Charlatans -1 Civil War  超銀河連邦は、ぴったり1万の島宇宙で構成された人知を超えた連邦体である。その1万の島宇宙を合わせると、およそ10億の有人星系が存在し、10の20乗を超える数の住人が住んでいた。  それだけの世界があれば、その中で争いごとが起きるのも珍しいことではないのだろう。事実多くの世界で、大小様々な争いが起きていた。ただ争い自体に、超銀河連邦が関わるのはごく稀なことになっていた。文明が発達すれば、自ずと理性が働き自分で収拾できるからと言うのが表向きの理由である。そして真の理由は、数が多すぎて手が回らないと言うものだった。従って、関係のない星系を巻き込まない限り、超銀河連邦は星系内の紛争に関わることはなかったのである。  その論理を考えれば、星系内の紛争が泥沼化したとしても、本来超銀河連邦自体が気に病むことではないはずだった。ただ惑星ゼスを2分した紛争が特別だったのは、初期段階で超銀河連邦軍が関与したことにある。そこでの介入に失敗し、一方の指導者が命を落としたことが、惑星ゼスが泥沼の内戦へと突入していった理由である。しかもその失敗のせいで、超銀河連邦は一方の当事者となり第三者としての再介入が困難になってしまった。その為惑星ゼスでは、未だ内戦が収束せず、惑星全体の荒廃が進んでいったのである。  そして当初の介入失敗のせいで、超銀河連邦内での惑星ゼスの扱いは非常に微妙なものとなっていた。半ば「禁断の惑星化」したのも、超銀河連邦軍の責任と内部事情を考えれば不思議な事ではなかったのだ。  惑星ゼス上のおよそ7割が戦火を被ったと言われる中、首都であるサイプレスシティは未だ落ち着いた佇まいを見せていた。いたる所で激しい戦闘が行われていることを考えると、いささか不気味な静けさとも言うことが出来るのだろう。だがこの静けさが破られるのも、今や時間の問題と言われていた。 「ここはまだ平穏を保っているが……」  サイプレスシティ中心部にある高層ビルの窓際に立つ男は、そう口にして眉間にしわを寄せた。身長はおよそ2m、体重は100kgをゆうに超えた男は、気の弱いものが見れば卒倒しそうないかつい顔を更にいかつくさせていた。  一見平和そのもののサイプレスシティなのだが、彼の目にはその平和も風前の灯に見えていたのだ。5年前に始まった内戦は、幾度もの停戦と停戦破棄を繰り返して今に至っている。そして今は、14度目の停戦合意から3週間が過ぎたところにある。ただこの停戦も、もって1ヶ月と言われる不安定なものだった。 「ラグレロ総統は、この期に及んで何を考えているのだっ」  そう忌々しげに吐き出したのは、議会が停止されたために総統弾劾の方策が失われたことが理由だった。惑星ゼス総人口のおよそ半数、20億人が失われたのに総統はいまだ戦いをやめようとしていない。市民を守る上院議員の立場からは、とても許容など出来ることではなかったのだ。そして総統の首を政治的にとれないことで、本格的な停戦交渉に持ち込む口実がなくなっていた。  指導者への批判は、上院議員が軽々しく口にしていいことではない。総統派の耳に届こうものなら、たとえ上院議員と言えどその身に危険が及ぶことになる。そんな独り言でも危険な言葉を発する男に、彼の側近が注意の言葉をかけた。 「少しお言葉に注意された方が宜しいかと。すでにサラカブ様も、ラグレロ総統に煙たがられておいでです。総統が謀殺を指示されることは無いのでしょうが、先走った者達の行動まで押さえることはしないでしょう。そうでなくとも、ビットリオに睨まれないようになさらないと」  側近の一人、イミダスの忠言にサラカブ、サラカブ・アンダリオはもう一度眉間にしわを寄せた。言っていることは理解できるし、すでに何人もの議員が粛清されたのも事実となっていた。解放同盟の仕業とされている多くが、実は身内による暗殺と言う不都合な事実が有ったのだ。 「だが、誰かが口にせん限り、ゼスは何も変わることはない。口に出して、そして行動に移してこそ、そこに未来が開けると言うものなのだ。その役目が出来るものは、さほど多くは残っておらんだろう。だからわしが、率先して行動する必要がある」 「仰るとおりであるのは認めますが……」  そこで大きく息をしたイミダスは、もう一度大きく息をしてからサラカブの言葉を認めた。 「いえ、確かに仰るとおりなのでしょう。今のままでは、ゼスの荒廃は進むばかりかと。今回の停戦にしたところで、もって1ヶ月と言われる体たらくです」  サラカブの言葉を認めはしたが、それでもイミダスにも譲れない線はあった。 「しかし今、サラカブ様を失うことがあれば、もはやブレーキとなられるお方がおられません。すでに時機を逃してしまった以上、慎重に時を待つ必要があります。さもなければ、サラカブ様まで犬死することなってしまいます。それでは、本当に誰も止める者がいなくなることになります」  忠臣の諫言に、サラカブは更に渋い顔をした。 「確かに、お前の言うとおりなのだろう」  ただイミダスの言葉を頭では理解していても、どうしても口をついて出る言葉を押さえることができなかった。それほどまでに、ゼスを取り巻く状況は最悪に近いものだったのだ。 「ラグレロ総統も、惑星全土が焦土となるのを望まれては居ないはずです。ですが、現実には戦火は広まる一方です。そして解放同盟の重要拠点であるラシュトを攻撃した以上、ここにも戦火が及ぶのも時間の問題でしかないしょう」  戦火の拡大を持ち出したイミダスに、サラカブは大きく頷きその言を認めた。 「停戦など、双方が体制の再構築以上の意味を持っておらぬからな。どちらかの体制が整えば、すぐにでも破棄されることになるのだろうな」  それがこれまで繰り返されてきた停戦の実態だったのだ。14度目の今回が、それと違うと言える根拠がどこにもなかった。そしてそれを裏付けるように、政府軍は着々と体制の立て直しを進めていたのだ。 「まるで義務にでもなったかのように、同じことを繰り返しています。何とかして、それを打破することは出来ないのでしょうか?」  ルーティンとなってしまうと、そこからの変化を望めなくなる。イミダスの問いに、サラカブは少しだけ考えた。そして考えた上で、少し悲しそうに首を振った。 「もしも変わることがあるとすれば、双方戦いを続けることができなくなるほど疲弊した時なのだろうな」  そう答えたサラカブは、すぐに否定するように首を振った。 「そうなっても、無人兵器が周りを巻き込み戦いを続けるのであろう」 「連邦の仲介が期待できないのが辛いですね」  結局、今を変える方法が無いと言うのだ。それを悲観したイミダスは、初めの失敗を嘆いたのである。  イミダスが持ち出したのは、より大きな力である連邦の存在だった。だが連邦の介入失敗によって、ゼスの内戦は泥沼化することになった。 「解放同盟の奴らは、二度と連邦を信用しないだろうよ。それに、我々からも連邦に話しを持っていきにくい状況だ。そして連邦も、ゼスへの干渉に二の足を踏むことだろう」  三者が三者とも、それぞれ問題を抱えていたのだ。それもまた、内戦が泥沼化した理由にもなっていた。 「ですが、自力での打開に見通しが立たない以上、第三者の介入以外に状況を変えられるとは思いません」  そして能力を持つのは、連邦以外にはありえない。イミダスの言葉は、連邦が再干渉する可能性を問いかけるものになっていた。 「それが事実であるのは認めよう。だが介入するには、それなりの実力と言うものが必要になるのだ。そして我らの周りを見渡してみると、独立星系であるゼスに近傍星系が干渉する理由がない。かろうじて理由が着くのは、超銀河連邦政府ぐらいだろう。その超銀河連邦政府は、過去の事件によりゼスに手を出しにくくなっている……つまり、問題は堂々巡りを始めると言うことだ」  ううむと唸りながらサラカブが窓に近づいた時、一話の小鳥が窓に近づいてきた。サラカブがその鳥に目を留めた次の瞬間、目の前で小さな爆発が起こった。 「ハミングバードか。一体誰が送り込んできたのだろうな」  ハミングバードは、広く惑星ゼス内で使用される暗殺兵器の名前である。見た目はどこにでも居る鳥の形をとっており、肉眼では本物の鳥とは判別が非常に難しいと言う厄介な存在である。空中から殺害対象に接近し、殺傷距離に到達した所で指向性爆発をすると言う機能を持っていた。  政府施設内に居る限り、万全のハミングバード対策が行われていた。爆発の威力に耐える防護ガラスと言うのも、その対策の一つである。 「申し上げたとおり、サラカブ様を快く思わない者は敵味方を問わず大勢おります。しかもハミングバードは、双方が数多くばらまいた暗殺兵器です。むしろ味方が放った可能性が高いかと思われます」 「恐らくそれは間違ってはいないのだろうな……」  自分を守った窓ガラスに手を当て、やりきれないなとサラカブはため息を吐いた。 「双方とも、この戦いの先に何を求めておるのだろうな。せっかく築きあげてきた文明なのに、それが崩壊し廃墟となったゼスに何が残ると言うのだ。ラグレロ総統の治世に問題がないと言うつもりはないが、この戦いの先にあるのは、その治世よりはマシなものと言えるのだろうか? ラグレロ総統を倒し、我々を排除した先にある世界は、20億もの犠牲を正当化出来るものなのか? わしには、それが正しいことなのか分からないのだ」  大げさに嘆いたサラカブに、深刻な顔をしてイミダスが答えた。 「私にも、サラカブ様の仰ることは理解できます。惑星が二つの勢力に別れて、お互いが憎み合って殺し合いを行った先に何があるのか。初めは同盟にも目指すものがあったのでしょうが、今は手段が目的となっている気が致します。相手を滅することが目的となってしまえば、戦いが終わることはないのでしょう」  イミダスに肯定されたサラカブは、はっきりと分かる苦笑を返した。 「お前が理解してくれたことには感謝をするが、それでは何も変わらないのだろうな。せめてあちらの指導者……ノラナ・ロクシタンと話ができればよいのだろうが。それも、今になっては難しいことになってしまった」  ふっと口元を歪めたサラカブは、少し表情を引き締めイミダスを見た。 「そろそろ、ラグレロ総統の御前会議が開かれる時間だな。さてさて、またぞろ敵を増やしに行ってくるか」  戦いの終わらせ方を考えろと主張するのは、膠着した状況では反感を買うものでしか無い。だがサカラブは、事ある毎にExitの話を持ち出していた。それが、ラグレロ総統の側近たちから、反感を買う理由にもなっていたのだ。 「さすがに、御前会議で命を狙われることはないかと思いますが……私が同行できませんゆえ、くれぐれもお気をつけください」  サラカブに近づいたイミダスは、ポケットからカード型の機器を取り出し数値を確認した。暗殺対策の身辺保護装備、アイギスの確認を行ったのである。この装備が有効である限り、ハミングバード程度なら防ぐことが可能となっていた。 「ここにおる限り、わしに危害が及ぶことはないだろうよ」  本来喜ぶべきことなのだが、それもまたサラカブには気に入らないことの一つになっていた。 「ラグレロ総統を批判しているくせに、そのラグレロ総統に守られておるのだからな」  それを鼻で笑ったサラカブは、一人娘の話を持ち出した。 「ところで、リスリムは大人しくしておるのか?」  そして問われたイミダスは、珍しくはっきりと困った顔をした。 「ご自身でもあり得ないと思われておられることを、そうやって問いかけられますか?」 「つまり、いつも通りと言うことか。もう少し色気づいてくれれば、娘も大人しくなってくれるのだろうが。まあ、さすがにボランティアをするなとは言えないのだがな」  そう口にして、サラカブははっきりとため息を吐いた。 「ルキアを内戦で失っておるからな、おかしな義務感に目覚めたと言う所だろう」  その表情を見る限り、娘を持て余していると言うのが正直な所か。それを認めるように、イミダスの顔にも苦笑が浮かんでいた。 「護衛につける者を失敗したと言うのか……能力的にはまったく問題がありませんが」  そこで言葉に詰まったのは、どういう意味を持っているのか。それを気にしたサラカブに、イミダスは続く言葉でその意味を説明した。 「そして任務に対する意識も高く持っています。ですからお嬢様のことは、ソーにとっては護衛対象でしかありません。別に恋人が居ると言うのも、今となっては邪魔なことでしょうな。実のところ、お嬢様も多少は色気づいてきたとの観察報告はあります。ただその相手がソーと言うのが、不幸と言えば不幸なのですが……」 「身近におる男が限られておるからな。しかも任務に忠実でストイックと来れば、リスリムが気にするのも不思議ではないのだろう……まあ、実害がないから問題はないと言えば問題はないのだがな」  少し目元にシワを寄せたサラカブに、イミダスは逆に口元を少しだけ歪めた。 「お相手が自由に選べる時が来れば宜しいのですが」 「いろいろな意味で難易度が高いと言いたいのか?」  ぎょろりと目をむいたサラカブは、すぐに小さくため息を吐いた。 「だが言っていることに間違いはないのだろうな。確かに、今は恋愛などにかまけていられる時代ではないのだろう。サイプレスシティにいるから、まだ多少の余裕が有るように見えるだけだ」 「戦火が及べば、恋だの愛だのと言っている余裕はなくなる……のでしょうね」  イミダスの言葉に小さく頷いたサラカブは、少し立ち止まって通路の天井を見上げた。 「それも、6年程前には珍しいことではなかったはずなのだが……ラグレロ総統だけに責任を求めるのは、現実を見ないことなのだろう。たとえラグレロ総統の治世に問題があったとしてもだ」 「仰るとおりなのですが……今更持ち出しても、どうにもならないことでもあります」  会議室へ続く通路に出たサラカブは、隣を歩くイミダスに少しだけ不快そうな視線を向けた。 「気に入らん答えなのだが……そうだろうな、としか答えようがないのも確かだ。だから、余計に気に入らぬのだろう」  それきり口を閉ざしたサラカブは、黙って会議室への通路を歩いたのである。  超銀河連邦の運営は、21の理事星系の合議によって行われていた。その理事星系の選択は、文明レベルが5以上のものに限られていた。すべての星系が対等であるとされる超銀河連邦憲章ではあるが、実質的な意味を取るため制限が掛けられたのである。  その背景には、技術レベルの低い星の事情と言うものが有る。活動範囲を広げていない彼らは、他の星系を意識することは極端に少なかったのだ。そのあたり、各銀河の結びつきが非常に薄いと言う事情も関係する。しかもレベルが違いすぎると、同じ土俵での話し合いが難しくなると言う事情もあったのだ。  一方レベル8以上に分類された大国も、理事星系に選ばれない規定となっていた。超銀河連邦設立にも関わる星系のため、議論が一方に誘導されないためと言うのがその理由である。同時に、大国の発言権を押さえることも目的とされていた。  そして各理事星系の下には、それぞれ100程度の星系で構成された意見集約会議機構(コングロ)が作られていた。こちらには、特に文明レベルによる制限は行われていなかった。  理事会の運営にあたっては、どこかの星系を幹事に任命する必要がある。その為今の任期では、レベル6のスパイスス星系が幹事長となり、レベル7のマランガ、レベル6のタージンを補佐として理事会の運営が行われていた。内向けでは幹事だが、公式には超銀河連邦代表理事と言うのがスパイスス星系の立場である。  そして代表理事となった3つの星系は、定期的に本部の有るライマールに集まり、課題についての話し合いを続けていた。 「内戦自体は珍しいことではないのだが」  その話し合いが一段落ついた所で、代表理事である男、スパイスス星系から派遣されたサラサーテが零した。本人の申告では、50代半ばと言うことなのだが、10年前に派遣されたときか変わらぬ、シワだらけの顔をしていた。本人談では、代表理事を「押し付けられた精神的ストレスが理由」と言う事になっていた。 「データーでは、現在の星系が内戦を抱えています。また、星系間で交戦権が行使されているのは、4096星系と言う事になっています。それで理事長は、何を仰りたいのですか?」  とても冷静な、冷たさえ感じられる声色でデーターを口にしたのは、マランガ星系から派遣されたマリタと言う女性である。まだ着任して5年と日が浅い、30代後半の黒色の肌をした女性である。少し神経質そうな見た目をしているが、性格はとても穏やかと言うのがサラサーテの感想だった。 「だから理事長は、「珍しいことではない」と前置きをされたのだと思いますよ」  そう口を挟んできたのは、タージン星系から派遣されたスロウグラスと言う女性である。着任して12年になる彼女は、この3人の中では最古参と言うことになる。灰色の肌をした、きつい視線をしたとっつきにくいタイプと言うのが彼女の特徴である。 「だから私は、珍しくないと言うことへの裏付けのデーターを提出したんです」  少しもおかしなことは言っていないと主張したマリタは、「それで」とサラサーテに発言の真意を確かめた。そしてスロウグラスもまた、「それで」と普段通りのきつい視線をサラサーテに向けた。  その視線に少し怯んだサラサーテは、独り言を聞きつけられたことにきまり悪そうな顔をした。 「惑星ゼスのことが気になっただけだ。情報では、先程13度目の停戦が破棄され内戦が再開した。どうも奴らは、あれだけ犠牲を出したのに、まだ殺し足りないと考えているようだ」 「ゼス……ですか」  うんと考えたマリタは、自分よりも古参の二人の顔を見比べた。 「内戦激化後理事会に加わったので、詳しい事情は存じ上げませんが。どうしてここまでこじれてしまったのでしょうか? ゼスの文明レベルが6だと考えれば、ここまで泥沼の内戦が繰り広げられると言うのは論理的に考えられません。内戦の続いている他の65535の星系が文明レベル4以下だと考えれば、理事長の仰る「珍しいことではない」と言うのは、ことゼスに関しては当てはまらないのかと」  素朴なマリタの疑問に、サラサーテとスロウグラスは顔を見合わせた。 「なぜと言う問いに対して、具体的理由を述べるのは困難だと思っている」  口を開いたサラサーテは、まず説明自体の難しさを述べた。 「事実を持ち出すのなら、連邦が関与に失敗したのが理由と言う事ができるだろう。そもそも、関与したこと自体が間違いだと言うことができる。なにしろゼスで小規模な衝突が起きた時には、理事会の審議議題にも登らなかったぐらいだ。それでも連邦軍からの上申により、双方話し合いの場を作るためにハウンドの派遣は認めた。我々が行った関与は、それだけを持ち出せば多少お節介では有ったが、さほど間違ったことにはならなかったはずなのだよ」 「ですが、失敗したと仰りましたよね?」  それはと確認したマリタに、サラサーテはかなり渋い顔をした。 「スキャンダルにならないようもみ消されたのだが、ハウンドを統括する男がゼス政府と結びついていた。話し合いのため、停戦させ双方の武装解除を行ったのだが……政府側の武装解除が実行されていなかったのだ。その隙きを突くように、政府側が停戦を一方的に破棄し解放同盟側代表クラランス・デューデリシアを殺害した。それが、ゼスの内乱が泥沼化した最大の理由だろう。加えて言うのなら、ナイアド・ロングマンがキャプテン・カイトと戦い戦死したのも理由の一つに挙げられる。そのせいで、介入前より悪い状況に置かれることになったと言うことだ」  その説明に、なるほどとマリタは頷いた。 「連邦軍が、仲介役の立場を失ったと言うことですね? ですが、今の話は記録に出てきませんね」  それを問題としたマリタに、「もみ消された」とサラサーテは説明をした。 「この事実を公表することによる影響を恐れたとも言えるのだが……軍は当時の責任者を移動させるだけで、臭いものにフタをすることになった。恐らく、ウェンディ元帥を守るためと言うのも理由にあるのだろう。IotUに纏わる御三家のありがたみは、それだけ大きいと言うことになる。理事会への報告は、すべての処分が終わってからのことだった」 「ウェンディ元帥に責が及ばないよう、指揮官の責任も見逃されたと言うことですか?」  いかにも軽蔑した様子を見せるマリタに、サラサーテはため息を答えとして返した。 「そこで、厳正な処分を行っていれば、まだ連邦軍は当事者でいられたのだろう。だが御三家に配慮した処分のせいで、連邦軍は自浄能力を示すことができなかった。ゼスの者達は、二度と連邦軍を信用することはないだろうよ」  サラサーテの説明を聞いたマリタは、それでも納得ができないという顔をした。 「それが内戦激化の理由になるのは理解できますが、いつまでも続いている理由にはならないのかと思います。理性を持つ人間であれば、この内戦の意味を理解できるのではないでしょうか。全人口の半数に当たる20億の命を奪い、更に多くの人命を奪ってまで戦うことに意味があるとは思えません」  正論を口にしたマリタに、サラサーテとスロウグラスはため息を答えとして返した。 「あなたの言っていることは、間違いなく正論だと思うわよ」  そう口にしたスロウグラスは、「ただ」と正論の通用しない世界があることを説明した。 「憎しみと言う感情は、人から冷静な判断力を奪い去るのよ。そして非常に多くの人が死んだために、逆に歯止めが掛からなくなってしまったわ。おそらく、双方とも落とし所を考える余裕も無いのでしょうね。彼らが考えているのは、どうしたら相手を打ち破ることが出来るのかだけだと思うわ」  それに大きく頷いたマリタは、話をずっと初めに引き戻した。 「それで理事長は、どうしてゼスの事を持ち出されたのですか?」  黒い肌に、大きく開いた目の白さが際立っていた。その視線から逃れるように顔を背けたサラサーテは、少し言い訳がましい言葉を口にした。 「我々に、何かできないかと思っただけだよ。今のままでは、惑星ゼスは滅びるまで戦いをやめることはないだろうからな」 「そうなるのかもしれませんが、それにした所で10億あるうちの一つでしかありませんよね?」  その言葉の意味を理解し、サラサーテは少しだけ顔を歪めた。 「彼らが戦いをやめる気になるまで、我々は手を出すべきではない。そして、滅びたとしても気にする必要はないと言うことか?」  サラサーテの言葉に、マリタははっきりと首肯した。 「少しだけ、良心の呵責に耐えればいいだけだと思います。きっかけの一つを連邦が作ったとしても、人口を半減させてまで戦いを続けているのはゼスの問題でしかありません。双方が和解を模索しようとしない限り、我々が関与しても意味がないかと思われます」  マリタの答えに、サラサーテとスロウグラスの二人ははっきりとため息を吐いた。 「それが正論なのは認めよう。それでも、私は黙って一つの星系が滅びていくのを見ているのは忍びないのだよ。そして調整機能として存在する連邦が、その機能を失ったことを憂いてもいるのだ」  そこでもう一度ため息を吐いたサラサーテは、「すまない」とマリタに謝った。 「今は、感傷を口にする時ではないのだろう」 「いえ、お気持ちは理解できるつもりです。ただ、確たるプランが無いのは、それだけ問題が難しくなっていると言うことかと思います。だからこそ、嘆く以上のことが出来ないのかと」  慰めるようで少しも慰めになっていない言葉に、サラサーテは肩を落とした。 「君の言うとおりなのだろうが……一度、ウェンディ元帥に責任でも迫ってみるか?」 「これ幸いと、後進に道を譲ると仰りそうな気がしますが……それも、一つの方法には違いありませんね」 「確かに、泥沼化の原因の一つでもあるのですから、責任を取れと迫っても宜しいのかと」  スロウグラスとマリタの同意を得たサラサーテは、理事会権限でスターク・ウェンディ元帥を呼び出すことにした。相手が御三家の一人だと考えると、それもまた気が重いことには違いなかった。  輪番で回ってくる理事に比べ、IotUに仕えた御三家のありがたみは桁違いと言っていいのだろう。それこそかなり有名な王家でも、御三家に比べれば格下と言われたぐらいなのだ。彼らに対して対等もしくは強い立場で居られるのは、おそらく主要星系と言われる8星系の指導者ぐらいだろう。  気が重くとも、サラサーテは連邦宇宙軍元帥スターク・ウェンディを呼び出した。ただ21星系が集まる理事会ではなく、代表3星系の幹事会議をその場として用意した。 「ウェンディ元帥、お忙しいところをお呼び立てして申し訳ない」  呼び立てたと言うのは、連邦宇宙軍本部がシルバニアにあるからである。その為超銀河連邦本部の有るライマールまで、移動に半日程度の時間が掛かっていた。  「呼び立てた」ことへの謝罪を、スタークは小さく首をふって否定した。 「いえ、連邦軍の統帥権は連邦理事会にあります。ですから、呼び出されればこうして馳せ参じるのが軍人の義務となっています」  穏やかな表情でサラサーテと握手をしたスタークは、続いてマリタ、スロウグラスのふたりとも握手をしていった。その時女性陣の顔が少し赤くなったのは、握手の相手がスタークと言うのが大きかった。恐妻家と言われるウェンディだが、潜在的には他の二家と同様に撃墜王の素養を持っていた。 「それで、本日はどのような用件でしょうか? 旅客船の事故の情報は入っていますが、今の所軍に関わる話ではないと思われます」  勧められてソファーに腰を下ろしたスタークは、話の取り掛かりとしてディアミズレ銀河で起きた旅客船事故を持ち出した。一報レベルでは、8万人が犠牲になったと言う痛ましい事故である。だが事故である以上、連邦宇宙軍が関わる話ではなかったのだ。 「その情報自体、まだはっきりとしたものではないのですが」  そこで言葉を切ったサラサーテは、言いにくさを紛らわすように手元に置かれたお茶を飲んで間を取った。 「惑星ゼスと言えば、ウェンディ元帥ならばご理解いただけるかと思います」 「惑星ゼス……ですか」  うむとスタークが難しい顔をしたのは、それだけ身に覚えがあるからに他ならない。当時ハウンドを統括していた部下のケーネスから上申の上申を受け、仲介を理事星系会議に上申したのはスターク本人である。  それまで彼の部下ケーネスは、職務を忠実に遂行する信頼できる部下だったのだ。そして上申内容自体に問題がないことも有り、彼の進言を受け入れたと言う事情があった。  その結果が、腹心の裏切りなのである。そのため惑星ゼスの内戦が泥沼化し、さらには切り札だったキャプテン・カイトの退役にまで発展してしまったのだ。周りから強く慰留されなければ、アス駐留軍のクサンティン大将に役職を譲って引退していただろう。 「代表理事殿は、私に責任を取れと仰るのですか?」  ふうっと息を吐いたスタークは、「潮時ですな」と退役の覚悟を決めた。そんなスタークに慌てたサラサーテは、「早とちりはよろしくない」と彼を諌める言葉を口にした。 「遅すぎる引責辞任は、もはや責任をとったことにはなりません。ですから元帥には、違う方法で責任を取っていただきたいと思っているんです」  辞任が責任の取り方であるのは認めていても、御三家をクビにしたという事実は作りたくなかった。そしてスタークの首を取っても、今更何の解決にもならないのは分かっていたのだ。むしろ遅すぎる責任追及は、内部で揉め事を起こす理由にしかならない。 「違う方法……でしょうか。しかし連邦憲章に従う限り、連邦軍は仲裁並びに治安維持にしか戦力を派遣できません。戦闘が続いている状況では、連邦軍を派遣して鎮圧することは出来ないのです。それでも双方から派遣要請があれば別ですが、解放同盟側が連邦軍を頼ることはないでしょう。戦争犯罪法にしても、星間戦争以外には適用されないことになっています」  スタークが言うように、法に縛られた状況では手の出しようがないのだ。超銀河連邦で最強の戦力を統括する以上、法は厳密に適用されなければならない。その意味では、スタークにできることは何もなかったのだ。 「ウェンディ元帥でも無理と仰るのですか……」  連邦憲章を持ち出されれば、それ以上の無理を言うことは出来ない。超法規的措置と言うものは、非常事態以外で軍には選択出来ないものとなっていた。そして超法規的措置を決断するのは、理事会の役目とされていたのである。 「ゼスの内戦が、惑星上に閉じている限り連邦軍は手を出せません。そして当事者からの依頼がない限り、仲裁に兵力を派遣することも出来ません。たとえ惑星上から生物が死に絶えることになっても、出来ないと言うのが法の規定となっています」  断言したスタークに、サラサーテは大きなため息を付いた。 「ではウェンディ元帥は、責任を放棄されると仰りますか?」 「法を侵さず、私が取れる責任が辞任以外にあるのでしょうか。遅すぎるのかもしれませんが、私の首を差し出せば解放同盟も話を聞く気になる可能性もあります」  責任放棄を持ち出したマリタに、スタークは他に方法がないことを断言した。その答えに、「ウェンディ元帥」とスロウグラスは、普段以上に厳しい視線を彼に向けた。 「只今から、ここで話をしたことは記録に残されません。ですから元帥、私はあなたの本音を伺いたいと思っています。連邦憲章、連邦法はあくまで人が決めた法でしかありません。現状に則さない、そして問題を解決できないものであれば、改定することも必要だと私は考えています。惑星ゼスを除いても、現状連邦内で65535の星系で内戦状態にあります。そして4096の星系が、交戦権を活用し星間戦争を行っています。その状況を、元帥はどのようにお考えでしょうか?」 「スロウグラス代表理事補佐殿は、今更私に連邦法の概念を説明するような青臭い真似をせよと?」  少し表情を厳しくしたスタークに、「必要ならば」とスロウグラスは言い返した。 「IotUに従った名家ウェンディ家の方ならば、私の言いたいことが理解できるかと思いますが?」  法規に関係なく、何が最善なのかを示して欲しい。正確に言うのなら、その道筋を示せと言うのだ。スロウグラスがIotUを持ち出したのは、それを要求するためである。 「残念ながら、この時代にIotUはおいでになりません。今起きている内戦の多く、そして星間戦争は、IotUと言う象徴が有る時には起きなかった問題です。確かに連邦軍であれば、そして力と言う意味に限れば、IotUの代わりを務めることは出来るでしょう。ですが連邦軍に出来るのはそこまででしか無いのです。内戦や星間戦争をより大きな力で止めることは出来ても、その先を示すことは出来ません。また力で代わりをすることにしても、我々が実行すると大きな犠牲が出ることになるのです。本音と代表理事補佐殿は仰りましたが、どのような場合でも連邦軍軍人はそれを口にしてはいけない立場なのです。それが、連邦法で規定された軍の責任だと思っております」  迷いなく断言したスタークに、スロウグラスはため息を吐いてから「失礼しました」と謝罪をした。 「元帥閣下の誇りを踏みにじるような真似をしたことをお詫びいたします」 「いえ、元はと言えば連邦軍が引き金を引いたことは確かです。ですが今となっては、私にも手の出しようが無くなってしまいました。それが、私の不徳の致すところなのは確かでしょう」  そこでため息を吐いたスタークは、3人の顔を順番に見ていった。 「私が呼び出された件は、これで終わりと考えて宜しいでしょうか?」  呼び出されるだけのことではあるが、同時に手の打ちようがないことでもあったのだ。その為スタークの顔には苦渋に満ちた表情が浮かんでいた。そしてその事情は、3人の代表理事達も同じだった。  ただ呼び出しては見たが、結局妙案が無いと言う事実を突きつけられただけである。掛け違えたボタンは、それだけ禍根を残すことになったのである。  シルバニアに来たついでと言うと語弊はあるが、暇つぶしとお礼参りの意味を込めて、カイトは妻のエヴァンジェリンを連れてかつての上司、スターク・ウェンディ元帥の所を訪問した。彼としては、4年と100日ぶりの連邦軍本部となる。  本来いきなり顔を出しても、トップと面会など叶うはずがない。だがスタークは、約束の隙間を作ってカイトとの面会を実現した。そのあたり、迷惑を掛けたと言う意識が彼には有ったと言うことだ。  「久しぶりだな」と握手を求めてきたスタークに、カイトは小さく首を傾げた。 「どうかしたのかね?」 「いえ、少しお疲れかと思っただけです」  自分の反応を気にしたスタークに、カイトはそう言い繕った。 「君の顔を見る限り、充実しているようだな」  それを軽い皮肉で返し、スタークは「初めまして」とエヴァンジェリンと握手をした。すでに齢は50を超えているが、洗練された身のこなしと見た目は、さすがは御三家と言う所だろう。文句を言うと意気込んできたエヴァンジェリンだが、スタークとの握手に、つい頬を赤らめてしまった。  二人に椅子を勧めたスタークは、秘書に飲み物の用意を命じた。そしてすぐに二人の前には、品のいいカップに入れらたお茶が並べられた。 「それで、今日はどんな用件なのだね?」 「妻を連れてシルバニアに来たので、ご挨拶に伺ったと言うことです」  元上司かつ御三家の一つと言う事もあり、カイトは若干緊張気味に口を開いた。 「そして妻は、閣下に伺いたいことがあると言うことです」 「奥方から、かね?」  少し不思議そうにしたスタークに、エヴァンジェリンは「ええ」と硬い表情で頷いた。ここに来るまでは、文句をつける気満々だったのだが、スタークの顔を見てその意欲も萎んでしまっていた。  エヴァンジェリンが口ごもったのをきっかけに、カイトは感じた違和感を口にした。 「ところで、本当に何か有ったのですか? 何か、とてもお疲れのように見えます」 「私も年を感じるようになったと言うことだ」  そう自嘲したスタークに、なるほどとカイトは小さく頷いた。 「民間人には言えない問題が生じたと言うことですか」 「私は、年齢のことを持ち出したのだがね」  どうしてそうなると苦笑を浮かべたスタークに、カイトはそのものズバリの指摘をした。 「閣下が年齢を持ち出されたからです。話を有耶無耶にするには、普通なら年齢と言うのはとても説得力が有るのでしょう。ただ閣下ならば、年齢が職務遂行に問題となる時には引退されているかと思います」  引退していない以上、年齢は理由ではないと言うのだ。それに頷いたスタークは、「今も続いている過去の亡霊だよ」と答えをぼかした。ただそれで、カイトにも理解は出来たようだ。「そうですか」と答えただけで、それ以上の追求を控えたのである。ただエヴァンジェリンは、夫の様子が変わったことに気がついた。 「それで、君の奥方は何を聞きたいのだね?」 「それは」  そう答えて自分を見た夫に頷き、「閣下」と少し緊張気味にエヴァンジェリンは口を開いた。 「連邦法並びに連邦軍服務規程を調べさせていただきました。その結果、軍が夫に貸与したデバイスに関して、規定違反の扱いがなされているのを確認いたしました。そのことについて、ご説明願えればと思っています」 「ザリアについてかね」  なるほどと頷いたスタークは、「気づいているのだろう?」とカイトの顔を見た。 「一応義弟に教えては貰いましたが……光栄と言えばいいのでしょうか?」  連邦軍の最高位にいる男が、自分の退役を惜しいと思って気にかけてくれているのだ。退役時に大尉だったと考えれば、それは間違い無く光栄なことに違いない。 「私は、君の退役に納得がいっていなかった……正確に言うのなら、惜しいと思っていたと言うことだ。ただザリアとの契約解除がなされなかったのは、けして我々の仕込みではないことだけは言っておく」  小さく息を吐いたスタークは、「ザリア」とカイトのサーヴァントを呼び出した。その呼出しに答えたのは、思わず見とれてしまいそうになる美しい女性だった。奇抜な格好をすることの多いザリアなのだが、スタークの前では連邦軍の制服を着て現れた。ただ色気のない連邦軍の制服姿でも、流れるような黒髪と、特徴的な紫色の瞳に、整った顔とスタイルから作り出される美しさは少しもスポイルされていなかった。それどころか、地味な格好が逆にザリアの美しさを強調したぐらいだ。なぜ連邦軍の制服と言うのは、今更問いかけても意味のないことには違いない。 「久しいな、スターク元帥」 「噂では聞いていたのだが……」  ふうっとため息を吐いたスタークは、「久しぶりだな」と返した。 「これが、君との契約が解除されなかった理由と言うことか」  今のザリアは、連邦軍の使用するデバイスとは異なる存在となっていた。そしてその姿とカイトの情報を合わせれば、契約解除されない理由など自明の理と言うものだ。  そこでエヴァンジェリンに顔を向けたスタークは、彼女に対してテーブルに着くぐらいに頭を下げた。 「あなたが指摘した通り、私は敢えて服務規程を曲げる真似をした。それは、あなたの夫君を再びハウンドに迎えるための細工だったのだよ。ただ、彼にとってハウンドは真の居場所ではなかったようだ」  連邦軍最高位、そして伝統ある御三家の一つ、ウェンディ家の当主の謝罪は、それだけ大きな意味を持つものとなる。ましてやテーブルに着くぐらい頭を下げると言うのは、通常ありえないことだった。だから二人が慌てることになるのだが、それでもスタークは頭を上げなかった。  その態度に小さくため息を吐き、「頭を上げてください」とエヴァンジェリンは声を掛けた。それが理由となり、ようやくスタークは頭を上げてくれた。 「元帥閣下が、軽々しく頭を下げてはいけないかと思います」  そう口にしたエヴァンジェリンは、カイトの顔を見てから小さく息を吐いた。 「ここには慰謝料をふんだくろうと思って来たのですが、それ以上のことをしていただいたと思っています。スターク元帥閣下の謝罪を、確かに受け取らせていただきました」 「保証金に利子を付けて返却するのは吝かではないのだがね」  当時のカイトからすると、退職金や報奨金を合わせても足りない金額だったのだ。その意味で言えば、保証金を返して貰うと言うのは大きな意味を持つはずだった。ただエヴァンジェリンにとっては、その金額にしてもはした金でしかなかった。 「その程度の保証金であれば、夫の価値の前にははした金にしか過ぎません。しかも投資はお釣りを付けて返していただいたと思っています。ですから、保証金の返却は忘れていただいて結構です。その代わり」  そう言ってエヴァンジェリンが持ち出したのは、カイトに対する扱いだった。 「夫からザリアを取り上げようとしないでください。加えて言うのなら、各種便宜をお願いできたらと思っております。私達にとって、連邦軍と言うのは味方にすべき相手だと思っています」  そう言って微笑んだエヴァンジェリンに、スタークは美しいと感心していた。ルイスベールの報告書に有った通り、こんな環境に入れば軍に戻りたいと思うことはないのだろう。しかもIotUの謎に迫る近道に居ることを考えれば、まだまだ波乱に飛んだ人生を送りそうなのだ。 「なるほど、噂に違わぬ企業家と言うことですか」  笑みを浮かべたスタークは、エヴァンジェリンに向かって右手を差し出した。それをしっかりと握りしめたエヴァンジェリンは、「過分な賛辞です」と謙遜した。 「これは、私の本心なのですがね」  少し苦笑を浮かべたスタークは、「この後は?」とカイトと握手をした。 「ちょっと、ハウンドのトレーニングに顔でも出そうかと思っています。しかも義弟の奴が、モンベルトからヘルクレズとガッズの二人を呼び寄せてくれましたからね。彼らを利用して、後進の指導でもしていこうかと思っていますよ」 「お手柔らかに……とお願いをしておこうか」  報告書を見る限り、その二人の力はハウンドでも押さえきれないとされていたのだ。そこにカイトが加われば、指導がどのようなものになるのか想像ができる。 「一応限度は弁えているつもりです」  少し口元を歪めたカイトに、「可哀想に」とスタークは部下達のことを思い出したのだった。  リースリットが女の子を産んだことで、エヴァンジェリンが焦りを感じたのは確かだった。カイトは子供返りとトラスティに言ったのだが、むしろ自身の存在意義を疑ったと言うのが正確なところだろう。何しろ外を歩けばすぐに音を上げ、そして愛する人の子供を身ごもることも出来ないのだ。子供を産むと言う普通のことをきっかけに、改めてそのことを突きつけられたと言うことだ。  次にエヴァンジェリンは、自分の問題解決を考えることにした。そしてそのための手がかりとして、実の妹アリッサのことを考えた。自分と同じように体力なしの根性なしのはずのアリッサが、見違えるように活動的になったのを思い出したのである。そこで藁にもすがる思いで、エヴァンジェリンは妹のところを訪ねることにした。 「お姉様がトリプルAにおいでになるのは初めてですね」  珍しすぎる客を迎えたアリッサは、中に案内しながら声をかけた。記憶をたどるまでもなく、エヴァンジェリンは一度もトリプルAのオフィスを訪れていない。用があるなら呼びつけられると思っていただけに、アリッサが盛大に驚いたのである。 「ええ、あなたとあなたのご主人に相談があったのだけど……」  そこでトラスティを探すように首をめぐたせた姉に、「夫は」とアリッサは小さくため息を吐いた。 「そろそろ、リゲル帝国から帰ってくるという連絡がありましたね」 「相変わらず……と言えばいいのかしら」  トランブル本家の方針とは言え、妹の夫はそこら中に浮気相手を抱えているのだ。姉の立場としては、それでいいのかと思えてしまうのも確かだった。ただそれにしても、今回の訪問目的には直接関わってはいない。問題は、いつ帰ってくるのかわ分からないことだった。  明らかに困った顔をした姉に、「あの人がどうかしました?」とアリッサは問い掛けた。そこで頷いたエヴァンジェリンは、「相談があるって言ったでしょう?」と返した。 「お姉様が、あの人に相談……ですか」  今は違うとは言え、一頃はまるでゴミでも見るような目をしていたのを覚えていたのだ。そんな姉が、夫の不在を明らかに残念がっているのだ。それを考えると、随分と変わったと言う事ができるだろう。 「私にも相談があるのですから、伺ってもいいんですよね?」  少し遠慮がちに確認してきた妹に、エヴァンジェリンははっきりと頷いた。 「そうね、あなた達二人に相談したかったのよ」  自分に相談されるようなことがあったのか。そこで少し考えたアリッサは、「まさか」と少しだけ表情を厳しくした。 「お姉様……まさかあの人とっ!」  折り入って相談されるようなことと言えば、その程度しか思い浮かばない。もしも姉が夫とそんなことになったら、義兄との関係が恐ろしいことになってしまう。ザリアとコスモクロア、最強のデバイスを持った二人が喧嘩をしたら、ジェイドが無事で済むとは思えなかったのだ。  顔を青くした妹に、エヴァンジェリンは首を傾げて理由を考えた。そこで理由に思い至ったのか、顔を真赤にして「勘違いだから」と慌てて妹の想像を否定した。 「わ、私は、カイト一筋だからね」 「近いことを言っていた、アマネさんと言う例もありますから」  疑わしそうな目をした妹に、「私達の体のこと」とエヴァンジェリンは理由を説明した。本当はトラスティが戻ってからと思ったのだが、このままだとどんどんおかしな方向に話が進みかねないと考えたのだ。 「私達の体のこと?」  ただ、体のことと言われても、すぐにピンとくるはずもない。それはと首を傾げたアリッサに、「子供を産みたいの」とエヴァンジェリンは打ち明けた 「あの人の子供を産みたいのよ。でも私の体力じゃ、どう頑張っても体内で子供を育てることは出来ないわ。だから同じはずのあなたと、あなたのご主人に相談しようと思ったの。アリッサ、あなたは以前に比べて体力がついたわよね。どうしたら私も同じになれるのか、それを相談しようと思ったのよ」  その説明に、なるほどとアリッサは大きく頷いた。 「確かにお姉様は、私以上に体力なしの根性なしでしたね」 「それは事実だけど……改めて言われるのは気分が良くないわね」  そこでため息を吐いたエヴァンジェリンは、「だからよ」と相談の正当性を主張した。 「多分あなたのご主人が何かをしたと思うのよ。それを教えて貰えたらと思って来たの」 「お姉様が赤ちゃんですか……それを聞いたら、私も子供が欲しくなったと言うのか……あの人は、外で子供を作りまくっているようだし。今度のことだって、ミサオ様と子供を作るためだと言う話だし。ラピスラズリ様とリンディア様、ライスフィールさんもそろそろ妊娠しそうですし……アイラさんもおめでたらしいと。ロレンシアさんが黙っているとは思えないし……」  名前を上げていくうちに、こんなことで良いのかと思えてしまう。大きくため息を吐いた妹に、「大変ね」とエヴァンジェリンは心からの労りの言葉をかけた。 「いえ、聞いた話によると、ブルーレース様に子供が出来たそうですから。数は違いますけど、お姉様も似たようなものだと思いますよ」 「確かにそうかもしれないけど……でも、この場合数って重要だと思うわよ」  少し顔をひきつらせた姉に、確かにそうだけどとアリッサは唇を尖らせた。 「IotUの血を継いだ以上、こうなる運命なのかしら?」  何の気なしに吐き出された言葉に、エヴァンジェリンは「IotU?」と言って眉をひそめた。 「どうして、そこでIotUが出てくるのかしら?」  姉の反応に、今度は「あれっ」とアリッサが首を傾げた。 「もしかして、お姉様は何もご存じないのですか?」 「何もと言われても、そもそもどうしてIotUが出て来るの?」  困惑を浮かべた姉に、「そうですか」とアリッサは事情を理解した。そして「夫が帰ってきたら連絡しますね」と話をまとめにかかった。 「どうして、急に話を逸らすのかしら?」  おかしいわよねとの指摘に、「世の中には知らない方が良いこともあるんです」とアリッサは言い切った。 「ここまで話をしておいて、今更それを言う?」  目を細めて睨みつけてきた姉に、「はい」と再びアリッサは言い切った。どうやら姉に凄まれても、事情を話すつもりはないようだ。お陰で険悪な雰囲気になりかけたのだが、「旦那様がお帰りです」と言うバネッタ15の言葉に救われた。  超銀河連邦内で有名なトリプルA相談所なのだが、意外にも本社はこじんまりとした物だった。創業以来プラタナス商店会から場所を変えていないと言う理由もあるが、それ以上にあるのは本社社員の少なさである。何しろ本社付きの社員は代表であるアリッサに、その夫にして役員であるトラスティ、そして安全保障部門のミリア、クリスブラッドとエーデルシアしかいなかったのだ。負荷状況に応じて応援こそあるが、常駐という意味では安全保障部門は3人で回していた。  そのうちクリスブラッドは、業務提携しているアムネシア娼館に入り浸っていると言う体たらくである。無駄に広いフロアではあるが、人員規模だけで言えばエルマーの支店と差がなかったのだ。ちなみにトリプルAの稼ぎ頭は、レムニアに作られた支社の方だった。  疲れたと零しながら事務所に戻ってきたトラスティは、珍しい顔を見つけて目を丸くして驚いた。 「僕の記憶にある限り、義姉さんがここに来るのは初めてじゃありませんか?」  いらっしゃいと言いながら、トラスティは近づいてきたバネッタに荷物を渡した。そして引き換えに貰ったアイスレモンティーをズズッと啜って喉を潤した。 「僕は、しばらく出ていた方が良いかな?」  エヴァンジェリンが来ているのだから、自分は邪魔だと考えたのである。そんなトラスティに、「あなたにも用があるの」とエヴァンジェリンは引き止めた。 「僕に……義姉さんが用ですか?」  困ったと言うか不安そうな目を向けられ、アリッサは「それは勘違い」と即座に答えた。どうやら、アリッサと同じ想像をしたようだ。 「良かった、下手なことをしたら兄さんに殺される」  ほっと安堵の息を吐いたトラスティは、「どんな用件ですか?」と真面目に尋ねた。 「カイトの子供を産みたいの」  ストレートに用件を切り出した義姉に、なるほどとトラスティは頷いた。そのあたり、もともとカイトと話したことでも有ったのだ。 「産みたいと言う以上、人工子宮ではないと言うことですか……」  エヴァンジェリンの事情を理解したトラスティは、同時に難しいなと考えていた。 「希望は分かりましたが……兄さんと言うか、ザリアに確認する必要がありますね。アリッサの体質改善には、コスモクロアの力を利用しましたので」 「ザリアの?」  驚いたエヴァンジェリンに、「ザリアの」とトラスティは繰り返した。 「多分ですけど、今日明日には無理でも、時間さえ掛ければなんとかなるとは思いますよ。ですから、次は兄さんと一緒に来て貰えますか?」  そうすれば、説明の手間が省けることになる。そのつもりで答えたトラスティに、もう一つとエヴァンジェリンは続けた。 「そのあの人なんだけど、ここの所少し様子がおかしいのよ。そうね、正確に言うと、連邦軍本部に行ってからかしら。私が見ていない所で、考え込むことが多くなったのよ」 「その理由に心当たりがないか。そう仰るのですね?」  なるほどと頷いたトラスティは、連邦軍本部、すなわちスターク・ウェンディ元帥との関係を考えた。確か直前までは、仕返しをすると張り切っていたのを覚えている。そしてヘルクレズ達に確認した範囲では、予定通りハウンド相手に大暴れしてきたのだ。それを考えれば、連邦軍が悩みの理由とは考え難いだろう。  今更やりすぎを気にするとは思えないので、もう一人面会した相手のことを考えた。 「ウェンディ元帥と、何かありましたか?」 「ウェンディ元帥と?」  トラスティの問いに、エヴァンジェリンは何かあったかと思い出そうとした。そして一つの言葉にたどり着き、そう言えばと小さく手を叩いた。 「ウェンディ元帥の様子がおかしいとあの人が指摘したのよ。そうしたら、元帥閣下が、今も続いている過去の亡霊とか口にしたわね」 「今も続いている過去の亡霊……ですか」  そう言われても、トラスティにもピンとくるはずがない。ただそれがキーワードかと、兄が悩む理由を考えた。そして今なお続く問題と言うことで、カイトが関係した一つの事件へとたどり着いた。 「だとしたら、あれしか無いことになるのだが……」  それを確認するため、トラスティはシルバニア帝国を統べるバイオコンピューターを呼び出すことにした。嘘か真か、そこには第六代皇帝の人格を移植されていると言われる存在だった。 「アルテッツァ、惑星ゼスは今どうなっている?」 「惑星ゼス……でしょうか?」  そう言って現れたのは、年齢なら10代後半に見える、髪をお姫様カットにした少女である。それこそが、連邦最大の情報量を誇るバイオコンピューター、アルテッツァである。 「間もなく、14回目の停戦交渉が始まるところかと。現時点での犠牲者数は、およそ人口の半分、20億を超えていますね。惑星全体の7割近くが戦火の影響を受け、今もなお拡大中です」 「ありがとうアルテッツァ」  感謝の言葉にはにかんでから、アルテッツァはその場から姿を消失させた。そして意外なまじめさで、「多分これでしょう」とエヴァンジェリンに答えた。 「惑星ゼスって……あなたとはじめて会った時に出てきた星のことでしょう? 確かあなたは、あの人のことを負け犬って言ったわよね」 「良く覚えていますね……」  苦笑を浮かべたトラスティは、「そのゼスです」とエヴァンジェリンに答えた。 「ただ、どうして今頃と言う気はしますけどね。連邦は臭いものに蓋をする形で、事件そのものを有耶無耶にしています。責任者の処分も行われていないし、新たな動きを見せると言う情報もありませんね。兄さんにはトラウマかもしれませんが、今更それを持ち出す理由もないはずですよ」 「過去の亡霊には心当たりはあるけど、それが理由とは考えにくいと言うことね?」  確認してきたエヴァンジェリンに、トラスティは小さく首を横に振った。 「兄さんには、間違いなくトラウマですからね。それを抉られれば、気分も落ち込むとは思いますよ。ただ、それをいつまでも引っ張る理由が分からないと言うことです。だから、他の理由もあるんじゃないのかなと思ったんですよ」 「私達の前では、普通でいてくれるんだけど……」  う〜んと考えたエヴァンジェリンは、「教えてくれる?」とトラスティの顔を見た。 「そもそも、惑星ゼスで何があったの?」 「惑星ゼス……でですか?」  超銀河連邦の公開記録には、何が起きたかの記録は残っていない。だからエヴァンジェリンが調べようとしても、カイトの抱えた問題にたどり着くことは出来ないはずだ。初めて会った時にした話にしても、ゼスで起きた事件の触りでしか無かったのだ。  ただ問われたトラスティにしても、その詳細を知っている訳ではない。旅行随筆家として旅する中で仕入れたことが、彼の知る全てだったのだ。 「アルテッツァに尋ねれば分かるかもしれませんが……僕にしても噂程度のことしか知りませんよ。そして僕は、それを義姉さんに教えていいのか判断がつかないんです。兄さんとしては、間違いなくそっとしておいて欲しいと思いますからね」  夫を心配しての答えだから、エヴァンジェリンも反発することはできなかった。それでも感じた落胆を隠すことは出来ず、「そう」と小さくつぶやき俯いてしまった。  それを哀れに感じたトラスティは、「事実だけなら」と譲歩することにした。 「今から5ヤーぐらい前のことですが、惑星ゼスで小競り合いが勃発しました。ゼスの政治体制は、頭に総統を置いて、少数の上院議員による合議で行政と立法機能を担っていたんです。ちなみに総統は、上院議員の中から選挙によって選ばれています。そして上院議員は、原則として世襲となっていますね」  そこで言葉を切ったトラスティは、次に小競り合いが勃発した頃の情勢を持ち出した。 「文明レベル6の惑星ですから、権力が独占されていても、住民の生活に大きな影響は出ることは無いでしょう。それどころか、住民の政治に対する関心は薄いとされていました。ただ中には、それがおかしいと考える者達も相当数いたようですね。そう言った者たちを、ゼス政府は過去力で鎮圧してきたようです。問題のある方法ですが、それでも両者に力の差がある間は特に犠牲が出ることもありませんでした」 「反発した人達が力をつけ、それで武力による衝突が起きたと言うこと?」  確認したエヴァンジェリンに、トラスティは小さく頷きそれを肯定した。 「歴史的には、何度も小規模な衝突は起きているようですね。ただ小規模と言いながら、その規模は次第に拡大していったようです。そしておよそ5ヤー前に、力を蓄えた者達……その時には解放同盟と名乗ったようですが、それと政府軍の大規模な衝突が起きました。今までにない規模の武力衝突となりかねないため、政府側から連邦に調停の依頼が行われたようです。ケーネス・ボルティモア大佐、その当時の兄さんの上司ですね。その大佐からウェンディ元帥に上申がなされ、必要性を認めた元帥が理事会に上申して調停を行う許可を得たことになっています。その決定に従い、交渉の舞台を作るため兄さんが所属したハウンドが惑星ゼスに派遣されました。その中で兄さんの隊は、解放同盟側に交渉のテーブルに着ける任務を負ったようです。当時キャプテン・カイトと言えば、超銀河連邦最強の名を欲しいままにしていた有名人ですからね。ですから解放同盟も、兄さんを信用して交渉のテーブルに着くことを認めたそうです」  そこで一度言葉を切ったトラスティは、氷の溶けたレモンティーで喉を潤した。 「政府側は、兄さんの上司が直接乗り出したそうです。そこで双方が話し合いに合意し、連邦軍及び連邦から派遣された役人を立会者として、停戦の話し合いが行われることになりました。ですが政府軍は、話し合いのために移動していた解放同盟の代表を急襲して殺害したんです。その命令を出したのが、現在の総統であるラグレロ・ネレイドです。そして本来警護の任を負うべき兄さんたちは、ケーネス大佐の命令で停戦監視の任務に回っていました。その結果、解放同盟は大打撃を負い、一時は壊滅寸前にまで追いこまれたと言うことです。そこで終わっていれば、ゼスの内戦はもっと昔に終わっていたのでしょうね。ですが、同盟側の指導者が代わり、体制を立て直したことで内戦が泥沼化しました。それが、今のゼスの状況と言うことです」  これが、知っている事実の全てとトラスティは説明した。 「酷いとしか言い様がないのだけど……」  そこで言葉を濁したエヴァンジェリンに、トラスティは小さく頷いた。 「それだけなら、兄さんが軍を辞める理由にはなりませんね」  分かっていると頷いたトラスティは、別の事実を持ち出した。 「仲介に失敗した連邦軍は、その後すぐにゼスから撤退しています。そして関係者の内、現場責任者のケーネス大佐が、外郭団体の財団に異動しました。それだけを見ると更迭に見えるのですが、実態は将官級が引退後に着くポストに収まっているんです」 「とても処分とは思えない待遇と言うことね。そしてあの人は、その理不尽さに腹を立てて退役したのだと」  険しい表情を浮かべたエヴァンジェリンに、「そこまでは」とトラスティは言葉を濁した。 「その辺りは、兄さんに聞いてみてください。それから追加の情報ですけど、ケーネス大佐の出身地は惑星ゼスです」  その事実は、背後関係を疑ってくれと言っているようなものだろう。少し目元を引きつらせたエヴァンジェリンは、「許せないわね」と彼女にしては低い声で呟いた。事情を聞かされると、その時のカイトの気持ちが理解できてしまうのだ。その後に自分がしたことも合わせて、「許せない」と言う言葉に自分の気持ちを表したのである。  事情を知れば、許せないと考えるのは当然の感情なのだろう。だからと言って、彼女に何かができると言うことでもない。そして下手に突っかかれば、逆にカイトを巻き込む厄介さもあった。それが分かるだけに、トラスティはエヴァンジェリンを止めなければいけなかった。 「外郭団体とは言え、相手は連邦軍の関係者ですからね。まさかとは思いますが、何かしようとは思っていませんよね?」  喧嘩を売る相手の大きさを考えたら、返り討ちにあう可能性の方が高いことになる。そうでなくとも、各方面に迷惑をかける事になりかねなかったのだ。それを意識したトラスティに、エヴァンジェリンは不機嫌そうな視線を向けた。 「あの人の代わりに、私が怒るのを駄目と言うのかしら?」 「怒るだけなら、僕は何もいいませんよ。ただ、連邦軍にちょっかいを掛けると言うのなら、話は変わってきます。兄さんは、姉さんに危ない真似をさせようとは思っていませんよ……アリッサ、そんな期待の篭った視線を向けないでくれないかな」  やめてと懇願した夫に、アリッサは「出来ますよね」と視線を冷たくした。こうしてみると、本当に二人はとても良く似ていた。 「そう言う目をすると、義姉さんが二人いる気がするよ」  はあっとため息を吐いたトラスティは、二人に向かって「反対だ」とはっきり答えた。 「そんな真似をしても、兄さんの気持ちは晴れませんよ。そもそも、ゼスのことか理由かどうかも分からないんだからね。こう言ったことは、本人そっちのけで外野が騒いじゃいけないんだ」  もう一度落ち着いてと繰り返したトラスティは、それは譲れないと二人の目を見た。それでも、「できない」と言う言葉はトラスティの口からは出ていなかった。 「義姉さんが、兄さんの子供を産みたいと言うのは分かりました。そっちの方は考えますけど、もう一つの方は義姉さんの口から兄さんに理由を聞いてあげてください。言ってて恥ずかしくなりますけど、それが夫婦と言うものじゃありませんか?」 「多分あなたの言う通りなのだろうけど……今の話は聞かない方が良かったかもしれない。なにか、こう、お腹のあたりがモヤモヤとするのよね」  ああと不機嫌そうに頭を振ったエヴァンジェリンは、小さく息を吐きだして義弟の顔を見た。 「でも、教えてくれてありがとう。そうね、ここから先は夫婦の問題なのでしょうね」  そう言って立ち上がったエヴァンジェリンは、妹の顔を見て「捕まえておくのよ」と今更の忠告をした。 「捕まえているつもりなんだけど……」  そこで夫の顔を見たアリッサは、「多分無理」とため息を返した。 「それでも、最後には私の所に帰ってきてくれると信じて我慢するしか無いと思ってる」 「ここが、僕の家だと思っているんだけどね」  苦笑を返したトラスティは、エヴァンジェリンに「送りましょうか?」と声を掛けた。 「ありがとう、車の所まででいいわ」  だったらとエヴァンジェリンに並んだトラスティは、軽く腰のあたりに手を添えた。 「義姉さんを送ったら、すぐに戻ってくる」  夫の言葉に、アリッサは人差し指で唇を押さえ、ちょっと上を見るような仕草をした。 「お姉様、せっかくだからお兄様も誘って一緒に食事をしませんか?」 「それは良いけど、だったらうちのレストランを使う?」  ここで帰っても、特に予定が入っているわけではない。それを思い出したエヴァンジェリンは、アリッサの誘いに乗ることにした。特に子供のことについては、カイトも交えて話す必要があると気づいたのだ。 「たまには、私の部屋と言うのも良くないですか。ワインだったら、そこそこのを集めてありますよ。その方が、レストランより落ち着けると思うし」 「別に構わないけど……それで、どこに行けば良いのかしら?」  アズマノミヤには、アリッサはいくつも部屋を持っていたのだ。その事情は、姉のエヴァンジェリンも同様である。その中には、同じ建物内のものもあるぐらいだ。 「ショートーだったら、姉さんと同じ建物でしたね」 「ショートーね、だったらあの人を連れてお邪魔をするわ」  また後で。そう言い残して、エヴァンジェリンはトラスティのエスコートでトリプルAの事務所を出ていった。それを笑顔で見送ったアリッサは、「バネッタ15」と世話係のアンドロイドを呼び出した。 「お嬢様、お呼びでございますか」  すぐさま現れたバネッタ15に、「お姉様をショートーの自宅に招待しました」告げた。 「畏まりました。さっそくご夕食の準備をさせることに致します」 「私は、あの人が戻ってきたら帰ることにするから。事務所の方は、いつも通りに処理しておいて」  畏まりましたと頭を下げて、バネッタ15は事務所の奥へと消えていった。それを見送ったアリッサは、着替えのためにさっさと服を脱ぎ捨てた。運動の一つもしないくせに、そこには無駄な脂肪のない魅力的なカーブを描く裸体が有った。アマネならば、それを見たら不公平だと文句をいう所だろう。  惜しげもなく裸を晒したアリッサは、ロッカーから白の下着を取り出し身につけていった。トラスティが戻ってきたのは、シルクのブラウスに袖を通した時のことだった。 「いい加減、事務所で着替えるのはやめた方が良いと思うんだけどね」 「もう、業務は終了したから良いと思いますよ」  夫の視線を気にせず、アリッサは着々と着替えを済ませていった。それを確認したトラスティは、「僕は?」と自分の格好を気にした。 「あなたは、家に帰った所で一度シャワーを浴びた方が良いと思いますよ」 「まあ、着替えはそこですればいいか」  小さく頷いたトラスティは、行こうかと妻に左手を差し出した。差し出された手に自分の手を重ねたアリッサは、「次の予定は?」と夫の愛人巡りのことを論った。 「今のところ、次の予定は決めてないんだけど……でも、誰かが文句を言ってきそうだね。そうなる前に、久しぶりにノブハル君の顔でも見てこようかな」 「エルマーですね。今のところ、そこそこの業績を上げているようですよ」  そう言って笑ったアリッサは、「アクサでしたっけ?」とノブハルのデバイスを持ち出した。 「あなたは、アクサに興味があるのでしょう?」 「そうだね、多大なる興味があると言う所だね」  あっさりと認めたトラスティは、「その話は後で」と言って事務所のドアを開けた。空間移動を使えば一瞬なのだが、アリッサの用意した車で帰ろうと言うのである。そしてそのことに、アリッサは疑問を挟まなかった。それが彼女にとって、普段の生活でも有ったのだ。  ショートーの自宅は、珍しくトランブルタワーではない物件に入っていた。少し低層の建物なのだが、その分1フロアが広く作られた豪華な建物である。この地域を集中的に開発をする、地場の財閥が開発した物件と言うのがその正体だった。ただ贅を尽くした建物の為、著しく物件価格が高く借り手が見つからなかったと言ういわくつきの建物でもある。  ちなみに車は、共用のエントランスでなく、専用のリフトで自宅に横付けできるようになっていた。ただそこには駐車場などなく、主が降りた車は地下の駐車場に運ばれることになっていた。当たり前だが、この建物に入る人種には専用の運転手が付いていたのだ。 「シャワーを浴びて着替えないといけませんね」  部屋に入ってすぐ、アリッサは来ていたブラウスを脱ぎ捨てた。上質なシルクのブラウスは、結局30分の移動のためにだけ使われたことになる。下着も脱ぎ捨てて裸になったアリッサは、さっさと奥のシャワールームに消えていった。彼女が脱ぎちらした衣類は、クリスタイプのアンドロイドが回収していった。 「恥じらいが無いと言うのか、行儀が悪いと言うのか、それとも大らかと言えばいいのか……」  はあっと息を吐いたトラスティは、「着替えを」と同じくクリスタイプのアンドロイドに命じ、別のシャワールームへと向かった。皇帝の子として育てられたくせに、結構行儀作法に気を使う男である。  それからおよそ1時間後、アリッサがゆったりとしたライムグリーンの部屋着に着替えた所でエヴァンジェリンがカイトを連れて現れた。ただ移動と言っても、エヴァンジェリンの部屋は1フロア上にある。そのため、エレベーターで1階降りる程度の移動でしかなかった。  エヴァンジェリンとカイトの二人も、リラックスできるざっくりとしたセーター姿になっていた。  「いらっしゃい」と迎えに出たトラスティ連れられ、カイトとエヴァンジェリンが居間に入ってきた。もっとも居間と言っても、50人ぐらいのパーティーが開ける広さのある部屋である。流石に4人の食事に使うには広すぎるとしか言いようがない。だからアリッサは、比較的小さな部屋を姉夫婦との食事の場所に選ぶことにした。ただその部屋にした所で、以前カイトが借りていた部屋すべてを足したような広さがあった。 「ところで、アムネシアの方は良かったんですか?」  娼館やレストラン、料亭の稼ぎ時は夜と相場が決まっていたのだ。その時間帯に経営者がいないことを気にしたトラスティに、「それなら」とエヴァンジェリンは代役を立てたことを説明した。 「リースリットに留守番を頼んでおいたわ。それから荒事用には、クリスブラッドさんに居て貰うことにしたから」 「結局、リースリットさんも巻き込んだと言うことですか」  良いけどと納得して、トラスティはその話題から離れた。その代わりアリッサが近づいてきて、飲みましょうとグラスをエヴァンジェリンに渡した。 「お姉様の所ほどではないと思いますけど、そこそこ良いのを仕入れてあるんですよ」  アリッサが説明している間に、クリスタイプが発泡ワインを注いでいった。そのレーベルをちらりと見たエヴァンジェリンは、「知らない銘柄ね」と言いながらグラスを鼻のあたりに持ってきた。 「香りはなかなかいいわね」 「とりあえず、今日は仕事のことは忘れません?」  品定めをする姉の態度に苦笑しながら、「乾杯」とアリッサが音頭を取った。それにつられて乾杯と声を出した男二人は、「何かのお祝いだったか?」と顔を見合わせた。 「まあ、難しいことを考えては駄目だと思いますよ」  そう言って笑ったトラスティは、どっかりとラグの敷かれた床に腰を下ろした。 「まあ、そうなんだろうな……」  それぐらいのことは、普段のアリッサを見ていれば分かることだった。義弟の言葉を認めたカイトもどっかりと床に腰を下ろした。 「今度は、ゆっくりと出来るのか?」  そう問われ、トラスティは少しだけ考えた。 「そのつもりなんですけどねぇ……ただ、僕だけの希望じゃ決まらないし。それでも時間があったら、ノブハル君の顔でも見に行こうかと思っていますよ」 「アクサ……だったか? ノブハルと言うより、あのデバイスを調べに行くんだろう?」  そのものズバリを指摘した義兄に、「そこまで分かりやすいですか?」とトラスティは聞き返した。何しろ少し前に、同じ指摘をアリッサにされていたのだ。 「ああ、お前にしては珍しく分かりやすいな」  そう言って笑いながら、カイトはグラスからスパークリングワインを呷った。ヘルクレズ達程では無いにしろ、カイトの酒量はトラスティを遥かに超えている。それに普段の生活から、お上品な飲み方は慣れていなかったのだ。そのせいなのか、カイトに注ぎ続けるためにクリスタイプが隣に控えていた。  一方トラスティは、カイトほどの酒豪ではない。ツマミを摘みながら、ゆっくりと上質な発泡ワインを楽しんでいた。 「エヴァンジェリンが、相談に行ったんだって?」  適当に飲んだ所で、カイトが集まりの目的を持ち出した。突発的な集まりには、必ず何かのきっかけがあるはずだ。それをカイトは、直前にあった妻の行動に求めたのである。 「ええ、兄さんの子供を産みたいそうですよ。確か、前にも話をしたことが有りましたよね」  その指摘に、カイトはいつだったかと少し思い出すような真似をした。 「クリプトサイト事件の時だったか?」 「ええ、リースリットさんが妊娠して、危機感を覚えたと言う話です」  うんと頷いたトラスティに、「ああ」と発泡ワインを呷りながらカイトも頷いた。 「だが、あいつの体力では無理だろうという話だったな?」  その時の結論を持ち出したカイトに、トラスティは小さく頷いた。 「相談と言うのが、そこをなんとかならないかと言うことですよ。アリッサに体力がついたのだから、自分もなんとかなると考えたのでしょうね」  ねえと、トラスティはアリッサと話すエヴァンジェリンに声を掛けた。 「何の話?」  少し首を傾げたエヴァンジェリンに、「義姉さんの体力の話」とトラスティは少し微笑んだ。 「そうそう、この人と一緒に来てくれって話だったわね」  大きく、そして力強く頷いたエヴァンジェリンに、「そう言うことです」とトラスティは笑った。 「だが、体力をつけると言われてもだ。俺には、どうしたらいいのか全く分からないぞ。まさかエヴァンジェリンに、トレーニングをさせると言う訳にもいかないだろう」  それが正攻法なのは確かだが、まともにトレーニングが出来るのかが疑問だったのだ。いくらその気になったとしても、体が着いてこられなければどうにもならないだろう。  そのつもりで確認したカイトに、トラスティははっきりと苦笑を浮かべてその決めつけを肯定した。 「そんな方法だったら、僕もすぐに無理だと断っていますよ」 「だったら、どうすればいいんだ?」  そんなずるの方法があるのか。興味津々のカイトに、気づかない方がおかしいとトラスティは笑った。 「兄さんだったら、ザリアを使えばいいんですよ」 「ザリアを?」  どうしてと少し考えたカイトは、何かに思いついたのか「ああ」と大きく頷いた。 「ザリアに、肉体強化をさせればいいのか!」  なるほどずるだと納得したカイトは、「ザリア」と己のサーヴァントを呼び出した。その命令に従い、カイトの隣に黒い髪と紫色の瞳をした妙齢の美女が現れた。今日のザリアは、場所に合わせたのかベージュのセーター姿をしていた。そしてカイトに倣うように、どっかりとラグの上に腰を下ろした。 「なんだ、主よ?」 「今の話を聞いていたのだろう。エヴァンジェリンの体力改善をするぞ」  少し勢いこんだカイトに、なるほどとザリアは大きく頷いた。 「我の分身に肉体強化をさせて慣れさせればよいのだな……しかし、どうしたものか」 「何か、問題があるのか?」  ザリアの浮かべた表情に、カイトは別の問題があるのかを気にした。 「いや、なに、主に抱かれて子を身ごもるのだろう。だったらその役目、われが引き受けたいぐらいなのだ。我が分身たちにしても、自分がと希望して収集がつかなくなる可能性があるぐらいだ」 「……お前の希望はさておき、なんで分身の統制が出来ないんだ?」  おかしいだろうとの指摘に、ザリアは豊かな胸を張って答えた。 「出来ないものは出来ないとしか言いようがない!」 「そんなことを、偉そう言うんじゃないっ!」  ツッコミを返したカイトに、事実だから仕方がないとザリアは言い返した。そして立ち上がると、テーブルを通り抜けてアリッサに近づいた。 「悪いが、少し調べさせて貰うぞ」  そう言って後ろに回ったザリアは、あろうことかセーターの隙間から手を入れ、直接アリッサの胸を揉みしだいた。当たり前のように悲鳴を上げたアリッサだったが、ザリアから逃げられるはずがなかった。 「ザリア、それは僕のだっ!」 「心配するな。少し確認をしているだけだ。なるほどなるほど……」  そう言いながら胸を揉むものだから、アリッサの息が上がり始めた。さすがにまずいと、「コスモクロア」とトラスティは自分のサーヴァントを呼び出した。その命令に従い、ザリアと同じ格好をしたコスモクロアが現れた。 「ここで戦うと、この建物ぐらい消滅しますが……宜しいのですか?」 「い、いや、さすがにそれはまずいんだけど。そうならないように、あれを止めてくれないか」  主の命に、「仕方がありませんね」とコスモクロアは小さくため息を吐いた。そして次の瞬間ザリアの横に現れ、拳を固めてその頭を殴った。どかんと言う大きな音が鳴り響き、天井からは埃がパラパラと落ちてきた。 「ちっ、もう少しでいかせられたのにな。中途半端な真似は、この娘に可哀想だろう」 「ご心配なく。アリッサ様の面倒は私が見ますので」  だからと、コスモクロアはエヴァンジェリンを指差した。 「あなたの担当は、お姉さまの方でしょう」 「あちらは、我が主のものなのだが……」  仕方がないとザリアがエヴァンジェリンの隣に移動した所で、「いい加減にしろ」と怒りの篭った声が二人から上がった。 「まあ、冗談はここまでにしておくか。一応調べるものは調べたからな」  そう言って口元を歪めたザリアは、エヴァンジェリンの首筋をちょんと突いた。 「まあ、最初はこの程度から始めた方が良かろう」 「結局、エヴァンジェリンに何をしたんだ?」  見る限りにおいて、エヴァンジェリンの様子に変化がないように思えたのだ。 「わが力の、0.01ppqほど分け与えてやった。10の−17乗程度と言うところだな」 「そんなんで……いいのか?」  単位を聞いたら、本当に有るか無いか分からないぐらいの量でしか無い。カイトが不思議に思うのも、それを考えればおかしなことではないのだろう。 「いいのかと言われてもな。この娘からは、ごく微量にしかコスモクロア殿の影響が見られなかったのだ。だから、検出にも時間がかかってしまったのだが……とりあえず同程度から始めようと言うことだ。まあ、不足するようなら、順次補充してやるから心配は無用だろう……多分な」  そう言うことだと言い残して、ザリアはその場から姿を消失させた。そしてコスモクロアも、ザリアに合わせて姿を消した。残されたのは、憤慨する男二人と、訳が分からないという顔をしたエヴァンジェリンに、上気した顔をしたアリッサだった。 「何か、だんだん質が悪くなってきた気がするな」  はあっとため息をついたトラスティは、「大丈夫?」とアリッサに尋ねた。その声を聞いて、アリッサはようやく我を取り戻したようだ。少し慌てたそぶりで、「自信はありませんが」と夫に答えた。 「あなたが、ザリアから逃げ切れなかった理由が分かった気がします」 「いや、それは間違い無く勘違いだからね」  違うからと強調したトラスティは、「砕けすぎ」と二人のデバイスのことでため息を吐いた。 「特に兄さん、ザリアが好き勝手していませんか?」 「そう言われてもだな……ザリアは昔からあんなだったぞ」  好き勝手と言われても、カイトにしてみればザリアの態度は少しも変わっていなかったのだ。それを認める方もどうかしているが、とりあえず言っていることに間違いはないのだろう。 「それで義姉さん、何か変わったところはありますか?」 「変わったと言われても……」  うんと考えたエヴァンジェリンは、「よく分からない」と首を傾げながら答えた。 「とりあえず、悪影響は出ていないと言うことですか」  ほっと息を吐き出したトラスティは、カイトの顔を見て「注意してあげてください」と告げた。 「どんな影響がでるか分かりませんからね」  その指摘に心当たりがあったのか、カイトは真剣な顔で頷いた。 「ああ、しばらくは離れないようにするつもりだ」 「それがいいですね」  とりあえずの話が終わったと、トラスティはグラスを変えることにした。まだ元のグラスには発泡ワインが残っていたが、空気に触れすぎて炭酸も抜け生ぬるくなっていた。 「赤ワインのボディの強いのにしてくれないか」  クリスタイプのアンドロイドに好みを伝えたトラスティは、「兄さんは?」とカイトの希望を確認した。 「俺は、そうだな、ウィスキーにしておくか。適当に美味そうなのを見繕って持ってきてくれ」  注文としては曖昧極まりないものなのだが、銘柄選択できるのはそれだけ優秀なAIを積んでいると言うことだろう。「畏まりました」と頭を下げ、クリスタイプのアンドロイドは奥へと消えていった。 「それで、これからどうすればいいんだ?」  ザリアに介入させたのはいいが、それだけで問題解決と考えるのは甘すぎるだろう。それを確認したカイトに、「方法は二つ」とトラスティは指を2本立てた。 「1つは、妊娠期間中を含めて必要な強化を続けることです。そうすれば、さほど苦労をせずに兄さんの子供を産むことができると思いますよ。ただ、強化をやめた時点で元に戻ってしまいますけどね。それ以外の強化の影響は、むしろ兄さんの方が分かるんじゃないですか?」  そう問われたカイトは、少しだけ考えてからデバイスによる強化の効果を並べた。 「当然だが、身体能力の向上と言うのがあるな。そして防御能力の向上と言うのもある……身体能力の向上には感覚の鋭敏化と言うのもあるが、防御力の向上では逆に感覚を鈍くすると言うのもあったな。確か鋭敏化と鈍化は、求める方向性の違いがあったとの説明だったな」 「デバイスの目的を考えたら、性行為への配慮なんてないのでしょうね……」  そこで問題としたのは、どう影響が出るのか分からないからである。そしてもう一つは、二人の性交渉がどんな様子なのかも分からないことだ。あまり踏み込む問題でもないと、それ以上はトラスティも触れないことにした。 「ちなみに、アリッサにはそこまでの強化はしていませんからね。僕がしたのは、2番目の方法の方です」 「それで、2番目ってのは?」  カイトの問いに、エヴァンジェリンも身を乗り出してトラスティの説明を待った。特に自分のこととと言うこともあり、エヴァンジェリンの方が問題として切実だったのである。 「肉体をほんの少しだけ強化して、体の方を長時間の活動に慣れさせると言うものですよ。Fボール観戦の時から始めたんですけど、長時間過酷……と言っていいのかどうか分からないけど、辛い環境にいることに慣れさせるんです。歩くと言う行為もそうですけど、体にその記憶を残すと言うのか。慣れたところで強化度合いを少しずつ落としていって、自前の体力に置き換えるんですよ。こちらの問題は、1番目に比べて時間がかかることです。そしてメリットは、問題が起こり難いと言うことですね」 「それって、どれぐらい時間がかかるのかしら?」  エヴァンジェリンにしてみれば、2番目の方法の方が好ましく聞こえたのだ。ただ目的を達成するのに、2年も3年も待っていられないと言う事情がある。年齢的には問題はないが、そこまでの堪え性がないと言うことだ。 「それは、状況によりますね。アリッサの場合は、1年ぐらい掛かったかなぁ。まあ、同程度で何とかなるとは思いますよ」 「1年ね……」  微妙な時間を持ち出され、エヴァンジェリンはどうしたものかと悩むことになった。その様子に口元を緩めたトラスティは、「努力次第ですよ」と説明を付け加えた。 「普段の生活を変えないと、期間はもっと伸びると思いますよ。逆に言うと、ちょっとした努力で短縮は可能だと思います。トレーニングをするのが一番いいのですけど、そこまでしなくてもリースリットさんぐらい体を動かせばいいんじゃありませんか?」 「その方が、早く体が慣れるからって意味ね」  大きく頷いたエヴァンジェリンは、「2番目」とこれからの方針を口にした。 「と言うことだそうだ」  ザリアと、トラスティはもう一度カイトのサーバントに声をかけた。 「まだるっこしいことを考えるのだな。いっそのこと、強化の魔法では駄目なのか?」 「強化の魔法って……ライスフィールを連れてこいと言うのかな?」  こんな個人的問題に、一国の王妃を連れてくるのはどうなのだろう。自分にかかる問題ではなく、あまりの公私混同ぶりをトラスティも考えたのである。 「それも一つの方法なのだが」  ふんとザリアが手を振ったところで、彼女の指の一部が切り離された。それが地面に着くか着かないかの所で、一人の女性が姿を現した。金色の髪をふっくらとしたセミロングにした、緑色の瞳をした美しい女性である。ちなみに格好は、みんなに合わせたのかベージュのざっくりとしたセーターだった。 「まさか、フィオレンティーナ様とか言わないよね?」 「その、まさかなのだが?」  のうと話を振られた女性、フィオレンティーナは優雅な仕草で会釈をした。 「トラスティ様には初めてお目にかかります。そして私の子孫が、お世話になったことに感謝しております」 「フィオレンティーナ様が分身って……他にも、IotUの奥さんが分身にいるのかな?」  呆れたと言う顔をしたトラスティに、ザリアははっきりとは答えなかった。 「少なくとも、オンファスは我の所にはいないぞ」 「だったら、それ以外はいるってことか。アマネさんが聞いたら、会わせて欲しいと言うのだろうね」  深すぎるため息を吐いたトラスティは、「適当なのはありますか?」とフィオレンティーナに尋ねた。 「個人的には、私が融合強化するのが一番なのですが……」  そこでザリアの顔を見たフィオレンティーナは、手のひらを上に向けて両手を大きく広げた。それを実行すると、小さくない問題を引き起こすことを理解していたのだろう。 「イズル、サリア、イーズベルク……」  その呪文が、おそらく魔法の発動に必要なのだろう。そしてフィオレンティーナが呪文を唱えて行くのに合わせ、手のひらの上に現れた小さな光の粒の数が増えていった。まるで蛍の光のような淡い光が集まった所で、フィオレンティーナはそれをエヴァンジェリのお腹にそっと置いた。  フィオレンティーナの手を離れた青白い光は、まるで吸い込まれるようにエヴァンジェリンの中に消えていった。 「ライスフィールの使う強化魔法とは違う魔法です。どちらかと言えば、体の活性化でしょうか。これで、トレーニング? ですか、その効果を増すことができます」  チラリとカイトの顔を見てから、フィオレンティーナは優雅に会釈をしてその場から姿を消した。そして役目を終えたザリアも、「じゃあな」と口にして姿を消してくれた。 「兄さん、実は連邦軍から支給されたデバイスを使ってなかったんじゃありませんか?」  本当にコスモクロア以外の妻たちを内包しているのなら、それだけで11のデバイスが存在することになる。連邦に貸与されたデバイス数と一致するのだから、連邦のデバイスは使っていないと言う勘定になる。 「そ、そんなことを言われても俺にも分からんぞ。それにデバイスを返却したら、俺はパガニアの上級戦士に勝てなくなったのは確かだ」  その事実からなら、連邦のデバイスを使っていたことになるのだろう。だが、本当にそうなのかは疑わしく思えてしまった。ただエヴァンジェリンには、どうでもデバイスの数はどうでもいいことのようだった。 「ねえ、どうしてフィオレンティーナ様が出てくるのかしら? 確かフィオレンティーナ様って、IotUの奥様だったわよね?」  エヴァンジェリンには、フィオレンティーナと言う存在自体が問題だったのだ。しかもトリプルAの事務所で、IotUの話が出たのも思い出していた。 「確かアリッサが、IotUの血がどうこう言っていたわね。どう言うことなのか、私には教えてくれないの?」  そこでカイトの顔を見たのは、誰に対して一番強く出られるかを考えたからだろう。そしてエヴァンジェリンの見立て通り、カイトは彼女の追求に気まずそうな顔をしてくれた。 「仕方がないから僕から説明しますよ」  ここまで状況証拠を与えた以上、今更蚊帳の外に置くのも可哀想だろう。小さくため息を吐いたトラスティは、自分達が掴んだ事実を教えることにした。 「義姉さんも、僕達が兄弟のように似ていると思っていたんですよね。その理由なんですけど、僕達の父型の遺伝子に理由があったと言うことです。兄さんの父方の遺伝子と、僕の父方の遺伝子提供者が同一と見られると言うことです。そしてもう一人、エルマーにいるノブハル君の父方の遺伝子提供者も同じと思われます。ジェイドの計画出産で産まれた兄さんは分からないのですが、僕はレムニア帝国の皇帝アリエル様が手持ちの遺伝子を操作して作りました。そしてアリエル様は、IotUの遺伝子を使われたと教えてくれたんですよ。そして対となる母方の遺伝子に、兄さんはラズライティシア様の遺伝子が、そして僕にはオンファス様の遺伝子が使われたようです。このことは、エスデニアのラピスラズリ様が確認してくれましたよ。ただ残念なことに、ノブハル君の母方の遺伝子が誰のものかは分かっていません。ただ、アスには該当する系列があると言うのは分かっています」  トラスティの説明を聞いたエヴァンジェリンは、「えっ」と声をあげたきり目を大きく見開いて固まってしまった。さすがに夫が、IotUの血筋と言うのは想像すらしていないことだったのだ。そしてその事実は、超銀河連邦内でも大きな意味を持つことも分かっていた。 「やはり、義姉さんには刺激が強かったか……」  ふっと息を吐いたトラスティは、なんとかしろとカイトに目配せをした。そして少しだけ顔を引きつらせたカイトは、妻の肩をゆっくりと揺すった。かなり手加減していたのは、相手が体力なしの根性なしだからである。フィオレンティーナの強化が行われても、自分と比べればひ弱すぎる体をしていたのだ。  その努力が功を奏したのか、肩を揺すって30秒ほどでエヴァンジェリンは現実に復帰してきた。ただ復帰はしたが、まだ現実として認められないと言う顔をしていた。 「じ、冗談、よね?」  見慣れた夫の顔をまじまじと見て、エヴァンジェリンは恐る恐る尋ねてきた。できるならば、嘘と言って欲しい。そんな恐れがその目からは見て取ることができた。 「俺も詳しいことは知らないのだが……エスデニアではそう言われたな」  つまり、冗談などではないと言うことになる。もう一度大きく目を見開いたエヴァンジェリンだったが、その顔色は間違い無く青ざめていた。 「アリッサ、ベッドの用意はあったかな?」 「すぐ上に、お姉さまの部屋があるのですが……」  そう答えはしたが、「たくさん」とアリッサは返した。それを確認して、トラスティは兄の肩をぽんぽんと叩いた。 「さっそく、強化の効果を確認してきてください」 「俺は俺に違いないはずなんだがな……」  はっきりと苦笑を浮かべたカイトは、感謝すると二人に声をかけて立ち上がった。そして青ざめた顔で呆然とするエヴァンジェリンを、軽々と抱き上げたのである。 「部屋の作りは同じなんだな?」 「特にいじってはありませんからね。どれを使っていただいても結構ですよ」  そう答えて指差したアリッサに、「ありがとう」と答えてカイトはエヴァンジェリンを抱えたまま奥の部屋へと消えていった。 「あそこまで驚くことなのかな?」  同じと言う意味で確認してきた夫に、「どうでしょう」とアリッサは首を傾げた。 「あなたの場合、アリエル皇帝の実子とかもありましたから、飽和してしまったと言えばいいのか。でもお姉さまの反応を見て、リンディアさんの言ったことが理解できた気がします。それだけIotUと言うのは、子孫でも特別な意味を持つのですね」  特別な意味と言うアリッサに、「多分」とトラスティは答えた。 「IotUは、子供を残さなかったと言われているからね。だから、遺伝子を継ぐと言うだけでも、特別な意味を持ってしまうのだろうね。しかも兄さんの場合、もう一方がラズライティシア様だからねぇ」 「そう言うあなたも、オンファス様なんでしょう。だとしたら、ありがたみは同じじゃないんですか?」  そう言って笑ったアリッサは、「でも不思議」と夫の顔を見た。 「組み合わせとしては、お兄様がオンファス様の方がしっくりとくるような。だって、お兄様は超銀河連邦最強なんですよね?」 「そう言う意味なら、確かにアリッサの言う通りだね。だけど、オンファス様は僕の母方に当たることになるんだ。確かに組み合わせ的には印象が違うと言うのは確かだろうね」  空気に馴染んだ赤ワインを含み、すこし臭いチーズを口の中に放り込んだ。それを二度ほど繰り返してから、トラスティは「アリッサ」と妻の名を呼んだ。 「君も、子供を欲しいと思っているのかい?」  事務所でのことを持ち出した夫に、アリッサは「そうですね」と当たり障りのない答えを口にした。 「でも、私はまだ21ですからね。まだまだ慌てる年齢ではないと思っています。ただライスフィールさん達を羨ましいと言う気持ちもありますけどね。だから、どうしようかなと思っているんですよ。もちろん、あなたの子供を欲しいと言う気持ちはありますからね」  それだけは間違えないでと、アリッサはトラスティの目を見て答えた。それが綺麗だなと感心したトラスティは、アリッサの隣に座ってその肩を抱き寄せた。 「もう、増やさないでくださいね」  夫の肩に頭を預け、アリッサは甘えるように囁きかけた。 「それは、ノブハル君に任せようと思ってる」 「私もそれがいいとは思いますが……彼だけで足りるのかしら?」  少し考えたアリッサだったが、まあいいかと難しいことは棚上げすることにした。そして顔を上げるようにして、トラスティにキスをせがんだ。 「僕としては、足りて欲しいと思っているよ」  そう答えたトラスティは、唇を重ねたままゆっくりとアリッサの体をラグの上に横たわらせた。ベッドに運ぶのは難しくないが、たまにはこう言うのもいいかと思ったのだ。 「僕には、君が一番なんだよ」 「私は、あなただけなんですよ」  だから自分の愛の方が重いはずだ。アリッサは両腕を夫の首に回し、ぎゅっと自分の方へと抱き寄せたのである。  サイプレスシティから西に200kmほど離れた所に、ラッカレロと言う街がある。200kmと言うと遠いように感じられるが、文明レベル6の星ではその程度の距離など目と鼻の先でしかないと言えるだろう。  それほど首都から近い街に、戦火から逃れてきた避難民達の収容施設が作られていた。200kmとは言えサイプレスシティから離れているのは、避難民にテロリストが紛れ込むのを防ぐ目的からである。その街で、ゼス上院議員サラカブ・アンダリオの娘、リスリム・アンダリオはボランティアとして避難民たちへの食事の世話を行なっていた。  もともとラッカレロには、100万ほどの住人が住んでいた。そこそこの大都市であるラッカレロも、今は避難民と合わせて300万の人口を抱えるほどになった。そしてラッカレロからさらに西に100kmほど離れた所に、首都防衛の最前線が作られていた。おかげで多くの避難民を収容こそしたが、ラッカレロは攻撃を受けることもなく守られていた。 「ソー、オウザクの状況はどうなってるの?」  オウザクと言うのが、防衛の最前線が置かれた都市の名前である。その状況しだいでは、ラッカレロに住まう300万人を、別の場所に移動させる必要が生まれることになる。その判断自体は政府軍の将校が行うのだが、リスリムはそこまで政府軍のことを信用していなかった。 「オウザク……か」  少し痩せぎすの、鋭い目をした青年は、手元の端末から最前線の状況を確認した。リスリムよりはマシだが、ソーもまた政府軍に対して全幅の信頼を置いている訳ではなかったのだ。 「現状、十分な余裕を持って解放同盟を押さえ込んで入るな。オウザク、キャラコ、カズンシティ、ボヌンザ、クチャクラリを結ぶ防衛線は、今現在なら破られる心配はないだろう」  事実をありのまま伝えたソーに、サラカブの娘リスリムは「それで」とそれ以上の情報を求めた。18とソーと同じ年齢なのだが、リスリムはとても幼く見える見た目をしていた。ただその見た目とは違い、頭脳は天才的なものを持っていた。時々発せられる鋭い問いは、訓練を受けたソーでも驚かされることがあるぐらいだ。 「それでとは、何を求めた問いなのだ?」  ぶっきらぼうに答えたソーに、「本当の戦況」とリスリムは簡潔な問いかけをした。 「防衛戦での戦いしかなければ、政府軍は押されていることになるわ。だから、他の戦線の状況を合わせて教えて欲しいとお願いをしたのよ」  それでいいかと、リスリムはフラットな胸を張って見せた。ボランティア活動なのだからと、リスリムは首の詰まった半袖の白っぽいシャツと、ひざ下まである臙脂色のニットズボンを履いていた。靴は、不安定で落とし物の多い足場に対応するため、ゴムの厚底をしたショートブーツを履いていた。 「状況を端的に説明するなら、膠着状態と言うことになる。ラシュト攻略戦以降、双方で目立った戦果は挙げられていない。ただひたすら、消耗戦が繰り広げられているだけだ」 「つまり、双方とも自滅の道を歩んでいると言うことね」  はんと鼻で笑ったリスリムは、「能無し揃い」と戦っている者達を論った。 「うちの奴らも愚かしいけど、解放同盟だったっけ? そこの奴らは、もっと能無しの大バカもの揃いね」 「積極的には同意できないが、それでも一部を認めることはできる。もともと、いつまでも内戦を続けているだけで、能無しと謗られる資格があることになるのは確かだろう。ただ言わせてもらえば、賢ぶっている奴の方が往々にして愚かで能無しと言うことがある」  お前の方が能無しと仄めかしたソーに、「否定はしないわよ」と短く切りそろえた黒髪を弄んだ。母親が亡くなる前まで、リスリムはお尻まで届く長い黒髪をしていた。だが活動に邪魔になると、少しの未練もなくバッサリと切り落としていた。 「私には、否定できるだけの力がないのは確かだもの。たかが18の娘に、世界を預けてくれる物好きがいるはずがないでしょう。それでも、愚かな真似をする奴らに、文句を言う権利ぐらいはあると思っているわ」 「その程度の権利なら、邪魔にならない限り好きに行使すればいいだろうな」  あっさりと言ってのけたソーは、自分の周囲500mの危険探索を行った。こう言った避難民の集まった場所では、ラプターやヴァルチャーと言った強化兵器より、ハミングバードのような暗殺兵器の方が脅威となる。対象が小さく多様な見た目をしているため、肉眼での判別が難しくなっていたのだ。その上暗殺対象以外には、普通の鳥と同じ行動をしてくれる。猫が捕まえてきた鳥が爆発したと言う、笑えない事例すら有るぐらいだ。 「探査範囲の中に、ハミングバードの存在は認められていない」 「だから、とりあえず安全だと言いたい訳?」  挑戦的な目をしてきたリスリムに、「事実を口にしただけだ」とソーは気にしたそぶりを見せなかった。 「それ以外の脅威については、これから確認をする所だ。便衣兵が紛れ込んでいる可能性まで否定するつもりはない」 「そうね、歴史を紐解けば、戦争にもルールはあったのよね。でも、5年前からルールは破るためのものになってしまったわ」  愚かしいことと笑ったリスリムは、時間を確認して立ち上がった。 「受け持ち分の確認に行くわよ。飢えさせたら、政府への不満が更に高まるからね」 「今更と言う気もするが……」  遅れて立ち上がったソーは、あたりを確かめるようにぐるりと首を巡らせた。 「なに、彼女の姿でも探したの?」  少し口元を歪めてからかってきたリスリムに、「そうだと答えて欲しいのか」とソーは言い返した。ただ言い返しては来たが、その言葉からは目立った感情は見つけられなかった。 「別に。イライザなら、衣料班で働いているのを知ってるわ。今頃、クリーニングの引取でもしているでしょうね」  そしてリスリムの言葉からも、目立った感情は見つけられなかった。解放同盟との戦闘と同様に、からかうようなやり取りもまたルーチンワークとなっていたのである。  食料班の作業は、物資の在庫確認から始まる。すべてのデーターは入力されているのだが、現品が在庫管理票と食い違うのは日常茶飯事となっていた。手配違いがあり得ない以上、盗難・横流しと言うのが理由である。支援物資を都市在住者に売りつけ、日銭を稼ごうとする者が存在していたのだ。  そう言った不埒な輩は存在するが、それが避難民である限りは罰を与えないのが暗黙のルールになっていた。盗み出した物資を取り上げ、あとは注意をしてから丁重にお引き取りを願う。生ぬるい措置に見えるかもしれないが、不満を溜めないための妥協点と言うことだ。もちろん元からの住民の場合、捕まえたら直ちに現地警察に送られることになっていた。  200万もの避難民が居ると、倉庫は複数箇所に分散されることになる。ラッカレロの場合、市内の10箇所に倉庫が作られていた。それでも20万人分の食料を保管するのだから、倉庫の一つ一つは巨大なものとなっていた。  とてもではないが、一つ一つ人の目で確認することは出来ない。その為ドローンを倉庫内に飛ばし、物資に貼られたラベル照合を行っていた。それを毎日行うのは、日々の出し入れが頻繁に行われるからと言うのが理由になっていた。 「おかしくなりそうな作業よね、これ」  基本的に照合は自動で行われるのだが、それでも目視確認もサンプル的に行っていた。その画面を確認したリスリムは、夢に出そうと呟きながら目元を手で押さえた。 「10の人達は、今の所大人しくしているようね」 「どうだろうな、管理のぬるい所に行っているだけじゃないのか」  10と言うのは、転売屋を示す隠語になっていた。当初は律儀に転売屋と言っていたリスリムも、今は記号を口にするようになっていたのだ。それだけ、ここの仕事にも慣れたと言う訳である。 「それならそれで構わないわよ。頭を悩ませるのは、別の人の仕事になるから」  あっさりと言ってのけたリスリムは、30分に及ぶ資材管理の仕事を終わらせた。それが終われば、次は避難民キャンプへと配給物資の手配である。在庫状況及び避難民のリクエストを勘案し、配布資材の割り振りを決めていくのである。  もっともこの作業にした所で、その殆どをAIが担ってくれている。突発的な変更に対しても、よく出来たAIは適切な対応を取ってくれるのだ。まだ文明が保たれているおかげで、ボランティアと言っても事務作業の割合が多くなっていたのである。 「当たり前だけど、合成肉の割合が増えているわね」 「栄養的には同じと言うと、また文句を言われるのだろうな」  一度「どこに問題が?」と口にした時、「正気を疑う」とまで罵られたことが有ったのだ。今の答えは、そのことを持ち出したものだった。 「私は、栄養の話を言っているわけじゃないのよ。それぐらいのことは、あなたも理解していると思うのだけど?」  どうかしらと問われ、ソーは確かにと頷いた。 「味の方は……すまん冗談だ」  味覚を持ち出した瞬間、とても冷たい視線を向けられてしまったのだ。敢えて口にはしたが、それが不適切であるのはソーも理解をしていた。 「それだけ、意味もなく戦線が広がっていると言うことだ。牧畜エリアなど、戦略的な意味など存在しないのだがな」 「戦力的に戦争を有利にするためなら、あなたの言う通りなのでしょうね。でも、人の気持ちと言う意味ではどうなのかしら?」  試すようなリスリムの言葉に、ソーは少しだけ考えた。 「合成肉になることで、こちらの士気を落とす効果もあるといいたいのか? だが、食い物の恨みは、かなり根深いと聞いているぞ」  逆効果ではと答えたソーに、リスリムは小さく頷いた。 「短期間ならあなたの言うとおりでしょうね。でも、それが続けばどうなのかしら? 牧畜エリアを潰すのではなく、物資を自分達の方に振り向けた場合も考えなくちゃいけないわよ」  視野を広くと言われ、ソーはもう一度その意味を考えた。 「前線の兵士だけでなく、避難民への影響も考えなければいけないと言う訳か」  ソーの答えに、よく出来ましたとリスリムは笑った。 「戦争である以上、敵を打ち負かすのが目的の一つなのは確かね。ただその方法は、直接戦力がぶつかりあうだけではないと言うことよ。戦いが互角になればなるほど、足元が揺らいだ方が不利になるわ。小さな不満も、積み重なれば足元を崩すことに繋がってくる。もっとも、解放同盟がそんなことを考えているのかまでは分からないけどね。それでも言えることは、政府側でも確実に不満は高まっていることね」 「今の所、被害者意識の方が強そうだがな。避難生活への不満が高まっているのは確かだろう」  食料の配給は、該当物資と割り振り先が決まれば、あとは実際のロジスティクスへと作業は移る。非難民キャンプと言っても、住居が仮設の集合住宅となっているだけのことだ。だから必要な物資さえ供給されれば、効率化された自動機が食事の用意を行ってくれる。俗に言う「炊き出し」が行われるほど、ラッカレロの状況は逼迫していなかったのである。 「さて、減少分を補給しないといけないんだけど……」  そのリストを見て、リスリムは初めて困ったと言う顔をした。 「肉や魚は、合成品しかなくなってしまったわね」 「物流ルートが途切れたと言う報告は無いのだが……」  その事実を突きつけられれば、リスリムの言うことも理解することが出来る。初めて難しい顔をしたソーは、自分の端末から戦闘状況を確認した。 「どうやら、ラクホックが奴らの手に落ちたと言うことか」 「だとしたら、穀物類も危なくなるわね……」  先物取引的な判断は、さすがにAIにはプログラミングされていなかった。それはAIの能力的な問題ではなく、公平性を保つことを目的としたからである。だからリスリムは、AIの出してきた補給リストを、ラクホックの物資を優先するように書き換えた。 「多分これも、問題のある行為なのでしょうね」  敢えて公平性を乱す手配をしたリスリムは、自嘲気味に吐き出した。 「システムの警告が無いのだから、気にする必要はないはずだ」  あっさりとしたソーの答えに、「そりゃそうだ」とリスリムは笑った。システム的に許容されている以上、裁量を働かせたことに文句を言われる筋合いはない。 「これで、午前の配給手続きが終わったことになるわね」 「また、ラッカレロの街を視察するのか?」  午後の配給まで、特に作業するようなことはない。まだラッカレロが平穏な事もあり、街を散策する程度の時間つぶしが珍しいことではない。避難民達にしても、やることがなければ街に繰り出して遊んでいたのだ。 「私としては、デートって言って貰いたいんだけどな?」  同じ年齢だと思わなければ、確かにリスリムは美少女で通用する見た目をしていた。そこでじっとソーの顔を見たのは、「女として意識しろ」と言う主張なのだろう。ただどう見ても5ヤーは年下に見える見た目と、別に恋人が居ると言う事実に、ソーは彼女のことを護衛対象以上には考えていなかった。 「イライザが居るのに、他の女とデートをするはずがないだろう」 「誤解されるから?」  そう言って迫ってきたリスリムに、「それだけは絶対にない」とソーは言い切った。 「赤の他人から、何度「可愛い妹さんね」と声を掛けられたのか忘れたのか?」 「ええ、仲の良い兄妹ねと嫌になる程言われたわね。私の方が、少しだけ先に生まれたのに」  はあっと息を吐いて落ち込むリスリムに、「そう言うことだ」とソーは突き放した。 「“妹”の買い物に付き合うのなら、吝かではないのだがな」 「可愛いぐらい付けてくれてもいいのに」  そう文句を言っては見たが、それが意味のない文句と言うのは嫌になるほど思い知らされていた。 「世間一般では、兄から見たら妹と言うのは可愛いものではないのか?」 「たぶん、そうなのでしょうね」  違う意味なのにと思いながら、リスリムはお出かけ準備をするため在庫管理システムを終了させた。まだ追い詰められていないこともあり、ラッカレロの避難所は平穏を保っていたのだ。  10万人を収容できるホールは、今日も満員の観客を迎えていた。ホールの中央に配された浮島のようなステージの上では、ちょっと大人っぽい女の子が二人の女性バックダンサーと歌い踊っていた。コンサートの主が女性と言う割に、観客には同性の姿も多く見られた。そのあたり、彼女のライフスタイルに対する共感が理由である。それに加えてバックダンサーをしている一人が、他の銀河から来ていることも理由になっていた。  まるで万華鏡のように衣装を変えながら踊る少女は、ズミクロン星系有数のトップアイドルのリンラ・ランカである。衣装に合わせて変える髪型は、今は漆黒のロングとなっていた。そして襟の大きな白いブラウスに、赤と緑のチェック柄のミニスカートに身を包んでいた。  バックダンサーの一人、リンラより少し大人っぽい雰囲気を持った女性は、長い黒髪をはためかせながら踊っていた。もう一人のバックダンサーは、逆にリンラより少し幼く見える見た目をしていた。ソバージュの掛かった肩口ぐらいの髪は、鮮やかな水色に染め上げられていた。この水色の髪をした女性は、遠くシルバニアから来たと言うのがうりになっていた。 「次の曲は、「僕はハーレム王になる!」」  その声と同時に、リンラの衣装は男性っぽいスラックス姿になっていた。髪も短くなり、遠く目には可愛らしい男の子に見えたことだろう。そして踊っていた二人は、スタイルの良さを生かすように赤と青のドレス姿に変わっていた。 「人から後ろ指を刺されたとしても〜」  激しいビートに乗って、リンラはシャウトするようにマイクを握りしめた。そして二人の女性は、リンラの両側で激しいダンスを繰り広げた。少しきわどいところもあるダンスに、詰めかけた観客たちは大きな歓声で応えた。観客たちの熱狂を見る限り、新しいステージも大成功のようだった。  およそ2時間のステージは、2度めのアンコールの曲を歌い終わった所で終幕を迎えることになった。「狙え玉の輿!」を歌い終わったところで、熱狂したファン達はさらなる歓声を上げた。拍手とともにさらなるアンコールを求めたのだが、残念ながらそれ以上の燃料は与えられなかった。聴衆達を収容した収容したホールには、すでに白い光が満たされ退場口への誘導が始まっていたのだ。そして中央のステージでは、歌い終わったリンラ達がゆっくりと地下へと降りていった。  地下に降りることで、体全体に感じていたプレッシャーから開放されることになる。だがプレッシャーから解放された代わりに、強い疲労感がリンラを襲った。体全体から湯気を立ち上らせたリンラは、膝に両手を当て浅く早い呼吸を繰り返した。毎度のことなのだが、2時間にも及ぶワンマンステージは、体力を極限まで削ってくれるものだった。しかも体力的にタフなバックダンサーに引きずられ、その分リンラの消耗は激しくなっていた。  そんなリンラの後ろで、黒髪のバックダンサーも疲れた表情を見せていた。だがもう一人のバックダンサーは、息を乱しても居なかった。 「無理をしすぎだ」  そう声を掛けて、なぜかノブハルがリンラの頭にタオルを掛けた。そしてそのまま、リンラの頭を自分の胸に抱き寄せた。一方抱き寄せられたリンラは、そうすることが当たり前のようにノブハルの胸に自分の顔をこすりつけた。 「これが、有名なシスコンと言うものですか」  一人平気そうな顔をしていた女性、リュースは目をキラキラとさせて兄妹の触れ合いを見ていた。 「有名なって……どこで有名なの。まあ、シスコン、ブラコンなのは間違っていないけど」  これだけは否定できないと、黒髪の女性トウカはリュースの決めつけを肯定した。そして控室にいた二人の女性、金色の髪をしたエリーゼと、茶色の髪をポニーテールにしたセントリアは、言ったとおりだろうと言うドヤ顔をしていた。 「少しぐらいは、否定をして欲しいんだけど……」  そう言って近づいてきたのは、リンラのマネージャーをしているミズキ・イチノセである。年の頃なら20代後半の茶髪をショートにした、なかなか活発そうに見える女性だ。ただ見た目については、良くもなく悪くもなくという中庸を行っていた。最近独り身で居ることに、危機感を覚えていると噂されていた。 「この程度、普通のことだと思うのだがな……」  シスコン・ブラコンを否定もせず、ノブハルはいつもの疲労回復をリンラにした。 「ユーケル起動」  その命令と同時に、黄色い水蒸気がリンラの体を包んだ。その効果が発揮されたのか、乱れていた息も収まっていた。それを確認したノブハルは、抱き寄せていたリンラの頭を離し、そのかわりにお姫様抱っこをするように抱き上げた。 「いやいや、それは僕の役目だと思うのだけどね」  普段なら顔を出さないナギサが、どう言う訳か今日のステージには顔を出していた。エルマー7家の一つ、イチモンジ家の次期当主だと考えれば、それは異例なことに違いない。  だが恋人として正当なナギサの苦情に、「なぜだ」とノブハルは驚いたような顔をした。 「こんなもの、微笑ましい兄妹の触れ合いだろう」  違うのかと確認された5人、すなわちトウカにリュース、セントリアにエリーゼ、そしてミズキは力いっぱい首を横に振った。 「その、絶対にしないかと言われれば、それは否定できませんが……小さな頃ならいざしらず、大人になってからすることではないと思います。その、恋人同士でも、よほどのことがない限りしないと言うのか……私もして貰った記憶が無いのですが」  さり気なく「恋人」を主張したエリーゼだが、他の少女たちからツッコミの言葉は入らなかった。 「そう言う意味なら、僕もしたことがないのだけどね」  ううむと考えたナギサは、まあいいかと細かなことに拘らないことにした。と言うか、拘っても無駄と言うのをさんざん思い知らされていたのだ。 「とにかく、場所を変えることにしようか。今日は、君達の婚約祝いをするからね」  こっちだと前を歩いたナギサの後ろを、ノブハルはリンを抱っこしたまま着いていったのである。  ハイを卒業したエリーゼは、当初の予定ではズイコーに戻る事になっていた。実の父親に命を狙われた事件の後、ズイコー政府によって決められた保護措置が理由である。強制力を持つ措置ではないが、生活の保護と奨学金を受けとるのに必要な条件となっていたのだ。  ただそれからの1年で、エリーゼを取り巻く環境は大きく変わっていた。アオヤマ家にホームスティしたのもその一つだが、その長男ノブハルと深い男女の関係になっていたのだ。そのためアオヤマ家では、嫁の一人として受け止められていたぐらいだ。  そのため、ハイ卒業を前にエリーゼの立場が問題として持ち上がった。ズイコーに戻ったからと言って、エルマーに来られなくなると言うことはない。ただそこまでの関係になっておきながら、むざむざエリーゼを返すのかと言うことが問われたのだ。エリーゼは、はっきりとノブハルへの愛を口にしていたのだ。  そうなると、ノブハル自身の意思表示が重要となる。それをしてこなかったノブハルは、周りから厳しい追及を受けることになった。そして周りの厳しい視線に負けたノブハルは、エリーゼと「婚約」することを認めたのである。そこで婚約と言う形をとったのは、対外的に理由をつけるためでしかない。ただシルバニア皇帝と言う妻が居ることを考えると、これで立派に重婚を果たしたことにもなる。そして彼の場合、それだけで全てがめでたしめでたしで終わらないことが問題だった。当然のように、エリーゼ同様深い関係となったトウカに対する責任が持ち上がったのだ。  ただエルマーの法律では、法律上の重婚は認められていない。従ってエリーゼが妻と言う立場を得た以上、トウカには同じ立場を得ることはできなかった。エリーゼに続いて周りから冷たい目で見られたノブハルは、逃げ道としてトウカを「内縁の妻」とすることを承諾した。これでエルマーの法に触れることなく、二人への責任を果たしたことになる。もっとも、普段の生活に変化が出るかと言うと、これを持って何かが変わると言うことはなかった。書類上の変更でしか無いと言うのが、この問題の結果だった。  婚約祝いの場として、ナギサはサン・イーストでも指折りの高級レストランの個室を確保した。その辺りは、エルマー7家の一つ、イチモンジ家の次期当主と言う立場からすれば不思議なことではないだろう。そして清貧に喘いでいたノブハルも、今やトリプルAエルマー支店の支店長である。入札一つ取れない弱小支店も、今やズミクロン星系におけるタンガロイド社独占代理店なのだ。そのおかげで、多くの商談が飛び込むようになり、給与もちゃんと支払われるようになっていた。 「セントリアさんの快気祝い、そしてリュースさんの歓迎会は終わっているからね。これで、残るのはトウカさんが内縁の妻になるお祝いだけになったよ」  婚約を祝う乾杯をした後、ナギサは次のパーティー予定を持ち出した。その言葉に、約2名を除いて出席者たちは大いに盛り上がった。そしてどうしても盛り上がれなかったうちの一人、次の主役となるトウカは「違うのでは?」と困惑を顔に出した。 「あなたたちの婚約もお祝いしないといけないと思うのだけど……それ以前に、お妾さんになるのってお祝いすること?」  お妾と言うと、普通は日陰者と言うイメージがついて回ってくるものだ。それを考えると、お祝いをするのはどこか違うと主張したかった。だがその常識を持つのは、どうやらトウカ以外にはノブハルだけのようだ。なぜかシルバニアから来た二人を含め、全員が「何を言っているのだ」と醒めた視線をトウカに向けた。 「だったら、お兄ちゃんのことをやめておく?」  そうすれば、正常な世界に戻ることができる。「できないよね」と決めつけてきたリンに、トウカは一度視線を向けてから大きなため息を吐いた。 「できれば、お祝いだけをやめて欲しいんだけど」 「物事には、けじめってやつがあるのよ」  だからだめと言い切られ、トウカは諦めたように大きくため息をついた。 「お妾さんでも二号さんでも構わないから、せいぜい盛大にお祝いをしてください」  その結果、ヤケクソとも言える提案をしたのだ。これでお墨付きをもらったと、ナギサは見えない所で口元を歪めていた。 「これで、トウカさんの了解も貰ったと。でもアイドルだから、あまり表沙汰にはできないわね」  うんうんと頷いたリンに、トウカはもう一度ため息を返した。そこで「ちょっといい?」とセントリアが手を挙げたのだが、当然のようにリンはその意味を勝手に解釈した。 「心配しなくても、セントリアさんには三号さんの席が用意されているからね」  だから心配しないでと、リンは楽しそうに言い切った。 「一応私は、まだ清い体なんだけど……と言う話はとりあえず置いておくわ。アイドルと言う意味なら、あなたの方が大事になるのじゃないのかしら?」  ぽっと出の二人組とは違い、リンラは星系一のアイドルと評判だったのだ。そのアイドルが婚約するとなれば、大騒ぎになっても不思議ではないはずだ。 「でも、私の場合はスキャンダルにはならないしなぁ〜。それにナギサ相手だと、鉄板すぎるって言われるぐらいだしぃ。でもさ、お兄ちゃんって業界注目度ナンバー1のトリプルAの支店長様でしょ。しかもエリーゼさんって本妻がいるんだから、トウカさんの存在は格好のスキャンダルになると思うよ。それにトウカさんって、今や芸能界の注目株だし」  リンラのバックダンサーとして売り出した所、あっと言う間に人気が出てしまったのだ。まだ大規模なコンサートはできないが、ミニコンサートなら既にリュースと二人で何度もこなしていた。しかも毎度満員御礼になってるのだから、メジャーデビュー間近と言われていた。 「私は?」  そこでリュースが楽しそうに手を挙げたのは、一人だけ話題から蚊帳の外になっていたからだろう。 「あなたの場合、単なる色物でしょ」  そんなリュースに、セントリアが不機嫌そうに毒を吐いた。 「ぶきでダンスもまともに踊れない下っ端が、何か偉そうなことを言っているわね。今からでも、可愛がってあげてもいいのよ」  にっこりと笑って、リュースは脅しの言葉を口にした。セントリアより小柄で、明らかに細身……ただし、その分胸の大きさが目立つのだが……のリュースなのだが、片手でセントリアをひねれる猛者である。そしてセントリアを「ぶき」と言うだけのことはあり、ダンスも完璧にこなしていた。その上見た目も可愛らしいので、トウカ以上の人気者になっていた。 「いつもいつも、私が遅れをとるとは思わないよう……痛い、ごめんなさい許して」  すかさず言い返したセントリアだったが、気付いた時にはしっかりアイアンクローを決められていた。その素早さは、ノブハルを含めて誰一人反応することができなかった。 「相変わらず、あなたは学習しないのね。だから私まで派遣されることになったのだけど……」  そこでニッコリと笑ったリュースは、ノブハルの胸がどきりとするほど可愛らしかった。 「ノブハル様には私がいるし、それに聖下からデバイスを貰っているのよ。守りは万全だから、あなたが役に立つことなんて……」  ないわねと言いかけたリュースは、「ノブハル様」とお茶を飲んでいたノブハルに声をかけた。 「この役立たずを躾けてくださいませんか?」 「セントリアは、俺たちの命の恩人なのだが……だから、役立たずと言うのは当てはまらないと思うぞ。ところで、お前の言っている躾けとはどう言うことなのだ?」  普段の生活で、毒舌こそ吐くが行儀作法は普通に見えていた。それに最近は、お風呂に乱入してくることもなくなっていたのだ。それを考えると、よほどノブハルよりは礼儀作法ができているように見えるぐらいだ。少なくとも、ノブハルが躾けることがあるとは思えなかった。だからこその質問なのだが、リュースの答えはまともなものではなかった。 「先ほどリン様が仰ったことですよ。少し大味かもしれませんが、従順になるようノブハル様のもので躾けてくださいませんか?」 「俺のもので躾けって……いやいや、それは俺の趣味ではないのだが」  ぶんぶんと首を振ったノブハルに、そうですかとリュースは少し残念そうな顔をした。 「セントリア、あなたはノブハル様の趣味ではないようです。私の方からリンディア様に上申しますので、荷物を纏めてシルバニアに帰りなさい」  用済みと宣告されたセントリアは、「えっ」と驚いて顔色を青くした。 「いやいや、趣味じゃないと言うのは、女性をもののように扱うことがだ」  勘違いするなと声を上げたのだが、はっきり言ってそれは自殺行為だった。 「でしたら、ノブハル様はセントリアをどう思われているのですか?」  じっと緑色の瞳で見つめられ、ノブハルは気まずげに顔をそらした。だが相手はセントリアより強いリュースである。一度捕まえた獲物を逃がしてくれるはずがない。そしてノブハルが気付いた時には、目の前10cmの所にリュースの顔があった。 「セントリアに、こう言うことをしたいと思わないのですか?」  ふふと笑ったリュースは、そのままノブハルの唇を強引に奪った。とてもほっそりとした腕をしているのだが、どう力を入れてもノブハルには彼女を振り払うことはできなかった。  くちゅくちゅと淫靡な音を立てた口づけは、「リュース」と言うセントリアの怒鳴り声で終わりを迎えた。 「あなたより先に頂いたのだけど……あなたが気が乗らないのなら、繰り上げで私が3番目でもいいのよ」  リュースの束縛から離れたところで、ノブハルは呆然とした表情で力なく椅子にへたり込んだ。ズボンの股間あたりが膨らんでいるのは、悲しい男の性と言うものだろう。 「私は……」  そう声を上げたセントリアは、一度ノブハルを見てから俯いた。 「そう言うことを、考えたことはなかったのだけど」 「不足しているのは実力だけじゃないと言うことね。ほんと、嘘の吐き方も下手だわ」  そう行って笑ったリュースは、「まあいいか」とセントリアを解放することにした。そしてその代わり、もう一度ノブハルを捕まえ、「3番目にしてくれますか?」と可愛らしく迫った。  もっとも可愛らしいのは見た目と仕草だけで、その実態はセントリアですら叶わない猛者である。ノブハルでも、アクサを使わない限り抵抗すら出来ないだろう。  少し顔を青くして、ノブハルはゴクリとつばを飲み込んだ。この状況下で、逆らうのは間違いなく寿命を縮めることになる。もっとも認めたら認めたで、別の意味で寿命を縮めることになるのだろう。その場合どちらがましなのかと、ノブハルは急に回転しなくなった頭で打開策を考えた。  もっとも、答えが遅くなればなるほど身の危険が迫ることになる。「ノブハル様」とリュースがとても魅力的な笑みを浮かべた所で、「そこまでにしなさい」とノブハルのサーヴァント、アクサが割り込んできた。 「あら、どうしてデバイスが命令もないのに割り込んでくるのかしら?」  さすがのリュースも、デバイスを相手にしては勝負にならない。それもあって顔を引きつらせたリュースに、「危機レベルが上がったから」とアクサは綺麗な笑みを浮かべた。ちなみにアクサは、綺麗なレモン色のワンピース姿をしていた。そしてレディッシュの髪には、真紅の髪飾りが二つ付いていた。  ただ邪魔をするだけでなく、アクサはとても有用なアドバイスも口にした。ただそれは、ノブハルにしてみれば勘弁してくれと言いたくなるものだった。 「本気でノブハルとの関係を望むのだったら、ちゃんと口実を作ってあげることを考えなさい。同じ脅すにしても、みんなの目の前でやっちゃ駄目よ。ノブハルにもプライドは有るし、それだとエッチをしても、身の危険を感じたからで逃げられるからね。それにあのIotUだって、口実が立たなければ女性に手を出さなかったのよ。もっとも、口実さえ立てば見境がなかったらしいけど。ノブハルにも1人きりと言う歯止めがなくなったんだから、あとはやり方次第じゃないのかしら?」  頑張りなさいと言い残して、アクサはノブハル達の前から姿を消した……消したと思ったら、今度はセントリアの前に姿を表した。 「あなたが不器用だと言うのはよく分かるわ。ただ、自分の気持ちをちゃんと理解することも必要よ」  それだけと言い残し、今度は本当にみんなの前から姿を消した。結局少女たちを煽るだけ煽ったと言うのが、アクサのしたことだった。 「お兄ちゃん、アクサってデバイスなんだよね?」  納得がいかないと聞いてきた妹に、「そのはずだ」とノブハルも自信なさげに答えた。 「言ってることを聞いていると、人間にしか思えないんだけど……」 「そう言われても、俺の知ってるデバイスはザリアだからな」  そしてザリアは、とても人間臭い振る舞いをしていたのだ。それを持ち出されると、アクサがおかしいとは言えなくなる。ううむと唸ったリンは、「口実か」と自分に言い聞かせるように呟いた。 「確かに、言われてみればその通りね」 「俺には、お前が良からぬことを企んで居るように思えるのだが?」  そこでナギサの顔を見たのは、誰が被害を受けるのか理解していたからに他ならない。そしてノブハルに見られたナギサは、予想通り顔を引きつらせていた。 「そう? 二人目を認めた時点で、法的にも倫理的にも障害は無いと思ってるんだけど」 「お前は、どこまで行っても妹だと言っているはずなのだが……」  困惑を表に出したノブハルは、「ナギサ」と同じく被害を受ける親友の名を呼んだ。 「さっさと婚約をしてしまえよ」 「婚約が歯止めになると考えるなんて、ノブハルは甘すぎるとしか言い様がないね」  受け入れがたいのは確かだが、同時に諦めも必要なのだ。ここまでの付き合いでそれを理解したナギサは、「力になれないよ」と寂しく笑った。  一人立場を確定させたエリーゼは、アオヤマ家で拡張された胃袋に、我関せずとせっせと料理を運び込んでいた。細かなことに拘らないのは、おおらかなのか、はたまた諦めているのか。ニコニコとしているその顔からは、内なる心を窺い知ることはできなかった。  停戦が破棄されれば、途端に戦闘は激化することになる。ただ新たな戦闘への準備は、停戦期間中にこそ行われるものだった。14回目の停戦が結ばれてすぐ、解放同盟は次の戦略を決める会合を行なっていた。  解放同盟の現指導者、ノラナ・ロクシタンはもともとは平和主義者だった。ガッシリとした見た目に反して、手芸を趣味にする大人しい女性と言うのが彼女の本質的な姿である。ただ30代の半ばにあった、解放同盟指導者クラランス・デューデリシアとの出会いが彼女の人生を変えたのだった。  「穏やかな民主制への移行」と言うのが、初代指導者クラランスの掲げた目標だった。ただ穏やかな移行と言う目的を達成するためには、相応の実力が必要と言うのを彼女は理解していた。それは、過去に発生した同様の試みが、全て政府軍の力によって押さえ込まれたからである。  それでも「穏やかな移行」を求めていたクラランスは、話し合いを優先する立場を取っていた。だから周りから危険だと制止されても、連邦軍の仲介による政府側との交渉に臨んだのである。そして彼女の意思は、連邦軍の裏切りによって道半ばで絶たれてしまった。  ただ話し合いを求めたクラランスも、話し合いに応じた政府側を信用していたわけではない。だから軍事顧問であるナイアド・ロングマンの次席であるヘロン・ネオディプシスに、いざと言う際の備えを指示を出して交渉に臨んでいた。そして保険とも言えるこの指示は、彼女の死をもって意味のある物になってしまった。  そして彼女の後を、ナンバー2だったノラナが引き継いだのである。平和主義者と言う看板は倉庫の奥深くにしまい込み、今は力で政府を交渉の場に引きずり出すことを第ニ目標としていた。そして彼女の第一目標は、クラランスを謀殺したラグレロ以下関係者に、あの世で後悔させることだった。 「やはり、サイプレスシティを廃墟に変えなければいけないようね」  これまで5年間続けてきた戦いで、ゼス全土の7割近くが戦火にまみれ、そして半分以上が廃墟と化していたのだ。全人口の約半数に上る、20億もの人々がその戦いで命を落としていた。だがそこまでの戦いをしても、未だゼス政府の体制は揺らいでいなかった。 「サイプレスシティを落としますか?」  そう確認したのは、ナイアド・ロングマン亡き後指揮官となったヘロン・ネオディプシスである。クラランス、ナイアドの両者が倒れた混乱の中、解放同盟を瓦解の危機から救ったのは彼の戦略だった。 「別に、落とす必要はないと思っているわ。でも、廃墟に変えてあげる必要はあると思ってる。そうすることで、ぬくぬくと閉じこもっている愚か者たちのお尻に火をつけてあげようと思っている」  少しも激昂することなく、ノラナは静かに自分の考えを述べた。そしてヘロンの顔を見て、「可能?」と短い問いかけをした。 「可能かと問われれば、可能とお答えしますが……ただ、現時点での攻撃は、こちらの被害も大きくなります。オウザク、キャラコ、カズンシティ、ボヌンザ、クチャクラリを結ぶ防衛線を潰す方が、人心を効果的に乱すことができます。次はサイプレスシティだと示す意味でも、その方が効果的ではないかと」 「今まで通りの作戦を続けるべきと言うわけね」  感情のこもらない声で確認したノラナは、「ツンベルギア」と科学主任の名を呼んだ。ツンベルギア・エレクタ、ゼスの主力兵装であるラプター開発者の中心人物の一人である。 「ヴァルチャー改の開発状況は?」 「現在AIの自動学習中です。実戦投入レベルまで、あと1週間と言う所でしょうか」  痩せぎすの男は、口の両端を釣り上げるようにして笑った。 「停戦が破棄される頃には、熟練者が操るラプターと互角程度になるのかと」 「タリヌムと戦ったら?」  解放同盟一のラプター乗りの名を挙げたノラナに、ツンベルギアは少し考えた。 「手加減いただければ、食い下がることは可能かと。そこで学習を重ねれば、いずれ本気のタリヌム様との互角の戦いができるようになるのかと」  その報告に首肯したノラナは、「ヘロン」と作戦指揮官の顔を見た。 「タリヌムに、ヴァルチャー改の学習に当たらせます」  戦力的に劣る解放同盟は、積極的に無人兵器の投入を進めていた。現在政府軍と互角に戦えているのも、大量に投入された無人兵器の活躍が理由である。 「それで、数はどれだけ用意できるのかしら?」  いくら高性能でも、戦いには数が重要な意味を持ってくる。その常識を確認したノラナに、ツンベルギアはデーターを差し出した。 「現時点で10機が用意されているのね。それで、停戦破棄予定頃には、30機が揃う……」  うんと考えたノラナは、「ハミングバードは?」と暗殺兵器を確認した。 「1万羽ほど、サイプレスシティに向けて放っております」  そう答えたヘロンに、ノラナは新たな作戦目標を伝えた。 「オウザク、キャラコで無差別殺戮を行うことにします。両地点に、10万羽ずつ投入しなさい。こちらについては、用意ができ次第追加投入も行うわ。それから配備された守備兵は、ヴァルチャー改を用いて無効化します。それ以外の箇所については、これまで通り政府軍と睨み合っていてください」 「無差別殺戮……ですか」  それはと唸ったヘロンに、「必要なことです」とノラナは感情を見せずに言い切った。 「私達への反感は高まるでしょうが、住民たちの政府への反感も同様に高まることになります。それに、ラシュトで死んだ者の殆どは、非戦闘員の住民です。つまり、先に無差別殺戮を行なったのは政府軍だと言うことです。私たちに、戦い方を選べるだけの余裕があるとは思えませんが?」  どうですかと口にしたところで、ノラナは少し考えた。 「先ほどの指示を少し変えることにします。ハミングバードの殺傷能力を、少し落としてください。死人は騒ぐことができませんが、けが人は大声で騒ぎ立ててくれます」 「戦いをおさめられない政府に対する不満を煽りますか」  小さく頷いたヘロンは、早速ハミングバードの手配を行なった。 「ところで代表殿」  痩せぎすの男、ツンベルギアは真剣な表情でノラナに問いかけた。 「この戦いは、いつまで続くとお考えですかな」 「いつまで、と問いますか」  突然の問いなのだが、ノラナは少しも驚いた様子を見せなかった。そして少し考えてから、ツンベルギアが予想もしていない答えを口にした。 「私が死ぬ、もしくはサイプレスシティに住まう魑魅魍魎を一掃するまででしょうね。それが1ヶ月後のことになるのか、1年後のことになるのか。ただ言えるのは、今のままなら5年後には戦いは終わることでしょう」 「それは、双方が死に絶えるから……と考えていいのですかな?」  今のままならと言うノラナに、ツンベルギアはその結末を予想した。このまま兵器の改良が進み、住民を含めた虐殺が進んだ先に何があるのか。禁忌をなくした戦いの先にあるのは、お互いの滅亡しかないのである。 「ヴァルチャーとヴァルチャー改の性能が上がれば、結果的にそうなることでしょう。お互いの勝利条件が、相手の殲滅以外になくなってしまいましたからね。もはや話し合いは、この戦いの解決手段ではなくなってしまったのです」  静かに答えたノラナは、「臆しましたか?」とツンベルギアに問いかけた。 「臆する……この私がですか!」  はっと大きく息を吐き出し、「まさか」とツンベルギアは大きな声を上げた。 「私の子供たちが、この星から生き物を根絶やしにするのですよ。それは、親として背筋に震えが来るほどの快感に違いありません。ただ願うなら、そこに我々の勝利が欲しいと思っただけですよ」 「もしもこの星から生き物が死に絶えたのなら……」  ツンベルキアの言葉に答えたノラナは、一度ヘロンの顔を見た。 「それは、私たちの勝利に違いないでしょう。生き物のいなくなったゼスが、人々の墓標となるのです。話し合いによる解決をラグレロが望まなかった時点で、その結末は約束されたことなのかもしれません。愚か者の記録として、長く連邦に伝えられることになるのでしょうね」  そう口にしたノラナは、「勘違いはいけませんよ」と少しだけ口元を緩めた。 「私はまだ、サイプレスシティにうごめく蛆虫たちを倒して勝つつもりでいますからね。相打ちというのは、私の願いとは遠いところにあります。そのためには、ツンベルギア、あなたにはさらなる兵器の改良をしてもらわなければなりません。そしてヘロン、あなたには奴らを追い詰める算段をして欲しいのです。そして奴らの逃げ道を塞ぐためにも、サイプレスの防衛戦を潰す必要があるんです」 「私も、自分の子供たちの活躍を見たいと思っていますよ」  にやぁと笑ったツンベルギアは、「承知した」とノラナの顔を見た。 「覚めることのない狂気に冒されたゼスです。せいぜい私も、その狂気に踊ることにいたしましょう」  それがいいと両手を開き、ツンベルギアは天を仰いだ。それを醒めた目で見たヘロンは、邪魔者の登場を心配した。 「そうなると、あとは連邦の出方次第ですな。ウェンディ元帥ならば、連邦法を破ってまでの干渉はしてこないでしょう。しかしその前提が崩れた時、事態は我々の思いとは違う方向に捻じ曲げられます。もしもハウンドの戦力を大量投入されると、我々のラプターとヴァルチャーでは歯が立ちません」 「連邦の介入……ですか?」  考えてもいなかったと、ノラナは初めて表情を表に出した。ただそれも、心が凍えてしまいそうな酷薄なものだった。 「すでに、ケーネス・ボルティモアは軍中枢から排除されました。これで、ゼスに注目する者は連邦軍にはいなくなったのです。ウェンディ元帥には汚点かもしれませんが、彼が連邦法を破ると言う汚点を重ねるとは思えません。そしてもう一人の当事者、キャプテン・カイトですが……」  少しだけ考えて、ノラナは小さく頭を振った。 「退役したキャプテン・カイトには、干渉するだけの力がありません。たとえ超銀河連邦最強の力を持っていても、ただ一つの超兵器が戦いの帰趨を決めることはないでしょう。できるとしたら、ただ破壊の限りを尽くすことだけですね。もしもそうなったのなら、それはそれで好ましいと思っていますよ」  それだけを聞けば、心配の必要は無いと受け取ることが出来る。そう言う意味なのかと考えたヘロンに、「それでも危惧はありますね」とノラナは第三者の干渉を肯定した。 「あなたは、トリプルA相談所と言う名を聞いたことがありますか?」 「寡聞にして」  否定を口にしたヘロンに、ノラナは「有名らしいですよ」とトリプルAのことを持ち上げた。 「もともとは、ジェイドと言う星にある、女子学生が実習のために起業したものだそうです」 「子供の遊びが、何か関係があると?」  ますます分からないと言う顔をしたヘロンに、「常識ではありませんね」とノラナは笑った。 「ただ、そこにはキャプテン・カイトが所属しているそうですよ。そしてレムニア帝国、パガニア、エスデニア、シルバニア帝国、リゲル帝国と深い繋がりを持っているそうです。別の銀河にあるゼスにまで評判が聞こえて来るのですから、それだけ手広く、想像を超える業績を上げているのでしょう。バックにいると噂される国々が本当なら、連邦に匹敵する力を持っていると言っていいのかもしれませんね。ただ、彼らにしても、ゼスに干渉するだけの大義名分があるとは思えません。そして連邦法上では、ゼスへの干渉は侵略行為となります。それ以上に、企業なのですから収益を求める必要があります。ゼスに干渉したとしても、彼らには得るものがないでしょう。それを考えると、彼らの干渉も心配する必要はないことになります」  そう口にしたノラナは、「私は」と初めて憂いを含んだ表情を浮かべた。 「もしかしたら、誰かに止めて貰いたいと思っているのかもしれませんね。だから、外の動きが気になるのでしょう。ですが、この超銀河連邦のどこにも、私を止められる者はいないのです。でしたら、倒れるまでラグレロと戦い続けるしかないのでしょうね」 「いっその事、惑星ごとゼスを破壊しますか?」  文明レベルが6だと考えれば、惑星破壊もさほど難しいことではない。戦い抜いた先にあるのが生物の死滅した世界なら、いっその事惑星破壊兵器でケリをつけてもいいのではないか。それも一つの手だと、ヘロンは最後の手段として持ち出したのである。  だが惑星破壊を、ノラナははっきりと否定した。 「最後まで足掻いてこそ、人としての愚かしさを示すことができると思います。惑星破壊などと言う、安易な道を選んではいけないと思っているんです」  だからその方法は、絶対に採用することはない。ノラナは、ヘロンに向けてそう言い切ったのだった。  直接軍に関わっていなくとも、前線に近い所に入れば情勢を肌で感じることができる。いつもの通り食料の在庫・配給管理をしていたリスリムは、空気がぴりぴりとしてきたのを感じていた。 「そろそろ、停戦も終わりってこと?」  配給物品の選択肢が減ってきたのにため息をつき、リスリムは護衛のソーに声をかけた。彼女が感じている緊迫した空気のうち、50%ぐらいは彼の発しているものだった。 「俺には、それを否定するだけの根拠も情報もない。ただ、停戦前の膠着した状況が、大きく変わるとは思えない。だとしたら、別の場所でひたすらお互いの戦力を削り続ける戦いが続くことになる。防衛線などと大層な名は付いているが、オウザクを攻略しても戦略上の意味はない。そして意味のないことをできるほど、解放同盟にも余裕などないはずだ」 「だから、安心しろって言いたい訳?」  呆れたと言う顔をしたリスリムに、「事実だ」とソーは表情を変えずに言い返した。 「解放同盟の目的は、固定化された階級社会の打破だからな。無理をして一般人を巻き込む理由に欠けている。そして守備隊を狙うにしても、割ける戦力には限りがある。物量自体、政府軍の方が潤沢なのは確かなのだ。その物量を誇る相手に、戦力分散するのは愚かしい作戦ということになる。こちらに投入した分、奴らの前線は手薄になるのだぞ。そんなことをしたら、均衡が一気に崩れるだろう」  それが現実だと答えたソーに、リスリムははっきりとため息を返した。 「それが、あなたたちの常識ってことね。そしてその常識が、戦力に劣る解放同盟を圧倒できない理由と言うのが分かったわ」 「お前は、何を言いたいのだ?」  表情を険しくしたソーに、「嫌がらせの方法」とリスリムは口元を歪めた。 「どうしたら、中央政府の足元をぐらつかせるのか言うことよ。ねえソー、解放同盟は不足する戦力をどうやって補ってる?」  それはと少し考えて、ソーは解放同盟が使用している無人兵器を挙げた。 「識別名ヴァルチャー。有人運用のラプターを、無人運用に改造した物だ。適応型AIを搭載し、状況に応じた判断でかなりの性能を発揮している。確か、ツンベルギア・エレクタと言うラプター開発者の一人が関わっていると言う話だ」 「AIに任せているおかげで、兵士育成の手間が省けているのでしょう? 彼らが、さらにヴァルチャーを増産するとは考えないの?」  物量を持ち出したソーに、リスリムはそれを補う方法を提示した。ただその指摘は、ソーには今更の物だった。 「確かに、優秀な兵士を育成するより、ヴァルチャー増産の方が確実だろう。ただ増産されたからといって、直ちに脅威につながるものではない。事実俺でも、ヴァルチャーなら破壊するのは難しくない」 「それは、あなたなら……ってことでしょ。まさか政府軍には、あなたより弱い奴はいないとでも保証してくれる訳?」  馬鹿にするように笑ったリスリムは、「まだまだね」とソーの甘さを指摘した。 「私は、中央政府の足元をぐらつかせると言ったのよ。その目的なら、別にここを落とす必要はないのよ。ただ何千万と言う住民に、中央政府に対して反感を持たせればいい。ねえソー、私はね、彼らはハミングバードを無差別攻撃に使って来ると思ってるの。そしてその対象は、都市部の住民だと思っているわ」 「非戦闘員を攻撃すると言うのかっ!」  軍人の常識で否定をしようとしたソーに、「それが弱点」とリスリムは先手を打った。 「戦争と言うのが、軍人同士が戦うものと言う考え方は理解できるわ。でも政府軍は、解放同盟の拠点だったラシュトを攻撃している。1千万を超えたと言われる死者だけど、それって軍人だったのかしら?」  どうと問われたソーは、その答えを口にすることはできなかった。ラシュト攻略戦は、惑星ゼス第三の都市をそこに住まう住人を巻き込み、繁栄した都市を見るも無残な廃墟に変えたのだ。解放同盟を叩くと言う口実で、反応弾が何発も使用されていた。 「あなたは、解放同盟にだけ倫理を求めると言うの?」 「だが、無抵抗の市民を巻き込めば、戦いはますます泥沼になってしまう。それに、市民のためと言う彼らの大義がなくなってしまうだろう」  解放同盟設立の事情を考えれば、リスリムが指摘した事態は起きないと主張したのである。ただそれも、リスリムに言わせれば希望的観測に過ぎなかった。 「あなたは、そんな名分を信用しているの?」 「だが、それが奴らの力を蓄えた理由のはずだ」  少しムキになって言い返したソーに、「冷静におなりなさい」とリスリムは諭した。 「5年前、クラランス・デューデリシアが決起した理由は確かにその通りね。でもクラランス・デューデリシアは謀殺されて、今はもういないのよ。だとしたら、その後継者が、彼女の高邁な思想をすべて引き継いでいると考えていいのかしら? もっと現実的に、社会体制を変えることを考えるのじゃなくて? それに、負けてしまったらなんの意味も無いのが戦争なのよ」 「それが、無抵抗の住民を虐殺することに繋がるのか!」  少し興奮したソーに、リスリムはもう一度「冷静におなりなさい」と諭した。 「この戦いで、すでに人口の半分以上、20億を超える人が亡くなっているのよ。そしてそのほとんどが、無抵抗の住民と言う事実を忘れないで。戦いにモラルは必要なのでしょうけど、そんなものはとっくに失われているんじゃないの? そうでなければ、20億を超える犠牲に説明がつかないでしょう?」  冷静に語るリスリムに、ソーは言い返す言葉を失っていた。彼女に反発する気持ちが無い訳ではないが、一方で彼女の言う通りだとも感じていたのだ。そうでなければ、20億を超える犠牲者の説明がつかなかった。 「私は、奴らは防衛線を構成する都市のどこかを襲って来ると思ってる。そして奴らの狙いは、守備隊ではなく一般住民にあると思ってるわ。ねえソー、守備隊は何のために都市を守ってるの? サイプレスシティーに敵を入れないため? それとも、そこに住んでいる住民を守るため?」 「サイプレスシティを守るため……と言うのは否定できないだろう。だが、兵士たちは住民を無駄死にさせたいとは思っていないはずだ」  兵士としての気持ちを口にしたソーに、リスリムは悲しそうに頷いた。 「だとしたら、狙われた都市は落ちることになるわね。奴らが送り込んで来るヴァルチャーは、感情のない殺戮マシーンなんでしょう。住民を殺され動揺した兵士で、殺戮マシーンに勝てると思う?」  その問いに対して、ソーはすぐには答えを口にできなかった。冷静になった今なら、リスリムの言うことは正解に近いことは理解できるのだ。ただ理解はできても、解放同盟に実行できるかと言うのは別だと思っていた。 「ハミングバードなら用意はできるのだろう。だが、防衛線の守備隊を落とせるほどのヴァルチャーが用意できるとは思えない。それだけの数が用意できるのなら、前線に投入した方が効果的なのだからな」  準備ができないと指摘され、今度はリスリムがその意味を考えた。 「そうね、常識的に言えば解放同盟にもそれだけの余裕はないはずね。だったらソー、大量のハミングバードが送り込まれると言うのはどうかしら?」 「大量のハミングバード……か?」  うんと考えたソーは、「住民に犠牲はでる」と結果を答えた。 「ただ、ハミングバードだけなら駆除は可能だ。撃ち漏らした分で被害は出るが、その被害規模はさほど大きなものにはならないだろう。規模にはよるが、戦いの趨勢を変える要素になるとは思えない」 「さほど影響は出ないと言うのね」  確認したリスリムに、「出ない」とソーは断言した。 「だとしたら、そんな無駄な真似をしてこないとは思うのだけど……もしも、仮定が間違っていたら……」  もう一度考えたリスリムだったが、それを明確に説明する言葉が浮かんでこなかった。ただ、勘とでも言えばいいのか、解放同盟がこれまでとは違うことをして来ると言う予感がしていた。その予感は、ソーと話をしていたますます強くなっていたのだ。 「なにか、気持ちがすっきりとしてくれないのよ。なにか、こう、私たちが何か誤解をしていないか。ノラナ・ロクシタンだっけ? 彼女が、本当にクラランスの遺志を継いでいるのか」  それが分からなくて怖い。はっきりと怯えたリスリムの頭に、ソーは右手を置いた。年齢は同じなのだが、リスリムは5歳ぐらい幼く見えていた。そして見た目同様に体が小さいので、側から見たら二人は兄妹に見えることだろう。「大丈夫だ」と頭を撫でるのは、明らかに兄のメンタリティになる。 「ヴァルチャーなら、俺を超えることはできない。俺は、お前を守ると言う役目を放棄することはない!」  だから安心しろと断言するソーに、リスリムは頭を撫でられながら内心不満を抱えていた。ソーに恋人がいるのは知っているが、それでももう少し自分を女として扱ってほしい。それを口に出して言えば、関係はもう少し違ったものになっていたのかもしれない。だが、そんなことを口にできるほど、リスリムはソーの前で素直になれなかった。 「ぎゅっと、抱きしめてくれないの?」  頭を撫でられて喜ぶような子供じゃない。そう主張したリスリムに、「それは俺の役目じゃない」と言うのがソーの答えである。やっぱりそうかと、リスリムは顔に出さずに落胆したのだった。  アリッサの家でディナーをとった三日後、トラスティはカイトをプラタナス商店会のバーに呼び出していた。意外なことに、今までこの二人だけで酒を酌み交わしたことはない。初めの頃はいざしらず、運命共同体になってからでも初めてのことだった。そのあたり、カイトの場合パートナーが、そしてトラスティの場合忙しすぎるというのが理由なのだろう。  それが今回実現した裏には、トラスティの体が空いたのと、エヴァンジェリンの変化が理由になっていた。そしてトラスティは、エヴァンジェリンの経過確認を目的にカイトを誘ったと言う訳である。  「初めてか?」と首を傾げたカイトに、「多分」とトラスティは笑った。そしてバーテンダーにビールを頼んでから、「やっぱり初めてですね」と口にした。 「兄さんには、何度も殴られた記憶は有りますけどね。こうして酒を酌み交わすのは、初めてですね」  そう答えたトラスティに、「しつこい奴だな」とカイトは苦笑を返した。 「殴ったことは、もう謝っただろう」 「義姉さんには謝って貰いましたが、兄さんに謝られた記憶が無いんですよ」  まあいいけどと、謝罪問題を棚に上げ、トラスティは誘った理由を持ち出した。 「時間的には大して経っていませんが、たぶん大きな変化があったんじゃないですか?」  ビールで乾杯したあと、トラスティは「そのあたりは?」と切り出した。 「変化かぁ……」  んーと考えたカイトは、「変わったのかなぁ」と自信なさげに答えた。 「いや、確かに変わったのかもしれないな。その、なんと言うのか、前より可愛らしくなったと言うのか。そそられるってのを感じると言うのか……」  はっきり惚気たカイトに、「いやいや」とトラスティは目元を引きつらせた。 「そう言う惚気を聞きたい訳じゃないんですけどね。身も蓋もない言い方をするとですね」 「まあ、ちょっとした嫌がらせってやつだ。お前は、体力的なものを言いたんだろう。それに関して言うのなら、明らかに変わっているな。すぐにいかなくなった……と言うより、明らかに長持ちするようになった」  その答えを聞かされ、酒が有ってよかったとトラスティは場所の選択の正しさを考えた。必要な答えなのだが、こんなものは飲みながらでなければ聞いていられない話だったのだ。 「それが理由かどうかは分からないが、エヴァンジェリンが我慢と言うものをを覚えたな」 「あった変化がそれだけですから、そっちが理由なのは確かでしょうね」  はっきりと苦笑を浮かべたトラスティに、「だな」とカイトはそれを認めた。 「業者と相談して、リハビリに使われるトレーニングマシンを買ったようだ。さてさて、何日続くのだろうな」  同じように苦笑を浮かべたのは、周りから「根性なし」と言われるエヴァンジェリンを知っているからである。ただ根性なしの一方で、意外に凝り性の所もあるのを見てきてもいた。だから今回が、どちらの転ぶのかと分からないと言うのだ。 「兄さんの子供を産みたいと言うのが動機ですからね。しかも、新しい世界が目の前に開けたんでしょ。普通なら、結構続くと思いますよ……普通ならね」  そこでトラスティが普通を強調したのは、常識的に普通の通用する相手ではなかったからだ。だから彼にしても、アリッサに対してゆっくり時間をかけたと言う理由がある。ただ今回の違いは、フィオレンティーが活性化の魔法を掛けていることだ。その効果がどのような形で現れることになるのか、さすがのトラスティもそれだけは想像がつかなかった。 「まあ、俺としては今のエヴァンジェリンは可愛くていいのだがな」  明らかに惚気たカイトに、トラスティは小さくため息を吐いた。 「兄さんが、そこまで義姉さんにメロメロだと思っていませんでしたよ」  そこでもう一度ため息を吐いてから、トラスティは一転して真剣な表情を浮かべた。 「だとしたら、どうにもならない過去を気にするのはやめたほうがいい。兄さんが隠しているつもりでも、義姉さんはしっかりと気づいていますよ」 「エヴァンジェリンが気づいている……」  カイトのぎょっとした顔に、「心当たりが有ったわけだ」とトラスティは視線を厳しくした。 「僕達にできることなら、ウェンディ元帥の方がより上手くやることができますよ。それでも手を出さない……出せないのは、そんな上手い方法がないからです。それは僕達も同じで、合法的に惑星ゼスの内戦を止めることはできません。それが兄さんのトラウマになっているのは理解していますが、引きずったとしても誰のためにもならないんです。惑星ゼスの人間にしても、文句はあっても兄さんを頼ってはいませんよ」  だから気にするなと忠告したトラスティに、「ただなぁ」とカイトは残っていたビールを煽った。 「それぐらいのことは、俺にも分かっているんだ。それでも、あの時上手くやっていれば、俺は恩人を殺さなくても済んだんじゃないか。ゼスがあんな酷いことにならなくても済んだんじゃないかと思えてしまうんだ。恩人の「騙したのか!」と叫んだ顔が、また浮かぶようになっちまったんだ」  空になったグラスを睨みつけ、「なんでかなぁ」とカイトは繰り返した。 「理不尽さに耐えられなくなって連邦軍を退役したんだが、結局なんの意味もないことだったんだよ。軍は何も変わらないし、あのクソ野郎はのうのうと理事に収まってる……それでも俺はな、エヴァンジェリンに憎まれて、初めて救われた気持ちになったんだよ。誰かに、罰して貰いたいと思っていたんだな。それなのに、エヴァンジェリンまでおかしくなって……しかもアマネがパガニアに狙われることになった。結局逃げた先でも、理不尽って奴は逃がしてくれないんだと諦めていたんだ」  そこでグラスから顔を上げ、カイトはトラスティの顔を見た。 「アマネを理不尽な運命から救い、そして800ヤー続いたモンベルトの悲劇を終わらせた。お前に会って、俺は初めて救われたと思っているんだよ。だからエヴァンジェリンのことも普通に愛せるようになったんだが……また、昔の気持ちが蘇っちまったんだなぁ」  「お代わり」とグラスを差し出したカイトは、ジョッキに注がれたビールを一息に飲み干した。 「クラランス・デューデリシアが謀殺されたことで、もう話し合いができる状況じゃなくなったのは分かってる。その状況で殺し合いを止めるには、もっと大きな力で干渉するしかないこともな。ザリアを使えば無敵なのだろうが、それにしてもごく狭い範囲のことでしかないんだ。惑星規模の内戦に干渉するには、ザリアだけじゃどうにもならないのは分かっている。そして連邦憲章には、他星系の戦争に対する関与は厳しく制限されていることもな。軍は言うに及ばず、民間人が行えばただの犯罪行為になっちまうんだよ。お前がどうしようもないと言うのも、俺だって分かっていたんだ。だから余計に、あの時のことが浮かんじまうんだろうな。多分これは、俺が一生背負ってかなくちゃいけないことなんだよ」  沈んだ顔をするのは、自分でもどうしようもないことが分かっているからだろう。そんなカイトに、トラスティはエヴァンジェリンのことを教えることにした。 「僕は、兄さんも被害者だと思っているんですけどね。義姉さんには、噂レベルで伝わっていたこと教えたんです。そうしたら、「兄さんの代わりに怒るのがダメなのか」と聞かれましたよ。兄さんは、そんなことを望んじゃいないと言っておきましたけどね。ただケーネスを潰せば心が晴れると言うのなら、僕が始末して上げてもいいんですよ。パガニアに頼めば、証拠も残さず暗殺するのも可能だ」  どうですかと問われたカイトは、「いや」と首を横に振った。 「確かに、あのクソ野郎は許せないと思っている。だがなぁ、あんなのを相手にしても、いいことなんかひとつもないだろう。それに惑星ゼスが崩壊すれば、あのクソ野郎も故郷を失うことになるんだよ。だったら、それが奴に対する罰になるんじゃないのか? それに今のままじゃ、どちらも勝利するのは難しいだろうからな。だったら、お前たちまで関わっちゃダメなんだよ」  そう答えたカイトは、ふうっと大きく息を吐き出した。 「お前たちにも、気を使わせていたんだな。エヴァンジェリンのことを教えてくれて感謝するよ。今更かもしれないが、エヴァンジェリンの視線には気をつけることにするさ。まあ時間が経てば、気にしないようにもなれるかもしれないしな」  だからと言って、カイトは「ありがとう」とトラスティに頭を下げた。 「何を水臭いことを言っているんです。僕達は、アリッサや義姉さんを通じた兄弟でもあり、同じ父方の遺伝子を持つ兄弟でもあるんですよ。兄さんには、何度も助けてもらったと思っています」  今度はトラスティが、「だから」とカイトの顔を見た。 「僕に手伝えることがあったら、遠慮なく言ってください。僕と兄さんとノブハル君は、たった3人だけの兄弟……ノブハル君はちょっと微妙ですが……兄弟なんですよ」  カイトの肩に手を置いて、「そう言うことです」とトラスティは語りかけた。 「兄弟か……確かに、お前のことを弟と思えるようになったよ。ただ、兄より随分とできのいい弟だがな」 「超銀河連邦最強の人に言われたくないですね。僕なんか、最悪のペテン師だそうですよ。パガニアやモンベルとの問題を解決したのに、随分と酷い言われようだと思いませんか?」  笑いながら言っているところを見ると、さほど気にはしてないのだろう。そしてカイトも、「ペテン師最高じゃないか」と笑いながら答えた。 「正義の味方じゃできないことをやってのけたからだろう? お前の場合、ペテン師ってのは褒め言葉で使われているんだよ」  「ありがとう」と笑ったカイトは、バーテンダーにチェックを頼んだ。 「割り勘じゃないんですか?」 「弟と呑んでいるんだ、だったら兄貴が奢ってもおかしなことじゃないだろう。まあ、奢ると威張れるほどの金額でもないんだがな」  チェックのデーターを確認したカイトは、「また飲もう」と言い残してバーを出て行った。それを見送ったトラスティは、「ペテン師か……」と椅子に座ったまままだ明るい窓の外を見た。 「こうも有名になると、ペテンをかけるのも難しくなるんだよなぁ……」  うんと考えたトラスティは、「やっぱり無理か」と小さく呟いた。 「エルマーにでも行って、気分を変えてくるか」  カイトの気持ちが伝染したように、トラスティも気分が落ち込んでいた。それをどうにかしたいと思っていたのだが、何をやってもアリッサ達を巻き込むことになってしまう。それが分かるだけに、トラスティにも手詰まり感が出ていたのだ。 「ごちそうさま」  バーテンダーにそう言い残し、トラスティもまだ明るい日差しの下に出て行った。自分でも口にした通り、気分を変えないとこのまま鬱々としそうな気がしていたのだ。そしてジェイドを出るには、エルマーに行くのはちょうどいい口実にもなってくれるだろう。  大方針を示すのは、指導者であるノラナ・ロクシタンの仕事となっている。そしてそれを詳細な作戦レベルに落とし込むのは、指揮官であるヘロン・ネオディプシスの仕事となっていた。一般人への無差別攻撃を指示されたヘロンは、熟考の上攻撃箇所を1箇所に絞ることにした。その方が、戦力の投入が効率的に行えるからと言う判断である。  その結果、停戦破棄と同時に、オウザク守備隊は雲霞の如く襲来するハミングバードを目にすることになった。推定数量は10万以上、サイプレスシティに放たれている数の、およそ10倍と言う物量である。 「なぜ、一都市にしか過ぎないオウザクにっ!」  その膨大な数に、オウザク守備隊隊長プサンチットは顔色を悪くした。彼が口にした通り、オウザクはサイプレスシティ防衛の一角にはなっているが、要人が居るような都市ではなかったのだ。それなのに、敵は何を血迷ったか、暗殺兵器の大量投入をしてくれたのだ。 「やつら、ここを経由してサイプレスシティに送り込むつもりか?」  ただ数は脅威でも、ハミングバード自体は兵器として大したことはない。そして迎撃自体も、特別な装備を必要としない相手である。市民生活に影響は出るが、防衛機能には影響の出ない攻撃だったのだ。 「榴散弾で薙ぎ払えっ、ラプター隊は、侵入者への警戒を怠るなっ!」  ただ攻撃目標がなんであれ、侵入を見逃せば後々厄介なことになるのは変わりない。いささか原始的な方法とは言え、装甲を持たないハミングバードなら榴散弾程度で効率良く破壊が可能だった。  だが榴散弾を砲撃する部隊が前面に出た所で、プサンチットは裏をかかれたことを思い知らされることになった。空間移動対策エリアギリギリの所に現れた敵ヴァルチャーに、砲台をことごとく潰されてしまったのだ。 「敵の数は30か。ラプター部隊は3倍の90で敵を制圧しろ。残りの900は、飛来するハミングバードの処理に当たれ」  ただ初期対応の失敗はあっても、まだ問題は軽いとプサンチットは考えていた。こちらに圧倒的な物量がある以上、ヴァルチャーを押さえることは難しくないと思っていたのだ。そして残されたラプターを使えば、ハミングバードの始末も難しいことではないと思っていた。 「ここが防衛戦の一つである以上、敵の戦略目標になるのは理解できるが。その割に、投入される戦力が少なすぎる」  なにかおかしい。そう考えたプサンチットは、部下に伏兵の存在を確認させた。 「他に、接近する者はないか?」 「現時点ではなんとも。ハミングバードにしても、突然現れたようにしか見えません」  その報告が正しければ、10万を超えるハミングバードは空間移動で送り込まれたことになる。そうなると、プサンチットは別の疑問が突きつけられてしまう。 「奴らは、首都防衛の穴を見つけていないことになるのだが……なぜ、見つけてくださいと言うような数を投入してくるのだ? これまでなら、哨戒網にかからない数を連続して投入していただろう」  10万もの数となれば、網にも掛かるし纏めて迎撃することも出来る。ここの守りの突破を考えるのなら、護衛につけるヴァルチャーの数が少なすぎたのだ。ハミングバードの運用法を考えると、いかにもチグハグな作戦にしか思えなかった。  これまでの解放同盟は、少ない戦力を戦略・戦術とヴァルチャー投入によって埋めてきていた。それを考えると、単なる作戦ミスとするのは危険なことに違いない。だから敵の目的をプサンチットは考えようとしたのだが、それよりも早く戦場から答えを与えられてしまった。 「敵ヴァルチャーが押さえきれません。迎撃に出した90が突破され、ハミングバード撃破に当てた900へと迫っています」 「ハミングバード対応から90を迎撃に向けろ、そして突破された90には追撃の指示を!」  合わせて6倍となる戦力を迎撃に当てたのだ、これまでの実績を考えれば十分過ぎる戦力に違いなかった。だがプサンチットは、すぐにその目論見が外れたことを知らされた。180ものラプターを迎撃に当てたのに、たった30のヴァルチャーを押さえられなかったのだ。 「ハミングバード対応から、さらに180をヴァルチャー迎撃に当てろ」  これで、敵の12倍もの数が迎撃に当てられれることになった。まともに考えれば、これでヴァルチャーの脅威を退けることができるはずなのだ。ようやく一息ついたプサンチットは、市民の避難状況を確認した。敵の接近を許した以上、市民の避難は避けられない。ヴァルチャー相手で役に立たない処置だが、ハミングバードにならこれで目的を達せられるものだった。 「市民と避難民の退避状況はどうなっている?」 「迅速な避難が行われております。住民達も、ここが前線と言うのを承知しております」  報告者の顔を見る限り、避難状況に問題は無いようだ。ただ同じことを思っていても、不測の事態に備えるのが守備隊の役目である。ただ焦った顔を見せても意味が無いと、プサンチットは冷静に避難を急がせるように命じた。 「このままだと、かなりの数を撃ち漏らすことになる。もしもハミングバードが無差別攻撃をしたら、多くの犠牲者が出ることになるぞ」  その命令に敬礼し、部下は早速避難指示の徹底のため持ち場へと戻った。足の遅いハミングバードなら、まだ十分な避難時間が残されているはずだった。 「もしも、市民がターゲットになっていたら」  その可能性を考えたプサンチットは、厄介だなと一人呟いた。 「駆除、備えが出来るまで外出することができなくなる」  そうなると、住民は備蓄だけでしばらく生活することになる。内戦こそ起きていても、そこまでオウザクの市民が危機感を持って備えをしているのか。これまでの実績を考えると、疑わしいとしかいいようがなかったのだ。そして多少の備蓄では、あっと言う間に底をつく可能性があったのだ。 「中央には、この事は連絡してあるな」 「ラッカレロと合わせて、すでに通達済みです。ただ、敵戦力規模のせいか、特段の指示は降りてきておりません!」  敵の戦力規模を理由にした報告は、プサンチットも納得の行くものだった。防衛線を構成する5つの都市には、それぞれラプターが1000ずつ配備されていたのだ。地上砲撃の備えも有ることを考えれば、わずか30のヴァルチャーを問題視する必要もないのである。  それでもプサンチットが気にしていたのは、それぐらいのことは敵も承知しているはずだと言うことである。未だ敵ヴァルチャーを押さえきれないと言う誤算はあっても、これまでの常識が変わることはないと思っていたのだ。だとしたら、この無駄としか思えない攻撃にも何かの意味があることになる。 「敵ヴァルチャーの迎撃はどうなっている?」  最後の懸念、敵のヴァルチャーの状況をプサンチットは確かめた。だが部下からの答えは、彼の期待したものとは遠くはなれていた。 「全数未だ健在です。ハミングバード迎撃に回した部隊に、敵ヴァルチャーが攻撃を仕掛けてきています。その為、ハミングバード殲滅に専念できていません。このままだと、約半数が都市部に侵入することになります」 「そのまま、通り過ぎてくれればいいのだが」  例えそうだとしても、すべてが飛び去ったことを確認するすべはない。1羽1殺を目的としたハミングバードだから、残された数だけ被害者の数が積み上がることになってしまうのだ。それを避けるためには外出禁止令が有効なのだが、備えが十分でなければ外出禁止令も解決策にはなり得なかった。 「なぜ、ヴァルチャーが押さえきれないのだ? データー上で、何かこれまでと違っている所があるのか?」  軍で共有された情報を見る限り、6倍のラプターでも迎撃には過剰投入なのだ。それなのに、撃破どころか牽制もしきれていない体たらくである。ラプター専従パイロットの能力にしても、データーとして十分な能力があることを確認されていた。  だがプサンチットが疑問に思おうと、現実には敵のヴァルチャーを抑えることができていない。今の所こちらのラプターに被害は出ていないが、当初の計画が崩れハミングバードの侵入を許してしまっていた。敵の目的がハミングバードの露払いにあるとしたら、まんまと作戦がハマったことになる。 「住民の避難と、ハミングバードのトレースはどうなっている」  ハミングバードが市民を標的にした場合、表にいるのは自殺行為に等しいものとなる。単なる通過拠点であって欲しいと言う願いを込めたプンチャットの問いに、部下から返ってきたのは最悪の報告だった。 「住民の退避はほぼ完了していますが、まだ少数の集団が退避の途中にあります。ハミングバードですが、およそ7万が防衛ラインを超えました」 「7万も市内に散らばると言うことか」  7万と言えば、相当の数にも感じられるだろう。だが広い都市全体に散らばれば、見つけるのが困難な程度の数でしか無い。本物の鳥の方が多いと考えれば、紛れ込まれてしまえば発見は困難になる。 「ラプターによる迎撃はどうなっている!」  集団がバラける前に叩けなければ、オウザクは死の街に変わりかねない。そのためにはラプター部隊が頼みの綱なのだが、部下からの報告はそれを否定するものだった。 「いまだ敵ヴァルチャーを落とせていません」 「たかだか30のヴァルチャーが、なぜ落とせんのだっ!」  非常識にすぎると文句を口にした上司に、部下の一人が「分析結果が出ました!」と声をあげた。 「ヴァルチャーの行動パターンがこれまでと違っています。また、動力性能も20%ほど上昇しているとの分析結果が出ています」 「敵が、ヴァルチャーを改良してきたと言うのか」  生死をかけた戦いである以上、最善を尽くすのはおかしなことでは無い。その意味で言えば、物量に劣る解放同盟がヴァルチャーの改良に心血をそそぐのもおかしなことでは無いのだろう。ただそれを考慮しても、今の事態は異常としか思えなかった。 「AIが、人の能力を超えたと言うのか?」 「分析結果が、現在相対している相手がヴァルチャーであることに疑問を呈しています。行動パターンが、熟練者の操るラプターに類似しているとのことです」  その報告に、「なに」とプサンチットは眉を顰めた。 「そんなことがあり得るのか……いや、それならば敵の目的も理解できる。まともに戦おうとしない限り、熟練者の操る30のラプターなら1000の戦力を撹乱することは可能だ。だとしたら、敵の目的はハミングバードとなるのか」  もう一度考えたプサンチットは、「中央に報告を」と部下に命じた。 「敵改良型ヴァルチャーを確認。戦闘データーを収集し、これより展開を行うと」 「はっ、中央作戦司令部に報告いたします!」  敬礼して下がって行った部下を確認したプサンチットは、「全ラプターに命令せよ!」と声を張り上げた。 「ハミングバードを見逃してもいい。侵入した敵ヴァルチャーを総力を挙げて叩けっ!」 「はっ、敵ヴァルチャーを総力を挙げて叩きますっ!」  プサンチットの命令に合わせて、防衛隊本部はさらなる喧騒に包まれることになった。敵の改良型が新たな脅威になるかどうかは、ここでの見極めにかかってくるのだ。ここで戦闘データーをとることで、味方に対策の時間を与えることができる。戦いを有利に進めるためには、小さな積み重ねが重要となっていたのだ。  オウザクが解放同盟の攻撃を受けている中、およそ西に50kmほど離れた地点を輸送トレーラーの隊列が進んでいた。総数で100を超えるトレーラーの荷物には、所属を示すようにゼス政府のマークがついていた。大型コンテナの中身は、ラッカレロに送られる支援物資である。そして敵からの襲撃に備えるため、20のラプターが護衛として随伴していた。  連邦のデバイスは、ピコマシンが人体と同化することで機能強化を行う。それに対して、ゼスで開発されたラプターは、強化外骨格の構成を取っていた。そのため人体に適用すると、その外側を薄い装甲が包み込む形となる。その形態はバージョンや使用者によって変わるため、定番が無いと言うのも特徴になっていた。そして今回輸送部隊を守っているのは、ウルフ小隊と言われる黒で統一された部隊だった。  人間が着用するのがラプターに対し、同盟が開発したヴァルチャーは操縦者としての人が存在しなかった。ラプターシステムは、強化外骨格の名の通り中に人がいなくても形態を保つことが可能な構造をとっていた。そのため人材が不足する解放同盟は、人の代わりにAIを装着者とする方法を考えたのである。人と違って育成の手間がかからないこと、そして人間よりも物理強度が保てると言うメリットがそこにはあった。  その一方で、どう改良しても人の「機転」と呼ばれるものには勝てないと言う事情がある。単純な性能でラプターを超えたヴァルチャーなのだが、その為実際の戦闘ではラプターに遅れを取っていたのだ。それでも大量導入が可能なため、解放同盟は数的劣勢の挽回に成功したのである。  中身が人かAIかの違いしかないため、両者は外見上からは見分けのつきにくい存在となっていた。ただ人間の感覚とでも言えばいいのか、なぜか両者を区別できていた。  100両を超えるトレーラー部隊だが、その運転はほぼ自動化されていた。そのため乗員は、わずか5名と言う少なさである。そのトレーラーが、疑似連結を行なって整備された道をラッカレロに向けて爆走していた。効率的な空路を使わないのは、防衛網に穴を開ける訳にはいかないと言う事情からである。 「チャーリー、オウザクが大変なことになってるらしいぞ」  その5人のうち一人、ドミンゴが危機感のない声でパーティーラインで声をあげた。泥沼の内戦になっていても、戦闘が行われていない場所は平和そのものなのだ。そして食料を含む物資は、今の所双方とも攻撃対象になっていないと言う事情がある。それもあって、隊列は平和そのものだった。 「ああドミンゴ、防衛部隊が総出になっているようだ。なんか、同盟の改良型が投入されたとかの情報が出ているな」 「それだけ同盟も必死と言うことだ」  ぼそっと口を挟んだのは、ロドリゲスという髭面の男だった。その言葉に、「そりゃそうだ」とドミンゴは笑った。 「お互いここまでやっちまったんだ。どっちかが死ぬまで、戦いは続くだろうよ」  それは、負けた方が全滅すると言うことを意味している。だから、双方必死と言う意味になるのだと。その割に彼らが気楽に見えるのだが、その理由は誰にも分からないことだった。 「今の所、戦いは互角って聞いてるぞ」  俺を忘れるなと声をあげたのは、エルガドと言う男である。この男は、両方のもみあげが繋がるような髭を生やしていた。 「互角だったら、両方が擦り切れてなくなるだけだな」  最後に口を開いたのは、フランコと言う男である。この中では年配の方なのか、顔には深いシワが刻まれていた。  そして最初に口を開いたドミンゴは、窓の外から外を飛んでいるラプターの方を見た。 「お役目ご苦労って言うのか、律儀に護衛をしてくれているねぇ」  そう言って笑ったドミンゴに、「理由がある」と相変わらずぼそっとした語り口でロドリゲスが答えた。 「物資運搬の護衛が、一番安全だと言う評判だ」 「なるほど、食料輸送部隊が襲われたって話は無かったなぁ」  確かに確かにと大仰に頷いたドミンゴは、「チャーリー」とリーダーに呼びかけた。 「残り時間は、あとどんぐらいだっけか?」 「3時間ほどだな。そこからの積み替えに、追加で1時間って所だ」  運んでいるコンテナは、そのまま保管庫の役割を果たすことも出来る。その為目的地に着いた所で、中身が空になったコンテナと積み替えを行う事になっていた。結局チャーリーのチームは、中身を一度も確認すること無く、ただ箱を運ぶだけの役目を負っていたのである。  オウザクが襲撃を受けたと言う情報は、ほぼリアルタイムでラッカレロにも届いていた。少し表情を険しくしたソーに、リスリムは在庫管理をしながら「言った通りでしょ」と感情のこもらない声で指摘した。 「これで、オウザクの市民生活は事実上停止したわ。ハミングバードの駆除が終わらない限り、オウザクはまともに機能しなくなったことになるわね。ある意味、防衛線の一角が崩れたことになるんでしょうね。もっとも、外出を禁ずるだけでいいんだから、優先順位をつけることも出来るんだけど」  それでも、同盟が市民の命を人質にしてきたことには違いない。これまでと違った動きは、自分達の居る場所も安全ではないことに繋がってくる。 「もう一つの問題は、敵のヴァルチャーを撃破できなかったことなんだけど。そのことについて、何か意見は有るのかしら?」  どうと問われたソーは、現時点ではと意見が無いことをリスリムに答えた。 「情報の分析は、俺の仕事ではないからな。ただ、オウザクの防衛隊のスキルには問題がないことは分かっている。敵ヴァルチャーの機動能力が、今までに比べて向上していると言う情報があるだけだ」 「自分達の生命線なんだから、改良を続けていくのは当然だと言えるんだけど……」  そこで意味を考えたリスリムは、「ひょっとして」と相手の意図を口にした。 「防衛線をテストベッドにしたのかしら?」 「本格投入前の、実戦テストと言う意味でか? その可能性は、確かに否定できないな」  なるほどと頷いたソーは、リスリムの洞察力に感心していた。 「だとしたら、次にどんな手を打ってくるのだろう」  オウザクでの作戦は、改良型ヴァルチャーのテストと言う意味では成功なのだろう。だが大量にハミングバードを投入した意味が、まだ不明なのだ。身を守る手段を持たない市民には脅威だが、ラプターを使用する兵士にハミングバードは障害にもならない。その駆除で忙しくはなるが、それが狙いと考えるにはあまりにも効果が薄すぎたのだ。  相手に余裕があるとは思えないので、この作戦にも何らかの意味があるはずだ。それを考えたリスリムに、「作業が止まるのはよろしくない」とソーは忠告をした。 「お前の意見が取り入れられることはないのだから、今していることは好奇心を満足させる以上の意味はない。だとしたら、優先すべきは補給物資の振り分けだろう。間もなく補給物資が届くから、その管理も必要になってくるはずだ」 「それぐらいは分かってるけど……」  そこで唇を尖らせたのは、ソーの言葉が正論だからだ。そしてもう一つあったのは、もやもやとする不安が増したことだった。  ただ油を売っていると、結局自分に跳ね返ってくることは確かだった。すぐに作業に戻ったリスリムは、「合成品が多くなった」と確認した状況を口にした。 「味と言う意味では、大差ないことは認めるわよ」  先手を打ったリスリムは、「なんだかなぁ」と小さくため息を吐いた。 「補給を見ると、私達の置かれた状況がよく分かるわね。合成品が多くなるってことは、農業とかができなくなってるって意味なのよね」 「確かに、その通りなのだろう。そもそもゼスの7割が戦火に包まれ、今現在で拡大中なのだからな。そのうち、合成品すら入手できなくなる可能性もあるぐらいだ」  戦火が拡大すれば、ソーの言うとおりになるのは想像に難くない。確かににそうねと手を動かしながら答えたリスリムは、「同盟側もかしら?」と素朴な疑問を呈した。 「奴らが違うと主張できる証拠はどこにもないな」 「ほんと、何のために戦ってるんだろうね」  命の危険を感じ、なおかつ飢えを恐れなくてはいけなくなっている。しかも状況は、改善どころか悪化の一途を辿っているのだ。なんのためとリスリムが疑問に思うのも、それを考えれば不思議なことではない。 「戦いと言うものは、始める時には理由があるものだ。だが長く続くと、その理由は忘れられる。やめるきっかけを失ってしまったのが、今も続く戦いの理由なのだろう」 「当事者双方に、その気が無いのが理由って言うんでしょう。巻き込まれた方にしてみれば、いい迷惑としか言い様がないわね」  ソーの注意が効いているのか、話をしながらでもリスリムの作業は止まることはなかった。 「在庫が似通ってくると、作業も同じことの繰り返しになるわね。ローテーションも、マンネリ化し始めてるわ……」  そこで大きく伸びをした所を見ると、必要な作業は終わったと言うことだろう。首をコキコキと動かしたリスリムは、手元に置かれていたカップを口元へと運んだ。 「まずっ」  げえっと舌を出したリスリムは、カップに入った黒色の液体を睨みつけた。今までならそのまま捨てていたのだが、物資に不安が出た状況でそんな無駄な真似は出来ない。もう一度カップを睨みつけてから、リスリムはカップを口に運んで「まずっ」と繰り返した。 「ねえソー、何が起きたら今の状況が変わると思う?」 「今の状況が変わるには、か?」  ううむと考えて、ソーは「超銀河連邦の介入」を持ち出した。 「舞台に登れる力を持つものは、もはや連邦ぐらいしかいないだろう。だが、連邦軍は厳しく法に縛られている。そしてその法は、政府・解放同盟双方の依頼がない限り独立星系への介入を許していない」 「やっぱり、状況を変えるのは無理ってことかぁ」  あああと嘆いたリスリムは、何かを思いついたのか勢い良くソーの方へと振り返った。 「じゃあさ、ゼスの中に第三勢力ができるってのは?」 「どこに、そんな戦力があると言うのだ? 政府側が分裂しない限り、第三の勢力が生まれることはないぞ。そして今の時点で分裂をすると、その途端に相手に押し込まれることになる。解放同盟側の一方的勝利の条件にはなるが、政府もそうならないように引き締めを図っているはずだ」  言下に否定するソーに、「やっぱり」とリスリムは舌を出した。 「だったら、傭兵だったっけ。それを雇うってのは?」 「可能性としてはあるのだろう。ただ政府軍、解放同盟軍の双方を相手にできる戦力があるのかと言う問題がある。加えて言うのなら、傭兵に対する対価も問題だ。それだけの戦力を雇うとなると、莫大な報酬がふっかけられるのが目に見えているからな。命がかかっている以上、多少の金では相手もゼスの内戦には関わってこないだろう」  これもまた否定したソーに、リスリムはため息を返した。 「やっぱり、うまい方法は無いってことね。だったら、ラッカレロに居る部隊と組んで、ここを中立地帯にするのは?」 「補給が受けられなくなれば、1週間も持たないな」  否定をしたソーは、「リスリム」と護衛対象に呼びかけた。 「お前にしてみればいい考えだと思えたのだろう。だがその程度のことは、誰かがすでに考えたものでしかない。そして未だに妙案がないから、こうしてお互いが損耗を続けているのだ」 「もっと疲弊すれば、小さな戦力でもキャスティングボートを握れる可能性も有るわけね」  そこでもう一度ため息を付いたのは、それがろくなことではないのが分かっているからだ。「逃げ出したくなった」と零したのも、正直な気持ちに違いない。 「でも、宇宙に出ることも出来ないのよね」 「ああ、すべての宇宙港は政府軍が押さえているからな」  起死回生の策もなく、そして現状から逃げ出すこともできなくなっている。進退窮まったと言うのが、彼女たちの置かれた状況に違いない。 「神様でも出てこない限り、どうにもならないってことか」  考えれば考えるほど、どうにもならないのが分かってしまう。投げやりな言葉を吐いたリスリムに、「そうだな」とソーもその考えを認めた。 「この世界には、もはやIotUはいないのだからな」  IotUならば、姿を見せるだけで双方をひれ伏させる事ができるだろう。ただ1千ヤー昔の人間に、今さら期待するのは無理があると言うことだ。 「何か、神様以上に無理って気がする話ね、それって」  感情を無くしたリスリムに、「確かにそうだ」とソーも指摘の事実を認めたのである。  「たまにはこちらに顔を出せ」と、トラスティは「役員命令」を使ってノブハルをエルマーから連れ出した。もちろん目的は彼を連れ出すことだから、誰かが付いてくることには拘っていなかった。それが御一行様と言われるほど大人数になったとしても、さほど問題はないと思っていたのだ。 「さすがはシルバニア帝国皇帝の夫だね。なかなか立派なものを持っているじゃないか」  ノブハル専用船ローエングリンのデッキで寛いだトラスティは、同じように隣でくつろぐノブハルに声を掛けた。結果的にノブハル達一行は、ナギサにリン、そしてエリーゼとトウカ、セントリアにリューズと言ういつもの団体になっていた。 「未だに、この待遇には慣れていないのだが……」  ふうっと息を吐き出したノブハルは、「どこに連れて行かれるのだ?」と改めて問い直した。 「とりあえず、ジェイドかな。その後は、リゲル帝国、レムニア帝国のセットメニューを考えている。君にとってリゲル帝国は面白くないと思うけど、レムニア帝国は興味深いんじゃないのかな。技術という意味では、超銀河連邦の一方の雄だからね」 「レムニア帝国とは……バルバロスさんの所かっ!」  そこでノブハルが目を輝かせたのは、バルバロスの実力を知っているからに他ならない。 「やっぱり君は、テクニカルな方が好きなんだね。あそこにはトリプルAの支社があるから、顔を出す口実にはなるんだよ。多分だけど、アリエル皇帝も君の顔を見たいと思っているよ」 「俺が、IotUの血を引いているからか」  共有された情報を確認したノブハルに、「そうだね」とトラスティは相槌を打った。 「僕達以上に、アリエル皇帝はIotUの遺した謎にご執心だからね。だから君の遺伝子の片方にも、並々ならぬ興味を抱いているよ」  そこでトラスティは、「アクサ」とノブハルのデバイスに声を掛けた。だがザリアとは違い、トラスティに呼ばれてもアクサは出てこなかった。  仕方がないとため息を一つ吐いたトラスティは、「コスモクロア」と自分のサーヴァントを呼び出した。 「コスモクロア、アクサが出てきたくなるようにしてくれないか?」 「それが、ご命令とあれば」  にっこりと微笑んだ顔は、それはもうとても美しいものだった。ただその美しさも、今のノブハルには恐怖そのものでしか無い。本気で顔を青くしたノブハルだったが、二人の護衛は助けに現れては来なかった。さすがの近衛も、デバイスと戦うには力不足だったのだ。 「ノブハル様、痛いのは初めだけですから大丈夫ですよ。その代わり、死ぬほど痛いかもしれませんが」  ニッコリと笑ってにじり寄るコスモクロアに、ノブハルは顔を青くして硬直していた。セントリア達が助けにこないことで、正しく相手の実力を理解していたのだ。  そんなノブハルを救ったのは、「止めなさい」と言うアクサの声だった。 「君が、大人しく出てこない方が悪いと思うんだけどね」 「言っておくけど、私はあなたのサーヴァントじゃないの。私を呼び出せるのは、主であるノブハルだけよ」  ふんと鼻で笑ったアクサは、トラスティの隣に控えるコスモクロアをじっと見た。 「ここでやると、ローエングリンが壊れるわね」 「近接戦闘で、あなたが私に勝てるとでも?」  涼やかに笑ったコスモクロアは、アクサにもう一つの現実を突きつけた。 「それに、我が君にはカムイがあるのを忘れないように。この船が壊れて困るのは、一方的にノブハル様の方ですよ」 「そうね、だからあの子達を連れてくることを拒まなかったってことか」  ずるいわねと笑ったアクサは、「それで」とトラスティの顔を見た。 「なにか、聞きたいことが有るんでしょ」 「君が、正直に答えてくれるのならだね」  そう返したトラスティは、「君は誰だい?」と問いかけた。 「君のオリジナルが、ノブハル君の遺伝子提供者だと思っているんだ。それはいいんだが、君のオリジナルとIotUとの関係が掴めないんだ。だから僕は、君が誰なのかを問いかけることにした」 「私は、ライラ皇帝聖下が命じて作ったデバイスにしか過ぎないわよ。そしてこの姿は、ノブハル様の脳をスキャンして得たものでしかないわ。オリジナルが誰と言われても、この子の母親である、ユイリ・イチモンジとしか答えようがないんだけど?」  質問する相手が間違っている。そう答えて笑ったアクサに、「嘘つきだな」とトラスティは笑い返した。 「ノブハル君の遺伝子情報は、すでに分析済みなんだよ。男の側は、僕達と同じIotUのものだし、女性の側はアスで類似したものが見つかっている。残念ながら、ズミクロン星系にはノブハル君と同じ遺伝子は見つかっていないんだ。そして僕の遺伝子の片方は、コスモクロア……正確に言うと、オンファス様の物だった」 「だから私も同じじゃないかって?」  はんと笑ったアクサは、考え過ぎと言い返した。 「ただのデバイスに聞くようなことじゃないわね」  その答えに、トラスティは声を出して笑った。 「まるで、ザリアのようなことを言うんだね。ザリア、コスモクロア、そして君と言う存在以外、こんなデバイスは存在していないよ」 「だとしても、デバイスに質問することじゃないわね。疑問があるのなら、作った人に聞いてみたら?」  ザリアと同じ答えに、トラスティはもう一度笑ってみせた。 「その答えも、ザリアと同じだね。まあ、君が答えるつもりがないのは理解できたよ。それとも、僕達が答えを得る水準に達していないと考えた方がいいのかな。まあ、もうちょっと謎解きをしてみるか」  ありがとうとお礼を口にしたトラスティは、椅子から立ち上がって「部屋に戻る」とノブハルに告げた。すでにコスモクロアの姿は、ノブハルの前から消えていた。 「だったらアクサ……もう消えているのか」  早いなと零したノブハルに、「それがデバイスだよ」とトラスティは笑った。 「違うか、「それが特別なデバイスだ」と言った方が正しいのだろうね」 「俺には、何がデバイスの標準か分からないのだが……」  それでも、ノブハルにはアクサが普通でないのは理解できていた。ノブハルの脳をスキャンしたと言う答えがあったが、アクサに名前をつける時に、母親のコスプレを思い出したことはなかったのだ。 「それでも、アクサが何かを隠しているとは思っている」 「出来たら、それを聞き出して欲しいところだね。もっとも、自分のデバイスからも聞き出せていないんだから、難しい相談だと言うのは分かっているよ」  期待はしていないと言い残し、トラスティは展望デッキから出ていった。そうなると一人残されたノブハルは、何もすることがなくなってしまう。外を見て楽しむにしても、見えるのはいつまでも変化しない漆黒の闇だけだった。 「部屋に戻って、勉強でもするか」  広すぎるデッキより、その方がよほど落ち着くことが出来る。いまだ環境に慣れない所は、一般家庭の生まれだからと言うことになるのだろう。 「最初の寄港地はアスか……」  よくよく考えたら、まともな航海は初めてだった。戦争をしにいったクリプトサイトを除くと、気がついた時にはシルバニアに担ぎ込まれていたのだ。 「聖地見学は……今更無理か」  場所を考えれば、予約が立て込んでいても不思議ではない。仕方がないと諦めたのは、まだトリプルAの実力を知らないと言うことだろう。まあいいかと呟き、ノブハルも部屋へ戻ることにしたのだった。  聖地は、超銀河連邦の住民にとって憧れの地と聞かされていた。事実IotU縁の地として、ノブハルも一度見てみたいと言う気持ちを持っていたぐらいだ。ただ希望者が多くて、なかなか巡礼の順番が回ってこないとも教えられたはずだった。  だが聖地フヨウガクエンの入り口に立った所で、ノブハルはこの世の不条理を教えられた気持ちになっていた。なかなか参拝許可の出ないので有名な聖地が、どうして当日予約で簡単に参拝することができるのだろう。 「ここって、物凄く許可を取りにくい場所なんだよね?」  ノブハルの隣に立ったリンが難しい顔をするのも、大人の世界にある不条理を突きつけられたからだろうか。ここに来るまで、トリプルAにそこでの政治力があるとは思ってもいなかったのだ。  だがリンの感想は、まだまだ甘いようだった。神殿の巫女達が迎えに出たと思ったら、リン達の周りに群がってくれたのだ。しかもどう言う訳か、エリーゼが標的にされたのである。 「あなた処女……は、今更どうでもいいわね。なかなか素敵にいやらしい雰囲気をしているわね。ねえ、神殿の巫女にならない?」  集まったのは、いずれも比べられたくないと思えるような美女達である。その美女達が、エリーゼを取り囲むようにして「いやらしい」とか「すけべ」と口にしてくれるのだ。そこだけを取り出せばけなしているようにも思えるが、彼女達は褒め言葉としてエリーゼを「スケベな雰囲気をしている」と言ってくれた。  そんなことを言われても、エリーゼが事情を理解できるはずがない。彼女が目を白黒しているうちに、巫女達はエリーゼを奥の間に連れて行こうとした。どさくさに紛れて、既成事実を作ろうと言うのだろう。 「はいはい、その辺にしてくれるかな」  そこでエイシャが助けに入らなければ、エリーゼが向こう側の住人になっていたのは間違いない。何しろノブハルは何も理解できていないし、トラスティは傍観者を決め込んでいたのだ。 「ですがエイシャ様、巫女にもテコ入れが必要かと思います。アマネ様の印象が強烈すぎて、今のままでは参拝者の評判が落ちる一方なんです。彼女のように、年が若いのに熟れた雰囲気を持った女性を入れないと、ニーズに答えられないのではないでしょうか?」  すかさず言い返してきた巫女に、エイシャはため息を吐いて「だめ」と答えた。 「言いたいことは理解できるぞ。ただ、そうそうアマネみたいなのが居ると思ってくれるな。舞をまともに舞えないようでは、巫女として通用しないだろう。少なくとも、巫女にする口実が立たないぞ」  まともに舞が舞えないと決めつけたエイシャに、トウカ達が力強く頷いた。何しろその場にいたトラスティを除く全員が、深ぁく納得しながら頷いてくれたのだ。ただ一人エリーゼだけが、どうしてと言う顔をして全員の顔を見比べた。 「もしかして、物凄く不器用なんですか?」 「私としては、そんなことはないつもりなんですけど……そうですよね?」  助けてくれたのはいいが、その方法がどう考えてもけなされて居るようにしか思えないのだ。不器用じゃありませんよねと仲間に助けを求めたのだが、ノブハルまでが気まずげに顔をそらす体たらくである。 「どうやら、否定できないほどの運動音痴と言うことですか。せっかくの逸材だと思ったのですが……」  はあっと大きくため息を吐いた巫女の一人シルバライトは、「エイシャ様!」とコーディネーターに詰め寄った。 「定期的に、アマネ様に出ていただくよう交渉していただけないでしょうか。可能であれば、アリッサ様も巻き込んでいただければと」 「アリッサは……やめておいた方が無難だと思うがな。ただ言いたいことは理解できたから、クンツァイト王子に打診してみる」  お願いを聞いてくれたと言う思いからか、シルバライトの顔がぱっと明るくなった。それを見る限り、自分達では敵わないぐらい綺麗なのにと、リン達はどこかおかしいと考えたのである。  出だしで少し躓きはしたが、そこからの見学はいたって順調に進んでくれた。そして物足りないと評判になった巫女の舞にしても、以前と比較さえしなければしっかりとやらしいものなのだ。そのおかげで、一般女性のリンとエリーゼ、そして鍛えて居るはずのトウカにセントリア、近衛正規兵のリュースも舞の妖艶さにしっかりと惚けてくれた。その事情は男性陣も同じで、ノブハルとナギサはズボンの一部を膨らませて忘我の境地に達していた。 「確かに、以前を知っていたら物足りないだろうね」  その中で平静を保っていたのは、当たり前だがトラスティとエイシャの二人である。瞬きすら忘れたエルマー組とは違い、しっかり以前との比較をしていたのである。 「まあ、アマネの奴はますますエロくなっていたし、ロレンシアさんも、終わりの方はしっかりと色っぽくなったからな。それと比較をしたら、誰を持ってきても物足りなくなるだろう」  だからと、エイシャはトラスティの顔を見て口元を吊り上げた。 「トリプルAの業務として、トラスティさんに一つ協力願いたいんだがな」 「とりあえず、断らせてもらうよ」  話を聞く前に断ったトラスティに、「無駄な抵抗だ」とエイシャは言い返した。どうやら、トラスティも正しく協力の中身を理解していたと言うことだ。 「パガニアには、トラスティさんが来たことは伝えてある。ロレンシア様が、すでにホテルで待機されて居ると言う話だ。なんだったら、アマネの奴も呼び寄せようか? 大丈夫、アリッサには俺から了解を取っておくよ。なにしろ神殿の興行に関わる話だからな、トリプルAとしても無関心ではいられないんだ」 「だったら、ジュリアン大佐にやらせればいいだろう」  そこで連邦の撃墜王を持ち出したのは、ジュリアンがルナツーにいることを考えればおかしな話ではない。だがエイシャは、ジュリアンにと言う案に否定的だった。 「一応その線も考えたのだがな。意外にジュリアンさんが乗り気じゃないんだ。どうやら、あの人にもこだわりがあるらしい。自分は撃墜王であっても、種馬じゃないと言われたことがあったな」 「その意味じゃ、僕も種馬じゃないんだけどな」  すかさず言い返したトラスティに、「嘘吐き」とエイシャは笑い飛ばした。 「そこらじゅうで子供を作っていて、種馬じゃないって?」  もう一度嘘吐きと決めつけられたトラスティは、話が変わっていると文句を言った。ただそれ以上話が進まなかったのは、舞が終了したからである。 「今晩、アメトリンさんを行かせるからな」  舞っていた中で、金髪碧眼をした巫女をエイシャは指差した。パガニア王家の演者だけのことはあり、硬質な美しさを持った女性である。ちょっと前なら、言われなくても手を出したぐらいの美しさはあった。 「いやいや、僕は引き受けたと答えたつもりはないんだがな」  移動しながら文句を言うトラスティに、「だったら俺も混じるから」とエイシャは答えた。 「こっちも譲歩をしたんだ、だったらあんたも譲歩してくれてもいいだろう?」  あんまりの答えに、トラスティは大きくため息を吐いた。 「それが、譲歩になると考える方がおかしいと思わないのか?」 「俺だって、恋人がいる身なんだぞ。だから、譲歩したことになるんだよ。まあ、ロレンシア様が差配されるから、あまり気にすることはないのだろうがな」  そう言うことだと勝手に話を打ち切り、エイシャは全員を神殿を守護する戦士達の訓練見学に連れていった。そこには、いつも通り屈強なパガニアの戦士達が勢揃いしていた。 「悪いね、シュヴァルツワッサー様は休憩に入られているんだ」  そう言って応対に出てくれたのは、次席となるサノスだった。トラスティから見れば大柄だが、神殿守備隊の中では小柄に感じられる体格をしていた。年齢も高そうに見えることから、正直あまり強そうには見えていなかった。ただ前回の訪問では、負けこそしたがガッズと長時間やりあった実力者である。 「今日はカイト兄さんも来ていませんからね。ヘルクレズ達もモンベルトでお留守番ですよ」  腕試しはないからと笑ったトラスティに、「いやいや」とサノスは逆に笑い飛ばした。 「あそこの綺麗な彼女、かなりの実力者だと思うのだけどね?」  そこでこっそりと指差したのは、セントリアではなくノブハルに笑っているリュースの方だった。青みがかった肩口までの灰色の髪をソバージュにした姿は、事情を知らなければただの可愛らしい女性にしか見えないだろう。 「彼女が?」  少し驚いたトラスティに、「うむ」とサノスは重々しく頷いた。 「楽しげに話をされておるが、隙と言うものが全く見当たらない。少し気を放って見たのだが、見事に受け流されてしまったのだ。それを考えると、かなりの実力者と言うのは間違い無いだろう」 「その隣にいる彼女なら、シルバニア帝国から派遣された親衛隊の遊撃隊に所属していたみたいだけどね」  トラスティが指差したのは、リュースの隣で難しい顔をしているセントリアだった。 「あの女か? 実力としてはかなり落ちるのでは無いのか?」  言下に答えたサノスに、そうなのかとトラスティは首をかしげた。ただその確認をすることは、この場においては本質と離れたことに違いない。隙間に予定を入れたので、あまりのんびりとしていられる余裕はなかったのだ。そのあたりが、リン達が呆れた大人の事情と言うやつである。 「予定の時間が来たから、僕達は見学を終わらせて貰うよ」  そしてそのことは、サノスも理解していることだった。残念だと笑いながら、握手をするためトラスティに手を差し出した。 「次は是非とも、ヘルクレズ殿達を連れて来ていただきたいと思っております。あれからの我らの鍛錬の成果を試してみたいのだ」  モンベルトにとって、パガニアが不倶戴天の敵だったのはさほど昔の話では無い。そのパガニアの戦士に、手合わせをねだられるのは、時代が変わったと言っていいのだろう。一応モンベルト王の肩書きがあるトラスティだから、「リクエストは受け付けたよ」とサノスに答えた。ヘルクレズとガッズは忠臣だからこそ、たまには外の空気を吸わせると言う褒美が必要だと考えたのである。そしてリゲル帝国に行った時には、カナデ皇からも似たような依頼を受けていたのだ。  「そのうちに」と答え、トラスティはサノスから離れてノブハル達に合流した。そしてちょいちょいとリュースの肩を突き、耳元で「副隊長が褒めていたよ」と囁いた。 「渋くていいと思うけど……私の趣味じゃありませんね」  にっこりと笑ったリュースに、あーとトラスティは天を仰いだ。 「副隊長は、君がかなりの実力者だと評価をしたと言うことだよ」  その答えに、リュースはああと頷いた。 「近衛は、シルバニアでは化け物と言われていますからね。そうですか、さすがはパガニアの上級戦士様ですね。隠していても、実力がばれてしまいましたか」  大したものですと感心したリュースは、「それよりも」と今度は自分がトラスティの耳元に唇を寄せた。 「今晩、お伺いしてよろしいですか?」 「今晩か……先約が沢山あるって言うのはどう考えたらいいんだろうね」  それを残念と考えるか、良かったと考えるべきなのか。ものすごく強いと言うリュースを見て、トラスティは意味のないことに頭を悩ませた。 「ロレンシアも来ると言う話だしね」 「……流石に、比べられたくない相手ですね」  仕方がないとため息をついたリュースは、「ノブハル様を襲うか」と呟いた。優しいと言うより、自分が可愛いトラスティは、その呟きを聞かなかったことにした。 「……なんか、ものすごく個性的な子が集まっているんじゃないのか?」  それでも少しも羨ましく思えないのはどうしてだろう。その辺りのことを聞いて見たくなったトラスティだったが、「野暮」かとノブハルに声をかけることを思いとどまった。その辺り、我が身を振り返って見たと言うのも無関係ではないはずだ。どうやらIotUの血を引く3兄弟は、いずれも女難の相が出ているようなのだ。  こんなところまで遺伝しなくてもと、世の男どもを敵に回すようなことをトラスティは考えていた。  神殿参拝を終えれば、次はジェイドに向けて出発することになる。そこでジュリアン大佐の出迎えを受けたのは、トラスティとノブハルが居ることを考えれば、特に不思議なことではないのだろう。  「水臭いね」と言いながら近づいてきたのは、金髪をした嫌になるほど綺麗な男である。エイシャを除く女性陣が、彼に見とれたのは今更のことだろう。やはり比べられたくないと思いながら、「仕事の邪魔を出来ませんよ」とトラスティは建前を口にした。そもそもルナツーを使うたびに、基地司令に挨拶していく方がおかしいのだ。現実に、他の旅行者達が基地司令と挨拶をしたと言う話はどこにもない。 「いやいや、あんな船で乗り付けてきたんだ。しかもシルバニア帝国皇帝の夫君がおいでになるのだろう。だったら、帝国国民として挨拶をするのはおかしなことじゃない。所属は連邦軍だが、私やクサンティン大将閣下はシルバニア国民だからね」  だからと視線を向けた先には、アス駐留軍責任者エイドリック・クサンティンの姿があった。連邦軍大将かつIotUに従った御三家と言う強い立場が有るエイドリックだが、ノブハルに対して片膝を着いて頭を下げていた。もちろん、ノブハルは状況についていけていなかった。 「彼が、3人目と言うことだね」  挨拶は上官に任せたジュリアンは、さっそくトラスティから情報収集を開始した。 「ああ、遺伝子情報はエスデニアで確認をしてくれた。母方の遺伝子は、アス由来のものと言うのが分かっている。ただ分かっているのはそこまでで、誰と言うのが分かっていない」 「これまでの経緯を考えると、IotUの奥方でなければならないはずだなのだが……該当する奥方がいないというのだろう?」  その指摘に、「まさしくその通り」とトラスティは返した。 「彼にデバイスを与えたら、期待通りその姿を変えてくれたよ。現在とっている姿は、彼の母親であるユイリ・イチモンジと言う女性の高校生時代のものらしい。たぶんだけど、その年令を選んだことにも意味があると思っているよ。ただ、情報としてはそこまででしかないんだ」  そこまで説明して、「まだまだ取り掛かった所」とトラスティは苦笑した。 「結構手強くてね。なかなか情報を出してくれないんだ」 「女性の扱いに長けた君でも駄目と言うのなら、かなりの難物なのだろうね」  どうしたものかと考えても、接点がトラスティ以上になければどうにかなるとは思えない。事実ノブハルがここに居るのも、今の挨拶が終わるまでのことだった。 「やはり私は、傍観者でいるしか無いようだ」 「なんて無責任な……と普通なら言ってあげるのですけどね。ただ、現実的にはそうなるのだろうね」  やはり手強いと嘆いたトラスティは、「何が足りないんだろう」とノブハルの方を見た。 「ここまで駒が揃ったのは、とても偶然とは思えないんだが」 「その考えを認めるのは吝かではないのだがね。だとしたら、仕組んだものは何を期待しているのだろう」  偶然でなければ、そこには何らかの意図が存在することになる。そしてその意図を理解することが、謎解きには必要なことに違いない。ジュリアンの言葉を認めたトラスティは、偶然を仕組んだものの意図を考えることにした。ただ意図に迫ると言っても、なんの手がかりもなければ気の遠くなる話に違いなかった。 「やっぱり、想像がつかないな。仕方がない。第三者の目と言うのも利用をしてみるか。意外に正解を引き当ててくれるからなぁ……」  そこで思い出したのは、自分の妻アリッサである。モンベルトから始まる一連の問題は、アリッサがいなければ解決しないものだったのだ。 「君の奥方のことかな?」  正しく認識していたジュリアンに、トラスティは大きく頷いた。 「ああ、なぜかギャンブル運は並外れているんだ。彼女の希望に沿ったことをすると、どう言う訳か大きな問題が片付いてくれる。モンベルトのことなんて、まさにその通りだったんだ」  ああとジュリアンが頷いたのは、予想もしないモンベルトやパガニア問題の解決だった。その解決に関わったと言われれば、トラスティの言葉を認めてもおかしなことではないだろう。ただ問題となるのは、解決すべき大きな問題が残っているのかと言うことだった。 「しかし、なんに関わればいいんだろう?」  トラスティにしても、関係できるような残存問題があるとは思えなかったのだ。そしてジュリアンもまた、ことさら騒ぎ立てるような歴史の闇は残っていないと思っていた。 「何か、連邦の方で問題を抱えていませんか」  身の回りになければ、もっと大きな枠組みで考えて見る必要がある。そう考えたトラスティは、枠組みを連邦全体に広げた。ただそれにしても、当てずっぽうよりはマシと言うレベルでしかない。 「連邦の方と言われてもね。ウェンディ元帥が理事会に呼び出されたぐらいだよ。ただ軍では、結構な騒ぎにはなったんだよ。連邦理事会が、元帥の首を取りに来たのかとね。その後何も起きていないから、結局噂でしかなかったのだけどね」 「理事会がウェンディ元帥に?」  一体何がと考えたトラスティは、少し前にエヴァンジェリンから聞かされた話を思い出した。 「確か、惑星ゼスの話だったかな。兄さんがウェンディ元帥のところに挨拶に行った時、「過去の亡霊」と仰られたそうだ」 「過去の亡霊……ね」  なるほどその言葉を認めたジュリアンは、確かに過去の亡霊だとウェンディ元帥の言葉を認めた。 「手を出しようがないと言う意味では、確かに亡霊に違いないね。しかもウェンディ元帥にとって、唯一の、そして最大の汚点になっている。なるほど、理由は分からないが、理事会が何かを言った訳だ」 「ちなみに、おかげで兄さんも少しおかしくなったな。義姉さんが、心配していたよ」  カイトのことを持ち出したトラスティに、確かにともう一人の当事者がいることをジュリアンは思い出した。 「カイト氏にとっては、悪夢の出来事に違いないからね。良かれと思ってやったことが、ことごとく裏目に出た……と言うか、味方に嵌められてしまったんだ。彼がハウンドをやめたのも、仕方がないと思えてしまったぐらいだよ」 「旅をしていて、兄さんの悪口はいたるところで聞いたからなぁ。ただゼスのことで責めるのは、事情を調べたら可哀想に思えましたよ」  しんみりとした二人だったが、結局妙手が浮かばないのは確かだった。IotUが仕込んだような、星系レベルの問題など今の連邦には存在していなかったのだ。 「ところで、連邦軍はゼスを見殺しにするつもりですか?」 「見殺しかい。確かに、ゼスの問題は連邦ならば解決は可能なのだろうね。ただ、法的には手出しをすることが出来ないんだよ。それを見殺しと言うのなら、確かに見殺しなのだろうね」  見殺しを認めたジュリアンは、「だったら」とトリプルAが乗り出すことを持ち出した。 「君達が、なんとかすると言う方法もあると思うのだがね。それが、IotUの宿題に答えることになる可能性もある」  モンベルトやパガニアの闇に比べたら、ゼスの問題は解決策は見えていたのだ。ただ問題は、法的にその解決策を取れないと言うところにある。法に目を瞑れは、連邦軍が武力介入すれば戦いを収めることは可能だった。そしてその上で、連邦理事会が信託統治を行えば済む話である。  ただ問題ではあるが、自分達が解決すべき問題とも考えにくい。だからそのことを、トラスティは持ち出した。 「流石に、ゼスは違うと思えますよ」  だからこそのトラスティの言葉に、ジュリアンもまた小さく頷いた。 「目の前にあるハードルは、いかにして法的問題をクリアにするかだけだからね。それこそ理事星系が連邦法の改正を発議すれば終わる問題でしかない。まあゼス以外にも、連邦内では内戦を行なっている星系は山のようにあるからね。ゼスだけが特別と言う訳じゃないのは確かだろう」 「やっぱり、そうそう都合のいい話は転がっていないと言うことですか」  小さくため息をついたトラスティは、「これで」と言ってジュリアンに右手を差し出した。 「なにか、面白そうな話があったら誘ってくれないか」 「世の中には、早々面白い話は転がっていないと思いますけどね」  そう言って笑ったトラスティは、「その時は」と言ってジュリアンの手を握った。そして未だに馴染めないでいるノブハルに、「行こうか」と声をかけた。 「ジェイドに着いたら、アリッサがパーティーを開いてくれるそうだよ」 「社長がっ!」  そこで緊張するのは、ノブハルが小市民と言うことだろうか。その小物ぶりを笑ったトラスティは、「ご褒美だ」と近づいて背中を叩いた。 「君には、これから僕や兄さんの代わりに頑張ってもらわないといけないからね」 「頑張るつもりはあるのだが……」  比較される相手が、宇宙最強の戦士と最悪のペテン師である。それを考えると、荷が重いとしか言いようがなかった。ううむと考えたノブハルに、気楽に行こうとトラスティはもう一度背中を叩いた。それから一度エイドリック大将とジュリアン大佐を見てから、軽くノブハルの背中を叩いてローエングリンのドックへ向けて歩き出した。  そんなトラスティを追いかけようとしたノブハルは、一歩進んだところで立ち止まってエイドリック達の方へ振り返って頭を下げた。そしてすぐに、トラスティを追いかけるように走って行った。 「かなり、トラスティ氏とはタイプが違いますね」 「ああ、どちらかといえばカイト君に近いかな。トラスティ氏を誠実でないとは言わないが、とても誠実な好青年だよ。しかも話をした範囲では、とても頭が良いようだ」  目を細めて一行を見送ったエイドリックは、「役者が揃ったかな」とジュリアンの顔を見た。 「最強の戦士に、最強のカリスマ……そこに、優れた頭脳、ですか。優れた頭脳が、これからどう化けてくれるかに関わってくるのでしょうね」  ノブハルの評価を保留こそしたが、「揃ったようです」とジュリアンは時が来たことを認めた。 「あとは、最後のきっかけ……それが、何かが分かればいいだけだと思います。その時には、彼らのデバイスの謎が解けるかと思います。それが、IotUの謎に迫る決め手になるのでしょう」 「IotUは、彼らに何を期待したのだろうか……」  遠くを見る目をしたエイドリックに、「自分の存在」とジュリアンは答えた。 「IotUは、英雄など必要のない世界が好ましいと仰られました。ですがこの宇宙は、まだ人の力を超えたIotUと言う存在を必要としている。人の抱えた問題を、奇跡の力ではなく人の力で乗り越える。それが、IotUの望んだことだと私は考えています」 「それをどうやったら示すことができるのか……モンベルトの問題は、その一つだと思っているのだが。そしてパガニアの問題も、おそらくその一つとなるのだろう。それでも不足と言うのなら、あとは何が残っているのだろうか」  ふうっと息を吐き出したエイドリックは、「IotUのみぞ知る、か」と零した。 「おそらく、その言葉が口にされなくなることを望んでいるのでしょう」  そう答えては見たが、それがどんなことなのかジュリアンにも分かっていなかった。それほどまでに、IotUの存在は人々に親しまれ、神話となっていたのである。 「新たな神話が必要ということか」  もしもそれが答えなら、あまりにもハードルが高すぎると言えるだろう。顔を見合わせた二人は、どうしたものかとため息を吐きあったのだった。  7万ものハミングバードの侵入を許したことで、オクザクの都市機能は事実上停止することとなった。安全装備を持たない限り、人はハミングバードの爆発に耐えられないからである。ターゲットが不明確である以上、外出に命をかけるわけにもいかなかったのだ。  そしてハミングバードの厄介な点は、どこまで駆除すれば終わったかが分からない点にある。そして駆除しそこなえば、それだけ住民の被害につながる点だ。だからオウザク守備隊のプランチット隊長は、都市機能の回復を最優先させることにした。つまり1000配備されたラプター隊の主要任務を、街に散らばったハミングバード駆除に当てたのである。 「時間さえかければハミングバードは駆除できるのだが……」  これはこれで厄介な仕事に違いないが、それ以上の問題が彼には突きつけられていた。わずか30のヴァルチャーの侵入を、1000のラプターで防ぐことができなかったのだ。相手が巧妙に逃げ回ったとはいえ、1機も落とせないと言う無様な姿を晒したのである。 「敵ヴァルチャーの分析はどうなっている」  最前線に出ている戦力に比べれば、自分達の力が劣っているのは確かだろう。だがそれを差し引いても、30機のヴァルチャーを自由にさせた理由にはならない。これまでのマニュアルに従って失敗した以上、違いをヴァルチャーに求めるのはおかしなことではない。 「基本性能に関していえば、戦闘中に行われた分析との違いは出ていません。動力性能が、およそ20%増強されています。また反応速度も、5%程度向上しているとのデーターが出ています。行動パターン分析の結果、敵ヴァルチャーの連携が確認できています。なお戦闘パターンが、タリヌム・カリキヌムに類似しているとの分析結果が出ています」 「つまり、敵エースの戦闘パターンを学習して来たと言うことか……厄介だな」  人が搭乗しない分、ヴァルチャーの機動性能はラプターを凌駕していた。ただ人の経験と機転のおかげで、ラプターでヴァルチャーを撃破できていたのである。それに加えて連携動作が稚拙と言う、ヴァルチャーの弱点があったのだ。その人間側の優位性を、今回投入されたヴァルチャーは確実に埋めて来ていた。 「このままだと、守備隊レベルでは押さえきれなくなるな」 「敵が少数であれば、その危惧はないかと思われますが……どこまで性能向上してくるかにもかかっているのかと」  部下の答えに頷いたプサンチットは、「中央は?」と報告に対する反応を確認した。 「追加の戦力は回せないとの回答です。他の戦場で改良型が出現していないため、限定的な投入だろうとの判断です。敵の生産能力を考慮すれば、急な増産は難しいとの判断も示されています」 「急な増産は難しい……か」  初めての投入で、30と言う数が投入されていた。それに対して守備隊は、1000のラプターで迎え撃っていたのだ。本気でオウザクを落とそうとしたら、10倍の300と言う数が必要になるだろう。そして防衛線全てを落とすには、50倍にあたる1500は必要となる。それでも前線で戦う数に比べて、一桁少なくなっていたのだ。戦力的に注意は必要だが、直ちに脅威とならないと言う判断は理解できるものになっていた。 「ハミングバードの処理はどうなっている?」 「現在10%程度の駆除率かと。このままいくと、1ヶ月で99%の駆除率となります」  1%残せば、700ぐらいの数が残ることになる。1羽1殺だと考えると、700名ほどが被害を受けることになるのだろう。10万を数える人口から見れば少ない数だが、心理的な被害は大きなものになる。しかも1ヶ月の外出禁止令は、住民たちに与えるストレスも無視できないものになるはずだ。 「してやられた、と言うことだな」 「とは言え、戦況に影響が出るとは思えませんが?」  大規模な衝突が起きているのは、全く違った地域のことなのだ。しかも住民の活動に影響こそ出ているが、防衛線の機能への影響は軽微なものでしかない。この程度では、サイプレスシティの守りは揺るぐことはなかったのだ。  それを考えると、今回の襲撃はヴァルチャーの改良型に対するテストと見るのが妥当な線となる。そしてそのテストは、一応は成功したと言うレベルになるのだろう。ただ正面からの戦闘が行われなかったため、テストとしては不十分なものに違いない。 「だとしたら、次はガチの戦闘を挑まれると言うことか」  その場合、防衛線を構成する他の都市が標的となるのだろう。そして今回より、多くの改良型が投入されると考えることができる。その場合には従来型や人の乗るラプターとの連携も試されることとなるのか。厄介だなと、プサンチットはその対処に頭を悩ませたのである。 「ここまでの推定結果を、キャラコ他に転送しておけ。次は、お前たちだとな」 「キャラコ、カズンシティ、ボヌンザ、クチャクラリからは、すでに照会を受けております」  すかさず返って来た報告に、「素早いな」とプサンチットは感心した。 「それだけ、危機感を募らせていると言う意味か」  先行きの見えない戦いの中にいる以上、ひと時も息を抜ける時はない。この先生き残っていくためには、どんな小さなことにも気を配って行かなくてはいけなかったのだ。 「だが、この戦争はどうやって終わらせるのだ?」  プサンチットには、この内戦の終わり方をイメージすることができなかった。それでも言えるのは、いつまでも戦い続けることはできないと言うことだ。このまま続けていけば、惑星上から人が死に絶えてしまう。そのことだけは、確定した事実に思えていたのだ。  オウザクが少し落ち着きを見せた頃、そこから100km程東に進んだラッカレロではイベントの準備が始まっていた。100万と言う人口を抱えるラッカレロだが、そこに200万の避難民が流れ込んで来たのだ。避難民たちのストレスも大きいが、受け入れた方のストレスも無視できないものである。そのストレスを少しでも解消するため、交流行事が行われることになったのである。  ただ戦時中だと考えれば、行事と言っても大げさな真似ができるはずもない。市内にある広場5箇所を用いて、楽団の演奏やフリーマッケト、そして仮設の屋台ぐらいがイベントの出し物だった。 「イベントが悪いと言うつもりはないわ」  屋台を出す以上、必要な食料の手配をしなくてはならない。いくつかある倉庫のうち、リスリムも屋台用食料の手配の担当になっていた。 「確かに、気分を変えないと精神的に押しつぶされてしまうから」  イベントリストを確認しながら、リスリムは在庫の中から必要な資材を割り振っていった。もっともほとんどの作業はAIがやってくれるので、彼女は必要な確認作業をしていたのである。 「イライザのところは、噴水公園でフリマだったっけ?」 「ああ、数が揃わない端数をマーケット用に放出すると言っていたな」  にこりともせずに答えたソーに、リスリムは「顔を出して来てもいいわよ」とモニタを確認したまま声をかけた。 「今の所、密着警護の必要性は薄そうだし」 「俺が、任務を疎かにすると思っているのか?」  少し厳しい口調に、「息抜きは必要」とリスリムは言い返した。 「私だって、ずっとくっついていられたらストレスを感じるわよ」 「安全だと言う油断、今まで何もなかったからと言う油断が命に関わると分かっていてもか?」  ありえないと言う意味で答えたソーに、「油断?」とリスリムは問い返した。 「ラッカレロに、敵の侵入は認められていない。これだけ人が出歩いているのに、ハミングバードの被害も出ていない。私の護衛についていて、あなたがハミングバードから私を守った事例は一度もない。その状況が変わったと言うのなら、私もこんなことは言わないわ。だけど、オウザクからハミングバードがラッカレロに移動した形跡もないんでしょ。その意味では、危険度は限りなくゼロになるのだけど」 「だがイベント当日もそうと言う保証はどこにもない」  杓子定規な答えを口にしたソーに、リスリムはため息を答えとして返した。 「私だって、意味もなくリスクを取ろうとは思わないわ。だけどソー、あなたの考えるリスクってなに? もしもヴァルチャーのことだったら、私を狙ってくる理由があるのかしら? しかもヴァルチャーがここにくるには、防衛線を超えなくちゃいけないのよ。その兆候があるのだったら、私も一人になるなんて言わないわ。ハミングバードにしてもそう、オウザクで駆除が行われている以上、こっちに紛れ込んでくる可能性は極めて低い。それにハミングバードだったら、簡単な装備で防ぐことができるでしょう?」  論理的に言い返されると、「リスクがある」としか言い返すことはできない。だがソーの考えるリスクを、リスリムは論理的に潰してくれたのだ。そうなると、リスクを理由に密着警護を主張することはできなくなる。 「それに、1日自由にしてあげるとは言っていないわよ。顔を出して話をしてくるぐらいだったら、そんなに長い時間にならないでしょう? 恋人同士だったら、たまには顔を合わせて話をするのも必要だと思うわ。内戦がまだまだ終わらないのなら、その世界の中でどう生きていくのかを考えなくちゃいけないの。それとも、イライザと別れて私の恋人になってくれるの?」  それなら密着警備を続ける理由になる。そう問いかけたリスリムに、「それはない」とソーは感情を殺して答えた。その答えに不満は感じたが、それならそれでリスリムは初めの主張を繰り返すだけだった。 「だったら、イライザの顔でも見て来てあげなさい。30分ぐらいだったら、私が建物の中に入っていればいいでしょう?」  そうすることで、ハミングバードの襲撃から逃れることが可能となる。妥協案を持ち出したリスリムに、ソーは結局押し切られることになった。 「分かった、その代わりお前が安全なところに入ったことを確認してからだ。そして俺が迎えにいくまで、外に出ることは許可できない」  それでいいかと問われ、リスリムは小さく息を吐いてから頷いた。 「わざわざ、リスクを取るほどのことじゃないと思っているわ」 「そうか……」  素っ気なく答えたソーだったが、しばらく間を置いてから「感謝する」と小さな声で口にした。よほど注意をしていないと聞き逃してしまいそうな声だったが、リスリムは端末の方を向いたまま小さく手を挙げてそれに答えた。そしてそのまま、必要な資材の振り向け作業へと戻って行った。  ソーの恋人イライザは、彼より2つ上の活発な女性である。身長は170と比較的高めで、長い黒髪を後ろでポニーテールにまとめていた。高校在学中に内戦が始まったこともあり、大学に行かずに避難民に対するボランティア活動に身を投じていた。  避難民相手のボランティアと言うのが理由なのか、あまり身の回りのことに頓着は無いように見えた。その為せっかくの長い髪も、いたるところで細い毛が跳ねている体たらくである。肌の手入れにしても、化粧どころかまともな手入れをしているとは思えないぐらいだ。その一方で、スタイルは周りの目を引くぐらい整っていたのだ。そのくせそれを隠さない薄手の格好をしていたので、ボランティア仲間からは「もっと隠せ」と口やかましく言われていた。 「オウザクの状況を考えたら、こんなことをしていちゃいけないんでしょうけどね」  まとまった数で配給されるため、分配をしていくと必ず端数が生じてしまう。そして端数となった衣料が溜まっていくと、倉庫の一部を圧迫することになる。その意味で、フリマで捌くと言うのは悪くない考えではある。普通に配給するより、イベントと言うのは気分を変える役にも立ってくれるだろう。 「確かに、あっちは大変そうだけど」  イライザの言葉に答えたのは、同じくボランティアに入っているテッセンと言う名の女性だった。栗色の髪をショートにした、スレンダーボディの持ち主である。 「でも、襲撃して来たヴァルチャーは撤退して行ったんでしょう。だったら、防衛線が防衛線として機能したことになるのよ。まあ、ハミングバードとか言うお荷物を残して行ったようだけど。その意味では、あっちの住民のストレスは相当なようね。ただ、ラッカレロがそれに付き合う理由はないと思うわよ」 「そりゃあ、そうなんだけどね」  端数になると、実際のデーターと物が一致しないことが多々発生する。そのあたり人に言えない理由もあったりするし、保管中の荷ズレと言った真っ当な理由もある。そのため衣料班は、現物確認もしなくてはいけなくなっていた。毎日必要な食料とは違い頻繁な配給が必要ないこともあり、受け持ち範囲が広いのも仕事が尽きない理由となっていた。 「そんなことより、このアイラブSCのTシャツ、欲しい人がいるのかしら。このシリーズって、不人気そのものだったでしょう」  Tシャツの入った箱を開け、テッセンは小さくため息をついた。 「それって、内戦前には結構需要があったやつでしょ。だから、在庫が沢山あったって聞いてるわ」 「お土産物屋の定番商品ってのは知ってたけどね……こうして配給品に回されると、けっこう鬱陶しいと言うのか」  ダンボールの蓋を閉め、フリマ用のタグを貼れば処理としては終わりになる。それを10箱ほどしたところで、「在庫処分よね」とテッセンは笑った。 「ただでも欲しくないものを、わざわざ貰いに来る人っているのかしら?」 「パジャマがわりになるからいいんじゃないの」  同じようにタグをつけたイライザは、「飽きる」とため息をついた。 「こっちの受け持ちは1000箱だから、それが終わったら遊びに出られるわよ。男の子たちから、飲み会をしないかって誘われてるんだけど」 「飲み会って……お酒なんかあったっけ?」  イライザが驚くのも、食料事情を考えれば無理もないことになる。一応配給品にはアルコール飲料も含まれているが、配給規定が厳しいのと絶対量が足りないと言う問題があったのだ。そしてボランティアと言う立場から、配給品を自由にしていると見られるのはよろしくない。だから配給品のアルコール飲料には、絶対手をつけるなと言うお達しが出ていたのだ。  その事情を考えれば、飲み会と言うのは問題のある行動としか言うことになる。全員がその事情を知っているのだから、飲み会自体が成立するとは思っていなかったのだ。 「あったかと言うより、あるところに行くと言うのが正解ね。あなたを含めて8名で、シティ側の居酒屋に行こうって誘われたのよ。ほら、ガリクソンがボランティアの後バイトをしてるって話、イライザも聞いたことがあるでしょう? そこの店長が、たまには息抜きをしたらどうかって誘ってくれたみたい」 「だったら、問題はないか……たまにはシティ側に行ってみるのもいいわね」  うんうんと頷いたイライザに、テッセンが「よし」と言って拳を握った。 「これで、飲み会が成立することが決まったわ」  よしよしと喜んだテッセンに、「ひとついい?」とイライザは聞き返した。 「別に、私がいなくても飲み会は成立するんじゃないの?」  そこまで喜ぶことじゃと、イライザはテッセンの態度を疑問に感じた。そんなイライザに、「それはそれ」とテッセンは笑い返した。 「鋼鉄の処女が、お酒で乱れるところを見てみたいなって。あなた、男好きのする体をしているくせに、浮いた話が聞こえてこないでしょ。だから、男の子たちがけっこう気にしているのよ。大変ね、飲み会じゃみんなから誘惑されるわよ」  ふふっと笑ったテッセンに、イライザはあっさりと爆弾を落とした。 「一応、私にも恋人がいるんだけど? そりゃあ、まあ、まだあっちはしてないけどね」 「ちなみに、今の発言はトップシークレットに分類することにしたから。いいことイライザ、あなたは恋人いない歴20年の処女ってことにしておいてね……いやいや、恋人と離れ離れになって体が寂しがってるって設定も捨てがたいか」  どっちがいいと問われたイライザは、大きなため息を吐いて見せた。 「人のことを、お酒の肴にしないで欲しいんだけど」 「でも、ガリクソンが飲み会を設定するモチベーションって、間違いなくそっちだから」  だから設定が大切なのだ。力説するテッセンに、「なんだかなぁ」とイライザは作業の手を止めた。 「体が寂しがってるってことはないし、恋人は同じラッカレロにボランティアの警備に入ってるわよ。だから遠距離ってこともないんだけど」 「じゃあ、その情報も飲み会開催までトップシークレットね」  それでよろしくと、テッセンはダンボールの蓋を閉めてタグをつけた。 「これで、アイラブSCシリーズは終わりね。Tシャツとポロシャツ合わせて40箱、各種サイズを取り揃えて2000着になるわね」 「アイラブSCシリーズのポロシャツって、始末に困る代物ね」  ふっと口元を歪めて、イライザは別の分類に取り掛かった。そして箱を開けてすぐ、「なんでよ」と小さな声で文句を言った。 「どうかしたの?」 「男性用ブリーフって、半端物じゃなかったはずよね? それに、その手のものはこっちの受け持ちじゃなかったでしょう」  だからと文句を言ったイライザに、「ただの布よ」とテッセンは機械的に答えた。 「それともイライザ、男性用のブリーフに興味があるの……もしかして、愛用しているとか?」  そう言ってから、「違うか」とテッセンは自分の言葉を訂正した。 「その中身のことを思い出したってことね」 「そっちは、していないって言わなかったっけ?」  不機嫌そうにしたイライザは、箱を閉じて分類のタグを貼り付けた。そして次の箱に取り掛かったところで、もう一度ため息を吐いてしまった。 「こっちも同じか……」  誰の仕業だと疑問を感じたが、テッセンが言う通り「ただの布」と考えることにして作業を進めた。それでも下着があることに対する疑問は隠せなかった。 「ねえ、下着ってフリマで配布するようなもの?」 「そう言われるとそうなんだけど……でも、こっちには女性用もあるから、間違ってないんじゃないの?」  ほらと中身のデーターを貰ったら、確かにそこには女性用のショーツが表示されていた。 「誰かが、ランジェリーブースを作るんじゃないの? けっこう際どいのもあるから、配給に回されなかったと考えることもできるわね」  それはこっちと、イライザはデーターを受け取った。確かに「際どい」と言われる通り、とても布の面積が小さくて、透けそうなほど薄手のショーツが入っていた。 「避難生活だからって、禁欲的にならなくちゃだめとは言わないわよ」 「そうね、ただでさえ人口が減っているんだからね」  すかさず同意をしたテッセンは、意外なデーターをイライザに示した。 「生存の危機に瀕すると、人と言うのは子孫を残そうと言う行動に出るのね。相変わらず戦闘で死者が積み上がってるけど、出生率と言う意味ならそれ以前より上がってるわ」 「他にすることがないから……ってことでもないか」  可能性の一つとして否定はできないが、することと出生率の間には直接の関係はない。必要な避妊具や薬も配給物品に含まれているから、出生率の上昇は意識の問題と受け止めてもいいのだろう。 「子供ね……なんか、自分が子供を産む想像ができないわ」  恋人の顔を思い出し、イライザは小さく首を振った。最後に顔を見てから、すでに2年が経とうとしていたのだ。その間テレで話をしたことはあっても、逢って触れ合ったことは一度もなかった。好きだと言う気持ちは残っているが、ソーの子供を産む自分の姿が想像できなかったのだ。 「まあ、私も想像できないから不思議なことじゃないと思うけど……あなたの場合、倦怠期とは違うのよね。たぶん、この状況じゃ仕方がないんでしょね」  未来への展望が少しも開けないから。テッセンは自分の気持ちを吐露した。 「だから、こうして忙しくしていないと落ち込んでしまうのよね。そして忙しくしているから、それ以外のことが考えられなくなる。気が付いた時には、おばあさんになっていないように気をつけないとね」 「この戦いが、そんなに長く続くはずがないでしょ」  激化し続ける戦いを考えると、ますますゼスからは安全な場所は無くなっていくのだ。そしてそれは、多くの犠牲を産むことを意味していたのだ。 「そうね。私がおばあさんになる前に、ゼスから人がいなくなるんでしょうね」  落ち込んだ様子を見せたテッセンは、「イライザが悪い」といきなり大声をあげた。 「な、なに、急に?」  突然責められたイライザは、目を白黒させてテッセンを見た。 「せっかく飲み会の話で盛り上がってる時に、落ち込むような話を振ってくれたでしょ。だから、あなたの責任と言ってあげたの。ここはもう、今日の飲み会は弾けてもらうしかないわね」  ああもうと、頭を振ったテッセンは「裸踊りで手を打つから」とイライザに迫った。 「色っぽく踊ってくれたら、それで許してあげるわよ……」  そうすれば、あとは野獣になった男女がと想像しかけたテッセンだったが、イライザを見て「無理か」とすぐに現実に引き戻された。 「色っぽくって……あなたに要求するのは無理だったわね。せっかくいい体をしているのに」  宝の持ち腐れとまで言われ、「そんなことはない!」とイライザは反発した。裸踊りなどするつもりはないが、女を否定させておくわけにもいかなかったのだ。 「彼氏と何もないくせに否定するの?」 「わ、私だけの責任じゃないわよ」  ソーの顔を思い出し、「確かに自分だけの責任じゃない」とイライザはため息をついた。二人きりでいても、絶対にそんな雰囲気になったことがなかったのだ。ソーとの子供が想像できないのも、その辺りのことが理由になっているのだろう。 「ひょっとして、あなたたちって相性が良くないんじゃないの?」  急に落ち込んだイライザに、テッセンはそのものずばりの指摘をした。そんなことはないといい返そうにも、イライザは反発の言葉に詰まってしまった。テッセンの指摘は、あまりにも心当たりがありすぎたのだ。  解放同盟側としては、オウザクでのヴァルチャー改のテストは成功したと結論付ける事ができる。何しろ守備隊の揃える1000機のラプターを、わずか30のヴァルチャー改で翻弄に成功したのだ。これまでの性能から考えれば、特筆すべき進歩に違いなかった。 「これで、オウザクの市民生活は停止したわね」  狙ったとおりの戦果に、解放同盟指導者ノラナ・ロクシタンは満足げに頷いた。 「ただ、予想通り混乱は最小限に押さえられております」  ノラナの言葉に反応したのは、解放同盟軍を指揮するヘロン・ネオディプシスである。ただ彼の言葉からは、混乱が押さえられたことへの悔しさは感じられなかった。 「そのあたりも、予定通りと言うことね」  そしてノラナにも、オウザクの混乱が最小限に押さえられたことへの失望は感じられなかった。 「さすがはヘロンと言うことですか。これで、政府軍も油断をすることでしょう」 「目的を隠すには、ちょうどよい目くらましになるのかと思われます。住民を虐殺するにしても、オウザクで人口が少なすぎるのかと」  虐殺規模を持ち出したヘロンに、ノラナはしっかりと頷き同意を示した。 「ツンベルギア、ハミングバードは何羽運び込めたの?」 「およそ20万羽をパッケージング致しました」  髪をボサボサにした痩せぎすな男は、嬉しそうに総数を報告した。 「こちらは、警戒のない場所への投入となります。住民の避難は間に合わないでしょうな」  淡々と語るヘロンに、ノラナは満足げに頷いた。 「それで、改良型ヴァルチャーは?」 「スリープ状態で、こちらも30ほど。政府軍のラプター無効化を目標と致します」  答えを口にしたヘロンに、「具体的には?」とノラナは確認した。 「搭乗者の殺害は行いません。これは、殺傷力を落としたハミングバード投入の目的と同様です。ラプターを破壊するところまでが、改良型ヴァルチャーの役割としております」 「そこから先は、ハミングバードに任せるというのですね」  小さく頷いたノラナは、ツンベルギアの顔を見て改良型ヴァルチャーの整備状況を確認した。 「前線に出せる規模の整備には、どれぐらいの時間が必要なのかしら?」  テストはテストでしか無く、政府との戦いに決着を着けるには、最前線での戦いに勝利する必要がある。そのためには、改良型ヴァルチャーの数を揃える必要があった。 「現在まで、リリース1から5までのヴァルチャーが戦場に投入されています。そのうち、リリース4、5は遠隔で改良型にアップデートが可能です。現在投入されているヴァルチャー総数5万の内、およそ3万が対象となります。ただし動力性能まで高めたリリース6は、短期間では200程度が限界かと。リリース1〜3までは、AIの搭載変更が必要となります」 「アップデートに必要な時間は?」  遠隔アップデートが可能でも、長時間の離脱はそれだけ戦力低下につながってくれる。しかも戦場に残るのが性能に劣るリリース1〜3ともなれば、それだけで戦線が壊滅する可能性も秘めていたのだ。 「1機あたり、およそ10分と言う所かと」 「つまり、30万分の戦力が戦場から一時的に消えると言うことね」  そこでヘロンを見たノラナは、「スケジューリングを」と命じた。ここでの運用を間違えると、一気に政府軍の侵攻を許してしまうことになる。性能向上は戦力嵩上げにはなるのだが、物量の喪失はそれだけでは補うことの出来ないものだった。 「そのあたりは、ローテーションを組むほかは無いのでしょうな」  難しい問題ではあるが、ヘロンもその意義は認めていた。事実タリヌムから、性能向上のお墨付きを貰っていたのである。もしも3万のヴァルチャーを改良形に置き換えれば、控えめに見ても1万以上の新規戦力投入に匹敵することになる。更に性能の増したリリース6ならば、さらなる戦力増強につながる見込みだった。  ただそれでも、ヘロンには別の懸念があった。 「それは良いのだが、政府軍側のラプターが改良されることはないのか?」 「ないと、断言することは出来ませんよ」  そう答えたツンベルギアは、「なかなか難しい問題です」とラプター改良を評した。 「改良型ヴァルチャーとの比較になりますが、性能のネックは実は人間にあるのです。何しろ性能と言う意味では、ラプターはまだ最高性能を出せていません。したがって機体そのものより、いかに人間の方を強化するかを考える必要があります。そうでなければ、サポート機能の充実でしょうか」 「アプローチとして、ヴァルチャーが正しいと言いたい訳?」  少し軽蔑したようなそぶりを見せたノラナに、「強化外骨格は」とツンベルギアは返した。 「最強の使い手と言われたナイアド様が、連邦最強の男になすすべなく敗れております。強化外骨格と言うアプローチは、人が使うと言う意味では限界が見えたのではないかと思っています。その壁を破る一つの方法が、AIの活用だっただけのことだと思っていますよ」 「話が逸れたな。今の所、政府軍側のラプター改良は考えなくていいと言うことなのだな」  ヘロンの問いに、「今の所」とツンベルギアは「今」を強調した。 「訓練と経験で、ラプター戦隊の戦力平均値は上がるでしょう。ですが、それが一朝一夕の問題でないのは、ヘロン様もご存知のことかと」  やけにへりくだった態度をとるツンベルギアに、「そうだな」とヘロンは感情を見せずに答えた。 「その意味でも、改良型ヴァルチャーは有利なのかと思います。何しろ1機体の経験値が、直ちに全ての機体で共有されるのですからね。人に比べ、学習効果が格段に高くなります」 「額面通りに行けば、その通りなのだろうな……」  戦いが、データーで決まるのなら、これほど楽なことはないだろう。だがこれまでの戦いで、自分は不利と出たデーターをひっくり返してきたのだ。それを考えれば、「データー上」の優位など、簡単なことでひっくり返される程度のものでしかない。  そんなヘロンに、ツンベルギアは「さあ」と肩をすくめて見せた。 「私たち科学者ができるのは、素材を用意するところまでですよ。そこから先、どう料理をし、どう運用されるのかは、軍人の方が考えることだと思っています」  分は弁えていますよと、やけに神妙な顔をしたツンベルギアは、「専門馬鹿ですから」と笑った。 「それでも、専門外のことに口を出す愚かさだけは理解しているつもりですよ」  だから分を弁えているのだと、ツンベルギアは繰り返したのだった。  ジェイドに到着したノブハル達一行は、政府高官達のお出迎えを受けることになった。そのあたり、ノブハルのもつシルバニア帝国皇帝の皇配と言う立場が理由になっていた。  その仰々しい出迎えを事務所で見ていたアリッサは、「知らないことは幸せだ」と後ろに控えていた夫を見た。何しろ彼女の夫は、レムニア帝国皇位継承権第一を持っていたのだ。ありがたみからすると、同じ銀河にある分夫の立場の方が大きいはずだ。もっとも現皇帝であるアリエルの方が長生きしそうなので、実質的な意味を持たない立場でもある。ただそれを忘れても、夫にはモンベルト国王と言う公式の立場も持っていた。  記念式典をと言う声に対して、最終的に「プライベート」と言う立場をノブハルは押し通した。それでも、およそ1時間ほどの握手会からは逃れることはできなかった。ジェイドにある各行政府から集まった指導者や高官達が、列をなしてノブハルに挨拶をしたのである。  結局アメリア大陸にある統合政府を出たのは、ジェイド到着から3時間が経過してからのことだった。そこで疲れ果てたノブハルに、「よく分かっただろう?」とトラスティは口元をにやけさせた。 「よく分かったと言うのは、相手を選べと言うことか?」  何しろ自分の前でにやけている男は、リゲル帝国皇帝と関係があるだけでなく、エスデニア議長とも懇ろだし、シルバニア帝国宰相の情夫でもある。しかもモンベルトでは、正式に国王にまで就任していたのだ。肩書きだけを比べたら、よほど自分より沢山あるだろうと言いたいぐらいだ。 「まあ、そんなところだね。さて、ここからはアズマノミヤに移動するのだけど。馬鹿正直にシャトルで移動すると、時間が掛かりすぎるね」  うんと考えたトラスティは、アズマノミヤの時計を確認した。時差で12時間あるので、今は明け方の5時と言うことになる。 「空間移動でアズマノミヤに行こうかと思ったのだが……」  そこで統合政府の場所を考えたトラスティは、たまにはいいかと寄り道をすることにした。相手の立場を考えれば、普通はぶらりと会いに行くのは憚られるだろう。だがシルバニア帝国皇帝の夫を連れて行くのであれば、文句を言われることもないだろうと考えたのである。 「せっかくだから、タンガロイド社に顔を出して行くか。トリプルAエルマー支店は、ズミクロン星系の独占代理店だからね。挨拶をしていってもおかしくないだろう」 「タンガロイド社っ!」  素っ頓狂な声をあげたノブハルに、「なにかおかしいかい」とトラスティは問いかけた。 「い、いや、別におかしいことはないのだろうが。だが、アポイントもなく顔を出しても、先方に迷惑ではないのか?」  独占代理店と言っても、数多くある代理店の一つでしかないのだ。それを考えれば、その支店長と言うのはあまりありがたみがないと言っていいだろう。  そんな常識を持ち出したノブハルに、「まだまだ認識が甘いね」とトラスティは笑った。 「とりあえず、僕についてきてくれるかな」  ぐるりとお供の女性達を見てから、トラスティは「アクサ」とノブハルのデバイスに声をかけた。ローエングリンでは出てこなかったが、今度の呼び出しにアクサは答えた。 「今度は、素直に出てきてくれたんだね」  少し嬉しそうにしたトラスティに、「前ので懲りた」とアクサは言い返した。 「素直に出てこないと、力づくを考えるんでしょ」 「まあ、そう言うことになるね」  そう笑ったトラスティは、「コスモクロア」と自分のサーバントを呼び出した。 「アクサに、タンガロイド社本社正門前の座標を教えてくれないか」 「私なら、まとめて移動できますが?」  そうすればいいのにと主張したコスモクロアに、これも経験とトラスティは返した。 「だからノブハル君、みんなを連れて着いてきてくれないかな?」 「みんなを連れてって……できるのか?」  これまでの経験では、空間移動は一人だけで行なっていたのだ。その意味で、6人を連れての移動は初めての経験と言うことになる。それもあって不安げな眼差しをアクサに向けたのだが、「難しいことじゃないわ」と言い返されて目を丸くした。 「まあ、そう言うことだよ。じゃあ、先に行っているから着いてきてくれ」  コスモクロアと声をかけた瞬間、トラスティの姿は統合政府前から消失した。 「みんな、くっついた方がいいのか?」  空間移動に慣れたトラスティとは違い、ノブハルにしてみれば大人数での移動は初めての経験だった。そのせいでおっかなびっくりになったのだが、それを受け止めたアクサは普段と全く変わった様子は見せなかった。 「その方が多少は楽ってところかしら。座標のトレースはできてるから、一歩も動かなくていいわよ。はい、到着」  その言葉と同時に、ノブハル達は周りの空気が変わったのに気がついた。一体何がと驚いて辺りを見渡すと、景色がガラリと変わっていた。 「アメリア大陸の東から西に移動したからね」  ようこそと声をかけたトラスティは、行こうかと巨大なビル群を指差した。 「ここが、タンガロイドビレッジと呼ばれる場所だよ。超銀河には、タンガロイド社の研究・製造拠点はいくつかあるんだけどね。ジェイド本社には、その中で最大の拠点があるんだ。ちなみに、僕はヒラの取締役なんて肩書きも持っているよ」  さあさあと豪華なエントランスに、トラスティはノブハル達6人を案内した。あまりの場違いさに、ハイの社会見学かとノブハルが考えたのも無理も無い。しかも全員の格好がカジュアルだから、本当にいいのかと言いたくもなってしまった。  しかも待ち構えていたように、紺のスーツを着た美人の秘書二人が近づいてきたのだ。ノブハル達の緊張は、いやがおうにも高まってくれた。 「言っておくけど、彼女達は本物の人間だからね」 「そ、そぉ〜なんですか」  緊張から声を裏返したノブハルに、「可愛いんだね」とトラスティは笑った。ただナギサ達も、ノブハルとは大差のない状態だった。リュースまで右手と右足が同時に出るのだから、どれだけ緊張しているのだと言いたくなってしまう。 「総帥は?」 「運良く、スケジュールに空きができました」  空いていたではなく、「空きができた」である。それを聞く限り、何が理由か分からないが、トランブル家総帥はわざわざ時間を作ってくれたことになる。  トラスティに総帥の予定を教えた秘書は、「カイヤ」だと自己紹介をした。そしてもう一人、トラスティの隣に立った女性は「シンディ」だと名乗った。誰の趣味か分からないが、二人とも金髪碧眼をしたすこぶる付きの美人だった。 「僕とノブハル君は、総帥に挨拶をしてくるよ。他の6人は、君達に任せていいかな?」 「何か、配慮すべき点はございますか?」  カイヤの問いに、「特にこれと言って」とトラスティは返した。 「とりあえず、標準の見学コースでいいんじゃ無いかな。それから、役員食堂は使えるかな?」 「アズマノミヤまでなら、専用シャトルを用意いたしますが?」  その方がいいのではとの提案に、トラスティは少しだけどうするかを考えた。 「2時間だったっけ?」 「休息をとるのに、十分な時間かと」  適当な時間を潰しても、空間移動だとアズマノミヤに午前中についてしまう。かと言って夕食時間まで引っ張るには、時間つぶしのネタがないのは確かだろう。もしもノブハル一人なら、研究棟に連れて行けば問題はないのだろう。だがそれ以外のメンバーを考えると、観光のアレンジも中途半端になりそうだった。 「いや、アフタヌーンティーをしたら、アズマノミヤに自力で移動することにするよ」 「では、出入国管理法違反とならないよう、手配をしておきます」  トラスティに一礼をしたカイヤは、シンディに合図を送ってナギサ達に近づいて行った。 「じゃあ、僕達はトランブル総帥に会いに行こうか」  こっちだと言って、トラスティはノブハルを専用EVホールへと連れて行った。ただEVと言っても、旧式の牽引式など使っていない。箱の右から入り左から出ると、目的のフロアに到着すると言う空間接合技術が使われたものだった。ただこの仕組みは、莫大な設備投資とエネルギーが必要なので、利用範囲がきわめて限られたものだった。  そうやって最上階にある専用フロアに着いたトラスティは、赤い絨毯の上を歩いて奥の部屋へと向かった。そして一番奥にあるドアをノックし、中からの返事を待つことなくそのドアを開けた。  それでいいのかと驚いたノブハルだったが、そこにあったのは広い控室だった。当たり前だが、総帥の部屋が外部から直接アクセスできるはずがなかったのだ。 「総帥が、首を長くしてお待ちです」  今度は、40ぐらいの男がトラスティに頭を下げた。それに頷いてから、トラスティは何もない空間に右手を当てた。ノブハルには何かをしたように見えなかったのだが、それがトラスティを認証する方法なのだろう。すぐに何もない空間に「線」が現れたかと思ったら、それが二つに割れて全く違う空間がその向こう側に現れた。  予想もしない広い空間に驚いたノブハルに、「トランブル総帥だよ」とトラスティが耳打ちをした。教えられた先では、金色の髪をしたがっしりとした体格の紳士(?)がこちらを見ていた。品が良いと言うより赤ら顔をしたエネルギッシュな男こそ、超銀河企業であるタンガロイド社総帥、ジャック・トランブルである。 「ようやく顔を出したか、この薄情者めが」  文句を言いながら立ち上がった男は、赤ら顔をさらに赤くしてトラスティに近づいて来た。背丈はトラスティと大差がないのだが、幅が明らかに彼よりも大きかった。そのせいか、ノブハルには総帥の体が大きく見えて仕方がなかった。 「これでも、結構忙しかったんですよ。お義父さん」 「愛人回りが忙しかったんだろうが」  まったくと言って近づいて来たトランブル家総帥ジャックは、「よく来たな」とノブハルに右手を差し出した。 「なかなか賢そうな坊主だな。しかも、お前と違って誠実そうだ」 「婿に向かって、随分と酷いことを言いますね」  そう言って笑ったトラスティは、ノブハルにはありがたくない事を言ってくれた。 「その方面は、これから彼に任せようと思っているんですよ。現時点で、彼はシルバニア帝国皇帝の夫という立場があるんですよ。すでにクリプトサイトの次期女王も誑し込んでいますから、彼の肩書きはもう一つ増えることでしょうね。それでも足りなければ、リゲル帝国皇女アニアでもくっつけてあげますよ」 「その辺り、かのお方の血だと考えればいいと言うことか」  やれやれと溜息を吐いたジャックは、「まあいいか」と細かなことは忘れることにした。自分の娘に関係が無いのだから、何をしても他人事と言うところもあったのだ。  そして何かを思い出したように、「そう言えば」とエヴァンジェリンのことを持ち出した。 「エヴァンジェリンが、カイトの子供を欲しいと言っていたな。俺としては、ようやくその気になってくれたかと喜んでいる所だ」 「その話題を持ち出したと言うことは、僕のところはどうだと言いたいのですね」  苦笑を浮かべたトラスティに、「当たり前だ」とジャックは言い返した。 「可愛い娘の子だ。どう考えても、可愛いに決まっているだろう。親として、それを望むののどこが悪い」  開き直ったジャックに、「意外ですね」とトラスティは返した。 「そんなに親バカだとは思っていませんでしたよ。もっと冷血なビジネスマンだと思っていましたよ」 「失礼なことを言う奴だ。ちなみに親バカと言うのは、俺にとっては褒め言葉だからな。親なんてものは、自分の子は可愛くて仕方がないんだよ。だから迷惑がられても、あれもこれもしてやりたくなる。それじゃあいけないことぐらいは分かっているんだがな」  少し自慢げに胸を張ったジャックに、トラスティは少し困惑の表情を浮かべた。アリッサとの間に子供はいないが、すでにトラスティには3人の子供がいたのだ。間も無く生まれる子を含めると、5人子持ちということになる。だが彼には、ジャックの言うような感覚が無かったのだ。 「なんだ、お前は自分の子が可愛くないのか?」  自分の感情の機微に気づいたジャックに、トラスティは小さく首を振った。 「そこまでいうつもりはありませんが……」  そこで言葉を濁したのは、自分でも感情が理解できなかったのだろう。 「理屈では、子供が可愛いと言うのは分かるんです。ただ、どうしても、感情が追いついてこないと言うのか……」  真剣に悩むトラスティに、「可哀想な奴」とジャックは評した。 「カイトはいざ知らず、お前には母親はいるのだろう。だったら、今度話を聞いてみればいい」 「レムニアの皇帝に……ですか」  少し口元を歪めたトラスティに、「なるほど」とジャックは事情が理解できた気がした。 「確か、IotUにオンファス様だったか。お前は、レムニア皇帝が自分の親ではないと思っているのだな」 「さすがに、そこまで言うつもりはないんですけどね」  今度ははっきりと苦笑を浮かべたトラスティに、「本当か」とジャックは真っ直ぐにその目を覗き込んできた。 「娘から聞いたが、お前はIotUの足跡を辿ろうとしているのだろう。確かに謎に包まれた存在だし、1千ヤーも昔の存在でもある。超銀河連邦に伝説を残す存在だと考えれば、その足跡を追いかけることにも意味があるのかもしれないのだろう。だがお前の場合、そこに親のことを知りたいと言う気持ちがあるのではないのか? レムニアと言えば、長命種の巨人が住まう星だ。見た目にしてても、我々とは大きく違っている。それを考えれば、自分は皇帝の子ではないと言う気持ちが生まれても不思議ではないだろう。だから、「本当の親」のことを知りたいと思ったのではないのか?」  どうだと問われたトラスティは、少しだけ答えに詰まっていた。だがすぐに頭を整理し、「そうかもしれませんね」とジャックの言葉を認めた。 「アリエルの婆さんが、なぜ僕を作ったのだろうか。ずっとそれを疑問に思っていましたよ。まともに考えてみれば、僕の方が婆さんより先に死ぬんです。だとしたら、そんな子供を作ることに意味があるのだろうかと。そして自分の遺伝子の片方がIotUのものだと分かった時、「そう言うことか」と納得した気がしました。あの人は、ずっとIotUのことを愛し続けている。IotUの遺伝子と自分の遺伝子を掛け合わせ、二人の子供を作ろうとずっと研究をしていました。ただそれが叶わなくて、仕方なしに僕と言う存在を作ったんだと。僕は、あの人にとって妥協の産物だったのだなとね」 「なるほど、それがお前の捻くれた理由か」  哀れな奴と言って立ち上がったジャックは、トラスティの隣に座っていきなりその体を抱きしめた。反射的に突き飛ばそうとしたトラスティだったが、意外な力強さに反抗も押さえ込まれてしまった。 「お前は、こうしてハグをして貰いたかったんだろう。父親の温もりを知りたかったのだろうな」 「そこまで、子供じゃないつもりなんですけどね……」  そう答えたトラスティは、突き放そうとした腕から力を抜いた。 「まさか、男に抱きしめられることになるとは思ってもいませんでしたよ」 「男には違いないが、その前に父親だと言うことだ。娘の夫になった以上、お前も大切な俺の息子なんだよ」  甘えてみせろと言われ、トラスティは恐る恐るジャックの体に腕を回した。 「なあ坊主、これが親子と言うものだろう?」  そこでノブハルに声をかけたのは、彼が普通の家で育てられたのを知っているからだ。 「確かに、母さんや父さんから何度も抱きしめられた記憶があるな……」 「そう言うことだ。そして父親としてのアドバイスをさせて貰おう。ここまで大きくなったお前だ、今度は母親のことをぎゅっと抱きしめてやれ。それが、一番の親孝行になる」  もういいなと語りかけてから、ジャックはトラスティの体を離した。 「それからもう一つ、お前の子供達をちゃんと抱き上げてやれ。それをすれば、親の気持ちも理解することができるはずだ。どんな時でも、たとえ遠く離れていても、親と言うのは子供と共にいようと思うものだとな」 「それが、親と言うものなのですか……」  ふうっと息を吐いたトラスティは、「ありがとうございます」とジャックに頭を下げた。 「なに、子を教え導くのも親の特権だ。なあ、俺は今幸せだと思っているぞ。そして自分の子供には、俺以上に幸せになって貰いたいと思ってる。そのためにできることなら、俺はなんでもできると思っているんだ。極端な話、命をかけることだってできると思っている。ただなぁ、親の命を引き換えにされても子供は嬉しくないだろう。だから、そうならないように俺は努力をしているつもりだ。それからもう一つ、親と言うのは幾つになっても子供には甘いものだ。そして子供に甘えられるのを喜びだと思っているんだぞ。だからお前も、皇帝様に一度甘えてやれ」 「何か、想像がつかないんですが……」  アリエル皇帝に甘える自分を想像しようとしたトラスティだったが、すぐにその努力を放棄した。 「ただ、努力はしてみますよ」 「努力なんか必要ないな。必要なのは、素直になることだけだ。まあ捻くれたお前には、難しい注文なのかもしれないがな」  「試してみろ」と笑ったジャックは、「それから」とカイトのことを持ち出した。 「親バカな俺だから、エヴァンジェリンには少しでも幸せになって貰いたいと思っている。だからカイトの悩みも、少しばかり調べてみた」 「兄さんの、悩みですか……さすがに、解決策がないと思いますよ」  あれから暇なときに考えてみたのだが、周りに迷惑をかけない方法が見つからなかったのだ。何をどうしても、連邦法に引っかかってしまうのだ。 「まあ、普通にやったら連邦法に引っかかるな。ただ、ゼスで協力者を見つければ不可能ではないだろう。都合がいいことに、ゼスは渡航禁止処置を取っていない。そのあたりは、政府がまともに機能していないのが理由だろうな。定期航路も閉鎖されているから、わざわざ渡航禁止をする必要がないと思っているのかもしれんがな。だからゼスに行くこと自体は、連邦法に触れることではない」 「ゼスで協力者を見つければ不可能ではない?」  そんなことがと考えたトラスティは、「まさか」と思いついた可能性を口にした。 「傭兵を考えていませんか?」 「連邦法に、星系外から兵を雇うことは禁じられていないからな」  真っ当に考えれば、政府軍と戦えるだけの兵力など雇えるものではない。しかもゼスで投入されている戦力は、数十万に及ぶものなのだ。そんな数の傭兵を、どうすれば掻き集められるだろうか。  その意味で、傭兵を雇うと言うのは普通では成立しないプランに違いない。だがトリプルAには、普通ではあり得ないことを実現する力があった。 「ゼスに干渉する手立てがあるのなら、超銀河連邦最悪のペテン師と言われるお前はどんな作戦を考える?」 「最悪のペテン師はないと思いますけどね……ええ、そう言われているのは知っていますけど」  苦笑を浮かべたトラスティは、「協力者か」と小さく呟いた。 「第一に超えなければいけないのは、どうやって協力者を見つけるかと言うことですね。そして次に、双方に干渉できるだけの戦力をどう揃えるのかと言うことですか。果たしてリゲル帝国やパガニアを巻き込んでいいのだろうか……」  そこまですれば、必要な戦力を揃えるのは難しいことではない。ただ法的に問題はなくても、ゼスとは関係のない星系を巻き込むと言う問題がある。遠く離れた銀河に兵を送る理由が、その両国にはなかったのだ。 「常識的に考えれば、自分の仕事じゃないって断られるな……」  トラスティの決めつけに、ジャックは小さく頷いた。 「だが、壁に小さな穴ぐらいは空いたのではないか?」  どうだと問われたトラスティは、さすがにと苦笑を浮かべた。 「小さすぎて見えないぐらいですよ。ただ、今までは穴すらなかったのですから、それを考えれば大きな進歩には違いないでしょう」 「ならば俺は、少しは役に立ったと言う訳だ」  そう言って男っぽく笑ったジャックに、「父親か」とトラスティは心の中で自分の父親のことを考えた。 「IotUは、1千ヤー後に、こうして自分の遺伝子を継ぐ子供が生まれることを想像したのでしょうか」 「そんなことは、本人に聞いてくれとしか答えようがないな。だがな、俺はその可能性はあると思っているぞ。そうでなければ、名前と姿を人の記憶から消したのに、遺伝子情報を残して行くはずがないだろう」  その決めつけに、なるほどとトラスティは納得した。ここまで徹底して自分の姿形、名前まで消していったのだ。それなのに、遺伝子情報が残されているのは不思議としか言いようがない。 「しかもジェイドにレムニア、遠く離れたエルマーだったか。偶然伝わると考えるのは、いくら何でも無理があるだろう」 「逆に、どうしてエルマーなのかと言う疑問はありますけどね。少なくともジェイドとレムニアは、アスと同じ銀河にありますからね」  その話を横で聞いたノブハルは、確かに不思議だと考えていた。1万も存在する銀河で、なぜ最後に仲間に加わった銀河にIotUの遺伝子情報が伝わったのか。どう考えても、その理由に説明がつかなかったのだ。 「ディアミズレ銀河か。確か、最後に連邦に加わったと言う話だったな」  なるほどと腕を組んだジャックは、「こう言うのはどうだ」と自分の思いつきを開陳した。 「これは、なぜ1万なのかと言う謎にも繋がることだ。IotUは、ディアミズレ銀河を仲間に加えたことで、目的を達成したと考えればいいんじゃないのか」 「それは、僕も考えたのですけどね。その目的に、皆目見当がつかなかったんです」  苦笑して自分の言葉を認めたトラスティに、ジャックはノブハルを指差した。 「その坊主に、その理由があるとしたらどうだ?」 「ノブハル君に、ですか」  なるほどと、トラスティはジャックの仮説を認めた。ただトラスティが考えたのは、ノブハルがIotUの血を引くことだけではない。彼のデバイス、アクサと言う存在が理由になっていた。ザリアに匹敵するエネルギーの出どころにも、トラスティは心当たりがあったのだ。 「確かに、そう言われるとそう思えてきますね」 「偶然を必然と考えると落とし穴に落ちることになるが、これについてはあまり外れてはいないだろう」  「役に立ったかと」と笑ったジャックは、「時間だな」と部屋の隅を見て小さく呟いた。その視線につられて部屋の隅を見たら、先ほど案内した秘書が顔を出していた。 「次は、もっと早めに連絡を寄越すのだな。そうしたら、美味い飯を食いに連れていってやる」  そんなものだと頷いたジャックは、「スレイド」と秘書の名を呼んだ。そしてノブハルを見て、小さくウィンクをした。 「研究所まで案内をしてやれ」 「気を遣わせたみたいですね」  感謝しますと笑ったトラスティに、「お前のためじゃない」とジャックは笑い飛ばした。 「その坊主に、退屈をさせた詫びだ」 「い、いえ、退屈をしたと言うことはないのだが……」  本当の親子ではないのだが、これが親子の会話なのだと感心していたのは確かだった。しかもIotUの謎やら、興味深い話も聞くことができた。その意味で、「退屈していない」と言うのは必ずしも社交辞令ばかりではなかったのだ。 「だったら、うちの研究所を見ないで帰るか?」  意地悪く笑われ、少しノブハルは顔を引きつらせた。 「冗談だ、本気にするな。スレイド、首が伸びてしまう前に二人を研究所に連れて言ってやれ」  そう言って笑ったジャックが手を振った瞬間、二人の前の空間が急に暗転した。一体何事かと驚いて辺りを見渡したら、最初に入った秘書室に戻っていた。 「い、今のは本物だったのか?」  何が起きたか理解できないノブハルに、トラスティは笑いながら「本物だよ」と返した。 「今のも、空間接合技術の一つだね。さすがは金があると言うのか、ほぼ最先端の技術が使われているよ」  そこでスレイドを見たトラスティは、「頼めるかな」と研究所への案内を頼んだ。 「ええ、少し移動に時間がかかることをご容赦願います」  こちらにと案内されたのは、最初に利用したエレベーターらしきものだった。今度はどこに出るのかと期待して扉をくぐったら、最初とは違う白い廊下へとつながっていた。 「まあ、遊びだと思っていただければ」 「遊び?」  一体何がとノブハルが首をかしげた次の瞬間、顔に風を感じることになった。それから少し遅れて強い加速がノブハルを襲い、気が付いた時には周りの景色が溶けて流れていた。  ただその感覚も、およそ2秒程度のことだった。最初とは逆の加速を感じたところで、ノブハルは自分が別の場所に連れてこられのを理解した。 「今のは?」 「加速装置……のようなものですね。1kmほどの距離を移動したとお考えください」  つまり、生身で音速を超えたと言うことになる。なるほどすごいと感心したノブハルに、スレイドは「こちらにどうぞ」と新しいドアを開けた。 「俺には、こっちの方が馴染みが深いな」  そこには、大勢の研究者が集まって何かを議論しているようだった。しかも議論だけでなく、何かの理論を検証しているのか、複雑な記号が彼らの前に現れては消えていた。そして別の方に視線を向けると、何もないはずの空間に新作のアンドロイドが現れては消えていた。  その光景に目を輝かせたノブハルを見て、「構わないかな?」とトラスティはスレイドに尋ねた。 「一応、許可は得ていますよ」  それに頷いたトラスティは、「だそうだ」とノブハルの背中を押した。 「興味があるのなら、話を聞いてくるといい」 「ほ、本当に、いいのかっ!」  目を輝かせて首を忙しく動かしたノブハルに、「許可は貰ったよ」とトラスティは笑った。 「だから、遠慮なく話を聞いてくるといいよ」 「じ、じゃあ、遠慮なく」  嬉しそうに扉を開いて、ノブハルは向こう側へと消えて行った。それを見送ったところで、「これはテストなのかな?」とトラスティはスレイドに尋ねた。 「その辺りは、半々という所かと。漏れ伝わった評判では、ビジネスマンと言うより優れた研究者と言うことです」 「その方が、彼には向いているようだね」  さっそく話しかけている所は、ノブハルの本領発揮と言う所だろう。その顔がどうしようもなく嬉しそうなところを見ると、彼の知的好奇心が満たされていることになる。支店長よりこちらの方がいいのかと、トラスティはノブハルの将来を考えたのだった。  ただその前に、自分達には挑むべき謎が残されていた。将来の話はそれからだと、トラスティはIotUの存在を考えることにした。  研究所に未練を残すノブハルを引っ張り出し、トラスティたちは空間転移でアズマノミヤまでやってきた。さすがに二度目になれば、集団による空間転移も板についてくれる。少しも危なげなく、一行はトリプルA本社の応接ロビーへと到着した。面会室にしなかったのは、アリッサがどんな格好でいるのか分からないとトラスティが用心したのが理由だった。 「ここが、トリプルAの本社なのか?」  一応金はかかっているので、エルマーの支店よりは豪華な調度が揃えられていた。ただ直前までタンガロイド社にいたため、受ける感じはどこかの中小企業だった。  きょろきょろと辺りを見渡したノブハルに、「最初はこれでも広すぎた」とトラスティは笑った。そして少し考えてから、「今でも広すぎる」と言い直した。 「もともとは、女子大生3人で始めた会社だからね。そのほかに居たのは、アンドロイドのスタッフ2体だったそうだよ。そして今は、常駐スタッフが……」  んっと指を折って考えたトラスティは、「5人だね」と口元を歪めた。 「そのうちの3人は、安全保障部門のエキスパートだよ。たまに出現する、宇宙怪獣を専門に狩ってるよ。あとは社長と僕しかいないんだ。ただアンドロイドだけは、4体に増えたけどね」 「エルマーの支店より少ないと言うのかっ」  驚いたノブハルに、「ここはね」とトラスティは首を巡らせた。 「ルナツー出張所には、エイシャさんが一人だし、あとはレムニア支社だね。あそこも、オフィスはあまり広くないんだよ。まあ、オフィスにいても仕事にならないから、わざわざ場所を作らなかったそうだけどね。これから作るのは、ルナツー出張所をエスデニアに移して人員増強するのと、シルバニア帝国に支社みたいなのを作るぐらいかな。それでも、年商なら200億ダラを超えるんじゃないかな?」 「売上は、そんなに少なくありませんよ」  適当な数字をトラスティがあげた時、奥の扉を開いてアリッサが入ってきた。今は業務中と言うこともあり、少し濃いめの紺のブレザー姿をしていた。そして流れるような金色の髪は、邪魔にならないようにとアップにまとめていた。地味な格好をしているのだが、ノブハルにはアリッサがどうしようもなく美しく思えてしまった。 「トリプルAの年商は、その5倍の1000億ダラ弱ですね。来年の予想売上は、1000億ダラを超えると見込んでいるんですよ」  少し自慢げに数字を持ち出したアリッサは、「よく来ましたね」と微笑みながら右手をノブハルに差し出した。それまでアリッサに見とれていたノブハルは、つられて右手を差し出したところで慌てて手にかいた汗をズボンで拭った。久しぶりに触れたアリッサの手は、とても綺麗で柔らかかった。  ノブハルを緊張の極地に追いやったアリッサは、同じく緊張したナギサと握手をした。「お久しぶりです」と答えた声の裏返り方が、ナギサの緊張具合を表していた。ただ恋人の態度に拗ねるはずのリンも、アリッサを前に舞い上がっていた。握手をして舞い上がっている所など、どちらがアイドルなのか分からないぐらいだ。 「ようこそトリプルA創業の地へ……と言っても、大した物がある訳じゃないんですけどね」  こちらにどうぞとソファーに全員を案内し、アリッサはトラスティと並んでソファーに腰を下ろした。そしていつのまにか現れたバネッタ15が、全員にアイスカモミールティーの花入りを振る舞った。カモミールティーの茶葉は市販品だが、中に浮かんでいる花は彼女の手摘みの逸品である。  アイスカモミールティーで喉を潤したアリッサは、話の前にこれからの予定を説明することにした。 「あなたたちの宿ですが、私の部屋の一つを使ってもらうことにします。そして今晩ですが、そこで簡単な歓迎パーティーを開こうと思います。今ジェイドにいる人数は少ないのですが、安全保障部門の人も参加するので楽しみにしてくださいね」 「とまあ、勝手に決めたけど、その辺りは我慢してくれないかな」  アリッサの言葉を引き取ったトラスティに、ノブハルをはじめとした全員がブンブンと首を振った。 「そ、その、社長自ら歓迎していただいて感激ですっ!」  それが社交辞令でないのは、ノブハルの顔を見れば理解できる。それを若いねと微笑ましく見たトラスティは、続けてとアリッサの顔を見た。それに頷いたアリッサは、トリプルAの歴史を説明することにした。 「今からおよそ4年前のことですね。私とエイシャさん、そして今はパガニアに嫁いだアマネさんの3人で、大学の起業実習でトリプルA相談所を設立しました。この建物は、その時に借りたそのままなんですよ。その時は、私たち3人にバネッタ15とポセダ31と言うアンドロイド2体がトリプルAの全てでした。ただそれでも、仕事に対して人が多すぎたぐらいだったんです。何しろ最初の3ヶ月は、仕事といえば商店会の販促のお手伝いとか、お姉さまが回してくれた簡単なものしかありませんでしたからね。毎月入ってくるお金は小銭程度で、事務所の維持費の足しにもなりませんでした。そこからの転機は、商店会有志のアス詣でをアレンジしたことでした。およそ100名のツアーを、カイトお兄様のコネを使ってねじ込んだことが始まりでした。そこで私たちは、アス駐留軍のジュリアン大佐と知り合いになることができました。そして聖地詣ででは、ジュリアン大佐の奥様、エスデニア最高評議会議員であるアパガンサス様から昼食のご招待を受けたんです。女子大生の始めたお遊びのような会社だと考えたら、信じられないような出来事だと思いませんか?」  そう言って微笑むアリッサに、ノブハルたちは見とれながら話を聞いていた。ただどこまで耳に入っているかは、表情を見る限り疑わしいことだった。 「幸運を喜んだ私たちだったのですが、実はアス詣では、とても大きな意味を持っていたんです。その登場人物は、私ではなくアマネさん、カイトお兄様、そしてパガニア王子クンツァイト様でした。ご存知かどうか分かりませんが、パガニアはIotUの奥様たちの縁者を一人残さず殺していたんです。そしてアス詣でをしたことで、アマネさんがIotUの奥様、ユサリア様の縁者であることがパガニアに知られてしまったんです。ただこれまで多くの人たちを殺して来たことで、パガニアはエスデニアやシルバニア帝国から警告を受けていました。だからアマネさんを殺すのではなく、身内に取り込むことで血を絶やそうとしました。そのために、クンツァイト王子がジェイドにいらしたんです。その頃アマネさんには、別におつきあいをされていた方がいましたね。そして当時のカイトお兄様では、パガニアを止めることはできなかったそうです。そこまでが、私たちが直面した物語の第一幕でした」  言葉を切ったアリッサは、アイスカモミールティーで喉を潤した。 「そこで、新しい登場人物が増えることになりました。私の夫トラスティもその一人なのですが、モンベルト王国王女ライスフィールさん、そしてお供のヘルクレズさん、ガッズさんです。モンベルトは、およそ800年前にパガニアの攻撃で廃墟に変えられていました。その時に使われた兵器のせいで、惑星全体が死の星になろうとしていたんです。モンベルトの人々は、パガニアを恨み、そして恐れて暮らしていたそうです。そして次の女王となるため、ライスフィールさんが試練の旅に出ることになりました。その試練と言うのが、パガニアの王族の命を奪うことです。ここでまた、私たちがアスに行ったことが繋がってくるわけです。ライスフィールさんは、私たちを調べたことで、クンツァイト王子がジェイドに来ていることにたどり着いたそうです。そこで準備を整え、求婚するためにアマネさんを呼び出したクンツァイト王子を襲撃しました。結果的にカイトお兄様の活躍で襲撃自体は失敗することになったのですが、その後の婚約発表の場でこの人がリゲル帝国皇帝の協力を得てパガニアに喧嘩を売りました。その結果、パガニア王モリソン様が、モンベルト王女ライスフィールさんに謝罪をしたんです。それが、トリプルAにとっての第二の転機になった訳です」  一つ一つのイベント自体は有名なことなのだが、それがどう繋がるかはノブハル達の知らないことだった。それを教えられたことに、全員が不思議な巡り合わせを思わずにはいられなかった。アリッサが説明した通り、アス詣でがすべての始まりとなっていたのである。 「これでライスフィールさんは、国を出た務めを果たしたことになりました。ですから、モンベルトに戻り、婚約者の一人と結婚して女王に即位することになっていました。ただ、そのままモンベルトに帰っても、惑星は汚染されたままで、復興の見込みはどこにもなかったんです。そしてライスフィールさんは、この人に恋をしていたんです。正確に言うと、その時にはすでにこの人の子供を身ごもっていたんですが……」  そこで少し嫌そうにしたのは、アリッサの正直な気持ちなのだろう。 「それはいいのですが、私が帰国をする前にと恩があるリゲル帝国へ挨拶に行くことを提案したんです。そこでこの人と合流し、どうやったらライスフィールさんを助けることができるのか、私がこの人にお願いをしたんです。そこでこの人は、故郷のレムニアに戻って、皇帝アリエル様の協力を取り付けました。意外に知られていないことなのですけど、この人はアリエル様が作られたただ一人の子供なんです。トラスティ・ヒカリと言うのはペンネームで、本名はトラスティ・セス・クリューグって言うんですよ。継ぐことはないのでしょうけど、皇位継承権第1位を持っているそうです」  ノブハル以外は、その話は初耳だったのだろう。シルバニアから来た二人まで、「えっ」と驚いた顔をしてトラスティを見た。 「やっぱり驚きますよね。そこでアリエル様の協力を得られた私は、レムニアにトリプルA最初の支社を作りました。目的は、モンベルト復興事業の実行主体となるためです。そしてシルバニア帝国、ライマール自由銀河同盟の援助を得て、モンベルトは信じられないほど短い時間で復興を果たしました。そのおかげで、トリプルAは超銀河連邦全体で有名になった訳です。これが、トリプルA相談所の簡単な歴史と言うことになりますね」  面白いでしょとアリッサは笑ったのだが、ノブハルを含めた全員が凄すぎると感動していた。確かに業績もすごいのだが、登場人物が歴史に名を残すような人たちばかりだったのだ。 「それから、皆さんはとても運がいいと思いますよ。これから、安全保障部門のトレーニングを見ることができるんです。カイトお兄様、レムニア帝国の剣士ミリアさん、パガニア王国上級剣士クリスブラッドさんとエーデルシアさんの全力が見られますからね」  そこで情報を確認したアリッサは、「お願い」とトラスティに甘えた。とことんアリッサに甘いトラスティだから、二つ返事でそのお願いを聞いたのは今更のことだろう。「コスモクロア」とすぐに自分のサーバントを呼び出した。 「例の場所へ、全員を連れて行ってくれ」 「今回は、アクサを使わないのですね」  いいですけどと苦笑をして、コスモクロアはトラスティに融合をした。そこでちょっとしたイタズラとして、トラスティに比較的濃厚な口付けをした。その光景にアリッサを含めて全員が驚いた次の瞬間、9人は広いドームのような場所に飛ばされていた。 「デバイスと言うのは、融合する時にキスをするものなのか?」  そこでノブハルが真剣な表情で尋ねたのは、自分も同じ経験をしているからに他ならない。それだけでピンと来たトラスティは、「ごく一部だよ」と苦笑とともに答えた。 「一番顕著なのは、兄さんの所のザリアだよ。コスモクロアは……まあ、いたずらをしただけだろうね」  ノブハルに答えながら、トラスティは一行をやけに丈夫なスクリーンの後ろへと案内した。 「2mの強化ガラスに、電磁スクリーンが張られているから……多少のことなら、まあ大丈夫って所かな。ただ、もしものことがあるといけないから、僕と君はデバイスを待機させておいた方がいい」  そう言って笑ったトラスティは、「コスモクロア」と自分のサーバントを呼び出した。そしてトラスティを真似、ノブハルも「アクサ」とサーバントを呼び出した。ただ不思議だったのは、二人のサーバントは示し合わせたようにフヨウガクエンの制服姿をしていたことだ。  観客側の準備ができた所で、中央にあるグラウンドに4つの影が現れた。一行からの距離は、およそ200mほどだろうか。そこまで離れると、人の姿が小さすぎた。 「こんなに、離れる必要があるんですか?」  それを疑問に感じたナギサは、隣にいたトラスティに尋ねた。 「必要かと言われれば、そのあたりはちょっと疑問って所かな」  んーと考えたトラスティは、ノブハルの考えとは違う理由を口にした。 「巻き込まれることになったら、この程度の距離はあってないことになるからね。多分だけど、逃げ出す暇なんか無いんじゃないかな? まあ、近くに居るよりは「まし」程度で考えた方がいいだろう」  それだけ凄いという意味で口にしたトラスティに、「主様」とコスモクロアが口を挟んできた。 「カイト様から、苦情がありました。言っていることに間違いはないが、コントロール出来ないほど駆け出しではないとのことです」 「まあ、兄さんならそう言うのだろうね……」  苦笑を浮かべたトラスティは、「謝っておいてくれるかな」とコスモクロアに頼んだ。  準備運動なのか、4人は思い思いのやり方で体を動かしていた。それが終わったのを見たトラスティは、「そろそろだ」と全員に声を掛けた。ただ声をかけたのはいいのだが、次の瞬間一人の例外もなく4人の動きを見失った。  正確に言うのなら、4人がグラウンドの中央に居るのは見えていた。ただ高速で動き回る姿に、4人がそれぞれ何をしているのか理解ができなかったのだ。更に言うのなら、途中で誰が誰かの区別もつかなくなっていた。その状況は、シルバニアから派遣された二人も例外ではなかった。 「上には上があるって聞いてたけど……」  ふうっと息を吐き出したリュースは、「余計なことを言わなくて良かった」と漏らした。 「余計なこととはなんだ?」  それを聞き止めたノブハルに、リュースは「あれ」と言ってグラウンドの中央を指差した。 「目が慣れてきたから、多少は何をやってるのか分かるようにはなったんだけど……私も手合わせして欲しいかな、なんて少しぐらい考えていたのよ。機人装備も持ってきていたから、大丈夫かななんて考えたんだけどね……だめだわ、混じったら1秒も持ちこたえることは出来ないと思う」  リュースの実力は、セントリアと比較することで想像することは出来た。間違いなく自分より遥か高みに居るはずなのに、それでも訓練する4人に及ばないと言うのだ。「上には上が有る」と言う事自体珍しくないのだが、どれだけ上なのだとノブハルは呆れてしまった。 「トラスティさんは、見えているんですか?」  そこでどうなのだと問われたトラスティは、「全然」と爽やかに笑ってみせた。 「間違っても、僕はあんな化物じゃないよ」  そう自分を評したトラスティは、「アクサ」とノブハルのデバイスに声を掛けた。 「君の力を借りたら、ノブハル君はあの中で互角に戦えるかな?」 「ライラ皇帝が言ったことを理解できたわ」  そこでノブハルを見たアクサは、「絶対に無理」と言い切ってくれた。 「どう考えても、ノブハル様をあそこまで鍛えることは出来ないわ。パガニアとリゲル帝国の剣士相手なら、勝てないまでもなんとか出来るとは思うけど……ザリアのマスター相手は絶対に無理。もしもそんなことになったら……ならないように努力はするけど、その時は逃げる方法を考えるわね。正面から向かい合った時点で、逃げ出す前に殺されることになると思うけど」 「時間を止めても……かい?」  さり気なく探りを入れたトラスティに、「それが出来ても」とアクサは返した。 「ザリアなら、停止空間を破壊できるのでしょ? そもそも、ザリア相手に時間遅延とかしてる隙がないから」  だから無理と繰り返したアクサに、なるほどねぇとトラスティは大きく頷いた。 「コスモクロア、君も同じ意見かな」 「デバイス同士の戦いなら、事情は違ってくるのでしょう。ただフュージョンした状態では、主の能力差が大きく影響してきます。戦士として鍛えられたカイト様相手では、主もノブハル様も、何もすることは出来ないかと思います」  コスモクロアの意見に、「君単独なら」とトラスティはさらに踏み込んだ。 「カイト様は、ザリアの力を底上げいたします。ですから、私単独でも勝つことは出来ないでしょう。多少はましになる程度だとお考えください」  なるほどと大きく頷いたトラスティは、「だそうだ」とノブハルに話を振った。 「だから、エヴァンジェリンさんにのぼせてもいいけど、間違いを犯したら命の保証はしないからね」 「なぜ、エヴァンジェリンさん相手と言う話になるのだ……」  少し不機嫌そうにしたノブハルに、「予防線を張っただけ」とトラスティは笑った。 「それぐらい、魅力的だと理解してくれればいいよ」  その程度と答え、トラスティは相変わらず続いている戦いへと視線を向けた。そして神妙な顔をしているセントリアへと声を掛けた。 「どうだい、目は慣れたかな?」  彼女より強いリュースのコメントを聞けば、シルバニア帝国近衛のレベルを超えた訓練と言うのは理解できる。それを見てどう受けとったのか、それを確認したと言うことだ。その動機に有るのは、ちょっとしたお節介をしようと言う親切心である。 「目は慣れたと思えるのだけど……機人を使ったとしても、入っていけるとは思えないわ」 「でもアクサを使えば、ノブハル君はあそこに入っていけるんだ。もちろん、勝てるとは言わなけどね」  それは、ノブハルには護衛は不要と突きつける意味を持っていた。しかも彼女より実力が上のリュースまで派遣されたのだから、ますますセントリアの存在価値はなくなったのだと。もちろん、それが「護衛として」と言うことはトラスティも理解していた。理解しているからこそ、敢えてその話を持ち出したのである。  ただセントリアが、そんな意図に気づけるはずがない。彼女にしてみれば、「まだ居るつもりか?」と突きつけられた気がしていることだろう。 「……任務解除の上申をするわ」  顔色を悪くしたセントリアに向かって、トラスティははっきりと頷いた。 「判断としては、妥当なところなのだろうね」  セントリアの判断を認めたトラスティに、「ちょっと待て」とノブハルが声を荒げた。 「何を、勝手なことを言っているんだっ!」  そんなノブハルに、トラスティは驚いたような顔をした。いささかわざとらしくもあったが、少なくともノブハル達はそのわざとらしさに気づいていなかった。 「護衛の任務を終えたんだろう。だったら、帰任するのは不思議な事じゃない」  そう答えたトラスティは、「そもそも」とノブハルの考えをただした。 「君は、必要のない護衛任務にいつまで彼女を縛り付けておくつもりなんだい? 彼女の故郷は、エルマーじゃなくてシルバニアなんだよ。任務が終わったのなら、故郷に帰してあげるのが親切というものだろう?」  違うのかと問われれば、その通りとしか答えようのないトラスティの指摘である。 「確かに、それは否定出来ないのだが……」  それでいいのかと口にしかけたノブハルだったが、「上申」自体はセントリアが持ち出したことを思い出した。 「だが、彼女は俺の恩人だっ」 「彼女が君の恩人と言うことを否定はしないが、それにしても護衛として役目を果たしただけのことだよ」  反論のための反論を正論で潰したトラスティは、「引き止めてどうするんだい?」とノブハル達に問いかけた。その問いを聞いた所で、リュースとナギサはトラスティの意図に気がついた。 「君は、すぐにでもシルバニアに帰りたいと思っているのかな?」 「そ、それが、私の任務だからっ」  ますます顔色を悪くしたセントリアを見て、「ノブハル君」とトラスティはノブハルの顔を見た。 「君は、彼女を帰してもいいのかな?」  そこまで言われれば、リン達もトラスティの意図を理解することが出来る。ただここで割り込むのは、話を振り出しに戻すだけだと全員が自重をした。 「俺は……」  答えを迫られたのだが、ノブハルはその答えを口にすることはできなかった。一度セントリアの顔を見たのだが、それでもその事情は変わってくれなかった。 「コスモクロア、二人を飛ばしてくれるかな?」  本来ノブハルの空間移動は、アクサの役目のはずだった。そしてアクサが付いている以上、勝手に空間移動させられるはずもなかった。だがトラスティが命令を発した次の瞬間、ノブハルとセントリアの姿が全員の目の前から消失した。 「邪魔をしなかったんだね?」  ノブハルと離れたアクサに、トラスティは「どうしてかな」と問いかけた。 「送り先が分からなかっただけのことよ」  ふんと鼻息を一つ吐いて、アクサはその姿を消失させた。 「意外……でもないか、お節介な人なんですね。ただ、思ったよりは親切だったなと」  アクサが消えた所で、そう言ってナギサがトラスティに声を掛けた。 「あれを親切だと思うようなら、まだまだ君は甘いね。僕は、ノブハル君には弾けてもらう必要があると思っているんだ」 「あなたの代わりに、やんごとなき方を誘惑させようと?」  そう口にしたナギサは、「やっぱり親切な人だ」と笑った。 「正確には、女性に優しいんじゃないの?」  セントリアの思いが叶うことに異論はないが、それでも気に入らないことは気に入らない。少し不機嫌そうな顔をしたリンに、「それは今更のこと」とトラスティは笑った。 「僕のモットーは、すべての女性に優しくだよ」  そう嘯いたトラスティは、「そろそろ場所を変えよう」と声を上げた。そう言われてグラウンドを見たら、既に4人の訓練は終わっていた。それどころか、汗を拭きふきこちらに歩いてくるのが見えたぐらいだ。あれだけの激しい戦いをしたのに、汗をかいた程度と言うのが信じられなかった。 「さすがは兄さんたちですね、目が着いていけませんでしたよ」  笑いながら出迎えたトラスティに、「観客がいたからな」とカイトも笑った。 「だから、ちょっとサービスをしたんだ。あとは、そうだな、建物を壊さないように気を使ったと言う所だな」  チクリと嫌味を言い返され、「それを言いますか」とトラスティは苦笑した。 「ところで、ノブハルの顔が見えないようだが?」  少し顔を動かしたカイトに、ああとトラスティは頷いた。 「彼なら、ちょっと野暮用で席を外しています」 「野暮用?」  そこでもう一度顔を巡らせたカイトは、エリーゼとトウカがそこにいるのを確認した。 「彼女たちがいるのに?」  現時点で、ノブハルが関係している女性を思い出し、カイトは「野暮用?」と繰り返した。そんな兄に、「詮索しないから野暮用なんですよ」とトラスティは笑った。 「まあ、確かにそうなんだがな」  そこで振り返ったカイトは、こっちへこいと3人を手招きした。 「ノブハルに紹介してやろうと思ったんだが……まあ、シルバニア帝国近衛に紹介させてもらうか」  そう言ってリュースの前に立ったカイトは、最初にミリアを指し示した。 「最初に紹介するのが、リゲル帝国剣士ミリアだ。通り名は、「赤の魔女」と呼ばれる実力者だ」 「ミリアです、高名なシルバニア帝国近衛にお目にかかれて光栄です」  礼儀に従って頭を下げられ、リュースもそれに習って礼を示した。ただ頭を下げながら、顔は微妙に引きつっていた。 「次の二人が、パガニア王国から派遣された上級戦士だ。こいつがクリスブラッド、二つ名は「マッドハッター」だ。そしてもう一人がエーデルシア、二つ名は「沈黙姫」だ」 「シルバニア帝国近衛の名声は、パガニアにも伝わっていますよ」  珍しく真面目に、クリスブラッドとエーデルシアはリュースに向かって頭を下げた。それに応えて頭を下げたリュースだが、顔の引きつりは先ほどより酷くなっていた。自分を持ち上げてくれた3人なのだが、実力的には逆立ちしても敵いそうもなかったのだ。だから持ち上げられれば持ち上げられるほど、皮肉を言われている気がしてしまう。  ただ、そんな感情はカイトたちには関係なかったようだ。弟の顔を見たカイトは、「これからどうする?」と予定を確認した。 「せっかくですから、歓迎会をしようと思っているんですよ。トリプルAの施設を使おうかと思っています。そのまま彼らは泊まっていきますから、広さと合わせてカゴネがいいかなと」 「カゴネって、温泉って奴か?」  それはいいと喜んだカイトに、「そのカゴネ」とトラスティは笑った。 「せっかくだから、エヴァンジェリンを連れて行っていいか?」  そこでカイトが確認したのは、トラスティではなくアリッサだった。そこで指を折って部屋数を数えたアリッサは、「せっかくだから」ともう一人招待をしたらと提案した。 「子守にバネッタを派遣しますから、リースリットさんもお誘いしたらどうです?」 「リースリットか……それは、本人次第だな」  でしたらと、アリッサは早速リースリットに連絡を入れた。そして連絡を入れてすぐに、「子供も連れて行きたい」と言う返事があった。 「やっぱり、リースリットさんも騒ぎたいみたいですね」 「しかし、飲んだくれのところに連れてきていいのかなぁ」  子供は可愛いが、だからと言って環境を考えなければいけない。ううむと考えたカイトは、「ザリア」とサーバントを呼び出した。 「ベレアを守ってやってくれ」 「我に、子守をしろと言うのか!?」  驚くザリアに、「問題があるのか?」とカイトは尋ね直した。 「い、いや、別に問題と言う訳ではないのだが……」  ううむと考えたザリアは、視線を宙に向けて何かを確認するように指を動かした。ぶつぶつ言っている言葉を聞いた限りでは、何かのデーターベースを検索しているようだ。 「うむ、多分だが大丈夫であろう」 「不安だったら、バネッタをサポートにつけますよ?」  さすがに不安を感じたアリッサに、「手出し無用!」とザリアは見得を切った。 「我が、立派に育ててみせよう!」 「いや、別にそれは期待していないからな」  母親が宴会中の面倒を見ることが、どうして子育てになってくれるのか。やけに張り切るザリアに、失敗したかと、カイトは不安を感じていた。 「……とりあえず、カゴネの別荘まで移動しますか」  同じように不安を感じたトラスティだが、それを言ってもザリアが意固地になるだけだと分かっていた。だから諦めて、宴会場に移動することを提案した。カイト達はシャワーを浴びるべきなのだが、行き先に温泉施設があるからそこで浴びれば浴びれば目的は達せられるはずだ。 「じゃあ、コスモクロア、僕達をカゴネの別荘に運んでくれるかな?」 「畏まりました、主人様」  頭を下げたコスモクロアは、そのままトラスティ達をカゴネの別荘に空間転移をさせた。それを見送ったカイトは、一緒に来ていたクリスブラッド達の顔を見た。 「じゃあ俺は、エヴァンジェリンとリースリットを連れに行ってくる。お前達は、先に行っていてくれ」  またなと手を振り、カイトはその場から消失した。 「私やミリア殿はいいのだが、エーデルシアは彼氏殿を放っておいていいのかい?」  すでに大学を卒業したフレデリックは、プロのFリーグチームに入団していた。しかも押しも押されぬエースQBと言うこともあり、そのお相手のエーデルシアも有名になっていた。  クリスブラッドにフレデリックのことを問われたエーデルシアは、真剣にどうしようかと考えていた。シーズン真っ盛りだと考えれば、呼び出すと言う訳にはいかないのだろう。むしろ自分が顔を出すのが、世間の常識から行けば正しい行為に違いない。  だがトリプルAとしての行事なら、参加してこそ社員の務めとも言えたのだ。出される食事の豪華さを考えると、カゴネの別荘に行くのも捨てがたかった。だからエーデルシアは、ううむと悩むことになったのである。 「やっぱり、仕事を優先しないと……私は、できる女だから」 「食べる女と言うのなら、積極的に同意して差し上げますけどね」  ふふふとクリスブラッドが笑ったのは、パガニア戦士としての常識を考えたからに他ならない。たまに王宮まで報告に戻ると、周りから羨望の眼差しを向けられていたぐらいだ。  それを考えれば、これは自分達に与えられた褒美に違いない。それを享受するのは、パガニア戦士としての務めとも言えるだろう。だからクリスブラッドも、それ以上エーデルシアの判断にはこだわらなかった。 「では、我々も参りましょうか」  そう声をかけられた、ミリアに声をかけた。 「そうね。早く温泉で汗を流したいわ」  積極的に同意をしたミリアは、赤い光を残してその場から消失した。それを確認したクリスブラッドは、「我々も」とエーデルシアと確認をして多層空間の向こうへと消えて行った。その様子を見る限り、リゲル帝国剣士とパガニアの戦士は、ジェイドの生活を楽しんでいるのは間違いないだろう。  社員研修にも使えるようにと、その当てもないくせに用意されたのがカゴネの別荘だった。そのおかげで、「貴賓室」2を含めて、建物の部屋数は20ほどあった。そして立派な宴会場に、男女に分かれた大浴場が2つと、至れり尽くせりの施設となっていたのである。ちなみにこの大浴場は、アス詣でで使ったお風呂を参考にしていた。  ただそれだけ立派な施設なのだが、アリッサがここを使うのは2回目でしかなかった。年間を通しての稼働率で考えると、数%と言う低いものになっていた。  その稼働率の低い施設に、専用のクリスタイプとポセダタイプのアンドロイドが各4ずつ配置されていた。稼働率から考えると、こちらもまた贅沢と言うより無駄遣いと言っていいのだろう。 「……すごく、立派な施設なのですね」  玄関の作りは、ラナ地区に行った時に泊まったホテルよりも立派だったのだ。しかも迎えに出たのが、年若い女性にカスタマイズされたクリスタイプのアンドロイドである。アンドロイドと分かっていても、つい意識をしてしまうナギサだった。 「一応お客様をお迎えするために用意しましたからね。ただ、その目的で一度も使ったことがないのですけど」  ふふと笑ったアリッサは、さっさと中へと入って行った。滅多に使っていないが、それでも自分の部屋だけは忘れていなかったのだ。ナギサ達がゲストだと考えると、いささか顰蹙ものの態度なのかもしれない。ただ社長に案内させるわけにはいかないと、あとをトラスティが引き取った。 「君達は、このあたりの部屋を自由に使っていいよ」  別荘の見取り図を投影し、トラスティは「ここら」とナギサ達の使う部屋を指し示した。 「ここの3つは、ミリア達が使うからね。そしてこっちの貴賓室は、兄さん達が使うから」  そう説明したトラスティに、「宜しいでしょうか」とエリーゼが手を挙げた。 「ノブハル様は、どこにいらっしゃるのですか?」 「ノブハル君ね」  ああと頷いたトラスティは、「ここ」と端っこの部屋を指差した。場所的には、ナギサ達に割り当てた一角にある部屋だった。 「鍵は掛かってないと思うけど、踏み込むのはやめておいた方がいいと思うよ。多分だけど、お腹が空いたら出てくると思うから」 「セントリアさんの思いが叶ったということですね」  少し嬉しそうに頷くのは、エリーゼとノブハルの関係を考えれば不思議なことに違いない。ただここは、そう言った常識から無縁の世界にあるようだ。トウカどころか、リンも不思議そうな顔をしなかった。その中で例外といえば、男であるナギサだろうか。「あー」とどこか遠くを見る目をしていた。  そこで時計を確認したトラスティは、「2時間ほど時間を潰してくれるかな?」と全員に告げた。 「ここのダイニングで、ちょっと豪華な夕食をご馳走するよ」 「何から何までお世話になったようで、ありがとうございます」  ノブハルがいないので、ナギサが代表してトラスティに頭を下げた。そんなナギサ達に、「いやいや」と首を振り、引っ張ってきたのはこちらの都合だからとトラスティは笑った。 「だから気にする必要はないよ。それに、この施設も開店休業状態だったからね。たまには使わないともったいないだろう?」  だから気にする必要はないと、トラスティはナギサ達に手を振ってアリッサの待つ部屋へと歩いて行った。  そしてトラスティ指定した2時間後、全員がカゴネの別荘にある食堂に揃うことになった。ちなみにザリアは、貴賓室でリースリットの娘、ベレアの子守をしていたりした。一応部屋にバネッタも派遣されていたのだが、手出しは無用とザリアがベビーベッドに張り付いていた。  カイトが連れて現れた女性二人に、エルマー側の出席者はさすがは宇宙最強の男と感心していた。アリッサも美しいと思っていたのだが、その姉エヴァンジェリンもまた、アリッサに負けない美しさを誇っていたのだ。しかも年齢分だけ色香が増しているため、目の毒だとナギサが考えるほどだった。そして二人には劣るとは言え、リースリットもまた落ち着いた美しさを持っていた。これで子持ちと言われても、本当なのかと聞いてみたいほどだった。 「難しいことを言うつもりはありません」  フルートグラスを持って立ち上がったアリッサは、一度姉を見てからエルマー組の方へと顔を向けた。ちなみにノブハルも、少し疲れた顔をして食事に参加していた。 「ここにいる全員が、トリプルAの関係者です。おかげさまで、トリプルAの業績は大きく伸びています。ただ、それに満足して歩みを止めるつもりは全くありません。そこで皆さんにお願いするのは、新しい冒険に踏み出して欲しいと言うことです。大型投資をするだけの余裕もできましたから、遠慮することなく私に教えてください。では、ますますのトリプルAの発展を祝って、そして遠くエルマーから来てくださったノブハル君達を歓迎して乾杯をしましょう!」  そこで一度言葉を切り、アリッサは出席者全員を一度ゆっくりと見渡した。そしてそれが終わったところで、「乾杯!」と大きな声を出してグラスを掲げた。アリッサに合わせるように、全員から「乾杯」が唱和された。元気の良さは、会社としての勢いを現しているようだ。  ちなみに肉体派4人のところには、山のような酒を用意してクリスタイプが1体控えていた。そしてそれ以外の11人には、クリスタイプ2体が給仕のため付いていた。 「今の所、エルマー支店の業績も順調だと思いますよ」  乾杯が終わったところで、アリッサは席を立ってノブハルの所に近づいてきた。そのあたり、社長として支店長を労うと言うのが理由である。特に問題なく支店運営ができているのだから、普通なら喜んで賞賛を受け取る所だろう。  もっともエルマー支店の商売は、タンガロイド社独占代理店の立場があって成り立つものでしかない。まだノブハル独自のものがないと思っていることもあり、褒められても素直には喜べなかった。 「い、いえ、社長が独占代理店にしてくださったおかげでしかないと思っていますので……」  それを素直に口にしたノブハルに、「今はそれでいいのでは?」とアリッサは笑った。 「オフィスで、トリプルAの沿革をお話ししましたよね。女子大生のアルバイトの世界から、トリプルAはここまで成長することができたんです。あなたがこれから何を見せてくれるのか、私は楽しみにしているんですよ」  そうやって穏やかに微笑まれると、人のものだと思ってもつい意識をしてしまう。確かに釘を刺されるはずだと、アリッサを見てノブハルは納得させられた。何しろアリッサを前にすると、喉が渇いて仕方がなくなってしまうのだ。  手元の酒をがぶ飲みするノブハルに、エリーゼ達は複雑な表情を向けていた。勝負するには絶望的な相手なのだが、救いはアリッサがノブハルを相手にしていないことだろう。もしもその気になられたら、これまで積み上げてきた時間も役に立たないと思えたぐらいだ。トランブル姉妹が3人姉妹でなくてよかったと、女性陣が真剣に考えたほどである。  ある意味微笑ましい状態になっているエルマー組とは別のところで、トラスティはカイトを捕まえていた。ただきな臭い話をしようとするのではなく、トランブル総帥が喜んでいたと伝えるのが目的である。 「義姉さんが子供を産む気になったことを、お義父さんが喜んでいましたよ」 「トランブル総帥か……あの人は、子煩悩で有名なんだよな」  ぐびっと濃い色をした液体を飲み込み、「まだまだだな」とカイトは口にした。 「加速して体質改善は進んでいるが、ザリアの分析ではあと3ヶ月は必要だそうだ」 「それにしたところで、始めてから4ヶ月にも満たない時間でしょう。僕には、十分短い時間に思えますよ。何しろ、アリッサ以上の体力なしでしたからね……」  そう言って笑ったトラスティは、「心配をかけているようです」ともう一つの話を持ち出した。ただ方法論の話はしないで、ただ心配をかけたという所だけを抜き出した。 「だからあの人は、兄さんの心配もしていました。本当に、どれだけ子煩悩なのかと思いましたよ」 「俺の問題?」  何事かと首をかしげたカイトは、すぐに「ああ」とその意味を理解した。 「トランブルの総帥の耳にまで届いていたのか」 「それだけ、義姉さんを溺愛していると言うことです」  カイトとは違ってワインに口をつけたトラスティは、自分も説教されたのだと打ち明けた。 「ちゃんと、子供達をハグしてやれと説教されました。あとは、アリエル皇帝もハグしてやれと。アリッサ達を見ていると、反論できないんですよね」 「俺たちには、親にハグをされた経験が無いのだけどな……」  そこでグラスを置いたカイトは、「ハグか」と自分の両手を見つめた。 「血に濡れたこの手で、子供を抱いていいいのかと思う時があるんだ」 「兄さんは、正義の味方でしょう……と言うような、簡単な話じゃ無いのは理解しているつもりですけどね」  「後悔しているのですか?」とトラスティは問いかけた。 「エヴァンジェリンやリースリットを愛しているのは嘘じゃ無い。それを後悔しているのかと言われれば、そんなことはないと……は強く言い切れないな。未だに、こんな俺で良かったのかと思うところもあるんだ」 「超銀河連邦最強の人が、ですか?」  そう言って笑った義弟に、「逆にだ」とカイトは答えた。 「確かにザリアを従えた俺は、今の時点で最強なのかもしれないな。だが、その最強の俺が何をしているんだ? パガニアの問題解決にも、モンベルトの問題解決にも、なんの役にも立たなかったじゃないか。これから先も、そんなものが役に立つとは思えないんだよ」  だからだと答え、カイトは濃い色をした酒を飲み干した。 「ものすごく、贅沢な悩みに聞こえますけどね……」  血の色をしたワインに口をつけ、トラスティはカイトの間違いを指摘した。 「パガニアの問題解決にも、モンベルトの問題解決にも兄さんの助力は必要でしたよ。兄さんがいなければ、クンツァイトは間違い無く死んでいました。そしてライスフィールも、報復で暗殺されていたでしょう。兄さんがいたからこそ、誰も死なない決着を迎えることができたんです」  そう口にしたところで、分かっていますよとトラスティは先手を打った。 「僕がやったと言いたいのでしょうけど、あれは僕だけでは無理なことだったんですよ。僕がコスモクロアを使っても、ヘルクレズ達を止めることはできませんでした。そしてライスフィールを無効化できないことで、ヘルクレズ達にのされて終わっていましたよ。あれは、兄さんがいてくれたからこそ、取ることのできた作戦なんですからね。そこから先は、役割の違いと言う奴ですよ。連邦最強の兄さんがいてくれたから、僕も色々と工作ができたんですからね」 「理屈では、そうなのだろうが……」  つまり、感情が追いついていないと言うのである。それを持ち出したカイトに、「兄さん」とトラスティは少しきつい言葉をかけた。 「その後ろ向きの気持ちが、義姉さんやリースリットさんを不幸にすると分かっていますか。兄さんはもう、一人じゃないってことを忘れてはいけないんです。兄さんが沈み込むと、二人がそれ以上に辛い気持ちになるんです。それが分かっているから、義父さんも兄さんのことを気にしているんですよ」 「そう言われてもだな……」  ふうっと息を吐き出したカイトは、「悪い」とトラスティに謝った。 「いえ、兄さんの気持ちが分からないとは言うつもりはないんです」  全連邦で最強の力を持つ者が、その力を何の役にも立てていないのだ。自分が指摘したことは大きな貢献には違いないが、言って見ればそれで終わりでしかない。これから先、「最強」の肩書だけを背負って、カイトはジェイドの中でくすぶり続けることになる。平和そのものの世界ならば、それは贅沢な悩みだと言うことができるだろう。だが連邦の中には、彼の力を必要とする世界がまだ多く残っていたのだ。それなのに、何もできない自分を腹立たしく感じたとしても不思議ではない。そのあたり、力があるからこその悩みと言うことになる。  結局退役したことが、カイトにとって心残りの原因となっていた。ただ今更連邦軍に戻ったとしても、抱えた問題が解決することはないのも問題だった。結局組織の歯車として、別のストレスを抱えるだけのことなのだ。 「アリッサに相談してみるか……」  とどのつまり、今の立場は「超銀河連邦最強」の立場に相応しいものではないと言うことだ。それなら相応しい立場を作ればいいのだが、さすがのトラスティもそれがいいことなのか分からなかった。だから「意外に」正解を引き当てる妻の意見を聞こうと言うのである。  その宴会の中で、セントリアはリンを始めとした女性陣に捕まっていた。そのおかげで厳しい追求を逃れたノブハルは、ゆっくりとナギサと酒を酌み交わしていた。 「これで、4人目と言うことになるのだね」  くつくつと笑ったナギサに、「ああ」とノブハルは静かに答えた。照れるなり慌てるなりを期待していたナギサは、ノブハルの反応の薄さが逆に気になった。 「後悔をしているのかな?」  理由を想像したナギサに、「少し違う」とノブハルは変わらぬ調子で答えた。 「格の違いを教えられた……と言うところだ。俺は、セントリアの抱えているものを理解することができていなかった。それなのに、あの人はちゃんと理解をし、どうしたらいいのかを考えていたんだ。あいつのサインに、俺は気付くことができなかったんだよ」 「僕の常識からすると、気づいてはいけないことに思えるのだけどね。何しろ、君にはエリーゼさんと言う婚約者がいるんだからね。ただ、ノブハルは僕の常識から飛び出したところにいるのは間違いないんだろう」  納得したようなことを口にしたナギサは、「本当のところは?」とノブハルを追求した。 「本当のところか……」  話し込むカイトとトラスティを一瞥し、「俺の不甲斐なさだろうな」と本音を吐露した。 「あの二人の話に混ぜてもらうこともできないんだ……」 「僕には、考えすぎのように思えるのだけどね。ノブハルとあの二人は、立場が違いすぎると思うよ。少なくともあの二人は、奥さんを通して兄弟なんだよ」  極めて個人的な話をしていると思えば、ノブハルにお呼びがかからないのも不思議なことではない。それにトラスティの気遣いを考えれば、自分達に気を使ってくれたと考える方が自然だった。 「もしかしたら、お前の言う通りなのかもしれない。ただ俺は、どうしてここにいるのか分からなくなってきたんだ。あの人にとっての俺の価値は、IotUの遺伝子を継いでいることだけじゃないのかと思えてきたんだ」 「僕には、ノブハルが意識しすぎのように思えるのだけどね。何の功績も上げていないと言うけど、そんなものはそうそう簡単にできることじゃないと思うよ。そして言わせてもらえば、そうそう事件に巻き込まれるのは勘弁して欲しいな」  そうノブハルを諌めたナギサは、「焦りは何も生まないよ」と忠告した。 「確かに、ノブハルにはまだまだ実力が不足しているのだろうね。だけど、そんなものは焦ったところで身につくものじゃないんだよ。何しろ相手は、宇宙最強の戦士と最悪のペテン師と言われる人たちなんだ。これまで宇宙を意識してこなかった君が、いきなり対等になれると思う方が間違っているんだよ。だからトラスティ氏は、君が追いかけてくるのを期待して色々と世話を焼いてくれているんじゃないのかな? 彼が君の伸び代を認めていると思っているんだ」 「俺の伸び代……か。そんなものが、どこにあるんだろうな」  少し自虐的なセリフを吐いたノブハルに、ナギサは大きくため息をついた。 「謙遜は美徳だけど、自虐は見苦しいとしか言いようがないよ。そして過ぎた謙遜は、害悪としか言いようがないんだ。ノブハル、君の場合は自分の実力を正しく見てないと思ってる。足りないのは、きっと意識と経験だけじゃないのかな?」 「俺は、実力が一番足りていないと思っているんだが……」  それが最悪と口にしたノブハルに、「だったら」とナギサは厳しい言葉を投げかけた。 「この場から、ノブハルは逃げ出すのかな? エルマーに引きこもり、セントリアさんたちも追い返す。シルバニア皇帝との縁も断ち切って、目と耳を塞いで生きていくのかい? 広い宇宙を知ってしまった君が、今更そんな世界に生きられるとでも思っているのかな? 実力が足りないなら足りないで、君は努力をしなければいけないはずだ。そこから逃げるようじゃ、僕のノブハルとは言えないと思っているんだよ」 「いつから、俺はお前のものになったんだ」  やめてくれと懇願したノブハルに、「ずっと昔から」とナギサは言い返した。 「ノブハルは、イチモンジ家次期当主に目をつけられたんだよ。エルマーにいて逃げられるとでも思っているのかな? 僕もリンも、君のことを逃がしたりはしない」  どこにも逃げ場はないと事実を突きつけたナギサに、ノブハルはため息を答えとして返した。 「俺に、どうしろと……いや、いい、聞かなくても答えは分かってる」  開き直れたら楽なのに。小さな声で呟いたノブハルに、「何が不満なのだい?」とナギサは訊ね返した。 「不満か……俺は、何に不満を抱いているのだろうな」  そこでトラスティ達を見たノブハルは、もう一度「不満か」と繰り返した。だがそれ以上の言葉は、彼の口からは語られなかった。  そんなノブハルの様子に、ナギサはノブハルの抱えたものを理解できた気がした。だからナギサは、言葉ではなく行動に出ることにした。ううむと黙ったノブハルの手を掴み、トラスティ達の方へと引っ張っていったのだ。 「やあ、ようやく僕達のところに来る気になったんだね」  そんな二人を、トラスティは笑顔で迎えた。少なくとも、それまで抱えていた沈んだ空気は拭い去られているように見えた。 「ええ、是非とも悩める青年にアドバイスをもらえたらと」  そう言って笑ったナギサに、「悩める青年かい?」とトラスティは笑った。 「つまり、君も複数の女性と懇ろになりたい。そう受け取ればいいのかな?」  ノブハルではなく自分のことを持ち出され、ナギサは少し口元を歪めてそれに答えた。 「恋人の兄さんの前で、その話はさすがにまずいと思いますよ」 「僕の場合、恋人の目の前で別の相手の親がそれを持ち出してきたのだけどね。ちなみにその親は、パガニア国王と言う肩書きを持っていたよ」  そこで口元をにやけさせたトラスティは、「心に広い棚があるのかな」とノブハルに問いかけた。 「俺は、一般的な常識を持っているつもりだった……のだがな。さすがに、今それを主張する勇気はない」  ノブハルの答えに、「だろうね」とトラスティは笑った。 「セントリアさんだったかな、君は自分の意思で常識を踏み越えてしまったからね。シルバニア帝国皇帝までだったら、君は常識を主張することができたんだよ」  御愁傷様と、トラスティは少しも心のこもっていない言葉を吐いた。 「せっかくだから、これからの予定を教えてあげよう。明後日には、リゲル帝国に向けて出発をすることにした。だから明日は、君達だけで自由時間を楽しんで貰うことになる。君がいれば、移動に時間はかからないからね。だから、法律に触れない範囲でどこにいっても構わないよ」  そう説明したトラスティは、ポケットから2枚のカードを取り出した。それを、ノブハルとナギサの二人に手渡した。 「そして、これが君達の活動費……別名、お小遣いというやつだね。君達の常識に沿った使い方をしたら、一生かけても使い切れないぐらいのお金が入っているよ。ちなみにこれは、アリッサのポケットマネーだ」 「そんなものを貰ってもいいのか?」  言われてカードをチェックしたノブハルは、その金額に目を丸くして驚いていた。その隣で目元を引きつらせたナギサに、「これが彼女の常識」とトラスティは笑った。 「それぐらいの金額は、彼女にとってはお小遣でしかないんだ。大型投資とアリッサが言ったけど、それが嘘じゃないのが理解できたかな?」 「だが、新事業など金を使えばできると言うものではないはずだ」  ノブハルの指摘に、トラスティは大きく頷いた。 「まさに、その通りとしか言いようがないね。だから僕は、君の感性に期待をしているんだ。僕はペテンを掛けることはできるけど、何かを創造することは苦手なんだよ。アリッサは、天才的な起業家だと思っているよ。ただ彼女が得意としているのは、事業化判断の方なんだけどね」  だからノブハルに期待をする。それを繰り返したトラスティは、「構える必要はない」と笑ってみせた。 「こんなものに、方法論なんか無いからね。いろんな餌をアリッサの前に差し出して、食いついたものが次のビジネスになると思うよ」 「餌を、差し出すのか」  ううむと唸るのは、それがどれだけ難しいか分かっているからに他ならない。そしてすぐに出てくるぐらいなら、誰も苦労はしないだろう。 「まあ、頭の中を空っぽにしてみることだね」  だから飲めと、トラスティはワインボトルを二人に差し出した。 「僕も、たまには頭の中を空っぽにしてみるべきか……」  じっとグラスを見つめてから、トラスティも血のように赤い液体を喉の中へと流し込んだのである。  避難民の収容施設は、ラッカレロ郊外の緑地帯に作られていた。2百万の人口を収容するには、高層のアパートメントでも5百棟以上の建物が必要となる。しかも巨大な倉庫も必要となるため、もう一つ大都市が出来たのと差がないほどラッカレロは肥大化していた。  そして2百万の住民が暮らす以上、必要な娯楽施設も用意されなければならない。その為急ごしらえで用意された映画館や、飲食店、ショッピングモールが一区画に立ち並んでいた。ただ画一的に作られたため、娯楽施設も面白みに欠けたものになるのは仕方がないことだろう。だから懐具合に余裕のある避難民は、シティと言われるラッカレロの旧市街へと足を延ばしていたのである。  そして交流イベントまで5日となった夜、衣料班のボランティア組8人は旧市街へと繰り出していた。自室で酒盛りをすると配給品の横流しを疑われるし、施設の酒場では日常の延長になってしまうのが理由だった。そして大きな声では言えないことだが、旧市街の方が酒も肴も美味しいと言う事情もあった。 「難しいことは言わないで、交流イベントに向けた景気付けといこう!」  飲み会のリーダーは、ゲレイロと言う20代半ばの男だった。少し黒い肌をした、陽気さが服を着て歩いていると言われる男である。5つある衣料班のうち、イライザ達のいるセクター2のリーダーも務めていた。  ゲレイロの音頭で乾杯をした8人は、大きなジョッキに入った泡の出る飲み物、シュエップを煽った。ガリクソンがアルバイトをしている、酒房ブラウヘン自家醸造の逸品である。  ぷはぁっといささか行儀の悪い息を吐き出した8人は、声を揃えて「うまい」と吠えた。 「なにか、生き返った気持ちがするわ!」  どんとジョッキをテーブルに置いて吠えたのは、女性4人組の一人レベッカだった。少し太めのぽっちゃり美人と言うのが彼女の評判である。 「これも、ガリクソン君のおかげだなっ」  半分本気でガリクソンを持ち上げたのは、同じくボランティア仲間のバチスタである。背が低くぽっちゃりとした、見た目に違わぬ陽気な男である。ちなみにぽっちゃり美人のレベッカとは、恋人同士の間柄だった。ボランティアでラッカレロに来たのが、二人の出会いという話である。 「このシュエップが飲めるのは、酒房ブラウヘン(ここ)だけだからな!」  そう自慢げに語ったのは、宴会場所を提供したガリクソンだった。気分転換と少しの下心をもって、ボランティアの後旧市街までアルバイトに出ていた。好色漢が真面目と言う化けの皮をかぶり、ボランティアで冷や汗を流しているとからかわれていたりした。  ちなみにガリクソンは、周りの温かい応援のおかげでイライザの隣席確保に成功していた。 「あなたの手柄じゃないでしょ……って言うところなんだけど。本当にこれは美味しいわね」  ぐびっと残っていた分を飲み干し、イライザは巨大なピッチャーに手を伸ばした。ただ彼女がピッチャーを掴む前に、「任せておけ」とガリクソンが横から攫った。 「ここはシュエップと枝付き生ハムが絶品と評判なんだよ!」  そう言って、少し厚めに切られた生ハムの皿をイライザの前に起き、空になったジョッキにピッチャーからシュエップを注ぎ込んだ。  勧められるままに生ハムを口に運んだイライザは、「シュエップが進む」とジョッキからシュエップを煽った。そしてジョッキを置いたと思ったら、ピックで突き刺した生ハムを口に運んだ。 「ほんと、美味しいわ、これ」 「だろう」  ガリクソンが嬉しそうなのは、お目当のイライザがご機嫌だからだろう。しかも普段に比べて、距離が半分ぐらいに近づいていたのも見逃せない。いきなりの接近に、バイト代をつぎ込んだ甲斐があったと思ったぐらいだ。 「だけど、ここを見てると戦争中って感じがしないわね」  ぐるりと辺りを見渡したテッセンは、店の賑わいに感心したように呟いた。広い店内なのだが、すでにほぼ満席状態となっていたのだ。 「まあ、前線からは遠く離れているし、防衛線からでも100k離れているからな。オウザクの騒ぎも、結局大したことはなかったと言う話だ」  テッセンに相槌を打ったのは、ガンボと言う男だった。包容力の塊と仲間から言われるのは、その見た目が理由と言うのは疑いようがないだろう。もちろん性格の方も、とてもおおらかなものを持っていた。その打たれ強さのおかげで、テッセンとも結構うまくやっていた。  そうやって騒げば、大きなピッチャーもあっと言う間に空になる。「待ってろ」と立ち上がったガリクソンは、早足で店の奥へと消えて言った。 「ガリクソン、張り切ってるわね」  ちらりとイライザを見てから、サワディは口元を押さえて笑った。どうやらガリクソンの下心は、女性陣に共有されたものらしい。 「俺としては、大いに張り切れと言うところだな」 「あなたの場合は余禄にありつけるからでしょ」  サワディの指摘に、「どこが悪い」とゲレイロは開き直った。 「まあ、俺たちは舞台装置だからな。場を盛り上げる枯れ木と言う例えもある」 「野次馬じゃないのぉ」  バチスタの言葉を、レベッカがすかさず混ぜ返した。そしてガリクソンがいない隙に、「その辺りはどう?」とサワディがイライザに聞いて来た。 「どうって言われても……今まで意識したことはなかったし。テッセンには教えたけど、一応6年の付き合いがある彼氏もいるわよ」 「俺たちがボランティアに来てから、確か4年は経っているよな?」  疑問を呈したガンボに、「それが?」とイライザは疑問の意味を確認した。 「いや、イライザが恋人と会っているのを見ていないのだが?」 「そりゃあ、前に顔を見たのは2年ぐらい前だし……」  う〜んと考えたイライザは、「それぐらい」と真面目に答えた。 「ちなみに、その彼とはキスとかエッチとかしてる?」  突っ込んで来たレベッカに、「それはないわ」とこちらはあっさりと言い切った。 「私より2つ下なんだけど……気がついたら、そばにいたって感じかしら。好きだと言われた記憶はあるんだけど……う〜ん、それ以上のことは一度もなかったわね」 「もしかして、エア?」  それなら分かると突っ込んだサワディに、イライザはブンブンと首を振った。 「エアなんかじゃないわよ。現に、護衛として食料班の方に行ってるから。確か、リスリム・アンダリオの護衛についてるはずよ」 「リスリム・アンダリオ?」  誰それと言う顔をしたサワディに、「サラカブ・アンダリオ上院議員の娘だろう」と戻って来たガリクソンが答えた。 「あら、戻って来たのね」 「ピッチャー2杯ぐらい、そんなに時間がかかるはずがないだろう」  どんとテーブルにピッチャーを置き、ガリクソンはリスリムのデーターを引っ張り出した。 「あら、可愛い子ね。でも、随分と年下に見えるわね」  テッセンの感想に、「18歳」とガリクソンは返した。 「4つぐらい、サバを読んでない?」 「でも、よく調べてるのね。一途な男は違うわね」  茶々を入れたテッセンに、ガリクソンははぁっと息を吐き出した。 「まあ、そう言われるのも理解はしているさ。と言うことで、これがイライザの彼氏と言うことになるな」  ガリクソンが提示したのは、リスリムの陰にいたソーである。こちらは18と言われれば、そうかなぁと思える見た目をしていた。 「なんだ、知ってたんだ」  残念と吐き出したテッセンに、「いや」とその決めつけを否定した。 「リスリム・アンダリオは知っていたからな。その護衛だったから、データーがあっただけだ」 「どうして、彼女のことは知ってたの?」  サラカブ・アンダリオは有名だが、その娘の名前は意外なほどに知られていない。その証拠に、ガリクソン以外はその名前を知らなかったぐらいだ。「ひょっとして」と口元を隠したテッセンに、「いやいや」とガリクソンは首を振った。 「ボランティアに入る前に、新聞で見たのを思い出しただけだ。現役上院議員の娘だからと言うことで、ボランティアになる際に記事なったようだ」 「全然知らなかったんだけど?」  「知ってた?」とテッセンは仲間に確認をした。そして当然のように、イライザを含めて全員が首を横に振った。イライザにしても、リスリムが新聞に載ったことまでは知らなかったのだ。 「俺だって、偶然記事を見なければ気にもしなかったぞ。と言うか、今の今まで忘れていた」  自分のジョッキにシュエップを継ぎ足したガリクソンは、大ぶりのソーセージにフォークを突き刺した。 「おやおや、心穏やかでないって所かな?」  にやにやと口元を歪めたテッセンに、「微妙」と答えてガリクソンはシュエップを煽った。 「20年間彼氏なしと言うのもどうかと思えるしな。結果的に俺の方に振り向かせればいいんだから、その彼氏がエアかどうかも関係はない。とは言え、彼氏が居ると聞かされれば心穏やかと言う訳にはいかないだろう」 「そりゃあ、そうなんだろうね」  意外に大人しく引っ込んだテッセンは、ぐるりともう一度店内を見渡した。 「なんで、ここってこんなに物があるのかしら?」  その素朴な疑問に答えたのも、やはりガリクソンだった。この店でアルバイトをしているのだから、その程度の情報を知っていてもおかしなことではないのだろう。 「仕入れ状況からすると、かなり苦労をしているのは確かだな。後は、多少横流し品を仕入れているところもある。シュエップの原料は備蓄があるからいいらしいが、それだってこのまま供給がなければ、1年は持たないと聞かされた覚えがある」 「そう言う事情を聞かされると、やっぱり戦争をしているって気になるわね」  美味しいのにと呟いて、テッセンはジョッキのシュエップを飲み干した。 「だったら、飲めるうちに楽しんでおかなくちゃ駄目ね」 「テッセンが遠慮していたようには見えないけどぉ」  ツッコミを入れたレベッカも、けらけらと笑いながらジョッキをカラにした。全員のペースが早すぎることも有り、用意した2つのピッチャーもあっという間に空になってしまった。 「お前ら、ペースが早すぎ」  笑いながらガリクソンが立ち上がった所で、「私も」とイライザも立ち上がった。 「おやおや、早速効果が出たのかな?」  ニヤリと笑ったサワディに、「2つじゃ足りないから」とイライザは言い返した。 「サワディ、それは野暮なツッコミだぞ」 「そうそう、そう言う時は、帰ってこなくていいからって送り出すものよ」  ゲレイロとテッセンのツッコミに、「シュエップ要らないの?」とイライザが冷静に言い返した。 「確かに、そのまま消えられると困るか」  その指摘を認めたテッセンに、「そう言うこと」と勝ち誇りながらイライザはガリクソンと一緒に奥の方へと消えていった。  それを見送った所で、「実際の所どうなんだ?」とゲレイロがテッセンに聞いた。 「イライザも、色々と疑問を感じているみたいね。聞かされた話だと、最後に直接会ってから2年は経ってるらしいのよ。やっぱりさぁ、恋人って身近に居て欲しいよね」  ねえと顔を見られたガンボは、大きな体を揺すって「同感」と返した。 「慣れれば、苛つくような毒舌も気にならなくなるからな」 「そうか、まだまだ毒が足りなかったか……」  反省と口走ったテッセンに、「それは」とガンボは及び腰になった。それを全員で笑った所で、ガリクソンとイライザがピッチャーを4つ抱えて戻ってきた。 「あら、早かったのね」 「ご主人が、用意して待っててくれたのよ。顔を見られて、大きく頷かれたのは気になったけど」  特に嫌そうな顔もしないで、イライザは自分の席に腰を下ろした。そして早速ピッチャーから、自分のジョッキにシュエップを注ぎ込んだ。そこで今までと違ったのは、ガリクソンのジョッキにも注ぎ足したことだろう。なにかがあるには短すぎる時間だが、何かを考えるには十分な時間はあったようだ。  二人の接近を確認したのが理由なのか、それからの飲み会で特に男女関係が取り上げられることはなかった。それと同じで、内戦のことも話題とはならなかった。そちらの方は、シュエップがまずくなるからと言う真っ当な理由からなのだろう。その代わり、ボランティアを辞めた後どうするのかとか、今度の交流イベントをどうするのとか、他愛のない話をして盛り上がることとなった。  結局2時間の飲み会で、8人はトータルで30リットルを超えるシュエップを胃の中に流し込むことになった。ただ、誰ひとりとして泥酔状態ならなかったのは、それだけ酒に強いのか、はたまた戦時下と言う緊張状態が理由なのかは分からなかった。一つあったのは、楽しい飲み会が終われば現実に引き戻されると言うことだ。 「俺は、片付けを手伝っていくからな」  自分達の使ったテーブルを見ると、合計4個のピッチャーに、8個の大振りなジョッキに20を超える皿が散らかっていた。そこにわずかとは言え食べ残しまであるから、確かに片付けは必要なのだろう。それにしても店員に任せれば済む話なのだが、慢性的に手が足りていないと言う店側の事情もあったのである。だからこそ、ガリクソンがアルバイトとして雇われたとも言えるだろう。 「だったら、私も残るわ」  そこでイライザが声を上げことに、ガリクソンを含めて全員が驚くことになった。周りの視線を受け止めたイライザは、「奢られっぱなしじゃ気がすまないから」と豊かな胸を張って全員を見返した。 「まあ、理由としてイライザらしいのは認めるわ」  特に茶化すこともなく、「じゃあね」と他の6人は手を振って店から出ていった。仲間の仲が進展するのなら、暖かく見守るのが彼らのスタンスとなっていたのである。  それを見送った所で、「悪いな」とガリクソンはイライザに声を掛けた。 「別に、謝られることじゃないわよ。私達全員、久しぶりに楽しめたと思っているもの。それなのに、あなた一人に後始末を押し付けちゃ駄目でしょう」  気にしないでと笑ったイライザは、ガリクソンを置いてさっさと店の中へと戻っていった。 「やっぱり、いい女なんだよなぁ」  小さくつぶやいてから、ガリクソンは後を追うようにして店の中へと戻っていった。  停戦が破棄されても、政府から見たら特に変化がないと言うのが実態だった。それどころか、停戦中の方が決め事が多くて忙しいと言う事実があるぐらいだ。そのあたり、戦争対応が全てに優先することが理由になっているのだろう。  未だ御前会議が続いているのは、政府という形を残すと言う意味以上のものはないのだろう。特に議論がかわされるわけでもなく、ただ淡々と状況の伝達が行われるのが、ここ数年の御前会議の光景になっていた。  ただ今回の御前会議は、その意味では今までの物とは違うものになっていた。長テーブルの端に座った総統ラグレロが、「戦いを終わらせる」と集まった全員に告げたのである。  もともと小心者と言うのが、ラグレロ・ネレイドに対する評判だった。そして小心者の分だけ、慎重に内政を行って来たと言うのが内乱勃発前までの評判である。  その小心者のラグレロから出た宣言に、御前会議はどよめきに包まれることになった。 「ラグレロ総統、戦いを終わらせると仰ったのか」  その動揺の収まらない中、サラカブ・アンダリオが発言を求めて立ち上がった。そんなサラカブに、「聞いての通りだ」とラグレロは自信ありげに答えた。 「しかし、終わらせると言っても容易ではないはずだ」  それまでの常識を持ち出したサラカブに、ラグレロは「そうだな」とその言葉を認めた。そして傍に座る痩せぎすな側近、ビットリオ・サラマンサに「説明を」と命じた。 「畏まりました」  立ち上がって頭を下げたビットリオは、小さく咳払いをしてから出席した全員の顔を見渡した。会議場の広さに比して人数が少ないのは、それだけ粛清によって数を減らしたと言う意味になる。30ある席のうち、今は10しか埋まっていなかった。 「ただ説明を始める前に、みなさんと現状の再確認をしたいと思っております」  そう前置きをして、ビットリオは惑星地図を会議卓に投影した。そこには赤で政府軍が、そして青で反乱軍が表示されていた。青のエリアは、ラシュトを中心にわずかなエリアだけだった。 「これが、5年前反乱軍蜂起後の勢力図です。この頃の反乱軍は、まだ小さな存在と言うことができたでしょう。ただ我々にしても、ゼス全土を戦場にするほどの戦力は整っていませんでした。そして反乱軍が自動兵器ヴァルチャーを投入してから、このように支配地域が拡大しております。もっとも、支配地域と言ってもほとんどが戦火によって荒廃した地域となっております。そのため、この面積が直ちに勢力につながるものではありません」  それはいいかと問われ、居合わせた9人は小さく頷いた。ただ単に状況の説明なのだから、取り立てて反論する必要もなかったのである。 「ここに幾つかラインを引いておりますが、これが現在の主戦場となっております。双方合わせて、およそ20万ほどの戦力が投入され、今の所均衡が保たれていると言う所でしょう。ただし、反乱勃発当時の中心地区だったラシュトは、我々の攻撃により陥落しております。“多少”の犠牲は出ておりますが、我々の戦果であるのは間違い無いでしょう。もっとも、全体に影響を及ぼすほどでないのは、今更のこととなっております」  そこでぐるりと首を巡らせたビットリオは、「地勢的な説明はここまでです」と述べた。 「我々と反乱軍の戦いは、実質的に膠着状態に陥っています。もっとも、被害だけは積み上がっているので、無事な土地は全土の3割強と言う所でしょう。次に、感情的なものを説明させていただきます」  地図から組織図に表示を切り替えたビットリオは、「こちらに」と組織図の頂点を指し示した。 「反乱勃発当時は、この位置にクラランス・デューデリシアがいました。ですがクラランス死後、その意志を継いだノラナ・ロクシタンが指導者の位置についております。ノラナ・ロクシタンは、当初穏健派だったと言う評判がありました。すなわち、直接の戦闘ではなく、話し合いによって立場を確固たるものとする。そのあたりは、クラランス・デューデリシアの影響を受けたものと思われます。ですがクラランス・デューデリシアの死後、彼女は徹底抗戦に態度を切り替えました。クラランス・デューデリシアの死が、話し合いの放棄理由となったのは確かでしょう。そして軍事的には、クラランス・デューデリシアの支援者としてナイアド・ロングマンがおりました。超銀河連邦軍ハウンド出身で、教官まで務めたと言う優秀な軍人です。そのナイアド・ロングマン配下に、ヘロン・ネオディプシス、タリヌム・カリキヌムと言う二人がいます。ナイアド・ロングマンがキャプテン・カイトとの戦闘で死んだ後、この二人が知と武で反乱軍を引っ張っております。そして圧倒的に劣る物量を補うため、ツンベルギア・エレクタと言うラプター開発者が無人兵器ヴァルチャーの技術を持ち出し反乱軍に合流しております」  ビットリオの説明と同時に、スクリーンには3人の男の顔が表示された。 「先ほど総統閣下が、戦いを終わらせると宣言なされました。みなさんは、この状況下でどのようにと疑問に感じられたことかと思います。常識的に考えて、停戦はあっても終戦はないだろう。そうお考えになるのも、この情勢を見れば不思議なことではありません。何しろ反乱軍は、我々のことを1mgたりとも信用しておりません。したがって、話し合いを持ちかけたとしても、門前払いを喰らうか、さもなければ罠をかけてくることが予想されます。それを考えれば、話し合い自体が成立する状況にはないと言えるでしょう。そして同時に、どちらか一方が降伏すると言うこともありえません。我々には降伏する理由はありませんし、反乱軍は最後の最後まで戦うことを放棄するとは思えませんからね。この点について、どなたか異論はございますか?」  そこで顔を見られた一同は、表情に差こそあれ全員が首を横に振って異論がないことを示した。 「戦いの情勢は互角、そして講和の話し合いができる状況にもない。そしてどちらかが、一方的に譲歩する状況にないことはご理解いただけたかと思います。もっとも、第三者の介入と言うのも戦いを止める方法には違いないでしょう。ですが、連邦軍は一度介入に失敗しております。この状況で再登場するには、我々及び反乱軍の同意が必要となります。ですが、双方が同意できるのであれば、連邦軍に頼らずに講和に向けた話し合いを持つことができるはずです。したがって、話し合いすらできない状況では、連邦軍の再介入はありえないこととなります」 「ならば、どうやって戦いを終わらせると言うのだ!」  前置きの長さにキレたサラカブは、「本題を」と大声をあげた。威圧感すらあるサラカブの態度だったが、ビットリオは少しも気にしたそぶりを見せなかった。 「これからの説明を行うためには、状況を正しくご理解いただく必要があるのです。繰り返しますが、第三者の介入を含めて、話し合いによる解決は望めません。そしてどちらかの一方的な譲歩も、ありえないことと言ってよろしいかと。私の説明に、どこか間違ったことはありますでしょうか?」  そこで顔を見られたサラカブは、忌々しげに首を横に振った。 「だから、戦いを終わらせると言われて驚いたのだっ!」  そう吐き捨てたサラカブに、「そうですね」とビットリオは少しも表情を変えずに頷いた。 「話し合いもできない、一方的な譲歩もありえない。それならば、勝利以外に戦いを終わらせる方法はないことになります。しかし先ほど説明させていただいたように、戦いは膠着状態に陥っております。したがって、一言に勝利すると言っても、容易でないのは想像にかたくありません。ですから、我々の勝利条件を洗い直し、技術開発と合わせて有効な手段がないかを検討させておりました」  そこで言葉を切ったビットリオは、少し高い声で「みなさん」と全員に語りかけた。 「手間の割に効果が薄かったラシュト攻略ですが、一つだけ厳然たる事実があります。それはすなわち、ラシュトは拠点として利用するのに適さない地となったと言うことです。それからもう一つ、反乱軍は先ほど挙げた3人の指導力で成立しております。ですから、戦いを終わらせるためには、反乱軍の頭を潰せば良いことになるわけです。もっとも、これまでの探査では、ノラナ・ロクシタンの居場所は掴めておりません。したがって、頭を潰すのも簡単ではないことになります。よほどラグレロ総統を亡き者にする方が容易いと言えるでしょうね。何しろ総統は、サイプレス・シティの中央行政府におられることが分かっておりますので」  そこまで説明したビットリオは、ラシュトの今を示す映像を投影した。確かに彼が言う通り、動くもののない、死の世界がラシュトには広がっていた。 「技術部より、ラシュトで使用した反応弾の改良が終わったとの報告がありました。拡散重粒子爆弾と言うのですが、1発の爆発でおよそ半径100kmのエリアを死の世界に変えることができます。ちなみに、地中1kmまで効果が及びますので、地下に逃げても爆発から逃れることはできません。その拡散重粒子爆弾を弾頭としたミサイルを、現時点でおよそ50ほど用意できました。これを用いて、敵拠点を虱潰しに潰していきます。いささか効率は悪いかと思われますが、ノラナ・ロクシタン抹殺が可能になるかと思われます」 「やつらが、おとなしくひと所に留まっているのかと言うのもあるが……」  そこでビットリオを睨みつけたサラカブは、彼の正気を疑った。 「惑星表面を破壊し尽くした先に、本気で我らの勝利があると思っているのかっ!」  さすがに受容し難いと大声をあげたサラカブに、ビットリオは明らかな冷笑を浴びせかけた。 「では、じわりじわりとゼス全土を廃墟にするのを選択されますか? 先ほど私があえて状況を確認した意味をご理解いただけていないようですね」  戦いが終わらない理由を説明したのは、この反論をするためと言うことだ。 「サラカブ様も、戦いを終わらせる方法がないことはご理解いただいていると思っておりますが」  追い討ちをかけられたサラカブは、黙ったまま椅子に座り直した。それを肯定と受け止めたビットリオは、もう一つノラナ達がひと所に留まらないことを持ち出した。 「先ほどサラカブ様は、ひと所に留まるはずがないと仰りました。ですから拡散重粒子爆弾と言うことになるのです。この攻撃に晒された場所は、年単位で足を踏み入れることができなくなります。攻撃を事前に察知して場所を移動したとしても、次第に逃げ場がなくなっていくと言うことです。そして移動をすることで、我々の探知網に掛かりやすくなります。戦いを終わらせると言う意味、ご理解いただけたでしょうか?」  激昂するでもなく、ビットリオは淡々と作戦を説明した。しかもその顔には、狂気は微塵も滲んでいない。正気で語る大虐殺に、サラカブは言い知れない恐怖に襲われた。だが「戦いを終わらせる」と言う意味で、これ以外にないと言うのも心の中で認めていた。ガチガチに守られたラグレロ総統暗殺に比べれば、まだ難易度が低く思えてしまったぐらいだ。そこに問題があるとすれば、惑星を焦土とすることへの倫理的な忌避感ぐらいでしかない。 「どうやら、サラカブ様にもご理解いただけたようですね」  ビットリオは、にこりともしないで他の出席者たちの顔を見渡した。そして納得したように小さく頷いた。 「皆様、納得はできないが反対もできないと言う所でしょうか。ただ、これ以外に戦いを終わらせる方法がないことを、内心認められている……と私は受け取っております」  ビットリオは、立ち上がってラグレロ総統に向かって頭を下げた。 「ラグレロ様、説明は終了いたしました」 「ご苦労ビットリオ」  満足そうに頷いたラグレロは、一度息を吸い込んでから「諸君」と声をあげた。 「私は、歴史に悪名を残すことを厭わないだろう。むしろ、私が悪名を残してでも、ゼスの歴史が継続することを望んでいるのだ。このまま戦いを続ければ、人々が死に絶え、無人兵器が戦いを続ける世界だけが残ることだろう。それに比べれば、私の悪名などどれ程のことと言うのか。それが、拡散重粒子爆弾を使用することへの私の決意でもある。もしも異議のあるのならば、是非ともこの場で表明して貰いたい。もっと良い案があるのなら、喜んで採用させてもらおうではないか。どうだろう諸君、意見のある者は名乗り出てくれ」  そこで二度ほど、ラグレロ総統はゆっくりと出席者の顔を見て言った。ラグレロ総統と目があった所で、サラカブは耐えきれずに彼から目をそらしてしまった。  それから10ほど数えた所で、「感謝する」とラグレロ総統は静かに全員に向かって感謝の言葉を捧げた。 「では、今日より2週間後、アリスハバラ攻撃を実行する」  アリスハバラは、解放同盟の勢力範囲内にある2番目の規模を持った都市である。ただ最大のラシュトが焦土と化したため、人口1千5百万を抱える第1の都市となっていた。拡散重粒子爆弾の威力なら、1発使用するだけで全てのエリアが破壊し尽くされることになるだろう。  果たして惑星を焦土にしてまでの勝利が、本当に意味のあるものになるのか。それが早いか遅いかの違いでしかないと言われても、疑問に感じてしまうのは仕方のないことだろう。だが、疑問だけで反論できる時期は、とうの昔に終わっていたのだ。何もしなくても滅びに向かうと言う現実は、ゼスの民にまともな選択肢を残してくれなかったのである。  「一晩考えた」ノブハルは朝食が終わった所でトラスティに相談を持ちかけた。 「それで、何を一晩考えたのかな?」  後から行くとアリッサに声をかけてから、トラスティはノブハルと二人食堂に残った。そこでクリスタイプからコーヒーを受け取り、「話してごらん」と正面からノブハルを見据えた。 「IotUの血を引く俺たちが、周りから何を望まれているのかと言うことだ」  まっすぐにトラスティを見て、ノブハルははっきりと言い切った。それに小さく頷いたトラスティは、「続けて」とノブハルに促した。 「あなたが、IotUの謎に迫ろうと努力しているのは知っている。ディアミズレ銀河にあるズミクロン星系に興味を持ったのも、それが理由だと言うことも教えられた。おかげで俺は、アルカロイドに殺されずに済んだんだんだ。もしもあなた達が関わってくれなければ、俺は間違いなく殺されていただろう。それから色々とあったし、文句の言いたいこともあるが、俺は今の自分を認めているんだ。そして今の自分を認めた以上、あなた達に恩があることになる」  そこで目を閉じたノブハルは、「違う」と自分の言葉を否定した。 「俺の言いたいのは、そんなことじゃない。あなた達は、俺に新しい、そして大きな世界を教えてくれたんだ。そして俺は、ただそれに甘えて文句だけを言っていたのだと思う」  ノブハルの言葉に、トラスティは小さく頷いた。 「まあ、無理やり引きずり込んだ自覚あるからねぇ。だから、君が不満を抱いても不思議じゃないと思っているよ」  そう言って笑ってから、「それで」と先を促した。 「だからと言う訳じゃないが、俺も積極的に関わった方がいいと思えてきたんだ。だからIotUが俺たちに期待するとしたら、一体どんなことなのかと考えて見た」 「なるほど、その方面で関わろうと考えたんだね」  頷いたトラスティに、「色々と整理をして見た」とノブハルは口にした。 「IotUは、1千ヤー前に生きた人だ。そして辺境銀河にまで伝わるような、様々な伝説を残している。それだけ有名なのに、なぜか誰もその姿どころか本当の名前を知らない。12人いると言う奥さんについては、名前だけではなく映像記録まで残っているのにだ。存在自体は疑いようがないのだろうが、だとしたらなぜそこまで自分の名前と姿を隠したのか。裏を返せば、名前と姿を知られたら困ると考えることができる。そこから導き出される仮説の一つは、IotUはまだ没していないと言うことだ。顔を知られてしまうと、静かに暮らすことができなくなる……さもなければ、いまやろうとしていることへの妨げになると言うことだろう」  一つの仮説を提示したノブハルに、「考えられることでは有るけどね」とトラスティは否定的だった。 「名前を残しても、そして顔が知られていても、1千ヤー前の人が生きていると考えるだろうか。そしてもう一つ、顔なんて簡単に変えることが出来るんじゃないのかな? 起こしたとされる奇跡に比べれば、顔を変えることなんて簡単なことだと思うよ」  そのツッコミに、ノブハルはそうなのかと考えた。 「確かに、顔なんか簡単に変えることが出来るな……だとしたら、今伝わっているIotUが別人と言うのはどうだろうか。本質的に同じ人なのかもしれないが、顔も名前も違っていたとしたら。伝えることで、それがはっきりしてしまうだろう」 「仮説としてなら、その方が面白いし説得力はあるね。その分、謎は深まることになるのだが」  うんと頷いたトラスティは、「続けて」と先を促した。 「そして別の疑問として、どうして俺たち3人が生まれたのかと言うものがある。名前や姿を隠すことができるのなら、遺伝子情報を伝えないことも簡単なはずだ。その前提に立てば、俺たち3人が生まれたのはIotUの意思と言うことになる。だとしたら、何のために俺たち3人が生まれることになったのか。そしてもう一つ、なぜ俺の母方の遺伝子提供者だけが不明なのか。それを説明する仮説としては、俺はIotUの名前や姿と同じように意図的に消されたのだと考えた。ただエリーゼと話をしていて、その仮説にも疑問を感じるようになったんだ」  そこで口を挟まなかったのは、ノブハルに自由に意見を言わせようと考えたからだろう。そしてノブハルも、トラスティの言葉を待たなかった。 「ズミクロン星系には、信教が広く伝わっている。そこに出てくるリシンジ、ズイコーではカリシンなのだが、その伝承がIotUに重なっているんだ。それだけなら偶然の一致ということができるのだが、アルテッツァに調べさせたら、超銀河連邦に属する銀河の中には、類似の伝承を持つ星系がたくさんあった。そして不思議なことに、類似の伝承を持つのは100番目以降の銀河なんだ。100番目以前には、アスのある天の川銀河だけだった。そして100番目からは、類似の伝承を持つ星系が頻出する。伝承が生まれた時期自体は違うのだが、その中身に大きな差は見つからなかった。荒唐無稽に思われるかもしれないが、そこから一つの仮説を立てることができるんだ」  ノブハルが言葉を切った所で、トラスティが重い口を開いた。 「もともとは一つだった。さもなければ、同じ環境が作られたあたりかな?」  どうだろうとの問いに、ノブハルは小さく頷いた。 「その仮説に基づくと、なぜ超銀河連邦が1万の銀河で成立しているかの説明がつくと思うんだ」  そのノブハルの言葉に、「本当か?」とトラスティは身を乗り出した。それに頷き、ノブハルは自分の仮説を開陳することにした。 「IotUが、何かを目的に銀河を作った……まあ、これ自体本当なのかと思えてしまうのだが。もしもそれができたとして、いつまでも目的が達成できない時にどう考えるだろうか。なにか区切りの良い数字を決め、そこまでにするんじゃないのか? 別に千でも百でもいいと思うのだが、たまたま1万だったのではないかと考えた。だから1万と言う数字自体に意味がなく、そこで諦めたと考えることができるんだ」  その説明に、なるほどとトラスティは大きく頷いた。1万と言う数は膨大だが、目安としてキリの良い数字を決めると言うの説明には説得力があったのだ。 「僕としては、1万番目で目的が達成できたと考えたい所だね。何しろディアミズレ銀河には、君と言う存在があるんだ。君の持つ正体不明の遺伝子、そして特殊なデバイス。偶然と考えるには、あまりにもできすぎているんだよ」  希望を口にしたトラスティに、それも説明がつくとノブハルは答えた。 「他にも、理想の苗床を作ろうとしたとも考えられる。だが、いくつ作っても目的とは程遠いものになってしまった。だから1万で区切りをつけて、当初の計画とは違うことをしたとも考えることができるんだ」 「なるほどね。だとしたら、IotUは1万もの膨大な数の銀河を作って何をしたかったのかな?」  仮説として銀河を作ったを肯定できても、そこには何らかの目的が必要となる。だが銀河まで作ることのできる存在が、そこに何を求めたのか想像することができなかった。 「失われたものを取り戻すため……さもなければ、もう一度やり直すためと言うことが考えられる」 「気の長い話と言うより、理解を超えた話と言う気がするね。もしもそれが正しいとすると、なぜそんなことを考えたのかと言うのが次の問題となるね」  何をするにも、動機と言うものが必要となる。だが1千ヤーも前のことになると、それを探るのも不可能に等しくなってしまう。そもそもIotUが銀河を作ったと言うのも、ノブハルの考えた仮説に過ぎなかったのだ。だがその仮説が、妙にトラスティの頭に残ったのも確かだった。そこに何があるのか、それを考えてみようと思ったのである。  一つ課題が見つかったと考えたトラスティに、「それから」とノブハルは別の切り口を持ち出した。 「あなたとカイトさんは、モンベルトとパガニアに関わる問題を解決した。確か、IotUの残した宿題だと聞いた記憶があるのだが」 「ああ、確かにそう言った記憶があるね。ただいたるところで話をしているから、いつと言うのはちょっと分からなくなっている」  それでと先を促され、ノブハルは「自分達がすること」と答えた。 「過去の宿題を終わらせたのに、なぜ謎が解けてくれないのか。これ以上何をすればいいのかと、聞いた記憶がある」 「そんなこと、君に話をしたことがあったかな」  少し考えたトラスティは、「まあいいか」と些事にこだわらないことにした。 「それで、何か見つかったのかな?」 「これと言う確証があるわけではないのだが……」  そこで言葉を切ったノブハルは、話を最初に戻すことにした。 「初めの話に戻るのだが、IotUが俺たちに何を期待しているのかと言うことだ。宿題を終わらせたのなら、次に今の問題をどう解決して行くのか。それが、俺たちに試されているのじゃないかと思えたんだ。パガニアやモンベルトの問題は、過去に生まれた不条理なのだろう。だったら、今の時代に生まれた不条理を解決することが求められているんじゃないかと」  その話に、トラスティは一つピンとくるものがあった。トランブル総帥と一緒に会ったのだから、それを覚えていても不思議ではないのだ。 「惑星ゼス……と言いたいのかな?」  トラスティのあげた名前に、ノブハルは大きく頷いた。 「アルテッツァから情報を引き出して、どんな問題が解決を阻んでいるか理解することができた。そして昨日、トランブル総帥が口にした意味も理解できた。超銀河連邦の理事会も、どう解決していいのか分からなくなっている。有名なウェンディ元帥も、今の立場では手を出すことができないと言うのも理解できた。そしてこのまま内戦が続けば、惑星ゼスから生命が失われると言うのも理解した。だとしたら、IotUの血筋である俺たちに、その解決が期待されているのではと思ったんだ」 「なるほど、君の言いたいことは理解できたよ。ただね、ゼスの問題解決は、方法的には実はさほど難しくないんだ。ただ解決を困難なものにしているのは、連邦法の存在だけなんだよ」  トラスティの答えに、「現実問題として解決の目処が立っていない」とノブハルは言い返した。 「確かに、それはどうしようもない現実には違いないだろうね。しかも連邦本来の立場は、一星系のことには不干渉と言うことになっている。現時点でも、ゼスを含めて65536の……解消したのもあるから、今は59000ぐらいだね。それだけの内戦が、連邦全体で起きているんだ。その内戦で星系全体が滅びることになっても、連邦は干渉しないと言うのが連邦法の趣旨なんだよ。なにしろ連邦には、10億を超える星系が加盟しているのだからね。一つ一つに関わっていたら、とてもではないが手が回らないと言うのが実態なんだ」  それが建前だと言うことは、口にしたトラスティ自身理解していることだった。そして現実も、感情で動かしていいものではないことは分かっていた。 「そして、IotUでなければ解決できないと言われ続けることになる訳だ」  ノブハルの指摘に、トラスティは思わず言葉に詰まってしまった。結局、1千ヤーの時間が経っても、奇跡の力に人がすがろうとしているのだ。 「問題解決の方法があるのに、できないと諦めて奇跡に頼ろうとしている……と言うことか」  確かにそうだと、トラスティはノブハルの言葉を認めた。パガニアの問題は除くとしても、モンベルトの問題自体は現代の技術で解消が可能なものでしかなかった。ただ、方法があるのに、誰もその方法にたどり着けなかっただけのことだ。さらに言うのなら、トラスティが提案した方法以外にも、問題解消の方法はあったのだ。 「なるほど、兄さんに関係なく僕達が解決すべきことなのか」  まいったなと吐き出したトラスティは、その方法を考えることにした。どうしようもないと思っていた問題なのだが、すでにトランブル総帥が針の穴を開けてくれていた。だとしたら、その穴をどうやって大きく見せることができるか。それこそが、ペテン師の活躍の場だと考えたのである。 「そろそろ、しびれを切らしてきたと言うところか」  誰の入れ知恵かと考えたのだが、それをノブハルに問いかけることはしなかった。その辺り、相手の想像がついたと言うところもある。 「やはり、アクサが鍵なのか……」  どうすれば、アクサの化けの皮を剥がすことができるのか。その方法を考えようとしたところで、「そう言うことか」と全てが理解できた気がした。コスモクロアやザリアの秘密も含め、全てが何者かによって仕組まれたことなのだと。 「ノブハル君、君もどうすればいいか考えてくれるかな?」  だとしたら、課題を一つずつ問いて行く以外に真実に迫る方法はないのだろう。焦りは何も生まないと、トラスティは目の前の問題を解決することを第一に考えることにした。  その日の午後カイトを交えて相談をしたトラスティ達は、翌日ジェイドを出て次の寄港地であるリゲル帝国主星アークトゥルスへと向かった。その旅の一行に、アリッサが加わったのはリゲル帝国でする話と無関係ではない。  翌日リゲル帝国に着いた所で、トラスティは「相談がある」とカナデ皇に持ちかけた。 「珍しいな、お前が私に相談を持ちかけるとは」  そう言って笑ったカナデ皇は、「それで?」と客達の顔を見渡した。 「誰と誰が、その相談とやらの出席者になるのかな?」 「僕とアリッサの二人と言う所かな。それ以外のメンバーは、兄さんを置いていくから10剣聖が遊んでくれればいいよ」  そこでカイトを見たのは、既に話がついているからだろう。小さく頷いたカイトを見て、「こちらからのお願い」とリゲル帝国側の出席者を指定した。 「あなたと、ミサオ様に出席して貰いたいんだ」 「ミサオを呼ぶと言うのか?」  この4人で集まると、話が違う方向にずれてしまいかねない。下手をしたら、話以前に男女の関係になだれ込むこともあり得たのだ。  さすがにそれはと苦笑したカナデ皇に、「必要なことだから」とトラスティはアリッサを見てから答えた。 「ならば、すぐにミサオを呼び出すことにしよう」  そこでカイトを見たカナデ皇は、「場所は分かるな」と問いかけた。 「ああ、モルドレードの所に行けばいいんだろう」  任せておけと笑ったカイトに、それでいいとカナデ皇は頷いた。そしてトラスティを見て、「場所を変えるぞ」と命じた。 「ここでは無駄に広いし、人目も多いからな」  普段なら否定の言葉を口にするはずのトラスティだったが、今回に限っては異論を口にしないで大人しくカナデ皇に従った。それも普段にないことと、「何があった?」とカナデ皇は訝った。  ただ、それにした所で、すぐに分かることだと割り切った。そのままトラスティとアリッサを連れて、カナデ皇はこじんまりとした居室へと歩いていった。  カナデ皇達が着いた時には、既にミサオも部屋の中に控えていた。それを確認したカナデ皇は、「何を飲む?」と二人に持ちかけた。 「アルコールで無いものを」 「ならば、茶でも用意させるか」  何か合図をしたように見えなかったが、すぐにリゲル帝国標準で小柄な側仕えが現れた。そして4人の前に、適度にぬるいお茶を置いていった。カップの大きさが尋常でないのは、リゲル帝国標準と言うことになる。  お茶の用意をした側仕えが消えた所で、「さて」とカナデ皇はトラスティの顔を正面から見据えた。 「その、相談とやらを言ってみせろ」  その命令に、トラスティは小さく頷いた。 「単刀直入に言うなら、戦力を貸して欲しい。使用目的は、レベル6の惑星の実権を掌握することだ」  特に驚きもせず受け止めたカナデ皇は、「質問が二つばかり有る」と答えの代わりに疑問を口にした。 「レベル6程度の惑星なら、ザリアがあれば実権掌握ぐらい難しくないだろう。それなのに、なぜ我が戦力が必要となるのだ? そしてもう一つ、他星系への侵略ともなると、超銀河連邦軍が黙っておらんだろう。その対策をどう考える?」  いかにと問われたトラスティは、用意してあった答えを口にした。 「兄さん一人だと、時間が掛かるし、被害が拡大しかねないと言うのがその答えになる。他にも声を掛けるつもりだが、戦いを放棄させるほどの戦力を見せつけようと思っている。そして超銀河連邦の介入だが、現地に協力者を得ればいい。そしてその協力者の私兵と言う形で、惑星を制圧する。そうすれば、超銀河連邦は連邦軍を派遣することはできなくなる。そしてこれを、トリプルAの業務と言う扱いにする」  それまで表情を変えなかったカナデ皇だったが、「トリプルAの業務」と言う所で眉をピクリと動かした。 「民間軍事組織を作ると言うことか。他の星系にまで派遣するとなると、ジェイドでやっているようなお遊びとは違うのだぞ。お前のことだから、それぐらいのことは理解して居ると思っているのだが?」  それはどうだと問われ、トラスティははっきりと頷いた。 「ああ、もちろん理解しているつもりだ」  その答えに頷き、「代償は?」とカナデ皇は協力への見返りを求めた。そこで一度アリッサの顔を見てから、トラスティはミサオへと視線を向けた。 「アリッサとの婚姻は解消しない。それでも良ければ、ミサオ様の配偶者となろう」 「逃げ回っていたお前だと考えれば、大した譲歩と言ってやりたい所だが」  理解したような言葉を口にしたカナデ皇は、「不足だな」とトラスティを見据えた。 「一星系を掌握するには、多くの剣士を派遣することが必要となる。しかも想定する相手がレベル6程度では、こちらとしては面白くもなんともないのだ。パガニア相手に喧嘩をするのとは、事情が違うと考えよ」  不足と言う答えから分かるように、カナデ皇は戦力を貸すこと自体は否定していなかった。ただトラスティとしては、これ以上の条件を出すことはできなかった。金銭の問題でないし、それを持ち出した時点でトリプルAが吹っ飛ぶほどの負担になるのが分かっていたのだ。 「だったら、僕にどうしろと?」  不足と言う以上は、要求する水準があると言う事になる。それを言えと迫ったトラスティに、「簡単なことだ」とカナデ皇は笑った。 「リゲル帝国の皇帝になってくれればいい。なに、モンベルトの王をしているぐらいだ、皇帝ぐらい兼務しても問題はないだろう」  あははと笑ったカナデ皇に、トラスティは大きくため息を吐いてみせた。 「どうして、簡単に国を差し出すんだよ」 「リゲル帝国が、1千ヤーの悲願を達成することになるのだからな。初代カナデ様は、IotUを皇帝としその妻となる夢が叶わなかったのだ。その口惜しさは、リゲル皇室に代々伝えられておるのだ」  だからだと言い返したカナデ皇は、「条件はそれだけだ」と言い切った。 「この星に縛り付けようとは思っておらん。ただ皇帝と言う身分になる以上、これまでよりは星に居る時間は長くなることだろうよ」 「それを受けた時点で、僕の判断一つでどうにでもなると言うことか……」  まいったなと右手で顔を覆ったトラスティは、一度隣に居るアリッサの顔を見た。そしてアリッサが頷いた以上、答えは決まったと言う事になる。 「条件闘争をしようと思ったのだけど、そこまで譲歩されると代わりの条件が思いつかなかった……」  ふうっと息を吐き出したトラスティは、カナデ皇とミサオの顔を見比べた。 「それで、二人の立場はどうなるのかな?」  ミサオの配偶者と言う条件に対し、皇帝をカウンターで持ち出されたのだ。そこに、二人に対する立場は含まれていなかったのだ。 「お前の心に浮かんだもの……と言えば分かるだろう」 「やっぱり、そう言うことになるのか」  はああっと深すぎるため息を吐いてから、二人の顔を見て「カナデ、ミサオ」と名を呼び捨てにした。 「これからは、我が妻として僕に従え」 「生涯の愛を捧げることを誓います」  母と娘、二人揃ってトラスティに向かって頭を下げた。これで、交渉は無事成立したことになる。つまり、これでトラスティは、IotUに縁のある二つの星系の最高位に付くことになった訳である。もしもアリエル皇帝が譲位を決断しようものなら、3つの国家体が彼の元に集うことになる。  シルバニア帝国だけでも任せられてよかった。心の底から、トラスティは安堵をしたのだった。  普通ならば、どこの馬の骨とも分からぬ者に、皇位を譲渡することなど国民が認めるはずのない物だろう。だがトラスティがIotUの血筋と言う説明は、10剣聖を筆頭とする剣士たちを黙らせるものだった。それほどまでに、リゲル帝国においてIotUの名は大きな意味を持っていたのだ。  カナデ皇との合意が成立した翌日は、帝国上げての祝典となった。そして当然のように、カイトもリゲル帝国に巻き込まれることになったのである。10剣聖に対する上位の立場として剣神と言う肩書きが用意され、その立場にカイトが就任したのである。モルドレードを物ともしない力を持つだけに、誰からも異論の出ない措置となったのである。  そして帝国内へのお披露目を終えた翌日、3人は次の目的地であるレムニア帝国へと向けて出航した。ガトランティスを使ってはとの進言に対し、「船ならある」と却下し、「護衛を付けては」との進言に対しては、「剣神がいるのにか?」と進言した者の不見識を笑った。  自分が不在の間は、結局今まで通りカナデがリゲル帝国を統べることになる。それを考えると、この決定にどんな意味があるのかと疑問を感じてしまうのも不思議ではないだろう。だがトラスティを皇帝にしたことに満足したカナデは、後の面倒を喜んで引き受けた。そして10剣聖筆頭のモルドレードに対して、直ちに戦力派遣の準備を命じた。1星系を制圧するためには、中級レベルの戦士まで投入が必要となる。1千ヤー前なら日常のことだが、今のリゲル帝国はその仕組から作り上げる必要があったのだ。  そうやってリゲル帝国に準備を進めさせたトラスティは、ノブハルのローエングリンで帝国主星レムニアに向かった。  アークトゥルスを出向してすぐに、トラスティはアルテッツァを呼び出した。自分達の行動は把握されているはずなので、ライラ皇帝が何を考えているのか探ろうと言うのである。 「ライラ皇帝が何を考えているのですか? でしょうか。どうして、他の帝国のものに、そのようなことが教えられると考えられるのです」  有りえませんよねと否定され、トラスティは苦笑を浮かべながらもその答えには同意した。だから答えたくなる相手、ノブハルをその場に呼び出した。 「だったら、皇配であるノブハル君から質問させればいいのかな?」 「建前上はそうなりますけどね」  仕方がありませんと諦めたアルテッツァは、「静観です」とライラの決定を伝えた。 「今の所、まだ迷われておられると言う所ですね」 「だったら、少し背中を押すことにするか」  そこで顔を見られたノブハルは、「これは俺が発案したことだ」とアルテッツアに告げた。 「そして最終的に、レムニア帝国、パガニア、エスデニアを巻き込むことを考えている」 「それがどうかしたのか、と言いたいところなのですが……」  他の銀河のことだと考えれば、アルテッツァの言葉に間違ったことはない。ただ相手にしているのが、ノブハルだけならその理屈も通用しただろう。  そしてそれぐらいのことは、アルテッツァも承知していることだった。一度トラスティの顔を見てから、「ライラ様の答えです」と状況が変わったことを口にした。 「細かなお話は、シルバニアでされたいと言うことです」 「つまり、レムニアの後はシルバニアと言うことか」  時間が掛かるなと少しだけ迷ったのだが、逆に都合がいいかとトラスティは考え直した。混成軍を組織したらしたで、統制を考える必要があったのだ。最強と名高いカイトにしても、大規模戦力を統制するには経験が欠けていたのだ。そのための人材を、シルバニアに行ってスカウトしようというのである。 「残るは、パガニアとエスデニアか……さすがに、共和制をとるライマールを巻き込むのは無理があるな」  そこまで巻き込んでしまうと、本当に文明レベル上位を網羅してしまうのだ。その場合、他の銀河に対する影響も無視できなくなる。気をつけないと、今の超銀河連邦に対して、主要国家がダメ出しをしたことになりかねないのだ。  そのハレーションを考えた場合、同一歩調を取るのはデメリットが増えることになる。そのあたりのペテンをどうするのか、レムニアへの移動がてら、トラスティは頭を悩ませる事にした。  通過宙域全てに通達を回していることも有り、アークトゥルスからレムニアへの航行にはなんの支障もないはずだった。そもそもレムニア帝国の構成星系に、リゲル帝国へ喧嘩を売れる肝の座った星系は存在しない。1千ヤーも前のことなのに、いまだリゲル帝国の存在は恐怖として語り継がれていたのである。  その状況の中であった手違いは、大型のクルーザーが1隻コンタクトしてきたことだ。ちなみにそのクルーザーの船名はプリンセス・メリベルVと言う。つまり、クリスティア王女グリューエルが口を挟んできたのである。  「お久しぶりです」と通信に出たのは、もはやお子様のグリューエルではない。あれから3年の時間を掛けて磨き上げた、どこに出しても恥ずかしくない淑女がそこに居たのだ。その美しさは、通信をモニタしていたノブハルが思わず息を呑んだぐらいだ。 「今回は、送ってもらわなくても大丈夫なんだけどね」  ただグリューエルの美貌も、アリッサを妻に持つトラスティには通用しなかった。まるで「忘れてた」とも言わんがばかりに、「どうかしたのかな?」と気合満点のグリューエルとの通信に臨んだ。 「私どもの準備も整いましたので、トラスティ様のところに押しかけることにいたしました」  少し首を傾げるように微笑む姿は、目眩がするほど可愛らしいものだった。この様子からすると、今は見えない部分もかなりの努力をしたのだと想像する事ができる。 「今の所、間に合っているんだけどね」 「ですから、有無を言わせないようにこうして押しかけさせていただいたと言う事です。一応アリエル様のご承諾もいただいております」  グリューエルの言葉に、「あのばあさんは」とトラスティは質の悪いロリババアの顔を思い出した。 「どうせあの人のことだ、好きにしろとか言ったんだろう?」 「言いよる女の10や20ぐらい幸せにするのが甲斐性だと仰られていましたね」  そこでグリューエルは、ええとっと指を折って数える真似をした。 「私で10人目ぐらいですから、まだまだ道半ばというところではありませんか?」 「ご配慮に感謝するよ。ただ、そう言った話は後にしてくれないかな。今は、ちょっと忙しいんだ」  そう言うことでと、トラスティはあっさりと通信を遮断した。遮断してから、「10人?」と指を折って数え始めた。 「アリッサだろう。リゲル帝国で2人だし、レムニアでは1人だし……パガニアに1人、エスデニアに1人、シルバニアに1人、ライマールに1人、モンベルトに1人、IGPOに1人だから……」  これで10人だと、横で聞いていたノブハルを呆れさせる言葉を吐いてくれた。 「ライマールとIGPOを忘れれば8人だな」 「どうして、そこで忘れると言う話になるのだ?」  おかしくないかと問いかけてきたノブハルに、「大人のお付き合いだから」とトラスティは嘯いた。つまり他の8人、アリッサを除く7人は大人の付き合いよりも深い付き合いと言うことになる。そのうちの4人とは子供が居るのだから、確かに大人の付き合いを超えているのだろう。 「まあ、そんなことはいいんだが……どうだいノブハル君、グリューエル王女に挑戦してみると言うのは。君が見とれていたのは黙っていてあげるからね」  ばれていたのかと言う思い以上にあったのは、それではグリューエルが可哀想だと言うことだった。「あなたと言う人は」と呆れたノブハルに、「キリがないからね」とトラスティは前を見たまま答えた。 「手を出した覚えはないし、僕としては何度も断っているんだよ……まあ、アリエルのばあさんが何を考えているのかは分からないけど」  小さく息を吐いたトラスティは、「そろそろだね」と前を見て呟いた。そしてその声から少し遅れて、目の前の景色が変わり、青色に輝く惑星が進行方向に現れた。 「あれが、巨人の住む星レムニアだよ。エスデニア、シルバニアと並ぶレベル9の星だ。そしてレベル10に最も近い星でもある」 「レベル10に最も近い……」  ズミクロン星系のレベルが2と言うのだから、10と言うのは想像を絶するものと言うことになる。ゴクリとノブハルが唾を飲み込んだところで、正面のスクリーンに不機嫌そうな顔をした男が映し出された。ただ不機嫌そうに見える表情とは違い、その口から出た言葉は「歓迎する」と言うものだった。そしてその歓迎は、シルバニア帝国皇帝の皇配であるノブハルに向けられたものだった。 「歓迎に感謝すると伝えてくれ」  ノブハルの代わりに指示を出したトラスティは、「用意はいいかい?」と緊張するノブハルを見て笑った。 「こ、これと言って、用意をすることはないのだが」  緊張などしていないと答えても、普段に増して固い声色が全てを台無しにしていた。それを若いなと微笑ましく見たトラスティは、衛星周辺に集結した艦隊を見て「ひゅう」と口笛を吹いた。識別信号を信用する限り、およそ1万の艦船が集結していた。 「さすがっ帝国第1艦隊が勢ぞろいしているよ」  どうしてと驚くノブハルに、「別の銀河の雄だからね」とトラスティは解説した。 「エスデニア連邦の盟主はエスデニアだけど、シルバニア帝国はそのエスデニアに肩を並べる力を持っているんだ。もしも戦争をしたら、レムニア帝国でも勝てないんじゃないのかな? もっとも、星系単独なら今でもリゲル帝国が最強だと思うけどね」  そんな話をしているうちに、軌道ドックがみるみると近づいてきた。はじめは小さく見えたドックだったが、接近したところでその巨大さに胆を冷やすことになってしまった。ズミクロン星系のセンター・ステーションなど、このドックに比べれば石ころぐらいの大きさしかなかったのだ。 「すごいな……」  ごくりとノブハルが唾を飲んでいる間に、誘導に従ってローエングリンはピアの一つに入港した。巨大なローエングリンなのだが、収容するピアはさらに巨大な空間を持っていた。その規模に驚いたノブハルに、「行こうか」とトラスティは声をかけた。 「ちゃんとみんなを連れてきてくれよ」  少し大きな音が出るほど背中を叩き、早くしろよと言ってトラスティはデッキを出て行った。  一行が下船したところで、いつものガルースが迎えにきていた。それを「暇だね」と笑ったトラスティを無視し、ガルースは「ようこそお出でくださいました」とノブハルに頭を下げた。 「帝国筆頭宰相をしておりますガルースと申します。以降よろしくお見知り置き願います」 「ご丁寧な挨拶、い、痛み入ります」  慌てて頭を下げたノブハルを笑い、「そこまでにしておこうか」とトラスティは助け舟を出した。 「ばあさんを待たせたのかな?」 「その呼び方を、絶対にアリエル様の前ではなさらないように」  口が酸っぱくなるほど繰り返したこともあり、ガルースは半ば諦めたように注意をした。ただそれ以上は無駄だと、「こちらに」と一行を案内した。 「アリエル様は、公邸でお待ちとのことです」 「さすがに、シルバニア帝国皇帝の夫相手だと対応も変わると言うことか」  そう言うことだと笑い、この辺りとトラスティは少し開けた場所を指し示した。 「ここからは、転送によってレムニアの地上に移動するんだ。ちなみに、こちらは数学的な処理によって空間移動をするらしい」 「数学的処理?」  はてとノブハルが首をかしげたところで、目の前の景色が一変した。それまでいたのは、どこまで行っても宇宙船ドックでしかなかったのだ。その殺風景な景色が、とても落ち着いた装飾のされた部屋に入れ替わってくれたのだ。 「ここが、アリエル皇帝の公邸、ミレニアだよ。そして目の前にいるのが、信じられないかもしれないけど帝国皇帝アリエル様だ」  トラスティの紹介に驚きながら、ノブハルは慌てて頭を下げて「ノブハルです」と自己紹介をした。なぜ信じられないかもと言ったかと言うと、アリエルが普段着で待っていたからである。そしてノブハル達の常識では、レムニアに住むのは巨人と言うことになっていたのだ。その先入観があると、アリエルがレムニア皇帝であるのを信じられなくても仕方のないことだったのだ。 「丁寧な挨拶痛みいるぞ。我は、帝国……失礼、レムニア帝国皇帝アリエルである。シルバニア帝国皇夫ノブハル殿、遠路レムニアまでようお出でになられた」  相手がシルバニア帝国皇帝の夫と言うこともあり、アリエルも小さく頭を下げ返した。ズミクロン星系よりはるかに進んだ世界、そしてはるかに巨大な存在を前にして、ナギサ達が冷静でいられるはずがない。ただ頭の中は、すでにリゲル帝国で飽和していた。そのおかげで取り乱すのではなく、ただ呆然とノブハル達のやりとりを見ているだけだった。 「アリッサ、ナギサ君達を案内してあげてくれるかな?」  それもあって、トラスティは早速ナギサ達を連れ出すことにした。そしてその役目を、アリッサに託したのである。そうすることで、ここには自分とノブハル、そしてカイトの3人だけ残ることになる。 「それから、フローリアに預けたら君も戻ってきてくれないかな」 「フローリアさんに預ければいいんですね」  トリプルAではアリッサの立場が強いのだが、そこから一歩離れれば夫のトラスティを立てていた。素直に頼みを聞いたアリッサは、行きましょうかと人差し指で8の字を書いた。それで空間を接合し、トリプルAレムニア支社へと移動した。  それを見送ったトラスティは、「さて」と言ってアリエルの前に腰を下ろした。それに倣ってカイトとノブハルが腰を下ろしたところで、「連れてきたよ」とアリエルに声をかけた。 「これで、3人揃ったと言うことか?」 「3人揃った?」  自分の言葉に首をかしげたトラスティに、「はて」とアリエルもまた首をかしげた。そしてしばらく自分の言葉を考えてから、「イエルタ、ザリア、そしてもう一つのことだろう」とトラスティも知っている話を持ち出した。  それが一応答えになっているので、トラスティも細かなことに拘るのをやめた。 「名前が出たから、デバイスに出てきて貰うことにしようか」  そう言ってから、トラスティは「コスモクロア」と自分のデバイスを呼び出した。そしてその呼び出しに応えるように、エメラルド色のボディスーツに、白の上着を着た黒髪の美しい女性が現れた。その瞳はボディスーツと同じ、鮮やかなエメラルド色をしていた。 「アリエル様、お久しぶりでございます」 「オンファス様、再びあえてうれしく思います」  あろうことか、レムニア帝国皇帝がデバイスに頭を下げたのである。それに驚いたカイトとノブハルを見て、トラスティは「兄さん」と声をかけた。 「あ、ああ、ザリア出てこい」  その命令と同時に、カイトの前に白のローブをまとった黒髪の女性が現れた。エスデニアの正装をしたその女性の瞳は、深い紫色をしていた。 「よもや、ラズライティシア様と再びお目にかかれるとは思っておりませんでした。お久しぶりです、アリエルでございます」  コスモクロアに対する以上に、アリエルはザリアに謙って見せた。それを受け取る方も、否定ではなく「久しぶりだな」とアリエルに答えた。 「と言うことで、ノブハル君の番だよ」 「あ、ああ、アクサっ」  トラスティとカイトのデバイスは見たことがあるはずなのに、ノブハルは2人のデバイスの発する気配に圧倒されていた。それは兵器としての力ではなく、デバイスが持つはずのない威厳に対しての恐れとなっていた。  そしてノブハルの命令と同時に、コスモクロアやザリアより若く見えるデバイスが現出した。セントリアがしているような紺のスーツに身を包んだ、レデュッシュと言われる髪をしたデバイスである。その瞳は、澄んだ湖水のように青く輝いていた。  だがアクサの登場に、アリエルはコスモクロア達のような反応を示さなかった。 「なるほど、それが新しいデバイスと言うことか」 「あなたの記憶にはなかったと言うことか」  アリエルに会わせれば、何か謎が解けるのかと期待をしていた。だが期待した反応は、アリエルからは返ってこなかった。それに落胆したトラスティに、「わしの記憶にも欠落はある」とアリエルは答えた。 「前にも言ったと思うが、あの人の奥方についても情報が欠落しておるのだ」 「つまり、まだ鍵が揃っていないと言うことか」  少し残念そうに見えるのは、それだけ期待が大きかったからと言うことだろう。ただ今回の訪問は、IotUの謎に迫ることだけが目的ではない。ひとまずカイトとノブハルを引き合わせたことで、目的の一つは達成したことになる。  小さく息を吐き出したトラスティは、「彼の提案だ」とこれからしようとしていることを切り出した。 「パガニア、そしてモンベルトと、過去の宿題を終わらせたと思っている。だから僕達は、今に目を向けることにした。超銀河連邦でもどうにもならない理不尽を、僕達の代でひとまず決着をつけようと思っているんだ。その手始めとして、惑星ゼスの内乱を終わらせることにした」 「それが、お前達のたどり着いた答えということか?」  なるほどと頷いたアリエルは、「何が望みだ?」とトラスティに問いかけた。 「そうだな、戦艦を一隻くれないかな。地上戦力は、とりあえずリゲル帝国で調達する目処がたったんだ」 「随分と、控えめな要求だな」  そう言って笑ったアリエルは、「よかろう」と戦艦の譲渡を快諾した。そして快諾しつつも、そこに含まれる問題を指摘した。 「それはいいが、乗員はどうするつもりだ? それに小規模とは言え艦隊を構成するつもりなら、その指揮官も必要となるだろう」 「艦隊にまで膨らますつもりはないんだが……」  指摘された通り、人の問題を避けて通ることは出来ない。更に言うのなら、船を持った途端整備の問題も生まれることになる。どうしようかと少しだけ考えたトラスティは、一番手っ取り早い方法を取ることにした。 「ノブハル君、エルマー支店を支社に格上げして、軍事部門を統括してくれないかな?」 「な、なななんで、俺が軍事部門統括って話になるんだっ!」  予想もしていない話に、ノブハルは思わず大声を上げてしまった。 「いや、君の所に置いておくのが一番問題が起きにくいからね。ジェイドでドックを借りると、無駄に費用ばかり発生するし、政府とそこまで繋がりがないんだよ。リゲル帝国には支社がないし、エスデニアやシルバニアに置くと、真っ当な方のアルカロイドを刺激することになるからね」  だからエルマーが都合がいいと答えたトラスティに、「本質に関係のないことだが」とノブハルはトラスティの答えで引っかかったことを持ち出しだ。 「真っ当な方のアルカロイドって何のことだ?」  殺されそうになった経験があるのだから、「真っ当な」と言われて思い当たる事があるはずがない。そんなノブハルの問いに、「ああ」とトラスティは頷いた。 「アルカロイドは、ある意味秘密結社なんだよ。文明レベルの低い星系が、裏で手を組んで発言権をあげようとしているんだ。文明レベルの高い相手に対する、対抗策のようなものだね。だから、エスデニアなんかも、彼らの不満を溜めないように結構気を使っていたりするんだ。暗殺組織としてのアルカロイドは、その中で生まれた鬼子のようなものなんだよ。と言うのが、IGPO捜査員ケイト・モーガンが出した結論なんだ」 「だから、真っ当な方のと言う話になるのか……」  なるほどとノブハルが納得したのを見て、トラスティは話をすすめることにした。 「それから指揮官なんだけどね、一人大物をスカウトに行こうと思っているんだ。こっちは口説き落とす……と言うか、責任を迫ると言う方法があるからなんとかなると思うよ」  その言葉に、今度はカイトが「まさか」と声を上げた。 「ウェンディ元帥のことを言っているのか!?」  カイトの上げた名前に、さすがのアリエルも驚きを隠せなかった。それほどまでに、御三家の名前は特別な意味を持っていたのだ。 「そう、そのウェンディ元帥のことを言っていますよ」  あっさりと受け止めたトラスティは、「だから責任」と自分の考えを口にした。 「あの人は、ゼス事変に対して責任があるからね。本来仲介に失敗した……正確には、連邦軍によって不法行為が行われた時点で、引責辞任をしていないとおかしかったんです。その幕引きをおかしなことにしたから、ケーネス・ボルティモアを処罰できなくなってしまったんです。本人も、責任を持ち出せば退役を拒まないと思いますよ。そこで関連団体への天下りをしないことが、責任のとり方だと言ってやればいいんです」 「そこに、トリプルAがゼスに関与するつもりと言う餌をぶら下げるのか」  「悪だな」とカイトは笑った。 「僕の評判は、最悪のペテン師ですから。まあ、これぐらいのことなら、周りが不思議に思わないでしょう」  そう笑い返したトラスティは、「答えになりましたか」とアリエルに問いかけた。  それに頷いたアリエルは、「育て方を間違えた」と大げさに嘆いた。 「わしとしては、素直な子供に育てたつもりだったのだがな」 「そのあたりは、環境が悪かったと思ってください」  責任を打ち返した息子に、アリエルは今度は少し口元を引きつらせた。 「それで、提供する戦艦なのだが……使ったことのない奴が1隻あるのだが、それでも構わないか?」 「贅沢を言える立場じゃないけど、ちゃんと動くのなら……」  いくらただでも、ボロ船では困ってしまう。それを持ち出したトラスティに、アリエルが挙げた名前は心当たりのないものだった。 「うむ、インペレーターなのだが」 「使ったことがなくて、インペレーターって……」  ううむと考えたトラスティは、記憶を当たって該当する船がないかを探した。それでも記憶にないと、「どう言う船だ?」とアリエルに問い返した。 「どう言うとは、使ったことのない船だと説明したはずだが。これからも使用予定が無いゆえ、提供しても問題にならぬのだ」 「本当に、動くのか?」  それだけ知らない船になると、稼働実績があるのか疑問に感じてしまう。 「メンテだけは、それこそ頻繁に行われておるぞ。それから、少ないとは言え乗員が必要になるのだが。よもや、そこまで提供しろとは要求しないであろうな?」  その話を聞く限り、乗員を提供するつもりはないようだ。ただそうなると、操船にどれだけ必要なのかも問題となる。カイトとザリアが居さえすれば、大抵の船を動かすことは可能なのだろう。ただそれにしても、連邦法の規定からは逃れられないのだ。連邦法では、船の規模に応じた乗員数が規定されていたのである。 「参考までに聞いておくけど、連邦法で規定された乗員数はどうなってる?」 「そう言う細かなことを、皇帝に尋ねるのか?」  知ろうと思えば、それぐらいの情報ぐらいすぐに引き出すことは可能である。ただその質問が、「皇帝に対して」行う質問かと問われれば、さすがに違うと言うのは理解できた。  さすがにアリエルの指摘を認め、「データーをくれればいい」とトラスティは譲歩をした。 「乗員の求人を掛けることにするか……」 「なんなら、そっちの方は便宜を図ってやってもいいぞ」  気前のいいアリエルの言葉に、トラスティは「何か裏があるのか?」と訝った。ただ宛もなく探せば、間違いなく求人に困るのは目に見えていたのだ。カイトの伝手を使っても、さすがに軍艦の乗員を探すのは難しいだろう。 「兄さん、心当たりはあるかな?」 「さすがに、軍艦の乗員ともなると、心あたりがないな」  旅客船とは危険度が桁違いと考えれば、心あたりがないと言うのも仕方のないことだ。だから気が進まない所はあっても、アリエルの便宜に頼ることにした。 「ちなみに、どこから探そうとしているのかな?」  安全のためと確認した息子に、アリエルは「クリスティア連合国家だ」と言ってのけた。 「できれば、使いたくない伝手だな……」  もれなくグリューエルが着いてきそうと言う事もあり、トラスティははっきりと嫌な顔をした。そしてアリエルは、その決めつけを肯定した。 「うむ、グリューエル王女が持参金代わりに船を持ってくると言っておったからな。その乗員を使えばと考えたのだ。なに、王室専用のクルーザーなのだから、乗員の多くは軍人なのだ。しかも軍艦を使う時には、クルーザーを同時に使うこともないだろう。新しい乗員を雇うまでと考えれば、運用上問題となることもあるまい」 「なぜ、グリューエルの輿入れが規定の事実になっているんだ。どう考えても、おかしくはないか?」  自分はずっと断り続けてきた。それを主張した息子に、「往生際が悪い」とアリエルは笑い飛ばした。 「あの者にも意地はあるのだろうが、それにしても一途だとは思わぬのか? 一人だけと言う縛りがないのだから、この際受け入れてやればよいのだ。アイラを見てみよ、大きくなったお腹をさすりながら幸せそうにしておるぞ」  もうすぐ生まれると言われ、なぜか肩がずんと重くなった気がしてしまった。 「ちなみにお前の嫁は、アイラと楽しく話をしておるようだ」 「……どうして、そう言うことになるんだろう」  はあっと息を吐き出したトラスティは、「代替わりをしようと思ったのに」とノブハルの顔を見た。それをアリエルは、「甘いな」と断じた。 「ただ単に、ヴァリエーションが増えただけのことだ」 「なにか、兄さんが楽をしているように思えてきた……」  どうして俺に話を振る。明らかに嫌そうな顔をしたカイトに、「分かっていますよ」とトラスティは先手を打った。 「兄さんには、女性だけじゃなく戦士も受け持ってもらってますからね」 「戦士もって……なんか、嫌な言い方だなそれは」  ただ言っていることに間違いはないので、カイトはそれ以上拘ることはしなかった。  とりあえず頼み事はすんだので、アリエルとの話はこれで終りと言うことになる。結局アリッサは、アイラの所から戻っては来なかった。 「あなたにお願いをしたいのだけど、彼を技術部門に案内してくれないかな?」 「別に構わぬぞ。わしもそこそこ暇だからな」  自分で案内すると口にしたアリエルに、いやいやとトラスティは首を振った。 「皇帝自らすることじゃないだろう」 「だがノブハル殿は、シルバニア帝国の皇夫なのだぞ。ならば、敬意を表してわしが案内してもおかしくはないだろう」  ノブハルの立場を持ち出すことで、途端にアリエルの言葉に正当性が生まれてくれる。それでも引っ掛かりを覚えたのだが、まあいいかとトラスティはノブハルを任せることにした。 「じゃあ、僕と兄さんはアリッサに合流しますよ」 「うむ、今宵は盛大な晩餐を催してやろう。何しろ、シルバニア帝国皇夫君が参られたのだからな」  あははと笑ったアリエルは、立ち上がってノブハルの隣に並んだ。背が高いことが長命種の特徴なのだが、その中でも例外的に小柄という事もあり、アリエルの方が遥かにノブハルより背が低かった。 「ではノブハル殿、楽しませてやろうぞ」  そう言ったアリエルは、右手で目の前に八の字を書いた。その直後に、「さあ」とノブハルを空間ゲートへと案内をした。 「じゃあ、僕達も移動しますか」  同じように八の字を書いて、トラスティはアイラのお店へと空間を繋いだ。ただそこにグリューエルがいた事で、自分がはめられたことに気づいたのである。  「仕方がありませんね」と言うアリッサの言葉が、トラスティの運命を決めたと言っていいだろう。なんのことかと言うと、押しかけ女房を試みたグリューエルへの処遇である。一国の王女にここまでさせた以上、簡単に追い返すわけにもいかなくなってしまったのだ。下手をすれば、恥をかかせたと大問題になるし、恥辱を受けた本人が自死を選びかねなかったのだ。そんな玉ではないと思いながらも、「見事宇宙に散ってみせます」とまで言われれば、受け入れない訳にはいかなくなってしまった。  そしてアリッサはアリッサで、「姉の気持ちが分かった」と言ってくれた。なんのことかと言うと、間もなく出産となるアイラが羨ましかったのだ。もともととびっきりの美人のアイラが、ますます綺麗になっていたのである。しかも羨ましくなるほど幸せそうにしているので、自分もとアリッサが考えたのだ。 「さて、ここからは3隻体制になるんだけど……」  船の用意が出来たからと、トラスティ達は軌道ドックへと案内された。そこで「インペレーター」の引き渡しを受けることになった。そこで初めて船を見たトラスティは、有り得ないスケールに唖然としてしまった。 「ローエングリンより大きな船って……」  いつの間にかローエングリンの横に運び込まれたインペレーターは、比べ物にならない巨大な船体を晒していた。反対側に並ぶプリンセス・メリベルVと比べると、クジラとイワシぐらいの違いが有る。その巨大さに、トラスティとノブハルは口をあんぐりと開けていた。 「まさか、帝国艦隊総旗艦だとは……」  これを見せられれば、使ったことがないと言うのも納得できる。何しろ総力戦となった際に、皇帝が乗って総指揮を執るために作られた船と言うのがインペレーターなのである。その為、最上位の動力性能に装甲性能、さらに作戦指揮を執るための高速大容量の人工知能が搭載されていたのだ。攻撃力も、巨大砲門が並ぶ姿は壮観としか言いようがない。 「ナギサ君、ズイコー星系のステーションに係留できるかな?」 「閉鎖式ドックと言われたら、絶対に無理だと答えますよ。何しろ、ローエングリンで一杯一杯ですから」  ローエングリンで、3kmほどの船体の長さを持っていた。それよりも大きなインペレーターは、貰ったデーターでは15kmを超えていると言う。要塞と言いたくなるぐらいと言えば、どれだけの大きさか想像ができるだろう。大型客船や貨物船でも、これに比べれば可愛いとしかいいようがなかった。  それを考えると、係留できるのは旅客船用の開放ドックと言うことになる。まあいいかと諦めたトラスティは、グリューエルが連れてきたクルーの顔を見た。 「インペレーターを預けていただき、光栄に存じます!」  自分の前で恐縮してくれるのはいいが、それが妹のような少女と言うのはどう考えたらいいのだろう。他のクルーが普通……と言うより曲者揃いだと考えると、いかにもミスマッチとしか言い様がないのだ。  本当に大丈夫かと確かめたのだが、グリューエルからは「由緒正しい家柄です」との答えを貰った。 「キャプテン・アーネットの血を引く家柄なのですよ」 「キャプテン・アーネットって……あの、IotUの愛人をしていた!」  また予想もしない所から関係者が現れた。どうしてこうなると呆れたトラスティを横に、「ご高名は伺っています」と年若い船長マリーカはカイトに詰め寄っていた。客観的に見れば、茶色の髪をショートにした可愛らしい少女なのだろう。それだからこそ、船長と言う立場が似合っていないと思わせてくれるのだ。しかもしている格好が、短いスカートに生足だった。  ただ自分には絡んでこないことに、トラスティは安心していたりした。こう言う時には、銀河最強の肩書が生きてくれることになるのだと。 「それで、3隻を運用するにはクルーが足りないと思うんだが?」  そのあたりはと問われ、マリーカは「Echeneis Systemを使います」と答えてくれた。 「簡単に言えば、ドッキングですね。インペレーターの下部に、プリンセス・メリベルVをドッキングさせます。自力航行しないので、プリンセス・メリベルV側には乗員は不要と言うことになるんです」  「こうくっついて」と、マリーカは手のひらを使ってEcheneis Systemの説明をしてくれた。それをなるほどと受け止めたトラスティは、「兄さん」とカイトに声を掛けた。 「ここから先は、専門家に任せます」 「専門家と言われれもなぁ、こんな巨大船は専門外だぞ」  そう言い返してみたが、自分以外に適任者が居ないのも確かだろう。早く適任者をスカウトしなければと考えながら、「出発するぞ」とカイトはマリーカに命令をした。 「はい、出発準備は整っています。ただ、ドックを離れた所で、プリンセス・メリベルVのドッキング作業を行う必要があります。時間にして、およそ2時間ほど我慢いただければと考えています」  その受け答えだけを見ていると、ちゃんと船長をしているから立派だ。さすがは血筋が違うと、トラスティ達は感心させられた。  そしてマリーカの宣言通り、2時間の作業後一行は帝星レムニアを離れた。次なる目的地は、シルバニア帝国主星シルバニアである。そこで一人スカウトすれば、トリプルA宇宙軍の体裁は整うことになる。 「ウェンディ元帥の説得は、兄さんに任せていいんですよね?」  分かっていたことだが、全てが長命種基準で船が作られていたのだ。これまた巨大なインペレーターのデッキで、トラスティは隣りに座ったカイトに声を掛けた。 「口は、お前の方が上手いと思うのだがな。それにお前は、トリプルAの役員様だ」  トリプルAの事業として行うのであれば、役員自ら動くべきと言うのである。立場を持ち出された以上、そして相手の格を考えると、カイトの言葉に一理あるのも確かだった。 「じゃあ、アリッサを連れて行くことにしますよ」  仕方がないと諦めたトラスティは、カイトの言葉を受け入れることにした。立場を理由にしたが、カイトから持ちかけにくいことも分かっていたのだ。 「この船なら、1万ぐらいは余裕で剣士を運べますね」 「リゲル帝国も、船ぐらい用意するのだろう?」  そこで艦隊を組めば、数多くの剣士を運ぶことが可能となる。外向けには摩擦を増やすことになるが、内戦を制圧するには戦力が多い方が好ましい。その場合、リゲル帝国だけで足りるのかと言う問題を考えなければならなかった。 「兄さんの評価で、どの程度リゲル帝国から連れていけると思いますか?」 「10剣聖の半分を残していくと言う条件を考えると」  10剣聖のすべてを連れていけないのは、リゲル帝国の守りが疎かになると言う理由である。そして10剣聖のうち5人が残れば、大抵の侵略なら阻止することが可能だろう。 「ゼスのラプターを制圧できる戦力と言う意味なら、せいぜい5万と言う所だな。剣士自体はもう少し居るが、そこまで連れて行くとさすがにレベルが追いつかなくなる。加えて言うのなら、5万程度残しておく必要もあるだろう」 「双方の戦力を合わせた、およそ5分の1ですか……」  実力的には圧倒することが出来ても、制圧となると時間がかかることが考えられる。加えて言うと、本気の戦闘に巻き込まれる可能性も生まれてくる。その場合、ゼス側に多くの犠牲者が出る可能性があった。 「多少の犠牲に目をつぶれば、制圧できないこともない戦力ですね」 「こちらの都合で侵略するのなら、それこそ俺1人でも大丈夫なんだがな。犠牲を減らすと言うのが目的なら、奴らよりも数を揃える必要がある。ただ、現実的にはそれだけの数を集められないし、もしも集められたとしても問題が有るな」  カイトの答えに、トラスティは小さく頷いた。リゲル帝国、パガニア王国以外にも戦力を求めれば、ゼスの総戦力を上回ることも可能だろう。だが企業活動だと考えれば、それは間違いなく過剰戦力となってしまう。そしてそれだけ集めると、超銀河連邦の緊張を高めることにもなってしまう。 「やはり、多少の犠牲は覚悟する必要があると言うことですね」 「相手は、ガチの戦争をしているからな。一人の犠牲者も出すこと無くなんて事を考えていると、逆に被害を拡大させることになる」  だからと、カイトは「俺が背負う」とトラスティに宣言した。 「これは、お前やノブハルが気に病むことじゃない。戦争屋が背負えばいいことなんだ」 「兄さんは、もう戦争屋じゃないんですけどね。それに、僕は兄さんが考えているほど善人じゃない。まあ、ノブハル君は気をつけてあげないといけないと思いますけどね。それに彼には、そんな世界に染まって欲しくないと思っていますよ」  もしもの時にかぶるのは、自分達だけでいい。覚悟を示したトラスティは、「もっとも」と笑って見せた。 「まあ、最悪のペテン師と言われていますからね。今回も、しっかりペテンに掛けてあげましょう」 「ああ、お前と兄弟で良かったと思っている」  そう言って拳を差し出したカイトに、トラスティは自分も拳を合わせて応えた。目指すのは、シルバニア帝国主星シルバニア。そこには、連邦軍の本部もあったのだ。  2隻体制になったため、ノブハルは自分の船ローエングリンで移動していた。そこでトラスティ達と同じように、展望デッキでナギサと二人スクリーン越しに宙を眺めていた。ブリッジに居てもすることはないし、邪魔にならないようにと言う配慮からである。 「とりあえず、あの人には今回のことを伝えておいたよ。さすがに、巨大艦2隻が揃うと聞いて、平常心ではいられなかったようだよ」  ズミクロン星系を母港とする以上、責任者への依頼は必要となる。エルマー7家の一つ、イチモンジ家当主すなわち自分の父に連絡を取ったナギサは、その時の様子をノブハルに教えた。  そうハラミチのことを笑ったナギサに、「人のことは言えない」とノブハルは返した。 「流石にあれは、いくらなんでも常軌を逸しているだろう。しかもあの人は、レベル8の星系一つを貰い受けてしまったんだぞ。なんか、ここのところ常識が狂うことばかりが起きている気がする」  そう言って目元を押さえてノブハルに、ナギサは口元を押さえてくつくつと笑った。 「まさか、ノブハルから常識と言う言葉を聞かされるとは思わなかったよ。僕から言わせれば、エリーゼと知り合う前から君は一般人の常識から逸脱していたんだよ。ジュニアの生徒が、博士号コレクターになるのは普通だと言うのかい?」  違うよねと決めつけられ、ノブハルは答えを口にすることができなかった。それを同意と受け止めたナギサは、「言いたいことは分かるけどね」と今度は理解をして見せた。 「常識から外れたところにいるノブハルにとっても、アルカロイド事件からの出来事は考えられないことばかりだったと思うよ。例えば時間を遅延させる魔法があるけど、そんなもの今まで想像すらしたことがなかったぐらいだからね。それに比べれば、ノブハルが皇帝の夫になったのは、ただの男女関係と言うこともできるんだよ。ちょっと常識から外れていたのは、男女関係についてきた立場の方だね」 「そう言えば、魔法なんて超技術もあったんだな……」  常識が壊れたと漏らしたノブハルに、「意味があった訳だ」とナギサは昔の話を持ち出した。 「どうやったらノブハルを外に連れ出すことができるのか。1年と少し前、そう、プロムの前にリンから相談されたことがあったんだよ。そこで、新しい知識を餌にするのがいいと助言をしたんだけど、それがきっかけになってくれたんだね」 「確かに、リンにそう言われたな」  あそこでリンに強く言われなければ、翌日ハイに行くことはなかったはずだ。そこでエリーゼに声をかけなければ、アルカロイド事件に巻き込まれることもなかったのだろう。もしもあそこでリンにそそのかされていなければ、今もまだ部屋にこもって研究をしていたはずだ。結果的にエリーゼの命は救われたかもしれないが、そこで自分と関わることはなかったのだろう。 「そうか、あれが始まりだったんだな……」  ぽつりとノブハルが呟いたところで、むくりとナギサが起き上がった。 「そう、そこからノブハルの世界が広がったんだよ。ただ、ちょっとばかり、予想とは違う方向だったと言うだけかな。と言うことで、僕はリンの部屋に行ってくるよ。ノブハルは、一体誰の部屋に行くのかな?」  この旅の中で、ついにセントリアとまで関係を結んでしまった。そのことに後悔はないが、考えるまでもなくおかしなことに違いない。常識がおかしくなったと嘆く本人が、自分から常識から外れていったのだ。 「多分だが、誰の部屋に行っても結果は同じになると思う」  だからエリーゼの部屋に行くと答えたノブハルに、「確かに」とナギサは口元を押さえて笑った。セントリアの行動は読めないが、トウカは間違いなく混じってくるはずだ。それを考えれば、結果が同じになると言うのは極めて正しい認識に違いない。 「じゃあ僕は、これからリンとの時間を過ごさせて貰うよ」 「これからなら、次に顔をあわせるのは朝食ぐらいだな」  同じように起き上がったノブハルは、少し伸びをしてから目の前でボタンを押す真似をした。 「エリーゼ様から、接続の許可をいただきました」  何もない空間から声が聞こえたところで、ノブハルの姿が展望デッキから消失した。シルバニア帝国が仕立てた特別な船だと考えれば、空間接合技術が標準装備になっているのは当然のことだったのだ。  今回のシルバニア訪問では、敢えてエスデニアを経由しなかった。そのあたり、リゲル帝国から引き出した譲歩が予想を超えていたことが理由である。もっとも、こんな面白いことに首を突っ込まないで、どうしてエスデニア最高評議会議長を務められるだろうか。ノブハル達が白の庭園に招かれた時には、既にエスデニア最高評議会議長のラピスラズリが、なぜかパガニア王国第一王子と一緒にお茶を飲んでいた。 「今日は、何かの集まりに顔を出してしまいましたか?」  出直しましょうかとトラスティが口にしたのも、面倒だなと言う気持ちからだった。ただこのメンツが揃って、今更逃して貰えるはずがない。 「我が君、それはあまりにも水臭い物言いではありませんか?」 「ああ、義兄弟として見過ごす訳にはいかないんだよ」  やっぱりこうなるかと呆れながら、トラスティはカイトとノブハルに座るように促した。そして自分は、アリッサを隣に座らせてライラが現れるのを待った。  誰も気にしていないが、この会合はある意味歴史的な意味を持つものになっていた。これまでの歴史で、白の庭園にパガニアの王族が招かれたことは一度もなかったのだ。  そして全員が揃ってすぐに、皇帝ライラが現れた。ただその格好は、普段白の庭園に居る時の白のワンピース姿ではなく、豪奢な衣装を重ね着をした、皇帝としての正装をしていた。ただ、豪奢な衣装とセットになる派手な化粧まではしていなかった。  そして豪奢な衣装を引きずりながら、それが当たり前のようにノブハルの隣に腰を下ろした。 「一企業の話を、こんな所でするものではないと思っていますが……」  トリプルAの社長と言うことで、この場においてアリッサが前面に出ていた。そして全員の顔をゆっくり見てから、「民間軍事組織を作ることにしました」と宣言した。 「すでに、リゲル帝国、レムニア帝国のご協力をいただくことになっています。本部は、エルマー支店を支社に格上げしてズミクロン星系に置くことにします」 「それをこの場で持ち出したと言うことは、私達にも協力を仰ぐと言うことですか?」  その場のホストであるライラが、3者を代表して質問をした。もちろん、肯定的な答えを期待しての質問である。  だがアリッサは、「いえ」と否定してくれた。そのあっさりとした、そして予想もしない答えに3人は表情を抑えることに失敗した。 「ノブハルさんは、我が社の社員であるのと同時に、ライラ様の夫となられています。ですから、ノブハルさんを巻き込むことの説明に上がっただけのつもりだったんですけど?」 「助力を求めるためではないと?」  繰り返して確認してきたライラに、「はい」とアリッサは言い切った。 「私の夫がリゲル帝国皇帝に就くことを条件に、カナデ皇からは全面協力を取り付けています。そしてレムニア帝国皇帝アリエル様からも、戦艦を1隻供与していただきました。乗員の方は、クリスティア王国から提供いただきましたので、当座の戦力には不足していません。しかもこちらには、最強の戦力キャプテン・カイトも居るんですよ。立ち上げたばかりと言うのもありますが、これ以上組織を肥大化させると私達の手に余ります。これが、助力を求めに来たわけではないと言う説明になるのですが、ご理解いただけたでしょうか?」  そう言って顔を見られた中から、「いいかな」とクンツァイトが発言を求めた。 「確かトリプルAとは、業務提携をしていたと思ったのだけどね?」  それなのに何も無いのかの問いに、アリッサはニッコリと笑ってクンツァイトを見た。美形を見慣れたクンツァイトなのだが、アリッサの美しさに息を呑んでしまった。 「今回の訪問目的は、ライラ様への面会でしたからね。ですから、クンツァイト様とのお話は予定しておりませんでした。それからジェイドで頂いているご支援に関しては、今まで通り継続をお願いしたいと思っています」  予告もなく現れた以上、アリッサの答えに何一つおかしなところはない。勝手に割り込んできたのは、クンツァイトの方だったのだ。 「つまり、エスデニアに対しても同じと言うことですね」  問いかけてきたラピスラズリに、「そうなります」とアリッサは答えた。 「企業として経済活動を行っていますので、事業として適正規模と言うものがあります。その規模を超えて事業展開をすると、あっと言う間に資金的に行き詰まってしまいますからね。身の丈を考えたと、ご理解いただければ幸いです」 「私に理解を求めに来たと言うことですね?」  割り込んできたライラに、「違います」とアリッサは否定した。 「説明に上がっただけです。ご理解いただけるか否かは、あまり重要だとは思っていません」  その時ライラは、「認めない」と答える誘惑に駆られていた。だが自分に不利益しか無いと、その誘惑を振り切った。もともとノブハルが切り出した以上、彼がどちらに付くのかは明らかだったのだ。たとえノブハルに与えた特権のすべてを剥奪すると脅しても、レムニアがバックに居る以上あまり意味が有ることには思えなかった。 「私としては、認める以外にないと言うことですね」  そしてライラ個人としても、今更ノブハルを失う訳にはいかなかったのだ。皇帝としてのプライドと言うのもあるが、それ以上に彼女自身の気持ちの問題があった。  そこでノブハルの顔をちらりと見てから、「事情は理解しました」とアリッサに答えた。 「これで、私達の用件は終わったのですけど。まだお時間は有りますね」  そこでニッコリと笑って顔を見られると、自分達が対応を失敗したのが理解できる。なるほど手強いとアリッサを見直した3人は、一度顔を見合わせてから「私が」とラピスラズリが口を開いた。 「なぜ、この時期に民間軍事組織を立ち上げることになさったのですか? 業務提携をしている身として、説明を伺う権利があるかと思います」  業務提携を持ち出したラピスラズリに、アリッサは小さくうなずき返した。 「業務提携と言う意味では、皆さん関係者と言う事になりますね。でしたら、この場を借りて民間軍事組織設立の趣旨をご説明したいと思います」  そこでアリッサがトラスティを見たから、いよいよ登場かと全員が身構えた。だが3人の期待に反し、「簡単な理由です」とアリッサが説明を続けた。 「ノブハルさんから提案を頂いたのと、お兄様の個人的事情を鑑みた言う事情があります。そしてトリプルAとしても、業務拡大の方向を模索していました。それが民間軍事組織を立ち上げようと考えた理由になります。そして組織を作る以上、セールスプロモーションを考える必要があります。そこで、超銀河連邦が見捨てた惑星ゼスの問題解決をしようと思っているんです。このまま放置すると、ゼスは惑星全体が滅びるまで戦いをやめませんからね。私達の実力を示すのに、最適な場所だと考えました」 「惑星ゼス、ですか……」  はあっとラピスラズリが息を吐き出したのは、ゼスに関わる因縁を知っていたからに他ならない。そしてその事情は、ライラも同様だった。エスデニア連邦軍と同義と言われる超銀河連邦軍の本拠があるのだから、ゼスに纏わる因縁は承知していたのだ。 「あなた達も、連邦法はご存知だと思います。一民間企業がゼスに戦力を送り込むことは、連邦法で禁止された侵略行為に該当することになるのですよ」  当然のように連邦法を持ち出したラピスラズリに、「それぐらいは」とアリッサは答えた。 「純経済活動として、ゼスの住人と戦力派遣の契約を結びます。こちらとしてもデモンストレーションの意味がありますから、大幅なディスカウントをするつもりなんです。契約に基づく派遣ですから、連邦法で禁止された侵略行為には当たらないかと思います」 「どうやって、ゼスの住人と契約を結ぶつもりなのですか? ゼスは今、内戦の真っ直中にあるはずです」  契約締結自体に無理があると言う指摘に、「売り込みに行きます」とアリッサは言ってのけた。 「渡航禁止になっていませんから、こちらから売り込みを掛けるつもりです」 「売り込みを掛けますか」  はあっと息を吐いたラピスラズリは、「だそうです」とクンツァイトの顔を見た。 「今まで、誰も考えなかった、実行しようとは思わなかった方法であるのは確かだと思います」  クンツァイトの答えに、「同感です」とライラも認めた。それを確認したラピスラズリは、「提案があります」とアリッサに向き直った。 「戦士はリゲル帝国の協力で足りているかと思います。ですから私達エスデニアとパガニアは、人形大型兵器とその奏者並びに移動手段を提供させていただきます。機動兵器アポストル、艦隊戦では役に立ちませんが、地上戦であれば絶大な威力を発揮するかと思いますよ」 「機動兵器アポストル……ですか? お兄様、ご存知ですか?」  そこでアリッサに見られたカイトは、少し考えてから「ひょっとして」とラピスラズリとクンツァイトの顔を見た。 「伝説の巨神と言われてるあれか?」 「そう、およそ1千ヤー前、IotUが使用した巨大兵器の改良型だよ。相転移空間の防壁も改良されているから、生半可な武装では貫けないと思っているよ。まあ、なりが大きいから、威嚇するのにもってこいだと思うのだけどね」  クンツァイトの説明に頷き、「それぞれ1千ずつ」とラピスラズリは提供数を説明した。 「私達の戦力も利用した方が、決着が早く着くのではありませんか?」 「維持費だけでも、物凄くお金がかかりそうですね」  苦笑いしたアリッサに、「虫干しですよ」とラピスラズリは笑い飛ばした。 「使用機会が無いので、たまにメンテをしないと動かなくなってしまうんです。後は、奏者の訓練と言うのもありますね。ですから、費用の方は食事代程度で十分だと思っています」 「それも、結構な負担になりますが……仕方がありませんね」  頭のなかで計算をしたのだろうか、アリッサは少しだけ言葉を切って見上げるようにした。 「仰る通り、戦力が多い方が決着が早くなりますね」 「では、私は超銀河連邦内の多数派工策を致しましょう。無くても困らないとは思いますが、お墨付きを貰った方がやりやすくなるはずです」  ライラの提案に、「そうですね」とアリッサも連邦内での工策を認めた。ここでお墨付きをも貰っておけば、連邦軍との住み分けも可能となる。ビジネスで考えれば、非常にありがたい申し入れと言う事になる。 「ところで、軍事の統括はカイト様がなさるのですか?」  トリプルAのメンバーを考えれば、カイト以外に軍経験を持ったものが居ないのだ。その意味で質問をしたラピスラズリに、「お兄様は」とアリッサはカイトの顔を見た。 「ジェイドを離れる訳には参りませんし、大規模な戦力の指揮に適任だとは思えません。それに、お兄様が最強の戦力ですから、後方で指揮と言うことにならないと思っています。ですから、能力の有る方をスカウトしようと思っています」 「そんな都合の良いお方がおいでなのですか!」  驚いたラピスラズリに、「今はここまで」とアリッサは勿体を付けた。そこで不満そうに見られ、「話が纏まる前ですから」と一応の事情を説明した。 「確かに、お話が纏まる前でしたね」  分かりましたと引き下がったラピスラズリに礼を言い、アリッサは夫の顔を見た。 「私達とお兄様は、ご挨拶に伺う場所が有ります。ですから、ノブハルさんを残していけば宜しいですか?」 「私のためには、と言う所ですね」  当然のように認めたライラだが、他の二人はそう言う訳にはいかない。ただクンツァイトの場合、どうにもならない相手だと分かっていることだった。だからアリッサの顔を見て、ここから先は自分の出番ではないと苦笑をした。 「すぐにでも、ロレンシアが飛んで来ると思うよ」 「多分ですけど、ご挨拶だけですからさほど長くはお待たせしないと思っています」  それを自分の顔を見ながら言われたので、ラピスラズリは小さくため息を吐いた。 「また、4人で、ですか」 「別に、3人ででも構いませんけど?」  抜けるのは自由と言われ、「4人もいいですね」とラピスラズリは答えたのだった。  連邦軍元帥ともなると、約束など簡単に取れるものではない。だからトラスティは、カイトの名前を使ってレムニアを出る前に面会の申請を出していた。その甲斐あって、ウェンディ元帥との面会は、白の庭園を辞してから3時間後に実現した。  その前の時間を5人で過ごしたトラスティは、一人のんびりと時間を潰したカイトと合流した。それをずるいと言えないのは、すべて身から出た錆と言うのが理由である。  「ようこそ」と一行を出迎えたのは、部屋の主であるスターク・ウェンディ元帥である。齢は50を超えているし、恐妻家として知られても居るが、撃墜王の素養は他の御三家と変わることはなかった。お陰でアリッサが見とれてしまったのだが、姉のエヴァンジェリンと同じだと考えれば不思議なことではない。  黒みがかった紺の詰め襟の制服を着たウェンディ元帥に対して、3人はビジネススーツ姿をしていた。立ち寄ったついでの挨拶だと考えれば、随分と固い格好でもある。そんな三人に笑顔を向け、「軍が騒がしくなった」とトラスティに苦情をぶつけた。 「インペレーターだったかな。あんな巨大戦艦で乗り付けてくれるから、周りが大騒ぎをしてくれたよ」  そう言って右手を差し出したウェンディ元帥に、「デモンストレーションですから」とトラスティは笑いながらその手を握った。 「トリプルAで新事業を立ち上げるので、そのデモンストレーションだと思ってください」 「あんな巨大戦艦を使った、新事業があるのかね?」  驚いたウェンディ元帥に、「レムニア皇帝の悪ノリですね」とトラスティは種を明かした。 「それで、私になんの用があるのかな?」  ただの挨拶でないのは、出てきたメンバーを見れば理解できる。ただ意外だったのは、アリッサが同席したことだ。  そして用を問われたトラスティは、一度カイトの顔を見てから「スカウトですよ」と真顔で答えた。 「スカウトかね。確かに連邦軍には多くの人材が居るのだが、何しろやたら守備範囲が広くてね。さほど余裕があるとは言えないんだ。だから、可能ならば遠慮願いたいと言うのが正直なところだ。もっとも、最終的には本人の希望が優先されることになる」  建前を口にしたウェンディ元帥に、「それぐらいは」とトラスティは返した。 「ウェンディ元帥、あなたをトリプルAにスカウトに来たんです」  単刀直入に切り出したトラスティに、ウェンディ元帥は少しだけ目元を引きつらせた。だが示した反応はそれだけで、「残念ながら」とスカウトを否定した。 「私はまだ、退役するつもりはないよ。ただ、スカウト自体は光栄だとは考えているがね」  当たり前の答えを口にしたウェンディ元帥に、トラスティは少しも落胆した様子を見せなかった。 「本件に関して言えば、あなたには拒否権は無いと思っています。スターク・ウェンディ元帥、あなたは惑星ゼスの落とし前をどう着けるおつもりですか?」 「落とし前……かね」  そこで少し厳しい顔をしたウェンディ元帥は、「何も出来ない」と答えた。 「幹事会からは、退役をして後進に道を譲るのは責任を取ったことにならないと言われたよ。従って、今の私には何も出来ることはないと言うのが答えになる」 「確かに、今更退役をしても責任を取ったことになりませんね。ただ、そのまま元帥職にとどまっても、なんの役にも立っていないと思いますよ。IotUに従った御三家は、今や不可侵のものとして祀られている。その立場にあぐらをかいて、のうのうと元帥職に収まっているのは、御三家の栄光を汚すものだと僕は考えています」  はっきり言って挑発なのだが、あいにくウェンディ元帥はその挑発に乗ってこなかった。 「なるほど、君は私を挑発したと言うことか。確かに君の指摘した通り、私はウェンディ家の家名に泥を塗ってしまったのだろうね」 「違います、今も泥を塗り続けていると言うのが正解です。あなたは、ただ漫然と元帥職を続けることで、ウェンディ家の栄光を踏みにじり続けているんですよ。本当なら、あなたはあなたにしか出来ない方法で、惑星ゼスの不始末を尻拭いする必要があったんです。それをしないあなたは、ウェンディ家の恥さらしと言うことなんです」  あえて挑発的な言葉を発したのだが、ウェンディ元帥はそれに乗ってこなかった。 「それも、君の手管と言う所なのだね。残念ながら、私にはその方法は通用しないよ」 「手管ではなく、正直な気持ちを申し上げているのですけどね。そしてあなたに、汚名返上の機会を差し上げようと思ったのですが……はっきり言って、期待はずれと言う所ですね。やれやれ、ルナツーまでジュリアン大佐をスカウトに行かなければならなくなった」  大きく肩をすくめたトラスティに、それはよろしくないとウェンディ元帥は答えた。 「彼は、クサンティン大将の次に指導者となる予定なんだよ。だから今、彼に退役されるのは都合がよろしくない」 「そうやって、役職を順送りにして腐って行くのですね」  がっかりだと大げさに嘆き、トラスティはカイトとアリッサに目配せをした。 「これ以上は時間の無駄にしかならないのでしょうね。それから元帥、僕達は惑星ゼスの内乱に合法的に介入します。介入から1週間以内に、内乱を終結させるつもりでいます」 「民間軍事組織が介入したら、その時点で連邦法に反することになる。その場合、連邦軍が君達の前に立ちふさがることになるだろう。いくらカイト君がいても、10万ものハウンドと空戦隊を相手にするのは不可能だよ」  連邦法を遵守し、治安を維持するためなら連邦軍を投入できる。それを持ち出したウェンディに、「それは面白い」とトラスティは手を叩いて喜んだ。 「ハウンド相手なら、きっとリゲル帝国の剣士も張り切ることでしょう。1対1で、果たして彼らを制圧できるのでしょうかね。ちなみにパガニアとエスデニアは、機動兵器アポストル2千を用意してくれるそうです。全面戦争をしたいのなら、遠慮なく仕掛けてきてください。それから、シルバニア帝国も僕達に協力してくれますよ。果たしてアルテッツアの管理する宙域を、連邦軍は無事出ることができるのでしょうかね」  トラスティの脅しに、なるほどとウェンディ元帥は頷いた。 「そこまで用意が進んでいるのに、なぜ私のような役立たずをスカウトに来たのかな?」 「戦力をいくら集めても、統制が取れていなければ烏合の衆になってしまうからです。リゲル帝国にパガニアとエスデニア、そこまで集めてしまうと、重石にも相応しい人物が必要なのですよ。その意味で、あなたを引責辞任させてトリプルAに引っ張るのが、一番連邦軍に与える影響が少なくて済む。仰る通り、クサンティン大将やイスマル大佐を引き抜くのは、これからの連邦軍にマイナスとなる」  終わった人間だと言う決めつけに、ウェンディ元帥は口元をわずかに歪めた。そんなウェンディ元帥に、「ウェンディ家は」とトラスティは座り直して彼の顔を見た。 「IotUに従った御三家のうち、ウェンディ家が筆頭の位置にいるのは誰もが認めることです。IotUに従ったジュリアン・ウェンディ氏は、おそらく冒険に次ぐ冒険だったのでしょう。IotU不在時には、彼がエスデニアを守ったと伝えられてもいます。ウェンディ元帥、ウェンディ家の名を継ぐあなたは、守りに入ってはいけないのではないでしょうか。僕は、惑星ゼスの問題は手始めだと思っているんです。だから、御三家筆頭のあなたには是非とも関わって貰いたい」 「落としたり持ち上げたり、やれやれなかなか忙しいことだな」  ふうっと息を吐き出し、ウェンディ元帥は自分のデスクへと歩いて行った。そして引き出しから、古風な一通の封筒を取り出した。 「それは?」  見慣れない封筒に、トラスティはついその意味を尋ねた。 「ああ、辞表と言うものだ。本来、5年前に提出していなければいけないものだった。それから何度も提出しようと思ったのだが、辞めて何をすると言うビジョンがなければ辞表を出しても意味がないだろう」  ようやく役に立つと、ウェンディ元帥はしげしげと「辞表」を眺めた。 「これを、サラサーテ代表理事に提出すればいい」 「簡単に受け取ってくれますかね」  退役を勧めはしたが、それが簡単でないことも理解していたのだ。それぐらい、御三家と言うのは不可侵の存在とされていた。その意味で、首を取ると言うトラスティの行為は、かなりの冒険になるものだった。 「ゼス問題を解決すると言ってやれば、彼らも反対はできないよ。何しろ私のところに、どうにかならないかと言いに来たのは彼らなんだからね」  そう言うことだと笑い、「噂通りだ」とトラスティのことを褒めた。 「最悪のペテン師と言う評判は伊達ではないと言うことか」 「元帥の耳まで届いていましたか。できるなら、もう少し良い評判なら良かったのですけどね」  そこでカイトの顔を見たのは、彼が「宇宙最強」の称号を持っているからに他ならない。宇宙最強に比べると、最悪のペテン師はどう考えても褒め言葉ではないだろう。 「本来悪評となるペテン師が、肯定的な意味で使われているのだ。その意味を考えれば、大したものだと私には思えるのだがね」  ところでと、ウェンディ元帥はトラスティの顔を見た。 「君のデバイスに、挨拶をさせて貰えないかな?」 「そのことも、お聞き及びでしたか」  苦笑を浮かべたトラスティは、「コスモクロア」と自分のサーバントを呼び出した。そしてトラスティの呼び出しに答え、彼のサーバントコスモクロアが姿を現した。美しく輝く黒い髪に、鮮やかな緑の目をした美しい姿のデバイスである。そして魅力的な姿を、パガニアの正装となる式服に身を包んでいた。 「噂には聞いていたのだが……まさか、オンファス様にお目にかかれるとはな」  感動した顔をしたウェンディ元帥は、立ち上がってコスモクロアに向かって頭を下げた。相手がデバイスだと考えれば、本来ありえない態度といえただろう。 「初めまして。そしてお会いできて光栄です。ジュリアン・ウェンディの子孫、スターク・ウェンディと申します」 「ご丁寧な挨拶をいただき、痛み入ります。今はトラスティ様のデバイスとしてお仕えしております。オンファスでもコスモクロアでも、お好きに呼んでくださって結構ですよ」  そう言って微笑む様は、魂を奪われそうなぐらいに美しかった。少し恍惚とした表情を浮かべたウェンディは、「ザリア」とカイトのサーバントを呼び出した。それに応える形で、エスデニアの正装に身を包んだザリアが現れた。 「これで、IotUの奥方二方が揃ったと言うことか。さて、ここに顔を出していないノブハル・アオヤマのデバイスは、どのような意味を持つのだろうか」  目を閉じて少し上を向いた姿で、ウェンディ元帥は何かを考えるようにじっとしていた。そんなウェンディ元帥に、「それを探そうと思っているんです」とトラスティは答えた。 「惑星ゼスは、その第一歩になると考えています」 「なるほど、君は新しい冒険へと私を誘いに来てくれた訳だ」  感謝すると頭を下げたウェンディは、久しぶりと言っていいほどすっきりとした顔をしていた。  スターク・ウェンディのトリプルA加入は、全銀河に驚きを持って受け止められた。そしてウェンディ元帥の加入に対して、様々な噂が飛び交ったのも事実だ。その中には、金で御三家の威光を買ったとの中傷まがいのものも含まれていた。  だが噂は噂で、それ以上の意味を持つものではない。そしてウェンディ元帥の加入により、トリプルAの新たなプロジェクトは加速の段階へと向かったのである。  飲み会以来、明らかにイライザとガリクソンの間柄は接近したのだろう。ただイライザの性格なのか、近づいた以上のことは今の所起きていなかった。そのあたりテッセンに言わせれば、「まだまだお子様」なのだそうだ。 「さっさと、しちゃえばいいのに」  交流会が明日に迫ったことも有り、物資の搬出はピークに達していた。その搬出作業を行いながら、テッセンは隣に立ったイライザを茶化した。ちなみに「しちゃう」どころか、手の一つさえ握らせていないのは綿密な聞き取りによって確認していた。  そんなからかいの言葉に、イライザは「んー」と少し考えてから爆弾を落とした。 「明日なんだけど、ソーが会いに来ることになってるのよ。どうやら、護衛対象のお嬢さんが気を使ってくれたみたいね。30分ぐらいらしいんだけど、話をしようってことになってるわ」  意外な答えに、「えっ」とテッセンは驚きの声を上げた。 「ガリクソンは、そのことを知っているの?」 「なんで、教えないといけないの?」  本気で分からないと言う顔をされ、テッセンは呆れたように息を吐きだした。 「なんでって言う、あんたの感覚が信じられないわ」  確認のチェックボックスにマークを入れてから、「子供じゃないんだから」とイライザを叱った。 「まさか、ガリクソンの気持ちが分からないとは言わないわよね?」 「それぐらいは、理解しているつもりなんだけど?」  だったらと詰め寄ろうとしたテッセンに、端末片手に「待って」とイライザは手のひらを向けた。 「一応私は、ソーと付き合っているのよ。そのことは、飲み会の時にも話題になったはずよ。どうして恋人に会うのに、周りの了解が必要なのかしら?」  それにと、イライザはテッセンの言葉を待たずに続けた。 「ガリクソンのことは好き……ちょっと意味が違うか、いい人だとは思っているわ。でも、恋とか愛とか語るところまではいっていないと思ってる」  そう答えられれば、それ以上強く言う事もできない。まだイライザの中で、ガリクソンの位置が大きくないとまで言われたのだ。それを周りから囃し立てるのは無責任だし、本人が努力すべきことなのだ。 「まあ、こっからさきはガリクソンが頑張る所か」 「そうね。ただそれは私にも言えることだと思う」  その微妙な答えに、結構揺れているのだと友人の心の中をテッセンは想像したのだった。  そして翌日は、もともとの住民と避難民との交流会の当日となる。模擬店の設営には関わっていないことも有り、リスリムの在庫管理のお仕事はお役御免となっていた。それなら交流会を楽しめばいいところなのだが、鬱陶しい護衛が離れないので、食料関係の模擬店ブースの「視察」で時間を過ごしていた。模擬店の売れ行きで、これからの手配の参考にしようと言うのである。  もっとも、視察だからと言って、楽しまないかと言うはまた別の問題である。そしてリスリムは、フライドドッグと言う、ソーセージに衣をつけて揚げたものを頬張りながら、嬉しそうそうな顔をしながらゆらゆらとだだっ広い会場の散策をしていた。こう言った場所が初めてなのか、きょろきょろと視線を忙しく動かしていた。 「結構盛況になってるわね」  交流会の会場は、市内にある大きな公園のうち5つが使われていた。各公園から送られてきた情報を見ると、朝から住民が詰めかけて盛況となっているようだ。 「被害は受けていなくとも、空気と言うのが影響するからな。お祭りを楽しみたいと考えるのは、自然な感情に違いない」  リスリムの命令で、ソーはとってもカジュアルな格好をしていた。さすがにラプターの兵装は外していないが、それ以外はお祭りを楽しんでいる人達との区別がつかないぐらいだ。そのあたり、「場の空気を壊すな」と言うリスリムの言葉に従ったのが理由である。  そしてリスリムが頑なに服装に拘ったのは、この後のソーの予定も理由になっていた。恋人に会いに行くのに、無愛想な軍服は駄目としか言いようがなかったのだ。 「これだけ人手があるのに、ハミングバードの被害は出ていないわね。これで、オウザクのハミングバードは紛れ込んでいないと言う証明になるわね」 「無差別攻撃と言う意味なら、そうなのだろう……」  そして特定のターゲットを狙うことにしても、今の時点で被害なり駆除なりの情報は入っていない。その意味で言えば、リスリムの言葉は正しいことになる。そしてソー自身も、大丈夫だろうと言う気持ちになりかけていたのは確かだ。 「だとしたら、解放同盟だったっけ? なんで、あんな無駄なことをしたんだろう」 「改良型ヴァルチャーのテストと言うのが有力らしい」  ぼそりと答えたソーに、「それはおかしい」とリスリムは即座に言い返した。 「もちろん、その目的が無いとは言わないわよ。でも、そのためだけに20万ものハミングバードを無駄遣いするのかしら。それほど、同盟側も余力があるとは思えないんだけど」  そのあたりはと問われたが、ソーは返す答えを持ち合わせては居なかった。軍に問い合わせても、まともな答えがなかったと言うのもその理由である。 「オウザクの都市機能を麻痺させたのは確かだけど、効果的には疑問符が付くわよね。それぐらいなら、何かのカモフラージュだと考えた方がよっぽど腑に落ちると思わない?」 「だが、一体何をカムフラージュすると言うのだ?」  確かにその方が腑に落ちるかもしれないが、今度は別の問題が持ち上がってくる。それを指摘したソーに、確かにそうだとリスリムも認めた。 「そうなのよねぇ。あんなことをしても、前線には全く影響はないし。ちょっと軍の人が頭を悩ませた程度でしょ。一番可愛そうなのは、オウザクの守備隊かな。余計な仕事が増えまくったんでしょ」  余計な仕事の下りに、ソーもつい吹き出してしまった。確かにハミングバード駆除は、余計な仕事に違いない。しかも改良型ヴァルチャーのせいで、問い合わせ対応まで上乗せさせられてしまったのだ。本来の業務から考えれば、「余計な」仕事と言ってもおかしくはない。  色々と考えては見たが、結局なんの新しい発見はなかった。それに落胆したリスリムは、定期的に掛けているちょっかい、ソーをからかうことにした。 「この様子だったら、イライザとの時間を増やしても良さそうね。30分と言わずにもっと長く会ってきてもいいんじゃないの?」  どうよと顔をニヤつかせたリスリムに、ソーは表情一つ変えること無く「却下だ」と答えた。 「それ以上離れていると、お前の安全を保証できなくなる」 「まあ、あなたならそう言うとは思ったけど……」  はあっとため息を吐いたリスリムは、「ねえ」とソーの左腕を突っついた。 「あそこに居る男だけど、なんか少しおかしくない?」  ほらと指さされた先には、自分達と同じ年ぐらいの男が歩いていた。背は明らかにソーよりも高く、ちょっといいかなと言う見た目をしていた。している格好も、休日に相応しいカジュアルなポロシャツ姿である。それだけを取り出せばおかしなところはないのだが、一つ一つ細かく見ると、明らかに異邦人と分かってしまう。 「確かに、どう見てもここの住人ではないし、避難民と言うこともなさそうだな」 「でも、危険な感じはしないわね。それに、結構いい男だし。ちょっと声を掛けてみない?」  そんなリスリムに、ソーははっきりと、そして大きなため息を答えとして返した。 「見た目で判断するのが、どれほど危険なことか分かっているのか。あのハミングバードですら、見た目は可愛い鳥でしか無いのだぞ。不審人物だと言うのなら、警備に通報して処理をするのが正しい対処だ……おい、何をする」  だから絶対に駄目と止めようとしたのだが、それで止まるぐらいなら父親は心配などしないだろう。ソーが駄目な理由をあげている間に、リスリムは不審な若者に近づいていった。これでは、周りに気づかれない内に排除するのは不可能となる。仕方がないと、ソーは警戒しながらリスリムの後ろを追いかけた。 「ねえ、そこの彼」  と言う呼びかけは、この場において相応しいものだろう。ただ身長差があるため、リスリムは伸び上がるようにして男の肩を叩いた。 「そこの彼とは、俺のことか?」  振り返った男を見て、自分の見立てが正しかったのをリスリムは知った。第一に確認できたのは、予想よりも美形だったと言うことだ。そして本来ならこちらの方が大切なことなのだが、相手が市民や避難民で無いことが分かったことだ。 「そう、あなたのことよ。このバッヂが無いと、模擬店に来ても何も交換できないわよ。ちゃんと、全体に行き渡るように配布されたはずなんだけど。家に、忘れてきた?」  敢えて逃げ道を与えたのは、その誘いに乗ってくることを期待したからに他ならない。ただその誘いも、後ろに殺気立ったソーがいては意味も半減する。 「そんなものを、貰った覚えはないんだがな?」  おかしいなと首をかしげるのは、答えからすると不思議なことではないはずだ。 「そうね、市民および避難民以外には配布されないもの」 「つまり俺は、まだ登録されていなかったと言うことか」  そこでため息を吐いて、男は「オウザクから来た」と答えた。 「今朝方着いたから、登録が間に合っていなかったのだろうな。そうか、そのバッヂがないと、飯も食えないのか」  困ったなとお腹を押さえるのを見て、「お腹が空いているの?」とリスリムは問いかけた。 「腹ぺことまではいかないが、それなりに空いてきたと言う所だな。ああ、自己紹介がまだだったな。俺は、ノブハル・アオヤマと言う。悪いんだが、あんたと、あんたの後ろで怖い顔をしているのは誰なんだ?」 「私はリスリム・アンダリオ。後ろにいるのが、ソー・マルコムよ」  小柄な体を目一杯大きく見せるように、リスリムは無い胸を張ってみせた。 「リスリム・アンダリオ……アンダリオ?」  ただ男、ノブハルにとってリスリムの背伸びはどうでもいいことのようだった。その代わり、リスリムのファミリーネーム、アンダリオに引っかかってくれた。 「もしかして、上院議員サラカブ・アンダリオの娘のリスリムか?」 「そうなんだけど。それがどうかしたの?」  自分ではなく父親を気にした相手に、リスリムは警戒をはっきり表に出した。 「だから、後ろに護衛を連れていると言うことか」  なるほどと頷いたノブハルは、「それで?」と自分に声を掛けた理由を尋ねた。 「あなたがいい男だから、ちょっとナンパでもしてみようかなって」 「ナンパ……あんたが、か?」  しっかり驚いたノブハルは、リスリムを頭の天辺からつま先まで、ゆっくりと二度確認した。 「あんたが、ナンパか?」 「なにか、物凄く失礼なことをされた気がするんだけど。後ろの怖いお兄さんが、あなたに用が有るみたいね。私は止めようと思ったんだけど、気分が悪くなったから止めとくことにするわ」  本当に不愉快そうな顔をして、「任せたわ」とリスリムはソーにノブハルの処置を任せた。どうやら、お子様に見られたことが、彼女の逆鱗に触れたようだ。 「この場で抵抗すると、それだけお前にとって不利になる。警備隊が来るまで大人しくしていることだ」 「なるほど、俺は不審者に見られたと言うことか」  うんうんと頷いたノブハルは、「不用心だな」とぐるりとあたりを見渡した。今更だが、周りには交流会に集まった市民や避難民が大勢いた。 「ここで暴れたら、大勢の市民が巻き添えになるんだがな」 「心配するな、一瞬でケリをつける」  そう言ってソーが殺気を立ち上らせたところで、「待ちなさい」とリスリムが介入した。 「その男の言っていることに間違いはないわ。とりあえず、場所を変えることにしましょう」 「つまり、付いてこいと言うことか。問答無用でないことに感謝する」  そこは感謝するところなのか。おかしな男だと、二人はノブハルのことを考えた。  そこから5分ほど歩くと、公園の管理室のあるエリアとなる。関係者以外立ち入り禁止となっているため、そこまでは交流会の模擬店目当ての市民は来ていなかった。 「そろそろいいんじゃないか?」  辺りの様子を確認したところで、ノブハルは隣を歩くソーに声を掛けた。うまい具合に人目がなくなったので、入り組んだ話をするのに都合がいいと考えたのである。そんなノブハルに、「確かにそうだ」と同意したソーは、目にも留まらぬ動作でノブハルの鳩尾を撃ち抜いた。  多少は鍛えていても、完全な不意打ちに対して対応などできるはずがない。そのため口から胃液を吐き出し、ノブハルはその場に崩れ落ちることになった。ソーが確認してみたら、白目をむいて完全に失神しているようだ。 「これで、無力化は完了した。それで、この男をどうするつもりだ?」  ここまでの身のこなしを観察した結果、ノブハルが解放同盟の潜入工作員でないことは理解できた。あまりにも隙が多すぎるし、身のこなしも素人すぎたのだ。しかも用心が足りないと来ているから、よく生き残れたものだと感心してしまうぐらいだ。  ソーの技量ならば、人混みの中でもノブハルを仕留めるのに苦労はしなかっただろう。あえて場所を変えたのも、ノブハルの出方を見ると言う以上の意味は無かった。 「そうね、見た目がいいからベッドに連れ込んで既成事実を作るって……冗談よ本気にしないで。ただ、何をしに来たのかは興味があるわね。警備隊に引き渡すんじゃなくて、私たちで尋問しない?」  興味津々と言う顔のリスリムに、ソーは少し厳し顔をした。 「不審者は、警備隊に引き渡すのが正しい手順だ。そして余計な好奇心は、命取りになることを覚えておくことだ。あまりにも簡単に無力化できたと言うことは、この男は単なる囮の可能性もある。本命が、すでに潜入している可能性もあるのだぞ」 「つまり、どこからか私たちのことを見張っているってこと?」  ううむと考えたリスリムは、「BSチョーカーがあったわよね」と確認した。 「ああ、あるにはあるが、何をするつもりだ?」  リスリムの言うBSチョーカーは、拘束・監禁に使用する拘束具の一種である。首に巻きつけるアクセサリーに見えるのだが、これをされると体に力が入らなくなると言う機能を持っていた。さらに言うのなら、正規の手順で外さないと爆発すると言う物騒な機能まで備わっていた。ちなみにこの爆発機能は、遠隔操作をすることもできると言う厄介なものである。 「この男の尋問に使用するのよ。それを使えば、私だって危なくないでしょ?」 「それは認めるが、そこまでする必要があるのか?」  安全を考えたら、BSチョーカーを使用するのは悪いことではない。ただリスリムがこの男にこだわる理由が分からなかったのだ。 「第六感って奴なんだけど、どう思う?」 「どう思うって……」  はぁっと息を吐き出して、「反対だ」とソーは答えた。ただ反対をしながらも、BSチョーカーを巻く作業は済ませていた。 「こんな間抜けな奴が、解放同盟の工作員とは考えられない。だからと言って、油断をしていいことなど何一つとしてないんだがな」 「だから、第六感って言ったんだけど。勘を論理的に説明するのって、事実上不可能でしょ?」  だからだと胸を張ったリスリムに、ソーは何度目かの深いため息を吐いた。 「どうしてこのご時世に、そんな呑気なことを言えるのだ?」 「逆に、このご時世だからと言うこともできるのよ。だって、こんな間抜けが不用心にうろついているんだもの。どうしたら、そんな真似ができるのか聞いて見たいのよ」  このモードに入ったら、リスリムが一歩も引かないのはこれまでの経験で分かっていた。そしてそれらしい理由をつけたところで、それ以上の屁理屈で否定されるのも分かっていた。それぐらいのことは、BSチョーカーを持ち出した時点で分かっていたことだった。 「この男がラプターを持っていないのは確かだ。そして誰かが助けに来たところで、破壊しようとすれば首がすっ飛んで終わりになる。まあ、俺が見ていると言う条件でなら認めてやってもいいだろう」  それが譲ることのできる最大限だと答えるソーに、「目をつぶっててくれる?」とリスリムは問いかけた。 「目をつぶるとはなんのことだ? と言うより、俺の話を聞いていたのか?」  目をつぶったら、護衛をしている意味がなくなってしまう。すかさず言い返したソーに、「恥ずかしいから」と言ってリスリムは頬を染めた。 「結構美形だしいいかなって。だから、尋問と言う口実でいただいちゃおうかなって思ったのよ。目をつぶっててって意味、これで理解してくれたかしら?」 「俺に、犯罪行為を見逃せと言うのか?」  それはないと即答したソーに、「仕方がない」とリスリムは本気で悔しがっていた。その様子を見る限り、結構本気と言うことになる。 「じゃあ、丈夫な建物の、閉じ込められる場所に行きましょうか」 「ああ、仲間がいるかも確認できるからな」  了解だと答え、ソーは軽々とノブハルを担ぎ上げた。鍛えられたソーだから、ラプターの助けがなくてもこれぐらいのことは簡単なことだった。  リスリムとソーが消えてすぐ、どこからともなく二人の男が現れた。その男たちは二人とも、アイラブSCのポロシャツにくたびれたベージュのズボン姿をしていた。 「餌がいいと、獲物が簡単に引っかかってくれますね」  ノブハルが連行された方を見た男、トラスティは面白そうに口元を押さえた。その様子を見る限り、拘束されたノブハルのことを心配していないようだ。そしてその事情は、同行していた男カイトも同様だった。 「上院議員の娘か。協力者の候補ぐらいにはなりそうだな」  すぐに当たりと考えなかったのは、彼女の立場が問題だと考えたのである。政権中央に近すぎることで、旗頭にするには微妙なところもあったのだ。加えて言うのなら、18には見えない幼い見た目と言うのも扱いにくいと思っていた。  カイトの寸評を、トラスティも肯定した。 「女性と言う意味で、利用しやすいのは確かなんですけどね。ちょっと、お子様すぎると言うのが難点と言うところかな。サラカブ・アンダリオの娘と言うのは……うまくハマれば利用ができますが、使いにくいところは確かにありますね。彼女じゃ、市民の代表は務まりにくい。もうちょっと、普通の人が好ましいと思いますよ」  住民不在の争いが繰り広げられるのに嫌気がさした。そのシナリオを考えた場合、政権に近い者は利用しにくくなる。理想的には、男女問わず政権に関係の無い者が良かったのだ。 「とりあえず、キープと言うことにしておくか?」 「それが妥当と言うところでしょうね」  特定の誰と言う目星はないが、あまり好ましくないと言う事情は明確になっていた。ただ背に腹はかえられないところがあるので、いざと言う時には活用を考える必要もなるのだろう。  ただ相手を間違えると、それだけで介入が失敗に終わることになる。背に腹が変えられないのは確かだが、初日でうまくいくと考えるほど二人は甘い考えをしていなかった。 「じゃあ、ぶらぶらと歩いて状況を目で観察するか」 「ボランティアをしている中で、適当なのがいないか探して見ましょう」  だからあっちと、トラスティは食べ物屋の模擬店が並ぶ方を指差した。ちなみに二人の胸には、交流会用に配布されたバッヂが光っていた。  避難民が増えることを想定して作られたエリアには、使用されていない建物がいくつか点在していた。その中には、犯罪者を収容する簡易留置場も含まれていた。丈夫な建物の閉じ込められる場所をと言うリクエストに応え、ソーは建設の終わった簡易留置場を尋問の場に選択した。  サラカブ・アンダリオの娘と言う立場と、ソーの軍から発行された身分証は、難民収容施設の中では大きな意味を持ってくる。身分証を確認した職員は、二人に施設の利用を許可してくれたのだ。そしてBSチョーカーを首に巻かれたノブハルを見て、「間抜けそうな顔をしていますね」と正直な感想を口にしてから電子錠のカードを渡してくれた。 「ところでソー、イライザに会いに行くまでどれだけ時間がある?」 「約束の時間と言う意味なら、1時間と20分だ」  それに小さく頷いたリスリムは、「1時間で終わらせましょう」と提案した。 「そうすれば、初めの予定通りになるわ」 「それは、尋問の結果次第だな」  こう言うところは頭が固い。小さくため息を吐いたリスリムは、「それはあなたの役目じゃない」と指摘した。 「あなたの仕事は、私の護衛であって治安の維持じゃないわ。尋問の結果治安に影響が出ると分かったら、その時は警備隊に引き渡せばいいだけのことよ。そうなったら、あなたの出番はどこにもないし、あってはいけないことになるわ」  「理解してて?」と問われたソーは、しぶしぶその指摘を認めた。 「確かに、そこから先は俺の仕事ではないだろう」  それでも言い返そうと考えたのだが、どうせ結果は同じだと諦めることにした。そもそも治安に関係するからと、警備隊に引き渡そうと提案したのはソーの方だったのだ。ここまで不審者を連れて来たのは、全てリスリムのわがままからのことだった。 「じゃあノブハル・アオヤマだったっけ? 尋問を始めることにしましょうか。と言うことなので、その男を起こしてくれるかしら?」  相変わらずノブハルは、気を失ったまま床でマグロになっていたのだ。尋問をするためには、まず意識を取り戻させる必要がある。その意味で、「起こして」とリスリムがリクエストするのはおかしなことではない。  ただノブハルを起こす手段を、ソーが持っているかと言うと話は別になる。「どうやって?」と返されたところで、リスリムは右手で頭を押さえた。 「BSチョーカーには、その機能はなかったよね」 「単なる拘束具だからな」  さて困った。顔を見合わせた二人は、どうしようかとしばらく考えた。その辺りの手際が悪いのは、素人だと言うのが答えになるのだろう。 「水とか掛けるのはどうかしら?」 「あまり良い手とは言えないが、この際贅沢は言っていられないのだろうな」  5分考えてもまともな方法が思いつかないのだから、ダメ元でやってみるのは悪いことではない。リスリムの提案を受け入れたソーは、洗面所から水を張ったバケツを持って来た。そして鍵を開けて拘束室に入り、失神しているノブハルの頭から水を掛けた。  どうかと思った方法だったが、意外に効果があった様だ。それまでピクリとも動かなかったノブハルが、ぷはっと息を吐き出し唸り声をあげてくれたのだ。それを確認したところで、ソーは拘束室を出て外側にある尋問用ブースへと戻っていった。 「さて、ノブハル・アオヤマだっけ? 私の声が聞こえるかしら?」  拡声器から聞こえて来た声に、ノブハルはのろのろと顔を上げた。水を掛けられたおかげで目は覚めたのだが、どうも体に力が入ってくれなかったのだ。 「その様子だと聞こえている様ね。だったらあらかじめ教えておくけど、あなたの首に巻いてあるのはBSチョーカーって言う代物なの。それを巻かれると体に力が入らなくなると言う優れものよ。そして正規の手順以外で外そうとすると、爆発して頭と胴体がサヨナラをする凶悪な拘束具でもあるわ。ちなみに私がその気になったら、遠隔から爆発させることも可能よ。死にたくない限り、大人しくしているのを推奨するわ。それから、私を怒らせない様にした方がいいわよ」  理解できてと問われ、ノブハルは本当にゆっくりと首を縦に動かした。リスリムの言う通り、体に力が入ってくれなかったのだ。そのおかげで、まともに口を聞くこともできなくなっていた。 「理解してくれて嬉しいわ。じゃああなたに質問をするけど、ガールフレンドとかいるの……冗談よ冗談」  個人的願望バリバリの質問をしたところで、リスリムはこれ以上ないほど冷たい視線をソーから向けられた。それに首をすくめ、リスリムは初めの目的に戻ることにした。 「質問をやり直すけど、あなたはどこから来たのかしら?」  答えなさいと命じたのだが、いくら待ってもノブハルからはまともな答えはなかった。口を動かしているのをみると、何か言おうとしているのは確かなのだろう。だが肝心の声が、先ほどから少しも聞こえてこなかったのだ。 「ねえ、BSチョーカーを巻くと、声って出なくなるの?」  さすがにおかしいと、リスリムはソーにBSチョーカーの効用を確認した。 「BSチョーカーは拘束用だからな。尋問に使うかと言われると……」  ううむと唸ったソーは、データーベースのBSチョーカーの情報を検索した。 「全身の筋肉の弛緩と言う機能を考えると、まともに喋るのは難しいかもしれないな」 「つまり、尋問できないってこと?」  あからさまにがっかりはしたが、そこで文句を言わないのはBSチョーカーを提案したのが自分だったからだ。だから尋問用の音声を切って、「どう思う?」とリスリムはガラス越しのノブハルの様子をソーに尋ねた。 「この状況下で、あんなのを派遣する意味があるかと言うことか?」  質問の意味を確認したソーに、「それもある」とリスリムは答えた。 「確かに、あんなのを派遣してきた奴の常識を疑うわね。でも私が聞きたかったのは、あの男の危険度よ。あなたが帰って来てから、BSチョーカーを外して尋問をしてみようかと考えたの」  どうと問われたソーは、少し考えてから「順番を変えないか」と提案した。 「先に尋問を済ませ、終わったところで警備隊に引き渡す。それが済んだところで、俺はイライザに会いに行くと言うのがどうだろうか」  そこで時計を確認したリスリムは、「却下」とソーの提案を一蹴した。 「そんなことをしたら、約束の時間に間に合わなくなるわ」  そしてソーの答えを待たずに、「あれよ」ともぞもぞと動いているノブハルを指差した。 「ラプターを持っていないのは確認できているでしょ。だとしたら、ここにいる限り心配はいらないんじゃないの? ここの警備員は、ラプターの装備を持っているわよね?」  つまり、外敵に対する対応も問題がないと言うのである。建物の構造を考えても、簡単には攻め落とせない場所と言うのも確かだった。  そこで考えたソーは、リスリムのいる場所に制限をかけることにした。具体的には、この建物の中にあるセーフティーエリアにいればいいと言うのである。そこにいる限り、拘束室の心配をしなくても済むのである。 「あなたが帰ってくるまでそこにいればいいのかしら?」 「長く待たせるつもりはない」  それが譲歩できる限界だと言うソーに、「いいわよ」とリスリムはあっさりと条件を受け入れた。それを不思議そうにしたソーに、「リスクを取らないって言ったでしょ」とリスリムは返した。 「それに、私だって少し考えをまとめてみたいのよ」 「だったら、俺からは何も言うことはない」  これでお互いの主張が一致したことになる。少し嬉しそうに頷いたリスリムは、立ち上がってソーの周りを回って彼の身だしなみをチェックした。 「シャワーを浴びて着替えていけと言うのは無理な相談なんでしょうね。だから、イライザに会う前に、鏡の前で自分の姿ぐらいは見て行きなさい」 「……なにか、問題があるのか?」  そこで不安そうにしたのは、彼としては珍しく緊張などしているのだろう。そのあたり気に入らないのだが、元はと言えば自分が勧めたことなのだ。だからリスリムは、「鏡を見れば分かる」と突き放した。 「とにかく、場所をセーフティーエリアに変えましょ」  そうすることで、ひとまず問題を棚上げすることができる。その提案を否定する理由もないので、ソーは素直にリスリムに従うことにした。 「あの様子では、何もすることはできないな」  尋問用ブースを出る前に、ソーは分厚いガラス越しにノブハルの様子を伺った。もぞもぞと動いてはいるが、していることと言えばそれだけでしかない。時々口が動いているのだが、まともな声も出せていない様だった。少なくとも、BSチョーカーは正常に動作をしているのは確かだ。 「もしも勘違いだったら……まあ、その時はその時だな」  ノブハルが一般市民と言う可能性を考えたソーは、「まあいいか」と問題を先送りにすることにしたのだった。  ラッカレロの街を歩いたトラスティの感想は、「予想外」と言うものだった。惑星ゼスと言えば、泥沼の内戦を続けていることで有名だったのだ。しかも惑星上の7割に戦火が及んでいると言う話に、ラッカレロの街ももっと荒んでいると想像していたのだ。だが実際に来て見たら、内戦の影は感じられるが、それ以外は普通に市民生活が行われていたのだ。 「もっと悲惨な状況かと思いましたよ」  だからこその感想に、ここは特別だろうとカイトは答えた。 「まあ、ここはサイプレス・シティの衛星都市だからな。その外側に、首都防衛線があるから、ここまでは戦火が及んでいない。比較的平穏に見えるのは、それが理由なのだろう」  カイトの説明に、なるほどねぇとトラスティは頷いた。 「つまり、もう少しここから離れれば地獄絵があるってことですか」  その問いに、カイトは小さく頷いた。 「ラシュト……解放同盟が最初に拠点とした都市なのだが。政府軍によって破壊されたと言う情報がある。そこにいけば、内戦の悲惨さを見ることができるだろうな。もともとは、とても美しい街だったんだがな」  そう答えたカイトからは、綺麗に感情と言うものが抜け落ちていた。自分達が間違えたせいで、惑星上から平穏が失われてしまったのだ。それを現場で目の当たりにするのは、当事者としていたたまれない気持ちになるのだろう。 「でも、ここを見る限りまだ手遅れじゃないと言うことですよ」  最初の公園とは別の公園に来て、トラスティは集まった大勢の市民たちを見た。内戦の真っ只中と言うのに、集まった市民の顔にはまだ笑顔が残っていたのだ。 「ああ、まだ手遅れではないんだな」  ふっと息を吐き出したカイトは、「情報収集は?」と配置した人員の成果を尋ねた。 「思わしくありませんね。政府側はいいんですが、ノラナ・ロクシタンの居場所が掴めていません。だから解放同盟が何をしようとしているのか、今の所それが掴めていないんです。もっとも、政府側は政府側で、簡単には尻尾を出してくれていませんけどね。何か、新しいことをしようとしていると言う情報だけです」  パガニアが協力してくれると言うことで、多層空間を利用した監視網を構築したのだ。こちらの世界を別の世界から覗いているため、通常の探知網に掛からないと言う利点がそこにはあった。 「少し、出遅れたところがあるのは認めますよ。だから、政府軍側が何をしようとしているのか、ノラナ・ロクシタンの捜索と同じレベルで探らせています」  先ほどは飲食店がメインのエリアだったが、こちらは服飾系がメインとなっているらしい。内戦中にも関わらず、色とりどりの洋服が大量にディスプレーされていた。 「こうして見ると、この格好って結構浮いていますね」 「アイラブSCじゃな……内戦になる前には、お土産物として人気はあったらしいがな」  苦笑を浮かべたカイトは、「確かに浮いている」と辺りを見渡した。 「あそこに大量に積まれているところを見ると、引き取り手がいないと言うことだろうな」  そこと指さされた先には、住民が寄り付かないブースがあった。なんでだろうと目を凝らして見たら、アイラブSCとプリントされたTシャツやポロシャツが大量に積み重ねられていた。 「その不人気な奴を、僕達は着ていると言うことですか」  やだなと呟いたトラスティに、「だったら」とカイトは衣装チェンジを提案した。 「あっちのブースなら、人が結構集まってるだろう。それなら、周りから浮かなくて済むんじゃないのか?」 「まあ、目立たないためってのが目的ですから」  センスの問題はあっても、その方がマシには違いない。人探しの役にも立つかと、トラスティはカイトの提案を受け入れることにした。  交流会が始まってから、イライザはいつものグループでバックヤードの仕事に回っていた。当たり前だが、全ての物資を展示するスペースなどなかったのだ。だから配布具合を勘案して、タイムリーに商品を補充をする必要があった。 「予想外と言うのか、考えてみれば当たり前と言うのか……」  はあっと息を吐き出したイライザは、「大人用ランジェリー」の追加手配をしていた。分類時には「どうしてこんなものを」と疑問に感じたのだが、蓋を開けて見たら一番人気となっていたのだ。若いカップルから熟年夫婦までが、周りから見えない様にしたアダルトコーナーを訪れてくれたのだ。 「そうね、ちょっと想定外だったと言うところね」  イライザのつぶやきを聞きつけたテッセンは、自分も想定していなかったと苦笑した。 「ああ言うものって、確かに配給対象になっていないわね。それを考えれば、予想してしかるべきだったと言うことだと思うのだけど……それだけ、代わり映えのしない毎日にみんな疲れているのね」 「私たちが、あれだけ飲み会で盛り上がったことを考えれば不思議なことじゃないってことか」  そこで時計を確認したテッセンは、「そろそろよ」とイライザに声をかけた。 「彼氏と会うんだから、そんな格好じゃダメでしょ」  だから着替えてきたらと言うのである。だが自分の格好を確認したイライザは、「このままが」と着替えを否定した。 「それに、可愛らしい服は似合わないと言うか、私らしくないし」 「別に、フリフリの可愛らしい服を着てけって言ってる訳じゃないんだけどね」  願望があるのかとからかわれ、イライザは珍しく顔を赤くした。 「べ、別に、願望があるかって……ない訳じゃないけど」  そのまま照れまくったイライザは、「二度と着れないかもしれないし」と返した。 「これから恋人に会うのに、さすがにそれは暗いんじゃない?」  やめてくれると、なぜかテッセンが文句を言った。立場が違うだろうと言い返そうとしたイライザだったが、確かにそうかと文句を思いとどまった。 「と、とにかく、私は私らしい格好で行くから」 「それが、トレーナーにジャージ?」  まあいいけどと、テッセンはそれ以上拘ることはしなかった。確かに着替えに戻るには、時間に気づくのが遅かったのだ。そして二度とと言う言葉は忘れても、可愛らしいフリフリの衣装は周りから浮いてしまう。  だから「待たせちゃダメよ」と忠告をして、テッセンはイライザを送り出したのだった。  結果的に、お互いは服装に関しての相方の忠告を生かすことはしなかった。それでも少し離れた噴水で顔を合わせた時には、久しぶりに感じる緊張感を二人は味わっていた。  「ああ、確かにこんな時があった」と言うのは、久しぶりにソーの顔を見たイライザの感想である。そしてソーにしても、「変わらないのだ」と飾り気のないイライザを見て昔を思い出していた。 「ねえ、少し歩かない?」  自分の方が年上だからと、イライザは散歩を提案した。噴水近くのベンチで座ると言う考えは、「何を話せばいいのか」と言う疑問から放棄したのである。 「どう、お嬢様とはうまくやってるの?」  久しぶりに顔を合わせたこともあり、話しかけるきっかけに困ったのは確かだった。そしてソーにしても、イライザと何を話せばいいのか分からない事情は同じなのだ。だからイライザの問いかけも、ありきたりのものになっていた。それでも話をするきっかけになればマシだったが、「問題ない」が答えでは話の膨らませようもない。勢いをつけようとしたのに、いきなりブレーキを踏まれた気持ちになってしまった。  それでも年上の務めと、「彼女可愛いでしょ」と地雷を踏む様なことを口にした。 「一緒に歩いていて、何度か「可愛い妹さんね」と言われた記憶はある」  だが話を振っても、そこから次の話題に発展することはなかった。リスリムの話題にしても、食いついてくれなければそれ以上どうしようもないのだ。  それからも何度か話題を振って見たのだが、返って来たの話を膨らませようのない答えばかりだ。そのおかげで、苦労してひねり出した話題も単発で終わってしまった。結局公園の中を、ただ続かない話題に苦労をしながら歩き続けただけで、30分と言う時間は終わりを迎えてしまった。  設定されたタイマーの音が聞こえて来たところで、これが答えなのかとイライザは心の中で結論をつけていた。約束の時間が終わったことを、自分は少しも残念に思っていなかったのだ。それどころか、どこか安堵している自分に気づいていた。  そして心の中が読めないソーは、表情も変えずに「時間だ」と口にしてくれた。 「そうね、ソーは仕事に戻らないとダメね」  それでも、イライザは寂しいと言う気持ちも感じていた。ただその気持ちは、ソーと離れることが理由だけとは思えなかった。ただ自分の言葉を素直に受け入れるソーに対して、落胆を感じていたのも確かだ。それでも一つだけ言えたのは、時間を作って会ったことに意味があったと言うことだ。 「お仕事頑張ってね」  その言葉は、ソーに掛ける惜別の言葉にもなっていた。自分がソーに向ける思いは、恋などと言うものではなかったのだと。  予定通りの時間で戻って来たイライザに、仲間たちはため息の洗礼を浴びせかけた。確かに30分と言う時間の制限は知っていたが、それを律儀に守るとは思ってもいなかったのだ。だが移動時間を計算すると、二人はきっかり30分で別れたことになる。さすがにそれはないだろうと言うのは、彼女に懸想をするガリクソンの感想だった。恋人同志と言う意識があるのなら、男がもっとリードしろと言うのが彼の考えだったのだ。  だったら遠慮などしない。ガリクソンがそう決意を固めたところで、仲間の一人サワディが「あれは何?」と食糧倉庫の方を指差した。 「何か、黒い雲の様に見えるわね」 「煙が立ち上っている様でもあるな」  それぞれがなんだろうと首をかしげたところで、立ち上った煙の様なものがいきなり方向を公園の方へと転換した。 「もしかして、鳥?」  そうレベッカが口にしたところで、「まずい」とイライザが大きな声をあげた。 「ハミングバードだったら、大変なことになるわ」 「でも、ハミングバードって……オウザクで駆除中よね?」  おかしくないとテッセンが口にしたところで、少し離れた公園の方で小さな爆発が幾つも発生した。その理由を考えると、イライザが言う通りハミングバードの襲撃と言うことになる。 「まずいわ。公園にはどこにも隠れるところがないわ」  内戦中と言うこともあり、ハミングバード対策は市民に対して何度も行われていた。とにかくハミングバードが近づけない場所に避難しろと言うのが、繰り返し伝えられた対策方法だった。  公園には、数千人を超える市民が繰り出していたのだ。近場にある建物といっても、公園からだと退避に最低10分は掛かることだろう。しかもその時間で逃げ込めるのは、一部の市民でしかないのだ。このままだと、パニックのせいで二次被害まで発生する恐れがあった。  ただ市民のことも問題だが、チーム2の8人も避難を急ぐ必要があった。時間が勝負の今、他人を誘導している様な余裕はない。それでも彼らが幸運だったのは、バックヤードにいたことだった。管理端末が手近にあるため、簡単な小屋が用意されていたのだ。 「なんで、こんなところにハミングバードが来るのよ!」  喚きながら小屋へと駆け込んだサワディに、「知るか」とゲレイロは怒鳴り返した。急に突きつけられた生命の危機に、誰も冷静ではいられなかったのだ。 「警備隊は、なんの警告も出していなかったぞ」  おかしいといくら叫んでも、目の前の状況が変わるはずはない。連続的に爆発音が聞こえて来るのは、多くの市民が犠牲になった証拠でもある。ここにいれば大丈夫と分かっていても、怖がるなと言うのは無理な相談だったのだ。 「どうやら、警備隊が出動したみたいね。これで、多少はマシになると思うけど……」  冷静に端末から状況を確認したイライザだったが、それが焼け石に水になることを理解していた。これだけ迎撃が遅れると、ハミングバードから市民を隔離するのは不可能に等しかったのだ。 「でも、ここの守備隊ってさほど数がいなかったよね」  唇を青くしたテッセンに、「そうね」とイライザは感情を排して答えた。 「でも、ここにいる限り私たちには危害は及ばないわ」 「それは、そうなんだろうが……」  少し冷静さを取り戻したガリクソンは、情報端末の表示に目を剥くことになった。 「おい、敵のヴァルチャーが侵入して来ているぞ!」 「なんで、そんなものが潜り込めるのよ……」  あり得ないでしょうと叫ぶレベッカに、「事実だ」とガリクソンは答えた。 「これで、被害の拡大が決定的になったわね……」  参ったなと頭を掻いたイライザは、「とにかく落ち着きましょう」と全員に声をかけた。 「ここにいる限り、ハミングバードは襲ってこない。ヴァルチャーが来ているけど、それはラッカレロ警備隊が倒してくれるわ」  「いい?」と声をあげたイライザのおかげで、仲間達の間に広まったパニックは収まってくれた。それでも全員の顔色が良くないのは、ついにラッカレロも戦場になったからだ。これでヴァルチャーとハミングバードを撃退できても、明日からは今まで通りではいられなくなってしまったのだ。 「でも、どうやってあんなに沢山のハミングバードが入って来たんだろう」  サワディの疑問に、「多分」とガンボがその答えを口にした。 「サワディが、食料倉庫の方から湧き上がる雲を見つけただろう。だとしたら、食料コンテナに紛れ込ませて運び込まれたと考えられるな」 「あの倉庫にコンテナが運び込まれたのって……8日も前のことよ」  テッセンがそう口にしたところで、「だからヴァルチャーなのね」とイライザは口にした。 「中に人がいないから、適当なところで起動することができるのよ」 「つまり、交流会が狙われたってこと?」  ハミングバードの性質を考えれば、大勢の人が外に出ている必要があったのだ。その意味で、交流会のイベントは襲撃にもってこいのものだった。しかも隠れるところのない公園に集まってくれるのだから、餌食にしてくださいと言っている様なものなのだ。 「たぶんね、解放同盟は市民の無差別殺害を意図したと考えられるわ」  建物の中に入っても、爆発音は途切れることなく聞こえて来た。それだけラッカレロの市民が、ハミングバードの被害を受けていると言うことになる。 「それで、敵のヴァルチャーは撃退できたの?」  警備隊がヴァルチャーにかかりきりになると、その分市民の被害が拡大することになる。 「いや、逆に警備隊がやられているぞ」  情報システムをあさっていくと、間接的ながらこちらの被害状況を確認することができる。そしてその情報が確かなら、こちらのラプターが数を減らして言っているのだ。 「それって、凄くまずくない?」  警備隊のラプターが全滅をしたら、ラッカレロを守るものが誰もいなくなるのだ。近隣の防衛線にしたところで、警戒状態にはいれば戦力を派遣することもできなくなる。  さすがにまずいと全員が息を飲んだところで、レベッカが何かおかしいと声を出した。 「ねえ、爆発音が止まってない?」 「そう言われれば……」  そこで全員が息を潜め、公園の方へと神経を集中した。 「確かに、爆発音は止まっているわね……」  それでも、散発的には爆発音は聞こえるのだが、初めの頃の様な頻度ではなくなっていた。 「ハミングバードが全部目的を達成した?」 「目標がいなくなったと考えることもできるな……」  そのどちらが正解かで、状況は大きく変わって来る。もしも全てのハミングバードが役目を終えたのなら、ヴァルチャーの被害だけを考えればいいのだ。だが目標がいなくなっただけと考えると、今いる場所が安全とは言えなくなる。警備隊が対処できないヴァルチャーが、次に建物を破壊することが考えられたのだ。 「犠牲者には悪いけど、全部目的を達成したと思いたいわね……」  それだったら、自分達はハミングバードを恐れなくても済むことになる。そんな期待を込めたテッセンの言葉だったが、「最悪ね」とイライザは窓の外を指差した。 「あれって、ヴァルチャー?」 「と、ハミングバードね。つまり、これから建物の中に逃げ込んだ人たちがあぶり出されることになるのよ。で、そのうち1機が、こっちに向かっていると」  やめて欲しいわと吐き出したイライザは、「大丈夫だから」と全員の顔を見た。 「あのヴァルチャーは、私が誘導するわ」 「私がって……イライザ、何をするつもりなの」  嘘でしょうと顔を見られたイライザは、「大丈夫」とテッセンに微笑み返した。 「これでも、ラプターの教科を受けているから。大丈夫よ、ここから引き離すだけだから」  もう一度微笑んだイライザは、ポケットから小さな箱を取り出した。 「これが、ラプターの格納ケースよ」  それを手のひらの上に置いてから、「ウェア」とイライザは命令を発した。その命令から少し遅れて、手のひらの上に置かれた箱がピンク色に発光した。そして発光しながら箱は煙となり、イライザの体を包み込んでいった。煙が消えた所には、全身をピンク色のプロテクターに包まれたイライザが居た。 「それが、ラプター?」  ピンク色の光が収まったところで、メンバーの前にピンク色の強化外骨格を着たイライザが立っていた。 「そう、これがラプター。ソーとはね、この教科の時に知り合ったのよ」  小さく頷いたイライザは、手を二、三度握ったり開いたりして感触を確かめた。 「いい、絶対にここから出ないでね。ヴァルチャーを誘導したら、私もすぐに戻って来るから」  絶対だからねと言い残し、イライザは小屋の扉を開けて外へと出ていった。その途端に爆発音が聞こえたところを見ると、すでにここもハミングバードに取り囲まれているのだろう。 「イライザっ、伝えたいことがあるんだっ。絶対にすぐに戻ってこいよ!」  外に出れば、それだけでハミングバードの餌食になってしまう。だからガリクソンは、ドアの中からありったけの大声でイライザに声をかけた。 「ええ、楽しみにしているわ」  その答えを聞く限り、ガリクソンの思いは伝わっているのだろう。「絶対だぞ」と大声をあげたガリクソンに、イライザはサムアップをしてから飛び上がった。彼女の目には、接近して来るヴァルチャーがはっきりと捉えられていたのだ。  ハミングバードの襲撃は、ほぼ同じタイミングでリスリムも把握していた。「これが目的か」と悔しがったところで、公園に行っていたソーが簡易留置場に飛び込んできた。 「約束通り、外には出ていなかったな」  安堵している様に見えたのは、それだけ気が焦っていたのだろう。それが任務からのことだとしても、リスリムは嬉しいと言う気持ちになっていた。何より嬉しかったのは、イライザではなく自分のところに戻ってきてくれたことだった。  ただ嬉しそうにするのは癪に触るので、「リスクは取らないって言ったでしょ」とリスリムは言い返した。 「だったらいいのだが。あの男を締め上げることにするか」 「そうね、タイミングを考えると無関係とは思えないわね」  不審者として確保した後、このハミングバードの襲撃なのだ。無関係と考えるには、あまりにもタイミングが良すぎたのだ。 「それで、どのくらいの被害が出そう?」 「ハミングバードだけなら……」  そこで考えたソーは、「1万は超えるだろう」と推定を口にした。 「テントの中でもいいから、避難さえできればハミングバードの被害は避けられる」  通説を口にしたソーに、「だったら」とリスリムは悪い方の予想を持ち出した。 「パニックの要素を付け加えれば、さらに犠牲者は増えるわね。あと、ヴァルチャーがいないと言う保証はないわ。あれだけのハミングバードを運び込めるんだったら、ヴァルチャーを運び込めても不思議じゃないもの」  冷静なリスリムの分析に、ソーは小さく頷いた。 「ああ、間違いなくヴァルチャーも運び込まれているのだろうな」  そこで無意識のうちにラプターを確認したのは、ソーが感じる不安の現れなのだろう。今回は、さすがに使う局面があると予感していたのだ。 「とにかく、急いで締め上げましょうか」 「生きているのが嫌になるほどの目に遭わせてやる」  セーフティエリアから拘束室に向かう短い時間の間に、リスリムはさらに状況が悪くなったのを知らされることになった。予想はしていたことだが、改良型ヴァルチャー投入の情報を得たのだ。しかも今回は、オウザクほど圧倒的な数で迎え撃つことはできない。そうなると、強化されたヴァルチャーの性能が脅威となってくれるのだ。 「やっぱり、こっちが本番だったみたいね。こちらのラプターが、次々と落とされているわ。でも、不思議ね」 「何か不思議なことがあるのか?」  同じ情報を見ているのだが、ソーにはリスリムの言う不思議と言うのが分からなかった。だからこその質問に、リスリムは「ヴァルチャーの行動」と答えた。 「確かにこちらのラプターが落とされているんだけど。どちらかと言えば、建物の破壊の方が多くなっているわ。こっちは、逃げ込んだ市民をあぶり出すと考えれば理解はできるけど……ラプターにしても、機能停止止まりでしかないのよ」 「ハミングバードと、役割を分担している?」  そんなことがと驚き、ソーは戦場となった公園周りの状況を検索した。そして調べた範囲で、リスリムの言っている状況になっていることに驚いた。 「確かに落とされた警備隊は、ラプター機能停止後ハミングバードに襲われているな。加えて言うのなら、ハミングバードの殺傷能力が落とされている様だ。公園の方でもそうなのだが、想定以上に死者が出ていない。その分、重傷者が積み上がっているな」  その状況に、ソーは「厄介だ」とつい漏らしてしまった。 「確かに厄介ね。けが人だったら、手当てをしないといけないものね。でも、この状況だと手当てはできないから、時間とともに死者が積み上がって行く可能性もあるわ」  いやらしすぎる作戦だと憤慨したところで、二人は拘束室の前に到着した。そこで確認した限り、BSチョーカーは正しく効力を発揮してくれている様だ。それが理由なのか分からないが、ノブハルの股間がバケツの水以外でも濡れている様だった。 「これを見ると、関係している様には見えないけど……」 「同感なのだが、状況を考えれば油断は禁物だろう」  表情を厳しくし、ソーはラプターに対して「装着」の命令を発した。その命令と同時に、ソーの体を黒い粒子が覆った。 「それが、あなたのラプター?」 「ああ、俺はダインスレイブと呼んでいる」  全身ガンメタリックの装甲に覆われたソーは、待っていろと言い残して拘束室へと入っていった。相手にラプターがないことを確認している以上、これで対処としては万全のはずである。だがソーを見送ったリスリムは、胸の内に湧き上がる不安を感じていた。ただその不安は、BSチョーカーで拘束されているノブハルから感じたものではなかった。  一方拘束室に入ったソーは、注意深くノブハルに嵌めたBSチョーカーを外した。そして一歩下がったところで、「酷いことをするんだな」と言うノブハルの文句が聞こえてきた。 「酷いことだと。ハミングバードで市民を虐殺する奴に言われたくないことだ」  冷たく言い返したソーは、「何者だ」とノブハルの胸元を掴んで持ち上げた。 「ノブハル・アオヤマと自己紹介したはずだが」 「それはお前の名前ではあるが、お前の正体を示すものではないだろう。改めて聞くが、お前は解放同盟の工作員なのか?」  右手一本で自分を持ち上げるソーに、「セールスマンだ」とノブハルは答えた。 「言うに事欠いて、セールスマンだと。ならば死の商人のお前に尋ねるが、お前は何を売りに来たのだ?」  答えろと声をあげたソーに、「嫌だね」とノブハルは答えた。 「大切な商品を売り込む以上、相手を選んでもおかしくないだろう。それに、あんたが買える様な安物じゃない」  挑発する様に言い返したノブハルに、「状況を理解できない奴だ」とソーは笑った。 「ここでは、死人なんて珍しくもなんともないのが分かっていないのか? よもや、自分が無事でいられるとでも思っているのか?」  そう言って蔑んだソーに、ノブハルは「ますます話したくなくなった」と答えた。だがそれ以上の言葉は、床に投げ捨てられた衝撃で続けることはできなかった。 「話す気がないのなら、別にそれでも構わない。解放同盟側の工作員とみなし、警備隊に引き渡すだけだ」  一度外したBSチョーカーを取り出し、それをもう一度ノブハルの首に巻きつけた。本当ならすぐにでも警備隊に引き渡したいところなのだが、外の状況を考えれば優先順位は低くなる。リスリムの言う通り、ヴァルチャーがこの建物に目をつけないと言う保証がなかったのだ。 「しばらく、そこでのたうっていることだな。ヴァルチャーを始末したら、警備隊に引き渡してやる」  冷たく言い捨てたソーは、ノブハルを残したまま拘束室を出た。ここから先は、可能な限りリスリムと一緒にいる必要がある。彼女を表に露出させないことが、これからのソーの戦いとなるのだ。  拘束室から戻って来たソーに、「下手な尋問」とリスリムは最初に手際の悪さを罵った。いきなり喧嘩腰で臨むから、相手が意固地になってしまったのだ。もう少しうまく誘導してやれば、情報ももっと取れたはずだと言うのである。 「あなたが買えるような安物じゃないって言っていたんでしょ。だったら、誰だったら買えるのかぐらい聞いてやればいいのに。もう少しソフトに入っていけば、相手も警戒を解いたかもしれないのにね」  もう手遅れだけどと、リスリムは小さくため息をついた。こうなることは、ソーに任せた時点で予想してしかるべきことだったのだ。だから終わったことを忘れ、リスリムは生き残ることを最優先することにした。 「出現した改良型ヴァルチャーは30程度とみられるわ。そして放たれたハミングバードは、およそ20万羽と言うところね。規模的には、オウザクと同程度なんだけど。被害のレベルが桁違いになってるわ。何しろ、迎撃に出た警備隊のラプターが全部落とされたもの」 「いくら何でも、早すぎないかっ!」  防衛線の内側とは言え、ラッカレロにはおよそ100のラプター隊が配備されていたのだ。それだけの数のラプターが、わずか30の改良型ヴァルチャーに落とされたと言うのだ。襲撃開始からの時間を考えたら、早すぎるとソーが感じるのも無理もなかった。  だが早すぎると焦るソーに、「事実よ」とリスリムは言い放った。 「これで、ラッカレロには抵抗するだけの力が無くなったことになるわ。政府が応援を出してくれない限り、ひたすら蹂躙され続けることになるのよ。今はハミングバードだけだけど、そのうち改良型ヴァルチャーが市民への攻撃を始めると思うわ」  そこで「どうする」と問われたのだが、どうしようもないと言うのがソーの考えだった。警備隊に配備されたラプター部隊は、最前線に劣るとは言え能力が低い訳ではない。訓練を見学した時には、なかなかの実力に舌を巻いたほどだったのだ。そのラプター部隊がわずかな時間で無効化されたと考えると、自分一人でなんとかなると考える方がおかしかった。  それでも自分の役目は、リスリムを守り抜くことにある。ただ問題は、どうすればいいのか全くビジョンが浮かんでくれないことだった。 「ここで迎え撃つと、他のヴァルチャーを招き寄せることになる。かと言って、離れて戦うとお前を守る者がいなくなってしまう。丈夫な建物ではあるが、それだけ大きな攻撃を受ける可能性もある」  事実を並べ立てていくだけで、どうにもできないのが分かってしまうのだ。警備隊が全滅した時点で、ラッカレロは詰んでしまったのだ。武器の性質上、300万人の全てが死に絶えることは考えにくいのだろう。ただ、かなりの数が犠牲になるのは確定した未来に思えてしまった。 「ここを襲ってくる奴を仕留める以外に方法はないか」  都市の広さを考えれば、ヴァルチャーが一箇所に固まるとは考えにくい。ならば、1体ずつ仕留めていけば、30体なら持ち堪えることも可能に思えたのだ。それしかないかとソーが覚悟を決めた時、彼らのいる建物が揺れるのが感じられた。 「やはり、見逃してはもらえなかったか……」  仕方がないと出撃しようとしたソーを、「お待ちなさい」とリスリムが引き留めた。 「ここの職員も、ラプターを装備しているわ。だからあなたは、まず彼らの戦いを観察しなさい。敵のことを知らずに出ていくのは、自殺願望があるとしか言えないわよ」 「だが、ここの職員程度ではっ!」  足止めにすらならない。そう言い返そうとしたソーに、それでもとリスリムは強く主張した。 「それにヴァルチャーは、今の所ラプター武装の解除しかしていないわ。だったら、ハミングバードさえ気を付けてあげれば、職員の人たちも無駄死にしないで済むはずよ」  だからと我慢しなさいと言われ、ソーは渋々彼女の言葉に従った。 「だとしたら、戦闘が終わる前に外に出る必要がある……」  いくぞと声をかけ、ソーはリスリムの体を抱き上げた。歩いて移動していては、その間に戦いが終わってしまいそうだったのだ。  ソーとリスリムが建物の外、正確にはサンルームのような所に来た時、まさに簡易留置場の職員二人が出撃した所だった。1体の黒色をしたヴァルチャーに、2体の紺色をしたラプターが挑んでいったのだ。だが2対1の有利な状況にも関わらず、2体のラプターはヴァルチャーに触れることもできなかった。  そして2体のラプターを躱したヴァルチャーは、簡易留置場の建物を端から壊していった。これで中にいるものは、追い詰められて最終的には外に出てくるしか無くなってしまう。 「どう思う?」  それを悔しそうに見たリスリムは、ソーの観察結果を確認した。そこには、「倒せるのか」と言う意味も含まれていた。 「これまでの奴とは、格段に性能が違うように見えるな。あれだけの加速は、人の操るラプターでは困難だ。しかも、こちらの攻撃が読めているように、巧みに回避をしている」  そう答えながら、ソーはリスリムの忠告に感謝していた。いずれ戦わざるを得ないとしても、観察したかしないかではこちらの準備も変わってくる。もしも癖のようなものがあれば、それだけ自分に有利に働いてくれるのだ。 「どう、勝てそう?」 「今の状況なら、不可能ではない……と言うのが答えになる」  勝てると断言できないのは、自分の練度と相手の性能を考えてのことだった。ここのところ実戦訓練をしていないことを考えると、ほとんど無理と言うのが現実の答えだった。 「そう言えば」  真剣にヴァルチャーの動きを追っていた時、リスリムが素っ頓狂な声をあげた。いったい何事と振り返ったソーに、「あそこって」とリスリムは破壊された一角を指差した。 「ノブハル・アオヤマだったっけ? 確か、あそこに残してきたわよね」  そう言われて場所を確認すると、確かに拘束室のある場所だった。BSチョーカーをつけた状態だと考えると、今頃落ちてきた瓦礫の下敷きになっていることだろう。助かるかどうかは運次第だが、ほぼ絶望と言うのが正確な見立てに違いない。 「ちっ、結構好みだったのに」  小さく舌打ちをしたリスリムに、「人のことは構っていられない」とソーは視線を戦いに戻して答えた。 「そろそろ出ないと、ここが壊されることになる」  端から順に壊しているので、次がどこになるのか予想することができる。まだ建物には逃げ込む場所はあるが、ここで止めなければあぶり出されるのは時間の問題に過ぎなかった。 「大丈夫だ。お前は、俺が必ず守ってやる」  それが任務だと言い残し、ソーは空間移動でガラスの反対側へと移動した。それはまさに、2体のラプターが墜落した時のことだった。  イライザが教科を受けてから、すでに4年が経過していた。従っていくら筋がいいと褒められていても、4年と言うブランクはどうにかなるものではない。そしてそれは、飛び出してすぐに現実として突きつけられることになった。 「ちっ、相手が早すぎる……」  仲間のいる小屋から引き離そうとしても、速度に勝る相手は自分の頭を押さえてくれるのだ。だからどう方向転換をしても、仲間のいる小屋からヴァルチャーを引き離すことができない。さらに悪いことに、辺りには数え切れない数のハミングバードが滞空していた。  だが性能も練度も違えば、戦いの結果など分かりきったことだった。何度も頭を押さえられた所で、イライザは敵に喉元を掴まれてしまったのだ。とっさに携行武器のハイペリオンで攻撃をしたのだが、それもやすやすと躱されてしまった。  ギリギリと喉元を締め上げるだけでなく、敵のヴァルチャーはラプター装備に侵食をしてきた。なんとか振り払おうとしていたイライザの腕が垂れ下がった時、彼女を包んでいた鎧は光となって散逸していった。警備隊が落とされた時点で分かりきっていたことが、当たり前の現実として突きつけられたと言うことである。  そして目的を達したヴァルチャーは、掴んでいたイライザから手を離した。その時の地上高度は、およそ5m。ラプターが解除された状況では、命に関わる高さとなっていた。  だが激突するはずのイライザは、広げられた白い布のクッションで受け止められた。小屋から飛び出した男たち4人が、交流会で使われるテントで受け止めたのである。それを見つけたハミングバードが近づいてきたのだが、テントの中に逃れてやり過ごすことに成功した。 「イライザ、イライザ、しっかりしろっ!」  心臓が動いているのは確かめたし、呼吸も比較的しっかりしているのも確認できた。だからガリクソンは、抱き起こしたイライザを懸命に呼び起こそうとした。その努力が実を結んだのか、しばらくしてからイライザがゆっくりと目を覚ました。「ああ、ガリクソン」と言うイライザの言葉に、男たちは大きく安堵の息を漏らしてしまった。  だが安心できたのはそこまでで、彼らを守っていたテントがいきなり引き剥がされてしまったのだ。いったいなにがと見上げて見たら、彼らを守っていたテントが風に吹かれて飛んでいくのが見えた。そして彼らの目の前には、死を告げるヴァルチャーが滞空していた。  全員が死を覚悟したその時、ガリクソンがヴァルチャーに向かって石を投げつけた。ガリクソンの投げた石は、ヴァルチャーの頭にぶつかって大きな音を立てた。だがその程度では、ヴァルチャーにはなんの痛手も与えられなかった。そして男たちから振り返り、右手を女たちの隠れている小屋の方に向けた。その直後、小屋の屋根が吹き飛んだ。 「俺たちを仕留めるのは、ハミングバードに任せるのかっ!」  くそっと吐き出し、ガリクソンはもう一度手元にあった石をヴァルチャーに投げつけた。投げた石は見事に命中したのだが、ただそれだけのことでしかなかった。すでに目標を達成したヴァルチャーは、彼らに注意を向けることなく別の獲物に向けて飛び立っていったのだ。 「シーツがあっただろう。それをテーブルの上に広げて、その下に潜り込めっ!」  ゲレイロの命令に、女たち3人は慌ててシーツを広げてテーブルに止めた。それを4枚繰り返したところで、その下に滑り込んでいった。そして男たちも、走って小屋だった場所に戻ってシーツの下に滑り込もうとした。だがあと一歩と言うところで、バチスタがハミングバードの餌食になった。左足のところでハミングバードが一羽爆発し、バチスタはその場から動けなくなってしまった。 「バチスタっ!」  恋人の危機に、レベッカが大声を上げてその名を呼んだ。ただ飛び出そうとする彼女を、ゲレイロが後ろから羽交い締めにして止めた。 「今出ていけば、お前も襲われるだけだ」  そこでゲレイロに目配せされた男たちは、新たなシーツを広げて数人が隠れられるような空間を作った。 「あれに入って、バチスタを収容するぞ。レベッカ、バチスタの手当は任せたぞ」  遠く目だが、足の傷はかなり酷いように見えていた。確かにすぐにでも手当てをしないと、それだけで危険な状態になりかねなかったのだ。役目を指示されたレベッカは、顔色を悪くしたまま頷いた。そして今や携帯が常識となった、救急パックをバッグから取り出した。 「こちらの準備はいいわ」 「だったら、すぐにでも助けに行くぞ」  仲間に目配せをして、ゲレイロはゆっくりと急ごしらえのテントを移動させた。これがばらばらになりでもしたら、今度は自分達がハミングバードの餌食になってしまうのだ。だから気は焦っても、慎重に構えなければならなかった。  距離だけからすれば、10mと言うのは数秒で到達できる距離に違いない。だが崩れそうなテントを引きずりながらの移動は、その距離に5分と言う時間を要求してくれた。それでもなんとか無事バチスタの所にたどり着き、腕を引っ張ってぽっちゃりとした体をテントの中に引きずり込んだ。 「レベッカ、とにかく止血をしろ!」  間近で見ると、怪我が予想以上に酷いのが分かってしまう。足首あたりの肉が大きくえぐれ、血が間断なく吹き出していた。このまま放置すれば、バチスタに待っているのは失血による死だった。  ただゼスでは、この程度の怪我は日常茶飯事のものとなっていた。だから救急パックにも、失血時対策の用品がいくつも揃えられていた。 「止血フォームに、造血カプセル……と」  パックの中から必要な用品を取り出したレベッカは、まず血を止めるための泡を患部に吹き付けた。傷を覆って膜を作ることで、血を止めるのと同時に痛みを緩和する機能も持っていた。  一応の止血処理が終われば、次は失われた血液の補充処置となる。そのために、造血カプセルと言う物があるのだが、そこでレベッカは一つの壁にぶち当たった。造血カプセルが作用するには、患者がそれを飲み込む必要があったのだ。  だが意識が朦朧としている状況で、小さいとは言えカプセルを飲み込むのは簡単ではない。仕方がないとレベッカは、カプセルを口に含んで口移しでバチスタに飲ませることにした。まるで濃厚なキスのように舌を絡めたのは、カプセルを喉の奥に送り込むには必要なことだった。  それが終わった所でペットの水を口に含み、レベッカはもう一度バチスタに濃厚な口づけをした。喉が何かを飲み込むように動いたところを見る限り、造血カプセルは無事胃に収まってくれたのだろう。 「後は、添え木をして患部を固定すればいいわね」  皮肉なことに、あたりには適当なサイズの板がいくつも転がっていた。ヴァルチャーが建物を破壊したのが理由なのだから、素直に喜べるものではない。ただ余計な感情は不要と、レベッカは適当な太さの板を選んでバチスタの左足を固定した。 「ゲレイロ、とりあえず応急処置は終わったわ」 「だとしたら、テッセン達と合流することになるのだが……」  自分達のテントは不安定極まりないのだが、戻った所でその状況が多少ましになる程度の違いでしか無かった。そして破壊された小屋には、長時間引きこもるための物資は何も準備されていない。しかも小さな覗き窓から確認する限り、ハミングバードは近くで滞空してくれていた。 「ここから、動くことも出来ないな……」  反対側に移動するため、ガリクソンが先頭になって移動式テントの先導をした。ただ今度はバチスタが居るため、その動きは先程よりも更に遅くなってしまった。ずりずりと這ってるような速度で進んだ急造テントはおよそ20分の時間を掛けて仲間のところへとたどり着いた。 「これで、ヴァルチャーが戻ってこない限り、しばらくは安全なのだが……」  覗き窓から外の様子を確認し、ゲレイロは「どうしたものか」とため息を吐いた。 「救助隊が来る可能性は、ほとんどゼロに等しいな。酷い話だが、ハミングバードが別の犠牲者を見つけてくれるのを願うしかなくなった訳だ」  20万と大量に思える数だが、ラッカレロの人口は300万まで増えていたのだ。それを考えれば、ハミングバードの被害は人口の一部でしか無いのだ。 「多分それは無理な相談ね。ハミングバードは、私達を獲物として認識しているわ。近づいてこないのは、殺傷距離に到達できないと判断してるだけだと思う」  イライザの言葉に、「大丈夫なのか」とガリクソンが心配そうに声を掛けた。 「あまり大丈夫じゃないけど。今は贅沢を言っていられないと思う」  そう言って体を起こそうとしたのだが、感じた苦痛にイライザは体を丸めた。這ってそこまで近づいたガリクソンは、無理をするなとその体を抱き寄せた。 「……ありがとう」  小さくつぶやいたイライザに、「どういたしまして」とその顔を見ながらガリクソンは答えた。 「とにかく、ここから生き延びる方法を考えないとな」 「それはそうなんだけど……ううん、あなたの言うとおりね」  そう答えたイライザは、自分からガリクソンの体に腕を回した。 「だけど今は、少し甘えさせて貰うわ」 「別に、今だけである必要はないんだがな」  ぎゅっと抱きしめ返したガリクソンは、仲間の方に視線を向けて小さく頷いた。 「とりあえず、俺達の可動エリアをもう少し広げるか」 「このままだと、トイレにも困るものね」  ゲレイロの言葉に、「切実」とサワディが答えた。 「と言うことなので、ガンボ、テッセン、シーツを広げるのを手伝ってくれ。第一目標は、トイレへの道を作ること。後は、プライバシー確保のため、トイレに目隠しを作ることだ」 「あなた達が覗かなければ、シーツは節約できるわよ」  そう言って口元を歪めたテッセンに、「そんな趣味はない!」とゲレイロは即座に言い返した。 「だからおかしな趣味を、俺達に付けないでくれ」 「こっちだって、覗かれて喜ぶような趣味はないわよ」  笑いながらシーツを広げたテッセンは、粘着テープでトンネルを作るように周りに貼り付けていった。そしてガンボは、椅子や机を動かしてシーツを貼り付ける壁を作っていった。ただ周りにはハミングバードがうようよと居るので、侵入されないように細心の注意が必要だった。  そうやってトイレまでの道を作った所で、テッセンは恐る恐る最後の扉を少しだけ開いた。そして開いた時とは違い、とても素早くその扉を閉めてくれた。 「何があった?」  ガンボの問いに、テッセンは首を振りながら「鳥がいた」と答えた。 「あいつら、頭が良すぎよ」 「これで、俺達はアブノーマルな世界に突入することが決まった訳だ」  ノーマルなのにと呟いたガンボに、「あなたが言うの?」とテッセンが驚いた顔をした。 「いいのか、俺がアブノーマルだと、お前もアブノーマルに見られるんだぞ」  すかさず言い返したガンボに、「ううむ」とテッセンは考え込んだ。 「確かに、自分に返ってくることになるわね。うん、あなたは正真正銘のノーマル男だと保証してあげる」  きっとそうに違いないと、テッセンは普段になく真面目な表情で答えた。 「現実逃避はそこまでとして、俺達はこれからどうするかを考えないといけないな」  イライザを抱きしめたことで満足したのか、ガリクソンは議論に加わってこなかった。それを横目に、ゲレイロはどうしたものかと全員の顔を見た。 「奴らって、鳥のくせに夜でも目が効くのよね」  その事実だけで、闇に紛れてと言う作戦は否定される。 「しかも、全天候対応だったわね」  同じ意味で、雨と言うのも期待が来ないことになる。むしろ屋根のない自分達の方が、雨に降られた時点でとんでもないことになりかねなかった。 「トイレに居たのは、何羽ぐらい?」 「今の所3羽ぐらいだったけど。青空が見えるから、あまり意味が無いと思うわ」  テッセンの答えに、「だよね」とサワディは肩を落とした。 「3羽ぐらいだったら、石でもぶつけて壊してやればいいと思ったのよ」 「それで便器が壊れたら、目も当てられない事になるわよ」  冷静なテッセンの答えに、「だよね」とサワディは繰り返した。 「ところでさぁ、よそはどうなってるんだろう」  ぽつりと呟かれたレベッカの言葉に、確かにと全員が大きく頷いた。 「ヴァルチャーが好き勝手できるから、かなり酷いことになってるんじゃないの?」 「そうだな、時々爆発音が聞こえてくるな」  テッセンとゲレイロの答えに、「どこも同じか」とレベッカはため息を吐いた。 「これで政府は、喉元にナイフを突きつけられたことになるのね」  サイプレスシティからラッカレロまで、わずか200kmしか離れていないのだ。しかも途中には、防衛の拠点となる基地は置かれていない。それを考えれば、レベッカの言葉に重みが増すことになる。 「ただ、サイプレスシティには最終防衛線が敷かれているわ」  「ありがとう」とガリクソンから離れたイライザは、さほど影響はないとサイプレスシティへの分析を口にした。 「どちらかと言えば、衛星都市の方が影響は深刻よ。僅かなヴァルチャーにも、対応出来ないことがはっきりしたんだもの」 「確かになぁ、100機あっても駄目だったんだよなぁ」  ラッカレロと同規模の都市は、サイプレスシティの周りに5箇所存在していた。外側に防衛線こそあるが、今回の襲撃でそれが絶対ではないことが分かってしまったのだ。  元気を出そうにも、空元気すら出てくれないと言うのが彼らの置かれた状況だった。放たれたハミングバードの数を考えれば、犠牲者の数は人口の数%程度でしか無いのだろう。だが万単位の人が犠牲になった事実は、ラッカレロに生きるものすべてに恐怖を与えてくれたのだ。 「だがな、俺達はまだ生きているんだ。このまま死んでたまるかってんだ」  だよなとガリクソンが周りに同意を求めた時、いきなりシーツ出できたテントの入り口がまくられた。これで終わりかと全員が覚悟を決めた所に、「お困りですか?」ととぼけたことを言いながら男が顔を出した。これと言った特徴のない、自分達と同年代の男である。  ハミングバードはどうなったのだ。理解できない状況に、グループ2の8人は目をぱちぱちと瞬かせたのだった。  相手のスピードを考えたら、どこかに誘導と言うのは甘い考えだとすぐに理解できる。だからソーは、正面から敵の撃破を考えることにした。 「奴らに、学習する暇を与えずに叩くっ」  リスリムから離れた所で、ソーはいきなり最大戦速で敵ヴァルチャーに襲いかかった。そこで正面からぶつかるのは、小細工をしても無駄と言う割り切りからである。それに加えて、多少の攻撃は出たとこ勝負で避けることを考えていた。その辺りの大雑把さが、ヴァルチャーとの決定的違いとなっていた。  だがこれまでなら通用したはずの奇襲も、改良型の前にはあまり意味のあることではなかったようだ。うまく取り付いたと作戦の成功を確信した瞬間、攻撃しようとしたヴァルチャーが目の前から消えてくれたのだ。そのあたり、高機動の特性を活かしてくれたと言うことになる。 「ちっ、前より確実にスピードが上がっている」  それでもとっさの回避に、僅かな遅滞は出ることはなかった。敵の攻撃を予測して回避行動を取ったソーは、不規則な動きで的を絞らせないことに作戦を切り替えた。ただ自分だけの判断で行うと、癖を見抜かれて終わってしまう。だから補助AIの選択に、時々自分の判断を上書きすることで規則性を排除した。  それでなんとか敵の攻撃を回避したのだが、やはりと言うか回避で手一杯になってしまった。ここの所の訓練不足を呪いながら、ソーはなんとか打開策が無いかを懸命に考え続けた。他のヴァルチャーが呼び寄せられる前に、この戦いを終わらせなければと考えていたのだ。  サンルームのような場所で、リスリムはソーの戦いを見守っていた。すべてを理解できたわけではないが、それでも不利な状況に有ることだけは理解することは出来る。だから聞こえないのは分かっていても、リスリムは「頑張って」と声を上げてソーを応援したのである。  そのあたり乙女心と言うところなのだが、今回に関してはそれが裏目に出ることになった。これまで特定の個人を認識していなかったヴァルチャーが、リスリムの姿を「抹殺対象」として認識したのだ。 「サラカブ・アンダリオの娘、リスリム・アンダリオを確認。これより、排除にかかります」  感情の感じられない抑揚のない声での宣言を聞いた時、ソーは顔から血の気が引くのを感じていた。どう頑張っても歯が立たない相手が、リスリムをターゲットとして認識したのだ。足止めすら叶わない今の自分では、リスリムを守りきれるとは思えなかったのだ。  それでもリスリムを守るのは、彼にとって重要な役目には違いない。再度加速をしてヴァルチャーに迫ったのは、相打ちになっても止めてみせると言う思いからである。  だがソー渾身の攻撃すら、ヴァルチャーはやすやすと避けてみせた。それどころか、すれ違いざまにソーを捕まえ、回転動作で加速をしてからリスリムの居るサンルームにその体を叩きつけた。ラプター装甲の圧力に抗することも出来ず、サンルームのガラスはあっさりと砕け散ってくれた。  サンルームの床で跳ねたソーは、その場で激しく咳き込んだ。だが立ち上がろうとした所で、上から襲ってきたヴァルチャーに踏み潰されてしまった。恐らくその衝撃で、肋骨の二三本は折れたのかもしれない。  あっさりとソーを無効化したヴァルチャーは、リスリムを排除するため右手を彼女の方へと向けた。 「これより、リスリム・アンダリオの排除を実行する」  心の感じられない声で宣言した時、ヴァルチャーの右手が青白く光った。ハイペリオン砲と言うのは、ラプター兵装のエネルギーを利用するビーム兵器である。ラプターの装甲を貫く威力の前には、人間の体など抗いようは無かったのだ。  目の前に迫ったリスリムの死を、深手を負ったソーがすくい上げた。自分から注意が逸れたのを利用し、ヴァルチャーの足を掴んで引きずり倒したのである。その為ハイペリオン砲は、明後日の方向を破壊しただけで終わっていた。 「今のうちに、逃げるんだっ!」  標的として認識された以上、走って逃げることにどれだけ意味があるのかは分からない。だがソーが戦っている以上、リスリムが逃げないという選択が許されるはずがないのだ。顔色を悪くしてリスリムは頷き、ソーに背中を向けて出口の方へと駆け出していった。  だがもう少しで出口と言う所で、リスリムの横を黒い何かが横切っていった。そしてその黒い何かは、出口近くの壁にめり込んだのである。そこでリスリムは、それがラプターを纏ったソーだと見せつけられた。  いくら防御力を強化するラプターでも、強い衝撃を連続して喰らえば限界など簡単に超えてしまう。だがソーの意思は、己の限界を認めなかった。床に何回かバウンドした所で起き上がり、逃げろと命じてヴァルチャーの前に立ちふさがったのである。 「俺が時間を稼ぐ、だからお前は少しでも遠くに逃げろっ」  リスリムには、ソーが限界を超えていることは分かっていた。後ろから見ていても、立っているのがやっとと言うのが分かるのだ。それでも逃げろと言われれば、彼女には素直に従う他にできることはない。ソーのことは気になったが、歯を食いしばってリスリムは運命の扉に飛びついた。だがリスリムが扉を開こうと力を入れた瞬間、なぜか扉の方が勝手に開いてくれた。 「助けるつもりはなかったんだが……」  いかにも不機嫌そうな顔をして、そこには捨ててきたはずのノブハルが立っていたのだ。しかも首に巻かれているはずのBSチョーカーが、なぜか跡形もなく無くなっていた。  これで前門のノブハル、後門のヴァルチャーと言うことになる。ある意味、リスリムの運命はこれで決したことにもなるのだ。恐怖からリスリムが後ずさった所で、彼女の横にソーだったものが投げ捨てられた。 「偉そうなことを言ったくせに、この体たらくなのか?」  どいていろとリスリムに命じ、ノブハルは改良型ヴァルチャーと向かい合ったのだった。  全員に恐怖を刷り込んだ男は、バザー会場で着替えたトラスティだった。とりあえず目立たないことを目標としたはずなのに、着ているのはドハデな模様の付いたTシャツだった。その格好を見て、「ああ、不人気商品だ」とあっけにとられながら全員が場違いなことを考えていた。  だがそんな彼らを打ちのめしたのは、トラスティが「邪魔だね」と言ってシーツを引き剥がしたことである。これでハミングバードから、彼らを隠すものはなくなったことになる。それぞれのパートナーと抱き合ったのは、これが最後だと思ったからだろう。  だが彼らに訪れるはずの死は、いつまで経っても姿を見せてくれなかった。それどころか、見上げてみてもハミングバードの姿はどこにも見当たらなかった。顔を真っ青にして忙しく首を動かす8人に、「ああ」とトラスティは大きく頷いた。 「君達と話がしたくてね。邪魔なハミングバードだったかな。それは排除させてもらったよ。だから、トイレも使うことが出来るよ」  ほらと指差した先から、同じ格好をしたカイトが現れた。どうしてあんな所から現れることが出来るのか、恐怖に飽和した彼らの頭ではその理由を考えることができなかった。 「で、でも、ヴァルチャーが……」  それでもなんとか気を取り直したイライザに、「ここにはいないね」とトラスティは笑ってみせた。 「まあ、あの程度なら襲ってきても怖くないし」 「あの程度……なのですか?」  100機のラプター隊が無残にも敗れ、イライザにしても手も足も出なかったのだ。その改良型ラプターを、あの程度と言い切ってくれるのだ。全員が現実を受け入れられないのは、当然と言えば当然のことだった。 「ああ、あの程度なんだけど……おやおや、一人大怪我をしているようだね」 「い、一応、応急処置は終わっています……」  どうして少しも緊張感がないのか。理解できない状況に、全員は混乱の極みにいた。 「あ、あんたは誰なんだ。なんの目的で、こんな所に来たんだっ!」  なんとか勇気を振り絞り、ガリクソンがイライザを庇うようにトラスティの前に立ちふさがった。その姿に、男だねとトラスティは内心感心をしていたりした。 「協力者を探しに来たんだけどね。そこで、仲間と協力しあっている君達を見つけたんだよ。あんな状況にもかかわらず、全員が最善を尽くそうと努力をしていたのを見てね。これだったらいいかなと、声を掛けることにしたんだよ」 「き、協力者って何のことだっ」  極めて穏やかに話をしてくれているのだが、それでもガリクソンは足が震えるのを止めることはできなかった。それを後ろから見ていたイライザは、隣に並んでその手を握った。  それを微笑ましく見たトラスティは、「内戦を止めるための協力者だよ」とあっさりと答えた。答えとしてはとても簡単なものなのだが、かと言って素直に理解できるかと言うのは全く別のことになる。 「内戦を止める、協力者?」  すぐに理解できなくても、どうして彼らを責めることが出来るだろうか。それが分かるから、「兄さん」とトラスティはカイトに声を掛けた。とりあえず危険は排除したのだから、8人を落ち着ける方策をとろうというのである。そのために、カイトは暖かくて甘い飲み物を用意していた。 「とりあえず、それを飲んで落ち着いてくれないかな? 一応模擬店から拝借してきたから、飲んでも危険は無いと思うよ」  そう言われて恐る恐る口をつけたら、確かに飲みなれた飲み物だった。穀物を糖化させた中に、スパイスを混ぜたと言うのがその正体である。ただ温かいのと甘いので、8人は体のこわばりが取れるのを感じていた。 「どうかな、少しは落ち着いたのかな?」  そう問われて、8人は揃って首を縦に振った。 「宜しい、ではこれから事情と言うのを説明してあげよう」  そう言って全員の顔を見たトラスティは、「ただし」と出鼻をくじいた。 「ここだと落ち着かないから、場所を変えることにするよ」  そこでアルテッツァを呼び出し、トラスティ達はノブハルの船ローエングリンへと移動した。ちょっとしたいたずらと言うのも有るが、それ以上に落ち着いた環境とけが人の手当てと言う意味がそこにはあった。 「今のは、エスデニアやパガニアで使用されている多層空間を利用した移動方法だ。そして君達が今いるのは、シルバニア帝国が保有するローエングリンと言う船だよ。シルバニア皇帝が、夫に対して与えた船と言うのが事情の説明になるね」  いきなり説明されても、理解しろと言うのが無理な相談である。それぐらいのことは分かるので、トラスティはそれ以上の説明を控えた。 「それから、彼の手当をする必要があるね。大丈夫、生きている限りどんな重傷患者でもすぐに治すことが出来るからね」  アルテッツァと命じた次の瞬間、バチスタの姿がその場から消失した。空間移動技術自体はゼスにもあるが、いきなり理解しろと言うのも無理な相談には違いない。 「さて、とりあえず食事にしようか。お腹が空いたら、頭が回らなくなるって言うだろう?」  頭の飽和した7人を、そう言ってトラスティは食堂へと連れて行ったのである。  そして同じ頃、リスリムは目の前の出来事を受け入れることができなかった。何が起きたのかと言うと、好みのイケメンかつ間抜け男が、瞬きする間に改良型ヴァルチャーを破壊してくれたのだ。それを目の前で見せつけられたのだが、心がそれを理解することを拒んでしまった。ノブハルの見た目が変わっていないのもそうなのだが、そんな力はゼスに無いのは分かっていたのだ。  ただ現実を受け入れられないのは、あくまでリスリムの事情でしかない。つまらないなと吐き捨てたノブハルは、彼女の足元で伸びているソーの所に歩み寄った。 「アクサ、こいつは生きているのか?」  自分のデバイス・アクサに問いかけてすぐ、「残念ながら」と言う答えが与えられた。普通の神経を持った者なら、死んでいると受け取る所だろう。だがこれまでのことも有り、ノブハルは正しくアクサの情報を受け取った。「意外にしぶといな」と呟き、ラプターの兵装を解除した。 「さてリスリム。お前達に殴られ見殺しにされた俺は、この男をどうすればいいと思う?」  自分達のしたことを論われたことで、リスリムは「助けて」と言う言葉を口に出来なくなってしまった。気絶させ、BSチョーカーを嵌め、その上暴力までふるったのは自分達なのだ。しかもヴァルチャーの攻撃で壊れた場所に、動けない状態で放置したのも事実である。それを考えると、助けてと言うのはどう考えても自分勝手な言い草でしか無い。 「今更、助けてなんて言えるはずがないじゃない」  なんとか紡ぎ出された言葉に、なるほどとノブハルは大きく頷いた。 「これも、女心と言う奴か。うんうん、興味深いサンプルだな」  十人十色と言われているが、人の数だけ違った思いや心があるのが理解できたのだ。なるほどなと大きく頷いたノブハルは、「アルテッツァ」ともう一人のサーヴァントを呼び出した。 「トラスティさん達はどうしてる?」 「協力者候補を、船にお招きしております。ただ、まだ落ち着かれていないので、これからお食事でもして間をおくとのことです」  なるほどともう一度頷き、「こちらもそうするか」とアルテッツァに告げた。 「ノブハル様は、ロリコンにも目覚められたと言うことですね」  リスリムの見た目をからかったアルテッツァに、ノブハルは「違う」とすかさず答えた。そしてその答えと同時に、3人はローエングリンのデッキへと場所を移された。惑星ゼスから、およそ1天文単位離れた場所に、目立たないようにローエングリンは停泊していたのである。  意外なことに、リスリムとイライザは顔を合わせたことがなかった。もっともイライザは、リスリムの顔を知っていた。だから食堂で引き合わされた時に、「なんで」と大声を上げてしまった。 「人の顔を見るなりそれって、随分と失礼な人ね」  少し機嫌を曲げたリスリムは、「あなたは誰」とイライザに問いかけた。 「イライザ・リコレよ。名前ぐらいは知っているでしょ」 「イライザ・リコレって……ええっ!」  そして今度は、リスリムが大声を上げた。よりにもよって、恋敵とここで顔を合わすことになるとは考えても見なかったのだ。 「失礼なのはお互い様でしょ。それで、ソーはどうしたの? あなたから離れるはずがないんだけど」  「任務に忠実だから」と、イライザは敢えてリスリムを挑発する言葉を投げかけた。 「今は、治療中よ。改良型ヴァルチャーと私のために戦って、散々のされて動けなくなったのよ」  今度はリスリムが、「私のため」と強調して言い返した。ただこの反撃は、イライザには効果を発揮しなかった。もともと「任務」を指摘しているのもそうだが、もう終わった関係だと考えているのもその理由だった。 「まあ、任務に忠実な彼だから、そうなるのも不思議じゃないわね」 「あら、あなたは恋人のことが心配じゃないの?」  任務を持ち出されると、途端にリスリムの立場は弱くなる。だから恋人が心配じゃないかと反撃をしたのだが、「恋人ね」とイライザは予想外の反応を示した。 「元恋人と言うのなら、認めてあげてもいいんだけどね。ここで治療中と言うんだったら、心配するだけ損と言うのが分かってるから」 「元?」  なにそれと大きく目を見開いたリスリムに、イライザは「元」と繰り返した。 「会ってみて分かったのよ。私達は、別に恋人同士ってことじゃなかったんだって。違うわね、恋人だったのかもしれないけど、今は違うと言うのが分かったのよ。だから、「元」と教えてあげたのよ」  それだけのことと、イライザはあっさりと言い切った。 「ち、ちょっと待ってよ、それってソーは知ってるの?」  焦ったリスリムに、「さぁ」とイライザは肩をすくめた。 「別に。まともに手も繋いだことのない関係なのよ。当然キスも、それ以上のこともしていない。だから心の結びつきだけが、唯一私達を結びつけるものだったのよ。だけどそれがもう無いと分かってしまったら、恋人とは言えないと思わない?」  それだけと繰り返したイライザに、「勝手なことを言わないでよ!」とリスリムは大声を上げた。 「あなたに会いに行く時、普段と違ってソーは嬉しそうだったわ。普段に無くそわそわとしていたのを私は知っているわ。あいつが奥手なのは、あなたも知っているんでしょ。どうしてそんなことが言えるのよ」 「そんなもの、私に伝わらなくちゃ意味が無いと思わない? あなたに教えられて、そうだったんだと感動するとでも思っているのかしら? 逆に、相性が悪かったのだと教えられた気持ちになったわよ。リスリム・アンダリオ。あなた達が始めた戦争のお陰で、私達は普通に愛を育むことができなかったの。私を糾弾するのなら、その責任を取ってくれるの?」  内戦の責任を持ち出せば、リスリムが黙るのは分かっていたことだった。それをずるいと心のなかで思いながら、これでいいのだとイライザは清々した気持ちになっていた。  そうやってリスリムを黙らせたイライザは、端っこでニコニコとしているトラスティにを見た。 「にやにやして気持ち悪いわね」  そう毒を吐いたイライザに、トラスティは少しだけ目元を引きつらせた。 「いやぁ、微笑ましいものを見させて貰ったからね。色恋の話で盛り上がれるなんて、まだゼスも捨てたものじゃないと思ったんだよ」  そう言うことと笑ったトラスティに、「私達を呼びつけた用は」とイライザは話題を捻じ曲げて噛み付いた。 「そうだね、そろそろ話を聞くだけの余裕もできたようだしね」  そこでぐるりと9人の顔を見たトラスティは、「会社の方針でね」と意表を突く言葉を吐き出した。 「トリプルAって言うんだけど、事業拡大で民間軍事組織を作ることにしたんだ。そうなると、顧客開拓が必要になるだろう。そのためには、派手な実績があった方がいいんだ。と言うことで、連邦軍も持て余すゼスに目をつけたと言うことだよ。ただ民間軍事組織が勝手に手を出すと、すぐに連邦軍が出張ってくるからね。だからクライアントを探しに来たと言うことだよ」 「つまり、傭兵ってことよね」  直接的な表現をしたリスリムに、「そう言うことになるね」トラスティは笑った。 「ゼスで雇用主を探せば、立派な経済活動になってくれるんだ。そして行われる戦いは、ゼスの国内問題になってくれる。そうなると、連邦法に反しないから連邦軍も手出しをできなくなる。と言うことで、セールス活動に来たと言うことだよ」  事情は分かったかなと問われ、「全然」とリスリムは返した。 「一見まともそうに聞こえるけど、実態は酷い矛盾だらけだもの。そもそも、超銀河連邦で民間軍事組織を作る理由がないわ。そこの説明からおかしいから、後の説明も取ってつけたようなものになっているわ」 「なるほど、民間軍事組織は必要ないと言うんだね」  小さく頷いたトラスティは、「現実は違う」と返した。 「俗に言うならず者の組織が、結構あったりするんだよ。実際に、ジェイドはラサルト武装団の襲撃を受けていたりする。そのせいで、地域の政商が殺されたりしているんだ。今回は一箇所に投入するから、ものすごい規模に感じられるかもしれないけど、多方面に派遣するから個々を見ればさほど大きな戦力じゃないんだよ。それから、星系内だけで言えば、すでに民間軍事組織は動いているんだ。宇宙怪獣って言ってもピンとこないかもしれないけど、かつて開発された生物兵器の駆除を請け負っていたりするんだよ。それが、結構いい商売になっていたりするんだ」 「だから、民間軍事組織が成立できるって」  はんと鼻で笑ったリスリムは、胡散臭すぎるとトラスティ達を切って捨てた。そんなリスリムに、別に信用してくれなくても構わないとトラスティは笑った。 「それならそれで、別のところでデモンストレーションをすればいいだけだからね。このまま君達を元の場所に戻して、僕達は別のエリアで売り込みをかければいいだけだ。連邦の見立てでは、このまま行けば近い将来惑星ゼスは滅びると言うことになっている。そして連邦は、ゼスには手を出さないと明言しているよ。君達は、滅びを目の当たりにすればいいんじゃないのかな」  そう答えたトラスティは、「アルテッツァ」とアバターを呼び出した。 「彼らを、元いた場所に戻してくれないか。ついでに、オウザクに残っているハミングバードも、5万羽ぐらいラッカレロに送り込んでくれ。僕達がしたことの辻褄を合わせるからね」 「改良型ヴァルチャーはどうされますか? ノブハル様が、1体壊してしまいました」  辻褄をわせるのなら、全て元どおりにしておく必要がある。どの方法がいいかなと考えたトラスティは、「修理は?」とアルテッツァに問いかけた。 「もちろん可能ですよ。なんでしたら、もう少し性能を上げておきましょうか」 「そこまでしなくても、ラッカレロは陥落していたからね。もとの性能で復帰させれば十分じゃないかな」  それでおしまいと笑ったトラスティに、ちょっと待てとノブハルが割り込んだ。 「なんだい、この処分に不満があるのかな?」  そう言って口元を歪めたトラスティに、不満だらけだとノブハルは答えた。 「俺は、こいつらに酷い目に遭わされたんだ。それから、証人を残しておくのはよくないだろう。そっちの8人には恨みはないが、運が悪かったと思って諦めてもらおう」  つまり、口封じのため全員始末しろと言うのである。なるほどねぇと笑ったトラスティは、「構わないよ」とノブハルに告げた。 「君がそんなことを言うなんて、ちょっと信じられないと言う気はするけどね。まあ、ゼスでは人の死なんて珍しいことじゃないんだ。そこに10人ぐらい加わっても、単なる誤差としかないのだろうね」 「だったら、ソーって奴で遊んでもいいか? あいつ、俺のことを随分と痛めつけてくれたからな。あと、俺のことを散々間抜けだと罵ってくれたんだ。その意味では、そのリスリムと言う女も同罪だな」  顔から表情を消し、ノブハルは感情を見せずに二人の始末を主張した。 「それで、どうやって始末をするんだい?」 「BSチョーカーとか言うものがあるらしいんだが。その機能を使って、首から上を吹き飛ばしてやるのがいいだろう」  そう話したノブハルは、「アルテッツァ」と己のサーバントを呼び出した。 「ゼスで言うBSチョーカーを用意できるか?」 「あの程度の原始的なものなら、簡単に複製はできますよ」  そう答えてすぐに、ノブハルの前にチョーカーが10本転送されて来た。 「ですが、それだとあっさりと殺しすぎませんか?」 「だったら、これを嵌めて表に放置しておいてやるか。意識だけははっきりとしているから、ハミングバードが近づいてくるのをじっくり見ることができるぞ」  ノブハルの答えに、「面白そうですね」とアルテッツァは笑った。「ちょっと待て」とガリクソンが声をあげたのは、ちょうどそのタイミングだった。 「何か用かな。戦艦を運用しているから、無駄な時間にもお金が掛かっているんだよ。だから見込みがないと思ったら、さっさと損切をする必要があるんだ」  それでと促されたガリクソンは、「協力者を探していると言ったよな」と確認の問いを発した。 「ああ、君達にはそう説明したね。それで?」 「だったら、俺たちが協力者になってやる!」  堂々と言い返したガリクソンに、「なるほど」と大きく頷いた。 「だけど、そちらのお嬢さんは僕達のことを信用できないらしいよ」  リスリムの方を見たトラスティに、「そんなことは関係ない」とガリクソンは言い返した。 「そんなこと、俺の知ったことか。俺たちは、全員生き残ってやると決めたんだ。だったら、悪魔とだって手を結んでやるさ。このまま放っておけば、どうせ近いうちに俺たちは全滅するからな。だったら、それ以上悪いことにはなりようがないだろう」 「なるほど、とても現実的な選択だと評価するよ」  と言うことだと、トラスティは笑いながらノブハルを見た。 「憂さ晴らしは、彼女たち二人でしてくれないかな」 「そっちの奴らに、恨みはないから構わないぞ」  ぼそりと言い返したノブハルに、「好きにすれば」とリスリムは言い返した。 「少しだけ先に行って、間抜けなあなたたちのことを笑ってあげるから」 「それは、お前も同じ考えか?」  ノブハルが後ろを向いたところで、男が一人飛ばされて来た。少し幼く、とても鋭い眼差しをした少年である。 「いや、俺まで巻き込まないでくれ」 「ソーっ! 何を言ってるの」  信じられないと言う顔をしたリスリムに、ソーは心が凍えてしまいそうな眼差しを向けた。 「その男の言っている通りと言うことだ。このまま放置すれば、すぐにゼスから生者はいなくなる。そこにどんな動機があるにしても、俺たちに新しい選択肢を用意してくれたんだ。ならば生き延びることを優先して、そこから先はその時に考えればいいことだ」  そこでガリクソンを見たのは、果たしてどう言う理由からだろう。ただソーは、彼には何も言わずに、「それが俺の意見だ」と答えた。 「君達は、それでいいのかな?」  ガリクソンの仲間に問いかけたのは、仲間外れにしないと言う意味なのだろう。問いかけられた7人は、顔を見合わせてからしっかりと頷いてみせた。 「と言うことで、君一人がお帰りと言うことになる」  そうトラスティがリスリムに告げたころで、ソーがもう一度「待て」と声をあげた。 「その女を守るのは、俺が請け負った仕事だ。二度と憎まれ口を叩かないよう俺が責任を持つから、一人追い返すのはやめてやってくれ」  頼むと頭を下げられたトラスティは、「どうする」とノブハルの顔を見た。 「その男が躾けると言うのだったら、俺は別に構わないぞ。ただ、二度目はないと理解することだ」  それだけだと言い残し、ノブハルはその場から姿を消した。多層空間なのか確率場を利用したのか、いずれにしてもゼスの10人には理解ができない移動方法だった。 「さて、これから協力する条件と言う奴を話し合おうか」  いいかなと問われ、ガリクソンが代表してそれを認めた。 「ただ叶うのなら、その前に休息を取らせてもらえないか?」 「まあ、時間に余裕はあるからね。確かに君達は、疲れているのだろう」  そう言って笑ったトラスティは、「ところで」とガリクソンに部屋割りを尋ねた。 「何か、部屋に希望はあるかな? 大部屋から個室まで、ありとあらゆるバリエーションがあるんだが?」 「とりあえず、個室を頼んでいいか?」  少し考えて出された答えに、「お安い御用だ」とトラスティは返した。 「だったら、今から転送するエリアに、10室個室を用意した。あとは、君達が好きに部屋割りをしてくれないか。君達には、今から16時間の自由時間をあげるよ。それが終わったところで、これからの話をすることにしよう」  以上だと話を締めくくったトラスティは、パチンと指を鳴らして見せた。それを合図に空間接合が起動し、10人はトラスティが指定した区画へと飛ばされていった。 「さて、慣れない役をさせたようだね」  お疲れ様と、トラスティは現れたノブハルを労った。 「あんなの、俺のキャラクターではないのだが……」  不満そうな顔をしたノブハルに、「だけど」とトラスティは口元をにやけさせた。 「あの2人に対しては、結構本気に思えたよ」  そのあたりはと問われ、「屈辱だった」とノブハルは吐き出した。 「BSチョーカーなんだが、あのせいで俺はおもらしなんて恥ずかしい目に遭ったんだ。しかもあいつらから、間抜けと何度言われたことか。そのたびに、アクサを使いたくなるのを我慢していたんだ」  本気で怒っているところを見ると、よほど腹に据えかねたらしい。なるほどねぇと納得しながら、「予定通りじゃないか」とトラスティは笑った。 「ああ、俺にはペテン師は務まらないと分かったよ」 「そうだね、いつバレるかとヒヤヒヤさせて貰ったよ。と言うか、リスリムだったかな。あの子は、君の演技を見抜いていたね。ただね、自分に手札がないのを知られると言う、決定的なミスを犯していたんだよ。だから、こちらの出方を見誤ると言う失敗をしたんだ」  リスリムがした失敗の解説に、「人のことならよく分かる」とノブハルもそれを認めた。 「あいつらは、俺達に見捨てられればそれで終わりだ。だが俺達は、別の候補者を探せばいい。もっと言えば、あいつらである必要性はどこにもない。恐らくだが、サラカブ・アンダリオの娘と言う立場が価値があると考えていたのだろうな。今回に限って言えば、むしろ邪魔な立場なのにな」 「まあ、それでもうまく利用してこそペテンなんだけどね」  そんなものだと笑ったトラスティは、「休んでくるといい」とノブハルを解放した。 「セントリアさんだったかな。今回も、護衛として付いて来ているのだろう。だったら、甘えてくるといいんじゃないのかな?」  ストレスが溜まったのだろうとの指摘に、いやいやとノブハルは首を振った。 「確かにストレスは溜まったが、どうして甘えると言う話になるのだ?」  俺のキャラクターじゃないと言いながら、ノブハルは空間移動でトラスティの前から消えた。今更だが、目的地はセントリアの部屋である。  個室を割り当てて貰いはしたが、10人は情報共有と話し合いから始めることにした。そこで意外だったのは、リスリムが機嫌良さそうにしていることだ。しかもガリクソンに対して、ありがとうと頭まで下げたのである。普段のリスリムを見ているだけに、ソーにはその変化が信じられなかった。 「なによ、私だって感謝をする時には素直に感謝をするわよ」  ソーの態度に気づいたリスリムは、不服げにそう言い訳をした。 「ちょっとね、話の持っていき方に失敗をしたと言うのか、手札をさらけ出しすぎちゃったと言うのか。たださぁ、あそこまで突っ張ると、謝りにくくなっちゃうのよね。その失敗をカバーしてくれたから、こうして頭を下げて感謝をしたのよ」  でもさと、リスリムはあてがわれた部屋の中を見た。ちなみに今使っているのは、いつの間にかリーダーに祭り上げられたガリクソンの部屋である。 「個室って言うから、ずっと狭いものだと思っていたわ」 「そうだな。こんなに広い部屋だとは思って見なかった」  大部屋と言われてもおかしくない部屋に、なんなんだとガリクソンは文句を言った。ちなみに部屋の中には大きなテーブルが用意されていて、10人はそのテーブルについて顔を合わせていた。 「確か俺は、ひどい怪我をしたはずなんだが……」  肉がえぐれたはずの左足を見ながら、凄いなとバチスタは心からの言葉を吐いた。痕が残ると思っていたのに、何事もなかったかのような傷一つ無い足がそこにあったのだ。 「俺も、今までになく体が軽い気がする」  こてんぱんにのされ、瀕死の状態に遭ったはずだ。それなのに、今はどこにもその名残は残っていない。凄いなとソーが感心するのも、事情を考えれば不思議なことではない。 「あいつら、何者なの?」  ガリクソンの隣に座ったイライザは、トラスティ達の正体を問題とした。 「シルバニア帝国とか、パガニアとかエスデニアとかの名前が出ていたな。確かこの船は、シルバニアの船だと説明を受けた覚えがある」  この船に連れてこられた時のことを思い出し、ガリクソンは「どこまで本当なのだ」と疑問を口にした。 「普通なら、ハッタリって言ってあげるんだけど……」  それに答えたリスリムは、「多分本当」ともう一度部屋の中を見渡した。 「ソーでも手も足も出なかった改良型ヴァルチャーを、あっと言う間に破壊してみせたのよ。今私達が居るこの場所にしてもそう。普通に空間移動が使えるって、かなり文明レベルが高いことになるわ。シルバニア帝国の船って言うのなら、その説明が付くと思うのよ」 「だとしたら、本当に何者なのだ……」  ガリクソンに合わせるように、ソーを含めて全員が腕組みをして顔を顰めた。言われたことが本当ならば、救いの神が現れたことになる。ただそれが素直に信じられるほど、彼らの置かれた状況は生易しいものではなかったのだ。 「トリプルAって言ったよね」  そこで聞かされた話を持ち出したイライザに、「民間企業だと言っていたな」とゲレイロは話を続けた。 「民間企業に、ゼスの内戦を止めるだけの戦力を用意できるものなのか?」  そこが疑問だと口にしたガンボに、同感とテッセンが合わせた。 「連邦基準で、ゼスは文明レベル6にあるわ。その技術が、今は戦いに全て投入されている。だとしたら、その分野で言えばレベル7程度の所じゃ介入出来ないと思うわね」  リスリムの言葉に、だったらとガリクソンは介入候補を持ち出した。 「本当にシルバニアとかが関わっていることになるぞ。それにこの船は、皇帝の夫に与えられたものだとの説明があったはずだ」 「だとしたら、この船にシルバニア帝国皇帝の旦那さんが居ることになるわよ」  皇帝が夫に与えた船と言うのなら、使用者として本人が乗っていなければおかしいことになる。本当にそんなことがあり得るのか、状況整理をしてたどり着いた答えに、全員はもう一度腕を組んで頭を悩ませた。  ただこの問題は、いつまで頭を悩ませても答えの出るものではない。「だめね」と呟いたリスリムは、「話を変えましょう」と全員に提案した。 「相手の正体がなんであっても、私達はこれからどうすればいいのかが重要なことに違いないわ」 「確かに、そっちの方が大切だな」  大きく頷いたゲレイロは、「話としてはありがたい」と続けた。 「そうね、全滅以外の選択肢が生まれることになるからね。今の所、全滅以上に酷い状況は考えられないし」  賛成とリスリムが答えた所で、全員が揃ってガリクソンの顔を見た。 「な、どうして俺の顔を見る?」 「なんか、ガリクソンがリーダーって感じになってるしぃ」  けらけらと笑ったサワディに、勘弁してくれとガリクソンは肩を落とした。そんなガリクソンを、「格好良かったわよ」とイライザが持ち上げた。  恨みがましい目をイライザに向けたら、どう言う訳かウィンクで撃退されてしまった。仕方がないとため息を吐き、「俺達がクライアントになる」とガリクソンは宣言した。 「つまり、あなたが第三勢力の指導者になるって認めたわけね」  あまりにも当たり前の指摘なのだが、どうやらそこまでは考えていなかったようだ。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしたガリクソンに、「呆れた」とリスリムはため息を吐いた。 「傭兵を雇って何をするのか。それを決めるのは、雇った側ってことになるのよ。内戦を止めるのにしたって、ゼス政府や解放同盟と話し合いをする必要があるの。それを、トリプルAだっけ、そこに任せる訳にはいかないのよ。だからあいつらも、連邦法ではと繰り返してくれたんでしょ。私達に求められるのは、第3勢力の指導者となる覚悟なの」  理解できてと顔を見られ、ガリクソンはいきなり顔色を悪くした。 「そ、それだったら、あんたの方が相応しくないか」  大変なことになったとリスリムに打ち返したのだが、「私じゃ駄目ね」と躱されてしまった。 「トリプルAとの関係も良くないし、なによりサラカブ・アンダリオの娘と言う立場が邪魔になるわ。だから私は、サポート役がせいぜいってところなのよ」  だからあなたと指さされ、「俺がか」とガリクソンは助けてくれと全員の顔を見た。もちろん全員が、同感だとばかりに大きく頷いた。ここで下手に助けようものなら、自分に降ってくるのは分かっていたのだ。 「全会一致と言うことね。それで代表、私達の名前はどうする? 第三勢力をアピールするためには、相応しい名前が必要になるわよ」 「それぐらいは、みんなが頭を悩ませてくれないか」  なんでも自分に責任をかぶせるな。正当なガリクソンの主張に、仕方がないとリスリムは追求を棚上げした。ちなみに名前を決めたら、旗印も決めようと思っていたのだ。 「でもさぁ、クライアントになるって……何をすればいいのかしら?」  レベッカの指摘に、確かに問題だと全員が頷いた。 「それに、傭兵と言うことはお金で動いてくれるんだよね」  思いついたことを持ち出したイライザに、「お金」と全員が顔を顰めた。当たり前だが、ボランティアをしている彼らにまとまったお金など有るはずがない。そもそも第3勢力となるほどの戦力が、若者達の資産で賄えると考える方がおかしかった。 「デモンストレーションって言っていたから、金銭的には譲歩してくれるとは思うけど。経費だけでも、天文学的な金額が掛かりそうね」  たしかに問題だわと、リスリムはイライザの指摘を認めた。 「その程度のことは、相手も理解して話を持ってきたんじゃないのか」  指導者の一言に、「それもそうね」とリスリムはお金の問題を棚上げすることにした。 「だとしたら、私達は内戦の終わらせ方、そして終わった後の世界を考えないといけないわね」 「確かに、目標を決めないと何も出来ないな」  うんうんと頷いたゲレイロは、「理想形を考えよう」と提案した。 「俺達に十分な戦力が与えられたとして……政府、解放同盟を撃破して俺達が実権を握るのか? それとも、調停役となって両者を強制的に話し合いのテーブルに着かせるのか? 内戦の止め方としては、おおよそその二つぐらいだろう」 「後の奴のほうが、一見良さそうには思えるが……」  手を上げたガンボは、「時間がかかりすぎる」と第二案の問題を指摘した。 「ここまでこじれたことを考えると、話し合いが簡単に纏まるとは思えないな。それを力づくでまとめると、結局小競り合いが残ることになりかねない。結局、限りなく第一案に近づいてくるんじゃないのか?」 「それに、第二案だと火種を残すことになりかねないわね」  それも問題と、レベッカはガンボの意見に付け加えた。 「それを言うのなら、内戦終了後の俺達の立場も問題だぞ。そこまでの存在感を示したのに、これで解散って訳にはいかないだろう。その時に問題となるのは、俺達が政治に素人ということだ」  そこでゲレイロに顔を見られ、「素人だから」とガリクソンは強調した。 「ガリクソン新総統ね……なにか、ピンと来ないわ」  容赦のないテッセンの指摘なのだが、ガリクソンは何度も頷いて見せた。 「でも、それぐらいのことをしないと駄目なんじゃないの? そしてその上で、政治体制を刷新する必要があると思うの。そうじゃないと、第二、第三の解放同盟が生まれることになるわ」  イライザの指摘に、「基本的には賛成」とリスリムは支持を表明した。 「だとしたら、ガリクソン総統は暫定的と言う宣言をした方がいいと思うわ。ある程度の期限を切って、ゼス内で総選挙を実施する。まあ、歴史の教科書で習ったやり方なんだけどね。そう間違った方法じゃないと思うわ。問題は、私たちに統治能力があるのかと言うことなんだけどね」  問題を提起したリスリムに、全員が大きく頷いた。ガリクソンに総統を押し付けたとしても、自分達もまた責任から逃れられないのは分かっていたのだ。 「俺としては、そんなものは無い! と断言したいのだが……」  ふっと息を吐き出したガリクソンは、「逃げるなよ」と全員の顔を見た。 「私としては、逃げたいんだけどねぇ。どう考えても、柄じゃないのは分かってるんだけど」  だよねと周りを見たレベッカは、「逃げられないわね」と自分の置かれた状況を認めた。 「まあ、走っていくうちに人も集まってくるでしょ」 「俺としては、それを期待したい所だな。総統になるなんて、一度も考えたことはなかったんだぞ」  そう零したガリクソンだったが、「泣き言は言っていられない」と両手で自分の顔を叩いた。 「未来を諦めていた俺達の前に、少しはましな未来が見えてきたんだ。だったら、今は悩んでいても仕方がないだろう」 「そうね、もっとましなものにしていくのも私達なんだよね」  そう口にしたイライザを見て、ソーは複雑な気持ちを抱いていた。それは、彼女がガリクソンに向ける視線の意味に気がついたからなのだろうか。自分と話をしている時とは違い、明らかに女の顔をしていたのだ。  そこで隣りに座るリスリムを見たら、なぜか自分に頷いてくれた。その意味が理解できず、ソーは新たな疑問を抱えることになったのである。  約束通り16時間後、ガリクソン達10人は、用意された着替えを着て現れた。ローエングリンに居る限り、10人が何を話したかは筒抜けになっている。スーツ姿で現れたトラスティは、「誰が代表かな?」とガリクソンの顔を見て尋ねた。 「俺が、代表となる。そしてリスリム・アンダリオが、俺をサポートする事になった」  固い意志の込められた眼差しに、トラスティはなるほどと小さく頷いた。 「では、共犯となる君達を情報を共有することにしようか。そもそも、君達は僕達の正体に疑問を感じているはずだ。そこから明らかにしないと、お互いの信頼関係が結べないだろうね」  いいかなと確認され、ガリクソンは緊張した顔で頷いた。仲間同士で話していても、結局トラスティ達の正体に想像がつかなかったのだ。 「トリプルAと言うのは、今から4年ほど前に天の川銀河に有る惑星ジェイドで設立された民間企業だ。その時の設立者3人の頭文字から、トリプルA相談所として設立された。ちなみに設立に関わった3人は、ここには来ていないからね。その意味では、僕達3人はトリプルAの社員と言う立場に有る。信じられなかもしれないけど、10代の女子大生が大学の企業実習で設立した会社と言うのがその正体なんだよ」  信じられないだろうと問われ、居合わせた10人が揃って頷いた。 「そのトリプルAなんだけど、順調に成長して今は年商1000億ダラ近いそうだよ。そして更なる業務拡大の施策として、民間軍事部門を作ることになった。ただ作るって言っても、簡単に戦力なんて揃えられるものじゃない。だから、コネを使って協力な戦力をかき集めることにした。惑星ゼスの内乱に介入すると言うのは、極めて周りを納得させやすいものでもあったんだよ」  退屈とリゲル帝国皇帝に言われたことを隠し、トラスティは連邦内の期待だけを口にした。 「そこで僕達が提供できる物を教えると、リゲル帝国から剣士が約5万に、エスデニアとパガニアから機動兵器アポストルがそれぞれ1千と言う事になる。あくまで地上戦だから、宇宙戦艦は数に含めていないよ。ただアポストル輸送用の機動要塞とやらは配備されることになっている。確か、全長10kmはある巨船だと教えられたかな……それが、それぞれ4隻ずつ配備されている。それから総指揮は、連邦宇宙軍を退役されたスターク・ウェンディ氏が執ってくれることになっているよ」 「今更だけど、何者と言いたくなる話ね。本当に、眉に唾をつけたくなったわ」  大きくため息を吐いたリスリムに、その気持は理解できるつもりだとトラスティは答えた。 「ただ、疑問に感じるだろうけど、僕は何一つとして嘘を言っていない。それだけの戦力が、契約がまとまり次第投入できる準備ができているんだよ。そうだね、契約締結後、最短で24時間以内に投入できると言うのが今の状況と言うことだ。まあ、このあたりはそう言う物だと思って聞いてくれればいい」  いくら覚悟を決めてきても、はいそうですかと受け入れるには限度と言う物がある。そして聞かされた話は、既に限度を超えたものだった。それが分かるから、「そう言うもの」とトラスティは理解を放棄するようなことを言ったのである。 「と言うことなので、君達との契約条件の話に移ろうか」  いいかなと問われたガリクソンは、「その前に」と一度仲間の方を見た。 「あなた達が何者なのか。正体を明かしてもらえないか」  たかが年商1000億ダラの企業に、ここまで大きなことが出来るはずなど無いのだ。それぐらいのことは理解できるので、ガリクソンは3人の正体を質した。 「僕達の正体かい。そうだね、君達の疑問を解いておく必要があるのだろうね」  そこでカイトを見たトラスティは、「名前ぐらいは知っているだろう」と最初に紹介した。 「元連邦軍大尉、キャプテン・カイトと言うのが彼の正体だ。そして今は、トリプルAの軍事顧問をしてくれている。ただ、こちらの方はジェイド内に閉じた話だったんだよ」  カイトの名前が出た所で、10人の中に緊張が走った。顔と名前は結びついていないが、ゼスを泥沼の内戦に導いた一人として知られていたのだ。 「君達の反応で、兄さんの評判が理解できたよ。ただ言い訳をさせて貰うと、兄さんの行動は軍人として何一つとして恥じることのないものだった。そして兄さんは、ゼスへの後悔から軍を退役したんだよ。ただ恨み言なら、後からいくらでも聞いてあげよう。兄さんも、仕方がないことだと覚悟を決めているからね」  トラスティに顔を見られ、カイトは真剣な表情で頷いた。それを見てから、「次は僕だ」とトラスティは声を上げた。 「ペンネームはトラスティ・ヒカリ。トリプルAに参加する前は、旅行随筆家と言うものをしていたよ。そして本名は、トラスティ・セス・クリューグと言う。レムニア帝国皇帝アリエル様が作った、ただ一人の子供と言うのが僕の正体になる。おまけのように付いて来た肩書に、リゲル帝国皇帝というのと、モンベルト王国国王と言うのもある。トリプルA代表アリッサ・セス・クリューグ・トランブルの夫でもあるね」  トリプルAの社員との話だったが、明かされた正体はそんな矮小なものではなかった。レムニア帝国やリゲル帝国は、超銀河連邦内で知らない者がいないと言われるほど有名な存在だったのだ。 「そして彼は、ノブハル・アオヤマと言う。1万番目に連邦に加わった、ディアミズレ銀河にあるエルマー星系の出身なんだよ。文明レベルは2と低いけど、まあ色々と経緯があってトリプルAは支店を置くことにした。そして今回、軍事組織を立ち上げるにあたり、支社に格上げして保有する軍艦の母港にすることにした。それから彼についてくる立場なんだけど、シルバニア帝国皇帝の夫と言うものもあるんだ。君達が何度も目にしたアルテッツァと言うのは、シルバニア帝国を統べる連邦最大のバイオコンピューターの疑似人格なんだ」  それが本当のことなら、3人が3人共トリプルAの社員などという卑小な存在ではないことになる。それでも信じられないのは、どうしてそんな重要人物がわざわざ出向いてきたかと言うことだ。内戦中の惑星に下りると言うのは、自殺行為に等しいものだった。 「どうして、そんな重要人物がゼスなんかに来たのかしら。安全を考えたら、よほどのことがない限り下っ端を使いに出すものよ」  当然過ぎるリスリムの疑問に、「社員が少なくてね」とトラスティは頭を掻いた。 「立ち上げたばっかりで、交渉役がいないんだよ。だから、安全の面を考えて僕達が出てくることにした。丸腰のウェンディ氏に来てもらう訳にはいかないからね」 「あなた達なら、安全…なの?」  軍にいたカイトなら話は分かるが、他の二人は政治的な重要人物でしかない。それでもカイトと行動を共にしたトラスティはましだが、ノブハルなどは護衛も連れずに彷徨いていたのだ。安全と言われても、はいそうですかと納得できるはずがない。事実ノブハルは、自分達が痛い目に遭わせていたのだ。 「ああ、僕達3人なら特に危険な目に遭うことはないね。そもそも君は、ノブハル君がヴァルチャーを倒したのを見ているはずだ」  それを指摘されれば、そうだとしか答えようがない。ただどうやったのかは、未だに理解できていなかったのも確かだ。その種明かしを、早速トラスティはすることにした。 「事実だけを言うと、僕達3人は連邦軍で言うところのデバイスを持っている。加えて言うのなら、僕はリゲル帝国のカムイも持っているんだよ。そして兄さんは、正真正銘連邦最強の戦士だからね。兄さん、ちょっとソー君だったかな、彼を脅してくれないかな」 「そう言うのは、俺の趣味じゃないんだがな」  苦笑を浮かべたカイトは、ほんの少しだけ殺気をソーに向けた。ただカイトとしては手加減しまくりの殺気だったが、その効果は覿面に現れてくれた。もともと警戒をしていたソーの顔が、まるで信号のように青く変わってくれたのだ。歯ががちがちと鳴っているのは、感じた恐怖が桁違いと言うことの証拠だ。 「兄さん、もういいですよ。と言うことなんだけど、ソー君だったかな。感想を言えるかな」  優しく声を掛けたのだが、それでもソーは反応することができなかった。それを見かねたリスリムが肘で突いて、ようやく呼ばれたことに気づけたぐらいだ。 「どうかな、兄さんの実力を理解できたかな?」 「あ、ああ、全力で肯定させてもらう」  まだ顔色が悪いのは、それだけ強烈な体験をしたと言うことだろう。唇まで真っ青にしたソーに、それだけ怖かったのだと全員が理解をした。 「これで、一応僕達の紹介は終わらせて貰うよ。と言うことなので、君達との契約条件の話に移ろう。これでも民間企業だからね、適正な価格で契約する必要があるんだよ」  そもそも適正な価格と言うのは、何を根拠に算出すればいいのか。リスリムを含めて、その場にいた10人とも金額に想像すらついていなかった。そんな彼らに対して、トラスティが持ち出したのはある意味破格、そして彼らの常識からすれば天文学的な金額だった。 「内乱終結後、一定期間のサポートを含めておよそ1千億ダラと言うところだね」  格安だろうと笑うトラスティに、どこがと全員が噛み付いた。 「そんな金額、どうやっても払えるわけがないだろう!」  代表して文句を言ったガリクソンに、「嘘だよね」とトラスティは言い返した。 「内乱突入前のゼスは、年間予算規模が10兆ダラあったんだよ。1千億と言うのは、その1%にしか過ぎないんだ。しかも大幅にディスカウントしているから、これ以上おまけのしようがないんだ」  そう口にしてから、「いいかい」とトラスティは身を乗り出した。 「今現在で、ゼスの人口は20億を切ったぐらいだろう。1千億ダラと言うのは、一人あたり50ダラでしか無いんだ。本当なら、もう一桁……いやいや、二桁高い金額を提示してもいいぐらいのことなんだよ」  50ダラなら、確かに一人ひとりが簡単に動かせる金額でも有る。事実前回の飲み会でも、400ダラ程度の費用がかかっていたのだ。つまり、一人当たりの金額なら先日の飲み会程度の費用でしかなかったのだ。それが未来を掴むための金額と言われれば、破格であるのは間違いないだろう。  だがいくら破格と言っても、そんな金額を払えるはずがない。そもそも全員が全員、そんな単位の金額を見たこともなかったのだ。 「そんな金額を、俺達が払えるとでも思っているんですか?」  だからこその質問に、「払えないのかい?」と逆にトラスティは聞き返した。 「今は君達と話をしているけど、これは生き残るゼスの人達への請求なんだよ。それでも、一人あたりたったの50ダラも払えないと言うのかな?」  その問いに答えたのは、ガリクソンではなくリスリムだった。 「ここで払えると答えることに、意味があるのかしら? 私達が、直前までボランティアをしていたのは知っているのでしょう?」  だから要求が非常識だと言うのである。それに頷いたトラスティは、「譲れない線だね」とリスリムの主張を跳ね除けた。 「船と戦力を動かすのには、それ相応の費用が掛かるんだ。連邦政府は、公的にはゼスを見捨てると言う結論に達している。だから、連邦政府からふんだくることが出来ないんだよ。それに連邦政府が介入するつもりなら、連邦軍を動かせばいいんだからね。彼らがスポンサーになるのは、まともに考えればありえないことなんだ。だから必要な費用を、ゼスの人達に請求することにした。僕の言っていることに、おかしな所は有るかな?」  経済的な問題、そして連邦の態度を教えられれば、請求を否定することは不可能となる。そこでしばらく悩んだリスリムは、「分かったわ」とガリクソンの顔を見た。 「分割払い、なおかつ軌道に乗ってからと言う条件なら承知した」 「その場合は、金利が上乗せされるのを認めてくれるのかな?」  どうだろうと問われ、ガリクソンは覚悟を決めたように頷いた。 「俺達が、ゼスの実権を掌握できたら予算を使うことも出来るだろう」 「そこまで、面倒を見ろと言うことなのかな?」  そう言って笑ったトラスティは、「いいだろう」とガリクソンの言い分を認めた。 「僕達としても、とりっぱぐれるのは好ましくないからね。せいぜい、君達を支援させて貰うよ。と言うことなので、後ほど契約書にサインをして貰うよ。たしか1千ページぐらいあるから、1週間程度掛けてじっくりと読んでくれ。だから仮契約書へのサインを確証に、トリプルAはゼスの内乱に介入する」  それがこれと、トラスティは2枚の紙を差し出した。そこには、しっかりと「仮契約書」と書かれ、ここで話しをしたことが要約されていた。 「そこに、サインをしてくれたらそれでいいよ」  ほらとペンを差し出され、ガリクソンはゴクリとつばを飲み込んだ。だがここにサインをしなければ、自分達を待ち受けているのは滅亡の未来だけなのだ。恐怖か緊張か、震える手を鎮めるため、ガリクソンは何度も深呼吸を繰り返した。そして「ヨシ」と小さくつぶやき、2枚の仮契約書に自分の名前を書き込んだ。 「後は、そこの丸い印に君の指を当ててくれるかな。この仮契約書が、偽造されたものでないことを示すのに必要なんだよ」  サインをしてしまえば、あとは開き直りが出来てしまう。言われたとおりに丸印に指を当て、「これでいいのかと」ガリクソンはトラスティを見た。 「ああ、これで仮契約は完了した」  満足そうに自分の名前を書き入れ、トラスティも生体認証記録を仮契約書に残した。 「アルテッツァ、これを本社とウェンディ氏に送ってくれないか。本契約の際には、社長自ら顔を出して貰うことにするからね」  畏まりましたとアルテッツァが答えてすぐ、仮契約書が一瞬だけ消えたように見えた。ただすぐに、新たにトリプルAの社印が押された仮契約書が2通、ガリクソンの目の前に送られてきた。 「今なら取り消しも効くからね。ちゃんと、中身を確認してくれるかな?」  言われて中身を確認したガリクソンは、念のためと仮契約書をリスリムにも渡した。 「問題ないわね」 「だったら、1通は君達が保管してくれ」  それがこちらと、トラスティはエンベロープと一緒に仮契約書をガリクソンに渡した。 「さて、仮契約も終わったし、本来ならパーティーぐらいするところなんだが。ゼスの状況を考えたら、問題解決を優先するところだろうね」  アルテッツァと、トラスティはゼスの地図を表示させた。 「ラグレロ総統の居場所は掴めているのだけど、ノラナ・ロクシタンの居場所は今現在掴めていない。その場合、取りうる方法は2つからの選択となる」  そう言って全員の顔を見たトラスティは、「一つ目は」と指を一本立ててみせた。 「ノラナ・ロクシタンの捜索を続けると言うことだ。居場所さえ掴めてしまえば、制圧するのもさほど難しいことじゃない。同時にラグレロを確保すれば、そこで君達の勝利と言うことになる。手間を考えると、この方法が一番好ましいのは確かだろう。ただ繰り返すけど、ノラナ・ロクシタンの居場所が掴めていないんだ」  噛んで含めるように説明したトラスティは、「二つ目」と言って指を2本立ててみせた。 「両者が衝突している戦場に、こちらの戦力を送り込むものだよ。そこで第3勢力の存在をアピールし、圧倒的な力で両者を交渉の場に引きずり出すと言うものだ。これならば、ノラナ・ロクシタンの居場所が掴めて無くても実行することが可能になる。その代わり、第1案に比べて犠牲者の数が圧倒的に多くなるだろうね。まあ、第2案を実行しつつ、折を見て第1案に切り替えるというのが現実的なのだろうね」  そこでどうしますと問われたガリクソンは、「被害を抑える方向で」と遠慮がちに答えた。このあたりになると、もう能力の限界を超えていたのだ。 「クライアントの希望ですから、最大限に叶えることをお約束しますよ」  そう言って立ち上がり、トラスティは握手のために右手を差し出したのだった。ペテン師の評判通り、自分達の都合で始めたことを収益事業に化けさせたのである。  さすがは稀代のペテン師。自宅で連絡を受け取ったスタークは、面白いことになったとほくそ笑んだ。これで人生最大の心残りを、綺麗に解消することができるのだ。その上、IotUの謎に迫る機会まで得たのである。一族の義務から解放されたのと合わせて、気分は爽快そのものだった。 「あなたが、そんな顔をされるのは珍しいですね」  しばらく単身赴任状態だった夫が、久しぶりに帰ってきてのんびりとしているのだ。こんなことは、連邦軍に奉職してから記憶にないことだった。しかも外郭団体の顧問職につかずに、一民間企業にスカウトされたと言うのだ。ウェンディ家の歴史を知るだけに、スタークの妻エスタリアにしても意外すぎる変化だった。しかもこの5年ほど、帰ってきても愉快そうにしていることなど一度も見たことがなかったのだ。 「ああ、いよいよ、喉の奥に刺さったトゲを抜くことができるんだよ」 「喉の奥に刺さったトゲ……でしょうか?」  なんのこととエスタリアが首をかしげたところで、「惑星ゼスだろう」と息子のウィリアムがリビングに顔を出した。ウェンディ家代々の伝統に従い軍に入ったウィリアムは、20代後半の若さで大尉まで昇進していた。ウェンディ家の名声を引き継ぐに相応しい、エリート中のエリートと言う奴である。  軍に居ると話をしにくいからと、父親の帰宅を聞いて休暇を取って家に帰ってきていた。そして彼なりに、いくつか情報をも掴んでいたのだ。それを話すには、家に帰ってくれたのは都合が良かった。 「惑星ゼスって……超銀河連邦ではアンタッチャブルになっている奴よね」  そして息子に遅れて、娘のティファニーが姿を現した。薄い水色のワンピースに身を包んだ、母親譲りの完璧な美女がそこにいた。まだ大学には通っているが、将来は政治家になると公言していた。  連邦での評判を口にした妹に、「そのゼスだ」と真面目な顔でウィリアムは答えた。 「いきなり親父が引退したから、軍の中は大騒ぎになったんだぞ。しかも引退後の行き先が、軍の戦略研究所じゃなくただの民間企業だろう。何が起きたんだって、結構上まで俺のところに聞きにきたぐらいだ」  大変だったと零す兄に、言葉足らずだとティファニーは文句を言った。 「兄さん、そこはトリプルAって言わないとダメでしょ。あそこをただの民間企業なんて言うと、恥を掻くことになるわよ」  なってないと自分を批判した妹に、「軍事的にはただのだ」とウィリアムは答えた。 「親父のお気に入りだったキャプテン・カイトがいるのは知ってるさ。モンベルト復興で、大きな役割を果たしたことも知っている。だけど、根っからの軍人の親父が行くような所だとは普通は考えないんだよ」 「でも、そのトリプルAが民間軍事組織を作ったんでしょ。箔付けで有名人を招くことは珍しいことじゃないと思うわ。しかもシルバニアまで、巨大戦艦で乗り付けてきたって噂になってるわよ」  言い返してきた妹に、「それでもだ」とウィリアムは返した。 「御三家筆頭が行くような組織じゃない。その認識が、軍の中で大勢を占めているんだよ。もっともゼスだけなら、親父はトリプルAに加わっていなかったのだろう?」  息子の鋭い指摘に、「お見通しか」とスタークは笑った。 「ああ、あそこには最悪のペテン師がいるからな。ゼス程度なら、ペテン師に掛かれば難しいことじゃないはずだ。それでも親父が誘いに乗ったのは、IotUの謎に迫るためなんだろう?」 「流石に、情報が早いな」  苦笑を浮かべた父親に、「当たり前だ」とウィリアムは憤慨したような顔をした。 「情報なら、ルナツーのイスマル少将から貰った。トリプルAの男3人は、いずれもIotUの遺伝子を継いでいるそうじゃないか。そして中でもトラスティと言うペテン師が、IotUの謎解きにご執心だと言う話もな」 「トラスティって……」  そこで考えたディファニーは、ああと大きく頷いた。 「イヴァンカの恋人をしていた男ね。私も会ったことがあるけど、危険な感じがしてちょっといいなって思ったわ」  ティファニーの表情を見ると、「ちょっと」程度ではないようにも見えた。ただそれを突っ込む以上に、ウィリアムには気になることがあった。 「イヴァンカって、テッド・ターフの娘のイヴァンカか?」  驚いた兄に、「そのイヴァンカ」とティファニーは答えた。 「イヴァンカって、綺麗な金髪碧眼をしているでしょ。それが、彼の好みにぴったり合ったみたいね。でも、どちらかと言ったらイヴァンカの方が夢中に見えたわ。あら、ひょっとしてショックを受けてるの?」 「そ、そんなことはないぞっ」  兄の動揺を、ティファニーは見逃してはくれなかった。なるほどねと勝手に納得して、「橋渡しをしようか?」と提案した。 「ここの所ライマールに来てくれないって塞いでいるのよ。今なら、横から攫っていけるんじゃないの?」 「どうして、攫っていくと言う話になるんだ?」  おかしいだろうとウィリアムが文句を言った時、「私も興味がある」とスタークが参戦した。 「もうすぐ27になると言うのに、決まった相手がいないのだからな。親として、心配になってもおかしくあるまい」  自分の女性関係に迫られたので、ウィリアムは話を逸らす……正確には、元に戻すと言う策に出た。 「それは、余計なお世話と答えさせて貰おう。だけど、トリプルAだったら、俺が行きたかったな。ここの所、大きな事件に必ずと言っていいぐらい関わってるだろう。間違いなく、軍にいるより刺激的なはずだ。しかもIotUの子孫にあたる奴らと組めるのなら、ウェンディ家としては歓迎のはずだ」 「美人目当てだって正直に言えばいいのに」  すかさず入れられた茶々に、「お前なぁ」とウィリアムは目元を引きつらせた。実のところ、妹の指摘は正解に近いところにあったのだ。 「それはともかく、いよいよゼスに乗り込むのか?」  その問いに、スタークははっきりと頷いた。 「ああ、協力者を捕まえて来たと言う連絡があった。仮契約書が送られて来たから、これで大手を振って乗り込むことができる」 「ウェンディが、エスデニア、パガニア、リゲル帝国の軍を率いて進軍するのか……1千ヤー前と配役は違うが、歴史的なことに違いないな。IotUの奇跡に頼らない、人の力による革新って奴だろう?」  まだ年が若くても、ウィリアムもウェンディ家の男である。IotUの意味、そして求められていることを理解していたのだ。 「ああ、モンベルトに続く一歩と言う所だろう。私が関わるのに、相応しい変革だとは思わないか」 「そう言う美味しい所は、息子に残しておくものだと言っただろう。まあ、今は親父の方が相応しいのは認めてやるがな」  はっきりと悔しそうにするのは、絶好の機会に加われなかったからだろう。そしてそれは、スタークにも理解できる感情だった。 「ここまで来たんだから、絶対に何が起こるのか見届けてこいよ。イスマル少将が言うには、クサンティン元帥も悔しがっていたと言う話だ。親父は責任を取って辞めるんじゃない、御三家の誰からも羨ましがられることをしようとしているんだ」  息子の言葉に、スタークは大きく頷いた。 「むろん、そのつもりでいる。だが、それがいつになるかは分からないがな。もしも私の代で終わらなかったら、次はお前が見届けてくれればいい」 「俺の前に、クサンティン元帥やイスマル少将が控えているさ。まあ、俺も早く加われるように工作をするつもりだがな」  父親と兄の決意に、「私もっ!」とティファニーが声をあげた。 「手っ取り早く、トラスティのところに押しかけるわ!」  それが一番手っ取り早いはずだ。ティファニーの主張に、父親と兄は言下に「絶対にダメ」とダメ出しをしたのである。  スタークが自宅に戻っていたのは、家族との時間を取り戻すことだけが目的ではない。超銀河連邦理事会に顔を出すのに、惑星ライマールは都合が良かったのだ。ついでと言うと家族の不評を買うが、理由としてはそちらの方が大きかったのだ。  トラスティから連絡を受け取った翌日、21星系が集まった理事会に、スタークはゲストとして出席をした。ただゲストとは名ばかりで、各理事はスタークのために集まっていた。 「お忙しい中お集まりいただき感謝に絶えません」  集まった理事たちを前に、スタークは感謝の言葉から始めた。 「ゼス住民と、トリプルAの間で派遣契約の仮契約が締結されました。クライアントの要求に従い、トリプルAはゼス政府並びに解放同盟を迅速に制圧いたします。皆さんには仮契約書の写しを転送いたしますので、ご確認願えれば幸いと存じます」  堂々と主張する様は、伊達に元帥を勤め上げた訳ではないと言うことだ。超銀河連邦の理事会21星系の代表を前に、スタークは圧倒するほどの存在感を示していた。トラスティならば言葉巧みにペテンに掛けるところなのだが、スタークの場合は圧倒的な迫力で押し切る事が可能だった。  そしてゼスの問題は、理事会の中でも非公式には話されていたことでもある。だから代表幹事のサラサーテが、他の幹事2人とともにスタークを呼び出したぐらいなのである。 「これで、体裁は整ったと考えて宜しいわけですな」  代表幹事であるサラサーテの問いに、「然り」とスタークは返した。何かを確認するような小さなざわめきが理事達の間で起こったあと、「必要性は薄そうですが」と断り、サラサーテは連邦軍への通告を持ち出した。 「クサンティン新元帥には、そのように理事会より通告いたします。惑星ゼスの住民との契約により、トリプルAは要求された機能を提供する。確かに、一般的な商行為であり、連邦法にも抵触しないでしょう」 「理事会がご理解したとおりだと思います」  小さなざわめきが収まらないのは、予想もしない展開にまだ追いつけていないからだろう。惑星ゼスの問題は、深刻ではあるが手の出しようがない問題として誰もが諦めていたことでも有る。それが代表幹事訪問から驚くほどの短時間で、新たな動きが生じると言うのだ。早すぎる展開に、誰もが耳を疑ったのである。 「質問、宜しいですか?」  手を上げて発言を求めたのは、ジョージンンサハトナグ星系から派遣された理事である。褐色の肌に細長い顔と言う特徴のある、レベル6の文明レベルを持つ人型の住民が住む星系だった。着任してまだ4年と短いことも有り、まだ理事会の雰囲気に慣れていなかった。 「何なりとリムリーシャ様」 「で、では、遠慮なく」  はっきりと緊張しながらリムリーシャが持ち出したのは、トリプルAの提供機能だった。契約に基づき遂行される以上、本来理事会の関与すべき話ではないのだろう。それでも、義務感と興味から問いかけずにいられなかったのだ。 「トリプルAは、どのような機能を、そしてどれだけの期間提供するのでしょうか?」 「トリプルAが提供する機能、と言うことですね。本来企業活動に係る話ですから、説明の義務を負わない物と理解しているのですが。皆さんが気になされる理由も理解しておりますので、差支えのない範囲でご説明差し上げたいと思います」  特別に説明してやると言うスタークに、リムリーシャは「感謝します」と緊張して答えた。 「提供する機能は、ゼスの内戦を終結させうる戦力とそれを運用する作戦と言う事になります。クライアントは、ゼスの内戦を終結させ政治機能を掌握することを求めています。これだけだと侵略行為に加担することとなりますので、クライアントからは5年をめどに選挙を行うと言う説明を受けています」 「確かに、第三勢力が実権奪取に動き、その手助けをすると言うように受け取られますね」  リムリーシャの顔が引きつっているのは、苦笑を浮かべるのに失敗したからだろう。 「そのまま発表すると、騒ぎ出すものが出そうな話かと思います」  リムリーシャの言葉に、スタークは小さく頷いた。 「ある意味、クーデターの手助けをするわけですからな。リムリーシャ様のご懸念は理解できます。極端な話、トリプルAがその気になれば、大抵の星系でクーデターが可能となる訳です。脛に傷を持つ者達……失礼、各星系の為政者はトリプルAの動きに無関心ではいられなくなるのでしょう」  リムリーシャの懸念を肯定したスタークは、「歯止めは必要でしょうな」と全員の顔を見た。 「現時点での実力なら、レベル7以下の星系であれば蹂躙は難しくありません。トリプルAの戦力に対抗できるのは、現時点で連邦軍ぐらいと言うのも確かです。そして連邦軍は、連邦法に縛られ星系単位の紛争には介入できない。例外はありますが、当事者双方の合意が必要となります。それを考えると、トリプルAがついた時点で、政権奪取は成功を約束されたことになるのでしょう」 「連邦法の改正が必要だと?」  リムリーシャの発言に、スタークは小さく頷いた。 「そもそも、トリプルAが民間軍事組織を立ち上げたのは、連邦法の不備を突いたところがあります。契約で動く民間企業ですから、契約書に書けない不法行為を行うことはありません。そうですね、連邦法に査察規定もしくは事前審査の規定を入れれば良いのではありませんか?」  それをすれば、トリプルAの暴走を止めることが可能となる。スタークの提案に、理事達は揃って頷いた。 「しかし、一民間企業のために連邦法の改正ですか」  それを持ち出したのは、エオシス星系から派遣されたアデニールと言う理事である。禿頭の頭頂部がやけに目立つ、赤ら顔をしていた。 「確かに、今はトリプルAだけを気にすればよいのでしょう。ですが、将来を考えた場合、いつまでもトリプルAだけと考えるのは無理があるのかと思われます。例えばで恐縮なのですが、取締の目を逃れている武装集団が幾つか存在しています。トリプルAの成功を目にした彼らが、同じ方法で自分達の活動を合法化する可能性もあるのかと思われます」 「つまり、トリプルAはパンドラの箱を開けてしまったのだと?」  ぎょろりと目を剥いたアデニールに、「解釈の問題ですな」とスタークは平然と切って捨てた。 「それはトリプルAがやらなくても、何時か誰かが気づく程度の話でしか無い。それから申し上げておくと、我々トリプルAとしては、連邦法が改正されない方が都合が良いのです。リムリーシャ様が懸念された通り、協力者を作り上げれば星系予算を自由にできますからね。しかも合法的な活動となるので、連邦軍を気にしなくても済む。法の抜け穴を利用し、好き勝手出来ると言う事になる訳です」 「元帥、失礼、あなたは、間接的に私達を脅していることになる」  ムスッとしたアデニールに、「そう受け取られるのは理解していますよ」と失礼な言い方に怒るのではなくスタークはそれを笑い飛ばした。 「元気の良い若者が出てきましたからな。これまでの柵に囚われず、新しいことを次々と実現してくれる。なにしろ連邦法は、900ヤーの長きに渡って改正をされていない。それは代々理事会が続けてきた、不作為によるものだと思っていますよ」  連邦の軍人と言う軛から解かれたため、スタークは普段になく饒舌で辛辣だった。しかもそれが正論だから、突きつけられた方は反発を感じながらも反論はできない。この問題にしても、法の不備が問題となる前に指摘されただけのことだった。それにした所で、疑念を持ち出したのは仲間の理事である。  そうやって理事会を蹂躙したスタークは、ゆっくりと出席者の顔を見渡した。 「特に質問が無いと言うことは、本件に係る説明を終わらせていただいても宜しいと言うことですな」 「確かに、“ゼス”への戦力提供についてお話承りました」  敢えてゼスと強調したサラサーテに、「混乱は望んでいませんよ」とスタークは真顔で答えた。 「軍を離れても、私が連邦の一員である事実は変わっておりません。御三家と言われるウェンディ家の名誉にかけて、不法な行いはさせないとお約束出来ます」  それだけだと言い残し、スタークは連邦理事会を退席した。ここから先はズミクロン星系に行き、インペレーターを持ってくる必要がある。そしてリゲル帝国宙域で、3者から派遣された戦力と合流しなくてはいけなかったのだ。  戦いと言う物は、時間を置くと予想もしない変化が起こることが有る。それを避けるためには、一日も早い戦力の現地展開が必要となる。既に計画自体は立案できているので、残すは銀河の壁を超えてゼス星系へとたどり着くことだけだった。  ラッカレロへの襲撃は、ノラナ・ロクシタンの元に成功として伝えられていた。政府側のラプターを無力化し、市民の5万人以上に大怪我を負わせたのである。想定通りの結果は、作戦の成功を証明するものでもある。  ただ完璧な成功かと問われると、必ずしもそうと言い切れないのが問題だった。出撃させた30のヴァルチャー改のうち1機で、原因不明の機能停止が発生したのだ。原因がはっきりしない限り、再発の可能性を考えなければならなくなってしまった。 「何事も、すべてが思い通りになるとは限らないと言うことね」  ヘロン・ネオディプシスからの報告に、ノラナはそう苦笑を浮かべた。 「ツンベルギア、何か追加の情報はある?」  ノラナに報告を求められたツンベルギア・エレクタは、ボサボサの頭を掻いて「現時点で不明です」と答えた。それが不本意な報告であるのは、彼の不満そうな顔を見れば一目瞭然のことだった。 「敵の攻撃が理由なのか、それともヴァルチャー改の本質的な問題なのかは切り分けできているの?」  理由のいかんでは、これからのバージョンアップ計画にも影響を与えることになりかねない。その意味では、敵に撃破されたと言う方が問題として軽いことになる。 「ログ情報からは、機能停止直前までなんの問題も出ていないのです。敵のラプター1機を機能停止に追い込み、ターゲットの1人リスリム・アンダリオを補足しデリート直前まで追い詰めました。その後登録にない一般人が映像情報として捉えられているのですが、ログとして残されたのはそこまでなのです。その後現場を確認させたのですが、破壊されたヴァルチャー改があっただけです」 「だったら、敵に敗れただけじゃないのかしら?」  それなら何問題が無いと言う口調のノラナに、「それも分からない」とツンベルギアは困惑を顔に出した。 「ヴァルチャー改の破壊が、機能停止前か後かで変わってまいります。機能停止前なら、代表が仰る通り何も問題はないかと思われます。ただ機能停止後であれば、機能停止の理由が問題となるのです。ログ情報並びに現場情報からでは、そこまでの分析が出来ておりません。加えて申し上げると、敵に敗れた場合でも問題は存在します。ログ情報からは、敵の存在を確認できておりません。だとしたら、敵はどうやってヴァルチャー改を破壊したのか。現場確認では、大きな力が加わったことが確認されております。証拠からすると、遠距離からの狙撃が理由でないこととなります」 「それにした所で、ヴァルチャー改の性能問題と言うだけでしょ。少なくとも、まともに動いてくれる保証にはなるわね。ただ、他の29機とオウザクの30機が健在だから、敵にそんな力があるのかが疑問になるわね」  そのあたりはと、ノラナはヘロンに問いかけた。 「タリヌムからの報告では、今のラプターではそこまでの性能は示せないはずと言うことです。また、ヴァルチャー改の死角に潜り込むのは、考えにくいと言う回答もあります」 「つまり、何らかの原因で機能停止をしたと考えられるわね。そしてそれは、政府軍側がコントロール出来るものではない、突発的な事象と考えられると」  ますます厄介だと、ノラナは頭を抱えることになった。戦いを少しでも有利なものとするためには、可能な限りヴァルチャー改へのバージョンアップをしなくてはならない。だが動作に信頼のおけない兵器は、実際の戦いでは役に立たないことになる。それを考えると、バージョンアップは行わない方が良いこととなる。 「ヘロン、原因が判明するまで、バージョンアップは追加戦力だけに限るようにして。そしてツンベルギア、可及的速やかに停止原因の究明を行いなさい。最終決戦が、思いの外早まりそうな情報が出てきたのよ」 「最終決戦、でしょうか」  初耳だったことも有り、ヘロンははっきりと驚いた顔をした。 「政府軍が、私達の炙り出しを始めると言う情報が入ったのよ。ラシュトを壊滅させた重粒子爆弾の改良型が投入されるみたいね。それを私達が居るだろう場所で使用し、息の根を止めようとするらしいわ」 「これで、ますますゼスの荒廃が進むということですか」  苦渋に満ちた顔をしたヘロンに、「そうなるわね」とノラナは言ってのけた。 「うまくいけば、私達を始末することが出来ると考えたのでしょう。そうでなくても、拠点に出来る場所を減らしてやれば、私達の居場所を割り出せると考えたのでしょうね。でも、それをされたら、最悪10億近い犠牲者が出ることになるわ」 「なんとも、狂気としか言いようのない方法ですな」  バカにしたようなツンベルギアに、「そうね」とノラナは相槌を打った。 「でも、今のゼスは狂気に包まれているわ。だから私も、その狂気に乗ってあげようと思っているの」 「サイプレスシティに使いますか?」  自分の言葉を先読みしたヘロンに、「そうね」とノラナは答えた。 「小型の重粒子爆弾なら、運び込むのは難しくないわ。食料用コンテナにハミングバードとヴァルチャー改、そして重粒子爆弾を複数隠していけば、サイプレスシティぐらい廃墟に出来るでしょうね」 「ついに、殴り合いから大量破壊に戦いを移されるのだと?」  ヘロンの言葉に、「向こうが始めたこと」とノラナは返した。 「既にラシュトで、重粒子爆弾は使われているのよ。それどころか、これまで何度も政府軍は重粒子爆弾を使っている。兵器や兵士が戦うだけと言う綺麗な戦い方なんて、とっくの昔にゼスからは失われたものなのよ」  違ってと問われ、ヘロンは小さく首を振った。 「むしろ、遅すぎるご判断かと。ラシュトが破壊された後、すぐに報復として実行すべきだったのでしょう。もっとも、その頃には我々にも準備ができておりませんでしたが」  準備ならいつでも出来ているとの答えに、ノラナは大きく頷いた。 「ここでも、ラッカレロ襲撃の成功に意味が出たわね。サイプレスシティの方が守りが堅いけど、中に入り込んでしまえば迎撃まで時間が掛ることになる。ハミングバードとヴァルチャー改で目眩ましをして、その間にコンテナに仕掛けた重粒子爆弾を爆発させてしまえばいい」 「作戦としては、極めてシンプルなものですな」  そう評したヘロンは、「成功すれば」と付け足した。 「そうね、コンテナが運び込めた所でこちらの勝ちと言うことになるわ。食料自給の出来ないサイプレスシティだから、毎日膨大な食料が搬入されることになってる。その全てに目を光らせるのは、事実上不可能に等しいわね。そしてハミングバード程度だと甘く見てくれれば、なおさら成功率が上がることになるわね」 「ハミングバードが飛び交っているサイプレスシティなら、確かにそうでしょうな」  同盟として、サイプレスシティには大量のハミングバードを放っていた。ただ皮肉なのは、自分達が放った以上の数を政府側が味方向けに放っていたことだ。それもあって、サイプレスシティの要人は、比較的ハミングバードに無頓着となっていた。ラッカレロの事件への感度が低いのも、主力がハミングバードだったことが理由になっていた。 「あなたの打ってきた布石が役に立ったと言うことよ」  そうヘロンを評価したノラナは、振り返って「悪かったわね」とツンベルギアに謝った。 「せっかく改良してもらったヴァルチャーが、囮にしかならなくて」 「囮、囮で結構じゃないですか!」  そう声を上げたツンベルギアは、「求めるのは勝利だ」と叫んだ。 「違いますな、求めるのは更なる、そして極上の狂気でしょう。冷静な頭から導き出される、狂人をも超える狂気の世界こそが私の求めるものですよ」 「確かに、狂気の世界に違いないわね」  ふふふと笑ったノラナは、「奇跡は起こらなかった」とつぶやいた。 「奇跡、ですか?」 「ええ、結局誰も狂気を止めに来てはくれなかったと言うことよ。だから私達は、存分に狂気の世界へと進むことにしましょう」  その狂気の先に何があるのか。それを理解した言葉に、二人は小さく頷き同意を示したのである。  10万人を収容できるホールは、今日も満員の観客を迎えていた。ホールの中央に配された浮島のようなステージの上では、ちょっと大人っぽい女の子が三人の女性バックダンサーと一人のゲストを迎えて歌い踊っていた。特にゲストが他星系から来た王女様と言うこともあり、普段にもまして男性比率が高くなっていた。  まるで万華鏡のように衣装を変えながら踊る少女は、ズミクロン星系有数のトップアイドルのリンラ・ランカである。衣装に合わせて変える髪型は、今は漆黒のロングとなっていた。そして襟の大きな白いブラウスに、赤と緑のチェック柄のミニスカートに身を包んでいた。  バックダンサーの一人、リンラより少し大人っぽい雰囲気を持った女性は、長い黒髪をはためかせながら踊っていた。もう一人のバックダンサーは、逆にリンラより少し幼く見える見た目をしていた。ソバージュの掛かった肩口ぐらいの髪は、鮮やかな水色に染め上げられていた。この水色の髪をした女性は、遠くシルバニアから来たと言うのがうりになっていた。そして三人目のバックダンサーは、茶髪をショートにした活発そうな女性である。遠く離れたクリスティアの女子高生と言うのが、彼女の売りである。  ちなみに彼女達は、観客とは遠く離れたスタジオにいた。そこには王女の安全ではなく、多会場での同時開催という理由があった。久しぶりの同時開催と言うことも有り、今回は20会場を繋ぐ、200万人規模のコンサートとなったのである。 「次の曲は、「僕は夜の皇帝だっ!」」  その声と同時に、リンラの衣装はキラキラの飾りがついた男性のものとなった。髪を短く変え、鼻の下にはチョビ髭のようなものまで付けられている。そして後ろの三人は、ちょっときわどいドレス姿へと変身していた。ゲストの王女様は、いかにも王女様と言う白のドレス姿へとチェンジしていた。  そして王女様を右手で支え、リンラはねっとりとした歌い方をした。 「僕の前では王女も娼婦〜」  怪しい照明に照らし出され、リンラは王女ととても怪しい雰囲気を作り出した。そして三人の女性も、まるでリンラに侍るようにステージに腰を落とした。大人の世界というより、際どすぎる世界なのだが、意外にも受けは良かったようだ。今まで以上の声援は、新しいステージの成功を証明するものになっていた。  2時間を超えるステージは、2度めのアンコールの曲を歌い終わった所で終幕を迎えることになった。これで終わりと「ハーレム完成!」を歌い終わったところで、熱狂したファン達はさらなるアンコール曲を求め今まで以上の歓声を上げた。だが残念ながら、それ以上の熱狂は彼らに与えられることはなかった。聴衆達を収容した収容したホールはすでに白い光が満たされ、退場口への誘導が始まっていたのだ。そして中央のステージからは、リンラ達の姿は消え失せていた。そしてその事情は、他の19会場も同じだった。  確率場拡張技術が解除されると、目の前には無味乾燥のスタジオの景色が広がってくれる。体全体から湯気を立ち上らせたリンラは、膝に両手を当て浅く早い呼吸を繰り返した。毎度のことなのだが、2時間にも及ぶステージは、体力を極限まで削ってくれたのだ。長い時間もそうだが、360度どこから見られている緊張は更に非労に輪をかけてくれた。バックダンサーやゲストの存在は、精神的疲労を増す理由にもなっていた。  そんなリンラの後ろで、黒髪と茶髪のバックダンサーも疲れた表情を見せていた。そしてもう一人の青髪のバックダンサーは、一人余裕の表情を浮かべていた。 「無理をしすぎだ」  そう声を掛けて、いつも通りにノブハルがリンラの頭にタオルを掛けた。そしてそのまま、リンラの頭を自分の胸に抱き寄せた。そして抱き寄せられたリンラも、そうすることが当たり前のようにノブハルの胸に自分の顔をこすりつけた。 「本当に、麗しい兄妹愛ですこと」  そう言って微笑んだのは、なぜかクリスティアから来たグリューエルだった。ちなみにゲストで出演した王女様の正体は、正真正銘の王女様だったと言うことである。ひとまず落ち着くまではと、トラスティがエルマーに居ることを指示したのが彼女がここにいる理由だった。  もう少し正確に言うのなら、「面白そうですね」とグリューエルが悪乗りをしたのである。そして女子高生船長のマリーカは、グリューエルに巻き込まれたと言うのがバックダンサーに収まった理由だった。 「麗しい、のですか?」  本当かと驚いたトウカに、「ええ」とグリューエルは大きく頷いた。 「私も、お兄様に何度もぎゅっと抱きしめていただきましたよ」  シスコン・ブラコンと言ってやろうと思ったのに、その出鼻をグリューエルにくじかれてしまった。そしてその思いは、もう一人のバックダンサーのリュースも同じだったようだ。本当ですかと、大きく目を見開いてグリューエルの顔を見ていた。 「なんだ、シスコンと言われるほどのことではなかったのだな」  うんうんと頷いたノブハルは、いつもどおり疲労回復薬ユーケルを起動した。その命令と同時に黄色い煙がリンラを包み、上がっていた息もすぐに落ち着いたものへと変わってくれた。そこでいつも通りリンを抱き上げた所で、「きゃあ」と言う歓声がグリューエルから上がった。 「やっぱり、兄妹と言うのはそう言うものですわね。こちらの常識が違うのかと心配しておりましたが、同じだと分かって安心いたしました」 「い、いえ、あれって間違いなく特殊だから」  そうツッコミを入れたトウカに、「そうなのですか?」とグリューエルは不安そうな視線をリュース達に向けた。すでに5人の周りには、いつものメンバーが集まっていた。 「ズミクロン星系やシルバニアの常識では、シスコン・ブラコンと言われるものね」  いつも通りのぶっきらぼうな口調で答えたセントリアに、「シスコン・ブラコン」とグリューエルは可愛らしく首を傾げた。 「それは、どのようなものなのでしょうか?」 「どのようなって……まさに、あの兄妹がそうなのだけど」  改めて定義を聞かれると、結構説明に困ってしまう。その為循環状態になってしまったのだが、グリューエルはそのことには拘らなかった。 「話の最中に悪いけど、これから場所を変えて王女様の歓迎会を行うことにしています。ただ内輪での歓迎会ですので、行き届かないことが有りますことを予めお詫びいたします」  ナギサが普段にない言葉遣いなのは、相手が現役の王女様と言うのが理由になっていた。もう少し事情を付け加えるのなら、金髪碧眼でスタイルもいい美人と言うのも大きいのだろう。人のものとは分かっていても、つい意識をしてしまうほど、今のグリューエルは磨き上げられていた。そのあたり、不断の努力が実を結んだと言ってもいいのだろう。ただグリューエルが不運だったのは、競争相手がアリッサだったと言うことだ。 「いえ、突然お邪魔してご迷惑をおかけしているのではないのかと思っておりました。それなのに、歓迎会まで開いていただけるなんて、イチモンジ家のご高配には感謝いたしております」  優雅に頭を下げられると、それだけで顔が緩んでしまうのは避けられない。その分リンから冷たい目で見られることになるのだが、それに気づくだけ余裕は今のナギサには無かった。  ズミクロン星系をインペレーターの母港にするにあたり、問題となったのはグリューエル達の本拠地をどこにするのかと言うことだった。グリューエル本人としては、トラスティの居る所が希望と言うことになる。だがインペレーターのオペレーションを任されたため、ズミクロン星系に居を構えざるを得なくなってしまったのだ。館自体はハラミチの配慮で整えることは出来たが、ジェイドから遠いことが不満としては残っていた。  もっとも既成事実の構築には成功したので、前ほどは追いつめられた気持ちにはなっていなかった。本妻のアリッサには相変わらず勝てないが、協力関係の構築にも成功していたのがその理由である。そしてトラスティの興味がズミクロン星系にあると言うのも、彼女がここに居を構えることを認めた理由にもなっていた。  そしてもう一つ大きな意味を持ったのが、トリプルAのエルマー支店が支社に格上げされ、軍事部門を統括することだ。最高顧問に御三家筆頭のスターク・ウェンディ元帥がつき、そしてグリューエルはインペレーターの運用責任者に任命されたのだ。彼女としても、エルマーに居る理由に説明がつくことになる。  ちなみに説明では、今日の歓迎会はスターク最高顧問の歓迎会も兼ねていると言う話だった。自分よりも格上となる御三家筆頭と同じ扱いだから、一緒に歓迎会と言うのは逆に望むところでもあった。そして歓迎会とは別に、ズミクロン星系としての式典も行われていた。それだけ御三家筆頭とクリスティア連合国家王女と言う肩書は、政治的に重かったと言うことである。  いくら身内だけでも、さすがにマリーカの部下まで呼ぶことはできなかった。そのため歓迎会は、出席者が9人と言うこじんまりとしたものになった。ただこの歓迎会は、ノブハルにとって精神的負担が大きなものと言うのは間違いなかった。  「なぜ俺が」と言う抗議は、ナギサから「支社長だよね」の一言で黙らされてしまった。周りから責めるような視線を向けられたノブハルは、主賓となる二人を見て更に表情を引きつらせた。何しろ最近まで連邦軍の元帥だった人と、現役バリバリの王女様では、貫禄が違いすぎたのだ。 「え、ええっとぉ」  そこで声を裏返してしまったのは、置かれた状況と彼の気持ちを考えれば不思議なことではない。ただ周りが、そのことに理解が有るかは別物だった。  結局誰からの助け舟も入ること無く、ノブハルは緊張を強いられる挨拶に臨むことになったのである。 「トリプルAの支社長と言う立場も有りますが、エルマーの者としてスターク・ウェンディ最高顧問、そしてグリューエル・フロイ・バルサ・クリスティア王女を歓迎いたします。文明レベルは2と低い星系で不便を感じることも有るかと思いますが、これからのズミクロン星系の発展を見守っていただきたいと思います」  そこまで話して、ノブハルははあはあと息を荒くした。時間にしてわずか14秒のことなのだが、今のノブハルにはこれが精一杯の挨拶だった。そして挨拶に続いて乾杯を終わらせた所で、宜しいですかとグリューエルが謎の笑みを浮かべた。 「は、はい、グリューエル王女、何か?」  畏まったノブハルに、「一つだけ訂正をお願いしたいところがあります」グリューエルは何故か真面目な顔をした。 「私のことをグリューエル・フロイ・バルサ・クリスティアとご紹介頂きました。ですが、私はグリューエル・フロイ・バルサ・クリスティア・クリューグと言うのが正式な名前となります。省略の際には、グリューエル・クリューグとしていただけたらと思います」  つまり、トラスティの妻としての立場を主張したと言うことである。なるほどねぇなどと考える余裕のないノブハルは、「畏まりました」としゃちほこばった。  そんなノブハルに微笑みを返し、「グリューエルで結構ですよ」と付け加えた。 「グリューエル様……で宜しいでしょうか?」  さすがに王女様は呼び捨てに出来ない。自分の立場を忘れたノブハルに、「ノブハル様の部下ですよ」ともう一度笑った。 「ただ私を呼び捨てにすると、トラスティ様に勘違いをされる……あの人の場合、積極的に勘違いをしてくださいそうなのですが……勘違いをされるとよろしくありませんので、せいぜいグリューエルさん程度にしていただければ幸いです」 「ぐ、グリューエルさんで、宜しいのでしょうか」  ますます緊張したノブハルに、グリューエルは「ええ」と答えてから口元を押さえて笑った。それを恥じたノブハルは、なんとか場を作ろうと「スターク最高顧問」ともう一人の主役に話しかけた。 「ああ、私もスタークさんでいいよ。一応トリプルAでは、立場上君の下になるのだからね」  人生の先輩にして元連邦宇宙軍元帥様を、軽々しくさんづけで呼ぶことなどできるはずがない。「勘弁してください」と泣きを入れたノブハルに、「好きに呼んでくれればいい」とスタークは笑った。 「しかし君は、随分とトラスティ氏とはタイプが違うのだね」 「あ、あの人と一緒にしてほしくは無いのですがぁ」  どうしようもない緊張状態は、相手をスタークに変えても変わらないようだ。また声を裏返してしまったノブハルなのだが、周りは笑えないと同情をしていた。シルバニアから派遣されたリューズにしても、流石にスターク・ウェンディは別格だったのだ。そしてグリューエルは、アリッサほどではないにしろ、比べられたくない相手だった。  そして超銀河連邦のビッグネームを前にしては、一地方星系の名家などありがたみがあるはずがない。本来ノブハルをサポートするはずのナギサにしても、結局借りて来た猫状態になっていた。  流石にこの状態では、楽しく歓談と言う訳にはいかないだろう。そのあたりを察したスタークは、「さて」と表情を引き締め明日からのことを持ち出した。 「明日にも私とノブハル君は、インペレーターでリゲル帝国に向かう予定だ。そして明後日には、リゲル帝国宙域で、リゲル帝国、エスデニア、パガニアの軍と合流する。そこからエスデニアの協力により、一気にゼス宙域へジャンプをすることになる。未だノラナ・ロクシタンの居場所は掴めていないが、アルテッツァがゼス上の通信を監視を継続している。何らかの動きを見せれば、すぐにでも居場所を捕捉できるだろう」  少しだけワインで喉を潤し、スタークは若者達を見た。 「宇宙にいる限り、身に危険が及ぶ恐れはない。だから着いてきたいと言うのであれば、考慮することは可能だ。だがゼスに降りるのは、身を守る術を持つ者以外は許可はできない。具体的に言うのなら、デバイスを持つノブハル君、そして機人装備を持つ二人と言うことになる。ただ駐留期間が1ヶ月を超えることが予想されるため、同行を希望するのなら最大限に叶えようと思っている。ナギサ君だったね、何かあるのかな?」  そこで小さく手を挙げたナギサは、「勉強に行きたいのですが」と同行を希望した。 「これでも、ズミクロン星系宇宙軍司令官代理などと言う役職を持っています。ただズミクロン星系自体、宇宙軍運営の経験がありません。ですから、勉強させていただければと思っています」  どうでしょうかと緊張したナギサに、「歓迎するよ」とスタークは相好を崩した。 「まあ、連邦宇宙軍といっても、いわば官僚組織のようなものだがね。それでも地上にいるよりは、学ぶことがあるだろう」  ナギサを歓迎したスタークは、「お嬢さん達はどうするのかね」とエリーゼとトウカに尋ねた。 「私は、家でノブハル様をお待ちしようと思います」  キッパリと答えたエリーゼに、「それがいい」とスタークは嬉しそうに頷いた。 「私も、そうしようかと思っています」  同じことを問われたと感じたリンは、「私も家」と答えた。 「それに、そうそう芸能活動を休めないし」 「そうか、君はトップアイドルだったね。いやいや、これはサインを貰わないといけないな。息子の奴に、いいだろうと自慢をしてやらないと」  うんうんと目を細めたスタークは、「大丈夫だよ」とズイコーに残る少女達の顔を見た。 「ノブハル君は、ちゃんと無事に帰ってこられるよ。もちろん、ナギサ君も危ない目に遭わないことを保証する。文明レベル6のゼスでは、アルテッツァの監視を逃れる術はないんだよ。しかも彼らは、アルテッツァの介入に気づいていないからね。ラグレロ・ネレイド、ノラナ・ロクシタンを押さえれば、内戦は終結したも同然となるんだ。しかもカイト君、トラスティ君も付いているのだよ。超銀河連邦最強の男と、最強のペテン師が揃ったんだ。これ以上力強いことはないと保証するよ」  そう言ってから、「私はこれで」とスタークは立ち上がった。 「最高顧問として、準備を怠るわけにはいかないんだ。だから宙に上がって、インペレーターの出港準備を進めるよ。君達は、ゆっくりと話をしているといい」 「お忙しい中お付き合いいただいてありがとうございます」  慌てて立ち上がったノブハルとナギサは、スタークに向かって深々と頭を下げた。それに遅れて立ち上がった少女達も、同じようにスタークに頭を下げた。 「まあ、あまり堅苦しく考えなくていい。今日は君達とご一緒できて、結構楽しめたと思っているからね」  そう言うことだと、スタークはゆっくりとレストランを出て行った。その洗練された身のこなしは、さすがは御三家筆頭と感心させられるものだった。 「格好いいよね」  まるでアイドルを見るような目をしたナギサに、同感だとノブハルも答えた。そしてその思いは、少女達も同じようだった。少し熱を帯びた眼差しを、スタークが出て行った方へと向けていたのである。 「御三家でしたか。みなさん、それぞれとても素敵な方ですね」  エリーゼの口にした感想に、我が意を得たりとリンが身を乗り出した。 「なにか、貫禄があると言うのか、歴史の重みを感じさせてくれるとか……普通の人とは違う、なんだろう、オーラみたいなものを感じるのよ」 「おじさんって感じがしないのよね」  トウカの言葉に、「そうそう」とリュースとセントリアも同調した。 「グリューエル様……さんはどう思います?」 「流石に、御三家の方々は別格だと思っています」  いいですよねと頬を赤くしたところを見ると、本気でそう思っているようだ。  スタークと言う共通の話題を得たことで、お客様だったグリューエルとも話のできる環境ができたことになる。料理の提供が終わっても、しばらくの間8人はワイワイと楽しく時間を過ごしたのだった。  ノブハルは一度エルマーに返したのだが、トラスティとカイトはそのままゼスに残っていた。未だ両者の動きが完全に把握できていないことも有り、不測の事態に備えると言うのが目的の一つである。そしてもう一つの目的は、いきなりリーダーに祭り上げられたガリクソンへのサポートとなる。 「手を付けなければいけないのは、君達の組織をどんな名前にするのかだね。分かりやすいのと、イメージが掴みやすいことを第一に考えないといけないんだ。そしてそれが決まったら、君達の考えを広めることを考えないといけない。ある意味革命を起こそうとしているのだから、民衆の支持は必須となるんだよ。解放同盟の支持者を乗っ取るつもりなら、亡き指導者クラランスの名前を冠するのも一つの手だよ。そうすることで、君達の目的がひと目で分かることになるんだ」  その説明に、ガリクソンとリスリムは、なるほどと大きく頷いた。仲間内での検討では、「ピース」とか「リベレーション」とかのワンフレーズを考えていたのである。平和とか解放とかを考えてのネーミングだが、しっくり来なかったという問題があった。そしてしっくりと来なかった以上に、トラスティの指摘でメッセージ性が足りないことにも気付かされたのだ。沢山のメッセージを込めるには、今はなき指導者の名前を冠するのも方法として悪くはないはずだ。 「ただし、クラランス・デューデリシアの評判にも関係してくるからね。民衆から肯定的に見られていなければ、むしろ逆効果にもなりかねないんだ」 例えばと、トラスティは意地の悪い見方を二人に示した。 「彼女が蜂起しなければ、ゼスは平和だったとかね。特定の個人を利用する場合、誰からも認められる人格者じゃなければいけないんだ」  トラスティの説明に、二人はもう一度大きく頷いた。そしてガリクソンは、「クラランス・デューデリシアは」と彼の持つクラランス像を口にした。 「俺達には、よく分からないと言うのが現実だと思う。解放同盟の指導者で、内戦激化前に死んでいると言う程度の知識しかないんだ」  それに小さく頷いたリスリムは、「情報統制のせいよ」と説明した。 「政府側が謀殺したなんて発表が出来るはずがないでしょ。だからクラランス・デューデリシアは、内戦を主導した犯罪者ってことにされているわ。そしてそのクラランスを仕留めたことが、政府側の最初の成果として宣伝されているのよ」  リスリムの方が事情に詳しいのは、意識と言うより父親の影響によるものだった。 「と言うことで、名前を一つ付けることでも、結構難しかったりするんだよ。そして名前が決まれば、旗印を作らなくちゃいけない。シンボルマークとかシンボルカラーとか言ったものが、君達であることをよりイメージしやすくしてくれるんだよ。イメージしやすい名前、そしてシンボルマーク。革命を成功させるのには、こう言ったことも必要になる。具体的戦闘は任せてくれればいいが、そう言った宣伝文句は外からでは分かりにくいんだ。だからゼスの住人である君達が、自分の気持ちを理解して考える必要がある」 「俺達の気持ちを表す……のか」  うんと唸ったガリクソンは、「守りたいんだ」とイライザを思い浮かべて口にした。 「大好きな人を、仲間を、みんなを……そして俺達の故郷を守りたいと思ってる。だからボランティアに応募して、ラッカレロまで来たんだ」  その言葉を口にしたガリクソンを、「いいな」とリスリムは内心感心をしていた。初めは頼りなく思えたのだが、みるみるうちに男の顔をするようになってきたのだ。 「だったら、セーブ・ゼスでもいいと思わない?」  そうすれば、すべてのものを守ることが出来る。そこには、敵も味方もすべて含まれているのだと。  そのリスリムの提案に、それもいいなとガリクソンは考えた。ゼスを守るだと少し対象が広すぎる気もするが、これが風呂敷なら広げた方が目立つのは間違いないだろう。 「じゃあ、セーブ・ゼスをみんなに提案してみるか。そこで、シンボルマークやカラーを相談しよう」  それでいいかと問われ、リスリムは少し嬉しそうに頷いた。  それを暖かく見守ったトラスティは、「過保護な革命」だと今の動きを考えていた。手取り足取り必要なことを教え、そして政権を転覆するための軍事力まで用意してあげるのだ。ここまで追いつめられた状況でもなければ、絶対に有り得ない手厚さでも有る。 「さて、名前とシンボルマークが決まれば後は実行に移すだけだ。どこかで一度派手なデモンストレーションをしてから、君達が表舞台に出ればいい。戦いが最悪であるほど、人々に恐怖が刷り込まれるほど、それを救う君達の存在は際立つことになるんだ」 「そんな都合のよい所があるんですか?」  それができれば最高なのだが、そんな条件が簡単に満たせるとは思えない。そんなガリクソンの疑問に、「政府側の作戦なんだが」とラグレロ総統が採用した絶滅作戦をトラスティは持ち出した。 「ラグレロ総統は、ノラナ・ロクシタンを確実に抹殺するため、大量破壊兵器を用いた絶滅作戦を行うと言う情報がある。敵の拠点都市を、新型の拡散重粒子爆弾を用いて、地中深くまで破壊し尽くすと言う攻撃を行うんだよ。それをされると、攻撃された場所は数年は再利用が不可能となるんだ。それを続けていくことで、ノラナ・ロクシタンを燻り出そうと言うのが作戦の趣旨だ」 「この上、まだ人を殺そうとするのかっ!」  大声を挙げたのは、なにもガリクソンだけではなかった。皮肉屋のはずのリスリムも、「ありえないでしょう」とその作戦を否定した。 「だが、その命令は既に発令されているんだよ。あと10日もしないうちに、アリスハバラに拡散重粒子爆弾が投下される。その作戦が遂行されれば、半径100kmのエリアが焦土と化し、2千万人以上の命が失われることになる」  具体的な日程と地区が示されたことで、政府側の攻撃がより現実的なものに感じられる。ただ現実として受け入れるには、その被害はあまりにも凄惨なものだった。言葉を失ったガリクソンとリスリムを見て、「効果だけを考えるのなら」とトラスティは作戦を説明した。 「政府軍に、この攻撃を成功させる。それをすることで、少なくとも解放軍の勢力圏にある都市の人達には、恐怖を植え付けることが出来るんだ。そしてその上で、次の攻撃目標アンベルクの攻撃を僕達が阻止する。解放同盟では出来ないことをするわけだから、デモンストレーションとしてはもってこいと言うことになるね」  どうだろうと問われ、ガリクソンはすぐに答えを口にすることはできなかった。感情から行けば、アリスハバラの攻撃も成功させてはいけないのだ。だがその後のやりやすさを考えれば、トラスティの言う通りにした方が計画が捗ることになる。恐怖は一度示されてこそ、人々は恐怖からの救いを求めるのだ。 「たぶん、あなたが言っている通りなのだとは思う。その方が、俺達の存在をより印象づけられるのは確かだろう……」  苦しげに吐き出したガリクソンは、「ただ」と自分の胸を抑えた。 「俺の心が、認めちゃ駄目だって煩いんだ。自分達の手間を省くために、他人の命を犠牲にしていいのか。甘っちょろい考えと言われるかもしれないが、それを認めたら俺達も今の政府や解放同盟と同じになってしまう気がするんだ」 「でも、一番効果的なのは確かよ。そこから先の展望を考えたら、その方が犠牲者を減らすことが出来るかもしれないでしょ」  トラスティの言葉を認めたリスリムに、「それじゃ駄目なんだ」とガリクソンは繰り返した。 「それは、人の命を政治的に利用すると言うことだろう。それをしたら、次は自分が利用されるかもしれないと考えるんじゃないのか? 人の心に猜疑心を振りまいた時点で、俺達の意思は誰にも理解されなくなってはしまわないか? 安易な道を選んだら、必ずつけを払わされることになると思う」  そう思わないかと問われ、リスリムはしばらく考えてから頷いた。 「アリスハバラの人達を助けることは出来ないだろうか」 「君達が、安易な道に逃げ込もうとしなかったことに安心したよ。だから僕も、「効果だけ」と断ったんだよ」  よく出来ましたと微笑んだトラスティは、「アリスハバラを救うよ」と二人の気持ちに応える作戦を提示した。 「そこで、圧倒的な力を示すことをデモンストレーションとするんだ。だからカイト兄さんに、派手に重粒子爆弾を破壊してもらう。多少は政府軍側に巻き添えが出るかもしれないけど、軍人と言うことで諦めてもらうしか無いね」 「アリスハバラを救うんですね」  ほっと息を吐き出したガリクソンに、「救うんだ」とトラスティは繰り返した。 「その気になれば、攻撃自体をさせないことも可能なんだけどね。さすがにそこまでやると、デモンストレーションにはならないだろう。だから、政府軍に攻撃はさせるけど、最後の所で干渉して重粒子爆弾の攻撃を阻止するんだよ。うまくやれば、アリスハバラに投入された政府軍兵士も味方に引き込むことが出来る」  トラスティの説明の意味を考えた二人は、「ああ」と顔を見合わせ大きく頷いた。何も起きなければ、結局誰にも自分達の存在を知られることはない。だが絶望的な状況ですくい上げることで、より自分達の存在が強調されることになるのだ。現場に投入された政府軍兵士にしても、中央に見捨てられたと考えれば、新しい希望にすがりたくなるはずなのだ。 「そう言うことなので、君達のデビューはアリスハバラと言うことになるね。覚悟と言うか心の準備は出来ているのかな?」 「そのあたりは……」  言葉を途切らせ、目を閉じては開き。それから大きく息をして、「出来ていない」とガリクソンは答えた。 「ただ、絶対に間に合わせてみせるっ!」  トラスティを見る揺るぎのない瞳に、リスリムは頼もしいと言う感情を抱いていた。最初は頼りなかった男が、この数日で見違えるほど頼りになるようになったのだ。これならばイライザが惚れてもおかしくはない。リスリムには彼女の心変わりの理由が分かった気がした。  二人から離れたリスリムは、そっと胸に手を当て持ち上げてみた。そしてそこで突きつけられた現実に、心からのため息を吐いたのだった。  アリスハバラは、政府軍に蹂躙されたラシュトから西に5千キロ離れたところに位置していた。もともとの人口はおよそ1千5百万を数える大都市である。そして周辺地域まで含めると、その人口はおよそ3千万まで膨れ上がる。重要な施設がないこともあり、戦火に包まれたゼスでは比較的落ち着いた所となっていた。  また歴史的建造物や史跡が多く点在しているため、直接の戦闘が避けられたと言う事情もある。解放同盟の反転攻勢の勢いが凄まじく、アリスハバラを戦闘が素通りしたと言う幸運にも恵まれていた。前線から遠いこともあり、市内を歩いていてもあまり兵士を見かけないと言うのもアリスハバラの特徴にもなっていた。 「まだ、ここは無事だったんだな」  先乗りしてアリスハバラに入ったカイトは、賑やかな街の様子に目を細めるように辺りを見渡した。石や木を組みあわせて作られた建物は、時を経た重厚さを醸し出していた。そこには、5年前に停戦監視で来た時と変わらぬ景色があったのだ。 「流石に、ここに回すほどの戦力を持っていないか」  ゆっくりと市内を見て回っても、見かけるのはほとんどラプターも持たない兵士ばかりだった。どうやら戦力不足の解放同盟は、守らないことで都市の破壊を避けると言う方策を採用したのだろう。それを考えると、ほとんど生身の兵士は治安を維持するために配置されたと考えることができる。 「トラスティの情報では、ここがターゲットと言うことか」  それを呟いたところで、小声で「ザリア」とカイトは己のサーバントを呼び出した。その呼び出しに応えるように、通りの陰から深い帽子をかぶった女性が現れた。体の線を隠す格好は、周りに合わせたと言う事もできるだろう。 「主よ、どうかしたのか?」 「なに、たまにはお前と歩いて見るのもいいかと思ったんだ」  何気ない一言なのだが、思いの外ザリアには好評だったようだ。「そうなのか」と喜び、カイトの腕を抱えるようにしてくっついてきた。 「後はそうだな、一人で歩いている奴が少ないからと言うのも理由だな」  少し照れたカイトに、それでも構わないとザリアは喜んだ。その反応は、間違ってもデバイスがするものではなかったのだ。そしてカイトも、ザリアにラズライティシアの意識が移ってきているのを知らされていた。遺伝子的に言うなら、ザリアは自分の母親同然の存在と言うことになる。  これがトラスティならば、「母さん」とザリアをからかう所だろう。だが以外に真面目なカイトは、ザリアを普通の女性として扱った。それもまた、ザリアの機嫌を良くすることになった。 「そう言えば、最近トラスティからエネルギーを吸わなくなったな」  トラスティのことを思い出したせいか、カイトは最近の変化を持ち出した。パガニアの問題が落ち着くまでは、ザリアは何かにつけてトラスティからエネルギーを吸っていたのだ。 「うむ、また暴走する訳にはいかないからな。と言うか、わしでもオンファスとは争うのは無謀だと分かっておるのだ」 「トラスティのデバイスのことか?」  カイトの問いに、うむとザリアは頷いた。 「まあ、今更エネルギーを吸うまでもないと言うのも理由だな。今は、十分にネルギーが足りておるぞ」 「そのエネルギーのことだが」  トラスティの言葉を思い出し、カイトはザリアのエネルギー源の事を持ち出した。 「あいつが言うには、お前のエネルギー源はミラクルブラッドだったか。IotUが妻に与えた指輪だと言うことだ」 「ミラクルブラッドとな?」  はてと首を傾げたザリアに、「ライスフィールが嵌めている指輪と同じものだそうだ」とカイトは答えた。 「IotUが、12人の妻だけに与えた指輪らしい。多分オンファス様が粛清の際に集めたのだろうが、その多くがパガニアに保管されているそうだ」 「なるほど、あの指輪にそのような無粋な名が付いておったのか」  うんうんと頷いたザリアは、少し目を閉じてから「おお」と声を上げた。 「主のお陰で、どうやらミラクルブラッドとやらが活動を始めたようだ」  そう口にして、いやいやとザリアは首を振った。 「正しく活動を始めたと言うのが正解であろう。なるほど、これが我が夫のくれた力と言うことか」  小さく「あっ」と声を上げたザリアは、自分をかばうように少し身をかがめた。そのデバイスにあり得ない行動に、「大丈夫か」とカイトは警戒をした。 「大丈夫と言えば大丈夫なのだが……少し、我にも刺激が強すぎたようだ」  そう答えるザリアの顔は、明らかに上気したものになっていたのだ。しかも強烈な色香を発してくれるものだから、カイトも思わずつばを飲み込んでしまった。その事情は同じだったのか、「残念だな」とザリアは少し苦しそうにつぶやいた。 「主でなければ、このまま何処かに連れこんでいたであろうな。さすがに、息子同様の存在とまぐわうわけにも行くまい」  「んっ」ともう一度喘いだのを見たカイトは、何かの見間違えかと自分の目を疑った。 「主よ、どうかしたのか?」 「いや、またお前が縮んだような気がしたんだ」  目を擦って見直してみたら、隣りにいたのはいつものザリアである。ただちょっとだけ、普段より色っぽくは見えていた。そして先程までのは何かと言いたくなるほど、おかしなところは見つけられなかった。  それでも気になったのは、縮んだ姿が以前とは違ったことだ。以前はただの幼女だったのだが、見間違えた姿は幼くはあったが、それを吹き飛ばすほどの威厳と美しさを持っていたのだ。だからこそ、信じられなかったとも言うことが出来た。 「間違いなく、目の錯覚であろう。さもなければ、機能をリセットした影響かもしれぬな。どうやら、エネルギー周りのイニシャライズが必要だったようだ」 「それで、もう大丈夫なのか?」  それまでの変化を見せられた以上、カイトが気にするのも無理のないことだった。 「うむ、快調としか言い様がないぞ。今ならば、オンファスとも渡り合えるような気がするぐらいだ」 「再起動が面倒だから、止めておいてくれ」  本気で嫌そうにしたカイトに、「それぐらいは承知しておる」とザリアは胸を張った。 「それぐらい、快調だと言う意味だ」 「だったら、いいのだがな」  そんなことよりと、カイトは政府側が使用する拡散重粒子爆弾のことを尋ねた。 「俺達の役割が重要なのだが、被害が出ないように吹き飛ばすことは出来るのだろうな?」 「たかが、半径100kmぐらいしか破壊できない兵器をか?」  びっくりしたような目をしたのは、その質問が予想外だからと言うことなのだろう。 「星を破壊することに比べれば、さほど大したことではないように思えるのだがな。まあ、エネルギー密度の問題があるので、星全体を吹き飛ばすのとは勝手が違うことは認めてやろう。心配などいらぬと胸を張りたいところなのだが、どこまでやっていいのか加減が分からぬと言う問題はある。エネルギーを収束して打ち出してやれば、跡形も残さず蒸発させるのは難しくない。ただ、そのエネルギーがどこまで届くことになるのか……射線上に位置していたら、インペレーターでも無事では済むまい」  非常識過ぎる答えに、「あー」とカイトは天を見上げた。折からの好天に、空には雲ひとつかかっていなかった。それを見る限り、平和な景色と言う事ができるだろう。  そんなカイトに、「パガニアからだ」と新たな情報の入ったことをザリアは伝えた。 「政府軍側基地、ワイハナでは長距離巡航弾の発射準備が始まったとのことだ。どうやら、かなり強力な装甲を持った巡航弾のようだな。ヴァルチャーの兵装では、破壊できないかもしれないぞ」 「つまり、護衛をケチった……味方の損害を抑えようと言うのだな」  半径100kmのエリアを焦土に変える威力があるのだから、味方が巻き込まれては元も子もない。途中で迎撃されないように普通は護衛を付けるのだが、爆発直前では逃げ切れないことが予想できるのだ。だから、簡単には破壊できない強度を爆弾に持たせたのだろう。  それを味方のためと考えたカイトに、「いや」とザリアはそれを否定した。 「護衛部隊の出撃準備も進んでおるようだぞ」 「味方を犠牲にすると言うのか。解放同盟と違って、ラプターには人が乗っているのだぞ」  有りえんだろうと答えるカイトに、そうだなとザリアもその指摘を認めた。 「ラプターの操縦士には、重粒子爆弾の威力は伝えられていないのだろう。そして使用を決定したものは、算数をしてそちらの方が得策と判断したことになる。主は、事実を事実として受け止めねばならぬのだろう」 「結構きついな……」  そう嘆いたカイトは、ぐるりとあたりを見回してから「帰るか」と声を出した。 「うむ、明日に備えて英気を養っておく必要があるな」  うんうんと頷いたザリアは、カイトに対してちょっかいを掛けた。 「と言うことなので、主にいい情報を提供しよう」  そう言ったザリアは、今時珍しい紙のチラシを差し出した。そこには、肌の色も年齢も違う女性が、とてもいかがわしい格好でディスプレイされていた。 「かのIotUも、大仕事の前には我らとしっぽりいっていたのだ。主もそれに倣って、おなごとしっぽりと行くのが良いのではないか?」  にやにやと笑ったザリアに、カイトはため息を吐いて効果的な文句を口にした。 「母親が、息子に風俗遊びを勧めては駄目だろう」 「なるほど、そう返してきたか。それでは、我が代わりを務めるわけにもいかないな」  残念と笑ったザリアは、「酒でも飲んでおけ」と代案を提示した。 「主ならば、多少の飲酒で問題が出ることはないであろう。それに残っておるようなら、我が問題のないように処理をしておいてやる」 「その方が、ましなようだな……」  明日のことを考えると、どうしても神経が高ぶってしまうのだ。それを考えると、女を抱くと言うのは間違った提案ではなかったのだ。それを否定してしまうと、本当に酒を飲むぐらいしか高まった神経を鎮める方法はない。  失敗したかなと考えたカイトだったが、連れてくる相手を思い出して意味のないことだとすぐに考え直した。エヴァンジェリンやリースリットでは、高ぶった神経を鎮めるのには力不足だったのだ。  カイトと同じ頃、トラスティは「セーブ・ゼス」のメンバーを連れてアリスハバラ入りをしていた。そこにノブハルがいないのは、明日の準備を宇宙空間でしているのが理由である。今の所の手はずは、カイトが拡散重粒子爆弾を始末した所で、セーブ・ゼスがデビューの運びとなっていた。 「いよいよ、明日は君達の出番と言うことになる」  緊張する10名を前にして、「覚悟はいいかな」とトラスティは声を掛けた。 「か、覚悟なら、と、とっくに出来ているっ!」  どもりながら答えたガリクソンに、「責任重大だよ」とトラスティは個人的に声を掛けた。 「拡散重粒子爆弾を処理するのは、あくまで掴みでしか無いからね。どうしようもないと住民達が絶望した所に、君達がさっそうと現れて新しい道を示すんだ。そこでどれだけインパクトを与えられるかが、勝負の分かれ目になるからね。ここで住民の心をつかんでしまえば、君達「セーブ・ゼス」は広く認知されることになる。そして続いてアンベルクの街を救うことで、君達の存在は確固たるものとなるんだ。それを終わらせた所で、君達「セーブ・ゼス」は、政府軍、解放同盟軍に対して大攻勢を掛ける。ラグレロ総統とノラナ代表を表に引きずり出してやるんだよ」 「それが、内戦終結の決め手になる」  ゴクリとつばを飲み込んだガリクソンに、「その通り」とトラスティは首肯し認めた。 「双方の武装解除までは、実はさほど難しくないんだ。それぐらい、君の契約した相手は強力と言うことだよ。そして一番難しいのは、武装解除をした後のことだ。「セーブ・ゼス」を頭に統治機構を作るにしても、君達には全く経験が無いからね。軌道に載せるまでには、少なくとも1年以上は掛かると思うよ。そしてこれは、可能な限り早くやらないといけないんだ。そうしないと、またぞろゼスの内部で不満分子が首をもたげることになるだろう」  戦争を終わらせることより、終わったあとの方が難しい。それを突きつけたトラスティに、全員が神妙な顔をして頷いた。ただ全員を脅したトラスティも、このままで終わらせる訳にはいかなかった。ゼスに兵力を派遣すると言う投資をした以上、それを確実に回収する必要があったのだ。 「もっとも、君達だけで難しいのは理解しているよ。だから僕からの助言は、可能な限り早く超銀河連邦を巻き込むべきと言うことだよ。停戦監視でも、体制構築支援でもなんでもいい、口実を作って連邦を巻き込んでしまうんだ。場合によっては、統治権を一時連邦に預けてやってもいい」 「そこまでやっていいものなのですか……」  後のことの説明をされると、格が違うとしか思えなくなる。どうしてゼスに来たのかは未だ疑問を抱いているのだが、ゼスに平和がもたらされるのであれば、それも小さなことに思えてしまった。 「まだ、気が早いことは認めますが」  トラスティの顔を見たガリクソンは、「ありがとうございます」と頭を下げた。 「おいおい、僕達はあくまで企業活動としてやっているだけだ。君達からも、当然対価を受け取るつもりなんだけどね」  だから礼には及ばない。そんなトラスティに、「俺達の気持ちです」とガリクソンは答えた。 「あなた達には、ゼスに対してそこまでする義理はないはずだ。だから、お礼がお金の形になるのは当然だと思っている。ただこれからのゼスの未来を考えた時、示してもらった金額程度では釣り合わないだろうと思ったんだ。だから足りない分……と言うと言い方は悪いが、こうやって頭を下げて俺達の気持ちを示させて貰った」  もう一度ガリクソンが頭を下げるのに合わせて、他の9人もトラスティに頭を下げた。 「お陰で、諦めていた未来を夢見ることが出来るようになりました」  それを恥ずかしげ無く言えるイライザに、「若いっていいなぁ」とトラスティは羨ましいものを感じていた。ただイライザとトラスティは、年齢的には3つも離れていなかったのだが。 「それ以上は、無事終わってからにしてくれないかな。それに、僕だけがお礼を言われたら、間違いなく不公平になるからね」  全ては明日始まることになる。そう説明したトラスティは、「ゆっくり休むといい」と全員を解放したのだった。  そして運命の1日は、ゼス政府総統ラグレロの最後通牒によって始まった。遠隔イメージ伝送システムを利用したラグレロは、アリスハバラの市民に対して、解放同盟を受け入れた罪を償う時だと宣言したのである。 「長くは説明するつもりはない。政府は、解放同盟討伐のため、新型兵器拡散重粒子爆弾の使用を決定した。間も無くワイハナ基地から放たれる大陸間ミサイルは、2時間後にアリスハバラ中央、自由の塔の上で爆発する。今回使用する拡散重粒子弾頭は、ラシュトで使用されたものの改良型に当たる。爆心地からおよそ100kmの範囲で、地上にあるもの全てを破壊する威力を持っているものだ。我々政府は、この攻撃を解放同盟壊滅まで続けることを決定した。今回の攻撃では攻撃地点を予告したが、次からは予告なしに大陸間ミサイルを発射する。2時間もあれば、100km圏内から脱出するのは難しくはないだろう。だが、アリスハバラ周辺には、ラプター部隊を配してある。それを乗り越えられると考えるのなら、試して見ることだ。以上だ諸君、最後の情けとして、苦しむことのない最後だけは約束しよう」  そこまで宣言したところでラグレロの姿は消え、その代わりワイハナ基地から発射される大陸間ミサイルの映像が映し出された。ただその姿は、ミサイルと言うにはずんぐりとした、黒い金属の塊のような姿をしていた。それがゆっくりと地上から離れ、轟音を響かせながらアリスハバラに向けての飛翔を始めた。  ワイハナからアリスハバラまで、およそ1万キロの距離がある。わずか2時間しかないとは言え、途中には解放同盟が戦力を展開している地域も存在していた。それを考えれば、大陸間ミサイルは迎撃されてもおかしくないはずだ。  その気持ちがあったのか、アリスハバラの市民の反応は綺麗に二つに別れていた。半ばパニックを起こして逃げ出そうとするものと、途中で迎撃できると逃げ出すものを笑うものとである。 「幾ら何でも、あれでは落としてくださいって言っているようなものではありませんか?」  いよいよ本番だと、全員シンボルカラーの青い服を着て集まっていた。そこで政府が送って来た映像を見て、テッセンが疑問を呈した。 「その辺り、ソー君の見解はどうかな?」  トラスティに話を振られたソーは、どうなのかと腕を組んで考えた。 「基本的に、ラプターが使用するのはハイペリオン砲と言うエネルギー兵器だ。その威力は、ラプターやヴァルチャーの防御を貫通する威力がある。エネルギーを貯めて使えば、この建物の外壁程度であれば簡単に貫通する事ができる。ただ、その程度のことは政府軍なら知っているはずだ。だとしたら、あの大陸間ミサイルには、防御機能が備わっていると考えるべきだろう。音速の5倍を超えるスピードに、ヴァルチャーの兵装を考慮した防御機能だと考えると、迎撃はかなり難しいと言うのが答えになる」  どうだと見られたトラスティは、答える代わりに全員の前にデーターを示した。 「これが、今回使用される大陸間ミサイルの性能と言うことになる。ラグレロ総統は2時間と言ったけど、本来の性能は1時間でここまで到達することになっている。そして防御機能の方だけど、ハイペリオン砲の中和装甲と多重破裂型耐衝撃装甲を持っているよ。キャプテン・カイトの見立てでは、解放同盟の戦力では、破壊は不可能ではないが時間がかかると言うことだ」  それからと、トラスティは大陸間ミサイルに行われたプログラムについて説明をした。 「ワイハナからここまで、高度およそ50キロのところを飛行してくる。そして直前におよそ100キロまで上昇し、そこからほぼ垂直に自由の塔だったかな、そこめがけて落ちてくるよ。最終的には、高度10キロのところで爆発することなっている。本来の攻撃にそんな軌道は必要ないのだけど、恐怖を振りまくための演出だと思ってくれればいい」 「つまり、残り時間は55分と言うことですか」  発射の様子を中継で見せられてから、すでに5分が経過しようとしていた。トラスティの言葉が確かなら、残り時間は55分と言うことになるはずだ。そんなテッセンの問いに、トラスティはゆっくりと首を横に振った。 「あの映像は録画だよ。大陸間ミサイルは、あと10分のところまで到達しているんだ。つまりラグレロ総統は、アリスハバラの住人を逃がすつもりなどないってことだよ。解放同盟の迎撃網には引っかかってはいるけど、ソー君の言う通り迎撃をものとのせずにこちらに飛行中だ」 「本当に、大丈夫なのだろうな」  大丈夫だと信じてはいても、平気でいられるかどうかは別の問題だった。残り時間がないと言う現実を突きつけられ、全員が顔色を悪くしてトラスティを見た。 「僕とノブハル君の近くにいる限りは、絶対に大丈夫と保証はしてあげられるよ」  それが、彼らの求める答えでないのは理解していた。だがそれを説明する前に、残り7分と運命の時が近づいたのをトラスティは告げた。 「正確には、6分と10秒を切ったね。さて、アリスハバラの市民も異変に気付く頃だろう」  ワイハナとの位置関係は分かっているので、どちらから大陸間ミサイルが侵入してくるのかは市民にも理解できるはずだ。そしてトラスティが告げた通り、建物の外が騒がしくなり始めた。聞こえてくる声からすると、爆発の雲が次第に近づいてくるらしい。ミサイルの移動が音速より早いので、爆発音は聞こえてはこなかった。 「さて、いよいよキャプテン・カイトがその破壊力を披露してくれるよ」  だから外に出て、その時をゆっくりと見物しよう。危機感の全く感じられない声で、トラスティは全員に外に出るように促したのである。  親切にも目標地点を教えてくれたので、カイトはアリスハバラ中心にある自由の塔へと移動していた。目標となる自由の塔は、およそ3000ヤー前に建造された現存する建物としては最古とされるものである。この塔を中心に放射状に伸びた市街地が、1千5百万の人口を抱えるアリスハバラと言う都市だった。 「ザリア、時間はあとどれぐらいだ?」  まだ肉眼では捕捉できていないが、非生物の発する異様な空気だけは伝わって来た。多くの命を飲み込もうとする、邪悪さと言えばいいのだろうか。背筋を凍らせるような悪意が、北西の空から感じられた。 「10分を切ったところだな。そろそろ、大陸間ミサイルは上昇を始める頃だ」 「それで、分析は?」  事前情報に比べて、解放同盟軍のラプターとヴァルチャーが攻撃を仕掛けていたのだ。使用されるミサイルの強度情報が更新されてしかるべきだった。 「強度情報に関して言えば、当初の見込みと誤差程度の違いしかないな。ただ主には悪い情報なのだが、新たな大陸間ミサイルの発射を確認した。目標攻撃地点は、予想通りアンベルクとなっておる。爆発予想時刻は、アリスハバラの10分後だ。残念ながら、こちらの爆心地は分かっておらぬ」  「なに」と少し驚いたカイトは、「この情報は?」とトラスティに伝わっているのかを確認した。 「うむ、伝わっておるぞ。ちなみに今は、これをどう利用するのか考慮中だ。もっとも、残り時間は20分もないのだがな」  そう答えたザリアは、「主よ」とカイトに声をかけた。大陸間ミサイルに攻撃を加えるラプターとバルチャーが、肉眼でもはっきり捉えられるようになっていた。 「ああ、バニシング・バスターを最大出力でぶっ放すぞ」 「そこまでする必要はないとは思うが……まあ、安全を考えたら確実に消滅させるべきだな」  カイトの隣に立っていたザリアは、「行くぞ」と言って口づけをし融合を果たした。今までとは違う空気に顔をしかめたカイトだったが、今はこだわる時じゃないと自由の塔の上空500mの場所に移動した。 「ザリア、残り時間は?」 「あと2分だ。迎撃をしていた部隊は、諦めて撤退を開始しておる。ただ、これからの撤退では時間的に間に合わぬのだろうな」  破壊が叶わない以上、深追いは自殺行為に違いない。ただザリアに言わせれば、その判断は少しだけ遅すぎたようだ。瞬間移動でもできない限り、もれなく拡散重粒子爆弾の爆発に巻き込まれることになるのだろう。 「そろそろか……」  上空を見上げたカイトが右手を上げたところで、その50cmほど先に半径1mぐらいの光の輪が現れた。 「射線修正1度。エネルギー状況問題なし」  ザリアの報告がカイトの頭の中に響き、バニシング・バスター発射までの秒読みが始められた。そのカウントダウンに同期するように、何もないはずの光の輪の中心部が青白い光を放ち始めた。 「バニシング・バスター最終シーケンス完了。エネルギー収束半径20mに設定」  その報告と同時に、自由の塔上空500mがまるで太陽が現れたかのように明るく輝いた。自分達の死を見つめていた市民達は、何が起きたのだと視線を少しだけ下に動かした。 「バニシング・バスター……シュート」  カイトの口から静かに命令が発せられたのと同時に、自由の塔から上空に伸びる光が目撃され、少し遅れてアリスハバラの街を雷鳴に似た音が響き渡った。  天の怒りにも似た出来事は、わずか2秒で終わりを告げた。上空を見上げていたもの達は、そこには何も存在しないと言う現実を目の当たりにした。死を運ぶはずの拡散重粒子爆弾のミサイルは、まるで存在を否定されたかのように青い空から削除されていた。 「ミッション完了。これより、アンベルクに移動する」  カイトの言葉に、「ご苦労さま」と言うトラスティの答えが聞こえて来た。 「流石は、連邦最強の男ですね」 「賛辞はありがたく受け取っておくが……予定よりエネルギーの消耗が激しいな。アンベルクでは、今と同規模の攻撃は間に合わない恐れがある」  少し顔をしかめたカイトに、「だったら」とトラスティは迎撃方法変更の提案をすることにした。 「飛行中の奴を破壊することにしませんか。それだったら、消滅させるよりはエネルギー量が少なくてもすむ」 「それはそうなのだが……」  「ザリア」と命じ、カイトはアンベルクの街へと移動した。アリスハバラより東に2千キロの街は、大陸間ミサイルの接近情報にパニックが起きていた。 「爆心地の推定はできたか?」 「アルテッツァの分析では、中心部の正教広場が爆心地になりそうです」  その位置情報を得たカイトは、すぐに自分の存在場所をアンベルク中央にある正教広場へと移した。 「ザリア、残り時間は?」 「あと5分だ。バニシング・バスターの充填に3分不足となる。迎撃可能性は100%だが、消滅させるにはエネルギーが不足しておるな。重粒子が拡散されると、無視できない被害が発生することになるぞ」  とは言っても、他にできることは存在しない。迷っている時間はないと、カイトは「バニシング・バスター充填」とザリアに命じた。そして先ほどと同様右手を上に差し上げたのだが、起きた現象は先ほどとは違うものだった。光の輪ができるのではなく、周囲から「光」が粒子となってカイトの上に集まって来たのである。 「ザリア、これはなんだっ!」 「すまぬ主よ、我にも説明することができぬのだ。だが説明はできぬが、何をすればいいのかは分かっておる」  そう言っている間にも、カイトの掲げた手の上には周囲から光の粒が集まり続けた。集まった光の粒は、薄紅色をした直径10mほどの球体となった。 「そして主も、何をすればいいのか分かっておるはずだ」  ザリアの言葉と同時に、カイトは唐突に自分が何をしているのか理解してしまった。なぜだと言う疑問はあるが、まずは接近してくるミサイルを破壊する方が先だった。 「消し飛ばせ、スターライト・ブレーカー」  カイトが静かに滅びの命令を発した瞬間、アンベルクの住民は天に伸びる光の柱を見た。それに遅れて、大地が慄いたように震えるのを感じた。それからさらに遅れて、アンベルクの街を雷鳴にも似た音が轟き渡った。そして光が消えた後には、雲一つない青空が広がっていた。  その雷鳴が消えてすぐ、アンベルクの街の上空に一人の男の姿が浮かび上がった。青い服を着た青年、「セーブ・ゼス」のリーダーであるガリクソンである。 「俺たちは、政府と解放同盟の狂気に振り回されるだけの現実(いま)への反抗を決意した。俺たちの目標は、俺たちの星惑星ゼスで繰り広げられている、馬鹿馬鹿しいまでの戦いに終わりをもたらすことだ。ラグレロ総統は、アリスハバラ、アンベルクで新型拡散重粒子弾頭を使用した。これが爆発すれば、半径100kmのエリアが焦土と化していただろう。そのキャリアとなる大陸間ミサイルは、解放同盟の力では阻止できなかった。だから俺たちは、ゼスを守るため立ち上がり、2つの都市を襲った大陸間ミサイルを破壊した」  自分達がしたのだと表明したガリクソンは、「いいか」と大声をあげた。 「政府も解放同盟も、市民の命のことなど考えてくれていない。このまま立ち上がらなければ、俺たちは政府か解放同盟、どちらかに殺されてしまうんだ。だから俺たちはっ」  そこで言葉を切ったガリクソンは、内心冷や汗をかきながら「IotUの導きだ」と大声をあげた。 「アリスハバラ、アンベルクでミサイルを消したのは、神の力と言われたスターライト・ブレイカーだ。この力の前には、すべての攻撃は意味のないものとなる。ラグレロ総統、そして解放同盟指導者ノラナ・ロクシタン。俺たちは、お前達に直ちに戦争を止めることを命じる。それに従えないと言うのなら、力づくでも俺たちはお前達の始めた戦争を止めてやる。それが俺たち、「セーブ・ゼス」の最終目標だ。「セーブ・ゼス」は閉ざされようとしたゼスの未来を取り戻すために活動する。そして俺の声を聞いてるみんな、手伝ってくれとは言わない。文句だったら、終わった後にいくらでも聞いてやる。そして俺たちに文句を言いたいのなら、どんなことをしてでも生き延びてくれ。俺たち10人、「セーブ・ゼス」は思いっきり文句を言われる日が来るのを願っているんだ。ただ贅沢を言わせてもらえば、少しぐらいはお礼の声を聞かせてもらいたい。俺たち「セーブ・ゼス」は、命の心配をしなくても良い日々を取り戻すために戦いを開始する!」  「以上だ」と言うガリクソンの言葉と同時に画面は切り替わり、「セーブ・ゼス」の旗の前に立つ10人の男女の姿が映し出された。ただその画面も10秒程度で終わり、青地に赤で「セーブ・ゼス」と書かれた画面へと切り替わった。そしてその画面も、5分ほどしてからかき消すように消えてしまった。  とても短い第3勢力の宣言だったが、それでもゼス政府には届いていた。そこで問題とされたのは、映された10名の中にサラカブ・アンダリオの娘リスリムが映っていたことだった。そのため緊急で開催された御前会議の場で、サラカブ・アンダリオは「どう言うことだ」との詰問をラグレロ総統から受けることになった。 「どう言うことと言われても、わしにも寝耳に水としか言いようがない。そもそも娘は、ラッカレロでボランティアをしておったのだ。そんな娘達に、防御機構を高めたミサイルを破壊するような力があるはずがなかろう。だから、「どう言うことだ」と問われても、わしにも答えようがないのだ」  ふんと気張ったサラカブを見たラグレロは、ビットリオに「分かったことは?」と情報を求めた。 「過去、セーブ・ゼスなる団体は存在しておりません。またリーダーのガリクソン・ゾーラーですが、過去政治活動を行なっていたと言う情報もありません。分かっているのは、10名の構成員全員がラッカレロでボランティアをしていたことだけです」 「そんな子供が、どうやって拡散重粒子爆弾の弾頭がついたミサイルを消すことができるのだっ!」  答えろと少し声を荒げたラグレロに、ビットリオは冷静に「第三勢力の介入」を持ち出した。 「解放同盟の戦力は分かっております。奴らには、あのような圧倒的な攻撃をすることはできません。したがって、第三の勢力が介入して来たとしかお答えのしようがありません。なお超銀河連邦の介入ですが、それであれば「セーブ・ゼス」など子供だましの団体を名乗らないでしょう」  事実を淡々と告げるビットリオに、「だったら」とラグレロは机を叩いた。 「何者が介入したと言うのだっ!」  ラグレロが声を張り上げたのも、名指しで星を滅ぼすと言われたからである。このまま好きにさせては、自分達の勝利は無くなってしまうのだ。 「正直に申し上げるなら、不明と言うのがお答えになります。なぜ不明かと言うと、連邦軍ハウンドのデバイスでも、あのような真似をすることができないからです。確かに破壊は可能なのでしょうが、内包した重粒子ごと消滅させるには、莫大なエネルギーが必要となるのです。5年前のデバイスに、そのような破壊力は備えられておりませんでした。従って繰り返しますが、不明と言うのがお答えになります。もちろん総統がその答えに気に入らないと仰るのは理解しておるつもりです」  そこでイラついたようにテーブルを人差し指で叩いたラグレロは、「調べろ」と大声で命じた。 「それから、あの10名の家族の身柄を確保しろ」 「妥当なご判断かと思われます」  そこでビットリオがサラカブの顔を見たのは、事情を考えれば当たり前のことになる。これから交渉するにしても、家族を押さえておくことの意味は大きい。 「わしが人質として役に立つとでも思っておるのか」  ふんと鼻を鳴らして椅子にふんぞり返ったサラカブに、「さあ」とビットリオは感情の籠らない声で答えた。 「何事も、例外を作らないための処置と言うことになるだけかと。今更申し上げるまでもなく、手札は多い方が好ましいと思っております」  「もっとも」と相変わらず感情を込めず、「心配はしておりません」とビットリオは告げた。 「サラカブ様が、ここを逃げ出すような真似をするとは考えておりませんので」 「言っていることに間違いはないが、なぜか不快に感じてしまうな」  そう言い返したサラカブは、「逃げ出すはずがない」と言い切った。 「わしはゼス政府上院議員としての誇りを持っておるつもりだ」 「サラカブ様なら、そう仰ってくださると信じておりました」  大きく頭を下げたビットリオは、「軍の分析です」と身柄の問題から話を移した。 「ゼス上に、新たな戦力は確認されておりません。従って拡散重粒子爆弾を無効化した力は脅威でも、戦場を支配するには至らないとの結果が出ております」 「つまり、これまで通りの戦いが続くと言うことか」  ぎろりと睨んだサラカブに、「何も変わりません」とビットリオは返した。 「それこそIotUでも現れない限り、わずかな戦力で状況を変えることは叶わないのです。そして今の時代に、IotUは降臨されておりません。従って、何も変わらない戦いが続くと言うことです。そして我々は、ノラナ・ロクシタンをあぶり出す作戦を続行することも変わっておりません」 「拡散重粒子爆弾を継続して使用すると言うのか……」  ううむと唸ったサラカブに、「然り」とビットリオは頷いた。 「次からは阻止されないよう、複数同時発射を行います。さて、セーブ・ゼスなる者達は、この攻撃を阻止することができるのでしょうか」  そこで初めてビットリオが顔に表情を浮かべた。わずかに浮かんだ苦笑にも似た表情は、まるでこの状況を楽しむかのようなものに見えた。 「ビットリオ、お前は狂っていないか」  それを指摘したサラカブに、ビットリオは「何を今更」と今度ははっきりと笑みを顔に表した。 「セーブ・ゼスなる者達は、私達の狂気と指摘したのですよ。20億もの人々の命を奪うことが、狂気でなければなんだと仰るのです。その点彼らは、正しく本質を見抜いていると言うことです。ただ我々の狂気を指摘した彼らもまた、その狂気に侵された存在なのです」  惑星全体を包んだ狂気は、決して覚めることのないものだ。ビットリオはサラカブにそう告げると、「ご承認を」とラグレロに迫った。 「そうか、我々は狂っていたのだな」  噛みしめるように吐き出したラグレロは、「存分にやれ」とビットリオに命令したのである。  政府側と同じ情報を、ほぼ同時刻に解放同盟側も受け取っていた。拠点を移動中のノラナ・ロクシタンは、偽装された車の中で「何者かしら?」とヘロン・ネオディプシスに問うた。 「残念ながら、詳細情報不足としか申し上げようがありません。これまで、セーブ・ゼスなる団体が活動した記録はないのです。そして未確認情報なのですが、10名の中に上院議員サラカブ・アンダリオの娘が含まれております。従って、政府側の自作自演も疑われます」 「第三勢力を仕立て上げてどうしようと言うのかしら」  うんと腕組みをしてその意味を考えたノラナは、「民衆の支持?」とつぶやきながら首をかしげた。 「こちらのヴァルチャーには、搭乗者は存在しない。だから、寝返りを心配する必要はないんだけど……だとしたら、第三勢力を仕立て上げても戦況に変化が生まれるとは思えないわ」 「仰る通り、我々の保有戦力に与える影響はほとんどありません。アリスハバラやアンベルク市民の支持が第三勢力に向けられたとしても、我々の戦いに影響が出ることはないでしょう」  その答えに頷いたノラナは、「本当に第三勢力だったら?」と別の可能性を質問した。 「その場合、何者にあのような真似ができるのかと言うのが問題となります。ツンベルギア殿、本件に関してなにか意見はござらんか?」  科学的分析を求められたツンベルギアは、「さあ」と大きく肩をすくめて見せた。 「私の専門はラプターシステムですからね。ですから、あのような攻撃に対する知見は……まあ、皆さんよりはあるのでしょうかね。そこで意見を申し上げるなら、あれだけガチガチに防御を固めたミサイルを落とすのはほぼ不可能と言うことです。まるで戦艦主砲の最大攻撃が行われれたような、と言うところでしょう。分厚い装甲を消滅させるだけでなく、拡散するはずの重粒子まで蒸発させたのです。十分にチャージのなされた、惑星破壊レベルの攻撃がなされたことになります」 「連邦のデバイスだったら、その攻撃は可能かしら?」  それはと問われ、ツンベルギアは少しだけ考え込んだ。 「確かに、連邦のデバイスは惑星破壊が可能と言う情報はあります。ただ、現実に惑星破壊を実行した記録はないと聞いております。さらに付け加えるのなら、大気圏内で行うのはほぼ不可能かと思われます」 「加えて言うのなら、連邦軍はハウンドを派遣する法的根拠を持っていないはずです。そしてもし連邦軍であれば、「セーブ・ゼス」なる組織を持ち出す必要はないことになるのかと」  それらの条件を考えると、介入してきたのは連邦軍ではないことになる。はっきりと眉間にしわを寄せたノラナは、「あり得ないことだけど」と断ってから可能性を口にした。 「民間軍事組織、例えばどこかの武装団が口を出してきた場合はどうかしら。適当な代理人をゼス側に立てれば、連邦軍に邪魔されずに介入が可能となるわ」 「その場合の問題は、そのような実力を持った組織があるのかと言うことです。それにトップ6の星系ならば、私兵と言う形ではなく連邦自体を動かしていることでしょう。そしてその場合の疑問は、ゼスに干渉する意味がどこにあるのかと言うことです。ゼス自体、10億存在すると言われる星系の中で取り立てて特徴と価値を持っている星系ではないのです。そしてなんらかの価値があるとしたら、そもそも超銀河連邦が放置しておくとは考えられません」  冷静に事実を積み上げると、第三者の介入可能性は否定されてしまう。ただそうなると、今回の出来事の説明がついてくれないのだ。 「謎としか言いようがないのだけど……それでヘロン、私たちはやり方を変える必要はあるのかしら?」  それはどうと問われたヘロンは、「現時点では」と作戦変更がないことを口にした。 「サイプレス・シティへのハミングバードならびに重粒子爆弾の持ち込みを進めております。今回阻止こそされましたが、政府側が新型拡散重粒子爆弾を使用したことは確かです。ならば我々も、報復攻撃に出てもおかしくはないでしょう」 「それで、作戦実行までの日程は?」  作戦が継続されるのであれば、そのタイムテーブルが問題となってくる。それを確認したノラナに、3日後とヘロンはXデーを告げた。 「さて、セーブ・ゼスとか言うお子様達は、何をしてくるのでしょうね」  そこでノラナが口元を歪めたのは、青臭い正義感を笑うためなのだろうか。 「彼らには、何もすることはできません。サイプレス・シティに仕掛けの配備が完了した時点で、破壊を止めることは不可能となります。ミサイルは破壊できても、知らないところで起こる爆発は防ぎようはないのです」  それが経験のない子供の限界となる。ヘロンは感情のこもらない声で、「何も変わらない」と答えたのである。  弾道ミサイルを消滅させた後、カイトとトラスティは惑星ゼスの衛星裏に陣取ったインペレーターへと移動した。そこでカイトは、挨拶代わりにスターク顧問から文句を言われることになった。 「撃つ方向に気を付けて欲しいものだね」  ただ顔には苦笑に似たものが浮かんでいたので、深刻さとしてはさほど酷くはないのだろう。 「何か、壊しましたか?」  ただ責められたカイトは、冷静でいられると言う訳にはいかない。今は立場が変わったとは言え、相手は雲の上の元帥様だったのだ。しかも御三家筆頭ともなれば、有り難みはたかが大尉の自分とは大違いだったのだ。 「二度目の攻撃で、観測装置の20%が消滅したな。まあ、配置換えと予備で事なきを得たのだがね」  そこで真面目な顔をしたスタークは、「相手の出方だ」とカイトとトラスティ、そして遅れて出てきたノブハルの顔を見た。 「今回セーブ・ゼスは目立つことは出来たのだろう。だが、政府軍と解放同盟は彼らの方針を変えることはないと思われる。何しろゼスは、大いなる狂気の中に居るのだからな。ミサイルを破壊した攻撃は脅威でも、惑星全体に及ぶことはないと考えてもおかしくはない」  スタークの説明に、トラスティは小さく頷いた。 「そこまでは、一応予想の範囲なのですがね。そして政府側の動きは、パガニアの密偵が教えてくれています。顧問が仰るとおり、彼らはミサイルによる攻撃を放棄していません。残ミサイル数は48、そして追加で10ほど用意しようとしています。これを複数箇所同時に発射を行い、確実にノラナ・ロクシタンの息の根を止めようとしているようです。複数同時ならば、迎撃できないと考えているんでしょうね」 「その情報は、私も聞かされているよ」  厳しい顔をしたスタークは、「どこまで出来る?」とカイトに尋ねた。迎撃方法は様々あるのだが、その要となるのはカイトとザリアの組み合わせだったのだ。リゲル帝国の剣士やパガニアの戦士でも破壊は出来るが、その場合重粒子がばらまかれて少なくない被害が起きることになる。 「バニシング・バスターだと、最低10分はチャージ時間が必要になります。そしてスターライト・ブレーカーなら……それが1分と言う所でしょうか」  なるほどと頷きかけたスタークだったが、カイトの答えに含まれていたキーワードに、何と目を大きく見開いた。 「今、スターライト・ブレーカーと言わなかったかね?」 「はい、確かにスターライト・ブレーカーと言いました。二度目の攻撃は、バニシング・バスターではなく、スターライト・ブレーカーによるものです」  はっきりと言い切ったカイトに、スタークは口をヘの字にして考え込んだ。 「今は、そのことに拘る時ではないのだろう。ただスターライト・ブレーカーが撃てるのなら、違った対応も可能となる」  そこでスタークは、「アルテッツァ」とシルバニア帝国を統べるバイオコンピューターを呼び出した。 「スターク閣下、御用でしょうか?」  自分に頭を下げたアルテッツァに、「空間接合管理を任せたい」とスタークは告げた。 「スターライト・ブレーカーならば、複数のミサイルを同時に消滅させることが可能なはずだ。空間接合により空間を連結させ、一撃で弾道ミサイルを消滅させる」  「接合管理は可能か」と問われ、アルテッツァは少しだけ答えに間をおいた。 「攻撃のタイミングを合わせて頂けば、可能とお答えします」  宜しいですかと顔を見られ、カイトは真剣な表情で頷いた。 「ザリア、出来るな」 「われと主なら、造作も無いことだ」  その答えに満足気に頷いたスタークは、「解放同盟だが」ともう一つの主役を持ち出した。 「彼らも狂気の中にあると仮定するなら、次の攻撃方法も予想することが出来る。彼らはオウザクで、改良型ヴァルチャーの性能を確認し、それと同時にハミングバードと改良型ヴァルチャーをラッカレロへと運び込んだ。サイプレス・シティの警戒は厳重だが、運び込まれるコンテナの数は膨大なものとなる。何一つ見落としもなくと言うのは、事実上不可能だと思われる」 「ラッカレロと同じ方法を取ると?」  ノブハルの問いに、「いや」とスタークは首を振った。 「同じことはするが、彼らはもう一つ仕掛けを重ねてくると考えられる。これまでヘロン・ネオディプシスのとった作戦を分析すると、一つ一つの仕掛けが見えてくるのだよ。先程狂気の中にあると言ったが、それは解放同盟も例外ではないのだ。間違いなく彼らは、重粒子反応弾をサイプレス・シティに仕掛けてくるだろう。我々を意識した彼らは、地上経路を使うことで目くらましが出来ると考えてくるはずだ」 「だとしたら、どうなさいます?」  大いに考えられる作戦に、トラスティはその対処をスタークに求めた。 「君ならどうすると聞こうかと思ったのだがね」  苦笑を浮かべたスタークに、「いえいえ」とトラスティは首を振った。 「僕は、軍事的には素人ですからね。顧問がおいでなのですから、余計な口出しをしないつもりです」 「一見まともな意見に聞こえるのが嫌らしいな」  そう言って笑ったスタークは、「罠を仕掛けるよ」と説明した。 「運び込むコンテナを識別し、重粒子爆弾の信管を無効化する。そして解放同盟が起爆信号を送った所で、発信源を突き止めノラナ・ロクシタンの居場所を突き止める」 「いっその事、一つぐらい爆発させてはいかがですか?」  突拍子もないと言うかとんでもないトラスティの提案に、「そんな」とノブハルは驚いた。だが驚いたのはノブハルだけで、問われたスタークどころか、カイトもさほど驚いた顔をしなかった。 「半径30kmのエリアを、死の世界に変えることの意味は何なのだね?」  冷静に意味を確認したスタークに、「デモンストレーションです」とトラスティは真顔で答えた。 「ゼスを包んだ狂気を考えると、普通のことをしてはインパクトに欠けることになります」  あくまでインパクトだと主張したトラスティに、「それで良いのか」とノブハルは声を上げた。 「そんなことをしたら、大勢の人が亡くなることになるんだぞ!」 「ゼスでは、20億以上の人達が命を落としているんだよ。1発爆発させたところで、そこに1%程度犠牲が積み上がるだけのことだ。この5ヤーの間、ゼスでは1日平均10万人が命を落としてきたことを忘れちゃいけないんだ。人の顔を思い出さず、数字として最適解を求めることに専念すべきなんだよ」  淡々と語るトラスティに、「それじゃだめだろう!」とノブハルにしては珍しく感情的に言い返した。 「それじゃあ、俺達もゼスと同じ狂気に落ちてしまう。それでは俺達がここまで来た意味が無くなってしまうじゃないか!」  だから認められないと主張するノブハルに、「だそうです」とトラスティはスターク達の顔を見た。 「実に青臭い主張なのだが……その青臭さこそが初期のIotUの姿だったらしいな」 「まあ、ノブハル君がこっち側に来ていないことを喜ぶべきなんでしょうね」  そう言って笑ったトラスティは、「だから修正」とノブハルの顔を見た。 「爆発させると言う方針は変えない。ただ、そこにありったけの技術を詰め込むことにする。1対100の時間遅延を掛けるのと、ゼス政府総統府への道を作る。爆発の威力は道を作ることで、ゼス総統府だけに向けられることになる。そして1対100の遅延を行うことで、彼らは迫りくる脅威を目の当りにすることになる。そして土壇場の所で、爆発を相殺して総統府を守ると言う筋書きだ。途中多少建物は壊れるかもしれないが、ほとんど犠牲者の出ない方法だと思うのだけどね? 狂気の上に、それ以上の恐怖を重ねてあげようと思っているんだよ。さてノブハル君、この方法は君の趣向に合致しないかな?」  どうだろうと問われたノブハルは、きつい目をして「やはりペテン師だ」とトラスティを見た。 「その方法でも、犠牲者が出るのを抑えることは出来ないはずだ。それでもマシに見えるようにするのが、あんたのペテンなのだろう。しかもあんたは、犠牲者が出ない方法も考えているはずだ」 「まあ、ちょっとあからさまだったかな」  そう言って笑ったトラスティは、「多分大丈夫だろう」と危機感のない保証をしてくれた。 「重粒子反応弾を、相転移空間で包み込む。そして総統府まで、同じように相転移空間で道を作る。建物を避けて通れば、よほど運が悪くない限り巻き込まれる人は出ないだろうね。後は、相転移空間で区切られた空間に対して、時間遅延措置を行えばいい。ラグレロ総統は、総統府に迫ってくる爆発に震えることになると思うよ」 「そして、誰がそんな真似を出来るのか考えると言うのだろう」  ノブハルの指摘に、トラスティは大きく頷いた。 「そこで、ガリクソン君達セーブ・ゼスの登場と言うことになるんだよ。同時に、アポストルを1000ほどサイプレス・シティに送り込もうとは思っているけどね」 「敵の中枢を狙うのは、戦略として基本中の基本と言うことになる」  そこで口を挟んできたスタークは、「鍵はノラナ・ロクシタン」だと説明した。 「彼女を確保さえしてしまえば、この内戦に終止符を打つことが出来るだろう。今は巧妙に隠れているが、居場所の割り出しは時間の問題であるのは確かだ。起爆信号のセンスとは別に、アルテッツァがゼス上で行われている通信の監視を行っている。作戦命令は必ず伝達されるはずだから、そのトレースと言うのがメインになる。後はヴァルチャーだったか、その連携情報も監視の対象となっている。衛星軌道に撒かれたプローブが、惑星全土の情報を収集している。解析は、アルテッツァとインペレーターのAIがやっている所だ」  そこでカイト、トラスティ、ノブハルの顔を見たスタークは、「制圧作戦を実行する」と宣言した。 「解放同盟が重粒子反応弾を使用した時点で、ゼス政府を制圧する。そしてノラナ・ロクシタンの居場所を突き止めた時点で、直ちに解放同盟の制圧を行う。ノラナ・ロクシタンの居場所特定が先になれば、その時点で両者を制圧するものとする。ノブハル君、何か疑問があるのかね?」  今ひとつ納得出来ていないノブハルの様子に、スタークはその理由を尋ねた。 「いえ、それで本当にうまくいくのか……それを疑問に感じたのですが。その、ただ漠然とした疑問と言うことで、具体的な指摘が出来ないのです」  すみませんと謝ったノブハルに、「それは必要ない」とスタークは笑った。 「私なりに分析した結果だと、ノラナ・ロクシタンはおとなしく従うことになると思っている。そして政府側も、従わざるを得なくなると言う所がある。我々が介入することにより、彼らの取れる手段はすべて潰れることになるのだよ。大量破壊兵器はその役目を果たすことは出来ず、ラプターやヴァルチャーもまた、我々の戦力が制圧を行う。より強大な力により、ゼスの上から戦争状態を取り除くことは可能だろう」  もっともと、スタークはトラスティの顔を見た。 「問題は、戦闘を止めてからだと私は考えているのだよ。そしてその分野は、トラスティ氏の受け持ちになる。政府及び解放同盟を解体し、新しい枠組みを作ることになるのだろう。その時には「セーブ・ゼス」のメンバーが、指導者の立場に立つことになるのだよ。実のところ、その部分が一番の問題となるのだろうね。何しろ彼らは、あまりにも政治に対して素人すぎるんだ」  セーブ・ゼスのメンバーが素人すぎると言うのは、ノブハルにも腑に落ちるものだった。それまでの彼らは、ただボランティアをしている学生にしか過ぎなかったのだ。その素人を、ただトリプルAが利用したと言うのが実態にしか過ぎない。それを考えると、自分達が手を引いてからの方が難しいと言うのは理解できることだった。 「まあ、両陣営を制圧してからなら、連邦を引っ張り込めますけどね」  すかさず逃げ道を示したトラスティに、スタークは苦笑を返した。 「停戦監視を連邦軍にさせようと言うのだね」  それに頷いたトラスティは、さらに連邦を利用することを説明した。 「暫定代表にセーブ・ゼスのメンバーを置きますが、連邦にはその支援もさせようと思っているんですよ。ちなみにこれも、連邦法の範囲内ですからね」  連邦の規定には、一時的に行政機能が麻痺した際には連邦政府が支援を行えるとある。トラスティが持ち出したのは、まさにその規定だった。 「だから僕達は、内戦を終わらせた後は引き継ぎまでここにいれば良いことになる。もっとも、ガリクソン君にはアフターケアが必要だとは思っているけどね。まあ、それにしても適任者のあてはあるんだ」  「適任者?」と目元にシワを寄せたノブハルに、「君も知っている子だよ」とトラスティは笑った。 「リスリム・アンダリオ。サラカブ・アンダリオの娘だよ」  その名前に、ああとノブハルも大きく頷いた。 「確かに、あの女なら適任だろう」  大きく頷いたノブハルは、情報の鍵となるアルテッツァを呼び出した。 「ゼス上で行われている通信のスクリーニングはどうなってる?」 「現状で30%の進捗率です」  それに頷いたノブハルは、アルテッツァに指示を追加した。 「コンテナカーの隊列があるだろう。そこから発せられる情報分析を優先してくれないか?」 「一応、理由を尋ねても宜しいですか?」  それに頷いたノブハルは、全員の顔を見て「なぜ」を説明することにした。 「ノラナ・ロクシタンは常に移動していると推測できるからだ。だがただ単に移動していると、すぐに警戒の網にかかってしまう。だから移動してい不自然に思われない方法を考えた。それが、食料を輸送するコンテナカーと言うことだ。政府も、大都市を攻撃することは出来ても、自分達の食料庫を攻撃はできないだろう」  なるほどと頷き、アルテッツァは「対象は100万両になります」と告げた。 「走行パターン、通信パターン、内容の分析に1日時間をください」 「ほぼ、政府軍の攻撃と同時期と言うことか」  うんと考えたノブハルだったが、仕方がないとそれ以上の要求は諦めることにした。 「と言うことなので、各自自分の仕事に戻ることになるんだが」  そこでノブハルの顔を見たトラスティは、「情報分析を任せていいかな?」と問いかけた。 「ノラナ・ロクシタンの捕捉が勝負の鍵になるからね」  トラスティの問いに、ノブハルはしっかりと頷いた。 「兄さんは、明日活躍して貰うことになりますね。ですから今日は、しっかりと体を休めてください」 「まあ、頭を使う方はお前たちに任せておくか」  そう言って笑ったカイトは、「じゃあな」と手を上げてから姿を消した。 「と言うことで、出番の無い僕達はもう少し作戦会議を続けることにしましょうか」  笑いながら自分の顔を見たトラスティに、「年寄りはいたわるべきだ」とスタークは言い返した。 「そんなことを言って年寄り扱いをしたら、腹をたてるのではありませんか?」 「まあ、まだまだ現役だと思っているからな」  苦笑にも似た表情を浮かべたスタークは、「作戦会議だな」とトラスティの顔を見た。 「と言うことなので、ノブハル君には頑張ってもらうからね。だから、今日はセントリアさんは我慢してくれるかな」  どうしてこういう時に人をからかってくれるのか。ただ言い返しても無駄だと諦め、ノブハルは自分の部屋に戻ることにした。追い出されているような気もしたが、今はそれを気にしないことにしたのだ。  ノブハルを部屋に戻した所で、トラスティは「嘘つきですね」とスタークを詰った。 「ラグレロ総統とノラナ・ロクシタンですが、大人しく従うとは思っていないでしょう」 「抵抗することに、意味が無いのは理解するはずだがね」  微妙にずらした答えに、「やはり嘘つきだ」ともう一度スタークを詰った。 「抵抗が無意味だと理解することと、大人しく捕縛されることは別だと思うんですけどね」  そう問われたスタークは、確認するように小さく頷いた。 「あの場でそれを持ち出すと、ノブハル君への説明が面倒だったからね」 「恐らく彼らは、死を選ぶのでしょうね。それが、狂気の行き着く先だと考えると、寂しい気はしますがね」  それでも理解できる結末だと、トラスティはスタークに答えた。 「確かに、ノブハル君には教えない方がいい。彼に反発されたら、生け捕りをする方法を考えなくちゃいけなくなる」 「そしてそれは、ゼスの問題解決を遅らせることになるな」  自分に頷いたトラスティに、「それが理由かね」とスタークは尋ねた。 「カイト君は分かるが、そうでなければノブハル君を遠ざける必要は無かっただろう」  スタークの指摘に、トラスティは笑いながら「口実ですよ」と答えた。そして自分のサーヴァント、コスモクロアを呼び出した。 「コスモクロア、アクサの邪魔をしてくれないかな? もしも協力してくれるつもりがあるのなら、ここに通しても構わないけどね」  主の命令に、「かしこまりました」とコスモクロアは頭を下げた。これでアクサだけでなく、コスモクロアの目も気にしなくて済むことになる。そこまで手配をした所で、トラスティは「ザリア」ともう一つのデバイスを呼び出した。 「なんだ、エネルギーを補給してくれるのか?」  そう言って現れたザリアに、トラスティは軽口を返した。 「君が正直に答えてくれたら、ご褒美を考えても良いかな」 「我は、いつも包み隠さず答えているつもりなのだがな」  軽口を受け流したザリアは、「何を聞きたい」と呼び出された理由を質した。そこでスタークを見たトラスティは、「スターライト・ブレーカー」とIotUが操った奇跡の技を持ち出した。 「本当に、スターライト・ブレーカーを使ったのかい?」 「本当かと言われると……」  うむと悩んだザリアは、その場で右手を上げてみせた。そして「星よ集え」と魔法にも似た呪文を唱えた。その呪文に答えるように、ザリアの掲げた手のひらの上に周りから光の粒が集まってきた。 「ありがとう、もういい」  このまま光を集めると、何かとんでもないことが起きそうな気がしてしまった。それを止めるためにも、トラスティは奇跡の技に割り込んだ。 「以前エスデニアで襲われた時、君はスターライト・ブレーカーを撃てないと答えたはずだが?」 「われは、嘘を言ったつもりはないぞ。アンベルクで大陸間ミサイルを迎撃しようとした時、突如使えるようになったのだ。そうだな、まるで我の中にあった戒めが解き放たれた……そう言えばいいのだろうか」  ザリアの答えを聞いたトラスティは、「どう思います?」とスタークの顔を見た。 「その前に、何かきっかけのようなことはあったのかな?」 「きっかけとな?」  少し考えたザリアは、「確かにあった」と二人の顔を見た。 「わが主より、われのエネルギー源の指摘を受けたな。その瞬間、ミラクルブラッドだったか、それが正しく活動を始めたのを感じたぞ。ただあまりにも膨大なエネルギーだったので、一度われのシステムにリセットを掛けたぐらいだ」  そこでうんうんと頷いたザリアは、「恐らくそれだ」と原因を説明した。 「そう言えば、主はわれの姿が縮んだように見えたと言ったな」 「リセットの影響かな……」  この姿になる前のザリアは、幼児の見た目をしていたのだ。リセットによってその時に戻ったと考えれば、体が縮むことへの説明にはなる。 「恐らくとしか言いようがないな」  なるほどと頷いたトラスティは、「君の指輪を見せてくれないか」とザリアに頼んだ。 「わが夫のくれた指輪をか」  構わんぞと答え、ザリアは左手を二人の前に差し出した。差し出された左手の薬指に、赤い石を抱えたプラチナのリングが光っていた。 「それが、ミラクルブラッドなのか……」  同じものを、トラスティはライスフィールの薬指で見ていた。 「御三家に、何か残された記録はありますか?」  話を振られたスタークの答えは、「残念ながら」と言うものだった。 「指輪については、あまり多くは残されていない。IotUのなした奇跡と同様に、説明がつかないことが多すぎたからと想像は出来る」 「カムイのフルパワーを超えるエネルギーが、こんな所に凝縮されているんですからね。それ自体、僕達の常識を超えていますよ」  そこで小さくため息を吐いたトラスティは、「13個目のことを知っているかい?」とザリアに問うた。その問いに、ザリアは小さく首を振った。 「この指輪は、妻だけに与えられたものなのだぞ。そしてわれの記憶には、われを含めて12人の記憶しかないのだ。それを考えると、13個目は存在しないはずなのだがな」 「ああ、僕もそうだと思っていたんだよ」  含みのある言葉を口にした所で、「ありがとう」とトラスティはザリアを解放することにした。 「聞きたいことは聞けたよ。兄さんに着いていてくれないかな?」  じゃあと手を上げたトラスティを、「ちょっと待て」とザリアが呼び止めた。 「約束通り、われは正直に答えたのだぞ。ならば、ご褒美があって然るべきではないのか?」  ふふと妖艶に微笑まれ、トラスティの隣で「なるほど」とスタークが頷いた。確かに、トラスティはそう約束したはずだ。 「まあ、約束は約束だから仕方がないけど……明日使用する予定があるから、全部吸い取るのは勘弁して欲しいと言うところだな。後は、無理やりと言うのはやめて欲しい。お願いとしては、その程度と言うところだね」 「ならば、お前がリードしてくれればよいのだ。吸い取る量に関して言えば……まあ、吸いすぎないように気をつけてはみる」  それでいいかと問われ、トラスティは小さく頷いた。 「なんとも頼りのない保証の気もするが……」  立ち上がったトラスティは、いきなりザリアの腰に手を当て自分の方へと抱き寄せた。 「ま、待つが良い、スタークが見ておるではないかっ」  流石に恥ずかしいとザリアは文句を言ったのだが、トラスティはその口を塞いで黙らせた。心のこもった、そして濃厚な口付けに、ザリアは抵抗するのではなく受け入れるように両腕をトラスティの首に回した。それから二人は、息継ぎをしながら何度も口づけを続けたのである。確かに人前ですることではないし、普通ならば見せられた方も気を使って目をそらすと言うのがマナーなのだろう。だがスタークは、二人の口づけを目を凝らして観察した。  それから5分の時間が過ぎ、二人の唇はゆっくりと離れた。熱い吐息を吐いたザリアは、頭をゆっくりとトラスティの胸に預けた。 「どうして、エネルギーを吸わなかったんだい」  優しく体を抱いたトラスティに、「必要ないからだ」とザリアは呆けたような声で答えた。 「指輪が正しく働く以上、これ以上のエネルギーなど必要はないのだ。それに吸った所で、誤差でしか無いのは分かっておる。こんなことを言うとおかしいのは分かっておるが、お前と口づけをすることで心が満たされてくれるのだ。叶うならば、女として可愛がってもらいたいぐらいなのだがな。さすがに、それをお前に望む訳には行くまい」  殊勝なことを言うザリアに、トラスティは内心しっかりと驚いていた。そして感情的には、その希望を叶えても良いとも思えていた。と言うか、トラスティも今のザリアにしっかりと魅せられていたのだ。 「また、おかしくなるとかないのかな?」  ただ前回のことがあるだけに、慎重に構える必要もある。明日に大切な本番が控えているのだから、ここでおかしな真似をすることは出来なかったのだ。 「大丈夫と言う保証は出来ないが、少なくともこの前のようなことは起きないだろう。何しろあれは、オンファスがわれを破壊したのだからな」 「メモリが復活したと言うのか……」  ここに来て、急速にピースが嵌り始めている。やはりザリアが鍵かと、トラスティはもう一度彼女に口づけをした。 「僕の部屋で良いのかな?」 「われを可愛がってくれるのか?」  そう言って頬を染めながら俯く所は、本当に普通の女性と区別がつかない。「君を可愛がってあげたいんだ」とトラスティが耳元で囁いた次の瞬間、二人の姿がスタークの前から消失した。 「まったく、見せつけてくれる」  真剣な顔で文句を言ったスタークは、「あれはなんだ」と眉間にシワを寄せた。 「あれは、もはやデバイスではないだろう」  わざわざトラスティが見せつけてくれたおかげで、スタークはザリアの変化をつぶさに観察することが出来たのだ。その観察で、「体が縮む」と言う証言の裏付けを得られたと思っていた。トラスティと口づけをするザリアに重なるように、一人の少女の姿が浮かび上がっていたのだ。以前のザリアと同様子供に見える姿をしていたのだが、遥かに美しく、そして今以上の威厳を感じさせられる姿をしていた。 「その先を見たいと言うことか……」  魅せられたと言うのも理由なのだろうが、それ以上にあるのは尻尾を捕まえたと言う思いなのだろう。トラスティの行動理由を認めはしたが、同時に彼に対する嫉妬を感じていた。 「こればかりは、流石に覗く訳にはいかないな」  その方が身のためだと、スタークは立場を弁えることにした。  明らかに何かが変わっている。それが、ザリアを抱いたトラスティの印象だった。リゲル帝国の時と比べ、ザリアが別の存在に変わっていたのを感じたのだ。それは抱いている時だけでなく、こうして交わりが終わった後にも感じることが出来た。事後の余韻を楽しむデバイスなど、どう考えてもあり得ないことだった。  それとは別に、トラスティはザリアに溺れてしまいそうな恐怖も感じていた。アリッサとは別の意味で、彼の心を強烈にひきつけてくれるのだ。まだまだ貪り足りないと感じるほど、心がザリアを渇望しているのを感じていた。 「とても不思議な気持ちだ……」  トラスティの胸に抱かれながら、ザリアは久しぶりの感覚だと口にした。 「なぜだろう、ぬしをどうしようもなく愛おしく感じてしまうのだ。わが主に対する愛おしさとは違う、なにか押さえようの無い感情とでも言えば良いのか。こんな気持になったのは……」  何かを思い出すようにしたザリアだったが、それ以上の言葉は彼女の口からは紡ぎ出されなかった。そしてトラスティも、そのことに触れることはしなかった。そして言葉を交わす代わりに、ザリアに唇を重ねた。 「もっと、われを可愛がってくれるのか?」 「君を可愛がりたいんだ」  耳元で熱く囁き、トラスティは美しい少女へと覆いかぶさっていった。  これで事象が一つ繋がった。アクサを牽制しながら、コスモクロアはザリアの受胎を認識していた。そこにあるのは安堵のはずなのだが、どうしてもずるいと言う気持ちも感じてしまう。 「……私もして欲しいのに」  思わず出たつぶやきに、「可哀想ね」とアクサが反応した。そしてあろうことか、「次は私だから」と言ってくれたのである。その態度が偉そうなのが気に入らないのだが、矛盾を避けるためには彼女の言っていることに間違いはない。 「邪魔をしてやりたいのですが……それをすると、事象に齟齬が生じますね」  はあっとため息を吐いたコスモクロアは、「損な役割だ」と不平を口にした。 「損って言われてもねぇ。あなたは既に受胎を経験しているはずよ。それを考えれば、損ってことにはならないと思うんだけど?」  むしろ得をしているはずだと主張するアクサに、「それはそれ」とコスモクロアは言い返した。 「それに、今更1千年も昔の話をされても困ります」 「確かに、大昔のことだったわね。そのことには同情するわ」  可哀想にとおざなりに言われ、コスモクロアの目元が少し引きつった。 「主様と言う訳にはいきませんので、ノブハル様を誘惑しようかしら」 「あの子を、アブノーマルな世界に連れ込んで欲しくないんだけど。デバイスとするのなんて、あんたの主に任せておけばいいのよ。それに、孫でも子供でも大差はないと思うし」  突き放されたコスモクロアは、それはそれで問題だと愚痴をこぼした。指摘されるまでもなく、自分達デバイスと性交するのはアブノーマルなことに違いない。そしてトラスティが子供なら、ノブハルは孫の立場となる。子供相手がダメなら、孫相手がいいと言う話にはならなかったのだ。 「今更ですが、アリエル様に文句を言いたくなりました」 「育ってきた環境のことを言っているのなら、まあ文句を言っても良いんじゃないの? でも、結果は変わらないと思うわ」  再び突き放されたコスモクロアは、「そうですよね」と諦めたようにため息を吐いた。結果は変わらないのではなく、変えられないと言うのがコスモクロアの立場だった。つくづく自分の立場が恨めしい。アクサを牽制しながら、コスモクロアは我が身を嘆いたのである。  必ずしもノブハルの指摘が決め手になったわけではないが、アルテッツァは星の数ほど行われている通信の中からノラナ・ロクシタンの居場所を特定した。  サイプレスシティには、毎日10万を超える食料のコンテナが運び込まれていた。そこに医療や身の回り品を合わせると、その数は2倍に膨れ上がる。ノラナ・ロクシタンが潜伏していたのは、サイプレスシティとクチャクラリを結ぶ定期コンテナルートを走るコンテナカーだった。 「灯台下暗しと言うことわざが、アスにあると言う話ですな」  いよいよ作戦の決行が決まったと、スタークは3人とセーブ・ゼスの10人にあらましを説明することにした。ノラナ・ロクシタンが見つかったことで、当初の予定を変更する必要も生じたのである。 「政府側が拡散重粒子弾頭を積んだミサイルを発射した直後に、セーブ・ゼス代表ガリクソン氏に迎撃宣言をして貰う。そうすることで、政府側の狂気を強調することができる。そしてカイト君がそれを迎撃したところで、ゼス政府ならびに解放同盟代表ノラナ・ロクシタンの身柄を抑える。それと同時に、前線にリゲル帝国剣士5万を投入し、戦闘区域を掌握することとする。ここまでで、何か質問はあるかな?」  その問いかけを、スタークはトラスティではなくセーブ・ゼスの面々に向けて行った。  実力からすると、ミサイル迎撃の失敗は考えられない。そしてアポストルを投入すれば、ゼス政府の掌握も難しくないだろう。ノラナ・ロクシタンにしたところで、見つからないことを前提にガードは薄くなっていた。こちらも少数の戦力で、確実に身柄確保は行うことができるはずだ。  それを考えると、一番の不確定要素はセーブ・ゼスのメンバーだった。内戦を終わらせても、その後の体制が整わなければ再び混乱が起きるのは目に見えていたのだ。  「何か質問は?」と言うスタークに、代表となるガリクソンは「特に」と答えた。その顔を見る限り、押しつぶされそうなプレッシャーに耐えているのが理解できる。これまで政治など意識もしていなかった学生に、いきなり内戦の終結やその後の責任を押し付けるのだ。いくら過酷な環境に生きてきたとしても、プレッシャーに押しつぶされても不思議ではない状況だった。  だが「大丈夫」と言う安易な慰めは、この場でしてはいけないことは分かっていた。これから代表となって星一つ導いて行く相手なのだから、対等な立場で接する必要があったのだ。 「ではみなさんには、アリスハバラに戻っていただく。ノブハル君、いざと言う時のために君がついて行ってくれるかな?」  拡散重粒子弾頭ミサイル、そしてノラナ・ロクシタン確保にはカイトが当たることになっていた。そして政府側の制圧には、トラスティが当たることになっていたのだ。そうなると、自動的にセーブ・ゼスの担当はノブハルと言うことになる。一番戦闘が行われにくい場所ではあるが、別の意味で最重要拠点であるのは確かだった。  だが自立するためには、ここで役目から逃げる訳にはいかない。ガリクソンに負けないぐらい緊張して、「了解した」とノブハルはスタークに答えた。 「では、全惑星放送は発射後10分のところで行う。ワイハナから発射されるミサイルの映像をバックにするのがいいだろう。ノブハル君、何か質問があるのかな?」  スタークに指名されたノブハルは、「ノラナ・ロクシタンが悪あがきをしないか?」と可能性の話を持ち出した。 「十分にありうる話だと思っている」  ノブハルの指摘を認めたスタークは、10箇所からサイプレスシティに向かっている連結コンテナカーをスクリーンに出した。同時に表示された地図を見ると、あと半日でサイプレスシティの境界を越えるところにまで達していた。 「悪あがきとして考えられるのが、これに積まれた重粒子爆弾を爆発させることだ。当然ながら、その対策も考えてある。制圧開始後なら、もはやこの爆弾に価値はないのだよ。だから、多層空間の向こう側に送り込むこととする。そうすることで、ノラナ・ロクシタンのコントロールから切り離されることになるんだよ」 「それが、起爆のトリガとなりませんか?」  用心深い相手なら、制御が途切れたところで爆発するような仕掛けを考えることもある。その可能性の指摘に、「それも考慮のうち」とスタークは答えた。 「ゼス星系主星、ラダマントに放り込んでやるだけだ。恒星のエネルギーからすれば、重粒子爆弾のエネルギーなど誤差にしか過ぎないからね」  それでいいかと問われ、ノブハルはしっかりと頷いて同意を示した。さすがは御三家筆頭、自分の考えるようなことはすでに手が打たれているのだと内心感激していた。  そしてやりとりを聞かされたセーブ・ゼスの10人は、「なんでもあり」だと半ば呆れていた。そして自分達の存在意義が、連邦法遵守のためだけにあると言うのを今更ながら教えられた気がしていた。その意味で言えば、この役目は自分達でなくても可能なのは間違いない。ただ自分達が選ばれたことに、何か意味があるのだと考えることにした。そして意味を持たせるのは、自分達の役割でも有るのだと考えたのだ。 「では、アルテッツァ経由で情報同期を取ることにする。各自、己の役割を果たしてくれることを期待する」  以上と、スタークは敬礼をしてノブハル達を送り出した。  監視が緩いと言うことで、セーブ・ゼスはアリスハバラに拠点を構えた。もっとも構成員が10人しかいないのだから、どこでも大差はないと言うのが現実だろう。その意味でアリスハバラと言うのは、最初に政府側ミサイルを迎撃したと言う記念的意味があったのである。  拠点としたのは、中心部に近いホテルの一室だった。少し広いスィートルーム1室に、宿泊用のツインの部屋が5つと言うのがセーブ・ゼス拠点のすべてである。  すでにスィートルームには青い幕が張られ、全惑星放送の準備は整っていた。 「ガリクソン様、用意は宜しいでしょうか?」  もしもの時のためにノブハルが降りてきているが、それ以外にもトリプルAからスタッフが派遣されていた。こちらは戦闘には対応しないからと、タンガロイド社のポセダタイプのアンドロイドが4体準備のために走り回っていた。アンドロイドが選ばれたのは、情報をリアルタイムでアルテッツァとリンクするのが目的である。  「格好いいわよ」と女性陣から声をかけられたガリクソンは、緊張した面持ちでカメラの前で頷いた。彼から見えるように投影された映像には、政府側のゼス総統府にミサイルが発射されるワイハナ基地、そしてノラナ・ロクシタンを乗せたコンテナカーが映し出されていた。ワイハナ基地の映像に変化が出たところが、彼の出番となるのである。  いよいよかと緊張が高まる中、それまで静観していたノブハルが突然「情報だ」と口を開いた。 「ここに、ラプターが1機高速で近づいてくるのが確認された。搭乗者の判別はまだだが、おそらく政府側と思われるとのことだ」  心当たりはと、ノブハルはソーに問うた。自分達の居場所が判明するはずがないと考えれば、何か理由があることになる。ノブハルはそれを、ソーに対して求めたのである。 「ソーは裏切ったりしないわっ!」  慌てて声をあげたリスリムだったが、ノブハルはその抗議に取り合わなかった。そしてソーは、ノブハルの視線が自分のラプター装備にあることに気がついた。 「たぶん、いや、間違いなく俺が原因なのだろう。俺のラプター装備の信号が捕捉されたと考えられる」  ラプターを持ち運ぶことは、ソーにとって生活の一部となっていたのだ。だが今回は、それが仇になったと言うことだ。自分の責任を認めたソーは、「俺がけりをつける」とノブハルを見て答えた。だがノブハルは、「俺が」とのソーの主張を否定した。 「二つの可能性があるが、そのいずれの点でもお前の単独行動は認められない」  それはと、ノブハルは指を一本立てた。 「その一つ目は、お前が裏切り者である可能性だ。裏切り者に自由を与えるのは、普通は自殺行為とされるものだ」 「それはっ」  裏切り者の言葉に、もう一度リスリムが抗議の声を上げようとした。だが今度は、ソーが黙っていろとリスリムに命じた。 「可能性として、俺が裏切り者であるのを否定できないだろう。俺達がしようとしているのは、それぐらい慎重さが求められるものだ」  正論でリスリムを黙らせ、「もう一つは?」とソーはノブハルに先を促した。 「もう一つは、たとえお前が裏切っていなくても、お前では実力不足と言うことだ。お前の実力で、単独で迎撃網を突破してきた手練れに敵うはずがない」  違うのかと問われたソーは、一度ノブハルを睨みつけてから「否定はできない」と静かに答えた。 「だが、ここに踏み込まれる訳にはいかないはずだ」  違うのかと問われ、ノブハルはしっかりと頷いた。 「だから、俺もついていく」 「お前がっ!?」  驚いた顔をしたソーに、「何か疑問があるのか?」とノブハルは問い返した。 「俺が想像した通りの相手だったら、素人のお前では勝ち目がないのだぞ」 「お前が想像した通りの相手だったら、それこそ戦闘にならないと思うのだがな。そうでなければ、あえて単独行動を取るとは思えない」  それだけだと言い放ち、ノブハルは自分のデバイス、アクサを呼び出した。 「初見だな、これが俺のデバイスアクサだ」  そう紹介したのは、レデュッシュと言われる赤茶の髪と、湖水のように澄んだ青い瞳をした美しい女性である。年の頃なら、10代後半と言う所だろう。そしてその年令に相応しいと言えば確かにそうなのだが、している格好はいつものフヨウガクエンの制服姿だった。 「いくぞ」  ノブハルの命令に従い、アクサは光となって彼に融合した。ただ外見上、ラプターと違い何が変わったのかは分からなかった。 「お前も準備をしろ」  デバイスを持ち出された以上、これ以上の反論は無意味となる。小さく頷いたソーは、自分のラプターに手を当て「装着」と命令を発した。その命令から少し遅れ、黒い粒子がソーの体を覆った。 「準備はできたぞ」  ソーの体を覆った粒子がプロテクターを形成して、ラプターの装着は完了する。相手が近づいてくる以上、あまり猶予がないのは確かだった。 「じゃあ、行くことにするか」  アルテッツァと、ノブハルは空間移動を命じたのである。  アリスハバラに高速接近していていたのは、ソーが予想した通りの相手だった。赤銅色したボディを持つラプターは、サラカブ・アンダリオの側近にして護衛のイミダスが使用しているものだった。 「間も無く、探知した地点だな……」  サラカブ・アンダリオのメッセージを携えたイミダスは、注意深くあたりを観察しながら高速飛行を続けていた。超低空飛行を続けたおかげで、ここまでどちらの警戒網にも掛かることはなかった。  だがイミダスが5分と考えたところで、彼のラプターがいきなり敵の接近警報を発した。流石にいつまでも都合よくいかないかとため息をつき、イミダスは迎撃動作に移った。すでに敵改良型ヴァルチャーの情報は、脅威として政府軍の中に展開されている。流石のイミダスでも、必ず勝てるとは保証できない性能を示していた。 「先日の放送で、解放同盟もアリスハバラを張っていたか。やはり、お嬢様が理由かっ」  サラカブ・アンダリオの娘がいたことで、政府側の工作とみられてもおかしくなかったのだ。そして最初の拠点としてアリスハバラを守ったことで、解放同盟側が接触を予想したのだろう。  それまで超低空、地面を這うような高度で飛行していたイミダスは、一転機体を急上昇させた。 「敵は5機か……」  ラッカレロでは、わずか30の改良型で100の守備隊を殲滅したのである。それを考えれば、1対5と言うのは絶望的な戦力差と言うことになる。だがこれを超えないと、サラカブに託されたメッセージを届けることができなくなる。 「やるしかないのか」  それまでは一直線にソーの居場所を目指していたのだが、解放同盟をそこに引入れるのは愚かでしかない。急上昇しながら、イミダスは状況を有利にするための戦場を探した。 「旧市街か……」  建物が密集している旧市街なら、敵の機動力を割くことができる。反応速度と機動力に勝る敵を相手にするには、少しでも有利な状況に持ち込む必要があった。  その意味で、イミダスの作戦はとても常識的なものだっただろう。そして今までのヴァルチャー相手であれば、問題なく通用した作戦でもあるはずだ。だが機動性を増した改良型ヴァルチャーは、イミダスの高機動を上回ってくれた。その意味で最悪なのは、さらに5機が戦いに加わったことだ。これでイミダスは、10機の改良型を相手にしなくてはいけなくなってしまった。しかも10機は、今まで相手にしたヴァルチャーとは比較にならないほど連携のとれた動きをしていた。  個別撃破に活路を求めたイミダスだったが、逆にあっと言う間に追い詰められてしまった。しかも相手の動きは、一手ずつこちらを追い詰めて行く狡猾なものだった。 「まるで、大勢のタリムヌ・カリキヌムを相手にしているようだな」  ラプター装備を解いて隠れると言うのも、完全に取り囲まれては今更不可能としか言いようがない。進退窮まったとイミダスが覚悟を決めた時、彼を取り囲んでいた10機の改良型ヴァルチャーが突然墜落していった。  一体何事がとイミダスが驚いた時、彼の目の前に黒い鎧をまとったラプターが現れた。 「ソーなのか?」  だったらと近づこうとしたイミダスだったが、目の前のラプターは右手を上げてその動きを制した。そして左手で、降りろとイミダスに指示を出してきた。その指示地点を確認したら、一人の青年が自分を見上げて立っていた。 「なるほど、話をしようと言うのだな」  それなら望むところと、イミダスはおとなしくソーの指示に従った。  改良型ヴァルチャーから自分を助けてくれた以上、何かの目的があるはずだ。その考えのもと、イミダスは地上に降りるのと同時にラプター兵装を解除した。自分に害意がないことを示すには、それが一番確実な方法だと考えたからである。そして10機の改良型を無効化した力を考えれば、ラプター兵装を纏うことに意味があるとも思えなかったのだ。 「久しぶりだな、ソー」  同じように兵装を解除したソーに声をかけたイミダスは、目の前に立つノブハルに「イミダス・サイクロペディア」だと自己紹介をした。 「サラカブ・アンダリオ上院議員の護衛をしている」  その自己紹介に対して、ノブハルは沈黙を答えとした。 「名前を教えてくれないのかな?」 「そちらの目的が分からない以上、余計な情報を与える訳にはいかない」  ぶっきらぼうに答えたノブハルに、なるほどとイミダスは頷いた。 「だったら、こちらの目的を伝えることにしよう。サラカブ様、つまりリスリム様のお父上からのメッセージを持ってきた。「好きにしろ、気にするな」とリスリム様に伝えてくれればいい」 「覚悟はできていると言うことか」  ふんと鼻から息を吐き出したノブハルは、「ノブハル・アオヤマだ」と名を名乗った。 「セーブ・ゼスに雇われた、トリプルAの一員だ」 「トリプルA?」  はてと首をかしげたイミダスに、「トリプルAだ」とノブハルは繰り返した。 「契約により、セーブ・ゼスに内戦鎮圧に必要な戦力を提供している」 「なるほど、民間軍事組織と言うことか……君達は、ゼスをどうするつもりだ?」  こんな状況のゼスに介入してくる以上、それなりの実力を持った組織だと推測することができる。その場合の問題は、内戦鎮圧後に彼らが何をするのかと言うことだ。  主体をトリプルAに置いた質問に、「尋ねる相手が違っている」とノブハルは返した。 「それは、セーブ・ゼスが……ゼスの国民が決めることではないのか? 俺達が請け負っているのは、内戦鎮圧に協力するところまでだ」 「鎮圧できると言うのか……」  質問ではなく自分に言い聞かせるようなイミダスに、「もうすぐ結果が出る」とノブハルは答えた。 「なるほど、そろそろ本格攻勢に出ると言うことか。ところで教えて欲しいのだが、どうやって敵の改良型を落としたのだ?」  落下して行くヴァルチャーを見る限り、攻撃を受けた形跡がなかったのだ。それを疑問に感じたイミダスに、簡単なことだとノブハルは答えた。 「ヴァルチャーとやらの制御系に割り込んでやった」 「なるほど、連携型AIの弱点を突いたと言うことか」  それができるだけで、相手の実力を計りとることができる。ノブハルの言葉に納得したイミダスは、「用は済んだ」とノブハルに告げた。 「後は、煮て食うなり焼いて食うなり好きにしてくれ」 「あんた一人ぐらい、別にどうでもいいのだが……」  そこでぐるりと辺りを見渡したノブハルは、ソーに向かって隠れていろと命じた。 「その男の扱いはお前に任せる」 「お前はどうするんだ?」  イミダスを任せると言われて驚くソーに、「別口だ」とノブハルは首を巡らせた。 「私が付けられた……と言うことか?」 「いや、お前と同じ方法でここにたどり着いたのだろう。頭を潰せばいいと言うのは、合理的な考え方だと認めてやる。こんなことなら、ヴァルチャーを残して置いた方が面白かったな」  それだけが失敗だと呟いたノブハルは、「隠れていろ」と二人に命令をした。すでに辺りには、10機を超える茜色のラプターが集結していた。 「ビットリオの秘密警察隊か。気をつけろ、かなりの手練れだぞ」 「ああ、多分そうなのだろうな。首謀者を潰せば、セーブ・ゼスなど恐るるに足らずと考えたのだろう」  判断は認めると口にしたノブハルは、見ていろと二人に告げてから「アクサ」と己のサーバントに攻撃を命じた。その瞬間、イミダスとソーの二人はノブハルの姿を見失った。その代わり、次々と墜落して行くラプターを目撃することになった。ただヴァルチャーの時とは違い、こちらは墜落する直前にノブハルが攻撃するのが見えていた。その状況から推測できるのは、瞬間移動でラプターの前に移動していると言うことだ。 「攻撃はまるで素人……なのだが、我々と同じ土俵に立っていないな」  イミダスの論評に、同感だとソーは頷いた。 「デバイスを使っていると言う話なのだが……デバイスと言うのは、あそこまで高性能なものなのか」  瞬間移動と高速機動を組み合わせることで、ビットリオの派遣した秘密警察を子供扱いにしているのだ。これを見せられれば、改良型ヴァルチャーを屠ったのも納得ができる。攻撃動作は素人でも、機動能力自体が自分達とは次元が違っていたのだ。  そうして見ている間に、総勢20機のラプターは撃墜されていた。それをこともなさげに終わらせたノブハルは、観客となった二人に文句を言った。 「ぼっとしていないで、BSチョーカーをする手伝いぐらいしろ」  ノブハルが現れたのと同時に、彼らの目の前に20体のラプターが転送されてきた。戦力差を考えれば不思議ではないのだろうが、イミダスとソーの二人は理不尽なものを感じてしまった。 「生かしておくのか?」  渡されたBSチョーカーを手に、イミダスは殺さないのかとノブハルに問いかけた。 「俺には、こいつらを殺さなければいけない理由はないからな。お前達にその必要があると言うのなら、勝手にやることまでは止めはしない」 「生かしておいてもろくなことはないのだが……」  イミダスがそう答えた時、空に青い旗がはためく映像が映し出された。どうやら政府は、ワイハナの基地からミサイルを発射したようだ。  そして旗の前に、ガリクソンが立つ映像が映し出された。鋭い眼差しをしたガリクソンは、「政府側の暴挙だ」とワイハナの基地から打ち出されるミサイルの映像を示した。 「愚かにも、ラグレロ総統はゼスを滅ぼすボタンを押してくれた。ワイハナの基地から、たった今50機の大陸間弾道ミサイルが発射された。搭載された弾頭は、ラシュトを廃墟に変えたものの改良型だ。このままいけば、1時間後に5億以上の人々が命を落とすことになるだろう」  静かに語るガリクソンは、ミサイルの着弾予想地域を地図で示した。それぞれが大都市圏の中心に落ちれば、ガリクソンの言う犠牲者数は誇張ではないものとなる。 「だが、俺達セーブ・ゼスはこれ以上の狂気の発露を許すつもりはない。そしてこの責任は、政府側だけにあるとは思っていない。ラグレロ総統と同時に、ノラナ・ロクシタンの率いる解放同盟も我々は力により制圧する。その力が我々セーブ・ゼスにあることを、諸君はこれから目の当たりにすることだろう」  ガリクソンの言葉が終わるのと同時に、50機のミサイルを強烈な光が包み込んだ。それから少し遅れて、イミダスは大地が震えるのを感じた。そして光が消えた後には、死を運ぶ大陸間ミサイルの姿は消失していた。 「神の力、スターライト・ブレーカーによりラグレロ総統の狂気は消し飛ばされた。これが合成映像でないのは、大地が震えたのを諸君が感じたのが証拠となる。スターライト・ブレーカーは、我らが故郷ゼスの怒りの発露だと知ることだ」  その言葉が浸透するのを待ったガリクソンは、「これからゼスを包んだ狂気を拭い去る」と宣言した。 「われわれセーブ・ゼスは、これより政府、解放同盟の両者の制圧を開始する! 閉ざされた未来を、この手に取り戻す時がやってきたのだ。ゼスを包んだ狂気を、それ以上の歓喜で消し飛ばす時がやってきたのだっ」  「刮目せよ!」とガリクソンが声をあげたのと同時に、ラグレロ総統のいる総統府を取り囲む巨大人型の姿が映し出された。そして両軍が合間見える戦場に、ブルーの衣装を纏った多くの戦士が現れたのが映し出された。 「まさかあれは、リゲル帝国の剣士か?」  直接相見えたことはなくても、その力は連邦中に広がっていた。畏怖を込めたイミダスの言葉に、ノブハルはゆっくりと頷いた。 「ああ、リゲル帝国剣士5万が投入された。総統府を取り囲んでいるのは、エスデニアとパガニアから貸与されたアポストルと言う人型兵器だ」  挙げられた名前に、「なぜ」と言う疑問をイミダスは感じた。ただそれ以上にあったのは、「これで終わるのだ」と言う安堵の気持ちだった。連邦軍に勝るとも劣らぬ戦力の前には、ゼスを包んだ狂気も子供騙しに思えてしまったのだ。  大陸間ミサイルを迎撃するため、カイトはサイプレスシティに近いクチャクラリに降りていた。空間接合をする以上、カイトの居場所が問題なることはない。ただサイプレス・シティに近いことと、ノラナ・ロクシタンが近くにいることがこの場を選んだ理由になっていた。 「ザリア、アルテッツァとの連携に問題はないか?」  すでにフュージョンを終わらせたカイトは、己の中にあるザリアへと問いかけた。 「うむ、遅延は1ナノ秒もないぞ」  その答えに、カイトは小さく頷いた。 「それで、作戦開始までは?」 「後10分と言う所だな」  なるほどともう一度頷いたカイトは、「ザリア」と己のサーバントの名を呼んだ。 「なんだ、主よ?」 「あいつに抱かれたのか?」  それがこの場で問われることに相応しいかに疑問はあるが、カイトの口調はいたって穏やかなものだった。そしてザリアも、穏やかな口調で「ああ」とその事実を認めた。 「なぜ、このような時にそれを問うのだ?」  大事の前の小事、小さなことに拘るなと言うのである。そんなザリアに、カイトは彼女も予想していなかったことを口にした。 「父親のことを知りたいと思うのは当然だろう?」 「主は、一体何を言っておるのだ?」  理解ができないと答えるザリアに、「それなら構わない」とカイトは答えた。そしてそれ以上の問いかけをする代わりに、ゆっくりと右手を上に差し上げた。カイトは、ゼスに新しい時代をもたらす滅びの呪文を静かに唱えた。 「星よ、集え」  その言葉を待っていたかのように、周りからカイトの掲げた手のひらに向けて光の粒が集まってきた。そしてみるみるうちに、集まった光の粒は巨大な光の玉を作り上げていった。 「射角修正完了、空間接合完了を確認」  ザリアの報告を聞きながら、カイトは攻撃とは違うことを考えていた。自分にはいないものと思っていた両親が、こんな身近にいてくれたのだ。時間的矛盾は気になるが、それ以上に嬉しいと言う気持ちを感じてしまった。相手に対する不満は、今の所感じてはいない。それどころか、これ以上の父親はいないと思ったぐらいだ。 「親父と呼んだら、きっと嫌がるだろうな」  そんなことを考えながら、カイトは光を集めて時が来るのを待った。 「主よ、これより秒読みを開始するぞ」 「そこは、カイトと呼び捨てにしてくれないか?」  思いもよらない言葉に、なにとザリアは驚いてしまった。だがフュージョンしていると、相手の考えも伝わって来る。そう言うことかと納得をしたザリアは、「わが子よ」と小さく呟いてからカウントダウンを開始した。 「5、4、3、2、1……」  そのカウントダウンに合わせ、カイトは静かに全てを終わらせる、そして新しい時代の扉を開く命令を発した。 「消し飛ばせ、スターライト・ブレーカー」  耳をつんざく轟音とともに、安定したゼスの大地が恐れおののくように震えた。そしてカイトの手から放たれた滅びの光は、多層空間を通して50機のミサイルの存在をこの世から消し去った。  その余韻を味わうかのようにカイトは、ゆっくりと掲げた右手を下ろした。 「母さん、状況の報告を」 「50機全ての消滅を確認したぞ、我が息子よ」  その言葉を聞いたカイトの口元が、少しだけ嬉しそうに緩んだ。ただそれも刹那のことで、「ノラナを止めるぞ」と次の使命を口にした。 「うむ、ラグレロの方はお前の父親に任せておけばいい」  そう答えたザリアは、カイトの存在位置をノラナ達の所へと変えた。狂気の元となる二人を確保することで、ゼスを包んだ狂気を拭い去ることができる。それはカイトの抱えた後悔の念を、少しだけ軽くする意味を持つものだった。  スターライト・ブレーカーが、戦力総動員の号砲となる。全てのミサイルが消滅したのを確認し、スタークは「全軍出撃」の命令を発した。その命令を受けたアルテッツァは、エスデニアの協力を得て指定された2箇所に全ての戦力を送り込んだのである。 「さて、ここからは派手に行く必要があるね」  リミットブレイクと、トラスティはカムイの能力発動を命じた。命令に従い金色の光がトラスティを包み込み、その姿をゼス総統府の前へと移動させた。  ゼス総統府は、高さおよそ400m程の比較的低いビルディングとなっていた。ただその周り半径500mには他の建物はなく、整備された緑の公園が広がっていた。それだけを取り出すのなら、平和な景色を作り上げるものと言えるだろう。  ただ総統府の周りに広がる公園は、今は憩いを求めるためものではない。そこには総統府を難攻不落のものとする、各種の防御機能が埋め込まれていた。  防御圏の直前に現れたトラスティは、「コスモクロア」とおのれのサーバントを呼び出した。その呼び出しに応え、パガニアの正装を身につけたコスモクロアがトラスティの隣に浮かび上がった。 「なぜ、私とフュージョンをなさらないのですか?」  ようやく呼び出してくれたと安堵しながら、コスモクロアはトラスティを問いただした。 「君と話をしたくてね。そのためには、こうして顔が見えた方が都合が良かったんだ」  トラスティがそう答えた時、巨大な物体が着地した轟音が響いてきた。エスデニア、パガニア混成のアポストル2000機がサイプレスシティに現れた印である。 「ただ、その前にゼス政府を制圧しようか」  コスモクロアにそう告げたトラスティは、カムイに新たな命令を与えた。 「リミットブレーク、ドラゴンフォーム」  その言葉に応えるように、トラスティの体は金色の巨龍へと変貌した。変身と同時にあげられた軋んだ雄叫びは、戦争中の平穏にあるサイプレスシティに、一つの時代の終わりを告げるものだった。  ただゼス政府も、黙って見ているはずがなかった。最も防御が厚い都市と言われるだけのことはあり、およそ1万のラプター部隊が広場から出撃してきたのだ。そして池となった部分からは、迎撃のための加速粒子砲がせり上がり、金色の巨龍に向けて収束された粒子ビームを放ってきた。だが必殺の意を込めた攻撃は、金色の巨龍の前に浮かび上がった透明な壁で跳ね返されていた。 「ラグレロ総統に命ずる。直ちに武装を解除し、セーブ・ゼスに投降せよ!」  サイプレスシティに浮かび上がったガリクソンは、ラグレロ総統に投降を命じた。それは話し合いではなく、無条件降伏を求める通告である。  だがガリクソンの通告に対して、ラグレロは総攻撃と言う答えを返した。金色の巨龍に対して、四方から加速粒子砲が打ち込まれ、1万のラプター部隊が殺到したのである。だがその攻撃の全ては、金色の巨龍の前に浮かび上がった壁に跳ね返された。 「ラグレロ総統に告げる、無駄な抵抗はやめ直ちに投降せよ。猶予時間を10分だけ与えてやる。その時間を過ぎて攻撃を続けた時には、総統府は地上から消滅することになるだろう。これは最後通牒であると理解しろ!」  以上だと宣言し、ガリクソンはマイクのスイッチを切った。ただ彼の映像は、サイプレスシティの空に浮かんだままとなっていた。  10分の猶予時間を与えられはしたが、ラグレロは金色の巨龍に対する攻撃を止めることはなかった。通用しないにも関わらず、広場からは加速粒子砲の攻撃は続けられたし、ラプター部隊は2千の巨人たちに襲いかかっていったのだ。だがそのいずれの攻撃も、セーブ・ゼスの戦力に打撃を与えることはできなかった。  そして予告の10分が過ぎたところで、「時間切れだ」とガリクソンが宣言した。その言葉に遅れて、総統府を遠巻きにしたアポストルが光を上空に向かって放ったのである。 「これより60秒後に、怒りの炎が総統府をその狂気ごと焼き尽くすだろう」  アポストルから放たれたのは、純粋なエネルギーを持った光線だった。そしてその光線は、上空に形作られた相転移空間の共振器で波長と位相の揃った光に変換される。さらに共振器は、同時にエネルギー蓄積器ともなっていた。およそ100体のアポストルから放たれた光のエネルギーが、上空に作られた共振器に蓄積されるのである。それこそがエスデニアとパガニアでは、アーレンリヒト(滅びの光)と呼ばれる攻撃である。 「あなた達は狂気から覚めることはなかったか。さらばだ、ラグレロ総統」  ガリクソンの言葉と同時に、雷鳴に似た轟音がサイプレスシティを包み込んだ。そして轟音の元となった共振器から、破壊をもたらす光の束が総統府を包み込んだ。その光が総統府を包み込む直前、トラスティは窓辺に立つラグレロ総統達の姿を見つけていた。間も無く死が訪れるにも関わらず、その顔には満足げな表情が浮かんでいた。  アーレンリヒトの照射は、およそ3秒ほどの短い時間だった。そしてその時間が過ぎたところで、総統府を包んでいた光は消失した。ただ破壊の光の威力は凄まじく、強固な守りを持つ総統府はその姿を消していた。そして総統府があった場所には、深さ100m程の穴が空き、その底には焼けて溶けた大地が渦巻いていた。  それを確認したところで、トラスティはドラゴンフォームを解除した。そして首尾を確認するため、アルテッツァを呼び出した。 「ラグレロ総統およびそのスタッフは脱出したのか?」 「アーレンリヒト照射直前まで、ラグレロ総統および側近のビットリオは総統府にいたことを確認しています。空間移動でもしていない限り、脱出は不可能と思われます。そして総統府内で、空間移動が使用された形跡はありません」  その情報が正しければ、ラグレロ総統は総統府と運命を共にしたことになる。「そうか」と小さく呟いたトラスティに、「追加の情報です」とアルテッツァが声をかけた。 「ゼス政府軍の各拠点から、続々と無条件降伏の意思が示され始めました。これで、政府軍は活動を停止したことになります」 「そうなると、後は兄さんがノラナ・ロクシタンを押さえるだけか」  そこで隣に立つコスモクロアを、トラスティはいきなりその胸に抱きしめた。 「トラスティ様?」  何をと驚いたコスモクロアに、「アリッサのお父さんからの忠告だ」とトラスティは告げた。 「義父さんには、母親をぎゅっと抱きしめてやれと言われたんだ」  だからだと力を込めたトラスティに、「ああ」とコスモクロアは歓喜の声をあげた。そして自分もトラスティの体に腕を回し、二度と離れないようにと抱きしめ返したのである。  総統府が光に消えるところを、リスリムは瞬き一つすることなく見つめていた。自分の父親が、総統府から逃げ出さないことは分かっていたのだ。ならば総統府が消えた以上、父親は間違いなく運命を共にしたと言うことになる。「気にするな」と言うメッセージは、自分の命のことを言っているのだと理解できてしまった。  そして他のセーブ・ゼスのメンバーも、総統府に彼女の父親がいたことを知っていた。これが必要なことだとは分かっていても、人の死を目の当たりにするのは辛いことに変わりはない。そこに仲間の父親が含まれているとなれば、その思いはさらに強くなってくれる。だから残った9人は、誰一人としてリスリムに声を掛けることはできなかった。それはアジトに連行されたイミダスも同じで、重苦しい沈黙が全員を包み込むことになった。  その沈黙を破るように、ガリクソンは「リスリム」と気丈にスクリーンを見ていたリスリムに声を掛けた。そんなガリクソンに、「少し時間を貰っていい?」とリスリムは答えた。 「ああ、後は俺達がやっておく」 「ありがとう、恩にきるわ」  涙を流すでもなく、こわばった表情でリスリムは全員に頭を下げた。そして自分について来ようとしたソーに向かって、「一人にしてくれる?」と付いてこないようにお願いした。その言葉でソーを縛り、リスリムは早足でスィートルームを出ていった。  そんなリスリムを見送ったところで、ノブハルがぽつりと呟いた。 「俺にとっての転機は、女心を知れと妹に言われたことだった」  ノブハルが発した言葉は、ある意味場の空気にそぐわないものだろう。そして突然の、しかも予想もしない言葉に、セーブ・ゼスのメンバーはキョトンとした目をするだけだった。そんな反応を気にすることなく、ノブハルは「とても興味深いものだった」と自分の話を続けた。 「その中の一つとして、言葉に出たものが必ずしも本心ではないと言うことだ。そのデーターから判断すると、来るなと言われても男には行かなくてはいけない時もあると言うことだ。それから、この中にいる限り彼女の安全を気にする必要はない」  そこでソーを見たノブハルは、「お前は男か?」と問いかけた。つまり、嫌がられてもリスリムの所に行くのかと言う問いかけである。 「俺は……」  すぐには答えを口にすることができず、ソーはイライザの方を見た。そしてソーに見られたイライザは、ガリクソンに近づくと右手を彼の左手に添えた。それを確認したソーは、くるりと踵を返して部屋を出て言った。 「さて、そろそろノラナ・ロクシタンの方も決着が着く頃だろう」 「もう、戦闘は終わったと思っていいのか?」  政府側が陥落したのは確認したが、まだ解放同盟側が陥落したとの報告は聞いていない。そうなると、各所で行われている戦闘状況が気になってしまうのだ。  そんなガリクソンの問いに、「政府軍は撤収した」とノブハルは告げた。 「そして解放同盟のラプターとヴァルチャーは、こちらの戦力が抑え込んでいる。ヴァルチャーは落としていいと許可してあるので、間も無く解放同盟も無力化できるだろう。ちなみに、解放同盟の仕掛けはすでに破壊しておいた」  ノラナ・ロクシタンの身柄確保は終わっていないが、これで事実上ゼスの内戦は終結したことなる。生き物が死に絶えることでしか終わらないと思っていた戦いが、自分達によって終わりを迎えることになったのだ。「本当なのか?」と言うのは、未だ信じられないと言う気持ちからだろう。 「ああ、もはやノラナ・ロクシタンの身柄は重要な意味を持たないだろう。彼女に動かせる戦力は、もはや残っていないのだからな。それは、ゼス政府も同じと言うことだ」 「本当に終わったと言うのか……」  くどいほど聞いてきたガリクソンに、「ああ」とノブハルは頷いて同意を示した。 「これで、トリプルAの請け負った第一の業務は終わることになる」 「終わったんだな……」  そう呟いたガリクソンは、「終わったんだ」と仲間達の方へ振り返った。 「お前達の冒険はまだまだ続くのだろう……だが、今は素直に喜べばいい」  ガリクソンの背中を、ノブハルはぽんとイライザの方へと押した。 「もうすぐ出番が来るのだが、それまではせいぜい喜ぶことだ。おめでとう、これでゼスから狂気は拭い去られたのだ」  ノブハルの言葉と同時に、「よしっ!」と言う声がセーブ・ゼスのメンバー達から上がった。男達は拳を握りしめ何度も「よし」と繰り返し、女達はお互い抱き合い涙を流しながら跳ねていた。組み合わせが違わないかと思いはしたが、ノブハルは彼らが喜ぶ姿を暖かく見守ったのである。  原則的に自動運転で動く以上、コンテナカーには各種の安全装置が整っていた。その中には進行方向に歩行者が現れたら、安全な状況で停車すると言うものも含まれていた。  政府が放った大陸間ミサイルを消滅させたカイトは、クチャクラリの郊外を爆走するコンテナカーの前に姿を現した。50の車両を連結したコンテナカーは、首都サイプレスシティに食料を搬送するものである。時速200kmで走行するコンテナカーの前、およそ500mの所でカイトは道路の中央に立った。  相手の重量は、500トンを超えるだろう。停止せずに衝突することになったら、とても無事ですむとは思えない破壊力を持っていた。 「まあ、あんなのに負けるはずはないんだが」  それでも爆走して近づいてこられるのは、精神的に「嫌だ」と思えてしまう。だからちゃんと止まってくれと願っていたら、安全装置が正常に働いたのか、次第に減速したコンテナカーはカイトの前およそ20mの所で停止した。  本来コンテナカーには、複数のラプターが護衛についている。だがカイトの目の前に現れたのは、銀色に輝く1機のラプターだけだった。 「どうやら、正解だったようだな」  カイトを認めた銀色のラプターは、その手前10mの所に降り立った。 「お前は、タリヌム・カリキヌムか?」 「俺を知っているお前は……そうか、キャプテン・カイトが関わっていたのか」  カイトの顔を見たタリヌムは、「何の用だ」と大声をあげた。 「ゼスを地獄に変えたお前が、今頃のこのこと現れて何をしようと言うのだっ!」 「無駄な抵抗をやめさせ、セーブ・ゼスに投降させにきた」  ポケットに手を突っ込んだカイトは、「居るんだろう」とタリヌムの後ろに停車したコンテナカーを見た。そこに、オリーブ色の服を着た女性としてはがっしりとした体格の女が立っていた。 「あなたが、キャプテン・カイト?」 「お前が、ノラナ・ロクシタンと言うことか。それなら話が早いな。お前達の仕掛けは、すでに俺達が破壊した。そしてラグレロ総統も、今頃は投降……ああ死んだのか。まあ、政府は事実上壊滅したことになる。そう言うことなので、お前達が戦う理由がなくなったと言うことだ。おとなしく、セーブ・ゼスに投降することだ」  緊張感なく宣告するカイトに、「ラグレロが死んだの?」とノラナは問いかけた。 「ああ、総統府ごと消滅したらしいな。脱出の可能性は、ほぼ0と言う報告が上がっている」 「そう、ラグレロが死んだの……」  そこで大きく息を吐き出したノラナは、「終わったと言うことね」とカイトの顔を見た。 「ああ、各所で行われた戦闘も終結に向かっている。後はお前が戦闘放棄を命ずれば、これ以上無駄な犠牲を出さなくても済むだろう」 「そう、本当に終わってしまったのね……」  自分に言い聞かせるように呟いたノラナは、「一つ教えて」とカイトに投げかけた。 「あなた達は何者なの? いくらあなたでも、こんな仕掛けができるとは思えないのよ」 「俺達の正体か?」  当たり前の疑問に、「そうだな」とカイトは少しだけ答えを考えた。 「トリプルAと言う会社の社員だ、と言うのは極めて不親切な答えなのだろうな。俺とトラスティ、そしてノブハルと言う曰く付きの男達が、IotUの謎に迫るためにゼスの問題解決をすることにした。モンベルト、パガニアと過去の宿題を終わらせ、ゼスと言う今を変えようと考えたんだ。そして作戦指揮官にスターク・ウェンディ元帥を迎え、こうしてゼスにまでやってきた」 「そう、ウェンディ元帥まで来ているのね」  仕方がないと呟いたノラナは、「ヘロン」と仲間を呼んだ。 「戦闘停止の命令を出しなさい。もう、私達が殺すべき相手はいなくなったわ」 「そうですか、余計な邪魔が入ったものですね」  仕方がないとカイトの顔を見たヘロンは、命令を出すためコンテナに戻って行った。それを見送ったノラナは、タリヌムに並ぶように一歩前に出た。 「それで、私達をどうしようと言うの?」 「それを決めるのは、セーブ・ゼスのメンバーだ。俺は、お前達を連行する所までが役目だ」  それに小さく頷いたノラナは、タリヌムの肩を叩いて「後は任せたわ」と声をかけた。そしてそのまま振り返ると、ヘロンが入って行ったコンテナへと向かった。 「今更抵抗することに、何か意味があると思っているのか?」  それを呼び止めようとした時、タリヌムが再度ラプターを装着した。そしてノラナを止めようとしたカイトへと襲いかかってきた。 「確かに、今更抵抗することに意味などないのだろう。だが、俺はナイアドを殺したお前と戦って見たいのだ」  巧みな体捌きで襲いかかって来るのだが、今のカイトには遅すぎる動きでしかない。さらなる高みを目指したことで、カイトの戦闘力は5年前とは比べ物にならないほど高まっていた。 「今更、俺と戦うことに意味はないだろう。それにお前では、どうやっても俺に勝つことはできないぞ」 「ならば、ナイアド同様俺を殺すのだな」  圧倒的な力量差を見せても、タリヌムの闘志はいささかも衰えることはなかった。それどころか、ラプターの限界を超えた動きでカイトに迫ってきたのである。 「主よ、この男は死を覚悟……ではないな、お前に殺されることを願っておるようだ」 「そんなものに付き合わせるなと言いたいのだが……」  自分達の戦いが終わったと突きつけられれば、その先は後始末を考えることになる。そして目の前の男タリヌムにとっての後始末は、ナイアドを殺した自分と戦うことなのだろう。  それは分かっていても、カイトはタリヌムを殺すことはできなかった。その代わり相手の拳を避けたタイミングで、思いっきり手加減をしてタリヌムの顔面を殴りつけた。ただ手加減をしても、その威力は並大抵のものではない。冗談のような勢いで弾き飛ばされ、タリヌムの体はコンテナカーに叩きつけられた。丈夫な外装を持つコンテナなのだが、タリヌムが衝突した場所は人の形で陥没していた。 「俺は、お前を殺すつもりはないぞ」  だから無駄なことはやめろ。そしておとなしく投降しろと命じたカイトに、「俺の役目は終わった」とタリヌムはラプターを解除した。そしてダメージを感じさせない素早さで、ノラナの消えたコンテナの中へと転がり込んだ。 「ザリア、空間跳躍の前兆はあるか?」 「いや、ちょっと待てっ!」  ザリアが焦った声をあげた次の瞬間、ノラナ達のいたコンテナが爆発した。それだけなら単なる自爆なのだが、自殺のための自爆にはその規模は大きすぎた。コンテナを中心に暴力的な破壊の渦が広がり、およそ半径10kmの範囲を吹き飛ばしてくれたのだ。  そして爆発が収まった後には、すり鉢状になった空き地が広がっていた。その中心に近い所では、「やめてくれ」とカイトが頭を抱えて立っていた。ただ見た限りでは土ぼこりに塗れてはいたが、どこにも怪我をした様子はなかった。 「どうやら、これがあいつらなりの始末の付け方らしいな」  後味が悪いと吐き出したカイトは、「帰るぞ」とザリアに声をかけた。 「ところで、戦闘の方はどうなっている?」 「自爆前に、停戦命令は出されたようだな。ヴァルチャーは機能停止、ラプターは地上に降りて武装解除をしているようだ」  その報告を聞く限り、ゼス上から戦争状態が解消されたのは間違いないだろう。ただそれならそれで、カイトにも言いたいことはたくさんあった。ここまで好き勝手やった以上、自殺と言うのは勝ち逃げに等しかったのだ。 「呆気ないと言うのか、後味の悪すぎる終わり方だな」  カイトの呟きに、ザリアは「確かに」とそれを認めた。 「その後味の悪さこそが、奴らがお前に残していった呪いなのだろうな」 「俺への呪いか……これで俺が楽になるとでも思ったのか?」  今更だなと吐き出したカイトは、もう一度ザリアに「帰るぞ」と告げた。 「ああ、主には今更のことだろう。それでも辛ければ、母のおっぱいに吸い付いても良いのだぞ」  遠慮するなと笑うザリアに、「遠慮する」とカイトは言い返した。 「悪いが、母親のおっぱいが恋しい年頃じゃないんでね。これでも、二児の父親なんだからな」 「母親にとっては、幾つになっても子供は子供と言うことだ」  もう一度笑ったザリアは、「エヴァンジェリンに任せるか」とここにはいない金髪美人の顔を思い浮かべた。 「どうやら主にも、金髪碧眼好きは遺伝しているようだな」  それでこそ我が子と納得し、ザリアはアリスハバラへと空間跳躍をした。トラスティも戻っているだろうから、そこに行けば父子の対面もできるだろうと。  突然指揮命令系統が消失したにも関わらず、混乱自体は比較的小さなもので収まっていた。その辺り、事前の宣伝と圧倒的な戦力差がものを言ったと言う所だろう。見せつけられたスターライト・ブレーカーの威力は、抗うことの無力さを突きつける意味を持っていたのだ。  ただ大きな混乱自体は起きていないが、小さな混乱なら至る所で起きていた。そして終わったはずの戦闘も、突発的な形で発生したのである。このまま戦闘が拡大したら、せっかくの停戦が意味のないものになってしまう恐れもあった。それを相談されたトラスティは、「現時点では」とガリクソンの顔を見た。 「ゼスでの代表権を持つのは、セーブ・ゼス以外にいないと言うのが実態だ。従って君たちは、連邦軍に治安出動を依頼する権限を持っていることになる」 「あなた達ではなく、連邦軍に頼むのですか?」  意外だと言う顔をしたガリクソンに、「コストの問題」とトラスティは笑った。 「僕達なら有料、そして連邦軍なら無料ってことだよ。君達の借金を膨らませないためにも、無料の手段を頼った方がいい」  その答えに、本気ですかと疑問のこもった表情をガリクソンは向けた。それを受け止めたトラスティは、「本当の所」と口元を歪めた。 「僕達も、あまり長期間ここに居る訳にいかないと言う理由もあるんだけどね」  それが本音と笑ったトラスティは、「もう一つ」と理由を付け足した。 「いつまでも私兵に頼るより、連邦軍を頼った方が住民に警戒されないんだな。そしてその方が、政権の正当性を示すことにもなるんだ」  そう説明したトラスティは、もう一つの「なぜ」を口にした。 「もともとゼスの問題を複雑化させたのは、連邦法の問題だったんだよ。僕達が考えたのは、どうやって連邦法をクリアするのかと言うことだけだった。そのための第一歩が、軍の派遣を経済行為に落とし込むことだったんだよ。そしてその次に考えたのが、迅速に連邦軍に責任を放り投げることなんだ。君達セーブ・ゼスが実権を掌握してくれたので、ようやく連邦軍を引っ張り込むことが可能になったと言うことだね。ちなみに各地で起きて居る小競り合いは、キャプテン・カイトに任せて鎮圧している所だ。キャプテン・カイトにリゲル帝国剣士が揃ったら、普通なら抵抗しようとは思わないだろうね」  そう説明されれば、確かにそう思えてしまう。安堵の息を漏らしたガリクソンに、トラスティはもう一つ重要なことを付け加えた。 「君は、ゼスを包んだ狂気と演説の中で繰り返していただろう。確かにゼスは、狂気に包まれていたんだよ。ただラグレロ総統とノラナ・ロクシタンが死んだことで、その狂気も拭い去ることができた。そしてもう一つ、戦っていた者達も本音では戦いたくなかったんだ。ただ彼らを包んだ狂気が、戦うことをやめさせてくれなかっただけのことなんだよ。だから彼らを駆り立てた狂気が拭い去られた以上、彼らも戦うことを止めることができるんだ。それが、思いの外あっさりと戦いが終息した理由だね」  ゼスを包んだ狂気と言う言葉に、ガリクソンはその通りだと頷いた。 「ただ狂気ばかりではなかったと俺は思っています。俺達もそうですが、みんなが未来を諦めて居たんですよ。このままいけば、近い未来にゼスから生き物は死滅してしまうことになる。漠然としてですが、それを感じ、しかもどうにもならないと諦めていたんです。それが違うんだと示せたことで、新しい道があるんじゃないかと思えるようになったのだと思います」  その答えに、トラスティは小さく頷いた。 「それならば、君の責任はますます重大になると言うことだね。新生ゼス最初の総統として、この星を導いていく責任ができてしまったんだ。そこで失敗すると、希望は失望に置き換えられてしまうことになる。そうなると、第二第三の解放同盟が生まれることになるんだよ」 「そうやって、未経験の俺達を脅かさないで欲しいんですけどね……それに、そこまでアフターサービスに含まれていたと思っていますが?」  そうですよねと確認され、「大サービスだ」とトラスティは笑った。 「まあ、思ったより短期間で決着がついたから、コストの方も削減はできたんだけどね。と言うことで、君はこれから積極的に露出する必要がある。とりあえず、ゼス暫定総統でも名乗って貰おうか。そのための会見も開かなくちゃいけないんだな」  頑張ってくれと言われ、ガリクソンは真剣な表情で頷いた。リスリム達を交え、あれから何度も仲間だけで話し合いを繰り返したのだ。そこで課題となったのは、指摘されていた内戦を止めた後のことだった。ただ内戦を止めるだけでは、結局何もゼスは変わらなくなってしまう。そして今の状況は、その段階にしか達していなかったのだ。自分達にどこまでできると言う疑問はあっても、今は自分達以外に誰もいないと言うことだけははっきりしていたのだ。 「俺に、どこまでできるのか分かりませんが……」  そう言って自分を見るガリクソンに、成長したのだとトラスティは感じていた。ちなみに今更のことだが、ガリクソンとは年齢が1つしか違っていなかった。それを考えると、「成長した」と言うのは随分と上から目線と言うことになるのだろう。  これはさらにおまけになるのだが、チーム2のリーダーゲレイロはトラスティより年上だった。 「俺達が捻じ曲げた未来に対して、責任を持つ必要があると言うのは分かっています。俺達は……俺は、その責任から逃げるつもりはありません」 「それは、いい覚悟だと褒めてあげよう」  そう答えたトラスティは、「ただ」とガリクソンの覚悟にブレーキを踏んだ。 「強すぎる責任感は、時として思いも寄らないことをしでかす可能性もあるんだ。クラランス・デューデリシアを謀殺したラグレロ総統にしても、ここまでゼスの人々を死なせたいと思っていなかったはずだ。ただ採った方法が、少しだけ短慮だったと言うことだよ。自分が守ると言う責任感の強さが、戦いを引き返すことのできないものにしてしまったんだ。そしてその事情は、解放同盟のノラナ・ロクシタンも同じなんだよ。ちょっとしたボタンの掛け違えから始まった内戦を、それぞれの強い責任感が激化させてしまった。良かれと思う気持ちが、最悪の事態を引き寄せてしまったと言うことだ。ただ君に対して、責任感を持つなとは言わない。責任感のないものに、惑星全体を導くことなんてできないからね。ただ自分のして居ることが本当に正しいことなのか。それを絶えず自問し続けて欲しい。そして君の周りにいる仲間にも、遠慮などしないでどんどん頼るべきだ。それでも自身が持てなくなったら、トリプルAに相談してくれればいい。格安でコンサル契約を結んであげるよ」 「結局、最後は商売になるんだな」  口元を引きつらせたガリクソンに、「当たり前だろう」とトラスティは言い返した。 「ちゃんとお金を稼がないと、本当に妻のヒモになってしまうからね。ちょっと女性関係で頭が上がらないから、金儲けぐらいは大きな顔をしたいんだ」 「だったら、恩返しの意味でもコンサル契約を結ぶ必要がありそうだな」  笑いながら立ち上がったガリクソンは、「ありがとうございます」とトラスティに右手を差し出した。 「早速契約書の原案を作ることにしよう」  ガリクソン新総統と呼びかけ、トラスティは差し出された右手を握り返した。そしてしっかり手を握りながら、「もう一つ」とトラスティはガリクソンに提案を持ちかけた。 「ゼス復興には、是非ともトリプルAに声を掛けてくれないか。重粒子爆弾で荒れ果てた土地も、うちに掛かれば比較的短時間で元どおりにしてあげられるんだよ。その辺りの実績は、パガニアに破壊されたモンベルトで証明済みなんだ」 「格安で手を貸してくれた理由が分かった気がします……」  はっきりと苦笑を浮かべたガリクソンは、「その時には」と空約束をした。 「復興作業に取り掛かるためには、ゼスの治安を安定させる必要がありますからね。ラシュトとかの復興着手は、それからのことになると思う」 「それは、正しい認識だと認めてあげよう」  そう言うことでと手を離したトラスティは、「この後どうする?」と問いかけた。 「俺がアルバイトをしていた店が無事と言うのが確認できたんだ。だからラッカレロに戻り、仲間達とシュエップ・パーティーをしようと思っている」  ジョッキを持つ真似をしたガリクソンに、「いいね」とトラスティは笑った。 「是非とも仲間に入れて欲しいと言いたいところなんだけど……今日の所は我慢しておくことにするよ。ただ護衛の手配だけはしておくつもりだ」 「重ね重ね、感謝させて貰う」  そう言って頭を下げたガリクソンに、「それはいいから」とトラスティは笑った。 「時間も丁度良さそうだから、早く仲間に合流した方がいい。そうじゃないと、どんな悪口を言われることになるのか分からないからね」  そう言うことだと、トラスティはガリクソンをセーブ・ゼスのメンバー達のところに飛ばした。 「さて、僕も色々と整理する必要がありそうだ……」  図らずも、ゼスに関わることで大きな進展があったのだ。そのこと自体を整理する必要があるし、それが持つ意味も考えて見る必要がある。加えて言うのなら、アクサの秘密に迫る方法も考えなくてはいけないのだ。それが解明できてしまえば、謎解きもあと一歩と言うことになるのだろうと。 「ザリアの本当の姿……あれは、ラズライティシア様ではないと言うことか」  彼女を抱いた時、その姿が変貌したのを覚えていたのだ。その姿は、以前の幼女の時とは違う、幼くはあっても別次元の美しさを持ったものだった。もしもそれがザリアの真の姿と言うのなら、これまでの伝承は間違っていたことになる。その理由を探り当てることが、IotUの、そしてこの銀河の謎を解くことになるのだとトラスティは確信したのである。  政治向きの話をトラスティに任せたことも有り、ノブハルはカイトと組んで治安維持の活動に取り組んでいた。ただゼスの内情が分からないので、イミダスとソーの二人も巻き込んでいた。 「相変わらず小競合が絶えないのだが……」  時々刻々アルテッツァから伝えられる状況に、ノブハルは小さくため息を吐いた。それを見咎めたソーは、「浮かれているのだろう」と小競り合いの原因を口にした。 「それぐらいは分かっているつもりだ。浮かれる気持ちは理解できるが、ラプターを使って暴れるなと言いたいだけだ」  まったくと文句を言いながら、ノブハルは治安派遣の手配を進めていった。ちなみにこの出動は、リゲル帝国剣士からは極めて評判の悪いものになっていた。そのあたり、暴れられないと言うのが理由として大きいのだろう。彼らの望むガチの戦闘が、本当に初期にしかできなかったのも理由になっている。 「ノブハル様、ニムレス様から苦情が来ていますが?」  そしてまた、最年少10剣聖から苦情が来たと言うのだ。あからさまなため息を吐いたノブハルは、中身を聞かずに「却下だ」と答えた。 「中身も聞かずに、ですか。まあ、いつも通りの苦情と言うのは否定しませんが。煩いことを言うと、ザリアをけしかけるとでも答えておきましょうか」 「そのあたりは任せる……ちょっと待て」  ザリアが効果的と言うのは、前回の経験から分かっていた。ただニムレスとザリアと言うキーワードに、何か引っかかりを感じてしまった。ただ何と言うのが分からなかったので、「まあいいか」と脅しの言葉を送る許可を出した。 「ノブハル様、ニムレス様から命乞いをされたのですが……どういたしましょう?」 「おい、命乞いは大げさじゃないのか?」  いくらなんでもと答えたノブハルに、「つなぎます」とアルテッツァは無機的に答えた。そこでニムレスと繋がった所で、それが大げさでもなんでもないことをノブハルは理解した。超銀河連邦で名高い10剣聖が、顔を青くし鼻水を垂らしていたのだ。 「す、すまなかった、これからは冗談でもザリアを持ち出したりはしない。それから、誰かと交代して休息を取ってくれ」  慌ててフォローをしたノブハルは、「ザリアは何をしたんだ」と以前と同じ疑問を抱いた。ただアルテッツァが事情を知らないのは変わっていないので、答えが与えられないのも以前のとおりだった。あまりにも効果がありすぎるので、ノブハルはこの方法を封印することにした。 「しかし」  そうつぶやいて、ノブハルは現場2箇所を目の前のスクリーンに映し出した。そこにはぽっかりと丸く穴の空いたサイプレスシティと、半径10kmが廃墟となったクチャクラリ近郊の姿があった。 「ラグレロ総統とノラナ・ロクシタンか?」  映像を見たソーに、ノブハルは小さく頷いた。 「どうしても、割り切れない思いを抱いてしまうのだ。もう少しうまくやれば、二人とも死なせなくても済んだのではないかとな」  しんみりとした声を出したノブハルに、「それは違う」とソーは否定の言葉を投げかけた。 「それは、平和な世界で暮らしている者の考え方だ。お前が名を挙げた二人が生きていたら、ゼスはまだ狂気の中にいたはずだ。そして二人は、ゼス住民の報復による死が待っていただろう。奴らは、自分の死に場所を自分で決めただけのことだ」 「お前は、ゼスを包んだ狂気をこの二人のせいにすると言うのか?」  少しきつい言葉を吐いたノブハルに、「そのつもりはない」とソーは言い返した。 「ただ、二人が狂気の象徴になっていたのは間違いないはずだ。そして住民に磔にされるよりは、よほどましな決着だと俺は思っている。もしもそんなことになれば、ゼスの狂気はまだ醒めることはなかっただろう。その意味で、どちらも勝利を収めなかった結末と言うのは、望みうる中では最高のものだと思っている。ゼスの市民もまた、敗北を突きつけられたのだからな」  ソーの答えに、ノブハルは「そうか」とだけ答えた。まだ釈然としない所は有るが、彼の言うことも尤もだと思えたのだ。自分ならば、ラグレロとノラナの二人には、正当な裁判を受けさせていただろう。だが冷静な目で見れば、今のゼスで冷静な裁判が遂行されると言う保証はどこにもなかったのだ。それほど20億を超える人々の死は重く、市民はその罪に対して生贄を求めるのは想像がついたのだ。 「こうして内戦は終わりはしたが、俺達にもさほど達成感が無いのは確かだ。結局お前達におんぶにだっことなり、いつの間にか戦いが終わっていたと言うのが現実なのだ。あれほど泥沼の戦いだと思っていた内戦が、こんなにもあっけなく終わってしまうのかと言う思いもある。そしてあっけなさは、ゼスの市民も感じていることだろう。多分一番現実を感じているのは、新総統となるガリクソンだと俺は思っている。今頃トラスティ氏に、さんざんこれからのことを脅されているのだろうからな」  そこで「いい気味だ」とソーが言ったのを聞き、ノブハルは驚いたように目を見張った。 「お前がそんなことを言うとは意外だな」 「別に俺は、聖人君子なんかじゃないからな。俺から女を奪っていったんだ、この程度で溜飲を下げてもバチは当たらないだろう」  女を奪ったの下りに、「ああ」とノブハルはガリクソンの彼女の顔を思い出した。ただその彼女とソーの関係を知らないこともあり、そうだったのだ程度の感想でしか無かった。 「俺は、お前の相手はリスリムだと思っていたのだがな」 「彼女は、俺にとって護衛対象以上のものではない」  その答えに、ノブハルは思わず「嘘だろう」と返してしまった。 「だとしたら、彼女の父親が死んだ時にお前は何をしてやったのだ?」 「何を、か?」  そこで少し考えたソーは、「大したことはしていない」と説明した。 「俺の胸で泣かせてやっただけだ。したことと言えば、その程度なのだが……」 「抱きしめるぐらいはしてやったのか?」  それが肝心と確認したノブハルに、「どうしてだ?」とソーは聞き返した。 「満足するまで泣かせてやっただけだ。どうして、俺が抱きしめてやらなければいけないのだ?」  本気で不思議そうにするソーに、ノブハルだけで無く話を聞いていたイミダスもため息を吐いた。 「お前を見ていて、リンやナギサの気持ちが理解できた気がする……」  なるほど病室の出来事には、ちゃんと意味があったのだ。ノブハルは今になって、トラスティのお節介を評価した。あの時あの花がなければ、自分は一歩を踏み出せていないのを理解できたのである。  あの花を持ってきておくべきだったか。自分以上の朴念仁を前に、宇宙は広いと間違った感想をノブハルは抱いていた。 「ところで、お前達は打ち上げをするのではなかったのか?」  スケジュール表を確認したノブハルは、そこに「セーブ・ゼス打ち上げ」がスケジュールされているのに気がついた。場所がラッカレロと言うのは疑問に感じたが、区切りをつけることが必要とは認めていたのだ。そしてこれからは、仲間だけで打ち上げをする間も無いぐらいに忙しくなるのだと。  早く行けの意味を込めたノブハルに、「俺は行かない」とソーは返した。意外そうな顔をしたノブハルに、「仕事中だ」とソーは答えた。 「警備の仕事は、年中無休だと思っている」  違うのかと言われ、ノブハルははっきりと「違う」と言い返した。 「確かに警備と言う業務は年中無休なのだろうが、働いている者まで年中無休と言うことはない。そしてお前の場合、アドバイザー以上の役には立っていないのが現状だ。そしてイミダス氏が居る以上、不要とは言わないがここにいなくてはいけない理由は極めて薄くなる。従って、お前も打ち上げに参加すべきと言うことになる」  反論は許さないと睨んだノブハルを睨み返したソーだったが、すぐに目をそらして「分かった」と答えた。 「ここの責任者がお前である以上、その決定には従う」  悪かったと言って立ち上がったソーを、ノブハルは「待て」と呼び止めた。 「せっかくだから、送ってやる」  アルテッツァと声を掛けた瞬間、ソーの姿が「警備室」から消失した。行き先は、当然のように打ち上げ会場となった酒房ブラウヘンである。パガニアの護衛も付けてあるので、警備の面でも問題のない場所である。  ノブハルの姿が消えた所で、「手間をかける」とイミダスが謝罪の言葉を口にした。そのあまりにも心当たりの有りすぎる謝罪に、「あなたのせいなのか?」とノブハルは責任の所在をイミダスに求めた。 「改まって問われると、違うと否定したくなるのだが……責任の一端が私にあるのは否定出来ないだろう」  済まなかったと謝られたノブハルは、「いや」と視線をイミダスからそらした。 「俺も、あまり人のことを言えた義理ではないのだがな。何か、自分を見ているようで苛ついてしまうのだ。俺もトラスティさんから見たら、あんなに子供で視野が狭かったのかと見せつけられた気がする」 「まあ、それが子供と言うものなのだがね。5年も内戦の中にいると、まともな成長が出来ないのは仕方がないのだろうな」  未来を諦めるしか無い状況で、毎日生きていくことだけでいっぱいになってしまう。その状況に置かれれば、まともな成長が望めないと言うのも理解の出来ることだった。 「それも、変えていかなければいけないわけだ」 「ああ、これから時間を掛けて直していく必要があると思っている」  「道のりは長いが」とイミダスは付け足した。 「その辺りの支援は、あの人が考えているのだろう……いや、俺も及ばずながら手伝わせて貰おうと思っている」  トラスティとの差を、ナギサは経験と環境だと言ってくれた。だがノブハルは、他にも自分には欠けているものがあるのだと思っていた。それを口に出して言うのなら、「覚悟」とでも言えばいいのだろうか。物事への関わり方の違いが大きいのだと考えていたのだ。  だから能力は足りなくても、ゼスにも積極的に関わっていこうとノブハルは考えていたのだ。それだけで追いつくことが出来るとは思えないが、それをしなければ後ろ姿さえ捕まえることは出来ないと思い始めていた。 「それは、とても心強い話だね。トラスティ氏も同年代なのだろうが、彼らは君の方が話しやすそうだ。是非とも、相談相手になってやってくれないか」  嬉しそうな顔をしたイミダスに、「努力する」とノブハルは返したのだった。  スターク・ウェンディ元帥の突然の引退は、連邦軍に小さくない混乱を引き起こした。その混乱を終息させるため、幹事会は新たなトップとしてアス駐留軍司令、エイドリック・クサンティン大将を本部に呼び戻し、元帥とすることを決定した。そして同時に、ジュリアン・イスマル大佐を少将に昇格させ、アス駐留軍司令としたのである。  そして彼が元帥職について僅か40日後、緊急の要件で連邦幹事会に呼び出されることになった。シルバニアからライマールに移動したエイドリック元帥は、その足ですぐに幹事会へと出席した。 「クサンティン元帥に、惑星ゼスへの治安出動を命ずる事になりました」  幹事会を代表したサラサーテは、少しスッキリとした表情でエイドリックに命令を与えた。 「惑星ゼスへの治安出動ですか。つまり、連邦軍の出撃条件が整ったと考えて宜しいのですね」  予想外に早かったと言うのが、エイドリックの抱いた感想である。前任のスタークが引退してからの時間を考えると、まだ2ヶ月も経過していなかったのだ。ゼスの泥沼具合を考えると、早すぎると言っていい決着に違いない。 「それで、連邦への依頼は誰の名前で出されたのですかな?」 「惑星ゼス、暫定統治機構のガリクソン総統名で出されている。ラグレロ総統及びノラナ・ロクシタンが死亡したことで、ゼス上の戦闘は停止状態にあるそうです。この先の治安維持を目的に、連邦軍の関与をお願いしたいと言うのが先方からの依頼です。そして連邦に対して、行政機構の再構築支援の依頼も来ています」 「つまり、トリプルAは面倒を連邦に放り投げたと言うことですか」  それはそれはと苦笑したエイドリックに、「その通りなのですが」とサラサーテは困った顔をした。 「連邦として、断ることが出来ない依頼なのですよ。もちろん、断るつもりなどサラサラ無いのですが」  その答えに、エイドリックは大きく頷いた。 「これで、過去の失態を取り返すことが出来ますからな」  承ったと敬礼をしたエイドリックは、直ちに派遣を行うとサラサーテに答えた。 「さて、スタークの顔でも見に行くことにするか」  間違いなく面白いことになっているはずだ。ジュリアンの顔を思い浮かべ、「お先に」と小さくつぶやいたのである。  「元帥閣下が行くような仕事ではない」と言うのが、ハウンドを統括するシルベスター・パウエル大佐の意見だった。確かに惑星一つの治安維持と言うのは、近年稀に見る大規模派兵には違いない。ただ、元帥が出張るほどの仕事かと問われれば、迷うこと無く「否」と答えることが出来るものだった。  もっとも命令を持ち出されれば、シルベスター大佐も抵抗することは出来ない。「1日時間をください」と、派兵準備に掛かる時間を上申した。 「元帥閣下には、総旗艦ヒューペリオンを用意いたします」 「ああ、差配は君に任せるよ」  頼んだぞの言葉を背に、シルベスター大佐はエイドリック元帥のもとを辞した。そして元帥の執務室を出た所で、サポートAIを呼び出し「パターン1を急げ」と命令を出した。 「結局、スターク閣下の仰る通りになったと言うことか」  スタークが退役する際、シルベスターに対して色々と予定めいたことを教えていったのだ。その中には、さほど遠くない時期にハウンドのゼス派遣も含まれていたのである。さすがにここまで早いのは想定外だが、それでも派遣人員のリストアップは既に終わらせていた。その中には、新元帥となるエイドリックの同行案も含まれていた。 「しかし、こうも早くゼスの問題が片付くとは……」  これも巡り合わせかと、シルベスターはカイトの顔を思い出した。嘘か真か、彼がIotUの血を引くと教えられていたのだ。そして同じようにIotUの血を引くトラスティとノブハルに、御三家のウェンディが関わってきたのだ。それを考えれば、この結果はどこにも不思議なところはないのだろう。早すぎると言う思いにしても、これまでの常識に囚われた考えだと理解していたのだ。 「ご先祖様が、エスデニアに残ったのも無理も無いと言うことか」  スタークの出身地はライマールだが、シルベスターの出身地はエスデニアになっていた。そのあたり、1千ヤー前の出来事が理由となっていたのだ。ライマールに戻ったウェンディとは違い、彼の先祖はエスデニア宇宙軍に奉職したのである。 「さてさて、迷惑がられるかな」  そこで顔を思い浮かべたのは、果たしてスタークなのだろうか。後任を推薦しなければと考えながら、シルベスターは治安出動の準備を急いだのである。  新生ゼスの建国宣言は、旧政府および解放同盟制圧から1週間後のことだった。いささか性急に思われる行動なのだが、早く形を示す必要があるとのトラスティの助言に従ったのがその理由である。  本拠地としたホテルの大会議室を借りたセーブ・ゼスは、内戦終結と新たな建国を宣言するための会見を開いた。  もっとも今のゼスに、まともなマスコミは殆ど残っていない。それでもなんとか集まった記者達を前に、代表となるガリクソンが演壇に立った。そしてその後ろには、残りの9人が緊張を隠さずに並んでいた。 「セーブ・ゼス代表のガリクソン・ゾーラーだ。既に俺の顔は知っていると思うが、改めて名乗らせて貰うことにした。そしてこの場に立った俺は、皆に内戦の終わりを報告させて貰う。5年の長きに渡り、大勢の命を散らしてきた戦いは、我々の手によって終りを迎えた。これで、ゼスに生きる人々は、戦いで命を落とす心配をしなくて済むことになったのだっ。繰り返させて貰う、戦いは終わったのだ! この時から、ゼスは新しい歴史を刻み始めることになる。新生ゼスの誕生、建国がなったのだ!」  最後の所に力を込め、ガリクソンは高らかに戦いの終わりを宣言した。ただ彼の前には、数えるのが悲しくなるほどのマスコミしか顔を出していない。そして戦いの終わりを喜ぶはずの市民も、会場の中には入っていなかった。  それでも、この会見自体は空間投影技術を用いてゼス全土に流されていた。若すぎるガリクソンへの違和感はあっても、ゼスの国民は「内戦の終わり」を熱狂をもって受け入れた。 「超銀河連邦に対して、既に内戦終結後のサポートを依頼してある。明日にでもクサンティン元帥以下、連邦軍の重鎮がゼス空域に到着することとなっている。そして準備が整い次第、連邦軍がゼス各地に展開し、治安の監視を行うことになっている。これで、どさくさに紛れた不法行為への対応も万全と言うことになる。そして先に謝らせて貰うが、俺達セーブ・ゼスが当面ゼスの代表とさせて貰うことになる。そのことに不満は有ると思うが、当面の処置として我慢して貰いたい。とにかく超銀河連邦と交渉するためには、誰かが代表となる必要がある。後の正式な代表を決めるまでの、暫定代表だと理解をして欲しい」  一度言葉を切り、ガリクソンは見ているだろう市民に対して頭を下げた。そしてゆっくりと頭を上げ、ガリクソンは挨拶を続けた。 「本来建国にあたり、暫定代表として抱負を述べる必要があるのだろう。だがその前に、諸君が持っているだろう疑問に答えようと思う。諸君も、このままではゼスは滅びると思っていたはずだ。俺達も、ほんの少し前までそう思っていた。止める意思のない、そして止める者もいない戦いは、ゼスが滅亡するまで終わらないと思っていたのだ。そのことに対して、諸君も不条理を感じ、そして何も出来ない自分に絶望を感じていたのではないだろうか。そして滅亡の運命から目をそらし、ただ今を生きることだけに汲々としていたのではないだろうか。IotUでも現れない限り、ゼスの未来は変わらない。そう思っていたのではないだろうか。だがこの時代に、IotUはいないのだ。だがIotUの奇跡に頼らない、人の力による変革を目指す者達は現れていた。彼らは8百ヤー前から続く問題を解決し、連邦の今へと目を向けたのだ。そして連邦も手を出せなくなったゼスに、目を向けてくれたのだ。俺達は滅亡しか無い未来を変えたい、そして彼らは連邦に残る不条理を解決したい。利害が一致した俺達は手を結び、ゼスの戦いを終わらせることに乗り出した。連邦法を遵守し、合法的にゼスの内戦を終結させる。そのために俺達は、ちょうど20日前に契約を交わすことにした。その契約から2週間で、事実上ゼスの内戦は終りを迎えた。そして今日、それを宣言し、新たなゼスの建国を宣言する運びとなった。奇跡に頼らなくても、人の叡智を結集すればゼスの問題も僅か2週間で解決するのだ。大きな変革は、1ヶ月にも満たない短い時間で起こったのだ!」  そこで言葉を切ったガリクソンは、自分の言葉が伝わるのを待った。少ないながらも集まったマスコミ関係者を見れば、どれだけ常識から外れたことを言ったのかは理解できていた。  彼らが落ち着くのを待ったガリクソンは、「紹介する」と声を張り上げた。 「戦いに明け暮れた俺達は知らなかったが、実は超銀河連邦ではとても有名な存在……だったらしい。その代表をこれから紹介したいと思う。天の川銀河、浜の星星系ジェイドに本拠地を置くトリプルA相談所。その社長をされているアリッサ・クリューグ・トランブルさんだ」  ガリクソンが声が枯れるほどの大声を上げたのに合わせ、舞台の反対側にスポットライトが当てられた。そのスポットライトに照らし出されたのは、金色の髪をしたとても美しい女性だった。  スポットライトを当てられたアリッサは、一度お辞儀をしてからガリクソンの方へと歩き出した。そして演壇に立ち、ガリクソンと固い握手を結んだのである。 「ただ今ご紹介に預かりましたトリプルA代表アリッサ・クリューグ・トランブルです」  穏やかに微笑みながら話す姿は、たちまち映像を見る者達の心を掴んだ。  微笑みだけで見る者の心を掴んだアリッサは、「この場に立てることを光栄に思います」とメッセージを伝えた。 「ゼスの問題は、この星に住まう多くの方々だけでなく、広く銀河の中でどうしようもない問題として捉えられていました。そして私共にしても、これと言った方法論があったわけではありませんでした。ですが、ここにおいでのガリクソン様ならびにセーブ・ゼスの皆様方のゼスを救いたいと言う熱意が、問題解決の道を開いてくださったと思っています。超銀河連邦が介入できる下地を作ったことが、この問題の一つの区切りになったのではないでしょうか。私達トリプルAが、その一助になれたことを嬉しく思っております」  簡単な挨拶だったが、それでもマスコミ及び市民への受けは非常に良かったと言えるだろう。その証拠に、アリッサが演壇に立っている間、詰めかけた記者たちはアリッサの姿を記録に残し続けたのである。そして記者たちは、アリッサが舞台の袖に消えるまでその姿を追い続けたのである。  アリッサのインパクトが収まるのを待ったガリクソンは、「これからのゼスは」と声を張り上げた。 「破壊の後には、創造が続くと言うのが相場になっている。そしてゼスもまた、創造の時を迎えたのだと思っている。内戦の傷跡を癒やすのと同時に、ゼスが生まれ変わったことを内外に示したいと我々は考えている。だから諸君には、最初の3年間はこの顔で我慢をして貰いたいと思っている。その3年が過ぎた所で、連邦の立会の元、ゼスを新しい体制に移したいと思っている。つまり、これまで行われてこなかった、総選挙を行おう言うことだ。それまでに、俺達はこれまでの政府の政策、そして解放同盟の主張を分析していくつもりだ。収拾がつかなくなる恐れもあるが、諸君の意見を聞く機会を作ろうと思っている」  それからガリクソンは、ゼスの未来に向けた夢を語った。ともすれば青臭く感じられる未来への夢なのだが、率直な彼の言葉は市民達に好意的に受け止められた。およそ30分続いたガリクソンの演説の後、セーブ・ゼスのメンバーが一人ずつ紹介された。いずれも年若い彼らの姿に、人々は新しい時代の到来を感じたのである。  新生ゼス建国宣言の翌日、トリプルAから引き継ぎを受けるため、超銀河連邦の艦隊がゼス空域に到着した。旗艦ヒューペリオンを筆頭に、全長2kmはある巨艦が100隻と言う、そうそうたる規模の艦隊である。その中には治安維持を行うハウンドに加え、行政機構の監視団も含まれていた。 「以上が引き継ぎと言うことになる」  そこで顔を合わせた新旧元帥は、がっちりと握手を交わした。 「しかし、引き継ぎデーターの在り処がアルテッツァと言うのは……」  ずぶずぶだなと苦笑したエイドリックに、何を今更とスタークは笑い飛ばした。 「トリプルAには、ライラ皇帝の夫君がおわすのだぞ。しかも、シルバニアとトリプルAは業務提携契約を結んでいる。従ってアルテッツァの使用は、正式な契約によるものだ」  だから正当な方法だと主張したスタークに、エイドリックは自身の持つもう一つの立場を持ち出した。 「その夫君なのだが、結構危ない真似をさせたのではないのか? 帝国臣民の立場では、看過し得ない問題だと思っているのだがな」 「デバイスに守られている彼が、危ない目に遭うと言うのか?」  有りえんなと、スタークはエイドリックの抗議を一笑に付した。 「そこは、特製のデバイスと言って欲しい所だが。ゼス程度では手違いでもない限り、危ない目に遭うことはないのだろうな」  そう答えたエイドリックは、「こちらに」とスタークを応接へと案内した。不思議な事だが、連邦軍総旗艦をスタークは使用したことがない。それもあって、船の構造には不案内になっていた。 「こうして考えてみると、一度も使わなかったのは運が良かったと言うのだろうか」  そこそこ立派な応接に通されたスタークは、その調度を見てしみじみと吐き出した。 「間違いなく、不幸だと俺は思っているぞ、その証拠に、元帥の仕事は退屈極まりない」 「アス駐留軍総司令職が、刺激にあふれる仕事とは寡聞にして知らないのだが?」  スタークの切り返しに、確かにその通りだとエイドリックは認めた。 「だから、閣下が羨ましいと思っているよ。と挨拶がわりの軽いジャブを交わしたのだが、何か目新しいことはあったのか?」  特にあの3人に関してと。エイドリックは退役した結果をスタークに求めた。 「はっきりとはしていないが、ザリアの新しい姿を見せてもらったと思う。間違いなく、あれはデバイスなどと言う矮小な存在などではない。デバイスの姿を借りた、全く別の存在だと確信させて貰った。そしてザリアの力を借りて、カイト君はスターライト・ブレーカーを放つことが出来た」 「スターライト・ブレーカーだとっ!」  エイドリックが思わず腰を浮かすほど、スターライト・ブレーカーの意味は大きかった。光を超え、そして操るのがIotUの力と伝えられていたからである。 「ああ、スターライト・ブレーカーだ。光とエネルギーを、下僕とする奇跡の技だ。ゼス政府軍の用意した大陸間ミサイルの破壊に、カイト君はスターライト・ブレーカーを使用した」 「つまり、一歩先に進んだと言うことか」  なるほどと頷いたエイドリックに、「二歩だ」とスタークはその言葉を訂正した。 「おぼろげに見えた姿は、ラズライティシア様のものではなかった。幼く見える姿ではあったが、とても美しい姿をなされていたのだ。もしもそれがザリアの真の姿と言うのなら、我々は伝承の先を見たことになる。その姿は、カイト君も一瞬だけ確認したそうだ」 「ここに来て、急速にピースがハマりだした……と言うことか」  ううむと唸ったエイドリックは、「IotUの意思か」と呟いた。 「そうとも言えるし、そうでないとも言うことが出来るな。それでも言えることは、機が熟してきたと言うことだろう。ザリアの謎が解ければ、芋づる式に他の謎が解けるような気がしてきたのは確かだ。ただノブハル君のデバイス、アクサは手強そうだがな。あれだけは、今の所全く手がかりがない状態だ」 「謎の解明は、ノブハル様に掛かっていると言うことか」  もっとも謎に近いのが誰かと考えると、間違いなくそれはノブハルに思えた。もっともアクサと接する時間が長いのだから、当たり前といえば当たり前の考えでもある。 「確かにノブハル君は、謎を解く鍵の一つには違いないだろう」  それを認めたスタークは、「ただ」とトラスティのことを持ち出した。 「ザリアの鍵を開けたのは、確かにカイト君の一言だった。だがそこから先は、トラスティ氏が大きく関与しているのだ。彼の前では、ザリアがまるで乙女のごとく振る舞い、そして抱かれることを願ったのだ。だからデバイスでないと……」  自分で説明していて、スタークは何かに引っかかりを覚えた。それで言葉をつまらせたスタークに、「どうかしたのか」とエイドリックは問いかけた。 「いや、突拍子も無いことが浮かんでしまったのだ。だが突拍子もないことなのだが、それで一つのことに説明がついてしまうことに気がついてしまった。時間的問題を棚上げすれば、カイト君の出生に纏わる秘密に説明が付くのだ」  その言葉に、「まさか」とエイドリックは身を乗り出した。 「ザリアが受胎し、その受精卵が30年前のジェイドに飛ばされたと言うのか!」  さすがにそれはと驚くエイドリックに、「可能性として」とスタークは答えた。 「それであれば、ジェイドのバンクにIotUとラズライティシア様の情報がないことの説明になる」 「だが結論から理由をこじつけているのではないか? 確かにトラスティ氏の遺伝子は、IotUのものに違いないだろう。だが、デバイスであるザリアが、ラズライティシア様の遺伝子情報を持っているのだろうか。そして受精卵を、過去に飛ばすことが可能なのだろうか。私には、酷いこじつけにしか思えないのだが……」  取り敢えず否定的意見を述べたエイドリックは、「ただ」とスタークの考えを認めた。 「それが、仮説の一つとなることは確かだろう。それならば、超えるべき問題は2つだけだからな。そしてジェイドで仕組んだものの正体も見えてくる。だとしたら、ノブハル様は誰とアクサの子供なのだ?」 「誰と言うより、どちらとと言う方が正しいのだろうな」  対象を限定したスタークは、「恐らく」と言ってトラスティの名を挙げた。 「ならば、彼にアクサを誘惑させるか?」  それはそれで異常な世界に飛び込むことになる。その異常性に苦笑を浮かべたエイドリックに、「確かに」とスタークもそれを認めた。デバイスを誘惑するなど、どう考えても異常な世界に違いなかったのだ。 「ただ、それが常識の壁と言う奴なのだろう。そして本音を言わせて貰うと、私はトラスティ氏に嫉妬を感じてしまった。もはやあの3体を、デバイスと考えることに無理があると思っている」 「そこまで進んでしまったと言うことか……」  うむと考えたエイドリックに、「これからだ」とスタークは遠くを見る目をした。 「一歩一歩、真実に近づいているのは間違いないだろう。ただ、その先に一体何があるのか、それは全く想像がついていない。ただ単なる謎解きで終わってしまう可能性もあるだろう」 「自己満足で終わると言う可能性か……確かに、それは否定できないだろうな。だが先ほどの仮説が正しいとすると、トラスティ氏はザリアだけでなく、アクサを抱くのも確定した未来と言うことだ。だとしたら、どのような事件がそのきっかけとなるのか」  顔を見合わせた二人は、揃って大きなため息を吐いた。色々と考えてはみたが、自分達の想像を超えていることを理解したのだ。 「軍事方面とは考えにくいな」  小さく呟いたスタークに、「同感だ」とエイドリックは返した。 「それでも、私は閣下が羨ましいと思っている。次の騒動は、おそらくノブハル様の身の回りで起きることになるのだろう。そうなると、閣下は特等席でそれを見ることができるのだからな」 「それが、退役した者の特権と言うことだ」  自慢げに語るスタークに、それを認めるようにエイドリックは小さく頷いた。そして返す刀で、「シルベスター大佐だが」とかつての腹心の名を持ち出した。 「彼が、どうかしたのかな?」  なぜそこで名前が出る。少し訝ったスタークに、「いやなに」と看過し得ないことを口にしてくれた。 「今頃、アリッサ嬢に売り込みをかけている頃だろうと思ったのだ」  それを聞かされたスタークの目元が、ピクリと小さく痙攣をした。 「退役するには、彼はまだ若いだろう」 「とは言え、先が見えているのも確かだからな。彼が言うには、スターク閣下を一人にしておくのは心配とのことだ」  もう一度目元を引きつらせたスタークは、アルテッツァを呼び出した。当然、売り込みの結果を確認するためである。 「スターク様、良いお知らせと悪いお知らせがありますが、どちらからお聞きになりたいですか?」 「良い知らせがあると言うのかな?」  それはと迫ったスタークに、「カイト様がお断りになられました」とアルテッツァが答えた。 「確かに、それは良い知らせだな。それで、悪い方の知らせはなんなのだ?」  少し安堵したスタークに、「その決定をアリッサ様が覆されました」と教えてくれた。余計なことをと思いはしたが、相手は一応雇用主である。雇用に関する権限は、彼女が持っていたのだ。ただ一言ぐらい相談はあってもと、思わないでもなかった。 「なんだったら、私が変わってやろうか?」  顔を引きつらせたスタークに、顔をにやけさせながらエイドリックが声をかけた。そんな提案を、スタークが飲めるはずがない。 「この立場を、今更手放せるとでも思っているのか?」  それだけは絶対にあり得ない。意地でも譲るものかとの剣幕に、エイドリックは「早くジュリアンに譲ろう」と次の計画を頭の中で考えていた。  しでかしたことを考えると、3週間で決着が付いたのは驚異的な短さと言えるだろう。だが夫婦にとっては、3週間と言うのは我慢の限界に近い時間だった。それを理由に、トラスティは引き継ぎをスタークに任せて自室に篭っていた。もちろん彼の隣には、愛妻であるアリッサがシーツにくるまっていた。  会えない時間の分だけ、そしてトラスティの場合は禁欲的に過ごした時間の分だけ、二人の逢瀬は盛り上がった。ただ体力なしのアリッサに合わせると、どうしても限度と言うものが存在する。それでも満ち足りた気持ちになったトラスティは、次は夫婦の語らいとベッドにうつ伏せになってアリッサと話した。 「いくつか進展はあったと思うんだ……ただ、どう言うわけか兄さんの僕を見る目が変わった気がする」 「また、何かしでかしたのですか?」  その理由を自分に求めたアリッサに、「またってなんだよ」とトラスティは笑いながら言い返した。 「なんか、優しいと言うのか、やけにくっついてくると言うのか……この前なんか、ここに戻った時にいきなり抱きしめられてしまった。男に抱きしめられるのは、トランブル総帥以来二人目なんだけどなぁ」 「お兄様が、そんな真似をしたのですか?」  うーんと考えたアリッサは、とても危ない想像をしてくれた。 「軍の方って、両刀が多いと聞いた記憶もありますが……お兄様に限って、そんなことはないと思いたいのですけど」  ううむともう一度唸って、「報告が必要かしら」アリッサは姉の顔を思い出していた。 「いやいや、コスモクロアを使ってでも抵抗するから」 「全銀河最強の男に勝てると思っているんですか?」  絶対に無理と決めつけたアリッサは、「目覚めないでくださいね」と夫に懇願をした。 「犬に噛まれたとでも思えば、大したことはありませんから」 「お願いだから、冗談で済むところでやめてくれないかな……なんか、鳥肌が立ってきた」  ぶるっと震えたトラスティは、「進展」に関わる部分を説明することにした。他の話に逃げないと、話がさらにおぞましい方向に向かうのは分かっていたのだ。 「IotUが使ったとされる技の一つに、スターライト・ブレーカーと言うのがあるんだ。今回兄さんは、その技を使えるようになった。星の光を集め、大気中でも減衰することのない強力な攻撃だ。それどころか、周りからエネルギーを集めて、減衰どころか増幅されていくと言う恐ろしい性格を持っている。その攻撃で、強靭な装甲を持つミサイル50機を、兄さんは原子に還して見せたんだ」 「スターライト・ブレーカーを、ですか」  驚いたアリッサに、「スターラート・ブレーカーだ」とトラスティは繰り返した。 「君がエスデニアで襲われた時、ザリアはスターライト・ブレーカーを打てないと言ったね。だとしたら、それが嘘だったという可能性もあるんだが……あの時ザリアは、スターライト・ブレーカーなら、君たちが生きているはずがないとも言っていたんだ。今回の破壊力を見せつけられると、確かにその通りだと思えてしまったんだ。あれは、連邦軍のできる最大の攻撃よりも間違いなく強力なものだ。あんなのに巻き込まれたら、多少の防御ぐらいじゃ消し飛ばされてしまうだろう」  そんなにと驚いたアリッサに、「それぐらい凄い」とトラスティは答えた。そしてもう一つ得た成果、ザリアの変貌についてアリッサに説明をした。 「君は、ザリアが幼女の姿から大人に変貌したのを見ているよね。そしてその姿が、ラズライティシア様と生き写しと言うのを知っているはずだ」  小さく頷いたアリッサに、「その先が見えた」とトラスティは話を続けた。 「初めての変貌は、兄さんがザリアのエネルギー源をミラクル・ブラッドだと指摘した時だ。ザリアはそれをシステムリセットの理由にしたのだけど、兄さんはザリアの体が縮んだのを見ている。ただその姿は、以前とは違った見た目をしていたそうだ。そして次は、情報提供のご褒美に僕がキスをした時のことだ。僕からエネルギーを吸わなかったザリアなんだけど、その姿に重なるように幼い姿が浮かび上がったそうだ。それを、今度はスターク顧問が目撃している。やはり、以前のザリアとは違った姿に見えたそうだ。そしてその後、僕はザリアを抱いたんだ。そこで僕は、ザリアが子供のような姿になったのを見ることになった。あれは以前のザリアとは全く違う存在、もっと高貴でもっと美しく見えたよ。年齢的に言うと、そうだな、3年前のグリューエルぐらいかな。ただ幼い姿をしているくせに、どうしようもないほど美しくて魅力的だった。もしも君と出会っていなかったら、僕はザリアに溺れてしまったと思う」 「いつのまにロリコンになったのですか……と言う冗談はさておき、あなたを溺れさせる少女ですか」  全く想像がつかないと答えるアリッサに、「僕もだ」とトラスティは答えた。 「そしてもう一つ分かったのは、僕が抱いたのはデバイスではないと言うことだ。いくら精巧に真似ていても、デバイスと人間では超えられない壁がある。だけど僕には、あの時のザリアは人間としか感じられなかった。どうしようもないほど人間で、どうしようもないほど愛おしく感じてしまったんだよ」 「何か、これ以上先に進んではいけない気がしてきました。このまま先に進むと、あなたはコスモクロアさんにまで手を出してしまいそうで……」  流石にそれはと引いたアリッサに、トラスティは目元を引きつらせた。 「流石に、それはないと僕は思いたいな。それにコスモクロアは、僕の母さんだからね」  思いがけない言葉に、「えっ」とアリッサは驚いた。 「今、コスモクロアさんをお母さんと言いましたか?」 「ああ、そう言ったけど……」  肯定したすぐ後、トラスティは「あれっ」と首をかしげた。 「どうして、僕はコスモクロアをお母さんだと思ったのだろう」  もう一度「あれっ」と首をかしげた夫に、「もう一つの進展ですか」とアリッサは指摘した。 「だとすると、お兄様の母親はザリアさんと言う可能性が出てきましたね。そして時間的に考え難いのですけど、お兄様はあなたとザリアさんの子供と言う可能性も出てきますね」  そう指摘したところで、アリッサはぽんと手を叩いた。 「もしかして、お兄様はそれを理解したのではありませんか? そう考えると、あなたに対する態度が変わったことへの説明がつきます」 「兄さんが、僕を父親だと思ったから、かい」  そう答えたトラスティは、「やめて欲しいな」とアリッサに懇願をした。だがそれを無視して、アリッサはノブハルのことも考えた。 「だとしたら、ノブハルさんはアクサさんの子供と言う可能性もありますね」 「僕としては、その話からは離れたいのだけど……可能性として否定できないのが怖いと思ってる」  誰とのだろうと口にして、トラスティは現実から逃げるように遠くを見る真似をした。 「私としては、その役目はお兄様にして欲しいのですけど……」  多分無理と、トラスティとしては勘弁して欲しい決めつけをしてくれた。意外に常識的だと、カイトのことをアリッサは評価していたのだ。  セーブ・ゼスのメンバーがサイプレス・シティに入ったのは、新生ゼス建国宣言の1ヶ月後のことだった。連邦軍の展開が一息つき、サイプレス・シティでの安全確認されたのが理由である。  サイプレス・シティでの安全確保にとって、一番の問題は無秩序に放たれたハミングバードの処理だった。遠隔で機能に割り込むことで、ハミングバード自体を落とすことまでは難しくなかった。ただ、その場合の問題は、自爆機能の解除まで出来ないことである。そのため下手に落ちた鳥に近づくと、無条件に爆発に巻き込まれることになってしまったのだ。  その問題を解決するため、連邦軍はハミングバードの誘導へと方針を切り替えた。そしてその効果が出たことで、サイプレス・シティに安全宣言が出されたのである。 「当面、ここを臨時の総統府にするしか無いと言うことか」  アーレンリヒトの照射により、総統府は消滅していた。そしてラグレロ総統以下、行政局員の多くがその破壊に巻き込まれたのである。その結果、ゼスの行政機能は完全に破壊されていた。  形だけでも整えるべきとの進言に、ガリクソンは迎賓館で仕事をすることにした。そして連邦から派遣された監視団と言うエキスパートも、同じ建物の中に入っていた。 「俺達の家族は保護されたようだが……」  そこで言葉を切ったガリクソンは、なぜか後ろに控えていたイミダスの顔を見た。 「サラカブ様は、総統府で軟禁されておいででした。それを考えると、破壊に巻き込まれたと考えるべきでしょう。総統のご両親とは立場が違ったと言うことです」 「扱いの悪さが、逆に命を救ったと言うことか」  ふうっと吐き出したガリクソンは、「この事は?」と問いかけた。 「リスリム様にはお伝えしていません。二度も、悲しい思いをさせることに、意味があるとは思えませんので」  駄目だと思った父親の生存が、やはり駄目だったと言うことなのだ。それを改めて突きつけるのは、間違いなく残酷なことに違いない。  それに理解を示したガリクソンは、「貧乏くじを引いた」と積み上げられた山積み表を見た。そこには、見ただけで気の遠くなるほどしなければいけないことがリストアップされていた。それを見れば、「貧乏くじ」と言いたくなるのは痛いほど理解できることだった。 「まもなく、トラスティ氏が現れると思いますので……愚痴を言うのなら、氏に対してお願いします」 「俺が、あの人に文句を言えると思っているのか?」  これまで受けた恩を考えると、文句など絶対に言えるはずがない。そうでなくとも、トラスティに対する苦手意識も持っていたのだ。「勘弁してくれ」と懇願したのも、事情を考えれば仕方のないことだった。  軍事的な引き継ぎはすぐに終わったが、政治的な問題は残ったままだった。連邦から行政官は派遣されたが、彼らが手取り足取り「為政者とは」を教えてくれるはずがなかったのだ。  かき集めた戦力を返したトラスティは、ゼスに残ってガリクソン達を指導することにした。そこで一つ意外だったのは、ノブハルも残ると申し出たことだった。「多分だが」と、ノブハルは自分の方が話しやすそうだと言うのを理由として持ち出した。 「それは構わないけど、いいのかな?」  トラスティが気にしたのは、ノブハルがエルマーを出て1ヶ月以上過ぎていることだった。 「あまり待たされると、エリーゼさん達が可哀想じゃないのかな? まあ君は、セントリアさんで欲求不満を解消しているからいいのだろうけどね。ライラ皇帝へも、ご機嫌取りに行かないといけないんだろう?」  そちらを優先したらと言われ、ノブハルは少しだけ目元を引きつらせた。いつも通りのちょっかいには違いないが、ただからかわれただけとも言い難いところがあったのだ。それだけ、ノブハルにも心当たりがあったのだ。 「いやいや、これも大切な仕事に違いないだろう。それに、俺ももっと色々なものを見ないといけないと思っている」  だから残ったのだと答えたノブハルに、「別にいいけど」とトラスティはそれを認めた。 「確かに君は、もっと経験を積んだ方が良いからね」  ふうっと息を吐き出した所で、バネッタタイプのアンドロイドがお茶を持って現れた。ジェイドへ帰り際に、不便だろうとアリッサが残していってくれたものである。  少し熱めのお茶をすすったところで、こんどは「ほうっ」とトラスティは息を漏らした。 「珍しいな、あなたがそんな真似をするとは」  それを目にしたノブハルは、普段と違うと指摘した。 「流石に、ちょっと疲れたと言う気がしたからね」  少し決まり悪そうに答えたトラスティは、「色々と進展があった」と口にした。 「進展なのか?」  それはと身を乗り出したノブハルに、「君のおかげかな」とトラスティは笑った。 「その辺り、ゼスに関わるべきだと君が言ってくれただろう。それがきっかけになったのは間違いないだろうね」 「それで、どんな進展があったのだ?」  礼を言われるより、進展の中身の方に興味があるようだ。聞きたくて仕方がないと言う様子のノブハルを笑い、「ザリアだよ」とトラスティは答えた。 「順を追って説明すると、ザリアに掛けられていた鍵のいくつかが解除された。そのきっかけは、兄さんがザリアのエネルギー源に言及したことだ。確か君も、ミラクルブラッドに関わっていたよね。IotUが妻達に与えたとされる、赤い石のついた指輪のことだよ。兄さんがザリアにそれを指摘したことで、ミラクルブラッドから正しくエネルギー供給が行われることになったんだ。それが、真実に迫る鍵になったと言うことだ。ちなみに、コスモクロアもミラクルブラッドをエネルギー源にしている」  そう説明したトラスティは、「コスモクロア」と己のサーバントを呼び出した。その呼び出しに応え、少し大胆なドレスに身を包んだコスモクロアが現れた。どれくらい大胆かと言うと、濃い紫色をしたドレスは、背中の部分がお尻のすぐ上あたりまで大きく割れ、胸元もあまり隠されていないものだった。しかも長い黒髪が結い上げられていたため、後ろから見るとまるで裸に見えると言う、相手を考えれば危なすぎる格好だった。 「我が君、何かご用ですか?」  その微笑みからも、普段以上に艶を感じさせられてしまった。しかもどう言う訳か、ノブハルに流し目を送ってくれた。その直撃を受けたノブハルは、股間を押さえて思わず前屈みになってしまった。 「一応用があって呼び出したんだけど……その格好に、何か意味があるのかな?」  喉の渇きを覚えはしたが、流石にノブハルほど初心ではない。今度はコスモクロアかと呆れながら、トラスティは奇抜な格好の理由を正した。 「お嫌いですか?」  自分の顔を見て問われ、ノブハルはブンブンと音が出るほど首を横に振った。それを横目に、「指輪を見せてあげてくれないか」とトラスティは用件を切り出した。 「ミラクルブラッドとか言うものですね」  良いですよと微笑み、コスモクロアはノブハルの隣に現れた。そこで左手を差し出すのかと思ったら、なぜか彼の膝の上に座ってくれた。しかも両腕をノブハルの首に回し、「指輪だけで良いのですか?」と耳元で囁く始末である。  経験の少ないノブハルが、コスモクロアの誘惑に抗えるはずがない。ゴクリとノブハルが唾を飲んだところで、「アクサ」とトラスティが彼のサーバントを呼び出した。 「ノブハルを、間違った道に引っ張りこまないで欲しいんだけど」  不機嫌そうな声を出したアクサは、「教育に悪い」とトラスティに文句を言った。ちなみにアクサは、首の詰まった紺色のワンピースを着ていた。 「ああ、だから君に止めて貰おうと思ったんだよ」  コスモクロアは、相変わらずノブハルの膝に座ったままだった。そのおかげで、ノブハルは顔を真っ赤にして手の置き場に困っていた。  だが止めてと言うトラスティに、「無理」とアクサは言い返した。 「私が、コスモクロアに勝てると思うの? しかも、ノブハルが人質に取られているのよ」  だから無理と繰り返され、トラスティは大きくため息をついた。 「コスモクロア、そこまでにしておかないと次からは呼び出してあげないよ」 「ですが、ザリアばかりずるいと思います」  すかさず返って着た答えに、トラスティは「あー」と天井を見上げた。 「君は、僕に恥をかかせるつもりかい?」 「そのつもりはないのですけど……」  恨めしそうにトラスティの顔を見たコスモクロアは、「仕方がありませんね」と小さくため息をついた。そして自分の左手を、ノブハルの目の前に差し出した。 「これが、ミラクルブラッドと呼ばれる指輪です。IotUが気の利いた名前を付けて下さいませんでしたので、このような無粋な名前で呼ばれることになってしまいました」  それだけですと口にして、コスモクロアは唐突にその姿をノブハルの膝の上から消した。そしてアクサも、コスモクロアに少し遅れてその姿を消した。 「話が、思いっきりおかしな方向に向かった気がするが……」  はあっと大きく息を吐き出したトラスティは、「大丈夫かな?」とノブハルに声をかけた。 「あ、あまり、大丈夫とは言えないのだが……少し、部屋に戻っても大丈夫か?」 「何をしに……とは聞かない方が良さそうだね」  仕方がないとため息を吐いて、トラスティは時間を置くことを認めた。「感謝する」とノブハルが姿を消した所で、「何をしたいんだ」とトラスティは嘆いた。 「まさか、デバイスに色目を使われるとは思わなかった……」  アクサの態度で、アリッサの言葉が冗談ではないと言うことに気がついたのだ。去り際に向けられた視線には、明らかに熱が込められていた。そしてもう一つ、コスモクロアの態度も、予想の範囲だった。だからこそ、「何がしたい」と言う疑問にも繋がってくる。仕掛け自体は見えてきたのだが、逆に意図が皆目分からなくなってしまったのだ。デバイスに亡き妻達の意識を宿らせ、自分の分身との間で子供を作る。IotUの謎に迫ると意気込んできたのだが、どう考えても話がおかしな方に捻じ曲がっているとしか思えなかった。 「アクサの左手にも、赤い石のついた指輪が嵌められていた。それが13番目なら、アクサを攻略すれば謎が解けると言うことになるのだけど」  その推測は、おそらく間違ってはいないのだろう。だがトラスティとしては、「勘弁して欲しい」としか言いようのないことだった。 「謎解きを止めたくなったよ……」  何かとても疲れてしまった。ただ疲れを癒して貰おうにも、彼の妻達は誰一人としてゼスには連れてきていない。アリッサにしても、仕事があるからと1ヶ月前にジェイドに戻っていた。 「誰が、一番呼び寄せやすいのだろう」  そう考えた所で、誰を呼んでも問題にしかならないことに気がついてしまった。どうしてこうなると嘆きながら、トラスティはノブハルからの連絡を大人しく待つことにした。  トラスティが「やっていられない」と大仰に零してすぐに、ノブハルが展望デッキへと戻って来た。多少すっきりとしているのは、それなりのことをしてきたのだろう。 「こんなことを言うのは、今更なんだとは思うけど」  小さくため息を吐いたトラスティは、「謎解きを止めたくなった」と零した。一番熱心だった男の弱音に、どうしたのだとノブハルは目を見張った。 「大きな壁に突き当たったと言うのか……しかし、進展があったと聞いた気もするが」  ううむと考えたノブハルに、「進展はあったよ」とトラスティは返した。 「ただね、何かやっていられないと言う気がしてきてね」  もう一度ため息を吐いたトラスティは、「すまないね」とノブハルに謝った。 「こんなこと、君に愚痴を言うようなことじゃないのは分かっているんだ。それに、元々は僕が始めたことでもある。ただなぁ……」  そう零してから、トラスティはもう一度「すまない」と謝った。 「いや、別に構わないのだが……あなたが、そんな口を言うことになるとは。ちょっと想像がつかなかっただけのことだ」  そこで気を取り直したトラスティは、「どこまで話したっけ?」と2時間前の話に立ち戻った。 「確か、ミラクルブラッドの話をしていたと思うのだが? そこで、話が大きくねじ曲げられた気がする」  ああと頷いたトラスティは、「ザリアが変貌したきっかけだったね」と話のつながりを見つけた。 「兄さんがザリアのエネルギー源を指摘したことで、彼女を縛っていた何かが解放されたんだ。それによって、ザリアはミラクルブラッドを認識し、正しくそのエネルギーを使えるようになった。実は、似たようなことがコスモクロアにもあったんだが、その後の状況は少し違っていたね。ただ、そのことは今からの話には本質でないので触れないことにする」  ここでコスモクロアを呼び出すと、また2時間前の繰り返しになってしまう。それを恐れたトラスティは、話を先に進めることにした。 「大きな進展の一つは、兄さんがスターライト・ブレーカーを使えるようになったことだ。あの技は、IotUのなした奇跡の中でも特別と言われるものなんだよ。世界から光を集め、それを破壊の力として解放する。かつて、リゲル帝国との戦いでは、星系の外にいる艦隊を要塞ごと消し去ったと言われる攻撃なんだよ。シルバニア帝国とライマールの戦いでは、10万を超える艦隊の攻撃を無効化したとも伝えられている。世の中に溢れる光を僕として従え、数々の奇跡を起こしたと伝えられているんだ。そしてそのエネルギーが、ミラクル・ブラッドに充填されている。だからミラクル・ブラッドは、永久機関としてザリア達にエネルギーを供給し続けているんだ」 「あなたが言う言う以上、それが真実と言うことなのだろうが……」  ふうっと息を吐き出したノブハルは、「科学を否定している」と答えた。 「それが、今のと言うのであれば肯定してあげるよ。IotUが姿を隠してからの1千ヤーの間、科学者が解明することのできなかった謎だからね。それと同一と言う確証はないけど、兄さんが類似の技を使えるようになったのは確かだ。君も、ゼス政府のミサイルを消し去った攻撃は見ているだろう?」 「確かにあれは、想像を絶するものだった……」  映像でしか見ていないが、ノブハルにもそれが非常識な事象と言うのは理解できていたのだ。周囲から光をエネルギーとして集めるだけでなく、それを指向性を持たせて放出もしている。しかも50ものミサイルを消し去ったのに、威力は少しも衰えるところがなかったのだ。大気減衰を考えれば、ありえないこととしか言いようがなかった。 「これで兄さんは、連邦艦隊を一人で殲滅する力を得たことになるんだよ。これを超える存在は、もはやIotUしかいないのだろうね」  なるほどと頷いたノブハルは、「他には?」とその先を促した。 「色々と言った以上、それ以外にも変化があったと言うことだろう?」 「ああ、ザリアの正体が見えてきたと言う所かな」  スターライト・ブレーカーに比べれば、スケールとしては小さなものと言うことができるのだろう。ただ謎に迫ると言う意味では、こちらの方が意味として大きいはずだ。 「ラズライティシア様、ではないのか?」 「それを違うと言うつもりはないのだけどね。ただ、もう一つの姿を僕達……兄さんや僕、そしてスターク氏が目撃しているんだ。年齢的にはずっと幼く見える、とびきり美しくて威厳のある女性と言うのがザリアの最終形態だと思われる」  トラスティの説明に、「幼く見える?」とノブハルは首を傾げた。 「ああ、神殿に掲げられた絵とは違う姿だね。10代前半……なのかなぁ、もっと未成熟なんだけど、そのくせどうしようもなく綺麗で威厳があったんだよ」  トラスティの説明に、ノブハルは引っかかるものを覚えていた。どこかで似たような姿を見た記憶があったのだ。 「ラズライティシア様ではなく、幼い姿をしていたと言うのだな」  ううむと唸ったノブハルに、「何か?」とトラスティはその意味を正した。 「いや、何か引っかかる所があるのだが……なんだったのか、すぐに思い出せないのだ。ただ、その手の話をする機会は、さほど多くなかったはずなのだが……エノウの博物館、いや、あそこにはそんなものはなかったな」  ううむともう一度唸った所で、バネッタがお茶を持って現れた。ちょうどいいと少しぬるめのお茶をすすった所で、「タハイか」とノブハルは記憶の検索を終わらせた。バネッタのおかげで、アンドロイド繋がりでチチャイのことを思い出したのだ。 「確か、ナギサの奴と二人でタハイ地区を訪問したのだ。その時、リシンジ……信教と言うのだが、信教で祀られている神の妻、ブライシビライの宮殿コハク宮を訪問したのだ。そこに掛けられていた肖像画が、確か子供の姿をしていたはずだ」  ちょっと待ってくれと。ノブハルはその時の映像を検索した。 「これなのだが、何か心当たりはあるか?」  そうして見せられたのは、少女の肖像である。それがザリアの姿と似ているかと言われると、別人と言うのがトラスティの感想だった。 「少女と言うこと以外は、あまり共通点がないように思えるね」 「そうか、姿が違っているのか。流石に、そうは簡単に秘密には迫れないと言うことか」  残念と零したノブハルに、「そうとも限らないかな」とトラスティはその決めつけを否定した。 「もしも調べられるのなら、ブライシビライ様だったかな。その伝承を調べてくれないかな。リシンジの妻が、どうしてそんな子供の姿で描かれているのか。そして、どんな伝承を持っているのかとかね。それが、ディアミズレ銀河の特殊性を証明することになるのかもしれないからね」  その可能性は確かにあると、ノブハルはトラスティに頷いて見せた。 「そのことについて、チチャイ氏に依頼をしてみる。タハイ地区は、あの人の領地だからな」 「そうしてくれると嬉しいね」  任せたよと言われ、ノブハルは先ほどよりもしっかりと頷いた。 「ザリアの姿以外にも、何か進展はあったのか?」 「残念ながら、今はそこまでだね。違う姿が見られたとは言ったけど、安定して存在するのは以前の姿なんだよ。だから、まだ封印が解けていないのだろうね」  そのきっかけとなるものの想像もついていたが、トラスティはそれを敢えてノブハルには教えなかった。ザリアとしたことを隠すと言うのではなく、それがアクサ対策になると考えたのだ。 「つまり、まだ宿題が終わっていないと言うことなのか」  ゼスの問題を片付けた以上、これ以上連邦内で大きな問題は存在しないことになる。「奇跡に頼らない」と言うのを条件にするには、他の問題は小粒すぎたのだ。 「ああ、一つぐらいで解決した気になるなと言うのだろうね。ただそうなると、とても息の長い話になってしまうんだよ」 「徒花で終わらせるなと言うことか? だとしたら、俺たちの代で終わるとは限らないことになる」  それも厄介だと零したノブハルに、「確かに」とトラスティは目元を痙攣させた。 「このままだと、IotUの部分を僕達に置き換えただけになるから……と言うことか」  大いにあり得る仮説に、「止めたくなった」とトラスティはもう一度弱音を吐いた。ノブハルの立てた仮説が正しければ、自分達は1千ヤー昔の人間にいいように操られていることになってしまうのだ。「面倒を押し付けるな」との主張は、子孫として正当なものに違いない。  しかもこれからの自分に求められる行動が、アクサへの種付けなのである。目の前にいる青年が生まれるためと考えれば、それは意味のあることには違いないだろう。それにした所で、仕組まれた行動をしているだけと言う気持ちになってしまうのだ。人を躍らせるのは好きだが、自分が踊らされるのは真っ平御免だったのだ。 「時間の逆行か……」  未だ、その技術は開発されていないと言う。仮説とは言えカイトの存在を考えると、デバイスにその能力があるのか、近々に技術が開発されることになるのだろう。 「時間の逆行がどうかしたのか?」  本当に小さく呟かれた言葉だったが、その場に二人しかいなければ聞き逃すことはない。それがどうかしたのかと問いかけてきたノブハルに、「いやなに」とトラスティは決まり悪そうに頭を掻いた。 「それが、可能なのかなと思っただけだよ」  その程度だと笑ったトラスティに、「原理的には可能だ」とノブハルは予想もしない言葉を口にした。 「クリプトサイトを覚えていると思うが、あそこの王女は未来視と言う能力を持っている。つまり、情報が時間を遡ることが可能と言うことになるのだ。光速を超えるξ粒子は、時間を逆行すると言うのが現在の仮説だ。そしてクリプトサイトの王女は、ξ粒子を観測する能力を持っているらしい。その原理が解明できれば、物質を過去に送り込むことが可能となるのではないか」 「情報を過去に送る……」  そこに引っかかったトラスティは、なるほどとレムニア帝国で用いられている技術を思い出した。レムニアで使用されている空間移動は、数学的に物質を表しその情報を送ることで達成していたのだ。もしもその情報がξ粒子に乗せられたら、物質を過去に送り込むことも可能になるのだ。 「レムニア帝国の転送技術と組み合わせればなんとかなるのか」  トラスティの言葉に、「原理的には」とノブハルはその仮説を肯定した。 「ただし、いまだξ粒子の制御方法は分かっていない。そして過去改変の影響がどのように出るのかも、まだ評価されていないのだ。俺たちの認知している世界にその影響が出るのか、はたまた改変した時点で世界に分岐が現れるのか……」 「まだ、学問的には成立していないと言うことか」  ノブハルの言うことを理解したトラスティは、「任せていいかな」とその解明を彼に任せることにした。惑星自体の文明レベルは2と低いが、ノブハルの科学的能力は自分達の中でずば抜けているのは確かだったのだ。 「研究としては確かに面白いのだが……」  そこで少し嫌そうな顔をしたのは、仕事を押し付けられたのが理由なのだろうか。続く言葉で、関係者が問題なのだとトラスティは理解した。 「クリプトサイトに行かなければいけないのか……」  あそこに行くと、フリーセア女王が絡んでくるのが目に見えていたのだ。「確かに女難の相だ」とノブハルはアルテルナタに言われたことを思い出していた。ノブハルの考えでは、クリプトサイトには二度と関わることはないと思っていたのだ。 「フリーセア女王が嫌なのかな? だとしたら、アルテルナタの方にしておけばいい」  刑期は1年と少し残っているが、逆に言えばそれしか残っていないとも言えたのだ。IGPOに掛け合えば、協力させることも難しいことではない。  ただその二択は、ノブハルにとって不本意なものに違いなかった。従って、ノブハルの口から「勘弁してくれ」と心からの言葉が吐き出されたのも無理のないことだったのだ。 「勘弁してあげたい気持ちはあるんだけどね。時間の逆行が、謎を解く鍵の一つになりそうなんだよ。それができると、IotUの謎の一つに迫ることにもなるからね」 「IotUの謎の一つ?」  それはと身を乗り出したノブハルに、「忘れたのかい」とトラスティは伝承の一つを持ち出した。 「彼は、生身で光を超えたと言われているんだよ。それが本当のことだとしたら、時間を超えることも可能と言うことになる」 「あくまで相対時間と言う意味なら、間違ってはいないのだろうが……」  「光速を超えるか」とノブハルは呟いた。 「どうして生身でと言う問題は残るが、起こした現象への説明にはなるのだろう」  大きく頷いたノブハルは、「承知した」とトラスティの依頼を受けることにした。ただ問題として、どちらを利用するのかと言うことがあった。  「やはりアルテルナタの方か」と小さく呟き、「頼みがある」とノブハルは切り出した。 「IGPOに話をつけて貰いたいのだが」  その依頼に大きく頷き、悪意をエッセンスとして加えた答えをトラスティは口にした。 「なるほど、君の好みはアルテルナタの方だったんだね。確かに、スタイルは彼女の方が良かったね」  うんうんと頷いたトラスティに、やめてくれとノブハルは懇願した。 「フリーセアだと、クリプトサイトが絡んでくるからだ。あなたと違って、俺は王様なんか勤まらないからな」  その答えに頷きながら、「手を出すことが前提なんだね」とトラスティは変化球を投げ込んだ。その指摘を受けたところで、ノブハルは「ああ」と頭を抱え込んだ。 「言われてみて、初めてそのことに気がついた……研究の協力なんだから、そんなことを考える必要がなかったのに……」  もう一度大げさに嘆いたノブハルに、「諦めた方が」とトラスティは慰めにならない言葉をかけた。 「君もしっかりと染まったと言うことだよ。まあアルテルナタの場合は、仮釈放を餌にすればいいんだけどね。もちろん、双方の合意があれば話は別だと思うよ」  合意するんだよねと問われ、ノブハルはブンブンと首を横に振った。ただ未来は見えたなと、生暖かい目でトラスティはノブハルを見た。よほど用意をしてかからない限り、未来予知の能力を持つ者に敵うとは思えないのだ。相手がその気になった時点で、逃げられるはずがないと言うのがトラスティの考えである。  しかもノブハルは、アルテルナタにとって捕まえておくべき相手なのだ。クリプトサイトとの関係を考えれば、ノブハル以上の保護者は存在しなかった。それに自分を追い詰めた政治力を考えれば、女王になるより自由かつ権力があっていいと考えても不思議ではない。未来予知のできないトラスティだが、二人の未来が見えた気がしたのだ。  トラスティ達がゼスを離れたのは、ガリクソン達がサイプレスシティ入りをした2週間後のことだった。連邦が介入をして、およそ1ヶ月半と言う時間が過ぎてからのことである。それを早いと言うか遅いと言うかは、人それぞれと言う所なのだろう。 「こんなことを言ってはいけないのですが、もう少しいて欲しいという気持ちがあります」  ゼスを離れる前日、トラスティは挨拶のため新総統府を訪れた。そこでガリクソン新総統は、彼に正直な気持ちを打ち明けたのである。もともとただのボランティアだった男が、今や一星系を預かる立場になってしまったのだ。頼れる人に助けて欲しいと考えるのは、彼の立場なら無理もないことだった。 「それは、とても光栄なことだね。ただ、君は1日も早く独り立ちをしないといけない立場なんだよ。それに僕があまり長く関わると、連邦から傀儡じゃないかと余計な詮索をされることになるんだ。大丈夫、君達はうまくやっていけるよ。連邦から派遣された行政官にも、君達は結構評判がいいんだよ」  謙虚さで評判がいいと言うのは、本来喜ぶべきことではないのだろう。ただ政治的経験がゼロの彼らだから、頭を下げてでも学ぶべきことが沢山あったのだ。ガリクソン達が謙虚に見えるのも、少しでも助けを得たいと言う気持ちの裏返しでしかなかったのだ。海千山千を相手にしてきている連邦行政官からすれば、奇跡的なほど純朴な相手ということになる。 「君達とは、コンサル契約を結んでいるからね。その面でのアフターケアーは考えているよ。月1ぐらいには顔を出すから、言いたいことがあればその時に言ってくれないかな。もちろん、ゼスの状況は定期的にモニターはしておくよ。それから、個人的お祝い事なら喜んで駆けつけるから教えてくれればいい」  そちらはタダだと笑ったトラスティは、「自信を持っていい」とガリクソンに右手を差し出した。 「僕達との出会いは偶然なのだろうね。ただ、そこから先は君達が自力で掴み取ったものなんだよ。やけくそだろうと何だろうと、君達は僕達の差し出した手を取った。僕達にしても、君達なら大丈夫だろうとの見込みから手を差し出したことを忘れないで欲しいんだ」 「あんな美味しそうな餌を差し出されれば、誰だって食いつきますよ」  苦笑いを浮かべながら、ガリクソンは差し出された右手をしっかりと握りしめた。自分の右手を握る強さは、彼の覚悟の現れなのだろう。ここから先道を誤らなければ、いい指導者になるだろうと期待させられるものだった。 「君も、これから色々と大変だとは思うけど。まあ、彼を支えてやってくれないかな」  少し離れた所に立っていたリスリムの所に行き、同じようにトラスティは右手を差し出した。それをしっかりと握り返したリスリムは、「自分だけの役割じゃない」と少し緊張しながら答えた。 「セーブ・ゼスは、私たち10人が作り上げたものだからね」 「だったら、大丈夫と安心しておけばいいのかな」  トラスティに微笑み返され、リスリムは恥ずかしそうに顔をそらした。なんだかんだ言って、出会った男達は皆光るものを持っていたのだ。恋に憧れる彼女にしてみれば、目移りしそうな環境がそこにはあった。ただ彼女にとっての問題は、自分に選択権が与えられていないことだった。  そうやって10人と順番に握手をしたトラスティとノブハルは、「帰ろうか」とアルテッツァを呼び出した。 「彼女のプローブは、ゼスを覆っているからね。もしも緊急に連絡を取りたいことがあれば、彼女を頼ればいい。今回は連邦も張り切っているから、そんなことは起こらないと僕は信じているけどね」  そう言うことだと笑った所で、トラスティとノブハルの姿が新総統府の執務室から消失した。どの方法か分からないが、空間移動で軌道上にいるローエングリンに移動したのだろう。 「これからは、俺たちだけでやっていく必要があると言うことだ」  新総統の執務椅子に腰を下ろしたガリクソンは、もたれかかった格好で目を閉じた。 「ビジョンの構築、そして実行計画の立案……本当にやることが目白押しだな」 「そうね、しかも一日でも早くゼスに日常を取り戻す必要があるわ……もっとも、誰も日常なんて覚えてないと思うけど」  リスリムの言葉に、「日常ならあったさ」とガリクソンは答えた。 「ただ、それがごく狭い範囲でしか成り立っていなかっただけのことだ。8割に戦火は及んでいたが、残りの2割にはまだ日常があったんだよ」 「そう、なのかもしれないわね」  アリスハバラを思い出し、そんなこともあったなとリスリムは考えた。 「そして、これから先、新しい日常を作っていくことになるんだ」  なあと声をかけられ、残りの9人は「その通り!」と大きな声でガリクソンに答えた。 「その時には、お前とイライザの結婚式を挙げることになるな」  そう言って冷やかしたゲレイロに、「そこまで引っ張るのか?」とガリクソンはイライザの顔を見た。 「引っ張るつもりはないけど、落ち着くのを待つ必要があるとは思うわ」  素っ気なく答えたイライザだったが、首筋の赤さが彼女の照れを表していた。  そんなやりとりを見ながら、リスリムはさりげなくソーの隣に移動していた。10人のメンバーの中では、カップルになっていないのは自分とソーの二人だけと言うのがその理由である。 「どう、妬ける?」  軽く肘で突かれたソーは、「否定はしない」とイライザの方を見た。そしてゆっくりとガリクソンの方へと視線を移した。 「だが、祝福することはできると思う」 「そうね、精一杯お祝いしてあげないとね」  自分達もと言いたい所を抑え、リスリムは「お祝いだもの」と二人の方を見たのである。  10万人を収容できるホールは、今日も満員の観客を迎えていた。ホールの中央に配された浮島のようなステージの上では、ちょっと大人っぽい女の子が三人の女性バックダンサーと歌い踊っていた。  まるで万華鏡のように衣装を変えながら踊る少女は、ズミクロン星系有数のトップアイドルのリンラ・ランカである。衣装に合わせて変える髪型は、今はレディッシュのロングとなっていた。そして襟の大きな白いブラウスに、黒のマイクロミニスカートに身を包んでいた。  バックダンサーの一人、リンラより少し大人っぽい雰囲気を持った女性は、長い黒髪をはためかせながら踊っていた。体にぴったりとした衣装は、彼女の胸元を強調している。そしてもう一人のバックダンサーは、逆にリンラより少し幼く見える見た目をしていた。ソバージュの掛かった肩口ぐらいの髪は、鮮やかな水色に染め上げられていた。そして三人目のバックダンサーは、茶髪をショートにした活発そうな女性である。遠く離れたクリスティアから来た女子高生と言うのが、彼女のプロフィールとして定着していた。ちなみにインペレーターの艦長をしているので、今日は久しぶりのステージと言うことになる。 「次の曲は、「上には上がいるっ!」」  その声と同時に、リンラの衣装はフリフリ付いたピンクのドレス姿になっていた。そしてもう一つの影が、ステージの中央に現れた。金色の髪をアップにした、一目でスタイルの良さが分かる女性である。そしてスタイルの良さを見せつけるように、エメラルドグリーンのタイトなドレスを着て現れてくれた。  「歌と踊りをさせなければ」と言う条件で、アリッサがリンラのステージに出ることになったのである。 「素敵なレディに憧れていても〜」  スポットライトは、アリッサとリンラの二人を照らし出した。年齢的にはさほど差がないはずなのだが、明らかに発せられる色香は違っていた。しかもリンラの後ろからアリッサが抱きついたから、会場を黄色い悲鳴が包み込んだ。どうやら今日のステージは、女性の比率がいつもより高いらしい。その悲鳴と歓声を聴きながら、「これは癖になる」とアリッサは微笑みながら考えていた。  2時間を超えるステージは、2度めのアンコールの曲を歌い終わった所で終幕を迎えることになった。これで終わりと「Time Machineに乗りたい!」を歌い終わったところで、熱狂したファン達はさらなるアンコール曲を求め今まで以上の歓声を上げた。だが残念ながら、それ以上の熱狂は彼らに与えられることはなかった。聴衆達を収容した収容したホールには、すでに白い光が満たされ退場口への誘導が始まっていたのだ。そして中央のステージからは、リンラ達の姿は消え失せていた。  地下に降りることで、体全体に感じていたプレッシャーから開放されることになる。体全体から湯気を立ち上らせたリンラは、膝に両手を当て浅く早い呼吸を繰り返した。毎度のことなのだが、2時間にも及ぶステージは、体力を極限まで削ってくれたのだ。長い時間もそうだが、360度どこから見られている緊張は更に非労に輪をかけてくれた。特別なゲストのおかげで、少し張り切りすぎたと言う事情もあった。  そんなリンラの後ろで、黒髪と茶髪のバックダンサーも疲れた表情を見せていた。そしてもう一人の青髪のバックダンサーは、いつも通り一人余裕の表情を浮かべていた。 「無理をしすぎだ」  そう声を掛けて、いつも通りにノブハルがリンラの頭にタオルを掛けた。そしてそのまま、リンラの頭を自分の胸に抱き寄せた。そして抱き寄せられたリンラも、そうすることが当たり前のようにノブハルの胸に自分の顔をこすりつけた。 「だってぇ」  と甘えた声を出したリンに、「まあいいが」と答えたノブハルは、いつも通り疲労回復の「ユーケル」を起動した。その命令に合わせて発生した黄色いガスに包まれ、リンの呼吸は落ち着いたものに変わっていた。普段ならそこで抱っこをする所なのだが、顔をにやけさせたトラスティにノブハルは普段の行動を思いとどまった。 「いやいや、僕達に遠慮する必要はないんだよ」  ねえと夫に顔を見られ、アリッサも大きく頷いた。 「妹と言うのは、いつまでも甘えっ子なものですからね」  遠慮なくと言われても、そこまでノブハルも神経は太くなかった。そしてリンにしても、憧れの人の前で恥ずかしいことをする訳にもいかない。  大人しくノブハルから離れたリンは、「どうでしたか」とアリッサに近づいた。 「そうですね、癖になると言うのか……不思議な快感を感じました。あれだけの人を熱狂させるのですから、リンさんが凄いなと感心させてもいただきましたよ」  ですよねと顔を見られ、トラスティも大きく頷いた。 「モンベルトとかリゲル帝国で似たような目に遭ったはずなんだけどね……なんか、こっちの方が面白そうに見えたよ。何か、熱狂の方向が違うと言うのか」  いいものを見せて貰えたと笑ったトラスティは、感謝しますよと後ろで大人しくしていたミズキに礼を言った。国王様兼皇帝様の感謝の言葉に、ミズキは背筋を伸ばして「光栄の至りです」と緊張気味に答えた。ちなみにトラスティはしっかりストライクゾーンにいたのだが、アリッサを見て勝負にならないと一瞬で諦めたらしい。そしてこれは余談だが、いつの間にかグリューエルまでトラスティにくっついていた。 「ところで、今日は遅くなっても良かったのかい?」  それをノブハルではなく、トラスティはリンの顔を見て聞いてくれた。すでに時間は、夜の9時を回っていたのだ。ディナーだと考えると、少し遅めの時間と言うことになる。 「その、喜んでと言ったらおかしいですか?」  しっかりアリッサとトラスティを意識したリンに、「そんなことはないよ」と大人の余裕を見せた。 「君達もそれでいいのかな?」  現れた少女達も、トラスティの問いにしっかりと頷いた。それを確認したトラスティは、アリッサの反対側にくっついたグリューエルを見た。 「任せて良かったかな?」 「ええ、すでに用意は整っております」  我が君と答え、グリューエルはこちらにとノブハル達を案内した。コンサートホールの車止めには、すでに手配された高級シェアライドが何台か控えていた。 「みなさんの衣装は用意してございます」  ですからそのままでと、グリューエルは7人をシェアライドに押し込んだ。そして自分は、それが当然のようにトラスティの隣を確保した。  それを待っていたように、「仕事を一つ任せたい」とトラスティは切り出した。 「私に、でしょうか?」  少し驚いた顔をしたグリューエルに、「君にだ」とトラスティは頷いた。 「内政のコンサルタントとして、ゼスの面倒を見て貰いたい。連邦の行政官をダメと言うつもりはないが、今の彼らでは言いなりになってしまうからね。そうならないよう、君に目を光らせて貰いたいと思っている」 「確かに、その役目は私にこそ相応しいのでしょうね」  にっこりと微笑んだグリューエルは、「お引き受けいたします」と快諾した。それに頷き、「護衛は?」とトラスティは問いかけた。 「祖国から、一人呼び寄せようかと思います。エルマーでは不要ですが、ゼスではまだまだ強力な護衛が必要でしょう。特に政治に関わってくると、余計な敵を作りかねませんからね」 「その辺りの差配は君任せることにするよ。それから、一応連邦軍にも釘を刺しておくことにしよう」  連邦を構成するクリスティア連合国家の王女と言う立場を持っているのだから、連邦軍も気を使う必要があるのは確かだろう。それどころか、一言断っておかないと苦情を言われる可能性もあるぐらいだ。連邦軍に言わせれば、そんなVIPを派遣するんじゃないと言う所だろう。  「ありがとう」とグリューエルに答えたトラスティは、「調査の方は?」と問いかけた。 「そちらは、今晩にでも」  答えを引き延ばしたグリューエルは、「ただ」とトラスティとアリッサの顔を見た。 「ノブハル様のお母上について、ちょっと興味深いことを見つけてしまいました」 「なるほど、じっくりと時間を取る必要がありそうだね」  そう答えながら、トラスティは左手を膝に置かれたグリューエルの手に重ねた。 「私がエルマーに遣わされた真の理由が理解できた気がします」  そう答えたグリューエルは、重ねられた右手を裏返した。そして指と指を絡めるようにトラスティの手を握った。 「IotUの居場所が掴めた気がする……そう、言いたいのだろう?」 「流石は我が君。そこまで辿り着かれていたのですね」  流石ですと賞賛したグリューエルは、ゆっくりと体をトラスティの方へと預けていった。その反対側では、すでにアリッサがトラスティに肩を抱かれていた。 「やはり、ズミクロン星系は特別だった……と言うことだよ」  そう答えたトラスティは、振り返って後ろを走るシェアライドを見た。そこには謎解きの鍵となる、ノブハルが乗っていた。 「そして僕の出生にも、まだまだ秘密があったと言うことだ」  それを確かめるためにも、レムニアに帰る必要がある。アリエルの顔を思い浮かべたトラスティは、「まあいいか」とひとまず謎解きを先延ばしにすることにした。 「とりあえず、足元を固めることを優先しようか」  身の丈に似合わぬ民間軍事組織など作ってしまったのだ。それを軌道に乗せない限り、あっと言う間に行き詰まってしまうことだろう。 「慌てるなって、忠告されたと考えたらいいんだろうね」  うまく乗せられたかと、トラスティはもう一度振り返って見た。まるで宇宙を旅しているかのように、そこには闇夜の中にシェライドの明かりだけが浮かび上がっていた。 続く