の瞬間、その光はカイト達が戦う空間を白く塗りつぶした。  それが1秒のことなのか、それとも1時間のことなのか、光りに包まれたサルタン達には理解することが出来なかった。そして空間を塗りつぶした光が消えた時、彼らは戦っていた相手の姿が見えないのに気がついた。 「何が起こったのだっ!」  慌てて中を確認したのだが、どこにもカイト達の存在は確認できなかった。そしてもしやと水晶の棺を見たのだが、光が発せられる前と変わらぬ姿を見せていた。 「ただ、逃げただけと言うことか……」  愚かなと口元を歪めた男は、「戦闘の準備を」と仲間達に声を掛けた。  ラプータから逃れる術を持たない以上、侵入した者達の運命はラプータとともにある。そしてラプータは、立ちふさがる者達を蹴散らし、この銀河に永遠の平穏をもたらす旅に出るのだと。 「核粒子炉稼働開始。ラプータ、全速で進攻を開始する!」  そこで少し考えた男は、「最初の目標をブリーとする」と全員に告げた。 「ラプータ、惑星ブリーに向けてワープに入ります」 「外周プラズマ雲修復完了。20万kmの厚さになりました」  その報告を受けた男は、「義務を遂行する」と感情を感じさせない言葉を口にした。 「完全なる調和した世界へむけて」  その言葉と同時に、ラプータは空間を超えてブリーへと向かったのである。  その頃脱出したカイト達は、光を放ったトラスティと合流していた。とりあえずの目的が達成できた以上、これ以上の戦闘に意味などなかったのだ。ただ問題は、このラプータからどう脱出するかと言うことだった。ラプータの中にいると、外の様子を探りにくくなり多層空間移動が使いにくい状況となっていたのだ。 「俺達の船を壊したと言うのは嘘ではなかったと言うことだな」  突入地点でカイト達を迎えたのは、突入に使ったガントレットの残骸だった。突入した時点で中破していたのだから、もともと再利用は考えられていない代物である。 「さて、脱出方法だが……」  ザリアと、カイトは己のサーヴァントを呼び出した。呼びかけに応えて現れたザリアは、どこかで見たような肌にピッタリとした制服を着ていた。そのお陰で、いささか胸元あたりはけしからん状態になっていた。 「プラズマ雲を突っ切るのは、はっきり言って難しいな。何しろ壁の向こう側は、1000万気圧を超えた超圧縮状態なのだ。フュージョンをしている我らでも……流石に自信はないな」  それが一つと答えたザリアは、「現実的な方法として」と空間接合を持ち出した。 「たかだか20万キロ程度の厚みなら、その外側に空間接合してやればいいはずだ。通常空間にでさえすれば、そこからなら正確な座標を決められるからな」 「それは、こいつがワープとかしていなければの話だろう。亜空間とかに放り出されると、流石にその後が大変になるぞ。おまけで言うなら、こいつがプラズマ雲の補給をしていたらどうなる? 近くにクェーサーがあるのなんて、どう考えてもゾッとしないんだがな」  主の否定的な意見に対して、「それぐらいしか手がない!」とザリアは断言した。 「アクサと連絡がついてくれれば、まだ外の状況が分かるのだがな」  さっぱり駄目だと答えたザリアに、「一か八か……か」とカイトは渋い顔をした。 「どうする、親父」 「どう……と言われてもね。戻ってきたら、サラにもアクセスが出来ないんだ」  そちらの素養はないと苦笑したトラスティは、「コスモクロア」と己のサーヴァントを呼び出した。なぜかザリアと同じ格好で現れたコスモクロアは、胸元がとてもけしからん状態になっていた。 「外側の重力場のせいで、確かに座標の特定ができなくなっていますね。アクサが感じられないのも、おそらくそれが理由なのかと……加えて言うと、アクサのしているミラクルブラッドは私達のものと違いますからね。それもまた、アクサを感じにくくさせています」 「つまり、どう言うことなのかな?」  答えはとのトラスティに、「ザリアと同じです」と言うのがコスモクロアが口にした答えだった。 「つまり、やるしか無いのか……」  分の悪いかけだなと苦笑をしたら、次の瞬間全員が爆発で壁際まで飛ばされてしまった。とっさにザリア達がかばってくれたから良かったものの、少しでも遅れていたら全員がそれだけで圧死するような衝撃だった。 「正直、外に出たくなくなってきたのだが……」  酷い目に遭ったと頭を振ったカイトは、爆発の現場を見てあんぐりと口を開けてしまった。ラプータの隔壁を突き破り、巨大な船が内壁深く突き刺さっていたのだ。それだけでも驚きなのに、船体を見たらトリプルAのマークがしっかりと描かれていた。 「ひょっとしてルリ号か?」  なんでとトラスティを含めて唖然としているところに、「来ちゃいました。てへっ!」とルリのアバターが現れた。 「来ちゃいましたって……」  てへっの部分を無視し、なんでとトラスティは頭を抱えた。いくら頑丈に作られているとは言え、厚さ20万キロのプラズマ雲を超えるのは無謀すぎると考えたのだ。 「トラスティ様達に、助けが必要かなって」 「その助けに、今まさに殺されかけたんだけど?」  三白眼で睨んだトラスティに、「細かなことに拘っちゃ駄目よ」とルリは豊かな胸をそらした。  だれが性格付けをしたのだと呆れながら、「良く突っ切れたね」と無謀な突入劇のことを尋ねた。何しろ高圧のせいで、酸素や炭素が金属状態になっていたのだ。 「アクサに、時限式の停止空間を作ってもらったのよ。20万キロなら、1秒程度もてばいいでしょう。秒速20万キロまで加速したところで、後は慣性で突っ込んだってことね、この船、厚みが20キロぐらいあるでしょ。それでブレーキになるかなって。ただ、思ったより早く停止空間が解除しちゃったんだけどね」  それだけが失敗と笑うルリに、トラスティとカイトはしっかりと頭を抱えた。  そんな二人に、「さっさと乗ってくれない?」とルリは急き立てた。 「どうやって、ここから脱出するつもりなのかな? 今度は、加速距離を取れないよ」  それを考えてると問われ、「もち!」とルリは豊かな胸を張った。 「細かなことは、乗った後に説明するから」  さあさあと急かしたルリは、全員をルリ号の中へと転送した。ただトラスティ達が驚いたのは、ルリ号のブリッジに誰も居なかったことだ。 「まさか、君だけで突入してきたとか?」 「そのまさかだけど?」  偉いでしょうと笑われると、それ以上突っ込む気力も失われてしまう。 「それに、こんな危ないことを有人じゃ出来ないわよ」 「やっぱり、危ないことだったんだ……」  だろうなと顔を見合わせた二人は、「それで」とここからの脱出方法を質した。 「それでって、傘がないからそのまま突っ切るだけよ」 「1000万気圧を超える金属層を突っ切るんだって?」  「正気」と顔を見られたルリは、「正気」と胸を張った。 「愛は不可能を可能にするものなの」  ばちんとトラスティにウィンクをしたルリは、「そろそろかな」とタイミングを計った。 「もちろん、何の手立ても打たずに突っ込んできたわけじゃないわよ」  ルリがそう答えたところで、小さな振動が伝わってきた。 「これは?」 「第10艦隊に、10分間隔でξ粒子砲を撃ち込んで貰うことにしたの。今のは、これから撃つわよって合図ね。と言うことなので、みんな覚悟を決めてね。3、2、1、ゴーっ!」  あくまで脳天気な掛け声をかけて、ルリ号は自分が突き破った穴から金属層に突っ込んだ。「ああ死んだ」と全員が覚悟を決めたのは言うまでもない。  短いようで長い5秒が過ぎたところで、ルリ号はプラズマ雲を突っ切り通常空間へと復帰した。ただ何事もなくとはいかず、ルリ号は満身創痍のように見えていた。何しろ船内では明かりが落ち、ところどころで火花が出ていたのだ。 「流石に、無茶をしちゃったかな?」  てへっと自分の頭を叩いたルリに、「無茶すぎるだろう!」とトラスティは言い返した。ただ言い返しはしたが、すぐに「ありがとう」とお礼を言った。 「無理をして、僕達を助けに来てくれたんだろう?」 「まあ、あなた達は私の家族だから。無理をするだけの意味があったと思ってくれる?」  それだけと笑ったのだが、アバターの姿が明滅を始めてくれた。 「ここからなら、あなた達だけでもインペレーターに戻れるわね」 「ああ、君のお陰だ……」  神妙な顔をしたトラスティに、「君じゃ嫌だな」とルリは最後のお願いをした。 「ルリって、呼んでくれるかな?」 「ルリ……でいいのかな。ありがとうルリ」  トラスティの言葉にニッコリと微笑み、ルリのアバターがその姿を消した。姿を消す前のルリの口が、「アイシテル」と動いたのをトラスティは見ていた。  その光景に、スクブス隊の6人はもらい泣きをしていた。そして皮肉屋のリュースも、珍しく神妙な顔をしたぐらいだ。 「無理をしてくれたんだな……俺達の婆さんか」  カイトがしんみりとルリのことを思ったところで、「婆さんじゃないっ!」といきなりルリが復活した。 「こんなピチピチギャルを捕まえて、「婆さんか」は無いと思うわ! 失礼しちゃう、プンプン」  そう言って頬を膨らませて怒るルリに、「ちょっと待て」とトラスティはその肩に手をおいた。流石に腹を立てたのか、むりやり彼女の存在に干渉したのである。  その剣幕に恐れをなしたルリは、「ちょっとした茶目っ気よ、茶目っ気」と言い訳をした。 「ほら、あっさり脱出できたら感動がないでしょ? だから、感動の場面を作ろうかなって。もう、涙モノの演技だと思わない?」  ねっねっと悪びれずに言われると、腹を立てるのも虚しくなってしまう。はぁぁぁぁっと深すぎるため息を吐いたトラスティは、「ここは?」と現在地を確認した。 「インペレーターの格納庫に入ったわよ」  もう一度ため息を吐いたトラスティは、「サラ」とインペレーターのAIを呼び出した。 「ブリッジで宜しいですか?」 「ああ、まだ終わっていないからね」  頼むとのトラスティの言葉に合わせ、ルリ号から全員がインペレーターへと転送された。それをバイバイと見送ったルリは、消えずに残ったサラに「後は任せたわ」とウィンクをした。 「ええ、安心してお休みなさい。大丈夫よ、まだ復旧は可能だから」 「でもさ、もういいかなって気もしているのよね。最後に息子と孫の役に立てたんだもの」  ずっと役立たずだったと自嘲したルリは、「思い残すことはないし」とサラに笑った。 「そうなの?」 「ええ、そう思ってる」  だから消えると笑ったルリに、その言葉通り激しく明滅を繰り返した。そんなルリに、サラはボソリと「ヒナギクは抱いて貰ったわよ」と呟いた。とても小さな呟きだったのだが、しっかりとルリには届いていたようだ。「それほんとっ!」と消えかけのルリが大声を上げた。 「あなた、あの人が肩に手を掛けてくれたのを忘れたの?」 「ああっん、心残りができちゃったじゃないのぉ!」  地団駄を踏んだルリは、「絶対に復活してやる」と言いながら姿を消した。どうやら無理ができるのもここまでのようだった。原型が残っただけでも奇跡的と言うのが、今のルリ号の状況だったのだ。 「大丈夫、あなたの遺志は無駄にしないわ」  成仏してねと、サラは口元を歪めた。流石に今度は、ルリから文句を言われることはなかった。  インペレーターのブリッジに戻ったトラスティは、すぐさま「ラプータは」と敵の状況を確認した。そんなトラスティに、マリーカはあまり嬉しくない報告をすることになった 「つい先程、空間跳躍を行いました。サラの推定では、ブリーに向かったようです。それから、プラズマ雲ですけど、厚さが20万kmに達していました」 「もう時間的猶予は無いと言うことか……」  ふうっと息を吐いたトラスティは、「追撃する」と全員に宣言した。 「インペレーターの主砲リトバルトで、ラプータを破壊する」 「インペレーター、ラプータを追撃します」  復唱したマリーカは、「最高速でラプータを追撃します」とブリッジクルーに告げた。 「ラプータの航路座標特定完了。光速の4億倍まで加速します。捕捉予定は5分後になります!」 「通常空間復帰後、直ちにリトバルトの発射準備を。出力は……100%で攻撃します」  100%と言うマリーカの言葉にブリッジの中からは「嘘だろう」と言う声が聞こえてきた。そしてその声を代表するように、砲術担当のシュニッツァーが「宜しいのですか?」と尋ねてきた。 「どれだけやれば良いのか分かっていないんだからね。最大能力で攻撃するのは当たり前だと思うわよ」  だからですと断言したマリーカは、「100%の攻撃を」と繰り返した。 「インペレーター、通常空間復帰と同時にリトバルトにエネルギー充填開始します」  その報告に宜しいと頷いたマリーカは、「決着を付けるわよ」と舌舐めずりをした。  その声を聞きながら、トラスティはブリッジに設けられた自分の席についた。そこで小さくため息を吐いたのをスタークに見咎められ、「流石に疲れました」と珍しい言い訳をした。  それに頷いたスタークは、「成果はあったのかね?」と突入の成果を尋ねた。 「苦労しただけの成果があったかは疑問ですが。一応「神」には理解して貰ったと思っていますよ」 「誑し込む方はどうなのだね?」  そう聞いてきたスタークに向かって、「どうしてそうなります」とトラスティは肩を落とした。 「どうしてと今更尋ねるのかな?」  そう言って口元を歪めたスタークに、「疑問に思ってもいいと思いますよ」とトラスティは言い返した。ただそれ以上話が進まなかったのは、インペレーターが通常空間に復帰したからだ。まだラプータの現れていない空間に向かって、インペレーターがリトバルトの発射準備に入ったのである。インペレーターの前部を映す映像に、眩いばかりの光の輪が形成されるのが映し出されていた。 「空間の湾曲を確認しました。ラプータ、出現します」  観測スタッフからの報告に頷き、マリーカはシュニッツァーと声を掛けてからトラスティ達の方を見た。 「宜しいですね?」  その問いに顔を見合わせた2人だったが、結果的にトラスティがスタークに決断を押し付けられた。 「ああ、ラプータを破壊してくれ」  その命令に頷いたマリーカは、両手をぐっと前に差し出し何かを引き寄せる真似をした。それに合わせて彼女の前にターゲットスコープが浮かび上がり、照準情報が表示された。 「リトバルト最大出力まであと10です」 「照準調整。照準を中央部大型戦艦へ」 「敵プラズマ雲に変化が発生っ! 敵主砲砲塔が現出しましたっ!」 「リトバルトエネルギー臨界まであと5」 「照準調整完了しましたっ!」 「敵主砲、高エネルギー砲を発射。先程の10倍のエネルギー量です。本艦到達まで、あと100です」 「リトバルト、臨界突破っ! いつでもいけます」  そこでぎゅっと拳を握り直し、マリーカは「リトバルト発射!」と大声を上げた。その命令に応えるように、インペレーター先端出来た光の輪から、青い光が迸った。そしてインペレーターから伸びた青い光は、敵の高エネルギー攻撃を蹴散らしそのままプラズマ雲の中心を貫いた。  敵を貫いた光は、そのまま真っすぐに伸びて宇宙の果てへと消えていった。そして青い光が貫いた直後、圧縮されたプラズマ雲がまるで爆発したかのように広がっていった。 「前方重力場の消滅を確認しました」 「敵艦エネルギー反応検出できません」 「敵艦ワープの兆候見当たりません」  次々と報告される観測結果は、敵ラプータの破壊を裏付けるものとなっていた。アリスカンダル艦隊の総攻撃を耐えたプラズマ雲の防御が貫かれ、隠れていた本体も破壊されたのだろう。 「インペレーター現状で待機。ガス雲の密度が落ちた時点で侵入し、ラプータ破壊の確認を行います。第1種戦闘配備を解除し、第2種へと移行します」  そこまで指示を出したマリーカは、「トラスティ様」と後ろで見ていたトラスティに声を掛けた。 「ここからは、単なる待機と確認作業となります。確認作業に入る前にお声を掛けますので、休息を取られてはいかがでしょうか?」  自分を気遣ったマリーカに、トラスティは「ありがとう」と答えた。そして同じように疲れた顔を見せるカイト達に向かって、「休みましょう」と声を掛けた。 「ああ、ここから先は詰めている必要はなさそうだな」  デストレア達の顔を見て、「休むぞ」とカイトは空元気を出した。さすがのカイトも、突入から脱出までの奮闘に、強い疲労を感じていたのだ。そしてその事情は、10剣聖やスクブス隊のメンバーも変わらなかった。「疲れたぁ〜」の声が力ないのも、事情を考えれば少しも不思議ではなかったのだ。  「後は任せる」とトラスティ達が消えていったのを見て、マリーカは初めて大きく息を吐きだした。 「これは封印した方が良さそうですね」  何がとは言わなかったが、その場に居合わせた全員がその意味を理解していた。アリスカンダル艦隊700隻が集中攻撃しても破れなかった防御を、リトバルトは容易に突き破っていったのだ。結果だけを見れば、100%の出力は必要がないように思われた。 「ああ、過剰な威力であるのは確かだろうな」  二次被害が出ていなければいいがと、スタークは誰もが感じていた懸念を口にした。磁界の影響を受けない粒子を用いたため、発散するのに時間が必要だったのだ。いくら照準上に他の天体が見えなかったとしても、更にその先ともなれば確認も難しくなってしまう。 「トラスティ氏には、私から主砲の封印を進言するよ」 「その意味で言えば、インペレーターも使わない方が良い気がしてきました」  「神」が口にした、第二第三のラプータと言う言葉が、マリーカにも重くのしかかってきたのだ。今のインペレーターならば、プラズマ雲を纏ったラプータよりも、効率的に文明破壊ができるのだ。インペレーターと第10艦隊の組み合わせは、超銀河連邦軍が総出で当たっても止めることは出来ないように思えてしまった。 「うむ、連邦が騒がしくなる恐れもあるな。第10艦隊はまだしも、インペレーターは強烈すぎる」 「本当は、超銀河連邦に預けるのが良いのでしょうけど……それはそれで、持て余してしまいそうですね」  マリーカの意見に、「持て余すだろうな」とスタークは認めた。 「機密確保と言う意味で、レムニア帝国もおいそれとは移管できないだろう」 「確かに、軍事機密の塊ですからね。これって」  ふうっと息を吐いたマリーカは、「サラ」とインペレーターのAIを呼出した。 「今の会話は、記録から削除しておいて」  色々とまずいからと言い訳をしたマリーカに、「畏まりました」とサラが頭を下げた。 「それから、ルリ号はどうなった?」 「現在すべての機能を停止しています。かろうじて、自己保存モードが間に合ったと言うところですね。爆発しなかったのが不思議と言っていいと思いますよ」  小さく頷いたマリーカは、「ルリは治る?」とサラに尋ねた。 「恐らく……と言うところですね。レムニアの技術者に引き渡さないとそれ以上は分かりません。ただ、本人には復活の動機づけを行っておきました」 「動機づけ……ね。なんか想像がつくわ」  そう言って口元を歪めたマリーカに、「必要な処置です」とサラは薄い胸を張った。 「願いが叶ったと思ってしまうと、復活したいと言うモチベーションが起きませんからね」 「願いが叶った? ルリの願いって?」  何と聞いたマリーカだったが、すぐに「良いわ」と質問を取り消した。それを「別に構いませんよ」と笑ったサラは、少しだけ挑発的な答えをマリーカに与えた。 「彼女は、自分のことをとびっきり綺麗でスタイルも良くて、性格が明るくて頭が良いことだけが取り柄だと思っていましたからね。少しも妻として役に立ててないと悩んでいたんです」 「……喧嘩を売られている気がするわ」  目元を険しくしたマリーカに、「喧嘩を売っていますね」とサラは笑った。 「でも本人は天然なだけで、喧嘩を売っているつもりはないんですよ」 「なんか分かるわ……それ」  ふうっと息を吐いたマリーカは、「役に立っているのに」と呟いた。 「多分だけど、IotUは明るいルリさんにずいぶんと癒やされたと思うわよ。その人がそこにいるだけで元気になれるって、とても貴重なことだと思うもの」 「気苦労の多かった方ですから、マリーカ様の言うとおりだと思いますよ。それでも、他の奥様方と比べてしまうものなのですよ。特に奥様の中ではコハク様が強烈でしたからね。私達は仲が良かったですから、けっこう悩みを聞かされていたんです。ただ聞かされた方としては、いつも喧嘩を売られている気になりましたけどね」  嫌そうな顔をされ、マリーカは思わず吹き出してしまった。ナチュラルに喧嘩を売られるのは、確かにタチが悪いと思えたのだ。 「トラスティさんとカイトさんを救い出せて、ようやく役に立てたと思った訳ね」  重いなぁと、マリーカは明るいだけに見えるルリの抱えたものを思った。  一同がしんみりとしたところで、観測班から新しい報告が伝えられた。 「ガス雲中央部に、巨大構造物の痕跡を検出しました。ただ、エネルギー反応は見つかっていません」 「ラプータの残骸……と言うことかしら?」  データーをと、マリーカは観測データーを回すことを命じた。 「こちらから見ると、20kmぐらいの幅があるのね」  そしてその真中には、半径2kmほどの穴が貫通していた。おそらく、リトバルトのエネルギー粒子が破壊した跡なのだろう。 「あれじゃあ、誰も生き残っては居ないわね」  無事に見える周辺部も、通過した粒子の影響を受けているはずなのだ。その中に居て、人が無事でいられるとはとても思えなかった。しかも脱出できたとしても、圧縮金属の爆発に巻き込まれているだろう。 「レクシュ司令に連絡を。観測隊の派遣をお願いしてくれるかしら」  マリーカの命令に、ウフーラは「直ちに」と応答をした。そして第10艦隊とのやり取りを終え、「ご了解いただきました」と報告を上げた。 「この情報を、トラスティさんに伝えてくれるかしら?」  お願いサラと、マリーカは戦いの終わりをトラスティに伝えることにした。  サルタンとの戦いの間、アリッサとアルテルナタはメリタを見守っていた。すでに結果は教えられているので、彼女を見ていようと思ったのである。そして彼女の意識が戻った時が、ラプータが破壊された時と言うことも分かっていたのだ。 「こうしてみると、かなり綺麗な人なのですね」  穏やかに眠るメリタを見て、「さすがはご主人様」とアルテルナタは感心していた。教えられた出会いの経緯は、目の前の女性からは信じられないものだったのだ。  不思議ですねと首をひねるアルテルナタに、「一つ誤解がありますね」とアリッサは笑った。 「あの人は、女性を美しくする何かを持っているんです」 「その何かと言うのがよく分からないのですが……納得出来てしまう説明だと思います」  大きく頷いたアルテルナタは、「そろそろですね」と一度瞳を閉じた。  そして「そろそろ」とアルテルナタが口にした10秒後、「ぷはぁっ!」といさささかはしたない息を吐いてメリタが目を開いた。そこで忙しく目を動かしたメリタに、アリッサは用意していた「ようこそ」と言う声を掛けた。  そこで初めて誰かがいるのに気がついたのか、メリタは顔を赤くしてゆっくりとアリッサ達の方へと顔を向けた。 「ひょっとして、私は死にました?」 「いえ、生きていますけど……どうしてですか?」  不思議ですねと微笑むアリッサに、「いえ」とメリタは少しだけ口ごもった。 「こんなきれいな部屋で、しかも凄く綺麗な人が私のそばにいるからです」  だからと答えたメリタに、「光栄ですね」とアリッサは微笑んだ。 「自己紹介がまだでしたね。トラスティの妻アリッサと言います。そして私の隣りにいるのが、同じく妻のアルテルナタさんです。アルテルナタさんは、クリプトサイトと言う王国の王女様……で良いのですよね? そして私は、トリプルAと言う新興企業の代表をしています」  丁寧な挨拶に慌てたメリタは、「私はっ」と少し声を裏返らせた。 「アルトレヒトにある公共福祉局にお勤めのメリタさんですね。確か、「死の受付」でしたか。それで有名なのですよね」 「他の星から来た人にまで言われるなんて……」  ずんと表情を曇らせたメリタに、「確かに嫌な二つ名ですよね。それって」とアリッサはコロコロと笑ってみせた。 「ところで、お体の具合はいかがですか?」 「……なにか、頭がはっきりしないところがある気がするのですが……それ以外は、特におかしなところは思い当たりませんね」  少し考えてから、「頭だけですね」とメリタは繰り返した。その答えがおかしくて、アリッサとアルテルナタは小さく吹き出した。 「あの、私がなにかおかしなことを言いました?」  そこまで笑われる心当たりがないと、メリタは少し目元にシワを寄せた。 「いえ、おかしいところとお尋ねしたのに、「頭だけ」を繰り返していただきましたから。それが、少しだけツボにはまってしまっただけですよ」  ごめんなさいと言って、アリッサはもう一度手で口元を抑えて吹き出した。 「ええっと、頭がおかしいってそう言う意味ではありませんからっ!」  違いますと強調したメリタに、「分かっていますよ」と答え、アリッサはもう一度吹き出した。 「メリタさんが楽しい人で良かったと思いますよ」 「あまり褒められている気がしないのですけど……」  ううむと唸ったメリタに、「状況の説明は必要ですか?」とアリッサは尋ねた。これまで意識がなかったのだから、説明が必要だろうと考えた……と言うのが建前である。 「いえ、不思議な事なんですが……夢を見ていた気がするんです。物凄く大きな彗星みたいな物が出てきて、その中で私はトラスティさんとお話をして……最後にその彗星が破壊されたって夢なんですけど」 「ブリーを襲うはずの小惑星は?」  そちらはとの問いに、「小さいのは破壊されて、大きいのは軌道が変えられた……」  そこまで答えたメリタは、「そちらは見ていました」とはっきりと答えた。それに頷いたアリッサは、「概ね合っていますね」と答え合わせをした。 「ラプータと言うのだそうですけど。古代ゼムリア人が恒星間戦争を終わらせるため、それを操る超人類サルタンと一緒に巨大な兵器を開発したのだそうです。そしてその兵器は、その時点で生まれていた全ての文明を滅ぼしていったのだそうですよ。その封印をノブハルさんが解いてしまい、「神」ですか、パニックになってあなたの体を借りてあの人に伝えようとしたみたいですね。フリートでアルトリアさんでしたか、その人に教えられた「神降ろし」をあなたは無理やりさせられてしまったと言うことです。そのせいで、あなたは目が覚めなくなってしまった……と言うことですね。そしてその間に起きたことは、あなたが夢で見たことと同じなんです」 「わ、私が神降ろしをしてしまったっ!」  そんなと驚いたメリタに、「どちらかと言えば乗っ取られました」とアリッサは真面目な顔で答えた。 「人の意識の上に、強制的に自分の意識を重ねたのです。ですから重ねられたあなたは、耐えられなくなってしまったと言うことです。あなたは、4日間も意識が戻らなかったんです」  「4日間もっ!」と驚くメリタに、「4日ですね」とアリッサは告げた。 「珍しくあの人が、ずいぶんと罪の意識に苛まれてしまったようです。お陰でずいぶんと危ない真似をしたのですけど……無事に帰ってきたから良しとしましょうか」  その程度ですと微笑み、アリッサは「サラ」とインペレーターのAIを呼び出した。それに答えて現れたサラは、なぜか公共福祉局の制服を着ていた。 「ええっと、その格好になにか意味があるんですか?」  意外に似合っているのだが、問題はそこにないと思っていた。そんなメリタを無視して、「何でしょう」とサラはアリッサに向き合った。 「あの人に、メリタさんが目を覚ましたと伝えてくれますか?」 「はい、只今って言いますか。たった今お届けしました」  さあと手を広げた先に、疲れた顔のトラスティが立っていた。やはり最初に来るのはここかと、アリッサは少しだけ口元を歪めた。 「誰に会いに来たと思えばいいのですか?」  その意地悪な質問に、「全員が揃っているのは知っていたからね」とトラスティは笑った。そしてアリッサから順に口づけをしていった。ただメリタは、「顔も洗ってないんですっ!」と慌ててくれた。それを無視して口づけをしたのだが、そこはかとなく臭いなと彼女の言葉を裏付けていた。  3人に口づけを済ませたトラスティは、「彼女の様子は?」とアリッサに尋ねた。 「頭以外はおかしな場所はないそうですよ」 「頭がおかしいっ!」  大声を上げたトラスティに、「意味が違いますからっ!」とメリタも負けない大声を上げた。 「どこか、頭がはっきりしない部分があるって言うだけです。お、おかしくなんかなっていませんっ!」 「なるほど、普段のメリタとあまり差はないね」  うんうんと頷いてくれるのだが、どこか嫌とメリタは感じてしまった。ただ文句を言うと墓穴を彫りそうな気がしたので、黙って言われるままにしておくことにした。 「じゃあ、レックス氏も呼んであげよう。彼も、ずいぶんと心配していたからね」  「サラ」と、トラスティはレックスを連れてくるように命じた。そしてトラスティが命じた5秒後、椅子に座った格好をしたレックスが突然目の前に現れた。座っていた椅子がなくなっているので、レックスはそのまま後ろに倒れていった。 「すみません、予告しないで連れてきてしまいました」  わざとだなとは思ったが、それを指摘する代わりにトラスティはレックスに手を貸した。そして「一体何なんだ!」と文句を言うレックスに、「メリタさんが目覚めましたよ」と手でメリタを示した。 「なんだ、そっちの話か」 「なにか、どうでもいいように聞こえるんだけど?」  じろりと睨んだメリタに、「そうは言わないが」とレックスは言い返した。 「つい今しがたまで、物凄いものを見せられていたんだぞ。カンチアゴ大将以下、幕僚会議の奴らがスクリーンにかぶりつきで見ていたんだ。リトバルトだったか、それが巨大な彗星を撃ち抜いた時、「降伏条件」を全員が真剣に考えていたぐらいだ」 「つまり、私は忘れられていたと言うことね……」  じろりとレックスを睨んでから、「仕方がないんでしょうね」とメリタは息を吐き出した。 「ブリーが滅びる瀬戸際だったものね」  どうせ人の物だしと。メリタはわざとトラスティとの関係を強調した。 「まあ、そう言うな。それで、おかしいところはないのか?」 「頭って言ったら殴ってやろうと思っていたわ」  普段のメリタの様子に、レックスはほっと息を吐き出した。 「ところで、「神」のリプログラムはどうなった?」 「それは、これから確認をするところなんですけどね」  多分大丈夫と答えたトラスティに、「いいですか?」とメリタが手を上げた。 「どうかしたのかな?」 「いえ、夢で見た話なんですけど……」  そこで少し宙を仰いだメリタは、「約束は果たしますと聞いた気がするんです」と答えた。 「ええっと、あくまで夢で見た話ですからね」  少し慌てて両手を振ったものだから、彼女の豊かな胸がぶるんと震えてくれた。それを目の毒だと思いながら、レックスは「どう言うことだ?」とトラスティの顔を見た。 「彼女が言った通りですよ。「神」は約束を果たしてくれるそうです」 「ああ、そう言うことか……で納得できると思っているのか?」  おかしいだろうと主張するレックスに、「そう言われても」とトラスティは困った顔をした。 「僕には、それ以上言えることがないんですよ」 「流石に、それは無責任じゃないのか?」  もう一度おかしくないかと文句を言ったレックスに、トラスティは腕を組んで考えた。そして、「後で聞いてみます」とふざけた答えを口にしてくれた。 「……俺をおちょくっていないか?」 「そんなつもりはないんですけどね……」  真面目な顔をしたトラスティを睨み、レックスは「戻してくれ」と主張した。 「幕僚会議では、喧々囂々の議論になっているんだ」 「ちなみに、僕達はあなた達に降伏なんか求めていませんよ」  いやだなぁと笑うトラスティに、「それが信じられると思っているのか?」とレックスは言い返した。 「「神」は漠然とした脅威だったのだが、今度は明確な驚異を突きつけられてしまったのだぞ。普通の軍人が、ただの厚意だと言われて信用できると思っているのか?」  普通は無理だと言い、「だから問題なんだ」とレックスは告げた。レックスの主張になるほどと頷き、「話に行きましょうか?」とトラスティは提案した。 「とりあえず、どうして欲しいのかヒアリングをしてあげますよ」 「普通は、そちらから条件を出すものじゃないのか?」  胡乱なものを見る目をしたレックスに、「遵法行動です!」とトラスティは胸を張った。 「ここで降伏なんかされたら、僕は超銀河連邦憲章に違反してしまう。何しろ僕が交戦権を持ち出したのは、「神」に対してだけですからね。ブリーに対して交戦権を主張したこともないし、宣戦布告もしていませんよ」  だからだと嘯いたトラスティに、レックスは思いっきり疑わしそうな視線を向けた。ただその程度で尻尾を出す男じゃないと、レックスは「来るんだな」とトラスティに確認をした。 「その方が、無駄な議論をしなくて済むんじゃありませんか?」 「話が、余計ややこしくなる気がしないでもないが……」  かと言って、このままだと内部の議論も堂々巡りになるのが目に見えていた。仕方がないと諦め、「頼めるか」とレックスはペテン師に責任を放り投げた。 「ええ、頼まれて差し上げますよ」  そこでさてと考えたトラスティは、サラにリュースはどうしていると尋ねた。 「リュースさんならそこに居ますけど?」  ほらと指さされた先には、確かにリュースが立っていた。ただ壁にもたれて船を漕いでいるのを見ると、さすがの彼女も疲れているようだ。 「起こしてくれるかな?」 「あなたが起こしてあげればいいのに」  仕方ないですねと、サラはリュースの神経に割り込みを掛けた。お陰でがくっと体制を崩してから、リュースは慌ててバランスを取った。 「ええっと、別に寝ていませんよ、寝てなんかいませんからね」  あははと笑ったのを無視し、「付いてきてくれるかな」とトラスティは声を掛けた。 「ブリー宇宙軍幕僚の人達に説明に行くことにしたから」 「説明……必要そうですね」  了解しましたと言いながら、リュースは大きなあくびをしてくれた。 「そう言うことだから、レックス氏、僕とアリッサ、リュースを会議室に送ってくれないかな?」 「一応レックス氏は、離れた場所に送りますね」  気を利かせたサラのお陰で、トラスティはアリッサとリュースを連れてブリー宇宙軍関係者が集まる会議室に飛ばされた。レックスが言う通り、そこでは喧々囂々の議論が行われていた。  そこでわざとらしく大きく咳払いをしたトラスティは、「邪魔をして心苦しいのですが」と大声を上げた。途端に向けられた視線に、さすがは軍人と少しだけ気圧されるものを感じてしまった。 「事態は終息しましたので、皆さんを元の場所にお送りしたいと思います。とりあえず、これで「神」の攻撃を気にする必要はなくなったと思います」  「お疲れ様でした」と頭をさげたトラスティに、「待ってくれ」と大将のカンチアゴが声を上げた。 「我々に対して、なにか要求があるのではないのか?」 「いえ、特にありませんが?」  そこでわざとらしく首を傾げたトラスティは、「ああ」とわざとらしく手を叩いた。 「そう言えば、あなた方は備品の椅子とテーブルを壊しくれましたね。それから、壁紙に傷もつけてくれたんでしたね。そちらの費用請求をしないといけませんでしたね」  「忘れてました」と笑うトラスティに、「そうではなくてだ」とカンチアゴは困った顔をした。 「有り体に言うのなら、ブリーを植民星にするとかそう言う事を言っているのだ」 「どうして、そんな面倒なことをしないといけないのですか?」 「どうしてって……」  明らかに困ったカンチアゴに、「建前として」とトラスティは声を上げた。 「あなた達から宣戦布告を受けた覚えはありませんよ。加えて言うのなら、あなた達と戦った事実もありません。その状況でブリーを植民星にすると、僕の方が所属組織から罰せられてしまいます。ですから、あなた方が壊したものの弁済だけを求めたと言うことです。それでしたら、我々の法にも触れませんからね」 「本当に、我々に対して要求することはないのか?」  信じられんという顔をしたカンチアゴに、少し考えてから「ありませんね」とトラスティは繰り返した。 「たまに目立たないように遊びに来ることはあるかもしれませんが……特にして欲しい事もありませんね」  そこでもう一度考えてから、「やっぱりありませんね」とトラスティは繰り返した。  そこで黙り込んでしまった会議のメンバーに代わって、「ちょっといいか」と後ろの方でレックスが手を上げた。 「別に構いませんけど?」  どうぞと促されたレックスは、周りの視線に押されて一歩後ろに下がった。 「この後あなた達はどうするのだ?」 「目的は達成しましたから……まもなく撤収することになると思いますよ」  それがと問われたレックスは、「誰も残らないのか?」と質問を重ねた。 「先ほど言った通り、たまに遊びに来るかもしれませんが……特に、誰かを残すことはありませんね」  もう一度「それで」と問われたレックスは、他のメンバーが忘れていたことを持ち出した。 「この後、俺達から連絡をすることができるのか?」 「それでしたら、出来ないと言う答えになりますね。僕達には、ブリーに関わらなくてはならない理由がないんです。あまりにも文明レベルも違いますから、こちらから得られるものもありませんしね」  そこでもう一度考えてから、「さよならですね」とトラスティは答えた。  そのトラスティの答えに、カンチアゴ達は自分達が貴重な機会を失うことに気がついた。せっかく進んだ文明との接点ができたのに、その接点がなかったことにされてしまうのだと。  ブリーに生きるものとして、そして後々から政治家に責められることを考えると、ここで接点を失うことを認めてはいけない。「待ってくれ」とカンチアゴが声を上げるのも、彼の立場からすれば正当なことだった。 「君達と連絡ができる手段を残しては貰えないだろうか?」 「連絡手段……ですか?」  そこで困った顔をしたトラスティは、「権限外なんですけどね」と答えた。 「連絡手段と簡単に言ってくれますけど、結構手間とお金がかかるんですよ。今は暫定的に通信経路を確保してますけど、維持していくとなると各所との調整が必要になってくるし……異なる銀河との交流は、連邦マターなんですよ」  そこでカンチアゴの顔を見たトラスティは、「一応上申しておきます」と妥協案を持ち出した。 「とりあえず、しばらくは通信路を残しておきます。そこから先は、あなた達の政府と連邦政府の話し合いと言うことになると思いますよ」  通信手段を残すと言われ、会議メンバーの間にほっとした空気が広がった。そこでそれだけで済まさないのが、トラスティの意地の悪いところだろう。安堵したメンバーたちに、ちょっとした爆弾を投げ込んだのである。 「通信手段ですけど、レックス・アンジェロ氏に渡しておきます。何かあったら、彼を頼ってください」  その言葉に、全員の視線が再度レックスへと向けられた。その視線にたじろぎながら、「どうしてだ」とレックスは心からの叫び声を上げた。 「あなたが、メリタさんの従兄だから……まあ理由と言ってもその程度のものですよ」  ご理解いただけましたかと笑い、「解散しましょう!」とトラスティは手を叩いた。「待ってくれ」と言う声が聞こえた気もしたが、それを無視して全員を元の場所へと送り返した。もちろん、レックスだけは会議室に残されていた。 「おい、やってくれたな」 「これでも、一応親切のつもりなんですけどね。それから、ちゃんと気づいたあなたへのご褒美でもありますね」  その程度ですと笑い、「忙しくなりますね」とレックスを脅した。 「ああ、もの凄く忙しくなりそうだな……」  思いっきり怖い顔をして睨んできたレックスだったが、その程度でビビっていてはペテン師は務まらない。「では後ほど」と言って、トラスティは彼を元いた場所……アルトレヒトのサテライトオフィスへと飛ばした。 「これで、本当に終わったんですか?」 「後は、ミラニア……「神」と話をするぐらいかな」  その答えに、はてとリュースは首を傾げた。 「どうやって、「神」とお話するんです?」  壊しちゃいましたよねと確認され、「普段どおりだよ」とトラスティはアリッサの肩を抱き寄せた。 「君も一緒に話をするかい?」  その誘いにピンときたリュースは、「魅力的なお誘いですね」と口元を歪めた。 「ただ、起きていられるかは自信がありませんけど」 「4対1だから、多分大丈夫じゃないのかな?」  保証はしないと笑い、トラスティは「サラ」と自分達の移動を命じた。目的地は、メリタのために用意した部屋である。そこにはアルテルナタも待っているはずだ。  最終決戦の一部始終を、ノブハルはローエングリンのブリッジで見ていた。アリスカンダル艦隊の総攻撃からガントレットによる突入、そしてルリ号を使った脱出劇も同様である。ただそこまでは、手に汗を握る戦いと言って良いものだった。だが最後のインペレーターの攻撃には、思わず背筋に冷たいものが走ってしまうのを感じていた。そしてその事情は、艦長のコスワースも同様だった。 「必要性を否定するつもりはないのですが……」  少し口ごもったコスワースは、「限度を超えています」とリトバルトの威力のことを評した。 「過去ライマールと戦いを続けていたときでも、あのような巨大な破壊力は存在しませんでした。いえ、ブラックホールを使用したと言う実績はありますが、それにしたところでワンメイクのスペシャルなものだったのです。ですがリトバルトは、インペレーターの標準装備なのです。これで、帝国への報告が難しくなってしまいました」 「シルバニア内で、レムニア帝国への脅威論が台頭すると言いたいのか?」  表情を険しくしたノブハルに、「それに類するものなら」とコスワースは認めた。 「しかも先だって、トラスティ様に恫喝された事件がありました。それを考えると、トラスティ様への警戒心が強まる可能性があります」 「あの人は、軍事的混乱など望んでいないぞ」  それだけははっきりしていると答えたノブハルに、「それでもです」とコスワースは答えた。 「それは、ノブハル様だから言えることです。先日は策略によって我々は蹂躙されました。しかしインペレーターによって、力でも蹂躙される恐れが出てきたのです。直接相対することはなくとも、間接的に脅しに使われる……その存在を匂わすだけで良いのですからね。その恐れがあると思われます」 「艦長の言いたいことは理解できるが……」  うむと唸ったノブハルは、「アルテッツァ」と帝国を統べるAIを呼出した。そして彼女に対して、とても答えにくい問い掛けをしたのである。 「インペレーターと第10艦隊がなかったとして、シルバニア帝国はレムニア、リゲル帝国連合に勝てるのか?」 「そこは、トラスティ様にと聞いて欲しいところです」  すかさずノブハルの質問を訂正したアルテッツァは、「現実的には難しい」と言う答えを口にした。 「理由は?」 「よほどの理由がない限り、エスデニアが敵に回ります。その時点で、シルバニア帝国は移動に関して遅れを取ることになります。艦隊戦力は互角でも、陸戦戦力ではカイト様と10剣聖には敵いません。リトバルトを問題とされましたが、カイト様のスターライトブレーカーだけでシルバニア艦隊は蹂躙されてしまいます。物量の面でも、ライマールに手助けをして貰わないと厳しいのかと。クサンティン元帥のご協力が得られれば良いのですが、お立場上それも難しいのかと。純粋に戦力と言う意味でも、勝利が難しいのはご理解いただけるでしょうか?」 「そして頭脳の面でも、トラスティさんと俺の勝負になると言いたいのだろう?」  ノブハルの指摘に、「ノブハル様は戦いを選ばれますか?」とアルテッツァは尋ねた。 「いや、選ぼうとは思わないだろうな」 「そうなると、ライラ様とトラスティ様の勝負になるわけです。つまり、私とトラスティ様、そしてユウカなる正体不明のAIとの勝負になる訳です。未来視と言う武器においても、フリーセア様のご協力が得られるとは思えません。どうですか、冷静に分析をすればするほど、トラスティ様と戦うことの無意味さが分かるのかと」  アルテッツァの答えに、「だそうだ」とノブハルはコスワースの顔を見た。 「インペレーターと第10艦隊を気にする以前の問題だそうだ」 「確かにそうなのでしょうが……目に見える戦力と言うものが問題となることがあります」  簡単な話ではないと答えるコスワースに、「ライラはどう言っている?」とノブハルはライラの様子を尋ねた。アルテッツァの巫女である以上、こちら側で起きたことも知っているはずなのだ。  そこで口ごもったアルテッツァに、「隠し事はためにならないぞ」とノブハルは脅した。  その脅しに負けたアルテッツァは、「技術局に検討を指示しました」と今の状況を伝えた。 「検討だけなら文句をいうつもりはないのだが……」  ふむと考えたノブハルは、「ライラに言伝を頼む」とアルテッツァに告げた。 「対抗措置として艦隊に装備するとか言ったら、離婚を考えると」 「そこまで言います?」  目元を厳しくしたアルテッツァに、「分かりやすくていいだろう」とノブハルは笑った。 「手に余る、身の丈に合わない強力な武器なんか持つと、確実に身を持ち崩すことになるからな。俺もトリプルAの役員だと忘れるなと言うことだ」  そこで少し考えたノブハルは、「それに」とインペレーターの母港の話をした。 「インペレーターは、ズミクロン星系が母港になっているからな。内部で働いている奴らには、ズミクロン星系出身の奴も大勢いるんだよ。しかも船長なんて、エルマーでアイドルまでやっていたぐらいだ。そもそもトラスティさんなら、あんな物を使わなくても脅しの一つや二つぐらい簡単にしてくれるからな。ライラが強力な武器を持っても、その事情は少しも変わらないんだよ」 「最後のくだりはおっしゃる通りなのかもしれませんね……」  それでもと、アルテッツァはアリスカンダルを持ち出した。 「ハイパーソリトン砲ですか、あれを見ていて悔しくなりませんでしたか?」 「まあ、その気がないと言うと嘘になるな……俺達は、最終決戦のステージに立てなかったのだからな」  そちらなら許すと、ノブハルはとても偉そうに言った。まあ皇夫なのだから、本当に偉いことには違いないのだが。 「ブリーの軍人を帰したのだろう。だったら、この冒険も終わりと言うことだ」  引き上げどきだなと顔を見られたコスワースは、「御意」とノブハルに頭を下げた。 「とりあえず、出発は24時間後とする。そこまでの時間の使い方は、艦長の裁量で自由にしてくれ。アルテッツァ、トラスティさんにもそう伝えておいてくれ」 「ノブハル様は……と言うのは余計な質問なのでしょうね」  了解しましたと言い残して、アルテッツァはその場から姿を消した。そして「余計な質問だな」と認め、ノブハルもブリッジから移動していった。目的地はベッドルームにもなっているシシリーの部屋である。ノブハルはノブハルで、彼女の身の振り方を相談する必要があったのだ。  4対1が5対1にならなかったのは、マリーカにインペレーターから追い出されたことが理由である。「調整途中だったんですよ」と主張したマリーカは、すぐにレムニアに戻ることを主張したのだ。 「ゴースロスがあるから問題ありませんよね?」  の一言でトラスティの反論を押さえ込んだマリーカは、直ちにUC003を出て天の川銀河へと向かった。真の目的はゴースロスのチェックなどではなく、大破したルリ号を一刻でも早くドックに入れることだった。  ちなみに混じりたがったレクシュ第10艦隊司令は、お呼びがかからなかったことに涙を飲み、それを笑ったラフィールもまた蚊帳の外になっていた。  そして4人がかりの責めを受け、予定通りメリタは失神の運びとなった。そしてトラスティ達が見守る前で、失神したはずのメリタがパチリと目を開いた。同じ人間のはずなのに、がらりと纏っていた空気が変わっていた。 「もの凄く顔を出しにくい雰囲気ね……」  目をパチパチと瞬かせ、メリタ……ミラニアは首を少し動かした。 「私を見世物にしていませんか?」 「彼女の体を使う以上、仕方がないことだと思うけどね。それが嫌だと言うのなら、綺麗さっぱり消し去ってあげても良いんだよ」  とてもはったりとは思えないトラスティの言葉に、「彼女も道連れよ」とミラニアは言い返した。  それを「甘い考えだ」と切り捨てたトラスティは、「同じ手は通じない」とミラニアに事実を突きつけた。 「彼女のパーソナリティーを保存したんだ。だからほんのちょっとだけ我慢をすれば、君だけを消し去ることも可能なんだよ」  「消えてみるかい?」と軽く言われ、「我慢します」とミラニアはすぐに折れた。ここまでの出来事を考えたら、本気でやりそうな気がしていたのだ。 「君に確認したいことが一つあるんだ。「神」として、この銀河に生まれた文明が宇宙に出る邪魔をやめて欲しい。そのリプログラムをしたのか、それともこれからするのかを確認したいんだ」 「つまり、私はその事を人質に取れるわけですね」  これで有利な立場になったと主張したミラニアに、「甘すぎる考えだね」とトラスティは再度彼女の甘さを指摘した。 「それはさておき、君は彼女の寿命に縛られることになったのかな?」 「その辺りは「さぁ」としか。これだけのネットワークがあれば、退避することも可能だと思いますよ」  その答えになるほどと頷き、己のサーヴァント「コスモクロア」を呼出した。愛を確かめる寝室にふさわしい格好で現れたコスモクロアは、「隔離しました」と彼女の役割を口にした。その言葉に遅れて、ミラニアは意味が分からないと言うように忙しく首を動かした。 「ど、どうして、ネットワークから外れてしまったんですかっ!」 「周囲を、時間停止した空間で囲ったからねぇ」  迂闊だねと笑ったトラスティは、「リプログラムする気になったかな?」とミラニアに問い掛けた。 「コスモクロアは、精神操作を得意としていてね。この状態で、君を殺すこともできるんだよ」  そこでトラスティに顔を見られ、コスモクロアは「死にたくなる目に遭わせることも可能です」と口元を歪めた。その顔が綺麗なだけに、余計迫力満点な気がしていた。 「際限なく苦痛を与えるのは得意としているんです。気を失わせるような失敗は絶対にしませんよ」  いかがですかと微笑まれ、ミラニアはぶるっと身を震わせた。 「リプログラムをすれば良いんですよね」  青い顔をしたミラニアに、「もう一つ」とトラスティは条件を付け加えた。 「彼女に無理をさせないで欲しい」  つまり、睡眠時間をあまり削るなと言うことである。その依頼に対し、「自分にも影響しますから」とミラニアは認めた。一つの体を共有している以上、体の衰弱は自分の命にも関わってくるのだ。  これで交渉は成立したことになる。目で合図されたコスモクロアは、空間の閉鎖を解除した。それでネットワークとの接続を取り戻したミラニアは、気が変わらないうちにリプログラムを実施することにした。 「一つ確認しますが、リプログラムするのは宇宙に出るのを邪魔することだけですか?」 「宇宙開発に関しての邪魔を含む一切だけど……ケイオスとか差し向けるのも当然駄目だからね」  常識で判断しようと口にしたトラスティに、「そのケイオスなんですけど」とミラニアは難しい顔をした。 「アコリとかニダーとかオルガとか……地上で発生するのはどうします?」 「その前に質問だけど、そもそもどうしてあんなものを作ったんだい?」  トラスティの問いに、アコリの醜さを知っているリュースが真剣に頷いた。 「見ただけで、殴り殺したくなるんだけど。あれ」 「それが目的と言ったら怒ります?」  おっかなびっくり顔を見られたトラスティは、「話を聞こうじゃないか」とベッドに腰を下ろした。 「不思議なことに、ああいった有害生物を出した方が治安が安定するんです。色々と実験をして愛らしいのから今の姿までいろいろと試したのですけど、今の姿が一番治安が安定したんです」 「あの紫色で頬がコケてて目が釣り上がった醜い生物が?」  嘘でしょうと口にしたリュースに、「事実です」とミラニアは断言した。 「可愛い生物にしたら、皆さん殺すのに躊躇いを感じてしまうんです。それでも被害が出るので、駆除派と保護派が対立して……今の姿にしたら、皆さん殺すことに躊躇いが無くなられました。姿を変えても、やっていることは全く同じなのにです。結束が強くなったと言うのか……」  不思議ですよねとミラニアは首を傾げた。 「それで、アコリとかどうします?」 「僕達が問題にしたのは星を滅ぼすことだからねぇ……それに関係がなければ、どうでもいいってところかな」  とても無責任な言葉なのだが、生憎トラスティの言葉を誰も非難しなかった。アリッサとアルテルナタは事情を知らないし、リュースにしてもどうでもいいかなと考えていたのが理由である。 「でしたら、そちらは現状維持にしておきます。それから、私の信者にも宇宙開発への憎しみをやめるように通達いたします。基本的には、現状を維持させていただきます」  それが一番簡単だからと答え、ミラニアはあっさりリプログラムを終わらせた。  そこでふうっと息を吐いたところで、なぜかガウンを脱いだリュースが隣にくっついてきた。 「あの、どうかなさいましたか?」  分からないとミラニアが首を傾げたところで、アリッサとアルテルナタもガウンを脱いで同じベッドに乗ってきた。そして後ろから、ミラニアに抱きつくように腕を回してきた。 「ええっと、普通にしませんか?」  失神しているメリタから情報を取り出して、ミラニアは「普通に」と繰り返した。だがその願いは、3人によって見事に踏みにじられてしまった。 「私達は、普通にしているつもりですよ」  ですよねと顔を見られ、アルテルナタも「普通ですよね」とアリッサの顔を見直した。 「ほら、トラスティさんも興味津々って顔をしているのよ」  でしょと問われたトラスティは、「確かに興味はあるね」とガウンを脱いで正面からミラニアに向かい合った。 「その、トラスティ様だけにしていただければ嬉しいのですが……」  「普通にしましょう」と逃げを打とうとしたのだが、3方を押さえられていては逃げる場所などどこにもない。そして唯一クリアな正面からは、トラスティが迫ってくれていた。 「ど、どう考えても、趣味が悪いと思います……けど」  だから普通にと言いかけたのだが、最後の言葉は口づけで塞がれてしまった。何千年を生きてきても、こうした経験はなかったのだ。そんなミラニアに、トラスティ達から逃れられる術などあるはずがない。メリタの時以上に、あっと言う間に失神させられてしまった。 「メリタさんが可哀想と言う気もしますが……」  軽くキスをしたアリッサは、「仕方がありませんね」と今の状態を認めた。 「ただ問題は、あなたがますます異常な世界に入っていった気がして……ついに「神」にまで手を出してしまいましたか」  遠くを見る目をしたアリッサに、「ヒトだから」とトラスティは言い訳をした。 「ちょっとした二重人格みたいなものだから、ね」  異常じゃないからと本気で主張する夫に、「ですけど」とアリッサはこうなるきっかけを持ち出した。 「「神」を誑し込んだことに変わりはありませんよね?」 「か、彼女は、何千年か前のゼムリア人だし、神じゃないし」  だから異常じゃないと繰り返した夫に、「他には手を出して無いですよね?」とアリッサは目を細めて睨みつけた。  その視線にブルったトラスティは、「他にはないから」と精一杯主張した。そんなトラスティに、おかしそうに口元を押さえ「アルトリアさんはどうします?」とリュースが横から口を挟んできた。 「豊穣神神殿の将来の大司教様でしたっけ? 4日も目が覚めないぐらいに壊してきましたよね?」  「責任って知ってます?」とリュースは迫った。 「か、彼女とは、信仰について対立が有ったし……」  だから無いと答えたトラスティに、「「神」がここに居るのにですか?」とリュースは事情が変わったことを突きつけた。 「か、彼女は、そのことを知らないはずだし……」  精一杯言い返したトラスティに、「ふ〜ん」とリュースは口元を歪めた。 「ねえヒナギク、フリートはどうなってる?」 「クリスタイプの報告だと、アルトリア様は事情を知ってるみたいね。「神」の受肉は奇跡だと感激しているそうよ。これで何も障害がなくなったんだって」  口元を歪めながら「良かったわね」と言うヒナギクに、トラスティはこれでもかと言うほど顔を引きつらせた。冒険に出るたびこれでは、本当に首が回らなくなってしまうのだ。  そんな夫に、「肉体的には二人ですから」と何故か理解のあることをアリッサは口にした。 「でしたら、アルトリアさんでしたか? その方にも挨拶が必要ですね。クリスタイプの回収もしないといけないでしょうから」  後始末が多いと嘆いて、しばらくは冒険禁止にしましょうかとアリッサは夫の顔を見た。 「ねえあなた、あなたはどうしたら良いと思います?」  愛する妻の問いに、トラスティは「間違えては駄目だ」と心の中で何度も唱えながら答えを口にした。 「つ、次は、一緒に行こうか?」 「やはり懲りていないと言うことですか」  ふうっと息を吐いたアリッサは、「今日は一人で寝てください」と夫を突き放した。 「ええっと、これからするんじゃないの?」  情けない顔をした夫に、「今日はお預けです」とアリッサは突き放した。  助けを求めるような目で見られたアルテルナタも、「アリッサ様には逆らえませんから」とトラスティを突き放してくれた。  本気でショックを受ける夫を見て、アリッサは小さく吹き出し「冗談ですよ」と笑った。 「私達がどれだけ寂しい思いをしたと思ってるんです?」  だから寝かせません。そう言ってアリッサは、トラスティに抱きつき唇を重ねたのだった。 続く