Charlatans -2 Final Frontier  超銀河連邦は、ぴったり1万の島宇宙で構成された人知を超えた連邦体である。その1万の島宇宙を合わせると、およそ10億の有人星系が存在し、10の20乗を超える数の住人が住んでいた。  ただ不思議なことに、それぞれの銀河はお互いの位置を光学・電波等の観測で確認出来ていなかった。その為各銀河の繋がりは、エスデニアとパガニアの管理する多層空間だけに限られていたのである。ごく一部の銀河で随伴銀河まで活動圏を広げてはいたが、それにした所で、エスデニア連邦のあるジュエル銀河とアスのある天の川銀河だけのことでしかない。1万もの島宇宙に広がった連邦にも関わらず、近くにある局部銀河群に交流を広げていなかったのだ。  それを「なぜ」と考えるのは、ごく普通のことに違いない。それを子供に問われた父母は、「なぜだろうね」と答えを曖昧にした。超銀河連邦が成立した今ならば、距離が理由にならないのを知っていたからだ。そして子供に問われた両親は、その答えを学者たちに求めたのである。そして学者達は、「技術的には可能」と言う答えに逃げ込んだ。そこから先は、政治が考えることだと責任を押し付けたのである。  最終的に責任を押し付けられた政治家にしても、「行く動機がない」ことを理由としてあげた。そこで彼らが持ち出したのは、外銀河探索に掛かる時間・経済的なものである。幾ら到達する技術があったとしても、1日2日で到達できる距離ではなかったのだ。劇的に短縮できる技術はあるが、それを適用する理由にも欠けていた。そして調査団を含めて人員を派遣するには、費用と時間ががかかりすぎてしまうのだ。何の手がかりもなく調査を始めれば、交流相手を探すにも長い年月が必要になることだろう。1万もの島宇宙が連邦を組んでいる今、新しく面倒を背負い込む理由を見つけるのも難しかった。  そして誰もが思っていて口にしないことに、新たな宇宙に行くことがトラブルを引き寄せることになると言う危惧である。異なる文明、異なる考え方との接触は、一つ間違えば戦争になることもあり得たのだ。こちらは探査のつもりでも、相手から見れば「土足で自分の庭に踏み込んでくる」行為に取られかねない。IotUが居ない今、そんなリスクを冒すことは出来ないと誰もが感じていた。  そこでの問題は、自分達が行かないからと言って、相手が来ないとは保証が出来ないことだった。ただ誰もが、その問題から目をそらしていたのは確かだろう。そして自分達が二の足を踏むのと同じ理由を、相手が来ないこと決めつけていたのである。だがディアミズレ銀河で起きた事件で、その想定も否定されてしまった。  敵艦に潜入したリュースは、破壊活動を行う前に情報を集めることにした。そもそもディアミズレ銀河に、シルバニア帝国に喧嘩を売るような命知らずは居ない。そうなると、敵の正体はディアミズレ銀河の外から来たとしか考えられなくなる。その場合の問題は、自分達と同様に多層空間を超えて現れたのか、さもなければ200万光年の距離を超えて現れたのかである。そのどちらか、さもなければ両方なのかを探ることで、これからの対処も変わってくることになる。問題の大きさから考えれば、ただ単に200万光年を超えて現れてくれたと思いたい所だった。多層空間を利用できる者が現れるのは、超銀河連邦を揺るがす問題になりかねなかったのだ。  ローエングリンを攻撃した艦に潜り込んだリュースは、機人装備を利用して光学迷彩を張った。直接の接触やセンサーは誤魔化しきれないが、発見されにくくなると言うのを利用したのである。 「観察した限り、中にいるのは私達と同じ姿をした奴らね。ただ、使っている言語は連邦に登録されたものでは無い……と」  しばらく必要そうなデーターを集めた所で、リュースは破壊活動を開始した。ただその破壊活動にしても、リュースの実力からすればとても地味なものだった。本気で敵を破壊すると言うより、進行速度を遅らせることを意図したものとなっていたのだ。  いきなり攻撃してきた敵の性格を考えると、野放しにするのは危険だと考えたのだ。それに加えて、足止めをすることで派遣される艦隊へのアシストも考えていた。好き勝手移動されれば、捕捉するのが難しくなるし、無関係の星系に被害が拡大する可能性もあった。もしも外銀河に逃げられでもしたら、追撃自体が困難になってしまう恐れもある。  そのためリュースの破壊活動は、船団にマイナーなトラブルを発生させるものとなっていた。大きな破壊をせずに、嫌がらせに近いものと言うのが適当だろう。そこで都合が良かったのは、敵の船のあちこちにがたが来ているのが分かったことだ。だからリュースは、自然に壊れたように見える破壊を心がけたのである。一つ一つの影響は小さくても、頻発させることで心理的足止めを考えたと言うことだ。  そんな破壊工作員が紛れ込んでいるとはつゆ知らず、宰相府筆頭であるカバジは頻発するトラブルに苛立っていた。絶望的な200万光年の旅の時には起きなかったトラブルが、プロキオン銀河に入って頻発するようになったのだ。もう少し正確に言うのなら、敵との遭遇戦以来船団のいたるところでトラブルが発生したのだ。一つ一つが軽微なものでも、いつか大事故を引き起こす可能性もある。そしてもう一つ重要なのは、トラブルが頻発することで国民達にもフラストレーションが溜まり始めていたことだった。  その対策も込めて、カバジは高官会議を招集した。 「ワカシ、何が原因なのか分かるか?」 「原因かい?」  そう確認しながら、ワカシは集まった他の3人の顔をゆっくりと見比べた。 「部品の老朽化や戦闘の影響から破壊工作まで、トラブルの原因ならいくつかあるよ。まず部品の老朽化なんだけどね、実際の所結構広範囲に及んでいるんだ。建造から結構時間がたった船が多いし、定期メンテナンス途中の船もあったからね。その上ソリトン砲なんて使ってしまったから、結構電装部品に負荷もかかってしまったんだよ。その影響が至る所に出ていると言うのが正直な所なんだ。いきなりトラブルが頻発したことも、潜在的な原因が顕在化しただけとも言えるんだ」  それが一つと、ワカシはもう一度全員の顔を見比べた。 「今のが、部品の老朽化と戦闘の影響って奴だね。この対処なんだけど、総点検するしか無いと言うのが正直な所だよ。ガチの戦闘をしている時だと、場所が場所だけに船が吹っ飛ぶことになりかねないね。だから移動中の今のうちに、直しておいた方がいいということになるんだ。そして破壊工作の方なんだけど、今の所監視網に何も引っかかっていないんだよ。そしてうちの奴らには、進軍を邪魔する理由なんて無いんだ。従って外部からの侵入者が無い限り、破壊工作は否定することが出来るんだ」 「それで、外部からの侵入者が居る可能性はあるのか?」  それが肝要だと言うカバジに、さあとワカシは肩を竦めてみせた。 「僕には、居るとも居ないとも断言は出来ないよ。少なくとも、誰ひとりとして侵入者を目撃していない。そして故障の起きた船だけど、外部ハッチが操作された形跡がないんだ」 「空間移動っちゅう可能性はないんか?」  一つの可能性を提示したアトベ将軍に、ワカシはもう一度肩を竦めてみせた。 「可能性は否定出来ないよ。それならば、外部ハッチが操作されていない説明になるからね。ただ目撃者は居ないし、侵入センサーにも引っかかっていないんだ。ただ故障率がいきなり高くなったこと以外、侵入者を疑う理由がないんだ」  そこまで説明したワカシは、「忘れてた」と別の理由を持ち出した。 「もしも侵入者が居るとしたら、仲間に連絡を取ろうとするだろうね。そちらの方も探っているんだけど、今の所何も見つかっていないよ」 「つまり、老朽化と戦闘の影響だと考えるのが妥当と言うことか」  ううむと唸ったカバジに、「今の所」とワカシは苦笑を浮かべた。 「従って対策は、総点検以外には無いことになるんだけど……ここがプロキオン銀河と言う事、そして僕達はすでに戦闘をしてしまったこと。それを考えると、立ち止まっているのは危険極まりないことになるね」 「ああ、戦いがあったことは把握されているだろうからな。次は、艦隊との戦いとなるだろう」  ムカヒ将軍の言葉に、ならばとカバジは対策を提案した。 「少しでもまともな状態で戦うためには、この場で停止し総点検を行うべきと言うことだな」 「堅実っちゅう意味なら、そう言うことになるんやろうな」  わずか100隻の仲間だと考えると、故障したからと言って置いていく訳にはいかない。それをしたら、イスカンダルに辿り着くまでに船団が半減する恐れもあったのだ。そして取り残された船は、敵に拿捕される恐れもある。 「ただ、破壊工作っちゅう線も捨てきれないと思うとるんや」 「ならば、陸戦隊に巡回させるか?」  ムカヒ将軍の言葉に、ああとアトベ将軍は頷いた。 「可能性がある以上、つぶしておく必要はあるんやろな。取り敢えず、エンジン周りを見張らせておけばええやろ。艦隊戦なら、あいつらに出番は無いやろからな」 「では、今から24時間の総点検を行うことにする」  これで確定だと、カバジは集まった全員の顔を見た。そして技術を統括するワカシに、「監視は任せた」と告げた。 「それは、侵入者対策かい? それとも、敵艦隊の哨戒かい?」 「両方だ。もちろん哨戒任務は、軍にもやって貰う。敵が来るのが分かっている以上、いち早くその姿を捉える必要があるからな」  あまりにも当たり前のことに、ワカシはそれ以上の疑問を挟まなかった。それを承諾と受け取ったカバジは、将軍二人の顔を見た。 「我々が遅れを取るとは微塵も考えていないが……何が起きるのか分からないのが戦争だ」  それだけは否定できないと、将軍二人はしっかりと頷いた。何しろ絶対の自信があったソリトン砲が、思いもよらない方法で防がれたばかりなのだ。 「そのためには、船を万全の状態にしておく必要があるな」 「打てまへんじゃあ埒が明かんからな」  カバジの言葉を認めた二人は、軍からも点検に人員を派遣することを認めたのである。  とりあえず破壊工作の甲斐があった。進行を止めた船団に、リュースは目的の一つが達成されたことを理解した。自分の考え通りなら、皇帝は時間を置かずに艦隊をディアミズレ銀河に派遣しているはずなのだ。ここで足止めをしてやれば、近傍星系に辿り着く前に追いついてくれることだろう。 「ただ、あいつらもバカじゃないと思うから」  その証拠に、明らかに兵士と分かる奴らが巡回するようになっていたのだ。状況を考えれば、破壊工作を疑っていることは理解できる。ただ確証が無いから、ああやって目立つように巡回しているのだろうと。心理的にプレッシャーを掛ける方法は、この場合なら妥当だとリュースも認めていた。  もっともただ巡回するだけの兵士に、リュースは見つかるとは思っていなかった。巧みに監視の目を避けたリュースは、破壊工作と同時に数多くのデーターを集めていた。その中で一番力を入れて集めたのは、敵の言語に関する情報だった。それを手持ちの翻訳機にかけたお陰で、敵の話していることもかなり理解できるようになっていた。 「後は、敵の正体と目的を探ることなんだけど……情報システムにアクセスするのはリスクが高すぎるわね」  すべての仕組みが、自分の知っているものとは全く違っていたのだ。その中から情報を引っ張り出すと言っても、アクセス方法すら分かっていなかった。そして迂闊にアクセスすれば、どんなトラップに掛かるのか分かったものではない。まだ十分な情報を引き出せていない以上、迂闊な真似をして発見される訳にはいかない。そのためには、今はまだ慎重に事を運ぶ必要があったのだ。 「どちらにしても、あと数日の勝負だとは思うけど……」  それを考えたら、システムを探るより人を襲った方が確実なのかもしれない。何処かに適当な間抜けは居ないか。それを探るためにリュースは今いる船の探索を続けることにした。  ローエングリンが消息を絶った翌日には、シルバニア艦隊1千は該当宙域に達していた。メルクカッツ准将が奇跡的な早さで艦隊をまとめ上げたのと、エスデニアの全面的な協力があった賜である。 「アルテッツァの情報では、ここが該当宙域となるのですが」  メルクカッツの副官であるシュミット・ハウゼンは、何もない宙域にたどり着いた所で報告を口にした。若干痩せ気味で神経質そうに見える男なのだが、常にメルクカッツのことを気遣う忠臣である。 「しかしながら、戦いが行われた形跡が見当たりません」 「当然、ローエングリンの痕跡も見当たらないと言うことか」  うむと厳しい顔をしたメルクカッツは、「観測は?」と1光日離れた所に配した観測艦の情報を求めた。 「間もなく、情報が届くところかと」  それに頷いたメルクカッツは、「他には?」と追加の情報を求めた。 「今の所は何も……いえ、脱出用コクーンの信号を捕捉しました。ただ、反応は1ですが……」 「宙域が間違っていなかったと言うことになるのだな。そしてコクーンは、ノブハル様が収容されている可能性が高いと言うことになる」  ただ一人脱出するのならば、対象は皇夫であるノブハルでなければ話がおかしいのだ。ただその場合、ローエングリンは痕跡も残らないほど破壊を尽くされたことになる。ローエングリンの性能を考えれば、にわかには考えにくいことでもあった。 「コクーンの回収を急げ!」  それでもノブハルを保護できれば、最大の任務は達成できたことになる。そしてノブハルをシルバニアに送り届けるのか、そのまま敵を追撃するのかの新たな判断が必要となる。  コクーン収容後のことを考えていたメルクカッツに、「映像が来ます」との報告が上がった。ひとまず確認を優先させたメルクカッツは、観測艦から送られてくる映像に注目した。 「100隻ほど居るのが、我らの敵と言うことだな。その辺り、初めの情報通りと言うことか」  観測した映像では、すでに敵艦の分類まで行われていた。100隻の内半数の50隻が、水上艦のような形状をした戦闘艦だった。平になった甲板に、塔のような建造物と、針山のように大量の砲門が姿を見せていた。  そして残りの半分が、先の水上艦から針山を取り除き、その代わり平らな板を何枚も積み重ねたものになっていた。艦載機が発進している所を見ると、平らな板は離発着用の甲板に類するものなのだろう。 「しかし、不思議な形状をした船が集まっているな」 「水上艦を、そのまま宇宙に上げたような印象がありますね。それに、艦載機も不思議な形状をしています。なぜ宇宙空間で、有翼機を使用しているのでしょうか?」  理解に苦しむと口にしたシュミットに、「それが現実だ」とメルクカッツは答えた。 「艦載機らしきものからの攻撃では、ローエングリンに損傷は出ていませんね。そしてローエングリンの攻撃は、確実に相手にダメージを与えています」 「だが、決定打とはなっていないようだな。むしろ、威嚇しているような攻撃だな」  甘いなとメルクカッツが吐き出したところで、敵艦の1隻に違った反応が現れた。 「あれが、情報にあった攻撃だな」  モニタ上では現在のことでも、実際には過去の出来事である。いくら悔しくても、メルクカッツに過去を変える力はない。敵の艦首から光が伸びた直後、その光はローエングリンの直前で散らされるのが観測できた。 「確か、アクサが防いだと言う話だったな……しかし、デバイスと言うのは凄まじいものだ」  敵の攻撃は想像を超えるものなのだが、その攻撃を初見でデバイスが防いでみせたのだ。メルクカッツが唸り声を上げるのも、目にした事実を考えれば不思議な事ではない。 「次の攻撃と同時に、連絡が途絶えたのだったな」 「見たところ複数の艦が、同じ攻撃をしようとしていますね。さすがのアクサも、防ぎきれなかったと言うことですか」  幾ら優れた防御力を持っていても、対処できない数の飽和攻撃を受けてしまえば話は変わってくる。防ぎきれないと言うシュミットのコメントは、正鵠を射ていると言たものになっていた。 「それならば、なぜノブハル様とも連絡がつかないのだ?」 「アクサに与えられた命令を考えれば、ノブハル様の命を第一にするはずですね」  確かに不思議だと考えた時、取り囲んだ敵艦の船首から光の筋が伸びた。今度の攻撃は途中で散らされることなく、全てがローエングリンに命中していた。  これでローエングリンが消滅したことになる。そう考えたのだが、続いた結果にメルクカッツは目をむいて驚くことになった。敵の攻撃のすべてが命中したにも関わらず、ローエングリンには全く変化がなかったのだ。運良く攻撃に耐えることが出来たとしても、無傷と言うのは考えられなかった。 「一体、何が起きたと言うのだ?」 「敵の攻撃はすべて命中したのですが……」  思わず身を乗り出したメルクカッツに、分かりませんとシュミットは答えた。 「アルテッツァ、仮説を立てることは可能か?」  ここで得られた情報は、全て帝国システムアルテッツァに伝達されている。前のデーターと合わせて、何か分かったことがあるのかを確認した。  メルクカッツの前に現れたアルテッツァは、帝国の軍服に身を包んでいた。そして普段とは違い軽さを感じさせない態度で、「分析中です」との答えを口にした。 「一つだけ言えるのは、ローエングリンの装甲の強度が理由ではないと言うことです。従って、何らかの現象が発生したことになるのですが……その後の映像を含めて可能性としてあげられるのは、時間停止措置が取らられたのではないかと言うものです。ただローエングリン規模となると、過去実施された実績がありません。加えて言うのなら、現場に時間停止をするような装置は存在していません」 「時間停止だと……そんな事がありえるのか?」  ううむと唸ったメルクカッツに、「実績はあります」とアルテッツァは答えた。 「過去ノブハル様が生き埋めになった時、ザリアとコスモクロアが時間停止を確認しています。ただしその規模は、人間3人を守る程度のものだったと言うことです」  その説明に、なるほどとメルクカッツは首肯した。 「規模は桁違いだが、ありえないことではないと言うことか。しかも前回も、ノブハル様の周りで発生していると言うことか……」  アルテッツァの言う通り、時間停止によってローエングリンが守られたのなら、そこにどのような意味があることになるのか。敵船が取り付くローエングリンを見ながら、メルクカッツは想定される事象を考えた。 「そうなると、説明がつくことになるか……」 「やはり、ノブハル様はローエングリンの中に?」  確認してきたシュミットに、メルクカッツは「恐らく」と答えた。 「何者も、ローエングリンを傷つけることの出来ないのだ。ならば、一番安全な場所と言うことになる。このことは、聖下に伝わっているのか?」  メルクカッツの問いに、「当然です」とアルテッツァは返した。 「間もなく、トラスティ様、カイト様に凍結解除の依頼が行われるでしょう」  一瞬何故と考えたメルクカッツは、二人の持つ「特異」なデバイスのことを思い出した。 「ならば、我々はローエングリン奪還が第一目標となるな。それで、敵の探査はどうなっている?」 「現時点で、痕跡を見つけられておりません。どうやら、通常空間に出ているものと思われます」  亜空間に居るのと違い、通常空間にいられると各種物理法則の影響を受けることになる。そのため一口に探査と言っても、簡単には行かないと言うのが現実だった。1日も時間が経過してしまうと、探査範囲は絶望的な広さを持ってくる。そして100隻程度の船は、広い宇宙では芥子粒のようなものだった。 「捜索は、連邦軍に任せた方が確実か……」  広い銀河だと考えれば、闇雲に探して見つかるものではない。そして探査ネットワークと言う意味では、連邦軍の方が充実していたのだ。だからメルクカッツは、新しい情報が集まるのを待つことを選択した。 「ならばコクーンの収容を急ぐだけなのだが……だとしたら、一体何が保護されているのだ?」  ローエングリンが時間停止されているのなら、ノブハルはその中にいることになる。そして機人装備を持つ近衛は、コクーンを使用する理由が無かったのだ。だとしたら、近衛がなんのためにコクーンを使用したのか。そこに鍵があるのかと、メルクカッツは「大至急」と言うオーダーを出したのである。  メルクカッツが収容指示を出した1時間後、哨戒艇が空間を漂っていた脱出用コクーンの収容を完了した。そして収容されたコクーンは、直ちに解析班へと回されることになった。開封するにしても、中に何が収容されているのか、危険性確認を兼ねた分析が必要と言うことである。 「収容されているのは、デバイスと推測されるだと?」  そこでメルクカッツが目元を厳しくしたのは、近衛の意図が理解できなかったからだ。なぜデバイスを脱出用コクーンに収容しなければならないのか。まともに考えれば、有り得ない処置だった。 「ローエングリンにあるデバイスと言うと、アクサ以外には考えられないな。だとすると、ノブハル様が無事と言うのも疑わしくなるのだが……」  ううむと唸ったメルクカッツは、「開封作業は?」と作業の進捗を確認した。 「現時点で、開封しないことがアルテッツァから提言されています」 「開封しない?」  もう一度目元を厳しくしたメルクカッツに、「アルテッツァの判断です」とシュミットは繰り返した。 「崩壊停止措置を執ることが出来ないと言うのが、その理由となっています」 「アクサが崩壊していると言うのか……一体、何が起こったと言うのだ」  あまりにも不自然な措置に首を傾げたメルクカッツは、その理由を近衛に求めることにした。アクサが船外に出ている以上、干渉出来るのは機人装備を持つ近衛以外にあり得ないのだ。それにしても、全てが想定すぎた。 「近衛が、アクサの保管措置を必要と判断したと言うことか。だとすると、その意味が重要になるのだが」  ただ誰がと言うのは分かっても、何故と言う理由までは思いつかなかった。それでも言えることは、アクサを崩壊させてはいけないと言うことだ。 「アルテッツァの見解はどうなっている?」  だからこその問いに、「保留です」とシュミットは答えた。 「あまりにも、情報が少なすぎると言うのがその理由です。ただ可能性として示されたのが、アクサが時間停止を行ったのではないかと言うことです。機体の崩壊は、その結果エネルギーが枯渇した可能性があると言うことです」 「あくまで、可能性のレベルか……」  大きく息を吐いたのは、不可解なことが重なりすぎたからだろう。そしてその通り、「分からないことが多すぎる」と、メルクカッツは口にした。 「そもそも、敵の正体は何なのだ? ディアミズレ銀河の者が、ローエングリンに手を出そうとは思わないだろう」 「それについても、アルテッツァは回答を留保しております」  シュミットの答えに、「分からないことが多すぎだ」とメルクカッツは繰り返した。 「それで、連邦軍の到着予定はどうなっている?」 「今からですと、およそ18時間後になるのかと。ディアミズレ銀河方面隊から、巡洋艦が50隻ほど派遣されてきます。責任者は、ディーチャビー大佐と仰るそうです」  ご存知ですかと問われ、メルクカッツは首を横に振った。 「各銀河に展開している分、連邦軍は巨大な組織になっているからな。流石に大佐レベルを、一人ひとり覚えてはいられんだろう」 「ご尤もで」  1万の銀河があるのだから、方面軍の数も1万を超えていることになる。その数以上に大佐が居るのだから、覚えていられないと言うのは極めて真っ当なことだった。そして銀河が違えば、覚えている理由もなかったのだ。 「ただ、あまり期待は出来ないのだろうな」 「辺境銀河……ですからね。ここは」  小さくため息を吐いたシュミットは、期待できないと言う上官の決めつけを肯定したのだった。  「田舎の軍隊」とシュミットが決めつけた通り、ディアミズレ銀河駐留軍はほとんど寄せ集めで構成されていた。銀河の文明レベルが最高でも4程度と低いため、圧倒的な軍事力を提供できなかったのだ。それを考えれば、本来彼らには出番など無いはずだった。彼らにシルバニア帝国軍を相手にできる戦力はないのである。 「まったく、余計な面倒を運んできてくれる」  旗艦となるクッチャコップの艦橋で、頭が禿げ上がった男は不平を漏らしていた。どう贔屓目に見ても年寄りにしか見えない男は、連邦軍ディアミズレ銀河方面隊のディーチャビー大佐である。年齢も50を超え、退役が目の前に迫ったロートルでもある。 「シルバニアの精鋭が遠征してきたのなら、うちが出ていってもなんの足しにもならんだろうに」  ぶつくさと文句を言ったディーチャビーは、「航海長」と大声を上げた。 「はい大佐殿、なにか御用でしょうか?」  責任者は不満たらたらでやる気がなくても、部下はちゃんと任務を認識してるようだ。その勤勉さを疎ましく感じながら、ディーチャビーは帝国軍との合流予定を確認した。 「それで、あちらとの合流は何時の予定だ?」 「およそ16時間後……と言うことになります」  その報告に、ディーチャビーは「なに」と目を瞬かせた。 「ずいぶんと早いな」  通常の航行ならば、2週間近くの時間が掛るはずなのだ。その距離を、たった16時間で超えると言われれば、ディーチャビーが驚くのも不思議なことではない。 「空間ゲートに誘導されています。どうやら、エスデニアが臨時ゲートを開設したようです」 「この上、エスデニアまで動いているのか……」  ますます蚊帳の外だと嘆いたディーチャビーに、「大佐」と他の男から声が掛けられた。 「どうした、マシ副長」  息を切らせて現れた若い男は、「不審船を発見しました」と報告をあげてきた。 「まさか、ローエングリンを襲った奴らが現れたとは言わんだろうな?」  そんなものと出くわせば、自分達に待っているのは破滅以外の何物でもない。明らかにビビった上官に対して、マシは「違います」と断言した。 「不審船は1隻のみです。従って、ローエングリンを襲った奴らとは別物でしょう」 「それで、呼びかけの方はどうなっている?」  その報告に、とりあえずディーチャビーは安堵することになった。ただこんな時にと、同時に巡り合わせの悪さも感じていた。それでも明るい老後のためには、軍務を疎かにしていいことなど一つもない。不審船への対処が連邦軍の任務である以上、忠実に任務を遂行する必要があったのだ。だからディーチャビーも、よどみ無く通常ルーティンを確認した。 「呼びかけてはいますが、応答がありません。停止しているので、こちらを認識しているのは確かだと思いますが……」  これをと、副長は不審船のデーターを示した。 「見たことのない形の船だな……」  第一印象は、単なる筒と言う物だった。もう少し正確に形状を説明するなら、若干テーパーが掛かった後部ほど太くなっている筒と言う所だろう。大きさは全長約1km、一番太い最後部で100mぐらいと言うのがおおよその寸法だった。 「だから、不審船と言うことになるのか。それで、なにか動きのようなものはあるか?」  ローエングリンの例があるだけに、不審船への対応は慎重を期す必要がある。特にここで戦闘にでもなれば、老後すら迎えられない可能性が出てきてしまう。 「停止しているだけ……と言う所ですね。特に、攻撃行動にでる兆候は見られておりません」 「ならば空戦隊を派遣しろ」  にらめっこをしていても、いたずらに時間ばかり過ぎることになる。それを打開するには、直接の接触以外に方法がないだろう。そのためには、デバイスを保有している空戦隊の派遣が一番安全と言うことになる。 「くれぐれも、相手を刺激しないように気をつけろよ」  それが理由で戦闘になろうものなら、目も当てられない事になってしまう。くどいほど注意をしたディーチャビーに、「畏まりました」と副長は敬礼をしたのだった。  接触の困難さを考えたら、何もしないで過ごした24時間程度は誤差とも言えることだろう。通常空間をのんびりと航行していたトリネア王女は、レーダーに掛かった機影に単純に喜んだ。これで最大の課題であったファーストコンタクトは果たせたことになるのだと。 「後は、敵意のないことを示す方法ですね……どうしましょう?」 「どうすると言われましても……どういたしましょうか?」  お互いの文化が分からない以上、どうしようもないとしか言いようがない。顔を見合わせた二人は、どうにもならないと溜息を吐きあった。 「こちらに、気づいてはいるんですよね?」 「停止していますから、多分気づいていると思われます」  そこまでは順調なのだが、そこから先をどうしていいのか全く分からないのだ。「計画性が」とトリネアが頭を抱えるのも、事情を考えれば無理のないことだった。  そうやってトリネアが頭を抱えている間も、近くに現れた船には特に変化は見られなかった。立ち去らない所を見ると、一応は気にかけてくれているのだろう。そして攻撃もされていないのだから、どうやら敵とも見なされていないようだ。それに二人が安堵した時、いきなり後ろから知らない言葉で声を掛けられてしまった。そのおかげで、トリネアとモルドの二人は、座っていた椅子から転げ落ちてしまった。よくぞ失神しなかったと、立ち上がりながらトリネアは自分のことを褒めていた。  なんとか立ち上がった二人の前には、自分達標準で言うならば男女のペアが立っていた。これでプロキオン銀河にも、ヒューマノイド形態の人類が居ることが確認できたことになる。  これで無事第二ステップに移行したのだが、やはりと言うか言葉の壁が立ち塞がってくれた。相手が何かを質問しようとしているのは理解できるのだが、何を言っているのかはさっぱり分からなかった。そして自分達の言葉も、相手に通じているとは思えなかった。 「多分ですけど、私達が何者かを質問しているのだと思います」  モルドの推測に、自分もそう思うとトリネアは頷いた。ただそれが推測できても、答えられるかと言うのは全く別物だった。  そこでお互いが首を傾げてみても、なんの解決にもなるはずがない。それに業を煮やしたのか、潜入してきた男が二人の前に銀河の絵を展開してくれた。点滅している赤い点は、現在地を示してくれているのだろう。男はトリネアを指差し、銀河の何箇所かを指さしてくれた。 「多分、どこから来たのか指し示せと言うことでしょうね」 「恐らく……としか答えようがありません」  そこで顔を見合わせ頷きあってから、トリネアは指で銀河のはるか外を指さした。その時男女の目元が動いたのは、想像するに理解が出来なかったと言うのだろう。  だからトリネアは、左手と示された銀河を指さしてから、一度自分を指さした後ずっと離れた所を指さした。自分はここから来たと言うのを示すためである。  そこで顔を見合わせた男女は、投影している映像を変えてくれた。具体的には縮尺を変えたのだが、お陰でヨモツ銀河を含む星系図が目の前に示されることになった。そこで目の前の男は、トリネアを指さしてからヨモツ銀河を指さしてくれた。  ようやく伝わったと喜んだトリネアは、何度も頷きながら自分とヨモツ銀河を繰り返して指さした。 「トリネア様、頷くと言う行為の意味が違っている可能性があります」 「そ、そうですね、誤解を与えないよう気をつけないといけませんね。駄目ですね、つい嬉しくなってしまいました」  その嬉しいと言う感情もまた、違う意味に受け取られる可能性もある。ただどうしたらいいのか分からないので、トリネアは自然な感情に任せることにした。  ただ二人にとって、トリネアの感情の発露はどうでもいいことのようだ。顔を見合わせて居るのは、何かの相談をしているのだろうか。そこで頷く動きをした男は、トリネア達に別の映像を見せた。ただそれは、彼女達にしてみればあまり見たい物ではなかった。そこには自分達が200万光年の旅をする原因となった、アリスカンダルの戦艦が映し出されていたのである。 「もう、彼らが着いているんですかっ!」  大声を出しても通じないのだが、トリネアは大声を上げて男の方へと迫った。ここに映像がある以上、アリスカンダルの者が居るのは間違いないことになる。絶対に自分たちの方が早いと思っていたのに、これでは努力が水の泡となってしまうのだ。  そこで男が両掌をトリネアに向けたところを見ると、「落ち着け」と言うジェスチャーは両世界で共通なのだろう。これはファーストコンタクトにおける、小さな発見に違いない。  それを指示だと受け取ったトリネアは、男から一歩離れて立ち止まった。それに頷いたところを見ると、「同意」に関するジェスチャーも同じようだ。  そこで男に近づいてきた女の方は、なにか早口で男に話していた。さっぱり中身が分からないのは、今更説明するまでもないだろう。その話に小さく頷いた男はトリネアとモルドの方へと向かい合った。そこで気づくのは何なのだが、結構好みの見た目をしていた。  そんなトリネアの感情には関係なく、男はトリネアとモルドの二人を順に指さした。そして次に、男は外を指さした。その前に両手で大きな形を示したところを見ると、それは接近している船のことを言っているのだろう。だとすると、自分達はこちらの船に連れて行かれることになる。 「あちらに行っても、呼吸は大丈夫なのでしょうか?」  それをモルドに尋ねられ、トリネアは「無理を言わないで下さい」と言い返した。 「そんなもの、どうすれば尋ねられると思いますか?」 「確かに、ジェスチャーだけでは難しいですね……」  同意したモルドに、「でしょ」とトリネアは返した。ただ我が身が可愛いので、「ちょっと待って」と相手に右掌を立ててみせた。 「どうやら、これも通じたようですね」  それに安堵したトリネアは、わざわざ大きく深呼吸をする真似をした。それを繰り返してから、一度自分を指さしてから外を指さした。そちらでも呼吸が出来るのかの問いかけなのだが、通じているかどうかは全く分からなかった。ただ分かったのは、問答無用で連行されると言うことだ。どうして分かったかというと、男と女がそれぞれ自分達の腕を捕まえてくれたのだ。 「運を天に任せるしか無いのでしょうね」 「重要な参考人ですから、配慮はしてくれると思いますよ……文明人なら」  そうやって慰めあっていたら、いきなり広い所に転移していた。息苦しくならないところを見ると、どうやらこちらでも呼吸には問題はないようだ。後は含まれている成分に、毒が無いことを願うばかりである。 「こちらに付いて来い……と言うことのようですね」  手招きらしきものをされたので、トリネアは大人しくその指示に従うことにした。ファーストコンタクトは取り敢えず成功した……はずだと、少しの安堵と不安を感じていたのだった。  突入隊に選抜されたのは、アリファールとミランダと言う、まだ年若い空戦隊の二人だった。男女のペアが組まれたのは、相手がどのような特徴を持っているか分からないと言う判断からである。出身星系も違うので、精神的・薬品的にも違った耐性を二人は持っていた。  空間移動で不審船に近づいた二人は、最初に船の特徴を間近で観察した。そこで分析して分かったのは、外壁に使用されているのはありふれた鉄合金と言うことだ。 「生物の反応が殆どないな」 「これだけ大きな船なのに信じられないわね」  全長が1kmにも及ぶのだから、船の規模としては標準的な大型のクルーザーを超えている。普通に旅客を運ぶのであれば、千人以上の収容能力が見込まれるぐらいだ。それなのに、探知できる範囲で生命反応は2つである。それ以外の部分には、生命反応は検出できなかった。 「アンドロイドでも大量に積み込んでいるのかな?」 「可能性としては……でも、その目的が分からないわね。取り敢えず、中に踏み込んでみますか」  デバイスを装着している限り、かなりの防御力を期待することが出来る。それで大丈夫と言う保証はないが、このままでは埒が明かないことも分かっていた。  そこで二人は顔を見合わせ頷きあい、覚悟を決めて中へと突入したのである。  空間移動を考えていなかったのか、自分達二人が侵入したにもかかわらず、乗員二人は顔を見合わせてなにか相談をしているようだ。一人が金色の髪をした、結構グラマラスな女性である。ちなみにその女性は、しっかりとアリファールのストライクゾーンに入っていた。そしてもう一人は、頭を禿頭にしたとてもフラットな体をした女性だった。  気づかないのを幸いに、アリファールとミランダの二人は、相談する二人を観察させてもらった。そしてじっくり観察と測定をして、相手が自分達と同じ成り立ちをしているのを確認した。今置かれている環境の空気組成は同じだし、相談している二人の特徴も自分達と変わりがなかったのだ。  そこでお互い顔を見合わせてから、アリファールが「おい」と自分達に気づかない二人に声を掛けた。 「い、いや、まあ、驚かせたのは確かだが……」  外が宇宙空間である以上、普通は侵入者など想定していないだろう。だから自分達に驚くのも、無理がないと言うのはおかしくはない。ただ椅子から転げ落ちられると、申し訳ない気がしてしまうのだ。だからすまないと謝り、アリファールは「どこから来たのだ?」と二人に問いかけた。ただこの問いかけに対して、二人からはまともな答えは無かった。ここまで観察した結果を考えれば当たり前のことなのだが、二人の話している言葉が理解できなかったのだ。 「登録されている言語に該当するものはないわね」 「だとしたら、どうやってコミュニケーションをとればいいのかと言うことだが……」  困ったものだと吐き出したアリファールは、やけくそだとばかりにディアミズレ銀河を目の前に投影した。言葉が分からなければ、後はボディランゲージを頼るしか無い。自分達のいる場所を赤く示したアリファールは、相手の女性……好みのタイプの方を指さしてから、適当にディアミズレ銀河の中を指さしてみた。 「すごく原始的な方法なんだけど……何らかの意思疎通らしきものは出来たみたいね」  ミランダが言う通り、目の前で二人が確認するように会話をしていたのだ。そしてアリファール好みの女性が、どう言う訳か遥か離れた場所を指さしてくれた。やっぱり伝わっていなかったかとミランダと顔を見合わせていたら、金髪の女性は左手で何かを示してから、それから投影している銀河を指さしてくれた。 「これが、ディアミズレ銀河だと言いたいのかしら?」  ミランダの言葉を聞きながら、アリファールは女性が何をするのか観察した。そしてアリファールに見られている女性は、自分を指さしてから遥か遠くの位置を指さした。 「まさかとは思うが、もっと遠くから来たと言うことか?」 「その可能性はあるわね」  だったらと、アリファールは縮尺を変えて局部銀河群を目の前に投影して適当な銀河を指差した。女性が喜んでいるように見えるのは、意志が通じたと感じているからだろうか。うんうんと何度も頷きながら、アリファールの指差した局部銀河群で最大の銀河を指さしてくれた。  そこでの問題は、意志が通じたと単純に喜べないことだ。乗っている船のレベルを考えれば、妄想で片付けるわけにはいかない場所なのである。何か二人が話をしているように見えるが、問題はそれどころではなかったのだ。何しろ自分たちは、正体不明の敵に対処するため移動をしていたのだから。  だからアリファールは、提供された映像を目の前の女性に見せることにした。確信があったわけではないが、偶然と言うのを信じたからである。そしてその推測は、激しい反応を見せる女性に確信へと変わることになった。考えにくいことだが、正体不明の敵はターコイズ銀河から来たことになる。  かなり興奮した女性に対して、「落ち着いて」とばかりにアリファールは手で制した。相手が外銀河から来たと考えれば不思議な事だが、どうやら意味は通じてくれたらしい。自分に向かって小さく頷いた辺り、その仕草にも同じ意味があるのだろう。  本当なら物凄い発見のはずなのだが、今はそんなことにかまけては居られなかった。自分に近づいてきたミランダに、どうしようかと扱いの相談をした。 「船は拿捕、二人は保護と言う形を取るしか無いわね。襲撃者のことを知っているのなら、翻訳機を使って証言を取る必要があるし」 「だよなぁ……このままだと、話をするにも困るからな」  そこでちらりと金髪の女性を見たアリファールに、「気に入ったの?」とミランダはちょっかいを掛けた。  ここで慌てては負けだと、「美人だとは思うぞ」と努めて冷静にアリファールは返した。 「とりあえず、“説明”だけは試みてみるか」  伝わるかどうかは不明だが、一応相手に伝えておく必要はあるだろう。二人に向かい合ったアリファールは、中々綺麗だなと金髪の女性を見た。ただ優先すべきは、目の前の二人を収容することである。金髪の女性と禿頭の女性を順番に指差してから、宇宙船を示すように両手で大きな輪を作った。そしてその環を指差し、二人を連れていくと言う意思表示をした。  知恵を絞った甲斐があったのか、これも相手に伝わってくれたようだ。ただ連れいこうとした所で、ちょっと待てとばかりに手で制止されてしまった。同じ意味があるのだなと感心していたら、金髪の女性が目の前で大きく深呼吸をしてくれた。それを繰り返してから、自分が連れていくと指差した方を示してくれた。 「向こうでも息ができるのかって聞いているみたいね」 「そんなもの、どうやって伝えたら良いんだ?」  さっぱり見当が付かんと答えたアリファールに、「同感」とミランダは笑った。 「だったら、実力行使をするしか無いんじゃないの?」 「じゃあ、お前にもう一人の方を任せていいか?」  アリファールの言葉に、「はいはい」とミランダは笑った。そして自分は、禿頭の女性の隣に立った。 「大佐に連絡は行っているな?」 「丁重にお連れしろとのことよ。もっとも、連れて行ったらすぐに医務室に送られるけどね」  何をして良いのか、そして何をして悪いのかわからないのだから、とりあえず身体検査は必要になるだろう。知らない宇宙から来たのだから、病原体の心配も必要になるはずだ。なるほどやることが沢山有ると考えながら、アリファール達は空間移動で母船へと戻ったのである。  ノブハルが消息不明になったとの連絡を受け取った所で、トラスティはヘルクレズとガッズの二人をモンベルトへと返すことにした。これが陸戦ならば、二人は貴重な戦力として期待が出来たのだろう。だが戦闘の場が宇宙空間では、デバイスやカムイを保たない二人に活躍をする場はない。皇帝権限でカムイを与えようかとも考えたのだが、時間が掛かりすぎるので諦めることにした。  そしてトラスティの帰還命令に対して、「このことは?」とヘルクレズは尋ねた。自分たちでは役には立たないが、魔法を使えるライスフィールならば役に立つのではと考えたのである。 「現場での対応は、シルバニア帝国と連邦軍に任せればいいだろう。だから僕は、エルマーでウェンディ氏と合流するつもりだ……それからのことは」  そう答えたトラスティは、「一つあるか」とライスフィールに頼むことを思い出した。 「ライスフィールに、指輪をもう一つ作るように命じてくれないか?」 「御意。ただちにとお伝えいたします」  頭を下げたヘルクレズとガッズは、「これで」とラズライティシアの館から帰っていった。エスデニアからなら、モンベルトへの直通通路が開かれている。アガパンサスに話が通っているので、帰国に苦労することは無いはずだった。  二人を見送ったトラスティは、用意されたゲートをくぐってアスへと渡った。そこで迎えに来たジュリアンと顔を合わすことになった。 「アス駐留軍の責任者自らお出ましですか?」  普段のトラスティなら、「暇ですね」と嫌味を言う所だろう。だが状況が状況だけに、その軽口は控えることにした。 「皇夫ノブハル様のことだからね。帝国臣民として、当然のことをしているだけだよ」  普段になく真面目な顔をしたジュリアンは、こちらにとトラスティをキャリアへと案内した。 「メルクカッツ准将が、1千の艦隊を連れて間もなく出発するそうだ。現時点で、それ以上の情報は入っていない。准将が現場に到着すれば、光学観測距離からタイムシフト映像を送ってくれるだろう」 「つまり、ローエングリンのビーコンは消えたままと言うことですか」  ふむと右手で口元を隠したトラスティは、「アクサはどうしたのだ」と疑問を口にした。 「アクサならば、優先順位を間違えないと考えているのだね」  ジュリアンの指摘に、トラスティは小さく頷いた。 「確かに、アクサならばノブハル様の安全を第一に考えるのだろうね。彼が何を言おうと、ローエングリンと運命をともにさせるとは考えられない……それなのに、ローエングリンどころかアクサの反応までなくなっている。一つの可能性として、対処の間もなくローエングリンごと消滅させられたと言うものがある」 「だとしたら、敵はデバイスを補足できる探知能力があることになるのだが……」  厄介だと零すトラスティに向かって、「確かに」とジュリアンは頷いた。 「ただ、幾ら推測を重ねても意味が無いだろう。8時間後には、メルクカッツ准将から情報が送られてくるはずだ。もしも敵と遭遇することがあっても、何らかの情報だけは得られるだろう」  それは、メルクカッツの艦隊が沈むと言う可能性も考慮した意見である。最悪の場合を想定したジュリアンに、「その時は?」と連邦軍の対処をトラスティは尋ねた。 「シルバニア帝国軍が、威信をかけて相手の抹殺に掛かることになる。敵艦隊の抹殺だけでなく、それを送り出した物も宇宙から消えることになるのだろう」 「連邦軍は、それを黙認するのかな?」  いくら報復行動にしても、星系抹殺までは明らかにやりすぎなのだ。それを指摘したトラスティに、「誰も止められない」とジュリアンは答えた。 「君は、今の連邦軍元帥が誰なのかを忘れていないかな。クサンティン大将も、シルバニア帝国の臣民なんだよ」 「なるほど、その時は超銀河連邦の危機と言うことになる訳だ」  ふうっと息を吐き出したトラスティは、近づいてくるルナツーへと視線を向けた。 「それで君は、これからどうするつもりだ?」  自分の行動を問われたトラスティは、「色々と」と答えをぼかした。 「とりあえず、エルマーに行くことにしますよ。そして兄さんにも、エルマーに来てもらうつもりです。そこで何をするかと言うと……本当に、色々とすることがありますね。ノブハル君のご両親達に逐次情報を伝えてあげないといけないし、スターク氏と合流する必要もある。まあシルバニア帝国軍と連邦軍が動いていますから、インペレーターには出番が無いと思いますけどね」 「確かに、戦力としては無いのだろうね。いや、実際無いことを願っているのだが……いざと言う時にザリアに頼ることになるかもしれない。何しろザリアとキャプテン・カイトは、超銀河連邦最強の戦力だからね」 「僕も、そうならないことを願っていますよ」  トラスティがそう答えた所で、二人を乗せたキャリアはルナツーへと到着した。そしてトラスティがキャリアを降りた所に、神妙な顔をしたニムレスが控えていた。 「出港準備はできているかな?」 「いつでも出られるようになっております。カナデ様にも、すでに今回のことは伝わっております。ご命令があれば、艦隊を出発させるとのことです」  ニムレスの言葉に、「いきりすぎ」とトラスティは答えた。 「シルバニア帝国軍と連邦軍が動いている以上、リゲル帝国軍が動く必要はないよ。そしてその両者が敗れるようなら、リゲル帝国軍単独での出撃はありえない。その時は、兄さん……キャプテン・カイトが禁断の力を解放することになるのだろうね」 「かつて、我が帝国に振るわれた力を……ですか」  ゴクリとニムレスがつばを飲み込んだのは、IotUの奇跡に関する伝承が残っているからだ。IotUの使ったスターライト・ブレーカーは、一瞬にして2万を超える艦隊を消滅させたのである。無慈悲に振るわれたその力は、神の所業に等しいものだと言えるだろう。  恐れを顔に出したニムレスに、トラスティは少しだけ表情を緩めた。 「多分だけど、そんなことにはならないだろうね。エルマーに着く前には詳しい情報が得られると思うよ」  全てはそれからと答え、トラスティはガトランティスへと乗り込んでいった。  エスデニアの全面協力があるおかげで、銀河間の移動には時間は掛からなかった。むしろセンター・ステーションへの入港手続きの方に時間がかかったぐらいだ。文明レベル2のズミクロン星系には、大型船が係留できるドックはさほど用意されていなかったのだ。  それをローエングリンのドックに押し込むと言う荒業で乗り切り、ガトランティスはズミクロン星系宇宙港センター・ステーションへと入港を果たした。 「先ほど見えたのがインペレーターですか。噂に違わぬ巨大船ですね」  皇の護衛で付いて来たニムレスは、少し緊張気味に入港を見守っていた。 「ああ、巨大すぎて運用が面倒と言う厄介な船だよ」  ゆっくりと閉鎖式ドックに入った所で、ガトランティスの周囲を大気が満たしていった。ガトランティスの航行灯が消え、その代わり備え付けの照明が巨大な船体を浮かび上がらせた。全長2km、巨大な砲口をいくつも備えた濃いグレーの船体には、黒色でリゲル帝国の文様だけが描かれていた。プリンセス・メリベルVと比べるまでもなく、質実剛健を絵に描いたような船である。 「さて、僕はステーション経由でエルマーに下りようと思っている。ガトランティスは、何時でも出発できるようにしておいてくれるかな」  ニムレスに残るようにと命じ、トラスティはガトランティスの下船デッキへと移動した。自分のせいではないのだが、トラスティの気持ちも少し落ち込んでいた。  最終ゲートが開いた所で、トラスティはスターク最高顧問の出迎えを受けた。そして彼の後ろに、神妙な顔をしたイチモンジ家次期当主ナギサが立っているのを見つけた。さすがのトラスティも、ナギサの出迎えまでは予想していなかった。  ただ説明をするには都合が良いと、トラスティはその状況を受け入れた。 「状況は把握されていますね?」  トラスティの問いかけに、「一応は」とスタークは答えた。 「ただあまりにも情報が無いため、彼以外には伝えていない」  スタークと握手をしたトラスティは、続いてナギサと握手をした。 「色々とあるとは思うが、もう少しだけ待ってくれないかな。シルバニア帝国軍が、もうすぐ現場に着く頃だ。そうすれば、もう少し詳しい情報を入手できる」  普段はクールなナギサの顔が、これ以上無いほど厳しいものになっていた。どうしようもない不安と怒りを、歯を食いしばって耐えているのだろう。それだけナギサが、ノブハルのことを大切に思っている証拠でもある。  そんなナギサの肩に手を置き、トラスティはスタークの顔を見た。場所のことを問われたと理解したスタークは、もっとも情報が集まる場所を指定した。 「情報なら、インペレーターの中が一番だろうな」 「では、場所をインペレーターに変えますか」  時間が惜しいと、トラスティはコスモクロアを呼び出した。目的地は、インペレーターのメインブリッジである。いざと言う時の対処にも、一番都合が良い場所だった。  ブリッジに空間移動した所でトラスティが驚いたのは、既に乗員が忙しく働いていることだった。どうしてと言う目をしたトラスティに、スタークは「訓練中だった」と苦笑を浮かべた。 「報告は行っているとは思うが、ズミクロン星系軍と業務提携契約を結んでいる。プリンセス・メリベルVの乗員だけでは、何かと手が回らないからな」 「なるほど、不足している乗員をズミクロン星系軍から調達したと言うことですか」  確かに訓練が必要だと、トラスティはブリッジの中を見渡した。よくよく観察してみると、マリーカの部下が新人を指導しているのが見えた。  せっかく母港をズミクロン星系としたのだから、人員をそこから調達するのは理に適ったやり方だろう。自分達にもメリットはあるが、ズミクロン星系軍にとっても人員育成の点でメリットが大きかった。 「ガトランティス入港の知らせがありましたが……なにかあったのでしょうか?」  トラスティ達が現れた所へ、船長のマリーカが近づいてきた。インペレーターにおける最高責任者だと考えれば、予定のないトラスティの来訪を訝るのも不思議な事ではない。しかも使用しているのが、遠く離れたリゲル帝国の船なのだ。 「どこか、機密の保たれる部屋を用意してくれるかな?」 「畏まりました。では、ご案内いたします」  こちらにと先導したマリーカの後を歩きながら、「グリューエルは戻っているのかな?」と彼女の居場所を尋ねた。 「はい、戻っておいでです。休暇を取られると、地上に降りられておられます。エリーゼ様も、ご一緒されているようですね」  一緒にいてくれれば、説明をするにも都合がいい。小さく頷いたトラスティに、「声をお掛けしますか?」とマリーカは尋ねた。 「それは、もう少し待ってからだね」 「畏まりました。その時には命じていただければ結構です」  礼儀正しく答えるマリーカに、規律がしっかりしているのだとトラスティは感心していた。こんなところは家柄の為せる技なのかと、罪のない誤解をしていた。  ただトラスティの誤解は、今の所実害のないものでもある。数十m歩いた所で、ブリッジから1km程離れた場所にある貴賓室へと3人は案内された。 「それでは、御用がありましたらお呼びつけ下さい」  頭を下げて出ていこうとしたマリーカを、「君もいた方がいい」とトラスティは呼び止めた。 「でしたら、お飲み物を用意いたします」  世話用アンドロイドが配置されていないので、その手のことは人の手を介する必要がある。船の中では最高権力者のマリーカなのだが、同時にこの場においては一番の年下でもあった。  一通りの準備を終えた所でマリーカを座らせ、トラスティは集まった3人の顔を順番に見た。一人事情を知らないマリーカだったが、ただならぬ状況を察し厳しい表情を浮かべていた。 「間もなく新しい情報が入るとは思うが……ノブハル君の乗ったローエングリンが、正体不明の敵と交戦後連絡を絶っている。撃沈、もしくはそれに類するものではないかと言うのが、現状シルバニア帝国の見解になっている。従ってライラ皇帝は、メルクカッツ准将麾下1千を該当宙域に派遣した。ちなみにここからだと、現場は200光年ほど離れた場所になる」  そこでマリーカが意見を求めたので、トラスティは彼女を指名した。 「ローエングリンが沈むと言うのは、通常では考えられません。ローエングリンの持っている多元装甲は、短時間での自己修復機能も有しています。インペレーターと撃ち合いになったら、恐らくいつまでも決着がつかないのではないでしょうか?」 「だが、現実にローエングリンからの連絡が途絶えているんだ。そしてこれが、直前の映像となる」  アルテッツァと、トラスティは現状得ている現場映像を提供させた。 「袋叩きにされた上、高エネルギー兵器の攻撃を受けたと言うことですね」 「ここで映像が途切れているので、ここから先のことは分からない。現場での観測を待つしか無いんだ」  その言葉を最後に、4人は沈黙に支配されることになった。飲み物こそ置かれているが、誰一人としてそれに手を付けようとはしていない。ジリジリと焦燥感だけが、4人の中に高まっていった。  その押しつぶされそうな空気を破ったのは、「続報です」と言って現れたアルテッツァだった。 「説明より先に、映像を確認願います」  すべての手順を吹っ飛ばして、アルテッツァは4人に現場映像を展開した。そこには、正体不明の敵と交戦する、ローエングリンが映し出されていた。 「応戦はしているんだね」  小さく呟かれたトラスティの言葉だったが、誰一人として反応を示さなかった。そうしているうちに、敵艦の1隻からこれまでにない攻撃が加えられた。 「アクサが防御したようです」  ここまでが、これまで得られている情報分である。全員が、これから何が起こるのかを目を凝らして注目した。その目の前で、20隻の敵艦から同じ攻撃がローエングリンに対して行われた。そして今度の攻撃は、明らかにローエングリンに届いていた。  これが理由かと全員が考えた次の瞬間、4人は信じられないものを目のあたりにすることになった。攻撃をまともに受けたはずのローエングリンが、全くの無傷で存在していたのである。いくら自己復旧機能を持つ多元装甲を持っていたとしても、無傷と言うのは有り得ない事態だった。 「スターク顧問、理由は想像できますか?」  同時に示されたエネルギー量で、無傷どころか消滅していてもおかしくないとされたのだ。それを考えると、目の前の現実は、受け入れるのも難しいことだった。  そしてトラスティに可能性を問われたスタークは、「常識的にはありえない」と言う答えを口にした。 「つまり、ここから先は常識を捨てて考える必要があると言うことですね」  ふうっと息を吐き出したトラスティは、「辻褄は合った」と全員の顔を見た。 「アクサなら、必ずノブハル君を守る行動を執るはずだ。それなのに、なぜかノブハル君の消息が分からなくなっている。それが最大の疑問だったのだけど、これで説明がつくことになったと思っている。ノブハル君は、ローエングリンの中に居る。そしてアクサは、ローエングリンごと時間の停止措置を行ったんだろう。時間さえ停止してやれば、外界からの干渉を受け付けなくなるからね。だから消滅してもおかしくない攻撃に対して、傷一つ付くこと無く乗り切ることができたんだ」 「時間、停止ですか?」  そんなことがと驚くナギサに、経験があるはずだとトラスティは言い返した。 「グラブロウ事件の時、ノブハル君達は落盤事故から助かっただろう。あの時ザリアは、ノブハル君達が時間固定されていたと報告しているんだよ」  他にもトラスティの中で辻褄が合ったのだが、この場には関係ないと口にしなかった。 「だとしたら、ノブハルは無事と言うことですか」  声に力が取り戻されたのは、最悪の状況を免れたと言う思いからだろう。  確かに時間凍結された空間に居る限り、ノブハルが害されることはないはずだ。ただそれにした所で、色々と条件がついてきていた。 「そのためには、いくつか条件を超える必要があるんだけどね。まず、敵が時間停止状態を破れないことだよ。現場にローエングリンがいなかったことを考えると、今は敵の手に落ちていると考えるのが妥当だからね。そして手に余るからと恒星に捨てられでもしたら、拾い上げることができなくなってしまう。これが、超えなければいけない第二の問題だよ」  なるほどと頷いたナギサに、第三の問題とトラスティは続けた。 「ローエングリンを取り戻せても、時間停止状態を解除できなければどうにもならないんだよ」 「ですが、前回は解除出来ましたよね?」  ナギサの疑問に、「前回はね」とトラスティは含みを持たせる答えを口にした。 「今回の時間停止は、前回とは規模が桁違いなんだよ。だから時間停止状態を解除出来るかどうか、確かなことが分からないんだよ」  そう答えたトラスティは、「コスモクロア」と己のサーヴァントを呼び出した。その呼出に答えたのは、体にピッタリとした紺のスーツを着た、黒い髪に緑色の瞳をしたとても美しい女性である。それがトラスティのサーヴァント、デバイスのコスモクロアである。 「お呼びでしょうか?」  そう言って現れたコスモクロアに、「時間の停止状態を解除出来るかな」とトラスティは問いかけた。 「ローエングリン1隻を、まるまる時間停止してしまいましたか」  ふうっとため息のようなものを吐いたコスモクロアは、「無茶なことを」と口にし、哀れみを浮かべた顔をした。 「試してみなければ分からないとしかお答えようがありません。もちろん、ザリアとアクサの協力があると言う条件でです。これほど巨大なエリアの時間を停止するには、莫大なエネルギーが必要となります。当然解除するにも、相応のエネルギーが必要となりますので」 「君達が揃えば、解除は可能と言うことだね」  トラスティの問いに、コスモクロアは小さく頷いた。 「私達が揃えば……です。もしもこの時間停止をアクサが行ったとしたら、果たして無事でいられるのでしょうか? デバイスにとって、エネルギーの枯渇は死を意味しています。アクサに、これだけのことをするエネルギーが蓄積されているとは思えないのですが」  明言はしていないが、コスモクロアはアクサが消滅した可能性があると口にしたのである。 「ノブハル君を助けることが最優先なら……そこまでする可能性があったと言うことか」  流石にまずいと焦ったトラスティの元に、「続報です」とアルテッツァが現れた。 「現場でコクーンを1機回収したそうです。これより、何が収容されているかを分析するそうです」 「脱出用のコクーンが使われている? 戦争の真っ只中の宙域に、ノブハル君をコクーンで脱出させるとは考えにくいですね」  顔を見られたスタークは、「確かに」と首肯してその言葉を認めた。 「近衛が何かをコクーンに収めたと言うことになるな」  ノブハルがローエングリンの中に居ることを前提にすると、船外に居るのはリュースだけとなる。そしてリュースの場合、機人装備を使うことが出来るのだ。だとしたら、彼女が自分のためにコクーンを使うとは考えにくかった。  再びジリジリとした時間を過ごした所で、「結果が出ました」とアルテッツァが現れた。 「中身は、やはりアクサでした。機能停止状態で、低温保管されているようです。低温保管の理由は、崩壊を遅らせるためでしょう。それでもアクサを構成するピコマシンのうち、既に半分以上が散逸しています。従って、メルクカッツ准将には、開封の停止を進言してあります。ただ、アクサ消滅は時間の問題でしかありません」 「アクサを、復活させることは出来ないのかい?」  他のデバイスとは違い、アクサの存在には大きな意味があったのだ。それを失うことは、謎解きにも大きな影響を与えることになりかねない。だから救えないかと質問したのだが、アルテッツァは「もはや手遅れです」と答えた。 「既に、形状を保っているだけで奇跡と言える状況です。シルバニアに運び込んでも、再構成するのが限界でしょう。当然状態はリセットされますので、今のアクサとは別物になります」 「どうしようも無いと言うことか……」  これで、謎に迫る手掛かりの一つが消えることになる。大きな喪失感を覚えたトラスティに、「いいかね」とスタークが割り込んできた。 「スターク顧問、なにか?」 「アクサのことなのだがね。もしもアクサが失われたりしたら、ローエングリンに施された時間凍結を解除することは出来るのか?」  コスモクロアは、3体が揃えばと説明していたのだ。それを考えると、アクサが掛けた時点で時間凍結解除は不可能と言うことになる。スタークの問いかけは、忘れられていた問題を思い出させる意味があった。 「それを考えたら、アクサを救わないといけないと言うことになるな。ただ、どうすればいいんだ?」  そこでアルテッツァに意見を求めたのだが、返されたのは「不明です」と言う物だった。 「過去の事例を調べる限り、連邦軍で崩壊しかけたデバイスを救ったことはありません。類似の事例では、いずれもデバイスは放棄されています。その理由として、連邦軍ではデバイスは消耗品と言う考えがあるからです。エネルギー枯渇が理由で崩壊する場合、原則として新しいデバイスに代替をすることになっています」 「運用はそうでも、研究ぐらいはされているのだろう?」  そこの所はと問われ、アルテッツァは情報検索のため少しだけ間をおいた。 「デバイス導入初期において、崩壊しかけたデバイスへの対応が研究されています。先に結果を申し上げると、行われた実験は成功していません。コアメモリの情報喪失により、リサイクルと結果が変わらなかったと言うことです」 「作り直した方が早いってことかな?」  トラスティの問いに、アルテッツァは頷きそれを認めた。 「手間とコストを掛けた結果が、新規製作と同じでしかないのです。でしたら、コストも手間も掛からない新規製作が選択されるのは当然のことかと思われます」 「それでも、僕達はアクサを救わなければいけないと言うことか……」  過去に成功例が無いと言うことは、ハードルが高いと言うより不可能と言った方が正しいのだろう。だが規格品のデバイスとは違い、アクサは唯一無二の特別なデバイスとなっていた。ローエングリンを救うためには、アクサを復活させる必要があったのだ。  ただ、それをシルバニア帝国に求めるのは無理だと言うことは分かっていた。復活させる意思以前に、復活させる方法が存在していなかったのだ。だが今の状況を打開するには、アクサの復活が必須なのである。そのためには、考える時間が必要だった。 「アルテッツァ、時間遅延措置は出来るかな?」 「1対10程度であれば艦の装備で可能です。トラスティ様、何をなさろうと言うのですか?」  時間遅延の対象は理解できるが、だからと言っていまさら出来ることが思い当たらない。アクサを救う方法がないことは、たった今説明したばかりなのだ。 「もしかして、ミラクル・ブラッドを取り寄せることをお考えですか?」  その効果には懐疑的だが、奇跡を起こすにはそれぐらいしか方法が無いのは確かだった。過去に例がないため、本当に打てる手が限られていたのだ。 「それが、方法の一つであるのは確かだろうね」  アルテッツァの考えを認めたトラスティは、思いつく限りの方法をあげてみた。 「それ以外にも、カムイのエネルギーを供給してみると言う手もある。これは、ザリアの時に有効だった方法だ。とにかく悪あがきでもなんでも、可能性があるのなら試してみる以外にないだろう? 僕達に残された時間は、殆どないんだからね」 「確かに、出来ることを試してみるしか無いのですが……ただ崩壊の進んだデバイスに、それだけのエネルギーを受容できるかと言う疑問はありますが」  そう答えた所で、「3日です」とアルテッツァは限界を提示した。 「時間遅延の措置は指示を出しました。それでも、3日がせいぜいと言う所です。それを過ぎると、手の出しようがなくなると思われます」 「こちらから、出向くか……」  どこが適当かを考えたトラスティは、最初は艦隊に合流することを考えた。だが敵との戦闘が控えていることを考えると、今は余計な手間を取らせるべきではないだろう。だとしたら、こちらに運び込むことを考えた方がいいことになる。ただその場合、どうやってこちらに運び込むかと言うことだった。 「仕方がない、兄さんに頼んで運んでもらうか」  ザリアだったら、コクーン一つぐらい運ぶことは造作も無いだろう。そう割り切った所で、「一応忠告です」とアルテッツァが割り込んできた。 「時間遅延を行えるのは、シルバニア帝国艦内の装置内だけですよ。そこから出した時点で、通常時間に復帰します。そしてこちらには、時間の遅延措置を行う装置はありません」  こちらに持ってくると言うのは、時間的に問題を引き起こすことになると言うのだ。参ったと右手で顔を隠したトラスティだったが、「待てよ」とそのままの格好で固まった。 「掛けっぱなしの時間遅延なら、確かライスフィールにも出来たな」 「奥様を、戦地に送られますか?」  いかがなものかとの忠告に、「兄さんが居るから大丈夫」とトラスティは胸を張った。問題はそこじゃないと言うのが、アルテッツァの正直な気持ちである。 「一国の王妃様を、一々連れ回すのもどうかとは思いますが……ライラのためと、ここは目をつぶることに致しましょう」  アクサの復活が、結果的にノブハルを救えるか否かに関わってくる。シルバニア帝国のシステムなのだから、どちらを優先するかは明らかなことだった。 「と言うことで、ライスフィール様に連絡を入れました。どう言う訳か、ご快諾をいただきました。それから、カイト様にもご承諾を頂いています」 「エスデニアには?」  移動時間を無駄にしないためには、エスデニアの全面的な協力が必要となる。それを確認したトラスティに、「既に協力状態にあります」と言うのがアルテッツァの答えだった。 「ラピスラズリ様から、空間接合の制御権を頂いたままです」  それに頷いたトラスティは、「可及的速やかに二人を運ぶように」とアルテッツァに命じた。これでお膳立ては整うので、後は奇跡に賭けるだけと言うことになる。 「取り敢えず、手配できるのはここまでか」  そこでナギサの顔を見たのは、彼に重要な役目を任すためである。 「ナギサ君、エリーゼさん達への説明を頼めるかな?」 「それは、僕の役目なのでしょうね……」  彼女達との関係を考えると、スタークに頼むことでないのは確かだろう。そしてトラスティには、これから重要な役目が待っていたのだ。アオヤマ家との関係を考えても、自分以上に適任者はいないことになる。それを認めたナギサは、すぐに地上へと下りることにした。 「じゃあ、僕はサン・イーストに下りることにしますよ」 「地上まで送らなくていいかな?」  そうすることで、移動に余計な時間がかからないことになる。その意味での親切なのだが、ナギサはそれを断った。 「その方が早いのも楽なのも確かですけど、僕にも考える時間と落ち着く時間が必要だと思います」 「確かに、時間は必要なのだろうね」  分かったと頷き、トラスティはマリーカに目配せをした。それを自分への指示と受け取ったマリーカは、こちらにとナギサを案内して部屋を出ていった。  それを見送った所で、トラスティはすっかり冷めてしまったお茶を口にした。 「なにか、仕組まれているような気がする……と言うのは、被害妄想なんでしょうかね」  じっとカップを見つめたままのトラスティに、「その気持は理解できる」とスタークも認めた。 「そうでもなければ、正体不明の敵にノブハル君が遭遇するとは考えられないだろう。偶然で片付けるには、あまりにも都合が良すぎる。いくら彼に、巻き込まれ癖があってもだ。しかも、アクサが崩壊寸前などと言うイベントまで用意されてしまった」  スタークの言葉に、トラスティは頷いた。そんなトラスティに、スタークは勘弁して欲しくなることを持ち出した。 「ゼスで君がザリアを抱いた後、エイドリックと私はカイト君の出生の謎が解けたと思ったんだよ。時間的な問題はあるが、カイト君は君とザリアの子供だと言う仮説を立てたのだ。そうすることで、彼の遺伝子の出処に説明がつくことになる。そしてカイト君が君達の子供なら、ノブハル君も同じではないかと考えたのだ。ただ、君がアクサを抱くことになるきっかけが想像がつかなかったのだ。だがここでアクサを助けることで、君達の間に深いつながりが出来ることになる。これでアクサは、ノブハル君を身篭ることになるのだろう」 「ザリアの事を説明した覚えはないんですけどね。ですが、やっぱり同じところに辿り着きましたか」  そこでトラスティは、小さくため息を吐いた。 「だから、誰かに仕組まれたような気がすると言ったんですよ。だとしたら、僕がアクサを救えなければおかしいことになる」  もう一度息を吐き出したトラスティは、「コスモクロア」と己のサーヴァントを呼び出した。なんの為にと訝るスタークの前で、トラスティはコスモクロアとフュージョンを行った。 「モンベルトでは出来たので、ここでも出来るのか確認しておこうかと思いましてね」  少し言い訳がましい言葉を口にして、トラスティは右掌を掲げ「星よ集え」と光の呪文を口にした。二度目と言うのが理由なのか、前よりは力の流れがはっきりと分かる気がした。そしてトラスティが感じた通り、掲げられた右掌の上に光の粒が集まってきた。それを確認した所で、トラスティはふうっと息を吐き出した。集中が途切れたからか、集められた光は四散して消えていった。  眼の前の奇跡に対して、スタークは少しも驚いた顔をしなかった。カイトが出来た時点で、予想されたことだったのだ。 「君も、スターライト・ブレーカーが使えるようになったと言うことかね」 「そこまでは試していませんよ。やったのは、ライスフィールに協力して貰ってミラクル・ブラッドみたいなものを作ったぐらいです」  苦笑を浮かべたトラスティに、「ミラクル・ブラッド?」と初めてスタークは驚いた顔をした。 「考えようによっては、スターライト・ブレーカーに並ぶ奇跡なのだが?」 「そう言う受け取り方があるのは認めますよ。作ってみて分かったんですが……いえ、正確には何も分かっていないんでしょうけど……得体が知れないものだと言うのは確かだと思います」  その答えに、「当たり前だ」とスタークは言い返した。 「あんな小さな石に、デバイスを駆動して余りあるエネルギーが詰め込まれているのだぞ。ザリアの破壊力を考えれば、今の技術を凌駕したものとしか言いようがない。そんなもの、得体が知れなくて当然だろう」 「仰るとおりなんでしょうね……」  言われてみれば、スタークの言うとおりなのだ。それを認めた所で、トラスティはフュージョンを解除しコスモクロアを下がらせた。ここから先は、アクサが運ばれてくるのを待つだけだった。  とりあえずやるだけのことをやったので、トラスティにも時間が出来てしまった。そろそろスタークとの話を終わらせるかと考えた所で、突然アルテッツァが現れた。何か新しい情報かと期待した所に、「ライラ様です」とアルテッツァはホログラムを投影した。 「皇帝自ら顔をだすことではないと思うけどね」  白の少女の姿をしたライラは、トラスティ達に向かって丁寧に頭を下げた。けばけばしい衣装や化粧を落とし、一人の少女としてトラスティ達の前に現れたのである。 「スターク様、トラスティ様にお願いがあって参りました。ただ、映像であることをお詫びいたします」 「君の立場を考えれば、別に不自然なことではないよ。それからノブハル君のことなら、まだ僕達の出番ではないと思うのだけどね」  敵に曳航されたことが確認されている以上、ローエングリン奪還はシルバニア帝国軍の役目なのである。それを持ち出したトラスティに、「承知しております」とライラは少し声を震わせた。 「リュースが、崩壊寸前のアクサを確保したことはご存知かと思います。状況を考えると、時間停止措置はアクサが行ったとしか考えられません。そうであれば、凍結解除にアクサが必要になると思われます。ノブハル様を助けるためにも、アクサを救っていただけないでしょうか。帝国には、崩壊寸前のデバイスを救う技術はありません」 「一応そのつもりではいるよ。だから兄さんとライスフィールに頼んで、アクサをここまで持ってきて貰うことにしたんだ。今更エネルギーを補給したぐらいで救えるのかどうかは分からないけど、やれるだけのことはやってみるつもりだ」  トラスティの答えに、「ありがとうございます」とライラは深々と頭を下げた。そんなライラに、「休んだ方が良い」とトラスティは忠告した。 「今はまだ、無理をする時じゃないよ。絶対に大丈夫だなんて安請け合いをするつもりはないけど、とりあえず僕達を信じてくれないかな」 「トラスティ様を信じる……」  俯いたライラに、自分だけじゃないとトラスティは付け加えた。 「僕だけじゃない、カイト兄さんも居るし、スターク最高顧問も居る。そして君には、頼りになるシルバニア帝国軍も居るのだろう? 連邦軍元帥も、シルバニア帝国出身じゃないか。みんなが新たな脅威に対して、力を合わせて乗り越えようとしているんだ。今は、それを信じるしか無いんじゃないのかな?」  良いかなとの問い掛けに、ライラは「はい」と小さく頷いた。そしてもう一度二人に頭を下げてから、ホログラム映像を消した。  この程度のことなら、敢えてコンタクトしてくる必要はないはずだ。ただ何もしないで居るのは辛いと言う気持ちが、ライラを動かしたのだろう。  そしてライラが消えた所で、二人は本当にすることがなくなってしまった。トラスティはアクサが運ばれてくるのを待つだけだし、スタークは当面出番すら与えられていなかったのだ。 「さて、しばらくは待機になりそうですね」 「さすがのカイト君も、すぐには来られないだろうからな」  そう思いますと笑ったトラスティは、ソファーに身を投げだした。 「僕は、休める時に休んでおきますよ」  あなたはと問われ、スタークはソファーにもたれ掛かった。 「私も休んでおくことにしよう。インペレーターは、マリーカ船長に任せられるからな」 「長丁場になりそうですからね」  そう答えたトラスティは、体を休めるために瞳を閉じたのだった。  休息に入って4時間後、トラスティとスタークは「新情報です」とアルテッツァに起こされた。まだ体にだるさを感じてはいたトラスティだが、「それで」と新情報を確認した。 「連邦軍が、移動中に不審船を拿捕しました。第一報によれば、乗員は女性2名で、本人たちはターコイズ銀河……ディアミズレ銀河と同じ局部銀河群に属する銀河から来たと言うことです。そして二人の反応から、ローエングリンを襲った敵も、ターコイズ銀河から来たものと思われます。ただ言語解析が終わっていませんので、それ以上の詳細情報はありません」 「200万光年を超えてきたと言うのか!?」  流石に驚いたトラスティに、「その通りです」とアルテッツァは返した。 「局部銀河まで含んだ星系図を示した所、保護された女性はターコイズ銀河を示したそうです」 「それが本当と言うのなら……」  言葉を詰まらせたトラスティに、スタークは小さく頷いた。 「ローエングリンを襲ったと言うのも理解は出来るな」  スタークの言葉に、トラスティも頷いて同意を示した。 「彼らは、シルバニア帝国のことなど知りませんからね。そして、通信が成立しなかったことにも説明がつきます。ただそうなると、こちらに来た理由は穏便なものではなさそうですね」  外銀河からかと、トラスティは呟いた。 「彼らはなぜ、ディアミズレ銀河に来たのでしょうね。侵略するにしても、両者の距離はあまりにも遠すぎる。そのための戦力だとしても、100隻と言うのはあまりにも少なすぎる」 「それを短縮する方法が見つかったから、とも考えられるな。そして派遣された100隻は、先遣隊だと考えることも出来るだろう。ただ、分からないことをいくら考えていても仕方があるまい。直に翻訳機が用意できるだろうから、尋問の結果を待てばいいだろう」  慌てても仕方がないと言われ、トラスティはバツが悪そうに頭を掻いた。 「確かに、慌てても仕方がありませんね」 「その気持を、理解できないとは言わないがね。実の所、私も冷静ではいられないのだよ。まさか連邦初の近傍銀河との接触が、こんな形になるとは考えても見なかったよ」  確かにそうだと頷いたトラスティは、「アルテッツァ」と呼びかけた。 「兄さんとライスフィールの準備状況はどうなっている?」  間もなく、メルクカッツ准将の艦隊と合流されます。 「兄さんはまだしも、ライスフィールは随分と早いね」  一国の王妃、しかも国王が不在中だと考えれば、そうそう簡単に国を空けられるとは思えない。それなのに、指示を出して4時間後にはシルバニア艦隊と合流していると言うのだ。トラスティが驚くのも、事情を考えれば正統なことだった。 「ヘルクレズ様から事情聴取されて、用意をされていたようです」  なるほどと、トラスティはアルテッツァの説明に頷いた。どんな理由があったにしても、準備が早く進むのは歓迎すべきことだったのだ。この場合、気の利く王妃と部下に感謝しておけばいい。  そこでスタークを見たトラスティは、「腹ごしらえでもしますか?」と声を掛けた。バタバタとしていて、結局何も食べていないことに気がついたのだ。これからのことを考えれば、エネルギー補給をしておいた方がいい。空腹に気づけた分だけ、トラスティにも余裕が生まれたことになる。  カイトがライスフィールを連れて現れたのは、二人が食事を終えた2時間後のことだった。結局3時間で、時間遅延のやり直しからコクーンの搬送準備、そしてインペレーターへの移動をこなしたことになる。一から準備を始めたことを考えると、驚異的な早さと言っていいのだろう。 「普段なら、人使いが荒いと文句を言ってやるところなんだが。今回ばかりは、文句も言っていられないな」  大真面目な顔をしたカイトに、トラスティは少し茶化したような答えを口にした。 「それは、外銀河から来た奴らに言ってやってください。とにかく、兄さんもライスフィールもご苦労様でしたね」  二人を労ったトラスティは、次に開封されたコクーンを見た。ライスフィールの魔法で崩壊は遅らされているが、収容されたアクサの半分以上はすでに消滅していた。左肩から首にかけてかろうじて形を保っていたが、右肩や下半身は分解して無くなっていた。悲惨なその姿に、トラスティもかなりショックを受けたぐらいだ。 「これが、エネルギーを使い果したデバイスの末路なのだが……ザリアが言うには、ここまで保ったこと自体が奇跡らしいぞ」  カイトの説明に、トラスティは頷いた。時間遅延を掛けているのに、アクサの体が崩れていくのが見えるのだ。ザリアが奇跡と言うのは、トラスティにも理解できることだった。 「ここまで崩壊してしまうと、エネルギーを補給しても手遅れらしい。それで、どうやってアクサを救うつもりなんだ?」  ザリアの知識でも、アクサは救えないと言うのだ。だとしたら、トラスティが何をしようと言うのか。それを、カイトは確認したのである。 「それなんですけどね。残っているアクサの左手を見て貰えますか。それで、ここまで保った奇跡の方は説明がつきそうなんです」  トラスティに言われ、立会人となった3人、カイトとライスフィール、そしてスタークはアクサの左手を見た。そしてその薬指に、赤い石の付いた指輪を見つけた。 「まさか、ミラクル・ブラッドか? しかし、そうなると数が合わないぞ」  カイトの指摘に、確かにそうだとトラスティは数の問題を認めた。 「それでも僕は、これがミラクル・ブラッドだと思っていますよ。そうでもなければ、ローエングリンの時間を止めるなんて大技は出来ませんよ。ただミラクル・ブラッドでも……違うか、封印が解けていない状態では、供給エネルギーに限界があったのだと思っています」  連邦が使用しているデバイスでは、時間停止どころか遅延という大技を使うことはできない。それを考えると、トラスティの説明にも納得はできる。ただデバイスが抱える問題は、連邦のデバイスと同じだとカイトは考えていた。 「だが、俺達では封印を解くことは出来ないだろう?」  それはどうすると問われ、トラスティは頷いてみせた。確かに自分達では、封印があると推測できるだけで、それを解除する方法は分からなかった。 「ええ、僕達では封印を解くことは出来ないのでしょうね。だから、別のエネルギー源を用意しようと思ったのですが。流石に、準備するだけの時間が無かったのだろうね」  そう言って自分の顔を見る夫に、これですかとライスフィールは指輪の素材を差し出した。流石に予想していなかったのか、トラスティにしては珍しく呆けた顔をしてしまった。 「あなたでも、そんな顔をすることもあるのですね」  本気で驚いたライスフィールを前に、トラスティは小さく深呼吸をした。 「どうして、指輪が用意できているんだい?」  ヘルクレズに指示を出したタイミングを考えると、とてもではないが間に合うとは思えなかったのだ。だが現実は、目の前に指輪の素材が用意されていた。 「どうしてと言われましても……こんなこともあろうかと……いえ、それは冗談なんですけど。絶対にアリッサお姉様が欲しがると思いましたので、あなたが帰られてすぐ作ってみたのです。魔法力が潤沢にありましたから、結構簡単に作ることが出来ました」 「理由はともかく、運が良かったと言うことか……」  ライスフィールの言葉を聞きながら、確かに欲しがりそうだななんて考えていた。それからほうっと息を吐き出して、トラスティは受け取った指輪をテーブルに置いた。偶然でもなんでも、とにかく必要な素材は揃ったのだ。後はアクサを助けるため、素材を調理すればいい。 「ここでも、光を集められるのは確認できている」  そう説明してから、「コスモクロア」と己のサーヴァントを呼び出した。 「アクサを救うよ」 「はい、主様っ」  元気よく頷いたコスモクロアは、光の粒となってトラスティと一体化した。それが体に馴染んだのを確認し、トラスティは右手を掲げ、「星よ集え」と奇跡の呪文を口にした。カイトがその呪文に驚いた時、トラスティの命令に従うようにその手のひらに光が集まってきた。ただ破壊の時とは違い、集まった光は優しい輝きを持っていた。  その光が人間の頭ぐらいの大きさになった所で、トラスティはゆっくりと掲げていた右手を指輪の方へとおろした。集まっていた光は、その動作に従うように用意された指輪へと移っていった。そしてすべての光が吸い込まれた所で、指輪はひときわ明るく赤く輝き始めた。 「これが、ミラクル・ブラッド……か?」  ゴクリとつばを飲んだカイトは、IotUの奇跡の凄さを見せつけられた気がした。破壊の力としてのスターライト・ブレーカーも想像を絶するものなのだが、ミラクル・ブラッドもまた人智を超えたものに思えたのだ。 「多分そうとしか……これで、アクサとの間でエネルギーパスが出来ればいいのですが」  緊張からゴクリと喉を鳴らしたトラスティは、コスモクロアと己のサーヴァントを呼んだ。その呼びかけに答え、フュージョンを解除しコスモクロアが現れた。 「ライスフィールが掛けた、眠りの魔法を解除してくれるかな?」 「用意は宜しいのですね?」  魔法解除ができるできないではなく、コスモクロアは主の準備を尋ねた。それにトラスティが頷くのを見て、「こちらに」とアクサの方へと招き寄せた。 「ここまで崩壊が進むと、残された時間は殆どありません。やり直しが効かないのをご承知おきください」 「もとより、やり直すことなんて考えていないよ」  小さく主が頷くのを見て、コスモクロアはアクサに右手を当てた。それから少し遅れて、それまで閉じられていたアクサの瞳が開いた。それだけのことで、ライスフィールが掛けた眠りの魔法が解除されたのである。  魔法解除を確認したトラスティは、「アクサ」と声を掛けて彼女の指輪を抜いた。この指輪を外すことも、アクサを助ける賭けの一つだった。 「今更とどめを刺す必要なんて無いわよ」  小さな声で笑ったアクサだが、指輪がなくなったことで体の崩壊が早まっていた。きれいな顔全体がひび割れ、髪の毛がキラキラと光となって散り始めたのだ。 「僕は、君を助けるために来たんだよ」  すでに硬質化した指に、トラスティは新しい指輪を嵌めた。ただそれだけでは、アクサの崩壊は停止してくれなかった。 「デバイスとしての限界を超えてしまった以上、今更無駄なことよ」 「普通のデバイスなら、そうなんだろうね」  そう答えたトラスティは、崩れつつあるアクサに唇を重ねた。その時感じたのは、岩石のような荒れた感触だった。すでにアクサから言葉は消え、体の崩壊も更に進んでいった。きれいな顔もさらさらと光の粒子に分解され、残ったのはトラスティが触れた唇と指輪のはめられた左手だけとなってしまった。 「やはり、救えなんだか」  カイトの隣に現れたザリアは、力が及ばなかったのだと考えた。アクサから離れたコスモクロアも、「そのようですね」とザリアの言葉を認めた。  最後まで形を保っていた左手と唇だったが、先に左手が光の粒となって消滅した。そして残っていた唇も少し遅れて消滅した。 「……駄目だったのか」  トラスティなら、親父ならなんとかしてくれると思っていたカイトだったが、厳しい現実の前に打ちのめされていた。そしてそれは、スタークやライスフィールも同じだった。それぞれが最善の努力をし、偶然に味方をされてここまでたどり着いたのだ。だが最後の最後で、やはり奇跡は起きなかったのだと。 「アクサ抜きで、時間停止解除の方法を考えないといけなくなったのか」  スタークは悔しがったのだが、不思議な事にトラスティは何の反応も示さなかった。口づけをした格好のまま、ただじっとしていた。 「お前は、出来る限りのことはやったんだ」  だからとカイトがトラスティの肩に手を掛けた時、「勘違いをしないでください」と言う声が聞こえてきた。ゆっくりとトラスティは顔を上げたのだが、そこには落胆の色はなかった。むしろ、仕事をやり遂げた充実感が感じられた。 「そうだろう、アクサ」  トラスティがアクサの名を口にした時、突然彼の周りを光の粒子が舞い始めた。初めは不規則に舞っていた光の粒子は、次第に明確な流れとなりトラスティを包み込んだ。そして光の粒はトラスティの元を離れ、目の前で固まりを作り始めた。それが人一人と同じくらいの大きさになった所で、光の粒子は突然女性の姿へと変貌した。年齢なら20ヤーぐらいの、レデュッシュと言われる赤茶色の髪をしたとても美しい女性である。その瞳は、深い湖水のように澄んだ青い色をしていた。 「そうね……」  トラスティの言葉を肯定した女性は、ゆっくりとトラスティの首に両手を回し唇を重ねてきた。そこに問題があるとすれば、その女性は何一つ身に着けていないことだろう。成熟と未熟の境目にある、とても美しい裸体が晒されていたのだ。  ただ目の前の奇跡の前には、彼女が裸と言うのは小さな事にすぎなかった。スタークとカイト、そしてライスフィールは、少なくとも目の前の奇跡に感動していた。ただ冷静なデバイス二人は、そう言う訳にはいかなかったようだ。 「流石に、モラルに厳しいな」 「もう少し、人目を気にして欲しいものですね」  顔を見合わせて溜息を吐きあった二人は、「光よ」と世界から光を集めた。そしてその集めた光を、復活したアクサへと振り掛けた。その光がアクサの周りで消えた時、エスデニアのローブに似た、白のドレス姿へとアクサは変貌していた。これで、モラルの点では普通のラブシーンに収まってくれた。  ただせっかくの気遣いなのに、当のアクサには不評のようだった。 「どうせ、すぐに脱ぐことになるのに」  唇を離したアクサは、デバイス二人に余計なことをするなと文句を言った。 「男には、女を裸にする楽しみと言うものもあるのだぞ」  それを手伝ったまでだと嘯くザリアに、「それもそうかと」言い残してアクサはその場から消えた。もちろん抱きしめていたトラスティの姿も、アクサと一緒にその場から消えていた。それを確認したザリアとコスモクロアは、やっていられないと零しながら姿を消した。 「これで、ノブハル君が生まれることになるな」  これから起こることを口にしたスタークに、「確かに」とカイトは頷いた。だが事情を理解しているカイトとは違い、ライスフィールはスタークの言葉を理解できなかった。 「ノブハル様が生まれるのですか……すでにノブハル様は生まれていますよね?」  どう言うことでしょうとの問いに、スタークは彼女の顔を見てから場所を変えることを提案した。倉庫のようなこの場所に、いつまでも王妃様を立たせておく訳にもいかないのだ。 「王妃様、説明は私の部屋でと言うことで宜しいでしょうか?」 「スターク様のお部屋ででしょうか?」  どうしようかと考えたライスフィールは、仕方がないとスタークの提案を受け入れることにした。 「あの様子では、夫はしばらく戻ってこないのでしょうね」 「恐らく、アクサが離してはくれないでしょう」  確かにその通りだと、ライスフィールはスタークの言葉を認めたのだった。  協力者(まぬけ)を探すため、リュースは破壊工作をやめて船内探索をすることにした。その協力者(まぬけ)の候補だが、できるだけ今の状況に疑問を感じている者がありがたかった。そこで高望みをするのなら、人質として価値がある方がいいななんて考えていたりした。  そんなリュースの前に差し出されたのは、どう言う訳かアリスカンダルの国王……彼らの言葉では大王なのだが、大王のサンダーだった。人質にちょうどいいと喜んだのだが、彼が「引きこもりになっている」と言う噂にリュースは首を傾げてしまった。 「なんで、国王が引きこもっていられるのかしら?」  他の身内が仕組んだのかと考えたのだが、調べてみたら唯一の身内である王女も引きこもっていると言う。特に監視がついていないのを見ると、軟禁されている訳でもなさそうだった。  普通ならば、慎重に状況を確認するところなのだろう。だが総点検が始まったことと、ここまでの経過時間で行動に移すべきだと彼女は判断をした。そしてどちらの方がと考えたリュースは、事情を知っていそうな大王に目をつけたのである。 「護衛もいないって、どんだけ放置されているのよ……」  すんなり大王の部屋までたどり着いたことに、本当に大丈夫なのかとリュースは敵のことを考えた。調べた範囲で侵略を目的にしているのは分かったが、そのくせ慎重さに欠けるし、のりが軽すぎるように思えたのだ。  ただ敵を心配するのは、どう考えても自分の仕事ではないだろう。気持ちを切り替えたリュースは、機人の機能を使って扉の反対側へと転移した。取り敢えずふん縛って転がせば、騒ぐこともないだろうと考えたのである。人のことをのりが軽すぎると考えたくせに、自分のやり方がずさんなことは棚に上げていた。  だが転移をしてみて、リュースは拍子抜けからため息を吐いた。確保の対象が、デスクに突っ伏して眠っていたのだ。その脇には、食べ散らかした食事のトレーが置かれていた。 「やっぱり、気が抜けているとしか思えないわ」  やりにくいと零したリュースは、取り敢えず間抜けを起こすことにした。  最初は優しく「サンダー様」と呼びかけたのだが、しっかりたるんだ大王様は気づいてくれなかった。緊張感の欠片もないと呆れながら、リュースは間抜けの肩を少し強めに叩いてみた。  そこまでされれば、流石に気がついてくれたようだ。ノロノロと顔を上げた間抜けだったが、リュースを見て特に特に驚くことはしなかった。ただ驚きはしなかったが、「気が利かない」と文句を口にしてくれた。 「食事の後に女の差し入れか? どうせ差し入れてくるのなら、裸にしておいてくれればいいのに。大王たるわしに、服を脱がせろと言うのか?」  蔑ろにされていると零しながら、「女」とサンダーはリュースに声を掛けた。 「さっさと脱いで裸になれっ! その後、わしの服を脱がしてくれっ!」  大王なのだから、何をするにも世話をする者がついてしかるべきなのだ。その常識に沿った発言なのだが、受け取る側はそんな事情など知ったことではない。当然裸になるつもりもないので、顔に笑みを浮かべたまま近づいて、撫でるようにサンダーの顔を張り飛ばした。  本人の意識では撫でるようなものでも、そこは鍛えまくった近衛の精鋭である。軟弱極まりない大王様は、きりきりと体を回転させながらその場に崩れ落ちた。 「わ、わしは、そんなプレーは好まんぞっ!」  普通にと喚くサンダーを、「煩い」と笑いながらリュースは蹴飛ばした。そこまでされて観念したのか、サンダーは床に這いつくばって見せた。 「で、できるだけ、痛くしないでくれっ!」 「それは、あなたの態度次第なんだけど?」  出来るかしらと問われ、サンダーは何度もコメツキバッタのように頭を下げた。 「そう、だったらあなた達はどこから来たの?」 「どこから来た……とは、それはどんな設定なのだ?」  そう訝ったサンダーのお尻を、リュースは手加減をして蹴飛ばした。顔から床を滑ったサンダーは、「敵に囚われた国王だ」とシチュエーションを理解した。 「あ、アリスカンダルから参りました」 「それは、どこにあるのかしら?」  高飛車に問いかけたのは、相手の誤解を理解したからに他ならない。 「ヨ、ヨモツ銀河にあります。ば、場所は、1765.23、20015.1、235.05となります」 「それが嘘だったら、どう言う目に遭うか分かっているわね」  ふふふと笑ったリュースに、「もちろんです」とサンダーは頭を床に擦り付けた。 「ですが、正直に答えたご褒美も頂きたいのですが……ぶへっ」  ご褒美を口にしたサンダーを、リュースは遠慮なく蹴り飛ばした。体全体で床掃除をしたサンダーは、申し訳ありませんと這いつくばった。 「この程度で、ご褒美が貰えるなんて思っているのかしら?」 「め、滅相もない、それで他に何をお話すればよいのでしょう?」  何なりと申し付けてくれと言うサンダーに、「目的は?」とリュースは次の質問をした。 「バカどもは、プロキオン銀河に新たな母星を見つけ、そこを足がかりに支配を広げるとほざいております。そしてプロキオン銀河を手中にした後、我らを迫害したヨモツ銀河に攻め込むのだと……わしにしてみれば、迷惑極まりない話です」 「お前にしてみれば?」  はてと首を傾げたのだが、這いつくばったサンダーから見えるはずがない。 「は、はい、わしはアリスカンダルでの暮らしに不満を感じてはおりませんでした。それなのに、愚か者の4人はわしと娘のサーシャを拉致し、武装蜂起などしてくれたのです。そのくせ、勝負にもならずに制圧されてしまいました。そのせいで、わしは捕まれば10年の懲役刑を受けることになってしまったのです。愚か者の4人も同じ刑を受けるはずだったのですが、それを嫌だとヨモツ銀河を飛び出してくれました」 「あなたよりも、愚かな者が居るっていうのね」  つま先で軽く蹴飛ばされたサンダーは、「そうだ」と大声を上げた。 「わしを王とも思わない奴が4人おるのだ。筆頭宰相のカバジ、将軍のアトベとムカヒ、そして技術統括のワカシだ。国民に人気があるのを良いことに、わしを蔑ろにしておる!」 「先日、プロキオン銀河の船を攻撃したのは? あなたの決定なの?」  もう一度つま先で蹴飛ばしたリュースに、「そんな訳があるはずなかろう!」とサンダーは叫んだ。 「わしは、静かな生活を送りたかっただけだっ!」  だから自分ではないと喚くサンダーに、リュースはため息を一つ吐いた。4バカの行動も問題なのだが、国王として考えれば間抜けの考え方も問題なのだ。その意味でどっちもどっちなのだが、4バカの方が迷惑なのは確かだった。 「国王としてどうかとは思うけど……まあ、あなたも災難だったわね。それで、あなたの娘はどちら側なのかしら?」 「さ、サーシャは、わしと同じで巻き込まれた方だっ!」  それだけは間違いないと喚いたサンダーを、「落ち着きなさい」とリュースは蹴飛ばした。 「ちなみに、いつヨモツ銀河を出たのかしら?」 「お、およそ、船内時間で230日ほど前のことです。300年は掛かると言われていたのですが、ワカシが余計なことをしたせいで、8ヶ月にまで短縮されてしまったのです」  頭を擦り付けたまま答えるサンダーに、「よく分かったわ」とリュースは上から目線でお褒めの言葉をかけた。とりあえず、これで尋問と言う名のヒアリングは終了である。 「で、では、ご褒美をばっ!」  嬉しそうに顔を上げたサンダーは、いきなりズボンを下ろそうとした。言葉通りご褒美を貰おうとしたのだろうが、当たり前だがサンダーはリュースのストライクゾーンを外れていた。と言うか、大暴投のレベルだった。だから「ご褒美ねぇ」と言いながら近づき、折れないようにと気をつけ首筋に軽く手刀を当てた。手加減がうまくいったのか、サンダーは気を失ってくれた。 「ここの国民が可愛そうになってきたわ……」  いなくなっても、どうせ誰も気づくことはないだろう。そんな事を考えながら、リュースはサンダーをコクーンへと詰め込んだ。下手に騒がれて、自分のことがバレるのを避けるためである。巻き込まれた経緯を考えると、殺すのは流石に可哀想に思えてしまったのだ。 「さて、次は娘の方か……」  娘は変態ではありませんように。そう願いながら、リュースはコクーンを船の外に捨てたのだった。  なんの監視も護衛も、やはりサーシャの周りには付けられていなかった。本当に大丈夫かと思いながら移動して、リュースは空間転移で部屋に入った。そこでリュースは、サーシャの舌打ちで迎えられた。 「ちっ、女か」  その言葉を聞いて、リュースは王女に期待するのを諦めた。こちらはこちらで、性格に問題があるのが分かってしまったのだ。 「色ボケ王女様に聞きたいことがあったんだけど……でも無駄そうだからもういいわ」  じっくりとサーシャを観察したリュースは、「どんくさっ」と正直な感想を口にした。サーシャからは、「同類でしょうっ!」と反発があったのは言うまでもない。 「それ以上に、王女に対する礼儀がなっていません。いったい、どこから入ってきたのですかっ!」 「勝手に人の宇宙に来て、暴れてくれた人に言われたくない言葉ね」  思わず言い返してしまったリュースなのだが、「人の宇宙?」とサーシャは首を傾げてくれた。 「あなたは、アリスカンダルの者ではないの?」 「そんな間抜けと一緒にして欲しくないわね。あなた達が土足で踏み込んできたプロキオン銀河の関係者よ」  今の住まいがエルマーにあるのだから、住人を名乗っていいのだろう。ただ強くは言えないので、取り敢えず関係者にしておくことにした。 「プロキオン銀河の人なのっ!」  もっともサーシャには、微妙なニュアンスなど関係ないようだった。いきなりリュースに迫ってきたと思ったら、「私を連れ出して」とお願いをしてきた。なるほど今の境遇を認めていないのだなと、父親の言葉を確認することが出来た。 「王女が、国民を見捨てて逃げ出すと言うのかしら?」  敢えて最低ねと貶したリュースに、「それがどうした」とサーシャは言い返した。 「全然敬われていないし、近くにいる男が最低最悪なのばかりなのよ。あいつらのせいでヨモツ銀河にいられなくなったのだから、私が逃げ出してもおかしくないでしょ!」 「最低最悪の男って……例の4人組のことかしら?」  そんなことを聞かされたなと思い出していたら、「その4人組です!」とサーシャは大声を上げた。 「でも、どうしてあなたが4人組のことを知っているのかしら?」 「あなたの前に、別の所で尋問してきたから」  それだけと答えたリュースは、じっくりとサーシャを観察した。かなり野暮ったくしている所を除けば、まあまあ見た目はいいほうなのだろう。連れて帰って磨けば、そこそこ人気がでるかななどと考えていた。 「いやいや、それはどうでもいいことだから」  本質的な問題は、彼女の見た目がどうかと言うことではない。首を振って余計な考えを振り捨てたリュースは、「確認」と言ってサーシャを見た。 「あなたは、自分の星に帰りたいと思ってる? それとも、こっちの銀河を征服したいと思っているのかしら?」 「こちらの銀河を征服する?」  明らかに軽蔑した眼差しをして、サーシャは「それをして、なにか良いことがあるのですか?」と聞き返してきた。 「あの4人に言い寄られるのかと思うと、身の毛もよだちます。アリスカンダルに帰りたいのは山々ですけど、そうでなければこちらの世界で素敵な人を見つけたいと思います!」  それだけは絶対に譲れないと答えるサーシャに、こっちも問題児だとリュースは呆れていた。ただ呆れていてもしょうがないので、必要な確認をすることにした。 「ちなみに、その4人を始末すればすべての問題は解決するのかしら?」 「あなたの言うすべての問題とはなんですか? 私の個人的な問題なら、かなりマシになるとは思いますが」  確かにそうだと、サーシャの言い分をリュースは認めた。この王女様は、4人組を貶すことしか言っていないのだ。 「あなた達は、プロキオン銀河の船に一方的に攻撃を仕掛けてきたのよ。多分、適当な星を見つけたら同じことをするんでしょ。そう言った行為は、その4人を始末すればなくなるのかと言うことよ」  言いたいことが理解できたサーシャは、ああと小さく頷いた。 「個人的な希望としては、あの4人を始末して欲しいのですが……ただ、あなたの言っていることは、4人を始末しても駄目でしょうね。4人の部下や行動をともにした国民達は、もともと侵略する気が満々だから。止めるのだったら、全員抹殺しないと駄目でしょう」  それを王女様が言っていいのかと言うことを忘れれば、なんと問題の多い奴らなのだろうか。大きくため息を吐いたリュースは、「よく考えて答えてね」と釘を差した。 「ライラ様が怒り狂っているのは想像が着くけど……このままだと、あなた達は全滅することになるわよ。誰を始末すれば、暴虐がなくなるのか。じっくりと考えて答えて欲しいんだけど」  じっくりと考えろとリュースは言ったのだが、サーシャは即座に「全部」と答えてくれた。 「お父様と私以外は、全部似たようなものよ。適当に叩いてくれれば、多分逃げ出すことになると思うんだけど……その時は、別の場所で似たような問題を起こすと思うわ」 「……なんて迷惑な」  対応をしていて、リュースは酷く疲れるのを感じていた。ただ疲れていても、何も問題は解決しないことだけは分かっていた。 「あなたのお父様は、既に私が確保したわ。それであなたに聞くけど、あなたはどうしたいのかしら?」 「ここから逃げ出すのに決まっているでしょうっ!」  これもまた即答され、リュースは疲れが酷くなるのを感じてしまった。どう考えてみても、目の前の女性には王女としての自覚がないのだ。  ただそれを愚痴っても、今更意味はないのだろう。仕方がないとコクーンカプセルを取り出したリュースは、「他に助けた方がいい人は?」と確認した。 「お父様が無事なら、他にはいないわね」  王女としてそれでいいのかと考えながら、リュースはサーシャをコクーンに詰め込んで船の外へと一緒に転移した。必要な証人と情報を得たのだから、そろそろ本格的に行動すべきと考えたのである。  そこで船外に出たリュースは、先に放り出したサンダーのコクーンも回収した。人質にならないことは分かっているので、一応は保護と言う名目である。そして2つのコクーンを引っ張りながら、停止しているローエングリンの所まで移動した。 「どこかに持っていかれると困るから……」  そのためには、曳航できないようにする必要がある。物理的に繋がれていたのを幸いと、掛けられたロープに派手な切れ目を入れておいた。これで移動しようとしたら、切れ目からロープが千切れてくれるだろう。ただやたらと数が多かったので、この作業だけでも結構時間がかかってしまった。 「ああっ、お腹が空いてきた……」  およそ5時間の作業を終えた所で、リュースはお腹を抑えて文句を言った。青山家の食事で拡張された胃袋は、並の人より多くの食料を求めていたのだ。ただ宇宙空間に出てしまったので、空腹を紛らわせるものは近くには無かった。  胃袋が拡張したのかしらと呟きながら、リュースは機人装備の通信機能を開放した。これで自分の居場所は敵に知られることになるが、同時に敵の位置もシルバニアに伝わることになる。これまで集めたデーターも送られるので、敵の分析も進んでくれることだろう。 「とりあえず、コクーンはローエングリンに引っ掛けておけばいいから。私は中に戻って暴れることにしますか」  少しは気分が晴れるかしらと、リュースは空間を跳躍して元の船へと戻っていった。  リュースが予想した通り、彼女の発した信号をワカシが見つけだした。当然位置も掴めているのだが、移動している分その精度は落ちていた。そこで不思議なのは、電波の発信位置が船外だと言うことだ。 「これで、破壊工作員の存在が明確になった訳だ」  頻発した故障の原因が、単なる老朽化ではないことが分かったのだ。それはありがたかったが、問題は敵にこの位置を知られてしまったことだ。大艦隊で攻撃されたら、こちらが持たないのは分かっていた。 「と言うことで、みんなに伝えておくのだけどね」  他の3人を招集したワカシは、工作員がいた事を明かした。そしてその上で、「この場を離れた方が良い」と進言した。 「僕達のことが知られたから、次は絶対に数を揃えてくるよ。だから、こんな何もない所じゃ戦いが不利になるのは分かってる」  以上が自分の意見だと、ワカシは3人の顔を見て答えた。ここから先は、自分の領分ではないとも宣言した。それを受け取ったカバジは、将軍二人に意見を求めた。 「ワカシは、ここを移動した方が良いと進言してくれたが?」  どうだろうと顔を見られたアトベ将軍は、「似たようなもんや」とその必要性を否定した。 「どうせ場所を移動したって、追いかけてくるのは分かっとるんや。しかもこっちやと、わいらには土地勘がまったくないんや。やったら、ここで用意しておいた方がええと思うぞ。どうせ相手にせなあかん奴らや。だったら、今のうちに叩いといた方がええやろな。なに、ソリトン砲は万全やからな。それにコスモ・ゼロ隊も捲土重来を期しとる」 「いささか、脳天気な意見に聞こえはするが……」  アトベの意見を貶めたムカヒ将軍だったが、「大筋で認める」と迎え撃つことを肯定した。 「ただ、何の策もなく待っていると言うのも芸がない。探知の範囲を広げ、敵を察知できた所で奇襲すると言うのが俺の提案だ」  さらに過激な方向に修正された案を、「ええねぇ」とアトベ将軍は肯定した。もともと逃げ回ると言うのは、二人の好みから外れたものだった。 「ワカシ、何か意見はあるか?」  技術統括として、作戦上の問題があるかと言うのである。その質問に、ワカシは肩を竦めてみせた。 「敵艦のサーチは、僕の仕事だと言うんだろう。押し付けるかって気もするけど、まあ仕方がないんだろうね。おうけい。実のところ、逃げるのは僕も趣味じゃないんだ」 「では、総点検を中止し、戦闘態勢への移行を指示する」  後は任せたと、カバジは二人の将軍にあとを託したのである。  話が終わったと、3人は部屋を出ていこうとした。それを「ちょっと待って」とワカシが呼び止めた。 「なんだ、ここからは時間が勝負となるのだが?」  それを訝ったムカヒ将軍に、「破壊工作員なんだけどね」と忘れられていた敵工作員のことを持ち出した。 「電波を出したままこの船に入ってきてくれたんだよ。せっかくだから、血祭りにしてあげたらどうかなって思ったんだ」 「尋問ではなく、血祭りにあげろと言うのだな?」  確認したムカヒ将軍に、「それも任せる」とワカシは答えた。 「どっちが良いかは、軍が考えてくれればいいよ」  それだけだと、ワカシは3人をあっさりと解放した。 「ああ、破壊工作員の居場所だけどね。リアルタイムで情報として上げておくから」  「後は宜しく」と、とても軽い調子でワカシは3人を追い出した。  敢えて目立つように電波を出しているのだから、すぐにでも敵が現れるとリュースは考えていた。だがその予想に反し、中々敵は自分を捕まえに現れてくれなかった。やはり脳天気だと呆れながら、手近な壁を殴って穴を開けていった。煩くアラームがなるところを見ると、空気漏れは監視されているようだ。そして空気の流出を防ぐためか、リュースの居るブロックが隔壁で閉鎖された。 「私を捕まえたつもりなのかな? それとも空気の流出を防ぐためなのかな?」  無駄なのにと呟きながら、リュースは進行方向にある隔壁を殴りつけた。流石に頑丈にできている隔壁は、一発殴った程度ではびくともしなかった。 「やっぱり、私を捕まえたつもりなのかな?」  だったら遠慮なく……初めから遠慮などしていないくせに、そう言いながら、力を込めて隔壁を殴った。先程より大きな音が響き、頑丈な隔壁が大きく凹んだ。 「さて、もう一回」  気楽に言いながら、さらに力を込めてリュースは隔壁を殴りつけた。機人装備のお陰なのか、今度は隔壁自体が大きく歪んでくれた。これで隔壁を上げるには、目の前の固まりを壊す以外に方法はなくなった。 「これで、おしまい!」  ばいばいと言いながら、リュースはトドメとばかりに隔壁を蹴飛ばした。大きく歪んで居た隔壁は、その圧力に耐えきれずに向こう側へと倒れていった。  ガコンと言う扉の倒れる音が、船の通路に大きく響き渡った。そこで「あら」とリュースは目を大きく見開いた。開けた視界の先に、巨大な影が立っているのを見つけたのだ。 「ようやくお出ましって……ゴリラ?」  前に立ちふさがったのは、身長2mを超えたやけに体の大きな男だった。リュースがゴリラと言いたくなるのも分かるような、ツルツルの頭に黒っぽい紫色の顔をしていた。鼻は上を向いた形で潰れ、大きな顎が目立っていた。 「失礼な侵入者だ。そして俺を知らないとは、どこの田舎者だ? 我が名はサイノス。アリスカンダル第一陸戦隊隊長である! そしてもう一人っ!」  完全に芝居がかった格好で、サイノスはリュースの後ろをびしっと指差した。なんか嫌と振り返った先には、上半身裸のマッチョマンが立っていた。全身緑色をしているのは、野菜の摂りすぎかと聞いてみたかった。ちなみに身長はサイノスより少し低いが、横幅はサイノス同様リュースの3倍はあった。 「で、そっちのムキムキマンは?」  自己紹介するんでしょと、リュースは緑色の体をした大男に尋ねた。 「俺の名はハルカス。アリスカンダル第二陸戦部隊の隊長だ!」  拳を握ってどんと壁を叩いただけで、船の外壁が大きく歪んでひび割れてくれた。自分以上に船を壊すハルカスを見て、「こいつらバカだ」とリュースは改めて思い知らされた気がした。 「俺達に名乗らせておいて、自分は名乗らないとはとんだ礼儀知らずの醜女だな」  自分をあざ笑ったサイノスに、リュースは「あー」と天を仰いだ。 「勝手に名乗っておいて、その言い分は無いと思うんだけどなぁ。それに、あなた達を基準にした美人にはなりたいと思ってないから」  そう答えたリュースは、両手を大きく開いて手のひらを二人の隊長に向けるようにした。アスの伝統芸能、カブキで行われる見得を切るような格好だった。 「人気赤丸上昇中。ズミクロン星系トップアイドルリンラ・ランカのバックダンサーにして、アイドルユニットフェアリーズのリーダー、リュースよ。インタビューなら、事務所を通してね」  開いた両腕を胸の前でクロスし、リュースはその場でターンをしてみせた。くるりくるりと3回転してから、右手を床に、そして左手は高く掲げる決めポーズをした。その辺り、リンラのステージで使う振り付けの一つだった。 「中々面白い女だ。これで醜女でなければ、愛でてやったのにな」 「まったくだ。だが明かりを消せば、見た目は気にならなくなるだろうよ」  ハルカスの言葉に、確かにそうかとサイノスはいやらしく笑った。 「ここで我らに見つかったのが運の尽き。大人しくおもちゃになる……ぶへっ!」  サイノスがすべてを言い終わる前に、リュースは瞬間移動でその前に現れた。そして無防備な鳩尾に、無慈悲な一撃を食らわせた。そして結果を確認しないで再度瞬間移動をし、同じようにハルカスの鳩尾に強烈な一撃を叩き込んだ。その威力は凄まじく、二人の隊長は冗談のように10mほど飛ばされていった。 「ふん、口ほどにもない奴ら」  これで陸戦隊の隊長レベルなら、これ以上の敵は出てこないことになる。つまらないなとリュースが考えたその時、「無粋な醜女だ」と文句を言いながら二人が立ち上がってきた。 「俺が口上を述べているのだ。それが終わるのを待つのが礼儀と言うものではないのか?」  そうだそうだと同調するハルカスに、リュースは頭が痛くなるのを感じていた。大王と王女とやらを含めて、この船で会った奴らは揃ってどこかおかしかったのだ。ただ頭痛を感じながらも、油断は出来ないなと警戒もしていた。手加減なしで鳩尾を殴ったのに、相手がダメージを受けた様子がなかったのだ。 「もしかして、ものすごく丈夫とか……」  だったら嫌すぎるとリュースが零した時、今度は俺の番だとハルカスが口上を述べ始めた。シルバニアに連絡したのだから、すでに自分が残る必要性はなくなっている。前後を塞いだ筋肉達磨達を見ながら、リュースは帰りたいなぁとぼやいたのだった。  アクサにベッドへと連れ込まれたトラスティは、アリッサを妻にしたことを心から感謝していた。子供バージョンのザリアも魅力的なのだが、少し成長したアクサも負けず劣らず魅力的だったのだ。もしもアリッサが居なければ、2体のデバイスに溺れていたと思えてしまった。 「開き直るしか無いとは言え、僕はなんて世界に飛び込んでしまったのだろう……」  自分が知る限り、デバイス相手に性行為をしたと言う話を聞いたことがない。そしてカイトからも、そんな変態はいないと言い切られてしまった。それが正しければ、自分は連邦の歴史に残る変態と言うことになる。こんな形で歴史に名を残したくはないなと、アクサに左腕を貸しながら、ぼんやりとトラスティはそんなことを考えていた。 「でも、開き直ってしまえば、これはこれで良いのかもしれないな」  見た目はとても魅力的だし、抱き心地は間違いなくアリッサよりは上なのだ。確かに開き直りさえすれば、とても魅力的な世界が開けているのに違いない。 「姉さんの所には、アンドロイドの娼婦も居るじゃないか。うん、だったらデバイスだって似たようなものだろう」  自分の中で折り合いをつけたトラスティは、続きをするためアクサを起こそうとした。だがさらなる変態への道は、アルテッツァによって中断させられた。 「お楽しみのところ申し訳ありませんが」  とりあえず嫌味を口にしたアルテッツァは、「敵の位置が把握できました」と重要な報告をしてきた。 「それと同時に、リュースが大量の情報を送ってきました」 「彼女が、情報を送ってきた?」  彼女の適切な判断のお陰で、アクサを助けることが出来たのは間違いない。そして今回は、いち早く敵の居場所と情報を得ることも出来た。その辺りの手際は、さすがは近衛の精鋭だと感心したぐらいだ。しかも敵の情報まで送ってきたのだから、どれだけ有能なのだと言いたくなる手際だった。  リュースの情報に興味を持ったトラスティに、アルテッツァは小さく頷いた。 「敵の名は、アリスカンダルと言うそうです。ディアミズレ銀河から200万光年離れた、こちらではターコイズ銀河と呼んでいる、彼らの呼び方でヨモツ銀河から来たと言うことです。通常手段で300年掛かる所を、ホワイトホール探索をしながら、約8ヶ月でこちらにたどり着いたらしいですね。もともとヨモツ銀河で武装蜂起をしたらしいのですが、戦いに負けて逃げ出してきたそうです。こちらの銀河で終の棲家を見つけ、勢力を拡大しヨモツ銀河に攻め込むことを意図していたようです」 「何か、計画性の欠片もない話だね……」  そんな奴らに、ローエングリンは沈められかけたのだ。それを考えれば、侮って良いことは一つもないはずだ。だが聞かされた話だけで、相手にするだけ疲れるとトラスティは直感していた。 「それで、ライラ皇帝はなんと?」  今更確認しなくても、ライラが何を命じたかぐらいは想像することが出来る。それでも確認したトラスティに、「今更聞きますか?」と逆にアルテッツァに呆れられてしまった。 「ローエングリンを奪還し、敵を宇宙の藻屑に変えろと言うことです。当初の命令に、ローエングリン奪還が追加されただけです」 「つまり、僕達の出番はその後と言うことだね」  直接の戦闘は、シルバニア帝国の分担になっている。そのつもりで尋ねたトラスティに、「緊張感に欠けてますね」と文句を言った。 「シルバニア帝国軍の精鋭が出撃しているんだよ。だったら、素人の僕達に出番はないだろう?」 「確かに、その通りなんですけどぉ」  もしも派遣されたシルバニア帝国軍が敗れたら、その時は帝国軍と連邦軍の総力をあわせた戦いとなるだろう。そこに民間軍事組織の出番があるとは、普通ならあるとは考えないはずだ。それが常識だと言うことぐらいは、アルテッツァも理解はしていた。ただ民間組織の保有する戦力が、常識の範囲で収まっていないことも問題を難しくしていた。  そうは言っても、シルバニア帝国はこの戦いに威信を賭けているのだ。トラスティの言う通り、彼らの出番は戦いの場に用意されていない。彼らに期待されている、正確には彼らの保有するデバイスに期待されているのは、ローエングリンを奪還した後のことだった。  それでも気に入らないものは気に入らない。頬を膨らませたアルテッツァに、「触れられないからね」とトラスティは右手を伸ばした。その言葉通り、トラスティの右手はアルテッツァの体を素通りしていった。アルテッツァが不機嫌な理由ぐらい、ちゃんと理解をしていたのだ。 「トラスティ様も、IotUの様に精神だけ私の世界に入ってきてくださればいいのに」 「IotUは、そんなことまでしていたのかい? ちなみに、精神世界で彼と何をしたのかな?」  聞きたいような聞きたくないような、そんなことを考えながらした質問に、アルテッツァの答えは予想通り聞かない方が良いものだった。 「それを今更聞きますか? 私を可愛がってくれたに決まっているじゃありませんか。何しろ私は、人間の五感を完璧にシミュレーション出来るんですよ。お陰で私は愛とイクと言うことを知りました」 「それを聞かされると、ますます宇宙の非常識に思えてきたよ……」  はあっと大きくため息を吐いたトラスティに、「似たようなものでしょ」とアルテッツァは彼の行動を論った。アルテッツァからしてみれば、トラスティの行動はすでに非常識の領域に達していたのだ。 「デバイスとしている時点で、十分に非常識だと思いますよ。しかも相手にしているのが、ザリアとアクサですからね。この先コスモクロアにまで手を出されたら、IotUに並ぶ非常識だと思いますよ」  間違いなく痛いところを突いたアルテッツァは、「ここまで来たら」とトラスティに甘えてきた。 「新しい世界に目覚めてみませんか?」 「僕には、IotUみたいに非常識な力はないよ」  だから無理と言い返したトラスティに、アルテッツァはとても魅力的な、そして考えさせることを持ち出した。 「トラスティ様は、私に封印が掛かっていると考えられていますよね。もしかしたら、その封印が解けるかもしれませんよ」  いかがですかと問われ、トラスティは「パス」と即答した。 「その方面は、ノブハル君に任せたいと思っているんだ」 「ノブハル様を異常な世界に連れ込むと、私がライラに叱られるんですけど」  だから気が乗らないと言い返され、いたくトラスティは傷ついてしまった。 「どうして、僕だったらいいんだい?」 「今更、それを疑問に思われますか? あなたの左腕を枕にして眠っているのは……どうしてデバイスが眠るのかと言う疑問はありますけど……それを見ても疑問だと仰ります?」  言えませんよねと力を込められ、トラスティは気まずげに顔をそらした。そしてそこで、目を開いたアクサと目があってしまった。 「この場合、おはようって言えば良いのかな?」 「そうね、昨夜はとても素敵だったわ」  うっとりとしたアクサに、トラスティは体の一箇所が反応したのを感じていた。慌ててアリッサの顔を思い出して耐えたトラスティは、「ローエングリンが見つかったよ」とアルテッツァの報告を伝えた。 「すぐに助けに向かうかい?」 「ローエングリンを襲った奴らは?」  そっちはどうだと言う問いに、「シルバニア帝国の精鋭が向かってる」とトラスティは教えた。 「だったら、私の出番はその後ね」  トラスティと同じことを口にしたアクサは、体を起こして覆いかぶさってきた。お陰で形の良い乳房が、トラスティの前に晒された。 「それまで、もっとあなたを感じさせてくれる?」  責任を取ってねと耳元で囁かれ、トラスティの心にあった防波堤はあっさりと決壊した。そのまま体を入れ替えアクサを組み伏して、前夜の続きを始めたのである。 「自分が非常識だと、開き直られた方が良いと思いますけどね」  ですよねと、アルテッツァは隣に現れたザリアに同意を求めた。 「そこは、器が大きいと言う方が相応しいのではないか?」 「言い換えても、事実は変わらないと思いますよ……今更ですけど。それで、混ざりに来たんですよね?」  アルテッツァに向かって、ザリアは大きく、そして力強く頷いた。 「ぬしも、早くトラスティを連れ込む方法を見つけることだな」  とても良いものだぞと言ったザリアは、その姿を子供のようなものに変えた。とても気高く美しい姿をした幼女は、着ていたローブを脱ぎ捨て慣れた様子で真っ最中のベッドへと潜り込んでいった。 「あなたは、混ざらないのですね?」  もう一人現れたデバイス、コスモクロアに「どうして?」とアルテッツァは問い掛けた。1000ヤー前の世界では、3人一緒と言うのはごく日常の光景だったのだ。 「今ほど、自分の倫理観が恨めしいと思ったことはありません」  本当に悔しそうにするコスモクロアに、「壁を破ってみては?」とアルテッツァは悪魔のささやきをした。トラスティが非常識の世界にのめり込むほど、自分にとって都合が良くなってくれるのだ。 「私が壁を破っても、主様が破ってくださらないと意味が無いのかと……何か、特別なイベントが用意できればいいいのですが」  うんと考えてみても、そんなものが簡単に用意できるはずがない。そもそも今回の出来事にしても、彼女の想定から外れたものだった。  結果的に仲間はずれになったデバイスとアバターは、指を咥えて羨ましがるしか無かったのだ。  ズミクロン星系で宇宙の非常識が展開されているのと同時刻、派遣された帝国軍は待望の知らせに志気が高まっていた。当初の皇夫と仲間の敵討ちから、皇夫奪還及び外銀河からの侵略者撃破に使命が格上げされたのである。歴史的任務だと、メルクカッツは千載一遇の機会を喜んでいた。 「敵の戦力分析は終わっているな」  殲滅してやると意気込んでみても、それを確実に実行できなければ意味がない。熱いハートに冷静な心を心掛けたメルクカッツは、腹心のシュミットに質した。 「はい、観測データー及び近衛のデーターの整合が終わっております。敵艦載機に関して言えば、距離さえ取れば無視して結構でしょう。距離が取れない場合でもパルスレーザーか連邦軍空戦隊を使えば脅威ではありません。そして敵甲板に設置された砲門よりの攻撃ですが、連続して受けなければ装甲を破られることはありません。その意味で言えば、敵艦首砲口による攻撃が脅威となります。電磁フィールドで防御できないため、まともに受ければ艦自体が消滅する可能性があります」  その説明に、メルクカッツは大きく頷いた。 「威力だけは十分にあると言うことだな。だが艦首砲口からの攻撃は、いかにも溜めが長すぎるだろう。そこを突けば、対処はさほど難しいとは思えぬな……速度も遅いゆえ、距離を取れば避けることも可能だ」  うんと頷いたメルクカッツは、勝負にならんと状況を整理した。 「こちらは200で正面から打ち合いをしてやろう。そして敵が艦首砲口を使う兆候を見せた時、上下に配した800が急襲し一斉に攻撃をかける。ローエングリンからの攻撃が通ったことを考えれば、これで大半の艦を沈めることが出来るだろう」 「そもそも、艦首砲口を使用してきますかね。近衛からの報告では、使用するとしばらくパワーダウンが発生するとされています」  シュミットの意見に、メルクカッツはその可能性も高いかと考えた。 「だが、追い詰められれば使ってくるのではないか?」 「こちらの常識を当てはめるのが危険と言うのは理解しています」  でしたらと、シュミットは艦首砲口を使えない方法を提示した。そしてそれが、さらなる罠へと導くものとなっていた。 「初めから、全方位から袋叩きにしてやるのです」 「それをすると、奴らの前面への配置が薄くならないか?」  薄い包囲網は敵の一点突破を招くことになる。もしも包囲網を食い破られると、体制立て直しのための隙ができることになる。それを気にしたメルクカッツに、「それが罠です」とシュミットは新たな艦隊を包囲網の外に配した。 「圧倒的な戦力差を利用できれば、さほど難しいことではないかと思われます」 「突破した鼻先を叩き、前後から挟撃すると言うのだな?」  なるほどと頷いたメルクカッツに、「殲滅戦ですから」とシュミットは答えた。 「聖下は、一隻たりとも逃すなとの仰せです。でしたら、嬲りものにしてやるのも一興でしょう」  シュミットの答えにもう一度頷いたメルクカッツは、そこで考えられる落とし穴を指摘した。 「前後から挟撃を行った場合、敵艦首砲口を撃ってくる可能性がある。頭を押さえようとすると、密集することになるからな」  だからと言って、メルクカッツはシュミットの提示したフォーメーションを少しいじった。 「重力ドームを使われますか」  我々を抜きたければ、抜かせてやればよいのだ。その上で、頭を重力ドームで押さえてやればいい。 「そして、足を止めた所で袋叩きにする……と言うことですか」  なるほどと大きく頷いたシュミットは、敬礼をして「通達をだします」と答えた。戦いが生き物である以上、いくら作戦を練り上げても想定通りに行くことはない。特に相手の考え方が分からない以上、例外事項を考えた方が効率が良くなる。敵が切り札を持っているのなら、それを使えない方向に持っていくのも作戦の組み方である。さもなければ、敢えて使わせることでその弱点を突くと言う方法もある。 「攻撃は、艦首砲口を持つ艦に集中する。艦載機の母艦は、攻撃力として脅威にはなりえんだろう」 「は、攻撃目標の通達を行いますっ!」  これで作戦が周知されれば、残るは現場へのジャンプだけとなる。こちらはアルテッツァに指示を出せば、空間接合で道を作ってくれるはずだ。 「連邦軍から、何をすればよいのか問い合わせが入っておりますが?」  いかがしますかとの副官の問いに、メルクカッツは少し考えてから空戦隊の出動を依頼した。 「敵艦載機は無視して貰っていいが、艦首砲口使用の兆候が出た時、その艦を叩いて貰おう」 「連邦軍空戦隊の攻撃力ならば、砲口を潰すことは可能でしょうな」  頷いたシュミットは、メルクカッツの方針を連邦軍へと送ったのである。それを確認した 「会戦の宙域は、スフィア星系外周部とする! 全軍、進軍を開始する!」 「全軍進軍開始します。スフィア星系外周部で敵を殲滅いたします!」  シュミットが敬礼で答えたことで、シルバニア帝国軍ディアミズレ銀河遠征隊の行動は決定した。  全天球に観測網を広げていたワカシだったが、予想に反して敵の反応は現れてくれなかった。自分の位置がばれる覚悟で亜空間ソナーを使ってみたのだが、そのソナーにも反応が無かったのである。破壊工作員の動きを考えれば、敵はすぐそこまで来ていなければおかしいはずだ。 「敵の工作員は、明らかに味方がすぐ来ることを前提にしているんだけど……」  上がってきた情報では、敵の工作員はヒューマノイドの女性形態をしているらしい。迎撃に出た陸戦隊長と比較すると、ウエイトで5分の1ぐらいしかない貧弱さである。その貧弱な女性形態の工作員が、あろうことか気密シャッターを破壊したと言う。しかも名だたる陸戦隊長の二人と、互角の戦いを繰り広げていると言うのだ。正確に言うのなら、陸戦隊長達は一方的に殴られているのだが、ダメージが通っていないと言う意味で互角と言うことになる。 「敵は必ず来る。だとしたら、いつ来るんだろう?」  5光年ほどの範囲で周囲を探索してみても、あるのは1つの恒星系だけだった。そしてその恒星系には、艦隊が駐留しているような形跡はない。 「だから、恒星系を背にする形で陣を敷いているんだろうけど」  本当にそれで良いのかとワカシが考えた時、空間の歪み検知器が急に煩く騒ぎ立てた。「来たのか!」とワカシが検知器に張り付いた時、船隊の前方10光秒の所に200隻ほどの敵艦隊が現れた。いずれの船も、こちらより一回り大きな戦艦揃いだった。  どうやって現れたのかは疑問だが、重要なのはこの危機を乗り切ることである。全船団に警報と情報を流したワカシは、新手が現れないか空間歪の観測精度を上げた。だが今の所、目の前に現れた敵艦以外の兆候は見られなかった。 「本当にこれだけだとすると、敵には自信がある事になるな……」  もしかして物凄く拙いことになっていないか。逃げ出した方が良いのかと、ワカシはその方法を考え始めた。  敵艦隊が現れたことに、アトベ将軍とムカヒ将軍は大いに猛っていた。ヨモツ銀河で蜂起した時には、100倍もの敵に袋叩きにされたのだ。それに比べれば、2倍の敵と言うのは戦力的には互角でしか無い。そしてソリトン砲と言う切り札がある以上、戦いに負けるとは考えられなかったのだ。 「出し惜しみはなしや。コスモ・ゼロ隊1千、全機発進せい。目標は、前方敵艦隊!」  いけぇと声を上げたアトベ将軍に応えるように、空母隊から次々と艦載機が発艦していった。 「主砲発射準備。敵が射程に入った所で、全砲門から一斉射撃せよ!」  コスモ・ゼロ隊の発進に合わせて、ムカヒ将軍は主砲の発射準備を命じた。実体弾をエネルギーフィールドで包んで打ち出す主砲アザートスは、速度的には遅くなるが実体弾を内包する分破壊力には優れていた。ただ速度が光速の0.1%程度と遅いので、距離が開くと避けられると言う問題があった。また発射時の反動で射線に僅かなズレが生じるため、距離が離れれば離れるほど命中精度も悪くなっていた。  しかも今回の敵は、その弱点を突くかのように遠距離から攻撃を仕掛けてきた。そして自分達とは違い、ほぼ光速の攻撃をしてくれたのだ。そのためこちらの攻撃は届かず、一方的に攻撃を受け続けることになってしまった。近接戦闘に特化したアリスカンダル艦隊にとって、10光秒も離れての戦いは不本意そのものだった。 「全艦隊、全速前進っ!」  戦いを有利にするためには、可能な限り自分達の得意なフィールドに持ち込む必要がある。ムカヒ将軍の命令は、その戦法を忠実に実行するためのものとなっていた。  だがムカヒ将軍が進軍の命令をだしたちょうどその時、ワカシから新たな敵が現れたとの報告が上げられた。今度の敵は、上下から挟み込むような場所に現れたのである。そして上下を押さえた敵艦隊からも、同じように速度重視の攻撃が加えられた。投影面積が広い分、敵の攻撃はアリスカンダル艦隊に今まで以上に効率的にダメージを与えていった。 「ち、これではソリトン砲が使えんな」  ソリトン砲を使えば、エネルギー復活まで短くない時間が掛かることになる。その間無防備な船体を晒せば、格好の獲物になることは間違いなかったのだ。敵が前方だけに居るのならいいのだが、上下を押さえられるとエネルギーダウンは致命的な問題となる。  だがソリトン砲を使えないと口にしたムカヒ将軍に、アトベ将軍は「手はある」と口を挟んできた。 「確かに使えんなぁ……やが、目くらましにはなるんちゃうか?」 「目くらましだと?」  何と訝ったムカヒ将軍は、すぐになるほどとアトベ将軍の意図に気づいた。 「こちらの攻撃の威力を知っていれば、射線から避ける行動をすると言うことか」 「そや、それで前方に展開した敵の布陣にほころびがでる。その隙をずずっと突いてやな、敵の背後に回り込むんや」  その説明を聞きながら、ムカヒ将軍はソリトン砲のエネルギー充填の指示を出した。敵の布陣を崩さないと、自分たちは袋叩きにされてしまうことになる。 「充填は、進軍に影響のない範囲で行え。絶対に急ぐ必要はないからな。それから、エネルギーを敢えてリークさせろ」  砲術担当からしてみれば、それは不可解極まりない命令に違いない。それでも任務に忠実な部下たちは、ムカヒ将軍の命令に従い準備を進めた。敢えてエネルギーをリークさせたせいで、艦首に作られた砲口からは白い光が漏れ出ていた。 「ソリトン砲の威力は分かっているようだな」  敢えて準備をしているように見せたことで、前方の敵艦隊に回避を意図した動きが生まれたのだ。これで敵の布陣にほころびが出れば、それを突くことで不利な状況を覆すことが出来るはずだ。 「コスモ・ゼロ隊。上と下の煩い奴らを黙らせぇ!」  前方を切り崩すことができれば、残るは煩い上下を塞いだ敵艦となる。それを牽制するため、アトベ将軍はコスモ・ゼロ隊の攻撃目標を変更した。上下からの攻撃が少なくなれば、それだけエネルギーを前方に集中することが可能となる。  だがアトベ将軍の指示に、ムカヒ将軍が異を唱えた。 「コスモ・ゼロ隊を帰還させることを依頼する」 「なんでやっ!」  大声で反応したアトベ将軍に、「体制を立て直す」とムカヒ将軍は答えた。 「短距離ワープで、敵の包囲網の外に出る。そこで反転し、ソリトン砲で敵の数を減らす」 「コスモ・ゼロ隊、すぐに戻れやっ!」  それが有効だと理解し、アトベ将軍はすぐに命令を変更した。だが有効だとは理解したが、それだけで打開できるかについては懐疑的だった。 「敵さんは、これだけだと思うとるのか?」 「いや、まだ罠を張っているのだろう。だからこそ、ワープで距離を稼ぐ必要がある」  敵の想定の外に飛び出すことで、張られた罠を無効化しようというのである。考えようによっては、前方にほころびが出来たのもこちらを誘い込む罠に思えたのだ。なるほどと納得したアトベ将軍は、コスモ・ゼロ隊の帰還状況を確認した。 「10秒以内に帰還せんと、置いていくからなっ!」  檄を飛ばしたと言うのか、無茶苦茶なことを口にしたアトベ将軍は、10秒やとムカヒにタイミングを指示した。 「全艦ワープ準備。カウントダウン10秒の後、ワープ9で1光年のジャンプを行う」  これでアリスカンダル艦隊は、1時間20分の猶予を得ることになる。そしてその猶予時間が終わってすぐ、反転攻勢に出ることを考えていた。  そして命令通り10秒のカウントダウンが終わった所で、アリスカンダル艦隊はワープ速度9での移動を実行した。亜空間バブルを使うことで、船体は通常空間における物理現象の拘束から解放される。そして通常空間からの攻撃を受けることも無くなるのだ。  リュースの情報のお陰で、アリスカンダル艦隊の動きはすべてシルバニア帝国軍の手の内にあった。眼前から消失する敵艦隊に、シュミットはこれも想定の一つであることを口にした。 「亜空間バブルによる超光速移動を行いましたか」 「不利になれば、逃げ出すと言う情報は正確だったと言うことか」  だが逃さんと、メルクカッツは口元を歪めた。 「アルテッツァ、敵艦隊出現位置の予測はできているか?」 「亜空間観測を継続しています。敵艦隊は、およそ光速の6500倍の速度で移動しています。航跡トレースに、今の所問題は出ていません。ウォーレン隊200が追跡しています」  宜しいと頷いたメルクカッツは、新たな命令を全艦に発した。 「敵艦隊が通常空間に復帰した後、我らも追撃を行う。良いか、一隻も逃すなと言うのは聖下からの勅命である。ウォーレン隊だけに、美味しい所を持っていかせるな!」  それからと、メルクカッツは現宙域に取り残されたローエングリンを見た。事前情報で、牽引機構が破壊されていると知らされていたのだ。それに加えて、参考人を二人ばかり確保してあるとの情報もあった。 「これで、ローエングリン奪還の使命は果たしたことになるのだが……」  スクリーンに映し出されたのは、外壁に僅かな損傷の残るローエングリンの姿である。見慣れたはずの船体なのに、メルクカッツは一種異様な空気を感じていた。 「こんな巨大な物体の時間を止めたと言うのか……アスの神殿でも、精々時間遅延なのにな」 「それが理由で、アクサが崩壊の危機にあったと言うことです」  シュミットの言葉に、「非常識にすぎる」とメルクカッツは吐き出した。 「たかだかデバイス程度のエネルギーで、このような巨大な物体の時間を止めたのだぞ。崩壊の危機程度で済む方がおかしいとは思わないか」 「仰るとおりで」  時間停止自体は、技術と言う意味では確立したものになっていた。ただ遅延に比べて、莫大なエネルギーが必要なため、実験室レベルでの実績しか無いのも事実である。そして大規模適用は、アスの神殿が最初と言われていたのである。 「アクサとは、一体何者なのだ?」 「聖下が皇夫ノブハル様に差し上げたデバイス、とだけしか知らされておりませんな」  シルバニアで製造されたデバイスなのだが、そんなものが時間停止などと言う大技を行えるはずがないのだ。「謎すぎる」とメルクカッツがぼやくのも、事情を考えれば不思議な事ではない。 「ところで、連邦軍が確保した参考人の尋問は進んでいるのか?」 「近衛からの情報で、翻訳機が用意できたとのことです。まだ尋問が始まったばかりなので、整理された情報は無いのかと思われます」 「そうか……」  小さく呟いたメルクカッツは、「時間が掛るな」と追跡状況を確認した。 「かつての同盟と戦っていた時には、1つの戦闘に一月以上掛かることは珍しくなかったと聞く。双方が距離を取るため、攻撃一つ届くのに分単位の時間が掛るのが理由だ。それを考えれば遥かに短いのだろうが、待つ時間と言うのは面倒なものだと思えてしまうな」 「敵は何をしてくるとお考えですか?」 「好戦的な奴らだ。逃げたと思わせて、反撃のための距離を取ろうとしたのだろう。痛手を負えば逃げ出すのだろうが、まだ奴らは大した損害を受けていないからな」  なるほどと頷いたシュミットは、「来ますか」とメルクカッツに尋ねた。 「艦首砲口からの攻撃に自信を持っていれば、間違いなく戻ってくるだろう。50隻の船に艦首砲口が確認されている。ならば、10隻程度の艦で連続して攻撃すればいい。そうすることで、パワーダウンの影響をカバーすることが出来る」 「つまりパワーダウンと言っても、その程度の時間で復帰すると言うことですか」  だからこそ、追撃を掛ける意味がある。バカ正直に正面から打ち合いをしたら、こちらにも無視できない被害が出ることが予想できたのだ。だとしたら、単純な打ち合いに持っていかないのは当たり前の作戦となる。 「それだけを考えれば、厄介なと言うことになるのですが……弱点を、あんなに分かりやすく曝け出しますかね? 発射準備に入った所で、小型核を放り込んでやれば艦ごと吹き飛んでくれるでしょう」 「連邦軍ならば、恐らくその作戦を取るだろうな。ただこちらは、空戦部隊を持っていないからな。今後同じ敵と戦う可能性があるのなら、近衛の使用する機人装備を配備することを考えた方が良いだろう」  そこで時間固定されたローエングリンを見たメルクカッツは、「参考人は?」と回収の手はずを確認した。 「間もなく、工作艇がローエングリンに接舷します。コクーンからのビーコンを捉えておりますので、回収自体に時間は掛からないでしょう。しかし、200万光年先から来た人類ですか……」 「超銀河連邦のことを考えれば、存在しても不思議ではない……と言うより、存在しない方がおかしいとも言えるのだがな。ただその姿が、我々と瓜二つとなると神の存在を信じたくもなる。今回の事件が、遠く離れた銀河と交流を開くきっかけになるかどうかは分からんがな。ただイレギュラーな存在であろうとなかろうと、こうして関わりが出来てしまったのだ。今までのように、考えないようにすることは出来ないだろう」 「連邦が、重い腰を上げますかね?」  シュミットの問いに、「分からん」とメルクカッツは即答した。 「だがはぐれ者だけではなく、正式な使者まで来てしまったのだ。何らかの対応が求められるのは間違いないだろう。さて連邦は、使者を送り出すことが出来るのだろうか?」  その時は、銀河に新しい歴史が刻まれることになるだろう。IotUが超銀河連邦を作って1000年だと考えれば、新しい時代の幕開けとされる可能性のあることだった。 「さて、暇つぶしの雑談はそろそろお開きとなる時が来たな」 「各艦には、すでに作戦は伝達されております」  うんと頷いたメルクカッツは、「アルテッツァ」と帝国コンピューターシステムを呼び出した。 「はい、メルクカッツ将軍」 「空間接合の準備はいいか?」 「敵……アリスカンダルの者達の出現予想位置に設定されています」  その報告に頷いたメルクカッツは、右手を前に掲げて大きな声で命令を発した。 「これより決着をつけるため、全艦空間移動を行う。移動直後、敵艦に対して全砲門で攻撃を開始する。シルバニア帝国に弓を引いた愚か者を、プラズマの雲に変えてやれ!」 「アリスカンダルの者達が、通常空間に復帰しました!」  アルテッツァの報告に頷いたメルクカッツは、「戦闘開始!」と号令を発した。その命令に従い、残りの1800が一斉に空間を超えて行った。  一度距離を取って体制を立て直し、再度進撃するのがアリスカンダルの立てた作戦である。その為1光年離れた所で通常空間に復帰し、そこで反転してから再度ワープを行う必要があった。 「間もなく、ワープアウトします。ワープアウト30秒前からカウントダウンを開始します」  航海長からの報告を受けたムカヒ将軍は、ここまでは予定通りだと頷いた。位置取りで不利な状況に追い込まれたのなら、それを有利な状況に変えてやれば良いのだ。ここで反転再進撃は、相手の虚をつくのと同時に包囲陣から脱出するための策でもある。 「ワープアウト30秒前。29、28……」  次第に減っていく時間に、ムカヒ将軍は満足そうな笑みを浮かべた。ここまでは作戦通りに進んでいるのだ。ここで反転攻勢に出ることで、相手に大打撃を与えることが出来るのだと。 「5、4、3、2、1、0……全艦通常空間に復帰しました。敵艦の姿は確認されず。全艦反転開始。ワープ突入まで20秒。19、18、17、16……」  ここまでは予定通りと、ムカヒ将軍はぎゅっと拳を握りしめた。だがカウントダウンの数字が10を切った所で、艦が大きく揺れ、ブリッジに警報が響き渡った。 「敵艦200が現れました……いえ、敵の数2000。回頭中のため、回避行動が取れません!」 「空母ドロス1番艦、5番艦、15番艦爆散。インテンシブ3番艦、21番艦、操舵不能!」 「本艦も被弾しました。損傷率20%! 第二艦橋が融解しました」  すでにワープ突入予定へのカウントダウンは、0を過ぎてマイナスとなっていた。だがアリスカンダルの艦は、どれ一つとしてワープ状態に入れなかった。苛烈なシルバニア帝国軍の攻撃が、亜空間バブルの生成を阻害したのである。そして全艦回頭中と言う状況が、反撃すら許してくれなかった。その状況でアリスカンダル艦隊の周囲を120度間隔で配備された艦と前方から、一斉に攻撃をされたのだ。加速された粒子の相乗効果は、攻撃をさらに破壊力の大きなものにしていた。反撃も脱出もままならないまま、アリスカンダルの船は次々と爆発して消滅していった。 「他の艦はいい。オタマーだけでも脱出するぞっ!」  船団の中心位置に居たおかげで、旗艦オタマーの受けた被害は比較的軽微なものとなっていた。ただ周りを僚艦に囲まれているため、脱出は容易なものではなかった。脱出するためには、周りに居る僚艦を排除する必要があったのである。そしてムカヒ将軍は、少しのためらいもなく僚艦を犠牲にすることにした。 「主砲で進路をクリアにしろっ!」 「主砲で進路をクリアにします!」  ムカヒ将軍の命令を復唱した砲術長は、進路を防ぐ僚艦を攻撃した。至近距離からの攻撃に耐えられるはずもなく、オタマーの進路を塞いでいた僚艦はすぐに爆散した。 「進路クリアになりましたっ!」 「直ちに、現宙域を離脱せよ!」 「直ちに、現宙域を離脱します!」  航海長の復唱から少し遅れ、周りの僚艦が光の線となって後方に去って行った。これで、一時凌ぎとは言え、危機的状況を回避したのだ。自分だけ逃げ出すのは、責任者だと考えれば卑怯な行為に違いないだろう。だが卑怯だろうがなんだろうが、生き延びなければやり直しの機会は巡ってこない。そしてムカヒ将軍にとって、これは当たり前の選択でしか無かったのだ。 「脱出できたんは、わいらだけのようやな」 「口惜しいが、恐らくその通りだろう」  ぎりっと奥歯を噛み締めたムカヒ将軍に、「こんなこともあるやろう」とアトベ将軍は慰めた。 「オタマーと俺達が残っとるんや。やり直しの機会なら、いくらでもあるんとちゃうか? プロキオン銀河の外に出てやれば、奴らも追ってこれへんやろう」  「そうだな」とムカヒ将軍がアトベ将軍の言葉を認めた時、「悪いけど」と言う女性の声が聞こえてきた。一体誰がと振り返った時、二人の目の前に紫色と緑色の固まりがドサリと落ちてきた。今度は何だと驚いた二人は、すぐにそれが陸戦隊長の二人、サイノスとハルカスだと気がついた。 「馬鹿みたいに丈夫だから手間取ったけど。やっぱり、美しいのは正義だったわっ!」  ふっと肩口までの水色の髪を右手で掻き上げたリュースに、「何者だっ!」とムカヒ将軍が大声を上げた。 「お約束の突っ込みをありがとうっ!」  ぴっと人差し指を立て、綺麗な笑みを返したリュースは、次に血に濡れた左手を自分の胸に当て、そしてオイルまみれの右手を斜め右上に差し出した。 「ある時はアイドルのバックダンサー」  そこで右手を下げて、リュースはくるっとターンをした。 「そしてある時は、売り出し中のアイドルグループフェアリーズのリーダー」  そこで後ろを向いたりュースは、腰から上を捻ってムカヒ将軍たちの方を見た。左手は腰に当てられ、右手はVの字を横にして右目の横に当てた。 「そしてその正体は、シルバニア帝国近衛の精鋭リュースよ」  最後に右手でピストルの形を作り、左手はそれに添えられた。決め台詞は、「覚悟しなさい」と言うものだった。  そのケレン味たっぷりの登場に、「変なやっちゃな」とアトベ将軍は心からの感想を口にした。 「その感想は、あなた達だけには言われたくないわね」  ふふと笑ったリュースは、空間移動で航海長の所に現れた。そこで軽く右拳を振っただけなのだが、航海長の頭はありえない方へと曲がっていた。 「あら、こっちはとてもひ弱なのね」  失敗失敗と舌を出して、リュースはコツンと自分の頭を叩いた。  とても緊張感に欠けるリュースの態度なのだが、受け止める方はそんな呑気なことを行っていられない。剛力無双の陸戦隊長二人が、たった一人の女性にのされてしまったのだ。それがゴリラのような女性ならまだ理解は出来るが、少し野暮ったいだけの普通の女性にしか見えなかったのだ。だが軽く振るわれた拳だけで、航海長の首はありえない方向に曲げられてしまった。  全員が反撃しようと立ち上がったのだが、やはりと言うのかムカヒ将軍とアトベ将軍は脱出経路から逃げ出していた。それを見つけたリュースは、「性格悪っ!」と忌々しげに吐き出した。 「さて、ここを壊してから動力室を壊しましょうか。そうすれば、通常空間に復帰するはずだし……」  本当にそうかと言うのは疑問はあるが、それぐらいしか自分のできることは残っていなかった。そして動力炉を壊してやれば、亜空間に逃げ出すこともできなくなるはずだ。 「20人か……1分もいらないわね。あなた達、4人組を恨むことね」  ブリッジに居た全員にとって、その言葉が最後に耳にしたものだった。予告通り1分も掛けないで、リュースはブリッジクルー全員の始末を終えたのである。後は動力室に行って伝達系を壊してやれば、当初の目的を達成することができるだろう。  一方ブリッジから逃げだした二人は、その足で他の二人と合流していた。 「さて、こちらの奴らの実力も分かったな」 「ああ、中々のもんやんけ。これやったら、ヨモツ銀河の征服も夢やないやろうな」  完敗したことをくやしがるのではなく、二人はプロキオン銀河の実力を喜んでいた。どうやらこの力を、すぐに自分のものに出来ると考えているようだ。どこをどう考えれば、そんな結論にたどり着けるのか。リュースだったら、拷問をしてでも吐かせることだろう。 「コスモ・ゼロダッシュは用意できているのか?」  そのためにも、無事オタマーから脱出する必要がある。カバジの問いに、「バッチリだね」となぜかワカシは答えた。 「迷彩機能をおごっておいたよ。これで、こっちのやつにも見つからないと思うよ」 「では、初めの予定通りイスカンダルへと向かうことにするか」  向かう先の文明レベルは分かっているので、うまく紛れ込めば主導権を握るのも難しいことではない。そこから敵の中に食い込んでいけば、自分達を屠った力を手に入れることができるはずだ。考え方の問題以前に、とても気の長い妄想だった。  脱出通路を走った後は、シューターに乗ればコスモ・ゼロダッシュの所にたどり着くことは出来る。それに乗り込んでさえしまえば、後は敵の破壊工作が行われるのを待てばいい。破壊工作で通常空間に復帰した時が、逃げ出すチャンスだと考えていたのだ。  シューターの出口は、コスモ・ゼロダッシュのコックピットへと直結されていた。勢いよくコックピットに乗り込んだ4人は、第一段階終了と安堵の息を漏らした。後はオタマーが、通常空間に戻るのを待てばいいだけになる。  だが安堵の息を漏らしたのも束の間、「いらっしゃい」と言う女性の声に迎えられた。絶対に有り得ない、そして聞き覚えのある声にアトベ将軍とムカヒ将軍は背筋を凍らせた。 「ちょっと順番を考えてね。あなた達を先に始末した方がいいかなって思ったのよねぇ」  慌てて振り返った4人の前には、肩口まで伸びた水色の髪をした、ぱっと見では華奢な女性だった。聞き覚えがあると言うのは、気のせいでも何でも無い。ブリッジクルーを虐殺したリュースが、なぜか先回りをしてコスモ・ゼロダッシュに乗り込んでいたのだ。  恐怖に顔を引きつらせた4人を前にして、「聞きたいことがあるの」とリュースはニッコリと微笑んだ。 「一人だけ参考人として引っ張っていこうと思ってね。ワカシって人にすることにしたんだけど、一体誰がワカシなのかしら?」  手を挙げてと指示をしたら、全員が一斉に手を挙げてくれた。 「本当に、誇りも何もない人達なのね……」  呆れたと吐き出したリュースは、質問の仕方を変えることにした。 「ワカシを差し出してくれたら、他の人達は見逃してあげる。と言う条件ならどうかしら?」  そう言って、ワカシを指差せと命じたのである。その命令に従い、3人は一斉にワカシを指差し、一人はアトベ将軍を指さした。 「あなたは、最低の仲間を恨むことね。まあ、同情してあげるけど」 「そ、そんな物をされても嬉しくないやいっ!」  顔を真っ青にしているのは、これから何をされるのか理解しているのだろうか。それを正しい自覚だと笑ったリュースは、ワカシの首筋を軽く叩いた。今度は手加減がうまく言ったのか、がくりと首を項垂れ気絶をしてくれた。  それを抱え上げたリュースは、「二度と会うことはないでしょうね」と言う言葉を残してその場から消失した。お陰でプレッシャーから解放された3人は、ぜいぜいと大きく呼吸をした。 「ワカシには悪いが、犠牲となって貰おう」 「そやそや、尊い犠牲っちゅう奴やな」  はあっと脱力した3人は、オタマーが通常空間に復帰するのを待つことにした。本来もっと危機感を持つべきなのだが、そんなことにまで気が回るような状況ではなかったのだ。  ワカシを脱出艇から連れ出したリュースは、取り敢えず場所を動力室近くへ変えることにした。一人だけ連れ出したのは、参考人と言う意味と同時に、破壊工作に付き合わわせようと考えたからだ。効率的に船を破壊するには、技術責任者と言うのが都合が良かった。  そこで本人基準で優しくワカシを起こしたリュースは、「することは2つ!」と2本指を立ててみせた。 「一つは、この船を通常空間に戻すことよ。そしてもう一つは、あの3人を宇宙の藻屑に変えること」  よろしくてと問われ、ワカシはぶんぶんと音が出るほど頷いた。両側の頬が赤く腫れているのは、優しく起こしてくれた結果なのだろう。 「あ、あいつらだけ逃げ出すのなんか許せるはずがないだろうっ!」 「まあ、あなた達に仲間意識なんか期待してなかったけどね」  本当にそれでいいのかと考えながら、リュースは第一の命令を遂行させることにした。 「じゃあ、可及的速やかに通常空間に復帰なさい」 「動力炉は壊さなくていいのかな?」  より進んだ破壊工作を口にしたワカシに、任せるとリュースは方法を丸投げした。そして任されたワカシは、近場にあった端末画面から必要なコマンドを打ち込んでいった。 「方法は、主砲アザートスを爆発させることにしたよ。そうすれば、船体を包んでいた亜空間バブルが弾けるからね。船は使い物にならなくなるけど、すぐに爆発ってことにはならないはずだ」 「その方が、脱出に都合がいいのは確かね」  やんなさいとのリュースの命令を受けて、ワカシはぽちっと画面を叩いた。その命令から少し遅れて、リュースの足元が大きく揺れた。 「これで亜空間バブルが弾けて、通常空間に復帰したことになるんだけど……」  こんな感じと、ワカシは外の状況をリュースに伝えた。その画像から見ると、確かに亜空間を脱出しているようだった。 「じゃあ、もう一つの方も実行して欲しいんだけどな?」 「脱出艇コスモ・ゼロダッシュを破壊しろとの命令に、りょーかいっ! とワカシは嬉しそうに答えた」 「あいつら、結構鬱陶しかったんだよねぇ」  嬉々として端末を操作したワカシは、「ばいばい」と手を振ってから端末のボタンを押した。 「ええっと、おかしな動きをしているだけに見えるんだけど?」  眼の前に展開された映像では、脱出艇が錐揉みしているのが見えたのだ。自分が命じたのが破壊なのに、どうして違うことをするのだとリュースは迫った。 「だって、ただ爆発させるだけじゃ面白くないだろう。だから、重力制御を切って、コスモ・ゼロダッシュを錐揉み飛行させたんだよ。きっとだけど、3人共目を回しているんじゃないのかな?」  楽しいねと笑うワカシに、「性格の悪い奴らばかりだ」とリュースは呆れていた。これならば、筋肉バカの陸戦隊長の方がましに思えてしまったのだ。ただアリスカンダルの者の性格の悪さは、今は気にすることではないだろう。 「でも、そろそろとどめを刺してくれるかしら?」 「ずいぶんと優しいことを言うんだね。まあ、溜飲を下げたからいいけど」  両手を眼の前でこすり合わせてから、ワカシは画面をぽちっと押した。すると脱出艇は、そのまま錐揉み飛行をしながらオタマーにぶつかってきた。そして船の鼻先にめり込んだ所で、爆発をして船体に大穴を開けてくれた。 「今ので、だいたいオタマーは壊れてくれたんだけど……ちょっとまずいことがあるんだよね?」 「まずいこと? この船が爆発する程度なら、別に問題はないんだけど。どうせ、すぐに逃げ出すしぃ」  言ったんさいと促されたワカシは、「向かっている方向」と分かりにくい答えをした。 「それが?」 「スピード自体は、光速の30分の1にまで落ちているんだけどね。まあ、具体的には秒速1万キロなんだけど。向かっている先に、君達の船があるんだよ。確か時間停止されている船だったかな。衝突コースにあるから、このまま行くとぶつかることになるんだ」  確かにまずい事だと焦ったリュースだったが、ちょっと待てとローエングリンの事情を思い出した。 「あの船は、物理現象を受け付けない状態になっているんだけど? ぶつかって壊れるのは、一方的にこの船のはずよ」  だから大丈夫と言う意味で答えたリュースに、「確かに壊れないけどね」とワカシは笑った。 「ただ牽引が出来たことを考えると、押すことも出来るはずなんだよね。そしてこれぐらいの質量を持った船がぶつかれば、あの船も相当な速度で位置を変えることになるんだ。具体的に言うと、近くの恒星への衝突コースを取ることになるんだよ。せいぜい秒速5000キロだから、ここからだと衝突までに18日とちょっと掛かることになるね」 「作業時間が限られると言うことね。ただ、そんなには放置しないと思うけど……」  ううんと考えたリュースだったが、分からないことはどれだけ考えても分からないのだ。 「そっちの方は、別の人に悩んで貰いましょ!」 「別にいいけど、ずいぶんと軽いんだね」 「あなた達だけには言われたくないわっ!」  そう言い返したリュースは、仕事は終わったとワカシの首根っこを捕まえた。 「ところで、このまま宇宙に出ても大丈夫かしら?」 「そ、そんなはずがある訳無いだろうっ!」  止めてくれと大声で叫ばれ、つまらないなとリュースはコクーンを取り出したのだった。  命令を確実に実行するのは、シルバニア帝国軍人として当然の務めである。だからメルクカッツは、現場から逃げ出した船を見逃すことはなかった。 「アルテッツァ、航跡のトレースは出来ているか?」 「リュースの発した信号を捕まえています。ただ、未だ亜空間にいますが」  なるほどと頷いたメルクカッツは、なぶり殺しにされる敵艦隊へと視線を向けた。初めは100隻いた敵艦も、既に10を切るところまで数を減らされている。しかも残った船もぼろぼろになっているので、仕留め終わるのは時間の問題となっていたのだ。 「逃げ出したのは、敵の旗艦か?」 「リュースが潜入していたことを考えれば、恐らくそうだと」  アルテッツァの答えに、「酷いものだ」とメルクカッツは敵艦を詰った。 「責任者が、打開の方法も考えずに真っ先に逃げ出すとはな。そもそも、逃げおおせると考える方が間違っている。恥知らずには、相応の報いが必要であろう」  そう口にしたメルクカッツは、「シュミット」と彼の副官を呼び寄せた。 「はい、こちらに」  近づいてきたシュミットに、メルクカッツは「追撃するぞ」との指示を出した。 「聖下のご命令は、一隻残らずだからな。逃げ出したのが敵の首魁と言うのなら、どこまでも追いかけるのがご命令を果たすことになるだろう」 「では、早速ターンブルク准将に依頼いたします!」  シュミットの答えに、メルクカッツは小さく頷いた。 「美味しい所を分けてやるのだ。仕損じるなとメッセージを送っておけ」  その指示を受けたシュミットは、早速と答えて自分の居場所へと戻っていった。  メルクカッツから連絡を受けたターンブルクは、年の頃なら40代半ばのがっちりとした男だった。本来陸戦が好みなのだが、主流ではないと言うことで宇宙軍の艦隊運用に回ったと言う経歴を持っていた。ちなみに階級は、メルクカッツと同じ准将である。その意味では、メルクカッツから指示を受ける立場ではないはずだった。  ただ帝国宇宙軍において、メルクカッツの方が格上として扱われていた。本来准将の上には大将から少将まで居るはずなのだが、現在の帝国宇宙軍においては空席となっていた。そのため准将であるメルクカッツと、もうひとり別の准将であるレオノーラと言う女性准将が双璧とされていた。 「美味しいところどころか、面倒を押し付けよって」  それでも拒否できないのは、「美味しい」と言う部分を否定できないからだ。逃げ出したのが敵の首魁だと考えれば、それを討ち取ってこそこの戦いが完遂されることになる。功績の大きさと言う意味で、有象無象を破壊するのとは意味が違っていた。  ただ問題となるのは、敵がどこまで逃げていくのかと言うことだ。近衛が潜入しているのでトレースは可能だが、だからと言って銀河の外まで追いかけるのは勘弁して欲しいと思えてしまう。 「アルテッツァから、航跡トレース情報は受け取っているか?」 「はっ、現在問題なくトレースできております!」  即座に上がった報告に、宜しいとターンブルクは頷いた。たかだか1隻に1000の艦隊は過剰だが、自分の艦隊を分割する訳には行かない。「ここはいい」と声を上げたターンブルクは、「敵の首魁を追い詰めるぞ」と追跡命令を発した。  その命令は、不思議なことに部下達の士気を高揚させる意味を持っていたようだ。ターンブルクの目から見ても、明らかに目の色が変わっているのが分かったのだ。 「味方を破壊して逃げ出したのを、よほど腹に据えかねたと言うことか」  理解できる感情に、ターンブルクは小さく頷いた。確かに逃げ出した首魁は、卑怯者の誹りを受ける行動をしていたのだ。その意味で、徹底的に追い詰め撃破するのは、正義の行いには違いなかった。  ただ部下達ほど盛り上がれないのは、どこまで敵が逃げていくのが分からないからに他ならない。亜空間で攻撃できればいいのにと、ターンブルクは用意された兵装の不足を嘆いたのだった。  敵艦隊への対処は、完全に帝国軍の仕事になっていた。それもあって、連邦軍はのんびりとローエングリンの曳航作業を行っていた。そこに降って湧いたような、敵艦接近の知らせである。現場がパニックになるのも、状況を考えれば不思議なことではない。  どうしてとパニックを起こしたディーチャビー大佐だったが、部下の方はもう少し冷静だった。 「接近してくる船ですが、明らかに状況がおかしいかと思われます」 「状況がおかしい?」  なんだと顔をしかめたディーチャビー大佐に、こちらをと観測していた部下は映像を提示した。そこには、甲板が壊れ、火花が飛び散る敵艦の姿があった。しかもリアルタイムで、脱出艇が衝突する映像まで見ることが出来た。 「確かにおかしすぎるのだが……一体全体、何が起きていると言うのだ?」  不思議すぎる状況に首を傾げたディーチャビーだったが、彼のスタッフは「それよりも」と別の問題を提示した。 「このままだと、ローエングリンへの衝突コースになります。減速がなければ、およそ秒速1万キロで突っ込んできます。衝突までの時間は、およそ5分となります」 「5分だとっ!」  驚いたディーチャビーは、大慌てで「総員退避」の命令を送った。 「迎撃は宜しいのでしょうか?」  このままだと衝突すると報告した以上、直前での破壊を考える必要がある。その上申をした部下に、「今更間に合わん」とディーチャビーは怒鳴った。 「ローエングリンは絶対に壊れん! まずは、自分たちの身を守ることを考えろっ!」 「総員退避指示を出しましたっ!」  その応答通り、スクリーン上では取り付いていた作業ポッドが蜘蛛の子を散らすように逃げていくのが映っていた。 「本当に、何が起こっているんだ……」  勘弁してくれとディーチャビーが吐き出した時、もの凄い勢いで敵の艦がローエングリンに衝突した。流石にこれはと恐怖したのだが、時間停止状態は伊達ではなく、ローエングリンには傷一つ付かなかった。ただ衝突の勢いと爆発のせいで、停止していたローエングリンがかなりの勢いで移動を始めた。 「ローエングリン、反動で移動開始。移動速度は、およそ秒速6千キロですっ!」 「止められんのか?」  思わず確認したディーチャビーに、冷静な部下たちは「可能です」と返した。 「ただ、新たなアンカーを設置する必要があります。これまで設置したものは、今の衝突で使えなくなりましたので」 「作業のやり直しと言うことか……」  確かにと頷いたディーチャビーに、「シルバニア帝国軍から連絡が入りました」と言う報告が届いた。 「今度は、なんと言ってきたのだ?」  伝達をとの命令に、通信員は立ち上がって敬礼をした。 「ターンバーク准将名で、敵艦の情報を求められました」 「敵艦の? あの、ローエングリンにぶつかってきた奴のことか?」  訝ったディーチャビーに、「恐らく」と通信員は答えた。 「だったら、今の映像を送ってやれ。それ以上の答えは我々にはないっ!」 「はっ、敵艦衝突爆散の映像を送ります!」  忠実な通信員は、敬礼をして返信の作成に取り掛かった。事象自体単純なので、特に難しいことのない作業である。ただ作業をしている所に、別の所から連絡が入ってきた。 「大佐、シルバニア帝国近衛から通信が入りました」 「シルバニア帝国の近衛ぇっ!」  なんでそんな相手からと、ディーチャビーは素っ頓狂な声を上げた。だがすぐに、この事件に近衛が関わっていたのを思い出した。 「敵艦隊に近衛が潜入したと言う話だったな」  それを思い出したディーチャビーは、「それで」と通信の内容を確認した。 「任務完了に付き、本艦隊への収容を依頼されました。加えて、重要参考人も確保したとのことです」 「重要参考人? 大王と王女やらの他にか?」  想定外のことばかり起こりすぎる。疲れたように息を吐いたディーチャビーは、「受け入れ準備を」と部下に指示した。 「しかし、なぜ帝国軍に依頼をしないのだ?」 「治安維持は、連邦軍の責任だから……としか。はっきり言って、建前の気がしないでもありませんが」  なるほどと頷いたディーチャビーは、「収容を」と再度部下に命じた。確かに建前かも知れないが、それを崩すのは自分の立場では好ましいことではなかったのだ。 「しかし、ターコイズ銀河から来たと言うのか……」  空を見上げれば、はっきりとターコイズ銀河の姿を見ることが出来る。だが目に映る光は、200万年前にターコイズ銀河を発したものでしか無い。その距離を考えると、未だに信じられないところがあったのだ。 「これで、ますますディアミズレ銀河が注目をあびることになりそうです」 「相手が来てしまった以上、何らかの対応を考える必要が出るのだろうな。願わくば、その仕事が我々に降ってこないことだ」  しみじみと答えるディーチャビーに対して、彼の副長マシは「確かに」と心からの同意を示した。ディアミズレ銀河の中だけでも広くてしょうがないのに、200万光年の距離は絶望的に遠いものだったのだ。 「ところで、ローエングリンの牽引作業はどうなっている?」 「およそ24時間後に完了する予定です。現在の位置から、5億キロ程度スフィア星系の母星に近づくことになります」 「危険は無いのだな?」  二次災害を起こせば、必ず自分の責任問題となってくる。それを気にしたディーチャビーに、マシは「有りえませんね」と事務的に答えた。 「数百m程度の小天体の存在は否定しません。ただ有人星系に辿り着く前には、作業は完了しています」 「だったら、いいのだが……」  ふうっと息を吐き出したディーチャビーは、猛烈な勢いで主星方向に飛んでいくローエングリンを見た。すでに多くの工作ポッドが取り付き、牽引のためのアンカリングを行っていた。 「取り敢えず、一段落がついたと考えればいいのだろうな」  これから先に大きな問題が立ち塞がっているのだが、それを考えるのは自分ではないはずだ。そう自分に言い聞かせ、ディーチャビーは精神の安定を図ったのである。  敵撃破の知らせは、いち早くアルテッツァからライラに伝えられていた。ローエングリンが移動を始めると言うイレギュラーこそあったが、取り敢えず一番の問題は終息を見たことになる。そして次なる課題は、時間停止状態の解除と言うことになるのだろう。アクサ復活に成功した時点で、それも解決の道筋が見えていた。 「確かにすがってしまいましたが、本当に崩壊間際のデバイスを救ってくださったのですね」  凄いのですねと感心したライラに、彼女の摂政リンディアもその通りだと大きく頷いた。 「ただ我が君は、ますます非常識な世界に踏み込んでしまわれたようです」 「私としては、ノブハル様ではないのでどうでもいいのですが……あなたが言いたいことは理解できるつもりです」  心底嫌そうにしたリンディアに、ライラは多少同情的だった。ただ本当の問題がそこにないのは、二人共承知していることだった。 「しかしザリアとアクサ…ですか。どうして私達の作ったアクサが、あのようなことになるのでしょうか」  トラスティがしていることは、全てアルテッツァ経由で伝えられていた。だからライラも、ザリアやアクサの変貌も把握していたのである。そこで問題があるとすれば、刺激的な光景のせいで二人共ちょっとした興奮状態になったことだろう。そしてライラは、ノブハルと比べていたりもしていた。 「帝国に伝えられた話が、疑わしくなってきましたね。13個目のミラクル・ブラッドもそうですが。ノブハル様に渡した時には、アクサはそのようなものを持っていなかったはずです。では、アクサはそれをどこで手に入れたのでしょう? そしてザリアですが……もはやラズライティシア様と呼ぶことすら、相応しいのか分からなくなってしまいました。これでトラスティ様が仰っていた、最初の妻が存在すると言うことの信憑性が増してきましたね」  ライラの言葉に頷いたリンディアは、「特別な存在ですね」とアクサを認めた。 「とてもではありませんが、13番目とは思えません。ザリアの態度を見る限り、対等と考えるのが妥当なのかと。そうなると、最後に加わったと言うより、初めから居たと考える方が自然ですね」 「ラズライティシア様とシルバニア帝国に渡られ、行政と軍事を分担して統括された……伝承ではラズライティシア様お一人の偉業とされましたが、分担されたと考える方が自然ですね」  そう口にしたライラは、小さな声で「お母様ですか」と呟いた。 「お母様……ですか?」  それを耳にしたリンディアだったが、言葉の意味までは理解できなかった。 「これで、ノブハル様の出生の秘密が解けたと言うことです」 「ノブハル様は、アクサとトラスティ様のお子だと?」  そんなことがと驚くリンディアに、ライラはしっかりと頷いた。 「ズミクロン星系には、IotUともう一方の遺伝子情報は伝わっていませんからね。その出所を考えると、その仮説が成り立ってきます。恐らくですが、トラスティ様もそれを理解されているのでしょう。そしてカイト様は、ザリアとトラスティ様のお子と考えられると思います」 「時間的経緯を無視すれば、と言うことですね」  リンディアの言葉に、「大した事ではありません」とライラは返した。 「ただのデバイスが、ローエングリンの時間を止めたのですよ。特別なデバイスなら、人一人ぐらい過去に送り込めても不思議とは思えません」 「とても乱暴な決めつけかと思いますが……確かに、それぐらいのことはしてくれそうですね」  ふうっとため息を吐いたリンディアは、「困ったものです」と吐き出した。 「ここの所、常識が狂うようなことばかり起きています。その意味で言えば、ノブハル様の巻き込まれ体質? と言うのも問題ですね。どうして200万光年離れた所から来た者と、ああして出会ってしまうのでしょうか? この先も似たようなことが起きないとも限らないのが、本当に悩ましい所です」  そこでライラの顔を見たリンディアは、「すぐにでもお子を作られては?」と勧めた。 「急ぐ必要が無いと思われているのは存じておりますが、リスクは可能な限り減らしておく必要があります。帝国のためにも、一日も早く聖下にご懐妊していただければと」 「帝国摂政としてなら、あなたは少しも間違ったことは言っていないのでしょうね」  自分のお腹に手を当てたライラは、「子供ですか」と小さくつぶやいた。 「すぐにでもと言う気持ちと、まだ早いのではと言う気持ちが、私の中でせめぎ合っています。ですが皇帝としての立場を考えれば、慶事は急ぐべきなのでしょうね。どうもノブハル様は、ますます面倒な世界へと足を踏み入れていきそうですから」 「トラスティ様のせい、とばかりは言えなくなってしまいましたね」  今回のことは、トラスティとは全く関係のない所で起きてくれたことなのだ。そして今までのことにしても、どちらかと言えばノブハルがトラスティを巻き込んだと言う所がある。 「不始末と言うと叱られるかも知れませんが、トラスティ様はむしろお子様の不始末の尻拭いをされている気がしますね」  リンディアの言葉に、「そう思います」とライラは頷いた。 「惑星ゼスもそうですから、あなたの言うとおりなのでしょうね……それが、父親の務めだと言えば、ただそれだけのことなのですが。その意味で、ノブハル様は何時独り立ちをされるのでしょうか」  神の如き初代、そして偉大な二代目を継ぐ二人のうち、カイトは「超銀河最強」の名を欲しいままにしていた。それに比べると、ノブハルはまだ己の立場を確立していない。 「確かに、独り立ちは必要なのでしょうが……それをされると、首の回らない事態になりそうな気がします。私が溜めていないとは言いませんが、あなたは欲求不満を溜めているのではありませんか?」  なかなかトラスティはシルバニアには来ないし、最近は一人でと言うことがなくなっていたのだ。あまりにも心当たりの多すぎる指摘に、「それは」とリンディアは顔を引きつらせた。 「そう言うことなので、とても悩ましい問題だと思っているんです」 「仰ることは、とてもよく理解できます……と言うか、心から同意させていただきます」  本当に深刻そうにするリンディアに、「ですよね」とライラは答えた。 「ところで、メルクカッツとターンバークへの報奨はどう致しましょうか?」  個人的問題は確かに重要だが、シルバニア帝国軍としてのけじめも必要となる。事件が終息に向かった今だからこそ、素早い対処を考える必要があった。だからこそのリンディアの問いに、少し考えたライラは抜本的な改革を指示することにした。 「そろそろ、帝国軍の階級を見直した方が良さそうですね」  両者が同格なのだが、明らかにメルクカッツの方が役割として上になっていたのだ。その整理を考えると、役割の見直しと言うのは必要に違いない。  それを認めたリンディアは、「プランを作る」とこの問題を引き受けた。 「後は、ローエングリンの時間停止状態の解除なのですが……」 「それは、ズミクロン星系に運んでからと聞いております」  移動自体は、エスデニアの力を借りれば難しいことではない。そして何もない宙域で作業をするのは、面倒といえば面倒に違いないことだ。それを理解したライラは、「待ち遠しいですね」と口にした。 「お迎えに上がれないのが、これほど残念だとは思いませんでした」 「帝国内ならいざしらず、流石に他の銀河に足を運ばれるのは問題が大きいのかと」 「ご先祖様は、IotUの家に行儀見習に入ったと言うのに……」  残念ですと繰り返したライラは、「作業は?」とアルテッツァに問うた。 「あと20時間ほどで、牽引準備は整うとのことです。そこで制動をかけた後、空間接合でズミクロン星系に移動させます。明日中には、時間停止状態の解除が完了しているのかと」 「必要なデバイスは集結しているとのことでしたね」  凍結解除の鍵を握るのは、特別なデバイスであるザリア、コスモクロア、アクサの3体である。既にマスターと共に、3体はズミクロン星系のセンター・ステーションで待機していた。正確に言うのなら、うち2体はお楽しみの真っ最中だったのだが。  ターコイズ銀河の問題こそ残っているが、ローエングリンの時間停止状態の解除が問題終息の最終ステップとなるのは確かだった。少なくとも、ターコイズ銀河との関係で頭を悩ませるのは、シルバニア帝国の仕事ではないのである。そしてトラスティ達に任せる以上、ローエングリンの時間停止状態の解除に何の心配もいらないと考えていた。 「流石に疲れましたね。しばらく休むことに致します」  結局最初の知らせから、ライラはほとんど休めていなかった。寝所に入っても、疲れているはずなのに寝付けなかったのだ。 「そうですね。ローエングリンの時間停止状態の解除まではまだ時間が掛かりますからね」  ゆっくりお休みくださいと、リンディアは大きく腰を折って頭を下げたのである。  情報が集まりやすいからと、ナギサは説明の場をグリューエルの館に求めた。イチモンジ家次期当主からの正式な依頼に、グリューエルは「承りました」と真剣な表情で受諾した。 「ノブハル様の一大事ですから、私も協力を惜しみませんよ」  グリューエルが振り向いた先には、表情を強張らせたエリーゼが立っていた。詳細こそ知らされていないが、大変なことが起きたことだけは想像が出来る。それぐらい、現れた時のナギサの顔は厳しい表情をしていた。 「ノブハルの家族は?」  事前に連絡がしてあることもあり、ノブハルの両親がこちらに向かっているはずなのだ。それを持ち出したナギサに、「お義父様達なら」とエリーゼが状況を説明した。 「先ほど、10分ほどで到着するとの連絡を頂いています」 「だったら、説明はそれまで待った方が良さそうだね」  ふうっと息を吐き出したナギサに、グリューエルは「場所を用意いたしました」と2人を奥の応接へと案内した。王女の館に相応しい、きらびやかに飾り付けられた立派な部屋がそこにあった。 「華美な部屋となってしまったことをお詫びいたします。人数が人数ですので、書斎と言う訳には参りませんでしたので」  深刻な話をするのに、きらびやかな部屋は似合ってくれない。それを気にしたグリューエルに、「無理を言ったのはこちらの方です」とナギサは首を振った。  全員をテーブルの前に座らせたグリューエルは、側仕えにお茶の用意を申し付けた。その程度で緊張が解けるとは思えないが、一息つかせることがこの場において必要だと考えたからである。 「ナギサ様、エリーゼ様。アリッサ様に分けていただいたカモミールティー……です。気分を落ち着けるのによいそうですよ。中々難しいかと思いますが、一口でも口にされた方が宜しいかと」  グリューエルに強く進められ、ナギサは熱いお茶を手に取り少し冷ましながら口に含んだ。それを見たエリーゼも、ゆっくりと冷ましながらカモミールティーを口に含んだ。シュンスケとフミカの二人が館に着いたと知らされたのは、ちょうどその時のことだった。 「お二人を、この部屋にご案内するように」  側仕えに指示を出したグリューエルは、喉を潤すためカップに口をつけた。その優雅な所作は、さすがはお姫様と言うところだ。その仕草をじっくりとエリーゼが見ているのは、見習おうと言う気持ちからなのだろう。 「アオヤマご夫妻をご案内いたしました」  侍従が扉を開き、二人を応接へと案内した。立ち上がって迎えたグリューエルは、こちらにと二人を席へと案内した。それに合わせる形で、側仕えが二人の前にカモミールティーを置いた。 「リンさんとトウカさんは、コンサートツアー中でしたね」  つまり、集まることの出来る関係者が全員揃ったことになる。グリューエルの言葉に、ナギサは小さく頷いて説明を始めることにした。 「ノブハルが、クリプトサイトからの帰還途中と言うのは聞いていると思う。本当なら、今日にもセンター・ステーションに到着している予定だった。ただ、途中で起きた事件のせいで、ノブハルがいつ帰ってくるのか見通しが立っていないんだ」 「何かの事件に巻き込まれたと言うことですか?」  ノブハルを語る時、その巻き込まれ体質はさけて通れないことだった。それを持ち出したエリーゼに、ナギサは厳しい表情で頷いた。 「今度の事件は、ノブハルの乗った船が何者かに襲われたと言うものだ。まともに考えれば、シルバニア帝国の新鋭艦にちょっかいを出せる者など居ないはずなんだよ。現時点で、敵の正体は不明としか言いようがない。そしてノブハルだけど、時間の停止されたローエングリンの中にいる。トラスティさん達の話によると、アクサが時間を停止させたと言うことだ。そうやって、敵の攻撃からローエングリンごとノブハルを守ったのだとね。ただ時間停止されたローエングリンは、今の所敵の手に落ちている。そして時間停止を解く鍵となるアクサは、エネルギーの枯渇が理由で消滅の危機にあると言うことだ。トラスティさんが、カイトさんとライスフィール様にお願いをして、センター・ステーションまでアクサを運んで貰っている所……と言うのが今の状況をかいつまんで説明したものになる」 「敵の正体は不明と仰りましたね。ですが、超銀河連邦の中に、シルバニア帝国の船に手を出せる者が居るのでしょうか?」  疑問を呈したエリーゼに、ナギサははっきりと頷いた。 「その疑問は尤もなものだと思う。ただ、その疑問に対する答えは今の所無いんだ。敵の数は100隻。そしてその敵を撃破しローエングリンを奪還するために、シルバニア帝国から艦隊2000が派遣されている。それが、今の所僕が知っている全てなんだよ」 「ノブハルは、無事なんですよね?」  不安に潰れそうなフミカに、「今の所は」とナギサは答えた。 「今の僕では、これ以上の答えを口には出来ないんです。ローエングリンが勝てない、そしてアクサが崩壊の危機を迎えている。こんなことは、今まで想像だにしていなかったんです。一つ言えることは、時間が停止されたローエングリンの中にいる限り、誰もノブハルを傷つけることが出来ないことです」  時間の停止は、グラブロウ事件でエリーゼも経験したことだった。絶体絶命の重傷を負い、しかも落盤に押しつぶされた自分が助かったのも、誰かが時間停止をしてくれたお陰だと聞かされていた。誰も傷つけることが出来ないと言うのは、その経験からすれば確かなように思えていた。  これ以上の情報はないとのナギサの言葉に、その場からは言葉が消え失せた。しばらく焦燥するような時間が流れた所で、「新しい情報が入りました」とグリューエルが口を開いた。 「ノブハル様達を襲った敵の正体ですけど、どうも外銀河……こちらで言うと、ターコイズ銀河ですか。そこから来た者と考えられるそうです。その根拠ですが、連邦軍が拿捕した不審船の乗員が、ターコイズ銀河を指差したからと言うものです」 「ターコイズ銀河っですかっ!」  超銀河連邦で他の銀河との交流がある今でも、一番近い所にある銀河にまでは到達していなかった。それぐらい、200万光年と言う距離は絶望的な響きを持っていたのだ。そのターコイズ銀河から来た者に襲われたと言われても、にわかには理解できないのも仕方がないことだった。 「そうです。連邦軍が掴んだ情報では、ターコイズ銀河から来たと言う事になっています。ただそれ以上の情報は、今の所伝えられていません」 「そうですか……」  情報の更新はされたが、逆に敵の不気味さがましただけだった。全員が重い空気に包まれた所で、「もう一つ」とエリーゼはナギサの顔を見た。 「ノブハル様がローエングリンの中にいると言うことは、セントリアさんとリュースさんも一緒と言うことですよね?」  だとしたら、3人は今の所無事と言うことになる。その意味で質問したエリーゼに、少しだけ違うとナギサは返した。 「リュースさんは、戦闘機人だったかな。その装備で出撃したと教えられている。崩壊途中のアクサを確保したのは、リュースさんだと言うことまでは分かっているんだ。ただそこから先は、彼女からの連絡が入っていないんだ」 「リュースさんなら大丈夫だと思いたいのですが……」  だが戦場に出た以上、何が起こるのかは想像がつかない。リュースなら大丈夫と言うのも、かなりの願望が篭ったものだったのだ。 「今は、信じて待つ以外に出来ることはないのですね」 「残念ながら、今の僕にはそれ以上のことは言えないんだ」  だから今は、知らせを待つ以外に出来ることはない。ナギサにしても、その説明を繰り返す以上のことはできなかったのだ。  そしてナギサがサンイーストに降りた3日後、トラスティの使者としてライスフィールが派遣されてきた。グリューエルの館に現れたライスフィールは、「久しぶりですね」と彼女に挨拶をした。今は同格になったとは言え、グリューエルにとってライスフィールは目の上のたんこぶとも言える存在である。その辺り、妻になった事情の違いと言うのがあった。 「ええ、まさかあなたがお出でになるとは思っていませんでした」  それでも、王女として負ける訳にはいかない。少し緊張しながら、グリューエルはライスフィールを館へと招き入れた。星としての格なら、モンベルトはクリスティアに比べて遥かに下と言って良いことになる。いまだ宇宙に出る技術がないのだから、モンベルトは遅れた星系でしか無かったのだ。  ただ星としての知名度は、宇宙に出ていないモンベルトの方が遥かに上だった。IotUの妻を輩出したことも理由の一つだが、同時にパガニアとの確執もまたその名を有名にしていたのだ。トラスティが関わった星の復興も、モンベルトの名を連邦中に知らしめていたのである。  そしてグリューエルにとって気に入らないのは、ライスフィールが二人も子供を産んでいることだった。そのくせ以前会ったときに比べて、格段に美しく、そして全身から余裕が感じられるようになっていた。妻と言う立場で同格とは言ったが、実態はライスフィールの方が重要な立場にいたのだ。 「それで、なぜライスフィール様が使者として使わされたのですか?」  つい気後れをしてしまったグリューエルに、「ライスフィールで良いですよ」とライスフィールは笑った。 「お互い妻として同格ですから、あまり気を使うのはよろしくないと思います。私もグリューエルさんと呼ばせていただきますので、ライスフィールさんとでも呼んでいただければと思っています」  気を楽にと笑ったライスフィールは、問いかけへ答えることにした。 「私が使者となったのは、それぐらいしか役に立たないからと言う所でしょうね。妻だからと言うのも、理由になるのでしょうか……それにあの人に、細やかな気配りを期待するのは無謀だと思っています」  違いますかと問われると、「確かにそうだ」と強く同意したくなる。ただそれをしても意味が無いと、グリューエルは「ナギサ様達は」とすぐに集まるはずの関係者のことを口にした。 「間もなく、御出でになられるかと思います」 「でしたら、必要な説明はそれからと言うことですね。それまで、お茶でも飲んで待っていませんか?」  ライスフィールに言われ、グリューエルは自分が失敗したのに気がついた。だが慌てて取り繕うと、さらに恥を重ねることになりかねない。「そうですね」とさり気なく同意し、こちらですとライスフィールを案内した。  説明は関係者が集まってから。先に釘を差されたため、グリューエルはライスフィールとの会話に困ってしまった。改めて向かい合ってみると、共通する話題が予想以上に見つからなかったのだ。双方の夫であるトラスティの話題はあるのだが、悪口にしかならないので自重することにした。 「その、ライスフィール様……さんは、魔法と言う技術をお持ちと伺っていますが」  なんとか見つけた話題が、モンベルト固有の技術である魔法だった。まだ科学的に解明されていないこともあり、謎に包まれた技術でもある。 「ええ、代々モンベルトで伝えられてきた技術ですね。科学的に解析されていないため、どうして使えると言うのは分かっていない技術でもあります。ただ、殆ど同じことやそれ以上のことが、今は科学的に実現されているものばかりです。例えば」  そう口にして、ライスフィールは短い呪文を唱えた。その呪文を聞いたグリューエルは、肌に風を感じた。 「風を起こされたのですか?」  言葉だけで風を起こしたのだから、それを凄いと感じるのはおかしなことではないだろう。だがライスフィールにしてみれば、手で仰ぐ程度で同じことをすることが出来るのだ。ただ実現の仕方が違う程度の事でしか無かったのだ。 「ええ、火を熾すことも出来ますよ。ですがその程度の事なら、魔法を使う必要もないことです。もちろん、現れる現象は同じでも、そこに至る原理は全く違っていますけどね。魔法と言うのは、世界に満ちている力を理解し、それを利用することなんです」 「世界に満ちている力……ですか?」 「IotUは、それを認識と説明されたそうですよ」  そう言って笑ったライスフィールは、「講釈はここまでですね」と入り口の方を見た。それに合わせてドアがノックされ、侍従がナギサ達が到着したことを伝えた。 「今のも、魔法なのですか?」 「いえ、人が近づいてくる気配を感じただけです。もっとも、五感を研ぎ澄ますのも魔法に必要なことなんですけどね」  ライスフィールが答えたのと同時に、再度ドアがノックされてから開かれた。 「皆様を、ご案内いたしました」  頭を下げた侍従の後ろに、アオヤマ家の5人とナギサが立っていた。兄の一大事と言うことで、公演をキャンセルしてリンとトウカも駆けつけていた。  立ち上がったライスフィールは、「お久しぶりですね」とシュンスケ達に頭を下げた。一国の王妃に頭を下げられた6人は、慌てて頭を下げ返した。アルカロイド事件では、ライスフィールはノブハル達の恩人だった。 「お兄ちゃんのこと、ですよね?」  恐る恐る尋ねてきたリンに、「そうですよ」とライスフィールは微笑んだ。人妻で二人子持ちなのに、そんなことを感じさせないほど、ライスフィールは若々しくて美しかった。 「皆様をこれからセンター・ステーションにお連れいたします。そして明日には、ローエングリンもセンター・ステーションに到着するそうです。そこで停止された時間をもとに戻し、ノブハル様達を時間のゆりかごから外に出すと言うことだそうです」 「お兄ちゃんが、帰ってくるんですかっ!」  大声を上げたリンに、「帰ってらっしゃいます」とライスフィールは断言した。 「ただ詳しいことは、我が夫が皆さんに説明するとのことです」 「ライスフィールさんの旦那さんって……トラスティさんが?」 「そこは、疑問に感じて欲しくないのですが……」  つい苦笑を浮かべてしまったが、それも仕方のないことだとライスフィールも理解していた。 「皆様、準備はよろしいですか?」  準備を問われ、シュンスケ達は顔を見合わせた。ノブハルのことを教えて貰えると思って来たのだが、まさかセンター・ステーションに連れて行かれるとは思っても居なかったのだ。  ただ行かないと言う答えは、彼らの間にはありえないものである。シュンスケが代表して、お願いしますとライスフィールに頭を下げた。 「アルテッツァさん、私達をセンター・ステーションに連れて行ってください」 「はい、ライスフィール様」  くれぐれも頼むと言われていたので、アルテッツァはライスフィールに対してとても協力的だった。それから個人的にも、彼女に対して好意を抱いていた所もある。その辺り、貧しい胸元と言うのも理由だが、自分に対する物腰が柔らかいと言うのも大きかった。  ライスフィールの依頼に答える形で、アルテッツァは8人をセンター・ステーションに係留されたインペレーターへと運んだ。ここは何処と驚くシュンスケ達を、「ようこそ」とトラスティが笑顔で迎えてくれた。 「ライスフィールにも世話をかけたね。これから皆さんに説明することがありますので、とりあえず座ってもらえますか?」  宇宙船の中とは思えないほど立派な部屋に、シュンスケ達5人は大いに緊張していた。そしてバネッタタイプのアンドロイドがお茶を振る舞うのを待ってから、トラスティが事件は「ほぼ」終息したと口火を切った。 「ローエングリンの時間が停止され、敵に連れ去られたところまではご存知かと思います。昨日のことですが、ローエングリンを襲った敵はシルバニア艦隊に撃破されました。ローエングリンは奪還され、ここに運ばれてくる手はずになっています。到着予定は、今から18時間後となっていますね。ローエングリンが到着次第、デバイス3体を使って時間停止状態の解除作業に当たります。ザリアが言うには、1時間もかからないだろうと言うことです。はいエリーゼさん、質問があるのかな?」  何か聞きたげなのを察したトラスティは、「遠慮はいらないよ」とエリーゼを促した。 「その、幾つかあるのですが……リュースさんはご無事なのでしょうか?」 「ああ、彼女のことだね。彼女なら、ローエングリンと一緒に帰ってくるよ。今回の事件解決には、彼女が大きく貢献してくれたんだ。もしも彼女が居なければ、解決はもっと遅くなっていたね。それどころか、ノブハル君を助けることが出来なかったかも知れないぐらいだ」 「リュースさんは、ご無事だったのですね」  ほっと息を吐き出したエリーゼに、「良かったね」とトラスティは微笑んだ。 「その、兄さんたちを襲った相手はどうなりましたか? と言うのか、結局どこの誰だったのですか?」  ほっこりとした空気の中、リンが敵の正体を尋ねた。 「ノブハル君達を襲った敵だけど、グリューエルが教えた通りターコイズ銀河から来た者たちだったよ。アリスカンダルと言う星から来た者達と言うことだ。リュースさんの情報では、ターコイズ銀河で武装蜂起したのだけど、返り討ちにあってディアミズレ銀河にまで逃げ出してきたそうだ。そこでどこかの星系を足がかりに、ディアミズレ銀河を征服しようと考えていたようだね。ちなみにターコイズ銀河からは、同時に使者も送られて来たんだ。こちらはコウバコ星系の王女様なんだけど、アリスカンダルのことを知らせに来てくれたらしい。ただ一歩違いで……と言うのか、他にも事情はあるんだけど間に合わなかったようだね」 「それで、敵はどうなったのですか?」  トラスティが避けた答えを、リンはもう一度問いただした。 「ライラ皇帝は、一隻たりとも逃がすなと命令されたそうだよ。そして派遣されたメルクカッツ准将は、その命令に従いすべての敵船を破壊したそうだ。総数100隻、乗員数は20万人いたそうだね。リュースさんが参考人として確保した3人以外は、全員が爆発に巻き込まれて死んだと見ていいだろうね」 「全滅させたと言うことですか……」  結果的に20万人が死んだと言うのだ。兄を襲った相手だと考えれば、同情するのはお門違いなのかもしれない。ただそこまでしていいのか、リンには分からなかった。 「それだけ、ライラ皇帝の逆鱗に触れたと言うことだよ。ただ、半分はノブハル君の責任でもあるんだ」 「お兄ちゃんの?」  どうしてと言う顔をしたリンに、「ノブハル君の」とトラスティは繰り返した。 「ソリンケン大佐……ローエングリンの艦長さんなんだけどね。敵と遭遇後戦闘に入った所で、ノブハル君に脱出を依頼しているんだ。そしてアクサも、ノブハルに脱出を勧めた。だけどノブハル君は、自分だけ逃げ出す訳にはいかないと、アクサに対して駄々をこねたようだね。その結果アクサは、自分が消滅するのも承知でローエングリンごとノブハル君の時間を停止させたんだ。もしもノブハル君が逃げてくれていれば、ローエングリンは沈んだかもしれないけど、戦いは違ったものになっていただろうね。ライラ皇帝も、一隻残らず宇宙の塵にしろとは命じなかったはずだ。それだけ、ノブハル君のことを大切に思っていたということだよ」 「で、でも、そのお陰でローエングリンの人達も助かったんだし……」  仕方がないことだと、リンは兄の代わりに言い訳をした。そんなリンに、「それでは駄目なんだよ」とトラスティは優しく答えた。 「厳しい言い方をするのなら、ノブハル君は自分の立場を分かっていないことになる。そして、ノブハル君を守るために派遣された人達の誇りを踏みにじっているんだ。アクサの力を自分の力だと錯覚して、なんでも出来る気持ちになってしまったんだろうね。だから人の意見に耳を貸さず、自分の思い込みだけで行動をしてしまった。ノブハル君が戦いに出てしまったため、逆にソリンケン艦長の選択肢も減らされてしまったんだよ。あれだけ痛い目に遭ったのに、アルカロイド事件の経験がちゃんと生かされていないんだよ。ローエングリンの時間停止にしても、リュースさんが尻拭いしてくれたから停止状態解除の見通しが立っただけなんだよ。さすがに今度ばかりは、結果オーライで済ませる訳にはいかないんだ」  分かったかいと問われ、リンは小さく頷いた。 「ローエングリンの時間停止状態の解除と言ったが、危険はないのだろうな?」  リンの次に、シュンスケが大丈夫なのかと問いかけてきた。 「停止状態の解除自体に、危険性はありませんよ。ただ、ローエングリンに乗っている人たちにとっては、敵との交戦の真っ最中だったと言うことです。時間を取り戻した瞬間、ローエングリンに攻撃でもされたら少なくない被害が出ることでしょう。危険性と言えば、その程度と言うことになります。まあ、ザリア達が防御フィールドを張ると言っているので、多分大丈夫だとは思いますけどね」  それからと、トラスティは接触してきた銀河のことを持ち出した。 「使者の二人は、先程言いました通りターコイズ銀河側の連邦から派遣されてきました。コウバコ王家の王女様とその従者の二人と言うことです。目的は、アリスカンダルの船団がこちらに向かっていることと、彼らの武器への対処方法を伝えることです。そのために彼女達は、まだ実用化途中のトランスワープと言うシステムを搭載した実験艦で出発したそうですよ」 「それを誠意と言って良いのか疑問を感じるな……」  眉間にしわを寄せたシュンスケに、「同感ですね」とトラスティは苦笑を返した。 「間に合わなかったこともそうですが、そもそも時間に対する評価が滅茶苦茶なんですよ。トランスワープシステムを採用する前には、彼らの最高速度は光速の約2万倍程度だったそうです。そしてアリスカンダルの船団の最高速度は、それより遅い光速の約6500倍と言うことです。つまり、彼らの銀河からディアミズレ銀河まで、アリスカンダル艦隊は300年以上掛かることになるんです。そして実験艦の最高速度は、光速のおよそ480万倍だそうです。実験をしながら徐々に速度を上げて進んだこともあり、単純計算よりは長い8ヶ月程度でこちらにたどり着きました。もしもアリスカンダルの船団がホワイトホールを見つけていなければ、300年も早く到着したことになるんです。そんな使者に、一体どんな意味があるのでしょうね。しかも彼らは、我々とコミュニケーションを取る方法を用意していなかった。先程別の事情で遅れたと言いましたが、それが大きな理由になっていたんです」 「だとしたら、ターコイズ銀河側は何を理由に使者を送り出してきたんだ?」  ますます目元を厳しくしたシュンスケに、「アリバイ作りでしょうね」とトラスティは切って捨てた。 「彼らは、ディアミズレ銀河と交流を……揉め事を起こすつもりはまったくなかった。だから追跡隊を出して、宣戦布告と受け取られることを恐れ、情報と一緒に使者を送り込んできたと言うことです。こちらと同じ考え方をするとは限りませんから、あくまで推測のレベルでしか無いのですけどね」  それからとトラスティは、脇道に逸れた話題を持ち出した。 「これは余談に類することになりますが、使者の二人を見て貰えますか」  そう言ってトラスティは、コウバコ王家王女のトリネアと、そのお供のマルドの姿を全員に見せた。 「王女様は、私達の標準に当てはめると綺麗な方だと思います。ただ、違う銀河から来たと言われると、お供の女性の方がしっくりとくるような気がします」  エリーゼのコメントに、その場に居た全員が大きく頷いた。その答えに少しだけ口元を歪め、「あちらでは」とトラスティはターコイズ銀河の事情を話した。 「まず、僕達のようなヒューマノイド種は少数派なのだそうです。そして女性の美に対する考え方ですが、トリネア王女は1千ヤー前なら、絶世の美女とされたそうですよ。ただ今の流行は、おつきの女性のようなフラットな体に頭は禿頭にすることだそうです。加えて言うのなら、丸い鼻に分厚目の唇、そして細めの目がもてはやされているようですね。なので流行から完全に遅れた王女様は、結構辛い目に遭っていたようです。だからトリネア王女は、こちらに来たことを喜んでいるそうですよ」 「……確かに、それは余談なのだろうな」  遠くを見る目をしたシュンスケに、「余談ですね」とトラスティは笑った。 「使者として送り込まれるには、立場は別としてあまり適格とは言えないと思いますよ」  そこで表情を引き締め、トラスティは「忘れてはいけないことがある」と続けた。 「もしもディアミズレ銀河が超銀河連邦に属していなければ、アリスカンダルの者達は目的を達することができたんです。彼らが最初に目指したのが、スフィア星系だと言うのは分かっています。そこで彼らは、全住民の虐殺を考えていました。今のスフィア星系の戦力では、彼らに宇宙空間では抵抗することは出来ない。地上に降りてくれば別ですが、宇宙から攻撃されれば抵抗できなくなる。そうやってスフィア星系を手に入れた後は、領土の拡大を図るのでしょう。それがいつになるのか分かりませんが、その時はズミクロン星系が襲われることになるのでしょうね」 「ズミクロン星系軍では歯が立たないと言うことか……」  シュンスケの言葉に、その通りとトラスティは頷いた。 「同じように虐殺を行うのかどうかは分かりませんが、大勢の人達が死ぬことになるのは間違いないでしょう。今回“たまたま”出くわしたのがローエングリンだったから、スフィア星系には被害が出なくて済みました。もしもローエングリンに出くわさなければ、彼らは連邦に把握される前にスフィア星系を攻撃していたんですよ。そして遅れて駆けつけた連邦軍と戦うことになる。その時は、恐らく大勢の死者が双方に出たことだろうね」  あくまで仮定のことでしか無いが、それでも話を聞いていた全員の顔色は悪くなっていた。幾つかの偶然が重なったおかげで、ディアミズレ銀河にとって最悪の事態を免れることができただけのことだった。それを考えれば、ただ幸運を喜んでばかりはいられないことになる。 「そしてもう一つ忘れてはいけないことは、これがディアミズレ銀河だけのことではないと言うことです。他の銀河にしても、同じような可能性があるんです。これまで考えてこなかった、そして目を逸らしていたことが現実として突き付けられてしまったんです。果たして、超銀河連邦の理事会は何を考えるのでしょうね」  トラスティの言うことが正しければ、今回の事件はディアミズレ銀河だけに留まらないことになる。それを改めて指摘されたことで、集まった一同は事態の深刻さを理解した。ディアミズレ銀河だけなら、すでに相手に対する足がかりがてきていたのだ。だがその他の銀河となると、足がかりすら出来ていなかった。しかも1万も世界があると、いかに連邦でも手が回るとは思えないのだ。その一方で、これまで通り考えないでおくと言うのは、もはや通用しなくなてしまっていた。 「連邦は、この事件を受けてどうしようと言うのだ?」  それを口にしたシュンスケに、トラスティは「さあ」と答えた。 「それは連邦が考えることで、僕達が考えることではありませんよ。何しろ多大な手間と時間が掛かることですからね。簡単にはまとまらないのでは無いかと思っています。ただ連邦に属する各星系が声を上げていかなければいけないことだと思いますよ」  そこでシュンスケの顔を見たのは、彼のサンイーストでの立場を考えたからに他ならない。エルマー7家の補佐をする立場なのだから、星系の安全に意見する立場にあると言うのである。 「ターコイズ銀河への付き合い方も考えなければいけないと言うことか……」  ふうっと息を吐き出したシュンスケは、「難しいな」と愚痴をこぼした。 「ええ、とても難しいことだと思いますよ。ただ、もう目をそらす訳にもいかないことでもあります。使者が来てしまった以上、こちらの情報も相手に伝わっていますからね」  覚悟も何もない所に、いきなり厳しい事実を突きつけられてしまったのだ。議論を避けて通れないのは今更だが、どうしたら良いと言うのも難しい問題だとシュンスケは理解していた。 「いずれにしても、近々大きな動きが出るのでしょうね」  それが今回の事件が引き起こした本当の問題なのだと、トラスティは全員を見て説明したのだった。  冷静な連邦軍の対処のお陰で、ローエングリンの牽引は問題なく実行された。それからエスデニアの協力で、ローエングリンはズミクロン星系まで運ばれてきた。ただ母港であるセンター・ステーションではなく、その近傍空域が作業エリアとされた。その辺りは、偶発事故を避けると言う配慮からのことだった。  この作業のために、シルバニア帝国軍からはメルクカッツ准将が1000の艦隊とともに立会い、センター・ステーションにはエスデニアとシルバニアからゲストまで訪れていた。トリプルA相談所として、取締役のトラスティに最高顧問のスターク、そしてライスフィールとグリューエルも集結していた。 「さすがは帝国近衛だね。今回は君の活躍に助けられたと思っているよ」  そしてトラスティの隣には、連邦軍とともに戻ってきたリュースが立っていた。トラスティの言う通り、今回の事件ではリュースの働きが際立っていた。 「一応、近衛の面目は保てたと思っていますよ。私としては、少し物足りない所もありましたけどね」 「その程度が、一番平和と言うことだよ」  少しだけ口元を歪めたトラスティは、「これでお役御免かな?」と問い掛けた。 「そうですね。少し深入りしすぎたかなと思っています」  お役御免を否定しないリュースに、「その方が良いだろう」とトラスティも認めた。 「ノブハル君も、そろそろ甘えを卒業しないといけない時期なんだよ。アクサを引き離す訳にはいかないから、君は交代した方が良いのだろうね」 「私もそう思います。本当はアクサも引き離せれば良いのでしょうが……流石に、それは難しいですね」  事情を理解しているのか、リュースの言葉に間違った所はなかった。それを認めたトラスティは、「この後暇はあるかな?」と問い掛けた。 「それは、個人的にと言うことですか? ご覧の通り、私は金髪碧眼ではありませんよ」  水色の髪に手を当てたリュースに、「何を今更」とトラスティは笑った。 「別に、大したことだとは思っていないよ。それに金髪碧眼は、アリッサが居てくれればそれでいいからね。何しろ単なる金髪碧眼は、最近食傷気味なんだ」  食傷気味と言われ、リュースは「ああ」と大きく頷いた。何しろすぐ近くにも、金髪碧眼のお姫様が立っていたのだ。 「なにか、理解できた気がしますね。でも、どうして私を誘ってくれるんですか?」 「魅力的な女の子に声をかけるのに、理由は必要ないと思うんだ」 「そう言う臭い口説き文句を言われるとは想像していませんでした」  そう言って笑ったリュースは、「喜んで」とトラスティに答えた。  そんな話をしている間に、時間停止状態解除の準備は次々と進められていった。正確に言うのなら、周辺環境を整えると言うのが正しいのだろう。ここまで牽引してきた構造物が撤去され、ローエングリンの周りがクリアにされていったのだ。そして偶発事故を避けるため、逆に物理的防御シールドが周囲に展開されていった。 「でも、あの状態からよくアクサを復活できましたね」 「それなりに、奇跡とか言うものをいくつか起こしたからね。ただ、誰かに仕組まれたような気がしてならないんだけよ。とは言え、君が保存措置を取ってくれなければ間に合わなかったのは確かだ。冷静な判断は、さすがは近衛だと感心させてもらったぐらいだ」 「トラスティ様に褒められると、なにか気持ちがいいですね」  そう言って笑ったリュースは、「もっと褒めて」とおねだりをしてきた。それを可愛いなと感じて褒めようとしたのだが、「お邪魔します」とアルテッツァが割り込んできた。 「いちゃいちゃするのは、仕事が終わってからにしてくれませんか。それからトラスティ様、有能な近衛の人材を引き抜こうとしないでください。今回の功績で、リュースは分隊長に昇格することが決まっているんです」 「僕としては、本人の希望を優先するだけだよ。彼女が望めば、ジェイドに居場所を作ってあげるつもりだ。ライラ皇帝の頼みを聞いてあげたんだ。今度は、僕から要求してもいいとは思わないかい?」 「そうやって、人の弱みにつけ込みますか……」  はあっと息を吐いたアルテッツァは、「用意が出来たようです」と真面目な顔をした。 「ライラ様のためにも、一秒でも早くノブハル様を時間の枷から解き放ってください」  そこで首を巡らせたトラスティは、心配そうにしている少女達の方を見た。 「その前に、彼女達を安心させてあげようと思っているよ」  ライラよりエリーゼ達を優先したトラスティは、「兄さん」とスタークと一緒に居るカイトに声を掛けた。それに頷いたカイトは、「ザリア」と己のサーヴァントを呼び出した。  カイトに呼び出されたのは、黒い髪と紫色の瞳をした気品の高さと美しさを示した女性である。それがカイトのサーヴァント、ザリアである。日頃奇抜な格好をするザリアなのだが、今日は首の詰まった紺のドレスのようなものを身に着けていた。彼女の姿を確認したトラスティは、二人のサーヴァントを呼び出した。 「コスモクロア、アクサ」  その呼びかけに応えるように、黒髪に緑色の瞳をした絶世の美女が現れた。ザリアに合わせたのか、首の詰まったエメラルドグリーンのドレスのようなものを身に着けていた。そのデバイスこそが、特別なデバイスの一体、トラスティのサーヴァントコスモクロアである。  そしてもう一体現れたのは、レデュッシュと言われる赤い髪と青い瞳をした女性である。その女性は、成熟と未熟の境目にある、絶妙なバランスを持った美しい姿をしていた。二人に合わせたように、髪の色をもっと鮮やかにした、首の詰まった真紅のドレスに身を包んでいた。 「アクサ、時間停止状態の解除を任せていいかな?」 「そうね、私が指図するのが一番良いんでしょうね」  そこで顔を見られたザリアとコスモクロアは、アクサに向かって小さく頷いてみせた。 「ザリアとコスモクロアも認めてくれたわ」 「だったら、ローエングリンの時間を戻してあげてくれ」  良いねと言って、トラスティはアクサの腰を抱き寄せた。そしてアクサも、それが自然のことのようにトラスティの首に両手を回して唇を重ねてきた。それに合わせて、左手に嵌められた指輪が赤く光った。 「私達3人が力を合わせれば、すぐに時間は動き出すと思う」  恥ずかしそうに俯いてから、アクサはその姿をトラスティの前から消した。だがアクサが消えたのに、ザリアとコスモクロアはその場から動いていなかった。 「……アクサは行ったんだけどな?」  そう声を掛けたトラスティに、「不公平だな」と嘯きザリアはトラスティの前に転移してきた。顔を上向き加減にされて目を閉じられれば、何を求められているのかは一目瞭然だろう。ここでご機嫌を損ねてはいけないと、トラスティはザリアを抱き寄せ唇を重ねた。ただアクサの時のように、ザリアの指輪に変化は現れなかった。 「頼めるかな?」  そこでトラスティの視線を追ったザリアは、「そうだな」と口元を歪めてコスモクロアの隣に現れた。そしてコスモクロアの肩を叩いてから、二人揃ってその場から消失した。その前に「私は?」と言う声が聞こえたが、それに対する答えは誰からも与えられなかった。 「あー、そろそろ始まるから」  周りを見ると、全員が全員自分の方を見てくれていた。しかも、どう見ても冷たい視線を向けられているとしか思えない。リュースの視線まで冷たいのは、それだけ周りから顰蹙を買ったと言うことだろう。 「どうやってアクサを救ったのかと思ったのですが……なるほど、そう言うことですか。私の責任が重大だと言うことですね」 「それは、どう言う意味だと思えば良いのかな……」  目元を引きつらせたトラスティに、「この後じっくり教えて差し上げます」と言うのがリュースの答えだった。  その頃3体のデバイスは、ローエングリンの前に転移をしていた。自分に遅れて現れた2体に、「早かったわね」とアクサは笑った。 「ザリアが、私の邪魔をしたからです」 「流石に、最後のモラルは残っていたと言うことだろう。残念だったな」  そう言って笑ったザリアは、転移をしてローエングリンの向こう側へと移動した。 「本当に、自分の倫理観が恨めしくて仕方がありません」  恨めしそうにアクサを見てから、コスモクロアもまた存在位置を変えた。その場所は、3体で作られる三角形の真ん中にローエングリンを置くものになっていた。 「もう、封印自体意味のないものになっているけど」  左手に輝く指輪を見たアクサは、1千ヤー前に離別した夫の顔を思い出していた。 「少し非常識な世界に足を踏み入れているけど、あなたの子供は十分に常識的よ。そして自分の能力のすべてを使って、新し時代を切り開こうとしているわ。あなたの望んだ、人の力による革新が間もなく実現することになるわね」  そう口にしてから、アクサは両手を大きく両側に開いた。それに合わせて、アクサの体を包むように黄色い光が広がっていった。そして三角形の別の頂点では、それぞれ緑と赤の光が広がっていた。  それが十分に広がった所で、アクサの所に緑色と赤色の光が吸い寄せられていった。3色が溶け合い白い光が作られた所で、アクサはゆっくりと右手でローエングリンを指差した。 「この世界に戻ってらっしゃい」  その言葉に従うように、大きく広がった白い光はローエングリンを包み込んだ。白い光は、まるでダンスでも踊っているかのように大きく脈動してから唐突に消滅した。 「アルテッツァ、ローエングリンの時間が戻ったことを伝えてくれる?」 「たった今、トラスティ様にはお伝えしました」  アクサの前に現れたアルテッツァは、「お帰りなさい」と頭を下げた。 「あなたを、なんとお呼びすれば宜しいですか?」 「今の私は、アクサ以外の何者でもないわ。そしてこれからも、私はアクサとしてここに居る……」 「では、アクサ様と呼ばせていただきます」  もう一度頭を下げたアルテッツァに、「それは必要ない」とアクサは返した。 「あなたと私達の違いは、実体があるかどうかだけの違いでしか無いわ。それからそんな呼び方を、ノブハルの前ではしないように」  ねえと呼びかけた先には、ザリアとコスモクロアが揃っていた。ただ通常のときとは違い、ザリアはまるで子供のような姿をしていた。 「うむ、我もザリアであってもラズライティシアでは無いからな」 「その意味で言えば、私もコスモクロア以外の何物でもありませんね」  二人の言葉を聞いたアクサは、「そう言うこと」とアルテッツァに答えた。 「ところで、あなたの封印を解いてあげた方が良いかしら?」 「その必要性は薄いと思います。別に私も、あの方のことを忘れている訳ではありませんからね。トラスティ様のためにも、謎解きは残しておいた方が良いと思いますよ」  その方が努力をされますしと、アルテッツァはトラスティにしてみれば勘弁して欲しいことを口にした。 「確かにその通りね。それで、ローエングリンとの通信は回復しているのかしら?」 「これまでの経緯が、センター・ステーションから送られているようです。もう不測の事態は起きませんから、それぞれの主の所に戻られても宜しいかと思います」 「だったら私は、ノブハルの所に戻るわ」  それじゃあと手を振って、アクサはローエングリンの中へと消えていった。そしてそれを確認したザリアとコスモクロアも、顔を見合わせてからセンター・ステーションへと戻っていった。アリスカンダル船団の攻撃で始まったこの事件も、とりあえず一つの決着を迎えたのである。まだ積み残した問題はあるのだが、それを考えるのは連邦の仕事となるのだろう。  ノブハルがセンター・ステーションに現れたのは、時間の凍結解除が行われた3時間後のことだった。アリスカンダルの船団と遭遇して、実に6日後のことだった。 「さて、感動の対面の前に済ませておくことがあるんだ」  そう言ってノブハルの前に立ったトラスティは、いきなり拳骨でその顔を殴り飛ばした。予想外のことに対処できなかったノブハルは、足をもつれさせてその場に倒れ込んだ。 「今回ばかりは、めでたしめでたしで終わるわけにはいかないんだ」  殴った右手を振りながら、トラスティはどうしてと言う顔をしたノブハルと向かい合った。 「訳が分からないと言う顔をしているね。だけど君は、自分がしたことをじっくりと考えてみないといけないんだ。そうしないと、君は大切な人たちを失うことになる」 「そうならないように、俺はアクサにローエングリンの時間を止めさせたんだっ!」  自分は最善の選択をしたのだと。そう主張したノブハルを前に、トラスティは「兄さん」と声を掛けた。暴力ごとは苦手なので、今度はカイトに任せようと言うのである。  だがカイトがノブハルの前に立った所で、「そこまでにしてくれるかしら」とアクサが立ち塞がった。 「あの人だったら見逃したけど、あなただとノブハルが死んじゃうからだめ」 「それぐらいの手加減ぐらいは出来るつもりだぞ」  そう苦笑したカイトは、軽く右手を振ってみせた。たったそれだけのことで、ノブハルの体が床の上を吹き飛ばされた。デバイスですら防ぎきれない、カイトの実力が示されたのである。 「なんなんだっ!」  大声を上げたノブハルに、「君の知らない事実だ」とトラスティは冷たい目をして言った。 「君達を襲ったのは、遠くターコイズ銀河から来たアリスカンダル星系の者達だった。そしてアリスカンダルは、かつてターコイズ銀河の一部を支配していたそうだ。ただ今は衰退し、ヒューマノイド種は少数種になっているそうだよ。それが我慢ならないと武装蜂起し、鎮圧されて逃げ出してディアミズレ銀河に来たんだ。そこで星系一つを強奪し、ゆくゆくはディアミズレ銀河を支配するつもりだったようだね。そして戦力を整え、再度ターコイズ銀河に進攻することを目的としていたそうだよ。動機や目的はあまり褒められたことではないが、だからと言って乗組員を含めて皆殺しをされるほどのことでは無いのだろうね。だけど君が襲われ消息不明になったことで、ライラ皇帝はメルクカッツ准将に皆殺しを指示した。そして命令を受けたメルクカッツ准将は、今から2日前にアリスカンダル艦隊を殲滅したよ。およそ20万の命が、この宇宙で散らされたことになるんだ」 「侵略しに来たんだったら、返り討ちに遭ってもおかしくないだろう!」  自業自得だと言い返したノブハルに、「確かに自業自得だね」とトラスティは答えた。 「君がソリンケン艦長の進言に従いアクサと逃げていたら、局面はもっと違うものになっていたんだ。君さえ無事だったら、ライラ皇帝も皆殺しを命じはしなかった。ソリトン砲……艦首の大口径砲と甲板に配置された主砲を無効化し、拿捕することも可能だったんだよ。だが君が害されたと言う事実で、クサンティン元帥もライラ皇帝を止めることができなくなってしまった。そして君が助けたと思っているローエングリンにしても、君がアクサと出たことで作戦の選択肢を奪われてしまったんだよ。包囲網から脱出する程度なら、ショートジャンプで事足りていたんだ。そして今回の不始末で、ソリンケン大佐はこれまで築き上げてきた地位を失うことになった。アルテッツァが言うには、2階級の降格処分と言うことだ」 「そんな処分、俺が取り消させるっ!」  思わず叫んだノブハルに、トラスティははっきりとため息を吐いた。そしてトラスティの目配せを受けたカイトは、もう一度軽く手を振ってノブハルを吹き飛ばした。 「彼は、君を守りきれなかったと言う不始末を犯したんだ。だから、処分を受けるのは当たり前のことなんだよ。彼もアクサも、君を殴り飛ばしてでも脱出させなければいけなかった。それをしなかったから、彼は降格処分を受けることになった。そして彼も、それを当然のこととして受け止めているんだよ。そしてアクサも、ローエングリンの時間停止なんてことをしたから、エネルギーが枯渇して消滅してしまった」 「ちょっと待てっ! アクサは消滅していないぞ!」  嘘を吐くなと叫んだノブハルに、トラスティは「アクサ」と呼びかけた。それに応えるように、アクサはトラスティの隣にくっつくように並んだ。ただその距離は、事件以前とは明らかに変わっていた。 「アクサが、以前と変わっていることに気づいていないのかな?」 「アクサが、以前と変わってる?」  そんなと驚き、ノブハルはまじまじとアクサを見た。 「年齢が上がっている?」  指摘された事実に気づき、ノブハルは「そんなことが」ともう一度驚いた。 「ローエングリンの時間停止なんて、普通のデバイスが出来ることじゃない。そして特別なデバイスでも、簡単なことじゃないんだよ。莫大なエネルギーを絞り出した結果、アクサはデバイスとして存在を保つことができなくなってしまったんだよ。もしもリュースさんが、アクサの機能停止措置をして確保してくれなければ、とっくの昔にアクサはナノ粒子に分解されて消滅していただろうね。それでもシルバニア艦隊に収容された時には、すでに体の半分以上が消滅していたんだ。そこで時間遅延措置で時間を稼いでから、今度はライスフィールが魔法で時間を遅延させてここまで運んできてくれた。そして僕が、ミラクルブラッドとカムイのエネルギーを使って崩壊を食い止め再構成したのが今のアクサだ」  正確に言うと、もっと違う現象が起きているのだが、敢えてトラスティはそのことを説明しなかった。 「そしてアクサが復活したことで、ローエングリンの時間停止状態を解除することが出来たんだ。それが、この事件の顛末と言うことだ。後はアルテッツァにでも、何が起きたのか教えて貰えばいい」  そこでシュンスケの顔を見たトラスティは、「後は任せます」と頭を下げて部屋を出ていった。そんなトラスティを追いかけるように、スタークやカイト、ライスフィールにグリューエルが部屋を出ていった。  頭を下げて5人を見送った所で、「馬鹿野郎」と言ってシュンスケはノブハルを抱きしめた。 「父さん、俺は……俺のせいで」 「今は何も言わなくていい。トラスティさんはああ言ったが、俺はお前が間違ったことをしたとは思っていない。ただ、もう少し周りの意見を聞く耳を持って欲しいと思っているだけだ。俺は、お前が無事に帰ってきてくれただけで十分だっ」  抱きしめた腕に力を込めたシュンスケに、ノブハルも応えるように体に腕を回した。そんな二人に近づき、フミカもノブハルに抱きついた。  しばらく3人で抱き合っていたのだが、「ここまでだな」とシュンスケは妻に促して息子から離れた。 「お前はエリーゼさん達に心配をかけたことを謝らないといけないぞ」  涙を流しているエリーゼとトウカを見て、ノブハルは小さく頷いた。こんなにも自分のことを心配してくれる人が居てくれるのだと感動していた。  ゆっくりと二人の所に歩いていこうとした時、もう一人の女性が空間を超えて現れた。白いワンピースを着た白の少女、シルバニア帝国皇帝ライラである。一瞬ホログラムかと思ったノブハルだったが、抱きつかれて彼女が実体だと言うことに気がついた。泣きながらしがみついてくる少女に、「すまなかった」とノブハルは謝ってその体を抱きしめた。少し出遅れたエリーゼとトウカも、ライラごとノブハルに抱きついてきた。 「君はいいのかい?」  同じように涙を浮かべている恋人に、ナギサはその肩を抱き寄せた。 「私は、お兄ちゃんの妹だから……」  だからこれでいいのだと、リンはナギサの胸に頭を預けて涙を流した。 「あなたも、一緒に抱きついてきなさい」  そしてもう一人輪に入れないで居たセントリアを、リュースはその背中を押した。 「だけど……ライラ様が」  たとえ遊撃隊でも、自分には近衛と言う立場がある。そしてその立場がある以上、皇帝と同じことをする訳にはいかないと言うのである。だがリュースは、そんなセントリアの主張をあっさり否定した。 「あなたは、もう近衛の遊撃隊じゃないのよ。私が不適格と判断したから、遊撃隊の資格を取り上げられたわ。だからあなたは、ただのセントリアとしてノブハル様と一緒に居なさい」 「私、首になったの!?」  そんなと驚くセントリアに、「当たり前でしょう」とリュースは言い返した。 「私の訓練について来られなくて、ノブハル様に助けてって言ったんでしょ。その時点で、遊撃隊でも近衛としては失格なのよ。だから機人装備は取り上げたし、ライラ様に気を使う必要も無くなったの」  だから混じってこいと、リュースはセントリアを押し出した。かなりショックなことを言われたのだが、今はその問題を後回しにすることにした。恐る恐る近づいたセントリアは、一番外から抱きついていった。 「でも、こんなことをして良かったんですか?」  いつの間にか隣に現れたトラスティに、リュースはライラのことを持ち出した。同じ銀河でも問題になるのに、なんの手続きもなく皇帝を遠く離れた銀河まで連れ出したのだ。よくも近衛が騒がないものだと感心していたのである。 「とりあえず、リンディアには後始末を頼んであるよ。そしてニルバールには……兄さんに脅しを掛けて貰った。まあ、インペレーターの中に居て、危険な目に遭うことは無いはずだからね。それにここには、分隊長の君も居る。安全と言う意味なら、皇都に引けをとらないと思うよ」 「コスモクロアとニュー・アクサも居ますからね」  うんと頷いたリュースは、「似合わないことをしましたね」とトラスティを見て笑った。 「まるで、父親のようなことをしていましたよ」 「そんなふうに見えたのかな? 僕とノブハル君では、ほとんど年齢に差がないのに」  困ったものだと零すトラスティに、「でも」とリュースは俯いた。 「ちょっと素敵だなって思いました」 「ちょっと、なのかい?」  眉をヘの字にしたトラスティに、「ファザコンは無いので」とリュースは笑った。 「だけど、ライラ様まで連れてきてしまって……この後どうなさるつもりですか?」 「このまま、彼女だけをシルバニアに連れ戻すのは可哀想なんだろうね」  少しだけ考えたトラスティは、「なるようになるさ」と無責任な言葉を吐き出した。 「まあ、エルマーなら危険は無いのでしょうね」  アオヤマ家を思い出したリュースは、優しい瞳でライラを見た。 「ライラ様にも、これぐらいのご褒美があってもいいですよね」 「お預けするのは、可哀想だと思うよ……たぶんね」  リュースの言葉を認めたトラスティは、「頼んだよ」と隣に現れたアクサに声を掛けた。 「僕達の息子を、そばで見守ってあげてくれないか」  その頼みに、アクサはしっかりと頷いてから姿を消した。  アリスカンダル船団の襲撃から始まった一つの事件が、多くの命を奪ったのは確かだろう。ただ、こうして二番目の区切りを迎えたのもまた確かなことだった。  連邦軍に保護されたトリネアとモルドは、世話係となったアリファールとミランダの二人に、アリスカンダルの者達の結末を知らされた。使者として派遣された以上、知らせておくべきと上層部が判断したのである。 「サンダー大王、サーシャ王女、そして技術担当のワカシ以外は全員死んだのですか……」  彼らの行動は褒められたものではないが、かと言って全滅させられるほどだとはトリネアは思っていなかった。だが結末は、100隻の艦すべてが破壊され、乗員も3人を残して死んだと言うのである。愚か者と貶しては居るが、トリネアの中には彼らに対して同情も感じていた。その背景には、ヒューマノイド種にとってのヨモツ銀河の住みにくさがあった。 「ああ、彼らはよりにもよって、一番手を出してはいけない相手に手を出してしまったんだ。彼らが攻撃したローエングリンには、シルバニア帝国皇帝の夫君が乗られていた。それを彼らは、100隻で取り囲んで攻撃してくれた。だからシルバニア帝国は、報復行動として彼らを殲滅した。ただ100隻と20万と言う数が残酷に見せているかもしれないが、1隻と500ならいいと言うものではないのを忘れてほしくない」 「それは、確かに仰るとおりです……先に手を出した以上、報いを受けるのは仕方がないのかもしれませんが……」  落ち込んだ表情を見せたトリネアに、「君が悪い訳じゃない」とアリファールは慰めた。 「ヨモツ連邦がもう少し早く手を打っていれば、結果は違うものになっていたかもしれない。ソリトン砲だったか、その対処方法も変わってくるから全艦撃破までしなくても済んだ可能性もある。だが君達を送り出した者は、そこまで深い考えがあった訳ではないだろう。我々の分析では、ただのアリバイ作りではないかと言うのが有力だ。その証拠に、使者として送られてきたにも関わらず、君達はあまりにも準備不足だった」 「私達が、準備不足だったことは否定いたしません」  結局必要な言語分析にしても、プロキオン銀河側でしてくれたのだ。どう言い訳をしようと、準備不足であるのは間違いなかった。しかも出発まで1ヶ月の間があったにも関わらず、その間に行われたのは派遣される人選と実験船の整備だけである。 「分析班は、想定外にアリスカンダルの者達が早く辿り着いたのだろうと言っていた。ただそうなると、君達はなんの為に200万光年の距離を超えさせられたのかと言うことになる。酷い話、ただの思いつきで派遣されたのではと言う分析もあるぐらいだ」 「その辺りのことは、私達も感じていたことです」  そこで顔を見られたモルドは、頷くことで同意を示した。 「その意味で、我々は君達に同情的と言うことなんだが……」  そこでミランダの顔を見たアリファールは、トリネアとモルドに別のヒアリングがあることを教えた。 「ヒアリング、でしょうか?」  すでに、こちらに来た事情の聞き取りは行われていた。それを考えると、今更ヒアリングを予告されるのも不思議に思えてしまったのだ。  そんなトリネアに、違う目的だとアリファールは答えた。 「連邦の役人が来て、君達の意向調査をすると言うことだ。理由のいかんに関係なく、君達はヨモツ銀河……だったか、そこから使者として派遣されている。だとしたら、我々も正式な外交使節と扱う必要があることになるんだ。聞いている話だと、こちらに残って外交活動を行うのか、さもなければ役目を果たしたと言うことでヨモツ銀河に戻るのか、と言う意向を調査すると言うことだ」 「確かに、外交と考えれば必要な確認かと思います……ですが、私達が外交使節として残ると言うのは、そのような役目を担っていないので否定できるのかと。結局、ヨモツ連邦の決定を確認する必要があるのかと思います。ただ亜空間を用いた超高速通信でも、片道1ヶ月程度の時間が掛かってしまいます」  なるほどと頷いたアリファールは、「上申する」とトリネアに答えた。今の話の通りなら、彼女達は一度自分達の船に戻る必要がある。ただ安全を考えた場合、慎重な判断が必要となってくるのだ。  そのためには、必要な手続きを上申する必要があったのだ。そしてその考えは、トリネアにも理解できるものだった。そのお陰で、トリネアは安堵を感じていたりした。遠く離れた銀河に来たのに、共通した考え方に出会えたからである。むしろヨモツ銀河の中の方が、考え方に違和感を覚えることが多いぐらいだ。 「ところで、一つ質問をして宜しいでしょうか?」  そう切り出したトリネアに、「内容による」とアリファールは答えた。 「アリスカンダルから、3名生き残ったと教えていただいたと思います。こちらは、その3名をどうなさるおつもりですか?」  彼女の任務に関わることだと考えれば、疑問を感じるのも不思議な事ではない。なるほどと頷いたアリファールは、「未定だ」と現時点での状況を教えた。 「未定?」 「ヒアリングが終わっていないと言うのがその理由だ。彼らが政治的亡命を求めた場合、それを受け入れる可能性もある。一方でヨモツ連邦から引き渡し要求がなされた場合、人道的見地で判断することになるのだろう。ただ引き渡しをすることで過剰な刑が執行される恐れがあれば、政治亡命として受け入れると言う判断がなされる可能性もある」  その考え方もまた、トリネアの理解を超えたものではなかった。ただそうなると、20万の死者が出たことの方が不思議に思えてしまった。  これだけまともな考え方をしているにも関わらず、現実では20万の死者を出していたのだ。それを考えると、よほどアリスカンダルの者達は「触れてはいけない者」の逆鱗に触れてしまったのだろう。ただそんな存在が居ることに、トリネアは世界の違いを感じてしまった。 「先ほど、一番手を出してはいけない相手と仰りましたが、こちらの世界ではそのような禁忌があると言うことですか?」  これから判断を仰ぐためには、こちら側の考え方を可能な限り理解しておく必要がある。その意味で質問したトリネアに、「法体系の問題だ」とアリファールは説明した。 「かなりの法が性善説で形作られている。従って、よほどのことがない限り交戦権は制限されない事になっているんだ。今回アリスカンダルの者達は、ただ近くを通りがかっただけ……数光年先にいたローエングリンに対して自ら接近し攻撃を行った。そしてローエングリンが破壊できなとなると、拿捕して引き回している。自国艦船への攻撃によって、シルバニア帝国は交戦権を行使する理由を得たんだ。ローエングリンの奪還並びに報復措置と言うのが、シルバニア帝国から交戦権が申請された理由だ。もしも連邦軍が肩代わりをしていたら、武装解除を目的とした作戦になっていただろう」 「報復……ですか」 「帝国皇帝の夫君が攻撃されたのだ。帝国としても、報復しないと言う選択肢はありえないことになる。ソリトン砲だったか、20隻の船からの集中攻撃が行われたのだ。明らかに威嚇ではなく、夫君の抹殺を意図したものと捉えることが出来る。しかも武装解除をして降伏したのならいざしらず、アリスカンダル艦隊は徹底抗戦を選択している。だとしたら、この結果はなるべくしてなったと言わざるをえないだろう」  アリファールの説明は、確かに説得力のあるものに違いない。そこで違和感を覚えたとしても、ここはプロキオン銀河の支配権の中なのだ。そこに土足で踏み込み攻撃を行った以上、プロキオン銀河の法が適用されるのは当たり前のことだった。それぐらいのことは、トリネアも理解したつもりになっていた。 「従って、正確に言うのなら禁忌ではなく喧嘩を売った相手が悪かったと言うことだ。ただ忘れてもらっては困るのだが、アリスカンダル艦隊の向かった先の星系には、彼らに対抗する戦力は無かったんだ。そこで彼らは、住民の虐殺を計画していたことが分かっている。君はアリスカンダル艦隊を全滅させたことに拘っているようだが、我々は当然の措置を行っただけだと思っている。それを許せないと思うのなら、恐らく君達と相容れることはないだろう。そもそも騒ぎの元を持ち込んだのは、ヨモツ銀河側だと言うことを忘れて欲しくない。こちらの30億の命とアリスカンダル20万の命の選択を我々はしただけだ」  明らかに言い過ぎたアリファールなのだが、ミランダは止めようとはしなかった。確かに言い過ぎではあったが、アリファールの言葉を認めていたのだ。そして目の前のことだけに拘るトリネアに対して、苛つく物も感じていた。観察した範囲で、この王女様は綺麗事しか口にしていなかったのだ。 「仰ることは理解できます。ただ私は、それでも彼ら20万が死ななければならなかったのかが分からないだけです。そしてそれを不思議に思わないあなた達の考え方にも違和感を覚えています」  なんとか紡ぎ出されたトリネアの言葉に、なるほどとアリファールは頷いてみせた。 「ならば、あなたはどうせよと仰るのです? そしてそれは、実現することが出来るものですか? 言葉も通じずいきなり攻撃しくる相手を、どのように無力化すればよいのでしょう。そしてそのために、我々はどれだけの犠牲を出せばよいのでしょうか。そこまで考えてのお言葉であれば、私も素直に耳を傾けます。トリネア王女、私の疑問への答えをいただけるでしょうか?」  アリファールの言葉は丁寧になったのだが、逆に突き放したような響きを持つことになった。アリファールを怒らせたことを理解したトリネアは、「申し訳ありません」と謝罪の言葉を口にした。  ただ意味のない謝罪は、問題を解決するのに役にも立つことはない。謝罪を受けたアリファールは、その意味を確認したのである。 「王女の謝罪は、一体何に対する謝罪なのでしょうか?」 「あなたを、怒らせるようなことを尋ねたことへの謝罪です」 「私の疑問へのお答えは無いと言うのですね」 「申し訳ありません。私は、軍のことは良く分からないのです」  トリネアがその答えを口にした時、ミランダがアリファールの肩を叩いた。大声をあげようとしていたアリファールは、お陰で政治問題化の危機を免れることとなった。 「悪いな」  冷静になったアリファールは、ミランダに謝った。そんなアリファールに、「気持ちは理解できる」とミランダは返した。そして今度は、ミランダがトリネアに向き合った。 「つまり、あなたは自分ではできもしない、そしてどうしたらいいのか分からないことで、私達を貶めていたと言うことですね。こう言っては悪いのですが、ヨモツ銀河でヒューマノイド種が尊重されていない理由が分かった気がします。そしてあなたを送り出したことで、ヨモツ銀河連邦の見識も理解できた気がします」 「あなた方を貶めるような意図はありません。それだけは、ご理解いただきたいのですが……」  俯いたトリネアに、「そうですか」とミランダはとてもフラットな声で答えた。 「その方が、もっとたちが悪いと言うことを理解された方が良いですね」  そこまで答えたミランダは、「ご案内します」とトリネアに頭を下げた。 「ヒアリングは、船内時間で20時間後に実施されます。それまでは、お部屋でお待ち下さい」 「お手数をおかけすることをお詫びいたします」  立ち上がったトリネアは、一度だけモルドの方へと目配せをした。そして彼女が頷くのを確認して、ミランダの後に付いてヒアリングの部屋を出ていった。それを見送ったアリファールは、「記録せよ」とAIに命じた。 「ここまでのヒアリングに対する所感だ。気分が悪くなった……それが相手をした小官のコメントとなる」  記録終了と口にしてすぐ、「本当に気分が悪い」とアリファールは吐き出した。  200万光年離れた銀河との接触は、直ちに超銀河連邦幹事会の議題とされた。そしてそこには、アドバイザーとして連邦軍からはクサンティン元帥が招かれ、IGPOからは長官であるゼニーが招かれていた。 「得られたデーターからの分析ですが」  話の口火を切ったのは、黒い肌をした少し神経質そうに見えるマリタと言う女性である。現時点での彼女は、代表理事補佐と言う役目を持っていた。 「彼らがヨモツ銀河と称する銀河は、およそ20万光年の広がりを持っています。大きさとしてなら、ディアミズレ銀河の8倍と言う所でしょう。亜空間バブルを用いたワープと呼ばれる方法を使い、最大速度で光速の2万倍の移動速度に達していると言うことです。従って、ヨモツ銀河内での移動は、端から端まで10年程度掛かることになります。そこから推測されるのは、星系間の結びつきが極めて弱い連邦と言うことでしょうか。ただその問題への解決策として、より進んだトランスワープ技術が開発の途にあったようです。今回使用された船には、最新の技術が投入され、光速の480万倍まで速度が挙げられるようになったとのことです。ただし全長1kmの船なのですが、ペイロードの殆どを動力機関が占めているようです。従って、実用化はまだ先になると思われます」  そこまで説明したマリタは、「次に」とヨモツ銀河の住人に触れた。 「我々の銀河に比べ、構成する種は多岐にわたっています。こちらでは代表的なヒューマノイド種ですが、ヨモツ銀河では2%程度の少数種となっています。有人星系数はおよそ50万だと考えれば、およそ1万がヒューマノイド種と言うことになります。検査をした範囲では、アリスカンダル、コウバコ両星系とも、こちらのヒューマノイド種と同じ体の機能を持っています」  超銀河連邦が1万もの銀河で構成されていることを考えれば、その程度のことは今更驚くほどのことではないはずだった。ただそれでも、今まで付き合いのなかった銀河に、同じタイプの人間が居るというのは不思議な事に違いない。集まった理事達がどよめいたのも、特に不思議なことではなかったのだ。 「そしてヒアリングを行った者の所感では、当たり前ですが考え方の違いが顕著になっています。派遣された王女を、お花畑の世間知らずと酷評しています。どうやら、綺麗事しか言わないお姫様に我慢できなくなったようですね。ヒアリングの映像を見ると、かなり実施した二人が苛ついているのを見て取ることが出来ました。はっきり言って、重要な役目を担う能力に欠けた者が派遣されてきたようです」 「よろしいですか?」  そこで意見を求めたのは、パッパジョンと言うジンサイト星系から派遣された代表だった。ヒューマノイド種の多い連邦には珍しい、パッパジョンはインセクトタイプの姿をしていた。もう少し正確に言うのなら、擬人化されたカブトムシと言う所だろう。体格は2mを超えた、存在感バリバリの男である。それなりに齢を重ねているのだろうが、パット見では年齢が分からなかった。 「能力のない者を派遣した理由の推測は出来ているのでしょうか? まともに考えれば、これまで交流のない相手への派遣ともなれば、一大イベントのはずです。人選は慎重に行われ、能力のある者を派遣すると言うのが我々の常識かと思いますが」  あまりにも当たり前すぎる疑問に、マリタは大きく、そしてしっかりと頷いた。 「当然抱かれる疑問かと思います。そして分析班は、お答えとして「アリバイ作り」と言う物を提示しております」 「アリバイ作り、ですか……」  それはそれはと、パッパジョンは大きな体を揺すった。 「ええ、アリバイ作りです。その意味では、ディアミズレ銀河との関係を考慮したとも言えるのですが……その方法は、あまりにも杜撰すぎると言っていいでしょう。トリネア王女が派遣された経緯を見ると、あちらの連邦内部でババを押し付けあったのは明らかです。保有していた情報は、アリスカンダル船が使用している技術情報程度でした。敵の攻撃が、いずれも光速に対して十分に遅いと言うのは有益な情報ではあるのですが。戦い自体は、そんなものに頼らず終わってしまいました」 「その、戦いなんですが……」  共有されたヒアリング資料を読みながら、ナビロイ星系代表のクリスタが発言を求めた。髪も肌も白く、瞳も銀色と言う特徴を持った女性である。纏っている服も、体にピッタリとした薄いベージュのワンピースと、ほとんど白ずくめになっていた。 「アリスカンダル船を殲滅したことが問題になるとは考えられませんか? 流石に、生存者3、死者20万と言うのは、やりすぎの感があります」  その指摘に、マリタは小さく首肯した。 「その懸念は理解できます。ですがシルバニア帝国は、正当な報復を行っただけとも言えます。また潜入したシルバニア帝国近衛の情報より、取り逃がせば別の問題を起こすのも分かっております。そもそも簡単に取り押さえられるのなら、そちらでやれと言うのが私達の立場かと思います。あれがローエングリンでなければ、ディアミズレ銀河で大勢の人が亡くなっていたのですからね。スフィア星系など、虐殺の危機にあったぐらいです。20万の死者を持ち出すのなら、責任転嫁をするなとこちらは主張するだけかと思います」 「仰ることは理解できますが……あちらの考え方が分からない所に問題があるのかと。使者として送られてきた王女と同じ考え方をしていたら、相手にするのが面倒に思えてしまいます。むしろアリスカンダルの者の方が、素直な考え方をしているように思えます」  ほっとため息を吐いたクリスタに、「分かります」とマリタは理解を示した。 「その面倒なことが、本日の主題ですからね。その意味で言えば、使者など送ってきて欲しくなかったと言う所でしょう。これで私達は、ヨモツ銀河との関係を考えなければならなくなりました。そこでどうすべきか、皆様のご意見を伺いたいと思っています。そして今回の件で、近傍銀河との関係が無視できなくなりました。他の銀河で同じ事件が起きる可能性を否定できなくなってしまったのです。その対処もまた、方針を示す必要が出てしまいました」  マリタの言葉に、集まった理事達はううむと唸り声を挙げてしまった。ディアミズレ銀河の問題も厄介だが、それ以上に厄介なのは他の銀河も無視できないと言うことだ。その面倒さに比べれば、ディアミズレ銀河の問題は、相手が分かっている分だけ軽いと言う事もできた。加盟1万の銀河すべてと言うのは、対策を取るにしても膨大すぎたのだ。  どうしてこうなるのだと、理事達が頭を悩ますのも無理のないことだった。ただいつまでも、唸ってばかりでは済まされない問題でもある。 「クサンティン元帥。外銀河対策になにか妙案はありますでしょうか?」  外的驚異への対応だと考えると、連邦軍にお鉢が回るのは無理のないことだろう。それぐらいは理解できるが、同時に難しい問題でもある。何しろ、カバーすべき範囲が広すぎたのだ。技術的問題以前に、間違いなく費用面の問題が立ち塞がってくれることになる。 「現時点での対応は、探査プローブをばらまく程度しかありませんな。それにした所で、プローブに引っかかってくれればと言う条件が付きます。カバーすべきエリアの広さを考えると、連邦軍の巡回は現実的ではないかと思われます。それが、消極的対応の限界かと……」 「消極的対応と言うことでしたら、積極的対応と言うものもあるのですよね?」  そちらはと問われ、クサンティンははっきりと口元を引きつらせた。 「こちらから、近傍銀河に乗り込むことです。寝た子を起こすような方法となりますから、できれば取りたくない方法でもありますな。一つ一つの銀河に対して、どれだけの時間と人員を投入することになるのか。今の所、見積もることも出来ないのかと……その場合、軍とは違う組織を実行体にする必要もあります」 「どちらも手間には違いありませんが、有効性を考えた場合は積極的に出た方が良さそうですね。ただ仰る通り、寝た子を起こす可能性もあります。そして各銀河で、対象はおよそ30程度……ですか。つまり、30万もの調査対象があると言うことになります。その全てに有人探査船を送るとなると、仰る通り新しい組織が必要となるのでしょう。確かに、頭が痛い問題には違いありません」  マリタの言葉に、出席した全員が大きく頷いた。 「その場合、組織もそうですが人材の問題も出てきますね」  そう口にしたのは、40代後半の灰色の肌をしたスロウグラスと言う女性である。きつい目付きをした彼女は、マリタと同様に代表理事補佐と言う役割も持っていた。 「連邦宇宙軍も、現時点で手一杯ですからな。確かに、新たに人材を求める必要があるでしょう」 「だとしたら、スモールスタートとする以外に方法はありませんね。外銀河への対応は、急ぐ必要はあるかと思いますが、今日明日のことではないでしょう。体制が整うまでは、受け身の対応をとらざるを得ないのかと」  マリタの発言に、「でしたら」とスロウグラスはヨモツ銀河のことを持ち出した。 「今回のことを、モデルケースとしますか? コンタクトすべき相手が分かっていますから、難易度は比較的低くなっているのかと。使用する艦船の開発も含めて、当初はあり物で対応する方向にすればいいでしょう」 「その場合、ヨモツ銀河との関係はどうされるおつもりですか?」  質問をしたのは、ゾーンターク星系から派遣されたゲスクラートヤと言う男性だった。身体的には、爬虫類的な見た目をしていると言う特徴があった。 「それは、この場で話し合うことだと思っています。一番の問題がディアミズレの安全保障ですから、相互不可侵の確認が取れればいいことにはなるかと思います」 「交流を行うと言う考え方はないのか?」 「その考え方を否定するつもりはありません。ですから、この場での議論が必要と申し上げました。ただ双方の距離が距離ですから、交流と言っても簡単なことではないかと思います。考え方も違うかと思われますので、そのすり合わせにも時間が掛るのではないでしょうか。将来的に交流を選択するにしても、現時点でそこまで踏み込むのは時期尚早かと思われます。とろうと思えば連絡をとることが出来る程度のお付き合いから始めても問題ないかと思いますが?」  いかがですかと問われ、ゲスクラートヤは腕を組んで考え込んだ。関わりが出来た以上、それを無視するというのはありえないことには違いない。ただ積極的に交流を広げていくと言うのは、確かに手間ばかり掛かることになりかねなかったのだ。200万光年を超える時間を考えると、交流一つとっても簡単なことでないのは確かだった。  そしてその事情は、他の理事たちにも共通していた。ミニマムアクセスへの反発は無いが、こちらに居る5人への対処も面倒だったのだ。200万光年の距離は、一言送り返すと言っても難しい問題となっていた。 「一朝一夕に片付く問題だとは思っていませんでしたが」  そこで口を開いたのは、代表理事のサラサーテだった。皺だらけの顔を難しく歪め、全員に継続審議を通達したのである。 「取り敢えず、本日は散開することとします。そして明日、再度議論をしたいと考えておりますが、皆様、異論は無いでしょうか?」  サラサーテの問いに、全員が消極的な同意を示した。これからの連邦運営に大きな影響を及ぼすことは分かってはいた。だからと言って「これ」と言った方策が無かったのだ。理想論はあっても、実現するには壁が高すぎたと言うのも問題を難しくしていた。  そして翌日、各々の準備を済ませて理事達全員が会議に集まった。議題は、前日に引き続きヨモツ銀河への対応と、他の銀河における外銀河への対応である。 「幹事会3星系の意見を先に申し上げます。まず保護している5人についてですが、収監した3人については扱いをヨモツ銀河に問い合わせをします。そこで送還を依頼された場合、どのような方法で送還するかの相談になるでしょう。現在教えられている刑は、懲役10年らしいので、人道的な問題は出ないのかと思われます。はい、アデニール様」  ちょっといいかと発言を求めたのは、エオシス星系から派遣されたアデニールと言う男である。禿頭をした頭頂部がやけに目立つ、赤ら顔をした男だった。 「3人が、政治亡命を求めた場合はどうするのだ?」 「当然考えられることですね」  アデニールの言葉を認めたマリタは、「状況次第です」と答えた。 「そして現実的な回答としては、政治亡命を認めることになるのかと思われます。何しろ彼らの実験船は、乗員2人で目いっぱいですからね。そしてペイロート容量を拡大した船を用意するには、短くない時間が必要になるでしょう。従って、こちらが骨を折らない限り、彼らはディアミズレ銀河で一生を終えることになると思われます」 「その場合の扱いは?」 「とりあえずは隔離環境で、監視付きの生活をおくることになるのかと」  納得のできる答えと言うこともあり、アデニールはそれ以上アリスカンダルの3人に対する扱いにこだわらなかった。そして他に質問が無いこともあり、マリタは使者として送られてきた2人に対するプランを開示することにした。 「コウバコ王家の二人ですが、そのままお帰り願うことになるかと思います。その際、こちらとの通信コードを渡しておこうかと思います。そうすることで、話のできる疎遠な隣人と言う関係を構築することが出来ます」 「昨日あった、調査船を送り込むという話はどうなったのです?」  クサンティンの問いに、「独立した問題だと思います」と言うのがマリタの答えだった。 「調査船を送り込むにしても、その準備に時間が掛かることになります。ですから、使者となられたお二人には、先にお帰り願うと言うことです。その際、こちらのメッセージも携えていっていただこうと思っています」 「妥当な考えと言う所でしょうな」  マリタの考えを認めたクサンティンは、トラスティ達のことを思い出していた。巻き込んだ方が面白いことになるのだが、面倒を起こすには「面白い」と言うのは流石に理由にしてはいけないものだった。そして彼らを巻き込む口実に欠けるのも問題だった。  クサンティンが認めたことで、使者に対する対応も異論は出てこなかった。残る問題は、外銀河探査の実行主体を新しく設立することである。ただこれは、理事会で詳細を決めるような話でないのも確かだ。そのため理事会の下にある行政府が検討を引き取ることでこの場の議論は終息することになった。  2日続きの理事会なのだが、特に議論が活性化されることはなかった。その辺り、幹事会の提案が彼らの常識に沿ったものと言うのが大きかった。  トラスティが連邦の決定を知ったのは、理事会の決定が行われた7日後のことだった。すでにジェイドに戻ったトラスティは、久しぶりにゆっくりとした時間を過ごしていた。  ちなみにライスフィールは、ズミクロン星系の後にジェイドまで来ていた。久しぶりにアリッサに会いたいと言うのに加えて、トラスティに貰った指輪を自慢するためである。そこで散々夫婦仲に波風を立てたライスフィールは、帰り際に「これ」と言って指輪の材料を置いて行った。その辺り、ライスフィールの優しさなのだろう。早速作成された指輪は、今はアリッサの左手薬指で輝いている。  トリプルAの事務所で情報を貰ったトラスティは、「つまらない決定だ」とぼやいて情報をアリッサに投げ渡した。 「確かにつまらない決定なのは認めます。かと言って、手間を考えれば仕方のないことではありませんか? ヨモツ銀河、でしたか。こちらに害のないことが分かったのですから、慌てて使節を送る必要もないと思いますよ。嫌になるほど遠いと言うのは、二の足を踏む正当な理由になると思います」 「理屈としては、その通りなんだけどね」  妻の言葉を認めたトラスティは、「それでもつまらない」と文句を言った。 「ですが、トリプルAの事業には出来ないと思いますよ。今回は特別ですけど、頼られるまで放置した方がいいと思います。今回失敗したのは、シルバニア帝国に見積を送らなかったことだと思ってますからね」  だからトリプルA関係者が活躍したのに、実入りがまったくなかったと言うのだ。ノブハルが支社長だと考えれば、それはどうかと言いたくなるアリッサの言い分だった。 「まあ、機人装備付きでリュースさんを引き抜けたことで我慢してますけど。これで、安全保障部門の増員が出来ましたから……と言うことにしておきます」  リュースを引き抜いたおかげで、安全保障部門がさらに増強されたのは確かだった。リゲル帝国、パガニア、そしてシルバニアからの精鋭を迎え、トリプルAはジェイドぐらいなら簡単に征服できる力を持ってしまったのだ。そればかりが理由ではないが、トリプルAの契約カバー率はジェイドの90%を超えるところまで達していた。それを件数に直すと、およそ3000件と言うことになる。1件あたりの契約金額がおよそ年額1千万ダラだと考えると、これだけで年商が300億ダラに届くところまで来たのだ。これに加えてレムニア支社の業績伸長が目覚ましいので、今期の売上は余裕で1000億ダラを超える見通しとなっていた。さらに来年度からは、ゼスからの収益も上がることになっている。お陰でトリプルAは、順調に収益を延ばしていくことが確定していた。 「愛人1号出社しましたぁ!」  そんなことを話していたら、とても危ない挨拶をしてリュースが入ってきた。すかさずアリッサから、「違うでしょう」と言うツッコミが入った。ただアリッサのツッコミは、夫であるトラスティの考えた方向とは違っていた。 「愛人1号はミリアさんですよ」 「そうでしたね、でしたら愛人2号出社しましたっ!」  大真面目に指摘するアリッサに、それをにこやかに受け取るリュース。そんな二人に、「人聞きが悪いからやめようよ」とトラスティは懇願した。ただ二人から綺麗さっぱり無視されたのは、今更のことでしかない。シクシクと泣き真似をしても、二人からは相手にして貰えなかった。  それでも落ち込んでばかりはいられないと、「情報が入ったよ」とリュースに告げた。このことについては、リュースも直接の当事者だった。 「ヨモツ銀河への対応なんだけどね。とりあえず、王女様達は自力で帰って貰うことになったようだ。正確には相手からの連絡待ちになるけど、積極的に交流を持ちかけることはないと言うことだね。後は、外銀河探査のための新しい組織を作るらしい。その調査対象の第一弾として、ヨモツ銀河に行くことになったようだ。ただこちらは、組織の立ち上げ後、しかも新しい調査船を作ってからと言うことらしい」  その説明を聞かされたリュースは、トラスティ同様「つまらない決定」と文句を言った。このあたりの感性は、3人に共通したもののようだ。 「その辺りは積極的に同意するんだけどね。距離が距離だから、往復にも時間が掛るからねぇ」 「嫌になるほど遠いってのは確かですし、片道で7ヶ月も8ヶ月も移動するって、今の時代じゃ考えられませんしね。それに、任務自体も退屈なものになるのは分かってますから、確かにまあ、うちが手を出すような仕事でもありませんね」  リュースの言葉に、アリッサはうんと頷いた。 「流石に、外銀河探索は民間企業のすることじゃないですね。それに、嫌になるほど対象数が多いですから」  アリッサまで認めた以上、トリプルAが口を出さないことは確定したことになる。収益の望めない、そして手間の係る事業は政府が行うものと相場が決まっていた。 「それで、今日は何かシフトは入っていますか?」  本社に顔を出した以上、リュースも仕事をするつもりと言うことだ。意外にも、リュースはミリアと並んでとても勤勉だった。 「今日は、シャイナ地区の指導が入っていますね。午後一からですから、それまではゆっくりしていただいて結構ですよ」 「指導……ですか。そろそろ、宇宙怪獣でも出てきてくれませんかね」 「宇宙怪獣ですか……コクロチタイプなら、まだ沢山残っていそうですね。ただ、3つ首龍とかは、多分ですけど撲滅できたんじゃありませんか? ブケ島の研究施設に踏み込んでみないと、実際の所は分かりませんけどね。ちなみにその仕事は、トリプルAの請け負い範囲外です」  大物が居ないと言う話に、リュースはもう一度「つまらない」と文句を言った。 「でしたら、トレーニングをしてきてはどうです? 誰かいれば、ガチの戦いが出来ますよ」 「ガチの戦いですか……」  その時の相手を思い浮かべ、リュースはぶるっと身を震わせた。今の実力だけで言えば、彼女はエーデルシアと互角でしか無かったのだ。カイトは言うに及ばず、ミリアやクリスブラッドには遅れを取っていた。 「なんだったら、ヘルクレズとかガッズを呼び出すけど?」  物凄く強いよと言われ、「遠慮したいかな」とリュースは笑った。その二人が強いことは、エーデルシア達に散々教えられていた。 「なにか、ここに来て強さの基準が変わった気がしますよ。シルバニアに居た時には、近衛最強って思ってたんですけどね。ニルバール様より強い人が、うじゃうじゃいるって異常だと思います」 「まあ、ここには宇宙最強の兄さんが居るからねぇ。一緒に訓練をしていたら、底上げされてもおかしくないと思うよ」  トラスティの答えに、「ですよねぇ」とリュースは認めた。目標が明確になることで、力の嵩上げがしやすくなるのは納得が出来るのだ。 「ところで、ノブハルさんの新しい護衛は決まりましたか?」 「ノブハル君の所かい?」  ちょっと待ってと言ってから、トラスティはアルテッツァを呼び出した。 「何でしょうか?」  すぐに現れたアルテッツァに、「彼女の後任の話だよ」とトラスティはリュースを指差した。 「リュースさんの後任ですか……また、愛人の一人に加えようとか思ってません?」  いかがなものかと言うアルテッツァに、「またってなんだよ」とトラスティは文句を言った。 「ですが、リュースさんを愛人にしたと言う実績がありますからね。しかも、愛人2号なんですよね」  だから「また」なのだと、アルテッツァはトラスティの抗議を一蹴した。 「派遣が決定したのは、サラマーさんです。確か、リュースさんの後輩に当たりましたね」 「ああ、サラマーね。あの子、結構容赦がないけど大丈夫かな……主にセントリアが」  少し心配そうな顔をしたリュースだったが、「まあ良いか」とすぐに忘れてくれた。切り替えが早いねと苦笑したトラスティに、リュースはドヤ顔をして「心配してもしょうがありませんから」と答えた。 「そりゃ、まあ、そうなんだけどね」 「それで、ノブハルさんはどうしてるんです?」 「彼なら」  苦笑を浮かべたトラスティは、「大人しくしてる」と答えた。それに、リュースはああと頷いた。 「徹底的にへこまされましたからねぇ。仕方がないと言えば仕方がないんですけど……それだけだとトラスティさんも困りますよね?」  見透かしたようなことを言うリュースに、「よく分かってるね」とトラスティは笑った。 「そりゃあ、トラスティさんがノブハルさんに期待しているのは分かってますから。そうじゃなきゃ、あの時褒めてましたよね?」  違いますかと問われ、「よく分かってるね」とトラスティは繰り返した。 「否定はしたけど、結果は無視できないと思っているよ。ただねぇ、彼にはもう少し視野を広く持って欲しいと思っているんだ。アクサもアクサだけど、時間を止めるぐらいならローエングリンごと空間移動していれば良かったんだよ。そうすれば、アクサが崩壊するようなこともなかったはずだ」 「そうしていれば、トラスティさんも非常識さのステップアップをしなくても済んだと?」  チクリと指摘したリュースに、「許して」とトラスティは懇願した。 「ザリアとアクサに手を出されたんですよね。だとしたら、非常識……変態の方がいいですけど。そう言われても仕方がないと思いませんか? それで、いつコスモクロアに手を出されるのですか?」  ねえと同意を求めた先には、力強く頷いているコスモクロアが居た。 「流石に、それはないから」 「でも、仲間はずれは可哀想だと思いますよ」  ですよねと顔を見られたコスモクロアは、それはもう、しっかり頷いてリュースを見た。感激しているように見えるのは、けしてトラスティの見間違えではないだろう。 「そう言われても、しないのはしないんだよ」 「つまり、トラスティさんが拘る理由があるってことですか……なるほど、リンディア様が言っていたことが正しかった訳ですね」 「リンディアが何か言っていたのかな?」  また何を言われたのかと不安を顔に出したトラスティに、「内緒です」とリュースは笑った。 「こう言ったお話は、ベッドの中でした方が良いと思いますよ。そうですね、交換条件って所です」  ということでと言い残し、リュースは空間転移で本社を出ていった。シャイナに行くのに時間は掛からないので、どこかで油を売っておこうと言うのだろう。 「あれで、仕事は真面目だから良いんだけど……」 「私の前で、いちゃつかなければですけどね」  アリッサに冷たい目で見られ、トラスティは「ごめんなさい」と謝った。自覚があると言うより、アリッサが怖かったと言うのがその理由だ。それをアリッサは、「良いですけど」といつもの口癖で許したのだった。  大人しくしているとトラスティに評されたノブハルだが、別に引きこもりになっていた訳ではない。ただズミクロン星系から出なくなったのと、一人で考えることが多くなったのが目立った変化である。 「さすがのお兄ちゃんも、結構堪えたと言うことね」  エリーゼから兄の近況を教えられたリンは、「仕方がないんじゃないの」とその変化を認めた。 「あれでお兄ちゃん、父さん達に叱られたことが無かったからねぇ。あれだけコテンパンにやられたら、そりゃあ、今までどおりじゃいられないと思うよ」 「それは、私にも理解できますけど……ですが、あそこまで言われなくてはいけなかったのでしょうか? 私には、それが理解できないんです」  エリーゼの目には、トラスティ達がやりすぎたように映っていたのだ。それを持ち出したエリーゼに、「2度目だからねぇ」とリンは答えた。 「ほら、トラスティさんがアルカロイド事件の経験が生かされていないって言ったでしょ。私には、それが全てだと思うわよ。お兄ちゃんって、意外に人を信用していないし、全部自分で背負い込みたがるから」 「ノブハル様が、他人を信用していない?」  驚いたエリーゼに、「そう言うところがあるわ」とリンは繰り返した。 「頭が良すぎるのがいけないんだと思うけどね。自分の考えと違うのは、相手が間違っていると思っちゃうのよ。だから人の意見を聞くのも、教えを請うと言う訳ではないのよ。自分で仮説を立てるための、材料を集めるのが目的になってしまうのよ。トラスティさん達に会って、ずいぶんと直ってきたと思ったんだけどなぁ……変わったのは上辺だけだったようね。だから、今度のことはトラスティさんが叱ってくれて良かったと思ってる。そうじゃないと、お兄ちゃんはすべて思惑通りになったとドヤ顔をしていたと思うから」  そしてさらに危ない目に遭う事になる。そう言われて、エリーゼはそれが否定出来ないのに気がついた。 「リンさんは、ノブハル様のことをよく理解されているのですね……」  それに引き換え自分はと、エリーゼはリンと比較をして落ち込んでしまった。 「それが、妹と奥さんの違いだと思うけどな? 私は、物心ついたときからお兄ちゃんと一緒だったんだよ。だから、色んなお兄ちゃんを知っているのよ。スタート地点が違うんだから、差があって当たり前だと思うよ。って言うかぁ、僅かな時間で追い抜かれたりしたら、ブラコンの妹としては情けないわよ」  それを胸を張って言うリンに、エリーゼはつい吹き出してしまった。 「そう言えば、リンさんは重度のブラコンでしたね。ノブハル様も、重度のシスコンですけど」 「そっ、だからエリーゼさんの責任は重大なのよ。お兄ちゃんを、まっとうな道に引き戻す……なんか、別の間違った道に進んでいる気もするけど。シスコンだけの方が、マシだった気がしてきたわ」  ううむと唸ったリンは、エリーゼの顔を見て「問題だわ」ともう一度唸った。 「ちょっと胸は足りないけど、普通はエリーゼさんだけで満足するものなんだけどなぁ……エリーゼさん、美人で優しいし。ちょっと変わった所もあるって言うのも、変化球になって良いと思うんだけどなぁ」 「なにか、褒められた気がしませんね……」  美人で優しいと言うのは、間違いなく褒め言葉なのだろう。ただ「胸が足りない」とか「変わった所もある」と言うのは、褒め言葉にはなっていないはずだ。  苦笑を浮かべたエリーゼに、事実だからとリンは言い返した。 「それにエリーゼさんは、神殿の巫女さん達に「素敵にいやらしい」って褒められたでしょ」 「本当に、褒められたと言う気がしませんね……むしろ、婉曲的に悪口を言われているような気がします」  シクシクと両手を目元に当てたエリーゼに、「褒めてるわよ」とリンは笑った。 「美人でしかも個性的って褒めてるつもりなんだけどな。しかも、金髪碧眼だし」  そこんとこ重要と、リンは笑った。 「スタイル以外は、グリューエル王女に負けてないと思うわよ。まあ、アリッサさんとは勝負にならないのは今更だけど」 「あの人に勝てる人はいないと思いますよ……」  絶対に比較して欲しくないと文句を言ったエリーゼは、「別の間違った道ですか」とリンの言葉を持ち出した。そう言われると、心当たりがありすぎたのだ。 「トウカさんで止まっていたら、まだ修正は可能な範囲だったのにね……と言うか、かろうじて常識的な所に踏み止まれていたと思うわよ」  事実を指摘されれば、「別の間違った道」と言うのは否定出来ない「ですよねぇ」と同意したのは、エリーゼにも自覚があったと言うことだ。改めて言われてみて、自分も間違った道に引き込まれているのに気がついたのもある。 「常識的な線を踏み越えてしまったんですよね……」  はあっと深刻そうにため息を吐いたエリーゼに、「本人たちの問題だから」とリンは慌ててフォローした。 「やっぱり、当事者の気持ちの問題でしょ?」 「でも、世間の目を無視できませんし……」  もう一度はあっとため息を吐いたエリーゼは、「どうしてだろう」と小さく呟いたのだった。いつの間にか慣れてしまった自分に気がついたのだ。  身近な女性に疑問を感じさせたノブハルは、その頃トリプルAエルマー支社のオフィスにいた。勤務時間中だと考えれば、別に不思議なことではないのだろう。そして支社長室にセントリアが居るのも、彼女が秘書だと考えれば不思議なことではない。ただ二人の纏った空気は、とても仕事中とは思えないものだった。 「新たな護衛が派遣されてくるのだな」  連絡事項に目を通していたら、帝国近衛からの連絡が目に止まった。そこにはリュースの後任として、新たな人員が派遣されることが記載されていた。  リュースが退任した以上、新しい人員が派遣されてくるのは不思議な事ではない。特にセントリアの資格まで剥奪された以上、デバイス以外のボディガードが必要となるのだ。ただこの問題を口にするのは、ノブハルだけでなくセントリアにとっても辛い問題となっていた。 「新任はサラマーと言うらしいのだが、知っているか?」  これをと投げられたデーターには、赤髪をショートにした活発そうな女性が表示されていた。他にもデーターが記載されているのだが、それを見てもセントリアに心当たりなどあるはずがない。それぐらい、正規兵と遊撃隊の間には大きな違いが存在していた。 「知っているのかと聞かれたら、知らないとしか答えようがないわ。そもそも遊撃隊は、正規の近衛との交流なんてないもの」  普段にましてフラットな声になったセントリアだったが、そのことへのノブハルのコメントは無かった。今更どうしたと聞かなくても、セントリアが落ち込む理由など分かりきっていたのだ。資格剥奪に加えてリュースの見事な手際を教えられたのは、彼女が落ち込むには十分な理由となっていた。  セントリアの答えに、ノブハルは沈んだ声で「そうか」と返しただけだった。それきり二人の間から言葉が消え、ただ時間だけが過ぎ去っていったのだった。  芸能活動がオフとなったタイミングで、リンは婚約者のナギサにいつものカフェへと呼び出されていた。おしゃれに着飾った二人だったが、リンを迎えたナギサはとても難しい表情をしていた。事情を知らない者からしたら、別れ話でもするのかと想像できるぐらいだ。 「支社の何人かから、なんとかしてくれと泣きが入ったよ」 「それって、お兄ちゃんのことよね……やっぱり」  はあっと息を吐き出したリンは、「しっかりとへこまされたからなぁ」とあの時のことを思い出していた。 「そこで難しく考え込むのが、お兄ちゃんのお兄ちゃんたる所以なんだけど」 「それぐらいは分かっているけど、だからと言ってこのままでいい訳がないんだよ」  困ったものだとこめかみを押さえたナギサに、「打つ手なし」とリンはさじを投げた。 「私達が何かを言っても、逆効果になるのは目に見えているもの。今までは、だいたい自分で何かを見つけて立ち直ったんだけど……流石に、今回は難しいかなぁ、難しいよねぇ」  ノブハルのことは、リンも頭を悩ませていたことだった。だからナギサに相談される前から、どうにかならないかと考えていた。ただいくら考えても、自分ではどうにもならないと言うのが分かっただけだった。 「それは、僕も同じだよ。下手に励ましたら、逆効果になりかねないと思ってる」  二人揃って顔を見合わせ、深すぎるため息を吐きあった。そんなことをすれば目立ちまくるのだが、二人のただならぬ雰囲気に、周りは見て見ぬふりをしてくれた。  そんな二人の重苦しい空気に割り込んできたのは、「ごきげんよう」と言う涼やかな挨拶だった。聞き覚えのある声に、二人は声の方へと視線を向けた。  果たして、そこに居たのはお供を連れたグリューエルだった。日常と言う事もあり、グリューエルは白のブラウスにピンク色の短めのスカートと言う出で立ちをしていた。ただ短いスカートでも、お姫様が生足を晒すはずがない。しっかりと白いストッキングで、御御足はガードされていた。  お供の女性が抱えている荷物を見る限り、今日はショッピングに出ていたのだろう。 「ごきげんようグリューエルさん」  立ち上がって頭を下げた二人に、「お気遣いなく」とグリューエルは微笑んだ。普段なら見惚れてしまう所なのだが、あいにく今のナギサにはそこまで心の余裕がなかった。 「お邪魔するのは悪いかと思いましたが、お二人が深刻そうな顔をなされていましたので。仲違いをされていると言うことは無いと思いますので、察するにノブハル様のことでしょうか」 「まさしく、その通りと言うことだね。流石に、今度ばかりは打つ手がなくて困っているのだよ」  そこで自分の顔を見られ、同じだとリンも頷いた。 「確かに、ぐうの音も出ないほどへこまされましたからね。流石に、ナギサ様でも中々難しい問題だと思いますよ。ただノブハル様がより大きな世界に関わっている以上、それは仕方のないことでもあると思います。それがノブハル様の成長だと喜んでいればいい……と言う訳にはいかなくなったと言うことですね」  「分かります」と頷いたグリューエルは、問題解決のヒントを残していくことにした。 「トラスティ様の妻となった私では難しいですが、ウェンディ様に相談されてはいかがですか。ナギサ様の場合、ズミクロン星系軍の司令代理の肩書をお持ちですよね?」 「ウェンディ顧問の!」  驚いたナギサに、「ウェンディ顧問です」とグリューエルは繰り返した。 「悩んだ時は、人生の大先輩に相談すべきだと思いますよ」 「ですが、宜しいのでしょうか……」  何しろウェンディ家は、今も御三家筆頭の立場にある。そんなスタークに、個人的悩みを相談していいのか。遠慮と言うより、ナギサは臆してしまったのだ。 「私には、ナギサ様達が何を問題としているのか理解できないのですが……そうして壁を作られるのは、ウェンディ様も本意ではないと思います。ウェンディ様なら、若い方から相談されることを喜ばれるはずですよ」 「そう、なんでしょうか……」  それでも気が進まないナギサに、「私の保証では不足ですか?」とグリューエルは聞き返した。 「それでしたら、私の名前でウェンディ様を呼び出しますが?」  いかがしますかと問われ、ナギサとリンは音が出るほど勢いよく首を振った。 「い、いえ、それでしたら僕がセンター・ステーションに出向かせて貰います!」  王女様を使い建てするだけで問題なのに、その上御三家を呼び出そうと言うのだ。流石に、ナギサもそこまで肝が座っていなかった。 「そうですね。司令代理なのですから、その方が自然なのかと思いますよ」  そう言って笑ったグリューエルは、「お邪魔しました」と頭を下げてから二人から離れていった。立ち上がって頭を下げて見送った二人は、顔を見合わせ小さくため息を吐きあった。 「気を使われたのかなぁ……」  すとんと腰を下ろし、リンはもう一度ため息を吐いた。 「考えてみれば、あからさますぎるね……」  同じように腰を下ろし、「なんだかなぁ」とナギサは天を仰いだ。 「グリューエル王女が、僕達に気を使うとは思えないからねぇ」 「だったら、あんな説教をしなくてもいいのに」  そうすれば、こんな問題にならないはずだった。リンの文句に、「必要だと思ったんだろうね」とナギサは理解を示した。 「リンだって、問題ぐらいは感じていたんだろう?」 「そりゃ、まあ、あのお兄ちゃんだから」  ふっと息を吐き出したリンは、「敵わないなぁ」と女たらしの顔を思い出した。 「リュースさんを残してってくれたら、ここまでこじれなかったのに」 「リュースさんは、セントリアさんとは違うと言うことだよ。ノブハルは、それを理解できていなかった。経験の差と言えばそれだけなんだけど、どうしたらあそこまで理解できるんだろうね」  ノブハルの欠点を理解し、それを修正しようとまでしているのだ。立ち位置の違いは理解しているが、それでも敵わないと思い知らされた気がする。 「でもさ、デバイスにまで手を出すのはどうよ。アクサとザリアが、完全に女の子の顔をしていたわよ。でも、なんでコスモクロアに手を出さないんだろう?」  時間停止解除前のやり取りを思い出したリンは、「不思議だ」と首を捻った。3体のデバイスは全部美人でスタイルがいいのだが、その中のトップがコスモクロアだと思っていたのだ。それなのに、一番のコスモクロアにトラスティは手を出していない。デバイス相手と言うモラルは、今更理由にならないと思っていた。 「多分、トラスティさんのこだわりなんだろうけど……なんでだろうね」  そこでいやいやと首を振ったナギサは、フライトスケジュールを確認した。 「今から手配すれば、明日ならセンター・ステーションに行けるね」  そこでどうすると顔を見られたリンは、「仕事」と身も蓋もない答えを口にした。 「ほら、アイドルって忙しいから」 「よほどエルマー7家と言うのは、暇だと思われているんだね」  はあっとため息こそ吐いたが、リンに逆らえないのは今更だった。「いいけど」と小さく呟いたナギサは、「今からどうかな?」とリンにご褒美を要求したのである。 「ご褒美の先渡しって……ないわぁ〜」  がっくりと項垂れたナギサは、立場の弱さを今更ながらに突きつけられた気がしていた。  エルマーのキナイ地区に、スタークの屋敷は用意されていた。ただ宇宙を好むスタークは、屋敷に居るのよりセンター・ステーションに上がっていることの方が多かった。 「ここからでは、流石にライマールは遠いな」  インペレーターの私室でくつろいでいたスタークは、訓練状況を確認しながら小さく呟いた。 「やはり、エスタリアを呼び寄せるべきか」  せっかく退官したのに、また単身赴任状態になってしまったのだ。シルバニアならライマールへのゲートが開かれているが、ズミクロン星系にそんな気の利いたものが用意されているはずがない。そのため元帥時代より、自宅に帰ることが面倒になっていた。  学業の残っている娘を連れてくる訳にはいかないが、妻ならば呼び寄せてもいいだろうと言うのである。 「いや、ティファニーを野放しにして良いのか……」  娘を野放しにした時、一体何が起こることになるのか。将来政治家を目指すと言っている割に、意外に奔放な所があると妻からは教えられたのを思い出したのだ。 「いや、絶対に良くないな。だとしたら、相手を見つけるまでは妻に監視をさせておくか」  むむむと家族のことを考えたいたら、ナギサからのメッセージが届けられた。ひとまず家族の問題を棚上げしたスタークは、イチモンジ家次期当主にしてズミクロン星系軍司令官代理の連絡を確認することにした。 「なるほど、意外に遅かったと考えるべきか……グリューエル王女が動いたと言うことか」  トラスティからは、必ず来るから相談に乗ってやってくれと頼まれていた。ただその時期が、思っていたより遅かったのだ。だからトラスティの言う、保険(グリューエル)が動いたのだろうと。 「さて、ノブハル君は自分を見つけることが出来るだろうか……しかし、彼も不器用な男だな」  自分では駄目だからと、この役目をスタークに頼んでくれたのだ。それを不器用と評したスタークは、「人のことは言えないか」と先程まで悩んでいたことを思い出した。娘への接し方が分からないので、それを妻に押し付けようとしていたのだ。 「やはり、一度家に帰ってじっくりと話をしみるか」  子供に自分の考えを押し付けるのは、親としてのエゴに違いない。スタークは、これからの家族のことを真剣に考えてみることにした。  スタークに連絡を入れた翌日、ナギサは定期便を使ってズイコーとエルマーの相互自転軸の中心に作られたセンター・ステーションへと上がってきた。艦隊司令官代理と言う立場を考えれば、もう少し早く上がる方法があって然るべきなのだが、特別便を出す口実に欠けたのである。その辺り、ズミクロン星系が平時と言う事情があった。 「よく来たね」  にこやかな笑みで迎えたスタークに、ナギサは相変わらず恐縮しまくっていた。その辺り、まだ彼の貫禄に慣れていないと言うのが理由である。  そんなナギサの態度を笑ったスタークは、部屋に招き入れソファーに座らせた。そのタイミングで、栗色の髪をショートにした綺麗な女性がお茶を持って現れた。 「あ、ありがとうございます」  緊張しながら礼を口にしたナギサに、その女性は「礼には及びません」と微笑みを返した。その微笑みがとても綺麗なことに、ナギサは鼓動が早まった気がした。 「ありがとうフレデリカ、しばらく二人にしておいてもらえるかな」 「畏まりましたスターク様」  上品にお辞儀をして出ていった女性を見送り、「大したものだろう」とスタークはナギサに自慢をした。 「え、ええ、とても綺麗な人だと思います。フレデリカさん……でしたか。ライマールから呼び寄せられたのですか?」  本題の前の軽い会話として、スタークの秘書と言うのは適当なものに違いない。特に妙齢の美人秘書ともなれば、本当なら話のネタには十分なはずだった。 「彼女かい。実のところ、彼女はタンガロイド社のアンドロイドなのだよ。最新バージョンのソフトウエアを搭載した、クリスタイプと言う話だな。ここまで来ると、本当に本物の人間との区別がつかなくなる。あまりにも理想的な女性を演じてくれるおかげで、逆にアンドロイドだと気づけるだけだよ」 「彼女が、アンドロイド……ですか」  驚きに大きく目を見張ったナギサに、「アンドロイドだよ」とスタークは答えた。 「こう言ったタイプがお好きでしょうと、トラスティ氏が置いていってくれたよ。言い返せなくて、その時には腹が立ったぐらいだ」  そう言って笑ったスタークに、「そのトラスティ氏のことです」とナギサは切り出した。 「正確には、ノブハル君のことなのだろう?」  すかさず本質を突かれ、ナギサは一筋縄ではいかない相手だと再確認した。 「やはり、お気づきでしたか……これも、トラスティ氏の仕掛けですか?」  宇宙一のペテン師の異名を持つ男なのだから、これぐらいのことをしてもおかしくはない。そのつもりで確認したナギサに、「だからペテンに嵌まるんだよ」とスタークは忠告した。 「そうやって、何でもかんでも仕組まれたことと考えさせるのが、彼のペテンと言うことだよ。ただ今回のことに関して言えば、彼はノブハル君の為を思って行動している。ノブハル君に、もっと成長して貰いたいと思っているんだけなんだ」 「ノブハルの成長、ですか。それはノブハルを利用するためと言うことですか?」  敢えて穿った見方をしたのは、スタークに対して探りを入れるためだった。ただそんなものが、御三家筆頭に居るスタークに通用するはずがない。 「利用するだけなら、別に今のままでも利用出来るのではないのかな。彼ならば、ノブハル君を踊らせるのは難しくないだろう。何しろノブハル君には、彼に対する強い承認欲求があるからね」 「確かに、ノブハルにはそう言う所がありますね……」  指摘された通り、何かにつけてノブハルはトラスティの目を意識している。それを利用するなら、持ち上げておいた方が踊ってくれるのだ。 「彼は、それでは駄目だと考えたと言うことだよ。彼に認められることばかり考えていると、その分視野が狭くなってくれる。前のめりになりすぎると、多くのものを置き忘れていってしまうんだよ。そして能力のある、そして成功体験がある者に起きがちなのだが、周りの忠告に耳を貸さなくなる。一歩後ろに下がった、客観的な見方ができなくなるんだよ。それが、取り返しのつかない失敗に結びつくこともあるんだ……それさえ、彼は尻拭いをしてしまうのだろうがね。それにした所で、トラスティ氏にも限界と言うものがあるんだよ」  そこまで話した所で、「話が逸れたね」とスタークはナギサの顔を見た。 「若いノブハル君だ、今は大いに悩めば良い時なんだよ。ゼス事変に関わり、そしてヨモツ銀河からの襲撃事件も一段落をした。まだまだヨモツ銀河方面では問題が山積しているが、今は一息つくところなんだよ。忙しく走り回るばかりではなく、じっくりと腰を据えて己を見直してみることも大切なことなのだ。だから君やリン君は、彼が道に迷わないか見守っているだけでいい。もしも道に迷いそうになったならば、ただ声を掛けてあげればそれだけでいいんだ」 「声を掛けるだけ……ですか?」  スタークは、小さく首肯した。 「それが出来るのは、本当に限られた者だけなんだよ。あの時なら、それは父親のシュンスケ氏だったと言うことだ。そして君達も、シュンスケ氏と同じ側に立っているんだよ。どんな時でも自分を肯定してくれる人が居ると言うのは、それは心強いものなのだよ」  それが役目だと言われても、まだナギサにピンとは来ていなかった。 「絶対的な肯定者……の存在ですか」 「そんなものになれるのは、普通は両親ぐらいのものだろう。ただ君やリン君も、同じ立場に居ると思うのだがね。彼は、君達の前なら飾らなくても済むのではないのかな? これから長い時間をかければ、エリーゼ君も同じ立場になることが出来るのだろうね」  それだけ特別だと言われたナギサは、その言葉の意味をもう一度考えてみた。ただ考えてみたが、すぐには理解することができなかった。 「そしてトラスティ氏も認めることだが、ノブハル君は優秀すぎる頭脳を持っている。だから、必要な情報を与えてあげれば、今の袋小路から抜け出すことが出来るだろう」 「そんな情報を、僕が与えられるとは思えないのですけどね」  自分が得られる情報程度なら、帝国のシステムに繋がるノブハルなら容易に掴めるはずだと言うのだ。小さく首肯することで認めたスタークは、「だが」とノブハルの限界を口にした。 「確かに、ノブハル君はアルテッツァにアクセス出来たね。それを使えば、膨大な情報に触れることが出来るのだろう。だが勘違いをしてはいけないのは、情報と言うのはただあるだけでは意味を持たないのだよ。そして自ら求めようとしない限り、手に入れることもできないものだ。特に今のノブハル君は、目と耳を塞いで閉じこもっているのではないのかな? 自分の何がいけなかったのか、終わったことばかりを考え思考のループに陥っているのではないのかな?」  スタークの指摘に、ナギサは今のノブハルの状態を考えた。 「確かに、今のノブハルはその状態に入っていますね。だったら、ノブハルはどうすれば良いんですか?」  情報を与えると言っても簡単ではないし、ましてやノブハルが新しい道を見つけられるような情報を与えられるとは考えられない。いくら時間があると言っても、ただ無為に時間を過ごしていいとは思えなかった。 「一度や二度の失敗にくじけるなと言う所だろうね。もしかしたら、次も失敗をするのかもしれないが、同じ失敗を繰り返さなければいいんじゃないのかな? それが、若さと言うものだと私は思っているよ。もしかしたら、彼の大切な人達に心配を掛けることもあるかもしれない。だがその時には、トラスティ氏やカイト氏が尻拭いをしてくれるよ。及ばずながら、私も手伝うことは出来るだろう」 「確か、周りの声に耳を傾けろと言われた気がしましたが……微妙に矛盾をしていませんか?」  微苦笑を浮かべたナギサに、「それが人間だよ」とスタークは嘯いた。 「ノブハル君はまだ若い。トラスティ氏のように、若いくせに老成してはいけないんだよ。若さゆえの無謀さで突っ走って、トラスティ氏を振り回すぐらいでちょうどいいんだ。トラスティ氏も、振り回されることを期待しているのではないのかな? その意味で言えば、今回の事件は期待とは違ったものだったのだろうね」 「やはり、ノブハルを利用しているんじゃありませんか」  そこに戻ってきたと口元を歪めたナギサに、「Win-Winだ」とスタークは嘯いた。 「彼のためにもなっているんだ。文句を言われるようなことではないと思っているよ」 「確かに、ノブハルのためにもなっているんでしょうね……ところで、耳打ちをするのに適当な話はありますか?」  それを確認したナギサに、「ヨモツ銀河だが」とノブハルの関わった事件のことを持ち出した。 「連邦は、極めて消極的な対応を取ることにした。一応は連邦全体で外銀河探索のための組織を作ることは決定したが、今すぐにと言う話ではないのだよ。そしてテストケースとして、ディアミズレ銀河を選ぶことにした。ただこれにしても、これから探査用の宇宙船を用意することになっている。従って、出発までには2年近く掛かることになる。そして使者となったコウバコ王家王女様には、自力で帰って貰うことにしたそうだ」 「消極的……ですか。随分と思い切ったことを考えたと思うのですが?」  これまで行われてこなかった外銀河への探査を、遅まきながらも始めると言うのだ。今回の事件が偶発だと考えれば、思い切った決定だとナギサは考えていた。だからそうなのかと訝ったナギサに、「消極的だね」とスタークは決めつけた。 「アスには、「泥棒を捕らえて縄を綯う」と言う諺があるそうだ。これは、事が起きてから慌てて準備を始めると言う意味だそうだが、今の状況がまさしくそれなのだよ。いや、正確には準備も始まっていないのだ。少なくとも、ヨモツ銀河にはさっさと乗り込むべきなのだよ。時間が経てば、相手は事件を忘却の彼方に追いやるだろう。その前に手を打ってこそ、主導権を取れると言うものなのだよ」 「ですが、外銀河探索用の宇宙船がありませんよね?」  時間を置くことは好ましくないが、足が無ければ隣の銀河まで辿り着くことは出来ない。物理的に無理だと、ナギサは主張したのである。 「君が乗っているのは、一体何なのかな?」 「インペレーターですが……いやいや、流石に無謀でしょうっ!」  考えても居ないことに、ナギサはつい大声を出してしまった。それを恥じたナギサに、「それが常識の壁だ」とスタークは答えた。 「超銀河連邦最高の船が、奇しくもセンター・ステーションに係留されているのだ。だとしたら、それを連邦に売り込めばいい。トリプルAがその気になれば、200万光年程度1ヶ月もかからないだろう」 「ディアミズレ銀河の中でも、10万光年移動するのに2週間掛けているのですよ。200万光年を越えようとしたら、単純計算でその20倍掛かることになります」  流石に無理だと返したナギサに、「果たしてそうかな?」とスタークは含みをもたせた言い方をした。 「それこそ、ノブハル君に質問をしてみたらどうかな?」 「そうやって、僕達を踊らせますか……」  はあっと息を吐き出したナギサは、「踊ってみますよ」とスタークの顔を見た。  ヨモツ銀河と言う、これまで交流のなかった銀河から来訪者が現れたのだ。その対応となれば、連邦の中でもホットな話題に違いない。連邦の持ち出した対応策は、確かに常識的なものだろう。だがその常識は、自分達の限界から導き出されただけの場合がある。その場合の問題は、常識的な対応が悪手となる可能性があることだった。  それを考えたナギサは、「なるほど」とスタークがズミクロン星系にいる理由に納得した。同じことをトラスティが言えば、自分でやればいいと反発されるだろう。だが相手がスタークならば、ノブハルも真剣に方法を考えることができる。 「多少は、役に立てたかね?」  そう言って笑ったスタークに、「格の違いを教えられました」とナギサは頭を下げた。 「そして、ウェンディ顧問がお若いと言うのも理解できました」  チクリと嫌味を言ったナギサに、「いやいや」とスタークは首を振った。 「もう、冒険をするような年ではないよ。残念なことにね。だから私は、君達に期待をしているんだ」 「僕には、とてもそうは思えないのですがね」  ふっと息を吐き出したナギサは、立ち上がって「ありがとうございます」とスタークに右手を差し出した。 「僕は僕で、ノブハルを踊らせることを考えてみますよ」 「ならば君は、私の共犯者と言うことになる」  宜しくと差し出された手を握り返したスタークは、これで面白いことになると内心ほくそ笑んでいた。せっかく新たな手がかりを得たのだから、トラスティを巻き込まなければと考えていたのだ。だがトリプルAとして、外銀河探索に手を出さないと言う社長判断が下されてしまった。それを覆す一番の方法は、ノブハルを利用することだと考えていたのだ。ノブハルに「甘い」トラスティなら、必ずやアリッサの決定を覆してくれるはずだ。 「過去、そして現在の問題を解決したのなら、君達は未来に踏み出さないといけないのだよ」  せっかく掴んだきっかけなのだから、それを最大限に活かすことをスタークは考えたのだった。  連邦審議官の尋問で、トリネアは自分が外交使節ではないことを主張した。その意味は、自分では外交的役割を担うことは出来ないと言うのである。自分は単なるメッセンジャーなのだから、外交ならば然るべき者が派遣されなければおかしいのだと。  その主張を認めた審議官は、トリネア王女達の帰還措置を理事会に勧告した。彼女には自分の星に戻る手段があり、しかも本人もそれを希望している以上、犯罪でも犯していない限り尊重すべきと言うのである。その勧告を受け入れた理事会は、トリネア王女の希望を受け入れることを認めた。ただ時期に際しては、ヨモツ連邦から許可を受けることを条件に加えた。 「従って、姫にはヨモツ連邦と連絡を取っていただくことになります」  宜しいですかと問われたトリネアは、「ご配慮に感謝いたします」と答えて頭を下げた。 「そのためには、一度船に戻る必要があるのですが。案内していただけますでしょうか?」 「その準備も出来ております。王女の船は、浮きドック「モビー・ディック」に収容されております。間もなく、案内の者が参ります」  他銀河からの客と言うこともあり、審議官はトリネアに対してへりくだった態度を取った。こんな所もヨモツ銀河とは違うのだと、トリネアはとても新鮮な気持ちになっていた。そして居心地と言う意味なら、こちらの方がずっといいと思えてしまった。  何しろあてがわれた部屋は綺麗だし、休息で使用したカフェもとてもおしゃれだったのだ。生活の潤いと言う意味では、間違いなくこちらの方が素晴らしいと思えたぐらいだ。  そして待つこと10分、ドアをノックして女性が入ってきた。ヴィエネッタと名乗った女性は、自分は連邦軍に所属していると自己紹介をした。年頃は、自分よりも少し上かなとトリネア王女は受け取っていた。 「12時間ほど我慢いただければ、王女の船の収容されたドックに到着いたします。ただ申し訳ありませんが、通信内容はこちらの検閲を受けていただくことになります」 「その辺りは、お任せしますとしか……必要な措置と言うことは理解しております」  自分達の安全保障のためには、どんな情報が送られるのかを確認が必要となる。それぐらいのことは、トリネアも十分に理解していたのだ。 「では、これから連絡艇にご案内いたします」  こちらにと言うヴィエネッタに、トリネアとモルドは大人しく従った。ただ大人しく従いながらも、アリファールに会いたいなとトリネアは考えていた。  残念なことに、連邦軍ディアミズレ銀河方面隊の艦船には、システムとしての空間移動装置は搭載されていなかった。空戦隊のデバイスを使えば可能なのだが、ヴィエネッタは敢えてレガシーな移動方法を選択した。その辺り、余計な情報を与えるべきではないとの分析が理由となっていた。  そのため施設内を30分ほど掛けて移動し、3人は連絡艇パスカルへとたどり着いた。8ヶ月に及ぶトレーニングの成果か、30分の移動も特に苦にはならなかった。  トリネアのために用意された連絡艇パスカルは、全長200mほどの小型船だった。連邦軍の保有艦船と言うことで、飾り気に欠けた見た目をしていた。 「小さな、船なのですね……私達の船は、すぐ近くに係留されているのですか?」  トリネアの常識では、この規模の船は、星系内かつ短距離移動用と言うことになる。従って、これから向かう先は、同じ星系にあるものだと思っていた。 「いえ、モビー・ディックまで、およそ20光年ほど離れています。一応安全のためとご理解ください」 「20光年の距離をこんな小型船で移動するのですかっ!」  驚いたトリネアに、「近いですから」とヴィエネッタは笑った。 「20光年が近いのですか……私達の銀河では、最高速度を使っても9時間ぐらい掛かるのですけど」  それをこんな小型船で、わずか12時間でたどり着けると言うのだ。乗る前から、動力機関のお化けなのかとトリネアは考えた。 「本当は、もっと早く到着する方法があるのです。流石に戦艦クラスを用意するわけにはいきませんでした」  申し訳ないと謝られ、逆にトリネアは慌ててしまった。自分は早いと言うつもりで時間を口にしたのに、ヴィエネッタは逆の方向に受け取ってくれたのだ。 「い、いえ、こんな小さな船なのに早いのだなと感心させていただきました」 「ですが、12時間も掛かると退屈されるのではありませんか?」  自分を気遣うヴィエネッタに、「とんでもない」とトリネアは慌てて否定をした。 「こちらに辿り着くまで、およそ8ヶ月と言う時間を掛けています。それに比べれば、12時間はあっと言う間だと思います。ですから、あまりお気遣いいただかなくても結構です」  ですよねと、トリネアはモルドに同意を求めた。それに力強く頷いたモルドは、「あっと言う間です」と強調した。 「では、早速乗船していただきましょうか」  こちらにと、ヴィエネッタは乗船ハッチへ二人を案内した。 「本来客船を用意するところなのですが、狭苦しい船しか用意できずお詫びいたします」  ヴィエネッタが恐縮した通り、連絡艇パスカルの居住スペースは広くなかった。何しろ連邦軍軍人用に設計されているので、収容力が優先されたのである。その為個人用の部屋も、ベッド+αの広さしか無かったのだ。それでも救いと言えるのは、酒保と言う名の休憩スペースが用意されていたことだ。その酒保にしても、異銀河の王女様を乗せると言うことで、急遽什器の入れ替えを行っていた。お陰で、結構小綺麗なスペースになっていたのだ。 「これで、狭苦しい……のですか?」  確かに案内された居室は狭かったが、それ以外は自分達の乗ってきた船とは比べ物にならないほど広かったのだ。まさか、小綺麗なカフェスペースまであるとは考えてもいなかった。 「軍の人員輸送用の船ですから、部屋が小さめに作られています。もう少し小綺麗な船をと考えたのですが、残念ながら用意が間に合いませんでした」 「私たちにしてみれば、十分以上に広い船なのですが……」  この広さを確保して、従来型の高速船と同じ速度で移動できると言うのだ。こと銀河内の移動と言う意味では、明らかに遅れているとトリネアは感じていた。 「こちらの銀河には、もっと早くて立派な船があるのですか?」 「お二人を収容した船であれば、同じ距離を3時間程度で結ぶことが出来ますね。もっと早い船もあるのですけど、残念ながら民間船なんです」  ヴィエネッタが思い浮かべたのは、ズミクロン星系に係留された2隻の巨大船である。その船を使えば、ディアミズレ銀河の端から端まで移動しても、2週間もかからないことだろう。 「民間船……と言うのは?」 「民間船と言うのは、政府機関が保有していない船のことをいいます。企業や個人が保有している船を指していますね。ですから、利用するためには対価を支払う必要があります。こうして利用できる船がありますから、残念ながら借用すると言う話にはなりませんでした」  申し訳ないと謝られても、トリネアには謝られる理由が分からなかった。コウバコ王家の所有している船にしても、この船と大差がなかったのだ。その意味で、もっと奇麗な船と言うのも見てみたくなっていた。 「その、綺麗な船を見てみることは可能なのでしょうか?」 「その辺りは、お時間があればと言うことになりますね。もしも姫が外交使節として残られるのなら、ご案内差し上げることも可能かと思います」  時間を持ち出され、確かにそうだとトリネアはヴィエネッタの言葉を認めた。 「通信には、片道1ヶ月程度の時間が必要と言うことでしたね?」 「ええ、亜空間通信を用いても、200万光年を超えるには1ヶ月程度の時間がかかります」  その説明に頷いたヴィエネッタは、王女の希望を審議官に伝えることにした。とにかく彼女が旅立つまでは、その扱いは非常にデリケートなものとなってくれる。超銀河連邦として、二人はVIP扱いをしなければいけなかった。 「つまり、回答は早くて2ヶ月後と言うことですね。でしたら、ご案内できるものもあるかも知れません」  ヴィエネッタの答えに、「まあ」とトリネアは喜んだ。 「ぜひともお願いいたします」  あまりにも嬉しそうにするトリネアに、なるほど世間知らずなのだとヴィエネッタはこれまでの観察記録を確認したのである。  使者を送り出した以上、そのトレースを行うのは送り出した側の義務なのは間違いない。アリスカンダル特別追跡隊を指揮するガルブロウは、経過を確認するため部下のアドバントを呼び出した。双方ともヒューマノイド種でないため、報告を受ける姿は極めてSF的なものになっていた。  からだ全体がねずみ色をしたガルブロウは、特徴的なかさぶたを擦れあわせながらアドバントに報告を求めた。少し体が動くだけで、ぎりぎりと嫌な音を立てるのが、彼らの種の特徴でもある。  一方報告を求められたアドバントは、全身がぬめっとした緑色の皮膚を持っていた。頭部らしき場所には、目が20個あると言う特徴がある。ガルブロウ達の1千年よりは短い、4百年程度の平均寿命を持っていた。 「確か、スケジュール的にはプロキオン銀河に到着しているはずだったな」 「確かに、スケジュールではプロキオン銀河に到着していますね。ただテレメトリ情報は、1ヶ月遅れになるため、「恐らく」としか申し上げられませんが……一応トリネア王女の日報では、トランスワープシステムに問題は起きていないようです」  なるほどと大きくガルブロウが頷いた所で、やはりと言うか「ぎりぎり」と言う大きな音がした。そして音がしただけでなく、細かな欠片がパラパラと机の上に降り注いだ。  それを見ないふりをしたアドバントは、「代わり映えのしない報告になります」とこれまで繰り返してきた感想を口にした。 「それで、コウバコ王家からはなんと?」 「そのことなのだが……」  そこで声だけ深刻そうにしたガルブロウに、アドバントは言いがかりをつけられているのだと予想をした。だがその予想に反し、ガルブロウは「何もないのだ」と口にした。 「仮にも第一王女を送り出したのだ。事細かく報告を求められるのかと思っていたのだが……」 「それなのに、何もないのだと?」  上司の深刻そうな声に、なるほどとアドバントは事情が理解できた気がした。そして「実は」と彼らの送り出した船、ロットリング号のデーターを持ち出した。 「なぜ帰りのデーターが入力されていなかったのか。その理由が理解できた気がしますね」 「帰りのデーターが入力されていないのか!」  流石にそれはと驚いた上司に、「入力されていません」とアドバントは断言した。 「何かの間違いかと、何度も確認させてあります。その結果分かったのは、帰りのデーターどころか、行きの航路情報も残っていないと言うことです。こちらはテレメトリデーターとして受信していますので、航路情報の再現は可能なのですが……」 「だからヒューマノイド種は……」  はあっと大きく息を吐き出したのに合わせ、一際高くかさぶたが擦れ合わさる音が響いた。その音に顔を顰めたアドバントは、「それはそれとして」と対処を上司に確認することにした。 「トリネア王女が無事使命を果たした場合、帰還命令を出されるのですか?」 「常識的な対応をするのなら、帰還命令を出すことになるのだが?」  あまりにも冷淡なコウバコ王家の対応を考えると、それが幸せなことか分からなくなる。そのためガルブロウの答えも、いささか抑制気味のものになっていた。 「トランスワープシステムの実験船は貴重かと思いますが……実験データーだけなら、遠隔で十分取得できています。とは言え人道的に考えれば、遠隔から航路情報を設定して帰路につかせるべきなのですが……」 「歓迎されない……正確に言うのなら、疎まれている場所に帰ることに意味があるのかと言うのだろう。ただ、プロキオン銀河の居心地がいいとは限らないだろう。それに比べれば、故郷に帰る方がまだましだと言えるのではないか?」  常識的な判断をした上司に、「確かにそうですが」とアドバントは20個の目をギョロ付かせて答えた。 「コウバコ王家に、邪魔されそうな気がしてならないのです。ロットリング号に細工がされていないか、現在確認をさせている所です」 「そこまでする可能性があると言うことか……」  悩ましげに体を揺すったはずみで、大きなかさぶたが皮膚から剥がれ落ちてきた。「ガコッ」と言う音に、アドバントはビクッと体を震わせた。4つの目でそれを見たガルブロウは、落ちたかさぶたをつまみ上げて元の場所へと戻した。 「連邦としては、一星系の王女を使者として送り出したのだ。無事帰還をさせて、そこで責任を果たせたことになる。その原則だけは、曲げる訳にはいかないだろう」 「仰る通りかと。では、引き続き調査を行うことにします」  そうアドバントが頭を下げた所で、もう一度「ガコッ」と言う音が聞こえてきた。顔を上げてみたら、同じかさぶたがデスクの上に転がっていた。 「どうやら、うまくピースが嵌っていなかったようだ」 「まるで、トリネア王女の事のようですね」  元の場所に収まらない例えとして持ち出した部下に、「やめてくれ」とガルブロウは文句を言った。 「これは、方向さえ間違えなければ元の場所に収まるのだからな」  それでは、トリネア王女は居場所がないと言っているようなものなのだ。「そちらですか」と、アドバントは20個の目を明後日の方向に向けたのだった。  検閲を通して情報を発信すると、ひとまず仕事は区切りがついたことになる。後は2ヶ月後に送られてくるだろう、連邦からの指示を待てば良いことになる。 「分かっていたことですが、とても気の長い話ですね」 「それだけ、遠い所に来たと言うことになるのかと」  ここまで来るのに、およそ8ヶ月と言う時間を掛けていたのだ。それに比べれば、2ヶ月と言うのは比較的短い時間になるのだろう。だが指示待ちの時間だと考えると、「気の長い」と言うのは強く同意できることだった。しかも指示が1度で終わればいいのだが、もう一往復でもすることになれば、さらに2ヶ月が必要となってしまう。それだけで、出発から1年が経過することになるのだ。 「ところでトリネア様、一つ気になることがあるのですが」 「それは、プロキオン銀河側のことですか?」  尋ね返され、マルドは「いえ」と小さく首を振った。その反応に、トリネアはそのものズバリの指摘をした。 「帰り道のデーターが入力されていない……おおよそ、そのあたりでしょうか?」 「その通りなのですが、よくお気づきになられましたね!」  驚いた顔をしたマルドに、トリネアは少し悲しそうに顔を横に向けた。 「結果的に、あなたを巻き込んでしまったと言う事になりますね。そのことについては、申し訳なく思っています。プロキオン銀河が攻め込んでこないための配慮……とは、どう好意的に解釈しても無理がありますね」 「ええ、両者の間に横たわる距離を考えれば仰る通りかと」  神妙な顔をしたマルドに、「だから申し訳ないと思っています」とトリネアは謝った。 「いえ、トリネア様の方がお辛い立場かと」 「ですが、あなたは単なる巻き添えですからね。連邦が2人と指定してこなければ、私一人で送り出されたことでしょう」  だから謝るのだと、トリネアは繰り返した。 「ですが、連邦が私達を見捨てるでしょうか?」 「その意味では、連邦は信用ができますね。ただ、それぐらいのことはナニーナも分かっているはずです」 「つまり、船に細工がされているはずだと……」  「そこまでするのか」と、マルドは祖国の奸計が信じられなかった。だがトリネア王女を遠く銀河の果に捨てることを考えれば、それぐらいのことをしていてもおかしくないことに気がついた。下手に功績を上げて帰還されると、扱いが面倒になるのが目に見えていたのだ。 「使命を果たし、そして連邦のためにその生命を散らせる……その方が、都合が良いと考えても不思議ではありません。どうやら私は、ナニーナの策略に嵌ってしまったようです。それを考えたら、帰還命令が出ない方が幸せなのかもしれませんね」  そう答えたトリネアだが、「帰還命令」が出ないことはありえないと言うのも分かっていた。特に人権を重んじる連邦なのだから、無理をしてでもデーターを作成してくれるのが目に浮かぶようなのだ。そして自分達が考えているような仕掛けについても、遠隔から探ってくれるだろうと。 「でしたら仕掛けは、遠隔から分からないようになっている……もしくは、ダミーが混ぜられている可能性がありますね」  マルドの言葉に、トリネアはしっかりと頷いた。 「性格の悪いナニーナのことですから、その辺りに抜かりはないでしょうね」 「それでも、トリネア様はヨモツ銀河に戻られるのですか?」  こちらの対応を見ている限り、残ることを希望すれば叶えてくれそうに思えたのだ。それならば、無理をして帰る必要はないとマルドは考えた。まだ短い時間でしか暮らしていないのだが、こちらの銀河の方が居心地が良かったのだ。 「超銀河連邦でしたか、他所の銀河の問題に口を挟んでくるでしょうか。しかも正規の帰還命令が出されれば、その命令を尊重するのではないでしょうか? 故郷に帰るのを引き止めるには、それ相応の理由が必要になるはずです。そしてこちらの連邦には、私達を引き止めるような理由は無いはずです」  結果的に、自分達には選択肢がないことになる。ごめんなさいと謝るトリネアに、「でしたら」とマルドは別の方法を持ち出した。 「こちらの連邦軍……でしたか。船に仕掛けがされていることを伝えればいいのです。そうすれば、無理に帰れとは言われないはずです!」 「どうすればそれを信用してもらえるのでしょうか? 私達に、連邦から正規の帰還命令を覆すだけの根拠が提示できるでしょうか? それが出来ない限り、信用されないのではありませんか。そして私達は、こちらの人たちに更に信用されなくなるだけのことです」  自分達は、完全に手詰まりになっている。そう口にしたトリネアは、「ただ」と別の可能性を持ち出した。 「私達が、ただ勘違いをしているだけと言う可能性もありますけどね。帰り道の航路情報は、行きの結果を利用して作成することを考えている……と言う可能性がないわけではありません」 「そ、そうですよね、アルトリコ様がトリネア様を切り捨てるはずがありませんよね」  きっとそうに違いないと声を上げたモルドだったが、それが空元気であるのを自覚していた。たとえアルトリコ国王がそうでも、妹のナニーナ王女は姉を邪魔者扱いしていたのだ。そもそもこの話を国王に吹き込んだのも、妹のナニーナ王女だったのだ。それを考えると、ゴラーリ卿が急逝したのも策略に思えてしまう。 「必要な情報を送り終わったと申告しないといけませんね」  何がどう転ぶかわからないが、それにしたところで2ヶ月も先のことなのだ。それだけ時間があれば、何かが変わる可能性もあるだろう。今はここまでにしておこうと、トリネアは船を出ることを持ちかけたのだった。  異なる銀河からの客だと考えれば、対応には慎重が期されることになる。そこには、相手を信用しすぎてはいけないと言う用心も含まれていた。従って船、ロットリング号で交わされた二人の会話は、同伴したヴィエネッタの知るところとなっていた。 「ただの極楽とんぼと言うことはなさそうね」  そうトリネアを評したヴィエネッタは、「それで」と傍らにいた二人に問い掛けた。そこには最初にトリネア達に接触した、アリファールとミランダの二人が居た。 「トランスワープエンジンだったか……確かに、細工されたような形跡があったな。システムから完全に切り離された、ブラックボックスが見つかっている」 「ブラックボックスの機能は分析できたの?」  そちらが重要と言うヴィエネッタに、「今の所はまだ」とアリファールは報告した。 「ただ分析は出来ていないが、AIが幾つかの可能性を指摘している。その中で一番可能性が高いのが、センシングタイプの自爆装置と言うことだ。トランスワープエンジンだったか、その稼働率をセンスして一定条件が満たされた時に爆発すると言うものだ。もしも最大出力時に爆発をしたら、この程度の船なら跡形も残らないだろうと言うことだ。それどころか、かなり広い範囲に被害が出ることが予想されている」 「その辺りは、トリネア王女の推測と一致するわね。彼女達が帰路について、最高速度を出したところで爆発させる。周りには何もないから、他に被害を出す恐れがない。そして実験中のエンジンだから、不幸な事故として扱うことが出来ると言うことね。下手をしたら、私達に責任を押し付けてくることも考えられるわね」  酷いものねとのコメントに、アリファールは少し苛ついたような顔をした。 「ますます、ヒューマノイドタイプへの扱いの悪さの理由が分かるわね」  そしてミランダも、明らかに苛ついたように吐き捨てた。トリネア王女の態度に気に入らないところはあるが、何も知らない王族だと考えればまだ理解ができたのだ。その意味で言えば、邪魔者を利用した後抹殺すると言うのも、相手が王族だと考えれば分からない話ではなかった。現にディアミズレ銀河でも、クリプトサイトのお家騒動と言う事件があったのだ。  ただ感情的には、こちらの方が気に入らないと言う気持ちが強かった。その意味で、トリネア王女の考え方は気に入らないが、一方で彼女の置かれた立場に同情もしていたのだ。 「このことは、連邦理事会に報告する必要があるわね」 「報告書は、すぐにまとめるつもりだ……」  明らかに機嫌の悪そうなアリファールに、「それは私の仕事」とヴィエネッタは笑った。 「連邦審議官から、お二人をガルマン星系の宇宙港へお連れするようにとの指示が送られてきたわ。そこから王女様達は、旅客船ネビュラ・ミレニアで旅行されることになってる。まあご機嫌取りと言うのか、接待みたいなものだと思ってくれればいいわ。一応貴賓室が用意されているようね」 「一国の王女様だと考えれば、別におかしな扱いではないだろう。してきた努力を考えれば、それぐらいのご褒美があってもおかしくはないはずだ」  当たり前のコメントを口にしたアリファールに、「他人事じゃないわよ」とヴィエネッタは口元を歪めた。 「お姫様に、護衛が必要と言うのは理解できるわよね。だからあなた達二人に、トリネア王女の護衛に付いて貰うことになったわ」 「なんで、俺達がっ!」  思わず反発したアリファールに、ヴィエネッタは口元を歪めながら答えた。 「事情は2つあるわね。まず一つ目が、あなた達が一番トリネア王女たちのことを知っていると言うことよ。そして二つ目が、こっちだって人手不足と言うことよ。適任者が居るのに、わざわざ新しく人選をする理由がなかったと思ってちょうだい」 「……つまり、面倒を押し付けられたと言うことか」  明らかにゲンナリとしたアリファールに、「違うわね」とヴィエネッタは返した。 「面倒の引き取り手が居なかったと言うことよ。恨むのだったら、報告書を書いた自分を恨むことね」 「つまり、そう言うことなのか……」  気分が悪くなったとか悪口を書いたために、他の隊員たちが敬遠したと言うのである。それだけを持ち出せば、確かにアリファールの自業自得と言うことになるのだろう。ただ報告書を書いた本人にしてみれば、勘弁してくれと言いたくなることでもある。  だが上の決定が出てしまった以上、この役目は自分達二人に決定したことになる。役目を拒否しようにも、正当な理由が思いつかなかったのだ。 「多少は同情してるんでしょ。それに、こちらの基準なら王女様は美人だから」  良かったわねと、ヴィエネッタはアリファールの感情を逆なでするようなことを口にしたのだった。  ネビュラ・ミレニアム号は、クリプトサイト事件の後に就航した最新鋭の旅客船である。その建造には、クリプトサイトから多額の保証金が供出された実績がある。まだ就航して間もない、全長5kmにも及ぶ豪華巨大旅客船である。先代のネビュラ1に比べ、収容旅客数は10%程拡張されていた。 「豪華旅客船で、およそ1ヶ月の旅……ですか」  ヴィエネッタから説明を受けた時、トリネアは要領を得ないように首を傾げた。 「何か、問題でも?」  それを気にしたヴィエネッタに、「いえ」とトリネアは答えを探すように視線を彷徨わせた。 「その、豪華旅客船と言う概念が理解できないのです。ヨモツ銀河にも、旅客船に類するものは就航しています。ただ乗客は、ほとんど業務目的の者達ばかりなのです。それに加えて、さほど便数が多くないと言うのが実態です。ひとえに銀河が広すぎるのが理由なのですが、星系間の結びつきがかなり希薄になっているんです」  トリネアの説明に、「そう言うことか」とヴィエネッタは頷いた。これまで得られたデーターからの分析で、ヨモツ連邦は緩やかな共同体とされていたのだ。 「でしたら、ぜひとも豪華な旅と言うのを経験されてみてはいかがでしょう。旅客ステーションであれば、各地で下りることが出来ますよ」 「ヴィエネッタ様が、同伴していただけるのですか?」  ここまで面倒を見てくれたことを考えると、ここから先も彼女が同伴してくれるものだと考えたのである。そんなトリネアに、ヴィエネッタが出した名前は、いい意味で予想外のものだった。 「いえ、護衛としてアリファールとミランダの二人が同行することになっています」 「アリファール様、がでしょうか?」  ほんの少しだが、トリネアの頬が赤くなっていた。それを見つけたヴィエネッタは、なるほどねぇと護衛役選出理由を理解することが出来た。ただ護衛側の感情がよろしくないのだが、子供ではないのだから大丈夫だろうと割り切ることにした。 「ええ、下僕だと思ってこき使ってやって下さい」  そう言って笑ってから、ヴィエネッタはアリファールとミランダの二人を呼び出した。部屋に入ってきた二人は、明らかに顔が引きつっていた。  それを無視したヴィエネッタは、私はここまでとトリネア達に頭を下げた。そしてアリファール達に、「粗相のないように」と注意をした。 「超銀河連邦の大切なお客様と言う事を忘れないように」  そう言うことだからと言い残し、ヴィエネッタは軽い足取りで部屋を出ていった。  それを無表情のまま見送った二人は、「ご案内いたします」とトリネア達に頭を下げた。 「こちらこそ、よろしくお願いいたします」  トリネアが頭を下げたことで、お互いの挨拶はこれで終了ということになる。「こちらに」と極めて事務的な対応をしたのは、感情を見せないためと考えればいいのだろう。それを仕方のないことと諦め、トリネアはおとなしく案内されるままになったのである。  浮きドック「モビー・ディック」からガルマン星系まで、高速艇を使えばおよそ1日の移動となる。ここに来た連絡艇より小さな船に、「これで?」とトリネアは目を丸くして驚いた。トリネアが驚くのも無理もなく、高速艇コーシンUは連絡艇パスカルの半分、全長で100m程しか無かったのだ。 「こんな小さな船で、遠距離の移動が出来るのですか?」 「そうですね、移動速度だけならこちらの方がパスカル……先日使用した船より高速です。その分、船室が狭くなるのをご容赦願います」  相変わらず事務的に語るアリファールなのだが、トリネアはそれを悲しいとは思わなかった。彼がそうなるだけのことをしたという自覚が、彼女にはあったのである。 「ガルマン星系の旅客船ターミナルまで、ここからおよそ200光年ほどあります。この船であれば、およそ24時間で到着することが可能です」 「そんなに早いのですかっ!」  彼女が驚くのも、ヨモツ銀河の実態を考えれば不思議な事ではない。何しろヨモツ銀河で実用化された技術では、光速の約2万倍となるワープ速度10が限界だったのだ。その速度で移動しても、200光年を超えるのに4日近く掛かることになる。実際には最高速を出せない時間があるので、こちらは4倍以上の高速移動を実現していることになる。  しかもただ早いだけでなく、こんな小さな船で実現できているのだ。この技術を持って帰るだけで、ヨモツ銀河内の移動に革命が起こることだろう。 「これでも、まだ遅いほうなのですが……」  そこでアリファールが苦笑を浮かべたのは、彼女たちが乗ってきた船を見てるからに他ならない。全長1kmの大型船なのに、その殆どを動力機関が占めていたのだ。連邦軍の戦艦と比べて、明らかに性能的に劣っているのが分かっていた。 「後ほど、開示の許されている範囲でご説明差し上げようかと思っています」 「ほんとうですかっ!」  思わず詰め寄ってしまったのは、自分と話をしてくれると言うアリファールに喜んだのが理由である。いくら相手が気に入らなくても、見た目だけならトリネアは十分以上に美人だった。そんなトリネアに無邪気に詰め寄られては、流石にアリファールも冷静ではいられなかった。 「え、ええ、すでに許可は貰っています」  離れてと言うように手のひらを向けられ、トリネアは自分がはしたないことをしたのに気がついた。途端に顔を赤くしたトリネアは、「失礼いたしました」と謝ってアリファールから離れた。もちろんその顔は、これ以上無いほど赤くなっていた。 「ではトリネア王女、船にご案内いたします」  すかさず割り込んできたミランダは、こちらにとトリネア達を搭乗口へと案内した。その時ちらりと振り返ったのだが、明らかに面白いことになったと喜んでいるように見えた。 「……心臓に悪いな」  どうしてあそこまで無防備なのか。その辺りもまた、王族なのだとアリファールは考えることにした。  どんな船に乗せて貰えるのか、ワクワクとする気持ちを考えると、1日の移動程度なら苦にはならなかった。しかも用意されたコーシンUが、彼女たちの常識からするととんでもなく高性能なのも退屈を感じなかった理由だった。全長100mの小さな船にもかかわらず、彼女たちの乗ってきたロットリング号とは比べ物にならない程広くて快適な空間がそこにはあったのだ。狭くて申し訳ないと謝られた仮眠スペースにしても、ロットリング号よりずっと快適だったぐらいだ。  しかもガルマン星系の旅客船ターミナルは、彼女にとっては完全に異世界となっていた。広くて綺麗と言うのも大きいのだが、行き交う人々の活気がヨモツ銀河とは違っていたのだ。ヒューマノイド種以外も多くいたのだが、お互いが別け隔てなく交流しているようにも見えていた。 「こちらでは、様々な種が交流しているのですね!」  素晴らしいですと感激するトリネアに、「はぁ」とアリファールは要領を得ない返事をした。トリネアにとって特別なことなのかもしれないが、アリファールにすれば子供の頃から見慣れた光景だったのだ。 「およそ1千ヤー……1千年の歴史がありますからね。私達にとって見れば、これが普通の光景なんです」 「これが、普通の光景……なのですか。1千年だったら、私達とあまり差がないのですが」  それなのに、銀河の成り立ちが双方で大きく違っている。その理由が一体どこにあるのか、トリネアは是非とも聞いてみたい気持ちになっていた。ただそれが難しいのは、ミランダ達にはこれが普通のことと言うことだ。あまりにも日常になっているため、「なぜ」と言う疑問すら感じたことはなかった。 「俺達には、こう言うものだとしか答えようがない。逆に、分離された世界と言うのが分からないのだ」  ぼそっと答えたアリファールに、「凄いのですね」とトリネアは純粋に驚いていた。そうしていると、結構可愛いのにとアリファールは目の前の残念美人のことを思った。 「さて、出港までにはまだ時間があるのだが……」  ネビュラ・ミレニアの出港まで、まだ12時間以上の時間が残されていた。すでにネビュラ・ミレニアはドックに入っているので、乗船自体はいつでも可能にはなっている。ただおよそ1ヶ月の旅となることを考えれば、あまり慌てて乗り込む必要もなかったのだ。 「船の見学も出来ますけど、どうされますか?」 「豪華客船を見学できるのですかっ!」  それを凄いと喜ぶトリネアに、だったらとミランダはトリネア達を船に案内することにした。ここまで楽しみにしているのだから、お預けにするのも可哀想だと思ったのだ。  そこからカートで30分ほど移動した所に、ネビュラ・ミレニアムが係留されているドックがあった。ドックに入った所で目に飛び込んできた白い船体に、トリネアは小さく息を呑んだ。 「これが、豪華客船と言うものなのですか……」  全長にして5kmと、彼女が乗ってきたロットリング号の5倍の長さがある。ただ高さは800mほど、幅はおよそ1kmと比較にならない巨体を持っていた。 「ええ、最近就航したばかりの新造船です。乗客はおよそ11万人、乗務員は1万5千人と言う巨大客船ですね。客船としては、このあたりでは最新鋭の設備が搭載されているそうですよ」 「10万人以上も乗れる船……ですか」  ほおっとため息を吐いたトリネアは、「本当に凄いのですね」と心からの賛辞を送った。 「それで、客船と言うのはどのような方が利用されるのですか?」 「どのような方……と言われても、なぁ」  そこでミランダの顔を見てから、アリファールは「多種多様」と答えた。 「こう言った定期船の場合、本当に様々な人たちが利用しているな。政治的な目的で利用したり、ビジネスのために利用する人もいる。一方で他の星へ観光に行くのに利用したり、船旅自体を楽しむと言う人もいる」 「観光に船旅……ですか。それは、一体どのようなものなのですか?」  本気でわからないと言う顔をしたトリネアに、「遊び」と言う概念をアリファールは持ち出した。 「仕事ではなく、自分が楽しむと言うのが遊びなのだが。観光と言うのは、自分の住んでいる場所とは違う土地に行き、そこの景色や文化風俗、場合によっては食べ物を楽しんだりすることを言う。船旅と言うのは、船に乗る事自体を楽しみにすることだ。こう言った旅客船は、それぞれ客を楽しませるために趣向を凝らしているんだ。それを目的に船に乗って移動することを、船旅と言っているな」 「個人が楽しむため……と言うことですね」  凄いなぁと感心するトリネアに、アリファールは逆に質問をした。 「ヨモツ銀河では、個人が楽しむと言うことはないのか?」 「無いと言うのは流石に言いすぎだとは思いますが……」  そこでモルドを見てから、それがごく少数であることを説明した。 「ここに来る前にも説明いたしましたが、星系間の結びつきはあまり強くありません。特徴的な景観を持つ星は少なくないのですが、それを観光? 目的で訪れる者は皆無と言っていいと思います。旅客船を利用するものも、殆ど何らかの業務目的となっています。ですから旅客船も、このような華美な外観をしていません。皆とても勤勉で、あまり遊ぶことをしないのでは無いでしょうか」  その説明を聞き、「嫌な世界だな」とアリファールは心の中で評していた。勤勉なのを悪いと言うつもりはないが、それだけで終わってしまうと何を楽しみに生きているのだと言いたくなってしまう。 「だったら、何事も経験だと思って船旅を楽しんでみたらどうだ。この船には、様々な娯楽施設が揃っていると言う話だ」 「その娯楽施設と言うのもよく分からないのですが……」  そこで勇気を振り絞ったトリネアは、「案内していただけますか?」とアリファールを誘った。 「王女殿下を案内……」  自分で楽しんでみろと言った以上、その言葉に責任を持つ必要があるのは確かだ。ただ王女を案内するのは、流石に男のアリファールにはハードすぎるように思えてしまった。そこで助けを求めるようにミランダを見たのだが、ニヤつく表情を見て諦めることにした。 「私のようなものでよろしければ、喜んでご案内いたします」  少し他人行儀に頭を下げたのだが、トリネアにはアリファールの態度はどうでもいいことのようだった。本当に嬉しそうな顔をしたトリネアは、「よろしくお願いします」とアリファールの手を取った。 「私のようなものに、勿体のないことです」  やはり心臓に悪いなと思いながら、アリファールは必要以上にへりくだった態度を取ったのだった。  アドバントが調査結果の報告に現れたのは、トリネア達のプロキオン銀河到着連絡が届く予定の1週間ほど前のことだった。20個の目をギョロギョロとさせて現れたアドバントに、上司であるガルブロウは「顔色が良くないな」と声を掛けた。 「顔が青いぞ。調査が難航したのか?」 「ええ、これと言った証拠が出てきませんでしたので」  そう答えたアドバントは、「こちらを」と報告書をガルブロウへと転送した。 「単刀直入な話をするなら、おかしなところは見つかっておりません。実験船ロットリング号の制御系に、正体不明のプログラムが組み込まれた形跡も見つかっておりません。その事実だけを持ち出せば、陰謀論は単なる勘違いと言う事になります」 「だが、お前は納得出来ないのだろう?」  かさぶたをギシギシと言わせながら、ガルブロウはアドバントに問い掛けた。それに頷いたアドバントは、「コウバコ王家の動きがおかしいのです」と自分の感想を口にした。 「ヨモツ銀河初のワープ速度15を達成し、しかも我々の誰ひとりとして訪れたことのないプロキオン銀河に、コウバコ王家の者が使者として到達するのです。本来この偉業は、大々的に宣伝されて然るべきものです。ですがコウバコ星系の中で、トリネア王女の偉業が少しも広まっていないのです。それどころか、トリネア王女の近況自体広報されておりません。まるで、トリネアと言う王女が初めから居なかったかのような扱い……と言えば、私の感じた違和感をご理解いただけるのかと」 「例えそうだとしても、船に細工された形跡を発見できないのだろう?」  違うのかと問われると、そのとおりとしか答えようがない。「仰るとおりで」と答えたアドバントに、今度はガルブロウがため息を吐いた。ため息自体は問題がないのだが、アドバントは同時に何かが顔に突き刺さったような気がした。  一体何がと顔に手を当てたら、何かの破片のようなものが刺さっているのに気がついた。もしやと思って抜いてみたら、果たしてそれはガルブロウのかさぶたの欠片だった。 「だとしたら、我々に出来ることは限られている」  自分のかさぶたの欠片が突き刺さったことを気に留めず、ガルブロウはかさぶたを軋ませながら「悩ましいことだ」と吐き出した。 「引き続き細工を探すこと。そして任務完了の折には、トリネア王女に帰還の指示を出すことだ。もっとも、そう簡単に任務が達成できるとは思えないのだがな」 「あてもなく宇宙を飛んでいるだけでは、住人に出会う可能性は極めて低くなりますからね」  任務の成功確率が極めて低いと言うのも、志願者が現れなかった理由にもなっていたのだ。それを考えれば、まだまだ先は長いことになるはずだ。 「それを考えれば、コウバコ王家の態度も理解できないことではないな」 「居ないものと扱うことが、でしょうか?」  流石にそれはと訝ったアドバントに、「そのことがだ」とガルブロウは答えた。 「この任務が、片道切符だと考えている可能性もある」 「片道切符の任務ですか……なるほど、確かにそう考えても不思議ではありませんね。いずれにしても、トリネア王女が気の毒と言う気はしますが」  キョロキョロと20個の目を動かしながら、「我々だけですかね」とアドバントは分かりにくい言葉を口にした。当然ガルブロウから、「何のことだ?」と言う問いが返ってきた。 「トリネア王女の事を考えている者が、と言うことです」  アドバントの指摘に、ガルブロウはふんと鼻息を荒くした。それと同時に、アドバントはまた何かが顔に突き刺さったのを感じた。 「もしもそうだとしたら、嘆かわしいことなのだが……私には、否定するだけの根拠が無いのも問題だな」  もう一度ふんと鼻息を荒くされ、アドバントは顔の2箇所に痛みを感じた。どうやら今度は、塊が2つ飛んできてくれたようだ。これで怪我をしたら労災が申請できるのだろうか。突き刺さった欠片をつまみながら、アドバントはどうでもいいことに現実逃避をしたのだった。  各支社の状況に気を配るのは、社長の立場ならば不思議なことではないだろう。そして意外なことに、アリッサは細やかに支社のアクティビティをチェックしていた。 「エスデニア支社は、エイシャさんがいますから問題ありませんね。レムニアの方も、当たり前ですが問題の出る要素はありませんか。さすがは長命種の方たちと言っていいのでしょうね」  支社の事業規模と言う意味では、エスデニア支社は売上の1%も稼いではいない。その意味で弱小支社なのだが、トリプルAにとって転機となったアス詣でを扱っていることで、外向けの意味合いとして大きなものになっていた。ただ1%もと言っても、売上としては1億ダラを超えている。利益率も良いことから、問題にする必要もないものだった。  そしてエスデニアに支社を置くことは、会社の格と言う意味で大きな意味を持っていた。エスデニアやアス駐留軍、そしてパガニア王国とのコネクション管理は、エスデニア支社の仕事となっていたのだ。売上高に比べて、政治的意味合いの大きな支社となっていたのである。シルバニア帝国との業務提携も、エスデニア支社が窓口となっていた。 「その意味では、エルマー支社も業績的には問題ありませんね」  トリプルAにとって、一番新しい支社がエルマー支社である。業績的には、エスデニア支社より小さくなっているのだが、安全保障部門の拠点になっていることで、意味合いとしては非常に重要なものを持っていた。そしてゼスから支払いが始まれば、売上的にもエスデニア支社より大きくなるのは分かっていた。 「ただ、エルマー支社のあり方については、一度見直して見る必要がありそうですね」  アリッサが気にしたのは、顧問に就任したパウエルの報告書である。そこにはノブハルのアクティビティが低下したのみならず、その影響が部下たちにも出ているというものだった。 「あの人が徹底的にへこませたから……と言うのは分かっていますが」  ふっと息を吐いたアリッサは、「ほどほどにして欲しいな」と小さく呟いた。夫には夫なりの思惑があるのだろうが、会社の業績に与える影響も考えて欲しいのだ。そして支社の運営に影響が出始めているのなら、経営者として一刻も早く手を打つ必要がある。 「やはり、あの人に相談することにしましょう」  もともと、ノブハルのために作られたのが、エルマー支社なのである。それを考えれば、簡単に支社長を更迭する訳にもいかないだろう。もともと頭は抜群にいいのだが、ノブハルには管理に向いているようにも思えない所がある。問題が見えてきた所で、役割を考え直すことも視野に入れなければと考えたのだ。 「と言うことで、あの人を呼び戻さないと……確か、リゲル帝国に皇帝をしに行っていましたね」  トラスティの予定を確認したアリッサは、早速ジェイドに呼び戻すことにした。あまり早く呼び戻すと諍いの元になるので、リゲル帝国での滞在日数を確認することに大きな意味があったのだ。  そしてアリッサからの召喚を受けた2日後、トラスティはジェイドのトリプルA事務所に降り立っていた。少し息が切れているのは、よほど急いで帰ってきた証拠だろう。 「とりあえず、急いで帰ってきたけど……どうかしたの?」  すぐに帰ってこいのメッセージしかなかったため、自分がどうして呼び戻されたのかを理解していなかった。記憶にある限り、アリッサから呼び戻されたのは初めてのことに違いない。だから慌てて帰ってきたし、だからどうしたのかと尋ねるのも不思議なことではないはずだった。  だが夫の顔を見たアリッサは、その前にと奥の部屋へと引っ張り込んだ。ちなみにそこには、とても広いソファーが置かれていたのである。 「ええっと、これから?」 「それが夫の務めだと思いますよ」  そうやってトラスティを黙らせ、アリッサはバネッタに「しばらく取次禁止!」と命じたのだった。  そして翌日、この夫婦は旅客船アンドロメダVの乗客となっていた。目的は、トリプルAエルマー支社長の人事面接と言うやつである。その為アスを経由して、ディアミズレ銀河へ向かうルートをとっていた。 「言ってくれれば、船ぐらい用意をしたのに」  その方が面倒がなくていいと主張した夫に、「公私混同は良くありませんよ」とアリッサは注意をした。 「今回は、あくまでトリプルAの業務ですからね。だから、トリプルAとして足を確保しただけです」 「と言うけど、リゲル帝国とは業務提携しているんだけどね。同じ理由は、レムニア帝国にも成り立つんだけど……タンガロイドのクルーザー以外なら、使用しても公私混同にならないと思うんだけどな。それに、これでもリゲル帝国皇帝様なんだけど」  その方面からでも、専用船を使う口実は立ってくれる。ただ正論のつもりで持ち出した理由も、「それはそれと言うものです」と言う訳の分からない理由で押し切られてしまった。とことんアリッサに弱いトラスティだから、それ以上の反論は諦めた。アリッサがガトランティスを使わない理由も、なんとなく理解はできたのだ。  当然のように特等船室を確保し、夫婦はアンドロメダで贅沢三昧をして1日を過ごした。ちなみにアンドロメダにもカジノが設置されていて、ギャンブラー夫婦が爆勝ちをしたのは言うまでもない。  そうやって他人から見たら豪華旅行を楽しんだ二人は、最初の目的地であるルナツーへと到着した。1千ヤー前にシルバニア帝国から運び込まれた巨大ピアは、今やアス防衛の要となっていた。そしてルナツーの司令になるのは、連邦軍の中でのキャリアパスと言われていた。今更言うまでもないことだが、御三家の者達はいずれもルナツーの司令を経験していたのである。 「ルナツーの司令って、暇なんですか?」  予想して然るべきことなのだが、アンドロメダVを降りた所でスタークの息子、ウィリアム司令の出迎えを受けることになった。今の言葉は、ガチガチに緊張しながらアリッサの手の甲にキスをしたウィリアムへ向けたものである。 「親父がお世話になっている会社のトップがおいでになったのだ。息子として挨拶してもおかしなことじゃないだろう」  そう言い返したウィリアムは、「お会い出来て光栄です」とアリッサに頭を下げた。一地方星系の企業のトップと、超銀河連邦軍の要職だと考えれば、立場が逆と言いたくなる挨拶だった。  丁寧なウィリアムに少し照れながら、「こちらこそ」とアリッサは微笑んでみせた。 「ディアミズレ銀河へのゲートは、およそ2時間後に接続されます。それまで、窮屈な場所で申し訳ありませんが、応接を用意してあります」 「いやいや、僕達は単なる旅行者だから」  基地司令自ら応接に案内するようなVIPじゃない。トラスティはそう主張したのだが、それをウィリアムの冷たい視線が迎え撃ってくれた。 「リゲル帝国皇帝夫妻、モンベルト王国国王夫妻がVIPではないと?」 「あー、確かにそんな肩書があったな……ただ、それにしては僕に対する態度が冷たくないかな?」  気のせいでなければ、ウィリアムはアリッサ「だけ」にへりくだった態度を取っていたのだ。それに引き換え、自分に対してぞんざいな扱いをしているように思えてしまう。 「気にするな。単なる嫉妬だ」 「もうすこし、オブラートに包んだ方がいいと思いますよ」  いいけどとアリッサの口癖を口にしたトラスティは、大人しく応接へと連れ込まれていった。  そこで二人を座らせ、アリッサにはウィリアム自らお茶を振る舞った。ただ待てど暮らせど、トラスティの前には飲み物は置かれなかった。 「いくらなんでも、あからさまだと思うのだけどね」  ただそれに拘ってもろくなことはないと、「それで」とここに連れ込まれた目的を尋ねた。 「ヨモツ銀河とか言ったな。今回の事件のことで、どこまで情報を掴んでいる?」 「どこまでと言われてもなぁ。連邦が比較的常識的で、なおかつ消極的な対策を取ることぐらいかなぁ」  なるほどと頷いたウィリアムは、「色々と分かったことがある」と二人の前に円筒形をした物体を投影した。 「これは?」 「あちらの送ってきた使者が乗ってきた船だ。名前はロットリング号、全長1km、太い所で100mほどの実験船だ。実験船と言うだけのことはあり、船体の殆どがトランスワープを行うための動力機関になっている。そして残された部分に、乗員2名分の居室とリサイクルシステムを含めたプラントが申し訳程度に作られている。軍の方で分析を進めているが、技術的には余り見るべき所は無いようだ。レムニア帝国やシルバニア帝国と比較すると、1千ヤーぐらい遅れた技術を使っているらしい」 「それが、ヨモツ銀河……だったかな。その技術レベルだと言うのだね」  小さく首肯したウィリアムは、手で操作をして動力機関の部分を拡大した。 「この部分が一番エネルギー密度が高くなっているのだが、明らかに不自然な仕掛けが見つかっている。船のシステムから完全に切り離された、独立した機能を持っているようだ」  分かるかと問われたトラスティは、「ひょっとして」と思いついたことを口にした。 「自爆用と言いたいのかな?」 「機能的には似たようなものだが、船のシステムから完全に切り離されていると言ったはずだ。従って、起動させるためには乗員が動力部に入る必要がある。自爆を目的とするには、いささか使い勝手が悪いものだと言うことが出来る」  その説明に、トラスティはなるほどと頷いた。 「船のシステムから切り離されていると言ったね。だとしたら、動作条件が問題になるのだが……」 「流石に、外部から診断しただけではそこまでは分かっていない」 「それでも、推測をすることは出来るんだろう?」  トラスティの指摘に、ウィリアムは首肯をしてそれを認めた。 「使者となったトリネア王女達の会話にヒントがあった。どうやらブラックボックスを設置したのは、彼女の実家に当たるコウバコ王家のようだ。我々に接収されても爆発しなかったところを見ると、ターゲットはトリネア王女と推測される。従って軍の分析官は、このままトリネア王女を帰すのは危険だと上申してきた。恐らくディアミズレ銀河を出て最高速を出した所で爆発するだろうと言うのが上申の理由だ」 「なぜ、往路で爆発させなかったんだろうね?」  王女を始末するつもりなら、別に帰路である必要はないはずだ。その指摘に小さく首肯したウィリアムは、「幼稚なカムフラージュだろう」と自説を開陳した。 「さもなければ、使命だけは果たさせようとしたと考えることも出来る。ちなみに、ヨモツ銀河へ戻る設定はされていなかったそうだ」 「アリバイ作りのために送り出され、なおかつ不要と切り捨てられたと言うことかな?」 「送り出したヨモツ銀河連邦とコウバコ王家の目的はそうだろうな。従って、ディアミズレ銀河方面軍では、トリネア王女に対する同情論が強くなっている。だからではないだろうが、王女様は豪華な客船の旅が用意された。ちなみに言っておくが、君達が利用するネビュラ・ミレニアムに乗っているそうだ」  ああと頷いたトラスティは、「それで?」とウィリアムに問い掛けた。 「連邦の選択は、比較的常識的で消極的だと言ったな。その考えは、俺も大いに賛同しているんだ。今回の事件を偶発的なものと捉え、交流を放置すると言うのも一つの考えであるのは認めよう。ただ、今後交流をするつもりがあるのなら、今動かなければいけないと思っている」 「連邦の決定を待っていたら、タイミングを逃すと言いたいのかな。そしてあなたは、面倒をトリプルAに押し付けようと考えている。僕達を連れ込んだ理由は、おおよそそんな所と言うところかな?」  酷い人だと文句を言うトラスティに、「他にいないからな」とウィリアムは嘯いた。 「超銀河連邦を股にかけて、こんな真似を出来るところはトリプルA以外にないだろう?」  ウィリアムの決めつけに、トラスティは少し口元を歪めた。 「出来るのと、やるのは違うと言うことですよ。忘れて欲しくないんですけど、トリプルAは営利企業です。外銀河探索なんて仕事は、手間の割に実入りがいいとは思えない。こう言った仕事は、連邦が組織を作ってやるべきなんですよ」  だから手を出さないと答えたトラスティに、「あなたは?」とウィリアムはアリッサに尋ねた。 「その点に付いては、私も夫と同じ考えですね。手間と収益のバランスが取れるのであれば、考慮するのは吝かではありませんよ。ただトリプルAを指定業者とするのは、いくらなんでも口実がたちませんよね?」  だから手を出すことはないと、アリッサははっきりと言い切った。 「なるほど、意外にも常識的な考えをしていると言うことですね」  はっきりと首肯したウィリアムは、「大切なことを忘れてる」と二人に指摘した。 「ノブハル・アオヤマ氏でしたか。先日の事件で、あなたから叱責を受けたそうですね。そのせいで、今はかなり落ち込んでいると言う噂があります。あなた達は、その後始末のためにディアミズレ銀河に行かれるのではありませんか?」 「それに類することは考えているが?」  それでと先を促したトラスティに、ウィリアムは少し口元を歪めた。 「彼の近くに、私の父が居るのを忘れていませんか? 父は間違いなく、あなた達に面倒を押し付けようと考えていますよ。モンベルトとパガニアに干渉し、連邦の過去をあなたは清算した。そしてゼスに干渉することで、連邦の今の問題も清算したんです。だとしたら、次は連邦の未来に関わるべきだと思いませんか? 少なくとも、私の父はあなた達にそれを期待しているはずです」 「なるほど、スターク氏がノブハル君をそそのかす可能性があると言うのですね」  そこでもう一度なるほどと頷いたトラスティは、「原則を曲げませんよ」とウィリアムに言い返した。 「企業として、事業にならない仕事には手を出しませんよ。そしてもう一つ、単発の仕事にも手を出しません。単発の仕事に手を出すほど、トリプルAの業績は悪くありませんからね。たとえ仕事の実入りが良かったとしても、機会損失を考えたらトリプルAが手を出す理由がない。たとえスターク氏がノブハル君をそそのかすことが出来ても、その原則を曲げるつもりはありませんからね」 「それが、企業経営者の考えと言うことですか?」  確認してきたウィリアムに、トラスティとアリッサは頷くことでそれを認めた。 「人を躍らせるつもりなら、もっと美味しそうな餌を用意することですね」 「未知の世界を探索するのは、餌として高級なものではなかったと言うことかな?」 「3日で飽きる仕事は、高級なものとは言えませんよ」  そこで時間を確認したトラスティは、「もういいですか?」とウィリアムに確認をした。まだゲートが開くまで時間はあるが、ここで時間をつぶすのは目的外に違いなかったのだ。 「私も基地司令の仕事に戻らないといけない時間となったようです」  そう言って立ち上がったウィリアムは、最初にアリッサに対して右手を差し出した。 「次の機会も、是非ともルナツーにお立ち寄りください」  魅力的な笑みを浮かべたウィリアムに、「その時は」とアリッサも笑みを返した。流石に極上だと感激をしながら、今度はトラスティに向けて右手を差し出した。 「ペテン師と言うのが、噂通りだと分かりましたよ」 「確かウェンディは、魔術師と言われていましたね」  古い話を持ち出され、ウィリアムは少しだけ口元を歪めた。そしてトラスティの耳元に口を近づけ、「以前の話を覚えているか?」と囁いた。 「以前の話……女性を紹介すると言う話のことですか?」 「本部に居る時以上に、ルナツーが退屈だと分かったんだ」  その答えになるほどと頷き、「心当たりを当たってみますよ」と今度はトラスティが耳元で囁いた。 「恐らく、希望者が殺到する気がしますけどね」 「多分、それは勘違いだと思うぞ」  苦笑を返したウィリアムは、「こちらに」と二人を出口へと案内した。そして待ち構えていた衛視に、「ご案内するように」と命じた。二人がVIPである以上、基地司令としても気を使う必要があったのだ。 「やはり、噂通り最悪のペテン師と言うことか」  そこでAIを呼び出したウィリアムは、「クサンティン元帥に報告」と命じた。 「結構高いハードルを用意してくれたものだ」  トラスティが繰り返したのは、企業としての原則を曲げないと言うことだけなのだ。裏を返せば、収益性があれば手を出すと言うことになる。原則を散々繰り返したのは、相手にして欲しければそれを考えてこいと突き付けてくれたと言うことだ。 「トリプルAが動けば、トップ6を巻き込むことが出来る」  プロジェクトを成功させるためには、トップ6と言われる星系を巻き込むことが必須だったのだ。一部なら個別に切り崩すことも可能だが、リゲル帝国やパガニア王国、レムニア帝国を切り崩すのは連邦では不可能だろう。そして個別の切り崩しは、時間がかかりすぎると言う問題もあった。  その抜け道は、いずれにも強い影響力を持つトリプルA、正確にはトラスティを巻き込むことだった。 「ここから先は、クサンティン元帥の仕事と言うことか」  絶対にトラスティ達に楽をさせる訳にはいかない。その認識は、御三家で共有されたものだったのだ。  連邦軍ディアミズレ方面隊に収容されたアリスカンダルの3人は、取り調べのため基地のあるガルマン星系へと運ばれていた。ガルマン星系は、文明レベル4とディアミズレ銀河でもっとも文明の発達した星系の一つである。それが理由で、連邦の支局がガルマン星系にいくつか作られていた。連邦軍の基地が作られているのも、ガルマン星系が栄えているからと言うのが理由である。  そこでサンダー大王、サーシャ王女とワカシの3人は、IGPOの取り調べを受けることになった。直接の容疑は、航宙法違反である。その違反の中には、ローエングリンに対する攻撃も含まれていた。 「あくまで、あなた達が我々の銀河でしたことのみを確認させていただきます」  にこやかな顔で対応したのは、IGPOから派遣されたキースと言う捜査官である。一応王族と言うことで、失礼な対応をしないようにと事前に釘を差されていた。  宜しいですねとキースに聞かれ、サンダーはしっかりと頷いた。サンダーが殊勝な態度を取るのは、自分の運命が目の前の男に握られていると考えたからである。 「あなたの場合、すでに供述調書が作られています。まず、その内容を確認いただけますか?」 「これを、確認すればいいのか?」  目の前には、彼らの言葉に翻訳された供述調書が表示されていた。そのほとんどは、リュースが記録したものである。結構暴力的に取られた調書なのだが、サンダーはそのことに文句を言わなかった。そしてその代わり、表示された調書を穴が空くほどじっくりと読み進んだ。  およそ10分ほどしてから、「補足訂正することはありますか」とキースは声を掛けた。 「いや、特にわしから訂正することはない」  その答えに、なるほどとキースは頷いた。 「ローエングリンと言う船への攻撃は、あなたが命令したものではないと言うことですね?」 「誓って言うが、わしはそのようなことを命じておらん!」  それが重要と語気を強めたサンダーに、なるほどとキースは大きく頷いた。 「すべては、4人組が主導した。あなたの主張はそう言うことですね?」 「主張ではなく、それが事実なのだっ!」  そこだけは絶対に譲れないと、サンダーは更に語気を強めた。それにもう一度頷いたキースは、「次に」とこれからのことを尋ねることにした。 「では、これからのことをお尋ねすることにします。あなたは、何か希望はありますでしょうか。具体的に言うと、こちらの銀河への亡命から、ヨモツ銀河ですか、そこへの帰還まで色々とあるのですが」 「帰れるものなら……わしは故郷に帰りたいと思っておる。だが帰れば、わしには懲役10年の刑が待っておるのだ。それを考えれば、帰っても良いことはないのだろう」  そこで目を閉じたサンダーは、ゆっくりと息を吐いてから目を開いた。 「政治亡命を求めた場合、わしの扱いはどのようになるのだ?」 「それは、中々難しいところがありますね。受け入れてくれる星系があれば、そこの規定に従うことになります。もしも受け入れ星系がなければ、超銀河連邦で保護と言うことになるのでしょう。その場合本部のあるライマールに移送され、そこで生活することになるのでしょう。恐らくですが、形式的に何かの役職についていただくことになるのでしょうね」  それに小さく頷いたサンダーは、もう一つと帰還を求めた場合の方法を確認した。 「もしも帰りたいとわしが望んだ場合はどうなるのだ? 一言帰ると言っても、簡単なものではないだろう」 「何しろ、200万光年を超える距離がありますからね。仰るとおり、簡単なものではないでしょう。その場合、ヨモツ銀河の担当者に迎えに来てもらうことになりますね。もちろん、これが建前であるのは理解していますよ」  サンダーの答えを待たずに、キースは更に言葉を続けた。 「あなた達の技術……トランスワープですか。その方法を使っても、片道で半年近くかかることになります。しかも実験段階の技術でしか無いのですから、正規の迎えが来るまでにはかなりの時間が掛かることになるのでしょうね。そしてあなたに対して、彼らがそこまで骨を折るとは考えにくい」 「やけに、こちらの事情に詳しいのだな」  ただ当たっているだけに、サンダーの言葉にも諦めの色が強かった。 「我々にも、情報源があったと言うことです。そして実情をバラすのなら、ヨモツ銀河から使者が送られてきているのです。コウバコ王家の王女が、実験船ロットリング号でこちらにまで来ているのですよ」 「なるほど、コウバコ王家か……察するに、トリネア王女なのだろうな、その使者と言うのは」  大きく頷いたサンダーに、「ご存知なのですか?」とキースは問い掛けた。 「ああ、不細工のトリネアのことだろう。コウバコ王家では、厄介者の扱いを受けていたはずだ。見た目に関して言えば、うちのサーシャも大して変わらないのだが……あそこは、ナニーナと言う王女がいるからな。何かにつけて、トリネアはいらない子の扱いを受けていたはずだ。そうか、トリネア王女が来ているのか……」  自分の立場を忘れ、「可哀想に」とサンダーは気持ちを吐き出した。 「わしら以上に、トリネア王女は帰っても良いことはあるまい」 「ただ彼女の場合、使者として送られきていますからね。役目を果たせば、帰る必要が出てくるのですよ」  当然キースも、トリネアの事情に関する分析は知らされていた。そしてその分析は、サンダーの証言と大差のないものだった。 「それでも、こちらに残してやるのが人情と言うものだと思うぞ」  そこまで答えたサンダーは、「すまなかった」とキースに謝罪をした。トリネアの話は、この場において拘るものでは無かったのだ。 「わしの希望は、今述べたとおりだ。ただ結果的には、こちらに政治亡命をすることになるのだろう」 「一応ご希望は承ったと言うことにしておきます」  そこで頭を下げたキースは、ご案内しますとサンダーに立つように促した。 「多少窮屈かもしれませんが、御身の身分に対する決定が出るまで我慢願います」 「確かに居室は狭いのだが……それでも、こちらの食事の方がマシと言うのはどう考えてよいのだろうな」  口元を歪めたサンダーは、キースに付いて大人しく取調室を出ていった。故郷から200万光年も離れたところにいる以上、反発すること自体に意味を見出せなかったのだ。  そしてサーシャの事情聴取も、サンダーと似たようなものになっていた。女性だからと、IGPOのランシットと言う女性が係官として選ばれた。そしてサンダー同様、リュースの報告書の確認から始まった。 「この調書に、訂正もしくは補足することはありますか?」  似たような年頃の係官からの問いに、これと言ってとサーシャは答えた。 「では、あなたの身の振り方への希望を伺うのですが……この後、あなたはどうされることを希望しますか? 具体的には、政治亡命を希望されるのか、故郷へ帰られることを希望されるのかと言うことです」 「政治亡命を希望します!」  即答したサーシャに、ランシットは目をぱちぱちと瞬かせた。 「政治亡命した時に、どのように扱われるのかを確認するものではありませんか?」 「帰っても良いことなど一つもないことは分かっています。そしてこれまでの扱いで、こちらの扱いが悪くないことは分かりました。いえ、ずっとこちらの方が快適だと言うのが分かっているんです。だったら、政治亡命を希望するのはおかしくないはずです!」  はっきり言い切ったサーシャに、ランシットは一度目を閉じてから深呼吸をした。 「だとしたら、これ以上あなたからお話を伺うことはないのですが……」  そこでもう一度大きく息を吸ったランシットは、「説明と確認が必要でしょうね」とサーシャの顔を見た。 「あなたのお父様が政治亡命を希望された場合、一緒に生活されることを希望されますか?」  家族だからと言う意味で尋ねたランシットに、「どちらでも」とサーシャは答えた。 「別にどうでもいいと言うのが私の答えよ。一応言い訳をしておきますが、私の年齢ならそろそろ嫁いで家をでることになっているの。だから父親と一緒に住むかと言われても、どちらでも良いとしか答えようがないわ」 「それほど、家族にこだわりがないと言うのですね」  小さく頷いたランシットは、「これからのことですが」と話を続けた。 「あなた達を受け入れると言う星系が出てこなければ、超銀河連邦本部のあるライマールに移送されることになりますね。そこで保護をされて、一生を過ごすことになると思います」 「そこって、ここよりも都会? 後は、周りに若い男は居るのかしら?」  それが重要と迫ってきたサーシャに、ランシットははっきりと苦笑を浮かべた。 「都会と言う意味なら、間違いなくここよりも都会ですよ。文明レベル的にも、ここガルマンよりも遥かに進んでいます。周りに若い男が居るのかと聞かれれば……」  そこで答えを探したランシットは、サーシャの質問の意図を考えた。 「居ることは居ますが、あなたの恋人に相応しいかどうかは分かりませんよ」 「相応しいかどうかは、私が決めることですっ!」  そう答えたサーシャは、「強く亡命を希望します」と断言してくれた。 「その方が、帰るのよりずっと良いに決まっています!」  あまりにも断言するので、よほどあちらの扱いが悪いのだとランシットは想像した。銀河を超えるだけの科学力があるのに、どうして住人が帰ることを希望しないのか。一体どんな世界なのかと、じっくりと話を聞いてみたい気がしてきていた。  巻き込まれたと言う報告がある王家の二人とは違い、ワカシの場合は今回の主犯格と見なされていた。その為ヒアリングも、サンダー達とは違った対応となっていた。ワッタリオと言う捜査官は、ワカシに対して事件への関わりから確認を始めた。 「あなたには、二つの嫌疑がかけられている。一つ目は、ローエングリンと言う宇宙船への攻撃を主導した嫌疑。そしてもう一つは、あなた達がイスカンダルと名付けた星に対して、虐殺を計画した嫌疑です。まずローエングリンへの攻撃ですが、何か説明することはありますか?」  その問いに対して、ワカシは一度小さく頷いた。 「それなら、明確に否定をできるね。僕がしたのは、進行方向に1隻の船がいることを報告したことだけだよ。そこから先は、軍の責任と言うことになるね。アトベとムカヒと言う二人の将軍が居たんだけど、そいつらが景気づけに破壊することを決定したんだ。ただ結果だけを見れば、僕達には破壊することが出来なかったんだけどね」  そう答えたワカシは、「質問していいかな?」とワッタリオに問い掛けた。 「内容にもよるが?」  とりあえず質問の内容を教えろと言われ、ワカシはローエングリンのことを持ち出した。 「僕達のソリトン砲の集中攻撃を耐えた船だけどね。あの後どうなったのかを知りたいんだ」 「あの後か、今は母港に戻って乗員も復帰していると聞かされている」 「みんな無事だった……と言うことかな」  ううむと唸ったワカシに、「それが何か?」とワッタリオは聞き返した。 「20隻から集中攻撃を受ければ、通常の惑星ぐらい消滅させることが出来るんだよ。あの船は、その攻撃に耐えてみせたんだ。これは僕の推測なんだけど、船の時間を停止することで攻撃に耐えたと見ているんだ。あれだけ巨大な船の時間を止めたと言うのも驚きだけど、そこから復帰できたと言うのも信じられないんだよ。僕達の銀河では、実験室レベルの時間の加速と遅延が限界なんだ」 「悪いが、詳細は本官にも知らされていない」  それを残念がったワカシに、「虐殺の方は?」とワッタリオは問い掛けた。 「確かに、僕はその案を持ち出したよ。だけど、それを認めて実行するのは軍と行政の仕事だ。僕は様々な方法に対して、技術的な検証と提案をするのが役目だからね。口に出した責任は否定しないけど、実行されていない以上それだけでしか無いと思うんだけどね」  違うかいと問われたワッタリオは、難しい表情を浮かべながら小さく頷いた。 「これも言い訳になるけど、軍事行動に対する責任を求めて欲しくないな。僕がするのは、あくまで技術的なアドバイスでしか無いんだ。そこから先に何をするのかは、行政と軍の責任なのだからね。もちろん、責任が全く無いとまで言うつもりはないよ。道義的って言うのかな、流石にそれを否定できないとは思っているよ」  ワカシが科学技術責任者だと考えれば、言っていることに間違いはないのだろう。ただ間違っていなくても、危険な存在だと言うのをワッタリオは感じていた。モラルに欠けた科学者など、何をしでかすか分かったものではないのだ。  ただそれは、事情聴取の場で持ち出すには相応しいものでないのも確かだ。だから責任の話から離れ、ワッタリオはこれからのことをワカシに問い掛けた。 「君は、ヨモツ銀河へ帰ることを希望するのか?」 「ヨモツ銀河に帰りたいかって?」  確認したワカシは、「無いね」とはっきりと言い切った。 「良ければ、そこまではっきりと言い切る理由を教えてくれるか?」  ワッタリオの問いに、「構わないよ」とワカシは返した。 「はっきり言って、僕達にとってヨモツ銀河ってのは退屈極まりない世界なんだよ。間違いなく、あれは合理的な考えが行き過ぎた世界だね。例えば日常の生活なのだけど……君達はお茶を飲むのに、器と言うものを使うだろう? そして気候や気分によって、飲み物の種類や温度を変えている。だけどヨモツ銀河では、そこに水分摂取以上の意味を求めていないんだ。飽きないように何種類かの味はあるけど、温度は常温になっているんだ。しかも器なんて物を使わず、チューブからすするって言う味気なさなんだよ。非合理的、例えば情緒に関する部分なんて綺麗に置き去りにされているね。ヒューマノイド種ぐらいが、かろうじて情緒に拘っているぐらいかな。だから王政なんてものも、ヒューマノイド種にしか存在していないんだ。そして合理性を否定する行動を取ることで、ヒューマノイド種に対する風当たりが強くなっている。僕が住みにくいと主張する理由を、これで分かってくれるかな?」  その説明を聞いたワッタリオは、「この聴取とは関係は無いが」と前置きをして別の質問をした。 「あなた達がヨモツ銀河で武装蜂起したのは、それが理由になっているのですか?」 「カバジ達が何を考えたのかまでは責任は持てないよ」  ひとまずエクスキューズをしたワカシは、「僕にとっては」とワッタリオの問いを認めた。 「ヒューマノイド種の提案は、ほとんど却下されていたからね。研究を趣味とする僕にしてみれば、退屈極まりない世界だったんだよ。だからカバジ達に誘われた時には、少し迷ったけどその誘いに乗ることにしたんだ」 「あなたなら、制圧されることぐらい分かっていたと思いますが?」  自殺願望でもあるのかと言う問いに、ワカシは「まさか」と首を横に振った。 「僕は、制圧された後のことを考えていたんだ。諦めの悪い奴らだからね、大人しく捕まるなんてありえないと思っていたんだ。だから誘導してやれば、外銀河に逃げ出すだろうと思っていたんだよ。そして思っていた通り、あいつらはこうしてプロキオン銀河にまで足を伸ばしてくれたんだ」 「こちらとしては、かなり迷惑なことなのだがね」  苦笑を浮かべたワッタリオに、「理解はするよ」とワカシは答えた。 「ただ理解することと、忖度することは別のことだと思っているんだ。そして僕は、ある意味賭けに勝ったことになるね。何しろこうして生き残ることが出来たし、ヨモツ銀河とは比べ物にならないほど面白い世界を目のあたりにすることができたんだ」  得意げな顔をしたワカシに、ワッタリオは少しだけ渋い顔をした。 「君に巻き込まれて命を落とした者達に同情を感じ始めているよ」 「誘導はしたけど、最後の決断は彼らがしたんだ。まあ、同情を感じる気持ちは理解できるけどね」  身勝手なと思いはしたが、ここは個人的感情を押さえる場所に違いない。頭を切り替えたワッタリオは、「もう一つ」とサンダー大王達に対する態度を尋ねた。 「君は王政を情緒的なものだと言ったね。その割に、国王に対する敬意に欠けているように思えるのだが?」 「国王と言うのは、サンダー大王の事を言っているのかい?」  問い返されたワッタリオは、その通りと頷いてみせた。 「エスタシア王妃ならいざしらず、サンダー大王に対する敬意は感じていないなぁ。ほら、神輿は軽い方が良いって言うだろう。エスタシア王妃を連れていくとアリスカンダルの治世に影響が出るからね。だから、居ても居なくても同じのサンダー大王を神輿にしたんだ。そんな相手に、敬意なんて抱くことが出来ると思うかい?」 「君は、かなり酷いことを言っているのを理解しているのかな?」  それだけでも、心証的にはかなり悪くなってくれるのだ。それを持ち出したワッタリオに、「事実だから仕方がない」とワカシは言い返した。 「どう取り繕っても、サンダー大王とサーシャ王女は、尊敬の対象とはならないよ。その意味で、アリスカンダルは厄介払いができたんじゃないのかな? エスタシア王妃とコダーイ王子がいれば、あの国は運営していけるだろうからね」  そう言って笑ったワカシは、「一つ良いかな?」と逆に質問をしてきた。 「初めの方で、ヨモツ銀河に帰ることを希望するかと聞いてくれたよね? もしも帰りたいと希望したら、あなた達はどうするつもりだったのかな? 僕達の知る限り、プロキオン銀河からヨモツ銀河に来訪した者はいないんだ。それぐらい、200万光年と言う距離は並大抵のものじゃない。あなた達は、僕が帰りたいと希望したら、どんな便宜を図ってくれるのかな?」  質問自体に意味が無いと決めつけたワカシに、ワッタリオは少し冷たい態度をとった。その辺り、あまり情報を明かしすぎてはいけないと言う理由からである。 「それは、本官の預かり知るところではない。規定に従って質問をしただけだ」 「なるほど、建前の質問と言うことだね。確かに、手順に従って尋問するなら、あって当たり前の質問なのだろうね」  うんうんと頷いたワカシは、「まだ聞くことがあるのかな?」とワッタリオに問い掛けた。 「いや、おおよそ質問は終わったな」 「だったら、これで放免と言うことになるのかな。できれば、もう少しこの銀河のことを知りたいのだけどね」  面白そうだからと応えるワカシに、ワッタリオはめげない性格だと関心をしていた。そして同時に面倒な性格をしていると、調書の中に所感として追記することにした。 「それは、私の判断することではないな」 「だけど、あなたの所感が間違いなく影響するよね?」  だからだと返したワカシに、ワッタリオは「無駄に頭がいいのだ」と厄介さの理由を理解できた気がした。  ネビュラ・ミレニアの旅は、トリネアにとって夢でも考えたことのない異世界だった。貴賓室と言う特別な待遇もそうなのだが、船自体が想像もしたこと無いきらびやかさを持っていたのだ。しかも出てくる食事にしても、見たこともない綺麗な器に、食材が芸術的に盛り付けられていたのだ。その味にしても、複雑にして奥深いものばかりだったのだ。試しに飲んでみた酒精にしても、ヨモツ銀河では考えられない効果を示したぐらいだ。  お陰でアリファールは、文字通りトリネアをお姫様抱っこをする羽目に陥っていた。「役得でしょ」と笑うミランダに対して、そこはかとない殺意が浮かんだぐらいだ。ただ酩酊したお姫様を脱がすのは、流石に男にさせる訳にはいかない。「ここから先は将来の宿題ね」とアリファールを追い出し、ミランダがトリネアとマルドを下着姿にした。  二人の面倒を終われば、護衛二人の時間と言うことになる。ただ業務中とは言え、その業務自体とてもぬるいものと言うのは確かだった。だから二人は、情報確認と言う意味で船内のバーに場所を変えた。  「タンジェリン」と言うバーに場所を変えた所で、無事10日目が過ぎたとビールで二人は乾杯をした。そこでアリファールは、看過し得ない情報を持ち出した。 「次の寄港地……シャルバートなのだが。そこで、トラスティ氏とアリッサ氏が乗船してくると言う情報がある。目的地は、どうやらズミクロン星系らしいのだが……」 「トラスティ氏って……トリプルAのっ!」  驚くミランダに、「トリプルAのだ」とアリファールは認めた。 「ここの特等船室を予約されていると言うことだ……なんで、リゲル帝国の船を使わないんだ、と言いたい所だな」 「この船に、トリネア王女が居るからってこと?」  可能性の一つを持ち出したミランダに、「それは違うようだ」とアリファールは答えた。 「ルナツーで、ウェンディ少佐が面談されたそうだ。その時には、トリネア王女が乗船されているのを知らなかったらしい。その意味では、偶然と言うことになるのだが……」  「厄介なことに」と頭を抱えたアリファールに、「確かに」とミランダも認めた。同じ船に連邦レベルのVIPが乗船してくるのは、間違いなく厄介なことに違いなかったのだ。 「ところで、護衛とかは一緒じゃないの?」 「今回は、ふたりきりだと言うことだ。噂では、トラスティ氏のデバイスはザリアに匹敵するほど強力らしい。しかもカムイも持っているらしいから、護衛など必要ないのだろうな。よほど俺達二人より強いと考えて良いのだろう」 「ザリア並のデバイスを持ってるんじゃねぇ……束になっても敵いそうにないわ」  はあっと息を吐き出したミランダは、「深刻な事態ね」とアリファールの顔を見た。 「深刻……? 面倒だが、深刻と言うまでのことはないだろう?」  意味が分からないと言う顔をしたアリファールに、「危機感が足りないわね」とミランダはアリファールを詰った。 「トラスティ氏と言えば、金髪碧眼に目がないとの評判なのよ。そしてトリネア王女は、綺麗な金髪碧眼をしているの。だとしたら、トラスティ氏が目をつけても不思議だとは思わないの?」 「奥さんと一緒に旅をしているのに、どうしてトリネア王女に手を出す必要があるのだ? それから、どうして危機感が足りないと言う話になるのだ? 連邦軍は、個人的問題には口出ししないことになっているはずだ」  おかしいだろうとの反論に、「やっぱり危機感が足りてない」とミランダは言い返した。 「あなた、お姫様を取られてもいいの? 観察した範囲だと、お姫様はあなたに強い好意を抱いているわよ。トンビに油揚げをさらわれても良いのかしら?」  その指摘に、アリファールは「あー」とバーの天井を見上げた。 「なんで、俺が危機感を抱かなければいけないのだ?」 「だってあなた、恋人が居るって噂を聞いたことが無いしぃ〜それにトリネア王女って、こっちの基準ならすごく美人だし、スタイルもいいでしょ?」 「たかが伍長に何を言ってくれるんやら……」  穿ち過ぎだと文句を言ったアリファールは、「俺の相手にはならない」と断言した。 「確かに美人でスタイルが良いことは認めるぞ。彼女が一般人なら、間違いなく言い寄っていただろう。だが相手は遠くヨモツ銀河から来たお姫様なんだぞ。たかが伍長に手に負える相手じゃない。俺としては、あんな面倒極まりない女性は遠慮させてもらう」  美人とかスタイルを否定すると、ミランダに付け込まれることになる。だからアリファールも、スペック的な部分は認めたのである。そして認めた上で、自分の相手にはならないと否定をしたのだ。お陰でミランダも、ツッコミどころがなくなってしまった。 「確かに、連邦軍の下っ端の相手にはならないわよね」  連邦の中でも、トリネア王女は特別な立場に座るのは確定していたのだ。それを考えれば、一伍長様が関係してくるとは考えられない。その意味では、リゲル帝国皇帝&モンベルト国王と言うのは立場的には相応しいことになるのだろう。  そしてもう一つ言えるのは、その方が都合がいいと考える者が大勢いることだ。もしもトラスティがトリネア王女に目をつければ、必然的にトリプルAがヨモツ銀河問題に関わる事になってくれる。バックに居るレムニア帝国やエスデニアも、無関心では居られなくなるのだと。 「それで、情報以外に何か指示は来ているの?」 「いや、今の所は何もないな。ただ、積極的に引き合わせろと言われそうな予感はあるがな」 「この問題に、トリプルAを巻き込むため?」  ミランダの指摘に、「恐らく」とアリファールは答えた。 「あそこが絡むと、出来ることが格段に増えるからな。インペレーターだったか、それを使えばロットリング号を積荷にしてヨモツ銀河まで行くことも可能だ。多分だが、エスデニアも絡んでくるから、1ヶ月も掛からないんじゃないのか?」 「もしもゲートを開いたら、200万光年も一瞬の距離になるのか……」  遠くを見る目をしたミランダに、「恐らく」とアリファールはその考えを認めた。 「しかもローエングリンの事件で、すでにトリプルAはヨモツ銀河に関わっているからな。巻き込みたいと考えているのは、軍の上層部に大勢いるんじゃないのか?」 「クサンティン元帥とかイスマル少将とか……かしら?」  御三家を思い浮かべたミランダに、「ウェンディ少佐もだ」とアリファールは付け加えた。 「そう言えば、トリプルAにはウエンディ前元帥もおいでになったわね」  名前を上げた相手は、一地方方面軍の下っ端からすれば、いずれも雲の上の人たちばかりなのである。その人達から特別に見られていることで、さらにトラスティの価値は高まっていたのだ。その意味で、「看過し得ない」問題と言うのは間違っていなかった。 「下っ端に振って欲しくない任務よね?」  勘弁して欲しいと零すミランダに、「まったくだ」とアリファールは力強く頷いた。超銀河連邦の根幹に関わる問題など、下っ端には荷が重すぎるのだ。それこそ御三家に登場して欲しいぐらいの問題に違いない。アリファールとミランダが嘆くのも、彼らの立場を考えれば少しもおかしなことではなかったのだ。  スタークの入れ知恵を受けたナギサは、地上に降りた夜にノブハルを呼び出した。なぜ夜かと言うと、その日がトリプルAズミクロン支社の営業日だからである。そしてノブハルに接待が無いのも都合が良かったと言うことだ。  「二人きりで」との条件を付け秘書のセントリアを排除したナギサは、渋るノブハルを「個室居酒屋」へと連れ込んだ。ただ個室にはなっていたが、情報セキュリティの欠片もない、周りの声が丸聞こえになる場所だった。 「とりあえず、飲み物を決めようか」  そこでメニューを確認し、ナギサはビールのようなものを二人分注文した。まだ仕事に慣れていない店員が運んできたのに合わせ、少し腹に溜まりそうなツマミを何品か注文した。 「言いたいことはあるのだろうけど、とりあえず乾杯からしないか?」 「別に、言いたいことなど無いのだがな……」  相変わらず沈んだ様子で、ノブハルはジョッキを手に持った。 「それで、何に乾杯するのだ?」 「別に、なんでも構わないのだけどね。ただ僕とノブハルが、ジョッキをぶつけ合って乾杯すればいいだけのことだよ。お酒を飲むときぐらい、難しいことを考えるのはやめた方が良いよ」  だから乾杯と、ナギサは勢い良くジョッキをぶつけた。カツンと言う音が、4人用の個室の中に響いた。  勢い良くビールを呷ったナギサは、ぷはっと少し下品に息を吐いた。一方ノブハルは、チビチビとジョッキに口をつけていた。 「しかしノブハル、なんとも暗いんだね」 「俺だって、こう言った気持ちになることはあるさ……」  そう言いながら舐めるようにビールを飲んだノブハルに、なるほどとナギサは頷いてみせた。 「それを、一体いつまで続けるつもりなのかな?」 「さあな、俺の気分が晴れるまでだろう……」  ジョッキを置いて俯くノブハルに、「どうしたら気が晴れるのかな?」とナギサは尋ねた。 「そんなこと俺に分かるはずがないだろう……」 「なるほど、確かにそれはそうなんだろうけどね。そうやって、鬱々と毎日を過ごしていて、気が晴れる日が来るのだろうか?」  その辺りはと問われ、ノブハルは「さあな」と答えをはぐらかせた。 「そんなものが、分かる方がおかしいだろう」 「いやはや、なんとも後ろ向きになっているんだね」  ふうっと息を吐き出したナギサは、ジョッキに残っていたビールを飲み干した。一方ノブハルはと言うと、まだ3分の1も減っていなかった。 「トラスティ氏にへこまされたのが、そこまでショックだったと言うのだね」  その問いに対して、ノブハルは何も答えなかった。 「それが、ノブハルの答えと言う訳だ……」  なるほどと頷いたナギサは、「考えたんだ」と追加注文をしたビールをじっと見た。 「ノブハルが、トラスティ氏に対してどんな思いを抱いているのか……」  そこでジョッキに口をつけ、半分ほどナギサは飲み干した。 「なんだかんだ言って、ノブハルはトラスティ氏を頼っているんじゃないのかな? そしてもう一つ、僕には甘えているようにも見えるんだよ」 「俺が、あの人に甘えているだと?」  そんなことは絶対にないと、ノブハルは強い口調で否定した。 「だけど、僕にはそうとしか思えないのだけどね。しかも今のノブハルは、叱られたからと拗ねているようにしか見えないんだよ。そうやって拗ねていたら、手を差し伸べて貰えると思っているんじゃないのかな?」  やれやれと吐き出して、ナギサは残っていたビールを飲み干した。そしてツマミとして出された豆の塩ゆでを口に放り込んだ。 「それは、お前の目がおかしいだけだっ!」  反発したノブハルは、ジョッキのビールを一息で飲み干した。 「そうかな? でも僕にはそうとしか思えないんだよ。そうでなければ、ノブハルがいつまでも何もしないなんてありえないからね。そしてクリプトサイトだったかな、喜び勇んであんな所まで行く理由も無いと思うんだ。だってノブハルは、フリーセア王女……女王様か、確か彼女を避けていたよね?」 「あ、あれは、未来視に興味があったからだっ!」  だから違うと主張したノブハルに、「でも」とナギサはその反論を否定した。 「そもそものきっかけは、トラスティ氏なのだろう?」 「それは否定しないが……だが、行くのを決めたのは俺自身だっ!」  そう吐き出すと、新しいジョッキのビールを一息で飲み干した。 「そうやってムキになるから、ノブハルはまだまだ子供なんだよ」  苦笑を浮かべたナギサは、ジョッキのビールを半分ほど空けた。それを「悪いか」と言い返したノブハルに対して、「別に」と言うのがナギサの答えだった。 「そんなもの、人それぞれだと思っているからね。ただノブハルの理想がどうかまでは僕には分からないし、やっぱり甘えているんだなと思っただけだね」 「俺は、甘えてなんか居ないっ!」  乱暴に言い放ったノブハルに、「でも」とナギサは疑問を呈した。 「今度も、トラスティ氏に助けて貰ったよね? ノブハルは、いつもいつもあの人に尻拭いをしてもらっているんだ。しかも、頑張ったのに褒めて貰えなかったと拗ねているんだからね。僕には、君が甘えているとしか思えないんだよ」 「俺は、甘えてなんか居ないっ!」  3杯目も一息で飲み干したノブハルは、「何が言いたい」とナギサを睨んだ。 「僕が言いたいことかい? そんなもの、最初に言ったはずだよ。君は、いつまでそうしているつもりなんだとね。それなのに君は、後ろ向きのことしか言わないし、甘えていると指摘をしたら文句しか言ってくれないんだよ。いつになったら、君は自分の足で立って歩き始めるんだい?」 「俺は、自分の足で立って歩いているぞっ!」  言い返してきたノブハルに、「嘘だね」とナギサは断じた。 「だとしたら、この16日間、ノブハルはなにをしてきたんだい? 落ち込んでいますと言う顔をして、ただ周りを心配させただけじゃないのかな? リンやエリーゼさん達に心配をさせ、支社の人達に迷惑を掛けているだけだろう?」  違うのかと問われ、ノブハルは言い返す言葉に詰まった。そんなノブハルに、「勘違いをして欲しくない」とナギサは続けた。 「僕は、迷惑を掛けるななんて言うつもりはないんだ。ただね、後ろ向きの迷惑は御免被りたいと言うだけだよ。前向きの迷惑だったら、どんとこいだと思っているよ。もっとも、僕達でカバーできることは少ないんだけどね」  その辺りは力不足だからと、ナギサは笑ってからビールを飲み干した。そして空になったジョッキを見ながら、センター・ステーションに行ったのだと口にした。 「ズミクロン星系宇宙軍司令官代理なら、別におかしなことじゃないだろう」 「確かに、僕の立場ならおかしなことじゃないんだけどね。人員の訓練をして貰っているんだから、それを見に行くのは義務と言っても良いのだろう。そしてセンター・ステーションに上がった僕は、ウェンディ氏と話をしたんだよ」 「ウェンディ氏と?」  確認をしたノブハルに、ナギサは小さく首肯した。そして4杯目のジョッキに口をつけた。 「あの人は、どうすればトラスティ氏を踊らすことが出来るかを考えているんだ。ただあの人でも、直接トラスティ氏を躍らせることを諦めている節がある。それぐらいトラスティ氏と言うのは、御三家筆頭のウェンディですら持て余していると言うことだよ。ちなみに君が関係したターコイズ銀河……今は、ヨモツ銀河と呼び方を変えることになったそうだけどね、超銀河連邦は消極的な対応をするそうだよ。これから新しい組織を作って、その組織のテストケースとしてヨモツ銀河に派遣するそうだ。だから派遣をするのに、2年ほど掛かるそうだよ。どうやらウェンディ氏は、それがご不満のようだね。トリプルAが乗り出せば、すぐにでも出発できるのにと考えているようだよ」  「若いね」とスタークを笑ったナギサに、「なるほど」とノブハルは視線を鋭くした。ただ適当に酔いが回っていたので、その視線も少しふらついていた。 「そうやって、俺をけしかけようと言うのだな」 「その気持が無いとは言うつもりはないよ。僕も、消極的な対応だと落胆しているからね。しかもこちらには、ローエングリンとインペレーターと言う弩級の船があるんだ。直々に乗り込んで行って、相手の度肝を抜いてやってもいいと思うんだよ。それぐらいしないと、ノブハルだって腹が収まらないのじゃないかな?」  ただねと、ナギサはブレーキを踏むようなことを口にした。 「もっとも、何ヶ月も掛けて行くのが馬鹿らしいと言う気持ちもあるんだ。やっぱり、流石にヨモツ銀河は遠いよねぇ。何しろ、クリプトサイトから帰ってくるのに2週間も掛かるんだ。単純に考えれば、その何十倍も時間が掛るんだろう?」  けしかけておいて、技術的な方面でブレーキを踏んでやる。ノブハルを引き入れるには、それが一番いいとナギサは理解していた。そしてナギサが考えた通り、「それは違う」とノブハルは食いついてきた。 「あれは、ただ単に航路上の制限があるだけだ。ただまっすぐ飛ぶだけなら、7万光年なんか2、3日……もっと短いか。それぐらいで超えられるはずだがな。後はエスデニアを巻き込めば、200万光年でも1ヶ月はかからないはずだ。そして一度行ってしまえば、ヨモツ銀河だったか、辿り着くだけならあっと言う間に辿り着けるようになるはずだ」 「だとしたら、ディアミズレ銀河内の移動と大差がない訳だ」  なるほどねと頷いたナギサは、お代わりのビールに手を付けた。おつまみは、串に刺した鶏肉に塩を振ってから炭火で焼いたものだった。 「ああ、移動だけなら大差は無いな。ただ問題は、ヨモツ銀河に着いてからだ。星間物質の密度が高くなるので、銀河内の移動に時間が掛ることになる。もっとも、こちらもエスデニアの協力があれば短縮できるがな」  同じように鶏肉の串にかぶりつき、ノブハルはビールを呷った。 「まあ、連邦じゃエスデニアを動かせないからねぇ……と言うか、動かす理由が立たないんだろうね。エスデニアに借りを作りたくないだろうしね」 「確かに、無理をする理由はないのだろうな……」  もう一度ビールを呷ったノブハルは、「ヨモツ銀河か」と小さく呟いた。 「ノブハルは、ヨモツ銀河がどんな所か聞いているかい?」 「いや……」  そう問われて、ノブハルは自分が何も知らないことに気がついた。 「今までの俺なら、真っ先に調べていたはずなのに……いったい俺は、何をしていたのだ?」  はぁっと酒臭い息を吐き出したノブハルは、情報を調べるため帝国コンピューターを呼び出すことにした。 「アルテッツァ、ヨモツ銀河の情報を教えてくれ」 「ようやく、私を呼び出してくださいましたね」  明らかに安堵の表情を浮かべ、アルテッツァがノブハルの隣に現れた。胸元の大きく開いた紫色のドレスと、ちょっと刺激的な格好をしているのだが、残念ながら色気を示すには体型が幼かった。 「今の所分かっているのは、ディアミズレ銀河のおよそ8倍の広さを持ち、15万の有人星系があると言うことです。15万の星系は、ヨモツ連合を形成しているらしいのですが……超銀河連邦に比べて結びつきは緩やかになっていると推測されています。その理由は、現在の技術水準では、端から端まで移動するのに10年以上掛かると推測されているからです」 「だとしたら、アリスカンダルだったか、奴らはどうやってここまで辿り着いたのだ?」  アルテッツァの話が正しければ、アリスカンダルの船団は大昔に出発していることになるはずだ。 「リュースさんが調べた所によると、ホワイトホールを探査しながら進んできたようです。そしてもう一つ、ヨモツ銀河から使者が送り込まれています。そちらは、トランスワープと言う開発中の技術を使ってきたと言うことです。その場合、光速のおよそ480万倍の速度で移動できる……らしいと言うことですね」 「ヨモツ銀河から使者が送り込まれてきた?」  初めて聞く話に、ノブハルは目を大きく見開いて驚いていた。 「ええ、実験船ロットリング号と言う船で、コウバコ王家の王女様とそのお付きが来ています。アリスカンダルのことを知らせるためと言うのが理由ですが、連邦は単なるアリバイ作りだろうと分析しています。何しろ、使者を送り込んできたくせに、こちらとどう接触して、どう話をするのかがまったくの白紙でしたからね。しかもお花畑の王女様では、子供の使い以上のことが出来るはずがありません」 「随分とひどい評価なのだが……技術レベル的にはどうなのだ?」  苦笑交じりに質問をしたノブハルに、「大したことはなさそうです」とアルテッツァは答えた。 「光速の480万倍と言うのはかなりの速度と言えますが、それを実現するためにかなり無理をしているのが実体です。超光速移動は、原理的には亜空間バブルを利用したものなのですが……それを実現するために全長1kmの船の大半が動力エリアとなっています。1kmもの船体を持つくせに、最大収容人員が2名と小さくなっているんです。シルバニア帝国なら、およそ1千年前の技術水準と言うのが現在の見立てです」 「そんな奴らに、ローエングリンは沈められかけたのか?」  難しい顔をしたノブハルに、「その通りです」とアルテッツァは返した。 「その辺りは、対処方法を失敗したとしか言いようがありません。アリスカンダルの攻撃は、いずれも光速の1%にも達していない速度です。ですから攻撃を見てからでも、避けることが可能でした。事実ソリンケン艦長は、2度めの攻撃に対して発射直後にショートジャンプすることを指示されていたようです」  アルテッツァの報告が正しければ、自分は余計なことをしたことになる。本当なのかと聞きかけた所で思いとどまったノブハルは、大きくため息を吐いてから右手で自分の顔を覆った。 「つまり俺は、余計なことをしたと言うことか……」 「結果だけを見れば、そう言う事になるのかと」  少し申し訳なさそうに答えたアルテッツァに、ノブハルはもう一度ため息を吐いた。今更ながら、どれだけ自分は頭に血が上っていたのだと思えてしまう。そしてトラスティが言う通り、人の話を聞いていれば展開はもっと違っていたのだ。1光秒離れるだけで、敵の攻撃など簡単にかわせる程度のものでしかなかったのだ。  「ショートジャンプで」とトラスティが言ったことが、結果論で無いことを教えられてしまったことになる。自分が周りの意見を聞かなかったことで、多くの爪痕を残したことになるのだ。 「……俺は、一体何をしていたのだ」  そう吐き出したノブハルは、お代わりのビールに口をつけた。 「君は君なりに出来ることをしたんじゃないのかな。ただ経験が不足しすぎていたため、最悪は逃れられたけど、周りの足を引っ張ってしまったと言うところだね」 「殴られても仕方がないと言うことか……」  じっとビールのジョッキを見つめたノブハルは、「何をしていたんだ」ともう一度吐き出した。 「トラスティ氏が、君を叩き潰した理由が理解できたかな?」 「俺に、色々と考えさせるため……と言うのだろうな」  残っていたビールを飲み干したノブハルは、「敵わないな」とトラスティの顔を思い出した。 「ああ、あの人は実にいろいろなことを考えていると思うよ……ただ、ちょっと気になることがあるんだけどね」 「気になること?」  それはと問い掛けたノブハルに、「アクサだよ」とナギサは返した。 「ノブハルの知らないことだけど。ローエングリンの凍結された時間を解除する前、アクサはトラスティ氏と口づけをして行ったんだ。その辺りザリアもそうなんだけど、明らかにおかしな関係になっていると思うんだよ。リンが、アクサとザリアが女の子の顔をしていると言うぐらいなんだよ」  ナギサの言葉に、ノブハルは「アルテッツァ」ともう一度帝国コンピューターを呼び出した。 「あの人は、アクサに何をしたのだ?」 「何をって……ほとんど崩壊していたアクサを救ったんですけど?」  それがと首を傾げたアルテッツァに、「もう一つ」とノブハルは質問を追加した。 「連邦において、類似のケースはあるのか?」 「それなら、一つもないと言う事ができますね。今の連邦は、エネルギー切れで崩壊しかけたデバイスは、一つの例外もなく放棄されています。研究段階で救う方法も調べられたようですけど、成功例が一つもないと言うのがその理由になっています。復活させるために手間暇をかけても、新しく作るのと結果が変わらなかったんです。だったら、放棄して新しく作った方がコスト的にも下がりますからね」  即座に否定され、なるほどとノブハルは頷いた。 「だったら、どうやってトラスティさんはアクサを助けたんだ? ミラクルブラッドとカムイのエネルギーを使ったと聞かされた気がするが……そもそも、ミラクルブラッドはどこから持ってきたのだ? パガニアから持ってきたのか?」  現存するミラクルブラッドは、エスデニアとリゲル帝国に各1、そしてパガニアには7保管されている。それを考えると、パガニアと言う可能性が高かった。さもなければ、自分が皇帝をしているリゲル帝国と言う可能性もあるのだろう。  だが「持ってきた」と言うノブハルの推測を、「違います」とアルテッツァは否定した。このあたりの情報なら、今更隠すことに意味はない。何しろスターク達のような、大勢の目撃者が居たのだ。 「ライスフィール様が作られた土台に、トラスティ様がスターライト・ブレーカーの力を込めて作られました。そこから先はどうされたのか、実のところよく分かっていません。アクサのしていた指輪を新しいものに交換し、トラスティ様が崩壊中のアクサに口づけをされたのです。そこで一度アクサは完全に崩壊したように見えたのですが……なぜか再構築されて今に至ります。そしてその後、トラスティ様はアクサとともにどこかにいかれてしまいました。流石に、そこで何をされたのかまでは私には分かりません」 「リンが、女の子の顔になっていたと言ったな……」  正しく情報さえ与えられれば、ノブハルは確実に真実に辿り着くことが出来る。なるほどと頷いたノブハルは、ここで初めて「アクサ」と己のデバイスを呼び出した。ここの所自分で呼び出していないこともあり、実に23日ぶりのことだった。  そこで「呼んだ?」と言って現れたのは、レデュッシュと言われる赤色の髪をした女性である。ちょうど成熟と未熟の境目にある、絶妙な時期にある美しい姿をしていた。なぜか格好は、居酒屋の店員のようなTシャツ姿をしてくれていた。 「うむ、お前に聞きたいことがあるのだ」  そう言ってアクサに向き合ったノブハルは、トラスティとの関係を問いただした。 「単刀直入に聞くことにするが、トラスティさんと寝たのか?」 「質問を先回りさせてもらうわね。あなたのお父様と寝たのは確かよ」  間違いなく、アクサの答えは爆弾発言に違いないだろう。流石にノブハルも、その答えは想像の埒外に居た。それもあって呆けたノブハルに変わり、ナギサが「素直に認めるのだね」とアクサを追求した。 「否定することに意味があるのなら、否定してあげるのだけどね。御三家……ウェンディさんは、そうだと確信を持っているのよ。だったら、今更それを否定することに意味があると思う?」 「だとしても、その口から肯定するのとは意味が違うと思うのだけどね」  違うのかと言うナギサに、「確かにそうね」とアクサは認めた。 「それにした所で、今更でしか無いと思っているわ。あの人がザリアを抱いて、そして次に私を抱いた。これで、因果が繋がることになったのよ」 「君は今、ザリアを持ち出したね?」  ナギサの問いに、アクサはしっかりと頷いた。 「だとしたら、ザリアにも大きな意味があることになるのだけどね……たしか君は、トラスティ氏のことを、ノブハルのお父様と言ったね。だとしたら、トラスティ氏はカイト氏の父親でもあると言うのかな?」 「それを、否定するつもりはないわよ」  ああと天を仰いだナギサは、助けを求めるようにノブハルの顔を見た。ただノブハルにしても、今の答えを受け入れるにはあまりにも常識を外れすぎていた。 「今の話が正しいのなら、時間を超える必要があるのだがな。そしてもう一つ、因果律の問題もあることになる。もしもあの人がお前を抱かなければ、俺が生まれないことになるのだがな」 「それを否定するつもりはないけど……でも、この時系列では事象としては成立しているのよ。だから、ノブハルの言うことに今更意味は無いわね」  アクサの答えに、「もう一つ」とノブハルは質問を続けた。 「その考えで行けば、ザリアも同じ事情と受け取れるのだがな?」  その指摘に、アクサははっきりと首肯した。 「それを否定するだけの根拠は私にはないわね。ただ、ザリアの事情まで、私が関与することじゃないわね」 「確かに、ザリアのことはザリアに尋ねるべきなのだろうな……だったら、俺の事情を確認させて貰うが、ユイリ・イチモンジと言うのは実在の人物なのか?」  自分の母親は、ユイリと言う女性だと教えられていたのだ。そしてその女性が実在しているのなら、アクサが自分の母親では無くなることになる。 「多分だけど、実在していたんじゃないの? それは、ハラミチ氏だったっけ? その人が証明してくれると思うわよ」 「だとしたら、お前が母親と言うのは間違っていることになるのだがな。俺は、ユイリと言う女性の子供だと教えられている。流石にそれを誤魔化すのは無理があるだろう」  そう指摘しながら、ノブハルは答えがあるのに気がついていた。そしてアクサが口にしたのは、ノブハルが答えた通りの答えだった。 「あなたは、イチモンジ家の遺伝子を持っていない。たとえユイリと言う女性のお腹から生まれてきたとしても、あなたに遺伝子情報を伝えた両親が居ても不思議じゃないでしょ?」 「それが、お前とトラスティ氏だと言うのか? トラスティ氏はいい。だがお前は、ライラが作らせたデバイスだったはずだ。なぜお前が、俺の遺伝子の片割れを持っているのだ?」  ありえないこととして、ノブハルは女性側の遺伝子情報の事を持ち出した。そんなノブハルに、「だから中途半端に頭がいいのは……」とアクサは嫌そうな顔をした。 「遺伝子情報ぐらい持っていてもおかしくないと思うけど?」 「いや、明らかにデバイスが遺伝子を持っていたらおかしいだろう……」  そこまで口にしたところで、ノブハルは何かが引っかかった気がした。 「遺伝子ではなく、遺伝子情報か? あれっ?」  なんだと考えたノブハルは、「ξ粒子か」と鍵となる現象を口にした。 「ξ粒子に乗せれば、情報を過去に送ることが出来ると言うことか……」  だとしたら、説明に矛盾がないことになる。ただそれでも、超えなければいけない問題はたくさん残っていた。その一番の問題は、ユイリと言う女性とアクサの関係だった。 「ユイリと言う女性が実在し、俺はその女性から生まれたことは間違いないはずだ。だとしたら、俺の母親は情報から遺伝子を作り出す必要があるはずだ。だが普通の女性に、そんなマネが出来るはずがない」 「そのことに、私は関わっていないわよ。だから、その質問は無意味と言うことになるわね」  アクサの答えは、白を切っているようにも思えるものだった。だがノブハルは、とぼけることが目的ではないと考えていた。 「それからもう一つ、俺はラナ地区の地下でお前の姿を見ている。そして胸を撃たれ、落盤の下敷きになって死んでいるはずだった。だが何者かによって、俺達の時間が止められていたんだ。そしてアクサ、お前はローエングリンの時間を止めたな。あの時に会ったゲイストと呼ばれた存在はお前だったのか?」 「その可能性は否定しないわ。でも、私は時間を止められても過去に飛ぶことは出来ないのよ。だから私なのかと聞かれたら、同じものかもしれないとしか答えられないわね」  それについては、ノブハルの中で仮説は出来上がっていた。だがそれを口にする代わりに、別の疑問をノブハルは口にした。 「お前は、俺の母親だと言う話だったな。そしてザリアは、カイトさんの母親だと言った」 「それに類することはね」  口を挟んだアクサに、「それはいい」とノブハルはこだわらなかった。 「だとしたら、コスモクロアは誰の母親になるのだ? もしもトラスティさんの母親になるのなら、だったら父親は誰なんだ?」  その質問に、アクサは「さあ」と肩を竦めてみせた。 「私には、その情報は無いわ」 「もしかしたら、俺達と同じ存在が別に居る可能性もあるのか?」  別の可能性を持ち出したノブハルに、「知らない」とアクサの答えはあっさりとしたものだった。 「お前のオリジナルは、IotUの奥さんなのか?」 「それも、記憶に無いわね」 「その指輪の前にも、似たような指輪をしていたはずだ。その指輪は、ミラクルブラッドだったのか?」 「多分そう、としか答え様がないわ」  それぞれの答えは、微妙にニュアンスが違うものだった。そのことに意味があると考えたノブハルは、それを整理してみようと心のなかにメモをした。 「今回お前は崩壊しかけたのだが、それは予定のことだったのか?」 「違うわ。少なくとも、私は復活できるとは思っていなかったもの」  なるほどと頷いたノブハルは、「ありがとう」とアクサを解放した。小さく頷いたアクサは、「じゃあね」と二人の前から姿を消した。 「酔いが、すっかり覚めてしまったな……」 「その辺りは、僕も同じ事情だよ」  そう答えたナギサは、「いやはや」と頭を振った。 「これから飲み直す気持ちにもなれないね」 「その辺りは同感と言って良いのだが」  うんと考えたノブハルは、「俺の母親とされる女性だが」とユイリのことを持ち出した。 「ユイリ・イチモンジと言う女性は実在したのだろう。おそらく、イチモンジ家には生まれたときからの情報が残っているはずだ。そこで仮説となるのだが、ユイリと言う女性は体が弱かったのではないのか?」 「記録ぐらい残ってるだろうから、それを確認することは出来るのだが……ノブハル、君は何を考えているんだい?」  ナギサの疑問に、「デバイスは」と一つの情報を持ち出した。 「知識の提供並びに肉体の強化を行うことが出来る。もしもユイリと言う女性が、ある日を境に元気になったとしたら……」 「アクサがフュージョンした……と言いたいのかな。だけど、今のアクサは過去に飛ぶことは出来ないと言っていたんだよ。それが嘘でない限り、その仮説は成立しないことになる。ノブハルは、アクサが嘘を言っていたと言うのかな?」  それはと問われたノブハルは、「嘘は言っていないだろう」と答えた。 「ただ、舌っ足らずだったとは思っている。遺伝子情報を過去に飛ばせるのなら、自分の構成情報だって過去に飛ばせてもおかしなことじゃない。連邦のデバイスをベースに、未来からの情報でアクサが構成されたとしても不思議ではないだろう」 「そしてイチモンジ家の長女、ユイリと言う女性と一つになったのだと?」  ナギサの答えに、ノブハルはしっかりと頷いた。 「ただ、それでも超えなければいけない疑問は残っていると思う。そもそもアクサが以前していた指輪は、一体どこから手に入れたのだ? もしもローエングリンの時間を止めたのに使われたとしたら、化け物じみたエネルギーを内包していることになるんだぞ。それこそ、13個めのミラクルブラッドでも不思議ではないぐらいだ」 「確かに、指輪の出処が問題となるね。そうなると、グラブロウがミラクルブラッドを探しに来たのは偶然じゃないことになる」  ナギサの考えに、「いや」とノブハルは小さく首を振った。 「グラブロウがここに来たのは偶然だろう。そもそもあいつらは、ミラクルブラッドなんか探していなかったのだからな。だからはっきりと否定できるのだが……」  「どうかしたのかな」と言うナギサに、「気になったのだ」とノブハルは難しい顔をした。 「なぜ13番目とされていたのかと言うことだ……いや、それだと分かりにくいか。IotUの伝説は実話として伝えられ、ミラクルブラッドを与えられた奥さんは12人とされていたのだ。だとしたら、どうしてありえない13個目と言う話が出てくるのだ。なにか、その理由になるような話があるのではと思ったのだ」 「それこそ、でっちあげと言う気もするのだけどね。絶対に無いことが分かっているから、13番目と言うのを持ち出したんじゃないのかな?」  それはそれで説明が成り立つのだが、ノブハルは違った考えをしていた。 「だが現実に所在が明らかになっていたのは、パガニアに7、エスデニアとリゲル帝国に各1だけだぞ。わざわざ13番目など持ち出さなくても、残りの3つを探していることにすれば良いはずだ。何しろ3つも、所在が不明になっていたのだからな。ミラクルブラッドのお宝具合を考えれば、別に存在しない13番目を持ち出す必要もないだろう」  ノブハルの指摘に、なるほどとナギサは頷いた。 「確かに、敢えて13番目を持ち出す理由はないね……だとしたら、何かの伝承がある可能性が出てきたと言うことか。ただ、それをどこで探せば良いのだろうね……」  流石に難しいと嘆くナギサに、「同感だ」とノブハルは頷いた。 「雲をつかむような……と言うのは、このことを言うのだろうな」 「確かに、雲をつかむような話だね。手がかりらしきものが、全く無いんだ」  ふうっと息を吐き出したナギサは、「ところで」とここにノブハルを呼び出した当初の目的へと立ち返った。 「僕には、ノブハルが多少ましになった気がするのだけどね」  どうだいと問われたノブハルは、小さく首を横に振った。 「なったとしても、気の所為程度だろうな。ただ謎解きの幾つかのピースが嵌った気がしてきたのは確かだ」  そう答えるノブハルは、明らかに店に連れ込む前とは変わっていた。それを良い傾向だと考えたナギサは、これから先どうするかを考えた。 「ヨモツ銀河だったかな、それはどうするつもりだい?」 「なんか、本当にどうでも良い気がしてきたのだが……」  そう答えたノブハルは、「ただ」と少しだけ難しい顔をした。 「気に入らないと言う気持ちがあるのは確かだな。なんか、このままだと負けっぱなしになってしまう気がする。どこかで、やり返してやりたい気もするな」 「それでこそ、僕のノブハルだね。だとしたら、ローエングリンを使ってヨモツ銀河に殴り込みに行くのかい?」  面白いだろうと笑うナギサに、「それも良いな」とノブハルも笑い返した。 「俺達との交流に引っ張り出してやるのも良いのだろうな。ただ、こちらの方はもう少し情報を集める必要があるだろう。後は、どうやったらトリプルAの事業に出来るかを考える必要がある」 「トリプルAの事業にかい。流石に、それは難しい気がするのだけどね」  ナギサの正直な感想に、ノブハルも小さく頷いた。 「だがそれぐらいのことをしないと、あの人の足元にも及ばないことになる。今すぐは無理でも、いつか絶対に超えてみたいんだよ。アクサの話を聞いたら、その気持が強くなってきたんだ」 「その第一歩として、ヨモツ銀河を選ぶのは悪くはないのだろうね」  分かったよと頷いたナギサは、「全面的に協力する」とノブハルに誓った。ナギサ自身、その方が絶対に面白いことになると確信をしていたのだ。  いくら豪華な旅でも、10日を超えれば普通は飽きが来るものだろう。ただその事情は、ヨモツ銀河から来たトリネア王女には当てはまらないようだ。美味しい料理に舌鼓をうち、各種揃えられた娯楽施設で遊んで時間を潰す。長時間の船旅にも関わらず、トリネアは生まれて初めての経験を大いに満喫していた。そして酔っ払ったときの経験を活かし、何度もアリファールにお姫様抱っこまでして貰っていた。もちろん酩酊した最初の時とは違い、そのほとんどが演技だったのは言うまでもない。お陰で、かなり頭に血が登っていたりした。  一方お供のマルドにしても、彼女なりに豪華な船旅を満喫していた。 「こう言っては何なのですが……」  朝食前に二人きりになった所で、マルドはトリネアに向かって「帰りたくない」と漏らしたのである。 「その気持は、私も大いに賛同させていただきます」  大きく、それこそ全身でトリネアはマルドの言葉を認めた。これまで生きてきた中で、これほど楽しい目に遭ったことが無かったのだ。そしてコウバコに戻っても、楽しいことがあるとは思えなかった。 「これが、普通ではないのは理解していますが。それでも、私達の世界は潤いがないと思います!」  強調したマルドに、トリネアは我が意を得たりと大きく頷いた。 「本当にそう思います。私達の銀河の人は、何が嬉しくて禁欲的に暮らしているのでしょう。ナニーナの性格が悪いのも、きっと生活慣習が良くないからだと思います。  それに違いないと強調したトリネアに、「それは」と少しだけモルドは口ごもった。トリネアは妹の性格だけを持ち出したが、自分の性格の悪さを棚に上げていたのだ。ただそれを言っても始まらないと、モルドは「楽しい」話から、気になったことへと話題を変えることにした。 「ところでトリネア様、アリファール様とミランダ様の様子がおかしいのに気づかれていますか?」 「わ、私は何もしていませんよっ!」  慌てて言い訳をしたトリネアに、「それは知っています」とモルドは少し冷たい眼差しを向けた。その辺り、恥ずかしい真似をするのを散々見せられたからだ。 「何か、昨日辺りから急に緊張されているような気がするのです」 「昨日辺りから……ですか?」  本当にそうかとアリファールのことを思い出したトリネアは、「そう言われれば」とモルドの言葉を認めた。 「今日入港するシャルバートでしたか。そこで、なにかあるのでしょうか?」 「イベントとしては、それぐらいですね。ただ、予定が変わったとは聞いていませんが……」  不思議ですねと首を傾げてみても、謎が解けるはずもない。ううむと悩んでみたが、結局何の手がかりも得られなかった。 「でしたら、それとなく伺ってみますか?」 「それができればですが……トリネア様に、そんなことができますか?」  絶対に無理と言う顔で見られたトリネアは、「それぐらいなら」と少し偉そうに言い返した。 「私だって、伊達に王族として生まれていませんよ!」 「その、王族と言うのが一番信じられないのですけどね」  いいですけどと追求をやめたモルドは、「今日も楽しみですね」とこれからの予定を持ち出した。 「そうですね、シャルバートと言う星がどんなところなのか。大きな港だと聞いていますので、観光……ですか、それをしてみるのもいいですね」  観光を持ち出したトリネアに、モルドは「賛成!」と嬉しそうに答えた。 「ロットリング号なんか、壊れてしまえばいいんですけどね」  そうすれば、自分達はヨモツ銀河に帰らなくてもすむ。本音を吐いたモルドに、「強く同意いたします」とトリネアは彼女の手をとって答えたのだった。  シャルバート星系は、間もなくレベル4認定される文明レベルにある星系である。それもあってか、ガルマンに比べて「元気」と言う特徴があった。そしてその元気さは活気として、シャルバートの宇宙港にも現れていたのである。  トリネア王女一行を乗せた豪華客船ネビュラ・ミレニアム号は、シャルバートの宇宙港「テレジア」で12時間の長時間停泊に入った。シャルバートが観光に力を入れたこともあり、テレジアには各種「観光施設」が用意されていたのだ。当然レストランも、名物料理を含めて各種取り揃えられていた。 「こんなことをしていたら、太ってしまいそうですっ!」  テレジア名物チーズフォンダンを食べながら、トリネアは至福の時を過ごしていた。目の前には好みの男性が居てくれるし、こうして食べるものは美味極まりなかったのだ。虐げられて過ごしたコウバコの事を考えるまでもなく、天国としか言いようのない時間だったのだ。  そして「太る」と言いながら、トリネアはアリファール達と同じぐらいの量を平らげていた。色気も大切だが、それよりも食い気が勝ったと言う所だろう。一人モルドだけが、3人から2割減ぐらいと少なめの食欲を示していた。 「まあ、今はいい薬があるから構わないだろう」  そう答えながら、アリファールはレストランの外の様子を窺った。それに気づいたトリネアは、今がチャンスだと「さり気なく」問い掛けた。 「アリファール様、外に何かありますでしょうか? 先程から、ミランダ様共々外の様子を伺われているように見えますよ」  注意がそれているのを指摘されるのは、流石に気まずい所がある。それを誤魔化そうとすると、さらに墓穴を掘ることになるのは古今東西変わらないことだった。 「いやなに、ちょっと外の様子が気になっただけだ」 「ちょっと……なのですか? それにしては、お二人とも頻繁に外を見られていましたが……」  どうして詰問調になるのだ。さり気なくと言うのは、やはり無理があったとモルドは心の中で嘆いていた。ただ余裕をなくした二人にとって、配慮に欠けたトリネアの言葉は問題とはならなかった。 「宇宙港には、様々な人間が入り込んでいるからな。あなたのような重要人物の護衛をしている以上、一時たりとも気を抜くわけにはいかないんだ」 「申し訳ありません。私が港を見たいとわがままを言ったせいで……」  船と言う閉鎖空間に比べると、開放された港と言うのは様々な人々が入り込んでくるものだ。それはディアミズレ銀河だけでなく、彼女の居たヨモツ銀河でも変わらないことだった。  そこで萎れたトリネアに、「それは違う」とアリファールは慌てた。 「俺達は、ただ職務に忠実なだけだ。王女がテレジア港の施設に興味があるのなら、それを案内するのも俺達の仕事なんだ。安全以外で自分たちの都合を押し付けるのは、護衛として失格のことだ。だから王女は、俺達のことを気にしなくてもいいんだ」  なあと水を向けられたミランダは、「その通り」と頷いてから肉の塊へと手を伸ばした。 「それでしたらいいのですが……」  ふっと息を吐き出したトリネアは、「とても賑やかなのですね」とテレジアの賑わいを評した。 「前にもお話したかと思いますが、ヨモツ銀河全体がとても抑制的な生活をしています。そして異なる種の間にあるのは、無関心と言うのが一番しっくりと来る考え方でしょうか。全体の政策が八方美人の平均的なものとなるため、私達のような少数種にとっては住みにくくもなっています。それでも適応している方々は居るのですが、アリスカンダルのもののように、いつまで経っても馴染めない者も多くいるのです。多分ですが、私もその一人ではないかと思っています。ですからプロキオン……こちらでは、ディアミズレ銀河と言うのでしたね。そこで皆さんに保護されてからは、毎日が楽しくて仕方がないんです。モルドとも話をしたのですが、帰りたくないと言うのが私達の正直な気持ちです」  正直な気持ちを吐露したトリネアに、アリファールは同情に似たものを感じていた。 「それを変えるのが、王族の勤め……と本来なら言う所なんだろうな。ただ長年続いた習慣は、簡単には変えられないのだろう。多くの賛同者が居て、初めて環境を変えることが出来るのだからな」 「仰るとおりだと思います。むしろ変化を主張すれば、迷惑がられることになるのでしょう。もっとも、私達がしてきたのは、わがままの延長でしか無かったとも言う事ができますね」  そこでトリネアは、「色々と考えたのです」と打ち明けた。 「アリスカンダルの者達の顛末を教えていただいた時、私はあなた方に不愉快な気持ちになることを言ってしまいました。その時は理由が分からなかったのですが、今はその理由に理解できた気がします。いえ、理解できた気持ちになっていると言うのが正しいのかもしれませんね。どこまで行っても、私はわがままだけを言って生きてきた王族でしかありません。ギリギリの判断など、今まで一度もしたことがなかったのですからね」 「ですが、ディアミズレ銀河への使者になられましたよね?」  ほんの少しだけトリネアを見直したミランダは、大きな決断として200万光年の距離を超える使者となったことを持ち出した。超銀河連邦では誰もしていないことだと考えれば、それだけでも大胆な選択であるのは間違いがなかった。  だが使者となったことを持ち出されたトリネアは、誇るのではなく明らかに恥ずかしそうに顔を伏せた。 「それにした所で、褒められるようなことをした訳ではありません」  そこで一度モルドの顔を見てから、「こちらの事情は分かりませんが」と自分がディアミズレ銀河に来ることになった理由を話しだした。 「年齢的に、そろそろ結婚しなければ世間体が悪くなっていました。ただ私の場合、見た目が野暮ったくてスタイルも悪いので、妻にと言う男性はどこにもいらっしゃりませんでした。それだけで家族の中で厄介者になっていたのですが、王女と言う身分を持つ以上そのままにしておく訳にもいきませんでした。そこで父が四方八方に手をつくして、私と結婚しても良いと言う男性を見つけてきてくれました。ゴラーリ様と仰るのですが、全身を大きな筋肉で包まれた、逞しい? お方が私のお相手として選ばれたのです。ですがわがままな私は、ゴラーリ様の見た目と年齢を理由に婚姻を拒んでいました。父が手を焼いていたのは知っていたのですが、私も引くに引けなくもなっていたんです。そんな時、業を煮やした父が、私に選択を突き付けたのです。それがゴラーリ様と結婚をするか、ディアミズレ銀河に使者として派遣されるのかと言うものでした」 「それで、使者となることを選ばれたのですか?」  トリネアがここにいる以上、ミランダの問いは今更のことのはずだった。だが当たり前と思われた問いに対して、トリネアははっきりと首を横に振った。 「当然ゴラーリ様との結婚を選びました。普通に考えれば、実験船で未だ誰も達成していないトランスワープによるワープ速度15に挑み、200万光年の距離を超えてアリスカンダルの脅威を伝えに行く……なんてバカな事を選ぶはずがありません。父も、私が結婚を選ぶことを前提に条件を提示したんです。普通に考えれば、私はゴラーリ様と結婚をし、使者にはシシトと言う政府の人間がなるはずでした。ですが、ゴラーリ様が急逝されて話がおかしくなったんです。選択肢が2つ、そして一方の選択肢は選べないものになってしまったんです」 「だから、トリネア様は使者から逃げられなくなってしまった……と」  流石にそれはと、ミランダはアリファールと顔を見合わせてしまった。わがままの下りはいただけないが、王女だと考えれば不思議な事ではないだろう。だが結婚相手が急逝し、その上島流しのような目に遭ったと言われれば、流石に同情もしてしまうのだ。 「その辺り、妹のナニーナが手引をしたと言う事情もありますが。もともといらない子に思われていましたから、誰も強く反対をしなかったのでしょうね」 「帰りたくないと言ったな」  そこで機嫌悪そうに、アリファールはトリネアの言葉を持ち出した。 「ええ、こちらの生活の方がずっと楽しいと思います。ですから、帰りたくないと言うのは正直な気持ちです。ただ使者として派遣された以上、帰還命令が出れば帰らなくてはならないのでしょう」  建前を口にしたトリネアに、「ああ」とアリファールは益々不機嫌さの増した顔をした。 「また、アリファール様のお気を害してしまいましたね」  申し訳ありませんと謝るトリネアに、「違う」とアリファールは声を荒げた。 「お前は、立派に務めを果たしたんだぞ。それを報告すれば、無理をして帰る必要はないはずだ。伝え聞く話では、連邦の理事会もお前に同情的らしいと言うことだ。だから強くここに残ることを主張すれば、その方法を考えてくれるはずなんだ」  そうだろうと顔を見られたミランダは、同感だとばかりに小さく頷いた。 「ですが、役目を途中で投げ捨てる訳には参りません」  そう言い切ったトリネア王女は、間違いなくとても美しく輝いていた。それは、美的感覚が違うはずのモルドも感じていたことだった。 「だが、あの宇宙船はっ!」  細工のことを口にしようとしたアリファールだったが、ミランダに肩を叩かれ最後の言葉を飲み込んだ。 「ええ、ロットリング号はヨモツ連邦の財産です。ですから、持って帰る必要があります」 「それが、あなたの意志と言うことか?」  確認したアリファールに、「ええ」と頷きトリネアはとても綺麗に笑ってみせた。その答えを受け取ったアリファールは、一度ミランダの顔を見てから立ち上がった。そして顔を見られたミランダも、アリファールに遅れて立ち上がった。  そして何事と驚くトリネアに向かって、深々と揃って頭を下げた。 「王女殿下の気高い志に感服させていただきました」 「お帰りになられるまでの間、精一杯お世話をさせていただきます」  二人の言葉を聞きながら、「開き直っただけなのに」とトリネアは心の中で首を傾げていた。ただマルドを見たら、二人と同じような顔をしてくれていた。そんなにいいことを言ったのかと、トリネアはもう一度心の中で首を傾げたのだった。  こう言った話を聞かされた時、妻がどんな反応をするかは火を見るより明らかだった。そしてトラスティが考えた通り、アリッサは目に浮かんだ涙をハンカチで拭ってくれた。だからトラスティは、「僕からは動かないよ」と機先を制した。 「あなたは、彼女が可哀想だとは思わないのですか?」 「可哀想かもしれないけど、これもまたありふれた悲劇の一つでしか無いんだよ。それから言っておくけど、「僕からは動かない」としか言っていないからね。大丈夫、彼女のことは大勢の人がそれぞれの思惑で色々と考えているよ。ルナツーでは、ウィリアム少佐が調整に駆け回っているんじゃないのかな。それからズイコーでは、スターク氏が色々と策を練ってくれているよ。多分だけど、ノブハル君を動かそうと考えているんじゃないのかな?」  だから大丈夫と答えた夫に、アリッサはとても冷たい視線を向けた。 「ど、どうかしたのかな?」  それにびびった夫に向かって、「私の頼みは聞いてくれないんですね」とアリッサは目を細めて睨みつけた。 「そ、そんなことは言っていないつもりなんだけど……散々原則を触れて回ったから、ちゃんとトリプルAのビジネスになるようみんなが考えてくれているって言いたかっただけで」 「聞いてくれないんですね?」  さらに目を細めた妻に、トラスティは背中に冷や汗をかきながら懸命に言い訳をした。 「ぼ、僕としては、聞くことを前提にしてるつもりなんだけど?」 「私には、そうは聞こえませんでしたよ。それで、あなたはどうしてくれると言うのですか?」  隠さずに吐けと迫られたトラスティは、流れる汗を拭いながら「難しいことじゃない」と答えた。 「インペレーターにロットリング号を収容して、ヨモツ銀河だったかな。そこまで運んでいけばいい。エネルギー機関を冷却状態で運ぶから、自爆する恐れもなくなってくれるんだよ。エスデニアに協力させれば、200万光年なんて1ヶ月程度で超えられるはずだからね」 「それで、商売の方は?」  もともと、民間企業が手を出すことではないと言っていたのだ。それをやる以上、相応の実入りが必要となってくる。それを連邦やスターク達に考えさせようとしたのに、アリッサはそれに文句を言ったはずなのだ。トラスティとしては、どうして人の計画を邪魔するのだと言いたいところだった。もっとも、アリッサに弱いトラスティが、そんなことを言えるはずがない。 「こ、今回の件は、トリプルAの安全保障部門の仕事にすればいいんだ。研究開発に協力するとかの建前を作って、開発費を連邦に出させるんだよ。そして責任者にノブハル君を据えれば、彼もやりがいが出るはずだ」  恐る恐る答えた夫に、「それだけ?」とアリッサは詰問した。 「後は、連邦やノブハル君が何を言ってくるのか待とうと思っているんだけど……」  そう答えた夫に、アリッサは「足りませんね」と冷たく言い放った。 「そもそも、そうやって人任せにする所が気に入りません!」 「もともと、君は手を出すことに反対していたはずだろう!」  逆ギレしかけた夫に、「それがどうかしましたか?」とアリッサは目を細めて睨みつけた。 「なるほど、そうやって脅せば僕が何でも言う事を聞くと思っているんだね」  いきなりアリッサの右手を掴み、トラスティは「コスモクロア」と己のサーヴァントを呼び出した。 「夫婦喧嘩は犬も喰わないと言いますけど……」  いいですけどと、アリッサのようなことを口にして、コスモクロアは二人をレストランから別の場所へと飛ばした。それが二人が確保していたベッドルームと言うのは、今更言うまでもないだろう。 「倦怠期になるとは思えませんが……」  何しろトラスティは、そこらじゅうで女性に手を出しているのだ。それだけ刺激があれば、倦怠期になるとは考えられなかった。普段にない荒々しさを見せる二人に、「心配するだけ馬鹿らしい」とコスモクロアはぼやいたのである。 「今でしたら、混ざってもバレない……のでしょうか?」  普段にない興奮状態を続ける二人に、コスモクロアはどうしたものかと思案にくれたのだった。  いくら特等船室を選んでも、貴賓室の乗客との交流は考えられない。船会社からすれば、逆に危なくて交流など以ての外と言う所だろう。遠くヨモツ銀河から来た王族とトリプルAの社長は、どちらの機嫌を損ねてもろくなことにならないのは分かっていたのだ。  そしてアリッサを屈服させたトラスティも、敢えて顔合わせの機会を作らなかった。そうなると、広い船内は両者が偶然でも無ければ出会うことはない。そしてトラスティが偶然の目を潰したため、何もないままネビュラ・ミレニアム号はズミクロン星系センター・ステーションへと到着した。 「窓から、物凄く大きな船が見えたのですが……あれも、旅客船と言うものなのでしょうか?」  ネビュラ・ミレニアムと比べるとそっけなく見えたが、その分堂々としているように見えたのも確かだ。すごい船ですねと感心したトリネアに、アリファールは小さく首を横に振った。 「あれは……民間企業所有の武装船です。恐らく我々の連邦内で、一二を争う高性能船でしょう。もう一つ閉鎖ドックにも船があるのですが、そちらの方が優美な姿をしているのかと思います。ただそちらも、最新鋭の武装船なのですが……」 「武装船……ですか?」  聞きなれない言葉に首を傾げたトリネアに、説明が難しいのだとアリファールは答えた。 「戦艦ほど武装は充実していないのですが、かと言って旅客船とは比べ物にならないほどの装備を持っています。ただ戦艦ほどはと言いましたが、正直言って喧嘩をしたくない相手と言うのは確かです。ちなみに、閉鎖ドックに係留されている船が、先のアリスカンダル事件に関わっています」 「アリスカンダルの者が襲った船がここにあるのですかっ!」  驚いたトリネアに、アリファールはしっかりと頷いた。 「だとしたら、なんと言いましたか……確か皇帝陛下の夫君の船だと伺った覚えがあります。この星系に、その方がおいでになると言うことでしょうか?」 「おいでになるかと言われれば、確かにお出でになられるのですが……地上におられるので、お会いすることはないのかと思われます。残念ながら、ここでの停泊時間はさほど長くありません。少し港の中をぶらつく程度……の時間しか無いのです。ガルマンやシャルバートに比べて、ここの港は賑わっていませんので」  寄り道の時間が無いと言われたトリネアは、少し残念そうな顔をした。港は大したことが無いと言われたが、窓から見える連星に興味を惹かれたのだ。 「もしもお会い出来るのなら、ヨモツ銀河の者としてお詫びする必要があると思っていました。それから、双子星とでも言えばいいのでしょうか。あのような成り立ちの惑星を、これまで見たことがなかったのです。ですから、もう少しゆっくりと見てみたいと思ったのですが……無理を言う訳には参りませんね」  仕方がないですねと顔を見合わせたトリネアとモルドを見た二人は、なんとかしてあげたいと思うようになっていた。ただ、一介の伍長に出来ることなどなにもない。彼らには、粛々と命令に従うこと以上のことはできなかったのだ。 「高速船を仕立てられれば、ここでお時間をとることが出来たのですが……」  申し訳ないと謝られなくても、これが単なる我儘と言うのをトリネアも理解していたのだ。 「アリファール様の責任ではありません。それに時間が取れたとしても、いきなり押しかけて面会を求めるのは間違いなく図々しいことでしょう」 「ご理解いただけて幸いです」  頭を下げたアリファールは、自分の力の無さを恨んでいた。だがいくら恨もうとも、今を変えることなど出来ないのだ。そしてそれが、普通の人間にとっては当たり前のことだった。 「こちらのことは気づいているはずだろう」  それなのに、どうして接触してこなかったのか。相手にする価値を認められていないのかと、アリファールはトリネアに同情したのだった。  その頃二人は、スターク最高顧問の出迎えを受けていた。突然の訪問のはずなのだが、ルナツーを経由した時点で、こうなることは半ば覚悟をしていた。 「わざわざ、出迎えいただくほどの事じゃないのですけどね」  苦笑したトラスティに、スタークは笑いながら「誤解がある」とアリッサに右手を差し出した。 「私は、社長を出迎えに来たのだよ。雇用関係を考えれば、別に不思議な事じゃない……どころか、出迎えるのが当然と言うところではないのかね」  それが一つと、スタークは少し口元を歪めた。 「そしてもう一つが、私は殆どここで暮らしていると言うのがその理由だ。従って、ここに来るのはさほど手間が掛る訳ではないのだよ」 「最高顧問が、わざわざ詰めている必要はないと思いますけどね」  いいですけどと拘るのを止めたトラスティは、案内されるままに応接に入っていった。この応接は、インペレーターの区画に用意された専用のものである。 「ここに来る前に、ご子息とお話させて頂きましたよ」 「ウィリアムとですか。きっと、あなたを羨んでいたことでしょうな」  当然のように、スタークの視線はアリッサに向けられていた。そしてトラスティもまた、アリッサの方へ顔を向けていた。 「ええ、あからさまな扱いを受けましたよ。まあそれは良いのですけど、ウェンディは他の二家とは違うのですね。あまり女性の扱いに慣れていないと言う印象を受けましたよ」 「ウェンディは、代々恐妻家で知られていてね。手広く遊ぶクサンティンやイスマルとは違うのだよ」  それを偉そうに言うスタークに、「面白いですね」とトラスティは笑った。 「僕なんかに紹介を頼まなくても、その気になれば女性などいくらでもついてくるでしょう」 「ウィリアムが、君に女性を紹介してくれと頼んだのか!」  それは凄いと驚くスタークに、それほどのことかとトラスティは笑った。 「ただ、それならそれでなかなか難しいのですけどね。もう少し早く言ってくれれば、エスデニア最高評議会議長様を紹介したのに」  それが残念と本気で悔しがるトラスティに、それが人間だとスタークはしたり顔で答えた。 「人の出会いと言うのは、本当に不思議なものだと私は思っているのだよ。それは、君が一番感じていると思っているのだがね?」  違うのかと顔を見られたトラスティは、苦笑交じりに「確かに」とスタークの言葉を認めた。 「よくもまあ、こんな偶然が続いたと思っていますよ。旅行随筆家なんて胡散臭い男が、何の因果かシルバニア帝国宰相とかリゲル帝国皇帝と関係を持ったんですからね。普通なら、顔を合わせることは無いと思います。そしてそれからも、沢山の偶然が重なったと思っていますよ」  トラスティが出会った相手を考えれば、沢山のと言いたくなるのも理解することが出来る。とてもではないが、一介の旅行随筆家が縁を結べるような相手ではなかったのだ。そしてその事情は、眼の前にいるアリッサに対しても同じだった。 「よく言われることだが、偶然もいくつか重なると必然となるのだよ。そして君の場合、「仕組まれた」と言った方が適当なのかもしれないな。それでも言えるのは、偶然を招き寄せたのは君自身の行動と言うことだ。それから、その偶然は打ち止めではないと思っておいた方がいい」 「そうやって思わせぶりなことを言って、僕を誘導しようとしますか」  策士ですねと笑うトラスティに、「ペテン師は君の方だ」とスタークは言い返した。 「ところで、ズミクロン星系まで何をしに?」  確かに支社はあるが、社長と役員が揃ってくる理由にはならない。二人の訪問目的を尋ねたスタークに、「一応仕事です」とアリッサが答えた。 「支社長のパフォーマンスが落ちていると言う報告がありました。ですから、本人の面接を行い、今後のことを考えたいと思っています」 「なるほど、ノブハル君の問題ですか」  そこでトラスティの顔を一度見てから、「理由はご存知なのでしょう?」とスタークは問い掛けた。 「ええ、夫がきっかけとなったことは理解しています。ですが、本質的な問題はそこにないと思っています」 「問題は別にあるのだと?」  少し目元を険しくしたスタークに、アリッサははっきりと頷いてみせた。 「ノブハルさんは、管理職のタイプではないと言うことです。そしてもう一つ、起業家でもありませんね。その意味では、人材のミスマッチと言う事になります」 「確かに、彼はビジネスマンと言うタイプではないですな」  なるほどと大きく頷いたスタークは、「大したものだ」とアリッサを褒めた。 「それで、エルマー支社を誰に任されるのですかな?」 「本当ならナギサさんが良いのですが、流石にいくつも役職を兼任させるのは可愛そうでしょう。ですから、グリューエル王女を支社長に据えようかと思っています」  その説明に、スタークはいたく感心させられた。なんのかんの言って、アリッサの人を見る目が確かだったのだ。そしてもう一つ、支社長職は彼女をこの星系に縛り付けるのにも役に立ってくれる。 「確かに、グリューエル王女ならば支社長に適任でしょう。そして彼女も、国に対して面目を保つことが出来ますな」  そこまで口にしたスタークは、「ところで」ともう一つ問題となる場所を持ち出した。 「グリューエル王女を支社長にした場合、ゼスへのコンサルタントはどうされます?」 「別に、支社長がコンサルをしていけない法はありませんよ」  しれっと言い返したアリッサに、なるほど大した女性だとスタークはもう一度感心した。 「なるほど、彼女ならば立派にこなしてくれるでしょうな」  アリッサの言葉を認めたスタークは、「もう一つ」と話題を変えた。 「ヨモツ銀河でしたか。同じ船に、使者として送り込まれた王女が居たと思いますが?」  スタークの問いに、アリッサは小さく頷いた。 「ええ、シャルバートのレストランで見かけましたよ。200万光年離れた宇宙から来たとは思えない、私達と全く変わらない見た目をされていましたね。ただ綺麗な金髪碧眼をされていましたが、夫の琴線には響かなかったようです」 「あなたがそばにいれば、他の女性に目が向くことはないのでしょうな」  金髪碧眼に目が行かなかった理由を持ち出したスタークに、「そうでもないんです」とアリッサは初めて困ったような顔をした。 「最近私の前で、リュースさんといちゃいちゃしてくれるんです!」 「あれは、会話のキャッチボールと言って欲しいんだけど」  すかさず否定した夫に向かって、「いちゃいちゃしてますよ」とアリッサは断じた。 「それで、ヨモツ銀河がどうかしましたか?」 「いや、どうされるのかと思っただけですよ」  スタークの答えに、「どうするんでしょうね」とアリッサの言葉は他人事だった。 「1万の局部銀河には、20以上の銀河が存在していますからね。それだけで、対象が20万ですか。今回の事件と同様の事件が起こる可能性は否定できません。だとすると、連邦はその対策をどうするのでしょう」  そうくるかと、スタークはアリッサの手強さを感じた。 「伝え聞いた話では、新しい組織を作るそうですな。確かに、こう言った事業は民間には向かないのでしょう」 「ええ、連邦全体の安全保障は連邦が解決すべき問題ですね。新しい組織を作って探査を行うと言うのは、極めて理に適った方策だと思いますよ」  当然アリッサも、スタークが何を考えているかぐらいは理解していた。だから外銀河のことについて、無関心を装うことにしていた。そしてその態度は、企業家と言う意味では当たり前のものでもあったのだ。 「確かに理には適っていますな。ですが、つまらない決定だとは思いませんか? テストケースにヨモツ銀河を選んだそうですが、こちらから出発するのは2年も後になるとのことです」 「急いては事を仕損じると言いますからね。準備不足で乗り込むと、あちらでも「アリバイ作り」と馬鹿にされるのではありませんか?」  連邦内の話を論ったアリッサに、「確かに手強い」とスタークは改めて実感していた。 「従って、トリプルAは連邦がどのような方策をとるのか見守っています。そして何らかの依頼が来た場合、事業としての判断をすることにしています。依頼がない限り、そしてそれがトリプルAの事業として相応しいものでない限り、私達が乗り出すことはないと思いますよ」 「確かに、トリプルAの事業にはならないのでしょうな」  大きく頷いたスタークは、「残念です」とアリッサに右手を差し出した。 「エルマーに降りるシャトルまで、あまり時間が残っていませんな」 「帰り道にもここを利用しますので、その際に時間を作ることは出来ますよ」  続きはその時にと、アリッサはスタークの右手をしっかりと握った。 「ところで、帰り道はインペレーターを使われますか?」 「定期船のスケジュールに合わないみたいですね。プリンセス・メリベルVやローエングリンを使うわけにもいきませんから……やはり、インペレーターになるのでしょうね。なにか、物凄く大げさな気がしてきました」  そこで顔を見られたトラスティは、明後日の方向を向いて肩を竦めてみせた。 「ラピスラズリ様に頼んで、空間接合をしてもらいましょうか?」 「公私混同は良くないって言わなかったかな?」  道中で言ったことを持ち出したトラスティに、「問題ありませんよ」とアリッサは言い返した。 「エスデニアは、業務提携先ですからね。提携先に伺うのですから、それを利用してもおかしくないはずです。断られたら、エスデニアに寄らないと答えればいいだけですからね」  そこでぽんと手を叩いたアリッサは、「パガニアでもいいですね」ともう一つの提携先を持ち出した。 「あなたも、若い子の方が良いですよね? それに、アマネさんも歓迎してくれると思いますよ」 「その辺りは、ノーコメントと言うことにしてくれないかな? あまりにも差し障りがありすぎるから」  そのやり取りに吹き出したスタークは、「用意をしておきますよ」とアリッサに伝えた。 「エスデニアとパガニアが揉めたりしたら、外銀河探索どころではなくなりますからな」 「その辺りのコントロールは、この人に任せておけば大丈夫でしょう」  そう言い切ったアリッサに、トラスティは眉をハの字にして「勘弁して」と哀願した。 「ここまで手を広げたのは、全て自分の責任と言うのを忘れないようにしてください」  そうやって夫を凹ませたアリッサは、スタークに頭を下げてインペレーターの準備をお願いした。 「多分それが、一番揉め事が少なくなりますから」 「仰るとおりなのでしょうな」  こうして不自然にならないように、自分にインペレーターを準備させようと言うのだ。なるほど抜け目がないと、スタークは二人を再評価した。  トラスティに宿題を残されたウィリアムは、アス駐留軍司令部に行くためアス本星に降りていた。目的は、駐留軍司令であるジュリアン少将と話をするためである。  ただこの話は、アス防衛に関することではない。御三家として、いかにIotUの子孫を躍らせるのかと言うのが目的だった。 「やはり、予防線を張ってきたと言うのだね」  ウィリアムの報告を聞いたジュリアンは、予想通りの展開に苦笑いを浮かべた。ただ予想通りではあるが、厄介な問題だと思っていた。アリッサが言う通り、外銀河探索と言うのは企業向けの話ではない。トリプルAが宇宙船建造に手を出していてくれれば話は楽なのだが、彼らのビジネスの主体は物づくりではなく人にある。そしてその人が、トリプルAを特別なものとしていたのだ。 「単発の仕事では、いくら稼ぎが大きくてもだめと言うのが彼らの答えです」 「かかる時間を考えた場合、機会損失を考える必要がある……と言うことか」  急成長を続けるトリプルAだと考えれば、時間そのものが非常に貴重と言うのは理解をすることが出来る。そして短期の利益に固執した時、将来の大きな利益を失う可能性は否定出来ないだろう。それを持ち出されれば、首を縦に振らせる条件が難しいことになる。 「確かに彼の言う通りなのだろうが。それを素直に認めるのは癪に障ることになるな」  どうしたら、トリプルAからやりたいと言わせることが出来るのか。これは御三家とIotUの子孫の知恵比べなのだとジュリアンは考えた。ただ自分達が不利なのは、相手に手を出さなくても困らないと言う事情があることだった。 「さて、こう言ったときにはペテン師ならば何を考えるのかだが……」 「少将に、ペテン師は似合わないのかと」  正直なウィリアムの感想に、言ってくれるねとジュリアンは苦笑を浮かべた。 「それが事実だと思っています。むしろ、女性を口説くつもりになっていただいた方が良いのかと」 「その気にさせると言う意味では、確かに大差は無いのだろうね」  それも一理あると、ジュリアンは手管を考えることにした。ただその気にさせる相手を考えると、これもまた難易度の高すぎる話でもある。 「やはり、難しいとしか言いようがないか。ところで魔術師は、こう言った場合はどうするのかな?」  打ち返されたウィリアムは、少しだけ口元を引きつらせた。 「戦わずに、素直に撤退と言うのが賢い選択……と言うことになるのでしょう」 「やはり、素直に連邦から予算を引っ張ってくるしか無いと言うことか」  機会損失を問題とするのなら、それすら忘れさせる金額を提示すればいいだけのことだ。地方政府では難しいことだが、超銀河連邦なら難しいことではない。1万の銀河に10億を超える構成星系と言うのは、人知を超えた巨大な存在である。その気になれば、動かせる金額は超銀河レベルとなる。 「クサンティン元帥に放り投げると言うことですか?」  そのものズバリを指摘したウィリアムに、「言葉には気をつけた方が良い」とジュリアンは厳しい視線を向けた。 「適材適所を考えただけのことだ。それに、超銀河連邦を動かすためには、元帥閣下に骨折りいただく必要があるからな」 「つまり、元帥閣下を使い立てするのだと」  容赦の無いコメントに、「こらこら」とジュリアンは少し口元を引きつらせた。 「この世界、正直は美徳ではないことを覚えておいた方がいい」 「私は、自分が正直者だと思ったことはないのですが……ただ、ご忠告は忘れないように致します」  そう答え、ウィリアムは失礼しましたと敬礼をして出ていった。それを見送ったジュリアンは、彼に対して「まだまだだな」との感想を持った。 「やはり、修羅場をくぐらせるべきか……」  自分の後を任せるには、まだまだ経験が不足しているとしか言いようがなかったのだ。これから経験を積むにしても、アス駐留軍と言うのは意味合いとは逆に何も起きない場所だった。それを考えたジュリアンは、恋人のエイシャと連絡を取ることにした。 「ああ、一人生きのいいのが入ったんだ。そちらにも、目が血走ったのが何人か控えているのだろう? 上手くマッチング出来ないかと考えたのだが……エスデニアとパガニアのどっちが良いかって?」  そうだなと少し考えたジュリアンは、「エスデニアからかな」と優先順位を決めた。 「理由かい? 神殿の興行に支障が出たら困ると言うのが理由だよ。口実なら、そうだな……挨拶とでもしておいてくれればいい。君が適当なのを見繕って、ルナツーに連れてきてくれればいいよ。ああ、御三家筆頭ウェンディ家の次期当主だ。エスデニアとしても、格として問題にはならないだろう。それどころか、希望者が殺到するのではないかな?」  そこでにやりと口元を歪めたジュリアンは、「これでも親切のつもりなんだけどね」とエイシャに言い訳をした。その辺り、女性を紹介する裏をエイシャに感づかれたと言う辺りだろう。 「だから、早い時期に実現をしてくれるかな?」  そこまで口にして、「任せたよ」とエイシャとの通信を切断した。こう言ったことはアガパンサスに頼むより、エイシャに頼んだ方が口実が立ちやすかったのだ。 「後は、クサンティン元帥にご活躍願うだけなのだが……」  そうすることで、トリプルAを巻き込むコンセンサスが成立してくれる。企業にとって、連邦を敵に回すことはデメリットこそあれメリットは一つもない。連邦さえ動かせば、トリプルAを巻き込む方策はいくらでも見つかることだろう。  ただ連邦を動かしたとしても、それで解決とは簡単にいかないのも問題だった。個人的な問題を棚上げできても、道理を重んじる主要星系を敵に回す訳にはいかない。特にエスデニアなど、扱いの難しさはピカイチだろう。関わらせたた方が面白そうだと思わせない限り、議長様は間違いなく反対勢力になってくれる。そしてもう一つ、シルバニア帝国も忘れてはいけない相手になる。意外に常識的なライラ皇帝を考えると、大義名分を用意しなければならない。今回の事件は、ノブハル・アオヤマを巻き込みにくくしていた。 「その辺りは、スターク氏がノブハル君を巻き込んでくれれば解決するのだが……」  一度スタークに連絡をしてみるかと、ジュリアンは考えた。今回登場したヨモツ銀河は、間違いなく新しい展開を導くきっかけになるはずなのだ。  トラスティが支社に連絡を入れたのは、地上に降りるシャトルに乗り込む直前だった。流石に寝耳に水と言うこともあり、支社長以下ズミクロン支社の全員はパニックに襲われていた。何しろ現時点で、ズミクロン支社の経営指標に問題は生じていない。それどころか、順調に業績を伸ばしているぐらいだ。その辺り、タンガロイド社の独占代理店と言う立場が物を言っていた。そして将来的には、惑星ゼスからの入金が積み上げられるのが確定していた。  それを考えれば、業績が理由で社長自らの抜き打ち訪問が行われるとは考えにくい。支社がパニックに襲われるのは、理由が分からないこともありムリもないことだった。 「セントリア、何か理由らしきものの連絡はあったのか?」  ノブハルはそれなりに持ち直したのだが、セントリアの精神状態はケアが必要なレベルを脱出していない。そのせいもあって、いつも以上に感情の欠けた声で「これと言って」と答えを口にした。 「そうなると、何をしに来るのかが問題と言うことか……アクサが理由なら、社長まで来る必要は無いだろうし……」  ううむと唸ったノブハルを見て、「もしかしたら」とセントリアは一つの可能性を持ち出した。 「あなたと私が理由ではないのかしら?」 「俺達が、か?」  少し驚いた顔をしたノブハルは、「俺達が理由か」と繰り返した。 「確かに、可能性の一つとして考えられるな」  もう一度ううむと唸ったノブハルは、「どうしたものか」とセントリアの顔を見た。 「どうと言われても……私にはどうしようもないわ」  とてもフラットな声で答えたセントリアに、なるほどとノブハルは事情が掴めた気がした。多少持ち直した今なら理解できるが、周りから見れば重傷そのものだったのだ。その報告が上がれば、幹部自ら登場するのもおかしなことではないだろう。  それをケアだと考えるか、はたまた降格人事をしにくるのか。可能性として後者だなと、ノブハルは自分自身を分析していた。 「それで、ここへの到着予定時刻は何時ぐらいなのだ?」 「連絡によると……」  そこで連絡を確認したセントリアは、少し慌てて現在時間を確認した。 「あと、30分後になるわね」 「余計なことで悩まないだけマシと考えるべきか……」  30分だと、普通の準備ですら間に合わないだろう。今更慌てても仕方がないと開き直り、ノブハルはセントリアを連れて支社長室を出た。そして不安そうな顔をした社員達に、「指標は順調だ!」と今の状況を口にした。 「従って、諸君が気に病むことなど一つもないと言ってやる」  そこでノブハルは、サーヴァントの一人であるアルテッツァを呼び出した。 「アルテッツァ、社長はあとどれぐらいでお出でになられる?」 「その辺りは……いつでもと言うのがお答えになるのかと」  つまり、あちら側の準備は整っていると言うのだ。だったら先延ばしをすることに意味が無いと、「ならば今すぐだ」とノブハルはアルテッツァに伝えた。  それを「畏まりました」とアルテッツァが受け取ってすぐ、トリプルAエルマー支社の中に3つの人影が現れた。予定外の人数に驚いたのだが、3人目はグリューエル王女だった。 「遠路はるばるお出でいただきありがとうございます」  皇帝とか王様とか王女様がいるのだが、この場において一番偉いのはアリッサと言うことになる。だからノブハルも、アリッサに向かって頭を下げた。今日のアリッサは、涼し気なベージュのスーツを身に纏っていた。 「そんなに緊張しなくても良いんですよ」  そこでトラスティを見たアリッサは、小さく頷いてから社員達に向かって「業績は順調ですね」と微笑みを与えた。同じことはノブハルも口にしたのだが、アリッサが言うことが大きな意味を持っていた。たったそれだけで、社員達の間に安堵の空気が広がってくれたのだ。  その空気に笑みを浮かべたアリッサは、「引き続きチャレンジしてくださいね」と全員に声を掛けた。しかもわざわざ一人ひとりの所に歩み寄って、頑張ってくださいと声を掛けて握手をしていった。社長に、しかもアリッサにそんな真似をされれば、誰ひとりとして冷静ではいられない。卒倒しないだけマシなのだろうが、何人かは鼻を押さえてフロアを飛び出していっていた。 「では、支社長室でお話をしましょうか」  あくまでもにこやかに微笑んで、アリッサはノブハル達を連れて支社長室へと入っていった。そしてソファーに腰を下ろしたところで、トラスティが二人のデバイスを呼び出した。 「コスモクロア、アクサ、出てきてくれないかな」  その呼出に答えて現れたのは、長い黒髪に緑色の瞳をした、息をするのも忘れるほどの美しさを持った女性と、レデュッシュと言われる赤い長い髪と青い瞳をした、未熟と成熟の狭間の作り上げた絶妙の美しさを持つ女性である。それがトラスティとノブハルの保有する特別なデバイス、コスモクロアとアクサだった。  どう言う訳か、二人揃って生成りのワンピース姿で現れてくれた。 「お呼びですか主様?」 「ああ、君とアクサで、ちょっとした結界を張ってもらいたいんだ。まあ、ここの話が漏れない程度で良いんだけどね」 「そんなことでいいのかしら?」  小さく首を傾げたアクサを見て、ノブハルはナギサに教えられた話を思い出した。女の子の顔と言うのはよく分からないのだが、明らかにアクサの態度が変わっていたのだ。 「ああ、君の顔が見たかった。そう思ってくれればいいよ」  トラスティの言葉に嬉しそうに頷き、アクサは手に集めた光を部屋の中に振りまいた。 「これで、アルテッツァでもこの中を覗けないわ」 「具体的には、何をしてくれたのかな?」  アルテッツァまで排除するつもりは無かったので、とりあえずトラスティはその方法を尋ねることにした。そんなトラスティに、アクサは「時空間制御」と言って笑った。 「アルテッツァに伝わると、自動的にライラにも伝わってしまうわ。だから、この周りの空間に薄い時間固定領域を作ったのよ。コスモクロアなら壊せるけど……ザリアも壊せるわね。でも、シルバニア帝国の力でも簡単には壊せない空間よ」  凄いでしょうと自慢したアクサに、トラスティは少しだけ口元を歪めた。見た目相応と言うのか、その態度自体が見た目より少し幼いように感じられたのだ。再構築前のアクサを考えれば、信じられない態度と言っていいだろう。 「そんなことをして、エネルギーに問題は出ないのかな?」 「あなたに貰った指輪のお陰で、エネルギーは潤沢に使えるわ。それに、固定した空間は1ナノメートルの厚さしか無いから、さほどエネルギーを使っていないの」  褒めてと言う顔をしたアクサに、トラスティは顔の引きつりを少しだけ大きくした。ただそれは、この場において時間を掛けることでないのだろう。  自分に頷く夫を見て、アリッサは「アオヤマ支社長」とノブハルに声を掛けた。 「支店時代から考えると、ここも1年と100日ほど経過しましたね。業績指標は、全て期待以上のものになっています。トリプルA軍事部門の中心だと考えると、ますます位置づけは大きくなってくると思います。そこで今回、エルマー支社の人事を見直しに来ました」 「つまり、首と言うことですか?」  予想した話でもあり、ノブハルは先回りをして自分の処遇を口にした。ここのところの不始末を考えての発言なのだが、それはアリッサを理解していないゆえの言葉でもあった。 「どうして、あなたを首にしないといけないのですか? そんなことをしたら、トリプルAにはデメリットしかありませんよ。エルマー支社は、あなたが居て成り立っているんです。あなたを首にした途端、インペレーターの母港を探さなければならなくなります。それに、シルバニア帝国と喧嘩をしたくはありませんしね」  アリッサの挙げたのは、ノブハルについてくる、どちらかと言えば付随的な立場に違いない。それを持ち出すことは、逆にノブハルを落ち込ませるものとなる。 「ですが、それ以上にあなたを手放せるはずがないと思いますよ。あなたを首にしたら、恐らくお父様……タンガロイド社なんですけど、喜んで採用に来ると思います。そしてそれが、私がここに来た理由でもあるんです」 「首を切りに来たわけではないのか……無いのですか?」  驚いたノブハルに、「そうともとれますけど」とアリッサは綺麗に笑った。 「アオヤマさんの、エルマー支社長の任を解くことにしました。これだけだと、仰るとおり首を切った事になりますね。ただあなたを手放す訳にはいかないので、別の立場を用意することにしました。トリプルAのDCTOと言う立場は、あなたにとって不本意なものとなりますか?」 「DCTO?」  それはと首を傾げたノブハルに、「最高技術責任者代理ですが?」とアリッサはあっさりと言ってのけた。 「バルバロスさんがCTOですから、その代理と言う事になりますね。そのうち立場をひっくり返すかもしれませんが、蓄積した技術が違うので当面代理と言うことにします」 「俺が、最高技術責任者代理?」  鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたノブハルに、「不服ですか?」とアリッサは問い返した。 「い、いや、なんと言っていいのか……その、実感が沸かないと言うのか。いや、叱責されるものだと思っていたのだが……」  いやいやと頭を振ったノブハルは、同じように困惑をしたセントリアの顔を見た。 「アオヤマさんは、あまり管理者に向いていないのがはっきりしましたからね。それに管理者になると、エルマーに縛り付けられることになってしまいます。もっと自由にさせた方が、トリプルAにとってメリットが大きいと判断した。そう考えていただけば結構ですよ」 「自由に……と言われても、逆に難しい気がするのだが」  ううむと唸ったノブハルに、「だからです」とアリッサは言い切った。 「簡単なことなら、あなたを抜擢したりしません。それに新技術のことになると、私ではついて行けませんからね。だから「自由に」と言う言葉に逃げたと思ってください。とりあえず、アオヤマさんの活動用として、全社売上の1%を用意しました。ここまでの範囲であれば、好きに使っていただいて結構です。それを超える場合は、一応取締役会に掛けて判断いたします」 「全社売上の1%ですか……アルテッツァ……アルテッツァ?」  いくらだと聞こうとしてアルテッツァを呼び出そうとしたのだが、いくら呼んでもアルテッツァは現れてくれなかった。どうしてだと首を傾げたところで、「動転しているね」とトラスティが笑った。 「アクサが、結界を張ったのを忘れたのかな? ちなみに、今年の予想売上は1000億ダラを超える予定だ。従って、10億ダラぐらいは自由に使えることになる。君の場合ローエングリンを自由に使えるから、かなりのことができるのではないかな?」 「10億ダラって……10億ダラっ!」  今まで生きてきて、しかもトリプルAに加わる前は赤貧に喘いでいたことを忘れても、10億ダラと言うのは途方もない莫大な金額である。流石に腰を抜かしたノブハルだったが、相手は大富豪のアリッサである。少しわざとらしいのだが、ノブハルの態度を綺麗に誤解してくれた。何しろアリッサは、船のカジノで1億ダラの入金をしようとした実績があるぐらいだ。 「10億ダラでは少なかったですか?」  仕方ないですねと笑ったアリッサは、「今なら100億ダラが限界ですね」と笑った。 「あくまで企業活動としてしていますから、利益の範囲でしか支出できないんです」  ごめんなさいと謝ったアリッサに、ノブハルの頭はしっかりと飽和していた。10億ダラでも使い道に想像が付かなかったのに、さらにその10倍の金額をぽんと提示してくれたのだ。金銭感覚が違いすぎると、今更ながら思い知らされた気がした。 「い、いえ、とりあえず10億ダラにしておいていただければ」 「別に、遠慮されなくても良いのですが……研究費に使えば、税金対策にもなりますからね」  そこで夫の顔を見たアリッサは、「とりあえず10億ダラにしておきましょう」とその場を納めた。そしてノブハルの隣であっけにとられているセントリアを見てから、夫に話を進めるようにと突っついた。 「それから、セントリアさんのことだが。ノブハル君が支社長の任を解かれた時点で、秘書として残る理由がなくなったはずだ。立場上トリプルAを解雇しないから、そこから先の役割についてはDCTOのノブハル君と相談して決めてくれないかな。君の経費は、ノブハル君の研究費から捻出すればいいだろうしね」 「わ、私は……っ」  そこで声を上げたセントリアは、すぐに黙って俯いてしまった。 「退職して、エリーゼさん達と同じにしても構わない。ただ秘書として、君の勤務評定は悪くないんだ。もしも秘書を続けたければ、次の支社長を支えてくれても良い」 「私には、その方が向いている気もするけど……次の支社長はどなたなのですか?」  ノブハルの任を解かれると言う説明はあったが、次が誰になるのかについて一言もなかったのだ。それを気にしたセントリアに、確かにそうだとノブハルも同調した。 「次の支社長かい。しばらくは、グリューエルに任せようと思っているんだけどね」 「グリューエル王女様にかっ!」  驚いたノブハルだったが、すぐにそれが恥ずかしいことだと気がついた。それに考えてみれば、対人折衝や経営管理については間違いなく自分よりも長けていたのだ。どちらが支社長に相応しいかと問われたら、自分でもグリューエルと答えるだろう。 「トリプルAの支社長なら、クリスティアにも顔が立つからね。グリューエルからは、快諾してもらってるよ」  そこでグリューエルの顔を見たトラスティは、どうするとセントリアの事を尋ねた。 「私としては、セントリアさんに続けていただきたいと思っていますよ。それにDCTOになられても、ノブハル様の拠点がエルマーから動く訳ではありませんからね。オフィスをもう少し広い所に移せば、DCTO室も作れるのでは無いでしょうか?」 「本当に、私などで宜しいのでしょうか?」  ノブハルはいざしらず、自分は首を切られると思っていたところがある。だから本当に良いのかと尋ねたセントリアに、「お仕事ぶりは伺っていますよ」とグリューエルは微笑んだ。 「よ、宜しくお願いいたします!」  勢い良く立ち上がったセントリアは、グリューエルに向かって腰を90度折り曲げたお辞儀をした。護衛としてダメ出しをされたセントリアにしてみれば、秘書として認められたのが嬉しかったのだ。 「さて、これで僕達がエルマーに来た目的は達成したことになる。と言うことで、ここからはプライベートタイムにしよう」  そこでアリッサが頷くのを確認して、トラスティはグリューエルに「用意は?」と首尾を確認した。 「ただいま、準備中と言うところです。ところで、ウェンディ様は招待されますか?」 「インペレーターの準備中なんだが……仲間はずれにするのも可哀想だろうね。さてっ」  ぱんと手を叩いてから、トラスティは「アルテッツァ」と超銀河最大のコンピューターを呼び出した。 「はい、我が君」  自分が呼び出した時には姿を見せなかったのに、トラスティが呼び出したら姿を見せたのだ。どうしてと驚くノブハルに、アルテッツァが代理で答えを与えた。 「多分ですが、コスモクロアが閉鎖空間に穴を開けてくれたのだと思います。なにしろ、しばらく私にも皆さんの姿が見えなくなっていましたから」 「と言うことなのだけど、スターク氏を誘っておいてくれないかな。それから、足が必要なら連絡をしてくれとも伝えてくれ。コスモクロアかアクサが迎えに行くことになると思うからね」 「畏まりました」  そう頭を下げて、アルテッツァはトラスティの前から姿を消した。ただノブハルは気づかなかったが、セントリアは「アルテッツァもか」と目の前の男の非常識さを理解した。今更気づくのもどうかと思うが、明らかにトラスティに対する態度がノブハルの時とは違っていたのだ。 「それから、都合が付けばイチモンジ家次期当主様も誘っておいてくれるかな。彼には、これからも様々な便宜を図って貰わないといけないからね」 「え、エリーゼ達も呼んでいいか?」  ノブハルの問いに、トラスティはどうしてと言う顔をした。 「彼女達は、初めから数のうちなんだが?」  そう答えたトラスティは、アリッサの顔を見てから次にグリューエルの顔を見た。つまり、これが答えと言うことになる。プライベートの集まりに、自分は妻を連れて出席するのだ。だとしたら、ノブハルがエリーゼ達を連れてこない方がおかしいと言えるだろう。 「ところでアクサ、もう結界は必要ないんだけど……僕達はここから出られるのかな?」  自分を呼び出したトラスティに、「もう無いわよ」とアクサはあっさりと答えた。 「ちょうど風船みたいなものね。コスモクロアが穴を開けたから、パンとはぜて消えてくれたわ」 「風船……ねぇ」  想像がつかないこともあり、トラスティは助けを求めるようにノブハルの顔を見た。そして同じように困惑の表情を浮かべたノブハルは、「実のところ」と自分のサーヴァントの顔を見た。 「クリプトサイトより、アクサを調べた方が良い気がしてきた」 「その考えには、僕も積極的に肯定するよ。ザリアを含めて、デバイスとは思えないことばかりしでかしてくれるからね」  トラスティは、ノブハルではなく自分を見るアクサにため息を吐いた。 「多分、何も分からないんだろうけど……」 「そうね、乙女の秘密を詮索するものじゃないわよ」  そこでぽんと手を叩いたアクサは、アリッサの所に瞬間移動して現れた。 「今度混ぜてくれたら、いろいろなことを教えてあげるわ」  どうかしらと、それを自分の顔を見て言ってくれるのだ。いくら能天気と言われるアリッサでも、流石にデバイスと一緒は嫌だと思えてしまう。 「流石に、遠慮させてもらう……かな。浮気だったら、私の見えないところでしてくれるかしら?」 「つまり、お墨付きが出たってことねっ!」  やったぁと喜ぶアクサに、トラスティを含めた全員がとても醒めた視線を向けた。ちなみに全員の中には、仲間に入れないコスモクロアも含まれていた。 「これ以上話をおかしくしたくないから、パーティー会場に移動しようか」  トラスティにすがられたグリューエルは、「その方が賢明ですね」と場所を変えることを認めた。色々と意地を通したし、そして思いが叶って結ばれることも出来たのだが……本当に良かったのかと、グリューエルも疑問を感じ始めていた。  経過報告をした6日後、アドバントは吉報を持って上司のガルブロウの所に現れた。少し肌が乾燥しているように見えるのは、ここのところの心労が理由なのだろうか。いつも通りに20個の目をギョロ付かせたアドバントは、「とりあえず良いお知らせです」とガルブロウの執務室を訪れた。 「珍しいな、だから今日は少し顔色が良いのか」  なるほどと頷いてから、ガルブロウは「それで」と吉報の中身を求めた。 「はい、トリネア王女を乗せたロットリング号がプロキオン銀河に到着したとの連絡が入りました。これから、コンタクト相手を求めて通常航行を行うとのことです」  その知らせに、ガルブロウは「なるほど良い知らせだ」と大きな身振りで頷いた。その動きに合わせて、いつも以上にギリギリと言う大きな音が響いてくれた。ただ気分的なものか、アドバントは顔を顰めたりはしなかった。 「トランスワープシステムが正常に動作したのは喜ばしいことです。これで小型化がなされれば、連邦の結びつきはもっと密接なものとなるでしょう。まさしく世界が変わるのではないでしょうか!」  今までは、ヨモツ銀河の中を移動するには、通常のワープを行うしか無かったのだ。その場合最高速度で移動した場合でも、単純計算で端から端まで10年以上掛かることになる。実際には最高速度で移動できない場所もあるため、倍の20年と言うのが端から端まで移動するのに必要な時間だった。  それがトランスワープシステムの実用化で、最短で1ヶ月程度まで短縮が可能となる。世界が変わると言うのは、けして大げさではなかったのだ。 「確かに、連邦のあり方が変わってくるのは確かだろう。その意味で、トリネア王女の貢献は非常に大きなものとなるはずなのだが……」  トリネア王女の功績を認めたくせに、上司がやけに口ごもってくれたのだ。その理由を考えたアドバントは、トリネア王女の実家のことを思いだ出した。 「コウバコ王家が何か?」  トリネア王女に関して言えば、送り出したコウバコ王家の動きが見えてこないのだ。それを気にしたアドバントに、「そちらではない」とガルブロウは体を揺すった。それに合わせて、デスクの上にパラパラとかさぶたの欠片が落ちてきた。 「いや、コウバコ王家の方は相変わらずだ。今は、使者をプロキオン銀河に送り出したことが問題とされている。余計なことをして、プロキオン銀河の者を引き込むことにならないか。ヒトを送り込むことが、何かのきっかけになるのではと言う声が上がっているのだ」 「何を今更……と言う気もしますが。そもそも、アリスカンダルの者が向かっているから、アリバイ作りのために使者を送り出したのに」  いやですねと目をギョロつかせたアドバントに、まったくだとガルブロウは大きく頷いた。それに合わせてかさぶたの擦れ合うギリギリと言う音が響き、欠片がパラパラとデスクの上に降った。 「確かに何を今更なのだが……責任をモンジュール長官に押し付けようとする声が出てきているのだ。今回の責任を取って、最後まで仕事を完遂せよ、とな」 「仕事の完遂って、終了条件が極めて曖昧ですね」  その心は、自分達の時に面倒が回ってこないようにと言う思いからだろう。何しろ連邦長官と言うのは、極めて不人気でババ抜きのババと言われていたのだ。今回の事件は、そのババを押し付ける口実とされたのだろう。 「曖昧だから良いと言うことだ。そして今回の実験成功……トリネア王女がプロキオン銀河にたどり着いたことで、悪魔の証明が求められることになる。ババを押し付けようとしている者たちにしてみれば、今回の成功はありがたいことなのだ」 「それにした所で、アリスカンダルの者達を取り逃がした時点から何も変わっていないのかと。まあ、プロキオン銀河にたどり着いたと言う目に見える実績は出来てしまいましたが……」  一応事情は掴めたので、それ以上アドバントは連邦内部の事情にはこだわらないことにした。連邦長官が変わらないと言うのは、その下で働く者にしてみればありがたいことでも有ったのだ。 「モンジュール長官には諦めてもらうこととして……後は、トリネア王女の連絡を待つだけですね。真っ当に考えれば、コンタクト先を見つけるのは至難の技なのでしょうが」  アドバントの言葉に、「うむ」とガルブロウは重々しく頷いた。 「目的地が分かっておらんのだからな。確かに雲を掴むような話に違いない。しかも平和的にコンタクトができるのかも分かっておらん」 「コミュニケーションの問題もありますからね。言語体系も全く分かっていませんし、仕草一つとっても同じである可能性は極めて低い。そもそも相手がどのような姿をしているのかも分かりませんし……」  そこまで口にして、アドバントはつい唸り声を上げてしまった。何をいまさらと言うところもあるのだが、あまりにもコンタクトの準備をしていないことに気がついたのだ。トリネア王女やお付の能力を考えたら、交流に対して才覚を求めるのは無謀に違いない。 「今更なんですが、本当に酷い任務ですね。これ」  自嘲気味に吐き出されたアドバントの言葉に、「何を今更」とガルブロウは鼻で笑い飛ばした。そのせいで、何か硬いものが彼の顔にぶつかった。  やってられないと顔に張り付いた欠片を手で拭い、アドバントは今日の報告を終えることにした。ここから先が長丁場になるのは分かっているので、次の報告は相当先になるなと心の中で考えていたのだった。  だが相当先と言うアドバントの予想に反し、翌日にはコンタクトが行われたと言う報告が届けられた。流石にこれはと色めき立つアドバントに、珍しくガルブロウも「ありえんだろう」と声を荒げた。 「どうして、こんなに簡単に接触ができるのだ!」  接触することを前提に送り出してはいるが、それがこんなに簡単に行くとは想像もしていなかったのだ。宇宙の広さを考えれば、二人が冷静さを失うのも不思議な事ではないだろう。 「それで、接触の情報はどうなっている?」  接触が成功した以上、当然その先が気になってくる。それを正したガルブロウに、「それが」とアドバントは少し声を曇らせた。 「映像情報が取れていません。また音声情報はあるのですが、分析に回せるほど情報を集められていないのが実体です。船のセンサー情報からすると、何らかの方法で空間移動をしてきたと推測されます。またトリネア王女たち二人は、相手の船に収容されたものと推測されます」 「意外に、情報が取れていないと言うことか……」  ううむと唸ったガルブロウに、「準備不足です」とアドバントは言い切った。 「いえ、敢えて手が抜かれたと言った方が良いのかと。いくらペイロードに制限があるとは言え、あまりにも機材が取り外されすぎています。せっかくの接触なのに、データーが少ないのは明らかに機材不足が理由になっています」 「それが事実だとしても、今更騒ぎ立てた所でどうにもなるまい。それで、トリネア王女達は“無事”なのだろうな?」  接触したのは良いが、始末をされていたりしたら目も当てられない事になる。それを心配したガルブロウに、「無理を言わないでください」とアドバントは言い返した。 「観測機械が不足しすぎています。ただ質量が2人分ほど増加後、4人分減少しているのが確認できています。従って、どこかに連れて行かれたと考えるのが自然なのかと。またロットリング号ですが、稼動状態を保っています。下手に手を出して爆発されたらと考えているのかもしれませんね」  なるほどとガルブロウは大きく頷いた。 「つまり、接触した以上のことは何も分かっておらんと言うことか」  上司の言葉に、アドバントはそれはもうしっかりと頷いた。 「有り体に言えばそう言う事になりますね。ここから先、連絡がなければ全ては藪の中と言うことになります」 「はてさて、アリスカンダルの者達はどこまで到達していることやら……」  それが派遣の目的と考えれば、状況を気にするのは極めて自然なことと言えるだろう。ただ問題は、そのことを確認する方法が無いことだ。 「確認の方法がありませんね……今更ながら、面倒極まりないですな」  1千年の寿命を持つ上司ならば、生きているうちに結果を知ることになるのだろう。それより短いとは言え、アドバンとも4百年の寿命を持っていた。まだ平均寿命まで2百年以上あることを考えると、ぎりぎり結果を見ることになるのだろうか。 「まったく、気の長い話だ……」  上司のつぶやきに、全くそのとおりだとアドバンとも認めたのである。  グリューエルに開かせたパーティには、ズミクロン星系に居るトリプルA関係者が勢揃いをした。インペレーターの用意をしていたスタークも、思う所に従い作業を任せて地上へと降りてきていた。 「すでに発令は終わっていますが」  集まった関係者を前に、トリプルA代表であるアリッサがひな壇に立った。 「ノブハル・アオヤマさんを、最高技術責任者代理に任命いたしました。そしてグリューエルさんに、トリプルAエルマー支社の支社長に着いていただくこととします。ノブハルさんの勤務地を特に定めはしませんが、当面エルマーの支社に席を置くことになるのかと思います。今回私達の訪問目的は、その辞令を伝えること、そしてエルマー支社の関係者を慰労することです。手探り状態の中、支社を軌道に乗せていただいたことに感謝いたします」  それではと発泡ワインの注がれたグラスを持ち、アリッサは「乾杯」と音頭を取った。それに合わせて、会場からは一斉に乾杯の声が上がった。支社のメンバーを慰労すると言う名目もあるため、主要メンバー以外にも10名ほど社員が参加していた。当初の4名から増えたのは、それだけ業務が拡大したと言うことにもつながっていた。 「さて、どうやら男同士で話をすることになりそうだね」  乾杯が終わったところで、アリッサはリンを始めとした女性陣に捕まっていた。そこに新支社長となったグリューエルまで混じっているので、トラスティ達の所は男だけのグループとなったのである。ちなみにトラスティ以外には、ノブハルとナギサ、そしてスタークの3人がメンバーである。ある意味、いかにも何かがあると言う顔ぶれでも有った。  ただトラスティが見たのは、ノブハルではなくナギサの方だった。 「僕としては、とても不本意だと思っているのですがね」  苦笑を浮かべたナギサは、「何が狙いですか?」と今回の人事異動のことを持ち出した。 「それは、アリッサ……社長に聞いてもらいたいんだけどね。今回の異動に関して、僕の意志は含まれていないよ」 「まさか、それを僕に信じろと?」  ありえないと否定したナギサに、「一つも嘘は言っていない」とトラスティは返した。 「アリッサは、経営者として適材適所を考えているだけだよ。そしてノブハル君の価値は、管理業務にないことも分かっているんだ。だからアリッサは、ノブハル君の能力が生きる方法を選択した。と言うことだ」 「確かに、ノブハルは経営者向けではないとは思いますよ」  それを認めたナギサは、親友の顔を見てから「何をさせようと思っているんです」と追求を続けた。 「最高技術責任者代理なんて、トリプルAに置く必要があるとは思えないんですけどね。ノブハルに、一体何をさせようとしているんですか?」 「それを決めるのは、ノブハル君だと思っているんだけどね。僕は、あれをしろこれをしろなんて指図をしようとは思っていないよ。手を出したかったら、別にヨモツ銀河だったかな、そこに手を出しても構わないと思っているよ。ただ企業である以上、将来の事業化を見据えて欲しいと思っているだけだ。後からついてくるだろう……なんてレベルで手を出して欲しくないだけのことだよ。だからノブハル君の行動を縛らないよう、自由に使える研究資金も提供したんだ」  それ以上でもそれ以下でもないと、トラスティは横目でスタークの方を見た。 「逆に聞くけど、君達はヨモツ銀河に手を出したいと思っているのかな?」 「正直な所、やられっぱなしが気に入らないと言う気持ちがある」  ノブハルの答えに、トラスティは小さく頷いた。 「それなら、シルバニア皇帝の夫と言う立場を使うと言う方法もあるんだ。あちらだったら、収支を考えなくても手を出すことができるからね。ただライラ皇帝に首を縦に振らせるのは難しいと思うよ。何しろヨモツ銀河は遠いから、何ヶ月も会えないことになりかねないんだ」 「その時間的なことなのだが……いや、だからと言って手を出すと言う話には直接繋がらないが」  少し言い訳がましく、ノブハルは時間の問題を持ち出した。 「ヨモツ銀河に行くだけなら、たぶん1ヶ月も掛からないだろう。エスデニアに協力してもらえば、さらに短縮も可能だとは思う。トリネアだったか、その王女がいれば話をする相手も分かっているはずだ。話をするのに、意外に時間は掛からないのではと思っているのだが」 「それだけなら、確かに手を出すことには繋がらないね。君がライラ皇帝を説得して、艦隊を引き連れていくと言うのなら別だけどね。少なくとも、それはトリプルAの仕事じゃない」  そこでスタークの顔を見たトラスティは、「今頃」とアス駐留軍に居る二人のことを持ち出した。 「クサンティン元帥に、費用処理のことを話しているんじゃありませんか?」 「そうなるよう、君が誘導したのではないのかな?」  疑問を疑問で返したスタークに、トラスティは小さく首を振った。 「僕はただ、企業としての原則を口にしただけですよ。発生する機会損失まで含めて、トリプルAは企業活動を行っているんです。将来に繋がらない単発の仕事を、トリプルAとして受ける理由がないんですよ」 「やはり君はペテン師と言うことだ」  苦笑したスタークに、「何を今更」とトラスティは笑い返した。 「あなたも、人のことをペテン師呼ばわりをした一人ですよね」  そう答えたトラスティは、「つまらない仕事はしたくない」と嘯いた。 「現実の問題として、連邦宇宙軍でも同じことができるんですよ。その辺り、連邦法に縛られたゼス事変とは事情が違っている。そして連邦がその気になったら、軍に命令を出せばいい。リスクを考えた場合、わざわざ民間事業者に依頼する必要が無いんです。しかもヨモツ銀河の場合、トリネア王女と言う仲介人が居ますからね。あちらに行きさえすれば、話をするのもさほど難しい話じゃないんです」  だから仕事としてつまらないのだと。そこまで言われると、さすがのスタークも否定は難しくなる。トラスティを巻き込もうと思ってはいたが、確かに仕事としての難易度はさほど高くなかったのだ。そして連邦にとってみれば、トリプルAを使う理由が無いのも確かだった。 「ノブハル君が気に入らないと言う気持ちは理解できるけどね。だけど君を襲ったアリスカンダルの艦隊は、すでにシルバニア帝国によって殲滅されている。君の代わりに、ライラ皇帝が仕返しをしてしまったんだよ」 「やはり、君は質が悪いな」 「最悪のペテン師と言われるぐらいですからね」  そんなものだと笑ったトラスティに、スタークは小さくため息を返した。 「御三家の足元を見てくれたと言うことか……」 「たまには、それぐらいのことをしてもいいとは思いませんか?」  そう言って笑うトラスティに、やはり手強いなとスタークは認識を新たにしたのだった。 「それから、ノブハル君に言っておくことがある」 「お、俺にかっ!」  あまりにも心当たりがありすぎて、ノブハルはつい身構えてしまった。そんなノブハルの態度を笑ったトラスティは、「別の話」とヨモツ銀河から離れた。 「君のお母さんから、もう少しユイリと言う人の話を聞いてくれないかな? 意外に、謎を解く鍵が見つかるかもしれないよ?」 「母さんなら……以前話を聞いたことがあるのだが」  ただその時は、ライラからアクサを貰っていなかった。それを考えたら、情報の求め方が違っているのは確かだろう。 「確かに、あの頃はゲイストの謎解きが目的だったな」  ううむと少し考えたノブハルは、承知したとトラスティの依頼を受け入れた。自分が建てた仮説を含めて、確認するには母親に聞くのが一番だと理解したのだ。そしてナギサと話をしたことについても、話を聞いてみようと考えた。同じ目的ならイチモンジ家当主のハラミチが居るのだが、なぜか「嫌」と言う気がしていたのだ。 「ああ、母さんに話を聞いてみよう」 「出来たら、結果を教えてくれないかな」  そうすることで、謎解きが進むことになる。それを口にしたトラスティに、確かにそうだとノブハルも頷いたのだった。  トラスティは「つまらない仕事」と評したのだが、それでもトリプルAを巻き込みたいと考える者は居た。そしてその筆頭に当たるのは、ウェンディを頂点とした御三家だろう。 「やはり、餌に欠けると言うことだな」  ジュリアンからの連絡を受け取ったエイドリック元帥は、その中身に思わず口元を歪めてしまった。 「やはり、民間企業を巻き込むには相応の餌を用意する必要があると言うことか」  それは分かっていても、現実問題として「相応の」餌と言うのは難しい所がある。そして理事会に対して、口実を作るのも難しくなっていたのだ。先のゼス事件以来、超銀河連邦内でのいざこざは急速に減ってきていた。その為連邦軍の稼働率も、最盛期に比べて低下していたのだ。  その為ヨモツ銀河への暫定派遣を理由にしても、連邦軍を利用しろと言われるのが落ちなのだ。それを覆すには、説得力のある理由が必要となる。 「こう言う時は、正攻法と言うのはあり得ないだろう」  ううむと唸ったエイドリック元帥は、副官のオーベルシュタインを呼び出すことにした。曲者と評判の高い彼ならば、きっといやらしい方法を考えてくれると期待したのである。  エイドリック元帥が呼び出しを掛けた5分後、元帥付きの将校オーベルシュタインが現れた。大佐と言う役職を持つ彼は、戦略統括を専門としていた。 「お呼びと伺いましたが?」  痩せぎすで背が高くて細い目をしたオーベルシュタインは、一見神経質そうな印象を周りに与えていた。そしてその印象を利用し、自分の周りに人が集まらないようにしていた。有能なのは確かだが、周りの受けと言う意味ではあまりよろしくないと言うのが彼の人物評となる。 「ああ、君に知恵を借りたいと思ってね」  座り給えとソファーを指差したエイドリックは、立ち上がって自分もソファーへと移動した。 「私の知恵を……ですか。普通ならば、ご冗談をと返すところなのですが」  ふっと口元を歪めたオーベルシュタインは、「まだ業務中ですが?」とエイドリックの目的に切り込んできた。 「なぜ業務外の話だと思ったのかね?」 「今の連邦軍に、閣下が頭を悩ませるような問題はありませんですしね。だとしたら、業務外と考えるのが自然のことかと」  そこで少し考えたオーベルシュタインは、「ヨモツ銀河、でしたか」と問題の核心に切り込んできた。 「確か閣下は、理事会で新組織の設立を提案されたかと伺っております。理事会でも承認されましたので、組織と言う意味では閣下が頭を悩ませる理由はありませんね」  そこでふむともう一度考えたオーベルシュタインは、「悪い癖ですね」と口元を歪めた。 「どうやったら、トリプルAを巻き込めるか。察するに、私を呼び出したのはそのあたりが理由でしょうか」 「まさしくその通りと言うことだ」  大きく頷いたエイドリックに、「難問ですね」とオーベルシュタインは返した。 「ヨモツ銀河から派遣された使者に関しては、いくつか情報が上がっています。使用した船に細工がなされていると言う物もありましたな。ただそれを理由にしたところで、連邦の船を使えばいいと理事会には言われるでしょう。トリプルAを利用する大義名分が立つとは思えませんね」  確認するように事実を挙げたオーベルシュタインは、別の問題も持ち出した。 「連邦の予算をつけた場合、トリプルAとの癒着を疑われることにもなりかねませんね。その意味でも、トリプルAを巻き込むのは難しいことになりますな」  そこで天井を見る真似をしたのは、様々なケースを考えているのだろう。ぶつぶつ言いながらそれを繰り返したオーベルシュタインは、「ゲストを利用いたしましょう」と口にした。 「ゲスト?」  はてと首を傾げたエイドリックに、「トリネア王女です」とオーベルシュタインは答えた。 「彼女の口からトリプルAを指名させればいいのです。費用的な面でも、トリプルAと連邦軍では大差はないでしょう。従って、理事会にも説明しやすいのかと。ノブハル・アオヤマ氏は今回の事件の当事者となりますから、「ご招待」とでも理由をつければいいのです」 「だが民間企業への餌と考えたら、いささか弱いのではないか?」  逸失利益まで持ち出されたのだから、支払う金額として少なすぎないかと言うのである。そんなエイドリックに、「口実は必要です」とオーベルシュタインは言い切った。 「彼らは、絶対に手を出さないとは言っていないのです。トラスティ氏が口にしたのは、「口実を作ってみせろ」と言うことだと私は理解しています。従って、その「口実」を用意して差し上げようと言うのです。200万光年の距離を超えた王女様からのご招待なら、双方に口実が立つのではありませんか?」 「なるほど、手を出す口実が必要と言うことか……だが、トリネア王女にそのような腹芸ができるのか?」  口実をもっともらしいものとするには、トリネア王女の働きが必要となる。だがこれまでの観察記録では、そこまでの腹芸ができると言う見込みは低かった。 「腹芸なんか必要ありません。必要なのは口実ですからね」  あっさりと言ってのけるオーベルシュタインに、エイドリックは一瞬呆けた顔をした。だがそれも刹那のことで、にやりと口元を歪めて小さく頷いた。 「トリネア王女がそう言った……必要なのはそれだけと言うことか」 「再度ヒアリングが行われるでしょうから、その時に口にしてくれれば十分と言うことです」  にやりと口元を歪めたオーベルシュタインに、エイドリックも同じように口元を歪めた。トリネア王女が口にしたとなれば、連邦としても尊重しなくてはいけなくなる。トリプルAを動かすには、軍でないほうが都合が良かったのだ。  遥か上の方から降りてきた指示に、アリファールとミランダは顔を見合わせてため息を吐いた。その心の中を覗くのなら、「たかが伍長にさせる仕事じゃないだろう」と言うところか。絶対に拒否の出来ない、そして本来の業務とは全く関係の指示に、二人は巡り合わせの悪さを呪ったのである。 「連邦のヒアリングは、いつ行われる予定だったか?」  先延ばしにしても何もいいことはないが、積極的になるにはあまりにも背景が見え透いていたのだ。とても後ろ向きになったアリファールに、ミランダは「二日後」ととても嫌な情報を教えてくれた。 「つまり、先延ばしには出来ないと言うことか……」  はあっと大きくため息を吐いたアリファールに、「お気の毒に」とミランダは同情の言葉を掛けた。 「どうして、俺が同情されることになる?」 「王女に吹き込むのが、あなたの仕事だからよ。こんなもの、大げさに言える話じゃないでしょ?」  だからお前なのだと、ミランダはアリファールの顔を見て決めつけてくれた。 「それに王女様、シルバニア帝国皇夫様に謝罪できなくてしょげてたじゃない。一応希望を叶えることにもなるんじゃないの?」 「俺が吹き込む話にはつながらないと思うのだが?」  やめてくれと懇願したアリファールに、「諦めなさい」とミランダは突き放した。 「王女様は、間違いなくあなたに気があるの。だから、あなたの頼みなら素直に聞いてくれると思うわよ」 「王族が、そんな素直な玉だったらな」  絶対に自分に都合の良い方に話を曲げてくれるはずだ。アリファールの認識は、ある意味とても正しいものと言っていいのだろう。  そしてその日の夕方もまた、豪華なディナーが供されることになった。それが終わったところで、「折り入ってお話が」とアリファールはトリネアに声を掛けた。 「アリファール様、がでしょうか」  明らかに嬉しそうにしたトリネアに、アリファールは少し表情をなくして「ええ」と頷いた。 「モルド、私はこれからアリファール様とお話いたします。しばらく、席を外しなさい!」  王女らしく高圧的な命令なのだが、しっかり緩んだ顔がすべてを台無しにしていた。そして命令を受けたモルドも、しっかりと口元をにやけさせて「承りました」と答えた。どうやら出だしから、アリファールが予想した通り、話はおかしな方向に捻じ曲げられることが決まったようだ。  「ただの伍長なのに」と心の中で呟いたアリファールは、目をキラ付かせたトリネアと向かい合った。 「明後日になりますが、この船はエスメラルダ星系に到着いたします。すでにご存知かと思いますが、そこで連邦のヒアリングを受けていただくことになります。まあ堅苦しく考える必要はなく、ただ単にこちらで過ごしてみてどう感じたかの感想を伺う程度と言う所でしょう」 「はい、確かにヒアリングがあることは存じております。それでアリファール様、ここでその話を持ち出したと言うことは、ヒアリングに何か意味があると言うことですね」  そこで少し考えたトリネアは、「ご安心ください」とアリファールに向かって微笑んだ。 「アリファール様とミランダ様には、とても親切にしていただいていると思っています。ですからヒアリングされる方にも、そのことをお伝えするつもりですよ」 「い、いえ、そのことは気にしていないのですが……」  そこで口ごもったアリファールだったが、ままよとばかりに本題に切り込もうとした。だが彼の能力では、話の切り出し方が分からなかった。何かを言おうと口を開くのだが、それが言葉になってくれなかったのだ。 「とてもお困りのように見えますが……私に、何かお手伝いできることはありますか?」 「え、ええっと、確かにとても困ってはいるのですが……」  それでも切り出せないアリファールに、トリネアは理不尽な命令を受けたのだと想像した。 「理不尽な命令を受けた……と言うことでしょうか」 「さすがに、そこまで言うつもりはありませんが……」  明らかに困った顔をしたアリファールに、トリネアは胸がしくりと痛んだ気がした。ヨモツ銀河に比べて天国のようなところなのに、その中でも理不尽なことは起こるのだと。そして自分が理由で、アリファールに迷惑を掛けているのだと。 「私のことで、アリファール様が困られているのですよね?」  違うと否定することに、今更どれだけの意味があることだろう。話があると言って呼び止めたのに、結局話を切り出せていなかったのだ。 「私にできることなら、なんでも仰ってくださって結構なんですよ。アリファール様のためなら、多少のことは我慢できると思います」 「あなたに我慢をさせようとは思っていないのだが……」  ふうっとため息を吐いたアリファールは、「実は」と事情を話すことにした。何をどう考えても、彼には本音を誤魔化したまま説明することはできなかったのだ。 「ここ数年で台頭してきた新興企業に、トリプルA相談所と言う物があります。先日ズミクロン星系でご覧になった巨大船は、そのトリプルAが所有するものです。そしてアリスカンダルに襲われた船ですが、そこに乗っていた皇帝の夫と言うのもトリプルA関係者なのです。ちなみにトリプルAと言うのは、女子大生3人が起業実習のために始めた、小さな会社だったそうです。それが、今や超銀河連邦では知らない者の居ないと言われるまで有名企業に成長しました。トリプルAが動けば、トップ6と言われる超銀河連邦での発言権の大きな星系が動くとまで言われている企業です」 「それは、凄いと言えばいいのでしょうか……ですが、そんな凄い企業が私に関係するとは思えませんが?」  首を傾げたトリネアに、「普通なら」とアリファールは彼女の考えを認めた。 「それとは別に、今回の事件をきっかけに私達の連邦は一つの決定をしています。超銀河連邦は、およそ1万の島宇宙で構成されています。その一つ一つで、同様の事件が起きるのではないか。今回の事件は、それを気づかせることになりました。従って連邦は、危険の芽を摘むため外銀河への探査を始めることになりました。ただそのための組織が存在しないため、新たに組織を発足させることとなったのです。そしてモデルケースとして、ヨモツ銀河に船を派遣することとしました。ただ組織の設立、船の建造に時間が掛るため、出発は早くて2年後となりました」 「皆様の方から、私達の銀河に来ると言うことですね」  アリスカンダルのしでかしたことを考えれば、安全のために周辺銀河に目を向けるのはおかしなことではない。そして自分と言う存在があるのだから、ヨモツ銀河が最初の目的地となるのも不思議な事ではないだろう。 「ええ、遠いからと言う前提が今回の事件で崩れてしまいました。従って、不測の事態を避けるためには、積極的に行動する必要が生じたと言うことです」  そこで言葉を切ったアリファールは、一度大きく息を吸い込んでから話を続けた。 「ただ軍の上層部……正確に言うと、最高位の元帥閣下はそれが気に入らない……正確に言うと、面白くないとお考えのようなのです。そして元帥閣下は、トリプルAを巻き込みたくて仕方がないようです。ですが今のままでは、トリプルAを巻き込む理由がないのでしょう。ですから、トリプルAを巻き込むため、王女様を利用することを考えたようです」 「それが、アリファール様に後ろめたい思いをさせたと言うことですね」  ほっとため息を吐いたトリネアは、「気に病む必要はありません」とアリファールの顔を見て言い切った。 「その程度の事であなたのお役に立てるのなら、喜んで協力させていただきます」  ただ協力すると言っても、トリネアには自分に何ができるのか分からなかった。 「ですが、私がお役に立つようなことがあるのでしょうか?」  だからこその疑問に、「上は」とアリファールは前置きをして事情を説明した。 「トリネア王女に、トリプルA……正確には、ノブハル・アオヤマをヨモツ銀河に招待していただきたいと考えています。ノブハル・アオヤマは、先日アリスカンダルに襲撃された船に乗っていました」 「ヨモツ銀河にご招待……ですか。ですが、私達の船は、2人しか乗ることは出来ません。それに、本当に帰りつけるかも分からない状態なのですが……」  細工のことをぼかしたトリネアに、「だからなのです」とアリファールは強調した。 「トリプルAは、インペレーターと言う巨大船を保有しています。その船なら、あなたの船よりも短い時間でヨモツ銀河に辿り着くことができるでしょう。そしてあれだけの巨大船ですから、あなたの船を収容して移動することも可能です」 「足について、心配する必要はないと言うことですね。ただそうなると、どうやってノブハル様ですか、その方をご招待するかと言うことなのですが……ヒアリングの場で、いきなりその話をするのは不自然ですね」  ううむと考えたトリネアは、すぐにぽんと手を叩いた。 「ご招待ではなく、謝罪したいと申し出ればいいのですね。そして謝罪の場で、ノブハル様をご招待すればよいのだと」  それなら、話として筋が通ることになる。なるほど筋が通ると感心したアリファールに、「ところで」とトリネアは真面目な顔をしてきた。 「個人的なことで申し訳ありませんが、一つアリファール様に伺いたいことがあります」 「私に、でしょうか?」  ただならぬトリネアの表情に、アリファールは緊張からゴクリとつばを飲み込んだ。 「ええ、アリファール様にです。単刀直入にお伺いしますが、アリファール様はどなたかと添い遂げられていますか?」 「添い遂げる……?」  はてと首を傾げたアリファールに、「奥様はおいでですか」とトリネアは質問を直接的なものに変えた。 「わ、私は、あいにく独り者ですが……」 「何か独りでいることに理由……例えば、何らかの制約とかがあるのでしょうか?」  身を乗り出してきたトリネアから少し体を遠ざけ、アリファールは「巡り合わせの問題で」と少ししどろもどろになりながら答えた。 「別に、独身主義と言う事はありません」  アリファールの答えに、「良かった」とトリネアは顔をほころばせた。 「不躾なことを伺って申し訳ありませんでした」 「い、いえ、それほどのことではありません……」  何を言われるのかと身構えたアリファールだったが、トリネアはそれ以上そのことに触れてこなかった。 「お話と言うのは、これで終わったと思って宜しいのですか?」 「私の方からのお願いは、これで全てだと思っています」  そう言って立ち上がったアリファールに、「休ませていただきます」とトリネアは答えた。そして同じように立ち上がり、頭を下げてから部屋を出ていった。  ドアが閉まったところで、アリファールは体を椅子に投げ出した。ずっとし続けていた緊張から、ようやく解放されたのだ。その証拠に、どっと背中に冷や汗が流れていた。 「勘弁してくれ……」  こんなことをペーペーにさせるんじゃない。遥か雲の上にいる相手に、アリファールは呪いの言葉を吐きかけたのだった。  経過観察と言う目的で、連邦係員によるトリネア王女達のヒアリングが行われた。ただ特に問題が無いことも分かっているので、半分雑談とも思えるような中身となっていた。トリネアとモルドをまとめてのヒアリングとなったのも、緊張感に欠ける理由となっていたのは間違いない。  連邦から派遣されたのは、どう言う訳かIGPOのケイト・モーガンだった。怖がらせてはいけないとの配慮から、相方のバズは遠くはなれた所で待機と言うことになっていた。  銀色の長い髪を一本編みにしたケイトは、オレンジがかったIGPOの制服に身を包んでいた。ピッタリとした制服のおかげで、連邦基準では魅力的な、そしてヨモツ銀河基準では不格好なスタイルが強調されていた。 「ディアミズレ銀河においでになって、およそ30日が経過されたのですね」  お疲れですかと、ケイトはトリネアとモルドの顔を見比べながら尋ねた。 「いえ、こちらの世界の方が快適と言いますか。正直な気持ち、日ごとに帰りたくないと言う気持ちが強くなっています」  トリネアに顔を見られたモルドも、しっかりと頷いてその言葉を認めた。 「そうですか。でしたら私達は、ホストとしての務めを果たせたことになりますね」  良かったと破顔したケイトを見た二人は、綺麗だなと感心してしまった。美的基準の違う所から来ているのに、それでもケイトが綺麗で輝いているように見えたのだ。 「私の顔に、何かついていますか?」  そのせいで、二人はケイトをじっと見つめることになってしまった。それに気づいて首を傾げられ、二人は慌てて「ごめんなさい」とケイトに謝った。 「いえ、別に謝られるようなことではないと思いますよ。やはり違う銀河の方には、こちらの人間は珍しいのでしょうね」 「い、いえ、珍しいと言うより、同じ姿をしていることが不思議だな……と。そして少し失礼な言い方となってしまいますが、ケイト様がお綺麗なのでつい見惚れてしまったと言うのか」 「本来素直に喜ぶべきところなのでしょうが……」  うんと少し考えてから、「素直に喜びましょう」とケイトは曇りのない笑みを浮かべた。ヨモツ銀河の美人に対する基準をケイトは気にしたようだ。 「それで、客船での旅はいかがですか?」 「それはもう、先程も申し上げましたが帰りたくなくなってしまいました。ただ、こちらでもこれは非日常なのですよね」  旅行と言う物が、非日常を楽しむものだと教えられたのだ。だからトリネアも、そのことを持ち出したのである。 「そうですね、客船での旅と言うのは非日常そのものですね。その意味で言えば、こちらの銀河でも日常は楽しいことばかりではありませんね。でも楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、腹立たしいこと……そんな沢山の感情が満ち溢れていると思いますよ」 「それは、素敵なこと……と言ってもいいのでしょうね。私達の銀河では、あまり感情の起伏と言うものがありません……と言うのか、そうすることが恥ずかしいことだと言う考えが広まっています。効率を求めた……と言っていいのか。毎日が無味乾燥のものに思えています」 「効率ですか……」  ほっと息を吐き出したケイトは、「忘れていました」と手を叩いた。 「のんびりとお話をするのですから、飲み物が必要でしたね!」  確かに飲み物は必要なのだろう。だがケイトは、二人に好みも聞かずに手配をしてくれた。 「それでトリネア王女、これからのことに何か希望はありますか?」 「これからの希望……ですか」  話しやすいなと思いながら、トリネアは自分の希望を考えた。 「個人的希望としては、こちらに残りたいと思っているのですが……ですが、私も使者として派遣された身です。ですから、私達を派遣した連邦からの指示に従う必要があると思っています」 「確かに、トリネア王女はヨモツ連邦から使者として派遣されてきたのでしたね」  大きく頷いたケイトは、湯気を立てるチョコレートドリンクを口に含んだ。 「でしたら、帰還命令が来たらヨモツ銀河に戻られると言うことですね」 「恐らく、すぐにでも帰還命令が出ることになるのかと」  その話だけは、どうしても建前を出したものになってしまう。そのせいで感情の欠けた声になったトリネアに、ケイトは「その後は?」と予想もしていない質問を発した。 「その後、と言うのは?」  流石に理解の範囲外だったのか、トリネアはその意味を掴みかねていた。キョトンとした顔をしたトリネアに、「ヨモツ銀河に帰った後ですよ」とケイトは微笑んだ。 「再びディアミズレ銀河に来ることを希望されますか?」 「すみません、あなたが何を言っているのか理解できないのですが……」  鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたトリネアに、「分かりにくいですか?」とケイトは問い返した。 「使者の役目を果たしてヨモツ銀河に帰った後にですね」 「い、いえ、言葉自体は理解しています……ですが、どうしてそんな話が出てくるのかが分からなかっただけで」  両者の間に横たわる距離、そして関係を考えたら、そんな発想は出てこないだろう。それがトリネア達の常識なのだが、逆にケイトにはそれが理解できなかった。 「あなたがディアミズレ銀河にいらしたことで、両者の間に交流が生まれたのですよ。それなのに、交流が開始された後のことを考えるのは不思議な事でしょうか?」 「い、いえ、普通ならそうなのでしょうが……200万光年の距離の前に、その普通が通用するとは思えないのです。そして双方にとって、交流を開始することに意味があるのかも分かりません。伺った話では、こちらの連邦は1万もの銀河で構成されているそうですね。それだけ多くの銀河で構成されているのなら、今更新しい銀河と交流することに意味を見いだせるのでしょうか? そして私達の銀河は、連邦と言っても非常に結びつきの弱いものでした。私達の連邦からしてみれば、ディアミズレ銀河と交流を開始する理由がないはずです。私達が使者として送られてきたことにしても、消極的な理由しかありませんでしたからね」  だから、帰ってからのことを聞かれても意味が無いのだと。トリネアの言葉に、「そうでしょうか?」とケイトはもう一度首を傾げた。 「200万光年の距離を気にされていますが、超銀河連邦を構成する銀河間の距離はもっと遠い……はずですよ。その距離を超えて、私達は交流を行っているんです。だから距離と言うのは、あまり気にすることではないんです。そして私達にとっての交流を開始する意味ですが……何も知らない時なら良かったのですが、こうしてあなたが私達の前に現れ、アリスカンダルと言う侵入者まで現れてしまったんです。今更無かったこととして無視をする訳にはいかなくなりました。だから私達の連邦でも、近傍銀河探索……探索と言うと言葉がおかしいのですが、調査団を送って平和的接触を行う方向に舵を切ったんです。そしてテストケースとして、ヨモツ銀河を選定しているんです」  そこでチョコレートドリンクを口に含んでから、「つまり」とケイトは言葉を続けた。 「恐らく、そこで双方の立場について話し合いが行われることでしょう。その結果がどうなるのかは分かりませんが、あなたがヨモツ銀河に帰られてからの選択肢が生まれるとは思えませんか?」  二度と接触が行われないから、次の接触のあることが確定したのだ。確かにケイトの言う通り、新しい選択肢ができることになるのだろう。 「確かに、あなたの仰るとおりなのかもしれません。ですが、それも私達が無事故郷に帰りつけたらだと思います。ご存知かとは思いますが、私達が使用しているのは実験船なのです。トランスワープと言う技術は、まだ私達の銀河では確立されたものではないのです。ですから私達の帰路で、何が起こるのかはわからないと思っています」  トリネアの言葉に、ケイトは大きく頷いた。確かに未知の旅には、大きな危険が伴ってくる。往路が無事越えられたからと言って、復路も大丈夫と言う保証はどこにもないだろう。ただそれが建前と言うのを、トリネアは理解していた。  それぐらいのことはケイトも理解していたのだが、彼女は逆にそれを利用することにした。 「確かに、実験船で帰るのには不安がありますね。分かりました、トリネア王女が不安を感じられていることを理事会に報告することにしましょう。何しろ私達連邦にも、トリネア王女に対する責任がありますからね。無事ご帰還いただいて初めて、私達も責任を果たせたことになります」  それがいいと大きく頷くケイトに、「あの」とトリネアは恐る恐る声を掛けた。 「何のお話なのでしょうか?」 「今回のヒアリング目的の一つですけど?」  「つまり」とケイトは自慢げに胸をそらした。そのお陰で豊かな、そしてヨモツ銀河標準では無駄な胸が強調された。 「ロットリング号でしたか、あなた方の実験船について色々と分析させていただいているんです。明らかに急ごしらえの作りは、長期間の運用には不向きだと言う結論が出ているんです。ネビュラ・ミレニアムで旅されたあなたが、今更ロットリング号の環境で何ヶ月もの不自由な移動に耐えられますか? そして環境以前に、安全性の問題も指摘されているんですよ。それを知ってしまった以上、連邦にも適切な対処が求められるんです。ただ押し売りをする訳にもいきませんので、王女のお気持ちを伺う必要があったと言うことです」  それが一つとケイトは笑った。 「それから、こちらにお出でになられておよそ1ヶ月が経過していますね。その間色々なことがあったと思いますし、多くのものをご覧になったかと思います。今回はお仕着せでネビュラ・ミレニアムの旅をしていただいた関係で、日程的に不自由をおかけしたと思っているんですよ。多分ですけど、色々とやり残したことがあるのではありませんか?」  ニコニコと笑っているケイトなのだが、なぜかトリネアは「底知れない」恐ろしさを感じてしまった。彼女が自分を害することはないのだろうが、すべてを見透かされた気がしたのだ。一つの結論に向かって誘導されているのには気づいたのだが、どう頑張っても逃げられないと思えてしまったのだ。 「やり残したこと、でしょうか」  緊張からゴクリとつばを飲んだトリネアに、「ええ」とケイトは柔らかな笑みを浮かべた。 「ここの前に、ズミクロン星系に立ち寄られたかと思います。恐らくあなたは、護衛から色々と教えられたのではありませんか?」  「例えば」と、ケイトはローエングリンの事を持ち出した。 「アリスカンダルの艦隊に攻撃された船が係留されているとか?」 「その通りなのですが……どうしてそんなことまで分かってしまうのでしょうか?」  すべてを知られていると感じるのは、明らかに恐怖を抱くものだった。そんな恐怖を抱いたトリネアに、「簡単なことですよ」とケイトは笑った。 「あなたがディアミズレ銀河に派遣されてきた理由。そして初期のヒアリングで、件の事件のことを気にされたこと。そして軍関係者が、トリプルAのことを気にしていること。そう言った諸々を考えれば、護衛の二人がローエングリンのことを持ち出すのは自動的に導き出されます。そしてこれからあなたが口にするであろう希望にも想像がつくんです」 「私が、口にするであろう希望ですか……そんなことまで分かってしまうのですか」  ほっとため息を吐いたトリネアに、「ええ」とケイトは頷いた。 「ノブハル・アオヤマ氏に対して謝罪を行いたいと希望されるのかと」  違いますかと顔を見られたトリネアは、「その通りです」とケイトの言葉を認めた。ただケイトは、それだけでは終わらせなかった。 「そしてノブハル・アオヤマ氏への謝罪の場で、ヨモツ銀河への招待を持ち出されると言うことですね」 「まるで、覗かれていたかのような正確さですね」  ふっと息を吐いたトリネアは、「それで?」とケイトの考えを正した。 「このことも、報告書に書かれるのですか?」 「ノブハル・アオヤマ氏への謝罪については、王女の希望として報告しますよ。ですが、ヨモツ銀河への招待については、私のヒアリング目的からは離れていますね。ですから、連邦に報告することはありませんね」 「そんなことで、宜しいのですか?」  ヒアリングをする以上、細大漏らさず報告するのが当たり前だと思っていた。だからケイトも、この場のことはすべて報告するものだとトリネアは思っていたのだ。その場合の問題は、アリファール達に迷惑を掛けないかと言うことだった。  だが謝罪希望だけなら、アリファール達に迷惑をかける事はなくなってくれる。それは嬉しいのだが、その分ケイトの意図が分からなくなるのだ。ずばずばとこちらのことを分析するのと合わせて、何か得体のしれないものを彼女から感じてしまったのだ。 「ええ、ヒアリング担当官としての役目は果たせますからね。それにヨモツ銀河への招待程度なら、特に目くじらを立てる必要もありませんよ。ただ、まだまだ甘いなって思っただけですよ」 「甘いと言うのは?」  流石に話についていけず、トリネアはケイトの真意を聞いてしまった。ただこの問いに対して、ケイトは「内緒ですね」と笑って答えてくれなかった。 「内緒なのですか?」 「ええ、私達内部のことなので。王女が疑問に思うのも理解は出来ますけどね」  不服そうな顔をしたトリネアに、「だけど内緒です」とケイトは繰り返したのである。  ケイトが行ったヒアリングは、すぐに報告書として連邦重鎮へと配布された。それを確認したエイドリックは、とりあえず指示通りに動いたことに安堵をした。ただ報告書自体に問題はないが、報告者の欄に少しだけ眉を顰めた。 「IGPOはエースを送り込んだのか?」 「それに、何か問題があるのでしょうか? ケイト・モーガンはプロファイリングのスペシャリストと言う評判があります。トリネア王女から本音を聞き出すには、うってつけの人材ではないでしょうか?」  そしてその結果が、観察記録とともに提出された分厚いヒアリング報告書なのである。それを見る限り、彼女は立派に役目を果たしたことになる。 「確かに、彼女は巧みに不安を口にさせているな。これで、ロットリング号だったか、それを使わない理由が成立することになる。我々としては、一つ壁を超えたことになるのだが……」 「失礼ですが、閣下は何を気にされておいでなのですか?」  報告書を見る限り、エイドリックの思惑通りに動いているようにみえるのだ。だがオーベルシュタインからは、エイドリックが逆に不安を感じているように見えていた。  それを気にしたオーベルシュタインは、「ケイト・モーガンだが」とヒアリングを行ったケイトのことを問題とした。 「IGPOのエースがどうかなされましたか? 彼女の能力に、問題はないかと思われますが?」  首を傾げたオーベルシュタインに、ケイトにまつわる一つの噂をエイドリックは持ち出した。 「彼女が、トラスティ氏の情婦だと言う噂があるのだよ」 「だとしても、私には問題は無いように思われますが……報告書を見る限り、職務に私情を挟んでいるようには見られません。聞き出した内容も、閣下の都合が良い方向かと思われますが」  理解できないと言う顔をしたオーベルシュタインに、「プライドの問題だ」とエイドリックは答えた。 「今回のことに、彼の意志が入っているような気がするのだよ。こちらの考えを見透かし、手伝ってやろうかと言われているんじゃないかとな」  その程度だと答えたエイドリックに、なるほどとオーベルシュタインは頷いた。 「私レベルなら、都合が良いと考えるところなのですが。確かに閣下にしてみれば、由々しきことなのでしょうな。もしもご想像どおりなら、トリプルAの意思が示されたことにもなるのですが……」  ふむと考えてみても、実のところ何もすることがないと言うのが実体だった。相手がこちらの意図を理解し、それを邪魔しないと言うのであれば、ありがたく利用させて貰えばいいのである。  だがエイドリックの考えは、少しだけオーベルシュタインとは違っていた。「忘れていないか」と、トリネアが口にした不安のことを持ち出した。 「今回のヒアリングで、ロットリング号を使わないことを連邦は決定することになる。それだけなら、軍の船を使えば済んだだろう。だがトリネア王女がノブハル・アオヤマを招待することで、彼が正規の使節団を率いることになるのだ。だとしたら、その費用のすべて……いや、それ以上の額を連邦は負担する必要が生じるだろう。つまり我々は、連邦の予算でトリプルAの箔付けをすることになると言うことだ」 「それにしても、連邦としてもロットリング号を使わせる訳にはいかなかったはずです」  事情は何も変わっていないはずだと言うオーベルシュタインに、「順番の問題だ」とエイドリックは答えた。 「招待を受けたから、自力でヨモツ銀河に行く。連邦は、そこに補助を出すと言うのが最初の筋書きだった。だがロットリング号が使えないことが先に来たため、補助ではなくトリプルAの船をチャーターしなくてはならなくなってしまった。発生する費用が、格段に変わってくるのだよ」  エイドリックの説明に、なるほどとオーベルシュタインは頷いた。そして「結果的に同じでは?」とエイドリックに指摘をした。 「その程度の事なら、あのペテン師はすでに見透かしているのではありませんか? そうでなければ、事あるごとに民間企業の仕事ではないと繰り返すとは思えません」  気にするだけ無駄と、オーベルシュタインは言い切った。それにムッとしたエイドリックだったが、すぐに彼の言う通りだと気がついた。 「我々は、彼らにこだわりすぎている……と言うことか」 「それだけ、彼らが有利な立場にいると言うことです。しかもトリプルAの事業は、順風満帆と聞いています。ヒトの足元を見るのに、これ以上の状況はないのかと思いますが」  その指摘に、エイドリックは「なるほど」と頷いた。 「ならば、こちらは負けを最小限に留めることを考えなければならないと言うことか」 「恐らくですが、それも考えているのではないでしょうか」  ゼス介入を商売にしたことを考えれば、それぐらいのことがあって然るべきなのだ。なるほどと納得したエイドリックは、主計局に予算確認を急がせることにした。  連邦の立場で行った以上、ケイトの報告は理事会にも届いていた。シワだらけの顔をしたサラサーテは、「予想通りだな」と他の幹事二人の顔を見た。 「確かに予想通りなのですが。200万光年の距離を考えると、連邦軍の軍艦でも簡単ではないのでは?」  そう答えたのは、タージン星系から派遣されたスロウグラスと言う女性である。40代後半の、灰色の肌をしたきつい眼差しをしていた。 「加えて言うのなら、追加の予算措置が必要になりますね。連邦軍の予算に、現時点で特別枠はないかと思われます……確認しましたが、やはり特別枠はありませんでした」  予算を確認したのは、マリタと言うマランガ星系から派遣された女性である。30代後半の、黒色の肌をした少し神経質そうに見える見た目をしていた。 「連邦予算には、かなり予備予算があったはずだな」  サラサーテの指摘に、「必ずしもそれは正しくない」とマリタは答えた。 「外銀河探索組織の設立基金にかなり回しました。従って、潤沢と言うには心許ない所かと。もっとも、艦隊をヨモツ銀河に派遣する程度ではびくともしませんが」  1万の銀河に10億の構成構成星系言う規模は伊達ではない。わずかばかりの供出金でも、数が集まれが莫大な金額となる。マリタが言う通り、ヨモツ銀河への艦隊派遣も「予算的」には大したことは無かったのだ。 「それで、理事会としてエイドリック元帥に指示を出されるのですか?」 「そうするのが、常識的な対応なのだろう。何しろトリネア王女は、連邦の客人だからな。無事ヨモツ銀河に帰ってもらって、こちらは責任を果たしたことになる」  そう答えたサラサーテに、「言いがかりを付けられないと言う意味では」とマリタがチクリと答えた。 「途中で船が爆発でもされたら、こちらの責任にされかねないのは確かでしょうね」  マリタの言葉を認めたスロウグラスは、「それだけでは面白くありませんよね?」とサラサーテの顔を見た。 「いやいや、面白くないと言うのは……そんなものを求めてはだめだろう」  慌てて首を横に振ったサラサーテに、「人の庭を土足で踏み荒らしてくれたのにですか?」とスロウグラスは口元を少し歪めた。 「仕返しをすると言うのは、流石に大人げないと普通なら答えます。ですから、艦隊と言うのはよろしくないのかと。できれば、少数で相手の度肝を抜いた方が面白くありませんか?」  なぜかマリタも、スロウグラスの意見に乗ってきてくれた。流石にそれはないだろうと顔を顰めたサラサーテに、「主導権をとることは必要です」とマリタは言い切った。 「ヨモツ銀河には、ディアミズレ銀河に来たと言う実績があります。ですがこちらには、ヨモツ銀河に到達したと言う実績がありません。別に相手の船を沈めろとは言いませんが、度肝の一つぐらいは抜いてもバチは当たらないでしょう」  マリタの意見に、「私も賛成です」とスロウグラスは同調した。 「実のところ、理事会の決定はあまり評判が良くありません。様々な方面から、つまらない決定だと言う評判が私の耳にも聞こえてくるんです。戦争にならないようにするのは当たり前ですが、多少の冒険は必要なのではないでしょうか?」 「奇をてらうことを求めてはだめだろう」  流石に過激だとブレーキを掛けようとしたサラサーテだが、反論が出る前に「分かっている」と手で二人を制した。 「同じ評判は、私の耳にも聞こえてきているさ。ヨモツ銀河……と言うより、トリネア王女なのだが。あんな素人女性二人が、200万光年の距離を超える冒険をしてきたのだ。それなのに、我々は2年も時間を掛けるのかと。その程度の技術ぐらい、連邦の中になら幾らでもあるだろうとな。それでも、我々は慎重にならなければいけないと思っている」 「代表理事の意見は理解しました。ただ、それが理事会の多数かどうかは確認が必要かと思います」  違いますかと確認したスロウグラスに、「賛成です」とマリタも同調した。 「分析班の報告では、ヨモツ銀河の技術レベルは1千ヤーほど遅れているとされています。慎重に事を運ぶことも大切ですが、時には大胆な行動も必要なのではないでしょうか?」 「つまり、この場においては2対1と言うことになるのか……」  困ったものだとため息を吐き、サラサーテは理事会に諮ることを了承した。そもそも予算措置が必要な時点で、幹事会の決定だけではどうにもならないことだったのだ。 「では、早急に理事会を開催することにしよう。それでもう一つ、トリネア王女の希望だが……」 「先方が承諾してくれたら、許可をしても宜しいのでは?」  大したことではないと、スロウグラスはノブハルへの面会を認める発言をした。 「確かに、先方が承諾すれば問題はないのだろうな」  そしてこの程度の事なら、理事会に諮る必要もない。スロウグラスの賛成を得られたことで、サラサーテはトリネア王女の上申を許可することにした。 「連邦軍ヨモツ銀河方面隊に、便宜を図るように指示を出そう……しかし、ノブハル・アオヤマか」  ううむと唸ったサラサーテに、「今回は当事者ですね」とマリタが冷たい声で指摘した。そしてノブハルから導き出される、厄介な相手の事に触れた。 「代表が気にされているのは、ノブハル・アオヤマがトリプルAの関係者と言うことですね」  その指摘に、サラサーテはしっかりと頷いた。 「あそこが絡むと、事態は我々の予想を超えてくれるからな。そもそも、今回大型戦艦一隻まるごと時間が停止されたのだ。何をどうすれば、そんな途方も無いことができるのだ。しかもその時間が停止された戦艦を、こともなげに復帰までさせてくれた……考えようによっては、連邦軍を凌ぐ力を持っていることになる。シルバニア帝国のような国家ならいざしらず、そんな力を持つ民間企業を放置していいのだろうか」 「仰りたいことは理解できます。歯止めが彼らの良心だけと言うのは、極めて心許ないと言って宜しいのかと。ただ今の連邦法では、トリプルAの活動を制限する事はできません。加えて言うのなら、トリプルAにはリゲル帝国皇帝でありモンベルト国王のトラスティ氏がいます。そして先程名前の上がったノブハル・アオヤマ氏は、レムニア帝国皇帝ライラ様の夫君です。対処を間違えると、巨大な火種を作ることになりかねません」  マリタの指摘に、サラサーテは大きなため息を吐いた。 「かと言って、好き勝手をさせる訳にいくまい」 「ですが、うまく利用すれば連邦には出来ないことをしてくれます。惑星ゼスの問題も、彼らが乗り出したら一瞬で解決しました」  事実を口にしたスロウグラスは、「分かっています」と先手を打った。 「どうすれば、うまく利用できるか……それができるぐらいだったら、誰も苦労などしていないと言うのでしょう。ただ彼らと対立するのは好ましくないと思います。ですから、うまく協力関係になる方法を考えた方が宜しいのかと」 「彼らと協力関係に、かね……やれやれ、癒着だと騒がれそうだな」  そう嘆いたサラサーテだったが、すぐに「それしかないか」と諦めたようにため息を吐いた。 「そちらの方は、理事会の非公式会合の議題とすることにしよう」 「比較的容易にコンセンサスが取れるのかと」  だから賛成と、マリタはサラサーテの意見を認めた。そしてスロウグラスも、「アリバイは必要ですね」とサラサーテに賛同した。 「いっその事、ヨモツ銀河のことを彼らに任せてはどうです?」 「流石に、丸投げと言う訳にはいかないだろう……結果的にそうなったとしてもだ」  スロウグラスの意見に、サラサーテはスターク達の顔を思い出した。 「御三家が、喜びそうな気がするな」  仕方がないと、サラサーテは自分が泥をかぶることにした。  エルマーで2日過ごしたトラスティ夫妻は、次の目的地のエスデニアに移動していた。結果的にインペレーターを使わなかったのは、「私が手配します!」と連絡を受けたラピスラズリが張り切ったのが理由である。隣にアリッサが居るのは気になるが、久しぶりに4人一緒と言う事態から解放されるのだ。アリッサだったら、自分に譲ってくれると言う期待も持っていた。  ただ張り切っているラピスラズリも、トラスティがエスデニアに来る理由は理解していた。だから二人を迎えたところで、側仕えのユズリハに命じて人払いを行った。最上級の人払いは、多層空間からの護衛の排除も含まれていた。アルテッツァの目も届かない様、存在空間自体を別の空間の中に隔離したのである。 「アリッサさん、ようこそおいでくださいました」  その時のラピスラズリは、エスデニアの正装である白いローブ姿をしていた。すでに三十路を迎えたラピスラズリだが、以前より若々しく美しくなったとの評判が立っていた。  一方アリッサは、黒のツーピースをまとっていた。そのままだと喪服になってしまうのだが、微細に織り込まれた柄が艶やかさを与えていた。 「いえ、ご面倒をおかけしたことをお詫びいたします」  小さく会釈したアリッサに、「それはやめましょう」とラピスラズリは笑った。 「ですが、まだ妊娠初期ですよね?」 「ほどほどにすれば、問題はないと聞いていますよ」  だから大丈夫と笑うラピスラズリに、「ほどほどですか」とアリッサは遠くを見る目をした。ただライスフィールも大丈夫だったからと、彼女より大柄なラピスラズリを見て気にすることをやめた。 「でしたら、私はエイシャさんの所に遊びに行っていますね」 「重ね重ね、ご配慮に感謝いたします」  これで、今晩はトラスティと二人きりが確定したのだ。お陰で、ラピスラズリの機嫌はすこぶる良かった。ただ機嫌は良かったが、それでも気になることが一つあった。 「ケイト・モーガン、ですか。どうして、IGPOの捜査官が関係してくるのです?」  この面会がアリッサと二人きりになったのは、エスデニアに着いてすぐトラスティが別の場所に移動したからである。目的地は惑星エスメラルダ。トリネア王女が、次に寄港するディアミズレ銀河に属する星系だった。 「彼女が、トリネア王女……つまり、ヨモツ銀河から送られてきた使者の面接をするからです」 「ますます、事情が分からないのですが……」  少し目元を厳しくしたラピスラズリに、「簡単なことですよ」とアリッサは笑った。 「トリプルAは、常に業務拡大の方向を模索しています。民間軍事組織を作ったのは、ゼスへの介入を目的としたものでした。その意味で、純粋に業務拡大が理由ではないのですが。一度始めた以上、損益マイナスは許されません。一応そこそこの売上は見込めるのですが、あいにく次が続いていないのが実体です。ズミクロン星系と業務提携をしたお陰で維持費を削減できていますが、それでもこのままだと将来の赤字転落が予想されます。従って、持っている資産の有効活用を考えないといけないんです」 「インペレーターの活用方法を考えるのだと? ただ、各星系の紛争事態急速に減ってきていますよね?」  事実を持ち出したラピスラズリに、アリッサは小さく頷いた。 「その辺り、連邦がうまく私達を利用したと言っていいのでしょうね。紛争が収まることに文句はありませんが、次の商売の種を探さなければいけなくなったのは確かです」 「それで、次の商売の種と言うのは?」  それが肝心と質問をしたラピスラズリに、アリッサは重要なキーワードを口にした。 「今の超銀河連邦では、インペレーターのような巨大戦艦が活躍する場はありませんでした。だからレムニア帝国でも、整備だけを続けると言う金食い虫になっていたんです。考えようによっては、アリエル様に嵌められたと言ってもいいのでしょうね。だから私達は、常々インペレーターの活用方法を考えていました。ディアミズレ銀河で起きた事件は、その意味では都合が良かったと言う事ができますね」  その「ディアミズレ銀河」と言うキーワードに、ラピスラズリは大きく目を見張った。 「お気付きの通り、ヨモツ銀河でしたか。そこにインペレーターを派遣することを考えています。その意味では、エルマーにキャプテン・アーネットの子孫が来ているのも好都合でしたね。家柄と言うのは、周りを納得させるのに都合がいいんです」 「つまり、トリプルAは外銀河探索を事業にする……と言うことですか? ですが、それは連邦が新しい組織を作ることで決着が着いたはずでは?」  だから事業化は出来ないはずだ。それを指摘したラピスラズリに、「常識では」とアリッサは笑った。 「宇宙船の建造から、必要な人員の育成。新しい組織を作るには、超えなければいけない壁が沢山あります。さて連邦は、人材をどのように育成するのでしょうか? 連邦宇宙軍には、艦船の運行に関するノウハウはたくさんあるのでしょう。ですが、連邦宇宙軍に人を吐き出すだけの余力があるのでしょうか?」 「それでも、理事会の決定は重いと思いますよ」  新たな決定が行われない限り、トリプルAでの事業化と言うのはありえないことになる。再度それを指摘したラピスラズリに、「それぐらいは考えています」とアリッサは答えた。 「そのための、ケイトさんだと思ってください。恐らくですが、ヒアリングの後にあの人が理事会に呼ばれることになると思いますよ」  そしてと、アリッサはとても重要な事実を持ち出した。 「超銀河連邦で最強の戦力は、トリプルAが保有していることを忘れないでください。スターライト・ブレーカーを操るお兄さま、そしてローエングリンのような巨大船の時間停止ができるアクサ。そして新たにミラクル・ブラッド作ることのできる夫と、IotUには及ばないにしても、これまでの連邦の枠を超えた事ができるとは思いませんか? そしてトリプルAの業務提携先を考えれば、連邦以上のことができるはずです」  その提携先の一つが、ラピスラズリが治めるエスデニアなのだ。そこに同じ銀河からはシルバニア帝国が加わり、パガニア王国、レムニア帝国、リゲル帝国まで提携先に名を連ねているのだ。その力を利用できれば、確かに連邦以上のことが出来ても不思議ではない。  それを認めるのは吝かではないが、それでもラピスラズリには懸念があった。もともとレベル8を超える星系は、控えめな行動を心がけていたのだ。その裏には、連邦にいらぬ緊張状態を作らないためと言う理由があった。だがトリプルAと言う存在が、レベル8を超える星系……すなわち、トップ6を表に引きずり出してしまったのだ。今はまだ顕在化していないが、レベルの低い星系に不満を溜めるのは好ましくないと考えていた。 「アリッサさんなら、私達が前面に出ない理由を理解されていると思いますが?」  それを婉曲的に指摘したラピスラズリに、「存じてますよ」とアリッサは返した。 「でしたら、夫たちにも出過ぎたマネはするなと伝えましょうか? IotUの血を引いているからと言って、でしゃばっていくのは良くないと。超銀河連邦の重鎮であるラピスラズリ様がそう仰っていたと伝えてもいいのですよ。ちなみにトリプルAは、業務拡大をしなくても回っていくんです。お兄様のトラウマ解消も終わりましたから、後は堅実な商売に方向展開してもいいんです」  自分達のしていることを棚に上げるな。アリッサの答えは、それをはっきりと主張するものだった。その答えに目元を厳しくしたラピスラズリを、アリッサは間違っているのかと見つめ返した。 「私の目からは、連邦理事会はエスデニアのような主要星系に遠慮しているように見えています。そしてあなた達は、それに甘えて問題に積極的に関わっていこうとしていません。果たして、それが正常な連邦の姿と言えるのでしょうか?」 「せっかく落ち着いた連邦内の関係が、また騒がしくなるとは考えていないのですか?」  1千ヤーの時間を掛けて、ようやく今の関係に落ち着いたと言うのがラピスラズリの主張である。だがアリッサは、「本気ですか?」とラピスラズリの見識を問うてくれた。 「今回連邦は、連邦外の銀河から侵略を受けたのですよ。幸い事なきを得ましたが、果たして連邦構成星系の皆さんは穏やかな気持でいられるのでしょうか? 連邦軍が万能でないのは、今回の事件で明らかになっているんですよ。すでに連邦内は、外からの侵入者によって騒がしくなっているんです。連邦が責任を果たすのは当然として、あなた達は何もしないで見ているだけなのですか?」  無責任ですよねと切って捨てたアリッサに、ラピスラズリの表情は強張った。 「さて連邦は、どうやって広まった不安を解消してくれるのでしょうか? ヨモツ銀河に派遣するのにも、2年もの時間が掛かるのですよ。だとしたら、他の銀河だといつのことになるのでしょうか? 傍観を決め込んでいるラピスラズリ様、お答えを頂いても宜しいですか?」  さあと答えを促されたラピスラズリだが、当然のようにそれを口にすることはできなかった。そんなラピスラズリに、アリッサはさらなる追い打ちをかけた。 「連邦内に広まった不安、特にレベルの低い星系に広まった不安は、どうやったら解消されるのでしょう。動こうとしないトップ6の星系に対して、その人達はどのような思いを抱くのでしょうね。自分達さえ良ければと、身勝手さを感じるのではありませんか?」  どうですかと、アリッサは答えのないラピスラズリに答えを迫った。それでも答えのないのを確認して、「だからトリプルAが動くのです」と自分たちの行動を正当化した。 「名前だけは有名になりましたが、トリプルAは一地方星系に拠点を置く小さな企業でしかありません。年商にしても、たかだか1千億ダラと言った所です。そんな小さな企業が、連邦全体の安全保障など口にできるとは思っていません。ですが私達が声を上げることで、後に続く者達も出てくるのではありませんか? 今回スフィア星系の虐殺は、水際で防がれることになりました。ですが次は、シルバニア帝国が関わるような偶然は期待できないのです。次の事件が明日……今起きるのか、それとも100年後に起きるのか。そんなことは誰にも分からないのでしょうね。一つだけ言えることがあるとすれば、もはや杞憂ではないと言うことです」 「それが、あなたの考えと言うことですか?」  ラピスラズリの問いに、「違います」とアリッサは言い切った。 「私達の考えです。この話は、お兄様とノブハルさんにも賛同を貰っています」  少し誇らしげに胸を張ったアリッサは、「新しい商談が出てきているんです」とラピスラズリに告げた。 「トリプルAが、惑星ジェイドで安全保障業務をしていることはお聞き及びかと思います。そのきっかけは、ドンカブ連合が研究していた宇宙怪獣の発生でした。その襲撃も、最近終息傾向が見えてきました。現在長期契約こそ結んでいますが、契約解除条項を考え始めたところなんです。それを内々にアズマノミヤ行政府に持ちかけてみました。宇宙怪獣の駆除が終われば、結ばれている契約は無駄な出費ですからね。だから先方も乗ってくるかと思ったんです。その結果が、どうなったと思われますか?」  アリッサの問い掛けに、ラピスラズリは答えを考えた。まともに考えれば、相手から歓迎されることが予想できたのだ。だがここで持ち出す以上、そんな常識的な答えになるはずがない。 「解除ではなく、縮小を打診された……と言う所ですか?」  一度手にした安全を捨てるには、逆に覚悟が必要となってくる。それを考えたラピスラズリは、財政との妥協点として「契約範囲の縮小」を持ち出した。そうすれば、トリプルAに見捨てられることはなくなるのだと。  だがアリッサの答えは、ラピスラズリの考えとは違ったものだった。「常識的ですね」と笑いながら、アリッサはアズマノミヤ行政府の行動を説明した。 「相手の担当官から、契約金額が低すぎるのかと聞かれました。そんなことはないと答え、宇宙怪獣の襲撃状況をデーターとして提出したんです。ここしばらく、地上軍で対処できない怪獣の出現はありませんでした。それをエビデンスに、今回の提案理由を説明したんです。そうしたら、なぜかジェイド政府の呼び出しを受けました。ただ私達はジェイドの外に出ていましたから、お兄様とリュースさんに代理で出て貰ったのですが……そこで依頼を受けたのが、補償範囲を広げられないかと言うものです。すなわち外的脅威に対しても、保証できないのかと言うことです。流石にその場でお答えできる問題ではないので、持って帰って検討すると言うことでその場を収めています。ちなみにジェイドと言うのは、比較的上位に分類されるレベル6に分類された星系です。そんなジェイドにも、今回の事件は大きな影響を与えたと言うことです。でもジェイドは、私達の本拠地があり、お兄様がいるからまだましな方なんですよ。だとしたら、まともな宇宙軍のない星系の方々は、どのような思いを抱いているのでしょうね?」 「だから、私達も関わるべきだと仰るのですね?」  ラピスラズリの答えに、アリッサははっきりと頷いた。 「夫はすでに、リゲル帝国皇帝としての指示を出しています。アリエル様も、帝国内の安全に対して見直しを行うよう指示を出されているそうです。ラピスラズリ様の知らない所で、すでに天の川銀河は動き始めているのですよ」 「それを聞いて、エスデニアはどうするのかと仰りたいのですね」  小さく息を吐き出したラピスラズリは、「年を取ったのかしら」と自分を嘆いた。 「エスデニアの議長たるもの、どうしたら宇宙が興味深いものになるのかを考え続けなければいけません。私も、その習わしに従って行動してきたつもりなのですが……いつの間にか、現状維持を選ぶようになっていたと言うことですか」  だめですねともう一度嘆いたラピスラズリは、早急にエスデニア連邦会議を招集することを約束した。もちろん議題は、超銀河連邦全体の安全保障に対して、エスデニア連邦がどのように関わっていくのかを検討するためである。 「ノブハル様が決意されたのなら、ライラ皇帝も反対はしないと思います。ですから、意外なほど早く結論は出るのかと思いますよ」 「ライマールの方を押さえておく必要はありますか?」  ライマール自由銀河同盟は、シルバニア帝国と並ぶジュエル銀河の雄なのだ。それを考えれば、事前にネゴをすることに大きな意味があることになる。  それを持ち出したアリッサに、少し考えてから「やめておいた方が」とラピスラズリは答えた。 「テッド・ターフ様は、大局観を持っておいでです。ですから必要なことと理解されれば、最善の方法を考えて下るでしょう。根回しをした方が良いのは確かですが、我が君がライマールに行くと、要らぬ揉め事を起こしそうで……」 「……そちらの問題、ですか」  意外な落とし穴に、アリッサは大きく目を見開いてからため息を吐いた。確かに夫は、自分と知り合う前にライマールに行っていた。そこで大人しくしていたとは、絶対に考えられなかったのだ。 「ええ、テッド・ターフ様のお嬢様が、我が君にお熱だったと伺っています。ちなみに、お嬢様は綺麗な金髪碧眼をされているそうですよ」  金髪碧眼に飽きが来た今とは違い、その頃のトラスティはバリバリの金髪碧眼オタクだったのだ。それを考えれば、テッド・ターフの娘のプロフィールにも納得がいってしまう。ただ疑問なのは、どうして高めの女性ばかりと知り合ってくれるのかと言うことだ。 「そのあたりは、さすがはあの人と言うことですか……」  漏れ出るため息を押さえ込み、「大丈夫でしょう」とアリッサは根拠のない保証をした。 「それから、ご忠告通りあの人をライマールに行かせるのは止めにしておきます」 「それが、懸命な判断だと思いますよ」  そこで顔を見合わせた二人は、とても深い、そして心からのため息を吐いたのだった。  ノブハルとの面会が行われたのは、トリネアが希望を口にした6日後のことだった。次の中継地を面会の場所に指定されたのだが、それだと時間が掛るとノブハルはローエングリンでネビュラ・ミレニアムを追いかけた。そしてローエングリンの貴賓室で、トリネア王女とモルドの二人を迎えることにした。 「この船と比べると小さく見えるのですが……物凄く大きくて立派な船なんですね」  ネビュラ・ミレニアムの貴賓室で、トリネアは接舷してくるローエングリンの映像を見ていた。全長は3kmとネビュラ・ミレニアムよりも小型には違いない。そして建造目的が違うこともあり、ローエングリンはスマートな船体を持っていた。銀色に輝く絞り込まれた船体は、トリネアにはとても優美に見えていた。 「聞くところによると、シルバニア帝国最新鋭船だそうです。戦艦として建造中だったものを、急遽夫君のために改装をしたと言う話です。最大乗員数は1万を超えるそうですが、通常は5百名程度で運用されているそうです。最高速度は、恐らくあなたが使用されたロットリング号より早いかと」  説明をしたアリファールにしてみれば、ローエングリンの登場に「ついに」と言う感想を持っていた。そして事態が恐れていた方向へ動き出したのを感じていた。本来謝罪を受けるのであれば、自分から出向いてくるはずがないと思っていたのだ。 「あんなに大きな船なのに、たった5百名しか乗っていないのですか?」  自分達の銀河と比べ、トリネアは凄いのだと感心していた。そんなトリネアに、「一人のために用意された船です」とアリファールは答えた。 「シルバニア帝国皇帝ライラ様の夫君を守るためだけに用意された船と言うのがローエングリンなのです」 「そんな人と、私はこれから会うのですよね……」  自分で謝罪したいと言いながら、いざとなったら怖くなってしまったのだ。ゴクリとつばを飲み込んだトリネアだったが、隣ではアリファールも同じようにつばを飲み込んでいた。 「そろそろ、連絡デッキへ行く時間となりました」 「お、お待たせするのは失礼になりますよね」  もう一度ごくりとつばを飲み込み、「参りましょうか」とトリネアはモルドに声を掛けた。気のせいでなければ、モルドの顔から血の気が引いているようだった。  貴賓室から連絡デッキまで、ゆっくり歩けば1時間は掛かるだろう。ただお姫様を歩かせる訳にはいかないので、移動は小型のコミューターが使われた。お陰で5分もしないで、トリネアは連絡デッキへとたどり着けた。接舷通路が開いたタイミングを考えると、ぎりぎり間に合ったと言う所だろう。  接舷通路から最初に現れたのは、赤髪をショートにした細身の女性だった。スーツ姿と言うのは、いささか場にミスマッチと言えるだろう。だがその女性を見た瞬間、アリファールとミランダは背中に冷たいものが走るのを感じた。兵士の勘が、その女性が只者ではないと感じさせていたのだ。  一人現れた女性は、アリファール達を認めて足早に近づいてきた。そこで初めて気づいたのだが、その女性は黒の革靴を履いていた。それなのに、どうして足音が聞こえてこないのか。アリファールはそんなどうでもいいことを考えてしまった。 「シルバニア帝国近衛、サラマーと申します。トリネア様、これよりノブハル様の所にご案内いたします」  シルバニア帝国近衛と言う自己紹介に、アリファールとミランダは自分の勘が正しかったことを知った。先のアリスカンダル事件でも、シルバニア帝国近衛が活躍したと聞かされていたのだ。とてもではないが、自分達が敵う相手ではないと言うのは確かだった。 「ご丁寧なご挨拶ありがとうございます。ヨモツ銀河より使者として派遣された、コウバコ星系王女のトリネアでございます。そしてこちらが、私を補佐するモルドです」  トリネアの紹介に合わせて、モルドも名乗ってから頭を下げた。  それに頭を下げ返したサラマーは、「こちらに」と4人を船内に案内した。ただ案内されたと思った次の瞬間、トリネアは全く別の場所へと移動していた。そして4人を連れたサラマーは、目の前にある立派なドアをノックしてくれた。それからゆっくりと扉を開き、「こちらでお待ち下さい」と4人を中に招き入れた。  4人が案内された部屋は、ネビュラ・ミレニアムの貴賓室に負けない豪華な部屋だった。そこに置かれた瀟洒なソファーに腰をおろしたところで、二人の女性がお茶とお菓子を持って現れた。 「おまたせして申し訳ありません。お茶でも飲んでお待ちいただけないでしょうか?」  そう言って頭を下げたサラマーは、「お待ち下さい」と言い残して別のドアを開けて出ていった。すでにガチガチに緊張していたため、トリネアが持つカップははっきりと震えていた。それでもなんとか粗相をせずにお茶に口をつけたのだが、やはりと言うのか味を感じる余裕はどこにもなかった。  ただお茶に口をつけただけトリネアはマシな方だったのだろう。それ以外の3人は、はっきりと顔色を悪くして座っているだけだったのだ。こんな状態で待たされるのは、はっきり言って苦痛以外の何者でもない。それでも文句をいうことも出来ず、4人は一生分にも匹敵する時間を過ごすことになった。  そろそろモルドが危なくなったところで、サラマーが出ていった扉がガチャリと開いた。そこから出てきたサラマーは、「お待たせしました」と頭を下げてからもう一度扉を開いた。 「ノブハル様がお待ちです」  こちらにどうぞと案内され、4人はトリネアを先頭に次の部屋へと入っていった。そして上には上があるのだと、豪華な内装に立場の違いを見せつけられた気がした。 「ノブハル・アオヤマだ」  そう言って立ち上がったのは、かなり背の高い男性だった。ただ立場に比べて、年が若いように感じられた。 「トリネア王女、ようこそローエングリンへ」  こちらにと案内され、トリネアはドレスの裾を気にしながら先程より豪華なソファーに腰を下ろした。  その正面に腰を下ろしたノブハルは、「謝罪と伺ったが」とトリネアの訪問理由を持ち出した。少しぶっきらぼうな言い方に、ちょっと怖いなとトリネアは感じていた。 「はい、ヨモツ銀河の者がご迷惑をおかけいたしました。その謝罪をいたしに参りました」  頭を下げるために立ち上がろうとしたトリネアに、「それはいい」とノブハルは手で制した。 「俺には、あなたに謝られる覚えはないのだ。あれはアリスカンダルの者達がしたことで、コウバコの者には関係が無いはずだ。しかも俺を襲った者達は、3人を残してこの宇宙に命を散らしている。本来必要のない制裁までされたのだから、これ以上の謝罪は不要だと考えている」 「ですが、私達ヨモツ連邦の者がしでかした不始末には違いありません」  だから謝罪なのだと答えたトリネアに、「すでにバツは与えた」とノブハルも繰り返した。 「逆に、過剰な対応となったことを謝罪しなければならないと思っているぐらいだ。ライラが俺のことを思ってした以上、俺にも結果責任があることになる」  悪かったなと謝られ、トリネアは頭の中が混乱してしまった。初めはやりすぎだとは感じたのは確かだが、それから仕方がないことだったと思えるようになっていたのだ。だが当事者から、「やりすぎ」を謝られてしまった。それをどう解釈していいのか、トリネアも考えが追いつかずに混乱してしていた。 「謝罪の話は、これで終わったと思っていいのか?」  じっと顔を見られたトリネアは、緊張からごくりとつばを飲み込んだ。初めの手はずでは、謝罪が終わったところでヨモツ銀河への招待を切り出すことになっていたのだ。だが今の精神状態では、とても招待を切り出せるとは思えなかった。  だが謝罪を先取りされてしまったおかげで、これ以上ノブハルと面談する理由がなくなってしまったのは確かだ。 「は、はい、謝罪になったのかは疑問ですが。終わったと思っていただいて宜しいのかと」  その答えに頷いたノブハルは、「教えてほしいのだが」と逆に切り出した。 「私に分かることであれば……」  何を聞かれるかと緊張したトリネアに、大したことではないとノブハルは少し口元を歪めた。恐らく本人の意識では、笑ったつもりなのだろう。 「ヨモツ銀河からディアミズレ銀河に来る旅はどうだったのか。それを教えて貰いたいのだ。何しろ2百万光年を超える旅というのは、俺も経験したことがないのだ」 「ですが、こちらでは別の銀河にも交流が広がっていると伺っていますが?」  よほど自分達より遠い所に到達しているはずだ。それを持ち出したトリネアに、「確かにそうなのだが」とノブハルは認めた。そして認めた上で、意識の問題なのだと説明をした。 「別の銀河に行く方法は、まるでドアを開けて隣に行くようなものなのだ。時間を意識しないため、感想を持つ以前のものになっている」  そこでそうだなと考えたノブハルは、ヨモツ銀河でも行われている空間移動を持ち出した。 「例えば少し離れた所に移動することを考えてみよう。そちらの銀河でも、空間移動の技術があると思う。同じ距離を移動するにしても、空間移動と歩くのでは感じ方たが違うはずだ」 「私自身が感じたものをお話すれば宜しいのですね」  歩くのと空間移動が違うと言うのは、トリネアにも分かりやすい例えとなっていた。だからその意味を考えたトリネアは、「とにかく退屈でした」と一番の感想を口にした。 「使用した宇宙船が理由でもあるのですが、変化のない毎日がずっと続くのです。本を読んだり体を動かしたりするぐらいしか、時間を潰す方法がありません。それにしたところで、すぐに惰性になってしまいます。ですから、とにかく退屈と言うのが一番の感想となります」  それを強調したトリネアは、「それから」と自分達の目的自身を口にした。 「そして時間が余ったお陰で、考える時間だけはたくさんできました。そのせいだけではないのですが、自分達のしていることに疑問を感じました。どうして私達は、こんなことをしているのだろうかと。たまたまアリスカンダルの者達と同時期に着いたので意味があるように思えるだけで、実際には無意味なことをしているのではないか。気分を変える方法もないので、そんなことばかりを考えていたと思います」 「何をしに来たと言う疑問は、今も抱いているのか?」  そのあたりはと問われ、トリネアは少し考えてから小さく頷いた。 「ディアミズレ銀河に来た目的と言う意味では、今も何をしに来たのだろうと思っています。ただ2百万光年の距離を超えた結果については、超えてよかったと本当に思っています。叶うのなら、このままディアミズレ銀河に残りたいと考えるぐらいです」 「ヨモツ銀河に帰りたくない理由は何なのだ……いや、すまん、気が向かなければ話さなくていいぞ」  人にはそれぞれ事情と言うものがある。そしてノブハルは、情報としてトリネアの置かれた立場と言うのも知らされていた。その事情を鑑みれば、帰りたくないと考えるのも不思議な事ではなかったのだ。  無理をしなくてもとノブハルは言ったが、トリネアは「構いません」と事情を話すことにした。 「私自身にも問題があったことは認めますが、私はコウバコ王家の中ではいらない子でした。そしてこの見た目も、今のヨモツ銀河では不細工と言われるものです。気持ちの問題もあるのでしょうが、毎日が楽しくないと言うより、生きていくのに苦痛を感じていました。そしてヨモツ銀河自体、私達のようなヒューマノイド種は少数種になっています。そのせいで、ヒューマノイド種が生きにくいと言われています。ですから、良くないことですが、アリスカンダルの者達が武装蜂起した理由も理解できる気がするのです」 「帰っても、何一ついいことがない。それが、帰りたくない理由と言うことか? だがあなたは、使者としての勤めを果たすために帰るとヒアリングで答えている。それは、あなたのプライドが理由なのか?」  ノブハルの問いに、トリネアは少し考えてから答えを口にした。 「プライドと言う程のことはないと思います。指摘をされて考えてみたのですが、プライドと言うより意地と言うのが正しいのかもしれません。いらない王女が、ヨモツ銀河初の偉業を達成して帰ってきた。私をバカにしている周りを見返してやりたいと言う気持ちがあるのは否定出来ないと思います」 「無事に帰れたとして、このまま帰ってその意地とやらを通したことになるのか?」  周りは、本当に偉業を達成したと思ってくれるのか。それを指摘したノブハルに、「確かにそうですね」とトリネアはその事実を認めた。 「結局、誰からも見向きをされないで終わりそうな気がします。それどころか、どうして帰ってきたのかと言う目で見られそうな気もしますね」  ノブハルと話をしていて、トリネアは自分が落ち込んできていることに気がついた。これまでヒアリングで、さんざん帰ることが自分の役目だと繰り返しては来ていた。だがノブハルと話をしていて、本当にそれに意味があるのかと思えてしまったのだ。もしも意味があるとすれば、ロットリング号を持って帰ることだけかもしれない。  そんなトリネアに向かって、ノブハルは「すまない」と謝った。 「いえ、別に謝られるようなことはないと思いますが?」 「だが、あなたが落ち込む理由は俺が指摘したことだろう。そんなつもりは無かったのだが、結果的にあなたを落ち込ませてしまった。そしてもう一つ、俺はさらに気の滅入ることを教えなければならないのだ」  ふっと息を吐いたノブハルは、「ロットリング号だったか」とトリネアの乗ってきた船のことを持ち出した。 「連邦でも分析していると思うが、俺の方でも分析をしてみた」  そのノブハルの言葉に、アリファールとミランダは明らかに表情を変えていた。ロットリング号の分析結果は、連邦内で秘密事項として扱われていたのだ。 「種を明かせば、シルバニア帝国中央コンピューターアルテッツァにデーターを出させたのだ。何しろ連邦軍のメインコンピューターは、アルテッツァの配下にあるのだからな。その気になれば、データーを引っ張り出すのは難しくなかった」  そう答えたノブハルは、見守る4人の前でさっと右手を薙いでみせた。それに合わせて、4人の前にロットリング号の構造図が浮かび上がった。 「これが、ロットリング号に蓄積されていた保守用データーだ。それに、連邦が作成した構造図を重ねてみた。その結果が、こちらとなる」  ノブハルの言葉と同時に、もう一つの図面が並ぶように浮き上がった。それがゆっくりと重なり合い、一つの構造図へと合成された。全体が黒のワイヤで表示されていたのだが、ただ1箇所だけ赤く表示されたブロックがその中にあった。 「黒のワイヤで表示されたのが、二つのデーターが一致した部分だ。そして赤の部分は、連邦の分析だけに存在する部分となる。まだ連邦の分析が終わっていないのだが、何らかの自爆装置だと推測されている。ただしこの部分は、乗船ブリッジから完全に分離されて存在している。従って、乗員であるあなたが起動することの出来ないものだ」 「だとしたら、ただ単に図面に載っていなかっただけ……と言う事はありませんか?」  違うと思いながら、トリネアは建前を口にした。 「あなたの意見には一理あるだろう。だがさらなる分析をした結果、残念ながらそれを否定することはできる。ロットリング号で使用している動力機関は、宇宙空間の背景エネルギーを物質化して利用したものだ。そのため、星間物質の多い銀河内では、かなりの大出力を出すことができる。トランスワープだったか、亜空間バブルの二重展開はそのエネルギーがあってこそと言うことになるな。ただ背景ネルギーを物質化する効率が悪いため、あのような巨大な構造になっている。まあロットリング号の動力機関の原理はいいのだが、ブラックボックスはエネルギー物質変換部に割り込む……違うな、通常状態ではバイパスする形で付けられている。ちなみに、動力機関の構造を考えると、ここでの問題は直ちに爆発に繋がるものだ。そして割り込ませた場所は、一番構造的に強靭でなければならない場所となっている。敢えてそこに脆弱箇所を作る理由は、まっとうな精神では考えられないだろうな」  そこで顔を見られたトリネアだったが、意外にも落胆を表に出していなかった。今までの彼女のことを思えば、平静を装っているとは考えにくいことだった。 「なるほど、予想が着いていたと言うことだな」  ノブハルの指摘に、トリネアは小さく頷いた。 「だとしたら、あなたは自殺願望でもあるのか?」  絶対に帰りつけない船を使って帰ろうと言うのだから、ノブハルの言う通り自殺願望があることになる。その指摘に俯いたトリネアは、「そうかもしれません」と小さな声で答えた。  それをなるほどと受け止めたノブハルは、「超銀河連邦は」と自分達の所属する宇宙のことを持ち出した。 「ヨモツ銀河向けに、別の船を用意する事を決定したようだ。だからあなたは、本当にヨモツ銀河に帰ることができるだろう」 「ケイト様が、そう仰っていましたね……」  もともと帰りたくないと考えていた所に、本当に帰れると教えられたのだ。少しも嬉しいと思えないのも、事情を考えれば不思議な事ではない。 「これで安全に、そして来たときよりも短い時間で帰れることが分かったのだ。それを知ったあなたは、どうしたいと考えたのか?」 「私が、何を考えた……かですか?」  質問の意味を確認したトリネアだったが、それからの言葉が繋がってくれなかった。ケイトにも答えたのだが、帰ってからのビジョンなど持っていなかったのだ。  それを答えと受け取ったノブハルは、「ならば」と聞き方を変えることにした。 「コウバコに戻ったあなたは、何をする……違うな、どう言う待遇となるのだ?」 「待遇ですか……使者に出る前と何も変わらないかと思います。嫁ぐ先のない、不細工で、我儘なコウバコ王家のお荷物として扱われるのでしょうね」  自分を卑下したトリネアに、「それでいいのか?」とノブハルは問い返した。 「100歩譲って、使命を果たしてヨモツ銀河に帰るところまでは認めよう。だがそこから先のことは、俺には理解できないことだ。あなたは、それを受け入れるつもりで居るのか?」  その問いは、トリネアにとってとても残酷なものに違いない。本音では帰りたくないのだから、そんな待遇を受け入れられるはずがないのだ。 「受け入れるしか無いと思います……」  その答えに、なるほどとノブハルは大きく頷いた。 「ここに来る前に、ケイト・モーガンと話をしている。彼女は、あなたが俺をヨモツ銀河に招待するつもりだと言っていたな。先程から招待されるのを待っているのだが、事情が変わったのか?」 「別に、そう言う訳ではありません。ただ、切り出すきっかけがなかっただけで……」  ノブハルの空気に飲まれていた。流石にトリネアも、それを口にすることはできなかった。 「ならば俺がきっかけを作ったのだが、今でも俺をヨモツ銀河に招待するつもりはあるのか?」 「ご迷惑でなければ、ご招待したいと思っております」  俯いたまま招待を口にしたトリネアに、「喜んで」とノブハルは答えた。それが意外だったのか、トリネアは顔を上げてノブハルの顔を見てしまった。 「なんだ、俺はおかしなことを言ったのか?」  不思議そうな顔をしたノブハルに、「そう言う訳では」とトリネアはもう一度俯いた。 「まさか、ご招待を受けていただけるとは思っていませんでしたので。何しろ、ヨモツ銀河まで片道だけでも6ヶ月以上掛かってしまいます。それを考えたら、普通は断られるのかと」 「酷い矛盾があるように思えるのだが……それは、俺の勘違いなのか?」  そう言ってトリネアの顔を見たノブハルは、「まあいい」と矛盾の追求を棚上げにした。 「俺の事情を言うのなら、ヤラレっぱなしと言うのは気に入らないところがあるのだ。ただ何の伝手もなく、ただ闇雲にヨモツ銀河に行くのは、誰も認めてくれないだろう。その意味で、あなたの招待と言うのは、俺にも都合が良かったのだ。だから、喜んでと言う話になるのだが……」  そこでトリネアから視線を動かしたノブハルは、護衛として着いてきているアリファールの顔を見た。 「俺が招待を受けた場合、どうやってヨモツ銀河にまで行くことになるのだ? 正式の外交使節となった王女の招待だ。まさか、自費で行けとは言わないだろうな?」  それはと問われたアリファールは、少し目元を引きつらせた。勘ではなく、ノブハルは事情を知っていると確信していたのだ。それなのに何食わぬ顔をして、こちらの痛いところを突いてくれた。 「私は、トリネア王女の護衛でしかありません。ですからこのことは、上層部に報告をして裁可を仰ぐことになります」  その答えに、ノブハルはなるほどと大きく頷いた。 「連邦軍の最新鋭艦に乗れるかもしれないのだな。なかなかない機会だと考えれば、絶対に逃してはいけないだろう」  本気で嬉しそうにするノブハルに、アリファールはもう一度目元を引きつらせた。現在就役している連邦軍のどの船より、ローエングリンは間違いなく高性能なのだ。豪華さにおいても比較にならないと考えれば、どちらの船がいいかなど考えるまでもないことのはずだ。  ただそのことにしても、ここで口に出して言えることではない。だからアリファールは、フラットな声で「それも上申いたします」と答えた。 「ならば、俺は答えを待つことになるのだが……」  そこでもう一度トリネアを見たノブハルは、「お返しと言っては何だが」と提案を一つ持ち出した。 「あなたをズミクロン星系に招待させてもらえないか? さほど文明的には進んでいないが、人の住む連星と言うのは連邦の中では唯一なのだ。空に巨大な双子星が浮かぶ姿は、なかなか興味深いものらしいぞ」 「私を招待してくださるのですか? ですが、私はこちらで保護されている身分です。私の一存では、ご招待を受けることは出来ません」 「なるほど、勝手にスケジュールを変えるわけにもいかないしな」  トリネアの事情に理解を示し、ノブハルはもう一度アリファールの顔を見た。 「どうだろう、このことも上申して貰えないだろうか。できれば、可及的速やかにと言うところなのだが?」  それを問われ、アリファールは「承知した」と返した。これまでの上層部を考えれば、反対どころか積極的に行かせろと言われる気がしていた。 「では、答えが出るまでローエングリンをネビュラ・ミレニアムに並走させることにする」 「さほど、お待たせすることはないのかと」  アリファールが頭を下げたところで、トリネアとの面会は終わったことになる。音もなく近づいてきたサラマーは、「お送りいたします」と頭を下げてトリネア達を立ち上がらせた。 「本日は、私のためにお時間をいただきありがとうございます」  ゆっくり、そして優雅に頭を下げたトリネアに、「こちらこそ」とノブハルも頭を下げた。 「実は妹がアイドル……と言っても分かりにくいか。人前で歌をうたうのだが、かなり人気があるのだ。是非ともトリネア王女にも楽しんでいって貰いたいと思っている」 「私には良く分からない世界なのですが……一度経験してみるのもいいですね」  その時はよろしくお願いします。トリネア王女は、もう一度ノブハルに向かって頭を下げたのだった。  ノブハルがトリネア王女と会っているのと同じ頃、トラスティはアリッサとともにゲストとして連邦理事会に招かれていた。二人を招いた表向きの理由は、超銀河連邦の安定に貢献したことへの感謝の気持ちを表すためと言うことになっていた。事実トリプルAがゼスの内乱を終わらせたのをきっかけに、連邦内の内乱と星間戦争が急速に終息していったのだ。理事会が利用したと言う事情はあるが、トリプルAの功績には違いなかった。  その意味で言うのなら、エイドリック・クサンティン連邦宇宙軍元帥の同席にも、連邦軍の尻拭いをしてくれたことへの感謝という意味になるのだろう。ただトラスティからしてみれば、あまりにもあからさまな登場人物ばかりだった。 「ミズ・トランブル、ミスター・クリューグ、超銀河連邦理事会へようこそ」  シワだらけの顔に笑みを浮かべ、サラサーテは二人をゲスト席へと案内した。二人が案内されたのは、円卓の代表理事3人が座る席とは反対側の場所である。同じくゲストのエイドリックは、トラスティの隣に腰を下ろしていた。 「こちらこそ、お招きいただいて光栄です」  トリプルAとして招かれているので、代表であるアリッサが挨拶をした。たったそれだけのことで、無味乾燥な理事会の席が少しだけ華やかなものになってくれた。  その挨拶を受け止めたサラサーテは、小さく頷くと「感謝しているのです」とアリッサに答えた。 「惑星ゼスの問題は、連邦にとって大きな後悔でしかありませんでした。求められない限り、惑星内のことは惑星内で解決をする。その立場は今でも変わらないのですが、それでも刺さった棘からは血が流れ続けていたんです。その棘を抜けば楽になれるのに、連邦は自らを縛っていました。ある意味厄介な問題を、あなた達トリプルAは介入するやたちまち解決してくださったのです。そして惑星ゼスの問題解決は、他の星系にも大きく注目をされたのです。その結果、数多く起きていた内乱も今現在継続しているのは一桁となっています。間違いなく、あなた方は連邦の秩序に対して非常に大きな貢献をしてくださいました。それを、連邦理事会としてお礼申し上げる次第です」  サラサーテの言葉に遅れて、理事21人とエイドリックが立ち上がって二人に向かって頭を下げた。トラスティと二人立ち上がったアリッサは、「過分な賛辞をいただきありがとうございます」と頭を下げ返した。 「トリプルAは、発足してからまだ5年も経っていない新参者です。このような栄誉を受けるとは、今まで思っても見ませんでした。これで新参者のトリプルAにも、箔が付くというものです」  喜んだアリッサに、サラサーテは小さく頷いた。 「確か、パガニアの次の王妃様も創業者のお一人でしたね。それを持って特別と言うのはおかしいのかもしれませんが、何か不思議なめぐり合わせと言うものを感じています」 「仰るとおり、不思議なめぐり合わせがあったのかと。何しろトリプルAには、宇宙最強と言われるカイトさんがおいでです。私の夫は、いささか不名誉な二つ名なのですが、最悪のペテン師と言われているそうです。そしてズミクロン星系には、シルバニア帝国皇帝ライラ様の夫君までおいでです。設立して間もない、しかも地方星系で生まれた会社だと考えれば、確かに不思議なめぐり合わせと言っていいのでしょうね」  社交辞令を重ねる会話こそ、アリッサの本領が発揮される。美しい見た目ににこやかな笑みを浮かべれば、普通なら嫌味に聞こえるようなことでも素直に受け取ってもらえる。  ただトラスティだけでなく、アリッサも感謝の場と言うが口実と言うのを理解していた。だがこのことに関しては、自分達から切り出してはいけないと思っていた。  そしてサラサーテの方も、話を切り出すのは理事会だと言うのを理解していた。アリッサの言葉が終わるのを待って、「さて」と本題の前振りをすることにした。 「遠くジェイドからおいでくださったのに、感謝だけでは企業はお腹が膨れないでしょう。かと言って、報奨金を出すのは世間体もよろしくない」  そこで言葉を切り、サラサーテは集まった理事達の顔をぐるりと見ていった。 「ですから、連邦理事会から仕事の依頼をしたいと思っています」 「お仕事、ですか?」  確認をしたアリッサに、サラサーテはしっかりと頷いた。 「はい、連邦理事会から……正確には、連邦軍から業務を発注したいと思います。シルバニア帝国皇夫殿と言うより、あなた方にはズミクロン支社長と言った方が分かりやすいでしょうか。ノブハル・アオヤマ氏が関係したヨモツ銀河に関することです」  ヨモツ銀河と言う言葉に、アリッサは「ああ」と少し大げさな身振りで頷いた。 「申し訳ありません。ノブハルさんは、先日支社長を降りていただき、最高技術責任者代理に就任していただきました。この場において本質の話ではありませんが、一応ご承知おき願います」  そうやって少し出鼻をくじいたアリッサは、「ヨモツ銀河が何か?」と首を傾げた。 「伺っている話では、新しく外銀河探索組織を作られるそうですね。そして新しい組織のテストケースとして、ヨモツ銀河を選択されたのだと。2年後でしたか、それをめどにディアミズレ銀河を探査船が出発するのですよね?」  公式の話を持ち出したのは、トリプルAが関わる余地が無いと仄めかすためである。それに頷いたサラサーテは、「事情が少し変わっています」と答えた。 「事情が変わったのだと?」  確認するアリッサに、サラサーテははっきりと頷いた。 「ヨモツ銀河から、女性が二人使者としておいでになったのはご存知かと思います。そのままこちらにとどまり、外交を担われるのなら問題は無かったのですが。使者である以上、目的を達成した時点で戻る必要があるのです。ただ私達が調査した範囲で、彼女達の船に問題があるのが分かっています。もしもそのままお帰りいただくと、間違いなくヨモツ銀河まで辿り着くことは出来ないでしょう。私達超銀河連邦として、人道的な面を忘れても彼女達に無事帰り着いてもらわないと都合がわるいのです。従って、こちらから船を出す必要性が生じてしまいました」  その説明に小さく頷いたアリッサは、サラサーテが言わんとしたことを先取りをした。 「お話を伺った範囲で考えると、それを業務としてトリプルAに発注すると言うことですか?」 「まさしく、それを考えています」  大きく頷いたサラサーテに、「それだけですか?」とアリッサは問い返した。 「現時点で私達が考えているのは、それだけだと思っていただいて結構です。お見積もり頂けば、多少の価格交渉はありますが、可能な限りお答えするつもりはありますよ」  いい条件を提示したつもりで答えたサラサーテに、「原則として」とアリッサは断りを入れた。 「単発のお仕事は、引き受けないことにしております。そしてトリプルAは、単なる運送業をするつもりもありません。確かにインペレーターを使えば、使者の方が使用された船ぐらい収容して運ぶことは可能でしょう。そして時間にしても、大幅に短縮して移動することも可能です。ですがその人員、そして随行する責任者を考えた場合、あまりにも効率が悪すぎるのがその理由です。これはただお金の問題ではなく、重要な人材がその間不在になることを問題にしています」 「企業として、収益の問題ではないのだと?」  確認したサラサーテに、アリッサははっきりと頷きその言葉を認めた。 「トリプルAと言う会社は、売上の割に人員は非常に少ないのが実体です。経費にしても、売上比でかなり少ないのも事実です。ただの便利屋として船を運ぶだけでは、将来に繋がるものがありません。会社として、そんな飛び込みの仕事をしなくても問題がないと言うのが実体なんです。こう言ってはなんですが、仕事として少しも美味しくないんです」  ずばりと言い切ったアリッサに、理事達は一様に顔を少しひきつらせた。彼らとしては、破格の条件を持ち出したつもりでいたのだ。 「では、引き受けていただけないと?」 「今のお仕事ぐらいなら、連邦軍の船を使っても同じことが出来ますね。トリプルAで無ければと言う部分が、ないのではありませんか? そして仕事として意味を見いだせるのかと言うことについては、先程申し上げた通りです。ですから、送迎だけが目的ではお受けすることが出来ませんね」  きっぱりとアリッサが言い切ったことで、理事会の中で小さなざわめきが起きた。そのざわめきの中、「少し宜しいですか?」とエイドリック元帥が発言を求めた。 「言葉尻を捕まえて申し訳ないのですが、あなたは「送迎だけでは」と仰った。では、どこまでお任せすれば、トリプルAとして取り組んでいただけるのですかな?」  エイドリックの言葉に、アリッサは笑みを浮かべて頷いた。 「そうですね、私もそのつもりで「送迎だけでは」とお答え致しました」  そこでゆっくりと理事達の顔を見ていったアリッサは、「トリプルAとして提案があります」と口にした。 「外銀河探索の仕事ですが、ヨモツ銀河に関してトリプルAに委託していただけませんか?」 「トリプルAが、外銀河探索を業務とされる……と言うのですか?」  サラサーテが驚いたのと同様に、他の理事達の顔にも信じられないと言う表情がありありと浮かんでいた。そんな視線を全身で受け、アリッサは「その通りです」とサラサーテに問いに答えた。 「効率化の為、民間へ業務委託することは珍しくないかと思います。外銀河探索も、同様のスキームにしていただければと思っています。そのテストケースとしてディアミズレ銀河を利用し、ゆくゆくは他の銀河に広げたらいかがでしょうか?」 「他の銀河にも広げたらと仰るのですか……」  オウム返しをしたサラサーテは、「しかし」とアリッサの提案に含まれる問題点を指摘した。 「そんなマネができる民間企業が、他にあるとは思えないのですが?」 「必ずしも、そうとは言えないと思いますよ」  サラサーテの指摘を否定したアリッサは、「例えば」と候補になりそうな業種を持ち出した。 「運送業、旅客業……そう言った業種の方たちならば、大型船運用のノウハウをお持ちです。それこそ、予算を示して逆入札をかければ、参入意思を示す所も出てくるのではありませんか?」 「それはど、簡単な話ではないと思いますが……」  シワだらけの顔を顰めたサラサーテは、「どこまで手を出されるつもりです?」とアリッサの真意を尋ねた。 「ディアミズレ銀河“だけ”と言う事はありませんよね?」  その指摘に、アリッサは小さく頷いた。 「有力星系の無い銀河でしたら、私達が参入する余地が大いにあると思っています。ただいきなり全方向に手を出すのは、流石に難しいと思っているんです。何しろトリプルAの世帯は大きくありませんからね。そのあたりは、業務提携先と相談をして決めたいと思っています」 「業務提携先……ですか?」  それがと問いかけようとしたサラサーテは、すぐにその意味を理解した。 「確かトリプルAは、エスデニア連邦やパガニア王国、リゲル帝国、レムニア帝国と業務提携をされていたと聞いていますが?」  サラサーテが持ち出したのは、超銀河連邦ではあまりにも有名すぎる存在ばかりだ。いずれも進んだ文明を有するのと同時に、強力な軍事力も持っていた。 「エスデニア連邦と言うより、エスデニアとシルバニア帝国と言うのが正解ですね。ライマール自由銀河同盟との業務提携は、将来の課題としております」 「そこまで、巻き込まれると仰るのか……」  今回の問題の大きさに、理事会もトップ6と言われる星系を巻き込むことを考えていた。ただその手がかりが無いため、動きが鈍かったと言う事情がある。だがトリプルAの代表は、はっきりとトップ6を巻き込むと公言してくれたのだ。理事会としては、ある意味渡りに船のところがあった。  ただいくら美味しい餌でも、議論もせずに食いついては問題となる。深呼吸をして気持ちを落ち着けたサラサーテは、「有意義な提案だと思います」と答えるに留めた。 「採用の可否については、理事会で議論を行いたいと思います」 「それが正しいプロセスと言うのを、私共も理解しているつもりです。ですから、もう一つ私達トリプルAから提案があります。民間が外銀河探索を行うことを、ディアミズレ銀河で実証実験をしてみてはいかがでしょうか? その目的なら、トリプルAは使者のお二人と乗ってこられた船をヨモツ銀河までお運びいたします」  いかがでしょうと顔を見られたサラサーテは、なるほど手強いとアリッサを見直した。 「つまり、私達の依頼の名目を変えるのだと?」 「名分を変えるだけなら、手続きは比較的早く終わるのではありませんか?」  ですよねと問われたサラサーテは、目元を少し引きつらせて「そうでしょうな」とアリッサの言葉を認めたのである。  10万人を収容できるホールは、今日も満員の観客を迎えていた。その主となるのは、バックダンサーを連れた綺麗な女の子である。彼女こそが、ズミクロン星系のトップアイドルリンラ・ランカだった。そして彼女後ろでは、3人のバックダンサーが踊っていた。ちなみにリュースが引退し、そのかわりにサマラーが新たにバックダンサーとして加わっていた。  まるで万華鏡のように衣装と髪型を変えながら、リンラはステージいっぱいを使って歌い踊った。そして今は、長い黒髪をストレートにし、ちょっと刺激的なドレスにチェンジしていた。冬の屋外ステージにも関わらず、観客たちの熱気は真夏を凌いでいた。 「次の曲は、時間よ止まれ! よ」  曲がバラード調に変わったのに合わせ、バックダンサーの衣装は紫色のドレスに変わった。そしてスローテンポなダンスで、曲の雰囲気を盛り上げた。  大人の雰囲気を身に着けたリンラの、新しい一面をファンたちに示したのである。  およそ2時間のステージは、2度めのアンコールの曲を歌い終わった所で終幕を迎えることになる。「星の海を超えて」を歌い終わったところで、ファンたちはため息の後大きな拍手を送った。ある意味イメージチェンジとも言える冒険は、観客たちの反応を見る限り大成功だと言えるだろう。拍手が鳴り止まない中、ホールには終演の白い光が広がっていた。そして中央のステージでは、ステージの終わった4人がゆっくりと地下へと降りていった。  地下に降りることで、体全体に感じていたプレッシャーから開放されることになる。そしてプレッシャーの代わりに、心地よい疲労と達成感がリンラを包み込んだ。ただ体力的には限界に近いため、リンは体全体から湯気を立ち上らせ膝に両手を当て浅く早い呼吸を繰り返した。毎度のことなのだが、2時間にも及ぶワンマンステージは、体力的にはハードなものだった。長い公演時間もそうだが、新しい挑戦のプレッシャーも大きかったのだ。そしてその事情は、バックダンサーの二人も大差は無かった。ただ一人、護衛として派遣されたサラマーだけは、少しも疲れた様子を見せなかった。  そんなリンラに、ノブハルがいつものようにタオルを差し出した。それを素直に受け取ったリンラは、頭からかぶるようにして汗を拭いた。 「今日は、ブラコンじゃないのね?」  普段と違う態度のリンに、すかさずトウカがちょっかいを掛けた。こちらはエリーゼから、大きなタオルを受け取っていた。 「ちょっとね、流石に遠慮するかなって感じね」  そこでリンが見たのは、兄ではなくその後ろの方で立っている女性だった。女性が加わるのは珍しいことではないが、それが200万光年離れた銀河からのお客さんともなれば話は違ってくる。しかも彼女の後ろにはおつきの女性が控え、連邦軍から派遣された2人の護衛も付いていた。しかもトラスティ達こそ来ていないが、グリューエル王女まで顔を出していたのだ。 「別に、遠慮する必要はないのだがな」  ふんと鼻息を一つ吐いて、ノブハルは「ユーケル起動」といつもの呪文を唱えた。途端に黄色い霧がリンを包み込み、リンの上がっていた息も落ち着いてくれた。 「ナギサ、後は任せるぞ」  どこからともなく現れた親友に、ノブハルはそう声を掛けた。トリプルAとしての招待なら、ホストはグリューエル王女がなっていただろう。だがエルマーに住むノブハルの招待と言うこともあり、エルマー7家の1つイチモンジ家がホスト役を引き受けたのである。 「そうだね、ここから先はイチモンジ家の出番だね」  スーツを身をまとったナギサは、ゆっくりとトリネア王女へと近づいていった。そして深々と頭を下げてから、別席が設けてあることを口にした。 「少し遅い食事となることをお詫びいたします」  洗練された身のこなしをするナギサに見惚れたトリネアは、少し慌てて「お気遣いなく」と頭を下げ返した。ある意味古風な歓迎なのだが、古臭いと言う感想をトリネアは持っていなかった。  いつの間にか隣に並んだリンの顔を見てから、「こちらにどうぞ」とナギサはトリネア王女をエスコートした。トリネアは、自分の緊張がますますひどくなったように感じていた。  シェアライドで一行が向かったのは、サン・イーストにあるイチモンジ家の館である。従って車が車寄せについたところで、当主であるハラミチがトリネアを迎え出てきた。リンカニックと言う顔を覆った髭に、赤い色の着いた度の入っていない眼鏡と言う出で立ちは、夜だからこそ余計に胡散臭さを醸し出していた。 「ようこそ、イチモンジ家へ」  少しぶっきらぼうに聞こえるのは、素と言うより緊張からだろう。だが受け取る方は、それを威厳だと勘違いしてくれた。そしてその事情は、必ずしもトリネア王女だけではないと言うのがハラミチの異常さである。 「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます」  そしてハラミチに恐怖したトリネアは、今まで以上に緊張して頭を下げた。ちなみにお供のモルドなど、ディアミズレ銀河は怖いところだと言う感想を持ってしまった。ちなみにアリファールとミランダは、「帰りたい」と言うのが正直な感想だった。  ナギサからエスコートを受け取ったハラミチは、「お疲れでは?」とトリネアに尋ねた。トリネアに気を使った言葉なのだが、受け取る方はなぜか脅されているような気持ちになっていた。 「い、いえ、確かに、遊び疲れたと言いますか。色々なことがありすぎて、少し疲れた……と言うのはあるのかもしれません」  トリネアの答えに、ハラミチは大きく頷いた。200万光年の距離を超えて、未知の世界へと飛び込んできたのだ。そこで今までにない経験を繰り返せば、疲れると言うのもムリもないことだった。ただ緊張や興奮で疲れを忘れることは出来ても、疲労の蓄積までは逃れることは出来ないだろう。 「だったら、時間が許す限りゆったりとされるといい。文明的には連邦標準を下回るが、居心地はさほど悪くないはずだ」  そう口にしてから、「こちらに」とハラミチは背の高いドアを開いた。そこにあったのは、「応接間」と言うパーティースペースだった。すでにテーブルには、豪華な食器が並べられていた。 「食事の好みが分からないので、比較的問題の少ないものを用意させて貰った」  どうぞと主賓席にトリネアを案内し、ハラミチは長いテーブルの反対側に腰を下ろした。 「こちらに来て、食事と言うものが、これほど変化に富み美味しいものだと知ることが出来ました。ですから、今日もどのようなものをいただくことができるのか。それを楽しみにしてまいりました」  浮かべた笑みが引きつっているのは、相手がハラミチだからだろうか。それでもなんとかゲストの役目を果たしたトリネアに、近づいてきたメイドが泡の出るワインの入ったグラスを渡した。 「酒精……アルコールがだめでなければ、せめて乾杯だけでもお付き合い願いたい」 「アルコールですか。それも、こちらに来て初めて経験いたしました。少し失敗をしたのですが、嫌いと言う事はありません。むしろ、美味しいと思っています」  そしてこの場の雰囲気から逃げるためには、アルコールを利用するのが一番いいはずだ。そんなトリネアの思惑に気づくわけもなく、「ならば」とハラミチはフルートグラスを目の前に掲げた。 「トリネア王女を歓迎して、乾杯」 「「「乾杯!」」」  ハラミチの言葉に合わせ、出席者から乾杯の声が上がった。そして乾杯を待っていたように、メイド達が出席者の前に前菜を並べていった。  比較的問題の少ないものとのハラミチの言葉通り、特に手を出すのを躊躇われるような食材はなかった。そして豪華さと言う意味でも、豪華客船の貴賓室で供された料理に負けないものだった。 「とても、綺麗で美味しい料理だと思います。ただ、こうして美味しい料理を食べていると、本当に不思議だと思ってしまいます」  少しぎこちなくフォークを使いながら、トリネアは「不思議」の理由を説明した。 「ここエルマーと私の生まれたコウバコは、200万光年以上離れているんです。それなのに、見た目の違いは分かりませんし、こうして同じものを美味しいと言って味わうことが出来ます。よほどヨモツ銀河内の方が、見た目や味覚の違いが大きいのではないでしょうか」 「そのあたりは、超銀河連邦発足時にも言われたことらしい」  ぶっきらぼうなのは、果たして素なのか緊張なのか。周りから「ちょっと引くんですけど」と見られながら、ハラミチは連邦内で繰り返し言われたことを口にした。 「超銀河連邦には、およそ10億の星系があると言われている。我々に似た姿を持つ者が多いと言うのも不思議な事だが、お互い交配が可能と言うのも不思議だと言われているな。だからノブハル・アオヤマが、シルバニア帝国皇帝の夫となれたのだろう。それを考えれば、ヨモツ銀河だったか、そっくりな見た目をしていても不思議な事ではないのだろな。ただ理屈の上ではそうでも、やはり現実を目の当たりにすれば、不思議だと感じてしまうのも理解することはできる」  ハラミチの言葉に頷いたトリネアは、「とても強く感じています」と自分の気持ちを口にした。 「およそ8ヶ月と言う時間が理由だと思いますが、とても遠くまで来た気持ちになっているんです。それなのに、出会った方々の見た目が私達と変わらないのです。これまで使った時間が、もしかしたら夢だったのではないかと思えてしまうぐらいです」 「夢を疑う気持ちは理解できる。だがこれは、まごうことなき現実なのだ。恐らく故郷に帰られたら、それを実感されるのではないか?」  故郷に帰るとハラミチが口にしたのをきっかけに、トリネアは少しだけ表情を暗くした。それに気づいたハラミチだったが、敢えて慰めの言葉を口にしなかった。その代わり、彼女がノブハルを招待したことを持ち出した。 「あなたは、ノブハル・アオヤマをヨモツ銀河に招待したと聞いたのだが?」 「はい、ご招待させて頂きました。ただどうやって私達の銀河に来ていただくのか、こちらの決定待ちになっています」  なるほどと頷いたハラミチは、端っこで小さくなっていたアリファールの顔を見た。感じた悪寒に背中を震わせたアリファールは、「上申中です!」と緊張しながら答えた。 「間もなく、何らかの決定がなされると思います!」  それに小さく頷いたハラミチは、「良いのか?」と今度はノブハルの顔を見た。 「こちらから乗り込むことも必要だと考えているっ」  やはり苦手だと思ったせいで、ノブハルの答えには不必要に力がこもっていた。ただ笑いが漏れ出ないのは、他の出席者達も似たような状況と言う理由があった。  それにそうかと頷いたハラミチは、「お前の母親は」と思いがけないことを口にした。 「「この子は宇宙に出ますよ」との言葉を遺していった。確かに、ユイリの言ったとおりになってくれたな」 「母さんの……」  その話は、今の母親からは聞かされていないことだった。思いがけないハラミチの言葉に、ノブハルは少し胸が切ない気持ちを感じていた。 「うむ。お前の母親だ。昔からあまり体が強くなかったのだが、お前と言う生きた証を残すことが出来た。短い人生だったが、きっと本望だっただろうな」  ハラミチの言葉には、奇しくも謎と考えていたことへの答えが含まれていた。 「体が弱かったのか?」 「ああ、小さな頃から何度も入院していたよ。人並みの生活ができるようになったのは、ちょうどフミカさんと知り合った頃だな。もう、今からだと30年近く昔のことでもある。少し妄想癖が強くなったのは、間違いなくフミカさんの影響だろう」  そこまで口にしたところで、「すまなかった」とハラミチはトリネアに謝った。彼女の歓迎パーティーなのに、なぜかうちわのしんみりとした話をしてしまったのだ。  謝罪をしたハラミチに、トリネアは微笑みながら首を横に振った。 「亡くなられたお母様の夢が叶った……そう考えると、とても素敵なお話だと思います。こう言ってはなんなのですが、胸の中に温かいものが流れてきたと言う気持ちがします」 「そう仰っていただいて安堵している」  少し柔かな表情で答えたハラミチに、ノブハルは見て貰いたいものがあると声を挙げた。 「いや、会ってもらいたい人と言った方が良いのだろうか」  そこで目を閉じ深呼吸をしたノブハルは、「アクサ」と己のサーヴァントを呼び出した。その呼出に応じて現れたのは、レデュッシュと言われる赤い髪を背中まで伸ばした、成熟と未熟間の絶妙なバランスを持った女性である。場に相応しいようにと考えたのか、ちょっと背中の開いたエメラルドグリーンのドレスを纏っていた。その女性こそが、ノブハルのサーヴァントのデバイスであるアクサだった。 「まさかっ、ユイリなのか……いや、ユイリとは違っているのか」  思わず腰を浮かしたハラミチに、「俺のデバイスだ」とノブハルは紹介した。 「シルバニア皇帝ライラが、俺の安全のためとくれたデバイスのアクサだ。この姿は、俺がラナの洞窟で出会ったゲイストがモデルになっているらしい……のだが」  最後の部分が曖昧なのは、未だに自信が持てないからに他ならない。だがそんな細かなことは、紹介されたハラミチにはどうでも良いことのようだった。じっくりと頭の天辺からつま先まで眺めたハラミチは、「感謝する」とノブハルに頭を下げた。 「ユイリは、好んでコスプレ……だったか、それでこの格好をしていたのだ。もはやこの姿を見ることはないと思っていたのだが……よもや、成長した姿を見られるとは思ってもいなかったぞ」  もう一度感謝すると頭を下げたハラミチは、「守られているのだな」とアクサの顔を見た。 「ならば、もはや何も心配することはないのだろう」  自分を見て頷くハラミチに、「そうね」とアクサは素っ気ない答えを口にした。 「その素っ気なさも、昔のユイリにそっくりだな」  ふっと息を吐き出したハラミチは、「失礼する」と言って立ち上がった。 「あまり本題で無いことで時間を使うものではないだろう」  そこで義息子の顔を見たハラミチは、「後は任せる」と言ってパーティー会場を出ていった。それを唖然として見送ったナギサは、咳払いを一つしてから一度全員の顔を見た。 「少しばかり、予定にないハプニングが起きてしまったね」  そこで顔を見られたノブハルは、小さく頷くと「超銀河連邦は」とトリプルA本社からもたらされた情報を口にした。 「トリネア王女を故郷に送り届ける仕事を、トリプルAに正式発注することにしたそうだ。発注の名目は、外銀河探索を民間委託するための実証実験だそうだ。契約が締結され次第、すぐにインペレーターの用意を行なえと言うのが俺に対する指示となっている」  やはり全てが頭の上で決まってしまったのか。今更ながらに思い知らされたアリファールとミランダだったが、これでお役御免になると安堵しているところもあった。彼らにしてみれば、いつまでも伍長レベルを引っ張り回すなと言いたかったのだ。 「そう言うことなのだが。トリネア王女、出発に当たって何か希望のようなものはないか?」 「希望……ですか?」  いきなり希望をと言われても、簡単に出てくるはずもない。少し考えたトリネアは、「今の所は」と思い浮かばないと答えた。 「その、まだ実感が湧いてきていませんので……」  その答えに頷いたノブハルは、「思いついたら教えてくれ」と返した。 「こちらからの随行者とかでも構わないのだぞ」 「それを含めて、考えてみたいと思います」  それで良いと頷いたノブハルは、「そちらは?」とアリファールとミランダの顔を見た。 「なにか、命令を受け取っているか?」 「今のお話と同じものを受け取った所です」  緊張したアリファールに、ノブハルは小さく頷いた。 「出発まで、トリネア王女はどうされるのだ?」 「それは、出発までに掛かる時間が関係してくるのかと」  明日出発するのなら、このままエルマーに留まるのが合理的と言うことになる。だが出発まで時間が掛かるとなれば、それまで別の方法で時間を潰す必要が出てくることになる。  その答えに頷いたノブハルは、「そちら次第だな」と連邦軍に責任を放り投げた。 「インペレーターなら、出発まで1週間も必要ないだろう。ただ連邦からも、何らかの代表が同行する必要があるのではないのか? 加えて言うのなら、外銀河航海の演習にも利用できるはずだ。その一切が必要ないと言うのなら、出発は1週間後と言うことになる」 「1週間……ですか」  思わず絶句したアリファールに、「話は通っている」とノブハルは告げた。 「トリプルAの業務提携先には、あらかじめ話がしてあったのだ。だから必要な技術者、要員が間もなく派遣されてくる。1週間と言うのは、人員が揃ってオリエンテーションが終わるまでの時間と言うことだ」 「トリプルAの業務提携先ですか……」  そう言われてトリプルAの業務提携先を思い出し、アリファールは再び絶句してしまった。そして連邦理事会が素早く決定を下したのも、それが理由かと納得していた。  そこまで巻き込まれたのなら、失敗など考える必要もないのだろう。そして「戦力」と言う意味でも、心配する必要すらないものなのは確かだ。だとしたら、今更自分に声がかかることなど無いはずだ。ようやく肩の荷が降りることになるのだが、なぜかアリファールは解放されたと言う気持ちになれなかった。ただその理由を考えることを、意味が無いことだと放棄したのである。  そしてノブハルが宣言した1週間を2日過ぎたところで、超銀河連邦初となるヨモツ銀河船団が出発することになった。船団となったのは、総旗艦となるインペレーターに、シルバニア帝国戦艦が加わったことによる。そのあたり、ライラがノブハルのことを心配したのが理由になっていた。  ちなみにシルバニア帝国から加わった戦艦は10隻と少ないが、いずれもローエングリンに並ぶ新鋭艦が揃えられていた。しかもいずれの戦艦にも、惑星破壊級の兵装が揃えられると言う物騒な成り立ちとなっていた。当然対艦装備も、潤沢に搭載されていた。 「しかし、大げさなことになったものだ」  出発前にセンター・ステーションに上がったノブハルは、待機するシルバニア艦隊を見てため息を吐いた。同行する戦艦は10隻と少ないが、ズミクロン宙域にはシルバニア帝国から2千隻の艦隊が集結していたのである。それに加えて連邦軍からも船が派遣されたため、さしずめ大規模な観艦式の様相を呈していた。 「まあ、大げさなことは認めてあげよう。何しろ超銀河連邦にとって、初となる正式な外銀河訪問だからね。そしてライラ皇帝からすれば、愛する君が通常手段で200万光年の距離を越えようと言うんだ。気にするなと言う方が無理な注文というものだよ」  少しも慰めになっていない言葉を吐いたトラスティは、「総旗艦ニルバーナね」とシルバニア艦隊の拡大映像を見た。そこには他の艦船より一回り大きな、金色に輝く戦艦があった。 「まさか、皇帝みずからお見送りに来るとはね。まあ、ついて行くと言わなかっただけマシと言う所かな」  そこで口元を歪めたトラスティは、隣で目元を引きつらせているノブハルを見た。そのあたり、昨日繰り広げられたドタバタを知っていると言うことだ。 「で、こっちは連邦軍元帥用戦艦ヒューペリオンね、まったく仰々しくしてくれる」  目を転じれば、1千隻近く集まった連邦軍の立体映像が表示されていた。いずれも全長2kmを超える巨艦揃いなのだが、その中でもヒューペリオンは一回り大きな船体を示していた。ただ総旗艦ニルバーナとは違い、地味な黒緑のカラーリングがなされていた。  それだけでもノブハルには大問題なのに、他の出席者も問題が大きかった。何しろトップ6と言われる星系から、それぞれトップが集まってくれたのだ。超銀河連邦の歴史を振り返るまでもなく、間違いなく史上初の出来事だった。 「なぜ、こんなことになるのだ?」  大げさなため息を吐いたノブハルに、「なぜだろうねぇ」とトラスティは笑った。いまさら言うまでもないことなのだが、影の黒幕は彼だと言うことだ。 「ちなみにお義父さんからは、もっと早く手配をしろと叱られたよ。あちらのカスタマイズグループに、かなり無理をさせたようだね」  今回インペレーターに、タンガロイド社のアンドロイドが100体ほど搭載されたのである。アダムやイブタイプと言った特殊目的のアンドロイドは採用されなかったが、警備用のサイノスタイプは50体ほど採用されていた。それ以外は、身の回りの世話をするためクリスタイプのカスタマイズ品が乗せられる事になっていた。  あははとトラスティが笑った先には、タンガロイド社から派遣された技術者達が居た。納期に間に合わず、ギリギリまでカスタマイズ作業が続いていたのである。  そんなことを話していたら、「お久しぶりです」と水色の髪を肩まで伸ばした女性が挨拶をしてきた。ヨモツ銀河ならと言うことで、トラスティが直々に指名した護衛隊長のリュースである。戦闘機人も装備しているので、宇宙空間での戦闘にも対応可能である。  にこやかに頭を下げたリュースだったが、ノブハルの顔は微妙に引きつっていた。 「おっ、おう、久しぶりだな」 「ええ、毎日がとても充実していましたからね。ちなみにですね、以前より実力もアップしたんですよ。ただ、披露出来ないのが残念と言うのか……そんなことが起きない方が良いんですけどね。航海中は、暇つぶしにサラマーをいたぶって遊ぶことにします」  ちなみにサラマーの実力は、すでにトウカがしっかりと確認済みである。ただトウカでは、リュースの比較をすることはできなかった。そのあたり、実力が違いすぎたと言うことである。そして余談になるのだが、セントリアは顔合わせの時にしっかりいじめられていた。  そんなサラマーを相手にするのが、「暇つぶし」と言うのだ。自分には理解できない世界があるのを、今更ながら思い知らされた気がした。 「ところでトラスティ様、ヨモツ銀河に戦争でもしに行くんですか?」 「この数で、かい?」  ありえないよねと笑ったトラスティに、「でも」とリュースはとても物騒なことを口にしてくれた。 「リゲル帝国の剣士達とパガニア王国の上級戦士達はやる気満々ですよ。それからシルバニア帝国のランゲ少将もやる気満々の顔をしていました」 「でも、戦争はやっぱり数だから」  だから無いと繰り返したトラスティに、「それは」とリュースは別の話を持ち出した。 「エスデニアの技術者さんなんですけどね。亜空間追跡空間接合に何の問題も出ていないと仰ってました。これで、戦士レベルならいつでもインペレーターに送り込むことができるそうですよ。それから座標さえ割り出せれば、艦隊派遣も難しくないそうです。その気になれば、10万や20万は簡単に送り込めますね」 「あ、あちらには15万の有人星系があるからね。だから、その程度の数では……」  そこまで言いかけた所で、トラスティは肩を突かれているのに気がついた。一体何がと振り返ったら、ニコニコと笑っているアリッサと目があった。 「また、私の前でイチャイチャしているんですね」 「べ、別に、イチャイチャしているつもりはないんだが……」  なあと声を掛けようとしたら、なぜかリュースの姿が消えていた。かき回すだけかき回して居なくなる所など、新たなトラブルメーカーの誕生なのかもしれない。もっとも引き起こすトラブルの規模は、元祖トラブルメーカーの比ではないのだが。 「私が挨拶回りをしている間、あなたは何をしていたんですか?」  イチャイチャですよねと繰り返したアリッサに、トラスティは謝り倒すことへ方向転回した。  イチャイチャを始めた二人からこっそりと離れたノブハルは、両親達の方へと場所を移動した。ただ不思議だったのは、リンがセントリアの背中をつついていたことだ。エリーゼまで目で促しているところを見ると、何か特別な事情があるのだろうか。  それを訝ったノブハルに、セントリアは「実は」と言って俯いた。 「あの、出来たみたいなの」 「出来たって……料理のことか?」  確か挑戦していたよなと、どうしてこんな時にと思いながら、ノブハルは思いついたことを口にした。当然のように、全員から大きなため息で迎えられることになった。そして代表するように前に出たリンは、「やっぱり常識がおかしい」と大好きにお兄ちゃんを糾弾した。 「どうしてこんな時に、料理の話をしないといけないのよ。女の子が、恥ずかしそうに「出来た」って告白したのよ。普通なら、妊娠したって考えるところじゃないの?」 「そ、そうか、俺もおかしいなと思っていた所だ。なるほど、それなら納得ができるな」  うんうんと頷いたノブハルに、リンはもう一つ釘を差してきた。 「誰のだと聞いたら、アクサに折檻してもらうからね」 「ま、まさか、いくらなんでもそれは間抜けすぎる質問だろう」  少し焦ったところを見ると、その指摘は当たらずとも遠からずと言う所だろうか。やはり大好きなお兄ちゃんは変わらないのだと、呆れるような安心するような複雑な気持ちをリンは抱いていた。 「トウカさんは芸能活動に影響が出るけど、エリーゼさんならいつでも大丈夫だからね。出発前にもう一人作っていったらどう?」 「もう一人って……いやいや、そんな時間は無いだろう」  そう答えたノブハルは、少し考えてからもう一度しっかりと首を横に振った。 「そもそも、どうしてそんな話になるのだ?」 「先を越された本妻さんの気持ちを考えたらってことよ」  その程度と笑ったリンは、さあさあとエリーゼとトウカを前に出した。 「お土産を待っていますね……嘘です。ちょっとした場を和ますジョークですから」  自分で冗談を口にして、ツッコミを受ける前にエリーゼは否定してくれた。そのあたりのボケが、エリーゼらしいとノブハルは感心していた。 「ノブハル様は、遊びに行くので無いことは分かっていますから」 「そうそう、だから余計な女の子を連れてこないように!」 「それも、場を和ますジョークと言う奴なのか?」  面白くないなと答えたノブハルに、「ジョークなら良いわね」とトウカは返した。 「何しろ、今回はセントリアがついていかないのよ。だとしたら、暇を持て余したあなたが何をするのか目に浮かぶようです。ですから、政治問題にだけはしないように気をつけてください」 「なんだ、その政治問題と言うのは……」  規定の事実のように言うのはやめて欲しい。そう懇願したノブハルだったが、集まった女性たちは少しも優しくなかった。 「ですが、年頃の女性は少ないと聞きましたよ」  その時トウカの視線は、挨拶回りをしているトリネアに向けられていた。それに気づいたノブハルは、「勘弁してくれ」と懇願をした。 「どうして、そこらじゅうで手を出さなくちゃいけないんだ?」 「そこらじゅうで手を出しているからではありませんか?」  すかさずトウカに言い返され、ノブハルは反論に詰まってしまった。ただ心の中では、「そこらじゅうじゃない」と言い訳をしていた。その中の言い訳には、「たった4人だ」と言う説得力もなにもないものまであった。加えて言うのなら、「フリーセアには手を出していないだろう」とも言い訳をしていた。ただ言い訳を考えれば考えるほど、説得力がなくなることをノブハルは気づいていなかった。  そんなノブハル達とは離れたところで、トリネア王女が挨拶回りをしていた。そのあたり、今回の出発に際して連邦の重鎮達が集まっていたことが理由である。 「数々のご配慮、ありがとうございます」  連邦理事会を代表したサラサーテに、トリネアは感謝の意味を込めて頭を下げた。それに小さく首を振ったサラサーテは、「我々のためでもあるのです」と今回の派遣理由を口にした。 「アリスカンダル事件は、これまで漠然と抱いていた問題を現実のものとしてくれました。ですから連邦としても、早急に手を打つ必要があったと言うことです。それに、あなたは遠くヨモツ銀河からお見えになった大切なお客様です。その安全をはかるためですから、ある意味当然の事をしたまでと思っていますよ」  シワだらけの顔に笑みを浮かべ、サラサーテは自分達の問題でもあると答えたのである。それに恐縮したトリネア王女は、「安全のことですが」と少し声を潜めた。 「私達の船ですが、本当に積み込んでも大丈夫だったのでしょうか? 確かに動力機関は待機状態にありますが、だからと言って安全とは言えないと思います」 「確かに、起爆条件が分かっていませんな」  トリネア王女はぼかした言い方をしたのだが、サラサーテは「起爆条件」と身も蓋もない言い方をしてくれた。流石に配慮があってもと考えたトリネアに向かって、「大丈夫でしょう」とサラサーテは軽く答えた。 「トラスティ氏が仰るには、安全のため時間停止措置を行ったと言うことです。証拠保全の意味もあるとか仰ってましたな。まあ、時間が止まっているのなら、爆発する恐れもないでしょう」 「時間停止措置……ですか? こちらでは、そんなことができるのですか?」  目を大きく見開いて驚くトリネアに、「私も驚いています」とサラサーテは返した。 「時間に関する操作は、未だ研究中と言うのが現実です。遅延や加速は実用化されているのですが、停止は実験室レベルの、かつ小規模なエリアでしか実現できていませんでした。それなのに、あのような巨大な物体の時間停止をしてしまうとは……せいぜい時間遅延ぐらいかと思っていたのですが」 「トリプルAと言いましたか? その民間企業? には、そのような飛び抜けた技術があると言うことですか」  理解が追いつかないと零すトリネアに、「開き直りが大切です」とサラサーテは笑った。 「そう言う物だと開き直り、利用することを考えれば良いのです」 「なかなか開き直るのも難しいとは思いますが……ですが、こちらに来て開き直りが必要と言うのは理解できました。単純な比較は難しいのでしょうが、普通に使われている技術にしても、私達の銀河に比べて進んでいると思います。そもそも、1万もの島宇宙が連邦を組んでいると言うこと自体、そう言うものなのだと開き直ることしか出来ないと思います」  トリネアの言葉に、確かにそうだとサラサーテは頷いた。 「そしてあなたの生まれたヨモツ銀河は、連邦外初の友人となると言うことです」 「流石に、200万光年の距離は遠いと思いますが……この旅の中で、その常識も壊されてしまいそうな気がします。その意味で、やはり開き直りが必要なのでしょうね」  ふうっと息を吐きだしたトリネアは、「私は」と目を閉じて少し顔を上に向けた。 「私は、この偶然とも言える巡り合わせに感謝しています」 「確かに、偶然としか言いようのない巡り合わせですな」  トリネアの言葉を認めたサラサーテは、「これからは」と連邦としての見解を口にした。 「偶然で結ばれた細い糸を、しっかりとしたものにしていきたいと思っていますよ」  その最初のステップが、今回の訪問団派遣となる。サラサーテの言葉を、「私も」とトリネアは認めたのだった。  そしてトリネア王女から少し離れた、そしていざとなればすぐに駆けつけられる場所で連邦の兵士が二人黄昏れていた。王女の希望と連邦軍内の押し付け合いによって、アリファールとミランダの二人が護衛として選出されたのである。 「俺達なんて、絶対に役に立たないだろう」  そうぼやいた視線の先に居たのは、リゲル帝国から派遣された100名の剣士だった。10剣聖の一人を筆頭とした剣士たちは、いずれの実力も折り紙つきと言うことだ。 「そうね、役に立つとは思えないわ」  同調したミランダの視線の先では、パガニアの上級戦士達が料理に群がっていた。その戦力を見るだけで、自分達に出番などあるとは思えなかったのだ。  だが優しい上層部は、「曹長、護衛は連邦軍の役目だ」と宣ってくれた。ちなみに派遣の決定がなされたのと同時に、二人は曹長に昇格してたと言うことだ。ちなみに2階級特進と言うのは、任務中に名誉の死亡をした際の扱いである。理由が違うとは言え、少しも喜べないと二人は考えていた。  そんな二人の所に、「何を黄昏れているんだ?」と一人の男が声を掛けた。分かっているくせにと文句を言おうと振り返った二人は、相手の姿を認めてぴんと背筋を伸ばした。連邦軍空戦隊員が未だに憧れる、キャプテン・カイトが二人の所に来てくれたのだ。 「こ、光栄であります!」  背筋を伸ばして敬礼をした二人に、「今は民間人だ」とカイトは笑った。 「それで、何を黄昏れているんだ? まあ、あんな奴らを見たら、やる気を無くすのは理解できるがな」  首を巡らせた先に居たのは、リゲル帝国とパガニアの戦士達である。いずれも化物揃いとなれば、年若い戦士が気後れするのも仕方がないと思っていた。 「一度ガツンとやってやれば大人しくなるんだがな」 「連邦最強の男と一緒にしないでください」  そんな恐ろしいことをしたら、命が幾つあっても足りないことになる。本気で許してと懇願したアリファールに、「そうか?」と少しカイトは残念そうな顔をした。ただすぐに、良いことを思いついたと手を叩いた。 「ザリア、ちょっと出てきてくれるか?」 「主は、我に何をさせようと言うのだ?」  文句を言いながら出てきたのは、デバイスと言うのを忘れてしまうほどの美しい女性である。長い黒髪に紫色の瞳をした、絶世の美女と言うのがアリファールの正直な感想だった。ただその絶世の美女が、連邦にあるどんな兵器より強力だと言うことも知っていた。 「ああ、ちょっとこいつらのデバイスを診断してやってくれ」 「お安い御用だ……と言うところなのだが。診断だけでいいのか?」  どれどれと二人を見たザリアは、すぐに「旧式だな」と自分を棚に上げるようなことを言ってくれた。 「おいおい、連邦最古のデバイスより旧式なデバイスはないだろう」  従ってカイトの突っ込みとなるのだが、もちろんザリアは綺麗に無視をしてくれた。 「制式タイプのデバイスには、バージョンアップと言うのは無いのだがな。なるほど、空陸戦装備と対艦装備を与えられたのだな。選択自体は悪くないが、これでは旧式艦でも沈めるのには苦労するだろう。あそこのならず者共を相手にするには、いささか装備としては不足だろうな」  そこまで診断したところで、「それで?」とザリアは何をすれば良いのか尋ねてくれた。 「あいつらに舐められない程度にしてやってくれないか?」 「装備を新調しても、鍛錬の違いは埋められないぞ」  そこでフムと考えたザリアは、「まあいいか」と軽く右手を振った。それに合わせて何かがザリアの指先から千切れとんだ。その何かが地面についたところで、唐突に2体の美女が現れた。そのうちの一人は、短めの髪に赤と緑のオッドアイをした美しい女性である。ただ女性的魅力を示すはずの胸元は、悲しくなるほどフラットなものだった。そしてもう一人は、美しい金色の髪と青い瞳をした女性である。少し尖すぎるきらいはあるが、もう一人に負けない美しさを持っていた。しかももう一人と違って、スタイルの方も女性的魅力を十分に発揮していた。 「ひょっとして、スフィアル様とオクタビア様か?」 「うむ、よく分かったな。帰ってくるまでの間、二人に貸し出してやろうかと思ったのだ」  初めましてと頭を下げてきた二人に、カイトは思わずううむと唸ってしまった。もしも生前の力を二人が保っていたら、確かに対人戦闘は格段に強化されることだろう。ただ本当に貸し出して良いのかと言う以前に、対外的に姿を見せて良いのかと考えてしまった。 「本当に、貸し出してやっても良いのか?」 「うむ、二人が抜けても我の力には何の影響も出ないぞ。そして二人のエネルギーだが、星の一つや二つ消したぐらいでは枯渇することはないはずだ。それに補給だったら、アクサに頼めばやってくれるだろうからな」  二人のやり取りは、すでにアリファール達の理解を超えたものになっていた。それでも理解できたことは、間違いなく非常識なことが目の前で起きていると言うことだろう。何しろ現れたデバイス2体は、近くに居るだけで並々ならぬ力を持っているのが分かるのだ。そんなものを、たかが曹長に貸し出してくれると言うのが非常識としか言いようがない。しかもIotUの妻の名を冠しているとくれば、畏れ多いと思えてしまう。 「ただアクサを見ればわかると思うが、デバイスが強力でも鍛錬の差は乗り越えられぬからな」 「そのあたりは、長い道中で訓練をすればいいだろう。この二人を選んだのも、それが目的なのだろう?」  カイトの指摘に、「あからさまだったか」とザリアは笑った。 「二人共、極限まで鍛錬されているからな。オンファス殿には劣るが、実力の底上げには十分だろう」  ザリアの答えを聞いたカイトは、「任せていいか」とスフィアルとオクタビアに尋ねた。 「ここはどーんと任せておけばよいのです!」 「微力ながら、お手伝いさせていただきます」  二人の性格の違いは、答え一つとっても理解することができる。それでも必要な答えは貰ったと、「そう言うことだ」とカイトはアリファールとミランダを見た。 「どうせ道中は退屈だろうからな。これを機会に、肉体の鍛錬をするといい」 「肉体の鍛錬……ですか」  はあっと揃ってため息を吐いた二人だが、だからと言って断れないのも分かっていた。そして手伝ってくれるのがカイトだと考えると、断ったら後から怖いと思えてしまった。間違いなく仲間たちからも、ありとあらゆる罵詈雑言が飛んで来るのが見えていた。  それでも「喜んで」と言うのを、後ろ向きの気持ちが邪魔をしてくれた。一度顔を見合わせた二人は、もう一度諦めたようにため息を吐いた。 「お気遣いに感謝いたします」  揃って頭を下げた二人に、「気にするな」とザリアが偉そうに答えた。 「たまに虫干しをしてやらないと、カビが生えてしまうからな」  カビってなんだと思いはしたが、ここで突っ込んでも意味が無いのも分かっていた。感謝しますと頭を下げた二人は、それぞれ自分に近づいてきたデバイスを見た。立場を考えれば、どちらが良いとより好みが出来ないのは分かっていたのだが、それでもアリファールは、「どちらかと言えばオクタビア様が」と胸元の違いを見て考えていた。 「私を前にして、いい度胸だと褒めてあげるのです。これで、遠慮しなくても良いのが分かったのです」  訓練が楽しみだと口元を歪めたスフィアルに、「申し訳ありません」とアリファールは腰を90度折り曲げて謝ったのだった。  任務の困難さを考えれば、来たとしても次の連絡は当分先だと思っていた。それ以上に連絡が来ない可能性の方が、高いと考えていたぐらいだった。万が一連絡が来たとしても、単なる途中経過ぐらいだと考えていた。それは、何もガルブロウだけの考えではない。上層部を含めて、初めから成果など期待していなかったのだ。  そんなことを考えていたから、ガルブロウは部下のアドバントの報告に自分の耳を疑ってしまった。 「すまんが、もう一度言ってくれないか?」  ぎしぎしとかさぶたを擦れ合わせた上司に、気持ちは良くわかるとアドバントも同情していた。何しろ連絡を受け取った自分ですら、耳を疑って何度も連絡内容を確認したぐらいだ。しかも慎重を期すために、水浴びをしてリフレッシュまで行ったのだ。そこまでして確認を繰り返しても、当たり前だが報告内容は変わってくれなかったのだ。ただ確認を繰り返しすぎたため、報告に来るまで4時間もの時間を浪費をした事実だけが残ったのである。 「トリネア王女から連絡が入りました。ほぼ同じタイミングでアリスカンダルの者がプロキオン銀河……彼らの言葉では、ディアミズレ銀河と言うそうなのですが、ディアミズレ銀河に到着し、戦闘を行った後全滅したとのことです。サンダー大王、サーシャ王女そしてワカシの3人が保護されたと言うことです。ちなみにディアミズレ銀河の者達とのコミュニケーションは、先方が翻訳機を用意してくれたそうです。結局間に合いませんでしたが、先方に犠牲者は出ていません」 「私の聞き間違いではないと言うのだな」  はあっと大きく息をしたのに合わせ、がさがさと擦れあったかさぶたが大きな音を立ててくれた。 「それで先方……ディアミズレ、銀河だったか? 何か情報らしきものは送られてきたか?」 「情報……ですか?」  20個の目を忙しく動かしたアドバントに、「これ以上何か?」とガルブロウは顔を顰めさせた。それが悪かったのか、ごとりと顔からかさぶたの一つが剥がれ落ちた。  慌ててかさぶたを拾って顔に嵌めた上司に向かって、「こちらが」とアドバントはトリネア王女が送ってきたデーターを示した。 「ありえんだろう、これはっ!」  思いもよらないデーターに慌てたせいで、今度は別のかさぶたが剥がれ落ちてくれた。慌てて拾い上げたガルブロウに、「そう思いますよね」とアドバントも同調した。 「どう考えても、1万もの島宇宙が連邦を構成している……なんてありえませんよね?」 「局部銀河群にある銀河を合わせても、50にも届かないのだぞ。1万の銀河と10億の星系で構成された連邦だと? 何をどうすれば、そんなものを信じられるのだ!」  ありえんと大きな身振りで騒いだ結果、今度はまとめて2つのかさぶたが剥がれ落ちてくれた。 「まともに考えれば、ありえない話と言うことになります。そこで可能性を考えるなら、トリネア王女の精神に異常が発生したとと言うことになるのでしょう。それだけ、2百万光年の旅は、精神的に過酷だったと考えることも出来ます」  納得できる仮説に頷いたガルブロウは、「お供が居たはずだが?」とモルドのことを持ち出した。 「お供の女性がまともでいられるとお思いですか?」 「た、確かに、揃って精神に異常をきたす可能性は高いな。だが、銀河を超えた連邦を組んでいること以外は、まともな報告書にも思えるのだが……先方から外交使節として残るのか、それとも任務完了にもとづき帰還するのかと尋ねられたとか」  それ以外の記載についても、別におかしなところは見受けられないのだ。ただ、1万もの島宇宙で構成された連邦と言うのが、あまりにもぶっ飛んでいただけのことだった。 「確かに、それ以外はとてもまともなのですが……それで、トリネア王女の扱いをどうなされますか?」 「どうと言われても……もともと、任務が終わった時点で帰還させる約束で送り出しているはずだ。従って、帰還命令を出すことになる……んだろうな」  そこで少し考えたガルブロウは、「帰ってこられるのか?」と部下に尋ねた。 「解決しなければならない問題が、2つほどあるのは確かです。その一つが、ロットリング号に帰還ルートが設定されていないことです。こちらについては、遠隔操作で設定すれば良いのですが……少なくとも、半年近くの時間が掛ることでしょう。そしてもう一つの問題は、おかしな仕掛けがないかと言うことです。ただこちらについては、確認のしようがないと言うのも問題となっています」  部下の報告に大きく頷いたガルブロウは、「帰還命令を出さないわけにはいくまい」と答えた。使者として送り込んだ以上、仕事が終われば帰ってくるのが当たり前なのだ。不確かな情報で義務を果たさないと、今度は自分たちの首が危なくなる。 「では、こちらから帰還命令を出すことにしましょう。帰還準備が整うまで、ディアミズレ銀河で待機するようにと命令しておきます。一応、半年を目処にすると知らせておきます」 「もしかしたら、それは余計な命令になるのかもしれないが……」  報告書の中には、ディアミズレ銀河ではヒューマノイド種が多数種となっていると書かれていたのだ。そして居心地もずっと良いと言うコメントまである。それを考えれば、帰ってこない方が幸せなのではと思えてしまった。だからこそ、「余計な」と言うガルブロウの言葉になる。  それを認めたアドバントは、何かを思い出したようにぽんと手を叩いた。ただ手を叩いたのだが、乾いた音ではなく、びちゃっと濡れた音がしたのはアドバントの特徴なのだろう。 「先方のコメントを一つ忘れていました。トリネア王女の派遣について、「単なるアリバイ作り」と断言してくれたそうです。どうやら、準備不足を見抜かれたようです」 「どうして、そう言う所には気が回るのだ?」  両手で顔のかさぶたを押さえながら、ガルブロウは気に入らないと文句を言った。1万もの銀河の話と合わせ、何かコケにされている気がしてきたのだ。 「どうしてでしょうね……と言う話はおいておきますが。この話を、コウバコ王家にお伝え願えますか?  責任者ですよねと言うアドバントに、ガルブロウはこれ以上ないほど顔をひきつらせた。そのせいで、ぎりぎりと言うかさぶたの擦れ合う音が、普段の5割増しで響いてくれた。  ただガルブロウにとっての問題は、役目を否定出来ないことだった。仕方がないとため息を吐いたガルブロウは、機械的に事実だけを伝えることにした。 「たぶん、どうでもいいと思われているのだろうな」 「それを否定する言葉を、私は持っていませんね」  何を今更と、アドバントは20個の目を忙しく動かしたのだった。 「迷子になっていると思ったのに」  それが、帰還命令を知らされたナニーナ王女の感想だった。 「お姉さまに、それだけ悪運があったと言うことかしら?」  そもそも不確かな実験船で、ワープ速度15を達成すること自体奇跡と言われるものだったのだ。それを難なくこなしただけでなく、当初の予定通りにプロキオン銀河へと到達してしまったのだ。それを教えられた時には、「頑張りすぎだ」と技術者たちの努力を恨めしく思ったほどだ。  それでも、プロキオン銀河の者との接触は、ずっと先のことだと高をくくっていた。何しろあてもなく飛び回っていては、どこかの惑星にたどり着くこともできなのが宇宙なのだ。さらに言えば、会話の成り立つ文明に巡り合うことなど、広い砂場の中から小麦の種を探すぐらいの難易度だ。1年か2年、ひょっとしたら10年単位で掛かるのではと考えたぐらいである。  それなのに、接触の知らせが翌日に届いてくれたのだ。ガルブロウ達ではないが、「ありえないでしょう!」とナニーナは叫んでしまったぐらいだ。  それでも、なんの準備もなしに接触して、穏便に運ぶとは思えない。そんなナニーナの考えを裏付けるように、その後の経過が全く送られてこなくなってくれた。捕らえられたか処刑されたか、そんなところだろうと考えるようになっていた。  それなのに、20日も経たないうちに「任務完了」の報告が送られてきたと言うのだ。ナニーナだけでなく、コウバコ王家の全員が、それぞれ「あり得ないだろう」と叫んだぐらいだ。 「ただ、報告書を見る限り、お姉様の正常性は疑わしいですね。下手に帰ってでも来たら、私達はお荷物を抱え込むことになってしまいます」  ロットリング号の実験データーが収集されている以上、機体が帰ってこなくても困ることはない。その意味で言えば、トリネアは「帰ってこなくても良い」ではなく、「帰ってきて欲しくない」王女となっていた。 「仕掛けが正常に働けば、絶対に帰り着くことはできないはずなのですが……」  連邦が遠隔から調べても分からないよう、完全にシステムから切り離された自爆装置を付けておいたのだ。ロットリング号が正常に航行できたことを考えれば、自爆システムが正しく作動することを期待してもおかしくはないはずだ。だが厄介事を避けるためには、念には念を入れておく必要があるだろう。 「お父様に知られると面倒ですね」  自爆装置を含め、父親のアルトリコ国王の預かり知らぬ事になっていた。そして連邦からの連絡にしても、全てナニーナが握りつぶしていたと言う事情がある。 「やはり、バレないように自爆信号を送っておいた方が確実ですね」  コウバコの技術局は、すでに彼女の共犯者となっている。指示さえ出せば、可及的速やかに自爆信号を送ってくれるだろう。そして自爆信号を送ることの肝は、父親だけでなく、連邦にもばれないようにすることだ。 「定期テレメトリ信号の送出は明後日でしたね。でしたら、必要なフラグを立ててテレメトリ信号を送出させましょう」  二重に手を打っておけば、間違っても仕損じることはないだろう。顔からフラットに表情を消したナニーナは、歩いて技術部へ向かうことにした。口頭で指示を出すのは、自分の指示が記録に残らないようにするためである。バレても大したことにはならないが、余計なミソをつけることもないと考えたのだ。  出発式の翌日、11隻で構成された艦隊は、無事ディアミズレ銀河の領域を出た。意外な足の遅さは、11隻の同期を取りながら航行したのが理由である。そのあたりは、即席船団の弊害が出たことになる。  インペレーターの広いブリッジを見渡すと、その中には30名ほどのスタッフの姿を見ることができる。今回のために用意されたベージュ色のブレザースーツを着たスタッフたちは、適度な緊張感をもって各自の業務に勤しんでいた。連邦初の試みと言う意識は、スタッフ達に高い士気を保たせていた。  ベージュの制服で統一されたブリッジに、2名の異分子の姿を見つけることができる。そのうちの一人は、一人紺色のセーラー服に、ミニスカートと言う場違いな格好をした少女である。ちなみにミニスカートと言う格好は、周りが勝手に作った彼女のアイデンティティである。そして彼女こそが、インペレーターの船長にして、今回のヨモツ銀河遠征団の航行責任者となるマリーカだった。 「ようやくクラスター化の調整が終了しました」  右手で胃の辺りを押さえながら、マリーカは隣にいるノブハルへ報告をした。つまりもう一つの異分子は、グレーのジャケット姿のノブハルと言うことになる。  マリーカの顔色が悪いところを見ると、この大役は彼女にとって不本意なもののようだ。 「胃が痛いのか? だったら、胃薬ぐらい合成してやるぞ」  気を利かせたノブハルに、「理由が違いますから」とマリーカは浮かない顔で言い返した。 「シルバニア帝国から少将閣下まで来ているのに、どうして私が全体の船長なんでしょうね」  ふっと遠くを見る目をしたマリーカに、「俺のせいじゃないからな」とノブハルは言い訳をした。 「もともとは、インペレーターだけで行くつもりだったのだ。だから追加の100隻は、おまけの扱いになるな。トリプルAが請け負った仕事だから、責任をシルバニア帝国に投げる訳にはいかないと言うことだ。それにトラスティさんによれば、こう言ったときには家柄が物を言うそうだ」 「家柄って……私は艦隊なんて指揮したことがないんですけど」  胃を抑えながら大きく息を吐き出したマリーカは、少し表情を引き締めて通話ボタンを押した。いくら愚痴を口にしても、なにも状況が変わらないことは分かりきっていたのだ。そして余計なことに時間を使っていると、それだけで自分の首を絞める事になるのも分かっていた。 「これよりカウントダウンの後、ヨモツ銀河へ向けて加速を開始します」  いよいよ、船団をクラスター化をした効果が発揮されることになる。すべての艦の動力機関をその手にした機関士のトーマスに向かって、マリーカは出発のカウントダウンを指示した。 「はい船長、これより10のカウトダウン実施の後、第一巡航速度へ加速します。10、9、8……」  前方のスクリーンには、クラスター化された各艦の動力機関の情報も表示されていた。いずれの動力機関も、インペレーターに合わせて出力を上昇させていた。 「2、1、0 加速開始っ!」  トーマスは加速と言ったが、前方スクリーンにはなんの変化も見られなかった。ディアミズレ銀河の外に出たことで、見える範囲に恒星がないことがその理由である。  ちなみに今回の加速では、光速の10万倍まで加速する予定になっていた。 「第一巡航速度に到達しました。クラスター状態に異常なし。各艦との連動にも異常は出ていません」  トーマスの報告に頷いたマリーカは、新たな命令を発した。 「同じくカウントダウンの後、再加速を行います」 「カウントダウンの後、第二巡航速度へと加速します」  復唱したトーマスは、再度カウントダウンを実施した。そしてそれが0となったところで、クラスター化された船団はまとまって再加速を実施した。この加速で、光速のおよそ1000万倍に達することを目標としていた。この速度に達すれば、200万光年の距離も2ヶ月と少しで到達することが可能となる。 「第二巡航速度に到達しました」 「では、命令があるまで速度を維持することっ!」  きつい口調で命令を出したマリーカだったが、すぐに右手を胃のあたりに当てた。 「多層空間制御を確認しなさい!」  加速が成功すれば、次なる課題は多層空間の連続制御と言うことになる。 「現時点で、多層空間の連続接合に乱れは出ていません!」  技術士官モトコの報告に頷いたマリーカは、「ノブハル様」と隣で見守っていたノブハルに向き合った。 「24時間の確認の後、第三巡航速度へと移行します。宜しいでしょうか?」 「第三巡航速度は……確か、光速の1億倍だったか?」  確認をしたノブハルに、マリーカは「その通りです」と答えた。 「安全係数から割り出された、最高巡航速度と言うことになります。この速度で巡航できれば、ヨモツ銀河までおよそ1週間強で到着できます」 「200万光年の距離を、わずか1週間か……」  その気になれば1ヶ月もかからないとは考えていたが、まさか1週間で200万光年を超えられるとは考えてもいなかった。流石に凄いなと感心したノブハルに、「理由があります」とマリーカは答えた。 「途中に、ほとんどなにもないと言うのがその理由です。ただ前方に亜空間衝撃波を発生しますので、ヨモツ銀河のかなり手前で速度を落とす必要があります」 「亜空間衝撃波だと?」  少し難しい顔をしたノブハルに、「亜空間衝撃波です」とマリーカは繰り返した。 「具体的問題は、前方10万光年で亜空間航行ができなくなることです。ヨモツ銀河に影響を与えた場合、使用している亜空間バブルが弾け飛ぶことになるでしょう。したがって、30万光年ほど手前で第二巡航速度に速度を落とす必要があります」 「銀河系内では、使用できない速度と言うことか」  そんなマネをしたら、光速通信も不通になることだろう。影響の大きさに、超高速航行がいかに乱暴なものかをノブハルは理解した。 「確か、多層空間の連続制御に問題は出ていないと言う話だったな?」 「はい、その通りですっ!」  姿勢を正したまま答えるマリーカに、「楽にしていい」とノブハルは指示した。 「アルテッツァ、そちらとは繋がっているのか?」  多層空間接続に問題がなければ、シルバニア本星にあるアルテッツァを呼び出すことができるはずだ。そのつもりで呼出したノブハルに、「現時点では」とアルテッツァがその姿を現した。今日のアルテッツァは、周りと同じベージュの制服姿をしていた。ただ女性クルーがスラックスを穿いているのに、アルテッツァは短めのスカートを選んでいた。 「ヨモツ連邦に対して、こちらから通信を送ることは可能か?」 「現時点では、できないと言うのが答えになります。理由は、ヨモツ連邦側に受信設備がないことが理由です。ヨモツ連邦と連絡を取る場合、お手数ですが一度通常空間に復帰して頂く必要があります」  それを受け取ったノブハルは、「船長」と隣に立つマリーカに声を掛けた。 「ヨモツ銀河到着1日前に、通常空間から連絡を入れることにする」 「1日前で宜しいのでしょうか?」  つまり、ぎりぎり直前まで連絡を送らないと言うのだ。それを確認したマリーカに、「1日前だ」とノブハルは繰り返した。 「ヨモツ銀河に到着しても、そこからコンタクト先まで最低1日は必要だろうからな。なに、2日もあれば簡単な受け入れ準備ぐらいはしてくれるだろう」 「かしこまりました。ヨモツ銀河到着1日前に、通常空間へと復帰いたします!」  そこで敬礼を決めたマリーカは、航宙士のコロンバスにスケジュール作成を命じた。 「はい船長、リスケを実施いたしますっ!」  命令を復唱したコロンバスは、「皇夫命令」を口にして全艦へスケジュールの変更を伝達した。 「ヨモツ銀河到着は、現時点より287時間後となる。繰り返す、ヨモツ銀河到着は現時点より287時間事なる。以上だ」 「およそ、12日間の航行と言うことになる訳です」  マリーカの説明に、ノブハルは小さく頷いた。そしてマリーカを見て、「同行してくれ」と新たな指示を出した。 「これから、トリネア王女に行程の詳細を説明する」 「はい、お供いたしますっ!」  この場において一番偉いのはノブハルなのだが、トリネアは別の意味で重要な乗員ということになる。それを考えれば、船長自ら説明に赴くのは不思議なことではなかったのだ。  「船長でます」の声を背に、マリーカはノブハルを先導してインペレーターのブリッジを出ていった。  開き直りの必要性は分かっていても、簡単に開き直れれば誰も苦労などしないだろう。そしてその事情は、トリネア王女にも当てはまっていた。  インペレーターに用意された貴賓室は、ローエングリンに劣るとは言え立派なものに違いなかった。ただ長命種を基準に作られているため、広さだけはローエングリンの倍ほどあった。その広い貴賓室で過ごすのは、良い意味で質実剛健、悪い意味で質素そのものの環境で育ってきた者にとって、居心地の悪いものとしか言いようのないことだった。  それでも言えるのは、インペレーターの貴賓室の豪華さは、トリネアの憂鬱さの本質的な理由ではないと言うことだ。若草色のツーピースを着たトリネアは、くつろぐこともできずに豪華なソファーに座っていた。 「トリネア王女様、ノブハル様が船長と行程説明にお出でになられるとのことです」  トリネアに声をかけたのは、同じくベージュ色の制服を着たアリファールである。結局トリネアの護衛は、連邦軍から派遣された二人が行うことで落ち着いていた。報告の声が硬いのは、彼ら自身極度の緊張状態に置かれたのが理由になっていた。 「説明……ですか」  かなり表情を固くしたトリネアに、アリファールはコクリと頷き同意を示した。 「情報では、現時点で光速の1000万倍に達したとのことです。24時間後には、更に加速をして光速の1億倍に到達するとのことです」 「光速の1億倍……ですか」  はあっとため息を吐いたのは、彼我の技術差を見せつけられたからに他ならない。光速の400万倍……すなわちワープ速度15に到達するのに、ヨモツ銀河では大げさな実験船を仕立て上げなければならなかったのだ。それに引き換えこちらの銀河では、通常運用されている船が簡単に超えてくれると言うのだ。しかもヨモツ銀河では、今の光速の1千万倍でも理論上不可能とされていたぐらいだ。ましてや光速の1億倍など、誰も考えたこともない速度だった。しかも11隻の船団が、一糸乱れぬ統率のもと動いていると言う。 「文明の違いを見せつけられた気持ちになってしまいます。私達が半年以上掛けた距離を、こちらでは本当に1ヶ月も掛けずに踏破してしまうのですね」  そこでぐるりと首を巡らせたのは、実現する環境を確認しているのだろう。この中にいる限り、速度を意識することがなかったのだ。それこそ出発して以来、トリネアの置かれている環境に変化は出ていなかった。置かれた環境だけを持ち出すなら、ネビュラ・ミレニアムでの旅と差が見つからなかった。 「正直申し上げると、私達も驚いているところです……」  超銀河連邦に属していても、ここまでできるとは想像もしていなかったところがある。その意味で、「驚いている」とアリファールが答えるのも不思議なことではなかった。  そうやってアリファールが間をもたせていたところで、「お出でになられました」とミランダが割り込んできた。 「お通ししてもよろしいですか?」 「は、はいっ!」  思わず背筋が伸びてしまうのは、トリネアの緊張の現れだろう。それと同じぐらい緊張したミランダは、ぎこちなく扉を開けて「こちらに」と3人を案内した。なぜ3人かと言うと、本来いないはずのスタークが、にこやかな笑みを浮かべて加わっていたからである。そのお陰で、アリファールとミランダは、背中が反りくり返るほど緊張の度合いを深めていた。 「トリネア王女様には、出発式典でご挨拶させていただきましたな」  緊張をほぐすように、スタークはにこやかな笑みを浮かべて先頭で入ってきた。そのお陰とも言うのか、トリネアの緊張は若干緩んだように見えていた。そのあたりの対応は、経験の為せる技と言うことになる。 「はい、確かに式典でご挨拶させていただきました……」  そう答えたトリネアだったが、少しだけ引っかかりを覚えていた。それが何だったかを考えたところで、挨拶のときに言われたことを思い出した。 「確か、今回はご同行されないと伺った記憶があるのですが。予定が変わられたと言うことですか?」  ここにこうしてスタークがいる以上、式典時点と予定が変わったことになるはずだ。それを指摘したトリネアに、スタークはにこやかな笑みを浮かべながら、彼女の常識から外れたことを口にした。 「いえ、先程までズミクロン星系に居りましたよ。そしてこのあと、ズミクロン星系に戻る予定です」 「先程までズミクロン星系にいらっしゃった?」  その意味が理解できず、トリネアは少しだけ首を傾げた。その理由を理解したスタークは、早速種明かしをすることにした。 「実のところ、ズミクロン星系センターステーションとインペレーターは、追跡空間接続技術によって結ばれています。この接続が有効な限り、両者の行き来は自由なのです。したがって私は、歩いてインペレーターへと移動してきた次第です」 「歩いて……ですか」  そこで大きく息を吐き出したトリネアは、「常識が狂うことばかりです」と心情を吐露した。 「こう言うものだと開き直れれば良いのですが……流石に、私の許容量を超えています」 「そのお気持ちは、理解できるつもりでいますよ」  小さく頷いたスタークは、「ご説明を」とマリーカに指示を出した。全体行程の説明は、やはり船長の役目に違いなかった。  少し緊張した面持ちで頷いたマリーカは、説明しますとトリネアの顔を見た。 「およそ2時間ほど前に、当船団はディアミズレ銀河の領域を出ました。そこから2度の加速を経て、現在光速の1千万倍の速度に到達しています。すでに2千光年ほど移動したのですが、この速度で多層空間接続の連続接続制御の確認を行っています。その他の確認も含めて、およそ22時間後に終了の予定です。そしてその1時間後に再度加速を行い、光速の1億倍の巡航速度へと達することになります。そしてヨモツ銀河到着1日前に実空間へと復帰し、そこから再加速をしてヨモツ銀河へと進入することになります。全体の行程として、そこまでおよそ12日となります。その後は速度を落とし、指定の宙域へと向かいます」 「……わずか、12日ですか」  具体的に日数を教えられると、移動の速さが現実のものとして感じられる。同じ銀河内で移動するより短い時間に、トリネアは感心する以上に理不尽なものを感じていた。これだけ短い時間で移動できるのなら、どうして今まで自分たちの銀河に来てくれなかったのか。ディアミズレ銀河でいい目を見ただけに、そのことに不満を感じてしまったのだ。 「ええ12日です。ただ、かなり無理をしていると言うのは確かですね。その意味では、この速度も実験的な意味合いが大きくなっています」  トリネアの感情の機微など分からないので、マリーカは「わずか12日」と言う部分だけに反応した。その中にあった「実験的」と言う言葉に、トリネアは少し安堵を感じていたりした。技術差が大きいのは見せつけられていたが、それでも光速の1億倍と言うのは法外な速度だったのだ。それを平然と叩き出せると言うのは、いくらなんでも凄すぎだろうと思っていた。 「やはり、今回の移動は実験の要素を含んでいるのですね」  少し緊張を緩めたトリネアに、「今まで必要ありませんでしたから」とマリーカは答えた。 「超長距離の高速移動は、多層空間接続が一般的になっていましたからね。だから、こんな乱暴な方法は必要なかったと言うのか……だから、環境への影響が机上検討でしか無いんです。今のままでスピードを上げても、そうですね光速の5億倍が限界でしょうか。それを超えると、自分の作った亜空間バーストに突入してしまうんです。その場合、最悪船体が破損することになります。1億倍と言うのも、亜空間バーストの規模を考慮して定められた最高速度になっています。それでも、前方10万光年の範囲に影響を与えるのが予想されています」 「……本当に、大丈夫なのでしょうか?」  前方に影響を与えると言われると、自分の銀河のことが心配になってしまう。それを持ち出したトリネアに、「だから1日前に減速するのです」とマリーカは答えた。 「理論的には、それで亜空間バーストは消滅するとされています。理由は、バーストを維持するエネルギー供給が断たれるから……らしいのですが。それ以上の詳しいことは、専門ではないので説明しかねます」  申し訳ありませんと謝られたトリネアは、行きの勉強が易しかったのだと理解をした。眼の前に数式を出して説明をしてくれたのだが、何一つとして頭の中に入ってきてくれなかったのだ。どこで頷いていいのか分からないと言うのが、トリネアの置かれた状況だった。 「いえ、すでに私の理解を超えたところにあると言うのか……」  少し遠い目をしたトリネアは、「一つだけ分かったことがあります」とマリーカの顔を見た。 「私達は、宇宙のことを何も知らなかったと言うことです」 「流石に、それは言い過ぎのような気もしますが……」  まともに考えれば、外銀河のことを知っている方がおかしいのだ。更に言うのなら、多層空間認識などと言う反則技もおかしいとしか言いようがない。それ以外のことに関して言えば、ただ単に技術の発達具合が違うと言うだけのことでしか無いはずだ。  ううむと考えたマリーカを見たスタークは、「状況の違いですな」と割って入った。必要な説明は済ませたので、ここから先はお客様との歓談と言うことになる。 「大出力の動力機関を用いた超光速航行技術と言うのは、およそ1千ヤー前に確立していました。ただ超銀河連邦に属する星系でも、その実現方法はまちまちと言って良いものでした」  穏やかに笑みを浮かべながら語るスタークに、真似できないなと隣でノブハルは感心していた。 「その一つが、ジュエル銀河と呼ばれる私達の銀河で生まれた方法です。超重力場を形成して空間湾曲を行い、2点間をショートカットする方法です。そのため、移動する先の情報が必要になってきます。ちなみに高次空間を利用しているため、エスデニアで行われている移動方法に干渉したと言う記録が残っています。そしてもう一つが、天の川銀河で多用された亜空間を用いるものです。こちらはバブルを利用するのではなく、亜空間そのものを利用する方法です。今回の移動について言えば、この方法の拡張版と言えるでしょう。自身を亜空間バブルで包み、そのまま亜空間への入り口を開いてその中に入っていきます。理論的には制限速度はなくなるのですが、先程船長が説明した通り、速度に応じたバーストが発生します。それが、最高速度を決めるファクターになっています。ただ詳しい論理が分からなくても、そう言うものだと思っていただければ結構です」  スタークの説明に、トリネアは「はあ」と心許ない返事をした。軽く苦笑を浮かべたスタークは、「そして」と言って唯一無二の技術を持ち出した。 「エスデニアで用いられた移動方法は、高次空間認識による多層空間を利用したものです。これは、エスデニアの住人が、高次空間を認識できたことから生まれた移動方法です。彼らは高次空間を認識し、その先に自分達の世界と似た世界を見つけていました。そのため、保有している技術力に比べて、宇宙に出るのはかなり遅くなっていました」 「高次空間認識による多層空間を利用した移動方法……ですか?」  思わず首を傾げたトリネアに、「簡単に言うと」とスタークは一枚の紙を取り出した。なぜそんなものを用意している。トリネアとは別の理由で、ノブハルは首を傾げていた。 「この2地点を移動する通常の最短は、両者を結んだ直線状を移動することです。これは亜空間を利用した移動でも、速度の違い以外は同じ方法をとっています。ですがもっと早く移動するには、こうして紙を曲げてやればいい。そうすれば、直線距離は先程より格段に短くなります。そして紙から離れ、こことここの間を跳躍してやればいいのです。それが、先程説明した空間湾曲による方法です。ある意味、力づくでホワイトホールを作るものと考えればいいでしょう」 「そんな事ができるのですね」  先程よりは分かりやすいなと思いながら、トリネアはスタークの説明に耳を傾けた。 「お気づきかと思いますが、一番距離が短くなるのは、2点間をくっつけた場合です。こうすることで、移動距離を0とすることができます。そうなると問題は、私達が認識している空間から別の空間へどうやって移動するのかと言うことです。エスデニアの民は、それを高次空間認識と言う方法で解決しています。彼らの説明では、類似性の高い空間ほど距離が近いらしいのですが……流石に、私にはその空間を認識することはできません。したがって、らしいとしか説明のしようがないのですよ。私のご先祖様には、その認識を得た者もいたとは聞かされていますがね。残念ながら、私には遺伝しなかったようです。現在我々の連邦では、この技術はエスデニアとエスデニアから袂を分かったパガニアが管理しています」 「それだけ、特別な技術と言うことなのですね」  詳しくは分からないが、とてもすごい技術だと言うことだけは理解できた。何度も頷いたトリネアに、「凄いのは確かですね」とスタークは笑った。 「そのお陰で、私もここから歩いて家に帰ることができますよ」 「そう聞かされると、ますます凄いとしか言いようがありません」  ふうっと息を吐き出したトリネアは、「だからなのですね」と分かりにくい言葉を発した。 「だからと仰るのは?」  それを尋ねたスタークに、「ノブハル様から質問を受けたことです」とトリネアは答えた。 「最初に質問をされたのは、確かヒアリングでおいでになったケイトさんでしたね。使命を果たして国に帰った後、私が何を希望するのかと言う質問でした。その時は、どうしてそんな意味のないことを聞かれるのかと思いました。もしも交流が始まったとしても、ディアミズレ銀河との間には200万光年の距離が横たわっているのです。私がディアミズレ銀河に行くことを希望したとしても、簡単には実現できるとは思いませんでした。ですが多層空間制御……ですか? それで私達の銀河と結ばれてしまえば、隣の星系に行く程度の手間でディアミズレ銀河にまで行くことができるようになるのですよね。だとしたら、ケイトさんの質問にも意味があることになります」 「確かに、空間ゲートを開設すれば、両者の距離は0に等しくなりますな」  トリネアの言葉を認めたスタークは、「お役に立てましたかな?」と問いかけた。それに大きく頷いたトリネアは、「よく考えてみることにします」とはっきりと答えた。 「さほど多くの時間は残されていないのでしょうが、それでも十分に考える時間はあるのかと思います。ディアミズレ銀河を訪れ、私がどう感じたのか。そしてどんな希望を持ったのか、それを見つめ直してみたいと思います」  そう語るときの表情を見れば、トリネアの気持ちなど手に取るように分かってしまう。なるほどと頷いたスタークだったが、答えを迫るような無粋な真似はしなかった。彼女が希望を語る相手は、自分達ではなく彼女を送り出した世界なのである。 「では、お許しをいただければ、私はディアミズレ銀河にある家に帰りたいと思います」 「本日は、私のためにお時間をいただきありがとうございます」  立ち上がったトリネアは、スタークに向けて深々と頭を下げた。それに頭を下げ返したスタークは、マリーカたちに目配せをしてから部屋を出ることにした。ただ部屋を出る際に、緊張した護衛二人に声を掛けるのを忘れてはいなかった。 「アリファール君にミランダ君だったね。君たちは、とても貴重な体験ができる幸運に恵まれたことを忘れないでくれたまえ。そしてこの経験が、君たちのためになってくれることを期待しているよ」 「お声がけいただきありがとうございます!」  退役したとは言え、スタークは連邦軍元帥を勤め上げた人物なのである。そして連邦内でも名高い、御三家の筆頭にいる人物でも有ったのだ。そのスタークから直々に声を掛けられたとなれば、下っ端の二人が感激するのも無理のないことだった。  今まで以上に緊張した二人に向かって笑みを浮かべ、「頑張り給え」とスタークは残して部屋を出ていった。そしてスタークに遅れて、ノブハルとマリーカもトリネアの部屋を出ていった。  超銀河連邦初の試みに隠れる形で、今回のヨモツ銀河遠征には幾つかの政治的動きが行われていた。そしてその一つとして挙げられるのが、アルテルナタ王女がスタッフとして帯同したことだろう。  アルテルナタ王女にくだされた判決は、禁錮2年と言う重ねた罪に比べればとても軽いものだった。その辺り、一国の王女に対する政治的配慮が働いたと言われていた。半ば脅迫で罪を認めさせたことも、刑期を軽減させる理由にもなっていた。  だがアルテルナタにしてみれば、その辺りの配慮は余計なお世話と言うのが正直な気持ちだった。当たり前だが、連邦の刑期を終えても彼女は放免はされないのだ。そして連邦のあとに待っている祖国が、アルテルナタにとっては問題でしかない。間違いなく、祖国は彼女に対して厳しい刑を課してくるはずだ。それを理解しているアルテルナタは、自分の刑期を延ばすことを条件に派遣団への参加を認めたのである。そしてこの裏取引を成立させたのは、やはりと言うのかトラスティだった。その辺りの裏取引は、当然のようにノブハルの知らないところで行われていた。  ちなみに名前がアルテルナタのままでは問題だと、乗員名簿には異なる名前が記載されていた。そして特徴的な銀色の髪も、目立たないように茶色に染められていた。 「真面目に働いているようだね、ユーノ」  スタークが顔を出すぐらいだから、どうしてトラスティが現れないと考えられるだろうか。そしてその通り現れたトラスティは、ノブハルを避けるようにアルテルナタのところに来ていた。まさにぶらりと言うのがふさわしいように、トラスティは白のセーターに緑色をベースとしたチェックのスラックスを穿いていた。  一方アルテルナタは、訪問団の制服であるベージュのブレザースーツ姿をしていた。もちろん下は、ミニスカートではなくスラックスを穿いていた。ちなみにインペレーターの乗員名簿への記載は、アルテルナタではなく「ユーノ」とされていた。 「刑期を減らされてはかないませんので」  だから真面目に仕事をしているのだと。トラスティから目を背けながら、「立場は分かってます」とアルテルナタは答えた。  彼女の役目を考えた場合、計器を見ている必要はない。ブリッジから少し離れたところに座り心地の良いソファーが用意され、そこでブリッジ内を観察するのことになっていた。ちなみに光速を超える航行をしているため、インペレーター外部の未来視は事実上不可能となっていた。そのためユーノことアルテルナタは、乗員の反応を通して未来を見ていた。  普通とは逆のことを口にしたアルテルナタに、トラスティは小さく頷いた。 「君の場合、釈放されたら命に関わるからね」  そのあたりのことは、女王フリーセアがノブハルに話をしていたことでもある。王国の事情を考えれば、引き渡された時点で極刑が課せられても不思議ではない。  アルテルナタの事情に理解を示したトラスティは、もうひとりの関係者の名前を上げた。 「ノブハル君は、君のところに現れたのかな?」  未来視の研究は、ノブハルに与えられたテーマの一つになっていた。それを考えれば、暇な時間にアルテルナタのところに現れても不思議ではないはずだ。だがアルテルナタは、小さく首を振ってそれを否定した。 「あの方が、私のところに現れることはないでしょう。少なくとも、今から10日の範囲でこの場に足を踏み入れることはありません。そもそも、私の存在に気づいていないはずです」 「確かに、彼には教えていなかったな」  あははと笑ったのは、その時の面倒に想像がついたからだろう。そしてアルテルナタも、教えないと言う選択に理解を示した。 「真っ直ぐなお方のようですから、私に気づいたら騒がれることでしょう」 「まあ、彼は純粋なところがあるからなぁ……」  少し遠くを見る目をしたトラスティに、「そう思います」とアルテルナタも認めた。 「その意味では、フリーセアにお似合いだと思います」 「本人は、全力で否定するのだろうけどね」  くっくと笑ったトラスティに、「無駄な抵抗です」とアルテルナタは答えた。ただその首筋は、どう言う訳か赤くなっていた。 「ところで、今日はそんな話をするためにおいでになられたのですか?」  ただ単に様子を見に来るにしても、自分のところに顔を出す理由には欠けている。それを質したアルテルナタに、「見えているんだろう?」と答えてトラスティは彼女に近づいた。その途端に、アルテルナタは大きくうろたえてくれた。 「え、えっと、見えてはいるのですが……目的までは分かりませんので」  首筋の赤さが頬にまで広がったアルテルナタは、恥ずしいのかトラスティから顔を反らした。そんなアルテルナタに近づいたトラスティは、右手をそって彼女の首筋に当てた。トラスティの手が触れた瞬間、アルテルナタの体はビクリと震えた。 「保険を掛けに来た……とでも思ってくれればいい」  そうトラスティが耳元で囁いた直後、アルテルナタの首に艷やかな黒い紐が巻き付いた。ビロードのような輝きをした、金のアクセントが付いた細い布製のチョーカである。 「これ、は?」  少し息を荒くしたアルテルナタに、「所有の証かな」とトラスティは返した。 「特になんの仕掛けもない、チョーカーと言う名のアクササリーだよ。外そうと思えば、とっても簡単に外すことができるものだよ」  「ただ」とトラスティは、アルテルナタの首に手を当て正面から彼女の顔を見た。 「僕のものと言う印になっているんだ」 「私は、あなたのものなのですか?」  艶を含んだアルテルナタの問いに、「君が外さない限りはね」とトラスティは答えた。 「僕のものになるのが嫌なら、遠慮なく外してくれていいんだよ。外したとしても、連邦との司法取引には関係しないからね。それを聞いて君は、どんな選択をするのかな?」  ゆっくりとトラスティが離れたところで、アルテルナタは「あっ」と小さな声を出した。 「どうかしたのかな?」  離れたまま近づかないトラスティに、アルテルナタは上気した顔を向けた。 「こ、答えは決まっているんです。決まっているんですけど、どう答えていいのか分からなくて。それを見ようとしたのに、形になって見えてくれないんです」  未来視が精神状態に影響を受けるのは、すでにノブハルが確認したことだった。そしてフリーセアより能力の高いアルテルナタでも、その制限から逃れることはできなかった。裏を返せば、トラスティがそれだけ彼女の心をかき乱したと言うことになる。 「だったら、自分の気持を正直に答えればいいんだよ」  もう一度近づいたトラスティは、アルテルナタの頬に手を当てた。ふるっと震えたアルテルナタは、少し首を傾けて目を閉じた。 「こ、このチョーカーを付けている限り、私はあなたの所有物なのですね?」  少し早口で問いかけたアルテルナタの耳元に顔を寄せ、「僕のものだよ」とトラスティは囁いた。その言葉に震えたアルテルナタは、思いの丈をぶちまけた。 「い、一生、外さないことを誓いますっ!」 「それが、君の望みだと思っていいのかな?」  耳元で囁かれ、アルテルナタは何度も頷いて見せた。 「今この瞬間、僕たちの間で契約は結ばれた。アルテルナタ、君は一生僕のものだよ」 「わ、私は、一生トラスティ様の所有物ですっ」  叫ぶように答えたアルテルナタは、「ご命令をっ!」とトラスティに命令を乞うた。所有物なのだから、主の命令に従う必要がある。そして命令を受けることが、所有物にとっての幸せになるのだと。 「僕は君に命令なんかしないよ。ただ、お願いはするかもしれないけどね」  この場において、その2つにどんな違いがあるのか。だが頭に血が上ったアルテルナタには、大きな違いがそこには有った。 「で、でしたら、その願いを私が叶えてみせますっ!」  命令に従うのと願いを叶えるのでは、雲泥の差があるとアルテルナタは思っていた。  そんなアルテルナタに、「無理をする必要はないよ」とトラスティは囁いた。 「ディアミズレ銀河に帰ってくるまででいいから、ノブハル君を守ってあげてくれないかな?」  司法取引の条件を持ち出され、アルテルナタは逆に拍子抜けをしていた。もともと自分の身を守るために、このミッションを成功させることを考えていたのだ。 「ですが、それでは司法取引の条件と同じではありませんか?」  それを持ち出したアルテルナタに、「それは違う」とトラスティは返した。 「一番大きな違いは、誰のためかと言うことだよ」  そうだろうと問われ、アルテルナタは何度も頷いた。確かに司法取引は、自分のためにしたものなのだ。だがトラスティの願いを叶えることは、彼のための行為となる。アルテルナタにとって、トラスティに尽くせると言うのは体が震えるほどの喜びに感じられた。 「こ、この身に代えてもお守りしてみせますっ!」  そのためなら、自分の命すら惜しくないと思えたぐらいだ。だがそれを口にしたアルテルナタに、それではだめだと答えてトラスティは唇を重ねた。そして右手は、制服の上からアルテルナタの胸に当てられた。 「僕は、そんなことを望んじゃいない。言っただろう、君は僕のものだとね」  もう一度唇を重ねたトラスティは、そのままアルテルナタの体を座り心地の良いソファーへと押し倒そうとした。だがいざと言うところで体を起こし、ぐるりと辺りを見渡した。今更気づくのも何なのだが、この場所からブリッジの様子が良く見えたのだ。 「流石にここは不味いか……」  少しだけ考えたトラスティは、指で8の字を書いて別の場所と空間を接合した。  単なる説明と男女間の秘め事では、かかる時間に違いが出るのは当たり前のことでしかない。自分よりもかなり遅く戻ってきたトラスティを捕まえ、「女性の敵だな」とスタークは皮肉をぶつけた。 「男性の目から見れば、そう言うことになるのでしょうね」  少し目元を引きつらせたトラスティは、「ノブハル君が悪い」と責任をノブハルに放り投げた。 「もっとも、僕も報復は好きじゃないんですけどね」 「私が抗議したとき、因果応報と躱された気がするのだがね」  そう言って口元を歪めたスタークは、「IotUに近づいたな」とトラスティの女性関係を論った。 「あー、まあ、そう言われるのは覚悟していましたけどね」 「しかし、よくも複数の女性と折り合いをつけられるものだ」  今度ははっきりと笑ったスタークに、「逆に複数だからですよ」とトラスティは答えた。 「そして折り合いをつけているのは、実は彼女達の方なんですよ。僕の女性関係は有名ですから、彼女達もそれを前提に考えているんです」  その説明に、スタークはなるほどと納得を示した。 「君の華麗なる女性関係が、逆に女性達を惹きつけると言うことか」  お相手が錚々たる面々と言うのが、逆にステータスになると言うのである。流石に否定できないと、トラスティは曖昧な笑みでそれをごまかした。 「彼女の場合は、未来視が影響したのは確かですね。軽くキスをする程度の未来が、妄想を加えて彼女の中で正帰還を起こしたようです」 「そうなるのが分かっていて利用したと言うのなら、やはり君は女性の敵なのだよ」  トラスティを女性の敵と決めつけたスタークは、「順調なようだ」とプロジェクトの話を持ち出した。 「もっとも、こちらは技術的問題はないと言われていたのは確かだがね」 「ええ、シルバニア帝国とレムニア帝国双方が保証してくれましたね」  技術的に、両帝国は連邦内ではトップの技術レベルを持っていたのだ。その双方からお墨付きが出た以上、技術的問題がでるとは考えにくかった。  その意味で、ヨモツ銀河にたどり着くところまでは問題がないと言えるだろう。ただそこからは、考え方の違う相手との切った貼ったのやり合いとなる。駆け引きと言う面では、ノブハルは経験不足としか言いようがなかったのだ。  ちなみに連邦には、外交を行う部局は存在していない。各星系にとっては外交でも、連邦にしてみれば「内政」になると言うのがその理由である。その意味で言えば、今回のイベントは連邦設立1千ヤーにして初の外交案件ということになる。 「そうなると、次の問題は外交ですか」 「連邦は、ジンサイト星系から大使を派遣することにしたよ。ジンサイト星系を選んだ理由は、理事のパッパジョン氏がいることも大きいが、見た目が我々と違っているのが最大の理由となる」  トリネア王女の情報が正しければ、ヨモツ銀河ではヒューマノイド種は少数種になっていたのだ。今回の人選は、それを意識したものと言うことになる。 「流石に、ノブハル君に外交をさせる訳にはいきませんからね」  丁々発止のやり取りもそうだが、嘘ぐらい平気でつけなければ外交官など務まらない。アルテルナタをして「純粋」と言わしめたノブハルだから、本音を薄衣でかぶせた嘘を吐けるとは思えなかったのだ。 「もっとも、今回は力強い味方を連れてきましたが」 「それが、アルテルナタ王女と言うことかな。先の展開が見えると言うのは、話し合いにおいて有利なのは間違いないだろうな」  アルテルナタの意味を認めたスタークは、だからなのかとトラスティの動きを理解した。初めての試みで失敗が許されない以上、できる限りの手を打っておくのはおかしなことではない。 「その意味で、彼女が手駒にいると言うのはありがたいな」 「ただ、外向けには隠す必要がありますけどね。クリプトサイトもそうですが、ディアミズレ銀河の反応にも気をつけなくちゃいけない。何しろ彼女は、大勢の命を奪ったテロリストですからね」  アルテルナタを利用する問題に、スタークは「確かに」と頷いた。 「能力は表沙汰にせず、見た目と名前を変えたと聞いているが?」 「加えて、収監中の素行不良で刑期が延びたことにしてあります。先のことは、まあ、その時に考えますよ。もちろん、ノブハル君には内緒にしておきますけどね」  なるほどと頷いたスタークは、「知らなかったことにしておこう」と自分は無関係であることを主張した。 「責任を全部押し付けてくれますか……と言うのはいいんですけどね」  苦笑を浮かべたトラスティは、「フリーセア女王とは交渉しますよ」と正面突破の話も持ち出した。 「餌は、ノブハル君かな?」 「おそらく、それが一番効果的でしょうね」  それだけで済まないのは承知していたが、トラスティにはフリーセアを首を縦に振らせる方策があった。そして政治的と言う意味では、フリーセアの方が扱いやすいと思っていたぐらいだ。 「彼女のことは、今後の課題としましょうか」 「急ぐ話でないのは確かだな」  うんと頷いたスタークは、「今回の落とし所は」と訪問団の成果を持ち出した。 「双方の安全保障並びに緩やかな交流の開始と言うところでしょうか。面白味のない話だとは思いますが、連邦設立以来初のことだと思えば、それだけでも意味があるのでしょうね」 「ああ、今回はこれ以上トラブルが起きようもないからな……いやいや、まだトリネア王女の話が残っていたはずだ。ロットリング号の仕掛けは、トラブルの種になるのではないのかな?」  コウバコ王家の問題を持ち出したスタークに、「ヨモツ銀河側の問題ですよ」とトラスティは笑った。 「僕たちは、動かぬ証拠を持っていくだけのことです。それにしても、彼らが余計なことをしなければ、表沙汰にならずに消えていく問題でもあるんですよ。トリネア王女にしても、もう実家のことはどうでもいいんじゃありませんか?」  余計なゴタゴタを引きずらないためには、騒ぎにならない方が好ましいはずだ。それを指摘したトラスティに、「常識では」とスタークは答えた。 「トリネア王女はそうでも、コウバコ王家側がそうだとは限らない。そしてこう言った時には、往々にして愚かしい真似をする者が出てくるのだよ。自滅するのは勝手だが、少なからずこちらにも被害が出るとなると、そうとばかりは言っていられないだろう」 「少ないとは言え、最新鋭の軍艦相手にそれをやりますかね。双方の技術差は、移動時間と言う形でしっかりと突きつけてあると思うのですが?」  突発的な事件が起こる可能性は否定できないが、それにしても大事にはならないはずだとトラスティは考えていた。一番の爆弾となるロットリング号にしても、時間停止解除は安全宙域を選んで行う手はずになっていたのだ。万が一に爆発をしたとしても、自分たちに被害が出るとは考えられなかった。  だから大丈夫と答えようとしたトラスティだったが、まてよとスタークの言う可能性を考えた。 「逆に、利用できるか」  もしもロットリング号が、起爆信号の入力された爆弾だとしたらどうなるのか。その前提に立った時、利用できるのではとトラスティは考えた。 「敢えてトラブルを起こすと言う方法もありますね」 「ペテンのネタを思いついたと言うところかな?」  意地悪く口元を歪めたスタークに、そんなところだとトラスティは返した。 「やはり、因果応報と言うのは必要でしょう」 「確か、報復は嫌いだと聞いた記憶があるのだがな」  矛盾していると笑ったスタークに、「それはそれ」とトラスティも笑ってみせた。そして一転真面目な顔をして、「単なる脅しです」と答えた。 「観察記録とヒアリングから、ナニーナ王女でしたか。トリネア王女の妹の考えることは想像がつきます。だからそれを、逆手に取ってやろうかなと考えただけですよ」 「つまり、時間凍結解除の場所を変更すると言うことかな?」  スタークの指摘に、トラスティはニヤリと口元を歪めた。 「コウバコ星系で行うつもりです。できるだけ、爆発の影響が王家に影響の出る場所が好ましいですね」 「だが、安全を盾に取られたらどうするのだ?」  当然考えられる指摘に、それも考えたとトラスティは答えた。 「こちらも立ち会うと返せばいいんですよ。それから、無負荷状態だから危険はないと返せばいいんです。こちらの保管状態で時間凍結をしましたからね、解除をすれば元の状態に戻るだけだと説明すればいいんです。もしも爆発の危険性あるとしたら、こちら側で爆発していなければおかしいことになる」 「だが、本当に爆発されたらこちらも無事ではすまないだろう?」  そちらの方はと問われたトラスティは、多分大丈夫と、彼にしては頼りない保証を口にした。 「その時には、アクサにインペレーターを守らせますよ。ただ数が多くなると守りきれないので、立ち会うのはインペレーターだけになりますが」 「アクサに……なるほど、それならば計算ができるな」  敵の艦首砲塔からの攻撃を防いだ実績を考えれば、十分な距離を保てばいざと言う時の安全性も担保できるだろう。そして「いざ」と言う時がないようにするのも、トラスティのペテンだとスタークは理解していた。それを考えれば、万が一にもノブハル達に危険が及ぶ可能性はないことになる。  しかも未来予知のできるアルテルナタを配していれば、予め結果を察知することも可能となる。なるほどペテン師だと、スタークはトラスティを再評価したのだった。  インペレーターの運用に際して、ブリッジ要員は10名もいれば十分とされていた。ただ今回の遠征では、常時その3倍となる30名がブリッジに詰めていた。ただその目的は、安全というより「業務研修」の意味合いが大きかった。今後連邦に属する1万の島宇宙で外銀河探索をするためには、人材の育成が急がれたのである。シルバニア帝国軍に指揮権を渡さなかったのは、自社研修を行う目的もあったからである。  目的は分かるし、今後を考えればそれが必要なことも理解はしていた。それでも文句を言いたくなるのは、周りからジロジロと見られていると言う重圧からだろう。実際船長のマリーカの周りには、常に「船長候補」の8人がくっついていたのだ。それだけでも重圧なのに、全員が自分より年上と言うのが更に問題だった。最低でも6ヤー、中には頭が禿げ上がったおじさんまで居てくれるのだ。中には女性も混じっているのだが、少しも気が楽にならないとマリーカは嘆いたのである。 「あー、胃が痛い」  いつもの愚痴が口をついて出たのだが、それを聞いた周りはざわついてくれるのだ。少し聞き耳を立ててみると、「遺伝だな」と言うひそひそ話が聞こえてくる。どうやら船長候補者は、一人の例外もなくキャプテン・アーネットの伝記を読んでくれているようだ。  そんな上等なものじゃないのにと思いながら、マリーカは生唾をごくりと飲み込んだ。どことなく酸っぱさを感じるのは、胃液が少し逆流しているのだろうか。真面目な顔をしながら、頭の中ではベッドに潜って眠りたいとちびマリーカが騒いでいた。 「予定では、あと172時間第三巡航速度を続けることになっているのか……」  機関士や航海士には仕事はあるが、巡航速度でまっすぐ航行している限り、船長の出番は用意されていない。お陰ですることがないのに加えて、周りからは容赦のない視線が向けられるのだ。なんとかしないと、本気で胃に穴が空きそうな気がしていた。  しかも出掛けにトラスティから教えられたのは、トラブルが発生するときには最悪でも2日前に警告がでると言うことだ。それを信じると、しばらく何もない時間が続くことになる。 「アルテッツァ」  いい加減忍耐に限界がきたマリーカは、シルバニア帝国中央コンピューターアルテッツァを呼び出した。 「はい、マリーカ船長」  そう言って現れたのは、黒い髪をお姫様カットした可愛らしい少女である。年の頃ならマリーカと同じぐらいなのだが、体型的な問題で幼く見えていた。それがシルバニア帝国の誇る中央コンピューターシステムのアバター、アルテッツァである。 「サン・イーストは今何時かしら?」 「昼の2時過ぎですけど……それがどうかなさいましたか?」  なぜ遠く離れたサン・イーストの時刻を聞かれなければいけないのか。さすがのアルテッツァも、その理由を理解することができなかった。マリーカのボーイフレンドが、サン・イーストにいると言う話も聞いていなかったのだ。  だがアルテッツァの疑問は、今のマリーカにはどうでもいいことのようだった。頭の中で少しスケジュールを確認したマリーカは、自分を囲んだ候補生達の一人、タイベリアスの名を呼んだ。 「はい、船長何か御用でしょうか!」  姿勢を正したタイベリアスは、マリーカより8ヤー年上の男性である。少し自信家の部分が鼻につくところはあるが、十分優秀なのはマリーカも認めていた。 「少なくとも今から48時間は、何も問題が発生しないわ。だから私は、24時間ほどブリッジを空けることにします。あなたとピカード、そしてエイブリーの3人が交代で船長代行をしなさい」  はっきり言って職務放棄なのだが、研修生8名はそんなことはどうでもいいことのようだった。特に指名された3人は、いきなり降ってきた大役にしっかりと喜んでいた。 「宜しいのでしょうか!」  明らかに感激していますと言う顔をしたタイベリアスに、「習うより慣れろよ」とマリーカはそれらしいことを口にした。そして今回指名されなかった5人にも、「次の機会を用意します」と言って立ち上がった。 「ところで船長は何を?」 「女性にそんなことを聞くのかしら?」  少し冷たい視線を向けたマリーカは、すぐに「冗談よ」と笑ってみせた。ただその笑いが引きつっていたのは、まだ収まらない胃痛のせいなのだろう。 「少し、ストレスコントロールをしてくるだけよ」 「ストレスコントロール、ですか?」  それはと言いかけたところで、誰かの咳払いに気づいてその質問を飲み込んだ。注意して見てみると、古参の何人かがウィンクをして合図をしてくれていた。 「了解いたしましたっ!」  8人の敬礼を背中に、「任せたから」とマリーカはブリッジを出ていった。「船長出演します」と言う声が、早足のマリーカを送り出していた。  それを見送ったタイベリアスは、少し緊張しながら船長椅子に腰を下ろした。椅子が温かいのは、マリーカの体温が残っているからだろう。それを少し意識しながら、タイベリアスはぐるりとブリッジの中を見渡した。自分の席でないのは分かっているが、やはり船長席と言うのは特別だと感動をしていた。 「ところでウフーラ、船長は何をしに行ったのだ?」 「何をって、ストレスコントロールって船長が言ったでしょう。だから、ストレスを発散しに行くのよ。ただ、行き先はエルマー……と言うより、サン・イーストなんだけどね」  それぐらい分かりなさいと言う顔をされ、タイベリアスは「サン・イースト、ストレス発散?」と思いつくキーワードを思い浮かべた。 「ひょっとして、アイドルをしに行くのか?」 「のりのりで踊ってるって評判よ。しかも、結構際どい格好をして」  ニヤリと口元を歪めたウフーラに合わせるように、タイベリアスもまたニヤリと口元を歪めた。 「つまりリンラ・ランカのステージに出ると言うことだな」  横を見ると、他の候補性達もニヤリと口元を歪めていた。どうやら同じことを想像しているようだ。  そこでゴホンと咳払いをしたタイベリアスは、「ウフーラ通信士」と畏まった声を上げた。 「船長代理より、最初の命令を出すことにする」  そこでもう一度咳払いをしたタイベリアスは、「最重要事項だ」と声を上げた。 「リンラ・ランカのステージ映像を中継せよ!」 「全艦に流しますか?」  更に進んだ確認に、「当然だ!」とタイベリアスは声を張り上げた。 「船長は、この先48時間は何も問題は起こらないと仰られたのだ。ならば、我々のストレスコントロールも重要事項に違いない。シルバニア帝国軍にも映像を送ることを許可する!」 「コンサートスケジュールを確認しました。4時間と50分後にコンサートが開演します!」  その報告に、「宜しい」とタイベリアスは大きな声をあげた。 「艦内の者に、船長が出演するステージがあることを通達しろ」 「ハイ・プライオリティ事項として通達します」  ウフーラの答えに、それでいいのだとタイベリアスは満足そうに頷いたのだった。  10万人を収容できるホールは、今日も満員の観客を迎えていた。その主となるのは、バックダンサーを連れた綺麗な女の子である。彼女こそが、ズミクロン星系のトップアイドルリンラ・ランカである。そして彼女後ろでは、3人のバックダンサーが踊っていた。  まるで万華鏡のように衣装と髪型を変えながら、リンラはステージいっぱいを使って歌い踊った。そして今は、長い黒髪をストレートにし、ちょっと刺激的なドレスにチェンジしていた。冬の屋外ステージにも関わらず、観客たちの熱気は真夏を凌いでいた。 「次の曲は、闇夜の国から! よ」  曲がバラード調に変わったのに合わせ、バックダンサーの衣装は紫色のドレスに変わった。そしてスローテンポなダンスで、曲の雰囲気を盛り上げた。黒髪と茶髪と赤髪をした三人のダンサーは、ちょっと際ど目の衣装にチェンジしてスローなダンスで曲を盛り上げた。  およそ2時間のステージは、2度めのアンコールの曲を歌い終わった所で終幕を迎えることになる。「星の光を追い越して」を歌い終わったところで、ファン達はため息の後大きな拍手を送った。ステージ自体も素晴らしかったが、それ以上にファン達を熱狂させたのはバックダンサーを務めたマリーカの存在だった。何しろ彼女は、超銀河連邦で初となる外銀河探索船団の船長であることが宣伝されていたのだ。 「いつもなら、ここでステージは終わるんだけどね」  頭から湯気を出しながら、リンラはファン達に声を掛けた。 「みんなも、マリーカが来たことに驚いているでしょう。正直なところ、私達も驚かされたのよ。だってマリーカは、90万光年離れたところに居るはずなのよ。しかも大切な任務、船長さんをしているはずなの」  だからと、リンラはマリーカを手招きしてステージの前に連れ出した。 「私のステージだけど、もう一曲マリーカの歌を聞いていってくれるかな?」  そこで答えを求めるように、リンラは右手を耳の後ろに当てた。その仕草に合わせるように、詰めかけたファン達は大きな声でマリーカの名を呼んだ。 「聞こえない、もっと大きな声でっ!」 「マリーカっ!」 「ヨモツ銀河にまで届くぐらいの大きな声でっ!」 「マリーカッ!」  声を張り上げるファン達に応えるように、強烈なビートがコンサート会場に響き渡った。 「ミニスカ・パイレーツっ!」  ステージをリンラから譲られたマリーカは、マイクを持って大きな声をあげた。その声と同時に、彼女の衣装は白のミニスカートに、おへその思いっきり出た短い白のセーラー服へとチェンジした。 「宇宙の果のそのまた果までもっ!」  腰をふりふり見せパンを見せながら、マリーカは激しくシャウト! した。その激しさに、コンサート会場は今日一番の盛り上がりを見せたのだった……ちなみに、遠くインペレーターのブリッジも大いに盛り上がっていた。更におまけなのだが、帝国艦隊もほぼ全員がコンサート映像に注目していたと言う。そしてどうでもいいことなのだが、むさ苦しい剣士や戦士もまた、彼女の振り付けに合わせて踊っていた……らしい。  今回の教訓として、なにもない時間の潰し方とストレスコントロールが、外銀河探索の重要課題として記録されることになったと言う。  ちなみに同じようにエルマーに戻っていたサラマーだったが、秘密任務と言うことで注目をされることはなかった。  適度なストレスコントロールは、プレッシャーを和らげるのに役に立つようだ。加えて言うのなら、目的地が間近に迫ったと言うのも、マリーカの胃にはプラスに働いたようである。船長席に座るマリーカは、あれ以来胃のあたりを押さえなくなっていた。 「カウントダウンの後、減速して通常空間に復帰します。観測班は、現在位置の観測を行うように。それから準備でき次第、トリネア王女にはヨモツ連邦と連絡をしてもらいます。そのためには、こちらの詳しい座標とヨモツ銀河到着の精密なスケジュールを算出してください」  胃の痛みが収まったことで、元気の方も復活してくれたようだ。「のりのりだな」と言う陰口が聞こえる中、マリーカはテキパキと指示を出していった。 「減速準備完了。これよりカウントダウンの後、減速して通常空間へと復帰します。10、9、8、7……」  トーマスのカウントが0になったところで、インペレーターとそれに従う10隻のシルバニア帝国軍軍艦は、急減速をして通常空間へと復帰した。ただ急減速と言っても、乗員達はなんの加速度を感じていない。「静止」した船団を包む亜空間バブルが、相対速度を0に落としただけのことだったのだ。 「通常空間への復帰を確認。クラスタ機能に異常は見られません」  技術士官モトコの報告に、マリーカは「よろしい」と大きく頷いた。 「インペレーターは静止状態で待機。観測班は、現在位置の確認をしてください!」 「座標確認を行います」  同じく責任者であるモトコの復唱に遅れて、ブリッジでは忙しく現在位置の確認作業が始まった。 「これが、俺たちの見ていたのから170万年後のヨモツ銀河の姿ってことか」  30万光年弱まで近づくと、目の前いっぱいにヨモツ銀河が広がってくれる。そしてその姿は、ヨモツ銀河にとって30万年前の姿であり、ディアミズレ銀河から見たら、170万年後の姿となっていた。  事前検証によって、基準となる銀河の推定位置は確認されていた。当たり前だが、ディアミズレ銀河からの観測とは、各基準銀河の時間位置が変わっていたのだ。あるものは170万年未来の位置にあり、あるものは170万年過去の位置にいたのだ。  そして待つこと5分、モトコから位置測定が完了したとの報告が上げられた。 「ちなみに、追跡空間接合も正常に行われています」  そこでモトコは、「今更ですが」とため息を吐いた。 「2百万光年近く移動してたって気がしてきました」 「私は、別の疑問を感じているわよ」  少し投げやりに答えたマリーカは、「トリネア王女に」と次の段階に進むことを指示した。 「ここからだと、通信遅延は2日ぐらいか?」  ノブハルの問いに、マリーカは小さく頷いた。 「170万光年離れた場所とリアルタイムで通信できるのに、たった30万光年とちょっと先との通信に片道2日ですからね。どこかおかしいと感じてしまいます」  ふうっと吐き出したマリーカは、「失礼しました」とノブハルに謝った。 「別に謝られることではないのだが……ただ、言いたいことは理解できるな」  同じような感想を、ノブハルも抱いていた。そして別のスクリーンに映る、シルバニア帝国から派遣された10隻の軍艦を見た。 「あの軍艦がヨモツ銀河に入ってからに備えるためなら、ここまで一緒に来る必要がなかったのではと思えてしまったんだ。まあ、追跡空間接合が正常なことが前提なのだがな」 「確かに、適当なところで呼び寄せれば用は足りましたね」  あーと天井を仰ぎ見たマリーカは、「今更ですね」と手遅れであることを口にした。 「確かに、今更なのだろうなぁ……」  それを認めたノブハルは、「同行するように」とマリーカに指示を出した。これからトリネア王女が、ヨモツ銀河連邦に連絡を入れるのだ。その報告の信憑性を保証するためにも、必要な登場人物が揃わなければならなかった。  「船長出ます」の声を背に、ノブハルはマリーカとブリッジを出てトリネアの部屋に向かったのである。  その頃トリネアは、クリスタイプのアンドロイドの手厚い世話を受けていた。肌ケアを含めたエステを、アリッサが手配したと言うのがその理由である。そのためトリネアは、インペレーターに乗り込んだ直後から、クリスタイプのアンドロイドに至れり尽くせりのサービスを受けることになったのである。 「これは、間違いなく病みつきになりますね……」  トリネアの隣では、ご相伴に与ったマルドもエステを受けていた。 「ええ、間違いなく至福の時だと思います」  実利的なヨモツ銀河では、美容という概念ははるか昔に廃れていた。したがって洗顔と言う行為にしても、清潔さを保つ以上の意味を持っていなかった。全身の美容マッサージなど、そんな概念すら存在していなかったのだ。 「肌の表面がモチモチしてきた気がします」 「トリネア様を見ていると、髪の毛があるのも素敵だと思えるようになりました」  はあっと同時に息を漏らした二人は、「天国です」と力の抜けた声を出した。 「アリッサ様でしたか、私達は感謝しないといけませんね」 「ですが、こんな世界を知ってしまって良かったのでしょうか?」  マルドの指摘に、「確かに」とトリネアは大きく頷いた。 「ですが、外交使節としてディアミズレ銀河に戻ってくればいいのではありませんか?」  そうすれば、ディアミズレ銀河標準のサービスを受けることができる。そんなトリネアの考えを聞いたマルドは、「トリネア様!」と少し大きな声を上げた。そんなマルドに、「みなまで言わなくてもいいのですよ」とトリネアは余裕の態度で答えた。 「あなたが私の付き人になれるよう、ちゃんと根回しをいたします」 「トリネア様、一生付いて行っていいですか?」  心からのマルドの懇願に、「まかせなさい」とトリネアは空約束をした。 「王女が一人で外交使節になることなどありえませんよね?」 「確かに、仰る通りだと思います」  「あ〜」と声を漏らしながら、二人は大舞台前に至福の時を過ごしたのである。  そして至福の時が終わって3時間後、磨き上げられたトリネアは二つ並べられたソファーの右側に座っていた。ちなみに隣には、お供のマルドがすまし顔で座っていた。その時のトリネアは、レースの飾りがついた白のブラウスにパステルカラーのスカートをあわせていた。そしてマルドは、体にピッタリとしたベージュのとっくりセーターとグレーのパンツで決めていた。  そして二人から離れたところで、ノブハルとマリーカが椅子を並べて座っていた。それに加えて、連邦から派遣されたクカラチャスと言う男が座っていた。こちらはジンサイト星系出身の、インセクトタイプの見た目をしていた。有り体に言うのなら、擬人化されたゴキブリと言うところだろう。  必要な登場人物が揃ったのを確認して、トリネアはごく自然に「コウバコ王家第一王女トリネアです」と報告用の通信を始めた。 「背景を見ていただければ分かると思いますが、私は今ディアミズレ銀河の方々が用意された部屋にいます。もう少し正確に報告するのなら、インペレーターと言う全長15kmほどある、巨大船の貴賓室でこの報告をしています。ちなみに私が今話しをしたことは、およそ2日後にはそちらに届いているかと思います。はい、私は今、ヨモツ銀河外周部から30万光年離れたところまで帰ってきました。そして私は、ロットリング号ではなく、ディアミズレ銀河の船でここまでやってきました」  そこでトリネアは、右手の平を上に向けて肩の高さまで上げた。そこには、外周部にいる帝国軍艦から撮影された、派遣船団の姿が浮かび上がっていた。 「私が乗っているのは、この船団の中央に位置するインペレーターと言う名の巨大船です。そしてヨモツ銀河の財産であるロットリング号は、積み荷としてインペレーターに格納されています。ここまでたどり着くのに、光速の1億倍の速度で、およそ10日ほど時間を使いました。それをディアミズレ銀河を構成員とする超銀河連邦は、有り物の船を使って実現したのです。私達と、超銀河連邦の間には、彼らの見立てではおよそ1千年の技術差があると言うことです」  そこでこほんと一つ咳払いをして、トリネアは「紹介します」とノブハル達の方を示した。 「こちらの女性が、インペレーターを含む派遣船団の責任者、マリーカ船長です。まだ年若いのに、重責を果たされた立派なお方です」  そしてと、トリネアはノブハルを映像に出した。 「こちらの男性が、アリスカンダルの者たちがご迷惑をおかけした、シルバニア帝国皇夫のノブハル様です。今回ご迷惑をおかけしたお詫びとして、私が私達の銀河へとご招待させていただきました。今回使用したインペレーターは、ノブハル様が勤められている、トリプルAと言う民間企業の持ち物と言うことです。そして周りを護衛する艦隊は、ノブハル様が皇夫をされているシルバニア帝国から派遣されたものです。アリスカンダルの100隻は、シルバニア帝国の艦隊と戦闘の後破壊されています」  そしてと、トリネアは擬人化されたゴキブリの見た目をした男性を映像に出した。 「こちらの男性は、超銀河連邦を代表して今回の派遣団に加わられたクカラチャス様です。超銀河連邦の方々は、私達ヨモツ銀河連邦と友好的関係の構築を望まれています。今回の訪問は、その第一歩とすることを目的とされているそうです」  そこでふっと息を吐いたトリネアは、一度首を巡らせからまっすぐ前を見た。 「先ほど報告いたしましたとおり、私達はヨモツ銀河外周部から30万光年離れたところまでやってきています。そしてこちらの船の性能ならば、あと1日で外周部まで到達することが可能です。ただあまり早く到着すると、この報告がそちらに届かないことでしょう。ですから1日この場で停止した後、ヨモツ銀河外周部へと移動するそうです。更にそこで1日停止し、私達の連絡を待つとのことです。そこで連絡がない場合、船団はアリスカンダル本星の宙域に移動されると伺っています。ノブハル様は、その場でエスタシア王妃様に今回の事件の顛末を説明されるのと、20万人もの命を奪ってしまったことへの謝罪をされるそうです。その後コウバコ星系に移動し、積み荷となっているロットリング号を返却されるとのことです」  ここまでで、簡単な状況説明をしたことになる。そこでひと息ついたトリネアは、「指示をお願いします」と切り出した。 「ディアミズレ銀河の方達をどちらに案内すればよいのか、その指示をお願いいたします。先程予定をお伝えしましたが、原則として私達の指示に従っていただけるそうです。結論が出るのに時間がかかるのであれば、外周部で待機しても良いとのお言葉を頂いています」  そこで大きく息を吸い込んだトリネアは、「最後に警告です」と物騒な話を持ち出した。 「ここまで来た以上、話をしないで帰るのありえないとのことです。ヨモツ連邦内への進入許可が出ない場合、当初のスケジュールに従いアリスカンダルとコウバコに向かわれるそうです。その際攻撃を受けることがあれば、手加減をせずに必要な反撃をするとのことです。これは私からのお願いになるのですが、武力の行使を検討しませんように。ここに来ているのは10隻ですが、いつでも万を超える艦船の投入は可能だとの説明を頂いています」  もう一度大きく息を吸ったトリネアは、「以上です」と報告を締めくくった。 「なお超銀河連邦のご好意で、いくつかデーターを頂いております。おそらく一番役に立ちそうなのは、超高速通信技術でしょうか。これを使えば、通信遅延は今の100分の1程度になるそうです。では、迅速な回答をお待ちしております」  そこで小さく一礼をして、トリネアは連邦への報告を終わらせた。流石に緊張したのか、頭を上げたのと同時に大きなため息を漏らしてしまった。 「恥ずかしいところをお見せしてしまいました」  それを恥じたトリネアに、クカラチャスは「お気になさらず」と微笑んでみせた。ただ見た目が見た目だけに、せっかくの心遣いはトリネアには届かなかったようだ。 「ところでトリネア王女、ヨモツ連邦はどんな反応をしてくるのか想像がつくか?」  相変わらずぶっきらぼうな言い方をしたノブハルだったが、トリネアにも慣れが生まれていた。だから普通に受け止め、少し考えてから「拒絶はしないでしょう」と答えた。 「おそらくですが、最初に示したルートを追認するのかと思われます。連邦との会談は、私の故郷コウバコで行われるのではないでしょうか」 「自分達のエリアに呼び寄せたくはないと言うことか」  ふんと鼻息を一つ荒くしたノブハルは、「無駄なことを」と口元を歪めた。 「トラスティさんも、今回は出し惜しみをしないそうだ」 「できれば、あまり事を荒立てて欲しくないのですけど……」  長期逗留したおかげで、超銀河連邦の技術レベルはおぼろげながらに見えていたのだ。反則としか言いようのない移動速度もそうなのだが、多層空間を利用した移動方法など、未だに自分の目を信じることができなかったぐらいだ。  だがリンのコンサートを見に行けたことを考えれば、嘘でも夢でもないのは理解することができる。それを考えれば、「お手柔らかに」とトリネアが口にするのも不思議なことではないはずだ。 「だが、多少荒立てた方が、あなたの立場が上がるのではないのか?」 「それにしても、限度と言う物があると思います」  一緒にしないでくださいと、トリネアは真剣にノブハルに向かって懇願したのである。  仕掛けがうまく動いている以上、後はゆっくり結果を待てばいい。エルマーからジェイドに戻ったトラスティは、トリプルAのオフィスでのんびりとしていた。もちろん情報なら、いいところを見せたいアルテッツァが張り切って教えてくれた。  ただその時の問題は、「やっぱり鬼畜ですよね」と言う余計な一言がついたことだ。その辺り、アルテルナタ王女を誑し込んだことが理由なのだろう。  そうは言っても、アルテッツァもアルテルナタ王女の意味を十分理解していた。これから先のことを考えると、アルテルナタと言う女性は無理をしてでも手に入れるだけの価値が有ったのだ。その意味で言えば、それを理解できないノブハルはまだお子様だと思っていた。 「どうやら、ヨモツ連合は差し出した餌に食いつくようですね」  アリッサに左腕を貸しながら、トラスティはアルテッツァの報告を聞いていた。ちなみにアルテルナタのことは、むしろアリッサの方が積極的だった。彼女は彼女で、アルテルナタの意味を高く評価していたのだ。  3日後の状況を伝えられ、トラスティは小さく頷いた。トリネア王女の報告は、他に選びようのない選択肢をヨモツ銀河連邦の前に差し出すものだった。アルテルナタの未来視を頼らなくても、この結果は予測できた。 「たぶんだけど、あちらはパニックになっているんじゃないのかな? まさかこの時期に、トリネア王女が帰ってくるなんて予想だにしていなかったと思うよ」 「その意味では、ノブハル様達は思惑通りに動かれたと言うことですか?」  そう確認したアルテッツァに、それは違うとトラスティは返した。 「そこは、期待通りの働きをしてくれたと言ってくれないかな。今回の遠征に関して言えば、僕は口出しをするつもりはなかったんだよ。ただ、幾つか必要な保険だけは掛けたと言うことだよ」 「その一つが、アルテルナタ王女を誑し込むことだった……と言うことですね」  その辺りは譲る気持ちは毛頭ない。そう決めつけをしたアルテッツァに、「微妙に違うけどね」とトラスティは笑った。そしてその隣から、アリッサが「今更ですが」と口を挟んできた。 「この人に関わる女性は、これからも増えることは確かですからね。だったら開き直って、コントロールを掛けたほうが良いと思っただけです。そしてどうせ関わってくるのなら、私が納得できる人の方が良いじゃありませんか。情緒的なのは、アイラさんで終わりだと思っているんです」  アリッサの答えに、アルテッツァは「少し怖い」と感じていた。これからトラスティに関わる女性もそうなのだが、トラスティ自身がアリッサの手の内にあるように感じられたのだ。そうやって考えると、アルテルナタを誑し込んだ理由も理解できる。 「仰る通りなのでしょうけど……やっぱり、高めの女性と言うのか、面倒な女性ばかりなのですね」 「世の中には、簡単な女性なんて存在しないんだよ」  それをしみじみと言われると、どう答えて良いのか分からなくなる。だからアルテッツァは、見えない所の動きを話題に上げた。 「ノブハル様は気づいていないようですけど……」  少し遠慮がちに、「トラスティ様の仕掛けですか」とアルテッツァは質問した。とても曖昧な質問なのだが、トラスティは正しく意味を理解していた。 「それは、インペレーターに多層空間制御装置を持ち込んだことを言っているのかな?」  質問を質問で返したトラスティに、「それです」とアルテッツァは返した。 「何を考えて、そんな物をヨモツ銀河に持ち込んだのですか?」  それが分からないと口にしたアルテッツァに、「気づいてみれば簡単なことだよ」とトラスティは笑った。 「エイシャさんが、とても本質的なことを指摘してくれたんだ」 「本質的なことですか?」  それはと言う問いかけに、「多層空間のこと」とトラスティは答えた。 「多層空間では、似たところと隣接すると言う話があっただろう。だったらヨモツ銀河と隣接する銀河は、僕達の知っている場所の可能性が高いんだ。帰りがけにエイシャさんと話をしたら、彼女がそれを指摘してくれたんだよ」  トラスティの答えに、「ああ」とアルテッツァは大きく頷いた。確かに言われてみれば、多層空間の説明では必ず隣接空間の類似性に触れられていたのだ。それを考えれば、ヨモツ銀河を足がかりにすると言うのは、とても理に適ったことだった。 「それって、目から鱗の指摘だと思います。確かに、ヨモツ銀河を足がかりにするのは合理的ですね」  なるほどとアルテッツァは、もう一度大きく頷いた。今回の遠征で、近傍銀河まで10日程度で到達できることは証明されている。だが似たような文明を見つけるのは、また別の話だったのだ。  だが多層空間を利用すれば、その問題もかなりクリアになってくれる。外銀河探索をしなくていいとは言わないが、並行して探索することで労力の削減につながるのは確かだったのだ。 「ですが、そのための前線基地を作る必要がありますよね?」  アルテッツァの指摘に、トラスティは「それが問題」と認めた。 「コウバコとアリスカンダルが期待できると良いんだけどね。ただそれ以外になると、候補地を探すのも難しいと思うんだ。多分だけど、ヨモツ連邦には、移動時間とかの餌はあまり効果的ではないはずだ」 「その辺りは同意できるところがあるのですが、よろしければその理由を教えていただけますか?」 「理由かい」  いいよと軽く答えたトラスティは、「考え方の問題」とヨモツ連合に関する分析を開陳した。 「アルテルナタが見た未来からも分かることだけど、ヨモツ連合と言うのは現状維持で小さくまとまった連邦なんだよ。考え方としては、エスデニアの議長様とは正反対と言って良いんだろうね。とにかく平穏無事で過ごすことを第一に考えているんだよ。だから新しい、そして有効な技術を目の前に差し出しても、余計なことをと考えると思うんだ」 「アリスカンダル事件のことを考えると、その指摘は当たっているように思えますね」  なるほどと頷いたアルテッツァは、これからどうするのかとトラスティに問うた。トリプルAとして外銀河探索のPoCを行うのは良いが、ここから先は気の遠くなるような時間が掛ることが分かっていたのだ。そしてヨモツ銀河に、トラスティが手を出す理由が今の所見当たらない。そして目の前の男は、暇な時間をありがたがるとは思えなかったのだ。 「これからかい。そうだなぁ……」  そこで少し考えたトラスティは、「しばらくは後始末かな」と答えた。 「後始末、なんですか?」  やけに地味なと訝ったアルテッツァに、「散らかしたからね」とトラスティは笑った。 「エスデニアにパガニア、そしてリゲル帝国……その意味で言えば、シルバニア帝国もそうだね。どさくさ紛れで巻き込んだのは良いけど、ちゃんとしたスキームを作っていないんだ。それにかなり無理をねじ込んだから、その後始末も必要だし……その意味で、今回の遠征は間をおくのにちょうどいいとも言えるんだ」  確かに、超銀河連邦を含めてかなり拙速に事を進めたのは確かだろう。しかもトップ6のうち5つまで巻き込んだのは、いくら必要なこととは言え理由付けが必要になってくる。  その説明に納得しながら、アルテッツァはある意味お約束とも言える解釈を投げ返した。 「つまり、愛人のご機嫌取り……と言うことですね」 「思いっきり否定したいところなんだけど……ノブハル君じゃないけど、結構切実な問題になってきているのは確かだね」  しかも愛人問題から離れても、トラスティはモンベルトの国王であり、リゲル帝国の皇帝もしている。それぞれ優秀な后が仕切ってくれているとは言え、その務めをないがしろにして良いはずがない。  「少しは兄さんに回すか」と呟く夫に、「やめておいた方が」と横からアリッサが忠告をした。 「そんな真似をすると、お姉様が敵に回りますよ」 「姉さんが敵に回ると、必然的に兄さんも敵になるってことか……」  それはそれで嬉しくないことになりかねない。ただ悩んでみても、解決策が出てくる問題でもなかった。仕方がないと一時問題を棚上げし、トラスティはこれからの予定を真面目に考えた。 「リゲル帝国とレムニア帝国を先に行っておくか」 「あっ、それだったら私も付いていっていいですか? 久しぶりに、アイラさんとお話してみたいし」  弾んだ声を出したアリッサに、「別にいいけど?」とトラスティはあっさりと答えた。支社のあるレムニアなら、業務的にも問題は出ないはずだ。 「そしてその後は、久しぶりにパガニアに顔をだすことにするよ」 「あそこは、食べるものが美味しくないんですよね……でも、アマネさんと久しぶりにお話がしたいなぁ」  う〜んと考えたアリッサは、「そっちにもついていく」と深く考えずに口にしてくれた。 「別に構わないけど、トリプルAの本業の方は大丈夫なのかな?」  その3国についてくるとなると、それなりの時間ジェイドを空けることになる。時々代理をしてくれるリュースも、今はヨモツ銀河遠征団で不在にしていた。特にパガニアには、支社が作られていないと言う事情があった。  本業を心配した夫に、「それなら心配いらない」とアリッサは笑った。 「共同経営者にお姉様を迎えることにしました。特にジェイド内のことは、お姉様に任せることにしたんです。新しいことに手を出そうと思わなければ、私がどこに居ても回っていくようになりました」 「ついに、姉さんも巻き込んだと言うことか……まあ、賢明な選択なんだろうね」  能力的にほぼ同じだと考えれば、エヴァンジェリンを巻き込むことに反対する理由がない。逆に遅すぎたとも言えるだろう。 「とりあえず、迎えにこさせるか」 「そうですね、あなたはリゲル帝国皇帝なのですからね」  だから皇室専用船を使うのは、おかしいかどうかと言うより、義務だとアリッサは言ってくれた。色々と突っ込みたいところは有ったが、それをしても意味がないのは今更のことだろう。だからトラスティは、おとなしく迎えをよこすようにとカナデに連絡することにした。  しばらく返事が来ないことを前提としていたのに、なぜか帰還命令発令から20日後にトリネア王女からの連絡が入ってしまった。それだけでも大事なのに、その内容は応答がいつ有ったかなどどうでもいいものだった。ヨモツ連邦として恐れていたことが、現実のものとなってしまったのだ。 「プロキオン銀河の船が、30万光年の所まで来ているのだとっ!」  アドバントの報告に驚きすぎて、ガルブロウの顔からかさぶたが5枚も剥がれ落ちてくれた。流石に滑稽な光景なのだが、あいにくアドバントも上司を笑う余裕など持ち合わせていなかった。 「いえ、報告が正しければ、すでにヨモツ銀河外周部に到達しているはずです」  20個の目を真っ赤にしたアドバントは、「どうしましょう」と上司の指示を待った。よほど衝撃的だったのか、普段は滑っているはずの皮膚が、かなり乾いて干からびているように見えていた。 「どうしましょうと言われてもだな……」  そんなことを相談されても、自分には判断できないことはガルブロウも分かっていた。当たり前だが、彼の権限を大きく超えていたのだ。 「そんなもの、長官にご判断いただくしか無いだろう」  大きな塊を手で押さえながら、「どうしてこうなる」とガルブロウは愚痴をこぼした。 「どうしてと言われても……どうしてなんでしょうね。ただ現実逃避をしても、現実と言うやつが我々を追いかけてくるのは確かなようです」  それでも現実逃避したいとと、アドバントも零した。 「癪にさわるのは、トリネア王女とお付きの者が、やけにイキイキとした顔をしていたことです。なにか心配して損をした……そんな気持ちになってしまいました」 「そんなに、イキイキしていたのか?」  嫌そうな顔をした上司に、「それはもう」とアドバントは大きく頷いた。 「流行から大きくハズレているはずなのに、前よりもずっとマシになったように見えるぐらいです」 「それもまた、信じられないことなのだが……」  ううむと剥がれ落ちたかさぶたを手で抑えながら、ガルブロウはトリネア王女の連絡映像と添付されていたデーターを凝視した。 「全長15kmの超巨大船が、光速の1億倍で移動できると言うのか? ひょっとして、その殆どが動力機関なんじゃないのか?」  光速の1億倍からして信じられないのだが、巨大船の殆どが動力機関だと考えればまだ納得できる。そのつもりで問いかけたガルブロウなのだが、「あいにく」と言う部下の答えに顔をしかめた。それに合わせて、かさぶたが擦れあって嫌な音を立ててくれた。 「小さいとはいいませんが、全体の15%程度が機関部のようです。随行している艦船だと、それが20%程度に増えるようですが……いずれにしても、我々の科学力では実現不可能なサイズとのコメントが出ています」 「銀河外周部に達しているのなら、我々の観測網に引っかかるはずなのだが……いや、引っかかったとしても、連絡が入るのはまだ先のことか」  通信速度の制限で、情報が伝わってくるのに最低1日は掛かることになる。だとすると、観測網からのアラートが届くのは、明日あたりというのが自分達の限界だった。 「モンジュール長官のご判断を仰ぐが……とりあえず回答を引き伸ばしてくれ。そうだな、2日程度決定に時間がかかるで良いだろう」 「そうするしか、無いのでしょうね……」  押しかけられたことで、主導権を完全握られてしまったことになる。これからどうしたら良いのか、アドバントにはそれが全く想像がつかなかった。 「流されるしか無いのでしょうか?」 「侵略してくるのでなければ、適当に合わせてお帰りいただくと言うことになるのだろう」  そう答えたガルブロウだったが、本当にそれで済むかと言うことには懐疑的だった。絶対面倒なことになると、嬉しそうな顔をするトリネアに憂鬱な気持ちにさせられていた。  こんな相談を持ってきてもらっても困る。と言うか、決断を求められても手に余ると言うのがモンジュールの正直な気持ちだった。たまたま目が覚めていたモンジュール3は、巡り合わせの悪さを呪うことになった。相談しようにも、相方のモンジュール2は眠りに入った直後だし、もうひとりの相方モンジュール1が目覚めるまでにはまだ結構な時間があった。 「それで、連絡を受けてから何時間経ったのだ?」  1日とか2日とかの時間軸を示されると、報告に掛かる時間も無視することはできない。まだ若い男の特徴を持つモンジュール3は、報告に現れたガルブロウに時間の経過を尋ねた。 「それからもう一つ、その顔に貼られたテープは何なのだ?」  じっくりと観察しなくても、ガルブロウの顔に黒のダクトテープが何枚も貼られているのが見える。それを気にしたモンジュール3に、「受信後6時間です」とガルブロウは答えた。 「これは、あくまで応急措置と言うことです。この報告が終わったら、医務局に行って適切な処置を受ける予定です」  それだけ急いだのだと強調するガルブロウに、「そうか」とモンジュール3はそれ以上こだわることをやめた。喫緊の課題は、ガルブロウの顔に貼られたダクトテープなどではないのだ。 「この連絡が虚偽ではないと言う確証はあるのか?」  その疑いを持つのは、彼……の立場からすれば正当なことだろう。そしてトリネア王女からの報告は、虚偽であってほしいと言う願望もそこにはあった。  だがせめてものモンジュール3の願いを、ガルブロウは「残念ながら」と否定をした。 「トリネア王女の乗ったロットリング号は、テレメトリによって航行位置を確認できています。そして最終確認位置は、プロキオン銀河……彼らの呼び方だと、ディアミズレ銀河となっております。したがって、トリネア王女がディアミズレ銀河に到達したのは疑いようのない事実です。そして送られてきたデーターの中には、サンダー大王、サーシャ王女そしてワカシの映像情報があります。これは、ディアミズレ銀河の者と接触しない限り入手できないものです。映像の中には、アリスアンダル船団の戦闘映像も含まれております。これもまた、トリネア王女がディアミズレ銀河の者と接触したことの裏付けとなります」 「トリネア王女が先方と接触したのは確かでも、我々の銀河外周部に到達しているのは話が別ではないのか?」  モンジュール3の指摘に、ガルブロウは小さく頷いた。それに合わせてかさぶたの擦れ合う嫌な音が聞こえてきた。その音は、モンジュール3をさらに苛立たせるものとなっていた。 「おそらくですが、我々の観測結果も明日には届くことでしょう。代表は、その結果が出るのを待たれますか?」  その辺りはどうなのだと迫られ、モンジュール3ははっきりと苛立ちを顔に出した。どうして自分の番のときに、こんな面倒なことが起きてくれるのか。あと3時間も経てば、モンジュール1に責任を放り投げられたのだ。彼の頭の中では、恨み言が渦巻いていた。  ただいくら恨み言を考えても、事態が好転するわけではない。しばらく頭の中で葛藤したモンジュール3は、「1日回答を延ばす」と結論を出した。 「ただ、延ばされるだけですか?」  それでは、あまり意味がないのでは。それを確認したガルブロウに、「検討は必要だ」とモンジュール3は返した。モンジュール1と2にも話をする必要があるし、それに加えてトリネア王女が銀河外周部に到着していることを確認する必要があった。  その説明に、なるほどとガルブロウは頷いた。それに合わせて響いた音に、モンジュールははっきりと顔をしかめた。 「では、明日のこの時刻に結論を伺いに参ります」  ぎりぎりと音を立てたガルブロウは、失礼しますとモンジュールの執務室を出ていった。一応予想通りと言うこともあり、特にガルブロウは落胆などしていなかった。回答期限に1日余裕を持ったのも、これを見越してのことだったのだ。  もっともこの問題がヨモツ連邦上層部だけで済んでいれば、まだ話は優しいと言えるだろう。ただディアミズレ銀河側が嫌らしかったのは、同じ内容をコウバコ王家とアリスカンダルに送ったことだ。コウバコ王家は王女を送り出した大本だし、アリスカンダルは事件の発端となった星系である。両者の立場を考えれば、来訪を拒むことができなかったのだ。 「流石に、これは握りつぶせませんね……しかし、どうして自爆していないのでしょう。トランスワープエンジンを完全停止できるとは思えないのですが」  自室でくつろいでいる時、ナニーナはディアミズレ銀河側の連絡を受け取った。体にピッタリとフィットした緑色の上着と、申し訳程度の同系色のスカートと言うのがその時の格好である。持っていたお茶のパックを握りつぶしてしまったのは、受け取った情報が理由なのだろう。  ただ報告自体は悩ましいのだが、できることはナニーナにも限られていた。ヨモツ連邦の立場を考えれば、彼らの立場では帰ってきた姉を拒絶できるはずがない。当然コウバコ王家に問い合わせをしてくるのだろうが、こちらとしても拒絶するのは不自然になってしまう。 「ですが、自爆していないと言うことは、まだ自爆命令が届いていないと言う意味にもなりますね。だとしたら、銀河外周部に到達したと言うのも疑わしいことになります」  自爆信号自体は、17日も前から定期的に送信している。もしも銀河外周部に到着しているのなら、自爆信号を受けて爆発していなければならないのだ。 「だとしたら、銀河外周部に到着していると言うのは虚偽情報……つまり、ブラフと言うことになりますね。さもなければ……ロットリング号があると言うのが嘘と言うことになるのですが」  可能性としてどちらが高いかを考えると、銀河外周部への到着と言うことになる。どう考えても、光速の1億倍と言う速度はありえないように思えたのだ。 「だとしたら、この情報をどう扱うかですが……流石に、お父様に内緒にしておくわけには参りませんね」  これだけの大事になると、どう情報を隠しても隠し切るのは不可能なことなのだ。それを考えたら、下手に隠すことで自分の立場が悪くなる可能性がある。  そこでデスクを軽く叩いたナニーナは、父親に「お話があります」と伝えることにした。手を打つのが遅くなるほど、自分に都合が悪くなるのは目に見えていたのだ。  トリネアとナニーナの父アルトリコは、たっぷりとした体格をした男である。両王女の父親なのだから、コウバコ王家の正当なる国王には違いない。頭は綺麗に禿げ上がっているくせに、口元にはたっぷりと髭を蓄えた流行からは遅れた見た目をしていた。  ヨモツ銀河標準で言えば醜悪なお腹周りを晒したアルトリコは、娘からの連絡に少し口元を歪めた。 「隠しきれんと考えたか」  ふんと鼻息を一つ吐いたアルトリコは、「ナニーナをこれに」と侍従に命じた。時代遅れだろうとなんだろうと、コウバコにおいて王制は健在なのである。いくら王女でも、父親の許しがなくては面会は叶わなかった。  呼ばれて現れたナニーナは、綺麗に手入れされた禿頭を父親に向かって下げた。 「お父様におかれては、ご機嫌麗しく」 「お前もと言ってやりたいところだが、少し曇りがあるようだな」  ふんと鼻息を荒くして、「それが理由か」と娘に問うた。 「はい、プロキオン銀河に使者として出向かれたお姉さまから、重大な連絡が入りましたので」  これにと、ナニーナは送られてきた情報を父親に差し出した。 「あちらの力を借りて、帰ってきたと言うことか?」 「連絡を信用すれば、そのとおりと言うことになります」  連絡内容に疑問を呈した娘に、アルトリコは少し目元を険しくした。 「この連絡に疑義があると言うのか?」  ナニーナは「はい」と答えて、疑義の理由を説明することにした。 「お姉さまの帰還申請は、20日ほど前にこちらに届いています。それを考えると、その申請は50日ほど前に送信したことになります。そうなると、プロキオン銀河は……彼らの呼び方ではディアミズレ銀河なのだそうですけど、ディアミズレ銀河側はその50日の間に船団を用意し、200万光年の距離を超えてきたことになります。そのようなことが、常識的にありえるのでしょうか?」 「この連絡には、有り物の船を使用したとあるぞ。ならば、船団を用意するのが短時間で済んだ説明になるはずだ」  父親の反証に、ナニーナは小さく頷いた。 「通常使用されている船を使えればそうなのでしょう。ですが、ディアミズレ銀河の者が、私達の銀河に来たと言う記録は残っておりません。そしてお姉さまの報告にも、そのような事実は記載されていないのです。そしてディアミズレ銀河の直径は、10万光年と私達の銀河の半分しかありません。そのような銀河が、光速の1億倍を超える速度で移動するような船を用意しているのでしょうか? たとえそのような船があったとしても、このように早く準備が整うのかと言うことにも疑問があります」 「我々も、1ヶ月で実験船を用意したのだがな……だが、お前の言いたいことは理解できる」  娘の考えに理解を示したアルトリコは、「それで」と考えを質した。 「あちらは、ここに来ると言っているのだ。お前は、どうすれば良いと考えておる?」 「お姉さまを使者として送り出したのは事実です。そして使命が終われば、帰国するのも当たり前のことでしょう。送ってきてくれると言うのであれば、ありがたく送ってきてもらえばよいのかと思います。もしもこの連絡が本当のことなら、お姉さまは無事お帰りになられるのですからね」  本当ならと強調した娘に、なるほどとアルトリコは頷いた。 「そして報告が虚偽のものなら、あれが帰ってこないと言うのだな」  なるほどと頷いたアルトリコは、「連邦に伝えよう」と静かに告げた。 「モンジュール長官も、おそらく判断に困られていることだろう。ならばコウバコ王家として、先方を受け入れると教えてやれば良い」 「お父様のご判断に従います」  髪の毛一本も無い頭を下げたナニーナは、「失礼しました」と下がろうとした。普段なら呼び止めることをしないアルトリコだったが、今日に限って珍しく娘を呼び止めた。 「せっかくわしの前に顔を出したのだ、そんなに急ぐことはあるまい」 「私に、何かお話があるのでしょうか?」  珍しいなと首を傾げた娘に、「なに」とアルトリコは少し口元を歪めた。 「お前も、婿のことを考える年になったのだ。そろそろ相手を一人に絞ってもよいのでは、と言うことだ。わしも、引退を考える年になったと言うことだ」 「一人に絞る……のですか」  少し目元を引きつらせた娘に、「なにか?」とアルトリコは問い返した。 「いえ、まだそのようなことを考えておりませんでしたので……何を基準にすればよいのか、それを考えただけのことです」 「何を基準にかと言うのだな」  なるほどと頷いたアルトリコは、娘の前に餌をぶら下げた。 「コウバコを治めていくのにふさわしいのは誰か。それを基準にすればよいだろう」 「お父様は、私に国を導けと仰るのですか?」  少し緊張した娘に、「何をいまさら」とアルトリコは笑った。 「あれは、嫁に出すことが決まっておったのだ。ただゴラーリ卿が不慮の事故で亡くなられて、話がおかしくなっただけのことだ。今回の功績は見事だが、それを理由に国を任せると言うことにはなるまいて」  そう言うことだと微苦笑を浮かべたアルトリコは、「話はこれだけだ」と娘を解放することにした。コウバコ王家として考えを決めた以上、連邦に対して直ちに伝える必要がある。通信遅延を考慮すると、意思を伝えるのは早ければ早い方が良かったのだ。 「ではお父様、お時間をいただきありがとうございました」 「うむ、早く良い知らせを聞かせてくれ」  からかうような言葉で娘を送り出したアルトリコは、その姿が消えたところで一転表情を険しくした。 「……何を企んでおるのだ」  国を導けと命じた時に浮かんだ表情を、アルトリコは見逃してはいなかった。おっとりのんびりとしているはずの娘の顔に、一瞬だがとても邪悪な笑みが浮かんでいたのだ。ただ問題は、その邪悪さが一体誰に向けられたものなのか分からないことだ。姉妹仲を考えれば、それは姉のトリネアと考えることができるだろう。ただアルトリコは、本当にそれだけなのか理解ができなかったのだ。  連邦の信託統治を受けている関係で、エスタシアがディアミズレ銀河側の連絡を受け取るには余計な1ステップが加わっていた。ただ本来検閲を考えるところなのだが、管理がザルの連邦は受け取った情報をそのままエスタシアへと渡してくれた。  お尻まで伸ばした薄い茶色の髪を頭の上で結い上げたエスタシアは、ヨモツ銀河最先端のスタイルをゆったりとした濃いピンク色をしたセーターで隠していた。したにはぴっちりとしたグレーのパンツと言う、そこそこおしゃれな格好で執務室で統治業務をしていたのである。そこで連邦から送られてきた連絡を目にすることになった。 「事件の説明に謝罪ね……あらっ、あの人と話をさせてくれるの!」  本当かとデーターをもう一度確認して、「管理がザルね」とエスタシアは連邦を笑った。 「謝罪はどうでもいいけど、あの人と話をさせてくれるのはありがたいわね。馬鹿な娘だけど、サーシャのことも気になるし」  うんと頷いたエスタシアは、息子のコダーイを呼び出した。一応重要な話なのだから、教えておいた方が良いと判断したのである。  そして呼び出した30分後、白の詰め襟スーツを着た息子が現れた。ただそのスーツは白一色ではなく、首元の襟が赤で染められ、そこから同じく赤の矢印のようなものが下に伸びていた。袖にも、赤で何本か筋が入っていた。 「母上、お呼びと伺いましたが?」  入ってきて頭を下げた息子に、「これを」とエスタシアは送られてきたデーターを渡した。それを一読したコダーイは、少しむずかしい顔をして「本物なのでしょうか?」と母親に問いかけた。 「光速の1億倍と言うのは、私達の技術を基準にするとありえないことになります。ですが、それはそう言うものだと考えれば、まだ納得ができることでしょう。ですが、父上やサーシャと話をさせてくれると言うのは……二人の罪状を考えれば、こちらに連れてくると言うのはありえないことになります。連邦に対して引き渡すと言う文言がない以上、彼らはおとなしく父上たちを引き渡すとは考えにくいのかと。だとすると、友好的関係構築と言うのが疑わしくなります。そして最後に使者となられたトリネア王女ですが……供となったマルドと言う女性もそうですが、同一人物とはとても思えません」 「そうですね。この映像を見る限り、不細工と蔑まれたトリネア王女とは思えませんね」  そこに拘るかと、コダーイは少し目元を引きつらせた。ただ口にしては負けだと、母親の考えを尋ねることにした。 「それで、母上はどうなされるおつもりですか?」 「決定権は今の私には無いのですが……一応連邦には、訪問を歓迎すると伝えるつもりです。せっかくあの人と話ができるのですから、言いたいことを伝えても良いのではありませんか? 謝罪の方は、まあどうでもいいとは思っていますよ。むしろ、手間を掛けたことに対して謝罪が必要だと思っているぐらいです」 「確かに、手間を掛けさせましたね」  うんと頷いたコダーイは、「私から伝達いたします」と役目を肩代わりすることを申し出た。 「雑務は、私に任せていただけば結構です」 「かと言って、雑務ばかりをさせていてはいけないでしょう……それを言っても、今はどうにもならないのですが」  だからあのバカはと、こうなる原因を作った夫に対してエスタシアは罵詈雑言を吐いた。だが本人が目の前にいなければ、豊かな語彙から紡ぎ出される罵詈雑言が届くこともない。すぐに虚しくなり、「ごめんなさい」と息子に謝った。 「いえ、その辺りは私も同じ気持ちなので……ただ残念なことに、私は母上ほど罵詈雑言のボキャブラリーは無いようです」 「あの人と長く連れ添えば、嫌でも増えてくると言うものです」  そこで再び罵りの言葉を吐きかけたところで、「いけませんね」とエスタシアは大きく深呼吸をした。 「話をするだけではなく、首を絞められたらどれだけいいことか」 「その役目、ぜひとも私に譲ってもらいたいところです」  そう願った息子に、「一瞬で終わらせてはだめでしょう」とエスタシアは自分の役目を譲ることを良しとしなかった。  関係両星系から受け入れの意思を示されたことも理由だが、それ以上に決め手になったのは、外周部観測の結果が示されたことだった。わざと見つかるようにしてくれたのか、観測機が11隻の巨大船を発見してくれたのだ。これで、ディアミズレ銀河側の言ってきた一部が立証されたことになる。  その結果を持って、モンジュール2と3は、ディアミズレ銀河の訪問団受け入れを決意した。ただつけた条件は、会談は最初の訪問地であるアリスカンダルで行うと言うものだった。いくら先方の足が早くても、通信遅延を考えれば、十分に間に合うと踏んだのである。そしてもう一つ、受け入れ時点で公式行事は必要だと考えたのである。 「では、我々はアリスカンダルへ移動することにする」  必要な人員は、コウバコで行われた壮行会と同じにすればいい。簡単に手配を済ませたモンジュールは、「同行するように」とガルブロウへと命じた。もともとアリスカンダル事件における、特別追跡隊の責任者はガルブロウだったのだ。 「同行しないといけませんか」  ぎりぎりとかさぶたの擦れ合う音を立てながら、ガルブロウはあからさまに嫌そうな顔をした。ただ責任者を押し付けられたモンジュールが、その程度で事情を斟酌するはずがない。「仕事だ」の一言で切って捨て、人員の追加を許したのである。その心は、道連れを増やしても良いと言うお墨付きだった。 「ここからだと、アリスカンダルまで2日の行程か」 「先方が先についていないことを願いましょう」  ヨモツ銀河外周部に到達したと言う事実で、相手の方が足の早いことが証明されてしまったのだ。それを考えれば、出発の遅れとか距離とかは、適当なハンデにしかならないだろう。ガルブロウの言葉ではないが、先方が先についているのは大いに有り得ることだったのだ。 「だからと言って、出発を遅らせる理由にはならないだろう」  夜更かしをしたモンジュール2は、「可及的速やかに」とガルブロウに指示を出した。それを受けて慌てて出ていくのを見送り、「後は任せた」と睡眠に入った。ここから先の6時間は、モンジュール3の受け持ち時間になっていた。 「全くやっていられんな」  ぶつくさ文句を言いながら、モンジュール3は出発の準備をするため席を立ち上がった。  約束の2日を4時間超えたところで、ノブハルはヨモツ銀河側の回答を得ることになった。予めトラスティには教えられていたが、予想通り先方は、こちらの出した条件を丸呑みし利用してくれた。「面倒を避けたがるはずだ」と言うトラスティの助言が、どうしようもなく真実だと理解することができた。 「マリーカ船長、アリスカンダルまでどれだけ時間が掛かる?」  連絡を受けとった以上、そして時間の指定がなかった以上、可及的速やかに自分たちは移動すれば良い。航行の責任者のマリーカに、ノブハルは最初の目的地であるアリスカンダルまでの時間を確認した。ただマリーカの答えは、少しノブハルの予想の斜め上を行くものになっていた。 「超特急と特急と遊覧モードがありますが、ノブハル様はどれがお好みですか?」 「どれと言われても、俺には違いが分からないのだが……遊覧モードは想像が付きそうな気はするが、超特急と特急はどう違うのだ?」  当然の疑問に、マリーカはしてやったりと頷いた。 「特急モードなら、そうですね、およそ20時間程度と言うことになります。超特急モードなら、今すぐに到着できますね。遊覧モードは、文字通り遊覧しながらアリスカンダルへと向かいます。こちらは……お好みに応じてと言うところでしょうか。切り上げた時点で、すぐに目的地へと到着できますから」  マリーカの説明に、なるほどとノブハルは大きく頷いた。そして少し口元を歪めて、彼女が予想したとおりの答えを口にした。 「だったら、超特急だな」 「そう仰ると思っていましたっ!」  畏まりましたと敬礼をしたマリーカは、「全艦に伝達」と声を張り上げた。 「これよりゲートを通って、アリスカンダル主星近傍に移動しますっ!」 「これより、ゲートを通ってアリスカンダル主星近傍に移動しますっ!」  機関士トーマスの復唱から少し遅れて、正面スクリーンの映像が別のものに切り替わった。青く光る海に白い雲と、どこか故郷を思わせる惑星が目の前に現れたのだ。 「座標確認。アリスカンダル星系のアリスカンダルです」  それに頷いたマリーカは、「ウフーラ通信士」と声を上げた。 「先方に、我々の到着を伝えなさい!」 「アリスカンダルに対して、我々の到着を伝えますっ!」  復唱してすぐに、ウフーラはコミュニケーターに取り付きアリスカンダルを呼び出す手順に入った。そして格闘すること10分後、正面スクリーンに非ヒューマノイドタイプのヒトが現れた。その姿を知っているものに当てはめるのなら、鳥と人間の間の子と言うところだろうか。相手の規準が分からないのだが、印象的にかなり焦っていると全員が感じていた。 「こちら、アリスカンダル保護観察官のハーピストだ。ディアミズレ銀河訪問団の来訪を歓迎する」  形通りの歓迎の言葉を吐いたハーピストは、ヨモツ銀河側の対応を説明してきた。 「申し訳ないが、代表の到着まで26時間ほど待っていただけないだろうか」 「それは構いませんが、でしたら非公式の会談をさせていただけませんか? 具体的に指名させていただくと、アリスカンダル王妃エスタシア様、コダーイ王子を希望いたします。会談の目的は、すでにお伝えしている説明と謝罪と言うことになります」  公式の訪問と言うこともあり、ここから先は外交の出番となる。それもあって、クラカチャスが前面に立つことになった。彼もまた非ヒューマノイドタイプと言うのが、相手の警戒を緩める役に立つだろうとの期待からの人選である。 「代表がお見えになるまで、アリスカンダル上陸は認められない」  杓子定規な答えに、「ならば」とクラカチャスは対案を示した。 「お二方を、インペレーターへご招待してもよろしいですかな?」 「それならば、まだ認められるのだが……これから用意をすると、結果的に代表が到着されるのと時間が変わらなくなると思われる……」  信託統治の過程で、宇宙空間への移動方法に関する封印処理が行われていた。その封印解除に時間が掛かるため、すぐには無理だと言うのである。 「問題となるのは、ここまでの移動方法ですかな?」  それを確認したクラカチャスに、「然り」とハーピストは答えた。 「それならば、移動方法はこちらで用意いたします。王妃殿下と王子殿下に、いつならば良いのか確認いただければと。加えて言うのなら、所在地のおおよその座標を教えてくだされば結構です」 「地上に降りることは、許可できないと繰り返させていただきます。それをご理解いただけるのなら、すぐにでも確認を取らせていただくことにします」 「私達の名誉にかけて、お約束を守りますよ」  それならばと、ハーピストはすぐに確認すると言って通信を遮断した。 「マリーカ船長、現在位置で待避してください」 「はい、インペレーター現在位置で待避します」  マリーカの復唱に頷いたクラカチャスは、ゆっくりと歩いて用意された席へと移動した。それと入れ替わるようにして隣に立ったノブハルは、「地上の観測は?」と小声で訪ねた。 「バレない程度に、観測機を飛ばしています。ワカシでしたか、その情報と整合を行えば、エスタシア王妃の居場所も特定できますね」  それならいいと頷いたノブハルは、なぜか腰を振りながら「宇宙の果の」と口ずさみながら離れていった。お陰でブリッジの中を忍び笑いが包み込み、緩んだ空気が広がることになった。ただマリーカだけが、バカにされたと顔を真赤にしていた。 「絶対に仕返しをしてやるっ」  ただ仕返しをすると言っても、話は簡単なものではない。何しろノブハルは、近衛の精鋭が護衛についているのに加え、最強のデバイスにも守られていたのだ。たとえ宇宙に放り出したとしても、何食わぬ顔をして帰ってきてくれるだろう。 「やっぱり、リンさんに相談するか」  白々しく目をそらす候補生たちを見ながら、マリーカはノブハルに対して暗い思いを抱いたのだった。  アリスカンダルからの連絡が入ったのは、マリーカが復讐の方法を両手の指分だけ並べ上げたときのことだった。「先方が出ます」とウフーラが報告したのに遅れ、正面スクリーンに鳥と人間の間の子に見える、ハーピストと言う男が現れた。 「それで、私達の希望はお聞き届けいただけたのですかな?」  穏やかに問いかけたクラカチャスに、ハーピストは緊張気味に頷いた。 「エスタシア王妃も、お話をしたいと希望されました。ただ王妃の安全のため、随行員が多くなるのをご了解いただきたいとのことです」  相手が一国の主だと考えれば、多少の随行員は認めるのが当然だろう。その申し出に頷いたクラカチャスは、原則として認めることをハーピストに伝えた。 「もちろん、際限なく受け入れると言うのはありえませんがね」 「それは、重々承知していますよ」  その程度は想定の範囲と、ハーピストは「20名」と具体的な人数を挙げた。クラカチャスは、その数字が常識的なことを認めた。 「宜しいでしょう。それで、準備が整うまでのお時間はいかほどでしょう?」 「それは、直接確認していただけないでしょうか?」  そう答えたハーピストは、インペレーターからの通信をエスタシアへとつないだ。程なくして現れたのは、ある意味ヨモツ銀河らしくない、ドレスを着た熟年の女性だった。頭の上で団子になっている髪は、色の抜けた茶色をしていた。ただヨモツ銀河標準なのか、ドレスの胸元はとてもフラットなものだった。  そしてエスタシアの隣に立つのは、精悍な顔をした男性だった。赤い襟の首の詰まった白い服には、首のところから赤い矢印のような模様がお腹の当たり前で伸びていた。王妃を守るように立つのは、アリスカンダル王国王子コダーイである。  スクリーンに現れたエスタシアは、ゆっくりと頭を下げてみせた。 「アリスカンダル王国王妃エスタシアです。そして隣に居るのが、息子のコダーイ王子です」  母に倣って頭を下げたコダーイを見てから、エスタシアは正面を見ておもむろに口を開いた。 「こちらの準備は整っております」 「では、ご案内させていただきます」  小さく会釈をしたクラカチャスは、横に居たマリーカに合図をした。 「エスタシア王妃御一行をご案内しなさい」 「エスタシア王妃御一行を案内いたしますっ!」  スタッフから復唱があってすぐ、スクリーンからエスタシア王妃とコダーイ王子の姿が消えた。それを確認して、クラカチャスは、隣で居たマリーカとノブハルを見た。  それを受けたマリーカは、ご案内いたしますと先頭に立った。そして「船長出ます」の声を背中に受け、ブリッジを出ていった。  会談の場に選ばれたのは、インペレーターに用意されたバンケットルームである。長命種基準で作られたため、天井は高くゆったりとした作りをされていた。収容人数なら、およそ1千名程度と言うところだろうか。その広大な部屋の真ん中に、10名程度座れる長テーブルが置かれていた。  空間接合で宇宙まで運ばれたエスタシアは、「嫌になるわね」と部屋をぐるりと見渡した。 「嫌になると言うのは?」  それを気にしたコダーイに、「この部屋よ」とエスタシアはもう一度部屋の中を見渡した。 「私達が失ったものが、こんな形で残っているのよ……違うわね、もっと洗練された形で存在すると言った方がいいのかしら。それから私達を運んだ方法だけど、空間移動にしては距離が長いと思わなかった?」 「確かに、こんな長距離を瞬時に移動できるとは思いませんでした」  母親の言葉を認めたコダーイは、連れてきた20名の男たちに目を向けた。とても行政官には見えない体躯をした男たちは、明らかに暴力の匂いを漂わせていた。ただ屈強な男たちの目には、明らかに動揺が浮かんでいた。  そうしていたら、いつの間にか4人の年若い女性が現れた。洗練された身のこなしと行儀作法に、大したものだとエスタシアは感心した。 「エスタシア王妃殿下、コダーイ王子殿下、こちらにお座りください」  その中の一人が、頭を下げてから二人を席へと案内した。そして残りの3人が、20人の男たちを少し離れた椅子へと案内した。 「間もなく、クラカチャス様達がお見えになります」  女性の一人が説明したのとほぼ同時に、少し離れたドアがノックされる音が聞こえてきた。なめらかな足取りで移動した女性は、ゆっくりと背の高いドアを開いてから頭を下げた。 「エスタシア王妃殿下がお待ちです」 「ご苦労っ」  少し緊張気味に、クラカチャスが先頭で入ってきた。そしてそれに遅れて、リュースとサラマーが中に入り、マリーカとノブハルが並んで入ってきた。  一方エスタシアとコダーイは、クラカチャスを迎えるように立ち上がってから頭を下げた。 「私達は、挨拶の際に握手という相手の手を握る習慣があるのですが?」  そう言って右手を差し出したクラカチャスに、「残念ながら」とエスタシアはもう一度頭を下げた。 「そうですか、習慣の違いですから仕方がありませんね」  小さく笑ってみせたのだが、あいにくクラカチャスの表情を読み取れる者は一人もいなかった。それをいつものことと受け取ったクラカチャスは、「座ってください」と右手で示した。 「お話を始める前に、飲み物でも用意しようと思っております。何をお出ししてよいのか分からないところがあるのですが、トリネア王女の助言に従い用意いたしました」  「これに」と言う指示を受けた女性たちは、ワゴンを押してお茶を運んできた。青い線で絵付けのされた白磁のティーカップは、ハラミチが必要だろうと寄贈した高級品である。  その白地のカップに赤い液体を注いだ女性は、丁寧にエスタシアとコダーイの前においた。それを終えたところで、今度はクラカチャスとマリーカ、ノブハルの前にもカップを並べた。それを確認したところで、クラカチャスは「ようこそ」と二人に歓迎の言葉を述べた。 「それは、本来私共の挨拶だと思うのですが……」  そこでふっと息を吐いたエスタシアは、「お招きに預かり光栄です」と会釈をした。それを受け取ったクラカチャスは、隣に座っているノブハルの顔を見た。 「本日は、非公式の会談となります。そしてアリスカンダルの事情を考えると、外交の話をするのは控えた方が宜しいでしょう。ですから、ノブハル・アオヤマ氏より、アリスカンダル船団がディアミズレ銀河で起こした事件について、顛末をお話願うことにいたします」  それではと、クラカチャスはノブハルに場を譲った。少し緊張気味に場を引き取ったノブハルが口を開こうとした時、「その前に」とエスタシアは割り込んだ。 「私達を信用していただいたからと思いますが、いかにも不用心に見えますがいかがでしょうか?」  ぐるりと見渡してみても、その場にいるのは椅子に座った3人と、ノブハルの傍に控える2人だけだったのだ。自分達が20人もの兵士を連れてきたことを考えると、どうにも不用心に見えてしまったのだ。  それを指摘したエスタシアに、「不用心でも、そちらを信用したわけでもない」とノブハルは答えた。 「ヒアリングをしたワカシと言う男の話だと、エスタシア王妃は尊敬に値する女性と言うことだ。そんなあなたが、自分が不利になるようなことをするとは考えられない。そしてそちらの陸戦隊長との戦闘経験から、あなた達の保有している戦力への評価も終えている。20名の兵士を連れてきたとしても、脅威にならないと言うのがこちらの結論だ。もしも信じられないと言うのであれば、試してみても構わないのだぞ」 「一応評価してもらったと考えていいのかしら」  感謝するわと口にしたエスタシアは、「確かに無駄なことね」とノブハルの指摘を認めた。 「それで、あなたが何を話してくれるのかしら」  少し挑戦的な表情をしたエスタシアに、「こちらの準備不足だ」とノブハルは理解から離れたことを口にした。 「準備不足だ……ですか?」  それは何をと驚いたエスタシアに、ヨモツ銀河を逃げ出してきた船団への対処だとノブハルは返した。 「我々も、まさか外銀河から侵略してくるとは考えていなかったのだ。そのため、対処が遅れ、不必要な犠牲者を出してしまった。あの程度の戦力であれば、兵力を無効化し拿捕することも難しくなかったのだ。ただ最初の対処を間違えたため、俺の妻が……すなわち、シルバニア帝国皇帝なのだが、アリスカンダルの者たちを皆殺しにせよとの命令を出してしまった。だから準備不足だったと打ち明けるし、それに対して謝罪をしようと思っている」  ノブハルの説明に、エスタシアは口を固く閉ざして遠くを見るように顔を少し上げた。そして十分に間をとってから、「立場が違うのでは」とノブハルに答えた。 「あなたが最初に言った通り、うちの馬鹿者達はプロキオン銀河……失礼、ディアミズレ銀河を侵略しようとしたのよ。そこで返り討ちにあったのなら、自業自得と言うものではないのかしら? そして謝罪をするのなら、そんな馬鹿者を取り逃がした私達でなければおかしいと思うわ」 「確かに、あんなのを野放しにするなと言う気持ちはあるが。それにしても、俺もやりすぎだと思っているのだ。言っては悪いが、正しく対処さえすれば、怖くもなんともない戦力だったのだ……なんだ、リュース」  正直に話をしていたら、なぜかリュースに背中を突かれてしまった。どうしたのだと振り返ったノブハルに、「それ以上はだめですよ」と微笑みながら脅しをかけてくれた。 「お、俺は、正直に話をしているつもりなのだが?」 「むしろ、悪意の無い方が悪いことがあると言うことです」  そう言ってノブハルを黙らせたリュースは、「サーシャ王女に尋ねました」とノブハルから場を奪った。 「その時点で、サンダー大王ですか、あなたのご主人は保護していました。そしてサーシャ王女に、どうしたら愚かしい真似を止めることができるのか。そのために排除すべき人物を尋ねたのですが……その答えが、全員と言うものでした。サーシャ王女の答えは、ここで見逃してやると、別の場所で同じような真似をすると言うものだったんです。ですから私は、サーシャ王女を保護し、参考人としてワカシを確保することにしました」 「あなたが、うちの人を保護してくれたと言うのね」  エスタシアが驚いたのは、どう見えてもリュースが強そうに見えないことだ。それどころか、息子の嫁にしたいと思うぐらいに可愛らしい見た目をしていたのだ。もっともその可愛らしいは、ヨモツ銀河標準とは別の基準でなされた評価である。 「ええ、ノブハル様の乗った船が攻撃を受けた際、私が単独で潜入したんです。そこで情報を集めて、2人を確保してから船団の位置をシルバニア帝国に伝えました。その後ワカシを確保して、脱出したと言うことになりますね」  緊張感も何もなく答えられると、どうしても本当のこととは思えないのだ。だがそう言うものだと理解することにしたエスタシアは、名前の出た夫のことを持ち出した。 「確か、夫や娘と話をさせてくれると言うことでしたね」 「ああ、たしかにそう連絡したな」  小さく頷いたノブハルは、エスタシアの想像もしていないことを尋ねた。 「その話だが、通信の形がいいか、それとも直接会って話をした方が良いのか。可能な限り希望に応えようと思っているのだがな?」 「まさか、あの人達を連れてきているの!」  流石に驚いたエスタシアに、「それはない」とノブハルは返した。 「3人共、政治亡命を希望しているそうだからな。したがって、ディアミズレ銀河に残してきている」 「だとしたら、あなたについてディアミズレ銀河だったっけ、そこに来るのかと言う意味なのかしら?」  直接話をすると言うのなら、自分もディアミズレ銀河に行かなければならなくなる。すぐにではないことに落胆したエスタシアに、「微妙に違うのだ」とノブハルは分かりにくい答えを口にした。 「微妙に違うって……失礼、どう言うことなのかしら?」  教えてくださると顔を見られたノブハルは、「こう言うことだ」と言ってアルテッツァを呼び出した。 「二人のいるところに接続してくれ」 「すでに、接続は完了しています。そちらのドアを開ければ、面会室へと行くことができますよ」  どうしてこちらの考えを読んだような手配ができるのか。そのことに疑問を感じたが、今は些事だと気にしないことにした。 「そう言うことなのだが……あちらのドアを開ければあなたの夫がいる」  どうすると問われたエスタシアは、一度息子の顔を見てから小さく頷いた。 「でしたら、私から会いに行くことにいたします」  付いてきなさいと息子に声を掛けたエスタシアは、確かな足取りで指定されたドアのところまで歩いていった。そして一度大きく息を吸ってから、勢いよく眼の前のドアを開け放った。 「まさか、隣の部屋に隠していたと言う落ちではないでしょうね」  そう言って振り返ったエスタシアに、「旦那に聞いてみたらどうだ」とノブハルは言い返した。それならばと、エスタシアは目の前で腰を抜かしている夫の前へと進み出た。 「サーシャの分も、刑務所で刑期を務めてきなさい!」  どすを効かせたエスタシアに、なるほど迫力があるとノブハルは感心していた。 「い、いやだ、わしはあのバカ者共に利用されただけなのだぞっ!」  絶対に嫌だと答える夫に向かって、「ボケ、カス、間抜け、人でなし、死んでしまえ……」と言ったような罵詈雑言が、流れるようにエスタシアの口をついて出てきた。しかも罵倒のボキャブラリーが豊富なのか、なかなか終わってくれなかった。 「あなたの母上は、罵詈雑言が得意なのか?」  小声で尋ねてきたノブハルに、「ライフワークだ」とコダーイは答えた。 「そして俺は、それを子守唄がわりにして育ってきた」 「なるほど、筋金入りのヘタレと言うのがお前の父親の本質なのだな」  放っておけば、いい加減罵り疲れるだろうと思っていた。だがいつまで経っても終わらない罵倒にしびれを切らし、ノブハルは「そこまでにしておけ」と仲裁に入ることにした。夫婦の語らいを邪魔するのは野暮なのだが、それは別の機会にして欲しいと思えてしまったのだ。  罵倒の言葉が尽きないのは、それだけ長い時間共に過ごしてきたと意味でもあった。そしてエスタシアにとって、夫が大切だと言うことにもなる。それは、振り返ったエスタシアの瞳に浮かんだ涙からも知ることができた。  お見苦しいところをお見せしました。そう言って謝ったエスタシアに、「それは構わない」とノブハルはぶっきらぼうに答えた。内心では、「こう言った夫婦関係もあるのだな」と感心したりしていた。 「アルテッツァ、サーシャ王女もお連れしてくれ」 「本人はあまり乗り気ではないようなのですが……」  その言葉が終わった瞬間、何もなかった空間にいきなり一人の女性が現れた。薄い茶色の長い髪をした、少し野暮ったく見える女性である。 「あなたも、無事だったのね……」  夫に対して罵倒から入ったエスタシアだったが、娘のサーシャに対しては抱きつくと言う行動に出た。本来麗しい母娘の再会なのだが、「苦しい」と言うサーシャの言葉がすべてを台無しにしていた。  そのふれあいを十分に堪能してから、「本来どうでもいいことなのだが」とノブハルは割って入った。 「このドアを隔てて、ヨモツ銀河とディアミズレ銀河に分かれることになる。その二人に関しては、ディアミズレ銀河に居る限り亡命希望者として扱われる。したがって、ヨモツ連合に引き渡されることはないことを保証する」  理解したかと言うノブハルの問いに、エスタシアとコダーイは揃って首を横に振った。当たり前だが、ドアの向こうが別の銀河と言われて納得できるはずがないのだ。 「理解はできませんが、建前を通すことはできるつもりです」  コダーイの言葉に、「ああっ」とノブハルは少し遠くを見る目をした。 「どちらでも良いが、教えてやってくれないか」  そこでサンダー大王とサーシャ王女を見たのは、事実を一番知っていると考えたからだろう。そのノブハルの言葉に顔を見合った二人は、眼の前で押し付け合うようにしてくれた。  そこで押し付け合いに負けたサンダー大王は、「わしらは船に乗っていないぞ」と妻に告げた。 「だったら、あなた達はどこに居ると言うのよ」  嘘を吐くんじゃないと凄まれ、途端にサンダー大王は顔色を悪くした。それを見たサーシャは王女は、仕方がないと夫婦の間に割って入った。 「お父様は、今回に関しては何一つとして嘘を言っていません。私達は、ディアミズレ銀河のガルマンと言う星で保護されています。その扉を開ければ、外の景色を見ることができると思います」  宜しいですかと尋ねられ、ノブハルはクラカチャスの顔を見てから小さく頷いた。話をさせることが目的なのに、なぜか前振りの部分が長くなってしまった。  ノブハルの許しを得たサーシャは、母達を連れて隣の部屋に通じる扉を開けた。途端に広がる明るい景色に、エスタシアは思わず自分の頬をつねってしまった。 「映像では、無いのよね?」 「繰り返しますけど、ここはガルマンと言う星にある宿泊施設です。私とお父様は、そこで保護と言う名目で軟禁されています」  娘の説明を聞いたエスタシアは、もう一度外の景色をじっくりと観察した。そして作り物でも映像でもないと理解し、「理解できたわ」とノブハルに告げた。 「いえ、正確には理解できたとは言えないわね。ただ、そう言うものだと受け止めることにしました」 「まあ、今はそれが限度だろうな」  小さく頷いたノブハルは、エスタシア達を連れて元の部屋に戻った。 「さて、話をする場を用意したのだが……1時間ほど、俺たちは席を外せばいいか? ただ断っておくが、ここでの会話はすべて記録されている。もちろん、何を話してもヨモツ銀河側に提供されることがないことは保証する」 「ご配慮に、感謝いたします」  揃って頭を下げたエスタシアとコダーイに、「それはいい」とノブハルは少し顔を背けた。 「では、我々は隣の部屋に行っている。それから、この部屋から出られないことを予め教えておく」 「そんなマネをしても、私達に良いことはありませんからね」  エスタシアの答えに、「だったらいい」とノブハルはお供を連れて部屋を出ていった。それを頭を下げて見送ったエスタシアは、逃げ腰の夫に向かって「あなた」と泣き笑いの顔をした。 「二度と、生きて会えることは無いと諦めていたんですよ」  その泣き笑いの顔も、ついに完全に崩れてしまった。「あなたは馬鹿ですよ」とすがりついた妻を、サンダーはしっかりと胸に抱きとめたのだった。  夫婦が涙の再会をしている頃、インペレーターの一室で一組の男女が密会していた。首に金の飾りが付いた黒いチョーカーをした女性は、バスローブ姿でクローゼットから下着を漁っていた。そして少し遅れて現れた男を認めると、嬉しそうに近づき両腕をその首に巻き付け口づけをした。それをしばらく続けた後、着替えを持って化粧室へと小走にかけて行った。それだけを見れば、ごくありふれた男女の情事と言えるだろう。  ただ普通と違うのは、その姿が消えたところで一人の少女が男の目の前に現れたことだ。 「サンダー大王と妃のエスタシアが顔を合わせました」  機械的に事実を告げた少女に、男……トラスティは、小さく頷いてみせた。 「ノブハル君は、夫婦の関係を一つ勉強したのかな?」 「はい、こう言う形もあるのだと理解されたようです」  そこで化粧室に一瞬視線を向け、「何が目的ですか?」と少女は尋ねた。 「ここで、アルテルナタ王女のご機嫌をとっておく必要はないと思いますが?」 「別に、ご機嫌を取りに来たつもりはないよ」  そう答えたトラスティは、自分は話をしにきたのだと少女……アルテッツァに答えた。 「ちょっと、この先の展開を確認しに来たんだよ。ノブハル君が何をしようとしているのかは想像がつくんだけどね。それがうまくいくのか、そしてうまくいかない場合、ばれないように手を出す方法を確認しよと思ってね」 「過保護……と言っていいと思いますよ」  小さくため息を吐いたアルテッツァは、「何が狙いですか?」とトラスティを質した。 「一種の前線基地を作ろうってところかな。扱いやすさを考えると、コウバコよりアリスカンダルの方が適当かなと思ったんだよ」 「多層空間制御装置の置き場所にと言うことですか?」  アルテッツァの問に、「それ」とトラスティは肯定した。 「バカ正直に高速艇を仕立て上げるだけじゃだめだと思っているからね。だから、違う銀河に前線基地を作ることを考えたほうが良いと思ったんだよ」  そこで「なるほど」とアルテッツァが納得したところで、「時間切れだね」とトラスティは告げた。長いものと相場の決まっている女性の身支度なのだが、アルテルナタは少しでも早くトラスティのところに戻ることを選択したようだ。 「では、お邪魔な私は消えていることにします」  そしてアルテッツァが消えた30秒後、髪の色を銀色に戻したアルテルナタが現れた。かなり短めの紺のワンピースの裾からは、シミひとつ無い素足が覗いていた。 「どなたかとお話されていたのですか?」  備え付けのキッチンから冷たい飲み物を取り出したアルテルナタは、それをトラスティの前のテーブルに置いた。透明な液体の中を、小さな空気の泡が立ち上っていた。 「君なら、見えたんじゃないのかな?」 「本当なら見えるはずなのですが……その、見ないようにしていると言うのか」  そこで首筋を赤くしたアルテルナタに、「どうしたのかな」とトラスティは問いかけた。その問いにますます顔を赤くしたアルテルナタは、「恥ずかしいからです」と小さな声で答えた。 「あなたのことを見ようとすると、未来視と妄想が混じってしまいます。ええっと、願望と言った方が正しいのかもしれませんが。ですからあの日以来、あなたの未来を見ないようにしているんです。そうしないと、仕事になりませんから」  そこまで答えたアルテルナタは、顔を真赤にして俯いてくれた。それを可愛いなと感じたトラスティは、「アルテッツァの報告を受けていたんだ」と正直に説明した。 「ノブハル君は、エスタシア王妃を無事旦那のところに案内したようだね」 「それが、私のところにおいでになられた理由ということですか」  自分の役目は、ノブハルを守るためにその未来を見ることなのだ。それを口にしたアルテルナタに、「嫌だったかな?」とトラスティは問いかけた。その問いに、アルテルナタはふるふると首を振って否定した。 「どんな理由があっても、ご主人様にお会いできれば幸せなんです。こうして会いに来ていただけると言うことは、私が役に立っていると言うことになります。だから、その、幸せだなって感じているんです」  恥ずかしいと答え、アルテルナタはもう一度顔を伏せた。そこで少し息を整えたアルテルナタは、「ノブハル様は」と自分の見た未来をトラスティに説明した。 「エスタシア王妃とサンダー大王が一緒にいられる方法を考えられます。その目的のため、ヨモツ連邦の代表……一つの体に首が3つある、不思議な見た目をされた方なのですが。その代表の方に、恩赦ができないかを持ちかけられます。ただ持っていき方の問題で、理由がないと拒否されてしまいます。具体的には、双方交流を開始することを祝っての恩赦を持ちかけたのですが……」 「後ろ向きの相手に持ちかける話じゃないね」  トラスティの指摘に、アルテルナタはそのとおりと頷いた。 「法的根拠がないことで跳ね付けられました。そこで、どうすればよいのか悩まれることになります。そしてアルテッツァから情報を集めて、なにか手がないかを考えられるのですが……それでも手詰まりのはずだったのですが、たった今見える未来が変わりました」  大きく藍色の目を見開いて、アルテルナタは正面に座るトラスティの顔を見た。 「ご主人様が、未来を変えたと言うことですね?」 「ノブハル君が、想定内の行動をしてくれるのが分かったからね。だから僕がどう動けば良いのか、それが分かったんだよ。とりあえず1万程度用意するつもりだけど、それだったらうまくいくかな?」  トラスティの問いに、アルテルナタは集中するように藍色の瞳を閉じた。そうやってしばらく分析してから、ゆっくりと目を開いてトラスティの顔を見た。 「目的は達成できますが、ヨモツ銀河側に少なくない犠牲が出ます。具体的な数字は……およそ1億人と言うことろでしょうか。超銀河連邦側にも、10万人程度の犠牲が出ることになります」 「なるほど、ヨモツ連邦側が徹底抗戦を選ぶと言うことか」  そこでプランを修正するため、トラスティは頭の中で幾つか条件を変えてシミュレーションをした。 「現状だと、かき集めて10万と言うところだな。少し時間をかければ、倍ぐらいには持っていけるが……」  ううむと考えたトラスティに、アルテルナタは「こちら側の犠牲が減る程度です」とその結果を伝えた。 「なるほど、数で力押しと言うのは得策ではないと言うことか」  被害を抑えるためには、発想を変える必要がある。そう考えたトラスティは、何が効果的かを考えることにした。普通の方法では譲歩させられないのなら、別の方法で脅しをかけるのはおかしくないだろう。そのために数を用意しようと思ったのだが、それでは発生する被害が大きすぎて割が合わないことが分かったのだ。 「嫌がられそうだけど……兄さんにお出ましを願うか」 「お兄さま……キャプテン・カイト様ですか?」  カイトの名を出したアルテルナタに、トラスティは小さく頷いた。 「兄さんなら、スターライトブレーカーが打てるからね。と言うのは脅しに使えるけど、ちょっと別のオプションも考えたんだ」 「教えてくださいと言うのは、シラキューサの女のプライドが許しませんね」  そこでもう一度目を閉じたアルテルナタは、「なるほど」と小さく頷いて目を開いた。 「ヨモツ連邦の結びつきの弱さを利用すると言うことですね」 「ああ、何しろこちらは星系間の移動に時間がかかりすぎるからね。密接な関係なんて、結びようがないんだよ。だから、他の星系のことへの関心は薄くなっている」  トラスティの説明に、「目立った犠牲は出ないようです」とアルテルナタは答えた。 「もちろん、犠牲がゼロなどと言うつもりはありませんよ。ただ私に見える範囲で、その犠牲が表に出てはいません」 「だったら、とりあえず第一候補としておくか。もう少し先が見えたら、アルテッツァを通じて教えてくれないかな?」  それで良いかと見られ、アルテルナタは顔を赤くしながら何度も頷いた。そんなアルテルナタに、「ところで」とトラスティは話を変えた。 「未来視で僕を見ないと言ったね?」 「はい、申し上げましたが?」  それが何かと首を傾げたアルテルナタに、「見てごらん」とトラスティは命じた。つまり、もう一度自分を抱いてくれると言うのだ。だからアルテルナタは、言われたとおりにトラスティの未来を見た。その効果は覿面で、アルテルナタの顔はすぐに熟れたように赤くなり、瞳は見るものを溶かすような熱を帯びた。そこでの問題は、すぐに小さな声を上げて果ててくれたことだ。  それをかろうじて支えたトラスティは、「次からは気をつけよう」と考えながらアルテルナタを抱き上げた。  アルテッツァからの連絡を受けたノブハルは、面会室のロック解除を命じた。ただ予想と違ったのは、サーシャを残してサンダーがヨモツ銀河側にやってきたことだった。 「とりあえず、見なかったことにするが……」  こちらに来た時点で、サンダーは指名手配犯としての扱いを受けることになる。ただディアミズレ銀河からの訪問団には、ヨモツ銀河側の司法権が及ばないだけのことである。  ノブハルの言葉に「感謝します」と礼を述べたエスタシアは、「話し合った結果です」と切り出した。 「この人の場合、おとなしく捕まれば11年の刑期で出ることができます。それでもこの人は、こちら側に戻ることを選びました。ただサーシャにとって、この時期での11年の刑期はあまりにも過酷なものと言うことができます。ですからディアミズレ銀河でしたか、そちらに残ることを希望しました」 「その説明を聞く限り、11年の刑期がなければ王女も帰国を希望しているのだな?」  扉の向を見たノブハルに、エスタシアははっきりと頷いた。 「ええ、家族が揃うことを希望してくれました。ただこちらに戻れば、娘は収監されることになるでしょう」  それを理解した選択だと言うのである。なるほど理にはかなっていると、ノブハルはエスタシア達の判断を理解した。 「それで、俺達になにか期待することはあるか?」 「あなた方に期待すること、ですか」  少し驚いた顔をしたエスタシアは、しばらく考えてから「なにも」と答えた。 「二度と会えないと思っていた夫と娘に会わせてくださいました。これ以上望むのは、厚かましいと言うことでしょう。そして冷静に考えてみても、お願いできるようなことがないと言うのに気が付きました……いえ、違いますね。叶うならば、そちらの残る娘と会う機会をお作り願えればと」  今回のことで、200万光年の距離が問題とならないことが分かったのだ。だからディアミズレ銀河に残るサーシャとも、会うこともできるだろうと考えたのである。 「それぐらいならと言いたいところなのだが……今回は、臨時のゲートを用意したのだ。だからこのゲートは、俺達が帰った時点で解除されることになる。連絡程度なら取れるようにできるが、直接会うのは難しいとしか答えようがない」  臨時と言われれば、それ以上無理を言うこともできない。「そうですか」と素直に受け止めたエスタシアは、「ご厚情に感謝いたします」とノブハルに礼を言った。 「娘が元気にしているのが分かれば、それで十分だと考えることにいたします」  そこで夫の顔を見たエスタシアは、「この人には自首させます」とノブハルに告げた。 「そのためには、このままこの船にとどまることをお許しください」 「それぐらいのことは何でもないのだが……」  そこでクラカチャスの顔を見たのだが、肩らしきものをすくめて首を横に振ってくれた。だめと言う意味ではなく、ノブハルの力になれないと言う意味である。 「私の立場では、乗船を認めるところまでが限界ですな」 「なるほど、それ以上は俺が考えなくてはいけないと言うことか……」  なんとかしたいと考えはしたが、すぐに答えが浮かぶほど簡単なことではない。そして今は、余計なことに時間を使っている場面でもないはずだった。 「これで俺の用は済んだのだが……」  そこで3人を見たノブハルは、「どうしたい?」と分かりにくい問いを発した。 「どうしたいと申されても……」  そして当たり前のように困惑を顔に出したエスアシアに、いけないとノブハルは頭を掻いた。 「俺たちは、どうせ明日まで暇なのだ。そして準備と言っても、大したことがあるわけではない。だからあなた達に、様々な便宜を図ることも可能なのだ。どうしたいと言うのは、このまま地上に帰ることにするのか。もう少しこの船に留まることにするのか」  そしてと、ノブハルは閉ざされた扉の方を見た。 「もう少し、家族の語らいをする時間を持つのか。と言うことだ」 「でしたら、お言葉に甘えることになるのですが……」  そこで扉の方を見たエスタシアは、「娘と話をしたい」と希望を口にした。 「そうか、ならばもう一度用意をすることにしよう」  小さく頷いたノブハルは、アルテッツァを呼び出した。 「はい我が君、すでに空間の接続は完了しています」  気が利きすぎるぐらいに気が利くと感心しながら、ノブハルはエスタシア達に「存分に話をするといい」と扉を示した。 「このご厚情を生涯忘れることはありません」  3人揃って頭を下げてから、エスタシア達は扉を開いてディアミズレ銀河へと渡っていった。  扉の向こうに消えていく3人を見送ったところで、「仕方がないことか」とノブハルはぽつりとつぶやいた。なんとかしてやりたいと思いはしたが、サンダー大王達はれっきとした犯罪者なのだ。撃退されたとは言え、武装蜂起をすれば少なくない犠牲者が出ていたことだろう。それを考えれば、懲役刑を課せられると言うのは、正常に法が働いていると言う意味にもなる。よその銀河のことだと考えれば、口を出すのは主権侵害になってしまうだろう。  そして仕方がないと言うのは、クラカチャスも認めていることだった。ただ彼が口にしなかったのは、俗に言う「恩赦」の可能性があることだった。銀河レベルの交流開始ともなれば、減刑されることも視野に入ってくる。うまく交渉すれば、観察処分が付いたとしても収監を避けられる可能性もあったのだ。  ただその話は、ディアミズレ銀河側から持ち出すたぐいのものではない。そして自分が持ち出せば、外交交渉が面倒なものになるのは目に見えていたのだ。それを理解しているクラカチャスは、何も助言をしないと言う選択をした。しかもトラスティからは、甘やかすなとも言われていたのだ。 「では、我々も明日に備えることにするか」  そう言ってノブハルが立ち上がった時、「トラスティ様は」と小さな声でリュースが呟いた。 「トラスティさんが、どうかしたのか?」  いきなりなんだと驚いたノブハルに、「いえ」とリュースは少し言葉を濁した。そして自分を見るノブハルにため息を吐いてから、「思ったのです」と気になったことを口にした。 「こんな時、どうされるのかなと。仕方がないと諦めてしまわれるのかな……と思っただけです」  そこまで口にしてから、「忘れてください」とリュースは慌てて自分の言葉を取り消した。 「ちょっと思っただけで、別に深い意味はありませんから」 「深い意味はない……と言われてもな」  苦笑を浮かべたところを見ると、リュースに何らかの意図があるのだろうと考えたと言うことだ。しかもこのタイミングで持ち出すには、なにもないと考える方が無理があった。 「確かにあの人はペテン師だが、こう言ったときは、かなりドライな割り切りをする人だぞ。例外と言えば、アリッサさんにお願いされたときぐらいだろう。自分達の利益にならなければ、あの人でも静観すると俺は思っているのだがな?」  自分の持っているトラスティ像を口にしたノブハルに、「それは認めます」とリュースは答えた。 「ところでマリーカ船長、船長はエスタシア王妃が可哀想だと思いませんでしたか?」 「えっ!」  いきなり自分に振られたマリーカは、目を大きく見開いて驚いた顔をした。だが真剣なリュースの表情に、「確かに」とエスタシアへの同情を認めた。 「なんとかしてあげたいとは思ったわね」 「だったら、サラマーさんはどうです?」  振られる予想はしたが、それでもどうしてと言う気持ちを持ってしまう。恨みがましい目でリュースを見たのだが、口元が釣り上がるのを見てサラマーは慌てて目をそらした。 「た、確かに、か、可哀想よね。な、なんとかしてあげられたらなぁって、少しは思ったわよ」 「私も同じなんですけどね。でも、ノブハル様には、私達の願いを叶える義務はありませんよね」  自分達は、ノブハルの妻ではないのだと。トラスティにとってのアリッサとは、そもそもの立場が違っている。そこまで言っておきながら、「だから忘れてください」とリュースは突き放した。 「いかにも意味ありげな真似をしたのはお前なのだがな……」  そう言って苦笑を浮かべたノブハルに、「二人を物にするチャンスですよ」とリュースはいやらしく笑った。もちろんその視線は、マリーカとサラマーに向けられていた。 「いえリュースさん、流石にそれはないと思うわ」 「護衛が、護衛対象と関係しちゃだめでしょ」  すぐさま帰ってきた否定の言葉に、「それはそれ」とリュースは笑った。 「ただ私は、ノブハル様だったら利益よりも気持ちを大事にするだろうと期待しただけです。それって、自分勝手な期待なんですけどね」  だから忘れてくださいと、リュースはノブハルの顔を見て繰り返したのだった。  忘れろと言われて忘れられるのなら、どんなに簡単なことだろう。だがあそこまであからさまなことをされると、忘れるというのは逃げだと思えてしまう。それにノブハル自身も、エスタシア王妃に同情を感じていたのも確かだった。  だがエスタシア王妃の願いを叶えるためには、ヨモツ連邦の事情に踏み込まなければいけなくなる。しかもよそ者が口を挟んでくれば、それだけで紛争の理由になりかねなかった。 「アルテッツァ、刑法における減刑、もしくは刑が免除される具体例に何がある?」  そこでノブハルは、自分に何ができるか考えるため、アルテッツァの情報を頼ることにした。呼ばれて現れたアルテッツァは、黒のマントとふちなしメガネと言う出で立ちで「それはですね」と講義を始めてくれた。 「一つの方法として、司法取引と言うものがあります。罪を減じることを取引条件に、より大きな犯罪の情報を提示したり、関係者の居場所を教えたりするものです。それ以外の方法として、罪を認めることで減刑を勝ち取るという事例もあります」  一般的な司法取引の説明をしたアルテッツァに、「質問だが」とノブハルが口を開いた。 「前の取引については分かるが、なぜ罪を認めることで減刑を勝ち取れるのだ?」  客観的事実を積み上げて裁きを下すことを考えると、被告人の認否に意味があるとは思えない。自分の常識から疑問を呈したノブハルに、それはですねとアルテッツァは掛けていたふちなしメガネに手を当てた。 「一つは、公判の短縮化ができると言うメリットことがありますね。そしてもう一つは、客観的事実が不足していても刑罰を与えることができると言うメリットもあります」 「なるほど、裁判の都合と言う奴か……」  小さく頷いたノブハルに、「身近な例として」とアルテッツァはネビュラ1事件を持ち出した。 「アルテルナタ王女を起訴する際に提出された証拠には、公判維持に適さないものが沢山あったんです。今更ですが、適切な方法で得られたものしか証拠として採用されませんからね。したがって、アルテルナタ王女との間で、司法取引がなされたと言うことです。ただその方向は、ノブハル様の考えとは違うものだったようです」 「俺の考えとは違う?」  少し険しい顔をしたノブハルに、アルテッツァは当時の記録を持ち出した。 「連邦が提示したのは、アルテルナタ王女が罪を認めることで執行猶予をつけてクリプトサイトに身柄を送致すると言うものでした。それにアルテルナタ王女が抵抗して、連邦で懲役刑をつけることで落ち着いたと言うことです」  その説明に、確かにそうだとノブハルは大きく頷いた。 「あの頃は、軽すぎる刑罰だと憤慨したのだがな。それにしたところで、アルテルナタが主張しなければ、連邦はもっと軽い刑を課していたと言うことか。なるほど、アルテルナタが必死になるはずだ」  すでにフリーセアと話をしているので、身柄がクリプトサイトに移される意味をノブハルも理解していた。そして今なら理解できるのが、2年と言うのは逆に過酷な刑期と言うことだ。 「と言うことが、身近な司法取引の例の説明になります」 「なるほど、刑法と言うのは奥深いものなのだな」  うんうんと頷いたノブハルに、「別の方法です」とアルテッツァは、「恩赦」を次に説明した。 「これは様々な理由で行われるものですが、刑そのものを消滅させる大赦や特赦とか、刑を減刑するものとか、執行免除するものとか、停止された権利を復活させるものとかがあります。そして理由なのですが……本当にいろいろとあるんですよね」  なぜかふうっと息を吐き出したアルテッツァは、その「いろいろ」について説明を続けた。 「そもそも恩赦と言う制度自体が理不尽なものだと思っています。そのあたり、政治的に利用されていることから想像がつくと思います。疑問はあるかと思いますが、刑はその時の法律、過去からの経緯、責任の認定等様々な手続きを経て決められるものです。ですが恩赦と言うのは、そんなプロセスに関係なく行われますからね。例えば、政権の人気取りとか、政権をとった側の関係者を解放するためなんて言うものもあるぐらいです。そうでなければ、国民的お祝いがあったときですね。一つの例として、新しい国王が就任したときとか、とても大切な条約が締結されたときとか。政権がお祝い気分を盛り上げるために恩赦を出すことがあるんです」  理不尽と答えたアルテッツァに、なるほど理不尽だとノブハルも考えていた。ただ理不尽ではあるが、利用できるかもしれないとも考えた。 「確かに理不尽なのだが、利用できそうな気もするな」  そこで優秀な頭脳を巡らせたノブハルは、「使えるか」と小さくつぶやいた。アルテルナタのことを知っているアルテッツァは、さすがは未来視とその力を認めていた。 「だとしたら、どうやってお祝いムードに持っていくかと言うことだが……」  話としては、そちらの方が難易度が高く感じられる。目を閉じて頭の中でシミュレーションを繰り返すノブハルに、アルテッツァは今更ながらトラスティとの違い見せつけられた気がしていた。トラスティならば、アルテルナタの未来視がなくても、恩赦と言う方法が使えないのは理解していたのだ。だから硬軟取り混ぜた正攻法から、ペテンとも言える裏技まで用意するのである。だがノブハルの場合、偶然見つかった抜け道を深掘りしようとする。酷い言い方をするのなら、差し出された餌にすぐに食いつくと言うことだ。 「すでに結果まで評価が終わっていますよ」  そう教えたいのを我慢し、アルテッツァは分かっている結果が導き出されるのを見守ったのだった。  そして約束通り翌日到着したモンジュールは、駐在官ハーピストに命じて歓迎の式典を用意させた。たとえ面倒だと思っていても、相手は遠く200万光年の距離を超えてやってきた賓客なのである。その技術力を考えた場合、敵に回しても一つもいいことがないのは分かっていたのだ。  そしてヨモツ銀河標準で言えば派手な、そして超銀河連邦標準で言えば地味すぎる歓迎式典が開かれ、モンジュール2は、ようこそとクラカチャスを迎え入れた。これからの対応においては、超銀河連邦が前に出る必要があると言う判断からである。 「長い旅路、お疲れではありませんか?」  何をしたら相手の機嫌を損ねるのか分からないこともあり、モンジュール2は細心の注意のもとクラカチャスに相対した。もしもトリネア王女の報告が正しければ、敵対した途端に大きな被害を想定しなくてはならなくなる。自分に抱える面倒を考えたら、ここは穏便にことを済ませておく必要があったのだ。  だが「お疲れ」と言われたクラカチャスは、誰の目からも分かる微妙な顔をしてみせた。 「何か、問題でも?」  それを気にしたモンジュール2に、「いえ」とクラカチャスは言葉を選んだ。 「長官殿は、長い旅路で疲れたのではと仰られたのだが……果たしてそうなのかと、疑問に感じてしまったと言うことです。正直申し上げると、ズミクロン星系からここまで来るのより、私の出身星系ジンサイト星系からズミクロン星系に行く方が時間がかかっているのです。しかも使用した船を考えると、どちらが大変かと言われると……したがって、お答えに困ったと言うことです」 「超銀河連邦は、1万の銀河で構成されていると伺っておりますが……大使殿は、別の銀河の出身と言うことですか?」  さり気なく疑問を解消しようとしたモンジュール2に、「定義では」とクラカチャスは分かりにくい答えをした。 「定義と仰っしゃりますか?」 「ディアミズレ銀河……正確に言うと、ズミクロン星系が私達の銀河に無いことは分かっております。その意味言えば、別の銀河と言うのは間違っていないでしょう。ただ本当にそうなのかと問われると、自信がないと言うのが正直な気持ちです。何しろ自分達の銀河から見て、ディアミズレ銀河がどこにあるのか分かっておりません。だから、多分別の銀河なのだろうとしかお答えできないのです」  困惑を含んだ答えに、なるほどとモンジュール2は大きく頷いた。 「そちらの連邦には、10億を超える星系が参加されていると伺っていますが?」  その問いに大きく頷いたクラカチャスは、「数が多すぎて」と愚痴をこぼした。 「一つ一つ名前を覚えるには、10億と言うのはあまりにも数が多すぎます。おそらくですが、そのすべてを知っているのは、管理システム以外には無いでしょう。正直申し上げると、同じ銀河にある星系でも、知らないものの方が多いと言う体たらくなのです」 「それは、大いに理解できる感覚ですな」  うんうんと頷いたモンジュール2は、こちらにとクラカチャスを案内した。わざわざ案内したことを考えれば、おそらく応接と言う場所なのだろう。だがインペレーターの生活になれた目で見ると、事務室かと言いたくなるほど飾り気のない部屋だった。  そして出された飲み物も、古い映画で見たような宇宙食だったのだ。なるほどトリネア王女が帰りたがらないはずだと、クラカチャスは行き過ぎた合理主義の到達点を見た気がした。 「改めて自己紹介させていただきます。ヨモツ連邦長官をしております、モンジュールと申します。私の人格は頭ごとにあるため、便宜上モンジュールツヴァイとお呼びください」 「丁寧なご挨拶痛み入ります。超銀河連邦に所属するジンサイト星系より派遣されたクラカチャスと申します。当星系から連邦理事会にパッパジョンと言う者を派遣している関係で、今回の代表団の代表に選ばれました」  こちらこそよろしくと頭を下げたクラカチャスに、少し緊張しながら「ご用件を伺いたい」とモンジュール2は切り出した。 「用件ですか……」  なかなか難しいと零したクラカチャスは、超銀河連邦における問題点を最初に説明した。 「1万もの銀河が参加した連邦なのですが、不思議なことにお互いの位置関係が確認できていないのです。そして同じ局部銀河団に属している銀河は、連邦に加わっていないと言う事実があるのです。それだけ遠くの銀河と親交があるのに、わずか200万光年離れた銀河から何者かが訪れると言うのを誰も考えていませんでした。いえ、正確に言うのなら、考えないようにしていたと言うのが正解なのでしょう。一部の銀河で外銀河探索を始めているのですが、それにしても100万光年程度しか到達していませんでした。それが、私達超銀河連邦の現実と言うことです」  そこまで説明したのだが、モンジュールは口を挟んでこなかった。それを先に進めて欲しいと言う意志と受けとり、クラカチャスは説明を続けた。 「その無意識のうちに避けてきた問題を、アリスカンダルの者たちが現実の問題として突きつけてくれたと言うことです。したがって私達は、局部銀河団に属する近傍銀河と向かい合わなくてはならなくなったと言うことです。今回の事件は、偶然のお陰で私達の銀河で犠牲者を出さずに乗り切ることができました。ですが、いつもいつも偶然を頼ることができないのは今更のことでしょう。ですが、何も用意のないところで、いきなり外銀河探索と言っても、実現のハードルは極めて高くなってくれます。したがって、すでに足がかりのあるヨモツ銀河をテストケースとして、外銀河探索……探索と言うのは、私達目線の言い方となりますな。外銀河訪問に乗り出そうと考えたと言うことです」 「それで、あなたがおいでになられた、と言うことですか」  なるほどと大きく頷いたモンジュール2は、「目的は?」とそのものズバリを切り出した。 「こうして来てしまった以上、安全の担保と並行して、友好関係の樹立と言うことを考えなくてはいけません。したがって目的はと問われれば、友好的関係の樹立と言うことになるかと思います」  その説明を理解したモンジュール2は、「私達は」とヨモツ銀河側の事情を持ち出した。 「すでに技術評価を済まされていると思いますが、私達の場合同じ銀河内を移動するにもかなりの時間を要しています。ですから、私達にとってプロキオン銀河、あなた方の名前でディアミズレ銀河に行くと言うのは、今でも現実的ではないと言うのが正直なところです。ですから友好関係と言うのは理解できますが、私達の側からすると意味のないこと……と言うのか、一方的なものになってしまうと言うのが現実なのです。ですから、趣旨は理解できますが、実際には戸惑っていると言うのが正直なところなのです。敢えて言わせていただけば、時期尚早と言うところでしょうか」  予想通りの後ろ向きの答えに、「理解できますな」とクラカチャスはモンジュール2に対して理解を示した。 「ただ、現実の問題として私達は来てしまったのです。そんな私達を前にして、あなた方は時期尚早とお答えになるのですか?」 「それでも、時期尚早と言う気持ちを否定はできません。そちらはいざしらず、私達の中で交流の機運は高まっておりません。安全保障を求められると言うのであれば、それを保証するのはやぶさかではないと思っておりますが」  それが限界と答えるモンジュール2に、なるほどとクラカチャスはもう一度大きく頷いた。 「確かに、いきなりやってきて交流を迫るのは乱暴なことに違いないでしょうな。したがって私達は、長官のお答えをヨモツ連邦の意志と認め、尊重することにいたします」 「ご理解いただけて幸いです」  クラカチャスの答えに、モンジュール2がホッとしたものを感じたのは確かだろう。だが彼がホッとしたのもつかの間、「忘れていただきたくないことがあります」とクラカチャスは指摘した。 「わずか100隻とは言え、私達の連邦に武力侵攻してきたのはあなた方と言うことです。そして使者を送り込んできたのも、あなた方と言うことです。失礼な物言いをさせていただくことをお詫びいたしますが、そんなあなた方から、「時期尚早」と言う言葉が聞かされるとは思っても見ませんでした。どちらが先にちょっかいを掛けたのか、それを忘れないでいただきたいと言うのが、私の立場からの言葉となります」  しっかりやり返したクラカチャスは、「これで私の話は終わりです」とモンジュールに宣言した。そしてノブハルを見て、「彼から話したいことがあるとのことです」と場を明け渡すことにした。 「確か、アリスカンダルの者たちがご迷惑をおかけしたと」  ノブハルの顔を見て、モンジュール2はトリネアの報告を思い出していた。 「ああ、俺の乗っていた船が奇襲を受けたからな。こちらの油断もあったせいで、ちょっとした問題を起こしてしまったのは確かだ。そして話と言うのは、それに関係することなのだが……」  それまでの話を聞いている限り、ディアミズレ銀河との友好関係構築を望んでいないのが分かってしまう。それだけで、ノブハルの立てた前提が一つ狂ってしまったのだ。ただそれを言っても始まらないと、当初の予定通りサンダーとその娘サーシャのことをノブハルは持ち出した。 「昨日だが、アリスカンダルのエスタシア王妃と話をさせて貰った。その印象を述べさせてもらうと、とても理性的で好感を持てたと言うことになる。そして通信でだが、エスタシア王妃のサンダー大王と娘のサーシャ王女と話をさせた。そのやり取りで、エスタシア王妃の、二人に向ける愛情の深さを知ることができた。こちらの調査で、4人組が二人を利用したと言うのが分かっているのだ。そこで差し出がましいとは思っているのだが、二人の減刑を考えてはいただけないだろうか。特にサーシャ王女にとって、この時期の10年と言うのは、いかにも長過ぎる刑罰に思えてしまうのだ」  どうだろうかと言うノブハルに、モンジュール2は難しい表情を浮かべた。 「仰ることは理解できます。そしてそちらの銀河に押し入り、武力行使したことについては、あなたの依頼に基づき見なかったことにするのは可能でしょう。ですが私たちの銀河において、武装蜂起をしたこと、そして法を犯して外銀河に出ていったこと。確かにサンダー大王は利用されたのでしょうが、王族としての責任を逃れることはできないのです。そして彼らの刑を軽減する法的根拠は、私達の連邦には存在しておりません。したがって、減刑できないかと言う質問に対して、できないと言うのが私の答えとなります。確かにサーシャ王女にとって、この時期での10年と言うのは貴重なものなのでしょう。ですが、これが刑罰であることを忘れていただきたくないと思っております。刑罰である以上、理不尽に感じられるのも仕方がないのではありませんか?」  ある意味予想された回答に対して、「だが」とノブハルは抵抗を試みた。 「本人は十分に反省をし、そして俺達の銀河では協力もしてくれている。そちらの常識はわからないが、刑罰は更生を目的としたもののはずだ。だとしたら、刑を減じるのは本来の目的に合致していると思うのだが?」  どうだろうと問われ、モンジュール2は大きく頷いた。 「仰ることは理解できます。ただ繰り返させていただくと、減刑をするための法的根拠が存在しないのです。したがって、減刑はできないと言う答えを繰り返させていただくだけです」  それだけは譲ることはできない。杓子定規には思えるが、それが法だと主張されれば反論も難しくなる。そして他の銀河の法についてこれ以上踏み込むと、主権の侵害と言う問題にも発展しかねない。友好を持ちかけておきながら、主権を侵害するのは外交的には大きな矛盾を抱えることになる。  ここで言い返せないところが、ノブハル経験不足と言うところだろう。更に言うのなら、トラスティのように捻くれたペテン師ではないと言うことだ。実のところ、隣で聞いていたクラカチャスには、モンジュール2の答えは突っ込みどころが満載だったのだ。ただ事前に釘を差されていることもあり、クラカチャスはノブハルの交渉に口を挟むことはしなかった。  ただ後からトラスティが仕掛けることを知っていたら、彼もこの時点で介入をしていただろう。そのあたり、まだまだクラカチャスも甘かったと言うことだ。  反論の余地なく拒絶されたことに対して、ノブハルが再戦の方法を考えるためアルテッツァを呼び出した。そこでアルテッツァは、ノブハルとしてあまり嬉しくない助言を受けることになった。 「トラスティ様に相談されてはいかがですか?」  確かにこう言うときなら、トラスティはとても頼りになるだろう。ただここで頼ってしまうと、自分は何時まで経っても独り立ちできないように思えてしまったのだ。だからアルテッツァの助言を否定し、他に抜け道がないかをノブハルは考えることにした。 「いや、俺が自分の気持で始めたことだ。だから、俺自身で解決しなければと思っている」  だから頼らないと断言したノブハルに、本当に想定通りの行動をしてくれるとアルテッツァは感心していた。だからこそ、トラスティもばれないように準備を進めているのだろう。しかも自分には、ノブハルを誘導するためのやり方まで指示をしてくれていた。 「それで、ノブハル様は、私を呼び出して何をなさろうとお考えなのですか?」  その問いかけに頷いたノブハルは、「ヨモツ銀河のことだ」と切り出した。 「恩赦を認めさせるにしても、相手のことを知らなければ誘導することもできないだろう。そして恩赦以外の方法を探る場合には、相手に弱みがあればそれを利用することもできる」 「そう言うことですか」  本来なら、恩赦を持ちかける前にすべき検討なのだ。それを今更持ち出す時点で、泥縄と言ってもおかしくないだろう。ただその論評をする代わりに、「ヨモツ銀河は」とアルテッツァはこれまでの分析結果を説明することにした。 「すでにご承知の通り、半径10万光年とディアミズレ銀河の倍の大きさを持っています。その中に存在する有人星系は、15万と広さの割に少ない数となっています。その理由なのですが、過去に何度も星系が消滅するレベルでの戦いが行われていました。それに加えて、未だ連邦が到達していない領域が50%ほど残っています。そこから推定されるのは、ヨモツ銀河の有人星系は50ないし60万程度あったのではと言うことです」 「どの程度の有人星系が消滅したと考えられるのだ?」  戦いの規模を考えると、有人星系消滅と言うのはディアミズレ銀河では例のない戦いと言うことになる。それに興味を示したノブハルに、アルテッツァは「不確かですが」と断ってから、5ないし10万と言う数を持ち出した。 「そんなにか!」  今のヨモツ連邦が15万の有人星系だと考えれば、最大で10万と言うのは膨大な数となる。それに驚いたノブハルに、アルテッツァは今回のきっかけとなった事件を持ち出した。 「ノブハル様は、アリスカンダル戦艦の攻撃を覚えてらっしゃいますか? 消滅した星系の多くは、アリスカンダルと戦ったからと言うのが理由になっています。その記憶が残っているので、アリスカンダルはヨモツ銀河の中で嫌われていますし、今の境遇が我慢できなかったと言うことになるんです」  その説明に頷いたノブハルは、「続けてくれ」とアルテッツァに促した。 「これだけ広大な銀河なのに、有人星系がとても少なくなっています。裏を返せば、隣接する星系間の距離が長いことになります。そしてヨモツ連邦なのですが、もともとの発足理由が二度とアリスカンダルのようなものを産まないため……もう少しぶっちゃけた言い方をするなら、アリスカンダルを見張るためと言うのが発足理由になります。ただアリスカンダルの力も衰えたので、存在自体が形骸化しています」 「法をたてに恩赦を否定された理由が分かる気がするな……」  連邦を作らなければいけないほど、アリスカンダルは過去に無法を働いていたのだ。おそらくアリスカンダルは、今でも連邦の中で嫌われているのだろう。  「そうですね」とノブハルの言葉を認めたアルテッツァは、更にヨモツ連邦の説明を続けた。 「したがってヨモツ連邦の運営方針は、構成星系の最大公約数をとったものとなっています。そして特定の星系を贔屓しないよう、徹底的な平等主義をとっています。贔屓と言うのを言い換えると、種による違いへの配慮を行わないと言うことになります。したがって少数種となるヒューマノイドタイプにとって、極めて居心地の悪いものになっています。ちなみにヨモツ連邦を構成する星系の平均寿命は、500年ほどです。そしてヒューマノイド種の平均寿命は、100年を切っています」 「生きている時間軸も違うと言うことか……」  ますます生きにくそうだと想像したノブハルに、「ゆったりと時間が過ぎていますね」とアルテッツァは婉曲的な言い方をした。 「ちなみに、隣接する有人星系の平均距離は、200光年ほどとなります。ただ連邦長官のモンジュール氏は、アリスカンダルから50光年ほど離れた位置にあるオフィスに詰めてられます。私達から1日到着が遅くなったのは、その距離が理由になっています」 「長官が近くに居たのは、連邦の発足理由がアリスカンダルにあったからと言うことか」  なるほどと頷いたノブハルは、ヨモツ連邦の姿を考えることにした。 「最高速度で飛ばしても、隣の星に行くまでにかなりの時間がかかると言うことか。そしてトリネア王女のヒアリングで、観光という概念が無いと言うのもあったな。旅客船のようなものはあるが、あまり頻繁に行き来はしていないのだろう。なるほど、俺たちが友好を持ちかけても、食いつきが悪いのはそう言うことか……」  連邦と言っても、アリスカンダル対策互助会と言う性格が強かったのだ。そして超銀河連邦でも同じなのだが、そこそこ文明の進んだ星系ならば、他者との関係がなくても運営自体に問題は発生しない。もしも連携が必要になることがあるとすれば、宇宙規模の災害とか侵略者対策ぐらいだろう。 ただ超銀河連邦を見てみると、いくつかの多銀河企業が存在している。規模こそ小さいが、トリプルAもその一つであると考えてもよいのだろう。そういった企業の存在は、経済活動を通して星系間の技術レベル差を埋めていくものになっていた。モンベルトを災害の復興と言うのは語弊があるが、大規模な復興事業は進んだ文明レベルを持つ星系もしくは企業の支援があれば、自力で行うのよりもずっと迅速に進んでくれるのだ。 「アルテッツァ、ヨモツ連邦で他の星系に対して、技術支援や復興支援が行われた実績はあるのか?」 「少し検索に時間をいただきたいと思うのですが……いえ、意外に早く結果が出ました。実績として、ないと言うのがお答えになります。それを考えると、本当にアリスカンダル対策のためだけに集まった組織ですね」  なるほどと心から頷いたノブハルは、「無駄足だったな」とクラカチャスの顔を思い出した。 「俺たちは、そんな相手に友好とか交流を持ちかけた……と言うことか」 「確かに、これまでのヨモツ連邦を考えれば無駄足なのでしょうが……それでも、こちらの存在を示すことは必要だと思いますよ。初めにちょっかいを掛けたのはそちらとクラカチャス様が仰っしゃりましたが、あの一言が後に効いてくると思います」  その言葉を口にした時、相手側の代表の顔が歪んでいたのをノブハルは思い出した。確かに意味のある返しだなと、ノブハルは自分の未熟さを教えられた気がした。 「まだまだ、経験不足と言うことか……」  そう自嘲したノブハルに、「何をいまさら」とアルテッツァは答えた。 「ノブハル様が対人折衝の経験を積まれたことはないかと思います。ノブハル様の場合、それを理解するところから始める必要があると思いますよ」  そこで言い過ぎかとは思いもしたが、アルテッツァはノブハルのこだわりを問題とした。 「その経験不足……経験のないノブハル様が、経験豊富なトラスティ様と同じフィールドで張り合おうとされています。ですが、助言を求めることを否定するのが正しい姿なのでしょうか? 自分の選択肢を狭めるだけでなく、エスタシア王妃のためにもならないと思うのです。トラスティ様も、尻拭いではなく最初から巻き込まれることを期待されているのではないでしょうか」 「それは、そこまで狭量ではないつもりなのだが……」  そこで目を閉じて考えたノブハルは、「そう見えるか」とアルテッツァの言葉を認めた。 「トラスティさんの、鼻を明かしてやりたいと……確かに、その気持がないと言えば嘘になるな」  参ったなと頭を掻いたトラスティは、「連絡が取れるか?」とアルテッツァに聞いた。これからの交渉をのことを考えた場合、ここでの時間ロスは避けなければならなかったのだ。  トラスティと話をしてすぐ、ノブハルは匿っていたサンダー大王とエスタシア王妃と話し合いの場を持った。そこでノブハルが持ち出したのは、アリスカンダルと超銀河同盟の間での国交を開始することである。 「ノブハル様は、私達アリスカンダルの置かれた立場をご存じないのでしょうか?」  エスタシア王妃が持ち出したのは、現在アリスカンダルが連邦の信託統治を受けている事実である。そのため条約締結にかかる権限が、アリスカンダル王家にはないと言うのだ。 「一応承知しているつもりなのだがな」  何かを言いかけたエスタシア王妃を制して、「ヨモツ連邦法だが」と昨日モンジュール2が盛んに持ち出した法の問題を持ち出した。 「調べてみたのだが、信託統治をされた際の制限事項に、外交に関するものが存在しなかった。したがって、アリスカンダル正当王家が外交を行うことに対する法的制限はないことになる」 「それは、かなりの詭弁に属するものではないでしょうか?」  苦笑を浮かべたエスタシアに、「俺もそう思う」とノブハルはあっさりと認めた。 「そもそも、ヨモツ連邦に外交と言う概念がないのだからな。概念のないものを、法として規定できるはずがないのだ。だから王妃が詭弁と言うのは、まさにそのとおりとしか言いようがないだろう。だが俺は、昨日連邦代表のモンジュール氏から、さんざん法の原則を持ち出されたのだ。ならば、俺が法を持ち出しても問題はないだろう」 「そのような屁理屈を仰りますかますか」  先程以上に顔をひきつらせたエスタシアは、「何が目的ですか?」とノブハルの意図を問うた。 「立場によって目的が変わるのだが……俺の場合、あなた達のためと言うのが動機になるな。武装蜂起に対する責任はあるのだろうが、それにしても情状酌量の余地があると思っている。だから懲役刑ではなく、保護観察程度で収めてくれれば、俺も口出しをしなかっただろう。だがモンジュール代表は、減刑を行う法的根拠がないと繰り返してくれた。ならば俺も、法的根拠を利用してやり返したくなった……と考えてくれればいい」 「あなたの場合は、と言うことですね。でしたら、他の目的もあると言うことですね?」  自分達のためと言うのを棚上げし、エスタシアは別の目的を確認することにした。ノブハルの目的だけなら、感謝こそすれ拒むようなことではないと思えたのだ。だが別の目的次第では、アリスカンダル自身に災いが及ぶ可能性があったのだ。  そもそも法の抜け道を利用した時点で、アリスカンダルの立場は更に悪くなることも考えられた。 「そのことなのだが……」  アルテッツァと、ノブハルは超銀河連邦最大のコンピューターを呼び出した。 「はい、我が君!」  呼ばれて現れたアルテッツァは、カジュアルなセーターとスカート姿をしていた。これがコンピューターのアバターだと考えると、なんの意味があるのか疑うところだろう。 「彼女は、超銀河連邦最大のコンピューターシステムのアバターだ。インタフェースデバイスと言い換えてもいいのかもしれないな」  ノブハルの紹介を受けて、「お初にお目にかかります」とアルテッツァは挨拶をした。 「サーシャ王女をここに連れてきてくれ」 「はい、只今っ!」  元気の良い答えから少し遅れて、同じくカジュアルな格好をしたサーシャが姿を表した。 「こちらの銀河に連れてこない、と言う話ではありませんでしたか?」 「連れてきても、なんの問題もないことが分かったのだ。理由は、ただそれだけのことだ」  そんなことよりもと、ノブハルは「どこまで説明を受けている?」とサーシャに移動方法のことを尋ねた。 「高次空間認識による、多層空間接合による移動方法について、ですか?」  真剣な顔をしたサーシャに、「そのことだ」とノブハルは頷いた。 「概念的なことなら」  そう答えたサーシャは、教えられた概念を口にした。 「エスデニアと言う星の人々固有の能力で、高次空間認識と言うのがあるとのことです。私達のいる世界は、高次空間で折り畳まれた存在で、相似性の高い空間ほど距離的に近いと教えていただきました。ですから高次空間を挟んで隣接する空間は、元の世界と非常に似通ったものになっているとのことです。その性質を利用して、エスデニアと言う星は、宇宙船を使わずに高次空間を経由して宇宙に進出したのだと」  これでいいかと問われ、ノブハルは小さく頷いてみせた。 「更に言うのなら、いくつかの空間を選んで接合することで、こうした長距離の移動にも利用することができる。超銀河連邦内では、主要航路に多層空間接合を利用した空間ゲートが設けられている。それを利用すれば、超長距離の移動でも、移動時間はほぼ0になると言うものだ。サーシャ王女がここに来られたのも、そしてリアルタイムの通信が行われているのも、その性質を利用したものとなっている」 「驚くべき技術と言うのは理解できましたが……」  そこで口ごもってから、「どのような関係が?」とエスタシアは問うた。 「俺達には、その技術があると言うことをまず覚えておいてほしい。そして高次空間で隣接する世界は、とても似通った世界だと言うことも覚えておいてほしい」  それはいいかと問われ、エスタシアは頷くことで肯定した。 「次の問題だ。もともと潜在的驚異とは捕らえられていたが、今まで俺たちは敢えて考えてこなかった問題がある。それが、近傍銀河との関係と言うものだ。隣接する少銀河程度にまで交流範囲は広げたが、200万光年離れた世界と交流をしようとは誰も考えていなかった。だがあなた達がディアミズレ銀河に来たことで、漠然と感じていた不安が現実のものとなったのだ。だから超銀河連邦は、各銀河の不安を和らげるため、自分達から離れた銀河との交流を考えることとなったのだ。その方法として、今回のような高速船を仕立てると言うものもあるのだが、もう一つ方法があることも分かったのだ」  そこまで説明されれば、エスタシアも何を言わんとしているかを理解することができた。 「ですから、高次空間接合と言うお話が出てきたのですね」  なるほどと頷いたエスタシアに、「それが理由だ」とノブハルは答えた。 「ヨモツ銀河側から多層空間を超えた場合、行き着く先は似た銀河になるだろうとの推測ができる。そこで観測をすれば、近くにある銀河が連邦に所属しているものかどうかを判断することができるだろう。むやみに宇宙船を飛ばすより、その方法の方が労力が少なくて済むのだ」 「つまり、アリスカンダルをその基地にしたいと言う思惑があると言うことですね?」  エスタシアの指摘に、「そのとおり」とノブハルは答えた。 「ヨモツ銀河と交流を開始し、正式に話を持ちかけると言う案もあった。だが交流に後ろ向きなヨモツ連邦の対応を見る限り、その方法が絶望的と言うのが理解できたのだ。ならばヨモツ連邦の連邦法を逆手に取り、アリスカンダルに前線基地を作ることを考えたと言うことだ」 「そのための餌を、用意してくれたと言うことですか……」  そこでサーシャの顔を見たエスタシアは、「王妃としては問題なのですが」とノブハルに答えた。 「娘や夫と暮らすことができるのなら、他のことは小さなことだと思えてしまいます」  ただと、エスタシアは友好関係を結び国交を樹立してても、問題が残ることを持ち出した。 「先程の話になりますが、前線基地を作るとなると、連邦の反発が大きいことが考えられます。確かに外交であれば、連邦法の抜け道を利用することができるのでしょう。ですが、そのような装置をアリスカンダルに置くことは、信託統治の観点から認められるとは思えません」 「やはり、そう言う話になるのだな……」  エスタシア王妃が持ち出したのことは、すでにトラスティにも指摘されていたことだった。そしてその答えも、同時にトラスティから与えられていた。 「比較的穏便な方法と言う意味で、国交の樹立というものを提案したのだ。だがそれに問題があると言うのなら、俺としては本意ではないが、かなり過激な提案をしなければならなくなる」 「過激な提案……でしょうか?」  ごくりとつばを飲み込んだエスタシアに、「過激だな」とノブハルは繰り返した。 「まず、信託統治のため派遣された連邦の係官を、穏便でも過激な方法でも構わないが、アリスカンダルからお引取り願う。そしてエスタシア王妃、もしくはサンダー大王から、アリスカンダルのヨモツ連邦からの離脱ならびに超銀河連邦への加盟を宣言してもらう。予め断っておくが、それを禁止するヨモツ連邦法は存在していない。したがって、これは遵法行為と言うことになる。そして超銀河連邦とヨモツ連邦の間には、正式に国交は結ばれていない。つまり、犯罪者の引き渡しに関する規定は存在しないと言うことだ。したがって、サンダー大王並びにサーシャ王女は、ヨモツ連邦に拘束されることはない。アリスカンダルに対しては、先程の前線基地設置を理由に、超銀河連邦から各種支援が行われることになる」  これならどうだと問われたエスタシアは、天を仰いでから息子であるコダーイの顔を見た。そして自分と同じく困惑する息子を見て、「まったく」と困ったとばかりにため息を吐いた。 「法の建前からすれば、確かに仰る通りなのでしょう。ですが、ヨモツ連邦の設立経緯を考えれば、穏便に進むはずのない方法です」 「その場合、何が起こると考えているのだ?」  それもトラスティに教えられていたが、それでもノブハルはエスタシア王妃の考えを尋ねた。 「ヨモツ連邦が、総力を上げて私達を叩きに来ます」 「その場合は、侵略行為を受けたとして超銀河連邦も兵力を派遣することになるのだがな?」  それが現実のものとなった時、両連邦の間での戦争と言うことになる。規模や技術力で超銀河連邦が優位に立つが、地の利と言う意味ではヨモツ連邦の方が有利と考えても不思議ではない。 「もしもそんな事になったら、アリスカンダルは消滅することになりますね」  大戦ともなれば、ヨモツ銀河の誰もアリスカンダルを庇ってはくれないだろう。そうなると、地理的優位に立つヨモツ連邦によって、アリスカンダルが蹂躙されるだろうと言うのだ。そしてアリスカンダルが廃墟、もしくは消滅した場合、超銀河連邦が派兵する意味も消滅することになる。後の面倒を考えた場合、ヨモツ連邦が何をしてくるのかエスタシアには想像がついたのだ。 「1万程度なら、ヨモツ連邦よりも早く送り込めると教えられている。そして10万程度なら、さほど間を置かずに派遣が可能と言うことだ。まあ、1万程度でも、個別撃破は容易だがな。なにしろお互いの機動性に、天と地ほどの差があるのだ」 「私達のために、そこまですると仰るのですか?」  流石に想像を超えていると、エスタシアの顔は思いっきり引きつっていた。それに頷いたノブハルは、「超銀河連邦の安全保障に関わるからな」とその理由を説明した。 「もっとも、今回連れてきた戦艦だけでも、1千や2千程度は相手にできるがな。空戦戦力を合わせたら、その倍の数が来ても怖くはない」 「本気で、戦争をされるおつもりなのですか?」  恐れを顔に出したエスタシアに、「必要ならば」とノブハルは答えた。 「本気で戦争をしたいかと問われれば、まさかと答えてやるのだがな。戦争はあくまで交渉の手段であり、それ自体は目的じゃない。更に言うのなら、侵略などしたいと露程も思っていない。ただ、自衛のためならば手段は選ばないと言うことだ」 「そこまで、大事にされるのですか?」  表情を険しくしたエスタシアに、「そのつもりだ」とノブハルは答えた。 「そしてそれが、侵略を受けた側の権利だと思っている。一つ間違っていれば、俺はここにいなかったのだからな」  その侵略をした実行主体は、エスタシアの収めるアリスカンダルなのである。それを持ち出されると、エスタシア王妃も立場として弱くなる。しかもノブハルがこだわったのは、自分達家族が一緒に暮らせるようにと言う配慮なのだ。その意味でも、反対しにくくなっていた。 「ただ俺たちも、ヨモツ銀河側で大きな被害を出したいとは思っていない。それに本気の戦闘になった場合、俺達の側にも小さくない被害が出ることになるからな。したがって、ヨモツ連邦側に戦いたくないと思わせる方法も考えてある」  エスタシアの目を見て答えたノブハルは、「アクサ」と自分のサーヴァントを呼び出した。その呼び出しに答えて現れたのは、成熟と未熟の中間にいる、アリスカンダル規準でもとても美しい女性だった。その女性は、レデュッシュと言う赤い髪に、澄んだ湖水のような青い瞳をしていた。 「これは、連邦軍で標準兵装となっているデバイスと言うものだ。そしてアクサは、俺専用のデバイスでもある。標準兵装とは言ったが、アクサは連邦標準を遥かに超えた存在でもある。極端な話、アクサを使えばアリスカンダルをこの宇宙から消滅させることも難しくない。そしてありとあらゆる物理攻撃から、アリスカンダルを守ることも可能だ」  そしてと、ノブハルは「カイトさん」と超銀河連邦最強の男を呼び出した。  その呼び出しに応じて現れたのは、黒いシャツを纏った少し怖い感じのする男である。 「この人が、超銀河連邦最強と言われるカイトさんです。この人一人居れば、艦隊程度ならいくら数を集められても怖くありません」 「この方が、でしょうか?」  ごくりとつばを飲み込んだエスタシアに、カイトは小さく頷いた。そして「ザリア」と己のサーヴァントを呼び出した。紫色の瞳に長い黒髪をした、とても美しい女性が呼びかけに応じて現れた。ただ美しい女性なのだが、発する静謐な空気にエスタシア達は恐れを抱いてしまった。 「最強の守りと、最強の攻撃がこれで揃ったことになる。そちらのソリトン砲だったか、アクサならその集中攻撃を受けても守り切ることは可能だ。そしてザリアなら、遠く離れたところにいる10万の艦隊でも、反撃を受けることもなく消滅させることができるだろう」  ノブハルの口にしたことは、冷静に考えれば荒唐無稽に思われるものでしかない。だが2体のデバイスを前にしたエスタシア達は、それが本当のことなのだと信じることができた。そもそも存在の前提が違っていると、エスタシアは並んで立つ2体のデバイスを見て感じていた。 「実力を証明することも可能なのだが……今は必要なさそうだな」  恐れを顔に出したエスタシアは、ノブハルの言葉にゴクリと喉を鳴らしてから頷いた。何かをしているわけではないのに、足が震えるのを止めることができなかった。 「答えを迫るようで悪いのだが、超銀河連邦への参加を考えてくれるか?」  答えを問われたエスタシアは、夫の顔を見てから息子の顔を見た。そして息子が頷くのを確認し、「お時間をいただけませんか?」と切り出した。 「時間か?」  ノブハルの問いに、エスタシアはしっかりと頷いた。 「私達の答えは決まっています。ですが、国の主だった者たちに説明する義務があると思っています。ですから、そのためのお時間をいただけないのでしょう?」 「説明が必要なのは確かだろう。了解したと言いたいところだが、どの程度俺たちは待てばよいのだ?」  説明が簡単でないのは理解することができる。そのために時間が必要と言うのは、王族の立場として少しもおかしなことではないだろう。ただ問題は、だからといって際限なく待たされる訳にもいかなかった。 「確かに、どれぐらいと言う期限は必要なのでしょう」  そこで大きく息を吸ったエスタシアは、ノブハルをして短いと言う時間を上げた。 「1日お待ちいただけたらと」 「ずいぶんと短いのだな」  驚いたノブハルに、長くとっても同じだとエスタシアは返した。 「一部の愚か者が武装蜂起などしましたが、そこまで行かなくとも皆閉塞感を持っていたのです。そして未だ敵視政策を取られていることへの反発も持っています。ヨモツ連邦の束縛から開放されると言うのであれば、おそらく反対されることはないでしょう」 「お前たちの同胞20万を殺した俺たちが相手でもか?」  少し意地悪い質問かと思ったが、それでもだとエスタシアは答えた。 「そのことに関して言えば、こちらに全面的な非があります。そんな私達に、手を差し伸べてくださったことを大切にしたいと私は思います」 「そう言ってくれれば、こちらも少し気が楽になる」  ふうっと息を吐き出したノブハルは、エスタシア達に地上へ送ると告げた。 「説明をするのは、早い方がいいだろう」 「では、私と息子の二人を送っていただけますでしょうか」  お願いしますと頭を下げたところで、エスタシアとコダーイの姿が応接から消失した。 「こんな遠くまで来るとは思っても見なかったな」  いつの間にか外部モニタの前に立っていたカイトは、映し出されたアリスカンダルを見てつぶやいていた。感慨深げなその様子に、「確かに」とノブハルも頷いた。 「他の銀河にも行っているんだが、直接の距離が分かる場所では一番遠いからな」  だから感じるものが、連邦の銀河とは違ってくる。その率直な感想に、「遠いですね」とノブハルは答えた。トラスティ相手だと構えてしまうところがあるのだが、なぜかカイト相手だと素直になることができる。少し不思議に思えたのだが、それがカイトの人徳だと考えることにした。  自分の言葉に納得するノブハルを見たカイトは、「ところで」と耳元で小さく囁いた。 「あいつの真似をして、やんごとなき女性を誑し込むことにしたのか?」 「……どうして、そう言う話になります?」  そんな事を考えたことは、これまで一度もないと言うのがノブハルの気持ちだ。ただそう思っていても、なぜか事実が追いついてくれなかったと言うところがある。  疑問を疑問で返されたことを気にせず、「あの少し野暮ったい王女様だが」とカイトはサーシャ王女のことを持ち出した。 「さっきから、お前のことを熱い目で見ているぞ」  振り返るとややこしいことになるので、ノブハルは振り返らずにカイトに答えた。ただ指摘されたせいなのか、背中に視線を感じるようになっていた。 「誓って言いますが、俺はサーシャ王女と話をしたこともありませんよ」  大きな声こそ出さないが、ノブハルとしては事実に反していると精一杯言い返した。それを「そうか」と受け止めたカイトは、「気をつけるんだな」と注意してくれた。 「あいつを見ていれば分かるが、いつの間にか雁字搦めになることがあるからな。ディアミズレ銀河に帰ったら、フリーセア王女が手ぐすねを引いて待っているんだろう?」 「そうやって、俺を落ち込ませてどうするんです」  やめてくれと文句を言ったノブハルに、「だから忠告をした」とカイトは笑った。 「まあ、頑張ってくれとしか言いようがないがな」 「頑張ると言うのは、どの方面なんだろうな……」  諦めろと言われている気持ちになり、ノブハルは気分を落ち込ませたのだった。  インペレーターが動かない限り、モンジュールもアリスカンダル宙域を動くことができない。ただいつまでも動かないインペレーター対策のため、周辺星系から多くの戦艦が集まってきた。ただ接近戦は危険と考えたのか、いずれの船も1000光秒程度離れていた。距離にしておよそ3億キロと言うのは、アスの単位では2天文単位と言うことになる。 「およそ1万隻と言うことですね。アルテッツァによると、まだまだ集まってきそうですよ」  特になんの感慨もなく、マリーカはスクリーンに映し出された戦艦達を見た。すでに相手の戦力分析は済まされ、驚異とならないことは確認されていた。  ただ数を集めるため無理をしたのか、艦隊として統制が取れているようには見えなかった。加えて言うのなら、艦の大きさや形がバラバラだった。 「連れてきた船だけで、無双できそうな相手だな」  同じ分析を見せられたノブハルは、隣に並んだカイトの顔を見た。 「カイトさんなら、まとめて沈められますか?」  スターライトブレーカーにまつわる伝説を考えれば、それぐらいのことができても不思議ではない。それを持ち出したノブハルに、「さあな」とカイトは緊張感に欠けた答えを口にした。 「なんせ、一度も試したことはないからな。それに、あまり試したいとは思えないんだ。それをやると、戦いではなく単なる虐殺だからな。そう言うのは、俺の性分に合わないんだ」  なあとカイトは、なぜか隣に立ったザリアに声を掛けた。 「うむ、できるかと問われれば、造作ないと言うのがわれの答えだな。それでノブハルよ、ぬしはどう言うのが好みだ? 可能な限り、叶えてやってもよいのだぞ」 「どう言うのが好みって……相手に、戦う意思をなくさせるだけで良いんだがな」  常識的な答えに、「つまらんな」とザリアは零した。 「一撃で消してやれば、ここの奴らも歯向かおうとは思わなくなるであろう」  のうと水を向けられたカイトは、少し目元を引きつらせて「それはだめ」とザリアを叱った。 「まあ、ぬしならそう答えるのは分かっておったがな。なにゆえ、連邦最強の男がこんなに優しいのだ?」  ありえんなと言い残して、ザリアはその場から姿を消した。残されたカイトは少しも目元を引きつらせて、「そろそろか」と約束の時間が近いことを持ち出した。 「そうだな。アルテッツァ、サンダー大王とサーシャ王女をここに連れてきてくれ」 「お連れして良いんですか?」  本当にと訝りながら、アルテッツァは姿を消した。もっとも確認されたノブハルは、どうしてだとアルテッツァの態度を理解していなかった。  そしてアルテッツァが消えた5分後、扉を開けてサンダー大王とサーシャ王女の二人がブリッジに連れられてきた。その時サーシャが浮かべた表情に、ノブハルは前日カイトに忠告されたことを思い出した。 「俺は、忠告したはずだぞ」 「だ、だが、ここに関係者が揃う必要があるはずだ!」  外す方が、逆におかしな意図を持つことになりかねない。慌てて主張したノブハルに、「頑張れよ」とカイトは心の籠もらない励ましの言葉を口にした。ただこんなところで挫けている訳にはいかない、気を取り直したノブハルは、エスタシア王妃はと通信士のウフーラに聞いた。 「今のところ、あちらからコンタクトはありませんね」 「集まった戦艦に、恐れをなしたのかな?」  巨大戦艦があるとは言え、こちらの戦力は11でしかない。それに引き換え、ヨモツ銀河側は1万を超える戦艦を集めている。100隻の武装蜂起したときには、何もできずに蹂躙された実績が有ったのだ。戦いが数だと考えれば、絶望的な戦力差になるはずだった。  だが「恐れをなした」とのノブハルの言葉に、「それはありえない」とサンダー大王が言い返してきた。 「わしならいざ知らず、エスタシアは一度決めたことを曲げなどしない」 「比較の対象がお前だと、どう考えても説得力に欠けるのだがな……」  まあ良いとノブハルが答えた時、「通信来ます」とウフーラが報告を上げた。 「正面スクリーンに出してくれ」 「はい、映像出ます」  ウフーラの答えに少し遅れて、インペレーターの正面スクリーンに白いドレスのようなものを着た一人の女性が映し出された。そして女性の背後には、軍服のようなものを着た大勢の人々が集まっていた。 「連絡が遅れたことをお詫びいたします。少しばかり、言い聞かすのに時間がかかってしまいました」 「こちらも無理なことをお願いしたからな。この程度の遅刻は気にする方が間違っているだろう」  何しろ、目の敵にされているアリスカンダルが、ヨモツ連邦を抜けると言うのである。周りに敵しかいないとなれば、反対されるのは目に見えていたのだ。  だが反対されると思っていたノブハルに、「血の気が多い者が多くて」とエスタシアはこめかみを押さえた。 「とりあえず、ご指示があるまで大人しくしていることを認めさせました」  もしかして説得とはその方面のことなのか。予想とは違う展開に、なるほど面倒な奴らだと嫌われている理由を理解できた気がした。  ただアリスカンダルが嫌われているかどうかは、この状況に応じて些細なことに過ぎない。説得に時間がかかったとは言われたが、まだ答えを貰っていなかったのだ。 「それで、答えはどうなったのだ?」  緊張からつばを飲み込んだノブハルに、エスタシア王妃は唇をかみしめてスクリーンを見据えた。流石に貫禄があるなと、ノブハルは無意識のうちにサンダー大王と比べていた。 「喜んで、超銀河連邦の末席に加わらせていただきます」  エスタシアの答えに、「そうか」とノブハルは頷いた。 「ならば、早速ヨモツ連邦の関係者を追い出すことにするか」 「そのことですが……」  そこで口ごもったエスタシアは、「すでに確保済みです」と先走ったことを言ってくれた。 「ヨモツ連邦側の艦隊が集まったのは、それが理由ということか」  なんてことをしてくれると言う気持ちはあったが、それを今持ち出しても意味のないことは分かっていた。とっさに頭を切り替えたノブハルは、「モンジュール代表と繋げてくれ」とウフーラに命じた。 「少しお待ちを……立体映像で出ます」  ウフーラの声に少し遅れ、3つの頭を持つ人物がブリッジの中央に現れた。そして現れてすぐ、「これはどう言うこと?」と苦情を口にしてくれた。どうやらこの時間は、モンジュール1の受け持ち時間のようだ。 「どう言うことと言われても……」  そこでわざとらしく考えたノブハルは、「そちらの法律を調べたのだ」と切り出した。 「調べた範囲で、連邦への加入は義務となっていないのが分かった。したがってエスタシア王妃に助言をし、アリスカンダルがヨモツ連邦を離脱することになった。そして離脱と同時に、超銀河連邦に加盟したいとの申請を受けたのだ。申請を受理するかどうかは未定だが、決定まで我々がアリスカンダルを保護することとなった」 「アリスカンダルに、そんな勝手が許されるとお思いですかっ!」 「そちらの法に則ったことをしただけだが?」  しれっと言い返したノブハルに、「ヨモツ連邦法は」とモンジュール1は切り出した。 「その前文で、アリスカンダルの横暴を阻止することを謳っています」 「だが、本文のどこを見ても加盟を強制するものはなかったぞ」  どこにも違法性はないと言い返したノブハルは、アリスカンダルが超銀河連邦の保護下にあることを宣言した。 「超銀河連邦法は、連邦に所属する星系の保護を謳っている。加盟申請中ではあるが、法に従い超銀河連邦はアリスカンダルを保護する。そしてこれは警告なのだが、我々の連邦法では、支配宙域への他星系の軍艦の無許可侵入を許していない。したがって、アリスカンダル宙域に集結している……1万と2300隻の攻撃機能を持つ艦船は速やかに退去することを要求する」 「ヨモツ連邦法は、アリスカンダルの横暴を阻止すると申し上げました」  つまり、集結した軍艦を退去させるつもりはないと言うのである。少し怒気の混じったモンジュール1の言葉に、「横暴か?」とノブハルは疑問を呈した。 「そちらの法規に従って、アリスカンダルがどのような横暴を働いたのか説明して貰えないか?」 「アリスカンダルは、先の武装蜂起の罰により連邦の信託統治を受けています。したがって、主権を主張する権利を一時的に失っています!」  それが法的根拠だと主張したモンジュール1に、「そのことだが」とノブハルは直ちに言い返した。 「信託統治に関する文言も調べてみたが、連邦離脱に関する制限は記載されていなかった。法の精神に則れば、明文化されていない制限を適用できないはずだと思うのだが?」 「主権が制限されているのに、どうして連邦離脱ができると考えるのですかっ!」  ありえないだろうと声を荒げたモンジュール1に、「主権の範囲は?」とノブハルは質問をした。 「代表の言う主権の範囲は、連邦法のどこに定められているのだ? そしてその主権の範囲の中に、連邦離脱に関する記述はあるのか?」  無いよなと指摘したノブハルに、「そもそも連邦離脱が定義されていません!」とモンジュール1は主張した。 「つまり、そちらの連邦法で想定していない事態と言うことになるのだな」 「過去連邦を設立する際、アリスカンダルは連邦に加盟することを条件に制裁を免除されています。したがって、連邦を脱退すれば、私達は制裁を課す権利を手にすることになります」  それでも脱退するのかとの問いに、「エスタシア王妃」と責任者をノブハルは呼び出した。 「ヨモツ連邦代表はああ言っているが、脱退の意思は変わらないか?」 「私達の意志が固いことをここで表明させていただきます」  恐れも何も感じさせないエスタシアに、「だそうだ」とノブハルはのんびりとした声で答えた。 「でしたら、私達は留保していた権利を行使するだけです」 「初めの方で宣言したと思うが、超銀河連邦はアリスカンダルを保護するぞ」  相変わらずのんびりとした態度で、「やるのか?」とノブハルはモンジュール1を挑発した。 「ここは、私達の銀河です。好き勝手をさせる訳にはいきません」 「なるほど、法的根拠はどうでもいいと言うことか。やたら連邦法を持ち出してくれたのに、都合が悪くなれば超法規措置を気軽に持ち出してくれるのだな」  がっかりだと大げさに嘆いたノブハルに対して、モンジュール1は「そちらの行っているのは侵略行為です」と糾弾してきた。 「法に則って助言することが、侵略行為になるのか?」  初耳だと挑発を繰り返したノブハルは、「例えば」と少し大きな声をあげた。 「この近くにあるザマン星系だが、そこに俺たちが攻撃したら、お前たちはどうするのだ?」 「ザマン星系を守って侵略者に対峙します!」  即答したモンジュール1に、ノブハルは大きく頷き「俺達も同じだ」と言い返した。 「アリスカンダルは、超銀河連邦への加盟を申請している。それを受理し、現在審議をしているところなのだ。審議の結果で否決されるまでは、俺たちはアリスカンダルを保護することになる」  どこにも矛盾はないはずだと、ノブハルはモンジュール1の顔を見て言い返した。 「それは、あなたたちの解釈であり、私達の解釈は違っていますっ!」 「やれやれ、理論にほころびが出ているのを気づいていないのか」  困ったものだと零したノブハルは、「本気でやるつもりか?」と再度確認した。 「俺は、超銀河連邦法に則って、支配宙域からの退去を勧告したのだ。その勧告を無視されたら、次は武力による排除を行わなければならなくなる。友好関係を持ちかけた手前、手荒なことはしたくないのだがな。それに、お前たち相手では、弱い者いじめになってしまう」  最後に挑発の言葉を加える辺り、ノブハルもトラスティの影響を受けたと言うところだろう。 「この数を見ても、私達を弱者と言いますか?」  モンジュールの言葉に遅れて、アリスカンダル宙域に新たな機影が現れた。実体化した数を数えると、すでに集結した艦船は5万を超えているだろう。 「いくら数を集めても、弱者は弱者でしか無いのだがな」  平然と答えるノブハルに、後ろで見守っていたサンダー大王は自分の常識を疑っていた。自分達が武装蜂起した時よりも、5倍以上の艦船が集まっていたのだ。それに引き換え、こちらの戦力は以前の10分の1でしか無い。逃げ出さなければ、なぶり殺しにされる戦力差だったのだ。 「では、本当に弱者かどうか確認していただくことにしましょう」  その言葉が、宣戦布告になったのだろう。アリスカンダルを取り囲んだ艦船から、幾筋もの光の帯がインペレーターめがけて伸びてきた。だがインペレーターは防御すら行わず、すべての攻撃を船体で受け止めてみせた。 「今の攻撃は、単なる威嚇か?」  薄ら笑いを浮かべたノブハルに、「引く気はありませんか」とモンジュール1は最後通牒を行った。 「なぜ、引かなくてはならないのだ?」  ありえないと笑うノブハルに、「仕方がない」とモンジュール1は全艦艇に総攻撃を命じた。すでに集まった艦船は6万を超え、インペレーターを狙う砲門の数は、100万を超えていた。その100万の砲門から、一斉に破壊の光が放たれたのである。お互いの距離は、およそ1000光秒離れている。つまり1000秒後には、100万もの光の束がインペレーターを包み込むことになるのだ。 「高エネルギー反応検出。950秒後に到着します」 「まともに喰らえば、インペレーターも無事ではすまないか」  なるほどと大きく頷いたノブハルは、「カイトさん」と切り札の名を呼んだ。  「あいよ」と言う軽い返事からは、少しも危機感を感じ取ることはできなかった。 「アクサ、流れ弾の防御をっ!」 「多分、必要ないと思うけどね」  りょーかいと、こちらも軽い返事をしてインペレーターの背後へと転移した。アクサが守るのは、インペレーターではなく、背後にあるアリスカンダル本星だった。  ノブハルの合図で1光秒離れた位置に転移したところで、カイトは右手を天に掲げて「星よ集え」と滅びの呪文を口にした。この世界に存在する、すべての光とエネルギーを下僕とする、禁断の能力スターライトブレーカーを発動されたのだ。  6万を超える船団からの総攻撃は、星をも消滅させるエネルギーを破壊力があるのだろう。だがカイトのしもべと化した攻撃は、もはやインペレーターの驚異となるものではなかった。まっすぐインペレーターに伸びていた光は、何かの力を受けたかのように曲げられ、空間の1点へと集中していた。 「こうしてみると、途方もないと言うのか、信じられないと言うのか」  それをモニターで観察していたノブハルは、IotUが行った軌跡の凄まじさを理解することができた。すべての攻撃が、まるで意思があるかのようにカイトの掲げた手のひらの上に集まっていったのだ。 「さて、そちらの総攻撃が役に立たないことを証明したのだが。まだ、何か見せてくれるのか?」  立体映像でみるモンジュール1の顔は、これ以上なく青ざめていた。 「こ、こんなことが起こるなんて……ありえない、絶対にありえないでしょう!」 「認めたくない気持ちは理解してやるが、これは夢でも幻でもない現実の出来事なのだぞ!」  そう言い返したノブハルは、少し芝居がかった素振りで「こちらのターンだな」とモンジュールの方を指さした。 「攻撃を受けた以上、こちらには反撃する権利が生じたことになる訳だ。さて、立場を変えて質問させて貰おうか。弱者の諸君達は、このまま攻撃を続けるつもりか? 攻撃を続けるのであれば、こちらは反撃することになる。こちらのエネルギーを使うのももったいないので、受け取ったものを熨斗をつけて返してやっても良いのだぞ」  それともと、ノブハルは「数で押しつぶしてやろうか?」と問いかけた。 「アルテッツァ、全艦隊を1500光秒の位置に転送しろ」 「はい、超銀河連邦軍、エスデニア連邦軍、リゲル帝国軍、レムニア帝国軍、パガニア王国軍100万を転送します」  アルテッツァの報告に遅れて、ヨモツ連邦軍の背後に続々と巨大艦が実体化していった。それこそが、トラスティが悪乗りをして集めた超銀河連邦多国籍軍100万である。 「さて、この数を見ても無駄な抵抗をするつもりか?」  先程までは顔色を青くしていたモンジュールだったが、100万の艦隊を目にして正気を保つことはできなかった。その場にへたりこんだかと思うと、いやいやをするように激しく頭を振ってくれた。 「どうして、200万光年先から大艦隊が派遣できるのです。こんなことは絶対にありえない、何かの間違いです!」  絶叫することに意味は無いが、もはやモンジュール1に冷静な判断などできるはずがない。ただノブハルは、そんなモンジュール1に哀れんだ様子すら見せなかった。 「その気持に同情するが、残念なことにこれは夢でも幻でも、ましてや何かの間違いでもない。超銀河連邦に属する星系を保護すると言う、固い意志を示したと言うことだ」  力強く言い放ったノブハルは、「選択を」とモンジュールに迫った。 「結果は同じだが、100万の戦艦からの攻撃を選ぶか、さもなければスターライトブレーカによる消滅を選ぶのか。まあ、支配宙域を出ていくと言うのであれば、見逃してやっても良いのだがな」  どうすると問いかけても、モンジュール1は激しく首を振るばかりだった。だが首を振る動きが激しさを増したと思った次の瞬間、モンジュール1の動きがピタッと止まった。 「やれやれ、あまり追い詰めてくれるな」  モンジュール1が失神したのだろう、緊急措置としてモンジュール2が目を覚ました。そして意外に落ち着いた態度で、「アリスカンダル宙域を離脱する」と宣言した。 「その後、再度話し合いを持つと言うことで宜しいか?」 「これ以上、話し合うことはないと思うのだが……まあ、良いだろう」  モンジュール2の申し出を認め、ノブハルはアルテッツァを通して攻撃態勢の解除を伝達した。その命令に従う形で、アリスカンダル宙域に集結した混成軍100万は、結局何もしないでディアミズレ銀河へと戻っていった。カイトが集めていた光も、いつの間にか解放されていた。 「さて、約束通りそちらの艦船を撤退させてもらおう。そして会談だが、そちらも落ち着く時間が必要だろう。これから24時間後、場所はこの船と言うことで良いな」 「そちらの配慮に感謝する。では、24時間後に出向くことにする」  その言葉に少し遅れて、モンジュールの立体映像がブリッジから消失した。そこでほっと息を吐き出したノブハルは、「頭が痛い」とこめかみを押さえた。 「10万がせいぜいじゃなかったのか……」  トラスティからは、現時点でかき集められても10万だと教えられていた。それなのに、蓋を開けたら100万もの物量が投入されたのだ。効果的なのは認めるが、話が違いすぎると文句が言いたかった。  そんなノブハルの肩を、なぜかクラカチャスがポンポンと叩いてくれた。 「私としては、あなたが常識的で安堵させてもらっていますよ」 「妹に非常識と言われた俺が常識的なのか……」  はあっと大きく息を吐いたノブハルは、「マリーカ船長」と声を上げた。 「ここから先は、何も起こることはないはずだ。俺は、部屋に戻って休むことにする……なんか、すごく疲れた気がする」  そう言って席を立とうとしたところで、ノブハルは忘れていたと手を叩いた。 「サンダー大王、サーシャ王女をアリスカンダルの王宮へ運んでくれ」 「はっ、お二方を王宮へと転送いたします」  疲れた顔で出ていくノブハルを見送り、マリーカはテキパキと指示を出していった。すでにヨモツ銀河の艦隊は驚異でなくなっているが、偶発的な問題が起きないとは限らない。シルバニア帝国軍に任せてもと言う誘惑を振り切り、スタッフを哨戒に割り当てた。 「これより24時間は、第三種警戒態勢を維持すること」  それでよろしくと指示を出してから、マリーカは船長の椅子に身を任せたのだった。ノブハルが振り回されたと感じる以上に、マリーカは理不尽なものを感じていたのだ。  ヨモツ連邦混成艦隊の大敗北は、すぐさま構成星系へと伝わることになった。直接の移動だと数ヶ月掛かる距離も、情報だけなら3日もあれば時間的には十分となる。特にアリスカンダル近傍に位置する星系には、衝撃を持って受け止められることになった。  そしてその事情は、コウバコにおいても変わらなかった。禿頭と口ひげが特徴のアルトリコ国王は、「緊急事態」ともたらされた情報に自分の目を疑うことになった。 「ヨモツ連邦7万が、尻尾を巻いて逃げ出したと言うのかっ!」  知らされている情報では、プロキオン銀河からはわずか11隻の船しか来ていないことになっていた。その戦力とも言えない数の艦船を相手に、7万の艦隊が逃げ出したと言うのだ。たとえ技術力の差があったとしても、簡単には信じられる話ではないだろう。  ありえないと頭を振ったアルトリコに、彼の側近アトモスが「これに」と言って近づいてきた。ヨモツ連邦標準の禿げ上がった頭に、がりがりと言いたくなるほど痩せた体をした男である。 「我々の攻撃は、想像もつかない方法で防がれたと言うことです。7万を超える艦隊からの一斉攻撃は、プロキオン銀河の船に届くこともなかったとか。そしてその直後、我らの艦隊背後に100万の艦隊が出現したと言うことです」 「そのような戯言を、わしに信じろと言うのではあるまいな?」  ぎょろりと目をむいたアルトリコ国王に、「ありのままをお伝えしました」とアトモスは答えた。 「そしてこの情報は、今現在ヨモツ連邦に広まっているところです」 「真偽の程は定かではないが、真実だと言う前提で対処せざるを得ないと言うことか……」  このような情報が広まれば、誰も冷静で居ることはできないだろう。  ヨモツ連邦の保有する艦船すべてを合わせれば、1千万を超える数を揃えることは可能だ。ただお互いの距離を考えると、集結させるだけでも長い時間が必要となる。相手の足の速さを考えれば、個別撃破されるだけとしか思えなかった。 「その後、トリネアから何か連絡はあったのか?」  このような状況になると、真偽に関わらずトリネア王女の存在意義は大きくなる。ただ娘からの連絡を期待したアルトリコに、アトモスは残念ながらと首を横に振った。 「王女からは、なんの連絡も入っておりません。私達が受けている連絡は、アリスカンダルから離脱後、24時間以内にこちらに到着すると言うものだけです」  アトモスの報告に、アルトリコ国王は苦虫を噛み潰したような顔をした。 「こちらから、プロキオン銀河……ディアミズレ銀河だったか。訪問団に連絡を入れることは可能か?」 「トリネア様と話をしたい……そのように申し入れることといたします」  斟酌したアトモスに、それでいいとアルトリコは頷いた。ヨモツ連邦の歯が立たない相手が現れた以上、ここから先の立ち回り方が大きな意味を持つことになる。娘が保護されているのなら、それを利用するのが現時点で最良な手段には違いないのだ。  さっそくと頭を下げて出ていくアトモスを見送り、手遅れにならなければよいがと、アルトリコはもうひとりの娘、ナニーナ王女のことを考えたのだった。  ありえないと考えたのは、連絡を受け取ったナニーナ王女も同じだった。そして彼女にとって深刻なのは、姉が帰ってくると言う事実を突きつけられたことだ。ここまでディアミズレ銀河は、こちらに対して一つとして虚偽の情報を送ってきていない。そうなると、姉のトリネアとともに、ロットリング号が運ばれてきていることになる。そしてディアミズレ銀河側は、点火スイッチの入れられたロットリング号をコウバコに返すと言ってきていたのである。 「手遅れかもしれないけど……」  今現在でも、テレメトリ情報の中に起爆フラグを立て続けていたのだ。情報を得られていない事実を考えると、何らかのシールド処理が行われていると推測することができる。そこでの問題は、間違って自爆信号が受信されたときのことだ。ディアミズレ銀河の船は破壊されるだろうが、それが戦争の引き金を引くことになってしまう。今回は、運よく恫喝だけで終わらせてもらったのだろう。だが仲間の船が破壊されることにでもなれば、総攻撃が行われるのは疑いようはない。そうなれば、コウバコ王家は、その星ごと存在を否定されるのは間違いないだろう。  手遅れだろうとなんだろうと、起爆フラグを解消する必要がある。慌てて部屋を飛び出したナニーナは、必要な指示を出すため技術部へと急いだのだった。  当たり前だが、アリスカンダルでの出来事は、すべてトリネアに伝えられていた。100万を超える艦隊の出現も恐怖なのだが、7万の船から行われた攻撃が届かなかったのも、理由を教えられれば恐怖以外の何物でもなかった。 「超銀河連邦設立に際して、IotUと言うお方が多大なる貢献をされています。その方は、生身で宇宙を飛び回り、光を超えて移動できたと伝えられています。幾つかの奇跡を体現したため、多くの者達からは「神」としてあがめられているぐらいです。ただIotUとその奥方たちは、「神」と呼ばれることを嫌っておいででした。ですから、「宇宙の非常識(Insane of the Universe)」と呼ばれているのです。なぜ本名で呼ばれていないかは、何一つとして記録に残されていないからです。その存在自体は記録されているのですが、超銀河連邦最大のコンピューターにも、その記録は残っていないのです。そしてIotUのなした奇跡に、スターライトブレーカーと言うものがあります。この世界にあふれる光を下僕とする技なのですが、トリネア王女がご覧になった奇跡がスターライトブレーカーの一部と言われています」  アリファールの説明に、「本当ですかっ!」とトリネアは大きく目を見開いた。 「本当ですかと疑問に感じられるのは理解できます。IotUの伝承を知る私達でも、その奇跡について言えば懐疑的な所がありました。ですが歴史的事実として、スターライトブレーカーは、戦いの中で使われたことがあります。その攻撃は凄まじく、今の私達の技術をもってしても不可能と言われるものです。その時の当事者がデーターとともに証言として残していることを考えれば、真実だと受け止めていいのでしょう」 「ですが、IotUは1千年前のお方なのですよね? もしかして、長い寿命をお持ちなのですか?」  目の前で見せられた奇跡を、トリネアはIotUが現れたことに求めたのである。そんなトリネアに、アリファールは「亡くなられたことになっています」と説明した。 「亡くなられたことになっている?」  なぜ断言されないのか。そんな疑問を抱いたトリネアに、「誰も看取っていないからだ」とアリファールはその事情を説明した。 「ただIotUは、標準的な短命種に生まれたと聞いています。ですから、「亡くなられたはず」と言うことになっています。そして先ほどの奇跡とも言える現象ですが、キャプテン・カイトが行われたものです。キャプテン・カイトとデバイス「ザリア」の組み合わせは、連邦最強と言われています」 「あの方が、あの様な奇跡をなされたと言うことですか……」  カイトならば、ズミクロン星系を出る際の記念式典で紹介されていた。しぶめで素敵と言うのが、その時トリネアが抱いた印象だった。  恐れを感じたトリネアに、アリファールは少し緊張気味に頷いた。 「そしてノブハル・アオヤマの持つデバイス「アクサ」は、ローエングリンの時間凍結を行いました。連邦軍が標準装備とするデバイスですが、トラスティ氏の持つ「コスモクロア」を含めた3体は、デバイスの範疇を超えた存在と言われています」 「ノブハル様も、そのようなデバイスをお持ちなのですね……」  少し頼り無さげな青年の顔を思い出し、トリネアは今回の訪問団の意味を理解した。 「あなた方が、トリプルAと言う一民間企業を重視した理由を理解できた気がします」  「怖いですね」とトリネアはその心情を吐露した。 「あなた方は、IotUと言う伝説の存在を、そのご三方に置き換えようとされていませんか?」 「それはない……と言いたい所なのですが……このままいくと、その風潮が生まれる可能性はあるでしょう。事実トリプルAは、過去から続く問題を解決し、今起きていた難問も解消してくれました。そして外銀河対策と言う、連邦の未来に対してもコミットをしてきたのです。IotU無きあとの世界に、大きな影響を与えるのは間違いないかと思います」  トリネアと話をすることで、これまで漠然として感じてきたことが自分の中で明確なものとなってしまった。そのせいもあって、アリファールは恐れを感じるのと同時に、どうしようもなく自分が興奮してきているのに気づいてしまった。しがない辺境銀河の一兵卒に過ぎない自分が、伝説を作る男からデバイスを貸し与えられたのだ。そして変わっていく世界を、特等席で目撃しようとしている。こんな幸運は、1千ヤーの歴史の中でも、そうそうあるものではないと言うのが分かるのだ。  そしてその幸運は、目の前にいるトリネア王女との出会いから始まっている。そう考えると、彼女が自分にとって特別な存在に思えてくるから不思議だ。  もっともそこでトチ狂わない程度には、アリファールも分別を持っていた。もう一つ幸運だったのは、ミランダが伝達事項を持って来たことだった。 「トリネア様、コウバコ王国国王アルトリコ様から、連絡を取りたいとのお話がありました」 「お父様、からですか?」  驚いたトリネアに、「ただ今入った通信です」とミランダが答えた。 「恐らく、今回の衝突が理由になっているのではないのかと」 「確かに、想像もつかないことが起きていますね」  そう考えれば、祖国が慌てふためくのもおかしなことではない。そして父ならば、自分と連絡をつけようとするのも当たり前のことだった。 「それを伝えてくれたと言うことは、父と連絡をさせてくださると言うことですね?」 「トリネア様は、大切なお客様です。超銀河連邦として、当然のことかと思います」  頭を下げたミランダに、分かりましたとトリネアは小さく頷いた。そしてその上で、必要な確認をすることにした。 「私が話すことに、何か制限の様なものはありますか。もしくは、何か期待されることはありますか?」  これが外交である以上、知っていることを何でも話していいと言うものではない。そして自分に話をさせると言うことは、何らかの誘導を行おうとすることが予想できるのだ。だからトリネアの質問も、それを意識したものになったのである。 「私は、制限を掛けよとは命じられていません。加えて申し上げるのなら、お見せしてまずいものは今までなかったかと思います」  そこで顔を見られたアリファールは、「私達も、触れられる情報は限られています」と説明した。 「私達の階級は、軍の中で低いものとなっています。したがって触れられる情報も、重要度の低いものになっています。そして私達の触れられる情報にしても、機密情報取り扱い規定で扱いについて規定されています。私もミランダも、その規定に則って情報をお出ししているつもりです」 「つまり、私程度の知っていることなら、何を話しても問題はないと言うことですね」  そこで安堵をしたのは、素直に話をすることができるからだろう。その気持ちは分かると、アリファールとミランダはトリネアに同情していた。 「ところで、ロットリング号の現状についても、知っていることをそのままお話してもよろしいのですね?」  その問題は、むしろコウバコにおいて微妙な意味を持つものとなる。だからアリファールは、連邦としての立場を持ち出した。 「ご判断は、トリネア様にお任せするそうです。理由としては、トリネア様の方が、微妙な立場に置かれるから……と言うものです」 「確かに、これは私達の問題ですね」  分かりましたと頷いたトリネアは、次に「いつ話ができるのか」を問題にした。 「お答えとしては、トリネア様次第と言うことになります。何をお話しされるのか、どうお話されるのか、それがまとまり次第と言うことになるのでしょう」 「でしたら、お父様の用意が整い次第と言うことになります。私は、知っていることを正直にお話すればよいだけですからね」  その答えで顔を見合あわせた二人は、小さく頷いてから「しばらくお待ちください」と口にして出て行こうとした。インペレーターの中にいる限り、身の安全は保障されている。密着警備の必要はないし、考える時間も必要だろうと言う配慮からの行動だった。  そんな二人を、「少しお待ちください」とトリネアは呼び止めた。 「ご迷惑でなければ、アリファール様に同席していただけないでしょうか?」 「私が、でしょうか?」  驚いたアリファールに、少し恥ずかしそうに俯き「はい」とトリネアは答えた。 「勝手なことをお願いして申し訳ないとは思っています。ですが、アリファール様に同席していただいた方が、私も安心できますので」  だからですとお願いをされれば、嫌などと答えられるはずがない。ただ「喜んで」などと答える筋合いのものでもないので、「謹んでお受けいたします」とアリファールは頭を下げた。 「では、後程よろしくお願いいたします」  立ち上がって頭を下げたトリネアに、二人は頭を下げ返してから貴賓室を出て行った。なにかとても面倒なことになっていないか。自分をからかってこないミランダと併せて、逆にアリファールは肩が重くなった気がしていた。  いつでもとトリネアが答えた3時間後、彼女は仮想空間で父親のアルトリコ国王と向かい合うことになった。そして彼女の横には、お供のマルドと、立ち合い人のアリファールが付き添っていた。  「久しぶりだな」と娘に声を掛けたアルトリコは、内心その変貌に驚いていた。パーツの一つ一つを取り上げれば、送り出す前の野暮ったさから変化はないはずだった。だが目の前に現れた娘からは、以前の卑屈さが消え失せ、自信の様なものが見られるようになっていた。それが理由なのか分からないが、流行から外れた見ているにも関わらず、ずっと魅力的に見えるようになっていたのだ。 「はい、お久しぶりです。お父様も、ご健勝そうで何よりです」  その仕草一つとっても、送り出す前とは大違いだったのだ。以前からこうなら、嫁ぎ先に困ることはなかっただろうと、アルトリコは心の中でない物ねだりをしたほどだった。 「ところで、そちらの殿方は超銀河連邦だったか。監視のために立ち会われると受け取ればよいのだな?」  双方衝突したばかりだと考えれば、監視役が置かれるのは別に不思議なことではない。その常識に従って尋ねたアルトリコに、娘のトリネアは「私がお願いいたしました」と予想とは違う答えを口にした。 「お前がお願いをして立ち会ってもらった……と言うことか?」  驚く父に、トリネアは「はい」と少し頬を染めて頷いた。なるほどそう言うことかと納得しながら、「先日のことだが」とアルトリコは切り出した。 「ヨモツ連邦混成艦隊が大敗したとの情報が出ている。ただ情報が錯綜しているのか、正確な情報が伝わっていないように思えるのだ。可能ならば、正しい情報を教えてはくれないか?」  アルトリコが下手に出たのは、アリファールの存在が理由になっていた。娘の感情的な問題とは関係なく、相手は超銀河連邦に所属した者なのである。娘と話をするにも、慎重に対処する必要があるのは間違いない。  そこで一度アリファールを見たトリネアは、小さく咳払いをしてから説明を始めた。 「どのような情報が伝わっているのか分かりませんが、私の知っている、そして目撃したことをお伝えいたします」  そこでもう一度アリファールを見たトリネアは、会談が決裂したところから説明を始めた。 「きっかけは、モンジュール様とノブハル様……私が、ヨモツ銀河に招待差し上げたお方です。アリスカンダルの者達が、ご迷惑をおかけした当事者でもあられます。伺った話では、ノブハル様はサンダー大王とサーシャ王女の減刑を打診されたそうです。その打診に対して、モンジュール様は法的根拠が存在しないことを理由に、減刑を否定されたそうです。その回答に対して、翌日ノブハル様は、ヨモツ連邦法の不備を突いた提案をされました。それが、アリスカンダルがヨモツ連邦を離脱し、超銀河連邦に加盟すると言うものでした」 「ヨモツ連邦成立の理由を考えれば、受け入れられる話ではないな」  父親の言葉に、「その通りです」とトリネアは肯定した。 「したがって話し合いは再度決裂することになりました。そしてエスタシア王妃様が、ヨモツ連邦離脱を宣言されたのです。そこでモンジュール様は、過去保留された武力制裁を宣言され、ノブハル様は超銀河連邦として、加盟申請星系の保護を行うと宣言されました。それが戦闘が行われた理由と言うことです」  その説明に、なるほどとアルトリコは大きく頷いた。 「アリスカンダルともなれば、他の星系の連邦離脱とは話が違ってくるな。モンジュール長官も、引くに引けなくなったのだろう」 「私もそう思います。ただ、星系到着時に私が行った警告が忘れられたことが残念だと思っています」  ヨモツ銀河に入る前に、トリネアは「攻撃はしないように」としっかり警告をしていた。その際に持ち出したのが、いつでも万を超える艦隊を派遣できると言うものだったのだ。そして今回の衝突で、トリネアの言葉が正しかったことが証明された。 「なるほど、確かにお前は警告をしていたな。だが今回のやり方は、客観的に見ればかなり強引なものではないのか?」 「確かに、かなり強引なものだと私も思います」  そこまでは認めたトリネアは、「ただ」と自分たちの問題も持ち出した。 「超銀河連邦から派遣されたクラカチャス様は、時期尚早と断られた時に仰られたそうです。そもそも100隻とは言え、攻め込んだきたのはヨモツ連邦の方だろうと。そして私と言う使者を送り込んだもの、またヨモツ連邦ではないのかと。そのくせ交流を始めることへの申し出に対して、時期尚早と言うのはおかしくないか。確かにそれを指摘されれば、返す言葉がないのかと思います。そしてアリスカンダルのことにしても、その前に落としどころをノブハル様は提示されておいででした。サンダー大王とサーシャ王女の減刑をしたとしても、今さら問題が起こるとは考えられません。ですが私達の側は、友好的関係の締結を拒否し、減刑をしてはとの依頼も拒否しています。そして忘れてはいけないのは、攻撃は私達の側から一方的に行われただけで、超銀河連邦側からは一発も撃たれていないと言うことです」 「お前の話を聞いていると、どちらの立場で話をしているのか分からなくなるな」  苦笑を浮かべた父親に、「それは」とトリネアは言い訳の言葉を口にした。 「私にとって……いえ、サンダー大王とサーシャ王女にとってもそうなのでしょうが、あちらはとても居心地の良い場所なんです。非ヒューマノイド型の人たちも含めて、交流は活発に行われ、そしてみなさん元気がとても良いように見えました。効率だけを求める私達とは違い、日常の生活にもゆとりと言えばよいのか、文化を感じることができます。私達が過去失った物が、ずっと洗練された形であちらの連邦には残っていました」 「そしてお前は、いらない子供と思っていたと言うことだな」  そこまで口にして、「まあ待て」とアルトリコは何か言いかけた娘を制止した。 「お前からすれば、思っていたのではなく事実だと言いたいのだろう。だがわしは、お前のことを一度もいらない子だと思ったことはないのだ。ただ国王と言う立場が、それ以上を許してくれなかったと言うことだ。それに加えて、わしはナニーナが何か企んでいるのを知っている。それでも手を出さなかったのは、王族として生きていくのは、まっとうな考えではやっていけないと言うことにもつながっている」 「でしたら、お父様はロットリング号への仕掛けもご存知ですか?」  少し気分を害したトリネアは、ぞんざいな言い方で父親の認識を質した。 「ロットリング号のことか。何もないとは思っていないが、それにしたところで帰り道が入力されていない程度だと思っておるのだが……それ以上のことがあるのか?」 「それならば、ナニーナを問いただしてみてください。私が申しあげられるのは、今はここまでです」  つまり、それ以上のことがされていると言うことになる。少し表情を厳しくしたアルトリコは、「分かった」と娘の言葉を認めた。 「ところで確認をしていなかったが、100万もの艦隊は実在したのか?」  それが、この面会の目的のはずだった。それを思い出したアルトリコに、「実在します」とトリネアは答えた。 「そしてすでに、100万の艦隊は超銀河連邦へと帰還しています。恐らく信用していただけないと思いますが、超銀河連邦は制限はありますが、距離の問題を克服しています。高次空間を利用することで、遠く離れた場所にも隣の部屋に行く感覚でたどり着くことができるそうです」 「我々の常識が通用しないと言うことか……」  父親の呟きに頷いたトリネアは、「もう一つ」と正気を疑われてもおかしくない出来事を持ち出した。 「伝わっている噂の中には、連邦7万の艦船からの攻撃が届かなかったと言うものがあるかと思います。私は、その奇跡を目撃したことをお知らせいたします」  小さく頷いたトリネアは、提供された映像を父親に示した。その映像では、展開した艦船から行われた攻撃が、途中であり得ない形で捻じ曲げられ、一点に集中しているのを見ることができた。 「これが、事実だとお前は言うのだな」  噛んで含めるように確認した父親に、トリネアは「その通りです」と認めた。 「このような現象に驚いた時点で、私達は攻撃を仕掛けるべきではなかったと言うことです」 「確かに、お前の言う通りなのだろう……」  伝わってきた噂話ともいえる情報が、すべて真実だと言うことが確認されたのだ。「攻撃を仕掛けるべきではなかった」と言うのは、あまりにも真実を表していると言えただろう。  それを認めたアルトリコは、「トリネアよ」と娘の名を呼んだ。 「ここまでの役目、ご苦労だったな。帰ってきたところで、お前の身の振り方を考えることにしよう」  どう言う訳か、そこでアルトリコは側で控えているアリファールの顔を見てくれた。しかもトリネアも、父親の視線に気づいてアリファールを見たのだ。その視線が自慢げなのは、どう考えたら良いのだろうか。もしかしてとてもまずいことになっていないか。顔に出す訳にもいかず、アリファールは緊張した面持ちのまま盛大にわが身を嘆いたのである。  そして約束通り24時間後、モンジュールは再度インペレーターを訪れていた。ただその時現れたのは、モンジュール1ではなく2の方だった。それを訝ったクラカチャス達に、モンジュール2は少し言い訳がましく「まだ癒えていないのだ」と答えた。 「顔を出しにくいと言う事情もあるのだろうがな。したがってわしが、早起きをして現れたという次第だ」 「どうやら、無理をさせてしまったようですね」  申し訳ないと謝るクラカチャスに、モンジュールははっきりと分かる苦笑を浮かべた。 「昨日のこと以上に無理は無いと思っているのだがな。それはいい、せっかくここに来たのだ、話し合いをやり直したいと思うのだがいかがだろうか?」 「やり直すことに異存はありませんが、さてどこからやり直しますかね」  それを自分に丸投げしたクラカチャスに、モンジュール2は「初めからだ」と返した。 「つまり、友好関係の締結からと考えて良いと言うことですな」  なるほどと大きく頷いたクラカチャスは、「ご理解に感謝いたします」と頭を下げた。 「そして、強要したようで申し訳ないと思っていますよ」 「確かに、それを否定するのは難しいとは思っている。ただあなたが指摘した通り、始めたのは我々と言うのは確かだ」  指摘された事実を認めたモンジュール2に、クラカチャスは大きく頷いた。そしてモンジュール2は、交流を始める際の問題点を指摘した。 「ただ一言で友好関係の締結と言っても、超えなければならない問題が幾つかあると思っている。そしてその第一となるのが、双方の移動に関するものだろう。何しろ我々の技術レベルでは、そちらの銀河に行くのに、どんなに急いでも5ヶ月はかかってしまうのだ。しかも使用する船は実験レベルのものだし、運べる人員も片手で足る程度でしか無い。そして同じ事情はヨモツ銀河内にも存在している。実験レベルで達成した速度で移動しても、端から端まで2週間以上掛かってしまうのだ。しかも現在の実力では、どんなに頑張っても10年以上掛かると言う体たらくだ。我々が、そちらとの交流を時期尚早とした理由を理解していただけるだろう」  文明レベルが違うと主張したモンジュール2に、「理解できます」とクラカチャスは答えた。 「そして移動の問題に対して、我々は2つの提案をしたいと思っております。今回我々は、超光速航行技術を用い、光速の1億倍の速度にまで達しています。ただこの速度で巡航すると、前方に亜空間バーストを生成するという問題があるのです。したがって、光速の1千万倍で移動できる旅客船を、サービス込みで就航させることを考えております。そしてもう一つ、あなた方が目撃した、100万の艦隊を輸送した方法。私達は、高次空間接合による多層空間移動……でしたかな。その方法も提供したいと考えているのです。これを使えば、特定の2点間を移動する時間が、ほぼ0と言うことになるのです。超銀河連邦から提供できるものは、簡単に言うのなら以上の2つと言うことになります」  それだけで、文明レベルとして1千年を飛び越えることになるのだろう。それは素晴らしいと答えたモンジュールに、「ただし」とクラカチャスは条件を追加した。 「多層空間移動に関しては、いささか条件をつけさせていただきます。まあ条件と言っても、制御装置をこちらの銀河に設置させていただきたいと言うものです。そして使用できる機能についても、若干の制限をつけさせていただくことをお断りしておきます。そして制御装置を、我々はアリスカンダルに設置することを考えております」 「なぜ……と言うのは、踏み込みすぎたものとなりますかな?」  少し遠慮がちに尋ねたモンジュール2に、「構いませんよ」とクラカチャスは笑った。 「技術者を派遣する際に、ヒューマノイドタイプの星系の方がありがたいと言うことです。後はそうですね、友好的な交流関係が結べるのであれば、アリスカンダルがそちらの連邦を離脱しなくても済むだろうと言うことも理由です。私達は、あなた方の銀河に揉め事を持ち込もうとは考えていないのです」 「懲役刑を軽減すると言うこと自体、私達の法体系で規定されたものではないのですがね。それ自体で、揉め事の原因となりかねないものなのは確かですな」  またゼロ回答するのかと警戒したノブハルを見て、モンジュール2は「ただ」と言葉を続けた。 「私達も、現実を見た対応をする必要があると思っている。したがって、サンダー大王、そしてサーシャ王女に関して、保護観察処分とすればいい。保護観察処分で行われる制限は、星系外に出ること程度だ。それは、現在アリスカンダルに行っている、信託統治による制限とほぼ同等のものとなる。懲役の期間と同等の、10年間の保護観察処分と言うことでどうだろうか?」  その回答を受け取ったクラカチャスは、「妥当な線ですな」とヨモツ銀河側の判断を尊重する言葉を口にした。そして当事者の一人であるノブハルを見て、「いかがですかな」とその考えを尋ねた。 「もともと減刑は、俺が持ち出したものだ。その意味で言うのなら、特に構わないと言うことになるのだがな……ただ、エスタシア王妃には、ヨモツ連邦離脱と言う決断をさせてしまったのだ。そしてその上で、昨日のような武力衝突が起きてしまった。それを考えると、すべてが元通りと言う訳にはいかないのではないのか?」 「仰るとおり、何もなく元通りと言うのは虫の良い話なのだろうな」  ノブハルの言葉を認めたモンジュール2は、「更に時間を巻き戻そうか」と提案をした。 「アリスカンダル武装蜂起する前まで巻き戻せば、信託統治も解消されることになる。連邦を離脱されるのに比べれば、我々にとってもマシな選択には違いないだろう」 「良いのか、連邦法から外れることになるのだぞ?」  嫌味を口にしたノブハルに、「超法規的措置も必要だろう」とモンジュール2は答えた。 「さもないと、また昨日の繰り返しになってしまう。昨日は見逃してもらえたが、次に同じことがあれば我々の混成艦隊は消滅させられてしまうのではないのか?」 「俺たちは、そこまで乱暴ではないつもりなのだがな」  そこまで答えて、「似たようなことはするな」とノブハルは付け足した。 「では、合意できたことを、文書として発行いたしましょう」 「ああ、そのための式典が必要なのだろう」  クラカチャスの言葉を認めたモンジュール2は、「ところで」と一つ疑問を呈した。 「式典の場所はどこにすればよいのだ?」 「よろしければ、長官御一行を別の銀河へとご招待いたしますよ」  いかがでしょうと問われたモンジュール2は、「それは良い」と喜んでみせた。 「では詳細は実務レベルに任せることになるのだが……」  そこで口ごもったモンジュール2に、「これ以上何か?」とクラカチャスは問いかけた。 「なに、そちらが運んできたロットリング号のことだ」 「ああ、あれのことか」  友好関係の話が終わったので、新たな問題だとノブハルが口を挟んできた。 「発信源がコウバコ星系の、起爆信号が少し前に停止したな」 「ご存知だったと言うことか!」  大きく頷いたモンジュール2に、「当たり前だ」とノブハルは返した。 「トランスワープ用のエンジンへの細工を見つけてある。したがって、何をされても爆発しない細工をしてここまで運んできた。具体的に言うのなら、ロットリング号船体の時間を停止させた」 「この上、時間停止までできると言うのかっ!」  ここまで技術力の差を見せつけられると、昨日の行いが道化にしか思えなくなる。小さくため息を吐いたモンジュール2は、「どうされるつもりだ」とノブハルの考えを正した。 「素直に、コウバコ王家に返すつもりだ。時間停止措置は、返却時に解除をしておく」 「それはそれで、問題のある行為なのですが……自爆すると知らないあなた方なら、当たり前の行為でしか無いのだろうな」  それを知っているのは、自爆装置を仕掛けた者だけなのだ。したがってそのことを知らないノブハル達は、引き渡したあとのことを考える必要は無いはずだ。 「ちなみに、引き渡した後に自爆させることも可能なのだが?」  起爆信号の分析が済んでいるのだから、当然自分達から起爆信号を送ることも可能だ。それを持ち出したノブハルに、「それはやめて欲しい」とモンジュール2は懇願した。 「あなた方も、余計な犠牲を出すことは望まないと思っているのだが。どうだろう」  それを指摘したモンジュール2に、ノブハルはしっかりと頷いた。そしてモンジュール2に、重要な事実を指摘することにした。 「こちらへの連絡で、ロットリング号がインペレーターの積荷になっていることを伝えてある。そしてこの情報は、コウバコ王家へも送られているのだ。その積み荷に対する自爆信号を送ると言うことは、俺達への攻撃を意図したと受け止めてもいいはずだ」 「確かに、仰る通りなのでしょう」  ノブハルの主張を認めると、コウバコ王家はインペレーターへの攻撃を行っていると言うことになる。それが思いもよらない方法で防がれていたとしても、コウバコ王家は責任を逃れることはできないだろう。 「あなた方に、報復する権利があるのは認めるが。それでどうするつもりなのだ?」 「それは、コウバコ王家の出方次第と言ってやろう」  その答えに、モンジュール2はなるほどと頷いた。 「あなた方が、とても理性的であるのと同時に、とても狡猾であるのも理解できた気がする」 「星系間の関係など、誠実さも必要だが、それだけでは馬鹿を見ることになる。俺に対して、そう教えてくれる人がいたんだ」  その程度だと答えたノブハルは、隣でニヤついている……ように見えるクラカチャスの方を見た。 「俺から話をすることはなくなったのだが?」 「でしたら、今日の会談は終了ということになりますね」  うんうんと頷いたクラカチャスは、「とても有意義だった」とモンジュール2に声をかけた。 「そうですな、お互いの理解が進んだと考えている」  笑みのようなものを浮かべたモンジュール2は、ノブハルの顔を見て「次はお手柔らかに」と口にした。 「友好関係を結んだ以上、次など無いと思っているのだがな」 「仰るとおり、我々は友好関係を結ぶのでしたな」  うんうんと頷いてから、「これで失礼する」とモンジュール2は立ち上がった。 「コウバコ王家のことは……まあ、アルトリコ国王は思慮深いと聞いているから大丈夫だろう」  連邦として特に関与しないと告げて、モンジュール2は会談の場を出ていった。少し足取りが軽そうに見えるのは、難問が解決したとの思いからだろうか。 「さて、残すところはロットリング号の問題だけか」  ふうっと息を吐き出したノブハルは、「どう転んでも構わないのだが」と正直な気持ちを口にした。 「確かに、どう転んでも困りはしないのですが……どちらかと言えば、面倒は避けたいところですね」 「確かに、これ以上の面倒は避けたいと思っている。帰り道に時間が掛からないのは分かっているが、それでも早く帰りたいと言う気がしている」  一度エルマーに帰ってはいるが、それ以外はとてもストイックな生活を送っていたのだ。 「いろいろと、土産話もしてやらないとな」  一緒に連れこなかった以上、土産話をするのも自分の義務だとノブハルは考えていた。そしてヨモツ銀河への旅は、話題に事欠かないものだと思っていた。 「私も、土産話ができたと思っていますよ」  ヨモツ銀河に来たこともそうだが、こうしてIotUの子孫と仕事をすることができた。その方がよほど貴重だと、クラカチャスは考えていたのだった。  アリスカンダルとの距離を考えれば、普通ならば自分達に時間的余裕があるはずだった。だが出発と同時に、それこそ通信が伝わるのよりも早く現れた船団に、コウバコ星系代表アルトリコ国王は、己の常識が通用しない世界があることを思い知らされた。そしてつくづく、娘のトリネアと話をしておいて良かったと感じていた。もしもトリネアに注意されなければ、娘のナニーナに詰問することはなかったのだ。そうなると、自分達は会談において大きな失策を犯すことになっていただろう。  ただアルトリコにとって悩ましいのは、王位を譲ろうと考えていたナニーナの適格性に問題が出たことだ。しかもトリネアは、王位を継ぐ気持ちをサラサラ持っていないのも分かっている。だとしたら、自分は娘の意に沿わない決定をしなければならなってしまう。  巨大戦艦が並ぶのを見るのは、明らかに気圧されるものとなってくれる。だがいつまでも圧倒されていては、相手に対しても失礼になると言うものだ。一度大きく息を吸い込んでから、アルトリコは部下にコンタクトを命じた。 「先方に通信をつなげ」 「はっ、超銀河連邦訪問団とコンタクトいたします!」  そして命令を受ける方も、緊張を隠すことはできなかった。最終的に穏便な決着を見たとは言え、ヨモツ連邦は一度は大敗の憂き目にあっている。大艦隊は帰ったと言われても、いつまた現れるのかわかったものではなかったのだ。 「先方出ます」  その言葉に少し遅れ、アルトリコの前に4つの仮想体が出現した。そのうちの2人には見覚えはあったが、残りの2人はアルトリコは初見だった。 「ようこそ、コウバコ星系へ。わしが、国王をしているアルトリコである」  尊大に聞こえないか、無礼に聞こえないかとビビりながら、アルトリコは普段どおりの挨拶をした。 「今回の訪問団の代表をいているクラカチャスと申します。そして隣にいる青年は、トリネア王女が招かれたノブハル・アオヤマと言います。今回使用している船は、彼と彼の所属する会社が用意したものです」  クラカチャスの紹介を受けて、「ノブハル・アオヤマだ」とノブハルは頭を下げた。 「娘の客なら、すなわちわしの客と言うことになる。ノブハル・アオヤマ殿。遠路コウバコ星系まで、よくぞお出でになられた。大したもてなしはできないが、精一杯歓迎させいただきますぞ」  歓迎とアルトリコが口にした時、ほんの僅かだたトリネアの口元が歪んだ。ただそれに気づいたのはアリファールだけで、ノブハルは「喜んで」と社交辞令を口にした。 「では、皆様には地上に降りていただくことになるのだが。こちらから、連絡船を差し向けると言うことでよろしいか?」 「そのことですが」  話を引き取ったクラカチャスは、ノブハルの顔を見てからアルトリコと相対した。 「そちらへの移動は、我々自身で行おうと思っています。ですから、どこに降りればよいのか指定願います。予め申し上げておきますが、船等の乗り物は使用致しません。極端なお話を申し上げるなら、国王の面前に移動するのも可能です」 「この距離で、空間移動が可能と言うことか」  なるほどと頷いたアルトリコは、「これに」と自分のいる場所のすぐ近くを指定した。 「でしたら、これより10数えたところで移動することにいたします」  クラカチャスの目配せを受けたマリーカは、アルテッツァに対して移動の指示を出した。それを受けるように、通信の画面にカウントダウンの数字が表示された。  そしてその数字が0となったところで、アルトリコの指定した場所に5つの影が現れた。先程よりひとつ増えたのは、お供のマルドが加わったからである。 「改めて申し上げる。ようこそ惑星コウバコへ」  一歩進み出たアルトリコに向かって、「こちらこそ」とクラカチャスは頭を下げた。そして必要だろうと、トリネア王女を前に出した。その時のトリネアは、ドレススタイルのグラデーションの付いた紺色のワンピースを着ていた。 「コウバコ王家第一王女トリネア、役目を果たしてただいま戻りました」 「うむ、無事の帰還、嬉しく思うぞ」  国王と王女の立場で言葉をかわした後、アルトリコは「見違えたぞ」と娘に声をかけた。 「やはり、直接顔を見るのは感慨が違うな」  そこで一つ息を吸い込んでから、「場所を変えることにする」と言って手を一度叩いた。  その瞬間変わった景色に、なるほどとノブハルは納得をしていた。当たり前なのだが、こちらの世界でも空間移動が実用化されていたのだ。 「あなた方からすれば、とても殺風景な部屋と言うことになるのだろう。ただあなた方を軽んじた訳ではないことをご理解願いたい」  そう言わなければいけないほど、娘と再開した部屋との落差が大きかったのだ。ただそれを気にしたアルトリコだったが、超銀河連邦側の3人は、「聞いたとおりだ」と殺風景な部屋の様子に納得をしていた。 「すでにトリネア王女様から、こちらのことは伺っていますよ。ですから、お気になさらず……と言うことになります」  代表して答えたクラカチャスに、「お恥ずかしい限りで」とアルトリコは恥じた。 「我々も、過去には華美な……違いますな、実用性ばかりでない部屋を持っていました。ただ行き過ぎた実用主義が、装飾と言うものを排除していったのだ」  そう言って席を勧められた席についた一行の前に、チューブに入った飲み物が供された。これもまた、トリネアから教えられた通りのものだった。しっかりと室温に馴染んだ飲み物は、お茶に似た味をしていた。 「さて、話を始める前に一つ謝罪することがある。あなた方が運んできてくれたロットリング号なのだが、自爆装置などと言うものが隠されていた。それだけなら秘密保持のためと理由をつけることができるのだろうが、一昨日になるまでこちらから自爆信号が送られていたのが判明している。あなた方が対策をしていなければ、間違いなく爆発をしていたことだろう。トリネアに教えられ娘のナニーナを詰問したところ、誤魔化しきれないと観念して白状してくれた。王女がしたことは、すなわちコウバコ王家の責任と言うことになる。したがってわしから詫びさせてもらうし、あなた方の制裁を受け入れることにする」  立ち上がって頭を下げたアルトリコに、「そのことですが」とクラカチャスは話を引き取った。 「私共も、ロットリング号に自爆装置が取り付けられていることは承知しておりました。トリネア王女を私達の船でお送りしたのも、そのことが理由の一つになっています。ただ自爆条件が分からなかった……推測はできましたが、リスクを犯すわけにもいきませんので、対策をとってこちらに運んできたと言うことです。アルトリコ国王から申告があり、そして謝罪を頂いたことで、私共はこの話は終わったものだと思っております」 「だが、一歩間違えばそちらでも大きな被害が出ていたのだぞっ!」  何も無いことはありえないだろう。そのつもりで反論したアルトリコに、「終わった話です」とクラカチャスは繰り返した。 「そしてそれ以上は、コウバコ王家内の問題だと思っています。もしもトリネア王女がロットリング号で帰路についていたら、被害を受けるのはトリネア王女ですからね」 「だから、我々の問題だと仰るか……」  ううむと少し考えたアルトリコは、「トリネアよ」と娘の名を呼んだ。 「ナニーナ達の処分だが、お前は何を希望する?」 「ナニーナ達への処分ですか?」  目をパチパチと瞬かせたトリネアは、一度マルドの顔を見て、そして次にアリファールの顔を見てから、「これと言って」と答えた。 「ただ、何もしないと言うのは、国として好ましくないのは理解しているつもりです。そしてお父様にお任せすると、私にとって好ましくない方に進みそうな気もしています」  だからと、トリネアは「私を自由にしてください」と父親に頼んだ。 「具体的に申し上げるのなら、ディアミズレ銀河へ派遣していただければと思っています」 「ナニーナを、女王にせよと言うのか?」  アルトリコとしては、ナニーナを女王にするのは問題だと考えていた。一度は女王にとも考えたが、今回の事件で不適格だと判断したのである。 「はい、私は女王になりたいと言う気持ちを持っていません」  きっぱりと答えたトリネアに、ううむとアルトリコは口をへの字にした。ただ「嫌だから」と言う理由で王位継承は逃げて良いものではない。 「王族に生まれた者が、ただのワガママで義務を蔑ろにして良いものではないのだがな」  ふうっと息を吐き出したアルトリコは、なぜかアリファールに狙いをつけてくれた。 「アリファール殿と言ったか。あなたもそうは思わないか?」 「し、庶民の私には、そのあたりは、ななんとも……ただ、仰ることは理解できます」  どうして自分に振ってくれる。焦って答えたアリファールに、「譲歩できたとしても」とアルトリコはトリネアの前に餌を差し出した。 「せいぜい、配偶者を選ぶことぐらいなのだがな」  もう一度顔を見られたアリファールは、背中に冷たいものが団体で流れていくのを感じていた。もしかして抜き差しならないところに追い詰められてはいないか。真剣に考えるトリネアに、アリファールはゴクリとつばを飲み込んだ。  そしてアルトリコは、皇夫と教えられたノブハルに水を向けた。 「ノブハル殿は、確かシルバニア帝国皇帝の夫となられたと伺っているのだが。王族に生まれた者は、自由を制限されるのはそちらでも同じではないのか?」 「確かに、ライラは不自由極まりないと言っていたな」  うんうんと頷いて、汗をダラダラと流しているアリファールの顔を見た。なるほどトラスティが面白がる訳だと、初めてノブハルは彼のことを理解できた気持ちになっていた。 「ライラに認められた自由は、誰を夫にするか程度だったな。それにしたところで、周りを納得させるのは難しいと言っていたぞ」  周りを納得させるの下りで、アリファールは少し救われた気持ちになっていた。何しろ自分は、遠く離れた銀河に生まれた、ただの一兵卒に過ぎないのだ。それを考えれば、周りを納得などさせられるはずがない。 「なるほど、確かに臣下や民達に認められることも必要だろう。ただその前に、わしが認める男でなければならないのだがな」  じろりと睨まれたアリファールは、勘弁してくれと心の中でこぼしていた。そして叶うならば、認めないでくれと願ってもいた。 「ただ配偶者のことを決めるのは、気が早いと言われるのも確かだろう」  そこで娘の顔を見たアルトリコは、「王族の義務を果たせ」と国王として命じた。つまり、女王となるのを拒むのは認めないと言うのである。 「そこから先のことは、今夜にも話をすればよいだろう」  そしてと、アルトリコはクラカチャス達の顔を見た。 「今宵は、心ばかりの持て成しをしたいと思っておる。迷惑かもしれんが、お付き合い願えないだろうか?」 「喜んでお受けいたします」  外交に来ている以上、宴のお誘いを断ることなどありえない。表情の分かりにくい顔に笑みを浮かべ、クラカチャスはアルトリコ国王の招待を受けたのである。  超銀河連邦は、ぴったり1万の島宇宙で構成された銀河を超えた共同体である。連邦全体ではおよそ10億の有人星系が存在し、そこには10の20乗を超える数の住人が住んでいた。ただこれまでピッタリ1万の銀河で構成されていたのだが、発足から1千ヤーが過ぎたところで、その枠組に変化が生じようとしていた。  その変化の一つは、近傍にある矮小銀河が超銀河連邦への加盟を検討していることだった。一つ一つの規模こそ小さいが、それでも新たな仲間が加わることには違いない。  そしてもう一つの、そして大きな変化は巨大銀河が超銀河連邦への加盟を検討し始めたことだ。ディアミズレ銀河から200万光年離れたところにあるヨモツ銀河と呼ばれる銀河は、直径で20万光年と超銀河連邦内のどの銀河よりも大きいと言う特徴を持っていた。交流を始めたばかりのその銀河が、超銀河連邦への加盟を真剣に検討を始めてくれたのである。  ちなみに受け入れ側の超銀河連邦は、一応加盟を歓迎すると言う立場を表明していた。そしてその時持ち出した謳い文句は、「IotUから独り立ちする」と言うものである。現在の構成銀河1万と言うのは、IotUが生きた時代から変わっていなかったのだ。それから1千ヤーの時間が経過したにもかかわらず、1つも加盟銀河が増えないのは冷静に見てみれば異常なことに違いない。だから連邦政府は、それをIotUに対する依存と定義し、新しい銀河を仲間に入れることが、独り立ちをした証拠としたのである。  それを宣言文として出すにあたって、理事会が大いにもめたと言われていた。それでも最終的に、満場一致で宣言文が採択されることになった。これをもって、超銀河連邦は新しい時代に一歩踏み出すことになる。理事会議長サラサーテは、全加盟星系に対して連邦としての宣言文を配布したのだった。遠く離れた、位置関係すらわからない銀河の出来事なのだが、加盟各銀河では新しい時代の到来に沸き立ったと言う。  10万人を収容できるホールは、今日も満員の観客を迎えていた。ホールの中央に配された浮島のようなステージの上では、ちょっと大人っぽい女の子が三人の女性バックダンサーと歌い踊っていた。  まるで万華鏡のように衣装を変えながら踊る少女は、ズミクロン星系有数のトップアイドルのリンラ・ランカである。衣装に合わせて変える髪型は、今は金色ののロングとなっていた。そして襟の大きな白いブラウスに、黒のマイクロミニスカートに身を包んでいた。観客達からは見えにくいが、瞳の色もブルーに変えられていた。  リンラより少し大人っぽい雰囲気を持ったバックダンサーの一人は、長い黒髪と抜群のスタイルを誇る女性である。体にぴったりとした衣装は、ことさら彼女の胸元を強調していた。そしてもう一人のバックダンサーは、逆にリンラより少し幼く見える見た目をしていた。ソバージュの掛かったショートの赤髪が特徴の、どちらかと言えば可愛らしいタイプの女性である。そして三人目のバックダンサーは、茶髪をショートにした活発そうな女性である。遠く離れたクリスティアから来た女子高生と言うのが、彼女のプロフィールとして定着していた。ちなみにそれ以上に彼女を有名にしていたのは、連邦初となる外銀河訪問団の船長と言うことだった。 「次の曲は、「フレンズっ!」」  その声と同時に、リンラの衣装はフリフリ付いたミニスカート姿になっていた。その変化に合わせて、もう一つの影がステージの中央に現れた。金色の髪をアップにした、一目でスタイルの良さが分かる女性である。そのスタイルを強調するように、背中の大きく開いたちょっと大胆な紫色のドレスを着ていた。 「見上げた夜空に光る星座は〜」  スポットライトは、リンラともうひとりの女性を浮かび上がらせた。金色の髪に青い瞳をした女性は、遠くコウバコ星系からやってきたトリネア王女その人だった。とてもホットな話題の人と言うこともあり、観客達の熱狂は更に高まることになった。  「なにか、とっても凄い」と言うのが、歓声に包まれたトリネアの正直な感想だった。  2時間を超えるステージは、2度めのアンコールの曲を歌い終わった所で終幕を迎えることになった。リンラが新曲「逃げられると思ってるの!」を歌い終わったところで、熱狂したファン達はさらなるアンコール曲を求め今まで以上の歓声を上げた。だが残念なことに、それ以上の熱狂は彼らに与えられることはなかった。聴衆達を収容した収容したホールには、すでに白い光が満たされ退場口への誘導が始まっていたのだ。そして中央のステージからは、リンラ達の姿は消え失せていた。  地下に降りることで、体全体に感じていたプレッシャーから開放されることになる。体全体から湯気を立ち上らせたリンラは、膝に両手を当て浅く早い呼吸を繰り返した。大勢のファンが詰めかけてくれた以上、全力で応えるのが当たり前だと思っていたのだ。  そんなリンラの後ろで、黒髪と茶髪のバックダンサーも疲れた表情を見せていた。そしてもう一人の赤髪のバックダンサーは、いつも通り一人余裕の表情を浮かべていた。 「今日もノリノリだったな」  そう声を掛けて、いつもどおりにノブハルがリンラの頭にタオルを掛けた。そしていつもの通り、リンラの頭を自分の胸に抱き寄せた。リンラはリンラで、それが当然のようにノブハルの胸に自分の顔をこすりつけた。 「そりゃあ、まぁね」  少し自慢げに答えたリンに、ノブハルはいつもどおり疲労回復の「ユーケル」を起動した、ユーケルの黄色いガスに包まれてすぐ、リンの呼吸は落ち着いたものへと変わっていた。そしていつもどおり、ノブハルはリンの体を抱き上げた。 「これが、噂に聞くブラコン、シスコンと言うものなのですか?」  挨拶をして戻ってきたトリネアは、仲睦まじい兄妹の様子に、教えられたキーワードを口にした。そしてただ口にしただけでなく、「サーシャさん、可哀想に」とここに来ていないアリスカンダルの王女のことを持ち出した。先の連邦訪問団のヨモツ銀河訪問の際には、サーシャ王女がノブハルにまとわりついていたのだ。だが「王族」に対する恐怖があるノブハルは、徹底的に彼女のことを避けると言う行動をとっていた。 「ただ、これで良かったのかもしれませんね。ノブハル様には、大勢の奥様がおいでですから。やはり、誠実な方を夫に迎えるべきだと思います」  トリネアの言葉に、「ええっと」と横からトウカが声を掛けた。 「別に、ノブハルは不誠実なわけじゃないと思うんだけど……」  自分も一緒に不誠実と言われた気がして、トウカは控えめにノブハルを擁護した。 「ですが、少なくとも4人の奥様をお持ちなのですよね。そして近々、更にひとり増えることになると伺っています。他所様の慣習をとやかく言うものではありませんが、私達の銀河では、それを誠実な対応とは申しませんよ」  きっぱりと言い切られ、トウカは「あー」と楽屋の天井を見上げた。何年か前、ノブハルと関係する前なら、きっと積極的にトリネアの言葉を肯定しただろう。だが今は、自分も不誠実な仲間に入っていたのだ。我が身を思い出して、トリネアに同意することはできなかっただけのことだった。  そしてもう一つトウカが分かっていたのは、絶対に冷静に考えてはいけないということだ。常識を捨てなければと言うのが、ノブハルと関わってから得た新しい常識となっていた。  ノブハルが日常に戻ろうとしていた時、トラスティはディアミズレ銀河にあるクリプトサイトを訪れていた。いくつかの肩書を持つ彼なのだが、今回は一般の旅客船を利用していた。そのあたり、目立た無いことを目的としていた。そして当然のように、クリプトサイト側に訪問のことは伝えておかなかった。  ただ伝えていないからと言って、それを補足されないと言うのは別物となってくれる。そして自分に大きな影響を与えることを、未来視を持つフリーセア女王が見逃すはずはなかった。だから地上に降りたところで、さっそくトラスティはクリプトサイトの警官に取り囲まれることになった。殺気だったと言うより緊張した警官たちに、予想通りだなとトラスティは口元を歪めた。そしてトラスティが予想したとおり、すぐに取り囲んだ警官隊を割って一人の男が現れた。 「トラスティ様、お久しぶりでございます」  そう言って頭を下げたのは、反女権派ナンバー2をしていたヴェルコルディアだった。今現在の役職はクリプトサイト総理大臣と言う。女王を名誉職に追いやった今、実質的に国を治める役割を担っていた。  小さく会釈を返したトラスティは、「しかし」と首を巡らせ取り囲んだ警官隊を見た。 「こちらこそ……と言いたいところなのですが、これは少し大げさではありませんか? しかも、あなたが直接出向いてこられるとは」  そんなトラスティに、いえいえとヴェルコルディアは首を振った。 「トラスティ様は、クリプトサイトにとって恩人でございます。そしてリゲル帝国皇帝並びにモンベルト国王と言う立場もお持ちです。御身に万が一の事があろうことなら、クリプトサイト存続に関わることでしょう」  そしてと、ヴェルコルディアは建前をやめ本題を切り出した。 「フリーセア女王陛下がお待ちしております。したがって、可及的速やかに身柄確保が必要になった。そうご理解いただければ幸いです」 「その辺り、さすがは未来視と言うところかな」  姿と身分を隠しても、目的を持ってクリプトサイトに来た以上、その存在は必ずフリーセアに察知されることになる。だからトラスティも、それを想定して行動していた。 「フリーセア女王陛下は、トラスティ様が未来視を利用されたのだと仰られております」  そう言ってもう一度頭を下げたヴェルコルディアは、「こちらに」と用意してある車へとトラスティを案内した。常識的な装甲をもつ乗用車に、なるほどとトラスティは頷いた。 「そこそこ、クリプトサイトも落ち着いたと言うことかな?」 「おかげさまでと、申し上げなければならないところでしょう。破壊されたものも、すでに再建されて元通りになっております」  どうぞとドアを開けられ、トラスティは車へと乗り込んだ。そして並ぶようにヴェルコルディアが乗り込んだところで、車は静かに移動を始めた。 「僕のことで、女王陛下は何か言っていたかな?」 「丁重にご案内せよ。それだけでございます」  謙りすぎるほど謙ったヴェルコルディアに、「楽にしてくれていい」とトラスティは笑った。 「別に僕は、クリプトサイトをどうかしようとは思っていない。まあ、ちょっと頼み事をしに来た……と言うところかな」 「私が思うに、その「ちょっと頼み事」と言うのが問題なのかと」  トラスティを知る者なら、間違いなく正しい見識だと保証してくれるだろう。そうヴェルコルディアが苦笑を浮かべたところで、トラスティを乗せた車は王宮の敷地へと入っていった。そこでもそこそこの警備をくぐり抜け、噴水の前に作られた車止めへと到着した。今更驚きはしないが、トラスティはそこにフリーセア女王の姿を見つけていた。 「別に、外まで迎えに来なくてもいいのにね」 「礼儀を示すためには必要なことかと」  あくまで謙るヴェルコルディアに苦笑を返したトラスティは、外側から開かれたドアから出てフリーセアと向かい合った。そして右足を後ろに引き、右腕を胸のところに当てながら頭を下げた。 「お出迎えいただき、恐悦至極にございます」  普段からは考えられないトラスティの態度でもあり、普段の彼を知っていれば馬鹿にしたような態度でもある。ただそれを受け止める側のフリーセアも、ヴァルコルディア以上にトラスティに対して謙ってみせた。 「トラスティ様にお出でいただき、感激に打ち震えております。ただ願わくば、次回からは予めお知らせ願えればと思っております。そうしていただければ、トラスティ様を国民に対してお披露目ができました」 「僕としては、大事にしたくなかったからね」  その程度と、トラスティは普段の態度に戻った。そんなトラスティの変化を気にせず、「こちらに」とフリーセアは彼を王宮内へと招き入れた。  一応未来視で来訪を察知したこともあり、フリーセアはライトグリーンの豪奢なドレスに着替えていた。銀色の髪も長く伸び、藍色の瞳と合わせてドレスに負けない美しさを示すようになっていた。以前ノブハルにバカにされたスタイルにしても、今はそこそこ魅力的なカーブを描き出すまでになっていた。  一方トラスティは、ベージュのセーターと濃いグリーンのチェック柄をしたスラックス姿である。あまりにも普段着なのは、地上に降りてすぐに連行されたのが理由だろう。ただ女王陛下の前に出るには、明らかにカジュアルすぎる格好となっていた。  王宮内で空間移動が利用されていないのか、応接までトラスティは徒歩で移動した。そして金銀で内装された部屋に入ったところで、ぐるりと中を見渡して「立派なものだね」との論評を口にした。 「人払いをお願いしていいかな?」 「トラスティ様が、そうご指示をされるのであれば」  小さく頷いたフリーセアは、ヴェルコルディアを呼んで一切の干渉を禁じることにした。 「宜しいのでしょうか?」  一国の女王、しかも未婚の女王が、年若い男と二人きりで話をする。特に女性関係の評判が思わしくない相手だと考えれば、ヴェルコルディアの懸念は無理もないものと言えるだろう。  小声で確認をしたヴェルコルディアに、「拒否権はありませんよ」とフリーセアは少し口元を引きつらせた。確かにと頷いたヴェルコルディアは、護衛の兵士たちを連れて応接を出ていった。拒否した場合何が起こるのか、すでにフリーセアには見えていたのだ。 「監視カメラも切断するように命じてあります」 「ああ、これからの話しは君の胸にとどめておいて欲しいものだからね」  それでいいと頷いたトラスティは、「コスモクロア」と己のサーヴァントを呼び出した。 「はい、我が君」  呼ばれて現れたのは、静謐な空気をまとった存在である。長い黒髪に緑色の瞳をした、息をするのも忘れてしまうほどの美しい女性がそこにいた。姿を見るのは二度目なのだが、それでも畏れに似たものをフリーセアは感じていた。 「念のために、空間封鎖をしてくれないかな?」 「畏まりました」  小さく頭を下げてから、唐突にコスモクロアはその姿を消した。確認のためアルテッツァを呼んでみたのだが、いくら呼んでもアルテッツァは現れなかった。 「これで、誰もここでの話を知ることはできない。通常の方法では、入っても来れないだろうね」 「私の未来視でも見えなかったのは、これが理由と言うことですか」  ふうっと息を吐き出したフリーセアは「恐ろしい方です」とトラスティを評した。 「私達の間にも、同じような障壁が作られていますね。そのお陰で、あなたの未来を見ることができません」 「君を評価したからだと思ってくれればいいよ。対策をしてかからないと、未来視を持った君には敵わないからね」  だからだと答えたトラスティに、「御冗談を」とフリーセアは返した。 「未来が見えても、どうしようもないことなどいくらでもあります。そしてあなたは、未来視など使わなくても、私が何をしようとするのか理解されていると思っています」 「それは、僕のことを買いかぶりすぎと言ってあげよう」  そう言って笑ったトラスティは、「君の姉さんのことだ」といきなり切り出した。 「私の姉のこと、と仰っしゃりますか?」  フリーセアが驚くのは、トラスティには関係の無いことだと思っていたからだ。今回の訪問にしても、せいぜいノブハルのことだと思っていたのだ。 「ああ、君の姉、そしてクリプトサイトにとって重罪人であるアルテルナタのことだよ。その彼女を貰い受けるにあたって、一応仁義を切りに来たんだ」  トラスティの言葉に、「そんなことが」とフリーセアは腰を浮かせた。 「クリプトサイトとして、認められるとお考えですか?」  当たり前の反応に、トラスティは小さく頷いてから「誤解がある」と答えた。 「僕は、仁義を切りに来たと言ったんだよ。クリプトサイトが……正確には、君が認めるかどうかは重要なことだとは思っていないんだ。一応彼女には、新しい名前と姿を与えることにした。そして法的には仮釈放なしの終身刑にして、外の世界との繋がりを断つことにした。二度と表の世界に出てこない、政治的には終わった存在と言うのが今の彼女だ」  一方的なことを言うトラスティに気圧されながら、「そんなことが認められるとお思いですか?」とフリーセアは言い返した。 「君が認めるかどうかは重要なことではないと言ったはずだ」  断言するトラスティに対して、フリーセアは未来視で対抗しようとした。だがいくら見ようとしても、相変わらずなんの未来も見えてくれなかった。それならばと、トラスティの考えを読もうとしたのだが、経験に劣るフリーセアには無理な相談でしかなかった。 「クリプトサイトとして、連邦に抗議をいたしますっ!」  連邦加盟星系なのだから、それぐらいの権利を有している。正攻法を持ち出したフリーセアに向かって、トラスティは小さく口元を歪めた。 「なんの証拠をもって、連邦に抗議をするのかな?」  トラスティの指摘に、フリーセアは人払いの意味を理解した。記録にも残らない会話では、証拠として持ち出すことはできない。しかもトリプルAは、連邦に対して数々の恩を売った存在なのだ。抗議をするにしても、しっかりとした証拠が必要となる。  そして背後に居る星系の力を考えれば、迂闊に手を出していい相手ではない。それに姉のことを訴え出ても、「収監中」と答えられればそれで終わってしまう。実際の確認を要求するにしても、必要な根拠が求められることだろう。 「なぜ、こんなことをするのですか……」  なんとか紡ぎ出されたのは、トラスティが無法を行う理由を問うものだった。 「なぜかい? 君の姉さんに価値を認めた……からと思ってくれればいい。それから君の姉さんの価値など、今更講釈の必要は無いと思うのだけどね」 「未来視に価値を認めた……と言うことですね」  その未来視のために、トラスティは一度ノブハルをクリプトサイトへと派遣している。そしてノブハルとの会談の場で、自分は門外不出の能力だと答えたのは彼女なのだ。一度決裂したことを考えれば、違う手を打ってくることを想定する必要があった。ただその方法が、フリーセアの想像を超えるものだったと言うことだ。  そして姉の能力を考えれば、それを手に入れたいと考えても不思議ではない。そこに問題があるとすれば、そのためには高い壁を超えなければならないと言うことだ。連邦法の壁もそうだが、姉が簡単に協力するとは思えなかったのだ。  そんな疑問を持ったフリーセアに、トラスティは「事後報告」をすることにした。 「先日のヨモツ銀河訪問団に、姿を変えた彼女を紛れ込ませておいた。そこで内部から未来を見て貰って、不測の事態が起きないようにしたんだ。そうやって、「君の」ノブハル君を守らせたんだよ」  未来視の能力を正しく理解し、それを利用すれば選択を間違えることはない。そして最悪しか無い選択の中でも、一番マシなものを選ぶこともできるようになる。何が起こるのか分からない外銀河訪問だと考えれば、未来視の能力を活用するのは当然のことと言えるだろう。  それを理解できても、それでも許せないとフリーセアは感じていた。そしてもう一つ信じられないのが、目の前の男が連邦法を犯す真似をしたことだ。 「あなたならば、姉の未来視など頼らなくても危険の芽を摘める筈です。それなのに、なぜ連邦法を犯してまで姉を手に入れようとしたのです」  先の事件では、姉は目の前の男に完膚無きまでの敗北を喫している。その事実を考えれば、無理をしてまで姉を手に入れる必要など無いはずだ。それが自分でも無理筋の論理だとは理解していたが、フリーセアはトラスティの本音を聞き出すのに必要だと思っていた。 「なぜ君の姉さんを手に入れようとしたか、かい。君の姉さんは、切り札になると言うのが理由だよ。君でも良かったのだけど、君にはクリプトサイトを治めると言う大切な役目があるだろう。だから政治的には死んだ、君の姉さんを手に入れることにしたんだ。君の姉さんのせいで、大勢の人が亡くなられたのは確かだ。だけど、その力を正しく使えば、今度は大勢の人たちを助けることができる。何しろ僕達は、IotUの作ったゆりかごから足を踏み出そうとしているんだ。先の見えないこれから、君の姉さんの能力はとても貴重なものなんだよ」  先のアリスカンダル事件、そしてそれから続いたヨモツ銀河訪問を考えれば、トラスティの言うことは理解はできる。だが理解できることと認めることは、別のことだとフリーセアは考えていた。 「たとえそうでも、私は認めることはできません」 「君の立場は理解できるけどね。だけど、今回は僕も引く訳にはいかないんだよ」  そう口にして、トラスティは一本の黒い紐のようなものを取り出した。その紐には、金色の飾りと留め金が付いていた。 「それは?」  フリーセアの問いに、「君の姉さんにあげたものだ」とトラスティは返した。 「チョーカーと言う首に巻くアクセサリなんだけどね。これを付けている限り、僕の所有物になるのだと君の姉さんに教えてあげたんだよ。そして君の姉さんは、僕の所有物になるのを喜んで認めてくれたよ」 「姉が、あなたに所有されることを喜んだっ!?」  思いがけない話に驚いたフリーセアは、すぐに「ありえません」と大声を上げた。 「それで、王族としての誇りを捨てたことになります。誇り高いお姉さまが、そんな真似をするはずがありません! たとえ命を人質にしても、そんなことは絶対にありえないことですっ!」  王女として生まれた姉が、まるで物のように男に隷属する道を選ぶことはありえない。そしてあってはならないのだと、フリーセアは声高に主張した。その反応に、姉を尊敬する気持ちを未だフリーセアが持っている証拠だとトラスティは確信した。  だがトラスティは、フリーセアの期待を打ち砕く言葉を口にした。 「君には認められなくても、君の姉さんは、僕の所有物になることを望んだんだよ。予め言っておくけど、彼女の命を人質にした訳じゃない。下卑た言い方をするなら、僕の女になるのを望んだんだ。だからその願いも、僕は叶えてあげたんだ」  チョーカをくるくると振り回したトラスティは、「それが現実だ」とフリーセアに突きつけた。 「姉が、姉が誇りを捨てるだなんて……」  呆然としたフリーセアに、「打ち砕いたのは君たちだ」とトラスティは指摘した。 「王城に直接乗り込み、皆の前で屈服を求めたのは君たちだ。君とノブハル君が、彼女の誇りを打ち砕いたんだよ。僕がしたのは、むしろ誇りを取り戻すための手伝いでしかない」  自分を正当化したトラスティに、フリーセアは激しく反発した。 「隷属することが、誇りを取り戻すことですかっ! あなたの女になることが、誇りを取り戻すことになると言うのですか! そんな事は絶対にありえませんっ!」 「だったら君は、彼女に死ねと言うのかな。王族の誇りを保つために、高貴な死を求めると言うことかな?」  それ以外に、フリーセアの考える誇りを保つ方法は無いのだと。それを指摘されたフリーセアは「そのとおりです」と声を上げた。 「王位の継承権を争い、しかも権力闘争まで行ったのです。そこで恥ずべき行為をしたのはお姉さまの方です。そして戦いに敗れた以上、潔く負けを認め裁きを受けなければなりません!」 「ノブハル君におんぶに抱っこだったくせに、言うことだけは一人前なんだね。まあ、確かに彼女は、権力闘争に破れたね。そして連邦から2年の懲役刑を課され、その後クリプトサイトに戻ったところで死刑になるのかな。彼女の名誉のために言うと、彼女はそれを受け入れていたんだよ。その意味で言えば、クリプトサイト王女、アルテルナタはもういない存在なんだ。だから僕は、彼女に全く別の生き方を提示した。王女の誇りを捨て、屈辱にまみれた生き方を提示したんだ。それもまた、彼女に与えられた罰になるのではないのかな?」 「そそれは、あなたの都合でしかありません。あなたは姉の力と体が欲しかっただけです。女にしたと言うのは、何度も姉の体を貪ったと言うことでしょう!」  感情的になったフリーセアに、トラスティは少しだけ口元を緩めた。 「それにしたところで、君の姉さんが望んだことなんだけどね。なるほど、君は受け入れがたいと主張する訳だ。それは君の姉さんが、誇りを捨ててまで生き延びようとすることに対してかな?」 「そもそも、姉の身柄はクリプトサイトに引き渡されるべきなのですっ!」  それが、王族としての責任のとり方になる。繰り返して責任を持ち出したフリーセアに、「なるほど」とトラスティはわざとらしく頷いた。 「君が認めるかどうかは重要ではないと言ったけど。もしも僕が譲歩するとしたら、君は代わりに何を提供してくれるのかな?」 「なぜ、私が見返りを提供しなければならないのですっ!」  ありえないと叫ぶフリーセアに、「だったら取引は不成立だ」とトラスティは言い放った。 「このまま僕は、君の姉さんを所有するだけのことだ」 「どんな方法を使ってでも、絶対に阻止してみせますっ!」  フリーセアの答えに、トラスティははっきりと分かる嘲笑を浮かべた。 「コスモクロア、彼女に未来を見えるようしてあげてくれないか」 そう指示を出したトラスティは、振り回していたチョーカーをフリーセアの前に差し出した。 「だったら、君がこれをつけてくれるのかな?」 「ど、どうして、私がっ!」  思わず叫んだフリーセアだったが、その顔は熟れたように赤くなっていた。しかも股をこすり合わせるようにして、トラスティから離れようと椅子に体を押し付けた。トラスティに反発しようとするのだが、呼吸は荒くなり明らかに目元が熱を帯びてきていた。彼女の未来視が、チョーカーをつけた未来を見せてくれたのだ。  それを「姉妹だね」と笑ったトラスティは、チョーカーをポケットにしまいこんだ。それで未来が変わったのか、フリーセアは体を包んでいた緊張から解放された。ただ上がってしまった息は戻らず、胸元は大きく上下していた。じっとりと掻いた汗が、ドレスを肌に貼りつかせていた。 「これが、未来視の弱点と言うところかな。言い換えれば、シラキューサの女性が持つ、共通した弱点と言うことになるんだよ。ただ君に手を出すとノブハル君に叱られるし、女王様を持ち物にする訳にいかないだろう。だからこれを、君の首に巻くのはなしと言うことだ」  そこでフリーセアが恨みがましい視線を向けてきたのは、果たしてノブハルの名前を出したからだろうか。 「君の姉さんが悪い訳じゃない。僕が、未来視の弱点をついたから……と言うのが分かったかな。特に君の姉さんに対しては、もうちょっと接触もしたからねぇ」  そう言って笑ったトラスティに、フリーセアは「鬼畜っ!」と罵った。 「そう、だから君の姉さんは僕の犠牲者なんだよ。誇りを打ち砕かれて心の弱くなった彼女が、耐えきれると思うかい?」  なんだったらと、トラスティはもう一度ポケットからチョーカーを取り出した。途端に逃げ腰になったフリーセアに、「そう言うことだ」とトラスティは笑いながらチョーカーをポケットにしまった。 「そして今回のヨモツ銀河訪問で、彼女は見えないところで活躍してくれたよ。なにしろ彼女のお陰で、ヨモツ銀河側が攻撃してきたのに、双方ただ1人の犠牲者を出さずに済んだんだ。そしてこれからも、連邦が外銀河に出ていくのに彼女が貢献してくれるのが分かっている。彼女のせいで大勢の人がなくなったのは確かだけど、これから大勢の人を救うこともまた予定された事実なんだ」 「だから、姉のことを見逃せ、と」  まだ冷静さを取り戻せてはいないが、フリーセアはなんとか気を取り直してトラスティを睨みつけた。 「ああ、彼女が別の生き方をすることを見逃して欲しいと思っている。そして少しだけ挑発させて貰うけど、彼女が生き残るだけで国が不安定になると言うのは、自分の恥を晒すことだと理解することだね。それは、君達の統治がうまく言っていないことにも繋がるんだ。彼女に殺されかけた君だからこそ、女王としての器量を示す必要があるんじゃないのかな?」 「よ、余計なお世話ですっ!」  ぷいと顔を反らしたフリーセアに、「チョーカーは要るかい?」とトラスティはからかった。  とたんに身を固くしたフリーセアは「人でなしっ!」と別の言葉でトラスティを罵った。 「その人でなしなんだけどね。もう言われ慣れたと言うのか、何度モンベルトの王女様に罵られたことか。その彼女も、今は僕のお妃様なんだけどね」  だから効果がないと、トラスティは笑い飛ばした。 「遠慮しないで言わせて貰うけど、君は彼女のことを憎みきれていないんだよ。しかも、今でも彼女の方が女王として相応しいと考えているぐらいだ。彼女に、憧れていたと言い換えても良いのかな。そんな君の姉さんが、僕の所有物になるのが許せない。君の本音は、そのあたりにあるんじゃないのかな?」  「そんなことは」と大声で言い返そうとしたフリーセアだったが、トラスティに微笑まれれ勢いを失ってしまった。 「お見通し……と言うことなのですね」  俯いたフリーセアに、「そりゃね」とトラスティは笑った。 「僕は、ノブハル君じゃないからね。捻くれた男だから、それぐらいのことは理解できるんだ。それから君の姉さんには、絆を分かりやすい形で示してあげたんだよ。日の当たるところに出ることのできない彼女にとって、僕との絆が唯一の依りどころになったと言うことだ」 「あなたが最悪のペテン師と言われる理由が分かった気がします。本当に、非道い男だと思います」  ただと、フリーセアは顔を上げて、まっすぐにトラスティの顔を見た。 「ようやく、何のためにクリプトサイトまでお出でになられたのか理解できました」  感謝いたしますと頭を下げ、「姉のことは」とフリーセアは一度目を閉じた。 「ごめんなさいと謝ってくれたら、それで姉のことは許そうと思います。そして超銀河連邦と交渉して、身柄を引き受けることにいたします。その上で、クリプトサイトとして、トリプルAに協力させていただこうと思っています。姉の身柄については……当然責任をとっていただけるのですよね?」 「そのあたりは、本人次第と言うところかな?」  どうだろうと嘯いたトラスティは、「アルテッツァ」ともうひとりのサーヴァントを呼び出した。空間封鎖が解けたのか、今度は呼ばれてすぐにアルテッツァが現れた。 「はい、トラスティ様」  一体何をと訝ったフリーセアだったが、いきなり誰かに後ろから抱きしめられてしまった。 「もしかして、お姉さまですかっ」  そんなことがと驚いたフリーセアに、アルテルナタは涙を流しながらごめんなさいと何度も謝った。 「お姉さま……」  同じように涙を流し、フリーセアは姉の腕に自分の手を重ねた。 「今すぐすべてを水に流すのは難しくても……」  言葉を詰まらせたフリーセアは「これで十分です」と姉に告げた。その言葉を受けたアルテルナタは、抱きしめた腕に一度力を込めてから、ゆっくりと妹を解放した。そして妹から離れ、トラスティの隣に腰を下ろした。そこでフリーセアが確認したのは、姉の首に黒いチョーカーが巻かれていることだった。 「もう、そのチョーカーは必要ありませんよね?」  姉ではなく自分を見るフリーセアに、「僕が決めることじゃない」とトラスティは返した。そしてアルテルナタは、妹の言葉を否定した。 「これは、私にとってとても大切な誓いなんです。あなたの気持ちは嬉しいけど、私は一度も外したいと思ったことはありませんよ」  とても穏やかな、そして記憶にあるのより輝いた顔で言われれば、フリーセアもそれ以上何も言えなくなってしまう。なるほど自分は子供なのだと改めて思い知らされたフリーセアは「責任はとって貰います」と再度トラスティに迫った。 「これは、僕と彼女の二人だけの契約だからね。言っておくけど、僕は自分のものを大切にする質なんだ」  それ以上は知らないとはねつけられれば、フリーセアの立場では何も言えなくなる。そんなことで良いのかと姉に聞いてみたいのだが、どう考えても藪を突くことになるのは分かっていた。おかしなことになりかねないと、未来を見るのも放棄したほどだ。  そこではあっと息を吐き出したフリーセアは「好きにしてください」と姉に告げた。そんなフリーセアに、「これは提案なんだけどね」とトラスティは餌を差し出してきた。 「ノブハル君は、今回主席技術主幹代理の役職になったんだ。これは、居場所はエルマーに縛られないと言う意味にもなる。そこで君に提案だけど、クリプトサイトに未来視に関する研究所を作ると言うのはどうかな? それを、トリプルAとの業務提携の理由にすればいい」 「私から、それをノブハル様に提案をしろと言うのですね」  ふっと笑ったフリーセアは「やはりあなたは悪人です」と決めつける言葉を口にした。餌を眼の前にぶら下げ、しかも以前よりハードルを下げた提案をするのだ。そこでトリプルAとの協業を持ち出せば、ノブハルの立場からは絶対に拒めない提案となってくれるだろう。 「ありがたく、その助言に従うことにいたします」  「ご協力に感謝します」大真面目な顔で、フリーセアはトラスティに右手を差し出したのだった。 続く